堀井On-Line



4634, 閑話小題 〜また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書

2013年11月23日(土)

   * また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書
 また一人、創業時からの営業担当の奥さんから年賀欠礼の葉書が届いた。創業を始めて40年、地元に帰ってきて、
38年も経てば、その時節ということか。「東芝エレベーター」の営業担当の馬場さんで、この8月に亡くなっていた。
長岡の大手通四角の物件から始まって、都合、五台のエレベーターを入れていた。その都度、本当かどうか、ギリギリの
値段で入れていたため、会社から厳しい視線で見られていたとか。サッパリした性格で、私とは相性が合ったようだ。
 毎年、会社の忘年会に出席してもらった常連の一人。10年前に定年退職して、自宅近くの公用地・500坪を借りて、野菜
つくりをしていた。 定年後も、前の会社の事務所に訪ねてきたり、新潟駅前の町内の懇親会で酒を酌み交わしていた。
 彼から酒飲みで学んだことは、「自棄酒など、美味くない酒は飲まないこと。さらに落ち込む!」である。
長岡の実家の商業ビル建設を建てかえていた時の修羅場の姿を見ていた数少ない人である。それもこれも、過ぎてしまえば、
夢幻である。 当初からの忙新年会の上席で残っている?人は、数人だけになってきた。ワタナベリネンの武田さん、
インテリア山下の山下さん、ワシズ設計の鷲頭さんに・・ 「そのうち私も!」も、現実味を帯びてきた。
 「ひとは先、我は後」。        享年、74歳。 ご冥福を!
   * 昨夜は、高校同級生の偲ぶ会
 昨夜は、昨年の今頃に自死した高校の同級生の「K君を偲ぶ会」が長岡駅裏の居酒屋で開かれた。出席者は16名。
商売上の事由というから、他人ごとではない。 30年近く、この同級会は毎年開かれているが、常連組17〜8人のうち、
これで5人が亡くなった。幼稚園から大学までの同級生で、自死は始めてである。自死には、それだけの事由がある。
明るく、サッパリした性格の反面、神経が繊細。 高校では山岳部に属し、趣味は落語を聴くこと。 偲ぶ会の寄せ書きは、如何なことか、
と思ったが、色紙に、それぞれが一言、書き留めて仏前に添えてもらうことにした。
   * 雪下ろしの雷
冬の雷を「雪下ろし」という。11月の雷は初雪の前兆で、轟音がすざましい。その後の雷は、激しく降る合図になる。
今年も、例年と同じ下旬。直ぐに降雪するか、1〜2週間後に50センチ位の積雪になる。一度、消えるか、降ったり止んだりし、
1月半ばか、下旬に2M位の積雪になる。それが消えるのが四月の初旬の頃。
・・・・・・
4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上
2012年11月23日(金)
   * 人生、虚無より傷心が上?
 W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、
第二の創業を幼児から少年期にわたり目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、
去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間だった。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、
呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。とはいえ、「何も人生をかける
機会がない、虚無の人生」や、「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。
いや、自分にそう言い聞かせている。 節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が心を覆う。 
何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。 
何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことがあった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、、
ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るので、
ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜する
しかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。しかし、知らぬ間に愚痴めいた独りごとを呟いている自分がいる。
先日も、近くの道路で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを見たというから、
痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。
「人生、傷心、時どき虚無」か。いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。
台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・  
 ・・・・・・
3894, ギリシャの次は・・ ー2
2011年11月23日(水)
  前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。
 ・ ギリシャ    32.29%      
 ・ ポルトガル   11.52%
 ・ アイルランド   8.22%
 ・ イタリア     7.28%         
 ・ スペイン     6.43%     
ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、
「ギリシャが現在の国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。
あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。これらの国のトップは殆ど、
ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、
日本国債が今後どうなるかである。現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 
現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、既に国家予算の半分が、
国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。 
首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、
この数年、続いている。 アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早くIMFの
管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、
欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。 
それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの 
大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像がつかない。 一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。
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3529, ハーバード白熱教室 ー1
2010年11月23日(火)
 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールのサンデル教授の授業をを見た。
ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、
最大の履修学生数を誇り、あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。
その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との
質疑応答を中心としたもの。 元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで
放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。
東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、サンデル教授が提示した
究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 
 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。
* 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福)
* 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張)
* 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 
 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、
その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。 まず初めの学生は、
「3人が生き延びるためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生からは
「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、
カント、アリストテレスの立場の哲学を導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を
踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀の政治哲学者ベンサムの功利主義が、
常に正しいとは限らないことを示唆したり、カントの立場も示唆したりする。
 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。 そう、私が度々、ここで書いてきた、学生時代の人事管理の武澤ゼミでの
放課後の週二回のゼミである。 人事上のトラブルを、ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、
それについて15〜6人が議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。
次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように座っている。
したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。
2時間の議論を終えて部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは絶対的知識不足である。 
一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。
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3154,低反発マットと腰痛
2009年11月23日(月)
 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを巻いて使っているが、
その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。
腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。
人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。だいたい寝返りの時に
目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、
マクラと首も同じである。実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと
分からない。 特に腰痛の人にはお勧めである。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。 
シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の
重圧で寝返りが多くなる。  ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。 
私のはニトリで2千円だが、そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。
 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている)
 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。
ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムのアイマスク、
耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。
 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。
この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。
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2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。この4つを、どうバランスよく拡大、
深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。
人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、
美術館で良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、幾らでも転がっている。
「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。
彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、
成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。
何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそ
ゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。
そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。ウィキペディアによると、
【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された「The Checkered Game of Life」。
  日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。 タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は
 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の
 人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。
 現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】  面白そうなので、一度してみたいものだ。
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2007年11月23日(金)
2424, 四四太郎の日記 −9            (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o)
一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。
すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 先日、バードウォッチのコーナーに
久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、新しいブログに切り替えようと思いたった。
そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、
ブログ名を「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。
全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。読後感として、それほど幼稚でもなく
400年前からみた現代の現象が書いてあり、本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。
{「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、
週に一度、曜日でも決めて、御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えていたが、
四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。何か神がかりになりそうだが、
恐らく面白い出会いと、意外な対話になるだろう。書くということは、 不思議なことである。
 ーー
ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。
 *宗親(ペンネーム)
【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら!
 字数の関係でカット(2011年11月23日)
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2006年11月23日(木)
2060, あたりまえなことばかり −14
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜           
{人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。
「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。
見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。
死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。
こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。}
 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、
それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 
「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、
ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で         
字数の関係でカット(2013年11月23日)


4633, 閑話小題 ーシンクロニシティ

2013年11月22日(金)

   * また、偶然の一致  ー二人の故人への追悼文ー
 昨日の朝、倉庫の一角の書棚に、ある本の探し物に行ったところ、日本ペンクラブ編の「年齢(よわい)は財産」という
エッセイ集が目に付き書斎に持ってきた。そこで、一つのエッセイをテーマに書き始めて気づいた。何と4年前の11月21日に、
このテーマについて書いていたのである。まさか!である。 「言葉遊び」ーラ行受身形ーである。 
 このテーマに惹かれたのは、現在、長岡という城下町の中、強がりを言っているが、一つバランスを崩せば鬱になる状況。
それが、このラ行の受身形である。以前、この内容を取り上げていたことを全く忘れていたが、万一と思い、HP内の検索に
「ラ行の受身形」と入れて驚いた。何と4年前の今日、このテーマについて書いていたのである。 何かが、倉庫に引き寄せ、
この文章を改めて熟読しろ!という「意味ある偶然の一致」だろうか。 頭の中に、何か底知れない、磁石があるのだろうか?
 いや、それより、一昨日、長年の付き合いのあった東芝エレベーターの馬場の奥さんからの「年賀欠礼」で、この8月に
亡くなっていたことを知り、故人をテーマに予定した下書で、故人を偲んでいた影響か? 彼が、この本に導いたと考えると、
筋が通る。 悟ったようなことを書いているが、一昨年の倒産劇から、「ラ行の受身形」の否定の視線と、内語の格闘である。
当然といえば、当然。その対処は、気持ちを背けないで、それらの中心に無心でたち向かうしかない。「正中心一点無」である。
ただひたすら、それを続けるしか、手立てはない。
 あれから二年半、少し落ち着いて、これらから徐々に解放されつつある現在、馬場さんの訃報を聞き、追悼の文章の下書を
書いた後、故人が私を導いてくれたと考えると「シンクロニシティ=意味のある偶然の一致」ということになる。
 それと一年前に、自死をした高校の同級生の故人を偲ぶ会が、今夜、開かれる。この春の同級会の幹事だったが、幹事特権で、
次回の幹事の指名権を持つシステム。そこで、某君に偲ぶ会の幹事を一方的に選んだ。どういうものか迷ったが、深夜、彼の
イメージを持って故人に問いかけた。「どうしようか?」 答えは、「何を言ってるや、開いてくれ! いつも同級生の葬式で
二次会で偲ぶ会をしているのに、何で俺にしないんだ」と・・ 参加者が10名と踏んでいたのが、18名の出席予定になった。
これだけで故人も喜んでくれるだろうが、私に「ラ行の受身形」を意識して早く立ち直れということ? このシンクロ二シティ、
「受け入れたくない、この事態で襲ってくる言葉を、感謝へと転換しろ!」という二人の故人のメッセージとして、以下の文を
感謝をしながら読み返している。この春の同級会で、老舗の会社を潰したA君が、「この事態に感謝している」と、話しかけてきた。 
苦しみ、もがかなければ、こんな言葉は出てこない。悟ったということか。 それぞれに、似合った悟りが与えられるもの。
・・・・・・
3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の 【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。
その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
 奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。  そして、ある日、
 「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。 
ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に
変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 
 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=
《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく
揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。
文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。
そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 
今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、
やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と
考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。  書いていて思い出したのが
「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、
直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。
・・・・・・
3153, ラ行の受身形 ー2
2009年11月22日(日)
 ー まずは前回の続きの部分より ー
妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。私の鳩尾(みぞうち)から喉に向かって稲妻のように
熱いものが走ったかと思うと、それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は言葉では譬えようのない至福感の中にいた。 
あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた気持ちであの世へ向かっています 」という妻からのメッセージでは
なかったかと、今になってそう思うのである。もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。
「 がんに殺されたと思う? 」、「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを学ばしていただきました。
 ありがとうございます 」  「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応えるかもしれない。そして最後に
「あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。
▼ こういうのは、本人しかできない不思議な体験である。 「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」というのが、
チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。身近な故人とは、色いろの魂の邂逅が
あるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から
〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅、と似ている。 
思いは、言葉で作られ、そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。
気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。〔こん畜生め!〕は、やめとこう。
言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、ありがとう」を加えれば、気が楽になる。
老人の、あの暗い顔だけはなりたくない。 


