堀井On-Line



4383, 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない

2013年03月17日(日)

                「なぜ多重債務者がベンツに乗れるのか?」鳥巣 正樹 (著)
   * 不測に備えよ !  
 
自家用車は20年以上前に買ったソアラである。現在も、ほとんど故障することもなく、乗り心地もベスト。
スポーツタイプもあってエンジンも劣化した感はない。燃費はL7キロだが、遠出は少ないのでガソリンは月に1〜2万円。
当り外れでいえば当りの車。査定ゼロで借金のカタにもならない。 ところで、「弁護士に全面委任したがよいが、どこまで
信頼してよいものか?」「個人保証分の債権のため個人破産をすべきか?」と戸迷っていた時、知人にこの本を紹介された。
しかし殆ど読まないうちに忘れていたが、先日、書棚で見つけ出し読んでみた。 破産は債権者からすれば何も回収できない
最悪の事態。今回、余裕資金があるうちに弁護士に駆け込んだのも債権者からみたら善し悪し。破産は以前と違い個人への
保護ネットと、この一連の経験の過程で知った。著者は「最後の手段として、ぎりぎり、とっておくべき」という。事業再開の
意思など更々ないので破産を避ける必要性がない。ただ「気持ちの問題、しないで済むものなら」と、現時点では、しない方針。 
著者の論からして、それが正しいようだ。ここで、「債務者の方が債権者より強い立場にある」というが、実感である。
 まずは弁護士費用を用意しておく。それ以前に長年かけ備えをしておくこと。 黒鳥は、いつ舞い降りてくるか分からない。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
≪ 合法的に、正々堂々と、借金を踏み倒す方法があった。「借りた金はゼロになる!」。ズバリ、これが“新・債務整理論”。 
 本書では、事業ローン・住宅ローンをはじめ、多重に借金を抱える債務者を救う借金返済術を大収録。
「6億円の借金を踏み倒し、手元に残した1億円で再スタートを図った社長」「4億円の借金を踏み倒し、家を手放すことなく
ベンツを乗り回し続ける社長」「3億円の借金を踏み倒し、事業再生に成功した社長」など、合法的に借金をゼロにして、
人生を再スタートさせた事例をもとに、目からウロコの対応策を伝授します。
 父親の借金が原因で苦しい幼少時代を余儀なくされた著者が、その復活劇から学んだ“踏み倒しノウハウ”が詰まっています。 
借金は返すのがもちろん大前提だが、不幸にして返せない事態になった場合、借金のために死ぬ必要はない。 自己破産だって
しなくてよい(自己破産は最後のカード)。 債権者だって人間、ハートとテクニックで開ける道もある。そのためには
筆者のようなプロに相談すべしという内容。本書は、事業の借金や住宅ローンを返せなくなった人向けに書かれた本。 ≫
 ▼ 弁護士の当たり外れはある。今回は30年来の会計事務所のグループで、同じ建物内の弁護士だったので安心していた。
  しかし、弁護士は債務者の利益より法的正義を優先する立場。それを踏まえて対処すべきである。 債権者である銀行は、
  元もと損しない仕組みができている。 長期事業のためリスクヘッジを数十年積み上げてきた。 が、「自分は大丈夫!」
  という気持ちがあったことも事実。9・11、リーマンショック、3・11など想定できようがない。何とか雪崩に巻き込まれる
  直前に決断。辛うじて最悪を逃れた。とはいえ準備期間を入れ45年かけた事業崩壊である。そう簡単に割り切れない。
 「問題の中心を凝視し続け、弱気にならない」それが長年の経験から得た対処法。多重債務者か〜 中小は個人保証が前提。
・・・・・・
4009, 昼間、何してる?
2012年03月17日(土)
 私も数年前の集まりで、久々の高校時代の同期に「Uターンをして毎日、何をして過ごしている?」と聞いたことがある。
それと同じ質問を現在、自分がされている。その時、「スポーツセンターとか、図書館とか、暇を持て余すことはない」と、
現在の私と同じような答えであった。 それでも、暇そう、としか思えなかった。私はアウトサイダーで群れることが好きでなく、
同級会以外は一対一の付合いが多い。 それもあり、月に平均二度の飲み会以外に知人友人との接触が少なくても平気である。
ブログなどで、自分の気持ちを開放し書いているので孤独感は無い。ジムで人の中で運動していることも気持ちが落ち着く。
 参考のために、昨日の一日のスケジュールを、そのまま列記すると
4:50 起床ー> 随想日記の下書きの修正と、ネットへのアップと、翌日分の荒書き。
6:50  コーヒー・タイムと、新聞閲覧とTV(モーニングショー)
7:40  朝食と、TV       8:20 風呂
9:20  書斎で読書、パソコン
11:00 昼飯(牛丼店)後、   11:30アピタのシネマで映画
13:40 スポーツジムへ (ホリディSJが休日のため、公営のミニSJへ)
14:40 図書館、ドラッグストア、給油
16:00 居間で休憩後、書斎で読書
17:20 TV(大相撲)、晩酌 TV(録画)
20:00 パソコン・・・     21:20 就寝
▼ 金曜と日曜は民間のジムが使えないため公営のジムに行く。4月〜11月は、4時半に起床、6時まで、この随想日記の
 書き上げと、そのアップと、翌日分の下書きをする。その後、一時間かけて信濃川の二つの大橋を自転車で一周する。
 飲み会が月に平均二回。アピタのシネマに月2〜3回。ランチが週2〜3回。図書館と蔦屋は、週一。この合間の隙間時間に、
 iPadで、読書、ゲーム、ネットサーフィン、電子新聞・雑誌を見たりする。私として充実しており、一週間はアッという間。
  ・・・・・・
3643, 大地震 ―小題二題  ー6
2011年03月17日(木)
  * やはり国家非常事態宣言が必要では!
 非常事態宣言が可能な法律があるかどうか、知るところではないが、超法規で期限を決めて、
警察、軍隊、消防、金融政策をトップレベルで決定する権限を与えた臨時的組織体制をつくるべきである。 
一番相応しくない人が、最悪の時にトップにいる不幸も、日本の宿命である。 といって、今さら、この急場に
首の挿げ替えをしている時間はない。宣言と、メンバーの顔ぶれを並べ、迅速に動いている姿をみ見せるだけで
国民は安心するはずだ。空ろな顔をして、メモを読んでいる姿をみるにつけ、パニックに火をつけるだけ。
武道館を本部にして、政府機関のトップと、そのスタッフを集め、情報の共有化を迅速にして、即決即断しないと、
被災者も、これからの被災者もすくわれない。
  * 原発事故難民が新潟にも
 昨日、車で新潟から長岡までの帰り途中にラジオで、「福島からの避難民の方は、この電話番号・・に電話を下さい」
と放送していた。避難所の紹介である。東北自動車道が閉鎖されているためか、高速自動車道は車で満ちていた。
TVで、ぞくぞくと逃げてきた被災民が新潟市の体育館などに詰め掛けている画面を映し出していた。
その前に、ホテルに一泊しシャワーを浴びる宿泊客の車が駅前に溢れている。 三人の男性の宿泊客が、
「宮城から食料と、生活雑貨の買出しにきた。街には死体が散乱していて、死臭が凄い。」と言っていた。
関東も関西方面に避難している車が多くあるという。日ごと、この災害の影響が私たちにも迫ってきている。
 避難のため、得別便を日本に飛ばす国があったり、大使館の機能を関西に移動している国もある。
我々は、ただ座して放射能の被爆を受けるしかないのか! 大して先が残されてないので、諦めがつくが、
若い人たちや、日本国家を考えると、絶望的になるのは当然のこと。 まだ、発生より6日目でしかない。
・・・・・・・
3278, 哲学者は神について、どのように語ったか ー6
 2010年03月17日(水)
  * ニーチェの「ルサンチマン」
 「財力や権力より、魂の美しさに価値があり、他者を愛し、他者のために尽しなさい。貧しき者は幸いである。」
 と説くキリスト教。 その道徳も、弱者の自己防衛にすぎないと主張したニーチェ。弱者同士が欲望を否定し、
弱者同士が慰めあう考えに矛盾を感じ「死後の天国」という幻想のため善行を積むことを「奴隷の道徳」と否定、
天国のことを考え、この世の生を否定することを、死への意思と非難した。神、天国が幻想と暴いたニーチェは
「神が死んだ」と宣言をした。宗教そのものが弱者がつくり出した幻想と堂々と当時、言い放ったのである。
キリスト教を教会も、権力者も、弱者を「貧しきものは幸いである」で、納得させるに都合が良かったのである。
彼は人間の生の原動力を「力への意志」と考えた。誰も自分をパワーアップして生きたいもの。しかし、大部分の人は
挫折をし恨みや憎悪(ルサンチマン)を抱えて、小さく生きている。要は、この世の生に向き合わず、宗教のいう
天国や来世を幻想して生きるのである。その幻想をキッパリと捨て去り、今の、この世を生きることを肯定せよと
主張したのである。 神が死んだことで、神によって規定されることなく、無限の可能性を持ったともいえる。
キリスト教で絶対的な神は、人間を創造する存在だったが、しかし、神が死んだことで、人間こそが真の創造者になった。
人間は何を創造するのかというと、「超人」である。超人とは、「人間は神なしですませる為に、勇気、頭脳明晰、
自負、独立性と苛酷性を持った人間」である。超人は、そうした強靭と知恵とを持って、その生を生きます。
生の苦痛に耐えて、それを肯定することは、自分の運命に堪えることになる。悲惨でも、その「運命を愛すること」のみが
必要にとされるのである。人間は、「生まれ、生きて、死んでいく」、この意味のない有為転変が永遠に続くだけだが、
自分に与えられた運命を良く生きることで、この永劫回帰の苦痛を克服できるのである。
各々の運命を愛しながら生きることが大事なのである。一応、彼で近代が終わったといってよい。
 権力者や、それにつながる聖職者にとって大多数の弱者をコントロールするに宗教ほど都合良いものはない。
ヨーロッパ人が、アフリカやアジアに進出する前段階に、キリスト教の普及をしたのは、そのためである。
アーリア人がインドを占領し、ヒンズー教をつくり、カースト制度を植えつけたのも、それである。
 ・・・・・・・
2903, 日本は輸出立国か?
2009年03月17日(火)
 野口悠紀雄は、その著書「世界経済危機」で、「アメリカの金融立国に対応して円安にして資金を供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた日本はアメリカと同罪である」と断じている。
ところが果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
そこで他国のGDPの輸出比率はどうなっているか調べてみたところ、意外な数字であった。
・中国 37パーセント    ・韓国 37パーセント
・ロシア 30パーセント   ・欧州平均 50パーセントの数字であった。
・原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90%以上だろう。
これからみると日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入が13〜4パーセントになるので、輸出をしなければ
国が成り立たない。特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の
輸入をしているから、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。とはいえ、日本は中国など世界中に工場を移転してるので、一概に輸出立国を否定はできないが・・。
世界はグローバル化している中で、企業も国際化しないと生存できない時代である。
アメリカのサブプライム問題で、日本の産業をリードしてきた輸出産業の崩壊は、国の存亡の危機。
特に今年が最重要の年である。 現在の日本の政治は、それに対応しているのだろうか?と考えると
暗澹とした気持ちになってしまう。 非常事態には、非常体勢が必要なのに、何をしているのだろうか?
・・・・・・・・・
2539, 閑話小題  2008年03月17日(月)
 *三月の風景
三月は何ともいえない雰囲気で好きである。節目の時だからだろう。「誰々が、どこそこの大学に合格した、入社した」とか、
駅には卒業式の羽織袴の姿と、小・中・高校を卒業した少年少女のエネルギーが街に溢れかえる。
近くの散歩コースの土手の雪が融け、小さな犬の散歩の姿が見られるようになる。
春の到来ということだ。 企業は退社する人と、入社する人の交差の不安定の。時期になる。
野球のオープン戦と開幕戦が始まり、サッカーの開幕、大相撲春場所が始まり、春の高校野球、
そして卒業式の学生の姿が初々しく微笑ましい。 一年の節のの時節ということだ。
 *サブプライムローンと毒入り餃子
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
 *骨美人と水美人
(字数の関係で中略ー2010年3月17日)
・・・・・・・・
2007年03月17日(土)
 2174, 14歳からの哲学ー 2  オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
今回は池田晶子の真骨頂の部分といってよい「死について」考えてみよう。以前に「あたりまえことばかり」という著書の中でも、
死について述べている。(いや、彼女のあらゆる著書の中で述べているが・・)最近、「死」について考えると心地良いのは
どういうことだろう。死を考えることは、生を考えること、人生そのものを考えることだからである。いや歳をとったということか。
「あたりまえのことばかり」の中の、?章 生きているとはどういうことかーの一節から・・
 ー死を知らないくせに、そのくせ知ったつもりでいる。
普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。
他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。
もう一つの勘違いは、死体を見て、それで死を見たと思う。ここが大事なことですが、死体は死ではないことに気づくと
色いろなことがわかってくる。死体は物質ですが、死そのものは物質ではない。それでは「死とは何か」の一般的な答えは、
「無になる」ことです。無というものは無いから無なわけです。無は存在しない。存在しか存在しない。
したがって、「死ぬことは無になること」という言い方によって、言われている無というものは無い。
すなわち死はない、ということになります。にもかかわらず、なぜ無い死を在ると思って人は生きていくのか。
その視点を手に入れると、死があると思って生きているこの世の光景が、可笑しく見えてくる。
 無いものを在ると思っているのですから。思い込みですね。世の中のすべてが、錯覚の上で動いている、これは面白い。
ですから、死が存在しないと気がつきますと「人生」という言葉の意味するところがまるっきし変わってくる。やがて死ぬ、
どうせ死ぬとは言えなくなる。なぜなら死は無いのだから、人生の意味はまるっきし変わってくる。
 「あたりまえのことばかり」よりー
しかし、この[14歳からの哲学」の中の死についての説明も、なかなか含蓄が深い。
  まずは、その部分を抜粋してみよう。
ー7、死をどう考えるかー P51
生死の不思議とは、実は「ある」と「ない」の不思議なんだ。人は、「死」という言い方で「無」ということを言いたいんだ。
でも、これは本当におかしなことなんだ。「無」ということは、「ない」ということなんだね。
無は、ないから、無なんだね。それなら、死は、「ある」のだろうか。「ない」が、「ある」のだろうか。死は、どこに、
あるのだろうか。死とはいったい何なのだろうか。君はたぶん、死ぬことを恐ろしいと思っているだろう。
死んだら何もなくなるんじゃないかって。でも、何もなくなることは「ない」はずだ。なぜって、「ない」ということは、
「ない」からだ。じゃあ、なぜ、「ない」ものが怖いのだろう。ないものを怖がって生きるなんて何か変じゃないかと思わないか。
逆に、死んでしまいたいという気持ちになることもあるだろう。 死んだら何もなくなって、すっきりするだろうなって。
でも、やっぱり、それも「ない」よね。死んだって、「ない」ということは「ない」のだから、それなら、
  死ななくたって同じじゃないか。 あるいは、他人を死なせたい、殺したいという気持ちがよぎることがある。
でも、もしも、殺しても実は人は死なないとしたら、どうする? 生きている人が死のことを知らないのは当たり前なんだ。
なのに、世の中の人はほとんど、この知らないことを知っていると思って生きているんだ。じゃあ、誰もが知っていると
思っているこの「生きている」 ということは、死を知らないとしたら、何を言っていることになるのだろう。
 ーー
評)「存在と無」の論証ということになるが、これは難しいといえば難しい。
 死は生前に戻ること!という、道理が好きだが、生は生前と死後を取り巻いている無に浮かぶ一点という、
  小さな球状のイメージである。それは誰にも取って変えることができない自分だけの宇宙の一点である。
そう思うと、自分の人生をもっと大切にしなくてはと、おもうのだが。
  −−−−−
2006年03月17日(金)
1809, ずっとやりたかたことを、やりなさい−2   才八∋ウ_〆(∀`●)  ー 読書日記
 ーモーニング・ページー
この三日間、起き掛けに大學ノートに筆の向くまま書いて驚ろいた。思ったままそのまま、大学ノート3ページに
何の起承転結など制約せずに書く。 だいたい30分位である。著者は、十年間これを続けているという。
この随想日記に似ているが。
 ーまずは「モーニング・ページとは何か」を、私の主観で集約して書いてみるー
モーニング・ページとは朝起きて書くノート3P分の日記のことをいう。
創造性を開発するためのツールである。寝起きの潜在意識がむき出しの脳で、ノートを3P埋める。
テーマなどなしに思いついたことを「排水」のように、とにかく書き続ける。作文とさえいえない代物でよい。
   (字数の関係で中略ー2008年3月17日)             
・・・・・・・
 2005年03月17日(木)
1444, 孤独について−5
 孤独は心の問題をそのものをズバリ語っている。絶望の果てに突詰められる心の状態は、人生で何度もある。
 孤独は絶望感の果てに到達するケースが多い。
 「孤独であるためのレッスン」ー諸富 祥彦 (著)の本の内容で考えさせられる部分を書き出し、更に考えてみる。
・「ひとり」と「孤独」についてムスターカスによると、彼の孤独について考えを語るうちに、様々な反論を受けました。
 孤独というものは、人間関係の失敗であり、挫折の印に他ならない、と言われ続けてきたのです。
(字数の関係で中略ー2012年3月17日)
・・・・・・・・
2004年03月17日(水)
1078, 「最後の言い分」ー読書日記
図書館で借りてきた「最後の言い分」が面白い。
50人の有名人が語る人生のラストメッセージを、それぞれ短編にまとめてある。 東京新聞編集局 (編集)
  ーレビュー
 (字数の関係で中略ー2008年3月17日)
・・・・・・・・
2003年03月17日(月)
712, 光ファイバー導入半年の実感
 以前も光ファイバーのことを書いたが、導入後半年の感想を書く。強引に営業に入れられてしまったが、
それでもよかったと思えるようになった。月に一万円もするが、この4月から6千円に値下げの予定とか?
(字数制限ためカット09年03月17日)


4382, ブラック・スワン −2

2013年03月16日(土)

