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堀井On-Line
| 4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2 |
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2013年09月03日(火)
写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をしていたか思い出してみた。 私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、各々の実家の職業は全員、憶えていた。半分以上は幼稚園から同窓で 何処かで同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、乾物雑貨屋、美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、 青果卸業など、駅前もあって商店主の子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、社長をしている) と土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然のこと。中学校は全員、東中学校に進み、2、3年時での同クラスは 男は私を含めて7人。女は3人。 その後の人生をみると、高校と、大学に進むにつれ分別され、そこで大部分が決まってしまう。 いや、それ以前から血筋で決まっていた? 当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。 やっと商店内の生活から解放されていた。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め始めていた。目の前のライバルがハッキリ したこともある。実家の力関係と、相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、テストで百点をとってみな! そうすると、 他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、実践したのが勉強の目覚めの第一歩。他に店から自宅と生活環境が 変わったことが成績に大きく左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。 勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。 その上、居間にTVが入って夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。 そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら地元の受験校さえ入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる重要性を学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分がディズニーランドのキャラのように見えてくる。 頭でっかちで、親が、そのまま縮小したような姿で、未来の人生に向かって精一杯生きていた。 この切り口は、人生の全ての 場面に当てはめることが可能。自分とは過去の積み重ねから成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。 この文章を書いていて気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無)に逆照射すれば、同年代になる。 その意味で、団塊の世代にとって、昭和三十年前半は意味がある。里帰りということか。 やはり「人生は生きているうち」。 ・・・・・・・ 4178, 事実と真実と真理について 2012年09月03日(月) * 「真実」と「事実」の違い 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 以前、自宅に電話の苦情があった。 「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、 電話をした」と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、「何かの間違いではないですか?」というと、「御宅の 前のアパートに住人で、駐車場から突然、飛びつかれた」という。そこで「電話番号を間違えたのでは?」というと、 「間違いない」と、押し問答。後で分かったことだが、自宅奧の貸家の住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。それなら、 勘違いをするのは分かる。アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど知るよしがない。事実は、我家の駐車場から 飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、 C層レベルの創作話が多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー ≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」について言うのが事実です。 表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということ。 真実を追求するというのは、事件や問題の 背後にある何故そうなのか、を見つけること。 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと 事実・・・現実に起きたこと 本来なら、「真実」=「事実」にならなければならないが、そうはならないことが多く、 「多くの人間は見たい現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい現実をみているもの」、 事実は一つだが真実は 人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、 「真実」は人間の内部にあるもの。「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。 問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」として認識できるのか?という問題が生じる。 そうなると、「真実」というのは本当にあるのか?という疑問も生じてくる。≫ ▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、事実の中にある、それぞれの解釈でしかない場合が 多いからである。世間では「事実の最大の敵はウワサである」になる。それがウワサがB級層では事実になってしまう。 教養とは、そのへんを見分ける知識の蓄積をいうが、とにもかくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、 学生時代のゼミで、ケーススタディを一年間、してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を10人ずつ二グループに 分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで再び議論する。提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。 半年も月4回もしているうち、その誤差が無くなっている。事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だったことになる。 ・・・・・・ 3813, 無知の涙 2011年09月03日(土) * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀 ー「ハンロンの剃刀」とはー 「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できることを悪意のせいにすな。)」 頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上に悪意を想定するな!ということ。 この定理を知ると、不満やトラブルに遭遇した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、を 間をもって判断できる。 そうすれば、その大部分が無知からきていることを知る。 しかし現実に厄介なのは、悪意より 無知からくる方で、無知の自覚がないから始末が悪い。 「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、あまりに多く見てきた。 いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を解決するプロセス。 大体のことが、この法則で(少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減する。 「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、他人のことなど分かるわけがない。 その他者に悪意を見出しても何にもならない、という道理は納得できる。 一番怖いのは、無知の善意。あとで、悪意がついてくる。 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー 【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品なので、切れ味はそれなりである。 しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気があった訳ではない。 もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか 「素材に良質な鋼を用いないのは 商業倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでもバッサリと切り捨てないのが優しさと言うもの。 要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という体のいい言い訳。「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、腹を立てるだけロスということ。出来たら、孤高でありたいが・・無理。 ・・・・・・・ 3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5 2010年09月03日(金) * ツアーあれこれ ー4 ・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んでホテルや飛行機の手配をしてもらうか。 ・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。・それらをネット上で、全て予約を組むか。 ・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、 ホテルとか行き先を決めるとか、旅行にも色いろな方法がある。 人見知りをする私にとって、パック旅行は最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 全国から同じ目的を持った者がチームを組んで旅の目的を達成する。 その最適パッケージを代理店が企画販売するのがパックツアー。 激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。 その進化したシステムを如何に合理的に使うかである。 インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等はそのシステムの合理性を知らない。 これがなければ、「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティーの草原で、チーターの狩りなど見れる訳がない。 それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 それ以前に、そんな気持ちになれない。 南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導するボートに乗って奥地にいき、キャンプをし、飛行機で上空を旋回し、 エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から 100mの高さからのバンジージャンプなど出きようがない。代理店は普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。 特に中小は、自社の強みが何かを探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエルだったり、アマゾンだったり。 それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、ツアーのベテランを狙って、秘境・異郷のツアーに、 かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク値段の高いパッケージを売っている代理店もある。 それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだったりする。特Aの団体を時どき見かけるが、人相からして違う? 一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。 ・・・・・・・・・ 3073,飲み屋横丁考 2009年09月03日(木) このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・ 飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。飲食街そのものは50年〜60年の長年の歴史の上に成り立つ。 その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。東京は銀座、新橋、六本木、新宿など地区で、客層が分けられるが、 一般的には、年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに分かれている。 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある 3メートル通路両側に8軒が並んでいる横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。 ・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。 (そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた) ・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。 ・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 ・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。 ・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。 ・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。 自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。 そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、店の中より、最寄駅から 周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。大きな飲食店ビルは、オーナーが意識的にテンポ構成をするのだろう。 そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。 ・・・・・・・・・ 2708, 政局の話 2008年09月03日(水) 福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。 どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。 これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、負けるだろう。 もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、捨て身の作戦の可能性がある。 しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。民主党も、直ぐにボロが出て、 政界の再編成になること必定。本来はアメリカ大統領選挙の結果を待って、アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら自民党にすべき。 現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。見ている分には面白いが、日本の置かれた現状があまりに厳しい状態。 民主党が政権をとって、日本を一度解体して日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。日本に巣くっている官僚を解体して、権限を 8州に委譲することだ。*北海道、*東北6県、*新潟、群馬、長野、石川、富山、福井の中部州、*東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州 *静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など名古屋州、*大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの中国・四国州、 そして*九州・沖縄州である。そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 現在の日本には無理だろうが・・ しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものがアメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。 日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても世界のグローバル化に対応する方向づけをした。 現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。 その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。阿部、福田と、 麻生と、二代目。 それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。 「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。 「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。 それにしても危ない! ・・・・・・・・・・ 2007年09月03日(月) 2344, 糖尿病について オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪ 昨日の朝日新聞の朝刊のトップページに「糖尿病は万病のもとーアルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍」が出ていた。 アルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍、脳梗塞と心筋梗塞が約二倍というから、本当に恐ろしい病である。 年一度の検査の際で、インシュリンの点滴を受けている部屋を覗くことがあったが、いつも多くの人がいるのに驚かされる。 そこで、どの位の人がなっているのか早速、検索ー キーワード「糖尿病患者の人口比」で調べてみた。 日本の人口比では6%(ちなみに肥満の多いアメリカでも6・6%)。 5年前の調査になるが、糖尿病が強く疑われる人の数は740万人、その可能性がある(糖尿病予備軍の数は880万人といわれている。 40歳から74歳の中高年男性の32.2%、女性の31.5%が糖尿病有病者か予備群と推定される。その割りに、周辺ではあまり持病の人は少ないが、 敢えて自分から名乗らないからか。糖尿は親からの遺伝が多いと聞いていたが、今回の検索で「両親が糖尿病だと子供は50?が遺伝し、 片方が糖尿だと25パーが遺伝する」という。私も家内も、両親とも糖尿の系ではない。 また親戚が糖尿病という話は聞いたことはない。 酒好きなため糖尿に関しては気にかけている。殆ど砂糖とか、甘い菓子は口にしないし、酒のツマミは肉類はさけて、魚類や酢のものを 注文するようにしている。それと、ウォーキングも欠かさない。「糖尿になりかけたが、通勤の片道30分を徒歩通勤に切りかえたら直った」 という話を聞いたことがあるが、糖尿病になると直ることは絶望的ともいう。糖尿になってしまうと10年以上は寿命が短くなるということか。 死亡原因の間接的な病であるため目立たないが、しかし恐ろしい病である。 糖尿病治療は食事療法・運動療法・薬物療法の三本柱という。 その大きな要因である生活習慣の改善には食事療法と運動療法が特に重要という。そのために、医師の診療・指導を受け、正しい食事と 運動を生活に定着させることだ。その糖尿病予防には一にもニにも肥満解消が大きな比重を占める。 最近、ストレスのためか? 急に太ったあの人、大丈夫か? 私も実はってなことはないのか?? これだけ酒を飲んできたんじゃ・・ ホナナァ☆|∀・`@)気をつけて! ・・・・・・・・・ 2006年09月03日(日) 1979, 冷蔵庫を20年ぶりに買い換える (字数制限のためカット 2013年9月3日)
