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堀井On-Line
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2014年02月21日(金)
* シェールガス革命の拡大で日本経済も大復活? 「石油危機で原油150ドルに!」という見出しを、あまり耳にしなくなったのは、世界的不況に加えて、次のエネルギー源の シェールガス開発が進んでいるためだが、その技術を日本が大きく担っていることは、あまり知られてない。 ーまずは、その辺りからー 《 米国では、急速にシェールガス社会へとシフトが進み投資ブームになっているが、それを技術的な面で支ているのが日本。 もっと言えば、日本の技術力がなければ、アメリカのシェールガス社会へのシフトは実現できないと言ってもよい。 大阪ガスはアメリカのテキサス州で開発権益を取得。現時点で、シェールガスの本格的採掘は米国やカナダに限られているが、 今後、急速に世界的規模で拡大していくことになれば、日本がもつ圧倒的な技術力が世界市場で席巻することになるのは確実。 さらには、シェールガス革命のメリットは、製造業の世界だけでなく、日本の社会全体が享受できるようになる。 石油よりはるかに安いシェールガスが手に入って、シェールガスを燃料とする火力発電が増えれば、電力の供給価格は下がる。 そうなれば、アメリカと同じように、日本の製造業の競争力が高まるとともに、工場の国内回帰にもつながる。 その結果、雇用も増え、経済成長にも貢献することになるだろう。》 ▼ アメリカ経済の復活は、日本にとっても大きなプラス要素だが、アメリカへの属国化が、更に強くなる。 タイミングが良かったのか悪かったのか、東北大震災で原発安全神話が根こそぎ壊れてしまった。同じ危険なら、 まだ危険度の低い自然化石エネルギーへの選択に流れに変わろうとしている。ということは、地球温暖化と、自然破壊が ますます進むことになる。人間は、自ら作りあげた文明で、自らを破壊する運命にある。最近、パキスタンのフンザの住民の 写真を何枚か見たが、何とも純粋で綺麗な目をしているが、それに比べ日本も含めた先進国の人たちの人相の悪いこと! 「シェールガス革命の拡大で日本と世界経済も大復活」というより、それが人類の未来にとって、最悪の結果になるのでは? ・・・・・・ 4359, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー3 2013年02月21日(木) * 貨幣空間は、友達のいない世界 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著 40年以上も事業の世界にいたため、貨幣世界にドップリと浸かっていた。何はさておき事業を最優先にしないと、 競争社会では生きていけない。事業の性格上(装置産業)、人間関係の貸借表の資産を増やす必要がなく楽だった側面がある。 ー以下は、政治的空間と、貨幣空間の違いを明確に述べているー。 ≪ 友人や知人の政治空間の基本は、敵を殺して権力を獲得する冷酷なパワーゲームだ。それに対して貨幣空間は、競争しつつ 契約を尊重し、相手を信頼するまったく別のゲームが行われている。人間社会には富を獲得する手段として、�相手から奪う (権力ゲーム)�交易する(お金ゲーム)という二つの方法がある。権力ゲームは複雑だが、お金ゲームはシンプルだ。 誰だってシンプルの方が良い。だから必然的に貨幣空間が政治空間を侵食していく。また中間共同体では、それが顕著になる。 それはPTAや自冶会、会社の同期会のような「他人以上、友達未満」の人間関係の総称だ。しかし日本や欧米社会では、 貨幣空間の膨張により、共同体が急速に消滅しつつある。そんな活動は、お金を払ってサービスを受ければよいというわけ。 貨幣空間があれば、それだけで十分という人が増えてきたのである。それは、「友だちのいない世界」の出現で、愛情空間が ダイレクトに貨幣空間(市場)と向き合う新しい世界に生きるようになってきた。友人のいない世界は、愛情空間は夫婦や親子、 恋人単位に最小化し、人間関係はますます濃密で複雑になっていく。かっての人間関係は村的な共同体に分散していたが、 いまでは極限られた一人か二人にすべての感情が集中している。・・・ ≫ ▼ 現在、団かいの世代が定年になり、子供たちが巣立った家庭内では老夫婦の権力闘争で大変だろう。他人事でないが・・ これらからして、教養と、ちょっとした小金を持って貨幣世界を独り生きるのがベストに思える。特に歳を重ねると、 残忍の愛憎空間は残酷である。とはいえ、弧族も辛いもの。どちらも辛いなら、あとは選択の問題になる。貨幣空間も リッチかプアーかで、全く違ってくる。「金に換えないものもあるんだって?そりゃ金額によるだけさ!」という小話がある。 「数百億の資産を残して死んでいくのと、それを全てを面白可笑しく使い果たして死んでいくのと、どちらを選ぶ?」の の問いの答えは、その人による。私は後者を選ぶ。しかし愛憎空間、いや愛情空間に生きてきた人は前者になる? 現に、一桁下げると自分自身の問題になる。 で、「この結果!」という、落ちになる。父親は面白楽しく生き、資産を残し、 それら全てを生前贈与をして死んでいった。お陰で人生を面白可笑しく生きられた。 一度限りの人生。三度、万歳と感謝! ・・・・・・ 3984, つれづれに ー地震 2012年02月21日(火) * 大地震後の数年は非常事態である 地震学者によると「大地震後の数年間は非常事態という歴史的事実がある」という。それも500年に一度の大地震は特に非常事態。 噴火も厳重注意という。週刊誌の見出しが決して過激でないようだ。 歴史的大地震で日本の全体が大きく歪んでしまい、その連動が 起る前提で対策を取るべき事態である。 特に東海、東南海、南海トラフ地震と関東直下地震が起こる可能性が高く、今回の 東北地震の規模に匹敵するという。その沿岸にある浜岡原発の休止もやむを得ない。知れば知るほど、この東北大震災が大規模だった ことが分かってくる。それも津波による原子炉の破壊も加わったことも深刻。 奇しくもリーマンショックで、500年にわたった 欧米中心主義の終焉も重なり恐慌前夜。その上に首都圏周辺で小さな地震が頻発し、5年で5割前後の確率?で直下型地震が起こる 可能性があるというから・・ 首都圏在住の人は東海・東南海・南海地震か、直下地震が5年で5割の確率を前提とし対処するのが筋。 ということは、福島第一原子炉による放射能の影響を加えると、幼児のいる家族は移住を考えるべきだが・・ あとは、その人の勘? * 今の政治はやるやる詐欺か 日本の二大政党政治というと聞こえが良いが、野党は政権を奪取するため政権与党のマイナス面をとらえ綺麗事の政策を並べ立て、 政権を取った時は、よりよい政策を実行しますと約束をする。 が、いざ政権を取リ実行段階になると、それは野党時代の綺麗事。 その妄想実現のため予算の散蒔きで凌ごうとし借金の上乗せをする。その結果、国家収入の二倍の予算をたてざるを得なくなり、 現在は国家破綻一歩手前。 それでいて、その数分の一も実行できない「やるやる詐欺」。 もう限界に来ているが、野党側は、 同じスタンスをとるしか方策はない。しかし一番悪いのは騙される国民。 ところで小沢一郎が「消費税の増税をしたら日本が危ない」 と反対をしたが、冷えきった景気の上に、企業もギリギリの経費節減の上の5%アップは実際に危ないコストアップになる。 その上に、電気、ガスなどコストアップになれば民主党そのものが危ないのではなく、日本が危ないのは本当だろう。 とはいえ、 上げないと国家予算が成り立たなくなる。要は、袋小路にドンドン追い込まれてしまった。そのツケは弱者に集中してくる。 ・・・・・・・ 3619, 忘却の整理学 −4 2011年02月21日(月) 「 忘却の整理学 」外山滋比著 * 忘却はゴミ出しに似ている 忘却は、ゴミ出しに似ている。この情報化の時代に必要としない情報は、どんどん捨てた方がよい。 そのままに放置しておくと神経に良くない。「忘却不全症」は、大変なことになる。 アメリカに過去の記憶を殆ど憶えている女性がいるという。何歳の頃の日付をいうと、殆ど思い出す。 これは本人にとって非常に苦痛である。 自分のことを考えただけで、ゾッとする。忘れるから生きていられる。 忘却は不純、不要、よけいなことを洗い落として、昇華、純化させる作用がある。 フロイトは「人間には、嫌なことを忘れさせ、良かったことを憶えている癖がある」といっている。 海外旅行中は普段の数倍の質量の経験をする。良いこと三分の二、嫌なこと三分の一の思いをする。 そこで嫌な思いを意識的に捨てることにしている。 帰路の飛行機や列車で、連れ合いと良いことだけを少しオーバーに話し、 マイナーの話は絶対にしない。それを復習すれば記憶に残ることを経験上、知っているから記憶の調整をしてしまう。 その記憶のコントロールは非常に重要になる。人生でも、これが出来るかどうか。人の悪口・陰口を趣味にしている人を見かける。 他者批判は自分の影を言っている過ぎないことを知らないのだ。そのゴミが記憶に溜まって悪臭を放っている自分のことを。 その辺に教養が出てくる。忘却のノウハウも教養ということになる。 ところで痴呆症の現象では、明るいヘラヘラした人の方が多い。何割かは、怒りの比重の大きい人がいる。 性格もあるが、脳は最期は苦痛を与えないように出来ているようだ。ボケたが勝ちか! 天然ボケもいるが。 若かりし頃に、脳が加熱をしすぎて変になりかけた時、加熱で浮き上がってきた思いを、ノートに書き出し、 乗りこえたことがあった。これもゴミ出しの一つか。比較的、文章を抵抗なく書けるのも、こういう経験がある。 書く行為も、ゴミ出し? かいな。 自分では宝のつもりだが・・ ・・・・・・・ 3254, 大恐慌 入門 −2 2010年02月21日(日) ここで考えさせられる一文がある。P241) < 古今東西、99%までの人が最終的に投資では儲かりません。1〜2年、仮に10年間儲けたにせよ予期せぬ 変動やトレンドの変化に対応できず、全て吐き出すのです。 *1980代には生保をはじめとする金融機関は大量の米国債を保有していたものの、急激な円高で損失を出した。 *1990年から始ったバブル崩壊では、大手銀行が持ち合いの株の大幅評価損で業績悪化もあいまって、 公的資金の導入を余儀なくされた。2003年までの株式の暴落で年金基金の存続が危ぶまれ、数多くの年金が解散、 やはり国民の財産だった株式を売却をした。これらは、外国人投資家が買い捲った。 【投資で儲けることができないのは、投資家が大きなトレンドの変化に対応できないということ】です。 投資の世界では、トレンドが一方向、特に上げの時は比較的簡単なのです。 日本の1945年から1990年までの日本、 または2003年から2008年までの世界の株式市場などです。 基本的に買って持っていればよいのです。 (字数制限のためカット 2012年 2月21日) ・・・・・・・・・ 2879, アメリカの住宅金融の惨状とは 2009年02月21日(土) ーサブプライム金融恐慌の構造と意義ー 伊藤 誠 −1(現代思想ー金融恐慌特集) これまで金融恐慌系の本を20冊近く読んだが、実際の数字をみることがなかった。ところが先日読んだ本の中に、 非常に分かりやすくあった。この数字からみても、アメリカ崩壊という言葉は、決してオーバーではない。 ーその内容とは、 ・住宅金融は2002年から2006年までの景気回復と住宅ブームを圧倒的にリードする役割りを果たした。 この時期の米国経済の四割は住宅市場に依存するもので、結果として住宅金融の残高は2006年には13兆ドル (ドルを当時、120円とすると15000兆円)になり、当時の米国GDPと同額になっていた。 このうちサブプライム・ローンが13パーセントを占めていた。 ・サブプライム・ローンの一戸当たりが20万ドルとされており、850万世帯(一家が三人として)2500万人がこのローンを 背負っていたことになる。住宅ローンが13兆ドルとして、平均40万ドルとすると何と3250万世帯、 三人家族とすれば 人口の三分の一が、この時期に住宅ローンによって住宅を得たことになる。−日本のバブル直後の住宅ローンの残高が 140兆円というから、約十倍になる。それだけでも米国のサブプライム・ローンの方が大きいことになる。 人口は2・5倍だから、一世帯あたりとすると日本の4倍の大きさで、いかに莫大で深刻かがわかる。 ・10年間で米国の住宅価格が2倍当たりになっていたというから、半減することになれば、米国人の三分の一が 深刻な経済状況に陥るのは明白である。特に値上がりを前提で買っていたサブプライム層にとって深刻である。 ・昨年の6月に米国の住宅ローンの8・8パーセント、480万世帯が返済未納か、差し押さえになり人口規模では 千五百万人近くが、住居を失う脅威に曝されている。 一昨日にオバマが米国住宅市場の再生策を発表したが、そう簡単に解決できるレベルではない。 7兆円の900万世帯を対象にする再生策だが、一世帯当たり単純にわっても80万弱でしかない。 自動車と住宅は、向う5年分の先取りしているというから、最低でも景気回復に5^6年はかかることになる。 あの「金持ち父さん」が10年近く前に、本屋に平積みしてあったが、 アメリカでは、この本に従った多くの人が、「貧乏人父さん」になっていったのである。 実をいうと私も読んだが・・・ ・・・・・・・・・・ 2008年02月21日(木) 2514, 賢人の知恵 − +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆ ーまずは、この本の「はじめに」をコピーしてみる。 著者のバルタザール・グラシアンは、17世紀のスペインで活躍した著述家であり。イエズス会の修道士です。 神学者アルトゥール・ショーペンハウエルはグラシアンの著作のドイツ語訳を手がけ、日本では森鴎外が部分的な 日本語訳を発表しました。哲学者フリードリッヒ・ニーチェは「ヨーロッパはいまだかつて、これほど精妙にして 複雑な人生の道徳律を生んだことはなかった」と記して、またショーペンハウエルも「人生のよき手引書である」 という言葉を残しています。そして現代においても、高名なテノール歌手であるルチアーノ・パバロッティが 愛読書としてグラシアンの書を挙げているなど、欧米では今もマキヤベリ『君主論』と並ぶ不朽の名著として 読み継がれているそうです。 (字数制限のためカット 2011年 2月21日) ・・・・・・・・・・ 2007年02月21日(水) 2150, スピリチュアル・ブームを考える −1 才八∋ウ_〆(∀`●) 毎日新聞の2月19日の「論点」に「スピリチュアル・ブームを考える」をテーマに島田裕己、溝口敦、香山リカの三人の ジャーナリストが、それぞれの視点で鋭く、そのブームについて分析をしていた。 なるほど非常に面白い内容であった。 現在の日本は、一部の強者以外は全体として行き詰まりの様相を呈している。その中で人間は内側にエネルギーをもとめてしまう。 「霊的エネルギーへの欲求が社会に満ちている」といってよいだろう。心の中に何かが起きているのだろうか? 私自身も父の死を キッカケに十数年間も霊感がついた。何をもって霊感というと難しいが、とにかく変な感覚がついてしまった。最近は無くなったが、 あれだけは実際に「その感覚」がつかないとわからない。 だから、興味を持っている人以外に話さないことにしていた。 生来の盲目の人に、視覚の話をしても理解できないのと同じである。といって極端なスピリチュアル・ブームもおかしなものだ。 細木数子の批判文の中でも書いたが、物語を人は求めているのである。それを安直にイメージ化できるのが、霊とかいうヤツだ。 まあ、この三人の切口から、その本質を考えてみよう! ー島田裕己ーの分析から考えてみよう。 まず要約すると、 「バブル以降、霊観念の個人化が進展、カウンセラー型の霊能者がはやる」ということだ。今日現在のブームは伝統的な霊観念の衰退、 希薄化ということと関係している。前は宜保愛子の先祖の霊が適切に祀られていないと、その祟りで病や不幸がもたらされると考えられ、 それを取り除くには先祖の霊を正しく供養しなければならないと説かれた。 ところが、核家族化が進行して、家の解体が指摘される今、 家の比重が低くなり、先祖の霊の祟りはリアリティーが無くなってしまった。多くの人は家のしがらみに苦しんではいない。 少子化で、家の存続も危なくなっている。そこで今は「個人化」の傾向が強くなり、家の影響は小さくなり、対象が家の霊ではなく、 個人になっている。それは、個人の前世の霊ーすなわち生まれかわりの霊ーに変化したのである。 もし出てきたとしても、それは祖父母など近しい存在に限られるのである。 解)まあ、これから考えてみると、これだけいい加減なことはない! 霊など心の迷いの時に頼る無知な人間の玩具やマジナイと同じ。 彼はそういいたいのだろう。父が「墓は本家より大きなものにしてはならない!」と言っていたが、 それも明治生まれの[家]制度を背景に持った論でしかなかった。家そのものより、個人化の方が重んじられる現在、 あの父の言葉は何だったのか?墓は「家の抽象的な心のカタチ」だったのか?人は、心の何処かにそれが必要なのか? だから レジャーを兼ねた盆帰りをしてお墓に参るのだろう。 バイ (σД≦)ネムゥ〜
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| 4725,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー1 |
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2014年02月20日(木)
* 王様の代わりに貨幣が君臨するのが近代資本主義? ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著 事業の結果が、この有様だったが、何かさばさばして心身とも空を浮いているようで、「ほどほどで、後継者に引継ぐより、 これがベスト?の感覚は、何だろう?」と考えていたが、そのヒントが、この本にあった。 森林でこそ事業経営も面白いが、 そこを出てしまえば、充実していたかの満足感の違いだけ。問題は、その後の準備をしていたかどうか。 ライフワークが あったかどうか。 脱コード化の次への準備こそが、必要だったことになる。 王様の支配から資本支配にかわった体制が近代資本主義であり、金の力が、国も、個人の価値基準になっている。 しかし、この近代資本主義も、一部に力が集中する弊害があって矛盾が出始めてきた。 ーその辺りを抜粋ー 《 ドォルーズとガタリは、人間の欲動が制御され、文化が形成されていく過程を次のように発展段階的に説明する。 �.魁璽媛�(原始共同体) =個人個人の平面的ぶつかり合いで秩序形成が出来る ��超コード化(古代専制国家) =王様が秩序形成 �CΕ魁璽媛�(近代資本制) =王様に代わり貨幣が君臨する ・「コード化」とは、拡散する人間の欲動を一定方向に導くこと、つまり「秩序形成」と考えればいいでしょう。 『構造と力』では、「コード化」から「超コード化」までの過程が描き出されています。 ・「個人対個人」を原点とする平面的なぶつかり合いによって「秩序形成」(コード化)が進行し、 やがて王を頂点とする「垂直的な秩序形成」(超コード化)に発展するという流れです。 ・「超コード化」に続く流れとして、いままさにわれわれが生きている「近代資本制」(脱コード化)社会の構造と、 それを乗り越えた先にある、新たな世界の姿を描き出そうとしています。 そしてこの部分が、「現代人が幸福になれない理由」と、その突破口を示しているのです。 ・「超コード化」(古代専制国家)された社会では、王を頂点とする秩序によって社会の安定が保たれます。 この「安定化の仕組み」こそが、ドゥルーズとガタリらの構造主義者が説く「構造」にほかなりません。 ・しかし、われわれが生きる「脱コード化」(近代資本制)された社会においては、すでに王は存在しません。 英国やオランダ、スペイン、タイなど、いまでも「王国」は存在しますが、そのほとんどは、日本の天皇と同じように 象徴的存在と化しています。ドゥルーズーーガタリによれば、「脱コード化」社会において、王の代わりに秩序を 生み出す存在とは「貨幣」になります。 「超コード化」社会における「安定化の構造」(秩序の枠組み)は、 王を頂点とする円錐形を形成しています。》 ▼ 「脱コード社会では、人はお金への欲動に突き動かされるが、お金を得ると、さらなるお金を求めて資本として 再投下し、もっと多くのお金を得ようとする。際限なく人は、これを繰り返す」これが、現代資本主義の正体である。 だから幸せにはなれない。それも情報化、グローバル化が、一部の強者に力が集中させてしまう。しかし貨幣の正体は、 情報そのもの。人間の持つ潜在の自然の大きな力が、プラスにも働くのでは?という楽観論を信じたいが・・ ・・・・・・ 4358, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 −1 2013年02月20日(水) 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著 * 「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」 「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」 分かりやすく言うと、「大それた成功を求めず、 自分にあった生きる領域で一番を目指し、上手くやれ!」ということ。この本には新鮮な切り口の事例が多く面白い。 次回から幾つか紹介する。特徴は弱者の戦法というところか。これから長く続く乱世に生き延びるには、大成功など 求めず、自分の強みを最大限生かし地道に勝ち抜くしかないという著者の論も一理ある。 ー内容紹介・アマゾンよりー 伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ!(恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!)ワーキングプア、無縁社会、孤独死、 引きこもり、自殺者年間3万人超など、気がつけば世界はとてつもなく残酷。 だが、「やればできる」という自己啓発では、 この残酷な世界を生き延びることはできない。必要なのは、「やってもできない」という事実を受け入れ、それでも幸福を 手に入れる、新しい成功哲学である。自己啓発の伝道師たちは、「やればできる」とぼくたちを鼓舞する。でもこの本で ぼくは、能力は開発できないと主張している。なぜなら、やってもできないから。 人格改造のさまざまなセミナーや プログラムが宣伝されている。でも、これらはたいてい役には立たない。なぜなら、「わたし」は変えられないから。 でも、奇跡が起きないからといって絶望することはない。ありのままの「わたし」でも成功を手にする方法(哲学)がある。 残酷な世界を生き延びるための成功哲学は、次のたった二文に要約できる。 「藍を捨ててバザールに向かえ。恐竜の尻尾のなかに頭を探せ。」なんのことかわからない? そのヒミツを知りたいのなら、 これからぼくといっしょに進化と幸福をめぐる風変わりな旅に出発しよう。(本書「はじめに」より) ▼ここで、≪人間は知能、性格、肉体など遺伝による初期能力の違いにより、現代社会において成功できるかどうか決まる。 努力や訓練や方法論によって、「よりよい=より豊かな」自分になることは大方の人はできない。「人間の能力は平等。 努力すれば皆幸せになれる。」という建前を否定し、人間は生まれながらに「不平等」であるという 前提に立ちながら、 「それでも幸せに生きる」ための方法を提案する。「より認められる」には、大きな成功を求めず、「自分が好きな分野で いちばん」になるまで対象を細分化し、集中しろ」。