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堀井On-Line
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2013年12月13日(金)
* 今年の総括 今年も総括の時期になった。去年と一昨年は、平凡の日々?の中にも結構、色いろあったが、今年は何も見あたらない。 朝、4時〜4時半起床。ブログの下書きを仕上げてアップ、そして翌日分の下書か、読書をする。6時から一時間の ポタリング(12〜3月を除く)そして新聞とTVを見ながら朝食。8時過ぎに風呂に入って、9時から読書。昼飯を食べて、 1時前からスポーツセンターに1〜2時間。図書館かスーパーか蔦屋などに寄り、4時からビデオかTVのドラマをみて夕食。 21時前には、就寝。 11月からは15時から週2〜3回の晴間をみたポタリングが加わったが、これも今週で終了。 週に一回、スーパー、図書館、シネマに行き。 月1回の飲み会。 日々、この繰り返しだが、充実感がある。 今年は、県外に先日、同級会のため上京した以外は出ていない。御隠居生活に入って3年近く経って、気持ちも落ちついた。 事業生活45年間の分厚いバイアスも薄れてきて、思いの他、後悔や挫折感が少ないのが意外。 落ち込みは、このブログを 書き上げるストレスと、SJとポタリング、週一のシネマもあって少ない。60歳までに、やりたい事、全てを消化した実感が 気持ちの支えになっている。 あと3ヶ月余りで御隠居生活に入って3年になる。あと一年で古希。具体的な身辺の整理だが、 身の回りのもの以外、何もない。 * 北朝鮮の不可解 北朝鮮の金正恩第1書記の叔父で実力者の張成沢国防副委員長の粛清が確認された。これで正恩体制が強化されるか、 逆に弱体化するのか、今のところ分からないが、暴走の可能性は高まった。ドン様、能力の限界の設定が出来てないのでは? 中国から、金正恩の排除の働きが露見し粛清された? それとも中国の引き締めで追い詰められ、その槍玉に上げられた? 目先は国内引き締めのため、韓国との間に、いざこざを起こすか、軍事クーデターでアッサリいくか? あまりに劇的だが、 崩壊への一現象だけは間違いない。 この時代かかった漫画的金王朝、天皇王朝の日本と何処が違うのだろう? ・・・・・・ 4289, 学ぶということ −3 2012年12月13日(木) 「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著 * 教えたい人間が引き受けるべきリスク ー教育の原点 教育だけでなく、事業も、忘年会の幹事も全てに通じる内容である。何かを引き受けたり、事業を立ち上げたようと 決心した瞬間から全うしようとする自己責任が起きる。これは誰の問題でなく自分の問題。決心と実践の本質の問題になる。 著者は教育者のため「教えたい人間」が主語だが、実は「実践者としての人間」が、引き受けるリスクのテーマである。 ー まずは、その辺を書き出して考えてみる。 ≪ 教えるということは本質的には「おせっかい」だということが骨身にしみたのは、ある出来事のせいです。 ・・80年代の中ごろ道場を始めた。台風がきて、一時間くらい薄暗い体育館の中でまっていたけど誰も来ない。 そこの道場の中に座りこんで、来るか来ないかわからならない門人が来るのを待っている。これは理不尽でないかな、と。 「だいたい、ただ同然のすごい安い月謝で教えているのにさ、ちゃんと来いよな」と思ったり、だんだん気分が沈んできた。 そのときに体育館の鉄の扉がガラガラと開いて、近くの中学生が顔を出した。「あ、先生いたんだ。今日台風だから 稽古ないのかと思った」「台風でもやるよ」。それから二人で一時間くらい稽古をしました。そのとき、外で嵐が 荒れ狂う暗い体育館で腕組みしながら、誰も来ない畳の上に座って待っていたときに、僕は覚悟したんです。 人に教えるって、多分こういうことだろうって。誰も「教えてください」と言ってこないけれど、こちらが「教えたい」と 言って始めた以上、教える人間はこのリスクを引き受けなければ! そう思ったんです。誰かが扉をあけて来てくれるまで、 待ってなければいけない。畳を敷いて、準備体操をして、呼吸法もして、いつでも稽古できるように備えていなければならない。 それが「教えたい」と言った人間の責任の取り方じゃないか、と。そのとき、教育というのは多分そういうものと思ったのです。 27・8歳の頃でしたが、気持ちは今でも変わっていません。それが僕のなかの起点的経験としてあるのです。≫ ▼ 新潟で30年近く前に立ち上げた会が、今でも続いている。私は10年ほど前に抜けたが、先日、参加してきた。 私の経験からして幹事は大変のはず。これを立ち上げに際して、3年は続ける! が、後は成り行き次第と決心をした。 最初は我慢我慢の連続。「荒れ狂う、体育館で腕組み」なんてものでない。その会を利用してやろうという気が全くないため、 逆に欲が見えてくる。それも土足で平気で上がりこんで来る。「私は来てやっている」というのが丸見え。その我慢そのものが 修養になったが、「自分が引き受けたからには、やるしかない」と続けたが・・。 慣れると、その我慢も面白くなる。 何も知らず参加している方々は、私は鼻持ちならない傲慢な場所貸しの男でしかない。 そして30年、時代は大きく変わった。 事業も同じ。これは己の魂の問題。生きんがため、そして自己実現のため、リスクを背負い、心の奥底は半狂乱。それを隠し、 ひたすら思いの実現のため手順を踏む。起承転、の後に待っていた「結」は、経済大震災。40年前に事業を始めるにあたって、 全てを失っても後悔はしないと何度も心に誓ったので、後悔の念は無い。リスクに、普通のリスクと震災型リスクがあったのだ。 ・・・・・ 3914, 50冊の本をデジタル化してみて 2011年12月13日(火) iPad2を購入して4ヶ月になるが、これは良い。パソコンゲームは面白し、ネットサーフィンが直ぐに出来、電子書籍を気楽に読め、 アプリが豊富で面白いのが手軽に入手出来るなど、充分に満足している。そうこうあって二ヶ月前に50冊の本をスキャン代行業者に送り デジタル化した。 本を送った一週間後に封筒に一本のUSBが送ってきた。そこに全てが入力されていた。 ところが、これをiPadに如何したら移行したらよいか分からず二ヶ月以上経った。 サポートセンターへ電話をすれば済む問題だが、 まだ本気になっていないだけのこと。 特に気に入っていた本を送ったため、デジタル化の判断を間違えてしまったか、後悔しかけたが、 数日前から気を取り直して居間と書斎にあるiMacパソコン取り込み読んでみたが、これが案外に良い。 特に字を大きく出来るのがよい。 実際のところ目の前に本があっても、いざ開いて読むかというと、必要にせまられないとなかなか開かない。ところが、パソコン画面の ファイルに50冊を入れておき、気が向くとクリック一つで気楽に本を開けるのが良い。 それも大文字にワンタッチで変換できる。 先日、東京に行ったときに駅の売店で何気なく週刊誌を買ったが、家内に「何で、電子の週刊誌にしないの?」と言われ、ハッとした。 朝にネットでiPadに入れていけば良かったのだ。しかし売店で選び車内でバラバラと見ること自体が良いのだが。 実際に、紙の週刊誌と、iPadの中の週刊誌のどちらを取るかというと、もちろん電子本。 紙の週刊誌は、一度読むと二度と開く ことはないが、電子書棚に放り込んでおけば開く機会が格段に多くなる。 ところで、送料を入れると電子書籍化には200円かかるが、 200冊で4万円が高いかどうかである。実際にiPadとデスクトップでダウンロードした書籍などを読んでみて実感したことは、数年で、 間違いなく日本の出版業界と書店は滅的打撃を受けるということ。 50冊のデジタル化は早まったか?の、迷いはきれいに無くなった。 私にとって、これは読書のスタイルという面で大きな出来事になる。 年内に、あと50冊を電子化するかどうか思案中である。 それにしても、パソコンとiPadとiBookで書籍を読もうとは思ってもいなかった。 ・・・・・・・ 3549, 生きてるだけでなぜ悪い ? ー1 2010年12月13日(月) 「生きてるだけでなぜ悪い?」―哲学者と精神科医がすすめる幸せの処方箋ー 中島 義道 , 香山 リカ (著) 中島義道が、女心理学者に最後まで、遠慮をしているようで、歯切れは悪いが、それでも面白い。 二人とも大学を出て社会的にも金銭的にも恵まれている余裕からこそ、好きなように出来るが、それがないと? 島国の世間的体質にドップリ漬かり、そこから一歩も出ることができない日本人に冷笑をしているのである。 地方に住んでいると全く開き直りの出来ない人達に呆れるやら、腹がたつやら。 ーまずは内容紹介よりー 若い読者を対象に「生き難い」男女に語りかけてみました。しかし両著者とも、他に類を見ないような「突き放した態度」や、 「見もふたもない態度」で一貫しています。 甘えを蹴飛ばし自己幻想を突き破り、しっかり自分を見よ!と、「喝」を入れる。 といって、「まじめに生きればいつか報われる」なんぞクソ食らえ。 人生何事もやってみなければ分からない。 「成功したければ動け! 失敗しても学ぶ事はある」といったメッセージ 〜まずは< 第1章 結婚なんかしなくていい! >から〜 家族至上主義を告発し、家族がないっていいね、といっても排斥されない健全な世の中がくればよい。 ー中島義道の結論ー 現代日本は多様化していると言われながら、「勝ち組」と「負け組」という言葉が横行しているように、 ずいぶんはっきりした価値基準があります。結婚や家庭もその一つ。結婚したくてもできない人は「負け組」に分類され、 結婚できるのにしたくない人は「変人」に分類される。 そして「家庭」とか「家族」という言葉こそ、錦の御旗になっている。 「あなたにとって一番大切なものは何?」と聞かれて「家族」と答える人は、まともな人。「金」や「会社」、まして「自分」 と答える人は、「かわいそうな人」なのです。しかも、結婚して家庭をつくることは、現代日本では「つつましい幸福」 とみなされているからこそ、「善良な市民」という名の、何の才能もないけれど身の丈に合った幸福を求めている国民大衆に 大受けする。こういう風潮を「家族至上主義」と呼んで私はずっと告発してきましたが、今や「家族ファシズム」と呼んだほうが いいかもしれない。「家族っていいね」とごく自然に語る人と並んで、「家族がないっていいね」とごく自然に語る人が 排斥されない「健全な」世の中が早く来ないかなあ、と思います。 ー香山リカの結論ー 結婚で得られる自信や安心は、本当の意味では自分を支えてくれない。 〜〜 時代の流れだろうが、結婚すること自体が難しい時代になってきた。「結婚をして家庭を一度は作らないと、 それを肯定も否定も出来ない。」というのは、「家族至上主義」の侵されているためか。しかし、ベースであることは確か。 逆に「家族で群れてなぜ悪い?」という問いを立てると、そのプラス・マイナスが見えてくる。「群れている分には良いが、 独りになれないだろう」とか、逆に「‘人’と‘人間’の初めの境い目が家族だろう」とか。 ・・・・・・・・ 3174,言葉はこころの杖 2009年12月13日(日) 「片耳の話」ー秋山駿著 で、 「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよい。 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」 「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。 《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖と しなければならない。「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。 仏教では「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。晩年は如何に良い言葉を多く知っているかで 決まってくる。そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。 ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉 「良くかつ高貴に行動する人間は、それだけでも不幸に耐えることが出来る」 「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 「如何にでもなる!」あたりか? ・・・・・・・・ 2809, 閑話小題 2008年12月13日(土) 閑話小題 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと! 間違いなく通過するだろうと見ていた米自動車救済法案が決裂、政府支援が白紙になった。 これから、どうなるかが問題だが、これを書いている12日の16時現在では、アメリカの株が大暴落の可能性がある。 株の世界は、これを逆に好感するかもしれないが、この時期では弱気が大勢を占めているので暴落になるのだろうか。 その方が、下手に延命して無駄な資金を垂れ流すより良いことは誰の目にも明らかである。 ドルはアッサリと90円を割ってしまった。長い目で見れば、日本車のメーカーはプラスに働くだろう。 しかし当面は七転八倒の苦しみを味わうことになる。 何とか輸出企業の頑張りで持っていた日本経済の信号は黄色点滅から、 一挙に赤信号?になってしまった。もし、GMが倒産でもすれば、アメリカ経済は氷河期に入り、その影響は世界も 大恐慌への足が速くなる。考えただけでも恐ろしい。恐らく、これに合わせて日本の政局も大きく動き出すことになる。 しかし、取りあえず救済策を出すしかない。 * オバマ政権の顔ぶれをみると (字数の関係で中略(2011年12月12日)) * アメリカが新ドルの発行で、対外債務を半分に? オバマが、大統領に就任した後の、近い将来にアメリカが『新ドル』に変更。旧ドル二ドルに対して、新ドル一ドルにするのでは? という説がある。早く言えば、「どっちにしてもドルは半分の価値になるのだから、新ドルに切り替え、交換比率を半分にして 借金の半分を踏む倒す」というもの。「国内的には給料は維持するから預金を持っている人は、半分になる反面、 借り入れをしている人も半分になる。給料は、そのままにする」というのだから、大問題になるだろう。それしかないだろうと、 日本の学者が、その可能性を述べているに過ぎないが。しかし、日本もして欲しいものだが、無理だろう。 ーー *トヨタが100万台以上の生産削減 トヨタが、グループを含めて100万台以上の車の生産を決めたと、昨日の朝に報じていた。 (字数の関係で中略(2011年12月12日)) ・・・・・・・・・・ 2007年12月13日(木) 2444, 挫折は財産 (^ω ^)おはようw 故・音羽信子の夫であり、映画監督・新藤兼人の次の言葉がよい。 「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしよ。生き延びてきたということは、挫折を乗り越えてきたからなんです。 そうすると、私の財産は挫折なんです。乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。 これからするわけなんだから。だから、若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、 私が挫折という財産を持っているからなんです。」 ー図書館で何気なく手に取った本の中の新藤兼人の言葉である。挫折を財産と言えるには、結果として乗り越えたからである。 人生はいずれにしても、最後は何らかのカタチの挫折が待っている。挫折は誰のせいではない。自分自身の問題だから自分で 解決するしかない。 挫折から人は多くのことを学ぶ。乗り越えられなくても、諦めるしかない、そのことの方が何倍も大事である。 諦念の底から知恵が出てくる。知恵など出なくても、挫折した人の気持ちを知ることが出来る。 多くのことを考えさせてくれる言葉である。 渡辺貞夫の次の言葉もよい。 「練習は出来るかぎり毎日欠かさない。楽器はシビアなんですよ。適当にやっていては、言うことを聞いてくれない。 また楽器も手応えのあるものでないと、 サックスは一言でいうと、ぼくの批判者。 サキソフォンを通して、僕の状態が何時もみえる。 僕がよければ、いい音を出してくれるし。 だから楽器を通して、僕は今の自分が全部見えるんです。」 ーこれは、一つのことに徹してる人だったら言える言葉だろうが、自分の選んだ楽器と心が一体化しているという響きが良い。 二人とも一流のプロである。多くの難問を乗り越えてきた経験から出た言葉である。 *・д・*)ノ″ ーー 2006年12月13日(水) 2080, 談合列島!−3 _ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜 昨日・一昨日、この随想日記に「談合列島」というテーマで書いたところ、昨日の19時半のNHK 「クローズアップ現代」で、ー談合列島ーが二日間にわたり放送していた。 一昨日は忘年会でみることが出来なかったが、昨日の「崩れ始めた“談合列島”」は、 脱談合が進みつつある業界の実態に迫るもの。 公共事業の大幅な削減や談合を規制する制度改正が進む中、地方では、 従来型の談合では共倒れになると業者が対立。"談合破り"とそれに対する報復が繰り広げられるなどの異変が起きている 現状をレポートしていた。一連の県知事逮捕が続いている中で、タイミング的に丁度よい内容である。 大手ゼネコンや機械メーカーは、独占禁止法改正による罰則強化をきっかけに"脱談合"を宣言。その結果、入札の現場では 自由競争が促進されたが、予定価格の50〜60%の「叩き合い」が起きているという。 談合で守られていた価格破壊が、一挙にこの業界襲っている。建設関係の従事者が国民の一割に当たるというから、 この数年は、すざましい淘汰が吹き荒れることは必定である。公共工事が平成七年の35兆円から、現在は半分に減少している。 (字数の関係で中略(2011年12月12日)) ・・・・・・・・ 2005年12月13日(火) 1715, 下流社会 茶 どうぞ ( ^-^)_且~~~ 最近、下流階級とか、下流社会という言葉が目につく。 その丁度良いタイミングに『下流社会』という本が出た。 (字数の関係で中略(2007年12月12日))
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| 4653, 閑話小題 ー行蔵の中の、旅行の棚のお宝 |
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2013年12月12日(木)