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2013年09月02日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 米国の衰退の予感と、勝ち組になる国の姿は? 日米欧のうちG7の中で残るのは米国だけと予測。人口衰退の国に明日はないことになる。その中で、日本の影は一層、 薄くなるのは、現在の日本を見ていても分かる。米国の実質支配下の隷属国家、親が転ければ子も転けて当然。 〜まずは、その辺りから抜粋〜 《 米国民は、つねに競争、解雇、収奪、殺害のリスクにさらされている故に脆弱感を持ち続けている、だから宗教にすがる、 と分析する。 次に・高齢化に伴う医療費・年金の財政圧迫であり、投票率も高く献金も多い高齢者の仕様の老害政治である。 高齢者に有利な財政・優遇策ではなく、若者の勤労意欲を引き出し、結果として高齢者をよりよく支えさせる賢明な政治に 切り替えよ、と主張する。 エコノミスト誌の予測を読んで、私なりに導いた結論は、次の点である。 これからの「国々の興亡」は、中産階級を育て、維持し、大いに嫁がぜる中産階級大国と、若年層の勤労意故、社会・政治参加、 高齢者を支えるコミットメントを上手に引き出すスマート・カントリーが勝ち組になる。それはグローバル化を活用しながら、 可能にしなければならない。 グローバル化の波頭でサーフィンするのではなく、海面からは見えない潮流をとらえ帆を張ること。 それには黒潮をつかまえることだ。そのひとつは、シュンペーター的起業家精神。 ローレンス・サマーズは「21Cは、シューペンターがもっとも重要なエコノミストになるだろう」と看破したが、 グローバル化により創造的破壊がグローバルに解き放たれている。その怒涛に渦から湧き上げるプランクトンを貧ること。 もう一つはグローバル・リテラシーである。いま、それは英語である * 二〇五〇年の日本の影は一層、薄い。 2010年に1億2600万人を打った人口は減少し続ける。人口減少は毎年1%GDPを押し下げる。GDPは世界全体の1.9%、 (2010年は5・8%)。人口一人あたりのGDPも、米国を100とすると、韓国の105に比べて日本は58へと沈んでいく。 しかし、日本の真の問題は人口とGDPではない。 日本の科学関係のノーベル賞受賞者は15人しかいない、オーストリアは日本の 人口の7%に過ざないが、受賞者は14人と日本より一人少ないだけだ。なぜなのか。 エコノミスト誌は、権威に挑戦することを 目己規制するからだ、と見る。 「欧米に追いつき追い越せ」の後に何を生み出すのか、それが見えない点では日本も中国も 同じである、というのである。向こう40年間、日本にとっての最大の挑戦は、シュンペーターと英語ということかもしれない。 { *参考 20世紀の経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950年)は、イノベーションと改善を求める起業家の意欲が、 いかに大きな変動と変革をもたらすか注目し、起業家精神を「創造的破壊」をもたらす力と考えた。彼によれば、起業家は 「新結合」を遂行し、古い産業の衰退を促す。確立されたビジネス手法が、より優れた新たな手法により破壊される。} 》 ▼ 現在の日本がシューペンター的起業家精神を持って創造的破壊が可能だろうか?といえば、疑問である。 それより国家の概念が、情報端末とネットの進化で破壊される可能性が高い。ますます個人化が進み、個人が国家や、 地域社会の垣根を超えて行き来する。10年前、誰がPCが、タブレット、スマートフォンの大きさになると想像しただろう? ・・・・・・ 4177, 哲学で自分をつくる ー6 (デカルトー②) 2012年09月02日(日) 第二章 まだ自分をさがしているのか?(ーデカルト― ②) 「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本往人 (著) * まずは、「感覚」「現実」「数学」を疑うことから 確かに間違いなくある五感と、現実。 デカルトは、まず、それを疑った。現実と思っているのが実は夢でないかと。 確かに感覚で捉えても、錯覚ということもある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは近代哲学の祖である。 ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。 膨大の情報化の真っただ中で、このへんの事を、よく分かってないと、その洪水に 流されしまう。いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、それも良いが。哲学で自分をつくろうとしているのだから、 現実も、感覚も、まず疑うことから出発しないと・・ あの人たち?のようになる ー その辺の記述を抜粋してみる 【◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの感じとったものは絶対に正しいと考えたくなるが、デカルトは これに依存してはならないとした。 なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば「錯覚」を起こすからである。 ・・・要するに自分からの確信は世界を正確にとらえているとはかぎらない、ということである。逆に、この錯覚にさえ気をつければ 自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、どんな場合も間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、 感覚には依拠できないとする。 ◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」とこの「現実」とは重複した部分がある。 実際に見ているものは、「感覚」でもあり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり感覚も含めて 把握していることが「リアル」だ、というイメージならば、「現実」を疑うデカルトの意図は少し明確になるだろ。 この「現実」に対してデカルトは、もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢なのではないか、と疑ってみた。 夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、自分が夢を見ていないということが証明されれば 問題はなくなるのだが、むしろデカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。 ◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は確かに、その 体系においては真理が成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで信じてきたものもあっけなく 崩れることがある。デカルトはここで、数学を特権視せず世の中に多々ある約束事と同様のものとして、不確かなものとみなす。 このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう「感覚」「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。 つまり、特に確からしいと思われているものさえ不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなものなのだ」ど判断するのだ。】 ▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。それらの全てが、即、空であり、あてにならないと デカルトは看破したのである。まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を疑ってかかることこそ必要である。 緑の原野からサバンナに出てみて、「あの原野での出来事は何だったのだろう?」と、振り返ると、何も疑問を持たないで同じ行動 パターンを繰り返していた自分が見えてくる。そして、現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定すべきことが出来ない。 それをするには常に死を意識しなくてはならない。しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。 ・・・・・・ 3812, 世の中、すべからく代理・代行 −2 2011年09月02日(金) 国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業になる。 ・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買ってから10分以内に消費するニーズを満たす代行の店。 土地持ちのオーナーに全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。 ・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に成績を伸ばしていった。 家電なら、TVやDVD、 冷蔵庫、洗濯機などの配達先の取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。 運送業者が電器の取り扱い経験者を運転手として雇えばよいのである。 ・スーパーの流通センターから各店の配達も、最終店出し直前まで請負う。 ・先日、寿司の宅配専門で伸びている業者が、東京の山の手の有名店の宅配だけを専門に請負う会社運営をTVで放映していた。 売り上げの4割を店から分けぶんとして貰う。 それでも有名店の店舗運営の経費からみても、採算がとれるという。 ・代理出産もあるが、ここではやめておこう。 ・その中で面白いのが結婚相談所である。これは昔からあったが、最近はネット時代。一番、微妙な部分を考慮に入れた仕組みづくりが ポイントのようだ。 料亭などが、最近では料理教室をつくり、そこに男女を集めて出会いの機会を提供する。 中高年や、エリートだけに絞り込んだコースとか、外国人との結婚を求めている男女とか・・・ ・面白いのでは、ゴーストライターがある。有名人や成功した社長に代わり一代記や、人生訓などを書く。 ケネディ、オバマ大統領にも名ライターがいたが、あくまで影の身である。 ・戦国時代、江戸時代の大名にも名筆の書き手がいた。 それは、それで専門職は必要である。 激しく時代が変わる中で、一人で何もかもは不可能、その中で、いち早く、変化のニーズを察知して、その代理・代行のシステムを 提供する必要性がある。 デジタル化とネットによる情報化が別世界を新たに出来つつある中で、代理・代行がキーワードになる。
・・・・・・・ 3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4 2010年09月02日(木) * 初めての21歳の欧州旅行 ー3 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。 カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が 根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。 これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。 その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖と スイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、これでもか、 これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。 現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。 私のように、 中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、 当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、 それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。 ・・・・・・・・・ 3072,コカコーラのビン 2009年09月02日(水) 最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。 それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。 目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。 「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた 【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。 かっこよく、しかも中身が 多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、恋人がふらり、仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。 タイトスカートをはいていた。 このスカートは膝のところが細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。 彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、社長のところに出かけていった。 「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」 社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。 3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。「社長、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」 「そりゃ、ビンに決まっているさ」 青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。コップの水が入りきらないうちにビンは、一杯になった。 (う〜ん) 契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。 「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、腰が括れていた女」 だから、という。 本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。 ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない? 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・水に麻薬を混ぜて数十倍の利益をだしているのだから、 ドエリャイ儲けになる。 あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに数パーセントの利権を得ていた、とかいう 噂があったが、本当かウソか? 「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。 ・・・・・・・・・ 2707, うつ病について 2008年09月02日(火) 精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、その一歩手前の経験をしているはずだ。 (まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、 老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、 それを気にしなくなったのは、50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。 青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。 誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。 60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触りかもしれない。 しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。 北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と旅先で聞いた。 「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。 治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。 元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。 日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。 ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。 私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、 コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。 しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、 過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、 その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。 その数歩手前の精神状況が殆どの老齢者の心のうちというから恐ろしい。そういう連中が寄り沿うと、人間は後退をしていくのが リアルに見えてくる。他人事ではない、まったく。とにもかくも、腹から笑える場所を幾つか持てるかである。 私が鬱にならないという自信があるのは、毎朝の散歩があるからだ。これを始めて25年ほどになるが、朝の陽光と、新鮮な空気と、 鳥と虫の鳴き声と、川のセセラギが身体にも精神に良いからである。さらに土日の笑いの時間の設定である。 それと毎日一度の仏前の祈りと、般若心経である。それを実行していても、どうも少し欝っぽいのは、そういう時期のためだろうか? 過去のマイナーの記憶がフラッシュのように飛び出してくる。 それが、歳をとったということか? 欝的気分も日常の塩味として、必要であるが。 -ω-)..。oо○(゜+。鬱々゜+。) ・・・・・・・・・・ 2007年09月02日(日) 2343, ポスト・モダン主義とは (o゜▽゜)o オハョ〜 ゴザマス! 最近は、あまり以前のような大物?が、居なくなった。 これは時代の変遷のためである。 高度成長期の、田中角栄とか、小佐野賢二とか、堤義明とかいうのは、存在しえなくなったのである。 存在したところで、「それが何じゃい!」と誰も仰ぎ見たりはしない時代になったのである。 解りやすい事例として、イチローが大リーグで超一流の選手として認められたところで、 「ああ、そういう人がいる、凄いな~」で、それはそれはご立派なことで!と、頭に過ぎってお終い。 それより、それぞれが自分の好きなことを見つけ、それぞれの楽しみを求める時代になったのである。 それは考えてみれば当たり前。それだけ、社会が成熟したということだ。第二次大戦後、マッカーサーが 日本を占領したとき言ったのが、「日本人は10歳の子供」である。欧州から見れば、そんなものかも知れない。 といって、西欧が未開の原始人より文化が進んでいるということではない。 モダン=大きな成功とやらを求めた時代は終わったのである。これを解りやすく書いたある本があった。 『世界をよくする現代思想入門』高田明典著である。 情報化社会は、ポスト・モダン主義をますます加速させる。 日本は、いや世界は、9・11が現象として大転換期と日となる。その意味で、あの男ービンラディンは歴史に残る。 アメリカ現大統領は、「アメリカの凡庸・親子大統領の息子」として歴史に留める。 私が生きた戦後のアメリカ大統領では、その意味ではカーターと肩を並べる??の人物。 その程度ということだ。 この本の一部を抜粋してみるー P-158 (字数制限のためカット 2013年9月2日)
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2013年09月01日(日)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 船橋洋一の解説 〜1 最後の船橋洋一の解説が簡潔に大筋をまとめてあり、これだけでも読みごたえがある。四十年間の最も意外の黒鳥は インターネットには全く同調する。まずは、その辺りを抜粋してみる。 ーその部分を抜粋してみるー ≪ 四十年先の世界を予測しようと言うメガチェンジならぬメガチャレンジをエコノミクス誌が試みた。これがいかに無謀かは、 過去四十年間に世界で起こったことがどれほど不可測的であったかを振り返れば足りる。 例えば、一九七二年の時点で、 次のような地政学的新世界を誰が予測しただろうか。 ○ ソ連が崩壊する。 ○ 中国が世界第二の経済大国にのし上がる。 ○ 新興国パワーのインド、ブラジル、南アフリカがサミットを開催する。 ○ 日本が二十年間の「失なわれた時代」の揚句、没落する。 ○ 米国と欧州連合)が深刻な債務危機に喘いでいる。 ○ インターネットが世界を覆い、フェイスブックが、インド、中国に次ぐ十億人の大国になると誰が予測しただろうか。 過去四十年間の最も意外の黒鳥は、インターネッ卜だったかもしれない。これ一つとっても未来予測に謙虚であるべきである。 もっとも、英エコノミスト誌は、この種のメガチェンジの調査予測をこれまでたびたび特集してきた。 有名な例の一つが、 一九六二年、ノーマン・マクレー副編集長が執筆した「驚くべき日本」の大特集である。 日本が戦後の復活の過程を終了、 世界の経済大国へとのし上がっていくだろうとの日本像を鮮明に打ち出し、世界の日本観を一変させた記事だった。 同記者の日本調査予測モノは、その後、一九六五、一九六七、一九八一年と続いた。 今回のエコノミスト誌の予測は世界をまるごと予側している。さらに野心的である。 ○ 絶滅種が再生技術で復活するだろう。マンモスが一番乗りするかもしれない。(恐竜は雛しいのだろうか?) ○ イエメンでは、二〇一五年までに自然水が完全になくなる。 ○ インドは、文盲人口と大学卒人口がほぼ同数という世界で最初の国になるだろう。 ○ インドとパキスタンが競争する可能性がある。それが起これば、核保有国同士の最初の戦争となり、もしかしたら核戦争?。 ○ 中国の繁栄は長続きしない。最大の要因は、人口減のの重圧である。中国の出生率は2.1に落ちる。 四十年後、日本、欧州と並んで最大の人口負け組となるだろう。 二〇五〇年。最大の人ロを擁する国は17億人のインドである。中国がそれに次ぎ、米国を抜いて、ナイジェリアがその後を追う。 インドネシアも向こう四十年間、人ロポーナス国である。二〇五〇年、アジアは世界経済の半分の規模を占める。この時点でのG7 (七大経済大国)は、インド・ブラジル・ロシア、インドネシア、メキシコとなる。現在のG7で残るのは米国だけになる。・・・≫ ▼ 過去40年より、今後40年の方が遥かに大きな変化が次々と生じてくる。理由は簡単、スマートフォンなどの情報端末が 止まることなく進化し、世界中の人たちが瞬時に繋がる流れが加速し、それが一部の特権階級の富、情報、権力の独占を 破壊することになるからだ。未来学者が、現在の事態は自分たちの予測を遥かに超えていると述べていた。こと知識、情報、 娯楽面で充分に恩恵を受けている実感がする。 ・・・・・・ 4176, グローバル化の真実 2012年09月01日(土) 『 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 』水野 和夫 (著) なかなか面白い本である。 ーアマゾンの書評の中で解りやすいのをコピーしてみたー ≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国である時代はもう終わった。 しかるにアメリカはグローバリゼイションという名の〈米による世界経済征服計画)方策でその命を永らえさえようとしている。 (そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする近代資本主義は限界に来ている。 今行われようとしている景気回復は誰のための景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主 〈言い換えれば上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。このままでは景気は回復しても 労働者の賃金は下落する。(一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない) アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまくいかないことはもう証明されている。≫ ≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義の構造を前提に反復された景気循環の一齣ではなく、 こうした構造自体の終焉を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の根源的危機として 水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済への過渡期に当たる16世紀である。 16世紀と21世紀は、氏によれば、数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は 1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、 2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、後者においては「海から陸へ」という世界軸の大転換が生じたこと、 3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては仮想的空間の拡張とそれに伴う超法規的収奪が、 それぞれスペイン/アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、 4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に新世界が現出されること等々に確認されるという。 21世紀における'1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型経済モデルの失速とそれに代わる 情報・金融革命に基づく仮想空間への資本主義の突出により可能となるが、帝国を支えるかかる空間上の高収益は人件費の流動化 即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という 神話のおわりを明らかにする。「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に基づく 新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」を通じ実現する手段に過ぎなくなった。 「労働は、資本にすり寄った国家に裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた同質の変化と 対比させることによって明らかにしようとする。≫ ▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを中心と、その周辺を結びつけるイディオロギー」 と、看破している。グローバリゼーションの事実とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」である。 そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、「搾取」をする、これが実態であると。 その手始めが1985年のプラザ合意である。日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、アメリカに搾取された。 ・・・・・・ 3811, 閑話小題 ー老いと病について −1 2011年09月01日(木) ▼ 血圧について 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の入り口にある。 出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けているので大丈夫」と、判断していた。 最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので自然に、毎日のように検査をしている。 だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが高血圧の三段階の初段階とあった。 医者にいわれ続けてきた通り。 両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、年齢プラス80〜90が高血圧の境目、 という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。 ということは年齢からして、少しは考えなければならない。 晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。 また塩分も最小にと心がけてきた。 運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように 運動ジムに通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。 死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策を しなくてはならない時期にきたようだ。 今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、 健康で長生きをしたい欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。 やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。 「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。 「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。 血圧と何の脈絡がある? かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」からからだ。チロリ・チロリ・チンチロリか〜 ・・・・・・・ 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3 2010年09月01日(水) *初めての21歳の欧州旅行 ー2 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。 それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。 その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。 それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、 シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。 重厚なパブの雰囲気も異次元の世界へ タイムスリップをしたような感覚であった。 そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。 こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。 これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。 元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた 回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、 独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。 その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。 ・・・・・・・・・ 3071,衆院選挙の各新聞の論評から 2009年09月01日(火) 各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。 ーまずは印象に残った箇所から ・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、 「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞) ・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞) ・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞) ・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞) 以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。 (次数制限のためカット 2011年9月1日) ・・・・・・・・ 2706, 現代とはいかなる時代か 2008年09月01日(月) 人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、 インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。 著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。 4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。 我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。 ー以下、要点を抜粋したー 「地球システムの崩壊」 松井孝典著 −読書日記 −2 *現代とはいかなるじだいか 1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。 人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、 次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。 この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。 「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。 今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、 宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、一般の人にも、 画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは生物圏の存在を示唆し、 地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。 専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、 灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、 「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。 それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、 その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた 時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から 向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を 確認しておかなくてはならない。 〜〜 何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。 月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。 それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも 出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。 正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。 ・・・・・・・・・ 2007年09月01日(土) 2342, 「ある」ことと「あった」こと お|* ̄O ̄|は 『狂人三歩手前』 ー中島義道著 ー「ある」ことと「あった」ことー 理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるから「ある」のである。「あった」があるから、その想起で現在が「ある」。 「私」も現在から過去を振り返ったとき、「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。 かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。 これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。それは「あった」があるから「ある」という説明に、 解りやすい物語であった。その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、 その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。 ー以下は『狂人三歩手前』から・・・ 世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは 現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。 (以下、字数の関係でカット09年9月1日) ーー 非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。 遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。 (その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている! これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。 ・・・・・・・・・ 2006年09月01日(金) 1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。以前はケニア旅行といえば珍しい存在であった・・ また首都のナイロビからマサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。 ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に 車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。 ー字数の関係でカット(13年9月01日) ・・・・・・・・・ 2005年09月01日(木) 1612, ハワード・ヒューズ ー字数の関係でカット(08年9月01日) ・・・・・・・・・ 2004年09月01日(水) 1247, さよなら!五十嵐恭一さん −五十嵐恭一さんへの弔文
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| 4550, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ |
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2013年08月31日(土)
『長岡市の昭和』という写真集の広告の折り込みが、今月だけで二度も朝刊に入っていた。 それも、一枚目は表面トップに実家の商店ビルの写真で、二度目は、裏側に、何故か小学校五年時のクラスの集合写真。 出版社に誰か同級生でもいるのかとネットで調べてみたが?? 7名の小さな長岡市内の出版会社で、県内だけでなく 全国の各市の昭和の街の写真集を出している会社。団塊の世代以上を狙ったものだが、旧長岡市内の人たちに限定2000冊 としても9990円で売れるのだろうか? その方が心配になる。しかし他は、HPを見ると完売となっていた。 その小・中・高校時のアルバムが、引越しなどで紛失、同級会などで、誰かが持ち込んだのを見るしかなかった。 で、51年の時空を超え、このチラシの集合写真を何度か見ているうちに、当時のことが、次次と思い出してきた。 11〜12歳は、人間としての最終の熾烈な闘いがあって、そこで、ほぼ性格も能力も決まるという。クラス内の力関係などで、 誰かが常にターゲットにされる、あまり気持ちの良くない年頃。そのため心の傷は深く残るもの。その最たるのが、まあ、 書くのは止めておく・・ 自分も似たようなものだったろう。手取り早く学歴からみると、慶応一人に、立教三人、あとは 大学名は不明だが、数名、卒業しているから、街中の小学校として並みというところ。学校の先生の子弟は新大付属小学校が ある。ここで目立つのは長岡青果市場の社長の息子で慶応と明治の教授をしたが既に故人になっている人とか、土田塗装とか、 何処かの中学校の先生とか、多種多彩。女性の方は皆目分からないが、少し目立っていた三人が三人とも離婚とかで?? 死亡数は男20人中に4人。女性は分からない。 主任は非常に厳しいので有名な西沢先生。その後、多くの小学校校長を歴任し、最後は何処かの教育長をされた人で、 定年時に400人が祝いに集まってくれたという。20年近く前に、私が経営していた新潟駅前のホテルに泊まってもらい、 古町を数軒、飲み歩いたことがあった。 せっかくなので、この数日、当時の記憶を、たどっているが、51年の時空を超えて 嫌な記憶を中心だが幾らでも出てくる。太平洋戦争と長岡空襲の影響も色濃く残っていて、誰も口に出さなかったが、 戦争孤児とか様々な問題を各家庭が抱えていたようだ。 そうこう、自分を振り返ってみると、子供の頃の記憶から、繁華街で、父親の大きな影響下で、負けん気が強い遊び好きの 生意気な子供だった。今だ続いているが・・ 当時、家庭内で多くの問題があり、母親が倒れてしまい、住居が商業ビル3Fから、 歩いて7分ほどの駅裏に移転していた。その辺りから、やっと学業に目覚め始めてきた。生活環境は本当に大事である。 ・・・・・・ 2012年08月31日(金 4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている * 恐ろしい近未来 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ出したが、もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた 記事と同じ内容。しかし、政府発表となれば違ってくる。大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。これは太平洋沿岸沿いには 住めないということになる。その地区の住宅地や商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 当事者は、 まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期で大地震と大津波が起こっている痕跡があるという。 活断層が不自然に捩れていて、何らか次の大地震が起きる可能性が大きい。決して非現実的予測ではない。 これに関東直下型地震の可能性がある。更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。いや、すでに起きている? これでは、夢も希望も持てやしない。この数年来、大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。 これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。 金の卵で、会社は選び放題。私の同期の男たちは、殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。時代は大きく変わった。 * 田中真紀子が民主党党首に立候補 ? 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様が民主党党首の候補の可能性が出てきたという。。 思わず失笑したが、それほど民主党は困っているということになる。 あの外相時の相応しくない姿を忘れてしまったのか。 あの人物から誠意の何も感じられない。一国を束ねる力量があるとは到底思えない。何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。 あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。 まあ国が衰えると、こうなる。 政治は、何でもありである。床屋レベルの政治談義 からみると、この世界的危機の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ交代による政治変動は非常に興味をそそられる。 なるほど2012年問題は、危ない要素に満ちている。安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。 面白いが、どうだろう? それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東直下型地震。それと世界恐慌の可能性がある。 20世紀前半に世界恐慌を挟んで二つの世界大戦があった。このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。 それより大きな変動が、始まってしまった。 これから壮大なシネマのような世界が展開される。 ・・・・・・ 3810, 世の中の商売、すべからく代理・代行 2011年08月31日(水) 旅行代理店、保険代理店、会計事務所などのサービス業があるが、すべからく世の多くは代理サービスの変形である。 家電商品も、その多くの製品は代理システム品である。洗濯機、電気炊飯器、扇風機、暖房機も、人間の労働の代理品である。 20年前に、「一世代前の人が、現在の生活をするには200人の従者を必要とする」と聞いたことがあった。現在では、 数万人でも無理だろう。 車は馬車の代行であり、カメラは専属カメラマンの代行。 夕食の宅配は、主婦の仕事の一部代行である。 旅行代理店のパック・ツアー。その大ファンにとって、その恩恵は大きい。アフリカのタンザニアや、ケニアのヌーの河渡りなど、 素人では絶対に無理だが、ツアーに参加すれば誰にでも気楽にいける。スナックや、居酒屋も家庭内で満たされない料理や、お愛想、 色気などの代行である。 この事業整理の一連も、弁護士事務所が会社が300万プラス個人が50万、合計350万で、一括業務?委託。 一連の委託契約をすると、全ては弁護士の管理下に入り、良くいえば債権者から守られる。 逆に、一切の社会的信用はゼロ、 前科者に近い後ろ指、陰口の絶好の対象になる。 また、最近通いだしたスポーツジムも、各種のエアロビがあり、運動の指導を パッケージにしてある。それに従っていれば体質改善が合理的に出来る。 その指導を多くの会員を集めることで、パックにして、 場の提供をしている。 これも各自で行っていた個別運動のパッケージ化になる。 ところで、これまでの蔵書、ベストの100〜200冊をデジタル化して、iPadに気楽に入れられたら、よいだろうにと思っていたら、 一万冊を入力してiPadに入れて持ち歩いているという人の本があった。それは面倒と思っていたら、一冊100円で入力をしてくれる サービスがあった。とりあえず、100冊を?と考えているが・・。 また、アマゾンに注文した本を、そのまま業者に本が直送し、 スキャンしてくれるサービス業者もあるという。デジタル本が、まだまだ普及してない中、これは良い代行システムになる。 情報化とデジタル化の時代、代理・代行システムは重要なキーワードになる。 それにしても、面白い時代になったもの。 各種代理システムをiPadを端末として、如何に使いこなせるかが、これからのポイントのようだ。 ・・・・・・・ 2010年08月31日(火) 3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2 *初めての21歳の欧州旅行 ー1 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、それに当たるからである。 ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。 当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。 モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。 それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が巻き付いていた。 生まれてこのかたヒレステーキなど、食べたことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。 次に初めての海外に降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と緑の中に街がある御伽の 国に思えた世界があった。人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、 違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、 北欧人を目の当たりにするのだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を 正常に保つだけで精一杯であった。 当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。 だから、出発前から気持ちが高揚していた。 ・・・・・・・・ 3070, 衆院選挙の結果をみる 2009年08月31日(月) 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。週刊誌では週間朝日の最終予測の307が一票差で、 完璧に近い予測。森元総理が落選するかどうかに注目をしていたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選した。 今回の特徴は元総理など多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の要請である。 色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果のオウンゴール(自滅点)。 民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では殆ど自民党を支持する人はいなかった。 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散のタイミングを何回も逸し、自民党を粉々に崩壊させたことになる。 もう二度と元の自民党に戻ることはない。 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく 舵を切ることになった。当然といえば当然の流れである。自民党も振りかえると決してマイナスだけではない。 プラスの面も多かったが一度、旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。 それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 これで経済に続いて政治も動乱に入った。 面白くなったと他人事のように言っていられないのが、現在の日本の危機状態である。 幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 元もとは布教活動の宣伝活動だったのか? 我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。 