堀井On-Line



4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1

2013年03月28日(木)

                「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
   * 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の−35乗の世界 ー1
 村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ本ではベスト。「現在、宇宙論はコペルニクス以来の
大転換期にある」と素人に分かり易く書いてあった。「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が存在している」というから、
驚きである。この「宇宙は何でできているのか」は、その10ヶ月前に発行されたもの。比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・・   
  =まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残り96%は何なのか?物質を作る最小単位の粒子である素粒子。
 誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。 だから、素粒子の種類や
素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に、宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。≫ 
  ーキーポイントの部分の抜粋ー
【 この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が関係あるのか? 最も大きいのが137億光年の宇宙で、
最も小さいのが素粒子・・  たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって、1〜2メートル程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十メートルの高さ。東京タワーは333m、建設中の東京スカイツリーは634mにです。
それぞれおよそ「3×、10の二乗メートル」「6×、10の二乗メートル」。高い富士山(3776メートル)、「10の三乗」という桁数。
では、富士山が載っている地球の直径は約1万2千キロメートルですから、メートルに直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。
その地球が太陽のまわりを公転する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗メートル)のオーダー。
でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は「天の川銀河」の片隅にありますが、この銀河は地球の
軌道の約10億倍の大きさ(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの銀河系と一緒に「銀河団」を形成しており、その銀河団は
天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。
それらをすべてひっくるめたのが、宇宙です。そして、私たちがいま実際に観測できる宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに
1万倍(10の27乗)。こうなると「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので「10のX乗」という
表現が必要になります。これがまさに、いわゆる「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と極少合わせ10の62乗の世界。
 しかし、この他に宇宙が10の500乗もある可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、宇宙観が変わってしまう。。
 他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって暗黒エネルギーを供給しているという。これを読むと、
 人生、社会、人間がつくり上げた神、正義、愛、価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。
 それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。少なくとも、何時の間に刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 −つづく
・・・・・・
4020, 事業生活39年の、独り語り ー6
2012年03月28日(水)
   初めての千城台ビルの建設中に石油ショックが起きてしまった。そのビル前の数百世帯の建設予定だったマンション建設が急遽、
 中止になってしまった。 その世帯群を当てにしていたため、テナントの問い合わせはゼロ。 完成した時には、最悪低迷の状態。 
 この時、つくづく時代の激変の恐ろしさを痛感した。その最悪の出発の中で、テナントとして商売を当て、ビルそのものを
 活性化しなければならない。 父親の死の問題もあって、この時は必勝が絶対条件の土壇場であった。衣料スーパーは立地的にみて
 商圏が狭すぎ現実的でない。考え抜いたのが当時、破竹の勢いで店舗展開していた養老の滝のFC。その暖簾なら確実に客を確実に
 呼び寄せると直感。 そして、ビルの完成と同時に養老の滝のオープン。 その1ヶ月後の結婚と、慌しい日々が続いていった。
 連日、朝の7時から23時までの激務である。
≪  ー 養老の瀧1122号店、店長の日々 ー H・0907
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりだったが、自分がその立場に立ってみて、その認識の甘さを思い知った。
千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”“養老の瀧オ−プン”“結婚”という人生の初体験を同時に始めた。 
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ−プン...!完全にパニック状態!オ−プン人気も含めお客の列!しかし、全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。 当初の、2〜3ヶ月は朝8時より夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの
3人の激しい日々であった。“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。それまでは8時間プラス2〜3時間、という立場が、
“24時間(休んでいても仕事のうち)仕事”という立場になった。サラリ−マンが事業をおこし大部分が失敗するのは前者より
脱皮できない為である。 大手ス−パ−の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが..その厳しさが全く違う。はじめの
数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるかという位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、私の立場が無くなる!
という前提があった為乗り越えられたと思うが。でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか辛さが
辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。 ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。そこで自分で店を衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の
本当の恐ろしさをそれまで、ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない事件が月に一度はおきた。恐怖の中で
1人トイレの中で(他の人にはわからないように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。 そしてお客に対処したところ
腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うち合せをしておき、
お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、土壇場に立つと知恵がついてくる。フランチャイズのシステムは今でも
素晴らしいものであった。標準化、単純化、マニュアル化がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点、
このシステムは自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。 創業は辛い!  1973.11.07〜   ≫
 ▼ 計画も、それが完成をした時に、時代が全く変わってしまう経験を創業の出だしに経験することになった。現在からみると、
  良い経験だが、実際に窮地に立つと、思わぬ力と知恵が湧いてくるもの。必死に問題の中心にエネルギーを集中していると、
  思わぬところからチャンスが転がり込んでくるもの。
・・・・・・
3290, 地震 ーつれづれに  ー13
2010年03月28日(日)
  * メルトダウンが始った?
 2号機の付属建物で高濃度の放射能が検出された。濃度が《1000万倍》。メルトダウンが急速に進んでいるのか? 爆発が起こる
可能性があるのか?。急に政府が副首都を大阪といい始めたのは何故?等々、疑問が出てきたが、どうなるのだろう? 大使館が大阪や
京都に移動したり、外国人が大挙して帰国していったのは、正しい情報を持っていたため?知らぬが仏の仏様は日本人の茹で蛙だけか! 
  * 関東大震災
 今だ現在進行中の世界的にみても最大規模の大震災の真っ只中に日本はいる。この津波により破壊された原発事故も、
現在も予断を許さない事態。最悪のシナリオとして日本壊滅の事態もありえるのか。現在は「東北、北関東の壊滅」レベルだが、
これが「東北・関東壊滅」だけでなく、「日本壊滅」もありえる。実際のところ水の汚染が進んだら本州壊滅が現実的になる。 
千年に一度の国家的危機の大震災に発展するのか。  ところで百年来の大震災といえば、まず思い浮かぶのが関東大震災である。
  ー そこで、ネットで関東大震災を調べてみたー
【 関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日(土曜日)午前11時58分、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として
発生したマグニチュード7.9、海溝型の大地震(関東地震)による災害である。死者・行方不明者 14万2800人 
 地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生した。それが大惨事につながった。】
 死体が山のようにつみ上げられいる画像をみたことがある。この時「朝鮮人が日本人を襲撃している」という風評が飛び交い、
 数千人のの朝鮮人が殺害された。東北関東大震災からみるとマグニチュードは遥かに小さいが、火災が人的被害を大きくした。  
 この東北関東大地震は人口密度の低い東北ということもあり死者は関東大震災に比べれば少ない。 
 しかし大津波と原発事故で本州壊滅の危機に立たされてしまった。 まったく恐ろしい限りである。   
 ・・・・・・・
3289, 「離婚確率」が30% !
2010年03月28日(日)
「離婚確率」が30%になったと新聞で報じていた。40年前の4・5倍という。
  まずは、ー先日の新聞記事によるとー
≪ 結婚した人が離婚する確率が約3割に上ることが25日、厚生労働省の統計で分かった。
最低だった40年前と比べ約4・5倍に増えている。離婚件数は平成14年をピークに6年連続で減少傾向にあるが、
離婚する確率は上昇し続けている。・・・・平成17年に結婚した人と離婚した人の割合は1対0・3だった。
この割合が今後も変わらないと仮定すると、結婚した人の約30%が離婚することになる。
同様の計算を過去にさかのぼると、昭和40年に離婚した人の割合は約7%で、以降、上昇が続いている。≫とある。
 7〜8年前に、25パーから30パーセントになったと聞いたような気がするが・・・
離婚経験者が何気なくいう本音に、心の傷を感じるとることがある。「自分には、勿体ないほどの人だった」と、
同時期に二人から聞いたことがある。 新たに若い連れ添いができ、幸せそうな人の何気ない言葉に心の闇が覗く。
家庭内離婚も含めると、半数以上は破綻しているというが・・・ 我慢・我慢、そして我慢か、それとも三割?
女性の方も、その傷は浅くはない。 女性の場合は世間知らずで、亭主がバカに見えて、愛想を尽かすのだろうが、
それでは己はというと、自分がまるで見えてない。 母子家庭の半数以上が、年収200万以下の貧困層
という現実が待っている。亭主をバカにするのが世間一般のようだが、生理的に相性が悪いのは致し方ない。
「結婚生活は煩わしいが、さりとて、独りでは殺伐すぎる」というところだが、相性の悪いのは如何にもならない。
5年ほど前にTVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映、ここでも取り上げた。
一方的に出て行った嫁さんが理想的な転進をした内容だが、あれは罪作りである。殆どが、究極の苦しみを味あう。
 昼間笑って、布団で泣いて? いや、反対もあるか? 他の相手を見つけておいたり、準備金をつくったり、
憎しみは何をしでかすか分からない。 それが夫婦というものか? オカメと般若は紙一重?
 ・・・・・・・・
2914,新潟駅再開発事業が4年目に入る
2009年03月28日(土)
 来週になると新年度だが、「新潟駅再開発事業」が4年目に入る。H18年度~H27年度の10年計画が駅と線路の高架と、
駅裏広場と、前期の道路整備、H28年度~H37年度の10年間は駅前広場と、の後期の道路整備になる。
(字数の関係でカット2012年03月28日)
・・・・・・・・
2550, 閑話小題  
2008年03月28日(金)
  * 盃の中に蛇がいる!
 何気なく図書館の本を捲っていたら、この言葉が合った。「英国の詩人のホープという人の言葉」だが、私など何度か、
その蛇に噛み付かれたものである。酒を飲んでいると思っていたら、その盃の中の蛇に飲みこまれていた経験が、あまりに多い。
大蛇だけではなく、内臓まで食い散らしている。「本当の敵は沈黙している」と、フランスの詩人のバレリーの言葉にあるが、
黙っている敵こそ、恐ろしい。汝の名は酒!ということか?
  * 偏見のかたまり
「故郷より一歩も出たことの無い人は偏見のかたまりである」(ゴルドニー・18世紀の喜劇作家)これは地域の問題だけでなく、
自分の職業、固定観念、学問から一歩も出てない人に対していえる問題である。 地方にいると、それをつくづく感じることがある。
人間は誰しも偏見の塊と己を割り切った方がよい。だから、常に外の世界に触れる必要があるということだ。
それと、あらゆる分野の本を読み続けていないと、偏見の穴の中に入り込んでしまう。
  * 世逃げのすすめ(ひろさちや著)
(字数の関係でカット2012年03月28日)
・・・・・
2007年03月28日(水)
2185, 政令指定都市とは?       おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
新潟市が4月1日より浜松市と政令指定都市に指定される。
といって、それについて殆ど知られてないのが実情。そこで、政令指定都市について調べてみた。
≪ 政令指定都市とは、“○○区” などの行政区が置かれたり、県に代わって道路の管理をしたり、
県を通さずに国に対して予算の陳情が出来るなど「都道府県と同格」の扱いを受ける都市である。
名前は市でも実態は県に近いものである。地方自治体には大きく「都道府県」と「市町村」
と二種類があり、市町村は水道やゴミ、住民票の手続きなど主に日々の生活に密着した行政を担い、
都道府県は、都市計画づくりや警察など、より広い行政を担当している。
法律上は人口は「50万」が指定の要件だが、運用上は「100万(または現在80万以上で、将来100万になる見込み)」
を基準として指定が行われてきた。現在は政府の市町村合併支援の一環として、合併を経ることを条件に
この人口基準が「70万」に引き下げられている。静岡市や堺市はこの優遇措置による指定である。
政令指定都市は1956年に5市(大阪、名古屋、京都、横浜、神戸)で始まり、歴史があるだけに、
一種のブランドになっている。そもそもこの制度は、通常の市に大都市の特例を重ねたものにすぎず、
大都市制度としてキチンと設計されたものではない。市町村の合併促進の材料に使われたことも否めない。
県の仕事の都市計画つくりを、市としての視点で計画が作れる利点が出てくるので、市としての独自性や
一体感のある都市づくりもできる。仕事と共に財政も移行するので、お互いの駆け引きなどいらない
責任の押し付け合いはなくなる。その象徴として、新潟駅高架再開発事業は 県から市へ移行された。≫
 ▼ 政令指定都市というブランドにしては、新潟のブランド・イメージはあまりに低い。角栄と真紀子、それと拉致事件の現場が
浮かぶ位である。この一年あまり、新潟を活性化するには如何したらよいのか?脳を絞って考えてみた。 そして出た結論は、
「日本海拠点都市を目指すべき!」が結論であった。それも20年前から地道に、それをすべきであった。東京駅周辺が日本の芯である。
そこから日本海に突き抜けることが、ポイント。新潟駅から飛行場までの間にエネルギーを集中投資すべきであった。
新幹線の何たるかが解っていないのである。角栄におんぶに抱っこだったからだ。もう遅い!拠点都市は金沢に間違いなくなっていく。
これから新潟駅立体交差の駅をつくる?何をやっているのか、今さら!何処かの誰かが「飛行場まで新幹線をひくと、新潟駅が通過駅に
なってしまう」と、のたまっていたというが、こんな程度である。政治家と役人は、票と金にならないのでやらないだろうし! 
・・・・・・・・
 2006年03月28日(火)
1820, 今場所の大相撲  おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
 (字数の関係でカット2008年03月28日)
・・・・・・・・・
2004年03月28日(日)
1090、ニコイチ
 私が事業としている「ビジネスホテル」も曲がり角にある。こういう装置産業は20年~40年スパンの投資になる。
時代の変化に対して、あらゆる仮説をたてて潰しのきく建物にしておかなくてはならない。以前にも書いたが、
私が手がけた建物は殆ど柱が入ってない。中を掻き出せば、他の転用が利くようになっている。少し先走ったが、24年前に
光ファイバー用の配管が各客室に入っている。新潟駅前で現在1DKマンションが、この数年ドンドン建っている。
調べるまでは、在庫オーバーと思っていたが、何とほぼ満室という。驚きであった。なら在庫オーバーのビジネス客室を
それに転用すればよい。二部屋の一つの客室を掻き出してミニキッチンと居間空間に変えればよい。
サービスアパートメントへの転用である。建設業界には元々「ニコイチ」という言葉があったのだ。
マンションの住人が隣が売りに出た時に買い取って改築をしたりする時や、手狭になった市営アパートを
一つにしてしまう場合の用語だという。「なるほど、そうか!」と唸ってしまった。現在、多くの建設業者は、不況の煽りで
苦境に立っている。その打開策として「改築・改装」に力を入れ始めた。古ビルを創り変える仕事もこれからの事業として
面白い分野になるだろう。大変だろうが。それにしても転用を前提にして創っていて助かった!のが実感である。
この数年は、この改築?が仕事になりそうだ! 事業から、色いろ人生を学ぶことが実に多い。
長期的視点、鳥瞰的視点、忍耐、人間観察、何よりも自分自身を知ることなどだ。
・・・・・・
2003年03月28日(金)
723, 仰げば尊しー卒業式
 三月といえば卒業式の時期である。誰もが昔の卒業式を思い出す時期でもある。
幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒業式の記憶は鮮明である。かすかな記憶だが書いてみる。
 (字数の関係でカット2013年03月28日)
・・・・・・・・
2002年03月28日(木)
359, ST訓練
(字数の関係でカット2013年03月28日)


4393,閑話小題 −つれづれに

2013年03月27日(水)

 * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿はないのは寒いためだろう。
分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。
毎日15キロ、一年200日として合計三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車はボロボロになって当然。
リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で一日が限度。この買換えは一年後の予定?だが、持つかどうか。
あと一年で4年で一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。ギリギリ使うつもりだが・・
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが
舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。
これで春の訪れを知るとは・・・
 * 久々にグーグルアースを覗いたが、面白くなっていた。 アフリカ大陸にグーグルアースの地球儀を回転すると、
画面の下に各地のツアーガイドの写真が10ほど出てくる。それをクリックすると、そこに焦点が合わされ拡大していく。
YouTubeの右に関連の録画の画面が出てくるのと同じ。これで更に使いやすくなった。 また以前より写真とHPなどの
貼り付けが多くなっていた。スマートフォンなどの普及でタッチで気楽に使えるように進化していた、ということ。
改めて自分の生活の中でiPadが与えたインパクトの大きさに驚いている。マイクロソフト、グーグル、マック、アマゾン
などが世界に与えた変化は、あまりにも大きい。
 * 数日前に朝日新聞の一面のトップに腰痛の話題が出ていた。こういう話題を一面トップで扱ったのは、あまりなかった。
ところが一昨日、一時帰宅した長男が腰痛になって医者に行ったところヘルニアと診断されコルセットを付けて帰ってきた。
私は半世紀も腰痛に悩まされてきた。しかし医者にかかった事が一度もない。全てホッカイロで治してきた。時間が解決する
のを経験が教えてくれた。5年に一度は、ひと月ぐらいは酷い痛みになるが、ある時期が過ぎると直る。この4年間は、
重い腰痛はない。スポーツセンターに通って二年、エアロやヨガなどで足腰を鍛えているが、季節の変わり目は鈍痛になる。
50,60歳代の4割は腰痛に悩まされるというが、人類永遠の課題の一つ、割り切るしかない。 
・・・・・・・
4019, シングルイン、31年間の総括 ー2
2012年03月27日(火)
   ホテルは典型的な装置産業で、資金を土地と鉄とコンクルートに固めてしまうと、30年は維持しなければならない。
その間に経営環境は激しく変化するが、客室という単品を毎日売り続ける「あきない」である。 立ち上げは華々しく面白いが、
その後の時代変化に対応するに、ダメ元の覚悟がなければ、やれる事業でない。最初の千城台ビル建設で父から学んだことは、
「ビルは長期スパンの生きもの! ツブシがきく前提で設計すべき」ということ。具体的には、骨組みを太くして、可能な限り
柱を入れないこと。構造上、難しい場合は柱を壁面に可能な限りよせること。それに、設計事務所の方針の「ビルは、神からの
さずけもの。自分だけの使いかってで造ってはならない」が重なったビル設計になった。それと平面図に魂を入れること。
千城台ビルと長岡の場合、夢に、その平面が出てきて、3Dのような可視化するまでになっていた。要は、万人に通じる魂を入れること。
だから、売りに出すと即売になって当然である。 買い手の全部が、ホテルか、建設関係者。 それが分かるのだろう。
 この事業を始めるにあたって会社には家族や親戚関係者は一切入れず、保証人にしないことも前提条件にした。
また初期投資二億全てを失っても、後悔はしないこと。これは何度も自分に言い聞かせた。現在、平然としていられるのは、
その覚悟の上で始めたため。 妻子を会社に入れ、連帯保証を押させ、子供に家庭があれば、家族崩壊。 それと職住を分けること。
また取引先に迷惑をかけないよう債権額を最小にするのは、後に恨みを残さないため。 倒産は、長年、一緒に苦労を重ねてきた社員と、
その家族にも多大な迷惑をかけてしまい後にひく。倒産の翌日、従業員を一同に集め解雇を言いわたした時に、思わず涙が吹き出てきた。
この人たちは明日から失業者。 その思いが、言葉でなく、涙になってしまった。 取引先に支払う分、最後まで残って残務整理を
してくれた社員に回すべきだったのか? これで良かったのか? 自問自答が続く。 正解はあるはずがないが・・  倒産の虐めの一つに、
計画倒産疑惑の流布がある。 銀行は、それを許すほど甘くないのを知って知らずか。 私にとっては褒め言葉にしか聞こえないが。  
・・・・・・
3653, あと一月で10年
2011年03月27日(日)
 何ごとも、一日3時間を10年続ければ「ひとかど」になるという。 で、この随想日記を書き続けて、あと一月で10年。 
で、何だったのだろうか? 常に、「何か書かなければ」という心理的圧迫が感覚を磨く作用をしていた。ここで何年に一度、
書き続けている効用を取り上げてきた。論理思考が培われたことと、読書の備忘録や、旅行の感想文、そして毎年、同月同日に
書いた文章の何年分を読み返す効用など、現在の私にとって無くてはならない存在になっている。常に変わったことや、面白いことに
出合うと、その場で自然に起承転結の文章化をしてしまう癖がついてしまった。「記者の目で論理を組み立てる習慣」という、
現象に隠された本質を、あらゆる角度からみる視線である。 ところで10年一区切りで実はホッとしたところもある。 
この随想日記を休むことも考えている。 一度休むと、再び書くことが面倒になるが・・ 「一日も休まない」というのは
実は大きなプレッシャーだが、反面それが張りになっていた。 何も書かないとなると、頭が変になってしまうかもしれない。
書くということは、自分の心の開放でもあり、自由を獲得している部分がある。 それにしても、10年も続いたものと
自分自身が驚いている。「偉そうなことを書いているが、その様は何だ」が、読み手の心理。 それを分かっていても、
偉そうなことを書くことで、自分を開放をする面白さもある。 65歳、そろそろ自分の痕跡の消しに入る時期に入った。 
このまま書き続けるか、それとも形態を変えるか? 書くことの秘儀は少しは?分かった。書き出すことで、その背後にある
膨大の世界を僅かながらでも知覚できたことが何よりも変えがたい収穫であった。 節目の時であることは間違いない。 
・・・・・・・・
3288, 人みな骨になるならば ー6
 2010年03月27日(土)
  * 意味の意味
 ーまずは、意味深長?の部分を抜粋してみるー
 いろいろと思索した挙げ句、いにしえの賢人たちは「人生に意味があるかどうかという問題に対しては客観的な解答が
あるのではなく、各人が自らの人生に意味を付与するかどうかにかかっている」といった暫定的結論に達したもようである。
これは、ずいぶん心もとない結論である。 こちらの理解の仕方によっては、「みなそれぞれ勝手に意味を見出しなさい」
といっているだけなのである。 だれも、われわれ一人一人の人生に意味・意義・価値などを保証してくれてはいない。
われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みに
すぎない、と言わんばかりである。 そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとする
あつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいかを判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。 なぜこのような次第になるのだろうか。おそらく「意味」とか
「意義」とかの言葉の起源に問題があるように思われる。 それらは「目的」などと同様に、古代人の日常生活の中から
生まれてきた概念である (全ての言葉がそうなのだが)。大昔、まだ人類が人生やら宇宙やらをそれほど真剣に考えておらず、
毎日の生存や空腹のことで頭がいっぱいであった頃、なんらかの対象や行為が役に立つものかどうかが最大の関心事であった。 
そして、自分や身内にとって大切なことが、すなわち「意味」をもち「意義」のあるものであった。「目的」もまた本来は、
欲求の向かうゴールであり、その達成のために努力という投資と、さまざまな「手段」を講じなければ到達点にすぎなかった。
・・・たぶん人生や宇宙には「意味」も「目的」もないはずである。それらもまた木登りや航海と同様、一つのプロセスには
違いないから、「結果」はあるであろう。 あらゆるプロセスは、特定の時点をとれば「結果」を伴うからである。
その結果を意味や目的と読み替えることはできるだろうが、それなら宇宙や人生の意味と目的は消滅すること、ないし永遠に
溶け込んでいくこと、あるいは繰り返されることに他ならない。 単なる繰り返し(永劫回帰)には意味がないであろう。
存在するものはいずれ消滅するのだから、存在の最終的な結果は消滅ということになる。 しかし、こんな結末は意味や目的と
言えるだろうか。もしそうなら、われわれの誕生の目的はわれわれの死亡ということになる。それゆえ結果があるからといって
「意味」や「目的」があるとは言えない。「意味」や「目的」というのは単なる結果ではなく、目指すべきものであり、
さらに、あくまでも「自分(われわれ)にとって」という但し書きがついていなければならないのである。
宇宙や人生に、自分(われわれ)にとっての意味や目的があるとしても、それは人間だけの話である。
▼ 人生の意味など、後づけの自己正当化でしかないのは自明のこと。 独りブツブツ呟くように支離滅裂のことを書いている?、
 この随想日記のようなもの? 「意味とは、価値に非常に近い言葉」と信じていた。 だから、意味・意味と生半可に語る人に、
「それを価値・価値と置き換えれば、自分エゴの意味づけに気づくのに!」と、何時も内語で呟いていた。
 意味など自分の都合のよい筋書きの為のエゴというと、少し歪んでくる??エゴは決して悪くはない、但し他人の犠牲を・・
 ・・・・・・・・
2913,ホテル&旅館 大淘汰
2009年03月27日(金)
新聞広告に、週刊ダイヤモンドの特集記事が載っていた。 「ホテル&旅館 大淘汰」である。
さっそく書店で買って読んだが、大体予測したとおり直撃の惨状。 内容は東京圏内の外資系高級ホテルと、
日本の御三家、リゾートホテル・旅館の不振を取り上げたもの。ホテルマン45年歴の日本ホテル協会会長が
「初体験」というほどの急激な売り上げダウンに見舞われて激しい値引き競争で収益が激減しているというもの。
ー概要を大きくマトメルと
・外資系ホテルが壊滅状態で、安売りのジレンマに陥っていて、開発ラッシュが一転して 全国で開発の中止、延期が続出
・日本の「御三家」ーオオクラ、帝国、ニューオータニーが沈没  特にオオクラは内部崩壊に瀕している
・能登のホテル百万石も破綻、身売りが多発していて、変化に対応できない事態
 沖縄も観光ブームに沸いていたが一転、閑古鳥が鳴いている
  以上が、この特集の骨子になる。
▼ 全てにわたり、11月以降は二桁のマイナスが続いている。ホテルは在庫の蓄積は効かないので日ごと売って何ぼの商売、
この世界恐慌?は、新規に出店した外資系のホテルにとって、根底から揺らぐのも肯ける。ハッキリいえば、何処も「稼働率激減、
市場は壊滅状態」というのが、ビジネス、都市型ホテル、リゾートホテル、大型旅館など全ての業態でいえる緊急事態。
最近開業したホテルの多くは、実需ベースというより、「再開発の最大化」のための誘致の傾向が強かった。それに行き場のない
外資の資金が後押しをしたことも重なってバブル現象。大阪、名古屋のホテルも総崩れで20パーセントのダウン、大阪や中国、
韓国などのアジア圏の売り上げ激減。名古屋は自動車業界の惨状が直撃、悲惨な事態である。地元の新潟でも、
外資系のビジネスホテルが数軒オープンしたが、バブルの様相の感がしていた。その上に11月下旬より、極端な稼働率の下落が
顕著になっており、深刻という面では同じ。特に4月からの年度変わりからの予約の状況が非常に悪いのが気がかり。
「1〜2年なら何とか凌げるが、後は誰も分からない」というのが大部分の実感だろう。
3年先に、まず一棟が新潟駅再開発の道路拡張の買収予定に入っている目安があるのが救い。
 しかし大津波が覆いかぶさってきている事実は厳然としてある。 <一日、一生>の思いで生きるに丁度よいか?
・・・・・・・・・
2549, 一神教vs多神教 ー3
2008年03月27日(木)           ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
 *近代天皇制は一神教か?
   まずは、この本にある、「近代天皇制は一神教か」という部分を抜粋してみる。
【 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教ではなかったかと、ぼくは考えています。
近代日本は一神教の欧米の脅威にさらされて、わが国も一神教で対抗するしかないと思い、京都にすっこんでいた
天皇を引っ張りだしてきて神聖不可侵の神のような存在にし、国民、特に兵士に天皇への絶対服従を強いたのですが、
日本人も追いつめられると同じようなことをしたわけです。ウェーバーがユダヤ教の神、ヤハウェは戦争神だと言った
ということはさっきも話題になりましたが、近代日本も、その前の徳川時代には二百数十年、国内的にも対外的にも戦争を
しなかったのに、明治になってから戦争ばかりやっていました。これも、天皇を一神教の神のコピーのようなものにしたことと
関係があると思います。】  (字数制限のためカット2010年3月27日)
・・・・・・・
2007年03月27日(火)
2184, 聖地と台所      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!                  
  「ファンタジーの魔法空間」 ー2  著者・井辻朱美  岩波書店   ー 読書日記  
 前回、「いい場所」とは、台所と屋根裏部屋]という部分を抜粋して考えてみた。
今回は台所と聖地を同定しながら、聖地とは何かを台所とは何か考えてみよう。
 ー まずは、その部分を抜粋してみる。
ー P-41 ある場所に置かれる神像はその[場所]の指標なのである。どこに置いてあって良いというのではない。
日本なら吉の方向が定められており、マルタの台所では「一日じゅうそれが見える」場所がそれである。
神像が置かれる場所が[いい場所]ではなく、[いい場所]に神像を置くことが正しい。
神像的[いい場所]をさらにグローバル的にいったのが聖地であろう。
植島啓司氏は『聖地の想像力』の中で、その9つの条件をあげている。
01:聖地は一%たりとも移動しない。。       02:聖地は極めてシンプルな石組みをメルクマールとする。
03:聖地は「この世に存在しない場所」である。   04:聖地は光の記憶をたどる場所である。
05:聖地は「もう一つのネットワーク」を形成する。 06:聖地は世界軸で貫通しており、一種の記憶装置である。
07:聖地は母胎回帰願望と結びつく。        08:聖地とは夢見の場所である。
09:聖地では感覚の再編成が行われる。
 例えば、エルサレムは01・02の条件によって、3つの聖地になっている。トルコのイスタンブールにある
 アヤソフィア回教徒寺院はかってのキリスト教会を転用したものである。
 逆にスペインのゴルドバは回教徒寺院をキリスト教会に転用したものである。
 それをパワースポットと呼ぶにせよ何にせよ、古代人はそこが聖地であることがわかっていた。
 この聖地の条件は、台所という空間の中での、マルタでいう「いい場所」にあてはまる。
台所は大地の炎の力に結びつき(4)、ウクライナでは、そこでは大家族が一同に会し「座ったり、料理をしたり、
食べたり、洗濯をしたり、寝たり、何でもする」(6,7)ウクライナの台所とはそれ自体が聖地であるという以上に、
家そのものであり、家族にとっての全世界であった。ウクライナにとって、そこはさらに「いい場所」という中心点が必要になる。
マルタの「いい場所」もまた、それはこの世ならぬ世界の道しるべであり、みあかしに照らされた光の記憶は夢見の衝動を誘い(8)、
聖母子像は母胎回帰の夢想と他の信者とのネットワークを示し(5)、
そこに家族の思い出を結びつけるメモリーバンク(06)でもある。それがなければ台所は「からっぽ」なのである。
   (字数制限のためカット2012年3月27日)


4392, 暴走老人!  −2

2013年03月26日(火)

