堀井On-Line



4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜①

2014年11月17日(月)

                 ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 「三年寝姫」ばななが過ごした‘さなぎ’の時期
  次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。
≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。
ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」
ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て
通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、
よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えています。
毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子どもから大人に
なる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り切っでいくというもの。
この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の
破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て
過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは
言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ることを
許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、
よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさんの
お父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思
を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。 間違ってもらっては
困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。
それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は
見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさんの
御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。
そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに
エネルギーがいることです。≫
▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出したくも
ない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、山ほど記憶
しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の浪人生活を
加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。
 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を
「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番
面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。
その中で特に20代。 その背景には、この4年間があったという見方もできる。
読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、
ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! 
これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! 
この年齢で気づくことが、あまりに多い。 振り返ると、「してしまった後悔より、
しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の時節を
改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人もいるが、
どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は同じというが・・ 
 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著)に、「ぼんやり」と
響き合う5つの「一文字」がある。  
1、「闇」―蛍と星とダークマター  2、「独」―独りでいること   
3、「閑」―逆茂木に囲まれて   4、「怠」―「1日4時間労働」の夢  
5、「懶」―心の余白  ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。
・・・・・・
4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
2013年11月17日(日)
   * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの
一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送である。 
ー概要をウィキペディアでみるとー
{ 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、警視庁内の窓際部署
「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディ
ものであるが、相棒は3度変わっている。1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・
洞察力を持つ右京が犯罪者を理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、
全体的なストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを描く
警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、官僚・政治家の権謀術数を
描いている。 2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、単発ドラマとして放送され、
2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送されている}
▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の一端に
私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の水戸黄門でないか。
トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、最後は国家権力を振りかざし悪と
対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、「今まで気づかなかったの?そんなのは、
当初から言われていたこと」という。12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、
キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子が、
明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。再放送直後、
家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。オバサマたちの多くが、
見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子がフランス帰りの「岸恵子」そのものの
キャラを演じた犯人役のドラマも、なかなかのもの。  

・・・・・
4263, しまった!  ー11
2012年11月17日(土)                      
 * 人生の財産  ー総括するとー1
 〜ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、結論に達した。
《人生の資産はお金でなく時間である》と。人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに
「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、人は、
これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、
決意と自制が求められるが、難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる
金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。それを忘れて、思い切った割り切りを
しないことが人生の最大の「まちがい」になる。 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、
固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、それを
前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)
がかかっている。それを知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、
バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの人間のバイアスは面白いほど
ケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
間違いを少なくするには「小さく考えること」。間違えは意外と身近な些細なことから生じている
ことに気づくこと。私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けている
つもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。考えることを嫌い、こうなるはず、という
直感に従ってしまう。私たちは見ていて見えてないのである。知っていても理解してない。
そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが
脳の奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、
大きな壁となる。ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。
知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。失敗も成功も人生の内である。それも考えて
みれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。自由は人間の求めるところだが、
突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して
戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に
入り直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 
 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが見えてくるもの。 
結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、
自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、
思いでしかない。その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな
ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く
自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。
自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、
最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが
出来たことほど、幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は
「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、
実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く
前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると
非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? 
それが世間という世界である。
・・・・・・
3523, 都市型狩猟採集生活
2010年11月17日(水)
   「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著)
 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の
坂口恭平の対談があった。「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容に
ついての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、これ以上、新しい建物を
作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすれば
いいと考え、路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた
工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。たまたま図書館で、その写真をみたことが
あるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、それらから
家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな
世界に見える。 坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 
彼らは“都市の幸”で暮らせば、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身に
しかできない生活を獲得している。
ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー
*「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、
みんなあまりガツガツしていないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集した
あとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。そんな姿を見ている人がいる。 それが
次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68)
*「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ
変えることなく文句一つ言うことなく、独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・  
社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、人間を苦しめつづけるだろう。
それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。
 ・・<都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148)
*「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが
冷淡なのはどうしてか?」
   ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。
 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもって
いたこと。彼らは、 「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」
という。うちの手伝いに来て、 アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていける
のが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。  人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、
絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。歩けば何でも
見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。養老:身体を使うことは大事。
私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。
▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、
生活保護などの支給があるからか。それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を
見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。何か無駄なものを人間は
持たされてしまったのではないか!立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・
・・・・・
3148,殺人事件の半分は家族内殺人
 2009年11月17日(火)
 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 
のレポートが目に入った。子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。
だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。しかし、このレポートの題目をみるまで
『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占めるというから驚き。
これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。
それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている
10人の家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。
  ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー
≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 
 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。
それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。
自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存を生む。
 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。
だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。
子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫
  ーー
  多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。
 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもに
とって厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻に
とっても夫が危険である。 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人
というから、ありそうなことである。 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の
20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ?
  ーー
 「身内の犯行」 橘由歩著  ーネットよりー (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2783, 外は広く、内は深い
 2008年11月17日(月)
日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)に
ついての文章の一節である。
【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。
「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の
成立を図る思考であり、そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化
産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。他方、東洋的な見方は対置
概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようと
する知性である。西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は
見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に分りますか」と尋ねたという。
大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
 〜己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの
輪郭が見えてくる。    (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に
「私は無宗教」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめる
のだろうが。しかし著者の次の内容は、宗教の必要性を解りやすく説いている。
私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った
人の集まりが社会である。宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 
 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを
味わっも、挫折、病気、老化、それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は
一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、宇宙のすべての存在者の
根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、
ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、
私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。
このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、
安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは
自分と他老の区別が意味をなさなくなる。それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に
抱かれて万人が肯定される世界です。ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に献身
していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が
自己絶対化を捨てなければならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった
現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教がそれぞれ異なる道を通って共通の根源
へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。
 (4)そして最後に、第四点目として社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で
生きる存在者ですから、どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。
人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと移行し、それらの
劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として
是認しつつあります。  (字数制限のためカット 11年11月17日)


4994,閑話小題 〜一昨日はシネマ鑑賞の日

2014年11月16日(日)

   * 一昨日はシネマ鑑賞の日
 一昨日みたシネマ「イフ・アイ・ステイ」が面白い。前週の予告で、女子高校生の臨死体験に
惹かれてみることにしたが、テーマは思春期の恋愛と苦悩があら筋。ストレス解消のドンパチ
ものの中で、たまには、これも良いのではと・・
 一家4人が交通事故で両親と弟が死んだ中、集中治療室で危篤の女子高生が病院の中を
彷徨っている。そして、その直前までの日々の世界が、彼女の意識下で映し出されている。
 みていて私の人生69年近くの生涯が、主人公の17年の記憶と、病院の中の彷徨いが、
この3年半と重なっていた。 毎晩、夜半の1〜3時辺りに目が覚めると、この映画の臨死体験と
同じような意識下で過去の世界を夢遊をし彷徨っている。意識を白い塊のイメージをして、
思い当たった記憶に集中する。余命半年、3ヶ月と宣告されると、この濃度が強くなり、
それまでの人生と同じぐらい生きるらしいが。   ーその内容といえばー
≪ ミア17 歳、高校3 年生。親友と呼び合える友達がいて、つきあい始めて1 年の大好きな
 彼氏がいる。将来の夢はチェロ奏者。今はジュリアード音楽院への入学をめざして猛練習中。
そんなミアを、ある雪の朝、突然の悲劇が襲った。一家が乗った車に対向車が突っ込み、ミアは
一瞬にして家族を失ったのだ。病院のベッドの上、昏睡状態のままのミアの目に映ったものは、
ベッドに横たわる自分の姿と幸せだったこれまでの人生、そして、彼女を死の淵から呼び
戻そうとする人々の姿。 いつもと変わりなく話しかけてくれるおばあちゃんの声。
「辛いなら頑張らなくてもいい」と言って泣いたおじいちゃんの涙。親友のキムと、看護師の
制止を振りきって来てくれた最愛のアダム。彼らはミアに何を語り、ミアはそこに何を見るのか。
事故から決断までの24 時間が描かれる。≫
▼ シネマも、少し見方を変えると、内容が全く違って見える。最期は、このような意識の
 混濁の中で、「あ〜面白かった!」の言葉と同時に『プチッ』とシャットダウンするのだろう。 
その時{もっと知っておけば、働いておけば!より、もっと楽しんでおけばよかった!}と思うはず。
そうすると、まだまだ楽しみが足りてないことが、よく分かる。でも、人生、面白かった! 
 そして、いま今日此の頃も。それでも、まだまだ楽しみが足りてないようだ。 さてと・・ 
何して遊ぼうか? 
・・・・・・
4627, 夫婦格差社会 ー2
2013年11月16日(土)
    『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
  * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに
 奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口より、二人の
収入の二人口の方が長い年月で大きな差が出てくる。ローマの道は一日にしてならずである。
とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしかない。〔妻の勤労による所得が、夫婦
合算所得の平等化に寄与していた時代は終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する
時代になっている〕の指摘が、一番の要所。結婚相手で、人生は決まってくる。 
  ー概略といえばー
・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で見ると、夫の年収が
 増えても以前ほど妻の有業率は減少しない傾向が出てきている(夫の収入が1000〜1500万
 の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に関係なく、妻が働くかどうか、決めている。
 この10年で25-34歳の既婚者の労働力率が10%増加 (結婚しても仕事をやめなくなった)。
 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは際立っている。
  まだ女性の社会進出が遅れている。
 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって
  未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが女性は繋がらない、(日本では)低学歴の
  人ほど離婚確率が高い。
 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。
  1985 年までは男女ともに5%以下だったのが爆発的に上昇に転じ、2010年には、
  男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測される。 
 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市で高く、
  島根、秋田、高知などの地方で低い。ところが30代既婚女性の就業率は、大都会では
  地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京などの都会は専業主婦が
  少ないように錯覚されるが、高所得男性も多いので専業主婦率は地方よりも遥かに高い。
 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増えている。
  (女性にとって、結婚は階層を上げる役割を果していたが、今では薄れている)
 ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。
 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」
 「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。年収300万円未満の20代男子の
 4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。
 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、直接、間接的に
 影響してくる。知人をみると、奥さんが働いているかどうか、親からの資産があるかで大きく違う。 
 短い人生、可能な限り稼いで使いきることだ。百億稼いで残した人生より、それを使い切った
 人生の方が理屈から考えても、面白いに決まっている。 どの道、夢幻!
・・・・・・
4262, しまった!  ー10
2012年11月16日(金)                  
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
* どう思うかは、そのときまでわからない
 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、
諦きらめがつき、後悔とかは皆無。この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活
より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に自分でも驚いている。 
これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して「なるようになる、その時は、
その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから
面白いのだ。 ーその辺りよりー
≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから
 眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるか
などわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を受けるかの質問に、
殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士で
ゼロ、健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の
58%の人が、たとえ一週間しか命が延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・ ≫と。
▼「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。
一流のエキスパートには二つの共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、
二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった能力は人が思うほど大した要因でなく、
重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」。
 研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちの
グループは、20歳までに一万時間の練習量を超えており、それほど成功してないレベルの
人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習をすればよいのではなく、練習の
繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。 ところで秘境
旅行は実際に当地に行き直接、その大自然に接し感動してこそ醍醐味が実感できる。
どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも
人生でも同じこと。未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学
(信念)は、「迷ったら、とにかくやる!」見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに
相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に実践してみないと分からない
のを本人は知っている。本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。
・・・・・・
3887, 積極的逸脱
2011年11月16日(水)
 異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。
日本語にすると積極的逸脱になる。世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、
それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。そういう私の方が
地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の
同級生を除いて最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が
長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいて
こそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。
「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在では
ビジネスに使われているようになっている。後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が
何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、たまたま近くに医者が
いる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から逸脱
していることになる。しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、
全体の死亡率が減っていったとういう事例がみられる。コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 
一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して不具合が生じるトラブルで、これは
エンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの一人の
エンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への
競争優位をもたらした。大体が改革とは、そういうもの。従来のやり方を根底から変えることは、
どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、極的逸脱と見ることが出来る。 
世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。
そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、
比例して満足度が高くなっていた。あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」
という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が残された人生を
生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。
そこで、それを本気になって探すと、自分の生きている世界中に、それが無限に転がって
いることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。
緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
・・・・・・・
3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!
2010年11月16日(火)
今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 
まず、この問題は、G20が韓国で開催される時期と、APECの日本で開催される直前に
明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、やすやすと乗って、
中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに
上陸をさせてしまった。これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の
管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの計算外の海保の保安官の
秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から
幾重ものクッションを通して行われた可能性を含んでいる。それが出来るほどのタマは
現在の日本にいない?しかし中国のトップの顔に泥を塗るにタイミング的に良かった。
その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて
タイミングがよすぎるたのではないか。保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる
直前にマスコミに接触したことも、一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 
差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。
「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 
それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに効果があった。だから、あの男は、
日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でも
されれば管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も
20パーセント辺りまで急落することになる。その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。
日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。これが完成すれば
アメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が
大同連合を組み、国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 
それが100年、250年に一度の地球規模の危機に対する対処になる。 海保の保安官の
逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?
 ・・・・・・・・
3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国
バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3千室も供給された。
しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。団塊の世代の定年退職者の
退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 マンション業界では
100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が
倒産し、新潟の信濃川の川沿いの大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の
行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを
1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある
マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の
仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に変わって
しまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。その間に、
時代は激変をする。その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまった
ことが今になって分かってきた。新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収される
から何とか帳尻が合いそうだが。  (以下、字数の関係でカット2011年11月16日)
・・・・・・・・・
2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、
子雀達はどうなるのだろうと、で、ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は
壊われた。 日暮れ近くになって、庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行って
しゃがみ込むのを見た。「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。 
掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。
何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が雲雀の子を育てて
巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さる
という。 折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 
その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時
我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
・・・・・・・・・
2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
 この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に
「よく生きてきたのか?」という自問自答である。やはり根本的なところが欠けていたようである。
「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 
生きてきた過程で現在、こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならな
かったのでは?という自問自答。真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、
語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)