* 行蔵の中の、旅行の棚には 学生時代の欧州旅行が当時の40万円。5〜10万円を別途プラスして、現在の金額からすると一ヶ月間で400〜500万円になる。 丁度、高度成長時代に入った昭和42年。馬小屋のような寮生活しか知らない地方出の私にとって、この旅行のカルチャー ショックはあまりに大きく、固定観念が粉々に砕けてしまった。これが、その後の事業人生で、他人の思惑を気にすることなく 生きてこられたバネになってきた。その前には、大きな挫折経験があったが、これはカルチャーショックによる自己崩壊? それから20年後の40歳から年に平均二回、20年近く行き続け、合計48回の秘境を中心としたツアー。 今からすると、【来年前半に一月間の5百万のツアーに参加。余韻を半年、楽しんだ後半から、隔月ごと年6回の割合で旅行に 出るとして、まる8年。家内と共にすると4千万円はかかる】 その旅行に出続けてる期間は、手取り一千万以上の収入があり、 給与面からみて、収入範囲である。 それがどうした?といえば、それまでだが、「べき時に、べく事を、べく実行してきた」 ことになる。 御隠居の今では、肉体的に金銭的に、気力的に不可能。 河口湖や、軽井沢に別荘を持っている豊かそうな? 知人を見ても、気持ちに余裕を持つことが出来る。 「遠き日は、歳とるごとに近くなり」が、齢を重ねる度に、どれもこれも 昨日のように感じ取ることが出来て、人生の終盤にプラスに働いてきた。プチブル主義の露出になるが・・・ この年齢で、新羅ウィグル地区からカラコルムハイウェーを抜けるコースや、パタゴニア、南アフリカなど、無理。 その十倍の4億の現金と、この旅行経験を交換しないかと言われたら、迷いなく行蔵をとる。あのTPOSの中で遣り繰りつけて 行ったから価値がある。事業整理の結果に、さほど動じないで済んだのは、幾つかのライフワークを続けていたため。 それもこれも両親の生き様から学んでいたため。見方を変えれば「これで、この男、狂ったか!」 だが「狂って良かった!」 ー最後は、いつも、「良かった良かった」の自画自賛かいー の誰かの声が聞こえてきそう! ケチくさい話だが・・ ・・・・・・ 4288, 学ぶということ −2 2012年12月12日(水) 「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著 * 母親と父親の育児戦略の違い −まずは、親の教育論の部分より ≪ 母親は破局的状況を生き延びることを求め、父親は優劣を競う戦いに勝ち残ることを求める。 相対的競争の勝者になって目立つことを求める父親型育児と、群れに紛れて、あたりと見分けのつかないものに なって欲しいという母親型育児、この二つは実は排除しあうものではない。対になっている。その二つの育児戦略の 拮抗の中で、子供はいい具合に育つ。この拮抗の並列が、一番バランスが良いのが理想的。これが両方とも「競争に勝て」と 子供を責め立てたら、子供はストレスで壊れてしまう。「生き残っていさえすればよい」と言えば、社会性がつかない。 でも、数多の親たちをみると、どちらかに偏りすぎでバランスの良いのは少ない。 偏りすぎると社会的成熟が出来ない。 1980年代からあとは、日本社会では、母親までが父親型の「競争優位」になってしまった。あまりに日本が豊かで安全な 国になってしまったからです。もう破局的状況を生き延びる緊急性がなくなった、どう転んでも心配なくなった。 だから、人のことなど顧みず、私ひとりよければ、それでいいという時代になった。競争に負けても、取りあえず 食べていける保証があったからです。まだ50年代までは貧しい時代で、「共和的貧しさ」であった。 ところが、今、 時代は変わってしまった。日本が例外的に豊かな時代が終わった。「ラットレース」は勝ったものの総取りで、 負けた人間には何も与えない時代になったら、本当に飢死にする可能性が出てきた。そこで、ここで「ルールを変更しようと」 という話になったわけ。競争原理は、豊かな社会向けルールだった。しかし今や資源が限られた中、「潮目の変化」が起こった。 限られた資源を複数の個体で分け合うためには、行動パターンを変えなくてはならない。 動物は、そういうようにしてきた。 あるものは夜行性になり、あるものは昼行性になる。樹上で生活するもの、地下で生きるもの、肉食か、草食で、あるものは 大きく、あるものは小さく、などなど生態学的な地位をずらしていく・・ それが共生の原理なのです。 ≫ ▼ 時代は、父親型から、母親型生存戦略に変わってしまった。もう二度と終戦から半世紀近く続いた右上りの時代は戻らない。 当然、母親が子供教育でも家庭内で主導権を持つようになるのが自然の成り行き。首都圏に住んでいれば、 何時、直下型地震が襲ってくるか分らない、とにもかくにも生き延びることが優先される。 日本という国家からして 資源のない条件の中で、これほど危険な状態はない。国家も母親的戦略と、父親的戦略の拮抗が必要である。 これが三極の「石原・維新の党」と「未来の党」の戦略に見て取れる。地政学的にみて、これまでちょうど良い島国が、 これから大きな試練に立たされる。韓国と日本の差は、近隣に時代錯誤の軍事国家が在るか無いかである。徴兵制度で、 青年期に鍛えられるかどうかだ。それを見守る母親は自然、優しくなる。日韓の若者は青年期に歴然とした差がついている。 ・・・・・・ 3913, 閑話小題 2011年12月12日(月) * ひとり焼肉専門店 「焼肉ひとり」 最近、独り者が増えているためか「ひとり用の専門店」がニュースになっている。 一人カラオケ、ひとり焼肉専門店などである。 店サイドは、一人で一部屋・一テーブルは効率が悪いので良い顔をしない。が、この不景気で、そんなことは言っていられない。 しかし最近の国勢調査で単身世帯が全世帯の三割を突破、「夫婦と子供」世帯を上回っている。アメリカでは、一人客は寂しい人と、 白い目で見られるという。 映画やTVのドラマでも店の中の一人客は少ない。そこで、店の構造から一人用の席をつくる発想である。 30年間続けてきた事業も「お一人様専用ビジネスホテル」だった。 ひとりカラオケを「ヒトカラ」に対して、二人のカラオケを 「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶらしい。 ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。 * そろそろ今年の総括 今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、 この事態は当然。 恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。 過去の40年近い事業人生で資金繰りの心配をしたことが無かった。 しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になることを示していた。 何度も何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。 その上に東北大震災が起こってしまえば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。 そうこうあって、心の痛手は深いが、未練とか、 後悔はない。 それより現在起きつつある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。 今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・・ 今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。
・・・・・・・ 3548, 遊ぶように生きる 2010年12月12日(日) =横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い! その一部を抜粋してみる= 【 一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いことを言う人だ。 大抵の人間はこの四文字を経験する。 お釈迦様みたいなエライ人でも、このことだけはぼくと平等である。 エライから死なないということはない。エライ人でも アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったらぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは 自分にとって特別のもののように思っていて、他人の死は死でないのである。では一体何をそれほどまで恐れなければならないのか。 死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、死以上の苦痛がないのかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。 死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も 瞬時に失くなり、身心的な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の乎和をそんなに恐れるのか。 それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。 それはそうと、では人生の目的は何なのかということになる。 生きるため? 死ぬため? 感動するため? 美味い物を食べるため? 金持ちになるため? 美人の奥様を持つため? etc そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば? と。 ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。 目的のない遊びである。ところで遊びって最初から目的がないものでしょう。 もし目的があるとすれば遊んでいること自体が目的である。 目的がないから自由があり、快楽があり、解放があるのではないだろうか。 人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的をはずしてしまえばいいのでは ないだろうか。 生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。 単なる現象だ。 そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体のないものにいかにも実体があるかのように 思って振り廻されているのなら、それを遊びだと思えばいいのではないか。 】 ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、そんなわけがない!と言いたくもなる。 身近の人の死をみると、様々の人生があるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。 横尾のように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。 ・・・・・・・ 3173, 閑話小題 2009年12月12日(土) * 腰痛 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。 いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、 ・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある? もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。 * 変な話 家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、 自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、 1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。 (字数制限のためカット 2010年12月12日) ・・・・・・・・ 2808, 心を込めずに女を褒めよ ! 2008年12月12日(金) 作家の渡辺淳一が、ある雑誌の対談での、「心を込めずに女を褒めよ」という言葉?が面白い。 【イギリス帰りの若い女性に「レディファーストは、マダムだろうが小娘だろうが、差別をつけてはいけないの。 『女と見たらしなさい』って、向こうは子供の頃から叩き込まれるの」って、全くそのとおりだと思った。 要は、心を入れないでやりなさい、ということなんだけど、こういう思想は日本には無かった。 武士道は何でも心を込めろっていう思想。 でも、その御蔭で女を見たら直ぐに褒めるようになったよ。 顔が綺麗なら顔を、顔を褒めるのが辛いと思ったら、髪の毛を。服、ネックレス、バッグはどうか・・・ と見ていけば必ず褒めるところがある。女性はまず褒めるべきだよ。 妻とまともに話そうと構えるから、話せなくなる。 日ごろから『ありがとう』『綺麗だね』って言う癖をつければよい。 そのレトリックは非常に大事だと思う。 ・・・僕は京都のお茶屋でよく遊んでいたけど、帰るときには必ず、おかみと芸姑が門まで出てきて、大声で『おおきに、 ありがとうございました」という。僕が2〜30メートル先に行っても言っている。どうしてあんなに丁寧に言えるか、 その理由はたった一つ、客を何とも思っていないからだ。銀座は逆で、これは金払いが良いかどうかで・・・】 成るほど、道理である。当たり前になるまで習慣化しなさい、ということだ。 私の知人は営業畑の人が多いため、 飲みにいくと、当然のように女性を褒め上げる。それが枕詞であるかのように、まず褒める、そして褒める。 『今日は、いやに綺麗だね』『へ〜、今時に、こんな綺麗な人いるんだ』『新潟美人は、東京のオナゴと肌が違うね』 まあ、よく言うよという位、平気でいう。 でも、そういう店のママやホステスも、言われ慣れていて、軽く流す・・・ それでもいいのである。 言えないのは心を込めようとするから、である。 何度も書いてきたが、学生時代にカーネギーの『人を動かす』という本に「人に好かれる6原則」とかがあった。 そこで黙って友人知人に、それを実行したと同時に私の周りに人が集まりだした。 心を入れる余裕など無く、 ただ、相手の関心のありかを探し、にこやかに、聞き手にまわり、相手が話し終わるまで我慢し、最後に褒める! それを全ての人に試みたのである。 また女性の多い職場環境に若い頃に居たころの一時期に、多くの美人? と友人になったことがある。(男女?ではない) 私は美人が好き、そう知らせれば良いのである。次に人畜無害のサイン。 それだけで、心を開いてくれる。 姉が4人も居たから、その辺は幼児のころから鍛えられていたが・・。 (いやいや、冷静に考えてみたら、嫌われる方が限りなく多かったが・・嫌なことは都合よく忘れてしまうから生きられる) 逆に、心を入れて女を褒めたら、誤解されることが多くなる。 さりげなく、口先で褒めること。 これが最高の贈りものになる。 面倒とか、馬鹿馬鹿しい、という気持ちを乗り越えて素直に言うことが基本だが、 それが最近になって言えなくなってきた。 原点に戻って、心を込めずに、あたりかまわず言うしかないか! まずは、カミさんから・・・ 辛いけど! ・・・・・・・・・ 2007年12月12日(水) 2443, 死刑直前の手紙 【GOOD MORNING】q・ω・´) 『哲学の教科書』・中島義道ー の中で見つけた、処刑前夜から処刑二時間前までに断続的に母親に送った死刑囚の手紙である。 人生の不条理が、そのまま出ている。今回は私の感想などは、何も書けない! 何度も何度も読まなければ、 その心の底には辿りはつけない。ガン末期の別れの似たような場面に何度か立ち会ってきた。 違いは、刑死かどうかの差である。 罪悪感を持って虚空へ立ち向かう心情は如何なるものか?。 ーーー 一九六九年三月八日 ーおかあさん あたたかい晩ですね。 きょうはひょっとしたら東京に泊まるとか言っていたけれど、とにかく、あまり悲しまずにからだに 悪いことは気をつけて、よくやすむようにしてください。ほんとに思いがけないことになってしまい、(むろん、そして一方では じゅうぶんソノタの用意はしてきてはいたけれど)おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません。 おかあさんは、よくしてくださいましたね。ありがとう。 M先生のおっしゃるように、ぼくはおかあさんによって〈神の愛〉を知った、と思います。 まだまだ努力が足りなくて、それに書きたいことや、考えて深めたいことも多くあって、 そのうえなによりおかあさんはじめ皆さんと別れるのはつらいけれど、しかしこの与えられた 〈時〉は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ受け入れる以外にはありません。 でも、ソレは、ぼくひとりのことで、おかあさんに与えつつある悲しみの責めをまぬがれることは、むろんできません。 ゆるしてくださいね。おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、 守ってあげますね。 だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい…… −− ー今は八時過ぎ。 夕がた、おかあさんのハガキが、美絵君と「あけぼの」のシスターの御文とともに到着しました。 もうおかあさんのハガキを見られないのか。 会えないんだな……ということのすべて、 きょう突然あったことと、あすのことすべてが、ユメのようです。 ユメならさめればいいのに……と思うのだけれどもやはりユメではない。だからこの一瞬一瞬をだいじにしましょう。 ほんとうに長いようで短い一生でした。 四十歳と七か月とすこし。 おかあさんの半分です。 いろんなことがありましたねえ。 ほんとにいろんなことがあった。 そして今、おかあさんにとって すべてのことが喜びに満たされていたというのに、 ぼくのためにいっさいが灰色になってしまいましたね。 ごめんなさい。 きょうは、久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることができました。 すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、 やっぱり幼いころに知った あのおかあさんと同じでした。 でもおかあさんはやはり幼い頃に知ったあのお母さんと同じでした。・・・・・・ (以下、字数の関係で中間カット 11年12月12日) −− 後記)これを読んだ母親の気持ちは? やはり宗教は必要である。 やはり、言葉を持ってしまった人間は、それゆえ苦しみが倍増する。 その言葉で、神をつくり、そして苦しみを和らげるしかない。 あまりに辛い手紙である。 (○´∀`)ノ ーーー 2006年12月12日(火) 2079, 談合列島!ー2 才ノヽ∋―_φ(^O^*)♪ この土日の大手新聞の「知事の犯罪」の特集記事や社説の中で、日本経済新聞がずば抜けて要点をついていた。 その要旨は (以下、字数の関係でカット 08年12月12日) ・・・・・・・・ 2005年12月12日(月) 1714, 脳梗塞について (*´ノД`)<<<才八∋ー゜ 先週の日曜日夜のNHKスペシャルで、 ( ^-^)_且~~ 脳梗塞の患者となった多田富雄氏の日常を半年にわたってリアルにレポートしていた。患者になってしまった彼がふり絞るようにいう 言葉が深く心に突き刺さる。番組を見ながらパソコン内の「メモ帳」に下書きをして数日以内に『随想日記』に取りあげようとした矢先、 産経新聞の「産経抄』に名文を書かれてしまった。プロの文章を読んでしまったら書く気がしなくなるが、それでも書くのが 文章上達の早道。 学生時代の友人や、仕事の関係などで脳梗塞や脳溢血で倒れる人が多くなってきている。 Σ(´Д`;) 数ヶ月前にも、会社のナイトフロントの人が定時になっても出勤して来ないので、副支配人が一人暮らしのアパートに行ったところ 玄関で倒れていた。救急車をすぐ呼んで緊急入院をしたが、もう少し遅れれば?脳出血で左半身が麻痺が残り、退社をせざるを得なくなった。 私など、深酒の機会が多いので気をつけなければならない。脳梗塞は身体は動かなくなっても、思考だけはしっかりして 「身体の監獄に閉じ込められる』というのが実感という。 多田富雄氏も放送で『生き地獄』と言っていた。 『地獄がこの世にあるものと実感した』という言葉が重い。 s(・・;)(/_;) (以下、字数の関係でカット 08年12月12日) ○o。―y(・ε・) フウー
