堀井On-Line



4945,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −2

2014年09月28日(日)

   * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー①
 私には、骨董品や美術品の保有欲が全くない。一流品などは美術館で見ればよいし、
何ゆえに手元に置かなければならないか不思議である。両親を見ていると、隠れた
名品を探し、さり気なく、格安でハンター、倉庫に収めることが趣味のようだ。
これは骨董収集家の全てにいえるが。それなら、名だたる名品を、世界の美術館で
見ればよい!というのが、私の持論。21歳の時に、ルーブル美術館、大英博物館
などで、世界的名品を見た経験が、更に裏づけになった。
 鑑定団を見ている共通点は、「骨董店の主が、アマチュア気取りの素人に、
太鼓持ち話術で売りつけているのが殆ど。だから、出てくる当人、いやに識別感に
自信を持っている。 が、それは店主の刷りこみ。株や骨董は、素人が手を出す
ものではない。「買いで騙され、売りも騙され」が、素人の悲しさ。
数代前の先祖が大事にしていたお宝にも多くある。両親の場合は元プロで、
特殊ケースだが、骨董世界は、「俺おれ詐欺」より、タチが悪い側面がある。
そこは特定少数の愛好家の世界。特定少数の本物の骨董品の周囲には、
その数十、数百倍の贋物と、詐欺紛い人たちが存在する。もし、金に窮したら、
どこかの骨董市などで、高そうな骨董を探して、金を持っている友人等に、
「これは我が家の蔵にあったもの。何時でも引取りますから、買ってもらえますか」
と、売りつけ、そ知らぬ顔か、ドロンをすればよい。
大体が、素人が一度買った骨董品を、逆に骨董店に持って売ることはほぼない。
太鼓持ちの大臣扱いで偉くなった幻想で満足した段階で、半分以上の買いの
目的を果たしている。 だから、素人衆の倉庫は、騙された骨董品の山。
で、騙す方は、買取の誓約書を平気で書く。ばれた時は、そのまま引き取れば、
詐欺ではないからだ。適当に「時代が変わりました」「この品の相場が現時点で
暴落しました」「自分も実際のところ騙されていました!」で済ますことも可能。
                            ーつづく
・・・・・・
4578, そして、人生はつづく
2013年09月28日(土)
                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
  図書館で手に取ってみて、「まえがき」の文章が現在の私の心境に似ていたので驚いた。
 還暦過ぎれば、誰も似たような現実が待っている。 まずは介護が平均10年が人生の終りに控えている。
 私など、「そして、・・」より「それでも、人生はつづく」が合っている。まずは ー「まえがき」の全文ー  
《 2008年の6月に35年連れ添った家内を癌で亡くした。子供がいないのでそれから一人暮しが始まった。
その「独り居」を毎月一回、日記の形で書いていった。物書きという仕事柄、幸い一人でいることに慣れている。
というか、物書きとは一人でいることが仕事のようなもの。 本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。
一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。これに、家事という新しい仕事が加わった。
愛読しているアメリカ人の詩人、作家メイ・サートンの『独り居の日記』(武田尚子訳、みすず書房、1991年)は、
ニューイングランドにある緑豊かな田舎家での一人暮らしの日々を綴ったものだが、こんな言葉がある。
「私にできることといえば、瞬間瞬間を、一時間一時間を、生き続けることだけだ――小鳥に餌をやり、
部屋を片づけ、たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を創造することだ」。
一人暮し、もうじき七十歳になろうとする人間にとっても「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。
自己管理をきちんとし、静かに暮すこと。一人暮しになって静かな一日を送る困難と、幸福を知るようになった。
 家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、昔の映画をビデオで見る。
無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。
 もうあまり大きな声でものを言いたくない。「独り居」のなかにささやかな喜びを見つけてゆきたい。
3・11のあともそんな思いで書き続けた。あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことの
ほうが好きだ。結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。日記を書くとは、まさにその日その日を
思い出にしてゆくこと。》
 アマゾンの ーBy FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMOレビュアーが、よい!〜編者か著者のどちらかの投稿?〜
{評論家・川本三郎は2008年に妻・ファッション評論の川本恵子を亡くし、以来独りの物書き生活が始まった。
 読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・・でも独りだ。たまには旅にも出る。一見、悠々と見えても、心は独りさびしき、
時の旅人である。面倒な“家事”も自分でしなくてはならない。そんな老境に入った著者の日々が綴られている。
著者は当たり前に生きてきたつもりだが、妻の死、そして3・11で変わった・・・ 著者は、震災後に東北を応援
しようと小さな鉄道の旅にでる。 3・11と世の中のこと・・・。 淡々と静かに自分の日々を綴る・・・ 
そして彼自身独りの人生の時は流れてゆく・・・。たった数歳しか違わないのに、私とはまるで異なる時をゆく。
それでいいのだと思う。そして、人生はつづく・・・。ターミナルは一つであっても、そこに至る道は人それぞれに
異なるのだ。独りという寂しさの重圧は、若き時には跳ね返せても、老齢に至れば、そのエナジーも枯れつつある
ことを自ら認識、体験中のトロイGKMです。余韻が残った久しぶりの大人の文章。}
▼「本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。
 ・・もうじき七十歳になろうとする人間にとっても、秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、
言い得て妙。私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを得なくなったが、それでも、
人生はつづいている。そこでのコツは 「独り」の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 
一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・
・・・・・・
4203, 呪いの時代 ー17
2012年09月28日(金)
    * あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない!      「呪いの時代」内田樹著
 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。が、放置しておけば、さらに憎悪が増す。呪い
に対し、贈与で返すのが贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象をつくり上げる。
手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団に
される、俗に言う世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で自分を守らねばならない。 
 ーその辺りからー
≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの部分まで真実を衝いているのかも。
 私が問いたいのは、その指摘が正しいとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、
あなたは何をする気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に対しても制度に対しても、
もっとも効果的な「改善」実践であるという左翼的な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。
「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、それに対するすべての批判を粛々と受け容れ、批判されればされる
ほどパフォーマンスが向上するような「責任者」が存在するなら、そのような定型的批判も有効かも知れない。
だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。 私たちはもう「壊す」時代から抜け出し、
「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」と叱りつける
人間はいない。それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを考えるだろう。・・・
(・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、復讐することから
受け容れることへ、傷つけることから癒やすことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなく
シフトしてゆくべき時期が来た。そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。けれど、メディアは
まだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。
皆なが知っていることをもう一度繰り返し確認しているだけである。呪誼も贈与も人類と同じだけ古い制度であり、
それがどう機能するものかは誰でも知っている。けれども、多くの人びとはそれは神話や物語の中のことであっで、
私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。呪誼は今人びとを苦しめ、分断しているし、
贈与は今も人びとを励まし、結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。
私が本書を通じて提言しているのは、それだけのことである。 ≫
▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷通りという道をひた走っていた時、突然、道路の脇道にそれた。
 そこは、小さな市場になっていて、5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。
アフリカの地域の多くでは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。そこで突然、生々しい人間の
サガを突きつけれたようだった。昔、アフリカの奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に
売ったもの。警察力など希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。日本は近代国家
とはいえ、断絶の、それも20数年も落ち目の時節にあって、その鬱憤を誰かを呪うしかない。アフリカの呪詛の
小道具が、メディアによる、誰かへの集団リンチのような槍玉=記事に取って代っただけ。私たちは、ますます、
周囲の、そして政府の呪詛が強くなる。しかし、それが故に、国家の舵取りが大きく狂っていることさえ、
気づかないとしたら、命取りになりかねない事態である。
・・・・・・
3838, ツール(道具)について考えてみる ー4
2011年09月28日(水)
 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に
他の動物を狩猟し勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの
植物採取と狩猟では生きていくことが出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた
言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を
越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。現在の情報化革命が20万年来の人類の
革命といわれる。デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、人間と社会の
有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 
新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか
想像さえ不可能。連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、
初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、
コードから解放され、ボードからも解放された。タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、
本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が
一桁は増えた感がする。ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。アプリについては次回に書くが、
調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。
それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。
 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。
「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、
iPadがいいか?」という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」
ことになる。トイレの読書と同じ? どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 
ただし、振り回されるな!ということになる。
 ・・・・・・・
3473, 幻滅論
2010年09月28日(火)         
  ーまずは背表紙より        「幻滅論」北山修著 
【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与
するべく、人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に
入って30年、著者は臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識
して、日本語による日本の臨床に生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての
神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」
を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に夥しい数の母子像を発見して、その構図を
分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている
という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが
収められている。『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離される
とき、抱える環境から自分が切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。
「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも現実と触れあうチャンスとなるのだ。
類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】
 ▼ 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。
幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると
【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の
対幻想に着目している。兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、
いくらでも無傷に空間的に拡大できる。兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、
国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の
近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」
と言う言葉は、このことを指している】とある。
 ー幻想論は、ここで書いたことがある。それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。
母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。
その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 
それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの
自分を振り返ると大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実の
ギャップなど経験があったが。そ時の心理が幻滅とすると納得する。勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、
対象にはイメージ通りとしても、その背後には自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 
一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻というデータがある。 幻想が、幻滅に
変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。
・・・・・・・
3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1
2009年09月28日(月)
  * ほんとうかいな?
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 
  ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー
「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、
有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」
と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番
余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと
経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが
真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、
あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を
押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。
なぜ一つもないと断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。
一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる
国など本当に一つもありません。ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。
 ポイントを言うと
●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない
●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家
 〜〜
 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされて
しまって紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。
しかし、だから如何した。国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、
不動産資産の価値の暴落があっても、その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。
次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。           ー つづく
・・・・・・・・・・
2733, 米国金融恐慌の深層 −1
 2008年09月28日(日)
朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機
の本を評論していた。
  (字数制限の関係でカット2010年9月28日)


4944,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ ー1

2014年09月27日(土)

