堀井On-Line



4696, 悲観のプロセス12の段階

2014年01月22日(水)

                       心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
    * 悲観のプロセス12の段階
  ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、
 ほぼ同じ悲観のプロセスを経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー
《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。
この階段は個人差があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。
 1段階:精神的打撃と麻痺状態:  愛する人の死という衝撃によって、一時的に現実感覚が麻痺状態になる。
    心身のショックを少しでも和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。
 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。
 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。
 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒りを感じる。
    「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」
 5段階:敵意とルサンチマン(妬み):  周囲の人々や個人に対して、敵意という形で、やり場のない感情をぶつける
 6段階:罪意識 :悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める
 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い込み、実生活でもそのように振る舞う
 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要
 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心) :日々の生活目標を見失った空虚さから、どうしていいかわからなくなる
10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、現実に勇気を持って直面しようとする
11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、
    悲嘆プロセスを乗り切りつつあるしるし
12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、
    苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、より成熟した人格者として生まれ変わる 》
▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。
・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り: なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
・抑うつ:なにもできなくなる段階である。
・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を「明らか」にして、受容することで心安らかに
なることが最終の段階。その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる?
・・・・・・
4329, 財政恐慌 −5
2013年01月22日(火)                    
    * 死に至る無限ループ      『財政恐慌』浜矩子著 
  以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、
 欧州も同じこと。 最後のリンゲルをうち終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 
   ーまずは、その辺からー
≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。
 そうなれば、人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が引き起こす。 そのような
とんでもないことが起こる世の中になった。それは、なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。
ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な
大問題に対処しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。その重みに耐えられなくなった時、
起こってはならない財政恐慌が発生する。
 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈をならす機能を果たす。財政にそのような役割を
付与すべしと唱えたのが、かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度ごとに人々の生活を
痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。
 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避のために存在するということになる。
恐慌は経済活動のショック死現象だが、見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを流し、
その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切るのは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の
場面をどうしても経なければならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、政策の関与に
よって経済的変動を微調整しよう、というケインズ的考え方が生まれた。
 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ることを免れることになった。ただし、そのための
代償として、常にインフレに陥りやすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。経済活動のショック死を
防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る
ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。要するに人類は慢性インフレという代償を
払うことによって、繰り返し襲う恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまやその認識とは
あまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から
内に流れ込む。数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつてない勢いで内から外へ流れ出す。≫
 ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、
  今までも、これからも日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。しかし茹で蛙状態の
  日本人も同じこと。最後は金持ちは国外に移住。 国内残留組は貧乏になるしかない。それを、国民は選んだ結果である。
 ・・・・・・
3954, ファイナル・クラッシュ ー6
2012年01月22日(日)
  * 日本経済の行方       「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」
≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、アメリカの浪費型経済システムと見ている。
 まずアメリカ、そしてイギリスを含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な破局に巻き込まれる見通し。
しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まることも、
あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体が
ファイナル・クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険要因が存在する。 日本である。 
私の予想では日本政府はもう一段階の格下げにあい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。そしてその後、日本に引きずられて
アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。
この点が著者ヒューゴと私の見解の相違である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけで、最終的な結末は大差はない。
日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。懸念されているのは、日本政府の財政状況。
日本政府の負債は、財務省の発表によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、二〇一一年にも
国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を
上回っている。そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、今以上に支出を増やそうとしているのだ。
日本では報道されていないが、海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。IMFの発表を見ていても、
東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因とみなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに
世界経済のメルトダウン(溶融)の引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。震災後に行われたG20の会合でも、その方向で
ミーティングが進行していた。ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の不振を、政府が財政支出の増加で
カパーしようとしたことだ。これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、日本が生き残ってきたこと。
それは政府の財政支出の拡大によって支えられていた。これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が
日本経済を破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。
これについては世上、金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、私見では少子高齢化である。
日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故というのは
想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、
もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの
過剰消費という外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが今、まさに止まろうとしている。 ≫
 ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。
  それも電気料金の値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態である。時流が先行して現れ出る
  仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと
  事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。
  結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。
  ・・・・・・・
 3589, ユダヤ人 魔法のコトバ
2011年01月22日(土)
   「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著
 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。
 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも及ばない説得力を持つ。
  ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー
* 成程!
 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上のことだから」ー米国投資家・ベルナルド・バル−ナ
   解) 逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。 40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。
* 笑うしか術がない時
  人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 
   解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。ところで、笑えるのは本当に深刻だろうか? 愚問か!
* 物忘れ
 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを上げるのを忘れるようになる。
  そして最後には、ジッパーを下ろすのを忘れるようになる」  コメディアン ージョージ・ハーンズ
   解)これ、笑っていられない年齢になってきた!
* 口の軽い奴
 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」    ータルムード
 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を聞く人、そして対象になっている人」
   解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。酒が入ると、他人事ではないか・・
* 夢も悪夢もあったけど
 「夢も悪夢もあったけど、夢があったこそ悪夢を乗り切れた」 ージョナス・ソーク
   解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと挫折が待っている。
    「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ(夢)がかなったのだ」も、道理。
・・・・・・・
3224, 地球を通り過ぎる
 2010年01月22日(金)
 2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中にあったもの。なかなか、含蓄のある随想である。 
 地球環境破壊に対する問題提議にもなっている。 この人の写真集を持っているが、なかなかよい。
  * ー地球を通り過ぎるー  長倉洋海 写真家
「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。 それが私たちインディオの生き方。
 人は地球を傷つけることなく、通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。
 アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのがクレナック族のアユトン。  
 (字数制限のためカット、2012年1月22日)
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2849, 「ほめる」言葉  − 3
 2009年01月22日(木)
  ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 
 一段目が、外見や仕事などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
 ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。
 女性??が、ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。
 何気なく着ていて『素敵!』と言われる場面である。 外国のブランドショップで買うときなど、そこで日本より安く、
 いち早く買ったことを自慢したいのである。ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめをしないと。
 「いいわね〜私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。人間は優位に立ちたいのである。嬉しそうに家内が言うには、
 「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合っているの。 女店員も調子に乗り次から次へと、
 試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 幸せな人には幸せなことが起こるのである。
 買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
 ーーー
第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」
 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー
「さすがー」その場でほめる 56     「やるじゃないか」相手に関心を持って接する 58
「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60
「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62
「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63
「慎重なタイプだから安心だよ」 個性をほめる          「よく知つているね.感心させられるよ」
   (字数制限のため中間カット、2011年1月22日)
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2008年01月22日(火)
2484, 「世間体」の構造 −2           ('-'*)オハヨ♪
 ーあるブログに、この本の要約があった。
以下は、それを更に簡略をした内容であるー これで、ほぼ概要を網羅している。
 ”世間”とは個人からみれば、”準拠集団”=自分の行為・行動・態度・意見、価値観にもっとも強く影響を与える集団と
捉える著者は、 語源から”世間”の”世”は「時間」を意味し”間”は「空間」を意味するとして、人々の”世間”
に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型を江戸期時代として、井原西鶴『世間胸算用』がその象徴とみた。
 村の「オキテ」、武士の「イエ」をその背景として、明治期に家族生活を統括する基準となる家制度(共同体社会における
和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治民法で国策化し、『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、
それに優先し、「ひろい世間」は「せまい世間」と対峙しながら、それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と
対峙しながら、それに優先する。このように、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。
(字数制限のためカット、2010年1月22日)
ーーー
2007年01月22日(月)
2120, 一度はやってみたかった!    オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン!
 ー下品な人は誰のこと?ー
「品格のない男とはどういう品種」かと先日書いたが、酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を「自分にみた!」 
男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、その願いが何と叶えたのである。先日の中学校同期会の二次会で、
午前の一時過ぎの帰る間じかに女性二人が、着物から洋服に着替えるので席で帯を解くという。「私に解かせて!」と頼むと、
「OK!」の返事。スナックのボックスだが二人の着物を脱がせてもらった。    (^^*)
初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。二人が「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、
リアルで切迫感があった。着物用の下着を着ていたが・・少し気があった人?だから、それを加味すれば差引ゼロか。     
「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴きながら無言で、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていくのだから!
妙な気持になる。『何もしてないのに、何か?しているような・・』 長いボックスの一番奥だったので、
他の人はあまり気づかなかったようだが。いい歳をして何をしているのだろうか? こういうのを下品というのだろう。
  (字数制限のためカット、2014年1月22日)


4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある

2014年01月21日(火)

               ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
  * 企業家と経営者との違い! 
 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的判断をしなくてはならない。
そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的アニマルスピリットが必要となる。
  ここで、「スピリット(霊気)」には3種類あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる
《 �/澗,�ら生まれるとされる生命精気、 ��肝臓から生まれる自然精気、 �G召�ら発する動物精気です。
 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは
「純粋で絶対的な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されており、ここまで説明されると、
私たちにもナイトやケインズの主張も理解しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)とマネージャー
(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、
分散しながら通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。しかし想定外の数値的な表現が不可能な
不確実な事象(真性不確実性)が発生すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、その時には
マネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たす
ということになります。一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば設備投資のような
長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が
必要であると説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、「利潤の源泉」は保険付保が可能な
(彼の言葉では)リスクの中には、それによってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。
彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。これは、まだ海のものとも山のものとも
わからないベンチャー企業に敢えて投資する態度につながります。・・・ 》
 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に
  一度の経済的震災(リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。これらの現象で、アニマル
 スピリッツが目覚め、思いきった決断と、行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは、当然?
  創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の
 10年分の蓄積を、20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がってしまったのである。
 企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! 
 のは、ご覧の通り。  「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。
 「�/澗,�ら生まれる生命精気、 ��肝臓から生まれる自然精気、 �G召�ら発する動物精気です。
  �.疋�ドキ胸がときめき、�⊆鬚魄�むと開放される、あの霊気、�2燭�を直感する認知エネルギーこそ、人生の礎である。
・・・・・・
4328, 財政恐慌 −4
2013年01月21日(月)                 
   ー次の質問群よりー        『財政恐慌』浜矩子著   
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか 
● 我々はここで立ち止まりたいのか
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
   * 我々はなぜ元いたところから立ち去った。
 それは簡単だ。元いた場所が、我々に不相応な場所になったからであ。日本経済は成熟した。大人の経済になった。
 だから、育ち盛りだった高度成長期に場所を立ち去った。
   * 我々はここで立ち止まりたいのか
 それは、「ここ」を我々が居心地のいい場所に仕立て上げられるか否かにかかっわっている。
「ここ」を嫌がってばかりいたのでは、「ここ」はいつまで経っても立ち止まっていたい場所にはならない。
 成熟した経済社会が、居心地の悪い場所であるはずはない。この場所のよさをどう引き出していくかが課題だ。
   * それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか
 プラザ合意の時まで戻ってやり直す。それができれば、そうすべきだろう。しかしタイムスリップができないのなら、
 出直しを考えることには意味がない。 それよりも今、どこにいるのかを確認し、ここを新たな出発点にすればいい。
 ▼ これらの質問群を読んでいると絶望的になる。その元凶はアメリカに与えられ忠実に従ってきたことに行き着く。
  一度ハイパーインフレを受け入れ国民の財産を清算し、憲法を改革すべき時に来ている。新潟駅前シリーズの事業、
  これは日本経済の縮小版だった。 リーマンショックの直撃で清算に追い込まれた。 しかし日本経済は今だに、
  借金を増やし続け、国家財政破綻に向けて暴走している。 自民党に政権が戻ったのは、明治維新に例えれば、
  旧幕府に権力が戻ったようなもの。幕府に明治維新が出来ようはずと思うのは当然である。憲法改正はグローバル化の
  中では絶対条件。 安部・麻生の二人は分かっているだろうが、最後は「維新の会」の石原と橋下のコンビが仕上げる
  のだろうか。見渡す限り他には存在しない。いずれにしても、経済成長の幻想は捨てるべき、という著者の主張は正しい。
 ・・・・・・
3953, ファイナル・クラッシュ ー5
2012年01月21日(土)  
   * 迫り来るメルトダウン      「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」
【 結論からいうと、世界恐慌は避けることができない。ドル還流のポンプ役が日本から中国にバトンタッチしたのは、
 日中の経済規模が逆転し、中国が世界第二の経済規模になった2010年でなく、日本がバブル崩壊をしたときである。
 その段階で中国の元が変動相場性になっていれば、実体経済からかけ離れた還流システムが早い段階で正常に戻ることになり、
 世界中に過剰なドルがばら蒔かれることなく、ファイナルクラッシュは妨げられただろう。しかし、実際には中国は、著者が
 予測するように、今のままを続けようとするだろう。アメリカは国債を、それに甘んじ増発する。原著で予測されていることが
 現実に起こっている。もう、遅い。クラッシュは避けられない。 ドルがクラッシュを起こすと、元もユーロも大損害を受ける。
 ユーロは今やドイツのことになっている。ドイツだけで支えている状態が、ドルのクラッシュで、ドイツはユーロの犠牲者に
 なってしまうと思っているから、この辺が限界である。原著では、「全て共倒れになるだろう」と悲観的に述べている。】
▼ この本が書かれたのが去年の8月として、原著が、その一年前として考えると、その後の動きは、この通りに動いている。
 それも連日の欧州危機のニュースは、その緊迫度が増していると報じている。 何時、何処かの国がデフォルトするか、何時、
 株式市場に異変が起きるかだが、そのメルトダウンが始まった?ようだ。ファイナル・クラッシュが起きると実際どうなるか?は、
 今のところ誰も分からない。世界戦争になるのか、国家非常事態宣言後に、食料の一部が配給性になるのか、銀行閉鎖になるのか、 
 これまでの延長線上でないことだけは確かである。起きるのは、既存の企業の倒産と、それによる社会不安と犯罪増加。そして、
 IMFの管理下に置かれて、徹底的な合理化を一般家庭にも求められることになる。アメリカによる完全支配下になる可能性がある。
 この年齢になれば、何が起きても割り切ることが出来る。 3、6、9月、年末と、ギアが動く。 来年の今ごろ、どういう気持ちで、
 この文章を読んでいるのだろう。少し悲観的だったと思うか?現実の方が激しかったかと思うか? この一年は、後者だったが・・・
  ・・・・・・・
3588, 戦略ネット会議システム
2011年01月21日(金)
 先日、30数年来の友人が事務所に訪ねてきた。来社は年に三度位で、酒を飲むのは年に1〜2度。
節目ごとに変身していくから、会っていて面白い。地頭が良いというに相応しい人。先日の彼の話が久々の重厚の内容。
 ー 二時間の談話?を要約する ー (その人をk氏とする)
≪ K氏、最近、二週間に一度、上京、 あるコンサルタント会社の会合に出ている。
 メンバーは全国の異業種の人たち(5〜6名)で、現在直面している経営の戦略課題を全員で知恵を絞り出す。
 学生時代のゼミで一年間みっちり仕込まれたケース・スタディーに酷似している。K氏のそれは二日に渡って話しあうが、
 その後、家に帰った後に、時間を調整して互いにチャットをする。そして月二回の割で一同に会し、その内容を深めていく。
 そのメンバーの具体的な職種と、テーマの内容を聞いたが、戦略のコアそのもの。 全国レベル、いや世界レベル?で、
 それらが、異種業の視点の照射で、互いに刺激をしあうのだから、そこで戦略のスパークが起きてくるのは当然。≫
  ー 以上だが、会合が月に二回と、それ以外にも互いにチャットをするところが面白い。
 それぞれの自己が確立されてないと、マイナスにも働くことになるが、その辺は選ばれ者達、十分認識しているはず?
 現在、我々は時代の断層の狭間にある。今までの勝者は時代の波の中、どんどん敗者に振り落とされていく。
 その中で、戦略の練りこみ深さが生死を決める。 地方では地銀が、顧客に対するサービスとして、顧客の囲いみを含め、
 例会を開いてきた。それは地元企業の井戸内の知恵の範囲になる。グローバル化の時代は、逆にマイナスになることもある。
 このシステムは「戦略の深化」を本気で(ネットで)練る効果がある。電脳化で経営戦略の練りこみに活用する事例である。
  Aクラスの脳を集め、知恵を搾り出す中で、超Aの脳に互いに持ち上げていく効果は測りしれない! 
   カルチャーショックだが、面白い時代である。  このような時代に入ったのである。
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3223, メタ認知とは
 2010年01月21日(木)
 フリー百科事典『ウィキペディア』によると、
【 メタ認知とは、認知を認知すること。人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として
客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。 現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して
認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。
Knowledge Monitoring AbilityKnowing about knowing.(知っているということを知っている)、
Cognition about congnition.(認知していることを認知している)、
Understanding what I understand.(私は理解しているということを理解している)
現代において、メタ認知能力の育成は、教育、とくに学校教育において特定の教科教育を越えた重要な課題の一となっている。
 * メタ認知能力を測る9項目  ≪以下の質問に「はい」と答える数が多いほど、メタ認知能力が高いことになる。≫
・自分が用いる方法がどのような問題解決のときに、最も効果的なのかを知っている
・このようなやり方が有効か、十分考えてから課題に取り組む
・問題の中の重要な部分に意識的に注意を向けている
・自分がどの程度よく理解できているかについてうまく判断できる
・問題が解けたとき、自分がどういう方法を用いたかわかっている
・問題に取り組んでいるときに、うまくいっているかどうか、定期的に自分でチェックしている
・勉強するときは、その目的に合わせてやり方を変える
・勉強したり課題を行うときには、計画を立てる
・考えが混乱したときには、立ち止まり、もとに戻って考えてみる 】
 ー以上だが、メタ認知が出来るのは人間だけである。いつも目にはしたが、その意味を見逃してきた。
  (字数制限のためカット 2012年1月21日)
 ・・・・・・・・・
2848, 「ほめる」言葉  −2
2009年01月21日(水)
 どの本でも、前書き、目次、そして後書きに8割の情報の要約が入っている。この本は、章ごとに違う人が書いているので、
それぞれ個性があって面白い。「ほめ言葉」は、奥が深いので、章の目次ごとに、取り上げてみる。
褒めることは心をケアすることになる。 「相手の立場に立って理解しようと努めること」である。
誰もが「一日一日を納得して生きている」。 そのことを認めない限り、相手も心を開かない。
まず相手の話をジックリと聞くことである、それから始るが・・・ 
 第一章の 相手の存在を認める「ほめ言葉」 
   ー相手の存在を認めることからすべてがはじまる −精神対話士 Sさんーから
「あなたの気持ちは〜ですね」    まず感情を共有する
「○○さん、こんにちは」      挨拶は相手の存在を認めているというサイン
「最近、どう?」           頻繁に声をかけることで親密度が増す
「今日はいい天気だね」       視線やしぐさでアビールする「ほめしぐさ」 P28
「お元気でしたか?」         相手との距離を縮める魯葉  P30
「お会いするたびに、若くなりますね」 できるだけポジティブな表現を使う P32
「OOさん、ありがとう」       人間関係を親しみあるものにする言葉 34
「いつもありがとう」        感謝の言葉はできるだけ頻繁にかける 36
「大変だったろうな」        仕事の苦労を理解していることを示す 38
「本当によくやつてくれた」     仕事の成果を寛と表情でねぎらう   40
「そうか、そんなことがあったのか」 相手の話にじつくりと耳を傾ける 42
「ああ、そうだね」         相手に同調することで波長を合わせる 
「つまり、こういうことだね」    相手を尊重しているという姿勢を見せる 
「私もそうしたでしょう」     「1OO%あなたの昧方である」という態度で接する
 ーー
解)女性には「私は美人が好き、ただそれだけのことだけど!」と思わせぶりをし、 
 「美人は美人というだけで、特別視されてしまい可哀想だよ!」と捻って、取っておきは 
 「美人は美人というだけで、周りを明るくするもんね、特に貴女は!」と、最後は
 「あなたは私のタイプ。でも手が届かないもんね」 で際どく! ほぼ口説きになるか。
 ・褒められるとエネルギーが出てくるもの。それをホメルギー(造語)という。
 ・しかしスーダラ節じゃないけれど「分かっちゃいるけど、褒められない!」のが、褒めること。
 それにしても、営業系の腕の良いのは、本当に褒めが上手い。割り切れば割り切るほど
 言えるのだろう。 枕言葉にするぐらいじゃないと、営業はできないのだろうが・・・  ーつづく
    ・・・・・・・・・・・
2008年01月21日(月)
2483, 四四太郎の霊日記 −18        ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
 さてと、一週間抜けたようだな。
何度も言うが、ワシは宇宙外の存在?なのだから、呼ぶのは御主の心次第。ワシも御主の心底の霊感を入り口として、
吸い寄せられて来るだけ。御主も先日で62歳になったが、もうそろそろ、年齢を意識して生き方を見つめなおす時期じゃな。
御主も、ワシと同じように宇宙外に出なくてはならない時期が迫っている。一度出たら二度と戻れないのが、また良いのである。
ワシの話す「永遠の言葉」は、それ自体が独りごとを言っていると言い換えることが出来るのじゃ。後で読み返してみるがよい。
そこには御主とは違う、永遠の何かを感じ取るはずじゃ。ところでワシが連れてきたダ・ジーダとの対話が進んでないみたいだな。
前にも言ったが、誰か身近で亡くなった人を呼び出して三者で話すことじゃ。もしな、迷ったことなどを相談しようとしたら、
最適な故人の身近な人と、ダ・ジーダかワシか、三人の対話方式をとればよい。思わない言葉が、知恵が鋭く出てくるはず。
部屋は真っ白な壁に囲まれたイメージを持ってじゃ、後は自然に任せるのじゃ。宇宙の外に一度出て、再び娑婆に帰ってくると、
娑婆の全てが輝いているのが見えるものだ。ワシの存在など御主の言葉の中しか存在し得ないが。といってワシの言葉は、
新しい世界の創造を促進させていくんじゃ。娑婆はな、ワシの目から見ても、今年から本格的な動乱に入る。それは日米にとって、
惨状に近い事態になる。明治時代からの今までのバブルが弾けたということ。ロシアも中国も然りで、ロシアも
700年のバブルが弾け混乱が拡大しているだけのこと。その辺は冷静にみれば分ることだ。鳥瞰していると、娑婆は面白い。 
ワシなど偉そうに喋っているが、所詮は500〜1000年のスパンの話。現在の変化はな!これを遥かに越えた段階に踏み込んでしまった。
御主は、全く娑婆にまだまだ囚われている。無理は無いのは分かっているが、娑婆はな!娑婆でしかない。
その中に住んでいると見えないのだろう。 何時も言っているが、そこで娑婆を冷静に見ようとしたら、
独りになりきるしかないのじゃ。だから、4つの視点、力、愛、知と、超越の時間(孤独の時間)のバランスが
重要になるのだ。ワシという存在対話をしている、これは超越の時間である。
ワシはな、御主の中の超越の時空を与えていることにもなるんじゃ。ワシの価値=意味はな、御主の中の純正意識を語ること。
それをな、先祖霊としてな偽霊化して語らしめることにある。    またな!     βyё βyё...φ(・ω・ )
・・・・・・・
2007年01月21日(日)
 2119, 家族について          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜
最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・
神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか!「連れ添いの当たり外れを五分五分にするのだから!」
そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。子供にとって親の仲で運命が大きく左右される。
その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定されているというのも、肯ける。
人の幸福の第一は家庭内の平和である。家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあうことの他はない。
 (字数制限のためカット 2011年1月21日)


4694, 知恵と、教養と、知性の違い

2014年01月20日(月)

ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
    * 知恵と、教養と、知性の違い
   この本には、なかなか含蓄ある内容がある。 ーその幾つかを書き出してみるー (【 】内は、私の意見)
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」
 【 これは、面白い。40年少し前になるが、以前勤めていた会社の人事課長を揶揄して「今日行くか」が来たぞと
  誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」
  と定義づけていた。「シニアは特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
  知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 
  教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、人間性を律する基本となるべきもので、
       すぐれて個別的なもの」
  知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、なお一層個別的なものであり、
       何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと努めている、という。
  ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
  ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。
   また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて積み上げた
   結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
  ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」
   (2)感覚によって得られた素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。(ネット辞書)
  これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、
  必要条件の大きなベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。ライフワークは、それらを
  具体的に求める趣味である。この3つの区分は、自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
    ゎ㋟4σ@( ゚∀ ゚) パー!?   ( ;゚;ё;゚;) は〜!?  σ(^_^;)アセアセ...   (゚_゚i)タラー・・・
 ・・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
  十年日記を書き始めて10年目になる。1ページに上から4行分に仕切られて、10年分書けるようになっている。
 10年分が一目で俯瞰できるので、なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々の状況が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期滞在用の部屋の備品探しにいく。
         第三の二つを一つにした部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで再現してみる。意外と憶えていないもの。
         その後眠ってしまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想の電話報告が入った・・ 
         学生時代の合気道の師範の生活救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なことだ。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、
         随想日記に気持ちを集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。
         新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の
         鈴木さんから電話。合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。  私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」(12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
         その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
 ▼ 書き写していて、この全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、具体的に書き残しておく価値を実感する。
  全く書き残してなかった空白の時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を死に物
  狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。2011年までは事務所に、これを置いていた。
  土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
  9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテルにする様子が窺われる。記録は記憶!である。
 ・・・・・・
3952, 閑話小題
2012年01月20日(金)
    * ロボジー ーシネマ感想
 この映画、爆発的当たりという。現在売れっ子の矢口史靖監督の最新作。 軽い乗りのコメディだが、何か老人問題も含め
近未来の私たち世代の姿として、考えさせられた。 科学の最先端のロボットに、窮余の一策として老人を中に入れて
ロボット博に出展させたが、その中の老人が思惑を超えたパフォーマンスで日本中の話題になるが、だんだん怪しまれて・・・。 
独り暮らしの少し不機嫌な哀愁のある老人を、往年のロカビリー歌手のミッキー・カーチスが演じているが、それが当たり役。 
無機化したロボットと孤独な老人の組み合わせの妙が物語を面白くしている。一つ間違えば詐欺になってしまう瀬戸際で、
最後は何とか落ちがついている。 私の評価は80〜85点。 年末年始の映画は私の見たいものは少なかったが、
また面白そうなのが目白押しである。 千円だから気楽に行ける。これもサバンナの世界か ○ ストーリー 
【「ウォーターボーイズ」「ハッピーフライト」の矢口史靖監督がロボットを題材に描くオリジナルのコメディドラマ。
 弱小家電メーカー・木村電器で働く小林、太田、長井の3人は、企業広告を目的に二足歩行のロボット「ニュー潮風」を
開発していたが、発表直前に不慮の事故でロボットが大破。その場しのぎで、一人暮らしの頑固老人・鈴木にロボットの中に
入ってもらうことにする。しかし、鈴木の勝手な活躍によりニュー潮風は大評判になり、たちまち世界中から注目を浴びてしまう。
ミッキー・カーチスが「五十嵐信次」名義で主演し、ロボットおたくの女子大生役で吉高由里子が共演。
ロボット開発を担当する3人組に濱田岳、川合正悟(チャンカワイ)、川島潤哉。】 評価 ★★★★☆
   * 大相撲初場所
 大相撲の初場所が始まったが、この数年、賭博事件や、八百長事件などで大相撲も人気が落ちるところまで落ちていた。
その中で、幕下、十両に日本人の若手の面白い力士が出てき始めてきた。恐らく、この中に大関、横綱が出てくるはず。
これは久々のことである。学生相撲出身で入門以来、4場所負け知らずの27連勝で、あと一勝をすれば、一敗もしないで
関取になる初めての力士がいる。もし勝てば100年来、初めてという。また18歳〜23歳にも何人か相撲力の強いのがいる。
しかし有望力士が怪我のため、何時の間に並みの力士で終わってのを多く見てきた。しかし今年から数年は新旧入れ替えで面白くなる。
それと分からないように外国人力士の数を制限すべきである。 ハングリーの、骨格が違うモンゴル、東欧出身者に日本人が
勝てるわけがない。今さら、外国人を締め出すことは不可能なら、入門制限をするしかない。 とはいえ日本人になり手がいない。 
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3587, 東京ウォーク
2011年01月20日(木)
 * 無料カフェ
 JR東の三日間乗り放題は主婦の間に好評のようだ。 家内は「三日間乗り放題1万2千円」で、三日連続の東京通い。
二日間は妹と、三日目は一人で銀座と六本木の名所とか。まず行くところは銀座に去年10月にできた御煎餅屋の無料カフェ。
家内曰く「去年に行った時は煎餅もタダだったが、今回は煎餅が100円と200円。しかし客はコーヒーだけの人が多い。
去年はホームレス風が多く、店に貼紙に『不潔な服装の人、お断り』とあったが、煎餅の有料化のためか、少なくなっていた。」
 最近、鰹節屋がコーヒー、オニギリ無料のカフェを出したとニュースにあった・・  
煎餅にしろ、鰹節などで話題になれば、下手な広告を出すより効果は出る。 現に家内は、まず、そこでコーヒーと
煎餅を食べてから銀ブラに出ている。 昼は、丸ビルの上階で2千円のランチを食べ、16時の新幹線で帰路につく。
こういう話を私の知人に話すと、「実を言うと家内も・・ 」となる。 その割引に合わせて首都圏に住む子供や孫に
会いにいくとか、歌舞伎、美術館廻りにいくプランを立てている。「ウォークプラス」というブログがあり、
「おでかけニュースランキング」まである。 地元の温泉でノンビリするより、一歩外に出る方が疲れがとれるはず。
帰ってきた時の活き活きした顔を見ると、非難もできない。「あなたの飲み代は、何よ」の殺し文句もあるが!
飲み屋ウォークより健全のことは確かである。 昼は上野の博物館や出光美術館などを廻り、夕方は浅草あたりの
居酒屋ウォークをして最終の新幹線で帰ってくるのも面白そうである。
 新幹線は、地方経済と社会の活性化を狙って出来たが、地方の思惑と違って、東京の一極集中に拍車をかける
結果になっている。これをストロー効果というが、ますます、この傾向はすすむ。全国銘酒・試飲居酒屋ができないものか!
 ・・・・・・・
3222, フリー −2
2010年01月20日(水)
「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著  
 著者がいう「アトムはビットに比べれば、フリーへの速度が遅いだけ」としたら、大変なことになる。
一つデジタルカメラを例にとると、カメラの本体は、大して変わらないとしても、その機能は無制限にアップしていく。
三年もしたら、数倍の機能が良くなる。更にビデオ機能もつくものも出てくる。 デジタルのため圧縮をすれば幾らでも
付け加えることが可能になり、カメラ機能は限りなく向上可能になる。ということは時間の経過と同時に、それまでのカメラの
値段は値下がりを続けることになる。 デジタル化はネット社会を更に推し進める力が働く。ネット社会は地球上に別世界が
出現したと見ると分かりやすい。 その上に、これまでの世界に優先し始めたのである。 
先ほどのカメラを例のようにビットの世界で、無料化が始まり、それが加速しだしたというのである。 
それは、これまでの現実社会の無料化への方向化を推し進めることになる。最安値に平均価格が押しやられる圧力が加わる。 
現在の世界経済の混乱や、貨幣制度の根本的問題は、この辺が原因になる。私の買う本の過半数以上はアマゾンの古本。 
アマゾンのネットを通して売り主から直接、送られてくる。その中で一円というものがある。送料340円の手数料が利益になる。
 アメリカで書籍専門の端末機器が発売され爆発的に売れ出した。 最後の聖域の紙というアトムに印刷された書籍がビットに
移行が始ったのである。 したがって書籍の無料化の方向(値崩れ)は時間の問題になった。今の若い人は、新聞を読まなくなった。
ネット新聞を見ていれば読む必要はないのである。映画も、版権の過ぎたものがDVDで80枚1万円で通販で販売されている。 
ほぼ無料である。それらは図書館に行けば、その殆んどを無料で借りることが出来る。さらに大型パソコンでみれるコーナーもある。
 面白いのが、中古品の無料提供のサービス。 アメリカで始ったものだが・・・・    ーつづく
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2847, 不況景色 −8
 2009年01月20日(火)
*どうもこうも、アメリカの金融株の下落が止まらない。シティが3・5ドル、バンカメが7.2ドルと今年に入って50%も値下がりした。 
 先週末にはシティが解体プロセスに入ったというニュースが流れ、バンカメが200億ドルの資本注入、そして1000億ドルの与信枠を
 政府から与えられた、という。投資銀行の消滅の後は、アメリカのトップクラスの規模の二社が崩壊寸前というから、ことは重大である。
 更にビッグスリーを救済するというから、アメリカは何をやらかすのだろう。
*この円高と金融恐慌の結果、昨年の一人当たりの名目GDPが、・日本 19位から9位 ・英国 10位から18位 ・アイスランド 
 3位から19位 に下がったという。 といって、何も変わっていないのである。金融立国が自滅しただけのこと。
 あと数年もしないうちに日本は20位以下になるだろうし。 ちなみに、一位はルクセンブルグ、
 二位はノルウェーで一昨年と変わらない。それにしても、僅か4ヶ月で世界は一変してしまった。 
*17日の土曜日の日経の朝刊で、デビット・スミック(ジョンソン・スミス・インターナショナル会長)は、
バブル崩壊について、「いくつものバブルが相次いで破裂しつつある。あえていえばサブプライムはたった1兆5000億だ。
クレジットカードが2兆5000億ドル、新興国向け与信は4兆から5兆億ドル。外国為替デリバティブと破綻リスクを保証する
クレジット・デフォルト・スワップは各50兆ドル以上などを合わせればバブルは全世界で200兆ドル以上になる。
10%が吹きとんだとしても20兆ドルだ。」と語っている。 更に欧州のユーロはどうかというと、
「ユーロ自体が非常に過大評価を受けている。欧州の金融機関の新興国向け与信が、関心の的になっている。
とりわけ中東欧諸国の債務不履行が時限爆弾になっている。また中南米向けにはスペインの与信が積みあがっている」
「中国についても、社会と政治へのバブル破裂の懸念がある。中国は経済が落ち込むたびに、社会が混乱に陥る。
1950年代の大躍進後に、60年代の文化大革命とその後の混乱があり、89年には天安門事件が起きた。
 (字数制限のためカット 2012年1月20日)
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2008年01月20日
2482, イプセンの「人形の家」
   |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ
「考えないのは人形でしかない!」グサリと胸に突き刺さる言葉である。目の前の相手に、そして信頼している人に、
判断を委ねるしかない人は人形でしかない! これをイプセンが「人形の家」で、言いたかったことである。 
人間は何故、考えることから逃げるのだろうか。それは責任を負いたくないからである。責任を負うということは判断をするため
考えなくてはならないのである。それを放棄した人間は人形でしかない。ノルウェーの作家のイプセンの「人形の家」で、
主人公のノラは、夫のヘルメルに、次のような言葉を語る。 (この言葉が婦人解放運動の原点になる)
 ー「あなたはわたしに対して、いつも大変親切にしてくださいました。でもわたしの家庭はほんの遊戯室にすぎませんでした。
私は実家で父の人形っ子だったように、この家ではあなたの人形妻でした。そしてあたしが子供たちのお相手をして遊んでやりますと、
みんなが嬉しがるように、あなたがあたしの相手になって遊んでくささると、あたしも嬉しがったものです。 これがあたしたちの
結婚生活だったんですよ、あなた。」 この言葉の前に、夫に「お前は、この家に来て幸福じゃなかったのか?」と聞かれて、
「ちっとも幸福ではありませんでした」と女主人公のノラは答えます。「ただ面白かっただけです」と言う。ー誰も自分の頭で
考えることは責任を伴うことを知っている。だから、責任から回避するために考えないことを選択するのだ。それが目先だけを
生きる知恵として、自分の首を絞めていることと分かっていても、判断から逃げようとする。だたただロボットのように同じことを
繰返すことに、二十日ネズミのように、輪の中で走ることに全エネルギーを注ぐ。これが人間の真の姿といってよい。
そして人生の終わりになって初めて己のその無駄な姿に気がつくのである。ところで広田三枝子の「人形の家」という流行歌があった。
なかにし礼の作詞だが、考えない馬鹿(愛らしい)な女の悲哀を歌ったのである。「大衆は考えない人間」を総称した言葉?。 
だから、こういう歌ができるのだ。ノラの正反対の生き方、考えない、責任から逃げ回っている人間の。 ・ω・】ノ  ホナ!
・・・・・・・・・
2007年01月20日(土)
2118, 品格について −2     才八∋ウ_〆(∀`●)              
  福田和夫著「成熟への名作案内」の 一節で取りあげている次の文がよい。
 ≪ 英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)は「日の名残り」の中で、語り手たる執事スティーブンスに
 ー偉大さの条件は、品格にあるーと言わせている。ではその「品格とは何か」という問いに、偉大な執事であった父を想起しながら、
 以下のように考える場面がある。【品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに耐える能力だと
 言えるのではありますまいか。並みの執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。
 そのような人にとって執事であることはパントマイムを演じているのと変わりません。ちょっと動揺する。ちょっとつまずく。
 すると、たちまちうわべが剥がれ落ち、中の演技者がむき出しになるのです。偉大な執事が偉大なるゆえんは、みずからの
 職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。
 外部の出来事にはーそれがどれほど意外でも、おそろしくとも、腹立たしくともー動じません。
 偉大な執事は、紳士がスーツを着るように執事職を身にまといます。公衆の面前でそれを脱ぎ捨てるようなことは、たとえ
 ごろつき相手でも、どんな苦境に陥ったときでも、絶対にしません。それを脱ぐのは、自ら脱ごうと思ったとき以外にはなく、
 それは自分が完全に一人のときに限られます。 まさに『品格』の問題なのです。】
▼ これは品格と同時に、プロフェッショナルの問題でもある。一流のプロは品格を伴うのは、行きつくところが同じということ。
一流は、役割を知りつくしているから、役割から一歩も出るはずがない。どんなプロ選手でもプレーヤーとして洗練されて初めて
品格が出来てくる。成績が一流になればこそ、品格と実績からくる自信が相まって風格ができる。仮面もそれが一流にものであれば、
仮面を被りつつけた本人も一流になる。いや仮面が仮面でなくなり、本当の顔になってしまう。 能の世界に入りこむと、演じ手の
自分と役と解らなくなることがあるという。 そこに人間としての円熟味が加わった時、上品になる。その時に個人のブランドが
出来るのである。名優は、何を演じても個人の個性が現れる。その個性が、その役を演じているのではなく、風格が役を演じている
という感覚になる。その役より本人そのものの味ー品格が勝り、そこに不自然さが残らない。これを上品(じょうほん)という。  