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2013年12月11日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第五章 言語と文化の未来 ーのまとめ ・音楽、映画、文学などの娯楽は、実は優れたローカルなものである。通信の発達は世界の距離を縮小させるが、 これらの娯楽は、引き続き文化に裏打ちされたローカルなものが各文化圏で優勢をたもつだろう。 ・そうした意味で、人口の集積地には、映画産業が立地する。アジアでは香港、インドが映画産業のメッカとなっているが、 経済成長と人口の集積の進むアフリカでも、そうした映画の都が発展するだろう。ナイジェリアの‘ハリウッド’は、 アフリカ諸国に映画を供給しているが、その他にもガーナのハリウッドや、リベリアのハリウッドが興隆するだろう。 ・ウェブの発展によってテレビは、オンデマンド型になるという予測は成り立たないだろう。むしろ、番組の放映までに さまざまなプロモーションを行ない、放映時には、ウェブのSNSを使ったざわめきの広がりを期待し、ますます映画の 興行のような形になっていく。 ・紙の本は、電子書籍に取って代わられるが、一定の役割で生き残る。ウェブを使ってクリエーターと消費者が直接 結びつくことによって、出版社、レコード会社、新聞社はなくなるという議論は成り立たない。目利きとして、よいものを 大きくプロモーションして伝える役割を維持すれば、消費者にとっても、クリエーターにとっても必要とされる存在になる。 ・英語の言語としての一極集中は崩れない。産業革命から始まった英.米の世界覇権で偶然に始まった世界言語としての 英語の地位はしかし、タイプライターのキー配列のように一度固定化すると崩れにくい。 中国語は、数多くの漢字を憶えなくてはならないというハードルがあり、世界言語とはなりえない。 ・唯一、英語に代わる世界言語があるとすれば、コンピューターである。コンピューターによる翻訳能力は飛躍的に上昇し、 外国語学習をペン習字のように時代遅れのものにする。 ・中国語、ロシア語、スペイン語、ポルトガル語などの第二言語群は、その地域の少数言語を滅ぼし、地域的な優位性を高める。 ▼ 英語の一極集中は崩れないのは確か。しかし、話すと同時に相手の国の言葉にの翻訳される機能のマシーンが 普及して、 10年もしないうちに言語も文化の違いも、大した問題でなるのか。特に文化については予測不可能の部分が多い。 40年前に、この情報機器の進化を想像できただろうか。スーパーの宅配やネットショッピングが、ここまで 根付くとは! また、ロボットが各家庭に色いろな形で入り込む。自動車も自動運転が現実的になってきている。 30年先の文化の未来予測は、土台無理。だから、面白いが・・ 装着式情報機器が、次の流れになるが、その次は? ・・・・・・ 4287, 学ぶということ 2012年12月11日(火) 内田樹の著書や論文をたびたび見かけるが文章は平易で分かりやすい。最近の若者論は女子大の教授ということもあって、 的を得た内容である。失われた20年間の中で、将来に希望が持てず「学ばず、働きたがらない」若者が多いという。 * 何故、学ばなければならないのか? 「最終講義 生き延びるための六講」 内田樹著 ≪ ある大学で「先生、現代思想を勉強するとどんないいことがあるのですか?」って訊かれたことがあります。 見ず知らずの学生のくせに、僕の方に100%説明貴任があると思っているんですよ。 自分は腕組みして 「商品説明聴いてやるよ」という態度なんです。「お前の説明が納得がいったら現代思想勉強してやるけど、 説明がつまんなかったり、オレにわかんない言葉とか使ってたら、勉強しないぜ」というわけです。ほんとに。 そういうふうに教師に訊くのが学生にとっての権利だと思っている。思わずぶん殴ってやろうかと思いましたけど《笑》。 でも、怒りらえて、こんなふうに説明しました。{ 悪いけど、僕がこれから教える話は、君にはまだその価値が軽量できない ものなんだよ。喩えて言えぱ、君には君自身の価値判断のモノサシがある。そして、そのモノサシを持ってきて、 「先生がこれから話すことの価値は何センチですか?」と訊いてきた。でもさ、僕がこれからする話が、ものの重さや、 時間や光度にかかわることだったら、そのモノサシで計れないでしょう。世の中には度量衡そのものを手に入れなければ、 何の話だかわからないこともあるんだよ。} 6歳の子供が手をあげて「先生、それを学ぶと何の役にたつのですか?」というとき、子どもはこどもなりに 「有用性のモノサシ」を持っているわけです。でも、問題なのは、その六歳児のモノサシで世界中の価値がすべて計れると 思っていることです。 だから、そういうときは、「パカモン、子どもは黙って勉強しろ」と言うのでいいんです。 でも、それを断定して言える基礎づけるロジックを今の現場の教師たちは持っていない。「君たちになぜ勉強しなくては ならないか、その理由はわからないだろうが、私にはわかっている。」という絶対な知の非対称性が必要なのです。≫ ▼ 学生時代に学んだことは、上記のことである。絶対的な父がいて、その価値観から離れ、多様な価値観の世界を知り、 結局は再び舞い戻り似たような生き方をしている自分と現在、直面している。しかし、そこで一日、二時間以上の 読書習慣を身につけたのが収穫であった。とにかく、何のためでなく最低限の絶対量の知識を身につけること、 それは価値観を常に再構築し続けることが可能なベースを積み上げることである。それが活き続けるである。 「人生、常時戦場、一生勉強」を実行してきた先人から、それを吸収することを楽しみとするのが{学ぶ」ということ。 ・・・・・・ 3912, 精神力ーその偉大な力 ー6 2011年12月11日(日) ◎ 想像力の魔力 「 精神力ーその偉大な力 」 ダン・カスター著 * あなたの心のなかに、絵または型やプランなどを作る能力がある。応答する性質のある大生命力は、そういう絵や型に応じて、 あなたの体験内に流れいるのです。心に以上のようなイメージを作る能力を想像力といいます。誰もが想像力を持ち、それを使って、 自分の望むこと、または望まないことへのプランを立てます。考え尽くした末に、これをしようと思い定めた心の絵は、あなたが 大生命力に送り込む計画案です。こういうプランには、信念が方向を与え、かつ統御します。信念は、心の中の確信です。 あなたにとって真でありと確信するものです。これがこころの中につくる絵やプランの型を決定します。 大生命力は、 それに始動されて行動に入ります。想像力は、心の中の技術する部分です。・・・ フランスの精神治療医クーエは 「毎日あらゆる点で、私はよりよく、よりよく、なっていきます」と、自分に言い聞かせるよう教えました。また、 「幅30センチ位の長い平板を地上に置くと、たいていの人なら、どんな長い距離でも、平気でその上を歩いていけます。 しかし、二つのビルの10階の高さのところに渡すと、話は全然違ってきます。歩こうという人は殆どいません。想像力が、 落ちる絵を作るためバランスを崩し落ちてしまうと想像をしてしまいバランスを崩す。 が、30センチの高さでは、逆に 大丈夫という想像力が、バランスを保ってくれる。」という。 タバコを止めることも、酒を飲むことも、止めたときに 得られる利益が将来、いかに多いかのイメージを書き出し想像すればよいのです。10年で、20年で、30年で・・と。 昔の人は、意思力を養おうとしました。 近代医学では、それを強いるということで効果なしとし(強要することは、感情的な 欲求に反するからと)、イメージを利用するように変わったのです。 逆に想像力はマイナスに働く力が非常に強い。 被害妄想とか、心配性の人とか・・それも生きていく上で必要だが。 ▼ 最近、歳を重ねて実感することは、「貧すれば鈍する」ということ。逆に「馬子にも衣装」ということのある。 豊かな環境と知識は、その人を豊かにする。また逆も、ある。格差社会というが、中産階級が減ってきた日本が、最近、 いやにギスギスしてきた。高度成長期の時代は、歌謡曲も、何もかもが夢があった。将来に対して豊かなイメージを 持つことが出来た。しかし、現在は、どうだろう。夢がもてない背景がある。信念を持てといったところで、持てないのである。 長期楽観、短期悲観は人生に生きていくために必要なスタンス。楽観は意志でもあるが、意志の具体的イメージ化にヒントがある。 ・・・・・・・ 3547, 「モテキ」の話 2010年12月11日(土) 毎日新聞に《 ザ・特集:なぜ今、「モテキ」かー 今年の新語・流行語大賞にもノミネート 》があった。 ◇人生にはモテる時期が3回来る? ーブームの背景に「草食系」への慰めと励まし?ー という副題もよい。 面白い特集だが、この大不況の中で、結婚をするだけでも大変。その人なりに?こういう時期はあるという。 振り返ると21〜26歳辺り男の一番の盛り、女は18歳から24歳辺りになる。私の場合は団塊世代の女性が対象のため、 恵まれていた。で?・・・ その日々が過ぎ、ある日、突然、潮を引くように誰も相手にしてくれなくなる。 その時になって慌てても、既にカタオチ?になっている。 それが青年と成年の境目になる。 ー以下、その特集をまとめてみたー 【 今年の新語・流行語大賞にノミネートされた言葉の中に、「おやっ」と思わせる一語があった。「モテキ」。 文字通り「異性にモテる時期」の意味だが、ずっと前から口にしていたという方も多いのではないか。 それが、なぜ今? 甘酸っぱい香り漂う恋愛用語を読み解いた。【平野幸治】 「現代用語の基礎知識2011年版」の「モテキ」の項目には<モテ期。人生には3回の異性にモテる時期がくる、などという> とある。 飲み会の席や友人同士で「それってモテ期じゃない?」「来たー、モテ期!」というように使う。この言葉が恒例の 「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補に選ばれたのは、女性漫画家、久保ミツロウさんの作品「モテキ」が評判になり、 さらにテレビ東京でドラマ化されたことが大きい。 ・・・主人公は派遣社員の藤本幸世、29歳。 ある日突然、 知り合いの女性たちから電話やメールが殺到し、話したこともなかった職場の同僚女性からもコンサートに誘われる。 「これがモテ期か」と舞い上がるが、恋愛経験が乏しいだけに屈折していて不器用で、美女たちに振り回される(実は振り回している?) という物語だ。 モテ期が「ある日突然」訪れるという設定には、作者のある「メッセージ」が込められているのだが、 そもそも私たちはどんなときにモテるのか。「どうやって」の研究は雑誌などで盛んだが、「いつ」というのは意外に難問だ。 (字数制限のためカット11年12月11日) ・・・・・・・ 3172,ノートを下からとる! 2009年12月11日(金) 面白いノートの取りかたである。 これは、目から鱗。 ノートは普通は開いた左上から下に書き下ろし、右ページ上段に戻って再び書き下ろすのが一般の書き方。 せいぜい、左ページを白紙にして右ページに書いたフォローとして重要なポイントや、絵とかを気ままに書いたり、 空間をタップリとって島状に文章を書いて、後で見直すやすく工夫する。 ところが、これは逆転の発想である。 *開いたノートの左下から� ΑΑΑΑΑΑ ↓◆ΑΑΑΑΑΑ△修靴胴圓鮠紊欧� ��・・・・・・・ �ぁΑΑΑΑΑΑΑΑ △修靴胴圓鮠紊欧討い�。 だいたい三分の二あたりに、それまで書いたマトメのポイントAを小項目とする。 *次にまた右ページの一番下の行から、Aから導き出されたBを想定して、� ΑΑΑΑΑ´◆ΑΑΑΑΑ△修靴胴圓鯤僂─� 上の行に� ΑΑΑΝ◆ΑΑΑΑ△修靴胴圓鯤僂┐董⊂紊妨�かって書き足していく。そして三分の二を目安に段落として、 そのマトメとしてのキーワードの項目を書き出す。 *そして、今度は左ページと、右ページのキーワードを入れた両ページにわたる長細い楕円を書いて、 その中に、��・・・・ �ぁΑΑΑΔ箸いΔ佞Δ法⊇颪�出していく。 実際に書いてみると、上から下へ書くより、下から上に書いていくほうが考えがスラスラと出てくる。 そして後で読み返すとき、先に結論が書いてある上に、図示で分かりやすい。 私の読書法には、最後の章から前に向かってポイントだけを追う方法があるが、それに似ている。 要するに、言葉=思考を上に、どんどん積み上げていくのが良い。考えてみれば、何もない下に書くということは、 何か不安がある。 しかし、いま書いた言葉の上に積み上げていくという実感が、考えを誘発する。 「どんどん考えが浮かびあがる」といった風が良い。 私の、これまでは、ノートの真ん中に小さなハートを書き、その周りを脳のような図を描く。 そして、右上から、5〜6行の文章を 下に向かって三段書いて、下の段の左側に文章を書き足していく。 そして、一番左の行を島として、上に書き上げていく。 これはこれで、なかなか良い。 しかし左側の一番下から上に書き上げるのは目から鱗である。 これ本屋で立ち読みだけで会得した?が、 やはり、買って読まないと著者に悪いことになる?。 これは良い。下の副題が決してオーバーではない! 【 苫米地思考ノート術 ― 脳を活性化し人生を劇的に変える最強思考ノート ー苫米地 英人 (著) 】 ・・・・・・・・・ 2807, 不況景色 −2 2008年12月11日(木) * アメリカ最大のメディアの「トリビューン」が破綻 あまり目立たなかったが「ロサンゼルス・タイムズ」や大リーグのカブスなどを傘下におく【トリビューン社】が、 破産法11条を米連邦破産裁判所に申請し事実上経営破綻した。 負債総額は何と1兆2000億円、<救済される>会社と<つぶされる>会社の線引きに批判が集まっている。 日刊紙8紙を傘下に置き、23のTV局を持ち従業員2万人の全米最大規模の総合メディア。 何故、【シティ】や【AIG】は (目先だろうが)救済され、新聞社の【トリビューン】社は破たんなのかと・・・。 さらに【NYタイムズ紙】の業績も急悪化、このままいけば経営破たんではないかとの噂も出ている。 今後、マスコミが巨大企業救済プランに一斉に反対キャンペーンを打ち出す可能性がある。 アメリカの新聞社は日本や英国に比べて競争力が弱く、その分だけ不況とネットの波が大きく影響。 アメリカ最大保険会社のAIGが実質破綻、自動車ビックスリーも倒産直前、シティバンクも風前の灯、 証券会社は壊滅というから、アメリカは恐慌に一歩足を踏み入れたといってよい。 *地元・新潟も不況が深刻化 地銀の担当の話によると、一段と景況が悪化、特に不動産・建設、小売など急激に売り上げが激減しているという。 地元の金融機関は、地方経済の長年の悪化のために体力を落としており、含み損を多く抱えているため、 資金が出せない状態。マイナスの循環の速度が速まりそうだ。 当方は、日本経済の景気に直接左右される商売で、街角景況がリアルに分かる。 これまでは他の商売より三ヶ月は先行した数字が出るが、この金融危機の影響は、他山も同じのようだ。 世界恐慌は、製造から、流通、サービスまでが、25%減の売り上げになり、失業率は20%、 株価はピーク時の10%になる。それからみると、日本の株価は4千円。アメリカは2000ドル以下になる。 今年の忘年会、中止にしようか迷ったが、小じんまりとした会にした。 帰りの新幹線の乗客も、めっきり少なくなった。 来年から3〜5年間は世界は大きな経済的破壊が現実化するだろう。 年を越した1月5日から一斉に倒産の実態が顕れるだろうという。 新しい社会の創造前の破壊なら良いが。 ・・・・・・・・・ 2007年12月11日(火) 2442, 人生後半に、哲学は一般教養として不要か? (´Д`;) オァ/ヽ〜 二日酔い! 人生、後半ほど哲学は必要と思っていたら、学者の谷沢永一著『人生後半に読むべき本』の中で、 「熟年には哲学など必要ではない!」と断じていた。 この数年、少し哲学にのめりこんでいるので、 丁度良い中和剤の論と思いつつ読んだ。しかし何で彼ほどの博識の人が、こういう論を立てるか理解できない。 「人生後半ほど、それまでと違う目で世界を見る必要性がある」と確信をしているので、 「近代哲学に対してのアレルギーが彼にあるのではないか?」と、思いつつ何度か読み返してみた。 道理は道理で必要である。それは間違いない。独り自分と、世界の不思議を見つめなおすことも大事なことである。 それも中心点に向かって! 彼が言いたいことは、「今さら哲学でもないだろう、貴方レベルには!」 ということ? それとも哲学(中心点に向かって考えること)など、彼の基礎教養の土台の上では必要が無い! ということか?と、面白い問題提起になった。 「人生の後半に読むべき本」矢沢永一・渡部昇一著 −PHP出版 *谷沢永一 人生を深めるという観点で、たとえば哲学書。若い日に哲学書を読んで、もう一度読んでみようと思われる方が いらつしゃるかもしれませんが、これはどうでしょうか。哲学は、ある時代の考え方の枠組みを創る。 そういう役割を果たしたものを読んでおくことはためにはなります。 ただ、たとえば咀噌されつくされたカントの哲学は今の時代を生きるために必要かといえば、ほとんど必要ない。 また、へーゲルといえば団塊の世代の人々にはとりわけなじみの深い哲学者の一人かもしれませんが、 彼のいわんとすることは、「この世には絶対精神があり、それがだんだんと世界を高尚に持っていく」という上昇史観です。 キングが君臨し、ビショップが威張り、官僚が圧制する。それらもすべては絶対精神が自己を実現していくための 大きな流れの過渡期の現象であって、現在はプロセスの途上にある。 このプロセス論には、憎むべき狡猜さがあります。 これからはどんどんよくなるのであり、その途中に生まれ合わせたのだから、「高きを望むな」と、現体制を弁護する 最高の理屈にもなるからです。そしてヘーゲルがトマス・アクィナスの「神学大全一に近代的な衣装を着せたに過ぎぬ事情は 一目瞭然でしょう。 一方、マルクスは徹底的に模倣です。独創性は何にもない。共産党宣言の根本はエンゲルスが書いた。 (字数制限のためカット11年12月11日) ・・・・・・・・ 2006年12月11日(月) 2078, 談合列島! (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 「垂直に立つ!」 これが「情報化社会」と、「非情報化社会」とを、分けるキーワードになる。 「死が人生の終点」と信じる人の延長上と、「いまここに生きている今日明日の現実」と、 ‘水平と垂直’との境目が[いまここ]である。人生に垂直も水平も、ハッキリした境があるわけがないが・・ 垂直とは何だろうか? 水平とは何だろうか? 水平とは、現実である。 垂直とは、いまここの切り口から直感できる永遠である。そして、この瞬間の中にある澄んだ純粋性である。 以下の、異常な事態を考えるために、「垂直に立った」澄んだ視点で現在の三県・県知事逮捕を鳥瞰しながら考えてみる。 (字数制限のためカット09年12月11日)
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2013年12月10日(火)
