|
堀井On-Line
|
2014年04月02日(水)
ぼんやりの時間 辰濃 和男 (著) リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、そうでない。 ウツ病に陥らないために、 早朝から寝るまでのスケジュールを決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる? ーまずアマゾンの内容紹介ー 《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊しつつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の 価値が見直されてよいのではないか。では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさが 生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながらつづる思索的エッセイ。 》 ーカスタマーレビューよりー 【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、だから、人間にも本来、「ぼんやり」 は許されないのだ。幼い時から、火や水、悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。 このような絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」への憧憬を生む。 すなわち、 「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見るよりも、生物として必須条件である「対外緊張」を 運命付けられた人間に根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。 従って、「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、「隅田川の川面を眺めているうちに、 あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の 木々に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いている。彼らのどのエピソードも 懐かしい幻想のように温かで、ユートピアのように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好き という深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った日々が刻印されており、「林に入り黙座す」 と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。 著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、「ぼんやりの時間」を持つことは実際には 口で言うほど簡単なものではないことを熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえのない、 貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、 それでも尚、人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになっていることを見逃してはなるまい。 】 ▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間を、のんびり過ごす。日常を離れた自然の中で、 ボ〜っとするのが、最高のレジャーになる。日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。 私のネックになっているのが、この随想日記と、ネットサーフィン。 誰に頼まれた訳でもないのに、毎日、これで 自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を支えていられない状況もある。 偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している? 「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、ある。この時節も、ぼんやりなど、 してはなかった。時節があるのだろう。どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。 ・・・・・・ 4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1 2013年04月02日(火) 『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 天野祐吉、お相手 御隠居 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に 一歩踏み込んでいたようだ。 同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然としていたが、 「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の 人生を圧縮して生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、 個人HPを立上げて、全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に至っている、これである。 これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。 この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。傍からみたらつまらないこと?でも、 遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。 だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。 たっぷりある時間を遊べるかどうかである。 まずはー内容紹介ー 【 こんな時代こそ「隠居」を見直そう! 原始、「隠居」は遊びの達人だった。若いモンの憧れだった。 目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の 豪年を取るって、いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。オモシロキビシク、 いい加減精神の真髄を語り明かす。】 老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。 考えてみれば「良く遊ぶ」のは非常に難しい! 次回は、一時限目の 「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より ・・・・・・ 4025, シングルイン、31年間の総括 ー6 2012年04月02日(月) * リストラは、どうだったか ? 2001年の9・11テロの翌月から売上が毎年続けて一割以上減少、三年間で3分の2まで減少していった。 それに対し、ボーナスの半額カット(年間給与の一割相当)、私は5割以上、役員は4割カットをして対応したが、 キャッシュフローからの返済は1億3千万から4千万まで激減してしまった。 それまでの正社員と役員20数名のうち、 三分の一まで減らし、パート・アルバイトに切りかえた。 次に、二つのホテルの1階部分の客室を飲食店用のテナント スペースに切り替え貸店舗にした。 さらに第三シングルインを長期滞在型ホテルに切り替えた。 二つの客室の壁を取り去り、 一つにして自動車学校や、企業の長期滞在として貸し出した。 それも数年で軌道に乗りかけ、目処がたった矢先のリーマンショック。 これも2割以上の売上減が三年目に入っても続いた結果、事業断念に至った。 新潟駅再開発も大幅に遅れ、 二つのホテルが道路拡張計画上にあって説明会が開かれていたが、そのプロセスで規模縮小か移転の想定も当てが外れていた。 そのリーマンショック以来、政府の緊急政策の御陰で資金繰りは何とか予備資金を使うことなく、持ちこたえていたが、 売上が三分の一まで落ち込み、事業存続の先行きを考え出した矢先に東北大震災。 これで最後の踏ん切りがついたが、直接原因は、 リーマンショック。 事業構造の転換も身を切るほど厳しいが、事業経営の真髄が発揮される場面。 もちろん返済額の減額交渉に、 リストラ策と、その実施と、経過報告が義務つけられ、その効果が出始め何とか目処がたった矢先のこれ。 十年間、やれることは やった思いがあるので、後悔は全くない。 シングルインというホテル名と建物は、他の事業主が引き継いだので、ここで経営の リストラが断行されたことになる。 6年先の道路買収まで維持できるかどうかだが、あまりにリスク要因が大きい。 長期装置産業の恐ろしさを知らないようだが、世界は楽観と悲観で成り立っている一事例。 ・・・・・・・ 3659, つれづれに 2011年04月02日(土) * 原発事故の深刻さ 原発がもたらす影響は、今後どのようになっていくのだろうか? 経済は大きく落ち込むのは目に見えて明らかである。 業界格差は明らかに出てくるだろうが、飲食、ホテル、レジャー関連、タクシーなど三次産業から深刻度が深くなっている。 東北、関東地区の農水産も壊滅状態で、米の生産者も、今年の作付けに入ってよいものか、思案をしているのだろう。 伝え聞くところによると、長岡の奥座敷といわれているリゾートホテルは、お客がほぼゼロの状態が続いているとか。 この冬は豪雪で惨憺ものだったが、さて春が来たという時に、地震と原発事故である。 特に原発事故の成り行きを世界中が、固唾をのんで見守っているのは、死の灰が地球規模に広がる可能性があるからである。 毎日毎日、TVでこのニュースである。消費マインドが冷え込むのは自然の成り行き。 株と国債の暴落をきっかけに、 ハイパーインフレになるのが、一番考えられる道筋である。その時、「新円切り替え」が実行されるはず。 日本の危機といえば、元寇、明治維新、日清戦争、日米戦争である。それ以上の危機になっていくのだろうか? 東京では、一部の子供たちの疎開が、静かに行われているようだが・・・ ・・・・・・・ 3294, エッ何! 2010年04月02日(金) * 次年度からの予算財源はこれ? ドサクサに紛れ一瞬で郵貯の預け限度金額が2倍の2千万円に決定した。閣内対立を演出して、仕方なく鳩山首相が原案通りに 決定したカタチをとったのは筋書きどおり。23年度以降の予算が、このままでは組めなくなるのを見越し郵貯の限度額を上げて、 郵貯残高を増やそうという目論見。穿った見方をすれば、中小・零細金融機関が更に危なくなるのを見越して、その受け皿を つくっておくメリットもある。3人だけの政党の亀井を金融大臣に据えて泥亀の捨石として最大限に利用している。もちろん本人も、 それを承知、それが政治。先日のTVのモーニング・ショーで金融機関の破綻時の国家補償を1千万から2千万に引き上げてもよい」 と述べていた。 (以上、字数制限のためカット 2012年4月2日) ・・・・・・・・ 2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3 2009年04月02日(木) マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、 ウィトゲンシュタインは死に関して、それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると 彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。「もし哲学者が考えるとしたら?」 と私が考えた内容と酷似はしている。 しかし私の実体験とは違っている。「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、 寝入る瞬間に直感したのである。 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。 「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」 と反論されそうだ。しかし「それが寝入る瞬間だろう」と、 反論も可能である。それに対して「意識が無意識の世界への移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。 その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」 と言うだろう。しかし私は、その刹那を感じたのだから、 何を言おうが事実は事実である。「それでは証明しろ」と言われれば 証明のしようがない。 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。寝入ったアチラの物語の夢について、 ここでも多く書いてきたが、気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。 このテーマとは関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、 私にとって大事なことです! 毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。 ・・・・・・・・ 2555, ホモ・ルーデンス ー1 2008年04月02日(水) 『ホモ・ルーデンス』 ー読書日記 ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。 「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。言うならば、遊びの中で始まったのだ」 ーすべては遊なりー 〜文化は遊びの中にはじまる〜 ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。 まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。 ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。 「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、最も美しい遊戯を遊戯しながら、 今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」 著者は、この真面目と遊びの対立において、「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを 自己の中に抱き込むことが出来る」と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、 「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、 自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、 緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」 「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって 充たされている。リズムとハーモニーがそれである」遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、 「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。最後の文章に「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、 自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。 どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。 この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。古くからの『すべては空なり』に代わって、 おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』がのし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、 ただ精神の無力を思わせるかのようだ。しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」 ーー 一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。 次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。 「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」 子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、 そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月02日(月) 2190, 飲料水について オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、 と言い訳をして失笑をかった。 (以上、字数制限のためカット 2010年4月2日)
|
|
|
|
2014年04月01日(火)
* 感動の追体験 以前、少し書いたが再び。 現在、ヤフーのブログ‘バードウォッチ’に、以前に行った先をネットでひろった 写真を載せている。 これが面白い! 現地で思いもよらない光景に出あった感動は、心の大きな財産だが、 その瞬間は決して写真や映像では残せはしない。対象と同化し振動しているからで 夏の花火と同じである。 ところが、デジカメの進化もあって、ネット上には違う視覚の感動の瞬間(写真)が溢れているのを最近、知った。 実際の感動の方が遥かによいのは当然だが、ネット上の写真を見ていて、<ああ、これだ!>と感じた瞬間に、 その時の感動が再度、浮び上がるから不思議。 エーゲ海クルージングで、寝椅子に寝転がってエーゲ海の美しさの中、 リラックスする心地よさは、何ものにもかえがたい。一期一会の自分だけの至福の時である! 今では、誰でも、 そのTPOSの光景をカメラやビデオで撮って、ネット上に公開するようになった。その御陰で、その瞬間と似た 体験をした者にとって、手軽に感動の追体験?が可能になっている。カメラ目線が違っても、その瞬間の感動は同じ。 それは記憶の復習効果、書換えにもなる。 所詮は、全ては幻想である。カメラ性能が格段にアップし、誰もが 気楽に撮れるため、ネット上には素晴らしいのが多い。 豊かな気持ちは感動の質と量の掛け合わせに比例する。 * 猪瀬の贈収賄、不逮捕されないの? 何ゆえに、猪瀬が逮捕されない? 次の東京オリンピックの汚点にしたくないため? とすると、支離滅裂。 ここまで真実(汚職)が露呈しているのに、この結末はない!上記の御二人の、御意向か? 何が東京オリンピック? 江戸末期の打ち壊しの「ええじゃないか、ええじゃなかい」の騒ぎに酷似している。 同じアフォ(アフォのミクス) なら踊らな損!と笑ってられない。最も地政的に危険な立ち位置にいるのが日本なのに!20世紀前半に酷似している。 * アベノミクスで生温かい風が吹いているが ー偶然、去年の今日に似たタイトルがあったー 何かが変なのは分かってはいるが、それでも?首を傾げることが多い。それと6年後の東京オリンピックも。 「デフレ脱却のため、無制限まで通貨を増やしましょう、後は野となれ山となれ!そのため注意をオリンピックに 向けましょう」」ということ。それも、日本の財政破綻の責任者だった二人の元首相が、現在の首相と副首相に居座り、 更なる悪化に向けた舵きりをするのだから! 電気光熱費と、消費税の値上げは、一般の消費者と、中小企業に大きな 負担になる。それと、欧米も、新興国の経済も波乱要素が大きい。恐ろしいのは、突然の世界同時株安である。 ・・・・・・ 4398, 閑話小題 ー 円滑法が4月から期限切れになるが 2013年04月01日(月) * 要は、アベノミクスとは! アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。 その二人が偶発的に首相と副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗したところで、 政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの付けは、国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、 銀行を通して国債を買わせることで周りまわって戻ってくる。 一度、ハイパーインフレにし、銀行閉鎖するなどの 荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。 世界は通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、 一より出直しすべし 」ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。そして、責任を取って辞任。 そのパターンが繰り返される。 * 同級会の幹事 毎年行われている高校の次回の幹事になった。この10年近くの会の半分近くは、私とコンビのM君二人がしている。 二人とも飲み会の幹事は手馴れたためである。名簿を振り分けメンバーに連絡をすると、それぞれの様子が直に伝わってくる。 ここで多くがリタイア、年金生活に入ったか、事業整理か倒産とか、その一歩手前など色いろあるようだ。それと、名簿に 横棒で消された亡くなった名前が目に入る。あと10年もすれば、横棒が半分になる。 * 円滑法が4月から期限切れになるが 円滑法案が延長されていたが、4月から期限切れになる。一昨年、整理をした事業の実情からして、この打ち切りは厳しい。 今から4年前に施行され、その御蔭で運転資金のマイナス分を、これと、雇用調整助成金・中小企業緊急雇用安定助成金を プラスした分で二年間を持ちこたえた。そして限度にきた時に、3・11の東北震災が起き、迷わず事業整理に入った。 その円滑法が切れるというから弱体化した中小・零細は破綻が増えと見るべき。それもありマスコミが騒ぎ出した。 特に首都圏から離れた地方ほど、不景気の影響が大きい。それでも参院選挙までは何とか持たせるが、問題は、その後。 ・・・・・・ 4024, 事業生活39年の、独り語り ー7 2012年04月01日(日) 11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。 ―まず、そのコピーからー ≪ [103] センチュリーベーカリー ー昭和50年3月〜8月31日ー (2001/08/09) 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、 空きビルを埋めるべく何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。 冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。 商社の東レの子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという 新聞記事をみて、ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起きて通う。 そして二カ月後にオープン! 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出る。 その時期に長岡の実家で問題が発生。 このタイミングを狙われたのである。 そこで第三者に経営委託をして急遽長岡へUターン。 恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われるほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると、‘開発型委託経営ビル’を 造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、 実家の衣料デスカウント・ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。 ≫ ▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、 養老の滝のオープン以来一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、空きテナント部分で 新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、 数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、 など次々に任される。品種変われど、商品管理の本筋は同じ。だから居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握して全力で取り組めば、 何でも可能ということを知っていた。 そのため実家の仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 何事も、表面が違っても、本質は同じである。 ・・・・・・・ 3658, 価値とは思い込み 2011年04月01日(金) 価値観の価値は「思い込み」とすると、その意味がストレートに伝わってくる。 価値は意味に非常に近いと解釈をしていたが、「思い込み」とすると、より分かりやすい。 人間は、それぞれの思い込みの中で生きている。その思い込みは子供の頃からの周囲の刷り込みがベースになる。 その刷り込みから脱皮していく経験と知識の蓄積が教養になっていく。 大きな挫折をすると、思い込みが破壊される。 創造と破壊は裏腹であるが、思い込み(価値観)の破壊も重要である。それが節目の切欠になる。 「互いの価値観が違う」というが、「互いの思い込み違う」ことでしかないのが分かる。 まずは自分が何を思い込んでいるかを知ることが、第一歩。 それも、思い込みになるかもしれない。 価値、意味、思い込みを、絡めて一文をつくると 「価値、価値観と難しいそうにいうけど、そんなことは思い込みという意味でしかない」 ・・・・・・・ 2010年04月01日(木) 3293, 人みな骨になるならば ー9 * なぜ簡単に(エゴ)捨てられないのか 「なぜ簡単に人間はエゴを捨てられないのか」が、理路整然と書かれている。 ー まずは、その部分を抜粋して考えてみる ー 試みに、街を歩きながらエゴの武装解除をしていき、「すべてはブラフマンの現われである。あの広告塔も、 こなたの酔っ払いも、私と同根のものだと実感する修行を続けてみるがよい。 その結果、わかることは、 目の前にある山川草木、鳥獣虫魚はもちろんのこと広告塔や塵芥とさえ、つながっている感覚をわずかに持つことができる。 一番難しいのは、むしろ他の人間と通底しているという実感である。これは予想外のことだ。 人間は他の人間との差異に対して 最も敏感である。 もちろん修行などしなくても、抽象的な「人類」や「同国民」と連帯しているような感覚を持つことができる。 われわれはスローガンとしての連帯や仲間意識は大好きなのである。しかし、通底体験というのは、そうした観念上のものではなく、 目の前の太ったオバちゃん、向こうからやってくるダラシない若者との瞑想的な一体感なのである。 これが実は難しい。 このことは、おそらく自我の意識というものが、主として社会集団において自己と他の具体的な成員と 区別をするために発生したのではないかと疑わせる。人間らしさの殆んどの特質が、他の人間との生存競争を 通じて進化してきたと主張する学者が多い。 人の容姿はもとより言語や知略も、たぶんサーベルタイガーや マンモス相手に開発されたものではない。 異性や仲間との付き合い上、是非とも必要だったのだろう。 自我もまた水辺やサバンナでの生計とか氷河期の気候とかに適応するためでなく、狡猾な同族であるヒト相手の 社会生活を生き抜くために必要だったからだ。 ▼ 映画の「2012」でも、世界の滅亡に、世界各国が協力しあう場面が、これを読んで浮かんできた。 人の差異は、外敵に対してでなく、社会集団における自己と他者との生存競争を通じて進化してきた!というのが、 鋭い指摘である。 40年前の学生闘争の嵐の中で、田舎出の教条主義の「あれ等」は、同じ方向の分派達との 争いの方が、残酷な死闘になっていった。 殺人の過半数以上が家庭・親族という事実と同じである。 人間の遺伝子の性格は利己主義という。 それを抑えるのではなく、他者の迷惑にならないようにすることと、 社会の有益な何かに向けることが、人から人間になることだろうが、それは建前と割り切るのではなく、 エゴを野獣、いや野性と看做し、コントロールすることが教養か? 酒を飲むと、それがね〜 鵺? ・・・・・・・・ 2918,「無趣味のすすめ」という問題提起 ー1 2009年04月01日(水) 新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、メールマガジンの編集発行も、 金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような 出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大な コストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。それらは私たちの「仕事」の中にしかない。 ー 思い切った問題提起である。 「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで 居酒屋通いをしてきたものとして、秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も 興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、 その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。 少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか? 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。 その一つが ー効率化とゆとりー 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか? 身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ? ・・・・・・・・・ 2554, 閑話小題 2008年04月01日(火) *予習と復習 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが 多くなってくる。特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。 そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。 (字数制限のためカット 2012年4月01日) * 客引き・スカウト行為が今日より禁止 (字数制限のためカット 2012年4月01日) *ガソリン値下げ (字数制限のためカット 2012年4月01日) ....... 2007年04月01日(日) 2189, 「考える」とはどういうことか? おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー 読書日記 「近代哲学再考」 竹田青嗣著 ー「ほんとう」とは何か 自由論ー 池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。 「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。 我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。 把握のプロセスから、すでに考えることになる。「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために, いろいろな経験や知識を組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。 すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫),そして決断する(判断)ということである」と定義している。 ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、 私の考える切り口でもある。池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。 ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい! ーー 「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。 *「物語」を使わずに抽象概念を使用する。 *「原理」を提示する。 *つねに「一から」(根底)から再始発する。 ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、 どのようにして存在したか、人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、 といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。 ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。 「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。 ??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、というルールで行われる世界説明 (人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、根本的で究極的な 「真理」という考え方とは違ったものである。自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、 という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。 しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、 さらにすでに成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、できるだけ深い前提に 立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、という根本原理によって成立していることがわかる。 哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、またそれをどう構成すれば、 より普遍的な(=広い共通了解を生むような)説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な 方法であり、自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。 ??について、哲学の重要な点がある。 (字数制限のためカット 2010年4月01日)
|
|
|
|
2014年03月31日(月)
* 昨日で、あの日から三年になった 先日、3・11災害から3年経った、と書いた。そして10年日記帳から、 3月9日〜19日までを書き写した。今度は、会社整理の日々になる。先日に続き、2011年3月20日〜4月2日の二週間。 (一般債権がほぼゼロもあり)自宅も、会社の事務所にも一度も抗議電話も押しかけが無かった。債権者会議も当然無く、 無事、切り抜けていた。それもあってか、計画倒産の噂が流れたが、そんなことは出来よう筈がない。 事業計画をたてる段階から、万一のリスク管理(下の数値ラインの設定と、 避難のためのシェルターを長年かけた用意)をしていた。これを計画倒産と言われれば、それまでだが・・ これを書き写していて、涙が出そうになったが、面白いと懐かしがっている自分もいる。 ・3月20日(日):この連休明けから、具体的手順に入る。差し迫ってきた。モーニングショーでは、大震災を詳しく 報じている。それもあるが、私も、ある意味、被災者である。 あとは、流れに任せるしかない! ・3月21日(祭日):TVで週末の東京の歌舞伎町、新橋、銀座、魚河岸など中継していたが、震災のためいずこも閑散。 昼食は近くの‘サエゼリア’で。満席だが、被災民と思しきグループが目立った。これが現実である。 ・3月22日(火):新潟の万代のラブラに行くが、人は閑散。昼飯はケンタッキーの鳥ハンバーガー。コンサルトの 林氏にメール。今日、決断をしたが、この2〜3ヶ月、特に動揺をしている。この災害が、後押しをしたのは確か。 ・3月23日(水):大矢、斎藤、弁護士と事務所で、状況について最後の話合い。17時〜18時半。 ・3月24日(木):16時40分に弁護士と打ち合わせ。厳しいが、しかたがない! ・3月25日(金):弁護事務所で、弁護士と打ち合わせ。最後の決断の確認をした。 ・3月26日(土):NTTで、携帯電話の会社から個人への切替の手続きをする。 ・3月27日(日):NTTへ、再度、手続きをしなおしに行く。 ・3月28日(月):整理の具体的手順に入る!身体が浮いたようで、頭はフル回転。違う人格が入り込んでいるようだ。 ・3月29日(火):会社には行かず、個人の整理のための手順の幾つかを踏む。久々に際どい危機感の中の自分が、いる。 ・3月30日(水):13時より、弁護士二人に女子事務員と、現金など経理部門の引渡しを大矢と私、5人で始める。 そして、17時に正式に弁護士の宣言で、30年以上の会社が消滅をした。 全員、起立をしてm(_ _)m。 ・3月31日(木):9時10分より、弁護士と二人、第四、商工中金、新潟信金の順にまわる。何処も、豆鉄砲をくらった様子。 :13時、従業員を集め、解雇の言い渡し。全員が不安そうな顔をしているのを見て、気持ちが切れ涙を流す。 17時、車で帰路の途中、Iさんより携帯に電話。迷ったが、これも記念と、18〜20時半まで長岡駅裏の 居酒屋で酒を飲む!Iさんも、まさかと信じられない顔。 ・4月01日(金):13時半、弁護士と会社の事務所で打ち合わせ。15時、昨日の説明会で出席できなかった5人に説明。 18時半〜燕のKさんと燕で酒を飲む。3人の就職先の依頼を。 21時44分で長岡に帰る。 ・4月02日(土):県内の親戚に数人に事情の電話。 仙台の学生時代の行方不明だったO君より無事の電話。 5分の差で助かったとか。その前に仙台の住所にハガキを出していたのが、遅れて届いたという。 ▼ 良質もあるが、悲しいとか、惨めとかいう感傷的気分はゼロに近い。目の前の一日をひたすらこなし過ごすしていた。 それは今も同じだが。それでも「喉ぼと過ぎれば熱さ忘れる」で、何事も2年半〜3年。陰湿の嫌がらせはないことは ないが、慣れてしまえ、「理解出来る範囲で見ている方々の程度の測量」で遊ぶ楽しみになる。これは実体験でないと 分かるはずがない。その意味でも、自分観察、人間観察でベストの経験をしている。 救ったのは長期のリスク管理? ・・・・・・ 2013年03月31日(日) 4397,「武士道」という諸悪の根源 * 「武士道」という諸悪の根源 《「世間」の捨て方 ー3》 「武士道」が諸悪の根源という説は面白い見方。しかし少し考えれば当たり前のこと。徒党を組んだ侍の親分が武力で 農民の米を徴収し、仲間内に配っていた。その暴力装置を持つ集団が綺麗ごとで尤もらしい規範をつくりあげだけ。 それを子育てを含め根こそぎ否定しているところが新鮮。 ーその辺りを抜粋してみるー ≪ 子育ての見本として、絶対に見習ってならないのが江戸時代の武士道。「武士という者が日本を悪くした存在です。(略) 武士の頭の中にあるものは主君に使えるということだけ。 端的に言えば、奴隷ですよ。(略)この奴隷というものを、武士道 だなんて、日本人はやけに持ち上げるんですよね。(略)その点、ヨーロッパは違いますね。武士はすべて傭兵だった。 戦争は国王が傭兵を使ってするわけです。武士は『七人の侍』みたいなもので、雇われの用心棒だった。 「日本は典型的な武士の社会。鎌倉幕府が成立して以後、ずっと軍事国家だと私は思っています」≫ ▼ 現在も武士社会が会社に入れ替わっただけ。そのため現在でも勤め先の藩と役職と禄高で、社会的評価がされている。 そうこうみると、我われは現在でも奴隷、それも人生の大半を何も考えずに、その生活に満足して過ごす。その中で、 人は趣味を見出し、奴隷生活の中で自由な時間を持つ。士農工商が江戸時代の身分制度。そこで他の奴隷管理をしていた 武士のつくった武士道など信じるなどもっての外。 ーウィキペデアで葉隠れをみると ≪「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」葉隠の中で特に有名な一節。 葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して 武士道精神と単純に解釈されていて実際、太平洋戦争の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われたが、山本常朝自身は 「私も人である。生きる事が好きである」と後述している様に、死を美化した書物と一括りに出来ない。 現代でいう ビジネスマナーのマニュアルに近い記述がほとんど。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像する ところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では 地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように処世術のマニュアル本としての一面もあり、 『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。≫とある。奴隷社会の処世術というところ。どうも日本人は、やたら道を 付けたがる。商人道、柔道、剣道とか。何かを極めるのに、どの位置にいるかを知る道標が必要だから、道を思い浮かべた のだろうが。日本が、戦後、ここまで経済成長を遂げたのも、江戸時代の「お家制度」の文化が背景にあったのも事実。 絶対否定は出来ない。元長岡藩の城下町、今でも色濃い武家社会の影響が大きく、世間とかいう噂の奴隷の群れがいる。 ・・・・・・ 2012年03月31日(土) 4023, シングルイン、31年間の総括 ー5 * どこで間違えてしまったのか? 「会社の寿命30年説」を検索したところ、日経ビジネスが1983年に総資産額のランキング分析を基に唱えたもの、とあった。 私の事業も、この説のとおり30年で寿命を向かえた。 創業当時、私が30歳代半ば、当時のマネジャーと次長は20歳半ばから後半。 30年後の現在、三人の平均年齢が60歳近くになっていた。 ホテル4棟の平均年齢も25年になっており、引き時と見ることができる。 ここで、三つの震災などの外的要因を別にして、「この事業、何処で間違えてしまったのか?」という問いを立ててみる。 ◎ 首都圏から新幹線2時間圏内の駅前ホテルの客室需要が数分の一に落ち込む予測が出来なかったのが大きな原因。 ◎ 更に企業の営業活動のあり方が、この20年間に根底から変わってしまった。20年前のバブル崩壊と、ソ連・東欧の崩壊で 東西の垣根が無くなり、グローバル化が日本の国力を根こそぎ奪ってしまった。 その意味を捉えることが出来ず、 思い切った方向転換を出来なかった判断ミスが次の要因。 ◎ それに加えて1995年にマイクロソフトが、ウィンドウ95を発売、パソコンが飛躍的に使いかってが良くなり、爆発的に普及した。 それにネットが結びついたネット社会が現実社会の上位に出来てしまった。これで、ビジネスのあり方が根本的に変わってしまい、 経済も社会も、スピードと変化が激しくなった。 それが資産デフレと物価デフレをもたらしていった。 ◎ 首都圏と地方という経済と社会の関係が、首都圏と東南アジアとへシフトが変わっていった。 そのため、日本の地方の力を 大きく削いでしまった。 それにリーマンショックと、東北大震災が重なり致命的大打撃になってしまった。 ー 以上を、簡約すると、 * 20年前のバブル崩壊の影響が、ここまで日本を弱体化させる重大性が理解できなかったこと。 * 資産デフレと、物価のデフレが、これほど長期に続くと読めなかったこと。 * 情報化で、ネット社会が現実社会の上位に出来上がり、経済・社会を根こそぎ変えたスピードが、ここまで早いとは。 要するに、バブル崩壊と情報化がもたらす影響の大きさの読みが甘かったこと。 30年前は新潟駅に新幹線がオープン。 新潟駅周辺は活気に溢れていた。しかし10年後のバブル崩壊で、20の都市銀行も 3行になっていった。 時代の激変がもたらす影響を理解できず、バブル後に、さらに客室数を増加させた。これが最大の間違い。 間違ってなかったとしても、それも時代の大津波が襲って破壊しているだろうから、どこで間違えたのだろうか?という問いが 間違えていることになる。 継続しているじゃないか?というが、良くて半分、悪いと五分の一。 これに原油高に、消費税のアップ。 ・・・・・・・ 2011年03月31日(木) 3657, つれづれに 私にも大きな試練と転機がきた。 65歳ということか。 毎日が、原発事故の悪化を示すニュースである。 本格的な恐慌へ一歩踏み込んだようだ。 今日は、ホテル開業30周年になるが、 ・・・ 違う意味でのメルクマールになる! 偶然だが、去年同日の下の文章が身に沁みる。 ・・・・・・・・・ 2010年03月31日(水) 3292, 人みな骨になるならば ー8 * くぐり抜けた境地 (p−237) ーまずは、スカッとする?部分を抜粋するー (人によれば、冷水を浴びせらた感じか!) これまで縷々と述べてきたことは、要するに世界はわれわれに対して、期待するほどには親切ではないが、 危惧するほど冷酷ではないということだ。 もちろん、われわれの幸運・不運によっては、期待する以上に 慈悲深かったり、また危惧していた以上に残酷だったりするが、それにも特別な意味などないのだ。・・・・ 究極の課題は、われわれがあらゆる無用な縛りを脱ぎ捨てて、自分だけの人生を積みあげることである。 それはたぶん海岸で砂の城を築くような児戯でしかないだろう。いずれ波が浚っていき、後には元の砂浜が残るだけだろう。 そのことが何故、かなしむことなのだろうか。われわれは僅かな時間でも立派に砂の城を積み上げたのに。 この事実だけは、何も否定できない。神であろうと宇宙であろうと。われわれの人生というものは、 ひとつのモニュメント≪記念碑≫である。 それだけで意味や価値の有無など関係ないのである。 ・・・ 誰も認めたがらないことだが、おそらくわれわれ一人一人の人生は無駄である。われわれの人生は将来だれにも 顧みられることのない記念碑なのだ。歴史的・空間的に座標を持ちはするが、束の間に開花して終わるモニュメント でしかない。 早晩、誰も憶えている人が居なくなってしまう無駄な記念碑こそが、われわれ一人一人の生涯である。 無駄ならせめて輝く無駄でありたい。この場合、「何もかもが無駄なら、輝こうが輝かなくても同じだろう」という野次には 抵抗力をつけておこう。 単に、くすんでいるより、輝いていた方が良いだけだという、切り返せなくてはならない。 この「無駄である」という自覚を通してしか、われわれは知的な、あるいは心情的な束縛から抜けきることが出来ない。 「無駄である」という覚悟がないと、現世のさまざまな意味や価値や人道や正義に惑わされてしまう。 臨斉義玄が警戒した「人惑」とは、これら総称したものである。・・・・意味や価値の雲海を抜けきった先には、 実は何もないのである。 それを解放と感じることができない人々は、元の古巣に戻るしかない。・・・ 「おそらくわれわれの一人一人の人生は無駄である」 「無駄であるという自覚を通してしか、知的な、心情的な束縛からぬけきることができない」 「人生が無駄であると悟ることで、意味や価値の雲海を抜け、その先が実は何もないことを知り、 それが解放と感じる境地が全てである」と。 般若心経の色即是空、そのものではないか。 それを虚無主義とかいうベールで包んで、色=現象の世界の絶対言明としている全てを根こそぎ掘り起こし、 そんなものは何ということはない!と、断じているのである。 虚無も決してマイナスではないのである。 チロリか ・・・・・・・・ 2009年03月31日(火) 2917,日本人の8人に1人が鬱病! 現在日本人の8人に1人が鬱病という。女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。 イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。私自身は20歳代半ばまで 少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、 落ち込む余裕さえ無かったのが実情。20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。 