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堀井On-Line
| 4274, 「金融円滑法の打ち切りの是非」を 世に問う |
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2012年11月28日(水)
「中小企業金融政策の理念」林憲昭著 * 初めてのアマゾンのレビューへの書き込み 以前、金融に関してコンサルティングをしてもらっていた林さんが、新著を出された。何冊目になるだろうか。 そこで一度、アマゾンのレビューを書いてみたいと思っていたので、投稿してみた。赤裸々な事態を曝してよいものか、 どうか考えたが、実名を出すわけでなく、今さらと思い投稿した。 ーまずは、その内容からー ≪ 昨年の3・11直後、事業を断念して1年8ヶ月経ち、少し気持ちが落ち着いた矢先、以前、読んだことのある著者の、 この本を見つけました。9・11以来、売り上げが三分の二になり、血の滲む思いでリストラを断行し、何とか目安が ついた矢先にリーマンショックで、さらに半分、合計で三分の一まで激減。それでも金融円滑法と、雇用調整給付金で、 何とか持ちこたえていました。しかし、あと半年〜1年で資金が底をつくのが目に見えてきた矢先に東北震災が発生。 その直後に前倒しで会社を整理した。 それでも複雑な思いがあります。 大きな肩の荷が下りて本当に良かった、という思いと、重大な経営ミスをしたわけでなく 震災ともいえる経済津波で長年培ってきたの事業が消滅した無念さがあります。大不況の中、大多数の中小企業は血の滲む 思いで踏ん張っていますが、来年の三月で金融円滑法の打ち切りになります。 著者が現場の窮状を目の当りにし、 可能な限り弱い立場に置かれた中小企業を、この非常事態に擁護すべき、という熱い思いが、伝わってきます。 来春このまま金融円滑法の打ち切られた場合、数千、数万の中小が大きな岐路に立たされることは、私の経験からしても 間違いありません。しかしグローバル化の時代、3年も猶予を与えられたので打ち切りも致しかたがない、のも道理です。 悪いことに再来年には消費税の増税が控えています。 ここで1〜2年、更に引伸ばしても同じでは? というのも、 既に事業から退いたから言えること。私の事業フィールドが地方だったこともありますが、地域経済の冷え込みは、 想像を絶しています。著者の指摘で中小企業の金融政策関係者に大きく取り上げられ中小企業の助けになることを望みます。 私が、3・11以降、あのまま事業を続けていたらと思うと背筋が寒くなります。 経済的大津波は、外海から内海に向けて 押し寄せて来ているのが、私の目には見えています。 私は償却前赤字を事業断念の目安にしました。 情報化と、 グローバル化による生産の国内から海外へのシフトによる空洞化と、物価と資産のデフレの中小企業への直撃が、 この異常事態を引き起こしています。それを割り切り諦めるか、最後の最後まで踏み止まるか、難しい問題です。 小泉の改革は、あまりに大手銀行よりで、私の経験からしても酷いものでした。その方向に、自民党が政権を とった時に戻るとしたら、恐ろしい結果が待っているはずです。その中で、丁度良いタイミングで世に問うている 素晴らしい中小企業擁護論です。多くに金融関係者に是非とも読まれることを勧めることが出来ます。≫ ▼ 昨夜、TVで「来春の『金融円滑法の打ち切り』後は、弾力的に対応する」というコメントが流されていた。 この著書が大きく影響したのか、タイミング的に同じだったのか? 世情の厳しさは、止まることはない。 ・・・・・・ 3899, 国債クラッシュ 2011年11月28日(月) 「国債クラッシュ―震災ショックで迫り来る財政破綻 」 須田 慎一郎 (著) ◎ 国債金利2%で発生 ? 図書館で何気なく手にした本だが、来年暮れの具体的な国債暴落のシュミレーションが生々しい。この本の出版日が今年の6月末。 それからして4〜5月に書かれたもの。半年間の流れは、この本のシュミレーションより危機の度合いは激しい。ギリシャ危機で 世界恐慌一歩手前まで行ってしまい、イタリアがIMFの実質管理入りし、そしてスペインとハンガリーが危険水域まできた。 さらに一番安全とみられていたドイツ国債が三分の一も売れ残ってしまった。 日米より遥かに健全?と思われているドイツ国債の 売れ残りには世界中が唖然とした。それならば日本は?の連想になる。この本のシュミレーションは一年後の11月から12月の想定。 この本を読み始めた直後に、ある人からメールが入り、石角完爾『ファイナル・クラッシュ』(朝日新聞出版)が、シビアに現在の 日本の危機が書いてあると教えてくれた。また昨日の関西系TVの政治経済を話題にしたバラエティーでも、この本を取り上げていた。 アマゾンの書評を読んでみて、こちらの方がよりシビアなので早速、購入することにした。 ー「国債クラッシュ」のアマゾンの内容紹介からー 2012年12月、ついに「その日」がやって来る。大震災が「財政破綻」の引き金をひく戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで検証。 3.11大震災以降、日本の抱える「財政破綻」という"時限爆弾"のタイマーは、確実に時を刻むスピードを上げている。国債の大暴落が 円・株・債券の全面安という、空前の「日本売り」を引き起こす戦慄のシナリオを詳細シミュレーションで徹底検証。 〜印象的な部分を、書き出してみると・・・ *「具体的には長期金利2%が、実質的な[国債クラッシュ]の目安。その数値に達成した場合、為替では、現在の様相がウソのように 円安にぶれていき、それによる価値の目減り分を嫌った資産の海外逃避が、いっせいに進み、円安の底なし沼にはまる」」 *「マーケットには現実を正確に把握する力もなければ、結果を見通す眼力もない。マーケットには不安に駆られやすく臆病で、 かつ利己的な心理があり、それに従った場当たり的な判断があるだけ」 *「国は国民から税金を取れないがために、国債を発行して『借りる』という形でお茶を濁してきた。国民は税金さえ取られなければ、 国の借金体質には寛容だった。・・・そして危機が訪れるや、企業や個人は自己防衛のため、いっせいに日本売りに乗る・・・」 *「日本国債とアメリカ国債は、よく見ると連動している。アメリカの金利が上がり出すと、それにつれて国債の金利も上がる。 と同時に、連動して日本の国債と銀行金利も上がるとすると、2%など直ぐにでも上がっても不思議でない。」 ▼ 何か不気味な風が日本を覆い始めている。それも来年の今頃のシュミレーションが具体的な物語風に書かれているのをみると、 不気味というより、恐怖を感じる。それも半年前に書かれた時は、ドイツの国債が三分の一も売れ残るなど著者も思いもよらぬこと。 ・・・・・・ 3534, エコポイントの駆込み購入の愚! 2010年11月28日(日) * エコポイントは目先延命の劇薬、それが切れる来年は? 少し考えれば分ることだが、「エコポイントの駆け込み購入」で、このところ家電チェーンが賑わっている。 しかし、この騒ぎが終われば値崩れが起きて、このポイント以上に値下がりをするのは火を見るより明らか。 元もとエコポイント制度そのものが、恐慌に対する延命のためのカンフル剤で、目先の苦痛を避けるためのもの。 しかし来年の前半には、この前倒しの反動が大きくなる。薄型TVは典型的な相場商品、大きく値崩れをするのは火を見るより明らか。 そういう批判がないのは、マスコミがメーカーから広告を貰っているため。地デジ化は来年の7月、その間に大きく値下がりは 当然のこと。その上に世界的恐慌の火の手が更に大きくなる。 他人事ではない、当方は460台のTVの買い替えがある。 来年7月の瀬戸際ほど安くなる、と仮説を立てたところ、このことに気づいたのである。エコポイントは、間接的には住宅、 家電、自動車メーカーに対する間接的援助ではないか。そのピエロが、それで買いに走っている大衆。決して穿った見方ではない。 誰も気づかないだけで、これはこれで良い。それを声高にいうこともない。国家にとって目先の失業と倒産を避けなければならない。 しかし来年は、この反動で、日本経済は大きく落ち込むことになる。 「来年、怖い!」が、キーワードか。 デフレ・スパイラルが更に大きくなる。総中流が、総下流社会に墜ちていく。しかし、総下流が大部分なら、それが普通になり、 総中流ではないか。 ブラックジョークになるが、それが社会主義の理想とするところ。格差のない清貧の社会。 (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日) ・・・ 3159,金を通して世界を読む −2 2009年11月28日(土) 「金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著) 住宅価格下落を予測して、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》を中心としたファンドを始めるという。 彼が3〜5年スパンで金に「兆」単位を投資するというから、2〜3倍以上の高騰を予測しているはず。 銀も一年前から高騰を始め、年に90パーセント以上も値上がりをしているから、金はまだ40パーセントだから、 50パーセントの値上がりと考えることができる。 そうはいかないのが相場の世界である。まあ、どうなることやら。 ーこの本の中で、含蓄の深い部分を抜粋してみるー 日本で最も金が売れる地域といえば、京都である。 店舗の面積坪当たり最大の金小売店も京都にある。 京都には宗教法人が多く、資産も蓄積されている。 長年歴史の波にさらされてきたからこそ、スイス流の 「最後に頼りになるのは金」という考えも強いようだ。 ある金ディーラーが縁あって某名刹の住職と面談したときのこと。 住職曰く「金は先の大戦でもそのまま残り、資産として破損することはありませんでしたな」。 ディーラー氏答えて 「はあ、第二次大戦でも京都は空襲を免れましたしね」。 住職「なにをおっしゃる。私の申しているのは応仁の乱のことです」。 各県別に見ても、金が売れる地域というのは必ずしも県庁所在地とは限らない。 現代の経済行政の中心地より、城下町であった 都市のほうが資産のストックは多いようだ。 郡山より会津、山形市より米沢、青森市より津軽、というようなあんばいである。 (以上、字数制限のためカット 2011年11月28日) ・・・・・・・・・ 2794.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・3 2008年11月28日(金) 【第二の法則】 なんでも鵜呑みにするな!人間は鵜ではない。 「世間において 常織とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。 健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である 」 ロバート・ルービン 「誰もが同じように考えているときは、一人として真剣には考えていないものである」 ウォルター・リップマン 「貴殿の理論が狂っている、つまり突飛であるかという点では、我々の意見は一致している。 だが、正解になる可能性があるほど狂っているかについては、意見がわかれている。 私の直感では、まだ十分に狂っているようには思えないのだが」 ニールス・ボーア 「二つの文化のうち、それぞれの半分だけ足しても、一つの文化は 生まれてこない」 アーサー・ケストラー 「半分の真実といえば聞こえはいいが、本当は真っ赤なウソである」 ユダヤの掟 「権力とは 究極の媚華である」 ヘンリー・キ・ソシンジャー 「違うよ。そうじゃないんだ。君は、思考していない。ただ、論理に支配されているだけなんだ」 ニールス・ボーア 「嘘には三つの種類がある。 