* レグルスの失明 家内が二月ほど前に上京した際に、『ターナー展』を見てきて「良かった」という。先月末に、NHKが「日曜美術館」で、 松岡正剛の解説でターナーの絵画を紹介していた。一人で美術展に行かない私が、先週末、大学の同級会のため上京をした際に、 上野の東京都美術館に行くことにした。これは最近読んだ、『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由(わけ)』 の影響もある。直接、凝視しておけば記憶に残る上に、後でネット写真を見た時、より深く理解できるはず。 開催日も終りに近づいた土曜日の午後もあり、館内は人で溢れていたが、二時間半をかけ目に焼き付けることができた。 思っていたより遥かに多く出品されていたが、飽きることがなかった。異次元世界からの光を逆照射した感のする絵画が多い。 それも海を背景にした陽光が「カレーの画家」と揶揄されるほど、くすんだ黄色が印象的である。 2013年11月24日放送〜 日々流転する風景を描け〜風景画の巨匠 ターナー〜 出演:松岡正剛が非常に良かった。 《(内容紹介)18世紀後半から19世紀前半に活躍した画家ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(1775-1851年)。 今なお英国最大巨匠として絶大な人気を誇る。その影響は日本でも夏目漱石が小説「坊っちゃん」でターナーに言及するなど、 時代や文化を超えて多くの人を魅了し続けている。ターナーが生涯を通じて描いた作品の多くは風景画。その最大の特色は、 光・大気・水の表現。薄いベールを透かして見るような光、鮮やかな色彩が重り輝く幻想的な海や山の光景。それはターナー 独自にテクニックで生み出されたもの。当時、歴史画や肖像画に比べて地位が低かった風景画を押し上げ、若くして成功する。 しかし後半生は作品が大きく変化する。雪崩や吹雪、葬儀など謎に満ちた作品を次々と発表。当時誰も見たことのない抽象画の ような作風も多数描く。画家がそこに込めた思いは何か。番組では風景画家の第一人者に君臨し続けるターナーの実像に迫る。》 ▼ 実物の迫力は、やはり素晴らしい。黄色の「輝き」が良い。その中で幾つか印象に残った一つに「レグルス」がある。 レグルスとは、ローマの将軍。ポエニ戦争でカルタゴに捕らえられ、両瞼を切り取られるという刑罰を受けて、陽光のもとに 引き出され、強烈な太陽光線で失明する・・という逸話を題材にした作品。この絵について松岡正剛は、「すごい作品ですね。 レグルスを失明させるほどの強烈な日の光・・しかし、この光景の中に、レグルスは見当たらない。ただ、陽光の鋭さだけが 描写されている」「本来、この風景の中にいるはずのレグルスを敢えて描かずに(画家は)陽光の描写に専念した」というが、 これは、瞼を切り取られたレグルスが、失明直前に視た光景と受け取ることが出来る。 ・・・・・ 4286,日本人の思い −3 2012年12月10日(月) 「日本人の思い」ー ほぼ日刊イトイ新聞 ☆ 「あなたは、友達が多いですか?」に、83%が「少ない」と答えている。みんなの結果予測は57%で、その差は大きい。 大部分の人は他人に比べ、「自分は少ないけど、みんなは友人が多い」と勝手に思いこんでいることが分かる。要は、自分が 孤立し孤独なのが分かるが、他人も同じ、が理解できない。更に驚いたのは、男女の差が無かったこと。 男は仕事(縦の関係)で友人関係に希薄になりがちで、女性に比べ少ないと思っていた。 年齢別にみると、14歳以下が 5割と答えているが、15歳以上になると全ての年代の答えは2割以下。こんなものである。 友人が多いと思っているが、 実はその人が勝手に思い込んでいるだけもある。「人は人、我は我、されど仲良く」をベースにした関係が基本。 ☆ 「あなたは、強い人ですか?」に対し、3分の2近くが、弱いと答えていた。これも、意外な答えである。 上記の「友人が多いですか?」の回答に対する心情に似ていて、どのように思うかである。 私の考えは、 「人間は本来、誰も弱い存在。それを知識と経験で克服して鍛え上げるプロセスが人生。としても弱い存在は変わらない。 しかし一般からみれば、強いのではないか」ということか。で、本当に強いか?と心の底を覗けば、「弱い」と言うしかない。 ☆ 「あなたは、物知りですか?」に対して、イエスとノーの比率は5分5分である。これも、あくまでも対比の問題。 「上を見れば、きりがない。下を見れば、底がない。横を見れば、情けない。」で、対比の問題。 ☆ 「あなたは、スポーツ好きですか?」に対し、7割近くが、好きと答えている。これも意外。 私の予測は「5分5分」。 スポーツジムに通い始めて好きになったが、ウォーキングを30年近くも続けてきたのをみると、嫌いでは出来ない。 ☆ この本の質問には無いが、「あなたは、自分の人生を肯定できますか?」を思いついた。 で、どう? せざるを得ない? 五分五分の結果予測がたつが、3分の2が、できない、になるのだろう。恐らく。「面白かったんで肯定する」が私の回答。 ・・・・・・ 3911, ファイナル・クラッシュ ー3 2011年12月10日(土) 第2部 ハングオーバー−金融の死の灰 「もし私に一国の通貨を発行する権限を与えてくれたなら、その国の法律を超越した存在になるだろう」 ーメイヤー・ロスチャイルド * アメリカの通貨であるドルについてはっきり言えることは、「ドル紙幣は刷られすぎてしまった」ということである。 世界は今やドルの下落に直面している。それも人類史上経験したことのないスケールでの暴落だ。たくさんあるものは値を下げる。 たくさんありすぎるものはクラッシュする)・・1971年から今日に至るまでの40年足らずの期間に、ドル紙幣の価値は20分の1に 低下してしまったのだ。 なぜそんなことになったのか。原因ははっきりしている。ドルの大量増刷が行われたためである。 1971年8月15日に金本位制を廃止した。それによってドルのキャピタル・フライト(資本逃避)が発生する。 アメリカからマネーが逃げ出し、為替市場でドルが売られ、米ドルの価値は下落した。米ドルはもはやゴールドに 裏打ちされた通貨ではなくなり、アメリカ国債という負債に裏打ちされた通貨になり下がったのである。・・・ ・・・石油と工業製品をアメリカへ輸出して利益を得ていたまさにその国々が、溢れ出るドルを吸い上げる役割を担っていた。 彼らは輸出で得た代金でアメリカ国債を購入しており、それがドル紙幣の価値を人工的に維持する結果となっている。 アメリカに石油と工業製品が着く。その帰りにアメリカ国債を満載にしていく。アメリカ人が買う商品を中国が輸出し、中国に ドルがたまる。中国がそのドルでアメリカ国債を買う。それによりアメリカに還流したドルでまたアメリカ人が輸出品を買う。 この還流を「チャイニーズ・ランドリー(中国製洗濯機)」と呼ぶ。 * 国別で現在、金を一番多く保有しているのがアメリカである。外貨準備の7割がゴールドであるのに対し、日本は僅か3%である。 だからファイナルクラッシュで、一番、打撃を食うことになる。 その僅かなゴールドも殆どがFRBに置いてあり、日本銀行は、 その預り証しかない。それは日本だけでなく、世界中の国も同じである。それは、実質的にドルを持っているのと同じことになる。 ▼ 当然、中国も分かっている。このサイクルが利すると考える間は大丈夫だが、そうでなくなったと判断したときには、これを捨てる。 中国が買い続けているからよいが、逆に売られたときには、長期金利は上がり、ドルは値下がり、アメリカにインフレが襲う。 永遠に中国がアメリカ国債を買い続けることなど不可能である。といって、中国もドルとアメリカ国債の暴落は自分で稼ぎ、貯めた 価値の暴落につながる。もはや中国には一兆ドルの外貨準備高がある。 中国は寝ている間は良かったが、今や寝ている獅子は 眠りから覚め立ち上がってきた。アメリカは衰退し、中国が勃興する流れは曲折しながら激しくなり、日本は埋没する? ・・・・・・・ 3546, 意外と寂しい独身の人たち 2010年12月10日(金) ある特集の記事の中に、エッと目をひいた若者の統計値があった。 思いのほか、独身者で付き合っている彼氏・彼女がいないのである。まずは、その箇所である。 【 電通総研が今年、23〜49歳の独身男女1996人を対象に実施した意識調査からは、まさに「受け身」 そのものの現代の人間像が浮かび上がってきた。 ・まず、男性の75・9%、女性の69・3%が「付き合っている彼氏/彼女がいない」と言い、 「3年以上いない」と「これまで異性と付き合ったことがない」の合計も同60・1%、49・9%に達するなど縁遠い実態。 ちなみに「彼氏/彼女がいない」群の7割以上は「好きな異性がいない」。つまり、片思いすらしていないのだ。 ・さらに「恋愛では積極的にアプローチする方か、相手からのアプローチを待つ方か」との問いに、 女性の73・3%、男性の64・2%が「待つタイプ」と回答。 男女のほぼ7割前後が「草食系」を自認していた。 漫画「モテキ」では、ある女性が主人公に「あいつどこまで受け身なんだよ」「全部女に言わせてんじゃねーよ」 とキレる場面があるが、現実には男女ともに「待ち受け状態」にあるのだから、恋愛が始まらないのも当然だ。 「今の日本男性は経済格差の拡大もあり、傷つくのを恐れるガラスのハートの持ち主が多い。 一方の女性側も、そんな男性たちと関係を構築するのに疲れて『恋愛低体温』になってしまっているのです」。】 〜〜 高校や、大学卒業前後や、女性の職場に勤めていた時など、波が押し寄せてくるように誘いが来る時期があった。 これは誰にでも?あるもの。 逆に、全てが途切れて全くヒキアイが何もない時期もある。 現代では携帯電話があり、 気楽に付き合っていると思っていたので案外である。 私の学生時代に携帯電話があれば?・・ まあ、いい。 女性の四分の三は分かるが、男の三分の二が待つタイプとは? で、若いときは? というと、草食系?か。 心の奥で「波が、きたきた!」とか、「何で私が、こんなに?」とか、それも僅か数年の儚い期間だけ? まずは、とにかく声かけの量から? 肉食系の男女は、とにかく声をかけている! それも上手い。 ・・・・・・ 3171,「にこまる」で超図解 2009年12月10日(木) ー 3秒間! で脳内整理術 「にこまる」で超図解すれば問題解決ー 茂野太陽 (著) 二つの○を重ねて書き、重なっている部分を「同定」し、そこから新しいキーワードを探し、三つ目の○に書き出すもの。 ・「正・反・合」を○で図示しながら、正・反から合を気楽に導き出すものと、考えてもよい。 ・また「守・破・離」も守・破から離を導き出すことができる。 ・「三位一体説」の「神(父)、イエス(子)、霊)のモデルの図示にも似ている。 ・その他にも、起承転結や、帰納法、演繹法などに気楽に使える。 書店で、立ち読みで充分と判断していたが、手に取るたびに著者のエネルギーが本から溢れ出ているようで、思わず買ったが、 これは使える。「脳内整理を遊びながらする」手法であり、新しい手法というより、一つのテンプレートの提示である。 実際に図をノートに手書きでうつしていると、著者が考えつくしているのが分かる。 テンプレートとして、*にこまる基本図、 *にこまる時間図、 *にこまるラセン図、の三図がベース。 何か問題を抱えたら、この三つの図をジッとみて、そこに問題のキーワードが収まるのを待つという方法もある。 その意味では、面白い提示をしているともいえる。 まず○印が二個重ねるというところが、ミソである。 ー以下は、キーポイントの言葉である。 *頭がもやもやするのは入り口が自動ドアだから =入り口で、開けるかどうかの判断を手動でするべきというのは、情報社会だからこと必要 *情報は外だしすることで整理が加速する =書き出し、まとめてこそ、情報の価値がでる。 脳内整理は「答え」ではなく「問い」に重点を置くこと *情報は、問いを含めた形で整理する =問うという能動的な形で整理するから価値が出る。 *情報を整理するには入れる箱が必要 =自分の手作りの箱が必要。 この随想日記は私の箱である。 一般にブログは最適。 *思考のステップ化で脳内整理をさらに加速 =この「にこまる」は、思考のステップ化に最適である。 思考法としては、シンプルで分かりやすい。 図示し、展開するには良い手法である。 ・・・・・・・・ 2806, イングランド・ツアー 2008年12月10日(水) *英国という国 英国の概要については‘?’で書いたが、更に書いてみる。 ・英国の国民性として『働かないけど、金よこせ』が、サッチャーの改革で『働くから、もっとよこせ』に変わったという。 ・長年の歴史から階級がハッキリしていて、労働者階級が出世するのは大変だが、事業での成否での入れ替わりの システムはあり、社会的弾力性は維持されている。 ・バスからは山は殆ど見ることがない。延々と牧草地が続いており、道路の両側にオークの木や、 林はブナの木、そしてポプラの木が所どころに見ることが出来る。教会にはイチジクの木が多く見られる。 北イングランドの湖水地区や、コッツウォルズのカッスルクームの絵のような村の美しさが印象的。 ・牧草地が目立ち、牛、羊、馬が多い。 また豚の牧草地に放し飼いが目だったのは英国的である。 中世にローマ軍がやってきて、羊を持ち込んだため、多くの畑が牧草地に代わり、多くの農民が失職し、 アメリカ大陸に押し出される原因になった。 そのアメリカで綿が大量に生産されて、英国に大量に輸入されて、 羊毛の値段を暴落させたのは、皮肉な自然の摂理だった。 ・食料自給率は80%あり、カナダの150、フランスの140、アメリカの130、ドイツの100%、 には及ばないものの、日本の40%からみれば、安定している。 ・英国は、庭つくりの好きな国民性であり、自然を利用した庭つくりが基本という。 ちなみに、フランスは幾何学的、イタリアは地形を利用した庭つくりが基本。 ・英国は産業革命が始めて起こった国。 当初の自然破壊も大きな問題になり、環境保護の先進国でもある。 ・ロンドンなどの都市に入ると同時に目立つのが、一棟が真ん中から左右対照同じ家が多い。それぞれが別の家族が入っている。 建売で、互いに気にしないで生活している。(値段が、安くなるからだろう) ・今回の旅行で、家族が仕事の関係で住んでいる人が三組いたが、その人たちの話では、英国は住めば都と、いう。 ・世界的な金融危機を直撃したため、国全体がピリピリしているように感じたが、国民性に深い歴史を感じた。 イギリスは、ファンタジー小説が多く書かれている国だが、その背景には、世界から略奪した富の蓄積がある。 ・・・・・・・・・・・ 2007年12月10日(月) 2441, 四四太郎の霊日記 ー11 ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ (字数制限のためカット 09年12月10日) ・・・・・・・・・ 2006年12月10日(日) 2077, 今年を振り返って −1 才八∋ウ_〆(∀`●) そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。年末の31日になったら、 もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。 ・北朝鮮の核実験とミサイル実験が日本にとってトップになるだろう。 ・イラクでは日ごとテロが激しくなり、イスラム教の宗派間の内戦の様相を示してきた。 ・国内では小泉から安部首相に代わったということか。 ・それに児童虐待(親と仲間内)が頻繁におきだしてきた。家庭内が荒んでいるのが原因だろう。 ・大型薄型TVが売れ出したことも大きい。 ・県知事が三人逮捕となれば、やはり大問題だろう。市長の逮捕など、それがどうした?と思えるほどである。 ・会社は、なんとか減収同益に持ちこめそうだ。来年から駅再開発が着工、今期を含めて三期がどん底だったが 光が見えてきた?か・・ それとも、今そう考えていたほうが都合がよいから?楽観的に・・ ・それと一番私らしくないこと、「県活性化のための会」を主導して開いた。 学生時代のゼミの後輩に依頼されてのことだが・・・まあ面白かったが、無事終了。 ・身辺では義母と、仲人の高橋与三八さんが亡くなった。 ・二人の息子が婚約?、自宅に連れてきた。 来年が結婚式か? ・新しい習慣として、モーニングページ(思ったことを起きざまに30分間にわたりノートに 曼荼羅の枠の中に書き込んでいく)の習慣を、3月から始めたことだ。これが今年の一番の収穫である。 ・旅行はケニアであったが、サファリ・カーの外より、車内の動物に・・・ (字数制限のためカット 11年12月10日) ・・・・・・・・・ 2005年12月10日(土) 1712, 私の生活流儀 −本多静六 ー読書日記 著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。 平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が 給与を上回り、60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、 別荘六カ所という財産を築き上げた。 ( ̄〜 ̄)ξ ーその方法は簡単なもの。 1.本業に励む。 一日一枚、出版レベルの原稿を書く。 _〆(。。) 2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける 3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。 ・まずは、本業に励むことを説く。 「人生最大幸福は職業の道楽化にある」という言葉に集約される。本業がキチンと確立すると、 副業として、官庁や公共団体の嘱託、早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。 また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入の すべてを銀行に預ける」で、人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、自然に、お金が貯まる。 これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。 ・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。 氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。 株式投資も行っている。投資方法は、先物で株式を買い、購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、 躊躇せずに、現金化する。ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。 その後の株の値段はすべて利益になるのです。下がった場合は、ずっと、保有する。 「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、悲観時代には思い切った投資を」という。 (字数制限のためカット 11年12月10日)
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2013年12月09日(月)
