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堀井On-Line
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2015年04月24日(金)
ー知の逆転ー 対談相手〜マービン・ミンスキー * 感情とは思考の単純形だ ー感情機械としての人間 感情で動く多くの人からみたら、元もと感情が単純形と思うのは当然。 逆に、心理学者や哲学者からみれば、感情は複雑で底がしれない泥沼の ようなものと考えているため、改めて考えることになる。考えつくした 末の感情であれば、決して単純形ではないが・・ 〜その辺り〜より ≪ ミンスキー: 何干年もの間、人々は、「思考」すなわち理性的で論理的 で機械的なものと、「感情」すなわち自然で論理的でないもの、というふう に区別してきたわけです。従来の心理学は、自然な行動というものは二種類に 分けられるという考え方に基づいていました。 ちなみに私に言わせれば、 何にせよ世界や物事を二つに分けようとする試みは、大きな間違いです。 そうすると、全てを「これ」か「あれ」であると言わなければならず、両者の 間に位置するものに対して、橋をかけられない。私の発見の大半は、少なく とも三つの事柄があるという考え方に基づいたものです。ですから、「ここ」 から「あそこ」へ行うとしたときに、障害(三つ目のことがら)があれば、 それを迂回するという考えが出てくる。 本来「思考」と「感情」を分けて考えるべきではないと思います。「思考」 というのは非常に複雑で、われわれは実に多様な物事の理解の仕方をする。 一方、わずか10〜20くらいの別のやり方でも物事を理解していて、これらを 「感情」と呼んでいるわけです。従来、「思考」というのはシンプルで論理的 であるのに対し、感情は非常に複雑で強力で神秘的だと考えられてきたわけ ですが、これが大間違いなんですね。 「感情」というのは非常に単純な動物でも持っている。ある状態では とてもお腹がすいているから、食物がほしいと思ってそれが行動を独占する。 別の状態では危険を感じる、だから即逃げる。そしてまた別の状態では―― というふうに、単純な動物は、こういった反応の仕方をするわけです。 これに対して、哺乳類や鳥類の一部、タコなどの複雑な動物は、状況に応じて 実にさまざまな反応の仕方をするわけで、これらを「思考」と呼んでいるのです。 従来の考え方とは逆に、「感情」というのは単純かつ機械的であり、「思考」は 実にさまざまな状況の判断や反応の仕方をするものだというふうに、見方を変える 必要があると思います。・・・(略) P194 ≫ ▼ 「思考」が単純で論理的プロセスであると考えるのは全くの間違えで、 単純で、機械的なのは、怒っているとか、恋をしているとか、腹が減っている とかの「感情」の方であるという。感情的になって事業停止をしたのではなく、 考えつくした上で、決断する。あくまで、感情は思考の単純形というのは、 自分の経験からみて至極当たり前のこと。一時的恋愛感情だけで結婚、その結果、 冷静に互いを見つめて、考えた結果の離婚の多さが、それを物語る。 熱病に でもなければ結婚など出来ないが! まずは一息、入れろ!さらに、もう一息! ・・・・・・ 4788,「道徳」を疑え! 〜2 2014年04月24日(木) 「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜 * 自分の頭で考えるための哲学講義 ー大抵のことは嘘を見抜くこと ーまずは、その辺りを抜粋ー 《 哲学の第一歩は疑うことである。なぜ本質や真理に到達するために疑う ことが必要かというと、本当のことは常に隠れているからです。私たちは ついつい人から聞いたことや、実際に見たものをそのまま本当のことと信じ 込んでしまいがちです。でも、たいてい、それは嘘なのです。これには人間の 弱さや未熟さが関係しています。イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、 それを「イドラ」と呼びました。本当のことを隠してしまう臆見(おっけん) のことです。 彼によると、人間には四つのイドラがあるといいます。 ・一目は「種族のイドラ」です。これは人間という種族に固有のイドラで、 感情や感覚によって知性が惑わされることによって生じます。人間は自分が 主張する立場に箇執し、その点からしか物事を判断できないのです。 ・二つ目は「洞窟のイドラ」です。あたかも狭い洞窟に考えが入り込んで しまったかのように、個人の狭い事情により生じる思い込みです。 その人の受けた教育、影警を与えた人物、読んだ本などが原因で、狭い 考えに入り込んでしまう。 ・三つ目は、「市場のイドラ」です。これは言語によって生じる思い込み。 あたかも市場で聞いたうわさ話を信じてしまうがごとく、人は言葉のもつ力に 弱いもの。いまは市場より、インターネット上に氾濫する言説が原因になる? ・四つ目は「劇場のイドラ」です。あたかも劇場で観たものに強い影響を受ける ように、すでに完成した塊のストーリーを目の前に提示されると、人は容易に 信じてしまうものです。バトルゲームに影響されて犯罪に走る若者がいるように。 このように、人間は弱い存在であることから、なかなか本当のことが見えなく なってしまっているのです。したがって、本当のことを知るにはあえて 見たまま、聞いたままのものを疑うことが必要になってきます。 しかもそれを根源にまでさかのぼって徹底してやらなければなりません。 そうして初めて、答えに到達することができるというわけです。批判的・ 根源的に考える哲学という学問が、出来合いの「正しさ」を植えつけよう とする現行の「道徳」とは正反対の営みだということが、これでご理解 いただけましたでしょうか。・・・ 》 ▼ 私が40歳過ぎから還暦まで年に二回以上、秘境・異郷を中心にした ツアーに参加して気づいたのが、逆照射の視線である。極北のアイスランド の地から見れば、日本は極東である。アフリカの最南端のケープタウンから みても同じで、日本で思いつくのは、空手、忍者、侍、ソニーぐらい。 そこからみた、常識とか、道徳を分解すると、上記の四つのイドラになる。 地球を象に例えると、我々は、その皮膚のヒダに棲むダニかシラミになる。 その視線が行く回数を重ねる度に、強くなっていった。装置産業もあって、 あまり人と接する必要もなかったため、強固な小さな視線しか持ち得ない人 との接点を最小に保つことが出来たことが、人生最良の環境と思っている。 他人からみたら、変人そのものだろう。それも、人間関係工学(造語?) を40年以上も独学を続けているのだから、やはりオカシな人間だろう。 おまけに、創業を20歳の時点で決心したため、視線が現状、現象の先を 見つめることが優先となれば、言動は誰から見ても変? それでも変な 創業事業者という隠れ蓑があったが、それが無くなった今!? ・・・・・・ 4421, さっさと不況を終わらせろ 2013年04月24日(水) * アベノミックスの理論的背景は、こんなもの! 「さっさと不況を終わらせろ」ポール・クルーグマン (著) 安部政権の経済政策の大元が、この本ではないか? しかし非常に危険と 思うのは私だけでないはず。国力が無い国が、これを実行したらハイパー インフレになり国家破綻になってしまう。強者の手法ならよいが。 そこで、日本は強者か、弱者なのか? 腐っても鯛(資源、軍事、金融、 世界共通言語、農業などが出揃っている)のアメリカとは立ち居地が違うと 懸念するが。まあ、ジャブジャブの結果、どうなるか見物である。 ーアマゾン内容紹介ー いま最も信頼できるノーベル賞経済学者がついに叩きつけた不況打破への 最終解答! リーマンショック以降、いまだに好転の兆しを見せない世界経済。 では、各国政府と中央銀行、そしてわれわれが本当になすべきこととは――? いま最も信頼できるノーベル賞経済学者が、ついに叩きつけた最終解答。 (本書「訳者解説」より)ー日経「エコノミストが選ぶ」2012年経済図書第2位 ≪ 本書の主張はきわめて単純明快。いま(2012年)はまだ、りーマンショック 以後の不景気が続いていて回復していない。そして失業者の技能や労働市場で の価値の低下から、その害が一時的なものではなく、長期的被害になりつつある。 だから景気回復策をきちんとやろうということだ。そしてその手法も明快。 【 前書きよりー 昔ながらのケインズ的な財政出動をやろう。 赤字国債を出して、大ものを一気にやるべきだ。そして中央銀行はそれを 金融緩和で徹底的に支援すべきだ。それに伴う財政破綻だの金利上昇だのは、 悪しき固定為替制度の下にある、ユーロ圏のスペインやイタリアのような かわいそうな国以外は、全く心配する必要はない。以上のきわめてシンプル な主張をまとめたのが本書となる。】 ・・・(略) 【 あとがきよりー 本書を読んで、一人でも多くの人が現状の各種政策の 愚かさに気づけばとは思う。財政出動しようよ。かなり手遅れとはいえ、 復興まともにやって、教育やインフラ補修にどんどん予算だそうよ。そして 予算つけるだけでなく、ちゃんと消化しようよ。必要なら予算執行の細かい 基準とか緩めようよ。日銀は、すでにやっている国債引き受けをもっと 認められた枠いっぱいにやろうよ。それ以外にも、自分たちの保身だけでなく、 日本の人々のことももっと考えてよ。そして増税なんて今やることじゃない でしょうに! そういうことを理解してくれる人が、少しでも増えてくれれば─ こう書きながらも、それがどれほどはかない望みかは、知らないわけじゃない。 それでも、一人でもそうしたごく基本的な部分を理解できる人が増えることで、 日本経済の未来はすこしはよくなるはずだ、とぼくは信じている。報われない 信仰かもしれないけど…そのために、本書がごくわずかでも役立つことが あれば、大いなる幸せだ。―山形浩生(訳者) ≫ ▼ これで不況が終わるのだろうか?本当に!ハイパーインフレになった時、 銀行閉鎖かデノミを実施すればよいのは分かっている。現状がすでに待った なしの事態からみれば、それでよいのか? PIIGSとは違い、自国通貨で インフレを起すから大丈夫とかは、このグローバルの金融の世界で果たして 通用するのか? そのツケは、社会的弱者にまわってくるので、現在の 選挙システムでは、政権そのものが持たない一年内閣が、続く。ということは、 ハイパーによる自滅が4^5年先と見るのが道理。 顔色だけは良い麻薬漬患者?あっそう、アベグロ劇場の始まり! ・・・・・・・ 4047, 一時停止 ー5 2012年04月24日(火) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 魂という言葉 ≪ フランスのアランという哲学者は、「一つの身体の運命に結びつけられた 精神が魂(AME)というものである」と定義した。同じフランスの現代の 前衛的文学者たちの中には、魂などという語はもう使えないと言っている人たち もいるらしい。彼とって人間は魂という言葉ではとらえることが不可能なほど、 細分化され抽象化された存在なのだろうか、だがぼくにとっては、魂という言葉 はまだ或る現実的な手ごたえをもってる。 肉体なしでも成立するかのように 使われる精神という言葉とちがって、魂には人間の肌のぬくみが感じられるんだ。 精神はたしかに個人の肉体を離れて、その死後もかずかずの書物や芸術によって 伝えられてゆく。だが魂は、個人の肉体の死後むしろゆきどころを失って 宙にただようもののように思える。「詩人の魂」という歌があったっけ。 たしか歌の歌詞は忘れられても、そのメロディは人々に口ずさまれて残ってゆく というような歌だった。自分はいったいどこから来て、どこへゆくのか、自分が たかだか百年に満たぬ人生を、この無限の宇宙の中の地球と呼ばれる星の上で 過すことに、どんな意味があるのか、そんな疑問にとらえられたことのない人間 はいないだろうか、そして決して本当の答を得ることができないそんな疑問に、 精神は或る仮の答えを出すことが出来る。たとえば、いまのぼくは、自分に こだわるより、むしろ我を忘れて自分を超えた他人の世界にかかわってゆく ことに、あるべき生きがいを見出そうとしていると言えるかもしれない。・・≫ ▼ アランの魂について、「一つの身体の運命に結びつけられた精神が魂」 という定義が分かりやすい。 キリスト教徒は、「魂は人間の不滅の本質 であり、魂は死後に 報酬か懲罰を受ける」と信じている。 私の魂の解釈は、 「心は毎日変わるが、魂は、その心を支えている生まれてから死ぬまで一貫した 幹である。感激は心の響きだが、感動は魂の振動」である。秘境の大自然の中で 何度も魂の振動を経験した。それが感動である。全身全霊で何かに没頭した ときに魂が現れ出てくる。 ・・・・・ 3681, 逆説を考える 2011年04月24日(日) 考えるときの一つに、正反対の説を立てる方法がある。「逆も真である」 を試してみると、考え方の幅が広がってくる。とはいえ、逆説を正面から 考えたことはなかったので、その意味を取り上げてみる。学生時代のゼミの 教授が、中根千恵の「日本社会は縦社会=蛸壺社会」という説に対し、 「横社会=資格社会」という説を立てられた。「日本社会には武家社会の 影響が残っており、殿様、家老、家臣、家では家長、嫁、婿、長男、末っ子、 という資格社会ではないか。蛸壺というが、どの世界でも、その資格で評価 されるではないか?」という逆説に驚いてしまった。それを切欠に、 逆照射の見方を常に持つようになった。 ーYahoo辞書によると、 ー逆説とはー 1 一見、真理にそむいているようにみえて、実は一面の真理を 言い表している表現。「急がば回れ」など。 2 ある命題から正しい推論によって導き出されているようにみえながら、 結論で矛盾をはらむ命題。 逆理。 パラドックス。 3 事実に反する結論であるにもかかわらず、それを導く論理的過程のうちに、 その結論に反対する論拠を容易に示しがたい論法。ゼノンの逆説が有名。 逆理。パラドックス。 ー広辞苑」によると 「衆人の予想に反した、一般に真理と認められる説。また、真理に反している ように見えるがよく吟味すれば真理である説」。逆説といえばマックス ウェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。 資本主義といえば「自分の利益の為に利益を追求する」ことだが、 マックスウェーバーは資本主義は「プロテスタント」は「禁欲」「勤勉」の 基本理念から出発したと主張。「禁欲」を目的とした「プロテスタンティズム」 は「勤勉さ」を旨とする「合理的」生活態度を形成した結果、 「計画的・合理的」に企業経営を行おうとする精神が形成されたという、 逆説は資本主義社会の大きな精神的支柱になった。 ▼ 「逆も真なり」という諺が昔から日本にあったが、両者とも成立する 確信で考える入口になればよい。考えるための一番の近道だが、正論を 把握した後でないと単なる歪みになってしまう。 ・・・・・・・ 3316, 人みな骨になるならば ー11 2010年04月24日(土) * 神とは ? 虚無主義の著者の宗教観がシビア。 この辺が、明るい乾いた虚無主義者の 真骨頂である。大方の人は、以下の論に近いのだろう。 アブラハムがつくり あげた超越的存在の神、そしてユダヤ教、キリスト教、イスラム教の内輪もめ。 これが、現在の世界の宗教戦争を引き起こしている。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー 神という言葉を使うと近代以後の知識人は懐疑的になったり警戒したりする ものだが、それは「神」という概念の内包(意味)に関して伝統的なイメージを ひきずっているためである。もともと「神」などという超越的観念は、それを 思っている人によって勝手にイメージされてきた。 中世の農夫にとっては 雲の上にいる白髭の老人であり、現代的な信者にとっては、「宇宙に偏在する、 形のあいまいな意志そのもの」である。 どこかの原住民にとっては自分と 同じような腰蓑をつけているオッサンかもしれない。このように、信者たちが 各自勝手に想像しているのが絶対者なのだ。ある意味で、このような多義的に なんとでも解釈できる教義を備えていない宗教は、レベルもニーズも様々な 多数の信者を引き寄せることができないらしい。だから近代以降のインテリ たちは、神を否定したがる。確かに、そんなシロモノは実在しそうもない。 ただ、そうした多様なイメージのむこうに共通項として「それ以上の審級が 存在しないような超越的かつ絶対の存在にして運命の決定者」を想定すること はできるだろう。それが人間臭い愛や怒りや嫉妬や気まぐれをもつかどうかは、 各信者の想像力の限界を示すだけである。むしろ、その人間の程度を知りた ければ、その人物が信じている神の特徴を教えてもらえばよい。 神のイメージは、たいていその信者の願望と恐れを投影したものだからである。 そこで、ここにいう「神」とは「宇宙を統べるなにか」以上のものではない。 そんなものが実在するかはひとまず措く。もしそうしたものが存在するならば、 それとの相談なしに将来を誓うことは人間の分際を越えていることになる。 そして、そうしたものが存在しないなら、ますますわれわれの生や将来には なんの保証もない。 〜〜 「その人の程度を知りたければ、その信じている神の特徴を知ればよい。 神のイメージは、その信者の願望と恐れを投影したものである」は、言いえて 妙である。人間が言葉を持ったが故の不安と不幸をカバーするため、未知の 存在の畏敬としての神は、必要である。しかし、それでしかない。 「その人物の程度といえば、連れ添いを知ればよい!」というが、これは 当たっているか?これとは関係ない。神については黙するしかない、 ということか。最後は、神様助けて、というしかないのが人間である。 ・・・・・・・・ 2941,ナチが愛した二重スパイ 2009年04月24日(金) 「ナチが愛した二重スパイ」 ベン マッキンタイアー著 新幹線通勤の往き帰りの車中で一ヶ月かけて読んだが、これが何とも面白い。 第二次大戦末期、ロンドン暗黒街のチャップマンは、ナチのスパイとなる。 しかし「二重スパイ」として、ベルリンに偽情報を送っていた実録もの。 ロンドンの当時の札付きの泥棒、ジゴロの生々しい犯罪と、監獄暮らしなどが 詳細に書かれている。現在の犯罪者も似たようなものだろうから、我われ小市民 とは全く異質の存在である。肯定的にみれば「何もしないで一生終わるより、 よほど思いのまま生きることも必要では?とさえ思わせるほどである。 札付きの犯罪者がその経験を生かして二重スパイになって国家のために大きな 働きをすることになるから、皮肉といえば皮肉。 pー234に 著者は、二重スパイのチャップマンを次のように分析している。 【 二重スパイのチャップマンの話は、地味なスパイの話とは違う。 スパイ小説なら、あり得ないこととして拒否される内容である。主人公は 悪党であるが、悪党としては決して敗残者ではない。彼の犯罪歴は、軍隊脱走 から猥褻行為へ、女から脅迫へ、強盗から金庫爆破へと段階的に進んだ。 あとになると彼の報酬は多くなり、最初はつまらぬことに手を染めたのを恥じて いるのは疑いない。この男の本質は己惚れで、自ら評価するところでは大物で、 暗黒街のプリンスのような存在である。 (字数の関係でカット09年4月24日) ・・・・・・・・・ 2577, フロー体験 ー2 2008年04月24日(木) ー まずは、要点を書き写してみる。ー
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2015年04月23日(木)
* 常識とは何か アインシュタインの言葉に、『常識とは、18歳までに仕入れたもろもろの 先入観のコレクションである』がある。人生を振返ってみると、まさに先入観 の破壊の連続。 地方の田舎から上京をして、右も左も分からず、多くの壁に ぶつかり、その都度、先入観の壁が一つずつ叩き壊れていった。 あれだけ必死に挑んだにもかかわらず失敗と挫折の連続。 何故だろう? そこで考えたのが、己のの無知、無能の自覚である。実際に多くの挫折を経験 をすれば、認めるしかない。その底から立上り、一歩を踏出すためには膨大な エネルギーを使った末の知恵を絞り出すしかない。バカの壁の認識と、破壊 である。挫折とは創造前の破壊になる。21歳の夏の‘欧州一ヶ月間の旅行’で、 自分を取囲んでいた壁が粉々に崩壊された。そこで見たのは、西欧文化の深さ。 その西欧からみえた「極東の黄色人種の私」という存在。日本すら知らない、 自分すら知らない私の自覚。あの経験はプラス・マイナス両面で大きな節目。 経験と知識と、それから捻り出す知恵が、人生にとって、最も大事な要素で あることを実感した。それぞれの国と地域には、そこの常識がある。 それは、そこの常識だが、一歩、二歩離れると、それは非常識でしかない。 常識が悪いというのではない。常識は必要条件であって、絶対条件ではない ことの自覚を常に持ち続けることが必要ということ。 18歳までに仕入れたもろもろの先入観のコレクションこそが、人生の壁に なっていることを、早々、気づく必要があるということ。そういう常識の 持ち主の人たちの中で、一生を終えるのも人生。鳥瞰するのも人生である。 ・・・・・・ 4787,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜� 2014年04月23日(水) * 綺麗に止めたい、のですが! 実際に自分が当事者になって感じたことは、自分もそうだったが、 他人の卑下の視線と、いい加減さ。地場の中で単一価値観しか持ち得ぬ人の 「上から目線」が、漫画的で面白いといえば面白いが、経験する前の自分は、 こんなもの。倒産といえば、【夜逃げ、自殺、家庭不和による離婚、計画倒産、 連鎖倒産、社会的抹殺】などが思い当たる。娑婆からみれば、良い倒産、 悪い倒産など関係なく、差別対象で、成るほど!と、実感する日々! 弁護士に依頼したことは「30年間、会社取引は綺麗にしてきたので 『立つ鳥跡を濁さずで』終えたい!」に対し、「倒産に綺麗も汚いもない。 あるのは、良い倒産と悪い倒産だけ。今の状態は、それは可能。点数でいえば、 100点はあり得ない。せいぜいで70点!その手伝いをするのが弁護士の役割」と。 「ならば、その70点でお願いします!」で、方針が決まった。 結果は概ね 70〜80点と自己評価。弁護士も、その方針とおり動いてくれ、事業物件の、 全ての買い手がついた。 自宅も、家内が購入を希望し、名義が家内に移って、 現在に至って、今では使用人扱い! 抵当などのの弁済平均が全国平均11%に 対して、40%弱の弁済で、無事終了。一般債権も、労働債権もほぼゼロ。 役員と社員の退職金も規定の7〜8割は支払うことが出来た。 中小企業は、万一に備えて事業主の連れ合いに給与を支払い、厚生年金と 健康保険をかけて、残りを本人名義の預金にする。これが「間接保険」になる。 特に、長期の設備投資には必要条件というより絶対条件になるが、これが 装置事業でないと、その備えをしていない。それと妻など家族に、連帯保証人 にしないのも長年の知恵。 私の場合、40年近く、給与の一割を目安に家内の 給与にしていた。これが、今では、命綱になっている。孫子の攻守の鶴翼の 構えである。 思わぬ震災クラスの社会変動を、家系として経験してきたから こそ出来たこと。更に保険に入る代わりに、家内名義の預金を40年近く続けて いたが、塵も積もれば(小)山。 ケセラセラでは、生きられないが、これを もって計画倒産と巷の噂! 弁護士に、「私の場合でも計画倒産?」と聞いた ところ、「倒産には、計画倒産と計画的倒産があり、長年にわたり備えるのは、 それ以前の体質の話。『金持父さん、貧乏父さん』という本があったが、 もじって『良い父さん(倒産)、悪い父さん』が基準の言葉。 世間的には、 それを同じに見ているが、似て、非なるもの」との解りやすい回答。 それを前提に、あの卑しい目線の底の浅さが見え、それが気持ちを大きく支える。 成るほど、人間は自分の範囲でしか事象を解釈できない。そういう自分自身も 同じことだが。日頃から教養、特に哲学、歴史を学んでいないと、こうなる。