4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 

2014年01月19日(日)

  * がん哲学外来科なるもの 
 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。
自殺の3%で、その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが見てとれる。私も、あと一年で
古希になる。父が亡くなった歳まで、あと2年。亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も
その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。
 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』なる本を見つけ、借りてきた。
副題は ーがん哲学外来から見えてきたものー である。がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。
近日中の随想日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い! もし、余命半年と宣言されたら、何も考えずに生きてきた多くは、
大混乱になるはず。 従容と死に立ち向かうなど土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、
知識を持ってしまった人間が、限られた生と、その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。
それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い!といえば凄いが、あって当然の専門部門。
そこは極限の生々しい哲学的問答の場である。100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって
膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ?
   * パソコン売り場にて
 iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。しかし、ネットで、この文章を書いたり、
検索したりするのはディスクトップパソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、iMacに
WindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これにiPadがあればPCとネット環境としては十分。
それも6年もたてば、この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり入替え時期。 
そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、なかなか面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、
昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型でもタッチ方式が
良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから
iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。
もしかして最後?のパソコンの可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。消費税前の狂乱騒ぎの後の
4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! 
・・・・・・
4326, つれづれに ー歯医者
2013年01月19日(土)
  * 歯医者
 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。通院は15回位だろうか。
今度からは年二〜三回は歯垢をとりに行くことにする。現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、
80歳なら8割は、やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。 少し歯磨き粉をつけて、一日、
2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、
歯のクスミが無くなってきた。
  * 血圧計
 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さなジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、
私営の方は一回につき300円、市営は100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、
えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がラインというがホリデイでは、完全に高血圧の
135〜165。市営は120〜130の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。 もちろん左右でも同じ。
運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 
  * 大相撲ーつれづれに
 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で
多くの力士が角界ら追放されこともあって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日にわたって
6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、
だらしがない。横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。10勝が最低ラインだが、
8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、
どんどん落とせば、これまた面白いか? 
・・・・・・
3951, 閑話小題
2012年01月19日(木)
   * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴
 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、細部の情報は限られ少ない。
特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。 
首都圏から新幹線で二時間以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産ラッシュのはずだが、
どういう訳か静まり返っている。 ところが先の日曜日に伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。
温泉街の殆どの商店のシャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の一」と、商店主が嘆く。
バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40パーセント。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。
リゾート・マンションも入り手がなく・・・。残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、
老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。
 長岡の奥座敷と言われている「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り込みで開かれた。
料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、
「去年の大雪で客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議でならない。」 全国の有名旅館街は、
どこも似た状態である。 不況で個々人の収入は激減すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。
おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・
   * 日本に再び大地震があるか?
 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている
国民感情を刺激する内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。 しかし考えてみると、中越地震があった直後、「この地区が
全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 
それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が
充分に有りうることで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで起きた地震。これも噴火の可能性もある。
東北大地震の三年、六年、八年前に東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラスの規模の地震を
現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。
・・・・・・・
3586,  閑話小題 
2011年01月19日(水)
   * 何故、ここでタブレット式パソコンか
 昨年、マックがタブレット式パソコンで大ブレーク。今年からは他のメーカーが、それぞれの特性を持った商品を出してくる。 
何故ここで薄い板状のタブレット式PCがノート・ブック式に、とって代わろうとするのか?を考えてみた。 
まず無線であり、薄くて嵩張らない。鞄に書類やノートと重ねて何処にでも気楽に持っていける。
そして書籍もネットを通して購入でき、かつ読める。 更に、ゲームにもってこい。先日、ソーシャルネットの
「フェースブック」の創業の映画をみた。 今年はタブレット式パソコンと、ソーシャルネットがセットでブレイクする。 
それにツイッターである。それらがノート型からタブレット型にパソコンを変える大元となる。
無線・値ごろ・薄い・ソフトが豊富、等の要素がノートの大きさに収まったということ。新聞、そして出版業界は大転換をむかえる。
   * 迷ったら、やる!
 私の知人に面白い人がいる。3〜4ヶ月に一度位、景気の定点観測?で私のところに来ているようだ。
30数年以上、年に1〜2度は酒を飲んでいるが、とにかく行動的で、相手の話を聞き分ける能力がある。
そして会う度に一皮二皮、脱皮をしている。人生の節目になる重大な問題が起こると、神妙な顔をして相談に来る。
ノートを開いて二時間ほど私と対話をして、その数ヶ月後に、ほぼ取り入れて問題解決の報告に来る。
ところが今では、逆に私の方が教えられている。数年前に重大な判断ミスをしようとした時に、「本当に、それで、いいんですか!」
の一言で、助けられたことがあった。 年齢は私より4歳下。 先日聞いた話が面白かったので、それは今度書く。その時に
「そろそろ哲学書をジックリ読んだ方が良いのでは?」と話を向けた。 しかし哲学の意味を「自己哲学=信念」と、勘違いして、
「自分には哲学がある、何か迷った時は、とにかく実行に移し、その中で判断を変えていくのが自分の哲学で、これで十分」という。 
「なるほど!」と、合点をした。 60歳を過ぎると一段と肉体的に下降になると、どうしても行動面で一歩下がってしまう。
そのため、迷ったら兎に角やってみる判断で、丁度よい。「とりあえず5年、やりたいこと全て前倒し」の為に、
「迷ったら一歩前に踏み出す」信念が必要のようだ。 炬燵の中でTVも良いが。
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3221, フリー
2010年01月19日(火)
  「 フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略> 」 クリス・アンダーソン著 
 非常に刺激的な考えさせられた内容であり、ビジネスマンや経営者なら読んでおくべきである。 
読後感は、かなりショック。 ビット《情報》の世界では、今後95%をFreeにして5%から利を得るモデルが
世界を方向づけるカタチとしての流れを止められないという。 フリーとは無料のこと。 無料=利他を理解できた者が
ネット社会では利する世界になる。 フリーでやれるのはネットという膨大な世界があるから。
 無料といえば、民放のラジオやTVは広告を見せられる反面に無料。駅前で配られるテッシュも無料である。 
図書館で借りてくた音楽のCDをパソコンに落とすが、それも無料。 気がつかないうちに多くのフリーに恩恵を受けている。
この随想日記も考えてみたらフリー。私にとって全てのエネルギーを注ぎ込んで、HPを覗いてくれる縁ある人に情報を公開している。 
ただ、それが利他になるかどうかは別だが。この本は「ビジネスモデルの理解」という表層的なことだけでなく、
「ビジネスを考えるマインドセットの仕切り直し」というところまで、考えを深めてくれる。 ひとたび自分のマインドセットを
仕切り直すことができれば、自社や競合や新規参入が取り得る価格破壊戦略のみならず、
そのトレンドが業界構造をどのように変えるか考えることができる。
・タダでモノを与える「経済」は今さら新しいものではない。モノが充足された文明で、自己実現を満たす行為としてあった。
 この「贈与経済」は貨幣ではなく、「評価」「注目」という非貨幣的価値を対価としてきた。
 ネット以前の時代では「評価」「注目」は地域限定で「量」が小さく、しかも計量が難しかった。
 しかし、ネットでは「評判」「注目」が広範囲で「量」が大きく、かつ計量可能であるため、貨幣との交換が可能である。
 したがってこの計量可能な非貨幣的価値を貨幣的価値に換える「やりよう」こそが、ネット時代の新ビジネルモデルである。
・無料ということについて、心理面からアプローチしているのが面白い。 取るに足らない値段を請求することで
 圧倒的多数の消費者の手を止める。チョコを使った実験やフランスアマゾンの送料などを例に紹介している。
  《 0と1 の差は、1と99の差より大きい。》            ー つづく
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2846, 金融大崩壊 −2
2009年01月19日(月)           −読書日記
 この著書の結論は、「16世紀に資本主義が始って以来の地殻変動がいま起きている。 キッカケはサプライムローン問題、
20,30年と激動の時代が続く」である。16世紀からの近代(資本主義化)が‘変わり目’に来ている。
これは著者が言い出したことではなく、他の学者の論を租借しただけだが、キッカケはリーマンブラザーの倒産である。 
更にいえば、松井孝典がいう「地球システムが、拡大し続ける人間システムを維持できなくなったサインの一つ」とみると、解りやすい!  
第一次大戦、金融恐慌、第二次大戦と続く一連の破壊よりも数倍大きい エネルギーが世界を覆い、一度、西欧中心主義の世界を
破壊しつくすのは必然の流れである。この著書で、1995年から2008年9月まで、ーアメリカ「投資銀行」帝国ーが存在した、という。
それが、去年の9月で、その帝国の象徴的存在だった5つの米投資銀行が全て破綻してしまった。1995年以降、アメリカ「投資銀行」
帝国は、「すべてのお金がウォール街に通じる」システムを築き上げて、資本家達は1995年以来、100兆ドルの金融資産を増やした。 
元来、貯蓄が少ないアメリカにとって、「投資銀行」帝国化することで、まさに「無から有」のお金を手にしたのである。
その最終局面で起こったのがサブプライムローン問題。アメリカの資本主義帝国化に一番に対応したのが、日本である。
いや、させられたのである。金利を下げて円安を誘導し、輸出主導でバブル崩壊後の日本を立ち直らせようとした、
米国「投資銀行」帝国に対応した「日本輸出株式会社」が完成したのである。 この二つは、コインの裏表一体。 
したがって、アメリカ「資本銀行」帝国の崩壊は「日本輸出株式会社」の崩壊でもある。悪いことにECも同じくアメリカの
モデルを真似たシステムをとってしまった。更に、アメリカの毒入り債権を大量に抱え込んでしまったから、
アメリカ同用に崩壊状態に陥ってしまった。 中国も、アメリカ「資本銀行帝国のシステムに組み込まれ、米国ドルと国債を
大量に持たされている。世界中が、すべて同時に金融恐慌に陥ってしまったのは、やはり16世紀以来の地殻変動である。
CDO(債権担保証券)で、300兆円だが、これにCDSがある。CDSは、CDOなどのリスク担保をする保険であり、
4000とも6000兆円ともいわれる。これが今年から表面化することは必定。 とすると世界恐慌は避けて通ることは出来ない。
世界の大手企業が社債や不動産債権などを出しており、実物経済の悪化と同時に倒産が続発する。
その結果、その社債などの債権にかけた保険=CDSの不良債権化が表立ってくる。 銀行の倒産、企業の倒産、不良債権の発生、
とマイナス循環が果てなく続くことになる。したがって、20年、30年の激動の時代が続くのは必然のことである。
クリントン女史が、昨日のTVの画面をみると一挙に老け込んだ顔をしていた。
中国からの献金疑惑もあろうが、アメリカの立たされている重大局面を深く知ったため??。
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2008年01月19日(土)
2481, 9・11事件について       ー ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
2001年の9・11事件が、大きく時代の流れを変えてしまったが、その意味について、日本人の視点で解りやすく、
納得した言説に初めて出くわした。なるほど、知らないうちにアメリカよりの立場で、テロを糾弾する内容の記事や
解説ばかり聞いていたことに、これを読んで気づかされた。アメリカの日本に対する露骨な植民地的な対応に、
そろそろ一歩も二歩も離れなければならない時節に来たのである。敗戦から60年以上経ったのである。
サブプライム問題で世界にアメリカの正体が露呈してしまった、この機会こそ距離を置くチャンスにもなる。
−以下は、説得力のある論で    ー「存在の大地」ー高史明+芹沢俊介+上田紀行著 
P−12 
 *上田紀行
ハワイもアメリカの領土とはいい、本土からは遠く離れている。 それでも、アメリカ人はハワイを日本が攻めた
ということを今でも忘れない位にショックを受けたわけですが、とにかくアメリカの本土が攻められ中核が射抜かれる
ことはこれまでなかったわけです。私はそのアメリカが、それもニューヨークのど真ん中に攻撃を受けたことに関して、
これは文明的な意味があるな、と思ったわけです。というのは、アメリカ自体は自分が攻められた痛みを知らないということが、
ありますし、何よりもアメリカの現在の資本主義体制に関わる問題を突きつけていると思ったからです。
アメリカの資本義体制というのは、世界をどこでも等価にしていくという性格があります。つまり資本主義の成り立ちを見てみれば、
かつての産業資本主義の時代、実際にモノが動いていた時代の資本主義というのは例えば中近東で石油が採れ、その石油を運ぶのに
何カ月かかかるといった、大地とのつながりがまだしもあるわけ。 もちろん農産物も大地から生まれてくる。
しかし、いまのアメリカの好景気を支えているITに関していえば、情報がお金を生み出すわけですね。株などを見ても
コンピユーターの画面上でワンクリックすればロンドンに置いておいたお金が瞬時にニューヨークに移り、ニューヨークが
駄目となれば東京に移り、第三世界が有利だということになれば、どこかの第三世界の市場に投資できるというような性格がある。 
つまり、アメリカを中心とする資本主義が、まさに大地というか私たちの故郷性といったものから切り離されている。 
私たちはどこから来てどこへ行くのか、どこに出自があり、死んだ後はどこに行くかというようなことから全く切り離されている。
世界中はどこでも等価であり、儲かる所であればどこにでも行くように、大地とは切り離された形でお金が回っている。
そこでいくら儲ければ勝ちだ、儲かった者が勝利者だというような価値観が主導してきた資本主義がニューヨークを中心に築き上げられ、
繁栄を謳歌してきたわけです。私はテロリストを擁護するわけではありませんが、そうしたニューヨークに突っ込んだ飛行機というのは、
我々には我々の土地があり、民族があり宗教があり、アイデンティティがあるのだという主張でしょう。世界は等価ではなく、
国なり民族なり宗教なり共同体なりといった土地の論理に対して、等価の論理が侵犯してくることは許せないのだという主張が、
テロという形で打ち込まれたと私は考えたわけです。   (以下、字数の関係でカット2012年01月19日)