                  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
    * 待つことをめぐる考察  ー時間編
 イライラの原因の一つは待たされることである。しかし日常は考えてみれば「待つこと」で大半は占められている。
列車を待つ、車内で目的地に着くのを待つ、エレベーターで待つ、昼飯が出てくるのを待つなど、待たされることばかり。
最近、喫茶店に学生が少なくなったという。スマホなどの携帯電話で待ち合わせの時間が無くなったり、駅などのベンチで
ネットサーフィンやゲームをしていればば、別に喫茶店でなくてもよい。 それは待つ喜びも失われたことになる。
 子供の頃、クリスマスや、年末の年越しを心躍らせ首を長くして待っていた。現在、そんな気持ちになることなど殆どない。
主体的な待つのは良いが、相手の都合によって待たされることに苛立つ。現代は、ムダな時間を排除するのが求められる。
そのムダの時間には考える余裕が含まれるが、今やそれが無くなりつつある。企業では無駄が排除され、合理性が求められる。
そして定年や人員カットで社会の一線から押し出され、御年寄りとしてムダの存在として見られがちになる。それに苛立ちと
焦燥感が蓄積される。それが乾くと、一寸した発火で怒りが爆発し燃え上がる。10歳の頃の一年は、本当に長かった。
新学期になってクラス替えがあり、新たな顔ぶれの中、授業が始まり、梅雨がきて、試験があり、やっと夏休み、・・・と
長い日課が延々と続いた。それが、今や、アッという間に一年が経ってしまう。 それが今では、先は残されてないのに、
思い出すのは嫌なことばかり。以前は考えなかった、「何のために生きているのだろう?」という問いが、浮かんで消える。
そこではマイナスのフラッシュバックが次々と出てくる。
 私たちは自分の時間割を帯グラフで割り振るようになっている。4時起床、そのままパソコンに向かい随想日記の書き上げと
アップロード。6時過ぎに信濃川沿岸へポタリング。7時半、食事。8時風呂。9時から読書と随想日記の下書き等々、
帯グラフに従って一日をこなしていく。そこに、チャリ、パソコン、スポーツセンター、読書さえ、マシーンが介在する。
どれもこれも便利で快適だが、これに適応出来ない人にとって、大きな格差が出る。周りをみると、同世代にiPad、
iPod、パソコンを使いこなせない人が意外と多い。それでもタブレットPCが普及始めたので解消してきた。
 ラーメン屋の行列で待つ、新製品の発売を店の前で待つなど、「待つ」ことが、レジャーの要素の一つになっている。
待つというのは、「間」があるということ。その間は、空白である。元もと私たちは空白に漂う陽炎のようなもの。
それが本来の姿ではなかろうか。生れて死ぬまでの間、それが生きるということ。その間で、たっぷり間を持つことも
大事ではなかろうか。それにしても時間に、いや、空白に恵まれていた。「待つ時間が人生の大半を占めていた」とはね!
・・・・・・
4018, シングルイン、31年間の総括 ー1
2012年03月26日(月)
    準備期間、一年を含めた31年間の総括をする。
 * 新潟駅前の事業 ー準備期間1980年3月1日〜、開業1981年3月31日、閉鎖は2011年3月30日。 まる31年。
 * 新潟駅前で4棟、駐車場一箇所、客室数500室。
 * 新潟駅前のホテル等の総投資が32億。 
 * 創業時の自己資本が2億。借金残債が、10億だったので返済額が20億円。
 * 営業利益が赤字になったのが最後の年だけだったので、勘定足って銭足らずの典型。
 * ホテル営業30年のうち、上り坂が当初10年、次の10年が緩やかな右下がり、2001年の9・11テロから
   4年かけて売り上げが三分に二に激減。 さらに2008年の9・15のリーマンショック以来、二年半で半減。
   11年前の9・11テロから三分の一まで減少。 東北大震災で、さらに2〜3割減が予測された。
   破綻の直接原因は9・11テロと、リーマンショックの売上が65%減。 東北大震災は最後のとどめ。
 * 取引先への負債は20日締めの月末支払いを終えた後のため、ほぼゼロ。事務所、自宅への債権者の電話、押しかけゼロ。
 * 最後まで残った役員と管理職の退職金は、当社退職規定の65〜95%の支払い済み。(国の補填3百万も含め。)
   役員は、役員就任時に一度、退職金払い済み。
 * 会社関係の5つの物件は三ヶ月で完売。 しかし一つがキャンセル。 それも、半年後に売却。
  ( 弁護士曰く、「銀行も、ここまで早く売れると思ってなく、慌てていた」。
   自画自賛になるが、千葉、長岡で手がけたビルは、売り出すと同時に即売。 設計の中に売却前提で計画してあるため。
 ▼ この事業の結果に対して、後悔も、未練も一切なし。 三つの経済・自然災害が直接原因だが、本来、土地を仕入れ、
  借金をしてする事業ではない。そのことに10年で気づかなかったこともある。それと、情報化で、ビジネスのあり方が
  変わってしまった。数日かかった出張も日帰りで済むようになってしまった。 結果から、バブル崩壊直後に売却が理想。
・・・・・・
3652, 地震 ーつれづれに ー12
2011年03月26日(土)
  * 外国人が大挙して帰国、 そして身近に避難民が! 
 日ごと、原発の放射能の起こるべきマイナーの影響が一つずつ、現れ出てきている。
御用放送局のNHKのニュースと、広告料金で成り立っている民法の流す情報など信じるに足りない、と仮説を立てると、
現在流されている事態の本質は知ることが出来ないのは当然のことと思い知る。 東北は壊滅状態とは間違っても記事に出来ない。
毎日、枝野官房長官の発するコメントは建前の上っ面の情報でしかない。 外国人が我先に逃げ出していることを考えると、
地球史上最大規模の危機とみるべきである。 政府は事実の情報を風評とて否定することしか、パニックを抑えるしかない。
現状の進展を一般には小出しにするしかないのである。放射能の摂取量が10倍、100倍から何時の間にか数千倍になっている。
しかし、外国は容赦なく事実を報じるから、そのギャップがみえてくる。
 ところで、家内が昨日、自転車で郵便局に向かっていたところ、中年の女性に福島弁で「郵便局は何処ですか」と聞かれ、
「自分も行くところだから、ご一緒しましょう」と、自転車を降りて話しを聞きながら案内したという。その内容とは、
「自宅が30キロ以内にあり、家族で車で避難してきた。しかし、自分は透析を受けているので、中央病院に近い比較的
良い公立のデーサービスの施設に一人でいる。原発は政府は安全というので、信じていたのに、こんなになってしまった」と。
その施設に三年ほど亡くなった母親を週二回、世話になったことがあった。大きな娯楽室があるが、そこのステージの上で
暮らしているとか。 30キロ以内なら、もう元の生活に戻れるかどうかである。その人の顔色が悪く正視できなかったという。 
駅には、大きなリュックを持った親子連れの姿が多くみられる。本当に、これが現実なのか信じられない日々である。
 この事態で、経済活動は大幅に減ることになる。それだけでない、今年の就職の内定の取り消しと首切り、そして倒産が
大幅に増加することになる。身が凍る思いである。あれから二週間になるが、現在も進行中で問題が拡大している。
・・・・・・・
3287, 人みな骨になるならば ー5
2010年03月26日(金)
 * ザインとゾルレン   
ー まずは(P−68)の「ザインとゾルレン」の一部分を抜粋する。 
・ザインはドイツ語で、「在る」とか「である」のことだから、抽象名詞として使うと「そこに客観的に在るだけのもの」
という意味になる。それが良いことか悪いことかを問わず、現実にあるんだもの、しょうがない、といったニュアンスの言葉。
「存在」と訳されるが、「現実」や「実態」と訳したほうがよいことも多い。
・ゾルレンというのは、英語では助動詞に相当する。「べきである」「そうあらねばならない」といった意味で、
抽象名詞としては「当為」と訳される。当為は訓読みすれば「まさになすべし」と読み下す。
「そうあらねばならない性」、ひいては「本来はそうであるべき様態」のことである。
  たとえば、当時の旧制高等学校生なら「親父が死んだので、ゾルレンとしてはすぐ郷里に帰へって家業を継ぐべきだが、
 ザインとしてはここでこうして破帽のまま君たちと安酒を酌み交わしているわけさ」といった使い方をした。
このように、ザインはゾルレンとともに用いられるのがほとんどだから、ザインというのは単に現状というだけでなく
ゾルレンと対比される「ていたらく性」を帯びる。 本当はゾルレンであるべきなのに、現状はザインなのよ、といったところ。
前節で挙げた唯骨論によると骸骨こそがザインの象徴である。 そんなものが、われわれの体内に鎮座しているというのは
必ずしも歓迎すべきことではない。若い美男美女であれば、なおさらのことである。 だれしも一皮剥けば骸骨が現れることは
簡単に証明できる。 ただ最近は手術場を除いて、生きている人間にそんな残酷なことをあまりしなくなっただけのことである。
ゾルレンとしては、万物の霊長にして神の似姿である。そんな人間の中心が骸骨にすぎないというのは直視するにしのびがたい。
いくらなんでも骸骨はあんまりだ。人間の中心には霊魂やクンダリニーが宿っているべきである。 しかし、それはあくまでも
ゾルレンなのであって、あいにくとザインとしてはやはり愛想のないことにおぞましくも骸骨しか存在していない。
ここで悟るべきである。ゾルレンというのは願望や想像、あるいは強制にしかすぎず、実証も提示もできないものであることを。
ゾルレンは信じることが出来ない対象であることを。 これに対してザインは見ることも、触ることもできるものである。
▼ ザインが唯骨論の骨の存在で、ゾルレンは神の似相である、というのは言いえて妙である。
 ゾルレンは願望や想像、あるいは強制に過ぎないと言うのも刺激的である。こうあるべき、というのも幻像の最たるもの。 
等々、著者の虚無の論も肯けるというより、優しく聞こえてくる。 それも経験と年齢を重ねたためである。 
閑吟抄の、チロリ チロリ チンチロリの「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」の虚無とは類似をしている。 
成すべき、などの建前より、今生の世は夢 と割り切り、狂ったように生きることこそ、虚無を突きぬけた言葉である。。 
何をしても、成るようにしかならないのだから、目の前を精一杯、何かに打ち込むしかないということ。それも、捨て身で。 
それが狂うということ。 この二つを冷徹な目で、己に対してみつめることだ。それが骨になったものの視線である。
 ・・・・・・・・・
2912,金を使うなら頭を使え!
2009年03月26日(木)
 榊原英資vs岩井克人の対談 「金を使うなら頭を使え!」ー新潮45ー09年2月号
 ここで学者と元大蔵官僚の二人は、この金融危機の深刻さをアッサリと論じている。
既にアメリカの金融全体に8兆ドルを投入していたのである。それだけ深刻ということになる。
一つAIGだけをとっても潰すことができない。潰せば残っているゴールドマンサックスなども
倒産してしまうからである。といって対処主義では、ここだけで数百兆円も投入せざるを得なくなる。
ということは、結果は知れたこと。 新ドルの切り替えか、国家デフォルトしかないことになる。
 ーまずは要点を抜粋してみるー
榊原は、
・まず「アメリカ政府とFRBが金融セクターに入れてある資金が8兆ドル(800兆)で、
 アメリカの金融システム全体が公的な管理に入っていると述べている。
・アメリカの消費が落ちなかったのは消費者金融のおかげだったが、それが壊滅した現在、
 国民は消費行動を変えざるを得なくなったという。
・金融危機ー>金融収縮ー>資金繰り難、倒産ー>マイナス成長ー>不良債権の増加ー>金融危機の拡大
 というスパイラルに入ってしまう可能性が大としている。
  (字数の関係でカット2011年03月25日)  
・・・・・・・・・
2548, 一神教vs多神教 ー2
2008年03月26日(水)         (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この本を読むと、現在起こっているアラブ対欧米の血みどろの争いの原因が透き通って見えるような気がするから不思議。
この本は、一神教の批判本であり、多神教については、あまり語られてはいない。そもそも、一神教は奴隷の宗教、
迫害された人々の宗教である。だから、その根本は怨念があり、戦闘的であるのは見ていればわかることである。
「なぜ多神教は一神教に負けるのか?」という問いと、その答えが面白い。
 ーまずは、その部分からー
多神教は突きつめると、共同体の血縁幻想に支えられ、母親的、女性的に支えられているから、それが一神教を打破することはない。
戦わないということはないが、自分の範囲以上には自分の神々を広めようとしないから、限度がある。逆に一神教同士だと、
両方が普遍性を主張するから、血みどろの戦争になる。共産主義も一神教です。 ユダヤ教かキリスト教の改訂版です。
一神教が普遍的現象なら、中近東以外の地域に別の一神教が出来てよいはずですが、発生しませんでした。
ということは、一神教は、自らの普遍性を主張しますが、本当はきわめて地方的な現象で、言ってみれば、中近東の風土病ですね。
一神教は、中近東の風土病で、強迫観念が強い。そして狂信的の重度の病気であるから、絶対にこうでなくてはならないと
信じているやつと、多神教のように、こうでも、ああでも、いいと思っている奴と喧嘩をすれば、勝負ははじめからわかっている。 
その結果、一神教が世界を植民地化していったのである。
 ーー
一神教は都市の宗教であり、多神教は農村の信仰であるということ。世界宗教に発展するには、まず都市の宗教である必要があったのです。
 ーー
一神教は人類の癌だという意味は、一神教の唯一絶対神を後ろ盾にして強い自我が形成され、その強い自我が人類に最大の災厄を
もたらしているということです。自我というのは、病気で、自我の強さは病気の進行度のようなものだけど、その場合の最大の難関は、
その両者が対決すると、自我の強い方が勝ってしまうということです。つまり、人類は、病気の重い連中の方が勝つという絶対矛盾状況に
おかれているということなんです。人類史でいえば、ネアンデルタール人が絶滅して、クロマニョン人の世の中になってしまったという
時点で、もう間違ってしまったじゃないか。クロマニョン人つまり現生人類は言語も宗教も芸術ももっている。それ以前に、地球に
人類が発生したことが間違いのもとだったということになる。人類がいなかったら、人類以外の動植物はどれほど幸福だったことか。
 ーー
好戦的な狂信主義者といえば、それまでだが、あくまで中近東の風土病という表現は言いえて妙。
一神教は人類の癌というのも、思い切った言葉である。人類は癌というのは聞いてはいたが。
また明治政府以降の天皇制について、擬似一神教と看破しているところは頷けた。その辺は、次回に考えてみる。
・・・・・・・・
2007年03月26日(月)
2183, --つれづれなるままに--       (~Q~;)  おはよう??ファ?
 ー大相撲についてー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 
 ー夢ー
 ー携帯電話ー
  (字数の関係でカット2012年03月25日) 
・・・・・・・
2006年03月26日(日)
1818, あちら側の世界-1      (’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ?                 
 ウェブ進化論 ?1 ー読書日記
  ー概略編ー 
新聞広告をみて面白そうだと思っていたが、買って読んでみてショックであった。(ウェブの世界の深遠をみてしまった!
ということで)私のような門外漢でも理解できる内容がよい。読んで現在進行しているウェブ世界の奥行きの深さを思い知らされた。
というよりGoogleの世界の奥行きを知らされた思いだ。私の場合、毎日平均数?回はGoogkeの検索を使っているから、なおのこと
理解できたのだろう。そして、5年間このHPを維持してから。そしてamazonのHPの進化を実感してきたからである。
キーワードが現代のお金で、検索の向こうが現金引き出し機か、何でもでてくる自販機、という譬えの世界である。
ウェブのとてつもない世界が、向こう側で自己飛躍している。ー資料をGooglの検索で集め、まとめてみた。ほぼ、
この本の概要の7?8割は把握できるだろう。(このプロセスで、この本を2?3回読んだ効果はあったが。
本そのものの読み方もキーワードを検索をしながら読むと、理解が早く深くなる。それより、やはり買って読んだほうがよいが。)
ー私の感想文というカタチにしたー
   ーー                  (。・・)_且~~ お茶                        
ウェブの世界の人達からみれば、何ということが無いかもしれないがその利用者として、驚きの毎日を過ごしている
此方側の自分が、著者としての当事者のアチラを含めたウェブの世界を鳥瞰している内容である。
ネットの「あちら側」と「こちら側」というユニークな視点で、Webの進化がもたらす影響を論じている。
(字数の関係でカット2008年03月25日)      ー つづく
  ーーーー
「ウェブ進化論 」?本当の大変化はこれから始まる
   ちくま新書 ?梅田 望夫 (著)   サラバジャ?  ゝ(-_- )
・・・・・・
2005年03月26日(土)
 1453, おどろき、そして感動
「考えるにはどうしたらよいですか?」という純朴な問いかけがある。この問いかけに対して、いずれの哲学書にも
「おどろき」が「考える」突破口になると書いてある。何でもないことの中にも新しい発見を見つけ驚くことがその出発点になる。
驚きは、そのまま感動につながる。その感動が人生を動かす。仏教の教えの中に「驚きをたてよ」という言葉がある。
この言葉は、考える、生きるという面で深い意味がある。歳を重ねると、多くのことを経験しすぎて驚きが少なくなる。
しかし、歳をとって解ったことは「驚きが桁違いに多くなった」ことである。知れば知るほど、その周辺に知らない発見が増えるからだ。
驚くということは、未知・無知の分野に果敢に挑戦して新しい何かに衝撃を覚えるということだ。それと未知なるが故の不意打ちが
驚きになる。 そして、それが考えにつながっていく。無能の人は、何を見ても聞いても驚かない。驚く素養がないのだ。
いや思い込みというバカの壁が取り囲んでいる。破れている太鼓が音が共鳴しないのと同じである。
隣の太鼓の音にもよい太鼓は響くが破れ太鼓は実際に叩いても音が響かない。驚きには、その皮の張りが必要である。
世界を旅をすると、驚きに満ちている。そして、その深い世界に感動をする。こんな世界があったのかと、
内面が爆発しそうなほどの感動を数知れず経験する。そして対象にのめりこんでいく。人間は感情の動物といわれる。
たしかに理性的な部分が人間たる所以だが。人間を突き動かすエンジンのはたらきをするのが感情である。
 感情は
・おどろき ・愛 ・憎しみ ・喜び ・悲しみ ・欲求の6つから成り立っている。
 (字数の関係でカット2013年03月25日)
・・・・・・・・
2004年03月26日(金)
1088, 商売人
「商才は西進する」とシルクロードの旅行で聞いたことがあった。ところが、曽野綾子の文章に同じ内容があった。
・東京商人は大阪商人に比べたら子供  ・大阪商人は中国商人に比べたら赤子
 (字数の関係でカット2012年03月25日)


4391、大衆は何も考えない

2013年03月25日(月)

    * 劇場版「相棒の映画感想
 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、物語に捻りと味わいがあって面白い。
一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。  ーまずは、専用サイトの内容よりー
 【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、
 捜査一課刑事・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行本店システム部の中山雄吾。
ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う伊丹、
不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めていく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は
行き詰っていく・・。】   ー私の主観で要約するとー
 ≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容がネット上に流され、それを知った暴力団関係の
トレーダーが、そのXデーを知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察トップが、銀行閉鎖の
計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然とマスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 
 キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。
金融庁などの各省官僚と政治家の打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。
 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。
 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。
 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、
アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。貨幣も国債も信用があってこそ通用する。
誰も信用しなくなったら只の紙切れ。映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクスで
Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから立て直さなければならないならば。
それにしても、あまりに国民は無知と(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、「シリアへの攻撃と、
イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認があった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。
・・・・・・
4017, 事業生活39年の、独り語り ー5
2012年03月25日(日)
  最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞め、一年間の遊学時に見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。
 父は自分の死期を悟り、ビル建設の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後に父は亡くなった。 
 千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだことになる。
 この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
  そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、
 捨て身で、よくぞやった!もの。ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。 急遽、店舗二店とも知人の伝手で
 経営委託をして長岡にUターン。 危ない綱渡りである。 人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が
 湧き出てくることを、この経験から知った。 ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟のホテル開設資金の資本金になった。 
  千葉の千城台はジャスコ勤務の後に産能大に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の商業地区の
 売却を目にしたのが始まり。 ところで父は、実家の事業にたずさわっている婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。
 そのため亡くなる数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、私と、母と、兄と、姉に、4等分の
 相続を宣言し、名義を変えてしまった。これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦を見限っていた。
 ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
 自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が
 社長になっていた。 私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。 それもあり、私が千城台ビルで、
 二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発である。 
  起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り心頭だが、私には、想定とおりのこと。
 大学を出てからの熾烈な日々が、「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。千葉の知人に相談したら
 丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託をして実家に戻ることになった。 これも丁度良い、節目。 しかし朝飯前と
 思っていたが、ここも過酷な日々が待っていた。 地方名士を自認していた姉夫婦の後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして
 帰ってきたという街の冷たい視線と流布の中で、私にとっては第二の創業。 姉夫婦にとって、手際よくUターンするとは思っても
 いなかったようだ。 それより我慢を重ねてきた母の激怒が、全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。
・・・・・・・
3651, 地震 ―つれづれに  ー11
2011年03月25日(金)
 * 凍りついてしまった経済
  この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 
・ リゾートホテルは、歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 
・ 生鮮野菜も恐ろしくて、他の産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できなく。
・ 知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。
  資材が入手出来るかどうか混沌としていて、期限までに住宅の完成が確約できない。
  その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 
・ 飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。
・ 甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れなくなり頭を抱えているとか。
   これでは、経済恐慌になってしまう。
 空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、ただならぬこと。
この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。
それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口にしたらよいのか?恐ろしい限りである。
そろそろ農家は田植の準備に入る時期に入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 
売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。
一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、景気は悪くなる一方のは当然だろう。
  * 奇妙な数字の一致
 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、この3.11は14時46分。
 偶然だろうが、46分が一緒!
 いま一つが  2001年 09.11
       + 2011年 03.11
       =  012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。   偶然の一致だが面白い!
 ・・・・・・・・
3286, デフレの実感
 2010年03月25日(木)
  2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。
・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半経つ50インチのTVの買い替えを考えて
 大型家電を三店舗まわってみた。 今度は65インチの薄型TVで、4〜5年前は100万前後していた。
 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し引いて30万円である。隣にあった一番ホットの
 LEDのシャープの60インチが37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は下げられる?
 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。
 しかし地上波への変更が(特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し心が動いたが、
 このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の購入は止めにした。
 次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。
・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか
 入り手がないという。 自宅のまん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか入居者が居なくなった。
 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう20年入居一括借上げの会社があるが、
 以前から会社が倒産するリスクをオーナーは考えていないと懸念していた。 こういう時節になれば、特に危険である。
・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 中小は、特に厳しく、何とか助成金で
 食いつないでいるが、必ずクラッシュがあるはず。
店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウントを長年かけて作り上げてきたところ。
100円ショップ、ユニクロ、ニトリ、サエゼリア、回転寿司、蔦屋などである。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 
デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。 後ろに控えているハイパーインフレが恐ろしいのである。
これが国家破綻という奴だ。一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除は出来ない。
 それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。
 ・・・・・・・・
2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
 「 人間にとって、その人生は作品である 」 これは司馬遼太郎の言葉である。 
 「 人間には志がある。その志の味が、人間の味である 」 という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品ということが理解できる。
そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 死んだ時に完成するが、その時は自分にとって
関係ないことになるから絶妙。哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 本人の意志に従う物語。
従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると、顔から火が出ることが度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの内容が物語を決めることになる。
だから、問題に対して嘆いてはならない。(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 「死の看取り」から、人生をみた時に
彼女は人生の奥義に気がついたのである。 産まれて、死ぬまでの、それぞれの時節に、それぞれの難問があり、
その難問を解いていく過程で学ぶことが人生であり、最後のレッスンが死であると職業を通して学んだのである。
これは学びというより、修養ともいえる。 解決不可能に近い難しい問題が押し寄せてくるのが人生。それを解決するためには、
問題に対して真正面から真摯に向き合うしかない。目をそむけると数倍エネルギーが被さってくる。それも作品だろうが。
昨夜、女房と「人生など二度とない、思い切って全てを処分して三年ぐらい二人で彷徨ってこないか?」と話している夢をみた。 
現状逃避がありあり!だが。 そういえば、TVの旅行番組で、ある工場を定年退職した人が、全てを処分して買ったヨットで
夫婦して欧州の運河で旅行しながら生きていく姿を映し出していた。 何ともいえない人生の姿(作品)である。 
 ・・・・・・・・・
2547, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー5
 2008年03月25日(火)       ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚
ギリシャ神話の「ピグマリオンの神話」に登場するピグマリオンという王様。
自分の彫った女性像に恋をする。恋こがれた彼の想いがビーナス神に届き女性像は本物の人間になり、
ピグマリオンの恋が成就するというストーリー。
この娼婦の館の女主人は、ひとりあたり二年かけて、そのような理想に近い女性を作り上げる。
 その幾つかが、なかなか面白い。女性の魅力の作り方であり、真をついている。
(手練手管の熟練が自然と身につけるイロハである。) ・われ関せずの態度をとること。
・彼らが期待するイメージのみを与えること。     ・自分の問題は自分で解決すること。
・巧みなセックス技術を身に着けること。       ・ユーモアと優しさと悦楽を与えること。
 (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)
・・・・・・・・
2007年03月25日(日)
2182, 「ライオン 空前の王交代劇」ー2      ( ^3)ー♪ オハヨウゴザイマス!
「ライオンの空前の交代劇」を観ていた時に、一年ぐらい前の「三頭の兄弟(放浪)ライオンの物語」を思い出した。
「検索」で調べてみたら「地球・ふしぎ大自然」で、昨年4月に放送されたものだった。インターネットは本当に便利である。
 ーその内容をまずは紹介してみるー
 ライオンは猫科の中で唯一群をなして生活する動物である。しかし一つの群の中のオスは最大でも三頭ぐらい。
それ以外のオスは群に属しない放浪生活をする。だが放浪ライオンの生態についてはあまり知られていない。
今回この番組はその放浪ライオンの生活の記録を伝えている。群の中のオスは、遅くとも三歳までに群を出される。
これは近親交配を防ぐためであるとのことであるが、元来狩が苦手な雄ライオンにとっては、これは試練の始まりでもある。
この番組では、ある三頭の兄弟を追いかけて、その生態について紹介している。ライオンは同時に群を出た兄弟が一緒に生活する
例が多いとのことである。群を出た放浪ライオンは、自らだけの力で生きていくか、どこかの群を乗っ取るか、しか手はない。
まだ力不足の三兄弟は、まずは自分たちの力で生き残る試練にさらされることになる。食料の少なくなる乾期などの試練を
乗り越えて、三頭はなんとか生き延びる。 翌年、やや逞しくなった彼らは、群の乗っ取りを試みる。
しかしながら他の群のメスに全く相手にされない。結局彼らは二回の失敗後、幸運にも雄ライオンを病気でなくした
メス三頭の群と出会い、自分達の群を手に入れる。もっともこれからの彼らは、その群を守る任務に追われることになるのだが・・
ちなみにライオンが群を維持できるのは長くても三年が限度だとのことである。ライオンが群で暮らすことは以前から知っていたが、
あぶれた雄がどうして生活しているのかは当番組で初めて知った。やはり雄が自分の城を築くのは大変なようである。
ところでこれまた私が初めて知ったのは、雄ライオンが兄弟で行動することが多く、群も兄弟で維持している場合が多いという。
ライオンの兄弟の結びつきがこれほど強いというのは、なかなか興味深いものであった。
 解) 前回は、メスのライオン・クループの視点の「王交代劇」 のドキュメントだったが、これは雄の放浪ライオンの立場の
 苦労物語である。(TV局も、制作会社も違うものだが・・・)百獣の王ライオンに、このような弱肉強食の世界があるのである。
 メスのグループにも、オスにとっても試練はどこにもある。人間社会と、似ているところが可笑しさと、悲しみを感じとれる。
 デ・カン・ショ、デ・カン・ショというが、人間の本質は動物とドコガ違うのか。
  まあ、ライオンの世界と人間の世界の違いを論じてもしかたないか?
 追い出されたオスが社会の中で、自分の居場所を確保するのは至難のワザではないのである! まったくである!
ーーーーー
2006年03月25日(土)
1817, 日暮里界隈 ー2        ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
最近の定宿は日暮里のホテルである。 日本旅行社の元支店長の知人に、「都心(東京?秋葉原)に近くて、
安くて・便利で・気楽で、インターネットもあり、かつ面白そうな居酒屋が近くにあるホテルはないか?」と聞いたら
「自分が定宿にしているホテルが全ての条件を揃っている」という。 
   (以下、字数制限のためカット 2010年3月25日)   
・・・・・・
2003/06/26
日暮里界隈 ー1
(字数の関係でカット09年3月25日)
・・・・・・・
2005年03月25日(金)
1452, 「仏教の根底からの否定」の文章ー2
    ー山根二郎かく語りきー2
 ー前回に続いて印象的な部分を書き出してみるー
あのオウムが、教団の対立者を「ポア」という名で殺したが、これは特殊な教義を信奉していたからと信じられている。
 (字数の関係でカット2008年03月25日)
・・・・・・・・・
2004年03月25日(木)
 1087, ある日突然
 ある日突然、今まで順調であった仕事や商売が成り立たなくなる時代になった。
 以前は、時計屋が典型的な事例であった。
・25年前に、デジタル時計の出現でアナログ時計の売り上げが激減をしてしまった。
・10年前には駅前旅館も消滅をしてしまった。
(字数の関係でカット2008年03月25日)
・・・・・・・・
2003年03月25日(火)
 720,「お金の哲学」ー3
デフレになって、お金の価値が物の価値より上がってきて、日本ではタブーのお金に対して関心が増してきている。
過去何千年も祖国を追われていたユダヤ人は特にお金にシビアであるのも、最後頼るべきはお金や金ダイヤなどの
貴金属ということが骨の髄まで解っているからである。 
(字数の関係でカット2011年03月25日)
・・・・・・・・・・
2002年03月25日(月)
356,西アフリカー3
 ー能力探しー
今回の旅行で面白い人とであった。 予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。
年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。 今回の旅行で3つの歌を作ったという。
 (字数の関係でカット2013年03月25日)