・・・・・・ 4420, 暴走老人! −3 2013年04月23日(火) * 孤立化する空間 「暴走老人! 」藤原 智美 (著) 近所をみても一人住まい老人の家が目立っている。去年には孤独死の老婆が 死後発見された。二年前には、その隣の老夫婦の奥さんが自死。独り住まいの 弧族が目立って多い。そういう我家も何時、いずれ弧族になる? 近くに スーパーや、コンビ二があるので、不便はないのだろうが・・ スマート フォンの普及は便利な反面、人と人との係わりを最小にする。また、年寄りは 情報機器を使いこなせるかどうかで二分される。使いこなせない人の疎外感は、 より大きく膨らむ。とはいえ、孤立した老人が不幸か?というと、これだけは 当人しか分からない。大家族の中の孤立の方が不幸のケースもある。 現在、毎日、書斎に4ー5時間はパソコンか読書をしている。それを孤立とは 言わない。問題は、孤立した空間で楽しめるか。≪ かつて農漁村、都市の 商店街のような場所には、仕事や土地(地域)を通じた共同性が存在した。 一方、郊外住宅地に仕事を基盤とした共同性を求めることは不可能だ。 そこは仕事場とは切り離された、文字通り「ペツドタウン」である。 しかも長い時聞をかけて発展した町ではない。そのほとんどが、計画的に一気 に造られたきわめて人工的な町である。当然、造成地という白いキャンバスには、 地域社会の秩序となる規範など存在しなかった。数世代、数十世代にわたって 造られていった町のように、受け渡される土地に根ざした約束事もない。 郊外に暮らし始めた人々は、同質性(家族構成、年齢、収入は似たり寄ったりの ある家をそなえていた。 彼ら核家族は、古い家父長制や地域共同体の縛りから 自由な新しい家族像、核家族を中心としたマイホーム主義を実践した。 だがそれは一方で、地域社会の力を極端に弱める結果になった。それぞれの 核家族が均質な力をもった存在として、新たな土地で生活をスタートさせる。 彼らを束ねる地域の「権威」もなく、関係の秩序が成立していないその時点で、 互いが強い主張を始める生活はきわめて不安定化する。住みにくい、ストレス な場所になるだろう。その状況で新住人たちが選択したのは、なるだけ隣人と かかわらないことだった。互い干渉しないことで、新興住宅地はかろうじで 暮らしの場所となったのだ。(略)・・ 鳥瞰してみると、そこにあるのは 各戸に孤立して存在する家庭群落だった。群れていても、関係しないという どこか矛盾した場所が郊外である。やがて明らかになったのは、孤立する家が 内部では個室によっでさらに分節化され、家族もまた個人として孤立している という像だった。新興住宅地は二重に分節化され、最後は個人に行き着く。 それが「孤独な郊外」の本質。だが地域社会が衰弱、家族が孤立する構図は 郊外だけにあるのでない。都市近郊の団地からスタートした「孤独な郊外」は、 都心部の集合住宅にもおよび、今では農村地帯も孤独な郊外化は進んでいる。 こうして日本中の住宅地から地域社会はしだいに姿を消していった。 そして非地域社会化をいち早くスタートさせた郊外住宅地は、現在著しい 疲弊の姿をさらしている。多くは「ふるさと化」が失敗し、二代、三代と 住みつづけ、新しい規範を生みだすこともなかった。最近では大都市圏で、 都心回帰がさらに郊外住宅地の疲弊を早めている。住まいから次世代が 消えた老人世帯は、家そのものが個室化した。・・・≫ ▼ 平櫛田中の言葉「子供しかるな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ・ 行く道・来る道一人道・これから通る今日の道。今やれねば誰がやる・ わしがやらねば誰が やる」がある。これは【「子供叱るな来た道だもの、 年寄り笑うな行く道だもの、来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、 通り直しのできぬ道」作者不詳。妙好人(=浄土宗の信徒の誰か)】を、 言い換えたものと思われる。この位の意志がなければ、生きてはいけない。 そういう私も何時の間に、その年寄りの仲間入り。年齢に気持ちが 追いついていけない日々を孤立化した書斎で、過ごしている! ・・・・・・ 4046, 閑話小題 ー癲癇について 2012年04月23日(月) * 癲癇とは 先日、京都で癲癇持病の交通事故で多くの死傷者が出た。発作時には 気を失うというから恐ろしい。 以前も似た事故があった。持病を持った人 にとって働く範囲が決まってくるため本人にとって大変な病。 国内に 120に一人、100万人が患者というから、身近にもいたはずだが何故か 具体的に知らない。10年ほど前のこと。突然、バスの後部座席で後ろの人に 両手で全力で肩を掴まれた。 その時に何が起きたか理解できず、前屈みに 立ち上がり、その手を払いのけた。そして振り返り怒ろうとしたが硬直している。 何かの発作が起きたと判断して騒ぎにはしなかった。次のバスステーションで、 その中年女性が何事もなかったように降りていった。それが癲癇ではないか? と、思うに数日ほどかかった。今回、100万人も存在していることに驚いた。 100人万といえば、リウマチ患者と同じ。患者本人は人前に出ず可能の限り 隠すので表面化していないという。 * 悲しきかな、人生は! 先日、連帯保証をしている関係で自宅は家内の物件になり、私は宿六に。 弁護士曰く、「爪を切らた貰われてきた飼い猫のように大人しく従順に生き 延びるしかない!」と辛辣。 無理? とすると! * フランス大統領が交代? フランス大統領選挙でサルコジが落選の様相である。5月6日で決選投票で 交代にでもなったら、ユーロ危機が大きく再燃する。世界経済は毎日がスリル とサスペンスの日々である。 時の権力者がギリシャ、イタリア、スペイン などPIIGSを救いざるを得ないのは解る!日米欧の、どこもかしこも際どい状況。 中国も首脳交代で怪しげな権力闘争が表面化してきた。年末の韓国とアメリカ の大統領選挙もある。 ・・・・・・ 3680, 節目どきに ー9 2011年04月23日(土) * ふと、思うこと まだ何が自分に起きていることが、分かってないのかもしれない。 廃業、倒産と慌しく現象だけは移り変わっていくが、何か他人様から 「奇妙なもの」に見られているような、これまでの視線とは全く違うような・・ それはそれで仕方がない。経済震災・自然震災としても、倒産は倒産。 それでも、新潟・長岡と職・住が別だったので半分は助かってはいるが。 これから起こる経済動乱を考えると、一年だろう。銀行債権以外の一般債権 などは、ほぼ迷惑をかけないで済んだが、一般の人は、そのことを知らない。 家内も含め、二人とも厚生年金に40年以上入っていたので、今日明日の生活 の心配はない。弁護士がいうに、「現時点で3割が終了、債権の9割9分以上が 銀行債権で、一般債権を、ほぼ完済しているので、これまでは順調。手続きから して二年が目安。」 それにしても私自身に、自分の立場に何の疚しさと、 暗さがないのが問題。「これだけは、経済震災と自然震災で、私の力の及ぶ ことでない」という思いがあるし、実際に、そうだ。 あんまりケロッとして いるので、30年来の税理事務所の担当に「貴方は、自分の置かれた立場が 全く分かってない!」と注意された。それも分かるが、「じゃあ、どうすれば 良かったのですか?」という内語が、何処かで沸いてくる。 それらしく、 していろ! ということか。しかし時間の経過と同時に、気持ちがジワジワと 追い詰められていくのが分かる。自然災害も含め、それぞれ全国民の問題だが。 ・・・・・・・ 3315, アポリアと空とぼけ 2010年04月23日(金) 「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著 *アポリアと空とぼけ P−36 対話によって突き落とされるこの困惑の状態は<アポリア>と呼ばれる。 それは、どこにも進むことができない行き詰まり、途(アポロ)のないあり様を 意味する。ソクラテスの吟味にさらされ、アポリアに落いった者は、対話相手 メノンが告白するよるように、あたかも「痺れエイ」に刺されたように感ずる。 対話相手は心も口もしびれて何も言えなくなってしまう。このような対話に おいてソクラテスは、問いかけ、議論を導く主導者の役割をはたす。しかし ソクラテスは、対話をかわしながら、自らはその事柄について「知らない」、 つまり、自らもアポリアにあると主張する。その一方で、対話によってアポリア へと追いやられ、無知を突きつけられた人は、言葉によって鋭く矛盾をついて 論駁するソクラテスが、その問いの答えを実ははじめから知っているのでは ないかと推測する。さもなかったら、どうしてこれほど鮮やかに、相手の無知を あばき出すことができるのであろう? しかし、そうしたなかであくまで 「自分もあなたと同じように、知らない」と言いはるソクラテスに、やりこめ られた相手は、しばしば怒りをぶつける。 ソクラテスは本当は知って質問 しているのに、しらばくれてわざと知らないふりをし、意地悪にも人々の無知を あばき立てよろこんでいるのであると。 人々はこうして、ソクラテスを 「空とぼけ」の人と呼んだ。「空とぼけ」が、対話するソクラテスの謎を あらわす言葉となったのである。 だが、ソクラテスの対話を空とぼけ、つまり、 本当は知っているのに知らないふりをしているとみなすのは、対話する相手や 対話を見ている人であり、ソクラテス自身は空とぼけているわけではない。 ▼ 学生時代の卒業の年に人事関連のゼミと出会い、そこでの学びの中で、 自分は何にも知らないという事実を突きつけられ、呆然自失状態。 「学生時代にモット知識を得ておくべきだった!」と、頭がグチャグチャ状態。 その結果、悩み苦しんだ結論として、死ぬまで学び続けること。 何があっても、一日ニ時間の読書を自分に課せることだった。しかし、 最近気づいたことだが、「グチャグチャと、学び続ける決心」そのことが学生 時代の一番の学習効果だったこと。ゼミの教授の方針に乗ってしまった ことになる。「自分は何も知らない」という思い込みが「アポリア」として プラトン、いやソクラテスが2500年も前に看破していたのである。 15人のゼミの人たちの議論から、「何も知らない自分を一年かけ知った ことになった。」 本当に有難いことである。 で、このザマ? 人は人、我は我。 「全て人生は無知の馬鹿踊り」と思えば、楽なもの。 自分は違う? 貴方だけはね! ・・・・・・・ 2940,レーシック専門眼科医院 ー2 2009年04月23日(木) 視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、 レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。 ・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの ・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズ を入れて矯正する方法。 ・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜に クセをつけてしまう方法である。レザーや、有水晶眼内レンズを入れたり すると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。 今回の短い先生との会話を再現してみよう。 ・私の質問、 レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は? 先生の答え、 数千分の一 ・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか? 答え 出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が 起きたりするケースがあります。 ・質問 もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの 中期的なマイナスは何ですか。 答え 早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が 早まることになります。 ・質問 私の今の段階での手術は、先生は勧めますか? 答え 私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが 持論です。今回の場合は、手術は勧めません!何を選ぶかは本人次第。 ・質問 もし、手術をしたときに眼の度数が進んだり、 白内障が再度出るのですか。 答え もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。 更に緑内障になる可能性も早くなります。 ・質問 近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どう? 答え あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、 効かないものを出すこともないでしょう。 ▼ 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。身近な二人の経験者 が同じような忠告をしてくれていたが、「緑内障への移行が早くなる」と、 「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。 ・・・・・・・・・ 2576, ドル覇権の崩壊 ー6 2008年04月23日(水) \(⌒∇⌒)/おはよ?!!! *アメリカの住宅バブルとは? P-55 アメリカの住宅バブルを分かりやすく話すと、例えば「10年前に50万ドル (約6千万円)で買った家が、今は100万ドル(約1億2千万)になっている。 これがアメリカのミドルクラスー中産階級の家である。中産階級というのは それほど貧乏ではない。日本語の中流という意味ではなくて、もう少し豊かな、 専門職業をもっている小金持ち層のことである。このミドルクラスが自分の家を 最初、一軒目を住宅ローンで買っていたのだが、家の時価(市場価格)が100万ドル になってしまっているので、残っているローンの残高の3千万円を除いた残り 9千万円分を更に目一杯までお金を借りられる。また銀行も担保力があるかぎり、 家の価値、価格がある限りは、いくらでもお金を貸すのがアメリヵの流儀である。 すなわち一般庶民層までぎりぎりまでお金を借りて、二軒目の投資用の家、 あるいはアパート(コンドミニアムと言う)を買って利殖する。あるいはその 余剰資金を株式市場や債券市場での運用に回す。もともと返済能力があまり ない人たちまでが、この含み資産であるところの不動産資産を担保にして、 ぎりぎりまでお金を借りている。 そして、これが逆回転(リワインド)するのが いちばん怖いのである。このことをグリーンスパンFRB前議長が警告を鳴らしていた。 ▼ これを読んでいると、まさしく日本のバブル期に土地投資に走った会社と、 目端のきいたサラリーマン達がしてきたことと同じではないか。 (字数の関係でカット12年04月23日)
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2015年04月22日(水)
ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス * 人間特有の能力とは 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの 読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった ことがハンデになって現在に至っている。それでも、この習慣で助けられた。 文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。 ≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。 人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが 不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する 手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。 音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。 ・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。 しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために 使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて 人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫ ▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と 「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。 「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。 14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の 効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は 言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、 それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。 読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。 ・・・・・・ 4786,自分の頭で考えるための哲学講義 2014年04月22日(火) 「道徳」を疑え! 〜自分の頭で考えるための哲学講義〜 * 価値教育とは? 20歳から30歳までは、変化の連続になる。社会人、結婚、早ければ父親、 と、色いろと変化をしていく。そして、年々、就職先、結婚相手の選定など、 人生を大きく左右する決断が突きつけられる。その中で、大きは危機が 体質の変化時の24歳頃にやってくる。それが人生の大きな分岐点になる。 ここで悩み、基礎を固めておかないと、長い実社会の中で、大きな落とし穴 に落ち込んでしまう。精神的には鬱病、分裂症など。社会的には突然の失業 とか大病とか・・ そこで直面するのが、人生の意味と、価値感である。 その辺りを「アメリカ道徳教育からわかること」の小項目で取り上げている。 ーまずは、その辺りを抜粋するー 《 価値教育とは、子どもの全人的尊重と、その自主的な全人的な働きによる 価値の明確化を援助する方式をとる。従って確定した知識を権威として教師 中心に教え込む指導方式とは根本的に違う。・・ アメリカの教育学には、 二つの大きな流れとして本質主義と進歩主義がある。 ・前者は、歴史の試練に耐えてきた文化遺産の教育的価値を重視し、学校には それを次世代に伝達するという、社会から依託された任務があることを強調 するのに対して、 ・後者は、子どもの興味・関心・成長欲求を受けとめ、自発性・主体性を尊重 して活動意欲を引き出すことを重視する」と。 そして、本質主義に基づき 価値の伝達に主眼を置く教育が、価値の押しつけにすぎないとして批判される につれ、進歩主義に基づいて子どもの価値表現や価値判断を重視する教育が 主張されるようになったといいます。そして現在では、両者の統合が課題に なっているそうです。私が注目したいのは、もちろん後者です。 つまり、子どもたちの価値判断を重視する進歩主義的な教育です。たとえば、 ラス、ハーミン、サイモンらが『道徳教育の革新』のなかで主張した 「価値の明確化」という概念があります。彼らは、すべての人が同じ価値観 をもつことはないという前提のもと、それぞれの人が自分なりの価値観を 確立する手法を明確化しようとしました。 それが次の7つのステップです。 選択すること:①自由に選択する ②複数の選択肢の中から選択する、 ③各々の選択肢の結果についての十分な考慮の後で選択すること 尊重すること:④尊重し、大切にする、⑤肯定すること、 行為すること:⑥選択に基づいて行為すること、⑦繰り返すこと。 これらの七つを満たしたものを「価値」と呼ぶそうです。 》 ▼ アメリカ的価値観が、そのまま現れ出ている。「神の前で、それぞれが 経典に従い、自主独立で、前向きに生きなさい」という事だが、更にマトメル と、【自由に、複数の選択肢の中で、充分考慮した上に、大切に、肯定的に、 選択した行為を、繰り返すこと、を満たしたのが『価値』】ということになる。 価値観は、それぞれの年齢で変転していくため、人生は、何時も学び続け なければならないことになる。まずは両親など家族からの価値観から脱皮する には、この7つのステップは有効にはたらくだろう! そのためには、教養が 必要条件になる!三年前の【3679, 自己を見つめる−6 2011年04月22日 「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) 】が、続きになる! ・・・・・・ 4419, この結果に感謝している! 2013年04月22日(月) 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、 「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。 他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、 こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、 右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。 経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目! と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で 新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外 は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産 しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で 済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか 今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、 この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、 自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が 隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない 自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま 受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを 与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、 「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、 半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。 過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。 思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた 日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、 「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、 不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達 できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う 目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、 何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」 の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い。 それを味わうのが、これからの人生。 ・・・・・・ 4045, 末っ子はつらい ー3 2012年04月22日(日) 私は10人家族の末っ子。 家が商家だったので誰も自分のことで手一杯、 互いのプライベートを見せないのが暗黙のルール。4〜10歳までは1Fが店舗、 2Fが倉庫と事務所、3Fが住居、4Fには住込みの女子従業員7〜8人が住む。 食事は、何時も従業員と一緒。 小学校5年になって、7〜8分離れたところに 住居部分が移動した。雑然とした商家では独りで遊ぶしかなかった。末っ子は 親の目が行き届かない分、姉や兄の虐めから自らを守らなければならなく、常に 周囲の顔色を窺がう性格になっていた。