次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。検察のゴミ掃除をどうするかだ。 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。 ・・・・・・・・・ 2008年08月31日(日) 2705, 酒の話 ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。しかし楽しい酒はこれまた格別よい。致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、 酒は日常の制約や退屈さから解放をしてくれる。「酒はモラルの休暇」とは、よく言ったもの。世界の人たちは酒の少々の失敗は認めてくれる。 歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する祭りや行事があり、その日のことは、大目にみられてきた。 ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思ってもいない浮気や、失態も起こる。 「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いはベラベラと話してしまう」ことが、酒の一番の欠点だろう。 そういう不節制にも教育的?価値もあるという。 少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。 あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 下戸の人は、酒を飲んで大騒ぎをしている高揚した楽しさ、 至福を知らないまま生涯を終えるのである。 普段の生活の中に自分を解放する夕時の一時の時間として一般的には、どの世界もアルコールは 日常の生活に入りこんでいる。どの街にも飲み屋街が繁華街にあり、多くの人が頻繁に出入りする。スペインにはバールが何処にいってもある。 値段の安い西欧居酒屋である。 そこには、誰もかしこも入り浸っている。 長い歴史の中で、出来上がった庶民の娯楽施設だが、そこで家族や友人同士が夜遅くまで話し合っている。 カフェテラスのように店の前にも席があって、多くの人が親しそうに話しをしているのを見ると、奇異な感じがする。 バイロンは「理性があるからこそ、人は酔わねばならない。人生で最高のものは、けだし酩酊なり」と、いっている。 酒に十の徳あり(酒には十種の長所がある)という。 百薬の長、 寿命を延ばす、 旅行に食あり、 寒気に衣あり、 推参に便あり、 憂いを払う玉ぼうき、 位なくして貴人に交わる、 労を助く、万人和合す、 独居の友となる。 酒は、つらい日々ほど、その時間だけは美味い酒で楽しい最高の気分になれる。 辛い日々の酒こそ、美味い味わいが残る。 一時的に天下を取ったような気分に慣れるのである。 達成感など実際の喜びを感じるには長い年月と、汗と涙が必要となる。 しかし、酒は酔いという作用で、その喜びを与えてくれるのである。 だから、恐ろしいのである。 まあ、よくぞ、これだけ、酒で失態をしたものだ。 しかし、その時々に本当に美味い酒を飲んできた。 これが、もしかしたら、人生で一番の価値あることだったかもしれない。 たまには大騒ぎをするのも良いじゃないですか、 ということだが、「御前の場合は、それさえなければ、な〜」と何度言われたことか。 そして自戒しとことか! でも、私から、それを取ったら毒の無い河豚みたいなもの。 棘の無いバラ、それともノンアルコールのビール? (以下、字数の関係でカット11年8月31日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月31日(金) 2341, 「私」とは何か? 〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 「狂人三歩手前」−中島 義道 (著) −読書日記 ー「私」とは何か?ー 「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。 成る程と合点がいったが・・・ 常に考える時、「私」は何々・・・と一日、数百回も自問自答しているのに、 その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それをキチッと知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。 ある哲学書で「私」についての説明があった。 {「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた主観が 「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようでもう一つ理解できないモヤモヤが残っていた。 過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある「いま・ここ」の主観は、 まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を噛み砕いて解りやすく説明をしている。 −p.86 「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた 独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか?そこに独特の感じがするから?だが、なぜその独特の感じが 「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の 独特の作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。「私」とは知覚しているときに、 同時にそこに感じられるものではないか?いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。 そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。 そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な 発光点のようなものであるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。 ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。 「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、 現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。「私」は、過去と現在との関係において登場してくる のだから、現在の世界を隈なく探しても見いだせないのは当然である。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。 現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて「私」は身を現わすのである。 ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。 夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。 「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。 まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を見ていたことになるのである。 夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、 ぼんやりもの思いに耽っている時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は〜していた」と語れる限り、 その時「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。 ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。 私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。 ーーー 夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。じゃあ、夢の中で私は何々、云々と いっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない 純粋何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何かを考えていた! ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、また夜半にリアルな夢をみた グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・・ 2006年08月31日(木) 1976, 充実した人生 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ 時差ぼけだ〜
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2013年08月30日(金)
学生時代に、守屋 洋著『六韜三略』と海音寺潮五郎著『孫子』を読んだ時の面白さと驚きは今でも憶えている。 純朴で、欲と欲の争いに立たされる前の学生時代に読んでいたため、社会に出てからの丁度良い手引き書になっていた。 この思想を通して人間をみると、その心底が透き通って見えるようで、世俗が幼稚に思えてくる。 ー当時の感想はー 《人間は欲で動いているが、それを隠して綺麗ごとを並びたてる社会的動物。それを前提に一切を無にして諸現象を一度、 疑ってみること。そして冷静に本質を捉えること。利害対立の場に立った場合は、よりシリアスに徹すべし》ということ。 そう割り切ると、誠意の外面の奧に隠された心底が手に取るように見て取れた。 これに学生時代のゼミの(現象の) 事例研究が叩き込まれていれば、アウトサイダーになるのは自然の流れ。人生に戦略的である必要性を、この書で実感。 人生への鳥瞰の視線でもある。 ーネットで、『六韜三略』を検索するとー 《「六韜」は文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の六篇からなることによる。「韜」は弓袋( 秘訣)。「略」は機略の意味。 「三略」は、上略、中略、下略の三篇からなることによる。 二つとも「太公望の兵法」であるから、主張を統一して 判断すべしというスタンス。もう一 つは内容である。 『六韜』が兵法のうち戦略・謀略を担っているのに対し、 『三略』が 政治思想、軍事思想を担っている。『三略』はリーダーの書、『六韜』はマネージャー の書 ... 》 《 劉邦の軍師となって漢の国の柱石となる張良が、若い頃、行きずりの老人から「明朝5時、ここに来い」と命じられた。 言われたとおりその場所に行くと老人はもう来ていて、「年寄りを待たせおって。また明日だ」と言って去った。 翌朝、今度は3時に行ってみると、また老人は待っていて「まだまだだ」と同じように去る。張良は意地になって 「今度は絶対に待たせない」と徹夜して老人を待った。すると老人はニコニコと笑って六冊の書物を渡し、 「よく勉強して世のためになれ」と肩を叩いた。『六韜』は「虎」「竜」を始めとした六巻の兵法書で、「虎の巻」の語源。 『三略』は、前・中・後の三巻からなる兵法書で、『六韜三略』は中国はもちろん日本の戦国大名の兵法書としても親しまれた。》 《 中国の兵書、六韜と三略の2書。前者は太公望呂尚、後者は黄石公の撰述と伝え、併称して韜略の書という。 いずれも後世の偽書であるが、宋代、『武経七書』のうちに組み入れられ、中国古兵法の教科書として広く読まれてきた。 ・六韜は周の文王・武王の問いに対し、呂尚が経世済民の術、富国強兵の策を説くもの 》 ▼ これを参考に黙して対処したら、これほど難しい相手はいない・・ この書を通すと、面白いように物事が透けてくる。 心静かに、これを読み続ければ、その中の原理原則が己を導いてくれる・・ 学生時代に、この二書を読んでいたので、 いざこざの真只中で、対峙した人の言葉を一度、突き放し、疑い、静かに自問自答する余裕が出来ていた。 問題は、その都度「正中心一点無の心境で道理は何かを考える」しか解決は出来ない。 ・・・・・・ 4174, 閑話小題 ー電機メーカーの苦境 2012年08月30日(木) * 電機メーカーの苦境 日本の電機各社が苦境に陥っていると、マスコミを騒ぎ出している。この原因が、あのエコポイント。電機メーカーにとって、 神風になり大きな利益を確保したが、その間に韓国などのメーカーが主力商品に力をつけ日本が太刀打ち出来なくなっていた。 数年前まで、薄型TVで勝ち組だったシャープが死に体で倒産の危機になり、同じく恩恵を受けたソニーとパナソニック、東芝、 日立の各社が数千億の赤字というから尋常ではない。世界に名立たる日本のブランドが、今や苦境に立っている。 耳を疑うが、 これが現実である。 現在、同じことが自動車で行われている。 どうしたというのだろうか。 中小企業救済法も今となれば、 良かったのか悪かったのか? しかし、産業の不振は日本に限ったことでない世界的な流れ。 スマートフォンとタブレットPC、 この中に、電話、テレビ、パソコン、デジカメ、ビデオ、全ての機能が入って同じ位の値段なら電子機器が売れなくなるのは当然。 日本のメーカーが、専用機種に目を奪われている間に、マックや韓国メーカーが、ここに集中していたのである。日本のメーカーは 決定的なミスを犯してしまった。10年前、5年前なら考えられない事態が、目の前に起こっている。 グローバル化は恐ろしい。 * 地元経済は、ますます悪化 先日、3ヶ月ぶりに自宅に送付されてきた一連の書類を持って弁護事務所に行き弁護士と30分位、世情話になった。 中越地区の景気状況は、来春の「中小企業特別救済立法」の打ち切りに向けての動きが顕著になっており、その上に刈羽原発の 休止にともない関連の5千人の従業者のうち3千人が、この秋に整理される。更に小千谷にある大手の工場も雲行きが怪しい。 それらから景気は一段と悪化しているという。一線から退くと生の情報は殆んど入ってこなくなる。必要がないからもあるが。 この9月から12月にかけて、リーマンショック並みの一大イベントが発生する可能性が大と見ているが、その前兆の波か、 それとも思い過しなのか? 景気は一段と悪化の道をたどっているようだ。 ・・・・・・ 3809, つれづれに 2011年08月30日(火) ▼ 収まる所に収まった民主党党首 最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙だった。しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、 どちらが相応しいかはTV画面が正直に語っている。 しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測されたが、党員も、 その歴然とした差に、野田に雪崩をうっていったようだ(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが勝因ともいうが)。 たまたま投票直前にTVを入れたら、野田が演説をしていた。朴訥とした中に人を惹きつける感情のこもった内容に引き込まれてしまった。 その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎたこともあり、一人光っていた。 【 二年前に政権についたが、国民からみて期待はずれの結果しか出せなかった。次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、 この国難とマニフェストを達成しなくてはならない。大震災の国難を乗り切るためには、野党との大連合を考え、かつ党内融和も必要。 また赤字の国家財政と、大震災を乗り切るためには増税もやむをえない。】 この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党も含めて、これをいうと世論受けしないとか何とかの ジレンマに陥っていた。 小泉も含めて、この数代の首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。菅首相の直後では、 やりやすいだろうが、この日本の政治と経済の惨状下では、それもどうか?。 まさか、海江田とか、あれ、ではね。 これで当分は、 少しは政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。 ▼ あれから5ヶ月 あれから5ヶ月になる。 事業期間三十年のうち、初めの10年が登り。 次の10年間はバブル崩壊の日本経済の混乱の最中、 逆に積極策に出て客室を増やした(これが、今回の倒産の間接原因になる)。 最後の10年の始まりが9・11で、二度の中越大地震、 三年前のリーマンショックの直撃、とどめが半年前の東北大地震。 その中で一番の打撃が、リーマンショックであった。 この影響は、まだまだ序盤で本格的津波=大恐慌は、この秋口からアメリカから世界、そして日本に吹き荒れること必定。 この二十年、日本の政治は混乱を極め国家の態をなさないほど疲弊してしまった。それと比例して、この今回の倒産である。 事業がビジネスホテル。ネットなどの情報化と、長期不況による新幹線日帰り二時間圏と、客室在庫の過剰もあり、その対応不能に陥り、 この結果である。 逆に、ここまで次々の大波で悪化すると諦めがつくもの。後悔とか未練は少なくなる。 事業として荒波に飲み込まれたと同時に、業態の老衰ということもある。 しかし全体として、面白い経験をさせて貰ったと感謝している。 それにしても、日本経済、どうなるのだろう。 この三年間は大暴風雨になる。 特に地方経済は、来るところまで来ているから、なお。 ・・・・・・・・ 3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1 2010年08月30日(月) * 海外旅行に見せられて これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。 その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。 人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。 そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた 自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。 まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。 旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。 秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。 その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、 あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここまでノメリ込んだのだろう。 その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。 「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。 ・・・・・・・ 3069,新インフルエンザの恐怖 2009年08月30日(日) 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。 どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。 先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との 違いを説明をしていた。その内容とは、 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ呼吸などが困難になる。 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。 (次数制限のためカット 2011年8月30日) ・・・・・・・・・ 2704、共同幻想を抱いていただけ? 2008年08月30日(土) 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。 一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。そして右肩上がり人間圏の拡大が共同幻想だったことを、 人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、 これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。 これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在とか、 人間の命は地球より重いとか、民主主義とか、市場主義経済とか、自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。 21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と 認識されたときである。 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、 情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という面では 理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。 それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》 そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー 共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。 吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。 ▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。 ▼ 対幻想 = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。 ▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。 この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事であると吉本は主張する。 これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。 例えば、吉本は心理学者のフロイトはリビドーと言う対幻想性を、社会領域まで 無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。外弁慶、内弁慶という言葉があるように、 冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、逆に職場では物静かな男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなど ということは、充分ありえる。吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張する。 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、 労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 〜〜〜 以上だが、 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。 地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしかないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、 その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。 地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、 「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに 見える宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。 一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。 ・・・・・・・・・・ 2007年08月30日(木) 2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢 -v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○o。(-v-★) これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。毎朝書いているモーニング・ページに夜半にみた夢を書いているが、殆ど忘れている。 それでも、五日に一度位は大筋は書いているだろうか。夢から醒めた直後は忘れないように反駁をしているが、しかし殆どは反駁した ことだけしか憶えていない。ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。夢見た直後に、リアルに、詳細に書けば、 読んでいても面白いだろうから、あえて書き出してみる。 まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。 私の潜在意識の公開である! ▼ 近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。家の向かって右の方に、子供のための遊び場がつくってある。 そこで主人らしき人が手作りで何かを作っている。 声をかけると、中に入ってもよいという。 そこに入っていくと右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。 その中に子山羊がいたり、子供の遊び場があり、 遊び道具が入っている。その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。 家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で手作りで作ったという。 そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤックを持ってきて新潟の阿賀野川の河口で大水の中、二時間ぐらい遊んだことがある、 と言うと、急に打ち解けてくる。そして、居間に案内をする。そこには、彼の友人が4〜5人遊びに来ていた。 毎週のように週末は仲間が集まるという。そこで奥の方の部屋に行き、そこで松尾さんと話をする。薄っすらとした髭をはやした 五十歳位の人で、自由業のようだ。名刺をだそうとしたが、出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。 急に睡魔が押し寄せてきたが、そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。 その松尾さんに、「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、会計事務所の先生とか」というと、その通りだと答える。 そうじゃなければ、このような好きなことを好きなまま、できないはず。ところが、この夢には次の場面がある。翌日、何と家内を連れて、 その松尾さんの家に行ったのだ。そして家内は松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。二人で世間話を始める。 まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っているうちに帰ることになった。ところが、何か騒がしいので行ってみると、 この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、そのお参りに近所の人が来ていたのだ。 そこで私も、仏壇の前でお参りをする。 身寄りではないが、お手伝いとして面倒を見ていた人という。 聞いていて涙が出てくる。その後、一人で自宅の前に帰ってくると、 宅配の人が玄関口にいる。その前に宅配の人がきていたようで、不在の紙がある。そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。 二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。庭から部屋の中を見るとまだ高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。 何か不思議な、リアルな夢である。心象風景ということか? 他人の夢を垣間見るのも面白い? というより、珍しいか!私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである ネムイ! ・・・・・・・・・ 2006年08月30日(水) 1975, 写真家はインドをめざす \(^▽^*)おは! ー読書日記 (字数の関係でカット09年08月30日)
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2013年08月29日(木)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 2050年までを見通すことで現在を理解できる 何気なく図書館の返却コーナーで手にとった本だが、英『エコノミスト』誌の各ジャーナリストが20の分野で予測している。 これが面白いが限界も見て取れる。この激動の時代に、40年先の予測など所詮は無理な分野もあるが、人口の趨勢など 予測可能な分野もある。だから面白い。5〜10年先を予測したければ、40年先を考えてみればよい。それにしても面白い。 ーアマゾンの内容説明ー 〈 2050年日本のGNPは韓国の半分になる。グローバルな一流誌英エコノミスト誌が、 総力をあげ、科学、政治、人口、経済、女性、などの20の分野で2050年までの世界を予想 〉 まずは‘はじめにー「2050年までを見通すことで現在を理解できる」’の冒頭より ≪ 世界人口が10億人になったのは、18OO年ごろのことだが、それまでに人類は、20数万年の歳月を費やしている。 ところが、 60億人から2011年の70億人に違するまで要した時間はわずか10数年。このような変化に驚くほどの速さで 展開する大規模な変化は―メガチェンジーと呼ぷにふさわしいものだ。じっさい、わたしたちはメガチェンジに囲まれている。 技術は信じられないほどのスピードで拡散しており、ネットや携帯電話の進歩は言うに及ばず、現在では、コンピューターから 大量の情報を入手したり、フェイスプックやツイッターなどのソーシャル・ネットワークを通じて、大量情報を受信したり、 発信することが可能である。また、世界経済は私たちの目の前で着々とアジアへ重心を移している。このような変化はどれも、 人々の生活と、企業の戦略と、国家の政策と、地球の将来展望に深遠な影響を与える。 ー本書は2の重要な目的を持っているー ☆ 第一の目的は、人々の健康から財産まで、あらゆる側面から世界を変革するトレンドを特定しで探求することだ。 本書では、身の周りの話題をひとつひとつ論じてみたい。この手法を採用すれば、わたしたちは、ヘリコプターから地上を 見下ろすように、はっきりとした俯瞰図を掌握することができるだろう。 ☆ 第二の目的は、第一の目的で確認したトレンドによって、2050年の世界がどのように形作られるかを予測することだ。 一見すると、これは非常識なほど大きな野望かもしれない。ダン・ガードナーが自著「専門家の予測はサルにも劣る」で論じた、 人類の歴史には百パーセントデタラメな予言がちらべられている。1914年、英国人ジャーナリストのブレールスフォードは、 「近代国家間の国境の線引きが最終決定されたことは、政治的にはこれ以上ないというほど確実である。私見を述べると、今後、 既存の六大国間で戦争は勃発しないだろう」と記した。第一次世界大戦が始まったのはその直後。米国経済学者のフィッシヤーが、 「わたしの予想では、これから数カ月の間に株式市場は大幅に上昇する」と予言したのも、1929年の株価大暴落が起きる1週間前。 果たして人間が未来を知ることは可能なのか? あすの天気を予想するのさえ難かしいのに40年後の世界をどうして描き出せるのか? おそらくこの四十年のあいだに、わたしたちはブラック・スワンの詳れを絶えず目撃させられるはずだとはいえ、未来を予測して みる価値はある。奇妙だが、2050年を予測することは、来週や来年を予想することよりも簡単。実際、ナシム・タレブも 一世代以上先の予測を好んでいる。 長い年月で「今日において脆弱なものが壊れて消える」からだ。》 ▼ 次回から、めぼしい部分を抜粋しながら考えてみる。40年前といえば、文化大革命が終盤を迎えていた頃。 そこで、現在の中国を予測できただろうか? その十数年後にソ連の崩壊、東欧の共産圏の消滅。日本のバブルと崩壊。 その10年後の9・11テロ、7年後のリーマンショック、その3年後の東北大震災。それより、世界中の人々が形態パソコンを持ち、 ネットで繋がるとは誰が予測できただろうか。40年後に私は存在していなくとも、どんな時代か考えるだけで面白い! ・・・・・・ 4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2 2012年08月29日(水) * 二つの違った未来観 ! 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著 ー 西洋と東洋の認知の違いはなくなるか ー フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違いである。20世紀に入ってから、哲学が、 決して西洋が文明的に優れているのではないという構造主義の考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、 そして、地球環境も同時に見ていかなければならない時代になってきている。3・11震災がもたらした原発事故が、 それを我々に突きつけた。この対立は、避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。 ー まずは、その部分から ≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で戦わされている。 ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、世界の政治経済システムが一極に収束し、それに伴って 価値も一極化していくことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続くことを予測するものである。 フクヤマは著書『歴史の終わり』のなかで、資本主義と民主主義が勝利をおさめた今、面白い出来事を生み出すような 切迫した力はもはや存在しないと述べている。片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を 続けると予測している。社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく異なり、ハンチントンは世界がまさに『文明の衝突』を 迎えようとしていると断言する。東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団における価値観や世界観の違いは調整不可能であり、 したがって対立は避けられない。「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を信じる西洋人たちの 信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだということ、道徳に反するということ、そして危険だということである」 言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、人の心の中はどこへ行っても同じだろう。 逆に、文明の衝突が避けられないならば、思考の習慣は多極化を続けるだろう。 ・・・・ フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。アメリカ人は、誰もが根はアメリカ人か、 そうでなければ、これからアメリカ人になると思っている。・・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、 ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を聴いて、アメリカ映画とTVを見ている。 逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に同化しつつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想に もとずく幻想である。社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは政治的な対立よりむしろ、 文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫ ▼ 「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見えてくる。和魂洋才という言葉が、それを あらわしている。情報化の進展で世界がグローバル化された現在、決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべきである。 これは日本だけでない。トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。矛盾があっても乗り越えてである。 いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界がネットで情報が共有された現実がある。それゆえの混乱は激しくなるのは当然。 ・・・・・・ 3808, 哲学人 ー⑧ 2011年08月29日(月) ● 社会主義〜 妄想的理想社会への逃避 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を見抜いていたつもりだった。 経済も社会も、国家単位の計画で成立するはずがない。「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で進化する。 その歪を国家がコントロールすべきで、役人がたてた計画経済で、ことが上手く進むなどありえない」という単純な考えから 抜け出れなかったのが本当だったが。 ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響をうけたと述べている。 人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に「資本論」を上げている。 しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったとも、述べている。 【 * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー 二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、二週間は朝も昼も晩もひたすら『資本論』を 読みつづけた。じっくりと読み進め、書いてある内容について考えたくなったら、いつでも本を置いて好きなだけ黙想し、散歩を しながら重要な一節について思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いをめぐらせたりする。 そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。プラトンの『対話編』、 『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの『純粋理性批判』、ショーペンハウワーの『意志と表象としての世界』、 『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、アインシュタインの『一般相対性理論』ぐらいだろう。 こういった本が私を変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された考え方をするほど夢中になったということであり、 もし読んでいなかったとしたら、いまのような人間になっていたとは思えないということである。誰であれ、そんなふうに言える本は めったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、で同じことがあてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、 作曲家は七、八人といったところだろう。もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の考え方や人格にじわじわと 影響を及ぽし、自覚できる変化を自我に生じさせた張本人と特定できる作家は、少数である。 ここに挙げた書物の半分は ドイツ語圏の作家によるものだが、この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、時代も同じであるという事実を加えても いいのは、私の精神生活がどんなものであるかを示唆している。『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の歴史である。 にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れていったけれども、 けっして消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には不変の価値があると思っている。 彼は偉大な作家であり、大人物でもある。その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところがあるとしても、である。 『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、 読まないための口実としか思えない。『資本論』は名著である。 世界史上、指折りの影響力をもつ書物であるのは確かである。 】 ▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想であって、現実にはそぐわないことを立証した 結果になった。そこに起こったのは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、国家経済の疲弊である。 熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の餓死などの犠牲者を出し証明された。まだ残存は残っているが。 ・・・・・・・ 3443, 最近の昼飯事情 2010年08月29日(日) * まさか昼飯がパン食になるとは! 最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーで買ってくるパン食に切かえた。 時どき弁当もあるが、どうも冷えた弁当は部屋で 食べるにはそぐわない。レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなものでパセリと海老か、唐揚げを包んだものが ラップに巻かれている。若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。 以前は、他にカレーパンなど二個だったが 現在では一個にバナナ。この歳になると、味は美味しく、サッパリして、腹に持たないものを求める。とすると女性向きにつくられた ものが丁度良い。30年近くのランチャーも卒業で、お部屋でヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にあるスーパーの弁当コーナーを見ると、300円弱から400円辺りが中心プライス。月に3〜4回は買うが、何かイマイチ。 駅のベーカリーにイートインのコーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと競合しているが、 殆どが女性客。早い時間から客席は半数以上は埋まっている。最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。 最近、ほぼ同じものが地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元のベーカリーチェーンを買収して、 自社店舗内に出店している。土日のどちらか一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを飲むのが楽しみの一つ
。 昼にパン食に切り替えてから体重が1〜2キロほど痩せたが、これで20歳半ばの体重に戻った。歳相応になったということか。 それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。 ・・・・・・・・ 3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると! 2009年08月29日(土) 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。 サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナを掴むと手が抜けない。そこを捕獲するという逸話がある (本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。 翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。 * 民主党の大勝に意味すること 《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民の失意の結果。 (字数制限のためカット 2011年8月29日) ・・・・・・・・ 2703, 「レンタルの思想」−7 2008年08月29日(金) 地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、生成されたもの。 聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 趣味の究極は石になるというが、 それもまた同じ理由なのかもしれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。 全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。 〜〜 「宗教の隕石学」への挑戦 松井孝典×植島啓司 *聖地の岩石学 松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、みんな石切り場だ」ということです。 植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。 松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。 植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して出会ったものは「石」であった。 エルサレムの黄金のドームは「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。 聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 ストーンサークル(環状列石)、 岩石刻文の宝庫であり、 パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、エジプトの ピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。 植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、なぜ石なのか、石には何か特殊の 力があったのか。・・・ 古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。 ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。 石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・ 松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、巨大隕石の衝突と地球史・生命史を 結びつける考え方は、科学では退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在や 考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあったかもしれない。 松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が報告されているが、これが人間が少ない時に 大空から大音響とともに火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。 ▼ 解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。 私も多くの聖地を見てきたが、全てが石組みであった。 古代は大創造物は石しかないのだから、何も不思議ではないじゃないか、という見方も出来るが。 隕石に不思議な成分が 含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があったのかもしれない。現代の人類が、その暗号に気づかないだけかも。 隕石に不思議な波長を、特殊能力のある人は、感じ取っていたのだろう。空から轟音とともに石が降ってくれば、神からの贈物と 思うのも不思議ではないが。「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を持ち、庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。 一昨日も、兄の庭にあった石灯籠を一つ引き取った。一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、この庭に惹かれるようになった。 石と木と花と緑のバランスが良いが、実は特徴は背景の石だったということだ。 ・・・・・・・・ 2007年08月29日(水) 2339, 意志について ・ω・)ノはよー 「狂人三歩手前」 ー中島義道著 −哲学などしないようにー 哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。 哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。 意志についても哲学者は、その言葉に含まれている前提を見逃さない。 (字数の関係でカット08年8月29日) ・・・・・・・・ 2006年08月29日(火) 1974, 東京駅の一瞬の出来事! Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・時差ぼけ! ケニア旅行の帰路、最終の新幹線に間に合わないので日暮里に泊まった。翌朝、東京駅の新幹線改札口の近くに行ったところ、 突如顔色を変えた黒服の背広の10人位が走ってきて通行をストップした。一瞬、テロ爆弾の予告電話が入り閉鎖を始めたのかと思った。 しかし、その直後冷静にみると何か違う。黒服の男達は改札口の両側にロープを張って、その中に人を入れないようにしている。 「はは~、超ビップの新幹線の乗り込みのための警戒のための何か?」と直感。 逃げかけた家内を呼び止め「超ビッグのための警戒。 (字数制限のためカット 2011年8月29日) ・・・・・・・ 2005年08月29日(月) 1609, 愛とは何か −1
