堀井On-Line



4716,「余命3カ月」のウソ  ー1

2014年02月11日(火)

      
                  ー「余命3カ月」のウソー近藤 誠 (著)          
                       
   ーアマゾン・内容紹介ー
☆「進行性胃がんで、余命3カ月です。今すぐ手術を」 医者にこう言われたら、あなたなら、どうしますか?
 本書を読めば、余命宣告のカラクリと、がん治療の真実がわかること間違いなし! 医者のすすめる「がん治療」で、
 あなたの余命が削られないように、話題沸騰の近藤誠医師が余命宣告のウソにメスを入れた1冊です。
☆ 歩いて通院できるほど体力のある人間が、ある日突然「余命3カ月」と診断され、手術や抗がん剤治療の挙句、
 本当にあっけなく死んでしまう―このような悲劇を身の周りでも見聞きされていないだろうか。実は、余命宣告の多くは
 いいかげんである。治療が命綱の医者にとって、余命は短く言うほど「うまみ」が増すのだ。余命を告知される病気は、
 圧倒的に「がん」が多い。がんの本質に迫り、余命宣告のウソを暴くことで、患者本位の治療を提言する。
  ーアマゾンのカスタマー・レビューよりー 
・ガンには「本物のがん」と「がんもどき」の二種類あり、本物のがんの殆どは治療では治らならない
(見つかるころには転移してる)。治るのは「がんもどき」の方だが、それはほっておいても問題のなかったもの。
つまり、がん治療はいずれの場合にも無意味なものであり、むしろ副作用や感染症や合併症などのリスクがあるぶん
有害であるというのがこの本の根幹に流れる主張です。無駄にあがいて苦しむより残りの人生をいかに楽しむか
というのは価値観の一つとしてありだと思います。私は共感しませんが。
・例えば、固形がんにたいして抗がん剤が延命に役立つと証明する臨床データはないなど、全体的に引用や紹介されている
情報は偏っていて、都合のいいものだけを持ってきている印象はぬぐえません。がん治療なんてまだまだ未知の分野で
様々な主張があると思いますが、それについては全く触れられてない。でも結局何が正しいかなんて私のような素人には
分からない。私はこの本読むまで何もしないという選択肢があることを考えもしませんでした。自分や身内がガン宣告され、
今後の選択肢を模索してる人にとってこの本は選択肢を一つ広げるヒントになる。この通りにするかどうかはおいて置いて。
▼ この数年来『どうせ死ぬなら「がん」がいい』(中村仁一・近藤誠対談)『大往生したけりゃ医療とかかわるな』
(中村仁一)『末期がん、その不安と怖れがなくなる日』(樋野興夫)など、怖しい本を敢て、取り上げてきた。
 それに加え、この本である。書店では見かけていたが、図書館にいつの間にか並んでいたので借りてきたが、これも、
 早速買うことにした。その時になった時に、慌てないための予習である。 これらの本などに影響され、4年前から、
 20年続けてきた年一回の,一日人間ドックを中止にした。上記のレビューのとおり「どのみち助かるのは助かる! 
 助からないのは助からない!」と、判断した。 が、もう一つは平均看護期間が男9年と知ったこともある。 
 男は平均70歳で介護が必要になり、79歳で亡くなる。 介護で9年間を薬つけで生きるより、余命数ヶ月で死ぬのも
 悪くない。平均からみて、元気でいられるのは、あと2年?だが、実感が無いのは何故? 老人性鬱症状が日々強くなり、
 他人の粗探しで人相まで年々歪んでいくのが老人。気持ちは、50歳前半! 実際のところ、そのギャップが大きい!
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4349, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー15
2013年02月11日(月)
   * 床の間は、本来、仏の座る場所だった
 日本家屋の様式を取り入れている家には大抵、床の間が存在する。そこには掛け軸、生け花、木彫りの熊などが飾ってあるものだ。
床の間は室町時代の書院造りに由来する。書院造りとは禅の思想にもとついて設計された建築様式であり、書院とは幽玄を悟るための
部屋とされる。床の間は書院の中にあって仏を祀る場所、つまり仏が座る場所であった。そのため床の間は部屋の中でもっとも上等な
場所とされる。人間が座る場所よりも一段高く設置されたり、板張りの床が普通であった時代でも床の間だけは畳を敷いたりした。
宴会の席などでいう上座は床の間の前に設けられるが、これは仏に近い場所が上座にあたるという昔の慣習の名残である。
もともとは仏を祀る場所であった床の間だが、時代とともに形式が省略されていく。仏像は仏画となり、またすぐれた僧侶の筆跡や
経の一部となった。そしてしだいに美術品が飾られる場所となったのである。このように床の間は聖なる場所であるから、けっして
テレビを置いたり、物置にしてはならない。仏壇の横には床の間があるのは、そこに仏様が座るためと、今になって気づいた次第。
   * どこまでが宇宙か
 どこからが宇宙か、その前に何時から宇宙が始まったか?という問題が、これまで世界中の昔より科学者を悩ませてきた。
天体観測の進歩で、星が遠くに離れていくのが解り、それでは、逆に時間を遡って、その始まりを計算した結果、137億年前に
ラグビーボウル大の素粒子が爆発したビッグバン説が、現在知られているところ。しかし、観測結果から、宇宙全体のエネルギーの
内訳は星や銀河、それを形作るすべての元素のエネルギーは、宇宙全体の4・4%しかないことがわかった。それでは何か?
実は23%の暗黒物質と、約73%の暗黒物質を占めていたことである。膨張している先の宇宙の物質が希薄化している筈だが、
それが同じということは、他の宇宙から、そのエネルギーが、流れ込んでいるのではという仮説が出てきた。この宇宙の他に、
10の50乗分の宇宙があるかもしれないという。 ところで、一般でいう宇宙は、どこから設定するというのか。
1967年の『宇宙条約』でも明確にされてない。地球の空気が無くなる辺りとか、宇宙船が燃え尽きない、90〜110キロ辺りとか、
議論がされている。アメリカは、その辺に対して消極的になる。上空の領有権の問題が絡んで宇宙船を自由に飛ばせないからだ。
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3974, 超円高というが
2012年02月11日(土)
 現在の円高を考える相対的基準に、「ビッグマック価格」がある。アメリカで4ドル、日本が320円で、
一ドル80円で日米が同じ値段になる。現在のドルは77円だから、ほぼ同じ値段になる。ちなみに中国は半額、スイスは二倍。
2000年には円が107〜108円だった。11年間でデフレの日本は物価値上がりはゼロだったのに対し、アメリカの
消費者物価指数が30パーセント上がっているので、円高で相殺され調整されたことになる。日本はバブル崩壊から現在に至るまで、
物価の上昇率がほぼゼロなので、日本の円高は当然のこと。 20年前の円は125円で4割ほど上がっている。
 円高は、さらにデフレ要因になる。海外から3〜4割も安い商品が輸入されれば、その分、国内の企業は値下げ圧力が加わり
弱体化していく。特に体力のない地方の中小企業は、この20年間で消耗、弱体してしまった。 その結果として国の信任を失い、
株式や、近い将来の国債の暴落要因になってくる。 日本の国債発行が何と一千兆円になろうとしており、国内の1400兆に
のぼる預金のうち、300兆円の個人債務を除く1100兆の額に近づいており、あと数年で、毎年40兆円の国債の発行も限界。
その時が国債の暴落である。 国債の暴落は、即金利の上昇になり、4%も上がれば40兆円という実質国家予算と同額になる。
 そうこう考えると、ドルの信用の失墜で円高は、この数年は続いた後に、円安という地獄が待っている。 
それはハイパーインフレという形で、国民の預金の価値を下げ、中産階級の大部分が貧困層になることを意味する。
更に当分の間、大地震リスクが伴うので、国内企業も外資も、海外への逃避が本格化する。 恐ろしい限りだが、ここに至っても、
アメリカに充てがわれた憲法を大事に温存し、自死に向かう道を修正できない。いずれにしても、10年は茨の道になる。
 超円高と思い込んでいるが、実は円高でない。円高は50円あたりで、一度、いってから、150円か200円まで円安になる。
そのプロセスで、日本は貧乏国になる。アメリカは、紙切れの価値が下がっただけで、傷つくのは威信である。
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3609,  閑話小題  
2011年02月11日(金)
  * 多数人数の末っ子は・・
 新幹線の帰路の車内で、少し離れた席からビールを飲んで話しているグループの一人の言葉にハッとした。
「自分は大人数の兄弟の末っ子のため何時も許されてきた。だから、この歳になっても、失敗しても、
争いごとが起きても、許されるのが前提と何処かで思っている。自分には末っ子の甘さが付きまとっている」という。
これは何か自分が常日頃思い続けてきたことを、誰かが代弁しているようだった。三つ子の魂は現在でも付きまとっている。
だから女性は親分肌の長女で、包み込んでくれるような人に惹かれる。ちなみに家内は長女で生意気だが、最後は赦してくれる?
常日頃、赦していただいて有難うございます。エッ、赦してない!我慢しているだけですか。よく見ると、長女と多人数の下の方の
次男、三男の組み合わせが多いのは自然のなせる業。逆に長男は次女、三女がよい?その辺を間違うと離婚が待っている。
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 以前より日本の政府は巨大か、それとも普通か?の議論がある。ここで民主党が政権をとったはいいが、
何の間違いで極左が政権の真ん中にきてしまった。学生のころの都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。
3月か6月に自滅するしかないが、これを立て直すに時間がかかるだろう。そこで、果たして日本は世界の中で、
政府として普通サイズか、巨大なのだろうか? 二重構造で、実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
そのため国家財政破綻直前のところに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れが、母屋の5倍以上はゆうにある。
官僚と保守政権が数十年かけて国民の目に母屋しか見えないようにして、離れで使い放題。 早くいうと構造詐欺。
この財政破綻状態に陥っても何も変られない事態。 ここを捻って浮かした分を福祉にまわすと極左政権が公約をしたが、
離れの住人と官僚は、それを軽く明け渡すほど柔ではない。 その結果、財政赤字が更に悪化、最後のダメ押しをしてくれた。
その結果、それが大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。IMFの元で再生を図らないと駄目になるのだろうか?
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3244, 真の価値に添う生き方
 2010年02月11日(木)
 私たちは、中年以降のある時期を過ぎると「真の価値に添った生き方に転換する時期」がくる。
死に直面したり、身近の人の死で深い悲しみを経験したりして、永遠の中の自分の一生の短さを目の当たりにし、世間的な成功、
名声、欲望、快楽、豊かさなどの有限性など取るに足らないと思い、内向的になり、芸術、大自然の無限性、人間の心温まる邂逅、
真理への傾倒、思いやりなど、全く違う価値観に転換する機会を得る。 それまで、宗教や、倫理系の団体などが述べてきたことに
気づくといってもよい。仏教の経典にしろ、バイブルも、世間から離れた永遠の道理を説いている。 世間の認める属性に
ガンジガラメの人にとって、その転換は仙人の様に見えるのだろうが、属性は永遠の中では虚飾であり、何の価値も無いことなど、
義理で参列した葬式でさえも気づくことである。人間の命そのものより大事なものがあるとすると、相手に無条件で与える愛であり、
犠牲になる勇気であり、誠実性そのもの。 それに気づくかどうかが、中年期に、大きな危機を経験し、永遠の存在、
宇宙から一歩踏み出し、その外から自分の意識を冷徹にみるイメージを瞬間でも経験できたかどうかである。
私も人生の危機を何度か経験してきたが、その時に、以上のような、何が大事で何が重要でないかを、見極めて、
敢えて世間的な価値を求める視点を持ったこともあると、いえば嘘になるが、そこまで考えつくして魂を入れないと事業など
立ち上げることなど出来ないことも事実。 だから、ある時期から秘境・異郷ツアーに嵌ってしまったのは、そこでの見聞は、
普通の時間の中から一歩外に出て、世界の大自然と、遺跡、芸術、風俗に接することで、日常の価値観が砂粒でしかないことに
気づくことである。 些細な世間は必滅であり、大自然や、芸術、愛、誠実性は、不滅であるということが、短時間としても、
錯覚?としても見て取れるからである。 だから、中年以降は、読書といえば、自然と哲学書に惹かれていくのである。 
また、好きな音楽に没頭する時間とか、映画鑑賞も、永遠を直感する契機になるのである。
日常という世間の中で我われは生活をするために、必死に同じ行為をアクセク繰り返す。 それは、何故だろうか。
その繰り返すことが、目的になってしまっているからである。 そして、その日常に質が小さな世界の中で少し良いことに満足し、
少し下の人を卑下し、上の人に嫉妬をしているに過ぎないのである。 その中でも、永遠に接することの出来る時間は幾らでもある。
一歩外に出て、近くの森に早朝行ってみるとか、自転車で川のほとりで日の出を見るとか、週末に畑いじりをしたり、
数えればきりがない。 してないのは、日常にドップリと浸かりすぎということに気づいてないからである。
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2869, 閑話小題
2009年02月11日(水)
 * 内閣不支持が14パーセント
朝日新聞の全国世論調査で、内閣の不支持が14パーセントという。居座れば居座るほど支持が下がる理由を本人は分からないのだろう。
比例投票先は自民が42パーセント、自民が22パーセントの結果は当然のこと。解散をすれば惨敗だが解散を引き伸ばすと不支持が
拡大していくから、小泉でも担ぎ出して、半分近くが党を割って出て、その後連携する位しか手が無いが、それさえ出来ないのが現状。
地に落ちた自民党が利権を守るためには、その位のことをするだろうか? そんな玉など、居るわけな?
 * インフレエンザ予防で「家族の帰国指示」
見捨てて置けない記事があった。
昨日の朝刊に「パナソニックが鳥インフレエンザの世界的流行の危険が増したため、欧米とオーストラリアなどを除く駐在員家族の
9月末までの帰国命令を出した」と報じていた。私らの知らない情報があるのだろうが、何か危なくなってきたことは間違いない。
爆発的流行の一歩手前ということは、間違いなさそうだ。どうなるのだろうか?
 * 野村證券の株価が5百円割れ
野村證券の株価が5百円割れと新聞にあったので、ネットでチャートをみてみた。10年前の7分の1、2年前の6分の1、
リーマンショックから3分の1になっていた。日本がバブル時代には、アメリカの投資銀行と類似したことをしていた報いである。
アメリカの債権も売りさばいていない訳がない。 最近は日本国債を売っているというから・・・ 彼等の手は、担当が替わったという
誠実そうな手書きの文を送ってきて営業にやってくる。ネット証券と、過去の悪行?のため、信用はゼロに等しい。
存在そのものが、必要悪。 なら、近寄らないことである。 アメリカの消滅した投資銀行と何処が違うというのだろう!
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2008年02月11日(月)
 2504, まっ、いいか!      (。・∀・)ノ゛おっは〜
 最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。年齢の為だろうと思っていた。
 そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、 「まっ、いいか」と言える子を育てよう
   協調性のある、柔軟な心の育て方    諏訪耕一/著 という本が出てきた。
[要旨]
本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方のポイントを、幼稚園・保育園や家庭での27の事例を
通して具体的に紹介します。子どもの理解に必要な、子どもの心の成長の段階や環境との関わりについてもくわしく説明します。
[目次]
第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる?
;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表
;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方)
;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方
(乳児期―誕生から十二〜十八カ月ごろまで
;幼児期(前)―十二〜十八カ月ごろから三〜四歳(第一反抗期)ごろまで
;幼児期(後)―三〜四歳ごろから六歳ごろまで
;児童期(前・後)―六歳ごろから十四〜十五歳ごろまで)
これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。決して良い状況ではないが、何とかなるさ!
という陽気さ、目の前の事態を、そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。上記をみると柔軟な心と
いうことになるが、好い加減な言葉にも思える。好い加減な心」が良いのかどうかわからないが・・・・
 ^^^^^^^
この文章には、大きなドンデンカエシがある。実は、同じテーマで八ヶ月前に書いていたのである。全く忘れていたが、
何か書いたことがあるような?気がしてHP内の検索を入れたら、次の文章が出てきた。その文の類似に我ながら驚いている。
(あたり前だろう!)それにしても、なんじゃい!これで同じテーマを忘れて書いてしまったのは、3回目? 
 2500も書けばな〜  まあ、いいか!
ーーー
2007/06/06
2255, まあ、いいか!       ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ 
(字数制限のためカット 2012年2月11日)
・・・・・・・・・
2007年02月11日(日)
2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間
 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編         −読書日記ー
    ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー
 山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本と、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。彼が「男はつらいよ」
についてのTV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。 しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど
読んだことはなかった。 ー字数の関係でカット(2009年02月11日)  (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・
2006年02月11日(土)
 1775, おひとりさまー2  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_
米国はペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられる。 
「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様。
一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。また思考(自己対話)の範囲が広まる。
  (字数制限のためカット 2012年2月11日)  


4715,閑話小題 ー時どき、10年前から現在を振り返えり

2014年02月10日(月)