4390, ブラック・スワン ー3

2013年03月24日(日)

               「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
   * 2023年までに予測されるブラック・スワンは?
 これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。大雑把でいえば世界恐慌と大戦である。
今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 
さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 地震などの天変地異、経済動乱、戦争が
何かのキッカケで突然起ことになる。しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。
ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 人生はマサカという形で、ある日、突然に、
我われに襲いかかる。特に断絶の境目には起きやすい。 情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識は大量に
私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。
1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。
地震か富士山噴火も考えられる。「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、現在まで
舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。 昨日、シネマで「相棒」の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、
官僚と政治家による銀行閉鎖の「X−day」のネット上での暴露が隠されていた・・・》というリアルな脚本。
数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの
批判とも受け取れる内容。意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから、恐ろしい。ある日を境に、
黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・
4016, 事業生活39年の、独り語り ー4
2012年03月24日(土)
  昭和30年後半辺りから、駅前百貨店と既存商店街が主な流通経路だったが、新たにスーパーが現れてきた。
 既存の流通経路では大量生産、大量消費の物流が対処できなくなったためである。そして書店には「流通革命論」などが、
 並ぶようになっていた。 実家が衣料量販店だったこともあり、それに注目するのは自然の流れ。 渥美俊一著のシリーズの
 「チェーンストアへの道」下地にした「流通革命」を武澤ゼミの卒論のテーマにした。 それもあり、就職先が「ジャスコ」。
 その一期生と言えば聞こえはいいが、三社合併の先兵として、合併先の矛盾の先頭に立つのが役割。そして一年で辞職、
 産能大に編入し、その一年後に金沢を中心に衣料店チェーンを展開していた「いとはん」(後にジャスコに吸収合併された)
 に一年半、勤務した。フィールドでの、ジャスコ、いとはんは俗にいう修行。 その産能大時代に、三番目の姉の家の二階に
 居候させてもらった。 絵に描いたような話だが、その姉が貸家として千葉市郊外の5万人ほどの新興住宅地の千城台に、
 貸家を持った直後だった。 姉、曰く、「ここは、数年で土地の値段が数倍になる。もうじき団地の真ん中の四つ角が格安で
 売りに出される。あれは絶対買い得。」 そして、暫くすると新聞広告に売り出し広告が出ていた。 千葉県土地供給公社が、
 「大規模団地を造成し、購入希望者の抽選会を公開で行い、当選者に売却」とあった。 外れて元々と、申し込みをして、
 公開抽選会に行ってみた。 そころが5倍と10倍の競合だった二箇所のうち、5倍だったところが当選したのである。
 そこで実家に帰って父に告げると、にべもなく、ノー。「明らかに数年で二倍になる権利を捨てることはない。私に買ってくれと
 いうのでなく、会社名義で買うべきだ」と三日間、朝から晩まで父に張り付き、イエスの返事をもらった。もちろん会社名義である。
 その売却条件が二年半以内の建物の着工。現場での一年だけの現場経験では、まだ精神的体力が足りないのは自他とも認めるところ。
 あと二年の経験が必要と当時、厳しさで知れ渡っていた金沢の「いとはん」に二年の条件で入ることになった。その後、そこで
 私が何か事業を立ち上げる前提があった。 成る程、「いとはん」は聞きしに勝る厳しさ。西友の資本傘下に入った直後で、
 社内全体は動揺の渦の中。 金沢は加賀百万石の気風があり、気位の高さと、どんよりした暗さと、人間味の深さがある独特の空気。 
 男は武士顔、女は京都顔。何ともいえない味がある。外づらは良いが、内づらはウワサ社会の城下町である。社内は、被占領会社の
 惨めな空気がドップリと浸かっていた。 そして色いろあった一年半後に、実家の姉から「父が末期ガンで、あと一年!」という
 知らせが入った。 20歳の時に創業人生を決めてから、この瞬間までが、「創業の準備期間」になった。 振り返ってみると、
 激しく厳しい経験だったが、全てが合理的。 特に、産能大の一年は勉学と、千城台の土地購入は人生を大きく変えることになる。
・・・・・・
3650, 精神科医師の幸福論 ー2
2011年03月24日(木)
 * 精神科医師の恋愛論とは?
 ーなるほど、面白い恋愛論である。まずは、その箇所からー
≪ 昔ならば片思い程度で済んでいたものが、スターの追っかけやストーカーと派手になってしまうのは、今の「自分」への不満が
それだけ強く、相手を脱自の手段とすることに躊躇がないからだ。 ・・・・ 恋愛とは、本来、相手の幸福を願うことであるから、
〈お互いが、人生を満足できるように親切をすること〉と定義すると、ここでも、�◆檻韻�互いの人生が満足のゆくようなもので
あるように望み、手助けすることと、�◆治押,�互いが人生に満足できる人間になることを望み、手助けすることのふたつの領域が
あることになる。しかし、恋愛では、先に述べたように、新しい自分になって、見るもをの聞くものが新鮮になるという脱自が
起きなくては、それこそ恋愛という感じにはならない。つまり�△海修�、恋愛の本質的な領域だということになる。
それはどういうことかというと、�,痢▲廛譽璽鵐箸鯊�り合い、おいしい食事を共にし、一緒に旅行・映画に行き、楽しい会話をする…
といったモノ・コト(経験)の数々は、それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種のサービスを
提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで下さい」と断ったものだった。
次に�△領琉茲呂箸いΔ函△海譴泙燭佞燭弔△辰董↓◆治院,蓮�一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて回ったりすることに象徴されるように、
かなりはっきりとした幸福感のようなものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く挙げられることからも分かる。
それに対して、�◆�2の領域の、二人が互いに高めあうというのは、今は、全く人気がない。 というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、� ↓◆檻院↓◆檻欧隆屬罵匹貽阿�ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。
 この視点で、色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
  *文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
 ー まずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋してみる ー
 文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害からは防いでくれるが、それでも疫病や
事故といった不運を増やすことも減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むことに
よる不運がとって変わっただけである。 幸いなことに文明には文化といった非物質的な相棒が付き物だった。
つまり、我われは文明という即物的なカプセルとともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・・  
「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、
第三惑星に棲息する弱々しい「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセルであった。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した文明と文化というカプセルにより自らを防御する。
なによりもまず寒暑、飢餓、外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。また人間の心理が物理的宇宙から
浸蝕されていくのも防ぐ。 いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。
それほどの守護神が宇宙の冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団の内部に、
それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、戒律、法その他である。これらによって、
われわれの集団内部に限って理不尽は最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、
また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治国家のもとで暮らすかぎり、
社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理がおおむね通用するようになった。
 ▼ 「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。
 ・・・ いわば宇宙と人間のインターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙である。
そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、人間世界の中の通貨のようなもの。
神も、文化・文明も、人間が共同幻想でつくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして
透してみれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれはドコが違うというのか。
 ・・・・・・・・・
2910, 閑話小題 
2009年03月24日(火)
 * ジュンク堂が大日本印刷に買収だと
 数年前に新潟駅南〈裏)に大型書店チェーンのジュンク堂が出店した。御蔭で、隔週は必ず行くようになったが、
それでは買うかというと買わない。面白そうな本をメモを取りアマゾンで買う。持ち帰るより、年間送料契約2千円を
払えば後は幾ら注文しても送料はかからない。それと一度冷静になれるので、衝動買いを避けることもできる。
   (字数制限の関係でカット2,012年3月)
  * パーク24が「マツダレンタカー」を買収
   (字数制限のため、カット2010年3月24日)
・・・・・・・・
2546, パリ高級娼婦館女主人の告白 −4
 2008年03月24日(月)
やくざや娼婦の世界にも階級がある。差別だけは人間の性なのである。
弱肉強食の世界では、ついて回ることと割り切るしかないのか。
  *やくざと娼婦の階級
 やくざ社会の人間たちは、自分たちの行動をさして自覚もせず、大きな子どものようにふるまっていました。
 彼らはグループに属し、その中で権利と義務を持ち、名誉の掟`というルールと階級を重んじていました。
 ・階級の一番上には詐欺師、
 ・次に力自慢の暴力分子(カツアゲ・・・)
 ・そして一番下に売春婦のヒモがいました。 ヒモたちは、さらに自分たちの女が勤める場所別で、
  それぞれの階級に分かれていました。ドレーヌ寺院の界隈、オペラ座界隈、ブロデル通り界隈といった具合に。
 ・犯罪者の最下級は強姦犯でした。
(字数制限のため、カット2011年3月24日)
・・・・・・・・・・
2007年03月24日(土)
2181, 「ライオン 空前の王交代劇」       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
 NHKハイビジョン特集「ライオン 空前の王交代劇」(2007年 3月21日 午後8:00〜午後9:32)
これが非常に面白い内容で、アッという間に90分が経ってしまった。ケニア・タンザニア・南アフリカのサファリに5回行き、
ライオンの群を多く見ていたた。(翌日は同じ時間帯で、像の群れの物語を放映していた。 場所はタンザニアの
セレンゲッティー国立公園の「マコマ・ヒル」という名の、小高い丘の一帯である。 総勢40頭を誇ったライオンの群れの
「王」ショーンとパトリックが、突然に行方不明になった。 在位7年というから長期政権だった。群れは新しい王が必要となる。
そこでオスを呼び寄せ誘惑、新たな王として相応しい雄の値踏みをする。この番組は、その王交代劇を克明に伝える内容である。
メスは子供をつくり最後まで育て上げるため強いボスを必要とする。ライオンの群れは血縁関係を持つメスと子供から成りたっていて、
普通は2頭の兄弟雄が「王」として君臨している。群を組んだ放浪ライオンの対抗上、二匹のボスでなくてはならない。 
これが他の動物と違うところである。 グループの大きさによっては一匹もあるが。2006年、二匹の「王」の行方不明で
群れは大混乱に陥り、群は3つのグループに分かれていた。
・まず幼い子供たちを持つ母親たちは、侵入して来るオスを避けて群れを離れた。新しいボス候補が前の王の子供を殺すからだ。 
 最終的に、このグループの子供は殺されたり餓死で一匹もいなくなっていた。
・次は子供を持たない若いメスのグループで、においと声で積極的に新しいオスを呼ぶ。
 そして思わせぶりな態度で誘惑し、オス同士を闘わせて値踏みを始める。
・最後は、年増の子供がいないグループで、最後まで様子をみている。
グループの周辺にも、幾つかの群の放浪雄がボスの座を狙い徘徊している。
メスは新しい王を選ぶ時は、非常に冷静な判断をする。強くなければ産んだ子供が新しいボスの子殺しにあうからだ。
この番組の圧巻は、最後に決めるギリギリのところで、隣のグループの王を誘って、決めかねている雄と決闘させる場面である。
二頭は数時間もかけて闘うが、最後はその雄が勝利する。メスは、新しい候補の雄の年齢や、健康、たて髪の大きさなどを
冷静に見極める。候補が何匹も現れるが、適任でないとグループに拒否されスゴスゴと引き上げる。
このあたりは人間と同じである。女性の場合は相手に大きく左右されるからだ。男より数段も冷静に相手を見定めるのは
女性の本能として仕方がない。 これは男とて同じだが、家庭は男の稼ぎが大きな要素をしめるから、やはり女の方が相手次第による
要素は大きい。 但し何ごとも例外があるが・・・ そういえば10年以上前になるが、やはりNHKの特番でライオンとリカオンの
群れと、群れとの争いを克明に放映していた。 あの内容も、迫力のある殺気立った内容だった。  (○´・д・)ノ  バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年03月24日(金)
1816, 靴修理の面白さ
         (○´・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
最近自宅にある、捨てるに捨てられない靴を5足を修理してしまった。殆どの靴の踵部分が消耗して擦り切れてしまう。
靴ヘラを使っているが、先ずそこがボロボロになってしまう。特に廉い靴は直に傷む。ウォーキングと通勤で、
普通の人の倍は歩くため消耗度が大きい。最近まで履いていた靴の右足の小指の部分が割けてしまった。
靴屋に持っていけば最低5千円以上はとられる。そのウォーキング・シューズは私にすれば高めの1万2千円である。
直すに直せないし、他は頑丈に作ってあり、3年以上も通勤、ウォーキングに海外旅行にと履き続けてきたので馴染んでいる。
ジッと見つめて知恵が出てくるのをまった。 内側から踵の修理用の部品を貼り付け、外側から傍にあった金物修理用ボンドを
埋め込めば何とかなる!と。こうなると、遊びの領域になる。そして無事完成してウォーキングで履いてみたが完璧に直っている。
      (字数制限の関係でカット2,012年3月)    
・・・・・・・
2005年03月24日(木)
1451、「仏教の根底からの否定」の文章−1
  ー山根二郎かく語りきー
ある雑誌で山根二郎という人の文章を読んで、ただただ驚いた。仏教を根こそぎ否定・批判しているのである。
ここまで仏教を根底から批判している文章も初めてお目にかかる。宗教業界の坊主の質が悪いと思っていたが、
仏教を根底から否定している日本人に初めて出会った。それが正しいとか、間違っているかが問題ではない。
日本のような仏教国?で、あからさまに否定できる知識に驚いている。また、その豪胆さにも。反面、マイナスから
照らした仏教の教えの真髄も見えてくる。江戸時代に、幕府がキリスト教を封じ込めるため寺請制度に問題があった。
市役所の戸籍の役をお寺に丸投げをしたのだ。 もし人別帳から外されたら大変な事態になるからだ。
そこを利用した坊主の利益享受システムが、長年にわたってつくられた。その流れをそのまま受けついでいるのが
現在の仏教業界である。不幸につけこんだ搾取を、立場と信心を利用して行なっているのだ。それに対して、誰も声高く
批難できないのが島国の環境のためでもあった。それと似たことが、中世キリスト教会も行なわれていたが。
まあ創価学会にしても、その類でしかない。自分達だけは無税と手前勝手な屁理屈で大手を振っている。
一年ほど前、寺から京都の本堂の改築のため、一万の寄付の要求をしてきた。
「この不景気に何をいっている」と言いたいが黙っていた。全く坊主丸儲けである。
山根は、その根底から否定しているから痛快である。ー以下は彼の文章のポイントを抜粋したものである。
 ▼ 仏教が入ってきて日本を悪くした。日本人は、なぜこんな空・無の思想に取りつかれたままなのか。
 それは、もともと「私」という観念が希薄な列島の部族的存在としての日本人の意識の上に「自分というものはどこにもない」
 という仏教思想が張り付いてしまったからなのだ。  (字数制限の関係でカット2,009年3月)
・・・・・・・・
2004年03月24日(水)
1086, 疑惑
台湾で陳総統が0・2?の差で再選されたニュースを報じていたが、胡散臭い銃撃事件と思いざるをえない事件。
この事件が無ければ対立候補が絶対有利であったからだ。自作自演事件?と考えるのが、穿ったみかただろうか。
 (字数制限の関係でカット2,012年3月)
・・・・・・・・・・
2003年03月24日(月)
 719, 「私の無名人名語録」
永六輔の「無名人名語録」があるなら、「私の無名人名語録」もあってよいだろうと考えてみた。
・「会社を良くしようと思ったら、よい人間をどんどん入れることだな!ゴミがすぐ浮いてきて、出て行くんだ」
    ーあるセミナーの隣席の社長が言っていた。
   (字数制限の関係でカット2,009年3月)
・・・・・・・・・・
2002年03月24日(日)
 355、西アフリカ旅行記−2
今回の旅行は西アフリカのコートジボアールとガーナとトーゴとベナンの4カ国を突き抜けるバスツアーであった。
(字数制限の関係でカット2013年3月24日)


