堀井On-Line



4826,「事業人生を決心して45年」の語り直しー5

2014年06月01日(日)

   * 金沢百万石での経験
�� 千葉の新興住宅地のド真ん中の交差点で何か事業を立ち上げるに、実社会の経験不足は
まだまだ。 それと建設期限まで二年間半の期間があった。そこで、何処かで厳しい修行の場に
探し出したのが、当時、厳しい社員教育で知られていた「いとはん」という衣料チェーン店で、
北陸三県に10数軒を出店していた。
入社して知ったのが、西友との資本提携。そのため会社は大きく動揺している最中。
資本提携は、強者が弱者を生きたまま飲み込む残酷な実情であることを、当時の社長を含めた
役員はあまり理解してなかったようだった。
その上に、入社半年後にドルショックが起き、既存店の売上高が、大きく右下がりに落ちていき、
会社内は暗い空気に満ちていた。 ジャスコ在職の時は、合併先への新兵で乗り込む立場から、
今度は逆の立場の占領される側の一兵卒である。2〜3年後は辞めると分かっていても、プライドが
ボロボロ。その惨めさを、世のサラリーマンが、多く経験しているはず。貧すれば鈍するとは、よく
言ったもの。何がどうであれ、弱者の立場には立たないこと。
 三年前の決断は、こういう経験があればこそ出来たこと。前向きで自ら崖っ淵に立つのは
構わないが、後ろ向きの踏んばりは、避けるべき!という体験を、早そうに知ることになった。
社内は役員の対立などあり、疑心暗鬼のルツボ。当時の「いとはん」にとってのブラックスワン
(思いもよらいない震災クラスの事件)が、入社半年後に起きた、ドルショックと、大手スーパーの進出。
私が去った一年後に西友との提携解除、その一年後に、ジャスコと提携し、北陸ジャスコに会社名が
変わり、その後、本体に吸収合併をされていった。
�� 金沢は加賀百万石の城下町。その歴史の深い文化は、何ともいえないミニ京都風の味わいがある。
特に、目を見張るような加賀美人が多く、表向きは男社会。いっけん厳しそうな男女間は、大らか。
私の出身地の長岡藩では、幕末の「お妾禁止令」があって、二号を持つのは、長岡では後ろ指を
指される。しかし、金沢では、勲章を意味していた。 また居酒屋やスナックも、何ともいえない
味わいのある店が多く、料理の味付けは京都風。 鬱屈した会社内の空気から開放されるに丁度
良い環境でもあり、青春?真っ只中。しかし、一日、二時間の読書習慣は何とか維持をしていた。
�� 入社後4ヶ月間の配送センターを経験後、、武蔵ヶ辻店の靴下売場のあと、子供服売場へと
配置された。 ジャスコも含めて、多くの売場配転から学んだことは、業種は、メーカー、問屋の
販売経路別の店先でしかないこと。それを業態別の再編成するのが、時の「流通革命」。
靴も、洋服も、卵の販売も、商品の一つでしかなく、とらわれる必要がないこと。
ここで、親しくさせて貰った取締役部長の何気ない一言「自己能力の限界の設定」が、
その後の事業立ち上げの教訓になっていた。  しかし、丁度なれてきた金沢の生活も、
入社の一年4ヶ月後に、突然、家からの一本の電話が入った。  ーつづく
・・・・・・
4459, 99・9%は仮説、ですか〜 ー1
2013年06月01日(土)
        「99・9%は仮説 ー思いこみで判断しないための考え方」竹内 薫著
 今さらだが、全てが夢幻で、思いこみでしかない。現に、事業を色いろ立ち上げ、40年近く経営。そして三羽の黒鳥の到来で、
この結末。思い込みを実行し、初めは上手くいったが、途中から、「思いの判断」が、「思い込みの判断」に変化、当然ながら
幕切れがあっ気なかった。しかも、その幕切れも、思っていたのと実際は違っていた。万一の備えを整えてあったこともあり、
何とか乗り越えた?が。創業と準備の苦しみからみれば、数分の一としか思えなかった。一つ間違えれば自殺に追い込まれる
イベントだが、腹を括り手順さえ踏めば全ては奪わないし、傍で見ていたほどではない。考えてみれば、‘99・9%が仮説’も
仮説である。世の中、すべて仮説の上に成り立っていると割り切っていた方が、面白い。
  ーアマゾンの内容紹介ー
「最近どうも頭が固くなってきたなぁ」そんなあなたにつける薬は“科学”です。文系理系を問わず、科学のホントの基本を
知るだけで、たったそれだけで、あなたの頭はグニャグニャに柔らかくなるかもしれないのです。 科学の基本……それは、
「世の中ぜんぶ仮説にすぎない」ということです。思いこみ、常識、前例、先入観、固定観念…… そういったものにしばられ
身動きがとれなくなっている人っていますよね? 「なんでこんな簡単な話が通じないんだ!」ってイライラしますよね? 
そんなときは、気休めにこの本を読んでみてください。きっと、ものの考え方から世界の見え方まで、すべてがガラリと音を
立てて変わるはずですから。 
 プロローグ 飛行機はなぜ飛ぶのか? 実はよくわかっていない
第1章 世界は仮説でできている        第2章 自分のなかの仮説に気づく
第3章 仮説は180度くつがえる         第4章 仮説と真理は切ない関係
第5章 「大仮説」はありえる世界       第6章 仮説をはずして考える
第7章 相対的にものごとをみる        第8章 すべては仮説にはじまり,仮説におわる
 ▼ 科学ですべてが解明されていると思われていることも、突き詰めていくと、実は何もわかっていないことが多い。
  試行錯誤と経験によって「うまくいくこと」と、その科学的根拠が完璧にわかっていることとは別だ、と指摘している。
アベノミクスも、安部首相が方針を示したのが、今現在、市場が思惑通りの反応を一時的にしただけ。
  そうこう考えると、全てのシステムも「取り敢えずの認識」に基づいての存在であり、決して安定的・決定的・絶対的な
  存在ではない。仮説が証明されのが定理。しかし、それさえも殆どが怪しい。まして、常識とかいうやつのいい加減さ。
  ここで書いていること自体、ほぼ仮説か、仮説の紹介。ただ、面白いから、暇つぶしと割り切っているから続いている。
  考える大部分は仮説を立て、その証明を探している過程。これで世人が動いていると思えば、深刻になることはない。
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4085, 閑話小題
2012年6月1日(金)
  * つれづれに ー地方都市の街中の空気
 今日から6月に入った。 何とか世界恐慌になってないが、再び火種がチラホラしてきた。何時もの話題になるがギリシャ再選挙が、
どうなるか? それとスペインとイタリアの危機も再燃してきた。4年前には北京オリンピック終了後に、リーマンショックが起こった。 
今度はロンドンオリンピックと、米・韓の大統領選挙待ちになる?のか、早くなるのか。 リーマンショックの次が欧州ということ。
今度の大津波は、かなり激しくなるはず。 それが中国とアメリカに連鎖し、日本にも当然、大きなクラッシュがやってくる。 
絵空事でなく、現実問題だから恐ろしい。 何処かから「危ない危ないというが、何にも起きないじゃないか!」と聞こえてきそうだが。
実際には彼方此方で現象で出ているが表に出ないだけ。それだけ、深刻。 今年度で「中小企業金融円滑化法」の延期は終わり、
来年度はないのは決定済み。そのため、銀行が急激に融資先の選別を始めた影響が出始めてきたとか。
 自宅敷地内の貸家が去年の10月から空き家になったが、殆んど引き合いがない。昨日、不動産屋に行ったところ、去年の暮れから、
まともな?借り手が消滅。 たまに来るのはアジア系外国人と、生活保護の受給者の転居希望者だけ、とか。
 週間現代の今週号で、「ギリシャ発世界恐慌特集の発火一歩手前の各国の相関図」を分かりやすく書き出していた。
こういう暗い世相を話題を、斜に構えて敢えてするのは私自身が既に前ぶれの波を直撃を受けたためである。。
この世相の中で明る話題も見つけにくいことも事実である。しかし、これだけ心が安定し、穏やかな日々も、あまり記憶がない。
新潟でホテルを立ち上げ、5年ほどして一息ついた時以来である。 こういう時は、何か不意をつかれた危ない出来事が忍び込むから、
気をつけないと・・・ この状況下、弱り目に、祟り目で一番打撃を受けるのが日本である。しかし一般的に、のんびりしたものだ。
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3719, ジャズについて −11
2011年06月01日(水)
  * アート・ブレーキー −何故あの時にドラム奏者に注目が?  ー「音楽の本」三枝成彰著 より
【 ハード・バップ時代は、パワフルな演奏を支えたパートとして、ドラム奏者に注目が集まった時代でもある。
ジャズ・メッセンジャーズを率いたアート・ブレイキー(一九一九〜一九九〇)はその代表である。まさに雪崩を打つような連打。
徐々に音が大きくなって、最後は怒濤のようにはじける彼のドラムは、いやが上にもバンドの演奏をホットにうねらせた。
『モーニン』(五八年)のヒットで一世を風靡したほか、バンドからは多くの有望な新人を輩出したことでも知られる。
そしてもう一人、マックス・ローチ(一九二四〜)も忘れられない。四〇年代にはパーカーやマイルスと共演。
その後は、トランペット奏者クリフォード・ブラウンらとクインテットを結成し、数々の名演奏を残している。
もちろん、このハード・パップ時代には、他の楽器演奏者にも多くの逸材を出した。名前だけをあげておこう。
・トランペットではリー・モーガン、フレディ・ハバード、ウィントン・マルサリス。
・サックスではキャノンボール・アダレイ、ジャッキー・マクリーン、ウェイン・ショーター、ブランフォード・マルサリス。
・ピアニストでは、ホレス・シルヴァー、レッド・ガーランド、レイ・ブライアント、フィニアス・ニューボーン、
 ソニー・クラーク、ボビー・ティモンズ、ウィントン・ケリー。
ジャズファンならずとも、名前を耳にする面々が含まれているだろう。それだけ、ハードパップ時代はジャズが
もっともジャズらしく光り輝いた時代でもあったのだ。】
 ▼ 知った上で聴いているのと、何となく聴いているのとでは、やはり大きな差がある。
  ジャズはアメリカが世界の中心になる、まさに右上がりの世相の中で、底辺の黒人や、黒人と白人のハーフの人たちの
  間から、酒場の演奏の即興として生まれてきた。それも、時代の動きに合わせて変化をしてきた歴史がある。
  それらを考えると、私のような俄かファンがシタリ顔で分かったようなことは言えない。 年内はパソコンとiPodに
  入っている曲を可能な限り聴いて、それぞれのアルバムや曲が、どの時代の流れを含んでいるのか知りたい。
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3354, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー2
2010年06月01日(火)
          「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
 ー P−22 に、国民の家計を例にして、その辺を分かりやすく書いてある! ー
 話に現実感を持たせるために、現在の日本の状況を、ある一家に讐えてみましょう。世界一のお金持ちの家庭(日本国家)では、
旦那さん(日本政府)が974兆円もの大金を借りています。しかし、別に外部の金融機関などから借りているわけではなく奥様(家計)
から借りているのです。しかも、旦那さんはちゃっかり467兆円ものお金を、へそくりとして蓄えています。 この家の奥様は、
個人としては世界最大の金持ちで、純資産額が1058兆円にも達しています。 結果、この家庭は「家族としての純資産額が
243兆円もの規模に及び、この金額は家庭の純資産としては世界最大となっているのです。家の中で、最大の稼ぎ手である長男
(非金融法人企業)が最近、今一お金を稼いでこないため(法人税が減少している)、仕方なく旦那は自ら一家の支出を工面している。
とは言え、実際には奥様からお金を借りて、やりくりしているだけなのですが。しかも、その支出は基本的には旦那さんの家族のために
使っている(定額給付金や公共事業など)のです。 家族みんなが旦那さんからお金を受け取り、それを税金といった形式で再び旦那さんに
渡したり、またまた国債という形で貸し付けたり・・ と、家庭内で、お金のキャッチボールを延々と繰り返している仕組みなのです。
家庭内で様々な形でお金の受け渡しを繰り返してはいるものの、家としては世界一のお金持ち。これが現実の日本の姿なのです。
 ▼ 何度か、この例え話は聞いたことがあるが、「スナックに金持ちが入ってきたとして、それでスナックが豊かになることはない」
 とか、「大借金を持った人がいたところで、スナックの借財が増える訳でない」というのもわかる。 要は国民が金とか現物の投資、
そして外国の国債や株に逃げないことが前提である。飽きれた子供や奥さんが何時の間にか預金を下ろして、他に移動する
可能性がある。この家は、他に二百数十兆の預金が外国にあるという。但し、この家の親父は暴力団に脅されて500兆ほど
大事そうな借用書と交換に貸し付けているという。  普通の家庭の」平均総資産が3500万あるが、借金は半分ほどある。それを、
どう見るかである。ただし、預金も、ある日(二年後)価値が半減する可能性がある。「氾濫する川辺の家の家族」かい。
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2979、不況景色 ー11
 2009年06月01日(月)
  * 今日、GMが倒産というが
・日ごと不景気が深まっている。今日、世界最大の売り上げを70年以上続けてきたGMが倒産する。GMといえばスローンである。 
 GMの社長として、20世紀において最も大きな影響力を発揮した経営者の一人。経営者としての在任期間で、最大の競争相手である
 フォードを打ち負かし、GMを世界最大の自動車会社に育て上げた。 この辺のことはスローンの「GMとともに」に書いてある。
 学生時代に読んだが、ドラッガーの著書の中でも彼は何度も取り上げられている。そのGMが瞬く間に倒産というから感慨無量。
   (字数制限のためカット2011年6月1日))
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2615, 東京湾 漂流死体は語る ー2
 2008年06月01日(日)
  「東京湾 漂流死体は語る」ー読書日記   海上保安庁 岸善朗著
 漂流死体の身元や、死因を調べていくうちに、あまりに悲しい気の毒な理由を知る。
世の中は、一度道を踏み外すと過酷な人生が待っている。その中で最も悲惨なケースを抜粋してみた。
アルコールとギャンブルで狂った男の犠牲者の母娘のケースである。正視できないとは、こういうことか。
▼ 巡視艇が死体で揚収した女性は生前、荒川の上流にある土木工事現場の飯場で働いていた。
 粗末なプレハブの寮で、十九歳になる娘と共に住み込みの賄い婦をしていた。亭主がどうしようもなギャンブル狂で、
競輪にうつつを抜かし、当時山谷と呼ばれたというところに寝泊まりをして、ほとんど妻や娘のもとに寄りつかない。 
しかも、競輪で金をすっては、すってんてんになりにっちもさっちもいかなくなると決まって妻のところに舞い戻って来た。 
そして、駄々っ子のように金を無心。酒に酔っては妻と娘は、そんな男から逃げ回るように関東近辺の飯場を転々と渡り歩いていた。
そして、幾多の流浪の果てに、辿り着いたのがこの飯場だった。二人にとってここは束の間の安住の地であった。
しかし、二人はすぐに男に居場所を突き止められ、探し当てられてしまう。そのたびに男は妻と娘に金を無心し、それが叶えられないと
容赦なく暴力をふるった。 娘は十九歳で精神障害者。母親が飯場の賄いの仕事だけで稼ぐ金はたかが知れている。
 (字数制限のためカット2011年6月1日))
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2007年06月01日(金)
2250, 耐震偽装 ?6
            (@⌒ー⌒@)ノおはよ?         
検察の権力への傾斜は仕方がないが、「見せ金」で逮捕は異常である。
それも権力者擁護の露骨な尻尾振りの姿は、自らの存在意義を忘れた憐れな哀愁さえも感じとれる。
税務署員が自らの成績を上げるための、あの醜悪な行為に酷似している。
この一連の常軌を逸した行為は、歴史に残るスキャンダルである。 安部は間違いなく短期で消滅する! 
   (字数制限のためカット2010年6月1日))
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2006年06月01日(木)
1885, 友、遠方より来る            おっ w(゚Д゚)w ハァョ?  
 一昨日、静岡の島田市から学生時代の友人が遊びに来て一泊していった。
37年ぶりにジックリとそれまでの人生を話あったが学生時代の友人はよいものだ。
午後は新津のフラワーガーデンと、北方博物館、福島潟を案内、夜は新潟駅前と古町で一時過ぎまで飲む。
昨日は車で弥彦まわりで長岡までドライブをしたが、親会社の重役が亡くなったと電話が入り、早々帰っていった。
来年のゴールデンウィークに、今度は私が島田に遊びに行く約束をした。あの辺りは、東海道53次の幾つかがあり見所が
あるようだ。39年前に欧州に同じグループで行って知り合った友人。一ヶ月の共同生活は、数年間の下宿生活と同じ位の
親しみをおぼえる。トヨタ系の部品の関連会社の子会社の社長をしている。やはり欧州友達の深井氏が10年前に
亡くなったことを知らなかった。彼が言うには、東京から名古屋までの東海ベルトラインは好景気という。
その地域を除いた地方は酷い状態ということが一つピンとこないようだった。実際に飲み歩いた店に殆んど客が入ってないのをみて
少しは理解したようだ。現在考えてみても、多彩な友人に恵まれていた学生時代だった。丁度、昭和40年代前半で高度経済成長期の
真っ只中であった。「学生時代の自由な時間の中で何をどれだけ学んだか、そして多くの人と議論できたかどうかで、人生は決まる」。
人生を振り返って高度成長期に青春真っ只中に重なったことは幸運であった。島田の友人と会ってみて、つくづくそのことを実感する。
この再会も一期一会である。50歳を過ぎてから何ごとも、そのの気持ちできたが・・ 彼を見ていて、「人生にはつきがあり、
ついている人はどこまでもついてまわるもの」と思った。何代も続いた環境から身についた人間性と、情報と、生活環境が、運をつくる。
できうることなら、つきのある人間とだけ付きあうべきだ。ツキのある人間になれるか?般若心教を暗記するとよい!というが
・・それか「自分はついている!」を口癖にするとよいというが・・ 親は子供の鋳型というが、鋳型の悪いのはどうしようもない?