4993,暴走する世間 −9

2014年11月15日(土)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    * ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ
 以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおらケイタイを取り出し、
友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えていたのには驚いた。考えようとせず、
反射的に誰かに聞いて、その場を繕っている現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。
 それが今ではスマホで検索すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と
自立心をそぎ落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている!
≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を妨げるのではないか
という議論がある。アメリカの社会学者タークルが、つぎのような興味深いことをいっている。
<かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、地下鉄に一人で
乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しをもらうとか、都会の子どもが
そういう経験をするとき、その子にとっては「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人で
すべての責任を負うわけですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で
身の振り方を決めなければなりません。 人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き起こる
感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こったとしても、状況を打開
できるかどうかは自分次第だったのです。
しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人であっても、親が
ずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。また子ども自身も、自分が一人では
ないと感じているのです。また、携帯電話は、このような状況を作り出しているわけです。
子ども一人では心もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせることは
可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。
(タークル「技術を本来の役割に」より)>
 ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、子どもひとりやらなければ
ならないことが阻害されるというのだ。「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げる
ということ。 ≫
▼ 重大な岐路に立たされると、直ぐに電話がかけてくる男がいる。重大な岐路であるほど、
担当と議論を重ねて自分独りで熟考すべき時に、身近な人に判断をあおごうとする。 
関西で、子どもが誘拐され殺害されたとして、何で北陸の学校が送り迎えを集団でしなくては
ならないのか?変なのは分かっていても、それを声高々に言えない。戦勝国のアメリカから
与えられた自由民主主義の弊害である。そして、次がネットである。これにプチ世間が結び
ついた弊害が、青少年だけでなく、成年まで変にしている。情報化社会になるほど、個人の
教養のベースが必要になる。その基盤がないため「IT世間」が、個人の内面を縛り付ける。
恐ろしいかなである。 私も、その犠牲者? でも、面白い時代である。 
・・・・・・
4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子!
2013年11月15日(金)
   * 今度は絶食系男子だと!
 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、NHK番組で
紹介していた。彼らは女子に興味がなく、将来も結婚するイメージが出てこないという。
別にホモ系でもない。女性と付き合ったことがない若者が45%いて、男の2割と女1割が
生涯独身。2030年には男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。
アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを考えると、
結婚に躊躇」とインタビューに答えていた。それにしても絶食系男子のネーミングにビックリ。
本来、男は「絶倫系男子」だが! ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には
何の楽しみも無いし、(女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。 情報化の時代、
面白いことが山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! 
というのも分かる。しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しいという。
べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・ 絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、
これほど面白いことはない。 ある漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、ソッポを向いて
いるのがあった。何人かの紐を持って、困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。
   * ソリスト
 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。ソリストの本来の意味は、
「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手」 冬期を除いて4年以上、
毎朝、1日時間、自宅から15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。
私の一日のスケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけでなし、
一人で行って、幾つかのエアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか青竹エアロで、誰かと仲間に
なり楽しそうにしている人と、私のように誰にも挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけの
ソロ組に分かれる。ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に5〜6人が
陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは中高年の女性たち。
SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、挨拶程度で、会話はない。
早朝のポタリングや、ウォーキングも、ソロと二人連れに分かれる。それと犬連れ。
で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。
ポタリングは当然、ソロである。単独か、群れるかは、人であることを優先するか、
人間であることを優先するか、である。
・・・・・・
4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ?
2012年11月15日(木)
   * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に!
 第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない
大方の中小企業のトップは、どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも
始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、運転資金とは別の僅かだが
予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は
更に体力を落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 
私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜40年前の事業設計にシェルター機能を
組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、
  ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。
 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】
・全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、
不動産の6物件は完売。)
・借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、
 ほぼ大部分。ー元金融関係の先生のコンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で
 受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。
・職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする
  (名誉職的団体に一切に入らないなど・・)
・20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え
 時点で追加担保の要求が出るため)
・10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも
 転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。
 ー見切り時期の設定ー(償却前赤字の転落時点も、目安にする)この時期に、個人名義の
 事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。
・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。
 そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。
 (国の退職補助金一千万近くを含めて)
・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。
 一般債権は、ホボゼロ。
・* 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 
 * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。
 * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している
   事業経営者の子女」を前提。
 *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人にはならない」を厳守。 
 * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の
  別立て預金。
   一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・
   自宅は家内が買い取ることで確保。
 【長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。しかし結果は、ご覧のとおり。
▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー   
 長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジを
かけておくのは、経営の正道。経済震災は既に起こってしまったのである。現在、中小・零細
企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。あとの三割以上も、その一歩手前
といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 
現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・  金融機関に
小手先の手法など土台、無理。まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。
それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、「事業は舟板一枚下は地獄」
を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、
「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、
決断をする3ヶ月前まで、まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。
 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・
  ・・・・・
2011年11月15日(火)
閑話小題
    * 江戸時代の幸福とは
 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。
<世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人>
 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世
 にもついてまわる。最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 
   これを現在に置き換えると?
<世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人>というところ?
 ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っている
 かである。
   * 人生に意味(価値)があるのだろうか
 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々で、「自分の人生は何だったのか?
 意味=価値があったのか?」等を、考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、
 人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、
 実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい
 加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、
 指摘している。 キリスト教の教えを、弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと
 切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、
 せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったか?
 などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 
 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の悪口、陰口を言っている醜さは、
 結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が
 腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 
 全ての人である。
 ・・・・・・・
3521, 我が家に新しいTVが  −4
2010年11月15日(月)
 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから
三ヶ月近くが経つ。そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでの
テレビとは別物のマシーン。ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わった。
そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、
 19時~23時の四時間×6日間(変更可)を自動録画する機能がよい。これが一番の売り
 だったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。ゴールデンには必ずといってよいほど面白い番組がある。 
 しかし当日の地デジは殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白く
 なければ、その場で消す。平日の18時半〜21時は、せいぜい二番組しか見る時間がない。
 当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 
 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て面白いものが冷静に選ぶことができる。
 そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
* マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、
 プロ野球が格段に臨場感が出たため、内容が数段良くなって見える。 家内は三日に
 一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、臨場感がアップした。 
 それが感受性を更に高めている。
* 先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間
 テレビに釘付けになった。ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの
 色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに引きこまれてってしまった。 
 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観た
 マイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督) 最後のコンサート「THIS IS IT」の
 リハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、いずれも
 ステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り
 返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。)
  ・・・・・・・・
3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。日経に請われて書いた
提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして:貸し渋り対策で、過度の政府介入するな :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように
指導し、強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。何を、この新聞社を
載せるのだろうか。そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ 
これで新規融資が一段と萎縮するというが、上から目線の論法でしかない。 地方の現場から
逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、下の目線で資金コントロール
するのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう?二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の
低迷」というが、リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で
救済する、どこが悪いというのか。日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、
私の意見と思うが。この学者「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 地方の企業は、
そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上
などと言っているケースではない。大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されて
いるのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を生み出しかねないと、
一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、「これは、大震災、
それも100年に一度の大震災」。都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感
できないのである。それと日経新聞もである。
 ・・・・・・・・・
2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。
 思いつく最も説得力のある答は、金融機関の不良債権を買い取らせるとう
 ポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスに六千億を
 用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対しても
 ドルの価格は上がっている。 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。
 中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら
 特殊な国である。端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。
 こんな国は他にはない。その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。
 これからは、新興国の人から預金を集めて、中小企業にきちんと貸すリテール中心の
 銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立
 しない。日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争しかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、
 中小企業であり、農業を初めとする第一次産業である。 農業といっても、農業土木では
 なく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、
ゼロからやり直すチャンスと説いている。  (字数の関係でカット 11年11月16日)
 ・・・・・・・・・
2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*
  (以下、字数制限のためカット2014年11月15日)


4992,暴走する世間 −8

2014年11月14日(金)