 ブラック・スワン ー2

               「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
   ー まずは、「あるブログの要約」から ー 
≪ 歴史に接すると、人間の頭には3つの症状が出る。
1. 分かったという幻想。世界は実感するより遥かに複雑だが、皆何が起こっているか自分には分かっていると思い込んでいる。
2. 振り返ったときの歪み。 我々は後付けで物事を解釈しがちになる。
  (歴史は人が経験する現実よりも、本で読んだほうが分かりやすい)
3. 現実に起こった情報を過大評価する。権威と学識のある人は不自由になる。特に物事を分類し始めると、それに縛られる。
 科学が導き出した結論のいくつかは、めったに起こらないことが与える効果を過小評価したり、完全に無視している。
 だから、現実の世界では使い物にならないケースが多い。
 めったに起こらない出来事(黒い白鳥)を見るのに不自由だと、他にも色々な事が起こる。
1. 最初から目に見える一部に焦点を当て、それを目に見えない部分に一般化する。
2. はっきりとしたパターンを欲しがる自分を満足させる講釈で自分をごまかす。
3. 黒い白鳥なんていないかのように行動する。
4. 目に見えるものが全てとは限らない。歴史は黒い白鳥を隠し、それが起こるオッズを見誤らせる。
5. 私たちは素性のはっきりとした不確実性の源ばかりに注目する。しかし、それらは黒い白鳥のリストとしては
 具体的すぎるので、その結果、なかなか思いつかないその他の黒い白鳥は無視してしまう。
人間は現実に起こった物事に対して、やたら法則を作りたがる。いったん法則の仮説を構築すると、その後はその仮説を
立証しようとする行為のみに熱中してしまう。歴史とは「後から起こったことの効果を合わせて見た一連の事象」のことである。
911テロ後の約3ヶ月間に、アメリカ国内で交通事故で死亡する人が約1000人増加。これはテロの影響で飛行機に乗る人が減り、
その代わりに車で移動使用とする人が増加した結果である。実際、飛行機事故よりも自動車事故の方が遥かに確率が高い。
 人々を2つのグループに分け、ピンぼけの消火栓の写真を見せる。それが何だかわからないほどのピンぼけである。
一方のグループには、解像度を10段階に分けてゆっくり上げる。もう一方のグループにはもっとすばやく5段階で上げる。
そして、同じ解像度のところで、各グループに何の画像かを尋ねる。すると、画像が消火栓と見分けられるのが早いのは、
段階の少ない方のグループであった。 
 つまり、与えられる情報が多いほど、それだけ人は仮説を多く作って、どんどん間違った方向に結論を持っていってしまう。≫
 ▼ 現在も、黒鳥が何羽か近くに来ているが、ほとんどの人は日常に気をとられ。自分に直接関係ないだろうと思っている。
  リーマンショックの直撃で、まさか私が、この事態になるとは思ってもみなかった。9・11テロで直接、事業の根幹を
  揺らぐとは、思いもよらなかった。まさか、1000年に一度の東北大震災が、直撃しようとは。地元の中越の大地震二つも、
  まさかの黒鳥である。人生にとってのブラック・スワンといえば、突然、目の前に突きつけられる「死」である。
  必ず誰にもスワンは舞い降りてくる。私の人生時計は夜10時。闇は深くなってきたが、生きている限り黒鳥は気配だけ。
・・・・・・・
4008, 閑話小題 ースローヨガなど
2012年03月16日(金)
  * 昭和的価値が人々を苦しめている!
 図書館で、何気なく月刊誌「新潮45」をチラ読みをしたところ、ある対談の中で印象に残った言葉があった。
「良い大学を出て、大企業かに入るか、公務員になり、マンションを買って、子供を二人つくり、とかいう戦後の昭和的価値から
抜け出せないで、苦しんでいる人が多い」という内容。 特に、団塊世代の親子、とりわけ子供の心に、その断層があり、両者が、
その葛藤に苦しんでいる、ということ。 ここで現役から退いて一年、昭和的価値観に影響された、それまでの人生が見えてくる。
学生時代の専攻が社会学だったこともあり、卒業後も社会の潮流に興味を持ち、昭和的価値観を突き放し鳥瞰していたつもりだった。 
しかし振り返ると終戦後から高度成長期の昭和的価値観に縛られていた自分に、あらためて気づいた次第。
 特に地方は昭和的というより、戦前戦中の日本的価値観が失われず、そのまま残っている。 それを良しとするには、情報化が
それを許さない。そのため、その年代の横の繋がりが強すぎ孤立化傾向が強い。 それを絆というらしいが・・・ 
大量生産、大量消費を目指した昭和が終わり、情報化もあり、グローバル化の波が大きく覆い被さってくる。その昭和の価値から
抜け出れない人たちが、財布を握りしめているため経済は停滞、少子化もあり経済は最悪の事態に突き進んでいる。
  * スローヨガ
 スポーツジムで二週間前から「スローヨガ」に参加を始めた。入会当初に3回、参加したことがあるが、腰にきつかったため、
それ以降、参加するのを止めていた。 イージーラインを続けて二回するのが習慣になり、それが私にとってベストになっていた。
ランニングマシーンのウォーキング30分に、イージーライン(25分)を連続二回に、週二回のスローヨガ(50分)を
加えたことになる。 チャレンジ10と勝手にキーワードを決めて昨日で4回目。 この言葉を繰り返しながら通っている。
 腰痛改善のためのコースと思えるほど腰が軽くなる。 40坪位のエアロビのスペースに30〜40人の参加者。 男の参加は4人。 
殆どが常連で、最後列からみると全員、姿勢がよい。 まずは、あと6回は参加すれば、恐らく常連になるだろう。 
 ・・・・・・・
3642, 現在、我々は歴史的災害の真っ只中にいる!
2011年03月16日(水)
   地震 ーつれづれに −5
 時間が経つにつれて、この歴史的大震災の凄みが現われてきている。
「震度7、M9、死者2万、津波の高さ20メートル、三陸沖の太平洋側幅500キロにわたる広域の大震災である。
その上、チェルノブイリ原発事故以上?の福島原子力発電所の事故が生じていて、それを加えると世界的、歴史的な
大震災が現在進行形で進んでいる。」 まず、このことを認識しておかないと!
 その心臓部の格納容器が爆発をしたら、日本だけでなく世界中に放射性物質を撒き散らすことになる。
一度、メルトダウンが始ると止めるのは不可能。最悪の場合、本州の全滅もあるかもしれない。
それより、まず被災民に放射能が直接ふりかかる深刻な問題がある。 株は二日間にわたり暴落をしている。
これをきっかけに日本が本格的経済恐慌に突入する可能性が出てきている。そこで非常事態宣言が発令され、
銀行閉鎖が行われ、預金移動や、貴金属などの取引に規制がかけられる可能性もある。 こういう隙を狙って中国、
ロシアが日本の領土や技術を、アメリカは金融を混乱させる?。 リーマンショック来の恐慌の最中の最悪期に、
さらに最悪のことが起きたのである。まず株式、そして国債の暴落。その結果、アメリカへの属国化は、さらにすすむ。 
「まさか、まさか、まさか」の出来事が、この20年以上にわたり、眼前に次々と現れてきていた。 
その最大のリーマンショックの本格的大津波が、まず日本に押し寄せてきている最中に、この歴史的大震災である。
その結果、世界も日本発世界恐慌の瀬戸際にたっている。 特に、この数日の原発事故の推移を直視しておかないと! 
 東北新幹線、東北自動車道は完全麻痺、復興の目処がたっていない。そのため新潟県の高速と、新幹線がバイパスと
して使われている。ことと次第によっては、地震、原発難民の受け入れ基地になる可能性すらある。
事態を知れば知るほど、背筋の凍る思い。  これが起こってしまった現実である。
 ・・・・・・・
3277, 大恐慌 失われる10年
2010年03月16日(火)
 「2009-2019年  大恐慌 失われる10年 」 浜矩子/高橋乗宣 (著)
  ーまずはアマゾンの内容紹介からー
■これから「10年恐慌」が始まる!
 アメリカドルは基軸通貨としての価値を失い、今後さらなる保護主義、統制経済へと突入していく。
 ユーロもドルに替わる基盤ができておらず、現在の大恐慌の痛手を直接こうむっている。
 リーマンショックに端を発した金融危機は、カネがカネを回す「金融IT化」「金融工学化」「金融証券化」の結末である。
 それゆえに、1929年恐慌とは異質なものである。これからの10年は「失われる10年」となるのか。その時、日本は
 どのような経済システムの中に組み込まれていくのか。大恐慌後の世界を、浜矩子、高橋乗宣2人の論客が読み解いていく。
■負の連鎖は世界各国に波及している 
 大恐慌の津波は、アメリカ本国よりもむしろ欧州各国に直撃していると言っていい。
 ユーロがアメリカドルに替わる基軸通貨となり得ないことが、各国の状況、IMFのこれまでの不始末から言及することができる。
●老衰死のイギリス
 サッチャー改革で巻き起こったイギリスバブルは、ロンドン一極集中で、地域格差を生んだに過ぎなかった。
 日本のバブルの轍を踏んだイギリスは「失われた10年」を経験する
●自閉症のドイツ 
 旧東ドイツのワーカー待遇改善で賃金格差縮小の狙いが、大恐慌で不透明に。
 立ち直りのきっかけを失ったドイツは、今後ネオナチの台頭の可能性も。
●目立ちたがりのフランス
「フランス・ナショナリズム」はどこまで突き進むのか?国外から入ってくる企業の締出しでサルコジ政権の実像が浮かび上がる。
●相変わらず身勝手なアメリカ
 オバマは自由主義、市場主義に別れを告げるのか? 貯蓄傾向が高まっているアメリカの消費は確実にブレーキがかかる。
 明らかになったドルの崩壊から1ドル=50円時代がやってくる。強烈な保護主義、統制経済となった時、日本は生き残れるのか?
暴走する国家は、今後、迷走する国家へと変貌を遂げる。さらにリセッションする国、ギブアップする国、
再びランディングを遂げる国……。「失われる10年」は、我々にどんな教訓を示してくれるのだろうか。
 ーー
 この本、何を言いたいのか何度も目を通したが、よくわからない。二人が対談をしているわけでもなく、
対策を述べているわけでもない。イギリスを中心とした欧州はダメ、アメリカは終わった。
中国もアメリカ目当ての輸出がダメで内需を目指そうとしているが、日本でさえ輸出頼みを克服するため内需拡大を目指したが
ダメだったのに、中国が成功するわけがないと切り捨てている。 「この10年間は大恐慌で大混乱、失われた10年になる」
と結論づけている。 甘い期待は無理ということである。
 ・・・・・・・・
2902, 脳と仮想  ー2
2009年03月16日(月)
     「脳と仮想」茂木健一郎著    ー読書日記
 ー印象に残った部分を抜粋してみるー
・広大なグランドキャニオンの前に立とうが、北極のオーロラを見上げようが、体験する広大の光景は全て脳内現象である。
 世界に脳だけあるといっているのではない。そんなことは当然のことだが、外部から入った刺激に基づいて脳のニューロンが
 活動しなければ、我われは広大の宇宙を表象することはできない。逆に、もし広大な宇宙が無くても、脳の中で
 ニューロンがある時空的な様式で活動すれば、私たちは広大な宇宙を表象することになる。もしそうなら、逆理が浮かび上がる。
 もし私たちが体験することが全て脳内現象なら、私たちは何故、広大な宇宙を思い浮かべることが出来るのか?
 いかに、私たちの思い描く世界は、脳内現象として一リットルの空間に閉じ込められていながら、無限定の空間を志向する
 ことができるのか? ・・・「熊本より東京の方が広い。東京より日本のほうが広い。日本より・・・」で切ったが、
 三四郎に男はいった「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と。
・「真理がどこにあるかといえば、それは仮想の世界にあるというしか言いようがない。どこかの博物館に、
 これが真理でございますと飾ってあるわけがないのである。
 私たちの精神の中枢に仮想がある。そのように考えると、「見る」ということの本質も違って見えてくる。
・現実のどこにもない仮想は、現代人の心の中でも中枢の位置を占めている。 私たちの精神は、頭蓋骨の中の「今、ここ」の
 局所的因果性の世界と、「今、ここ」に限定されない仮想の世界にまたがって存在する。私たちの精神は、本来的に二重国籍者。
・脳内に閉じ込められているだけでなく、心の本質的な属性をとらえた概念が「志向性」である。
 志向性とは、心が何かに向けられた状態をいう。
・私が恥じたのは、人間がそもそも生きものであり、それであるがゆえに、厳しい生存条件に置かれてきたことを
 理屈で判っていても、感覚的に忘れていたことである。つまり文明に飼いならされていたのである。
 真実は恐ろしい姿をしている。 人間は、なぜ、「平和」という仮想を生みださなければならなかったのか。
「愛」という仮想を生み出さなければならなかったのか。
 平安仏教を特徴付ける「極楽浄土」というヴィジョンは、どのような生の必然性から生み出されたのか。・・・
 私たちの意識の中で生み出される様々な仮想は、このうえなく厳しい人間の生存の中で、私たちの心が傷つき、
 その傷が治癒される際に放射される光のようなものはなかったか。
▼ 考えてみたら、自分に対しても、頭に浮かんで考えている相手にしても、社会も、全て「仮想」でしかない。
「精神の中枢に仮想がある」と自覚すると、良きにつけ悪くにつけ仮想している自分を見ている自分も
 仮想ということに気づく。自分の頭蓋骨の中の一リットルの脳は自分でさえ得体の知れない世界である。
・・・・・・・・・
2538, 一神教vs多神教
2008年03月16日(日)
  最近、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教に対して疑問を持ち始めた矢先に
 図書館で、この本を見つけた。 この3つの宗教の元はユダヤ教で、共通の唯一の神を信仰している。
 それがお互いに憎しみあい殺しあっているから、複雑なのである。 早く言えば民族戦争なのである。
  ー概要を解りやすく箇条書きにすると、
・元祖であるユダヤ 教は、迫害されて逃亡した奴隷たちの宗教、迫害され差別された人々の宗教のために
 恨みと復讐心がこもっている。被害者は、その被害をより弱い 者に移譲しようとすることで被害者の劣等感、
 屈辱感を補 償しようする。 他人を同じように不幸にして自分を 慰める。  
・差別された奴隷たちがモーゼに 率いられてエジプトから逃亡する過程で形成された「民族」としてユダヤ人となり、
 ユダヤ教自体も、その逃亡過程でエジプトのアトン信仰の影響を受けながら、純粋な一神教へと形成されていった。
・ユダヤ人の中でさらに差別されていた人たちを救う宗教としてイエスがキリスト教をつくった。
 そのキリスト教が、ローマ帝国の奴隷、下層民に受け入れられ、ローマ帝国の国教となり、
・多神教を信じていたヨーロッパ人もまた、ローマ帝国の圧力でキリスト教を押し 付けられて心の奥底で「不幸」を感じた。
 そのため一神教を押し付けられた被害者のヨーロッパ人が、自分たちが味わっている不幸と 同じ不幸に世界の諸民族を
 巻き込みたいというのが、近代ヨーロッパ人の基本的な行動だったのではないか。
・欧州で差別された人々が新大陸に逃げ込んで、その先住民へ攻撃と迫害などをしていった。
 そこで造られたのがアメリカという国。つまりアメリカは被差別の最終駅になる。
 だから潜在意識の中で人類を恨み、攻撃的になり、非常に強くなった、という。
・ヨーロッパ人が、人種差別に基づく残虐性を発揮して世界制覇を果たしたのは、
 強烈な被害者意識があったからだという。 それをもたらしたのは、白人の始まりが白子で、そのために黒人から
 アフリカから差別されて追われたことと、ローマ帝国に無理矢理キリスト教を押しつけられたことだという。
・多神教の日本も欧米の圧迫に耐え切られなくなり、唯一絶対神という天皇制を発明した。
 近代天皇制は一種の一神教、擬似一神教として、外に戦争を仕掛けるようになった。
 人類の不幸を被抑圧民族の連鎖という神経症として論じている。これがル・サンチマンである。
▼ 知識を持ってしまった人間は、己の生の限界も知ってしまった。そして未来の不安と恐怖という
 マイナスの気持ちを解消するため、そして民族を統一するためにアブラハムはヤフーという唯一絶対神を創ったのである。
 これがマイナスにもプラスにも人類に影響してきた。そして現在もである。
・・・・・・
2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か     才八∋ウ_〆(∀`●)          
「ファンタジーの魔法空間」 著者・井辻朱美 岩波書店   ー 読書日記
著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて現代に近づいていく。
そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」
という。 博物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された時間である。
またテーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって短い死と再生を体験するように仕組んである。
そういう空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、ファンタジー作品を支えているのは
そういった空間なのではないか、という切り口である。それに気づいた時、著者はファンタジーを「場所」や
「空間」という隠れたコードから読み直すと、より面白いという。 この書ではファンタジーを、
・「家」という空間のファンタジーと、
・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
・「魔法」のファンタジーの 3つの織りなす物語と説明している。
ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
(字数制限のためカット 2011年3月16日)
・・・・・・・
2006年03月16日(木)
1808, ずっとやりたかたことを、やりなさい ー1   (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○   書日記
 図書館で何気なく借りてきて読んでみたが、すばらしい本である。早速、中古だがアマゾンで発注をした。
(字数の関係でカット2009年3月16日)       
ーーーーー
2005年03月16日(水)  
1443, 孤独についてー4
「孤独であるためのレッスン」NHKブックスー諸富 祥彦 (著)を図書館で借りてきた読んだ。
(字数制限のためカット 2010年3月16日)
 ・・・・・・・・・
2003年03月16日(日)
711, キャッシュポイント
 このシビアの言葉が気に入った!ヤクザが恐喝のネタを掴んで「これ脅せる、銭になる!」という瞬間がキャッシュポイント。 
・・・・・
2004年03月16日(火)
1077, 三分間
スピーチ三分、カラオケ三分、電話三分、メッセージのやり取り三分、
スポーツでは、ボクシングが一ラウンド三分、相撲も土俵に上がって立合いまで三分である。
(字数制限のためカット 2013年3月16日)


4381, ブラック・スワン −1

2013年03月15日(金)

         「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」ナシーム・ニコラス・タレブ著
 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているが、何の化身か分からない。
 とてつも恐ろしそうなのは分かるが・・人間など儚いもの。  ーまずは、アマゾンのないよう説明からー
■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か?
 むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者など一人もいなかった。
 ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、
 この新しい発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 ほとんどありえない事象、
 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。
 一つは予測できないこと。二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん起きてしまうと、
 いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。
■ 世界の見方を変える書
 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブは言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。
 私たちはどうでもよくて取るに足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚をつかれ、
 そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。
 「ブラック・スワン」に立ち向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示する。  ーまずは、レビューよりー
≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、
 ということ。 我々は常にブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。サブプライム問題に
代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を
少し聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。しかし、そうした業界で議論されているリスクとは
カジノゲームと同じで計測できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な不確実性の方が圧倒的に多い。
そしてちょっと判った気になった程度が、実は一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴である。 
一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には
過剰反応する一方で、講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらすにも関わらずだ。
毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。
ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。
たしかに、今回の金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫
 ▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。
  これは、このような歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は面白く、刺激に満ちている。
 ・・・・・・
4007, 共喰い
2012年03月15日(木)
                「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンターからの帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。
一時間あまりで読んだが、初めから終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、田中の世間に触れたことが殆んどない未知(無知)世界への戸惑いの挑戦的態度がユニークで幼稚である。 
 この小説は、近年の都会的軟弱傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描きだしている。
主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅したようだ。 
   まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で
川辺の町に暮らしていた。別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母にさばいてもらう距離にいる。日常的に父の乱暴な
性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と
覚えたばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとしてケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、
町が水にのまれる中、父との子を身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と仲直りをしようと
森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく....。川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
 ▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。 数ページも読まないうちに、その世界に引きこまれていった。
  自閉症?の田中ワールドである。 その中で主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
 この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 地方の性の温もりを、どう捉えるかである。 
 地方は逃げ場のない土着がゆえに、ドロッとした人間関係が渦巻いている。その中での性の問題は深く、それぞれの小さな地縁と
 交友の中で発酵している。  
 ・・・・・・・
3641, 大地震 ーつれづれに −4
2011年03月15日(火)
  * ところであの男、大丈夫だろうか?
 学生時代の友人が、仙台飛行場の近くの阿武隈川の河口の漁村に、終の住家に選んだ。
このM9の地震と津波が直撃したのでは?とブログに書いたら、それをみた友人から電話が入った。
仙台区若林区荒浜は多くの犠牲者が出ている。生きていて欲しいが・・・ いや生きているはずである!
▼ 3040,卒業40年周年か〜 −4   2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた手紙を貰うのは初めて。
私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’
の手紙上の対話だから魂が入ったのだろう。 それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 私にとって一期一会の対話になった。 
それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  * 奥野君からの手紙
 お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社や学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して
行くのだろうなと私なりに思っていました。どうして? と問われれば、同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったと
お答えします。その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、名古屋、広島、東京、
仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。最終の役職は支店の責任者でした。
50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、 
一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。 
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、
が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。 日常生活は太平洋の日の出を
ワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
 趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川の下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、
カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。 家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八(しんばち)といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。
平均睡眠時間は4・5時間との事です。親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授を
やっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず拙文とあいなりました。
状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。  7月28日 奥野和男
  ―――
 * 奥野君への手紙        2009年07月22日        (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。
ブログに同月同日に毎日載せたものです。 従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。
その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって
多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後
・ジャスコに一年在社後に、
・産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
 やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。
  どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。 
 30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところです。
ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
    当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
    分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
    ー−
 ー11月19日ー 1968年
・11時起床。
13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然くる。1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかったが。
専門課程になってから疎遠になっていたのに。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観について、
その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。特にケネデーの自伝に感銘を受けたというのが印象的であった。
見違えるように自信を持ったらしい。男っぽくなったという言葉がピッタシだ。4時間ばかりして帰っていった。
もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。アパートから一時間以上かけてきたのだから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。聞き役に徹していることもある。それと大学最後の時が来ているためだろう。
 ・・・・・・・・
276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
 2010年03月15日(月)
一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。
ロンドンの一人のトレーダーを通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。 
ニュースやドキュメントで返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカは まだ物件を引き渡せば免責され個人破産においこまれないが。
(日本は破産まで追い込まれてしまう) この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金などにも関わってくるから他人事ではない。
この金融恐慌、「たまたまリーマンを潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。まだ、誰も言わないが。
  ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅ローンを専門に扱うブローカー、
住宅ローンを組んだ警備員、3人の男たちの人生は……。
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。 米国でサブプライムローン問題が発覚する前の07年、
ロンドンの金融街シティの金融マンたちもまた、空前の好景気に沸いていた。 多くの家庭が 不動産を担保に融資を受ける中、
住宅ローンの営業マン、デイヴ(ドミニク・クーパー)は住宅ローンを組み込んだ証券を売りさばき、法外な利益を上げていた。
ある日、昔の同級生で警備員をしていたジム(ジョゼフ・モウル)に出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。
だが1年後、株価のフリーフォール(大暴落)はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼ アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースなどの映像に映し出される。 
 まだ恐慌の入り口でしかないから深刻である。特に日本は数年間は暴風雨を覚悟をしなければならない事態。
 それにしてもシビアな具体的なドラマとしてみると、世界の金融を支配している連中に激しい怒りをおぼえる。
・・・・・・・・
2009年03月15日(日)
 2901,のど自慢全国大会
昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた15組というだけあって、誰がチャンピオンになっても
不思議ではないほど素晴らしい内容。初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。彼らの歌が一期一会のステージだから。
ジェロ、北島三郎、和田アキ子が、15人の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲にかけた魂の雄叫びに自然になっていた。 
盲目の少女がチャンピオンになったが、優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。 あの重さは一生忘れることができないだろう。
恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて何とも
いえない雰囲気をかもし出していた。 現在は、カラオケやスナックで素人がプロ並みになっているが、それにしても上手い。 
哲学的にいうと垂直に魂が入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも見逃せない。 
それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、
その世界に我を忘れて没入しているのである。現実だけでは人生は、あまりにも厳しく過酷である。
別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、
それぞれある。「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を無視することもない。そういえば、
月に1〜2度はスナックで、カラオケを歌うのが習慣になっている。何で人は歌いたくなるのだろうか? 
それは物語を求めているからだろう。物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、そして、ささやかな宴ということだ。
また一年に一度の楽しみが増えた。 歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか?