4825,Quirt <内向型人間の時代> ー4

2014年05月31日(土)

                <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 自分の「スイートスボット」をさがそう
 この三年間の節目時、ストレスを溜めないことを第一に、一日、一週間、一ヶ月、一年単位のスケジュールをたてて、
ひたすら気持ちが落ち込まないことを目指してきた。そのため、スイートスポット(最適な覚醒レベル)を、要所要所に
配置したスケジュールをたて、改善をしてきた。 
 4時過ぎに起床し、直ぐに前日書いた随想日記の添削と、ネットのアップ。この時間帯が、第一のスイートスポット。
6時過ぎに、ポタリングで信濃川の大手大橋をヒキチャリ・ウォーキングが次。
そして、午前中の読書と、ネットサーフィンの時間帯。そして、午後がスポーツセンター、そして・・・ とつづく。
森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に移動して一番良かったのが、このスポットを自由に謳歌できること。
 もちろん、数年、数十年単位のライフワークがあればこそだが・・・ ーその辺りからー
《 内向性と外向性はそれぞれ特定のレベルの刺激を好むと理解すれば、自分の性格が好むレベルに自分自身を置くように
 することができる。つまり、自分にとって覚醒の活性が高すぎも低すぎもしない、退屈も不安も感じない状況に。
心理学者が言うところの「最適な覚醒レベル」―私はこれを「スイートスポット」と呼んでいる―を知れば、今よりもっと
エネルギッシで生き生きした人生を送れる。あなたのスイートスポットは、あなたが最適の刺激をえられるところだ。
素晴らしい本を手にして、満ち足りた気分でハンモックに横たわっている姿を想像してみよう。それがスイートスポットだ。
だが、気づくと、同じ場所を何回も読んでいることに気づく。それは覚醒が低い証拠だ。そこで、あなたは友人に電話をし、
朝昼兼用の食事に出かけ―言い換えれば、刺激レベルを一段上げて―ブルーベリーパンケーキを食べながら噂話をしたり、
笑ったりしたりすると、ありがたいことに、あなたはスイートスポットへ戻れる。 けれど、より高い刺激レベルを求める
外交型の友人に説き伏せられて、パーティに出かけると、あなたにとっての心地よい時間は終わりを告げる。・・・ 》
 ▼ スイートスポットに似ているのが、至高体験である。人生観が変わるほどの最高の感激・感動体験をいう。
  この体験は「求めよ!さらば与えられん!」で、自ら求める者に、求めただけ与えられる。この絶対量が多いほど、
 人生が豊かさになっていく。秘異郷旅行の体験記を書いたり、写真を見たり、旅先のTV放送などを楽しむことが、
 私のスイートスポットになっている。他に映画鑑賞、秘境・異郷ツアー、ネットサーフィン、ブログ
の下書き、読書、
 TVのスポーツドラマやスポーツ観戦などがある。 当然のように一生を通して、徹底して貫いたプロフェッショナルが、
 私の連れ合い。これが蓄積されると、スイートスポットの方が、本人を呼び寄せる。至高体験も、同じ!
 で、三桁、四桁は経験済み? 時々、「世の人の大分の人は、あんたの現状を知ったら、怒り出すぞ!」というと、
 「なんたみたいな気短と一緒なら、誰も怒らないわ!」と宣う。 その辺の固定観念の牢獄のシタリ顔の老人、
 何のことか、理解すら出来ない? それも人生だが・・・ で、どうした? どうもしません! そういうこと。
・・・・・・
2013年05月31日(金)
4458, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー5
               『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 * 2日目 "足腰を軽快に
A・膝を回す体位……54            
 基本体位=仰向けに寝て、両手を膝を包み込んで、肘を伸ばし、膝と手が離れないようにする。
1、「静かな一息」「軽く一息」を入れた後、息を出しながら、足の甲を伸ばして、両膝を手前に引き寄せる
2、さらに、息を出しながら、肘を伸ばして、膝・股関節を開いていき、膝と股関節を充分に開く。顎を引いて
 うなじを伸ばし、息を出し切る。
3、同時につま先を充分に伸ばして、「つま先ー>腰椎ー>胸椎ー>頚椎」の順に「大地のアパーナ気」を引き上げる。
4、息を入れながら膝を閉じていき「基本体位」に戻す。1〜4を、計三回行った後、「軽く一息」。
5、ここから逆回転で、合計三回する。
 ▼ ポイントは、全身にくまなく「気血」が流れるように行う実践。つま先はしっかり伸ばし「気」を引き上げて
  背筋を活性化すること。呼吸は「入息1に対し、出息2の割合で、呼吸と身体の動きが一致するように行う。
 全身の血液の三分の一が脚にあるといわれるが、この還流がうまくいっているとは限らない。相対的に血液が
 脚に滞ると、浮腫みや、逆に脳などの血液が足りなくなる。そのため膝の屈伸や指の活性化が必要といわれる。
  要するに「呼吸をしながら、仰向けになり両脚を曲げ抱え込んで両手で広げる」ということ。
B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
 基本体位=仰向けになり、膝の裏で手を組み、足の力を抜いてお腹でゆったり呼吸をする。
1、「軽く一息」して、「深く一息」を入れながら、膝から足先まで一直線に伸ばした状態で脚を上げていく。
 肘も膝裏もできるだけ伸ばす。
2、以下の足指の動作を、順々に行う。
 「足指を左右に開く」−>「親指を手前(下)、他の4本の足指を向こう側(上)へー>足指を握る
 最後に、「軽く一息」−>「静かな一息」ー>「各自の一息」に戻り、息を整える。
 ▼ 足指も、この体位だけでなく、普段でも広げたり、反らす訓練は身体に非常によい。
  毎朝の簡単ヨガを始めて気づいたが、実際に始めると考えが出てくる。週二回のヨガで、これは
  初日、これは二日目と分かる。ヨガのポーズは3千から4千あり、スポーツジムでは、その中の
  100種類に絞っているという。同じポーズでも、その時の体調で感じ方が違う。それにしても、生まれてこの方、
  これだけ、足腰を伸ばしたり捻ったりするのは始めて。精神的にも雑念を泡として分断してくれる作用もある。
・・・・・・
2012年05月31日(木)
4084, 老いの見本帳ーダークサイト −6
  * 孤島としての老い         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、どれほど辛いものであったのだろうか。
 気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、そのようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、
不幸は不幸を呼び寄せるーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。すくなくとも医師として
様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが
遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な敗北や過ちであろうと、それが運命に
「付け入る隙」を与えることになりそうで怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈してしまうのである。しょぼくれた老人であれば
それに相応しい不遇が訪れるであろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような不幸が駆け寄ってきそうな
気がしてならないのである。 ・・・老いを孤島になぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在だと
主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、
潮の干満によっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、
まさに絶海の孤島となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていくようである。「ええなあ」とのんびりした
口調で羨んでみたり、妄想に生きてみたり超然としたり、とにかく生き抜いていく。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
 ▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。
  だから何ごとも一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなってきている。問題は、その毒を貯めないよう、
  日ごと処理しなければならない。現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでもフラッシュのように、
  色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独りという
  実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、
  あと数年もしないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。
 ・・・・・・
2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点で、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって打撃が大きいのだろうか?
関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、
確かな数値は、推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。 今回はまだ原発の事故が収束に至ってない。
今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 
首都圏に近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に見舞われ、その上にリーマンショックである。
日本経済は深刻な事態の上の、これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、現時点の判断は、
10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを
聴いていたが、最近、ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、朝の土手のジャズが意外とよい。
2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつけてくれる。 鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る
単調なリズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・・ 
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後にあるため、夜明けにあっているためである。
その上にスポーツ・ジムでもiPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズムとテンポというが、運動に本来あっている。
にわかジャズファンの誕生だが、これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。 演歌に、クラシックに、ロックに、
カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? 
というのも、何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 特に、こういう落ち込みやすい時期には。
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 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に男5人、女1人、合計6名の従業員。 
首都圏など人口密度の高い好立地なら別に不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 
ガラスばりの向うに見える厨房が異常に大きい。 焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯に、酒一本で、
二人で4000円なら安い。 土曜の17時半にしては客が少ない。 また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。
そこでHPをみたところ30店舗ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと惣菜販売コーナーに、
焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。
思ったとおりであった。 100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねているのである。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。
厨房が店のわりに大きい理由は、そこにあったのである。
(字数制限のためカット2012年5月31日)
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2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが
検証する番組である。1993年、2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度を
増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。ここで再放送されていた4回分全てを
過って見ていたが、改めて時系列に連続して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化してきた。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター・派遣など、
必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が幅を利かせる時代になっている。
一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、
非正規社員など、弱い立場の人から次々と職を失っていくのが現実である。
何が、これほどまでに雇用環境を悪化させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた
人々の姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用のあり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝さん(慶応大学教授)/司会:桜井洋子アナウンサー&林家三平ー
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた中高年世代を早期退職という名の
 合理化が襲った。 定年まで勤め上げることを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。
 その戸惑いを通して、私たちの働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
(字数制限のためカット2012年5月31日)
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2008年05月31日(土)
 2614, 東京湾 漂流死体は語る ?1
図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。
深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、
家庭の事情を知ることとなる。横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると不幸な生き様が垣間見えてくるという。
読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。
ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から
叫びとして突き刺さってくる。死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。
これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。
この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。
アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。
死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。
だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 
 ーー
 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、
横浜港……。 
  (字数制限のためカット2010年5月31日)
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2007年05月31日(木)
2249, 耐震偽装 ー5              (o゚▽゚)o オハョ?
以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、
社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。
しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。
検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。
ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。
私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。
もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? 
という疑問がわく!しかし・・??} ??の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に
象徴的に出ている。政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く!
P-408
そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。
手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。
僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。
田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。
「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、
アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。
(以下字数の関係で中間カット09年05月31日)
ーーー
信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。
この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。それよりネットで飛び交っているから
何時どこで発火するかだ。 恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。
建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、買い控えが始まっているというが・・
私は元々アンチ・マンション派だが。     つづく       