そのための仕組みを“自分で設計”すれば、幸福の新しい可能性が 見出せる。≫と説く。 伽藍の世界でも同じ戦法で生き抜くしかないが、普通の人は尻尾の中の勝ち組になるしかない。 自分の強みを生かし、小さなテリトリーの一番を探し、追求しろということ。それより、「世界は残酷」をまず知ることだ。 ・・・・・・ 3983, 生保に入るバカ、入らないバカ ー1 2012年02月20日(月) 私は保険に入らないバカだが、それぞれの考えがあるので一方的に決めつけられない。 日本の生命保険の世帯加入率は90%で、共済と生保を合わせた年間保険料が40兆にのぼる。 一世帯が年間に支払う額が平均45万円で、22年で1千万、33年で千五百万になる。人生で生保が住宅に 次ぐ高い買い物になる。 しかし加入者の方は、その意識がない。欧米の加入率をみると、フランスが6割、 アメリカが5割、ドイツが4割、イギリスが3割6分と、日本の大よそ半分。 いかに日本が高いかである。 死亡保険の保険高は突出して高く、2000年だが、日本が1600万、アメリカが600万、イギリスが 260万、ドイツが200万だった。生命保険の加入経路の7割が保険のセールスで、親戚や友人の紹介をされ、 加入するケースが圧倒的に多い。生保の営業方法は義理(G)、人情(N)、プレゼント(P)の頭文字をとった GNP営業の典型といわれている。 バブル崩壊後に、その営業職員の膨大の経費を維持するため、収益の高い 死亡保険を大型にした保険会社に有利な、複雑化した、顧客無視の営業をするようになった。 その頃、保険会社は、 それまでの顧客にとって有利の商品を解約させ、セールスを使い利回りの悪い商品に切り替えさせていった。 その辺(01〜05年)から保険会社は悪質な営業説明で本来加入できない病歴のある顧客に加入させ、その後、 契約不備を理由に保険金拒否をして社会的大問題になった。 何と37社で130万件に至ったという。 早くいえば、セールスレディーというオバサンを集めて、GNPで、その人脈を食い尽くす。それは巧妙なテクニック、 何も知らない素人を、ほぼ騙しで契約をさせる悪質集団という側面を持つ。フレンドリーに長年かけ知人・親戚に入り込む。 合理的の欧米人の二倍の加入率は、組織的意図がないと無理。 生保で、まともなのは学資保険ぐらいのもの。 22歳まで死んだときに子供の学資を保証するのは、一応、理に合っている。 それ以外の商品の多くは、客単価を 上げるための巧妙な商品。読みも理解もできない契約書に巧妙に生保にとって有利な条文が入れてある。 見方によれば合法的組織犯罪に近い集団。それなら預金の方が良いが、相手はフレンドリーのプロ。 その辺の理屈が理解できない人たちの不安に付け込むのが営業センス。 ・・・・・・ 3618, 忘却の整理学 ー3 2011年02月20日(日) 「 忘却の整理学 」外山滋比著 ここで、著者は早朝に目をつける。どうも、夜の間に忘却が起こることはたしかであると。 忘却が頭を働かせやすく、きれいに整理をしてくれるとすると、一夜明けた朝がモノゴトを考えるに適しているのは当然である。 昔から、それに気づいていた人は少なくなかった。イギリスの詩人のウィリアム・ブレイクに次のようなを紹介してある。 朝、考える ひるは はたらき 夕がた 食し 夜は 眠れ まず 朝いちばんに思考せよ である。 他の仕事は、そのあとでよい。 昔、中国の役所は、朝、日が昇ると同時に開始されたという。それで、「朝」廷で、効率的であることを知っていたのである。 日本の諺に、簡単の仕事を「朝飯前の仕事」というのがある。 本来は朝飯前に手がければ、簡単な仕事でなくても、 頭は整理されていて、仕事の判断、手順がたしかで処理が早くなるということから来ている。 もう一つ、思考に向いているのは夕食前である。その時間は早朝と同じで、働いた後で、空腹も加えて脳が活性化している。 更に勧めているのが昼休みの短時間の昼寝。 そこに僅かな時間でも睡眠をとることで、忘却の要素を入れることになる。 最近、再開をした「モーニング・ペイジ」がある。 白紙の大学ノートに30分位、思いのままを書き付ける。 早朝だから、自然に出てくる言葉は、外部情報に染まってないサラの内部?から声を掬い取ることになる。 ところで以前に、過去の全てを忘却した男の映画をみたことがある。その時に過去の記憶こそ、人間形成をしていると思い知った。 ということは記憶と忘却の形が、その人物形成をしていることになる。忘却の、いま一つの方法は、より刺激の強い経験を 挟むことだ。忘れようとしても忘れられないなら、より刺激の強い何かを探し、そこに気持ちを切り替えることだ。 それは前向きということになる。後ろを向いて記憶を強化ばかりしてないで、目先を変えることが忘却の一番の方法。 ーつづく ・・・・・・・・ 3253, 置き引き? 2010年02月20日(土) 一昨日、新潟の万代シティの近くのマクドナルドで海老バーガーを食べて、最後にポテトフライをつまんでいた。 半分ほど食べたところ腹は一杯。 持って帰るか、食べて帰ろうかと。 で、そこからである。60歳後半の暗い顔をした男が やってきて、私が一番奥に座っている隣席をみて、そのまま店頭にある売店の方に戻っていった。 自分の席でも確認して注文した商品を取りにいったと、ポテトフライを摘みながら思っていた。 ところが女性の一人客がきてバックを置いて店頭のほうに戻っていった。その直後に男が戻ってきて、その席をジッと見ている。 自分の座ろうとしていた席を取られて他の席を探しているのだろうと思っていた。 ところが、もう一人の女性客が目前の席に バックを置いて店頭に行った。その男、再び戻ってきて、後に来た客のバックを見ている。その時は、その男、自分で座ろう としていた席を二度まで取られて、それを見ていたのだろうと思っていた。しかし私の一つ置いた席の女性が何か不審そうな感じで、 その男を見ている。 (字数制限のためカット 2012年2月20日) ・・・・・・ 2878, 閑話小題 2009年02月20日(金) *大型店の出店の目玉商品を検証してみた 新潟駅構内に「ビッグカメラ」が今日オープンする。昨日はプレオープンというので昼休みに行ってみたが、 県内最大規模の一万?というだけあって広い。三層の店舗になっており、四階から八階までが駐車場で駐車台数が 800というから本格的である。新幹線、在来線、バスのターミナルが集結しているので駅中ショッピングセンターとしては、 これ以上ない場所である。至近距離に大型書店があるので、既存の専門店を含めると大ショッピングセンターになる。。 これで駅中の100メートルほどにある「ヨドバシカメラ」が、最終的には撤退をせざるを得なくなるかどうかだ? これに大型のファッションのH&Mとユニクロでも出て来れば更に面白くなる。配っていたチラシの毎日の超目玉商品の中から、 「コンパクト・デジタルカメラ」を選んで、価格ドット・コムで7〜8点調べてみた。しかし半分は同じ位、半分は、 その7割の値段であった。バイヤーも調べての値段設定だろうが。イメージとして安いのを優先しているようだ。 2GBのSDカードを特価台で囃してしたが、780円など廉くも何でもない。PCデポでは三枚で980円。 新聞の4面の大きさのチラシに9日分の日替わり特価品を出していたが、買うほうからしたら何処かに欲しい商品があるだろうから、 見ていて面白い。店舗と同じである。この大恐慌?の中、家電の売り上げが激減しているというから、経営のサイドも大変だろう。 *県民所得差 先週になるが県民所得の2006年度が発表された。(以前も少し書いたが) この数年は、それほど変わってないが今年度は様変わりするだろうが・・・ 1〜7位までは前年と変わらず。 東京が480万でとトップ。 沖縄が209万で最下位。 丁度中間の23位が福島で278万。 新潟県が273万で25位。 全国の平均が307万円。 (字数制限のためカット 2012年2月20日) ・・・・・・ 2008年02月20日(水) 2513, 思い込み *緊張と深呼吸 この歳になって、思いもよらない思い込みや、間違いに気づくことがある。 先日のTVで「受験の際、緊張しない方法」について、オヤッと思わず考え込んだことがあった。 「受験場では、深呼吸をしないこと! ほとんどの人は逆と思い違いをしている。深呼吸はすればするほど、 緊張度が高まります。なるべく深呼吸をしないように、小さく息をするように心かけて下さい」という。 こんなことを聞いたのは始めてである。私の場合は、緊張する場面は、人知れず深呼吸をしていた。 心を落ちつける要点は、深呼吸であるのは自明のことである。しかし、それが過ぎると緊張を柔らげるところか、 逆の効果になるという。改めて振り返ると、多々、思い当たることがある。その人により、緊張する場面が違っても、 それぞれ極度に緊張する場面があるという。色々の人を見てきたが、驚くほど多様である。その時の体調によったり、 温度差の大きい部屋に入ったり、食後など、自律神経などの狂いにより、何でもないことに赤面したり、極度の緊張でパニックに なったりすることは多くありすぎて、書ききれないほど。そして誰もが自分だけではないか?と、それぞれが思い込んでいる。 自分は、緊張症だ、赤面症だ、精神質症だ、・・それぞれが思っていることを知らないのである。そんなことを言っていたら、 生きていけないから乗り越えているだけである。それはよいとして深呼吸が緊張を高めるとは、この歳になるまで気づかなかった。 「リラックスするには、深呼吸をしなさい。ただ、一度だけにしておきなさいよ。し過ぎると、逆に過呼吸になり緊張は高くなり 逆効果になりますよ。 呼吸は、小さく整えて気持ちを息に持っていきなさい」ということ。 ・・・・・ 2007年02月20日(火) 2149, へべれけに酔っ払いてえなあ。 v(=゚ω゚)ノおはょぅ −読書日記 この文章を読み終わったとき、その衝撃で暫く茫然としていた。短い文章の中に労働者の生活と哀歓が よく表現されている。内側にしか破壊衝動を向けざるを得ない者たちの深い哀しみと諦観をみごとに語っている。 この諦観は中年期の男の誰もが何度も味あう屈折した心情でもある。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、 皆な私が悪いのよ!」でなく、「お酒が悪いのよ!」と、オダをあげなくては生きていけないのが人生。 知人が先日亡くなったが、連れ合いが父親の葬式の晩に自死したという。へべれけに酔っ払っても、何もかも壊しても、 その傷は癒えるわけがない。食道ガンだったというから、毎晩飲みつづけるしかなかったのだろう。 【人生のことは、小説が教えてくれた】より −2 葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」高橋敏夫 中経出版 松戸与三は恵那山の麓で発電所の建築現場で働いていた。一日中顔をセメント粉にまみれながら樽から コンクリートミキサーに移す仕事に就いていた。仕事にヘトヘトになつた頃、樽の中から小さな箱が出てきた。 しかし、作業は彼にはこの中身を確かめる時間を許さなかった。彼は腹掛けの丼(ポケット)にほうりこんだ。 「軽いところを見ると、金も入ってねえようだ」ミキサーがからになり、終業時間になった。「なんでセメント樽から 木の箱が!?」思わせぶりに頑丈に釘付けしてあった。石にぶつけ何度も踏みつけた小箱のなかからボロに包んだ 紙切れが出て来た。 それにはこんなことが書かれてあった。 ーーー 私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れる事を仕事にしていました。 (字数制限のためカット 2011年2月20日)
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2014年02月19日(水)
* 資源大国の地位を失いかけている中東やロシア そういえば、以前ほど原油価格に対し敏感でなくなっているのは、静かな恐慌?で原油需要が減っているのに加え、 アメリカのシェールガス革命が進んで自前でまかなえるようになったため。 この数十年来のエネルギーの高騰で、 この世の春を謳歌した中東、ロシアも、その恩恵が少なくなってきた。ロシアのプーチンが北方領土問題で、軟化して きたのも、そのため。 公害問題もあるが、間違いなく新しいエネルギーに重心が移ろうとしている。ーその辺りからー 《 シェールガス革命が進めば進むほど、エネルギー価格は下落していく。とりわけ、これまでエネルギーの中心にあった 石油ほどその影響を大きく受けざるを得ない。今後、原油価格はどんどん下がり続け、世界のエネルギー市場の構造は 一変することが予想される。周知のように、冷戦崩壊後、経済的に貧窮していたロシア経済を救ったのは石油や天然ガス などの資源である。一般に、原油価格が1バレル80ドルを割り込むと、ロシア経済は苦しくなる。 ロシアは国内産業が未成熟なため、多くの製品を海外から輸入する必要がある。意外に知られていないが、ロシア最大の 弱点は農業。ロシアは多くの農産物を海外からの輸入に頼っているが、資源が高値で売れないと、外貨を稼ぐことが できなくなってしまうのである。そこでロシアのプーチン大統領は、天然ガスをはじめとする資源をアジアに売り込もうと、 日本にも積極的にアプローチしてきている。北方領土問題でのやや軟化姿勢はその苦悩の表れなのである。 同じように、経済的に厳しい状況に追い込まれるのが中東の産油国である。1973年に石油危機が生じて以降、中東は現在 まで40年もの間、大きな政治力を発揮してきた。それはひとえに石油の賜物と言ってよい。しかしながら、今後は中東の 産油国に頭を下げなくとも、エネルギーが手に入るようになる。今後、石油は単なるエネルギー商品の一つにすぎなくなる。 中東諸国の凋落に合わせて苦境に陥ることが予想されるのは、英国ロンドンのシティである。これまで中東のオイルマネーを 一手に集めてきたシティは、中東の地位低下と一蓮托生になる。シェールガス革命後、欧州の中心は、金融においても 実体経済においても、急速にドイツへと移ることになるだろう。》 ▼ 日本も脱原発問題を踏まえ、国内の資源開発に乗り出すだしかない。しかし、その海域は地震発生と津波のリスクが 存在する。それよりも、全体の需要が減っていくため、さほど面白みのない分野なのかもしれない。これもあって、 アメリカが当分の間は、力を取り戻すことになる。何があってもアメリカには、ドルという主軸通貨が健在だ。 中東の原油の決済通貨を盾にドルの裏付けにしていたものをシェールガスが加わるのだから。 ・・・・・・ 4357, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 −2 2013年02月19日(火) 「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著 * 愛情空間、友情空間、貨幣空間 私たちは、まず家族、そして友人を第一に考える。そして職場の仲間、定年になれば趣味仲間になる。 しかし貨幣を媒体とする買い物やサービスを受ける付き合いもある。それらの空間を、愛情空間、友情空間、貨幣空間という。 家庭、職場、お店という空間である。その中で、いざとなると金である。その魔力に、その隠された本性が現れ出る。 貨幣で世の中の9割以上を買うことが出来る実感がする。その本質は交換手段だが欲望を満たす手段になる。金は自由そのもの。 勤め人が我慢して働くのは、自分の自由を労働という不自由と交換するため。しかし得た賃金は、自由そのものになる。 その交換の場を貨幣空間という絶妙な表現が良い。お金ほどグローバル価値のものはない。空気と同じで、それが無くなれば 今日の食事もままならなくなる。 ーその辺りの要約すると ≪ 私たちにとって、一番大事なのは、家族や恋人などの関係である。これが八割ほどとみてよい。 そして残りの19%が友人関係。ここには会社などの人間関係も含めて「政治空間」という。そして残りが貨幣関係。 この関係は商品などを通して世界中ともつながる。中国製のユニクロのシャツなどは、その典型である。 その関係は空間にある。 ・愛情空間は2〜10人ぐらいの小さな人間関係で、半径10Mぐらい。ところが、この小さな世界が、人生の大半を占める。 人間は太古より、愛情空間の出来事の中で、愛情を作ってきた。人間社会は親族のネットワークで構成されていて、 それを最優先をしても、誰も咎めをしない。愛の至上主義は、生命の進化の過程で人類の遺伝子に組み込まれてきた。 だから、愛が無くなるなどありえない。 ・友情空間は、最大でも20〜30人ぐらい(普通は10人前後)、半径100Mほどの人間関係。政治空間まで広げても 100人ぐらいでしかない。友情空間が大事なのも、人間が社会的動物だからだ。狩猟採集の時代、過酷な自然環境のなかで 人類の祖先は群れをつくって身を守ってきた。群れから追放されることは死を意味していた。 ・貨幣空間は、人間関係においては、わずかに1%だが、実際の範囲は、90%、いや99%を占めているといってよい。 貨幣空間は、農耕と取引によって成立してから僅かに一万数千年しかない。ここに私たちが、貨幣空間に極めて少ない 価値しか認めない理由がある。進化の歴史の重さによって、愛情や友情という人間関係に比べ、貨幣を介するつながりの 重要性を正しく理解できないのだ。≫ ▼ その貨幣価値は、一歩、愛情空間と友情空間を出ると、ほぼ全てが貨幣空間になる。新幹線に乗り、東京で同級会に 出席してみれば分かる。その会も、友情空間と貨幣空間のミックス。家を出て、帰るまで、全てが貨幣空間になる。 現実のシビアさと、家庭の温度はあまりに大きい。とはいえ、愛情空間と友情空間も、残酷で残忍の一面がある。 愛憎空間というか。 ところが、これにネット空間が別に出来て、現実社会を覆ってきたのだから・・・ ーつづく ・・・・・・・ 3982, スポーツジムに10ヶ月 2012年02月19日(日) スポーツジム(SJ)に通い始め、あと50日で一年になる。金曜と日曜が公営のミニSJで、それ以外が近くの大型の民営のSJに通う。 一挙に緊張感から解放された反面、ストレスによるウツ予防対策として身体を動かすことと、セカンドルームとしての場所の確保には、 スポーツジムがうってつけ。 身近の人の倒産劇で、ストレスが暴発したり、酒浸りになり廃人同様になったのを見ているので、 とにかく運動でストレス解消と、二つスポーツジムに通いだした。 元々、二年前からの早朝のサイクリング一時間を習慣化していた (4〜11月)。 それを加えて一日三時間は運動をすれば、目先の辛い一年を乗り越えるだろうと始めた。 気分転換には良い反面、 地元のため知れ渡ったのだろう、冷たい視線や聞こえるような陰口もあったが、内語の「シロアリ」の10回の繰返しで、実際に そう思えるため、丁度良い呪文になっている。シロアリは弱音に敏感、何とも思わなければ直ぐに消えていくのは世界共通の道理。 一年近く真面目に通った結果、数年来の足腰の重さが五分の一か、十分の一になり、腰痛もほぼ解消。 それも時間が経つにつれ 良くなるのが分かる。 6つの運動マシーンと、その間にステップ台が交互に円環に並んだ中央に、若い女性のインストラクターが ポップ系の音楽に乗って指導する踊るようなイージーラインがよい。この歳で、ただ踊れといっても無理だが、運動ならできる。 立ち話で、「今日は、まだ一回目」というから、一日何度も来ている人がいるようだ。温泉プールに、風呂に、サウナに、ロビーが あれば、格安の娯楽施設でもある。 フリーの世界=御隠居の世界も入ってみれば、楽しいもの。 昨日フロントで、 「今日で200回目です」と言われた。10ヶ月と10日になるので、祝祭日と定休日を除くと、ほぼ皆勤。 現職を含め、お薦め。 ・・・・・・・ 3617, 一連のアラブ世界の騒動は 2011年02月19日(土) 今年に入って早々から始ったネットで触発されたデモで、アラブ諸国が次々と政変に至る事態に陥っている。 これは、当分の間は続くだろうし、事態は思わぬ方に発展していく可能性がある。 ネット社会に移行しつつある現在、 日本では、まだ地位と肩書きが高ければ偉いと思っている人が多い。 しかし情報が優先されるネット世界では、そんなものは 何の価値も持たなってきた。 アラブ諸国のような旧態依然の権力構造国家が、ネット人間によって、当然のごとく軒並みに崩壊過程に 入ってしまった。 年寄り優先、性差別、情実、肩書き故に威張っていた絶対権力者は、若いネット社会人には、無能な漫画的老人として、 ある日、突然、追い落とされてしまう。 それでは、彼らの中の優秀な人材が、急にとって代われるかというと、そうはいかない。 情報ネットはフラット化で平等社会にする良い動きもある。 が反面、真の実力が求められる競争社会でもある。 情報社会と知識社会とは違う。 情報社会は、情報が優先されるが、それが知識にまで到達してないレベル。 これまで権力構造の上層部しか持てない情報が共有されるから、否が応でも過去人間は早々に淘汰される。 ここで知識と情報の違いは何だろうか?という問いがたってくる。 情報は、本やネット、マスコミ媒体、そして人など、 外部から入ってくるもの。 知識は、一度自分の中で消化され血肉になって内側から出てくるもの。 だから情報社会は恐ろしい。 事実は一瞬で流れるが、真実は伝わりにくい。 しかし、一部に偏っていた情報がフラット化をする作用がある。 日本では、現在アラブで起こった問題は、この10年間、いや20年かけて起きて、権力構造を変えてきた。 その辺が、アラブとの知識構造が違うのだろう。 この毎日の随想日記は、情報の知識への転換プロセスと、書きながら気づいた。 私の触覚が捉えた情報を、起承転結の文章のパッケージ化してしまう。 そして忘却して、翌年から、毎年読み返すことで、 情報から知識への転換をしていたのである。 鈍くても、5年、10年も繰り返して読めば、知識に転換する。 努力の割りに蓄積効果が自覚できないのは、基礎教養の土台に問題ありか・・・。 話しがそれた。 もう一つのネット世界が、旧来の現実世界を破壊を開始した一例である。 間違いなく、近い将来に中国でも共産党を 破壊するか、大改革を迫ることになる。 ここで、モバイル携帯や、タブレット式パソコンが爆発的に普及しだしてきた。 これが更に、ネット世界の力を急激に増すことになる。 その結果は、誰も想像すら出来ない世界に突き進むことになる。 ・・・・・・・ 3252, 大恐慌 入門 −1 2010年02月19日(金) * 「大恐慌 入門」朝倉慶著 一昨年の9.15のリーマンショック以来、多くの恐慌関連の本を読んで事態の大きさに呆然としたが、ここにきて少し 小康状態を保っている。冬季オリンピックが終わる頃から本格的な波が押し寄せてくる。 既に恐慌は起こったのである。 現在は、緊急措置で平静を保っているだけ。そこで数日前から数年前から去年にかけて読んだ金融恐慌関連の本を重ねて読み返している。 当時は読み過ごしてしまった内容にハッとすることしばしば。その一冊の「大恐慌入門」朝倉慶著がある。読んだ時は、 「色いろな学者の論をダイジェスト的に纏めたもの」と気に留めてなかったが、一年後になって読み返すと簡明だからこそ納得する。 表紙裏に < これまでは「春の散歩道」。これからデバティブ6京円というスーパーバブルが破裂する。 世界を覆う「百年に一度の津波」にどう備えるか。> とある。9.15から一年半経つが、アメリカの投資銀行は瞬間的にホボ消滅、 GMとクライスラー、シティバンク、日本では日本航空が破綻した。それ以外は、あまり目立った動きはなかったが、 これからCDSの破綻が表面化してくる。これに比べたらサブプライム問題は公園の散歩みたいなもの。一昨年の大晦日に発刊されたが、 著者の予告していた通り世界各国に国家破綻が現実に問題になってきている。アイスランド、ギリシャと深刻な問題が表面化してきた。 ・このスーパーバブルの崩壊は誰も止めることが出来ないし、アチコチで火山の噴火のように吹き出るのは時間の問題。 ・オバマは、処理など出来ないで、その責任を問われる悲劇の大統領になる。