4380, 閑話小題  ーある相撲取り

2013年03月14日(木)

    * 長岡駅裏の道路拡張工事
 長岡駅裏から東バイパスまでの大通りの拡張工事も完成に近づいてきた。40年以上もかかっている。
当初は市役所などの施設を東バイパス近くに移転する計画だったが、地主の反対などでSCなどに変更し、三年前に完成。
毎日、その一角にあるスポーツジムに通っている。自宅から150M位の大通りの一角には、大東建託がマンションと、
セブンイレブンが完成間近か。これで近くにローソンとセブンイレブンがあれば、ますます便利。
    * ある相撲取り
 日本人を父に持つフィリッピン・ハーフの力士が二人が新顔として幕内上位に上がってきた。
その一人が枡ノ山という力士。 肺の持病のため、20秒以上相撲をとると呼吸困難になる。母親の離婚のため、
一度フィリッピンに帰国したが生活が困窮し、一度断念した力士の夢と生活のため母と日本に戻ってきた経歴を持つ。
母は日本で看護士として働いている。 取組直後は呼吸困難のため激しく息を切らす。「スタミナは一般人の半分以下」と、
本人も認めている。そのため激しいぶつかり稽古は無理で、特別メニューをこなしている。相撲はブチカマしで押出しだけ。
その必死な姿と、本番終了後の激しい息遣いが共感をよぶ。20歳そこそこの青年が、生活のため必死に闘っている姿が、
身体全体に現れ出ていて、ドラマそのもの。 力士生命は、長くないのは自明。これも人生である。
 もう一人、大卒で幕下からデビューしたての千代大龍という力士がいる。三役に直ぐになるだろうと思っていたら、
糖尿病になってしまった。これは、力士にとって致命傷。食事制限で太れないうえに体力維持も大変になる。 その後、
身体が一回り小さくなったが、それでも勢いで幕内上位に上がってきた。 昨日は横綱に初金星である。
短命の力士生命を本人も知っていて、必死に闘う姿が心をうつ。最近は、力士の人生を土俵上で見るようになってきた。
・・・・・・・
4006, 宇宙は本当にひとつなのか ー8
2012年03月14日(水)           
  * 超ひも理論とは      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 これまで電子などの素粒子は大きさをもたない点として考えられてきました。ですが、素粒子をただの点として考えると、
 つじつまの合わない、ことが出てくるようになってきたのです。そこで、考えられたのが素粒子は実はひもだったと考える理論です。
これが超ひも理論につながる最初の考え方でした。素粒子が実はひもだったというのは、とても突飛な発想のように感じると思います。
どうすれば、今まで点だったものをひもとして考えられるのでしょうか。超ひも理論でいっているひもは、とても小さなもので、
その長さは一〇の三三乗分の一マイナスセンチです。小数点の後にゼロを三二個並べた後に一が来るくらい小さいものなので、
私たちは見ることができません。 超ひも理論では、私たちが素粒子だと思っていたものは、実は振動して広がっているひもなのですが、
あまりに小さいので点だと思い込んでいたというのです。 今まで点だと思っていた粒子の正体がとても小さなひもだったという超ひも理論が
正しいものだったら、宇宙の姿も大きく変わってきます。 まず、宇宙は一〇次元でなければいけないことになります。一次元の時間に加えて
空間は九次元ということですので、私たちが目にすることのできる三次元空間の他に小さな異次元が六次元あることになります。 加えて、
プレーンと呼ばれる三次元空間の膜も確かに存在して、物質はその膜に貼りついているということも、理論が正しいことになります。】
 ▼ 物質をカタチつくっていた素粒子が、実は振動して広がっているヒモだったとすると、モノとは何かという原点から
 考え直さなければならなくなる。その超ひも理論が正しいと、宇宙が10次元なければならなくなり、空間が9次元なければ
 ならないという。それから、多元宇宙論が導き出されるという。 「物質は、コトの一時的現象」という話を聞いたことがあった。
 コトのエネルギーから生じるのが振動なら、素粒子と思っていたのがヒモ状の振動と同じことになる。人間の感動も魂の振動。
 下にコピーしてある,二年前の3月14日のーカントの神について、どう語ったかーが、宇宙論を読むと符合する部分が多い。その前年分もか。
 ・・・・・・
3640, 大地震 ーつれづれに ー3
2011年03月14日(月)
* これからは原発の放射能漏れと大爆発の可能性がクローズアップをしている。 
 まず現在、何が起こっているか頭を整理してみよう。
 明治三陸地震以来の岩手、宮城、福島県沖の活断層が400キロにわたり起こった地震と大津波。
 世界的にみても、今回の地震は最大規模の一つになる。
  1番 チリ地震(M9.5 1960年) 2番 アラスカ湾地震(M9.2 1964年) 3番 スマトラ島沖地震(M9.1 2004年)
  4番 東北地方太平洋沖地震(M9,0 2011年) カムチャッカ半島地震(M9.0 1952年) 
 今回の規模は、日本の歴史的にみても、一番大きな地震と津波。 人的被害では、関東大震災がある。
 1923年9月1日(土曜日)午前11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生したマグニチュード7.9による災害。
 死者・行方不明者 14万2800人。地震の発生時刻が昼食の時間帯と重なったことから、136件の火災が発生しめ死者が甚大になった。
 今回のように、地震、津波、石油の備蓄基地の火災、市街地の火災、原子力発電の爆発と放射能漏れなど起こりえる全てが
 重なってしまった震災は過ってなかったこと。 地震災害研究者からみたら、これほど研究材料の多い災害はない。
* この土・日曜日のTVは、東北・関東大震災の報道で一色。リアルタイムの生々しい内容に時間を忘れて終日、見入っていた。
 三陸海岸には津波に対する警戒もあり監視カメラが多く設置されており、個人のビデオカメラなども含め多くの映像が
 映し出されていた。 日がたつにつれてYoutubeなどから多くの映像が出てくることになる。 急な避難のため体一つで
 逃げてきた人が大部分。 帰る家も金も無くした被災民は今後、大変だろう。 年寄りなら生活保護があるが、
 中年の人は、この大不況の中、生活していくのは大変。 それでも、助かっただけでも良かった。 
 ところで、福島原発から200キロもはなれた女川原発の放射能の値が、福島原発から流れてきた放射能で、
 普段の観測地値の400〜700倍になったという。 すると300キロ位しか離れてない新潟も何らかの影響を受けることになる。
 一回ごとの発表が、どんどん悪くなっているのが気がかりである。深刻な事態になっているのだろう。 
 大爆発の可能性も考えていないと! 家に閉じこもっているしかないのか? 
・・・・・・・
3275, 哲学者は神について、どのように語ったか ー5
 2010年03月14日(日)
 * カントは神の問題を、どう片付けたか
 哲学の問題は古代以来、「世界は何で出来ているか」「神は存在するか」「真理とは何か」「自由と自然因果律の関係」等、
大きく4つに分けて考えてきた。人間の「理性」に絶対的な信仰を置き、これらのテーマについて壮大な哲学を構築してきた。
それについて、カントは、その問題自体が無意味と切って捨てたのである。 カントは、「世界」「真理」「神」は、元もと、
理性の外にあるとした。 神も含めて、理性では認識しようがないとした。 カントは、もし神がいるとしたら、客観(本質)は
神のみが認識できる。人間の理性には限界があるから、人間が相手に出来るのは、もっぱら世界の現象でしかない。
カントは、世界を神のみで知る「本質」の世界と、人間が「理性」によって認識できる「現象」の世界に分断してしまった。
本質の世界は、理性では捉えることができないと、一蹴してしまった。 多くの哲学者が悶々として苦しんできた問題を、
そこで切り捨ててしまった。 そうこう考えると、神の存在そのものを問うこと自体が無意味ということになる。
神は、この宇宙の外の存在者と仮説をたてて、その内なる人間の理性で、その存在を問うことと自体が初めから無理。
 ウィトゲンシュタインの「語りえるものは明晰に語り、語りえないものは沈黙を」と同じことになる。
「哲学は真偽の分からないことばかり語っている、判断の出来ないことを語ることなかれ!」と。だから、誰かに「神は存在するのか」
と問われたら、上記のような説明がベストになる。 とはいえ、神について、のっけから考えることを遮断するのも問題である。 
理性で現象だけを追い本質を分断することになる。人間は言葉を持ってしまい、イメージとしての死の恐怖を植えつけられてしまった。 
その恐怖から逃れるために客観としての宗教が必要である。人生そのものは振り返ると夢・幻でしかない、と感じる。
それなら、その人生の光を包む暗黒のイメージに光の根源を入れておくこと、それも人生をかけて、つくりあげることも大事なこと。
アッラーの神、ヤホバ、何でも良い。 イスラム教徒の祈りなど、非常に理にかなっている。あれは光の根源の祈りである。
 偶然、気づいたが、去年の同日、書いた以下の内容に続く。
 ・・・・・・・・・
2900, 脳と仮想
2009年03月14日(土)
  「脳と仮想」茂木健一郎著     −読書日記
松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」で、以前、読書日記で取り上げたことがある。
 ーウィキペディアによると
共同幻想とは、複数の人間で共有される幻想である。 日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉である。吉本は、
自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 ー以上だが、これを読んで、いささかショックであった。日本社会を構成している「世間」=地域社会をみていると、
地域の共同幻想を抱いている集団社会が露出して見える。また宗教団体も教祖様の教えの刷り込みをした共同幻想集団のことも明白。
自己幻想も、対幻想も、多くの幻滅を経験した結果として、所詮は自分も、自分を取り巻く社会も幻想で成り立ち、
そのバブルと破裂の繰り返しているだけということが分かった。 死に直面したり、リタイヤをする時に初めて、
勤めた会社を含めた全てが共同幻想の中で、自己幻想と、対幻想を持って生きてきた自分に直面することになる。
 図書館で茂木健一郎著「脳と仮想」を借りてきた。 幻想と仮想と、何処が違うのか? 似たものなら、
脳との関係はどうなっているのか?と、考えながら読んでみた。この本のテーマの「仮想」は、飛行場で5歳の姉が妹に問いかける
「ねえ、サンタさんていると思う?」という何気ない一言から始まる。サンタクロースという仮想の現われ方、その我われの
現実の生活への作用の仕方の中にこそ、人間が限りある人生を生きる中で忘れてはならない何ものかがある。 
それを徹底的に追求した本である。ヒントは吉本隆明の「共同幻想」から得たのだろうが、それは書いてない。
しかし、切り口は鋭く説得力がある。次回には、印象に残った部分を書き出してみるが、「共同幻想論」に劣らない。
般若心教の「色即是空 空即是色」にも通じる道理でもある。
・・・・・・・・・
2536, 意志するということ!
   2008年03月14日(金)
ーある作家の大病経験からー     っ´Ι`)っ { おはよう
 作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、示唆を与えられた内容であった。
彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、印度の病院に入院した経験から病気経験だけでなく人生の在り方まで学んだようだ。
 ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、体力のある人間はおのれの体力を過信する
ものである。もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、日常生活においても仕事においても、病気いうことを
わきまえ、自重していたはずなのだが、体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。
入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、医者と患者との関係がいかにあるべきかを
巡回してくる毎に話しかける、その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。例えば、わたしが入院した日、医者達は
次のように述ぺた「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と
同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を直す意志や気持ち、あるいは闘争心がなければ
我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しい」病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが
(勿論それは間違いのない事実であるが)、その先生は、病人になったが故、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。そういう考え方をその医者は
説明しようとしていたのだ。こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、人の生き死にとどう立ち会うかを
職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならばその弱い意志を
どのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、ということを、これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。
前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、また十人家族の中で育っても、母親が長いこと腰を痛め入院した。
ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、病気とか、それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
 −−
以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、
この宇宙の意志が(己の目で)自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば、その弱い意志をどのようにして強くするのか)
を鍛えるために生きているのだ」、その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」ということだ。
・・・・・・
2007年03月14日(水)
2171, 考える日々                    −読書日記
           池田晶子著 毎日新聞社出版
この本は、9年前の『サンデー毎日』の連載コラムをまとめたものである。一昔前のためか、少し感覚がずれてはいるが、
それでも彼女独特の現世、そして現象への白けた眼が面白い。私も、知人にはアウトサイダーとか、大変な人と、
思われている?が、それをむしろ目指しているのだから始末が悪い?。しかし、彼女の視線は私のような中途半端ではない。
そういえば、哲学者の中嶋義道も「哲学者というならず者がいる 」という単行本を出しているほど、奇人を自称している。
彼女の本を読んでいると、何か親しい友人と語らっているような気持にならから不思議である。 
世間の現象を醒めた眼で見据えているところが同調できる。この本の中の面白いところを書き出して、考えてみよう。
−酔うほどに冴える、はずだったがーより 
 ー P164ー
ーかっては、すごかった。普通の成人男子は、ほぼ間違いなく、先に潰れた。それも私の場合、相手が潰れるまで見極めて、
しかし、それをしっかり覚えているから、相手はたまったものではない。言ったこと、口走ったこと、その状況の仔細まで、
全部覚えているのである。それだけ圧倒されて、彼らは早々酔っ払ったのではないか。仕方ない。私は、酔うほどに
冴えわたる体質なのである。酔うほどに、理性と知性が燦然と冴えわたり,全宇宙の全現象が見える。わかる、わかった、
という感じになる。妄想ではない。事実そうやって手に入れた認識はたくさんある。飲みながら考えるのが面白くて、かっては、
そうしながら、認識メモをつけていた。またの名を『酔っ払いの覚書』というそれは、さながらウィゲンシュタインばりの、
とまでは言わないが、その一瞬に閃く洞察を?まえてとじこめた断片群、これが、けっこう今の仕事の核の部分になっている。
 酒のことを「スピリット]]と名づけた感性は人類に共通しているようだ。あの液体は、私にとって、明らかに「精神」であり、
思考の円滑油もしくは起爆剤として作用する。いや、作用したのだった、かっては。ところが最近は、
飲むと考えるのが面倒になってくる。
 ー P−166ー
政治家や偉いさんなど、高級料亭で高級な酒を飲みながら、仕事の話をするという、その感覚が信じられない。
(字数制限のためカット 2013年3月14日)
・・・・・・・・
2006年03月14日(火)
1806, 秋葉原再開発     |。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
先日、東京・秋葉原にたち寄って、その変容に驚いてしまった三十年以上前から秋葉原のワシントンホテルが定宿で、
年数回は電気街を歩いていた。しかし5年ほど前から日暮里のホテルに変えてしまった。久しぶりに秋葉原の電気街など駅周辺を散策
(字数制限のためカット 2012年3月14日)
・・・・・・・・・
2004年03月14日(日)
1075, スペインのテロ
・スペインのテロがあったが、次は日本と連想をしてしまう。
「大国?で、60年近く戦争が無いこと自体が異常」と考えたほうがよい。
 (字数制限のためカット 2012年3月14日)
・・・・・・・・・
2003年03月14日(金)
709, シンプルー2  
 −ワンプライス・ショップ
(字数制限のためカット 2012年3月14日)


4379, 「世間」の捨て方  ー2

2013年03月13日(水)

                ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや (著)
   * 世間の奴隷が発する、二つの質問
≪ 聖徳太子は、「この世の中は何なんだ?」の疑問に、「世間虚仮、唯仏是真」と答えている。
この虚仮は、「自分をコケにしやがって」の虚仮である。早い話、私たちの生きている世間は「嘘偽り」ということ。・・・
その嘘偽りの中で、人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるか」と、自問自答する。そういうことを考えて
生きること自体、世間の奴隷になっている証拠。それらを考えることは、自分で手枷、足枷をはめて奴隷になっている。
そういった物差しなど捨てて、もっと自分らしさを求めようではないか。世間の中で生きているには、それらから逃れることは
出来ませんが、幸か不幸か、今の日本も滅亡までのカウントダウンが始まった。出世間には最適のタイミング。少しずつでも、
世間のしがらみから、抜け出すときである。お釈迦様は、「自灯明、法灯明」と説いている。これは自分自身を灯明にしなさい、
ということ。それより、「世間のどれいになってはいけない」ということ。 ≫
 ▼ 世間の奴隷の優等生になるなら「孔子」を、奴隷から逃れるには「老子」を、その中庸なら「孟子」に従えばよい。
  それから超越するに仏の教えを灯明にすればよい。世間という言葉には、「現象にドップリ浸かった考えない人たち」という
  意味がある。その感覚世界だけの幸せと生きがいを求めるの人たちを、著者は世間の奴隷という。趣味など自分の世界を持って、
  そこに生きていれば、そこに身近な7〜8人の人を立ち入れないことだ。その趣味の世界にも、世間がある。
  したがって、孤独の世界をつくっておかなければならない。孤独の世界は、求道の中にある。「学び、遊び、働き」の
  それぞれの場面で、個として守らなければならない。それが出来ない人たちが世間の奴隷になる。生きがい、幸福を自問自答
  するのは、それはそれでよい。問題はとらわれないこと。「進歩したい、向上したい」という気持ちも、考えてみれば、
  世間向けの気持ち。とにもかくにも面白く、楽しくなければならない。最期に、「ああ、面白かった!」と言えればよい。
  新潟駅前の事業を総括して一つ言える、「ああ、面白かった!」。本心である。それだけでない、事業の創業を決心してから、
  現在に至るまで、本当に面白かった。 咽喉ぼと過ぎればだが・・ そうこう考えると、感謝、感激、感動こそ人生である。
・・・・・・
4005, 宇宙は本当にひとつなのか ー7
2012年03月13日(火)
  * 人間原理とは        「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
【 この宇宙の物理法則を見なおして見ると、人間が出現するための条件がそろうようにできているのです。
 例えば、暗黒物質があるおかげで、星や銀河が生まれましたし、量子力学の法則の存在するおかげで、原子が潰れずに存在でき、
私たちの体も壊れずにすんでいます。また、私たちの世界は三次元空間が大きく広がっていて、それ以上の次元はとても
小さなっていると考えられている。空間が三次元に広がっているお陰で太陽系が存在できています。太陽系は、八つの惑星をはじめ、
たくさんの天体が太陽の周りをグルグルと回っています。もし、大きく広がっている空間が四次元以上だったとしたら、太陽の周りを
回るたびに少しずつずれてしまい、同じところをグルグルと回ることができなくなります。一方大きい空間が二次元しかないと、
DNAのこ重らせん構造をつくることができません。生物が存在できるかどうか怪しいものです。・・・
 そのようなことを一つ一つ考えていくと、この宇宙はうまくできすぎているのです。たくさんの条件をもった
宇宙がランダムにつくられていったと考えるにはできすぎているというところから考えられたのが、人間原理です。
 人間原理によると、人間が存在できるように宇宙の条件がそろえられているのは、ある意味で当たり前のことなのです。
宇宙のことを観測するのは人間です。人間が存在できる条件を満たしていないと、人間が生まれません。人間が生まれないということは、
観測されないわけなので存在しない、もしくは存在しないのと同じです。たくさん生まれた宇宙の中で、ごく稀に条件がそろった宇宙に
人間が生まれ、そのような特殊な宇宙だけが科学の対象になり、私たちが見ることができるという理論になっています。・・・ 
 自然法則やその中に含まれる物理定数は、人間のような高度な生命を生み出すのに丁度適した構造になっている。 
これはファイン・チューニングと呼ばれる。人間原理は、このファインチューニングという現象に対する説明を与える。
宇宙の自然法則と物理定数が生命の存在を許す絶妙なバランスを取っている事の理由を説明する議論には、他に、知的な存在を仮定する
宗教的な立場として創造論あるいはインテリジェント・デザインがある。 それに対して、人間原理は超越的な存在を仮定しない
自然主義的なアプローチである。 】
 ▼ 人間原理の「人間が現に存在をして認識するから宇宙が存在をする」は、カントの対象に対する認知の貼り付けの認識論に似ている。
  宇宙の広ろがりを知るほど、人間の存在と知能の不思議さを改めて思うことになる。「丁度良い」が、我々人間にも、
  住んでいる環境にも言えること。それを再確認するに、「ありがとう」を口癖にするのがベストになる。宇宙論も、最後は精神論か。
 ・・・・・・
3,639、大地震 ーつれづれに ー2
2011年03月13日(日)
 今回の地震の被害地・三陸地区はリアス式の入り組んだ海岸のため津波を増幅させ、被害を大きくした。
1896年の「明治三陸地震」は津波高さ 38メートル、死者不明者が2万2千人が出た。その37年後の1933年の「昭和三陸地震」
では、高さ28メートル−死者不明3千人、M8・1であった。 今度の津波は7メートルだが、津波の広がりは格段に大きいもの。
名称は本来は「平成三陸地震」が妥当だろうが、広範囲から最も頻繁に使われているのが「東日本大震災」。
しかし「東北地方太平洋沖地震」と名称されたようだ。 インド洋の大津波をビデオで何度かみたが、それに似た大津波を
日本でみようとは思ってもいなかった。色々な映像をYoutubeなどで見るにつけ、巨大津波に驚きざるを得ない。 
今回の地震は、北海道から九州までにわたっており、広範囲が特徴的である。 その中で首都東京に津波が発生しなかったことが、
不幸中の幸い。もし海水が流入したら国家機能が大きく麻痺をするになる。東京都内は地下鉄が網羅しており移動が非常に便利である。
それが浸水したら都民の足は大きく損なわれる。 関東・東海大地震も遠くない将来、必ず起こるといわれている。
それにしても、大津波の映像の迫力には驚かされた。釜石に押しよせた大津波の海水の流入や、広範囲の津波が海岸線を
飲み込んでいく場面には息をのんでしまうほど。 地震から発生した大津波、市街地や住宅地の火災、石油基地のタンク火災、
原発の放射能漏れなど、全ての問題が噴出してしまった。 特に、原発の爆発と放射能漏れという大問題が生じたが、
この数日は目を離せないことになった。世界のマスコミにとって、これほど映像として引き付けらるネタはない。
それがリアルタイムに世界に流されるのだから、日本の株、国債、円にとって大打撃になる。明日開かれる市場によっては、
本格的恐慌に入る可能性がある。弱り目に祟り目の循環が始るのだろうか? 土木・建設業界にとっては神風になるが、
日本経済には大打撃になる。
 ・・・・・・・
3274, ビックカメラの店頭は今!
 2010年03月13日(土)
 大型家電チェーンの店頭は時代の世相をそのまま現す。新潟駅新幹線出口の近くに位置して今まで10年以上あった
「ヨドバシ・カメラ」がある。 同じ駅中に競合の「ビック・カメラ」がオープンして一年になる。
「ヨドバシカメラ」は、これまで数年ごとに思い切ったレイアウトの変更をしてきた。 それを見ていると、
その時どきの時代の流れが見て取れた。携帯電話、デジカメ、パソコン、薄型TVの位置関係と種類と量だが。
 ビックカメラの店頭は、ある意味で駅周辺では現時点では一番ホットなところ。 で、店頭をみると、向かって
一番左側に携帯があり、中央に入って直ぐにモバイルパソコンが10種類以上展示してある。店のメインになる位置である。
そして、その後ろに最新の薄型TVが並んでいる。両方とも、売り場の至近距離にあり、「これが現在のパソコンや
薄型TVのホット商品ですよ」という紹介である。モバイルパソコンは、小さくて何処へでも移動しやすい。 
これだったら、常に持ち歩きが可能である。 各メーカーはiPadを意識しているようだ。 で、ドチラ?といえば、
やはりiPadを選択する。モバイルパソコンに、ツイッターが組み合わさって、この数年で世の中を一変するはず。
他のメーカーも似たような商品を出すだろうが、iPhone、iPodになれた客はiPadを選択する。
私も会社も、自宅もMacのパソコン。さらに、携帯もiPone、音楽もiPod。 立派なMacFanである。
 情報化の更なるウネリはマスマス大きくなるばかり。その元は、すべてアメリカ発である。ところでMacが
デジカメに興味を示したら、どんなカメラを創ってくるのだろう。今のところカメラやビデオを一つの機能としてしか
見てないが、思わない切り口があるはず。で、新聞をみていたら、デジカメの裏面が全てiPhoneのような
画面でタッチパネルの新商品の紹介記事があった。見るからに面白そうである。 家電の店内は夢があってよい。
・・・・・・・・・
2899, イオンの誤算
2009年03月13日(金)
イオンには大学を卒業直後、ジャスコの創業期に一年在社したことがある。まだジャスコ・オカダヤという名前で、
三社合併の一期生。僅か一年でも全エネルギーをようした記憶がある。その後のジャスコの躍進は目を見張るものがあったが、
地方の郊外型SCに全エネルギーを傾けたことと合併が最大の戦略ポイントであった。辞めた直後に三菱商事と組んで
ダイヤモンド・シティを設立したのを憶えている。その7〜8年後に長岡に立ち寄った元同僚の話によると、
「SCが大当たりで、テナント料だけで元が充分とれ本体の出店はイニシャルコストも、ランニングコストも零になる」という。
  (字数制限のためカット 2011年3月13日)
・・・・・・・・・
2535, 今年のフランチャイズ・ショーの感想
2008年03月13日(木)            ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪
二年ぶりにホテル・レストランショーと、フランチャイズショーを見てきた。
晴海に出来たビッグサイトで毎年開かれているが、30年来毎年行っていたが、この数年は隔年にしている。
おおよそ大会場を二回周る。 一度目は大雑把に見て周り、二周り目は気になったところに行く。もともと店舗ショーと、
一緒に行われていたが数年前から分離、開催されるようになった。ただ不景気のためか、年々勢いがなくなっている。  
 ー今回、面白いと思ったのを挙げてみると、
*木製のカプセルホテルのベッドである。
 家具屋が忠実に防音をテーマにして作ったもの。ホテルのテナントが撤退したあとに狙いを付け提案型にしたのがポイント。 
 当方にぴったりだが、少し値段が高いのが玉に瑕だが、木製のカプセル内は寝ていても 抵抗感が無いのがよい。 
 何か押入れの中で寝ているような感覚になる。 しかし木工団地の家具屋に行って特別仕様でつくれるレベルである。
 だから提案型にしなければ、誰もが自分で家具屋と組んで作るだろう。
*次に面白いのが電子レンジ・炊飯器。
 (字数制限のためカット 2012年3月13日)
・・・・・・・・・
2007年03月13日(火)
2170, 「日の名残り」ー 2   読書日記
       (~Q~;) おはよう?? ファ?
最後にある丸谷才一の解説の中の、ある一節がよい。
彼をしてこれだけの解説をさせるのだから、カズオ・イシグロの作家のレベルを窺い知ることができる。
 ーまずは、その解説の一節を抜粋してみるー
ーヘーゲルの名文句に「従僕の眼に英雄なし」あるが、ヘーゲルは、「それは英雄が英雄でなく従僕が従僕だからだ」
と言い添える。服を着せたら長靴をぬがせたり、身のまわりを世話してくれる卑小な男にかかると、
どんな歴史的人物も偉大なところが見えなくなる。欠点しか目につかない、というわけだ。
そういう理屈で押し切ることで、ヘーゲルは彼の歴史哲学を構築した。そうしてたいていの歴史小説は、
英雄を従僕の眼で見る手法と、英雄崇拝的な民衆の眼で見る態度とをまざあわせる手法で成り立っている。ー 
▼ この文章を読むまでは「英雄の私生活はその偉業を除けば普通の人と何ら変わらない」という解釈で、従僕の卑小な眼の
限界というヘーゲルの隠された意味を初めて知った。最近、「そうだったのか!」と、知らなかったことがあまりに多い。
良く解釈すれば、知識が増えた分だけ周辺の知らないことに気づいたということになるが。 そんなレベルには、まったくないことは
自分がいちばん知っている。またいかにもイギリス的なところが書いてある一節を紹介してみよう。断片からみる文化も興味をひかれる。
≪ ー私どもの世代にとりましては、執事としての職業的威信が雇主の人間的価値の大きさに比例して決まってくると言って
過言ではありません。 ・・・ 父の世代の執事は、世界を「はしご」に見立てていたと存じます。 いちばん上には、王室や
公爵家をはじめとする、古い家系を誇る家々があります。やや下がったところに、「新興階級」が位置し、サラにずーと下がってある
位置を越えると、あとは単純に財産の多寡で上下関係が決まります。 多少とも野心のある執事は、このはしごをできるだけ高くまで
上ろうとしましたし、一般的には、高く上るほど、その職業的威信も増したと言えましょう。 もちろん、ヘイズ協会の言う「名家」の
背後には、こうした価値観が隠されていたのです。・・・私どもの世代では、この世界を「はしご」ではなく「車輪」に見立てていました。
それは、偉大なお屋敷を中心に回転する車輪なのです。中心で下された決定が順次外側に放射され、いずれ、周辺で回転している
すべてにー 貧にも富にもーいきわたります。職業的野心を少しでも持つ執事なら、誰でも車輪の中心を望み、そこへできるだけ
近づきたいと願ったでしょう。 ・・・・(中略) ー執事になりたての頃は、私も雇主から雇主へ頻繁に移動いたしました。
それは最終的にダーリントン卿に巡りあう幸運に恵まれるまで、その時どきの地位から永続的な満足を得られなかったからに他なりません。
召使部屋の火を囲んで「偉大さ」の何たることかを語り合った当時、ミスター・グレーアム、
私も、この問題にこのような側面があろうとは思いもつきませんでした。ーー
ーーーー
この本を読んでいて、イングランドに行きたくなった。学生時代に行ったイングランドの印象は良くなかった。
プライドだけ高く、昔の威光がもの悲しそうに光っている国。もう二度と来たくない、というイメージがあった。
しかしその時、イギリスは数年いると深い魅力に圧倒されるとも聞いた。 面白いもので、一昨年に北イタリアに同行した人から
イングランドの旅の誘いの手紙が来た、さてどうするか。友人の息子がアイルランドに留学に行っているので、
二人で夏に訪ねていこうかと、先日酒を飲んで盛り上がったが、どういうものか?北イタリアの人に今日明日に手紙を出さないと!
この本を読んで感じ取ったことは、国の品格ということだろう。 この礎は世界中の植民地から奪略をしてきた富から
成り立っていることも事実である。突き詰めれば、どう考えるか?である。        ヾ(●´∀`●)  バイ!        
・・・・・・・・
2006年03月13日(月)
1805, おひとりさまー3       (○´∪`●)φ...【ォハョゥゴザィマス】
「おひとりさま」について、二回書いてきたが、この言葉を流行らせた原本の、岩下久美子の「おひとりさま」は読んでなかった。
ところが先日図書館で、この本を見つけて読んでみた。自立した女性というより、自立した人間について書いてある。
私のような「ひとりさま」のプロ?は今さらの内容だが。組織に組み込まれている人に自立した行動に苦手な人が多い。
共通の目的を持って分業をしているので、お互いの連携が前提になる。群れる傾向の強い女性に、この本は良い教訓になる。
一人で行動するのは若い女性にとってまだまだ制限がある。一人では出来ないことが二人だったら出来ることを女性は知っている。
「おひとりさま」という言葉が広く受けられるようになったのは、時代の要請があるからだ。この本で面白いのは、
「パラサイト・ラブ」という言葉である。携帯電話がパラサイトを助長させたのだろうが、愛情寄生虫とは良くいったものだ。
ひとりー孤独ーを愛せない人間が、お互いを愛せるわけがない。ひとりの時間をキチっと持てない人間が、二人の時間を
維持できるわけがない。自立してない人は、相手の自立が理解出来ないので適度の距離を保てない。
情報化の時代である。「自分は、こうである!」という『個』を確立しておけば、そしてブログなどに主張しておけば、
会うべき人との出会いのチャンスは幾らでもある。    ((o(´・з・`)グッ。・:*:・゚☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・
2005年03月13日(日)
1440, 閑話小題ーつれづれに
 ーライブドア問題ー
ライブドアとフジTVの日本放送株の新株予約権発行を巡っての地裁の発行差し止めの仮処分申請は、ライブドアの言い分が
認められた。フジと日本放送の経営者の保身のための「奥の手」でしかないのは、自明のこと。フジのトップがあの程度と
いうことがハッキリしたのが第一の収穫。いろいろな問題があるのだろうが、それだけでも堀江の今回の問題提示はよかった。
それにしても、なんじゃいあのフジの連中!判決が不利になると急に低姿勢に変身しだした。時代の変化と金融が解ってない。
多くの解説者が「あのフジの??」と論をはるだろう。あくまでも結果を待って言っているに過ぎない。
 ードロドロした話ー
数年前のことだが、「慶応の在学中に、会計士の試験に合格をした男がいる」という知人の話を聞いて、
「是非面白そうなので会わせて欲しい」と頼んで、会った人がいた。大学と(会計士になるための)専門学校に同時に通ったという。
話していて、目から鼻に抜けるような頭の切れる人で、地方では珍しい人というのが印象的だった。
しかし人生の一番大事な時期に全く社会から隔離されたいた左脳人間にも思えた。でも、こういう人のほうが、痴呆名士様より
ズットまともであるが。痴呆迷死的な要素は一年もあれば、いや一週間もあれば飾り立てることができる。
  (字数制限のためカット 2012年3月13日)
・・・・・・・
2004年03月13日(土)
1074, ホテル・レストラン・ショー (2)
ユビキタス(隠れたコンピュータ)を利用した調理器具や健康器具などが目立っていた。その一つが電子調理機器である。
 (字数制限のためカット 2013年3月13日)
・・・・・・
2003年03月13日(木)
708, シンプルー単純の勧め
「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを愉快に」というが、「難しいことをシンプルに」とも言い換える・・
(字数制限のためカット 2013年3月13日)


4378, 閑話小題 ーあれから二年か

2013年03月12日(火)