   * 時どき、10年前から現在を振り返えって 見えてくるのは!
 株式のチャート見るように、その時どきから、5、10年間を振り返えると思いもよらない事件に遭遇していることが分る。
では2004年の2月から2014年2月まで、何が起きたか?を調べると想像を絶することばかり。先の10年間は、これらより遥かに
大きな自然災害と経済震災に間違いなく遭遇することになるが、これだけは起きてから分かること。 時系列であげると!
・2004年に、中越地震とスマトラ沖地震、
・2007年に、中越沖地震、
・2008年には、ミャンマーでサイクロンで死者・行方不明は13万4千人以上。
 5月12日- 中国で四川大地震発生。M8.0、累計で4千万人以上が被災し、6万9千人が死亡。米国でリーマンショックが発生。
・2009年1月20日 - バラク・オバマがアメリカ合衆国建国以来、初の黒人大統領とし第44代米国合衆国大統領に就任。
・2010年には、チリとハイチで大地震。ハイチでは30万以上が死亡。
・2011年に、東北大地震で2万人近くが亡くなり、福島第二原子炉が破壊された。チュニジアのジャスミン革命が各国に波及し、
 アラブ各国で独裁政権に対するデモに発展。エジプトでムバーラク政権が崩壊、リビアでNATOが軍事介入し半年間の内戦の
 末にカダフィ政権が崩壊した。(アラブの春)アルカーイダの最高指導者とされるウサーマ・ビン・ラーディンが、
 パキスタン・アボッターバードにて米国の特殊部隊との銃撃戦の末に殺害される。
▽ 東北大地震の直後、私の事業もあっけなく消滅。 時系列でみると、10年前に、こんな予測をしても誰も信じない。
 が、現実には次々に起きている。 とすると、2014/02〜2024/02年は、これより大きな自然災害、経済災害があるはず。
 それを前提に対策を立てておく必要がある。まさか地元の中越地区に二度も、大地震があるなど思いもよらなかった。 
 いま考えられるのは、首都直下型地震、南海トラフ地震、富士山の噴火の可能性が高い。また静かな世界恐慌?が表立って
 くるのも自然の成りゆき。その中で、情報革命が劇的に進んでいる。 パソコンがスマートフォンや、タブレット型に
 収まるとは、当時は考えられないこと。次の10年は、メガネ型、腕時計、ジャケットなどの身体の一部になる装着式。
 危険な大震災の可能性と、反面、面白い時代になる。ブラックスワンがいるが、大部分はホワイトスワン。
  私個人としてのブラックスワンは、「死」。5分5分、いや6分が到来? で、その日のための予習を楽しんでいる。
 一応、やりたいことは、やり終えた実感は、小さい範囲としても、気が楽である。 それも吹っ飛ぶのだろうが。
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4348, 書くことが思いつかない人のための文章教室
2013年02月10日(日)
             「書くことが思いつかない人のための文章教室」近藤 勝重 (著)
  * 「思い出」を簡素に書き出せば、それで立派な文になる!
    まずは ー内容よりー
 ≪「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出し描写することだ。自分にはそんな特別な経験はないと考える人でも、
・うまい引き出し方さえわかれば書ける。また、伝わる文章にしたいなら、くどくどと説明してはいけない。とにかく描写せよ。
・細部に目をこらして書けば、真に迫る。たとえばさびしい気持ちなら、「さびしい」と書くな。さびしさを表わす「物」を
 描写してそれを伝えよ ―ベテラン記者で名コラムニストが、ありきたりにならない表現法から、書く前の構成メモ術まで
 使えるコツをやさしく伝授。≫
 ▼《「文章を書く」とは、長い間の記憶から体験を引き出して描写することだ。》この本の要点は、この一文に要約されている。
  12年近く、一日に2時間以上かけて、この随想日記を書き続けているが、膨大なエネルギーを入れ続けても、この程度。
  今の私にとって、これがベストの習慣。そこで一番の難しいのがテーマの設定。そうそう毎日、ネタは出ては来ない。
  全く浮かんで来ないときは、気まま、思いのままに書いた些細なテーマの「閑話小題」が逆に面白いと言われる。その日常の
  ことは、もう一つのブログ「バードウォッチ」に書いているので、更に見つからない。数度に一度は、そこの文章をカットし、
  閑話小題として随想日記に書き直している。兎にも角にもテーマのネタ切れに毎日のように直面している。そこに図書館で
  この本を発見した。そこで、たまたま手元にあった随筆集を目を通したら、全てが体験の思い出。フッと浮かんだ体験を
  意識し書き出せば良かった。これまではキーワード探しに気持ちが向っていたが、「思い出」でよかったのである。
   随想は、その人特有の「思い」を書くものだが、「思い」を書こうとするとテーマなかなか出てこない。「思い出」なら、
  誰にでも生きてきただけある。それを気楽に書けばよい。体験談は、自分にとって当り前の記憶でも、第三者からみれば、
  これほど面白いものはない。 著者は、「良い文章とは?」に対し、「内容があること、そして、それが的確に表現されて
  いること。この二つが借ものでなく、その人自身のものであること」という。そのため、思い出を素直に具体的に書けばよい。
  経験を書くことを「ひけらかす」と思い、躊躇していたら良い文章は書けない。 たったこれだけの事を、12年間も書き
  続けてきて、殆ど意識しなかった。それぞれの人生は、唯一無二の体験の蓄積。それをそのまま表現すれば、これほど面白く、
  興味深いものはない。だから、ツイッターなどの何気ない呟きの公開が爆発的に世界中に受け入れられた。 ということは、
  これは、メモ的雑記帳を総称して「随想日記」と言っているにすぎないことになる。 随想と、他と分ければよいのである。 
  それも12年も書き続けると、お分かりのとおり、同じ事を、見方を変えて繰り返することになる。 続けることは大変!
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3973, 被爆と喫煙リスク
2012年02月10日(金)
   * 改めて知る、喫煙の恐ろしさ!
 現在、放射線被爆が問題になっているが、100ミリシーベルトの被爆でがん死亡率が0・5%増加し、これ以上増えると
直線的にリスクが上昇することが分かっている。 しかし喫煙では、ガンによるリスクは1・6倍に上昇するが、
それに匹敵する被爆量は2000ミリシーベルト。受動喫煙でも100ミリシーベルトになる。飲酒、野菜嫌い、運動不足、
塩分のとりすぎなど「巨大リスク群」からみたら100ミリシーベルトなど僅かな誤差レベル。 但し、幼児を除いての話だが。 
そうこう考えると、幼子のいる家庭以外は、それほど心配することもないことになる。 「正しく怖れよ」といえる範疇。 
ある資料によると、内部で働いていた東電社員の最高値が678というから、それでも喫煙者の危険度の三分の一でしかない。
 私は毎年人間ドッグでCTスキャンを20年近くも受けているので、かなりの被爆を受けたことを最近知った。
原発事故の被爆が恐るに足らずと言うのではなく、幼児と成人を同じレベルで考えることはない、ということ。
一般的には、放射能が大気に放出して、地面、海、川に降り注いで、それが農作物や家畜を通して人間の体内に蓄積される。
その内部被爆の危険性は確かに大きい。問題は、その影響が出てくるのは数年後、数十年後である。そのため子供を持つ親としては、
万一を考えて、その地を離れるケースが多い。 現に東北、関東に在住の子息を帰国させるケースが多い。煙草の喫煙のリスクには
慣れてしまい平然としているが、被爆リスクには神経質過ぎるのも問題である。 被爆リスクの問題から、喫煙の恐ろしさを確認した。
危険率1・6倍は、あまりに大きなリスク。3000ミリシーベルトの死亡率が5割とすると、喫煙者が酒を飲み歩き、珈琲を何杯か
飲むと同じレベル? 分かっていてか、自制不能か、破壊された原発内の作業員の10倍のリスクを負っている認識がないだけ。
 緩慢なる自殺というより、トリカブトの自殺に近いか。 これも、タバコを痛飲に置き換えると、自分にも当てはまる。
 ーーー
3608, 人生には3つの坂があるというが
 2011年02月10日(木)
  以前にも書いたことがあるが、人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」3つの坂がある。
この言葉は大河ドラマの毛利元就の中でも言っていた。 この十年を振り返ると「まさか」の連続であった。
2001年の9・11テロから始まり、地元では大地震が二つ、世界では数万人以上の死者が出た地震が相次いだ。
その間に携帯電話がスマートフォンに進化、ノートパソコンから板状のタブレットパソコンに重心を移行始めた。
政治ではアメリカで最初の黒人大統領が選出された。そして現実社会とは別に、いま一つネット社会が出来てしまった。
そしてHPからブログに進化し、さらにミニブログのツイッターや動画サイトのYoutubeが出現してきた。
 今年に入ってネット普及の結果、一瞬にしてチュニジア、エジプト、イエメンなどの独裁政治がドミノ倒しになっている。。
その飛び火が、アルジェリア、シリア、リビアに及ぼうとしている。 経済面では、2008年のリーマンショックで、
世界恐慌に陥る寸前の様相。 次の「まさか」が何かを知りえないから「まさか」になるのだが、その背景にあるのは、
半導体の「ムーアの法則」といわれる日進月歩の進化である。 この法則は、1965年にインテル社のムーアが
「LSIのチップ上に集積されるトランジスターの量は、18〜24ヶ月ごとに二倍になる」という法則で、
45年経過した現在でも続いている。これは微細加工の技術よるもので、現在では一センチ角にトランジスターが
地球上の人間数を遥かに上回るほど乗る集積度というから驚きである。 私が中学生の時に初めてみた、あのトランジスターが
一センチ角に100億以上も乗るのである。10年に一度位に、もう限界に来たと騒がれるが、何時も、それを乗り越える技術が出来る。
それとネットが結びつき、それぞれの情報基地を結びつけるのだから、情報は一瞬のうちに世界中を飛び回る。
10年前に、現在の姿を誰が予測できただろうか。それ以上に、今後10年の変化は加速度的に進むとしたら、どのような姿であろう。
 この十年の変化以上のことは間違いないとすると・・・
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3243, 新・欝の時代
 2010年02月10日(水)
去年暮れの週刊朝日に、作家の五木寛之と在日韓国人の政治家カン・サンジュンとの対話‘まだ続く「鬱の時代」’が考えさせられた。
「これからはすべての分野が鬱の方向に進んでいく」と、前回の2008年の二人の対談で、そう語った。そしてリーマンショックが起こり、
世界、そして日本は先の見えない不安に覆われている。 ここで二人の対談の要旨を纏めてみると、
・グリーンスパンが100年に一度の危機といったが、そんなものではない、今起きているのは300年〜500年に一度の恐慌である。
 現在の世界を支配しているのはキリスト教的文化圏。その基盤にある人間至上主義からぬけださないと・・・ ー五木寛之
・我われの社会は、自由であって人は固定化されないのが大原則のはずなのに、現実は格差社会。 この問題は、格差がある
 ことが問題ではなくて、格差が固定化されていることが問題である。  ー五木
・2010年を予感してみると、一瞬、小康状態の年になる。嵐の前の静けさです。 でも、その後、暮れから11年にかけて、
 二番、三番の、大恐慌、大不安がやってくる。 平安末期から鎌倉への変動のような大変な時代がくるだろう。
 戦後の預金封鎖や円の切り替えなどを思い出す。  ー五木
・こういう不安の時代、人間は「個人」を再発見することになる。 平安期から鎌倉にかけての飢饉のとき、
 人々は身分に関係なく、こころの闇を見つめた。 それが一連の現在の宗派の教祖をうんだ。
・2010年の明るい兆しといえば、いろんな関心の中心点が変わってくる。
 これまで医学の辺縁にあった精神科、免疫学、公衆衛生などが中心におかれて、新しい光を浴びることになる。
・そういう時代の中、「諦める」ことからスタートしなければ。 諦めるは、「明らかに究める」という読み方をする。
 今の日本の有り様や自分自身の心や地位を「諦める」ことで、新しいスタートをきる。
・「人生とは荒涼たるものだ。人間が生きていることは凄惨なものだし、死ぬことは荒涼たるものだ」と
 五木は『人間の運命』で書いている。 ただ、そこを超えると、光が見えてくると!
 ==  以上だが、二人とも暗い性格でマイナーになるが、こういう鬱の時代だからこそ彼等の見方も必要になる。 
 どうみても、現象面では21世紀に入ってから変であるのは周知のこと。最後の打撃だった9・11テロと、リーマンショックで、
 これまでの価値観を根底から破壊してしまった。ソ連が破壊した時は、700年来のロシアそのものが崩壊したとの見方があった。
 それに続いた欧米資本主義の崩壊は、世界にとっても日本にとっても、近代資本主義=欧米主義の 終焉と五木は言うのである。
 その辺のところを押さえてないと、目先の楽観論に惑わされる。
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2009年02月10日(火)
「強欲資本主義ウォール街の自爆」神谷英樹著            ー読書日記
投資銀行家として24年間、ウォール街の現場で「アメリカ型資本主義」の有り様を見た批判の書。
内幕暴露モノ的で面白い内容である。 アメリカの金融街、特に巨大投資銀行の貪欲な人たちの、
異常な資本主義の実態を暴いている。 そして米国民の過剰消費という「悲しさ」「欲深さ」を指摘している。
アメリカの金融が収益全体の4割を占めてしまった。 その先頭を走り続けたウォール街の暴走と自爆が、
今回の恐慌を生み出したのである。アメリカの社会と人間の劣化をどう立て直すかを問いかけられたのが金融危機。 
暴走を食い止めるためにルールの根本的修正が必要である。
 ーまずは印象に残った部分を抜粋するー
・「悪いのはアメリカンスタンダード、ウォール街の強欲である」
・「今日の儲けは僕のもの、明日の損は君のもの」 ハイリスク・ハイリターンのビジネスを行い、成功報酬はしっかり
 もらうが、巨額の損失がでたら無関心。失敗したら、尻拭いは国民の税金任せというモラルの無いのがウォール街の実態。
・「モノ作り」ができなくなったアメリカが「金融立国」を目指し、成功したかに見えたが、行き着いた先は、顧客に目を向けず、
 数字と戦う強欲な人間たちが金を集めるだけの世界。 その結果、1929年の大恐慌以来といわれる悪夢が金融界を襲っている。
・「世界一極支配のアメリカ中心世界感」が崩壊し始めた。
・ 市民の消費三昧主義、今借金して楽しんで(消費して)、負債は先延ばしの生き方に走る市民。
・「金融マンは実業を営む方たちの脇役に徹するべき」。
 「主役である実業を営む方たちの事業構築を助けるのが金融本来の仕事のあり方であり、それこそが身分相応。」
 しかしファンド・マネージャーに興味があるのは、『株主の利益』と『自分の収入』だけである。
・トップラインとボトムラインの間にある項目をいかに圧縮するか熱心に取り組むだけである。
 「給料を減らす。社員を減らす。仕入先を泣かす。最大限に借り入れてレバレッジを効かし、
 支払い金利を膨らませ、税金は極力圧縮する。かれらにとっては、これこそが経営の神髄となる」
・アメリカをはじめとする先進諸国、そして世界。借金と消費ならず浪費社会、浪費に頼った成長政策。
 「借りた金で今日を愉しむ」「借りた金で投機する」
 「ノンリコースで借りた金は、返せなくなったら担保物権の鍵を渡せば終わり」それを法律で認めてしまった。
・資本主義の行き着いた先が金融市場の国有化とは何たる皮肉であろうか
・日本もアメリカも、経済社会がバブルにまみれ、強欲と拝金に席捲されたときに、人の心から大事なものが
 失われてしまった。 何でもデジタル志向で、「0か1」しかない。その中間が配慮できない。
 ▼ 以上が、印象に残ったところである。「『自由も、放任すると、こうなる』という歴史的汚点として、
  ブッシュから遡ってレーガンまでの大統領の各々がたが、残る」と思うと何とも不思議な気持ちになる。
  特にブッシュ親子は歴史上最低の 指導者として数千年も弾劾される。 哀れといえば哀れ。
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2008年02月10日(日)
2503, 閑話小題 
 *長岡の呑み助から見た夜の世界
毎週のように不景気の実態の話をしているが、地方経済の衰弱ぶりは生々しい。一昨夜は、中学の同期の女性のスナックに入ったら、
今月で27年間の店を閉店するとか。スナックの中では名前は知れわたっている店で、2年に一度位、合計7〜8回はいっていた。
 *大相撲の国技の意味
(字数の関係でカット 2010年02月10日)
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2007年02月10日(土)
 2139, 白い雲に乗って  
夜半に幻想的な夢をみた。 小さな白い雲があった。それに乗ると、ふかふか浮いて異次元の世界に引き込まれてしまった。
そこは4歳の頃の世界におりたようだ。すべてが鮮明な蘇った当時の世界が浮かび上がってきた。両親がいて、兄達と姉達、
そして多くの従業員がいた。そこは越後長岡の十字路のど真ん中にある当時の私にとって大きなビルの中。  
  一階が店、二階に事務所と倉庫があり、三階に家族の住まいと台所、
  四階には従業員と姉達の部屋があった。白銀に輝くファンタジーの中に包まれていた。
三階の住まいに猿のタロー、そしてタマという茶色の猫がいて、そこでラジオから童謡とか歌謡曲が聞こえていた。
店には若い女店員が多くいて、ぼくを「ハッちゃん」と頭を撫ぜてくれている、正に当時の真っ只中にいた。
コロという生まれたばかりの白黒の小犬を運一・兄が拾ってきた。そして三毛猫のタマとコロがジャレている。
その空間には何時も緊張感がただよっていた。燕が飛んできて窓に当たって死んでしまった。初めて死をみた瞬間だ。
いやに首の下の赤い色が印象的だ。そこを出たところには大きな通りがあり、多くの人が歩いている。小さな三輪車で駅の方に
行くと右手に小さな公園があり、その脇に池があり小さなスイッカスが水上を泳いでいた。そうだ、ここは公会堂の裏にある小さな
山の上に神社が祭ってある公園である。周りを見渡すと植木の展示会が開かれていた、多く鉢がところ狭しと並んでいる。
その先に大きい広場があった。それは阪之上学校の運動場。何時も遊んでいる近所の子がいたので声をかけると、スーと消えた。 
夢をみているのだろうか?いや夢のはずがない。ぼくは間違いなく、ここにいる! ズットここにいるのだ。何で、ぼくは、
ズ~ットここにいるのだろうか? 忘れたが何か遠い遠い旅をしてきたようだ。何の旅だったのだろうか、僕はどこにいってきたのだろう?
そこで、無性に悲しくなり大声で泣いてしまった。泣いても泣いても、あの遠くのズット向こうの世界は戻れない!
ぼくはもう、あの遠い世界には返れないのだろうか?ふと脇をみると小さなコロが悲しそうな顔をして、ぼくをみていた。
でも、コロがいたので安心をして三輪車を引っ張りながら家路についた。両親は忙しそうに働いている。
その横で姉達は今度法事で着る洋服を試着して笑っている。その後に夕飯の時間がきて、丁度みんなで食べようとしていた。
父チャンがいて、ぼくもふくめて子供達が8人が勢揃いをしてご飯を食べた。外がいやに賑わしいのでみると、
長岡祭りの山車が次々と通っている。三階の窓から手を振ると、屋台の上から男の人が笑いながら手を振り返した。
何かそれをみていたら、嬉しくてケラケラ笑ってしまった。しばらくすると父親が今日の売り上げを持って下にある店から上がってきた。
(字数の関係でカット 2014年02月10日)


4714,現代のベートヴェン 〜2

2014年02月09日(日)