特に父親が店と家族と親戚を束ねていた 絶対的存在で、父に媚びるのが効果的であるのを知っていた。そのため?末っ子 の私に甘かった。数年前、新幹線の乗客の会話で、「私は多人数兄弟の末っ子で、 常に親や兄弟から許されてきた。それが今でも直らず、失敗をしても許される だろうという思い込みの性格が身について、大きな壁になっている」というのを 聞いて、「まさに自分そのもの!」と、驚いたことがあった。家族間では絶対に 互いの陰口はタブーで、兄や姉が他人の噂話をしたのを殆んど聞いたことがない。 児童心理学では、家族は5人以上が必要という。一人っ子は同年代の心の内を知る 機会が少なく、孤独になりがちになる。 さらに親のかまい過ぎと、兄弟がいない ため自己中心になってしまう。 家族の立ち位置で、性格が形成されるのは自然 の摂理。数年先が、それぞれの姉、兄の姿から見え、学ぶことが多い。 7歳年上の姉が勉強の仕方とか、自分の夢をイメージ化する重要性などを、 節目ごとに教えてくれた。ある意味で、一番、世話になった人である。末っ子は、 末っ子の欠点と利点がある。冷静にみて、やはり大家族は利点が多い。 両親の要素もあるが。 * 末っ子はつらい ー2 2002/05/08 末っ子は辛いと、姉が聞いたら、「なにをいっているか!」と怒鳴られそうだ。 「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!」と。確かにそうだ。特に両親にとって、 ペットみたいな存在で、亡くなる時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に 関しても、不利にならないようにして亡くなった。 家は両親が死ぬまで常に お手伝いがいて何時もチヤホヤされてきた。末っ子の特権を充分享受した。 それと大家族は逆に孤独に強くなる。一人でいつも遊んでいた。後年になって 長姉がいうには、いつも一人で三輪車で遊んでいたとか。今も一人遊びが好きだ。 ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人。 幼児期・少年期は事業の立ち 上げ時で非常に刺激的な環境。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。 それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、 微妙に変わってくる。 長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 すぐ上の兄は、私の影的存在で?大人しい性格。「積み木崩し」というタレント 手記があった。長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねて非行に走る ケースが多いという。 兄妹の立ち位置で、性格が決められる。 * 末っ子はつらい ー1 2002/05/07 8人兄弟の末っ子である立場の自分を書いてみる。少年期まで、末っ子は 上からの虐めがきつい。特にすぐ上の兄のそれがきつい。常に気を張って いなくてはならないのがその宿命。食事も早く食べないと食べ分がなくなる為、 早食いが癖になっていた。多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 他人の気持ちを読む習性が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は長女が いいとも最近聞いた。たまたま家内がそうだった。そういえば過去に惹かれた 女性は長女で、A 型で、おっとりタイプが多かった。また末っ子は口が堅くなく てはならない。立場上、それぞれの兄姉の秘密を知る機会が多い。しかし万一 告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会。 ・・・・・ 3679, 自己を見つめる −6 2011年04月22日(金) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 自己を見つめる、その自己とは? そもそも何だろうか? その自己は、 「少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いた」のである。 この世に表れでたのは、その存在理由があったのである。 ー 第五章 自己 ー 【 およそ、あらゆる芸術家、学者、政治家、実業家などの、人類社会に 貢献した人々はみな、その生涯において、自己決定の稀な瞬間を生きとおして、 それぞれ個性ある一生を築いて、この世を去った。もちろん、際立った、選り 抜きの人々以外でも、考え直してみれば、あらゆる人間がみな、それぞれなりに、 自己の人生と運命を生き抜き、そのかけがえのない人生の軌跡を描いて、 自己の人生を全うしようとして、一生を走りとおしたと見なければならない。 むろん、この世の人生においては、不運や事故、挫折や失敗が付き物であり、 多くの人々は、志半ばで、不幸のうちで倒れ、意に満たない、悲運のなかで 一生を終えた。けれども、人間はすべて、最後には、自分らしい生き方を、 運命として肯定しながら、この世に別れを告る覚悟で人生を生きるものである。 そこに、ほかならぬ、掛け替えない当の自己自身の人生が一回限りの形で生起し、 代りの不可能な、それなりの個性と必然性をもったものとして刻まれ、こうして、 永遠の闇から闇へかき消え、あるいは不減の魂のなかに久遠の記憶として残され、 少なくとも、この世で、自己として瞬時の光芒を放って輝いたのである。 】 【 大切なのは、人間の存在の必要条件と十分条件とを峻別することにある、と。 人間が生物としての機能を果たして生きるということは、人間の存在の必要 条件を満たして生きるということにほかならない。また、人間が社会的存在と して、なんらかの環境や境遇のなかに置かれて生存を営むということも、人間 の存在の必要条件を満たして生きるということのうちに入る。けれども、それだけ では、真に人間的な自己自身として生きるということの十分条件が 満たされた ということにはならない。衣食住の欲求を満たし、胃腸や呼吸が正常に機能し、 なんらかの社会的環境のなかに置かれて生きるということならば、誰もがやって いることである。むろん、そこに、胃腸の丈夫な人とそうでない人、あるいは 比較的恵まれた環境に生きる人とそうでない人との差異はあるであろう。 けれども、そうした所与の心身の資質や社会的環境のなかにただ置き入れられて、 それにまったく受動的となり、なんら奮起することがないのならば、その人は、 ほんとうには、まだ自己自身に目覚めてはいないと言わなければならない。 】 ― 自己の存在の十分条件を満たしたかどうか、それも充分かどうか、 それぞれあろう。それは個性を発揮できたか、どうか。 ・・・・・・・ 3314, 聞きしに勝る3D/TV 2010年04月22日(木) 最近、昼飯は外食を週一にして、サンドイッチを通勤途中に買ってきて 食べているが、昨日は、新潟駅の中華店でランチ。その後、ジュンク堂書店に 向かう途中、ビックカメラの前を歩いていると、話題の3DTVが店頭にあった。 昨日の新聞で一部の店舗でデモ展示を始めた記事を読んだ直後だった。 ところで、現在のTVは7年半になるパイオニアの50インチのプラズマ。 当たり外れの、当たり。しかし、地デジには特殊のマシーンを入れなければ ならないので、替えときにきている。 先週の土・日に家電を見て周り、一度 頭を冷やした今週末に、シャープの60インチのLED・TVを発注と決めたが、 「3D/TVが700万台の新規需要の創造」とかいう週刊誌の広告が気に なっていた。そこで早速、見たところ、その決心を覆すほどの画面。 映画のアバターを3Dでみて驚いたが、TVは大したことはないと思っていた。 ところが実際は映画より良い。映画もそうだが、画面と自分の間に空間ができ、 更に画面の奥行きができたイメージで立体感を出している。デモ用の3D/ TVはメガネが固定してあるので、メガネをした時と、しないで見たときの 差が比べることが容易。そこで、比べた結果は格段の違いである。これで 大相撲や野球を見たら、迫力は数倍は違ってくる。デモ用のソフトは石川遼の ゴルフだった。なるほど週刊誌の見出しの「新規700万台の市場の創造」 の意味が分かった。十数年前に初めてハイビジョンが店頭に出たとき、ソニー の画像を見たときの驚きと同じである。その時は、暗い舞台にバレリーナーが 白鳥の湖を踊っていたが、立体的な画面に感動したことを憶えている。 それまでのTVとハイビジョンTVの格差と、3Dの映像の差は同じ位はある。 数年後には多くの3D番組が出るだろう。急遽、買い替えは数ヶ月待ってから、 3D/TVにすることにした。 ますます、お宅か! 21世紀とは、 ツイッター、3D/TVにしろ、iPadにしろ、こういう時代だったのか! 驚きの連続である。「明治は遠くなりにけり」から「昭和は遠くなりにけり」。 ・・・・・・・・・ 2939,マネー資本主義“暴走 2009年04月22日(水) 4月19日(日)の 午後9時00分から 総合テレビで 「マネー資本主義 第1回“暴走”はなぜ止められなかったのか ーアメリカ投資銀行の興亡ー」が面白い。 *まずはーNHKのHPの番組紹介からー 【金融危機はなぜ起きたのか。巨大マネーはどのように膨張していったのか。 マネー資本主義の主役として批判の的となっているのが、リーマンショック を起こした当事者でもある「投資銀行」。 (中間カット 字数の関係で 2011年4月22日)
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2015年04月21日(火)
ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス * 没頭している「平和の時間」こそが 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、 落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、 何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・ この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。 ーその箇所を抜粋ー p149 ≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が 消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。 われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイトの精神分析 では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな 平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では ないでしょうか。≫ ▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も 「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる 自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」 に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。 それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様! ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。 ・・・・・・ 4785,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜② 2014年04月21日(月) * 倒産よもやま話(三年目の実感) 〜② 「その直後、気持ちを落ち着かせるため、東京周辺に一週間ほど出たい」と、 弁護士に相談すると、「一番、大事な時。それは問題に対し後ろ向きになる。 苦しいが今は、直面し続けるしかない!」と一喝。そのことは以前から体感して いた為、納得。問題の中心点を凝視し、立ち向かい続ければ、時間が解決する。 この経験で、身近の経験者のことが、解っているようで実は何も解ってなかった ことに気づいた。実は、「犯罪者が捕まり、ホッとした気分は、こんなもの?」 という風な、変な安堵感もあった。 現時点では、『人が死ぬって悪いこと?』 と、ほぼ重なる。 バブル崩壊、9・11、9・15、3・11で、時代が根こそぎ 変わってしまった。現在時点の、良い悪いは、表面的な現象。 10年前から、現在に至るまで何が起こった? 身近の天変事変では、中越地震、 柏崎沖地震、東北震災。 世界では、数万規模の死者が出た、幾つかの大地震。 経済では200年に一度といわれるリーマンショック。そして、今後10年で、 その数倍規模?の自然災害、経済災害が、間違いなく起こる可能性が高い現在、 「倒産、廃業が悪」の図式・考えを捨てるべきではないか?というのも、 排除してはならない。その辺は、自分の自頭で考え、判断すべきである。 その上に、飛躍的なパソコンの携帯の進化で、これまでの現実社会をネット 社会が覆ってしまった。そしてアメリカのルールに習え、のグローバル化。 これが、良くいえば創造的破壊という美名の元に始まっている。 その最たるものがTPPである。経済的な日本併合である。それにしても、 国家戦略ゼロの日本の思考能力に暗澹たる気持ちになる。この節目は、やはり 明治維新、太平洋戦争の敗戦に匹敵するか、それ以上の事態。それに、呆気無く、 飲み込まれてしまったのが、この一連から、鮮明に見えている。私のケースは、 事業からの私自身のリストラであり、経済社会からの完全リタイア、排除である。 で、近く避難先で、町を見下ろしている。 ・・・・・・ 4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7 2013年04月21日(日) * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、 十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して 分かりやすく説明している。 ≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、 統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌 『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは 資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、 ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような 大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。 もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、 極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。 マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで 暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、 その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも 不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。 彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより 過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。 もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件 ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。 ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件 のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。 日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、 お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで 一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。 買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに 気づくのだ。 ・・・ ≫ ▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」 して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は 先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の 先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。 中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。 東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。 豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを 見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの? でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、 今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」 など感じようもない。 ・・・・・・ 4044, 一時停止 ー4 2012年04月21日(土) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 他人との出会い ≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長 に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、 考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから 私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、 すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と 同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、 子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。 もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、 いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって 最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人 として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。 似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね あてはまるだろう。 ≫ ▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。 それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと 暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、 その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に 見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡 となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。 ・・・・・・ 3678, 自己を見つめる −5 2011年04月21日(木) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ー 境遇 ー 【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、 自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の 過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的 歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール (旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・ 遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。 格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、 他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、 私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の 過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。 こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、 裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的 経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる 人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】 ▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型 である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、 そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に 出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ 初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は 大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは 異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。 ・・・・・・・・ 3313, 対話について 2010年04月21日(水) 「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著 * 対話について プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。 以下は、そのエッセンスの部分である。