ウソ、 真っ赤なウソ、 そして統計である」 ベンジャミン・ディズレイリ ーーーーー 何事も、自分の頭で一度は精査することが必要である。それが、考えることになるのだ。考えない方が良い人が多いが。 ・・・・・・・・ 2007年11月28日(水) 2429, 20世紀を生き、21世紀を覗き見て (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 大よそ半世紀少しを20世紀に生き、世界の色いろな変化を見てきたが、明治・大正生まれの人は、その感慨は更に深いだろう。 この20数年間、憑かれたように秘境ツアーで地球の果て?を見てきて、自分の庭とは言わないが、デズィニーランドのように 世界の文明と自然を見ることができたのが最大の収穫である。21世紀になって、携帯電話やパソコンによる情報革命の大きな 変動を見るにつけ、何と恵まれためぐり合わせが良かったと信じられない思いである。情報化が良いか悪いかは二の次に置いて、 これだけの知識・情報が世界を駆け巡る事態はSFの世界に迷い出た思い。 20世紀と対比できるから言えるのだろうが。 恐らく数百年、いや数千年の経験を60年余りの時間の中で味わったのである。その不思議である。21世紀は、やはり違う世界である。 それも想像を遥かに超えた。その結果だろうか?、この数年から哲学が面白くなってきたのである。この地球の大自然の由来は、 宇宙の果ては、130数億年前のビッグバンは何故おきたのか、それ以前は何があったのか、人間の6千年の文明史はどのように なっているのか、等々、疑問が噴出してからである。地球を見てまわり、少なからず人生経験を積み人類の遺産の文化や文明を見てきた。 そして、知れば知るほど、知らないことの多さと不思議の多さに呆然とする。それらを考えること(哲学をすること)で、 少しずつ理解できると哲学者は言う。「死んでしまえば、それが何だった」としてもである。少し地球に存在し、少し認識したということ? それが存在の不思議を問う存在論になり、認識の意味を問う認識論になる。我われは地球に、遊びに、働きに、 そして学びに来ているのである。「よく遊び、学び、学べ」とは、よく言ったものである。 (((。・-・)从ホンジャ ・・・・・・・・・ 2006年11月28日(火) 2065, あたりまえなことばかり −16 b(^o^)d おっ W(^O^)W はよー! ー♪ この女哲学者よりも、私のほうが「心の中で生きているとは、どういう意味か」という内容に関しては、 深い経験をしているように思えたが、どうであろうか?両親が亡くなったときに、あくまで夢?であるが、 色いろな体験をしているからだ。父の場合、父の方の心理そのものになったり、母親も最近まで夢の中に出てきたからだ。 {全過去の記憶を現在として保有する「心」とは、その意味で存在そのものではなかろうか。 記憶は、「心の中」に存在するのではない。記憶こそが存在する現在である。 逆に、我われが現在生きるとは、存在の記憶を生きることである。}「記憶をなくした男」の映画を観たことがあるが、 まさに上記のとおりである。「自分が何者かわからない」ほど、恐ろしいものはないと、寒気がしたのを憶えている。 ただ、虚無が自分を取り囲んでいるだけだろう。本人がどうしてよいか解らない心理が、その映画で出いていた。 「過去を消したい」と思うのは、都合の悪い過去を消したいだけである。 「いま、ここ」は、全過去があるからこそ、垂直に立ち上がる。 ーーーーーーーーーーーー 他者の死はなぜ悲しいのかー? ーーーーーーーーーーーー *心の中で生きているとは、どういう意味なのか? 肉体として存在しないけれど、記憶として存在する他者は、その限り「存在する」。 この存在の意味を考えてみよう。死んだ人が心の中で生きている、しかし、先に我われは、死んだ人はあの世にいると納得したのでは なかったか。心の中にいながら、あの世にいるその人は、すると、どこにいることになるのか。彼は「今」どこにいるというのか。 ー2009年11月28日ー字数制限のため削除ー ・・・・・・・・・ 2005年11月28日(月) 1700, 人生の価値についてー2 (*´o)*ゞふぁぁ このHPの維持も、「退屈と不安の解消が目的か?」と、問われれば、「目的ではないが、手段である」が答えになる。 退屈に対して、これだけ赤裸々に抉っているのも珍しい。「小人閑居して不善をなす」というが、閑居に対する姿勢が 小人かどうかを決めるのだろう。閑居は何か悪いように錯覚するが、逆に最も大事なことである。 アラブの遊牧民は、閑居を第三の時間ー瞑想、仕事と遊びと、そして休みの時間)として、一番大事にしている。 第104節の「人生の退屈そして不安 」でさらに、生きるとは何かをさらに掘り下げている。 何ヶ所か抜粋してみる。 φ(・_・) ードストエフスキーはシベリアの徒刑地で、 懲役の労働が囚人達に苛酷なのは、仕事の内容のつらさではないという。 つらさという点では農民の方がよほど苛酷なはずだ。しかし、農民には自分のために働いているという目的がある。 だが懲役の労働には目的も意味もない。 それが刑罰の刑罰たるゆえんである。 ー彼は囚人達が「意味の無い労働」でない、例えば家を建てる仕事を与えられると、 にわかに夢中になり、生き生きしてくるさまを伝えている。 強制労働で立派な家を建てても、賞金がもらえるわけではないし、刑期が短くなるわけでもない。 それでも囚人達は少しでも具合よく、良い家を仕上げようと一生懸命になるという彼の深い観察のうちに、 人間の生きる目的ということの秘密が宿っているのではないだろうか。」 この節で、人間の日々の行動に何らかの目的があることの重要性が説かれている。 ードストエフスキーは次のようにいう。 「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手桶にあけたり、砂を搗いたり、あるいはまた、 土の山を一つの場所から他の場所へ移し、それをまた元へ戻すというようなことをさせたら・・・・ 囚人はきっと四、五日も経ったら首を吊るか、でなければむしろ死んでそんな侮辱や苦痛から逃れようと思って どんな罪でも犯すだろうと思う」 ヽ(゜Д゜;)ノ!! (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日) ・・・・・・・ 2004年11月28日(日) 1335, 「おカネの発想法」 ー読書日記−2 ー前回に続いて、印象的なところを抜粋してみるー ーおカネが本物かニセモノかという点は、実は本質論ではないのです。 (以上、字数制限のためカット 2010年11月28日) --------------- 2003年11月28日(金) 968, 「企業の人間的側面」 以下は字数の関係でカット
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2012年11月27日(火)
「100の思考実験: あなたはどこまで考えられるか」 ジュリアン バジーニ (著), ー 内容紹介(アマゾン) ● これは「読む」本ではありません。「考える」本です。 ● 「列車の暴走で40人が死にそうなとき、5人だけ死ぬほうにレバーを切り替えられるとしたらどうするか」 NHK「ハーバード白熱教室」で取り上げられた「トロッコ問題」のように、古代ギリシャの時代から哲学者たちは 「思考実験」を“考えるためのシミュレーション・ツール”として用いてきました。 身体と脳・自意識・生命倫理 ・言語・宗教・芸術・環境・格差など、多岐にわたるテーマから選りすぐった簡単に“答え”の出ない、哲学・倫理学 ・論理学の100の難問があなたをぐらぐらと揺さぶります。 世界19ヶ国で刊行! イギリス発ロングセラー! ★【書評から】 「読んでいて思わず引きこまれる。知的で愉快で、型破り。巧みでセンスのよい構成。 誰かと議論したいのに、相手が見あたらないとき、繰り返し手にとりたくなる本だ」 「楽しんでできる頭の体操」 「何度も考えることこそ、明敏で切れ味のよい本書の意図するところだ」 「この本はさながら、道徳哲学の“数独”。 身動きできない地下鉄の中でも、“思考実験”のどれかに取り組めば、たちまち通勤地獄から抜け出せる」 ▼【私の書評】 考えさせられる本である。まず一番私が考えさせられたのは、「楽しみの法則」である。 ≪ キャリア上の躍進を続けてきて、ようやく、二つのチャンスが同時に舞い込んだ。ふたつの国の大使である。 どちらも南太平洋の小さな島国で、ひとつは、厳しい法律があり、婚外セックスも飲酒も麻薬も大衆的娯楽も、 贅沢な食事まで禁じられている。許されているのは美術や音楽といった高尚な楽しみだけ。実際に国が、それらを 推奨していたため、世界屈指ののオーケストラやオペラや美術館や劇場がそろっていた。もうひとつは、 知的にも文化的にも砂漠のようだった。しかし、快楽主義者にとって天国で知られ、何もかも許されていた。≫ このふたつの判断、自分だったら、どうするだろうか。 学生時代の四年間の過ごし方に似ている。 学生時代の遊学で、有り余る時間の中で何をするかは、本人の自由。この問いのように、学びに中心を置くか、 遊びに中心を置くか、大きく迷うところ。 都会での遊びも、学びも、学生時代しか出来ないことがある。 問題は、どう考えるか。人生でも同じことがいえる。往々にして、二つの両立は、なかなか難しい。私の場合は、 「硬派のレールの上を軟派に生きる」を意識していたが。低俗の遊びには、高い税金がかけられ、崇高な遊びには、 推奨金が出るケースが多い。とはいえ、どちらも実際に経験してないので、本人にとって、選択した以外の方は、 うかがい知ることはできない。この歳になり過去を振り返って、この問題がフラッシュのように思い浮かぶ。 あの誘惑に乗っていたら??等々・・ で、私なら? 答えは明白である。高尚の方である? 何故なら、 快楽の楽しみは、帰国した時にチャンスは無限にあるが、高尚の方は、帰国した時に雑多な日常の中では、 じっくり浸る時間が取れないからだ。その人が、それまで苦労して手に入れた高尚な?大使職である。 その職に相応しい時間を味わうのは当然の理である。とはいえ、大きな後悔もあるだろうが。 ・・・・・・ 2011年11月27日(日) 3898, つれづれに ー景気の話ー * 金融株は、どうなっている? 久々に金融株を見て驚いた。何と野村證券が230円、三井住友銀行が2000円(額面を換算すると200円)、みずほ銀行が 100円割れ。東京三菱が330円とあった。 野村證券は5年前の10分の一、みずほ、三井住友が6〜7分の一以下。 銀行株が100円を割ると危険水域を超えるというから、みずほ銀行は非常に厳しい事態。いかに、リーマンショックの影響が 大きかったかである。EU危機も何処かの国がデフォルトでもすれば、欧州だけでなく、世界中の銀行の連鎖倒産が起る。 日本国債務のGDP比が220%もあり、ユーロ圏の90%程を大幅に上回り、アメリカの100%、イギリスの80%に対しても、 あまりに多いことが分かる。その日本が、このままでいられる訳がなく世界の投機筋が日本を狙うのも時間の問題。 日本人が1400兆円の金融資産を保有しているというが、その多くがアメリカ国債に変わっている。 日本が本当に健全なら、 日本の三大メガバンクの株価が、ここまで落ち込むことはない。その中で消費税の10%へのアップを与野党がこぞって反対を している現状は情けない。とはいえ経済の疲弊度からみて、内税のコストを中小企業が吸収するに限界を超えることになる。 * 70インチTV 新聞報道で70インチのTVが売り出されたとあったので家電で見てきたが、想像以上に大きい。50インチの二倍近い画面で あれば当然だが、一般の家庭の居間に果たして収まるか疑問もある。大型TVは大きいほど良いが・・・ あれでデナーショーを見たら現場感覚に近い迫力を感じ取ることが出来るだろう。