病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、その病気の聞き役になっているうち、 コントロール役になってしまっていた。その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。 本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。 家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 自分では、コントロール不能とか云々。亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、 落ちつくと退院をしてきた。そうなると精神病ではなく、精神症というらしい。病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。 精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり入院をして俗世界から一歩引けばよい。 そのことを本人が相談にくるといい続けていた。欝になる前には必ず異常な躁状態になる。そうすると周辺から電話がかかってきて、 「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、 周りをみると、そういえば・・。2〜3家族に一人になるから深刻。生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、 自然の笑いの無い人。私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝になりようがないと思いきや、 そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。そりゃそうだ。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、 友達・親兄弟は亡くなっていけば、欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。 それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争?? ・・・・・・・・・ 2008年03月31日(月) 2553, ヒルティの幸福論 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。 幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。 格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。 幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。 まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで! 自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。 アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対してヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。 アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、外的な環境や社会に対しての関心や、 献身的行動にこそ幸福があるとしている。ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福と思い、 良い習慣を身につけることだ第一 自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 ーそれぞれの印象的な部分を抜粋してみた。 「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、むしろ常に良い習慣を養うように 心掛けねばならぬということである。」 日) ・・・・・・・ 2007年03月31日(土) 2188, 宮城まり子 ー3 (~Q~;) おはよう?? 今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。純粋な動機こそ一番強いのだろうか? 彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。 人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。 「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。 ▼ ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。 「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。 1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声が して田中角栄さんが出てきました。「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。両親のない子、貧しい子、 よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。 けれども働いても定時高校にいけない子もいます。その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも 少し考えてください。」「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。 勉強になりました。すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から 連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。直接処遇職員については 基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、 ねむの木学園で格闘しているうちに、愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることを こっそり知らされました。 (字数制限の関係でカット 2012年3月31)
|
|
|
|
2014年03月30日(日)
* 最後だとわかっていたら ーひと言でいいのですー吉川直美編 より アメリカのマレック という女性が、わが子を亡くしたときに書いたもの。 2001年の同時多発テロで、貿易センタービルに一機目が激突したあと、救助のために最初のビル内に突入した 数百名のレスキュー隊の一人で、行方不明になってしまった29歳の消防士と言われたが、それは誤報) ー母親の悲しみが、そのまま直に伝わってくる文章である。 少し長いが・・ ーー 『最後だとわかっていたなら』(サンクチュアリ出版)より あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは もっとちゃんとカバーをかけて 神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう
あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても 分かってくれていたかもしれないけれど 最後だとわかっていたなら 一言だけでもいい・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう
たしかにいつも明日はやってくる でももしそれがわたしの勘違いで 今日で全てが終わるのだとしたら、わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
そして私達は 忘れないようにしたい 若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも 約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは 今日が最後になるかもしれないことを 明日が来るのを待っているなら 今日でもいいはず
もし明日がこないとしたら あなたは今日を後悔するだろうから 微笑みや 抱擁や キスをするための ほんのちょっとの時間を どうして惜し んだのかと
忙しさを理由に その人の最後の願いとなってしまったことを どうしてしてあげられなかったのかと
だから 今日 あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう そして その人を愛していること いつでも いつまでも大切な存在だと言うことをそっと伝えよう
「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」 を伝える時を 持とう そうすれば もし明日が来ないとしても あなたは今日を後悔しないだろうから 「最後だとわかっていたなら」ノーマ・コーネット・マレック/訳・佐川睦 ▼ もし、漠然と80歳が自分の寿命と考えていて、来年にでも余命半年と突然、宣言されたと仮説をたてると、 現在の年齢が68歳として、差し引き11年が失われることになる。自分の未来を子供とすると、その衝撃と哀しみが、 この詩に重なってくる。 そうすると、いま何をすべきかが浮かんでくる。 人生をもっともっと深く愛しなさい! 家族・友人を大事に、親切にし、供にあることに感謝しなさい! もう一度、人生を見つめ直しなさい! になる。 今日一日、清く正しく美しく、何事にも興味を持って、感謝して生きることだが・・・ 若き日の追憶で、もっともっと、人生を燃焼しておけばと後悔するが、それを何故、いま現在しないのだろう? ・・・・・・ 4396,宇宙は何でできているのか −2 2013年03月30日(土) 「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著) * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、私たちが存在する自然界の「幅」。 その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに見える 2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 これが、この本のポイント。 今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。137億光年の彼方より私を逆照射して、 更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がりを逆算した、更に8桁も小さな素粒子。 そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 何なんだろう、これは? ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋してみるー ≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさの比と同じぐらい。 天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、 10の−10乗メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもh素粒子」だと考えられていました。しかし、 やがて原子にも「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と 呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10メートル)」とは、 電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。 地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、 10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見れば どちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。 原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に 小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や 中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、 クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10のマイナス19乗M。 かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そして あとで説明する強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは10のマイナス35乗Mだと 考えられています。≫ ▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて 原理的に同じという。 「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。 これが10の−10乗。 素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し 分かるような気がする。振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギーの96パーセントが、 他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い! ・・・・・・ 4022, シングルイン、31年間の総括 ー4 2012年03月30日(金) * あの日から今日で会社の一周忌 あの日から、今日で一年になる。17時を持って弁護士二人と女事務員二人と、私と役員二人が同席の中、 「今日の17時を持って会社は消滅をしました。ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、 31年間の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。 そして、3つの会社実印と通帳の全てを弁護士に引渡し、 総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、 全てがドラマのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。 その後に退職手続きに入った。 修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の当たりに見て、 「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが、 進んでいった。 丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいるような日々。新潟駅周辺には、 自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。 「交通事故だけは気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が事故にあいます。」と、 弁護士に何度も注意された。 実際にマスコミが騒ぎ出すのは、その一週間後になった。 弁護士が「直接原因は、東北大震災」と 流したため、ニュースは全国レベル。 家に隠るのは精神上悪いので県外のホテルでも行っていようか、弁護士に相談すると、 「ここで後ろ向きの行為は、なお良くない。家にいるべき」という。 これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント「バン記者」 のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた 会計事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、理解していないのでは」と、呆れたようにいう。 腹を据えてしまえば、後は冷静にコトに従うしかない。全力で、事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 それが活き活き 楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。 それが第三者には見えない。 長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵として強く残るもの。 死や人生と同じである。 考えれば考えるほど、この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」 ・・・・・・・ 30年前の3月31日を前にして 2011年03月30日(水) * 創業30周年の日を前にして ・・ そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。 その一月前の2月28日にホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。 一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。 土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、 創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。ホテルなど誰も経験者がいない中で、 右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。 私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック。 そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって 能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。 ・・・・・・・・ 3291, 人みな骨になるならば ー7 2010年03月30日(火) * 健康法は一種の信仰である ー まずは、その一部を抜粋してみる ー 長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。 昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、 悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。 これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。 ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・ ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。 ・・・ むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、 健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは 精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、 念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。 ・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。 むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして 孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。 さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。 ▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。 しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。 私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、 今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。 「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。 実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、 癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 ・・・・・・・・ 2916,とんでもないことなんだよ! 2009年03月30日(月) 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。 食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。 ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず 「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを 出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、 湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。 (字数制限のためカット2012年3月30日) ・・・・・・・・・ 2552, アランの幸福論 2008年03月30日(日) 「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは 「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。 「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」 「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」 「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」 「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」 「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」 「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫) 「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」 ーーーー この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。 (字数制限のためカット2011年3月30日)
|
|
|
|
2014年03月29日(土)