プラトンと、ソクラテスの立場を 簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28) ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」 として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと 書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく 営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、 一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、 時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と 言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と 状況は、その対話を通じて変化していく。対話を交わした人のあり方は、もはや 以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を 形作るものである。そして、対話は、二度とくりかえさることはない。 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか 起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものと なった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが 対話を反復させる。私たちの心には、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの 手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる 著者と、それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、 そのようなもうひとりの対話者なのである。しかし、ソクラテズが従事する 生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的な隔たりがある。 このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話という形をかりて 語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のための すぐれた発明であると自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。 書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。 〜〜 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読んでいたが、何を理解して いたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と 一度限りの対話があった。その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。そして 自分の壁を破壊してくれていた。現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、 あれは会話?でしかないのか。それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが!議論すること、書き留めること! その青さを持ち続けること! チロリチロリだけでは、だめか? ・・・・・・・・ 2938, イエスマン 2009年04月21日(火) 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という 面白そうな映画予告をしていた。そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、 《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも 「イエス」と言うルールを自分に課したことから騒動が巻き起こるコメディー。 ・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、“イエス” と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい 広告や平和運動への誘い、週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに “イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。 ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらない パーティでもいい人に出会える確率は同じ。パスしていたら始まらない」と振り かえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。 .......... 2574, 我々は 井伏鱒二の山椒魚? 2008年04月21日(月) 山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたので あるが、頭が出口につかえて外に出ることができなかったのである。ー『山椒魚』 本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に迷い 込んだ蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、 今でも鮮明に残っている。学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分の つくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)という ことであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から 出れなくなった悲哀である。人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。 身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。家業に縛られた 長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら 気づいてないのが、悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が 同じではないだろうか? (12年04月21日 字数制限のためにカット)
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2015年04月20日(月)
* 家族という病 NHKアナウンサーだった下重暁子が『家族という病』という本を出した。 家族も、国家同様、共同幻想とみることも出来るが、「欺瞞を信じること」 が問題と、いう。 〜アマゾンの内容紹介から〜 ≪ 日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならない という呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほど すばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げれば キリがない。なのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。 一方で、 「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。 そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真 入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、 「家族とは何か」を提起する一冊。≫ 〜ビュアーからの投稿より(アマゾン) 【 世の中には口にすること自体タブーとされる領域がいくつかある。 出生、能力、死、犯罪歴、宗教、遺伝、国籍などである。 本書は「家族はすばらしい」は欺瞞である、という斬新な切り口から 家族観における1つのタブーに挑んでいる。これまでにないテーマだけに 読後感は様々だろう。本書の主旨、提言などと全く無縁なまま一生を終える人は ある意味安泰で幸福な人生かもしれない。しかし家族の中にも修復不能となる アクシデントがなかなかの頻度で発生するものだ。配偶者との離別は無論、 血縁者間でも家族内崩壊は起きる時には簡単に起きてしまう。 一家団欒を無邪気に肯定するのも悪くないが、ある種の読後感の悪さを 犠牲にしても筆者の視点に一度触れておく効用もあろう。 読み進むと上記の保険的効用だけでなく筆者のより普遍的な家族観を垣間 見ることができる。いかに生きるかは正しい死生観が前提となるように 正しい家族観には本書の主旨の理解が前提になるのかもしれない】 ▼ 家族のあり方は、時代により変化していく。TVのインタビューや、 上記の内容を見る限り、納得する部分と、違和感を感じる部分がある。 国家幻想論を、その構成要素の一つの家族に当てはめると、これまた共同幻想 でしかないことが分かる。その家族の形態が情報化の時代の中で、大きく変化 を始めてきた現在、そのあり方を根こそぎ否定してみる必要がある。 殺人事件の過半数以上が家族内殺人という現実がある。 商家の大家族の 末っ子の環境で、下目目線で家族を見てきた経験から、また両親から孫の ように扱われたため、その温みが今でも残っている。それもあって、著者の論 は、あくまで一面でしかないことも見て取れる。 私の家族は、戦前、戦中、 戦後と、生き抜く中で、全員が病というより、戦傷の深い痛手を受けていた。 誰一人として、家族が素晴らしい!など思ったことはなかった。ただ自分ひとり を守り、生きていくだけで精一杯。 この時代は誰もそうだったのだろう。 家族は素晴らしくあらねばは、占領国アメリカの洗脳の一つでしかない。 確かに家族は病であるが、魂の故郷でもある!家族が病と割切って良いものか? ・・・・・・ 4784,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜① 2014年04月20日(日) * 倒産よもやま話(三年後に思うこと) 倒産など滅多にできない経験である。姉夫婦、兄夫婦の倒産劇を身近にみて、 相談にのっていたのが予備知識になっていた。お陰で、右往左往することなく 比較的冷静に対処できた。「人助けは、結果として自分のため」になる。 幼馴染が10年前に訪ねてきて、倒産の生々しい話をしていたが、姉・兄と共通 する点が、弁護士などの代理人をたてること。そのための資金を必ず確保する ことを強調していた。それもあって、迷わず弁護士に依頼した。30年来の経理 事務所の合同センター内の弁護士に依頼することになった。兄の倒産も手がけて いたので、内情を知っていたこともあり、順調に手順が進んでいった。 無我夢中の渦中、何もかもが新鮮な体験で、ドラマの主人公のような気分。 過酷というより、「痛・面白い日々」という感覚で、惨めとか、恥ずかしいなど、 思う余裕などなし。動物的本能が自らをつき動かしていた。 2011年3月30日 午後5時に、担当弁護士の主導のもと、弁護士二人と、女子事務員と、私たち 三人の役員が起立をして礼をした後、「これで会社は消滅しました!」と宣言。 その後、経理総務は全てが弁護事務所に引き継がれた。その時から、二人の役員 は弁護事務所の引継ぎと、資産処分の補佐になる。と同時に、私は倒産会社の 前社長。翌日の午前、弁護士と二人で、地元銀行に報告を兼ねた御詫びまわり。 午後からは、従業員への事情説明と解雇の宣言。その後は、取引先からの問い 合わせは一切なく、私個人の身の回りの整理だけ。そのため、40年近い事業 人生の緊張感が切れて、浮いたような軽い気持ちになる。数日間は、町内と、 取引先しか情報は流れてないため、普段通りだったが、一週間経ってから、 マスコミが騒ぎ出す。どのチャネルを回しても、倒産騒ぎ。それも、震災絡み もあってか、日テレ「真相報道バンキシャ!」(毎週日曜18:00〜放送)から 自宅に取材依頼の電話。尾ひれ羽ひれが流される位は解っていたので、迷わず 断る。東北震災絡みで、数軒のホテルなどが廃業・倒産をしていたが、規模 から見て、当方が最大規模の為、あわや全国版ニュースになるところ。 振返ると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、「痛・面白い」など、とんでも ない事態ではあった。時間が経つにつれ、記憶の書き換えをするしかない 典型的事例か! ーつづく ・・・・・ 4417, 閑話小題 ー昨夜は高校の同級会 2013年04月20日(土) * 審判のミスジャッジ 一昨日の巨人対阪神戦で、一塁審判が明らかにセーフのジャッジをアウト にした。残酷なのは、走者の足が一歩先に塁に着いているのをビデオで何度も 流していること。後で注意勧告されるのだろうが。目から火が出る思いだろう。 恐らく、ビデオで流されているのだろうと気が気でないはず。甲子園の高校 野球で審判のミスジャッジを見かけるが、これも純真な子供の心を傷つける ことになる。審判もミスをするが、致し方がないと割り切るしかない。 ビデオの方が人間の目より明らかに優れている。その結果の現象だが・・試合が 流れているため、ミスとしても後に戻せない矛盾がある。これと同じことが、 政治にもある。誰が見てもミスジャッジの政治判断としても、変えることが 出来ない。私利私欲や党略で、正当な判断が出来なくなり方向を誤ってしまう。 * 昨夜は高校の同級会。 昨夜は高校の同級会。幹事は気をゆるして酒が飲めない役回り。このところ 二回に一度は、私と幹事相棒Mの役目。別に好きでやっているわけでないが、 大学の寮とか、会社経営をしていた頃の宴会を含めると、間接を含めて二百回 以上は仕切りをしてきた。いや、もっと多いか。まずは盛り上げに役回りに 徹すること。酒を飲むのも一期一会。人生を振り返ると、いつも、「宴会ととも にあった」。 気の合う相手であれば二人でも宴会。 ネットの「日本大百科全書」によると、 ≪ 酒や歌舞などを伴う高揚した心の触れ合う機会。宴とも饗宴ともいう。 また宴会の性格によって祭宴、祝宴、招宴、酒宴、狂宴などとよばれる。 一般に宴会は季節ごとの折り目や人生の節目に行われ、忘年会や新年会が年末、 年始という折り目に行われる宴会とすれば、子供の誕生祝いや結婚の披露宴は、 人生の節目に行われる宴会ということになろう。≫ とあった。以前は、各家ごとに料理をつくって御客を招待したり、料理屋で 宴会を開いたが、今では居酒屋の大部屋で開くケースが多いという。小・中学校、 高校、大学の同級・同期会だけは、最優先に出席にしてきた。同級会は魂の世界。 心の故郷が魂とすると、年々「遠き日は 年とるごとに 近くなり」というのが 実感できる。結局、家に帰ったのが一時過ぎ。 ・・・・・・ 4043, 一時停止 ー3 2012年04月20日(金) * 出会い ーフェルメール 1967年 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 ≪ 私がほんとうにフェルメールを見たのは、その本物を見たときである。 本物を見たから、フェルメールが見たくなったのだし、旅に出ずに複製しか 見る機会がなかったら、もしかすると一生私はフェルメールに気づかなかった かもしれない。現代の進歩した印刷技術は、複製と本物との差をだんだんに 小さなものにしてゆきつつある。複製で見ても本物で見てもそんなに変わりは ないという絵画もあるだろう。複製を見ることが、本物を見ることにつながる 絵画もあるだろう。だがフェルメールはちがう。複製と本物との間に、越え がたい断絶がある。 あたかもヴィニールの花と、野の自然の花とのように。 あるいはこう言いかえてもいいかもしれない。本物を見ても、複製を見たのと 同じ感動しかなければ、私はその絵にほんとうに感動してはいないのだと。 そういう形で感動した絵は実は私にはまことに少ないのだが。 はじめて見た フェルメールに感じた気持ちを、そのときの状態のままにことばにすりとしたら、 それは「ああきれいだなあ、ほんとになんてきれいなんだろう」ということに しかならない。 美は人を沈黙させるという。その通りである。その沈黙の中に、 無数のことばにならぬことばがひしめいているのではないかと言う人もあるが、 少なくとも私の場合、そう言えば嘘になる。沈黙はもっと深く、ことばにならぬ ことばなどといった不純なものはない。しんとした純正の沈黙なのである。 ことばはずっとあとになってから、やっと重い腰をあげる。その時でもことばは 謙虚だ、ただいちばんふさわしいオマージュを捧げ、絵の美しさにほんの 少しでもあやかりたいと思うだけなのだ。≫ ▼ 本物の絵画や美術品を数多く見てきた。TPOもあるが、その前で 立ちすくし、身動きが出来なくなる。ダビンチのモナリザ、サンピエトロの ミケランジェロ作ピエタの像、ゴッホのヒマワリなどを目の当たりにした感動。 対象が浮き出てくるようなエネルギーが満ち溢れていた。 特にゴッホの ヒマワリは、周囲に誰もいなかったこともあり、10分間ほど、釘つけになって しまった。出会いである。そういえば、近じかフェルメール展が日本で開催される。 ・・・・・・・ 3677, 自己を見つめる −4 2011年04月20日(水) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に 直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが指摘している。 その限界状況に 「人生の不条理」に突き当たる。その時、それまで隠されていた真実が現れ出る。 節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。 正中心一点無になり、変化を受け入れること。 ー 第三章 境遇 ーから、抜粋 【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ 出され、置き入れられて、人生の途上にある。その私たちの無に貫通された 現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが 刻印されている。ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、 どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。限界状況とは、 それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越る ことの不可能な壁に直面した状況を言う。そうした限界状況に面座して、 私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の 根源的事実に突き当たる。しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとう の「実存」が目覚めてくる。実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、 その拒否できない現実のあり方のことである。自己の実存を自覚し、それにも とついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】 【 ハイデッガーが述べた通り、私たちは、それぞれ何らかの世の中に投げ 出されと「被投的」存在である。その「現事実性」を引き受けて生きて いかなければならない存在である。その存在としての自己を生きていかなければ ならない辛い気分を取り払い、重みや憂いを取り払い、それらを忘却させよう という気晴らしや、慰めを求めて、無邪気な明るい朗かさ愉悦を、好んで受け 入れようとする傾向にある。しかし、そうした気晴らしが、瞬時の儚いもの ということを骨身で知っている。その人生の底を見つめ、底知れぬ深遠を 予感し戦慄をする。その深遠が、「限界状況」の時に直面する実在である。】 自己を見つめるとは、節目の境遇の人生の底を見つめ直すことと、 言われると、挫折体験を振り返ることになる。その意味で、挫折体験の中には 多くの教えがある。 が、時間がたつにつれ、それを忘れてしまうのが 人間の性である。そう人間、皆、馬鹿! ・・・・・・・ 3312, ゴールドマンを訴追 2010年04月20日(火) 1929年から始った世界恐慌では、その直接の仕掛け人達が多くが逮捕された。 しかし、これまで逮捕までされたという話は聞いてない。何か不思議な感がして いたが、やっとSEC(証券取引委員会)が訴追に動き出した。アメリカは金融 マフィアが仕切る国でも、歴史に残る犯罪を、見逃すことは歴史が許さない。 以下は、毎日新聞の数日前の社説だが、毒入り債権を欠陥車に例えるとは、 トヨタの喚問もあったこともあり比較するに分かりやすい。 例え話は本質をより分かりやすく整理してくれる。 〜まずは、その部分から〜 = 毎日新聞社説: 「ゴールドマン訴追 金融危機解明の弾みに」 = (字数制限のためカット 2011年4月20日) ・・・・・・ 2937,レーシック専門眼科医院 2009年04月20日(月) 姉三人が私と同じく強度の近視。その姉三人とも「矯正手術をうけて良かった」 という。知人の何人かが経験者、聞いてみると「白内障の手術時にレンズを 入れたが、出来たらやらない方がよい」と真剣にいう。 迷いに迷っていたが、 去年の半ばに、春先になったら決断しようかと決めていた。そして春は過ぎよう としているので、 検索に「新潟 レーシック」といれたところ、何と自宅から 数分のところの所在地に「長岡眼科医院」が、あった。三年前ぐらいに出来た (眼科らしくない)ミニ結婚式場みたいな医院があったが、まさか、そこが気に していたレーシック専門眼科とは思ってもみなかった。本気にならないと 見えてこないものである。(字数制限のためカット 2012年4月20日) ・・・・・・・・・ 2573, 「好き」という言葉の重み 2008年04月20日(日) 「好きと嫌いじゃどれほど違う、命ただやるほど違う」という川柳があるが、 これほど人間の本質をあらわしている言葉はない。私も好みの激しい人間だが、 この感情は、何に由来するのだろうか。「あの男は好かん」とか、「あの女性は 私のタイプだ」とか、思うにつけて、その意味を考えたことがない?育ってきた 環境が似ているとか、教養レベルが同程度とか、趣味が一緒だとか。反対に 「俺は堀井が嫌いだ」と何人から言われたことか。でも、相手が相手だけに 心の底では?私の経験上からみて「嫌い」いう言葉は禁句である。いわれた方が、 それで一生恨まれるからである。犬でも猫でも、相性があるから、これだけは 如何にもならないことと割り切るしかないのか。私の好き、嫌いの基準は娑婆 経験の中からハッキリ自覚している。女性は長女、血液型A型、教養と品性があり、 顔はノッペリ。優しい雰囲気があり、明るい人である。大体、好きなタイプは 概ね、これを満たしていた人。興味のないタイプは、冷たいタイプで、神経質な 近寄りがたい正統派美人と個性的な自意識の強いタイプ。 殆どいないが! コンプレックスの強い人。 犬でいうと、宅上犬タイプが好きで、シェパード、 コリーのような人は苦手。同性は、品性と教養のない人と、社会的な肩書き だけで人を判断する人とか、チャラチャラした人は苦手。商工会議所、 ロータリー、ライオンズとかの人間関係に没頭している人種。 それと女性関係に派手な人。軽薄な二代目。 もう一度いうと、品性のない人! それをいったら、地方では誰も相手に出来ない?とはいうが、それはそれでよい。 そういう御前さん、どうなの?といわれるが、他人に厳しく自分には甘い? ところで好き嫌いということは、如何いうことか?相性ということ? それとも持って産まれた先天的な本質。これだけは、どうにもならないこと? 好きなことを選んで、それを一生を通して追求することが、幸せと不幸の 分かれ目になる。好き嫌いが、先天的なものとすれば、この道理は正しいこと になる。 神=自然が与えた本質的素養だからである。シカゴ大学の心理学者 ミハイリ・チクセントミハイによると、人間には“フローの状態" と呼んでいる精神状態がある。(字数制限のためカット 2011年4月20日)
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2015年04月19日(日)