4389, 「うつ」かもしれない ー4

2013年03月23日(土)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
   * 「うつ」による自殺
 自殺の八割が精神疾患になっていて、その六割がウツ病。何と自殺者の半分がウツ病による。自殺は一昨年まで10数年の間、
3万人を超えているが、実際は4万と推測される。ということは二万人がウツ病による自殺をしている恐ろしい病である。
もし原発の被爆で毎日55人が亡くなったとしたら、外国人の大方は即刻、帰国するはず。それが何故か、ウツ病に対して
騒がない。ガンと同様に初期発見・早期治療をすれば大部分が治るのに、それには疎い。
「ウツ」による自殺を促進する最大の因子は「視野狭窄」という。 絶望感にとりつかれ、「自分は絶対に治らない」
「治ったところでどうなるのだ」という考えにとれわれ、結果として死にたくなる。全ての人に心を閉ざし苦しむ。
前の会社の取引先の営業が高校の後輩もあり懇意にしていた。 ところが、責任者になって暫くすると重い躁鬱病になった。
その過程で、私のところにも相談に来ていた。 私が、「躁鬱は、あくまで病気の一つ、恥ずかしがることはない。医者に行って
治療すれば回復する。ただし放置したりすると手遅れになる恐ろしい病」と、再発する都度繰り返し説いていた。そのうちに、
会社の役職を降り、平社員として営業を続けいていたが、最期は癌で亡くなった。
 親戚の人の自死の葬式に参列した時に、誰かが「何で自ら死ななければならないのでしょうね」と囁いたところ、「死ぬほど
苦しかったためですよ」と、誰かが答えたのが印象に残っている。 心も治療しないで放置しておけば、傷口がタダレて苦痛は
耐えきれなくなるが、第三者は全く気づかない。数年前、幼馴染が倒産、離婚、引きこもり、アル中で崩壊していく過程をみた。
最後は娘の住んでいる県外に行ったが、壮絶そのもの。幼児期から、このような話を聞かされ育てば、万一に備えるのは当然。
ウツは、その知識と前向きの心(言葉)の習慣化が必要である。心は壊れやすく、儚く、繊細。 だから大事に扱わないと!
・・・・・
4015, 閑話小題
2012年03月23日(金)
   * つれづれに
 変わりばいのない日が続くが、それも良い。 首都圏、特に東京の下町に住む人たちは、直下型地震で不安だろう。
震度7は、観測以来、神戸震災と中越地震と東北大震災以外に起きたことがない。そのため大都会の直下型の場合、なすスベがない。
引っ越す決断も下せないし、下町の人ほど都会っ子の軽さも重なって長野、高崎、新潟に住むのは都落ちという惨めさが強い。
 私が東京在住だったら、一年以内の引越しを考える。 勤務が東京で仕事上、難しいなら大宮か熊谷に引越し、そこから通勤する。 
夜間か土日の直下型地震の場合は被害を免れるのでリスクが半減する。 家族のリスクが半減する上に、帰る家が残る。
 ところで去年の今頃は、会社の閉鎖を決定、無我無中で整理の手順に入っていた。同時に東北大震災と、原発事故が進行中で、
非常事態の刺激的な日々。 何ごとも動き始めると、次々とすべき手順が現れ出てくる。 決断を少し早めると打撃は半分で済むが、
少し遅れると二倍になる経験則を持っていたため、マイナスエネルギーの重圧は4分の一で済んだ。止め時は、あの三月末しかなかった。 
 べき時に、べき決断をして本当に良かったが、奇しくも30周年記念日の前日に会社消滅とは・・・ 
   * ウドンの素
 自宅での昼飯は大方、カレーか冷凍の讃岐ウドンかキシメンかチャーハン。 冷凍ウドンとキシメンには、私が業務スーパーで
買ってくる「ウドンの素」を使っている。 ところが先日のTVで、このウドンの素が多くの下味に使える料理の紹介特集をしていた。 
鍋の下味、味噌汁、生ラーメン、チャーハン、生卵、卵焼き、炊き込み飯、などが格段に美味しくなるという。ウドンのダシといえば、
昆布とカツオとの混合。それが素なら、ウドンダシ以外に使えて当然。 何ごとも、その枠を取り払うと、色いろ応用できる事例。
家での隠し味は昆布の出汁を使っているが、それにカツオ節を混ぜれば同じ? 以前、「ホテル・レストランショー」で、カツオ節を
粒状にしたダシ専門会社が出店していた。 ウドンの素をを納豆にかけてみたら、なるほど美味い。色いろなフリカケがスーパーに
並んでいるが、隠し味の素のネタが、あるはず。春の高校野球を含めて、サバンナもサバンナ(日常生活)なりに、面白いことだらけ。
 ・・・・・・
3649, 地震 ーつれづれに ー10
2011年03月23日(水)
   * 日本経済がどうなるのだろうか?
 リーマンショックで死に掛かっていた日本経済は今後どうなるのだろうか? 
  ● まずは聞き及んでいる危なそうな話。
△ 地元のNSGなどの専門学校と、新潟大学などが卒業式と入学式を自粛。そのため稼ぎ時の美容室とホテルが大打撃。
△ 優先的に被災地が優先されるため、地元業者への建材の入手が困難になり、経営の根幹に関わる問題になっている。
   物から人へと民主党の政策のため、今回のような震災になると重機の絶対量が国内で激減。
   このような事態になると民主党の政策そのものが否定されたことになる。
△ 公務員の期末、期首の移動の歓送迎会が殆ど中止勧告。この時期に、当てにしてきた飲食店も大打撃。
   駅前などの繁華街は閑散としており、入店客は皆無の状態。
△ 注文していた商品が入荷したと家電チェーンのジョーシンから電話があったが、
   「節電のため、午後一時からの営業時間」という。学生が上京などで家電を揃える時期にである。
△ IT化で出張などが激減している上に、日帰り圏の地方の駅前ホテルなどが大打撃を受けている上に、これ。厳しさが身に沁みる。
△ 高校野球の特別枠の佐渡高校では応援団を出さないことに決定。
△ この震災は12〜16兆円の直接損失というが、間接損失を含めると、その何倍になる。
   国民総生産はマイナ10数パーセントの可能性がある。
△ 東北・関東の農業、牧畜は雨などの水で汚染され、壊滅状態に。
△ 計画停電は夏まで続く上に、ガソリン不足が経済の足を引っ張る。ピークの夏では25パーの電力不足になる。恐ろしい限り。
・・・・・・・・
3284, リーマンブラザーズ、最後の4日間
 2010年03月23日(火)
この三連休は、家で大相撲やプロ野球、そして録りだめていた映画を見てすごした。
その中で「大暴落 サブプライムに潜む罠」の続編「リーマンブラザーズ 最後の四日間」を二度みてしまった。
実録的なドラマ仕立ての内容だから緊迫感が満ちていた。多くの本やNHKのドキュメントを見ていたため、
引き込まれてしまったのだろう。ギリギリまで何とか救済されると思っていたリーマンの重役達の姿がリアルである。
 ー まず「リーマン・ブラザーズ 最後の4日間」の解説をW0W0WのHPからー
世界金融危機を象徴する、米国の大手証券会社リーマン・ブラザーズの崩壊。それまでの舞台裏を、実話に基づいて描いた
英国発ドラマ。歴史に残る4日間を再現した衝撃作。2008年秋に始まった世界金融危機を象徴するリーマン・ブラザーズの崩壊。
それに至るまでの内幕に迫った英国のTVムービーを《WOWOWプレミア》で日本初放送。 世界金融危機からほぼ1年後の
09年9月に英国BBCで放送されたばかりの最新作だ。 2008年9月12日の金曜日。NYのタイムズスクエアにある
リーマン・ブラザーズの本社に激震が走る。 米国第4位の規模を持つ証券会社・投資銀行であった同社だが、
前年に発覚したサブプライムローン問題の影響で、同年6〜8月期の純損失が39億ドルにも達したと判明したからだ。
それから同社が倒産するまでの4日間、同社の経営陣は合衆国政府などに救済を求めながら何とか社の延命をめざしたが、
同社の株価の急落を止めることはできなかった。 しかしその背後には金融界や米政府を含む様々な思惑がうごめいていた…。
実話に基づき、歴史に残る数日間をリアルに再現した衝撃の実録ドラマだ。
 ▼ メルリリンチ社社長とバンク・オブ・アメリカの社長の買収交渉の株式買取の値段交渉の場面がシビアである。
 当時の財務長官のポールソンがアメリカの金融機関の長たちと難局を協議する場面も圧巻。
 ポールソンが、リーマンを見放したときの言葉、「何処から倒れるかだ、まずリーマンが倒れただけだ」が印象的。
・「人は99パーセントが動物で、1パーセントが人間。その一パーセントで変になってしまう。
 しかし貴方たちは、その逆と思っていないか?」
(字数の関係でカット2012年03月23日)
 ・・・・・・・・・
2909, 寝入る瞬間を経験したことがあるか? −2
2009年03月23日(月)
 学者・マギー著「哲学人」が、自宅近くの長岡中央図書館にあった。
この本の冒頭に、5歳の頃に「寝入る瞬間がわかるかでどうか」を3歳上の姉に聞いたところ、
「そんなことを憶えている人がいるわけがないでしょ」と軽く言われ、そこで自分の眠る瞬間を見張っていたが、
出来なかったという。 それをキッカケに7〜8歳の時に指を見つめて一本ずつ曲がるかどうか試したら、
一本ずつ曲がったのを驚きの目で見つめたという。 そして10歳では・・・と、身近な疑問が次々と起こってきたという。 
400ページの分厚い本で上下巻あったが、30分ほど図書館で「寝入る瞬間の経験を何故できないか」の部分を調べたが、
調べた限りではなかった。 これは簡単に論証するには至難ということである。 カント哲学の分野ということだろうか?
 前回、軽くその答えを書こうとしたが、訳の分からない内容になったのは当然のこと。 マギーが、その後の人生で
寝入る瞬間の経験をしたことはなかったようだ。もし経験していれば、正直にそこで書いているはずである。 
それを経験したことのない人や、哲学的に「寝入る瞬間を経験することが不可能と論証された」を信じる人がいるとしたら、
私の経験はウソと判断するはず。しかし、私は間違いなく、その瞬間を経験したのである。数十分の一か、
数百分の一の刹那であったし、それは夢ではなかった。「あ、見た!」という感覚を今でもはハッキリ記憶している。
 マギーが「寝入る瞬間を何故、経験できないか」の論証があるとしたら、如何なる論か推測したが、
あまりの好い加減と恥じて、それならと懲りずに考えたみた。こと、この件に関して私は実際の経験をしているのであるが、
そうであれば、この大哲学者より私の経験が優っている。それなら、もし彼が好い加減な論の推測を気楽にできることになる。 
  ーその後の推論は次のようになるー
「寝入る!と思って寝れない。ということは意志では無理である。意志の奥にある無意識が引き込む世界で、意識の世界で
コントロールは出来ない。その瞬間は膨大な無意識の世界が意識を無に引き込む刹那な瞬間であり、それは意識は捉えるには、
その瞬間はあまりに短い。その瞬時を見るなどありえないほど、膨大の瞬時の集まりが大きい。 更にいうなら、無意識
(寝入った世界)が引き込む精神作用は意識世界の作用でコントロール出来るほど浅くはないのは経験済みである。
その瞬間を見るのは、神の姿を見るのに等しいといってよい。無意識とはそれ位、生物の膨大な記憶が刻印されている。・・・ ー
 こんなところだろうが、好い加減なことは大して違いがない。「神の姿を垣間見た」と類推するのは、言い得て妙だが。
・・・・・・・
2545, パリ高級娼婦館女主人の告白 ー3
2008年03月23日(日)          ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 女主人の一番の栄誉が、J・F・ケネディが館に来訪したことだろうか?
当時、こういうことを言ったら消されただろうが、時間の経過で身に危険がないと判断したためだろう。 
真偽のほどは解らないが嘘までデッチあげないだろう。所詮ズボンから下のことは、こんなものだろう。 
政治家は言葉である。国民に方向をしっかり告げて、底からエネルギーを沸かせればよい。
ともかく、この本、どの部分を読んでも、具体的でおもしろい!
 ーー
ある朝、私はアメリカ大使館から電話をもらいました。「VIP(大変重要な人物)が今、パリにおしのびで
いらしていますが、最高に品格のある女性をと望まれています」その話し相手はつけ加えて言いました。
「彼に、その女性があなたの館から来たということを、知られてはいけません。
 私たちは彼女のことを、大使の友だちのマヌカン(モデル)として紹介します」
「まったく問題ございません。私のところにそういった場にふさわしいパーフェクトなイギリス女性がおりますので、
彼女を送ります」  翌日、娘はとてもエキサイトしてオフィスにやってきました。「クロード、大統領だったのよ」
「えっ、どこの?」と、地球の支配者達に、何の感動を覚えなくなっていた私は、ぼんやりと尋ねました。
(字数の関係でカット2011年03月23日)
・・・・・・・・・・
2007年03月23日(金)
2180, 14歳の君へ ー2    オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 ー 読書日記
ー勉学ー についてが、考えさせられる内容である。私自身、この歳になって学ぶことが、飛躍的に?伸びている。
何ゆえかというと、知った分だけ自分が広がっていく実感と、充実感がよいから意欲がわくためである。
それと、このHPを持ったことも含め、情報環境が飛躍的に良くなったことである。 この20年近く秘境・異境に行きつづけて、
大自然や異境の文化・文明との出会い、感動を重ねている感覚に似ている。ツアーと旅とは似て非なるものである。
それぐらい解っている。旅は目的地そのものへの到達と、そのプロセスを味わうもの。その困難性やハプニングの中こそ、味わいがある。
ツアーはプロセスを楽しむが、それは企画された範囲である。企画側のストーリーの中での、危険を最小限度に抑えて楽しむ遊びである。
しかし一つの事例として、北スペイン「パンプローナ牛追い祭り」の二週間のバスツアー。旅なれない個人の企画の旅より、
20人位の人が大型バスを一台借り切った方が、効率が良い上に、最大限の観光が可能となる。またケニア、タンザニアなど個人では
危険があまりにも多すぎる。そこで仲間を集って経費を合理的に使う、これが現在のツアーの価値となっている。
勉学と少し話が違うようだが、自分の中の知識・見識の蓄積ということでは同じである。 勉学の目的「賢くなるため学ぶ」ことである。  
目的(地)は賢くなることで、良い学校を出て、良い会社に入ることではない。良い学校・会社に行けば、賢いやつが多くいるから、
賢さの意味や手法・手順が身に付くが、しかし目的(地)ではない。そのプロセスこそ重要という面で旅の道程を楽しむことに似ている。
 ー考えさせられた箇所を抜粋してみるー
  ー「14歳の君へ」から
 P-60 「勉強ができる」ということと、「賢い」ということは、違うことだとわかるだろうか。
君たちが普通、「あの人は勉強ができる」と言うとき、たいていそれは「成績がいい」ということだね。だけど、「賢い」というのは、
そういうこじゃない。たとえば、なぜ言葉というのは、そんなふうに活用するものなのか、なぜ活用することで言葉の意味は変わるのか、
そういう問いをもっていることだ。問いをもって、自分で考えていることだ。あるいはローマ帝国の本を読んだとして、
なぜ帝国は滅んでしまったのだろうか、滅ぶということは人々にとってどういうことだったのか、そういう問いをもって、
それを自分で考えることだ。教わったことについて自分で考えることことだ。君は授業で教わったことを自分で考えたことがありますか。
  P-65(字数の関係でカット2009年03月23日)
・・・・・・・・
2006年03月23日(木)
1815, 近聞遠見         ォ'`ォ'`( ゚,_・・゚)ノ"ォ'`ォ'`ョゥ
先日の毎日新聞のコラム「近聞遠見」の岩見隆夫の「岩国哲人の『偽の国』論」が含蓄が深い。
  ーまずは、その内容を紹介してみるー
 (字数の関係でカット2008年03月23日)
 ・・・・・・・・ 
 2005年03月23日(水)
  1450, 書く(一人、語る)ということ ー2
このHPを開設をして、あと1ヶ月あまりで丸4年になる。よく書き続けてきたと思うが、私自身にとって開設前と後という位の
インパクトがあった。書き出して公開するということは知性の乏しさや品性が出てしまう。20代前半の日記を読んでみると、
書き残すという意味と必要性が解る。 
  (字数の関係でカット2013年03月23日
・・・・・・・・
2004年03月23日(火)
 1085, 「80対20」革命 ?3 (読書日記)
現在、全ての企業は新しいコンセプトの創造と、その業態つくりが求められている。
その一点に、全てのエネルギーをむかなくてはならない境目の時代である。
ところで、その途方もない「創造活動」はどのようにして起こるのだろうか?
この書で解りやすく書いている。
               (字数の関係でカット2008年03月23日)
・・・・・・・・
2003年3月23日 718, 「無名人名語録」
     ー永六輔ー  読書日記
 無名人、普通人、一般人……の片言隻句の集成である。誰かが言いそうで、オレが言ってもおかしくない、
と思わせる言葉だ。 
  (字数の関係でカット2013年03月23日
・・・・・
2002年3月23日(土)
354,偶然の一致 -時差ぼけ
心理学でいうシンクロニシティーである。今起きてきて、台所の時計が9時16分で止まっていた。
(字数の制限でカット2013年03月23日