「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣 千春 (著) * 健康面から見る、高齢社会の現実 ー健康面から、高齢社会の現実を要約するー 《 日本人の要介護期間は平均約七年と、2008年にWHOより報告されているが、軽いものを含めると十年前後。 介護を要するきっかけは、脳血管疾患が最も多いものの、認知症や老衰、関節疾患、骨折・転倒とばらつきがある。 認知症、老衰、関節疾患の多くは緩やかに進行するが、脳血管疾患や骨折は突然起きることが多く、生活の急変をともなう。 65歳以上の死因別死亡率は、約半数が心疾患、ガン、脳血管疾患の三大病で亡くなっている。後期高齢者は増加すると、 肺炎や、老衰で亡くなるものが増える。注目するのは、不慮による事故による死亡が死因の6番目にあること。 交通事故、入浴中や、転倒によるもので、予期せぬ人生の終末は、周囲のものにとっても後悔を残す。60歳以上の自殺者は、 全体の3割を占めている。55〜65歳で三番目の死因が自殺。高齢者の自殺原因で、健康問題が半分、経済問題4分の1が 動機になっている。まずは、ウツになり、それが自殺につながる。目先に迫ってくる死の影に慢性の鬱症がつきまとう。 恩師、上司、同年代の友人、配偶者、時には子供の死などが身の回りに次々に起きて、周りのつながりが、どんどん減る。 さらに体調が悪くなり慢性的に不調を抱え、収入も減り、医療費の支出が増えたりして経済的に不安定になる。 それらが増えるのに対し、鬱憤を晴らすチャンスが減る。それが自己否定になり、生きている意味を感じられなくなる。 高齢者の自殺の6割が健康問題が動機。その中で、ひたすら峠を歩くことになる。・・・ 》 ▼ 峠からみる下界も時に美しく光り輝くこともあるが、人間の肉体は生(なま)もの。時間とともに、腐っていくのが 老いであり、病気である。それをカバーするには、運動と読書と趣味の深耕を続けること。その気力が衰えれば、 思い出の宮殿に入るしかない。欧米の公園で年寄りがボンヤリ座っている姿は、思い出の宮殿の中にいる抜け殻の姿。 50歳代で、数人の友人が亡くなったが、老いの経験をしないで済んだプラス面もある。としても、長く生きていたい。 特に、これから10年、厳しいが面白いはず。眺めは良いが、風は冷たく強い。荷物を一度下ろして、思いきった整理の時! ・・・・・・ 4285, 閑話小題 ー痴呆老人?の罵声 2012年12月09日(日) * つれづれに ー痴呆老人?の罵声と娑婆 最近、近所で徘徊している?80歳過ぎの痴呆のような老人がいた。一年前から2〜3回見かけるが、服装は普通だが何か変。 一月以上前になるが、駅に向かっていたところ、その老人が突然、7mほどの道路の反対側で並列状態で歩いて大声で喚き出した。 私を罵倒しているような、しかし何を言っているか意味不明。見ると目をさける。100mほどすると、そこは土手で民家が 無くなる。恐ろしくなったのか、少し離れて更に大声で喚いていた。 汽車時間がギリギリだったので、通り過ごしたが、 列車に乗ってから急に腹が立ってきた。帰った後に警察に相談に行って「収容をしないのか?」というと、「無理」。 それと、 「あなたの言っていること自体本当かどうか?」だと。 実は痴呆でなく、私の現状を近所で聞きかじった「寂しい老人性欝病者の 鬱憤ばらい」か、など考えてしまった。それにしては異常な怒りかた。上下の黒スーツに白ワイシャツ、14時からして、 「近所の孤独死をした老婆の49日法要の帰りで酒が入った勢いだたのか?」と仮説を立てると、怒りは増す。 「怨みの時代」の一現象だろうか、何だろう、これは。 私の事業整理は内情を知らない人からすれば計画倒産そのもの。 私には外海の大津波(金融恐慌)が内海に向って押し寄せているのが実感できるので、この事業整理には割り切りが出来ている。 しかし倒産にしては、今でも自宅に住み続けているし、大型車はそのまま。(20年乗った査定ゼロ車など知る由もない) 毎日、 何処かに出かけ、それまでと変わらない生活。 誤解され罵倒されても仕方ない状態。その上、旅行バックを持っていれば・・ あれは軋轢のあった?地元の人たちの罵声を代表したと思えば、一つの具象として分かる現象。 シラミの世界は、こんなもの、 真当に生きれば当然!と、納得するしかない。 地元に住む限りは半年に一度は、と割切っているが・・ ゾンビ?は無感覚で 襲いかかってくる。 私が「死にぞこない!」と怒鳴り返せば大打撃だろうが、痴呆老人との言い争いレベルに下がる。でも、面白い? あの怒り、色いろな顔を思いかべ当てはめるとドレもコレもピッタリ。その数の多さに今さらの感がする。 神様は丁度良いタイミングにボケ老人を遣わし、忠告したと感謝するしかない。 ここで、アメリカ、中国、韓国、そして日本の選挙と政権交代が進行中。 変動期には何かが起こる可能性が大きい。 株式・国債相場の暴落か戦争を機会に世界経済は恐慌に入る。ある朝、突然に始まるが、それを境に想像を遥かに超えた日々になる。 特に経営者は厳しい。それより何気なく病院で検査を受けた結果が、死の病の宣言!の方が、よほど恐いか。人生は喜劇、かつ悲劇。 ・・・・・・ 3910, ファイナル・クラッシュ ー2 2011年12月09日(金) 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾著 常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の 違いでしかないと言えば、それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、体力の弱い中国・インドに 世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めているという面では、読むべき価値は十分にある。 恐慌の恐ろしさを99%以上の人は実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。 夫婦で一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。 これから10年で日本は豊かな国から貧しい国になる。 ー この本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出してみる ー * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ(金融派生商品)やCDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、 基本的に相対取引であり、なおかつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人がアクセスで計る パソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、 わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織している クラブの本部がロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」 と勧められ、一冊の本をプレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。 主催者自身、それ一冊しか持っていないという貴重な本。 主催者は女性であった! その本を入手できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接プレゼントしたからだった。 主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を聞きたくなり、 本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン、ガーンジー島に 住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。 対岸のスウェーデンに住む私とお互いの予定を合わせ、クラブの本部があるロンドンで三人で会うことになった。 二〇〇九年のことである。 本で紹介されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリックスクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。 ここは、数学者で『不思議の国のアリス』の著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相のネヴイル・チェンバレンなどが 輩出した有名校である。 ー 目次 ー 第1章 借金が市場を炎上させる 第4章 日本経済の行方 第2章 世界経済ブラックアウト 第5章 自分の資産をどう守るのか 第3章 迫り来るメルトダウン 第6章 クラッシュ後の世界 ・・・・・・ 3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う 2010年12月09日(木) これまでの人生で、「そう思う」を、「本当に、そうである」と勝手に思い込んで失敗したことは数知れず。 これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。行動するの「行」には判断という意味が含まれる。判断し、動くのが行動。 その判断の基がいい加減になっていることに人は気つかないで、大体が「そう思った」で、「そう動いてしまった」ことになる。 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。 【 「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが正しいと思えば、 「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいということにはならない。正しいことは正しいし、誤りは誤りである。 では、正しいとは何か?というと、考えつくし誰もが認めることが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」に いきつくには、「考える」ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった一つの正しい定規である。・・・ 】 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだまだ考えが足りなかったと、この歳になってシミジミと思う。 10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。 考えて考えてきたつもりだったが、振り返って みれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。良書との出あいが少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、 「そう思っている、このことは本当に正しいのか」と一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違う ことになる。事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、「そんな激変するとは」に 様変わりしてしまう。それより日常の情報も同じである。「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は 洗脳されている。情報化社会で情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、気の毒な大衆に陥ってしまう。 ・・・・・・・・ 3170,つれづれに ー閑話小題 2009年12月09日(水) * 長岡の死体遺棄事件の背景は不況! 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。取引先からの発注の取消しのイザコザで 殺害したものだが、業界不況が背景にある。このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、 埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。本人は納品したといっていたが、集金はまだ ということになっていたという。何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、 それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上? * 翠点(すいてん) 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、 ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が 必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、 マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、 一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。 「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 * 国家予算の六割が借金! この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。 (字数制限のためカット 2010年12月9日) ....... 2805, オバマという人物 2008年12月09日(火) オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物である。 しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマのアメリカ」 の岡本行夫と佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。 ーまずは、その部分である。ー 【オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。 よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。 勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、 1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、 アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。 (字数制限のためカット 2010年12月9日) ・・・・・・・・・ 2007年12月09日(日) 2440, 哲学の効用とは? ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪ 最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。 世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。考えるということは、驚き、感動し、 根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。 まずは、その部分を抜粋してみる。 (P・228) −中島義道「哲学の教科書」 メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。これは、先に挙げた(第2章)プルーストの言葉 「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」 に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか 言っているのでないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に 伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。 その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」 「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。 私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか 瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、 必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか 「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、 こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。 つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。 したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか 「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベルの議論に 照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っているわけではなく、 (字数制限のためカット 2011年12月9日) ・・・・・・・・・ 2006年12月09日(土) 2076, 経験についての一考察 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 経験について考えてみよう。 「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。 それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。「人生経験」を例にとると、 体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。その蓄積が人生経験豊富ということになる。 経験は、過去の積み重なね としての現在の自分を構成している。したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが 面白くなっていく。経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。 バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」といっている。 経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、 この意味で考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、 ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。 これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、 自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら 考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、 記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、 経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった! (。^0^。)ノサイナラ!