ーひと言でいいのですー吉川直美編 より * 究極の許しとは キリスト教的ケースの中の、私の規範を遥かに超えた世界である。究極の心の傷には、究極の対応がある。 8人兄弟の末っ子で、親の目が届かないところで、いつも誰かから揶揄われてきた反面、許されてもきた。 そのため、許されるのが当然という甘さがつきまとっている。しかし、許されないことが人生には数多くある。 以下の許しのプロジェクトには、非常に教えられる。人生には色いろあったが、許し、許されているのである。 ーまずは、そのケースよりー 《 『正義は私を癒してくれなかった。私を癒したのは、許しである。ーデビー・モリス』 米国には、人を殺して服役している被害者と、殺された被害者の家族が面会をする、和解のためのプロジェクトがある。 コーディネーターが間に入って、文通からはじめて、慎重に長い時間をかけて面会に向けて双方を整えていきます。 実際の記録映像を観る機会がありましたが、若い女性を襲って銃で撃ち殺した少年と、その女性の母と妹が初めて顔を 合わせる場面。極度に張り詰めた空気の中で挨拶が交わされ、当然、会話もはずみません。加害者の少年は顔をあげる こともできず、緊張と恐れで体調を崩していました。観ているだけでも胃がせり上がってくるような重苦しさの中、 家族は、「ずっとあなたに一つのことを訊ねたかった、そのためにやってきた」と切り出します。 それは、愛する者を失った日から知りたいと願って、叶わなかったことでした。警察も裁判所も答えてはくれなかった。 やはり、「なぜ殺したのか?」「娘を返して」と訴えるのでしょうか。 母親が静かに問いかけます。 「私の娘は、最期に何かを言い残しませんでしたか?最期の言葉を知りたいのです、」 沈黙のあと、少年は泣き崩れて、言葉を絞り出します。 「あなたを許します……。あの人はそう言いました。」 「……やはりそうでしたか。娘ならそう言うと思っていました。」 「……許してください。」 ひとしきり、肩を寄せ合うように涙を流すと、亡き人の許しの宣言が、憎しみの連鎖を断ち切ったかのように、いつしか 彼らは談笑しはじめていました。最後は、少年の体調を家族のように気遣って別れました。許しは簡単ではありません。 どうやっても許せるはずのないものを容赦することなのです。ですから、この物語を理想として押しつけることをしては ならないのです。それでもなお、これは誰にでも起こり得る、解放の物語であると信じています。 》 ▼ 結局、殺された側と、殺した側の溝は広く、深い。殺される間際に、「あなたを許します」と言うなど、 深い信心がなければ言えないこと。そう言っただろうと確信していた母親も素晴らしい。そうこうみると、 人間には、宗教が必要である。例え、幻想でも、それが深まれば、やはり人間の魂をすくうことになる。 人生には、自分の力では、どうにもならないことばかり。 だが、一つずつ、一人で解決しなければならない。 そして、最後は許し、許され、生きていくしかない。それにしても、すざましい事例である。 ・・・・・ 4395, ヘリコプター勉強法 2013年03月29日(金) ー超「超整理法」より ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。 野口悠紀雄著『超「超」整理法』にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。本など一番のキーポイントを見つけ、 そこだけ集中して学ぶ方法である。10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何ですか?」と聞かれたことがあった。 直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。その時に自然に出てきた答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を 分けている。後者の場合、読みに足りる部分を主観的に読む」であった。その答えがベストでないが、初めから対象に従うのでなく、 主観的に読むことでポイントを把握するやりかた。 随想日記を毎日書いていると主観的でなければ続けることは不可能。 そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター読書法になる。 この本の何処が一番の要点か、まず探す。小説と哲学書以外は、 まともに読まない。80対20の法則で、20だけ拾い読みをするだけ。 図書館で借りて読むことが多く、10冊は机の前に 積んで置いて、時どきパラパラと流し読みをし、その後アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピンポイントが表示され、 関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば八割は把握できる。それを纏め書き残せば、後々まで、残る。 だから面白く 病みつきになって続いている。 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。ポイントだけに舞い降りると点で、「 ヘリコプター旅行法」ということになる。 旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私など、元もと旅行などと思っていない。 専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。 旅とツアーは違うのである。情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。検索にキーワードを入れれば、 情報と他人の知識は幾らでも手に入る。その意味で、幾ら時間があっても足らないぐらいで、面白くて面白くて仕方がない。 幸せなことだが、何時、死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。楽しめ、笑え、悲しめ! 今のうちである。 ・・・・・・ 4021, シングルイン、31年間の総括 ー3 2012年03月29日(木) * 計画倒産というが 何人かの知人に、「計画倒産?」と揶揄された。目先の資金ショートで倒産したのではないので、言われて当然である。 売上が10年で三分の一に減少、東北大震災で四分の一が予測されれば、99%行きずまりは見えている。 それを前提に続けるべきかを考えれば、見切り千両の決断は当然のこと。 そこで計画倒産について考えてみる。 何度か、ここで書いたが、私の理解している意味は、「手形決済をしている会社が倒産をする場合、仕入れ商品を増やし、 現金にして私用にまわし倒産すること」と、思っていた。 そこで弁護士に、「計画倒産って何ですか?」と聞くと、 ≪ 計画倒産と、計画的倒産は別物。 普通、倒産は資金繰りがつかなくなり資金ショートをして倒産する場合をいう。 しかし同じ倒産でも、事前に継続不能と察知したら、最小の混乱で済むように手はずを踏むのを「計画的倒産」という。 計画倒産と、計画的倒産は全く違う。詳しくない人は、それを混合し、噂のネタにする・・ 計画倒産か計画的倒産かより、「良い倒産」と、「悪い倒産」の分類を私はしています。≫ との答え。 高利貸しなど、街の金融が入り、家族・親戚に連帯保証の受け判を押させて、最後が自殺か夜逃げが、倒産に付きもの。 幼児の頃から、何時も夜逃げ話を聞いていた。それだけ商売の恐ろしさは知っていた。そして、身近の倒産をつぶさにみていた。 それもあり、「万一の場合、危機管理用の準備資金を用意し、運転資金に食い込んだ時点で、会社整理を考える」と決めていた。 それが去年の1月末に一時的に使いざるを得なくなった。 二年続けて3割減少していた売上が、三年目に入っても、 とどまることなく続いた結果である。そこで、色いろのシュミレーションをしたところ、半年から一年内の資金ショートが明白。 会計事務所の担当に相談すると、「事務所の三割の会社が今日明日の資金繰りに駆け回っているのが実態。下から、4割レベル」 という。しかし、取引先の月末の支払いをし、退職金を、あるレベルまで払えるのは、今しかない、とシュミレーションの数値は 示している。 7月には地デジ化のための客室テレビの入れ替えが予定されており、その上、ボイラーの入れ替え予定がある。 両方ともリース会社の受諾を受けていたが、事業継続が果たして正しい判断かどうかの正念場。 その矢先に、東北大震災。 30年の現事業経験からして、更に2〜3割の売上減が予測。 春恒例の催事が、ほとんど中止、宿泊のキャンセルが続いた。 その時に浮かんだのは、「一瞬早い決断は、打撃は半分で済むが、一瞬の遅れは2倍になる。ここの躊躇は、差し引き4倍の打撃。」 そして、閉鎖の二週間前に決断をした。これを計画倒産の範疇といえば、答えようがない。明日で丸一年になる。これも事業の一環。 ・・・・・・・ 地震 ーつれづれに ー14 2011年03月29日(月) * 自主的退避の言葉の持つ意味とは? 「自主的退避」と、福島原発事故で30キロ圏の住民に対して退避を勧めている。この言葉の持つ意味を考えると、 「本来は退避勧告をしたいが、その前に自主的に退避できる人は、早めに退避してください」「それぞれの事情に応じて 自分で退避してください」 ということだろう。 当初より政府の発表は常にパニックを起こさないように情報を流しているが、 それも重要のことである。 ところで、この原発事故で何で電力不足になるのだろか? それは関西と東京の周波数が違う為、 関西電力から東京電力へ電気送ることは出来ない、この国の解決できない大問題がある。違っていた方が一部業者の利益に なるためである。それが、この電力不足の最大原因とマスコミは問題にしない。マスコミは、広告費を電器メーカーなどから 得ているため、これを問題にできない側面がある。UC圏の周波数でさえ、統一してあるのに、単一国家の日本が、この有様である。 * 全国チェーンと地元チェーンの力の差 家内が、3・11災害以降、「ヨーカ堂が凄い凄い」が口癖になっている。近くに、スーパー原信があるが、 そこの多くの欠品が、ヨーカ堂には揃っているという。先日も東京に住んでいる息子にトイレットペーパーを 送ったが、原信との商品力が違う上に、送料が格段に安いという。こういう時に、会社の総合力が商品力に 出てくるのである。特に全国チェーンは、災害時こそ自分たちの全国区の強さを発揮して、信用を高めるチャンスと、 平時より災害時対策をしている。 原信は郊外型SC内に店舗があるため駐車をしやすいこともあるが。 ・・・・・・・・ 3290, ツイッター が詰まらない? 2010年03月29日(月) ツイッターを勧めた友人から、次のようなメールが入った。 《 おはようございます。昨日書きかけのメール残して帰り、今加筆しております。書きかけのメール完成させて、送信します。 ツイッターのことですが、私、どうも疑問に思っている事があり、貴方にお伝えしたく、メールしました。と言うのは、 ツイッターを見ても、貴方のツイッター以外あまり価値が無いように感じております。つまらないのです。 貴方みたいな、「ツイ友?」でも出来ればまた変わってくると思いますが、まだわが友にはツイッターをしている者はいません。 良い方法があれば教えて下さい。》 以上ですが、恐らく時間が無いのが半分以上の理由。 ―何度か、自分も上記のような気持ちになったことがある。 ・しかし、とに角フォローの相手の呟きを、ことあるごとに見ていると面白くなっている。 ・色いろのツイッターと、そこに貼り付けてあるブログとフォローからネットウェーブをして、相性の良いフォロー先を見つける。。 ・また#(ハシュタグ)の先の呟きの世界も面白い。 面白くなるまで、粘るしかない。(絶対に面白いから) ー以下は知人へのメールの返事。 非常に基本的な問いなので、思いのまま書いてみます。 実は、私も同じような壁があり、若い人のように気楽に フォロー先の人に話しかけられません。それでも、#bentou #obenntou の長野と八丈島の人に「美味しそうですね」とか、 発信すると返事が返ってきます。 もっとも、この二人と貴方だけですが。 以前、学生時代の友人との40年来のやり取りの文を随想日記に去年8月に書きましたが、 その人もツイッターを開始しました。 私の影響かどうかは分かりませんが、ツイッターのフォロアーに 仙台の同年代といえば、彼ではないかと思っています。 しかし、ツイッター上で話していません。 (字数の関係でカット2012年03月29日) ・・・・・・・・・ 2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな 2009年03月29日(日) 日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。 ・山林家 ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減 ・酒造業者 ー>清酒離れで、戦後4000から1700に ・商店街の老舗旦那 ー>郊外化で、ほぼ消滅 ・地場の建設業者 ー>公共事業が激減、談合の締め付け ・医師 ー> ?? ・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入 高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 私は商店街の老舗?商店主の??息子。(自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? いや、御立派なのもいる?(自分だけはマトモと思っているようだ)これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。 この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。 ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が 来つつある。 ・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・? ・・・・・・・・ 2008年03月29日(土) ー読書日記ー ディズニーの言葉 一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、そのままあふれている。 一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。 なるほど、それならわかる! 自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 ・なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。 ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。 ・幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。 幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。 ・男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。 ・本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。 ・好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。 ・ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。 遊び心とは、笑うことを愛する、 というアピールをする気持ち。好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。 ・夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。 私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。 好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。 ・すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。 他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。 ・・・・・・・・・ 2007年03月29日(木) 2186, 「勝負脳」の鍛え方 才八∋ウ_〆(∀`●)サン 図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。 数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。 トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。 勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。 ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー 「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、 ・記憶する能力 ・イメージをつくる能力 ・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。 この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。 スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。 レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。 この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。 アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。 それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。 そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。 勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。 ・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。 ・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。 目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。 両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・ 06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。 「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、演技ごとに自分の欠点を明らかにして、 一つ一つをいかに完璧にこなすかに集中していました。一位になれたことにビックリしました。」 彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく 見せるかに集中したのです。スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。 (字数の関係でカット2012年03月29日) ・・・・・・・・・・・・・・・ 2006年03月29日(水) 1821, あちら側の世界 ?3 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ ウェブ進化論ー3 ーロングテールとはー この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。 ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。 一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を使って販売しているのではとしか思えない。 ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは?また、一度買った本ー中古本は ロングテールの部類ともいえる。しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか?世の中、音をたてて変化している! ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは? この言葉は最近少しずつ 米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。 一年間にどんな本がどれだけ 売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、 第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。 横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか? (字数の関係でカット2008年03月29日)
|
|
|
|
2014年03月28日(金)
ーひと言でいいのですー吉川直美編 より * ぼんやり時間 これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が少なかったこと。当時、心配したのが、 心の空白からくるウツ症である。それも初老性ウツを、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にすることを 第一にすること。 そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、スポーツジム通いで運動をすること。 そして、ブログ作成と、ネット・サーフィンと、TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、 まずは3年間を乗越えることにし、その合間に、寝室、書斎で空白を置くことにした。 それが私の「ぼんやり時間」。 〜その箇所から〜 《 「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、 この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」 〜串田孫一より 一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。 スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄にしているようでそわそわしませんか。 白紙の部分は無益な時間ではなく、自由な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。 箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェでコーヒーを味わう。 風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。 公園のベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。 仕むい事の合間にふと手を止めて、雨の音に耳を澄ます。ーそんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》 ▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間に余白時間を入れてきた。 それが瞑想だったり、独りボ〜と物思いにふける時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、 ボ〜とする時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、ぼんやりベンチにいる人を見かける。 散歩の休憩なのか、ぼんやりが目的なのか? 「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。 今日にでも図書館で探してみるが、面白そう。 欧州では夏場など、避暑地で、何をするでなく浜辺で無為の時間を 過ごすのが最高のレジャー。生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間とすると、 早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇! ・・・・・・ 4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1 2013年03月28日(木) 「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著) * 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1 村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ本ではベスト。「現在、宇宙論はコペルニクス以来の 大転換期にある」と素人に分かり易く書いてあった。「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が存在している」というから、 驚きである。この「宇宙は何でできているのか」は、その10ヶ月前に発行されたもの。