4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期

2014年05月30日(金)

    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、似ていることを繰返し偲ぶことになる。
歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 
三年前の会社整理もあって、父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常についてまわっていた。
内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。
父親が42歳時の末っ子のため、溺愛に近い状態で育ってきた。この温もりが心の奥にあればこそ、多くの難関を乗り越える
ことが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、
その人の温もりになり、それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に恵まれたことが、
私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで書き出しているが、ここで気づいたことは、
これは内省そのものということ。それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 父の命日の
想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い合っていると、背後の数メートルから、
「なんてザマだ!」と、一喝されているよう。 父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、
事業も趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることができなかった反省と、後悔がある。
 酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。
それからみて、この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・・ 
老いていくと、真面目になりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症のなせる業ではと、
内なる声もするが・・さて、これをアップして、父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。
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4457, 今日は父親の命日 ー40周年
2013年05月30日(木)
 今日は父親の命日、亡くなって40年になる。ここで毎年のように父の思い出を書いてきたが、父も本望だろう。
私も父の亡くなった71歳に、あと3年半で到達、目先の目標に近づいてきた。私の早寝早起は、父親の生活習慣を見習ったこと。
亡くなった当時は高度成長期真っ只中に、石油ショックが起きて日本中が青くなっていた。それから日本も世界も動乱が続いた。
私にとって父の死と、半年後の千葉での創業と、結婚は、大きな分岐点で、父の死を引きずり悲しんでいる暇は無かった。
何事も直接跳ね返ってくる事業人生が始まったからである。「親の死は子供に対する最大の贈り物」という言葉のとおり、
父の庇護が無くなり、それから全ての責任が直接被さってきた。 全てが未経験で、分からないこどだらけ、そこで亡くなった
父親を心の底で呼び出し、「どうする親父?」と一緒に考えていた。 次から次への難問が押し寄せ、判断、決断が迫られる。
頼れるのは、浅い経験と知識。それと「親父なら如何する?」の仮説の自問自答。あの時からの40年の歳月は、やはり長い。
世界も日本も、そして私も変わってしまった。 情報化社会の本格的到来と、ソビエト・東欧の崩壊、中国の共産主義の放棄が、
大きく世界を変える要因になった。
 心の底で父に、「ここまで激しい変化、親父も信じられないのでは?」と問いかけると、
「私の想像を遥かに超えている。しかし、羨ましい限り。世界の果ても気楽に見れるし、知識情報も簡単に入手できるし・・ 
混乱期としても豊かさの範疇。少し先読みをし、変化を受け入れ自分が変われるかどうかだ」との返事。
過去の命日に、その時点の思い書いてきた。読み返えしてみると、成るほど思いは残るもの。私が書いているというより、
父本人が書いてと思える位だ。両親から生まれでて、両親の元に帰っていくイメージがあるだけで充分幸せである。
父を通して多くのことを学んだ。何があったとしても、両親の御蔭で、よい人生を過ごせたと感謝している。さて、お参りだ!
 そういえば、母親の命日に、このような文章を書いてない。もっと世話になったのに。時々、夢にリアルに出てくるためか?
・・・・・・
4083, 父の命日 ー40回忌
2012年05月30日(水)
 5月30日には、毎年のように供養も含めて同じようなことを書いている。39年といえばアッという感より、遥か古い昔に感じる。
父が亡くなって5ヶ月後に千葉で千城台ビルをオープン、その一ヶ月後に結婚をした。亡くなった直後は、ショックで茫然自失だったが、
数ヶ月もしないうちに激務が待っていた。そのため父の死を悲しんでいる余裕も無くなっていた。その激務の中、ただ真正面に
ぶつかっていくしかない日々。そこで精神的、肉体的体力は、そのプロセスからついてくることを知った。 人間にはイザとなると、
信じられない力が潜んでいる。極限に自分を置いて真正面からぶつかれば、何とかなるものである。 私にとって生まれてこのかた、
父の存在と影響があまりに大きかった。亡くなってから気づいたが、常に父を意識して、物事を判断してきていた。だから、
その時に父が亡くなったタイミングは私にとってベストの贈り物だった。 父の死と、事業の立ち上げと、結婚と、私にとって初めて
独り立ちであった。 全ての計画、判断、実践を自分がして、結果がストレートに帰ってくるのである。 それが慣れるまでは、
「自由の不自由性」に戸惑ったが、一度慣れると、これほど面白いものはないと感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか
頼りにならない。とはいえ決断しようにも自信がない。 そこで、自然と、「自分が父だったらどうしただろうか?」の自問自答になる。 
そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くのことを教えてくれていた。 経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。
しかし終わってしまえば、それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、殆んど後悔はない。
創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わっただけ、と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。
順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い流されてしまえば諦めがつくというもの。
この結果は、ワーストでもなく、ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、ベスト?
父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。
それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。
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3717、閑話小題
2011年05月30日(月)
  * 今日は父親の38周忌
 父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかったので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。
その時が精神的自立の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人兄姉の末っ子で、父親は特別に私を
大事にしてくれていた。その意味で、私の人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、肯定的に
なれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、刺激的な日々であった。
結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。
『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』
大筋は、こんなものだが、人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと思っている。この事態でも、
両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分の一でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、
消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っているから、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。
 それにしても、自分の息子に毎年、このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。 これが私の供養である。
   * 地震保険について
 TVのモーニングショーを見ていると、「地震保険」について取り上げていた。東北大震災以来、保険の契約が三倍に増えたという。
 意外と知らないことが、多いのが地震保険。 ーまずは、その内容から
【 ・火災保険に入ってないと、地震保険は入れない。地震の時に発生した火災では、火災保険はおりない。
  ・支払い最大範囲は、火災保険の3〜4割まで。家を建て直すというより、生活保障の役割でしかない。
  ・全壊が全額、半壊が半額、一部損傷が5パーが、目安という。
  ・地震の場合、保険屋がパンクした場合支払いが不能になる心配は(国家が5兆円まで補償するので)ない。
  ・建物の構造や、地域によって、保険金は大きく変わってくる。
  ・地震保険に入っている割合は、火災保険に入っている人の4分の1
  ・全壊で100パー、半壊で50パー、一部損壊で5パーが、保険でおりる目安。 】
 ー以上のことは、このTVを見るまで、知らなかったこと。これに入るか否かは、それぞれの住居環境による。
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  3352, 父の命日(37周年)
 2010年05月30日(日)
 毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の彼方から思い出される。
思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。
これまで書いてきたが、父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり仏壇と仏具の販売で乗り切った。
終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。 
古美術商の時代には、地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。 
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」というのが持論にあった。 
それは教養によってベースが築かれることを彼らから学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、
それがバネになっていた。 日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝は5時に起き、仏壇で祈り、新聞を隅々まで読むのが日常だった。
その辺は私も同じで、これは家の文化(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、
株屋ぐらいしか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と最小限度しかとらなかった。
(当時は、それが一般だったが) 年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬときのイメージは両親の手に引かれ、
光の中に消えていく光景になるだろう。 毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になるのである。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、それを重ねることで、魂に熟成していくのである。
音楽家は音楽で、仏像師は仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
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2977、父親の37回忌に
 2009年05月30日(土)
 今日は父親の37回忌。亡くなって、もう36年になる。命日に何度か父のことを書いたが(後でコピー)、
テーマにすることが供養になると思い書いてきた。父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、父が43歳の時に産まれたこともあった。 
そのために幼児から少年期の記憶に、父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、父が何時も
私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて
精神的に独立をすることが出来た。(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳だったが、
その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、
その段差には大きい。まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで家を中心に常に考えていた。
父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なっており、そのことを事あるごとに話をしていた。 
特に長岡の戦災体験は生生しく残っていたようだ。  また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、まさか20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・父を思い出すというより、父の視線で世の中の
変化を見ている自分がいる。命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響していることがわかる。
その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで私らしさで、そのまま結構なのか?
いや、出来の悪い1・2代目でしかない。 しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。 
 それに引き換え私ときたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と合体したような
不思議な夢について書いたことを思い出した。 その辺のことを書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
  これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が自身実感できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が
“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。経験した人間ではないとわからないはずだ。また死後二?三日後の夢も強烈な夢(?)
であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
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 2613, 閑話小題
2008年05月30日(金)
 ー今日は父親の命日ー
父親が亡くなって35年、36回忌である。
毎朝、仏壇で、父・母、兄・姉、義父・義母、そして10人位の因縁のある故人の顔を思い出し手を合わせている。
一番初めは父であるが、父の愛情の上で、現在の自分があると歳を重ねるほど実感する。
家庭的には恵まれていた。特に両親との相性が良かったことが私の人生にとって一番の要だった。
次には家内との相性だが、それなりに? この文章を推敲し、ネットに上げ、墓参りに行く。
 ー交通事故死がピーク時の三分の一だとー
交通事故死が5744人と54年ぶりの低下とマスコミが報じていた。昭和45年度には16765人というから三分の一に減ったことになる。
車の数は数倍になっているはずだから、十分の一以下になったことになる。一昨年の福岡市の3幼児死亡事件で警察庁が
飲酒運転の強化を図ったことと、シートベルトの義務化が大きな要素になっているという。去年の交通事故死の半分近くが、
65歳以上の高齢者で占めているというから、年寄りは交通事故には特に気をつけないということになる。
10年近く前で、一万人を割ったと聞いていたが、ここまで減っているとは知らなかった。


4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4

2014年05月29日(木)

           「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延著
  * 万能薬としての「語り直し」
 このところ、ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることになるからだ。
しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨ててかからないと、
何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬にもなってしまう。
これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようとするのが、「語り直し」である。 
 ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、過去のどんな
 できごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて賜おくことが必要だ。その上で、
ある過去のできごとについて意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとはちがう
ことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。
ここで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには新しい経験をする。
このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を
処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験である。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。
記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは知っている。」・・》
 ▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、全く忘れていた
  記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、太い幹の記憶から、忘れていた
 細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。
 若い時分は、誰も経験も知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。
 あるのは、何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著 
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、親指と一さし指で三角形を作る。
  「静かな一息」−>「軽く一息」で息を出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。
  顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、バンザイをするように
  両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に
  引っ張るように足裏を反らし、足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向けに寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。次に右手を左の手の平に
  重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。
  右腕を顔前の床に伸ばし、左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、
  入息に合わせて指先はきちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識しながら、右腕を背中側に押し倒して
  背筋をねじる。ここで、出息に合わせて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、ゆっくりと息を出しながら、
  丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、
  静かな一息、各自の呼吸で、息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸することで、「大地のアパーナ気」と、
 「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)である。ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、
 完全弛緩、座法の姿勢を意識的に繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。
 特に、一日目の、この二つは、基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を
 引き出すことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似たところがある。
 合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガはあくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、
 「前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。
 ヨガの「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位前の
 早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、それを、大地の底(地球の芯)に
 吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、早朝のミニ・サイクリングの
 自転車上の自己対話の相手にしている。 
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4082, 老いの見本帳ーダークサイト −5
2012年05月29日(火)
  * 老いと勘違い         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を紹介しながら、「老いと勘違い」について書いている。
 その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持っている会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。
ある日、涼子という20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。その時、70年前の記憶がよび戻る。
14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代の中山スズという娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か意地悪をする。
その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。
妻とともに、その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生する。息子の社長の話だと、どうも、涼子が
火を放ったらしい。 彼女の話では、その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて「勤務以外の時間に
私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。
 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡くなっていたが、
死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の内容では、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。 そこで思う、「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、
他人から慕われ、そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 ・・・主人公は、これ以上ないおぞましい
感情を突き付けられ、縋るように本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子という現在の娘、それぞれ
互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は世間に一定の
割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪を
ぶつけ、今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。それは往々にして相手に深い精神的ダメージを
与える。それによって、もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
 ▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。
  しかし、いざ、そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている視線がある。人生など、全て勘違いと
  思い込みで出来ているに過ぎない、その自明なことが漫画的に現れ出るからである。 そういえるのは、リスク管理をしていて、
  目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げることは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、
  当然、勘違いも多く付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての出来事は、クロの要素になる。
  といって、それも物語である。要は、後悔しないよう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!
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3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
 * ソニー・ロリンズ、セロニアス・モンク、チャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【 五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティストの間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを
 圧倒するかのような、たいへんに勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。
  これを白人ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。
 4ビートがより鮮明になり、アフター・ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるであろうし、
 「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて
 見ていこう。 一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。 ソニー・ロリンズの『サキソフォン.コロッサス』、
 セロニアス・モンクの『ブリリアント.コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
  ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
 『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に
 時折ユーモアのセンスも感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
  セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで
 大喧嘩をしたという逸話が残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。ソロ・アルバムが多いのはそのため。 
 彼は私生活でも時折、意味不明のことを口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と世間にその姿を
 見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」
 「ストレート・ノー・チェイサー」などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。
(字数制限のためカット 2012年5月29日)
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3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4
 2010年05月29日(土)
  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、・高機能のHDR(ハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 新聞社もテレビ局も風前の灯である。 
まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDSを半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が残っている。
もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」のものばかり。 面白そうな番組が無いときは、
それを見ることになる。 それはタイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にないから見るか〜
というのが皆無になったのである。 次に最近、急に興味を持ちだした YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にある
パソコンを向かっているが、それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを入れると面白い映像が
次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを
共同で開発するというから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコンの普及がある。
これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化することになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。
そこにはネット経由の映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。だらだら流し見していた
テレビの見方が変わることを意味している。その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。
NHKもさえも大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!
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 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした
記憶が鮮明に残っている。その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの違いもあるのだろう。
 ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《 能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、室町時代になって、当時流行していた、
ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつの芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)
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2612、 佐藤優の速読術について
 2008年05月29日(木)
「国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全にインプットされていない分野では、
 無意味である。ヒンズー語を知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。
 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、
 いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。
 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。
 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。
 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、
 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
   =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より
▼ 熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。
 ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。
自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、これはというのを、
この随想日記のネター読書日記に書く。熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。
せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。
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2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格            (*´・ω・)ノおはよー
 NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。昭和女子大の副学長で「女性の品格」
という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。学歴や肩書きや収入とかでなく、
その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないものである。その人のもって生まれた何かである。
この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける  ・約束をきちんと守る  ・型どおりの挨拶ができる  ・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない  ・姿勢を正しく保つ  ・贅肉をつけない  ・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする  ・愛されるより愛する  ・得意料理をもつ  ・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない  ・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。
自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。
    (字数制限のためカット 2010年5月29日)
 女性の品格?装いから生き方まで   PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】 (*・ω)ノβψε★βψε