          「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
    *「IT世間」の登場
 この随想日記(自分の覚え書きや、読書感想、つれづれの思いなど)の公開を13年
以上も続けてきた。せいぜい50〜60のアクセスと思い込んでいたところ、10日ほど前に、
フォロー用の「Hatena]のブログが300近くのアクセスがあることに気づいたことを先日書いた。
これと二つのブログを加えると350以上のアクセスがあることになる。身近な50〜60だと
「IT世間」になるが、350以上だと「ITネット社会」になる?と・・ いや、この程度の数は
「IT世間」でしかないか。この発信もあってか、群れたいとか、寂しいとかが皆無に近い。
人間は、誰かに自分の話を聞いて欲しいのである。70年も生きてきたお陰で行蔵は充分あり、
考えることも、読みたい本も、行ってみたい世界も山ほどある。 その独り語りを、ケータイや
パソコンなどのITの端末から発信出来、かつ様々なブログをみることが出来るのだから
有難いことだ。しかし、その反作用で「世間」しか持ち得ない日本では、IT社会がIT世間として、
プチ世界を更に小さくしているようだ。このブログも同じようなもの?  ーその辺りからー
≪ 日本では1980年代以降の「過剰商品化」によって、「ある限度」をこえた市場化ー
商品経済化が生じ、その結果として、子どももふつうにケータイをもつことになった。
これは西欧社会と比較しても、ケータイの普及が日本ではいわば臨界点にたっしていることを
意味する。しかしケイタイの普及によって、人びとがウェブを介して世界の人間とつながることが
できるようになったか? そんなことはないはず。日本おけるケイタイのつかわれ方は、むしろ
狭い「世間」をますます狭くするように「世間」を再生産してる。 いまや小学生がケイタイを
もつようになって、それが「いじめ」につかわれることが問題になっている。
ケイタイの登場という技術革新で、日本に新しい人間関係が生まれたか。答えはノー。
「日本ではケイタイの普及で、個人をベースとした社会的交渉が成立している欧米にない、
IT化された世間の付きあいが生まれるに至ったのだ」といい、それを「IT世間」と名づける。
 つまり、いかに新しいツールをつかおうが、そこに形成される人的関係は・西欧のように
個人が集まってできる社会ではなく、あくまでも個人が存在しない「世間」である。
ケイタイもまた、この日本の「世間」を変えるチカラをもっていない。
逆にいえば、「世間」はそれほどつよく日本人に根づいているということ… ≫
▼ リアル世界の上に、ネット世界が別に出来、それがリアル世界をコントロールを始めている。
しかし、リアル世界で「世間」しか持てない日本では、ネットがリアル世界の「世間」を、更に
狭くしている。この随想日記も、「社会」に向け公開していたつもりが、身近な世間様に向けての
「IT世間の独り語り」でしかなかったのか,そして狭い世間を更に小さくしていた? 
つくづく・・(_ _Paと思うが、今さらか!
・・・・・・
4625, デフレの真実 ー金持ちの本音
2013年11月14日(木)
                 ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
 「君は一万円札を破れるか?」の対極の要素が多い内容で、お金を考える点で面白い。
 3億持てば、3億。100億持てば、100億の世界が開けるのだろうが・・ 
   ーアマゾンの内容紹介ー
《 消費税率を上げる前に、デフレからの脱却を図るべきだ! 増税路線に対する国民からの
反発は大きい。また野党も執拗に批判を繰り返す。しかし、増税路線は決して止まらない。
そしてデフレも止まらない。それはなぜか?経済政策の間違いでもなんでもない、庶民が
知らないデフレの真実を森永卓郎が明かす。金持ちの論理から日本経済を読み解く、初めての
「金持ちによる金持ちのための経済学」。申し訳ないが、庶民は、出入り禁止だ。 》
 面白い本だ。10年間、ひたすら働き、遊ばないで三億の金を貯めて、一応、金持ちの
仲間入りをして、見えたことは、一握りの金持ちに有利な社会システム。
だから「まず年収分を、次に三年分の預金を!」という。 まずは、=アマゾンのレビュー=より
【 金持ちの立場から日本の経済状況を解説する一冊。消費税引き上げやTPPなど政府の
方針は、どれも「金持ちの金持ちによる金持ちのための政策」だという。デフレで一般庶民は
生活が楽になっているようだが、実は借金のある人には不利な状況だし(家を住宅ローンで
買った人は特に)、一般人の年収はずっと下がり続けるだろう。金持ちは、数年後にくる暴落時に、
土地や株を買い占めることでさらに儲けることができる。その後には、アメリカのような、
あるいは日本の明治時代のような超格差社会がやってくる。我々にできることは、とにかく
節約して、キャッシュを貯め、来るべき暴落に備えることらしい。】
【✩ プロ野球の一流選手だって同じこと。監督とコーチの指示を受けなくても、試合展開を
 読みながら、自分のポジションでやるべきことを理解して動く。それができない二流選手は
 2軍に落とされ、やがて解雇される。」 
✩ デフレを止めようとしなかった論理として、地価が下がり、二束三文で叩き買いまくった後、
 インフレを起こして「貧民はインフレになっても賃金が上がらず(スタグフレーション)、富豪は
 持っているモノの価値が上がって大もうけ。さらに株などで”カネがカネを生む”生活をして
 ますますもうかり、”貧民はその子孫も貧民、富豪はその子孫も富豪”にする社会づくり」を
 目指す。消費税増税、デフレ問題、TPPなど、お金持ちのためになされている政策である。】 
【 金持ちの視点からみた経済政策。 この金持ちを「米国」に置き換えると貧乏人は「日本」。
さらに金持ちを「米国を支配する者たち」に置き換えてみれば貧乏人は? 対象をもっと広げて
「世界全体」に目を向けると・・ 我われほとんどの人類は「貧乏人」に分類されてしまう! 
金持ちは「マネーメーカー」のみ!!】
▼ 資本主義社会は、金持ち=善、貧乏=悪、という洗脳がされている、が「君は一万札を・・」
 の主旨。著者が10年かけて3億の現金を持ってみて、社会構造が金持ちに有利で出来て
いることを実感した!という。バブルの頃、会社の預金を含めて3億近く持ったことがあるが、
豊かさの実感はゼロだった。そして、今は色いろあってゼロだが、貧しいとも思わない。
やりたい事を、しつくした手応えがあるのと、年齢もある。しかし世の中、8割がたは、金で
解決できる厳然たる現実がある。残りの2割に、人生の8割の価値があるというが・・・
・・・・・・
4260, しまった!  ー9
2012年11月14日(水)                 
  * 人は誰も人並み以上と思うもの ーしまった!
          「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 色いろな挫折体験から学んだことは「自己能力の限界の設定」。しかし、その設定さえも
間違えてしまう。それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが
極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ
表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのがあまりに多い。
  ーその辺りを抜粋し考えてみるー
≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。
 大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。統計からみると、月会員の八割ほどが、
利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと「要するに自信過剰。
自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の
一つに、ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが
効かなっている自覚が無くなってしまう。同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れ
ている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、大きな差が現れる。
75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。
気象予報官についても、経営者についても、同じ。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、
自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。困難が過大になるほど、
自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのか
というと、情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと
勘違いをする。だが、実際には、そうとは限らないのである。それは見聞ではなく、
自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが
他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、それは回りまわって自分に返ってくる。
それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 
不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、
それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、自分を並以上、いや特別な
存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人
ほど注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ 
そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと
思っていた。ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が
紹介されていた。その概略というと、
≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った
人物で、その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの
議論の機軸になったと言われている。リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値
の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと「善に対して正の優先性」をとる立場。 
本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。金持ちと貧乏人、
才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで
一強多弱が進むと、その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが
平等と公平の問題になってくる。それを克服するために正議論が出てきている。
正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に
 対して平等の権利を持つべきで、この自由の体系は他者と両立しなければならない>
 という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。
 (a)「社会の最も恵まれてない人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という
 条件の下で 全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。
資本主義も、社会主義も、家系の知力、資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。
それが、そのまま、社会的格差になっている。中学校の同級生の、その後の人生を見ていると、
その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの
「正」を優先させるところにある。それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、
公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。「平等は無理としても、公平であるべき」
というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。現在、情報化で社会的
不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、
そう簡単でない。明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を
最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
・・・・・・・・
3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックス
としても丁度良いタイミング。私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが
年内に出揃った後、比較してからにした。それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。
 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、
ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、その使いやすさ
から使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が
自分の小説をブログから直接販売も可能になる。映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、
直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に
世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。
多機能のiPadは、半年で700万台売れた。その使用場面が居間と外出先の電車や
レストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみ。
思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏
できるものや、パソコンやiPhoeにある自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを
競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が
消滅していったように、新聞、雑誌、地方TV局など多くが淘汰されていく。
これもインターネットの渦の一つ。
 ・・・・・・・・・
3145,高速道路千円の仕掛け人
2009年11月14日(土)
 学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと
大和総研に頼まれたが、何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から
飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を持った環日本海都市として
売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする
地区をつくり、工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の
補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が
動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、幹から
枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが
数日たってから、その話を新潟県のエライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・
話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが道路経済学を一人で
長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を
取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、
その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく取上げられたと
そのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな
経済効果をもたらす」という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書
「道路経済学」も、なかなか説得力がある。「過剰な高速道路を、世界一高い値段の
料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど使ってないのだから」というのも
一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・ ー以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの
出版された本が出発点だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが
潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。また、民主党が高速道路の無料化の方針も、
やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで
花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。恐らく、戦略会議の一員にも推挙されて
いるのでは? と思いますが・・    《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
 ・・・・・・・・・
2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
           ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
 内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
ーー
高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる    2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す   4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。
  大雑把にいうと、それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。
  だから日本のほうが株価の下落が大きい。 (字数制限のためカット2010年11月14日)
・・・・・・・・
2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
《以下、字数の関係でカット。2014年11月14日》


4991,暴走する世間 −7

2014年11月13日(木)

              「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * なぜ日本の男はマザコンなのか
 世間が、そのまま家庭に入り込んでいるため、そこにあるのは甘えの構造。
その延長を男は、酒場の女将に「ママ」として求める。マザコンは、どこか乳離れしない
母子関係の名残。 ーその辺りからー
≪一般に日本では、恋愛が恋愛として完結しない。恋愛関係はいずれ壊れるか壊れなければ
「母子関係」に移行するかのどちらかになる。奇妙なことに、日本の家庭で夫婦がお互いを
よぶときに、「ママ」「お母さん」や「パパ」「お父さん」がつかわれる。子どもが親をよぶときの
名前が、そのまま夫婦の呼称になっているのだ。これは、そもそも夫婦がお互いに個々の人格
として向き合っているのでなく、あくまでも子どもを媒介として向き合う関係を示している。
そして面白いことに、飲み屋のおねーさんや、バーの「ママ」、クラブの「ちーママ」も「ママ」。
つまり夫の場合、家庭の外に複数の「ママ」が存在することになる。妻に家庭外に「パパ」が
いることもあるかもしれないが、それは、愛人関係など特殊な場合だろう。妻にとっては、
家庭での「パパ」は、ただちに「父子関係」を意味しない。だが夫にとっては、家庭内外での
複数のママとの関係は「甘え」の関係であって「母子関係」を意味する。ようは、男はいわば
複数の「家庭」をもってることになる。さらに夫の側が、家庭は「癒しの場」や「憩いの場」だと
いうときには、根底にはこの「母子関係」がある。つまり、自分が癒される場所、憩える場所
だと考えている。しかし妻の側にとって、家庭はあくまでも「夫を癒してあげる場所や、夫を
憩わせる場所」なのである。そこにある癒される自分のちがいは決定的である。・・  
阿部さんは日本では、西欧のような「個人の時間意識」ではなく、「共通の時間意識」
があるため、母親と子供の関係も、母親が90,70歳でも、息子は息子であり、
いくつになっても、母と子の関係が続く。 ≫
▼ 日本の夫婦間の喧嘩で常に妻から出る罵声、『マザコン!』。外向きは亭主が上だが、
 内情は、妻のほうが上位にある。これは「母子関係」が、知らぬ間に夫婦間に移行したため。
私など、マザコン、ファザコンの上に、4人の姉の存在もありシスコンが加わる。これが悲しい
かな大家族の末っ子の宿命。家の中は「憩いの場」は一切なく、常に緊張をした「集いの場」で、
無言で大人しくするしかない。そう自分とは、家庭内の他者と、家庭外の他者から、
形づくられていることが分かる。健全な家庭こそ、全ての基本になるが、ファザ、マザ、シスコン
の歪んだ私が健全の家庭をつくってきたのだろうか?
ところで健全な家庭って存在するのか? 程度の問題? 
マザコンとファザコンが絡みあった二人が家庭をつくるのだから、それは大変なことである。
・・・・・・
4624, 夫婦格差社会 ー1
2013年11月13日(水)
 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
図書館の中公新書のコーナーで、この本を手にとって、てっきり夫と妻との格差と思った。
私など今では妻との立場が逆転、家内の家に年金を収めて住まわせてもらっているよう。
ママ(ババ)リッチ、パパ(ジジ)プアーである。 ところが、これは家庭間格差の問題。
現在、パワーカップル(夫婦共に医師などの高学歴・高収入世帯)と、ウィークカップル
(非正規労働同士の低収入世帯)の二極化が進んでいる。嫌な話だが、学生時代の
欧州旅行で知り合った友人たちの相手は、誰もがつり合いのとれた?家庭環境で、
間違えてもシンデレラ物語の相手でない。病院で、医師と看護婦の職場結婚が案外
少ないのと同じである。医師同士か、その収入レベルの出身者になる。女性の選択基準は、
学歴と、所得、家の資産状況、そして容姿になる。まずは互いに釣りあった条件の相手を
求めるのである。 卒業間近に「学生時代に伴侶を見つけるのが最良」と気づき、半年の間、
友人に頼んで探したが間に合わず? 今から振り返ると、居ないことはなかったが、それが
誰かを判断し、決断する能力が無かった、ということ。それより、覚悟が出来たのが結婚を
した27歳。 事業創業を目指す!と決めていたことが、相手の選定に大きは壁になっていた。
それと四人の姉と遜色ない相手の中で、なびく女性を探し出す能力と自信がなかった?
(シスコン?) やはり、一番面白い20歳から26歳に、独り者の方が良かった?と言える。
「結婚とは一人以外のすべての女性との(結婚の)可能性を捨て去ること」という格言も
効いていた? 二度とない、あたら青春を早そう捨てることもない。 人それぞれだが・・ 
  まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
〔 格差が拡大しつつある日本。家族の最小単位である「夫婦」もその流れに拍車をかけている。
 さまざまなデータに基づき、日本の夫婦の今を探ると見えてくるのは、夫の所得と無関係に
 働くようになった妻の影響力の大きさ。医師夫婦に代表されるパワーカップルと、対極にある
 若いウィークカップルなど、興味深い事例を紹介。 また、結婚できない人たちから、離婚、
 そして地域差まで視野を広げ、夫婦をめぐる格差を考える。 〕
ー目次ー 第1章:夫の所得と妻の所得          第4章:結婚できない人たち
     第2章:どういう男女が結婚するのか       第5章:離婚による格差  
     第3章:パワーカップルとウィークカップル     第6章:地域差を考える
▼ 目次からみると、日本の結婚像と夫婦像を分析する構成でなっている。
 東大卒女性104人の結婚相手の大学の内訳や、早慶卒の相手の学歴の傾向、中卒男子の
相手の学歴?とか、離婚率は欧米では高学歴ほど高く、日本は真逆とか、著者の教え子の
女子学生?が補佐したこともあり、切り口が醒めており女性週刊誌的で面白い。
子供の頃から姉達や、実家が商売をしていた環境の中、若い女性に多く接して、年頃を
過ぎた後の変容の激しさを見てきたこともあり、選定には用心をしたが、その結果が? 
互いに(●≧Å≦):(/ェ\。))である。結婚は百人が百人、そうだから? 書けるが! 
ライオンのメス集団のボス・オス選び以上に、女性の場合、結婚相手の選択にシビアに
なるのは自然のなせる技。世間でいう階層をアップする最初で最後の機会、自分の特性を
最大限にアピールをして売り込むしかない。それが、つり合いの取れたチョット上の相手。
  ーつづく  で、結果が、以下の文章になってしまう。 ーこれも、たまたま偶然だがー 
・・・・・・
4259, しまった!  ー8
2012年11月13日(火)  ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン(著)     
   * 人は、聞いた話を自分なりに綺麗に改変する  
≪学生の被験者に、ある物語を聞かせ、後で、その物語を語らせると、大きく歪曲する
 事実があった。問題は、その話の程度が予想を遥かに超えていたこと。 全談話の61%に
情報の追加、省略、誇張、最小化をおこなっていた。それを学生の42%しか、認めてなかった。
それは学生が偽りだったとは思ってなかったことを示している。・・・ そのうえ、学生は話を
聞き手の好みに合わせただけでなく、更に重要なことは自分の目的に合わせていた。
特に面白い話の場合、大幅に誇張したり、うそを加えたりした。後で聞くと、被験者の6割が、
その話に嘘を入れていた。人は談話をするときには、情報伝達をする目的と同時に、ある目的を
達成する手段になるもの、という結果になった。その意味で、対話の目的とは事実を伝える
のではなく、印象を伝えることだと。もっと面白い作用は聞き手だけでなく、話し手自身に
対するもの。語り手が自分の作り話を、何度か話しているうちに、作り変えた話が、その人に
とっての記憶になるケースが多い。 私たちは自分の嘘を本気で信じるようになるのである。
更に悪いことに、本人に、その自覚がないことである。≫
▼ 私が小さな地域社会で、アウトサイダーに徹しているのは、これを知ってのこと。
 社会学を40年以上、独学してきたので、その馬鹿馬鹿しさを知っていた。逆に、それを
独り楽しんでいる自分がいる。割切ってしまえば、これほど面白いものはない。B層の、さらに
下のC層という何も考えない旧来の価値観から一歩も出たことのない人たち。
彼らにゾンビが多い。彼らは普通の風体をしているが、中身はカラカラの干物。 
水気が失われているため、真っ当な人間に対する語り部になるしかない。彼らの毒は、
「作り話」として人に襲いかかる。 襲われ、その毒に侵された人間は、その瞬間、ゾンビに
変身する。そして地域社会の多くがゾンビ化してしまう。彼らは思考能力ゼロのため、
その自覚も無く、屍の群れは今日も人を襲い続ける。これが城下町レベルでなく、
情報化の御蔭で全国区レベルになっている。
・・・・・・・
3884, マネーボール ーシネマ感想
2011年11月13日(日)
 ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、
先月から今月にかけて映画漬け。内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた
有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に導く手法だった。
それを実在のアスレチックスのGMのビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に
近い選手を一流選手の値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う
手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来のスカウトや監督、選手、そして
マスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を
達成をする。これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。
それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。最近、弱小チームだったヤクルトが、
監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの
立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。
 また新潟の野球チームの前監督が、野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを
買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金でかき集めた
チーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。
この数年のトレードの責任はGMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードを
みて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。
  ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー
< メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にした
ノンフィクションを、ブラッド・ピット主演で映画化した「マネーボール」が公開された。
「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンらの
脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。 
経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に
引き抜かれ、ピンチに陥っていた。ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で
経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視したデータ主義によるチーム
作りに乗り出す…。打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材を
かき集めていくビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。
そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学をあきらめて
ニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。>
 ・・・・・・・
3519, インターネットは20万年来の革命か? −2
2010年11月13日(土)
「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」
と思うのは誰も同じ。人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の
20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、というから、いかにネットのツール
としての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、などが発信も、
受信も、気楽に出来るのである。やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。
それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが
完成すればコピーと圧縮が可能。それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく
出来るため時間の経過とともに、進化していく。「フューチャリスト宣言」の対談で、
梅田と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。
  ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー
 茂木:  自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも
  最も強く、深い喜びはないでしょう。食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば
  終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。
  インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発
  させる機会を与えている。まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の
  特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、その可能性が広がる。
  基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。
 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。
 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、
  「言語以来」という言い方が成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が
  劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わるポテンシャルがある。 
  でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。
 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に
  変わるかもしれない。ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも
  何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、タダに近いかたちで入手できる。   
  そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。でも、長い
  歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。
〜〜
 ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、
そのことが20万年来の革命。ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、
もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、コンビニの総売り上げを
超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの
予約。また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入。
これは20万年来の革命的ツールと仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が
言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると述べていることを
考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底か
ら変化させている犯人。
  ・・・・・・・・
3144,「法則」のトリセツ  ー5
2009年11月13日(金)
  * フェルミ法則
 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー
フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの
手掛かりを元に論理的に推論し、短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・
フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。フェルミ推定は
コンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、
欧米では学校教育で科学的な思考力を養成するために用いられることもある。
Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。
フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない
50の理由―フェルミのパラドックス』(スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)
が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。
例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」
など、見当もつかないような量を推定する。フェルミ推定で特に知られているものは、
「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。これは
フェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、
次のように概算することができる。 まず以下のデータを仮定する。
・シカゴの人口は300万人とする    ー> ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が
 平均3人程度とする
・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとするー>・ピアノの調律は
 平均して1年に1回行うとする
・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする ー>・週休二日とし、調律師は
 年間に約250日働くとする
・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。ー>・シカゴの世帯数は、(300万/3)
 =100万世帯程度
・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度ー> ・ピアノの調律は、年間に
 10万件程度行われる
・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する
・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される
 フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。
 〜
 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。
先日、新潟駅南のジュンク堂に「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。
迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。
・・・・・・・・・
2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失!
2008年11月13日(木)       
 こういう微妙な時期には「産経新聞」「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より
筆先は鋭い。サブプライムローンの問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマの
スタッフが、クリントン時代の面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。
今度の緊急サミットも、そのために使われる。アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、
そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを解りやすく
書いている。一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ
国債の価値が失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 
困るのは、紙を溜め込んだ日本と、中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しに
のり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれならないのである。 
その結果、待っている事態は、戦争であある。   
−まずは、その内容から   (字数の関係で中間カット2009年11月13日)
・・・・・・・・・
2007年11月13日(火)
2415, 閑話小題        才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b──
 *古着の処分*
 (字数の関係でカット2011年11月13日)