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| 4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ |
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2013年08月28日(水)
* 秘異境ツアーからのフラッシュ 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。アメリカのTVドラマ『LOST』で、 陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。 秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、それを解釈をしている余裕がない。 それが長い年月を経て、フラッシュとして記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。 還暦を過ぎた頃から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに旅行をしてきて、 旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように行先の何処かが放映されていて、 それを録画で夕食時に見ているが、そこで多くの記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。 出来る時に、出来ることが出来たことに感謝している。 『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。 * 消費税の増税の是非 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。それに2%のインフレターゲットとすれば、 年金生活者などの低所得者に大きな負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。 しかし現在の財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、上げないも地獄なら上げるしかない。 現在の年金の収入では、月に10万円持ち出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。 当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠されて、2年間も空家状態。 で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、 それでも充分に使える。家の中は要らない物のゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。 で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。 今の日本では改革の断行は無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる! ・・・・・・ 4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 2012年08月28日(火) * 認知科学者は間違っていた? 「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著 最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。 人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、 真実は違う」のである。 真実と思っていても、思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が 変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。「ものごとを知覚したり、推論するために用いている 道具は同じである。論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが 間違っていたとしたら、認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 ー以下の部分は、その部分ー ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ) 単純な規則によって理解可能である」との 前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。 なぜなら、分類することによって、 今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を 適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなかで捉える。 アジア人にとって、世界は 西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。 形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。 私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は間違っていたことになる。 つまり、「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」のだ。 人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれとは言わなかったが、実は思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。 第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。言い換えれば、人は自らの世界観に 合致した方法で世界を認知するということである。 注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常に よく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、 アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることや、「出来事は極めて複雑なもので、その生起には 多くの要因が関係している」と信じていることと合致している。これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる 傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫ ▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの 独立性を重んじる傾向があるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。」ことより、 「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。 また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然である。それと、好き嫌いという感情で違ってくる。 「世界についての考え方は根本的にひとつである」大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。争いは永遠に続くことになる。 ・・・・・・ 3807, iPadを買った ー2 2011年08月28日(日) iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど「閲覧用と割り切って使う」のと「ゲーム」に適している。 ゲームやアプリを取り入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」になる。これまでのPCを固定電話に喩えると、 これは携帯電話、それもモバイル携帯に一挙に進化したもの。もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。 モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが大型化しただけ?と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。 まずよいのは画面を横にスクロールすると、ページが次々と切り替わる。 これがアイコンの分類に非常によい。 一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。二ページ目には、気に入ったブログ。三ページ目には、ダウンロードしたソフト。 4ページ目は、ゲーム等々に分けることができる。これが使う立場からすると扱い易い。そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに 溜め込むことができる。 現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに繋がる時間が圧倒的に増える。 ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。 パソコンのある机に縛られていたのが、 そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話から人々を解放したと同じで、一度開放されたものは元に戻ることはない。 その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、キーボードで操作であった。しかし、これは直感的に画面上の タッチ操作になっている。iPhoneと、どこが違うかのか? というと、まず画面の大きさである。手帳とノートの差といえば、 分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。 iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。これは電子ノートパソコンであり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。 週刊誌や新聞も、あと数年もしないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtubeがワンタッチで直にみれる。 こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が移動していくことになる。ということは、情報が、圧倒的に個人間で増加していく。 年内は、私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白いものが出てきた。これにツイッターの映像公開となり、 これにネットTVときたからには、政治も、経済も、一般消費者の変化に対応出来なって当然だろう。ネット世界が我われを覆ってきた。 ・・・・・・・ 3442, 我が家に新しいTVが −3 2010年08月28日(土) 新しいTVに切り替えて二週間になる。 画面の鮮明さは説明するのが難しいほど。時間が経過しても驚きは消えない。 ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。 剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。 その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、ほぼ見なくなった。 マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。それと対象をリアルに変えてしまうのである。 米国の本格的な映画も、これまでと違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、やはり大したしろもの。 現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、より鮮明になるという領域に入ってしまった。 これに3Dの立体化された映像が加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地に 実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。(現に、ある領域では達しているが) その一端を垣間見ているのである。 実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはずはないが、 視覚・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、これが入ると 本来の多くの機能が加わる。それが凄いようだ。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを26時間録画したり・・) 高機能TVというより、未来の先取りのTVという感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。 しかし自分が行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、そこに深く浸かることが可能になった。 面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、画面を修正する「おまかせ」がある。 テレビは、それぞれの家庭の居間で毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、そのシェアが即、会社の力を あらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。 ・・・・・・・・ 3067,私の世界からみえた衆院選の予測 2009年08月28日(金) 私の世界から垣間見た、この衆院選挙の直感的予測は、民主ー325 自民ー95である。飲み会、同級会、会社、取引先などで 自民党に同情的な人は皆無という事実からみても、自民党の惨敗は間違いし、80議席以下の可能性もある。 輸出産業関連の大手企業の支配下にあった自民党政権の一番の被害者の地方の中小・零細企業や農水産関連の人たちの怨念は深い。 小泉劇場での郵政民営化の争点だけに国民の目を向けて、旧守派潰しの芝居をつくりあげて大勝をした。 そして、自分も含めた 4人の元総理などの二代目、三代目に政権のタライマワシをして自分たちの権益を守ってきた。日本国家の戦略の布石を試みたが、 実力不足で出来なかった。 最後は麻生の質の悪さの露呈である。 これでは、国民は怒りを通りこし侮蔑の感を持つのは当然のこと。 小泉が薄ら笑いを浮かべて、《私の手法のワンフレーズの 「郵政民営化・自民党を叩き壊す」を、今度は民主党が「政権交代・官僚支配の打破」の切り替えに成功している 》とのたまっていた。 当の本人だから、その辺のことが鮮明に見えるのである。冷静に考えれば、民主党が270議席辺りが政治的に妥当だが、 自民党の4年の醜態を見れば、壊滅的破壊を求めるのは国民感情である。 民主党の鳩山も所詮は鳩山一郎の孫で、同じ穴の狢。 政治家業の老舗の一員でしかない。 手垢のついてない日本のオバマが出る懐の深さがないのが現在の日本の現状。 民主大勝で、日本も遅ばせながら大きく政治が変わる。 あの元首相などの顔が消えるだけで、非常に喜ばしい。 あれこれ考えると、やはり民主ー325でよい。 創価学会などの政治介入を断ち切るためにもである。 その隙をついて怪しげな宗教家業屋が政界進出?だと、ったく! ・・・・・・・ 2702, 閑話小題 2008年08月28日(木) *首都圏の不動産の本格的倒産が始った アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。 一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。先日はアーバンコーポレーションが2500億円、 旧興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーションが600億と、 たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設がおこなわれている。 誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3?5年は最低かかるので、急な景気停滞に 対処できないのが、彼らの宿命である。完成時には、時代が様変わり、というのが現在の経済状態である。 数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の特集をしていた。だいたい仕入れ値が、当初の6割。 2割が経費と利益として、8割の売値が相場。新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。 これが今後5〜10年間つづく大変動の始まりか。 あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。 *星野野球のバッシングが手厳しい (字数制限のためカット 2010年8月28日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月28日(火) 2338, ホッファー −4 (*'▽'*)/☆゜ ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑ ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー 『ー 〜〜 ー は感想』 <たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである> (以下、字数の関係でカット 09年8月28日) ○´・ω・]ノ ヂャァネッ ! ・・・・・・・・・ 2006年08月28日(月) 1973, 三回目のケニヤ旅行 −1 ケニアに行ってきた。 家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。 これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。旅行をしていて気づいたことは、三回で充分。 タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。 といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、バカンスとしては十分に満足できた。 今回のハイライトを印象度から書いてみると ①まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。これは、プロのカメラマンでも、ほぼ見ることが 出来ないもの。これだけでも、今回の元をとってしまったといってよい。(しかし、初日に何枚か撮った写真を 間違えて全て消去してしまった。) 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・ ②マサイ・マラの夕景も良かった。あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は何ともいえない哀愁がある。 そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの帰り道の夕景の小高い丘の光景を思い出した。 一匹取り残された足の折れたヌーが怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。 夕景は死の間近を暗示、 足の折れた姿は病気を、一匹取り残された姿は孤独を、人間の死期を悟った時の心象風景そのものである。 夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色に似ている。死と生は酷似しているのだろう!今回の夕景は近く掲載予定。 ③いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう道路からみる大地講帯の広大な風景である。 それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。 これも見ているだけでも心が洗われる。 ④アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも印象的であった。一匹の象が水を飲んで いるのを後できた象が待機していた。やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、待機をしていた象が 歩き出した姿を見て、帰るのを止めて後ずさりをしてその象を頭で押し返してしまった。さらにその河水飲み場に 糞をして嫌がらせをした。何か人間の浅ましい姿に似ていた。 ⑤サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス、 ディクディク、ゲレヌクなどが印象的であった。前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったがアフリカに来る人は 癒しを求めてやってくる。あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。 今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。
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| 4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの? |
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2013年08月27日(火)