* 「なんでも鑑定団」
 熱狂的ファンでもないが、好きな番組である。骨董の世界は奥行きは深く、広く、
果てしない。私の実家が江戸末期からの骨董商の分家で、父は、その分家の二代目。
当時の地元名士様に的を絞った、上客を多く持っていたが、太平洋戦争で骨董販売
では生活が成り立たず、父が戦中、戦後にかけて、転業した後、終戦後、衣料量販店
で大当て、骨董を趣味として、買い手としての収集家になっていた。 
それもあって、幼児の頃から父に連れられ、昔の仲間だった骨董店などに連れて
いかれていた。そのお陰で、知らずと骨董の真贋を見分ける目がついていた。 
良いものを見続けると、贋物が感覚的に分かってくる。 (これ人間にもいえるが) 
更に20数年、世界中の美術館を見てまわったことも目を養ていった。
美術館は古今東西の超一流の骨董品の展示場である。 ーネットによるとー
《 1994年4月19日放送開始。テレビ東京系から放送中。元々は、島田紳助が
過去に司会をしていた深夜番組「EXテレビ」として放送した「家宝鑑定ショー」がルーツ。
・・・ 様々な人が持っている「お宝」を、専門家(主に古美術品やアンティーク
ショップの経営者が中心)が鑑定し、値段付けを行う。意外なものが高価な鑑定結果を
得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという意外性や、
鑑定物に対する蘊蓄が堪能できるのが特徴。 
鑑定の結果、埋もれていた芸術家や芸術作品が発見されたこともあった。
・・ 本番組からいわゆる鑑定ブーム、骨董品ブームが起きたが、何でも金銭で
換算してしまう点や、美術品をパフォーマンスで見せる点などを苦々しく感じている
美術関係者もいる。
 しかし、依頼品にまつわる人々の熱かったり切なかったりする思い入れや、
鑑定結果に一喜一憂する依頼人の表情などは人間味にあふれ、鑑定を単なる金銭的
評価に終わらせていない。また、鑑定結果が出る前には、これから鑑定する
依頼品に対する予備知識の解説が入る。そこでは、製作者の生い立ち、歴史的背景
などのほか、作風、作品の見方、味わい方などが紹介される。このために文化史、
美術史などにおける教養番組としての側面も持ち、その観点から当番組を楽しむ
視聴者も多いと言われる。・・・》
▼ 子供の頃から、両親の日常の会話の中心が、何時も骨董の話。
 そこで購入した骨董品を二人で楽しそうに眺めていた。部屋の中では、常に骨董品が
季節ごとに変わる。その環境が当たり前の世界であった。母親が亡くなった時の相続で、
兄が倉庫に溢れていた骨董品。私は現在住んでいる自宅だった。で、あの骨董の山、
どうなったか?不動産も実売になると半値だから、他人事ではない。実際、事業も・・ 
売り家と唐様で書く三代目!『 努力して築き上げた家産も孫の代になると遊び暮らして
使い果たし、ついに家まで売りに出す。しかも「売り家」札は その道楽ぶりを物語って
しゃれた唐様の書体で書いてある」ということ。『この随想日記そのものが、唐様
そのもの?どの道、宇宙のゴミ、同じこと』と、バカがいう。 
『同じバカなら、踊りゃなソン』と、更にいう。
その目で「何でも鑑定団」を見ると、同類憐れむで面白い!
・・・・・・
4577, 2050年の世界 ー8
2013年09月27日(金)
        「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 宇宙衛星などの観測から
宇宙が拡大しているにかかわらず、膨張が加速していることが分かった。膨張のためには他の宇宙
から何かのエネルギーが、注ぎ込まれなければ成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギー
である。現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。
   第十七章 苦難を越え宇宙に進路を  ーのまとめ
・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、宇宙の商業利用
の時代が来ている。 アメリカの全地球位置発見システム(GPS)など人工衛星群の商業的
価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、前年比11パーセント増の成長を達成。
・アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が目立っている。
中国は、2025年をめどに月着陸をめざしている。しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの
世界的興奮と比べれば、はるかに小さなニュースとなるだろ。
・NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうがはるかに、
世界的インパクトが見込める。
・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約されるだろう。
・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、部分をそれらの
会社にアウトソースしている。ヴァージン航空を率いるリチャード・ブランソンは、ヤーキェリー
計画のような弾道飛行によって宇宙に出るサービスを提供する会社を始めているが、
まだ一回あたりの費用が二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、
 今後費用が下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。
・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を占めなければ
ならないことになっている。 その正体を知ることは、当面の大きな宇宙探索の目的のひとつ。
宇宙の膨張が速度を増していることが近年観測されたが、それを説明するための
暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。
・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の発達によって
地球以外の生命の発見が今後なされるかも。
▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。それが、10の500乗の
別宇宙の存在の可能性が、実しやかに語られている。宇宙の知識も、天文科学の進化で
飛躍的に伸びている。40年前では、想像すらできなかった別宇宙の存在に匹敵する新たな
事実が発見されているのだろうが・・・ 「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が
 10の27乗の世界で、ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。
言葉として、マイナス35乗のミクロ物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。
現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。
 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた何かを実感できるのでは? 
 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、逆にマイナス35乗の物質世界の合計
62乗が私の世界? 理解不能!
・・・・・・
4202, 閑話小題 ー危所に遊ぶ
2012年09月27日(木)
   * 危所に遊ぶ
 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 危所は字のとおり危ない所だが、
「名人は定跡から外れ、未知の分野にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。が、他にも、
「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。
事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを動力にする。 危所を見極め、そこに隠された
キーを見つけることがポイント。ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を合理的に
乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。
人生を充実させるには、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。これも「危所に遊ぶ」である。
   * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」
 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、
その数倍も酷い惨状になっている。まさか、地元の越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。上越新幹線もトンネル内で脱線。
世界を見れば、アフガン、イラクにアメリカが攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック。
更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。そして近将来には、リーマンショックによる
世界恐慌が覆い尽くそうとしている。この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容など、まだ甘い。
 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。
更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、
尖閣列島の領土問題を大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。ドラッガーではないが、「断絶の時代」に
本格的に入ったということ。何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・・
・・・・・
3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
2011年09月27日(火)
 二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。
金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、
北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。
手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。
TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、
人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。  ところでiPadのアプリをみていたら、
「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 
てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。
しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、
引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。
日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。
≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。
 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、
そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、
手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が
もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。
  『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。
 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる
 グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の
 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。
 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは
 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。
 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。
 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。
 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、
 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】
・・・・・・・
3472, 人生、よもやま話
2010年09月27日(月)
 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 
現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく
犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。
這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。
そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、
この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと
父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の
家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。
今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。
そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。
二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして
ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
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3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!
2009年09月27日(日)
ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
   ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  *恐慌前夜、何に投資すればよいかー
  *すべての金融商品は「保険」から始ったー
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題
  *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」
というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。
もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。
  *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく    (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達
一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)


4943,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー51(余禄)

2014年09月26日(金)

   * 「倒産が悪い」は、思い込み?
 倒産など、実際のところ、その数ヶ月前までは思ってもいなかった。繁華街のど真中の商家で
10歳まで住んでいたため、両親の話題は周辺の倒産話。その生々しい具体例を多く聞かされた。
さらに姉夫婦と、兄の会社の倒産の相談も受けていた。それが、まさか自分も!とは。 
それもあり、新潟駅前の事業設計には、万一の備えを長年にかけしていた。
 以前にも書いたが、《 家内とは通帳を別にして、家内名義の給与を与え、そこから厚生年金と
社会保険をかけ。事業には家内も含め家族・親戚は入れない。地元にはホテルをつくらない。
御名士様の集まる会は同級会以外は避ける・・等々を守っていた。それが最悪の事態から
自分を守ってくれた。 身近の姉と兄の倒産の実態を見ていたが、高利貸しなど街金融に
手を出さなかった以外、備えはなかったようだ。
 「倒産=悪」と思うのは仕方がないが、見込みのない経営を続けるより、深手になる以前の、
体力のあるうちの整理は、むしろ良いはず。そのためには、長年かけた備えが必要。 
最後は、こうなり少しはガッカリはしたが、学生時代に決心した創業人生を生きなかったら、
確実に絶望か大きな後悔を持ったはず。 45年の人生は、それを最小にしてくれているが、
自分で気づいてないが、愚痴を書いていたかも?。
『不安、挫折、絶望などのマイナス100のことは、エネルギー面では、プラス100と、同じ」と、
脳科学者・茂木健一郎の言葉にあったが・・ 最後の節目と、現在も含め、自分と周囲の上面の
視点が面白い! そうこう経験してみて、この結果も決して悪くはない!
私には丁度よい塩梅だったと思うしかないが  |ω・`)
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4576, ほめことば練習帳 ー3
2013年09月26日(木)                     
   * 第二歩目は関心を持つということ。   「ほめことば練習帳」山下景子著  
  ー要約の箇所からー
《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。それだけ、この国の風土を愛し、
 関心を寄せてきた証。人間が好きな人は、自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、
ほめる材料にこと欠かないでしょう。自分の価値観や思い込みに縛られている人はほめることができません。
粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を
否定しているのですから。ひとりひとり違う人の能力。それを敬う気持ちが、ほめ言葉につながるのでしょう。》
  ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉)
 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き/圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/
 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる
▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。ほめることは、相手だけでなく、
 自分を肯定することになる。このことを自ら分かっているか?というと、分かってない。 
肯定は意志。それが分からない。
    * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉
《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩としてまとめました。
 特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。しかし、それゆえの弊害もあります。
よく「心にもないお世辞」などといいますが、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。
下心がなくても、相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても相手が感じなければ、
 ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることに
よる効果を期待することの方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すためにほめるなどと
いうことも、見返りを求めているといえないでしょうか。ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈り物をすることは
あっても、はじめから見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》
  ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉
 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/雰囲気があるいい/気が利く/
 卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも
▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、綺麗な包装紙で包む必要がある。
まずは身近な家族から、ほめる訓練をしてみようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。
その時がチャンスである。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が子供の頃から常に褒めてくれていた。
  ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入る。
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4201, 呪いの時代 ー16
2012年09月26日(水)                              
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2     「呪いの時代」内田樹著 
「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥り
やすい心理トリック。その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年の節目にハッとする。
「本来の自分はこんな会社にいるべき人間でなかった!自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」と
いう幻想のなせるワザに気づかない。 結婚相手の選定の失敗と思う夫婦の確率95パーセントと酷似している。 
結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。それ以前に人生は幻想そのものだが。で、結婚相手と、
選定した職業を呪うのが必然となると、大方の人は人生を呪う宿命?になる。だから老人の顔は肉体の衰いと
病気が重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでないことで諦めがつくというもの。
誤解をして結婚、理解して離婚というが、その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。
幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。 ありもしない「ほんとうの私」さがしが高じるとルーツを知りたくなる。
ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、源氏の末裔だろうが、それが何だと
いうのだろう。その間に嫁の血が入っているため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての
「ほんとうの私」とは何か考えてみた。そう、HP内に10年以上もかけ、いろいろアップしてきた、これ?。 
で、どうした? どうでもない! ただ、それだけ。これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、
この程度のもの。 その「正味の私」も、怪しげなもの。あとは文章と同じように、最後はひねりをいれ自嘲する
しかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の「正味の私」を何とかフォローしようとする。
それが性格の歪みになり、その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。
そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、政府に攻撃することになる。だから首相は
一年も持たない。権力闘争で批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。 あるべき
「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの時代では、権力奪取に有効に働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、
このザマ。そして、今度は「維新の党」である。しかし結果は火を見るより明らか。とはいえ、自公民の延長は困る。
そうなると連立で強権政府を時限立法で、大鉈をふるうしかない。要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、
正味の日本になるしかないと割り切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、自主憲法を作り直し、国民全体の
生活を数段落とし(消費時アップ)、地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。現実に、そうなる。
アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる!
・・・・・・・
3836, ツール(道具)について考えてみる ー3
2011年09月26日(月)
 どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。
情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の
方向に限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。
それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁
国家の現象。知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。
また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター
(ビデオ)、映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚の
タブレットに集約されたこと。音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も
同じ流れが生じてきた。本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出ている。
(ある時期が過ぎると自動的に消える)iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく
増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものをダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 
数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。対戦相手が必要な場合、
ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 
 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚の
ICチップに80億個以上のトランジスターが入ったものが出ているという。トランジスターは私が十歳代前半
の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきたトランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 
あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが80億もICに入っているなら、
iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、世界を根底から
変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭
する生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 
ツールはツールである。午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。
逆に中途半端か。こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
 ・・・・・・・
3471, 久々のジョーク -9
2010年09月26日(日)
  * 呼び方
  * 男女の差
  * 動物愛護
  * 祈り
  * 離婚の理由
 ( 以下、字数の関係でカット2012年9月26日 )
・・・
2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
  *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化
されれば750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が「GSEはすでに
実質超過(破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
 *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
 今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、
解りやすい記述があった。具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学ができた
ところであり、その原点がデルフィでもある。最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への
動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。少しでも多く触れて、世界を知る
ことが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。ツアーとはいえ世界の光の場に
多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。著書の説明程度だろうと期待して
いなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!