4692, 中年期の8つの危機

2014年01月18日(土)

                  『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著 
 この中で「中年期の8つの危機」を紹介しているが、曖昧に生きてくると、晩年の老年の危機になる。
以下は老人への要素であり、乗り越えられないと、老醜として現れ出ることになる。。
  ーまずは、その8つの危機から
� 〇�間意識の危機(残された時間が少なくなってきた感覚に目覚める)
�◆ー�分の役割意識の危機(多くの人は中年期までに社会的に一つの役割をはたす)
�� 対人関係における危機(協調性や柔軟性が失われ対人関係がスムーズにいかなくなる)
�ぁ_礎祐僂隆躓 兵磴ず△硫礎祐僂�揺らぎ始める)
�ァ〇廚い錣困蕕Υ躓 雰鮃�や将来に対して無用な不安や思いわずらいが増える)
�Α(針泙平誉犬隆躓 併纏�も家庭も平凡な繰り返しが多くなりがち)
�А〇爐膨礁未垢覺躓 蔽福垢隼爐妨�かっていることを意識させられる)
�─/震面椶砲覆蠅垢�る危機
 ▼ これが濃厚になったのが、熟年の危機。中年以降の読書の何割かは、この問いかけの内容と言ってよい。
  還暦後の問題は、まさに、この問題である。
「�\茲�少ない �∩涜腑乾濂宗´B梢佑�煩わしいが、寂しい �た誉犬悗糧歡蠹�鳥瞰(後悔)
 �ゾ�来への不安 �κ針泙米�々 �Щ爐龍寡檗別誼痢法´┸震面椶砲覆蠅垢� 」とすると、私のこと?かと、
 心の中を見透かされたような内容だが、これは自分でしか解決できない問題。その手っ取り早い解決方法は読書習慣。
 長年の早朝の読書もあって、これらの危機は乗越えてきた?が、これは100%解決できない問題。その何割かを解消する
 だけでも、数倍は楽に暮らすことができる。特に、老年は「夫婦が改めて向き合う時期」。多方が「うまくいっていない?」
 8割以上の既婚カップルが、「相方の考えたり欲したことを自分に話して欲しい」と望んでいる。しかし配偶者の75%が、
「それを聞くのをためらう」という。ここで著者は、より良い関係を維持するためには、否定的瞬間の5倍の肯定的瞬間が
 必要という。そのため、一緒に笑う、一緒に遊ぶ、特別な祝いごとなど、夫婦で楽しい時間を共有性を説いている。
 そういえば、�┐凌震面椶砲覆蠅垢�る危機、禅僧のような生活?をしている現在、何かドッキとする要素である。
 残された僅か?な人生、これまで生きてきた、生きている世界を貪欲に求めると、� 銑Г鬟�リアーするしかない。
 それも自分との格闘の中で。 そうすると、�┐砲覆辰討靴泙Α△箸いΔ海函�それも、これも森林から、サバンナへの
 移行時の危機。�Δ諒針泙米�々でも、読書生活の質もある。そうこう考えると、老年は孤老が似合うのは、当然である。
・・・・・
4325, 財政恐慌 −3
2013年01月18日(金)
    ー次の質問群であるー         『財政恐慌』浜矩子著 
 ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか、
 ● 我々は地図を持っているのか
  ▽ まずは、「どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 」より
* さほど遠くまで行く必要はないと思う。実は、もうかなり行きたいところ、行くべきところに近づいている。
 現象的には、すでにもう随分遠くまできている。日本の国際構造は変わった。もはや、輸出立国型の経済ではない。
 経常収支の黒字を稼ぎ出しているのは、モノの貿易ではない。 所得収支である。 日本の資本が海外で稼ぎ出した
 利子や配当や収益。それらの項目が稼ぎがしらになっている。資本輸出大国であり、債権大国の姿が既にでき上がっている。
 問題は、そのような姿にふさわしい経済社会の運行システムをどう構築するかだ。最近の流行り言葉が「絆」であることは、
 決して偶然ではないだろう。日本資本が稼ぎ出す所得を、どのような絆を通じて どう分かち合うか。
 国内においても、対外的にも。それを考える時がきている。
  ▽ 「行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか」
* これはなかなか難問だ。少々禅問答めいている。よく考えれば重要なことだ。自分にとって最適な場所に着いているのに、
 それに気づかない。これは怖いことである。今の日本に、それを感じる。成長よ再び。円高よ去れ。そう願う思いのあまり、
 対応のしようによっては、せっかく行きたかったはずのところに着いているのに、その場所を忌避しているのじゃないか。
 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。そうなっている面があるように思う。  
  ▽ 「我々は地図を持っているのか」
 我われが持っている地図は古い地図でなかろうか。昔いたところに戻る地図。それが「成長戦略」や、輸出立国回帰や、
「ハングリー精神」の復活を夢見る思いである。
 ▼ 「行きたいところ」とは何処か? 日本にとっての頂上。成熟だろう。そして既に下り坂に入っている。したがって、
   経済成長という言葉は方向を間違える。均衡縮小しかないのである。 安部と麻生が首相と副首相になったのは、
  憲法改正という目標地と、手段として国債の大量発行による公共事業である。 あくまで憲法改正の最後の機会のため。
  著者の立場からみれば、成長を再びと願う古い地図を持った二人の暴挙が始まったことになる。 ただ、最終目的は、
  憲法改正のはず。 この憲法が古い地図かどうか?「あと20年以上は続く動乱には適してない」のが、私の見方。
・・・・・・
3950, 未婚時代の婚活 ー2
2012年01月18日(水)
  * 女性は二ランク上を狙う
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」という。
それに対して男女共いえるが、自分をワンランク上の自己評価をするのが年頃の特徴。その上、相手に一、二ランク上を
求めるから、さらに段差が大きくなる。そうこう迷っているうちに婚期を逸してしまう。 若い時から周囲の男から
チヤホヤされているうちに一番の女性の売りの「若さ」が失われ、商品価値が下がってしまう。逆に内面は熟し素敵である。
そのためギャップが大きくなって、キレイで素敵な女性が売れ残ってしまう。 その対象になる男は昔のうちに刈り取られている。
収入もそこそこあり仕事はベテランであれば、今更、妥協する必要もないが、その焦りを見せられない。 
そのうち昔は見向きもしなかったレベルの男にも相手にされなくなる。周囲は、あの人は結婚の意思がないと思い込んでいる。
 学生の頃だが、結婚して五年以上も経った姉の話に驚いたことがある。「女というのはシンデレラ・コンプレックスは強い。
結婚した今でも、王子様が現れて私を連れに来てくれる期待が心の底にある」という。 誰がみても、義兄は姉と遜色ない人である。
人間は、そんなものかもしれない。1970年、1980年の頃は年頃になれば結婚するのが自然であり、誰ひとりも、そのことを
疑ってもなかった。しかし家庭というシステムが、以前ほど大事にされなくなった現在、それほど結婚の希求は多くない。
女性といえば自分から積極的になれないため待ちになり、チャンスは少ない厳しい現実がある。婚期を逸した男女の気持ちは、
焦りで満ちているが、誰も手助けはしてくれない。その頃が、男にとって仕事が土壇場であり、どうしても婚活は二の次になる。
 逆に、婚活をするなら、自分で条件=原因を良くしなくてはならない。男なら優しさと強さ。ないのなら、フリをするしかない。
女性なら性的魅力と、母親的穏やかさをディスプレーすればよい。 とはいえ結婚に至っても三割が離婚する時代、結婚は難しい。
まずは、自分のレベルを冷静に自覚すること。 チャンスを多くつくること。 妥協すること。 自信のある何かを持つこと。
 ・・・・・・・
3585, 「とりあえず、5年」の生き方
2011年01月18日(火)
「とりあえず、5年」の生き方  ―諸富祥彦 (著)
  ーアマゾンの内容紹介ー
 あなたは満足感とともに最期を迎える人ですか?
 それとも、人生に悔いを残しながら旅立つ人ですか?
以下の項目に1つでも該当する場合は、もしかしたら後悔とともに人生を終えるかもしれません。
□自分の大好物を最後までとっておく人          □「将来のために今日はガマン」と考える人
□「いつか」「そのうち」としたいことを先延ばしする人  □「自分は80歳まで生きる」と思い込んでいる人
□30代で1000万円以上貯金がある人
 人生の軌道修正をはかることは、何歳からでも始められます。たとえ明日死ぬとしても悔いが残らない充実した人生をつくるのは、
ほんの少しだけ考え方と行動を変えれば可能なのです。 そのヒントを「仕事」「お金」「恋愛や家族」「あたなだけの大切なこと」
といった分野ごとにまとめてある。
▼ 50歳を過ぎ、母が亡くなり、二人の子供は家から巣立っていった。 人生の区切りの時とジックリと考えた。
そして「とりあえず、還暦までに残りの人生を押し込んで一年一年を過ごす」と決め、実際の行動に落とすことにした。
まずは秘境ツアー50回を目標にした。これは、2001年の9・15テロでスローダウン、達成できなかったが、43回までは達成した。
更に50歳半ばで個人のHPをつくり思いを書き尽くすことと、来し方の写真などを整理して載せることに集中。
反面、社会的なことは思い切って割り切ることにした。そして還暦を向かえたとき、心の中で独り万歳をした。
その直後は、何をしてよいか分からなくなった。そこで出てきた言葉が、「とりあえず5年間、やり残したことを追加する」とした。
そして先日、その5年が経過した。これも2008年のリーマンショックの大波で中途半端の状態になってしまった。 で、後半。
「来年は無い。今年中にやるべきことは全てやるよう心掛ける」そして「とりあえず5年、70歳」が次の峠の到達地点とした。
ところが先日、新聞広告で、この言葉をみて同じことが書いてあったので驚いてしまった。
 ここまできたら、人生の喜劇化もよいだろう。いや、人生そのものは、喜劇そのものか、振り返ると!
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3210, デフレ時代の商売 −2
2010年01月18日(月)
 * 鯛焼き屋
 この数年、駅周辺などで多く見かけるようになり、ニュースなどで話題になっていて、この数年で倍倍に増加していると報じている。 
投資金額が格安で済み、資金回収が早く済むという。「100万円で開業できます! 加盟料金40万、指導料20万、その他・・
(店舗内装、取得は別)《たいランド》」と、ネットにあった。 先日の朝のTVで「二日の研修で、開業資金が500万」というから、
内装・店舗敷金込み?か。鯛焼きは、ネリモノ商売の典型である。ネリモノといえば、ドーナツがある。原価率10パーセント以下だから、
当たると、これほど面白い商売はない。パン屋、ケーキ屋、蕎麦屋、うどん屋が、それである。手間はかかるが、原価が安い。
鯛焼きにも、最近は餡の替わりにクリーム、カボチャ、芋を入れたり、ピザそのものを鯛焼きの型したものや、お好み焼きを鯛焼き風に
売るものもある。 たこ焼きも可能?? 「白鯛焼き」の名前で、パリッとした外皮、モチモチの生地、中味は餡の、これまでは無かった
鯛焼きチェーンもある。これもブームで飽きられれば、そこまでの商売だが、当たれば半年か一年で資金回収が可能。これは世界にも
通用する可能性がある。誰もが手軽に出来るということは、直ぐに過剰になり、飽きられる。だから工夫が必要になる。 
10前にで長岡で地元大手の会社が倒産したが、若い二代目の社長は仙台に行き、鯛焼きと御焼きを始めたと聞いた。 
誰も知らない地で、ゼロから再出発するのだから、尊敬に値する。
 * アウトレット専門のショッピングセンター
 (字数制限のためカット 2012年01月18日)
・・・・・・・・・
2845, 金融大崩壊 −1
2009年01月18日(日)
  「金融大崩壊」 − 水野和夫著
 昨日、半日で一挙に読んでしまったが、歴史的な視点を入れて解りやすい内容である。
5年前から「世界は激変するー資産防衛セミナー」に何度か出て、重大局面にあることを認識。
それをキッカケで多くの金融危機関係の本を読んできた。 現象として現れてきたのが一昨年の夏の大きなウネリ、
そして去年の9月の大激震となったのである。 この本は、その辺の潮流を解りやすく書いてある。
  ー要約するとー
・現在の金融危機は「100年に一度の危機」ではなく、16世紀に資本主義が始まって以来最大の危機。
 *16世紀からの「近代資本主義」と、 *1968年からの「新自由主義」と、
 *1995年からの「アメリカ金融資本主義帝国」の終焉が、この金融恐慌、と看破。 
 考えてみれば、その資本そのものは傷をついてない。深手を負ったのは国家と国民である。
・16世紀以来の近代資本主義がつくりあげてきた中産階級ー国民を、資本が破壊した。
 近代資本主義下で「大きな物語」を信じて多くの人が中産階級になることが出来た。
 それが2008年9月15日に終わってしまった可能性がある。それは同時に「主権国家の時代の終焉」でもある。
・サブプライムローンと新自由主義が、資本・国家・国民の三位一体を断ち切ってしまったことで、この金融崩壊は後世に名を残す。
・1995年以降、国際資本の完全移動性が実現したことで、資本は国家と国民に対して優位に立った。
 そして資本がぬけがけし地球規模で暴走した。グリンスパン前議長こそ資本の側に立ち、それを容認した。
 その結果、1995年から増えた世界の金融資産は1京円(=10000兆円)。
・1970年以前は「大きな物語」が成り立っていたので「大きな政府」が成り立っていた。新興国が大型の積極的財政に転じても、
今後、果たして財政赤字を解消できるのか、先進国が同じく積極財政をとっても、期待した通りには効果は得られない。
・ポスト・アメリカの世界の象徴がG7の終焉と20Gの始まりであり、これは無極化への流れになる。
 そして日本の輸出型経済モデルは新興国の中産階級を相手に据えるべきだとする。
 中小企業はこれまでの下請けだけではなく、独自に積極的に海外に出ていくべきだ、と。
  ー 以上であるが、結論からいうと・・・・    次回に続く!
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2008年01月18日(金)
2480, 「世間体」の構造 −1          (´∀`σ)σ オハYO!
 『「世間体」の構造 −社会心理史への試み』   ー読書日記
   専門が社会学のため、そして長年、その系統の本を読み続けてきたため、
  「世間」とか、「世間体」という言葉の虚偽と、日本社会(特に地方の後進性)
   の中に潜む泥沼の悪臭を感じ取り、その泥沼には近づかないようにしてきた。
   私の場合、職住が新潟と長岡と分かれていたため、最小の接点で済んだのが幸運だった。
   こういう人種は巧妙に近づいてくる。しかし直に臭い嗅ぎ取り、距離を取るように?してきた。
    そこで、「世間体」を辞書でひいてみたがところ・・・
  1. 社会的な視点からの自己のみなされ方。
  2. 社会的地位や名誉、学歴、家柄による判断基準。分かり易い肩書きが最優先され人間性は含まれてない。
  3. ワイドショーに準ずるモラルやマナー。 とある。 社会的地位も内面的な教養の区別すらも知識にない人達。
    これが殆どだから、仕方がないが・・・ 少なくとも、それを鳥瞰する目と時間は持たないと。 
 ー「世間体」に関する、ことわざに関して、要約している部分を抜粋してみるとー
 P−50
故事ことわざの類いには、「好きこそ物の上手なれ」という反面、「下手の横好き」ともいうように、もともと両義的な
意味あいがこめられているものである。 矛盾したいいまわしが対になっているのは、ことわざの常であろう。
「世間」をめぐることわざのたぐいとて、けっして例外ではない。本質からいえば、矛盾し、相反する意味内容を、
状況によってたくみにつかいわけるところにこそ、ことわざの生命があり、おもしろさがあるのだ。にもかかわらず
「世間」にかぎっていえば「世間」をめぐる慣用句がことごとく「世間なみ」に収斂していることに、私はことのほか
注目したいのである。そのことがとりもなおさず、「世間」の特徴である、と断ぜざるをえないからである。 
思えば、わが国の人びとの多くは、「世間なみ」に生きることを、人生のモットーとしてきたのではなかったか。 
それが積極的にはたらいた場合には、「世間なみレベルの生活水準がたもて「世間なみ」の知識をもたないと恥ずかしい、
ということで、彼らは頑張って生きてきた。この「世間なみ」に生きようとがんばるエネルギーが、わが国の近代化の
ひとつの精神的な原動力となってきたといっても、けっして過言ではあるまい。その反面、異端のもつ大胆なエネルギーが
発揮されることは、きわめてまれであった。ことの善悪をとわず、自分だけがとびぬけて目立つということは、
「世間」の手前、極めて気はずかしいことでなければならなかったからである。
 ーー
 「世間様に笑われないように」が、日本人の良くも悪くも、大きな羅針盤であった。
(字数制限のためカット 2012年01月18日)
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2007年01月18日(木)
 2116, 品格について −1           <(_ _)> おはようございます!
「国家の品格」というベスト・セラーの本の影響で、「品格」という言葉を巷でよく聞くようになった。
 何をもって品性・品格というか解らないが、私の最も嫌いなのが品性のない人。じゃあ、自分は品性があるかというと、
 どうも自信がない。 そこで、「品位」「品格」を検索で調べてみたが、あるHPの中の説明がよい。
 これを読んで少しホッとした。品性のない人を嫌うには、チャンと裏づけがあった。
 人品なのだから、これだけはどうしようもないが・・いま思い当たる「人間の品格」を思いのまま書いてみると、
・知識・教養・経験で培われた人間性の質をいう。
・品を品物のシナと考えればよい。「人間としての品物が良いかどうか?」とみれば、解りやすい。
 人間を品物として自分を振り返ると、自信がなくってしまう!
ーあるHPにあった「品位と品格」についてが、ずばり要点を言い当てている。
  ーまずは、その箇所を抜粋してみるー
【品位とは人に備わっている人格的価値であり、品性は人の性格を道徳的価値として見る場合の呼称である。
一方、品格と言うのは物の善し悪しの程度、品位、気品を言い、人間のみならず社会全体や都市、
地域に対しても当てはめることができる。日本社会の原理(社会の拠ってたつ根本法則)
は侍社会の躾だと言う人が多い(司馬遼太郎他)。侍は雨が降っても走らず、道の真ん中を歩き、
曲がり角は直角に曲がるなど本当に凛々しかったという。またある行為で恥を掻いたり、人に後ろ指を差される
或いは笑い者になれば、死ぬほどの屈辱感をおぼえるなど行動規範が社会の品格を保つ要因となっていた。 
   (字数制限のためカット 2011年01月18日)