〜つれづれに ー原監督の休養 巨人の原監督がインフルエンザで休んでから、俄然、巨人が負けなくなった。 これを知ったとき、「少し休ませろ!」と球団から命令があったと直感したが・・ 監督本人に挫折経験が少ないため、中途半端な負けが、開き直りが出来ない、 そのことが選手の動揺を抑えることができないため。 捩れの要素として、 ・安部を一塁専任し、キャッチに戻すことはないと断言したことが、彼にとって 負担になったこと。その動揺が、他の選手にも大きく影響をしてしまった。 またキューバの有名選手の不振も、これに呼応した。 ・問題は原監督の耐用年数を超えてしまったことにある。元に戻って、監督を 続けることになるが、これで今期で退くことになるのが決定的? ・さらに毎年、各球団の良い選手を次々と入団してくるため、既存の選手が萎縮、 監督。コーチに対し異常なほど神経質になるのは自然の理。特に負けが込むと、 「二軍に落とされるのでは?」と、萎縮の連鎖が全体を覆うパターンである。 村田、片岡、井畑、今年は金城、相川という名だたる選手が、次々と入団 すれば、既存選手の出場機会が、それだけ減っていく。大田、矢野、中井など 他球団に行けば間違いなく、即、レギュラーになれる選手が燻る病である。 とはいえ、この現象は、巨人の例年のパターン。交流戦を終えた頃には、何事も なかったように、その地力が表立ってくる。病も時には必要である。 さて、悠久山の花見でもいってきますか! ・・・・・・ 4783,葬式は、要らない ー1 2014年04月19日(土) 「葬式は、要らない」島田裕己著 葬式の希望を書きおく時期になってきた。現時点での希望の大枠は、 《 会場が3百メートル先のセレモニーホールで、直葬に近い家族葬。 ごく身近な人たちだけにし、遺骨は実家の墓に。戒名は自作のものを 仏壇の引き出しに。その後は、「墓参り仏教」に従うことなく、命日に それぞれが仏壇に手を合わせてくれれば充分。》 これだけ! 内容(アマゾンより) { 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円 と比較して格段に高い。浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画 等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。対して我が国と いえば巨大な祭壇、生花、高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。 どんな意味があるのか。古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の 変遷をたどりつつ、いま激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。 葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。 ーアマゾン読者のレビューよりー ・日本の法律で葬式が義務となっているわけではない。医師に死亡診断書を 書いてもらい、役所に行って死亡届を提出、埋葬許可をもらう。決まって いるのはそこまで。遺体の処理については墓埋法で、 1.死亡後、24時間経たなければ、埋葬も火葬も行ってはならない、 2.火葬は火葬場以外で行ってはならない、 3.埋葬は墓地以外で行ってはならない、とされるのみだ。 焼いた遺骨をどこかに撒くのなら、葬式もいらなければ、墓もいらない。 宇宙葬の費用ですら100万円である。もっとも現実には葬式を行わない ケースは少ない。人は誰かかかわりあった人が亡くなれば、その死を確認して けじめをつけたい。葬式への参列ほど明確なけじめの機会はない。ただし 葬式を出すことと、葬式に多額の費用をかけることとは直結しない。 ・家族葬は近親者だけで行う規模の小さい葬式全般を指す。以前は密葬と 呼ばれていた。通常なら通夜と葬儀・告別式で二日かかるところを、一日に まとめたワンデーセレモニーという形式も生まれている。もともと通夜は 近親者だけで営むものという感覚があり、一般の会葬者が参列するのは葬儀・ 告別式のほうだった。結婚同様に、葬式も組織の儀式から個人儀式へと変化 してきた。昔は商家も農家も家は生産や経済活動の単位であり継続が不可欠 だったが、サラリーマン化が進むことで、養子をとったり婚外子を作って まで家を存続させる必要がなくなった。 自営業の場合なら家の存続が重要で、 伝統的な祖先崇拝の信仰を取り入れる傾向が強く、喪主になるのは後継者 であり、葬式は後継者を披露する場ともなる。 が、サラリーマン家庭の場合 は家は生活の場でしかない。永代供養墓は跡継ぎのない家が増えたことで 生まれた供養形態。墓を求める際に永代供養料として一定金額を払うことで、 墓守となる跡継ぎがいなくても、寺が命日に読経するなど供養を続けてくれる。 ・直葬は密葬、家族葬の一番簡略化された形態だ。現在、東京では20%が直葬。 直葬では、故人の遺体を寝台車に乗せ、自宅や葬儀社が用意する一時的な安置 場所に搬送し、とりあえずそこに安置。そこで納棺し近親者だけで通夜をする。 会葬者は呼ばない。翌日、霊柩車で火葬場へ出棺する。そして、やはり近親者 だけで故人に別れを告げ、遺体は荼毘に付す。最後に、収骨、骨あげをして 葬式は終わる。直葬の費用は多くとも30万円ほどで、僧侶に読経を頼んでも 50万円以内でできる。もっとも簡素な形式を選んで近親者だけが集い、 会食もしなければ10万円程度で済む。 ▼ ますます直葬、家族葬が増えることになるが、長く続いてきた家族中心から 個人中心主義になる御時世では当然の流れ。これが不景気になるほど、簡易な 葬式が増えてくる。直葬、密葬を宣言してしまえば、残された者は楽。 私の墓は、このブログ。閲覧は墓参りのようなもの。 時どきの墓参り、本当に有難うございます。 ・・・・・・ 4416, ふしぎなお金 2013年04月19日(金) 「ふしぎなお金」 赤瀬川原平著 子供用の絵本だが、人は当たり前のように使っているお金について、あまり 考えない。お金は自由の、エネルギーの、塊。日本人は金を不浄なものと考え がちだが、お金は血液のようなもので、人間にとって非常に大事である。 人を生かし、また殺してしまう力を持っている。 子供に諭しながら、実は 大人に語りかけている。 ーまずは、印象的な部分を抜粋ー ≪ *「冬のバーやレストランで、席につく前に、「コートお預かりします」 と いわれて、なんなドッキリとしないだろうか。だってコートの内ポケットには 拳銃が入っている。それをそのまま預けて大丈夫なのか。というほど錯覚を持つ ほど財布は拳銃に似ている。だから「貴重品はよろしいですか」といわれると、 何だかもっていかれるかと思って、その護身用の拳銃みたいな財布を、身近な ポケットに移し替える。でも移し替えながら、どことなく後ろめたい、とうより、 どことなく情けない気になる。「お前はそんなに相手が信用できないのか。 そんなに拳銃なしで丸腰に、なるのが怖いのか、という`声が追いかけてくる。 そういえぱ、昔の西部劇映画には、ガンペルトそのものを外す場面があった。 宿について、あるいは自分の家に戻って、外敵なし、大丈夫、という状態で はじめてガンペルトを外して椅子の背に掛ける。ガンマンがくつろぐ一瞬。 ところであのガンペルトとは、実はむき出しの現金を装着したベルトなのだと、 そんな感じがしないだろうか。ガンマンはその現金でいつも勝負している。 *「日本の場合は刀の大小だ。明治以前、武士はみんな刀を差していた。 男子、一歩外に出れば七人の敵、といわれるくらいで、刀の大小を肌身離さず 持ち歩いていた。刀は護身用であり、権威でもあるところは、やはりいまの お金に似ている。武士の世界の文化の一つに茶の湯があった。招かれて行く お茶室には、小さな躍り口が設けてある。あそこを入るには腰の大小を外して、 外の刀がけに欠けねばならない。武士はみな一瞬、躊躇したのではないか。 財布は刀やピストルと違って、人を殺める道具ではないのではあるが、人は 金のために人を殺したり、金のために自分の首を吊ったりして、金はやはり 隠然たる凶器の光を忍ばせている。拳銃も財布も、緊張の物件である。 いざとなると拳銃をぶっ放すように、札びらを切る。でも「いざ」とならない ときは、それはそっとボケットに仕舞われている。昔よりも落ち着いた現代 社会では、さらに奥深くの内ポケットに移行している。」 *「足元にお札が落ちている。それを見たとたんにハッとする。千円札の四つ 折りにしたわずかな面が見えているだけでも、何か異様にハッとするのは何故 だろうか。足元に血が垂れている。それを見たとたんにハッとする。ちょっと した赤い液体なのに、何か異様にハッとする。見てはいけないような、 一歩踏み込んだ秘密を見てしまったような、緊張感が走る。」 *「人間の血はだいたいみんなと同じで、成分にほとんど違いはないが、 自分の血は自分のもので、自分の体内に密閉されている。でも場合によっては 人助けで献血をする。場合によっては寄付したり、プレゼントしたり、投資で 失くしたりする。」 *「お金も血も、命にかかわるエネルギーの源である。流体である。 生臭いものである。でも、輝いている。いきなり見せられるとドキリとする。 プライベートでありながら、共有のものでもあるところが不思議な関係。」 ▼ 財布を拳銃に、そして刀に喩える切り口がよい。撃たれ、切られたとき、 血が吹き出る。それからみて金はエネルギーと同じ。一万は一万の、一千万は 一千万、一億は一億のエネルギーがある。無駄を廃し、使うべきときは使う、 それが金の効用。 ・・・・・・ 4042, 世界の旅行記101 ー3 2012年04月19日(木) * 旅行記は、旅人により再構築された言説 ≪ 旅行という行為や、そこでえられた環境や状況についての情報は、言説 として再構成されている。おもいもかけない発見や探索、あるいはそれに 出会った旅人の心象や思考は、旅行記という形態に定着させられるときに、 一定の文スタイルやデザインを採用する。 文章のかたちをとるという点から みれば、「文体」といいかえてもよい。見聞され体験された隔遠の地における 非日常の事実は、旅人の言語に変換され、日常の世界に発話される。著者と 読者とが共有する表現と読解のルールにもとづいて旅行記は書きおろされる 「言説」といったのはそうした意味においてである。 旅行記は、旅の事件記録 性を検証するよりもまえに、言説そのものの解読作業がほどこされねばならない。 旅程のすべてを記載できるわけではない。見聞された事象すべてが、偏りなく 叙述説うるわけでもない。しかも、だれにとってもひとしく共有される述法の ルールにしたがって。 そうではなくて、旅行記は、旅人が旅先について投射 した特定の視線が、対象のうちに読みとった文脈にかんする言説である。 使用される語彙もシンタックスも、そしていますこしふみこんでいうならば 価値感覚も、言説として独自の完結を実現している。別のいいかたをすれば、 中世ヨーロッパ人と近代アメリカ人、古代中国人と現代日本人は、それぞれに 採用する言説の方式はことなっている。いや、著作者の身分、出自、性別、教養 のちがいによって、同一物にいての言説は別個のものになりうる。 ≫ ▼ 旅先の情報を言説として再構築したのを旅行記とすると、書き手の特定の 視点こそ注目すべきである。それが旅行記の特性であり、面白さになる。 だから、この101の旅行記は、101人の特異体験を記した事件簿として垣間 見ると分かりやすい。それぞれのクロス・エンカウンター(因縁)が現れ出る から面白い。人生の記録も、それぞれの特異点の旅行記に酷似している。 ・・・・・・・ 3676, 自己を見つめる −3 2011年04月19日(火) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 「時間」は簡単のようで、難しい。心の中は、時空をこえた多くの思いで 満ちている。特に多くを経験した熟年期に差し掛かると、思いは過去に向かう。 そこには現在の知覚と直感で彩られた抽象画としてたち現れてくる。 豊かな経験なら豊かに、逆なら逆として! 生きてきたとおり、人生は自分に、 その姿を突きつけてくる。 ー 第二章 時間 ーより 【(p45) 私たちの心は、アウグスティヌスが言ったように、たえず なんらかの出来事を記憶し、知覚し、期待するという働きを、本質的に 具有している。記憶は、過去の出来事に関わり、知覚は、現在の出来事に関係し、 期待は将来の出来事に向けられ、しかも、それら三つが別々にあるのではなく、 むしろ、私たちの心のなかに、それら三つのものがすべて取り集められる。 したがって、「過去のものの現在が、記憶であり、現在のものの現在が、 直観であり、将来のものの現在が、期待である」とアウグスティヌスは言った。 いわば心という大きな現在のなかに、過去の追憶と、現在の印象と、将来の 予期とが、すべて取り集められているわけである。たえず現存し続ける その大きな心が、うしろを振り返って追憶に浸るときに、過去が浮かび上がり、 いま周囲を注意深く見回すときに、現在が印象深く迫ってき、行く末を思って 期待や予期に心を震わせるとき、将来が思い描かれるのである。 時間とは、 このように、振り返ったり、見回したり、行く末を思ったりする心の働き、 すなわち記憶や追憶、知覚や直観、期待や予期といった心の作用に由来する わけである。逆に言えば、大きく静かで揺らぐことない「立ち止まる今」と いう現在の心の場、いわばそうした明鏡止水の心眼という現在の鏡のなかに、 さまざまな過去と現在と将来の出来事が映し出されてきて、それらが追憶され、 知覚され、予期されるとき、そこに、それらの出来事が、過ぎ去り、現れ、 到来する時間の諸相において意識されてくると言えるであろう。】 ▼ 現在置かれている、この節目どきに、これまでの記憶と追憶と、現在立た たれている分岐点、そして、これから予期されること、その三つが、心の中で 濁流のように渦巻いている。この自分の中に、多くの節目があって、それが 現在という幅のある時間の中で自分という確かな存在が見えてくる。これは 晩年期に差し掛かった人間に共通しているが、心が、これほど激しいものと。 人は生きてきた、そのままに老いるとは、その意味である。 現在は、 その「立ち止まる今」である。 それでも時間は止まらない。 ・・・・・・・ 3311, 笑われ力 −3 2010年04月19日(月) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) ー次に、なるほどと合点した箇所を抜粋し考えてみる!ー *「笑われ上手」に「背伸び」禁物 ・まずは「私は凡人」とみとめる。 ・「みんなをリスペクト(敬う)する。 そう思えば、自分の中の良い部分も見えてくる。 ・笑ってもらえたら「笑ってくれてありがとう」という気持ちを 持つこと。この一歩下がった気持ちが必要となる。 *「笑われ上手」の下ごしらえ、をつくっておく ・「ダメな自分物語」を多くつくっておく。出来るだけ短くまとめておく。 失敗したその場でつくる。 ・もったいぶらないで、いきなりクライマックスの話を話題に出す。 ・キーワードを決めておく ・一度、物語を用意したら、あとは白紙の状態にしておく ▼ 20年前から10年前にかけて、かなり遊び人の不動産屋の社長と古町を、 飲み歩いたことがあった。小料理屋や、スナックなどで、話術の巧さに驚き、 花柳の世界を垣間見た。芸者を相手の粋な遊びは今では夢のようである。 あれから10年も経ってしまった。彼には、ここに書いてあることは、ほぼ 身につけていた。決して他人の悪口や話題をしないのは、当たり前。 自分の昔話も成功談が一割、失敗談が九割。芸者に三味線を弾かせて 都都逸など一ひねりなど、粋な遊び方等など。話術も自分を嫌味なく下座に おき笑わせておいて、実は笑わせている妙は場数のなせる技(業)こういう 時代になればこそ、「やれる時にやれる事をやっておいて、良かった」と実感! (逆に遊び過ぎ?もあったか)「ダメな自分は、嫌な自分ではない」、これが 笑われ上手のポイントと著者がいう。 笑われ力は、自分の中のダメな部分や 矛盾を笑ってもらう力であり、相手のタイミングで「笑われネタを」提供する。 それが受けたからと言って、もっと笑わせてやろうとか背伸びするのは厳禁。 あくまで相手と場のタイミングに合わせるのだ。 その「笑われ力」のきほんステップとは 1、「ダメな自分」を見つける 2、「笑える部分」を特定する 3、自分で笑い飛ばしてみる 4、笑顔で他人に話す 5、その結果「心地良い笑い」が生まれる 落語の「まくら」では、名人の域に達した人ほど、上手い。 「駄目な私」のネタなら膨大な蓄積がある! ったく。カミサンに耳にたこが 出来るほど指摘されている。 大きな経営者大会で講演者が「女房は亭主をバカ にする動物である」と言った時、会場が異常な爆笑があった。大きな会社の立場 の人ほど家ではバカにされているのだろう!良いように出来ている。 ・・・・・・ 2936,「NHKの世界同時不況の双方向解説」を見て 2009年04月19日(日) 昨日の土曜日の午前10時に、NHKの「そこが知りたいー世界同時不況・危機 への対応は十分か?」は、9人の解説委員による、伯仲した議論と、その合間に 視聴者の意見や、世界の識者の論説を挟んだ、見ごたえのある内容だった。 ーまずは、NHKのHPの紹介文から (以下、字数制限のためカット、2012年4月19日) ▼ 解説委員ということで、同質の意見が多かったという感は免れなかったが。 ・100年に一度の経済危機なら、100年に一度の対策をたてるべきだが、 それが感じ取れない。 ・非常に深刻な事態である。大量に輸血しないと患者が死んでしまう という共通認識はある。 ・アメリカと中国のG2が、今後大きな役割を持つ。 ロシアと中国をプラスしたG9も必要。 ・視聴者からの質問で、「100年に一度の経済危機というが、世界恐慌と いわない何故か?」に対して、「GDPの落ち込みは、1929年の世界恐慌と 同じだが、失業率は25パーセントに対し、10パーセントで収まりそう。 今回は世界の経済政策の協調があるところが前回とは違う。 従がって、まだ世界恐慌に入ったと認識されてない」 の答えであった。 実際は、10年〜20年後に振り返れば、 今回の方が遥かに大きいはず。 ・アメリカを中心に世界経済を引っ張ってきたが、今後は、新興国に中心が 移動するターニングポイントではないか。今後はアジア中心の経済モデルを 作るべきである。 ・ドルに替わる基軸通貨は10年20年単位では出てこない。 ー以上、印象に残った部分のメモをまとめてみたが、それほど大したことを 言ってはいない。今回の恐慌の概要を知らしめ続けるには、良い内容だが、 NHKの立場もあって、過激な現実を報道ができないこともあろう。
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2015年04月18日(土)
【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 〜内容紹介〜 〜ネットにあった概要の後編より ≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。 「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし 戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」 から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。 ・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら 99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。 「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の 連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。 ・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として 褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、 実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに 伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、 ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、 本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて 納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム (新自由主義化)の一環であることを改めて教える。 ・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、 そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが 目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、 ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫ ▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード (すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。 この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪 すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が 払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として 大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。 ・・・・・・ 4782,大不況には本を読む 2014年04月18日(金) * 「本書のまとめ」 「大不況には本を読む」橋本治著 今さらだが、時代を鳥瞰するにクリアーで解りやすい。 ー(P183) 《【十八世紀の後半に起こった産業革命は、それまでの世界のあり方を変えて しまった。その新しくなった"世界秩序"が日本にやって来て、日本は150年前に 開国した。開国した日本は、その時の世界秩序にのっかって、見事に成功した。 成功して行き過ぎて、第二次世界大戦とバブル経済という二度の破綻を経験した。 成績トップになった優等生の日本は、それゆえに"見事な破綻"を経験するが、 その他の国はまだそこまで行っていないので、相変わらず"産業革命以後の体制" は健在だったが、今度はアメリカが新たな破綻にぶつかった。産業革命以降の 体制は、アクセル全開の自由貿易主義だったが、そのこと自体にブレーキが かかってしまった以上、改め"ブレーキをかけることの意味"を理解した方がいい。 そんな世界的なあり方は、″会社の仕事に追い回されて、自分及び自分の家族 やその周辺のあり方を省みない゜という日本人のあり方にシンクロする。自分の あり方を省みるために、もう一度‘本を読む’というところに立ち戻ったらいい】 この考え方をエコノミスト的に裁断すると、私は「保護主義のイデオローグ」 ということにもなるが、私はエコノミストではない「人間のあり方に立脚する」 文芸関係者なので、「そりゃお門違いだろう」ということにしかなりません。 バブル経済へ向かって進行する中で、いくつもの誤解は生まれましたが、 「経済が分からないのはバカだ。物事は経済的見地’にのっとって見なければ ならない」ということになってしまったのも、その一つです。 経済の方で 「保護主義的」と言われるものは、「人間のあり方に立脚する」立場からすれば、 「人が生きて行くために押さえておかなければならない基本」でもあって、 だからこそ私は、経済の方では「保護主義的」と言われるものを「自立」と 関連づけるのです。「金儲け」のことをあまり考えない、その能力があるとも 思えない文学や思想、哲学といったもの ーつまり「文学」「その他」は、 「働いて金を稼ぐ」に代表される現実生活のことを、ともすれば忘却しがちです。 ・・・ 2008年秋以降の・金融危機・経済危機はそれで、「破綻してよかった」 でもあります。しかし、でありながらも「世界」の方は「豊かさの達成は進行中」 という前提に立って、相変わらずの「富の均質化」を求めます。だから、輸出量 や輸入量の調整は求められるのですが、この「調整」の向う方向は、一つです。 「豊かである国の、既に達成された豊かさを目標にして、世界中を均す」です。 既に経済危機で「豊かな国の豊かさの基準」はぐらついているのですが、世界が 「豊かさの達成はなおも進行中のはず」という前提に立っている以上、目標と される基準値は「豊かな国の豊かさ」です。