置き土産は、新ドルへのデノミか、大幅なドル安誘導。 ・資本主義の崩壊は、これから始まりCDSを抱えた金融機関や、企業の淘汰が表面化する。 CDOは、まだ300兆円だが、 これから5400兆円のCDSの問題が出てきざるをえない。それを解決するのは、世界各国が現在の貨幣量を果てしなく増加して、 ハイパーインフレにし、その結果、新たな貨幣への切り替えを世界中が一斉に実施、CDSをチャラにするしか方法は残されてない。 まず、ハイパーインフレに転じるに、あと一年はかかるから来年から再来年の2012年末辺りに標準を絞っているようだ。 ・失業は欧米で9パーセントを超えているが、日本は救済処置で5パーを維持しているが10パーは時間の問題。 〜 まあ、そういうこと! これらを読む限り楽観論は、この数年は考えられない。 〜 つづく ・・・・・・・ 2877, 自分らしくあれ! 2009年02月19日(木) クリントン女史が慌ただしく日本を駆け抜けていった。大学生との対話の中で、ある女子大生の質問 「女性なのに、どうして、そんなに強くなれるのですか」に、「自分らしくあることよ」と、答えたのが印象的だった。 ーそこで「自分らしくある」ことを、哲学的に考えてみる。 まずその「自己」を考えると「他者」の問題にぶつかる。 他者の中の「これ=自分」は時間の経過と同時に発生?する。 さっき向こうから歩いていた「これ」が現在、橋に立っている。 その時に、さっきの「これ」が「自分」になる。生まれて今まで他者の間で生きてきた。その他者との境界線の内側が「私」である。 「自分らしさ」とは、それまでの人生で他者との接点の「あり方」、あるいはその内側の蓄積である。その時点時点で、 何かを追求している在りようが「自分らしさ」である。何かに没頭していて我を忘れている姿に「自分らしさ」が生まれてくる。 初めから「自分らしくあろうと振舞ってはならない」ということである。役者が仮に信長を演じていたとすると、 役者が自分の個性を意識した時、大根役者に陥ってしまう。我を忘れて信長を演じた時に出てくる味が「自分らしい」のである。 クリントン女史は、民主党の大統領候補、クリントン元大統領夫人、弁護士、上院議員等々の顔がある。その役をこなしている プロセスで出来上がった個性が「自分らしい」ということである。彼女の場合、どの役をこなしていても、肩書きより クリントン女史そのものが前面に出ている。これこそ、名優の証拠である。言葉づらだけを捉えると「自分らしさ」を、 多くの人は誤解する可能性がある。自分らしくとは、取り組んでいる役割りや、目標、そして遊びに自分を忘れること。 小林秀雄の「無私の精神」に達することこそ、「自分らしく」なることである。 「何ごとも、魂をこめてすること」で、自分らしさが生まれ出てくる。 ・・・・・・・・・ 2008年02月19日(火) 2512, iPod nanoを買ってみた! おっはぁ〜。:.+.:*w(′┏▽┓`●)w 先日、長男が帰省のおりに、ソニーのウォークマンを見せてもらってビックリした。 そこでiMacのパソコンを導入したので、iPodを買ってみようと思い立った。 iPodの機種にはtouch、classic,nano,syaffleがあるが、その中で何を選定するか、 迷った末に、一番小型のnanoに決めた。アマゾンから注文したが、2時間ほど夢中になって時間を忘れるほどであった。 選定の最後の決め手は小ささであった。直ぐに分かったことはタッチとプッシュで簡単に操作でき、何よりシンプルなのが良い。 Macのパソコン同様に、売り場を何気なく遠くからみるだけで、難しそうで近づきがたかった。 どのように数千曲もの音楽を、小さな器械に入力できるのかが、まず不思議であったが、iMacを入れたおかげで、 CDを差し込むだけで入力できることが分かった。まずはミュージック、そしてライブラリーと開いて、iPodとコードを つなぐだけで、自動的に入力をしてくれる。 だから若者を中心に多くの人が飛びついたのである。 (字数制限のためカット2011年02月19日) ......... 2007年02月19日(月) 2148, 幸福に驚く力 −1 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 大雑把に言ってしまえば{人は子供の本と物語の力によって、日常の中にある幸福に驚き、 人生を肯定的に生きることができる}が柱である。 幼児期、少年期の生活環境の重要なポイントが 見えてくる内容である。今回はテーマそのものの[幸福に驚く力]についての、要点を抜粋してみる。 ー幸福に目を凝らすー 大人の文学は、よくもまあ、これだけ不幸に目を凝らすものだと思われるほどに、重箱をつつくようにして 不幸をえぐり出しますね。それはそれで面白いんです。では児童文学は何をやっているかというと、幸福に目をこらしているな〜 と思うんです。一見不幸と見えるなかに、よく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいることを、ちゃんと取り出して書いている。 不幸に驚くことは放っていても誰でもする。 不幸に目を凝らすことは放っておいてもみんなする。 でも、子供の文学はずっと幸福に目を凝らしたり、幸福に驚いたりする心を持った人によって、書かれてきたんじゃないか と思うようになりました。だから幼いときに昔話や優れた児童文学に出会うことは、非常に大事です。 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」 とはよく聞くが、 そのことをやっと最近になってわかるようになった気がします。まあ昔話は人生のイメージ・トレーニングをすることである。 ー人生を肯定する生き方 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」とはよく聞くことですが、 そのことが最近やっとわかってきたような気がします。昔話はだいたい、主人公が一人いて、いつも前進し続けていて、 最後には幸福になるという筋書きですね。これが繰り返し繰り返し、いろんな物語に出てくる。 これらに出会うことによって、なるほど人はひとつのイメージ・トレーニングができてくるのだろうなと思います。 (字数制限のためカット2010年02月19日)
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2014年02月18日(火)
* なぜ人生に、哲学が必要なのか? (今更だが、あえて!) もう少し おまえσ(=゚ω゚=;)考えろよ!? 40歳を過ぎた頃から、哲学に興味を持ち始め、初心者用の本を中心に読み続けてきた。知れば知るほど、奥行は深い。 知人の叩き上げ?で一財を築いた?男が、茶器造くりを趣味にしていると聞き、自宅に行き、一つ貰ってきたことがあった。 その少し前に「スランプ気味」と話していたので、お礼にと初心者向けの池田晶子の哲学書を贈呈した。そこまでは良いが、 私の一連の件で会う度に、それを逆手に『俺は哲学書など読まないが、上手くいっている』と嬉しそうに嫌味をいう。 これは、イギリスの哲学者で経済学者でもあるジョン・スチュアート・ミルが、著書「功利主義」で唱えた 【満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい】という 言葉を知っていたら絶対に言えないのである。「ものを考えず現状に満足して動物のように生きるな。 やせてもかれても思考する人間らしく生きよ」ということ。その男に何度か言われるうち、酒も入っていたこともあって 『茶器造くりでスランプというから哲学の入門書をやった。茶器とは作者の魂そのままが、表出する。スランプを乗越える ためには、魂とは何か?魂を入れるとは何か?を知らなければなるまい。作品に打込んだ魂とは全身全霊を作品に叩きつけて こそ入るもの!それなくしてスランプを乗り越えることなど出来ないはず!』と、怒り気味に話したが、この人には? 近くの社長をしている二人も、その男の嫌味もあってか、私の理屈に同調?したようだったが・・┃¨━(σ-`д・´)━╋┓ 魂といえば、ゴッホの「ひまわり」や、ピカソの「ゲルニカ」を前にし、その波動が伝わって立ち竦んだことがある。 茶器づくりも、茶道も、花道も、コンピユータにたとえれば「エクセル」「ワード」などの「アプリケーションソフト」に 過ぎない。「ウィンドウズ」や「リナックス」といった「OS(基本ソフト)」がなければパソコンのアプリが動かない。 何事も、そのOSとなる「ものの考え方」や「もののとらえ方」の基礎を学ぶ必要がある。行詰ったら、「知のOS」を、 グレードアップした上で、茶碗造りなどのアプリを作り替える必要がある。その「知のOS」が "哲学"などの教養にあたる。 これからすると、正解のない人生の課題に対処するにも哲学が必要になる。人生の難問は生きている限り次々と生じてくる。 対処するには自頭で考えて乗り越えるしかない。その自頭のベースは教養から生じてくる知恵、すなわち哲学になる。 「哲学」(フィロソフィー)という言葉は、古代ギリシャ語「フィロソフィア」(知恵を愛する)が語源。 この言葉は、 哲学が「いかに知るか」「いかに学ぶか」を学ぶための学問であることを教えている。知恵を愛するから、知恵が生まれる。 反面教師なら幾らでもいるが、相手から見れば、自分が最たる反面教師だろうに・・ 人は己が知っていることしか知らない! (゚∀゚). (ノ・人・`)??はて…? ドォスル?? (*´・д・)ノ(・д・`*)ドォシヨッヵ・・; … o( ̄ー ̄;)ゞううむ o(´^`)o ウーr(-◎ω◎-) 考え中..... σ( ̄、 ̄=)ンート・・・σ(゚・゚*)ンート・・・ウーン (Θ_Θうーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ ・・・・・ 4356, 閑話小題 ー因果一如 2013年02月18日(月) * 因果一如 白隠禅師の坐禅和讃の中に、「因果一如の門ひらけ」と云う一節がある。 「因果一如」は、因果応報に近い言葉。 原因と結果は一緒という意味で、原因を作ったときには、結果も同時に生まれるということ。結果はいつも原因の中にある。 原因から出て行って、また原因へ帰る。 過去と未来にとらわれることなく今のその瞬間を大事に生きることにつながる。 なぜ人は死ぬか? 生まれてきたからだ。病気は、きっかけでしかない。善悪、それは誰かが決めた基準で裏表同じこと。 事業の倒産、それは創業したため。きっかけは、事業年齢がきて寿命が尽きたため。そうこう考えると納得できる。 現在のアベノミクス、これを因果一如で考えると、ハイパーインフレへの最終到達点。一度、清算した方が良いのかも。 * ヨガ・エアロの場にて 週に二回、スポーツセンターの「ヨガ」に参加しているが、あと一月で一年。欠席は4〜5回で、ほぼ皆勤に近い。 週に三回、行われているが、火曜日と木曜日に参加している。50人定員だが、毎回、ほぼ満員。幅60センチ、 縦120センチのヨガマットを縦にして、その中で先生の指導の下、50分の間、マントラなどの音楽を聴きながら、 色いろなポーズをとる。室内はカーテンで暗く、大人数のヨガは何とも不思議な気持ちになる。「マット内は、自分の宇宙で、 周囲を無視してください。」と何度も何度も繰り返す。9割は女性で、時間からして主婦が大部分。一年近く続けていたため、 関節の硬さは、かなり取れてきた。「スローヨガ」と名うっているが、だんだんハードになっていく。私にとって、医院での 腰痛治療のようで、背骨、足腰の骨の矯正をしていることになる。ヨガは、元もと座禅など瞑想をしている合間に、足腰の 矯正をするためのもの。とはいえ、これで腰痛が良くなったというより、悪化防止という感覚。終わると、脳と身体がスッキリ した感覚になる。で、先日、私の近くでプッという音。 ガス抜きのポーズで、誰かが思わず・・ そこに、男は私ひとり。 誰がみても・・ まあ、いいかで時間が過ぎていった。 ・・・・ 3981, 閑話小題 2012年02月18日(土) * 総下流の時代って言葉は変じゃない? 最近よく「総下流の時代」という言葉を見かけるが、少し考えれば分かるが言葉自体が変じゃないか。その意味は、総貧乏。 総下流とは今までの下流レベルに大部分の人がなると、いっているのだろうが。下流とは平均所得半分以下の収入の人をいうが、 そのレベルに大部分がなった時、それは下流ではなく、それが中流になる。 終戦直後、大部分が貧困に喘いでいた時に、 総下流など誰もいわなかった。 戦争に負け占領され目先を如何にして食いつなぐかで精一杯で勝ち組もいなかった。 現在は一部が総勝ちで、大部分は敗者になるのはグローバル化時代では、仕方がない。その一部の勝ち組の収益を、どう調整するか。 一時代前まで、総中流と大部分が信じていた良き時代があった。 言葉に矛盾があるが、総下流、皆でなれば怖くない? のか。 * スポーツジムに10ヶ月 スポーツジム(SJ)に通い始め、あと50日で一年になる。金曜と日曜が公営のミニSJで、それ以外が近くの大型の民営のSJに通う。 一挙に緊張感から解放された反面、ストレスによるウツ症対策として、身体を動かすことにした。身近の倒産で、ストレスが暴発したり、 酒浸りになり廃人同様になったのを見ているので、とにかく運動でストレス解消と、二つスポーツジムに通いだした。 元々、二年前からの早朝のサイクリング一時間を習慣化していた(4〜11月)。それを加えて一日三時間は運動をすれば、 目先の辛い一年を乗り越えるだろうと始めた。 気分転換には良い反面、地元のため知れ渡ったのだろう、冷たい視線や 聞こえるような陰口もあったが、内声の「シロアリ」の10回の繰り返しで、そう見えてくるから。 シロアリは弱音の 気持ちに敏感、何とも思わなければ直ぐに消えていくのは世界共通の道理。 真面目に通った結果、数年来の足腰の重さが 五分の一か、十分の一になり、腰痛もほぼ解消。 それも時間が経つにつれ良くなるのが分かる。 6つの運動マシーンと、その間にステップ台が交互に円環に並んだ中央に、若い女性のインストラクターが ポップ系の音楽に乗って指導する踊るようなイージーラインがよい。それと、各種のエアロビも気持ちを高めてくれる。 ・・・・・・・ 3617, 一連のアラブ世界の騒動は 2011年02月19日(土) 今年に入って早々から始ったネットで触発されたデモで、アラブ諸国が次々と政変に至る事態に陥っている。 これは、当分の間は続くだろうし、事態は思わぬ方に発展していく可能性がある。 ネット社会に移行しつつある現在、 日本では、まだ地位と肩書きが高ければ偉いと思っている人が多い。 しかし情報が優先されるネット世界では、そんなものは 何の価値も持たなってきた。 アラブ諸国のような旧態依然の権力構造国家が、ネット人間によって、当然のごとく軒並みに崩壊過程に 入ってしまった。 年寄り優先、性差別、情実、肩書き故に威張っていた絶対権力者は、若いネット社会人には、無能な漫画的老人として、 ある日、突然、追い落とされてしまう。 それでは、彼らの中の優秀な人材が、急にとって代われるかというと、そうはいかない。 情報ネットはフラット化で平等社会にする良い動きもある。 が反面、真の実力が求められる競争社会でもある。 情報社会と知識社会とは違う。 情報社会は、情報が優先されるが、それが知識にまで到達してないレベル。 これまで権力構造の上層部しか持てない情報が共有されるから、否が応でも過去人間は早々に淘汰される。 ここで知識と情報の違いは何だろうか?という問いがたってくる。 情報は、本やネット、マスコミ媒体、そして人など、 外部から入ってくるもの。 知識は、一度自分の中で消化され血肉になって内側から出てくるもの。 だから情報社会は恐ろしい。 事実は一瞬で流れるが、真実は伝わりにくい。 しかし、一部に偏っていた情報がフラット化をする作用がある。 日本では、現在アラブで起こった問題は、この10年間、いや20年かけて起きて、権力構造を変えてきた。 その辺が、アラブとの知識構造が違うのだろう。 この毎日の随想日記は、情報の知識への転換プロセスと、書きながら気づいた。 私の触覚が捉えた情報を、起承転結の文章のパッケージ化してしまう。 そして忘却して、翌年から、毎年読み返すことで、 情報から知識への転換をしていたのである。 鈍くても、5年、10年も繰り返して読めば、知識に転換する。 努力の割りに蓄積効果が自覚できないのは、基礎教養の土台に問題ありか・・・。 話しがそれた。 もう一つのネット世界が、旧来の現実世界を破壊を開始した一例である。 間違いなく、近い将来に中国でも共産党を 破壊するか、大改革を迫ることになる。 ここで、モバイル携帯や、タブレット式パソコンが爆発的に普及しだしてきた。 これが更に、ネット世界の力を急激に増すことになる。 その結果は、誰も想像すら出来ない世界に突き進むことになる。 ・・・・・・・ 3252, 大恐慌 入門 −1 2010年02月19日(金) * 「大恐慌 入門」朝倉慶著 一昨年の9.15のリーマンショック以来、多くの恐慌関連の本を読んで事態の大きさに呆然としたが、ここにきて少し 小康状態を保っている。冬季オリンピックが終わる頃から本格的な波が押し寄せてくる。 既に恐慌は起こったのである。 現在は、緊急措置で平静を保っているだけ。そこで数日前から数年前から去年にかけて読んだ金融恐慌関連の本を重ねて読み返している。 当時は読み過ごしてしまった内容にハッとすることしばしば。その一冊の「大恐慌入門」朝倉慶著がある。読んだ時は、 「色いろな学者の論をダイジェスト的に纏めたもの」と気に留めてなかったが、一年後になって読み返すと簡明だからこそ納得する。 表紙裏に < これまでは「春の散歩道」。これからデバティブ6京円というスーパーバブルが破裂する。 世界を覆う「百年に一度の津波」にどう備えるか。> とある。9.15から一年半経つが、アメリカの投資銀行は瞬間的にホボ消滅、 GMとクライスラー、シティバンク、日本では日本航空が破綻した。それ以外は、あまり目立った動きはなかったが、 これからCDSの破綻が表面化してくる。これに比べたらサブプライム問題は公園の散歩みたいなもの。一昨年の大晦日に発刊されたが、 著者の予告していた通り世界各国に国家破綻が現実に問題になってきている。アイスランド、ギリシャと深刻な問題が表面化してきた。 ・このスーパーバブルの崩壊は誰も止めることが出来ないし、アチコチで火山の噴火のように吹き出るのは時間の問題。 ・オバマは、処理など出来ないで、その責任を問われる悲劇の大統領になる。置き土産は、新ドルへのデノミか、大幅なドル安誘導。 ・資本主義の崩壊は、これから始まりCDSを抱えた金融機関や、企業の淘汰が表面化する。 CDOは、まだ300兆円だが、 これから5400兆円のCDSの問題が出てきざるをえない。それを解決するのは、世界各国が現在の貨幣量を果てしなく増加して、 ハイパーインフレにし、その結果、新たな貨幣への切り替えを世界中が一斉に実施、CDSをチャラにするしか方法は残されてない。 まず、ハイパーインフレに転じるに、あと一年はかかるから来年から再来年の2012年末辺りに標準を絞っているようだ。 ・失業は欧米で9パーセントを超えているが、日本は救済処置で5パーを維持しているが10パーは時間の問題。 〜 まあ、そういうこと! これらを読む限り楽観論は、この数年は考えられない。 〜 つづく ・・・・・・・ 2877, 自分らしくあれ! 2009年02月19日(木) クリントン女史が慌ただしく日本を駆け抜けていった。大学生との対話の中で、ある女子大生の質問 「女性なのに、どうして、そんなに強くなれるのですか」に、「自分らしくあることよ」と、答えたのが印象的だった。 ーそこで「自分らしくある」ことを、哲学的に考えてみる。 まずその「自己」を考えると「他者」の問題にぶつかる。 他者の中の「これ=自分」は時間の経過と同時に発生?する。 さっき向こうから歩いていた「これ」が現在、橋に立っている。 その時に、さっきの「これ」が「自分」になる。生まれて今まで他者の間で生きてきた。その他者との境界線の内側が「私」である。 「自分らしさ」とは、それまでの人生で他者との接点の「あり方」、あるいはその内側の蓄積である。その時点時点で、 何かを追求している在りようが「自分らしさ」である。何かに没頭していて我を忘れている姿に「自分らしさ」が生まれてくる。 初めから「自分らしくあろうと振舞ってはならない」ということである。役者が仮に信長を演じていたとすると、 役者が自分の個性を意識した時、大根役者に陥ってしまう。我を忘れて信長を演じた時に出てくる味が「自分らしい」のである。 (字数制限のためカット 2012年2月19日) ・・・・・・・・・ 2008年02月19日(火) 2512, iPod nanoを買ってみた! おっはぁ〜。:.+.:*w(′┏▽┓`●)w 先日、長男が帰省のおりに、ソニーのウォークマンを見せてもらってビックリした。 そこでiMacのパソコンを導入したので、iPodを買ってみようと思い立った。 iPodの機種にはtouch、classic,nano,syaffleがあるが、その中で何を選定するか、 迷った末に、一番小型のnanoに決めた。アマゾンから注文したが、2時間ほど夢中になって時間を忘れるほどであった。 選定の最後の決め手は小ささであった。直ぐに分かったことはタッチとプッシュで簡単に操作でき、何よりシンプルなのが良い。 Macのパソコン同様に、売り場を何気なく遠くからみるだけで、難しそうで近づきがたかった。 どのように数千曲もの音楽を、小さな器械に入力できるのかが、まず不思議であったが、iMacを入れたおかげで、 CDを差し込むだけで入力できることが分かった。まずはミュージック、そしてライブラリーと開いて、iPodとコードを つなぐだけで、自動的に入力をしてくれる。 だから若者を中心に多くの人が飛びついたのである。 iMac(パソコン)のライブラリーのコーナーにCDや、インターネットで購入した曲を記憶させる手間が少しかかるが、 これはいたし方がない。驚いたのは、CDで入力した曲の情報を自動的にテーマや、作曲者、入力順、聞いた順に分類し、 羅列してくれることだ。さらに流れている音楽の広告も出てくる。これはアマゾンやグーグルと同じである。 (字数制限のためカット2011年02月19日) ......... 2007年02月19日(月) 2148, 幸福に驚く力 −1 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 大雑把に言ってしまえば{人は子供の本と物語の力によって、日常の中にある幸福に驚き、 人生を肯定的に生きることができる}が柱である。 幼児期、少年期の生活環境の重要なポイントが 見えてくる内容である。今回はテーマそのものの[幸福に驚く力]についての、要点を抜粋してみる。 ー幸福に目を凝らすー 大人の文学は、よくもまあ、これだけ不幸に目を凝らすものだと思われるほどに、重箱をつつくようにして 不幸をえぐり出しますね。それはそれで面白いんです。では児童文学は何をやっているかというと、幸福に目をこらしているな〜 と思うんです。一見不幸と見えるなかに、よく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいることを、ちゃんと取り出して書いている。 不幸に驚くことは放っていても誰でもする。 不幸に目を凝らすことは放っておいてもみんなする。 でも、子供の文学はずっと幸福に目を凝らしたり、幸福に驚いたりする心を持った人によって、書かれてきたんじゃないか と思うようになりました。だから幼いときに昔話や優れた児童文学に出会うことは、非常に大事です。 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」 とはよく聞くが、 そのことをやっと最近になってわかるようになった気がします。まあ昔話は人生のイメージ・トレーニングをすることである。 ー人生を肯定する生き方 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」とはよく聞くことですが、 そのことが最近やっとわかってきたような気がします。昔話はだいたい、主人公が一人いて、いつも前進し続けていて、 最後には幸福になるという筋書きですね。これが繰り返し繰り返し、いろんな物語に出てくる。 これらに出会うことによって、なるほど人はひとつのイメージ・トレーニングができてくるのだろうなと思います。 それから、必ず善が勝つのも昔話の特徴でしょう。善が勝つ、善が生きのびるということは、とにかく小さい時にはこれでもか、 これでもかと伝えてやらなくちゃいけないんでしょうか。そうやって生きるということを徹底的に肯定的に肯定してやること。 (字数制限のためカット2010年02月19日)
