堀井On-Line



4583, 2050年の世界 ー12  

2013年10月03日(木)

            「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第十三章 貧富の差は収斂していく ーのまとめーより
・格差は二つの格差を考える必要がある。すなわち、各国間の格差と、それぞれの国の中での格差だ。
・各国間の格差は、一九九〇年代まで開く一方だった。一九世紀の最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の
 六倍にすぎなかったが、二〇世紀の最後になると、最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の四〇倍を
 超えるようになった。これは、北米と欧州の経済成長がこの間急激で、他の地域が停滞していたからである。
・一九七八年の中国、そして一九九〇年代初期のインドの経済改革の開始が、各国間の所得格差解消への転機となった。
 一九九〇年以降、新興経済国の大多数がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。
・そして今後も、欧米や日本などの国々が高齢化による財政の悪化に苦しみ、低成長を余儀なくされることを考えれば、
 出生率が高く人口の配当が大きいアフリカを含む新興経済国との差はますます縮小し、世界的な規模での貧富の差は縮小する。
・しかし、一九九〇年代から先進国を中心に起こったのが、国内における格差の拡大。アメリカのジ二係数は一九七〇年代
 中期の○・三一から、現在○・三八まで上昇している。ドイツやスウェーデンでも国内の格差は広がっている。
 その理由に共通しているのは富裕層がかってない規模の収入を得るようになってきていることだ。
・富裕層の所得が爆発的に増大した理由に、トップ層の職業の収入がグローバル化による市場の拡大で増えたこと、
 そして金融業の異常ともいえる肥大化があげられる。
・ただし、こうした国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の途上国の経済拡大が起こり、それらの国々に住む人々の
 所得が増大するので、全体としては、世界的な規模で貧富の格差が縮小する。
・全世界の中流階級集団は、現在の五億人未満(世界人口の七%)から、二〇三〇年には一一億人超(世界人口の一七%)に膨らみ、
 二〇五〇年の時点でさらに増えているだろう。
▼ 欧米に、それ以外の地域の人々が近づくのはグローバル化のプラス面である。 現在の先進国のような
 「上層・3%、中流・30%、その他」に世界の階層は、変化していく。しかし、問題は、その他の67%の人たちが、
 三分の一の生活実態が情報化で見えること。3%の上層は、それを和らげる政策を取りざるを得なって、下流から中流への
 移動を計るしかないので、世界は徐々に良くなっていく? それは楽観的見方だが、どうだろう。移住が比較的簡単になり、
 豊かな地域に貧しい人たちが移住するため、国家内格差は大きくなっていく。 国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、
 世界の途上国の経済拡大が激しくなっていく。それは40年後ではなく、現在、起きている問題である。ドバイの都市建設の
 労働者がインド、バングラデシュからの臨時雇用で、現地人との差は大きい。また、北朝鮮の政治体制が、その典型。
 弱肉強食が社会の発展の原動力なら、貧富の差の収斂は、人類の永遠の課題になる。
・・・・・・
4208, 異郷日記 ー三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈
2012年10月03日(水)
   * 三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈             「異郷日記」西江雅之著
  何処にでもありそうな話だが、フィールドワークの言語学者が書くと、これほど面白い物語になる。私の去年春の見切りに対する
尾ひれ羽ひれの話も大方、想像できる。だから城下町の地元に帰って来てからは徹底的なアウトサイダーを決め込んだのは、
そのためだ。  片田舎の城下町‘蝦蟇屋敷’界隈の話の縮小版が、そのまま以下である。  ーその辺からー
≪ その後、わたしは"なごみ"の常連のようになった。掘っ立て小屋といってもよいような雑な造りの店内には、粗末な木製の椅子が
 わずか七つ、いつも下駄ばきの大塩さんがカウンターの内で、ガス台の傍に置いた小さな椅子に俯き加減の姿勢で座っているだけで
満杯といった極く小さな店である。客層は平均年齢五〇歳。なかには口の悪い強烈な酔っ払いも多かったが、誰もが一国一城の主を
自負しているような人物で、政治や文学、演劇などについて、相手構わず勝手なことを話していた。 ・・・(中略)
 その"なごみ"の大塩さんが店からブイと姿を消したのは、わたしが蝦墓屋敷に住みついてから数年経ってのこと。
常連の一人から聞いた話では、ある夏の日の夕方、一杯飲みに行こうと思い立って店に行くと、入り口が閉まったままになっている。
しばらく時間をおいて再び店に行っても、入り口は閉まったままである。休業の張り紙もなく妙だと思ったという。 その数日後、
大塩さんは幾駅か離れた町の病院で発見された。彼はそこで亡くなったのである。身元が分からないまま亡くなったので警察沙汰になり、
やっと身元が判明したということだ。この出来事を巡って、近隣の飲み屋では当然のことながら盛りだくさんの噂が出た。
真相を知っている者、真相を知りたいと思う者。好奇心に駆られた連中が、一時的に増えた。それだけで売上げがあがったと言われた
店もあるらしい。自殺説も多い。不治の病に悩んでいたという説、発作的な行為だったという説、皆が知らない所で何者かに脅かされて
いたという説、陰で巨額の借金があって悩んでいたという説、およそ皆が思いつく説が出揃ったころ、話題は自然に消えた。
わたしは彼の死の原因はまったく知らない。しかし、巷の隅で彼の死が話題となったころ、引越しの初日に。なごみを紹介してくれた
"稲穂"の女主人に路上でバヅタリ出会った。「あら!」と言うなり、「あなたも大変だったでしょう。数十万円の借金が、一瞬のうちに
パーになってったんですものね」と切り出した。 わたしには話の脈絡がまるで掴めない。だが、話を聞いていると、‘なごみ’の
主人は人知れずかなり多額の借金を何人もの常連からしていたらしかった。そして、わたしもその被害者の一人とされたのだった。
「借金のことなど、あの店で聞いたことは一度もありませんが」と、わたしは言った。「そうですか、あの方、やはりお金を借りられ
そうな人を選んでいたんですね」と、"稲穂"の女主人は、なんだか私が金のない人物であることを確認したかのように言った。
それは事実だが、とにかく大塩さんからは借金の話など聞いたことがないのも確かだ。しかし、もし噂が本当だとしたならば、
いつ見ても同じような質素な服を身につけ、今にも壊れそうな粗末な丸椅子に腰を下ろし、無口に客に応対していただけの人物が、
何百万円という金を如何なる目的で、誰のために手にしていたのかは不思議である。その後、ほどなくして、同じ路上で出会った
飲み仲間から「知ってますか?"稲穂"のママが亡くなったんです」と、話しかけられた。わたしは彼女の死因も知らない。
どうやら持病が元で、病で亡くなったらしい。 ≫
 ▼ 地元から車で一時間半に高田城下町や、新発田城下町がある。そこでは昔からの生活があり、土着の人間関係が長い町の歴史とし
  脈々と続いている。そして私の住む町の長岡城下町も同じである。 新発田出身者がUターンで帰り地元に住み、新潟で仕事を
  するとしたら、当然、地元の人間関係に深入しないのが生活の知恵。それと同じパターンを私も新潟で仕事、住むのは長岡にと、
  当然とってきた。しかし、仕事を終え、長岡だけの住処になると、そこは、江戸時代からの血筋とか何とかの暇人の小さな人間関係が
  続いている、がんじがらめの蝦蟇屋敷界隈。 上記のような魔女狩りの噂話の丼池。そこは地元民の全世界、象の皮膚のヒダ世界の中。 
・・・・・・・
3843, 閑話小題
2011年10月03日(月)
   *  つれづれに ー老後とは
 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年から老年への移行期の姿を見てきた。
家は商売をしていたので、まず生存をしていくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。
生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。 サラリーマン家庭からみたら異状の生活環境である。
ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した日々から開放された日々になった。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、
独立独歩で生きてきたため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」は全くないのも事実。
 家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。
元もと、商売上の付き合いも最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったこともないし、
その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分であるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。
それが多くの人たちに誤解を与えてきたが、自分が自分であることの方が良いのは、長年の読書で分かっていた。
そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 元もと老後というだけか!
  * ゴッドファザー
 ゴッドファーザー を一昨日、WoWoWで日本見た。 30数年前の封切りを映画館で見てから、TVで何度か見ているが、
その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。 内容はギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 
封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに沸きかえった。 人生経験を積んだ後にみる、
二代に続くマフィアのボスの物語は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、あの緊迫感は
事業とて同じこと。 現在では家具とか、装飾にも目がいくが、ファミリーの人間模様が面白い。 
映画そのものは、やはり名作中の名作。7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、その都度、新鮮に感じる。
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3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1
2010年10月03日(日)
 ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートを読んで愕然とした。
 「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」
 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図とみるべきだろうか。まずは、その一部から・・・
・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、
 98年には一ドル700ウォンだった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000ウォンを突破し、
 98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一である。
・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる財閥が次々と破綻。
 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。
・企業も、約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが行われたので、たちまち失業者は150万人を超えた。
・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、
 IMFから金を貸じてもらい、その代わりに緊縮財政を迫られた。IMFが財政赤字を減らして為替を安定させるため金利を上昇させたので、
 韓薗経済は大不況に突入した。健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多くあったため、収入が激減し
 家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。病院は患者が激減し、背に腹は代えられないと24時間診療する病院も出てきた。
・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、車に乗らない人が増えて道路は閑散とした。
 寒い中、灯油価格も高騰したので、人々は寒さに震えた。
・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリアアッアする学生が急増したために、
 それまでガラガラだった大学院の入学競争率が二倍に跳ね上がった。
・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染めるサラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。
 混乱と不安が増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だという投書がテレビ局に殺到したからだ。
 破綻から一年間は、先が見えない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。
 ▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。
 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた信じられない数になる。
 日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、
 これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれノンビリ構えている日本と、あまりに違う。  ーつづく
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3103, 終わりなき旅
2009年10月03日(土)

 「心に残るとっておきの話ー第九集」 
    ー終わりなき旅ーより
 これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。
≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。殆どの同行の人の顔も知らないまま
 飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイ
 とは気になりだした。スチュワーデスが声を掛けたが、赤ちゃんを見て変な顔をして行ってしまう。周りの人も何か変な雰囲気。
 そして飛行機を降りたところで、その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、
 誰も近くに寄らない。ところが食事のおりに同席したところ、その初老の人が「変だと思うんでしょうね」と、事情を話し始めた。
 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、
 そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、せめての
 慰みにと人形を身代わりにして10年、衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように扱ってきました。 何で、
 こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。それを聞き返す言葉がなかった。≫ 
 ▼ 大筋は、こういう内容である。何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。
 ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前に
 チョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負ってくる人が多い。
  この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、何とも悲しみが直に伝わってくる話である。
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2738, フォードが4ドル、GMが9ドル!
 2008年10月03日(金)
 アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が暴落を始めている。
それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1〜2年で収束するほど生易しくない。
火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。
その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、
取り付けが静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。
身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。
情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナーで
知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。 
これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、一連の動
   (字数制限のためカット2010年10月3日)
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2007年10月03日(水)
2374, 人は60歳で何をしたか −3                 
  「人は60歳で何をしたか」藤原治・著    ー読書日記
著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、
本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。
(字数制限のためカット2012年10月3日) ブログーバードウォッチの転載
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2006年10月03日(火)
2009, ドイツ病に学べ
    (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。
「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」
 というニュースは何度か目にしてきた。その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。
*その惨状といえば、19パーの消費税、実質16パーという高失業率、リストラ、旧東独の苦闘、 高い給料と強すぎる労働組合、
旧東欧諸国に逃げ出す企業、年金制度、等々 問題が山積みである。「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思える。
しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい!
(以下は字数の関係でカット08年10月3日)


4582, そして、人生はつづく ー2  

2013年10月02日(水)

                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
    ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 
《 「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に、この間のエッセイを編んでいる。
 書名はイラン映画、アッバス・キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を襲った大地震の後、
監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメンタリー風作品。 どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、
昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられている。
 家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。
なんとかいままでどおりに暮してゆくと。3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹さんは、「やむにやまれ思い」で、
俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。
   「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」。
 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである私にとっては、一人で暮らすことに平安を
見出していくことになろうか。頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を心がけること。
そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。
いまのところ健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。
 3・11後、「生存罪責感」という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に申し訳ないという気持が
強くなることをさしている。生き残ったからにはなんとか生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に
負い目を感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。
 もともと旅が好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空けるわけにはゆかないのでせいぜい
一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。 列車の窓から流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが
感じられる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。 食堂やそば屋があれば有難い。
夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる元気を与える。 旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。好きな町に
出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、
町を歩きながら、このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》
 ▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探しになってきている」というのも良い。
  私も、この大きな住宅に何時までも住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。
 それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が
 次々と出てくる時節に、「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは致し方ない。
 その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ
 惰性と安逸の中で、過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、行った先の旅行先を放送している。
 ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、
 知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。
・・・・・・
4207, 親子年表
2012年10月02日(火)
   * 自分目線の100年世界               
 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねてみている。更に最近では、「二人の息子の年齢に
自分は何をしていたか」も重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として存在していることを知った。 
考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。 父が亡くなった71歳時に27歳。 1973年であった。
父の享年まで私は、あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして
亡くなっていった。それが私の人生を大きく支えてくれた。両親の愛情を物心とも直接、間接的に受けたことが最大の財産である。
その意味で家内も私と同じように恵まれた両親だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大のツキの
善し悪しになる。それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで
何人も出会ってきた。 「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も無かった。死に病になり、
何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。その何かが世界の果てにくれば少しで分かると思い立ち、参加した! 
帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせになった60過ぎの一人参加の女性から打ち明けられた。 
死に直面した時に大きく動揺するのは、「やりたいことを、してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、心が安定しているのは、
60歳までに、前倒しにして遣り尽くした感があるためだが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定するしか
ない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば見て取れる。団塊世代と、その子供の世代の特徴を親子年表にし、
時代背景から見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに大きい。逆に団塊世代の親の世代をみると、
太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な時代である。 それからして終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた時代に
生きたことになる。自分の親と子供を重ねると、100年、150年の視界が鳥瞰できる。
・・・・・・・
3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3
2011年10月02日(日)
 どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道しないことである。恐らくマスコミがタブレットPCに
脅威を感じているため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。先日も中学校の同期会に持って
行こうか迷った位である。 同年代の彼らなら、このアプリを見たら腰を抜かさんばかり驚くはずだが、嫌味とも受けとめられる
可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては大きなインパクトになっている。モバイル携帯が出回っているので、
それほどでもないかも知れない?。 しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。
・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に進出すると報道された。現在、他のメーカーで
 iPadに対抗できるところはないが、対抗できるとしたらアマゾンしかないと言われてきた。対抗馬としての本命のお出ましである。
・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、売れているふうではない。
・先日、大型家電のタブレットPCコーナーに行ったところ、各メーカーの、それぞれ特性のあるタブレットが並んでいた。
 その一つにソニーが、近くに売り出し予定のメガネケースにソックリな二つ折りで、見開きのものがあった。
 モバイル携帯二個分が折りたたみになったようなもの。 これなら落としても壊れにくいし、持ち物として小物の範疇になる。
・富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。 これも便利で抵抗なくタブレットに移行できる。
 ー話しをiPadに戻す。 
これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。 それとブログとツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。
パソコンとの接点が飛躍的に増えるからだ。 忙しい人ほど、タブレットは有効になる。特にビジネスには間違いなく効果的になる。
暇な私など、机上PCと並べて交互に使っている。 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。 IPAdバカか!
 ・・・・・・・
3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する
2010年10月02日(土)
「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著
ー内容紹介ー
読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたものであることを。そして金融マフィアの
世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。しかし、このまま、この八百長恐慌をただ黙殺していても
よいものなのか。ヨーロッパもアメリカ同様に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。
▼ この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にしているという。
 東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい世界マネーの覇権を共有しようと図っており、
その鎧が出るのが2012年という。 そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、世界中の資源を買い漁っている。
ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。(中国に仕掛けた上で、結果として主導権を握る)
 この世界恐慌も、仕組まれた八百長恐慌であり、アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。
   (字数制限のためカット 2011年10月2日)
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3102, かなしみの詩
2009年10月02日(金)
  かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー  上條さなえ著
 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。
今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、
その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。
 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。
11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。
その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に取るようになる。
そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ
いのちなき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。
  かなしみといはばいふべき  物の味  我の嘗めしはあまりに早し
この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。
 そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。
山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」
「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った
 かなしみといはばいふべき 物の味  我の嘗めしはあまりに早し
山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、
うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」
「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。
早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。
わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。
  〜以下は、この本の紹介文〜
 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。
愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、
そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。
 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。
それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから
読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。
 《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは山下先生との出会い
 により、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みになったことでしょう。
 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしはホームレスの日々を経て、
 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》
後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに!
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2283, 10歳の放浪記
         才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
 ーその大筋を書いてみるー
(字数制限のためカット 2010年10月2日)
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2737, 1929年の世界恐慌とは?
 2008年10月02日(木)
 昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を対比して説明している。
これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、三年で失業者が4人に1人の割合になり、
これが世界第二次大戦につながっていった。この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。ともにバブル崩壊が引き金!
という。29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。
 〜〜〜〜
なるほどドリ  株価が大変なことになっているね。
記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、
  史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は
 「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出ています。
Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。
A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした世界の金融危機と、
  その後の長期的な不況を指しています。
Q 今と似てるの?
A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や工業化による空前の好景気で
 ダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。
 「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。
Q 恐慌でどうなったの?
A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数は約半分に減りました。
  融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。
  影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。
Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの?
A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、29日に35兆円の追加資金供給をしました。
 金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも不十分だった29年当時とは違い危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。
 「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。
Q 安心していいのかな。
A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。
 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。
  〜〜〜
  現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」
 の事件が待っている。出来ることなら、楽観的なレベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。
 まずは、弱いところから大きな影響が出る。
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2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか −2
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著   ー読書日記
(字数制限のためカット2012年10月02日) ヤフーのブログ「バードウォッチに転載!
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2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想  
 ー 先に概要を説明しておくと、
 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。
ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」
という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。
現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、
それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。
各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。
 ーーー      
第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2
  (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日)
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2005年10月02日(日)
1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2
(字数制限のためカット2009年10月02日)
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2004年10月02日(土)
1278, 人生(時間)のセイムスケール−2
(以下、字数の関係上カット08年10月2日)
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2003年10月02日(木)
911, 恥ずかしい話
・・・・・・・
537, 緩慢なる自殺
- 2002年10月02日(水)
 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でもその忠告を守っている。
  ーその内容は
・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。
  (以下、字数の関係上カット13年10月2日)
・・・・・・・
[168] 忘れられないあのお店−1
 2001/10/02
 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店。
 (以下、字数の関係上カット13年10月2日)