50インチのTVを見た時の驚き冷めないうちに、 二倍の大きさになっている。こういう不景気の時代、家でTVを見ているのが一番安上がり。 ・・・・・・・ 3533, 竹森俊平の「漂流を始める世界経済」 2010年11月27日(土) 経済専門雑誌「Voice」12月号に、竹森俊平「漂流を始める世界経済」があった。 彼はリーマンショックの直前に、それを予測するような著書「資本主義は嫌いですか」を出版している。 直ぐに読んだが、そこで「紙切れ通貨制度」の功罪を呈示し、そこから生じる厄介な問題がいくら抱えても、 われわれは管理通貨制度と、うまくつきあっていくしかない!と論じている。 「漂流を始める世界経済」の中で彼は、2011年の記憶をあらかじめ消去してしまいたいほどの経済惨状を予測する。 【 来年には世界経済が二番底に陥る可能性が高く、その様相が悲惨になるからだ。 主要国指導者は己の判断ミスを認めず、 責任を外国に転嫁し保護貿易主義に走る。しかし保護主義によって事態が好転しないため、指導者への信頼は一層地に墜ち、 その後の操縦席に人がいない状態になり、世界経済の漂流が始まるという。 そこで二番底は、ギリシャ危機以降、PIIGS(ポルトガル、アイルランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)の 破綻と考えたが、それを撤回した。 ヨーロッパのエコノミストや政治家と、逆に財政刺激策の継続を説くアメリカの カウンターパートとを比べると、景気浮揚に失敗するのはヨーロッパと思われるが、ヨーロッパの政治エリートは、 大衆の意向に反して豹変が許されている。「状況が変わった」と、今までと百八十度異なる政策をとることも可能である。 しかし選挙民の思惑にがんじがらめなのがアメリカ。失業率9%台の高止まりも、本来、緊急景気対策費65兆円のおかげで、 その程度でいられると読むべきだが、「巨額な対策費にもかかわらずそんな効果しか上げられないのか!」と受け止めるのが アメリカ国民の実態である。 さらに今年末には前政権による所得減税が終了し11年からは増税が始まる。 「ティーパーティ運動」が声高に叫ぶ「これ以上無駄な税金を使うな」を、政治家が無視できなくなる。 ということは、二番底がどこかで発生するとみてよい。 今や二番底と保護貿易主義という暗雲がたち現われている。 ここで世界は問われているのは政治のありようである。】 ー以上だが、来年、再来年にかけてリーマン・ショックを震源とした大津波が、3年後にウネリをあげて襲ってくるのは 避けることの出来ないこと。それ以来、何度も何度も書いてきたが、10年は続く。100年、250年に一度の大変動である。 ・・・・・・・・ 3158, 金を通して世界を読む −1 2009年11月27日(金) 「 金を通して世界を読む 」 豊島 逸夫 (著) このところ、金の価格が動き始めてきた。年初からみると、4割の上げで3500円。 銀が9割上げていることからみて、まだ上がるという強きの見方が大勢である。 この本、半年前に買って目を通したが、あまり積極的には読んでなかった。 しかし、ここで新聞などで金の値上がりが報じられたこともあり、再び読み始めたが面白い。 まずは、その一分内容を書いてみる。 ・ 投機を目的とするか、投資なのかをハッキリすべし。 ・ 金は一般的に「有事の買い」といわれるが、実は「平時の買い、有事の売り」である。 ・ ドルは200年、金は2000年の通貨の歴史がある。 ・ ドル発券国のアメリカの外貨準備に占める金の割合は70パーセント以上。 中国・日本は1パーセントに過ぎず、 巨額のドルを保有。欧州のドイツ、フランスは50パーセント以上。中国の金の生産量が南アを抜いて世界一位。 その日本は、金が高騰すると、貴金属のリサイクルが進んで、一転輸出国になる。これは国力衰退の象徴である。 ・ 金は30年前の5千数百円をピークに停滞が続いたが、10年前の1999年から長期上昇トレンドに入っている。 10年前の底値は250ドルである。現在は1200ドルに近いので10年で5倍近い値上がりになる。 ・ 実物資産の不動産と比較すると、金には *固定資産税がかからない。 *売買市場が完備されており、日々の価格も外為同様に公表される。 *小分けが出来る。 *資産の隠匿手段として最適 *利息などキャッシュフローを生まない。 しかし、これがアラブなど中東の金持ちにとって、アッラーの教えに反しないので金保有は都合が良い。 〜〜 以前にも少し「金」について取上げたが、金といえば商品取引業者の餌食になる「金の投機」が思い浮かぶ。 目先の動きの先物で利ヤザを稼ぐ際どいもの。 著者は、その道のプロだが、長年の結果が8勝7敗だが、 そのプロ筋では8勝の結果は評価は高い。金投機のプロは8勝7敗で生き残り、7勝8敗で消えていく世界。 その8勝と7勝の一勝の差は、「損切り」。 問題は負けが込んでいたときに、いかに手早く見切るか、 それが出来ないという。 今に戻ると希望的観測を持ちたがるが、よほど強い意志がないと出来ないという。 だから、相場のプロも自分個人の資産運用に関しては純金積み立てと決めている。 相場に魔法の杖がないことを骨身にしみているので無益なゼロサムゲームには、参加しない。 仲間のデーラーも同様だという。 そういう世界が投機筋ということだ。 恐ろしい世界である。 ーつづく ・・・・・・・・ 2793.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・2 2008年11月27日(木) 「自分を大切にするものは、他人も大切にできる」とするなら、「自分を大切にしないものは、他人も大切にしない」ことにある。 こういう人間、本当に多いよな〜、と思っていたが、じゃあ、御前さんはどう?と言われると、酒飲みすぎて、 命を縮めているじゃないか。そして酒の勢いで他人を傷つけているじゃないかい?と言われれば、成るほど、納得する。 「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」(ユダヤの諺)は、至言である。 ーーー 「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」−2 読書日記 【第一の法則】 ▼ 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。 「自分が ありのままの自分でいられるような人生を 謳歌するためには、音楽家なら作曲し、画家ならば絵を描き、詩人であれ 詩を書くのだ。自分の命にそった生き方を選ぶことが、人間にとって、もっとも自然な姿なのである」エイブラハム・マズロー ▼「無理して人と違う自分を演じようとする必要はない。 良い結果を出そうと頑張れば それだけでじゅうぶん人とは違う自分を演出できるのだ」 アーサー・フリード 「盲人の国では片目の男は王様だ」 ユダヤ人の友人のことば ▼「自分を信じるのだ。 自分の力は、自分が思っている以上に あるものだ」 ベンジャミン・スポック ▼「自分に対して とことん正直になること、それが心身に良い影響を与えるのである」 ジークムント・フロイト ▼「いつも自分一の外側に、カや自信の源があると信じて捜してきました。でも、本当は自分の内側から にじみ出てぐるものなのです。 いつだって 自分の中にこそ、強さや自信の源はあるのです」 アンナ・フロイト ▼「世の中を敵にまわして戦う時は、世の中につけ!」 フランツ・カフカ ▼「よく、あの人はまだ自分を探し終えてない、などという人がいるが、 そもそも自分とは 探すものではない。 みずからが創り出すものである」 ユダヤの諺 ▼「みんなにイイ奴とは、誰の友達でもない」 ユダヤの諺 ▼「自分の意志の主人となり、良心の奴隷となれ」 ユダヤの諺 ▼「わたしのモットーは、心に生じる罪悪感を 決して疑わないこと」 フランツ・カフカ ・・・・・・・・・ 2007年11月27日(火) 2428, 自分を理解するため他者・コンピューター −2 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 人間と動物とが共通に有している能力よりも、知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されたが、 今度は特有の特徴を凝縮したコンピュータから人間に向けて照射したら何が浮かび出るのだろうか。 この数日、コンピューターから人間を照射した、動物と人間の差異は何か?を自分の頭で色いろ考えてみた。 ・喜怒哀楽の激しい感情、 ・欲望の過大性、 ・自らの知恵で環境を変える能力、 ・考えることを考えるー哲学をする能力、 ・新たな他者としてのコンピューターを使い、支配する能力、 ・言葉を持ち、それを書き写す能力、 ・自らの意思を持つ能力、 ・自らの神を創造する能力、 を持ち、それ故に自ら自然界を道連れに消滅する宿命を持った動物である。 まだまだ幾らでもあるが、 私が今考えた「動物と人間の境い目」である。そうこう考えると、やはり動物とは違う存在である。 更に人間は、この新たな他者を爆発的に発展させ、自らの周辺の環境に融合しだした。 これが良いにつけ悪いにつけ、次の大きな問題になってきた。 世界が一変しだしたのである。 ー 前回のレポートの続きである。 *現実感を変えるバーチャル・リアリ一アイ ーコンピューター 黒崎政男(哲学者) そして、今日では、コンピューターと哲学をめぐる聞題群はさらに広がっている。1980年代から始まったコンピューターの パーソナル化は、予想を超えた速度で進行し、コンピューターはあっという間に個人的生活の内部にまで浸透した。 コンピューターは、もはや、われわれに脅威を与える他者という遠い距離に留まるのではなく、完全に環境として われわれを取り巻くようになった。 そしてさらに、コンピューターとわれわれの関係はさらに密接になっていき、 〈われわれの外部としてのコンピューター〉という性格さえ危ういものとなっていく可能性が出てきた。 つまり、現在さまざまな形で間題となっている〈バーチャル・リアリティ〉である。 われわれわれは、今やそれをわれわれの身体の一部として、あるいは頭脳に一部として 組み込もうとしているわけである。その意味で、人問とコンピューターとの結びつきは、もしかしたら、 着実に進行しているのだろう。それは、脳に直接機械を埋め込むという、ミンスキー教授が言うような 原始的な方法によってではないかもしれない。われわれの環境が、電子的に媒介された映像などで満たされていくとき、 そして、人々のコミュニケーションがほとんど電子的な媒介によって営まれるようになったとき、われわれの現実感の変容 という形で、それは進行していく。コンピューターは、人間とはなにか、を逆照射してくれるあらたな他者として、 今日、きわめて意味深い存在者なのであるが、今後、人間は自己規定をどのように遂行していくのだろうか。 あくまで、人間性にこだわっていくのか、それとも、そんな課題は放棄してしまうのか。興昧は尽きないのである。 −− 10年先、いや5年先さえ、想像すらつかない変容が待ち受けている。 それを見るだけでも現代に生まれた良かったと思っている。 ヽ(。・c_,・。)ノ バイ ・・・・・・・・・ 2006年11月27日(月) 2064, あたりまえなことばかり −15 o( `▽´ )Ψオハヨウ! 7歳の頃、一番上の兄が死んだ時に姉に「死んで兄ちゃん、どこに行ったの?」と聞いた。 そのときの姉の答えは、「白い馬になって、空の上の昇っていたいったのよ」であった。数日後、兄が白い馬になって 空に昇って行った夢をみた。子供ながらに、その時の両親と兄・姉の悲しみは敏感に感じ取っていたのだろう。 こういう経験を重ねて、死は怖いもの悲しいものという先入観が植え付けられたのだ。 