4388, 「うつ」かもしれない ー3

2013年03月22日(金)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
   * ウツの治療 
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、「死にたくなる度合い」がが目安という。
逆にいえば、それだけ苦しいのである。 身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情は
表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、自分一人に固まっている。 こういう人が
暴発すると秋葉原の無差別殺人のようになる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れするかである。 
人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところがないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、
「薬事療法」と「認知療法」がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療すること。
それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を
身近において常に手に取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。これは本当によい。
 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し
気持ちが落ち込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や自分の考えを書き留めていく方法で、
頭であれこれ考えるよりも、冷静に客観的に検討することができる。
5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の
習慣づけは大変なので、第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。書いるうちに自分の思考の
癖が見えてくるだけでも効果がある。心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
 ・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
    * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
  高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろの教授に触発された。その最大の恩師が、
 人事管理の武澤教授である。その後も、ゼミOB会に2〜3年に一度は参加していた。10年ほど前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記−2    ー武澤ゼミについて
  何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
 ほとんどを占めていた。その中で武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。ゼミでは、
 一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
 その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの出した結論と、その差異について更に議論をする。 
 また二班に分かれて、それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている限界の知識と体験をもとにした、
 それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
 考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。 
 そこに各自の知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、ソクラテスの「対話法」の真理追究を、
 そこで体験させていたようだ。 素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。対話の訓練が友人に
 受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。 
 武澤ゼミで学んだことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の把握と、仮説の積み上げと崩しの、
 繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
  ▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタントの渥美俊一に大きな影響を受けていた。
   渥美コンサルタントは、カリスマ的流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
   野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に、「分析(冷静)」を学んだことになる。
   独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、基本的な問いが、立ち上がっては消える。 
   人生など何の意味(価値)もないこと位は分かっていても・・・  哲学を学生時代に、より深く追求しておくべきだった。
   それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
3648, 地震 ―つれづれに  ー9
2011年03月22日(火)
   * 日本経済はガタガタ
 TVで、新宿・歌舞伎町、新橋駅界隈、秋葉原、渋谷などの先週末の繁華街や箱根などのリゾート地の客の激減の様子を放映していた。 
魚河岸では7割も普段よりお客が激減しているという。 街は節電で、真っ暗で、放射能が漂っているかもしれない中、外食も買い物も
する気にもなれない。先週の長岡駅と新潟駅中専門店の店内には、お客の姿は皆無なほど見られない。
朝から晩までTVで、100年、1000年来の大震災の惨状や、原発の放射能漏れが報じられていれば、買い物や外食をすること自体、
後ろめたい気持ちになる。これが短期的現象ですめばよいが、そうはいかないだろう。 3月11日をもって日本は全く違う時代に入った。
比較的東北から離れている関西以南は、関東に比べて落ち着いているが、これも時間の問題。損害は12兆円というが、原発事故への
不安心理が景気にもたらす影響はあまりに大きい。 昨夜、自宅近くのイタ飯屋のサエゼリアには避難民のグループで満席であった。 
着の身着のままの服装が痛々しい。
   * 想定外の歴史的惨事に、あまり責任を追及しないがよい!
 この地震は想定外の歴史的大震災。原発がたまたま巻き込まれ本州全体が壊滅する可能性もある。政府対応が悪いとか流布されているが、
それより被害を最小に収めることが最優先にされるべき。その中で民主党が野党に協力を求めたにも関わらず拒否をした。 彼らは今だ、
この惨事に対する認識が薄い証拠である。現在の日本の稚拙な実態が、そのまま現れ出てしまったと言えよう。 
ここは災害大連合内閣で望むべきで、これで自民党は最期の命綱を自ら切り落としてしまった。 
数日内に自民党バッシングの嵐になる可能性がある。民主も酷いのは分かるが・・・ 
 ーー
3283, 人みな骨になるならば −3
 2010年03月22日(月)
  人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に一度の大恐慌である。
「最後のレッスンを神が与え給ってくれたのか」と気を取り直し取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出てくる。
 一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。  丁度、良いタイミングに
   ー「人生の課題」という幻想ー という言葉が飛んできた。  
  著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の同級生が、この10年間で何人も亡くなっている。
 その彼等の天国からの代弁とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想 ーの項目の一部を抜粋
 「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を
 相対化してみるのは、どうであろうか。 『人生の課題』というのは一つの幻想である。
 事業といっても世間に流通している貨幣や評判を集めているだけである。
 国事に奔走するといっても、特定のサル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる
 人参ほどの効果はあるだろう。馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった走り方より、
 何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、虎から逃げている馬より、幸せだろう。
 何よりも重宝するのは、このような鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた時に
 それを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。
 われわれが失恋したり、事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベルでしかない」(p116)
ー幻想としても、目先の課題をキーワードに解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ云えるのではないか。これも、幻想か?
  ・・・・・・・・
2908, 「ドレス」という名のクラブ?
 2009年03月22日(日)
 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封された封筒が手元にきた。
「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と
思いつつ、記憶から着えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたのでチャンスがあったら
一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から消えてしまった。ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、
何時ものスナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っているビルの前で、そのことを思い出し、入ってみることにした。 
(字数制限のためカット 2012年3月22日)
・・・・・・・・
2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)
ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。こういう人間のベース?の世界を、真っ只中の人物が書いているのだから、
一言一言が生々しく小説のようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。人間研究という面で、顕わで可愛いが、
人間の一番、弱い側面でもある。 娼婦の後ろにヒモの存在が、あまりに悲しい。髪結いの亭主とか似たような男は周辺に幾らでも居る。
「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。こういう連中が都会には蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
  *娼婦はヒモがつくる
彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女たちの到着を駅で待ち伏せしていました。
娘たちは小さなスーツケースを持って、ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。男は何らかの口実を見つけて、
娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得のため、お定まりの小粋なラブストーリーが始まるのです。
「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、
都会のざわめきはいらつきを覚えます。カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて 「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方のこと、ご存じなの?」
と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
   (字数制限のためカット 2011年3月22日)
.......
2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り       才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」の実態の記事があった。
私の息子二人が一年間だけだが、自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」
ぐらいしか考えてなかったが・・ 学費とアパート代と生活費など、年間400?500万はかかっていた。
少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。6年続けて下がり続けており、
 家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。207万円。自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、
 138万円という。自宅外と自宅の通学者平均174万円。
  ーーーーーー  
これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。40年前になるが、
昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。学費は家から学校に直接振り込み。
家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。生活費と交通費と小遣いで、
手元には何も残らない程度であった。使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。
手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
 (字数制限のためカット 2012年3月22日)
ーーーーーーーー
2006年03月22日(水)
 1814, WBC?まさかの、日本が優勝!      才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
WBCで、日本が優勝するとは誰も思っていなかっただろう。韓国戦で二連敗をした時には、こんなものだろうと
白々とした諦めの気分になった。この冬期オリンピックで、日本の最低の負け様を見せつけられたからだ。
今回の勝利は日本のスポーツ界にとって、今だかってない偉業といってよいだろう。
まさか大リーグの選手が多くいるアメリカと中米のチームの中で、日本が勝てないのは誰の目にもあきらかであった。
4勝33敗のキューバに寄せ集めの日本が勝てないと思うのは、当然である。 中盤まで勝っていたとしても土俵際で
軽くウッチャリと過去の経験が示していた。それが・・・・   何と勝ってしまった!(^ ^)/ バンザーイ (v^ー°) ヤッタ!
日本の野球にとって、歴史的な勝利で、球界の神風になるだろう。この勝利はアメリカにとってプライドが地に落ちてしまった。
審判に怪しげな人物を配置したり、ルールをアメリカに有利にしても、敗北したのだから!
メジャー・リーガーがゼロのキューバと、二人しか出てなかった日本が決勝戦に勝ち進んだのも皮肉である。
松井も事情があったとしても、イチロウと選手としての商品価値が大きく開いてしまった。
韓国戦の準決勝と、この決勝の緊張感はそうそう観ることはできない。
 ー今回のWBCで印象的な場面とキーポイントは
・デービットソン審判の意図的?誤審
・韓国に連敗後の、準決勝の勝利と、韓国の日本への敵対心と、その民度のレベル?の露出
・メキシコのアメリカ戦での、マサカの勝利
・イチロウのプロの執念
・短期決戦でのスモール・ベースボールの勝利
「僕の野球人生で最大の屈辱を味わった」と、韓国に二連敗をしたときの言葉が、日本の選手に火をつけた。
優勝後のイチロウのコメント「最大の屈辱を味わい、最高の気分を味あった」と、
「選手としてつぶれても、このWBCで勝つことに全てを注いだ!」が印象的であった。
 イチロウ日本の勝利といっても過言ではない。イチロウの力と、王監督が重なってチームとしてマトマリ、
 まさかの優勝になった。飛び石連休に丁度良く、準決勝と決勝が重なってくれた。   βyёε('c_,'`)з゛
・・・・・・・
2005年03月22日(火)
1449, BOSEのステレオ-4
「利益は全て研究開発に投資する、投資家の配当はなし」が会社の方針というから、アメリカ的でない。
 (字数制限のためカット 2010年3月22日)
・・・・・・・・
2004年03月22日(月)
1083, 「80対20」革命 ?2(読書日記)
この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して
新しく有益なものを作りだす『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・
 (字数制限のためカット 2010年3月22日)
・・・・・・・・・・
2003年03月22日(土)
717, 温帯魚
 事務所で温帯魚を飼っていた時、よく熱帯・温帯魚の専門店に餌を買いに行った。その時に店の片隅に小さな鯉が、
タライにいっぱい入っていた。場違いの存在に「何でこんなものを売っているの?」と聞いた。
店主が「餌だ」とばつの悪そうに答えた。思わずゾッとした。 
(字数制限のためカット 2013年3月22日)
・・・・・・
2002年03月22日(金)
353、流通再編ーウォルマートの進出
旅行の留守の間の新聞をみていたら、3月15日付けの日経にウオルマートの西友の買収の記事に驚いた。 
   (字数制限のためカット 2012年3月22日)


4387, 暴走老人!

2013年03月21日(木)

                  「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
 「暴走青年、暴走中年?」のように生きてきたので、今さら暴走老人でもない。しかしツアーで関西系は言いたい放題が多い。
特に大阪のオバチャンよりオジサンが図々しいが、最近は関西系老人が目立っている。歳を重ね歯止めがきかなくなったのだろう。 
数ヶ月前に近所を徘徊している痴呆?老人に、傍につかれ怒鳴られ続けられ、殴りかかれそうになった。最近2〜3度、顔を
見たことがあった老人。何か怒りの先をみつけ、毒を叩きつけているようだった。 駅前派出所に届け出たが、怒鳴りでは
事件にならないという。激変する時代から放置された人生に怒り(毒)が蓄積しているようだった。新潟駅前周辺の地元老人に、
こういう人たちを多く見かけた。他人事ではない。酒を飲んだ自分に時々、彼らの影をみてしまう。 ーアマゾンの内容よりー
【 待てない、我慢できない、止まらない「新」老人は、若者よりもキレやすい。現代社会に大量に生み出される孤独な老人たち。
 その「暴走」の底に隠されているものとは? 老人たちの抱えた、かつてない生きづらさを浮き彫りにする。】
 ーレビューよりー
≪ 小説家の著者は、私と同様、日常生活でたまたま見かけたこれら「暴走する老人」たちの姿をきっかけにして、現代の
激変する「時間」感覚、「空間」感覚、そして今やマニュアル化した「感情」に老人が暴走する理由を探るが、あくまでも
「暴走老人」は手がかりであり、本質ではない。著者は、暴走行為は激変する環境に乗り遅れた、あるいは読み違えて「孤立」
した人間の反動的行動と指摘する。つまり、断絶的な世代間ギャップが問題なのではなく、暴走はあらゆる世代に共通する
連続的な現象となりうるのである。感覚がまちまちな孤立した個人間の感覚の衝突は、さながらホッブズのいう
「万人の万人に対する闘争」状態である。しかも、個人を律するはずの常識や規範さえも、日々更新され続けており、
今後も加速度的に拡大していくに違いない。急激な情報化社会が逆説的に孤立を生み、闘争(=暴走)状況を作り出し、
それももはや止めようがないというのであれば、私は生きていくために今後どうすればいいのか、途方にくれてしまう。 ≫
 ▼ 老化は、肉体面では自覚できる。しかし精神面での弛みも出るのである。決して孔子の教えのようにはならない。
  「・・、40にして迷わず。50で天命をしる。60で耳に順う。70にして心の欲する所に従って、のりをこえず」
  ところが、これが真逆になる。「40にして迷い、50でも天命など遥か彼方。60で自分の人生を悔い。70歳にして
  呆然自失で暴走化する」 これが、最近みられる老人である。高度成長期の良き時代に生きてきた世代が、低成長の暗い
  時代に、老人の枠に入れられ情報機器を使いこなせず、取り残され、直ぐに切れてしまい暴走を始めたのである。
  あの歪んだ老人と、理想的な老人像とは、あまりに懸け離れている。この時代は40〜50年の変化は、昔の4〜5百年
  の変化に等しい。その変化に取り残され、一人彷徨い切れる。そういう私も似たりよったり。粗大ゴミの成れの果てか。
 ・・・・・・
4013, 事業生活39年の、独り語り ー2
2012年03月21日(水)
   * 野田一夫教授のこと (20歳の頃ーある教授との出会いー2)
 それまでの、寮とクラブが中心だった付き合いが、この頃から微妙に変化していった。専門課程の三年になると
卒業後が見えてくる。そこでドラッガーを日本に紹介した野田一夫教授の「経営学」を選択した。その授業に驚いた。
≪   2002/02/28 20歳の頃  ーある教授との出会い−2  (随想日記より)
 経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者である。 忘れられない授業があった。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。 講座は「経営学」である。 その時の感激を今でも憶えている。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。 その中で「Aクラスのショック」であった。
 ーその内容とはー 【 諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、難聴になった。
音楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。 素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。】
 大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。 野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、人をある方向に
駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。 ≫
 ▼ この授業の直後、30日の欧州一周旅行に出発をした。そのカルチャーショックは、あまりに大きな衝撃であった。
  21年間の小さな固定観念が根こそぎ壊された。 連日、欧州文化と文明に直に触れ、また、夜は連日、飲み歩き。
  毎日、見るもの聞くものが、面白く、驚愕の連続。 この時期に、黄色人種の日本人である自分を逆照射はベストだった。
  自分は、世界の広さも、深さも、実は殆ど知らなかったことを、知ったということ。しかし、求めれば、知識も、経験も、
  富も、自分の努力で得ることが出来ることに目覚めた。その準備期間が学生時代ということに気づいた旅行になった。
・・・・・・
3647, 自己の探究 ー2
2011年03月21日(月)
  「 自己の探究 ―自己とつきあうということ 」和田 渡 (著)
 第二章の「関係としての自己」の中で、ソクラテスと自己の問題をあげている。
  * 汝自身を知れ      ー P28 ー
 人間は無知であり、無知であることに対しても無知なのである。それゆえソクラテスが強調したのは、何よりもおのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。 そのためにこそ、自己は配慮されなければならない。 無知な状態を脱して、
真の知を得るためには、よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。 そうしたソクラテスの信念は、『ソクラテスの弁明』
のなかのアテーナイ人への呼びかけに明らかである。 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力においても、
最も評判の高い偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。 評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気にかけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、
気もつかわず、心配もしていないというのは。 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして精神を配慮する
方向への転換を説くソクラテスは、当時嫌味な老人として嘲笑と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調する。
 彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひっぱられやすいものであると考えた。それゆえに、そうした方向を制御して、
ひたすら自己自身をよくするように努めなければならないと考えた。
  * 「よく生きる」という実践 
 しかし、自分自身をよくするとは、いったいどうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、
よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」
とか「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、
魂に配慮することであろう。 それは、ソクラテスの言葉で言えば、魂を肉体にかかわる快楽や飾りで飾るのではなく、節制、正義、
真実といった魂自身の輝きで飾ることにほかならない。 そうした輝きを魂に与えるためには、ただ漠然と生きることをやめて、
自分に対して批判的にかかわり、自分の思考や行動を注意深く観察し、よく、美しく、正しく生きるように努力しなければならない。
その意味で、「汝自身を知れ」というよく知られた言い回しの背後には、自分の無知を知るだけでなく、無知の状態から
抜けだすための実践も不可欠だというメッセージがこめられている。・・・・  
 ――
 ソクラテスは、正義、勇気とは何かといった根本問題に対し知っている人はおらず、知っていないことさえ気づいていないとして、
無知の知を問題とした。終盤に人生を振り返り、何と自分はバカなのかと実感してもおそい。はやいうちに、それに気づき、真っ白な
状態で書物や人の話を聞かないと、何も知っていない自分にさえ気づかないで人生を終えてしまう。で、10年間、この随想日記を
公開して第三者の目を意識して何も知らないことを曝け出してきた。そして気づいたことは、「バカは死んでも直らない」ということ。 
・・・・・・・・
3282, 哲学者は神について、どのように語ったか −7
 2010年03月21日(日)
先日書いたー「人みな骨になるならば」頼藤和寛著ーの中の、『神の必要性』がシビアで解りやすい。
 ーまずは、神について述べている部分を抜粋してみるー (著者は医学者であり、心理学者である)
 我われの多くは、意味のない、あるいは少なくとも意味があるかないか自分の人生というものに耐えられない。
自分で自分の人生を意味あるものにすればよい、と言ったところで、それでは自分で自分の靴紐を引っ張って
飛ぼうとしているようなものである。自画自賛というのは、そのことを意識するかぎりにおいて、まことにつまらないのだ。
どうしても自分以外の大規模なものから自分の人生の意味や意義を保証してもらいたくなる。
しかし、世界や宇宙は何も保証してくれないし、そもそも語りかけてくれない。 いわゆる「神の沈黙」である。
そこで、せめて人類やその歴史、それが無理なら仲間内や家族からだけでも、自分が生きている、あるいは生きていたことの
意味や価値を認めてもらいたい。 仮に「歴史上の人物」になれたとしても、それを認定してくれる人類や国家そのものが
頼りない存在である。 三葉虫、アンモナイト、恐竜でさえも絶滅したのである。人類のようにセッセと生態系や地球環境を
破壊してきた種族が永遠に存続するなど限りなく少ない。いったん絶滅すれば、シーザーやベートーベンの銅像などガラクタ。
いずれ、そんなものは、類人猿の内輪話でしかなくなる。ちょうど一群のカエルの王になれたカエルが、誇大妄想を抱けたか、
実現した程度のことと変わりはない。 彼等にとって、池が全宇宙である。 古池も銀河系も空間としてはスケールの違いが
あるだけで、質的に変わるものではない。 まして、大半のヒトは、村落、地球、業界、せいぜい国際社会を全宇宙とみなして、
その中で「なにものか」になれるだけで満足をして一生を終えるのである。 この限界に不満の者は、個人はもとより全世界を
超えるような存在を想定して、そんなものに認めてほしいと願う。 我われの視野が身辺の野山に限られている頃は神々が、
そして見渡すかぎり砂漠と天しか目に入らないものにとって、唯一にして永遠の絶対のゴットが、その役に振り当てられた。
その存在の有無など、問題ではない。 なぜなら、我われに心理的な必要に応じてイメージされているからである。
在ってくれなければならない存在に対して、人間は「信じる」以外のことは出来ない。 我われは確認したいのではなく、
確信をしたいのである。「神がなかったら、神を発明しなければならない」(ヴォルテール)・・・・
 〜〜
 神は宇宙から逆照射すると、人間が勝手につくりあげた共同幻想でしかないことが分かる。 国家もしかりである。
小さな池のカエルと何処が違うかというと、共同幻想としての神を持っているかどうかである。 それでは、その幻想は
人間の脳に浮かんだ泡でしかないのは今さらである。 といって、人間は言葉を持ったが故に、無限の欲望を持ってしまった。
そこで自分の世界を支配しているだろう絶対者としての神を発明し、その価値観を共同幻想として守る知恵を持ったのである。
 ・・・・・・・・・
2907,イオンの誤算 ー2
2009年03月21日(土)
ー 「イオンの反省」広告には驚いた ー
 先日、「イオンの危機」について書いた。株価が、この数年で六分の一というから尋常ではないからだ。
ところが昨日の新聞に「イオンの反省」と一面ぬきの広告が出てきた。 顧客の目からみたら非常に好感のもてる
ような内容だが実感だろう。  反省内容として、
・値段は他店と比べて安くありませんでした。
・欲しいものが売り場に並んでいませんでした。
・お客へのサービス改善を怠っていました。
 等々である。 顧客アンケートから、この事実を知ったのだろう。
そういえば、最近、総合スーパーには、一切行かなくなった。上記のいうとおりである。
私の場合は、専門チェーンか、大型ディスカウントか、ネットで買っている。
数年前に化粧品店を何軒か経営している知人から「化粧品からみて、ジャスコとヨーカ堂は、
仁義なき戦いと思えるほど激しい値段合戦をしている。」というような話題を聞いたことがあった。 
最近、プライベートブランドなど5100品目の値下げを発表したが、ヨーカ堂、西友とのサシの勝負の様相。 
この世界恐慌で、何れの商売も、最後の生き残りをかけた戦いに入った。5年後に存続できるかどうか、
それも今年が最も厳しい戦いの年になる。一年一年を如何に生存するかにエネルギーを集中するしかない。
久々に会った知人がリゾートホテル街のガソリンスタンドで、高そうなホテルの「一泊2食付6800円」に
つられて泊まったところ充分満足した、と語っていた。 駅前ホテルも他人事ではないから困ったものだ。
「イオン」は、それでも生活必需品、安くし、欲しいものを並べれば客が来るが・・・
2001年で三分の二、今回で更に三分の二に縮小してしまったのが、地方経済の現状。
地方に大型SCを出店してきたイオンが直面している危機は、地方の三次産業の象徴と捉えることができる。 
・・・・・・・・・・
2543, 今年のプロ野球の予測
 2008年03月21日(金)  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
毎年、この時期に毎日新聞の「記者の目」というコーナーで10人に記者による「今年のプロ野球の順位予測」がある。
あまり当たらないところが面白いが、秋口には、その結果の総括の記事も出る。何回か、この記事について取り上げている。
今年の予測をみると、セ・パ、それぞれ5人の記者の平均値の順位をみると、
 セリーグは、巨人、中日、阪神、横浜、ヤクルト、広島 
 パリーグは、ソフトバンク、ロッテ、日本ハム、西武、オリックス、楽天  の順位になる。 
この記事で大筋として戦力を大富豪の巨人と喩えて「ぶっちぎりVなら興ざめセリーグ。頑張れ! 
貧民の広島、大貧民のヤクルト」と記事の初めから最後まで巨人の話題だった。これまで32回の順位予測で、
延べ338人の記者が参加をして、全順位を当てたのは6人しかいないというから、難問であろう。
ところで十人の記者で、その平均値の順位が同じ人が一人というのも面白い。あとは全て順位が違っていた。
毎年のように巨人の過剰な選手層に対して批判が出るが、結果として優勝できないから面白い。
それにしても、大相撲同様にプロ野球もつまらなくなってしまった。あまり娯楽の無かった時代の、
「巨人・大鵬・卵焼き」が終わったのだ。前期・後期に分け、後期は一リーグ制にする位でないと・・・・  
以前書いた内容をコピーしてみる
ーーー
2006/11/04 
2041, プロ野球の「記者の順位予測」         才八∋ウ_〆(∀`●) 
ープロ野球の「記者の順位予測」と結果ー
  (字数制限のためカット2011年3月21日)
・・・・・・・・・
007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子(私の履歴書)ー2    才八∋ウ  _〆(∀`●) 
二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、
作家の吉行淳之介と、母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
いや何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・
聞こえてくる。心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを尽くす!
という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、そのまま胸に突き刺さってくる。
合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒの少女を演じたミュージカルの「何もしないで出世する法」という。
その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。脳性マヒのため思い通りに手足が動かない場面で、人の悲しい形で
笑いをとることに抵抗を感じ、からだが全く動かなくなる。それも精神的に動かなくなり、そのことで悩む姿が痛々しい。
 (字数制限のためカット2012年3月21日)
ーーーーーーーー
2006年03月21日(火)
 1813, スモール・ベースボール    おは(* ̄(エ) ̄)ノよぉ(* ̄(エ) ̄)ノ
最近、WBCでスモール・ベースボールという言葉を耳にするようになった。
去年の王監督のソフトバンクと、優勝チームのロッテのチーム方針が、このスモール・ベースボールだった。 
(字数制限のためカット2011年3月21日)
・・・・・・・・・
2005年03月21日(月)
 1448, BOSEのステレオ ー3
数日前、BOSEのオーディオ・コンポが送られてきた。早速聴いてみると、なるほど素晴らしい。
現在のステレオ・オーディオの環境は、PDP/TVの音響機能にソニーのホームシアターとセットしたものである。
   (字数制限のためカット2011年3月21日)
・・・・・・・・
2004年03月21日(日)
1082、「80対20」革命 ?1(読書日記)
 前著に続いて、早速この本を買ったがなかなか面白い。この本は、ベストセラーになった「人生を変える80対20の法則」
(TBSブリタニカ)の続編である。前著は、ABC分析やパレートの『80対20』の法則を解りやすくまとめてあり、
非常にインパクトの強い内容で、特に80に対する見直しをするキッカケになった。
(字数制限のためカット 2,010年3月21日)
・・・・・・・・・・・・                        
2003年03月21日(金)
716, 「新潟日報」をやめて50日
地元紙の「新潟日報」をやめて50日になるが、それによる不便は何にもない。
べつに日報に恨みがあるわけでないが、止めてよかったというのが感想である。
(字数制限のためカット2012年3月21日)
・・・・・・・・・・
2002年03月21日(木)
 352,西アフリカ旅行記
・海岸をただバスでひたすら高速ではしるリゾートの旅であった。
・見えるのはココナツの木とやしの木の林、それと10人位の人が 引いている地引網。
(字数制限のためカット 2,013年3月21日)