4581, 2050年の世界 ー11

2013年10月01日(火)

        「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第十四章 経済とビジネス ーのまとめ
・一九五〇年代の統制資本主義の時代にはマイナーな理論とみられたシュンペータの理論は、その後の現実の歴史によって、
 最も影響力のある経済理論に押し上げらた。
・一九五六〜八一年までは、『フォーチュン』誌が選ぶ五〇〇社のリストのうち、年平均で二四社が脱落していた。
 一九八二〜二〇〇六年には脱落組が四〇社に増えいる。
・ことにインターネットの発明・普及によるグローバリゼーションはシュンペータの言う創造的破壊のスピードを高めている。
 想像もできない技術革新により、これまでのビジネスのやり方が陳腐化し、固執していた企業は淘汰され、新企業が生まれる。
・製造業では、大量生産の方法が開発された一九二〇年代以来の、大きな技術革新よってその現場は変貌をとげるであろう。
 可能性があるひとつの技術として 3D印刷技術があげられる。
・他にも、あらゆる物がネットと常時接続するようになり、、そのネットワークがわたしたちの生活を変える。
 ロボットの技術革新によってこれまで人間にできなかった作業ができるようになる。あるいは電子秘書の機能を持つ
 自律型のソフトウェアができることで、仕事の効率化が起きるなど、様々な技術革新による経済の変化が予想される。
・先進国にいちはやく追いつきたいという新興国経済の要求も様々な技術革新を生むだろう。一気に九〇パーセントもの
 コストを削減するような工程の開発によって、先進国の商品市場もがらりと変わる。
・契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、会社の形態もより複雑化することになる。
・様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が偏在するようになり、労働者の勤務は
 グローバル化によってより過酷化する。
・しかし総じて言えば、「資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下を供給することではなく、それを女子工員たちの
 手が届く場所に持ち込んだことにある」とのシュンベーターの言葉どおりに、人々は創造的破壊の荒波のなか恩恵を受ける。
▼ 工程といえば、隣家のプレハブ住宅工事。まず3〜4Mの杭打ち工事。ビルや工場建設などの基礎工事を住宅に応用。
 ミニ杭の打ち込みから三週間、一切の工事がなく、その後、床底の部分を小さな重機で二日間で掘り込み、そこに
プレハブの床と杭を結び始めた。ビル工事の小型版である。 パソコンを手の平に押し込んだスマートフォンの普及で、
世界は創造的破壊で大きく変化を始めた。「まさか、一番かたいビジネスと思っていた事業が、この結果になるとは!」が、
全てのビジネスで生じてくる。情報化は創造と破壊のサイクルを短くするが、消費者にとってはプラスになる。
・・・・・・
4206, 閑話小題 ーキモカワキャラ
2012年10月01日(月)
    * キモカワキャラ
 TVで石破幹事長を評して「キモカワキャラ」と言っていた。的確な一言フレーズを作るもの。顔はコワモテだが、
一度話し始めると、ソフトで、そのギャップが可愛らしく見える辺りを凝縮した言葉。本人が聞いたら傷つくだろう。
考えてみれば中年から熟年の何割かのベビーフェイス顔は、この言葉に当てはまる。この言葉から連想できるのは、「キモバカキャラ」
「イモカワキャラ」「キモカマキャラ」「キモマジキャラ」「キモギャルキャラ」などある。 角栄は、ギタギタしていて汚職の
利権漁りのイメージが強いので「キモギタキャラ」。 ネット社会のB層には、的確な「一言フレーズ」で如何に発信するかだが、
虐めに使われるから問題になる。 この一言フレーズで切り捨てられ、切り捨てるのが現代である。  
   * ギリシャ、イタリアは近未来の日本?
 ギリシャ、スペイン、そしてイタリアで起こっている恐慌に近い事態は、近将来の日本? 5〜6年先の日本の事態。南欧の近未来には、
何かのキッカケで凄惨な国家破綻になる可能性がある。それでも、国民は国家に頼るしかなく、急激な締めつけに反発、事態は悪化を辿る。 
それは日本も同じ。スペインの25歳までの若年労働者の失業率が過半数を超えているというが、現に日本の高卒、大卒の三分の一が
正規社員の就職が出来ず、就職したとしても三年もしないうちに三分の一は辞めてしまうため、若者の半分はフリーター状態。 
将来の日本が思いやられる。60才以上が預金総額の6割を持ち、40才以下が、その10分の1の6%しか預金がないため、消費は減る一方。
適齢期の女性の結婚相手の収入希望が6百万。そんな相手は少ないため未婚が増加している。厳しい時代になったもの。互いに自己限界の
設定をシビアにすればよいものを、と思っても「たった一度の人生に誰かが何処かで待っている」という洗脳がなされて抜け出せない。
隣国に中国、韓国があり、競争相手は韓国男性、中国女性になりつつある。2ランク上なら、私なら考える。
   * つれづれに
 血圧が、毎日通っているスポーツジムにあるため計る習慣がついている。毎日、大きくブレルため、高血圧かどうか戸惑っている。
また運動する前と後と、食事の直後では20は違ってくる。120〜160前半、平均すると135で、高血圧かどうか微妙である。
中高年の八割が高血圧というから、一般からすれば平均だろう。 冬時期を除けば一日三時間も運動をして、この数値。
晩酌を減らせば、直ぐに下がるのは分かっているが・・ これも以前に書いたことだが、今、自然に頭に浮かぶことは、こんなこと。
・・・・・・・
3841, 閑話小題
2011年10月01日(土)
  * まず、50冊の本を業者に送付
 iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化をする動きが出てきている。本の裁断機と
自動スキャン機を買って、手持ちの本を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」という本をネットで購入し、読んだが、
その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミで、「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」
という報道を知り調べたら、業者は溢れるほどあった。裁断機とスキャンを準備し、ネットで誘導すれば誰でも何時でも参入できるからだ。
半月前に思い切って、まず50冊を選定し、いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。 
ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。一週間後には完成するが、送ってしまった本は、二度と戻らない。 
それが正しい判断かどうかは、一年後にならないと分からないこと。とはいえ本棚に並んでいても、それが図書館にある本と、
何処が違うのかというと、あまり違わないことも事実。金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。本棚に置いておくのは、
それと時を共にした愛着と、再読するため。それがパソコンに入っただけと、割り切ってしまえば良いだけだが・・・ 
考えあぐねて、とにもかくにも送付することにした。
  * つれづれに 一昨日は、中学校の同期会
 中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。 
春から私の生活圏が小さくなった分、それはそれで有難い。 あいも変わらず女性は元気が良い。 帰ってみれば午前様。
店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出るほど。 男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、
天使のように気持ちが軽くなった。 そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負けを感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。
一線で働くということは、それ自体が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。 それが個性でもある。
 ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とM君が幹事で、恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して
持ちまわるシステムになっているが、任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。娑婆はシャバシャバか!
 ・・・・・・・
3476, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー12
2010年10月01日(金)
  * 次のツアーの選定の仕方
 ツアーの選定を、どのようにして決めるのか? その都度に選定のプロセスがある。
多いのが直近に行ったツアー仲間の情報と、自分が、その時点で行きたいところを数ヶ所あげて、
その資料を集め情報を得るところから始る。 まず直近に行って良かった周辺を探すことが多い。
エジプト・トルコが良かった直後にイスラエルが面白い!と聞いて資料を集めて決断。
そして、次はシリア・ヨルダン・レバノンのコースを決めるとか。
インドに行って、ネパールに行き、その後、中国のウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを通ってパキスタンに抜け、
アフガンの国境の麻薬通りに行くコースの順に行ったりとか。一ヶ所から周辺の二ヶ所を選ぶケースが多い。
それを結んで行くと、それが世界一周コースになったりする。スペインも中央、南、北スペインの三ヶ所だったり、
オーストリア、スイス、北イタリアも、そうだ。 南米も、同じ理由で行き先を決めていった。
 情報は、その都度行ったツアー仲間と添乗員が、その最大の情報源になる。他の人も同じこと。従って聞くほうも
聞かれる方もオープンになる。 国内では単に自慢話になるが、旅行先では情報交換クラブ仲間になる。
インド派、アフリカ派、欧州派、南米派、遺跡派、シルクロード派など、その人により違ってくる。
万遍なく行っている人は、「旅行道派」ということになる。 私の経験からすると、一度行って良かった処に
通い詰めるのも良いが、やはり万遍なく色いろな世界を見ておいたほうが良い。TPOSが良いこともある。
ある人が、これから世界中を10回行くとしたら、どのような場所を選ぶとしたら、
《 南米三ヶ所、アフリカ三ヶ所、カナダ、ウィグル・カラコルム、北スペイン、スイス》と答える。
それか、船旅で100日間世界一周のコースがあるが、あれでも良い。そこに行ってから付け足しをするのも
合理的である。 一人150万が高いか、安いかを如何に判断するかだが。集中の妙である。
 ・・・・・・・
3101,返済猶予法案の成立から見えてくること! −2
2009年10月01日(木)
 返済猶予法案の成立が現実味を帯びてきた。無理だろうという一般的な見方だったが、面白くなってきた。 
実際のところ、こうでもしないと中小企業はもたない、と前回書いたとおりである。
新聞やマスコミの論説などからして実態の厳しさが分かってない。「昭和初期の恐慌ほどではない」とか、
藤井財務大臣が言っているが、その数倍の津波が来ているのが理解できない?のである。 
(字数制限のためカット2011年10月1日)
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2736, 正直こそ、最大の正当防衛
2008年10月01日(水)
 議論に絶対負けない法 −4          読書日記
学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。
夢の中の寮は部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景。そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界。
今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、北は秋田から南は福岡までの人種を知った。こでまず驚いたのがウソを平気で言う
何人かの人である。8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。しかし、それは私だけの話し大体、
15%の割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである)
正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。 だから、それが当たり前ということは、
圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。しかし長い人生を歩いて、正直こそ一番の力になることを知った。
反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、その価値観の中で生きていて、
その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。
その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。
 −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。
 p−93
私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと
確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。
おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。
「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、
もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。
私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。
本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 悪いことをして、それを正直に告白すると、
たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。
(字数制限のためカット2010年10月1日)
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2007年10月01日(月)
2372, 人は60歳で何をしたか
                  ー読書日記
 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋
何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか? 
一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。そして、そのつもりで生きてきた。
現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。
昨年の一月に還暦を迎えた時に「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか? 
そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。 しかし大よそ考えたのは
「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、それを追求だけで幾らでもあるはず、それを探せばよいだけ」である。
「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、何か攻撃的ではない。50代のそれは好きな
世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、嫌なこと、嫌な人間のいるところに、一切顔を出さなければよかった。 
秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。他に身体に害にならない程度に美味い酒を
楽しめばよかった。これまで読みたかった本は幾らでもあったが、それを読めばよかった。その結果、60歳になった現在、
何か張りが無くなってしまった。この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。
50歳で人生の元は取った実感があったし、60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、
気になりだした??(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)ところが面白いもので、丁度良い本を
図書館で見つけたのが、これである。それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。
意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、それぞれの人生に最大限の努力をしている。
この本を読んでみて、小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。
生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、その後の人生でも枯れるのではなく、
むしろ成長しているのが解る。次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、
同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、
仕方ないとしてもである。二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが!
ーーーーーーー
2006年10月01日(日)
2007、「私」のための現代思想 −5          おはよ〜!(*^ワ^*)i
  第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか
(字数の関係でカット12」年10月01日)
   ー バードウォッチに転載!
・・・・・・・
2005年10月01日(土)
1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1
 1, 人生を見せてもらいました!      宗親
居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。
人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。
・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。
・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。
・がんで亡くなったとか。
・かけ落ちをしたとか。
・実の娘に手を出し、子供ができたとか。
・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。
ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。
まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、幼稚になるからね!
・・・・・・・
2004年10月01日(金)
1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録
 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。
幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、書いてあることは暗いが、しかし重い。
彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。
ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。
むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。
自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかたになるが、
「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。そのためには、生きなくてはならない。
生きつづけてこそ、目的も明らかになるのである。「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。
  (字数の関係でカット08年10月01日)
・・・・・・・・・
2003年10月01日(水)
910, 人生の縮図
 先日、ある世界を垣間見た。といって書くには、あまりにシビアな世界であった。しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。
(字数の関係でカット08年10月01日)
・・・・・・・
デフレと対策  2002/10/01
現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。
それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。
衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。自転車も、半値か四分の一だ。 電気商品もしかりだ。