4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3

2013年11月21日(木)

                 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
   * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《 夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。ところが女性を基準にすると、別の結果が見えてくる。
まず、同じグループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。具体的大学名までは分らないが、同大学の男性と結婚する人が
多いのであろう。「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの男性の比率が約64%に達する。
次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述のMARCHに学習院を加える)や「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」
という比較的入試の難易度が高い大学卒の男性が続く。・・ 名門大学とされる「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した
女性は、同グループを卒業した男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、パワーカップルの代表例である。
ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ少ないので、彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を
卒業した女性と結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの理由である。・・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の国立を含めると、94名で、9割を占める。
男性の東大卒19名のうち、東大卒女性は少ないが、短大4名、大卒13名と高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、フェリス、
上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生と結婚。 男の方は一流女子大生と結婚に至る
 ケースが多い。女性の場合、まず家柄、大学のブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ気にしなければ、
 それぞれの勤め先には、地場の美しい魅力的女性がいる。20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱えるとなると?
  その人を知ろうとしたら奥さん(旦那)を見ろ!という。その人、相応の相手とすると? 深く考えるのは止めておく。
 若い女性は、自己評価が思いのほか高い。その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。
 秘境ツアーなどで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、傷つきやすく・・ 2〜3回に一度は、いる。
 自分も同じか? 話を戻す。パワーカップルといえば、20数年前、東京のパレスホテルの経営セミナーの夕食の時、
 隣席の人と名刺交換をした。グリーハウスという全国有数の企業の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、
 飲食業界では有名人。駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも展開している。
  セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。異種業種からの情報が入るためである。
 私の名刺を見て、「私の家内は、実は柏崎出身なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、仲人が
 いるのでよく知ってます。どちらの娘さんですか?」と聞くと、「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が
 幼馴染で、非常に親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、「母が慶大のOB女子会の
 役員をしていて親しくなったのが家内の母親。その関係で・・」 大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。
で、衰退系の会社? まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと!
・・・・・・
4267, つれづれに ー衆院選・政治談議
2012年11月21日(水)
   * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か
 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。
そうすると日本維新の会しかない。中心人物二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。
その実績をもって二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 おそらく、自民が180〜200票で、
維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の
可能性が出てきた。こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。 また、国内的にみても
荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った
荒治療をすべき時期でもある。 一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。
 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から狙い撃ち状態になる。
いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 
野田首相は、それでも真ともだったが民主党の3年あまりは酷かった! 
しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と、
前からいわれていた。個人国債も同じだ。自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか
見あたらない。 どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。
国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? この選挙で、日本の
将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・
 ・・・・・・
3892, 顔を哲学する
2011年11月21日(月)
 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧とファッションを取り扱った番組が多い。
それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。 
顔について哲学した学者といえば、レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの
釣り合い(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に集約されて出てくるからだろう。
口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。 顔面の評価認識は時代により、国により変化している。また脳の中に
それ専用の部位があることから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単にコミュニケーション
のためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣の選択のシンボルとなっている。そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から
分裂して形成される事から推察される(だから胃が荒れると唇も荒れる)。
 美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。
その意味で顔は、その人の家系の表出と見てよい。 韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。 
整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、
人の心が、そのまま現れ出てしまう。 だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、
欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ違っている。その人の認証のサインである。
 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。
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3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)
 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、まだ30〜40パーの円高に過ぎない。
しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 それを考えると、
15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、周辺国の競争力が上ったのである。
これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を嘆かなければならない。≫  と言うのだ。
 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から
出てくるエネルギーが目だって落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。
 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、数年もしないうち、
再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つになったり、証券会社が淘汰された時期である。
そこに、2001年のリーマンショックである。そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、
金融と輸出で大きく潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、
関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の更なる衰弱になっていった。
悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、更に国力が削ぎ落とされてしまった。
これで、まだ大底についてないのが実情で、この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。
それを前提に現在を、そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。
それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、
10年、20年前に誰が予測しただろう。この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、
現在の暗い世相の段差が分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若い人たちは、
こんなものと思っているのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。
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3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。
その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
 奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。  そして、ある日、
 「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。 
  ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に
変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 
 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=
《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく
揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。
文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。
そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 
今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、
やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と
考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。  書いていて思い出したのが
「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、
直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。
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2787, 不況景色
 2008年11月21日(金)
・新潟市内の【新潟タクシー】が倒産した。 先日倒産した【新潟相互タクシー】に続いてである。
 タクシーの所有が70台、従業員が130人というから、新潟相互タクシーと、ほぼ同じである。
 ピーク時の売り上げの半分まで落ちていたというから、仕方がない。 タクシーも、ビジネスホテルも
 似たような客商売である。 だから、さもありなんと納得する。 次は何処のタクシー会社?という段階だろう。
 二社潰れても,タクシーの台数の一割強でしかない。彼方此方から不況の現場の話しが聞こえてくる。
 資産の劣化も始っている。昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で、中古マンションの荒廃の実態をレポートしていた。
 バブル期のマンションなどが荒廃をして、投売りで暴落、廃墟になっているマンションも出ている。
 5〜6年前で2百数十万室もあり、その後も激増しているという。 不動産業者は10年を目安に造り、売却する。
 その典型が現在、問題になっているアパとかいう、業者である。 買うほうも深く考えないで目先のファッション服を
 買う感覚で購入する。 10年経った後に、大きな問題になってくる。 物件は暴落し、荒廃が進む、という図式になる。
・アメリカのシティと、スイスのUSBの株価が暴落している。
 USBは、二年前のフォーブスのランキングの数万社の世界の超優良会社で、ベスト9の会社である。
 それが、風前の灯といから、すざましい。 ゴールドマンなど、1〜2ヶ月で、半額以下である。
     シティ    $ 6.45(−22.85%)
     UBS    $ 9.28(−14.75%)
     ゴールドマン $55.18(−11.04%)
AIGも時間の問題といわれているし、ビックスリーの自動車会社も、実質破綻に近いという。
自動車関連の従業員が、アメリカの就業者の1割を占めるというから、これまた破綻は国家存亡の問題。 
生かしておいても、資金の垂れ流しになるし、潰せば世界恐慌の速度を速めることになる。
この金融恐慌、他人事ではないから深刻である。 株価が、ある日総崩れになる可能性を孕んでいる。
恐慌は勝ち組も負け組みもない。全てが、死線の上を漂うことになる。社会的には、失業者が急増、凄惨な事件が続く。
それが地域紛争につながり、そして世界戦争に拡大していく。これに鳥インフルエンザが重なると、60年前の姿と酷似する。
ただ、日常は淡々と流れていくが、気がついたときには生活実態は三分の一のレベルまで、下がっているということ。
  まずは、今年の暮から来年の三月までが、第一の倒産ラッシュが吹きすさむ。
トヨタのトップが「市場が消滅してしまうのではないかという恐怖心にかられる」といっていたが、これから起こることは、
想像を遥かに超えたものになる。経済学者が言っていた、「16世紀以来の中産階級の崩壊のプロセス」に入ったのか。 
そうすると、100年に一度の大事件ではなく、1000年に一度の歴史的惨事が待っていることになる。
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2007年11月21日(水)  
 2422, サブプライム問題 −2                               (*´・ω・)ノはよー
 前回の記事の続きを読むと、この問題は裾野が広いのが解る。日本でもビルなどの不動産の証券化した債権が
一般の投資家に対して売り込まれている。これはアメリカだけの問題ではないのである。その意味で今年の暮れから
来年にかけては日本でも問題が発生しかねない。更に駅周辺に怪しげなマンションが、奇麗な歌い文句で売られている。
これも不動産債権と大同小異のもの、直接、跳ね返るのが買った本人になる。それさえ気がつかないから深刻である。   
 ー前回のつづきの記事も解りやすいー
株価の値下がりは一般的にはサブプライム問題と言われているが、症状の一つに過ぎない。
根本問題は、アメリカ経済が既に一年前から不況期に入っていることにある。そのことは工業品出荷の推移からも
ハッキリと現れている。昨年6月をピークとして急速に落ち込み、昨年10月には前年比マイナスの水準になってしまった。
アメリカが不況になったからこそ、住宅価格が下落に転じ、その結果差プライムが火を噴いたのである。 
サプライム問題を考える時、日本人は日本の住宅ローンを考えるが、これはアメリカとは違うのである。 
日本では、ローンで買った住宅が大きく値下がりした時に家を売却をしても借金が残る場合がある。
 (字数制限のためカット 10年11月21日)
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2006年11月21日(火)
2058, あたりまえなことばかり −12
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
死は他者の死しか知ることができない。 そして他者のごく身近な人の悲しみの表情をみて、
死=悲しい、という構図を長年人間は描いてきた。象も死んだ子供や仲間の死を悲しむというが、それも、
その象の表情を見て、勝手に思っているだけである。虚無になる恐怖感と言えども、「無になる」とは
他者の死体を見たイメージでしかない。人生ー生死が何ものか解らないのに意味など果してあるのだろうか?
という、疑問が成り立つ。せいぜい、年寄りの老化現象でしかないのか。
といって、意味の意味が、「価値」とするなら、「人生の価値は無い!」と切り捨てることも出来まい。
 *死ぬことは不幸のことなのか −?
  −−−−−−ーーーーーー
(字数の関係でカット 2008年11月21日)


4631, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー2

2013年11月20日(水)