4990,暴走する世間 −6

2014年11月12日(水)

              {暴走する「世間」―世間のオキテを解析する}佐藤 直樹 (著)
    * 家族の解体の原因とは
< 日本の「家族」は、世間様の「贈与・互酬の関係」の共同幻想に侵食されていて、
元もと解体されていた> という論旨は、身近を見れば納得できる。特に世間に生きる
女性の場合、連添いで人生が大きく変るため、「贈与・互酬の関係」にシビアになり、
相手も商品と同じ?ように選定する。   ーその辺りからー
≪ 高度消費社会がもたらした「過剰商品化」によって、なぜもかくも、やすやすと家族が
解体されたのか、それは、一部例外を別として、日本には市場原理に対抗できる近代家族、
愛情原理が存在しなかったためである。この家族の解体に大きな役割を果たしたのが
「世間」であった。その本質は共同幻想だが、ある場合には社会を意味し、ある場合には、
親族や家族を含むという、極めて曖昧な共同幻想である。 世間体が悪い、という世間とは、
「公」であるが、日本では家族もまた「公」と考えられるので、ヘーゲルのいう愛情原理で
構成される家族と、市場原理で構成される対立は存在してない。
家族は「世間」という共同幻想に侵食されていて、高度資本主義=高度消費社会によって
「解体」されるまでなく、あらかじめ「世間」によって、解体されていたのである。 ・・(略) 
 日本の夫婦には愛情がないためなのか?たしかに男女の恋愛はない。
恋愛は、個人の存在を前提とし、しかも二人の間が平等であることを前提にするが、「世間」
の中では、男女の間でも「平等な個人」は存在しない。「世間」には「目上・目下の関係」
という差別性原理があって、さまざまな男女差別は、これから起因しいている。
例えば、夫婦茶碗や夫婦箸が、夫用が妻のものより大きい。日本では男女間の愛など、
もともと信じてなかった? 日本の家族愛が建前、「滅私奉公」になっているが、日本の
「愛」は、「贈与・互酬の関係」があるため、どこかで見返りを求める「愛」となる。
日本人は何か親切にすると、「お返し」を求めるから、ボランティアと行為が、広まらない。≫    
▼「世間」という共同幻想は、知らないうちに、「愛」や、「家族」のベースに大きな影響を
与えている。 そこには、「目上・目下の関係」の差別性原理があって、少しでも弱点を
みせると、襲い掛かってくる。それに動じないためにも、その本質を見極めてないとウツに
陥る。その防御には、ただボ〜ッした「ぼんやり」の時間と、長年かけた教養が必要になる。
家族の解体の流れ、家族、核家族化、個族化は止まることはない。それを暴走する世間
が加速させているとすると、ただ事でない事態である。日本は国家として下り坂になった。
・・・・・・
4623, 閑話小題 ー創業当初の営業担当の年賀欠礼の葉書
2013年11月12日(火)
   * シネマ・人間資金
 シネマの『人間資金』が期待してなかった分、良かった。邦画で90点は、私としては
高評価。内容といえば、「実は噂のM資金が存在しており、日米の選ばれた人たちで
運営されていた。それも人類の発展のためが建前。日本の戦後の復興資金にも
貸し出されていた。しかし米国の責任者が、それをファンドで、自分たちのために利用
しようとし、日本の責任者と対立する。その一部の資金で情報端末を某国の国民の
多くに配布、それが国民に有意義に使われて、理想像に近い国家になっていた。
しかし、それを良しとしない米国の責任者が、その国を攻撃しようと企らむが、ギリギリの
場面で、国連の壇上で、個々の国民の生の映像が次々と流され、その企みを阻止する」
というストーリー。もっと、欲と欲の中での生々しいと思っていたが、最後は
ヒューマンストーリー。こういうのも、良いのだろう!
   * 創業時の営業担当の、年賀欠礼の葉書
 実務で創業を始めて40年になるが、10年ほど前から次々と年賀欠礼の葉書が届く
ようになった。昨日は、35年前に実家の商業ビルを建替えた淺沼組の新潟営業所長
だった牧野さんの奥さんから、年賀欠礼の葉書が届いた。3ヶ月前の8月2日に、
74歳で死亡、とあった。長岡のビル建設の後、新潟駅前ホテルを三棟、合計四棟を
営業責任者として直接の交渉担当者としてやりあった相手。 酒好きで、重症のアル中。 
一時、二千万の酒代のツケがあるといっていた。ゼネコンの営業は、会社の上司と、
施主、現場責任者、下請けなどに挟まれた軋轢があって、殆どがアル中になるか、
ガンでの壮絶死が待っている、と言われる世界。
一緒に飲む分には、これほど面白い相手はいないヤクザな役割。3〜4年前に、
以前の会社の事務所に10年ぶりに訪ねてきた時には、以前の面影は無く別人のような
顔つき。「ガンが進行していて、長期間、何度も入院、いつ何時、お迎えが来るかも
しれない」と、深刻な顔。互いに、これが最期と別れた。 勿論、そんなことは、
口に出さないが。 私も、この人との付き合いで、酒浸りの日々が続いたことがある。
逆に、「あれだけ飲んで、よくぞ74齢まで、生きていたもの!」というほど、酒浸り。
 ところで長岡も含めた事業の当初の親しくなった営業担当が、半分近く亡くなっている。
朝広の五十嵐さん、新潟デザインセンターの阿部さん、マルヒロ不動産の後藤さん、
富士総業の小竹さん、と次つぎと顔が浮かぶ。亡くなる順番は、来るまで誰もわからない。
全てが夢幻の宴の仲間。辛さ三割、面白さ七割、だった。ご冥福を!
・・・・・・
4258, しまった!  ー7
2012年11月12日(月)                   
  * 状況は「偉大な杖」の如しーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 私たちは目先の出来事(現象)に、惑わされてしまう。大部分の人は、目先の周りばかり
みて長期的見方をしようとしない。それをするには考えなければならないが、本質など
見知りたくないのである。出来るのは、他人の表面を見ることだけ。そういう私も同じだが、
そのことを自覚していると思い込んでいるだけ、タチが悪い。 
   ーその辺りを要約してみるー
≪ 日常の出来事を認知するうえで私たちがいかに「状況」に頼っているかである。
 状況は偉大な杖だ。私たちは自覚しているよりもはるかにこの杖に頼っている。
ハロウィーンの時期に事件があると(ろくに考えもしないで)ハロウィーンに関係があると
思いこむ。たいがいはそのとおりだ。しかし、そうでないことも多々ある。 街角で首吊り
自殺が実際にあっても、ハロウィンの飾りの一つと見てしまう。スキムという法則がある。
情報の表面的理解のことだ。これはベテランの投資家や、音楽家などで多く見られる。
人は得意の分野ほどウッカリミスのスキムしがちになる。特に集団が暗示にかかった
時など、それに大きく左右される。日本のバブルと崩壊が、その典型的事例である。
それを悪用したのが証券会社。現在、アメリカの金融工学とかで世界中に不良債権をばら
撒き、恐慌一歩手前の金融危機を向かえている。世界の金融機関が状況に騙されたのだ。
ある実験で、催眠中に暗示を与えられ気分が楽くなった人と、悲くなった人が、それぞれ
以下の物語を聞かせた。
【 二人の大学生が仲良くなり、テニスを楽しんでいる。一人は何をしてもうまくいく
 楽観論者、もう一人は、何をしてもうまくいかない悲観論者。後催眠をかけられた
被験者たちは、物語を読み終えた時、主役は誰かと問われた。すると、楽しい気分の
人たちは楽観論者に、悲しい気分の人は悲観論者を主役と感じた方が多かった。】
これが人間。 ≫
▼ 「幸福な記憶は、幸せなときこそ鮮明によみがえる」のである。だから貧してはならない。
貧すれば鈍するになる。人は、あまりに目先の状況に対して隙だらけ。
だから考えなければならない。自ら省みて、考え足らずを思い知らされる。
 ・・・・・・・
3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか
2011年11月12日(土)
 「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いて、つくづく実感する。
何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが出てきて当然である。それが自覚
出来ないのが人間の儚さ。それでも情報機器の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が
無限に近く入手可能になっている。とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、
情報が、そのまま通過するのみ。 知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が必要になる。
そのため己の無知蒙昧を自覚するのが、第一歩。「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、
これは万人の姿。人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。
何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で乗り越えた。事故死をした
レーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限の先を何処までやるかだ」と。
限界を超えようとすることを狂気という。自分の正気は小さな限界を示している。 
狂気こそが、その限界を破壊してくれる。 正気の世界のみで生きている人たちこそ、
蔑視に値する人としてみると、成るほど合点がいく。自分の現在だからである。
正気の世界のみで生きた人生こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない
人生こそ、若気の至り」も同じこと。「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。
この言葉から「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、人生を
旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。
私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。それもこれも、死んでしまえば皆同じ、
と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 それが無知老害になっていく。
これ、顔に出るから恐ろしい! 最近、鏡を見るのが恐ろしい? 
 ・・・・・・・
3518, 不況景色とは、こんなもの? −2
 2010年11月12日(金)
 これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感。 
「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、
現在の深刻度がはっきり見えてくる。二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから
発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。1929年に始った恐慌も
大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。
アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の
世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに
化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて300円
まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、
長期金利の上昇をもたらす。不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 
日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として悲哀を味わうことになる。
これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、
それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、
カナダか、オーストラリアの国債に替える等の避難をするが、一般人は丸裸に近い状態
というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、
今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。日本の政治システムが激変に対応できない。 
これらを考えると悲観的になってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 
これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。
 ・・・・・・・・
3143,プロ野球の順位予測と結果
 2009年11月12日(木)
毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の
順位予測が、開幕前に取上げられる。それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、
その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。結果が巨人、
中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わった
だけだから、良しとしなければならない。しかしパリーグが惨敗で、予測平均は西武、
ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、楽天。 そして結果は日ハム、楽天、
ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。特に西武が完全に外れ。
その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んだことを上げていた。
さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を
最下位に5人中3人が予測していたから、これまた大きな外れといってよい。
一位日ハムを予測した者は誰もなく、二位楽天も一人も予測する者は無かった。
野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。
だから、面白いのだろう。
・・・・・・・・・
2778, 世界は一冊の本
2008年11月12日(水)
 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、
その本は見えない言葉で書かれている。」 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、
世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。
そして感動し、考えるのである。生きるとは感動し、そして考えること。
ーー  
  「世界は一冊の本」        −長田弘
 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。
ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。
本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。
ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、
本だ。そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。  夜の窓の明かりの
一つ一つが、本だ。シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 
マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。人生という本を、人は胸に抱いている。  
一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。
草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。  権威をもたない尊厳が、
すべてだ。200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることが
できるということだ。 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。
ーー
 ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。
国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。これを人生という視点で
置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。
家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。
それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。                          
 ・・・・・・・・
 2007年11月12日(月)
2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2      オハヨウ (▼皿▼#)!
 この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が
解りやすく象徴的である。「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその
「ドブ掃除」にすぎない。 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。
人間のやった後始末をするだけだ。 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」
それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー
  (字数制限のためカット09年11月12日)
ーーーーーーー
2006年11月12日(日)
2049, あたりまえなことばかり −5          オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o)  
{「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここの著者の「私」に
ついての解釈も面白い。「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの
「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。複数の汝によって、
「私」は社会の存在者として表出する。         
 ー 生きているとはどういうことか ー
科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は
肉体であるとは、どういうことなのか。それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は
9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいったことも含めるん
でしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。
脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 
感情だって、同じである。「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。
なんだこれは。考えている「これ」です。「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神
の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」という名を持ってきてしまったことだ。
そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。問いとしてあべこべに
なってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、
「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に
過ぎないということに気がつきます。この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。
最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、これは方向としてあべこべで「私」
という何かが何処かに在ると思っている。たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しい
ということなんでしょうが。それは正しい問い方ではない。「私なんてものは、無いんですから。
無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。「何が私という名前で
呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。
非物質。それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか
無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れている
という誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、
ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きている
ということではない。なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、
これが正当な謎として立ち現れてくる。このような不思議な存在に対して、「魂」と言い
たくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。何か実体があるような、
そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。
しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。
だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」
「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの
思い込み。    
 ーーー
ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に
流れているという誤った表象に基づきます。ーここがポイントではないか?「死があると信じて
時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。 
「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、深く結びついているのである。
「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・  死ぬわけ無いじゃん、
わたすは私だから          