4691, 苦しみは、深いレベルの「神秘」

2014年01月17日(金)

                     『心を癒やす言葉の花束』アルフォンス・デーケン著
    * 現実を「問題」と「神秘」の二つの次元に分けるがよい
 ー苦しみは、深いレベルの「神秘」である 解決できる「問題」ではないー ガブリエル・マルセルの言葉が良い。
「神秘の典型的な愛、自由、人間、自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪」などが解決しようとするから苦悩が生まれる。
人生は、成るほど神秘的のはずである。「生きるとは、問題解決の連続と思ってきたが、解決できない苦悩の中で、七転八倒
すること」なら、次つぎ襲ってくる苦悩も素直に向き合える。 ーその辺りを抜粋ー
《 苦しみに、簡単な解答はあり得ません。 その理由は、苦しみという現象が、「問題」ではな「神秘」の次元に
 属しているからです。ですから、私たちが苦しみを体験するとき、出口のない真っ暗なトンネルの中に迷い込んだような
不安や焦燥にかられ、無力感に打ちのめされるのでしょう。私の恩師、ガプリエル・マルセルは二十世紀のソクラテスとも
言われた偉大な仏の哲学者でしたが、彼は人間が直面する現実を「問題」と「神秘」の二つの次元で考えました。
 「問題」は、客観的にみて、知識や技術で解決することができる問いかけです。しかし世の中にはコントロールすることも、
把握することもできない、深い領域が存在しています。それが神秘です。神秘の次元のものを、神の次元のように客体化しよう
とすれば、大きな過ちを犯すことになります。たとえば、医者が患者をみて病気を診断し、薬や手術などの治療法を検討する。
これは病気を問題として解決しようとしているわけです。 一方、治る見込みのない患者に対しては、多くの医者は「もう手の
施しようがない」と匙を投げます。これは、患者の生と死を単なる技術的な「問題」の次元でのみとらえているから、何も
できないという答えになってしまうのです。けれど、たとえ病気を治すという解決ができなくても、残された時間を有意義に
過ごす手助けをすることで患者の苦しみを和らげることもできます。それが「神秘」の次元で考えるということなのです。
 典型的な神秘の次元に属するものとしては、愛、自由、人間、自然、出会い、存在、誕生、生、死、悪なども挙げられます。
今の教育は、ほとんどが問題解決のための技術的な教育に偏り、あらゆる神秘を単なる問題解決の次元で片づけようとする
傾向がありますが、そこに現代社会の大きな欠陥が隠されているように思えてなりません。
 マルセルは、神秘に属するときは、自分の限界を認めることが大切だと強調していました。人為を超えた神秘には、
「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き含うのが望ましい姿勢と言えましょう。
どうしようもない苦しみにさらされたときも、事態をあるがままに受け入れて眺めれば、苦しみに埋没することなく、
新たな段階へと踏み出せるのではないでしょうか。 古代キリスト教の教父と言われるアウレリウス.アウグスティヌスは、
十九歳のとき親友を突然病気で亡くしました。彼は、そのときの苦しみを回顧録で、こう綴っています。
「今や自分にとって、自分自身が大きな謎となってしまった」 ここでいう「謎」とは、あきらかに神秘の次元を指します。
同じ十九歳なのに、親友は死に、自分は生きている。それまで当然だと思っていた親友との日々の生活が、実は当たり前の
ことではなかった―― この苦しい体験が、彼にとって、人生の神秘について深く考えるきっかけとなりました。
アウグスティヌスが、西欧の歴史上、最も優れた思想家の一人となったのは、この大いなる神秘に真剣に取り組んだから・・・》
 ▼【人為を超えた神秘には、「素直な驚き」「謙遜」「畏敬」「開かれた心」を持って向き含うのが望ましい姿勢】 が良い。
  色いろ、七転八倒してみて、「何だ私は、この程度の人間なんだ」と限界を割り切ることが、諦めであり、悟りになる。
 この節目時に、腹の底から笑った後に、ドッと肩の荷が下りた。そのフワフワ感が何とも良い。神秘的だが面白い人生か〜
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4324, 財政恐慌 −2
2013年01月17日(木)
  ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー        『財政恐慌』浜矩子著
 ≪   ー 今回の質問の内容 −
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
   ◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」
 □ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期が終わり、ニクソン・ショックがあり、
 プラザ合意があり、バブル経済を経て、失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、
 格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、
 タイミングを逸し、時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
  ◎ 我々はどこに行きたいのか
 □ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金問題や
  通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている
   ◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
 □ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。だが成長神話は古い。それに、この間を通じて
  日本経済はそれなりに成長してきた。ところが、それによって人々が安心することができるようになっているわけでない。
  今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。
  そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫
▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた金が不動産投資などバブルを引き起こした。
 そして5年後のバブル崩壊。その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。その結果の膨大の借金。
 偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。
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3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1
2012年01月17日(火)
  * ユーロとドル安が続いているが、
欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きてないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。 
地震(リーマン・ショック)より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。 ニュースで近じか仏大統領が
大きな決断を下すという。 ドルは50円、ユーロは60円、株価は6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。
日銀の白川総裁が、「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力が弱っているため大打撃になる。 
分かっていたことだが。 問題は、三月あたり・・・
 「日本の論点 2012」 ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」が、この辺を分かりやすく書いている。
《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。直接的な要因として挙げられるのが、
 米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三〇〇〇億ドル
におよぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。
成果については賛否両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落すると考えるのがふつうだろう。
しかし、円が高い理由はそれだけではない。日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに
「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはずであり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。
つまり、為替レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえば二〇〇〇年から今日までの十一年間で、
米国の消費者物価指数は約三〇%上昇した。 いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レートの水準は
一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レートによって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。
とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、
デフレの国の通賀は高くなりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高くなるのは、必然であると
いえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を
下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の制限といった国内産業の合理化を促す。
さらにそれは生活基盤を失わせる雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます円高が進行する。
こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの円高対策も実効性は薄い。》
 ▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが
  日本の三倍近いのに驚いたことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。
  それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
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3584,閑話小題
2011年01月17日(月)
  * 日めくりの格言
    「仕事に雑用はない!」  そうか! そうだ! これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。
  * セレンディピティとは
  − ウィキペディアによると、
 < セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。
  何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、ふとした偶然をきっかけに閃きを得、
  幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡『待ちぼうけ』の一節
 「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。>
 ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが?
  * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」
 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。まったく理解できないが、感覚的には面白い。
  ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、
【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」
「やっふぃ」「もいきー」「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20があるとか。
それぞれの言葉の意味や出所だが、
・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 
・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」
・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」
・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。
・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ
  歌い踊る中で使用される掛け声」などである。…
ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、
 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。
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3209, 年金支払い総額 1400万
 2010年01月17日(日)
「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。
(以前の年金通知の中にもあったかもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動などからみて3倍が妥当。 
 実質の支払額は 1400×3=4200万は積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。
 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。
21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>、4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、
これを過去に食い散らしてなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段?をしていたのである。
その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。 
未来のために積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。 
腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、国家のダウンサイジングが現実のものになるとは
思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。
 こういう事態をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。
いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。
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2844, 「ほめる」言葉  −1
 2009年01月17日(土)
 《精神対話士》の「ほめる」言葉  ーメンタルケア協会偏 読書日記
図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書と思ったが、《精神対話士》の、
という部分が気になり借りてきた。 ところが、なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が
並んでいる本であった。基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。
 この本を編集した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーしてしてみる。
< 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。
 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウするための根幹となる「生きがい」
 を見失いがちになることに着目。 それらの人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる
 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。
 この本は、精神対話士の効用の一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。
 「温かいひと言」を相手に投げかけることで、親密な人間関係を築けることを教えている。>
 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。こういう場合、アマゾンは有り難い! 
私が人を褒めると、知人や同級生に驚かれることが何度かあった。
「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 
私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。 「営業用の褒め言葉」を聞きなれているため?言えないのである。
全て知った上で「嫌味」を言うより、営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。
  (字数制限のためカット 2012年1月17日)
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2008年01月17日(木)
2479, 新潟県の物流の現状は              (。´_`)ノおはぁ。
 地元の大手の中越運送社長が昨日の日経新聞・新潟県内版のインタビューで語った「新潟県の物流の現状」
 が注目すべき内容だった。貨物量の動きが、そのまま景気の動きを表すが、何処も同じ秋の空である。
 ーまずは箇条書きにまとめてみるー
・足元の景気と言えば、年末でも、これまでのような活気はない。
・住宅着工の遅れで、建設資材が動かないうえに、原油高のせいか人々は買い物には行かなくなっており、百貨店も人が少ない。
・かっては9月から年末年始にかけて越冬需要でモノが大きく動いたが、今は通常の月と変わらない。
・中越沖地震の影響で消費は減り、復興需要があったのは特定の業界だけ昨年は上半期から低迷、9月以降はめっきりダメで、
 12月に入ってから目に見えて落ち込んだ。12月20日でしめた決算も非常に悪い。  年末年始もこの流れがつづく。
・いまは企業によって二極化している。大手、とくに輸出を手がける企業は世界の運賃の高騰に水準を合わせて上げているが、
 一方中小はなかなか値上げは出来ない。うちで運賃があわないのに、下請けはもっとあわないはず。
・新潟での海外の荷物のほとんどは中国からの輸入。新潟で待っていても、仕事は殆ど取れない。
 中国の仕事を入り口で取る体制を整える。  日本郵政との競合はどうなるか分らない状態だ。
 ▼ 以上だが、どの業界も厳しさという面で、ホボ同じことがいえる。ところで、運送のコスト構造は、人件費が6〜7割、燃料が2割。
(当業態のホテルは、人件費が三割、燃費は一割)2005年度になるが、その4年前の6割に貨物量が減ったという。
中越沖地震から県内の動きは更に10?は減ったから、この5〜6年で半分ということになる。これでは運送業界だけでなく、
県全体は壊滅に近い事態といってよい。今年は更に落ち込みが見込まれるから、一足先に恐慌が来ていると言って過言ではない。
しかし、事業者の数は中小がジワジワ増えているというから、悲鳴をあげるのも分かる。
何処も同じであるが、それにしても酷い状態である。
                   ヾ(@⌒ー⌒@)ノ マタ!
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2007年01月17日(水)
2115, だと!    ○┓
『    だと!』   《     》
             『  んで!』  《     》
 (字数制限のためカット 2012年1月17日)
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2006年01月17日(火)
1750, おひとりさま     (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
先日、TVで『おひとりさま』というテーマで女性の一人の食事や音楽会の参加について取りあげていた。
女性といえば、つねに誰かと二人以上で行動するのが常だが、最近になって、ひとりで行動するスタイルが格好よいとされている。  
 お茶どうぞ ( ^-^)_且~~~   「おひとりさま」のスタイルといえば、映画やリサイタル一人で観たあと、ぶらりと店に入り
ワインかコーヒーを飲みながら食事…。大人の女性としての一人の時間を楽しむことである。背景にはキャリアウーマンの出現がある。
時には一人で旅行に出て、ジックリと孤独の時間を味わうスタイルを身につけること。ひとりの時間を楽しめる人間こそ「おひとりさま」
であり、しっかりした個を確立してこそ他人との関係も良好になる。自然態で自分と向かい孤独を楽しめる人こそ「ひとり」の世界を
確立できる。         
ー自己の確立がしっかりしているとは
 1「個」の確立ができていること   2 他人の個を認めることができる
 3 独り遊びができること      4 知的裏付けをもっている である。
  (字数制限のためカット 2010年1月17日)