                 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
   * 学歴の組み合わせは?
《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、どのラインを理想とするか、あるいは、
ぎりぎり妥協できるかを問うている。この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々なことがわかる。
・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では大卒男性を望む人もいるが、そのなかで
大学名にまでこだわらない人が大多数である。
・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。大卒男性は女性の大学は無名でよいという人が
かなりいるのに対して、女性の場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。
・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想としているし、「MARCH(明治、青山、立教、中央、
法政)クラス」卒、および「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上の男性を理想としている。
なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、相手男性も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか理由が考えられる。
難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは
自然である。一方で、男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける傾向があるとされる。》
▼ 「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」
「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」の色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、
何をしていたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。血筋、大学、結婚相手のレベルで、
人生が決まるか?というと、そうでもないから面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の同級会に
出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。  中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と
全国区へと広がる。義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、ドレメ、実践女子短卒が二人。
なるほど、その組み合わせが、そのままが、その人となり? 結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 
結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★)
・・・・・・
4266, 法則は思考のショートカット −1
2012年11月20日(火)
                  「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著)
  今さら法則もないが、しかし面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介からー
【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が実際に使えるのか、そしてどのような場面で
 どんな法則を使うべきなのか、迷ってしまうことも多い。そこで本書ではどれが有効なのか、ケース別、TPO別に解説する。
   ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅!
 △ 世の中はこんな「法則」で回っている!
    組織には必ず20%の怠け者が存在する
    会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある
    一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる
    先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 
  不安定な時代に知っておくべき「法則」がある。人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】
 ▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が各分野に多くあるのに驚いた。
  それらの法則を知っているか知らないかでは雲泥の差になる。「法則の取り扱い方」の説明書より、法則の紹介書ともいえる。
  「法則」を多く知り、用いることが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。しないで済む
  苦労も事前に避けることが可能になる。 長い歴史の中で科学も人生も、ほとんど先人が既に経験済みのこと。
  法則は、それらを経験則として凝縮されている。それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前の出版された本だが、
  過去に、このような本は数多あったはず。 多くの「法則」、知っていても本当に理解していたか?というと疑問である。
  ここで法則を、職場関係と仕事の法則、ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則などに分けている。
  半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も多く紹介されている。
   何気なく目次を見た中で、「好意の互恵性」の法則があった。「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とか
  いう法則である。これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく人間関係に適用すれば、
  職場などの人間関係で有効になる。 次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。
・・・・・・
3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因
2011年11月20日(日)
  先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、
内容は、思わない展開であった。大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、その痛みは
ストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々>
という内容。今でも半信半疑である。
  ー まずは、「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみる ー
 ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は「国民的大誤解」があることがわかった。
  まず、なんと「腰痛の85%が原因不明」という。
 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない? 町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、
  ひどければ手術!と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、神経の圧迫が無くなったのに、
  痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と、
  「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に差がないことも明らかになってきた。
 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。 それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。
  「犬」を飼ったら大幅に直った!という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散したためである。
  研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが
  指摘されていましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、
  なんと7割の腰痛患者が、健康な人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカのノースウエスタン大学が
  さらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは「側坐核(そくざかく)」という部分であることが分かってきました。
  「側坐核」は、痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。これによって、脳は大きな痛みを
  自動的におさえていたのです。ところが、慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令がいかないので、
  痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を生み出すことが
  分かってきた。 脳の鎮痛システムが働かなくなるので、痛みが増加しているというのです。 
 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを
  続けており、二年前からは低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。そして、半年前からは
  スポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。
  そんなものではない!というのが、私の現在の心境。しかしストレスは万病の元である。ストレス無いのが一番のストレスというが。
・・・・・・
3526, 死に至る地球経済   ー2
2010年11月20日(土)
   「死に至る地球経済」 浜矩子 著
   ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー
  今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。
 そして、その後に数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされないまま、銀行、
 企業、そして自治体などに塩漬けにされている。しかし、そのままにしてはおけない。
   ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■
* 「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に足がつかないまま、無理して舞い上がる
  ことを強要された恰好で推移してきた。このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを
  貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、
  一度は活力を取り戻して谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。今回のは、谷に落ちていく
  途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。
  そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」の苦肉の言い回しが、
  この厳しさを実によく言い表している。
* PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」
* アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と「キリギリスの政府」と喩えられ、
  「アリギリス」だ。 アメリカは、これからアリギリスを目指そうと言うが・・・
* 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。
*「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、
  巡り巡って自国への強烈なカウンターパンチとなりかねない
* ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。それは選択の技である。 
  選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。二つに一つだ」(61-2頁)
  (字数制限のためカット 11年11月20日)
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3151、災害で助かる人、助からない人
 2009年11月20日(金)
 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で7人が死傷したが、
色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に地震や火災などに遭遇したとき、
人はどのような心理状態で行動するのか? まず、どちらが正しいか?という質問。
 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる
 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 
  答えは2という。 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は速やかな
避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与えるために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れと
なることもある。一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限りパニックなど起きないという。
過去の大災害時に助かった人で、一番死亡しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。
逆に一番助かりやすいのは「家族」で、行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。
家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも高めるということ。
マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、
また金持ちほど助かりやすいデータもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。
状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるかどうかが分かれ目になる。 
 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める効果がある。神戸の震災は復興はしたが、
経済的な後退感は否めない。それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、それを機に
都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することができたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、
衰退期の災害は一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。
 飛行機事故で数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。
 :天声人語に以下のような文章があった; 
 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した 
  (字数制限のためカット 11年11月20日)
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2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
 2008年11月20日(木)
ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉拘置所に拘束されていた。
その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。その中で私を惑動させたのは、
宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言であった。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。
個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。 〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 朝から二度倒れ、四度嘔吐した。
その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。   年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つであることを直感したのだ。
エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で体験したのである。そして平成十六年九月一日、
私は静岡刑務所の独房の中で、自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と違うところは、
そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。
‘ゲームとは、到達地点を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、味わうかにある。 
それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】という一休の詩がある。
せっかく、客として呼ばれたからには、この世の人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! 
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や悲しみ、というのが少しは分かるが。
    4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
    3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
    2階:獲得した「快」を永続させる。
    1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   何か際どい話になってきたが。
・・・・・・・・
2007年11月20日(火)
2421, 閑話小題             ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 *携帯電話・パソコンが変えたこと
 (字数制限のためカット 09年11月20日)
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2006年11月20日(月)
2057, あたりまえなことばかり −11
  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! −読書日記
「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在しているのだろう。
60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、永遠は「いま、ここ」にしかないというし、
人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、
人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。
先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、ここで気づいている愚かさ! 
そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの時間ではない。
永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる! なるほど、その通りである。
我を忘れるほどの感動の、あの瞬間! 縦に立ち上がっていた! 永遠に今も続いている。
 薬物でもできそうだが・・・   それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう! **** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪
  ーー
  * 死ぬことは不幸なことか 
人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として対象化されているという
事実を端的に示している。 観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。 
多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、そのまま長く思い込んできた、
未だ気づかない間違いが、ここにある。考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのことによって、
死は常に観念となるという事実。観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。
しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。死ぬのは常に他人であるという事実について考えてみる。
  (字数制限のためカット 2010年11月20日)


4630, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ ー2

2013年11月19日(火)