   * あれから二年
 大震災から二年経つ。 また30年に亘った新潟駅前事業の整理も、それを機会に断行した。事業物件の売却などで4割近く
銀行に返済。残る6割強は回収機構から数年掛かりで百万を目安に買い取ることにした。別に買い取る必要もないが、成り行き
次第。 事前の依頼は、「綺麗に終わりたい!」。 弁護士、「事業整理に100点はない、せいぜい70点」。 
私、「それでは、70点にしてください!」。 で、その70点で終え、自己完結したと思っている。しかし、これまでの
社長の立場が今度は落伍者。「それがどうした!」と開き直るしかない。 自宅を家内が買い取り、肩身が少し狭いが、今までの
生活は大して変わらない。 長期の装置産業のため、時代変動のリスクヘッジを長年かけ積み上げてきため平然としているが、
倒産の9分9厘は悲惨なことは幼児期から見聞きし、分かっていた。それも一歩離れてしまえば、「夢幻」の過去の話になっていく。
 東北震災の影響は、これからである。その上に、リーマンショックの不良債権が奥底に隠されている。欧州危機、チャイナリスク、
イラン・イスラエル問題、北朝鮮リスクなど、問題が山積み。 過去10年を振り返ってみると、地元では中越地震と刈羽沖地震、
東北大震災。そして世界的な大地震の頻発。 金融危機としてリーマンショック、欧州危機が起こった。政治面では、アフガン、
イラクへのアメリカによる攻撃。北アフリカや中東では、独裁国家の崩壊の連鎖など激動だった。 しかし、今後10年は、
それ以上の大変動が起るはず。その中で事業経営は至難。 2001年の9・11テロの時点で、その影響を悲観的にみて、
現在を予測したら、誰も信じないはず。そうこう考えると、少しでも早く、事業整理か、思い切った縮小をすべきことになる。
これ10年前の自身に向けた言葉でもある。 リーマンショックも、東北震災も、その予兆はあった。しかし、大事件ほど、誰もが
「まさか!」で、何もしないし、出来ない。先日の、NHKのBS/TVで、地震学者が、首都圏の直下型と、南海トラフ地震は
間違いなく起こると予言していた。リーマンショックの不良債権は表立つし、ユーロ圏の崩壊も、イラン・イスラエル戦争も、
間違いなく起こる。そうこう考えれば、まだ、現時点は世界的動乱の序曲に過ぎない。悲観的過ぎる? その中でのサバイバル、
面白そうと嘯いていられない。夢幻でなく、これは現実。10年後に、これをどんな事態で読むのだろう。いや、生きていないか?
・・・・・・
4004, 3・11から一年
2012年03月12日(月)
 去年の今の頃、リーマンショックから三年目に入り売上の激減が止まらず事業整理の検討を始めた矢先、3・11が起きてしまった。
それまであった迷いと躊躇が吹っ飛び、その一週間後の3月18日に整理の最終決断をした。 この地震規模が千年に一度の、
三連動の太平洋沿岸沖500キロに及ぶ大震災。 それが大津波を伴って原子力発電所を直撃した歴史的大震災であった。
その上に、この規模の大地震は今後、数十年にわたり他の地震帯や火山に大きな影響を及ぼし、再び大地震が
起こる可能性が大きい。 その一つが首都圏にあり、何時、首都直下型地震が起きても不思議でない事態。 日本経済にとって、
失われた20年間で国家体力を消耗した上での大震災。この経済的マイナスの影響が、今後、大きく覆い被さってくる。
更に悪いことに欧米の経済は世界恐慌の一歩手前。よくぞ、ここまで悪い条件がつづくもの。
  ー 東北大震災の最終被災をまとめてみるとー
・ 死者、行方不明が19000人。 そのうち行方不明者が3155人もいる。
・ 避難生活者が34万人。 半分が仮設住宅に住んでいる。
・ 仕事を失ったままの人が 4割
・ 家族が離ればなれが   3割
・ 福島では原発事故の避難者12万人(県外避難者が6万3千人)で、そのうち三分の一は福島県には戻る気はない。
・ 日本にある原子力発電54基は、二基を除いて停止。 その二基も1〜2ヶ月で停止予定。
  おまけに、原油がホルムス海峡の封鎖が何時、起こるか分からない。
・ 欧州発の世界恐慌も、秒読み段階にきている。
 ▼ 他人事ではなく、私も間接的の被災民でもある。 直接原因はリーマンショックだが、最後の一撃が、この震災。
  昨日は一周年で、地上波のTVでは、終日、その報道を流していたが、このイベントを期に、次の関東直下型地震に
  シフトが移るのは、世のならい。 日本は、過って経験をしたことのないマイナス坂を転げ落ち始めた。
  数十年にわたった安穏とした時代が長すぎ、ゆで蛙状態が現状。リーマンショックの経済大津波が、そこに来ているのに!
・・・・・・・
3638, 大地震 ーつれづれに
2011年03月12日(土)
 数年前に地元の中越地震、柏崎・刈羽地震を身近で経験したばかりなのに、更に国家を揺るがすような大地震に遭遇しようとは。
事務所のある新潟駅前では震度4の震度だったが、揺れかたが広域の地震のような気がした。 直ぐにTVをつけたところ、
リアルタイムに生々しい地震と津波が中継されていた。特に大津波が海の彼方から押し寄せてくるのを据付カメラが写しだしていた。
そういば先週みた映画「ヒア・アフター」で、ヒロインの一人が大津波に襲われ九死に一生を得る場面があった。
津波に飲み込まれ流される場面は圧巻だった。しかし、これは現実である。 TVの画面は長い海岸線に何波も線を描いて
押し寄せてくる場面がリアルである。 その上に、お台場のビルや、石油基地のタンクが炎上している場面などが生々しい。
夜になっても全国彼方此方から津波が注意報が流されていた。 観測が始って以来最大のM8・8の大地震。 規模は東北全体と
関東甲信越にわたっている。 この文章を書いている現在でも、現在進行形で余震が発生しており、TVからライブで流れている。
江戸時代には、地震が多発していたというが、1896年 明治の三陸地震 - 岩手県綾里 の津波高さ 38.2 M - 死者不明者 22,000 人が
知られている。今回は、7メートルだったが、被害は、死者が数千か、数万人になるのか。東北6県の人口合計と東京都の人口は、
ほぼ同じ。 もし関東に地震が起きて同じような大津波が襲ってきたと想定したら被害は莫大になる。
 結果として、これまで起こっていた東北の地震は、この地震の予兆ということになる。 今朝も、震度4の地震があった。 
これだけの大規模の地震に対して、即応は無理のはず。救援を待っている被害者が多く存在してことを思うと心が痛む。 
まさか、まさか、まさか、で、今でも現実として受け止められないの大方だろう。 国内では部分的な地震は多くあっても、
これだけ広域にわたった地震と、津波は私が知っている限り初めてである。そういえば、学生時代の友人が仙台飛行場近くの
河口辺りに住んでいるが大丈夫だろうか心配だ。病いのある連れ合いがいるので動き辛いはず。
・・・・・・・
3273, 東京大空襲より65年
2010年03月12日(金)
 一昨日の3月10日で東京大空襲から65年というが、新聞では殆んど扱ってなかった。
東京の住民10万人がアメリカによって虐殺されてのである。その日にマスコミが取上げないのは如何いうこと?
長崎も、広島も、同様の殺戮をしているが、これも一般住民を狙った殺戮である。日本人は人が良いのか、馬鹿なのか?
敗戦国へのソ連の扱いを見ているので、恐ろしくて言えないのである。
 ー「東京空襲」をウキィペディアで調べると
東京大空は、第二次世界大戦中にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた一連の計画的かつ大規模な
戦略爆撃の総称である。東京は、1944年11月14日以降に106回の空爆を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、
5月25日に大規模な空襲を受けた。通常「東京大空襲」と言った場合、規模が大きかった1945年3月10日の空襲を指すことが多い。
太平洋戦争(大東亜戦争)中に行われた空襲の中でも、とりわけ民間人に被害を与えた空爆である。死者、合計10万。
 ▼ 以上だが、戦争とは、そういうものだとはいえ、罪ない虐殺は重大な犯罪。その後、アメリカは朝鮮とベトナム、アフガン、
 イラクで同じような殺戮を繰り返している。アメリカ支配者層の輩は、日本人などイエローモンキーとして数段下に見下している。
そうでなければ、こんな残酷なことをしない。もっとも、スターリンのソ連では国民を数千万も殺戮したし、
毛沢東支配下の中国では文化革命下2000万とか3000万の国民が殺戮された。狂った猿の最たるものである。
アメリカは戦争を金融に当てはめ、金融工学で100年にわたり世界の金融を支配していた。そして、このザマである。
その直轄支配国が、この日本である。マスコミも、自民党も、官僚も、その宦官でしかなかった。
それに最近になって気づいたのだから、私は何? それさえ気づいてないのが、現在の日本人の大多数。
 そして、これから10年、世界は恐慌の嵐になる。「東京と名古屋に原爆が二発!東京は金融恐慌。名古屋は輸出壊滅」
と恐慌本の見出しにあった。もっとも、世界中が原爆が落ちているようだが、目に見えないところが不気味。
 ・・・・・・・・・
2898,現在、歴史的転換期の真っ只中
2009年03月12日(木)
 現在、我われは途轍も大きな歴史的転換期に立っている。
・東欧・共産圏と、ソ連の解体を20年前に見せつけられた。
 誰も自分の生きているうちにソ連が解体するなど想像すら出来ないことであった。
・その直後から、パソコンによるインターネットや携帯電話などによる情報革命を目の当たりにした。
・21世紀の初頭の2001年9月11日にはニューヨークの二つのビルに旅客機による自爆テロが起きた。
・そして今度は、アメリカ資本主義帝国の破綻と世界恐慌である。それとアメリカで歴史上初の黒人の大統領が誕生した。
この一連の出来事は、何か得体の知れない歴史的な転換期に我われが立たされていることを知らせている。
近代という名のロシアを含めた欧米主導の進歩と共同幻想が破壊したことである。そして、欧米の暗示から醒めた世界中の民族と、
これまでの欧米の文明の衝突が数十年にわたり本格化する岐路に立っているのが、現在地ではなかろうか。 
そうすると、今年にかけてイスラエル国内?のアラブ地区での虐殺が象徴的に際立って見えてくる。世界の中東・イスラエル化が
今度の行き着くところだろうか。アメリカはイラクを捨てて、戦線をアフガニスタンまで下げようとしているが、
イラクからの名誉ある撤退のための方便とも考えられる。 最終的には日本まで下げてくる可能性もある。
アメリカの国力が、この恐慌で大きく疲弊してしまったからである。 そこで日本は大きな選択を迫られることになる。
・中国と距離を置いて、アメリカ、カナダ、ロシア・シベリア地区、日本のラインの同盟を組むか、
・中国、韓国、台湾、アジアと組んだブロック化の仲間入りをするか、
・何処とも距離を置いた欧州のスイス的な方向か、になるだろう。
どれをとるにしても、日本の国力があまりに疲弊しているので、大きな問題が次から次へと起きるだろう。
今までのアメリカのポチの存在であることは不可能である。
 私の人生だけでも、世界の激変を多く目撃することができた。時代の激変という面で何世紀も生きたような気がする。
  濃厚な時代を生きることが出来た!ということか。
・・・・・・・・・・
2008年03月12日(水)
「金と口の出し方」?2
ー「金と口の出し方」の問題に対して、更に書き写してみよう。
「金は出すが、ロは出さない」とか、「金は出すが口も出す」とかいう言葉がある。
それで、この金と口の出し方について、いろいろ考えて見た。
・まず、金を出す方の立場から。 金は出すが、口は出さない、という結構な人。寄附などこれに当たるだろうが、
ほかにそんな奇特な人はまずいないだろうと思われるが、それが、意外にある。銀行の預金者。それから、日本の納税者。
ただし、政治献金を出す大企業も、口先ではそんなことをいうが、むろん大嘘で、ほんとうは次項に属する。
金は出すが、口も出すというのは、社員に対する社長。テレビのスポンサー。それから、たいていのパトロン。
金は出さないが、口は出すという勇ましいのは、ろくに税金も払わないで、何とか国家に文句をつける方々。
もっとも一方で、政治家とは公然脱税業であると心得て、これもほとんど税金を払わないくせに、国防だの教育だのに、
大きな顔をして口を出す政治家がワンサとあるのだから、アイコである。金は出さないが、口も出さない、というのはアカの他人である。
・次に金をもらう方の立場から。金は出せ、その代り口を出してもいい、というのは大抵の場合、女房がそうだろう。
正確にいえば、口を出してもがまんするしかないということだろうが。 金は出せ、口を出すな、というのは、セガレや娘が
親に対していいたいせりふだろう。金を出さなくてもいい、その代り口も出すな、というのは、アカの他人に対しては、
こういうよりほかはない。金は出さなくてもいい、しかし口を出してくれ、という人。 こんな人はいない。 『半身棺桶』
 ―ー
以上だが、これはゲゼルシャフトとゲマインシャフトの混同の話になる。
(この難しそうな話は後日、読書日記で書いてみるつもり)己と他者の関係の話にもつながってくる。
一般的に、他人の知恵を借りるのはタダというのが一般の通り相場である。
それを如何に他者(本)から引き出し、それを己の知恵に摺りかえるのが読書の効用である。
話は変わってしまったので元に戻す。「金は出さないが知恵を出してくれ」ってのが、何人かいる。
無料コンサルトを当然のように求めてくる人。それも、交互の利益になるならいいだろうが、そうじゃない人の場合・・
・・・・・・・・
2007年03月12日(月)
 2169, 書店のカテゴリー・キラーの業態      オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
土曜日の朝、新潟駅裏に開店した『ジュンク堂』について書いていた。
コーヒータイムに、その日の朝日新聞・土曜版の一面トップをみたら、なんとジュンク堂社長の
インタビュー記事の特集をしていた。偶然にしては出来すぎである。「意味ある偶然の一致」である。  
それより「私の感覚も悪いものではない!」とほくそえんだが・・・。
  ーこの朝日新聞の内容をまとめてみると、
・最新の池袋本店は地上9階、地下1階で日本最大の2000坪(6600M)の売り場に約150万冊が並ぶ。
少しでも多く本を置こうと、レジは1階だけにしてある。各階の窓際には特注したナラの机とイスが並び、
客が座って本を読める。テラス付きの喫茶店もある。「図書館のような書店」である。また新宿店も最近、大幅増築。   
・「立ち読み厳禁、座り読み大歓迎」をうたい文句に店内に机とイスを入れ、社員の制服をエプロンにし、バーコードを
読み取るレジを導入してある。今では多くの書店で見られるが、先駆けたのは、書店界では後発のジュンク堂だ。
・95年の阪神大震災で中核の2店が壊滅状態になったが、その年から全国展開を開始した。98年に累損3億円を抱え、
経営危機に陥ったが、ボーナスカットや家賃下げで切り抜けた。「後発のため他の書店がやらないことをしらないと
歯が立たない。震災で退路を断たれた。チャレンジ精神はマイナス要因のおかげ。リスクを持たないと大きくなれない。
・年商約400億円、経常利益は5億8600万円である。店舗数27店、正社員とアルバイトで1800人の企業。
・最初の店から340坪(1100平方メートル)で開店。小さな書店に将来がないことは、
社長が親戚の書店・問屋の外回りでわかったこと。神戸では大型店はダメだと言われていたが大型店しか物件がなかった。
大型店なら専門書をそろえないと数字が取れないことも、やってみてわかった。
担当者ごとに勝手にやれる制度にしたところ担当者が懸命に勉強して、専門書をどんどん増やし、自然に超大型専門店になった。
・全国展開のきっかけは? 大都市でなく中堅都市でも大型店は可能。モデルを作れば向こうから出店の話が来ると考え
94年に明石市に大型店を開店。バブル崩壊でビルががら空き、家賃が安くなったのも大きな要因である。
明石開店の直後に大分市から話が、その成功例を見て鹿児島から話が来る。
・店内で客が座り読みする机とイスを入れた理由は?というと。「専門書を探すのに時間がかかって足が疲れる。
本を選ぶための机とイスがほしいし、コーヒーがあればなおいい」と顧客から言われたのが元である
。神戸の2号店に初めて喫茶と座り読みコーナーを設け、96年の大阪・難波店で机とイスを本格的に導入する。
・座って読んでしまえば、本を買わなくなるか?というと、そうではなく、ただ読みできる本は買う値打ちがないと割り切った。
専門書は数ページのためだけに買ってくれる。専門書だから座り読みが成り立つ。
・図書館のような書店と呼ばれ、売るよりも品ぞろえが目的というくらいの、
愚直な品ぞろえが信条で、「日本国中どこにも置いてない本を見つけた。さすがや」といわれるのが、店の基本。
・駅から歩いて1.5等地を探します。2等地は不便で、1等地は高い。 利益率がよくない書店はやっていけない。
・今はネットで本を販売する社会になったが、ネットで調べたメモを手に来店する客がかなりいる。
ネットは競合だけでなく、客を店に誘導してくれる。こちらにとっても有益なツールだと思っています。
 ーーーーーー
 久々に面白い店をみたが、ウェブ2・0の流れと似ている。お客の立場に立ってサービスを徹底させないと、
 生き残れないということか。今後、週1?2度の昼の散歩コースになる。  ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪
・・・・・・・ 
2006年03月12日(日)
 1804, 店舗ショー     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪ ございます!    
毎年、この時期に店舗ショー(FC、警備防犯、資材、店舗機器)が、大規模に開催される。 
今回も2日間にかけて見学をしてきた。時代の流れを見るなど悠長なことでなく、何か一つか二つでも具体的に
何かを把握することを課しているが、それでも漠然としたものになる。顔みしりが何人もいて情報を交換する。
   (字数制限のためカット 2012年3月12日) 
・・・・・・
2005年03月12日(土)
 1439, BOSEのステレオ?2
会場で見たものより一回り小型のコンポ・ステレオの広告が、数年前から雑誌などに出ていた。
たまたま先月あるBS・TV局で、このステレオのミニ特集を見て、「一度は聞いてみたい」と思っていた。
 (字数制限のためカット 2012年3月12日) 
・・・・・・・・
2004年03月12日(金)
 1073, ホテル・レストラン・ショー (1)
先週のフランチャイズ・ショーと同様、五年ぶりに一泊2日でホテル・レストラン・ショーに行ってきた。
 (字数制限のためカット 2011年3月12日)  
・・・・・・・・
2003年03月12日(水)
707, モンゴル大相撲
(字数制限のためカット 20113年3月12日)


4377, 「世間」の捨て方  ー1

2013年03月11日(月)