* 小学、中学校の同級会で、どうしてる? 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「柏崎の中学の同級の女子会に初めて出席するけど、会社を興して、 ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはずなのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。 それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに来ないし、最初の30分さえ過ぎれば 『場』が出来るので、それまでの我慢。 早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、 ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」 というので、「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを味わうだけで充分良いもの」と。 地元受験高校から、1・2流?の女子短大を卒業して、実家が取引先の上場メーカーで丸の内勤め二年をした後、結婚先は、 実家同様、お手伝いがいて(10年前までだが)、今だTVドラマと、現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で 地道に生活している人と、この年齢で出席してかみ合う訳がない。で、家内が柏崎から帰ってきて、「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、 が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 来年の出欠を含め、反応が楽しみだ。 * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常 先週の金曜日に上映時間が変わったため見れなかった『エンド・オブ・ウォッチ』を、番外で、昨日の午前に見てくる。 (番外は、年に2〜3回はある) ロス市警のコンビの二人の警官の勤務をリアルに浮かび上がらせている。その手法が、 車の中のビデオカメラと二人の警官が胸に遊び心で付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、 ロス警官の日常勤務の世界に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの一人が悪ふざけでビデオカメラで 撮影している設定をしてあり、その目線も重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。 ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、 5分に一度の割に事件が起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャングの争いをリアルに映し 出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームにビデオカメラを付けたのを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が交差する 物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 Youtubeのようなサイトから、 面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 ・・・・・・ 4171, 閑話小題 ーつれづれに 2012年08月27日(月) * つれづれに このところ尖閣諸島、竹島や北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック状態で、 組みやすいタイミングとみてだ。 しかし日本にとっても、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに丁度良い問題でもある。 関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけてくれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための 目先の意図的な小競り合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、景気は減速。 韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。 極東も不安定状況になってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。 一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を特集していた。スペインの移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブルとか、 アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。 * iPad導入、一年 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。 居間と書斎に卓上型のiMacを置いているが、居間のPCは家内が専ら使っており、そこで私はiPadを使っている。 TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ読みが専らである。 気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。 それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが! ・・・・・・ 3806, 哲学人 ー⑦ 2011年08月27日(土) * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より 【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産を いくつか残してくれた。一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の歴史に関する概略的な知識が残った。 こうした知識は習得に数年間の研究を要するので、当然たいていの人は、いや、かなり高学歴の人でさえもっていない。 物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、 ともかく決まって歴史的な側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった観点から眺める傾向がある。 また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の状況、 その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなどを認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづける ことを踏まえ、‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。いま起きていることには特別な重要性がある、 そう思いこんでいる人が大勢いるようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、かつてのどのいまとも 同じように現在は一時的なものであり、ときに総体としての過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を 問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは 絶えず変化し、各個人の死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、ほかより多少なりとも 絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染みこみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】 ▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という 理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。従って、日本史や、世界史を何度でも 読み返し、自分の置かれた時代を冷静に見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。グーグルアースとは別に。 ・・・・・・・ 3441, 政治談議 2010年08月27日(金) * 小沢一郎が、民主党党首に立候補 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。 この恐慌を乗り越えるには、自民党、民主党という枠を超えた大連合しかない。その断行は待ったなし。 管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来るなど考えられない。 面白いもので、小沢が立候補のニュースをみた直後、近くあった月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」 を手に取ると、週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱が小沢一郎批判をしている文に行き当たった。 田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。 ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に立花隆が朝日新聞に痛烈な批判の文章を取上げていた。 (字数の関係でカット09年8月27) ・・・・・・・・ 3066,ウワサを考えてみる −2 2009年08月27日(木) 「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。 似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」への虐め。 違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。前者は根も葉もないデマだったと後で判明したが、 後者はファジーのままで終焉したこと。「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、心の闇に符号することには更に強くなる。 「悟りとは、平気で死ぬことでなく平気で生きること」というが、うわさなど一々気にしていたら自分の世界を小さくするだけである。 特に地方では小さい世界を更に小さくしてしまうことになり、生き辛くなる。 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ) を商売のネタにしている。逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、 うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが真実と信じられ殺害にまで至る。 今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。人間の心の弱点には「自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を 信じてしまう傾向」がある。それをついたのが新興宗教であり、占い師である。 週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにし、 あらゆる手法を使う。 それを額面どおりに受け止めるのも問題だが。 この選挙のキャンペーンにも、その不安を煽って物語をつくり、 自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、 といえば、その通りだが。 ・・・・・・・・・ 2701, 地球史における革命的事件 2008年08月27日(水) 6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。 この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。 当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。 その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが... その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。 1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての革命的事件の内容を抜粋した。 「地球システムの崩壊」松井孝典著 −読書日記 *地球史における革命的事件 K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。この年代を境に、生物の絶滅が起こっている。 それぞれの地層にふくまれる化石に基づいてその年代が決められる地質年代では、その前後の年代を、白亜紀、第三紀と命名して区分。 それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。 この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。・・・・ カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とする チームが、そのK/丁境界層で、イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする 学説をサイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、地質学の根本原理といわれていた (字数の関係でカット08年8月27日) ・・・・・・・・・ 2007年08月27日(月) 2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮 −1 (字数の関係でカット08年8月27日) ーーーーーーー 2006年08月27日(日) 1972、事業百訓ー1996年(10) (字数の関係でカット08年8月27日)
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2013年08月26日(月)
* 暑さ対策! 居間、寝室では扇風機で冷をとるのが基本。しかし30度を超えるとクーラーを付けるが、今年は、その頻度が多い。 扇風機の場合は、補助として保冷剤の入った首巻きを三つ冷凍庫で冷やし一時間ごとに入れ替える。これが効果がある。 更に先日、寝室用に保冷枕を購入し使い始めたが、これも良い。 冬生まれもあって夏の暑さには特に弱いが、それでも、 いざとなればクーラーがあるという余裕があるから出来るのだろう。 * 業種店が、新規出店? 車で二分ほどの三沢のSCの運動ジムに週五日間通っているが、道路一つ隔てた敷地に2Fの建物の鉄骨が立ち上がってきた。 3〜4ヶ月前に「地元のスポーツ店が、東バイパス出口に出店!」という新聞記事を見ていたので、着工と同時に、これでは?、 と思っていたが、先日に家内から、それが地元スポーツ店と知らされた。地元のスポーツ店も典型的な業種店。自然消滅は 時間の問題と見ていたが、それが新規の出店とは意外! 家内が言うには、「近くに高校や中学が多いので、運動着や スポーツ用品が学校単位の需要があるのでは?」という。 家内の方が、よほど世情に詳しい。 全国チェーン店が捨てた(地元しか手に入らない)インサイダー営業が存在している、ということ? としても、私には疑問が残るのは、私がアウトサイダーのため? それとも、幾つかのSCの重なっている郊外の一等地で、 大手のスポーツチェーンに囲まれ苦戦。その原因が業種店の限界と知らず、スポーツ店の無店地帯の東バイパス地区に移転で 起死回生を図るためなのか?としたら・・ 最悪のケース。 常識的にみれば破滅行為!しかし、街中から移転して20年?近く、 ブランド物に的を絞り、営業では学校関係に地道な営業努力の結果、二店目の出店に至った?と、考えるしかない。 立地センスは最適だが、黒鳥の舞降りる中で、どうなる? 毎日のように、窓から見えているので書いたが・・ 更に最悪のケースは、順調な数字を上げていて、移転でなく拡大としての二店目の場合。恐ろしいのは二店目の甘い計画。 ・・・・・・ 4170, 金正日の料理人 2012年08月26日(日) * 若きドン様の親の敵討ちは残酷! 何気なくTVをみていたら、北朝鮮の金正日の元料理人が出ていた。これが漫画的ドラマ仕立。 その男が、「金正恩に招待され北朝鮮に行ってきた内容」で、金正恩や、そののファミリーと食事をした写真があった。 父・金正日を裏切り逃げ帰った過去全てを水に流してくれた温情深い現在のドン様に感激している、という筋書き。 その日本人は現地に妻と二人の子供を残してきたが、正恩の計らいで残留家族と対面した。ところが、「料理人の長男が、 再会した二週間前の夜半に苦しみだし、両手を三回突き上げ絶叫し、亡くなった」という。心臓発作だった。 『 呼び出しに応じたのを確認したと同時に、長男を毒殺し、家族に会わせて、その事実を知らしめ、今度は長女を殺す、 という脅しをかけ、北朝鮮のメッセンジャーを暗に強要している』のは誰の目にも明らか。 その後、妻と娘を残して帰国し、 TVに出演したのだが、その筋書きをキャスターに指摘されると、「そうであっても、それでよいと思っている」という返事。 北朝鮮に愚弄されている姿が、そのまま出ていたが、陰湿で残酷な仕打ちのドラマ仕立。 リアルで現在進行中のため、 料理人が翻弄されている姿が痛々しい。 独裁国家のドン様を裏切り愚弄すると、このザマになるという残酷ショー。 これは北朝鮮が茶の間に直接日本愚弄のメッセージをしてきたことになる。逆にみれば、この程度の連中でしかない。 マスコミが、この料理人を抹殺するか、パンダとして利用するか、パンダ利用になるのだろう。 現地の家族が本当に存在していたのか、そう持ちかけられたのか、本人の作り上げた物語なのか、色いろの仮説がたつ。 コミック漫画の悲劇か、喜劇か? くさい話だけは確かだが。 ・・・・・・ 3805, 哲学人 ー⑥ 2011年08月26日(金) * 学生時代の恩恵 学生時代の恩恵は、現在でも大いに実感している。 もしも学生時代に一度、頭を粉々にしてなかったらと思うと・・・ マギーは、ここでイギリスのエリート学生の内面を正直に書いている。 哲学と芸術の長い歴史が大学にあり、 そこのプログラムを学生はこなしているのである。都市には、美術館があって歴史的名画を身近に見ることができる上に、 コンサートも子供時代から親から連れて行ってもらっている。 教養のベースが、風土の中に染み付いているのである。 ー「哲学人」ブライアン・マギー著よりー 【 結局、大学が知性という面で私にしてくれたことの中で一番肝心なことは、知的価値が芸術的価値とは独立して存在しているという こと、そして、知的価値に関心を持つように仕向けてくれたことである。 一年目には、理知的で気の合う仲間の中に、他にもまして 知的な価値に傾倒している人がいることを知ってカルチャーショックをうけたことである。彼らとの交流のかなで、そうした価値を 自分なりに受け入れられるようになるに三年目まで待たなければならなかった。 そのおかげで、知的価値は私にとって欠かせないものとなり、私の人生と考え方に色褪せることのない彩を添えてくれた。 ちなみに、私はこのような経験をしたおかげで、一部の聡明な人々に対する理解を深めることができたのではないかと思っている。 それは、さまざまな理由から大学教育を受けたことがなく、そのためにこういだ経験をしていない人々についてである。 そういった人々がどんなものの見方をするか私はわかるつもりだし、彼らの身になってみることもできる。 ひょっとしたら自分も 同じ立場になっていたかもしれないからだ。 正式な教育は、世界というものが個人の見解や意識や関心や想定の単なる拡張ではない という考えを育むよう仕向けてくれる。これは正式な教育が授けてくれる最大の恩恵である。当然のことながら、こうした教育は 他者の助けなしにできない。 他者は私たち個人をしばっている拘束をまぬがれているからである。 けれども、ここから導かれるのは、独学の者は生半可な教育を受けた程度にしかなりえないという、残念だが逃れようのない事実である。 オックスフ・オード入学当時の私の考え方にはっきりいって欠けていたもののうち、最も重要だったのは、その後の経過を考えると、 哲学ということになる。 人間の関心事の中で最も価値があって大切なものとして、哲学は確かに偉大な芸術に近い水準に達しているし、 その理由も似通っているように思う。どちらも、人間が到達しうる最も高いレペルで真理を探究する活動である。どちらも物事の本質を、 つまり存在の根源的な神秘を探ろうとしている。 それを果たせないとしても、人間の理解に限界があるせいにすぎない。 ショーペンハウアーが述ベているように「芸術家が具体的に行なっていることを、哲学者は抽象的に行なっている。」 哲学者は自分の意見を概念で表現するよりほかなく、そして概念というものにはどうしても一般性がつきまとうため、哲学は芸術ほどの 深みには到達できないかもしれない。 だがその一方で、哲学にはできても芸術にできないことがある。 アイリス・マーギックは 「よきにつけ悪しきにつけ、芸術は哲学より深いところに達する」と語ったが、哲学には芸術よりすぐれた面がいくらかはある という意味ではそのとおりであるし、全体としては芸術に及ばないという意味でもそのとおりである。】 ▼ 芸術と哲学が教養のベースであるのは今さらだが、マギーの、このような文章を読むと、より芸術に触れておくべきだったと実感する。 芸術作品は、作者の魂そのもの。それぞれの時代が生み出した人物が全霊を捧げて、作品の中に魂を入れ込んだ名作である。 それに直接触れ、感動するのが一番、人間の魂を高めることになる。そのためには時間をかけて対象と向き合うしかない。 ・・・・・・・ 3440, 再び、死について考えてみる ー4 2010年08月26日(木) * 死を喩えると 死を喩えると、旅と、眠り、とされる。 「死ぬ」が旅と、眠り、に喩えとされることは、プラトン『ソクラテスの弁明』の一節にある。 ー「つまり死ぬということは、次の二つのうちの一なのです。あるいは全く何もない.無」といったようなもので、死んでしまえば 何も少しも感じないといったものなのか、あるいはまた言い伝えにあるように、それはたましいにとって、ここの場所から他の場所へと、 ちょうど場所をとりかえて、住居を移すようなことになるかなのです。そしてもしそれが、何の感覚もなくなることであって、ひとが寝て、 夢ひとつ見ないような場所の、眠りのごときものであるとしたならば、死とは、びっくりするほどの儲けものであるということになるでしょう。 ・・・・また他方、死というものが、ここから他の場所へ、旅に出るようなものであって、人が死ねば、誰でもかしこへ行くという、 あの言伝えがが本当とすると、これより大きい、どんな善いことがあるのでしょうか、裁判長諸君。」ー 葬式で、「故人は旅立たれました」というが、夢なら醒め、旅なら帰ってくるのが前提にある。 永遠の眠りというと、そこで夢を見る可能性がある。無に帰した者が夢の見ようがない。あくまで心象風景でしかないのが、 これでわかる。 最近、ブラックホールに喩えることがある。その人の全てが、その中に吸い込まれ、再び戻ってくることはない、 という意味で、喩えとして科学的風である。 ブラックホールは生命を終えた星が爆発をして、その重圧で空間の歪が生まれ、 穴が開いて異次元?の時空に周辺のものを吸い込んでいく。これを死に喩えることは、これはこれで、説得力がある。 最近、ホワイトホールも、存在も云われるようになってきた。何処かの歪から何が噴出している空間の存在。それは生命ということになる。 面白いのが、死の喩えを、生そのものにしている説がある。 これまでの死の喩えのは、生のうちで経験される現象=旅、眠る、去る、 失う、等々である。それらは再び我われの元に帰ってくる可能性がある。死は絶対性であるから、「死ぬ」に永遠性が現われてくる。 そうすると、永遠に眠る存在になる。こんなそんなで、結局、死は喩えると分かりやすそうだが、生きている人間の論理というのが 露出するだけ。 同じ動物の牛に喩えると、先ほどの喩えは不自然である。死も、生きていることも、幻想でしかないなら 喩えでイメージするのも良いではないか。 少し、眠たくなってきた。 ・・・・・・・・・ 3065,ウワサを考えてみる 2009年08月26日(水) * オルレアンのうわさ 『オルレアンのうわさ』とは、1969年5月、フランスのオルレアンに流れた女性誘拐の噂。 オルレアンは、パリの南方100kmほどのところの人口十数万人の地方都市。この街のブティックで、女性が消えると言う噂が 流れたのは、1969年5月。若い女性がブティックの試着室に入ると、催眠性の薬品を嗅がされたり薬物を注射されたりして、 前後不覚になったところを誘拐され、地下道から外国の売春宿に売り飛ばされていく、というもの。 (字数制限のためカット2011年8月26日) ・・・・・・・・ 2700, 「レンタルの思想」−6 2008年08月26日(火) ー 読書日記 進化生物学者の長谷川真理子との対談が面白い。 ネアンデルタール人と、現生人類が重なってた時期があるが、何故に 現生人類が生き残ったのか? 脳の大きさよりコネクションが違っていて、そのことが多くの道具を使うことを促して生き延びたこと、 言語能力が格段と上だったこと、更に病気に対する抵抗力の差があったという。 そして「おばあさん」の誕生が現生人類の特徴という。 それまでの色いろな人類のメスは排卵が終わると 直ぐに死んだ。 しかし現生人類の女性はその後も生き延び、お産のノウハウを娘に伝授したので人口が増えたという。 人骨から「おばあさん」の骨が多く発見されたことから分かったという。 