亡くなってから何度か「どこかに行っていた兄が帰ってきた夢」をみた。 空の彼方からというより、そのつど事情が変わっていた。兵隊から帰ってきたり、旅行より帰ってきたり・・・ 人は元気で長生きをしなくてはならない。世界も、自分も変わっていく。それは遥かに予測や想像をこえている。 いま、ここは全てである、しかしその全ての背後に得体の知れない世界がある。 それを知りえるには、変化していく自分の世界と経験の蓄積の範囲でしかない。 ーーーーーーーーーーーー 他者の死はなぜ悲しいのかー? ーーーーーーーーーーーー 言語と論理に即して考える限り、「死は存在していない」。自分の死は言うに及ばず、他人の死すら「見つからない」。 しかし、だからこそ、「他者が死ぬ」とはいったいどういうことか悩ましいなぞとなる。死は存在しないが、死体は存在する。 他者の死体の存在によって、現実の出来事になる。死の境によって動いていた体が動かなくなる。この変化の意味、 これが理解できない。理解できないまま、死体は然るべき手順で処理され、無くなる。 (カット 09年11月27日) ・・・・・・・・ 2005年11月27日(日) 1699, 人生の価値について −1 −読書日記 『人生の価値について』西尾幹二著 新潮選書 (-_ゞnemu (~O~)ふぁ この本では、どうしたら人生に成功するかという、いわゆる人生での成功の秘訣や、いかに生きがいを見つけるか といったことは書かれておらず、生きがいとは何か、成功は価値に等しいのか、が述べられている。 成功失敗、幸福も不幸も、希望も絶望も、生も死も、結局は同じものの二面性にすぎないという。 「人生は偶然に支配され、何が起こるか分らないからこそ、生きるに値する」という、宿命を認めているところは 本人の人生体験を重ねて深いところを見据えている。 104節からなる各々の文章が、どれを読んでも解りやすい文章で読者を深いところで納得。 ー90節の「希望について 」が、心に残った。 重病患者ばかりが入っている病棟に入院したときの著者の記述が鋭い。 著者がそこで不思議に思えたのは、明日にも死ぬかも知れない人々にも「社会生活」があることである。 余命幾ばくもない患者たちが、日常のささいなことに心をとらわれていることである。 明日の命も知れぬ人が、ナイター中継に夢中になっていたり、同じ病室の人に悪く思われないように 気をもんでいたりすることなど、「死」という大きくて困難な問題を直視しないようにしていることを知る。 Σ(゜Д`;)ア…ア…アッハァァァァァァァァ?!! 死にたくない! (カット 12年11月27日)
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2012年11月26日(月)
* 過去の随想日記を改めて読み返すと、結構、面白く可笑しい時間をすごしている。 恵まれていた時代に生きていたということか。 自分が経験したことや、本を読んで納得した以外のことは、 全て想像と思い込みでしかない。それは他人にも言える。一歩退いて、きし方を振り返ると、その時には 気づかなかったことが今になって気づくことが多いが、それも思い込みでしかない。 「事実などない、あるのは認識だけである」という道理がある。事実が真実とは限らない。そのことを知識だけでなく、 人生経験から理解出来る人と、理解出来ない人がいる。とはいえ、真実と思い認識していることも、怪しいもの。 * 情報化=ネット社会が世の中を根こそぎ変えている。ひと昔なら想像すら出来ない情報機器から限りなく情報が入ってくる。 さらに一人ひとりの情報発信基地を持てるようになってきた。しかし情報が豊富になって、人間が豊かになったか?というと、 そうではない。むしろバカになっているところが多いのは自分自身を見ればわかること。それでも年々、面白くなっている。 こういう時代は、落語の御隠居とか、はっつぁん、熊さんみたいな、暇人ほど良い。それに教養のベースがあれば、 ネット社会では色いろな世界と繋がることが出来る。繋がった先の世界から逆照射して、自分の世界を見ることが出来る。 * もう、以前のような事業生活には戻りたくない。右下がりの世相もあるが、今ぐらい状態が丁度良い立ち位置である。 専業主婦は、暇の効用を知り尽くしている。バーチャルのTVの世界と、人工頭脳空間の都会を彷徨う楽しみを知っている。 人生は夢幻と割り切ってしまえば、これだけ面白い時代はない。自分が幻想する前に、誰かの幻想空間が我々を魅了する。 それは、逆に私たちの空想、幻想の力を削いでしまう。 * あと一月あまりで、今年も終わる。間違いなく、株の暴落か、イスラエルによるイラン攻撃があると見ているが、 今のところ、静粛を保っている。この時期の衆院解散が吉となるか、凶となるか? どちらにしても、政権交代は必要。 ここでシャープ、ナショナルに引き続いてソニーの格付けが危険水域まで下がった。2〜3年前では考えられないこと。 戦後の日本の家電を引っ張ってきた世界に名だたるブランドの会社がである。恐慌前夜の風景といえば、その通りだが。 まあ新幹線最終駅の、あの業態で、これほど堅い商売と思っていた私の事業が、いともあっさりと終わるのだから、 何も不思議でないといえば、それまでだが。 ・・・・・・・ 3897, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 ー2 2011年11月26日(土) 先日、鎌倉の散策で起伏の激しい坂道を歩いていたら腰痛がきた。その前日、スポーツジムでツイストのマシーンをしすぎと 相まったこともある。鎌倉の坂道で頭に浮かんだのは、腰痛はストレスなどで脳内の痛みをコントロール機能が弱まるためか? の疑問。 その時、三人の間で海外旅行の話に気持ちが集中したためか、腰痛のことを忘れていた。 成る程と実感したが7ヶ月もスポーツジムで 鍛えた割に、いとも簡単に腰痛が出るとは・・ しかし帰りの駅のタクシーの乗車の間に腰痛は嘘のように消えていた。 そして翌日起きると、ほぼ全治。やはり腰を鍛えていた効果があったようだ。 鎌倉は坂の多いところ。 ところで二年以上、重症の腰痛が起きてない。今回のように少しは出ても直ぐに元に戻る。しかし人生の節目の後遺症のストレスは 消えていないので、注意しなければならない。 私の場合、多くの腰痛対策の複数効果が明らかに出ている。 腰痛は完治は無理。 重症にならないように付き合うしかない。 身体全体を冷やさないこと、常にエビ反りマシーンで背筋を伸ばすこと、寝室と、 居間と書斎の椅子に低反発マットを敷くこと、冬期間は腰にホッカイロを当てること、など注意を怠らないなどである。 脳内システムといえば、スポーツジムでインストラクターが、「ストレッチの時に、腰のストレッチだったら腰に、大腿部だったら、 大腿部に気持ちを集中してください。そうすると、効果が数倍上がります!」という。 実際に、そこに気持ちを集中すると成る程、 効果的なのが分かる。 人間の気持ち=脳は不思議である。 でも、寒くなると軽い鈍痛が、常に付きまとう。 ・・・・・・ 3532、何か哀しい北朝鮮 2010年11月26日(金) どちらが先に砲撃をしたか分からないが、28日の米韓の合同演習の直前というところがポイント。 その二日前に、金親子が砲撃をしてきた基地を視察した?ということからみて北朝鮮の先制と報じている。 12月4日に日米による尖角列島付近の合同演習も控えているので、中国と北朝鮮が打ち合わせを充分にした上の 攻撃と見ることも出来る。これはアメリカにとって黄海での原子力空母派遣の大儀名分を手に入れたことになる。 韓国軍の中に前回の哨戒艦の撃沈に対し沈黙をせざるを得なかった反発から、アメリカ空母からの攻撃の誘発を 狙った砲撃を北朝鮮に仕掛ける兵隊が出て、一挙に全面戦争もありえる。アメリカにとって、北の原子炉を破壊するに 丁度良い機会になる。そうあって欲しくないが、アメリカも何を考えているか分からない得体に知れない国。 あのドン様も、病気であとさき短いと考えて、自分の命と道づれに戦争の中で死を選択しても不思議でない。 と同時に、日本にテロを仕掛ける可能性もある。昨日の新潟駅には、いやに警官の姿が目立っていた。 この数日は、黄海から目を離すことは出来ない。あの「緊張感のない息子の顔」からして、瀬戸際を越えてしまう可能性は充分。 中国も、一つ判断を違えれば、動乱になるほど多くの問題を抱えている。またオバマも中間選挙の敗戦で追い詰められている。 北京万博、アジア大会、そしてアメリカ中間選挙も終わり、この辺で、朝鮮で一騒動を起こすに丁度良いタイミングである。 年末まで、あと少し。今年の後半期のイベントは、これになるのか? 欧州はアイルランド危機で、極東の小紛争でしかない。 アメリカも体力が消耗し尽くしているのを見込んだ上の、北の仕掛けで、我慢するしかないのか、ここも。 もし、全面戦争になったとしたら、アメリカにとって一番有利な展開になる。中国と日本に対する威嚇という面でも。 ところで「何か哀しい北朝鮮」からすると、この国の現状は「何か惨めな日本」「何か哀れな日本」ということになる。 ・・・・・・・・ 3157,つれづれにー 閑話小題 2009年11月26日(木) * 金か〜 金の動向が気になってはいたが 一月前あたりからジワジワ動き出してきた。金が上がるのではなく、他の貨幣が下がるのだ という理屈は言いえて妙である。住宅価格下落をよんで、下げで大もうけをしたジョン・ポールソンが近く金《ゴールド》 を中心としたファンドを始めるという。彼のことだから、3〜5年の最低のスパンで金に兆単位を投資するというのだから、 ズッシとくるのは当然である。 恐らく、2〜3倍の高騰を予測しているのだろう。銀も、一年前から高騰を始め、 年に90パーセント以上も値上がりをしているというから、銀に正比例すると、金はまだ40パーセントというから、 50パーセントの値上がりが見込めることになる。そうはいかないのが、相場の世界の恐ろしさである。どうなることやら。 * その時、犬が吼えた ワン! まだ忘れることが出来ないが、ウソのような本当の話がある。 学生時代のドイツ語の授業のことである。 ドイツ語を日本語に誰かが訳していた時のこと。 「そこで犬が吼えた」と訳した時に、ハカッタように何処かから犬が「ワン!」と吼えたのである。 部屋中、教授も含めて大爆笑だった。 あれほどの面白タイミングの面白い偶然は、後にも先にもない。 あれから44年もたったか。年齢を重ねると、一年前も、50年前も同じようなものか。 *「ランチョンテクニック」 食事をともにした相手に心を許しやすい心理傾向を「ランチョンテクニツク」という。 我われは自律神経が午前中と午後とでは働きが違うが、これは人類がまだ狩猟生活に明け暮れていた頃の名残で、 「交感神経」が「闘争と逃走」を、「副交感神経」に、午後は「休憩と食事」のモードを司っているからである。 つまり朝から昼にかけては論理が支配する「論理モード」に、夕方以降は「感情モード」になっている。 これをさらに応用すれば、ランチ時は「論理モード」なので、契約や提携などビジネスモードのシビアな話をしても 「ランチョンテクニック」で緩和される。 そして「感情モード」の夜に食事をする相手は、ビジネスの話はそこそこに 親密度がアップする接待モードが効果的になる。 だからロジカルにビジネスの話を進めようとする外国企業はランチを 共にすることを好み、取引先との人間関係を大事にしたい日本は夕食を共にしたがる。 そういえば、自分をみるに、朝一番には、この随想日記の最後の仕上げをし、出社した後には前日の数字を見て、 新聞と手帳や手書きの日記帳に何やら書きつけ、それが終わると遊びモードに入ってしまう。 自由に気ままにインターネットをしたり、本を読んだり、とにかくリラックスをして考える。 ・・・・・・・・・ 2792.