比べてみると、新著が宇宙論入門書で、 これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・・ =まずアマゾンのー内容紹介ーより= ≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残り96%は何なのか?物質を作る最小単位の粒子である素粒子。 誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。 だから、素粒子の種類や 素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。 本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」 「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。≫ ーキーポイントの部分の抜粋ー 【 この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が関係あるのか? 最も大きいのが137億光年の宇宙で、 最も小さいのが素粒子・・ たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって、1〜2メートル程度。 ビルやマンションはもう1桁上がって、数十メートルの高さ。東京タワーは333m、建設中の東京スカイツリーは634mにです。 それぞれおよそ「3×、10の二乗メートル」「6×、10の二乗メートル」。高い富士山(3776メートル)、「10の三乗」という桁数。 では、富士山が載っている地球の直径は約1万2千キロメートルですから、メートルに直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。 その地球が太陽のまわりを公転する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗メートル)のオーダー。 でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は「天の川銀河」の片隅にありますが、この銀河は地球の 軌道の約10億倍の大きさ(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの銀河系と一緒に「銀河団」を形成しており、その銀河団は 天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。 それらをすべてひっくるめたのが、宇宙です。そして、私たちがいま実際に観測できる宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに 1万倍(10の27乗)。こうなると「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので「10のX乗」という 表現が必要になります。これがまさに、いわゆる「天文学的な数字」のスケールなのです。】 ▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と極少合わせ10の62乗の世界。 しかし、この他に宇宙が10の500乗もある可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、宇宙観が変わってしまう。。 他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって暗黒エネルギーを供給しているという。これを読むと、 人生、社会、人間がつくり上げた神、正義、愛、価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。 それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。少なくとも、何時の間に刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 −つづく ・・・・・・ 4020, 事業生活39年の、独り語り ー6 2012年03月28日(水) 初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 この時、つくづく時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして商売を当て、ビルそのものを 活性化しなければならない。 父親の死の問題もあって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的にみて 商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら確実に客を確実に 呼び寄せると直感。 そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。 その1ヶ月後の結婚と、慌しい日々が続いていった。 連日、朝の7時から23時までの激務である。 ≪ ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。 千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という人生の初体験を同時に始めた。 丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。 そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、 地獄のような日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの 3人の激しい日々であった。“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、 “24時間(休んでいても仕事のうち)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗するのは前者より 脱皮できない為である。 大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが..その厳しさが全く違う。はじめの 数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる! という前提があった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか辛さが 辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。 ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。 それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の 本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件が月に一度はおきた。恐怖の中で 1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ 腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、 お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。フランチャイズのシステムは今でも 素晴らしいものであった。標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、 このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 創業は辛い! 1973.11.07〜 ≫ ▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の出だしに経験することになった。現在からみると、 良い経験だが、実際に窮地に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギーを集中していると、 思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。 ・・・・・・ 3290, 地震 ーつれづれに ー13 2010年03月28日(日) * メルトダウンが始った? 2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる 可能性があるのか?。急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、どうなるのだろう? 大使館が大阪や 京都に移動したり、外国人が大挙して帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は日本人の茹で蛙だけか! * 関東大震災 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真っ只中に日本はいる。この津波により破壊された原発事故も、 現在も予断を許さない事態。最悪のシナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」レベルだが、 これが「東北・関東壊滅」だけでなく、「日本壊滅」もありえる。実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。 千年に一度の国家的危機の大震災に発展するのか。 ところで百年来の大震災といえば、まず思い浮かぶのが関東大震災である。 ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー 【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として 発生したマグニチュード7.9、海溝型の大地震(関東地震)による災害である。死者・行方不明者 14万2800人 地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。それが大惨事につながった。】 死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、 数千人のの朝鮮人が殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災が人的被害を大きくした。 この東北関東大地震は人口密度の低い東北ということもあり死者は関東大震災に比べれば少ない。 しかし大津波と原発事故で本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。 ・・・・・・・ 3289, 「離婚確率」が30% ! 2010年03月28日(日) 「離婚確率」が30%になったと新聞で報じていた。40年前の4・5倍という。 まずは、ー先日の新聞記事によるとー ≪ 結婚した人が離婚する確率が約3割に上ることが25日、厚生労働省の統計で分かった。 最低だった40年前と比べ約4・5倍に増えている。離婚件数は平成14年をピークに6年連続で減少傾向にあるが、 離婚する確率は上昇し続けている。・・・・平成17年に結婚した人と離婚した人の割合は1対0・3だった。 この割合が今後も変わらないと仮定すると、結婚した人の約30%が離婚することになる。 同様の計算を過去にさかのぼると、昭和40年に離婚した人の割合は約7%で、以降、上昇が続いている。≫とある。 7〜8年前に、25パーから30パーセントになったと聞いたような気がするが・・・ 離婚経験者が何気なくいう本音に、心の傷を感じるとることがある。「自分には、勿体ないほどの人だった」と、 同時期に二人から聞いたことがある。 新たに若い連れ添いができ、幸せそうな人の何気ない言葉に心の闇が覗く。 家庭内離婚も含めると、半数以上は破綻しているというが・・・ 我慢・我慢、そして我慢か、それとも三割? 女性の方も、その傷は浅くはない。 女性の場合は世間知らずで、亭主がバカに見えて、愛想を尽かすのだろうが、 それでは己はというと、自分がまるで見えてない。 母子家庭の半数以上が、年収200万以下の貧困層 という現実が待っている。亭主をバカにするのが世間一般のようだが、生理的に相性が悪いのは致し方ない。 「結婚生活は煩わしいが、さりとて、独りでは殺伐すぎる」というところだが、相性の悪いのは如何にもならない。 5年ほど前にTVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映、ここでも取り上げた。 一方的に出て行った嫁さんが理想的な転進をした内容だが、あれは罪作りである。殆どが、究極の苦しみを味あう。 昼間笑って、布団で泣いて? いや、反対もあるか? 他の相手を見つけておいたり、準備金をつくったり、 憎しみは何をしでかすか分からない。 それが夫婦というものか? オカメと般若は紙一重? ・・・・・・・・ 2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る 2009年03月28日(土) 来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、 駅裏広場と、前期の道路整備、H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。 (字数の関係でカット2012年03月28日) ・・・・・・・・ 2550, 閑話小題 2008年03月28日(金) * 盃の中に蛇がいる! 何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、 その蛇に噛み付かれたものである。酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。 大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、 黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか? * 偏見のかたまり 「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)これは地域の問題だけでなく、 自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく感じることがある。 人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。 それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入り込んでしまう。 * 世逃げのすすめ(ひろさちや著) (字数の関係でカット2012年03月28日) ・・・・・ 2007年03月28日(水) 2185, 政令指定都市とは? おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 新潟市が4月1日より浜松市と政令指定都市に指定される。 といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、政令指定都市について調べてみた。 (字数の関係でカット2014年03月28日)
|
|
|
|
2014年03月27日(木)
『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著 * 死に時を忘れた日本人が多過ぎる! ここでは「ある年齢以上の人には病院へ行かないという選択肢がある」ことを提案している。 寝たきり時間が、男性6・1歳、女性7・6歳もある。問題は、不自然な形で、生かしておくこと。 それなら、ある年齢になったら病院に行かないこと。 ーその辺からー 《 病院へ行かないことの利点として、 ・第一に、濃厚医療による不自然な死を避けられること。 ・第二に、つらい検査や治療を受けなくてすむこと。 ・第三に、よけいな病気を見つけられる心配がないこと。 ・第四に、時間が無駄にならない。第五に、お金が無駄にならない。 ・そして最後に、精神的な負担が減るということを挙げられる。 誰もが死ぬことと、苦痛に対して恐怖を覚え、自然の寿命を受け入れられない。 多くの人が苦しい最期、過重な介護、膨大な医療費を背負い、そちらの方が死よりも苦しい余生になる。》 ナンシー・ウッド著『今日は死ぬのにもってこいの日』引用の「タオス・ペブロの古老の言葉」 (ネイティブ・アメリカンの詩)がよい! 今日は死ぬのにもってこいの日だ。 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。 すべての声が、わたしの中で合唱している。 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。 今日は死ぬのにもってこいの日だ。 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。 わたしの畑は、もう耕されることはない。 わたしの家は、笑い声に満ちている。 ▼「自然体で、死時がきたら、受け入れなさい。介護9〜14年、寝たきり6〜7年半で長生きするより、病気を 受け入れ、放って、早そう死んだ方が良い!」というのも道理で、老人ホーム医の言葉だから重く響いてくる。 「ある年齢」とは、各自違うのだろうが、還暦から古希の間だろう。私は医者に一切行かなくなったのが4年前の64歳。 私の死に時を75歳にしているが、どうだろう? 今の酒量では無理? もう充分生きた気がする。 最近、 ー私は、生きていることが好きなんだ!ー の言葉が、心に焼き付いた。 今の私の心境である。 生きてきて、実感で、良いこと二つに嫌なこと一つだったが、歳をとるにつれ、その比率が近づいて現在は半々。 これからは逆転し、最後は嫌なことが多くなるのだろう。 それでも「生きることが好き!」と、思いたいもの。 ・・・・・・ 2003年03月28日(金) 723, 仰げば尊しー卒業式 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。 (字数の関係でカット2013年03月28日) ・・・・・・・・ 2002年03月28日(木) 359, ST訓練 (字数の関係でカット2013年03月28日)
4393,閑話小題 −つれづれに 2013年03月27日(水)
* 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿はないのは寒いためだろう。 分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。 毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車はボロボロになって当然。 リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、持つかどうか。 あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・ * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが 舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。 これで春の訪れを知るとは・・・ * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。 アフリカ大陸にグーグルアースの地球儀を回転すると、 画面の下に各地のツアーガイドの写真が10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。 YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすくなった。 また以前より写真とHPなどの 貼り付けが多くなっていた。スマートフォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。 改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾン などが世界に与えた変化は、あまりにも大きい。 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。 ところが一昨日、一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断されコルセットを付けて帰ってきた。 私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。時間が解決する のを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は、 重い腰痛はない。スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、季節の変わり目は鈍痛になる。 50,60歳代の4割は腰痛に悩まされるというが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 ・・・・・・・ 4019, シングルイン、31年間の総括 ー2 2012年03月27日(火) ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めてしまうと、30年は維持しなければならない。 その間に経営環境は激しく変化するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。 立ち上げは華々しく面白いが、 その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、 「ビルは長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。具体的には、骨組みを太くして、可能な限り 柱を入れないこと。構造上、難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の「ビルは、神からの さずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。 千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。 だから、売りに出すと即売になって当然である。 買い手の全部が、ホテルか、建設関係者。 それが分かるのだろう。 この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚関係者は一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。 また初期投資二億全てを失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、平然としていられるのは、 その覚悟の上で始めたため。 妻子を会社に入れ、連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。 それと職住を分けること。 また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さないため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、 その家族にも多大な迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。 この人たちは明日から失業者。 その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。 取引先に支払う分、最後まで残って残務整理を してくれた社員に回すべきだったのか? これで良かったのか? 自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・ 倒産の虐めの一つに、 計画倒産疑惑の流布がある。 銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。 ・・・・・・ 3653, あと一月で10年 2011年03月27日(日) 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。 で、何だったのだろうか? 常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。ここで何年に一度、 書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に 書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない存在になっている。