4942,野口秀世だけが、何故?

2014年09月25日(木)

   * 偉人といわれる人も           〜「お金の正体」日下公人著より
 どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、そんなものかも。 
 戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観の世界の仲間入りをするため。 
 開国をして国際社会に、うって出なければ世界列強の餌食になっていたのは明らかである。
   ーその辺りからー
≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、いち早く欧化にめざめ
 文明開化した。だから、それを追い越すためには旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と
直結しなくては、というわけだ。産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、
欧化すると自分は薩長より上だという意識になる。だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、
向こうの現地人と結婚したりした。
 野口英世についても、昔「文藝春秋」に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身の
お医者さんで、ツツガムシ病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないか。
日本人ならツツガムシ病を治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、野口英世ばかり
褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。そのとおりである。ヨーロッパをぐるっと回って、
なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の研究所や博物館がたくさんあるのかと思った。
考えてみれば、ヨーロッパはアジアや南米やシベリアを侵略して、何かをかっぱらってきて
豊かになったのだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じである。
そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所があるのはおかしい。
その淵源は、たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒーか何かを栽培すれば儲かるのでは
ないかと、大挙して白人が行ったら、風土病で半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の
治療法を研究するが、研究も危険な仕事である。それを日本人がやってくれるから、
大変ありがたい。ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。
それを野口英世が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな
銅像が一つあるらしい。それを日本は国家的名誉としている。
医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫
▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。ところが、
 その中国を侵略をしていた当時の実態を見て、欧米の思想、価値観、を国家一丸として
導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、地域別でみると、「アジア人 57%、
ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、アフリカ人 8%となっている。その黄色人種多くを
占めるアジアに、重心が、移動している。 しかし、世界にはカースト的構造があって、白、赤、
黄色、黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在する。
野口英世も、その価値観からみた偉人?の一人でしかない
。「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。
・・・・・・
4575, ほめことば練習帳 ー2
2013年09月25日(水)                    
    第1歩 感動を伝えるほめ言葉     「ほめことば練習帳」山下景子著
「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。そのためには、積極的に
大自然、芸術作品、小説、一流の人の講演会などに接することである。 今ではTV、インター
ネットで、接する機会が多くある。まずは、機会を増やして感動量を多く経験するしかない。
そうすると、その面積、体積の接触面が大きくなり、大きくなるにつれ、感動対象が増えてくる。
感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの自分の「分」の際(極限)を、
破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまるところ、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。
ところで、心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、ちょっぴり
心が病んでいる状態。そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、心の健康のバロ
メイターといえるかもしれません。だからこそ、幸せな人ほど、よくほめるということでしょう。
その逆手をとって、ほめることによって、幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙/天晴れ
/溜息が漏れる/拍手/喝采/ 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが落ちる/
昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、そのまま、言葉で表現
出来ることが重要になる。記憶として残すためである。 そのためには健康な心が必要となる。
対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積こそ、その人そのもの。 感動、感激、感謝は、
心が純真で、張り詰めてこそ大きく振動する。と同時に、それを感じるとる素養が無ければ。
人生は如何に多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。
感動を伝えることも、与えてくれた対象に対し言葉として、表現することで、対象も、自分の
心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、「これを見た『前』と『後』と
いえるほどの感動だ」という言葉が自然と出てきた。一級品、一流の人、絶景に接すれば、
素養に比例して言葉が自然と出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
・・・・・・
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを発表したが、「変?」と
思ったのは私だけでないはず。外出先からの遠隔操作でエアコンや、炊飯器のスイッチを
いれたりするのが、果たして便利な生活なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、
いや何倍も高いのは、消費者ニーズとは大きくかけ離れる。
発表された「スマート家電」はエアコン、ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、
体組成バランス計、活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、
スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用アプリでメニュー
選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、
洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせたコースの設定をスマホに入力し、これを
洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電の
コントローラーとしても使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、
致命傷になる。これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。やはり、その年月は長い。
今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。
四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、
戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、
平時の数倍の人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから
生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂と対話している
ことになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。両親は、私にとって限りなく純粋で
愛情の塊のような人だった。独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
・・・・・・
3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に
置き換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、
その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換え
たものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、
器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ
(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、創造してゆく原理に相応している、
と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の
働きを助けるためのものである。】とあった。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 
自分の目的に最適なツールに出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 
学生時代を振り返ると、努力のわり成績が良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が
上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、
授業中と、その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、
兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な
機能を外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然
(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの
全機能が小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時に
コピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。「目的遂行の
ための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストのツールを使わない手はない。
それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
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3470, 昨日は母の15回忌
 2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容、夢から醒めても
暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」
と驚いてみた。家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので
溜まっており、その捌け口で徘徊を始める。本人にとって、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているよう。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になり死線を漂った後、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに
向かって全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をし、
設定したライバルに対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。
両親が42、38歳の8人兄姉の末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、
現在になって分かった。冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場で、天国である。
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3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」             解)好きだね、こういうの!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『コラコラどうしたんだお前たち』
 兄 『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』
 父 『お前たち……』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『お前のほうだよ!』 妹『お兄ちゃんよ!』 解)これも!親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだって
  ぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから。嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
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2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりに
リーマンブラザーズが倒産した。そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。あとで、あの日(9月15日)が・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
 (字数数限のため、カット12年09月25日)
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2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、
対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、
どっちが大事?」を、論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と
「仕事」は同類のものではない。同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。
この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが
 会社勤めの最低条件。その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、
 「収入が入らなくなったり、転職をしたらゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。
 そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。  (字数数限のため、カット09年09月25日)
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)


4941,閑話小題 ー夜半にみた恐ろしい夢

2014年09月24日(水)

* 夜半にみた恐ろしい夢
 昨日の朝方2時半頃だったか、恐ろしく生々しい夢をみた。ーそのショートショートとは
《 居間でウトウトしていると、突然、立派な袈裟を着た僧侶が部屋に入ってきた。
 ハッとし夢から覚め、何だと思った次の瞬間、全身ねずみ色の姿が現れ出た。
そこで、恐怖でパニック、悲鳴と共に思いきり蹴飛ばした、と同時に目覚めた。その時、実際に
上布団を蹴っていた。隣に寝ていた家内は、気づかなかった。 時どき家内に、「夢か何かで
魘されていて煩い!」と、文句を言われていたが、成るほど!
坊様と、ねずみ色の影の二重構造の夢とは面白い! お迎えが近いのか? 何だろう! 
 その前日の小学校の同期会で、同級の悪ガキだった男が、「数ヶ月前に切腹をした。
片足、いや両足が棺桶に入っている。80歳までは生きれると思っていたが・・」と、死の恐怖に
怯えていたことを思い出した直後の夢。「他人事でないぞ」という想いが、この物語として
夢になった、か。 三年前の節目から、同級会の度に嫌味を言われたが、三度目に
「この男、危ない事態になる!(私の節目の傷口に触れたため)」と直感したが、案の定、
こういうカタチになった?。意味ある偶然だが、「危ない何かが起きる!」と思ったのは確か。 
更に辛辣なのが何人もいるが、いまだ元気だから、これ、起こってしまった現実の、あと講釈。 
 夜半にみた夢は、それを注意にきた坊様と解釈すると、筋が通るが・・
 「自分の傷口を、傷ついた他人の血で洗うと、毒がまわるから気をつけろ!」という注意か。
この年齢になれば、「どの道、直ぐに死ぬのだから!」 少し早いか遅いかの差でしかない。
 ところが、この下書きを終え居間に戻った昨日の夕方、家内が、
『明日、お母さんの命日、知っているの』  さて母の墓参り、般若心経をあげにいくとする。 
そういえば、二日前のこの随日で、母のことを書いていた。 この二つの文が、そのまま、
母親への供養である。 私にとって両親はベストの親と感謝している!
・・・・・・
4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5
2013年09月24日(火)
   * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車専門チェーンの
「あさひ」に届いたと連絡があった。4年間乗ったマウンテンバイクについで二台目のスポーツ
自転車になる。まずスピードがマウンテンより2倍近く出るのがよい。これで何が変わるか
楽しみだったが、単純だが、一時間のポタリングの周遊範囲が自動的にスピードに比例し
二倍になった。 なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。
人間も知識と情報により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、コースをどこにしようか
考えてはいたが、実際に走ってみると見えてくる。信濃川の土手の二つの大橋一周から、
土手の下にある河川敷のコースも見つけ走ることにした。当面は、秋という季節柄、
一時間から一時間半から二時間とすると三倍の距離、走ることになる。
連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と昨日、二時間走ってきた。乗り心地はMTB
(マウンテンバイク)は、小回りがきいて、軽く、目線が地面に近いローラースケートという
感じだが、クロスバイクは、ズッシリとして、目線が高く、スピード感がある。
今までレースタイプにスイスイ追い越されていったが、今度は、追い越す方に移行するが、
4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。欠点は、一時停車の時、
つま先立ちになること。 しかし、スポーツ自転車の基本は、つま先立ちになるまでサドルを
上げることというから、一週間位の訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、
女またぎがスポーツ自転車の基本。停車の時は、一度、サドルから前に腰を外し、両脚を
地面につけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 これで二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?の仲間入り。
一応、自転車愛好家と自認できる。ところで、買う気になって、スポーツ専門店の売り場に
入ったのと、冷やかしとでは違って見えてくる。 自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、
それにしても種類が豊富である。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。 
ネットで買うのと、店舗で説明を受けた一割の差は何か?というと、自転車にまつわる
情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを受けることにしたが、それだけの情報と
サービスはあった。旧来の自転車屋は、パンクやブレーキの修理を必要とする、土着の商売。
地元の長岡では、20〜30年前まで100軒あった店が20軒に激減したという。
自転車本体が、スーパーや、HCの攻勢で、売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが
見本陳列で取り寄せがベース。 その分、多くの見本がある。 あと冬季間まで二ヶ月、
まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
4199, 呪いの時代 ー15
2012年09月24日(月)                          
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却      「呪いの時代」内田樹著
<実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている>というドキッ!とする説が、
ここで書かれている。誰の心の奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。それが何時の間にか、
理想の自分が「ほんとうの自分」という幻想になり、それが「正味の自分」にとって替わっていた
としたら・・ 何だろう何時も独り呟いている  「本当の自分とは?」 ーその辺からー
≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的となったものは、
 具体的なものや、誰かでなく、妄想し、『本当の自分』が所有するべきもの、占めているべき
地位を不当に簒奪している誰かである。その呪いは、何時の間にか現実の力を持ってしまい、
破壊の塊になってしまう。破壊の力は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど害にはならない。
攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したときなのです。だから、
私たちにとって喫緊の問題は、妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さず、
生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない「正味の自分」こそ主体としてあくまで
維持することです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本のメディアは全力を
挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。≫
 ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。
 周辺に見られていると思っていた 「正味の自分」が、自分の実像でないか?>である。
社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を
見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、このようにコペルニクス的な
ドンデン返しの真理を突きつけられると、根こそぎ人生を考え直さなければならない。
そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。話は少し変わるが、土曜の午前中に家族の
外見変身をテーマにした番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。
変身願望の家族、特に主婦に、番組が美容とブランド品の服飾で変身させ、あたかも、
本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と幻想的セレブの家族を演出する。
見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、
少し豊かになり背伸びをすると、 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。
森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると正味の自分に向き
合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。
(それさえ気づかない人が多い)それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつ
ある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロになるなど総下流化の様相。
その怒りが呪いになっている。「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。
呪いは、自滅につながる。なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、
正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
 ・・・・・・
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。
足馴しに自転車で自宅から20分ほどの信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周
したが、自動アシストのためペダルのストレスが半減。そのためか信濃川一周のポタリングが
快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。
そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からの
パノラマはライン川の風景に決して劣らない。それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た
開放感が良い。自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、丁度その頃に
工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあり、切り替え時だった。 
以来、12月から3月を除いた連日、信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱。
新たな手段が生活を変えてしまった。10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の
思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。それ以来、パソコンとネットが生活の核に
なっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として
残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって
読み返して気づいたこともあって、一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。
事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、書き残すことの価値を
知っているからこそ続いている。日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。
そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの
利点を直感しているから書き続けている。 要は、道具が逆に行動、習慣を決めてしまうのである。 
道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
 ・・・・・・・
3469, 基本的信頼
2010年09月24日(金)
 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。
それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、
身近に幼児期に両親の愛情がタップリ入っている人がいる。
その過剰は自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。
乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると
「世界は自分を大切に扱ってくれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 
この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は
叶えられるという全能感を得ることが出来る。基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、
子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。E.エリクソンによると、
「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。
「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」
という基本的な信頼感を、乳幼児は求めているのである。片親の子供は就職に不利というが、
企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を選択するのも、こういう事情がある。
それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。
その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると
同じ環境で育っても大きく違う。それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、
多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感があるだけで充分に恵まれていた。
過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。
今日は母の命日で亡くなって14年になる。
・・・・・・・・
3094,久々にジョーク −2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちて
いるのに気づいた。それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。
魔法使いは老婆に向かって語りかけた。「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶て差し
上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、
老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。「大金持ちになりたい。
使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を
唱えると、宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。「よろしい。あなたのたった
一つの願い事を言ってごらんなさい」 男は答えた。「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」 》
(字数の関係で中間カット、2012年09月24日)
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2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
   ー物語の力ー
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。その筋たての準備に、
可能な限りエネルギーを入れなければならない。それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の
弁護士になったのである。これは全てのことに言えることだ。言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは
真実である。以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように骨組みがある。
 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
 ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
 (字数制限のためカット 2014年9月24日)