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・1 2008年11月26日(水) ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ −1 「ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法のコトバ 」 スティー ブ・モリヤマ (著) この本はユダヤ民族に流れる哲学や思想が151の名言・フレーズとして紹介されている。図書館で借りてきて何気なく読んでみたが、 中味の濃い内容が次から次へと出てくる。ユダヤ流「成功のヒミツ」は、ビジネスの成功者やノーベル賞受賞者は人口比でみても 多いのですが、ユダヤ人の成功哲学には「金儲方法」の類はまったく見当たらない。実践の結果として、財力や知性が身につく教えが多い。 彼らに一貫しているのは、「知識」ではなく、「知恵」に対すこだわり。彼ら成功者たちは、先人や親からのそうした教えを自分で消化し、 実践している。 ー以下は、この本の説明文と、9つの成功法則である。 〜〜〜 この本ではユダヤ流・成功法則を以下の9項目に分け、各項目に関連するユダヤ人成功者たちの名言を付記している。 各法則を一つ一つ文字でこと細かに説明するよりも・この方がより効果的に行間に流れているユダヤ哲学を伝えられるのでは ユダヤ人は他人と差別化することを重視しているため、多種多様の解釈がでてくるが・読者の置かれている状況も 多種多様である以上、そのほうが具体的事例に当てはめやすいかもしれない。 ●ユダヤ流・成功法則 1 自分を大切にするものは、他人も大切にできる。. ●ユダヤ流・成功法則 2 なんでも鵜呑みにするな人間は鵜ではない。 ●ユダヤ流・成功法則 3 口はひとつ、耳はふたつ。 ■ユダヤ流・成功法則 4 カネを追うな! お金には追われるようになれ。 ●ユダヤ流・成功法則 5 「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。 ●ユダヤ流・成功法則 6 失敗を恐れるな。やろうともせずに逃してしまうチャンスこそ、恐れるに値するのだ。 ●ユダヤ流・成功法則 7 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。 ●ユダヤ流・成功法則 8 無から有を生み出す喜びを知れ!それには「質問力」が大切だ。 ●ユダヤ流・成功法則 9 笑ってツキと若さを引き寄せろ! 〜〜〜 これらの内容は、著者が過去十余年にわたってヨーロッパで働きながら集めた世界中のユダヤ人による 名言の一部である。収集した約1万の名言の中から厳選したというだけのことはある。 ・・・・・・・・・ 2007年11月26日(月) 2427, 自分自身に「なる」こと (。・ω´・)っノXXXXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】 人生を振り返ると、全てが自分自身に「なる」ためのプロセスのような気がする。先日、小学校の同期会があったが、 それぞれの生き方をしてきたとしても、突きつめてみれば「自分らしく生きてきたかどうか」である。人生の質でも濃さでもない。 そんなことは生きてきた、生きていることからみれば、些細なことである。死線を何回か乗り越えてきた人、北アフリカとフランスに 十年住んでいた人など、色いろな人生を背負った、それぞれの人生を垣間みて、「人生で何をしたかより、その人らしい生き方を したかどうか」こそ、振り返った時に問題になる。残るのは「本人らしさ」だけである。 以下は、『哲学の教科書』・中島義道ー の中の文章である。 −−− ここに、最高の自己表現、誰にでも適性があり、かつ人生の最高目標に据えるにふさわしいことが一つ残されています。 それこそ、はじめに触れました(自分自身になる」というとです。 全ての人は個人なのだから、そのまま何もしなくとも 人生の最高目標をもう達成していると考えるなら、そんな甘いものではない。マザー・テレサは、視線を絶えず苦しんでいる 人達に向けながら、このうえなく「自分自身になる」ことを実現している。あるいは自分のよい個性を伸ばす事も 「自分自身になる」である。特別世間的には偉くなくとも、その人のそばにいるとホッとするような人や安心するような人は どこにでもいるものです。しかし「自分自身になる」ことは、必ずしも世のため人の為になることを含意してはいません。 この言葉には「よいこと・悪いこと」といった枠を越えたもっと根本的な意味があります。 それは、「生きること」そのことを目標にする「生きること」そのことを問題にすると必ず「死ぬこと」が影のようについてまわる。 前に紹介した禅の坊さんたちの修行の目標は、例えば白隠の「いつかは生死を離るべき」のように、あるいは道元の、 「生をあきらめ死をあきらめるは仏家一大事の因縁なりのように、「生死の区別」そのものを幻と自覚するようなところにある。 最終的にはこうしたことに収斂することは認めながらも、しかし多くの若い人々は必ずしもつねに,「生」、や「死」そのものに 悩んでいるのではなくーすでに見たように一就職とか結婚、あるいは自分の肉体とか性格など目前の具体的なことに 悩んでいるのではないでしょうか。そこで、次にこうした悩みについて考えてみます。 私はいかなる(いわゆる)些細な悩みであれ、本人がそれを悩むかぎりは、彼〔女)にとって悩む理由はあると思っております。 (字数制限のためカット 2011年11月26日) ・・・・・・・・ 2006年11月26日(日) 2063, 親戚の交通事故 一昨日の夜20時過ぎに家内が柏崎の実家の近くに住む妹に電話をしたところ、彼女の連れ添いが交通事故にあったという。 「入院中の義母が、数日前から具合が悪い」という連絡が数日前に義妹から入り、私と見舞いに行く打ち合わせの電話をした時に、 その知らせを聞いた。 「数時間前に亭主が交通事故にあい、病院で手術中」という。昨日の朝さっそく病院に行き、集中治療室に 入っていた本人と話したが、身近の人の重傷の交通事故の人は初めてである。顔は倍近く腫れあがり脚は二箇所骨折、 来週ふたたび手術という。 首の骨も折れているという。たまたま、義妹と家族が買い物に出ていたが、頭はしっかりしていて、 見舞いのお礼をいっていたが、正視できない姿であった。オートバイで直進していたところ、交差点で右折の軽自動車と激突。 意識不明のまま、救急車で運ばれたという。タバコも吸わず、酒ものまず、「家業の自転車屋と、社会保険労務士と、貸家、 貸し駐車場を経営、真面目を絵に書いたような人。今まで事故も一切起こしたこともなく性格どおり平穏な人生であった。 (字数制限のためカット 2011年11月26日) ・・・・・・・・ 2005年11月26日(土) 1698, 辺境へ −3 この本の内容とは、少し違うが私が行った辺境を印象深い順にあげてみる。 (辺境というよりむしろ、異境ー‘Σq|゜Д゜|p ワオォ ’という意味である。) 1、やはり一番は中国ウィグル地区のタクマカラン沙漠のインド側のホータン〜カジュカル〜パキスタン国境の クンジュラフ峠 〜カラコルムハイウエー〜フンザ〜アフガン国境のペシャワール~イスラマバード。 2、アルゼンチンとチリーパタゴニア地方 3、南米のベネゼイラのギアナ高地 4、タンザニア 5、イスラエル 6、北インド 7、アイスランド 8、ケ二アのヌーの河渡り 9、ネパール 10、シリア・レバノン・ヨルダン 11、エジプト 12、モロッコ 13、桂林 14、ペルー 15、ブラジルのカーニバルと、イグアスの滝 (以下、字数制限のためカット09年11月26日) (◎-◎;)!! 一番辛かったのは、生理現象である。( ̄ω ̄;)!! 時差と食べ物の関係で2〜3日 体調を崩す。それを恐れていては、何処にもいけるものではない。 ただどういうわけか、強盗・窃盗にはあったことはない。ツアーの良いところだろう。 大自然や異文化から受ける大きな感動や驚きからみれば、その前に立ちふさがる壁は踏み石でしかない。 それだけ、素晴らしい景色と感動が待ち受けていた。できる時に、できる事を、できるだけしておいて良かったのが 実感。 ・・・・・・・・ 2004年11月26日(金) 1333, 2000年前のポンペイ −4 遺跡の中でポンペイの遺跡は、奇跡に近い状態で当時の世界をそのまま閉じ込めて現在に提示してくれている。 この世界のグラビアの本を開いているだけで、気持ちが2000年の時空を飛び越えてローマの時代にはまりこんでしまう。 この小プリニウスの手紙には、大きな衝撃を受ける。この青年の知性にも、驚きざるをえない。 ( 字数の関係で、カット。あとは、分類の検索に載っています。) (2007年11月26日)
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2012年11月25日(日)
「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著) * 明日できることを今日やるな ーマニャーナの法則 マニャーナの法則とは、「仕事を洗い出し、明日以降でよいものはとりあえず先送りにし、今日やると決めたことだけをやる」こと。 仕事で、やるべきことをリスト化し、いつまでやるかをコミットメントするとよい。 英国のビジコンのマーク・フォスターが 提唱した法則。 明日やる仕事をリスト化すると、今日の仕事は、昨日リスト化した仕事だけをすればよい。リストを明確にして、 優先すれば、今日すべき仕事だけに集中できる。明日の仕事をリスト化できれば、一週間、一ヶ月と計画のリスト化が可能になる。 逆に、下手に明日以降の仕事をすると、今日の仕事がおろそかになる。やるとしたら、明日以降の計画を考えていた方がよい。 的を得た法則である。今日やるべきことを確実にこなす事こそ一番重要である。我われは、今日の仕事を中途半端にして、 明日以降の仕事をしていまいがちになる。明日の仕事のリスト化は改めて考える行為である。 成るほど理に適っている。 * ハロー効果 学生時代に知った法則で、いやに鮮明に記憶として残っている。一つのことで顕著な特徴があると、他の評価まで歪んでしまう 心理状態をいう。人は美人というだけで性格まで良くなってみえたり、言葉遣いが丁寧というだけで誠実な人と思い込んでしまう。 その心理傾向は、背中から、まるで光がさして見えるため、背光効果=ハロー効果といわれる。一流企業の業績や人事制度に ついての評価がいかに、このハロー効果で歪められているかが問題。 一流大学を出ているだけで優秀とは限らないのと同じ。 * ピーターの法則 これも学生時代に知った法則。Aさんは平社員に能力を発揮、係長になり、そこでも活躍し、課長、そして部長になる。 しかし、その能力は、それが限度。そして、そこに留まり続けると、ハツカネズミが回転の輪を何時までも回り続けるのと同じで、 ロボットのような限りない無能化に陥ってしまう。それが、すべての階級で同様なことが起こり、やがて、無能なA部長、無能な B課長・・と、能力の限界に応じた最終段階に達したバカばかりになってしまう。いずれの会社も、よく見れば無能者の群れ。 これを「ピーターの必然」と言い、「やがてあらゆるポストは職責を果たせない無能な人間によって占められる」ことになる。 いずれの破綻の原因は、その果てか。それもあり10年転職、10年転業説が出てくる。その度、悪くなるのが殆ど?だが・・・ ・・・・・ 3896, デフレの最近事情 2011年11月25日(金) 先日、鎌倉に日帰りで行ってきた。JRの期間限定の特別料金で、新幹線往復も含め昼飯付きで一万円。大よそ半額である。 その数日前に家内がディズニーランドに遊びに行った時、義妹と御台場のホテル日航に泊まったが、交通費と宿泊代を含めて 一万八千五百円。 割引パックの場合、景色が良くない格下の部屋になるが、「今日は特別、良い部屋にしておきました」と、 東京湾が一望できる部屋に泊まったという。