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| 4649, 閑話小題 ーああそうだ、昨日は結婚40周年記念日 |
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2013年12月08日(日)
* 着る炬燵 ユニクロの古いフリースの上に、タウンベスト、更にタウンジャケットを羽おり、腰には電気アンカ、そして電気暖房。 それでも書斎は寒い!その姿を見て家内曰く「ホームレスみたい!」 HCの新聞広告に「着る毛布」があったので、 売り場に行ったが、いまいち。 そこでネットで調べると、あるある、幾らでも。その中で、「着る炬燵」というキャッチ セールのモノを見つけた。その多くの柄の中から、ユニオンジャック(英国国旗)が、華やかなで気に入ったので決めたが、 送られて来たのはブラウンの地味な色。送り返すの面倒なので、そのまま羽織ってみた。値段が半額で3000円弱。電気光熱で ないが、暖かく合格。ロングポンチョといった風で、座ってパソコンのキーボードの位置に穴がある。買手にとってネットは 非常に便利と実感。店頭では数種類しか展示してないが、ネットでは数百の中から選択できる。それにしても、居間と書斎で 変な毛布?を羽織っているいる私は何者? 誰も見てないので、よいが! * 名残のポタリング 例年、このあたりでポタリングを終了、来年の4月まで休止になる。冬期間は、それもありストレスが溜まりやすい。 早朝のポタは二週間前に中止、その後は午後から晴間をみて二日に一度の割合だが、あと数日で最終になる。 それだけ早朝のポタリングには魅力がある。東京など大都会で自転車を乗り回していたら、面白いだろうに。 クロス自転車に変えてから、危険な乗り物と実感するようになった。面白くなった分、危険が増えたことになる。 雨上がり、夕暮れ、横風、出会い頭の衝突が危ない。経験則から、土手と、バイパス沿いの歩道のコースが殆どのコース。 * 昨夜は、大学の同級会 このところ毎年、東京まで大学の同級会に出席をしている。それだけではもったいないと、上野にある「東京都美術館」で 開催されている『ターナー展』を見てきたが、これが良い。NHKの「日曜美術館」の再放送で、『生々流転する風景を描け 〜風景画の巨匠 ターナー〜」の再放送を見ていた。特に松岡正剛の解説がターナーの魅力を解りやすく解説していたことも あり、会場を進むごとに、その魅力に圧倒された。詳しくは次回に書くが長岡から往復の列車代を払っても十分価値がある。 出席数は、去年より2名多い19名。時空を超えた昔の世界に入り込んできた。 で、酔って会場に?デジカメを忘れてきた。 * ああそうだ、昨日は結婚40周年記念日だった 数日前から分かっていたが、昨日で結婚から40年になる。ネット検索によると、『 35周年:珊瑚婚式; 40周年:ルビー婚式; 45周年:サファイア婚式; 50 周年:金婚式; 55周年:エメラルド婚式; 60周年:ダイヤモンド婚式; 70周年:プラチナ婚式.』 昨日は、同級会のため何もしなかったが、40周年は、やはり大きな区切り。ホテルで昼飯でも食べにいくことにする。 成るほど、「結婚は大事業」だ!。 ・・・・・・ 4284, 閑話小題 ー毎年、100万人が定年退職 2012年12月08日(土) * 毎年、100万人が定年退職 団塊の世代が今年から100万人単位で定年で退職をむかえている。大よそ5〜6年として500万人以上。退職後に 家では古女房が待ち構えていて、日が経つにつれブツブツ小言が続く。 定年退職後、会社組織から開放され自由になったら、 今度は家で古女房が束縛してくる。大きい家ならまだましだが、小さなマンションなら身の置き場がなくなる。趣味の一つや 二つもあればよいが、趣味を持っているのは女房の方。成るほど粗大ゴミ、産業廃棄物とは、よくいったもの。今までは、 仕事も家庭の憂さも外ではらせたが、年金暮らしで小遣いは激減。逃げ場は、公営のスポーツジムか図書館。家で愛想良く 相手にしてくれるのはペット位。 月に1〜2度、馴染みの居酒屋で似たもの同士が噂話で他人の誹謗と古女房の悪口。 それなら、まだ良い。前の会社のOB会とかの飲み会で昔の自慢話か愚痴。 万人に当てはまるので、この辺りで止め! * 昨日で、結婚39周年 昨日で結婚39周年になる。当日に大雪が2mもあり、結婚式が遅れたことを思い出した。 結婚相手と仕事の選択で人生の 大方が決まってしったと思い知らされる。 互いに首輪をつけ、相手のゴム紐を持ち合い拘束しあう、それを夫婦愛というらしい。 が、そのゴム紐と首輪が年齢とともにジワジワと互いを絞めあう。 とはいえ独り暮らしというと、これもまた厳しい。 老いれば老いるほど、それは増す。現在、色いろあって自宅名義が家内になって立場が逆転。ことあるごとに居候扱い。 で、毎年、昼か夜、外食をしていたが、今夜の飲み会もあって、今年は無し。 * 不気味な雰囲気だが この16日と19日の日韓の総選挙で今年の世界各国のトップ交代が終了するが、これから二週間が危ないのでは? マヤ暦では2012年12月21日が人類滅亡?の日といわれる。 信じてはないが、タイミング的にみて何か不気味。 * 自民党大勝という選挙予測が出てきたが 自民党の圧倒的大勝の選挙予測が出てきた。これでは前回の民主党の大勝をさせた同じ失敗を繰り返すことになる。 小選挙区制の欠陥で致し方がないとしても、大勝は良くない。連立政権の方が土建屋政治の後戻りを阻止をする力が働く。 この予測も自民圧勝阻止を狙った何処かの国の情報操作の可能性もある。 思いの外、石原・維新が伸び悩んでいる。 当初の勢いからして、もっと勝ちそうだったが、これも終わってみないと分らない。 北のミサイル、尖閣列島にでも 打ち込めば選挙に大きな影響を示すだろうに。もしミサイルが再び失敗したら、どうなるのだろう? 体制崩壊もある。 ・・・・・・ 3909, 閑話小題 2011年12月08日(木) * いやに最近、自宅周辺が寂れてきた 家内が言うには、「最近、町内が急に寂れてきたみたい。町内のウチの班が13世帯のうち、現役の主人がいるところは三世帯のみ。 一ヶ月前に敷地内の貸家の一家も新たに住宅を買って出ていった。隣の美容院専門卸の社長も居なくなった。その数軒隣の中年夫婦も 数ヶ月前に急に居なくなった。 自宅前の20世帯のアパート二軒には、アジア系の住人が数世帯入っているだけ。 残っている家も、 お年寄りと空家ばかり」ここにきて不景気が身の回りの現象に現れ出てきたようだ。 その典型が我家でもあるが・・ 自宅の敷地内にある貸家は、この20年間、空くと直ぐ次の借り手が現れ、ほとんど空いていたことはなかった。来年の転勤時期の 三月までは、諦めているが、不動産屋が言うには、「最近、家を借りたいという人が少なくなった。企業の海外移転が加速していて 働き手が激減している。尋常ではない」とか。 自宅周辺は、実際に住みやすい環境である。歩いて2〜10分以内に、三つのSCがあるし、 駅まで10分の好立地。 周囲は閑静。 ところで親戚が長岡駅の周辺で三つの貸ビル経営をしているが、テナント10数店舗のうち 入居しているのが二つのみ。 無借金経営で、堅実なので、この数年先の暴風雨には問題がないが、現在の長岡の現状の縮小版でもある。 他人事ではないが・・ 角栄の遺産(公共事業)で生き抜いてきた地元経済も、ここにきて大きな変化をしてきたようだ。 消費税率のアップと、TPP問題、農業への放射能汚染、数年後に控えた北陸新幹線の影響。 問題が山積している。 * 甘口の濁り酒と、辛口の酒のミックスが美味い! 一年ほど前から、晩酌に「濁り酒」を飲んでいる。 それだけでは酒の効きが強いので、二級酒?の辛口の日本酒を半分混ぜると、 甘口と辛口が丁度良いバランスになり、自前の丁度良いミックス酒をつくりあげたと自画自賛。それとノンアルコール・ビールを飲む。 濁り酒は年中売られているわけでなく、夏の期間は店頭から消える。ちょうどビールの時節になるので、それはそれで良い。 紹興酒も、濁り酒が飽きた頃に切り替える。二週間の間隔である。両方とも量の割に酔いが深くなるが、1合少々なら悪酔いはしない。 本当は、ノンアルコールビールのみがベストだが、緩慢な自殺行為と分かっていても・・・ ・・・・・・ 3544, まさかハクビシンが? 2010年12月08日(水) 敷地内にある貸家(通称=裏の家)の住人から、天井裏から水が漏っている苦情があった。まずメンテの業者にみてもらったところ、 「獣の足跡があり水漏れは小便で、自分達の範疇でない」と引きあげていった。で、駆逐業者を呼んだところ、「ハクビシンだろうが、 夜になると外からくるので穴を塞ぐしかない」というので、再びメンテの業者に頼み穴を塞いで貰い一件落着? 身近でハクビシンなど 聞いたことがないので鳩が豆鉄砲を喰らったよう! ネットで調べてみたら隣町の川崎町で、去年だけで40数回のハクビシン騒ぎが あったことが分かった。ハクビシンというと佐渡の朱鷺を襲った奴で、猫ぐらいの大きさがある。あれが天井裏で騒いでいたら、 住人は夜半、気味が悪かっただろうに。「ネズミが騒いでいるにしては音が大きい。しかしハクビシンとは思いもよらなかった」とか。 それにしても山中なら分かるが、こんな住宅街に現れるのだろう? もしかして、まだ、天井裏に隠れている可能性もある。 *「ハクビシン」をウィキペディアで調べてみると ーハクビシンは台湾名であり、本来は暖地系の獣であるが、日本では四国と本州の東半分に生息し、日本に生息する唯一の ジャコウネコ科の動物となっている。北海道の奥尻島に生息しているとの報告もある。日本の在来種なのか外来種なのかは はっきりしない。明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力であり、 それ以前の古文書における生息の記載や、化石記録が存在しないことから、外来種とされてきた。 各地で研究飼育された獣の一種で、個体が逃げ出したり放棄されたりして繁殖したともいわれている。 同様な目的で持ち込まれた獣としてはヌートリアがある。人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する。 子どものうちはよく人に馴れて愛くるしい。リスやネズミに比べて、かなり大型の獣である。ー 二年ほど前に近くに熊が出たので、ハクビシンもありか! * 後記ー朱鷺が襲ったのは、「テン」で、「ハクビシン」ではありませんでした。 知人に教えてもらって、気づいたしだい。 −2010年12月16日 ・・・・・・・ 3169, 夫と妻 か〜 2009年12月08日(火) 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、 どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。そういう自分のことは分かりません! だから生きていけるのでは? 悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。 しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、 野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’の メリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。 野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーは そこに目をつけた。メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、 家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。 これは大久保の助力で表ざにならなかった。 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると ・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。 「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。 嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。 付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。 だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。 それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。 特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。 昨日、結婚記念日で36年たった。 ・・・・・・ 2804, イングランド・ツアー ? 2008年12月08日(月) 『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。 まずはギリシャのコーナー ーパルテノン神殿の破風彫刻ー 古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた 彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった 中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ) これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。 次は古代エジプトのコーナー ージンジャー(ミイラ)ー 人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの 成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、 完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。 今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。 ーアメンボテプ3世の頭像ー 古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。 欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、 顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に 誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ ーラムセス2世の胸像ー 新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。 19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。 右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。 ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため 「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。 BC1250年ごろ ーー これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」 という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 ・・・・・・・・・ 2007年12月08日(土) 2439, サブプライム問題 −3 *サブプライムローンの実態は消費者金融! 「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。 ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。 「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。 銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。 ーこの要旨をまとめるとー サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、 ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。 それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、 借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。 記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。 「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。 ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。 中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に 預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。 証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。 例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが 多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。 その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを 別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。 (字数制限のため、カット11年12月08日 ・・・・・・・・ 2006年12月08日(金) 2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。 ーこれを解りやすくまとめるとー ・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。 ・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。 ・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。 ・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。 ・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から 負債を引いたものを「富」と定義したという。 (字数制限のためカット 2013年12月8日)
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| 4648, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー4 |
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2013年12月07日(土)
『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア著 * 記憶の宮殿 ー� �P・122 《・「記憶の宮殿」といっても宮殿でなくてもいいし、建物である必要はない。街の通りを思い浮かべてもいいし、 駅、架空の生物でもかまわない。小さくても大きくても、屋外でも屋内でも、現実にあるものでも想像上のものでも、 とにかく「ある場所から次の場所に移る際の順番がわかりやすい想像しやすいもの」であれば何でもよいのだ。 ・全米記憶力選手権で4回の優勝を勝ち取ったバグウッドは世界的建築雑誌『アーキテクチュラル.ダイジェスト』で 特集されていた豪華な家々にイメージを置いている。 ・マレーシアの気鋭の記憶力王者、スウィーテーイは、自分自身の身体の部位を使って、『オックスフォード中英辞書』の 全1774ぺージ、5万6000語を憶えた。 ・オーストラリアやアメリカ南西部では、先住民族のアボリジニやアパッチ族が独自の「場所法」を編み出していた。 ただし、建物を使うのではなく、地元の地形図を利用して物語を作り、風景を織り交ぜた歌に仕立てていた。小高い丘、岩、 水流がそれぞれ物語の一部を担う。「神話と地図が符号しているのです」と、ミッソーリ大学で記憶と言い伝えの研究を している言語人類学者のジョン・フォーリーは言う。しかし、物語を風景に埋め込むことで、ある悲劇がもたらされた。 先住アメリカ民族は政府に土地を取り上げられたことで、故郷だけでなく自分たちに伝わってきた神話も失ってしまった。 ・「ジョシュ、わかってほしいのは、人間は本当に場所を憶えることに長けているってことだ」と、エドが言った。 「例えば、君が初めて行った誰かの家で5分間だけ1人になって、好奇心が湧いてきたとする。5分間でその家のことをどれだけ 憶えていられると思う? おそらく、それぞれの部屋の場所と間取りだけでなく、方角や装飾品、家具の配置や窓の位置まで 憶えられていられるはずだよ。意識していなくても、自分自身が気づいているということにすら気づいていない何百もの物の 場所や、いろいろな特徴を憶えているものなんだ。そういった情報を足していったら、ちょっとした短編小説ができあがる。 でも、僕たちはそれを記憶の功績として残したりはしない。ただ空間記憶を消費しているだけなんだ」 ・「記憶の宮殿」の基本的な考え方は、自分のもっている素晴らしい空間記憶を利用して、脈絡なく並んでいる情報を組み立て 格納することだ。 大切なのは、よく知っている場所を「宮殿」に選ぶこと。「最初の宮殿は、君が育った家は平屋?・・・》 ▼ これを読んで、自分には記憶力がないと決めつけ、記憶以前の対象の認知を疎かにしていた事に気づかされた。確かな認識を してないなら記憶が曖昧になって当然。記憶力が弱いというバイアスが、認識力そのものを弱めていたのである。単純だが、 この本を読むごとに、認知力と、記憶力が強まっている。まず、対象に集中しイメージをつくる。そして、自宅の庭と玄関 周りと、自宅内の幾つかに貼り付けていく。これをスムースにするには訓練しかない。 それにしても面白い! これを応用して、『思い出の宮殿』が出来るのではないか・・ 過去の創作になるが、いや深入りをしない方がよいか? 『思い出の宮殿』と検索に入れても、この言葉のヒットが無かった。 夜半、少し試みたが、無呼吸になっていた。 ・・・・・・ 4283, 日本人の思い −2 2012年12月07日(金) 「日本人の思い」ー ほぼ日刊イトイ新聞 著 このアンケートの面白さは、アンケート結果の「エッ」という意外性と、「やはり同じだ」という同調性である。 * 「あなたは、センスが良いですか?」に対して、センスが良いと答えたのは54%、悪いと答えたのは46%で、 微妙な数値である。自分はセンスが悪いと思い、チャンスがあればファッション店のウィンドウ・ショッピングを している方が結果としてセンスが良くなるケースが多い。日本人は、大衆が洋服を着るようになって日が浅い。 最近の若者は体形が良く、TVやファッション誌などから情報が入手可能。ファッション・チェックという番組まである。 * 「あなたは、宗教心がありますか?」では、宗教心があるが4割に対し、ないが6割になっている。 年齢的にみて高齢者ほど宗教心が高くなっているが、死が近づくにつれ、神にすがりたくなるようだ。 * 「あなたは、軽いですか?」に、7割が軽くないと答えている。年齢別の統計値を見ると、50歳代の男性の 3分の2が軽くないという答えが、60歳代になると逆転し、3分の1と軽くなっている。30歳前半の4分の3が、 軽くないと思っているから、社会的責任が、その思いに影響をしているのが分かる。 * 「あなたは、しつこいですか?」に、6割が、「しつこい」と答えている。これは以外である。 年齢的にみると、14歳以下の8割が、一番しつこく、歳を得るに従って、しつこさが薄れていく結果になっている。 * 「あなたは、生意気ですか?」に対し、7割が生意気と答えている。見渡すと、大体は「小生意気」だが。 * 「あなたは、直感的ですか?」に対して、4分の3が直感的と答えている。これも五分五分と思ったが、意外である。 * 「ダイエットを意識していますか?」に対し、女性は8割、男性は5割5分が意識していると回答。こんなものか。 * 「ケチか、どうか?」に対し、3分の2が、ケチと答えている。ケチをしないと、この世知辛い中で生きていけない。 * 「美男(美女)ですか?」に対し女性の3分の2、男性の4分の3が、そうでないとの答え。客観的にみて、そんなもの。 ▼ 8割以上は、前回、書いた「音楽が好きで、旅が好き!。よく本を読むが、エッチ。恥ずかしがりやで、よく笑う!」 それでは大方の3分の2の人といえば上記である。 これを要約すると「センスが悪く、宗教心はなく、軽く、しつこく、 生意気で直感的。女性はダイエットが常に頭にあり、ケチで、容姿に自身がない。」 これが大方の日本人が思っていると分かれば、劣等感も心が軽やかになる。 ・・・・・・ 3908、ファイナル・クラッシュ ー1 2011年12月07日(水) 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 石角完爾著 知人に紹介され読んだが、解りやすい内容。 大まかに要約をすると、 ≪ アメリカが国内消費を促すために下層階級の住宅資金を野放図に貸出し、ローンを債権として組み合わせて全世界に売り出した。 プライム・ローンをベースにしたCDSである。それらが7京という途方もない不良債権として世界の国家や金融機関に眠っている。 アメリカは世界の主軸通貨の立場を利用して、ドルを刷りまくっていて、そのドルをアメリカ国債と交換し、帳尻を合わせてきた。 加えて新興国の発展も含めて人口の急増がとめどなく進み、食料不足をおこしている。ドルとユーロとアメリカ国債のバブルで、 その破裂は目の前に迫っている。 ここに及んでソフトランディングは無理、ハードランディングを避けられない。 日本はGDPの二倍以上の1千兆円の国債を発行、この暴落も何時起こるかもしれない事態。家族も資産も海外に早いうちに避難すべき。 その先はオーストラリアかシンガポールが最適。 最終章は目前である・・・ ≫ ▼ 新聞報道で連日、欧州危機の報道が続いている。 目先、問題を先送りをして凌いでいるが何時、火の手が上がるかの瀬戸際。 ある朝、起きてみると・・ それは想像を絶した本格的世界恐慌のノロシである。印象に残った部分を何回かに分け書き出してみる。 ◎ 第一部 パーティー・タイム− 負債の泉 「もしアメリカの人々が銀行に通貨の発行量の調節を許すなら、第一にインフレにより、次にはデフレにより、銀行と企業は成長し、 そこら中にはびこって人々の財産を奪うだろう。そして子供たちは、彼らの父親が征服した大陸で自分たちがホームレスになっている ことに気づくことになるだろう」 −トマス・ジェファーソン(第三代アメリカ合衆浄大統領) ○アメリカの住宅バブル アメリカ人の多くは、ジュニア・ブッシュが大統領であった時代、ただで酒をふるまわれて酔いしれていた。酒の正体は、低金利で いくらでも使えるクレジットである。 二〇〇一年の911による消費の減退を避けるため、緩和的な金融政策と減税が実施され、 それによって金利が下がり、借金をして消費することが容易になったのだ。金利が下がったことでローンを組んで不動産を購入する人が増え、 その結果、住宅価格は急上昇した。それ以前からアメリカにおける住宅価格は二五年にわたり上昇していたのだが、二〇〇〇年以後 ほんの数年で価格が二倍にもなった地域もある。 2004年から2005年にかけアメリカの平均的な住宅価格は一三%も上昇している。 しかしこの時期、この程度の上昇はスペインやポルトガルでも珍しくなかった。つまり不動産価格の上昇は世界の多くの地域で同時に 起きた現象だったのである。 これは、アメリカの金融緩和が生み出したものだった。 アメリカが世界の他の国に比べて重要なのは、 アメリカが世界最大の消費国家であり、過剰生産される品々を全て引き受けているからである。 アメリカ人は自分たち自身の お金だけでなく、とくに中国、日本そして途上国がためているお金まで自分のもののように使っているのだ。 そのためにアメリカの金融緩和は世界の景気を上向かせ、資産価格を上昇させてしまう。この金融緩和はしかし、無理のある政策だった。 ・・・・・・・ 3543, つれづれに ―物忘れ 2010年12月07日(火) * 物忘れ 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。 先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。 その上に、同級会が終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで 失くすので、1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。会社も自宅でも、 パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。 * 大学の同級会 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。20,30,40周年の会には出席した。 (10周年の会は、会そのものが行われていなかった) その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。 4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は 首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。 迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と 割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。 あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。 小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は 駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマンの子供、 そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区になる。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。 そして、就職・・・ だから、同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。 ・・・・・・・ 3168,人生に関する閑話小題 ー2 2009年12月07日(月) * 孤独な老人 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を垣間見ることができる。 80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。 観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まるのである。2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。 それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 * ある人生 (字数制限のためカット 2011年12月7日) * 鬱病、欝症について 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。 境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの 話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。 ・・・・・・・・・ 2803, イングランド・ツアー ? 2008年12月07日(日) * 集団スリに狙われて −2 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。 ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには少年の集団万引きに 注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。 面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。 腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。 これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 その男、ニヤリと笑ったので、 わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。ただ、それだけのことだが・・・・・ 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが 出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。 そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。 三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、 その瞬間を待った。 しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。 * 旅行の全てを楽しまなければ 「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。 特に移動時間をいかに過ごすかである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。 特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。それを楽しむには、音楽かTV。 最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。 帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。 その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、 無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。 世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。 それなら情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。 ・・・・・・・・・ 2007年12月07日(金) 2438, 犬は鏡で自己を認識できるか? (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」 ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。 少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。 でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。 {考える日々? 池田晶子著 ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋 ーー ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、 やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、 ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、オランウータンとゴリラだけだと番組で言っていたが、 しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。 同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を 覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、 時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。 鏡像認識は、霊長類に限らないようである。で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると 認識するというのは、どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということに なりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、 どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」 「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。 なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが 「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と 思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、 「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと 思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。 (字数制限のためカット 2011年12月7日) ・・・・・・・・・ 2006年12月07日(木) 2074, 寝ずの番 才八∋ウ_〆(∀`●) (字数制限のためカット 2010年12月7日)
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| 4647, 閑話小題 ー「考えないこと」こそ罪 ー2 |
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2013年12月06日(金)
* 「考えないこと」こそ罪 ー2 人間が考えないのは、「馬鹿の壁」に取り囲まれているからである。その「バカの壁とは何か?」をネット検索すると・・・ 《「養老 孟司の『バカの壁』を解りやすく説明してください」の問いかけに対し、「人間は、外界からの刺激を感知する際に、 その刺激に対してX(エックス)という変数をかけています。例えば私たちは、自分が大好きな歌を聞くときには、 「その歌」×「限りなく大きなX」に導かれる値を刺激として受け止めています。一方、まったく興味のない歌を聞くときは、 「その歌」×「限りなく0に近いX」から導かれる値を刺激として受け止めています。そのため、前者の刺激が非常に大きく、 その人に対して多大な影響を持つのに対し、後者の刺激は「空気」のような存在です(レストランの有線放送が良い例)。 「バカの壁」とは、こうした「外界からの刺激に対する無意識の判別」を指す言葉だと理解しています。もし全ての刺激に 「大きな変数」をかけてしまうと、その結果頭に入ってくる刺激に対応しきれなくなるため、刺激の必要不必要を判別する この機能は非常に重要です。それは外界の刺激に対する「目隠し、壁」としても働いている。》 ▼ バカの壁は決してマイナスだけでない。問題は、自分のそれを意識できるかどうか。 人間である限り誰もが考えている。 問題は、より広く、より深く掘り下げて考えようとしないこと。現在、アベノミクスのミニバブルが起きつつある。 15〜6年前のデフレ直前1990年代半ばに似ている。その後に2001年の9・11テロ、2008年のリーマンショック、そして、 2011年の東北大震災が起こった。現在の私の立ち位置の高台からは津波(恐慌)の本体が見えるが、眼下の海辺近くの街中で、 宴会で酔い遊んだり、仕事をしている人には、次の大津波が見えてない。それを察知するに、自頭で考えるか、情報に対する 己の勘しかない。そこで、近い将来の犠牲者達が、高台に避難した人を不思議そうに見ている。 笑っているのもいる。 ところで、『そういうアンタ、考えているの?』と言われると、『ウ〜ン!』になる。 石原慎太郎がつくりあげた 尖閣列島の国境問題。下手をすると戦争だが、今の日本には、これで良い。目先に迫った危機が、ピンとこないようだ。 「考えない」のはの罪であり、罰になる。最初の余波で浚われた罰を受けた私が言うのだから、間違いない。 ・・・・・・ 4282, 閑話小題 ー人生、面白くなければ 2012年12月06日(木) * 人生は面白くなければ生きる価値がない レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる、フィリップ・マーロウの 「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」の言葉をもじった、 「人生は明るくなければ生きていけない、でも面白くなければ生きる価値がない」の言葉を、ある本でみつけた。 高杉晋作の都都逸、 「おもしろき こともなき世を おもしろく」に、相通じていている。 この年齢になり、世相も心も暗くなりがちになると、一日一日を如何に面白く時間を過ごすかが課題になる。 その辺は、長年かけて鍛え上げてあるが。ただ明るく面白ければいい、のではない。 その人の人生を貫く信念がなければならない。 * 書斎の楽しみ ! 去年の春以来、書斎に一日4〜5時間はいる。この随想日記の下書きや、読書、そしてネット・サーフィンが主。 他には、日記や、音楽を聴いたり・・・ 早朝2時間、午前中2時間、夕方1時間。 この三本柱の時間帯と、 寝室に7時間、スポーツジムに2時間。居間に6〜7時間。早朝のミニ・サイクリング1時間(冬季を除く)。 他には風呂とか、図書館など数時間になる。 この判で押したようなアカデミック?な生活をしていると、孤独な、 孤高のゾーンに奥深く入ることが時おりある。ポタリングで信濃川の土手や橋を引きチャリをしている時にも、 そのゾーンがやってくる。だから続くのである。特に書斎では思いもよらない過去の思い出、思わぬ気付きが奥深く から湧き出ることがある。 読書も然り、書き手の世界に入り込み、その琴線に触れる時、このゾーンに入り込む。 雑念を超えた時空の世界である。 作家とか芸術家は、その世界を広く深く持っていて、そのゾーンから何かが 伝わってくるのだろう。魂という言葉があるが、このゾーンと繋がった心の状態をいうのではなかろうか。 ・・・・・・ 2011年12月06日(火) 3907, ルソーの孤独 二年前の2009年12月1日の随想日記「人生に関する小題」の中で、現在の私を予感させる文章があった。 ≪【 わたしは地上でたった一人になってしまった「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に 終わった文章、ルソーの絶筆である。「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後「八、九、十」がメモのような文章が続く。 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで 人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。】 私の周辺の倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだ。 多くの取引先、部下を路頭に迷わせ、自分の存在の卑小さと、 嫌らしさに自己嫌悪を独りする。 自分は何者なのか? ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ(私)!である。≫ ▼ この文章を書いた二年前から、倒産を決断するまで売上下降が続くとは夢にも思わなかった。 そしてトドメが東北大震災。 税理事務所の30年来の担当Jさんが、「初めは気が張っているが半年も過ぎれば、ジワジワとボディーブローとして効いてきますよ」 と忠告してくれた。 地方の大方の会社に、この大不況が直撃していることも事実。 大津波の前兆の波が、特に敏感な立ち位置の 当方に先に直撃したが、本体の波が来るのは今年から来年にかけて。(但しG20が時間稼ぎをして来年に先送り) どのようにシュミレーションをしても、本体の津波がやってくれば海岸線に近い三次産業、輸出関連産業は、致命的大打撃を被る。 ところが津波に一番危ない会社ほど、大津波に気づかず高台に逃げていく人を嘲笑う? ルソーの孤独感は、独り死に直面した時に 誰もが経験することになる。ネット上にブログを10年間書き続け、墓としての思いを入れ続けてきたので、ルソーの孤独感は無かった。 しかし、この10年間に多くの友人知人が亡くなっている。亡くなる直前に、ルソーのような絶望的な孤独感にさい悩されたはず。 このルソーの孤独は、虚無という真っただ中に漂う私が、壊れていく恐怖が伴う。談志も死を前に強がりを言っていたが・・・ ・・・・・・・ 3542, 価値観の中心の書き換え −4 2010年12月06日(月) * そもそも「成功」とは何ぞや? ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・ 【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、なにがなんでも 絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて生きていきたいわけではないのである。 成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いているようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、 あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。 人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって 恥じるそぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。 ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。 「成功」が人生の最上位に立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。 頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、「不自由」なのかもしれない。、 有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していればいいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。 けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・・・・ 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を[[実現していく過程」であろうとなかろうと、目標が「実現」しようと しまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が馴染みにくいと思っていたら、 全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスやグレートやドリームの受け入れだったからではないか。】 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線でもある。 高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。ならば、それぞれが自分の価値を見出し、 追求していくプロセスを大事にするしかない。情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれスキルが必要である。 人生に今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。 旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。 成功とは良かったと思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。 ・・・・・・・・ 3167, シュリーマンの話 ー4 2009年12月06日(日) ー抜粋のつづき 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、当時の ロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。彼のたどり着いた疑問は二つ。 《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。 シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上 【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】 〜〜 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。 日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や 工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、 教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。 NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。 ・・・・・・・・ 2802, イングランド・ツアー 2008年12月06日(土) *集団スリに狙われて 観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。 南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、 添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、 誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。 (字数制限のためカット 2010年12月6日) ・・・・・・・・・ 2007年12月06日(木) 2437, ファッションを哲学する ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪ 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」 という彼の言葉は痛烈である。 更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか? 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。 −−− ー彼の論を簡潔にまとめるとー ・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。 ・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、 まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。 ・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。 ー印象に残った部分を抜粋してみるー そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》) と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。 −−−− 衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。 とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、 一瞬に不良在庫の山になる。ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには 関係なかった。しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。 劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。 今だったら「馬子にもブランド」? ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、 6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・ ・・・・・・・・ 2006年12月06日(水) 2073, 金は人を幸せにするか? 才八∋ウ_〆(∀`●) お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。 毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。 (字数の関係でカット2009年12月06日)・・ ・・・・・・・ 2005年12月06日(火) 1708, 戦略ノート −1 −読書日記 また斉藤孝である。~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。 この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、 ー 成功を以下のように定義する。 φ(・ェ・o)~カキカキ 1、自分の人生の目的を知り 2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し 3、人のためになるような種をまくこと (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・ ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握 ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる 更に 次の5つのステップで夢を見つける ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー ・・・・・・・・ 2004年12月06日(月) 1343, 雪下ろしの雷 今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。 (字数の関係でカット2011年12月06日)
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| 4646, 一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由 ー3 |
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2013年12月05日(木)