4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4

2014年05月28日(水)

  「事業人生を決心して45年」の物語 ー4

   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)リンチ? 実家に帰った時には
首はガチガチで、半病人状態。当然だろうに・・・ それをみた両親が、私を四国旅行に連れ出して
くれた。親は有難いもので、後先、両親三人と旅行をしたのは、最初で最後である。 
あの坂出でみた瀬戸内海の夕景は今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に
書いたが、ホテルの部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返して
くれたことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家の一室から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。人間は独りでは
生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。独りになるとは、考えるための第一歩。
それが分からないと、集団に埋もれ、何も考えないで一生を終えてしまう。
 20歳前半に、その両極端な二年を経験は、私にとって大きな行蔵になっていた。 
この一年間は、過っての学生時代の4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。 
計算外の危機になった精神を立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、
整理することが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきたベースは、
この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。 文章に変換するしかなかったお陰である。
書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかったのである。フィールドワーク(現場)の現象の
中に隠れている道理を、言語化する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を
読み、実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を大きく分類し、
科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、大きな副産物として
ついてきた。  それが、二年後の千城台ビルの建設用地になる。これについて、以前にも書いた。 
千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉
三人の一人が、そこに新築の家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を
購入し、貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募したところ、当選。
 その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半以内に、建設すること。
ということは、二年半後に、私が、ここで何かを始めることを意味していた。
その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか
考えていた。 数年経って気づいたことは、予定挫折が、人生で必要ということ。
そのプロセスで、必ず副産物が付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。
高度成長期も背景にあった良き時代の真っ只中である。
「捨石の節目時節の重要性」ということ! 決断は独りでこそ。
・・・・・・
4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
                    『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
   A・完全な呼吸法をする体位……40       B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……
* 2日目 "足腰を軽快に
   A・膝を回す体位……54            B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
   A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー 72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
   A・膝で半円を描く体位……78     B・上体を反らせて、背骨をねじる体位(一方の腕を伸ばして
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
   A・胸と脇を開く体位……90          B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
   A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)……   B・上体を反らせる体位(両腕を伸ばして〉……
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。他にも椰子の木のポーズ、
ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、一〜二人を除けば殆どがリピーターで、
回を重ねる度に難度を上げていく。この本に縛られることもないが、 まずは従うつもり。
SJでのヨガはエアロビ感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを取り入れれば、
一寸したヨガの時間帯になる。 次回から、上記の具体的な内容を書きだしてみるが、実際に
夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の
積み重ねがある。問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、という気に
なれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。4時起床で、早朝座禅とヨガね〜!冴え渡るが?
・・・・・・
2012年05月28日(月)
* 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分の二を占めている。
リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4〜5時間は読書をするか、パソコンで随想日記の
下書きを書いているか、iPadに向かっている。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、
一時間に5分はお茶やトイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半から6時、9時から11時半、夕方の1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、仮眠をしたりする。
居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝のポタリング、スポーツジム、図書館、
SCが中心になる。 書斎といえば、iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着ける
シェルターの役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても自分の居場所が
できるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろうとしている。
東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれているのが分かる。
しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。一年しか持たない首相が改革を
錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が
綺麗ごとを旗に権力奪取。その繰り返しが代々続いている。 覚めた目でみれば、その一連を
分かってやっているから始末が悪い。国民がグローバル化した世界の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマに落ちている。
その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も分からない。
ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない国民感情は日本も同じ。
右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。
 ・・・・・・・
3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除いてサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メールほどのところに雀がきて
ジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい雀には出会っているが、日本では珍しい。
暫くすると、餌が貰えないと判断したのか飛んでいった。
 ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、雀が50センチもしない自転車の
ハンドルに止まって、こちらを見ている。ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、
地面に投げたが、パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。 よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、見直したが、やはり雀である。 
恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人からも餌を貰っているうち太ったのだろう。
親しそうに近くにきて見つめられれば、何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。
恐らく、私も近々に、餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見かけられるが、
その国々によって、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が少なくなったような
気がするが・・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 ホテルの近くの公園を散歩を
していたら、野生の大ガンの群れの一羽にクラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、家内と
私のところに押し寄せてきた。 無我夢中で逃げたが、その時の恐怖といったら! 
早朝で無人だったから、幻想的な思い出として残っている。
  ・・・・・・・・
3350, 新型インフルエンザの総括
 2010年05月28日(金)
 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、
話題にさえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。
一年経ってみれば日本だけが過剰反応。街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが
世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザの死者数より
少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で東京文化短期大学学長の
中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。・新型インフルエンザの想定が
鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に大きく影響された。
 それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。
 これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの10分の一の
死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に
訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないための
マスク着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。
 ▼ 以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習と
みれば、決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。
これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。
 この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。
これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。当時のマスコミの
対応も異常であった。マスコミも、このことを総括したのだろうか?
  ・・・・・・・・・
 2975, 縁は異なもの
 2009年05月28日(木)
  「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、しかも最後が
どうなるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる・・・・
現われないかもしれませんから。
  連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、それまで私は「鈍き刀」の
意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに思っていたわけ。でも違ったの。 
その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、もはや用に立たなく
なった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 
ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を
磨いでもだめ。いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は
「鈍き刀」じゃダメなんですよ。それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ よき細工に使うことが出来るという。 
言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。
・・・・・・・・・
2611, サルトルについて、考えてみる  −2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て、経験を多くつんだこともある。
当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、やはり「自分」の財産なのである。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。人間が世界へと「「関わって」いる、
ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。たとえば、私は目の前のグラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。
サルトルは、人間が「世界に関わる」というあり方をしているが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、
人間と世界の間には「すき間」「裂け目」がある、ということだ。人間が「世界と関わる」ということは、人間が
「世界との間に裂け目を作る出す」ことだと考える。サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということだ。意識としての人間は、
いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。それは、意識が、関係する片方の「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、
外部の世界への「矢印」そのものである。・・「世界に対して」裂け目をもたらす人間は、それだけでなく「自分自身に対して」も
裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。 人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。
過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
▼ 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の意識は、片割れの一方ではなく、
 裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、実感として接してきた世界の片割れとしての自分というより、
 色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、
「関係」そのものであった。それは「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、
 その通りである。世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、「意識としての人間」をサルトルは
「対自存在」と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、
 見入っている自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われているとき、
 そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。 
 *サルトルの人間観
             (字数の関係でカット 09年05月28日)
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2007年05月28日(月)
2246, 愚痴      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
「 三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;)
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあ(字数の関係でカット 11年05月28日)った。
愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。
    (字数の関係でカット 12年05月28日)
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2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
 ーつれづれにー
一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。
店の中を整理しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、
そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。
もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」という
愛想のない声が聞こえてきた。5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが従業員という設定になっている。 
  (字数の関係でカット 09年05月28日)   (。・∀・)バイ!


4821, 「事業人生を決心して45年」の語り直し ー3

2014年05月27日(火)