                ー「世間」の捨て方 ー ひろ さちや(著)
 創業は、既存の業界を根底から否定し全く新たな形態をつくること。起業だけでなく、何かをなすということは、社会、
世間に距離が出来てしまう。 社会学を専攻した影響もあるが、内から目線(信念)と、自分を見つめる上から目線が強くなる。
この経済の大津波に押し流されても平然?としていられるのは長年かけて作ったバイアスがあるから。世間など、とうの昔に
捨て去ってきた。しかし、世間にどっぷり浸かってきた人には、新鮮で奇異だろう。 ーまずは、アマゾンの内容紹介ー
【 景気に振り回される生き方はやめよう。世間はいつも狂ったもの。社会と距離をおき自分だけは愉快に楽しく暮らせばいい。
 そのための考え方を語り尽くす本。】  ーまえがきーより
≪ 「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で
 生きています。無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と言われ続けてきました。「世間の人から褒められる人間になりなさい」
「立派な人になりなさい」と教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていた。しんどい生き方ですね。
 よく考えてみてください。世間の「期待」に応えるといっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、仲間と協調する人間でしょうか? 
それとも、独断専行的ではあるが、行動力のある人間でしょうか? 場合によって違っています。 とすると、あなたが企業の
「期待」に応えるためには、場合場合に応じて自分を変えねばなりません。どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、
ともかく自分を相手に合わさねばならないのです。疲れますよ。そんなことをしていると、人間失格になってしまいます。
だから、わたしたちは世間を捨ててしまいましょう。世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ悩んでいる人間です。いままでの時代は、
そんな人間がある程度幅を利かせていたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も予測できません。
とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
 ・・・世間のほうがどうしてよいか分からず、われわれに気兼ねしているのです。いまの時代をそのように読んでいます。
本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰にも
言わなかったことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。ぜひお読みいただきたいと思います。 ≫
 ▼ 学生時代の武澤ゼミでのケーススタディ。15人位で、会社内のトラブルの現象の問題点と背景を捉え、原因と対策の
  意見を出し合い円座で議論する訓練である。プリントされた問題点には、多くの要素が隠されている。その答えは思いも
  よらない分析と回答が用意されている。ゼミの出した結論と、それを対比し、更に議論する。よい経験をしたものである。 
  そして社会に出てみると、それぞれの具体的構造が、リアルに見え過ぎ戸惑うほど。事業の立ち上げには理想的経験だった。
  で、最後は経済恐慌など三連発で、この様。でも、悔いもない。 それを選択したのが、私なのだから。東北震災の
  被害者は、その世間を根こそぎ失ってみて、絆の暖かさと、逆に無意味さを感じ取っているはず。世間消滅も善し悪し!
・・・・・・・
4003,宇宙は本当にひとつなのか ー6
2012年03月11日(日)                  
  * 多次元宇宙論と多元宇宙論 ー2      「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著    
 ♠ 多元宇宙論とは  ー 宇宙は一つではない ー
◇「多元宇宙」= 暗黒エネルギーを説明するためには、相対性理論と量子力学を1つにした新しい理論が必要だ。
 その最有力候補の超ひも理論のよれば、まだ未完成だが、膨大な宇宙が存在するという結果が出てしまう。
これが宇宙は10の500乗個も作られたという「多元宇宙」という考え方だ。
◇ ー三次元のサンドイッチー
 これまでの話をまとめると、多次元宇宙とは、宇宙自身は一つで、私たちが見ることのできる三次元空間以外にも別の方向がある
というものでした。しかし多元宇宙は、その前提が大きく変わります。宇宙自身が一つではなくたくさんあるという考え方が多元宇宙です。
多元宇宙というアイデアの一つの例として、三次元空間がサンドイッチのように何層も存在するというものが考えられます。
これは私たちが生活する三次元空間がいくつもあるのではないかということですね。 しかし、この場合は、たくさんあるといっても、
全体から見ればひとくくりの空間の中に収まります。ということは、一つの宇宙の中に私たちが実際に見ることのできる空間と同じような
三次元空間がいくつもあることにすぎないのです。 実際、重いものを、この三次元空間の中に置くと、別の三次元空間に影響が出ます。
例えば、私たちの宇宙が図の「宇宙1」だとします。「宇宙2」にある星や物質は私たちの星や物質とぶつかったり反応したりすることは
できません。しかし三次元方向で近くに来ると重力では引き合います。もしかすると暗黒物質は重なった別宇宙の物質という説がある。
▼ 暗黒物質と暗黒エネルギーは、別宇宙の物質と考えると理にあう。 ヒモ理論が10次元の異次元宇宙の可能性を説いている。
 この本でも述べているが、「人間原理」という、カント哲学風の「宇宙を認識するから宇宙はそんざいする」という素朴な説が立ち現れる。
・・・・・・・
3637, 「みずうみ」 茨木のり子
2011年03月11日(金)
だいたいお母さんてものはさ  しいん としたとこがなくちゃいけないんだ
名台詞を聴くものかな!
ふりかえると お下げとお河童と 二つのランドセルがゆれてゆく 落葉の道
お母さんだけとはかぎらない 人間は誰でも心の底に しいんと静かな湖を持つべきなのだ
田沢湖のように深く青い湖を かくし持っているひとは 話すとわかる 二言 三言で
それこそ しいんと落ちついて 容易に増えも減りもしない自分の湖 さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖
教養や学歴とはなんの関係もないらしい 人間の魅力とは たぶんその湖のあたりから 発する霧だ
早くもそのことに 気づいたらしい 小さな 二人の 娘たち
 ーー
 みずうみとは、 内省する時間、孤独の時間、過去を省みている時間。
この畔で水面にうつった周囲の景色や現在の自分の姿を眺めて、我を忘れ佇んでいる静粛が永遠に通じる。
・・・・・・・・
3272, 裏読み日本経済  ー2
 2010年03月11日(木)
  * 9・11テロを予測していた投機筋
 為替のディーラーをしていた人の著書「新・マネー敗戦」に刺激的な文章があった。「・・・2001年の7月からスイス買いが
始っていたのである。それは、何らかの危機が迫っているを察知していた投機筋がいたからだ。当時、北米からの資金が
スイスに大量に流れているという構図があった。 さらに、欧州通貨でみてもスイス買いが進んでいるのが英国ポンドである。
ユーロではスイス売りが進んでいるのに、ポンドでスイスが買われているということはつまり、欧州通貨内でみる限り、
米ドルに何かが起こることを示唆しているともいえるのだ。以上の理由から、米国発、あるいは北米発の金融危機が
起こるかもしれないとう漠然とした予測が脳裏をよぎり、ドル・スイスに関しては「ドル売り・スイス買いにしたままで、
二ヶ月後の9・11を迎えた。これは偶然の一致の域を超えていた。明らかにスイスはニケ月前から危険信号を発していた。
このトレードセンターの崩壊を明らかに察知し、それで儲けようとした一団がいたのである。 9・11の夜ほど、
肉食系投資家という見えない存在の恐ろしさを感じたことはなかった。」 ところが、先日に購入した「ドル亡き後の世界」にも、
「・・この日の一週間前から航空会社の株式の出来高が10倍になり、航空会社株には大量の空売りが入っていた。
このテロ後に、これらの投資家は天文学的な大儲けとなった」とあった。誰がいったいテロが起こることを知っていたのだろうか。 
当時、週刊誌に一時取り上げられたが、その後、何時の間にか、そのことを取り上げなくなった。 世の中には、私たちの知らない
世界があるようだ。あのテロはアメリカ軍事産業の業界に膨大の需要を発生させた。 数日前に民主党の国際局長の議員が、
9・11陰謀説を取り上げたことに、アメリカが異常な反応を示した。 陰謀説の仮説は充分に説得力があるからだ。 
更にいえば(私の説だが)リーマンショックも、「100年に一度、500年に一度の大恐慌になることを見越した陰謀」
という仮説も成り立つ。 これは私が当時から疑問に思っていたことである。 6千兆円以上の返す当てのない国債を、
毒入債権をアメリカ国内だけでなく世界中にばら撒くことにより、一度、現在の通貨をチャラにするチャンスになった。
グリーンスパンに「百年に一度の世界恐慌」と言わせ、フレーズにしてしまい何度も流し、それなら新しい貨幣制度も
いたし方あるまいと洗脳させ、まずは新しいドルに替えて裏にもぐった金を表に叩き出し、その後、踏み倒しのための
新ドル、それも交換価値の数分の一に一方的に下げる。 9・11も、リーマンショックも、元もと仕組まれていた
借金チャラのための大芝居という仮説が、生々しく筋として通ってくる。
 ・・・・・・・・・
2897,自民党はすでに死んでいる
2009年03月11日(水)
 ー自民党はすでに死んでいるー 上杉隆 (月刊SITGHT)
「STGHT」という雑誌に、政治ジャーナリストがインタビュー形式の「自民党はすでに死んでいる」が、
正しく現在の自民党の姿を浮き彫りにしている。すでに死んでいるのなら、「あの連中」は、ゾンビの集団ということになり
彼等の信じがたい政策と右往左往の理由が理解できる。 戦後の大部分の間、色いろあったにせよ、一応国民の支持を受けて
日本の舵取りをしてきた。 小泉も含めて20年間、日本を彷徨える船のように衰退へ導いてきた。
最後の締めは、安部、福田、麻生という二代目、三代目が政権を放り出しを含めて未曾有の無策を露呈してしまった。 
それを一番身近にみてきた政治ジャーナリストが、彼らの崩壊過程の姿を辛らつに切り捨てているため往生際の悪い醜態が
漫画のように思えてくる。 結論の「自民党はすでに死んでいる」の理由を、本の末尾で以下のように述べている。
 《2001年4月に、小泉首相が誕生した時に、山本一太さんと会う機会があった、その時彼は「自民党は、小泉という
奇人が登場して、たまたま助かった。だけど、小泉がいるから助かったので、この人がいなくなったら自民党は終わる」と。 
その時に喩えたのが自民党は恐竜だったと。その恐竜は、森政権が最後で、倒れてしまったけど、小泉が一人出てきて、
それが支えてきただけ。 それがいなくなれば倒れるだけと。7年前の山本さんの話は、そのとおりであった。》
 ーここで上杉隆は自民党の現状を冷たく以下のように切り捨てているー
・麻生内閣の支持率が下がるのは、今さら驚くことではない。問題は、自民党がまだ古い自民党の
 手法、政治体質を維持している麻生に「ノー」といっていることに、気がついてないことである。
・麻生は、小泉が体現した総理の権限、官邸主導の強さを一番真近で見てきたので、それを在任期間で使わないと
 死ぬに死ねない。もう全ての人は彼を見捨てていている。彼は死んだまま存在しているに過ぎない。
  (字数制限のためカット 2011年3月11日)
・・・・・・・・・
2533, 人間魔界図鑑 
2008年03月11日(火)
この事業を始めて28年になるが親戚縁者は、一人も入れてない。実家の会社で子供の頃から父と兄との葛藤や、
親戚の従業員のイザコザを見てきたからだ。親戚の場合、首を切りにくい。彼らは親戚の立場を利用しようとするから歪みが出るし、
これほど使うほうからして、タチの悪い相手はいない。その逆も言えるのである。立場違えば、これほど微妙な相手はいない。 
姉の舅も20年近く勤務していたこともあるが、・・・ まあ、やめておこう。次の文章が、人間の本性を辛らつに書き表わしている。
「金と口の出し方」
Pー25
「君はまだ若いから、わしの意見をきいておけば、何かの参考にはなるだろう。
わしはね、これでもずいぶんひとの面倒をみた。ぽんぽん金もやった。たくさんんの人間を一人前にしてやった。
ー君、君もすこしは人に知られるような人間になってみなさい。蟻やら蝿みたいな奴が、ウヨウヨとたかってくるよ。
そんな奴にかぎって、みんな面倒をみられ、金をもらい、一人前にしてくれるのを当然と思ってるな。
そうした意味でいちばん不愉快なのは、あかの他人より、知人親戚という奴だな。
わしがこうなるまでには、血の小便を出すほど奮闘した。しかし、むろんわしひとりの力とは思わん。
恩になったひとはずいぶんある。しかし、そういう知人親戚と称する奴とは何の関係もないな。
なかには、生まれてから、いちども顔をみず、名も知らなかったような親戚が続々と現れてくる。
叔母の従兄の細君の妹が嫁にいった先の義弟なんて連中だ。 あの安藤も、わしを叔父さんと呼んどるが、
その口だ。むろん、わしには一切合切みなたかるがままにしておいた」 「・・・・・・」
「ところがだ、それが、ちっともありがたがらんのだ。いや、ありがたがってもらいたくないが、恩を仇でかえす連中が多いのだな。
これをわしの不徳のいたすところなんて、ていさいのいいことをわしはいわん。かんがえてみると、はじめからただで人に
たかろうなどという気を起こす人間は、所詮それだけの人間なんだ、むろん、それはそれでよろしい。
そういう連中にかぎって、あまりものにならん。そいつらはたかっただけの勘定を、どこかでじぶんで支払うことになっとる
ようだが、それはわしの知ったことじゃない。ただ、よくよく見ていると、はじめわしが金をやり、面倒をみてやったことが、
かえうて害をなしておるのだね。世の中はこれで通ると甘くみる根性をうえつけたらしいのだな。
そうと知ってからは、わしは一切無意味な金は出さんことにした。人間は、自分のカだけで生きてゆくべきものだ」「・・・・・・」
損得をいえば、はした金をやって悪口をいわれん方がトクだよ。しかし、わしもこの年になれば、死んだあとで馬鹿者の悪口が
のこることより、この世にじぶんの養成した馬鹿者をのこすことの方がいやだ。
ーしたがって、わしは、わしにちかづく人間はだれでも、その人間の値打ちだけの待遇しかせんのだ」、『極悪人』
・・・・・・・・、
2007年03月11日(日)
 2168, 池田晶子が亡くなった!ー 2        おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
先日、8年前に出版された『考える日々』の中古本をネットで買ったが、最近の本を読んでいるためか、一つピンとこない
部分があった! 哲学者も8年で大きく成長するようだ。彼女を偲んで、印象的な彼女の文章を幾つか書き出し考えてみる。
  『人生のほんとう』 ー人の死は悲しいのかー 
 ・・・親しい人が死ぬと、当然「悲しい」という感情が起こります。
ただ、なぜ悲しいのかなと少し距離を置いて考えてみると、第一に「もう会えない」という思いがあります。
その次がたぶん、「かわいそう、気の毒だ」「死んだひとは悲しいんじゃないか」そういう思いもありますね。
でも、これはよく考えてみると、わからないんですよ。ひょっとしたらそれも思い込みではないかと考えることもできます。
死んだ人が悲しいと思っているかどうかはわからない。死ぬのが本人にとって悲しいことなのかどうか、
われわれにはあくまでもわからないんですよ。だって、われわれは死んだことがないわけですから。 
(略)けれど、たいていは、「もう会えない」という感情のほうが、悲しみの内容としては強いのでしょう。
でも、その「もう会えない」とはどういうことかと考えてみると、裏から言えば、会えたこと自体が、
そもそも奇跡的なことだったと気がつくことになる。つまり、なぜ存在するのかわからない宇宙に、
なぜかわれわれは存在していて、なぜだかわからないけれども、その人と出会ってしまったわけです。
これはすごく不思議で、これ自体が奇跡的なことだったと気がつくと、悲しんでばかりでもなくなる。
驚きとともに、感謝にも似た感情も起こってきますね。また、会えたこと自体が奇跡ならば、なぜまた会えないことがあるのか、
という考え方もできますね。さきほど「無というものはない」といいましたが、いなくなるということは、実は無がないかぎり
「ない」のですから、いなくなるということ、無くなるということはないともいえる。
おそらくそれが、われわれがなぜだか出会ってしまったという奇跡の意味でしょう。 「一期一会は存在の構造です」
▼ 解)昨年末に義母が亡くなった時に悲しんでいる家内に、{亡くなったとしても、自分の生きてきた過去が消えるわけでなく、
 母親が生きているより身近な存在になっただけ。「いま・現在のここ」で母親を思い出せば、会っていると同じではないか。
 もう会えないということ自体、将来のことで今のことではないか。いま、キッチリと母親と心の中で会話ができれば、
 それでいいじゃないか。}と諭したところ、「それでも会えないという事実は事実。」と言い張る。
「それでは、貴女が明日、来月生きている確証がどこにある?灰になってしまった母に会いたいというのはセンチメンタルな感情。
 それはそれで良いが、悲しいという気持ちは、死という在りもしない言葉に縛られた感情でしかない。
 そこを早くしないと、『母の死というイメージ』に降りまわされているだけ!死のイメージを早く払拭すればよい!」
 ーー
『あたりまえのことばかり』
ー言葉はそれ自体が価値であるー
(字数制限のためカット 2013年3月11日)
ーーーーーーーー
2006年03月11日(土) 1803, 閑話小題
 (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
 ー日曜日の殿町
(字数制限のためカット 2013年3月11日)
・・・・・・・
2005年03月11日(金)
 1438, BOSEのステレオ
先週の店舗ショーのあるブースで立ちすくんでしまった。
(字数制限のためカット 2010年3月11日)
・・・・・・・・・
2004年03月11日(木)
1072.つれづれにー今日はお笑いの日ー3
 ーお笑い   ジョーク・ユーモア辞典より
(字数の関係でカット2009年03月11日) 
 ・・・・・・・・・ 
 2003年03月11日(火)
706, スーパーTV-コンビニ戦争
 昨日の21時のスーパーTVの番組が面白い。私の初めの事業の立ち上げが、郊外型貸しビルであった。
(字数制限のためカット 2010年3月11日)


4376, 閑話小題 ーひと間の景気回復?

2013年03月10日(日)

