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堀井On-Line
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2014年09月09日(火)
* カフェという集い −③ 『パワレルな知性』鷲田清一著 カフェといえば、TV番組の中にカフェ方式をとったのを幾つか見かけることがある。 特に日曜日に多いのは、休日の居間をカフェに見立て、気楽に一週間分のニュースを異種の 人たちの対話を通して楽しませるため。関西系の『そこまで言って委員会』や、 『サンデーモーニング』や、『笑点』が、それである。知らないうちに、視聴者が、その場に居るような 感覚になってしまう。 そこでは、テーマを提示して、異種の業界の人たちに議論を面白おかしく 進行させ、楽しませるキャスターの役割が大きな要になる。 レギュラーには、それぞれ 役割があって、本人も、それをわきまえ対話に参加する。バラエティ番組も、その傾向があるが。 視聴者の多くが、非専門家を前提に、各種専門家の議論を楽しませるのだから、出演者たちは 大変のはず。グローバル化とは、「多文化共生」になること。 カフェに似た文化に、イギリスならパブ、スペインならバールになる。バールは、イタリア、 スペインなどの南ヨーロッパで軽食喫茶店、酒場のことをいうが、一日、一回は立寄り、誰かと 話す文化が深く根付いている。特に大都会は「異文化、多文化共生」の傾向が強くなる。 しかし、情報化の時代、世界中がネットで結ばれ、異種の価値観が交差する中、逆に、 自国の文化を知っていなくてはならない。情報化だからこそ、カフェや、酒場などで直接、 異質の人との対話の中から、知見を得ることが重要になっていく。 フィリピンパブとか、ロシアンパブの痴的会話?でなく、あくまで知的対話が前提になるが・・ 最近、喫茶店が見直されてきたが・・ ・・・・・・ 4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3 2013年09月09日(月) * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が絡むので、 集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間見ることが出来る。 平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。極限の生活で生きていく上で、 常に分かち合うのが合理的であるからだ。しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を 生み出し、さらにグローバル化が、それに拍車をかけている。 ≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとかカニバリズムは 見たことがありますか。 関野〕 うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。 たけし〕 「人食い人種」とか言うじゃないですか。アマゾンやニューギニアで、 そうした風習はなかったのかな。 関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことはあったけれど、 それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、誰でもいいわけではなく、 強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで 生き延びるために相手を殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。 理由は、アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは餓死する ことはあり得ない。・・・ たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、慰謝科として 何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようとして侍つている奴がいたらしい。 そういうバカなことが起きてしまう。 関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前にローマクラブが声明を 出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければいけないと思ってしまうのは、やはり 欲望のせいでずよね。欲望が膨れ止がることによって、一部の人たちたけが富を独占しようと しているのが現代の社会です。アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。 僕は人間が誕生した時に平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、 まず弱かったということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、 狩猟なんかできなかったと見ている。】 ▼ レヴィ=ストロースの構造主義などがある。アフリカや南米で残っている「未開人」の地に 何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味のある極めて合理的な社会である。 決して、西欧が文明の最先端にいるのではないのである。その社会の特徴は平等。 文明社会は変化の積み重ねの結果の産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が 続いてきた。そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。 その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを根こそぎ覆す説こそ 見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が出ているからだ。 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、追い越せで必死に生きてきた。 そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、 未開社会にある「冷たい社会」のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。 あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。 「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない劇薬であり最後のトドメ。 年寄の冷水(酒)か? 「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。 先がない私たちには、これでよいが? 「それでは、落選した方が良かったのか?」と、 問われれば、どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか! ・・・・・・ 4184, 閑話小題 ーつれづれに 2012年09月09日(日) * 元IBM社長が・・・ ネット以外は、あまりマスコミでは流れなかったが、元IBM社長がiPhoneで 女性の下着の盗撮をしたとか。男は50歳までは多かれ少なかれ異常性欲者?たまたま 超エリートが少し変わった趣味だったに過ぎない、という同情もある。前科があったかどうかだが、 その後、マスコミが騒がないのは悪質で無かったためか。超エリートが、その危険をかえりみず 盗撮をするスリルの快感は本人しか解らない。私など、最近、時どき深酒で、ある時間から記憶が 無くなることがある。「ハッとして起きてみたら留置場の中」なんてことがあっても不思議はない。 ネットの写真じゃ、満足できないのは分かるが。 それにしても・・ これだから娑婆は面白い。 常にデジカメを持って歩いているが、気をつけないと! * 「あと20年以上生きそうな感じがする!」には驚いた 中学校の同級会で隣に座った男の言葉。私など不摂生もあり、あと5〜10年が限度と 思い込んでいたので、実のところ驚いた。飄々とた何か仙人を思わせる雰囲気を漂わせているが、 この感じなら、さもありなんである。節制をしているから言える言葉。そこで自分を振り返ると、 どうみても十年以上は無理、せいぜい75歳あたり。 まず、そこを目標とすると、あと8年4ヶ月。 2021年1月15日である。何とか節制をすれば? しかし、現在の酒量からみて明らかに無理。 毎日の晩酌が美味いのである。 最近、20歳位の人を見ると、「私より50年以上も長く生きるんだ」 という思いが先に立つ。去年春の一連の出来事、人生の側面からすれば、人生の整理に入るために フリーハンドになるため。それにしても、その自覚は薄い。で、幾つまで生きたいのか、自分に 問うてみた。80歳である。そこまで生きるべく節制するか、一年一年、二倍濃厚に生きるかである。 それとも、80歳を目標に節制しながら二倍以上濃厚に生きるか? 濃厚に生きなくても、 実際に濃厚だから、このまま? ・・・・・・ 3819, つれづれに 2011年09月09日(金) * ドル安がジワジワと景気に影響をしてくる時節に入った。 それと新米の問題が出てくる。 もし県内の何処かで汚染米が出たら、全ての県内米に影響を与えることになる。 ヒヤヒヤだろう、農業関係者は。 それと輸出業関係者もギリギリのはず。 * ドル安と同時に、ユーロも110円を割ってきた。 ECもピッグス=PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインなど)を抱え、足元が揺らいで いる 昨今、100円を割る可能性がある。これも数年前から、破綻すると言われていたことが。 そのため、金(ゴールド)が一年で5割以上も値上りをした。 金が上がったというより、 欧米を中心とした紙幣の価値が下がったため。 これは株式と国債が暴落につながってくる。 * 9月、10月のある日、欧州か、アメリカ発の株式大暴落の可能性が大。 日本国民は東北大震災で大打撃の現在、世界経済の変調の動きに鈍感。 三年前の9・15、そして、十年前の9・11ダブルの津波の波が、いかに甚大なものか、 イメージが出てこないのか。 大震災の直後、識者も今更騒ぎ立てることもできない。 * 恐らく現在も事業を続けていたら、売り上げは更に3~5割減の筈。 資金ショートで、業者や給与も払えず倒産の頃。悪い倒産の惨状は地獄。 地方経済は、 その一歩手前。 世界の何処から火の手が上がるか、木、金曜日は要注意。 ギリシャ国債の金利が20パー、ということは実質破綻である。欧州経済は、導火線に火がついた。 { 何か極度に悲観的のようだが、まだまだ言葉が足りない。最悪に備えているかである。} ・・・・・・・・ 3454, つれづれに −政治談議 2010年09月09日(木) * 民主党党首選挙について 前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべき。 まず、その器でない。それが役割以上のことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派 だった男を官房長官に据えれば、舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。実質オーナーの小沢を首班指名を された途端に手の裏を返すとは、あまりに露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気で やるとは思いもよらないこと。それが、あの官房長官と財務長官の指名である。ところ、あの世論調査ってのは何。 現在の政治と内閣は「世論調査内閣」といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。 100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取りなど、とんでもないこと。 タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が見えるわけがない。それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、 最悪。船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、 早く政界再編をして、体制を作り変えないと国家破滅になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても 望ましいこと?自民も駄目、民主党も駄目なら、それを解体して新しい枠決めをしなければならない。 また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、変である。明治維新後、学歴を自力で 上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を短時間に飛躍的に国力アップにつながった。どうも、こうも、 日本は気がつけば戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。それでもネットでは小沢の支持が 八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導されたマヤカシでしかないと考えた方がよい。 蓋をあければ、 小沢が間違いなく勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の続投も有りえる。 その時は、間違いなく政界再編成しかない。いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。 ・・・・・・・・ 3079,不況景色 −12 2009年09月09日(水) この御題目で書くのは6月1日以来で3ヶ月あまりになる。その前に「世界恐慌に入って、まる7ヶ月」 というテーマ名で二回書いている。「不況景気などを今さら書くことでもないだろう」だが、そこが生き物、 ジワジワときている。9月に入って落ち込みが始った。こういう先ぶれが居酒屋とホテルに最初に来る。 現場段階は十数兆のバラマキで何とか小康を保っているが、何が起きても不思議でない。重体患者を緊急の 大量輸血で持たせているようなもので、集中治療室にいる事態は変わりない。衆院選挙が8月末まで延びたため、 株の暴落や経済の大混乱が来年2月まで延期しただけのこと。まだ東海地区の輸出産業は、この数年間の好況の 蓄積があるが、他の地方は体力を使い果たし、大きく弱体化している。これに悪質のパンデミックでもなれば、 大きな波乱が起きるのは必定である。週に数回は、通勤の帰りや、家内のお供にスーパーや駅の専門店街によるが、 実際に売れてない。TVのワイド・ショーで、「はしっこ食品」や「訳あり商品」の特売などを特集をしていた。 ハム、カステラ、魚などのスミの切り落としが半額から三分の一になるのだから客は殺到する。そういえば最近、 生ハムや鳥肉の燻製の『切り落とし』を、安さにつられて買ってしまうことが多い。新潟駅前周辺の飲食街では、 潰れた店の後に出来るのは「ホルモン焼き肉屋」が目立つ。「安く、小じゃれて、腹が一杯になる」のが 必要条件だが、時代が変わったもの。当社も、長期のミニ団体が何組かが途切れずに入っていたが、 それが少なくなっている。 夏場の稼ぎ時は別腹と期待していたが、この冷夏で結果は芳しくはない。 それでも9月下旬から10月にかけて国体があるので、数字は何とか例年に近い数字は作れそうだが、 甘くないことは事実。 町内会の役員の人から聞いた話だが、新潟市内の町内連合会が、急激な売り上げの悪化に、 駅再開発計画を改めて説明会を開いて聞いたという。 今さらであるが。(10年遅れである)これに北陸新幹線開通 という2014年問題がある。新潟県にとって大打撃になるが、それを誰も真剣に考えない。20年前に既に新幹線を 新潟空港まで延長、その沿線に環日本海都市としての機能をコツコツと造っておくべきだったことすら、誰も気づかない。 飛行場の直接乗り入れも大きい要素だが、「日本海に東京駅直結の新幹線の乗り入れ」が良いのである。 僅か5〜10キロの延長で済むのにである。そこに新幹線駅沿線のサッカー場と野球場をつくり、野外スポーツなどの レジャー施設を長年かけて造るべきべきだったのである。更に夢のある高齢者向けの施設と、本格的中国人街もである。 金沢が関西と関東を後背に新日本海都市創りを始めるのは目にみえている。 不況景色から少し話が逸れたが。 ・・・・・・・・ 2714, 大相撲が面白い! −2 2008年09月09日(火) せっかく、面白くなってきたところで、北の湖は辞任。三重の海の武蔵川が理事長に選ばれた。 そしてロシア人二人は解雇。 当然のことである。起訴猶予になった若の鵬を含めた三人をロシア政府は 急遽帰国させるだろう。 (以下、字数制限のためカット09年9月9日) ・・・・・・・・・・ 2007年09月09日(日) 2350.ベナレス・・・6 2,ヒンドゥー教とは ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人が 信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。 それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、 人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、 それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。 (以下、字数制限のためカット09年9月9日) ・・・・・・・ 2006年09月09日(土) 1985, ハイデッガー (。^0^。)ノオッ*^○^*)ハ〜 ヨウ 10年来、トイレに常に哲学書が置いてある。そして一年に一度位の間隔で、入れ替えをする。 そして、普段も必ず哲学書のいずれかは私の鞄か机の横にある。歳を重ねた経験の裏づけが哲学の言葉を噛み砕いて くれるようになった。哲学的大問題の「死」に向き合わなくてはならない歳になったこともある・・・ 「首切り役人の日記」とか、このHPの随想日記で辛辣に死について書いている。哲学にしても宗教にしても結局は、 ー人間いかに生きるべきか? そして最後の最後は、いかに死ぬべきか?ー ということだ。 あと何があるのか? もし知っていたら教えて欲しいもの! 『面白がって死ぬことだ!』という黒鉄ヒロシの言葉位か、面白かったのは! 「ヒーヒー悲鳴を上げてジタバタしている最後の自分の姿をみるのが何で悲しいの? こんな面白いことが何で?」彼ならでの言葉だ。冷静に自分を見ていなくては笑えない! ハイデッガーは、「その死を意識的に見ないようにして日常をすごしている我われの姿を、そのまま直視。 見ないようにしている死が、我われにマトワリついていて、それが不安という漠然とした心理になっている」と看破している。 彼は不安とは現存在として最も根本的な気分であるとし、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、 そのつど、何らかの気分に規定されていると・・ 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、 本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安であると・・とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、 現存在としての根源的開示がはじめて生起する。我われはいつか死ななくてはならない。「この私」の死を誰も変わって はくれない。その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、自分自身と対面せざるを得ない。 (以下、字数制限のためカット14年9月9日)
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2014年09月08日(月)
* カフェという集い −② 『パワレルな知性』鷲田清一著 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読するうちに、 全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。今では年に一回参加しているが、 30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、 一種のカフェのような集いの場を求めたため。とはいえ、当初は半分が営業ネタを探して 参加する人が過半数はいたが、それも良しだった。 ところで、学生時代の寮がまさにカフェのようなものであった。今でいうシェアハウス。 大きな屋敷の一角に、平屋で、4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、 角が炊事場と洗濯場で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。 各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮というものだが。 炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが幾つか並んでいると、 つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。そこでは、読んだ本や、政治経済、 現在進行形の恋愛の話題が中心になる。寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が 半数を占めていた。 雰囲気は、まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。 そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、ごく当り前に 交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州旅行の仲間と、クラスの友人の 網目が出来ていて、広いコモンルームや、中庭、学食で誰かと話をしているかであった。 学生だからこそ、自由に様々の人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、それぞれの立場があって、自ずと人間関係に 制約があるが、学生時代は、それぞれの思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の 恵まれた環境があった。 『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も良かったことになる。 プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、不満もあったが、この環境が最良だったことに、 これを書いていて気づくことになった。 この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、 <人間には、教養とは別に、想像を超えた、善良と邪悪が混在した人が存在する> ということを、知ることになる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない人たちと1〜2週間、 親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをしているので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが 様々な情報の宝庫のため、そこはツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな人がいる。 いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、カフェの集いの 面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』になる。 時々、塩昆布茶もあるが。 ・・・・・・ 4558, 東京が、2020年の開催地に決定! 2013年09月08日(日) 5時20分に、次次回のオリンピック開催地が発表された。 その2時間前の3時に何時ものように目が醒めたため、布団の中で瞑想モードに意識を持っていき、 「私が神としたら、3都市の何処を選ぶだろうか?」と考えた。 その結果はイスタンブール。 5時からのTVの特別番組の選定会場で、まずマドリッドの落選。あとの残ったイスタンブールと 東京の二者択一の中で、東京が決定された。 「そんなことをしている場合じゃないだろう!」 が、気持ちにあったが、いざ発表となると「東京」と願うのが人情。 以前から、「2020年の75歳が死に時」と思っていた。その年が、これで東京オリンピック開催の 年になったのである。一回目は昭和39年、18歳の年。 二回目は生きていれば75歳。 現実は、世界も日本も2020年までは、大きな試練が山のように待ち構えている。 福島第一原発の汚染処理、世界恐慌の対応、国家財政の破綻、国境問題等々がある。 トルコか日本?の二者択一というと、選ぶ方は、原発汚染への不安より、中東の政治的不安定と、 欧州危機を考えると、安全、安定面から、今回は極東の安定した都市の「東京」を選んだ。 これで、「2020」と「東京オリンピック」が、キーワードとして浮上、国家として明るい目標が出来た。 オバマがシリア攻撃を示唆したのもトルコにとってマイナスになった。タイミングをみていた? 日本のような島国では、一つ明確な目標があれば元気が出るが、大きな問題が残っている。 南海トラフ地震と、東京直下地震、富士山噴火の可能性である。 福島第一の汚染に 目を向けさせたのは戦術としては良かった。実際問題は、これらを考えると二つの都市の危険さと 遜色はない。 国内の政治面では、予想される混乱の中で、国民の目をオリンピックに向けさせる ことが出来る。今日を境に大きく空気が変わるだろう。今日は目出度い日になる! ・・・・・・ 4183, 呪いの時代 ー3 2012年09月08日(土) 「呪いの時代」内田樹著 * 記号の過剰化 ー第2章 「祝福」の言葉についてーより 呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種の記号と著者が指摘している。 しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から 貰ったハッピードラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、呪いの感情を更に強く苛んでいく。 呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになってしまい、自滅の道をひた走ることになる。 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目としてみると、うなずける。 ≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。それについて考えてみようと思います。 僕はそれを「記号の過剰」あるいは「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。 「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む「丑の刻参 り」という 古典的な呪いの儀式がありますが、これ自体、きわめて記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、 代替物の藁人形に五寸釘を打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死に 影響を与えるという信憑が共有されていないとこの種の類感呪術は有効性を持ちません。