  * ジャスコ入社と、新井石龍禅師の一喝!
�ァ.献礇好害�田屋に入社。幹部候補の特訓のためだが、そこは激烈な仕事量と、
売場と店の急速配転で、疲労困憊の極地。 知らぬが仏とは、このこと。そこは
戦場の真っ只中。自分を鍛えるには絶好の場所だが、実際は、3K、4Kの世界。
悪くいえば、当時の流通業は溜めの世界。それまでのアカデミックの世界とは、
真逆の環境。
まずは、四日市のジャスコ岡田屋本店の配送センターへ。ここが激烈な仕事量。
三ヶ月後には、日用雑貨のカーペットと絨毯売り場へ、その一ヶ月後に、神戸の
ジャスコフタギの垂水店へ転勤。合併のための人事交流の尖兵である。
神戸の新興住宅地の駅前店。今度は日用雑貨売場に配転され、まずやらされたのが
新兵を試す瀬戸物の叩き売り。店頭に問屋が持ち込んだ瀬戸物を自分勝手の売価で
売る。あのテキヤの瀬戸物の叩き売りである。 
恥ずかしいのは一時間だけ、これがお客との駆引きが非常に面白い。
安く売れば売上高は上がらない。が、高くすれば売れない。相手が買う値で、
可能な限り売上を上げる。総売上の3割が店のマージンで問屋から入る仕組み。
「男はつらいよ」の寅さんが、露天で売っているのは、この方式。
その二ヶ月後が、これまでフタギに無かった靴売り場の責任者に。 
これが面白いように売れた。嘘のような話だが、数値目標の20倍の売上。
その辺りから、目の回るような配転もあって、これで良いのか、自分が事業を
立ち上げるために、これで良いのだろうか?という疑問が湧き上がる。
そして、原点を見つめ直そうと、学生時代に卒論書きのため通っていた六日町の
禅寺「雲屯庵」に、4日間の休暇をとって坐禅のため行くことにした。
そこには一年前にも司法試験の勉強をしていた高橋さんが、そのままいた。 
 そして、新井石龍禅師との問答。私の『思いの他、世の中が厳しいことが
解りました!』に対し、禅師の『世の中は、いつの時代も変わらない。
厳しいと感じたのは、あんたが甘いだけの話。世の中のせいにしないこと』
の御言葉。ガッツンとやられた上に、たまたま慶應を卒業後にハーバード大の
ビジネススクールに通っていた学生と、そこの修行僧と、高橋さんと私と夜半、
お茶を飲みながらの雑談に、私だけ、彼らの話についていけないのである。
何か根こそぎ、自分が全面否定されているような大きはショックで、迷いが更に
大きくなっていた。そして、今、学び直さないと、一生、後悔するのではと、
ここで退社をして、独りになりきる必要性を感じ、その4ヶ月後に退社を決意する。
しかし、考えてみれば、自分の身勝手で、勤務先など多くの迷惑をかけていたことに なる。我ながら脂汗が滲み出てくる。事業創業とは、エゴ丸出し、馬鹿丸出しの、
ドンキホーテそのもの! 漫画といえば漫画だが、何故か、後悔は少ない!
・・・・・・ 
4454,一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー2
2013年05月27日(月)                                          
   * まず「4つの呼吸」を理解しよう   
   一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー番場浩之著 
 呼吸も座禅と同じく吸い一に対し、吐きが二。ここでは、呼吸量をコントロールを取り入れている。その道の大家が言うのを、心を開いて学ぶのが筋。スポーツジムのヨガ教室では、まだ、これは教えてない。
 ーまずは、その辺りからー
≪ 「4つの呼吸」では、呼吸量をコントロールしながら、「意識して行う入息」→「自然と行われる出息」を繰り返す。普段の生活では、呼吸を意識することも、
腹式呼吸と胸式呼吸を区別して行うこともほとんどないので、まず、お腹でたっぷりと
呼吸することからはじめ、段階的に胸にも息を充たすようにしていきます。この呼吸がゆったりとなめらかであればあるほど、呼吸の波にゆらぎの波動があらわれて、
こころとからだの芯にに響くものとなります。
A・静かな呼吸
「静かな呼吸」では、丹田を意識して腹式呼吸をたっぷりと行います。ここでは、
胸の呼吸は行いません。鼻からゆっくりとおなかに入れ、2倍くらいの長さで、
鼻からゆっくりとなめらかに息を出していきます。普段の呼吸の40%位。
B・軽い呼吸
「軽い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、胸郭下部を左右に開くようにして、胸にも息をみたします(胸式呼吸)。胸とおなかをゆるめて、その2倍くらいの長さで鼻からゆっくりとなめらかに息を出していきます。
60%位の呼吸量。
C・深い呼吸
「深い呼吸」は、「静かな呼吸」の要領でおなかにたっぷりと入れたのち、胸郭全体を上下・左右に開くようにして、ダイナミックに胸にも息をみたし ます(胸式呼吸)。胸とおなかをゆるめて、2倍くらいの長さで、鼻からゆっくりとなめらかに息を出す。 こののち「軽い呼吸」の入息と自然な出息を行い、続いて、「静かな呼吸」の入息と自然な出息を行います。80%位。
D・各自の呼吸
 最後に、「各自の呼吸」を行います。
「静かな呼吸」「軽い呼吸」「深い呼吸」がしっかりとした意識呼吸であるのに対して、「各自の呼吸」は、「静かな呼吸」→「軽い呼吸」→「深い呼吸」→「軽い呼吸」→「静かな呼吸」を行ったあとをおさめる、ゆとりの呼吸のことです。
 自然とおなかに入息し、ゆっくりと鼻からなめらかに出息していく、やすらぎの呼吸です。 ≫
  ▼「40、60、80、60、40%、フリーの呼吸量を繰り返す」、46864と「への字」の形の呼吸と思えばよい。
    私の場合は、さざなみ、中波、大波、中波、さざなみ、引き波をイメージして呼吸量を、それにあわせる。これなら何処でも練習出来る。22歳の座禅体験から始まり暫く休んで、ここで早朝座禅、瞑想の再開。 悟りにほど遠いが、面白い。
・・・・・・・
4080, 老いの見本帳ーダークサイト −4
2012年05月27日(日)
  * 鼻白む出来事         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
 ここで紹介されていた新宿の百貨店の地下のベーカリーでの出来事が、どこにでもありそうなエピソードである。
品性卑しからずの70歳すぎの老人が、盆に乗せていた一斤のパンを落としてしまった。不思議なことに誰も、
そのことに気づいていないようだった。そこで、その老人は素知らぬ顔をして拾い、元に戻して別のパンを乗せ変えた。
著者は呆然と、それを眺めていたが不快感を持ったという。正直に店員に話せば普通なら店の方も心得ていて、新しいパンを取り替え、
そのパンは奥に引っ込める。それが、外見に相応しくない品のない行動に老いのイヤラシサを見せつけられてしまった。 私も雨の中、
ある駐車場から一般道に出るとき、溝の鉄板が外れてしまったことがある。 大雨が降っていなければ元に戻すところだったが、
誰も居ないことを良いことに、やり過ごしたことがある。その後の数年間、その近くを通るたびに自己嫌悪に陥った経験がある。 
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。 
もちろん、落城に付きものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついてまわる経験則が無いのだろう? 
品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との自問自答だけ。 後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。
老化からくる偏執は、自分の価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、そのへんから見えてくる。
著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、
底が浅い不良少年にまつわる物語にされてしまう」と述べている。 社会的弱者になる、ということである。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、
意地悪ばあさん、じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、こんな私を神様、お助けください!か。
 ・・・・・・
3714, ジャズについて −9
2011年05月27日(金)
 モダン・ジャズの誕生 ー�       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * マイルス・デイヴィスが生んだ 「クール・ジャズ」とは ?
【 そのチャーリー.パーカーのクインテット(五重奏団)でトランペットを吹いていたマイルス・デイヴィス(一九二六〜一九九一)は、
四九年から五〇年にかけて伝説的なレコーディングをする。このレコードの発明(四八)からほどなくして録音されたこれらの曲を、
レコード会社は『クールの誕生』というタイトルでまとめた。これは、その名の通り「クール・ジャズ」の誕生を告げたアルバムである。
 クラシックでは馴染みの楽器、チューバとフレンチホルンが加えられたこのレコード。 ここでのプレイでは、ビバップにはまだ
残されていたドライブ感のあるビートやホットな音色はきれいに消え去り、かわりにビブラートのない繊細な音色、明瞭で軽快な
スウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統であるブルース的な表現も極力抑えられており、その意味では、クール・ジャズは
ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽、ともいえる。 事実、その後のクール・ジャズは、白人中心の展開を見せる。
 マイルス自身も白人のアレンジャーであるギル・エヴァンスや白人ピアニストのビル・エヴァンスなどとともに「マイルス・アヘッド」
「マイルストーン」「カインド・オブ・ブルー」など、歴史に残る名盤を発表している。
 また、マイルスはそのキャリアを通じて、モダン・ジャズの歴史に大きな足跡を残すとともに、つねに新しいアイデアを提供し続けた
アーティストであった。 ヘロイン中毒から立ち直った一九五六年には、クインテットを結成してパートナーにジョン・コルトレーンを
迎えている。この頃のアルバムに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がある。
 六〇年代後半には、テナーサックスのウェイン・ショーターやピアノのハービー・バンコックらの新進とジャズの枠を飛び出す新しい
方向を模索し、その成果は六九年の「ビッチェズ・ブリュー」で開花することになる。 エレクトリック・サウンドの導入による、
ロックとジャズの融合という果敢な試みを成功させたこのアルバムは、伝統的なジャズファンの間では賛否両論を巻き起こしたが、
マイルスの名声をさらに高めることになる。 七六年には一時引退し、再びドラッグに手を染めたが、八一年に復活。
彼の音楽はよりポピュラリティを増したものになり、ディスコでもかかるようになった。日本のCMにも登場するなど、
ジャズブァン以外にも広く名前を知られる栄光のうちに、九一年、六十五歳の生涯を閉じた。
 なお、四〇年代後半にニューヨークにおいてマイルスによって起こったクール・ジャズは、朝鮮戦争で軍需景気に沸くロサンジェルス
など西海岸にも飛び火し、ウエスト・コーストジャズなどと呼ばれるようにもなった。こちらも、中心は白人ジャズメンであった。 】
 ▼クール・ジャズを要約すると、「ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽」で、白人中心の展開を見せはじめた。ビバップには
 まだ残されていたドライブ感のあるビートやホットな音色は消え、かわりにビブラートのない繊細な音色、明瞭で軽快なスウィング調の
 ビートが生かされた。黒人音楽の伝統であるブルース的な表現も極力抑えられた。この辺になると、ジャズマニアの嗜好の範疇になる。
 この辺を意識して、貰った千数百のジャズの曲を改めて聴くと、それぞれのジャンルを想定しながら聴くと、また違って聞こえてくる。
 ・・・・・・・
3349, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −3
 2010年05月27日(木)
 「2011年新聞・テレビ消滅 」佐々木 俊尚 (著)
  * 新聞の敗戦
ー第二章 新聞の敗戦ー の内容は強烈。 著者によるマスコミの死亡予告である。
   その一部分を抜粋してみる
≪ 結論として、こういうことだ。何をしたって助からないものは助からない。コンピューターの時代がやってくれば
 紙のマスメディアが成り立たなくなることは、実はアメリカでは何十年も前から議論されていたが、これまで
「こうすれば何とか生き延びることができる!」という話は聞いたことがない。もう紙メディアは「さようなら」である。≫
 ここまで書いて良いものかと一瞬思ったが、著者の言うとおりである。 さらにいう、
≪ 新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに「押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞販売店を
いじめてきた流通寡占と広告減少が密接にかかわっている(中略)寡占が進むと供給者と需要者の間の情報を取り持つ広告の
機能がなくなってくる(中略)メーカーなどの供給者は、マスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、
セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらうほうが効率的という考え方になる新聞、テレビが来年、
消滅するというより、壊滅するのは間違いないようだ。地方の新聞社にとって三行広告というのが隠れた収入源だったのが、
アメリカでは、これがネットによって崩壊過程にある。「売ります」「買います」「仲間募集」といった個人広告がそうだ。≫
 ▼ 何度も書いているが、アップルのタブレット式のiPadが明日発売されるが、これが新聞の息の根をとめる役割になる。
日刊紙だけでなく、週刊誌も、月刊誌もだが。3〜5年もしないうちに、全国紙が倒産か、大同合併をするしかない。
総部数も半分か三分の一になる、といっても実感が湧かないが。新聞記者より、端末を持って現場にいる人の方が、
情報を先取りし、共有してしまう。さらにミニブログのツイッターが爆発的に普及しているが、これも影響してくる。
 電子化の波は、新聞、そしてTV局を破壊する大津波である。 次は、テレビ、いやテレビ局の崩壊について、である。
 ・・・・・・・
2974,超円高社会  ー2
 2009年05月27日(水)
「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
  * 資源小国・日本に眠る天然ガス
 思わず見入ってしまったが、実際のところはどうなのか?
  ー大まかに概要をまとめてみるとー 
 (字数の関係でカット2013年05月27日)
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2003年05月27日(火)
 783, 新婚さんいらっしゃい !
テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。 桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、
2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬 両司会が引き出していく。
(字数の関係でカット 12年05月27日)
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2002年05月27日(月)
 419,「金融腐敗列島」
昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、現在進行中の何処かのある地方銀行の姿そのもの。
(字数の関係でカット 12年05月27日)
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2001年05月27日(日)
 [33] デフレ実感
家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェイク1個を買って300円でお釣りがきたという。
 (字数の関係でカット2013年05月27日)


4820,閑話小題 ー22年ぶりの車選び

2014年05月26日(月)

   * 22年ぶりの車選び
 日常生活の中で、TV、パソコン、車の位置づけは大きい。この年齢になれば、便利で、面白そうで、実利的で
あることが第一になる。 年金生活者ということがあるが、これが最後の車の買物?となると、大いに迷いが出る。 
しかし、選定のための中古車センターまわりは、なかなか面白い。 
 22年間、乗っていたソアラの車検の見積で、修理費など30万といわれていた経費がマフラーの交換が加わり、
50万以上の見積になった結果、急遽、買替えを決め、先週、連日、市内と見附と三条の中古車センターをまわった結果、
メーカー直の販売所に比較的良い車があることを知る。 まず、ソアラ・クラスの三ナンバーの大型車か、普通車の
セダンか、スポーツタイプか、と判断に迷った。 まわって思い知ったのは、22年も乗っていた車より、どの車も、
遥かに良い!ということ。「このソアラは当たり!」という思い込みが、過剰に縛られることになっていた。
 日産とトヨタというと、先代のソアラと、その前のコロナを加えると、35年以上もトヨタ車を乗ってきたため、
トヨタ系を選びたくなる。 また、車は家内名義になるため、どうしても最安の選定に引っ張られる。こういう時に、
偉そうなことをいっても、森の生活とサバンナの年金生活の差が出てくる。歳からして、あと?年しか乗れないから、
可能な限り良いものか、逆に安いものか、大きな迷いになったが・・  何の制約もなければ、年齢を考えても、
トヨタのスポーツ車にするが、中古でも結構な値がする。今更、遠出も、スピードも出さないため、考えた末に止めた。
 で、決めたのが、トヨタの「マークXジオ」、走行距離57千キロの格安のワゴンタイプ。
一応スタイルも気に入った上に、実用的が判断基準。オーナーは、もちろん家内。で、ますます頭が上がらない。
産業廃棄物とは、よく言ったもの。で、車選定も一歩手前の己と似たのを探し出す!
・・・・・・
4453, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー1
2013年05月26日(日)
 スポーツジムのヨガに週二回参加して15ヶ月になるが、家ではやることはない。
ジム内のフリースペースで常に数人がヨガやストレッチをしている。半年前にストレッチマットを買って
始めようかと考えていたが、何もしなかった。その丁度良いタイミングに、図書館でこの本を見つけた。100回以上のヨガの中で、ここで取り上げているポーズの殆ど経験している。その中で、自宅用として
要約して、「どうですか!」と提示されたよう。 独り部屋でヨガをしている姿も奇妙といえば奇妙。
  ー著者からの内容紹介ー
動かすだけで、体に自然と力がみなぎり、元気になる!!
1日5分、1週間でマスターできるように、「息の出し入れ」「体の動き」「気の流れ」の3大要素を、徹底図解。
読んでいくだけでも、ヨーガの効果が体得できてくる!私の師匠が長年提唱し続けてきたヨーガは、インドの伝統に
のっとったうえで、体位法などの形のみに偏らない、呼吸を大切にして「気の流れ」のあるヨーガでした。
しかもそのエッセンス的ヨーガの中に、伝統的に重要な行法をすべて濃縮した、極めて濃度の濃いものなのです。
本書で説くヨーガも、難解な体位などの実修は含まれていません。「ヨーガ独得の呼吸法の解説」と、それを通して得られる
「生命エネルギー、気の獲得」そしてなによりも、こうした要素を簡単に「1日5分、2種類の実修から」始められることが、
大きな特徴となっています。
 ●4つの呼吸      ●1日目 胸を開いて    ●2日目 足腰を軽快に  ●3日目 身体の前後両面と手指   
 ●4日目 背骨にいきいきと ●5日目 胸と脇を開き  ●6日目 上体を反らせる ●7日目 1週間の疲れを癒し 
 ●オーダーメイド・ヨーガ   ●症状別のヨーガ    次回には、4つの呼吸法を紹介するが、なかなか良い。
 −−
 瞑想は釈迦も取り入れて悟りに至ったが、ヨガとして確立したのは、後のようだ。「まえがき」の冒頭で〜
≪ ヨーガは、もともとインドの哲学や宗教のすべてに共通する宗教的な実践法でした。仏教も例外ではなく、心を集中し
統一するための実践という意味で、ヨーガ(瑠雌)ということばが使われています。` とくにインドの宗教史のうえでは、
グプタ王朝(4〜6世紀頃)の時代に『ヨーガ・スートラ』を根本聖典とするヨーガ学派が成立し、ごれにもとついてさまざまな
ヨーガの流派が出現しました。そのなかでも、12〜13世紀以後に発達した「ハタ・ヨーガ」と呼ばれるものがもっとも重要で、
現在行われているヨーガに直接的に影響を与えています。「ハタ・ヨーガ」とは、肉体的な修練や呼吸の制御などによって、
心の集中、統一に適する身体と精神力を築き上げる方法です。ヨーガは主として健康法として人々に受け入れられていますが、
本来は真の意味での心の安泰、あるいは真実の自分の発見という宗教的な目的をもった行法であり、瞑想と深いつながりがある。≫
 ▼ 「心を集中し統一するための実践法」で、心の安泰と、真実の自己発見が目的がヨガの目指すところ。ヨガの先生が
  言うには、「私の日常の行為の殆どがヨガに繋がっている。歩いても座っても寝ても、靴を履く行為さえも」 流石である。
・・・・・・
4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3
2012年05月26日(土)
    * 第一章 孤独な人       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
  孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固になると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。
 この章で紹介している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 私も長く生きるほどに、この中の誰かに
似た人になっていくのだろう。いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾が誰の心にもあるのだろう。
理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
 ≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなりきっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた
 惨たらしい出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせてくれるから、
「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずにはいられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・・ 
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。 わたしはこの章で、自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを
紹介してみようとしたのだった。すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、心身の能力は衰えていく。
もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになっていく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、
無力感や孤独感が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に近づくことでもある。また、馴染み深い人や
大切な人がいち早く彼岸へ旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。だからこそ恐ろしい。
だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いてしまう
理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
 ▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の老人が長生きの果てに待っている結末か。
  逆に90歳半ばを超えて元気で、あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の愚痴と、悪口、
  噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
  ・・・・・・
3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー�            ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、モダン・ジャズという言い方もする。
それほど、ビバップ・スタイルの出現は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、トランペット奏者
デイジー・ガレスピー(一九一七〜一九九三年)。「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜一九六六年)も、
のちのジャズメンに多大な影響を与えた (アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジング・バド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー
(一九二〇〜一九五五)があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる管楽器サックス(サキソフォン)が
果たす役割は、他の音楽に対して比較にならないほど大きい。 バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このようにジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、
あえて代表をあげるなら、のちに触れるジョン・コルトレーンとカンザス・シティ出身のこのチャーリー・パーカーをおいてほかはない。
 サックスを、それこそ自在にはね回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間につけられたパーカー。
芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ
天災であったことは間違いない。 】
 ▼ それぞれの楽器で、その時代のジャズを特徴づける奏者が出てきてきていた。パーカーはサックスである。
  モダン・ジャズでのサックスの役割は大きい。モダン・ジャズは、更にクールジャズへと変っていく。
 ・・・・・・・
3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。これは不徳のなせること?
もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、
こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。
3Dの映画やTVで、これに近いか、それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。内面は宇宙ということ? 
  (字数の関係でカット2011年5月26日)
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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでもニッポンATMから
ゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに流れていき、
世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに
供給してきたキャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
                        (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2609, サルトルについて、考えてみる ー1
 2008年05月26日(月)              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。サルトルといえば「存在と無」である。
その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに
忘れることが出来ない。この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、ということだけは疑うことが
出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
 それをサルトルは批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の「私」が疑問という。
「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。         次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)