   * つれづれに ーひと間の景気回復?
先日、家内に、「毎日、新幹線で新潟に30年も通っていて楽しそうだったのに、この生活、ツマラナクナイ?」と聞かれた。 
他にも誰かにも、「家で毎日、何をしているの?」とも聞かれた。「現役の時は、客商売もあり常時戦場。 口に出さないが、
全神経を張っていた。 物事には良いことには悪いことが、悪いことには良いことの両面ある。今は、刺激は少なくなったが、
40年間の緊張感から解放されて、サバサバしている。 以前と比べた良しあしなど考えたことがない。 今は今で、生きて
いるのに、精一杯。」が、私の返答だった。 節目の重要性知っていて、叩き方を間違わなかったので、混乱は最小だった。
起業を経験しているので、起承転結の、結の着地を長年かけて準備して軟着陸したこともあり、未練も悔いも、ほぼゼロ。
まだ、現役の日々を過ごす人を見るにつけ、「サッサと枝葉を切れば」と老婆心が出てくるが、これは立場の違い。
そうこうして日々、御隠居になっていく。 
 今月いっぱいで一年間の家内の当番の町内の班長が終わる。色いろ大変だったようだ。家内が、当番で、ある家の奥さんを最近、
見かけなかったが、別に気にとめてなかったが、うつ病で3年前に自死していたという。 去年秋には、一人暮らしの御婆さんが
孤独死があったばかり。 自死の9割が精神疾患あり、その6割が、うつ病という。うつ病は、15人に一人は一生のうちにかかる。
私が知る限り、前段階の「うつ症」を入れると
5人に1人。100万人が、それで現在、通院している。 
今回の節目時に一番注意したのは、この穴に落ちること。 しかし、死にたいとか、食欲がないとか、虚脱状況、外界の興味喪失
などは一切なかった。 その状況で右往左往している自分を上から目線で冷笑しているのも変だが。日本も世界も、恐慌の瀬戸際。
その最中、最後のリンゲルをうつべく、安部と麻生コンビが登場してきた。 重症の糖尿患者に強烈なホルモン注射で、
活を入れようというのだから。 「美しい日本」、どうなるのだろう。 大きな節目時は、自ら大きく変わるしかない。
 ・・・・・・
4002, 宇宙は本当にひとつなのか ー5
2012年03月10日(土)            
 * 多次元宇宙論と多元宇宙論     「宇宙は本当にひとつなのか」 村山斉著
  ♠ まずは多次元宇宙論
◇ 多元宇宙という言葉はあまりなじみがないと思いますが、この言葉には大きく分けて二つの意味が込められています。
 一つ目は多次元の宇宙。次元というのは時間や空間の広がりを表すもので、私たちの目には宇宙空間は三次元に見えています。
 私たちは上下、左右、前後と三つの方向に動くことができるので、三次元空間といっていますが、実は、宇宙には私たちが
 気づいていない方向があるかもしれません。つまり、三次元以上の次元があるという考えを多次元宇宙といいます。
 これは、あくまで、宇宙は一つという前提です。
◇ そして二つ目が多元宇宙。多次元と多元。文字が一つ違うだけで言葉の意味が大きく違ってきます。
 多次元宇宙は、宇宙空間に今まで知られていなかった次元があるということで、次元が増えても、「宇宙の数は一つのまま」です。
 ところが、多元宇宙というと、宇宙がたくさんあるかもしれないという考え方なのです。 私たちは、宇宙は一つしかないと思って
 生きてきたわけですが、もしかしたら、私たちが住んでいるこの宇宙は、たくさんある宇宙の中の一つで、この宇宙のほかに
 たくさんの宇宙があるかもしれないということをいっています。 
◇ まず、一つ目の多次元宇宙から話を進めていきます。そもそも、次元とは何かというとところからおさらいをしていきましょう。
 私たちは日常生活の中で人といろいろな約束をします。例えば、友だちと映画を見ようという場合・待ち合わせをするわけですが、
 このとき、基本的に四つの数字が必要です。場所を東京都新宿区の映画館としますと、新宿駅から東へ四分、そして南へ三分というように
 目的地までの道のりがあります。 ここで二つの数字が出てきました。目的地がビルの場合、もう一つ、ビルの何階という数字が
 必要になります。これで三つの数字が出てきました。この三つの数字があれば、待ち合わせの場所を指定することができます。
 しかし、これだけでは友達と会うことができません。あと大事な情報が抜けています。「いつ」という時間の情報ですね。
 今度の日曜日の十時と時間が決まっていれば、すれ違うことなく出会うことができます。これが四つ目の数字となります。
 ・・・しかし、これ以外に、違った見えない次元があるかもしれない。・・・空間が3次元であるというのは、人間の感知能力では
 3次元までしか感知できないという意味であって、空間が絶対的に3次元であるということではない
(「ひも理論」という最新の物理の理論では宇宙空間は9次元だという)。
 4次元以上の空間で働くエネルギーを把握できていないので、残りの95%は何なのか、分からないのでは? 
 ▼ 多次元宇宙は、この宇宙が一つで、その中の異次元宇宙をいう。三次元の他にも異次元があるが、
  三次元の空間では、それを理解できない。二次元の世界で、三次元を理解できないのと同じ。10年ほど前までは、
  異次元というと眉唾ものであったが、2003年を境に宇宙学者が真剣に研究を始めるようになったという。
  ・・・・・・・
3636,  精神科医師の幸福論 −1
2011年03月10日(木)
 * 精神科の医師の幸福論とは?
 学生時代に「自己改革」「自己実現」という言葉に出会った。そして、ニーチェ、司馬遼太郎の歴史小説に感化され、
その影響下で、ここまで生きてきたようである。 何とか辿りつき息を抜きかけた時に、一連の世界的変動である。
 ところで最近、以前ほど自己実現とか自己達成という言葉を聞かなくなった。その反面、「自分の好きなことを見つけ、
それに向かって邁進しなさい」という言葉に出会うし、私も、ここでも何度か書いてきた。自己実現など仰仰しくなく、
一日一日を好きなことに埋没できることが幸せであると・・。学生時代に上京し、都会人のセンスの良さに比べ、地方から抜け出せない
自分に嫌気をさしていた矢先に、抜け出す手立てとして自己改革・自己実現という言葉が、脱皮のための福音のように思えた。
 ー その辺のことを、精神科医の大平健がレポートの中で、以下のように書いている ー
≪ 幸福とは、《自分が人生に満足している状態》と定義してみると、幸福になるためには、
* ‘人生の箇所’にアクセントを付けて「満足できる人生を手に入れる」のと 
* ‘自分’にアクセントを付けて、「人生に満足ができる自分になる」のと、二種類の道筋があることが分かる。
 そこで、若者たちの場合、どんな"人生なら満足できるかというと、美味い食べ物・飲み物、綺麗な服、気の利いた家具といった
モノの数々に取り囲まれ、気に入った仕事、誇れる学歴、楽しい趣味といったコトの数々に浸る人生。
もちろん、おしゃれな彼や、かわいいベット、ほっとできる鉢植えといった‘生き物’も必要だが、それらは自分の人生を
幸福色に染めてくれるモノのようなニュアンスを帯びている。  
 次に、どんな"自分になれば人生に満足できるかというと、これは更にふたつの場合に分けられて、
 ー1 とりあえず今までの(不満の多かった)「自分」から抜け出す
 ー2 新たな「自分」になるというのとである。
 というのは、しがらみ(人間関係・社会的地位・財産などの束縛)から解放されてのびのびしたりすること。
若い人が「自分がきらい」というのは、大抵は、「きらいな自分」から抜け出せないで足踏みをしている状態にいるということ。
また宗教の力を借りてまで、自分の人生に(モノやコトの)不足ばかりを見ていた、それまでの「自分」から何としてでも
抜け出よう(解脱しよう)という若者もいる。{ 文藝春秋 2010季刊秋号 ゼロからはじめる幸福論 P28「幸福の白地図」大平健}
▼ 私も自己実現という脱自を求め、ここまで生きて来たが、それが自由と名づけられたものだった。
しかし、これも廃れ無名称化してしまった。代わりに「好きなことを見つけ楽しむこと」が、最近の風潮になっている。
それに流されていただけでしかなかったのか? いや、こういう停滞の時代こそ、それぞれが己の感覚を信じて、
己の世界を構築することが求められるのか? マスコミに影響され流される時代は終わってしまったことだけは確かである。
・・・・・・・・
3271, 裏読み日本経済  ー1
2010年03月10日(水)
 「裏読み日本経済ー本当は何が起きているのか」 朝倉慶/ 著
  ー内容ー
 資本主義は「神の見えざる手」ではなく「人の見えざる手」で動く!今の資本主義の中核となっている市場が、
「神の見えざる手」によって機能しているのなら、経済はうまく回っていくはずだ。ところが市場は時として
 不思議な動きをみせて大きく崩れる。そして、ブラックマンデーや日本のバブル崩壊などの大暴落にの裏側には、
 つねに莫大な富を手にする人たちがいた。決して表には出てくることのない資本主義のタブーに迫り、
 「神の見えざる手」ならぬ「人の見えざる手」の存在を証明する。
<詳細>いま「日本売り」を仕掛けているのは誰なのか?株式と国債の大暴落から国家破綻までも
   視野に入れた恐るべきシナリオとは?経済を裏側から動かしている仕組みをすべて教えます。
第1章 世界はデフレなのかインフレなのか(いまはデフレなのか、インフレなのか?
 ;40兆円の需給ギャップが日本をデフレに陥れている ほか)
第2章 これから起きるのは国家破綻の連鎖(ドバイ・ショックの本当の意味
 ;世界経済はごまかしでもっているだけで、実質的には破綻 ほか)
 (字数制限のためカット 2012年3月10日)
 ・・・・・・・・
2896, オーラをみたことがあるか? −2 
 2009年03月10日(火)
*それをブロッケン現象というらしい!
 前回の「オーラをみたことがあるか?」を書いた翌日、これを読んだ知人A氏が来て「自分も見たことがある」という。
「亡くなった父が登山が好きで、早朝の登山で自分の姿のオーラを見たという。それをブロッケン現象といい、登山仲間の間では、
これを見ると遭難しても助かるというジンクスがある。父も何度も登山で遭難しかけたが、助かった経験を持つ。そういう自分も、
早朝のゴルフで自動散水しているところにゴルフの球を取りに行った時に、自分の影のオーラを見た経験がある」という。 
それをブロッケン現象と言うと教えてくれた。ドイツのブロッケンという山でよく見ることが出来るので、そういう。
 ーそこでネットのウィキペディア辞書で調べてみたー
ブロッケン現象は太陽などの光が背後からさしこみ、影の側にある雲粒や霧粒によって光が回折され、見る人の影の周りに、
虹と似た光の輪となって現われる大気光学現象。 光輪 ともいう。山岳の気象現象として有名で、尾根の日陰側かつ
風上側の急勾配の谷で山肌に沿って雲(霧)がゆっくり這い上がり、稜線で日光にあたって消える場合によく観察される。 
航空機から見下ろす雲や、平地でも川霧等に現われることがある。
・虹に比べて、見かけの大きさは10分の1程度と小さく、光の輪は何重にもなる場合がある。
 また、見る人の影が十分小さければ、中心点にも輝点が見られる。内側は青色で、外側は赤色。
・ブロッケンの妖怪(または怪物)とも呼ばれるが、日本では御来光、山の後(御)光、仏の後(御)光、あるいは
 単に御光とも呼ばれる。これは、古くは阿弥陀如来が姿を現したと考えられていたためである。
 槍ヶ岳開山を果たした僧・播隆の前に出現した話が有名。
 ーー
 私が母のオーラを見たときは、早朝の靄〈モヤ〉がカカッテいたため。ただ、あれが私が経験した稀な現象でないことを
初めて知った。昔の人が自分のオーラを見たら神の仕業と思うだろう。私は、人体の周りにはボデーフィールドが在ることを
知っていたので、たまたま見えたと思ったが。自分のブロッケン現象を見てみたいが、無理か。
・・・・・・・・・
2532, ウェブ時代 5つの定理 ー2
 2008年03月10日(月)
 ーまずは第3の定理の概要から
  第3定理は「技術者の眼(め)」である。21世紀のビジネスは、科学と技術を抜きにして考えることはできない。
 アントレプレナーシップとチーム力を、その根底で突き動かしているのが「技術者の眼」だ。 シリコンバレーの中核には、
 科学や技術を愛する人たち独特の価値観が深く根付いている。起業家やエンジニアばかりでなく、経営者、投資家や
 金融機関にまで、文系的な管理者的な論理とは全く異なる精神が貫徹されている。特に2つのことが重要である。
・1つが西海岸特有のカウンターカルチャー(伝統的・支配的な文化に対抗する文化)から強い影響を受けた思想である。
・もう1つが「大きな技術の流れに逆らっては絶対にダメだ」という考え方である。
 (字数制限のためカット 2012年3月10日)
・・・・・・
2007年03月10日(土)
2167, 「日の名残り」 ー1    読書日記       才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 福田一男著「成熟への名作案内」で紹介してあった本である。さっそく、インターネットで取り寄せた読んだが、
英国在住の日本人作家カズオ・イシグロ(石黒一雄)が執事スティーブンスにー偉大さの条件は、品格にあるー
と言わせているところが良い。
 ー2007/01/20 に「2118, 品格についてー2 」で書いたが、その本の中で、他に幾つかのプロとしてのあり方、
そして品格について、英国的文化にも興味を引かれる。英国の上流階級のマナーと考え方と教養とは何かを、執事の眼を
通して論じている。ホテルのマネジャーの職業に似ているところがある。何か反省させられるところが多い本であった。
パタゴニアに行ったとき、ツアーの品の良い中年の添乗員が、若い時に何年間か英国暮らしをしていたといっていた。
(大手銀行系から脱サラしたが、事業に失敗して・・・・)「執事のつもりで、何なりと仰せ付け下さい」という言葉の通り、
執事のように自分を押し殺し手際よく役割をこなしていた。この本を読んでいると英国の歴史の深さと豊かさが感じられる。
イギリスといっても、その背後にはオーストラリア、南アフリカ、カナダなどの国が連邦をなしていて、英国人が多く住んでいる。
日本とは、その隠れた豊かさのレベルが違うようだ。
 ▼ 旅先の最後の日、桟橋で見知らずの老人と話す場面がある。その老人の言葉がよい!「なあ、あんた、わしは
あんたの言うことが全部理解できているかどうかわからん。だが、わしに言わせれば、あんたの態度は間違っているよ。
いいかい、いつも後ろを振り返っていちゃいかんのだ。後ろばかり向いているから、気が滅入るんだよ。
何だって?昔ほど仕事ができない?みんな同じさ。いつかは休むときくるんだよ。わしを見てごらん。
引退してから、楽しくて仕方がない。そりゃ、あんたもわしも、必ずしも若いといえんが、それでも前をみなくちゃいかん」
その時だったと存じます。男がこう言ったのはー「人生、楽しまなくちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ。
足を伸ばして、のんびりするさ。夕方がいちばんいい。わしはそう思う。みんなにも尋ねてごらんよ。夕方がいちばん一日で
いい時間だって言うよ」男が立ち去ってから20分ほどになります。私はここに残り、いまの瞬間をー桟橋のあかりが
点燈するのを待っておりました。さきほど申し上げましたが、楽しみを求めてこの桟橋に集まってきた人たちが、
点燈の瞬間に大きな歓声をあげました。その様子をみていると、先ほどの男の言葉の正しさが実感されます。
しかに、多くの人々にとりまして、夕方は一日でいちばん楽しめる時間なのかもしれません。では、後ろを振り返ってばかり
いるのをやめ、もっと前向きになって、残された時間を最大限楽しめという男の忠告にも、同様の真実が含まれているのでしょうか。
 ーーー
執事の自分語りの言葉を通して、イギリスの田舎の光景と文化を浮かびあがらせている。今年の旅行は、イギリスか
アイルランドへ?と誘惑にかられる本である。品性か?!その視点で自分の人生を振り返ると、それは教養の深さに結びつく。
といって、品性とか教養を信じちゃいけません。ローマ帝国以来、それを自認して来た連中の残虐非道をみれば解ること。
結局は、アブラハムの発明した神に問題がある!といえるのか。(生意気そうに?
これ先日亡くなった池田晶子の言葉!の租借)   ーつづく    (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・・
2006年03月10日(金)
1802, 世界三大   (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○
「世界三大○○」と検索してみて、その種類の多さに驚いた。世界中で代表するような存在として、滝、山脈、料理、絵画、
美術館など思いつくが、それ以外は考えたことがなかった。それに興味を持つ者たちにとっても、三大という意味は大きい。
その3つを制することは、世界を制することにも等しい。本当に「世界三大」がどうか?より、「そう呼ばれる」ということが
基本であり、かなり微妙なものが多く含まれている。ナイアガラの滝など、世界の滝を見てきて、非常に疑問である。
ーその幾つかをインターネットでコピーしてみたー
 世界三大というと一時でも細事から離れ、大きな気持になれるからよい。(゚ω゚)(。_。)ウミュ(゚ω゚)(。_。)ウミュ           
ー*自然、地形 ?
世界三大河川  アマゾン川、ナイル川、ミシシッピ川
世界三大運河  キール運河、スエズ運河、パナマ運河
世界三大瀑布  イグアスの滝、ナイアガラ滝、ヴィクトリア滝
世界三大夕日  釧路市、バリ島、マニラ
ー*構造物・建設物ー
世界三大天然橋  雄橋、プレヒシュ、ロックブリッジ
世界三大図書館  大英図書館、アメリカ議会図書館、フランス国立図書館
ー*遺跡 ?
世界三大陵墓  始皇帝陵、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)、クフ王のピラミッド
世界三大秘宝  ツタンカーメン黄金のマスク、ミロのヴィーナス、モナ・リザ
世界三大宗教空間 法隆寺(日本仏教)、サン・ピエトロ大聖堂(カトリック教)、
 《パルテノン神殿(ギリシャ神話)、タージ・マハール(ヒンドゥー教)》
ー*文化・芸術ー
世界三大劇場  オペラ座 (パリ)、コロン劇場(ブエノスアイレス)、スカラ座 (ミラノ)
世界三大歌劇場 ウィーン国立歌劇場、オペラ座 (パリ)、スカラ座 (ミラノ)
   (字数制限のためカット 2011年3月10日)
・・・・・・・・
2005年03月10日(木)
 1437, 感動について
人間の一番重要な能力は感動である。感動力という言葉もあるが、その能力は‘感動の回数と質の賭け合わせ’により醸造される。
「質の高い感動をいかに多く体験をするか」が人生のポイントになる。親は子供に感動体験をシャワーのようにチャンスを与えることが、
躾と同様に一番の家庭内教育になる。展覧会、音楽会、名作映画、本、旅行、自然などに直に接する機会を増やしてやることだ。
それは個人ー自分自身ーにも言えるが。感動は自分を変えてしまう力がある。
(字数制限のためカット 2013年3月10日)
・・・・・・・・・
2004年03月10日(水)
 1071, フランチャイズ・ショー ?4
(字数制限のためカット 2013年3月10日)
・・・・・・・・
2002年03・10
旅行中で書きみなし


4375, 閑話小題 ーシネマ評論

2013年03月09日(土)

    * フライト ーシネマ評論ー
  ― まずは、荒すじから、≪ フロリダ州オーランド発、アトランタ行きの旅客機が飛行中に原因不明のトラブルに見舞われ、
≪ 3万フィートから急降下を始める。機長のウィトカーはとっさの判断で奇跡的な緊急着陸に成功。多くの人命を救い、
  一夜にして国民的英雄となる。しかし、彼の血液中からアルコールが検出されたことから、ある疑惑が浮上し・・≫
▼ この隠れテーマは「アル中機長の崩壊ドラマ」。そのアル中毒を隠すため覚醒剤を使っている二重構造の複雑な筋書き。
 搭乗の直前まで酒と女に浸り、それを隠すため覚醒剤を吸って職務につく。ところが悪天候。アルコールのため操縦を誤り、
 墜落の危機に陥る。しかし覚醒剤が効いたのか、奇跡的な機転で墜落を逃れる。そしてマスコミで一躍、ヒーローになるが、
 機内でも度の強いアルコールを飲んでいた。 ところが回収された殻ビンから発覚。 航空会社は、隠そうとし、本人も、
 騙し通そうとする。 裁判で逃げ切ったと思われたが、最後の最後に、良心の呵責で重度のアル中を告白する。
 アル中患者の手記などで、その実態を幾つか読んだことがあるが、それをハリウッド版にしてリアルに演出していた。
 私も酒癖で多くの失敗を重ねてきたので、身につまされた内容だった。 ー90点評
    * 草原の椅子 ーシネマ評論ー
  ― アラスジは、≪ バツイチで、年頃の娘と二人暮らしの遠間憲太郎に、50歳過ぎてから三つの運命的な出会いが訪れる。
 一つは、取引先の社長・富樫に懇願され、いい年になってから親友として付き合い始めたこと。
 二つは、ふと目に留まった独り身の女性・貴志子の、憂いを湛えた容貌に惹かれ、淡い想いを寄せるようになったこと。
 三つめは、親に見離された幼子、圭輔の面倒をみるようになったこと。
 憲太郎、富樫、貴志子の3人は、いつしか同じ時間を過ごすようになり、交流を深めていく中で、圭輔の将来を案じ始める。
 年を重ねながら心のどこかに傷を抱えてきた大人たち。そして、幼いにも関わらず深く傷ついてしまった少年。
 めぐり逢った4人は、ある日、異国への旅立ちを決意する。そして、世界最後の桃源郷・フンザを訪れたとき、
 貴志子が憲太郎に告げる。「遠間さんが父親になって、私が母親になれば、あの子と暮らせるんですよね」 ≫
▼ 7000メートル級の山々の間にあるフンザ。そこの、目がきらきら輝いていた子供たち、そして何ともいえない雰囲気の
 ある地元の素朴な人々。遠くに光輝いていたウルタル山。私の見たフンザは、映画の画面で見たものより遥かに輝いていた。
 ここで、多くの写真を撮ってきた。 最近みる映画は殆どがハリウッドもの。 陰鬱の時代に「ドンパチもの」で、ストレスを
 発散するものが多い。その中で、スローライフの中年のファンタジーものの映画も良い。フンザもよいが、あの旅そのものが
 絶品だったことを、この映画で改めて知った。 人生、万歳三度である。逆に人生に三度万歳をしろ!ということ。ー90点評
 ・・・・・・
4001,4000回の随想日記 ー2
2012年03月09日(金)
「11年も休むことなく2〜3時間もかけてエネルギーを入れて、それが何になるのか?」という疑問が立ち上がる。
そのことは私自身が、まず感じていること。40歳後半から60歳まで、秘境・異郷旅行に年に数回行っていた折に、
義母が家内に、「何で好きこのんで、そんなところにワザワザ出かけるのか分からない」と、首を傾げていたという。
これと同じである。そこで大自然の懐の中で出会う感動は、実際に経験しないと分からない。毎日、一文章を書き上げる習慣で
得られる知識と情報の蓄積が、物事の視点を変ていく面白さは、実際に書き続けないと分からないのと同じ。 
 一ヶ月ほど前に朝日新聞の投稿欄に面白い、○○丸出し?の投稿があった。 要約をすると
≪ 自分は退職後、ボランティアで忙しく充実した日々をおくっているが、聞くところ、定年後、暇を持て余して図書館で
時間潰しをしている人が多いという。それなら自分のように人のため、世のために、ボランティアをする道がありますよ!≫ 
 一見、正しく、道理である。ボランティアこそ定年後の人生の義務かもしれない。 しかし図書館に通い人生の経験の糧を
得た後の読書もベストの時間の使い方になる。 問題は自分のボランティアに酔いしれて、読書三味の人が、ただ時間潰しにしか
思えない自惚れに気づかないこと。その人の人生の余白の埋め方は当人が決めること。それを批判する知性が問題である。
 万人が、このことと似た勘違いをし自画自賛をしている無知の自分に気づかない。 四千回も書き続けている自分に自己満足を
しているのと、ボランティアを自画自賛している人を合わせ鏡にして、そのバカさを、自覚していない愚かな自分が、ここにいる。
自分のため、11年、書き続けてきた、ただそれだけのこと。 人生は、経験と知識と感動を得ていく旅路である。
 面白いのは、書いているプロセスで、自分の枠組が自然と浮かび上がって、その内側を覗き見えてくること。
 ・・・・・・・
3635, 他のせいにするな!
2011年03月09日(水)
  「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を  ひとのせいにはするな  みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを  友人のせいにはするな  しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを  近親のせいにはするな  なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを  暮らしのせいにはするな  そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい  自分で守れ  ばかものよ
▼ 自分を批判する目が失われることが、老いの一現象かもしれない。若い人でも、心が老いてしまっている人がいる。
 その目は他人にいき、己の乾いた心が硬直しているのが見えなくなってしまっている。
「 駄目なことの一切を  時代のせいにはするな  わずかに光る尊厳の放棄 」 が身に沁みる!
 とはいえ、100年、500年来の地殻変動の中であることは確か。「駄目な一切」を「時代のせい」ではなく、
「他のせい」にするな、ということ。 感受性が鈍るから。
 ・・・・・・・
3270, 焼き鳥は何故串刺しにするのか?
 2010年03月09日(火)
 図書館で書棚を見ていたら「焼鳥は何故串刺しか?」という本があった。
「何々??」と手にとってみたが、成るほどと思う部分があった。迷ったが借りてはこなかった。
  記憶に残ったことといえば、ー 串刺しにすると ー
・何本食べたか出す方も、食べる方も分かりやすい。
・串は食べやすい。箸を使うことなく串を口に持っていける。
・皮、ハツ、モツ、軟骨など、多品種にできる。
・焼き台で焼くのに串が最適。 (かつ火が通りやすく、生焼きを避ける)
・肉や内臓の切れ端が無くすことができる。
・内臓など安い材料のものを、串に刺すことで、見た目に良く見える。
 このように、改めて考えると要領を得ている。
最近、串刺しをしないで、材料を焼くだけの焼鳥を居酒屋で見かけるが、何か様にならない。
串焼に刺した肉や魚などを鉄板の間に挟んで焼く専門店がある。駅前に一店しか成立をしないが、焼き鳥の方が人気が高い。
 串ものといえば串団子がある。これも串刺しにすることで一々箸で摘むことなく食べることができる。
蒲焼も串を通して焼くが、出すときは串を抜く。焼き鳥の焼き台で一本一本がクルクル回転するものや、ベルトコンベアで
一回転する間に自動的に焼き上げるものもある。また火も炭のような金属を熱して焼くものなど、色いろな工夫もされてきている。
冷凍は客に嫌われるので、食肉屋が串に刺したものを配達するのもある。豚肉や内臓を串に刺す焼とんは、戦後の食糧難のときに
苦肉の策でできたという説がある。最近、スーパーなどで中国製の冷凍のものを見かけるが、やはり焼き鳥屋で酒を傾けながらが良い。
 ・・・・・・・・・
2895, 不況景色 −9
 2009年03月09日(月)
去年の9月15日以来、毎日が恐慌の進行のメルクマールを書く日々になっている。この一年で中国で二千万人、
アメリカで四百万人の失業者が増加。直近の12・1・2月の三ヶ月でアメリカは200万人が失業をし、それは年率にすると800万人。
中国は今年は更に二千万人が失業するという。日本も水面下で失業が増え続けている。来月辺りから爆発的な倒産とリストラにより
失業者の激増が予測される。昨日の朝日新聞の一面トップで「失業者 雪崩打ち生活保護へ」ー1月は最多116万世帯ーと報じていた。
5年前の2004年の100世帯、14年前の1995年の60万世帯、25年前の79万からみると、異常な増加。
この事態の中では当然だが、それが更に大幅に失業者が増加し続けるのである。
・日本では、夫65歳、妻60歳以上平均で、収入平均が17万、支出が25万。残りは預金の取崩しや子供からの援助など。
・国民年金も40年払い続けて、満額で一人当たり6万6千円、二人で13万あまりだから、
 ギリギリまで働かないと個人営業者は生活できない構造になっている。
・支出25万円の内訳は、食費6万、住居2万、水道光熱1万6千、保健医療1万6千、交通通信2万7千、その他11万1千円。
地方では、最低生活は月に15万円と税務所の担当から聞いたことがある。中小会社や、個人営業者は船板一枚下は地獄。 
だから日々が刺激があって面白いが、反面、常に最悪の事態を常に想定して生活している。
この百年か数百年に一度の恐慌は弱者を土壇場に追い詰めることになる。イギリスでは、あのロイドが国家管理になり、
4大金融機関のうち2つが国家管理になってしまった。まずは世界の銀行が破綻しているが、これからは実体経済がやられ
企業倒産が続くことになる。その影響をモロに受けざるを得ない事業のため、毎日が生きた心地がしないが、成るがままに
身を任せるしかない。 今さらジタバタしても、しなくても同じことである。現金商売というのが、目先は何とかしてくれる。 
1〜2年は何とか大丈夫? 二年後には駅前再開発による道路拡張で「一つのホテルの買収計画」が具体化するので、
まずは二年さえ凌げばよいことになっている。 まあ何とか成るようになってはいるが・・・。
それすら、大津波は根こそぎ破壊するかもしれない、それが世界恐慌である。
・・・・・・・・・
2008年03月09日(日)
産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。 
梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。  その5つの定理とは、
 その1 アントレプレナーシップ     その2 チーム力
 その3 技術者の眼           その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」
 その5 大人の流儀  になっているが、 
 まずは1と2の概要をまとめてみよう。
* 第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、
 飽くなき探究心や冒険心や没頭、変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、
といった要素がこの言葉には含まれる。
 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
 これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、
 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。
 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。倫理性と経済性が融合したシリコンバレーの
 そんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、強い「働く意欲」の源になっている。
* 第二の定理はチーム力
 ≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫
 この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、自分を向上させたいと常に思っているから、
 自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、
 という意味である。チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成する
 ところから始めなければならないという経験則が、この言葉の背後にある。≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。理想の
 プロジェクトチームは会議もせずランチを取るだけで進んでいく。チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫ 
 これはサン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。マイクロソフトもアップルもグーグルも、
 すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、
 資金でも設備でもなく、 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。
 ▼ この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、
  そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。研究都市だから、少し違うとしてもである。
 ・・・・・・・・・
2007年03月09日(金)
2166, 日本の人口動態の推移   オッ(*^○^*) ハ?ヨウサン!
 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記
 解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
日本の人口が一昨年から減少に転じた。それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように
推移していったのか知りくなるのが人情である。人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定。
・明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減る。
ーまずは、そこを書き出してみるー
・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、
 1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。日本の近代的な人口統計は1872年(明治5年)から存在する。
 この年の総人口は3481万人である。すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
 そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と
 近代産業国家をめざして成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。 総人口は1891年(明治24年)に4千万人を
 突破し、1912年(大正元年)には5千万人を超えた。人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。
・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は
 約2倍に増加したわけである。 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。 総人口はさらに増え続け、
・1936年に7千万人、・1948年に8千万人を突破した。終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
 1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている 
(39、45、46年を除く)。 最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。
 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。
 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。
 国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、
 2010年に1億2747万人、20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、40年に1億938万人になる。
 そして、50年に約1億人となり、2100年には、約6413万人になるものと予測されている。我われは、日本列島に生息する
 日本人の数が最大になったさまを見ているのである。「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。
 日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。 明治から大正期までは、
 女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、その後非常に大きな変化があったことがわかる。
 これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。 とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが
 平均寿命を大幅に下げていた。この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。
 この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である   
 (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、
 60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。1891年?98年(明治24?31年)において60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。
 ▼ 以上だが、成人になった平均寿命は思ったほどは延びてはいない。80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に
 戻ると思えばよい。「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた人口が昭和初期の人口に100年かけて戻る」
 ということだ。
(以下、字数の関係でカット2013年03月09日)
・・・・・・・・・
2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記     才ノヽ∋?_φ(≧ω≦*)♪             
またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。
 (以下、字数の関係でカット2009年03月09日)
・・・・・・・
2005年03月09日(水)
 1436, つれづれなるままに
  ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻ってきたイメージで日記を書いている。それが書いていて面白い。実際の日記より書きやすいのである。 
 (以下、字数の関係でカット2012年03月09日)
・・・・・・・・
2004年03月09日(火)
 1070, 美容整形医師の「美人の定義」
ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。
 ーその文章を書き写してみるー
(字数制限のためカット 2012年3月9日)
 ・・・・・・ 
2003年03月09日(日)
 704, [つかず離れず]ー群れない為に
「つかず離れず」は人間関係の基本である。「和して同ぜず」ー和同の精神である。
 (字数制限のためカット 2010年3月9日)