‘現代のベートヴェン’のゴーストライターのライブの記者会見は、「事実は小説より奇なり」を、そのまま地でいく内容。 
物語風に、現代のベートヴェンの経緯をまとめてみるとー   <私もミーちゃんハーちゃんになったもの(元からか!)>
《 18年前に(仮に彼をAとする)Aが作曲家で一旗上げようと思い立った。が、才能がない。そこでA自身をタレントにして、
 作曲はゴーストライターに任せることを思いつく。親が被爆者であるのを利用し広島被爆二世の作曲家として売り出した。
しかし、それだけでは、いま一つインパクトが足りない。そこで全聾の悲劇を加えることを思い立ったところ、これが
大当たりになり、NHKスペシャルで放映される。ところが、あまりに売れたため、ゴーストライターが恐ろしくなり、
止めたいと言い出したが、Aにとっては引き下がれない。そこで自殺を仄めかして、作曲を強要。とこが、オリンピックの
フィギアスケートのテーマ音楽に取り上げられ、その重圧にゴーストライターは、自滅。週刊誌に、ことの真相を告白。
そこで共同会見が行われ、全聾もバラされてしまった・・・》
 ▼ これに殺人を絡めれば、刑事シリーズの『相棒』物語になる。現に似たストーリーがあった。
  また、その謝礼金額の安さにおどろいた! 現代のベートベン・Aの後ろ盾に、誰か企画立案者などがいるはず?
  問題は、この件が刑事事件になるかどうか? 会見の記者の質問の鋭さは流石。 著名なシンガーソングライターに、
 こういう類の話が多いだろう。「たけし」には週刊誌の連載や書籍があるが、彼に公然としたゴーストライターがいる。
 しかし誰も咎めはしない。「たけし」だからだ。 ゴーストライターが本人と対話しながら、内容をまとめるのだから、
 別に問題はない。 以前、ここで取り上げたプレーボーイの元編集長の島地勝彦は、有名作家のゴーストライターを自認、
 堂々と『乗り移り人生相談』を出版している。 二年前に、そのものズバリの『ゴーストライダー』というハリウッド映画を
 見たことがあった。『戦場のピアニスト』などのポランスキー監督が、ロバート・ハリスの小説を映画化したサスペンス。
 <元イギリス首相のゴーストライターとして雇われた平凡な男が、ある秘密に吸い寄せられていくさま>が描いてあったが、
 これが面白かった! これを題材にした小説をゴーストライダーと組んで出版すれば、面白いものが出来ること受けあい!
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4347, 暴力団  ー3
2013年02月09日(土)                        
   * 実際にホテル現場であった手口とは        「暴力団 」溝口 敦 (著)
 現場の苦情処理はチーフとマネジャーが対応していたが、ホテルが4棟に分かれているため支配人と副支配人も直接受け持つ。
最後は支配人に来るが、私のところに来ない。私が出れば浮き役が無くなり引っ込みが効かなくなる。脅す方も、社長が出た時は、
警察に直結するため口先で出せと言っても本気ではない。彼らは、常日ごろ刑事が宿泊者チェックに来ていることを知らない。
だから脅すのだろう。 しかし常に夜半に刑事が警察にいるわけでない。刑事とて公務員。基本は自助努力しかない。
普段から指名手配書をフロント内に貼り付けておき積極的に通報するようにしているので、好意的に対応してくれるが、
脅しと分かっていても民事である。そう簡単に表立った口出しはしない。
 ところで、現場での手口である。開業2年目頃の、初めての脅しを鮮明に憶えている。明らかに暴力団風の男に電話を
受け継いだところ、切れてしまった。そこで、「数百万の商談が壊れてしまった。弁償しろ!」と凄んできた。 明らかに脅しだが、
電話の取り次ぎのミスも仲間と仕組んだのは明らか。さてどうするか・・ ただ謝るしかしかないが、彼らは、そう簡単に脅しで
金が取れないこと知っているので執拗。 最後は、諦めたが! 似たようなケースで副支配人が二人組にナイフを突きつけられ、
数万、強奪されたが、逃走中に警察に逮捕された。ナイフが逃走の車中にあったので立件が出来たが、もし無かったら、そのまま
釈放されたという。4〜5年前には水商売風のアベックの女性が、風呂の石鹸を使ったら肌が荒れたと病院に行き、その診断書を
見せて何とかしろ!と凄んできた。これも刑事に相談しても、難しいという。「示談はしない、裁判所を通して下さい」と突っ張ると、
「10万円で手を打とう」と言ってきた。具体的金額を言うと脅しになり警察は介入すると聞いていたので、連絡。 
警察もチンピラの脅しの対応など御手のもの。 二人が外出をするのを待って、後から歩きながら、「私は刑事だが、地元の組に
挨拶をしてやっているのか?やっているとしたら組の責任もあり大問題。挨拶無しでは、ただで済まないぞ、どっちなのだ!」と、
気合をかけたら、逃げるように二人は消えた。事務所に、恐喝をしてきた宿泊の二人組が執拗に電話で脅してきたので、録音を
して警察に提出したところ、これまた逃げるように消えたこともあった。要は、ケチなチンピラだが、持って生れた天性があるが、
簡単に屈しない相手を見分ける嗅覚もある。間違って直接電話に出てしまった時は、瞬間、電話を切る。2〜3回繰り返せば、
二度と来ない。脅しようがないからだ。直接、事務所に乗り込んできたことは、一度も無い。それをすると強盗になるからだ。
何度か、彼らの脅しの現場を至近で見たことがあるが、当事者でないとしても、恐怖のどん底に突き落とされる。
・・・・・・
3972, 閑話小題
2012年02月09日(木)
  * 大地震が夜半に起きないのは何故
 関東大震災、神戸淡路大震災、中越地震、柏崎刈羽地震、この東北大震災、そして海外ではスマトラ沖大地震、
四川大地震、ペルー地震と、小さいのは別として、最近の大地震は何故か殆どが日が明るいうちに起こっている。
太陽系の引力にも関係しているのだろうか? もし東北大震災が、夜半だったら、数倍の死者が出ていたはず。
日の入りの時間は約半分として、上記の最近の地震全てが日が明るいうち、というのも偶然にしては? 
台風も、不思議に週末に集中する。
  * 単身女性の3割がワーキングプアー?
 先日、TVで単身女性の3割がワーキングプアーと報じていた。個々人の事例を紹介していたが、男性のような暗さがない。
その生活も決して不満でなく、それなりに満足している? 心のどこかに「白馬の騎士が迎えに来てくれるかも?」の願望が
あるのだろうか? 女が一人で生きていくのは甘くないが、今さら元に戻れない。 まだ社会に余裕があるから明るくいられる?
時代が、さらに厳しくなった時に、その明るさはなくなる。母子家庭の過半数以上がワーキングプアーというが、単身女性も加え、
女性の時代という掛け声と現実の違いはあまりに大きい。 国民の平均所得の半額以下の収入の人をプアーというが、その規定を
見直すことも必要の時期にきている。プアーの言葉が世に出てきたため、意識をするようになっただけか?
右上がりの時代から右下がりの時代の対比からみて、明らかにプアーの時代になったことは確かである。
この言葉の規定からすると、国民年金生活者は全員プアーになってしまう。プアーだが、情報だけはリッチの時代。
・・・・・・・
3607、絵になりますね
 2011年02月09日(水)
「この風景、何処から撮っても絵になりますね」など、風景、場面の美しさを表現するのに「絵になる」という。
「アート画転換ソフト」は、その言葉のとおりにデジタル化した写真を絵画やアート画などに転換してくれる。
絵を描くのはプロでも大きなエネルギーを要するが、気楽に一瞬のうちに転換してしまうから驚きである。
デジタル写真を絵に転換すると、何故、気持ちが響くのだろうか? そもそも絵とは何か?
  ーそこで「絵」とは何かをウキィペディアで調べてみたー
≪絵画は、板や布、紙、壁といった支持体と、絵具などの描画材料による特定の支持体に対する描画で成立したもの。
板や布に描かれた油彩画やテンペラ画、フレスコなどで描かれた壁画を指す。紙に描かれた水彩画などは含めるが、
木炭や鉛筆で描かれたものは含めない。≫ 
 この説明では、書かれた絵の意味することの説明にはならない。絵は描く人の直接手描きの主観と気持ちが入っている。
対象に集中した魂が絵画の絵画たる由縁である。それからして、この転換されたデジタル絵画写真は、果たして絵画と言えるのだろうか。 
先ほどの「板や布、紙、壁といった支持体をパソコン画面かネット上に替え、絵具などの描写材料がデジタル写真による支持体とした
描画で成立したもの」とすると、デジタル絵画としての立派な絵になる。手描きはデジカメで現場で撮ったことに置き換えられる。
そう、これはバーチャルペインターという絵画ロボットが描いた立派な芸術である。それは、誰もが過って見たことのない
新しいバーチャルの世界であり、これまでは一部の専門家しか出来なかったアート画を、気楽に絵画ロボットが変幻自在に描き上げてくれる。 
そこに現れ出るのは、今までは絵としては表現出来なかった、異次元のデジタル芸術の世界が創造される。 
実際に、過去のアナログの写真をデジカメで取り直し、ロボットで絵画転換をする度に過去が新たによみ返ってくるようである。
その現場で写した写真がアート画になるとは、数年前までは、誰も想像すら出来なかったことである。
IT化の凄みの一例を垣間見ている。成るほど、20、200万年に一度の境目で見えてくる現象はこんなものか。
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3242, 葬式は、要らない
2010年02月09日(火)
「葬式は、要らない」 島田 裕巳 (著)
 ーアマゾンの内容紹介よりー
 日本人の葬儀費用は平均231万円。これはイギリスの12万円、韓国の37万円と比較して格段に高い。
浪費の国アメリカでさえ44万円だ。実際、欧米の映画等で見る葬式はシンプルで、金をかけているように見えない。
対して我が国といえば巨大な祭壇、生花そして高額の戒名だが、いつからかくも豪華になったのか。どんな意味があるのか。
古代から現代に至る葬儀様式を鑑みて日本人の死生観の変遷をたどりつつ、今激しく変わる最新事情から、葬式無用の効用までを考察。
葬式に金をかけられない時代の画期的な1冊。 〜この一冊を読んでいるといないとでは、葬式費用は大きく違ってくるはず。
先日の新聞広告に、この本の見出しをみて、以前にあまりに高い葬式費用について書いたことを思い出した。図書館の本棚に、
「葬式僧侶と、葬式業者のボッタクリ」の内情が書いてある本が数冊ならんでいる。それを宗教学者の島田裕己が書いたのだから、
説得力も増す。最近、不景気も重なりジミ葬の流れが出来始めてきた。さらにGMSのイオンが葬式に参入するという。 
これは葬式業者にとって大きな脅威である。身内の死で慌てふためいている人の隙を突いて、世間様並みにというキーワードで、
タカルのがナリワイ。 戒名など、自分でつくれるし、そのほうが葬式坊様につくってもらうよい、ず〜〜〜とよい。
ネットで「戒名のつくり方」とでも入力をすれば、幾らでも基本が書いてある。直葬でけっこうと、いいづらいのが日本!〜
 * 直葬とは
 葬式をせず火葬だけすることを「直葬(ちょくそう)」という。これまで我が国では、人が亡くなってからは
死亡→通夜→葬儀・告別式→火葬というステップを経るのが一般的でした。
これに対し、死亡→火葬と、途中の儀礼・イベントを取り払ってしまうのが直葬です。
※ 直葬に対応してくれる葬儀会社をネットで探すには、「直葬+プラン+(地域名)」で検索するか、
 葬儀会社特有の呼び名である「火葬式+(地域名)」で検索するのが、おすすめです。
 * 直葬をどのくらいの人がしているか?
正確な統計はありませんが、専門家の推定では、2008年時点で東京都下の20〜30%、地方の5〜10%が直葬だと見られます。
直葬そのものは生活困窮者や天涯孤独者については昔から行われてきたが、それが一般に広まり始めているのが、最近の特徴。
 * なぜ直葬が増えているのでしょう。
 あくまで仮説に過ぎませんが、次のような要因が考えられます。 平均寿命の伸長(つまり死亡年齢の上昇)により、
社会的儀礼としての葬式の必要性が薄れた。 格差社会の進展で、生活困窮者そのものが増えている。宗教、とりわけ仏教離れ。 
葬式を金銭や時間、手間の点で「ムダ」と考える人が増えているメディアでの報道により、直葬が「市民権」を得つつある。 http://www.yuigon.info/keywords/chokuso.html ー遺言情報局
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2867, 「ほめる」言葉  − 4
2009年02月09日(月)
人は9割がたが褒められた事がキッカケで成長するという。子どもの頃を振り返ると納得する。
母親が38歳時の子どもだったこともあり、母はことあるごとに褒めていてくれた。
また4人の姉の存在が女性心理からみた褒める以前の知職を経験的に教えられた。
・下手に女性を褒めないこと ・嫌らしくしないこと ・媚びないこと 
・心を開いているようで開かないこと ・優しくすること ・何気なく褒めること 
・噂話は絶対にしないこと、などである。 
褒める以前に、その人の品性の裏づけがないのは、相手の心に響かない。 話しは変わるが、十年ほど前のこと。
同級生が300人ほどの何かの講演会の締めの挨拶に立った。その会の後に。同級生が十人ほどいたので急遽、親睦会を開くことになった。
和気藹藹と飲んだ後に、その男が隣に来た。「挨拶は如何だった?」と聞かれたので、「御前さんも、やっと面(ツラ)が出来てきたな」
と言うと、すかさず「どういう面だ?」と一歩つ込んできた。そこで思ったまま「我われに笑されている自分を、笑っている面だ。
それが何とも味があった」と、その時の本人の嬉しそうな顔は、まだ忘れられない。 上手く褒めた時は、褒めた方も嬉しいのである。
 このところ「褒め言葉」系の本を数冊読んだためか、無意識で相手を褒めている自分が、そこにいた。
何時の間にか、それが無くならないように習慣の核にしないと。 先生は幾らでもいるのだから!
 
第三章 相手の成長をうながす「ほめ言葉」 ー相手の小さな進歩を見逃さない-精神対話士 Mさん
   −以下は字数の関係でカット(2010年02月09日
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2008年02月09日(土)
 2502, 「体験と偏見による養生の実技100」
「体験と偏見による養生の実技100」の例が、主観的だが面白い。
  その中で6項目を書き出し、考えてみた。
13、中心は辺境に支えられる。心臓や脳を気遣うなら、手足の末端を大切に。指先、掌、足裏など。
  解)フランスの、あの「成り上がり大統領」に聞かせてやりたいものだ。
35、人生50年というのは正しい。それ以降はオマケと考えて感謝の日々を送る。
  朝、目が覚めたときには、胸の上で手を合わせて、「きょう一日の命を、ありがとうございます」と言う。
  眠りにつく前には、同じく「きょう一日の命を、ありがとうございました」と言う。
  解)もともと、おまけと考えればよい。 死を悟ったときに気づくことだが。
50、仏教では「われありて、かれあり」という。笑うことは心身によいが、泣くことも同じ。涙は魂を浄化する。
  解)泣き笑いか、人生は!
 (字数の関係でカット2010年02月09日)
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2007年02月09日(金)
 2138, 中年の心象風景   オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!       −読書日記
【人生のことは、小説が教えてくれた】 高橋敏夫著 中経出版
この本の中に、中年期の心象風景を見事に書き出した文章を見つけた。よくぞこれだけ巧く表現できるのか感心する。
中年期も終わり、そろそろ熟年ー初老期に入りかけてきて、人生を振り返ることが多くなってきた。
今まで振り返らないように意識的に前向きに生きてきたが、最近は、「ここまで来れば、振り返るのもよし、一日一日を一期一会
として生き、日々・現在を充実するもよし」の心境になりかけている。ここには、中年期の人間の心象風景がズバリ語られていた。
私は(いや誰もが?)現在でも、この心象風景はつづいている。いずれにしても、夢と現実の段差と隔離を心の中に抱えて日々を、
ただ精一杯生きるしかない、色で例えれば紫色かダークブルーの時期である。青年期に抱いたあるべき理想の自分とはかけ離れた自分を、
青年期の残像としての自分がつめる屈折した時期である。(大部分がと!あえて言っておこう)
 ー まずは、その一文を書き写してみよう!
青春が夢みる時代であるとすれば、つづく中年は夢の実現の時代ではない。わたしたちのほとんどにとってそれは、夢の不可能を知り、
夢という言葉さえ忘れて生きる苛酷な時代である。夢みることが、「現状の否定」に発するとすれば、その不可能の自覚は屈折した
「現状の肯定」になりざるを得ない。楽天的な「現状肯定」ではなく、「現状の否定」が不可能であることを知った者の「現状の肯定」
になるからだ。しかし、このときわたしたちは、はじめて「現状」というものと直面している、といってよいだろう。
それは否定しようもなく、わたしたち個々人の思いを越えて、たしかにここにある。現状のおもさをうけとめたとき、わたしたちは
ようやく性急さから解放される。現状とむきあい、性急な夢に逃避することなく、ねばりつよく生きることを選ぶしかないのである。
そして、性急な夢から解放されたとき、わたしたちは、ねばりつよく生きることに見合う、ながく、しずかな「夢」をいだきうるのだろう。
夢みる青春からみれば、それは夢でないかもしれない。たしかに、この「夢」は青春の夢の廃墟からはじまるがゆえに夢をこえた夢なのだ。
 現状否定から現状肯定へと移行するように見えて、その逃れえぬ環境でねばりづよく生きることで、わたしたちはしずかに、
だが着実に現状を変更し、わたしたちじしんを変更していく。ここには、現実の大きな力によって押され退きつづけながら、
ここからはもう退けないという思いがあり、生きつづけることでいっそうふくれあがる破壊衝動があり、家庭の中の男と女の従来の
あり方への不満があり、見方を変えることで生にあらたな実感を導きいれようとする試みがあり、生活の細部でつながる、切れそうで
切れない人と人の関係があり、そして、情痴のさらにその奥のさらにその奥の情痴へとつきすすむ紛れのない生の暗い輝きがある。          
 ーー
 〜 以上だが、何とも中年の風景をそのまま見事に描き出している。
この内容は、決して中年期だけでなく、人生の最晩年でも味あう深い諦念でもある。


4713,<つまずき>の事典 〜「男神話」   ー3

2014年02月08日(土)

                    <つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 「男神話」のバイアス
 森林(俗世間)から、サバンナ(御隠居)に移り住んでみて、森林生活の思い込みが如何に主観的過ぎたかを思い知る。
「男神話」のバイアス(思い込み)への疑問はサバンナに出て初めて気づいたこと。
 ー以下の文章は、その辺りを、鋭くついている。 
《 私はいつも男であることを嫌悪してきた。男らしさに対するアメリカでの全般的な考え方は、憐れむべきもので、
 一生涯のあいだ寸法の合わない上着を着ていなければならないことに、ちょっと似ている。(対照的に、女性らしさとは
 裸身を意識する耐えがたい抑圧感ではないかと私は想像している)。「男らしくしろ」という言い方にしても、侮辱的で、
 人を罵倒するような感じを受ける。その意味は、ばかになれ、非情になれ、従順で軍人のようになれ、頭を使うな、
 といったことなのである。ーポール・セルー「男神話」
 エッセイ「男神話」のなかでセルーがこだわっているのは、アメリカ社会の中で「男らしさ」の追求がいかに男たちに
抑圧的な役割を強いるものであるかという点である。何しろアメリカの元大統領の例に示されるように、週末の休暇に
カウボーイの格好をしてみせて、常に強い男の演出をしなければ自らの政治生命に支障をきたす社会なのだ。
物を書くという仕事に関しても、男らしい職業と言い難いが故に、アメリカ作家の多くは自らの「男」を証明するために、
大酒飲みであることを自慢したり、金銭的成功をめざしたり(富は男らしさの象徴)、ヘミングウェイのようにライオン狩りを
したり、といったように、これまで「血のにじむような努力を重ねてきた」のだ。
ついにはセルーが「男であることは、特権的であるどころか、むしろ無慈悲で懲罰的、重荷である」と嘆くまでに至るのを
聞けば、もう他人ごとに思えず、意気消沈する男たちも少なからずいるにちがいない。》
▼ 「男は男らしく、女は女らしく」は疑問の余地がないはずと信じてきた。しかし、振り返ると、実際に男らしかった
 だろうか?どうだろう? 「男神話」を信じて、男らしくあろうと必死だった姿が、滑稽で可笑しく、漫画的に思えるは、
熟女?が、よい年をして、「女神話」に乗せられ、高価の化粧品を買って、必死に化粧台に向かっている滑稽さと同じ。
昨日も、ハリウッド映画をみてきたが、「男神話」そのもの。いま問題になっている「現代のベートベン」も、その虚像を
演じた男の終末劇である。そういう私も、「男神話」を信じて疑わなかった一人である。 信じて演じているが、コスプレ?
その視点で世の中を見ると、全てコスプレ?そうみれば、逆にコスプレを楽しんだ方が面白い?「男」をコスプレしてきた?
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4346, 暴力団  ー2
2013年02月08日(金)
                    「暴力団 」溝口 敦 (著)
 世界で不法集団が街の真ん中に堂々と事務所を開いているのは日本だけ。それを一般国民も認めているから最後進国並み。
10数年前になるが、個人経営の居酒屋に営業時間、堂々と組員が営業をするのだから驚いた。それも暴対法が出来てからは、
無くなったようだ。悪しき民主主義が、こういう人たちの権利も擁護をしていることも事実。
  ーアマゾンのレビュー(感想)にあった次の要約は、分かりやすいー
≪・序盤には、日本の暴力団の概略とその活動内容について書かれています。シノギについても、いろんなシノギがそれぞれ
 どういう活動で、どういう歴史を持ち、どういう風に行われていて、時勢にはどういう傾向が有るのか、どれくらいの収益を
 上げているのかが、具体的に書かれています。また、暴力団だけではなく、隣接する業界(風俗や解体、産廃業界等)が
 どういうふうに関わっているのか(たとえば、ソープやパチンコホール等の暴力団へのみかじめ料の基準)などが書かれている。
・中盤では、暴力団員的気質や構成員間の人間関係、刺青の意味・種類や入れる動機、アメリカやイタリア、チャイナや
 タイワンのマフィア、香港の三合会、などとの比較を通じて、暴力団とカタギの社会とのかかわりについても言及してあります。
 また、暴対法や暴排条例をはじめ、警察や行政組織、刑事法とのかかわり(ウィークポイント)について言及してあります。
・終盤では、従来の暴力団という性格の組織は維持できなくなりつつあること、また、それと関連して統制されなくなった
 アウトローが暴力団にかわる勢力(わかりやすく言えばオレオレ詐欺をやっている連中や、海老蔵の事件を起こした暴走族
 上がりのハングレ集団)として台頭の記述があります。≫
≪ 暴力団に会わずにすめば、それがベストだが、会うことになってしまった場合の対応などはとても参考になる。
 ICレコーダーなどの録音機をテーブルに置き、「録音させて頂きます」など相手の了解を得る。会っても暴力をふるまわれる
 可能性はほぼゼロ、警察に引っ張られるので暴力は振るってこないと安心していい。相手が脅してきた時は、「私たちでは
 対応できないので警察官に立ち会って貰います」と対応、正面からぶつかることを恐れない、妥協しない相手と思わせること。
 「誰が、どの様な権利と名目を持って、主張しているのか」という点を見失わない様に努め、毅然と対応することが重要と。 ≫
▼ 不況の上に暴力団対策法、暴力団排除条例が次々に施行され、警察の取り締まりも厳しさを増す中、下っ端の生活は厳しく、
 高齢化が進んでいる。 台湾の「流氓」は20代前後が中心なのに、日本の広域団体の直系組長クラスは高齢化が進み、六代目
山口組の「若頭補佐」で40代はゼロ、五代目時代は数名いるという。 台湾は若年化、日本は高齢化である。
イタリアの「マフィア」は、「3名以上で構成され、危害を加える恐れのある者の集団」と人数まで、設定されているのに対して、
日本の法律では人数などは言及がない。「半グレ」は暴力団とも対決できる新集団で、盛り場を変えている。暴走族上がりの
半グレ集団の関東連合。かつては暴力団員の予備軍だったが、半グレは暴力団になろうとはしない。なっても稼げないからだ。
新潟駅前には、得体の知れない若いグループが屯をし、酔い客や、若い女性に声をかけ、店やホステスの勧誘をしている。
駅構内の新幹線のコンコースで5〜6人が横に並んで声をかけている姿は、もはや司法国家とは思えない。警察の動きを携帯で
連絡をし合って神出鬼没に姿を現す。逆に4〜5人が若い警官二人を無言で取り囲み凄んでいる。荒んだ時代背景がある。
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3971, 閑話小題 
2012年02月08日(水)
   * 携帯とスマートフォン、複数所持7割
 TVの街頭アンケートで、携帯とスマートフォンの複数所持が7割とあった。
私自身、iPhoneのタッチ式の文字が小さくて相性が悪いこともあり、普通の携帯に逆戻りをした経緯がある。 
しかし、流れはスマートフォンに雪崩をうったように切り替わったようだ。街頭インタビューでは、携帯を電話専用に、
スマートフォンをパソコン代わりの情報収集に、使い分けているケースが多かった。 他に、会社用と個人用とか、
二台にして使い分けた方がスマートフォン一台より格安になるとか、色いろな使い分けがあるようだ。 私の場合、
iPadを簡易型パソコンと割り切って、使いこなしているので、携帯に変えたのが逆に良かったことになる。
 若者達は、ネットゲームで互いに遊んだり、仲間同士、ナビを使って現在いる位置を共有したり、テレビ電話をネットで
繋げたりして遊んでいる。 何度も書いているが、iPadで日常生活が変わってしまった。暇さえあればiPadである。
 他にも多機能TVも、居間生活を変えた。 数百の録画か、過去一週間の地上波のゴールデンタイムの面白そうな番組か、
WOWOWの中から選択できる為、面白いものばかり。家内がTVを見ている時は、パソコンかiPad。
横になってiPadで新聞、書籍が見れるのが、カウチポテト族には有難い。
   * 三丁目の夕陽
 少し前になるが、「三丁目の夕陽・�掘廚鬚澆討�た。これで3回続けてのシネマ通いになった。こと話題になった映画に関して、
外れと後悔したことは殆どない。 所詮は、すべて夢幻。 現実も、映画も、小説も、全てが虚構。そう割り切って楽しめばよい。
世の流れを、そのまま受け入れればよい。 ミーちゃん、ハーちゃんを楽しむ。これが家内から学んだこと。 それも人生経験を
積んだ後でこそ、その味わいが深くなる。 思い込み、先入観が、世界を狭くする。 高度成長期に向かって動き始めた
昭和三十年代半ばから後半が、この映画の時代背景。 団塊の世代向けにつくられた映画だが、当時は夢に向かって誰も必死に
学び働いていた、その頃の仄々とした空気が上手く映し出されていた。そしてバブルと、バブル崩壊、そして右下がりの20年を
経て現在に至っている。暗く淀んだ不景気の中で、明るい未来の予兆が国全体に漂っていた時代を懐かしむのも何とも複雑。
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3606, 大相撲八百長事件
2011年02月08日(火)
 結局、これも携帯電話から致命的な証拠を残してしまった。 去年7月に野球賭博で力士の携帯電話が押収された時から、
一部親方衆から八百長の記録が表沙汰になるのでは?と危惧されていた。力士は携帯の内容を消去をしてしまえば大丈夫!
と思っていたようだ。 しかし携帯の記録は専門業者を使えば直ぐに現われてくる。 ここで分かったことは、
十両の一勝の相場が20万円。そして互いの前後の場所の貸し借りで清算されるか、違う力士との貸し借りにも融通されていたことである。
「関取の互助会組織」が暗黙のうちに出来ていて、大関や、十両などからの陥落の際にやり取りされていた。勝ち星の貸し借りの
噂は私が子供の頃からあった。その辺を暗黙のうちに了承し見ると千秋楽の取組みは面白く、幕下から幕内の大部分を見てきた。
本来、相撲取りに道徳など求める方がおかしい。それらのイカガワシサを含めたスポーツ兼芸能世界を楽しむのが好角家であり、
目くじらを立てる方がおかしい。 ここで、何故に警察が野球賭博で携帯電話から得た八百長の決定的証拠を表沙汰にしたのか?
誰もがエッと思ったはず。そんなに警察も野暮ではないはず。そこには一部報道されている相撲賭博疑惑があるからでは?
暴力団が仕切っている賭博組織の摘発のためでは?と思うのは私だけではない。その前に尻尾切りで、ウヤムヤになるのか?
その辺の筋たてを見ている方が面白い。もう一つ政変の前には意図的に「目くらまし」の事件を立て国民の目を、逸らす力が働く。
3月政変への御膳とみると、成るほど合点する。 相撲を長年みてきた者として、過去の関取の大部分は、何らかの形で
八百長をしてきていると確信している。最近、怪我の相撲取りが多いのは、八百長がやり辛くなってきたためともいう。
力自慢の見世物という興行世界なら、暴力団や花柳界との出入りがあって当然のこと。芸者遊びをTVを通し楽しむ世界でしかない。
その異質の世界を、一般の常識で縛ろうという方が不自然。 「相撲取り、関取落ちれば、ただの馬鹿(デブ)」 
チョンマゲをつけ、褌姿で、裸でぶつかりあう神事を割り切って楽しめば良いだけ。やはり日本的ウヤムヤの延長しかないのか?
 たまたま二年前に、大相撲について書いてあった。
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2866, 大相撲が神事? 
 2009年02月08日(日)
大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、
いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。
  (字数制限のためカット 2012年2月日)
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 3241, 中学同期会にて
 2010年02月08日(月)
 中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 
サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、
全体的に沈んだ雰囲気である。200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、
語っていた。新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。
それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない  (2)社会的役割の喪失  (3) 貧困と孤独  (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失 (7)枯れへの悶え
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)(9)ボケと過敏  (10)成熟と衰え   
 その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。還暦を過ぎてから 
(8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。それ以外は、まだだが、いずれじわじわと
、くるのだろう。  人生60、いや70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?で、その質が左右する。
 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能なこと。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に
陥る瞬間が多くなる。これが人生の秋口の心の風景。 早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
 P−37 アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、あの狭き門という題は
聖書の有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」
(マタイによる福音書七の13−14)この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って
自分の妻にするのであるが、そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りをひらこうとするが、
どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門から
はいろうとされるだろうか門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。「求めよ、されば、与えられるであろう。
捜せ、されば、見いだすであろう。門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
イエスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 P−38 「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして
生きてきたことを告白している。自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。それなら、
人々に対してもそのことをしてやるべきである。人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
 (字数制限のためカット 2012年2月日)
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2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
 *細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。ところが、ここに来て復活。
歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)  
まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての
熟成されたテクニックを使った、竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。
何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ!  
でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。 ーまだつづく¥(*^_^*)\バイバイ
・・・・・・・
2006年02月08日(水)
 1772, “サラ川"入選100作品  おはよ〜(>ω<。)!!
この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。 私が選んだベストファイブは
・48  セキュリティ 一番手薄な 妻の口    無給警備員    ・57  散髪代 俺は千円 犬 一万   下流の夫
・59   鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ   物は考えよう  ・64  人生の 第二職場は 妻の部下  世の常人の常
・81   マイブログ 立ち上げたけど 話題なし   磯仁
 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」になるが、どれも切ない話題ばかりだ!
  ーまずは読売新聞の記事をー     ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜
“サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。
第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。
中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。
ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、
ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。
 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、
ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」
ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、
(字数制限のためカット 2011年2月8日)