『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア著 * 人は、思いのほか、遥かに記憶力がある! 以下の一節には驚いた。一枚の写真だけでは分からないが、隣に違う写真を並べることで、記憶が浮かび上がる現象。 それが30枚でなく一万枚でも殆ど憶えている事実。これを利用したのが速読法の『事前に、ページ全体を凝視するか、流し 読みをすれば、遥かに読書の速度が上がる』ことが納得出来る。私たちは、鍵や物事の名前を忘れ嘆いているが、「最大の 忘れものは、私たちはごく稀にしか忘れないことを忘れていること。」物覚えが悪いと自分自身、決め付けているのである。 『私は記憶力が少ない。それも二面があり+−0』という暗示を、この年齢まで引きずってきたのである。ーその辺りからー 《 エドは、「僕はイギリス生まれ。だから、社会生活を満喫するよりは記憶でもしようと思わざるをえなかったんだ」と 自虐的なジョークを混じえた自己紹介のあと、70桁の数をほんの1分ちょっとで憶える(S」がかかった時間の3分の1だ)という 正真正銘の記憶力を披露し、続いて高校生と私の記憶力のテストに移った。「これから君たちに写真をたくさん見せるよ。 すごく速いスピードでいくからね」「できるだけたくさん憶えてね」。そう言うと前の映写幕に、次々と写真が映し出された。 0.5秒足らずで次の写真に移っていく。ソニー・リストンに勝利したときの・モハメド.アリ、・月面上につけられたニール ・アームストロングの足跡、フリードリヒ.ニーチェの『道徳の系譜』の表紙、赤いバラ…。写真は全部で30枚あった。 あっという間に次の写真に移るので、全部どころか一枚でも思い出すのが難しいような気がした。それでも私は全神経を注いで 一枚一枚、脳に刻みつけた。最後のの写真のあと、部屋は真っ暗になり、再び照明がついた。 「憶えているかい?」に 「思いません」と私の前の女子高生が皮肉めいた口調で答え、幾人かがクスクス笑った。「そう、それが聞きたかったんだ」 とエドは答え、腕時計を見て時間を書きとめた。--- 30分後、次々と見せられた写真の記憶が忘却曲線にしたがってかなり 消えてから、エドは、新しいスライドを見せていった。今度は2枚の写真が並んでいる。1枚は先ほど見たもので、もう1枚は 初見のものー左側にアリ、右側に泡を出している解熱鎮痛薬の写真だった。エドはさっき見たほうの写真を指さし言った。 簡単だ。アリの写真はさっき見たもので、アルカセルツァーは違うと誰もがわかった。エドは「ね、簡単に思い出せただろう」 と言ってから、次のスライドー左側に一匹の鹿、右側にはニーチェの本1に移った。これも全員が正解した。結局、全員が 30枚を全部答えることができた。「さあ、面白いことがわかっただろう」。エドは教室の前方を教授さながらのポーズで 歩きながら言った。「1万枚のスライドを見せたって、君たちはちゃんと答えることができるはずだ。君たちの記憶力は それくらい優秀なんだよ」続いて彼は、1970年代に行われた、よく引用される実験について話した。今やったのと同じような 方法で行われたテストだが、30枚ではなく1万枚を憶える(このテストには1週間かかった)。憶えるには多すぎる量だ。 一度見ただけで憶えるならなおさらである。》 ▼ ドッキとする一節である。「なんてこった〜」である。毎日読む新聞も本も、一度、スキャニングをした方が 良いことを分かっていても、していなかった。それと『私の記憶力が弱い!』というバイアス(思い込み)の 強さに今更である。もっと強いバイアスに囚われているはず。「余命半年!」と宣言され見えてくるのだろう。 ・・・・・・ 4281, 日本人の思い −1 2012年12月05日(水) * これが日本人? 「日本人の思い」 ー ほぼ日刊イトイ新聞 著 これは、ネットの人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、毎週のアンケート50回の「日本人の思い」のテーマの回答! ー 八割以上、イエスと答えた内容をみると、 「音楽が好き!」は 96.2%! 「旅が好き!」は 84.7%! 「よく本を読む!」は、 81.2%! 「エッチです」は 84.6%? 「恥ずかしがりや」は 82.4%! 「よく笑う!」は 81.8%! この結果からみると、ー音楽が好きで旅が好きで、エッチで恥ずかしがりやで、よく笑いよく本を読むー これが、日本人!である。 しかし、意外な結果も多い。 * 日本人の67%が「私は働き者でない」と思っている。 多くは、逆の3分1と予測していた。 しかし自分を振り返ると、この結果は理解できる。心の奥では、働くより遊んでいた方が良いと思うのは当然。 * 「あなたは、運がいいですか?」に対し、76%が、運が良いと思っている。 「自分が生まれてきて、ここにいるだけで充分に運が良い」と思っているから健全である。 *「あなたは、持てますか?」に、62%が「持てない」と、答えている。 年齢別でみると、持てるピークは 50歳代で60%が「持てる」と答えている。 社会的立場の充実感が人を惹きつけるのだろう。 若いときは、どっちに転ぶか分からない不安定さが緊張感を醸し出し、それが異性や友人を惹きつけが、 50代は経験からくる充実感が吸引力になるようだ。 私の場合、50代の10年間で30年分を生きた感がある。 *「あなたは、親切ですか?」の問いには、53%が親切と答え、47%が、親切でないと拮抗しているが、そんなものか。 *「あなたは、健康ですか?」には、7割が健康と答えている。逆にいうと3割が病を持っていることになる。 ー続く ・・・・・・ 3906, 閑話小題 2011年12月05日(月) * 一昨日は大学の同級会。 大学1・2年時の同級会が服部栄養料理学校の服部幸應さんを中心で開かれている。首都圏に住むグループの会で、 遠距離の地方出身には声がかからない。 その会の幹事が武澤ゼミ仲間だった縁で去年初めて参加してみた。 しかし春先に色いろあったので今年は不参加と決め込んでいた。ところが、そのクラスで親しかった男が42年ぶりに参加すると聞いて、 急遽、出席することにした。彼は全国を転勤した後に、終の住まいを仙台空港近くにし、釣りとゴルフ三昧を決め込んでいた。 ところが東北大震災の津波で九死に一生を得て、現在は実家のある前橋に戻り、新たに住居を購入したという。 私の大学で初めての友人で、私が入っていたクラブに引き入れた経過がある。卒業後は全国の転勤もあり、大学関係の会には一切、 顔を出したことはなかった。 会った瞬間、私は「おい変わったな!」で、相手は、「全然、変わってないな!」である。 今回の会の出席者は17人で、去年とほぼ同数。 私も一応東北大震災の経済被災者だが、彼と私の生生しい話に他の出席者は、 目をパチクリ。 その友人は明るく振舞っていたが、やはり痛手は隠せない。そういう私も、そう見えていたのだろうか。 ところで、ゼミで一緒だった人と、久しぶりの再会の友人が異口同音に、「堀井のこと、絶対にリスク管理をしていたはず。 学生時代から用心深かったので、会社と個人は分けていたと思っていた」と言う。 地元の友人が、全く同じことを言っていたので、 逆に驚いてしまった。性格は昔も今も変わっていないということ。 それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、 リスク管理をしておくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。 * 有楽町・東京駅の再開発 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。 ニュースで知っていたが、実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然としていた飲食街が一掃されて、 近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを 楽しみにしているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、成るほど、そのとおりである。 また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。 丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。 たまに行くには良いが、都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きにはなれない。 ・・・・・・・ 3541, 価値観の中心の書き換え ー3 2010年12月05日(日) 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。 それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を患った時だったり。 若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の価値観が変貌していく。 節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。社会に出て10年スパンか、20年スパンで、 節目を自分で作っている人を時々見かける。人生設計をし、それに従って生きるのも道理。 起承転結という文章作法(あるいは四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、 結=60歳〜 を、区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、 40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期になる。しかし振り返ると、 それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、 楽しみを味わい、60歳以降は、それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。 「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、自分の物語をつくっていくことになる。 そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。 それぞれの人生があるからである。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。 所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。 「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。 「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。 ・・・・・・・・ 3166,シュリーマンの話 ー3 2009年12月05日(土) 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、 「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。 ーその面白そうなところを抜粋したー ・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。 「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。 ・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に 「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。 ・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。 =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。 つづく ・・・・・・・・・ 2801, イングランド・ツアー 2008年12月05日(金) 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。 ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、 そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、 走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。 翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 *まずはナショナル・ギャラリー。 ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。 特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは 至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。 世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。 *次に大英博物館。 エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。 それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの 資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、 『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、 【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、 岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。 その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字 (デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・ (字数制限のためカット 11年12月05日) ・・・・・・・・・・ 2007年12月05日(水) 2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う! オハヨウ (∀`* ゴザイマス! 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う! が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。 それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入! というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、 今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。 (前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた) 私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。 長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、 それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。 (今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。 ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、 「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に?? ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー 疲弊する経済に新たな火種! “日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う! ■倒産の連鎖が始まった! ■ノンリコースローンの問題点 ■「新築マンションの完売はウソ」 ■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、 地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。 あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。 (字数制限のためカット 11年12月05日) ・・・・・・・・ 2006年12月05日(火) 2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー! 先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。。 (字数制限のためカット 09年12月05日) ・・・・・・・・ 2005年12月05日(月) 1707, 家訓づくりのすすめ −2 第三章では 「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。 (字数の関係でカット2008年12月5日)
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2013年12月04日(水)
『一年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』ジョシュア・ジョア著 * 古代ギリシャの記憶術の誕生 ー「シモデスの記憶術」 この本は、科学ジャーナリストが、古代ギリシャの時代から知識人の間で受け継がれてきた記憶術で、1年後に記憶力 全米チャンピオンに輝くまでを描いた実験ドキュメンタリー。 ベストセラーになったが、当然の内容である。記憶をまず 洞窟の岩壁に書き残し、次に石片、木片、動物の革、紙、そして今ではデジタルに変化してきた。それが外部記憶装置。 そのため、ネット検索で、一瞬にして世界中の情報を取ることが可能になった。その中で記憶力が、どこまで必要なのだろうか。 ー「シモデスの記憶術」を検索するとー 【 奇跡的偶然で助かったシモデス。身内や知人を崩れた瓦礫の中から遺体を掘り出したが、酷く押しつぶされ見分けも付かない。 しかしシモニデスは、パーティに参加していた人達が、どこに座っていたかの記憶を頼りに、その位置から身元を判別し、 一人一人を埋葬することができた。この経験からシモニデスは、記憶術(座の方法)を思いついた。 『鮮明な記憶というものは、 順序や場所と関連付けられた場合、鮮明に蘇ること』を発見した。この「座の方法」=「記憶を鮮明の保持する方法(記憶術)」は、 1、何かの場所を選ぶ 2、記憶したい物事のイメージを描き 3、それぞれの場所に関連付けていく方法で、 現代記憶術で言う「場所法」です。シモニデスは更に、『場所の順番が物を護ってくれ、物のイメージが記憶そのものを 護ることになり、我々は、場所を蝋板代わりに、イメージを文字代わりにして、関連付ければいい』と、記憶術の真髄を述る。 これが2500年前に発見された記憶法である。】 ▼ 早速、事例にした、熊、ゴミ、靴、大学、ドラマ、トラックなどをイメージし、自宅の駐車場、庭、玄関、居間に貼り付けた。 そして一日後、思い出してみたら完璧に憶えていた。 ベテランでも時に忘れるが‘記憶の不備’でなく‘認知の不備’という。 ここで、紹介していた実験に考えさせられた。学生たちに30枚の写真をスライドで見せて、憶えているか?と聞いたところ、 全員が笑って、憶えているわけがないという。そこで、その一枚一枚の横に違う写真を貼り付けて、見せたところ、最初にみた 写真を、全員が憶えていた。人間は、一度見たもの、経験したことの殆どを記憶しているという。48回の海外旅行の行先の 旅番組を見るのが楽しみの一つだが、行ってなければ、見ないし、その時の、記憶と番組が混合し、再び、そこに行った 気持ちになる。番組の映像が、この二枚並べたスライドと同じ効果が働き、少し違う風景から、実体験の記憶が蘇ってくる。 だから何でも見てやろう、挑戦してみようという積極一貫の精神が必要ということ。 考えさせらる本である。 ・・・・・・ 4280, 閑話小題 ー随想日記のテーマの見つけ方 2012年12月04日(火) * 随想日記のテーマの見つけ方 11年7ヶ月、休むことなく、この随想日記を書き続けてきた。一つの張り合いになっているが問題はテーマのネタ。 これが難しい、というより思い浮かばない。TVや新聞から思いついたり、雑談で思いついたり様々である。 二週間に1〜2度、図書館で10冊を借り換える。それを机の左に積み重ねておき見つけるのが半分くらいだろうか。 自分が面白い、成るほど、と納得する内容でないと後で読み返した時、心に振動しない。その為、本探しから違ってくるが、 これが良い。 それと、たびたび自分のワダカマリをテーマにする。これは考えることになり、解消の切欠になる。 去春以来、何のワダカマリをテーマにしてきたのは、そのため。 赤裸々過ぎたが。 その時々のテーマを探すのは、 人生にとって最重要事項。 それを続けることは最上の習慣化だが、12年近く実施しているわりに教養が増した感がない。 書いたと同時に完全に忘却するためだろう。 しかし、この習慣、一度身に着けると良いことが多々ある。何か事があると、 その場でキーワードを探し文章化してしまう。3つも見つければ、完成に近い。それは、考えることそのもの。 それを後でパソコンに書き込むが、メインのキーワードをテーマに入れる。 そこで違うテーマに変更する場合がある。 毎日書いていると、その辺が何とも面白い。 プロの書き手はテーマを依頼されると、数十冊、数百冊の本を集め、 目を通すという。その過程で内容の荒筋をつくり、その後、内容の肉付けをしていく。 現在ではパソコンとネットがある。 アマゾンなどから多くの資料の入手が可能になった。4千も超えると、同じような内容を知らぬうちの繰り返し書いている。 現在のような、有り余るような時間の中では、テーマ探しは、けっこう面白いもの。それにしても、下記のテーマと文章を 読み返すと、赤裸々で、心根が、そのまま現れ出ている。 今さら、ここまでくれば、虚飾も何もないと開き直るしかない! ・・・・・・ 3905、さらし首の独り言 2011年12月04日(日) あの日から八ヶ月、現在置かれている立場は打首獄門の刑場のさらし台の首のようなもの。 しかし、それが面白い。 その首が目をパチクリして見物人の評価している目線と心境が、である。 それも、「その辺の世間様レベル」の目線が、 かって憶えのある自分の目線として蘇ってくる。 カント哲学の具体例とすると分かりやすい。 見物人は、それぞれ知っている 範囲の情報と知識で烙印を押し付けてくる。 それは自分のことを言っているに過ぎないことを全く自覚していない?愛らしさ。 人生の満足度が低い人ほど、自分の影としての対象として鬱憤をぶつけている。それが世間様の犠牲者、「その辺の輩」という所以。 自己卑下を他の対象に投影するに一番手っ取り早い世間話のため、その視線が、そのまま、その人となり。 他者を批難することは、 自分を更に卑下しているだけの理屈が分からない。 それが身近ほど辛辣になるから、人間観察にはもってこいになる。 元もと卑しい臭いのする人は近づけないつもりだったが、実は違っていた??。 しかし、それが人間の赤裸々の姿。 これは「自己確立の出来ているかどうか」の基準で見ると、直ぐに分かる。 この10数年、独学で哲学を学んできた?が、 自分の頭で考えること、現象の中にある事実と、その中の真実。その真実も、本当に真実なのか、それともカントの言う、 自分の経験と知識の範囲の思い込みなのか?という自問自答。 その意味では「その辺の何=自己卑下の人」も、 実は私自身が貼り付けた言葉でしかない。世の中、何も考えてないと思える人が多い。 特に老いてくると、それが露出する。 それが、この文章を書いている自分に当てはまるから、これも自己卑下。 自己卑下は、実はお互い様ということ。 人生は悲劇と喜劇は紙一重。 悲しくもあり、可笑しくもありが人生、と実感する日々この頃である。 ・・・・・・・ 3540, 価値観の中心の書き換え ー2 2010年12月04日(土) * 石井一男という画家 「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りをしている反面、 こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を飲むほど素晴らしい。 一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から迸り出ている。何か自分の世界の中で作り上げた 女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。 ーまず、勢古の文章からー 【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。人付き合いが苦手で、四九歳までアルバイトだけで 生計を立ててきた。それも、人とあまり関わらなくてもいい仕事ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。 母親が購入したものだから部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草もパチンコも一切やらない。喫茶店にも 滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に値下がりした惣菜二種類と100円のパック入りごはんを買って済ます。 しかしそれらをきちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個のデギトもつける。それをひとりで正座して食べる。 絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの団体にも属さず、途中休止した年月もあるが、たったひとりで描いてきた。 ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことがきっかけだっ。この人なら自分の絵を見てもらえるかもしれないと思い、 手紙を書いた。この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ大きい世界に開くこと。そして、ひとりの承認者がいてくれたら、 と願うこと。主人は石井の絵を見て「こんな人がいたのか」と驚き、個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。 人々の目を惹きつけたのは、ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った慈母か天使のような顔が描かれている。 その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。わたしが好きなのは、後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」 (二〇〇八年)である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。無愛想ではない。 温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で 暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。 しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人はそれを思いとどまらせた。 絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。 その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。 小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに 移るつもりはまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】 ー 勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、今年になってから、 「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。現在は、「てっぱん」である。 下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男がモデルなのだろうかと 思ったが・・・・ ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・ ・・・・・・・・ 3165,金本位制が復活? −2 2009年12月04日(金) * ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、 金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で 競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす 唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、 赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を 仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。 つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。 しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。 (字数制限のためカット 2010年12月4日) ・・・・・・・・・ 2800,イングランド・ツアー 2008年12月04日(木) 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る 習慣は守るということで、決断した。29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、 ロンドンをバスで回るツアー。英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、 価値があると判断をした。私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。 しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、 奥深く行く探索する内容ではなかった。二日じゃ無理だが。 それよりコッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。 一箇所が二泊ずつ三箇所に泊まるため、非常に楽な日程だった。格式の高いところや公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。 いや日本が、イギリスに感化されたということだ。 ー印象を思いまま書いてみると ・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。 ・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、 ・人口が6000万人、 ・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 ・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。 (字数制限のためカット 2011年12月4日) ・・・・・・・・・ 2007年12月04日(火) 2435, 絞首刑 −2 ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪ 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。 それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。 もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。 もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。 ーまずは昨日の続きである。 (字数制限のためカット 09年12月4日) ・・・・・・・・ 2006年12月04日(月) 2071, ゆっくり急げ! −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。 還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、 10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、ほっとしたような 心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、 「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。 そして、‘60歳後の生き方’のような本にある「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。 してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」と・・・ しかし焦っても、焦っても、 どうすることはできない。 焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、 寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。 「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
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