4690, 身近な貧困 ー4

2014年01月16日(木)

   * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困
 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」ではないが、まずは、その自覚が第一歩。
脳は暗黒大陸といわれたアフリカと同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。
あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を絞って使うしかない。
脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。
まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。ソクラテスの自分は何も知らないという、
「無知の知」から出発するしかない。ところが、それが難しい。 最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐
マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に使えるようになってきた。これで世界が
一変してきている。何せ、キーワードで各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。
そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識が
ベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。チャンスはスマート
機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、
量産に目処が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何をもっていうか?」の疑問が立つ。
 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。
私の嫌う「C」さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、秘境ツアーに来ている
初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。
ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、
ここまで答えを求めてきた。帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、そのことに気づいただけ良い。
 人間という無限のエネルギーが、小さな肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。
これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。 
亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。
一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。
 これも偶然だが、以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
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4323, 財政恐慌 −1
2013年01月16日(水)
                    『財政恐慌』浜矩子著
  ここで紹介されている架空の人物のベンジャミンの質問が良い。
 現在の経済危機に対する軽い問答形式が問題を解りやすく浮かび上がらせている。
   * 我々は今どこにいるのか? ミスター・ビーンに聞こう 
  ー まずは、「人生の不確実性」について ー
≪ これを考えていくにあたって、皆さんに紹介申し上げたい人物が一人いる。その名はサー・ベンジャミン・フレッチャー。
 イギリスの大物政治家である。 交通大臣や社会保障大臣を歴任、下院議長も務めた。そして、彼は架空の人物である。
彼を演じて大反響を得たのが、ローワンナトキンソン。イギリスの怪物的に異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクー、
「ミスタービーン」として、彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。だが、アトキンソンは実は
極めて多芸な俳優さんなのである。七変化的な役柄の演じ分けが得意だ。そんな彼のかつての持ち役の一つが、ベンジャミンだ。
ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。
その栄えある舞台で、ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも今日の日本を語っている
がごとくだ。 「今日、イギリスは一三八○年以来最大の経済危機に直面している」と、サー・ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・・ そのような危機に当面して、「我々は不滅の苦悶にさいなまれ、心配が絶えず、
憤懣が溜まり、あらゆる試練に耐えなければならない」とベンジャミンは続ける。「再び我々の生活から灯が消える時、準備万端
整っている状態を確保するつもりなら、我々はみずからに決定的重要性を持つ一連の問いかけを発してみなければならない」 
ここから、その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられていく。ーそれらを、この紙面上に再現してみようー
  ● 我々は今どこにいるのか      ● いかにしてここにきたのか
  ● なぜ、ここにきたのか       ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか
  ● どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか 
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、どうすればわかるのか
  ● 我々は地図を持っているのか    ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか  ● それとも我々は元に戻って最初からやり直したいのか我々はどうしたらよいのか ≫
▽ これを、私の人生に置き換えて考えてみた。 私は今どこにいるのか? いかにしてここにきたか? なぜ、ここにきたか?等々。
 人生の8〜9合目に立って、これまで登ってきた道筋を振り返り、この山で良かったのか、立ち止まっていて良いのか、などを
 考えるに良い質問群になる。最初から出直すことが出来ない、二度とないのが人生。だから人生は面白い。両親の生き様を見て、
 ある程度は、解っていたが・・  次回から著者の現在の財政危機についての問答を紹介する。
・・・・・・
3948, 未婚時代の婚活
2012年01月16日(月)              
  * 普通の男性は1パーセントしかいない!
 文藝春秋のリポートで、現代の未婚時代の分析を元戦略コンサルタントが分析をしていた。
それが、なかなかユニークな切り口で面白い。仕事が三次産業にいたため若い男女の生態を見る立ち位置にいた。
伴侶を決めるのは、女性も男性も、一生の一大事である。そうそう、満足できる相手には巡りあえることはない。
そして決めたあとでも、もっと良い人がいたのではとしゅんじゅんするもの。この歳になっても、今だ・・・
著者の目でみると彼らの結婚したくとも結婚できない女性の共通する悩みが殆ど同じことに気づいた。 たとえば、
「私は、決して高望みはしていない。普通の男性でよいのに、周りにいない」 「いい男は、なぜか皆んな早婚」
「キレイで素敵な女性がアラサー、アラフォーで独身のまま。何故あの人が?って何時も話題になります」
確かに、現象面から見れば当たっているが、著者が分析からすると、至極当然になる。
 まず「普通の男性がいない」は、普通の男性は、僅か1パーセントしかいないことになる。
普通の男性は、通常いくつもの「普通」が重なり合っている。:普通に会話できる:普通のルックス:普通の身長:普通の清潔感:
普通のファッションセンス:普通の学歴:普通の年収 などなど。「普通」というからには確率は50%、それらの全てを満たすと
すると、 :会話普通50%×ルックス50%と掛け合わせていくと×=0・8%になる。それぞれを高望みをしなくとも、全てを
満たす人は100人に一人になる。そこに社会情勢からして男女とも年収が激減している。このレポートでも取り上げているが、
グラフがある。年収の高いレベルを横軸の右側、縦軸に既婚か未婚かになっていて、それぞれの面積の広さで人数の比率が
一目でわかるもの。ここでは、30〜34歳のデータだったが800万以上が約8割が既婚。200〜400万の6割が未婚。
200万以下は7割以上が独身だった。「いい男が早婚」なのは、年収だけの条件だけでなく、性格の良い男も結婚が早い。
女性から見て結婚相手として人気の高い「誠実で、私思いの、いい男」。一見、少し地味な印象で口下手で、華やかな女性には
モテるわけでないが、それ故に、遊ぶぐせが付いたり、他の女性に目移りすることなく、若くして年貢を収めてしまう。また
女性もほっとく訳がない。彼らは誠実で真面目なため年齢を重なるたびに良い男になっていく。が、結婚相手として、とっくに
目立たないうちに刈り取られている。こうして、「いい男はみんな早婚」になるのである。     ーつづく
 ・・・・・・・
3583, アート画像転換システム
2011年01月16日(日)
 カシオが、このところ全国紙に全面広告で「アート画像転換システム」の広告記事をたて続けに出している。
そこで会員登録をして、HPのソフトを使って驚いた。アップした画像を油彩、水彩、色エンピツなどアート風に転換してくれる。
それが思いのほかに良い。デジタルで撮った風景や人物も、それぞれ簡単に転換できる。それがプロが書き換えたと
思えるほどの出来栄えで、ここまで来たのかと溜息が出るほどカルチャーショック。これではプロがカタナシである。
この絵を実際に描くには、数年は絵画教室にでも通わなければならない。それが数秒で誰でも気楽に転換が可能になった。
デジカメで撮った過去の写真を転換する度、その出来栄えに狐につまされた思いになる。 まだ、その機能が入ったデジカメを
手にとって見てないが、その場で転換可能のもの。 タブレット式パソコンで、現地で写真を撮って、その場で色を書き加えれば、
これまで一部の人しか出来なかった各種のアート画が、現地で可能になる。 他のHPにも自由に使えるソフトが幾つもある。
そこには美人、線画、版画、漫画、スケッチなど100位の写真加工転換ソフトが使える。
 私にとって、これは夢のようなソフトになる。 これまで、多くの写真がCDカードやアルバムに眠っている。
この中で、気に入ったものを画像転換すれば、私にとって素晴らしいアートが出来上がる。
おそらく、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど世界的な画家の筆致のソフトが出てくるはず。 それだけでない、彼らの絵画を
自分で転換して新たのアート作品に作りかえれば、違った作品が出来る。それが実際の作品より数倍良くなることもありえる。
実際にゴッホの「ひまわり」を加工してみたが、水彩画などに転換したものは、何とも味がある。
カシオは、これに膨大の開発費を投入したと思われるが、それをフリーソフトで公開し、出来上がった作品をパネルや、
装飾品に印刷、販売するサービスを始めるようだ。 再度、書くが、「この写真が、こんな風に転換してしまうのか!」の、
驚きの連続である。 iPadの次世代機種にカメラ機能が付くと噂されているが、これが発売されたら買うつもりである。
観光地に持っていって、その写真を撮り、スケッチ画に転換して、絵描きソフトで書き加えることが可能になる。
 いや、書き加える必要もないほど最良に近いソフトが、それを許さないか?   これは、凄いソフトである。
 ・・・・・・・  
3208, Twitter の意味すること! ー3
 2010年01月16日(土)
* Twitpic 
Twitterが凄いと思っていたら、その写真版が、そのサービスの中にあった。
直ぐに「写真版があってもよい」と思ったが、サービス周辺をみたら当然のようにあったのである。
そこで早速、デジカメで撮った通勤途中の福島江の桜の写真を載せてみた。なるほど、これなら雪桜を知らない人でもわかる。 
そのサイトには世界各地の人のTwitpicの写真が羅列してあった。「英語が分からない」という拒否反応が直ぐに出たが、
数言の英語なら状況から分かるし、写真そのものが語りかけてくる。雪桜という言葉なら分からなくても 写真なら世界中の
人が見ても、白の幻想的なイメージは分かる。それと同じことが、世界中のTwitpicにもいえる。それが、また面白いのが多い。 
このシャツは自分が現在作っているもの、という紹介のサイトだったり、普通の女性?二人が胸を露出した写真だったり、
黒人の男のヌードもあった。 構えてないところが良い。 当然、Twitbideoというのもある。 写真もビデオも、パソコンでも
モバイル端末で、何時でも何処でも見ることができる。ハイチの大地震の現場写真も世界中を駆け巡っている。
TVのニュースでも、かなり際どい怪我人の惨状映像が流れていた。 情報化の事例の一つである。
数年前からYoutubeというショートの映像配信の投稿サイトがある。 グーグルが千五百億円で買収したことで話題になった。
これも手軽に何処からでもビデオを配信できるからよい。 Twitterも、三年で既に九百億円の値がついているという。
 Twitterに話が戻るが、自分で、キーワードと指定した言葉の前に‘♯’をつけると、それがネットでグループ化される。
「藤の花」を知らせたい場合、‘♯藤の花’と入れると、その言葉の検索で、直近の映像から羅列して出てくる。
*長岡の花火、*福島江の桜、*ハイチの地震、*居酒屋で一人で飲んでいる、等々、幾らでも発進できる。
全国レベルだから「おれも、いま一人で飲んでいる!」とか、直ぐの反応があるはず。
初めキーワードをコンピューターが選定すると思ったが、実際は♯で、本人から指名できる。それなら同じ状況の
「つぶやき」が繋がる。 もし、「三菱UFJ銀行への怒り」の前に♯を入れると、この銀行の怒りを持った者同士が、
怒りを共有することが出来ることになる。 世界の情報の網目が小さくなり、かつ鋭敏になるのである。
更に、情報を送りたい相手のサイトの前に@をつけると、自動的に送信される。これが携帯で飛び交うから驚くのである。
ブログがマイクロ化し、互いにキーワードで結び合う、のである。 だからマイクロ・ブログともいわれる。
若い人を中心に直ぐに当たり前の機能として使われだしている。 情報格差は、無限に開くばかりになる。
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2843, 雲屯庵 −3
2009年01月16日(金)
 当時、雲屯庵に若い僧侶がいた。 外見は茫洋としているが、この男がなかなかの博識で、俗にいう玉。
 最近調べたら新井の姓になっていたので新井石龍禅師の養子になったか?、名前だけ継いだのか?
 この人が語った「異世界」の話しが面白い。 もう40年も前の話だがよく憶えている。
《 数年前に社会勉強と修行のために二年間ある工場に入った。 そこで僧侶の感覚で、朝6時に出社。
 他の人が出社する前に徹底的に掃除をした後に働いた。 三時間も前に来て働いているのだから、
 上司に直ぐに認められ、一〜二年もしないうちに、工場のトップクラスに登りつめてしまった。
 別に、必死に働いたのではない、ただ僧侶の感覚で仕事をしただけ 》
 この一言は当時、勤めたばかりで身体も精神も出来てない‘柔’の私にとって、激務で疲れ果て憔悴していた私にとって、
 ショックであった。何時の間にか、周りの勤め人に感化されていたのである。彼の一言一言が鋭いナイフのようであった。
   また、その時に寺社会の底知れぬ昔からの風習を聞かされた。その世界は裏表がハッキリしていて、チャンと
 「何?の方の世界」はシステム(風習)としてあるという。もし若い庵女なら、隠れ旦那の風習があり、通婚のシステムがある。
 (もちろん地域的なものもあろう。そういえば「午前様は過去に何度か女性で失敗、本来は本山のトップになれる経歴と
 能力が十分にあったが、それが原因で、この寺で終った人物」と父親から聞いていた。この歳になっても、少し綺麗な女性が
 身辺に来ると 「直ぐに手をつける?」等々、なかなか真偽は解らないが面白い話題で満ちていた。 
 更には、預金通帳には?千万(現在なら?億)あり、 非常に裕福であるとか・・云々。 
 今でも??は度々、訪ねて来るが、品が良く、綺麗な人。 問題になるから、この位にしておくが、
 40年も以前のことだとしても人間の俗社会と大して変わらない。
 名寺で京大印度哲学科出の午前様なら、昔なら御殿様クラスの存在なのだろう。
  ーー
 ー9月01日 1969年
その夜、休暇で日本に帰ってきていた慶応を出て、ハーバード大のビジネス・スクールの学生がいた。 
彼と高橋さんと、そこの雲水と話をする。ところが、その雲水が博学で、高橋さんと私はダンマリ。
ハーバードと雲水の議論に全くついていけないのだ。どうしたのだろう? 禅師に昼間真っ二つに甘さを指摘され、夜は夜で
二人の議論についていけない自分が、そこにいるのだ。 何だろう、何だろう、何だろう!実践としてスーパーに入ったが、
何にもできない中途半端な自分がいる。実際のところ濁流の中で、もう水を飲んでアップアップしているだけの自分が、
神戸で一人呆然としているだけだ。どうしたのだ、どうしたのだ。 適当に真面目に考えることもないが。
  2005年 ー1月14日記ー
 ーこの時のショックは計り知れないものがあった。身近で、これだけの知的水準の高い、同年代のハーバード大学の人と
接したのは初めて。 会話さえついていけないのだ。一言一言の言葉が宇宙語のよう。その逆の環境の真っ只中にいたから、
その段差がなおのことあったのだ。「学生時代に自分は何をしてきたのだろう?」という、疑問を持ったまま卒業をしたこともあり、
「いま一度一人になって知識の再構築したい」という気持ちが芽生えたキッカケになった。
(字数の関係でカット12年01月16日)
・・・・・・
2008年01月16日(水)
2478, 「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −1    b(^o^)d w(^0^)w オッハー♪
 昨日の毎日新聞の −記者の目:黄昏の米国「多元的世界経済」へー(内野雅一)が刺激的である。
 サブプライム問題の深刻化と同時に、景気の減速どころか、「恐慌」が現実化をしてきた。 
機軸通貨ドルへの信頼感からアメリカへ 還流していた資金が原油と金、そして穀物にも向かっている。
(字数の関係でカット09年01月16日)