4712,閑話小題  ー現代のベートヴェン

2014年02月07日(金)

   * 「現代のベートーベン」のゴーストライターの会見!
 昨日の午後、スポーツジムから帰って居間でお茶飲みTVを見ると、ゴーストライター・新垣氏の記者会見が始まった。
家内は朝から待っていたようだ。それはTVドラマの一場面のようなシリアスな内容。 ーまずは週刊文春 の概要よりー
《 広島生まれの被爆二世で「全聾の作曲家」、佐村河内守氏(50)が、実際は自分で作曲をしていなかったことがわかった。
 桐朋学園大学作曲専攻で非常勤講師を務める新垣隆氏(43)が取材に応じ、佐村河内氏のゴーストライターをしていたことを
明かした。 氏の代表作とされる『交響曲第一番HIROSHIMA』や、フィギュアスケートの?橋大輔選手がソチ五輪のショート
プログラムで使用する曲『ヴァイオリンのためのソナチネ』も、新垣氏が作った楽曲だった。
 新垣氏はこう語った。「公表するべきか逡巡しましたが、事実を明らかにして自分も詫びなければならないと思い至りました。
このまま事実を伏せ続ければ、五輪という大きな舞台までもが氏の虚構を強化する材料にされてしまうのではないか、と」
 また、昨年3月に放送されたNHKスペシャル『魂の旋律〜音を失った作曲家』で、佐村河内氏が東日本大震災の被災地を訪ね、
津波で母親を失った少女のために『ピアノのためのレクイエム』を作曲する様子を密着取材したが、この曲も氏の指示で
新垣氏が作曲したものだった。番組では、氏は「全聾」ながらも「絶対音感」を持つ「現代のベートーベン」と紹介された。》
  ーネットで会見の要所を抜粋するとー
・佐村河内氏は聴力を失っているとされているが、「私の感覚では耳が聞こえないと感じたことは一度もありません」。
 「彼とは普通のやり取りをしていた。(耳が聞こえないというのは)違うのではないかと思います」。
 作曲をする段階でも「私が録音したものを彼が聴いて(その場で)彼がそれに対しコメントするということもありました」
 と具体的な例を挙げ「耳が聞こえないことを装っていたと思うのか」との問いにも「はい」としっかりと答えた。
・障害者手帳は「1度だけ見せられたことがある」。その時期は「彼が自分が耳が聞こえないんだというスタンスを取った、
 ゲーム音楽が発表された後(彼が35歳)あたり」「これからはそういう形で行くという話を聞いた記憶はあります」と、
 その時を境に、外に向けて“耳が聞こえない”ということを売りに音楽制作活動をするようになった。
・「最初は私にも耳が悪いことを示していたが、やり取りをしているうちに装うこともなくなっていった」。
・「私は佐村河内さんの共犯者です」。「最初に、耳が聞こえないのだと言い出した時は戸惑いました。その必要があるのか
 疑問だった。でも、それはこのような環境に立つための方法なんだと了承した。彼は自分のキャラクターを作り、世に出した。
 彼のイメージを作るために、私が協力をしたということだと思う。私にとってもゴーストとしての役割を果たすためには、
 それ(実は聞こえるという事実)が知られてはならないので、なるべくそれがやりやすいような状況を望んでいたのは否めない」
 と自らも「共犯者」として偽りの片棒を担いだことへの思いを語った。
▼ これだけ派手にマスコミを賑わし「現代のベートーベン」と言われた「全聾の作曲家」が、ゴーストライターに、
 記者会見で、暴露される前代未聞の内容。本当か嘘か、18年間に20曲で700万は、安すぎる。せめて7000万なら分かるが。
 其の辺がネックのように思えるが、どうだろう。それにしても、高橋選手が出場する直前のタイミングを狙ったのは何故?
 という疑問がたつ。自作自演の現代のベートベンを演じた佐村河内も、バレなければ、それはそれで?  これで、
 オリンピックも、都知事選も、半分は、この方に目が向けられる。 細川が全聾の作家とすると、ゴーストライターが誰?
 アメリカのシェール会社あたり? 彼が勝てば、原子炉全廃に一気に世論が変わる!で、・・・それより、株価の暴落が?
・・・・・
4345, 暴力団  ー1
2013年02月07日(木)
                          「暴力団 」溝口 敦 (著)
 暴力団といえば、ホテル業など狙われやすい仕事。植木鉢や門松などの名目で一度、払えば当然の権利?として付込んでくる。
開業当初は執拗に迫ってきたが、30年間、一度も屈したことは無かった。流しの半グレが客の立場を利用しタカリってきたが、
一度も払わなかった。些細なことでも警察の相談するのが鉄則。「あそこは警察に直ぐに電話をする」「絶対に払わない」という
情報は、その筋では周知になる。脅された担当は「命が幾つあっても足らないほどの恐怖」とこぼす。
   まずは ーアマゾンの内容紹介ーより
【 島田紳助、衝撃の引退! 人気タレントの社会的生命を閉ざすほど、 よくスキャンダルになる「暴力団」とは、 そもそも
何なのでしょうか? 芸能界だけではなく、あなたの会社や家庭にも秘かに忍び寄っているのかも……。 社会の裏にに巣食う
「わるいやつら」の正体とは?  [こんな情報が本書でとてもよくわかります]  ・暴力団はどこにいるのか? 
・暴力団のリクルート活動とは? ・学歴、年収、出世の条件とは? ・芸能人となぜ親交するのか? ・覚醒剤や野球賭博で
 どのように儲けるのか?・女はヤクザになれるのか?・なぜヒモが多いのか?・刺青や指詰めのワケは?・警察との癒着は?        
・ヤクザが 恐れる集団とは何か? ・もし出会ったしまった時の対処法は? 無法な「わるいやつら」にペンで対峙し、日本最大の
 山口組も、暴対の強面警察官も唸らせたノンフィクション作家が、「現代極道の基礎知識」を世界一やさしく解説しています。】
   ー要約するとー
≪・暴力団が儲からない商売になっており、絶滅危惧種になっている。
 ・暴力団に代わり、半グレ集団と呼ばれる元暴走族のような犯罪集団が勢力を伸ばしている。
 ・暴力団対策法が余り有効ではない一方で、昨年から全都道府県で制定されている暴力団排除条例は絶大な効力を発揮している。
読むと、いい女を連れて高級車を乗り回すかつてのイメージは完全に払拭される。 組の若い衆が問題を起こすと組長にまで、
警察の手が及ぶ現状の組長は哀れ。暴力団は斜陽にあり、高齢化が進み、新人のリクルートが進まず、組織が硬直化し活力を
失いつつある。バブルの時は地上げや株式相場で儲けたものもあったが、今や彼らも風前の灯。失われた20年の直撃をもろに受け、
財布は限りなく軽くなり、派手な生活は出来なくなった。かわって出てきた半ぐれ集団も置かれた状況は同じ。彼らが持て囃された
30年前は遠い過去で、暴走族そのものが全国的に「絶滅危惧種」状態。最近六本木のクラブで起きた金属バットで殴り殺す事件も、
半グレの関東連合が絡んでいたが、特定の被害者をグループで襲うという行為自体が女々しいと・・ 
本書に「政治家には悪い政治家もいれば良い政治家もいる。警察官にも悪い警察官もいれば良い警察官もいる。
しかし暴力団だけは悪い暴力団だけで、良い暴力団はいません」とある。そこで求められる資質は、他の職業にも言えるが、
空気を読むこと、相手の顔色をうかがい、少しでも怯んだ様子を見せれば、たちどころに居丈高になり、弱みを突いてくる。≫
 ▼ ネットで結ばれた緩やかな半グレ集団が、暴力団にとってかわりつつあるが、これとて絶滅倶種。現役のころ、こういう
  得体の知れない人種が常時7〜8人は宿泊していた。それを常に刑事が調べ、後をつけたり、職務質問をしたりし逮捕する。
  五年、十年のホテル難民も常時、宿泊していた。その強請りも暴対法が出来てから激減していった。
・・・・・・・
3970, 大型クルーズ船長のオソマツ!と、私
2012年02月07日(火)
  イタリアの大型クルーズ船長の言動に対して日本のマスコミは、あまり騒がない。世界の航空会社で最低といえばイタリアとインド。
海外ツアーで旅行代理店はイタリア航空を組みこんだものは少ない。 良くいえばラテン系の大らかさ、悪く言えば大雑把で好い加減。
その結果トラブルが非常に多い。 近隣にサービスとは無縁のイスラム系の国があるので目立たないが、先進国といわれる国の中では
ルーズさに関しては最悪の国。 5千数百人の乗客の船長が我先に救命ボートに乗って逃げ出す失態は、国家そのものの恥でもある。 
呆れる以前の問題で、誰も馬鹿馬鹿しく批評すらしないのが笑いを誘う。 その言い訳が二転三転し、イタリア人らしい。 
  ー ネットのニュースーより
【 イタリア中部ジリオ島沖で起きた大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故で、英BBC放送は18日、伊主要メディアの
報道として、過失致死などの疑い同じルートを通ったことがあるとし、「今回は転進を指示するのが遅れた」と語った。スケッティーノ船長の
捜査当局に対する供述調書の内容を伝えた。 それによると、船長は、乗客を船上に置き去りにして先に船を離れたことを認めたうえで、
自らの意思に反して岸へ運ばれてしまったと供述。 座礁した船の上で転び、偶然、救命ボートの中に落ちたと主張しているという。 
船長はまた、船を島に接近させすぎたことが事故の原因と認めたうえで、以前にも3、4回、 接近させたと話している。 】
▼ ここで、今回の沈みゆく倒産劇の私が、この船長に重なるところがあったのでは? という思いが出ている。
 私の場合、何とか二人の年金で生活をしていけるが、従業員たちは、この時代に生活していくのが至難。 事業を始める時、
 「始めたからにはリスクが伴う。全てを失っても後悔はしない」と最悪の想定をしていたので割り切りは早い。
 しかし社員の立場は覚悟が違う上に、生活がかかっている。生活が確保されている私をみて、あの船長と同じようにみえて当然。
 そのブザマな姿が自分に重なる! これも事業の起承転結の結。 リーマンショックからの売上激減の日々が大変だったので、
 この厳しさには平然としていられるが、夜半に独り、あれこれ考えると凍りつく思いがする。これも覚悟の上で始めたこと。 
 45年の総括は2ヶ月後に行うが、創業準備の15年間の方が、この事業の30年の数倍の厳しさとエネルギーを要した。
 準備を十分にして、時流の風に乗せてしまえば、あとは自動的に流れていく。 準備期15年の満足度80点、30年スパンは60点、
 45年間で均して70点。最悪の結果としてもである。 惨劇を身近で多く見てきて、電光石火で終えたのは、不幸中の幸。 
  全ての人の人生は本来、無様・・・ 私も、その一人と思えば気持ちが楽。 あの船長、天国から地獄。マフィアからも狙われる!
・・・・・・
3605, 大行進〜中国“小皇帝
 2011年02月07日(月)
 BShi で2月5日(土)午後8:00の「大行進〜中国“小皇帝”たちの孤独〜」が濃い内容であった。 まずは、紹介文から
≪ 急激な経済発展で増加した中国の新富裕層。たった一人の子どもが大事にされ、何不自由ない環境とモノや金が与えられる。
“小皇帝”と呼ばれるその子たちの中には、親に暴力を振るうなど、問題行動を起こす子どもたちが増加している。
そんな手に負えない「悪童」らを更生させようという、型破りな民間学校が10年前に開校した。名物授業は2週間以上も歩き続ける
400キロの「大行進」。10tトラックで寝起きして毎日およそ8時間、平均40キロを歩き、精神的な達成感と自信をつけさせること、
そして農村にホームステイさせてもらい、社会体験を積むことが目的だ。番組では大行進する子どもたちに密着。
家庭の問題や将来への不安など、彼らの本音に耳を傾け、歩き続ける中で自分を見つめ、成長し、あるいは葛藤する姿を追う。≫
 ▼ 深く考えさせられる内容である。日本で似ているのに「戸塚ヨットスクール」がある。これほど厳しくはない。
ここで収容されている何人かの小皇帝を通して、それぞれの親子関係と本人の抱えている問題が浮き出てくる。
何らかの問題は家族の中にある。 集団生活の中で、日記を書くことや、掃除、互いへの思いやりが出来ていくプロセスを
淡々と映し出されている。 家庭生活を通して父親、母親、そして兄弟から多くを学んで育っていくが、両親が共働きで
一人っ子にはモデルがない。その結果、親も子供も戸惑っている。10歳までの教育、躾で人生は大方決まってしまう。
それを10代後半に修正するのは並大抵ではない。 考えてみたら大人数の家族の中で色々の葛藤と、教えがあった。
身近に、色々な人生を見るのは刺激が非常に強い。ある意味では、この訓練校の中のようである。 中国の一人っ子政策の歪みは
マクロ的にも必ず出てくる。「流砂の民」の傾向が強くなり、エゴ丸出し国家の要員になる。 日本人の無気力より良いか?
・・・・・・・
3240, 一日、一回でよい
2010年02月07日(日)
「一日、一回でよい!」が、一ヶ月間の諺の‘日捲り’にあった。ツイッターを始めようかどうか迷っていた時、
「まず一日一回書き込むことから始めた」という勝間和代の言葉に触発され、まず一ヶ月間続けてみようと実施してみた。 
成るほど続けていて「広い異世界を垣間見る面白さ」に気づかされた。 一日には、朝、昼、晩、夜半と一つのリズムがある。 
これに沿って一つずつの習慣を積み上げ、第二の天性を作りあげることでプラスの変化をもたらすことが可能になる。 
ウォーキング、随想日記、起床直後の仏前の祈り、新幹線車中の読書など、一日単位の習慣の重なりがある。 
その一日単位の習慣の組み合わせが、その人そのものとなる。さらに週一度の習慣、そして、月、年に一度の習慣を付け加えていく。 
特に朝晩にベストの習慣を身につけることがポイント。洗面、トイレ、風呂、三度の食事も、子供の頃から習慣付けられてきたものがある。
 秀才とは、予習、復習の習慣のある人。天才とは得意を遊びにした人。 一日千回、せめて百回「ありがとう」を繰り返すとか、
般若心経を唱えるとか、考え方の意図的なカタチつくりも必要である。 『まずは一日、一回の厳守から』習慣づくりは始る。
しかし、これがなかなか難しい! 年に、月に、週に一度といえば、色いろある。それを自分の絶対言明にして、
その実行をしていくことが自分つくりということだ。この随想日記も、出始めは同じだった。 あと一年三ヶ月で十年になる。
 ーたまたま去年の同日に、同じようなことを書いてきた。
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2865, 一つのことに一万時間没頭
 2009年02月07日(土)
昨日の日経で、三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が全面を使った広告で
「今、若者たちへ」という次世代に贈るメッセージを語っていた。
その中に「一つのことに一万時間没頭しよう リベラルアーツ修め、『志』を打ち立てよ」がよい。
 ーそれを要約すると
・若者は「とんがる」のが20代の仕事! 自分の能力の限界に本気に挑戦する数年を過ごすべき。
・そのために何か一つのことに一万時間を費やすべきだという『一万時間説』を唱えている。
・そうするとヒトカドの人物になれる。プロとして認められれば同じような集まりである『鉱脈クラブ』に入会できる。
・大事なことは、一万時間も費やして獲得した人脈、知識、スキルをその後人生にどう生かすかである。 
・そこで求められるのが「志」、30代に志磨きをすることが必要となる。
 志を磨くには、まず、自分が何のために生まれてきたか、社会のために何をなすべきかという『自己認識』が必要。
・そこでは、国際社会で通用する高い教養が必要になる。 その第一歩が自国の日本のことを深く知ることである。
   人間性を磨く、要は教養を深め、専門性を磨き、人を説得する努力が求められるということ。
 −−
 これは決して若者だけではない。我われにも当てはまることだ。一万時間という言葉で気づいたことは、この随想日記、
8年弱続けてきたが、8年×365日×3時間=8760時間で、あと二年で一万時間になる。なるほど、と自分で納得している。 
あくまでアマチュアだが、一日も欠かさず続けた効果は絶大であった。 あと2年で10年が大きな節目である。 
書き続けることの深さを体感できたのが最大の収穫である。塵も積もれば山である。20人位の人が見続けていたようだが、
いや30人か? その人たちとは、ここでいう鉱脈クラブでつながっているのだろう。8年間で自分が大きく変化してしまった。 
 ー効果の一部を思いのまま書いてみると 
・一番の収穫は、書くことが面白くなったことだ。 ・それと自分に自信が持てるようになったこと。 
・自分の限界がはっきりと見えるようになったこと。・プロのモノ書きの凄みが見えるようになったこと。 
・本の速読が飛躍的についたこと。 ・ものごとの本質の把握力がついたこと。  などなど、あげると限がない。
 もっと分かりやすくいうと、以上の文章を三十分で書けるようになったことである。 で、どうした?どうもしないが!
 定年後に何をすべきか? これまで出来なかった何かを見つけて一日十時間、三年間集中してみたら!群れてないで。
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2008年02月07日(木)
2500, 県民所得格差
 ある新聞社のHPの記事をまずコピーしてみてから、地域格差の問題を考えてみよう。
 −−
 地域間の所得格差を計る代表的な指標は、人口1人当たりの県民所得。この県民所得は個人所得の他、
法人所得も含まれており、個人の所得水準というより地域全体の経済力を示している。
 2005年の上位1〜5位は、東京都、愛知県、静岡県、滋賀県、神奈川県の順である。上位5県の平均は、362万5千円である。
事業所が集中しており、昼間人口の割に夜間人口がない東京都は478万円とやや特別な高さとなっている。下位1〜5位は、
沖縄県、高知県、青森県、宮崎県、長崎県と南北の遠地で構成されている。下位5県の平均は215万7千円であり、
上位5県の平均はこれの1.68倍となっている。 高所得5県と低所得5県の間の所得格差は1961年の2.32倍から
高度成長の時期における工場の地方分散などにより1975年の1.58倍へと縮小した。
 その後、地域間格差はほぼ横ばいの状況となったが、1980年代後半のバブル経済の時期には
やや格差が拡大した。その後の景気低迷の中で、景気対策としての地方への公共事業の
重点配分などの結果、さらに地域間格差は低下し、2001年には1.55倍と過去最低となった。
 ところが、その過程で、公共事業抑制、行財政改革、地方分権改革など、「改革なくして成長なし」を合い言葉とした
改革路線が本格化し、それに伴って、地域間格差も4年連続上昇し、2005年には1.68倍へと上昇している。それでも
高度成長期以前の地域間格差と比べるとなお格差のレベルは低く、諸外国と比べても地域間格差の水準は低くなっている。
ーー
以上だが、数年前に長岡は東京のの6割、新潟は7割の所得と聞いていた。
しかし、2005年度で、新潟県平均で6割というから、中越地震と、中越沖地震の影響で5〜10?は落ちたので50?を
割った水準だろう。物価とか、家賃とか他に諸々を考えると20~30?は低いので、都会との生活水準は八割位であろうとは、
感じてはいた。去年、静岡県の島田市に学生時代の友人のところに遊びに行った。彼はトヨタ系の自動車部品メーカーの
下請けの社長だが、静岡県を案内してもらっているうちに、新潟県との空気の違いを感じ取った。
車は中型車の新車が目に付き、家は新しい上に、道路や公園が整理されているのである。
ここはアメリカ?という感覚になってしまった。角栄が政治的に健在だった時の新潟県の豊かさを見ているような・・。
   (字数制限のためカット 2011年2月7日)