そしてこれは、「工業に追い抜かれ、 工業にすがりついて追いつこうとする農業の哀れさ」と同じ質のものなのです。》 ▼ 大きな節目時に、読書をして行間を読むしかない、ということ。 特に、アメリカの露ばらいをさせられた日本こそ、新たな解決をしなければ ならない。「経済の自立=保護主義的になりざるをえない、という基本を押さえて おくこと」には、考えさせられる。日本は明らかに衰退の道を歩き始めた。 しかし、現実をみると、誰も直視しない。そのツケは、株価と国債の暴落という 突然の崩壊で生じることになる。日本は近い将来、豊かさとは、かけ離れた国の 悲哀を味わうことになる。150年の間の政治経済のマクロの流れを振り返り、 今後の方向性を見つけることは至難の業だが、それでも見つけ出すしかない。 「普通の国」が、キーポイントだが、地政学的に見て、日本は中国とアメリカ の間にある海洋国家。その辺りが鍵になる。今後10年間は、これまでの10年間 より遥かに厳しい事態になる。この20年間の変化が、10年間に圧縮して襲い かかるとしたら、考えただけでも身震いがするが、興味もそそられる。 気の毒なのは、若い人たちである。 ・・・・・・ 4415, 余生を過ごす場所は? 2013年04月18日(木) * 今の場所で快適に過ごす工夫を! 「知的余生の方法」渡部昇一 余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在 住んでいる場所か、迷うところ。著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」 と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。 「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。ーその辺りよりー ≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の 『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、このホームがそうだ。ホームは 単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを 伴って、「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになった。 だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、切り離せない関係にあるといえる。 そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景。 そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に 「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、つまり自分の「ふるさと」 「故国」という意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、 救いになる言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、 そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ「ふるさと」である。 都会でうまく生活しているなら、都会こそ自分の「ふるさと」と腹をくくるべき。≫ ▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、 ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、「平気で死ぬのが悟りでなく、 平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切れば別に何とことはない。 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、 軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。 いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、 今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。 ・・・・・・ 4041, 世界の旅行記101 ー2 2012年04月18日(水) * 旅行記は事件簿でもある はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている ≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の 起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって 旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴 の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。 「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、 旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の 域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と 遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、 不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。 そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に 参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という 事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、 旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、 旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。≫ ▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。それぞれのダイジェスト は50数人が書いたのを編集したもので、紀元前から近代まで至っている。 2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。 2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワーク を編集しているから、面白いはず。とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、 これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間 見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということ にも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。 ・・・・・・・ 3675, 節目どきに ー8 2011年04月18日(月) * 体重が減り始めてきた! 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか 体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは 明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった肉体年齢が私の 肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキング の蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 肉体的には健康的な日々だが、 精神的には、どうだろう。 * CTスキャンは大量の放射能を? CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後に がん発症リスクは被爆で高くなるという。私など毎年の検診で20年近く CT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。そろそろ被爆の 結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。チャンとした説明を 受けていれば、三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、 細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。 * 今でも、私にとって3月11日が止まっている TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 「私にとって3月11日がそのまま止まっている。毎日が、そのまま3月11日の 繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、 その日の出来事は大変事で、その日をもって生活環境が一変してしまった。 被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に 一生を得たドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発 事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。我々が自覚して いるより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。 ・・・・・・・ 3310, 笑われ力 −2 2010年04月18日(日) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 笑われることができたら、会話も人生もラクになる! 笑われ力: 飾らず、威張らず、強がらず、素の自分をさらけ出せる力。 「笑われ力」では、まずは「恥ずかしいこと」を全面的に認める。そうして しまえば、まわりもそれ以上バカにできない。恥ずかしいという感情そのものを 曝け出すのである。 私は、平気でサエゼリアに行くし、その話をする。 サエゼリアが値段からみて価値がある思うからである。世界中の郷土料理を 食べてきて味に対する自信があるから、言えること。気楽に入る安いイタメシ屋 を小ばかにする方が野暮というもの。SC内のスーパーより安いのだから。 あれはファーストフードとみた方が分かりやすい。その辺の出来損ない? のイタメシ屋と比べる方が無知といういうもの。 美味くなくていい、 不味くなければ。日本料理も、居酒屋料理も、フランス料理も、中華料理も 食べつくきたので言えるが。 週末などの外食は2千から5千円の店で充分。 もちろん二人で! 「笑われ力」も、実は、それと似ているのではないか。 笑いで周囲に安らぎを与えることが出来れば、それが73パーセントの 「おとな力」の要素として、当人にプラスになる。「笑わせ力」を身につける より「笑われ力」を伸ばす方が簡単。笑われる欠点を自分がよく知っているから。 人間の本能が「笑い」を求めている。もし「笑い」がなければ場は息苦しい空気に 包まれる。「笑い」が醸し出す「心地良さ」が、その場を良くする。 注意しなければならないのが「笑わせ力」である。ひとつ間違うと笑いの強要 になり、シラケを生む。無理をすると、タチの悪い「笑い」になることが多い。 特に第三者の失敗の話題で笑いを誘う「邪悪な笑い」は特に注意。 著者は、 笑われ力をつけるには、準備が必要という。 まず、 ・ダメな自分を集めてみる *過去:失敗談 *現在:無知、悩み、コンプレックス、苦手 *未来:妄想 ・そのネタを次の公式(ネタ*表現)に当てはめて話をする失敗話、コンプレックス、 悩み、 勘違い、 なら幾らでもある。ただ、ヒタスラ隠してきただけ。 (字数制限のためカット、2012年4月18日) ・・・・・・ 2935,わが人生最良の瞬間 ー2 2009年04月18日(土) 一番、具体的に納得した「人生最良の瞬間」は小野田寛郎の 「29年後の終戦記念日」である。 彼にとっての終戦日は、昭和20年8月15日 でなく、その29年後であった。その間に死亡した二人と共に、ジャングルの中で 命令に従い戦い続けたのである。終戦直後から「降伏命令」のビラがまかれて いたが、彼等は信用しなかった。そして29年後に彼を捜しに来た冒険家の鈴木 と遭遇した時も、フィリッピンの掃討兵と思い殺害しようと接近したが、思い とどまり話をしているうちに、「命令解除の命令書を持ってくれば投降すると」 と、ボールを投げた。それを持ち帰った元上官がやってきて残留命令と任務解除 と投降命令を受けた。その瞬間「なぁんだ」と思ったという。・・投降という ことは、それは死を覚悟したもの。・・ところがフィリッピン軍のレーダー基地 に着くと、捧げ銃の敬礼で迎えられた。捕虜にそんな礼を尽すわけがありません。 さらに面会したランクード司令官も、投降の意味で差し出した軍刀の受け取りを 拒否しました。そして翌日、マラカニアン宮殿で会見したマルコス大統領がこう 話したのです。「我われは、それぞれの目的で戦った。しかし戦はもう終わった。 私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為すべてを赦します」 もう疑う余地はありません。昭和49年3月11日のその瞬間に私の身柄と生命は 保証され、「私の戦争」は終わりました。帰国のためにマニラ空港を出発する 私に、フィリッピン空軍の軍楽隊が日比両国の国歌と「ハッピーバースデー」 を吹奏してくれました。死を覚悟した戦闘の日々から解放されたのだと、 心から生きる喜びを噛みしめました。 ▼ この人の人生最良の日は、まさに昭和49年3月11日であった。これほどの 最良に日は、過酷の日々が兵隊生活の三十数年があればこそである。こういう 体験記を読むと、迂闊に「わが人生最良の瞬間」など言ったり書いたりは出来ない と思い知る。彼の一言一言が、過酷な経験の裏づけをもって光り輝いてくる。 そういえば、人生最良の瞬間より、人生最悪の瞬間が心に残るのは如何いうこと なのだろうか?「良いことが多くあったが、嫌なことも多くあったな?!」と、 「嫌なことも多くあったが (字数の関係でカット2,011年04月18日)
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2015年04月17日(金)
【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 まずは〜内容紹介〜より < 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに 見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、 一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者 が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。> ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。 ≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1% への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、 アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕 層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。 各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、 このような事態を引き起こしているのか。 ・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空 の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、 鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを 暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、 実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。 「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、 秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが ピッタリである。・・ 〜つづく ≫ ▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、 ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界 の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。 仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、 公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、 事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の 『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、 内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ! ・・・・・・ 4781,閑話小題 ー怒りの取り扱い方 2014年04月17日(木) * 怒りの取り扱い方 一昨日こと。家内に「同級会の席や二次会などで、誰かに見られているかも しれないから気をつけて!」と言われて出かけたが、案の定、二次会のスナック でハイになっている中、銀行OBと思われる男に「誰かに見られているぞ!」と、 通りすがりに声をかけられた。「うるさい、人のことより自分をみてろ」と、 言えないし。軽さが、そのまま出ていたが。他人ごとではないか?スポーツジム でも、露骨なイヤミな視線を数ヶ月に一度は感じる。で、悟りが深くなる。 ー悟りとは、平気で死ぬのではなく、平気で生きることーというが、何事も慣れ。 最近、腹が立つとすることがあるが、書くのはやめておく。 ヒト指先で人をさすとき、親指は上(道理)、他の三本は、自分を指している。 哲学でいう認識である。他人の指摘は自分の世界観を言っているに過ぎない、 という自覚がない。ネズミ集団=世間の戯言ネタに、一々怒ってもいられない! 世間教の下世話ネタが、ネズミたちの集団念仏。気の毒といえば、気の毒だが、 こんな??のことを書いている私こそ遥かに気の毒? そのために、ぼんやりの 時間を持たなければ、せっかくの人生は台無しになってしまう。それにしても、 バカなことを書いている、自分に驚いているが。で、ぼんやりする時間が必要。 [・現実の背景にある膨大な漆黒の闇を意識する。・その為に独りの世界を大切 にする。・その時空をつくる為に、閑居の世界を身近に持つ。・働いてばかり いないで、怠けること。・その中での心の余白を良しとする懶惰の気持ちが鍵] 。 ぼんやり時間のエネルギーこそ、己を包み込む。 怒りは、エネルギーの源。 大事に扱うべきだが、因われないことも重要。・・人生は、面白い玩具で一杯。 老いも、喜怒哀楽も、楽しか! 目を本質から逸らさなければだが。 長岡という出生の地に飲み込まれない知恵こそ、今こそ必要だが、老いは、 その知恵を弱らせる。私の人生は、50歳辺りから二毛作目と思っていたが、 二期作でしかない?(二期作は、同じ農作物。二毛作は、違った作物) それとも、50歳から三年前まで、二期作目で、その後が、二毛作目? ・・・・・ 4414, ボストン爆弾テロについて 2013年04月17日(水) * この結末は、どうなる? ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。 アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、平城でマラソンが行われた直後、 ボストンのゴールのカメラの多い中で、二つも爆発させたのは脅しの効果として 抜群。他に二つの爆弾が発見されたというから、明らかに何かの警告。 刑事ドラマのシリーズ「相棒」で、東京マラソンを狙った爆弾テロを阻止する ストーリーがあったが、手口は同じ。とすると近くの国の??と連想するのは 私だけでないはず。 ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。 そのゴールを狙うとは大胆。それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・ ミサイル実験の前のデモンストレーション、としては危険すぎる? 今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。タイミングから して確率は高い。アメリカが黙って見過ごすか、全面戦争の切り口になるか? 関与していなければ、北朝鮮は震え上がっているはず。これだけ全面戦争と 騒いでいた最中、タイミングが合いすぎ。 覚悟があってだろうがまずは、 この数日が境目だが、数ヶ月後には、全面戦争?が現実味を帯びてきた。 まさかと思っていたが、やはり! その最中、ミサイル発射実験、やるか、 やらないか、見もの。 これで軍事的に一触即発になった。しかしアメリカも 軍事産業立国の要素が強く、得体の知れない国家。さらにシリアもイランも、 アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。またCIAが北の仕業にした先制攻撃 の口実作りも考えられるし、アルカイダがビンラディン殺害の復讐のため、 北朝鮮と見せかけ、全面戦争の‘けしかけ’の可能性もある。どの切り口も 前面戦争の方向。その最中のシナリオ、あの坊やの考えそうなこと。危ない! アメリカは金がない、中国も新体制が整ってない、欧州危機は深刻だし、 日本は衰弱。 最初のブラックスワンは何から? ・・・・・・ 4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3 2012年04月17日(火) 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の 心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、 若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと 思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。 