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2014年02月17日(月)
「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著) *「自分は運がいい」と思っている人ほど、幸運に恵まれるのはなぜ 「マインド・リーディング」のテクニック&メソッドを紹介した本だが、これは他人だけでなく、まず自分の マインド・リーディングに使えばよい。それだけ、心は未知で、扱いにくいもの。ランダムに、面白そうな部分を テーマにするが、運、不運は、その最たるもの。運は判断の結果をいうが、その為に必要なのが「観察力」である。 このところ長年信じてきたバイアスに気づくことが多い。 『私はもの覚えが悪い!』と、数十年思い込んできた。 そのため、対象を観察さえしようとしないため、さらに、もの覚えが悪くなっていたことに、最近、気づいた次第。 私は「運が強い」と思ってはいるが、その運を呼び寄せるのは、長年かけた努力の集積の結果ということを経験上、 分っていた。 運がいい、という思い込みなら、良いが。 ーまずは、そのあたりからー 《 自動車メーカーの創設者ヘンリー.フォードはこう述べている。「あなたは、自分は何かがとても上手にできると 思おうが、全然できないと思おうが、どちらも正しい」 あなたの思考パターンが、目標を達成する妨げになっていないか どうかをよく考えてほしい。 なぜなら、それがあなたの人生の運に大きな影響を及ぼすからだ。イギリスの心理学者、 リチャード・ワイズマンも、大規模な調査によってそのことを証明している。ワイズマンは、人生における幸運と不運は 本当に偶然によるものなのか、それとも運のいい人と悪い人がいることを心理学的に説明できるものなのか、ということに 興味をもった。そこで、ワイズマンは、自分が幸運に恵まれていると思っている人と、ついていないと思っている人を 探し出した。調査の対象になった人たちは「新聞に載っている写真の枚数を数えるように」と言われた。 その後、ワイズマンは被験者に、写真が何枚載っていたかを尋ねた。しかし、被験者には知らされていないもっと 重要なことがあったのだ。その紙面の中央に、ワイズマンはある文章をかくしていた。その文章とは、紙面の半分 くらいの大きさで、「実験の担当者に、これ見たと言えば、あなたは百ポンドを獲得します」と書かれていたのだ。 自分には運がないと思っている被験者たちは写真を数えるのに必死で、その文章に気づかなかった。一方で運が良い 人たちはリラックスしており、もっと全体を見渡すことができ、ほぼ全員が百ポンド手に入れた。 ワイズマンはこのことから、運の良い人は、運がない人よりもチャンスに気づくということを導き出した。 私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運のどちらかを引き寄せるのだ。 ワイズマンは、こう書いている。「楽観的な人は前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープンである。 一方運の悪い人は、控えめで、頼りなく心配そうな反応をし、目前にある機会を見つけて活かす気がないようだった」》 ▼ 運とは、判断の結果であり、判断には対象の観察力が必要になる。過去の行蔵を見ると、失敗の場合は、観察を する詰めが甘かったケースである。運を良くするには充分なる準備が必要で、浮ついて取り組めば、当然、そこには 失敗が待っていた。そう簡単に成功など出来る程、甘くはない。貧しい家には、貧乏神が住んでいる。 今回の一連でも多くのことを学んだが、それも捉え方一つ。この結果が、『あ〜、運が良かった』と思えば思えるし、 『あ〜、何て運が悪かった!』と思えば、そうである。運が良った!と捉えれば、長年かけたリスク管理を幾つかして いたこと。運が悪いと思えば『長年の努力の結果が、このザマ!神も仏もあるものか!』になる。モノは考えよう。 ・・・・・ 4355, 閑話小題 ー常日ごろがあるということ 2013年02月17日(日) *「今日という日は、残された日々の最初の日」 還暦を過ぎた頃より、「今日という日は、残された日々の最初の日」の言葉のとおりになってきた。 44年前の学生時代の終わりの頃の日記のコピーを、毎年この時期に読んでいるが、当時から現在に至る年数が 長いような短かいような。60歳を過ぎると「時間軸が横になる」というが、一年前も40、50年前も同じ感覚なる。 残された日々だけでなく、過去の時間軸も横になってきた。50歳を過ぎた頃に、それ以降の残された20年、30年分の 人生を捨て身で10年に圧縮し、前倒しに実行したのは、時間軸を横にしたのと同じことだった。横にして見えるのは、 「死」である。また、その裏にある「生」。どちらにしても、人は死ぬ。そして数ヶ月もしないうちに、ほぼ忘却。 それなら、今日という一日を目いっぱい生きるしかない。人生は50歳を過ぎれば、人間は「残された日々」になり、 毎日が、その最初の日になる。それにしては、まあ、いい加減な日々を過ごしている。 ポイントは、「時間もお金も、 ‘いましかできないこと’のために使う」ことになる。面白い映画を見て、良い音楽を聴き、腰をすえて本を読み、新たな 世界にチャレンジし、より孤独に徹し、日々を過ごすことである。その意味では自己評価は70点だが・・いや、50点か? * 常日ごろがあるということ 一線を離れ、毎日が日曜日のような平凡な常日ごろの日々が続く。しかし、この「常ごろがあること」が実は素晴らしい。 中学、高校、大学の日々で懐かしいのは、当時の「常日ごろの生活」であるため。その年齢ごとの常日ごろこそが価値があり、 光輝いている。時代を背景にした、その時節の自分が、そこにいる。だから現在も時代背景と、「常日ごろ」を味あうことが 必要になる。ところで真に味わっているだろうか? ・・・・・・ 3980, よかまん ー3 2012年02月17日(金) * よかまん節を女子芸大生に素裸で踊らせた よくぞ引き受け踊った女子大生も凄いし、それをビデオで自分の個展で流した会田誠にも恐れ入る。 ー 前回の続きから ー ≪ 最近非常勤講師として美大に呼ばれた折など、学生に「よかちん」について聞いてみると、ほとんどが知らない」と答えるのです。 せいぜいが「ああ、ラグビーの連中がやってるアレですね。見たことはないけど、話だけは聞いたことがあります」程度。どうやら 絶滅寸前の状態にあるようです。僕は「ざまあみろ」と「こりゃいかん」という、まったく相反する感慨を同時に受けました。・・・ 芸大も近年ご多分に漏れずグローバル化の波が押し寄せてきており、和洋の相克に揺れた先人たちが必要に駆られ作った、ユニークな ジャパン・オリジナルの枠組みが、次々と使命を終えつつあります。それは決しておめでたいニュースとは感じられない、複雑に屈した 自分がいます。また「よかちん」絶滅の直接的な原因が、近年の美大における女子学生の驚くべき増加であることも分っています。 僕の学生時代は少数派だった女子が、今ではどこの美大でも完全な多数派に転じています。女性全般に芸術の才能がないなんて よもや思いませんが、それでもこの極端な変化には不安を禁じ得ません。同時に、少数派となった男子学生の全体的な覇気のなさ、 いわゆる「草食」化も気になるところでした。日本の美大と美術界は今後どうなっちゃうんでしょうか。そんなことを諸々考えた上で、 最近「よかまん」という新しい芸を作ってみました。 といっても「よかちん」の歌詞を少し変えただけなんですが。 "数え歌"の部分が以下のようになります。 一つ 開けば、二つ 触れれば、三つ 見せれば、四つ 悦べば、五つ 入れれば、 六つ ムズ.ムズすれば、七つ 舐めさせれば、八つ 破れば、九つ 擦れば。 小道具の一升瓶は小さなザルに変更しました。 これを現在東京藝大で油絵を学んでいる、知り合いの女子学生二人にやってもらいました。二人とも肝の据わった「肉食系」なので、 進んで全裸になってくれました。そしてそれを収めたビヂオを自分の個展会場で流してみました。それで何かが解決するとは思いませんが、 問題提起くらいにはならないかと思って。というか本当はこの「よかまん」が実際に芸大で流行して定着し、新しい伝統が生まれるのを 夢想してるんですが…… やっぱり無理ですかね。≫ ▼ 女と男は違うので、これが定着するとは思えない。あくまで、一人の芸術家のお遊びだろうが、これに類したのは、 芸者遊びの中では多くあるはず、あくまで男を楽しませるもの。そういえば、以前の会社の忘年会で、メイクさんの ツワモノが男の人に座布団を女性の何に見立て、自分が箒を男の何にして・・・という面白い芸があった。ご愛嬌の範囲だが。 ・・・・・・・ 3615, 忘却の整理学 ー1 2011年02月17日(木) 「忘却の整理学」外山滋比著 内容= 頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳を整理し、 創造・思考の手助けをするのは忘却なのだから。『思考の整理学』の続篇 * なかなかオシロイ本である。 忘れること・忘却を中心に据えた本は私が知る限り過ってなかった。 呼吸は、まず息を吐き出さないと新しい空気は吸えないと同じで、忘却によって整理され、きれいに片付いた頭で 新しい知識や情報などを取り入れられるために積極的に忘れろという。一度書いた文章をまず寝かせたり、 気分転換すると思いもよらぬ着想が得られたりするのは、忘却による効果。 忘却が知識を選択的に頭の中で熟成させ、 時間の風化作用で別次元の高みに体系化する働きがある。 忘却はランダムに起こるが、それが個性を形作る。 ー‘まえがき’の以下の部分が、アラスジにもなっているー ・・どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者の間に忘却を考えないと、説明がつかない。 知識をいったん かなりの部分を忘れたあとで、もとの知識から離れてオリジナルな思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと、知識は途方にくれる。 知識は利用されることを待っているのであって、それだけで、思考、創造をおこす力をもっていない、 むしろ、そのままでは自由な 思考の妨げになるおそれは十分である。そんなことをあれこれ考えていて、忘却論に思い及んだ。記憶と表裏をなす忘却があるという考え。 ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識のみが新しい知見を生み出す。大工は生木で家を建てないのと同じ。 忘却のアポロギア、弁明を思い立ったのは数年前のことだが、どうして忘却がこれほど長い間きらわれ、怖れられ、卑しめられてきたのか。 忘却を称えたことばはないものかとそれとなく心がけてきたが、日本には見当らない。 おしなべて忘却性悪説である、 ・・ことにコンピューターが異常なほどの発達をとげて人間の記憶力の価値を暴落させている。知識人ほどその衝撃を強く受けている。 コンピェーターを念頭において人間の知的活動を考えたならば、創造的思考がもっとも人間らしい活動であることは明らかになるはずで、 その独創の土壌になるのが忘却である…… そういう考えのもとに、この本に収められた諸エッセイは書かれている。 忘却論ではなく、忘却をめぐるエ・セイを集めたものである。 ーここに書いた内容は、アップした瞬間、ほぼ完全に忘却の彼方になる。「いま、ここ」に集中すれば、忘却の後々に残る。それがよい! ・・・・・・・・ 3250, 新・マネー敗戦 −1 2010年02月17日(水) 以前、NHKスペシャルで「シリーズ マネー資本主義」を放送していた。 ■第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか 〜アメリカ投資銀行の興亡〜 2009年4月19日(日)午後9時00分〜 ■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? 〜カリスマ指導者たちの誤算〜 2009年5月17日(日)午後9時00分〜 ■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか 2009年6月14日(日)午後9時00分〜 ■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか 2009年7月19日(日)午後9時00分〜 ■最終回 危機を繰り返さないために 2009年7月20日(月)午後7時30分〜 ■ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか 2009年12月20日(日)午後9時45分〜 再放送も含めて食い入るようにみた。 紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流するシステムを 追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや解説で解明していた。 それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。その最大の被害者は、もちろん日本。 ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、速読をしてみた。 大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著 ーこの本の概要といえばー《 ネット参照 》 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず緩やかな没落の道を辿った。 その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。 実物資産の裏付けのないマネーの誕生である。 バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大なペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と 産油国経由の米国への還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更したイラクに対し 戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では米ドル需要の減退は時間の問題。 字数の関係でカット(2012年02月17日) ・・・・・・・・・ 2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉 2009年02月17日(火) 「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー の中で、ポルトガル人フロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。 現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。 ーその部分を要約すると・・・ 1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。フロイスは1581年3月、再び会うが、 安土城を自慢したかったようだ。彼の見た信長は「中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、 極端に戦いを好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、食を節し、人の扱いには きわめて率直で、自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と 真実性が感じられる」その信長が亡くなった後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、 信長像に比べておおらかではない。「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」 「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」・・・ 生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。秀吉の漁色乱交に、 ▼ キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、とうのが彼の解釈だ。この「日本史」では、 外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって観察されている。その点では信長と秀吉を現代人の感覚で 観察している目に近いと言えるのである。更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 それによると、ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、「手と顔を洗い終えて身体をふいている 信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、自らの部屋に入り、 戸を閉じて、そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、生きながら焼死したと言った」更に、 「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず 灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上に何ら残存しなかったことである」と・・・ ー 生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 ・・・・・・・・・ 2008年02月17日(日) 2510, 黒柳徹子 子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばりと黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時もラジオかTVで見かけてきた。 現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。しかし芸能界の一線で55年も活躍している のだから、それなりの信条があるのだろう。どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、 学校では劣等生だったという。ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 その概要といえば、 −− 仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では私抜きでもドラマは進行した。 その時に、二度と病気をしたくない、と思った。だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、 どうすればよいか?」と聞いたら、先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。 でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」 私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」 「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな〜」。 「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、 少しずつ身体に溜まっていく。それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、 病気にはならないんだと思うんだ」。私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、 自分が進んでする仕事をするように生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、 やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて引き受けた仕事だから、と全力でやった。 そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。 ーつづく 字数の関係でカット(2012年02月17日) ・・・・・・・・・・ 2007年02月17日(土) 駅前専門学校の時代の終焉! 才八∋ウ_〆(∀`●)サン 十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。 字数の関係でカット(2010年02月17日)
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2014年02月16日(日)
ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 死にいく者を見送るのは辛いが、最も重要なこと! 見送る方も、その経験が自分自身の末期の予習になる。 父が余命一年と身内に宣言され、それを察知した父親の死への不安と恐怖を身近で感じ取った。そして現在、ほぼ同じ年齢に なり、自分にも、同じような事態が、さほど遠くない近未来にやってくる。御陰で、長年かけてその時に対し、多くの知識を 入れてきた。その時は、その時だが、長年かけて積み上げた知識は生きる意味を学ぶことであった。 最後は何もかも失ってしまう人生の残酷さ。これを前提に生きれば、何事も捨身で立向かうことが可能だったが? * 第四章 だいじな人との貴重な時間 ・患者は病気のことを話したがっている ーだから、患者の集まりがにぎわう。(患者を人間、病気を自分に置き換えられる) ・親しいからこそ話せないことがある ー「がん哲学外来」も、そのためにある。(だからがん患者の体験談の本が売れる) ・患者の日常を支えるのは家族 ー死を前にした生への欲求の乾きを満たすのは家族でも無理! ・30分間黙ったままいっしょにいられる関係 ー傍にいるだけで、来てくれるだけで充分。孤独地獄の中、藁をもすがる思い。 ・「する」ことより「いる」ことのやさしさ ー御隠居生活の移行は、「何かをする」から「世に存在する味わい」へ。 ・家族にも見えにくい患者さんの本心 ー当人と、周辺の人との理解は至難の業!割り切るしかない? ・愛しているなら心配するな ー心配と愛情は違う。家族は、愛情で包むしかない! ・正論が正しいとはかぎらない、 ー家に帰りたい!に対し、同じ無理でも、言い方一つで、傷つけない注意を! ・「がんばれ」が患者さんの負担になることも ー「がんばっているのに、がんばれも、変」 ・家族の「交替要員」はいない ーだから、最期まで見送る覚悟を立てるしかない。 ・患者を「第一」に考える ーそのためには、当人にとっての優先順位を考える。 ・家族の思いより患者の思い ーだが、その立場の違いは無限大。 ・がんを誰に知らせるかは状況次第 ー患者の立場になって。 ・病院への遠慮はいらない ・病気になる前にしておくことがある ーこの「その日のための予習」は、その最たるもの。 ▼ 末期がんのための予習も、変なものだが。とはいえ、その時になってからでは無理。死刑宣告と、ほぼ同じ。 自分一人が、突然、奈落の底に落とされ、絶望と、恐怖に、恐れおののくのである。そこで、人間は神を創作し、 常に共にいてくれ、最後は天国に召されるという物語の刷り込みを数千年にわたり、してきた。 最後は、神様にすがるしかない弱い存在が、知識を持ってしまった人間である。 ・・・・・ 4354, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー6 2013年02月16日(土) 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著) * 感動体験を書く 「言葉にならないほどの感動」は数限りしてきた。言葉にしてないが、感動の場面は脳にシッカリと刻まれているので、 それを言葉に替えて文章にすると、当然よい文章になる。人生を振り返ってみて、自主独立に過ごせたことと、感動を 目いっぱい経験できたことが、何よりも変えがたい。 ー以下は、そのあたりを纏めたものー ≪ 感動したことを思い出し書きなさい、感動したことは忘れない。高校時代の同窓に小学校の先生をしていた女性がいます。 彼女はやはり「作文は感動したことを書かせることよ」と話していました。子どもならずとも感動した話というのは、人に 話したいという思いが強いものです。感動とは心を動かされること。自分の心が動いたということは、とりもなおさず 「そこに自分がいる」ということです。作文が主として自分自身の表現であることを考えても、感動体験は最上の題材になる。 感動には二つある。 外からの感動と内から感動です。外からの感動は、映画をみたりTVでドラマをみたり、本を読んだり、 人の話を聞いたりして経験する。もう一つの内からの感動は、何かに挑戦して得られる感動です。山登りや受験に合格したとか、 達成感にかかわるもの。 そこで感動と感激の違いというと、「感動」は大自然の美や映画、絵画など価値のある他者に向けられたもの。 「感激」は入試に合格したとかの自分にかかわること。というと、感激も感動の範疇に重なる。 何かに「あっ!」と、 思ったら、そこに自分があると思えばよい。女性初の国会議員の故加藤シズエさんは、一日10回の感動をモットーにしていた 感動人間でした。彼女の対談集に興味深い話が次々と出てくる。「脳というのは不思議なもので、普段はいちいち覚えたつもり がないことでも、感動して思ったことはどこかの引き出しに入っている。誰が整理するのか、その脳が整理して必要に応じて 出てくる。なまじ、記憶で試験勉強で覚えたより、感動で覚えることの方が、自分の身につくということ」という。 ≫ ▼ 「感動した時に、そこに自分がいる」には、納得する。この在庫を多く持っていると、色いろな引き出しから、必要に応じ あらゆる思い出が引き出せる。感動体験を意識して文章化をしておくことは最重要のことになる。感動体験の総体が、その 人そのものといえる。感動は求めれば得られること。特に大自然の懐で体験できる。それも、内なる経験は、そこへの 旅路の行程を乗り越えて、そこに至った喜び、そして、そこにしかない大自然の美しさの感動が相重なり、至高体験になる。 そうこう考えると、まだまだ文章化をしてないことになる。書くことが無いとは、書く能力が足りないということになる。 ・・・・・・ 3979, よかまん ー2 2012年02月16日(木) 「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」 会田誠(美術家) ーよかちん節の由来ー これが??大学の大根踊りレベルだったら別に、そんなものだが、東京芸大の宴芸というから中和される。 それも自分の個展の入口に堂々と、というのも良い。品のないこと?この上ないので人には話すことでないが、面白さは格別。 卑猥な芸?も、書き方一つで抵抗なく読むことが出来る。若い時節の男の性欲は男なら分かるが異常に強い。 それを酒宴で、 露骨に踊ってみせるのも一興。 お神楽のヒョットコ踊りに、巨根の棒を振舞わして、オカメと踊るのを見たことがある。 その亜流だろうが、品はないが罪がない。 顔をしかめる人も多いだろうが、よくぞ・・である。 ー前回の続きからー ≪ 美術大学に代々伝承されてきた宴会芸に「よかちん」というものがあります。僕は今から四半世紀以上昔のこと、 美大の新入生歓迎コンパか何かの席で初めて見たように記憶しています。どんなものかというと、宴もたけなわな頃、 やおら全裸の男が登場し、一升瓶を股間に挟んだまま(だから一応性器は隠している)、手拍子をとりつつ"数え歌"を歌い始めます。 「一つよかちん、なんじゃいな。ひねれば、ひねればひねるほど、よかちんちん。あ〜あよかよか、よかちんちん」 この「ひねれば、ひねればひねるほど」のところで、一升瓶を男根に見立てたアドリブによる(この場合"ひねる")ゼスチャーが入ります。 口述的に受け継がれる芸なので、歌詞のバリエーションは様々なようですが、僕が知っているところでは、数え歌は以下のように続きます。 二つー振れば、三つー見れぱ、四つーよじれば、五つーいじれば、六つー剥けば、七つー舐めれば、八つーやれば、九つー擦れば。 そして十でとうとうよかちんちんー と結ばれます。つまりこのような色々な体験をさせれば、良いチンポ(よかちん)に成長するという、 まったくもって脳味噌パーな、でも憎めない庶民的下ネタ芸なわけです。あと、どうやらルーツが九州ということもあって、九州男児的 マッチイズムの匂いもぷんぷんと漂っています。 学徒出陣で出征する美大生を「よかちル」で送ったという、泣き笑いの昔話を ネットで見つけたので、おそらく戦前からあったものでしょう。浪漫主義華やかなりし明治後期、青木繁など九州出身者が東京美術学校 (現・東京藝術大学)の乱痴気騒ぎの飲み会で、郷里のお馬鹿芸を披露して喝采を浴びたーそんな空想を僕はしてしまいますが、もちろん 定かではありません。いずれにせ、少なくとも僕が美大生だった1980年代後半まで、油絵科を中心に脈々と受け継がれてきました。≫ ▼ この後の文章に、よかちん節があるなら、よかまん節があってよいだろうと、創作したのが面白い。私も、品位が邪魔をして? そこまで思いもよらなかった。一升瓶の代わりに、ザルとは・・ とは。 Youtubeで調べたが、さすがに無かった。 ーつづき ・・・・・・・ 3614, 哲学は死の練習になるか 2011年02月16日(水) * 哲学は死の練習になるか ー木田元 死についての特集の中に、木田元の文があった。なかなか考えさせられる ーまずは、その抜粋からー ≪ 哲学者ハイデガーは『存在と時間』で「自己の死」についてこう述べている。 自己の死は「誰にも替わってもらうことができないし、 誰の助けを借りることもできず、それがくることは確実だが、いつくるのかは決まっておらず、その先にまわってみることなど決して できない、自己の究極の可能性」なのだ、と。 そしてハイデッガーは、人間にとって「本来的な生き方」とは、この自己の死を 不断に見据え、それに覚悟を定めて生きる生き方、つまり「死に臨む存在」なのだと主張するのだ。 ・・・ 自己の死についてのハイデッガーのこの見方はまことにユニークだが、まるで『はがくれ葉隠』のように、つねにおのれの死を 見据えて生きるというのが、いったいどういう生き方なのか、私にはうまくのみこめない。自己の死についてのハイデガーの こうした主張に対しては、少し年少のフランスの哲学者サルトルも『存在と無』で異論を唱えている。 彼にとって死は私のすべての可能性を無にし、私の人生からすべての意味を除き去ってしまう、まったく不条理な偶発事なのである。 彼に言わせると、私の誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様に、私の死も、理解したり対処したりする ことのできない不条理な事実なのだ。ここで面倒な議論をする気はないが「自己の死」に関してだけは、私もサルトルに一票を投じたい。 こちらの方が私の感じ方に近いからだ。 ハイデガー自身、『存在と時間』で持ち出した死生観の根にあるのは自分の個人的信念で あることを認め、どんな哲学的思索も、結局こうした個人的信念を出発点にせざるをえないのだと主張していたそうである。 ・・・つまり、私たちは生命の大きな流れの中から飛び散った一滴のしずくのようなもので、しばらくはそうした個体とし生きているが、 やがてまた元の大きな流れに引きもどされ、蕩々と流れてゆく。それが個体にとっての死なのだ、とそんなふうに思うようになってから 体調が落ちて、あまり永くは生きられそうもないなという気分になったときも、それほどジタバタしなくなったような気がする。 こうした一種アニミステイックな死生観を整理し体系化すると神道のようなものになるのではないかと思うのだが、あまり体系化など しない方がよいのかもしれない。 本当に死が間近にせまったとき、肉体的苦蒲のなかでこんなとりすましたことを 言っていられるかどうか自信がないが、これが今のところ私の死をめぐる想いである。≫ ー以上だが、言葉を持ってしまった人間は、他者の死を身近にみて、自分の死を思い抱くようになった。 死んだ人は、その瞬間に何もないが遺体が残る。それが死と勘違いするから、妄想が起こるのだが、その妄想を理性で 乗り越えようとしても、それも無理の話である。木田元は、滔々と流れていく大河に引き戻されて一滴が固体の死のイメージを 述べているが、毎年同じ木に咲く桜の花とも、それぞれのイメージがあるもの。 ・・・・・・ 3249, 最近のベーカリー事情 2010年02月16日(火) * ベーカリーのファーストフード化 数ヶ月前から週に2〜3回は新幹線の改札口に近いベーカリーで通勤途上、昼飯用のパンを買っている。 サンドイッチや、ナンで惣菜を包んだものや、カレーパンなど種類が多くあり、値段の割りに美味しい。中でも食べられる。 300円から500円で済み、外食の半値で済む。他に構内スーパーにある弁当とか、専門店街の菓子屋が売っているオニギリを買っている。 その御蔭か週一も外食に出なくなった。要は気晴らしに出ていた外食が面倒になったのだ。 ところで、知人が「カテゴリーキラーの外食が新潟郊外の青山に去年の暮れにオープンした」と話してくれた。 ・テイクアウトも、イートイン(店内でも食べられる)も出来るベーカリーで、レストランのような外観と、 イートインのできる客席はレストラン風 ・ポイントは、コーヒーが無料で、二杯目が20円 ・家族3~4人で、1500~1800円で食事のできる店というのが受けている・・・ その話を聞いて、「ラブラ万代の地下にあるベーカリーが、コーヒー無料にして、その脇にある自由食事スペースの テーブルと椅子をレストラン風にした感じ?」というと、その通りという。 成るほど、親子三人でパンやミニピザを 2〜3個ほど食べても、コーヒーが無料なら2000円以下で済む。 長岡と新潟の新幹線構内にあるベーカリーで、パンを買った (字数の関係でカット12年02月16日) ・・・・・・・・・ 2009年02月16日(月) 2874, 成長モデルから 脱成長モデルへ −2 「規制されたモデル」といえば、戦後日本の20数年の日本経済のモデルが理想であるが、これは成長モデルそのもの。 結局は資本主義経済はバブルの繰り返すしかないのである。その本質はネズミ溝であるからだ。 その繰り返しの中で、自由と平等を如何に両立させるかという難しい問題は人類の永遠のテーマと重ねる。 突き詰めると、どれもこれも共同幻想でしかない。 共同幻想でしか人類はコントロールできないとすれば、 共同幻想の「正・反・合」を繰り返すしかない。 更に前回に続いてポイントの部分を抜粋する。 〜〜 *『自由放任的競争』から『規制された競争』 「ケインズが終生説いたのは、実は、グローバリズムへの警戒なのである。 『頽廃的で国際的で個人主義的な資本主義が世界をかけめぐり、国内経済を破壊することこそ、彼は恐れたのである。 『それは、知的でなく、美的でなく、公正ではなく、有徳ではない。われわれは、それを嫌っている。 いまやそれを軽蔑し始めている』とさえ彼は書いている。この『資本の気まぐれな浮動』から、一国の経済を守らなければならない。 (字数の関係でカット11年02月16日) ・・・・・・・・・ 2008年02月16日(土) 2 509, 新・知的生産の技術 −2 好感の持てる人である。東京の知人が言うには「最近、東京では健康を兼ねてスポーツタイプの自転車でチョットした移動に 活用している人が多くなっている。」という話を聞いたばかりなので、成るほどと感心した。この人の場合は、 携帯用のナビまでつけている。ナビは個人の行動まで自由にしているようだ。ここまで電子機器が発達し、ソフトも高度化したなら、 己を空しくして逆に無駄取りをして合理化に徹したほうが良いに決まっている。その意味で、この本は批判が多いかもしれないが、 見習うべきことがあまりに多い。ここまでグーグルが世界の人たちに支持をされるには、それなりの内容があるはず。 なら、限度のある自分を徹底的に排除をして、己を空しくして圧倒的なベストに従ったほうが良いという 彼女の問いかけが、シンプルで訴える力がある。 ・補助脳としてのパソコン ・フォトリーディング、親指シフト、マインドマップなど、じぶんなりのOSを整え ・アナログとデジタル入力のバランスを使い分け ・マスメディア情報を減らし、実体験、他者体験、良書を三大情報源とする。 ・自分以外の感覚器、特に耳をもっと活用する ・そして睡眠はよくとり、運動をよくする だいたい、これにブログや日記、メモをよく取ること、これが言いたいことである。 大部分が進学にエネルギーの大部分の人が取られているとき、このような合理性で自己研鑽に 勤めれば、そこそこのことが出来ることだ。 ・・・・・・・・・・・・ 2007年02月16日(金) 2145, 「狂い」のすすめ −2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) この本は「世間」に対する私の鳥瞰視と同じトマリ木の目線である。第一章の「狂い」のすすめは、 「世間を幻覚と割り切ること。その為に自分を狂者と割り切ってしまえばよい。世間は狂っているのだから、 そんなものを元々相手にしなければよい。」私自身の人生を振り返ると、「狂」が一つのキーワードであった。 狂を演じてないと、事業など立ち上げることができない。現状否定が事業の立ち上げの切り口であるからだ。 その辺の二代目が、その「狂」を冷笑しているのをお笑い芸人の目で、その反応を計算している自分の様も面白かったが。 現在もそうである・・。いや、狂いが目立たなくなったということか!定年を迎えようとしている男が急ごしらえの定年後の準備を 始めている様はコミックといえばコミックである。「狂」になって一度自分を破壊しないと、定年後の第二の人生の構築はできない! その意味で、この本は彼ら向きなのだろうが、はたして理解できるか?この本では「狂者の自覚」という表現をつかっているが・・・ それまでの人生観を根こそぎ疑って、新しい人生観を構築しないと!それが第二の人生である。 この無自覚な連中を集めて商売にしようと目論んでいる人がいるが、その悪臭は自分では分からないだろ。 でも、その人たちに目先の安らぎを与えるどこが悪いか! という論法も成り立つが! どうでもよいことか。 この本の中で一番気に入ったのは、ーカタツムリからナメクジへー というところである。 *そこを抜粋すると* 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。 そうした気持ちでする旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、 重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 もう一つは ーついでに生きているー である。「‘人生なんぞ無意味である'と言うのであれば、なんでお前は生きているのか? それなら、生きている価値がないじゃないか」と言うが、その反論として「人生に意味がないなら、自殺さえ必要ないじゃないか」 と反論していた。そのうちにうまい言い方を考案しました。それは、人間は、−ついでに生きているーという言葉です。 人間に生まれてきて、生まれたついでに生きているだけだ。 別段、それ以上の意味はない。 人生に意味があり、目的があるとしたら、私たちはその目的に向かって邁進したくなります。 そうすると、競走馬的な人生になってしまいませんか。 −− まあ、一日一日を切断して、その一日を「日々是好日」と楽しめということだ。 二度とない人生、そして一日である。著者こそ、実際は逆に生きてきたし、現在もそうだろう。 (字数の関係でカット14年02月16日)
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2014年02月15日(土)
数年来、アメリカのシェールガス革命がマスコミで取り上げられた。アメリカ国内で格安のシェールガスが生産され、 エネルギー確保のための原油輸入から解き放された。その反面、恩恵を受けていた中東やロシアが、原油価格は下がり 続けることになり、世界のエネルギー市場の構造は一変すると予想される。しかし、地下水などの環境汚染問題が出て きている。何事も負の側面は付いてくる。 ーあるレポートが、その辺りを詳しく述べている * シェールガス革命がもたらす、5つの大変化 ー泉谷渉 《 現在、アメリカを中心に起こっている「シェールガス革命」は100年に一度の大変化と言われている。 それはこの変化が単なるエネルギー分野における変化にとどまらず、産業、社会、政治・外交など あらゆる分野に及んでいくことが予想されているからである。それゆえに「革命」と言われるのだ。 では、今後、シェールガス革命が本格的に進行していくことで、具体的にどのような変化が起こるのだろうか。 次の5つの点を中心に、この大変化の行方を読み解いていきたい。 シェールガス革命で起きる「5つの大変化」 1)アメリカ経済は金融、製造業ともに復活し、世界経済をリードし続ける 2)シェールガス革命に伴う大規模投資で、日本の技術力が必要不可欠に 3)資源価格の下落によって、国際関係のパワーバランスに大変化が生じる 4)エネルギーコストの大幅下落で、航空産業が飛躍的に成長する 5)エネルギーコストの下落は製品価格を押し下げ、デフレが深化する まず、安価なエネルギーを手に入れたアメリカは、急速に経済を復活させるに違いない。 現在、アメリカはいくつもの大型のガス火力発電所を建設し、電力会社の統合を進めるなど、 シェールガス社会へ向けての産業シフトを急ピッチで進めている。 》 ▼ 以前ほど原油価格にマスコミが敏感でなくなったのは、このため。また急遽、ロシアのプーチンが北方領土などで 軟化をしたのは、日本にガスを売りたいため。日本の近海にも世界有数のメタンハイドレート埋蔵量を持つとされる。 本州、四国、九州といった西日本地方の南海トラフに最大の推定埋蔵域を持ち、北海道周辺と新潟県沖、南西諸島沖にも 存在する。日本海の尖閣・竹島を始めとする領土問題は日本海側のメタンハイドレートが目的とされている。 ・・・・・・ 4353, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー5 2013年02月15日(金) * 「人プラス物」で書こう! 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著) ≪ 描写力の持つ伝える力やイメージを喚起する力を、さらに高める手立てとして、「人プラス物」で書くのがあります。 具体的な描写の大切さはすでに説明しましたが、その描写の中に人と物をうまく取り入れるだけで、その場面はさらに くっきりと浮かび上がります。物は広く考えてください。事物ととらえていただいてもけっこうです。 より伝わる文章表現は「人プラス物」です。 ・・・ こんな川柳があります。 歯ブラシはそっと寄り添うケンカ後も 夫に先立たれた奥さんはこんな句を詠んでいます。 夫逝きなかなか減らぬ歯磨き粉 ぼくは津村節子さんの短編『遍路みち』のこんな場面を思い浮かべていました。 洗面所のコップの中の二本の歯ブラシを見ると、一本も虫歯のないことを自慢していたことを思い出した。 夫の母親が、おまえは口もとがいいね、と言っていたという話をからかいながらロにすると、かれはふざけて ロ角を少し上げて笑ってみせた。育子はその笑顔を思い出して鳴咽した。「夫」は四年前に亡くなった吉村昭さん、 「育子」は著者自身でしょう。身近な人の死は新たな形を持ってやってくると言いますが、それは物と一緒の場合が けっこう多いんですね。 こんな川柳もあります。 亡夫の靴へふと足入れてみたくなり 靴底に足を入れていく感覚から悲しみの深さが伝わってきます。「人プラス物」は伝える力をいかんなく発揮する。 その靴ですが、奥さんをガンで亡くされた国立がんセンター名誉総長である垣添忠生は著書『妻を看取る日』の中で、 ありし日の一日をこんなふうに描いています。 【病室では妻に少しでも明るい気分で過ごしてもらおうと気を張っていたが、病院から一歩外に出た途端、動き続けている 世界に一人でいることになるのだという言いきれない孤独感に襲われた。師走を迎え、買い物客でにぎわう銀座通りを一人歩く。 まわりの人はみな幸福そうに見えた。私のように、心の中に嵐が渦巻いている人もいるというのに……。雑踏の中に身を置くと、 自分のまわりにだけ冷たい風がまとわりついているような気がした。そんなとき、よく立ち寄った病院近くにある帝国ホテルだ。 その地下には靴磨きコーナーがある。そのベテランの職人さんの仕事ぷりを見ながら、たわいのない会話を交わすと心が和んだ。 靴革は見違えるようなツヤを取り戻した。】 ▼ 文章に、その時々の物を意識し持ち込むと心の状況が鮮明に浮かび上がってくる事例である。納得である。 金沢のどん底時代の気持ちを表現するに、「私の供は学生時代から使用していた布団と、20冊ほどの愛読書と、 木製の組立本棚と、机と蛍光灯だけ。二人部屋の同室の男は二つ年下の同窓の大学の男だが、何か軽く生活観がない。 同期生は12名。」と表現すれば当時の状況が現れ出てくる。 ただ、「気持ちはどん底」の一言より、文章に幅が出る。 物と状況の描写は、それだけ重要になる。12年も書き続けてきて、この程度のことすら知らなかったが、量を書いてきた からこそ気づくこと。毎日が気づきと驚きの日々である。すべからく人は無知で涙を流す。「人プラス物」に、僅かな金か〜 ・・・・・・ 2012年02月15日(水) 3978, よかまん * よかちん節 学生時代に早大を中心にした学生寮にいたこともあり、三ヶ月に一度の割合で、何処かの部屋で 数人が集まり飲み会が開かれていた。 そこで興に乗ると出てくるのが、よかちん節か、数え歌、そして終は肩を組んで、 「琵琶湖周航の歌」か「知床旅情」で終る。 よかちん節を初めて聞いたというか、見た時には、ただ驚いた。 私が一番親しくしていた早稲田の男が、やおら下着になって一升瓶を股間に挟んで、奇妙な振りで数え歌を歌い踊り始めた。 実家が商家だったこともあり、年に二回は宴会が行われ宴会芸の際どいのを見てきたが、これほど露骨で面白いのは初めて。 そんな遥か彼方の記憶が浮かんだのは、先日、図書館で借りてきた「‘11年版ベストエッセイ集’人間はすごいな」の中の 『よかまん』の文である。「よかちん」芸は東京芸大の宴会芸が出どころとか。 その、さらに元は九州らしいが。 