4711,閑話小題 ー最近、記憶術を少しずつ身につけている

2014年02月06日(木)

   * 夢に気づいた私は
 一昨夜になるが、夢の中で、これは夢?と気づいた。数年に一度はあるが、何時も直ぐ夢から醒めてしまうが今回は違った。
その物語こうだ。新潟駅前の何処かの店に入って何か頼むが、忙しいのか取り合ってくれない。 何か変だと、店外に出ると、
そこは目的先ではなく、別の店。 仕方がないと、他の店に入るが、そこには誰もいない。そこで駅に向かうが、ポケットに
長岡への帰りの切符がない。もしかしたら車で来たのかと引き返し見渡すが自動車がない。また再び駅前の広場に戻りながら、
これは夢では?と気づくが現実感が強い。そこで、駅前の広場を改めて見るが、嫌にリアルの光景。よく見ると、最近できた
再開発ビルが、見あたらない。これは、20〜30年前の駅前の光景! そう改めて見直すと、鮮明な光景が急に曖昧になる。
よくあるケース。 せっかく夢なら、駅内の店で美味しいものを食べてやれと階段を上がりかけたところで、目が醒めた。
  * 最近、記憶術を少しずつ身につけている
 このところ遊び気分で、長年、苦手にしていた記憶法を試している。図書館から何回も『一年で全米記憶力チャンピオンに』
を借りてきて、読み返しながら記憶訓練をしているが、これが段々、面白くなっている。 基本は位置法で、まず10ヶ所の
家の中や、街中のイメージを焼き付け、そこに記憶すべきものを置いていく。 もう一つが、数字を4桁に区切り、身近な
モノの値段にしてしまう。9桁や13桁の最後の端数は、一円を+として、それに付け加える。7桁の場合は、マイナス一円。
39885269なら、3980円+8円の、いま着ているジャケットに。ズボンが5260円+9円にする。問題は、
値札にその値段をすり込んでイメージすること。意味付けをしていることになる。もう一つは、よく通販のコマーシャルで
数字をメロデーですること。「三九八八♯の、五二六九♭〜〜」これを何度か繰り返すと良い。遊びとしては手軽で面白い!
 次に思いついた7893の4251、確か憶えたと思ったが・・ で、二回目に間違いなく憶えてしまった。
で、上記の二つは当然、脳に焼きついてしまった。
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4344, 感動すると疲れない
2013年02月06日(水)
「感動すると疲れない」 何気なくネットサーフィンで見つけた写真にあった言葉。
疲れないというより、疲れがとれる、という方が本当だろう? 事業の立ち上げと清算を幾つか経験してきたが、創業を達成した
感動は疲れの全てを取りのぞいてくれた。希望を目的に即し目標をたて、具体的計画にして実行する。自分の持っている全てを
叩きつけたからこそ得ることが出来る心の奥の達成感。成功すればこそだが何事にも変えがたい感動がある。それは創業だけでない。
今回の清算?も、淡々と終えることが出来たこともあり、厳しいが感動もの。準備15年、創業以来30年の会社を潰すのも、
事業の一環。愛した会社の最期の看取りも、雲の上から見ている自分がいた。 謹慎期間の二年が近づいたが、一連の疲れが
取れたかというと、実感として半分。まだ45年分の疲れが残っているようだ。ただ緊張感の蓄積からくる軽い神経失調症的な、
症状は、ほぼ無くなった。これをとるには感動体験を更に積み上げること。秘境旅行で大きな感動に出会うと、旅路の疲れが逆に、
心地よいものに転換する。 事業も同じ。立ち上げが上首尾に終わりホッとした時に起こる心の奥の感動で、既に元を取っている。
そのため事業清算をしても、後悔の念は全く生じようがなかった。それは経験してみないと分からないこと。
その辺の人が想像する挫折感とは違う創業者の強みがある。感動と、その蓄積は、魂の財産になる。 私の人生で、「感動」の
場面には恵まれていた。 感動は、求めれば与えられる。絶望も感動も、多く味わった者が豊かな収穫を得ることが出来る。
 ーところで、感激と感動の違いを検索してみると、
【「感動」は、心が物事を受けとめて深く動かされること。多数の人が一度に感じるときに、「感動の名演技」のようにも使う。
 「感激」は、物事に触れて激しく心が動かされ、なんらかの形で外に表われ出るような場合に多くいう。かなり感情的で個人的な
 場面が多い。】とあった。 私は、心が動かされることを感激、魂が動かされることを感動と解釈していた。
 「感謝、感激、感動」 体験には、人生の大きな秘儀がある。 同じ人生なら、可能な限り、これを味わなければ生きている意味
(価値)がない。味わった価値は、あの世に持っていける唯一のもの。それも三日も経てば、全て同じこと。生きているうち感動を
 積み味わうことしかない。手っ取り早いのが「シネマ」。そしてTVの映画などだが、実際の経験には当然、劣る。が、それでも・・
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3969, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー3
2012年02月06日(月)
    * 情報(言葉)の恐ろしさ
「7割の確率で首都圏直下型地震が4年以内に起こる」とうニュースが衝撃的だったが、先日の土曜日の朝、
BS朝日で例の東大地震研究所の教授が、その首都直下型地震について話をしていた。
「首都直下に7割起こるとはいっていない。 南関東全域で7割の確率で、震源が首都直下の場合、死者1万1千人、
建物消失が85万棟になると算出したのであって、マスコミがそれを編集する上で、南関東と都心直下の言葉が入れ替わった
情報が一人歩きをした」。 それも研究員個人の見解であって、東大地震研究所が発表したのではない、という。 
記事の内容をよく読めば決して嘘ではない。見出しが誤解を生む内容で、記事の内容も「都心が震源の場合」と書いてある。 
情報とは、こんなもの。 言葉の組み合わせで、受け止め方で、意味合いが全く違ってくる典型的事例である。
 見出しをそのまま、信じてしまう甘さに自分でも呆れている。 マグネチュード7の地震は、3・11直後、何度も起こっている。 
それが南関東で起こって当然で、実際その地域で小さな地震が多く続いていることから、4年で7割の可能性が出てきたようだ。
東北の沖合で500年に一度の大地震が起こったため、周辺で大地震が起こる可能性が10倍になっていることからして、数年間は
特に厳重な注意が必要。 ニュースで早速、スーパーなどで、避難・災害用グッズ売り場を二倍にしたと報じていた。
多くの家庭で準備が始まったようだ。世界的金融不安の上に、足元の地震の心配。ますます殺伐とした空気になってきた。
 とはいえ、首都圏崩壊の可能性?の備えは、充分にしておくべきである。 
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3604, 旅ばなし 小題 
2011年02月06日(日)
    * カナダ・ロッキー山脈の感動
 カナダのロッキーの懐に初めて入った時の感動で世界観が一変した。 これが地球上に存在しているのか? と。
バスの中で眠り込んでフッと眼を覚ましたときに、「これは夢で現実とは違う」と思ってしまったほど。 
しかし現実と気づいてからは、見る一景色ごとに息を飲んでしまった。「ロッキーの、この景色を見た前と後の間に一本の
線がひかれたようだ!」という言葉が、次々と展開していく景色を見るたびに浮かんできた。タイミングとして初めて広大な
大自然を見たのが良かった。グランドキャニオンやスイスアルプスを先に見れば、同じように感じただろう。 
私にとってロッキーが秘境・異郷にのめり込むキッカケになった。大自然の壮大なパノラマに対する感動が、
自分の心に深い何かを与えられた初めての経験であった。  
  * 秘境ほどトラブルが大きくなる
 あまり人が行かない秘境ほど、問題が次から次へと生じてくる。それも慣れてくると、こういうものと腹が据わってくる。
それを逆に楽しむのが通というもの。トラブルと思わなければ、それはトラブルではない。人生も同じで、受け止め方の問題になる。
波乱万丈の人生とは、トラブルが多くて浮き沈みが激しい人生をいう。しかし一つ間違えば破滅を何とか乗り切ってきたに過ぎない。
トラブルを旅行でこなしながら、秘境の自然から何かを頂くのが、その妙味になる。 良い旅行には、必ず同行者に恵まれる。
(例外もあるが?)そして、遠く離れた大自然の神秘の懐の中で、感動の響きを頂く。
神とは宇宙の織り成している力の総称というが、ロッキーを見ていると次々に現れてくるパノラマが神の姿に思えてくる。
  * 323,ある時間の断片-1  2002年02月06日(水)
 モロッコのマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、
もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。その話しが面白い!といって
今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中してよいのか本当に迷ってしまった。
世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!私はマラケシュの街並みの方をとる。
それは座る場所で決まるのだ。家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
 その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。
誰も知らない秘密を私だけがしっていた。「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」
と答えた。こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!
家内は笑いっぱなし!それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!
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3239, 閑話小題
 2010年02月06日(土)
 * 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。「一人横綱を4年続けたプレッシャーは
想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、元横綱の曙が新聞で述べていた。 
解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、
「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士。
あの全身から出ている気合も、これまで見てきた力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、
もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、
数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
  * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える
インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
 (字数の関係でカット 2012年02月06日)
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2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)
  「要約力」         ー読書日記
 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。
 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。
 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。
 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。
 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。
  ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」
 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、
 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。
 −要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。
  −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。
  「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下)
  前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。
  更に印象に残った部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要
  感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」
  「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、
  各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。
・・・・・・・・・
2008年02月06日(水)
 2499, 無くてはならぬもの −7
  − 一度だけの人生  ―どこに根を張るか−  〜2
 P−197  私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
 「何をするか」ということを問題にすべきである。自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶこと。
 自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。 一流大学でなければいいところに就職できない、
 など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
 あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。
  解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。学問は、その意志ー目指すべき人生を
 学ぶことでもあるから、一概には言えない!それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 P−206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように思われる。意味がないから、
生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。耐えることができなくなると、
それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれる
ことがある。しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。祈るときキリストは私の前に立ちたまう。
私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、
「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、
神を信じろという言葉に等しい。その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。
・・・・・・・・・・
2007年02月06日(火)
 2135, 時間についての一考察 −2  b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の
『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!
  ーーーーー
 在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?精神でさえも現在に属しているというのに、
どうして我々がそんなことを望むのだろう? 人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでなく、牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。
我われの人生はいまここにあるのであり、いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として
生きていることの果てしない嵐の中にーあるのだ。 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」今日を楽しめ!ということなのだろうか?
それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 むしろ現在を楽しむことだ。 
  (字数制限のためカット 2011年2月6日)


4710,閑話小題 ー遺体の生ゴミ化 

2014年02月05日(水)