4819,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー2

2014年05月25日(日)

   * 学生時代編 ー後編 
      ー欧州旅行と武澤ゼミー
�� レポート提出の一年後の三期生の夏休みに、一月間の欧州旅行に参加することになる。
 ゴールデンウィークの軽井沢の山荘で、アルバイト仲間数人と話している中で、渡航経験と予定のないのが私だけ。
 その頃、友人に「『世界旅行研究会』というクラブが主催する世界一周のツアーに行かないか」と誘われていたことを
 思い出し、自分も!と決心。そして二ヶ月後の旅行になる。 そこで欧州文化やアルプスなど大自然に圧倒され、
 小さな自分の殻が粉々に打ち崩される。これが、私の人生を大きく変える一因になった。訪問先の欧州の文化と文明、
 豊かさ、に圧倒されてしまった。今までの学生長屋の一室と、授業と、クラブ仲間だけの世界とは全く違う、広い、深い
 世界を垣間見て、帰国後の半年間は自失呆然・・ 欧州参加で親しくなったメンバーも、これまでと全く別世界の人たち。
 派手で、陽気な、優しい、都会的センスに満ちた人たち。 毎日の生活費のチマチマした家計簿をつけていた自分が嫌に
 なり、仕送り分の全てを使い切る! せっかくの青春、可能な限り学び、遊び、行動すると心に決める。それは現在も?
�ぁ,修陵眷�の最終年に、友人の紹介で絶妙なタイミングで武澤ゼミに入る。そこも、私と格段上の知識レベルの世界。
 その時、武澤ゼミが厳しいことで知られていて、希望者が少ないことなど知る由もなかった。そこで、一年かけ、
 知識の絶対量が少ないこと心底、思い知ることになり、卒業時には激しい躁鬱?になりかけていた。武澤ゼミとの出会で、
 この40数年間、一日2〜4時間の独学習慣をつくるきっかけになって、現在も、それが続いている。そして、この程度! 
�ァ)困譴討覆蕕覆い里蓮■横歓佑料換颪�ら集まった色いろな大学の共同生活である。今でいう、シェアハウスそのもの。
 共同トイレ、炊事場、洗濯場で、長屋のように細く長く分割した部屋の生活である。それぞれの個性豊かな、生態が
 リアルに、丁度良い距離で見えてくる。それも安保騒動で騒然とした1960年代後半、人を知る上で面白くないはずがない。
 学生時代で良いのは、自分の実家のことを表立てるのはタブー。一人の人間としての裸付き合いが出来ること。
�Α,海虜◆⇔�通革命の必要性を唱え、ダイエー、西友などの新興勢力の理論的背景になっていた渥美俊一の存在を知る。
 当時、『販売革新』という雑誌で知ったが、流通革命を卒論のテーマにし、一連のシリーズ本を必死に読んだもの。
 暗黒の大陸といわれた、流通の世界の合理化には、メーカが主導した経路の百貨店、一般小売店から、全く違った太い
 バイパスが必要と、セルフ方式の大型スーパーと、チェーン店の先進国アメリカの流通システムの日本導入を声高々に
 唱えていた。実家が商家だったこともあり、自分が学ぶ道は、暗黒の世界の中での科学化と直感。そこで、合併前の
 ジャスコ岡田屋に入社を決めることになる。

・・・・・・ 
4452, 早朝座禅 −3
2013年05月25日(土)             
   * 座禅とヨガの呼吸法      「早朝座禅ー 凛とした生活のすすめ」山折哲雄著
 雲頓庵で座禅を組んだのは六日町にある雲頓庵と、金沢時代の新人研修での永平寺。近くでは悠久山の曹洞宗・堅正寺で、
禅室で独り座禅を組んだこともあった。そうこう考えると、延べ30回は座禅を組んでいた。禅僧からみればド素人の野狐禅だが、
青年期の私には新鮮で面白い経験であった。今から考えると、自ら‘ひとり’の状態に追い込んで、心の整理を自然に任せ
整理をしていたことになる。 進路が定まらない20歳代、迷いと混乱の中、禅寺心をゼロにし行き先を考えていた。 
雲頓庵では新井石龍禅師から直接、姿勢の正し方、呼吸の仕方、心のあり方を指導してもらったが、教えられるのはカタチだけ、
禅定に近づくには、只管、座禅を組しかない。 
 このところスポーツジムのヨガ教室で、瞑想のための呼吸法を教えているが。 基本は鼻から1、2、3と10秒数えて吸い、
5秒間止め、10秒かけて吐き出す。そして5秒止め・・・を繰り返す。 実際にやれば分かるが、これが息が続かない。
これに対し著者の座禅の丹田呼吸法は、2秒で吸い、4秒かけ吐き、2秒間息を止める。それを繰り返す。
  ーネット検索の「座禅の呼吸法」ではー
【 息を吸うことよりも、吐くことに主眼を置いて下さい。上記の気海丹田まで、体の中の空気を全部吐きだす感じで、
 吐ききってください。吐ききれば、自然に吸えます。数息観というのは、呼吸を整えていくための方法で、一から十まで数える。
 ヒト〜で静かに長く深き吐き、ツで吸います。フタ〜で長く深く吐き、ツで吸います。これを、何回も繰り返すのです。
 呼く息は、自分の気海丹田に吐きかけるように、そして数えるのも気海丹田で数えるという観念でやることが大切です。】
腹式呼吸で、吐きに意識を集中して長めに、そして少し息を止め、短めに吸い込み、少し息を止め、吐きを長めに、を繰り返す。
  ー禅は腹式呼吸に対し、ヨガの呼吸法は腹式と胸式呼吸法のミックスー
【*腹式呼吸のやり方は、へそに意識を集中させ、鼻からゆっくり吸い込み、お腹に空気を溜めて膨らませます。そして
 腹から空気を押しだすように、鼻からゆっくりと息を吐いてお腹をへこませます。息を吐いた時は、お腹がぺたんこに
 なるようにします。呼吸のリズムは、3秒で息を吸って、6秒かけてゆっくりと吐くイメージ。
 *胸式呼吸のやり方は、胸式呼吸とは肋骨を大きく広げて息を吸う呼吸法。ラジオ体操の深呼吸などが胸式呼吸になる。】
 基本的には、座禅もヨガも同じだが、ヨガでは胸式呼吸を含むところが違う。30年前からの早朝の散歩とミニサイクリングで、
 深呼吸は身にはついているが、新鮮な空気は本当にうまい。新鮮な場所で、深呼吸をする習慣をすれば、その必要もないが。
 ・・・・・・
4078, 老いの見本帳ーダークサイト −2
2012年05月25日(金)
   * 序章 初老期と不安  ー�      「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
 人生で一番大切な時期は50歳代と思って、悔いの残らないように過ごした。今から振り返ってみて、良かったと思っている。
「残り20〜30年分を10年に凝縮して生きる」と、本気で。 60歳を過ぎて、気持ちが非常に楽になったことはいうもでもない。
「老いの不安」からウツに陥り、初老にさしかかり医者から貰ったハッピードラッグで薬中に陥った人がいる。 それは惨憺たるもの。
  ー ここで「惰性から離れる不安=初老期の不安」を表している。
≪・・ となれば、定年とは惰性の喪失、マンネリの終わりということになるだろう。もちろん新たな惰性が始まることにはなろうが、
 その前に、よるべなさや心細さを痛感し、生きる意味といった類の根源的問題が脳裏をかすめることになる。そのような事態を
 先取りして想像し、自分で自分を追い詰め、自壊するかのように五十代半ばにして「うつ」に陥っていくケースはかなり多い気がする。
 しかも実際に定年に直面すれば、予想外の雑用や成り行きでどうにか乗り切ってしまったりすることのほうが案外普通ではないだろうか。 
 老いそのものよりも、想像力や予兆によって我々は老いに脅かされる。それはホラー映画の構造と相似しでいる。お酒落というよりは
「若作り」に励む中年男性が増えたような印象がわたしにはあるが、それはたんに異性にモテたいとか一目置かれたいとかの皮相的な
 理由ではなく、老いという未知なるものへ対する護符にも似た魔術的効能が求められているからだろう。
 老いることのネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないことと、世間から置き去りにされかねない不安、死への接近と
 いったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して遠ざけられがちなことへのもどかしさ、
 切実な無力感といったこともあるかもしれない。核家族化によって、老人なりの役割分担を与えられなくなってきていることも問題だろう。
 そうなると老人は青年や中年の劣化バージョンということになりかねない。男性、ことにサラリーマンは定年と老いとの同義化と、
 それを先取りした不安が問題となっている。若作りというどこか滑稽な振る舞いにも、シリアスな意味が込められている。≫
 ▼ 初老期の人間の姿をシリアスに浮かび上がらせた内容である。「老人は青年や中年の劣化バージョン」は、言いえて妙である。
  ひと足先に定年をむかえた人が先年、「暇を持て余すと思っていたが、実際は毎日やることがある」と言った意味が最近分かってきた。
  人生は最大限に生きるべき、それが老いへの準備になる。年齢に従って劣化を劣化として受け入れるしかない。起承転々・・いや転倒
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3712, ジャズについて −7
2011年05月25日(水)
  モダン・ジャズの誕生 ー�       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ■ 四〇年代、ジャズの常識を打ち破った「モダン・ジャズ」の誕生!  P−195
   ▽ "踊る音楽"から"鑑賞する音楽"へ ーまったく新しい「ビバップ」とは?
【 時代は第二次世界大戦(一九三九〜一九四五)に突入。四一年の日米開戦によってアメリカは本格的な戦時体制に入り、
 ジャズメンの中にも召集を受ける人が出てくる。あわせて、歓楽街とりわけダンズホールへの課税も強化され、スウィング・ジャズを
 支えたビッグ・バンドの維時は雛しくなる。 そうした状況の中で、ひと旗上げようと全米各地からニューヨークに集まってきた
 ジャズメンは、ハーレムのミントン・プレイ・ハウスやモンロー・アップタウン・ハウスなどのクラブで、店が閉店したあとも、
 夜な夜な ジァム・セッション(独奏者が集まって即興演奏の腕比べをすること)を繰り返して腕を磨いた。
  小規模のコンボで演奏する彼らにとって、型通りのビッグ・バンド・スタイルのスゥィング・ジァズは、もはや古くさく物足りない
 ものであったことはいうまでもない。いかにありきたりの形式を打破し、自分なりの新鮮な要素をジャズに注入するかという実験に
 彼らは腐心した。 こうして生まれたのが、「ビバップ」(もしくは単に「パップ」)と呼ばれる新しいスタイルである。
  ジャズにおけるビバップ・スタイルとは、メロディー、リズム、ハーモニーすべてにわたって従来のジャズの常識を打ち破ったもの。
 なによりも驚くほどテンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化など、
 全体の音色はより硬質化し、フレーズ(即興演奏における音の連なりの聴こえ方)の多様性はいちだんと広がった。 
  ジャズの醍醐味の一つは、ソロによる即興演奏にある。たとえば、同じ曲を演奏するにしても、ソロの演奏の仕方によって
 まったく別な印象を与える。そのソロ演奏が不可欠となったのも、この時代といっていいだろう。
 もちろん、このビバップは、従来のニューオリンズ・ジャズやスウィング・ジャズの、ある意味では単純な‘ほのぼの’とした
 ジャズを聴き慣れた耳には、複雑で"とんがった・印象を与えた。
  こうして、それまではもっぱら"踊るための音楽"だったジャズは、‘鑑賞する音楽’の色合いを強めていく。
 そしてそれは、大衆的な幅広い人気という面では、従来の輝きを失っていくことにもなるのだが、一方では、
 音楽としての芸術的真価を発揮し、熱心なファンを獲得することになる。 】
  ▼モダン・ジャズが第二次世界大戦の最中に生まれ、ビパップのスタイルに変わっていった。「全体の音色が硬質化し、
 テンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化が特徴」というと、
 訳も分からず聴いていたモダン・ジャズの特徴を、それまでのジャズとの区別がつくようになる。 ジャムセッションという言葉は
 聞いたことがあるし、幾つかのバンドが次々と演奏を競うのもTVでみたことがある。あれがジャムセッションだったと、今回知った。 
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3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2
 2010年05月25日(火)
   (字数制限のためカット2012年5月25日)
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2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬と朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌、パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
(字数制限のためカット2011年5月25日)
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!