「よかちん」でなく何故か「よかまん」とあったので不思議と思いつつ読んで、仰天である。 次回から、少し長いので数回に分けて紹介するが、ベストエッセイに選ばるに、ここまでやらないと無理。 そのまえに、ネットで調べた「よかちん節」から・・ 下品で、猥雑なのは勘弁を!(二段目から参加者全員がはやす) ひとつ 一つひねってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン ふたつ 二つ振ってもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン みっつ 三つ見つめてよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン よっつ 四つ よっぽどよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン いつつ 五つ いつでもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン むっつ 六つ むしってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン ななつ 七つ なめてもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン やっつ 八つ やっぱりよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン ここのつ 九つ こすってよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン とお 十で とってもよかチンチン よか よか よかよかよかよか よかチンチン ▼ 書き手は芸大出身の美術家で、その個展に、これを・・ とにかく面白いエッセイ。次回を楽しみに! ・・・・・ 3613, 旅ばなし 小題 2011年02月15日(火) * マッターホルンの登山ツアー 先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。 ここはアルプスの中で最後まで登山を許さなかった標高は4478メールの魔の山。140年前に初めて英国の7人の登山家によって征服された。 しかし下山の途中に4人が足を滑らせて死んでしまった。その山頂へ地元のプロ登山家のガイドが先導して登る内容を克明に記録した内容。 もちろんクライマーは経験者で、登山前に近くの山頂へのロッククライミングで、その人の能力がガイドによって試され、合格者のみが 登山が許される。コースは決まっているので何組も同じコース登っていたことには驚いてしまった。もちろん、一つ間違えば滑落して 死んでしまう。頂上には、登って休んでいる先着者が何組かいて、そのパラダイスを眺めていた。そのガイドは70回以上登っているという。 その頂上から見るパノラマの素晴らしいこと、この上ない。スイスには三回行っているが、学生時代の車窓からみた景色の美しさは 今でも忘れることが出来ない。スイスツアーにトレッキングのコースもあるが、山は、その時の天候で大きく左右される。 外れたら、山頂からの景色は霧一色で覆われて何も見えないリスクが伴なう。近くの丘のビューポイントからのマッターホルンは絶品。 天候に恵まれた場合になるが、スイス山岳ツアーはお勧めである。ここと、カナダのロッキー、ヒマラヤ、 北スペインのピレーネの絶景は、深く心に刻みついている。 一度行ったところは、TV放送で再び楽しめるからよい。 ・・・・・・・ 3248, 閑話小題 2010年02月15日(月) * 力量と品格 朝青龍の引退について、少し前になるがNHKで特別番組を組んでいた。その中で「強さが抜群だが、品格に問題だが、 その品格というのが、いま一つ分からない」と、解説の元横綱の北の富士が話していた。「国家の品格」という本もあり、 それについて書いたことがある。「知識とか経験の裏づけから滲み出る人間性」と、私は理解している。その番組で、 北の富士氏は「一般にいう常識を守ること」と述べていた。一般でいう常識とやらも何だか分からないが、知識の裏づけのない 常識ほど己を抹殺してしまうものはない。大相撲は品があっても、強くなければ誰も認めない。強い上に、神秘的な綺麗なオーラ みたいなのが出ているイメージを品格というのだろうか。 相撲は、神事に後に余興で力比べをしたことから始った。 儀式の一つだから、歌舞伎みたいな神秘を保っていなければならない。 それも、その最高の位にいる横綱は神秘的イメージも必要というのも理屈である。 * その人物を知るには その人物を知ろうとしたら、 ・子供時代に、どんな環境に居たか ー家族構成と自分の立ち位置(長男、次男・・・・) ・学生時代など、青春時代に何を求めていたのか? 更に人生に何を求めたか、 ・何を恐れ、何に笑い、何に怒り、何を喜び、何を悲しんだのか、 ・何の仕事をしてきたか、 ・仕事以外のときに何をしているのか、 ・誰を愛してきたか、 ・それぞれの時代の友人は、どんな人だったか、 ・奥さんが、どういう人か、子供がどのような人物に育っているか、 ・本棚には、どの本が並んでいるか、 人生を振り返れば自分の外枠が見えてくる。 ・・・・・・ 2873, 成長モデルから 脱成長モデルへ −1 2009年02月15日(日) 「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思 中央公論 08年12月号が、なかなか説得力のある内容であった。 ーまずは、そのいくつかを抜粋してみる。 「今回の経済危機の原因は長期的に見ると、20世紀を通じて続けてきたアメリカ型資本主義による経済発展の行き詰まりである。 資本主義の本質は、物的生産力を無限に拡張していくことにある。だが先進国では70〜80年代に社会が成熟段階に達してしまい、 人々がさほどモノを欲しがらなくなった。その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場に集めて バブルを常に起こすことで、経済発展をしてきた。人々が高いお金を払ってまでも手に入れたいと思う『モノ』がもはや亡くなりつつある、 ということであろう。だからそ、製造業は、過酷なまでの価格競争によって、価格を下げるほか無いのである。・・・ 今日、『経済活動の過剰』という問題に真っ正面から取り組むべきではなかろうか。確かに、今日、資源はますます希少となり、 食糧も希少化しつつある。食糧の奪い合いが始まろうとしているし、アメリカ人は借金をしてまで貪欲にモノを買い続けている。 人間の欲望は無限であり、モノは有限である。」 ーー 「グローバル化の第2の波である帝国主義の真相を、英国の経済学者でえあるボブソンは恒久的な消費の低下にあると見ていた。 ・・・ ケインズこそ、現代資本主義の最大の問題を消費の低迷に見ていたのである。かくも豊かな社会が到来すれば、人々はもはや その関心を『モノ』には向けなくなるであろう。その結果、消費は低迷し、それが資本主義の長期的停滞をもたらすだろう、というのが ケインズの予想であった。『豊かさの中の停滞』である。豊かさのまっただ中でこそ資本主義は深刻な問題を生み出す、というのである。」 ーー 「『貧困への恐怖』と『豊さへの渇望』がもはや経済活力の源とならない。・・・もしそうだとすれば、規制緩和や 市場競争促進政策は、いっそうの生産能力過剰をもたらすだけのことであり、それに伴う有効な需要の伸長がないとすれば、 よほど無理なコスト競争、価格競争をしなければ企業は存続できないであろう。 (以下字数の関係でカット 12年02月15日) ・・・・・・・ 2008年02月15日(金) 2508, 世界をだました男 「世界をだました男」 (新潮文庫) ー読書日記 フランク アバネイル (著), スタン レディング (著), 以前にビデオレンタルで借りてみたが、あまり印象に残っていない。先日たまたま図書館で借りてきた後に、 アマゾンの中古本を買って読んだが、なるほど面白い!殆どが実話というが、さかりのついた男の あの手この手の必死さが面白い。色いろな示唆のある内容で満ちている。 この内容の概略をまとめるだけの価値はある。生粋の詐欺師の話として割り切って読むと面白い。 政治家は、この手の詐欺師まがいが多いのは見ているとわかる! ーー 6歳から21歳までアメリカやヨーロッパで詐欺を繰り返して二百五十万ドルを荒稼ぎだした。 連邦刑務所で服役後、数々の職業を経て、その手法を逆手にとって詐欺対策コンサルタントに。 (以下字数の関係でカット 09年02月15日) ・・・・・・・・・ 2007年02月15日(木) 2144, 「狂い」のすすめ −1 (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜 サム! 閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・・一期は夢 ただ狂え」 を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。 まさに何時も、ここで書いていることである。私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、 団塊の世代のマニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。人生に意味など無い、 生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。 あるのは「いま ここ」だけ! ーまずは、その概要からー ー読書日記 著者:ひろさちや :集英社 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きようと呼びかける。 ー表紙裏の内容紹介ー 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。 そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、 狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。そうすれば、かえってまともになれるからです。 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。 「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。 −面白そうな所を何箇所か抜粋してみた- *『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』 *「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、エコノミック・アニマル、 すなわち畜生の生き方をしています。日本人は狂っているのです。」 *「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!? そして、どちらが幸せでしょうか!? わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」 *「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。 だから楽なんです。 ところが われわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」 *「浄土経典である『大無量寿経』においては、《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》 と言われています。 この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」
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2014年02月14日(金)
* 苦しみ抜いて死に至るがん治療 ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著) 著者は、現在のがん治療は拷問するために生かしておくようなもので、角を矯めて牛を殺す喩えそのもの。がんを 治そうとして本体を痛めつけ、死に至らしめる危険が大きい。 ー以下は、その典型。知り尽くしているのに、であるー 《 名誉総長はこう語っています。{妻は抗がん剤のつらい治療も受けてくれました。1回目はマーカーが下り、喜びました。 しかし、2回目からは効果がなく、副作用ばかりが出てきた。薬を代えたのですが、今度は口内炎、食道炎がひどく、食べる のもつらそうで、かわいそうでした。医師も転移したリンパ節1個は治せると思っていたはずで、前向きに治療していました。 しかし、最後は敗戦処理のような感じにもなりました。抗がん剤の効果を本当は信じていなくても、前向きに闘いたいという 気持ちでした}。妻が余命3ヶ月と思われる時期を迎えても、「緩和ケアのことは考えませんでした。迷うことなく再入院し 治療を」と、玉砕しか考えていない。ふともらした「敗戦処理」「抗がん剤の効果を本当は信じていなくても」という言葉に、 がん治療の恐ろしさが集約されています。医者はこのように「がんと闘う」の一点張りで、効果を信じてもいない残酷な治療を 患者に次次へと平気で押しつけるのです。患者がどれほど苦しみ、弱っていようと。がんセンター名誉総長の妻は一度だけ 「こんなつらい治療を受けたのは、あなたのためですよ」とつぶやいたそうです。・・・ 》\ |(○.○) )/ |: | すぐ.. ▼ 老人ホームの専門医の中村仁一が、「ホームでの放置患者は、ほとんど苦しまず亡くなっている」という事実が、 上記の名誉総長の妻の悲惨さの逆を物語る。私の父がスキルス性胃がんになって、余命半年〜一年と身内に宣告された。 そこで当時名医といわれた東京女子医大の中山教授に執刀してもらったが、一年で亡くなった。 父は亡くなる直前、 「あれほど苦しむなら、死んだ方がまし、同じならしない方が良かった!」と、こっそり私に打ち明けた。 死ぬ間際の肉体的苦痛は、それは酷く、「結果はどうであれ、モルヒネをうって苦痛を止めてくれ」になっていた。 がん死か、痴呆老人になって紐に繋がれ死んでいくか、どうするか?と言われたら、私は前者の選択になる。゚ ρ ゚ )ポカ〜 酒の飲みすぎの罰として、モルヒネの効きは飲んだ量に比例して悪くなる。 神は生きていたくなるほどの苦痛を与え、 天に召されるようだ。だから生きている内、五感と肉体がしっかりしている内、楽しめる内に、積極一貫に生きるしかない。 成るほど、後ろに感じた死神が、そろそろ横並びになり、数年後は正面から? 死ぬべき時には死ぬが良い!ということ。 ・・・・・・ 4352, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー4 2013年02月14日(木) 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著) * 独自の視点の手立て ー納得/共感/驚き・不思議 以下は、著者が新聞や雑誌の切り抜きを、「なるほど、納得したり、そう、そのとおりだ、と感じ入って共感したり、 そんなことができるんだ、と驚いたことなど」を、納得/共感/驚き・不思議三つのファイルにした中から選んだ抜粋。 分かりやすく納得する。 ≪ � ’柴澄 写_莢函�黒鉄ヒロシー たとえば酒場で男女が別れ話をしていて、どっちの話を聞いても真実がわからない。 そこにバーテンダーが、「2人ともバカなんですよ」と言われて問題がす〜と氷解することがある。 取り入れなければならないのは、このバーテンダーの視座でしょう。 �◆ゞΥ供 璽曠好團弘紂ζ善平福次 ‘�常生活ほど幸せを作るものはない。 勤務医のころ、 「死の前にしたいことは何ですか」と聞いたら、「道を歩いてみたい」と言った女性がいたんです。きっと素晴らしい道に 違いない、とついていったら、ありふれたアスファルト道路。右に曲がると、スーパーがある。いつもの買い物をして ご主人の酒のつまみを作る。日常が命を支えてるんです。 ーエッセイスト・岸本葉子ー 覚えている景色があります。手術して一年もたたない夏の日、マンションの 猫の額ほどの庭に下り、草むしりをしました。汗をかき、終わってきれいな庭を見たらとても満足感がありました。 草むしりとがんは直接関係ありません。しかし、その時「ストレスの原因を取り除けなくても、スーレスを軽減することは できるのではないかと思いました。」 �� 驚き・不思議 ー明治大学教授・諸富祥彦ー (若いころ、ドン底の気分で、電車にび込みそっになった。 どうして思いとどまることができたを自ら語って)心理学を勉強していてよかった。脱同一化という手法です。 一歩下がって自分を眺める。 例えば、「死にたい自分はそこ、私はここ」と、大きな声に出して言うのです。≫ ▼ 「独自の見方」も3つに分類しておくと、自然とテーマが浮き上がってくる。 驚き・不思議の意識を持ち世界や、 ネットを見れば、数限りない情報が広がっている。そして、共感し、納得する。 驚き、感動する心こそ最重要になる。 「納得/共感/不思議・驚き」のキーワードを頭の棚につくっておき、目にふれた情報を、メモするか、切り取り、 ファイルすれば、テーマのネタ探しのベストの習慣づけになる。 ・・・・・ 3977, 人生を振り返る時節に 2012年02月14日(火) 還暦を過ぎて60代の中半を越えて、そろそろ人生の整理に入る時節になってきた。 一年近く前に会社も倒産し、いやが上でも事業も終えてしまった。後悔も、未練も全くないのが自分でも不思議である。 しかし時間に余裕が出来、気持ちも落ち着いてきた現在、人間は時代の波に漂う存在でしかないことに思いやられる。 出身の長岡市が生まれる直前に戦災にあい、両親も含めた我家の全て焼け出された。 子供の頃の記憶は3歳位から 始まるというが、私は生後三ヶ月あたりから始まっている。 大人数の中で育ったこともあるのだろう。 長岡の商店街の真っ只中で何時も独りで遊んでいた。その習性が、そのまま現在に至っている。 幼児の頃から住み込み従業員と10人の家族の中で、常に周辺の人の顔色を窺っていたが、それが刺激的であった。 そして年齢を重ねるのと同時に、経済が成長していく右上がり社会で、その豊かさを享受してきた人生だった。 それも20年前のバブル崩壊で、一挙に右下がり経済になり、それと正比例した引き潮に私の事業も浚われてしまった。 それでも66年を振り返れば、ベストの時代に生きることが出来たと両親に国家に天(運命)に感謝している。 人生の満足度では90点以上である。しかし振り返るとフラッシュのように恥ずかしい場面が次々に思い出される。 それでも嫌なことより、良いことが数倍あった実感が気休めになる。 時代と家庭に恵まれて、社会に出てからも 独学を続けてきたこともある。 で、これだが問題はこれから。 老齢は、おのずから病気、老い、死の問題が 背後から追い越し目前に突きつけられる。 自然と気持ちが暗くなり、慢性老人性鬱症が付きまとう。 初老の心象風景とはこんなものかと思っているうちに、中老になっていく。人生それぞれの年齢の心象風景は、 それなりに微妙な味がして面白い。 やはり、読書と芸術と自然に深く触れることが晩年の味。人生万歳である。 ・・・・・・・ 3612, 無縁社会 2011年02月14日(月) 「無縁社会 〜新たな“つながり”を求めて」 NHKスペシャル 2月11日 =内容= ‘社会に居場所がない’―― ‘無縁’となる人たちは高齢者だけでなく、すさまじい勢いで低年齢化し、 日本列島に無縁社会が広がっている・・・。「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」 「介護で仕事をやめざるをえなくなりました。日々、自分は無縁だと感じます」。無縁社会の放送を見てNHKに寄せられた 一万件を超える声。 多くは20代から50代の働き盛りの世代からだ。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化。 若い世代を無縁社会に引きずり込むきっかけはあらゆるところに転がっている。 この世代に広がる自殺や心中。 無縁化した若者たちが社会での居場所も、自分の存在意義も見失い「無縁死せざるをえない、無縁死してもかまわない」 と考えるようになっている深刻な現状が浮き彫りになる。 ‘心の居場所’を作りたい――無縁化した人たちが再び、 社会とつながるための様々な試みを通じて、無縁社会を乗り越えるための処方箋は何か、解決の道筋を模索していく。 ▼ この金・土曜日の二日間にわたり、ゴールデンタイムにNHKで放送されたが、考えさせらる内容だった。 知人に孤独死で亡くなった人がいたが、これは誰もが今後起こりえる問題。 ここでは、正社員をやめさせられ、 非正規社員をしながら食い繋いでいる中年に差し掛かった人たちの姿を追っていた。 また自分が社会から 必要とされてないのでは?という挫折感が心底の重しになっている。 「縁」という言葉は日本特有の言葉。 一神教の世界では、絶対神 X を発明し、常に祈ることで神様と共に生きている。 聖書が常に傍らにあり、 休日には教会に行けば、そこには信者仲間がいる。しかし日本には身近な周辺の因縁社会が、その役割を果たしてきた。 しかし最近ではプライベート的には、会社も、近所の人たちとの関わりあいが希薄なってきている。 一度、正社員から 非正規社員になると、社会との関わりが更に希薄になる。その中で縁を作るのも並大抵でない。 一神教徒からすれば、その辺がリアルに見えてくる。 しかし、彼らの切実な叫びから聞こえてくるのは凍り付く孤独感。 ふと孤独死をした知人の魂が「御前さん分かるか、この気持ち?」と語りかけてきた気がした。が、最期は誰もが独り死ぬ。 仏様の像の小指と死にいく者の小指に赤い糸を結んで見送る風習があるが、やはり最後は神様しかないのか。 そういえば無縁墓を両親に頼まれて、毎年、ひとつお参りしているが・・・ ・・・・・・・・ 3247, 時事放談 2010年02月14日(日) アメリカの露骨な日本タタキが始った。小沢、鳩山の次はトヨタのバッシング。国内でも時を待ったように プリウスが槍玉に上げられた。アメリカにとって丁度良いネタ。次はドル安、円高圧力の再開である。 日本を揺さぶるなど朝飯前、 次は年度末にかけて株式あたりの揺さぶり。アメリカの海外に向けての揺さぶりは北朝鮮かイラン。中国も上海万博までは景気を 維持するだろうが、その後の反動期に狙われる。中国人は「流砂の民」。まとめようとしても 指の間からサラサラと落ちてしまう。 大きな権力で枠組をつくっておかないと体制は崩れてしまう。しかし20数年続けてきた「一人っ子政策」のプラス面もある。 下々は底から這い上がりたい一心に両親が二人がかりで全エネルギーを注ぎ込む。 本人は堪ったものではないが、エネルギーが 集中されるから教育効果は大になる。日本は、その間にアメリカの骨抜き政策の効果で「ユトリ教育??」が完成。 (字数の関係でカット2012年02月14日) ・・・・・・・・ 2872, 貧困率 2009年02月14日(土) 最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。 −そこでウィキペディアで調べてみた 貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。 ・絶対的貧困率 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合の事。 相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」を どのように設定するかによってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。 ・相対的貧困率 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」の事。 絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって 「貧困」のレベルが大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりもずっと豊かな暮らしをしている、 という事もありうる。よって相対的貧困率は「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標と とらえるよりも国民の経済格差を表す指標ととらえたほうが正しい。 −−以上だが、貧困率がアメリカは17パーセントに次いで、日本は15パーセントの二位。 アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パーセント。 2000年には日米ともに13・5パーセントだったことから、その数字はジワジワと上がっている。 社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーセントからみれば、異常な数字と見てよい。 現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には月15万×12ケ月=180万辺り。 総中流時代という言葉が懐かしい時代になってしまった。「ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、 ますます貧富の差が大きくなる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。 社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、 それさえ感じられない世代を「ゆとり教育」が作りあげてしまった。結果として、能力カースト制度を子供時代から 作り上げてしまった罪は大きい。国が衰える背景には、マイナスの重なりがある。情報社会は、格差の実態をアカラサマに 露出するから鬱積が溜まり爆発するのである。自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もあるが、貧困になる自由もある。 「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマである。 これも動物である限り共同幻想ということ? ・・・・・・・・・ 2008年02月14日(木) 2507, 地頭が良い人 b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ? 私の知人に何人か、地頭の良い人がいる。本人も自身の地頭の良いことを自認している。これは学歴の高低ではなく、 彼は常に何かを目標を立てて、ポイントを把握して、最重要順に実行する手順に入る習性が身についている。 人生の節目を知っており、その時節には自然と変身を始めている。こういう人は、人の話を良く聞く。そして、その話(情報)を、 己の言葉に置き換え行動の手順に置き換える。小林秀雄の「無私の精神」という文章に行動家の精神パターンを書いていた。 行動家は無私の精神構造になっていて、全てを知った上で、己を抑え目標を達成する。ある意味で、それをゲーム化をして楽しむことの できる人である。ところで、昨日の日経新聞の新聞広告に「地頭を鍛えるー問題解決に活かす『フェルミ推定』」−という本があった。 気になったので、アマゾンで内容を調べてみた。買うほどの内容ではないが、一応、概略を私なりにまとめてみた。 == 地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは限らない 現在において重要な 能力と定義される。まずは、IT化によって手軽な情報を安易に利用してコピーする『コピペ族』が 増加しているが、真に頭を使いこなす者は減少していると前書きで述べている。地頭力の本質は、「結論から」「全体から」 「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、 「単純に」考える抽象化思考力だ。地頭が良い人とは この3つの思考力は鍛えることができるものであり、地頭力を鍛える 強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」。 こうした荒唐無稽とも思える問いへの解答を導き出す考え方のプロセスを問うのが、「フェルミ推定」だ。 「フェルミ推定」と呼ばれるのは、「原子力の父」として知られ、ノーベル物理学賞受賞者でもある、 エンリコ・フェルミ(1901~1954)に由来する。本書では、「日本全国に電柱は何本あるか?」といった例題や その解答例から「フェルミ推定」のプロセスを紹介しつつ、「好奇心」「論理的思考力」「直感力」 という地頭力のベースとそれらのベースの上に重なる仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力の3つの構成要素と その鍛え方を解説している。」未知のテーマに向かうとき圧倒的に効率よく対処する方法、思考力を 鍛えるための方法、 仕事のアウトプットを増やす方法として大変参考 になる。特に「完璧主義」的傾向のある人はこういう現実的なやり方 もあるのだ ということをインプットしておくことはきっと自分の能力 をさらに高めるきっかけとなるのではないかと。 地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは 限らない現在において重要な 能力と定義される。「フェルミ推定」とは 把握する事が難しく、ある意味荒唐無稽とも いえる 数量について何らかの推定ロジックによって短時間で概数を求める方法です。 (字数の関係でカット2012年02月14日) ・・・・・・・・・・ 2007年02月14日(水) 2143, さおだけ屋はなぜ潰れないのか? オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! いつも本屋の平台にあったが、初心者用の会計本と何度か手にとってみたが、それ以上には興味の無い本だった。 ところが図書館でこの本を見つけたので早速借りてきて目をとおした。月に一度は土日に『毎度お騒がせのチリ紙交換です』という 替わりに『さおやー、さおだけー、たけやーさおだけ、二本で1000円のサオです。』とあいも変わらず聞こえてくる声がある。 何をしているのだろうか?と誰もが思うのが当然である。この種明かしは簡単である。金物屋が、副業で暇な時間を 見つけてテリトリーの中を、在庫原価をゼロに落としたサオをアタカも専門店のようにしてマイクで走るのである。 そのサオ屋は情報収集をしているのである。 (字数の関係でカット2009年02月14日) ホンジャ ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з バイバイ!
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2014年02月13日(木)
* 5年生存率と、20年目の転移・再発 ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著) 近藤誠と中村仁一の主張、知れば知るほど納得する。【 悪性ガンは治らない。ならば手術も抗癌剤治療は不要。 いい加減な余命期間は聞かないこと。健康診断などしない、どのみち結果は同じである。現代医療を盲信するな。 そういわれれば思い当たることばかり。 ーその辺りをまとめてみるー ・スーちゃんこと、タレントの田中好子が、最初の手術から19年目に再発し、アッという間に亡くなったが、 これは数百人に一人の特殊なケース。「5年生存率」とよくいうが、本物のがんでは、治療して残ったがんは 2〜3年以内に検査で見つかり、亡くなるケースが多い。そのため、年で見つからなければ、大丈夫と言われる。 がん細胞も冬眠するケースがあり、眠りからさめると性格が変わるケースがある。 ・がんが消えたというのは、検査がズサンで、勘違いしたケースでしかない。 ・食道がんは、手術による死亡が3〜10%もあり、�鬼�でも5年死亡率が50〜60%。この生存率は手術をしないのと 同じで、手術は無意味。ということは、�鬼�以上なら手術をしない方がよいことになる。食道がんの死因は肺や肝臓など への転移によるものがほとんど。食道がんの全摘は、後遺症・合併症の多い手術で、術後ののダメージは非常に大きい。 ・食道がん、胃がん、肝臓がん、乳がんのような固形がんのすべてに、抗がん剤はすすめられない。延命につながる 実証がないのに毒性が強く、副作用に苦しむことになる。その毒性は老いるほど、喫煙経験があるほど、強くなる。 ・転移が見つかった場合の術後の生存率は12%。なら、その時の手術はすべきでない。抗がん剤も同じである。 以前、治療法が無かった時代には、どんな臓器のがんでも、死は穏やかなものだった。がんが恐ろしいと思われるのは、 その治療のせいで、無意味な手術や抗がん剤治療がもたらす生き地獄が恐ろしいのである。 ・リード・タイム・バイアスという言葉がある。例えば、6ヶ月の大腸などの悪性がんの生存が、CTスキャンなどで、 早めに発見され、24ヶ月に延びたが、1センチのがんが8センチになるに18ヶ月かかるとすると、延命の新薬の 効果に関係ないことが分る。医師は、見掛け倒しの延命を知っているが、誰も口に出さない。薬で売上を上げたいため。 ・余命は、聞かないこと。当てずっぽうでしかなく、聞いた患者は、それに引き込まれ、その範囲で死んでいく。 医師は患者と身内に短めに言っておけば、延びた分、喜ばれるため。 ▼ 10数年来、中学、高校の同級生が数名、がんで死んでいるが、発見されて一年以内に亡くなっている。 胃がん、食道がんは、白血病によるが、悪性は2年以内、1年が目処になる。原因は、ストレスによる飲酒とタバコ。 還暦過ぎれば、この二人の説に従うのも一つの道である。色いろのケースがあるので、最後は自分の選択になる! 良く生きるか、長く生きるか? 良く、長く生きたい!が、振り返れば、みな同じ。「ひとは先、我はあと!」 ・・・・・・ 4351, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー3 2013年02月13日(水) 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著) * いい文章とは? そもそも文章を書くとは何? そう簡単に、いい文章など書けるわけがない。「自分が納得した文章を書き上げる」ことを心掛けた結果として、 時にまともな内容と思うことがある程度。 まずは何事も継続し量を書くしかない。そうすると本音が自然と出てくる。 一々飾らなくなるためだが、長年続けると建前で生きている人の心根の浅さが見えるようになる。本音を隠していると、 その本音が枯れ果てて、何時の間に「ゾンビ」になっている。ただの世間話しか出来ない夢も希望も知性のない人種。 ー次の内容が、文章の書き方について解りやすく述べているー ≪ いい文章とは? と問われても、そもそも文章って何なんだろう、文と文章とは違うのだろうか。・・ 文というのは一つのまとまった内容をひと続きの言葉で表したものです。多くは最後に句点(マル)がついています。 その文を、意味がわかるぎりぎりのところで短く区切ったものを文節と言います。文の間に「ネ」を入れてみればわかります。 「的確な(ネ)表現の(ネ)文章を(ネ)書きたい」 これは四文節から成り立ちます。この文節でつながる文を二つ 三つと重ねて、自らがとらえた事象を考え、意見などを筋立てて書いたのが文章です。 全体をたとえると、「いくつかも節のある一本の竹が文で、何本も集まって形を成している竹林が文章です」。 その「いい文章はとは?」ですが、内容が的確に表現されているです。文章は、その人自身のものでなくてはならない。・・・ 体験は単に身の上に起きた出来事ではありません。人間の意識が強く働いた結果なのです。そのときに思ったこと、考えたこと、 さらには織り成す感情とともに、大脳皮質の側頭葉というところに長期記憶として保存されます。文章を書く上でその記憶が 必要になると、やはり大脳皮質にある前頭葉が「こういう記憶を」とリクエストします。ですから、自分というパーソナリティを 形成している体験こそが文章の最も大きな源泉、おおもとでして、作文というのはそのおおもとから記憶化された自分自身を 引き上げて言葉にする作業にほかなりません。といってそれらはそのまま言葉になるというものではありません。第一、記憶自体、 大喜びしたとか大泣きしたとか、特別な出来事を除けばそれほど鮮明ではないでしょう。なかには部分的にしか浮かんでこない ものもあると思われます。しかし体験も言葉もすべては自分の中にあるわけです。それを投げ出さないかぎり文章化は不可能です。 また文章は、自分にしか書けないことを、誰が読んでもわかるように書き直すことです。 ・・・ ≫ ▼ 側頭葉残された「思い出」は、その人にとって意味があるから長期保存として残っている。だから、書き出せば、 その意味の解明になるし読み手も面白い。記憶に残っているだけで意味があり、その人の本質が隠れている。 文章を書くのは恐ろしく面白いのは、そのため。脳は物語にすると記憶に残るのは、筋書きを求めているため。 で、こうして毎日、「あれこれ」を起承転結にして纏めている。 記憶にガラクタしか残ってないのは、どうして? ・・・・・・ 3976, 閑話小題 2012年02月13日(月) * 冬は濁り酒と辛口の酒のミックスに限る 二年ほど前から10月から3月にかけて、濁り酒と辛口の酒を一対一の混ぜ合わせて飲んでいる。 濁り酒だけだと甘過ぎ、かつ癖が強いので、何気なく紙パックの酒を混ぜてみたところ、これが良い。 濁り酒は菊水酒造の「五郎八」(1980円)。辛口は全国ブランドの普通酒を混ぜ、燗にする。 これに水代わりでノンアルコールビールを一本飲む。 これで、かなりの酔いが襲ってくる。 濁り酒も色いろ飲んでみたが、値段の割りに「五郎八」が美味い。 混ぜ合わせると水割りにしたように和らぐ。 慣れると麹の深みを感じる。 一挙に酔いが回るため、つい飲み過ぎることもない。3千円と千円の酒のミックスと、 二千円の酒は、どちらが美味いのだろうか? 以前、事務所の飲み残しの酒、何種類かを一本の瓶に入れて冷蔵庫で 寝かせて飲んだことがあるが、それが極上の味。「吉田類の酒場放浪記」という番組で、京都の居酒屋の女将が 色々の種類の酒をカメに入れて当店ブランドにしていた。 自分ブランドは一合パック二つを混ぜれば可能である。 濁り酒と辛口酒のミックスは自分ブランド酒をつくっていたのである。 混ぜないで二つを交互に飲んでみたが、 辛口が負けてしまう。 ケチ臭い話だが、話題としては面白い? ホットビールとか、焼酎のビール割とか。 ・・・・・・・ 3611, 大相撲八百長事件 ー3 2011年02月13日(日) 二人が勝ち負けを決する個人競技である限り、そして個人の意思が携帯電話やパソコンで簡単に行き来できる現在、 「八百長をするな!」という方に無理ある。 お互いに四つに組んだ時に互いの耳と口が至近距離になる。 そこで、20、30万と仲間同士の符丁を決めておけば、阻止など出来るわけがない。「自動車事故死が数千人もあるので、 自動車を廃止してしまえ」と主張するようなもの。まずは交通違反を止めろと言っても、これも無理の話。 八百長に関して、今回のように発覚したら厳罰を科せばよい。「八百長が絶えないから大相撲を公益団体を外してしまえ」 という論理に無理がある。この怪しげな興行世界が日本伝統のマイナーの側面である。これを解説者では一部の人しか主張してない。 だから、今回も、4人は追放、疑問のある10数名を三場所の出場停止をして幕引きをするだけでよい。 日曜日の夕刻のお笑い番組の「大切り」は、作家がいて、そのストーリーにそって、落語家が珍妙なやりとりをする。 一時、週刊誌が、このことを槍玉に上げたが、メンバー全員それを否定したコメントをしていた。それは当然である。 160キロ平均もある鍛えぬかれた大男が、全力で15日間も続けてぶつかりあったら、どうなるか分かりきったこと。 幕内・数十人の閉鎖社会の中で勝ち星の貸し借りがあるのは当然で、それを含めて楽しむのが大相撲の面白味である。 だから、私は初日と千秋楽は幕下から見る。初日は貸し借りのない真剣勝負が見られ、千秋楽は出てくる互いの力士の 勝ち星を見て、暗黙のうちにドチラが勝つかを予測しながら見るのである。見る方も分っていて見ている。 私が知る限り、ほぼ100パーセント、貸し借りをしている。日本文化は談合世界の中で育ってきたのである。 麻薬などで追放になった元外国人力士などから、多くの実話が出てくるのだろうが、交通事故に気をつけた方がよい。 ・・・・・・・・ 3246, 新・欝の時代 −2 2010年02月13日(土) * 「うつ」9つの症状 うつ病について何度か書いてきた。私は、うつ病は、普通の風邪や胃腸病などと同じで、精神も発熱したり、 傷口が化膿するのは自然であり、手当てをすれば治ると思ってきた。 知人に、重い躁鬱の人がいたが、 医者より私の見立てに信頼を置かれ、20年近く相談にのってきた。 数年前に癌で亡くなったが、 それは見ていても気の毒であった。「精神の束の大元が制御不能になってしまう」というのが、私の捉え方。 その時は病院に入るか静養をとって回復を待つしかない。 うつ病はれっきとした病気。 うつ病は「気分がひどく落ち込んだり何事にも興味を持てなくなったり、おっくうだったり、なんとなくだるかったりして 強い苦痛を感じ、日常の生活に支障が現れるまでになった状態」。 この状態は、日常的な軽度の落ち込みから、重いものまであり、原因については諸々ある。 「 悲しくて苦しくて涙がこぼれ落ちそうになり、胸が強く締めつけられるような状態が何日も、時には何ヶ月も続くという。 うつ病は、内因性うつ病と、心因性うつ病とに分けて考えられていた。しかし、内因性うつ病でも発症の きっかけとなる心因があることが多いことから、症状の形で分類されるようになった。 *うつ病の基本的な症状は以下のようなもの(○は大丈夫、 ×はその傾向あり、 △は少し) 1.強いうつ気分 ○ 2.興味や喜びの喪失 ○ 3.食欲の障害 ○ 4.睡眠の障害 ○ 5。精神運動の障害(制止または焦燥)○ 6.疲れやすさ、気力の減退 ○ 7.強い罪責感 ○ 8.思考力や集中力の低下 ○ 9、死への思い ○ このうち、5つ以上が、二週間以上続いた場合に「うつ」と診断される。 私は最近、少し欝っぽいと思っていたが、全部○、全くの思い込みだった。 (1、の強いうつ気分)が、(少しうつ気分ぎみ)だけのこと。 何かガックリ?ときた。 4つが△なら、軽いウツとってもよいが。 高島忠雄や、小川宏の「うつ」の症状を聞くと凄惨である。 恐慌の時代、ある日突然に株と国債の暴落、それからくる経済麻痺が何時起きても不思議でない。 大部分の人にとって、生活環境が激変する可能性がある。 数年前の調査では、国内のうつ患者は250万〜300万人とされ、今では500万人の可能性も。 高齢者の大部分は、老人性鬱症という。 生老病死の問題が身近になれば仕方がないが・・人生の秋か! ・・・・・・・・ 2871、 構造改革路線の罪 2009年02月13日(金) 最近買った「文藝春秋・三月号」や、昨日の読売新聞に、構造改革推進派だった 三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が、新自由主義からの「転向」宣言を寄稿している。 *まずは三菱UFJリサーチ&コンサルティングのブログに、彼のコラムが載っていたので、 要所をコピーしてみる。 「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は無責任だし、 危ないのではないかということを強調したいのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に 多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。 そのほかにも医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。 これを放っておいてよいのかという問題意識である。 新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、 あとは小さな政府の下「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を 生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく 「改革」ではなく日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、 日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。そのための方向性はもっと勉強しなければならないが、 とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。 このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。 日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。 (字数の関係でカット2011年02月13日) ・・・・・・・・・ 2008年02月13日(水) 2506, 新・知的生産術 −1 ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆ 効率が10倍アップする 新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法 ー 勝間 和代 (著) ダイヤモンド社 本屋で何度か立ち読みをしたが、「自分をグーグル化する方法」という言葉が気になって思い切って買った。 買うほどの内容かどうかは人によるが、参考になる部分は多くあった。経済評論家・公認会計士として 活躍している著者自身が実践する効率的情報収集術だから、人脈形成術、読書術など説得力はある。 ・IT機器を自身の脳の補助に使い効率を上げ、 ・フレームワーク化・簡略化・階層化を駆使して絞込み、 ・原理原則を組み立てて、 ・GIVEの5乗で情報を共有し人脈作りに役立てるのは、情報化社会の流れを、そのまま実践した中で得た習慣であろう。 私自身、このHPを開いて、確実に10倍は知識のインプットと、アウトプットは増えた。だからどうなったということはない! ただ面白く、やりがいがあり、充実感があるから、現在もつづけている。その結果、この卑小な人間性を曝け出してしまった反面、 公開することで(私のレベルの)質を落とさないように維持をすることができた。その結果、「考えざるを得ない日々」 を作り上げたつもりが??・・で、この程度。私が著者から学んだことは、ともかく月に15万円の本を買い続けて、 1ヶ月に100冊の本を読み?、そして、それから得たことをギブの5乗の気持ちで与える姿勢である。 良質な情報源(実体験、他者体験、良書)から効率よくインプットし、各種手法(ピラミッド・ストラクチャー、MECE、 ブログ)にてアウトプットする。それを繰り返すことにより、自分の読み書き能力、情報処理能力が高める手法である。 「1%の本質の見極め」そこから「具体的な目標設定と目標達成のための 無駄の徹底的排除」の見逃せない習慣である。 勝間流1%の本質を見極める6つの技術 ・フレームワーク力をつける ・ディープスマート力で経験値を重ねる ・失敗力をつける ・ベストプラクティスの共有で学びを分けてもらう ・自分の価値を出せないところはバッサリ捨てる ・本代をケチらず良書を読む 『ノートパソコンがある・なしでは、カーレースを車で走るのか、徒歩で参戦するかの違いがある』は、 全くそのとおりである。奈良時代に、ジェットヘリの喩えと、同じである。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2007年02月13日(火) 2142, 世界で一番短い物語ーそれは名前 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ! 「世界で一番短い物語ーそれは名前」、ある本を読んでいたら飛び込んできた言葉である。ん〜んそうっか〜と、唸ってしまった。 その人にもよるが苗字は何十代も渡って受け継がれ、名前は両親が愛する子供のために名づけた愛の結晶。その二つが相まって、 その人のブランドになっている。ただし、そのことに気づかないのは当の本人!そのブランドを一生をかけてつくり上げていくのが 人生である。その二つの重りで充分に物語である。何度も苗字が変わる人もいるが! 多くの物語があるのだから、それはそれで、 その人の人生である。 ジョン・F・ケネディー。この言葉だけで物語である。ジョンという名前が、そこでもう物語を含んでいる。 ケネディー家の父親がつけたジョン・F君という名付けに思いがあり、本人のジョンが一生かけて、自分の人生をつくりあげたのが 「ジョン・F・ケネディー」である。それは人の名前だけでなく、ファッションのブランドも、レストランの名前も、その名前の中に ある意味が物語をつくり上げていることになる。 子供の頃、自分の名前が嫌であった。しかし、歳を重ねるごとに自分の名前が 好きになってきた。自分の人生を気に入ってきたのと比例して好きになってきている。父親の名前が、堀井誠作である。 その名前が父の名前だけでなく私の物語の原点になる名前である。誠を人生をかけて作り上げた自分の原点である。私は人の名前を 直ぐに忘れる癖がある。フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊。 人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。子供の頃「ハッちゃん」と、 多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。 母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と! 弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。 変わってはいないのだ。変わったのは魂の外側の部分。今日を機会に名前をしっかり憶えようか!(゚∇^*)ホンジャ、バイ! ♪〜