4580, 2050年の世界 ー10

2013年09月30日(月)

      「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第十五章 バブルと景気循環のサイクル ーのまとめ
・バブルの発生期には、かならず、それを引っ張る新興産業がある。十九世紀は運河と鉄道。1990年代はインターネット企業。
 バブルは、新産業への投資として必要だとする考えもある。
・ただし、歴史を振り返ると、結局はバブルによって新産業に投資した投資家よりも、消費者が得をする。
 その分野がすぐに過当競争になり、価格が引き下げられるからだ。
・2008年のリーンショック以来の最新のバブル崩壊によって、各国は債務超過に苦しむようになっている。
 これは緊縮財政を呼んだが、しかし、それに耐えきれない国民が政治的な反乱をおこし、不安定化が促進される可能性がある。
・しかし、この景気後退においても、物の価格は上昇に転じている。これは、中国、インドという二大新興国がグローバル経済に
 組みこまれ、成長の過程で、エネルギなどの需要をより欲しているためとする見方がある。
 だとすると、現在は、長期の好景気の、とば口だと考えられる。
・日本型の鈍化した市場が、欧米などで長期間続く可能性がある。
・過去の実績のある株価を実績順に買っていくという成長株派のモメンタム理論。本来は過去の株価の推移は将来の価格決定
 にはまったく関係がないはずだが、それがおおむねうまくいくことの理由は、そうした投資家が増えることによる
 割安株派のバンドワゴン効果がある。
・しかし、このモメンタム理論は、バブルの崩壊など、経済に断層が生じると、巨額の損失を被ることがある。
・株式市場の投資家には企業に成長要因を見つけて投資する「成長株」派と、過小評価されている株を買う「割安株」派の
 ふたつがある。成長株派は、1990年代後半のITバブルのように、強気市場の最も勢いのある段階に関わることが多く、
 割安株派は、経済が景気後退を抜け出すときに実力を発簿することが多い
▼ 40年先のバブルと景気循環のサイクルを論じること自体が、土台無理。20世紀前半の第一次大戦、世界恐慌、第二次大戦、
 の一連の変動期と、現在を重ね合わせると、1933年辺りになる。とすると、第二次世界大戦が始まることになる。
 時代はバブルと崩壊、そして精算のための戦争が、大小生じて流れていく。20世紀前半は、欧米の中で、欧州から米国への
 エネルギーの移動であったが、今度は、アメリカから中国、インドなどアジアへの移動になる。
・・・・・・
2012年09月30日(日)
4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている
   * 日本人の人生は、ツアーに似ている           「異郷日記」西江雅之著
 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど
世界の僻地で直接、原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は4年前に出版されたものだが、
既に早大を退職し、気ままに国内外を講演などでまわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、
秘境に行く機会のない者にとって、参考になることばかり。 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から・・
≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で"異郷〃との重なり合いが見出される。
 目的地の異文化度が高ければ、当然、その重なり合いは大きくなる。
◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に味わうために金を支払う行為」と言えそうだ。
 一般的には、その行為は多かれ少なかれ、地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇という時間を持つ
 社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な異郷感を味わわせてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも
 本物である必要はない。それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、訪れる人々にとっては受け入れ難い
 事物の方が多くなり、観光は成り立たなくなるだろう。それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮かべれば明らかだ。 
 観光には"……らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、それを主催する側とを含めた、全体としての観光というものを
 話題の対象とすれば、そこには、企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは言うまでもない。しかし、その場合でも
‘・・・らしさ’は見過ごせない要素となる。
◎‘旅’は何よりも「道中」が主役である。古典文学を見ても、旅の話を支えているのは、目的地に至るまでの道中で出くわす
 ことになる数々の予期せぬ出来事だ。道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、一段落となる。
 道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると自覚する者は、本物の異郷の人である。
◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地までは交通手段を利用して安全に運ばれる。
 目的地に到着してから、旅行者は思い思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと望むのは、
 個人的な楽しみであり、良き思い出である。
◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。それのみか、道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、
 あらかじめ他人によって計画に組み込まれていて、それなりの効果を狙った演出も準備されている。参加客は、それらの催し物を
 次々にこなしてゆくことで移動を終える。多くの場合、自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。物足りなさも残される。
 しかし、全行程が保証されていて、何を見て、何をすべきかを考えなくても安心できるという利点もある。
 昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の日本人の人生は、ツアーに似ているとも思えてくる。≫
▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。一応、来年中と考えていたが、年金生活者、
 家内の鞄持ちとして年一度が限界か、それも無理? しかし30年近くかけて、小刻みに安いパックを探して行っていたので、
 充分満足しており悔いはない。 著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」は、言いえて妙である。 ツアーより、
 むしろ観光に思える。そこでは"……らしさ"が重要と信じられているからだ。それらは受け止め方の違い。やはり実感は旅である。
 ・・・・・・
2011年09月30日(金)
3840, iPadと、アプリ、あれこれ ー2
 雑誌や本などの電子化で、出版物の概念そのものが根底から変わることになる。 要はフリー化(無料)である。
デジタル化は著作権の有名無実化を意味する。 青空文庫というアプリは、数百冊のフリーの本がある。学生時代に読んだ、
芥川龍之介、有島武郎、夏目漱石、森鴎外などの懐かしい本が無料で何時でも読める。 
 雑誌以外で初めて買ったのが『松岡正剛の書棚』というデジタル本。全体の書棚のレイアウトと、それぞれの棚が写真に載っており、
それに沿って松岡の文章が書いている。 面白いのは、完成したばかりの東京駅直ぐ隣にある丸善ビル(書店)に、同じ書棚のスペース
(60坪)が公開されている。 そこの写真が、この本のベースになっている。 松岡正剛といえば、「千夜千冊ブログ」という
読書感想専門のブログがある。5〜6年前から、この書評を読んでいるが、非常にわかりやすい。 その辺をネットで調べると
【「千夜千冊」は、2000年2月から執筆を開始、2004年の『良寛全集』で1000に達したが、それ以降から現在までも続いている。・・・
 2009年10月に、丸善丸の内本店に、松岡正剛プロデュースによる松丸本舗をオープン。ショップ・イン・ショップという形態で、
 松岡をはじめとする著名人の書斎を再現した本棚など、その斬新な店舗づくりが話題を呼んでいる。 2010年7月には、
『松岡正剛の書棚―松丸本舗の挑戦』(中央公論新社)が発売された。】とある。 上京のおりに是非とも行ってみたいが、
 書店のあり方も大きく変わろうとしている。ネット書店は、こういう考え方をベースにレイアウトが構築されるのが理想だろう。
 iPodが根こそぎ、音楽配信のあり方を変化させたが、その波が今度は出版界にも、やってきている。去年からiPadなど
 タブレットPC端末の爆発的普及から始った。 パソコンは、その場で書評や解らない単語を調べることが可能である。
 それと指先を開いたり縮めたりで字の大小を変えることが出来る。これが読む方からしたら非常に良い。
 雑誌などは、パラパラと全体を俯瞰出来るところが良いが、下の欄にページを次々とスクロールできるので遜色ない。
 近い将来、検索で、あらゆる本の中の情報に辿りつける時代が来ることは間違いない。そうなると著作権の問題が出てくるが、
 それがニーズなら、その問題はクリアされるしかない。 
  ・・・・・・・
2010年09月30日(木
3475, 迫るハイパーインフレの危機 ー2
 この時期に社会主義者の管首相と仙谷に政権を与えていることは最悪の事態と見るべきである。
彼らは大きな政府と称し、収入減少を甘くみて財政赤字を積み増している。それ以前に、この借金体質を作り上げてきた
これまでの日本は、もう後がなくなってきている。著者の藤巻健史だけがハイパーインフレうを警告してきたのではない。
多くの経済学者と評論家が10年以上も前から、警告を発しつつけている。それでもハイパーについては大っぴらには
書けないようで、大新聞では殆ど論評されてない。 以下は、藤巻健史の前回の続きである!
  * 市場主義に背を向けてきた日本
  * 自分の財産は自分で守る
 ( 字数の関係でカット12年09月30日 )
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2009年09月30日(水)
3100,強請りの類
 この商売をしていると、数年に一度は、その手の専門職が強請りをしてくる。小さなのを入れれば毎年である。
  ( 字数の関係でカット11年09月30日 ) 
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2008年09月30日(火)
2735, 学校 
山田洋次の「男はつらいよ」シリーズが好きだが、他には「学校」シリーズもよい。
それぞれに味があるが、この後20年近く撮られてない。
 その中で特に、?が良い。
横浜郊外に住む中学3年生の少年が、学校に行かなくなって半年経った或る日、その少年は『冒険の旅に出る』
との書き置きだけを残して一人家を出る。目標は九州・屋久島の縄文杉という設定である。
彼がそこにヒッチハイクで乗り継いでいくプロセスで多くの経験をしていく。初めから最後まで観客にハラハラ
させられる場面がつづくが、その少年は、その経験を通して成長していく。
そして最後は、登校拒否を乗り越えて学校に行くことになる。 一番感動的な場面をあげてみる。
≪ ヒッチハイクを何度した後、九州まで行く女性ドライバーの長距離トラックに乗せて貰う。
 彼女が、その少年の事情を聞き、自分の自宅に少年を連れて行く。そこには彼女の自閉症の青年がいた。
 一晩泊めてもらい話すうちに心が通じる。翌朝、女性ドライバーの車で鹿児島港まで送ってもらうことになった大介は、
 別れ際に、その青年から侍の絵とともに次の詩を書いた手紙をもらう。『 大介君へ/ 草原のど真ん中の一本道を/
 あてもなく浪人が歩いている/ほとんどの奴が馬に乗っても/浪人は歩いて草原を突っ切る/早く着くことなんか目的じゃないんだ
 /雲より遅くてじゅうぶんさ/この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ/はっぱに残る朝露/流れる雲/小鳥の小さな
 つぶやきを聞きのがしたくない/だから浪人は立ち止まる/そしてまた歩きはじめる/   日向国浪人 大庭登』。
 母はそれを、その少年から読んでもらい「あの子、そげなこと考えとったの。おばさん、ちっとも気づかんかった」と、号泣する。  
 別れ際、彼女はフェリーのチケットを大介に渡し、彼の肩を強く抱きしめた。屋久島に行かなくてもよくなっていたが、
 フェリーのチケット買って貰ったこともあり屋久島に渡る。その少年は島で出会った登山客の金井真知子に同行を頼んで
 縄文杉までの登山に挑む。 険しい山道を真知子に励まされながら一歩一歩進み、ついに縄文杉に到達する。 
 その夜、縄文杉側の山小屋に泊まった少年は真知子に勧められて家に電話を入れる。出たのは妹だった。彼女は兄の快挙を
 喜ぶと共に母が毎日泣いていることを伝えてくれた。 妹のことを真知子に問われるまま話す少年に、
 真知子は「一人前になるというのは、ありのまま自分を受け入れることから始まるんじゃないかな」と話す。≫
 −−
 恐らく、この映画を観て、登校拒否の少年が何人も癒されたのではないか。
少年期には、誰も大きな傷を受ける。それは一生の傷になる。しかし、それを抱えて一人道を歩くのが人生。
自閉症の青年の詩の一節、「この星が浪人にくれるものを見落としたくないんだ」がドキッとさせられる。
何度も観たが、その都度、考えさせてくれ、後味のよい気持ちを残してくれた映画である。
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2007年09月30日(日)
2371, え? なに! 何で?      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) オハァァァァァァ♪
新潟駅内の「ヨドバシカメラ」のカードをファイナンス付のカードに切り替えてほしい!
切り替えれば大きい特典があるというので書類一式を書いて送った。
  (字数の関係でカット08年09月30日)
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006年09月30日(土)
2006, 私の酒の自主規制とは
   おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
たしか以前にも書いたことがあるが、
酒の失敗の積み重ねから長年かけて作りあげてきた「自己規制」を書き出してみた。
驚いたのは、多くのルールを積み重ねてあったことだ。
そりゃそうだ、酒の失敗がなければ、私の人生はもっともっと豊かであったはずである。
キチガイ水を脳に送り込むのだから、自主規制をしなければならない。
・自宅で日本酒は飲まない              ・外で一人酒は飲まない(特に散会の後・・)
・自棄酒飲まない(不味い酒は飲まない)        ・女性と二人で酒を飲まない
・2日続けての飲み会は断る(飲み会は集中するが・・  ・午前様でも、歩いて帰る
・酒の肴は肉類(焼き鳥は除く)を食べない      ・午前様は避ける(最近になって加えた)
・一期一会のつもりで徹底的に楽しむ         ・地方名士様が集まる店には行かない
・客単価5000円以上の店には行かない       ・他の客の固有名詞の名前を出す店には行かない
・ボトルは絶対に置かない              ・ヤクザ系の店(ピンク系)には行かない。
・マイナス系の人間集まる飲み会は避ける
 大体は守っているが、一昨日は午前様で幾つかを違反・・(散会以後の一人酒、午前様、タクシーで帰宅、
 イチゲンの店が御名士様の来る店、等々) 酒は注意すべし! 十年、いや二十年は命を縮めたか? 
 緩慢なる自殺の手段ということ!「酒たばこ飲まずに100まで生きた馬鹿がいる」というが・・
 ーー
 書いた後に「100まで生きた馬鹿がいる」で検索をしたところ、自分のHPの文章が出てきた。
 そして、内容といえばこの文に類似であった。まったく・・ボケ! この程度の者かお前は!
 しめの文章[[酒の飲まず100まで・・・」というとこまで、 同じときている!
 さらに4年以上前の文章の方が出来が良いときているから・・
 ・・・
2002年06月12日(水)
435, 酒の話ー2   −酒飲みの作法ー
(字数制限のためカット 2010年9月30日)
・・・・・・・
2005年09月30日(金)
1641, 37年前の自分へ返信ー2
卒業間じかの22歳の自分が、37年後の自分から手紙を貰った夢をみた設定で書いた手紙はどんなものか。
貰ったとしたら、夢の中としても面白いだろう。「ソフィーの世界」の物語のようだが。
インナーチルドレンに対する心の癒し(幼児期の心の傷を治す)に似たものになる。
ぶっつけ本番で書いてみる。それでは、当時の自分に戻って語りかけてみる。
 ー1968年の私から、2005年の私への返信ー
手紙を読んでいて、何か狐に包まれたような気持ちです。恐らく、これは夢だと思います。夢と解っていても敢えて、
返信を書いてみます。 むしろその方が気楽です。何か自分の潜在意識が夢で私を誘導して私の全てを覗いているような気持ち。
貴方の手紙は、何かユングの視点で深い地下世界からの声が語りかけられたようでした。
現在の私は、とにかく大揺れで自分を見失いがちの日々です。 これから社会に出るには、あまりにも基礎知識が希薄
というのが、日々の不安を大きくしています。その不安と不足を、ここでどのように立て直してよいか解りません。
卒業間じかになって、学生時代に学んでおくべきことの不足部分が大きかったことに自信を失っているのです。
おそらく武澤ゼミの影響と、卒論を書いているプロセスで、不足部分を見せつけられたためだと思います。
本心を正直に日記にも書けないのは、自我の殻が分厚く取巻いていて、真の自分が吐露できないのです。
精神の極限の綱の上で、落ちないようにバランスをとることに精一杯なにです。それにしても、今という時はすごい瞬間ということも
理解しています。少しの判断が人生を大きく左右するからです。あなたの手紙から、60歳近くの貴方を窺い知ることはできませんが、
興味があります。しかし、知らない方が良いのかも知れません。多くの人生経験の上に立って、このようなコンタクトを
してきているのですから、色いろあったのだと思います。ただ貴方のこと、こじんまりとした人生を送るとは思いません。
夢の中でも、37年後の世界は想像すらつきません。ただ平凡な人生だけはおくりたくありません。
誰にも明かしたことはないのですが、私は事業を幾つか起こして成功させて、その事業に価値をつけた状態で売り抜ける
プロセスでキャリアをつけていく事業家としての人生をおくりたいのです。 夢の中で、夢を語るなんて変な感覚ですが。 ー つづく
・・・・・・・・・
2004年09月30日(木)
1276, 「元気の出る言葉」−1
検索をしていて、いつの間にかネットサーフィンをして、思わず面白いHPに出くわすことが多くなった。
ここにきて、時間が経ってそれぞれのHPが充実してきたこともあろう。
(字数の関係でカット09年09月30日)
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2003年09月30日(火)
909, 巨人軍の原監督の更迭について
「巨人・大鵬・玉子焼き」の世代に生きてきたものにとって、
 巨人は大きな存在であった。しかし、この数年は年々興味が薄れる一方だ。
(字数の関係でカット08年09月30日)
・・・・・・・・・
535,同級会
- 2002年09月30日(月)
 この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。但し同窓会はでないようにしていた。
   (字数の関係でカット11年12月30日)
・・・・・・
[166] 映画  2001/09/30
昨日‘千と千しろの神隠し’を見に行ってきた。何故いい年をしてアニメ映画?
   (字数の関係でカット11年09月30日)