   * 相棒 ー愛人と共謀の夫殺し 
 昨日の『相棒』は、二回完結型の後半もの。概略は《 有名女優が、内縁の夫の作家を愛人のマネジャーと共謀して撃ち殺す。
強盗の仕業にするが、右京が追い詰める。ところが、調べているうちに、内縁の夫は女優の実の父であることが判明。
子供の頃に両親が離婚。亡くなった母親が残したアルバムから、半年前に知るが、父は、そのことを知った上に、女優と
内縁の関係になっていた。そのことに同情したマネジャーと共謀して・・ しかし、そこには二人の純愛があった。 
逮捕をされる時、マネジャーが相棒二人に、結婚届けを託すラストシーンが、涙を誘う。》
 話は、これからである。 ああ終わったか、とチャネルを回そうとすると、TV局も、視聴者心理をしってか、冒頭から、
ニュースの触りを持ってきて、引きとめようとする。 ところが、冒頭のニュースが、これに似ている裁判の内容。
「裁判で、被告が突然、自分は主犯でなく、殺害した被害者の奥さんと共謀してやった」と、主張、その奥さんは、証言で、
「ストーカーの被告が勝手につくった物語」と、両者の言い分が対立した、と報じていた。
被告の証言で、「以前、奥さんから、本人がつけている香水をもらった」と、それを提出したのに対し、奥さんは、・・・
まあ、テレビドラマそのもの。偶然としてもTV局は、してやったりのタイミング。奥さんらしき人の写真が流されていたが、
被告も、奥さんも普通の感じ。 今週のマスコミは、この問題で大騒ぎだろう。『相棒』の話題、軽いので、テーマとして
迷ったが、こうなると、良かったことになる! それにしても、視聴者の多くは、主犯は? 二人共言い張れば、通る?
   * 何もする必要が無いのが、御隠居生活
 思いのほか、御隠居生活に馴染んでいるが、準備期間を含めた事業人生から解放された気楽さがある。大きな成功を
必死に求めていた自分が、可愛らしく思えるのが御隠居の視線である。 以前も書いたが、家内が不思議そうに、
「毎日、単調な生活で刺激も無いようだし、つまらなくない?」と聞いてきた。 その答えは、「実際に、事業をしていると、
寝ても覚めても極度の緊張状態。それは良いこともあるし、嫌なこともある。現在も、同じこと。これはこれで、淡々として
良いし、逆に詰らないこともある。どっちも同じこと」が、偽わざる気持ち。
 滑り台に例えると、早朝が一番上で、就寝が一番下。 寝起きに、この随想日記の添削をして、アップ。30分の瞑想、
ポタリングへと続く。そして朝食とり、八時またぎでTVを見て、風呂に入り、九時半からパソコンと読書に二時間、費やす。
そして、・・と、淡々と何時ものとおりの習慣を繰り返す。重要度からすると、徐々に、下がっていくから、楽といえば楽。
午後からは、スポージム、読書、ドラマの視聴といった流しになる。 面倒なら、飛ばせば良い。どれもこれも誰に頼まれた
訳でない。 森の生活では、少し不安だったサバンナも、慣れてしまえば、これはこれ。50年近い、読書習慣が支えである。
・・・・・・
4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2
2012年11月19日(月) 
 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の生活に直に伝わっていた。
終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。
「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、
自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんでいる視線があった。
現在も、一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に
手順を打つのが自然の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の
一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。だから最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。
あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも、
事業経営の一環であり、後悔も無念の感情も残らないのも道理。
 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 
年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。
日本で、この2千年の間に4回の東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で、直下型地震が
連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している
太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、
分かっていても、資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。ある日突然、何かの
切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる
危険が非常に強いのである。 バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって
ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? 
 ・・・・・・
3890, ギリシャ/イタリアの次は・・
2011年11月19日(土)
 ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送りをしただけ。その直後に、待ってましたと
イタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると
簡単に人員整理が出来ない法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。
 グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイタリア人気質が耐えられるか?というと、
非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。
 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の様相になっている。
それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。
1999年からG7にロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の12ヶ国を加えたG20が
年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。
イタリアに続いてスペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。
 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。
日本だったら1千兆の利回りだから、329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、数年後には、
似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。
 <10年もの国債の利回>   ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。
・ ギリシャ    32.29%      
・ ポルトガル   11.52%
・ アイルランド   8.22%
・ イタリア     7.28%         
・ スペイン     6.43%       たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。
・・・・・・・
3525, 死に至る地球経済
2010年11月19日(金)
  [死に至る地球経済」浜矩子 著
ー内容紹介ー
 ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される中国など混迷が続く世界経済。
長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、財政危機というトリプルショックを迎えている。
今、進むべき道はどこにあるのか。グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。
(第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、「成長に優しい財政再建を目指すこと」
    の困難さについて述べている。
(第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、いったん始れば国家財政で
    押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める
(第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を踏まえての基軸通貨システムへの
    代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に一つの解答を見出したくなるという
(第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの瀬戸際に立つ緊迫状態
(第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義とそれが生み出す諸問題、
    経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。正念場はこれから。
(第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かになっていく時代の状況は変わってしまった。
    「下流社会」という言葉も出ている中、誰もやらないことをやるのが政策の仕事である。
▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。エピローグで、ここで再び世界を
不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。
二つめが「二番底」という。財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う恐ろしいこと。
これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、
再び、立ち上がってきている。「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、さっそく、
この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への引き金を引きそうな事態になってきた。      
・・・・・・・・
3150,「要は如何受け止めるか」である!
 2009年11月19日(木)
   「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ  岡野 守也 (著)
 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて誰もが通らなければならない60歳前半の欝症だろうか。
それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、
以前のように切り替えに時間がかかり何時までも引きずってしまう。
 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは失敗や陰口と思いこむ。 
しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。
出来事・A →  考え・ビリーフ・B →  結果としての感情・Cとする。
「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な反応を決める」
要は「どう受け止めるか」である。 Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格から、明るい性格に換えてしまう。
 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な
思い込みが、不健康な否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧であるべきだ」
「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aをいやな気分に変換してしまうとする。
そこで、論理的な対話型セラピーによって、非合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。
*「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力があるんですよね?」と
 話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、目が見えているから視力もあるじゃないですか
 という風に誘導。 人間の心はおもしろいもので、「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。
「微力としても、力はある」と考えると、少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、
 論理的な説得を繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。  
 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。
*「落ち込み癖」を治すには
 ・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫 ・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。
 夫婦で慰めあっているのがいるが、まあ、「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。
そのためにはミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。
「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する方向に持っていくことになる。
他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、
秘境ツアーに、あげれば限がない。 私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。
その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? その後は、慢性老人欝症かいな?
・・・・・・・・・
2785, 恐怖指数
2008年11月19日(水)
 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 
【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う指標とされる「ミザリーインデックス」である
◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を足した数字のことだ。
 これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。
 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。
 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ
◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が増えるのは間違いない。
 実は、日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。経済政策への不信感は、相当に強いに違いない
 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)
 ・・・・・・・・・
2007年11月19日(月)
 2420, サブプライム問題 ー1
 新聞広告につられ年に2〜3度しか買わない週刊誌を先日買って読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 
大体が週刊誌は期待した半分も中身がないが、週刊文春の11月22日の発行の「50年に一度の『株価クラッシュ』が始まった!」
の特集は、どれも考えさせられるものばかりであった
その中のアメリカのサブプライムの問題はもしかしたら大恐慌の引き金になるほど、根が深いようである。
「住宅の借り入れ金の範囲しか責任がない(借金を返せなくなったら、その物件を銀行などの債権者にひき渡せば、それで済む)
のがアメリカのノンリコール制度。 この制度のおかげで、不良債権化した物件や債権を引き渡された銀行は、
担保割れの物件の山になる。 まだ住宅の相場良いうちは問題は生じないが、相場が崩れると、強気で貸し付けてきた銀行の
損失になってしまった。それが数十兆円、百兆以上?もあるというから尋常でない」これでは大恐慌になっても不思議ではない。
どうなることか? これに石油高騰と穀物高が重なったのだから・・・来年は、更に荒れる年になるのは必定! 
 ーーー
 *まずは週間文春の一部を紹介してみよう*
日本人はつい日本の住宅ローンの常識によって物事を判断してしまう。
だがこれは大きな誤りだ。日本では、ローンを組んで買った住宅が大きく値下がりした場合、
家を売却してもなお借金が残ることがある。この時、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然だと私たちは思う。 
だからこそ日本では不況が恐慌に発展せずに済んだのだが、同時に十年以上も延々と不況が続いたのだとも言えるだろう。
日本の住宅ローンとは異なりつアメリカで一般的な住宅ローンはノンリコースローンである。借金を返せなくなった場合には、
担保、に入れていた住宅をお金の貸し主に渡してしまえば、それだけで借金から解放されるという契約なのだ。 
日本の常識から見ると、アメリカの住宅ローンは、経営方針が大甘のカジノみのたいである。
金も持たずにやって来た客に対しても、喜んで賭け儲け金を貸してくれるという大甘の
カジノである。 客が勝てば(=買った住宅が値上がりすれば)勝った差額を自由に持って帰ることができる。客が負けたら、
手元に残った残金だけ返せば(=担保となった不動産を引き渡せば)それ以上は責任を追及しないというカジノである。
こんな大甘カジノなら、客は殺到するだろう。大繁盛すること(=住宅の価格が高騰すること)間違いなしだ。
だがカジノが繁盛していることと、カジノが儲かっていることとは、まったく別のことなのだ。
住宅への需要が水膨れすれば、価格が高騰するのも当然であろう。 だが、どう転んでも客が損しないサブプライムローン
の仕組みが成立するためには、住宅価格が右肩上が滑りで、今日よりも明日にはさらに高い値段になる必要がある。
ところがアメリカは昨年末には不況入りした。当然、住宅需要は減ってくる。
みんな、一斉に勝ち逃げしようと考える。住宅の売り物が増えてくる。価格は下落に転ずる。
 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)


4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか

2013年11月18日(月)