4989,暴走する世間 −5

2014年11月11日(火)

            「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * うつ病は「世間」の共同幻想にやられる病!
 ここで、次のような精神療法家M.バリントンの指摘を紹介している。
≪・「三人関係の対人状況」(三人状況)といわれているのが、吉本さんのいう共同幻想であり、
 ・「二人関係の対人状況」(二人状況)が、対幻想であり、
 ・「一人状況」が自己幻想である。  各々、
それぞれ、「三人以上の人間がつくりだす観念」「ペアとなった二人の人間がつくりだす観念」
「一人でいて、じとーとしている時の観念」と考えればよい。
「三人状況」(共同幻想)が、躁鬱病(うつ病を含む)に、
「二人状況」(対幻想)が、統合失調症になっていく。
 とすると、「世間」とは、三人以上の人間がいるところに現れる幻想・観念であるから、
うつ病はこの「世間」に関わる病だということになる。
 ところで当たり前のことだが、うつ病は全世界的に普及した病だが、
西欧のうつ病は「三人状況」(共同幻想)として「社会」に関わる病であるとすると、
日本のうつ病は「世間」に関わる病ということになる。
 ・・「世間」は個々の具体的な人間のことではないが、抽象的な人間一般でもなく、
上司や同僚や近所の人などといったような「顔のみえる」他者のことである。
うつ病の患者にとって問題となるのは、こうした他者なのである。≫
 また、木村敏と阿部謹也との対談で、木村敏の次の言葉を紹介している。
≪ 日本では、西欧社会のように、「判断が神との一対一の関係」で決定されず、世間は
空間的な概念だが、それを時間的にとらえた表現が『御先祖様』であり、『御先祖様に
顔向けができない』ということになる。世間の中には「呪術性」という原理があり、そこには
森羅万象、動物や植物やモノや死者まで含んでいる。≫
▼ 日本の自殺者数は、先進国の中でダントツに多い。{さらに多い韓国は先進国に含まない}
 経済的理由による自殺は、日本では「借金」という金銭貸借関係が、たんなる法律上の契約
関係としてだけでなく、「贈与・互報の関係」ととらえられているため、それを守っていけない
人間として{世間」からつまみはじき出されるところからおきる。日本人は世間とかいうのから、
つまみはじけ出されると、「ご迷惑かけました」という遺言を残して自殺をする。決して心が
弱いだけでなく、その思い込みが原因。要するに情緒的体質が、その背景にある。
私など「世間」に袋叩き?で、気違い扱いだろうが、45年前に、見限って生きてきたため、
今さらである。むしろ叩かれることが自己存在と自認している。暴走しているのは、世間様。
その世間様の暴走をネット社会が更に推し進めているから、ことは深刻。死んで三日も経てば、
ほぼ忘れ去られる世間など、のっけから相手しないで、アウトサイダーを決め込んできた。
特に晩年は「老人性うつ病」がすべての人の問題。群れればウツが振幅するため孤独を深める。
・・・・・・
4622, 君は1万円札を破れるか? ー7
2013年11月11日(月)
    * 空観、仮観、止観、そして中観に至る
 空観、仮観、止観、そして中観に至って真の自由の獲得する道筋がわかりやすく、良い。
一つ間違えばアウトローだが。としても、どっぷり浸かってしまった小さな世界から、一歩も
二歩も、外に出ないと「シラミ」になってしまう。同じシラミなら、外の世界を持っているかどうか、
である。 ライフワークは、そのために持っていなければならない絶対条件。
 ーその辺りをまとめてみたー  {般若心教の具体的解説とみると理解しやすい!}
《 無限に広がる巨大な「網」を想像してください。無数の網目が集まって網を成していますが、
その区切られた一つの「網目」だけを取り出しても、それは存在しているといえるでしょうか? 
いえ、「網目」という実体はありません。このように、すべての存在現象は他に依存して「仮」に
現れているだけ。本来は消滅増減もなければ色形の区別もない、つまり、「空」である。
このように宇宙を観るのが、「空観」です。 自分が作り出した欲求が「苦」を生むのですから、
煩悩を捨てていき、すべてが幻想であると理解したら、心安らかに生きていける、ということ。
しかし、人が煩悩を完全に捨て去ると、人類が滅亡してしまいます。そこで、もう一度、認識
されることによって現れる世界の「仮」の姿を見るのです。これを「仮観」といいます。
 たとえばコップを見て、「水を飲むもの」と認識したら、それはコップにそういさう「仮の役割」
を持たせたということ。同じコップを「水を注いで花を挿すもの」と認識することもあるでしょう。
このように、世の中のすべてを、役割を持たされた仮の存在と見るのが「仮観」です。
 釈迦がすごいのは、「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはいけないとわかっていたことです。
すべてを「空」だと知ったうえで、同時にすべてのものに「仮」の役割を見いだしていくのです。
すると、結局のところ、世の中に何一つ、役割のないものは存在しないということがわかります。
この考え方を「中観」といいます。中観こそ、私たちが最終的に目指すべき境地だといっていい。
◎「一億円持っているから幸せ」とか「1億円の負債があるから不幸」と感じるのは、本当は
いずれも幻想に過ぎないことを知るのが、空観方式です。ただし、どうせ同じ幻想なら、自分の
望むようにゴールを設定し、徹底的に目指すほうが途中の過程を楽しめます。
◎「じゃあ、実際にどんなものか、1億円を稼いでみましょう」と、仮のゴールとして設定するのが
 仮観方式です。注意すべきは、その達成で得られる「幸せ」は、あくまで「仮観」。
幸せの仮の姿と知っておくことです。知っていれば、実際にお金持ちになっても、「もっとお金が
ないとイヤだ!」と思うような不幸は起こりません。要は、煩悩に振り回されないよう、ということ。
◎そこで大事なのが、「止観」という考え方です。煩悩をいったん「止めて、観る」のです。
 といっても、難しいことではありません。 煩悩が暴走してしまうのは、その衝動を意識できて
いないからです。意識さえしていれば、コントロ!ル下に置いて、暴走を防ぐことができます。
意識するには、自分の煩悩を少し脇に置いて、客観的に眺めてみればいいのです。
「止観」によって、自らの欲求を認識することは、抽象度の上がった世界から眺めることに
ほかありません。そこから眺めれば、欲求は自然とコントロールできます。
それを続けることにより、中観の境地に至っていく。》
▼ 「中観に至ると、ありとあらゆる価値観の束縛を超えながら、この世で真に自由に、
 自らの望む役割を果たすことができ、他のあらゆる存在も、それぞれの役割を果たして
いるだけであり、そこに一切の上下関係などないことがわかってくる」 私たちの本来、持って
いた自由と、親とか学校教育で教えられた自由と違うことが、中観に至るとわかってくる。
ところで、武澤ゼミで教わった真髄は、この中観の目線だったのではなかろうか! 
一つ間違えば、私のようになるが?
・・・・・・
4257, しまった!  ー6
2012年11月11日(日)
 * 人は、あまりに楽観的過ぎる!
           ーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす大きな
危険を呼び起こすとしたら、問題は別。バブル崩壊後の失われた20年は「根本問題から
目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果である。 根本問題は、東西
対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の必要性が無くなったことと、
アメリカの衰弱、少子化、そして情報化によるグローバル化の結果である。 
その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線への修正を目指している。
あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には国民の生活レベルは現在の半分以下か、
三分の一になる。著者はここで、大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶を
いいように、自己満足するように再構成する性を指摘している。たとえば親は、実際よりも
専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、負けより、勝ったことを、
こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か良くした修正写真と、修正前の写真を二枚
並べて、どちらが自分に近いかを問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に
都合よくものを見たり思ったりするもの。人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考えようと
しないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに結果を知ると、それまでの考えを
無意識に修正してしまい、以前より修正後の考えを持っていたと思い込んでしまう。
大部分の人は世界は自分の為にあり、自分中心に地球が回っていると考えている。
実際は、その正反対であるのに。その甘い考えで経験を重ねるうち、直接、自分に跳ね
返ってきて叩きのめされる。それが小さな事態なら、まだ良いが・・ 「楽観は意志、悲観は
感情」という言葉は、一面、真理だが、これは意志に裏づけがあり強固であってこそ。
右上がりの時流の時は「長期、楽観!短期、悲観!にして、日々楽しく!」で、右下がり時は、
「長期悲観、短期楽観で、日々可笑しく!」を旨にして、冷静にあるべき。
楽観的であるのはよいが、現象のマイナス部分を見て見えないという、欠点がある。
その蓄積が大失敗に繋がる。自分のことか?・・ いや、貴方も!
・・・・・・・
3882, 閑話小題
2011年11月11日(金)
    * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて
欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれ
ヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。 しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かない
うちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。それを4度も繰り
返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。
散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 
鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。それもカラスは、地元密着で多くの知識の
蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。土鳩とカラスと
雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
   * オリンパスの飛ばし
 オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国の優秀な人物を社長にしたのはよいが、
その男は一神教の堅物。彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 
ところが、その英国人が内幕を暴露をし、世界的なニュースになってしまい実力者の元社長は
追放され、司直が入る可能性が出てきた。これが現在、伝わってくる情報。
飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。
飛ばしは日本だけの慣習なのか?世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、
次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は分かっているはず。
 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが
買収される側になる?一英国人からみた日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。
それが白日に曝されるのだから・・ アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好の
ネタとして、最大限、使ってくるはず。
 ・・・・・・・
 3517, 不況景色とは、こんなもの? −1
2010年11月11日(木)
  * 繊維業界の不況景色とは?
 昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。
デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いで
いたが、研修目的という題目の低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。
ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。30年前に5年近く実家の衣料量販店を
たずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が直に
伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。
住宅も、車も、電気製品も、エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、
問題は来年はどうなるか?である。前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は
更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。また消費税の増税も待ったなし、
ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、日本の
農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。 
一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の
応募が急増している」という。顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い
風俗に昼間に行っているという。週に4〜5日、6時間で月40万になるという。 
朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。もう自明になったが、
民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の
小沢派が大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 
アメリカのCIAは、あらゆる手を使って阻止してくるが、それしかない。 
まったく、どうなってしまった日本よ!
 ・・・・・・・・
3142, 最近、いやに時間が短く感じるが
 2009年11月11日(水)
 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。還暦を
過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。
年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通。これは実験でも検証されており、
「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」
という。また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを
突きつめると面白いはず。 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、
時間に影響を及ぼす主な要因としては次の4つが挙げられていた。
・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で
 午前がゆっくりで午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。
 年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。
・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症
 の人をクモと一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。
・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を
 分節化してしまい、分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説。
 時計を度々見ると長く感じる!
・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 
 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的
 実在のずれは案外に大きいことがわかる。時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 
 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、人間の時間経過を操作する技術が
 発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。
ーー
なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。分子の一年を、生きてきた分母で割ると、
その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると単純に
考えていたが、他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに
刺激の感受性が少なくなるのも理由。要は老化現象で時間が短く感じるということか。 
長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。
 ・・・・・・・・・
2777, 仮説思考 −4
2008年11月11日(火)
 棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。次の文章で、そのことを上手く表現している。
制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 羽生は、
ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから
七割なのだろう。共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、
仮説の世界で生きているようなもの。棋士の目で経営アドバイスをすれば、
良い助言が出来るだろうに。
 *天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む  P−32
 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの
世界に進んでいたとしても、かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことを
いうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。羽生の棋風はオールラウンドで
幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。
「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及。  
 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、
それでも「あとはなるようになれ」という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を
支えているのが仮説思考である。 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の
可能性があるが、その八○をひとつひとつ、つぶさに検証するのではなく、まず大部分を
捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、考える必要がないと
瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに
仮説思考だ。八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて
頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。大胆な仮説を立てて、
「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。
直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応した
ほうがいい」という無意識の流れに沿って浮かび上がってくるものと思う、と羽生はいう。 
こんなこともいっている。「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるか
というと、必ずしもそうはいかない。私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、
経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、怖いという気持ちが働き、
思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」 
将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても
問題の原因と解決策について、あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てる
ことが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、それは、経験に裏打ちされた直感力、
勘によるものだ。
 −−−
 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。
 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 
 何事も同じである。 
・・・・・・・・
2007年11月11日(日)
 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1           (ォ'`ョゥ)
この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。
《字数の関係でカット2008年11月11日11日)              ○´・ω・]ノヂャァネッ