   * 献体という死体処理      ー日経新聞2011 〜「上手な逝き方」嵐山光三郎ーより
 現在、遺体の生ゴミ化が問題になっている。20年以上前だが、姉の一人が、「私が死んだら、自分の遺体を大学病院に
献体する手続きをとった。葬式は無しだから悪しからず」と宣言。何か呆気にとられた思いだった。75歳で健在だが、
その後、撤回したかどうかは分からない。当時、思い切った決断だったのだろうが、時代は、大きく変わったようだ。
先日、借りてきた随想集に最近の献体事情があった。
《 いま、大学病院への献体が増えて、病院が困っているという。献体は医学生が解剖実習に利用するものだが、
解剖したあと、遺族に連絡すると「お骨はいりません」といって引きとりにこない。献体という名の遺体処理である。 
斎場でも「遺骨はいりません」という遺族が増え、火葬場が合同の収納施設へ入れる。遺体は生ゴミ化した。
墓場も火葬場も足りない。東京では夢の島へ散骨する計画が申し込まれている。海への散骨、樹木葬は骨をパウダーにする。
骨壷に骨をいっぱいつめるのは時代おくれだ。高齢化社会で死亡者が増えると火葬場の能力を超えた遺体数となり、遺体を
保存する冷凍庫も足りない。さあ、どうするか。この半年間で五回の葬儀へ行ったが、火葬場でお経もあげずにすます直葬が
二回あった。火葬のみの遺体処理である。ただ、棺の中には花が埋められ、遺体の顔には美しい化粧がほどこされている。
大村さん(関西学院大学教授、僧侶)は、いまの死に化粧はアメリカ流儀のエンバーミングで、ベトナム戦争で死んだ兵士を
ドライアイスに詰めて本圃へ帰すころから流行した。死人を生きている人のように化粧するエンバーマーという職業かある。
真宗では死体を化粧をせずに、頭を剃り、遺体から色も欲もみな抜け出して、この世の未練をすべて捨てて浄土へ行かせる。
生きているような化粧をしたら、この世への執着が残る。 大村さんにそういわれると、たしかにそうで、「はよ向うへ
行きなさい」と成仏させるために、エンバーミングなんてしない。・・・》
 ▼ ネットで遺体についての日本人感を調べると、以下のような考え方に出会った。
【精神と肉体の混同、未分離の日本人の死生観が最も露骨に出る。冬山で遭難死しても、キリスト教なら「霊は去っている。
 遺体自体はそっとその場に眠らせておけばいい」・・というのが日本人には「罰当たり」になるのだ。 精神、霊と肉体、
 遺体との混同、未分離の考えが習俗の建前となるとき、極度の遺体自体の重視となる。】
 葬式は、遺体を火葬にする前の家族による当人を見送る儀式。一神教の場合、天国の神のみもとへ召されるが、無神教に
 近い日本人は、それぞれの心の中で生きるという思いがある。そのため、焼かれる直前まで、生ゴミと分かっていても
 美しい姿であることが、必要になる。結局、残るのは写真と言葉と三代残る?資産だけ。
・・・・・・
4343,閑話小題  ーテレビの現状と未来 
2013年02月05日(火)
 先週金曜日のNHK・60周年記念「テレビの未来」について千人アンケートをしながらパネラーが討論する番組が面白かった。
NHK以外の各局のディレクターも参加していたが、内容は冒頭からシビア。「現在のテレビはツマラナイ、面白くない」と、
街頭インタビューが辛口のものばかり。その上にTVを持たない人や、不満の多さに各局のディレクターは言葉を失っていた。
無くて困るものの第一がパソコンで47%、携帯が24%で、テレビが22%には驚いた。これではテレビがパソコンに凌駕
された結果になる。 私の場合、「未来型のTV」を買い替えて二年半になるが、見るのは殆どが録画したものか、再放送のもの。
「テレビが面白くなくなった」「無くても困らない」という街頭での意見が多いが、私は逆で、「スマートテレビ」に買換えて、
バカみたいだが、俄然に面白くなった。 地デジの全番組を30時間分を自動的に録画してしまう。ゴールデンタイム19時から
24時までを設定すると、6日間分の全チャンネルが自動的に録画される。それを週間のテレビ欄をみて、面白そうな順に見る。 
2〜3日に一本の割合で面白いのが必ずある。 設定無しだと、全地デジの30時間分が自動録画され、時間が過ぎたものは
自動的に消去される。これに面白そうなBSの旅番組やWoWoWを録画しておけば見切れないぐらいの面白い番組がストックされる。
どんどん録画をし、どんどん除去する。だから、「面白くない番組がない」というのは、面白い番組を見逃していることに
彼らは気づいていないだけ。 実際、テレビに嵌るのは良くないのは分かるが、面白いものは面白い。その上に、パソコンでも、
TVでも、Youtubeなどの投稿録画を見ることが出来る・・ ネットゲームを知らない人と気ままに遊びたくなってきた。
 で、再びパソコン教室に通う時期が来たようだ。居間では横にiPadを置き、TVドラマの合間にネット・サーフィンかゲーム。
ますます馬鹿になっている。 大馬鹿ならよいが、中馬鹿のようだから、どうもこうも! 最近の話題はTVの内容が多いか。
 ・・・・・・
3968, 民主主義への疑問 ー2
2012年02月05日(日)             
  * 明治元年の五箇条の御誓文    「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
【 たとえば自国が経済危機に陥っているからといって、若者たちがデモをし、店や車を壊して為ばれるという海外ニュースを、
 われわれはよく目にする。愚かしいかぎりの行動であるが、民主主義イデオロギーに即していえば、彼らは正しいふるまいを
 しているのである。指導者に対する不信と敵意を破壊的な行動によって示すのは、近代民主主義の出発点をかざるフランス革命以来の
 偉大なる伝統だからである。民主主義が本質的にかかえ込んでいるこうした愚しさを克服して、かくも厄介な民主主義をなんとか
うまく使いこなす方法はないものだろうか? 考えてみれば、「国民の、国民による」政治という形それ自体は、活気にみちた
健康的な国家をっくり上げてゆくうえで不可欠なものともいえる。国民自身が意欲を失い、やる気をなくした国家に、「国民のための政治」
が実現するはずはない。 ・・・明治元年の五箇条の御誓文には、そのエッセンスともいうべきものが簡明に表現さきじている。
 一、広ク会議ヲ興シ万機公論二決スヘシ
 一、上下心ヲ一ニシテ盛二経編ヲ行フヘシ
 一、官武一途庶民二至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
 一、旧来ノ随習ヲ破リ天地ノ公道二基クヘシ
 一、智識ヲ世界二求メ大二皇基ヲ振起スヘシ
  ここでまず注目すべきところは第二条である。 この「経論」という言葉は、もともとは政治を指して使われる言葉であったが、
 ここではむしろ経済活動に重点を置いて使われている。つまり指導者も国民も、すべて心を合わせて、政治・経済の活動に
 積極的にかかわろう、ということである。あたり前の呼びかけとも思える。政治であれ経済であれその他何であれ、上も下も心を
 一つに合わせておこなわなければ、よい仕事はできないのである。しかし今みてきたとおり、この「上下心ヲ一ニシテ」ということは、
 まさに民主主義が捨ててしまった心構えである。その意味で、実はこれは極めて根本的な民主主義批判ともなっている。】
▼ 日本の近代の始まりの明治元年に立ち返り日本の誇りを取り戻すことが必要である。一条の「公論」の心構えこそ、この非常時に
 求められること。相手の論を叩き潰すのでなく、危機を乗り越えるための論でなくては。目標が明確であれば、公論が可能になる。
 声をだして、何度も読んでみたが、なる程、そのとおり。現在の日本は壊滅状態、これを第二の敗戦とみるなら、近代日本の精神を、
 この御誓文として新たな第一歩とすべき、という著者の論も納得する。 
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3603, 閑話小題
2011年02月05日(土)
  * ほんの5年前までは
 5〜6年前までは、「自分の生活は中の中」と答えた人が53パーセント、中の下が27パー、合計八割が中流と思っていた。
現在はどうだろう? 中流といえば350万〜650万、上流に近いのが700万以上あたりか。 2005年に下流社会という言葉が
流行語になって格差社会を象徴する言葉になった。この時の下流は、食うや食わずの状態ではなく、中の下くらいに位置する人を
対象にした言葉だったが、この数年では下の人を対象にするようになっている。 貧困に「相対的貧困率」という数字がある。
平均世帯所得の半分以下の世帯の数が、全世帯に占める割合をいうが、1984年〜1994年の7〜8パーセントが、2000年には一挙に倍近い
15パーに増えてしまった。 最近では、20パーを遥かに超えているのだろう。 下流とは、ウィキペディアによると
≪2007年の国民生活基礎調査では、日本の2006年の等価可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象。
これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯では180万円、3人世帯では224万円、4人世帯では254万円に相当する。≫ 
リーマンショック以来、この数字は急激に悪化しているから、2割は、貧困層。ところで、世界の相対的貧困率は、いくらだろうか? 
感覚的にみて、日本の半分以下だろう。とすると、10年、20年かけフラット化していくプロセスに入ったということか。
  * 百円ショップの楽しみ
 2〜3ヶ月に一度は百円ショップに行っている。 新潟では昼休みの運動に歩いて10分ほどの駅南の「セリア」に。
通勤の帰りには元ダイエーが撤退したあとの越後交通ビルの2Fに「ダイソー」がある。 一回に千円程度を買うのが楽しみ。
殆どが衝動買いだが、外れは2割位?。 鞄の中と、机の周りは百円ショップの商品で溢れている。ノート、電子機器などを
入れる袋もの、小物を一時的に置くカゴ、などなど。 数日前に買ったのが、自転車のカバー。 電動アシスト自転車を
千円位のカバーをかけていたが、強風で何処かに飛んでしまっていた。 そこで、HCで買おうとしたら、家内が曰く
「百円ショップで、一度見てからにしたら!」といわれ先日、セリアに行ったら、材質は落ちるが、留め金付のものがあった。
百円ショップの商品は機能だけに絞ってあって百円に押し込んである考え方は非常に良い。
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2010年02月05日(金)
 * 狂ってしまった猿
 ニューヨークのブロンクス動物園のアフリカゾーンに近い大型類人猿舎に「鏡の間」という場所があり、
そこに立つと当人の姿が、鉄柵越しの鏡に映る。その看板に「The most dangerous animal in the world.」と書いてある。
世界で最も危険な動物が「人間」とは痛烈な皮肉である。「象」「ライオン」などの野獣とは比較にならないほど危険な動物が、
生存を賭けた人間世界形成している。鏡の下には、「24時間ごとに19万万匹の割合で増えているこの動物は、
他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物です。この動物は、今では地上の動物の全てを絶滅させてしまう力を手に入れました」
と付記されていた。これは1963年に、自然保護の分野で著名なウィリアム・コ
(字数の関係でカット2012年2月05日)
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2863, アメリカ発 世界自動車危機 −2
 2009年02月05日(木)
この番組で、電気自動車を取り上げていたが、脱化石燃料の流れ加速しそうだ。
自動車の心臓部分はガソリン・エンジンだが、それが電気モーターに変わると、これまでの自動車の概念が変る。
・「自動車が電気商品になってしまう」のである。 現在一台あたり3万点の部品が、2万点で済むという。
・前部のエンジン・スペースが、大幅に減ってしまうのである。
(字数の関係でカット2009年2月05日)
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2008年02月05日(火)
2498, 無くてはならぬもの −6
 ー 一度だけの人生 ― どこに根を張るかー
P−196 他人とばかり比べないで世界中に、私はたった一人しかいないんだ、とかけがいのない自分という存在ということを、
もういちど、しっかり見出してほしい、と。あなた方の人生は誰にも代わってもらうことはできないし、しかもそれは二度と
繰り返すことができない一度限りの人生なのだ。それが本当にわかってないと、人生をどう生きるか、という問題は、
真剣に考えていくことができない。
 p−199  たとえどんな小さな仕事でも、自分が一生をかけてやりとげる、そういう人生の目的を見出してほしい。
そうして二度と戻ってこない一日一日を、そのことに打ち込んでゆく。それは無限の希望なのである。
天才とは、努力をする人間なのである、といった人がいる。私たちの個性というのは、何かに生涯を通して
何かに打ち込んでいく、そういう努力を通して形成されていくもの。あなたは社会的に成功しなくてもよい。
自分がやりたい事を一度かぎりの人生に打ち込んで努力してみたらよいではないか。そのことに10年打ち込んでみたらどうか。
その道ではエキスパートになるだろう。一流大学を出ているなど、誰も問題にはしない。どんな小さなことでも、これが自分が
したいことを生涯を通して行えば、世界のために何か貢献することができるのである。それで途中で倒れることがあっても、
一日一日を、そういう仕事にうちこんでいれば、人生はそれで良いのではないだろうか。
P−202 亡くなった和辻哲郎が若いときに書いた「樹の根」というエッセーを思い出す。「偶然再興」の中に収められた文章だが、
「・・・ある時、砂に食い込んだ松の木の複雑な根を見守ることができた。地上と地下姿があまりにも違っていたのである。
楽しそうに葉先をそろえた針葉と、それに比べて地下の根は。戦い、もがき、苦しみ、精一杯の努力をしつくしたように、
枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量より多いと思われる太い根、細い根を無数にもって、
いっせいに大地に抱きついている。私は、こういう根があることを知っていた。
しかしそれを、目の前にまざまざと見たときに、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。
ーーー
「順境には枝を張れ、逆境には根を張れ」という言葉があるが、当時、この「樹の根」のエッセーの言葉が心の支えであった。
個性とは、自分が人生をかけて打ち込んだ中でこそ生まれるもので、むしろ逆境の中でこそ形成される。
38年ぶりに読み返してみたが、私にとって「人生を支えてくれた三冊の本」の一冊であった。実は読み返して今、気づいた。
それでは他の二冊は何か? 近々に取り上げてみようか。大本教の出口王仁三郎の本と、新約聖書である。
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2007年02月05日(月)
2134, 時間についての一考察 −1
    b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
最近ますます哲学づいている。今日は「時間」について考えてみる。その中で「いま、ここ」−現在ーの意味が深い。
考えてみても解ったような解らないような難しい問題である。「いま、ここ」という永遠への控えの間?には
非常に深遠な光と陰を感じる。 感動した瞬間、感激した瞬間、そして心の奥底から感謝した瞬間、怒り心頭に達した瞬間、
人を殺してやりたい位に憎んだ瞬間、そのどれも自分を構成している骨組みである。その時々のことは、
ほぼリアルに記憶に残っている。その瞬間・瞬間は、過去・未来ではなく「その時点での今・現在」に経験したことである。
(字数制限のためカット 2010年2月5日)


4709, 閑話小題  ー三毒

2014年02月04日(火)

   * 三毒
 「妬む」「怒る」「愚痴る」を三毒。特に女性の職場などで、その毒が猛威をふるう。
女の職場は一見、花園だが、一歩立ち入ると、この毒素が満ち溢れている。だから、そういうものと割り切るしかない。
 その毒の塊のような元ファーストレディ(デビ?)が、時どきマスコミを賑わしているが、自分をコミックの悪女?
と割り切り、演じているところが面白い。 三毒の逆、「敬意」「喜び」「賛美」をすればよいが、それには訓練がいる。
そのために、心身とも豊かでいることが前提になる。  
   * 母ちゃんこわい!
 最近、どうも図書館で借りてくる本が、<「余命三ヶ月」のウソ>とか、<末期がん、その不安と怖れがなくなる日>
とか、<妻と夫の定年>とか、マイナーの本が多い。ポジティブも良いが、こういうのを読むと心休まるのは年齢のためか。 
 先日借りてきた <妻と夫の定年熟ー西田小夜子著>は、どのページを開けても、全てが定年夫婦の『諍い』ばかり。
それまでの生活が一変して、妻の支配下に夫は置かれる。それまで上司の顔色を伺っていたのが、今度は、妻である。
 夫は、「なにかする人」と「何もしないで家でゴロゴロしている蓑虫」に分かれ、その八割が蓑虫夫という。 
ところが妻は、数十年かけて進化していて、その格差が膨大。妻からしたら、そんなバカが鬱陶しいのである。
著者は「定年よろずもめ事仲裁」を生業にしているが、その実態の事例を文章にしている。 構図は、「進化妻」と、
その配下の「蓑虫夫」の揉め事の具体例と、解決方法などのコメント。どの事例も、身につまされるものばかり。
   * 我が内なる獣性
 ふと見ると、去年の今日、<トラと漂流した227日 ーシネマ評>があった。最後の最後の落ちには驚かされた!
創業は、この獣性をオブラートにつつみ、新しい業態をつくること。トラに食べられたハイエナ、キリン、コックが、
旧業態と喩えると、納得する。としても、あの荒れ狂う海で助かればこそ。その獣性も、もって10年。いつの間に、
現象に因われ歯抜けになっていた。最期に、少し獣性が目覚めたが、それでも、子猫? 
・・・・・・
4342, トラと漂流した227日 ーシネマ評
2013年02月04日(月)                   
  * すごい落ち!ーファンタジーに隠された人肉嗜食?  「ライフ・オブ・パイ/ トラと漂流した227日」−シネマ評
 ー まずは、ネットで見つけた「ライフ・オブ・パイ」の評論である。
≪ 獰猛なベンガル虎と16歳の少年が小さな救命ボートで太平洋を漂流する……。え?どういうこと?……。
「ライフ・オブ・パイ」の奇想天外な設定を聞けば、こんな絶体絶命の状況から一体どんな物語が展開するのかと、好奇心を
そそられずにはいられない。そして、喰うか喰われるかの緊張関係の中でパイが見つけた究極のサバイバル方法に、この物語が
示唆する命の不思議なパワーを感じて感動するはずだ。
 最初、虎から逃げることばかり考えていたパイは、やがて、虎を生かすことが自分を生かすことに繋がると気づく。
そして、一緒にサバイバルするという不思議な共闘感を感じるようになる。敵の存在に、自分を生かしてくれる力をみつけたのだ。
この物語には、こんな東洋的な調和の精神が随所に出てきて、単なる冒険物語を超えて、生きることの素晴らしさを教えてくれる。
敵がいるからこそ、最後まで生き抜こうと願う。そんなパイの想いに、自分と考えの違う人たちを肯定する意志が込められている。
宗教の違い、民族の違いが多くの紛争の火種になっている今の世界で、すべての命を肯定しようとする意志は希望の光だ。
この映画には、その光をあなたの胸に送り届けてくれる力がみなぎっている。≫
 ▼ 終わりに近づき、ああ面白かったと思っていたところに、最後に「落ち」があった。 助けられた後に、遭難した船舶の
  所有会社の二人が事情を聞きに、救助され入院しているメキシコまで来る。 一通り少年の、この物語を聞いた二人は、
  「こんな物語は、誰も信じてくれない。もっと信じられるような物語が聞きたい!」という。そこで少年が話した物語は、
  当初、救命艇に乗っていて、トラに食べられたハイエナやキリンなどは、船のコックなどの船員の置き換えたもの。
  トラは少年の中の野獣?で、殺しあい相手を食べ?生き延びたという筋書き。どちらが本当かは、ハッキリさせてなかった。 
  それまでのファンタジーのストーリーが、そこで一変。 この落ちが無かったら、奇抜なファンタジーもので終わったが・・
  映画の導入部分で少年が幾つかの宗教に興味を持って入信していたことや、動物園で育ち、調教や猛獣の恐ろしさを父親から
  教えられていた背景を組み込んであった。ファンタジーとしても、それなりの筋たてがある。特撮とはいえ、満天の星空の中、
  鯨が近くで飛び跳ねる場面は圧巻。ベンガルドラとの行き詰るような生死をかけた攻防も見ごたえがあった。 95点評。
 ・・・・・・・
3967, 民主主義への疑問
2012年02月04日(土)           
   * 近代日本の出発点に立ち返れ!     「民主主義とは何なのか」長谷川三千子著
 最近の世界各国の紛争や、国内の政治を見ていて、信じて疑ってもみなかった民主主義そのものに疑問を持つようになった。
中国も、ロシアも体裁は独裁国家ではないが、実情は独裁国家。 欧米は、隠れた独裁者はいたとしても、
国家のトップは選挙で選ばれた首長が政治を司っている。民主主義は時代が安定の時には有効だが、大きな時代の変わり目には
厄介な代物になり、その使いこなす技は非常に難しくなる。 その民主主義について、分かりやすく書いてある書籍がある。
 長谷川三千子著「民主主義とは何なのか」である。 印象的な部分を要約して書き出すと、
・ 民主主義とは「国民による国民のための政治」が、その基本形である。だが、政治という道が、本当に最良だろうか、という疑問。
 この原理に従えば従うほど、実は「国民のための政治」は遠ざかって行くという、逆説がひそんでいる。
・ それは、人間という動物がイワシのようにリーダーなしに群れとしての行動をとりえない生物で、町内の自治会ですらリーダーを要する。
 指導者なしには政治は成り立たないが、「国民の、国民による」政治という原理は、首相であり大統領であれ、全ての指導者は不順な
 夾雑物であり必要悪である。そのため常に、そこには指導者に対する不満がくすぶっている。国家が平穏の時は、それでも、ちょうど
 水平飛行を自動操縦で飛行して何とか乗り越えるが、ひとたび荒天が国家を襲うと、指導者がその能力を最大に発揮しなければならない時、
 深刻な危機にさらされる。飛行機が揺れているとうだけで、操縦室になだれ込んで、操縦を妨げれば、どんな飛行機も墜落する。
・ 民主主義はバイキンに似ている。それは強い伝染力を持ち、またたく間に国境をこえて広まり、あちこちで出血性の発熱をともなう。
 しかし、このバイキンを駆除すると、完全無欠状態で育てられて子供がひ弱になってしまい、国の健康を害してしまう。独裁国家がそれ。
▼ 日本の政治の混迷が、正に上記の弱点を曝け出している。一年で首相交代が生じるのは、トップは民主主義では夾雑物になるため。
 その期限が、日本の政治システムでは一年。それに情報化で、トップの威厳もあったものでない。しかし、世界的動乱に入ってしまった
 現在、何とか切り抜けなければ国家破綻が待っている。著者は、ここで明治元年の五箇条の御誓文に、民主主義のバイキンの毒素を
 取り除き、それを最上の活性化酵素として活かすヒントがあるとしている。  ーつづく
・・・・・・・
3602, 閑話小題
2011年02月04日(金)
  * 日本の政府は巨大か、それとも普通か?
 民主党になって政府の肥大化が止まることがなくなってきた。社会主義者が政権をとっているから仕方がないとも言っていられない。
あの東京都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 4月か6月に自滅するだろうが、これを立て直すに時間がかかるだろう。
で、果たして日本は世界の中で政府として普通なのか、巨大なのか?の議論がある。 実は世界で一番の水脹れの国家になっている。
それも国家財政破綻直前で悪いことに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。
一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れの大きさが母屋の5倍以上はゆうにある。
国民の目は母屋しか見えないように官僚と自民党が組んで、使いほうだいをしてきた。そして、この財政破綻状態に陥っても
何も手がつけられない事態である。10年前でも国内総生産に対する一般政府総支出は世界一だが、現在では更に大幅に悪化している。 
日本も、この極左政権が最後のダメ押しをしてくれた。その結果は、来年から大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。
  * パン屋の恵方巻き
 昨日、新潟駅のパン屋でパンの恵方巻きを買ってみた。恵方巻などというのを、今年のスーパーのチラシで初めて意識をした。
一週間前から、そのパン屋で恵方巻のポップがあった。そして昨朝、昼飯のサンドイッチを買おうと思い入ったが、
サンドイッチのコーナーに恵方巻があった。面白そうなのでサンドイッチ替わりに買ってみた。で、中味といえば、
カツとレタスにパンを巻いた上に海苔がかかっている。要は御飯替わりにパンが巻いたもの。何と海苔とパンが意外と合う。
節分の日には、豆まきをしないかわりに、これを食べるのも良いのかもしれない。よく思い立ったものだ!
  ーところでウィキペディアで「恵方巻き」を検索をしてみた
《 最近では、恵方巻(えほうまき)といって、節分に食べる太巻きがブームになっています。節分の夜にその年の恵方→歳徳神の
住む方角で、その年に吉となる方角)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら、無言で太巻きをまるかじりするそうです。》
・・・・・・・・
3237, 白川義員
 2010年02月04日(木)
*「われわれが住んでいる世界っていうのは、何億光年という悠久無限の宇宙の中にあって、たかが知れた粟粒ですよ。
 その粟粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい粟粒ってことを知っている人間が、この世界に何人いるだろうか、
 と思い始めたわけです。それならば、このスゴイ風景を自分が撮影して、それを知らない全世界の人間に知らしめてやったら
 どうだろうと。そしてこの粟粒が全人類を乗せた運命共同体で1点の命と知ったら、人間いかに生きるべきか、生きる方向も
 限られ連帯感も生まれるだろうと、そう考えた。それが私の写真のメッセージ」
*「要するにフィルムであろうと印刷であろうと、つまらない写真を一発で凄い写真にするウルトラCなどないということ。 
  小手先の技術だけで凄い写真が出来るわけがない。」
*「世界は『使われなかった人生』であふれている」
*「ネパールの人にとっての山が信仰の対象になるのは当たり前。
  神々しいご来光が有るかと思えば地獄のような天候に日々出会うから祈るしかないのだ…… 」
*「神々しい山を見ると自分が清められ透明になって行きます。」
〜 白川義員はヒマラヤや南極など世界の大自然を撮りつけている写真家。「世界の100名山」のDVDを持っているが、
素晴らしい映像が次から次へと映し出される。 20数年前、ある雑誌で彼がプロとしての写真家になる切っ掛けになった
スイスの幻影的な光景の出会いの文章を読んだ。天国とは、このことをいうのかと写真を撮るのを忘れ見とれていたという。
その場面が、言葉の中から浮かび出てくるようであった。 私が世界中の秘境・異郷ツアーに行くのも、スゴイ景色との
出会いをするからだ。「こんな世界が地球にあったんだ、知らなかった!」という瞬間に百回以上は出会っている。
それは、別に海外の秘境まで行かなくても、日本の名山などでも経験可能だろう。大自然は、我われを通して自分の姿を見る。 
その経験をしてきたから、何ごとがあっても、自分の中の不安が最小に押しとどめてくれている。
・・・・・・・・
2862, アメリカ発 世界自動車危機
2009年02月04日(水)
 一昨日の22時・Nスペ「アメリカ発 世界自動車危機」には、驚いた。
   ーまずは、NHKの・HPの番組紹介ー
《 20世紀の世界経済を牽引してきたアメリカの自動車産業が、メルトダウンともいうべき崩壊の危機に直面している。
2008年、金融危機の炎はまたたく間に自動車業界に延焼。 旺盛だった自動車の需要は一気にしぼんた。
GMを始めとするビッグスリーは経営危機に陥り、トヨタなどアメリカでの販売で利益を上げてきた日本のメーカーも
深刻な打撃を受けている。 なぜこんなことになったのか。関係者への取材で浮かび上がってきたのは。長年のビジネスモデルを
延命させるために作り出された「架空の消費」である。売り上げをのばすため自動車ローンの審査が極限まで甘くされ、ウォール街が
推し進めた証券化ビジネスと手を結んだ車販売のシステムが広がった。 それが今回の金融危機で一気に瓦解したのである。
時代は次のビジネスモデルへ向かって急展開を始めている。大物投資家なども参入し、業界再編後を見据えた電気自動車など
環境対応車の時代への模索が加速している。 自動車業界の歴史的な大転換を、現場の動きから明らかにしていく。》
 ▼ 以上だが、これを録画にとって朝晩と二度見たが、アメリカ金融崩壊のモデルを目の当たり見せられたようだ。
GMのローン会社GMAC・元ナンバー2の人の語る内容がすざましい。GMと、販売会社と、GM子会社のGMACの三社の
システムの構図は住宅のサブプライムの自動車版。販売会社はGMACから、ほぼ無審査で買い手にローンを組むように
依頼されており、ホームレスにもローン付きでクルマを販売していたという。そのローンはGMACで各種債権と混ぜて、
格付けがAAAになるように加工され世界中にばら撒いていた。    (字数の関係でカット 12年02月04日)
 ・・・・・・・・・・
2008年02月04日(月)
2497, 無くてはならぬもの −5          YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
  佐古純一郎著 「無くてはならぬもの」
* 何を信じて生きるのか   ー不信の中の絆ー
 この本の中で著者佐古純一郎はー「理解しあうことがあってはじめて信じることができるのではなく、
 信じることができてはじめて、理解しあうことできるのである」と述べている。
  P−164で、 人間が、犬と猫と根本的に違うのは、人間が人格的存在としてつくられたためである。
そのことに、どこまで人間はめざめているのだろうか。本能とか、社会における地位や身分とか、
その他いろいろな点で人は千差万別といえよう。しかしそんな差別は、実は何でもないことであり、
人は神様からつくられていることにおいて、まったく平等である。ー と述べている。
ところで、ここからは私の論になるが、信用を逆手にとって言葉を巧妙に操り、人間の良心を悪用する輩が巷に闊歩している。
それは巧妙であるが、所詮は中・長期的に馬脚を現しているのである。 自分が騙していること自体に気づかないから始末が悪い。
その手法を一番してはいけない相手に対し巧妙に仕掛けるのである。 それも、己の行為が騙しという意識がないから、
尚のこと始末が悪い。カントではないが、人間には良心が必要である。宗教と倫理こそ信じるべき道標である。
他人ごとでない自分自身のことでないか。「これこそ愛である」などと思いは、すべてが勝手な思い込みでしかないのである。
人を愛するなど簡単には出来はしないのである!だから親の愛こそ必要となる。 しかし愛は心だけではなく、力と知恵が必要となる。
以下は、当時の自分の気持ちの中で最も突き刺さった部分である。  
  P−183  じっさいは、私たちは善をしようと思う気持ちが切実であっても、そういう自分の意思をそむいて悪をしてしまう。
パウロはそのことを次のように告白している、「自分は善をしようとする意志はあるが、それを行う力がない。
・・・私はなんと惨めな存在なのだろう。だれか、この死の体から、わたしを救ってくれるだろう、」ほんとうに自分の善をなす力の
ないみじめさを、このパウロのように、苦悶にまで深く掘り下げないのでないと、宗教の世界にふれるということはできないかもしれない。
宗教などいらないという人は毎日の生活のなかで、自分をごまかしているのではないか。
自分には他人を愛する力がないのだということに、みじめさを感じるほど、私たちは、真剣に他人を愛しようとしただろうか。
 ▼ こういうことを先に気づくか、後で気づくか? 人生は、口先だけでは後で後悔の日々になる!
   青春時代の苦悶は、いや人生は、パウロの言葉に収れんする。
・・・・・・・・・・
2007年02月04日(日)
 2133, 閑話小題           オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
  * 顔筋マッサージ
先日、「顔筋マッサージ」について書いた。TVで映し出される代議士の加藤紘一氏が顔が横に広がってきていた。
ところが顔筋マッサージをしたら、たちまちスッキリした云々と文藝春秋に書いていた。
その時に「参院幹事長の片山虎之助がすればより効果があるだろうに」と、面白おかしく書いていた。
縦より横の方が広くみえるほど頬の肉が張っている。それが数日前のニュースで片山の顔が映し出されたが、
見事なぐらいにスッキリと以前とは見違えるように変わっていた。あれぐらいスッキリするのだから、
丹念に時間と回数をかけたのだろう。しかし、今朝のモーニングショーに片山虎之助が出ていたが、元に戻っていた!
マッサージをしていなかったのか? 私の面白そうなので毎日10分ほど始めたが、まだ効果はでていない?
  * 一連のバラバラ殺人事件について
(字数の関係でカット 10年02月04日)
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2006年02月04日(土)
1768, セブン・イレブン     (o゚▽゚)o オハョ〜 (朝´∀`){♪Good Morning♪}(´∀`朝)
ここで取り上げるのは、コンビニではない。バブル期の旧住友銀行の行員の猛烈社員ぶりを端的に顕す言葉である。
(行員は朝の7時から夜の11時まで仕事をしているという)あくまでも誇張した流布と思っていた。
ところが、「新婚さんいらっしゃい」のTv番組で、三井住友の行員が出てきて、奥さんが旦那の猛烈ぶりに欲求不満?
と嘆いていた。その旦那の一日の日程とは!  4時 起床、 ノ□ヾ)ネムー 4時半 家を出発6時前に会社近くにある
ロイヤルホストで朝食を兼ねて仕事の準備、7時出社、〜 23時に帰路、0時過ぎに帰宅、1時就眠・・・ 
土曜日は一日寝て、 日曜日に家族サービスという。聞いて耳を疑ったが、噂は本当だった?若いうちは、
ここまでしなくては仕事をこなせないのだろう。生々しい金融の世界で、このような生活をしていたら世の中の人間、
全て馬鹿にみえてくるだろう。これに高速配転で鍛えられるのだから、能力は蓄積されて当然である。地方などにきたら、
いるだけで腹が立って当然だろう。地銀に出向になってきた都銀の行員と地銀の行員の意識と能力の段差は
埋められないという。 どちらが良いかは、 全く違う問題になるが!   