4579, 2050年の世界 ー9

2013年09月29日(日)

        「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
  情報機器とインターネットの進歩が、情報公開を促し、科学を飛躍的に発展させることになる。そのキーワードは、
 生物学とナノ科学、情報科学、天文学。それらが互いに結びついていき、水平思考的な科学が出てくることになる。
   ー第十六章 次なる科学ー のまとめ
・次なる科学のフロンティアは、化学でも物理学でもなく生物学にある。
・生物学とナノ科学、情報科学、天文学などが結びつき、さまざまな発見と人類にとっての進歩をもたらす。
・2030年ごろまでには、わたしたちの知る生物のほとんどが遺伝子のサンプル化を終え、またサンプリング過程そのものが、
 多くの未知の生物の存在を明らかにする。その過程で、最近、生物の原初形態として、古細菌、真正細菌、真核生物以外に
 四つめのドメインがあるらしいことがわかったように、生命の 歴史の未知の部分が解明されていく。
・宇宙も、制覇の対象というよりも探索の対象、特に生命の起源を知る意味でさまざまな研究や発見がなされるだろう。
 太陽系以外の恒星の惑星の研究などが進み、生命が地球に特異の現象なのか否かということも解明されていくだろう。
・生命誕生の仕組みの解明は、われわれの細胞を研究していくことで開けていく道もある。
・物理学は、未知の物質の探索の時代に終わりを告げ、現在あるものへの分析に向かうだろう。
 なかでもその最大のターゲットは宇宙を覆う暗黒物質の正体だ。
・経済成長により東アジアの国々は、科学分野でもさまざまに進出しているが、真に独創的な研究は権威を根こそぎひっくり
 返す革新性を必要とする。その意味で、東アジアの儒教的な上下関係、あるいは中国の専制的な政治体制はマイナスに働く。
・非西洋では随一の技術大国である日本でさえ、本格的な基礎科学の研究は立ち後れている。日本人研究者で科学部門の
 ノーベル賞を受賞したのはわずか十五人。それは例えばオーストリアの受賞者数よりひとり多いだけーオーストリアの人口は
 日本の人口の七パーセント以下で、その理由の一つとして、日本の若手科学者が先達の理論に迎合しがちなことが挙げられる。
 これに対して欧米では、旧来の理論を否定することでキャリアが築かれる。
・その意味で、政治体制が専制的な中国よりも、民主的なインドにおいて科学は発展するだろう
 ▼ 情報の共有化が進み、それが想像を絶するほどの科学は進化するはず。その一つが暗黒物質の研究。そして生物学。
  一年一年単位で静かに科学の進化は進むので、その先の予測は不可能に近い。また、それがもたらす社会的変化も
 大きくなる。そうこう考えると、やはり少しでも長生きをして時代の先を見ていたい欲が出てくる。いや、未来でなくても、
 現在の世界で知らないことだらけ!それを自覚するだけで、見えてない世界が見えるはず。全く、この厚いバイアスには!
・・・・・・
4204, 閑話小題 ー阿部が次期首相というが
2012年09月29日(土)
    * 阿部が次期首相とは驚き!
 自民党の総裁選挙、リアルタイムのTV放送だったため、ドラマ的で非常に面白い内容。選挙の数日前から、安倍有利の
予測があったようだが、安倍自身も周囲も勝てるとは思ってなかっただろう。中国との尖閣列島紛争が追い風になったことになる。
維新の会の橋下に党首を依頼され断った際に、衆院選挙後の自民との連合の可能性を話をしていたようだ。 政権をとった際には、
維新の会のメンバーを行革と自治大臣に置けば、この時期に丁度良い超強権内閣になる。 石破が勝利し党首になっても、安倍が
副総理になっただろうから似たような。これで次の体制が見えてきた。とはいえ5年前に病気としても、総理大臣を投げ出した人。
一部の疑念が残るが、この緊急事態の中、もう一度、やらせのも良いかも。対中国政策は強行姿勢になる可能性が高く、厳しい局面が
出てくるが、この位の人が丁度良いとみるべき。基本的に私の考えも安倍に近いが、国家の均衡縮小の方針は無いのが気がかり。
(有っても言えないか?) 前の谷垣と石原幹事長は野党の立場もあり「座りの悪いコンビ」だった。それに比べて数段良くなった。 
これで復古でなく新しい日本をつくり変えて欲しいが、これで年内解散の可能性が高まった。 劇場型政治も面白い。
   * つれづれに ーリタイア生活について
 リタイアの生活に入って一年半になる。単調な平々凡々とした日々だが、これがこれで私に合っている。事業生活を40年近く
続けてきて、それまでと違った隠遁生活の平坦さに飽き飽きすると思いきや、それは全くない。何だろう、これは?と、自身で
驚いている。時代が激動になってしまった実感があるからだ。 この随想日記を一日一文書き上げ、毎日三時間の早朝の
サイクリング、午後のスポーツジム通いが、一日のリズムになるからである。それと、40年近くの事業生活は両肩に大きく
覆いかぶさっていた。それからの解放感が、気持ちを自由にしてくれる。前倒しの思い切った決断が、銀行担当者も慌てるほど
事業物件の売却を早くしたこともある。何か、何時も同じことを繰り返しているが、実際に、そうだからである。主婦も亭主さえ、
コントロールが出来ていれば、これほど楽で面白いものはない。ヒモに徹すればよいだけ。男も仕事が順調なら、それで良いが。
 ・・・・・・・
3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1
2011年09月29日(木)
 iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、驚きの毎日を過ごしている。
* その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色のチョークと、黒板消しが、
 下の溝に置いてあり、それを取り出しメモを書きこめる。 凄いのは、それから。上段にあるカメラのアイコンを押すと撮影され、
 iPadの写真ロールに自動的に記憶される。 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出してくれる
 機能の応用である。これは非常に便利。 黒板はチョークで書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。要は手書きのメモを、
 写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 
* メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、そこに添付することも出来る。 またマイクのアイコンを押すと、
 録音も添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だろうが・・ 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。
 カラーペンが豊富に用意されていてスケッチ用になっている。 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。
* 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くのコンビニや、飲食店を表示してくれるものがある。
* Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、この上なく便利である。
*「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つかを現在、毎日のように立ち読みをしている。
 前書きとか、目次、そして、冒頭の内容を載せていて、「興味ある人は購入してください」と、誘うもの。
 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が見ることができる。
  初めてiPadからネットで買ったのが、「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たなアプリ探しをしている。
 この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすいことが確信できた。 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。
 これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが
 店頭書店の売り上げをこえた。これは、あくまで販売経路の売り上げだが。 本といえば・・・・ それは次回。
 書店まで行って買う手間や、本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で省ける便利さは何よりである。 
・・・・・・・
3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1
2010年09月29日(水)
 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、
  ハイパーインフレを考える上で分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・
 * 日本とギリシャは、どっちが健全か?
「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、フランスをはじめとする他国保有している。
したがって大きな損失を被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の95パーセントを保有するのは
日本国民だが、被害者は自国民になる。だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」
  △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。
 * 日本の財政再建は時すでに遅し
「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算になっています。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ
 返しても100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、その10兆円にしても捻出は難しい状況です」
  △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレでやるしかない! 
 * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。
「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな状態です。
 (字数制限のためカット2012年9月29日)
 ・・・・・・・
3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2
2009年09月29日(火)
  =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から
・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が974兆円もの大金を借りている。
 しかし、外部の金融機関ではなく、奥様(家計)から借りている。しかも、467兆円のお金をヘソクリをしている。
・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が1058億円もある。この結果、この家族は純資産が
 243兆円もあり、世界最大の金持ちである。
・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、いま一つ金を稼げないので(法人税が減少)
 仕方なく旦那は資金の工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。旦那から貰った金を預金をしたり、
 国債という紙切れ(借用書)、税金として再び旦那に渡している。要は家の中でキャッチボールをしているだけ。
・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か? 「利益や収入が足りなくて、借金が返せないとき」というが、
 家の中でのキャッチボールをしているので、絶対に破産はない。
  〜以上だが、
「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」
 すなわち手持ちの資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化可能な資産を全て売り払い、
 金融機関はもちろん、家族からの借金も不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。
 企業も、家庭も破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。しかし、国家の場合は、世界の国が財政が
 破綻しないのは、営業キャッシュフローのマイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。
 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。
 世界は、大不況のため、日本の金融機関が溢れかえっている。その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、
 痛くもかゆくも無い。増税をして、政府の借金を返済している国など何処にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、
 すなわち継続することが前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるからである。その点、自国政府の国債残高を
 槍玉に上げる日本のマスコミは、本当に稀有な存在である。 なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは?
 オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。
  *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない
  *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
  *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
  * 国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち
  *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。
  *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない
  *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。
何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する必要が無いこと。
しかし、それも全てが日本政府の借金が、自国通貨建てだからこそ、言える話である」    ーつづく
 ・・・・・・・・・
2734, 米国金融恐慌の深層 −2
2008年09月29日(月)
前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評《金融危機の深層》を考えてみる。
  ー まずは、続き の部分から ー
【 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは
 吉川元忠の「マネー敗戦」(文春新書)だが、サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。
 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至るこの違いを、どう理解すべきか。
 それは、資産の流動性(他者に受け取ってもらえる可能性)を信じるか否かによっている。
 楽観論も帝国循環も、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。
 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて証券化がなされ、世界に受容された。
 ところが暗転して安全性に対する不安が広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に及んだのが、
 今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。
 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。
 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。
  * 処方箋、どれも不完全*
 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。
 金子勝はより具体的に公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。
 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、救済に疑義を呈している。
 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も絶対の策とはいえない。
 日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に「日本政府は銀行は潰さない」
 というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。
 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。】
  ▼ 評)以上だが、ドルの国際通貨は流動性に対する信頼の上に成り立っているシステムを米国自らが壊してしまった。
               (字数制限のためカット2010年9月29日)
 ・・・・・・・・
2007年09月29日(土)
2370, 喫茶店の話
先日、コーヒーの由来と喫茶店について書いた。もう二十年、いや三十年以上前から日本では喫茶店という業種
そのものが成りゆかなくなってきているとも書いた。
   (字数制限のためカット2010年9月29日)
・・・・・・・・
2006年09月29日(金)
2005, 世界は精神病院!人間みな既知外!
            おはよ〜!(*^ワ^*)i
「筒井康隆かくかたりき」(対談集)の大場実成との対談のテーマが「世界は精神病院!人間みな既知外!」である。
 考えてみれば、人間みなキチガイである。 キチガイが差別用語なら「既知外」といえばよい。
 既知の外の人だから、それなりの肯定語になる。
 一番さわりの部分を抜粋してみるー
(字数の関係でカット09年09月29日)
・・・・・・・  
2005年09月29日(木)
1640, 個性について
 日野敬三ーと今西錦司の「創造性とは何か」対談の中の「個性について」が、
 ズバリと真理をついている。数日前の随想日記の中から抜粋して、考えてみる。
ー今西 個性というのはどこにあります? 「自己」と「自我」の相対から言うたら個性はどこにあります?
ー日野「自己」の中には本来あるべきものが潜在してあるはずだけど、それをほとんどの人が抑えている、あるいはそれと
 通じないようにしている。一種、気味悪いせかいですからね。そのうちのどの部分をどこまで意識化して、現実化しているか
 によって、それぞれの個人の個性が出てくるんだと思います。より深く「自己」を生かして、自分の掘っている井戸の深い
 ところから汲み上げている個性は強い個性、豊かな個性。貧しい個性、平均的な個性はあまり掘っていないじゃないですか。
 その時代、その社会の最も最大公約数的な面で生きている。
ー今西 個性が浅いということですね。
ー日野 そうですね。優秀な個性、劣等な個性はぼくは考えない。「自我」を突っぱねるのではなく本来の「自己」を
 より広く深く生かしている個性と、浅くしか生かしてない個性の差だろうと思います。
 そこで、じゃあ、どのようにすれば、「自我」を越えて「自己」のひろがりまで達するかというとことで、
 先生が「私は山に生きて、山で別世界に触れることが私の想像の根源だ」とおっしゃったのは、そういう意味だと思います。
(字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・
2004年09月29日(水)
1275, 書いてなかった旅行記ー3
ーハワイー
ハワイが意外とよい。何が今さらという感があるが。あまりにもハワイ・ハワイというので、その良さをあまり誰も言わない。
・・・・・・・
2003年09月29日(月)
908, 医師?それとも技師?
 お医者様の話をしてみよう。
そして、これから書くことは極論と捉えてもよいし、今の医療業界の実態そのものとして捉えてもよい。
      (字数の関係でカット008年09月29日)
・・・・・・・・・・
534,「少し早めな遺言」
2002年09月29日(日)
50歳過ぎたら毎年ごとに、遺言を毎年書いておくべしとの事。
(字数の関係でカット011年09月29日)
・・・・・・・・・・・
[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29
 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。
( 字数の関係でカット011年09月29日)


4578, そして、人生はつづく

2013年09月28日(土)