デジカメで撮った東京湾の景観と部屋からして二人で三万はする部屋。 ホテルには客が少なく、家内が言うに「 サービスをしてくれたのでは?・・」とか。 これも大よそ半額割引。 それとシネマが60歳以上が千円、これも充分価値がある。また毎月の一日が、年齢に関係なく全て千円で、その日に客が殺到する。 何度か書いているが、最近ランチを週二回は食べに行っている。(そのうち、一回は家内と一緒)家内が情報を仕入れ、ついていく。 それもあってランチとはいえ十分満足できる内容である。 牛肉も、高級魚も、不況のため、居酒屋や、回転寿司のネタになるほど、 値下がりをしているためである。 鎌倉コースは行きも帰りも新幹線の自由席は満席に近い状態。行きは旅行客と通勤客が半々。 寺から鎌倉駅までのタクシーの運転手に、「景気は、どうですか?」と聞くと、「大震災直後の売上は半分まで落ち込んだが、 現在は、それでも回復してきたが、元に戻ってない」という。 このデフレの中、事業主はギリギリの状態。その上、資産デフレも重なり、 経営資源の枯渇が激しく経営を圧迫している。 これにTPPの参加問題もある。 これは農業だけでなく輸出関係も影響してくる。 デフレに大きく関係しているのが情報化である。ここで携帯電話がスマートフォンに変わりつつある。それが、少しでも安くて、 良いものを提示してくれる。 お客にとってベストだが、売り手にとっては常にベストを維持しなくてはならない。 消費者は収入が減っている上に、情報だけは過剰に?流れ込んでくる。事業側はコストがかかる反面、お客の目は厳しくなっている。 デフレ以上に恐ろしいのが、次にやってくるハイパーインフレ。 二年前の同日(下にある)に、偶然、デフレについて書いていた。 ・・・・・・ 3531, 専門家を疑ってかかれ! 2010年11月25日(木) * 「ローゼンハン実験」 ー専門家の先入観を疑え― 先日の朝日新聞の勝間和代「人生を変える法則」のシリーズに、以下の実験に関する法則の紹介があった。 医学など、こんなものだろうが、アメリカ的で何とも面白い。 まずは、その内容から・・ 【 精神分析学に、「ローゼンハン実験」という有名な実験があります。 これは、1973年に米国の心理学者のデービッド・ローゼンハン博士が友人7人を募り、8人で12の病院に「幻聴が聞こえる」 と訴える偽(にせ)患者を装って診察を受けに行ったところ、診察にあたった医者がそれを詐病と見抜けず、全員入院させられて、 薬物治療を受けることになったというもの。この実験は、医学界から大変な反論と反響がありました。 ある病院は、偽患者はかならず見分けられると主張し、ローゼンハンに、好きなだけ偽患者をよこせと勝負を挑みました。 じつはこのときも、ローゼンハンの完勝でした。なぜなら、この病院は、3カ月間で診察した193人の患者のうち、 41人が偽患者だと見抜いたと発表しましたが、なんとローゼンハンはこの病院に一人も偽患者を送りこんでいなかったのです。 もちろん、当時と現在では、精神疾患に対する診断基準が違うため、いま、偽患者を装って受診しても即入院とはならないでしょう。 しかし、経験則に重きをおく医学では、医者が、短時間で患者の訴えの虚実を見分けることは大変、難しく、なんらかの病気の診断を 下そうとしてしまいがちだというのです。 現代で、同じような偽患者による追試を行うと、入院こそさせられませんが、念のため、 ということで薬が処方されることがあるでしょう。これも、医者が、患者の期待に、なんとか応えようとするためです。 この実験の教訓は、専門家たる医者の立場からみると、先入観にとらわれてはいけない、ということです。さらに、患者が嘘をつく 可能性を念頭に置き、物事を熟知していると自負するあまり、あるパターンに押しこめて理解しようとしていないか、 常にチェックすることです。また、患者の立場からみると、こちらからの情報が正確に伝わらないと、誤診を犯す可能性があると いうことを理解しておくべきでしょう。しかし、この実験から、「専門家はあてにならない」と即断すべきではないと思います。 専門家も間違える可能性を念頭に置きながら、互いに信頼関係を築き、ベストな情報を交換し合うことが必要でしょう。 (勝間和代ー経済評論家・公認会計士)ー2010年11月22日 】 ー 医者も間違えることをことを患者サイドは、常に意識しておかなければならない。要は、医者も能力の差があり、正確な 診断を下せるとは限らない。それが精神疾患となれば、尚更である。これは、医者だけでない。社会一般にも言えること。 専門家と称する人が言うことが、常に正しいとは言えないということだ。引退近い力士が、負けが込むと医師から、色いろな病気の 診断書のお墨付きをもらい休場する。見ているほうからすれば、力の衰えからくる実力で負けが込んだのは一目瞭然。 医者も阿吽の呼吸で診断書を書く。 ところで、考えてみれば、人間の認識ってのは、全てが先入観でしかないのでは? ・・・・・・・ 3156,デフレ・スパイラル 2009年11月25日(水) 政府が先日、三年数ヶ月ぶりにデフレ・スパイラルに入ったと宣言をした。この宣言は消費者の財布をますます閉めることになるが、 賃金・GDPも17年前の水準まで落ち込んでおり、購買が減るのは当然である。そういう当ホテルの客単価もピーク時の3分の2である。 ネット予約の顧客が全体の四分の一になっているが、破格値である。 そういう私も本の半分以上はアマゾンで中古本を買う。 カメラや、ブルーレイ録画機も、健康機器も、電気自転車も、何でもかんでもネットで一番買い得のものを選ぶ。 また週初めは通勤途上の新潟駅で、週末の売れ残りのバナナか、村上の牛肉の値下がり品を買う。 家内は初めの頃は買ってくると怒っていたが、今では逆に頼まれる始末である。 新潟駅駅ビルにビッグカメラがあるので度々、 カメラや薄型TVを見にいくが、この数年で廉くなっているのが分かる。先日、長岡のアピタの隣のシネマ館にいったが、 60歳以上は千円である。 またユニの衣料コーナーで驚いたのが紳士服。二着で一万五千円だったが、柄も生地も悪くない。 思わず買いそうになってしまったが、踏みとどまった。 デフレ宣言を報じていた新聞をみていたら、紳士服の単価が一年で 4割以上もダウンしているとあった。家内がジーンズが好きで、微妙なカタチで購買を決めるというが、廉くても、その微妙な部分は チャンとデザインに取り込まれていて悪くないという。 既に大手スーパーや百貨店などは、究極の消耗戦に入っているが、 こうなると弱いところに打撃は大きくなる。その山が年末年始にくるはず。ユニクロも、デフレを察知し、60週記念売り出しで 思いきった値下で先手を打った。 大盛況だったというから、他店の出鼻を挫いたことになる。それだけ、ユニクロは大きな影響を 与える存在のなってしまった。 企業にとってはデフレは厳しいが、消費者の節約にとっては良いことになる。 しかしハイパーインフレが始った訳でないのが、まだ救い。金(ゴールド)がジワジワ値上がりを始めてきた。 大荒れの一現象だが、見逃せないことである。 ・・・・・・・・・ 2791, 新型インフルエンザ 2008年11月25日(火) このところ、連日のようにTVで鳥インフレエンザの脅威について報道している。 60年か70年に一度は、 必ずといってよいほど大流行が起こるが それが近々という。世界で最大、一億5千万人が死亡、日本では60万人と言われているが、 鳥インフルエンザH5N1型の場合、感染の六割が死亡するといわれる。半数が感染した場合、三割とすると????万人である。 (字数制限のためカット 2011年11月25日) ・・・・・・・・ 2007年11月25日(日) 2426, 「おばあさん」初体験 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は|* ̄。 ̄|よ 朝日新聞の「生活」のページのーひとときーという欄に切実な投稿があった。家内が読んで「もう直ぐこういう経験をするかもね!」 と教えてくれたのである。一年ほど前に山の手線で偶然にシルバーシートの前に立ったことがあった。若い人が座っていたが、 その時に「もしかしたら、席を譲られるのでは」という不安感に陥ってしまった。結果として譲られなかったが、 次の駅が来るまで頼むから譲らないでと願った経験がある。 (字数制限のためカット 2010年11月25日) ・・・・・・・・ 2006年11月25日(土) 2062, モーニング・ページその後! (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 今年の3月半ばから始めた「モーニング・ページ」を相変わらず続けている。今年に入って新たに加わった習慣である。 何も難しいことはない、ただ起きざまに大学ノートに思いのまま書く。ポイントは、毎日必ず書くことである。 (以前にもかいたが)書き始めて8ヶ月、改善を重ねた結果、曼荼羅図のように中央にハートの絵を書いて、 周辺に9つの円を描いた中に書き込んでいく。健康コーナーや、 随想日記のヒントコーナー、 読書コーナー、 つれづれにのコーナー等々、 だいたい位置が決まってきた。大学ノートを横にして上下のページを朝一番に書き、 昼や夜に思いついたことを、その上に書き込む。内容が一人歩きするのかと期待したが、脳の排水レベルで留まっている。 書き連ねているうちに、思ったままのことをスラスラかけるようになったのが一番の収穫だ。 それと毎日ほぼ同じことを書いている自分に驚いてしまう。MP(モーニング・ページ)の習慣を40年前に、 いや10年前に身につけていたら、もっともっと豊かな人生をおくれただろう。 随想日記のように蓄積されていくうちに、知らずに何かが生まれてくる可能性を秘めている。 起きて、真っ白の状態そのままで書くのが良いのだろう。一種の座禅、瞑想である。頭に浮かんだことを文に書き出すと、 浮かんでは消えている雑事を掬い取るのと同じ。脳の排水を小まめにしていることになる。 その排水の中に時には 砂金が入っていることもあるが・・夜半みた夢と、前日読んだ本の印象に残った書き込みがよい。 この一日一文と、モーニング・ページは私にとっての生き甲斐?になっている。 それと( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪も (*^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・ 2005年11月25日(金) 1697, 哲学マップ 「哲学マップ」(貫成人 ちくま新書)が面白い。哲学とはどんなもので,他の哲学とどういう関係を持っているかの 地図を示そうというもので、切り口を変えた哲学史ともいえよう。最近、哲学がますます面白くなっている。 極限の自己対話の本音の部分と、過去の哲学者の自己対話との重なりに、自分の練りを今という瞬間に突きつめる。 それが日常の足下を掘り起こし、日常の外に出ようとすることになる。だから哲学は常に日常の中でおこなわれなくてはならない。 自分が鵜呑みをしてきたことが、どんな哲学の範疇であるか、そして、他の哲学からみたら、 どういう関係にあるかしれば、その思い込みから自由になることができる。 ーこの本の大筋はー φ(・ω・〃) ♪ 哲学の発想法といえば, 1.全体を問題にする, 2.日常性から出る, 3.形式的である, 4.方法についても慎重であるべきである、 の4つである。 また哲学的な「問い」を次のように立てている・・ (1) 「〜とは何か」という問い (イデア:現実の二項対立でとらえる ープラトン) (2)「わたしとは誰か、なにを知りうるのか」という問い (自我/対象、主観/客観の二項対立でとらえる デカルト) (3)第一と第二の問い組み合わせカテゴリーが人の認識メカニズムにアプリオリ-先天的-に組み込まれている、と考える (「経験に先立つ本質」 カント) (4)「なぜそれを問うのか」という問い 価値を差異に還元して考えるニーチェである。