4374, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー6

2013年03月08日(金)

            
              「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲 著
    * 平等も格差も遺伝子に組み込まれている
 チンパンジーに、既に平等が埋め込まれているとは驚きである。長年の間の試行錯誤の結果である。
ということは、それから進歩した人間は、平等から一歩進めて「公平」という概念になる。しかし、この辺りが一番難しい。
容姿も、能力も、人種も、生まれてきた環境も、その人によって違っている。当然のことながら、人間は不平等に生まれつく。
しかし、チンパンジーの遺伝子に平等も格差も組み込まれている意味を考えてみる必要がある。 ーその辺りを抜粋するー
≪ 二頭のチンパンジーを、真ん中をガラス窓で仕切った部屋に入れ、片方にキュウリを与えるえるとおいしそうに食べる。
 ところがもう一方のチンパンジーにバナナが与えられると、いきなり怒り出して、手にしていたキュウリを壁に投げつける。
さっきまであんなにうれしそうだったのに。霊長類学者のドゥ・ヴァールは、こうした観察結果からきわめて重要な発見をした。
平等はチンパンジーにとって、けっして譲ることのできない「基本的猿権」なのだ。
 ぼくたち人間も、「平等」に強いこだわりをもっている。人種差別でたくさんの血が流れるのも、バックパッカーが
ぼったくられたことに延々と文句をいうのも、同じ人間として平等に扱われていないと感じるからだ(もっとも先進国の
バックパッカーは、自分たちが特権階級に生まれたという不平等を意図的に失念している)。
 でも平等が遺伝子に刻み込まれた生得的な価値観なら、なぜ世の中は格差社会になるのだろう。それは、「格差」もまた
ぼくたちの遺伝子に刻印されているからだ。
 初対面の二頭のチンパンジーを四角いテーブルに座らせ、どちらにも手が届くところにリンゴを置くと、互いに取りあう。
負けがつづくと威嚇の表情を見せるが、喧嘩にはならない。互いに先取者に所有権があることを認めているからだ。
 ところが同じことを何度も繰り返すうちに、どちらか一方がリンゴに手を出さなくなる。からだの大きさなどさまざまな
特徴から二頭の間で自然に序列が生まれ、いちど階層が決まると、下位のチンパンジーは上位者にエサを譲るようになる。
 保育園や幼稚園でも、子どもたちを集団で遊ばせるとごく自然に階層が生まれ、リーダーが決まる(とくに男の子の場合、
この傾向は明瞭)。サルやヒトには、相手と自分の関係を測り、無意識に支配したり従ったりする強力なちからが働いている。
人間の耳には、五〇〇ヘルツより低い周波数は意味のない雑音(ハミング音)としか聴こえない。ところがぼくたちが会話をすると、
最初はハミング音の高さがひとによってまちまちだが、そのうち全員が同じ高さにそろう。 ひとは無意識のうちに、
支配する側にハミング音を合わせるのだ。≫
 ▼ サルの研究では、サルと人間の重なる部分から、人間の本質を探っていく。特にサル社会の「平等」と「格差」との
  微妙な調整がポイントとなる。生まれて死ぬまで、高校、大学、会社、事業、結婚相手などの選定が延々と続く。
  その結果、都会では、住む地域まで格差ができる。その最たるものが皇居。アフリカの王族国家を見れば、システムの
  馬鹿馬鹿しさが見て取れるのに、自国になると分からない。
 ・・・・・・・
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを知人に頼んでアップをしていたので、
ほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、
時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。 
 この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、
自分のために整理し知識として残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 
気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 それも四千ともなると、
自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると
11年分の同日の自分に出会っている。 書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。 
だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、
気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分だけ、
過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、
自分の手で削除することになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、あとに戻せない。
何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。
時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、
価値が出来てくる。 また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、
キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
  以下の、千、二千、三千も、それぞれ検索で調べたもの。 
・・・・・・・・
2003/12/30
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かが間違いている。しかし小説風の「宗親日記」が
大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)。
だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、
随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく変った。一日一日が充実してきた。 20〜30人位?の人に毎日読まれていると思うと、
見守られているような感覚になる。 作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。 死ぬ前に全てを消し去るのもよいし、
また書き残すもよいのだろう。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。 いや死んだと同時に消滅してしまうか。
そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分。
・テーマ探しに46時中頭が1杯    ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し   ・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。
・・・・・・
2006/09/25
2001, 二千日の随想日記!          おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 この随想日記が昨日で2千回目になった。母の十周忌の命日というのも何かの因縁である。 
千回時の達成感ほどではないが、やはり2千回は・・・。 といって意識したのは3日前だから、
千回の時ほど達成感がないのは事実。千回時ほどの心理的な圧迫感がないが、常に黒い影?に追われている感覚は同じ。
あまり深刻に考えないで、書けることを書けばよい!と気楽に思うようにしている。一種の気楽な喜〔苦〕業と思えばよい。
 次は三千回が目標になるが、楽しむ?しかない。 2009年6月某日になるが、どうなることか。
千回はきつかったが、二千回の労力は半分になった? 楽しまなかったら、続かない。
  良寛の  たくほどは 風がもて来る 落葉かな  と同じで、習慣の流れにまかせて
       書くほどは 知恵(空)がもて来る 話・題(色)かな   というところか!
 だいたい2〜3つ位は時間の合間に下書きを用意して、寝る前に30分かけ一応書き上げ、当日の朝に修正をする。
朝はそれでも一時間はかける。テーマ探しと、下書きの時間を入れると合計三時間は一文章にかける。
その三時間のプロセスは考える時間になる。そのために毎週図書館と本屋に通ってテーマ探しをする。
アウトプットを習慣づけることによって、インプットを図るのが目的の一つになる。
もう一つのプラスは五年分の同月・同日の文章を読み返せること。未来の自分の眼に対して、好い加減な文章をかけなくなる。
毎日読み返すことは、このようなコントロールがはたらく。 最大の読者は未来の自分である。書いた文章を会社に行って読み返すと、
数時間の経過後の冷徹に自分の文章を見ている自分に驚く。自分が初めの読者であると同時に、一番の批評家になっている。
これは、書き重ねるほど鋭くなっていく。これは読書力の強化につながっている。 千回目の日記が懐かしい!

・・・・・・・
3634,  閑話小題   
2011年03月08日(火)
 * てっぱん
 毎朝のNHKの連続TV小説の「てっぱん」が面白い。私生児?の19歳の女性の目を通して家族問題をテーマにしたもの。
舞台は大阪と尾道。下宿先の訳ありの住人たちが個性的で人情があり、互いを支えあっているという設定。
実際の社会は、この夢のような暖かさはない。逆に虐めと見下げの中で、本人は崩れていく。
往年の美女、藤純子がお祖母さん役で、番組そのものを引き締めている。全体に流れている湯気が出ているような暖かさは、
家族崩壊が問題になっている中、大きな問いかけになっている。それにしても、19歳のヒロインの持てること。
逆に周囲の男たちの持てないことが何か不自然である。 それがTV小説であるが。
それと、ここには悪役、三枚目役が全くといってよいほど出てこない。 それも良いのかもしれない。
 * 携帯電話の買い換え
 先日、家内の携帯電話の買い替えのお付き合いをした。 私の携帯電話を半年ほど前に、iPhonからドコモに
買いかえたばかりなので、家族割引もあるので家内もドコモにした。 私も家内も型落ちのゼロ円のもの。
しかし半年前には2〜3万はしたもの。 その二つを比べると、その差に驚いてしまった。携帯は日進月歩なのである。
売り場は半分はスマートフォンで占められていたが、これまでの携帯電話ではカメラ機能が強化されたものがメイン。
数年で、大部分がスマートフォンになるのだろう。世界中の情報が、これら端末情報機器から大量に流される時代。
一時代前までの社会的格差は、そのまま情報格差に比例していた。それが、フラット化していけば、社会的格差が、
これまでと違ったカタチになってくることになる。これが北アフリカ、中東のアラブ圏で起こっている変動として現れている。
パソコンも、卓上、ノート、そしてタブレット型と進化をしてきた。携帯電話からスマートフォンへ雪崩をうって移行を
始めたが、これがどの方向に変化していくのか? スマートフォンとタブレットの境目は、どの辺になるのだろう?
35歳が子供の頃からゲーム器やパソコンに慣れ親しんで育ってきた年代の分岐点となる。その人たちが社会の中心点に
なろうとしている現在、時代は大きく変わってきた。 もう化石人間などという言葉は、誰も使わなくなった。
 誰もが使えるようになってきたからだ。しかし、情報格差は、違う意味で果てしなく広がり出した。
 ・・・・・・・・・
3269, ドル亡き後の世界
 2010年03月08日(月)
   「ドル亡き後の世界 」副島 隆彦 (著)
 10年ほど前から、著者の副島の本を何冊か読んできた。何か山師的な表現で眉唾ものだが面白い。
 外れも多いが潮流は的を得ている。 この本も買おうか迷ったが思い切って注文をした。
 (そして、土・日曜の二日間ジックリと読んだが、これからの具体的な恐慌のスケジュールが書いてある。)
  ー以下は、ポイントを荒筋にまとめてみた。 恐ろしいことだが、こんなものだろう。
・FRBの「景気回復宣言」は大本営発表で、大嘘。アメリカの景気は冬季オリンピックが終了後の2010年3月頃から崩れ始め、
 いったん持ち直すものの、2010年末にアメリカは恐慌に突入し2012年が大底となる。 まずは株、為替、債権は世界的に暴落し
「金融恐慌」が顕著になる。一ドルが80円を割り、60〜70円代に、ダウ平均は6000〜7000ドルまで低落、日経平均も5000円を割る。
・オバマ政権は経済的な失敗から任期途中で辞任する。
・日本はいまだ米国債を購入しているが、中国は米国債を徐々に売る準備をしている。
 RMBS、CMBS、CDOなどの金融派生商品のリスクが一気に顕著になる。
・アメリカは借金を返せなくなり、デノミ、計画的インフレを引き起こさざるを得ない。
・このプロセスで、中国のプレゼンスは必然的に高まる。アメリカ中心の世界は崩壊し基軸通貨としてのドルは地位を失う。
・個人資金の保護のためには「金」や成長可能な日本株を底値で買うべし。(株価が5000円を割ったとき)
・国家戦略において、アメリカの国家戦略に勝る国はない。軍事力は他国を圧倒、食料も世界一、金(ゴールド)も圧倒的に保有。
 ドル暴落で借金棒引き、穀物の暴騰などで逆に潤う。アメリカの借金や財政から考えて、ドル暴落や大恐慌が起こって
 一番得をするのはアメリカである。 結局は世界がアメリカは借金の棒引きをしてしまう。これが国家戦略というもの。
・1ドル=10円時代の到来も有りうる。 日経平均は4,500円を割るのは二年以内?。
・ドルの暴落後は、ハイパーインフレーション、そしてデノミが起こる。日本は米国債や外貨を溜め込んでいるので、
 日本国民の資産が吹っ飛ぶ可能性が大。 既に800兆円もアメリカに貢いでいる。
・アメリカは現在、増刷した紙切れドルで米国債を買うという禁じ手を使っている。アメリカ自身がもう自国通貨を信用していない。
 各国の大使館に現金を送って現地通貨に替えている。2012年の底を経て、3年かけて世界の覇権はアメリカから中国に移る。
 したがって2015年には中国が新しい世界覇権国になると予言。 上海万博が開かれる5月1日から10月31日までは、
 世界経済や相場に何度か暴落はあっても決定的なものにはならない。上海万博が無事終わったその後にアメリカ発の大恐慌が起こり、
 世界経済は地獄を見る。その過程では、日本でも日経平均が一時、5000円を割り、1ドルが70円を割ると言う。
  ▼ 以上だが、100年、いや500年に一度の変わり目、これより劇的なことが起きても不思議ではない。
 ・・・・・・・・・
2894,厭世的時勢に、楽天であること
2009年03月08日(日)
 「厭世」とは、まず自己を厭うがゆえに世界を厭う心の習性をいう。「楽天」とは、幼児の頃から両親を初め周囲から愛され、
それ故に自分を愛する心の習性をいう。人生を振り返ると、悲しいこと、苦しいこと、不安、恐怖心など、多くの精神的苦痛が
あったが、なぜノイローゼや自殺に追い込まれなかったかというと、それ以上に楽しいこと、面白いこと、明るい展望があったからだ。
 いや、それを見守ってくれる家族・友人があったからである。そのもとは幼児体験、そう両親の絶対的な愛情が基本。
楽天性は、まずは親子関係の中でジックリと育てられる。基本的に親は子どもに絶対的な愛情を降り注がなければならない。
しかし家庭内にも色いろの事情がある。幼児期に親父が事業に失敗してしまったり、両親の不仲もある。 
最近では離婚確率が家庭内離婚を含めると過半数。その中で自分を楽天的性格にするためには、教養を自ら積むしかない。 
最近になって「楽天は意思」とつくづく思う。人間は誰でも心の底は楽天でないと生きていけない。「自分だけは大丈夫!」
と思っているからこそ、エネルギーが、生命力が、発露してくるのである。いずれにしても、誰もが直ぐに死んでしまうのだから、
生きている間は、面白可笑しく生きること。ただし、将来の見通しだけはシッカリと立てた上だが。だから楽天には長期的な生存確保が
前提になる。毎日、安心して日々を過ごせる生活力があり、時代の変化に堪えられる力を持ち、それ故に互いの信頼を維持できることが
基本になくてはならない。その前提がないと心が不安定になり、厭世家になるのである。楽天家過ぎてホームレスになった人はいても、
楽天的なホームレスは、ごく一部を除けばいない。このブログをみていると悲観論者と思われるかも知れないが振り返ると楽観主義者?。
(字数制限のためカット2,012年3月8日)
・・・・・・・・・・・
2530, 千年働いてきました ー2
2008年03月08日(土)             ー読書日記
 第四章の 日本版バイオテクノロジーの発明の「売り手、よし買い手、よし羊よし」が面白い。
  その要約とは・・・
ベルトコンベアーに送られる前、羊たちは一匹ずつ仰向けにされ、脚の付け根あたりに注射をされる。
(字数制限のためカット2,012年3月8日)
・・・・・・・・・
2007年03月08日(木)
2165, 駅周辺専門店ビルの開店、三店!          (~Q~;)  おはよう??  サム?!
 三月に入って、新潟駅周辺の大型集合専門店ビルなど三店がオープンした。
 さっそく見学をしてきたが、なかなかよい!新規オープンは夢があって新鮮で良いものである。
 ・・・・・・・・
 2006年03月08日(水)
1800, 「一夫多妻」男          (ρ_・).。o○ おはよぉ・・
少し話は古くなったが、「一夫多妻」の事件は日本中の多くの男達の丁度良い、酒のツマミ?。
私など家内一人でも辟易しているので、羨ましいとは全く思わなかったが?
 (字数制限のためカット2,011年3月8日)
・・・・・・・
2005年03月08日(火)
 1435, 人生の第四コーナー
私の年齢ともなれば競馬でいえば第四コーナーを回って最後の直線コーナーになる。
名馬は、この第四コーナーから最後の追い込みに本当の力を出す。逆にいえば胸突き八丁でもあり、一番大事な
時期でもある。両親の生き様を直接目にすることができた。それは、長年かけた楽しみを追及することである。
(字数制限のためカット2,013年3月8日)
・・・・・・・
2004年03月08日(月)
 1069, フランチャイズ・ショー ?3
変わったものでは、「ブランド物の中古品仲介店」があった。
・・・・・
2003年03月08日(土) 703, 
「金持ち父さん貧乏父さん」ー読書日記
 この本を読んで、読めば読むほど納得する事が多い。
 (字数制限のためカット2,010年3月8日)

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]