4386, 「うつ」かもしれない ー2

2013年03月20日(水)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
  ウツは躁鬱の躁の反動による「哀」の肥大による。その他にも連れ合いの喪失、病気、失敗、トラブルなどあるが・・
 バランスをとるには気分を切り替えて、その肥大に喜と楽を加えることだ。これは意識すれば可能である。
   * ウツは、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加による
≪ 「うつ」というのはある意味、人間の正常な反応の一つです。喜怒哀楽の「哀」であり、私たちの日常に溢れています。
 ではなぜ「哀」だけが突出するのか。実は、こういう疑問の立て方に最大の欠陥があるのではないか。つまり「哀」の
突出ではなくて、「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加こそが、「うつ」をもたらしていると思うのです。
人間の基本的な感情である「喜び」「怒り」「楽しさ」は、ある意味、積極的な他人との関わりのなかでしか産出され得ない。
それに対して「哀しさ」は、積極的な他人との関わりだけでなく、関わりから撤退することでも産出されます。
つまり、対人的な関わりの希薄さの先鋭化こそが、「うつ」の増加を促進させる最大の因子ではないかと思うのです。
戦争のときに「うつ」が減るとされるのは、戦時中は人々の結びつきが強くなるからかもしれません。
 現代は価値観の多様化した社会だと言われています。そして思考力に若干の柔軟性を欠くとされる「うつ」の人たちは、
そのような価値観の急速な変遷に対応することが困難であるために、「うつ」になると考えられてきました(10年程前までは、
診断根拠として、「うつ」になりやすい性格「病前性格」が重視されていました。価値観の急速な変化に耐えられないために
「うつ」になるというのは、「病前性格」があると想定した上での仮説です)。そういう一面も確かに存在するでしょう。≫
 ▼ ウツを「喜怒楽」の低下による「哀」の相対的増加によるという見方は初めて。そのため独り遊びが出来れば、ウツに
  なりようがない。独り遊びは喜怒楽を満たしてバランスをとる効果がある。 女性が男の二倍もウツ病になるのは、
  独り遊びのチャンスが少ない社会構造にもある。 今回も、二年間が大きな節目と精神面には気をつけていた。まずは、
  冬期間二時間、夏場は三時間の運動をする。この随想日記に集中する。週に一回はシネマに行く。読書の時間を必ず持つ。
  就眠直後の4〜5時間は熟睡する工夫をした。スーパーやドラッグストアで、一人で酒と肴や身の回りの買物をする。
  月に1〜2度は飲みに出る。年に数度は地元から出ること、などを意識的にすることで何とか乗り越えてきた。
  これは喜と楽を自分でつくり出すことになる。一日一生と、淡々とスケジュールをこなしていれば、哀しみは肥大しない。
  それが出来ないのが、病。これも無知による要素が大きい。群れてきた人は、特に注意!「独りになれよ!群れてないで」
・・・・・・
4012, 事業生活39年の、独り語り ー1
2012年03月20日(火)
   * 意志の確定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。
一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった。9・11テロ以来の10年間の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、
「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、
グローバル化を促進、NO・�しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。そして、
リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、
創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい!
という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」のテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の生き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかない。しかし充実はしていた。これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。
・・・・・・
3646, これまでの人生は何だったの?
2011年03月20日(日)
  地震 ―つれづれに 二題 ー9
   * これまでの人生は何だったの?
 九死に一生を得て、避難所に来た人のインタビューが生々しい上に哲学的である。
ある中年女性が、「全ての生活を失ってみて、これまでの生活と人生は何だろうか考えてしまった」と呆然自失とした言葉が印象的。 
死など考えてもみなかった人が突然、「あと数ヶ月」と宣告されて、これまでの人生を振り返った時の言葉と同じである。
これまでの生活全て目前で喪失してしまった純朴な人が、走馬灯のように現象世界を呆然と振り返ったとき、
「人生50年夢幻」の実感がみてとれる。 これは、まる一週間前に起きてしまった日本という国にとっても同じこと。
この日を境に日本は、大きく変わってしまったのである。この事実を見極めないと、判断を間違ってしまう。
 また、「現在起こっていることが、いまだ現実として受け入れられない」という言葉も、悪夢としてしか受けとめられないのである。
空ろな顔をした少女が行方不明の母親を探しながら絶望的な声で「オカーさん」と叫んでいる姿は何をか言わんである。
一瞬で大津波が生活に襲ってきたとき、ただヒタスラ逃げるしかない。そこで助かった人は、身ひとつしか残ってない。
家族と家など全て失い、避難所で何もなすすべが無い人が多く見かけられる。 まさにホームレスの状態である。
「私一人が生き残ってしまったが、それが良かったのかどうか、今でも分からない」 は、厳しい!
   * TVを見るたびに、絶望的な事態になっていく!
 ホウレン草と牛乳に基準値を超える放射能量が検出されたのに続き、今度は水道から放射性ヨウ素が検出された。
福島の、この時期のホウレン草はビニールハウスでの栽培というし、牛乳の中にというと、タダゴトでない。
かなりの放射能が既に放出されているという事実を表している。最悪に向かってことが進むと、本州は壊滅するというのが。
決してデマでないことになる。 死の雨が農産物に行渡れば、我々に待っているのは言わずと知れたこと。
だから在日の外国人は、そそくさと帰国していったのである。函館か、九州にでも長期旅行と考えてもみたが、
何を今さら・・・ 充分に生きてきたから、数年早いか遅いなら、ジタバタすることもない? 
この数年、地球破滅を取り扱った映画を何本かみてきてが、直面するとは、今でも信じられない日々である。 
・・・・・・・・
3281, 5千台、トヨタ車販売をした人の死
 2010年03月20日(土)
 会社の車の保険の更新が毎年、この時期にある。いつもトヨタの営業の人から電話がある時期にかかわらず、
電話が来ないので事務の人が電話をしたところ、「二日前に急に具合が悪くなり病院に行ったが、肺炎で昨日亡くなった」という。
そういえば去年のいま時分、数年ぶりに事務所に訪ねてきたが、ビックリするほど痩せこけていた。本人が言うには、
「インドに行って帰ってきたら歩けないほど目眩がしたので病院に行ったら、何か訳の解らない奇病。
半年間、入院をしていたが命にかかわる病だった」という。 「たまたま紹介をしてもらった先生が良かったので助かった」とか。
初めに見てもらった病院の先生が好い加減な先生で、処方箋の薬を貰いに行った薬局の窓口に人が、「あの先生は当てにならない、
他の病院に行った方が良いですよ」というので、知人の紹介で新しい医者に行ったところ、奇病が分かって半年間、
入院して命が助かったという。 この中に現在の医師問題など多くの医療問題が隠されている。 で、昨日の地元紙の朝刊に、
本人の死亡広告が出ていたが、アッサリと人は亡くなるものと驚いた。 加齢とともに、こういうことが多くなるのだろう。 
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
 ・・・・・・・・
2906, ユングの世界のような夢
2009年03月20日(金)
最近不思議なユング的?な夢をみる機会が多い。夢自体が不思議であるが。
 ーその一つを披瀝してみよう
あるビルのような場所にいて、右の数メートル先にエレベーターがある。そのエレベーターは、違う次元へ上がるようで、
危険なイメージが漂っている。ところが、上からエレベーターが下りてきて、数人の人間がドアから出てくる。
ところが全身何も着てない上に、全身が全て皮膚だけのノッペラの人間のカタチをした一団。
階上から逃げてきたようで、私が反対にある違うエレベーターに彼等を誘導し下界に連れて行く。
その後そこに戻るが、禁断の上階へのエレベーターに乗ってみたくなる。思い切って乗ると、いつの間にか異次元の天空に
自分がいる。 時は40年前の20代前半である。そこには当時の懐かしい人がいる。何もかも解放された天空の中で、
全てが許されて洗い流されている。しかし自分は、ここいることに疑問を持つ。もしかしたら、あの皮膚だけの人たちと
同じように、自分のそれからの過去が消されるのではと不安になる。 そのあたりで夢から醒める。
▼ 出来すぎたユングの世界ともいえる内容である。死と生の二つが重なりあった内容とも解釈できる。
 上階へのエレベーターで上がっていった先は時空を超えた純粋意識。
 下界へのエレベーターは現実社会の世界で、横に流れている日常である。
面白いのは上階〈上界)から降りてきた人がノッペラの皮膚だけの(個性を削ぎ取られた)人間集団である。
その彼等を違う下り専用のエレベーターというところも面白い。心の構図ということか。
この随想日記で、人生をビルに喩え、10年単位でフロアーを分けて何をすべきか云々を書いたのが影響したのか。 
その時に屋上から見える外界のイメージが天国へと一歩踏み込んだ場所だろうか。
 ・・・・・・・・
2542, ロシアの小話、8つ( おまけ ) ー2
2008年03月20日(木)
・交通事情
*東京発モスクワ向けアエロフロート機内で突然モーターが動かなくなった。
 乗客はパニックに陥った。すると操縦席のドアが開いて、パラシュート姿の機長が出てきた。
「皆様ご安心下さい。地上に救援を求めに行ってまいります」
*新潟発ナホトカ行きの大型旅客船が沈みかけている。 船内放送「乗船の皆様方の中で、
 切符を分割払いでお求めになったお客様。 どうぞ1番初めに救命ボートにお乗り下さい」
・「もしもしニコライ先生ですか?女房が盲腸の発作で大変なんです。すぐに来て下さい!」
「落ち着きなさい。あなたの奥さんは私が3年前に盲腸の手術をしましたよ。
 いいですか?人間には2つ目の盲腸はありえないんですから」
「はい、その通りです。でも先生、人間に2人目の妻がいても不思議ないですよね」
・「酔っぱらうってどういうこと」「ここにグラスが二つあるだろう 四つに見え出したら 酔っぱらったってことだ」
 「お父ちゃん そこにグラスは一つしかないよ」
・ 「あなた、指を入れるときは、指輪はずすっていう約束だったじゃないの」 「これ、腕時計だよ」
・旦那が予定外の帰宅。妻は愛人を無理やり窓から飛び下ろさせた。 落ちながら男は思う、
「神様、私はなんて愚かなのでしょう!彼女のところに首を突っ込んだが最後、今地面に叩きつけられて私は死ぬ。
 家には妻、子供、団欒。あそこに座っていれば、テレビでも見ていれば、茶でも飲んでいれば....。」
   ボサッ。 柔らかい土の上に落ちました。
 体を起こし、汚れを叩き落として、「畜生、頭の中にやたらとくだらんことが浮かんで来るもんだぜ。」
・一人の男がバーに入り、バーテンダーに賭けを申し出た。 彼は言った。
「あそこの床にグラスを置いて、20フィート離れたとこから小便を一滴もこぼさずに命中させてやる。
 これに50ドル 賭けよう。 ただし、こぼれた小便はお前さんが掃除しなけりゃならんがね 」
 バーテンダーがこの賭けに乗ったので、男はグラスを床に置いた。 そして、そこから20フィート(約6m)離れると、
 小便をバーの中全体に撒き散らした。小便は通路、床、バーの中にいた者のグラス、そしてバーテンダーにまでひっかかった。
 バーテンダーは、勝ち取った50ドルに笑みを浮かべながら、バー内を清掃した。すると、賭けに負けたはずの男が笑い出した。
 バーテンダーは訊いた。 「おい、あんたは50ドル負けたんだぜ。なんで笑ってられるんだ 」
 男は答えた。 「外の歩道に突っ立ってるヤツがいるだろ。オレは、あいつに200ドルを賭けたのさ。
 このバーに入って、小便を撒き散らして、バーテンダーに、笑みを浮かべながら掃除させてやるってね 」
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
・・・・・・・・・
2007年03月20日(火)
 2177, ゆとり・個性化教育って何だったの?     オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
 以前にも個性について書いたことがあるが、 現在の小・中学校の教育現場の荒廃をもたらした「ゆとり・個性化教育」の
誤りを確認するために、いま一度個性について考えてみよう。 大失敗に終わった「ゆとり教育」の目的は、
「個性的な人間」を育てることであった。 そのため、現在の子どもは幼児の頃から「意図的に個性的でなくては!」と
、刷り込みがされてきた。 そのためには、それぞれの特性にあった教育をすべし!ということだった。
 しかし、個性化とは何だろうか?と少し考えてみると、明らかに間違った理解をされてきたことが解る。
「珍気な子を作るのが個性である」という先入観が、教育現場の興廃を招いてしまった。先生も、その珍奇な子供のなすがままに、
自信を失い学級崩壊を招いているのが現状である。人生経験の少ない子供に個性化など求めること自体が無理がある。
お笑いバラエティーに「将棋少年」とか、「エレキ少年」とかいう珍気な子が出てきて、天才少年と煽て上げて笑いの対象にしている。
あれは個性的でも、天才的でも何でもない珍奇な子供でしかない。習い事に「守・破・離」という原則がある。
まずは、基本を身につけて、乗り越え、新しい技・個性を身につける。個性的性格は、30年、50年かけて作りあげるもの。
職業とか、趣味とか、色いろな経験が織りなす輝きを個性という。長年の生き方が、その人らしさを作り、「らしさ」が
味として滲み出るのが個性である。「珍奇な早熟の生き方」を幼い子供に押し付けること自体、中味のない珍奇な生き方を
強要していることになる。最近になって教育現場の惨状に政治家も腰をあげ、教育制度に根底から変えようとしているが・・
「仲の良い両親が温かく子どもを見守る明るい家庭こそ、子どもの人生の基盤になる」と言われている。
それは長年かけた家庭の結果でしかない姿である。大きな波風の中で、結果として明るい温かい家族ができたのであって、
そのプロセスこそが子ども教育になるし、個性の芯になる。その時その場の「いま・ここ」で与えられた課題を、
一つずつこなしていけば、その永年の積み重ねが個性になるのである。別に個性的でなくても、いいじゃないか。
そう、砂利同士がカタチは丸いとか四角とか言っているのと同じ。そんなこと気にすることはない。でも変わったのに眼がいくか?    
社会ルールを壊さない程度で好きなことをやっていればよい。個性なんぞ考えることは、人との比較をしていることになる
ゆとり教育とは、ゆとりのある親が公立でなく、私立の小・中学校に子供を入れることに結果としてなってしまった。
ブラック・ユーモアなんてものじゃないのが、現状である。  ホンジャ、バアア    ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪
・・・・・・・・
2006年03月20日(月)
1812, WBCー日韓戦 が面白い!           才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
昨日のWBCの日韓戦が面白い試合であった! 勝ったから尚のことだったのだろうが。WBC戦で6勝全勝の韓国と、
三勝三敗の日本の戦い。おまけに日本は韓国に二戦二敗である。15日に韓国に敗れ99?諦めていた日本が、
米国がマサカの敗戦で生き返った。日本は負けて元々。全勝をしてきた韓国は負けられない戦いであった。
(字数制限のためカット 2013年3月20日)
・・・・・・・
2005年03月20日(日)
 1447, ロシア人立てこもり
3日前の夜半に、シングルイン第二新館で大立ち回りがあった。
 ー現場の人の証言から、内容は以下の通りであるー
深夜の0時近く、警察官が第二新館のホテルに宿泊しているロシア人をなだめながら連れてきた。
(字数制限のためカット 2012年3月20日)
・・・・・・・
2004年03月20日(土)
1081, ST訓練 ?2
去年の今頃に「ST訓練」について書いた。ー(後でコピーしておきます)
先日、二年ぶりに新入社員に対する「ST訓練」のインストラクターをした。30回近くしたことになる。
(字数制限のためカット 2011年3月20日)