面白い節である。 ーおばあさんの誕生ー 長谷川真理子×松井孝典 *おばあさんの不思議 長谷川: いまある限りの現生人類の骨から年齢を測ると、おばあさんの骨が含まれているから、長生きしたのだと思います。 松井: それは現生人類が繁栄するという意味で、非常に本質的な点ですね。なぜそうなのかについて何かアイデアはあるのですか。 長谷川: 「グランドマザー仮説」というのがありまして、祖母の知恵が、娘が母親になるときの孫の 生存率を上げたのではないかと言っています。 松井: それはそう思いますね。出産の経験がまったく蓄積されないで単なる生物として初めて出産を経験するのと、 出産とはこういうものだということをあらかじめ意識として持っているのとではすごく違いますよね。 長谷川: 全然違いますね。 松井: それで人口が増えることに加えて、寿命も長くなるわけで、環境には二重の負荷がかかる。 長谷川: そうですね。でも流行病とかが時々ありますから、長いこと人間の人口はそんなに増えませんでした。 だけどまず一万年前に増えて、それから産業革命から増えて・・。でもそれから豊かになると出生率が減るでしょう。 進化的に生物として考えると、 自らの繁殖率を減らそうとする生き物はいないわけです。 豊かになるということは条件がよくなるわけで、条件がよくなると普通はもっと産むので、 だから人間がどうして豊かな暮らしになればなるほど持ちたい子供の数が減るのかなと。 松井: おばあさんが存在するという不思議と、もう一つは豊かさがあるところに達すると産まなくなるという不思議と。 長谷川: 全世界的にそうです。それがどうしてそういう心理状態になるのか。 松井: やはり出産が大変じゃないのかな。本当は産みたくないんじゃないのかな。 長谷川: それもあるかもしれませんが、進化生物学的に考えれば、そんな心理を持つこと自体が 不思議なことですから、 いろいろモデルをたてて研究している人がいます。そこから見えてきたのは、べつにこういう先進国だけではなく、 牧畜民の社会とか、農耕社会とか、少しでも富の蓄積ができたあとには、 子供だけではなくてー子供も富と数えてー 持っている富全体を最大化しようとするみたいなのです。・・・・・ 〜〜 (−対談を終えて) 松井孝典 これまでの人間論には、生物学的人間論と哲学的人間論があった。今回は生物学的人間論とはいかなるものか、 ということで長谷川さんと対談した。現生人類の起源には、多地域進化説と出アフリカ説とがあり、後者が有力になりつつある。 (字数制限のためカット2011年8月26日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月26日(日) 2336, ホッファー −3 (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 一昨日、アマゾンで注文をしていた中古本の、ホッファーの自伝が送って来た。 一昨夜半、二時間かけて読破したが期待したどおりの内容であった。 ミス・フィットや港湾労働者の立場で、 何故独学であらゆる分野の知的好奇心を持ち続けることが出来たのだろうか、まず疑問を持った。 それは7〜15歳までの盲目体験である。そして、彼の父親がやはり働者に係わらず、読書好きの教養人だったことが 彼の勤勉性を培ったようだ。さすらいのホームレスから見た、ミス・フィットの人たちの生態も克明に書かれていて、 時空を越えた当時の生身の生活が垣間見れ、彼と一緒に20世紀前半のアメリカを彷徨っているような気持ちになってしまった。 ホッファーの言葉を幾つかのHPから拾ってみた。 なかなか含蓄の深い言葉ばかりである。 (ー 〜〜 ー は私の内語である。) ーーーー <世界で生じている問題の根源は自己愛にではなく、自己嫌悪にある。> ー自己嫌悪を無くすには、他人への愛が必要ということ! 自己愛は、人への慈愛から育てるのが近道。それが出来ないのが人間か〜 でも、半々と割り切ってしまうしかないか、自己愛と自己嫌悪! 他人が嫌ってくれているのに、自分まで同調することもないだろうにー <驚くべきことに、われわれは自分を愛するように隣人を愛する。 自分自身にすることを他人に対して行う。自分自身を憎むとき、他人も憎む。 自分に寛大なとき、他人にも寛大になる。自分を許すとき、他人も許す。 自分を犠牲にする覚悟があるとき、他人を犠牲にしがちである> ー{これはホッファーの「思いやり」についての最も深い部} というが、 自己犠牲という奴ほど、自己というエゴがヘバリツイテイルということに 注意しないと、軽い?人間のボランティアになってしまう。解る?その意味ー <私の言う知識人とは、自分は教育のある少数派の一員であり世の中のできごとに 方向と形を与える教授の権利を持っていると思っている人たちである。 知識人であるためには、良い教育を受けているとか特に知的であるとかの必要はない。 教育のあるエリートの一員だという感情こそが問題なのである> ーそういうこと!「教育のあるエリートの一員」か〜? エリートなんぞ対比の問題でしかないのが解らないのは、単なる馬鹿! ある本を読んでいたら、何処かの大学の教授が自らを日本を代表する教養人と のたまっていた。 まあ、可愛いいから許せるか?− ー字数の関係上カット(2008年08月26日) バイヾ(・ω・`)ノバイ ・・・・・・・・・ ーH0703 ブラジル旅行記ー “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。 カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。 その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。リオのカーニバルのランクがA・B・Cとなっており Aランクが9チーム、 Bランクが15〜16チーム、 Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の持時間で踊りながら行進する。 (字数の関係でカット12年8月26日)
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2013年08月25日(日)
* ヨガに参加して一年半、経過したが スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、参加をして一年半になる。 ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位とすると、140回は参加したことになる。 毎回、50人の定員はほぼ満席で、30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければならない。 で、二回は遅れて不参加の事があった。 火曜と木曜日の午後で、30代半ば?の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、人気も同程度? 2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて仕方がないようだ。 40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様の光景。 正面には全面カガミがあり、見た目には100人の姿が 視界に入るから、なお迫力がある。 横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で百種類のポーズのうち、 一回につき10数種類はする。そこで言うのは、「周りの人の視線は無視してください。マットの上は、それぞれの全宇宙。 独りの世界の入って下さい。他人と向き合うのではなく、自分と向き合って下さい。」と。 スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、チャンドラなどヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、 数分もしないうちにヨガ世界に引き込まれる。そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。 死者のポーズは、仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、両腕と両足は少し大の字気味に開き、 全身の力を抜いて、チャンドラの音に気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。 毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。 気持ちの集中で、殆ど他人を気にすることがなく半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たるという。 仏壇前の、早朝の瞑想は30分、死者のポーズは、やはり午前9時から20分間、行う。夜半に目が覚めた時に、 大の字になって、気持ちをヨガをしていると思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が 岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。この二つだけでなく、他にもヨガのポーズが、 チョットした仕種の中に入ってきている。居間でTVを見ている合間に大の字の姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、 歩いている時に背筋を意識的に伸すとか・・・ ・・・・・・ 4169, 老年行動学 ー5 2012年08月25日(土) * 老生自覚 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) ≪ 自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼びます。老性自覚には「内からの自覚」と「外からの自覚」があります。 △ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、歯が抜ける などの「身体的徴候」、もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする「精神的な減退」などがあります。 △ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、定年退職、他者からの老人扱いなど、 「社会的なできごとや経験」があります。 このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな意味も感じていた時代には、当たり前のこととして、 自然に受け入れられていたのかもしれません。しかし今は、そうではありません。第1章で述べたとおり、現代人は老いを感じると、 暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジングに励みます。また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、 最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。日本人の場合、介護が必要になるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。 つまり、現代の日本人には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期がやってくるのです。 このことは、「死に対する準備ができない」ことを意味します。老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に老いていった時代には、 自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫ ▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に直面し逃げ場のない状態に追い込まれた時や、 自信を失ったときにガックと老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、周囲が、それを繰り返し 指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、このことに気づく必要があるが、現実は甘くはない。 少くとも服装と言葉と運動量は注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」を常に意識しているが・・それでも 一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より10歳若い57歳時だが、80歳近くに見える。 目先を精一杯生きるしかないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。 ・・・・・・ 3804, iPadを買った 2011年08月25日(木) タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、思いたったが吉日で、三日前に購入した。 去年から八月に買うと決めていたが、この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いてきたことと、 「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 そこで実際に手に取ると、成るほど面白い。 感想として、これはモバイル携帯が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコンである。 パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトをダウンロードして、使いこなしてみたい。 タブレット(バインダー)で持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。 ベッドや車内などで、 気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーのHPにアクセス・・ 等々を、タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へでも持っていける。 まだ使い始めて数日なので、 門前から一歩を踏み込んだばかりだが、これは日常の必需品になると直感。 初期投資がゼロ円、ランニング・コストが5千円が高いか 安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて少し生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を自動的にめくり、 スキャンしてくれる器械でも出現すれば良いが。 新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれているが、 実際に手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くのステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、フロアーの女性が来て、 「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。( HPに写真が多く掲載されているので、競合店の視察とも思ってもいないはず) 「ブログに、気に入ったランチを時々載せているので、これも」と答えると、暫くして再びやって来て、「店長がブログを見たいので、 ブログ名を教えてもらえますか」という。 少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」と小さな声。 モバイル携帯で早速、何人かで見ているようだった。そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、誰でも 直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。 ・・・・・・・ 3439, 「うち」と「そと」という、考え方 2010年08月25日(水) 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。 「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、 その人に敬称をつけないのが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」といい、一歩出ると、 「そと」とする。 家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も続いているといってよい。 朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。日本的な名残である。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」とする。 裏切られたり、騙されると、あっさりと、 心の中で、そとの人に分別してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、そして、 会社の同僚が、「うち」になる。それ以外は、「そと」と単純明瞭。これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。 欧米は一神教。 ビック鶸と「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、そして、二人の間の子供と、 「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。 しかし、日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、まず帰属して、 その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、同僚を振り分けていた。 一度、信頼を失った相手は、そとの人と、二度と、心を開くことはない。特に、卑しさを見せつけられると我慢が出来ない。 そういえば、「タテ社会の人間関係」で、中根千枝が《日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、 大きな相違をみせていて、まず「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造に、どのような条件が考えられるか》 を論じ、タコツボ社会が日本的特質と指摘している。 その考え方そのものが、私の造語になるが「タコツボ思考」ということか。 自分を省みると成る程、いやに納得できる。ウツボが徘徊している中でタコはタコツボに入って、最後は人間に食べられてしまう。 「うち」と「そと」の間の「にわ」か「うちにわ」を日本人は昔から取り入れて自然を取り入れていた。 ・・・・・・・・ 3064,階級社会だと! −3 2009年08月25日(火) こういう話は大好きである。「石ころがね、その大きさやカタチを競ったって、少し離れてみれば砂利じゃないかい」 ということだ。だから、名刺に多くの肩書きを書いたり、ロータリー・クラブなどに入って特別な人間と思い込んで いる可愛い人の優越感も、人間の性と割り切れば良いのだが。その生臭い人間が何とも愛おしいのである。これも揶揄か? 「幼い頃より一流作品の絵画や音楽や大自然を可能な限り、シャワーのように浴びせることが、親の子供に対する 最大の勤めである」というが、これがハビトォスの骨格づくりになる。クラシックの演奏会や美術館に家族で行くことは、 家系としての文化資本が無ければ無理。私など父親からは大相撲の地方巡業かプロレスに連れて行ってもらったことしか記憶がない。 下町の魚屋一家で演奏会に連れ立っていくイメージが全くわかないのと同じである。 演奏会は山の手の家庭のイメージである。 家屋敷の佇まいでもハビトォスの匂いを嗅ぎ分けることができる。 家柄とか学歴の良し悪しで全て決まるわけではない。 自分で意識して美術館に行って一流の絵画や彫刻をみてまわり、音楽会に行って良い音楽を聴く習慣をつければ、その習慣行動 (プラティーク)の積み重ねから、それをつくり出しているハビトォスがつくられていく。片方はハビトォスが崩壊し、 片方はハビトォスがカタチつくられてのを身近で見てきたからいえることだが。 習慣とは、第二の天性。 良い習慣を幾つか積み重ねていけば、それが、その人の天性になる。出世とやらを考えるなら、目指すポジションの習慣行動と ハビトォスを作ることが近道になる。したがって偉人(例えばフランクリンなど)の伝記や、三国志や孫子の兵法などで学び、 良い習慣行動身に付ければ、その背後にあるハビトォスの構築になっていく。 「力、愛、知」が、人間力の構成要素なら、 その一つの力は、男にとって必要欠くべからざる要素。階級社会では、全身全霊で習慣行動をつくり上げるのは男として当然のこと。 しかし、一つの側面として割り切っていないと、そこで挫折をした時にハビトォス全体が破壊される。 考えてみたら46回の秘・異郷ツアーの中には、ハビトォス構築の全てが含まれていた。世界中の大自然の景観に魂の振動を経験し、 美術館では世界的名画や彫刻に感動し、アルゼンチンタンゴやスペインの闘牛や、フラメンコに呆然として見入り、 アフリカの手づかずの動物に触れ、・・・等々、 文化資本の蓄積は何にも変えがたい財産である。 そのわりに、自分自身に文化資本の蓄積が感じられないのは如何してか? 幼少時の文化シャワーが足りなかったということ?! でも、父親に骨董店に幼時から多くを見てきたが・・・ ・・・・・・・・・ 2699, 「レンタルの思想」−5 2008年08月25日(月) 「宇宙の発展と文化の論理 」ー 鷲田清一×松井孝典 *ここにないものと関わる能力 松井: 前回は、生物学者の長谷川真理子さんと対談しました。 そのときの話では、現生人類には抽象概念が生まれた契機の一つが、喉の構造の変化です。 逸れによって、文節性の高い言語を獲得できたということです。その御蔭で目の前に起こってない現象でも、 抽象化して相手に伝えることができ、知恵の伝達が可能になるということでした。 つまり人類がいまのような生き方をするうえで重要な要素として、言語の機能というものがある。 それを哲学がどう考えてきたかというところから、話を始めましょう。 鷲田: 人間とはなにかということは、思想史の中でいろんな語られ方をしてきました。 いまおっしゃつた、話す人(ホモ.ロクエンス)という思想はもちろん根本的なものです。 また、遊ぶ人(ホモ・ルーデンス)というのもありますね。「遊び」ということができることを人間の本質としてみる。 ホモ・サピエンスとか、ほかにもいろんな捉え方はあるのですが、これらの共通点をみれば、ここにないものに 関わっていくということ、つまり不在なものに自分を関係づける力をもつということなんです。いま目の前に現れているものを、 取り換えられない必然のものと捉えるのでなく、それをさまざまな可能性のひとつとして了解しなおすということなんですね。 人間以外の動物は、生物としてのシステム沼に、別のあり方がないような形で組み込まれている。 ▼ 解) 「ここにないものと関わる能力」、これは言葉の持つ最大の効力だろう。カラスは500の鳴き声のサインがあるというし、 ケニアではシマウマが鳴き声で多くのサインを出しているのを知った。それでは、鳴声と言葉の違いは何だろうか? それは、正に 「ここにないものと関わる能力」が言葉の中にあるということである。 亡くなった親族や恩師や友人とは、生きていた時より、 むしろ深く関わること出来るようになる。 教養とは、多くの「ここにいないものと関わってきた」蓄積である。 過去を振り返ると、自分の読書量と経験量が、ここにいないものとの関わる能力の質を決めることが解る。 予習能力も復習能力も、そのうちの一つになる。 それと、更にすすむと予知能力もある。 言葉は考えれば考えるほど、奥行きが深い世界に我々を誘い込む。ファンタジーも、妄想もある。 ・・・・・・・・・ 2007年08月25日(土) 2335, どうせ死んでしまう ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 「狂人三歩手前」ー中島義道著 −1 ーどうせ死んでしまうー この本は月刊誌「新潮45」の連載で、時々、このコーナーを図書館で読んでいた。 その連載をまとめたのが、この本である。本の題名が「狂人三歩手前」というのが良い。 この本の冒頭からして、 ーどうせ死んでしまうーである。いずれプッツンするのは解っているが、 生きているうちは、せめて「いま・ここ」に集中して面白おかしく生きたいと思っているが・・・。 {いずれ死ぬのなら、何で「いま・ここ」に集中して生きる必要などあろうか?}という投げかけの言葉も道理である! 生死の問いかけになる。「死んでしまえば、それまでよ!」も、生き残った此岸から彼岸へいった死体に対する、 思い込みでしかない。まあ、哲学は哲学でも、この人はあまりに嫌世過ぎる。 でも、甘ったるい人生論より余程面白いし、考えさせられる。心の奥に、「所詮は死んでしまう!ケセラセラ」という、 中空を持っていないと、現実に振り回されてしまう。「飯喰って、糞して、死ぬだけ、人生は!・・所詮死ぬのだから」 ーP・11 (字数の関係でカット08年8月25日)
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