4708,末期がん、その日のための予習を ー4

2014年02月03日(月)

                ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
   * 第三章 がん細胞が教えてくれること
 ・顕微鏡の下のがん細胞
 ・がんは「身の内のもの」
 ・見た目は悪いが生命力は旺盛
 ・コピーミスは細胞分裂につきもの 
 ・がんは「不良息子」
 ・ギブ・アンド・テイクで水車のように生きる
 ・コントロールからはずれて自由に
 ・がん細胞の驚くべき柔軟性
 ・「尺取虫運動」の着実な歩み
 がん細胞は、みずから生まれ育った場所から、新しい場所位に移動する能力を持っている。転移である。
   転移は、播種と、血行性・リンパ行性の二つに分けられる。
  ☆ 播種は、種が飛ぶようにして、広がっていく。
  ☆ 血行性・リンパ行性は、血管やリンパ菅を通って運ばれる転移。
 転移は何故起こるかは分かってないが、それが、彼らの生存理由になっている。がんは転移がなければ、さほど恐くはない。
 ▼「がんは不良息子」は、言い得て妙。その扱いは、まず理解し、なだめすかし、暴れないよう扱うしかない。
  不良になるには長年の生活習慣が起因していて、頑固で、性格が歪んでしまっている。だから、早めに歪みを取り除く
  ことが重要。生活習慣による身から出た錆の要素が大きい。不良息子には、多方が良性と悪性の二種類がいること。
  悪性は、どのみち助からない。反面、良性はがんもどきである。がんの成長は、意外とゆっくりしている。
  1センチのがんは、まず治るサイズだが、その大きさになるに30回の細胞分裂が必要で数年〜十年はかかる「尺取虫運動」。
・・・・・・
4341, イタリア人と日本人、どっちがバカ?
2013年02月03日(日)
        「イタリア人と日本人、どっちがバカ? 」 ファブリツィオ グラッセッリ (著)
   * 「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」
 日本在住のイタリア人が書いた本だが、なかなか面白い。イタリアは、北と南では民度が大きく違っていて、
著者も、その一人だが、北イタリアはドイツをしのぐといも言われる。 南イタリアは北の植民地的存在で・・・ 首都圏と、
その他の地方とかいう日本の感覚に似ている。最近の日本は欧州のPIIGSと同じレベルか、その下にまで成り下がってきた。
  まずは、 ーアマゾン〜内容紹介ーより
《 アメリカ型経済を真似て、私の国はメチャクチャです」。在日20年以上のイタリア人建築家ファブリツィオ・グラッセッリは、
こう語ります。 敗戦後の奇跡的な復興から、近年の政治・経済・社会の劣化、教育制度の危機、アメリカ主導のグローバリ
ゼーションまで長い歴史を誇りながらも、今では「立派な」借金大国である日伊両国には多くの共通点が存在します。
国家破産に向かう今日のイタリアは、明日の日本の姿なのでしょうか。 架空のイタリア人一家(ビアンキ一家)。
ミラノの工場で働き、賃金カットの危機にあるビアンキ氏と憧れの国日本にやって来るニートでオタクの息子。
彼らを主人公にストーリーが展開し、かの国で今、何が起きているかを描くとともに、日本を少しでも良い国にするための、
ウィットに富んだ提言を行っている。》   ー 要所を抜粋してみる ー
・「北イタリアだけを取り出してみれば、その経済の成長力や生産性の高さは、ドイツよりも上で、事実上「ヨーロッパ随一」
  であるということが、よく言われます」(30頁)。
・「お互いがギブ・アンド・テイクの関係で成り立つこうした縁故関係を、イタリアでは「クリエンテリズモ」と言います。
 そしてイタリア人の社会は、この縁故関係をもとにした、無数のいわば「利権集団」の集まりから成り立っています」(38頁)。
・「イタリアは、近代国家建設の時点で、南イタリアを「絶対に」必要としていました。・・・ それは、一種の「コロニアリズム」
 =植民地主義だったと言って良いでしょう」(70頁)。
・「今もなお、イタリア人が「あまり働かない」国民であるというイメージが根強く残っているのは、はっきり言って「偏見」
 でしかありません。それは、ヨーロッパの労働者について調べた具体的な統計にも、はっきり表れています」(116〜7頁)。
・「ベルルスコーニは ・・・ イタリアの政治の仕組みを、アメリカ型の「新自由主義」に変えること、そして、イタリアの経済を
 本格的に「グローバル化」するという使命を帯びて首相官邸に乗り込んで行ったわけです。 
 ・・ にもかかわらず、その政策遂行に当たっては、古いローマ政界の政治システムに頼らざるを得なかったのです。
 ・・ 結果、ベルルスコーニは。彼のバックについていた勢力から見限られ、首相の座を降りることになったのです」(178頁)。
・「彼らにとって、プライオリティーの最上位にあるのは、「国際金融システムを、健全に保つこと」です」(189頁)。
・「バブル経済の興隆と崩壊、そしてその後の「空白の20年」と言われる時代に、一番大きく変わってしまったものは、
 日本人のメンタリティーだと私は思います」(207〜8頁)。
 ▼ 青の洞窟内でイタリアの船頭が、カンツォーネの歌の合間に、「がんばれ日本」と言っているのをTVでみた。
  北が南を植民地化しているのを、この本で初めて知った。 その視点からみると、日本も首都圏が日本を支配している。
  ということは「地方は首都圏の御荷物」であり、「南イタリア人と、日本の地方人、どっちがバカ?」の質問になる。
  その首都圏も8年以内に100%、直下型地震がある・・・「人からコンクリート」は、埼玉周辺の副都心造りが最重要になる。
   何がオリンピックか! まだ高度成長期のバイアスが罹っている石原。 戦後日本のバイアス(偏見)そのもの。
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3966, 首都圏崩壊の可能性、7割 ー2
2012年02月03日(金)
  京都大の地震研究機関の発表では「5年以内に3割の確率」と東大より緩めの発表をしている。
二つを合わせると、「4〜5年以内に5割前後の確率で直下型地震が起こる」ことになる。 災害の場合は、厳しい東大の確率に
標準を合わせるべきである。それに東海・東南海・南海地震の可能性は含まれてない。 それに3・11直後の3月15日に起きた
富士山の地震による噴火の可能性もある。それらを考え合わせると関東・東海地区は何時、何が起きても不思議でない事態。
 前回、「一年以内に9割の確率」に時間を短縮し、確率を高めた仮説を立てた。 まず何をすべきかの対策が見えてくるからだ。
大企業は、その情報は数ヶ月前から入っていたはず。 スマトラ沖地震に、中国・四川の地震、ペルー地震、ニュージーランド地震、
そして東北大地震は、太平洋を挟んだ地球規模の地殻変動であり、東北大震災は、東北から千葉にかけての沿岸ぞいに幅200キロ、
長さ500キロにわたる震度7、M9の400〜500年に一度の歴史的大地震である。 この規模の地震は、近くの地震帯や火山に
大きな影響を与え、数年以内に新たな大地震や噴火を誘発する。 3・11以降に関東の地震帯に異常な動きが見られ、直下型地震の
可能性が7割という予測。ことの重大さは分かっても、職を辞して、一家で地方に移住できる人は限られる。 座して地震を
待つしかないのが殆どである。しかし、東北大震災の惨状を連日ニュースなどで見ているため、出来る範囲の準備に取り掛かるから、
それぞれの静かな疎開が始まる? 新潟などは移住に、もってこい?である。米と、水と、魚があれば何とかなる。それに酒?
 首都圏崩壊の事態にでもなったら、バブル崩壊、そして経済震災二つ、東北大震災に引き続いて大打撃。国家破綻となり非常事態。
第二次世界大戦の敗戦直後の日本に逆戻り。 銀行閉鎖や通貨切替で、国民は丸裸にされる。 それが7割の確率としたら・・・
外国への疎開も資産家にとって現実問題になる。 他人事ではない、現に私が3つの震災を受け、一歩先んじた状態。 
 布置という言葉がある。 大きな変わり目に、思いもよらない大きな出来事が次々に引き寄せられ重なる、という意味。
表向きは違う体裁をとった非常事態政府が出来るはず。首都圏の問題であり石原都知事が首班になるのが自然。 まともならだが!
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3601,  旅ばなし 小題
2011年02月03日(木)
  * カラコルムハイウェーの旅が一番過酷
 トルコ旅行とかイスラエルとか、あらたまって構えてしまうと書くのが億劫になる。しかし頭にはフラッシュのように
色いろのことがよぎってくる。「閑話小題」を書く時は手抜きか、テーマが浮かばない時の苦し紛れで、小題として幾つか書いていた。
しかし、その方が面白いと指摘され、読み返してみて成程と思った。 何も浮かばない時に書く文章ほど本音がでるから、 
読み手は共感する。そこで、これを旅行雑記としてフラッシュを気楽に書けば、せっかく脳が呼び出してくる面白い逸話が
残せる。この小題を幾つか書き続ければ、あとで一冊の面白いコラム集になるのでは?と、思いたった。 
47回の旅行には感動の他にも多くの材料がいくらでもある。  現在、「お絵かき転換ソフト」を使かって過去の写真をブログに
思いのまま乗っけているが、ネタは当分?は尽きない。これのコラム版ということになる。
 まずの口切は、一番に肉体的に厳しかったカラコルム・ハイウェー。
  5年前に書いた私のベスト・ランキングで、一番にあげてあった。  ー まずは、その箇所をコピーしてみる。
 【 《 2005/11/26  辺境へ −2 》 ー 私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 
1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境のクンジュラフ峠
 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール〜イスラマバードである。
2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方  3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド
7、アイスランド 8、ケニアのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト・・・・   】
 カラコルムハイウェーに入ってから、その苛酷さに、添乗員と現地のガイドが、倒れてしまった。 カラコルム・ハイウェーの
土砂崩れと、その手配と、難問が地祇次と襲ってきたからである。同行の人たちもベテラン揃いで、それを責める人は誰も居なかった。
ある箇所で、大きい土砂崩れで中型バスが、その先に行けなくなり、土砂崩れの向こう側に急遽、地元の10数人乗りのマイクロバスに
乗り換えた。 そして土砂崩れの場所を、地元の人を急遽雇い一人ずつ手をつないで、数百メートル走って渡った。
上から落ちてくる小さな石が鉄砲の弾と同じ原理で、数百メートルの勢いで、帽子の上からでも負傷してしまう。 
その現場ではなかったが同行の一人が、小さな石に係わらず、頭から血を流してしまった。
 しかし、面白いといえば面白い15日間であった。また同行のメンバーが得体の知れないほど教養のある人ばかりである。
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3236, マックファン
 2010年02月03日(水)
 二年前にパソコンを、その半年後に携帯電話を、思い切ってMacにかえた。どうも以前から携帯電話を使うのが苦手で
iPhoneも同じ。しかしパソコンは非常に気に入っている。しかしTwitterに、iPhoneが端末として最適というから、
これを機会に慣れるようにする。とにかく、電話以外に使うに小さいのが欠点。 ところが、これの4倍の大きさのタブレット式
のパソコンがMacより発表された。 これは、Twitter同様に、大きな社会的変化をもたらす可能性がある。
 * iPadについて 
マックが発表したタブレットの端末機のiPadは、iPhone,iPod,のようにブレイクをするだろうか?
私の結論は、ブレイクするである。 オプションにキーボードがあり、二台目の小型パソコン代わりに使われるか、これまでパソコンに
挫折した中高年に受け容れられる可能性がある。画面が4倍になればゲームも使い勝手がよいし、ビデオも、アルバムも、書籍も、
新聞も、これを通してみることになる。ノートにもコピーも可能にもなる。で、モバイルパソコンと何処が違うか? 
ノートや書籍と同じように一面というところ。さらにタッチパネルで、モバイル携帯電話の数倍の画面のところである。 
仰向けでタッチ方式で見れるのが良い。更にiPhoeを使っていたソフトが横滑りに使えることが大きい。
iPhone,iPodと同列に位置づけられるはず。 考えてみたら、これはツイッターにもブログにも使える。 
リビングにも寝室用にもなる。更に外出先でも使える。 これにはオプションのキーボードあり、それを付けると普通のパソコンになる。 
iPhoneが、いま一つ使いづらいのは、携帯電話の縛りがあり小さいからである。それから開放されるのが、一番である。 
まずはゲームや、読書に、映画鑑賞などの映像を見ることから始る。何処でも気楽に持っていけるのが大きな要素になる。
ツイッターやブログの写真や録画を、場所を選ばす大きな画面で見れるのも魅力である。 等々、考えると1〜2年後には、
大ブレークする。 その前に、iPhoneがブレイク始めたようだが。
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2861, 不況景色  −9
 2009年02月03日(火)
 果たして「世界恐慌の一丁目一番地」に入ったのだろうか? 1929年より数段大きな恐慌とはいっているが・・・。
で、どうか?といえば、既に「世界恐慌の一丁目一番地」に入ってしまっている。それは想像を絶する規模であり、
10年近い期間は続くことになる。それも歴史上最大の規模であり、人類のありようも変える転換期である。
世界GDPの八割を占める20Gサミットの国が世界非常事態宣言をして、銀行閉鎖、全ての資産を差し押さえなど、
国家管理をする位の可能性もある。新たな新札に切り替えて裏づけは金と原油と幾つかの穀物などにして、それに応じて国家が
為替を決める方法などが考えられる。 しかし現実に可能かというと疑問だが、非常事態には非常手段もあり?。
この月末・月初の大きな倒産は無かったが、今年からは数年にわたり本格的な倒産が起こる。
失業率は十数パーセント、失業者が数百万〜一千万人という数字が踊る日々になると覚悟をしていた方がよい。
他人事ではない、全ての人が、ホボ全員が何らかの形で影響する異常事態である。昨年の10・11・12月の三ヶ月の日本の
GDPが昨年対比が11・4パーセント減とあったが、これは世界恐慌に入ったというサインである。
日曜日の夜にTVで派遣社員の厳しい現状をレポートしていた。人間にとって自分の仕事があることが基本。
それが無くなり、収入とストックが無くなると、気持ちが荒んでくる。 一度、ルートから離れると、二度と元には戻れないのが現実。 
先週の月曜日に録画をしていたNHKスペシャルの派遣の現状のレポートを昨日見たが、一つの派遣の仕事を椅子取りゲーム的に
狙う現実は、あまりに寒々しい。今週の週末の土・日のNHKの夜のゴールデンタイムに二日続けて、不況と失業の問題を放映するようだ。 
毎日暗い話しばかりで少しは楽しい話?をしろよ!だって? それなら・・  アメリカの金融崩壊と、日本の勝ち組と称してきた
連中の惨状を見ているだけで楽しくて楽しくて!大雪崩に巻き込まれて全てを失う可能性があるのは分かっていても、楽しい! 
(字数制限のためカット2012年2月3日)
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2008年02月03日(日)
2496,  無くてはならぬもの ー?       YΘ!!。_゜ヽ(*´∀`)ノ
「無くてはならぬもの」 佐古純一郎著
  孤独に対峙する自己 −自分と他者との支柱ー
 P−114 人と人との間柄のなかで生きるという存在のありかたがこわれてくると、人間は人間でなくなるのである。
人と人との真実なる間柄、それを私は交わりと呼ぶが、交わりのなかで生きることこそが、実は人間の条件。人間形成とは、
この私が自己の内に自我を追求することではなくて、真実が形成されることである。それが人間の形がなるという意味である。
P−119  現代を生きる人間の悲劇は、孤独に耐えられなくなっていることではあるまいか。たとえば、読書という身近な
ことがらについて考えてみよう。 深夜、自分の部屋で、その静けさのなかで、独りしんみりと古典を読みながら人生を
思索するような生活の喜びを本当に見出しているだろうか。むしろ、そういう静かさの孤独の時間が、なにか恐ろしい、耐えられない
といった苛立ちがあなた方を捉えていないだろうか。デモに参加したり音楽喫茶で歌って解放感にひたる、そういう孤独からの脱出が、
大きな誘惑になる。孤独のなかの自分をほんとうにいとおしみ愛することができるような、人生を生きてほしい。
 P−126  私たちは極めて重要な問いの前に立たされているのである。人は孤独な存在であることを知るゆえに、
孤独を大切にしなければならない。が、孤独を大切にしながらも、孤立しないで、人と人との力強い連帯を
創造するというようなことが果たして可能かどうかである。・・・・
ドフトエスキーの「地下生活者の手記」に考察されたような、全世界が崩壊しようが、自分がいっぱいのお茶をすすめられたらいい、
というような、そういう個の尊厳が、私たちの実存の深みにひそんでいるのである。自分は自分であって、
絶対に代用品は使えないのだという、個の尊厳を一方において大切にしながら、しかも、私たちは他者との間に、
生き生きとした連帯をつくり出していかなければならないのだとしたら、それは極めて困難な課題の前に立たされることになる。
 ・・・・〜〜孤独に耐えられない自己が、群集の雑踏のなかに自己からの逃避をこころみて、しかもそこにも生の孤立化が厳しく
横たわっているとしたら、そして、そのような群集のざわめきに耐えられない生が、もう一度孤独の世界に帰っていこうとしたら、
それは徹底的な人間嫌いの底に沈んでいくしかあるまい。それは、やがて生そのものからの逃避として、私たちの生を自滅に追い込んで
いくかもしれない。そのような状況では、私生活の尊重というようなことすら、もはや意味を失ってしまうであろう。
人生の危機に立つということは、そのような状況のことである。 
(字数制限のためカット2011年2月3日)・・
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2007年02月03日(土)
 2132, ああ〜勝ち組か〜         才八∋ウ_〆(∀`●)