(虚構、流動性 ニーチェ)簡単に言えば、 (一)は「真理」への希求に関する問いであり、 (二)は、人の「認識」についての問いといったところか。 (三)については、「経験に先立つ本質」についての問い (四)は「超越的実体を否定し、すべての差異が諸力のせめぎ合いによって生まれる流動性を肯定する」 と書かれていることから、「流動性」(不確実性?)がキーワードになる。 20世紀の哲学は、 現象学, 言語分析, 言説分析, 精神分析, 実存分析, 構造分析 などの道具を使って行われている。大雑把すぎるが、この本の大きな柱になっている。 (^┰^)ゞ ・・・・・・・ 2004年11月25日(木) 1332, 23歳の日記−4 1969年 3月29日 ー四日市にて 勤めて、まだ一ヶ月も経ってないのに、既に壁に当たっている。後方部隊の管理部は総員37名、そのうち30名が若い女性。 今年配属された男子4名の他に、課長と係長と肩書きのない古手の男子2名が男だ。それにしても肉体的の限界の激務である。 寮で同室の堀田君は本店から離れている郊外の食品スーパーに配属されているが、話からすると、仕事の厳しさは本店の管理部は 彼よりも数倍厳しいようだ。部屋に帰ってきて、布団にバタッと倒れる状態である。それでも、既に数回同期の4人と三回も 居酒屋に行った。同期の仲間は西尾、桜井、渡辺、そして私の4人だ。酒好きというのが共通点である。 いずれも地方の大學出身のせいか純粋であり、温厚である。学生時代の寮の連中からみれば地方大学出身の為かすれてないのがよい。 上司の松又さんは九州出身の純朴な好青年である。高卒で8年目だが仕事が出来る。我われ四人に、非常に気を使っているのが解る。 今の課題は、同僚としての女性に対してどう接してよいのか解らないことだ。純朴な地方の擦れてない若い娘達の同僚としての 対応の仕方である。傷つきやすい敏感な年頃である。全く難しい。自分としても、どう気持を開いてよいのか解らない。 やはり、自分を取り払わないとわかっているが。それと、寝る時間の前に本を読む癖だけはつけておかないと。 本店には、300人ほどの女子店員がいるが、息を呑むような美人が7〜8人はいる。働く女性の姿が輝いている姿を 身近にみるのは初めて。小説を見ているようだ。それにしても良く働く、いや働かされている。 ー4月2日 どうも、若い女性を扱うのは難しい。他の三人は結構上手く、楽しそうなのに自分は駄目なのだ。 まず彼女らを人間として認めなくてはならないのだ。何か焦りを自分に感じている。 取りあえず、問屋の名前を一つずつ憶えてみよう。 次に店内の配置図を頭に入れてしまおう。 そしてコード名を憶えよう。何か一日一日に追われているだけだ。統一伝票の合理的なシステムには驚かされる。 4枚綴りの複写で、それが本部用、店用、取引先分類、そして最後の一枚は、受領書として相手方に送り返される。 この伝票システムが仕様書発注として内容が細かくないようが伝票にギッシリ書かれるのだ。凄いと思わざるを得ない。
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2012年11月24日(土)
「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著) * ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」と、「コミットメントと一貫性」 部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」というが、 何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を与えられないと、 部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。これは、『新婚さん、いらっしゃい』 というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、 連絡しない間を入れたところ、女性の方が不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。 また「ウィンザー効果」というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。 褒め育てる方法もあるが、初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。 新入社員を入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の怠け者が 存在するので、手抜きは避けることはできない。 * エメットの法則 「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの提示した法則がある。 この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も先送りする人がいる。とにかく、後回し。 見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。若いときに仕事で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、 時間厳守と同じく、仕事の第一原則である。 この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を 徹底的に叩き込まれてない。そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。 同じことだが、去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。 今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、最終結論を出した。 そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら5物件は売れなかったでしょうね」と、 言われた。実際に私も、そう実感している。あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を 根こそぎ変えている。近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。 老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせてしまっている。札幌か、函館なら 考えてもよいが、それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、「今日すべきことは今日中に」である。 ・・・・・・ 3895, 「現代型うつ」とは 2011年11月24日(木) こしいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHKの「クローズアップ現代」で取り上げていた。 これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では「現代型うつ」という 新その現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の性癖を取り上げた。 その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が 効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃から大事に育てられ怒られた経験がなく傷つきやすい。 本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。他人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・ ≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意したところ、 体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は不在で、同僚と頻繁に飲みに 外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部部長は頭を抱えているという内容 ≫ ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいてもらい、7割の患者が 復職を果たしたという。 自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、他人のせいにする余裕など、あるわけがない。 その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。 また会社内の仕事の場では、上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。 欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。 生きていくことはトラブルと壁を解決をするプロセス。 それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。 「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが 蓄積されていることに気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。 韓国は徴兵制度があり、 鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、日本は韓国に明らかに 遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に悲観的になりざるを得ない。 ・・・・・・・ 3530, ハーバード白熱教室 ー2 2010年11月24日(水) 海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。 海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは可能である。 次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。 イチロウの年俸は15億円。 それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍になる。 イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。 これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、 逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、*集合的なものと、 分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって生じる」という立場、 要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達することが出来る、という。 アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」という立場である。 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を進めていく。 