                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
  図書館で手に取ってみて、「まえがき」の文章が現在の私の心境に似ていたので驚いた。
 還暦過ぎれば、誰も似たような現実が待っている。 まずは介護が平均10年が人生の終りに控えている。
 私など、「そして、・・」より「それでも、人生はつづく」が合っている。 まずは ー「まえがき」の全文ー  
《 2008年の6月に35年連れ添った家内を癌で亡くした。子供がいないのでそれから一人暮しが始まった。
その「独り居」を毎月一回、日記の形で書いていった。物書きという仕事柄、幸い、一人でいることに慣れている。
というか、物書きとは一人でいることが仕事のようなもの。 本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。
一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。これに、家事という新しい仕事が加わった。愛読しているアメリカ人の詩人、
作家メイ・サートンの『独り居の日記』(武田尚子訳、みすず書房、1991年)は、ニューイングランドにある緑豊かな
田舎家での一人暮らしの日々を綴ったものだが、こんな言葉がある。
 「私にできることといえば、瞬間瞬間を、一時間一時間を、生き続けることだけだ――小鳥に餌をやり、
部屋を片づけ、たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を創造することだ」。
一人暮し、それももうじき七十歳になろうとする人間にとっても「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。
自己管理をきちんとし、静かに暮すこと。一人暮しになって静かな一日を送る困難と、それゆえ幸福を知るようになった。
 家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、昔の映画をビデオで見る。
無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。
 もうあまり大きな声でものを言いたくない。「独り居」のなかにささやかな喜びを見つけてゆきたい。3・11のあとも
そんな思いで書き続けた。あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことのほうが好きだ。
結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。日記を書くとは、まさにその日その日を思い出にしてゆくこと。》
  ☆彡 アマゾンの ーBy FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMOレビュアーが、よい! 〜編者か著者のどちらかの投稿?〜
{ 評論家・川本三郎は2008年に妻・ファッション評論・史研究家の川本恵子を亡くし、以来独りの物書き生活が始まった。
 読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・・でも独りだ。たまには旅にも出る。一見、悠々と見えても、心は独りさびしき、時の旅人である。
面倒な“家事”も自分でしなくてはならない。そんな老境に入った著者の日々が綴られている。著者は当たり前に生きてきた
つもりだが、妻の死、そして3・11で変わった・・・ 著者は、震災後に東北を応援しようと小さな鉄道の旅にでる。
3・11と世の中のこと・・・。 淡々と静かに自分の日々を綴る・・・ そして彼自身独りの人生の時は流れてゆく・・・。
たった数歳しか違わないのに、私とはまるで異なる時をゆく。それでいいのだと思う。そして、人生はつづく・・・。
ターミナルは一つであっても、そこに至る道は人それぞれに異なるのだ。独りという寂しさの重圧は、若き時には跳ね返せても、
老齢に至れば、そのエナジーも枯れつつあることを自ら認識、体験中のトロイGKMです。余韻が残った久しぶりの大人の文章。}
 ▼「本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。・・もうじき七十歳に
  なろうとする人間にとっても、秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、言い得て妙。
  私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを得なくなったが、それでも、人生はつづいている。
そこでのコツは 「独り」の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・
・・・・・・
4203, 呪いの時代 ー17
2012年09月28日(金)
    * あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない!      「呪いの時代」内田樹著
 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。が、放置しておけば、さらに憎悪が増すことになる。
呪いに対し、贈与で返すのが贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象をつくり上げる。
手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団にされる、
俗に言う世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で自分を守らねばならない。 ーその辺りからー
≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの部分まで真実を衝いているのかも。
 私が問いたいのは、その指摘が正しいとすれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは何を
する気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に対しても制度に対しても、もっとも効果的な「改善」
実践であるという左翼的な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、
それに対するすべての批判を粛々と受け容れ、批判されればされるほどパフォーマンスが向上するような「責任者」が存在するなら、
そのような定型的批判も有効かも知れない。だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。 私たちはもう
「壊す」時代から抜け出し、「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」
と叱りつける人間はいない。それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを考えるだろう。・・・
(・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから創り出すことへ、復讐することから受け容れることへ、
傷つけることから癒やすことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなくシフトしてゆくべき時期が来た。
そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。けれど、メディアはまだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。
この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。皆なが知っていることをもう一度繰り返し確認しているだけである。
呪誼も贈与も人類と同じだけ古い制度であり、それがどう機能するものかは誰でも知っている。けれども、多くの人びとはそれは
神話や物語の中のことであっで、私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。呪誼は今人びとを苦しめ、
分断しているし、贈与は今も人びとを励まし、結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。私が本書を通じて
提言しているのは、それだけのことである。 ≫
 ▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷どおりという道をひた走っていた時、突然、道路の脇道にそれた。
  そこは、小さな市場になっていて、5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。
  アフリカの地域の多くでは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。そこで突然、生々しい人間のサガを
  突きつけれたようだった。昔、アフリカの奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に売ったもの。
  警察力など希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。日本は近代国家とはいえ、断絶の、
  それも20数年も落ち目の時節にあって、その鬱憤を誰かを呪うしかない。アフリカの呪詛の小道具が、メディアによる、
  誰かへの集団リンチのような槍玉=記事に取って代っただけ。私たちは、ますます、周囲の、そして政府の呪詛が強くなる。
  しかし、それが故に、国家の舵取りが大きく狂っていることさえ、気づかないとしたら、命取りになりかねない事態である。
・・・・・・
3838, ツール(道具)について考えてみる ー4
2011年09月28日(水)
 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。 そして、以前から使用していた物理的道具と共に他の動物を狩猟し
勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの植物採取と狩猟では生きていくことが
出来なくなって、牧農が始まった。 その時に、それまで培われてきた言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。 
経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を越えて言葉や絵に置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。
 現在の情報化革命が20万年来の人類の革命といわれる。 デジタル化とネットで情報が瞬時に地球上の個々人に行き渡るようになり、
人間と社会の有りようを根底から変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 
新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか想像さえ不可能。
連日のようにiPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で
辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も十分の一以下で、コードから解放され、ボードからも解放された。
タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、本やアプリも簡単にネットから購入可能になっている。 
 丁度、購入して一月経つが、それまでの情報の質量が一桁は増えた感がする。ツールを弄るのが面白くなったら、しめたもの。
アプリについては次回に書くが、調べれば調べるほど次々と面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。
それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いものが多いのは当然である。
 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで書いていた。 面白い偶然である。
「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、iPadがいいか?」
という問いかけになったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」ことになる。トイレの読書と同じ?
 どんどん使いかってのよいツールは、使えばよい。 ただし、振り回されるな!ということになる。
 ・・・・・・・
3473, 幻滅論
2010年09月28日(火)
             「幻滅論」北山修著
  ーまずは背表紙より
【「これは何のための本かを一言で言うなら、私自身の悩ましくも楽しい旅の記録であり、それに公共性を付与するべく、
人生におけるいくつかの不幸に強くなるためという思いでまとめた本だ」 文化畑から医学の世界に入って30年、著者は
臨床の日々の中で、ウィーンで生まれ欧米で発展してきた精神分析を、文化の役割を強く意識して、日本語による日本の臨床に
生かす道を考えつづけてきた。そのために、「語られた過去」の総和としての神話や昔話に注目しながら、「イザナキ・イザナミ神話」
や異類婚姻説話などの悲劇の意味を考え、「甘えの構造」を深め、言語の研究をすすめてきた。 とくにこの数年は、浮世絵の中に
夥しい数の母子像を発見して、その構図を分析してきた。そこに読みとれるのは、人と人とのつながりであり、つながりがありつづけている
という幻想であり、つながりが断ち切られることから生じる幻滅であった。 本書にはこのような考察のすべてが収められている。 
『幻滅論』は、自分と他人と環境とのつながりを知るための本でもある。子が母から切り離されるとき、抱える環境から自分が
切り離されるときに生じる幻滅は、けっしてマイナスの体験ではない。「あの素晴らしい愛をもう一度」と嘆きながらも
現実と触れあうチャンスとなるのだ。類のない日本文化精神分析の本が、ここに誕生。】
 ▼ 図書館で「幻滅論」という本を見つけ借りてきた。共同幻想があれば、当然のことながら幻滅論があってよい。
幻想論といえば、吉本隆明の共同幻想論がある。共同幻想とは、ネット辞書によると
【 血縁・氏族的共同体(家族)が、地縁・部族的共同体(原始的な国家)に転化する結節点として、兄妹・姉弟の対幻想に着目している。
兄妹・姉弟の対幻想は、夫婦の対幻想とは違って、肉体的な性交渉を伴わない対幻想なので、いくらでも無傷に空間的に拡大できる。
兄妹・姉弟の対幻想が、他家との婚姻と言う形で空間的に拡大しているため、国民は心理的な一体感を共有し、幻想としての国家が成立する。
逆に言えば、原始的な国家の成立は、兄妹・姉弟の近親相姦が自覚的に禁止されたときに求められる。
中上健次の「国家は白昼に突発する幻想化された性なのだ」と言う言葉は、このことを指している】とある。
 ー幻想論は、ここで書いたことがある。 それに対応して論理を組みたてていると思い込んでいたが、違っていた。
母子のつながりが何時までも続くという幻想が潰された時に生じる幻滅である。 親離れは動物としての本能的行為。
その辺の切口が共同幻想と違う。 一般的に幻滅するとは、対象に抱いていたイメージが地に落ちた時に出てくる言葉。 
それが親から引き離された時に起きる心理といわれても戸惑ってしまう。初めて共同幻想論を読み、改めてそれまでの自分を振り返ると
大部分が幻想に引きずりまわされていたことに気づいた。現象と実態、恋愛と幻滅、理想と現実のギャップなど経験があったが。
そ時の心理が幻滅とすると納得する。 勝手に思い込んでいたイメージが壊れるケースと、対象にはイメージ通りとしても、その背後には
自分の知らない要素があり、それが表出するケースもある。 一番身近な結婚でも、現在では3割が離婚、残り7割の半分が実質破綻という
データがある。 幻想が、幻滅に変わった身近な事例である。誤解で結婚し、理解して離婚である。歳を重ねると幻想も幻滅も消滅する。
・・・・・・・
3098, 政府の借金など返済の必要なし? ー1
2009年09月28日(月)
  * ほんとうかいな?
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著を図書館で手にとって、目が点になってしまった。 
  ーまずは、その概略をまとめてみると・・・ー
「国の借金が大変だ」「これ以上の国の借金を増やし続けることなどできない」 テレビや新聞その他のメディアで、
有名タレントから経済学の博士号を持った「専門家」まで多種多様な人々が、「日本の国家財政が破綻に瀕している!」
と毎日のように繰り返し繰えしています。 しかし、国債金利の最低水準にある日本国の借金は世界の中で一番
余裕ある水準であること、世界中の政府が長期的に借金を増やし続けていること、政府であろうと企業であろうと
経済規模を大きくするに借金が増えるのは当たり前であるから「国の借金をこれ以上増やせない」ということが
真っ赤なウソである。 国の借金とは何だろうか? 公的債務、すなわち政府の借金は返す必要がない、と聞いたら、
あなたはどう思いますか。 恐らくそんなはずがない。 借金は.自分たちの税金で返すか、あるいは子孫に負担を
押し付けるしかないと、反駁するかもしれません。しかし、現実の世界では自国の借金を返している国など一つもない。
なぜ{一つもない}と断言できるのかと言えば、そもそも政府の借金を返済している国など世界に一つも無いからなのです。
一時的に「政府の借金が減ってしまった国こそあるものの、政府が自らの意志をもって節約に努め返済に勤しんでいる国など、
本当に一つもありません。 ましてや、国の税金で借金を返すなどと、本末転倒なことをしている国など皆無です。
 ポイントを言うと
●日本政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出しているわけではない
●日本政府の借金の債権者は、実は日本国民である。
●日本政府の借金総額は大きいが資産も大きい。 あのアメリ力政府の二倍の金融資産を持っている。
●日本国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち国家
 〜〜
 どうも、この本の論法は落とし穴があるような気がする。金融資産の500兆円分はアメリカの国債を買わされてしまって
紙くずでしかないし、いつか爆発的なハイパーインフレになり、国家破綻になるのは目に見えている。しかし、だから如何した。
国民の資産が壊滅するが、国家としては何ものも失われない。それでは、国民の金融資産、不動産資産の価値の暴落があっても、
その縮小した中では同じではないか、ともいえるのである。次回は、日本国家を家庭に例えて、説明をしている部分を紹介してみる。                                                              ー つづく
・・・・・・・・・・
2733, 米国金融恐慌の深層 −1
 2008年09月28日(日)
朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎が《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 
内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる内容と感じたのが私の感想である。
 まずは、その内容の前半を・・・
 −−−
今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。
山一証券の約125倍という巨額の負債だった。 公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。
翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手のAIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、
発行済み株式の約80%を取得して、管理下で再建を図ることとした。
AIGは住宅ローンの証券化商品の元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大鰍に販売しているため、
元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる恐れありと当局は認識したらしい。 
昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、サププライムローンそのものの焦げ付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。
ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、「金融システム危機」が予感されている。
 *真実味帯びる悲観論*
こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、「実体経済の数字はそんなにひどくありません」
 「アメリカが駄目だと言われているほどにドルは下がっていないのでは?なかなかに打たれ強いですよ」と述べている。
 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募.増資できている」ことが拳げられているから、
 悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。
  (字数制限の関係でカット2010年9月28日)
・・・・・・・・・
2007年09月28日(金)
 2369, 大物の不在
産経新聞の、この日曜日の【論壇時評】10月号の中の「大物の不在」の論評の部分が面白い。
 (字数の関係でカット2008年9月28日)
・・・・・・・・・
2006年09月28日(木)
2004, 「私」のための現代思想  −4
   (字数の関係でカット2008年9月28日)
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2004年09月28日(火)
1274, シュリーマンの話−2
ーシュリーマンの「語学習得法の秘密」ー
  ー 以下は字数の関係でカット!(2007年09月28日) 同日のクリックをしてください)
・・・・・・・・
533, 離婚事情
2002年09月28日(土)
(字数の関係でカット 2011年9月28日)
・・・・・・・
[164] 目的と手段
 2001/09/28
 目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。‘手段の目的化’に転化してしまう。
 (字数の関係でカット 2012年9月28日)


4577, 2050年の世界 ー8

2013年09月27日(金)