4988,暴走する世間 −4

2014年11月10日(月)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 『プチ世間』 ー小さな大人の世界の誕生
 30年前、息子を見て時代が大きく変わってきたと思ったが、スマートフォンが普及した現在、
更に子供が大きく変って、私たちとは断絶した別生命という感がする。考えてみれば、私より
50〜60年も長生きをするのだから、違って当然。  ーその辺りからー
≪ 日本では、一九八○年代にはじまり、九〇年代以降本格的に「小さな大人が登場した。 
問題なのは、子どもが市場経済に巻きこまれ、子どもが大人とほとんど同じ消費生活をする
ようになって、子どももまた大人と同様の「世間」に生きることになったことである。
つまりそれまでは、子どもには子どもの世界があり、それは大人の「世間」とは相対的に
独自の世界であった。しかし子どもが「小さな大人」になることによって、子どもの世界も
大人の世界と地続きになり、子どもも小さな「世間」として「プチ世間」に生きることになった。
要するに子どもも、「世間」に生きる大人と同じような困難な問題に直面することになった。
 一九八○年代以降大きく変化したことといえば、子どもが「小さな大人」になったことだが、
八○年代後半以降の「いじめ」の発見は、おそらくその変化を大人たちが敏感に感じ取った
結果を反映したものといえる。大人たちは、子どもの世界に何か大きな変化がおきていることに
不安をもち、子どもを把握できないというその不安が、子どもの世界をより強く監視管理する
方向に動かしたのだ。それまで、大人の世界とは相対的に独自のものであった子どもの
世界のいじめは、無視や、嘲笑や、からかいや、脅迫や、リンチなどといった形で、個別的に
とらえられるものであった。しかし八○年代後半以降、子どもの世界は大人の世界と地続きとなり、
子どもの「プチ世間」が登場した。(略)・・・ この問題の解明への手がかりは、現在の少年たちの
「つながってなくちゃなんない症候群」にある。  ーある調査官はつぎのようにいう。
「今は中学生はもちろん小学校高学年ごろから群れていないと不安で、そこにしか生きる世界が
ないんです。行動規範は仲のいい友だちグループの中だけで決まって、そこから弾き出されたら
生きていけない。それは、とくに女の子にひどいです。三人グループでいたのが外れたら教室にも
居場所がなくなってしまう。そんなふうに、たがいが縛り縛られ合って、やれ携帯だメールだという
‘つながってなくちゃなんない症候群’がいよいよ強まっていますから、自分の時間なんか
持ちようがない。逆に言えば一人で行動できないようになって、それがフツーの子として
安心できる状態になっているのが現状なんです」
             (小林道雄「感受性の未熟さが非行を招く」『世界』二〇〇一年一月号)≫
▼ 大人になるまでの、基礎知識や、精神的体力がない子供が、プチ世間の中で、子供たちは
群れてないと、つながってないと、不安で息づまる窒息感に悩むことになる。垣間見れる孫世代に
背筋が寒くなることがある。この「つなっがてなくちゃ症候群」が、世間の正体でもある。島国で、
水に恵まれた日本の閉鎖された環境を背景にした世間こそ、全てと勘違いをするのは当然だが。
これにネット上世間?で雁字搦めになっているのが、現在の女こどもの世界。これが21世紀の
世界の一端ということ! 使いこなせれば、思いのほか面白いのでは?
・・・・・・
4621, 2000年前のポンペイー7
2013年11月10日(日)
   * ポンペイの迷子
 二回目のポンペイで、あわや迷子になりかけた。1989年に会社でスペインツアーに行った
帰路のローマでフリーの一日。20数年ぶりに再びポンペイを見たくなり、オプショナルツアーに
参加した。ところがバスに乗ると日本人は私、一人だけ。往路の高速道路が大事故で渋滞。
おまけに前日、ルーマニアのチャウセスクがクーデターで殺され車中に殺伐とした雰囲気が
漂っていた。で、ポンペイ。 急ぎ足で、まわっているうちに、グループからはぐれてしまった。
そこは、世田谷と同じ広さ。直ぐに見つけなければツアーバスで帰れない。背筋が凍りつく
思いで、駆けずりまわった末、辛うじてグループを見つけた。帰りのバスで、「あのまま、
はぐれていたら、翌日のローマの出発に間にあわなくなっていた」と、考えたら脂汗が出てきた。
ツアーとて、決して甘くはない。
 ところで、三回目のポンペイで、家内がツアーからはぐれてしまった。それも、夕刻。
バスが次の目的地パレルモに向けて出発しようしたが家内が居ない。トイレと思っていたが、
途中ではぐれていたようだ。その時の、添乗員と、イタリア人ガイドの慌てようで、ことの
重大さを知った。ところは南イタリア、それも薄暗くなりかけた遺跡である。館内の職員全員と、
警察のパトカーが駆けつける大騒動。一時間以上ほど探したが見つからず、添乗員が、まさかと、
移動予定の一時間先のホテルに電話をしたところ、本人は着い部屋にいるという。はぐれた直後、
暫くそこにいたが、心細くなり、他の団体の後について、出口に出た。そこで待ったが見当たらず、
近くのGSで、事情を事情を話している時、たまたまタクシーが来た。そこでアマルフィーまで
値段交渉をして、宿泊先のホテルに行ったという。直ぐにホテルから添乗員の携帯に電話
するのが、当然だが、動転していて、ただ、ボーッとしていたとか。バスで待っている間、
ツアー仲間の冷たい視線の中、ひたすら待つしかなかった。 家内は、殆ど娑婆経験が無く、
万一の備えの観念が皆無。旅行中には、まずは添乗員から目をつけられる。
彼らは、そういう人を数人、把握。二割の人が、八割の問題を起こすことを学んでいるからだ。
移動とか食事時間に、常に遅れてくる。40回近く、数百回、注意しても治りはしない。
以前もアテネの・・ これだけ迷惑をかけても、翌日の夕食時間に遅れるのだから、大したもの。
で、夫婦連れのツアーは、途中から、別々の単独ツアーになっていく。一つだけ自慢が出来る
ことは40回近くの夫婦連れ海外旅行経験。 今までのツアー仲間の最高が8回。その間に、
二人の間に、自然発生的にルールが出来ている。「互いに(単独旅行者と割切り)頼らない」こと。
何度もツアー仲間に、「どういう御関係ですか?」と聞かれている。移動と食事以外は、単独で
いるため。これまで二組、夫婦別室がいた。そこまでは、してない。これも慣れと訓練!
その時、懲りない家内に「ざまをみろ!」という気持ちが何処かにあった。 が、誰かに
見透かされていたようだ。で、一日もしないうち、全てを忘れ、彼方此方で笑い声を上げていた。 
 (*∠_*) ダカラドーシタ。で、人は生きられる! で、以下の内容に続く! 偶然だが!
・・・・・・
4256, しまった!  ー5
2012年11月10日(土)                 
  * 後悔の歪み   ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン(著)
人生、振り返ると後悔することがあまりに多い。その後悔が次の行為の壁になり消極的人生を
過ごしてしまう。反省はよいが、後悔は程々に、である。トラブルも失敗も生きていればこそ。
ーその辺りを抜粋して考えてみるー
≪ 失敗を裏づける証拠が増える一方なのは、意思決定における「感情」、とりわ後悔の念が
 果たす微妙な大きな役割について。人は誰でも、引き出した結果を悔やむ状況に立たされ
続けている。結婚の失敗。故障しがちな車。処分できなかった不動産。しかし同じ後悔でも、
「後悔する優先順位」というのがある。後悔の深さの差から、なぜ人は最初の直感にしつこく
こだわるのか、その理由が見えてくる。 一般に人は「不作為」よりも「行為」に対して大きな
責任を感じるものである。誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを
犯すほうを選ぶ。 というのも、不作為は受け身のできごとと見られがちだからだ。 
自分は何もしなかった、だからその結果に感じる責任も小さい、というわけだ。
1600人以上の大学生による模擬試験の観察から、観察者は、先行研究で発見されたのと
同じ誤りとを発見した。答えを変えた受験者は、たいがい点数を上げていた。変更された全解答を
カウントして分析したところ、誤答から正答への変更は、正答から誤答への変更を二対一の比で
上まわった。 だが、もっと重要なことは、実験後の学生との面談から明らかになった。
「正答を誤解答と変える予感は、誤答を正答に変え損ねる予感よりも大きな後悔をもたらしていた」
のだ。つまり、何もしないほうが、何かをするより後悔しないで済む、ということだ。
どのみち誤答してしまうとしても。≫
▼ 人は、しなかった後悔より、実際にしてしまい失敗した後悔により捉われる傾向にある。
 実際に、この実験のとおり、私の具体的経験を振り返っても同じことがいえる。やらなかった
後悔は、実際に失敗した後悔の数倍の損失のことが多い。しかし実際ところ、止めて致命傷に
ならないで済んだことも多くあった。事業結果がこうだとしても、後悔をしていない。
原因がハッキリしているためだが、全身全霊を注ぎ込んだこともある。思った通り、生きて
なかったら数倍、いや数百倍も後悔していたはず。 海外旅行は、起こりえるトラブルが全て
起こると覚悟をしておかなければならない。「良いこと2に、後悔すること1」の比率で、通常生活
10倍が圧縮して生じてくる。そう割り切ってしまえばよい。「正答を誤答へ変える予感に従うと、
正解する確率が二倍になる」のと同じ比だが・・少し意味が違うか。人生も同じことがいえる。 
刷り込まれた思い込みを間違っていると直感しても、その修正による失敗を恐れ、大事な人生を
棒に振る。 修正した方が正しいと分かっていても、である。だから計画をたて、準備を充分する
のである。結果は、それまでの経験の色分けを変色し、その歪を大きくする。
それにシタリガオ批判の歪が加わり自滅してしまう。
・・・・・・
3881, 閑話小題 ースロータイムの勧め
2011年11月10日(木)
    * のんびり、ぼんやりといこか〜   ー スロータイムも悪くない!
 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、「ぼんやり、のんびり、のびのび、
ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も
緊張の連続の後、これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、のんびりし、
ぼんやりすることも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。
スケジュールに沿って生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。
一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。
最近、「アングリー・バード」という子供向けのPCゲームで、午後の一時間は遊んでいるが、
これも、のんびりの範疇。無意味=無価値の時間を遊ぶことも必要?
「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを聞いたことがある。
地方で装置産業を事業としてきたので比較的に時間があった。しかし、のんびりしてきたか?
と言えば、そうでもなかった。しかし節目が変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびり
する時間が多い人生こそ最大の収穫と思えるようになってきた。 
ところで栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」
とブツブツ言いながらする健康法があるが、これを「ぼんやり」とすると良い。積極的幸せの追求は、
さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節でもある。積極的幸せとは、自分の趣味を
追及するとか、人に認められるような事、人のためになる事を、追求すること。 
消極的幸せとは、病気や事故にならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の
生活を確保して、それに満足する生き方、無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方。 
第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなってきたが・・ 
「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を高め続けるのか、その人次第。
それも、生活が安定した上の話になる。
・・・・・・・
3516, インターネットは20万年来の革命か?
2010年11月10日(水)
 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万
年前は、言葉か絵画の出現?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。
 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、
 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■そして人間が道具を使うように
  なったのが20万年前。
 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明になる。
* 200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。
 そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、検索にキーワードを入れると世界中からの情報が
入ってくる。さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に公開を始めたため、
情報が爆発的に増えている。ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、
それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、20万年来の革命的ツールという説も、
言葉使用からの200万年説も、決してオーバーとはいえなくなってきた。そのネットと最先端
電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。 今さらなのか? 
しかし現実を見ていると、機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、
政治、経済のあり方を根底から変化させている。政治ひとつとっても、直接に政治に関りない
国民の方が、渦中の政治家より、正しい判断が可能になっているとか、思いもよらない情報が
表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。現在問題になっている尖閣列島の中国漁船
ビデオの流出も、それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が政治を大きく
左右することが容易になっているのも、ネットのため。これらによる社会変動は、まだ始った
ばかりで、時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。 再度いうが、TV、
携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。  
まさか、これを現実に目の当たりにできるとは!
 ・・・・・・・・
3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる
 2009年11月10日(火)
産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。
20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。
そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年
である。私の祖父が、この頃は10歳位になる。  それを考えると、やはり遥か彼方である。
 この年を調べると、
・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺
・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦
・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出
 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変)   国家の形が出来始めたころだ。
この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、
9・11テロ、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子中国の時代がやってきた。
また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が
劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に
変っている。三倍の200年の時代を経験してきたようだ。特に、この20年の変化は劇的であった。
とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、
東京大地震があった。世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 
世界は激動していたのである。 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が
吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、中国が勃興するプロセスを目撃することになる。
また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。64年間、十分に世界を見てきた
満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。
 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた
80歳後半の人は、本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に
見ているから、なお、時間の長さ・短さを実感しているだろう。
これだけ激しい変化を目撃するとは実際思ってもいなかった!
・・・・・・・・・
2776, 仮説思考 −3
 2008年11月10日(月)
「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。
「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。
(「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する)
  −−その仮説から考えると−−
「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と
世界恐慌・研究の米国人経済学者がインタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的に
みて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 
その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。
次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が
多く保有しているからである。 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは
口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、早期回復など有得ない。 そうこう考えると、
この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 
「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 
今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。
5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、
土地の値段は現在の半分か三分の一。生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 
それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 それがどうしたといえば、どうもしない。 
この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 企業には成長対策、
競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。
 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。更に悪いことに、
ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。
そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。
その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 
 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。
各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 
世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波や
サイクロンが発生するし、異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システム
そのものの変調が原因とみるべきである。 ▼ 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?
して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、
 どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。                    つづく
  (字数制限のためカット 13年11月10日)