常に変わったことや、面白いことに 出合うと、その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、 現象に隠された本質を、あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 この随想日記を休むことも考えている。 一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは 実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。 書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。 それにしても、10年も続いたものと 自分自身が驚いている。「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 それを分かっていても、 偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある 膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 ・・・・・・・・ 3288, 人みな骨になるならば ー6 2010年03月27日(土) * 意味の意味 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるかどうかという問題に対しては客観的な解答が あるのではなく、各人が自らの人生に意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。 これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」 といっているだけなのである。 だれも、われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。 われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みに すぎない、と言わんばかりである。 そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいかを判断する根拠などない。 思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか 「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと同様に、古代人の日常生活の中から 生まれてきた概念である (全ての言葉がそうなのだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、 毎日の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つものかどうかが最大の関心事であった。 そして、自分や身内にとって大切なことが、すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。「目的」もまた本来は、 欲求の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を講じなければ到達点にすぎなかった。 ・・・たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。それらもまた木登りや航海と同様、一つのプロセスには 違いないから、「結果」はあるであろう。 あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。 その結果を意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は消滅すること、ないし永遠に 溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。 存在するものはいずれ消滅するのだから、存在の最終的な結果は消滅ということになる。 しかし、こんな結末は意味や目的と 言えるだろうか。もしそうなら、われわれの誕生の目的はわれわれの死亡ということになる。それゆえ結果があるからといって 「意味」や「目的」があるとは言えない。「意味」や「目的」というのは単なる結果ではなく、目指すべきものであり、 さらに、あくまでも「自分(われわれ)にとって」という但し書きがついていなければならないのである。 宇宙や人生に、自分(われわれ)にとっての意味や目的があるとしても、それは人間だけの話である。 ▼ 人生の意味など、後づけの自己正当化でしかないのは自明のこと。 独りブツブツ呟くように支離滅裂のことを書いている?、 この随想日記のようなもの? 「意味とは、価値に非常に近い言葉」と信じていた。 だから、意味・意味と生半可に語る人に、 「それを価値・価値と置き換えれば、自分エゴの意味づけに気づくのに!」と、何時も内語で呟いていた。 意味など自分の都合のよい筋書きの為のエゴというと、少し歪んでくる??エゴは決して悪くはない、但し他人の犠牲を・・ ・・・・・・・・ 2913,ホテル&旅館 大淘汰 2009年03月27日(金) 新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。 「ホテル&旅館 大淘汰」である。 さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。 内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、 日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長が 「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて激しい値引き競争で収益が激減しているというもの。 ー概要を大きくマトメルと ・外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出 ・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没 特にオオクラは内部崩壊に瀕している ・能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている 以上が、この特集の骨子になる。 ▼ 全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。ホテルは在庫の蓄積は効かないので日ごと売って何ぼの商売、 この世界恐慌?は、新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、 市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。 最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が強かった。それに行き場のない 外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象。大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーセントのダウン、大阪や中国、 韓国などのアジア圏の売り上げ激減。名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。地元の新潟でも、 外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が 顕著になっており、深刻という面では同じ。特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。 「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。 3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っている目安があるのが救い。 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。 <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか? ・・・・・・・・・ 2549, 一神教vs多神教 ー3 2008年03月27日(木) ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪ *近代天皇制は一神教か? まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。 【 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。 近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、京都にすっこんでいた 天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、 日本人も追いつめられると同じようなことをしたわけです。ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言った ということはさっきも話題になりましたが、近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争を しなかったのに、明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものにしたことと 関係があると思います。】 (字数制限のためカット2010年3月27日) ・・・・・・・ 2007年03月27日(火) 2184, 聖地と台所 オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジーの魔法空間」 ー2 著者・井辻朱美 岩波書店 ー 読書日記 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。 今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。 (字数制限のためカット2012年3月27日)
|
|
|
|
2014年03月26日(水)
ーひと言でいいのですー吉川直美編 * 挫折と悲哀こそ兄弟との共感のパスポート 人生で、何も挑戦しないで、挫折も悲哀も味わったことがない人が思いの外に多い。それも人生だが、ポッキリと 折れてしまう危険がある。その時に立直るに大きなエネルギーを要することになる。秘境ツアーの中に、こういう人を 何人か見かけたことがある。 かなり深刻の悩みのようだっただが、それを経験する方が、しないで済んだ人より幸運? 大きな挫折を経験してない人ほど、「まさか、自分が!」 の声が心底から生じてくる ーその辺りから!ー 《 【苦しんだことのない人々がどんなに我慢のならないものかは、人生のあらゆる分野で教えられる。 挫折と悲哀こそ人間がその兄弟たちと共感し合い、交るためのパスポートである。ーロバート・ゴルティス】 ある心理的・霊的成熟を目指す研修会に、いつもピンと背筋を伸ばして人きぜんを寄せつけない、毅然としたシスターが 参加されていました。 ほかの参加者が様々に痛みや弱さを分かち合う中で、彼女は両親にも家族にも愛され、早くから 神に仕え、とくに記憶に残る挫折も後悔もなく、どんなに心を探っても痛みがないと胸を張られました。その研修会にも、 修道院長に命じられてしぶしぶ来られたのでした。ほかの参加者が嘆き、もだえ苦しみ、寄り添い寄り添われ、やがて十分 泣いて気の晴れた子どものように笑顔を取り戻したころ、思いがけずうちひしがれていたのは彼女でした。 「私には人の痛みがわからないことがわかりました。それがはじめて知った挫折です。」》 ▼ 人生の味わいは、挫折と悲哀と諦念から滲み出てくる。それなくして、最後の最後に、味わいの無い自分の人生に 愕然とする。秘境旅行の参加者には、そういった風な人が、人生の悲哀を味わい尽くしてきた人より、多く見られる。 それこそ一番の挫折に気づいた人たちである。何度も書くが、中学校の担任の先生が、定年時に私に深刻に話したのは、 このことだった。「定年になった現在も90歳前後の両親に見守られ、のうのうと順調に生きてきた。しかし、そこには 自分の人生が全く無かった。これほど、無念のことはない。思いのまま生きている、お前が羨ましい!」と。それも人生。 その怒りを周囲の挫折や悲哀に向ける人たちより、遥かにましである。この節目で‘自分の傷口を他人の血で洗おうとする 哀れな人たち’を多く観察しただけでも、良い経験をしたことになる! 自分の経験範囲しか理解できないのが人間の性。 そのことを自覚できないのも人間の悲しい性である。 ところで私も、このシスターの範疇? で、最期は! ・・・・・・ 4392, 暴走老人! −2 2013年03月26日(火) * 待つことをめぐる考察 ー時間編 「暴走老人! 」藤原 智美 (著) イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば「待つこと」で大半は占められている。 列車を待つ、車内で目的地に着くのを待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど、待たされることばかり。 最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチで ネットサーフィンやゲームをしていればば、別に喫茶店でなくてもよい。 それは待つ喜びも失われたことになる。 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。現在、そんな気持ちになることなど殆どない。 主体的な待つのは良いが、相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代は、ムダな時間を排除するのが求められる。 そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなりつつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。 そして定年や人員カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られがちになる。それに苛立ちと 焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。 新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨がきて、試験があり、やっと夏休み、・・・と 長い日課が延々と続いた。それが、今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されてないのに、 思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。 そこではマイナスのフラッシュバックが次々と出てくる。 私たちは自分の時間割を帯グラフで割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の書き上げと アップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、 帯グラフに従って一日をこなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、マシーンが介在する。 どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人にとって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、 iPod、パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及始めたので解消してきた。 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。 待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。 それが本来の姿ではなかろうか。生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つことも 大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね! ・・・・・・ 4018, シングルイン、31年間の総括 ー1 2012年03月26日(月) 準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が、10億だったので返済額が20億円。 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、勘定足って銭足らずの典型。 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな右下がり、2001年の9・11テロから 4年かけて売り上げが三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック以来、二年半で半減。 11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。 破綻の直接原因は9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 東北大震災は最後のとどめ。 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%の支払い済み。(国の補填3百万も含め。) 役員は、役員就任時に一度、退職金払い済み。 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 それも、半年後に売却。 ( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れると思ってなく、慌てていた」。 自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけたビルは、売り出すと同時に即売。 設計の中に売却前提で計画してあるため。 ▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。 三つの経済・自然災害が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、 借金をしてする事業ではない。そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネスのあり方が 変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになってしまった。 結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。 ・・・・・・ 3652, 地震 ーつれづれに ー12 2011年03月26日(土) * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、現れ出てきている。 御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立っている民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、 現在流されている事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。 東北は壊滅状態とは間違っても記事に出来ない。 毎日、枝野官房長官の発するコメントは建前の上っ面の情報でしかない。 外国人が我先に逃げ出していることを考えると、 地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて否定することしか、パニックを抑えるしかない。 現状の進展を一般には小出しにするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間にか数千倍になっている。 しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、そのギャップがみえてくる。 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、 「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを聞きながら案内したという。その内容とは、 「自宅が30キロ以内にあり、家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に近い比較的 良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。 その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で 暮らしているとか。 30キロ以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視できなかったという。 駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多くみられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。 この事態で、経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の取り消しと首切り、そして倒産が 大幅に増加することになる。身が凍る思いである。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。 ・・・・・・・ 3287, 人みな骨になるならば ー5 2010年03月26日(金) * ザインとゾルレン ー まずは(P−68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 ・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞として使うと「そこに客観的に在るだけのもの」 という意味になる。それが良いことか悪いことかを問わず、現実にあるんだもの、しょうがない、といったニュアンスの言葉。 「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」と訳したほうがよいことも多い。 ・ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」「そうあらねばならない」といった意味で、 抽象名詞としては「当為」と訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」と読み下す。 「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のことである。 たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしてはすぐ郷里に帰へって家業を継ぐべきだが、 ザインとしてはここでこうして破帽のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」といった使い方をした。 このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、ザインというのは単に現状というだけでなく ゾルレンと対比される「ていたらく性」を帯びる。 本当はゾルレンであるべきなのに、現状はザインなのよ、といったところ。 前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザインの象徴である。 そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは 必ずしも歓迎すべきことではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。 だれしも一皮剥けば骸骨が現れることは 簡単に証明できる。 ただ最近は手術場を除いて、生きている人間にそんな残酷なことをあまりしなくなっただけのことである。 ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨にすぎないというのは直視するにしのびがたい。 いくらなんでも骸骨はあんまりだ。人間の中心には霊魂やクンダリニーが宿っているべきである。 しかし、それはあくまでも ゾルレンなのであって、あいにくとザインとしてはやはり愛想のないことにおぞましくも骸骨しか存在していない。 ここで悟るべきである。ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示もできないものであることを。 ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。 これに対してザインは見ることも、触ることもできるものである。 ▼ ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは言いえて妙である。 ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言うのも刺激的である。こうあるべき、というのも幻像の最たるもの。 等々、著者の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 それも経験と年齢を重ねたためである。 閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 成すべき、などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、虚無を突きぬけた言葉である。。 何をしても、成るようにしかならないのだから、目の前を精一杯、何かに打ち込むしかないということ。それも、捨て身で。 それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に対してみつめることだ。それが骨になったものの視線である。 ・・・・・・・・・ 2912,金を使うなら頭を使え! 2009年03月26日(木) 榊原英資vs岩井克人の対談 「金を使うなら頭を使え!」ー新潮45ー09年2月号 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。 既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。 一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども 倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。 ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。 ーまずは要点を抜粋してみるー 榊原は、 ・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。 ・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。 ・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。 (字数の関係でカット2011年03月25日) ・・・・・・・・・ 2548, 一神教vs多神教 ー2 2008年03月26日(水) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。 この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。そもそも、一神教は奴隷の宗教、 迫害された人々の宗教である。だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。 「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。 ーまずは、その部分からー 多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、それが一神教を打破することはない。 戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、 両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。 一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。 ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。 一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、絶対にこうでなくてはならないと 信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。 ーー 一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということ。世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。 ーー 一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄を もたらしているということです。自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、その場合の最大の難関は、 その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況に おかれているということなんです。人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという 時点で、もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。それ以前に、地球に 人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。 ーー 好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。 一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。 また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。 ・・・・・・・・ 2007年03月26日(月) 2183, --つれづれなるままに-- (~Q~;) おはよう??ファ? ー大相撲についてー (字数の関係でカット2012年03月25日) ー夢ー ー携帯電話ー (字数の関係でカット2012年03月25日)
|
|
|
|
2014年03月25日(火)
* 35歳の冒険家の憂鬱 ーベスト・エッセイ 2012ー探検家の憂鬱 角幡唯介 ある随想集で見つけた少し哀しい話題。 私の友人に晩婚の人が何人かいたが、35歳ぎりぎりで結婚をした。 モテ過ぎの人は、女性が逆に敬遠するようだ。以前、女性の適齢期をクリスマスケーキに例えた時期があった。 22、23をピークに、24、25と日毎に価値が下がっていく。 現在は違うが、女性の職場には、23歳停年制の暗黙の 戒律があった。若くて綺麗な娘が毎年、入社して人気が日毎、凋落するのに耐えられないのだ。そこで、早めに 本命を掴んでおいて、あとは少しでも良いのを探す! が、最後は、この程度と諦めて結婚していく。 著者は、35歳男の婚活についての本音だから、納得させられる! ーまずは、抜粋ー 《 婚活女からみた人間の価値判断の基準は意外と単純なところにあり、男でいうと34歳と35歳の間に引かれる ラインが、それにあたるのではないか。つまり女性陣の多くは私の年齢を聞いた瞬間、頭の中で四捨五入して、 35歳は40歳側の人間ーおっさんーという仮借なきカテゴライズをしているような気がするのだ。 さらに悪いことに私は探検家という日本で数人しかいない珍しい肩書を名乗っている。名刺的には「ノンフィクション 作家・探検家」としているのだが、ノンフィクション作家などという普通の肩書は探検家を前にすると、アマゾン州に そそぐタパジョス川みたいなもので、ほとんど存在しないに等しい。そのことを証明するように、私はこれまで何度も、 どんな文章を書いているんですかと質問されたことがない。聞かれるのは、どんなところに行ってるんですか、そこで 何をするんですか、何のためにそんなことするんですか、マゾかサドかといえばマゾですか、といった質問ばかりなのだ。 ・・・ 酒も入って気持ちよくなってくると、ついついキャバクラにいるような気分になってきて、あることないことを ペラペラしゃべってしまう。やれ雪崩に三回埋まって死にそうな目に遭ったとか、チベットで滑落して九死に一生を得た とかの話をお酒の力を借りて講談調で話すのだ。面白いことに、そういう話をすると女性の目は必ず変わる。 もはや場の主役に躍り出たような気分になっている私は、その目の色の変化を肯定的に捉え、今、女たちは俺のことを 男の中の男だと思っている、などと有頂天になるが、実際のところ女性陣の目の色が変わったのは、私を男の中の男だと 思い始めたからではなく、対象外と思い始めたからであることにはその場では決して気がつかない。翌日に次回の約束を 取り付けようと、お気に入りの女性に意気揚々とメールを出し、数日待っても返事が来なかった時に初めて気がつく。 コンパに来る女性は通常、交際相手を求めているから、四十歳の側に属した探検家を名乗る、安定的な生活基盤がない どころか生存基盤すら危うい男をつきあう対象と見なすわけがないのだ。もし年齢と職業がネックになっているという、 推測が正しいのであれば、長年憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、これからいよいよしぼんでいく。》 ▼ 私自身の経験では、それが27歳。21歳から26歳までは、終戦直後の生まれのため、同年代の数が極端に少ない上に、 数歳下の数が異常に多いため、在庫からして非常に有利の状況。その割に?だったが、それでも早いうちから声が かかっていた? しかし、姉4人の最低ラインがあるため、クリアーする相手は、なかなか見当たらない。要は、さほど 持てなかっただけだが、27歳になると同時に、塩を引くように、声がかからなくなったのには驚いた。 ここが潮時と、 思った矢先、紹介されたのが家内である。家内も同じような動機だった? だから、著者の悩みが分かるのである。 先行きどうなるか分からない事業を創業をするといっても、何の手掛かりもない。誰も、結婚相手として認めない 当時の私の状況に似ている? 結婚の時節は、それぞれあり、それを逃すと・・ 生涯独身が男3人に1人、 女4人に1人の時代が来つつある厳しい時代。特に女性は、相手の選択で大きく人生が変わってくるから・・ ・・・・・・ 4391、大衆は何も考えない 2013年03月25日(月) * 劇場版「相棒の映画感想 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、物語に捻りと味わいがあって面白い。 一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。 ーまずは、専用サイトの内容よりー 【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、 捜査一課刑事・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行本店システム部の中山雄吾。 ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う伊丹、 不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めていく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は 行き詰っていく・・。】 ー私の主観で要約するとー ≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容がネット上に流され、それを知った暴力団関係の トレーダーが、そのXデーを知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察トップが、銀行閉鎖の 計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然とマスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。 金融庁などの各省官僚と政治家の打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、 アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。貨幣も国債も信用があってこそ通用する。 誰も信用しなくなったら只の紙切れ。映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクスで Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから立て直さなければならないならば。 それにしても、あまりに国民は無知と(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、「シリアへの攻撃と、 イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認があった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。 ・・・・・・ 4017, 事業生活39年の、独り語り ー5 2012年03月25日(日) 最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞め、一年間の遊学時に見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。 父は自分の死期を悟り、ビル建設の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後に父は亡くなった。 千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだ ことになる。 この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。) そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、 捨て身で、よくぞやった!もの。ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。 急遽、店舗二店とも知人の伝手で 経営委託をして長岡にUターン。 危ない綱渡りである。 人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が 湧き出てくることを、この経験から知った。 ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟のホテル開設資金の資本金になった。 千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の商業地区の 売却を目にしたのが始まり。 ところで父は、実家の事業にたずさわっている婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。 そのため亡くなる数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、私と、母と、兄と、姉に、4等分の 相続を宣言し、名義を変えてしまった。これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦を見限っていた。 ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を 自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が 社長になっていた。 私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。 それもあり、私が千城台ビルで、 二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発である。 起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り心頭だが、私には、想定とおりのこと。 大学を出てからの熾烈な日々が、「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。千葉の知人に相談したら 丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託をして実家に戻ることになった。 これも丁度良い、節目。 しかし朝飯前と 思っていたが、ここも過酷な日々が待っていた。 地方名士を自認していた姉夫婦の後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして 帰ってきたという街の冷たい視線と流布の中で、私にとっては第二の創業。 姉夫婦にとって、手際よくUターンするとは思っても いなかったようだ。 それより我慢を重ねてきた母の激怒が、全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。 ・・・・・・・ 3651, 地震 ―つれづれに ー11 2011年03月25日(金) * 凍りついてしまった経済 この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 ・ リゾートホテルは、歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 ・ 生鮮野菜も恐ろしくて、他の産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できなく。 ・ 知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。 資材が入手出来るかどうか混沌としていて、期限までに住宅の完成が確約できない。 その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 ・ 飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。 ・ 甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れなくなり頭を抱えているとか。 これでは、経済恐慌になってしまう。 空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、ただならぬこと。 この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。 それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口にしたらよいのか?恐ろしい限りである。 そろそろ農家は田植の準備に入る時期に入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。 一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、景気は悪くなる一方のは当然だろう。 * 奇妙な数字の一致 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、この3.11は14時46分。 偶然だろうが、46分が一緒! いま一つが 2001年 09.11 + 2011年 03.11 = 012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。 偶然の一致だが面白い! ・・・・・・・・ 3286, デフレの実感 2010年03月25日(木) 2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。 ・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半経つ50インチのTVの買い替えを考えて 大型家電を三店舗まわってみた。 今度は65インチの薄型TVで、4〜5年前は100万前後していた。 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し引いて30万円である。隣にあった一番ホットの LEDのシャープの60インチが37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は下げられる? 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。 しかし地上波への変更が(特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し心が動いたが、 このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の購入は止めにした。 次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。 ・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか 入り手がないという。 自宅のまん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか入居者が居なくなった。 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう20年入居一括借上げの会社があるが、 以前から会社が倒産するリスクをオーナーは考えていないと懸念していた。 こういう時節になれば、特に危険である。 ・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 中小は、特に厳しく、何とか助成金で 食いつないでいるが、必ずクラッシュがあるはず。 店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウントを長年かけて作り上げてきたところ。 100円ショップ、ユニクロ、ニトリ、サエゼリア、回転寿司、蔦屋などである。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。 後ろに控えているハイパーインフレが恐ろしいのである。 これが国家破綻という奴だ。一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除は出来ない。 それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。 ・・・・・・・・ 2911,人生は作品である 2009年03月25日(水) 「 人間にとって、その人生は作品である 」 これは司馬遼太郎の言葉である。 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」 という言葉もある。 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。 そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 死んだ時に完成するが、その時は自分にとって 関係ないことになるから絶妙。哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。 それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。 従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える) 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。 主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。 だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に 彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、 その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。 これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。それを解決するためには、 問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。それも作品だろうが。 昨夜、女房と「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」と話している夢をみた。 現状逃避がありあり!だが。 そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで 夫婦して欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 ・・・・・・・・・ 2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー5 2008年03月25日(火) ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚ ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。 自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、 ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。 この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。 (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日) ・・・・・・・・ 2007年03月25日(日) 2182, 「ライオン 空前の王交代劇」ー2 ( ^3)ー♪ オハヨウゴザイマス! 「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。 「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。インターネットは本当に便利である。 ーその内容をまずは紹介してみるー ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。 それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。 今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。 これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。 この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する 例が多いとのことである。群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、しか手はない。 まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされることになる。食料の少なくなる乾期などの試練を 乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。 しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくした メス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・ ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたが、 あぶれた雄がどうして生活しているのかは当番組で初めて知った。やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。 ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、群も兄弟で維持している場合が多いという。 ライオンの兄弟の結びつきがこれほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。 解) (以下、字数制限のためカット 2014年3月25日)