                 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 宇宙衛星などの観測から宇宙が拡大しているに
かかわらず、膨張が加速していることが分かった。膨張のためには他の宇宙から何かのエネルギーが、注ぎ込まれなければ
成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギーである。現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。
   第十七章 苦難を越え宇宙に進路を  ーのまとめ
・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、宇宙の商業利用の時代が来ている。
 アメリカの全地球位置発見システム(GPS)など人工衛星群の商業的価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、
 前年比11パーセント増の成長を達成。
・アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が目立っている。中国は、2025年をめどに月着陸を
 めざしている。しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの世界的興奮と比べれば、はるかに小さなニュースとなるだろ。
・NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうがはるかに、世界的インパクトが見込める。
・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約されるだろう。
・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、部分をそれらの会社にアウトソースしている。
 ヴァージン航空を率いるリチャード・ブランソンは、ヤーキェリー計画のような弾道飛行によって宇宙に出るサービスを
 提供する会社を始めているが、まだ一回あたりの費用が二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、
 今後費用が下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。
・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を占めなければならないことになっている。
 その正体を知ることは、当面の大きな宇宙探索の目的のひとつだ。宇宙の膨張が速度を増していることが近年観測されたが、
 それを説明するための暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。
・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の発達によって地球以外の生命の発見が今後なされるかも。
▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。それが、10の500乗の別宇宙の存在の可能性が、
 実しやかに語られている。宇宙の知識も、天文科学の進化で飛躍的に伸びている。40年前では、想像すらできなかった
 別宇宙の存在に匹敵する新たな事実が発見されているのだろうが・・・ 「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が
 10の27乗の世界で、ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。言葉として、マイナス35乗のミクロ
 物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。
 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた何かを実感できるのでは? 
 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、逆にマイナス35乗の物質世界の合計62乗が私の世界? 理解不能!
・・・・・・
4202, 閑話小題 ー危所に遊ぶ
2012年09月27日(木)
   * 危所に遊ぶ
 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 危所は字のとおり危ない所だが、
「名人は定跡から外れ、未知の分野にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。が、他にも、
「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。
事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを動力にする。 危所を見極め、そこに隠された
キーを見つけることがポイント。ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を合理的に
乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。
人生を充実させるには、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。これも「危所に遊ぶ」である。
   * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」
 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、
その数倍も酷い惨状になっている。まさか、地元の越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。上越新幹線もトンネル内で脱線。
世界を見れば、アフガン、イラクにアメリカが攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック。
更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。そして近将来には、リーマンショックによる
世界恐慌が覆い尽くそうとしている。この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容など、まだ甘い。
 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。
更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、
尖閣列島の領土問題を大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。ドラッガーではないが、「断絶の時代」に
本格的に入ったということ。何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・・
・・・・・
3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
2011年09月27日(火)
 二週間以上も前の話題になるが・・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。
金曜日の少し早めの9時開始だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーでアフリカや南米、
北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。
手付かずの野生動物の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で生存の知恵が生まれてくる。
TVのシリーズで放送した総集編だったが、大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、
人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。  ところでiPadのアプリをみていたら、
「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 
てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。
しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、
引き込まれてしまった。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しいのである。
日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。
≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・・自分自身の人間性の反映です。彼らは「私たち自身」です。≫ と。
 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に知らしめる力がある。 地球の素晴らしい秘境の大自然や、
そこの住人が昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、リアルに記録してくれる。 それだけでない、
手付かずの大自然の中には野生の動物や、数多の植物が生きている。 この東北大震災と福島原発の汚染は、その正反対の近代科学が
もたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじ を検索すると次のようにあった。
  『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』
【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。
 肉眼では見えない細部の撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。ジャイロ式ステディカムによる
 グンカンドリ対アカハシネッタイチョウの空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、数々の生き物の
 珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。
 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは
 捉えられないので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスローモーションでその生態を追うことが可能になった。
 この他にも、数多くの姿がカメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが協力して行なうダチョウ狩り。
 コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を転がり落ち逃げる様子。
 木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。だが、本作が伝えるのは、
 こういった映像の珍しさではなく、それらを通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】
・・・・・・・
3472, 人生、よもやま話
2010年09月27日(月)
 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように断片が頭によぎる。歳のせいだろう。 
現在、思い出してみても小説になるような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。
終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく
犇いていた。そして、多くのドラマを子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 
一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期になって初めて知った。
這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。
夢のような日々であった。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。
そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、
人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、
この猿を買ってくれないかという。傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、買って欲しいと
父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペットとして、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の
家庭のペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。 その頃、家には白黒のコロという愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。
今までは、その犬が人気者だった。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をして大喧嘩をする。それが子供心に面白い。
そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。足や尻を思い切って噛むのである。
そして歯形がつく程度から、出血をするまでになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なものである。
 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。
二代目のタロウである。これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。メス猿を買いまして
ツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。
これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
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3097,返済猶予法案の成立から見えてくること!
2009年09月27日(日)
ーまずは産経新聞の記事からー
 金融界が「亀井ショック」に揺れている。郵政改革・金融相に就いた国民新党の亀井静香代表が、
中小企業向け融資や個人向け住宅ローンの返済を一時猶予する「モラトリアム法案」を今秋の臨時国会に提出し、
早期成立を目指す考えを打ち上げたため。銀行への猶予の強制が法制上可能かという問題に加え、不良債権の増大や
モラルハザードなど副作用を指摘する声もあるが、銀行への不信感を募らせる亀井氏の勢いはとまりそうにない。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2732, 恐慌前夜 −3
2008年09月27日(土)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
 「現在の世界の経済は、世界恐慌と煽り立てていれば、近い将来必ず大当たりになるのは当然じゃないか」
  と言ってしまえば、それまでだが。この金融パニックはは2年や5年で問題の解決するほど浅いはない。
   ー以下、面白そうな部分を抜粋して考えてみる。
  *恐慌前夜、何に投資すればよいかー
  *すべての金融商品は「保険」から始ったー
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2007年09月27日(木)
2368, 閑話小題
  *安部居抜き内閣*
福田内閣の組閣が終わったが、「安部居ぬき内閣」とは、よく言ったものだ。店舗を内装・食器そのまま売却することを「居抜き」
というが、今回は安部が組閣直後に投げ出した内閣だから、それが自然だろう。ママつきで売却という話も聞いたことがある。
もちろん買い手の愛人に、そのままなるのだろう?が、水商売は何でもありの世界である。
  *時津風部屋一家殺人事件*
この6月に、新潟県出身の入門したての力士が稽古の途中に倒れ、そのまま死んだとTVのニュースに出ていた。
親は傷からみて殺されたと主張していたが、その場所は時津風親方は仮病?で本場所には出てないとか。
今朝のニュースで「リンチで殺人容疑で立件へ」と報じていた。
相撲部屋は、リンチは日常で、その苛酷さは周知の事実である。これではますます日本人は相撲のなりてはいなくなる。
殺された本人は何度も実家に逃げ帰り、その都度連れ戻されたというから、親にも問題があった。
リンチと「あんま」の境界上でないと、強くなれないのがプロの世界だが。朝青龍も本場所で負けた力士の部屋に乗り込んで、
復讐をするのが仁義だったというが。あまりに露骨なので現在間接的に親方衆からリンチになっているのが、一連の朝青龍の問題。
それにしても、入門して三ヶ月の17歳の子供を何度も実家から連れ戻し、集団で叩き殺すとは信じがたいことである。
   {字数制限のためカット2011年9月27日}
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2006年09月27日(水)
2003, 具体的にみるWeb2・0社会とは −2
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・・
 「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演でのキーワードは、ネット社会の先行きを象徴している。
  その中で一番印象に深いのが「Buyma」である。一昔前までは考えられなかったことが、現出してきたのだ。
(字数の関係でカット2008年09月27日)           つづく    (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年09月27日(火)
1638, 巨大スーパー販売前線の男達
一昨日のNHKスペシャル『巨大スーパーの販売前線の男達』が日本の流通業の現状を、そのまま映しだしていた。
デフレ不況などの影響で大手スーパーマーケット各社の売り上げが伸び悩んでいる。
業界第2位の売上高を維持しているイトーヨーカドーの戦略に迫っていた。
 (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2004年09月27日(月)
1273, 2000年前のポンペイ
先日、TVで「ポンペイ」を特集をしていた。 十数年前にイタリアに旅行した時に立ち寄った、
ポンペイの街の記憶とTVの内容が重なって、非常に興味を持ってみることができた。
 ー まずはポンペイの概略を書いてみる ー
ナポリの南東にあるヴェスヴィオス山のふもとの町。古代ローマ時代には貴族たちの別荘地として発展し、パクス・ロマーナ期の
繁栄ぶりはめざましいものがあった。当時の人口は2万。公共施設が次々と建てられ、建物の構えはローマにひけをとらないほど。
悲劇は、AC79年8月24日にやってきた。ヴェスヴィオス山が突然、大爆発を起こしたのである。
大地は鳴動して山頂は吹っ飛び、火口がぽっかり口をあけた。 きのこ雲は天に達し、くもった空の下に、
三日三晩、火山灰と火山弾が降り注ぎ、泥流は火口をあふれ出し、町を襲った。ポンペイの町にも大量の石や灰が積もり、
噴火の翌日までにその灰の深さは5〜7mにも達した。屋根の損壊や有毒ガスによる窒息による犠牲者の数は
人口の1割にあたる2000人と考えられている。そこには火砕流でタイムカプセルのように、当時の生活が残されていた。
遺体を覆った火砕流の岩石の空洞に、石膏を入れて型どった生々しい遺体の像が幾つかあった。お金を握った者や、
妊婦や、奴隷、子供、犬など様々だ。街を歩いていて驚いたのは、タイムカプセルでドロップアウトしたようになるほど、
リアルに当時の生活が残っていたことだ。残っていた住宅の壁画などから見て「性」に対して非常に大らかであったようだ。
女中部屋には、自?用の男性の??が壁につき出ていた。幅10mの道路の両側には、焼きたてのパン屋、居酒屋、
売春宿などが通りに並んでいる。売春の値段まで残っている。今でいうとコーヒー一杯分だった。道路には轍の後がくっきりとあるし、
十字路には歩道がある。下水道や、公衆水飲み場もあり、街の中央には広い集会場もあった。今回のTVの特集で、全く知らないかった
事実を多くあった。街の殆どの人が、一瞬で亡くなったと思っていたが、発見された遺体は1000でしかなかった。
15000〜20000人の人口と推測されるから、遺体の半分は発見されなかったとみても、9割の人が逃げ延びたのだ。
  (字数制限の関係でカット09年09月27日)
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2003年09月27日(土)
906, 金魚の話
 あるスーパーセンターのペット売り場の金魚売り場に行くと、今まで見たことがないような元気な「黒いランチュウ」がいた。
  (字数制限の関係でカット13年09月27日)
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532,「一人娘とホモに気をつけろ!」 
- 2002年09月27日(金)
 息子二人が大学の入学の為、上京する時に注意した事があった。
(字数制限の関係でカット13年09月27日)


4576, ほめことば練習帳 ー3

2013年09月26日(木)

                     「ほめことば練習帳」山下景子著 
    * 第二歩目は関心を持つということ。
   ー要約の箇所からー
《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。それだけ、この国の風土を愛し、関心を寄せてきた証。
 人間が好きな人は、自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、ほめる材料にこと欠かないでしょう。
 自分の価値観や思い込みに縛られている人はほめることができません。粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。
 それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を否定しているのですから。 ひとりひとり違う人の能力。
 それを敬う気持ちが、ほめ言葉につながるのでしょう。》
  ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉)
 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き/圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/
 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる
▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。ほめることは、相手だけでなく、自分を
  肯定することになる。このことを自ら分かっているか?というと、分かってない。 肯定は意志。それが分からない。
    * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉
《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩としてまとめました。
 特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。しかし、それゆえの弊害もあります。
 よく「心にもないお世辞」などといいますが、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。
 下心がなくても、相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても、相手が感じなければ、
 ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることによる効果を
 期待することの方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すためにほめるなどということも、
 見返りを求めているといえないでしょうか。ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈り物をすることはあっても、
 はじめから見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》
  ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉
 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/雰囲気があるいい/気が利く/
 卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも
▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、綺麗な包装紙で包む必要がある。
まずは身近な家族から、ほめる訓練をしてみようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。
  その時がチャンスである。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が子供の頃から常に褒めてくれていた。
  ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入ることになる。
・・・・・・
4201, 呪いの時代 ー16
2012年09月26日(水)                              
   * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2     「呪いの時代」内田樹著 
「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥りやすい心理トリック。
その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年で辞める節目に、ハッとする。「本来の自分はこんな会社に
いるべき人間でなかった!自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」という幻想のなせるワザに気づかない。
結婚相手の選定の失敗と思う夫婦の確率95パーセントと酷似している。 結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。
それ以前に人生は幻想そのものだが。で、結婚相手と、選定した職業を呪うのが必然となると、大方の人は人生を呪う宿命?になる。
だから老人の顔は肉体の衰いと病気が重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでないことで諦めが
つくというもの。誤解をして結婚、理解して離婚というが、その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。
幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。 ありもしない「ほんとうの私」さがしが高じるとルーツを知りたくなる。
ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、源氏の末裔だろうが、それが何だというのだろう。
その間に嫁の血が入っているため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての「ほんとうの私」とは何か考えてみた。
そう、HP内に10年以上もかけ、いろいろアップしてきた、これ?。 で、どうした? どうでもない! ただ、それだけ。
これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、この程度のもの。 その「正味の私」も、怪しげなもの。 あとは
文章と同じように、最後はひねりをいれ自嘲するしかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の「正味の私」を
何とかフォローしようとする。それが性格の歪みになり、その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。
そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、政府に攻撃することになる。だから首相は一年も持たない。
権力闘争で批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。あるべき「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの
時代では、権力奪取に有効に働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、このザマ。そして、今度は「維新の党」である。しかし
結果は火を見るより明らか。とはいえ、あの自公民の延長は困る。そうなると連立で強権政府を時限立法で、大鉈をふるうしかない。
要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、正味の日本になるしかないと割り切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、
自主憲法を作り直し、国民全体の生活を数段落とし(消費時アップ)、地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。
現実に、そうなるだろう。アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる!
・・・・・・・
3836, ツール(道具)について考えてみる ー3
2011年09月26日(月)
  どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れになる。 現在はデジタルの時代。
情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタルは限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に
限りなく下がっていく。完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。
知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に浸透すると知的底辺の底上げが生じる。
それが先端の能力を押し上げ、情報が核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁国家の現象。
 知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに付随してくるアプリ(ソフト)。
また家電と電気自動車、そして住宅にも、その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、
あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、
映画館、ファッション店、スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚のタブレットに集約されたこと。
音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。
本棚の数千、数万冊の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出てきている。(ある時期が過ぎると自動的に消える)
iPad/iPhoneのアプリだけで、既に10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、カーレースものを
ダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことができる。
対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。 
 ネット世界に入り込み、その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上の
トランジスターが入ったものが出ているという。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で買ってきた
トランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが
80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、
世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、畑仕事や釣に没頭する
生き方こそ求められる時代でもある。 ツールに振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。 ツールはツールである。
 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。逆に中途半端か。 こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
 ・・・・・・・
3471, 久々のジョーク -9
2010年09月26日(日)
  * 呼び方
  * 男女の差
  * 動物愛護
  * 祈り
  * 離婚の理由
 ( 以下、字数の関係でカット2012年9月26日 )
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2731, 恐慌前夜 −2
2008年09月26日(金)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
  *焦げついた住宅公社債《530兆円》その内訳
 P−34 ことの始まりは、7月に入って米大手証券のリーマン・ブラザーズが「GSE社)は、会計基準が厳格化されれば
750憶ドル(8兆円)の増資が必要だ」と記したレポートを発表したからだ。このリーマン自身の破綻の日も近い。
人(他人)のことを分析している暇はない。 7月10日にウィリアム・プール前セントルイス連銀総裁が、「GSEはすでに実質超過
(破綻している)である。 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
 *シティー、メリルリンチ、さらにモルガンも消える
 P−178 アメリカでこれか30社ぐらいの大銀行、大証券会社、生命保険会社、侵害保険会社が潰れるだろう。
ヨーロッパでも20社ぐらいが今からまだまだ潰れていくだろう。
 {字数の関係で一部カット(2009年9月26日)}
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2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、解りやすい記述があった。
具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。ギリシャはギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。
最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。 世界は深いし、人生ではその一端しか触れる
ことしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくる。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。 ーP・166よりー 
 (以下、字数の関係でカット2009年9月26日)
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2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1    おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。   
 {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)               \(^▽^*)バイ!
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 2005年09月26日(月)
1637, 37年前の私への手紙−1
ー22歳の日記を読み返してみて、当時の自分に手紙を書いてみたくなった。 37年前の自分は、
 自分のアイデンティテーであるが、全くの赤の他人にも思える。だから手紙が書けるのだろう。
ー37年前の私への手紙ー
あなたの日記をまさか30数年経って、読み返してみるとは思っていなかった。どうして書いたかさえ憶えていない。
倉庫で偶然その日記を見たとき、書いていたことさえ記憶になかった。見つけた後、決して手に取ろうとしなかった。 
見たくなかったのが本音である。そこにいたのは正に自分自身の姿がそのままあった。
数年前、この随想日記に思いきって書き写すプロセスで、露わなあなたを冷静に?振り返ってみることができるようになった。
あなたは社会に飛び出す前後で、緊張の絶頂だったのが窺い知れる。弱い自分をどう強くつくり上げるか必死のように思える。 
社会全体がが学生運動や高度成長期の真っ只中で、燃え上がっていたが、あなたは当時の言葉でいうノンポリもよいところだ。
あなたは、人生の根本的なことで迷っているようだが、それが若さだ。根本的なことで悩んでいるからこそ、青春の輝きがある。
現在の私は、あなたに比べて本当に強くなった。自己改造を積み重ねてきた結果強くなったのである。いや社会そのものに鍛えられたのだ。 
その結果として、何か大きなものを失ってしまった。あなたの弱さこそが自分を駆り立ててくれているのだ。いま考えてみて、貴方
(37年前の自己)の悩みこそ大事である。そのことを貴方は直感しているはずだ。歳を重なることは、強くなる反面、純粋さを失う。
膨大な未知の世界を前に好奇心と期待に胸を膨らませている姿勢は認める。しかし本心を決して開いてない。開いても中には何もなかったか。 
貴方の日記を読んで好感を持つ反面、狡猾な嘘つきと思えてならないのは、どういうことか。気まぐれなハッタリ、大言壮語を
言っているだけではないのか。もう少し、哲学書を読みこなしておくべきということも感じる。あちこちと、浅く知識を摘み食いを
していただけだったが、まあ、それはそれでよい。ただ、他に多くの文章(思い)を書いていたことを私は知っている。
それを全て捨てたことも。なぜ彼方は捨ててしまったのだろうか。捨てたから良かったのか、悪かったのか何ともいえないが。
あの時、真剣に書いた内容は、現在書いている随想日記の内容に決して劣ってなかった。そのことを手紙を書きながら憶い出した
だけでも、この手紙を書いてよかった。あなたが内面を書きだしておかなければ、自分が押しつぶさていたことも理解できる。
あなたは、まさに基本的な足固めをしているのだ。その後、三十数年の自分を振り返ると、決してあの時の理想とは一致はしない。
しかし方向は考えていた通りであった。あなたが思っていたことは、高度成長期の時代背景の妄想かもしれない。
しかし気にすることはない、高度成長期にいかに生きるかが課題でよいと思う。自分の人生は深く生きることが、一番大事なことである。
まあ、説教になってしまうので、この辺で止めておく。少し力を抜いて、思いやりを持って、生きたほうがよいよ!
 他人をもっともっと大事にしなさい。 これが私の最後の言葉です。              ーつづく
 ー後記ー
人生の反省会みたいで、なかなか書いていて面白い。意外とスラスラ書けるのも驚きである。
当時の自分に強く愛着を感じるのは当然だろうが、「気持ちを書きのこす」ことは、非常に大事なことだ。
当時の自分と対話さえ可能になり、心の芯同士の、魂の対話になる。過去と対話をしているが?、実際は現在の自己会話でしかない。
それがよい。旅行先で、知人や家族に手紙を出すついでに、自分に手紙を書いている人を見かける。 一番思い出になるからだろう。
 これは過去ではなく未来に対して書いていることになる。
・・・・・・・
2004年09月26日(日)
1272, シュリーマンの話−1
映画で去年と今年「トロイ」が別々に、2本公開された。去年公開された方をDVDレンタルで見た。
トロイの遺跡といえば、一生をかけ執念で発見した「シュリーマン」が思い浮かぶ。 誰もが憧れる波乱に満ちた人生の成功物語?。
男の生き方として、他に注目するのはガラパゴス島に行ってヒントを得て「進化論」を書いた「ダーウィン」と、日本の地図を実測で
初めて纏めた「伊能忠敬」である。 それでも、スケールを考えるとやはりシュリーマンである。反面、彼ほどマイナスの逸話が
多い人物も珍しい。 また膨大な日記や旅行記を書き残してある。彼は15~18ヶ国語をマスター、それを武器に莫大の資産を得た。
外国語をマスターするノウハウが、今でも多くの人のバイブルになっている (これは次回、書く予定である)。
あるホームページに、彼の行蔵を上手く纏めたものがあったので、コピーしておきます。
 ー以下は、字数の関係で中間をカット(2007年09月26日)
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2003年09月26日(金)
905, 物を置かない努力
 TV番組の自宅訪問で、デザイナーのコシノ・ジュンコが、家では「物を置かない努力」を心がけている、
といっていた。「なるほど!」と納得してしまった。家の中のデザインは無機質でシンプルであった。カラーは白と黒だけ、
空間そのものがデザインという感じであった。
   (字数制限のためカット 2013年9月26日)
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531, 天皇制度について
- 2002年09月26日(木)
 国家感だから書くのに少し気が引けるが,避けては通れない問題だ。  
 (字数制限のためカット 2010年9月26日)
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 [162] 手順  2001/09/26
 人生を生きてきてつくづく思うことは,どう学びどうそれを実現してきたかというとである。
 (字数制限のためカット 2013年9月26日)