4818,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー1

2014年05月24日(土)

自分史的物語など、都合の要素だけを切り取り、繋げあわせた絵柄でしかない。
私の場合、こういう結果だからこそ、歩んできた道筋の要所要所の現象、決断などの語り直しの絵柄も面白くなる?
実感としては、「この結果こそベスト?」と、「そう都合良く思うしかない詭弁?」 という気持ちを含め、断片的に
語ってきた物語の「語り直し」になる。 傍から見れば珍妙な己の姿を、この結果なればこそ、自覚できる。 
隠れテーマは「この喜劇の創りかた」あたり。 ここで書く内容は、今まで書いてきた断片的な事象、内的体験の
再編になるが、視点が変わると新たな記憶が蘇ってくる。そのため殆ど書いてないことに気づいてきた。
 語り直しは、あまり気持ちの良くないが、書き続けるうちに、新しい視点が多く出てきている。
自分とは、それぞれの記憶の総合体だが、その記憶そのものが変える作業は、極度の神経の集中が必要になる。
 < 「事業人生を決心して45年」の語り直し >    
   * 学生時代編 ー前編 
① 事業創業の人生を目指そうと決心し、準備15年、創業から30年の独り語りを始める。 
 漠然と自分の将来は、流通業と漠然と考えていた20歳の時、「キリスト教倫理」の夏休みに、『これからの人生設計』
 のテーマのレポートが宿題に出された。そこで、あまり真剣に考えたことがなかった自分の将来について考えてみた。 
 その内容といえば、『父親のような創業を幾つか挑戦してみたい、過酷としても、事業創業の人生を生きたい!』と。 
 その時から、人生が変わっていった。そこで当時の授業カリキュラムの内容を改めて見直すと、前半二年の教養課程が、
 人生の土台になる学問。後半二年が、そこから選択できる専門課程が整然と組込まれており、これから生きていくための
 カリキュラムが合理的に組まれていたことを知る。 哲学者エリクソンは、学生時代や、病気療養の期間を、
「心理・社会的な猶予期間」とし、より自分らしい人生を選ぶために必要な時間として前向きにとらえている。
 人生を振り返ってみて、大学の4年間や、その後の放浪が、自分の生きる目標を明確にするため必要であったことは、
 体験上、充分に理解出来る。 そのレポート作成で、漫然と生きてきた自分に気づくことになる。
 その時、真剣の考えた分、ノンビリしている同期生より、二年早く将来設計に気づいたことになる。 
 卒業半年前になって、慌てている人が過半数?はいたようだ。 それから読書も、友達付き合いも全く変わっていった。
 自然と、クラブの合気道と、寮生との距離が離れていった。 
② その頃から、遊び半分、アルバイト半分で、学生寮の先輩が鳩山一族の政治団体「友愛」が経営する『友愛山荘』を
 任されていた軽井沢の山荘に手伝いに行くようになっていた。先輩の寮生と二人、そこの手伝いに誘われて掃除とか、
 料理をしながら連休とか夏休みなどに、山荘生活と、軽井沢の世界を楽しむようになった。
 そこは、鬱蒼とした森林の中の別荘地。その世界を憧れる若い女性と、金持ちが集まる別天地である。こういう世界の
 住人になるには、それなりの力を持たなければと実感することになる。それにしても、早朝の朝靄の小道の散歩は格別!
  世界には一部の裕福層と、その他が存在することを肌身で知ることになる。それより何が楽しいかといえば、
 夕食後のミニ・パーティ。紅茶と御菓子で、フォークソングを歌い、踊る。それも御客は若い女性ばかり・・
・・・・・・
4451, しまった! ー1
2013年05月24日(金)
             ーしまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 人間の認識の甘さは今さらいうまでもない。カントのコペルニクス的転換、「人の認識は対象に従うのではなく、
認識が対象を決める」。それを知識として知らないため、思い込みに縛られ、人は多くの失敗を重ねてきた。
更に失敗から学ぼうとしないから始末が悪い。その上、失敗に対して意識的にも無意識的にも話を作りかえる。
    まずはー内容紹介ーより                                                      人間はなぜ、まちがうのか」というテーマについて、面白くてネタになるトピックを「これでもか」
 というぐらい集めて分析した本です。たとえば・・・・・・
★ レントゲン技師は、画像に写っていた悪性腫瘍の9割を見落とす?
★ トップレスダンサーの収入は、彼女の月経サイクルに左右されている?
★ 黒いユニフォームのチームは、ペナルティーをとられる可能性が高くなる?
★ 人間は、誤りを犯しそうなときは、むしろ「行動を起こさない」という誤りを犯すほうを選ぶ?
★「セックスした相手の数」を、男は女の四倍も多めに答えたがる?
★ 医師の八四%は、同業者がメーカーからの贈与に影響されていると考える。
 だが、自分が影響されていると考える医師はわずか一六%しかいない。
★ 人はなんらかの形で自分が不正をしていないことを証明すると、その後の作業でもっと不正をしやすくなる。
★ 映画を「あとで見る」人は高尚な作品を、「いま見たい」人は大衆的な作品を選ぶ。
★ キャッシュローンを勧める通知書に女性の写真を載せるだけで、利率を五ポイント下げたのと同じ効果が期待できる。
★ 予備選名簿の一番目に載った候補者は、得票に三ポイント上乗せできる。
★ 投資家は、金曜日の経済記事には月曜日の記事ほど注意を向けない。
★ 人間は、印象の操作など特定の目的のためには平気で話をつくり変える。
★ 無意識につくり変えた話でも、二度三度と繰り返すうちに、いつしか「記憶」そのものになってしまうことがある。
★ 一般的に、男は自分を持ち上げるために、女は他人を持ち上げるために嘘をつくことが多い。
★ 社会的地位や学歴、収入は、全体の幸福度におけるわずか三%しか占めていない。
★ 人を単純作業に従事させるためには、お金の力がものを言う。だが、たいていの行動では、人間は総じて
 金銭的動機には左右されない。(ゆえに、行動経済学はあまり役に立たない?)  などなど、興味深い話がてんこ盛り。
 ▼ 人は思うほど完全な存在でないが、しかし周囲は人が完全であるかのような前提で動いている。
  私が学生時代のゼミで多くのことを学んだ中の一つに「会社組織は完全な存在でなく、個人の将来まで考えてくれない。
  独自で学び続けなければ知識や能力は得ることが出来ない」ということ。 キャリアは自身でつくり上げるもので、
  与えられるものでない。実際のところ、成功の背後には失敗の累積がある。問題は致命的な失敗をしないこと。そして、
  失敗から学び取ること。人生を振り返って、今になって真の失敗は何だったか気づくことが、あまりに多い。
・・・・・・
4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス)
2012年05月24日(木)
    * 魂に磨きをかける         「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)    
   第一章  しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー�
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、
 ソクラテスは考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、
 なぜ恐れるのかと問いを発する。命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を受ける。
  ・・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、
 単に、汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、
 自問自答するのではなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 ソクラテスが探し出そうとしたのは
 「真理」であって、ソクラテスらしさではない。探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、命をかけて
 真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけを行わなければならない。 この対話、営みは「パレーシア」
 (真実を語ること)と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための技術ではなく、「相手に問いかけること」
 そして相手の主張を「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」のための手法にあった。
 何かを知っているから語るのではなく、何も知らないから、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。 パレーシアの原点は、
 そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
 引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分について語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる
 「ロゴス」(論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。 ・・・  ≫
  ▼ 「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。
    対話は他者だけでない、自分の経験に対してもおこなうべきである。 そのため老後という期間が人生に与えられている。
   老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまで人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
   それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
    ー1935年、2ビートから 4ビートへ ー「スウィング」の時代    ー P・192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、よく知られたタイトルの曲がある。
 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていたニューヨークでは、
スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスの
ためのジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の2ビートから4ビートに移行したのも、
このスウィング・スタイルの特徴であり、心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるを
えなかったフレッチャー・ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"たのである。
そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズに新たな味わいをもたらした。
 そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールやクラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れのよいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイル
として確立させたのである。グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった白人ビッグ・バンドが続いた。`
 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街に
集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は「スウィング・ストリート」と呼ばれた。
 スウィングを担ったジャズメンは白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良・ぽいワイルドな音楽」から
「白人による健全でスTト書楽」へと変質したわけではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが
黒人だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
 ▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。
  それも、あのべニー・グッドマンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ それと、学生時代に
  持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団とべニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
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3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、
自身をブロードキャストすることができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、
活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり
20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される 
1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビュー
までも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
     (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。 
彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。 彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 
彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に
至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、
ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス(池田晶子に話をさせている。 
ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 
でも世の中って、そういうもんて言や、そういうもんなんじゃないの。(中略)あたしは自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。言ってわかる連中じゃないんだから。 
(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとは
そっちが先でないのか。みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」 ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
    (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
  (字数制限のためカット2011年5月24日)  ところで、この数年後に鬼籍に入られた。


4817,いま、一人前の条件

2014年05月23日(金)