4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜

2014年01月15日(水)

   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、同期生は古希になる。
スポーツジムに通っているためか、何とか肉体は元気だが、それでも日々、老いていくのが自覚できる。
ただ知的好奇心と、頭の方はマスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあってか、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居になっておくべきと後悔が残る。
としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれている自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、
反面、情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、もう面倒の方が先に立つ。
過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている自分の心(文)を振返ると、真剣に
向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。
もし、2020年まで生きていて、「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・〈 まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。そして今年の東京オリンピックを
見ることが出来ようとは、感謝である。そして、あの日から10年になる。 良きに悪きに、この7〜8年で激変した・・ 
それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ 
 なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」であるのが、分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
   * ネットカフェ難民から、マック難民へ
 先日の朝日新聞の一面トップ記事で、マック難民の問題を取り上げていた。一晩千円も払えない人たちが100円のコーヒーで
閉店まで夜を過ごしている実態がある。決してセンセーショナルに書かれてはいない。 先日、図書館で「ネットカフェ難民」を
借りてきたが、5年前の出版された内容に既にマック難民の存在があった。 著者そのものが芸大大学院卒のネット難民。
≪ 六畳間からネットカフェの一畳の空間に居を移した。パソコンで日雇いバイトに登録し、日中は退屈で単純な労働に精を出し
夜は11時以降が入店条件の6時間深夜パックで体を縮めて眠り、延滞料金をとられないよう朝は早く起床。 時にファミレスや
吉野家でささやかな賛沢を楽しむ。やがて目に見えないところで次々に荒廃が始まった・・メディアが映し出さない"最底辺"の実録≫
で、これは5年前。最近はマック難民である。これは他人事ではない。 数ヶ月前まで普通に働いていた人がリストラでのパターン。
   * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 去年の暮れ、この春の円滑法打ち切りで、中小・零細企業の他に「23万人の個人ローンの救済者の存在」について書いた。
昨日の夕方のレポートで、住宅ローンが払えなくなり自宅の立ち退きの生々しい実態を、幾つかレポートしていた。
「任意整理物件119番」と名をうった専門業者があって、差し押さえらる前に半値八掛けぐらいで取引するとか。だから、そこは、
そういう生々しい物件が集まってくる。1億7千万の自宅が数分の一以下で・・ リーマンショックで倒産、離婚、家族分散とか、
母娘がローンを払えず、アパートに移り生活保護とか、それぞれに事情がある。 私もリスク管理をしてなかったら、どうだったか。
   * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか?
 自民党に政権が移り、阿部首相がアベノミクスとか何とか言い始めてから、株高と円安になっている。
それも過去に失政で追われた元首相二人が組んで、同じ焼き直しを再びやろうというのに、あまり異が聞こえてこない。
政権奪回が出来たのは民主党の自滅と、三極の分裂が原因。 憲法の改正と消費税増税を実施するため、参院で三分の二の
確保のため、アベノミクスも必要なのは理解できる。しかし、この財政赤字の惨状は世界中が周知しており、国債の売り浴びせの
危険が大きくなる。 首相任期が一年しか維持できない政治の枠組では、二人の最終目的は憲法改正に絞るしかない。財政破綻を
したとしても、必要なことだろう。 問題は命を投げ打ち阿部首相はやる覚悟があるかどうか?である。
   * 67歳
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって、「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたためだろう。父の死の歳まであと三年少し。 
これだけ大きな時代の裂け目にいることに、自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。 この金融恐慌と、欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、
リタイアとは、こういうものかと思い知った。 しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、
これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、
40年近い事業人生、丁度、去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前に
バブルの崩壊。10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打で終了。丁度よい区切りでもある。
そして今年からはリーマン・ショックを大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。 本来、去年の後半のはずだったが、
何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは欧州発になりそうな雲行きである。 そうこう考えると、
去年が店しまいの時期だった。66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。仏間に祖父の写真があるが、
私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらいの人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、
私が死んだ後も生き続けているのか、考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを見ていたのだろう。
「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が
年寄りになってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。  一年一年、来年は存在しないと仮定して、年内に出来ること、
やりたいことは、可能な限りやってしまう気構えで淡々と実行していくしかない。 実際に去年は、そうしてきたが・・・ 
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。 それぞれに年齢の経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。
 例年、それぞれの実感が書き連ねているが、書き残すのも悪くはない。 今年は会社からのケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。二年前に厚生年金の支給を受けているし、
今更だが、今日から60歳後半に入ることになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年を目途に切かえた。
で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」
のフォローをすることにしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも深まる波の中で、
数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、見届けている幸運を経験もしている。
 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。
また同年代の知人が、定年で一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。父は38年前に71歳で亡くなった。
それからすると、やはり「とりあえず5年」として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していたというが・・・
まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの年齢の峠を通るのは、その都度、初めての経験。
面白いといえば面白い。特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」この問いが答えの手がかり?
 「で、何だろう?」      それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
・・・・・・
3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、
一年の少しばかりの経験の蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。この日は新年早々ということもあり、
外で酒を飲むことが多い。 学生時代の卒業直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わってくる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を御馳走して貰った記憶がある。
還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。これも、また御愛嬌というところだった。 
やはり、大台を超えるのは感慨があるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には65歳の区切りになるので、
小中校合同の同期会の幹事会を開くので、10人位が集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きて
いればこそである。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。そして想像を絶する恐慌の大波。 
そして、情報化がもたらす社会の変化。現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 充分、狂ってきたが?!
・・・・・・・
2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
 2009年01月15日(木)
* 63歳の誕生日か〜
 今日(1月15日)で63歳の誕生日になった。 が、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、姉妹全てが、
鬼籍に入ってしまった。 そして兄姉、いとこ達の4割が亡くなってしまった。
この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、人生に悔いは無いが、この断絶の時代、
可能な限り生きて変化の行く末を見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
・・・・・・・・・・
2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。 
5年続けて、自分の誕生日の実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も書いてあった。(後記してある) 
こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? 
いまさら誕生日もないが・・所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えてすることはない!
というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝うことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、
擬似体験をしているような気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。
 熟年は過去を抱えながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄になるのかを自問自答しながら
自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、砂?塵?原子?でしかないが。
その時々に、その時々の気持ちを書き残した痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになるのである。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、それが如何もしようがしまいが、良いのである。
人生は生きていくだけで大事業である。どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を誤ってしまう。
 今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?歳月、人を待たず! か〜。 
 ただ、一日一日は充実をしている。                 
ーーーーーーー
2007年01月15日(月)
 2113, あ〜もう、誕生日か〜  61歳ですか  お陰さまで ○‖=‖_有難うございます! (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、
これを書き出した次第である。それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?読み返すと、それがよく解る。
61歳?自分が自分でないような,認めたくないというより信じられないのが実感だ。
この歳には、もっと老成していると思いきや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。
それに加え、脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネットサーフィンの効果もある。
それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わってきた。情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が
変わったこともあるが、人生の競馬でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。人間の見方を例にとると、人間の品性を
まず見るようになった。「国家の品格」という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、
ますます見えるようになったきた。そこで自分は品位はあるのだろうか?不安になってきた。いつも家内に『品が無い!』
と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 明日にでも、「品位について」を書くが、
ある物指しからみて、何と信じられないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。それも明日書くとして・・・
結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!
「で、どうした!」「61だと!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 結局、このあたりに話が収まる。                     
・・・・・・・・
2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳!          オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆
 今日で60歳になってしまった。(*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ  ´ヘ`;)エヘへ・              
前にも書いたが、60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒してきた?
ので、感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。明日は友人の数人にしてもらう。      
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に『エッ!』と、
驚いてしまった。サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、そうかもしれないが。         
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。 時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。 3、面白かった。 4、悔いはない!である。
 人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして自分の家庭、職業、趣味などの総体が
自分を構成していると実感する。人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。     
少しは大人しくしなければ! それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。★:゜( ̄▽ ̄*)>*


4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末!

2014年01月14日(火)

   * 奇跡的逆転勝ち
 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特に昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、
最後の数分で追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー
【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立]  富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 
 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。
2点を先取した星稜に対し、富山一は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ一戦は、
延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・・ 
 2大会ぶりとなる決勝での延長決着。延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが
クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えてMF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、
PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一は、
最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた。】
 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、アナウンサーが何度か言っていたが、
  この大会の失点がゼロの星稜が、このまま勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと
 居間に戻った。ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝として歴史に
 残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、
 さほど好きでないが、全国大会の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマ仕立てのような試合が次々と生じる。
 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。この大会で、全て失点ゼロの星稜が、
 最後の数分で2失点で同点とは、驚きそのもの。下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。
  あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
・・・・・・
4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2
2013年01月14日(月)           
    * 医者のマジック        「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
  この本の題名からして、「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」ということになる。
 医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。この情報化により、医者の特権意識も薄れてきたが、
 まだまだ、好き放題のところがある。  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一の場合を考えてるため)8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1〜2年と思っても三年というケースが多いのは、短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応しすぎになる。 過剰反応する患者に
 薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しのノボセや目まいの症状は、
 歳をとれば当たり前と思って病院には行かなかったが、TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。
 そして、薬を貰って安心する。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年の永遠の課題。
 まして歳をとれば大方の人が経験する。 タミフルという風邪薬の服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、
 インフルエンザでの異常行動は以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪だった。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の働きが悪くなっているだけ。
 ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」 すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。特に、うつ病や、ガン治療に使う
 薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越えるのが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが長期的には毒薬の場合が多い。
・ 生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。決して薬だけでは治らない。
 ▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品の特許が切れた後に、別のメーカーが
  同じ有効成分でつくる後発医薬品。最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、この先発薬と同等の有効成分 。
  「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは大きな差。ドラッグストアで薬を買うのも同じ。
 ・・・・・・
3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
 2012年01月14日(土)
  * 陸と海のたたかい    「終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」 水野和夫著  
 「 ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、
19〜20世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、「地理的・物的空間」を広げていった。
さらに、1970年代半ばから、米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。そのブームが
終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。
その後、「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、リーマン・ショックでどうやら先進国における
バブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立っているのだから、
膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・・その中で、第一次石油ショックと、第二次石油ショックを乗り越えた日本も、
バブル崩壊の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、
「金融帝国」化してゆき、日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま一度、近代化の輝きを
取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている
という考え方である。
 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは
  貧しいまま。その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、その上に「電子・金融空間」を
  更に付け加え世界を制圧し続けていた。その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイルとして
  攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、
  イラクに的を絞って攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。
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3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解しようとしない」ということである。
そんなことさえ知らなかったのである。恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える力が以前に比べ少しついた。
毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返していると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。
そこで、その範囲でしか理解してない自分を振り返ることになる。 人間は可能な限り経験し、知識を深めておかないと、
歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶することになる。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、
その浅さに唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに見合った情報、知識が無限に入手可能になる。
今年からタブレット式パソコンが普及、進化を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。
知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で消化する能力が必要とされる。
しかし、それも知識の蓄積があればこそ、無ければ、情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。
毎年、一隻ずつ、三隻つくり、沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、
三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。
考えてみれば日本は広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。今迄の中で一番、良い案に思えるが。 
韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、中国に対しても大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰されるか!
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3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変だが、ツイッターなら誰でも
直ぐに出来る。ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。
ブログの文章はテーマを考え文章を書くが、ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。キーワードはネット上で選んでくれる。 
 私のブログのテーマは、殆ど「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、その時に自然に発生してきた
思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付けは可能だが、分類の仕分けは出来ない。 世界のツブヤキが地域を越えて行き交うとは
面白い時代である。ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行しているというが分かる。撮った映像をツイッターに載せる
サービスもある。どこからも発信できるので、現場の臨場感のある映像が瞬時に発信される。
自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)
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2841, 雲頓庵 −2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊主が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、
そろそろ本日の終了と思った矢先。誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に
落とされました。私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、
猫位の大きさの獣物だったのです。逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。再び四人で棒を持って
その獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、
途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、九十近くの禅師が
何のためらいもなくただの一撃!私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力にショック。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。禅師の一面をみた事件でした。
 −−−
 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網のようになり、
多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
・・・・・・・・・・・
−1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで
「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、
何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が昨日の動物を退治しようと
長い棒を持ってやってくる。そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。
それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。
相変わらず、読書のペースが遅い。
  ーー
 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。
・・・・・・・・
008年01月14日(月)
2476, 閑話小題                ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、
有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。そのうち、
半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)
・・・・・・・・
2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −2      才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しくみえるのは解る。
 国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
 しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が出来ているかどうかもある。
*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
  塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
  塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。使い捨てだと思えば、その人の一番いいところが
  どこだと考えて使います。権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」なのです。この頃の政治家は
  面白くないという議論は、20歳そこそこの若い女性が「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  (字数制限のためカット 2010年01月14日)
・・・・・・・・・ 
2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!      オッハヨ〜
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:       
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
(字数の関係でカット2012年1月14日)
・・・・・・・・
2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)