4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会

2014年09月23日(火)

   * 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は、昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。 会場は長岡の奥座敷といわる
蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。出席者が西澤先生をふくめ25名。 
前回より数人少なかったが・・ 18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が
開かれ、22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。
その間の4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会であった。
南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ帰ってきた人たちがいた。
小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして
良かった。私のクラスの担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。奥さんを10年前に亡くされ、
独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人でこなしている。近くに近くの川崎小学校の校長を
している長男が、住んでいるため、一人暮らしの心配は無いという。そろそろ、ガタがきている
私たちとは、出来が違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、
今では同期会にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
  
・・・・・・
4573, 2050年の世界 ー7
2013年09月23日(月)       
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部(著)
 10年前にスマートフォン、タブレットPCが、ここまで普及すると誰が想像できただろうか。 
まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の姿の予測など不可能である。せめて10年先の
情報技術の成果の一端を見てみたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを
目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。
それよりも、それぞれの持っている脳機能にパソコンが連動するような機能も出てくる。
 * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより
 インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理されるデーター量は
指数関数的な割で 増えているので、経済、社会ともに今後の変化を加速する。
・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、発見、知識の共有を
 拡大するものに重点が置かれていく。
・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。
・記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多がわたしたちの
時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の成長率の四倍、コンピェーターの
演算能力は九倍の速さで増大している。
・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセントの伸びで
成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりができるスカイプの登場で
減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社が各国の通信市場を独占していたが、
技術革新によってその地位はより相対化されていく。
・マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワークコンピューター化する
ユビキタスネットワークを推進する。
・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが集められるようになり、
社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての自動車がどの道路をどのように何時間かけて
通ってきたかを捕捉できるソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。
・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。
・アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、それにかかる時間は
どんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入さ れて大衆化するまでに三五年かかった。 
 一九九一年のウェブの誕生からアメリカの人口の四分の一に普及するまでは、
わずか七年を要しただけだった。
・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも及ばない。
二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な命令数で演算能力を計測
すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる神経インパルスの最大数ほどにしかならない。
▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。その魅力に惹かれて、
毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。これも情報技術の進化の現象の一つ。
TVも、スマホと連動する情報端末(スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの
二極化は、ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。
・・・・・・
4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
    * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえてきた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラーと白けてしまった。
その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で聞いていて、その場に
飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で一世帯あたりの預金高について書いたが、
平均預金残高1150万を何故か鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は
  前年500万より80万円少ない420万円。
 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。
ー40世帯に一世帯になる。
 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で月額30万円の
年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は40%で、
「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら0の人を加えたら、
過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の
「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
 ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を育てあげ家の
ローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、
ランチをするというだけで、収入が中の上以上クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、
地方では上クラス。推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。
日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどりの馬鹿そのもの。
ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 (本人から聞いてみた) 
それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、使い方が実に巧い。だから金の方から
  近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い?
  あれと何は使える時に使うもの!森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。
サバンナには味がある。  
・・・・
3833, 閑話小題
2011年09月23日(金)
   * 病上手の、死に下手
「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、それで良いのかどうか?
用が済んだら、さっさと消えるのも必要かもしれない。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。
 ネット辞書で、【“よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で
言われてきた 】病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 
それぞれの人に、それぞれの死に時がある、「病上手」のかわりに、「生き上手の、死に下手」
に置き換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」という意味と同時に、「人生を上手く生きて
きた人ほど死に際は良くない」ということ。身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。
これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」があった。 
なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って考えてみると、その方が頷ける?
「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。
   * パソコン・ゲーム
 iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 
無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に
座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになってフロントからみえる道路を疾走する。
左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもする。
(大事故にならない設定)終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ
奇妙な気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ 
フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドルとアクセルと
ブレーキでコントロール。これも面白い。他にも幾つかフリーのゲームを使っている。
とにかく始めたら止められないで2時間3時間など直ぐに経つ。ゲームに熱中している
子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに
熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、
底知れぬ面白い渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。
 ・・・・・・・
3468. 閑話小題
2010年09月23日(木)
  * 検察の特捜主任検事を逮捕
 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。
ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたというから、
何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を読んだことがある。
彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を強引に集め起訴をする。
そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るというのが共通項である。 その一端が、
今回の事件に現われている。これまで、国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が
多くあったとが窺える。検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩に
なるから想像を絶する世界?? 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは夢に
だに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、雑誌などで、多くの
コメントや手記を出すことになる。検察もたまったものでない。情報化で国家権力を持った者でも、
以前のように抑えることが出来なくなってきたのである。手記からすると暴力装置を持った官僚、
それが検察、末端が警察。
    * 尖閣漁船衝突問題について
  ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー
 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』を読むと「目から鱗」
の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と「私」しかない中国だ。お二人は「論語」にある
 「父親が羊を盗む話」をあげ説明する。
 ▼ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、
父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。父親がどんなに
悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。  石平氏は「孔子は公を無視している」という。
 ▼これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」に尽くす「忠」を重視して
きたそうだ。何事か起きると、日本人が「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。
  明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。
 ▼そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側の対応はよくわかる。
現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に従うとかいった「公」の気持ちはさらさらない。
ただ自国の船を守り、日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。
 ▼その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで延期になった。
温家宝首相の招待で予定されていたが、中国側が「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。
報復のつもりだろう。楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。
 ▼容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、あまり意味が
あるとは思えない。事件を通じ違いを知ったとすれば、その方が真の友好につながる。
断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】
―以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、結局は資産とノウハウを
奪い去られる運命か。「第二次世界大戦で、日本が中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が
悪い」という論も成立する。中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。 
  ・・・・・・・・
3093,久々にジョーク −1
2009年09月23日(水)
 一時期にジョークに興味を持って100以上を収集した。どれもこれも面白いものばかり。
ところが、ある時期から、これはという面白いものが無くなってしまった。ハッキリいうと、
ジョークは聞くほうに、それなりの素養が無いと笑いが生じない。周囲には、その捻りの妙の
可笑しさが解る人は極少?で、何時の間にか、酒席でも話すのを止めてしまった。
先日、借りた「続・ジョーク世界一」に、面白いものがあった。下ネタの、聖(ひじり)ものと、
老婆もの。最後の一言で落とすのが、ブラックものの面白さである。それにしても久々にニヤリ。
  * 神の思し召し
 医師と密会していた女性、やがて妊娠することに。困り果てた二人はいろいろ対策を考えたが、
名案が浮かばない。出産がどんどん近づいてくる。丁度そのころ、一人の神父が腸の手術をする
ため入院してきた。医師はひらめいた。 「神父の手術を終えたところで、赤ん坊が誕生したと
言って神父に押しつけよう」医師に計画を打ち明けられたが、女性は懐疑的だった。
「それしか道はないんだ。やってみよう」 医師は女性の出産と神父の手術を同時におこない、
神父に向かって言った。「神父さま、こう言っても信じられないでしょうけど・・・」「何だったね、
何があったんだね?」問い返す神父に耳元に「神父様のお腹に赤ちゃんが宿ってました。
幸い赤ちゃんは元気です」「そんなバカな。ありえない」「そのありえないことが起きたんです。
わたしがこの手で取り上げたんですから、間違いありません」「奇跡だ!」「ええ、奇跡です」 
奇跡の言葉に弱い神父は`すべては神の思し召し′と、結果を受け入れ、赤ん坊を連れて
修道院へ戻った。それから十五年経ったある日、神父は息子を呼んで語り始めた。
「おまえも十五歳になったんだから、わたしは真実を語らなければならない。
実は・・わたしは、おまえの父親ではなく…」「何なんですか?」「母親なんだ」驚いた少年は
問い返した。「じゃあ、お父さんは誰なんですか?」「これは絶対に内緒だぞ。おまえの父さんは
となり町のあの大きな教会の司教さま・・・」  (字数制限のためカット 2012年9月23日)
・・・・・・・
2728,  議論に絶対負けない法 −3
 2008年09月23日(火)
  議論に絶対負けない法」−3   ー読書日記
物語になるまで、筋書きに対する準備に徹する、それも楽しんでやれるかどうかである。
以下は、この本の一番好きな部分である。成功のノウハウが、この部分に全て含まれている!と、
いってよいほど。この天才的な弁護士が百戦百勝している最大の秘訣である。
好きこそ、ものの上手けれというが、何事も好きになり、その準備を楽しまなければならない。
  Pー195
  *私が百戦百勝している最大の秘訣
 準備!そこから魔法がはじまる! だが私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。
彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたいのだ。
本当の準備は労働などではないと彼らに説明できればいいのだが…。準備とは、創造する喜びだ。 
  (字数制限のためカット 2011年9月23日)
・・・・・・・・・
2007年09月23日(日)
2364, 哲学とは何か、考えてみようか?
          Good☆Morning (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
池田晶子から、再び中島義道に戻るのも良いだろう。脳の筋肉を使わないと独りよがりの理屈の捏ね回しに
なってしまう。色いろな本を手がかりに、自分で脳の筋肉を使うしかない。その手っ取り早いのが哲学。
それも、同じことを同じように、何度も繰り返しながら、一人ブツブツと独り言を呟きながら・・・
私の場合特に、自分の経験を照らし合わせて理解することが多い。何ごとも初めは心と頭を空にして
(空即是色から始めないと)新しいことは出来ない。解ったふりとか、それまでの些細な知識や経験は、
全て邪魔になる。それが創造である。 哲学は何ごとも一度横において、原点を見つめることである。
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
ー夏には哲学がよく似合うー  P-51
メルローーポンティは言う。「真の哲学とは世界を見ることを学びなおすことである」脳髄の中はクルクル
思考が回っている。この「私」とは何者なのか?太陽が眩しい「いま」という時、それは何なのか?太陽から
私の身体までのこの空間とは何なのか?このごろとくに考えること。それは、「見えるもの」は「見えないもの」
に支えられて初めて見えるということだ。他人の心も見えない…膨大な数の「見えないもの」に支えられて、
特定の風景がいま眼前に広がっている。ここにメルローポンティとカントを繋ぐ線があるのではないか。
カントの言う「経験を可能にする条件」とは、「見えるもの」を見えるようにする「見えないもの」なのだ。
フムフムいいそ、いいそ…。哲学者とは夏の海岸でも、こういうことを絶えず考えている変な奴。
メルローポンテイは次のようにも言う。「哲学者とは、目覚めそして話す人間のことである」(『眼と精神』)。
「目覚めている」とは、絶えず周囲世界を見ているということである。そして「話す」とは、それを絶えず
言語化しているということ。この条件さえ満たせば、誰でも哲学者になれる。というより、すでに哲学者。
いや・もう一つの条件を加えておこう。 (以下、字数の関係でカット2013年9月23日)