4987,閑話小題 ー一日の閲覧者が、実は7倍の350!

2014年11月09日(日)

   * 一日の閲覧者が、実は7倍の350だった!
 晴天の霹靂である。Yahooの「バードウォッチ」が20〜40の閲覧で、エンピツのサイトが
40〜50の閲覧。これは重なっている。それからみて、「Hatena::Diaryは、同じだろうと、
検索数を、バックアップ用でもあり、開設以来の7年間、一度も調べてなかった。
 ところが数日前に何気なく調べたら、(総検索数を7年×365日で割った)一日、300近く。
何かの間違いだろうと、この数日、日ごと調べたら、7年間の平均と同じ検索数。
多くて50〜60と信じていたが、実際は350の検索があったのである。見続ける多くが決して
好意的でない? とすると、少し恐ろしい気がする。悪意の視線を意識してはきたとしても・・ 
学生時代から、こと批判に関して、多くの人に重すぎる?と言われてきたが・・ 何気なく
知人に聞くと、殆どが見続けているという。それにしても50〜60は少ないと思っていたが、
実は7倍の350以上の閲覧とは驚きである。未来の自分への憶え置きと、毎日の出来事と、
読書などの雑記帳として、墓場として、書いてきたため、あけすけの内容になっていたが、
周辺の知人の50〜60人なら、まあ、いいだろうと・・ 
 全力で親しい友人に「とっておきの話をする感覚」で、5000日近くも、面白おかしく
書いていれば、この閲覧数は不思議でないが。それも三年半前からは、ライブで、めったに
ない特異体験の生中継である。 血だらけの手(こころ)で、有りのままを、その血で書いて
いれば、第三者からみた
ら、これほど面白い内容はないだろうし、心の歪みの露出が、
そのまま現れ出ている。特に、その特異の歪みが面白いのでは。
 ところで10年位前、毎日新聞の記者から、何気なく書いた内容を指摘され、
「それを更に聞きたい、それにしても凄いことを書いてますね!」という電話があった。
そこで慌てふためき内容を書き直したが。もし積極的にネット上に打って出れば数千は
可能?ということか。 間違えても、出るつもりはないが、もしかして心境の変化がある?
それぞれが特異点であり、そのままを書けば、特異のブログになるはず。
 < ところで、こうとも考えられる。10数年分の随想日記が、コピーしてあるため、
「Hatena」の読者のキーワードにヒットしていて大部分が見てない可能性がある。 
  いずれにしても、ネット上は、こんなものか>
・・・・・・
4620, 閑話小題 ー食材の不適切表示について
2013年11月09日(土)
   * 食材産地の不適切な表示について
 現在、問題になっている「食材虚偽表示問題」、騒ぎすぎではないか?
明らかにマスコミも店側も過剰反応。「今までは軽い気持ちでしていたことが、情報化時代に
移り変わり、現場の告発などで発覚し、大事件となった」ということ。「味さえ落とさなければ
良い」という現場の調理人の意思がまかり通った時代が終わりを遂げる事件。 料理修行で
虐められて辞めざるを得なかった人達の告発も、情報機器の進化で気楽に出来る世の中。
日本中の料理店は真っ青。ブランドに頼り、自分の舌に自信がないから、怒るのである。
所詮、成り上がり食通など、その程度。それより、この変な風潮の方が気になる。
それも百貨店に入っているテナントの食材表示虚偽まで、何故、大家が責任をとらなければ
ならないのか? 「他が誤っているから自社も」というのだろうが、酷いもの。 味が悪けりゃ、
二度と行かなければよいだけ。店選定と、味に自信があれば、どうでも良いこと。 
メニューに小さく、「その日の天候で食材が変わることがあります」と、書いてあるか
ないかの問題である。
   * 消費税増税前のバカ騒ぎが始まった
 来年4月からの消費税の増税前の駆け込み騒ぎが始まった。このデフレの中、どうすれば
よいか、考えどころ。特に、車や住宅など高額商品の購入を迷っている人達は、焦って判断を
間違う可能性がある。数年前の地デジ移行のテレビの買替え騒ぎ。 その後のTVの暴落を
目の当たりにした経験を、忘れている。 「インフレの可能性と、売手は、円安による輸入コスト
のアップを加算すると、1割、2割は高くなる?」という不安心理を巧くつく。
どの道、大恐慌が表面化するため、同じこと? 住宅購入は、人生の大博打。
それと生命保険もである。そこには、大きな仕掛けがある。それが分からないから、
生命保険に入ってしまう。理屈からして、採算が合うはずはない。綺麗ごとを掻き立て、
いざとなると、殆ど詐欺同然のため、見返りは無いのが、保険である。相手は数百年かけた
ノウハウを持ったプロの詐欺集団も手口は酷似。あれだけ経費をかけ集金し、その上に利益を
出しているのだから、総体からみれば、半分以下のはず。で、これから数ヶ月は、その狂乱が、
一部だが始まった。他人様のことは、言えないが、結局は、無知が不幸を呼ぶことになる。
・・・・・・
4245, しまった!  ー4
2012年11月09日(金)
           ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人は、出会った人の名前はどうでもいい
 私は人の顔と名前が覚えられない性質である。元々、見ないのである。数年前に義妹の
名前も忘れいて、呆れ返られた。しかし、この本によると名前は意味がないため、関心度の
重要度が低いという。人は名前や名称より、意味を記憶をする。逆に記憶するにはキーワードに
意味を持たせればよい。人は、職業と趣味に注目されるが、名前や性格は二の次になる。  
ー その辺りから ー
≪ 人の名前は、じつは人の特徴とよく似ているが、大した意味がないので、忘れたり、
まちがえたりしやすい。名前がほかの要素と比べて重要でないことは、数年前にイギリスの
研究で証明された。 にせの人物のプロフィールを暗記させるという実験だ。各プロフィールには
架空の名前のほか、その人物ゆかりの地名(出身地など)や職業、趣味といった、にせの
情報が記されている。にせのプロフィールは、たとえばこんな感じだ。〈アン・コリンズ。
有名なアマチュア写真家。ブリストル近郊在住。地元で訪問看護師として働いている〉では、
実在する被験者たちは、その人物の何を覚えていたか?「職業」だと思ったあなた、正解だ。
職業は全被験者の69%が記憶していた。タッチの差で二位だったのは「趣味」の68%。
次いで、62%の「出身地」。ぶっちぎりで最下位だったのが「名前」である。ファーストネーム
(名)は31%、ラストネーム(姓)は30%しか覚えてもらえなかった。どういうわけか、その人が
パン屋を営んでいることは姓がベイカーであることより覚えやすいのだ。なぜこうなるのか?
研究者にもわからない。おそらくは、人の名前は、あまり意味がない恣意的につけられた
「ラベル」でしかないということだ。ジムにしろティムにしろ、可能だ。・・・ 
人はパン屋さんであるベーカリーの方を、ベーカーさんより記憶する。≫
▼ 営業は顧客の顔と名前を必ず一緒に記憶する重要性を知ることから始まる。
過去のツアー仲間たちで、憶えているのは、職業、趣味、出身地、そして顔。しかし、名前は、
実際のところ殆ど憶えていない。031538という数字を例えると、「3月半ばの15日の3時と
8時か、どちらかに」か、「王(おー)さん、いこか38本。」とか、何か意味づければよい。
意味づけるには、上記のように小さな物語を作ることである。名前は、それぞれの物語だが、
他人にとって符号でしかない。
 ・・・・・・
3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
2011年11月09日(水)
   * 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
 東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が
見えてくる。東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの
大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。その上に宮城の原子力発電所を
襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波、原発事故)である。
その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは
重大である。9・11はイスラム対キリスト教の対立。またリーマンショックも、金融王国
アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の
企業と金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って
世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、
次はイタリア、スペイン、ポーランド、アイスランドが待っている。東北大地震が起きた後の
大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを
大地震と例えると、その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。前回の1929年の
恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、大恐慌落に
落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか
目先を引き延ばしている。それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が
日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの生活に影響をしてくる。 
失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。
以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が
遥かに大きいのは目に見えている。その中で、世界の指導者も、我われも自然の流れに
身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。
 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 
これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。その結果としての近未来の惨状は世界も
日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。
その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。しかし、それも、あと僅かに
なってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、そうとしか考えられない。私の現状が既に
震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか?
 ・・・・・・・
3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7
2010年11月09日(火)
  「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著)
 * ユダヤ人の考え方から何が学べるか
  ー 日本人は、第一人称不在である。
 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。
「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という
主張が欠如している。つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考
シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義がまいた種子の結果。学校時代の
まる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。
ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、
消化器の胃腸を持たない食道だけの状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。
ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで考えたのであって、
他人の言説の解説はほどんどしてない。対照的に、日本の知識人は、あたかも自分の
考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 
 ■ここで考える四段階とは?を説いている。
△第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、
△第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ
△第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて
△第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べるこれを徹底的にすることで思考力を高める。
 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生に
あまり質問をすることはない。それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。
先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、自分で解答を見つけるように仕組む
のが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と
ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、
生徒たちは議論をしながら進める。自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで
質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。
 〜〜
 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。
疑問を持ち、何が問題かを見つけ、解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。
特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。島国の中で、外敵から攻撃の心配が
ないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。
坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。
 ・・・・・・・・
3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」
 2009年11月09日(月)
 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した
以上の内容だった。長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで
内容を調べ納得し見ることにした。亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから
何かがあるはずと・・・。ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので
丁度よいタイミング。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 
 ・・・・・・・・・
 2775、仮説思考 −2
  2008年11月09日(日)
    ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー
 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネス
パーソンは多い。 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、
経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。実際に起こることは何か? 情報収集
しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、
最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるを
えないことになる。徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。
では、どうすればよいのか?仮説思考を身につければよい。仮説とは、十分な情報がない段階、
あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。常に仮の答えを
もちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。「仕事が速く、優れた成果をもたらす
コンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。 
ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・
*仮説思考の効用
 著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。
 (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。
 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけ
たくさんの情報を集めて分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な
点を調べ忘れたと気が付いたりする。その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。
情報収集に時間を取られた結果、思考する時間がほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」
(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。 「最初に答えを決めておいて、
それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。
仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」
 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした
気にはなるが、実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの
3に絞って考え、それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。
作業のスピードを向上させるのではなく、仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけ。
 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認
しようとしても、頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況
よりも着地点を先に決めている人への方がアドバイスしやすいし、上司も安心できる。
ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。
同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業を
しなくてすむ。「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違った
 ものが出てくる」という事態を避けられる。もう一つ事例を挙げると「実験をする前に論文を書く」
  ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。 そのため、その結論に
至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。
失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分るため、それほど時間の無駄にはならない。
*自分より1つ上のポジションの立場で考える
  仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。
全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえて
やる方が大事だ」 「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。
新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、プロジェクト修了後に出した結論を
比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。著者は仮説思考を
訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」
ことを勧める。また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。
ーー
 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法。
次回は、この本で紹介している、天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に
立て決断しなければならない。彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。  
・・・・・・・・
2007年11月09日(金)
2411, からだのままに      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》
 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社   ー読書日記ー 
 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。
図書館で見つけた本だが、  《以下字数の関係でカット2008年11月09日》           
・・・・・・・・
2006年11月09日(木)
2046, 教養について −2
(字数の関係でカットー2011年11月9日)