つまり、藁人形が 生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も記号化されない限り呪いとして機能しない。 忘れられやすいことですが、呪いが機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。 具体的、個別的、一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、 一般的で、反復的です。それが記号的ということです。 なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。情報とは「なまもの」 が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージされたもののことです。「高度情報化社会」とは 情報だけが行き交い、「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、皮を剥がれ、 血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージされるという工程については誰も考えず、 清潔な商品だけが売り買いされている。医療でも過情報化の問題は深刻なものです。当今の医師たちは、 なまものとしての身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者である 小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコンのディスプレィに患者のカルテや 検査数値が表示されます。患者が診察室に入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに 表示されたさまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている時間よりも ディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫ ▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは違うため、それを扱う解説者は、 記号としての言葉にして発信するするため、呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、 呪いとして、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽な呪いの対象になる。 だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、何ら不思議ではない。そして、その行き先は? ・・・・・・ 3818, 哲学人 ー� 2011年09月08日(木) * 精神と肉体ー 二元論 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より ー まずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分からー 【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って書いている。 ライルの攻撃対象はデカルトである。・・・ 二元論の生みの親をデカルトと特定したが、実際には二元論、 もしくはそれに似たものは、原始時代から人間についての通説となっていた。常にと言っていいほど、 人は自分を、肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に時代によって霊、 魂、心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、ある程度独立した存在として、また、そうなる 可能性があると見てきたと言っていい。私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。 「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。要はデカルトがこの考え方を とても明確に打ち出したので、デカルトの時代以降、これが教義もしくは定説なったということです。 シェイクスピアも聖書も言っていませんが、デカルトは実際にこう言いました。『私の心はひとつの実体であり、 私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方なら、それまでもされたことは ありました。が、デカルトは確かに事実であると言ったのです」 実を言うと私はそうは思わないのだが、 それはさておき、精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。 その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。 ≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的なものとして分類し、 その他の部分とは異なる、主体に帰属させること、そしてその主体を精神として物象化することである。 精神に関連する概念の使用法を入念に調査すれば、そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、 さらには人間は単一の存在であり、行動と経験のただひとつの主体で、アイデンティティも歴史もひとつしか ないことが明かになる。 われわれはふたつの実体が神秘的に結びついたものではない。 これまでわれわれは、「カテゴリー錯誤」(ライルが哲学の世界に広く普及させた用語)を犯してきた。 われわれは精神という概念を一種類のものを意味するとみなしているが、実際は多種多様なものを意味している。 精神とは、独立して存在する実体であって、なんらかのことをして経験をもつものと考えているが、通常は さまざまな行動形式のうちのいくつか(行為、気分、経験など)を総括する言葉にすぎず、またこうした行動様式は どれも、正しくはひとつの主体に帰属させるべきなのだ。このカテゴリー錯誤がもととなって、われわれが 自分自身を想定する上で、そして考えたり語ったりする上で数多くの誤りが生まれている。 これは哲学的誤謬の好例であり、我われの思考の広大な領域はこの誤謬に犯されている。≫ ライルの本は、いかにして言語分析派がこうした問題を解決するかを示す範例である。 P・106 】 ▼「肉体が消滅した後、私(精神)はどうなるのだろう」という疑問そのものが、二元論である。 デカルトが言わなくとも、大昔から天国か地獄に召されると言われている。肉体と精神と、あらためて デカルトが述べただけ。肉体が無くなれば、当然、精神とやらも消滅するのは、当たり前である。 精神を指している一つに『言葉』がある。「生きているときに発した言葉。それは現在でも生きている」 というが、それは、生前に発した言葉。死んだ後に、言葉は発せられない。 ・・・・・・・ 3453,, ニューカレドニアの休暇 −3 2010年09月08日(水) 夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。フランス領のためだろう。 特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。 ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。 それより新鮮な貝魚がふんだんに入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。 ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニックネームで親しまれている イル・デ・バン島が良かった。日本では、その称号は森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島の ウベア島がそう呼ばれているが、実際はここ。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い海水の中に 見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、島人口は約2,000人である。 珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも行ってみたかったところ。 双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどのところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。 いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアーもあるが、値段は非常に高くなる。 ニューカレドニアは日本人に特に好まれているようで、親しみやすい。 中国、韓国人の姿は、ここで一人も 見かけなかった。まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、日本の現状を現地の ポリネシア人を通してみてしまう。小さな島国で、フランスの占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。 ドルとアメリカ国債という紙切れと小麦・大豆と、汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、 20年〜30年単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。アメリカ、オーストラリアも、欧州人が 現地人を虐殺して建国したところ。 現在も、その構図は同じである。マスコミを背後で操り、教育システムで 骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロールすることで、間接占領をしている。 フランス領の観光地で、気楽に避暑。それだけで、深く考えることもないが・・・・ ・・・・・ 3078,富豪と金の使い道 2009年09月08日(火) 一昨日の日経新聞の最後の紙面(「私の履歴書」の隣コーナー)に「富豪と世捨て」というテーマで、 作家で法大教授の島田雅彦が書いていた。昔の富豪の身の処し方と使い方で、西行や千利休などを取上げていた。 井原西鶴の作品の中の‘世之介’は、現在では500億円位の資産で、生涯をかけて色事に追求し、 花魁を次々に身請けをしたが、それでも使い切ることが出来なかった。 また日本人の昔の粋な生き方として、世捨てを紹介している。死を前にして身軽になることが含意されているが、 不祥事で失脚した時のリセットで、政治家などが清貧を気取る場合がある。その辺が人間の面白さである。 富豪は、その富のために悩みが多いが、人のためにそれを使うのが、一番の悩みを消す効果があるとする。 資本主義の覇者は資本主義によって滅びた物を復活させて、その罪を償う義務がある。失われた神仏を買い戻し、 廃れた神社仏閣を復活させたことなどである。 それが「歴史からの使命」と結論づける。何代か続いてきた 金持ちは、その使い道さえ無頓着で淡々としている人が多い。金を使っての快楽など知れたもの? 金を気に しないで済む生活こそ豊かさ。 で、金を気にしないで済む生活は、幾らか。 そう考えると、人様々である。 平均すると、家一軒があって、蓄えが一人あたり1000万で、夫婦で年間収入400万ぐらい? ところで、直接、 両親の生き方をみてきて、合理的散在?を学んだ。定額を見定めて、平均して使うことである。 持って彼岸にはいけないことを世間を見て得た知恵である。 所詮は、蓄財は不安の裏返しの行為でしかない。 私の親戚に「清貧を自認した生きかた」をした人がいた。90歳後半で亡くなった時には3千万近くの蓄財があった。 その人の収入からみたら奇跡的ですらある。もし、年間300万を65〜75歳の10年間を使っていたら、面白かった だろうに思うのだが。私は、それを40〜50歳代後半の二十年間で使ったから、わかる。 といって、年間、 150万なら散在ではない? 貯めるのも難しいが、それを後悔しないで散在するのは、もっと難しい。 貯めるは努力、使うは芸術というが。 ところで、100億を10年で浪費で必ず使うことを約束して神様から貰ったと仮定して考えると面白い。 浪費というところがポイントだが、50億の船を買って世界中をまわったとして、年間5億×10年=50億の コストとみると大したことではない。 それなら世界の豪華クルージングの最高級クラスの部屋でサービスを 受けた方が良いか? まあ、それも2〜3年。でも、面白そうだ。しかし「それが如何した」という内なる声も湧く。 そうこう考えると、一日を真剣に遊ぶ能力こそ重要ということか。問題が山積みの中、ストレス解消のために 遊びに使う散在こそ、価値があるということ?しかし、富豪はそれを超えた世界があるのだろう。 経験しないものには分からないだけ? ・・・・・・・・ 2008年09月08日(月) 2713, コピペ 先週のNHKの「クローズアップ日本」で、コピペを取り上げていた。「コピペ」とは パソコンのコピーと、ペースト(貼り付け)の略語である。 なかなか考えさせられる内容であった。 ーまずはNHKの番組紹介を、コピペしてみよう。 * コピペ 〜 「ネットの知」とどう向き合うか〜 インターネットで見つけた文章をコピー&ペーストして、自分の文章にしてしまう"コピペ"。 ある大学では提出されたレポートの半数近くがコピペで作成されていたという事実が明らかになった。 夏休みには小中学生向けに開設された「コピペで書ける読書感想文」のサイトがアクセス数を伸ばし、 大人の世界でも、役所が募集したパブリックコメントに大量のコピペの「組織票」が提出されるなど、 コピペは今、社会全体に広がりつつある。 「コピペは人間の考える力を弱める」と批判の声が上がる一方、 「新たな知の技法」として肯定的に捉えるべきだとの意見もある中、私たちはネット上に広がる膨大な情報と どう向き合っていくべきか考える。 (NO.2623) スタジオゲスト : 茂木 健一郎さん (脳科学者) 〜〜 以上が概要だが、コピーと、貼り付けは、デジタル社会では当たり前になっている。私も、随想日記 で書くネタがないときは、キーワードの検索で情報を集め、要点をコピーして、張りあわせもする。 そのプロセスで思い浮かんだことを書き込み文章の体裁を作り上げることもある。 (字数制限のためカット 2014年9月8日)
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2014年09月07日(日)
* カフェという集い −① 『パワレルな知性』鷲田清一著 『カフェ』について、が面白い!ー 学生時代は、このフリーの立場での交わりが良い! ≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。「カフェ」といっても喫茶店のことではない。 「サイエンス・カフェ」とか「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会である。 市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあのジャーナリズムの 原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」にちなんで、そう名づけられたらしい。 じつはわたしも15年ほど前から「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を 借りて、そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、集まった顔ぶれで その場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまずじぶんの経験を、そしてその解釈を語り だしたあとは、それを糸口に延々三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、 :たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、 :人の話は最初から最後まできちんと聴く、 :他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。 わたしはもう籍を離れているが、大阪大学の臨床哲学研究室では、かつての同僚や大学院生 たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。ある日、もっとも年配の参加者が 最後にぽつりと話したことばが忘れられない。司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、 その、老人が口をはさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに 『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。・・・ ≫ ▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、それまでが分かれ目! それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、 あからさまに露出していた。『花子とアン』の主人公ではないが、「朱に交われば赤くなる」である。 そこで、如何にオープン状態で、書籍と、様々な人と触れ合うか、その質と量で、人生は決まってくる。 そこで大きな知的劣等感を得たのが、私にとって、最大の収穫。以来、半世紀近く独学をしてきたが、 私には器の大きさが足りなかった。更に『酒量』『一言』が多過ぎた! ・・・・・・ 4557, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー2 2013年09月07日(土) * 携帯電話が、世界を変えている 「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを見かけて驚いたことが 何度かあった。 携帯電話の電波環境が出来ているためだが、さほどインフラに資金がかからない のだろう。考えてみれば、僻地ほど濃密な繋がりと日々の生活情報が必要である。 苦労して僻地についた先で、携帯電話をしている姿を見たらガックとするはず。 ーその辺りが具体的に書かれているー 【 たけし〕ところで、そういう極限の地域で暮らしている人たちの生活って今も昔と変わって いないのですか。 関野〕昔は自分たちが食べていくために自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、 換金可能な作物を作っている。 現金収入を得ないと生活ができなくなっている。 特に最近はグローバリゼーションがアマゾン、シペリア、 アフリカとか、どこまでも進行しています。 特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。たけし〕 それはどういう意味でですか。 関野〕携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前からつき合っている 先住民の部族がいます。 最初会った時は、大人たちは腰巻きだけつけて、子どもは素っ裸でした。 そんな村でも三十年前に学校ができた。 それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると 町の寄宿舎に人る。高校生にもなると、皆な携帯を持ってる。村に帰ってくると電波は通ってませんが、 携帯でダウンロードした音楽は聴ける。そうなると若者は伝統音楽ではなく、 ロックを携帯で 聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと思うと伝統音楽に目を向けなくなり、 どんどん文化が変わっていく。アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」 たけし〕 あっという間の変化ですね。 関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊がいっばい出る ところがあるんですけど、 そこにパジョという家船生活をしている漁民がいるんです。 たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。 関野〕それは海岸縁に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも含めての数字です。 わずかに家船で陸に家を持たない人たちがいて、その人たちのところに僕は「泊めてください」 と言って、一緒に暮らしていた。ちょうど僕が訪ねた頃に彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。 たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る「新グレートジャーニー」 (〜2011年)を始めていますが、それに挑戦していた時のことですね。 関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろうとしたんです。 風の関係で航海で暫なくなると、パジョの人たちのところに通っていました。彼らにとっても 携帯はすごい役に立っている。 家船が十数隻あって、夜は集まってくるんですが、昼間は別々に 魚を穫りに行ったりして行動している。その時に、海賊がいるかいないか、携帯があれば安全か どうか確認できたりするわけです。 たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。 関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。 たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】 ▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。弱者が結びつけば、強者に変身する。 中国など多くの社会的矛盾を抱えた国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。 そこにパソコン機能が入ったスマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。 貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが均質化されていくとしたら、格差は一部を除いて 是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、G8は、G20の国々の平均値に、 G20は、世界200ヶ国の平均レベルになっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道! ・・・・・・・ 4182, 呪いの時代 ー2 2012年09月07日(金) 「呪いの時代」内田樹著 呪いに対する言葉は祝福である。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。 しかし、世の中全体が右下がりになり、暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で祝福する人は少ない。 羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、そのの事態が生で伝わるから呪いが社会全体を覆ってくる。 その中でハッピーにいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。現に生きている、そのことを祝う諦念である。 最後は生きている感謝しかないのである。今さら世を呪っても致し方がない。 * 「このようなもの」でしかない自己の承認 ー 第2章 「祝福」の言葉について ーより ≪「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしないこの「正味の自分」をこそ、真の主体として あくまで維持することです。「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、承認し、 けなげに生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。それが「祝福する」ということの本義だと思います。 呪いを解除する方法は祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、自分をだきしめ、 自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、 人々が「自分をあまりに愛している」からではありません。逆です。自分を愛することがどういうことかを 忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのがどういうことかを思い出すことから、 もう一度始めるしかないと思います。≫ ▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで来て、安手の「近代」を掴んだ。 しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより 拡がった。豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代と思われるほど惨めな社会になってきた。 「このようなものでしかない」自分を受け入れず、承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて 彷徨っている社会。わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。ここで急に「呪いの時代」が キーワードになったのではない。呪いがあればこそ古事記、日本書紀、源氏物語、平家物語、太平記、法隆寺、 北野天満宮も正史に登場しなかった。日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でもよいから祝うしかない。 お祭りは、そのためにあったといえる。社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、 人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆! ・・・・・・ 3817, 松下政経塾の野田が首相に 2011年09月07日(水) まずは松下政経とは何か? −知恵蔵2011ーによると 【 松下電器産業(パナソニック)の創業者・松下幸之助が、1979年に約70億円の私財を投じ、政治家育成塾として 設立した財団法人。神奈川県茅ヶ崎市の6千353坪の敷地には、寮棟・食堂・体育館の他、茶室やテニスコートも 付設されている。入塾の応募資格は22〜35歳。全寮制で3年間の研修を原則としているが、期間中に選挙に出馬する ことは半ば容認。ただし、最低2年間を修了しないと退塾扱いになる。授業料などの費用はゼロで、逆に研修資金 ・活動資金が提供される。研修は人間学・哲学・近代政治学などの講座と茶道・書道・剣道などによる精神修練が中心。 また、現地現場主義の下、自治体訪問、松下関連工場での実地作業、自衛隊体験入隊といったカリキュラムも用意 されている。過去30年間の卒塾生は237人で、このうち69人が政治家の道を歩んでいる。開塾後の10年間で当選した 国会議員は、1期生の逢沢一郎(自民党)だけだったが、新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で、一気に15名の 当選を果たした。政経塾出身議員の評価は分かれるが、世襲議員が増える中、選挙に必要な3バン「地盤(地元支援組織) ・看板(知名度)・カバン(資金)」を持たない若者に政治家への道を開いている点で、政経塾の存在は評価されている。 