4939,「あなたの家の宝物は何ですか」

2014年09月22日(月)

* 我家の宝物は私です!      〜『お金の正体』日下公人著より
 「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 
何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ父親に孫のように
扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩くことが多かった。また、母親も、
忙しい商売の最中でも、時々だが、寝しなに、「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。
その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。
親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー
≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。
 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に
「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは
「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性がいたという。
「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と聞と、彼女は「そりゃあそうです、
わたしのことです。わたしがわが家の宝です」と答えた。父親が工場で働いているので、
夜遅くまで残業して、疲れて帰ってくるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 
そのときはわたしの頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。
父さんがそう言ってたから、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。
 人事部長は感激して採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。
つまり、かつての日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、
子供が育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい
何をするためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の背後に
ある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。・・・ ≫
▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。
 その割には、温みが少ないのは何だろう? 終戦直後に生まれて、ドサクサの生活環境も
あったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま出ている人がいる。
それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 「あなたの(家の)お宝は何?」
の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」こそが、お宝である。 その「わたし」とは、
外界との触媒の中で、「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。
ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などにシャワーのように
浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、まず自分に対しての勤め。
それこそがお宝である。  とすると、やはり家系と、温もりが大事?  
・・・・・・
4572, ほめことば練習帳
2013年09月22日(日)
  * ほめることは、それだけで立派な行為!    「ほめことば練習帳」山下景子著
 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。
 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー
《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。「秀」は「穂」と同じで、
高く秀でているものや、目立つもの、優れたもののこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという
意味で使われていた。「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、
そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、本来の「ほめる」に近い。
古代、日本人は、言霊を信じていました。
 言葉には、魂がある。 そして言葉に出すことによって、事柄として表現する。
そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して伝えようとしたのでしょう。
良いのものは、相手に良いと伝える。優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・・・
 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなります。
特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。
そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。
 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな言葉が収集されている。
題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になりましょう、といったテクニック的内容でない。
 ほめ言葉という贈り物を、6つの引き出しに分類して収集している。  それを6つステップとして
   第1歩 感動を伝えるほめ言葉    第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉
   第3歩 潤滑油となるほめ言葉    第4歩 魅力を引き出すほめ言葉
   第5歩 人生を応援するほめ言葉   第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。  》
▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、人生を応援し、
幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」
「褒美」になる。褒美とは、美しさを褒めること。そのためには褒め言葉の語彙を多く知って
置かなければならない。人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。
贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、実践となると難しい。
それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉として自然と出てくる。
女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。
だから、三回、間接的表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、
「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じことをしても、
それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良いのが多いから、それだけで好き」とか。
「服装のセンスがいいね。姉から、女性の見分け方は、化粧を服装のセンスを見なさいと
教わったけど・・」とか。殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、
直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。
そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、そのひとつ。
母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しいのだから」があった。
その割に実行しなかった。「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。
・・・・・・
4197, 呪いの時代 ー14
2012年09月22日(土)
                 「呪いの時代」内田樹著 
  * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー
東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を最大限していたので、
最大規模の地震と津波にしては、これでも最小の被害で済んだ。 しかい太平洋沿岸で近い将来、
必ず大震災が起こるというから、大変な事態である。恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も
工場の移転が始まることになる。
日本は、ますます疲弊することになる。
 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー
≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたりできる危険のこと。
「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない危険のことである。喩えていえば、
W杯のファイナルを戦っているときに、残り時間1分で、1点のビハインドは「リスク」である。
このリスクは監督の采配や、ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。
一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは「デインジャー」である。
対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれていない。だが、そういう場合でも、周囲の状況を
見回して「ここは危ない、あっちへ逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。
こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。でも、いちばん
生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに行くと厭なことが起こりそうな
気がするから行かない」と言って、予定をキャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。
9・11テロの日も、「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が
何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すことは誰にもできない。
 ・・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、生き延びたことに『理由』を
求めるのは愚かなことである」と言うような発言をしてはならない。それは死者を二重に穢す
ことになるからである。
私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちはその都度
「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ私が生き残ったことには
理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想でもオカルトでもなく、人間的意味を
「これから」構築するための必須条件なのである。だから、WTCをテロの直前に離れた人が
「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を
発見するようになるのは当然のことなのである。そうすべきなのである。
私が生き残ったことに意味があると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。
誰かがそう思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。
そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、ほんとうに
「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」ということを身を以て証明
しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間あまりに安全で豊かであったせいで、
危険をすべて「リスク」としてしか考察しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処
できる能力はどうすれば開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない≫
▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、3・11東北大震災の
「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素が無かった、とはいえない。 それでも、
当初からの事業設計に万一の「デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を
得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。
「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。
これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。御陰で事業をたたみ裏山に
辿り着いたが、下を見るとノンビリとした世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。
・・・・・・
3832, 毒を溜めない! 日々 ー2
2011年09月22日(木)
  * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物
 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。という私も、その手になるか。
怒りは感情の動物、それは仕方ない。しかし、その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。
そのうち、その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、「怒り」が「怨念」に変わる。それは本人に
とって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 
 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に中村天風の「箴言集」をトイレと、
書斎の机近くの本棚に置き、ことあるごとに読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、
天風の言葉は、それを半減させる効用がある。何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが天風の言葉。 
天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に響いてくる。老化は人の心を冷やす働きがある。
人間の肉体も生(なま)もの、古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と痛みを
受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。しかし精神が傷むからマイナーの言葉に
支配される側面もある。人間で一番大事なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。 
何にでも興味をもって、その存在に驚くこと。「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。
「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまうのが老い。若いのに老化してしまって
いるのが大部分? 無知は老化に極似している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 
それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。 その壁が人間の脳には毒になる。 言葉は恐ろしい
魔物の側面がある。特に他者への侮蔑の言葉は、その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も
自分を傷つける。それは弱者の武器になるが、
自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が
底から沸々湧いて出る。それを常に浄化しておかないと顔に出る。 やはり宗教しかないのか、
人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
・・・・・・・
3467, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー11
2010年09月22日(水)
  * アフリカに魅せられて ー5
 アフリカは、ケニア・タンザニアに4回。 南アフリカ、西アフリカ、モロッコ、エジプト、それぞれ一回、
そしてイスラエルのコースでシナイ半島に立ち寄った一回を含めて9回行ったことになる。あとエチオピアか、
マダカスカル島に行きたいと思っている。アフリカの魅力は手付かずの大草原と、そこに住む野生動物と原住民。
それぞれの部落で社会形成が成されていて、彼らと我われの社会と何が違うのだろうか考えさせられる。 
父親がいて、母親がいて、子供がいて、それぞれの家庭がある。そして集落があって、酋長がいて一族を束ねている。
その視点で現在の自分が住んでいる社会と何が違うというのだろう。ポストモダン主義は、それを指摘した。
現象の背後にある構造から、これまでの欧米=先進国という思い込みを根こそぎ疑問を持ち、未開発地域の
人たちにも同じような文化が存在している事実に注目した。戦国時代、そして江戸時代の日本に日本を訪れた
宣教師や商人が、日本の文化レベルの高さに驚愕した手紙などが記録で残っている。それがアフリカのマサイ族の
部落などから感じ取ることが出来るのである。それはアフリカだけでないが。初めてアフリカに足を入れる前までは、
恐ろしく未開発で、文化程度の低い地域と思い込んでいた。しかしサバンナで出会うマサイ族の衣装と野生動物から
身を守るために持っている槍の取り合わせは、決してパリの美しい女性のセンスにひけをとらない。
サバンナの背景にピッタリで様になっている。彼らは彼らで何処かの街の市場で、自分に似合った柄の羽織?
を買い求め着ている。それを上から視線で見る輩もいるが、現地でみれば自分の無知を知ることになる。 
その視線で自分に流れている日常を見直すと、小さな自分の世界を見直すことができるのである。
 ・・・・・・・
3092,つれづれに ー閑話小題ー
2009年09月22日(火)
  * 自民党総裁選挙だと!
 民主党が政権を取り、自民党が新たに建て直しのための総裁選挙が始った。早くいえば敗戦処理のための一期だけの総裁である。
三人がTVで議論をしていたが、民主党の閣僚の斬新さと比べたら明らかに見劣りがする。勝てば官軍、負ければ賊軍で、まともなのは
河野太郎だけで、二人はボケ。派閥領袖達が談合の結果、谷垣禎一を総裁にするために西村康稔をワザワザ擁立したのはミエミエ。
その筋書きを国民が見ていることを老害連中には理解できないのである。 恐らく谷垣になるのだろうが、その方が日本にとってよい。 
それだけ自民党が嫌われ、立ち直りが遅れるからである。今のところ政権交代は現在のところ、それを選択した国民の方が、驚いているはず。
数年間は自民党の、これまでの悪臭が際立ってくる。 官僚に牛耳られてきた結果の腐りが、である。
  * 図書館にて
 昨日の午後に自宅近くの図書館に入ったところ、入口近くカウンターの7〜8人の館員が一斉に私を見ている。
それも全員が立ち上がっていて氷ついている。 一瞬何ごとか竦んでしまった。 次の瞬間、一人の男が怒鳴りだした。 私が入って来たので、
中断したようだ。 ホームレスのようで目が据わっている。何かの欝憤を晴らしているようだった。 対応が悪かったのか?館内でトラブルを
起こして追い出され悪態をついたのか? ところが「俺は長岡高校が大嫌い」だとか、要領を得ないことをいっている。二メートルほどだったが、
強盗でもないので無視をして本の返却をした。あの館員達の顔からしたら、かなりの剣幕だったのだろう。館員が受付の外で対応していたが、
ああいうのは相手との間隔をつめて身体を逆に密着すると、相手も気が飲まれる。 それにしても、銀行強盗に出くわしたような雰囲気だった。 
ホテル業は1〜2年に一度、流しのヤクザが因縁を創作してトラブルの演技で金を強請にくる。
また酒に飲まれた機嫌の悪い客が怒りをぶつけてくる。現場は、本当に大変である。 
  * 5連休か〜
 (以下、字数の関係でカット2008年09月22日)
・・・・・・・・・・
2727, ザ・オオズモウ
 2008年09月22日(月)
  *大相撲が面白い!
 ロシア人力士の麻薬事件と理事長辞任の異常事態の中で大相撲が始った。一場所を中止をする位の大事件なのに、
それ以上は騒ぎ立てなかった。ロシア人が不服を申し立て、そこに注目させた戦術が良かったようだ。 所詮は、その程度。
これからも次々に同じような問題が起こるだろう。大相撲の始まりは、神社の神事で力自慢の余興から始った。 
歌舞伎と類推すると、その本質が見えてくる。その意味では、外国人に開放したことで割り切るべきは割るきるべき。
歌舞伎に外国人開放したと同時に、それは「ザ・カブキ」に変質してしまう。柔道が「ジュウドウ」に変わってしまったのと同じである。
大相撲は、「ザ・オオズモウ」になってしまったのである。それが不可能なら、システムそのものを変えるべきである。
それと「国技」とかいう名前も返上すべきである。外国人の総量規制を一部屋一人ではなく、一国一人とし、20人以内にすべきだろう。
一年に2度位、それぞれの部屋単位でドーピング検査をするようにして、問題が発覚する前に処分するべき。
もちろん、抜き打ちは当然に徹底すべきである。日本人と外国人のマリファナに対する罪悪感が違うから、尚のこと徹底すべきである。
  *立ちあいの厳格化で、朝青龍が引退?
 最近になって気力が衰えていた朝青龍が、両手を確実についての立ちあいのため不調である。この力士の特技が立ちあいの張り手である。
下位の力士が横綱に張り手は出来ないのを逆に利用して張り手を武器にしていた。地位を利用した戦術と感心していたが、両手の手つきでは、
張り手がやりづらくなった。これで、力が半減してしまう!数場所以内の引退もあるだろう。新たな戦術をつくりだして再出発するには
気力が衰えている。しかし、ヒール役としての彼の役割は、あまりに大きい。前の理事長が擁護していたから、あれだけの不祥事の中、
引退をしないで済んでいたのだから、これまでの所業の積み重ねからして、新理事長の下では早々の引退だろう。
元もと芸能的色彩の強い業界だから、麻薬あり、リンチ殺人あり、八百長あり、それはそれで結構じゃないか! その辺が結論。 
 後記)2002年〜4年にかけて大相撲を取り上げていたが、成るほど時代は大きく変わっている。