|
|
|
|
2014年03月24日(月)
* 今場所は面白かったが 大相撲が再び人気が戻ってきつつあるが、今場所が思わぬ展開で面白い場所であった。 不調で負け越しの瀬戸際だった琴奨菊が、二人の横綱に勝ったことで、俄然面白くなった。 結果は鶴竜の優勝と、横綱昇進が決まったが、大相撲の醍醐味が楽しめた。 まだ入門一年の、 遠藤が三役力士と互角で闘うのだから、古参力士のプライドに火がついたこともある。 後半まで全勝だった二人の横綱が、二人の大関に負ける展開は近年、珍しい展開。 更に若手に突然、超大物?二人が現れ出てきた。今場所は、白鵬時代の終わりの始まりの場所。 鶴竜は、その性格の大人しさのため、実力があるにかかわらず、いま一つだったが、先々場所の前半に 負けこんで、大人しい性格に火がついてしまった。 これで、モンゴル三横綱の時代が2〜3年は続き、 遠藤、豪栄道、二人の超大物?の時代に移っていくのだろう。 * 高校野球も田中の御陰で、面白くなってきた 田中投手のヤンキースへの破格の契約金のお陰で、高校球児に大きな夢を与えた。 「アメリカンドリームを、自分も?」である。まさか田中が、イチロウ以上の評価の選手になろうとは、驚き! 情報化で誰でも情報が入手可能の時代。親子鷹で、科学的にノウハウを積み上げれば、異能の投手術を持つ選手に 育成可能である。逆に天才的スポーツ選手は親子鷹でないと難しいのだろう。そこには当然、科学的な管理がある。 冬期オリンピックで活躍した選手は全て、そうである。あるところまで行くと、国がコーチをつけるのだろうが。 * 一昨夜半見た夢 一昨夜半見た夢が、驚き。 あるコンサルタント事務所の一室で、マネジメント・ゲームの進化した研修を 数人がしている。誰かに紹介されて特別見学をしている自分が、疎外感に陥る。そこで、そのゲームに 参加したいと申し出ると、「ある私立小学校の創業の計画書」と、進化したタブレットPCを渡される。 計画書には、創業参加希望者の名が数名あって、まず、タブレットで希望者の履歴を調べ、面接をするように、 更に、資金計画書の作成もタブレットでするように申し渡される。それを遂行するには膨大なエネルギーを要する。 しかし、その気力が私には全くないことに気づき、その場で参加を取りやめる。その隣の部屋には、どこかの 新興の社長が、ある事業計画の報告を自慢げにしている。 ところで、そのタブレットが、面白いのである。 ある居酒屋チェーンの店頭に、タブレット(付属しているカメラ)を向けると、その情報が自動的に出てくる。 (誰が社長で、役員の経歴、財務内容、コンセプト、店内の様子)が、である。このマシーンを使った事業の 創業ゲームで、ほぼ現実と変わりのないリアルなもの。 何か私の潜在意識の一部を垣間見た思いである。 その担当者の冷たい視線と、あの部屋は、資本主義社会と私の脳内? あの部屋の中に過っていたのである。 ・・・・・・ 4390, ブラック・スワン ー3 2013年03月24日(日) 「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著 * 2023年までに予測されるブラック・スワンは? これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。 今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 地震などの天変地異、経済動乱、戦争が 何かのキッカケで突然起ことになる。しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。 ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 人生はマサカという形で、ある日、突然に、 我われに襲いかかる。特に断絶の境目には起きやすい。 情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識は大量に 私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。 1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。 地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで 舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。 昨日、シネマで「相棒」の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、 官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。 数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの 批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、 黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。 ・・・・・・ 4016, 事業生活39年の、独り語り ー4 2012年03月24日(土) 昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、新たにスーパーが現れてきた。 既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、 並ぶようになっていた。 実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの 「チェーンストアへの道」下地にした「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。 それもあり、就職先が「ジャスコ」。 その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、 産能大に編入し、その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」(後にジャスコに吸収合併された) に一年半、勤務した。フィールドでの、ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の二階に 居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、 貸家を持った直後だった。 姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の四つ角が格安で 売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、 「大規模団地を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 外れて元々と、申し込みをして、 公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと いうのでなく、会社名義で買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。もちろん会社名義である。 その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。 あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」に二年の条件で入ることになった。その後、そこで 私が何か事業を立ち上げる前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下に入った直後で、 社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の 惨めな空気がドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から「父が末期ガンで、あと一年!」という 知らせが入った。 20歳の時に創業人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 振り返ってみると、 激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。 特に、産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。 ・・・・・・ 3650, 精神科医師の幸福論 ー2 2011年03月24日(木) * 精神科医師の恋愛論とは? ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー ≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカーと派手になってしまうのは、今の「自分」への不満が それだけ強く、相手を脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・・・ 恋愛とは、本来、相手の幸福を願うことであるから、 〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること〉と定義すると、ここでも、�◆檻韻�互いの人生が満足のゆくようなもので あるように望み、手助けすることと、�◆治押,�互いが人生に満足できる人間になることを望み、手助けすることのふたつの領域が あることになる。しかし、恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが新鮮になるという脱自が 起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。つまり�△海修�、恋愛の本質的な領域だということになる。 それはどういうことかというと、�,痢▲廛譽璽鵐箸鯊�り合い、おいしい食事を共にし、一緒に旅行・映画に行き、楽しい会話をする… といったモノ・コト(経験)の数々は、それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種のサービスを 提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで下さい」と断ったものだった。 次に�△領琉茲呂箸いΔ函△海譴泙燭佞燭弔△辰董↓◆治院,蓮�一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、 リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて回ったりすることに象徴されるように、 かなりはっきりとした幸福感のようなものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く挙げられることからも分かる。 それに対して、�◆�2の領域の、二人が互いに高めあうというのは、今は、全く人気がない。 というのも、人生の課題を 達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫ ▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、� ↓◆檻院↓◆檻欧隆屬罵匹貽阿�ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。 この視点で、色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。 ・・・・・・・ 3285, 人みな骨になるならば ー4 2010年03月24日(水) *文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル ー まずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋してみる ー 文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害からは防いでくれるが、それでも疫病や 事故といった不運を増やすことも減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むことに よる不運がとって変わっただけである。 幸いなことに文明には文化といった非物質的な相棒が付き物だった。 つまり、我われは文明という即物的なカプセルとともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・・ 「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、 第三惑星に棲息する弱々しい「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセルであった。 しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した文明と文化というカプセルにより自らを防御する。 なによりもまず寒暑、飢餓、外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。また人間の心理が物理的宇宙から 浸蝕されていくのも防ぐ。 いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。 それほどの守護神が宇宙の冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団の内部に、 それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、戒律、法その他である。これらによって、 われわれの集団内部に限って理不尽は最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、 また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治国家のもとで暮らすかぎり、 社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理がおおむね通用するようになった。 ▼ 「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。 ・・・ いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙である。 そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、人間世界の中の通貨のようなもの。 神も、文化・文明も、人間が共同幻想でつくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして 透してみれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれはドコが違うというのか。 ・・・・・・・・・ 2910, 閑話小題 2009年03月24日(火) * ジュンク堂が大日本印刷に買収だと 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、 それでは買うかというと買わない。面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を 払えば後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。 (字数制限の関係でカット2,012年3月) * パーク24が「マツダレンタカー」を買収 (字数制限のため、カット2010年3月24日) ・・・・・・・・ 2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4 2008年03月24日(月) やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。 弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。 *やくざと娼婦の階級 やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものようにふるまっていました。 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重んじていました。 ・階級の一番上には詐欺師、 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・) ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める場所別で、 それぞれの階級に分かれていました。ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。 (字数制限のため、カット2011年3月24日) ・・・・・・・・・・ 2007年03月24日(土) 2181, 「ライオン 空前の王交代劇」 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年 3月21日 午後8:00〜午後9:32) これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、 ライオンの群を多く見ていたた。(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。 場所はタンザニアの セレンゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。 総勢40頭を誇ったライオンの群れの 「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明になった。 在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。 そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。 メスは子供をつくり最後まで育て上げるため強いボスを必要とする。ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成りたっていて、 普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。群を組んだ放浪ライオンの対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 これが他の動物と違うところである。 グループの大きさによっては一匹もあるが。2006年、二匹の「王」の行方不明で 群れは大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。 ・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。新しいボス候補が前の王の子供を殺すからだ。 最終的に、このグループの子供は殺されたり餓死で一匹もいなくなっていた。 ・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。 そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。 ・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。 グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。 メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。強くなければ産んだ子供が新しいボスの子殺しにあうからだ。 この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、隣のグループの王を誘って、決めかねている雄と決闘させる場面である。 二頭は数時間もかけて闘うが、最後はその雄が勝利する。メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、たて髪の大きさなどを 冷静に見極める。候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに拒否されスゴスゴと引き上げる。 このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に大きく左右されるからだ。男より数段も冷静に相手を見定めるのは 女性の本能として仕方がない。 これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから、やはり女の方が相手次第による 要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・ そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの 群れと、群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。 (○´・д・)ノ バイバイ!
|
|
|
|