                 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
    * 結婚相手に何を望むのか ー��
 ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、
 第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確にするためである。大昔は、生まれてくる
子供の親が特定できないことが多々あったため、養育に支障をきたした。一夫一婦制で子育てを義務化することができる。
第二に、キリスト教などの倫理観から生まれてきた。性の乱れを防ぐ目的もある。
第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、容姿、体格、知能などを有する以上、弱者と強者が出てくる。
強者が多くの異性を抱え込んで、弱者が異性から排除される事態を防ぐための人類の知恵としての制度という学説がある。
 ∵ 「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。
 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚生活は、うまくいくと考える説。
類似説は、素質の似た者同士の方がうまくいくという説。補完説でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、
精神的に弱い人は、心の強い人を、背の高い人は、低い人を求める、ということになる。自分のない部分を相手に求める。
一方、類似説では、背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を求めるなど、同じ素養、素質を
共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。
  ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、
 第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムースに進む相手、第二に、「家事能力」である。
第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、学歴。女性の9割は経済力、男性は4割でしかない。
まだ、男女の役割分担の意識が高いことがある。学歴に関しては、男女とも同類婚を望んでいる。
  ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、
 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。学校が10%。サークル、街中、アルバイト、
見合いが、それぞれ5%と、9割を越す。見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完している。
▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に望んでいるのか、が解りやすい。殆どの人は、
 学歴も、家柄も、容姿のうち、二つが揃っていれば良しとして結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し合って、
 離婚するのが、今では3〜4組に一組になる。世の中、すべからく妄想でなりたっている。その最たるのが結婚の妄想。
 青年期を振返ると、女性の方がシビアで、見るところを見ていたようだ。それで、決まってしまうからだ。
・・・・・・
4264, しまった!  ー12
2012年11月18日(日)
                       ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著)
   * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 
 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、かえりみて己をしることである。
ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動することを仕事の核にしている」という。10時間以上の、まとまった時間、
ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。 前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、
ただひたすら黙想をしてみた。「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の半睡のような黙想体験は、言葉で
表現し得ない悟りというか、マドロミに包まれた夢のようであった。 考えるでなし、何かの思いが浮かんでくれば思うまま、
半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、その状態。宇宙と一体になっているような、何かから解放されて
いるような永遠な何かと一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したいとき、ただ、あの空間で、
飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想するには理想的空間である。高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは
新幹線内での読書で経験していた。 学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデスをしていて、小泉元首相が外国への飛行での
機内専用サービスの担当になった時の経験談を聞いたことがある。「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、ただ眠り続けていた」
という。あれは疲れで寝ていたと同時に、黙想?もあったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、ひたすら
10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕があれば、充分価値のある時間になると、納得。
この経験から、ひとつの習慣が出来た。休日などで、ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。大体30分〜一時間。
ただ目を瞑り、休む。 この春から始めたヨガで、最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。これも機内と同じ状態。
好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、人生の財産である。私には時間という財産だけは充分にあった。
装置産業を選び、それゆえに固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。これこそ財産だった。
秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む妙な習性がある。定年をむかえ、
それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ!
・・・・・・
3889, 積極的逸脱 ー2
2011年11月18日(金)
 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。
天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。
野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。
彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才?
いやイチロウはアメリカでも天才だろう。 そう考えると天災、秀才は比較の問題になる。とすると、自分で地元で、
積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。単なるアウトサイダー、ハグレモノ。
天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ逸脱者として扱われてきた。
 ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、それは違う。
前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、
これは日常からの積極的逸脱であった。 その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。
人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。
江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に
産業廃棄物扱いをされてしまう恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に
入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 事業に「たら、れば」はない。 
 積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。
これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。
 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。
 ・・・・・・
3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い
2010年11月18日(木)
 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリした違いがあるようだ。  
  この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。
【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて使われてきたかを、英語、フランス語、
ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」は
われの人としての自覚から始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように
世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。これは、人に間の字を添加している。
間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、そういう人の
間の関係を示すということになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる古いインドの
神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に関わるものでないことを実証している。】
 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 )
 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、人間になっていくのである。
また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと発展していくが、それは、人間の意味に、
あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、それぞれの自己絶対化が生じてくる。 人は人間関係、社会を通して
人間になっていく。書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。
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3149,つれづれに ー閑話小題
 2009年11月18日(水)
  * 論理的思考とは
毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。 自分のメルクマールのため続けているが、
この習慣で得たことは、「インプットした知識もあるが、各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた
本質を見抜く視点と、それを起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたことにある。」 論理構成力こそが、自分の核である。 
その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界に繋がっているようにも思える。 
大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。 
何かのイベントに参加すると、その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。 
それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。デジカメで日常の写真を撮り、
そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで豊かな気持ちになれる。 その人によるが。
  * ブルーレイ録画機
7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたので、ブルーレイをネットで買った。量販店の7〜8掛けである。
(字数制限のためカット2011年11月18日)
  * オモシロ、オカシク
(字数制限のためカット2011年11月18日)
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2784, こんな経験したことありますか?
 2008年11月18日(火)
 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている五感の範囲のことでしかない。
犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。 
以下の内容は不思議でもなんでもない。普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。
絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 
  *うぶだしや*             (うぶだしや=遺品買取屋)
「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死をいたむものだった。
ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床にあッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。
友達が学校に通い、結婚していくなかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。
思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常ばかりであった。
彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二とのできない憧れの生活を描きつづけていた。
そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、
絵の裏に、師匠の画評が書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ」
と書かれた額があった。 昭和皇太后の肉歌であった。私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。
「これ!もう売ったんですか?一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」
「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。
うれしそうであった。私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 
お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、だまって指を二本たてる癖がある。
私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、ときどき取り出しては、うっとりとながめた。
画中の女は、美しいというより、どこか寂しげであった。 だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、
右のいきさつを話したら、その骨董屋の顔色が変わった。「先生、そういう品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。
悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」
たしかに、それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。
 (やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。 捨てられないと、
こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、信じられないことが起きた。
ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、それほど親しいわけではない。
なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから二人で見にいきませんか?」という。
こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、いくこことにした。桜は美しかった。
墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと思っった。私は、はずかしいから地面をみて、
女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。
体が弱いのか、のどくびを覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。「桜、きれいね」
 そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、そこには、信じられないないものがあった。
あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。
地の底から、女が、じっと、こちらをみているような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、
その花見の女性とは会わなくなった。 二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。
 ▼ 私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、
  毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。 いや、感謝をする。 何で気持ちが悪いのだろうか? 
  まあ、いいか! これも解釈の一つでしかないが。 桜には霊気が満ちているというが!
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2007年11月18日(日)
2419, 『楽天主義』
      *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 
 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著             ー読書日記
 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のようなメッセージに驚いてしまった。
三重苦を乗りこえた偉大な人物ということは周知のことだが、実際に彼女の本を手にするのは初めてであった。
それも何と彼女の処女作で、100ページ足らずの読みやすい本である。この一冊を20歳前に読んでいたら人生が
変わっていただろう。 三重苦の中で、言葉の持つ意味を深く理解したのである。もしかしたら、
今年の最高の本といってよい本だろう。この本はもう廃刊になっていて、中古本で二倍の値がついていた。
 ーその概要といえばー
 この本は、ヘレン・ケラーが1903年、大学在学中に初めて書いた処女作である。
ヘレンは三重苦の身でありながら、88歳の生涯を障害者の救済のために力強く生きた。
彼女は生後19ヶ月の時に熱病に罹り、聴力と視力を失い、三重苦の生活を強いられた。サリバンという女先生と出会い、
読み書きを覚え、大学を卒業後、世界各地で講演したり福祉活動を行い「奇跡の人」と呼ばれた女性。
ここで彼女は「楽天主義者とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものにするための
努力を重ねる生き方」と述べている。楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる。楽天主義こそいっさいを
成功に導く信念である。 希望がなければ何ごとも成就するものではない。
人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。楽しく生きて、この世を去るときに、
「生まれてきてよかった。幸福な人生だった」と振り返ることができたら、その人は人生を楽天主義者として
過ごした成功者である。将来に希望をもって努力することで幸せは得られるものである。
逆に、悲観的な考え方のクセがある人は、幸せになりにくく、不幸になりやすい。幸せになるためには、悲観的な
(不幸になる)考え方をストップし、意図的に楽観的な考え方をできるだけ心がけたほうがよいのである。
ー彼女は、ここで次にように述べている。
「幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。
私は、盲・聾・唖の障害者でも、世間の常識に反して自分は幸福である、という考え方を信条としている。
   (字数制限のためカット2010年11月18日)
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2006年11月18日(土)
2055, あたりまえなことばかり −9     読書日記       (~Q~;) おはよう〜〜            
 自分とは何、これは考えても考えても尽きぬ問である。孤独という実感の先にある「宇宙の真っ只中に浮いている意識」
が真我であるのか? 以前も書いたが、「禅」の字は「単を示す」と、新井石龍禅師が語っていた。
「宇宙に誰もいない、ただ一つの生命」これを実感するのは死期を悟った時。
これが苦しいのか、苦しくないのか経験したことが無いので今のところ解らない。
恐らく、あのバンジージャンプの板の上に立った実感が近いのだろうが・・
しかし、あの落ちていく瞬間の覚醒の意識が最後の見納めとして周囲を見渡す時のそれなのであろうか。 
私の場合の「私」は、このHPそのものである。このHPの先にいる得体の知らない「これ」である。
デカルトのいう「考えている、『!』『?』」である。たしかコギトと表現していたが・・考えている、思っている、
思い出している、想像している、これである ー> ( ̄ω ̄;)!!エッ `
ー孤独とは苦しいものなのか −
 *自分とは何であろうか
たとえば、自分とは自我でなく、この肉体でもないとしたら、同じ理由によって、他者とは誰のことであろうか。
他者もまた、その自我でもその肉体でもないとしたら、孤独の癒しとして求められるような他者とは、自明なものだろうか。
孤独であることは、苦しいことと感じられるほど確かなものであり得るのだろうか。自分とは「何であるか」、
他人や社会によって知ることができないと知ったとき、人は自我の向こうに自己をもとめて、船出することになる。
(字数の関係でカット、2009年11月18日)


4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ

2013年11月17日(日)

 * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ
 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの一時間のスケジュールに込んでいる。
10年以上続いた刑事ものドラマの再放送である。 ー概要をウィキペディアでみるとー
{ 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、警視庁内の窓際部署「特命係」に追いやられた
 警部・杉下右京(水谷豊)を中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディものであるが、相棒は3度変わっている。1話ごとの
基本的なプロットは、超人的な推理力・洞察力を持つ右京が犯罪者を理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、
その一方、全体的なストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを描く警察ドラマ路線を更に
推し進めたものであり、警察組織のみならず、官僚・政治家の権謀術数を描いている。 2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、
単発ドラマとして放送され、2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送されている}
 ▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の一端に私も入ってしまったことになる。
 一年ほどして、家内に「これって、現代版の水戸黄門でないか。トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、
最後は国家権力を振りかざし悪と対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、「今まで気づかなかったの?そんなのは、
当初から言われていたこと」という。12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、
見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。
その一つに、研なお子が、明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。再放送直後、家内が知人に、
「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。オバサマたちの多くが、見ているという。もう一つ、面白かったのは、
岸恵子が、フランス帰りの「岸恵子」そのもののキャラを演じた犯人役のドラマも、なかなかのもの。  