4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年

2014年09月21日(日)

   * 長寿年齢の呼称と、厄年    〜還暦は満年齢、その他は数え年〜
 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、アッという間である。
ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 同期の男の4人に1人の割合で亡くなっている。
これが10年後には2人に1人の割りになる。もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。
  ーそこで長寿年齢の呼称を調べると
60才 還暦(かんれき) 60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。
70才 古稀(こき)  唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。
77才 喜寿(きじゅ)  喜の草体が七十七と読まれるから。
80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。
88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。
90才 卒寿      卒の通用異体字が卆だから。
99才 白寿(はくじゅ)  百の字から一を引くと99になるから。
100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。
108才 茶寿    草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108になる。
111才 皇寿   皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白にに足すと111になる。
112才 珍寿    112歳以上は珍しいため。
 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかりやすい年のこと。
厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが一般に広まったのが江戸時代のこと。
 江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、
現在では、男性が25歳、42歳、女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。
その中で、男性は42歳、女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、
恐れる風潮がある。
 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、節目時でもあった。
家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化している現在、果たして長寿が幸せか
疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。
傘寿まで11年ヶ月。 健康年齢(介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を
埋めていくことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、コンペティション)
の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることにヒントがありそうだ。
 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに解釈して、ソロで、彼方此方を
渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、老いからくる面倒くさい!が先に立つ。
・・・・・・
4571,閑話小題 ー火事に遭遇   
2013年09月21日(土)
   * 火事に遭遇
 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、長岡大橋に戻って
水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側から煙が立っていた。
工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラで写真を撮り、次に近づいて撮ったが、
まだ警察も消防もきていない。写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで
150m先、駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走るとパトカーと
消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく撮れたが・・・(9・19記)
  ー9・20日、追記ー 
 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。
18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と連れそいは逃げて無事。
あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会ったことになる。まさか、死者まで出ているとは! 
改めて、写真をみると凄い煙。通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、
車も止まらずいくし・・ 死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 
朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れることが多いが・・・
 ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、4軒ほど先の「監物ビル」の大火災が
あった。近所の二人の少年の火遊びが原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなった
ことと、近くで遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。
更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。
   * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注
 来春の三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文をした。
現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、やむなく注文。
ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなったため。我ながら変な性格である。
今度のものはパナソニックの電動アシストで、タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。
・・・・・・
4196, 呪いの時代 ー13
2012年09月21日(金)                                
    * 原発供養           「呪いの時代」内田樹著    
 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。国家の元首として、
歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、見舞うことが役割として最優先されることだが、
その行為に呪鎮の意味が入っているとみることができる。 ー以下も納得できるがー
≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離することで
 いっときの安心を買い、日本人は荒ぶる神を金儲けの道具にまで堕落させ、その在所を
ずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、怖くも何ともないよ」と言い募ることで
いっときの安心を買った。 どちらの安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。
 福島原発のふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を
受けたのではないかと思う。その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全設備の手抜きに
心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような危険なものを、こんなふうに「雑に」
扱ったのだろう… と海外の原子力研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」
したかったのか? 日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。
話は逆なのだ。 あまりに怖かったので、「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」
を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する恐怖心をそうやって
ごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」
と蹴ったり、唾を吐きかけたりして、「強がって」みた、 (・・・中略)
・・原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、呪鎮の儀を執り
行うべきだったと思う。盛り土をして、原子炉を土中に置くのである。塚に草が茂り、桜が咲き、
鳥がさえずるような広々とした場の下に原発を安置する。そこに神社仏閣を勧請する。
「原発神社」。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制して
くれていることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、「原発祭り」
を挙行する。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれて
いることを感謝するのである。(・・・中略)
 ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われたはずである(地鎮祭を
執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。
地鎮祭をしないと、日本人の作業員が現場に入ってくれないのなら、中国からでもフィリピン
からでも建築労働者を連れてきて断行すればよいではないか。
なぜ地鎮祭を行うのか。それは平屋の家を建てる工事においてでさえ、行われる。
「恐るべきもの」の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを現場の
働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるためのではなく、
人間の緊張を亢進させるための心的装置なのである。・・・≫
▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でもなかろうが。
ビル建設で地鎮祭を何度か経験したが、それはそれで大事な神事。しかし世界中のビル
工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。施工業者と、施主と、
土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。
 ・・・・・・
3831, 閑話小題
2011年09月21日(水)
  * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差
 東京の学生時代は寮暮らしだったが、そこは地方出身者の巣窟。それに比べ大学は
ミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。クラブに入って驚いたことは、都会人の会話の
センス。常にジョークか駄洒落を飛ばし会話を楽しんでいる。友人も教養課程のクラスでは席が
固定されている。そこで二分されるのが、都会出身者と地方出身者。服装からセンスが違う。
しかし都会出身者は、地方人の素朴さに惹かれるが、反面、どこか田舎者と見下げている。 
地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、日常の三食の食事など
生活のハンデがある。友人を見ていてキツイそうなのがアパート生活者。地方出身者は、
孤独な都会の一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女をつくるなど、まだ純真な
身にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。
やっと声がかかってくるのが学生生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。
とはいえ、女性の方は二段階上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと) 
その中で4人の姉たちを比較し、その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。
現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ?それからして、ギャップは、
あまりに大きい。という訳で私は学生時代に結婚相手を見つけないまま終わってしまった。
友人をみると、学生時代の相手と結婚したのは三分の一ぐらい。結婚相手を決めることは
互いに、人生を大きく左右するほどの決断。目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる
可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。
25人の地方出身者の寮に入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。 
しかし、必死に本を読んでいたことも確か。それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違う。
それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、一ヶ月の欧州旅行、
アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。小学校から大学時代を通して、
大学が最も恵まれていた。卒業直後、就職で地方にいったこともあり、もう一皮ぬけなかった
のが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・ しかし、話が合うのは
今でも都会の人たち、というより揉まれた人たち!  
・・・・・・・・
3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10
2010年09月21日(火)
 * アフリカに魅せられて ー4
  ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー
 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を目の当たりに見た
ような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラに広がる平野である。 
もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民マサイ族の生活保護のため国立公園から
分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。
野生保護区は、直径約16キロメートルの火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物
(キリンやインパラ以外)の象、ライオン、バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。 
外輪は2,400mの高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。
このためカルデラ内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどは
カルデラの外にでることはない。(象とか一部は出入りの道がある)  そこは周囲と隔離された
生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカのサバンナに生息する動物はほぼ観察する
ことができる。植物にはじまる食物連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。
上から下に下りて見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの
野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。それぞれの動物のテリトリーがあり、ジープを少し
走っただけで、色いろな動物に遭遇する。
実際に地球上にアフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。
そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロメートルに数百万年前の
初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。ここから人類がアフリカ大陸全体に、世界に
向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。
 ・・・・・・・・
3091,猫背の話
 2009年09月21日(月)
 数ヶ月前に、何気なく全身鏡の自分の猫背姿をみて愕然とした。腰を痛めていたこともあるが、首が少し前に出た
猫背の初老の男の姿が、そこにあった。毎日、散歩をして軽いストレッチをしていたのだが。しかしストレッチを
一年ぐらい気を抜いていたのは事実。 意識して背筋を伸ばすように心がけてはいたが。そこで、さっそく朝起きる
直前に布団の中で全身を伸ばし、背筋を伸ばすマシーンを探して取り寄せ矯正を始めた。 朝晩に使っているが、
これでかなり矯正はした。 ところで先日、TVのワイドショーで「猫背」をテーマにしていた。
・猫背には「首猫背」と「腰猫背」がある。
 首猫背は首が前に出た猫背で、腰猫背は腰が少し引けて上半身が前に傾いている姿勢。
・壁を背に密着して立って、脚から頭までピッタリとくっ付けば猫背ではない。
 首が壁につかないのが首猫背、背中もつかないのが、腰猫背。 
・静止して立っているときに、片方に重心を置く人や、脚を開いて立つ癖のある人には、猫背の可能性がある。
・姿勢にしても、歩行にしても、座っている姿も、理想的なカタチを自覚して、常に意識すること。
・中年女性のモデルが姿勢矯正のポイントして「モデルは壁の御友達」という言葉と方法を紹介していた。
  ー以下字数の関係で中間をカットー (2010年09月21日)ー
 ・・・・・・・・・
2726, 議論に絶対負けない法 −2
 2008年09月21日(日)
ランダムに面白そうなところから選んで考えてみる。「力の議論」の十大要素が纏めてあったが、
この本の要点である。よく読むと気がつくが、議論というより人生を前向きに活き活きいきるコツでもある。
孫氏の兵法にも通じる。 この本から多くのことを教えられる。
 ー「力の議論」の十大要素ー (12章、どんな議論でも「絶対負けない」十の法則より)
1、まず十分に準備しなさい -自分が議論そのものになるまで、準備しなさい。
  -適切な準備には、ストーリーを話すことと、関係者に役を割り当てることが必要だ。
2、あなたの議論を受け取ってもらえるよう相手の心を開かせなさい
  −ただただ真実を語りなさい。自分自身になりなさい。それで十分だ。
3、ストーリーの形で議論しなさい −おとぎ話、たとえ話は皆、成功する議論に欠かせない道具だ。
4、真実を語りなさい−力の議論は、真実を語ることに始り、真実を語ることに終わる、真実は言葉だ。
5、相手に自分の望んでいることを話しなさい −人間とは、どんな種類のどんな性格の苦しみも耐えれる種なのだー
   ―ただ一つ不正という苦しみを除いては―
6、皮肉を言ったり馬鹿げたことを言うのを避けることー ユーモアを使う時に注意しなさい。
  相手を侮辱する言動に注意しなさい。皮肉屋、馬鹿にする人、卑怯な人を尊敬する人はいない。
  相手に敬意を払うことによって私達は高い次元に上がる。忘れてはならない敬意とは相互に働くものだ。
7、論理は力だ −サミュエル・バトラーが言ったように、「論理は剣に似ている。
  論理に訴える人は、論理に滅ぼされるだろう」
8、行動と勝利とは兄弟だ−もっとも緻密な防御をするより、最悪のものでも真正面から攻撃をした方がよい。
   絶対に相手に主導権を握らせてはいけない。攻撃する時には防御をしてはいけない。
9、最初に自分の議論の弱点を認めなさい
  ー自分から弱点をさらけ出した方が良いだろう、そうしないと相手は可能な限り陰険なやり方でそれを暴くだろう。
  それを先に認めれば信頼を得ることが出来るし、認めたことに何も言うべきことがなくなる。
10、自分の力を理解しなさい −自分自身に許可ー勝つ許可だけーを与えなさい。
   だが放漫と横柄と愚かさは近い親戚であることを忘れないことだ。
▼ 以上だが、物語にするための準備を積み上げること、それも真実の、ということか!
 次は、その準備について述べている部分を抜粋して考えてみる。日本の検察の手法に、これがあるという。
告訴する時に、荒筋をつくって強引に容疑者を当てはめようとする。そのストーリーを書いてしまえば、真実は二
の次になってしまう。これが、恐ろしいという。マスコミも、しかりである。それだけ物語の力があるということだ。 
共同幻想は、物語から沸いてくる。そういえば、ここで「物語のつくり方」みたいな本を取り上げたことがあった。
・・・・・・・・
2007年09月21日(金)
2362, コーヒーの由来
 ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2008年09月21日)ー