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2014年02月12日(水)
* ゴーストライターの報酬は? 一般的にゴーストライターの報酬の相場は幾らほどか? 書籍、音楽の印税は一般に1割が昔からの通り相場。 2千円として、一万部売れて、200万が作家や作曲家の取り分になる。だから、ミリオンセーラーには、億以上の 報酬になる。「現代のベートーベン」のゴーストライターの場合、20曲で700万。一曲35万円は決して安くはないとか。 コマーシャルソングで、40〜50万。フォークとかは100万が相場。 時と場合で、ゴーストに印税10%のうち、 2〜3%が支払われることもある。物書きの場合、200Pで100万前後(50〜130万)で、雑誌のコラムの 場合は2〜3万。有名作家や作曲家は、ゴーストライターから出版社や、レコード会社に認められ世に出てきた人が 多いようだ。で、今回、本当か嘘か、男同士の愛情関係の縺れ?と誰かタレントが話していたが、話題としては 面白い! ゴーストライターの存在は、この世界においては暗黙の了解事項。前提の絶対の秘密事項の約束事からみて、 何故、この時期に、発表するのか疑問であり、愛憎関係?と考えると、成るほど? 笑点の「大喜利」の巧妙な 落語どうしの遣り取りも、放送作家のつくったもの。 子供のゴーストライターは、両親?父、母?それとも先生? * 45年前の自分と向き合って 毎年、この時節になると、学生時代の社会に飛び出す直前の日記を読み返えすことになる。 当時の逼迫した不安と期待が相まった緊迫感が懐かしい。それも年々、リアルに記憶が鮮明に蘇る。 「遠き日は年とるごとに近くなり」であり、書き残す重要さを改めて思い知る。書いてない期間の記憶は、 空白に近く、具体的記憶は蘇えらない。書いたそこには、息づいている当時の私が存在している。 当時の友人と何十年ぶりに会ったところ、『堀井は、用心深かったからな。今回の件を聞いても、手立ては必ず うっていると思っていた! 汗かきも、顔色がツヤツヤしているのも変わってない』という。当時から心配性で、 何事にも用心深く逃げ口を用意をしていた。それを40数年ぶりに会った友人に指摘されると、本質は何にも変わって ないことになる。「真面目な路線上を、面白可笑しく」は、当時も今も同じ? しかし45年間の激動は、思いのほか。 それと、情報化社会も想像を絶するSF世界。毎日が、刺激的で、面白く、夢のようでもある。 当時の自分に言いたい!『その気持ちを忘れずに、学び続けなさい! 相手と自分を思いやる気持ちを忘れずに!』 ・・・・・ 4350, 書くことが思いつかない人のための文章教室 ー2 2013年02月12日(火) *「思う」と「思い出す」の違いは? 「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著) ー この違いを具体的に述べている箇所を抜粋してみる。 ≪ ◎ まずは「思う」を列記してみると ・さびしい ・孤独感 ・人間の幸、不幸 ・忙しいとか慌ただしさ ・一年の反省 ・街のあかり ・年末行事のこと ◎ 次に「思い出す」の列挙である ・暮れも押し詰まったころの祖父の卦報 ・船上でのメリークリスマス体験。遠く見えるみなとみらいの夜景 ・祖父母の家に帰省する時の父の革ジャン ・パーの匂い ・親戚一同でやる暮れのそば打ち ・ラグビー早明戦前の一週間に、一年生みんなで夜通しでやったグラウンドの落ち葉拾い ・所属していた吹奏楽部の厳しい練習の日々。コンクールが一月にあったので ・野球部恩師の死(もうすぐ一周忌 ・センター試験に向けての勉強 ・年賀状作り など「思う」ことと「思い出す」ことではこんなにも違うのです。原稿用紙に向かって何も浮かんでこないとき、 いかに乗り切るか。その手立てとしては具体的に描写しやすく、かつ書き進めやすい題材が並んでいる。それには「思う」こと より「思い出す」こと。 これはぜひ覚えておいてください。「師走」というテーマで「さびしい」「孤独感」といったことを いくら文章にしようと思っても、それらは心の中のことですから目に定かでない。五感も働かないから描写もできない。 最悪、一行すら書けないということになりかねません。ちなみに司馬遼太郎の『関ヶ原』は、こう書き出されています。 「いま、憶いだしている」 作品は大小、長短を問わず、「思い出す」ことをおいては始まらないのです。・・ ・・ たとえば「つらい」というのは心に抱く思いです。皆さんは「つらい」はつらいと表現すればいいのでは、と言うかも しれませんが、「つらい」というだけの言葉なら、A君の「つらい」もB君の「つらい」もみな一緒だということになります。 でも、同じつらい体験と言っても、人が違えば体験そのものも異なるはず。心に抱く感情も人それぞれでしょう。それをみんな 同じ「つらい」という形容詞で表現していいものかどうか。つまりどうつらいのかが具体的に書かれていないと、自分の心に ある思いをちゃんと表現したことにはならないのです。そうだとすると、自分がつらいと思った出来事(体験)を細かく描写して、 読んだ人に追体験してもらい、そのときの胸中を察してもらう表現法を心がけるべきなんですね。 ▼「思い出す」は、状況の具体的再現ということになる。果たして詳細に記憶が残っているかどうか? を、自分の幼稚園時代 を具体的に思い出すと、意外と記憶が戻ってくる。更に小学校、中学、高校、大学時代に焦点をあてると、記憶が戻ってくる。 その機会は同級会か同窓会でしか焦点を合わせることがない。 ガンなどの病気で、「あと半年」と宣言されると、急に過去の 記憶が溢れかえって出てくる。あと僅かと思うと、自分の人生を具体的に思い出し、味わい懐かしみ、物語として編成する。 これを訓練するには、普段から日記や随想を書く習慣が必要になる。 ・・・・・・・ 3975, iPad購入半年、経過報告 2012年02月12日(日) 再びiPad購入半年の途中経過報告である。居間と書斎の二台の卓上型パソコンのiMacに、iPadが新たに加わり、生活パターンが 変わったことは何度か書いた。 先日、新たに書籍を70冊を電子化のため業者に送ったが、愛蔵書の電子化は合計120冊。 蔵書の電子化は一応終了だが、これで何処にいても書斎にいる気持ちになれる。それにネットで購入した電子本が入っている。 タブレット一枚を持ち歩けば、何処にいても自分の居場所にいるような不思議な感覚になれる。タブレットの読書は抵抗がないか? と問われれば、まったくない。 三台のパソコンの画面のファイルに入れておき、ことあるごとに開けるのがよい。 タブレットPCの柱として、◎読書 ◎ゲーム ◎お気に入りブログの閲覧 ◎電子新聞、雑誌の閲覧 ◎メモ である。 便利なのは、常に手元におき、気楽に立ち上げ、直ぐ目的のウィンドウにたどり付けること。そのためチョットした隙間時間を 有効に面白く使うことができる。 卓上パソコンの場合、電源を入れ、スタートボタンをクリック・・・ などの時間がかかる。 それに対しタブレットは極めて短時間で済む。 それと自分の気に入った蔵書を入れたのが良かった。 一度読んだ本は自分の 一部のように感じるもの。 読書の効用に何ども繰り返し読むことがある。 繰り返す間に、知識が熟成されていく。 それがタブレットに入れておくと気楽に繰り返しが可能になる。ノートパソコンを自分の鞄、書斎とみたて使っている人がいるが、 タブレットPCで、その感覚になってきた。 購入時に半年を導入期としてきたが、一応、及第。iPhonより私には相性が良い。 「事業も終え5ヶ月後、気持ちが落ち着いた頃にiPadを購入、気持ちを紛らわせてきた。 そして、半年を経過した現在、 それに同化を始めてきた」ということ。 現在、タブレットPCが、スマートフォンの陰に隠れているようだが、 そろそろ、タブレットPCにエネルギーが向かい始めた。 ところで有機Elの画面がタブレットに向いているようだ。 画面の鮮度と薄さと軽さが次のメーカーの争いのポイントになる。 これに居間の大型液晶TVとの連動もポイント。 ・・・・・・・・ 3610, 大相撲八百長事件 ー2 2011年02月12日(土) 八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。 ウキィペディアに、その一端が書かれている。 あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。 ≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱・北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、 元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が経営した大鳴戸部屋の後援会会長。 元力士で力士時代は幕下まで昇進したことがある。 廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、 第52代横綱・北の富士の横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。 黒幕として暗躍したとされ、 多大な尽力があったとされている。北の富士と決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長として大鳴戸部屋の 最大のタニマチとして存在した。 週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに角界の八百長体質などの裏事情を暴露。 しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤りであり、 元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫ この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。しかし誰もが、この事件は不可解であり、 何?がらみと思っても、声を高くいえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。そこで、 優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は 感情のもつれである。北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう事件があったのである。 興行世界の一端が垣間見れる。 ・・・・・・・・ 3245, アメリカ一極は終了したのか? 2010年02月12日(金) 欧州のユーロが、ここにきてジワリと下げてきて、1ユーロ120円割れ直前で数年前の三分の二である。 PIIGS(ポルトガル、イングランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。 その上に、中東欧のルーマニア、ハンガリーなどの危機もある。ドバイのバブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。 日本も異常な財政赤字で、国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態である。 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。 ところが発火点のアメリカは大きな変動がみられないのもおかしな話。 彼等は不良債権を発行し世界中から過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を発行しただけ。 発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、 ≪経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。 特に海軍の戦力の影響が大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は世界で圧倒的に強い。 中国はもちろん、ロシアも、欧州も、どこも、その力は無い。 その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心で ありつつける」≫ というのだ。 大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様である。 世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、 おこがましいというのが、アメリカの本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が成り立ってきた。 ところが、この世界恐慌でアメリカ一極体制が本当に終わってしまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、 その主導権を持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。 アメリカ一極支配は、まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んでいくか?その辺が面白いところ。 この数年が見ものなど、いっていられないか。 ・・・・・・・・ 2870, 北半球のミツバチの四分の一が失踪 2009年02月12日(木) この日曜日の毎日新聞「今週の本棚」の書評 「ハチはなぜ大量死したのか」ローワン・ジェイコブセン著-に驚いてしまった。 (内容はYahooにコピー)これによると、 2007年の春までに北半球のミツバチの実に四分の一が失踪したという。 結論からいうと ー この「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一でないが最大の背景は工業化された農業。 不自然な管理がハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めたのである。 そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営む巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。 病み疲れた働き蜂たちは、採餌の出先で倒れ、巣には戻れず、ただ死んでいった?・・・ ー それは「もう一つの人間社会を見る思い」と著者は人間の姿に重ね合わせている。管理され、同一の花畑だけを移動されて、 蜜を取らされて、毒(農薬)まで摂取していれば、当然の結果。自宅で十年ほど前から、ハエと蚊を見ることが少なくなった。 夏になると町内単位で各家の庭に毎年薬の散布をしているのが影響しているのだろう。それと近くの河の中に堆積した土砂を 徹底的の運び出したこともある。散歩していて虫の数が激減してしまったのである。ハチの姿は都会で働いている人を 冷静に見れば、酷似している。管理され、会社と自宅という箱の間をラッシュの電車で移動する毎日。 それが都会人のカッコよさと共同幻想をもって生きて、定年で初めて働きバチだった己に気づく。 一年間、気温良好なオーストラリアで蜂蜜業を初めたが、大失敗をした内容を書いたことがあった。 四季の変化のストレスが無いことと、冬のために蜜を蓄える必要がないため蜜を採らなくなったのである。 都会でノイローゼ、自殺が問題になっているが、自然に触れる機会が少ないのも原因だろう。 この大恐慌も、あまりに不自然な現状を考えるチャンスを「大自然」が与えたのである。 ・・・・・・・・・・ 2008年02月12日(火) 2505, 将来の不安−5 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆ 現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、 「何が不安?」と笑ってしまうだろう。 イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。 十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、 「イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。 兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。 アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、あのような事件は呆れる以前である」と語っていた。 社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果。アメリカの心理学者のシーベリーは「不安は、否定的な 結果にすべての注意を向けること。 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」 「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に考えることである」という。 あらゆる不幸を背負うなど思ってしまう。不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。 だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。その世間とは何か?と考えると、 身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。夢を常に持ち、 一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。 自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった 人間の不安を麻痺させることは出来ない。逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか? それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい! 直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。あとは野となれ花となれ!しかないだろう。 不安など恐れることもない!宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。ヾ(´∀`o)+。 ホナ!それじゃ、 一人不安にさい悩まされている。 ‘一人プアー チャン’ バイバイ (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記) ーーーーーーー 2007年02月12日 2141, 中年の心象風景 −2 (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 サム 藤沢周一の『海鳴り』を4~5年前に読んだとき、中年から晩年にかけてのある初老の男の心情が切々と語られている世界に ドップリと引き込まれてしまった。そこには、この時期に忍び寄る老いと死の影が最後の輝きの背後に描き出されていた。 そこで感じ取ったのはピカピカではなく、人生の落雷のズッシとした閃光の光である。 ーまずは、その中の一節を幾つか書き出してみる。 {40の坂を越えたころから、新兵衛の胸にある不思議な感覚が生まれた。ある時期を境にして、自分が老いの方に身を 置いてしまったような感覚である。これまでも考えもしなった、老いとその先にある死が、いやに明瞭にみえた。 その見えて来た老いと死に、いくらかうろたえていた。まだ、し残してことがある、と思った。その漠然とした焦りと、 ひとの一生を見てしまった空しさに取り付かれ、酒と女をもとめてしきりに夜の町に駕籠を走らせた。新兵衛は47歳である。} さらに次の一節 {汚いことけがらわしいことは避けては、生きていけない世界に、大人は住んでいる。 商い、女、世間との付き合い・・。そういうものの間を大人は時に人を出し抜いたり、だましたり、本心を偽ったりして 辛うじて泳ぎぬくんだ。そこには大人の喜びがないとは言わないが、その喜びは時には罪の意識にいろどられ、 大方は正視に耐えない姿で現れてくるのである。そういう不純の部分を抱え込むことで、大人の世界は成り立っているのである。} {一家を背負うというものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、 こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして辛抱強く家を保ちつづけるものなのだろう。} (字数制限のためカット 2012年2月12日)
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