現職の松下政経塾出身の国会議員は、衆議院議員が27名、参議院議員が3名。 *自民党では前述の逢沢一郎の他、元金融担当大臣の伊藤達也(5期生)、高市早苗(5期生)ら、*民主党では 元代表の前原誠司(8期生)や野田佳彦(1期生)、原口一博(4期生)ら、次代のリーダー候補が名を連ねる。 この他、神奈川県知事の松沢成文や横浜市長の中田宏など、自治体の長も輩出している(2009年7月時点)。 】 ▼ 現在の日本に丁度良さそうな人物が、首相に選出された。それも、松下幸之助が憂国にかられ、つくりあげた 人材育成機関出身。存在そのものは知っていたが、まさか34名も国会議員になっていたとは驚き。 巷では、「人工栽培の頭でっかちのエリートの育成機関と」批判的だが、それでも公明党に次ぐ出身母体になっている。 どうも、二、三代目が目に付く中で、こういう機関も必要?卒塾生の43パーセントが、政治の道を歩いているという。 政治家は、一国を未来に導く仕事。「クールな頭脳と、暖かい心」を必要とする。それを3年か、4年の期間で ベースをつくり上げることが良いことかどうか? 二代目政治家と、どちらが良いというと考えてしまう。 やはり二代目より、まだましレベルか。現在議員は、貴族院化している。 ・・・・・・・ 3452, ニューカレドニアの休暇 −2 2010年09月07日(火) * ホェール・ウォッチング オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。家内はヨットに12時間も無理ということで、 私一人の参加。20人乗りの2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。他は白人系15人 を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二Mの波で大ゆれ。 案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。乗員も分っていて海水を入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。 そして胃を空にした。その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら気分は元に戻る。 船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていたが、何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に 三時間後に到着。そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、鯨が空気を吸うために海面に出てくる姿を ウォッチングすることができた。そこでテレビの撮影を過って見たことを思い出した。今回は10匹近く見ることができた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて7〜8秒しか浮いてないので、目を凝らしてないと見逃す。 海も天気で大きく左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。また12時間も小型ヨットに 乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能することができた。甲板から海に向かって足を突き出して座って 海を眺めボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、ボートと同じスピードで泳いで いったのも印象的。さらに帰港前の20分ほど、タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、 赤い色合いのマッチが印象に残った。一期一会、迷ったら直感を信じ躊躇をしないことだ。 ・・・・・・・ 3077,SCが工期半年で完成とは、驚き 2009年09月07日(月) 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日に着工、来年の3月8日に オープンと現場の立て看板にあった。 それにしても半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。 新造成地の更地で全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。先月、近くで 説明会があった。折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、三菱東京銀行系が資金調達とあった。 住宅地も 数ヶ所売り出されているが、坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から直線道路 一キロほど、自宅からは5分の場所。 自宅の100m先にSCがある上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街が あるので生活環境は、ますます良くなる。そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、家電のジョウシン、 ホームセンターのコメリ、ディスカウント、紳士服のアオキなど20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。 店舗構成をみるとバッテングをさけて補完してある。店舗が重なるのは、原信と、蔦や。業種では中古ショップである。 二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成になっている。これまでは長岡の信濃川の西に比べて、川崎のSCだけでは、 魅力が薄かったが、この二つを合わせて対抗拠点として、周辺に店舗が自然発生的に出来ていく過程をみることになる。 長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。 間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。 ・・・・・・・・ 2712, 大相撲が面白い! 2008年09月07日(日) 若貴あたりから違う面で大相撲が面白くなってきている。マスコミを巻き込んで、北朝鮮のような瀬戸際のブラック ジョーク的な展開を示してきた。グローバルの流れと、人材不足をカバーするため、いち早く外国人に開放をした。 しかし国技とかいうが、法的に根拠の無い曖昧な協会が実態だが、税金を払わない宗教法人と同じ扱いを受けている。 相撲部屋はヤクザ世界に酷似、縄ばり社会が寄り合っているだけ。部屋がそれぞれボクシングジムのように独立し、 それが集まって大相撲協会をつくっている。だから,北の湖が言い訳をするのも一理ある。ボクシング協会が、 個々の選手の薬物まで責任はないのと同じである。そんなことは、どうでもよいが。 今回の土俵外の物語は、 ロシアの三人の麻薬事件である。一月前までは、朝青龍を中心としたモンゴル人がトラブルメーカーだった。 それが一転してロシアの(麻薬)文化?への話題が移ってしまった。朝青龍かたなしである。 今回の物語は北の湖理事長の辞任のプロセスである。今回は、もう無理だろう?しかし・・ 昨日のニュースでは、期待をしていたとおり相撲協会が尿をすりかえたり、自民党の??あたりが天皇家への 尻尾振りで、政治的な圧力をかけてくるか、などなど漫画的な動きである。しかし、幾ら程度が低い彼らも、 世界的にも注目を浴びているので、腰が引けたのだろう。 日本のマスコミのロシア人兄弟に対する質問が甘い! 「ロシア国家に対する代表として、宣誓できますか」の質問をすればよい。もし、「もちろん、します!」と答えたら、 帰国をして数ヶ月以内に行方不明になるだろう。大相撲を国技としている限り、今後、中国、モンゴル、ロシア、 東欧の国家戦略として日本バッシング戦略的対象になる。大相撲協会は、あまりに、軽く甘い。私が敵対国の政治家なら、 対日の攻撃対象にする。自国の強い力士に女とか薬を与え、マスコミに騒ぎ立てるか、日本の力士を徹底的に怪我を させるようにもって行く。それかモンゴルのように、三役力士を自国の力士で占有する。その意味で、外国人に開放を したと同時に、旧来の国技という名を返上すればよかった。せめて日本の相撲のルーツのあるモンゴルと朝鮮だけに 限定すべきだったろう。それともモンゴリアンだけに。 しかし、現実は現実である。 国技とかいう名を返上、 払うべき税金は払い、横綱審議会など解散することだ。 天皇家も閲覧席などに座らないで、しかるべき警備をして 一般席に座るべきだ。こういう不祥事も、人気取りの前座と考え、割り切っているのもよい。 あくまで、格闘技の見世物でしかないのだから。 ・・・・・・・・・・ 2007年09月07日(金) 2348.ベナレス・・・4
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2014年09月06日(土)
* 価値の遠近法 『パワレルな知性』鷲田清一著 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い! ーネットによるとー ≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの ② あってもいいけどなくてもいいもの ③ なくてもいいもの ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの 彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性をいろいろ示す。 「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。 四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることになるからだ。 自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。当然、人によって仕分け方は違うため、 自らの仕分け方と他者のそれを比較し、違いが起きた理由を探ることで、他者を理解する きっかけになる。 「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。 「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理である。 いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。 推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。 「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。 さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、とりあえずの解を 出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。 わからないもの取り囲まれて、わからないままベストの解を出すことを迫られている。 国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を仕分けていく時に 必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という勘がはたらくか」 「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」野性的な思考が必要という。≫ ▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには悪いことではない。 右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えていたわけだが、下がっていく時代には 「何をまずあきらめるか」を考えざるをえない。私のいう「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れて おかなければならない>とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。 「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。そのために教養が必要になる。 今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 「お金は、②、いや、①?」 ―――― 4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1 2013年09月06日(金) * 追われ追われて南米最南端 「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、「人類の弱者が、より悪い環境の地に 追い込まれて、その繰り返しの究極の地が南米最南端パタゴニアであった」ということ。 アフリカから追われ、その移動先で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、 アフリカから南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、 弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。北アフリカと欧州に留まり 闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、 逃げることで、生き延びていった。弱者には逃げるしかない。 この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 僻地の人間は、そのためか優しい。 ーその辺りから抜粋ー 《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、世界中に広がったルートを 逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことをしましたね(笑)。 関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しないことが、 やってみると分かります。 全部、逆風なんですよ。例えばべーリング海峡を渡るときに、 風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、 東風が欲しい。しかし、東風は風速15M以上になることが多い。 たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと言われているんですか? 関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら何かあるんだろうか」 という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」 という向上心で心で動いていたと思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。 たけし〕そういうことになります。 関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人なんです。 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ないんです。 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いからじゃないか。 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。 たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。 関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。そこで、はじき出された人が フロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が 生き残れる。 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。そこでも人口が増えると、 また弾き出される人たらが出てくる。だから、日本は弱い人の吹だまりだと思う。それ以上、 東に行けないわけですから。 たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。 関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか悪いかけ別にして、 日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を制覇しようとした。だから、もともと 弱いといって、いつまでも弱いわけしでない。弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。 元もと人類はその誕生のときから、弱いから知恵を使って生きてきた。 》 ▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って挑んだ訳ではない。 弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。脱皮できない蛇は死ぬ。 ・・・・・・ 4181, 呪いの時代 ー1 2012年09月06日(木) 「呪いの時代」内田樹著 なかなか時代の特質を捉えた面白い本である。バブルと、バブル崩壊を経た後、日本は 20年以上も下降曲線をたどっている。経済大国と言われたのも遠い過去になりつつある中、 人々は、その環境の中で互いに呪い、怒りをぶつけあっている。そして中流社会が崩壊を始め、 総下流化社会になりつつある。そこでは互いに呪い、一部勝ち組を呪う時代になっている。 呪いは人間としての悪い意志、否定的な情動であるが、その核心部分には他者の全面否定と 破壊と殺意が内蔵されている。自己崩壊は他者への憎悪となり自他とも傷つけるだけでない、 未来へ希望と友愛を損傷する。「呪いの時代」は、言い得て妙である。 * まずは、第一章 呪いの時代より ≪「呪い」は今や僕たちの社会で批評的な言葉づかいをするときの公用語になりつつあります。 「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、 「正義の人」たちは公正な社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども彼らはそれらの言葉が 他者のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに無自覚のように 思われます。20年ほど前、まだ僕が学会というところに顔を出していた頃までは、学会発表後の 質疑応答で、「あなたは…の論文を読んでいないのではないか」とか「周知の…についての言及が ないのはなぜか」といった、「そこで論じられていないこと」を持ち出して、「こんなことも知らない 人間に、この論件について語る資格はない」と切り捨てる態度に出る学者が沢山いました。 僕はそういう「突っ込み」を見るたびに、どうして彼らは「自分の知っている情報」の価値を 高く格付けする一方、「自分の知らない情報」が知るに値しないものだとあれほど無邪気に 信じていられるのか、その理由がよくわかりませんでした。僕たちは誰でも自分の知っている ことの価値を過大評価し、自分の知らないことの価値を過小評価する傾向にあります。 だから、学者にとっていちばん最初の仕事は、自分の所有する学術情報を適切に評価する ことであるはずです。でも、「君は『こんなこと』も知らんのか」と気色ばむ学者たちは「こんんなこと」 が議論の始点でなければならない理由について、ほとんど説明責任を持ていないようでした。・・・・ 学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、「自分のもつ知識についての知識を持っている人間」 のことだと思います。ですから自分の知っていることは「知るに値すること」であり、自分が知らない ことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを僕は端的に「学者の腐った ようなやつ」と呼んでいました。しかし、学界だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上 では異常増殖しているように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルで キーワード検索をしながら、個別的なトピックについてのトリヴィアルな情報を入手すること それ自体は愉快なことですし、誰の迷惑になるわけでもありません(僕だって大好きです)。 けれども、そうやって自分が仕入れた知識の価値を「知識についての知識」という メタレベルから吟味する習慣を持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を 収集しても、それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。≫ ▼「呪い」が、恐ろしい結果をもたらす事例を、あまりに多くみてきた。 特に、人生に恵まれてない人のそれは酷い。 起こった現象しか見えないため、 その背後の原因を突き詰める能力が無いのである。呪いは、羨望が含まれている。 そのため周囲の全ての人が対象になるから始末が悪い。国会の有様は、正に呪いの政争である。 呪いの政治は破壊しかない。 ・・・・・・ 3816, iPadを買った ー3 2011年09月06日(火) 手元にきてから二週間、iPadにますます虜。パソコンが大好きだが、イマイチ使いこなせかった。 このお陰で?アプリを比較的簡単にダウンロードして気楽に使えるようになったことが大きい。 更にゲームをパソコンで遊んだ経験が殆どなかった。そこで、まず無料のゲームで子供心に 立ち返って遊んでいる。「自分の人生がゲームそのもの、敢えてする必要もない」と決めつけ、 受け付けなかったこともある。このところ一日2時間は熱中している。まずは無料の小学校低学年? レベルのもの数種類だが、始めると止まらない。 まあ、いい歳をして幸せなことだが、面白いのは 面白い! 先日、初めてデジタル雑誌をAplleから購入をしてみた。 『 最新 iPadアプリ 特選700』である。「成るほどiPadを買ったことで、iBookが購入出来た」 と一人感心。 そこで気づいたのは、目次から一瞬で項目のトップに切り替わること。 それとitunesの音楽とは逆に、ページの下に次々と、各ページのイメージがスクロールをすると 現れてくる。 雑誌をパラパラと捲るのと同じことが可能である。 また、最後に読んだところが、 次回にiBookを開いた時に自動的に開く。 最近の録画は、最後にみたビデオの部分が自動的 出てくるのと同じ。 さらに字の大きさが親指と人差し指二本で拡大・縮小できるのも便利である。 何よりも何時でも、何処でも、気楽に見れるのがよい。Podに数千曲入力してある感覚と同じ。 「アプリあってのiPad」が、この本の副題にあるが、PCでアプリを充分に活用できない者にとって、 「iPadあってのアプリ」になる。それぞれの有り難さは違って当然。 私には「iPad 様様」のよう。 初めて携帯電話を手にしたのに匹敵する。 問題は自分にピッタリのアプリを如何に探し出し 活用できるかである。 無線で、平面で、本の大きさのため、画面にピアノや太鼓の画面を表示し、 作曲したり、演奏をしたり、車の運転席で道路を疾走するする画面のゲームも現れている。 それもネット上で誰かと競技も可能。 ・・・・・・・ 3451, ニューカレドニアの休暇 −1 2010年09月06日(月) 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを急遽キャンセルをした。 その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入りこませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの 扇動と後になって気づいたが後の祭り。恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた 海外旅行が途切れてしまった。そして今年は恐慌三年目、経済的状況は二番底に向け動き出した。 さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、最終タイムリミットは 9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを絞って盆明けになって探した。 グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると 南太平洋の中で「7日間で8万弱のニューカレドニア」を探しあてた。 ワンフライト8時間で、 滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。しかしホテルの一ランク上に上げたり、 現地で4回のオプションツアーに参加したりで、二倍近くになってしまった。それでも15万である。 振り返ってみて、オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しをしたりして、 のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り動きたい気持ちに勝てなかったのである。 私の基準の採点では80点。 フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の 過ごし方になれてなかったこともある。 フィジーと違って、ここはフランス領ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな多くの島が点在している。 ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。フィジー、タヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い 冬がある。この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏である。 大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの移民が3割の比率で、 フランス支配感が強い国で、地中海のフランス領の小島にいるようである。 その点、フィジーは小さいながらもポリネシアの独立国でありポリネシアの人間的特性が 前面に出ている。料金はフィジーが5割高くなる。 南太平洋に行くなら、何処の国の領地か、 独立国か調べた方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。 現在、世界は一部の白人が支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、 三千年かけたアーリア人による身分制度で、裏づけにヒンズー教で心まで支配する システムになっている。一神教のユダヤ、キリスト教も、ほぼ同じ手法で、侵略の尖兵として、 キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。 そして世界を牛耳っている。 ここで、日本が アメリカの金融被支配国が表面化してきた。それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。 ・・・・・・・・ 3076,120年の物指し 2009年09月06日(日) 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。 ーまずは民主党の大勝の長短の4つの物指しを要約 一、麻生の一年足らず政権、永田町の政治記者レベルの内容。今後、民主党が、 そのレベルとして参院選挙まで、いかに実績を積み重ねることができるか。 二、次は、四年前の小泉劇場の大勝で、今度の選挙のように逆ぶれで民主党に政権が転がり込んできた。 4年後の衆院選挙も同じ道をたどることになるかどうか。 三、小選挙区制度ができて15年で、ここでようやく政権交代が実現した。1993年の国会は、「政治改革国会」 と呼ばれ、翌年には小選挙区比例代表制を含む政治改革関連4法が成立。今後15年で二大政党の 交代システムが出来るかどうか。 四、120年という物指しで、これが最も本質的な物ざし。明治憲法ができて120年になるが、この間の政治は 実は官僚に従属してきた。今度の政権は120年の「中央集権国家」を廃絶して新たに「地域主権国家」 を樹立しようというのである。 自民党も「地方分権」といい、その具体策として「道州制度」を 導入しようとしているが、あくまで「中央集権国家」が今後とも続くという前提である。 その官僚主導体制とその中核である財務省による徴税・国債管理・予算分配の「財政中央集権」も続く ということであり分権といっても、うやむやにされることは目に見えている。これに対して民主党は、 国民生活に密接な権限と財源を基礎自治体に渡してしまうもの。 ▼ 以上だが、その15年間、延命を繰りかいした自民政権があまりに狡猾であった。それも120年続いた流れで、 国民が騙されていたことが露出してしまったのである。二度とあの威信は戻ることはない。 あとは民主党の自滅を待つしかない。 ・・・・・・・・・ 2711, 臨死体験を経験できるヘルメット 2008年09月06日(土) 何の知識無しで初めて幽体離脱を経験したときの驚きを今でもリアルに憶えている。 それを契機に、キュープラ・ロスや、立花隆の臨死体験などの本を読み、その経験の意味を知った。 ところが最近になり、アメリカでパーシンガー博士の開発したゴッドヘルメットと呼ばれるものがあり、 これ装着すると万人が体外離脱できるという。博士はてんかんの治療で、脳を電極で刺激する手術を400例以上 やっていて、その手術の際に側頭葉のシルビウス溝と呼ばれる、右耳の上を電極で刺激すると、体外離脱が おこることを発見した。これで体外離脱した意識が、遠くのものを見てきて、現実と一致したり、霊が他人の体を ジャックしたイメージも起こるという。 これまでのように脳を開いて直接電極を押しあてたりせず、電磁気で脳を 刺激して、反応を見る研究が盛んのようだ。体外離脱とは、脳の中の幻覚ではなく、アストラル体のような意識が、 抜け出している状態ともいわれる。実際に体外離脱の経験者に装着したところ、同じような経験をしたという。 それまで一部霊能者とか、そういう体質を持った人だけしか経験できなかったことを、科学者は誰にでも体験 できるようにする。 何年もしないうちに、家電の店頭で並ぶかもしれない。 これを被って気が向いたら 幽体離脱をするのも面白いだろう。そういえばアルファー波を発生させる器械を買ったことがあった。 またマリファナを吸ったと同じ気分になるCDのセットも買ったことがあったが、少し酔ったような気分になる。 私は酒に酔いの方が好きだが。他のTPOSが面白いだけであるが・・・恐らく、これを被っても、私の経験した 幽体離脱の緊迫した感覚とは違うだろう。色いろな状況の中で独りで、誰にも言えない奇妙な体験だから 神秘的なのであって、ヘッドギアの器械で幽体離脱をしても、味も素っ気もないだろう。しかし、面白そうである。 (字数制限のためカット 2014年9月6日)