4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・

2014年09月20日(土)

   * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆
 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感があるため、それぞれを
立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。これは、実際に経験しないと、理解
できないだろうが。『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。
それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 最初の依頼時に
「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、「綺麗汚いは有得ない。あるのは、
良い倒産、悪い倒産だけ!」 終えて振返ると、まさに、そのとおり。
 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、備えのない事業体より、遥かに
良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る限りで一割もないのでは。今さら遅いのか。
としても、『事前の一策は、事後の100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。
ここで、円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。
更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。 以前の事業で、この3%の消費税
アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。 会社も、家庭も、支出を更に絞めてくるためだ。
アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、この不況下、甘い仕事は少なくなっている。
この三年半の間、経営に疎い家内の口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。
SC内の店の転廃業や、スーパーの店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった
ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 事業など、まして
創業など、すべきでない!
『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い果した人生も悪くない』と、
独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思うしかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。 箱物
事業には、有余ったオマケ(時間)があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、
『ま、これでもいいか!』である。
・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)         
 * 万能薬としての「語り直し」   『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著)  
 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、上に立つものほど
多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線からみた社会と、そのバイアスから解き
放されてみえてくる社会とは大違い。人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。
「盗人にも三分の理」と、最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しをするしかない。
早稲田に二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に彼女が出来たところ、
急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 彼女に二部在学の言い訳のため、
これも、語り直し?  まずは ー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって初めて教える者の
大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、親となり教える立場にいる私自身に
とっては、心の底から納得できることだ。つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでも
ちがって解釈できるのである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることができる
ことを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて、その意味づけを
変えるためには、そのできごとを、それまでとは違うことばで語り直さなければならない。
 世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、
「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、元のできごとの意味づけ、
語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、
ニカ月間、松葉杖の生活を送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い
日々だった。しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが少しは
実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、それ以前の私と同じように、
命や人生について深く考えることもなく、生きていただろう。そう思うことで、今となっては
「あの体験こそ、自分にとってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。できれば、何度も
繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけたりするのは無理なことである。 
略)…しかし、つねに私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を
処理しているわけである。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、私たち自身。
記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変えることは可能であることを、
私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になったようなもの。
 そこで現在、過去の要素を元に、物語を語り直しを独りしてきた。これこそ、「日々是好日」
から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。
それも、自覚をしていれば良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)                     
   * 「片づかなさ」の人間性     ー第8章 これからを生き延びる智恵
 贈り物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。
これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底してカットしてきたが、
私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。これが、つくづく間違いだったと反省していること。
結局、人との付き合いは贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する
「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。 以下は ーその辺の抜粋ー
≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題を端的にこう
 まとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を義務づける法的経済的規則は何で
あるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け取った人にその返礼をさせるのか」
 モースも、マリノフスキーも、レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が
人間集団を形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると
「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ取って言えば
「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな気がする」という「負積感」のこと。
いや、ほんとに。だから、この「負債感」を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと
思います。「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、価値の
あるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには尽くされません。
というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることではないからです。そうではなくて、
「これは贈り物だ」と思った人がそう思った瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂った
かたちで贈与という儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。
「おはよう」と誰かに呼びかけられる。僕たちはそれを聴くとこちらも「おはよう」と言わなければ
ならないという強い返礼義務を感じます。負債感と言ってもいい。同じ言葉を返さないと
気持ちが片づかない。挨拶した方もそうです。挨拶したけど返礼がないということになると、
気持ちが片づかない。片づかないどころか、心に傷を負います。どうしてでしょう。たしかに、
「おはよう」というのは「今日一日があなたにとってよき日でありますように」という
『予祝』の意味をもつ言葉です。 ≫
▼ 家のインコ、餌を与えると、取って置きの「枝の連続回転芸」をする。それも食べている
 合間に思いついたように挟んで芸をする。これも餌という贈り物に対する「お返し」に思えるが、
動物的直感ということか。 朝の恒例のサイクリングで、すれ違いざまに「おはようございます」
と言われ、返事を、しそこなった後に残る気まずさは、何時までも残る。与えるは、アンドという
意味がある。与え与えられることで、アンドという結びつきが積み重なっていく。
「負債感」が少ない人が、あまりに多いが、自分はどうだろう。
・・・・・
3830, 毒を溜めない! 日々
2011年09月20日(火)
 30年ほど前から腰痛対策のため早朝のウォーキングを始め、20年前からは平日一時間、
日祭日二時間を目標にしていた。しかし二年前に、電動アシスト自転車に切り替え、信濃川の
長岡大橋〜大手大橋一周に切り替えた。 続けていると自分の全身から毒素が抜けていくのが
実感できる。 たまに休んだ翌日に歩いた後、二日分の毒素が抜けたの分かる。 その毒は
活性酸素だろう。近年、肉体的に毒素を体内に入れない、溜めないことを目指す女性誌で
馴染みになっている「デトックス」がある。 そこで、ー「デトックス」をネット辞書でみるとー
【 デトックスは「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった重金属や、余分な
 ミネラルなどを取り除く健康法。体調がよくなる、肌が若返る、生活習慣病の予防となる、
などの効果があるといわれている。従来の健康法はサプリメントなどによって足りない栄養素を
補うという足し算方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、
食品や水道水などを通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質などとくっついて蓄積
されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼすことが、最近の研究でわかっている。
脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを
体内にためないためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に取り込まれるのを
防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、ニンニクなどは、重金属をとらえて
体外に排出する。】
▼ 早朝の運動で体内に溜まった毒素を出すと、ストレスの半分は軽減する。 それとは別に
 肉体に溜まった重金属や、余分なミネラルを取り除くことも大事なことも分かる。白砂糖と
缶コーヒーは毒と聞いていたので、この10数年間は殆ど口にいれてない。それからして
缶ビールも良くないはず。半年前の転換期から一番気をつけたのが、ストレスによる精神的毒素。
一つ間違えば命取り。その為に運動量を二倍と考えて、「スポーツジム」通いで、二時間の
運動をプラスすることにした。週二日のジムの休みは、市営の施設内のジムに通い、休みは
月1〜2回にしている。 毒は精神統合失調症とか、ガン、糖尿、女性はリュウマチを誘発する。
さらに毒は老化と病を前倒しにする。 スポーツジムの八割は、未病より、既病の人の方が多い。 
むしろレジャーランドと割り切って、未病対策で来たほうがよいようだ。 人は自分では気づかない
毒が精神も肉体も歪めている。 ストレッチを続けていると、つくづく腰の(全身の重圧で)
歪みが分かる。老化は足腰から弱るようだ。 歳をとるにつれ全身が黒ずんでくるが、
これ老化? 既に毒の塊?
・・・・・・・・
3465, 純粋持続 −3
 2010年09月20日(月)
 私が行った47回の旅行は、それぞれが今だ終わってない気がする。それぞれが続いている
から、旅先をTVで放送をみる時、その延長として見ることができる。記憶の中で現在も鮮明に
残っていて、TVの旅番組で再び見る新たな記憶がプラスされていく。それはロマンチックな
感傷で語るのでない。それぞれの旅が心の奥底に「純粋持続」している実感がある。
その意味で「純粋持続」の意味がよく分かる。初めての一ヶ月間の欧州旅行の同行の友人の二人
と先日、東京で会い、43年前の思い出話になった。そして、それが昨日の出来事のように思える。 
この43年間で同じ旅行先に立ち寄ったり、旅番組の放送でみたりして、その間も私の旅は続いて
いたのである。 ほぼ毎日、これまで47回の旅先をBS/TVで放送している。それを見る度に
純粋持続の純粋記憶に、それが重なる。 それらは空間化された日常時間とは別口の
〈趣味の世界〉の引き出しに加えられる。だから、ベルクソンのいう〈純粋持続〉が実感として
受け止められるのである。純粋記憶として鮮明に残すため、写真の整理と、感想文にして
《随想日記》や、ブログに載せる。それは記憶、記録というだけでなく、
【魂に記録される純粋記憶】になる。それも余白の多い、現在も持続し書き込みをいる瞬間像の
記憶である。そこを見入ると空間化された日常が消え去り、純粋持続の時間に入ってしまう。
趣味に没頭している時間こそ純粋持続である。好きな仕事に没頭している時間も純粋持続。
だから仕事を好きになるまで追求すべし、という論がたつ。そのためには孤独を愛し、
自己の確立をしておかないと心奥の純粋持続は維持できない。
 ・・・・・・・・
3090,「官僚内閣制」が終焉
 2009年09月20日(日)
  * 明治以来の政治形態の実態は「官僚内閣制度」
「日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ」飯尾潤著に刺激の強い内容が書かれている。
菅直人のブログにも「2重の政権交代」(2009年9月15日)と題して「今の政権交代は自民党から
民主党への政権交代と官僚主導の官僚内閣から国民に選ばれた政治家主導の国会内閣への
2重の政権交代。明治時代に内閣制度が生まれて初めての大改革。この実現に全力を挙げたい。」
と書いている。これまでの実態は議院内閣制度ではなくて官僚内閣制度であった。
 9月17日の産経新聞の正論のコーナーで屋山太郎が、その辺の実態と弊害を述べている。
《 その官僚政治の元凶は財務省、その中の主計局である。官僚政治は省の中の省である
財務省に仕切られてきた。  (字数の関係でカット2012年9月20日)
  ・・・・・・・・・
2725, サブプライム・ローン販売の現場
 2008年09月20日(土)
 「金融偽装」ー米国発金融テクニックの崩壊 伊藤博敏著 
 以前にサブプライム・ローンを扱っていたNHKのドキュメントで、ローン販売していた人の
証言を映していた。以前に図書館で見つけた、この著書の以下の場面と、ほぼ同じ内容。
このように世界中に、証券会社の契約社員達により販売されたのである。
P−18
販売プロセスは、綿密に仕組まれた詐欺のようなものである。しかも米国の住宅ローンビジネスは
分業化しているから責任者不在で、詐欺を働いていても、誰も罪の意識を感じなくてすむ。例えば
住宅ローンを組む際に、購入者が接するのは住宅ローンブローカー。こうしたブローカーは歩合で
セールスを雇い複数の住宅ローン会社の商品を斡旋、セールスにはローン残高のー%を報酬として
支払う。それだけにセールスは必死だ。審査が緩いのをいいことに、自己申告で収入と仕事を
記載させ、借り手に不利な重要事項は教えず、最初の金利は安くして支払い可能なローンと
思わせて売りまくった。サブプライムローンが好調な時には、年収100万ドルのセールスがざらにいた
という。こうして、最初の2年は金利が6%で残り十数年が十数%といった無茶なローンを組ませた
住宅ローン会社は証券化で「貸し手責任」から解放され、証券化した金融機関は格付け会社や
債券保証会社の信用供与で責任を逃れる。この「負の連鎖」の特徴は、誰にも責任が及ばない
ことだった。この実体経済を揺るがす金融商品は住宅ブームを演出したいという金融当局の
思惑によって生まれていた。そこには「マエストロ(名指揮者)」とまで呼ばれて尊敬を
集めた米国FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン前議長もいたという。
P−24   (字数の関係でカット2009年9月20日)