4575, ほめことば練習帳 ー2

2013年09月25日(水)

                    「ほめことば練習帳」山下景子著
    第1歩 感動を伝えるほめ言葉
 「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。そのためには、積極的に大自然、芸術作品、
小説、一流の人の講演会などに接することである。今ではTV、インターネットで、接する機会が多くある。
まずは、機会を増やして感動量を多く経験するしかない。そうすると、その面積、体積の接触面が大きくなり、
大きくなるにつれて、感動の対象が増えてくる。感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの
自分の「分」の際(極限)を、破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。
  ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー
【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。
 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。
ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。
その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまるところ、ほめるとは、
「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。
ところで、心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。
羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、ちょっぴり心が病んでいる状態。
そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、心の健康のバロメイターといえるかもしれません。
だからこそ、幸せな人ほど、よくほめるということでしょう。その逆手をとって、ほめることによって、
幸せになることもできるのではないでしょうか。】
   第一歩の感動を伝えるほめ言葉
{ 凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙/天晴れ/溜息が漏れる/拍手/喝采/
 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが落ちる/昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/香ばしい/口果報}
▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、そのまま、言葉で表現出来ることが重要になる。
 記憶として残すためである。 そのためには健康な心が必要となる。対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積こそ、
 その人そのもの。 感動、感激、感謝は、心が純真で、張り詰めてこそ大きく振動する。と同時に、それを感じるとる
 素養が無ければならない。人生は如何に多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が
 多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。感動を伝えることも、与えてくれた
 対象に対し言葉として、表現することで、対象も、自分の心にも残ることになる。
 ロッキーの大自然の光景に接した時、「これを見た『前』と『後』といえるほどの感動だ」という言葉が自然と出てきた。
 一級品、一流の人、絶景に接すれば、素養に比例して言葉が自然と出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。
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4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
   * スマート家電
 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを発表したが、「変?」と思ったのは私だけでないはず。 
外出先からの遠隔操作でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な生活なのだろうか?
それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、消費者ニーズとは大きくかけ離れる。まず発表された「スマート家電」は
エアコン、ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、活動量計、手くび血圧計の八製品という。
洗濯機や炊飯器、電子レンジは、スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用アプリでメニュー選択し、
製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。 近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせた
コースの設定をスマホに入力し、これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電の
コントローラーとしても使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。これではサムスンに負ける訳だ。
   * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、はや16年経つ。やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。
先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、
戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。 当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の人生を生きてきた。私の知恵は、
こと何かあると、両親に語りかけることから生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、
かつ土台である。両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
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3835, ツール(道具)について考えてみる ー2
2011年09月25日(日)
  ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー
【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の働きを外の世界に置き換え、さらにその働きを拡大したり
延長したものといえる。たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにしたものであり、コンピュータは
大脳の働きを機械に置き換えたものである。ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで表現し、
器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための
手段であり、創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても機械にしても、物をつくりだすために
人間の器官の働きを助けるためのものである。】とあった。
 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を変えることもある。 自分の目的に最適なツールに
出会えるかどうかが、その人の範囲を決めてしまうことになる。 学生時代を振り返ると、努力のわりに成績が良くなかったのは、
どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、
その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。
 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリ(ソフト)は、まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。
どれ一つとっても、人間の叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に使えるのだから驚異的である。
銀行の支店の一つや二つの全機能が、小さなチップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時にコピーされ
普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前である。「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」された
ベストのツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。
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3470, 昨日は母の15回忌
 2010年09月25日(土)
 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年になる。 
両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。それがリアルな内容で、
夢から醒めても暫くはその境に漂っている。亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。
亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。
家族総がかりで24時間、気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないので溜まっており、その捌け口で
徘徊を始める。しかし、本人にとっては、部屋や家に閉じ込めらるのは監獄に入っているようなもの。
それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったことか。
したがって、その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーにあずけて、出ていた。
亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。(さすが60歳を過ぎて年一回になったが)
50歳まで働きづめで家庭内の問題から悩みぬいて心筋梗塞になって死線を漂った後に、そのエネルギーを趣味に切り替え、
茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにしていった。一つ目標を見つけ、それに向かって
全力を注いでいる姿は、それを見ているだけで勉強になる。 まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をして、設定したライバル
に対する競争心をエンジンとし、邁進する。 その対象が違えてしまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の
末っ子で育ったため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在になって分かった。
 冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。この家は両親の墓場でもあり、天国である。
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3095,久々にジョーク −3
2009年09月25日(金)
 ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。
 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のことである。 
 ネットで調べても、ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。
  ージョークあれこれー
* ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。
 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」
  神様、答えていわく。 「うちの息子もじゃ」                   解)好きだね、こういうの!
*「 知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、
  自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」
 「 それでわかったよ。 ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが 」     解)これも!
* ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。
 父 『 コラコラどうしたんだお前たち 』
 兄 『 どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ 』
 父 『 お前たち…… 』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしくなでて 部屋をあとにした父親。
   すると、また言い争いが始まる
 兄 『 お前のほうだよ! 』 妹『 お兄ちゃんよ! 』     解)これも! 親父が聞いていた方が面白いと思うが!
* 愛のVIP戦士
  故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。
 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。
 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃったわ。近所の酔っ払いの車に轢かれてね」
  受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。
 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知ってたんだから…嘘でもいいからこう言うんだよ。
 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」 「なによそれ。人の話、聞いてる?。あんたの猫は酔っ払いの…」
 「黙っててよ。そしたらぼくが、『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。
  そしたら『みんなで助けようとしたけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」 「…」
 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。 で『それからどうなったの』と聞かれたら
 『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って言うんだ。
  そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」
 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」
                        解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
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2730, 恐慌前夜 −1
2008年09月25日(木)
「恐慌前夜」副島 隆彦 (著)  ー読書日記
再び副島隆彦の本である。
発効日が今月の15日というから、8月末に書き上げた本だが、その半月後に予告どおりにリーマンブラザーズが倒産した。
そして、恐慌前夜というより世界恐慌そのものの様相になってきた。
「世界恐慌が今日、突入しました」と誰も言わない。 あとで、あの日(9月15日)が・・・・、といわれるのである。
ーアマゾンの、この本の紹介文からー
アメリカの住宅市場危機(サブプライムショック)に発する金融不安は底なし沼の様相を呈している。
7月13日、米政府系住宅公社2社の経営危機が表面化。 NYダウは下落の一途をたどった。
アメリカでは今年8月末時点で10の銀行が破綻、取りつけ騒ぎが起きている。
現在のアメリカは、まるで「住専」処理に追われ血を流した10年前の日本のようだ。
しかし金融危機は米国内だけの問題にとどまらない。農林中金など日本の大手金融機関が、
信用毀損した米住宅公社債を大量に買い込んでいたことまで判明したのである。
かねてから「アメリカ帝国の崩壊と没落」を政治・経済の両面から唱えつづけてきた著者は、本書でこう断言する。
  「やがて米国経済は恐慌状態に陥る。米ドルはさらに暴落してゆく」
  それは1929年「暗黒の木曜日」の再来なのか。そのとき、日本はどうなるのか。
 ーー
9月15日以来の一週間の大激震は、この本の次の箇所に集約されている。
「ついに私たちは生き延びた。惨めに撤退するナポレオン軍を、じっと見つめるロシアの英雄のような気持ちだった。
 アメリカの金融侵略軍は、今静かに日本から撤退を開始した。戦後62年目で、アメリカはついに崩れ始めた。」
 ーまずは「はじめに」の書き出しの部分であるー
 (字数数限のため、カット12年09月25日)
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2007年09月25日(火)
 2366, わたしと仕事、どっちが大事? はなぜ間違いか
「わたしと仕事、どっちが大事?」はなぜ間違いか  ー読書日記ー
    ―弁護士が教える論理的な話し方の技術   谷原 誠 (著)
図書館の返却コーナーで数日前に見つけて借りてきた本である。弁護士の論理の立て方の内容だが、一般人の考え方、
対話の曖昧さを指摘。いま一度、その一つ一つを見直して世間様レベルの思考法からの脱却を勧めている。
考え方、言葉の組み立て方を冷静に見つめなおすのに適している本である。この本のタイトルの「わたしと仕事、どっちが大事?」を、
論理の落とし穴の1つ「誤った二分法」の例として挙げている。「わたし(恋人・妻)」と「仕事」は同類のものではない。
同じ基準でこそ比較が可能であり、この質問自体が間違っていると指摘。この質問に対する答えを考えてみると、
・「比べる対象ではない」ことを相手に主張する
 相撲取りと、砲丸投げの選手とドッチが力が強いの?と、 同じような質問と 理解させる。
・「もちろん君の方だよ」と、相手の求める返事をする 。
 求めている答え(相手のニーズ)は、そう言ってほしいだけ。
・「それは何と何を比べてるの? どっちかと言えば貴女を選ぶけど、ネバならない仕事なら、それをするのが会社勤めの最低条件。
  その兼ね合いは注意するけど」と答える。などが考えられるが、私の実感としては、「収入が入らなくなったり、転職をしたら
 ゼロからやり直しになる。 収入が激減することを考えてみろよ。そうすれば、今より貴女との関係が悪くなる。
  (字数数限のため、カット09年09月25日)
ーーーーーー
内容の概要)
(字数数限のため、カット09年09月25日)
・・・・・・・・
2006年09月25日(月)
2001, 二千日の随想日記!       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・       
この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。といって意識したのは3日前だから、千回の時ほど達成感がないのは事実。
千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!
と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。
2009年6月某日になるが、どうなることか。千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて、
 書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな  というところか!
だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意し、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。朝は一時間はかける。
テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。 その三時間のプロセスは考える時間になる。 そのために
毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。
もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、
数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2005年09月25日(日)
 1636, ローズパレード
昨日、何気なくNHKのBSHVをまわしたら、ど派手のパレードを放映していた。アメリカのロス近くにあるパサデナの
「ローズパレード」であった。花や自然植物で作られる豪華な山車や行進が見もののお正月恒例のパレードである。
   (字数数限のため、カット09年09月25日)
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2004年09月25日(土)
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に著名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
   (字数制限のためカット2013年9月25日)
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2003年09月25日(木)
904, 讃岐うどんの店−2
 9月2日に『讃岐うどんの店』というタイトルで書いてから、3週間経つ。
   (字数制限のためカット2010年9月25日)
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[161] 自然体(自然態)
 2001/09/25 07:01
 (字数制限のためカット2013年9月25日)