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2014年09月05日(金)
『音楽を愛でるサルーなぜヒトだけが愉しめるのか』正高 信男 (著) * 「孤人」の誕生 これは「ウォークマンやiPodが、グーテンベルグの印刷に匹敵するインパクトを世界に与えた」 という説。読書は目からの視覚情報手段になるが、ウォークマンは手軽な音楽の手段になった。 それまでは、ラジオ、レコードや、公共の場で集団で聞いていた音楽を、コンパクトな情報端末として 個々が持ち運び可能になった。それが、一般大衆の「孤人」化の傾向を劇的に進むことになる。 それが今ではPCの携帯化とネット化である。 ー内容をまとめると、以下のようになる。 ≪:何気なく音楽を聴いているが、実は音楽に喜びを見出せるのは人類だけ。 他の霊長類には音楽への感性が備わってない。なぜこのような違いが生じたのか。 人類出現とともに社会的なコミュニのツールとして誕生した音楽が、言語と分化し、 ウォークマンやiPod、「ひとりカラオケ」など個人で愉しむものに変わるまでの音楽の 起源と歴史、機能から、人類の進化の謎を解き明かしている。・・・ :グーテンベルク以前は、書物という代物はたいへん重いもので、移動するのはほとんど困難。 手書きのオリジナル版が僧院や図書館に保管されていて、読むためにはそこに出かけるしかない。 借り出すことはできないので、気になる記述に遭遇すると筆写するのが常だったが、活版印刷で 状況は一変する。薄い紙にぎっしりと文字をつめ込み、大量に製作することで、安価でハンディな 活字本ができあがった。時期を同じくして、ヨーロヅパ世界では英国を皮切りにして (乗り合い馬車という世界初の公共交通機関が出現。乗客たちが、この使い慣れないシステムを 活用するにあたり、活字本を持参して移動中の所在ない時間をつぶすという行為を思いつき、 それが普及したとき読書という習慣が社会に流布した。 まず最初は貴族が始めた。 彼らがとりたてて知的欲求が高かったと考えるのは、やや早計だろう。乗り合い馬車のなかの 狭い空間で、身分の異なる見知らぬ者同士が顔をつき合わす、その気まずさに平民よりも貴族が 耐えられなかったことが、大きく影響したのかもしれない。しかし本を持ち込んで、読書をすれば (または読んでいるふりをすれば)、良い。 :グーテンベルクに遅れることと五百年で、かつて中世で起こったのと同じことが音楽でも 見られるようになった。 ポータブル・オーディ・プレーヤーの最大の特徴は、いつでもどこでも、 セットをすれば一人で音楽と向き合えるという点に尽きるだろう。なるほど当人の視線は拘束を 受けていない。だが本人の注意が視線の先にないことは、誰にも見てとれる。耳から伝わつてくる、 その源に行っているのだ。結果として、「私の今の関心は、目の前にはありません。 文字通り、「心ここに在らず」の状態ですよ」というメッセージを強烈に発信する機能を果たす。 しかも機能的には書籍より格段にすぐれている。手をふさぐこともないし、電車に乗っているとき ばかりか、通りを歩いていようと、あるいは走っているときでさ、彼らは公共の場にいないことに されてしまうのである・・ ≫ ▼ 視覚だけでなく、音楽を手軽に楽しめる視覚活用に、大衆がウォークマンで気づく。 数年前から、更にパソコンが手の平サイズの携帯に収まって世界的に普及を始めた。 それで、ネットで孤人が結ばれたのだから、孤人は、それまでと違った「?人」に 変わろうとしている。「?」は「弧」「拠」「壺」? 現実世界の上にネット社会が出来て、世界を激変させている。 グローバル・ネット社会の住人の呼称は?孤独の群集、孤独の流離い人が、 気楽に、それぞれ結ばれる面白い社会になってきた。 ・・・・・・ 4555,横尾 忠則の老人論 ー2 2013年09月05日(木) * 人生の目的 ―バルザックの場合 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に、「空白=虚」の領域を持つことー これが私の人生の目的。その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」になるのか? 生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)を常に意識をするため、休息が必要ということか? 欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇をとり、生活圏から離れ、ただボッとする。それが彼らの休息。 日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、娑婆から隠れる ためにある。 ーまずは、その部分からー 《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則に従うことを拒絶し、 自らが自らの規則に生きることを本懐としているのである。世の中の潮流や流行は意に介さず、 無頓着でいなければならない。社会や他人の支配に従うのではなく、その時の気分 (そう、この気分が大事である)に従うのを第一義にしなければならない。 バルザックも「芸術家は自分の好きなように、またはやれるように生きる」と語っている。 「人生の日的は休息にある」というバルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は 万人に通じる。先に彼は「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが 芸術家は何もしないでボーッしている瞬間にも、作品の構想を頭の中で練っている。 だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど肉体労働ではない。 知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。「芸術家は休む時がないですね」 と言われそうだが、確かにそうだ。でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。 考ているようで考えてない状態、三昧世界に入っているのである。バルザックが 「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言うところがさすがである。 つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベストの状感だからである。 またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのではないだろうか。常に頭を使ったり 過度な肉体労働をすることは健康を害することに結ぴつくことがある。バルザックが 人生の目的を「休息」と言ってのけたところには人間の究極の幸せがあるように思う。 大半の日本人は人生の目的を手に入れるためには多忙を極めなければならないと考えている のではないだろうか。「休息」を目的にしたらきっと落ちつかないに決まっている。 「休息」の背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。 貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向くままに 生きることこそ優雅な人生の目的であるということを「休息」を通して学び直す必要があると ぽくは思うのです。》 ▼「休息は死後にすればよい」というが、「激しく生きた後の死こそ人生の目的」と言いたいのか? 先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行したミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。 西アフリカのバスツアーでひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで、「この旅行は、 私にとって仕事。異国のツアーが私に創造を喚起する。しかし税務署は、これを経費と 認めてくれない」と言っていた。芸術家にとって休んでいる時が、創造状態にあり、それを カタチに移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。 ・・・・・・・ 4180, 復讐するは我にあり 2012年09月05日(水) 『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、‘我’というのが神様(イエス)のこと。復讐はまた新たな復讐を 呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。 この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした 作品【復讐するは我にあり】。1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった一人の男、 榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」 と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網を かいくぐり、78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。≫ である。 この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、怒り心頭になると、この言葉を呪文の ように唱え、気持ちを収めてきた。逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で 傷ついてきた。その時も、この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねるにつれ、この言葉の重みを感じている。 要は因果応報で、報いは一番、当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。怒りの感情は、 相手を毒する以上に自分を害する。復讐となれば更に毒が自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な 裏切りの怒りは癒しのしようがない。この言葉を唱えるしかないことになる。逆に祝福を積み続けた人に神は 幸運を与える。「積善の家に福来る」である。しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。 領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、他力に頼ろうというしたら、国は滅びる。人を恨めば穴二つ、 という格言があるが、復讐は長期的潮漬けにするしかない。「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。 グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。 ・・・・・・ 3815, 哲学人 ー�� 2011年09月05日(月) ー「哲学人」ブライアン・マギー著より * ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー 人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と現実があることを、垣間見てきたつもり。 私たちは表側の一部だけの事象を見て判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は 7千~8千年前。当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に 近い星があることも分るはずがない。現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。 その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。 ー以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。 【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、そのときどきの経験の裏側には、常識では まったく感知できない真理と現実が数多くある。 それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものである ことが少なくなく、真実であるとわかったところで、とうてい納得できない場合もある。 例を挙げると、 ・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を構成する素粒子の一部は不規則に 運動している。これらはすべてエネルギーに変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、 こうしたことは常識的なものの見方とは全く相容れない。 ・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ見えない波動に溢れており、 そのほかにも数々の分析可能の属性を有している、という事実にしても同様である。 ・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百キロで自転していると同時に、 空間を驀進しているといった、ごく基本的な事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に) 直観に反しており、真理であるとわかっていても見たり触れたりすることはできない。この事実はあまりに 常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、いまからほんの数百年前のことだというのに、ふざけた 空想家か危険な嘘つきとして糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、あらゆる真の宗教と (それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。 このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか忠実に説明してくれそうもないという ことを、私たちは事実として知っている。さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろの ことや、量子物理学によって明らかになったもろもろのことが示しているように、私たちがじかに触れている物理的 環境は、近年まで人間には想像もつかなかったほど奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な 研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。このような状況のなかで常識的な世界観の擁護を試みても、 やる前から結果はわかっている。この試みはきわめて想像力を欠いたアナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。 それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめに述べるなら、常識的な世界観は思慮の 浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で私が 何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』(『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。 「・・そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の本性について、五里霧中におちいりざるを えない。そこで物理的対象を正当な理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそういう 説を否定することは正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、奇妙であらざるをえない」 】 ▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。私の知る限り、教養を積んできた人ほど 軽くなっていく。生きてきた月日の出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを 知っているからである。 ・・・・・・・ 3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7 2010年09月05日(日) * アフリカに魅せられて 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、その写真を 見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。 それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。そこには、 バルーンから動物を撮った写真もあった。なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか? 実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない 活き活きした野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に 魅せられたばかり。なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。 とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの 平原にサファリカーで乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが 見えてきた。事前知識は全くないので、期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、 テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。 そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。現地のドライバーが、無線とか、 行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。 そして、夕刻に象の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と 隊列を組んで進む姿が何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に 添乗員が一人。我われ夫婦に40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になる。 これほど、都合の良いサファリのツアーは今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。 ・・・・・・・・ 075, 父は疲れてしまったのです! 2009年09月05日(土) * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。 ー概略とは 《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党が自民党から生まれた「子」 と考えとわかりやすい。要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は「夫」の自民党に何度も裏切られても、 なかなか別れることができない。離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても 「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。 でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ 威張っている。そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 一種の自殺願望。小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという 自殺願望である。半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。 国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。 彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。 「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。 自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」 という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。 「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。 自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。 恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。 このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。 森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。 社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。 ・・・・・・・・・・ 2710, 今東光の話題 2008年09月05日(金) 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた 「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに 驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。今の時代が、この馬鹿な質問者よりも レベルが下になっているのか?。彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう! 「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜! ブチ殺すぞ、この野郎。 (字数制限のためカット 2013年9月5日)
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2014年09月04日(木)