4936,コトの本質 ー6

2014年09月19日(金)

  * 戦後、エリートが育たなかった    『コトの本質』 松井孝典著
 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題をいっている。
それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はしてこなかったことになる。
≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると思います。
ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミに出ている程度のことにある人の
ことです。自分の知っている範囲のことをすべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかの
ように、堂々としゃべる。そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない
ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲ではこうだ―という
いい方をするのが当然なのに、そうではありません。これっぽっちの経験しかないのに、
それを拡大し、人類一般な話としてどうのこうのというような議論までするわけ。
こういう状態を見ていると、この国はどうしようもない国になったなという感じがします。 
 プロフェッショナルがいないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったという
ことかもしれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートという意味では
ありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかもその座標軸は古今東西の歴史から、
芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それがエリートです。このような広い時空スケールの中に
自分の尺度を持ち、すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。
 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、現在のいわゆ秀才と
いうのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。解くべき問題がつくれない人が、多い。
問題がつくれない人はエリートではありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうと
しなかったともいえます。すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立った
ために、教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながらエリートは
育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、
我なんてないのです。しかし、いまの教育では前提として我があるかのように扱う。
それが個人の尊厳だと誤解しているーすべての間違いの元はそこにあると思います。
我とは何なのか、そもそもそれを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を
主張しています。我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。
それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。
それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫
 ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは? 「ゆとり教育」は、まともな
両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに大きくぶれるのは周辺を
見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱
から生まれ出るもの? 著者の説によれば、全ての人がアマチュアになる。問題は自分が
アマチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育
を押し付けられた結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の
独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を持ったのが
40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたいとは思わないが、我とは何か? 
自分の問題とは何か? 等を、考えられる内部モデルを確立することが、まず必要ということ。
・・・・・
4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2
2013年09月19日(木)
ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー 
{2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー}
《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに耐えられないところから
消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の金融危機のニュースが入ってくる。100年に
一度の恐慌が始った。アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて
思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。そして、大きなウネリが
起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず世界中に押し寄せ始めた。 津波と違う
のは何年にもわたることである。ところが日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。
これは2001年の9・11事件に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、
まず直撃するのは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。 次は、アメリカの証券会社
二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。
シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融機関の惨状。
そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、果たして会社はどうなるのだろう?
逃げも隠れも出来ないが、生存に全てをかけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルに
なってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。
国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは中間層が総下層になる。
社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時と同じような現象になる。年末から100円
以下の株価の会社は銀行のしめつけで、次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。
第二の敗戦が表面化してきたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは
思ってもいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。
そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も違ってくる。
人生で、過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、
まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。現実に信じられような大混乱が直ぐに
始るだろうから・・ ゴールドや、資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。 
しかし、体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》
▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロから
 三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、何とか表立った
恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国のGM、クライスラーは国家管理。
EUも、中国も、これから変になっている。 ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に
世界恐慌になるのは間違いない。ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に
「東京オリンピック」を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。
それだけ、リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! で、
「インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは判断できる。その上に、
オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で酒盛りの用意である。不思議なのは、
地方の金融機関が、そのまま存続していること。時限爆弾の山だろうが・・・ 
最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!
になっているはずなのに、リンゲルを無制限に射っているため??
・・・・・・
4194, 呪いの時代 ー11
2012年09月19日(水)                           
   * 交換経済から贈与経済へ     「呪いの時代」内田樹著  
 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、留めないで次に回せ
ということ。情報に限って考えると納得できる。ブログなどで自分の持っているベストの情報を
公開(贈与)することで、世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という
言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的不況は、一部
勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。
ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー
≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、次に「パス」
 するということです。それだけ。「自分のところに来たもの」というのは貨幣でもいいし、
商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分のところで止めないで、次に回す。
自分で食べたり飲んだりして使う限り、保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いました
けれど、ある限界を超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」以外の
ことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないようなお金は「なくてもいい」お金だと
僕は思います。それは周りの貧しい人たちに「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たす
ことに使えばいい。ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに
使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、具体的に手で
触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・・
 ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。贈り物を受け取ったときに、
目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれがパスされるような人のところにしか贈り物は届かない。
そういうものです。贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。
市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを含む相互扶助的な
ネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が「もっぱら持ち出し」役である
ことを愉しむようなマインドをもつ人であること。そういう人のところに選択的にリソースが
集中するシステムが贈与経済システムです。 ≫
▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、日本が一時期そうで
あったように、国民が総中流が理想的である。しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取り
になってしまう。その辺が難しい。
・・・・・・
3829, 閑話小題
2011年09月19日(月)
  * 絶え間ない変化と変身
 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では小さい事象が
次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると色々あったことに驚いている。 
それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、
児童、少年期と変わっていく。10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に
節目がある。20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。そ
の中で絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、
中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 
そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。
何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身のダイナミックがなくなり、
人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調をきたす。こうみると世界も、社会も、自分も
常に時の流れの中で、変身し、最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は
死ぬしかない。「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。
とはいえ、あまり神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ、従うしかない。   
  * iPad 初心者の呟き
 iPadを購入をして三週間をすぎたが、御蔭で数ヶ月も過ぎたような気がする。
これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネットといっている割に、
ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、便利で使い勝手のよいアプリと、
ネット環境が劇的に進歩していたのである。ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、
「自分には縁のないもの」と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。
ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に切り替えられ分類
出来ることで、使いかってが格段に良くなった。ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。
一日一日が面白くて仕方がない。これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を
余儀なくされる。タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。
 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、そして、タブレットPCが情報を、さらに膨大に
世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾がきかないカオスの時代になる。 
これは中高年PC難民を救う。
 ・・・・・・・ 
3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9
2010年09月19日(日)
  * アフリカに魅せられて ー3
 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー
 ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が遅れていて、
その分アフリカ的である。まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、
それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと
地続きであり、ケニア側をマサイマラ、タンザニア側をセレンゲッティという。 
その広大な草原をヌーとシマウマが楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。
その群れにライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス領、
タンザニアはフランス領だった。ケニアもタンザニアも、サファリが大きな観光資源になっていて、
国立公園内には現住民を除いて観光客以外に入ることができない。サバンナで時おり現地の
鮮やかな布をまとったマサイ族などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。
草原に彼方此方にいるのではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。
ヌーとシマウマの群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 
群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。
大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。そのサバンナに
6メートル位の土の道路が何処までも続く。走行中に他のサファリカーは、ほぼ見かけない。
そこを同行のジープ数台で激走するのである。車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に
立って胸から上を外部に出せる。そこで外を眺めていると、たった一人でサバンナで走って
いるような錯覚になる。車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。
自分より強いという認識があるという。だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。
しかし、時おり像のボスが襲うことがある。ボツナワのサファリで、その現場を直接見たが、
乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。特に危ないのが、
離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。ケニアで、早朝に10人位の
マサイ族が逃げてきたところに出くわしたことがある。我われのジープを間に入れて、
クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人が
ライオンの群れを撮影をしていて、つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、群れに
生きたまま食べられる映像を見てしまった。 何でもありである。
 ・・・・・・・・
3089,つれづれに-閑話小題
 2009年09月19日(土)
・民主党政権が発足したが、問題は、公約が守られるかどうかだ。
100年以上の官僚内閣制度を打破できるかだ。  検察と国税と土建の国土省の狡猾な
宦官をコントロール出きるかどうかだ。戦略局が次官会議に取って代える ところがミソ。
自民党も政権を下りてしまえば、官僚内閣の小間使いでしかなかったのが露出したことになった。
 今度は、民主党が、彼等にどう取り込まれるのか、それとも首輪をはめられるのか?
 そのバトルが生々しく劇場化してくる。 国民による自民、官僚パージが、この選挙だったのである。
・中小企業と個人の返済3年猶予というが、実際に行われるのかどうかだ見ものである。
 徳政令ということだろうが、そうでもしないと、来年早々、日本経済は大きな転換期になる。
 中小・零細企業の倒産ラッシュである。 せざるを得ないということだ。 銀行も、反対するが、
 逆に政府も間接救済になる。 自民党政権も、大手銀行の使い走りだったので、このような
 発想そのものが出ないのだろう。自民党よりの読売新聞が「自民党よ、堂々たる与党に」
 だと、更に破壊しないと無理。
・一週間後の国体に向けて、新潟市も慌しくなってきた。 当方のホテルもである。
 宿泊は、選手よりマスコミとか、運営関係の役員とかが中心のようだが、色いろ細かいようで
 現場は大変のようだ。身障者の大会も含めると半月の間は新潟市は満杯になる。
 問題は、終了後のことだが、それは、その時に考えるしかない。 しかし、来年になると新潟に
 ある火力発電の増設工事が始るようだ。柏崎刈羽の原発が当分フル稼働が出来ないので、
 新潟の火力発電を増やすしかないとか。 景気の落ち込みで、柏崎刈羽のマイナスを吸収した
 と思っていたが、そうでもなさそうだ。いずれにしても大変である。
 どの程度か分からないしし、当てには出来ない話だが。
・・・・・・
2724、世界恐慌の結果、どうなる?
2008年09月19日(金)
・・・・・・・・・・
2007年09月19日(水)
2360, ギリシャとエーゲ海の旅 −6
  ーギリシャ旅行の総括ー (1)
この旅行で言いたかったことはホボ書きつくした。去年のケニアを除けば、北イタリア、
オーストリア、スイスと欧州が続いている。やはり何処にいっても、欧州は数千年の間に
積み重ねられた豊かさと文化の深を実感する。
 (字数制限のためカット 2014年9月19日)

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