・・・・・
4263, しまった!  ー11
2012年11月17日(土)                      
   * 人生の財産 ー総括するとー 1  ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ージョゼフ・T・ハリナン (著)
 人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、ひとつの結論に達した。《 人生の資産はお金でなく時間である。 》と。
人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、
人は、これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、決意と自制が求められるが、
難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。
それを忘れて、思い切った割り切りをしないことが人生の最大の「まちがい」になる。
 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、
それを前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見)がかかっている。 それを
知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの
人間のバイアスは面白いほどケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。
 間違いを少なくするには「小さく考えること」。 間違えは意外と身近な些細なことから生じていることに気づくこと。
私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けているつもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。
考えることを嫌い、こうなるはず、という直感に従ってしまう。 私たちは見ていて見えてないのである。知っていても
理解してないのである。そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが脳の
奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、大きな壁となる。
 ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。
失敗も成功も人生の内である。それも考えてみれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。
・・・・・・
3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」
2011年11月17日(木)
 サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。 自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、会社に
不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、その過酷の
仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、もう社会的には傷物。 その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、
金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の
視線で社会を見ると、多くの事が見えてくるもの。 結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。
「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、思いでしかない。
その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんなものかと冷静にいることが出来ている。
それよりも65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く、自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。
自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫であった。
自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなことはない。
サルトルは実存主義者であるが、人間の本質は、「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在で
あるとし、実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く前に絶望が
先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると、非常に難しい課題になる。
「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。
・・・・・・
3523, 都市型狩猟採集生活
2010年11月17日(水)
   「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著)
 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の坂口恭平の対談があった。
「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容についての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、
これ以上、新しい建物を作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすればいいと考え、
路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。
たまたま図書館で、その写真をみたことがあるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、
それらから家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな世界に見える。
坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 彼らは“都市の幸”で暮らせば、
政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身にしかできない生活を獲得している。
   ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー
 * 「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、みんなあまりガツガツ
  していないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集したあとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。
  そんな姿を見ている人がいる。 それが次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68)
 * 「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ変えることなく文句一つ言うことなく、
  独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・  社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、
  人間を苦しめつづけるだろう。 それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。・・・
  <都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148)
* 「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが冷淡であるのはどうしてか?」
   ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。
 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもっていたこと。彼らは、
  「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」という。うちの手伝いに来て、  
  アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていけることが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。
  人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。
  歩けば何でも見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。
 養老:身体を使うことは大事。私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。
  ▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、生活保護などの支給があるからか。
 それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。
 何か無駄なものを人間は持たされてしまったのではないか! 立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・
・・・・・
3148,殺人事件の半分は家族内殺人
 2009年11月17日(火)
 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 のレポートが目に入った。
子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。
しかし、このレポートの題目をみるまで『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占める
というから驚きである。これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。
それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている10人の
家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。
  ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー
≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 
 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。
 それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。
 自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存性を生む。
 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。
 だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。
 子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫
  ーー
  多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。
 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもにとって
 厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻にとっても夫が危険である。 
 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人というから、ありそうなことである。 
 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ?
  ーー
 「身内の犯行」 橘由歩著  ーネットよりー  (字数制限のためカット 2010年11月17日)
・・・・・・・
2783, 外は広く、内は深い
 2008年11月17日(月)
日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)についての文章の一節である。
【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。
「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、
「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。
西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の成立を図る思考であり、
そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化や産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。
他方、東洋的な見方は対置概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようとする知性である。 
西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に
分りますか」と尋ねたという。大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】
 〜〜己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの輪郭が見えてくる。
    (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・・・
2007年11月17日(土)
2418, よく生きる −3          才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪
宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に「私は無宗教」と言うと、
腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめるのだろうが。しかし著者の次の内容は、
宗教の必要性を解りやすく説いている。私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。
その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った人の集まりが社会である。
宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 
 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー
(3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを味わっも、挫折、病気、老化、
それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、
宇宙のすべての存在者の根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、ヤーヴェ、
仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、
死を通しての根源へと帰るのです。このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、
安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは自分と他老の区別が意味をなさなくなる。
それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に抱かれて万人が肯定される世界です。 ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に
献身していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が自己絶対化を捨てなければならない
でしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教がそれぞれ異なる道を
通って共通の根源へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。
 (4)そして最後に、第四点目として社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で生きる存在者ですから、どのような
社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと
移行し、それらの劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として是認しつつあります。 
 (字数制限のためカット 11年11月17日)
・・・・・・・
2006年11月17日(金)
2054, あたりまえのことばかりー8
                   b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
団塊の世代が本格的に60歳を向えようとしている。その中でサラリーマン生活を過ごしてきた人達が、大量に定年を向えようとしているが、
彼等にとっての大問題が第二の人生である。常に集団社会の中で、「孤独」の確立が出来てない人が大部分である。
「どうしてよいのか解らない」のが、本当のところだろう。 せいぜい、前の会社のOB会の集まるスナック・居酒屋とか、
ゴルフ会とか、町内会の会に出るぐらいしか知恵が出てこない。この問題を、著者は「孤独」の意味を探りながら論じている。
彼らこそ、群から離れて「隠棲」に入ることが、サラリーマン社会に生きてきた人ほど必要であろう。
隠棲といっても、ブログで繋がる便利さもできているから、それほど深い寂寞感はないだろう。
しかし、孤独は生やさしいものでないことも事実である。
 ーーー
ー孤独は苦しいものなのか ー
隠棲するということは、静かで豊かな魂のありようのために、意志的に選ばれる行為だったはずである。
それが、「引きこもり」という言い方によって、何らか心理的に問題のある一種の症候群に目されるようになったのはなぜだろう。
自宅や自室に引きこもって、長時間にわたって社会と全く接触を持たない若者が、30万人はいるという。
家族とさえ打ち解けず、家族でさえその理由は解らない。 本人たちは、非常に苦しいものらしい。
孤独を欲していて、実は孤独を欲してないのだろう。本人は人と関わりたいと思っているが、
うまく関われない、無力感、挫折感、自己嫌悪感の泥沼の長期化、恐らくそういうことなのだろう。
(字数制限のためカット 09年11月17日)


4627, 夫婦格差社会 ー2

2013年11月16日(土)

     『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他)
    * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに
  奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口より、二人の収入の二人口の方が長い年月で
  大きな差が出てくる。ローマの道は一日にしてならず、である。とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしかない。
 〔妻の勤労による所得が、夫婦合算所得の平等化に寄与していた時代は終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する時代に
  なっている〕の指摘が、一番の要所である。結婚相手で、人生は決まってくるのである。 ー概略といえばー
 ・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で見ると、夫の年収が増えても以前ほど
  妻の有業率は減少しない傾向が出てきている(夫の収入が1000〜1500万の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に関係なく、
  妻が働くかどうか、決めている。この10年で25-34歳の既婚者の労働力率が10%増加(結婚しても仕事をやめなくなった)。
 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは際立っている。まだ女性の社会進出が遅れている。
 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが
  女性は繋がらない、(日本では)低学歴の人ほど離婚確率が高い。
 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。1985 年までは男女ともに5%以下だったのが
  爆発的に上昇に転じ、2010年には、男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測されている。 
 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市で高く、島根、秋田、高知などの地方で低い。
  ところが30代既婚女性の就業率は、大都会では地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京などの都会は
  専業主婦が少ないように錯覚されるが、高所得の男性も多いので専業主婦率は地方よりも遥かに高い。
 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増えている。(女性にとって、結婚は階層を上げる
  役割を果していたが、今では薄れている)
 ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。
 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。
  年収300万円未満の20代男子の4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。
 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、直接、間接的に影響してくる。知人をみると、
  奥さんが働いているかどうか、親からの資産があるかで、大きく違う。 短い人生、可能な限り稼いで使いきることだ。
  百億稼いで残した人生より、それを使い切った人生の方が理屈から考えても、面白いに決まっている。 どの道、夢幻!
・・・・・・
4262, しまった!  ー10
2012年11月16日(金)                  
  * どう思うかは、そのときまでわからない  ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、諦きらめがつき、後悔とかは皆無。。
この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に
自分でも驚いている。 これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して、「なるようになる、その時は、
その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから面白いのだ。 ーその辺りよりー
≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。
 人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるかなどわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を
受けるかの質問に、殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士でゼロ、
健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の58%の人が、たとえ一週間しか命が
延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・・ ≫と。
 ▼ 「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。 一流のエキスパートには二つの
  共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった
  能力は人が思うほど大した要因でなく、重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」である。
   研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちのグループは、20歳までに一万時間の
  練習量を超えており、それほど成功してないレベルの人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習を
  すればよいのではなく、練習の繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。
   ところで秘境旅行は実際に当地に行って直接、その大自然に接し感動して初めて、その醍醐味が実感できる。
  どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも人生でも同じこと。
  未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学(信念)は、「迷ったら、とにかくやってみる!」
  見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に
  実践してみないと分からないのを本人は知っている。 本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。
・・・・・・
3887, 積極的逸脱
2011年11月16日(水)
異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。日本語にすると積極的逸脱になる。
世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。
そういう私の方が地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の同級生を除いて
最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。
 しかし、私という存在は他者がいてこそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。 
「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在ではビジネスに使われているようになっている。 
後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、
たまたま近くに医者がいる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から
逸脱していることになる。 しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、全体の死亡率が減っていった、
とういう事例がみられる。 コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して
不具合が生じるトラブルで、これはエンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの
一人のエンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への競争優位をもたらしたという。
大体が改革とは、そういうもの。 従来のやり方を根底から変えることは、どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、
極的逸脱と見ることが出来る。 世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。
そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、比例して満足度が高くなっていた。  
あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が
残された人生を生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。そこで、それを本気になって探すと、
自分の生きている世界中に、それが無限に転がっていることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。
緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・
・・・・・・・
3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると!
2010年11月16日(火)
 今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 まず、この問題は、G20が韓国で
開催される時期と、APECの日本で開催される直前に明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、
やすやすと乗って、中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに上陸をさせてしまった。
これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの
計算外の海保の保安官の秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から幾重もの
クッションを通して行われた可能性を含んでいる。 それが出来るほどのタマは現在の日本にいない? しかし、中国のトップの顔に
泥を塗るにタイミング的に良かった。その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて
タイミングがよすぎるたのではないか。 保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる直前にマスコミに接触したことも、
一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。
「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに
効果があった。だから、あの男は、日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でもされれば
管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も20パーセント辺りまで急落することになる。 
その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。
これが完成すればアメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が大同連合を組み、
国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 それが100年、250年に一度の地球規模の
危機に対する対処になる。 海保の保安官の逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか?
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3147, 地方経済惨状の一現象
 2009年11月16日(月)
 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国バンク支店長のインタビューで
「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。
団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 
マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、新潟の信濃川の川沿いの
大きなマンションが宙に浮いた状態にある。 それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、
5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、
息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にあるマンション、4室もあって
1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、
その間に世界が劇的に変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。
その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。
新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 
  (以下、字数の関係でカット2011年11月16日)
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2782, 浅井さん
 2008年11月16日(日)
 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、
私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、
庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。
「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。  掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。
うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が
雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 
折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 その数日後、浅井さん夫妻には
長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 
  (以下、字数の関係でカット2010年11月16日)
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2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2    ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」という自問自答である。 
やはり根本的なところが欠けていたいたようである。「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、
こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?という自問自答である。
真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
 まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)
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 2006年11月16日(木)
 2053, たとえ他人の過ちが90パーセントであっても
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
   いいですか、たとえその人のあやまちが90パーであり、あなたのあやまちが10パーであるにしても、
   あなたは90パーのことを考えることより何も得ることはできません。 
   何故かと言うと、あなたはそのことをどうすることもできないからです。
   ところが10パーからは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。   (ユング)
   ーー
   ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
   フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
   そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
   同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
   それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
   相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
   理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
   この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
   些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
   熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
   ・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
   家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
   夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
     (;´-`).。oO (ぇ・・マジ!)         (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・
2005年11月16日(水)
 1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府"
 数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。
 今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。
 目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。                 
  ー以下はその概要であるー        
 ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。
 (以下、字数の関係でカット2008年11月16日)


4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子!