* 死の淵からのルポの凄み 〜② ー淡々とした文章だが、内容が内容だけに凄みがあるー ● 細やかな喜び ーp48 いま寝ているベッドは、"オリ"のようだ。 気を緩めて、身体を狭めると、柵の範囲がすかさず 小さくなってくる。 一度、詰められると、迫ってきた柵は、もう動かない。 身体全体が、不自由な位置で止まる。あらゆる方向へ、もう一回、自分の手足を伸ばす必要がある。 右手で左の柵を持って、右半身を持ち上げる。または、その逆。 目の前に、柵が迫る。 柵のなかで、のたうちまわる。 トドみたいだなあ、といつも思う。 思うようになかなか動けないのだが、ベッドの柵を持って、バタンバタン、ドタンドタン。 ほんの少し、右に寄れた。それでも、‘身体’を感じて、ボクは嬉しいのだ、 自分で、自分の身体を、動かせたことを。 だけど、いつもできるわけでもない。≫ ● 書くことが、生きること ーp222 自動体位交換機能付きのエア蓄ベッド。それに助けられて、ボクは寝ている。 1時間おきにガーガーと音をさせて、エアーが入る。そして、ボクの身体は右に傾いた緊左に傾いたりする 家族が1〜2時間おきに椅子に座らぜてくれたりもする。自分では動けないからだ。 こんなに身体が変わってしまったのが、いまでも信じられない。つらかった。けれど、どうだろう? そうなってしまった身体を嘆いていても、しかたがないじゃないか! このつたない文章が、いまのボクにできることなのだ。 どうしても書かなくてはならなかった。ボクには唯一、書くという機能を神さまが残してくれていた。 書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気がするから、ボクは書き続ける。 脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。 その機会を与えてくれた友人や仕事仲間に、感謝しても感謝しても、足りないくらいだ。 本当に、ありがとう。 これからもボクはつまらなくても、忘れても、書き続けると思う。 これからもずいぶん、おもしろい人生を送ることができそうだ。 迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。 書くことが、生きることなのだ。 書いて、書いて、書きまくるぞ。 ー2013年12月 神足裕司 ▼ 著者は、家族が身近に世話をしてくれているが、介護重度5の老人は生きていること自体が拷問。 これは、病院の利益、家族の無知のため、拷問のため生かしておくのと同じようなもの。 安楽死も最近になって正面から取り上げられるようになったが、まだまだである。 現在の私は、 「知ること、書くこと、何気ない日常を味わい楽しむこと」が、生きることになっている。 そうこう考えると、まだまだ日常生活を色濃く、その間の「ぼんやり」時間を大事にすべきだが・・ ―――― 4554, 横尾忠則の老人論 2013年09月04日(水) 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) 横尾の戒老録だからこそ、風がわりで面白い。「猫背の目線」とは「老人のものの見方」という 意味である。 私より10歳年上で3年前の初版で、古希越えの経験が書いてある。 再来年に古希 越えの私に丁度良い老人論。 ーアマゾン内容紹介ーより ☆ 体の声を無視した結果がストレスを起こす。老年を迎えた猫好きのアーティストは、 嫌なことはせず、好きなことだけをして生きる。少し日常の目線をずらしてみれば、あなたも今日から できること。最新エッセイ集! ☆ 古稀を迎えた猫好きの芸術家は考えた。「忙しいのは他人の時間に振り回されるから」 「病気自慢が体を浄化する」「努力は運命の付録のようなもの」―老年が人生を仕上げる 時期ならば、ひとつ人生を遊んでやろう、遅ればせながら 隠居を実行しよう。自然に、創造的に生きたい老若男女必読。 ー アマゾンのレビューの内容がよい! 出版社か、筆者自身?の 書き込みと疑いたくなるほど、である。 《 「今まで芸術と生活を二つに分けて、芸術に集中さえしていれば生活を疎かにしたって どうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう人生観を送ってしまったところがあった。 芸術は芸術の中でのみ完結するという錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」 この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで自意識過剰の横尾は、 75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労している。自意識過剰から抜けるための 試みの一つが、全国あちこちでやっている公開制作である。 公開制作について横尾は 「(公開制作を行っていると)無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。 『私』の意識が薄れる」と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか? それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、 T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、膝が崩れ落ちる ような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーをもった「個人」から自由になり 「普遍的な個」と感じるからだ。横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。 彼にとって過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ 人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと自体にに驚くが、 同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じことを言っていた三島由紀夫に傾倒し 多大な感化を受けていたことを考えると、不思議ではないのかも知れない。》 ▼ 横尾は、「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」と、述べている。 それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、不自由でない位の金と、有り余る時間が 人生を通してあった。足らなかったのは、それを使うほどの能力。 事業人生の結果は、 自己精算に近い事業整理で終わったが、充実感が残った。それは、有り余る自由な時間に 恵まれていて、事業も生活も趣味も楽しんだ手応えが残っているから。そう思うしかないが・・ ・・・・・・ 4179, プライドと自尊心と虚栄心 2012年09月04日(火) * 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは? 言葉のイメージとしては良い順に ・自尊心がある ・誇り高い ・プライドが高い になる ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより) ≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の弱さをカバーするための防御する気持ち。 自分がしていることを自覚できるのは、それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。 精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分に とって何が大事かを考えることを知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、つまり精神を 大事にすることである。「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を愛するということの、本当の意味がこれだ。 自尊心を持つことと、プライドがあるということは、間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思っていれば、 他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら自分で自分の価値を知っているなら、他人の評価は気にならないはず。 もし腹が立つなら、自分の価値より他人評価を価値としているからだ。それは自尊心でなく、虚栄心ということになる。≫ ▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。人から否定的な事を言われたり、弱い自分が さらけ出されても自尊心が高ければ、心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う 虚勢で弱い自分をカバーする。プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。自分を尊び、価値ある存在と信じる 自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人ほどプライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、 女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。誇り高いというのはプライドと意味は似ているが、虚勢の高さは プライドほど高くはない。自尊心とは自分に自信があって生まれる。プライドは、自信がないための防御の柵をいう。 無知蒙昧のカラ元気。 居るよ、こういう人!地頭が悪いというか、底がない? 何か、自分のこと?と思い知る。 プライドも自尊心もズタズタ?が現在の私だが、ことの本質(世界恐慌)をみれば極当然のこと?? と、プライドの心が囁き出す。そして、そのプライドの壁の上から、そこに来ている恐慌の大津波を眺めている日々。 ・・・・・・ 3814, リタイヤの生活は退屈か? 2011年09月04日(日) 良かったのか悪かったのか、10代半ばから常に受験、就職、事業などで、常に追い立てられて生きてきた。 しかし思いもよらずに? ここで追い立てられてきた人生から50数年ぶりに解放された! のが、現在である。 その前のイメージは、本音でいえば味も素っ気もないのでは? と思っていた。 しかし、その立場になって分かったことは、「それはそれなりに充実している」ことである。 10年かけてネットに重心を移動していたこともあって、気持ちに余裕がなければ、こうはいかないのだろう。 事業の結果がこうとしても、これだけ世界規模の経済震災や自然災害が次々と生じれば、諦めもつくもの。 現在の状態を抵抗なく受け入れている自分に驚いている。逆に、何だったのか、この10年は?と、疑問も生じる。 止めようもない右下がりの落ち込みに、対処療法しか手の打ちようがない日々も辛いもの。6年前に銀行からの 会社売却の話があったが、これは「生きたまま銀行系列のホテルに、ただ同然に持っていかれるレベル」の案件。 あれから6年間も持続した分、実質な回収とも解釈ができる。 反面、倒産は避けられたかもしれない。 それに関しても後悔は全くない。 目先の資金繰りの綱渡りは、事業人生で一度も経験したことはなかった。 半年後には給料、退職金の大部分も、取引先の支払いも、(資金繰表から逆算して)不能になるのが明確であった。 そのため目先資金の余裕のあるうちにと、会計事務所、弁護士、私と役員で相談の上に、少し早目の整理に入った。 それが打撃を最小限で終わらせたことになる。 そうはいっても会社の死は、そう生易しくはない。 当分はiPadに集中。 最適なアプリを画面上に配置することと、新しい何かにチャレンジすることである。 10数年前に亡くなった母親の老後の様々なチャレンジを身近にみていた。その辺にヒントが隠されているようだ。 「良い人生、悪い人生ではなく、充実している人生」がキーワードになる。 ・・・・・・・・ 3449 秘・異郷の旅、よもやま話 -6 2010年09月04日(土) *初めて経験した大自然の懐 広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時である。 トロントと、ナイアガラの滝をみた後にロッキーを巡るコースのため、その途上のバスの中で寝入ってしまった。 そして目を開けると、何かこれまで見たことのない山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。 それにしても、リアルな夢じゃないか」と思っていた。しばらくして、これが夢ではない現実に気づいた。 これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。(その後、これと同じような異次元の世界を数多く見る ことになった) そして、次から次へと想像を遥かに超えた光景が、これでもか、というほど現われてきたのである。 「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」という言葉が、溢れ出てきた。 これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。 大自然には、 ・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系 ・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系 ・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、そして祭りなど、分かれる。 どれが一番というのは一概にはいえない。どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。 ・・・・・・・ 3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」 2009年09月04日(金) 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が面白そうなので買って読んでみた。 特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」に興味があった。 副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党119議席の結果について書いている。 ーその概要といえばー 「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい政治文化の国になってしまったのか。 ぶっ壊されたつつあるのは自民党だけでない。日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。 小選挙区制度にしたことと、派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ政治家のスケールが小さくなってしまう。 小選挙区制度になってから出てくる国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、 国政を安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。 これまでの中選挙区制度では、派閥があり、 そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家として の日常のふるまい方を学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多くいると自慢できた。 それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく総理大臣になったのに、その職責を 充分に果たせずに任期途中で政権を放り出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。 こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、 一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、あとは TVを通じてプロパガンスを並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙が示した。 今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる 形で、「日本のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないか、ということだ。民主党を含む日本の野党には、 口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担ったことはない。その経験が無いことを 自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いでいかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。 −− 以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば「何で、こんな党に政権を預けていた愚かさ」に国民は心底から 気づくことになった。そうこう考えると、政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。 民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、借金が増えるのではなかろうか! ・・・・・・・・・ 2709, アメリカのコーヒー戦争 2008年09月04日(木) 不景気が外食産業を直撃している。アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。 数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。 スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。そのため不景気とガソリンの 高騰で、コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。二年前の株価を見ると両者とも35ドルと 拮抗していたが、現在ではスターバックスは、その半値、Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。 皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然。 そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスと ドトールも売り上げが前年割れをしており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。通勤途中の長岡駅周辺に スターバックス、Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、コーヒーの値段が 400円以上のUccと、スターバックスは客が少ない。また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスが あるが、両者とも好調。この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー 専門店が二年前にできた。それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。 コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。 この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。 自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。コインを入れてから、コーヒーを 炒って出す?ので、時間が4分ほどかかる。月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にある カフェテラスの自動販売のカプチーノが美味い。月に一度は行きパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノ。 Sサイズで150円、Lサイズで200円だが、充分満足できる昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると 報じていた。何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・ ・・・・・・・・ 2007年09月04日 「エーゲ 永遠回帰の海」 −1 −読書日記 * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社 ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読み、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたつ。 (字数制限のためカット 2013年9月4日)
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2014年09月03日(水)
* お笑い、女社会のカースト制度 以前、目白の高級?住宅街の住人の、「渡り僧侶」の奥さんが、このカースト制度社会で虐められて、 相手の子供を殺してしまう痛ましい事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。 「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく一人ニヤニヤしながら 見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、 セレブもどきの小金持と、普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに 除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションからアパートの住まいと、 子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などでされる。セレブもどきは、中級のマンションか 一般住宅の住人で、一億前後の資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。 それをわきまえてないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。 高層マンションの住民にも、上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。 男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、アウトサイダーに 徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別?の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、 20年近く前から、森の住人から、サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? というより、コミカルな蔑視の対象にしてきた。 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 その内容が 「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大出身と聞きました、何かの御縁、 お茶でも飲みませんか」の誘い。 断る理由もないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを 飲んできたが、時々、同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。あとで知ったが、 この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、恐らく、その人からの指示があった のでは?と推測された。 で、何時の間にか、その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分? のようだ。 人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。 その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。この視点でみれば、 家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、私は最下層の住人になる。 いや、最下層からも弾けだされた人非人。元もと触れなければ、一切関係ない世界。 これに拘り視界狭さくをしているのが世間様。娑婆娑婆である。 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、その存在が、モロに現れている。 ・・・・・・ 4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2 2013年09月03日(火) 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をしていたか思い出してみた。 私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、各々の実家の職業は全員、憶えていた。 半分以上は幼稚園から同窓で何処かで同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、 乾物雑貨屋、美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって商店主の 子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、社長をしている)と 土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然のこと。中学校は全員、東中学校に進み、 2、3年時での同クラスは男は私を含めて7人。女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に 進むにつれ分別され、そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。やっと商店内の 生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め始めていた。目の前のライバルが ハッキリしたこともある。実家の力関係と、相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が 出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、 テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、 実践したのが勉強の目覚めの第一歩。他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく 左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。 勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間にTVが入って 夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。 そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら 地元の受験校さえ入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる 重要性を学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分がディズニーのキャラの ように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小したような姿で、未来の人生に向かって精一杯 生きていた。 この切り口は、人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の 積み重ねから成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いていて 気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無)に逆照射すれば、同年代になる。 その意味で、団塊の世代にとって、昭和三十年前半は意味がある。 里帰りということか。 やはり「人生は生きているうち」。 ・・・・・・・ 4178, 事実と真実と真理について 2012年09月03日(月) * 「真実」と「事実」の違い 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 以前、自宅に電話の苦情があった。「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。 子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、電話をした」 と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、「何かの間違いではないですか?」 というと、「御宅の前のアパートに住人で、駐車場から突然、飛びつかれた」という。 そこで「電話番号を間違えたのでは?」というと「間違いない」と、押し問答。 後で分かったことだが、自宅奧の貸家の住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。 それなら、勘違いをするのは分かる。アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど 知るよしがない。事実は、我家の駐車場から飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。 その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、C層レベルの創作話が 多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー ≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して 視られるものが『真実』である」 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」について言うのが事実です。 表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということ。 真実を追求するというのは、 事件や問題の背後にある何故そうなのか、を見つけること。 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと 事実・・・現実に起きたこと 本来なら「真実」=「事実」にならなければならないが、 うはならないことが多く「多くの人間は見たい現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい 現実をみているもの」、 事実は一つだが真実は人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の 価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、「真実」は人間の内部に あるもの。「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。 問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」として認識できるのか? という問題が生じる。そうなると、「真実」というのは本当にあるのか?という疑問も生じる。≫ ▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、事実の中にある、 それぞれの解釈でしかない場合が多いからである。世間では「事実の最大の敵はウワサである」 になる。それがウワサがB級層では事実になってしまう。教養とは、そのへんを見分ける知識の 蓄積をいうが、とにもかくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、学生時代のゼミで、 ケーススタディを一年間してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を10人ずつ 二グループに分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで再び議論する。 提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。半年も月4回もしているうち、 その誤差が無くなっている。事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だった。 ・・・・・・ 3813, 無知の涙 2011年09月03日(土) * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀 ー「ハンロンの剃刀」とはー 「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できることを悪意のせいにすな。)」 頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上に悪意を想定するな!ということ。この定理を知ると、不満や トラブルに遭遇した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、を間をもって判断できる。 そうすれば、その大部分が無知からきていることを知る。 しかし現実に厄介なのは、悪意より無知からくる方で、 無知の自覚がないから始末が悪い。 「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、あまりに多く見てきた。 いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を 解決するプロセス。大体のことが、この法則で(少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減。 「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、他人のことなど分かるわけがない。 その他者に悪意を見出しても何にもならない、という道理は納得できる。 一番怖いのは、無知の善意。あとで、 悪意がついてくる。 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー 【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品なので、切れ味はそれなりである。 しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気が あった訳ではない。もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか 「素材に良質な鋼を用いないのは商業倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでも バッサリと切り捨てないのが優しさと言うもの。要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という言い訳。 「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、腹を立てるだけロスということ。 出来たら、孤高でありたいが・・無理。 ・・・・・・・ 3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5 2010年09月03日(金) * ツアーあれこれ ー4 ・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んでホテルや 飛行機の手配をしてもらうか。 ・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。 ・それらをネット上で、全て予約を組むか。 ・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、ホテルとか行き先を決めるとか、 旅行にも色いろな方法がある。 人見知りをする私にとって、パック旅行は最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 全国から同じ目的を持った者がチームを組んで旅の目的を達成する。その最適パッケージを代理店が企画販売するのが パックツアー。激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。 その進化したシステムを如何に 合理的に使うかである。インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等は そのシステムの合理性を知らない。これがなければ「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティー草原で、 チーターの狩りなど見れる訳がない。それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 それ以前に、そんな気持ちになれない。南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導する ボートに乗って奥地にいき、キャンプをし、飛行機で上空を旋回し、エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を 見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から100mの高さからの バンジージャンプなど出きようがない。代理店は普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。 特に中小は、自社の強みが何かを探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエル だったり、アマゾンだったり。それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、 ツアーのベテランを狙って、秘境・異郷のツアーに、かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク 値段の高いパッケージを売っている代理店もある。それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだった。 特Aの団体を時どき見かけるが、人相からして違う?一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。 ・・・・・・・・・ 3073,飲み屋横丁考 2009年09月03日(木) このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・ 飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。飲食街そのものは50年〜60年の長年の 歴史の上に成り立つ。その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。東京は銀座、新橋、 六本木、新宿など地区で、客層が分けられるが、一般的には、年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに 分かれている。 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある3メートル通路両側に8軒が並んでいる 横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。 ・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。 (そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた) ・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。 ・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 ・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。 ・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。 ・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。 自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。 そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、店の中より、 最寄駅から周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。大きな飲食店ビルは、オーナーが 意識的にテンポ構成をするのだろう。そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。 ・・・・・・・・・ 2708, 政局の話 2008年09月03日(水) 福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。 どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。 これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、負けるだろう。 もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、捨て身の作戦の可能性がある。 しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。民主党も、直ぐにボロが出て、 政界の再編成になること必定。本来はアメリカ大統領選挙の結果を待って、アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら 自民党にすべき。現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。見ている分には面白いが、日本の置かれた現状が あまりに厳しい状態。民主党が政権をとって、日本を一度解体して日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。 日本に巣くっている官僚を解体して、権限を8州に委譲することだ。*北海道、*東北6県、*新潟、群馬、長野、石川、 富山、福井の中部州、*東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州*静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など 名古屋州、*大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの中国・四国州、そして*九州・沖縄州である。 そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 現在の日本には無理だろうが・・ しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものがアメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。 日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても世界のグローバル化に対応する方向づけをした。 現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。 その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。阿部、福田と、 麻生と、二代目。 それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。 「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。 「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。 それにしても危ない! ・・・・・・・・・・ 2007年09月03日(月) 2344, 糖尿病について オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪ (字数制限のためカット 2013年9月3日)
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2014年09月02日(火)
* 死の淵からのルポの凄み 〜① 『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 介護度5の筆者の、たどたどしい文から、その日常と心情が直に伝わってくる。 それでも生きなければならない、そして、書き残さなければ直ぐに忘れてしまう恐ろしさ、 そして、ベッドで、のたうちまわる日常を淡々と、たどたどしく、生々しく書いている。 倒産の葛藤の日々に似てないこともない?が、状況のレベルが違う。 ーその辺りからー ≪ ● 死の入り口 ーp21 忘れていたが、思い出したことがあった。また忘れるので、書いておく。 たぶん、意識がなかったときのことだと思う。 ボクはのんびりとした毎日を過ごしていた。 あたたかい、やわらかい空間で、取材をしたり、原稿を書いたりしていたのだ。 「そうだ、家に帰らないといけない」「心配しているかもしれない」 そう思っていると、 遠くから息子や娘の声が聞こえてくる。 「そろそろ帰ろう」 そう思っていたが、何度も原稿の締め切りがあって、たくさん原稿を書いていた。 そして、もう一回書かないと、とゆっくり書いていた。 死の入り口の人間は痛みもない、あのあたたかい、やわらかい空間にいるのだと思う。 死の入り口は、痛くも怖くもないのだ。” ● 忘れていた ーp25 思い出したことがあった。眠っているとき、白い服を着た白い鳥のようなものがボクの頭の上あたりを ぐるぐる回って飛んでいる。僕は仕事で忙しかったので、その白いものを見て見ぬふりをして、仕事を 続けていた。忙しい、忙しいと、締め切りに間に合いそうもないと、原稿を一生懸命書いている。 気分は良好。そこで娘の叫び声がする。「パパ!」僕は娘のところ行かなくてはとふと顔を上げると、 白いそれは消えてなくなった。喉が渇いていた。そうだこれは喉が乾き過ぎたからだ。 だが僕は何を知らせたいのか、わからなかった。「パパ、お茶飲む?」 そう娘に聞かれて、 喉が渇いたのをはじめて思い出した。本当に喉はからからで、お茶をごくごく飲んだ。 もっと、もっと、飲みたい……。だが、僕は喉が乾いていたのを、忘れていた。 ≫ ▼ 何気ない文章だが、死の淵の意識は、こういうものだろう。なまあたたかい、やわらかい空間にいて、 痛くも怖くもないようだ。 それぞれの章ごとに、介護度5の筆者の写真があるが、その虚ろな表情が、 そのまま、その状況を伝えている。 介護度5の重症患者の自分を、そのままルポをしているのだから、 これ以上のルポはない。 誰もが、訪れる『死』の前での凄惨な日々は避けられない。「死んでしまえば、 それまでよ」だが、その直前の凄惨な格闘、その時は、その時に受け入れ闘うしかないが!全てが夢幻。 ・・・・・・ 4552, 2050年の世界 ー3 2013年09月02日(月) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 米国の衰退の予感と、勝ち組になる国の姿は? 日米欧のうちG7の中で残るのは米国だけと予測。人口衰退の国に明日はないことになる。その中で、日本の影は 一層、薄くなるのは、現在の日本を見ていても分かる。米国の実質支配下の隷属国家、親が転ければ子も転けて当然。 〜まずは、その辺りから抜粋〜 《 米国民は、つねに競争、解雇、収奪、殺害のリスクにさらされている故に脆弱感を持ち続けている、だから 宗教にすがる、と分析する。 次に・高齢化に伴う医療費・年金の財政圧迫であり、投票率も高く献金も多い 高齢者の仕様の老害政治である。高齢者に有利な財政・優遇策ではなく、若者の勤労意欲を引き出し、結果として 高齢者をよりよく支えさせる賢明な政治に切り替えよ、と主張する。 エコノミスト誌の予測を読んで、私なりに 導いた結論は、次の点である。 これからの「国々の興亡」は、中産階級を育て、維持し、大いに嫁がぜる中産階級大国と、若年層の勤労意故、 社会・政治参加、高齢者を支えるコミットメントを上手に引き出すスマート・カントリーが勝ち組になる。 それはグローバル化を活用しながら、可能にしなければならない。グローバル化の波頭でサーフィンするのではなく、 海面からは見えない潮流をとらえ帆を張ること。それには黒潮をつかまえることだ。そのひとつは、シュンペーター的 起業家精神。 ローレンス・サマーズは「21Cは、シューペンターがもっとも重要なエコノミストになるだろう」 と看破したが、グローバル化により創造的破壊がグローバルに解き放たれている。その怒涛に渦から湧き上げる プランクトンを貧ること。もう一つはグローバル・リテラシーである。いま、それは英語である * 二〇五〇年の日本の影は一層、薄い。 2010年に1億2600万人を打った人口は減少し続ける。人口減少は毎年1%GDPを押し下げる。GDPは世界全体の1.9%、 (2010年は5・8%)。人口一人あたりのGDPも、米国を100とすると、韓国の105に比べて日本は58へと沈んでいく。 しかし、日本の真の問題は人口とGDPではない。 日本の科学関係のノーベル賞受賞者は15人しかいない、 オーストリアは日本の人口の7%に過ざないが、受賞者は14人と日本より一人少ないだけだ。なぜなのか。 エコノミスト誌は、権威に挑戦することを目己規制するからだ、と見る。 「欧米に追いつき追い越せ」の後に 何を生み出すのか、それが見えない点では日本も中国も同じである、というのである。向こう40年間、日本に とっての最大の挑戦は、シュンペーターと英語ということかもしれない。 { *参考 20世紀の経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950年)は、イノベーションと改善を求める 起業家の意欲が、いかに大きな変動と変革をもたらすか注目し、起業家精神を「創造的破壊」をもたらす力と考えた。 彼によれば、起業家は「新結合」を遂行し、古い産業の衰退を促す。確立されたビジネス手法が、より優れた 新たな手法により破壊される。} 》 ▼ 現在の日本がシューペンター的起業家精神を持って創造的破壊が可能だろうか?といえば、疑問である。 それより国家の概念が、情報端末とネットの進化で破壊される可能性が高い。ますます個人化が進み、個人が国家や、 地域社会の垣根を超えて行き来する。10年前、誰がPCが、タブレット、スマートフォンの大きさになると想像した? ・・・・・・ 4177, 哲学で自分をつくる ー6 (デカルトー②) 2012年09月02日(日) 第二章 まだ自分をさがしているのか?(ーデカルト―②)「哲学で自分をつくる」瀧本往人 (著) * まずは、「感覚」「現実」「数学」を疑うことから 確かに間違いなくある五感と、現実。デカルトは、まず、それを疑った。現実と思っているのが実は夢でないかと。 確かに感覚で捉えても、錯覚ということもある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは 近代哲学の祖。ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。 膨大の情報化の真っただ中で、このへんの事を、 よく分かってないと、その洪水に流されしまう。いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、 それも良いが。哲学で自分をつくろうとしているのだから、現実も、感覚も、まず疑うことから出発しないと・・ あの人たち?のようになる ー その辺の記述を抜粋してみる 【◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの感じとったものは絶対に正しいと考えたく なるが、デカルトはこれに依存してはならないとした。 なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば 「錯覚」を起こすからである。 ・・・要するに自分からの確信は世界を正確にとらえているとはかぎらない、 ということである。逆に、この錯覚にさえ気をつければ自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、 どんな場合も間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、感覚には依拠できないとする。 ◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」とこの「現実」とは重複した部分がある。 実際に見ているものは、「感覚」でもあり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり 感覚も含めて把握していることが「リアル」だ、というイメージならば「現実」を疑うデカルトの意図は少し明確になる。 この「現実」に対してデカルトは、もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢なのではないか、と疑ってみた。 夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、自分が夢を見ていないということが 証明されれば問題はなくなるのだが、むしろデカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。 ◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は 確かに、その体系においては真理が成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで 信じてきたものもあっけなく崩れることがある。デカルトはここで、数学を特権視せず世の中に多々ある約束事と 同様のものとして、不確かなものとみなす。このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう 「感覚」「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。つまり、特に確からしいと思われているものさえ 不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなものなのだ」ど判断するのだ。】 ▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。それらの全てが、即、空であり、 あてにならないとデカルトは看破したのである。まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を 疑ってかかることこそ必要である。緑の原野からサバンナに出てみて、「あの原野での出来事は何だったのだろう?」 と、振り返ると、何も疑問を持たないで同じ行動パターンを繰り返していた自分が見えてくる。そして、 現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定すべきことが出来ない。 それをするには常に死を意識しなくてはならない。しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。 ・・・・・・ 3812, 世の中、すべからく代理・代行 −2 2011年09月02日(金) 国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業になる。 ・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買ってから10分以内に消費するニーズを 満たす代行の店。