長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを 遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、 血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分 の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 2005年04月17日(日) 】 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、 「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分 ー倒れてしまった悲しみにー 倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる 倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる 倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる 倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう 倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ 倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき 倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ 倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす 倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯 倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき 倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは ▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。 ・・・・・・・ 3674, 自己を見つめる −2 2011年04月17日(日) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、 人生を豊かに、実りあるものにする。 ー 第一章 経験 の中より ー 哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。 ・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、 まったく予測することができない。 ・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、 とガダマーは断じる。 ・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。 ▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して 行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を 見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を 踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? ・・・・・・・ 3309, 笑われ力 −1 2010年04月17日(土) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。 「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」 と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談 を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、 ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、 場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。 私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。 実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より 知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、 躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、 基盤がないと出来るものでない。 まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫ ≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。 しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、 人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで 「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、 人をネタにするのではなく、自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人 のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、 「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くための プロセスに過ぎません。大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」を プロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫ ▼ 「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう! あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、あなたの人生にとって、 大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」 とあり、最後の方には「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。 この随想日記やブログも早くいえば「笑い」というより自嘲の披瀝。そうでも 思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになって いる。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるよう にしている。それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。決して、 この本を読んだぞ!でなく、やっと読みおえた!でないと続かない。 この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、 怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、 実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。笑われてナンボの世界か、 珍獣?の世界は。10年以上は行ってないが、歳のせいか気持ち悪いが先にたつ。 ・・・・・・・・ 2934,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー2 2009年04月17日(金) 新潟駅前でビジネスホテルという業態モデルを経営しているために、世界恐慌 の影響がストレートになる。初めに、広告、営業活動に対して経費をつめてくる。 二時間以内の出張は日帰りである。インターネットや携帯電話などで情報をやり とりして出張は可能な限り回数を減らすのは常道である。最近は宿泊ネット販売 が25パーセントなっている。しかも新潟では半額以下の2600〜3000円代前半は 当たり前。当日でも3000円前半なら何時でも取れる状態だから堪ったものでない。 そういう私も、冷蔵庫や洗濯機や大型TV以外は、電気製品、デジタル家電、書籍、 健康食品、ユニクロは、ネット購入。情報は、大型店の店頭で見て、実際に買う のはネット。2〜3割はまちがいなく廉いからである。リーマン・ブラザーズ から始った経済危機から世の中は一挙にデフレスパイラルに入った。情報化に よるフラット化で一物一価の世界になったことも、さらに輪をかけている。 最低価格が実現できないところは、即、退場をさせられてしまう。(客室は、 在庫が限定されているから、まだよいが)ということは、大部分の企業は淘汰 されることになる。 世界は5〜10年と暴風雨が吹き荒れだしたのである。 日本の国力もバブル崩壊後に大きく失われてしまった。アメリカのように資源や 軍事力や知的蓄積がないのである。この金融恐慌は近代資本主義社会の根幹を 揺るがすほどの大事件。4〜500年かけて近代社会がつくり上げてきたのが 中産階級である。その中産階級が中期・長期的に見て消滅しようとしている というのだから、ただ事ではないのである。1990年前後にソ連と、東欧諸国の 共産社会体制が消滅。そして10年後の2001年9月11日にイスラム原理主義の アルカイダがアメリカの金融の中心のビルを二つ崩壊させ、2千数百人の 生命を奪いアフガン・イラクの戦争中に入った。そして今度は百年、数百年 に一度といわれる金融恐慌である。これは簡単に解決できるような事態では なく5〜10年は世界中で想像を絶した多くの経済混乱が発生する。 まさか、これほどの大事件を目撃できようとは思っていなかった。 それも全ての人が直撃する惨事を・・
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| 5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る |
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2015年04月16日(木)
* シネマは、漫画本を読む感覚で・・ 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて 『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館 で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、 大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、 その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人 位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週 金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の 進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに 劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。 そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。 ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情 の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。 この文章を書く習慣も、その一つ。 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。 そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。 あれは、 恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。 その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋 や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、 振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、 ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。 人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる! ・・・・・・ 4780,ぼんやりの時間 ー9 2014年04月16日(水) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * ぼんやり時間について ーつれづれに 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた 真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー 《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。 「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが 集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な 意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように 否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を 忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、 ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し 説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの 場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に 対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では 実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、 「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」 的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、 生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか 大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを 考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。 「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や 「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」 もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、 私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、 「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」 であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。 ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる ためにも必要なのだ。》 ▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、 背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、 ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが 経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない 秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と 案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、 バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛 だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ ・・・・・・ 4413, 早起きの話 2013年04月16日(火) 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。 父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると 決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。 40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書 の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。 それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり 就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。 その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を 目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜 4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。 早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、 「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く 時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間 に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった 時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が 農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を 思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。 早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、 独りで物思いにふける時間は至福である。 ・・・・・ 4039, 世界の旅行記101 ー1 2012年04月16日(月) ー 内容(アマゾンより)ー 「世界の旅行記101」 樺山 紘一著 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に 読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ の旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の 歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ ながら、旅行記の魅力に浸れます。 この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。 ◎ アマゾン読者感想 ≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の 在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると 助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物 に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。 また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、 そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームやゴーギャン の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の 旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。 そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から 現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や 写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。 関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆 年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手 は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、 併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、 精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫ ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿 でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。 ・・・・・・ 3673, 自己を見つめる −1 2011年04月16日(土) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように 受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が 自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー 《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェや ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き 締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」 「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。 ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ― * 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを 忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも 接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の 営みは展開している」 (「生き甲斐」) * 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、 人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で 強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の 根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」) * 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる 失われた桃源郷である」 (「不幸」) * 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと 気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、 ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」) * 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、 こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書 『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした 優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、 しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より) [目次] まえがき 第一章 経験 第二章 時間 第三章 境遇 第四章 遍歴 第五章 自己 第六章 生き甲斐 第七章 仕事 第八章 孤独 第九章 愛 第十章 他者 第十一章 世間 十二章 運命 第十三 不幸 第十四章 老い 第十五章 死 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を 振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。 青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の 石にすることができた? 内省も面白いものだ。 ・・・・・・・ 3308, 万田酵素 2010年04月16日(金) 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、 玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。 ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が 出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック 2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。 通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが 一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、 3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 今さら、大して用がないか! ・・・・・・・ 2933,世界恐慌に入って、まる7ヶ月 ー1 2009年04月16日(木) 去年9月15日のリーマン・ブラザーズ破綻から、まる7ヶ月経った。 その間に金融恐慌関係の経済雑誌の特集や著書を、多く読んできた。 楽観論から悲観論まで様々あるが、当然のことながら悲観論が主である。 当初は、「50~100年に一度の金融恐慌」といっていたが、何時の間にか50が消え、 「100年に一度の経済危機」の言葉が定着したきた。1930年代の世界恐慌より、 今回は深刻という事実を時間をかけて一般に知らしめてきた。 新潟駅前の宿泊現場のセンサーからみると、全体的にみて30〜40%ダウン。 輸出産業を中心としたメーカー関連で、40〜50、それ以外が20〜40%のダウン。 2001年の9・11事件の時は、三年かかって30%にダウンしていったが、今回は 2〜3ヶ月で、総じて30〜40パーセントのダウンである。9・11の時は、金融庁の 方からは、駄目な会社は早々処理するようにというお達しが出ていたが、今回は、 何とか助かるところは、潰さないようにという、お達しが出ているという。 大きな方針の転換である。実際には、現場は11月末から露骨な売上減が始ってきた。 これは、どの業界も同じである。そして年を越えてから一ケ月ごとに、ジワジワと 経営圧迫がきているのが現状である。国家として3月末の大量倒産を避けることが 出来たが、問題は決算が出揃う5月〜6月にかけて大事変が続くと言われている。 実際に数字を見ていると凍りつく思いである。当方の先期決算は恥ずかしくない 数字だったが問題は、これからの経済社会の情勢。この恐慌の大波が、まずは 日本に押し寄せているが、アメリカ・中国に深刻に現れるのは、これからである。 韓国・台湾・シンガポールなどの日本の輸出比率が2倍もある国では、GDPが20% ダウンというから、大打撃になっている。かなり深刻な事態が、世界各国、 いや日本に出てくることを覚悟をしなければならない。この7〜8年、何とか 輸出立国というモデルで何とか、日本を牽引してきたが、そのモデルは 崩壊してしまった。 どうなるのだろうか? ・・・・・・・・ 2569, 閑話小題 2008年04月16日(水) * ガソリン価格 先週、車のタイヤ交換のため新潟に来たが、見附で124円のガソリンを 入れた。そして新潟のバイパス近くのガソリンの値段を見たら120円とあった。 ところが、家内の話だが長岡はセルフ以外は、127円で統一(談合)している のでは? 市内の何処を見ても統一は不自然だという。こんなことをしている から消費者に嫌われるのを知らないのだ。誰も直接口には出さないが、必ず 口コミで辛らつに批評されているのである。 * 呼び込みの、その後(迷惑条例実施の、その後) (字数制限のためカット 2012年4月16日) * ロシアのバレー事情の激変 (字数制限のためカット 2012年4月16日)
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2015年04月15日(水)
* 個人物語 ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス 14年近く、休むことなく毎日、この随想日記を書いている。これは私が、 「直近に読んだ書籍や、経験を個人の物語としてパッケージ化して保存」 する習慣で、それを毎年、同月同日に読み返す。何故に14年も続いたか といえば、「私つくり」に有効と実感するため。「個人物語化」化である。 ー以下は、まさに、それ! 私のフィルターを通した経験を、書き連ねる ことで、経験を自分の中に、埋め込む重要な習慣である。 ≪ 「個人の物語」化というのが、それぞれのアイデンティティを確立のため にいかに重要か。生物学的あるいは生理学的に見て、われわれにはほとんど 違いはないが、各個人の物語は異なっている。それは、脳や免疫システムは、 ある程度以上のレベルになると、みなそれぞれ異なっているからです。 病気に向き合う際にも、落ち着いて対処する人もいれば、すっかり怖気づいて しまう人もあるし、全く無関心な人もあるといったふうに、人によって物語も 違います。細胞組織レベルでは私たちはほとんど違いはありませんが、脳は、 たとえ一卵性双生児であっても、生まれたときから既に違っている。さらに、 生まれてから脳は、経験によって大きく左右されます。数学者の脳は音楽家の 脳と異なるし、視覚芸術家や言語芸術家の脳も異なります。18世紀の科学者 ヘンリー・キャベンディッシュは、ほとんど他の人間との接触というものを 避けて生きていたそうです。裕福そうな人でしたが、使用人は家の別棟に 住んでいて、キャベンディッシュに話しかけることを禁じられていた。 想像も及ばない静寂と孤独の中で暮らしていたそうです。彼はたいへんな 知性とオリジナリティを備えており、地球の重量計測から始まって、 新元素の発見などを成し遂げているのですが、科学者によく見られる野心や 競争心とは全くかけ離れていたそうです。バートランド・ラッセルが 「最も高い教育を受けた者たちのなかで、一番幸福なのは科学者である。 なぜなら、彼らの脳は仕事の内容でいっぱいで、感情面では非常にシンプル でいられる。あまりにシンプルなので、食べることや結婚することなどに 楽しみを見出だせるほどだ(笑)」と言っていました。 ≫ ▼ 個人物語は、自分が主役で、舞台と、配役が在って、観客がその物語を 観ている。それを把握するのが主人公の「私」であり、総監督も兼ねる。 それを自覚する方法に「瞑想」や「散歩」がある。あるいは、映画や書籍に 没頭することで、自分を見つめなおし自分の物語を鳥瞰する。 「事業人生を決心して45年」の語り直しー50(2014/08/25) 総括の総括 ー小さな物語のまとめー のシリーズを去年の夏、書いたが、 自分を物語を、冷静にみると、小さなエゴの塊の物語が見えてくる。 問題は、認識できるかどうか? ほぼ、出来てない。 程度の差?ですか。 ・・・・・・ 4779,閑話小題 ー勘違い 2014年04月15日(火) * 勘違い 「今回、Windows・XPのサービスの停止で、私のWindows・Vistaも、その範囲」 と勝手に勘違いをしてしまい、新たに、Windows8のパソコンを買ってしまった。 実際のところVistaは、あと3年後であった。6年以上も使って買え時期だった ので後悔はしてないが、その迂闊さには我ながら呆れ果てる。 検索で 「Vistaのサービス停止」と入力すれば良かったが、思い込みは恐ろしい! しかし、知人の言う「パソコンは進化を考えたら4年が買替え時」も事実。 * 今年の桜は 毎年恒例の桜のシーズンで、数日来、満開だが、それぞれの地域ごとに 素晴らしい桜並木があるもの。その中で、特に自分の気に入った桜の木を 決めて、毎年、再開するのも良いものである。個々も良し、並木も良しが桜。 シーズン中の、天候の良し悪しも大きく左右する。その点、今年は当り年。 明日あたりから、散り始めるが、これもまた良い。川辺などの桜が散る頃、 山辺の桜が満開になり、それも散ると、今度は八重桜が満開になる。 八重桜は八重咲きになるサクラの総称で、山桜のヤマのマがエの変化したもの。 何か歳とるごとに、桜の花が愛おしくなっていく。 ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな (村上鬼城) したたかに水をうちたる夕ざくら (久保田万太郎) ゆふ空の暗澹(あんたん)たるにさくら咲き (山口誓子) やどりして春の山辺に寝たる夜は夢の内にも花ぞ散りける (紀 貫之) すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり(岡野弘彦) 夜半さめて見れば夜半さえしらじらと桜散りおりとどまらざらん(馬場あき子) 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし (在原業平) ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀 友則) 今日は、この数日来のコースを周り、明日からは悠久山のコースの予定。 ・・・・・・ 4412, 大丈夫、なんとかなるさ −2 2013年04月15日(月) * 今を生きる女の強と、昔を生きる男の弱さ ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 国が衰えてくると、俄然、女性の強さが浮かび上がってくる。その一つの 傾向として男は台所に女が外に働きに出る。定年をむかえ、男は仕事で消耗 してしまい家の中では粗大ゴミ扱い。そこで争いが。しかし強いのは女性。 ここで、その理由を明確に述べている。働きづめだった男こそ、「今を生きる」 ために与えられた時間なのに、過去の想いに囚れ今に生きることが出来ない。 ≪ ある時期、男たちの間で女性の活躍がよく話題になった。おのずと話は 男女の一般的な比較諭になって、いざという時には女は強く、男は弱いという 意見や感想が目立った。彼らの話を聞きつつ、ずいぶん前に新聞で読んだ男女 の産み分けがなぜ可能かの記事をい出していた。ある大学医学部が明らかに したもので、人聞の精子を分離すると、女の子つくるX精子は重く下にたまる のに比べ、男の子をつくるY精子は軽くて浮くという。 そんな内容であったと記憶する。以来ぼくは男女比較論になると、その話 を引用しながら「つまり女はもともとどっしりと安定しているのに比べ、 男はふわふわと不安定なんだ」としたり顔で言ったものだ。 さらに近年は、 脳科学のこんな説にも注目してきた。芸術・感情脳の右脳と、言語機能を持つ 思考.論理脳の左脳を結ぷ脳梁などは、女性のほうが男性より太く、そのぶん 情報交換量や、情感も女性が豊かだという訳だ。これには異論、反論があるが、 男性よりよくしゃべり、よく泣き、よく笑う女性のリセット的特性を説明 しやすく、これまでも重宝してきた。 男より女佐が長生きするなども、 それらの特性でかなり説明がつくようにも思える。ところで人間のありよう が遺伝学や脳科学とは別に日常の習慣性からとらえられるとすれば、前に紹介 の加藤登紀子さんの話のとおり、炊事・洗濯・掃除といった短いサイクルで 毎日を生きている女性のしぶとさは男など問題外だろう。その場その場の 対応力や性を生きる強さ、男よりよく泣くにしても、泣いてすっきり、 ああご飯がおいしいとすぐに涙など吹っ切っている女性を見ると、事態への 能力において男の勝ち目は縛い。・・・ ≫ ▼ 現在の状況を冷静にみると、身につまされる。比較的、今の時間を生きて いるつもりだが、家内の日常からすれば、全く劣っているのが現実。毎日、 毎週の習慣から抜け出せないのである。歳もあってか、既に世の中を見切って しまい、映画か読書とか、過去の記述など頭の中の世界に生きようとしている。 それに比して、家内といえば、羽がはえたように「横世界の今・ここ」を 生きている。で、私は、早朝起きて独り部屋で、これを書いたり、ポタリング をしている。猫(女)と犬(男)の生活を続けた差が、鮮明に出て当然である。 ニャ〜ンとワンが喧嘩して、毛をソバたてたフーとワンワンでは、 猫が勝つに決まっている。夫源病と妻源病か! ・・・・・ 4038, 閑話小題 2012年04月15日(日) * つれづれに ◎ 昨日、一昨日と二日続けてシネマを見てきた。全米の観客動員数が一位と、 二位というから間違いないと判断。私の評価は、全米一位の「バトルシップ」、 85点。 二位の「ジョン・カーター」、90点。一応、合格。 昨日は土曜日のためかロビーは客で溢れていた。 シルバー割引千円で 現実からトリップできるから価値は充分ある。ストレスを解消してくれそうな ものを、話題になった中から選んでいる。大不況の鬱憤を映画で晴らそうと いうのか、破壊と再生の物語が多い。 バーチャルの世界で鬱屈した? 気持ちをスカッとさせ、ストレス発散をするようにできている。 ◎ 現在、世界的にも、国内的にも大きな節目。 現実に私のケースのように 過去10年間の売り上げの激減と、その結果の事態は、数年先の現実の前倒 現象になる。 それで、悲観過ぎるのか?決して悲観過ぎるということはない。 毎日毎日、同じようなことを飽きもせず書いているが、書くことで、気が付く ことが多い。ところで、このところ、この随想日記のスランプ期間に入った。 テーマが出てこないのである。数ヶ月に一度くるが、これも慣れている。 ◎ 「年齢に気持ちがついていけない!」 これが、人生を生きてきて常に 感じてきたこと。歳をとればとるほど、その傾向が強くなる。未来より、 過去を見つめる時間が長くなるためだろう。そこで、過去を否定しないこと。 ◎ 米国の天然ガス価格が2ドル代の大台を割って、日本の輸入価格は18ドル。 日米格差は9倍である。米国は世界最大の資源国であり、世界一安い天然ガス を使える。これに対して日本企業は電力不足と、世界一高い法人税、そして 社会保障費と人件費も高い。米国産原油価格優遇策となれば米国優位は ゆるぎない。これが宗主国と属国の力の差。ジワジワと、その影響が日本経済 と社会に出てくる。日本は海洋国家と、水資源が豊富にある。それと島国の 特性の中に、これからのヒントがあるはず。それにしても、東北大震災と、 原発事故と、54の原発が使えないのが大きい。 ・・・・・・・ 3672, 節目どきに ー7 2011年04月15日(金) * つれづれに △ 事務所にあった身の回りのものと書棚が二回に分けて届いた。 倉庫の中に三坪ほどのスペースをとり、収めたが丁度良く収まった。 事務所の移転ごとに多くを捨ててきたので比較的最小限度のものしかないが、 それでも捨てがたいものが多くある。会社に置いてた本の半分ほどは処分して きたが、振り返ってみると、もっと早く、哲学書を読み込んでおけばと反省 しきりである。逆に言えば、この10数年で読む本が変わってしまった。 △ 昨日、小学校5〜6年担任の恩師の西沢先生から、丁寧な破綻の?見舞いの 葉書が届いた。現在、80歳前半になられたが、葉書に筆で書かれた書体の 美しさに驚いてしまった。私の5歳上の姉も担任をされたが、姉は、あまり 先生のことを語ってくれなかった。 先生が定年退職をされた時に、確か 小学校の同期会に先生が出席され、その時に先生にお願いをして、新潟の私の ホテルに宿泊をしてもらい、一晩、酒席を共にさせて貰ったことがあった。 もう20数年も前になる。 先生は多くの小中の校長を歴任し、長岡の教育長 までされた人で、定年時には、そのお祝いに300人が集まってくれたと 嬉しそうに語ってくれた。 その時に先生がつくられた御猪口を貰いたが、 先日まで、会社の事務所の飾りだなに大事に飾っておいた。卒業まじかに、 半年間、虐め?で級長にされたことがあった。これはきつかったが、その時に 不貞腐れていて運動場で掃除をしていた私の頭を引っぱたかれた心の傷は、 今でも鮮明の残っている。しかし人を導く不思議な力を持っていた。 先生の両親とも先生で、息子も先生をしている教員一家。色々の人生を垣間 見たのだろう。そういえば小学校の同級生、地方としては男15人の中で、 慶応、早稲田、立教三人、新大二人と、出来は悪くない。喧嘩も、勉強も ライバルが多くいた。 変なのもいたが、変ななりに、まっとうに? 家業などを引き継いでいる。 駅前エリアもあり、玉石混合ということか。 ・・・・・・・ 3307, 日本破綻 −2 2010年04月15日(木) ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著) 著者は新自由主義論者で、円安論者。 グローバル化社会を推進すべきだ としている。そして「大きい政府・規制社会・結果平等税制」の是正を主張。 経済を拡大をしないと、グローバルの世界を生き抜くことは不可能で、その ため円を実力どおりの円安に誘導すべきという。日本は輸出立国でしか成り立た ないと論じている。格差が開いたとしても日本の貧困層は世界の中間層で しかない。 ここで、アメリカの強さを何気なく書いている。 ・アメリカの双子の赤字は大げさ= アメリカの税収2008年で 約2.5兆ドル=220兆円。日本の44兆円の5倍ある。アメリカの GDPは日本の3倍に対して5倍である。一方、財政支出は、2008年で 4500億ドルの赤字。ほぼ日本と同じ。2008年末の連邦債務残高は 10兆ドル。これも日本と同じでしかない。日本は不景気が良くなって 金利が5パー増えたら43兆円の支払い増で、今の税収が吹っ飛んでしまう。 もうひとつのアメリカの赤字、経常赤字も大げさに騒ぎすぎ。ネット金額で 見ると、資本を海外から取り入れているにかかわらず、配当金や金利は 「支払う額」より「入ってくる額」の方が大きい。 借金をしていれば金利は 「支払うはず」なのに、「受け取っている」のです。それは、アメリカ人に リスクをとる精神があるからである。海外投資で高い配当金や利息が 国内に入ってくる一方、支払い金利の方が少ないからだ。 ・日本のバブル時の1989年末と現在2010年1月と比べると、日経平均 3万8915円から1万765円と4分の1近く。一方のNYダウは2753 ドルから1万765ドル。4倍になっている。その差は15倍になった。 NYダウが最高値の1万4千ドルをつけた時、日経は1万8千円として、 そこから1万765円。アメリカが20パーセントダウンに対して、日本は 40パーセントのダウンになっている。 〜この背景には世界の主軸通貨がドル本位制がある。 ネズミ溝の親は、 外貨準備金は必要でない。ただ紙切れを刷っていれば済む。紙代だけなら 荒利は99パーセント以上の利益を得ることが出来るからだ。数年以内に、 アメロなどの新ドルに切り替え、実質的なデフォルトをしてくるだろうが、 日本破綻は大きな岐路にたつ。 ・・・・・・・・ 2009年04月15日(水) 2932,筑紫哲也の残日録 文藝春秋の二月号の、筑紫哲也の「がん残日録」ー告知から死まで5百日 の闘いー が壮絶な死と生の記録であった。2人に1人が癌になり、3人に 1人が癌で死ぬ時代である。50歳を過ぎれば何時何が起きるかもしれない。 癌は体内に発生して、最初に発見されるまで、14〜5年かかると言われる。 発見されるまでの潜在的なものを含めると、全員が癌を持っており、全ての 人が癌への道を歩いていることになる。一グラムの癌細胞は鼠算的に2倍 ずつ増えていくと、1キロに増加するに10回の2倍を重ねるだけでよい。 =この残日録の中の印象に残った部分を抜粋してみる= ・《07年10月20日》 福田康夫様 歴代の総理を拝見していますと、この人がと思う人でも、鬱積が溜まって いくものです。それをあまり我慢するのもよくありません。秘訣は、本当に 怒らないことです。口さがない批判、非難の大部分は、それを口にする者の 身の丈、思考の水準に見合ったものでしかない。そんなものに自分が とらわれてたまるかと思えば腹は立たないでしょう。総理の仕事は、 それより遥かに次元が違うでしょう。 ・《07年12月8日》 執行猶予 この病を得ることは、いわば《執行猶予ー死ぬまでの》の時間を与えられた ことになる。それは自分の正体を見つめなおす機会を与えられたということ。 私は何ほどのものか。何をしてきたか、何をしてこなかったのか。 己を正視するのは、そんなにたやすいことではない。それに加えて、もう 一つの困難がある。こうやって、何事かを言語を用いて表現することは、 通常は他者に向かっての意思伝達の手段なのだ。そのための工夫や表現力は、 訓練次第、あるいは個人的能力によって多少とも向上させることができる だろう。だが、本質的に社会的、公共的ツールである言語が、自分に向かって 自分を説明するのに、どこまで有効なのか。どんな言語表現もすり抜けていく 部分、そこに自分の正体はぼんやりと、または黒々と潜んでいるのではないか。 「よい人生だった」「悔いの多い、くだらぬ人生だった」どちらにしても、 言語を用いる以上、他者への説明を意識しているのだろうし、そうでなくとも、 「自分の中の他者」に言い聞かせているのかもしれない。 ・《08年1月 日付なし》 泣いても一日 笑っても一日 どちらでも良い 良くないのは どちらでもない一日 せめて怒ってみるか ・《08年2月15日》 次女ゆうな の言葉 この宣告以前に、父が違う病院のお医者さんに余命について質問をした ことがあるんです。その時に言われたことは 『自分が駄目だと思ったとき が余命の始まりです』という言葉。はっきりとした余命を伝えることは 『ダメか』と思わせることになるから、と家族で結論を出して、伝えることを しませんでした。 ・《08年11月5日》 こん睡状態、次女に『メモ、メモ』と紙と エンピツを用意させ、《THANKY YOU》 ーひとりの人の死は、生きてきたプロセスを圧縮して立ち現れてくる。 ・・・・・・・・ 2568, ドル覇権の崩壊 ー3 2008年04月15日(火) 著者はアメリカが実質的価値のないドルと、偽札のドルとどこが違うと 疑問を呈する。私も以前から北朝鮮が国家として作っているといわれる偽ドル と、アメリカのドルと、どこが違うか疑問を持っていたが、その極めつけが プライムローンである。 まずは、その部分を書き写してみる。 ーー 第二章 世界はこうしてドルに騙された 非兌換紙幣であるドルの刷り散らかしはアメリカによるマネーの偽造 ーP100 「紙幣を印刷するものがが法律を制定する」少なくともまだ暫くの間はこの 格言が真実として通用するだろう。今日では、ゴールド(金貨〉は通貨として もはや使われていない。表面上は、ゴールドによる貿易決済もゴールドを準備 貨幣とする経済体制も存在しなくなっている。しかし、それでも今のアメリカ の強大(そうに見える)な軍事的優越性と、米ドル紙幣の印刷と強制通用の みせかけの信用によって、諸外国の国民が、米ドルをゴールドと同じような 信用力を有するものと、思いこみ、深く信用しているからだ。また、そのように 信用させることが大事であるから、そのように、上手に「ドル紙幣の生産と そのドル紙幣で各国への軍需や経済援助を実行し続けるという外見は今も不変。 (以下字数の関係でカット2011年04月15日)
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