4687, エッセイ力は人生力 ー2

2014年01月13日(月)

               「60代からのエッセイ教室」木村治美著
  * エッセイを書く目的と、日記との違い
    ーまずは、その辺りの抜粋より
《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。
その文章は創刊号であるためか、おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入ってエッセイを
書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたくなったのは、つぎの一文であった。
「エッセイを書こうと思うようになったのは十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように
書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心の動きを観察することで、誰が読んでも
傷つかない文章を書きたくなった。きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」
 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識されている。感動的ともいいたい鋭い
「気づき」である。エッセイには自分自身がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、
書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように客観視すること、といい直してもよいだろう。
日記ではこの客観化がなされにくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分以外に読むひと
なんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、
やや他人になった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、ヘドが出そうになったであろう。
自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも(つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。
それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」しようと思い立った。それが自分を成長させる。
そう、日記は記録とはなりえても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》
 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記のメモ的のものより面白い。これを書くときは、
  ネタ切れのケースが比較的多いため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。 それが面白みを出すようだ。
  だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容こそエッセイになっている。そのため、
  時どき、切り取って、「閑話小題」の転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。
  人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、
  書き出すのがエッセイの目的であり、日記との違いになる。 日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。
・・・・・
4320, 病気の9割は薬なしで治る
2013年01月13日(日)
            「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
 図書館で借りてきたが、成るほど面白い本である。母親の末期の入院などで、現在の医療制度と病院に不信感を持っているが、
それでも日本の医療制度は世界で一番良いというのを知り、あまり声高に批判はしなかったが、良くぞ書いてくれた内容。
大方は知ってはいたが、あくまでも病院・医院の経営体の中の医師の立場があり医師の倫理だけではやれないのも事実。
   ー内容説明(アマゾン)ー
 「五分五分です、と言われた手術は8割成功する」「余命○年の本当の意味は?」「薬は10種類知っていれば何とかなる?」
「みんな最後の医者にはなりたくない」「医者ランキングの正しい判断基準とは?」・・・、浜松医大名誉教授が名誉を捨てて?、
 患者に言えない医者の本音、実態を暴露した超問題作≫
  ーまずは概要ー
≪ この本は、医者の立場に本音が紹介されている珍しい内容。日本全国約28万人の医者が使うマジックのネタ明かしをしている。
 今や医者からみたら患者は、患者様=「お客様」である。下手に「大丈夫、安心してください」というと、何年後かに病気に
なったときに、ああ言われたから、安心していたのにと文句を言われる。だから代わりに「お若いですね」というケースが増える。
「お若いですね」とか、「心臓が実年齢より20歳は若いです」とかいうのは医学的根拠がない。少し変と思って病院に診察に来て、
何ともないと不安になり、「どうしてこうなるのですか?」と聞かれた場合は、中年女性の場合、最も良いのは「更年期障害」です。
これは卵巣の機能が衰えて閉経を迎える時期に起こる病気で、症状は、腰痛、のぼせ、動悸、間接痛、頻尿など、人によって違って
さまざま。しかし、これは重い病気でなく、ある時期が来ると治るもの。これは誰も、ある年齢にくればかかるもので、
「不摂生のためでなく、本人の責任でない」という思いが安心感につながる。
 近年、精神的な問題で身体の具合が悪くなるケースが激増しているが、病気になったのは自分の責任と思わせないことが重要。
その場合、ウツ病とか、気の病とか言うのを患者は嫌う。 一番、抵抗なく受け入れられるのが、「自律神経失調症」。
「自分の気が弱いのでなく、自律神経が弱ったため」と、いやに納得する。 しかし、実は欝病でしかないのに・・
お医者さんが、「とりあえず薬を出しておきます」という言葉にマジックがある。これは、「別に薬を飲まなくてもいいけど、
患者さんが安心するから一応出しておきます」という意味。 加齢による病気は薬では治らない。 食事療法と、運動しか
よくならない。私の知人は、「加齢による病気は時期がくれば治るって、みんな案外知らない。だから、ある薬を飲み続ける
ようにしておけば、必ず治る。そうすると、患者から勘違いをされて痛みが消えたときに感謝される」という。   ≫
 ▼ 医者といっても、少し考えれば分かるが、身体と脳の修理屋。それも経営が重視されれば、患者の思っている医師像とは
  掛離れて当然のこと。 命にかかわる仕事のため、勝手に医師も患者も聖職と思い込んでいる。命にかかわるなら、
  新幹線やタクシーの運転手も同じ。 ところが情報化で、その実態が暴かれて、以前とは違ってきた。
  とはいえ脳卒中やガンで倒れれば医師に頼るしかない。 医師は激職、よほどの使命感がなければ勤まらない。 −つづく
 ・・・・・・・
3945, ファイナル・クラッシュ ー4
2012年01月13日(金)
          「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」  
 以下の文章は欧米の資産家の資産運用の一部を垣間見せる内容である。彼らは、リーマンショックを大地震と例えれば、
それから発生する大津波=ファイナル・クラッシュは当然、織り込み済み。逆に、それを逆手にとって運用利益を狙っている。
その中で、日本は一部の人を除いて、この大地震に気を取られファイナル・クラッシュには、いま一つ警戒感が足りてない。
前ぶれ波の直撃で惨事を受けた立ち位置にいたため二波、三波の大津波が見えている。
  ー 以下に欧米のファンドマネジャーの世界の一部が垣間見れる ー
【 タネ本の著者ヒューゴ・ブローは、卒業後、ロンドン市立大学に進学、金融関係の仕事に就いてチャネル諸島(英仏海峡、
イギリス王室属領)やイギリスで働き、出版当時はあるプライベートバンクのファンドマネジャーとなっていた。
プライベートバンクは、日本の銀行のようないわゆる商業銀行とは業態が異なる。 基本的に株式会社ではなく、
預かり資産に対して無限責任を負うパートナーによる個人銀行である。王族や貴族を含む世界トップクラスの富裕層を顧客とし、
その資産の保全や運用を主な業務としている。 ロスチルド(日本では 「ロスチャイルド」 として知られている)メロンと
いった家系に属する、表に出ない富豪たちは、それぞれのプライベートバンクお抱えのファンドマネジャーを囲っている。 
著者はそうしたファンドマネジャーとして、「この地球上で最も裕福な人たち」の資産運用を担当しているという。
資産を運用してもらうには、最低でも一億ドル、日本円で100億円程度は必要であろうという、世界でも指折りのマネジャー。
ファンドマネジャーは、だいたいロンドンかニューヨークの近辺に住んでいる。だが、著者がタックスヘイブンであるガーンジー島に
住んでいるのは、税金を嫌ってのことだろう。 おそらく自らも巨額の報酬を得ているのだと想像する。 私はこれまでにも、
彼のようなファンドマネジャーに何人も会っている。イギリスでは一定以上の資産家には必ずファンドマネジャー、顧問弁護士、
顧問会計士、子弟教育コンサルタントがいる。かかりつけの家庭医がいるのと同じようなもの。イギリスには、ファンドマネジャーを
家族で引き継ぐ習慣もある。 ちょうど、執事を代々引き継ぐような感覚である。そのあたりの習慣は日本とは全く違う。
私はイギリス人の友人から、その人が資産運用を任せているファンドマネジャーを繹介してもらい、それを私の日本人の顧客に
紹介するようなこともしていた。私はクラブ主催者を通じて著者の本名を知ったのだが、本書ではペンネーム「ヒューゴ」で通す。】
 ▼ こういうのを見ると、力の蓄積があり、豊かな階級の人が、ますます豊かになるように出来ている。それがリーマンショックで
  一部は破綻したが、その傾向は、そのまま。資産運用のプロがいて、どのプロに任せればよいかを資産家は考えていればよい。
  それは実績と、それに裏付けられた信用である。世界の1%が富の過半数を占めているが、ファンドマネジャーが弱者から
  吸い上げるシステムは数百年かけ作り上げられている。 これが世界の現実である。
・・・・・・・・
3580, 何故、民主党が駄目か!
2011年01月13日(木)
 自民党は駄目、そして民主党に替えてみたが、これが更に駄目。 国家崩壊の下地を自民がつくり、その上を民主党が加速して
突っ走っているのが現状。これは民主党の枠組みが戦後体質を引きずったまま現在に至っているため。 
世界中がネットで覆われて、人々が世界中に行き来し、情報、金が行き来している中で内向きな福祉重視では、対応できない。 
元もと世界は長年かけ人種格差、国家格差、経済格差がつくられている。現に白人が有色人種を支配している厳然たる事実がある。
米英を頂点とした白人国家が、後進国援助という建前を立て、実は有色人種の世界を支配してきたのである。
そのことが長年の時間をかけ、民族間、国家間で、格差になっている。ところが、この10年でネット社会が世界を覆い、
様相が一変してきた。 国家間、民族間の垣根越しに情報や人間が行き交い、その結果、フラット化が始った。
それが日本にも押し寄せてきている。 明治来、自民党などの保守政党と官僚とが結託し、利権構造をつくり上げ支配してきた。
そのプロセスの中で特権階級が出来て現在の日本を支配している。その二世、三世が政界の多くを占めている。それを嫌った国民が、
平等を旨とした民主左派に政権を与えた。しかし、それで国家が動かなくなってしまったのが現在進行中の内部分裂。
これまで右上がりの経済成長の中で批判政党だった民主党は国家の舵取りは最も不得意。社会の建前は平等だが不平等が世界の現実。
そこに社会主義的政策を真正直にとれば、時代逆行に陥るのは当然。 国家という枠を超えたグローバル化は、当然弱肉強食が
激しくなり、格差が大きくなる。それをフォローをするのが政治であって、格差そのものは、止めようがない。
小泉元首相は間違った政策をとったのではなく当たり前の政策をとっただけ。 何で国内の出稼ぎのアジアの労働者より、
日本人が優遇されるのか? それは日本人だからだ。その日本人の中でも格差がつくのは、世界の格差の構図に比例してきただけ。
公平と平等は違うのである。 戦後から日本はアメリカの間接・被占領統治国の立場で憲法を与えられ、無能化教育をされてきた。
その両輪として加担したのが自民党と社会党である。自民党も社会党も、あたかも貴族院の様相。 中国とアメリカの大国の間で、
真の独立は難しいとしたら、アメリカの属国として割り切るか、スイスのように、軍備力を徹底的に補強するしかない。
原爆などの破壊兵器の保持は、最低条件である。 現在の日本の民度は、それをするに低すぎる。それならばアメリカ属国として
生き抜くしかない。地勢的に日本は丁度よいところにある。 とすれば、現在の立場が一番よいことになるが・・・
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3205, 古町の衰退
 2010年01月13日(水)
 大和百貨店の撤退、書店の北光社の閉店と、新潟のダウンタウン古町の衰退が問題になっており、その連載が
地元紙・新潟日報一面で「古町 揺れる灯」として連載をされている。ダウンタウンの地盤沈下を今さらの問題だが。 
郊外には大型SCが多くでき、互いに凌ぎを削っている。更に、駅には駅中専門店街が次から次へとオープンしている。 
その中での衰退は当然である。 私事になるが、年に4〜5回行っていた古町には、去年は一度も行かなかった。
タクシーの往き帰りが勿体ないのと、不況の中、飲む回数も減っている。日報の記事は10回シリーズだが、何か哀愁に満ちた内容。 
スナックが酷いとは聞いていたが、15〜6年前に450軒あった飲食店が、現在は250軒になって日ごと客数が減っているという
スナックのママさんの悲鳴がインタビューであったが、この数ヶ月でも多くの店の閉店するはず。
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)
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2009年01月13日(火)
NHKの日曜日大河ドラマ「天地人」で、若き直江兼継が修行した「雲頓庵」が舞台になっている。
雲頓庵を思い出しながらみているが、何度か隠れ屋的に通ったことが青春時代の一ページとして残っている。
特に当時、80歳半ばの怪僧の新井石龍禅師の思い出は鮮烈に残っている。
   以前、社内報で書いた部分を紹介してみる。
ーS63・05 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
 学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、 六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね
 春・夏休みになると滞在していた。度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会があった。無知と若さの為に生意気な
 質問をした私に、いつも笑顔で答えてもらったことが、今では懐しい思い出。 京都大学哲学科卒で、気持ちは若い。
 女性で何度か失敗して、その世界では登りつめることが出来なかったと、両親から聞いたことがある。
  まだ鮮明に憶えている対話とは、
 (私)  −禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。  ー 示単
   社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの雲頓庵の禅師との対話。
 (私)  −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづくわかりました。
 (禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。 世間も理屈もあるものか!
 (厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。後者の言葉には頭を真二ツにわられてしまった!というのが実感。 
  頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたきこわされ、
  社会人の一員に一歩踏み入った瞬間だったことを憶えている。
 ー以下は、当時の日記であるー
  ー1968年 雲頓庵    9月10日
 7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強! その後に、長岡の明治大学の1年の田村君と話す。 
3日まえにやはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。 午前様「一という数字はあるが、
一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。 一は万物であるともいえる」
「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。
「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。
それを超えた存在はいくらでも存在する。それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
  ー9月11日
 午前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで座禅に挑戦!
計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。
感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。ここの2週間近くは、充実したものだった。
明日からは娑婆である、楽しみだ。 これから高橋さんと根本君と送別会だ。
 ▼ 恐らく日記に書いてなければ、全て忘却の彼方。書き残すことは痕跡を残すことである。  ーつづく
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2008年01月13日(日)
 2475, 年頭の新聞の記事の総評 −2          才ノヽ∋ ー ヾ(´∀`o)+。…
産経新聞の30人の論説委員の「論説委員がもの申す」、見開きの二面全ページの寸評だが、的を得ているものばかりである。 
年頭の特集では一番、わかりやすく、今年はどのような年になるかを考えるには、これを読み返せば、ほぼ網羅している
といってよい。この中で、ある論説委員が取上げていた阿久悠の遺言のラストメッセージ、
 ー日本の社会が「湿り」と「暗がり」を失ってしまったーは、面白い見方だ。
  (字数制限のためカット、2010・01月13日)
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2007年01月13日(土)
2111, セレブ殺人事件ー普通の人が一番恐い!  才八∋ウ_〆(∀`●)
世の中どうなってるのだろうか?毎日のように凄惨な殺人事件が続いている。バラバラ事件のセレブ妻が逮捕される前の
電話のやり取りをTVで生々しく放映していたが・・。電話のやり取りは70分もわたっていたというが・・
犯人の奥様が新潟中央高校の裕福な出身で、お嬢様学校の白ゆり学園卒のセレブというから興味が倍増する。
「何処の誰か」が知れわたるから、針の筵だろう。苗字が旦那名だろうからよいが、地方は狭い社会である。
ところで年末に借りたDVDが「400万ドルを拾った三人が狂っていく物語」で、なかなか面白い内容だったが、
その最後のセリフが言いえて妙だった。「普通の人が一番恐ろしい!」この事件も、まさに普通の人である。
夫婦間のことは二人しか知りえぬことがあるが、二人とも愛人がいたという。新宿の歌舞伎町近くに、これ見よがしにバラバラの
胴体を置くとは、余程の憎しみがあったのだろう。この文章を書いている現在、TVで3人の暴力団に殴られた普段大人しい男が
逆上して、その3人を刺し殺してしまった事件を報じている。書いている内容そのもの「素人こそ恐ろしい!」である。
暴力団のチンピラが殺したならわかるが、ド素人に殺されるのだからカタナシだ。    
暴力団もオフレを出さないと、「素人衆には気をつけろ!」と・・・笑うに笑えない娑婆である。    
 (字数制限のためカット、2012・01月13日)

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