2013年11月15日(金)

   * 今度は絶食系男子だと!
 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、NHKのニュース番組で紹介していた。
彼らは女子に興味がなく、将来も結婚するイメージが出てこないという。別にホモ系でもない。女性と付き合ったことが
ない若者が45%いて、男の2割と女1割が生涯独身。2030年には男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。
アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを考えると、結婚に躊躇する」とインタビューに
答えていた。それにしても絶食系男子のネーミングにはビックリ。本来、男は「絶倫系男子」のはずだが!
 ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には何の楽しみも無いし・・(女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。
情報化の時代、面白いことが山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! というのも分かる。
しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しいという。べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・
絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、これほど面白いことはない。 ある漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、
ソッポを向いているのがあった。何人かの紐を持って、困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。
   * ソリスト
 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。
ソリストの本来の意味は、「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手」 
 冬期を除いて4年以上、毎朝、1日時間、自宅から15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。
私の一日のスケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけでなし、一人で行って、幾つかの
エアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか青竹エアロで、誰かと仲間になり楽しそうにしている人と、私のように誰にも
挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけのソロ組に分かれる。ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に
5〜6人が陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは中高年の女性たち。 
SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、挨拶程度で、会話はない。早朝のポタリングや、ウォーキングも、
ソロと二人連れに分かれる。それと犬連れ。 で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。
ポタリングは当然、ソロである。単独か、群れるかは、人であることを優先するか、人間であることを優先するか、である。
・・・・・・
4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ?
2012年11月15日(木)
     * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に!
  第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない大方の中小企業のトップは、
 どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、
 運転資金とは別の僅かだが予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は更に体力を
 落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜
 40年前の事業設計にシェルター機能を組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、
   ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】
 ・ 全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計。(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、不動産の6物件は完売。)
 ・ 借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、ほぼ大部分。 ー元金融関係の先生の
   コンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。
 ・ 職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする(名誉職的団体に一切に入らないなど・・)
 ・ 20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え時点で追加担保の要求が出るため)
 ・ 10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)
   を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。 ー見切り時期の設定ー (償却前赤字の転落時点も、目安にする)
   この時期に、個人名義の事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。
 ・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。
   そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。(国の退職補助金一千万近くを含めて)
 ・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。一般債権は、ホボゼロ。
 ・ * 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 
   * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。
   * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している事業経営者の子女」を前提。
   *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人には絶対にならない」を厳守。 
   * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の別立て預金。
   一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・ 自宅は家内が買い取ることで確保。
   【 長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。 しかし結果は、ご覧のとおり。
 ▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー   
   長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジをかけておくのは、経営の正道。
  経済震災は既に起こってしまったのである。 現在、中小・零細企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。
  あとの三割以上も、その一歩手前といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 
  現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・  金融機関に小手先の手法など土台、無理。
  まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、
  「事業は舟板一枚下は地獄」を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、
  「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、決断をする3ヶ月前までは
  まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・
  ・・・・・
2011年11月15日(火)
閑話小題
   * 江戸時代の幸福とは
 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。
< 世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人 >
 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世にもついてまわる。
 最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 これを現在に置き換えると?
< 世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人 >というところ?
 ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っているかである。
  * 人生に意味(価値)があるのだろうか
 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々の中で、「自分の人生は何だったのか?意味=価値があったのか?」等を、
考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って
生きているのが人間だが、実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい加減な
万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、指摘している。 キリスト教の教えを、
弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。
そうこう考えると、せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったのだろうか?などという
思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で、
人の悪口、陰口を言っている醜さは、結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が
腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 全ての人である。
 ・・・・・・・
3521, 我が家に新しいTVが  −4
2010年11月15日(月)
 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから三ヶ月近くが経つ。
 そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでのテレビとは別物のマシーン。
 ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わってしまった。そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。
* 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、19時~23時の四時間×6日間(変更可)を
 自動録画する機能がよい。これが一番の売りだったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、
 実際に使ってみると、これがよい。 ゴールデンタイムには必ずといってよいほど面白い番組がある。 しかし当日の地デジは
 殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白くなければ、その場で消す。 平日の18時半から21時には、
 せいぜい二番組しか見る時間がない。当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの
 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て
 面白いものが冷静に選ぶことができる。そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。
*マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、プロ野球が格段に臨場感が出たため、
 内容が数段良くなって見える。 家内は三日に一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、
 臨場感がアップしたのである。 それが感受性を更に高めている。
*先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間テレビに釘付けになってしまった。
 ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに
 引きこまれてってしまった。 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。
 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観たマイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督)
 最後のコンサート「THIS IS IT」のリハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、
 いずれもステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り返れば夢のまた夢。虚構は虚構で!
  (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。隔世の感がある)
  ・・・・・・・・
3146, 変である、日経の論調
 2009年11月15日(日)
一昨日の日経新聞のー経済教室ーで 「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。
 慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。
日経に請われて書いた提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。
ポイントとして :貸し渋り対策で、過度の政府介入するな  :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 
        :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。
5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように指導し、
強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。 何を、この新聞社を載せるのだろうか。
そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ これで新規融資が一段と萎縮するというが、
上から目線の論法でしかない。 地方の現場から逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、
下の目線で資金コントロールするのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、
どこが悪いと言うのだろう? 二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の低迷」というが、
リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で救済する、どこが悪いというのだろうか。
日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、私の意見と思うが。この学者、「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 
地方の企業は、そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 
去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上などと言っているケースではない。
大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されているのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を
生み出しかねないと、一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。
床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、 「これは、大震災、それも100年に一度の大震災」。 
都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感できないのである。 それと、日経新聞もである。
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2781, 世界同時不況  ー日本は甦えるか −2
2008年11月15日(土)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2
  ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。
・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。 思いつく最も説得力のある答えは、
 金融機関の不良債権を買い取らせるとうポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森)
・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスのために六千億の金を用意しているという。
・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対してもドルの価格は上がっている。
 但し、円だけはありあえない。
・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。中国には、その力はない。
・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら特殊な国である。
 端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。こんな国は他にはない。
 その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。
・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。これからは、新興国の人から預金を集めて、
 中小企業にきちんと貸すリテール中心の銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。
・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立しない。
 日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争するしかない。
 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。
・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、中小企業であり、農業を初めとする
 第一次産業である。 農業といっても、農業土木ではなく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。
 −−−
  以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、ゼロからやり直すチャンスと説いている。
  (字数の関係でカット 11年11月16日)
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2007年11月15日(木)
 2416, よく生きる −1       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆
池田晶子と陸田真志との対話集の中で、ソクラテスの{ただ「生きる」のではなく、「善く生きる」べきである。}
という問いが語られていた。 何か解りやすい本がないかと図書館で調べたら、やはりあった。 
哲学者の 岩田靖夫著「よく生きる」−ちくま新書 である。 目を通すと、「はじめに」の要約が解りやすい。
これで充分といえるほど簡潔で、知りたい全てがそこにあった。
 それを要約をすると、
1、幸福とは、自己実現することである。
2、その自己実現は目的ではなく、条件であるが、その意味ではない。目的は自己実現したレベルでの他者との邂逅である。
3、その中でも、挫折、病気、死などが待ち受けている。それを解決できるのは宗教しかない。
  それぞれの神という根源の元に帰るという確信こそ、人の求める究極である。
4、我われは、そういう人々の社会の中で生きている。そこでは自由と平等が求められる。
  その仮想がユートピアだが、理想として追求するのが求めるべき人間の姿勢である。
 さらに表紙裏の説明文が更に簡潔であった。
   ーまずは表紙裏ー
   (以下、字数制限のためカット2010年11月15日)
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2006年11月15日(水)
 2052, 新潟は今・・
       (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
このHPを見ていれば解るように地方経済は重苦しい状態がつづいている。首都圏のような明るさの気配は全くない。
駅前ホテルと飲食店、そしてタクシーは特に地方の景気に敏感である。目立たないが、飲食店の廃業の話が連日のように
入ってくる。一ヶ月ほど前には新潟駅から直通のワシントンホテル(300室)の撤退のニュースである。
シーズンが変わる度に、夜の繁華街の人通りが少なくなっている。もう誰も不景気とボヤク人もいなくなった。
その中で一部だけ良い店があるからだ。今風にして、ほんま物を廉価にして、互いの姿を見えないようにした隠れ居酒屋は、
それなりに入っているからだ。 それが出来ないところは自然消滅しかない。ところで、新潟市内のタクシー業界では
来春から一斉に完全歩合給に入るという。もし事実なら、タクシーの運転手も暇で仕方がないとぼやいてはいられない。
長岡でも新潟でも給料の話すると「固定給12〜3万+歩合給=15~6万円で、手取り13〜4万。それに、家内のパートで
8万円、合計20万で親子3人で暮らしてますよ。今さら働くところも無いし、辞めても直ぐに誰かが入ってくるし・・」
という返事が返ってくる。それが来春から完全歩合給になるというから、運転手も目の色が変わりざるをえない。
「個人タクシーが成り立っているのだから、完全歩合給も成り立つはず」という理屈も成り立つが・・・
15年ほど前に、札幌でタクシーに0時ごろに乗ったとき、運転手に「深夜の勤務は幾らほど出るのか?」と聞いたところ、
その返事に一瞬にして酔いが醒めてしまったことがあった。「札幌はね~、最悪の景気なの。私も問屋を倒産させてしまってね〜
 (以下、字数制限のためカット2013年11月15日)


4625, デフレの真実 ー金持ちの本音

2013年11月14日(木)