4385, 「うつ」かもしれない ー1

2013年03月19日(火)

           ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか 〜磯部潮著
 うつ病に関しての書評を幾つか書いてきた。
【2012/05/09 本当は怖い抗うつ剤】【2012/01/23 他人を責める「新型うつ」について】【2011/11/24 「現代型うつ」とは】
【2010年02月13日(土)「うつ」9つの症状】【3246,新・欝の時代】【2007/06/05 2254 ビョーキな人々探訪記 *鬱病について】
【2006/10/27 2033, 躁鬱病について】【2005/12/18 1720, 生きるのがつらい】【2003/07/15 「阿弥陀堂だより」−映画日記】  
 よく書いたものだ。平均、それぞれ4回として、9×4=36回は書いたことになる。それぞれの視点で切り口を変えた本は、
 病気というより人間の本質を教えてくれる。。著者は年に何人も死なせている。だから、うつ病の恐さを知り尽くし警告する。。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
【 私が精神科医として働き始めて、二〇年近く経ちます。その間、私自身が把握しているだけで数十人のうつ病の
 受け持ち患者さんが自殺しています。必ず毎年、数人の患者さんが自殺してしまうのです。 そしてその度に
「もっと適切な方法があったのではないか」「私が主治医でなければ自殺しないで済んだのではないか」という慚愧の念に
強くとらわれます。(略) 今回、うつ病の本を書くにあたり、これまで私の記憶から排除しようとしていた、死に至った
患者さんたちのことを思い起こしました。(本文より)】
 ここで、一般に「「うつ」は、心のカゼであり、早期治療でクスリを飲めば治る」というような解説が多いが、著者は
このような考え方を明確に否定し、「うつ」に罹った人のうち一定数は必ず自殺する」という認識をしている。
 本来「うつ」としてきっちりと治療すべき人を「自律神経失調症」として安易に診断していたり、「うつ」で休職した人を
無理に早く職場復帰させることはとても危険であるという。
 以下の九項目のうち五つ以上該当し(1と2のどちらか含まれる)、それが二週間以上続いていたら「うつ」と判断される。
1、一日中気持ちがしずむ      2、これまで好きだったことが楽しいと感じられない  3、急に体重や食欲が落ちる    
4、眠れない、あるいは眠りすぎる  5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6、毎日体がだるく、なにもする気がしない     7、自分をダメ人間だと考える
8、なにも決められなくなり集中して考えられない  9、死にたいと思う
 ▼ 多くの「うつ」に関する本を読み、身近の人の相談にのったり、青年期のウツ症状の時、独りで本などを読み乗り越えてきた。
  しかし人間の心身は生もの。いつなん時、襲いくるか分からない。これは慢性病になる可能性があり、下手をすると死に至る病。
  九項目の中で、一つか二つはあるが、それも一瞬の間だけ。 そういえば、節目時に、「虚無感」に陥ったことがあった。
  あの不思議な捉えどころない自信喪失というか、虚無感、脱力感。 振り返ってみても底知れぬ心の状態である。
  現在の私の状況、最もウツになりやすい事態だが、戦争時にウツは出ないのと同じ。それと遊んでいる? とすると痴呆かい
・・・・・・
4011, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー4
2012年03月19日(月)
           ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ー キングスレイ・ウォード著
  * 実業界には三種類の成功者群がある ー 翻訳者の、後書きより ー
 【 実業界には、三種類の成功者、つまり二億ドル人間と、二千万ドル人間と、二百万ドル人間がいるといわれます。
 二億ドル人間は、自分の起こした事業を世界的な規模に育てあげて市場を征服することに夢を託す本来的な企業家、実業家です。
 その結果蓄積される個入の財産は二億ドル(約二百四十億円)を下らないでしょう。一方、二千万ドル人間は、むしろ経済的な
 成功の成果である富で普通の人にはできない豪華な生活、つまり豪邸に最高級車、使用人がいて、海外の別荘でゴルフといった
 生活を楽しみたい人たちです。二千万ドル(約二十四億円)以上の財産がなければ、そのような生活は望めません。
 そして二百万ドル人間は、ウォード氏のような人たちです。製造業の例をあげるなら、二億ドル人間はホンダの創業者本田宗一郎、
 二千万ドル人間はホンダと創業をともにした本社の幹部や部長たちと、関連会社の部品などの経営者たち、二百万ドルは自営業の域
 を出ない下請けの町工場の事業主ということになるでしょう。 二百万ドルは家族を養い、善良な市民の務めを果たしながら
 二百万ドルの資産を築けば、よくやったと自分をほめてやれる、ごく普通の金銭感覚を失わない市井の入です。本書で述べられている
 ウォード氏の意見が私たちの共感を呼び、私たちにとって適切な助言になるのは、ウォード氏がビジネスマンとして成功しながらも、
 市井人の心を失わない二百万ドルであるからです。 お金は生活を保証するもの、人生にはお金で買えないもっと大切なものがある
 というのがウォード氏の持論です。大企業の創業者の人並みはずれた才能、努力、そして時代を彩るまばゆいばかりのドラマを
 ウォード氏に期待することはできませんが、人生の成功者としてのウォード氏の功績は、決して彼らに劣りません。
 ウォード氏は普通の人たちの普通の悩みや喜びを語ることによって、人生の成功者になるための秘訣を明らかにしています。】
  ▼ 三種の成功者の分類が面白い。 娑婆は、それで色分けをして人の価値を決めていく。日本でも、この数値が百〜二百万、
   千〜二千万、一〜二億ドルと少し下がるが、こんなもの。これが人間の価値と信じて疑わないのが、俗に言う世間様。 
  一歩ひいてみると滑稽に見えるが、世の中の9割が金で買えるという幻覚の中にいると、それはそれで目安になる。3つの震災で
  実業界から退場してみて、「娑婆など死んで三日も経てば、‘それがどうした!’でしかない儚い世でしかないのが分かる。
  逆に、これも肯定してみるのも一つの理で面白い。事業人生を決心してから去年までの45年間は面白かったが、赤裸々の人生。
  しかし45年間を通じて人間社会の実態を多くを学ぶことが出きた充実感が残った。それも3つの大震災で崩壊。 敗者の弁かい!
 ・・・・・・
3645, 地震 ―つれづれに  ー8
2011年03月19日(土)
  * 震災 まる一週間
 地震も、昨日でまる一週間になる。 当初は、ここまでの大震災とは思ってもいなかったが、
時間が経過するにつれて、歴史的な大震災の姿が現われ出てきている。その上に原発事故の誘発である。
大津波だけでも歴史的大災害の上に、もし大爆発をして日本中が被爆をしたら本州全体が破綻してしまう可能性がある。
3月11日から日本は、全く違う国になってしまったのである。 村山とかいう人が首相がなった時に神戸震災、
そして今度の首相では、この大震災である。 現在、我われは誰もが身近にデジタルカメラとビデオを持ち歩いている。
そのために生生しい写真とビデオが、あらゆる角度から映し出されている。それが規制無しでネットで多く飛び交っている。
その結果リアルの現実が直接、我われの目前に突きつけられる。 一つ例に挙げると、私の学生時代の友人が、
仙台を気に入って終の棲家として仙台飛行場近くの漁村に住んでいる便りを貰った。 恐らく、巻き込まれたのではと、
その村の名前を検索したところ、その地の震災の惨状の写真が、その村のブログに載っていた。 
跡形もない村の惨状に、驚いてしまった。。
   * 原発事故のリアルな現実
 福島原発事故で、20〜30キロ内の屋内退避が県外退避に転換され大型バスでの移動が始った。
この圏内には14万人が居住していて、今後、一斉に退避が始まるが、問題はガソリンや食料がないこと。
米国などでは、80キロ圏内の避難を指示しているが、福島原発の80キロ圏内には、更に数十万人がいる。
最悪の大爆発が生じて、放射能が日本中を覆うことになれば日本壊滅になってしまう。 それが、この数日中に
発生する可能性が大というから、何をいわんかである。 リーマンショックで疲弊している上に、
この大震災と原発事故の二重の打撃は、日本経済は致命傷になってしまう。 まず早急に消費税などの直接税が
20パーセントも現実問題になる。これは15パーの収入減と同じことになる。もちろん、この事態では当然、
受けいれるしかないが、体力を消耗してしまった中小企業は致命傷になる。日本全体が被災者という現実がある。
 ・・・・・・・
3280, 人みな骨になるならば ー2
2010年03月19日(金)
  * わたしは特別か?          
ー まずは、次の部分の抜粋から  P−41
自分だけは大丈夫と感じる原初的な感覚をE.エリクソンは「基本的信頼」と名づけた。
幼児期における適切な保護か養育者との愛着関係によって成立しているかに信じられている。個人差はあるだろうが、
相当の怖がりやでも心の底に、「自分だけは大丈夫だろう」という最低限の楽天性が備わっている。たしかに、
数百の卵子と、数億個の精子のうちの、一つずつが合体することでも大変な奇遇である。・・・・
われわれは生きているというだけですでに、宝くじを三回買って三回とも当たったぐらいラッキ-な人物なのである。
そのことを特別な存在だと感じても不思議ではない。もちろん、自分が特別だと感じる根拠はそうした
生物学的事実によるのではなくて、われわれが直接的体験として自分しか与えられていないといった心理学的(認識論的)
事実に基づいている。 われわれは各自の心しか直接に知ることがない。それ以外はすべて憶測である。
目の前にある花やコップでさえ、自分の感覚を信じないことには「在る」と断定できない。
ましてや自分以外の全人類は「在る」のかもしれないが、他方すべてが幻影や書き割りのようなものなのかもしれない。
コギト(われ思う)は不確かだが、スム(われ在り)だけは確かなのだ。そもそも現在の自分の在り方を「存在」と規定しないかぎり、
それ以外に存在を規定する原理はない。しかし、そんな特別な存在が地球上に何十億とひしめいているらしいのである。
そのことを認めたとたんに自分が特別でもなんでもないことを思い知らされる。なにしろ、自分は特別だと実感している人間が
自分以外にも六十億近くいるもようなのだ。これならあきらめるしかない。わたしは特別な存在ではなく、せいぜい
六十億分の一の特別さにすぎない。 宇宙において、わたしが生まれたり死んだりすることの重要性は、
地球の裏側でアンデスのインディオの一人が生き死にすることの重要性と何らかのかわりのないものである。・・・・
「人間は特別」という価値観は人間だけにしか共有されてないからである。
 ー
人間は誰も、自分は特別の存在と思っている。で、還暦を過ぎて、そろそろゴールが目前と感じ、自分の存在が
必要とされないと気づいた時、特別の存在のはずの自分が、逆に邪魔なものと思い悩むことになる。
初老の身体の変わり目と、それに気づく時期が重なり鬱症・鬱病という人生の節目が訪れる。 
宇宙の視点からみて「わたしは特別ではない」のは当たり前。その当たり前のことを知らないまま、一生を終える。
・・・・・・・・・
2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか
 2009年03月19日(木)
 * 寝入る瞬間を経験したことがあるか?
ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、
その経験をしたことがある。その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の瞬間の実感してみた」
と記憶として刻印した。 具体的に、どうだったか?というと、「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に
意識が縮小し消えていく感覚。もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」である。
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。 先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」
というAERAMOOKという雑誌の特集号の中で、マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、
「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」というテーマで論じているとあった。(詳細は書いてなかった)とすると、
その瞬間は意識できないことになる。しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。私が特殊経験をしたのか、
それともマギーが正しいのか? ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と検索したが解答はなかった。 
ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。
<寝入ったとは意識が無くなるということだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、その瞬間の無の際を
経験しようがないのは自明のことだ。見たという一瞬の知覚は、まだ寝入っていない意識であり実は寝入ってなかったのである。
意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足できようがないのである。向こう側(寝入ったサイド)
から見ると、その瞬間=扉は、すでに無の世界である故に、その瞬間など捉えられないのである・・・>
ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。しかし、私は間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、
夢ではなかった。マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。 今度、この本を読んでみるつもりである。
・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)
まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代をリードするグーグルという会社の気質や
グーグルらしさを表す言葉だ。 グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
「アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高いレベルで統合された最新で最良の実例と言える。
 私はシリコンバレーで数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、これまでの会社とは「種」が違うのではないかと
思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」である。こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。
そう断言できる。しかし、こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出てきたことが情報化社会たる現代の特質なのであろう。
≪いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が世界中のどんなことについても
「情報を得る力」を持ったからだ。私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ≫
 これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ)が高校生向けに行った講演での言葉である。
80年代と比べて今が「本当にまったく違う」のは、行き着く先は「時間」。 「時間」だけが私たち一人一人に平等に
与えられた貴重な資源だ。グーグルは「頭脳の拡張」の世紀のリーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす
「時間」からしか創造的イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。
 グーグルはこのやり方を貫き、創業からわずか9年でトヨタ自動車の時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると確信した信念が世界を変えたのである。下手の考えより、
己をグーグル化した方が手っ取りはやいのかもしれない。時間という資源を最大限活用できるという面から見たら正しいのだろう。
インターネット下のオープンソースの潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、一番合理的かもしれない。
ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。それと、五つの定理をマスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。
・・・・・・・・
2007年03月19日(月)
2176, 流通業界・大編成の時代へ
                 オッ(*^○^*) ハ?ヨウ
 大丸と松坂屋の経営統合で、百貨店業界も大編成の時代に入った。先日の「日経流通新聞」によると、
百貨店業界も4強時代に収れんという。 その内訳として、
 *大丸・松坂屋連合 1兆2000億円             
 *高島屋      1兆500億円
 *ミレニアムーイトーヨーカ堂系(西武・ソウゴ) 9500億円
 *伊勢丹      7700億円 の4つがアナリストや業界関係者の総合的な見方という。
アメリカの事例や国内の市場規模からみて日本はこの辺りだろう。
三越、阪急・阪神、松屋、丸井、東武などは、そ4グループに最終的には収れんというから、都市銀行の大編成と
同じ道をたどり始めた。外資などの禿タカファンドが株の買占めなどで強請ってくるのは避けられない。
(字数制限のためカット 2013年3月19日)
ーーーーーーー
2006年03月19日(日)
1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい ー3   Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、二人だけのデートをする。その子供のために
特別指導をする。私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。
    (字数制限のためカット 2012年3月19日)
 ・・・・・・・・
 2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 ?2
花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
  (字数制限のためカット 2012年3月19日)
・・・・・・・・
2004年03月19日(金)
 1080, フランチャイズ・ショー ?5
・一番印象的であったのが「MBE]という会社である。
「メールボックス・エトセトラ」の頭文字の略である。
  (字数制限のためカット 2011年3月19日)
・・・・・・・・
2003年03月19日(水)
 714, 難関ー困難性
 学生時代読んだ本に「困難に出会ったら、チャンスと思いなさい。それを躓きの石にするか、土台の石にするかは
貴方の意思できまります」という言葉があった。その時これから生きていく人生のキーワードでないかと思った。
  (字数制限のためカット 2011年3月19日)

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]