土地持ちのオーナーに全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。 ・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に成績を伸ばしていった。 家電なら、 TVやDVD、冷蔵庫、洗濯機などの配達先の取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。 運送業者が電器の取り扱い経験者を運転手として雇えばよいのである。 ・スーパーの流通センターから各店の配達も、最終店出し直前まで請負う。 ・先日、寿司の宅配専門で伸びている業者が、東京の山の手の有名店の宅配だけを専門に請負う会社運営を TVで放映していた。売り上げの4割を店から分けぶんとして貰う。 それでも有名店の店舗運営の経費からみても、 採算がとれるという。 ・代理出産もあるが、ここではやめておこう。 ・その中で面白いのが結婚相談所である。これは昔からあったが、最近はネット時代。一番、微妙な部分を考慮に 入れた仕組みづくりがポイントのようだ。料亭などが、最近では料理教室をつくり、そこに男女を集めて 出会いの機会を提供する。中高年や、エリートだけに絞り込んだコースとか、外国人との結婚を求めている男女とか ・面白いのでは、ゴーストライターがある。有名人や成功した社長に代わり一代記や、人生訓などを書く。 ケネディ、オバマ大統領にも名ライターがいたが、あくまで影の身である。 ・戦国時代、江戸時代の大名にも名筆の書き手がいた。 それは、それで専門職は必要である。 激しく時代が変わる中で、一人で何もかもは不可能、その中で、いち早く、変化のニーズを察知して、 その代理・代行のシステムを提供する必要性がある。デジタル化とネットによる情報化が別世界を新たに 出来つつある中で、代理・代行がキーワードになる。 ・・・・・・・ 3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4 2010年09月02日(木) * 初めての21歳の欧州旅行 ー3 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。 カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が 根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。 これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 それと社会、世界は不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、逆に貧しい人種と国が満ちている。 その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいた。とにかく世界は広く、深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えた レマン湖とスイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、 これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす 人が多いと聞いた。現在のように、写真、テレビ旅番組、ニュースに、映画の背景として過剰に入る時代ではない。 私のように、中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変に なって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右した というが、当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、 全く違うが、それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。 ・・・・・・・・・ 3072,コカコーラのビン 2009年09月02日(水) 最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。 それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。 目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。 「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた 【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。 かっこよく、しかも中身が多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、恋人がふらり、 仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。タイトスカートをはいていた。 このスカートは膝のところが 細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、 社長のところに出かけていった。「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」 社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。 「社長、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」「そりゃ、ビンに決まっているさ」 青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。コップの水が入りきらないうちにビンは、一杯になった。(う〜ん) 契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。 「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、 腰が括れていた女」 だから、という。 本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。 ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない? 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・水に麻薬を混ぜて数十倍の利益を だしているのだから、ドエリャイ儲けになる。 あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに 数パーセントの利権を得ていた、とかいう噂があったが、本当かウソか? 「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。 ・・・・・・・・・ 2707, うつ病について 2008年09月02日(火) 精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、 その一歩手前の経験をしているはずだ。(まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、 性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、 それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、それを気にしなくなったのは、 50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。 青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。 誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。 60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触り? しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。 北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と 旅先で聞いた。「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。 治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。 元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。 日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。 ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。 私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、 コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。 しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、 過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、 その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。 (字数制限のためカット 2013年9月2日)
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2014年09月01日(月)
* ドルの供給量が三倍 リーマンショック以来、ドルが三倍、ユーロが二倍の資金供給量の増加になったが、円は二割の増加。 それからして、ドルは40円になって然るべきだが、不思議なことに100円辺りにとどまっている。 米国債を発行したりしてドルを回収しているが、そこにシェールガスの供給量が爆発的増加の要素が 加わる。 やはりドルが全世界の基軸通貨の絶対的強みがあるが、何かマジックがあるような。 で、安部・黒田コンビが、過ってなかったほど、無制限に円の資金供給量を増やし、それが株式に まわって株価を上げている。 その崩壊も、時間の問題で、ある日、突然・・・ * つれづれに 先日、TVで「幽霊や、虫の知らせ」について、色いろなケースを取上げていた。そして、学者が 、「それら全てを、勝手な物語化しているに過ぎないだけ!」と否定をしていた。これは各自の感覚の 問題であり、断定出来る問題でない。私も、ある時期、変な感覚が身についたことがあった。 今は全く無くなったが、これは経験してみないと理解できない。「激怒した相手は、本人か家族が 数年以内に病気か不幸が起こる」と信じている。家庭内は何こも多くの問題を抱えていて、数年 以内に必ずトラブルは起こる。特に熟年家庭には・・ 自分より年上には「いずれ直ぐ死ぬ!」で済む! そういう年齢になったということ! 死んで三日もたてば、三百年前と死んだと同じこと! で、日々暮らすしかない。 * 「LUCY/ルーシー」〜シネマ評 まあ面白い! 95点である。ここでは、人間は脳の10%しか機能してないというが、3〜5%も 使ってないのが大部分だろう。私自身の過去を振り返ってみた実感は5%である。 ーレビューよりー ≪ 脳が100パーセント機能してしまったヒロインの戦いを描くアクション「LUCY/ルーシー」。 ごく平凡なルーシーは、台北で、マフィアの闇取引に巻き込まれ、密輸のため新種ドラッグを体内に 埋め込まれる。だが、袋に入ったそのドラッグが体内で漏れ出し、ルーシーの脳はみるみる覚醒。 驚異的スピードで変化する彼女は、脳科学者ノーマン博士が見守る中で、人知を超えた能力に 目覚めていく…。 しかし一方で次第に人間性を失っていく彼女は、 自分自身でさえも制御不能な 状態へと陥っていく。果たして100%に覚醒したルーシーは、人類を救う存在なのか? それとも破滅へ導いてしまうのか? 通常は10パーセントしか機能していない脳が100パーセント機能してしまったら? わずか数分で外国語をマスターし、傷みも感じない身体はスーパーパワーを身につけ、 肉体的な格闘を超越して超能力の域に達する。 気弱な女の子から、人間性を失いつつも超人に激変を楽しみたいファンにはおすすめだ。≫ ▼ 火事場の馬鹿力は確かに存在するが、それを薬物を使って引出すのは、アスリートや 音楽家の世界では広く応用?されている。 これを拡大したアイデア一発だけで勝負をした 内容が、何とも面白い! ・・・・・・ 4551, 2050年の世界 ー2 2013年09月01日(日) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 船橋洋一の解説 〜1 最後の船橋洋一の解説が簡潔に大筋をまとめてあり、これだけでも読みごたえがある。四十年間の最も意外の黒鳥は インターネットには全く同調する。まずは、その辺りを抜粋してみる。 ーその部分を抜粋してみるー ≪ 四十年先の世界を予測しようと言うメガチェンジならぬメガチャレンジをエコノミクス誌が試みた。 これがいかに無謀かは、過去四十年間に世界で起こったことがどれほど不可測的であったかを振り返れば足りる。 例えば、一九七二年の時点で、次のような地政学的新世界を誰が予測しただろうか。 ○ ソ連が崩壊する。 ○ 中国が世界第二の経済大国にのし上がる。 ○ 新興国パワーのインド、ブラジル、南アフリカがサミットを開催する。 ○ 日本が二十年間の「失なわれた時代」の揚句、没落する。 ○ 米国と欧州連合)が深刻な債務危機に喘いでいる。 ○ インターネットが世界を覆い、フェイスブックが、インド、中国に次ぐ十億人の大国になると誰が予測しただろうか。 過去四十年間の最も意外の黒鳥は、インターネッ卜だったかもしれない。これ一つとっても未来予測に謙虚であるべき。 もっとも、英エコノミスト誌は、この種のメガチェンジの調査予測をこれまでたびたび特集してきた。有名な例の一つが、 一九六二年、ノーマン・マクレー副編集長が執筆した「驚くべき日本」の大特集である。日本が戦後の復活の過程を終了、 世界の経済大国へとのし上がっていくだろうとの日本像を鮮明に打ち出し、世界の日本観を一変させた記事だった。 同記者の日本調査予測モノは、その後、一九六五、一九六七、一九八一年と続いた。 今回のエコノミスト誌の予測は世界をまるごと予側している。さらに野心的である。 ○ 絶滅種が再生技術で復活するだろう。マンモスが一番乗りするかもしれない。(恐竜は雛しいのだろうか?) ○ イエメンでは、二〇一五年までに自然水が完全になくなる。 ○ インドは、文盲人口と大学卒人口がほぼ同数という世界で最初の国になるだろう。 ○ インドとパキスタンが競争の可能性がある。それが起これば、核保有国同士の最初の戦争となり、もしか核戦争?。 ○ 中国の繁栄は長続きしない。最大の要因は、人口減のの重圧である。中国の出生率は2.1に落ちる。 四十年後、日本、欧州と並んで最大の人口負け組となるだろう。 二〇五〇年。最大の人ロを擁する国は17億人のインドである。中国がそれに次ぎ、米国を抜いて、ナイジェリアが その後を追う。インドネシアも向こう四十年間、人ロポーナス国である。二〇五〇年、アジアは世界経済の半分の規模。 この時点でのG7は、インド・ブラジル・ロシア、インドネシア、メキシコ。現在のG7で残るのは米国だけになる。・・≫ ▼ 過去40年より、今後40年の方が遥かに大きな変化が次々と生じてくる。理由は簡単、スマートフォンなどの 情報端末が止まることなく進化し、世界中の人たちが瞬時に繋がる流れが加速し、それが一部の特権階級の富、 情報、権力の独占を破壊することになるからだ。未来学者が、現在の事態は自分たちの予測を遥かに超えていると 述べていた。こと知識、情報、娯楽面で充分に恩恵を受けている実感がする。 ・・・・・・ 4176, グローバル化の真実 2012年09月01日(土) 『 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 』水野 和夫 (著) なかなか面白い本である。 ーアマゾンの書評の中で解りやすいのをコピーしてみたー ≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国である時代はもう終わった。しかるに アメリカはグローバリゼイションという名の〈米による世界経済征服計画)方策で、その命を永らえさせている。 (そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする近代資本主義は限界に来ている。 今行われようとしている景気回復は誰のための景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主 〈言い換えれば上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。このままでは景気は 回復しても労働者の賃金は下落する。(一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない) アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまくいかないことはもう証明されている。≫ ≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義の構造を前提に反復された景気循環の 一環ではなく、こうした構造自体の終焉を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の 根源的危機として水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済への過渡期に当たる16世紀である。 16世紀と21世紀は、氏によれば、数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は 1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、 2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、後者においては「海から陸へ」という 世界軸の大転換が生じたこと、 3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては仮想的空間の拡張とそれに伴う 超法規的収奪が、それぞれスペイン/アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、 4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に新世界が現出されること等々に 確認されるという。 21世紀における'1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型 経済モデルの失速とそれに代わる情報・金融革命に基づく仮想空間への資本主義の突出により可能となるが、 帝国を支えるかかる空間上の高収益は人件費の流動化、即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、 近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という神話のおわりを明らかにする。 「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に基づく 新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」を通じ実現する手段に過ぎなくなった。 「労働は、資本にすり寄った国家に裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた 同質の変化と 対比させることによって明らかにしようとする。≫ ▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを中心と、その周辺を結びつける イディオロギー」と、看破している。グローバリゼーションの事実とは「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」 である。そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、「搾取」をする、これが 実態であると。その手始めが1985年のプラザ合意である。日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、 アメリカに搾取された。 ・・・・・・ 3811, 閑話小題 ー老いと病について −1 2011年09月01日(木) ▼ 血圧について 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の 入り口にある。出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けて いるので大丈夫」と、判断していた。 最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので 自然に、毎日のように検査をしている。だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが 高血圧の三段階の初段階とあった。医者にいわれ続けてきた通り。両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、 年齢プラス80〜90が高血圧の境目、という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。 ということは年齢からして、少しは考えなければならない。晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。また塩分も最小と心がけてた。 運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように運動ジムに通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。 死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、 高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策をしなくてはならない時期にきた。 今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、健康で長生きをしたい 欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。 やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。 「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。 「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。 血圧と何の脈絡がある? かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」 からからだ。 チロリ・チロリ・チンチロリか〜 ・・・・・・・ 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3 2010年09月01日(水) *初めての21歳の欧州旅行 ー2 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。 それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。 その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。 それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、ロンドン市内には、 シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験を してみた。 こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。 これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。 元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン 騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、 ハメがきかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。 そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。 その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。 ・・・・・・・・・ 3071,衆院選挙の各新聞の論評から 2009年09月01日(火) 各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。 ーまずは印象に残った箇所から ・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、 「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞) ・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞) ・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞) ・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞) 以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。 (次数制限のためカット 2011年9月1日) ・・・・・・・・ 2706, 現代とはいかなる時代か 2008年09月01日(月) 人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、 インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。 著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。 4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。 我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。 ー以下、要点を抜粋したー 「地球システムの崩壊」 松井孝典著 −読書日記 −2 *現代とはいかなるじだいか 1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。 人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、 次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。 この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。 「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。 今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、 宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、 一般の人にも、画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体である ことも認識させてくれる。 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは 生物圏の存在を示唆し、地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態に あることを語っている。専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、 灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、 「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。 それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、 その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた 時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から 向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を 確認しておかなくてはならない。 〜〜 何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。 月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。 それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても 自分自身どうすることも出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに 消滅していくのである。正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