                 ー庶民は知らないデフレの真実 ー森永 卓郎 (著)
 「君は一万円札を破れるか?」の対極の要素が多い内容で、お金を考える点で面白い。
 3億持てば、3億。100億持てば、100億の世界が開けるのだろうが・・ 
   ーアマゾンの内容紹介ー
《 消費税率を上げる前に、デフレからの脱却を図るべきだ! 増税路線に対する国民からの反発は大きい。
 また野党も執拗に批判を繰り返す。しかし、増税路線は決して止まらない。そしてデフレも止まらない。 それはなぜか?
経済政策の間違いでもなんでもない、庶民が知らないデフレの真実を森永卓郎が明かす。金持ちの論理から日本経済を読み解く、
初めての「金持ちによる金持ちのための経済学」。申し訳ないが、庶民は、出入り禁止だ。 》
 面白い本だ。10年間、ひたすら働き、遊ばないで三億の金を貯めて、一応、金持ちの仲間入りをして、見えたことは、
一握りの金持ちに有利な社会システム。 だから、「まず年収分を、次に三年分の預金をしなさい!」という。
   まずは、=アマゾンのレビュー=より
【 金持ちの立場から日本の経済状況を解説する一冊。消費税引き上げやTPPなど政府の方針は、
 どれも「金持ちの金持ちによる金持ちのための政策」だという。デフレで一般庶民は生活が楽になっているようだが、
 実は借金のある人には不利な状況だし(家を住宅ローンで買った人は特に)、一般人の年収はずっと下がり続けるだろう。
 金持ちは、数年後にくる暴落時に、土地や株を買い占めることでさらに儲けることができる。その後には、アメリカのような、
 あるいは日本の明治時代のような超格差社会がやってくる。我々にできることは、とにかく節約して、キャッシュを貯め、
 来るべき暴落に備えることらしい。】
【✩ プロ野球の一流選手だって同じこと。監督とコーチの指示を受けなくても、試合展開を読みながら、自分のポジションで
 やるべきことを理解して動く。それができない二流選手は2軍に落とされ、やがて解雇される。」(p58)
 ✩ デフレを止めようとしなかった論理として、地価が下がり、二束三文で叩き買いしまくった後、インフレを起こして
 「貧民はインフレになっても賃金が上がらず(スタグフレーション)、富豪は持っているモノの価値が上がって大もうけ。
 さらに株などで”カネがカネを生む”生活をしてますますもうかり、”貧民はその子孫も貧民、富豪はその子孫も富豪”
 にする社会づくり」を目指す。消費税増税、デフレ問題、TPPなど、すべてお金持ちのためになされている政策である。】 
【 金持ちの視点からみた経済政策。 この金持ちを「米国」に置き換えると貧乏人は「日本」。 さらに金持ちを
 「米国を支配する者たち」に置き換えてみれば貧乏人は? 対象をもっと広げて「世界全体」に目を向けると・・・ 
 我われほとんどの人類は「貧乏人」に分類されてしまう! 金持ちは「マネーメーカー」のみ!!】
▼ 資本主義社会は、金持ち=善、貧乏=悪、という洗脳がされている、が「君は一万札を・・」の主旨。
 著者が10年かけて3億の現金を持ってみて、社会構造が金持ちに有利で出来ていることを実感した!という。
 バブルの頃、会社の預金を含めて3億近く持ったことがあるが、豊かさの実感はゼロだった。
 そして、今は色いろあってゼロだが、貧しいとも思わない。やりたい事を、しつくした手応えがあるのと、年齢もある。
 しかし世の中、8割がたは、金で解決できる厳然たる現実がある。残りの2割に、人生の8割の価値があるというが・・・
・・・・・・
4260, しまった!  ー9
2012年11月14日(水)                 
   * 人は誰も人並み以上と思うもの  ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著)
 色いろな挫折体験から学んだことは、「自己能力の限界の設定」である。しかし、その設定さえも間違えてしまう。
それだけ、自分のことになると見えないのである。 若い女性の場合、これが極端に出る。若いだけで周囲が特別視するが、
それは束の間のこと。そこで若さを失うにつれ表面的な化粧や衣装で若く見せようとするが、その衣装と化粧代は膨大になる。
自分を人並み以上と思うのは、まだましで、特別な存在と信じて疑わないのが、あまりに多い。ーその辺りを抜粋し考えてみるー
 ≪ スポーツジムの会員は、自分が期待する回数の半分程度しか通っていない。大半は回数券の方が得なのに会員権を買っている。
 統計からみると、月会員の八割ほどが、利用ごとの支払いにしておいた方が得という。 何故そうかというと、
「要するに自信過剰。自分が出来ると思っていることと、実際に出来ることを混同している」のである。その原因の一つに、
ジムに行かない理由を、何かのせいにすることが多い。そのため、フィードバックが効かなっている自覚が無くなってしまう。
同じような結果が、兵隊の射撃の予測と結果に現れている。大方の兵隊は射撃がうまいと思っているが、実際に射撃をすると、
大きな差が現れる。75%が予測より下で、25%以上が、あまりに下手で不合格の成績に終わっていた。気象予報官についても、
経営者についても、同じである。奇妙なことに課題が難くなる職業ほど、自信過剰のレベルが下がるのではなく上がる傾向にある。
困難が過大になるほど、自信過剰がもっと高まるのだ。・・・どうして、このような自信過剰過多の幻想が出てくるのかというと、
情報の持つ魔力、というのが答えである。情報を読めば読むほど、知識が増えたと勘違いをする。だが、実際には、そうとは
限らないのである。それは見聞ではなく、自信が増しただけ。情報化過多の落とし穴が、そこにある・・・ ≫
 ▼ 自信過剰自体は問題がないが、現実の自分に出会ったときに歪みが出て、それが他人の弱点を見つめ攻撃に向かった場合、
  それは回りまわって自分に返ってくる。それが嫉妬や怒りに転化して怨恨になっていく。 だから不幸がついてまわる人には
  近づかない方がよい。あるいは自分が不調な時節には、孤高を守るべきである。 不幸タイプの人は、必ず、その正体を現し、
  恩をに仇にして返す。それを品性の低さというが、それが更に自らを貶めることに気づかない。「人並み以下の人ほど、
  自分を並以上、いや特別な存在」と思うもの。だから、お世辞が人間関係の円滑油になる。逆にいえば、恵まれてない人ほど
  注意し大事にしなくてはならないことになる。特に若い女性と青年と熟年には・・ そうすると自分を大事に扱わなければ。
・・・・・・・
3885, 平等と公平
2011年11月14日(月)
 最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと思っていた。
ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が紹介されていた。
その概略というと、≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った人物で、
その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの議論の機軸になったと言われている。
リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと、
「善に対して正の優先性」をとる立場である。 本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。
金持ちと貧乏人、才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで一強多弱が進むと、
その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが平等と公平の問題になってくる。それを克服するために
正議論が出てきている。 正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。
◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に対して平等の権利を持つべきで、
 この自由の体系は他者と両立しなければならない>という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。
◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。(a)「社会の最も恵まれてない
 人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という条件の下で全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫
 ▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。資本主義も、社会主義も、家系の知力、
  資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。それが、そのまま、社会的格差になっている。 中学校の同級生の、
  その後の人生を見ていると、その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある)
  ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの「正」を優先させるところにある。
  それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。
  「平等は無理としても、公平であるべき」というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。
  現在、情報化で社会的不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。
  そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、そう簡単でない。
  明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。
・・・・・・・・
3520, 電子書籍は、その後どうなった?
2010年11月14日(日)
 iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。
また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックスとしても丁度良いタイミング。
私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが年内に出揃った後、比較してからにした。 
それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。 
戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、
その使いやすさから使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が自分の小説を
ブログから直接販売も可能になる。 映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の
口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。 既に、ここから多くのスターが出ている。
 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。多機能のiPadは、半年で700万台売れた。
その使用場面が居間と外出先の電車やレストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみである。
 思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏できるものや、パソコンやiPhoeにある
自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。
その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が消滅していったように、新聞、雑誌、
地方TV局など多くが淘汰されていく。これもインターネットの渦の一つ。
 ・・・・・・・・・
3145,高速道路千円の仕掛け人
 2009年11月14日(土)
学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと大和総研に頼まれたが、
何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を
持った環日本海都市として売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする地区をつくり、
工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、
そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、
幹から枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが数日たってから、その話を新潟県の
エライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが
道路経済学を一人で長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家である。 
更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、
大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく
取上げられたとそのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな経済効果をもたらす」
という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書「道路経済学」も、なかなか説得力がある。
「過剰な?高速道路を、世界一高い値段の料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど
使ってないのだから」というのも一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・・
 以下は、コピーの礼状である。
  ー松下文祥様ー
前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの出版された本が出発点
 だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。
 また、民主党が高速道路の無料化の方針も、やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。
 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。
 恐らく、戦略会議の一員にも推挙されているのでは? と思いますが・・ 
《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》
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2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1
 2008年11月14日(金)
 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか 
               ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。
  内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを
  前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。
   ーーー
   高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、
  1、「失われた十年」再び来たる     2、株安・円高地獄の脱出策は?
  3、「アメリカ金融帝国」没落す     4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。
    ー印象に残った部分を書き出してみる。
 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験
 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、
  金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。
 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。
 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。
 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。
  GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。
 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。
  その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。大雑把にいうと、
  それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。だから日本のほうが株価の下落が大きい。
    (字数制限のためカット2010年11月14日)
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2007年11月14日(水)
2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有         才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪
一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると
  ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。
 これを解りやすくまとめると
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 
 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。
・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、
 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。
 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、
中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、
日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 
ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。
一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。
それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか!     ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・・
2006年11月14日(火)
2051, あたりまえなことばかり −7          才八∋ウ_〆(∀`●) 
  幸福論も、あるところまでいくと生死の問題に深く関わることになる。しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。
 観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、
 思ってしまうのが人間の性。 不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。
 前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。
 知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた!これが現在の心境である。
   ーー
「あたりまえなことばかり」
ー・ 幸福はどこにあるのか ー 
《以下、字数の関係でカット。2009年11月14日》

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