4986,暴走する世間 −3

2014年11月08日(土)

             「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著)
   * 世間学的エポケー
 節目時は、それまでを一度、清算して、新たな世界への区切りである。
その時に重要なのは、その時に感じたことを優先すべしというのは、現在の私に言えること。
その意味で、毎日、書き続けている、このブログは、大きな役割を果たしている。だから、
世間という幻想、幻覚に迷いそうな、いや、迷っている自分を見つめ続け、
世間学的エポケーの立場を守らないと、その節目が薄れてしまう。 ーその辺りからー
≪ エポケーというのは、E・フッサールの現象学の用語である。エボケー{現象学的判断伴止}
とは、自分がそれまでとらわれていた主観/客観という世界認識の方法の自明性を、いったん
カッコに入れるという、世界像の判断停止のことである。これにならっていえば、自分がこれまで
自明であたり前だと思っていることの一切を、デカルトのように徹底的に疑い、すべてをいったん
カッコに入れる。  〜フッサールの現象学的判断停止について、哲学者M・メルロー・ポンティが、
次のように説明している。
< われわれは徹頭徹尾世界と関係していればこそ、このことに気づく唯一の方法は、
このように世界と関係する運動を中止することであり、あるいはこの運動とのわれわれの
共犯関係を拒否すること(フナサールがしばしば語りているように、この運勤に参与しないで
それを眺めること)であり、あるいはまた、この運動を作用の外に置くことである。
それは常識や自然的態度のもっている諸確信を放棄することではなくて―それどころか
逆に、これらの確信こそが哲学の恒常的なテーマなのだ― むしろ、これらの確信がまさに
あらゆる思惟の前提として〈自明なものになっており〉、それと気づかれないで通用している
からこそそうするのであり、したがって、それらを喚起しそれとして出現させるためには、
われわれはそれらを一時さし控えねばならないこそそうするのである。>
 そのさいに重要になるのが、「内在」という現象学の方法である。それによれば、自分の
判断の根拠を、自分の「感じ」だけに置く。いいかえれば、たいていのものは「可疑的」、つまり
疑いうるが、疑いえないものがたったひとつあり、それが自分が「こう感じた」ということだという。 
簡単にいえば、他人がいうことではなく、「世間」の評価ではなく、自分が素直に「感じたこと」
だけを信じる、ということである。思いだしてほしい。じつは、さきほどのべたように、これが
阿部さんの「世間」論の方法だったのだ。自分が「感じた」ことだけを信じ、これに徹底的に
言葉を与えてゆく。すべてのものは疑いうるが、たったひとつ、疑いえないものがある。
それが自分の「感じたこと」なのだ。≫
▼ 「大病による長期休養」や、「長期間の旅」はエポケーになる。人生には、一度、属している
世界の外に出て、自分を見つめなおす必要性がある。外側から、内側で「感じたこと」を
感じなおす必要性である。以前から、小さな洞窟内を自己に、その前にある湾を世間に例え、
その外海を社会に例えていた。自分(洞窟)と、世間(その前に広がる砂場)と、外界を見極めて、
外から、これらを見つめなおすことが必要である。所詮は、これらは集団幻想でしかない、
そのことを自覚するためにも! 
・・・・・・
4619, 君は1万円札を破れるか? ー6
2013年11月08日(金)
    * 内部表現とは? そして、内部表現の書き換えー①
 「内部表現」という言葉が新鮮である。目には見えない「心(脳)」「無意識」「潜在意識」ということ。 
人は、この内部表現によって自動操縦されている。この随想日記は、「内部表現」そのもの。
過去文を読むと、よくわかる。 ーまず内部表現を記した部分を、この本とネットから抜粋してみる。
◇ 「内部表現とは、一言でいえぱ、その人に固有の情報状態です。この世界について、
自分の認識している情報だけを書き込んだハードディスクのようなものです。そして、情報である
以上、それは書き換えが可能。人間の認識をなんらかの操作によって、別の認識に換えてしまう
ことを‘内部表現の書き換え’といいます。 あなたが今、現にもっている内部表現は必ず、
あなた以外の他者による書き換えを受けています。」
◇「外界を視覚で認識すれば、視覚野での神経が活性化し、その結果が前頭葉で認識される。
この視覚野から前頭菓までのすべての脳内での情報状態が内部表現である。内部表現は
神経の物理レベルの情報状態のみならず、概念や感情など、心理レベルでの表現も含まれる。
すなわち、脳内の物理レベルから心理レベルまで含めたすべての抽象度における外界の表現が
内部表現である。自分自身の表現や自己の記憶、内省的な自我、 さらには現在時の自分の
思考状能や会話、言語の認識状能も内部表現の一部である。内部表現は常に外界と情報を
やり取りしながらリアルタイムに情報状能が更新されているため、その動きは非常にダイナミック。
 脳内にある自分自身を含めたあらゆる抽象度における世界のモデルが内部表現。
ただ、内部表現内のそれぞれの情報状態は、巨大な相互関係のネットワークを構築し、
それが常にリアルタイムでダイナミックに更新されているので、実際にそれを我々が
記述することができるか否かは別問題である。」
◇「内部表現は、進化のレベルに従って複雑になつてきている。これは脳が進化している結果。
 人間においては、内部表現という外界のモデルとして脳内で表象される世界が、物理的な
現実世界だけではなく、映画や小説の仮想世界にも持てるのが特徴的。例えば、言語で
表せられた世界は、物理的な現実世界ではない。
 それでも小説で描かれる世界を整合性をもって、臨場感を感じて認識することができる。
これは小説の仮想的な世界を、内部表現として脳内で表象できるからだ。」
◇「内部表現を変える」には、①狩りのゴールを設定し、そこに向かってコンフォートゾーンを
変えていくー>内部表現の中で「自我」を定義している情報を選択的に書き換える。
②抽象度を徹底的に高めて、この世界・宇宙を見つめ直すー>内部表現全体を書き換える。
 【コンフォートゾーンとは、自分がラクでいられる 範囲のことで、 人は、
 この居心地のいい環境や場所は楽なので、ここにとどまろうとする 】
▼ 高度成長期の右上がりの時代背景に、「創業者人生」を20歳時に決めた。
それから私の「内部表現」の書き換えが始まった。と同時に、俄然、人生が面白くなってきた。
大空を掴むような得体の知れない目標に向かい、ドンキホーテのようなコミカルな人生が始まった。
それが「内部表現」そのもの。事業人生を終わって、しみじみと傷口から45年間を振り返った時、
その自分が可笑しくて、独り笑いがこみ上げて大笑いをした。
人生は、結果はどうであれ、こんなものか。 笑えるだけ、まだ良い? か!
・・・・・
4244, しまった!  ー3
2012年11月08日(木)    
          ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) 
   * 見ていても見えているとはかぎらない
 この年齢になって、つくづく感じるのは自分の無知。特異と思っていた自分の人生も、
小さな世界に縛られた凡庸な枠内。知っていたつもりが、何も知ってなかった厳然たる事実。
それでも可能な限り考え、前向きに生きてきたつもりだったが、振り返れば「しまった!」の連続。
「見ていても見えなかった」のである。結局、地頭の限界が、その人の程度。
「知ったかぶりするな!」が、何事についての基本。知りもしないのに、知っているつもり
だったのである。そう、実験に昨夜、ビデオに録った「居酒屋放浪記」を、見たが、二度目に
見たとき、一度目は、殆ど何も見えてなかったことに思い知らされた。大部分の人が、
そうだとしても、こと重要案件に対しては、それは許されるものでない。   
ーまずは、その辺り部分を抜粋してみるー
 ≪ 私たちは何かを、または誰かを見るとき、そこにあるすべてが見えていると思う。
しかし実際はそうでない。小さなもの、背景などが目に入らないことが多い。目はカメラではない。
出来事の「画」を撮りはしないし、一度にすべては見えてない。視野の中で常に見えるのは、
全体の数分の一に過ぎない。たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に
過ぎない。目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合で
動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人によっても変ってくる。
たとえば、男と女では、気づくものが違う。男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、
女性はひったくられた被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた
犯人の風体を覚えている。 ・・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人は右折を、
左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の報告者は、こう助言した。
「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、まず左側を見るべきだ」と。・・・「人は探しだすのが
難しそうだと、早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者は
画像に写った悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で10年前に
調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 昔読んだ本を再読して、
果たして、この本の主旨を理解していたのだろうかと疑問を持つことが多い。その時の自分の
知識レベルで中途半端に理解していたに過ぎない。 リタイアをし、過去を振り返ると
「しまった!、あの時の、あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい
後バイアス」のフィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るようなもの。 
しかし、人は、失敗を恐れ、「何もしないという、より大きな失敗」を選択してしまう。
そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして誰かに向かい「自分の人生を返してくれ!」
と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
   * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに遊びに行くと、
今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を
差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、
噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は
何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。
その店の前を二月ほど前にポタリングの帰りに通ったら、店の看板が無くなっていた。
そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と
自認している?人に、聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。
姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の
原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
  * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、
その一角で養老の滝のFCの居酒屋をオープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、
開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、茫然自失とは、
あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、
20年、30年の経歴を持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて
安心したが、あの切なさは言語を絶している。それでも両親の創業時の姿からみれば、
全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を知ることになる。
酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側の一歩の大きな差。 
立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。 数ヶ月は、朝7時から夜11時までの
世界。千葉の郊外のニュータウンの真ん中で、ズブの素人が、顔色を変え醜態を曝していた。
その二年後に、隣の一角でベーカリーの立ち上げを始めたのだから、振り返って我ながら
驚いているより、呆れている。しかし商売の原点を、肌で学んでいた日々になる。 
思い返せば、ジャスコも、その次に勤めた会社も、創業のプロセスにあった。
そこは究極の異常世界。 仕事の現場は、どの世界でも厳しさは同じ。創業は、捨て身で
全てのエネルギーを叩き込まなければ、一つの生命としての事業は生まれない。 
振り返ってみると「人生は、良いことが51に、悪いことが49」ということか。その辺の輩が
一現象だけをみて分かったようなことを言うが、一つの現象の背景には、
多くの血と汗が隠されている。馬鹿さもだが。
・・・・・
3514, ペットロス ー2
2010年11月08日(月)
 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあった
インコだった。呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に
呼びかけてきたからである。今までにない経験である。ここで、ペットロス症候群というウツ病
を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため
帰省してきた。ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまったが、犬は帰って
くるのを待っていたかのように本人が頬ずりをした直後に息を引き取った」という。
うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に死んだのも
偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じような
ことがあるのかどうか。休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて
死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、頭を摩りながら呼びかけるとハッと
我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになりたっているのも難儀になり、蹲ってしまう。
呼吸が苦しくなりヒューヒューという息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。
意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。最後は、長男が喉を
摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していた。
ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件で
なついてくれるから、人間の方も無条件で受け入れるのである。それが愛情の原点である。 
愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、時間とともに自立していくほど
薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも
愛情を無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみと
ペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。 特に子供たちが結婚などで巣立っていった
中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
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3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながら
クロージングする方法。よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」
と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉でいろいろと買わされてしまう。 
アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する。 
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い
出来ますか?」 いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、
このステップを踏むと、承諾率は80%近いところまで跳ね上がった。 このテクニックは、
通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。サンプル無料提供、モニター募集、
などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、というセールストークも
この原理を利用している。1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 この心理を応用した説得の方法を言う。
――
こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。
騙す本人も知らないで?使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、
成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 
素人の隙の部分をねらう。 要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。
出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。
初めは小さなウソの積み重ねも、積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない
際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。 まずは自分の創作した物語に
自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。 倒産劇からの親戚を
巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 他人を騙す場合、まずは一番の
身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。もう一つ最近にも
あった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている
自覚がない?から罪深い。すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。
それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
 ・・・・・・・
2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
 実のところ、これを読んでショックであった。
 (字数制限のためカット11年11月8日)

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