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2014年08月31日(日)
* 永遠の問い、「私とは何か」 平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一氏の書評が解りやすい! ≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っているindividualは、 これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。そして本当の自分なるものがあるという 考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けること が可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の分人の ネットワークによって成り立っているという。 そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。 ・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性となる。 ・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を変えることだ。 ・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。 ・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を創出しようとする行為だ。 ・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。 ・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的になっていける。 ・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。 それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。 ・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かなつながりを 発見させる思想である。 ・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、今後重要なのは 複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。むしろ矛盾する複数のコミュイティに 参加することが大事なのだ。個人を複数の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が 開けてくる気もする。分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されている と考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながっているのではないか。≫ ▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になっている。だから、 人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を増やしている自分が存在する。 創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、そこに存在している。秘境旅行で、各地に 旅をしている自分も、旅行先に溶け込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んで いる分人を増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙である。 自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうちである。 ・・・・・・ 2007年08月31日(金) 2341, 「私」とは何か? 〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 「狂人三歩手前」−中島 義道 (著) −読書日記 ー「私」とは何か?ー 「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。成る程と合点が いったが・・ 常に考える時、「私」は何々・・と一日、数百回も自問自答しているのに、その「私」とは 何ぞや?と考えたことがない。それを知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。 ある哲学書で「私」についての説明があった。 {「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた 主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようで理解できない モヤモヤが残っていた。過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある 「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を み砕いて解りやすく説明をしている。 −p.86 「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか? そこに独特の感じがするから? だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の 作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。 「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものではないか? いや、胃がきりきり痛い時に それと並んで独特の「私」という感じなどない。そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的 主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」 とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のようなものであるはずがない。 あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。ここで、別の視点から反省してみるに、 「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。「私」とは過去のあの時も 同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、 現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。 「私」は、過去と現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく探しても 見いだせないのは当然。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。 現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて 「私」は身を現わす。ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても 「私」の同一性は保たれるということだ。夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は 自覚されていない。「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。 まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を 見ていたことになるのである。夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。 「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、ぼんやりもの思いに 耽っている時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は〜していた」と語れる限り、 その時「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。 ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。 私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。 一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。 ーーー 夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。 じゃあ、夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを 考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない純粋何とかいう未成立の?が、 夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何かを考えていた! ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、また夜半にリアルな夢をみた ・・・・・ 2013年08月31日(土) 550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ 『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に入っていた。 それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、裏側に、何故か小学校五年時の クラスの集合写真。出版社に誰か同級生でもいるのかとネットで調べてみたが??7名の小さな 長岡市内の出版会社で、県内だけでなく全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。 団塊の世代以上を狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊としても9990円で 売れるのだろうか?その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。 その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで誰かが持ち込んだのを 見るしかなかった。で、51年の時空を超え、このチラシの集合写真を何度か見ているうちに、 当時のことが、次次と思い出してきた。 11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力も決まるという。 クラス内の力関係などで、誰かが常にターゲットにされる、あまり気持ちの良くない年頃。そのため 心の傷は深く残るもの。その最たるのが、まあ、書くのは止めておく・・ 自分も似たようなもの だったろう。手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは大学名は不明だが、数名、 卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。学校の先生の子弟は新大付属小学校が ある。ここで目立つのは長岡青果市場の社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人に なっている人とか、土田塗装とか、何処かの中学校の先生とか、多種多彩。 女性の方は皆目分からないが、少し目立っていた三人が三人とも離婚? 死亡数は男20人中に4人。女性は分からない。 主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、 最後は何処か教育長をされた人で、定年時に400人が祝いに集まったという。20年近く前に、 私が経営していた新潟駅前ホテルに泊まって、古町を数軒、飲み歩いたことがあった。 せっかくなので、この数日、当時の記憶をたどっているが、51年の時空を超えて嫌な記憶を 中心だが幾らでも出てくる。太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、口に出さなかったが、 戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう振り返ってみると、子供の頃の 記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が強い遊び好きの生意気な子供だった。 今だ続いているが・・ 当時、家庭内で多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル 3Fから、歩いて7分ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。 生活環境は本当に大事である。 ・・・・・・ 2012年08月31日(金 4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている * 恐ろしい近未来 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ出したが、 もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた記事と同じ内容。政府発表となれば違ってくる。 大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。これは太平洋沿岸沿いには住めないということになる。 その地区の住宅地や商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 当事者は、まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期で大地震と大津波が 起こっている痕跡があるという。活断層が不自然に捩れていて、何らか次の大地震が起きる可能性が 大きい。決して非現実的予測ではない。これに関東直下型地震の可能性がある。 更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。いや、すでに起きている? これでは、夢も希望も持てやしない。 この数年来、大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。 これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。金の卵で、会社は選び放題。私の同期の男たちは、 殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。時代は大きく変わった。 * 田中真紀子が民主党党首に立候補 ? 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様が民主党党首の 候補の可能性が出たという。思わず失笑したが、それほど民主党は困っているということになる。 あの外相時の相応しくない姿を忘れてしまったのか。あの人物から誠意の何も感じられない。 一国を束ねる力量があるとは到底思えない。何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。 あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。国が衰えると、こうなる。 政治は、何でもありである。 床屋レベルの政治談義からみると、この世界的危機の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ 交代による政治変動は非常に興味をそそられる。なるほど2012年問題は危ない要素に満ちている。 安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。面白いがどうだろう? それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東直下型地震。 それと世界恐慌の可能性がある。20世紀前半に世界恐慌を挟んで二つの世界大戦があった。 このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。それより大きな変動が、始まってしまった。 これから壮大なシネマのような世界が展開される。 ・・・・・・ 3810, 世の中の商売、すべからく代理・代行 2011年08月31日(水) 旅行代理店、保険代理店、会計事務所などのサービス業があるが、すべからく世の多くは 代理サービスの変形。家電商品も、その多くの製品は代理システム品。洗濯機、炊飯器、扇風機、 暖房機も、人間の労働の代理品である。20年前に「一世代前の人が、現在の生活をするには 200人の従者を必要とする」と聞いたことがあった。現在では数万人でも無理だろう。 車は馬車の代行であり、カメラは専属カメラマンの代行。 夕食の宅配は、主婦の仕事の 一部代行である。旅行代理店のパック・ツアー。その大ファンにとって、その恩恵は大きい。 アフリカのタンザニアや、ケニアのヌーの河渡りなど素人では絶対に無理だが、ツアーに参加 すれば誰にでも気楽にいける。スナックや、居酒屋も家庭内で満たされない料理や、お愛想、 気などの代行である。 この事業整理の一連も、弁護士事務所が会社が300万プラス個人が 50万、合計350万で、一括業務?委託。 一連の委託契約をすると、全ては弁護士の管理下に 入り、良くいえば債権者から守られる。逆に、一切の社会的信用はゼロ、前科者に近い後ろ指、 陰口の絶好の対象になる。また、最近通いだしたスポーツジムも、各種のエアロビがあり、運動の 指導をパッケージにしてある。それに従っていれば体質改善が合理的に出来る。その指導を多くの 会員を集めることで、パックにして、場の提供をしている。これも各自で行っていた個別運動の パッケージ化。 ところで、これまでの蔵書ベストの100〜200冊をデジタル化して、iPadに気楽に入れられたら、 よいだろうにと思っていたら、一万冊を入力してiPadに入れて持ち歩いているという人の本があった。 それは面倒と思っていたら、一冊100円で入力をしてくれるサービスがあった。とりあえず100冊を? と考えているが・・。 また、アマゾンに注文した本を、そのまま業者に本が直送し、スキャン してくれるサービス業者もあるという。デジタル本が、まだまだ普及してない中、これは良い 代行システムになる。情報化とデジタル化の時代、代理・代行システムは重要なキーワードになる。 それにしても、面白い時代である。各種代理システムをiPadを端末として、 如何に使いこなせるかが、これからのポイントのようだ。 ・・・・・・・ 2010年08月31日(火) 3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2 *初めての21歳の欧州旅行 ー1 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、 それに当たるからである。ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の 欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚き。当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、 欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門 などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか見てなかった。 それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が 巻き付いていた。生まれて初めてのヒレステーキである。 次に初めての海外に降り立った地は デンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と緑の中に街がある御伽の国の世界。 人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色からして違うのである。そして、林や森の グリーンが、違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。 それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、北欧人を目の当たりにするのだから。 一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を正常に 保つだけで精一杯であった。 当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。 現在の100分の一である。 だから、出発前から気持ちが高揚していた。 ・・・・・・・・ 3070, 衆院選挙の結果をみる 2009年08月31日(月) 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。 週間朝日の最終予測の307が一票差で、完璧に近い予測。森元総理が落選するかに 注目をしていたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選。 今回の特徴は元総理など多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の 要請である。色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果の オウンゴール(自滅点)。民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では 殆ど自民党を支持する人はいなかった。 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散の タイミングを何回も逸し、自民党を粉々に崩壊させたことになる。もう二度と元の自民党に戻る ことはない。 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。 アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく舵を切ることになった。当然といえば 当然の流れである。自民党も振りかえると決してマイナスだけではない。プラスの面も多かったが 一度、旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。 それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 これで経済に続いて 政治も動乱に入った。 面白くなったと他人事のように言っていられないのが、現在の日本の 危機状態である。幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 元もとは布教活動の宣伝活動だったのか? 我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、 これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。 次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。 検察のゴミ掃除をどうするかだ。 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。 ・・・・・・・・・ 2008年08月31日(日) 2705, 酒の話 ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。しかし楽しい酒はこれまた格別よい。 致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、酒は日常の制約や退屈さから解放を してくれる。「酒はモラルの休暇」とは、よく言った。世界の人たちは酒の少々の失敗は認めてくれる。 歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する祭りや行事があり、 その日のことは、大目にみられてきた。ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思っても いない浮気や、失態も起こる。「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いは ベラベラと話してしまう」ことが、酒の一番の欠点だろう。そういう不節制にも教育的? 価値もあるという。 少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。 あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 下戸の人は、酒を飲んで 大騒ぎをしている高揚した楽しさ、至福を知らないまま生涯を終えるのである。 (以下、字数の関係でカット14年8月31日)
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