4574,  二代目のスポーツ自転車 ースポーツ自転車の勧めー5

2013年09月24日(火)

   * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車専門チェーンの「あさひ」に届いたと連絡があった。 
4年間乗ったマウンテンバイクについで二台目のスポーツ自転車になる。 まずスピードがマウンテンより2倍近く出るのがよい。
これで何が変わるか楽しみだったが、単純だが、一時間のポタリングの周遊範囲が自動的にスピードに比例し二倍になった。 
 なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。人間も知識と情報により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、
コースをどこにしようか考えてはいたが、実際に走ってみると見えてくる。信濃川の土手の二つの大橋一周から、土手の下にある
河川敷のコースも見つけ走ることにした。当面は、秋という季節柄、一時間から一時間半から二時間とすると、三倍の距離、
走ることになる。連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と昨日、二時間走ってきた。
 乗り心地は、MTB(マウンテンバイク)は、小回りがきいて、軽く、目線が地面に近いローラースケートという感じだが、
クロスバイクは、ズッシリとして、目線が高く、スピード感がある。今までレースタイプにスイスイ追い越されていったが、
今度は、追い越す方に移行するが、4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。 欠点は、一時停車の時、
つま先立ちでなること。 しかし、スポーツ自転車の基本は、つま先立ちになるまでサドルを上げることというから、
一週間位の訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、女またぎがスポーツ自転車の基本。停車の時は、一度、
サドルから前に腰を外し、両脚を地面につけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 これで二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?の仲間入り。一応、自転車愛好家と自認できる。 
ところで、買う気になって、スポーツ専門店の売り場に入ったのと、冷やかしとでは、えらく違って見えてくる。 
自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、それにしても種類が豊富である。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。 ネットで買うのと、店舗で説明を受けた
一割の差は何か?というと、自転車にまつわる情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを受けることにしたが、
それだけの情報とサービスはあった。 旧来の自転車屋は、パンクや、ブレーキの修理を必要とする、土着の商売。
地元の長岡では、20〜30年前まで100軒あった店が20軒に激減したという。自転車本体が、スーパーや、HCの攻勢で、
売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが見本陳列で取り寄せがベース。 その分、多くの見本がある。
 あと冬季間まで二ヶ月、まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
4199, 呪いの時代 ー15
2012年09月24日(月)                          
    * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却      「呪いの時代」内田樹著
 < 実は私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られている >という、ドキッ!とする説が、ここで書かれている。
 誰の心の奧にも理想と現実のギャップが潜んでいる。それが何時の間にか、理想の自分が「ほんとうの自分」という幻想になり、
 それが「正味の自分」にとって替わっていたとしたら・・、何だろう何時も独り呟いている「本当の自分とは?」ーその辺からー
≪ ・・その「幻想的なオレ」が、ある日、何かを呪ったのである。呪いの標的となったものは、具体的なものや、誰かでなく、
 妄想し、『本当の自分』が所有するべきもの、占めているべき地位を不当に簒奪している誰かである。その呪いは、何時の間にか
 現実の力を持ってしまい、破壊の塊になってしまう。破壊の力は現実の身体に根拠を持つ限りそれほど害にはならない。
 攻撃が破壊的になるには、それが身体を離脱して「幻想」レベルに達したときなのです。だから、私たちにとって喫緊の問題は、
 妄想的に構築された「ほんとうの私」に主体の座を明け渡さずに、生身の、具体的な生活に捉えられた、あまりぱっとしない
「正味の自分」をこそ主体としてあくまで維持することなのです。しかし、そのぱっとしない「正味の自分」を現代日本の
 メディアは全力を挙げて拒否し、それを幻想的な「ほんとうの自分」に置き換えようと私たちに促しつつけている。 ≫
  ▼ この文章から思いたってくるのは、 <「ほんとうの私」は実は幻想。周辺に見られていると思っていた「正味の自分」が、
  自分の実像でないか?>である。社会に出て、それぞれの世界で生きてきて、常に「ほんとうの私」という幻想が「正味の自分」を
 見ていた覚えがある。それが私を突き動かしてきた。しかし、このようにコペルニクス的なドンデン返しの真理を突きつけられると、
 根こそぎ人生を考え直さなければならない。そのため、神は老後の期間を与えたのだろう。 話は少し変わるが、土曜の午前中に
 家族の外見変身をテーマにした番組がある。家内が見ているので、自然と見るようになった。変身願望の家族、特に主婦に、番組が
 美容とブランド品の服飾で変身させ、あたかも、本当の貴女は少し手を加えれば美しいのですよ!と、幻想的セレブの家族を演出する。
 見る方も、本人たちも、その着せ替え幻想を楽しむバレエティ。それはそれで良いが、少し豊かになり背伸びをすると、
 その幻想世界と現実世界が入れ替わってしまう。森林(現役)に住んでいる内は良いが、一歩サバンナに踏み入れると正味の自分に
 向き合わざるをえなくなる。その時、私たちは「ほんとうの私」という幻想に縛られていた自分に気づく。(それさえ気づかない人が多い) 
 それと同じことが、総中流社会から総下流に幻想が移行しつつある日本である。バブル崩壊後、国民の過半数が実質、預金ゼロに
 なるなど総下流化の様相。その怒りが呪いになっている。「ほんとうの私」という幻想こそが、悪魔の正体。呪いは、自滅につながる。
 なる程、呪い呪われの時代である。これが当分続くとしたら、正味の自分の心のシェルターを用意すべきか。その正味の自分も幻想?
 ・・・・・・
3834, ツール(道具)について考えてみる ー1
2011年09月24日(土)
 電動アシスト自転車を使い始めて二年になるが、その日から日常が変わってしまった。足馴しに自転車で自宅から20分ほどの
信濃川の長岡大橋から大手大橋を一時間ほど一周してみたが、自動アシストのためペダルを踏むストレスが半減。そのためか
信濃川一周のポタリングが快適であることに気づいた。 空気が新鮮で、野鳥が多く飛び交い、川幅が広く、流れが緩やか。
そこから見る360度の視界がまた良い。川向こうから街中に向かう長岡大橋の上からのパノラマはライン川の風景に決して劣らない。
それと何より、自宅の生活圏から一歩外に出た開放感が良い。 自宅近くの栖吉川を30年近くウォーキングをしてていたが、
丁度その頃に工事で遠回りをしないと何時ものコースを行けないこともあって、切り替え時だった。 以来、12月から3月を除いた連日、
信濃川周辺のポタリングは日常生活の大きな柱になっている。新たな手段が生活を変えてしまった。
 10年前にパソコンをものにする最後のチャンスと必死の思いでパソコン教室に通いだし、このHPを立ち上げた。
それ以来、パソコンとネットが生活の核になっている。 過去を振り返ってみて学生時代に残した日記が、当時のままを記憶として
残してくれている。「書くこと、書き残すことの秘儀」というか、その価値を数十年後になって読み返して気づいたこともあって、
一日一文をHPに書き残すことにし、それが現在も続いている。事業のためとか、自己顕示欲のためでなく、「いま、ここ」を書き出すこと、
書き残すことの価値を知っているからこそ続いている。 日々の痕跡を残すために、ブログほど便利なツールはない。
そのためには開き直りと、公開の結果のマイナスの危険を承知した上に、それ以上の何かの利点を直感しているから書き続けている。
 要は、道具が逆に、行動、習慣を決めてしまうのである。 道具というと聞こえは悪いが「ツール」というと、納得する。
 ・・・・・・・
3469, 基本的信頼
2010年09月24日(金)
 人間には二種類ある。 基本的信頼が強い人と、基本的不信の強い人である。
それは「自分だけは大丈夫」という原初的な感覚につながっている。 何時も言っているが、身近に幼児期に両親の愛情が
タップリ入っている人がいる。その過剰は、自分は特別の存在という感覚が強い反面、非常に精神的に強い側面がある。 
乳幼児は非常に無力で、助けてくれる人を必要としており、基本的信頼が満たされていると「世界は自分を大切に扱って
くれる人がいる」という感覚を得ることが出来る。 この感覚は人格の一番奥底に存在する安心感、自己信頼感を形成をする。
この感覚が強ければ強いほど何かが起こっても何とかなると考えられ、自分の希望は叶えられるという全能感を得ることが出来る。
基本的信頼を与える存在は、母親か母親的存在で、子供を自分のように愛せるかどうかで、この感覚が左右する。
E.エリクソンによると、「基本的信頼感の獲得」という乳児期の発達課題は、良質な母性的養育関係を通して達成される。
「自分は見捨てられていない」「ここにいていいんだ」「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、
乳幼児は求めているのである。 片親の子供は就職に不利というが、企業も経験的に組織人として基本的信頼がベースにある人を
選択するのも、こういう事情がある。それは人間的な温かみとして表出している。これだけは、隠そうとして隠せない。
 その意味で両親の素質と相性は大きく子供に影響している。とはいえ、兄・姉を見ていると同じ環境で育っても大きく違う。
それは、両親との相性が大きく左右している。そうこう考えると、多人数の姉・兄の末っ子で両親に特に愛された実感があるだけで
充分に恵まれていた。過剰の愛情は「我がまま」という副産物もついてくるが。今日は母の命日で亡くなって14年になる。
・・・・・・・・
3094,久々にジョーク −2
2009年09月24日(木)
 * 三つの願い
 愛猫と二人暮らしの八十歳の老婆。天気がいいのでベランダで椅子を揺り動かしていると、足もとにランプが落ちているのに気づいた。
それを拾い上げ、ほこりを払っていると、ランプのの口から煙がふき出して魔法使いが現われた。魔法使いは老婆に向かって語りかけた。
「わたしをこの世に出してくれたお礼に、あなたに三つの願いを叶えて差し上げましょう」 言われるまま老婆は願いことを口にした。 
「若い娘に戻りたい」魔法使いが呪文を唱えると、老婆は見る見うちに若い女性に変身した。 魔法使いにうながされて老婆は答えた。
「大金持ちになりたい。使いきれないくらいの金のある大金持ちになりたい」老婆はたちまち宮殿の前にたたずむうら若い女性になっていた。
三⊃目の願いをうながされて、老婆は告げた。「この猫を八ンサムな王子に仕立てて欲しい」魔法使いが呪文を唱えると、
宮殿を背にしたうら若い女性の横に八ンサムな王子がにこやかにたたずんでいるではないか。
その夜、宮殿の寝室から老婆のため息がもれてきた。 「ああ、おまえさんに去勢なんかしなければよかった」
  〜〜
  「三つの願い ジョーク」で検索をしたら、多く出てきた。面白いのをコピーしてみる。
《 ある男が、森で妖精に出会った。妖精は言った。「どんな願いでも、3つだけ叶えてあげましょう。
 願いを言ってごらんなさい」 男は表情も変えずに答えた。「…私は、叶えてもらう願い事は一つだけでいい」
 妖精は、これほどまでに心の綺麗な人間は今まで見たことがない、と驚いて答えた。「よろしい。あなたのたった一つの願い事を
 言ってごらんなさい」 男は答えた。「何回でも願い事を叶えられるようにしてくれ」 》
(字数の関係で中間カット、2012年09月24日)
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2729, 議論に絶対負けない法 −物語の力- 4
2008年09月24日(水)
 「議論に絶対負けない法」 −4      ー読書日記
   ー物語の力ー
 物語を作るとは、争点に対して依頼者側の有利になるストーリーの筋書をつくることだ。その筋たての準備に、可能な限り
エネルギーを入れなければならない。それを著者は全米で一番忠実に実行してきたので、全米一位の弁護士になったのである。
これは全てのことに言えることだ。 言葉の力は恐ろしい、言葉の中から光ってくるのは真実である。
以下の部分も、短い文章の中に、人生の要点が書いてある。議論の方法などではない、人生の生き方、
人生の筋書つくりと、それに対する努力の重要性が解りやすく書いてある。
 p−172 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合であっても、
議論は一つのストーリーに変えることができる。議論には、そう、三匹の子ぶたへの家の同じように、骨組みがある。
 (字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2007年09月24日(月)
2365, ウィーン・コンサート、それが何!              ヾ(´∀`o)+。 オハヨウ    
 ウィーンに在住の哲学者などというと、えらく格好良く聞こえるが、この哲学者にかかれば、何てことはない。
(字数の関係で中間カット、2008年09月24日)
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2006年09月24日(日)
2000, 継父               (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。早かったのか遅かったのかというと、
大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。痴呆症を切れ掛かった
蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、
抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると、
人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら
戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で
話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなった。
(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 さて墓参りだ!  ーつづく          
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書いた後に気がついたことだが、ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!             
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2005年09月24日(土)
1635, 「イヴの七人の娘たち」
 ーまずは、この本の概略を書いてみるー
DNA研究から明らかになった事実としてヨーロッパ人のルーツが7人の女性「イヴの七人の娘たち」
にいきあたり、さらに現存人類は、全世界で33人の女性先祖に絞られるという。
(字数の関係で中間カット、2009年09月24日)
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2004年09月24日(金)
1270, 母が亡くなって、まる八年!
 ー命日に, 母の魂に捧げるー
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰にとっても共通である。父の真の厳しさと、
母の優しさの深さを知るのは、自分がその年齢になって初めて解るものだ。世界広しといえども、母は一人である。
そして、ただ無条件で愛してくれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。人間形成は、10歳までの家庭構造と
それを取り巻く環境ー条件でほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
 ー命日ということで、母のことを少し話してみるー
母は特異な家庭環境の下で育った。 兄一人、姉一人の三番目に生まれた二年後に、実父が亡くなってしまった。 
そこで祖母は、(後妻でなく)後夫をもらった。その後、後夫の子供が4人生まれた。後夫は当然のことながら、
前夫の子供を徹底的に苛めた。特に一番幼い母が、その対象になった。祖母は後夫の手前、守ることも、
直接的な愛情を注ぐことができなかった。そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。その結果、重度のノイローゼになった。
私が7〜10歳の時である。立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった後の解剖で分かった)その苦悩・苦痛の中から、神様のような優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ!             23日 6時半ー    
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2003年09月24日(水)
903, 「仏像の不思議!」
 随想日記で多くの不思議について書いてきたが、仏像の不思議について書いてみる。ー度、少し書いた可能性があるが。
20年前のことだが、家内の実家の会社で毎年、倉庫でお客を集めて「お祭りを兼ねた展示会」を開いている。
 (字数制限のためカット 2013年9月24日)
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529、人の一生
- 2002年09月24日(火)
仏教説話でよくきく内容だが、怪獣?に追われて古井戸の紐につたわり下りようとすると、
・上からはその動物が覗?込んでいる。          ・周囲の岩から蛇が首を出して狙っている。
・下には大蛇が大口を開いて、落ちてく
  (字数制限のためカット 2013年9月24日)
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[157] 自殺  2001/09/24 09:49 NoName
 ホテルオープン後10年で初めて自殺が出た。やはりくるべき時がきたかというのが実感であった。
 (字数制限のためカット 2010年9月24日)

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