 朝日新聞の(耕論)「いま、一人前の条件」=規範ない、寅さんのつらさ」ノンフィクション
作家・高野秀行が面白い。私が一人前として自立できたと感じたのは27歳の時である。
父が亡くなり、最初の事業を千葉で立上げと同時に結婚。
その時、石油ショックが起きて、ただ無我夢中の日々だった。両足に鉄の下駄を履き(結婚生活)、
背中には創業という重い荷物を担ぎ、よろよろと坂道を登っているような日々だったが、これが
私の独り立ちであった。 以下の内容は、世界における「一人前の条件」だが、
やはり結婚が大きな目安のようだ。  ーその全文をコピーするー
《 早大の探検部以来、外国人が入らないような辺境も含め、世界60カ国以上を旅してきました。
 その経験を踏まえて言えば、
・先進国以外の大部分の地域では、結婚しているかどうかが「一人前」の一つの大きな基準。
 20歳過ぎても独身だと、 何か特別な理由、特殊な事情があると思われます。
 正確には子供が生まれて完全に一人前という感じでしょうか。
・かって半年ほど住み込んでいたミャンマーの少数民族の村では、子供ができて初めてその人の
 土地がその人の名を冠した「○○の畑」と呼ばれていました。一人前になることは、財産を含めて
 地域社会から認知を受けるという意味でもあります。
・長年、無政府状態が続いたソマリアの取材を続けていますが、ここでは「大人」という言葉に、
 成人という意味に加え、「偉い人」「長老」という意味があります。長老はだいたい50歳以上、
 10人の集団に2、3人の割合です。 人望や財力、教養があり、何か問題が起きた時に
 「あの人に相談しないわけにはいかない」というような存在です。
 氏族内のトラブルや他の氏族との争いでは、交渉の窓口になり、決定権や責任を持ちます。
 前例をもとに物事が決まる社会なので、年を重ねることは知識と経験をもつ貴重なデータベースと
 いうことになり、尊敬されます。
 私はいま47歳ですが、日本も私が子供の頃はアフリカやアジアの発展途上国のように、結婚して
 家庭をもって初めて一人前扱いされるという感覚が一般的だったと思います。
・最近は日本を含めた先進国で、年寄りの経験値の意味が薄れてきています。情報技術を駆使できる
 若い世代が圧倒的に知識量が多い。従って社会的に年寄りが尊敬されることもなければ、年をとる
 メリットも感じられなくなります。
 何歳から何をすべきだ、この世代はこうあるべきだという決めつけがなくなり、多様なライフスタイル
 が認められるがゆえに、単純に一人前とはこういう人といえなくなっています。
 例えていうなら、今の日本は山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで、社会の規範に
 とらわれず、気ままに旅を続ける「フーテンの寅さん」が急増している社会です。 
 寅さんが増えると少子高齢化がさらに進み、社会が回っていかない。同時に本人もつらい。
 規範がない社会では自分でそれを作らなければならないからです。
 特に日本人は自分で自分の価値観を作ることが苦手。でもいったん自由になると、なかなか
 過去の価値観には戻れません。「一人前とはこうだ」というモデルを強要しない社会は、
 「自由はつらいよ」ともいえるんじゃないでしょうか。  
        * 高野秀行 66年生まれ。早大探検部時代にコンゴを探検し「幻獣ムベンベを追え」
          でデビュー。》
▼ 私の人間としての一人前は、三年前の節目時。「なるほど、自立するとはこういうことか!」
 という感覚。 家庭持った時点の自立は社会の中の承認だが、リタイアー後の自立は、社会の束縛?
 からの、自立になる。(>'A`)>ウワァ  いや、超越の方が正しい。真の孤独を味わうべき時に、
 自立できないでアタフタしている姿がイジマシイ :((゙゚'ω゚')):
・・・・・・
4450, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー10
2013年05月23日(木)
            ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
 人生の大問題は死期が迫り、もう先はないと悟った時の恐怖である。脳溢血や事故で即死なら別だが、誰もが最期の最期に
行き当たる大問題。だから著者の言葉は平易だが、どれもこれも深い。死を扱っていると同時に、如何に生きるかの問題でもある。
この年齢になると誰も明日にでも突きつけられる可能性のある。だから「死を解決する登山道」という。初めは軽い気持ちで
読んでいたが、読むほどに哲学の総論を読んでいるようになる。 ーここまで書ききれなかった印象的部分を抜粋してみるー
・切腹を辞さないほどの死の覚悟を常に持つということは、欲の超越、自我の超越、生死という二項対立の超越だ。
・むしろ21世紀は、世界が日本化し、日本も日本思想に戻っていく時代なのではないかと思う。
 もちろん、ここでいう日本思想とは、明治に回帰したいという現代保守主義ではない。
 もっと前からの日本思想の原点は、無我・無私の心、静かな達人の心だ。
・自己保存本能を超越し、何の因果かこの世に生まれてきたことに感謝し、今この一瞬に集中してこの幻想としての自己の
 存在という奇跡を心から祝福する気持ち。悩みや我欲を超越し、世界を愛し、自分が世界と一体であることを喜び、
 それ以外に何も要らないし、もちろん手にも入らないことを理解する境地。身体で、感性として理解する境地。
・死本来の恐ろしさとは、無で「ある」ことでなく、なぜかいったん存在してしまったものが無に「なる」ところにある。
・感覚ではなく心の中の何かに向けられるクオリアを、志向的クオリアという。「死が怖い」という感じもクオリアだ。
 「怖さ」のぞっとした感じが心の中からわき上がってくる。
・人間として生まれ落ちて以来身に付けているこのいきいきとしたクオリア。これを失いたくないということが、死にたくない
 ということと、根本的な意味では同義なように思われる。このかけがいのないクオリアは、あろうことか幻想。本当はないのだ。
 脳の無意識の計算がやっていることなのだ。
・知情意のクオリアは結びつけ問題を解くためにあるのか? 僕たちが生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんてなかった。
 何もなかった。無だ。ところが何の因果か、僕たちは、たまたま知情意のクオリアという幻想を持った生物として生まれ落ちた。
 だから、生きている感じがしている。
・僕は「意識は体験を記憶するために作り出された機能だ」と考える。意識は、主体的に行動を作り出すためにあるのではなく、 
 あらかじめ作られていた演技を体感し、体感したという事実を記憶するための機能である。
 僕たちが生まれる前は、もちろん知情意のクオリアなんかなかった。何もなかった。無だ。ところが、何の因果か、
 僕たちは知情意のクオリアという幻想を持った生物として生まれ落ちた。だから生きている感じがしている。
 しかし、ほんとうは人間もロボットと同じ自動機械なのだ。
・そもそも、自分が、自由意志や自由な知覚を持っていると思うから、死にたくないと思うのだ。
 ▼ 知情意のクオリアも、心の中の何かに向けられる志向的クオリアも、幻想でしかない。実際にそうなのだから、
  「死ぬのが怖い」というのは幻想そのもの。半世紀以上以前の中学校の頃、ひとり死を考えて、底知れぬ恐怖を
  覚えていた時を考えれば、その恐怖感は、幻想でしかないことが分かるはず。間近に迫った死を覚悟した時から
  死ぬまでの間に、それまで生きてきた全人生を生きる、という。その時に「これは幻想でしかない」と、思えるのか。
・・・・・・・
4076, 老いの見本帳ーダークサイド ー1
2012年05月23日(水)
                「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 面白い本を図書館で見つけた。一日一日、老いていく日々だが、どうも心は歳を取そこねている。実感がわかないのである。
この本は老いの見本帳、それも老醜の見本帳である。わざわざ自虐的な、マゾ的な、げんなりするような事が書いてある。
<・・人生など呻き声をあげたくなるようなことの連続ではないか。まして老いたら、それはそれで独自の当惑や「釦の掛け違い」、
 恥や失望や悔しさが待ち受けているに決まっている。ならばそのようなものを、まずは他人事として味わってみるのも一興ではないか。
 ・・ 気負った言い方をすれば、種々様々な悲しみや煩悶や屈託を見知ってこそ我々は豊かになれる。その上で若づくりする
 初老期を笑うのも結構だし、共感するのも結構ということになる。> と。  これまで両親、親戚、近所の老人を見てきた。
 それが何時の間にか、その仲間入りである。しかし歳を取りそこねているようだ。知的好奇心や、やりたいことがあまりに多い。
 気持ちが枯れてきた実感など、どう考えてもない。しかし鏡を見ると歳相応で、ますます怒りっぽくなっている!
   まずは ーアマゾンの内容紹介よりー
 老いることは、むずかしい……「若さという神話」への無自覚で強迫的な執着は虚しい。 ならば、望ましい「年寄り」の適切な
モデルはあるのか? 歳をうまく取れないために生じる恥、勘違い、いかがわしい振る舞い。老人の不安に向き合ってきた精神科医が、
臨床現場での知見と数多くの文学作品の読解をもとに、老人の心に迫る。 哀しくもおかしな老いの見本帳
   = 序章 初老期と不安 =
 ≪ 人間の心を安定させ安寧を保つ装置のひとつとして、惰性というものが挙げられる。我々は基本的にマンネリに則って生きている。
 退屈で変化に乏しく、うんざりする。だがこの十年一日のトーンこそが我々に安心感を与えてくる。とりあえずこのマンネリに
しがみついている限りは、大きな聞違いや不幸は(たぶん)生じない。 自分の存在意義も生きている意味も現実の確実性も、
みんな惰性の中に埋め込まれている。 過去を振り返ってノスタルジックだとか懐かしいと感じられる事柄の大部分は、
リアルタイムにおいて惰性やマンネリに彩られていた事物なのである。
 日々の惰性がストップしたとき、そこに出現するのは異形の現実である。精神的にショックを受けたとき、生活の根幹を揺るがせる
事態に直面したとき、世界は親しみやすさを失う。当たり前の世の中が、よそよそしく違和感に満ちたものとして迫ってくる。
我々は孤独感と不安とに襲われる。それこそ実存的な風景とでも称すべきか。おそらく死とはこのような感覚の究極としてあるのでは
ないかと予感したくなるような風景に向き合うことになるだろう。我々は日々の惰性を憎みつつも、それによって安心感を得ている。
そしてときに訪れるささやかな絶望や悲しみを介して、惰性が、マンネリが失われる恐ろしさを薄々理解している。≫
 ▼ 「初老期の不安は、それまでの人生の惰性を失うのではないか?」という見方は確かに心当たりがある。老いとは、一日一日、
死にむかって歩いている時期にある。そして、それまでの人生の返り矢が次々と返ってきて弱者への道を歩むことになる。
  老いるのは、まず肉体からだが、それに従って確実に心も老いていく。それに気づかないのが老醜。如何に包み隠すしかない。
・・・・・・
3710, 自己を見つめる  ー番外
2011年05月23日(月)
   * つれづれに、早朝に・・
 あの日々から二ヶ月近く過ぎ、少し気持ちが落ち着いてきた。 しかし、いくら平気な顔をしていても、やはり一大事である。
数日前に、自宅に一本の電話がかかってきた。 家内が買い物に行っていたので私が受けた。 「日テレの番キシャの記者ですが、
震災の影響で廃業されたホテルの件の取材の電話です!」で・・・、拒否反応の感情が先に立ち、「そういうことは、
一切お断りをしています!」と、直ぐに切ってしまった。 当然といえば当然。 番組では当方は取り上げてなかったが、
「震災倒産」がタイトルで、東北から離れた地域の北海道とかの遠方でも、倒産が出始めてきたという趣旨の内容であった。 
 ところで、東京も含め関東甲信越以北のホテルは壊滅状態。東京の4月のホテルの平均稼働率が80パー以上だったのが、
半分以下まで落下したとの新聞報道があった。 それを見越して見切ったが、読みどおりホテルは壊滅状態。
実際のところ、前倒しを決断できる状態だったから、見切りが出来た。 が、月末の資金繰りに困るようだったら前倒しは無理。
 当方は10年前の9・11ショックで、売り上げが4年かけて3割以上も激減した上、二年半前のリーマンショックで、更に半減。
三分の一まで落ちていた。 それでも、借入返済の減額や、人件費などの政府補助で何とか遣り繰りしていた矢先の、この震災。 
シュミレーションをすると、半年後には丸裸。 今なら銀行債権以外は清算が可能。 それならばと見切り廃業を決断した。 
結果からみて、「少し早めの見極めは打撃は半減、少し遅めは打撃が倍増?、その差は4倍」と、実感している。 
 兄と姉の倒産劇を身近で相談に乗っていたから、断末魔の苦しみを肌で感じてはいた。「金がないのは首がないのと同じくらい苦しい」
が生前の父の口癖であった。それは「日々の資金繰りに追われることだけは避けろ」という教え。 それだけは避けたいと思っていたが、
こういう結果で終わっても、資金枯渇の苦しみは殆ど経験しないで済んだのは救いである。 どっちにしても人生は甘いものではない。
生きてきた、そのままが、返りや矢として自分に戻ってくる。プラスにもマイナスにも。 「これが、生きるということだったのか。
それならば、もう一度」という二ーチェの言葉は、なかなか言えないが、人生全体から搾り出しても言わなければ・・
 9・11、9・15、3・11と歴史的経済震災と自然震災に続けて直撃をされると、運、不運とかいう以前の諦念の問題になる。
学生時代に合気道の経験があるが、そこで学んだ一番の教えは危機の際の「引き」である。 危機に出会うことを避けるのが真の極意だが。
 来年に入ったら、謹慎期間が(私にとって)終わるので、倒産劇の悲喜こもごものミニ講演を受け付けます。
ここに書けないことが、けっこうある。 個人的には、何時でも・・・臨場感があって、面白い材料がタップリ・・・ 味付けもして?
 ・・・・・・・
3345, 閑話小題 ―つれづれに
 2010年05月23日(日)
  * トヨタのレクサス
 先日、車検に出していた車を引き取りに行ったところ、30分ほど待ってくれというので隣にあるトヨタの中古車センターで車を
見ていたところ営業マンがよってきた。そこで時間つぶしの事情を話したが、ついつい「高級車か、スポーツ車で面白そうな車があるか?」
といったところと、マークとレグサスを見せてくれた。私は先代の車をいれて22年間、ソアラに乗っている。現在の車は18年も
乗っているが今でもエンジンの衰えが全くない。 で、外からはレグサスを見てはいたが、運転席に初めて座ってみた。何か違うのである。 
偉くなったような選ばれし者といって気分になるのである。 自動車も18年もたてば車も格段に進化しているのである。
二年前の車で、600万が367万円。 個人として買えないことはないが、リーマンショック後の恐慌の世。
この暗い世相で無ければ、おそらく買っていただろうが。もっとも、最近は遠出は年一もないし、乗るのは市内のみ。
 良く稼ぎ、良く遊ぶためにも、景気回復が待ち遠しいが、当分は無理。  TVでも買え換えるか。
  * ペット大嫌いな人と、インコ
 去年の10月に、メキシコ・コガネインコを飼ってから7ヶ月になる。家内がペット大嫌いで、買った当初は居間の
ベランダに鳥篭があることもあり、一月ほど居間に用がある時以外は、立ち寄らなかったほどの拒否反応。
ところが現在は、休日など見ていると一日数回は、籠前に置いてある簡易イスに座ってインコと戯れている。
インコが人に時々必死に呼びかけてくるのを聞くうちに情が移ったようだ。あれだけ、嫌っていたのに。
小桜インコを5代(匹)飼っていた十数年は、全く感心を寄せなかったのに。犬と同じ位の感覚で人の気持ちを察知する。
そして、自分をかまってもらいたいのである。今まで鳥を多く飼ってきたが、自分の糞が好物というのは始めてである。
ウサギが、そうだと聞いたことがあったが・・・
 ・・・・・・・・
2970住まうこととさまようこと ー2
2009年05月23日(土)
  * まずは「住まうこと」とは
 住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は逆に内側が光の世界に逆転する。
外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、
垣をめぐらしている。それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。また住まいは上下の構造になっている。
ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、次のように述べている。
「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。この両極性の特徴は、大変深くおよんでいるために、
非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、
見ることができる。そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室はどうであろうか。きっと、そこは役立つものと
考えるだろう。便利さの合理性を幾つかあげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、殺人のための道具や、
死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、
光が満ちていて、別世界への入り口になっている。 屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。
私が4?10歳まで育った商家では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。
1Fが店、2Fが事務所と倉庫、3Fが台所兼食堂、そして家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説のような生々しい物語の連続であった。
住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断(機能別の空間)があった。
・・・・・・・・・
2606, 脳内会話
 2008年05月23日(金)
昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
 ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫
・・・・・・・・・・
2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ー2
   ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫

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