4707,<つまずき>の事典 〜分別  ー2

2014年02月02日(日)

                        <つまずき>の事典> 中村邦生編著
   * 何ゆえに神はノアの方舟に人間を選んだのだろう?
『ノアの箱舟の上で俺たちは絶えず不可解な気持ちで頭を悩ましていたんだ、どうして神は他の明らかにもっと優れている
 候補をさしおいて、人類を被保護者として選ぶことになったのかって。神がもし他の種を選んでいたら、そのほとんどは
人間なんかよりずっと忠実なことに気づいただろうさ。もしもゴリラを支持していたら、神への不服従にしたって人間の半分も
犯さなかったんじゃないかと思うよ。そうなけりゃ第一、洪水だって起こす必要はなかっただろうね。一ジュリアン・バーンズー
 箱舟の密航者であるキクイムシが語っている一節。{神が「人類を被保護者として選ぶ」ことにしたのは、地球環境から言えば
取り返しのつかぬ〈過失〉であったのは間違いない。したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。
「人間は祖先が猿であることを自慢している。しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。
したがって、あるフランスの皮肉屋の次の言葉は、紛れもない真実なのだ。「人間は祖先が猿であることを自慢している。
しかし猿は祖先が人間であると決して自慢などしないだろう」。』
 ▽ 人間こそ、地球の大気圏の生物にとって、ガンそのもの。
   * 分別
 『どんな愚者でも真実は言えるが、嘘の上手のつきかたには、分別のある人間である必要がある』 ーサミュエル・バトラー
 ▽ 今まで平気で真実を誰かまうことなく公言してきた。それも常に上から目線で! 時と場合で、嘘と真実を混ぜ合わせて
 語ることこそ、分別ある人間のすること。そうこう考えると、この随想日記の公開は非常に危険。 真理と真実を直感したまま、
書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に似ていた。失敗というのは明快で、そして
 確実なものだ。そして確実なものの中には、いつも安らぎがあるのだ。』 ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の
 緊張が切れたこともあるが、この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など考える必要もない。
実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。
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4340, 自己とつきあうということ −6
2013年02月02日(土)
    * ソクラテスと自己の問題     
 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)   
  「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテスの言葉が広く知られているが、それを
 本当に我われは理解しているかというと疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮することと
 2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる 
 ≪ ー汝自身を知れー  吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、よく生きることこそ人間のつとめだと
考えたギリシアの哲学者、ソクラテス(前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。 神殿の壁に記された
「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住としての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬ
ほかはない人間に与えられた「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に訪れる者たちに
「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものとみなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの
無知に気づき、すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのために、自己は配慮されなければならない。
無知な状態に脱して、真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。
そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。
 【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、最も評判の高い、
   偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ
   気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、
   精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、心配もしていないというのは。】
金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する方向への転換を
説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を
頑固なまでに強調している。彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければならない。≫
  ー「よく生きる」という実践ー  しかし、自分自身をよくするとは、いった.いどうすることなのか。
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの
周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか「正しく」と同じ意味で
理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫
 ▼ 一生かけて自分を覆っていた固定観念を叩き壊してきたつもりだったが、振り返えれば、あまり壊れていなかったようだ。
  壊すほど、その奥には、さらに頑強なバイアス(偏見)の岩盤が表出してくる。 周辺を見渡すと、ゾンビの群れが、
  彷徨っているのを見かける。己を忘れ、現実に溺れ死に、墓に埋められたミイラが死に切れず徘徊しているのが、ゾンビ。 
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3965, 首都圏崩壊の可能性、7割
2012年02月02日(木)
  数日前に突然、東京大学地震研究所が「首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70%の確率で発生する」
という研究結果を発表した。(政府発表は30年で70%だったが)「死者が1万一千、負傷者が数十万、倒壊・延焼が85万世帯」。
東北大震災で10倍以上も、その確率が高くなったという。85万世帯といえば建物の二割近くになる。「死者が万分の一のなら、
それも仕方がない」と安穏としてはいられない。 私が都内在住で幼い子持ちなら移住を考えざるをえない事態である。。
外国人なら大挙の帰国も不思議でない。 直下型地震は過密ビル群の都市ではなす術がない。 ビルは津波には避難場所になるが、
問題は古い建物の倒壊。 それにしても、これだけの衝撃的ニュースが、あっさりと出てくるもの。あとは各自の勘になるが、
それぞれ生活事情がある。 これまでは福島原発の放射能汚染に対して上から目線?で見ていた都民が、そこより遥かに危険地区に
住んでいる現実を突きつけられたことになる。 神戸淡路震災の死者が6400人以上、負傷者がその7倍も出ていることから、
神戸市の人口が150万人の8倍の人口の東京からみて、十倍以上は出るとして6〜7万以上が亡くなる可能性がある。 
その上、首都の一極集中の機能が壊滅をしてしまう事態でもある。 20年前のバブル崩壊から始まり、9・11、9・15、
3・11震災と経済・自然災害が立て続きに襲われている日本にとって、首都圏壊滅が4年以内で70%とは、ただならぬこと。
  * ここで、仮説を立ててみる。
≪より現実的に考えるため3年早めて、「首都圏でM7クラスの直下型地震が年以内に90%の確率で発生する」という仮説。
 東京はパニック、現実問題として企業も政府も、その機能の移転の具体的作業になる。第二次大戦時の、あの疎開が始まることになる。
今まで小さな地震に対して気にしてなかった都民は、かって無かった恐怖に襲われ、夜も眠れない日々を過ごすことになる。
富裕層は我先に海外か北陸か北海道あたりに家族を疎開させ、外国人は我先に家族を帰国させ、働き手だけが残務整理のため一部が残る。≫
 実は、これと同じような現象が現在の首都圏では目立ってないが、原発事故以降に起きている。それが更に徹底して始まる。
現に私の会社が3つの災害で、あっさりと壊滅してしまった。そして、今度は、首都圏? まだ信じられないのが本当である。
まだ東北大地震が継続していて、東北大震災をパート�気箸垢襦崚賈夢愿貘臙録未離僉璽鉢供廚�動き出した、という見方をすべき?
 あの地震と津波は、東北関東大地震パート�気任靴�ないとすると? パート�靴�東海・南海・東南海地震の可能性もある。
しかも、景気に対する悪影響は大きい。 誰が、この事態で家を建て替えるか、自動車や、大型家電を、家具を買うだろうか?
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3600, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理  −3
 2011年02月02日(水)
 読んでいて、エッと驚く普通のアメリカ人の考え方や生活が次々と出てくる。
そのアメリカを通して、日本人のマイナーなアメリカナイズされた歪んだ日本の一面が見えてくる。
日本では家族の崩壊が問題になっているが、アメリカでは想像以上に「家族」を大事にしている。
その一つとして、子供と一緒に過ごす時間を大切にしている。アメリカ人の97〜8パーセントが神の存在を信じている。
それに対し日本人は35パー。あの世の存在は大よそ7割が信じているが、日本人は16パーである。8割の人が
「天国に行くか地獄に行くかを神が判断する日が来る」と信じているのに、日本人は1パーセントのキリスト教徒ならいざしらず、
殆どの人は信じてない。彼等の日常は神が見ているのである。その辺が日本とは違う。女子中高生の売春などは、日本人に比べ
非常に低い。競争主義、成果主義もプロテスタントの倫理があってこそ、成り立つのである。彼等の日常は常に聖書が傍らにあり、
教会が心の拠りどころとしてある。もう一つ著者が指摘しているのは、都会の背景にアメリカには広大な土地での雄大な自然である。
そこには「農村の豊かさ」がある。これが日本ほど格差に敏感にならないで済んでいる。広大な土地に大自然があり、
豊かな農業があり、聖書を日常の心の拠りどころにして、ペットと住める環境が全土にあるから、他人の成功に一々目くじらを
立てないで済むのである。 英国人も日本人もアメリカ人の陽気さと楽観性に比べると非常に劣っている。
それは、国土の広さと豊饒性がなせることである。 
 日本青少年研究所が2002年に発表した「中学生の生活意識に対する調査」によると
・「私には人並みの能力がある」          日本人  15・6パー     アメリカ人 56・5パーセント
・「私は他の人々に劣らず価値がある人間である」  日本人   8・8パー     アメリカ人 51・8パー
  私は他の人より価値がないと考えていれば、これほど自分を制限する心理はない。
・「自分に起こったことは、すべて自分の責任だ」  日本人 25・2パー      アメリカ人59・7パー
 起こったすべてが自分の責任と思えればエネルギーが生じてくる。他のせいという日本人とは大きな差が出て当然。
 薩摩芋なら薩摩芋のままで良かったか? バナナ(外が黄色で、内が白)は、バナナで良かったか? 我々は日本産バナナ? 
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3235, 女性だけの健康ジム
 2010年02月02日(火)
 ・入会金7500円、・月会員費3500円で、・一日30分だけ ・何度でもOK ・女性だけをうたい文句に世界中に
ジムを多く出している女性専用の健康ジムがある。初め聞いたのが去年の夏の頃に、長岡のスナックのママさんが
「駅前のヨーカ堂の中にあるジムに週二回ほど買い物ついでに通っている。会費が3500円で週に2〜3回行く。
計算すると一回あたり400円位。 コースになっていて30分で終わる。喫茶店のコーヒー代と思えば安い。
買い物ついでに丁度良い気分転換になり、色いろな人と話ができるのもよい」と、言っていた。「成るほど、面白いシステム」
と世間話をしていた。 ところが先日、私の知人が新潟の郊外でイタメシ屋に店舗を貸しているが、不景気で芳しくないので
家賃の値下げに応じたと聞いていた。ところが、そこを経営している会社が、、同じ店舗で最小の改装で、フランチャイズの
主婦向けの健康ジムにするという。店舗と健康機器には経費をかけず、女性のイラストレーターをつけて、次々とプログラムを
こなすシステムという。 ネットで調べたら、長岡と同じ系統のフランチャイズ。HPの写真を見ると円を囲うように健康機器が
置いてあり、真ん中のイラストレターが音楽に合わせて次々と健康機器をこなすシステム。 鏡はわざと置かないそうだ。
置くと????。 家内は、駅から車で20分ほどのイオンのSCのスポーツジムに週一回通っているが、具体的内容は一切話さない。 
ここは週一回で、月に4000円位?のようだが。 自宅の居間には4種類の小さな健康機器を置いているが、朝晩10分ずつ
使用している。腰痛対策なのだが、非常に効果がある。だから女性専用の30分のプログラムが身体によいのは理解できる。
音楽にあわせ、一台あたり2〜3分運動させ、隣に移動させていけば、合理的で楽しいはず。しかし男は無理。
大元はアメリカのフランチャイズというが、なるほど合理的である。 10分100円というのも在るそうだ!
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2860, 若者たちは今
2009年02月02日(月)
 *若者の○○離れ、というが
ある雑誌の中に「若者の○○離れ」という現象のレポートがあった。若者は明らかに旧世代とは違った消費行動をとっている。
まずは○○とは《 ・クルマ離れ ・酒離れ ・活字離れ ・新聞離れ ・洋画離れ 
         ・海外旅行離れ ・ギャンブル離れ(マージャン、パチンコ、競馬) etc》
  (字数の関係でカット2012・2・02)
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2008年02月02日(土)
 2495, ー自宅にも iMacー
 昨日、会社の事務所に引き続いて、自宅にiMacを導入した。これで一年以内に熱狂的とはいわないが、圧倒的なファンになるような
気がしている。とにかく画面の明るさと、WindowsVistaとMac両方が使えるのが良い。これまでノートパソコンに何故
拘っていたのか? 居間の座卓の上のスペースの問題と、Macをよく知らなかったことである。WindowsXPとノートパソコンの束縛から、
やっと解放された感覚がよい!。Macには熱狂的なファンがいて、使っているだけで優越感を持っているという。
ここ三年位は、出遅れて損をした感覚である。いや、今が時節ということか。パソコンン、インターネット世界への知識経験の浅さを、
そのまま書いているようだが。導入を手伝ってもらったHさんの話だと「Windowsより音楽などの音質が良く、映像も数段良い」という。
デジタル・ラジオをBGMとして聞けるのもよい。とにかくパソコンに向かっているだけで楽しい!という気持ちになるだけで充分である。
ワンセグを外付けで入れて、地上波のTVを見れるようにした。イヤホーンをつけたので、チャンネル争いのときに、
敗者は?これを見ればよい。一人で地上波の番組を見る場合は、パソコンを見れば電気代が節約できる。 もともとWindows Xpの機能の
数分の一しか使ってなかったのが、より使いやすくなったため、もう一歩踏み込んで使う気になったということである。
これが国内のメーカーより安く買えるのに、あまりシェアが伸びないのは、やはり既存のソフトが転用できないからである。
私のように元々持ってないものは、それが強みになる。ただ、なれるまでは戸惑うことを我慢しないと!
ところで、値段は20インチiMacで、山田デンキでポイント割引で129000円、他に色々入れると+2〜5万円は必要である。
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2007年02月02日(金)
 2131, 葬式よもやま話 −2   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 故・内山由蔵さんの長男の喪主の挨拶の中の一節に興味をひかれた。
ー 危篤になったが持ち直し、‘しばらくは大丈夫だろう’と、住居のある仙台に帰ろうと新潟あたりに来たとき、今まで
見たことのないような奇麗な虹が出た。「父に急変が起きたのでは」と思ったとき携帯電話が鳴り再び危険状態になったという
連絡が入った。そして急遽Uターンをして長岡に近づいた時、燃えるような夕陽が輝いていた。この時、「ああもう駄目だ」と思った。
そして着くのを待つようにして、間もなく亡くなってしまった。という内容であった。私自身も何度も親戚の葬式の後に、奇麗な
虹と遭遇している。とくに義父の亡くなった時のこと、葬式帰りの峠で7回も虹が次から次へと出て、その下を車で通り抜けた経験がある。
何か異次元の不思議な感覚であった。涙雨とか雷鳴とか、その人により色々な自然現象がおこるようだ。霊魂が死後35日から49日の間に、
次の世に通じる六本の道路の内の一本を選ぶ最も大切な宗教的儀式の日を「七七日」という。よく、葬式の読経のあと「七七日法要」
を引き続きやりますと言って、さらに有難そうな読経をあげるが・・。死者は七色に輝く一番まぶしい光の出ている道路が極楽に通じていて、
そこを通って浄土にいく。虹が人の死後によく現れる現象は、「故人がこの道路の近くにいますよ、というサインを身近の人に
見せようとしているのではないか?」と、思えば、ファンタジーな気持ちになる。ところで十年位前のことになるが、
会社に勤めていた人の両親が一日違いでたて続きに亡くなり、二人一緒の葬式に参列したことがあった。事故とか心中ではなく、
母親が夫の死を待つようにして亡くなった。正視できない!とは、こういうこと。 葬式にまつわるドラマは色いろある。
「お葬式」という映画もあった。伊丹十三が妻・宮本信子の父親の葬式で喪主となった実体験をもとに、わずか一週間でシナリオを
書き上げ、日本アカデミー賞をとったもので、赤裸々な人間関係を面白おかしく表現していた。葬式という一見暗いタイトルにも
かかわらず作中には笑いが溢れており、そのギャップが何とも印象に残っている。それと、どぎつい性描写も。(o ・д・)ツ  バイ!
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2006年02月02日(木)
1766, こころの羅針盤(コンパス) −1    才ノヽヨーφ(・ω・`)  −読書日記
三十篇の文章を、どれを読んでも深い心の世界に引き込まれる。
「私たちは羅針盤の針にしたがって航海しているわけではない。行くべき場所へむかうために羅針盤を用いるだけだ。」
という言葉一つ捉えても、ハッとする内容が次から次へと出てくる。その幾つかを抜粋してみる。^ー^)/C□~コーヒーいかが?
 まずは「こころの震えを感じるとき ─まえがきに代えて─   五木寛之
▼ 「人生いろいろ」という歌があったが、こころ模様もいろいろである。「こころの羅針盤」というタイトルヘの感想もまた、各人各様。
  (字数制限のためカット 2010年02月02日)

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