家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から問題を捉えていく。 彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、対話をしながら考え方そのものを 教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち「自分自身で考えること、それを進めることが、 本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、独りで考えを進められる能力が教養である。 我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。 哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか? ・・・・・・・・ 3155, 「 2012 」 2009年11月24日(火) * シネマ 「2012」 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。 映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、 思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が押し寄せ、 ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、 次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。 「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 ーまずはHPの紹介文からー 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。 天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。 マヤ人のカレンダーであるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で 突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、 多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、その終末世界と人類が 生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』『デイ・アフター・トゥモロー』など、 過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督がついに地球の滅亡を描き出す! 〜 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。 この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。 (字数の関係でカット2011年11月24日) ・・・・・・・・ 2790, 閑話小題 2008年11月24日(月) *金融危機 あれこれ AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りをつけなければなるまい。 見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなくドル投入しなければならない事態。 当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。 現在は、ビッグスリーのGM、フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。 その中で、十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。 日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。 *定額給付金の愚挙 定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず咳き込んでしまったが、 それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になったということ。怒りより日本の行末の方が心配。 日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、 その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は何だろ?。 これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、よく言ってくれたが・・・ *散歩の光景 一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、 通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、帰っていく。 (字数の関係でカット2011年11月24日) ・・・・・・・・・ 2007年11月24日(土) 2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] ーまずは、私の感想文からー 人間は自分の弱さをカバーするため、そして知識を持ったために神をつくった。 それは他の生物から見たら、人間にとって都合の良い空想の産物でしかない。 ある雑誌に載っていたレポートを 読んで考えさせられてしまった。19世紀に始まる進化論が人間は動物でしかないと主張、それまでの人間理解を根本から 大混乱させてしまった。そこで人間と動物の違いが問題になった。動物の中の人間を浮き上がらせている諸特性ー例えば、 計算合理性、言語能力、抽象化能力などが浮かび上がらせて、我われ人間の根拠となり始めたのである。 しかし20世紀半ばから出現したコンピューターは、動物とは違う、人間を理解する新たな<他者>になったのである。 それが人間たらしめている特性を凝縮したものときているから、問題は更に人間とは何かを考える問題提起になる。 動物とは逆の立場のコンピューターから人間が照射されて、動物と人間の差異を見ると、浮かび上がるのは何だろう? さらに、人間とコンピューターが融合してきたため、人間とコンピューターとの差異も見えにくくなってきている。 その意味で現在の人間は哲学的に見ても大きな曲がり角に来ているのである。 さらにコンピューターは人間の能力の概念を変えようとしている。 ーー 「人間とは何かを逆照射する新たな他者 ーコンピューター」 黒崎政男(哲学者) *自分を理解するために他者が必要* いま見てきたことからも明らかなように、現代科学技術の最先端を意味する〈コンピューター〉と、古代ギリシャ以来、 古色蒼然と続いてきた〈哲学〉との関係を論じることは、決して突飛な思いつきでも奇妙なことでもないことは明らか。 哲学者たちが長い間考えてきたことを知ることは、人工知能にとって決して無駄ではないし、現代科学技術の最先端で、 何が問題になっているかを知ることは、新たな発想のきっかけとなるだろう。 さて、それにしても、コンビューターという機械の研究と、人間の知識の研究が、かくもリンクするのはなぜだろうか。 それは、コンビューダーが、人間とは何かの問題を逆照射してくれる存在だからである。われわれは自分を理解するために、 他者を必要とする。だから、19世紀から始まる〈進化論〉の主張が、人間の自己理解に大きな混乱と変動を引き起こすことに なったのは当然である。自分とは動物ではないものであったはずなのに、自分は動物だった、と知ったら、自己を浮かび 上がらせるべき他者(つまり、自己を確定すべき境界線)が消失することになるからだ。 そこで、通常動物には欠けていると考えられる諸特性因たとえば、計算合理性、言語能力、抽象化能力などが、われわれ人間の アイデンティティの根拠となりはじめたのである。そして20世紀の半ばに出現してきたコンピューターは、人間を理解するための 新たな<他者>となったのである。人間ではないものが動物だったときには、人間と動物とが共通に有している能力よりも、 知的・理性的側面が、人間固有の特徴として逆照射されていた。しかしコンピユーターは、この「論理的能力」を特化した 存在であるので、今日では、人間とは何か、を考える場合、その知的・論理的能力は、人間固有の特徴としてクローズアップ されにくくなってきている。むしろ、動物と共通する能力のほうが、逆照射されはじめている、といえるだろう。 だが、コンピューターと動物という二つの〈他者〉から、同時に自己を隈界づけ、確定しようとすると、この両者に挟まれて 人間の自己理解は深い困難を抱えこまざるをえない。動物という<他者>によってわれわれを逆煕射しようとすると、 コンピューターと我われとの差異が見えないし、コンピューターという<他者>によって動物とわれわれとの差異が 見えにくくなるからである。 ○(´・ω・)ノ ホン ヂャァネッ ・・・・・・・ 2006年11月24日(金) 2061, 虐めについて (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! ‘虐め問題’の解決などあるはずがない、家庭内の不和が原因にあるからである。 自分にかかった血を学校の弱者に塗りつけるのが虐める方の理由である。情報化により弱肉強食社会の傾向が強くなればなるほど、 家庭内へストレスが持ち込まれざるを得ない。総下流社会化の傾向の中で、そのストレスの捌け口が弱者に向かうのも当然である。 振り返ってみれば小学校、中学校で酷い虐めがあった。虐めっ子は家庭内が壊れていたためか、その後の人生をみると不遇の人が多い。 逆に虐められていた方が、まともになっている方が多いのは面白い現象だ。ただ潰されないことが前提だが。こういう時代になったら、 「ギブアップ・システム」をつくり、虐められっ子の転校をしやすい環境をつくってやることも必要だ。数年前のことだが、 中学校時代に殺してやりたいほど憎んだ男が、40数年ぶりの同窓会で隣の席に座った。隣に座るまで「殺してやりたいほどの憎しみ」 を忘れていたから、大したことはなかったのだろうが・・ 酔った勢いで、「お前は中学校時代に理不尽なことで頭を殴っただろう。 小中学校時代で殺してやりたいほどの男の7人のうちの一人だ」と言ったところ「あの当時、両親の不和で自分でも大荒れで、 誰見境なく喧嘩をうっていた。野球部でも、俺がいたため何人も辞めていってしまった。 ところで7人のうちの何番目?」 とのこと。「三番目!」他のクラスだったが、そのネジレの酷さは私の耳にも入ってきた。 今さら指摘されることもないという風。集団社会に住んでいれば、何処でも相性の合わない人が一人や二人はいるもの。 四苦八苦の中にも「怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)」があり、娑婆にいる限り避けて通ることはできない。 だから、小中学校時の虐めも、娑婆ー社会に出たときの火の出るような虐めに対する予行演習でもあるといえるが・・・ 袋叩きにしたいのあまりにも多い。 誰も加害者であり、被害者でもあるのが娑婆である。 でも人生は、嫌なことの数百倍、よいことがある。探し求めればだが! −− 朝日新聞の一面に〈いじめられている君へ〉「すばらしい瞬間必ず来る」が連載されている、なかなかよい。 短い人生論のようでもある。 その一つをコピーしておこう。 ーあさのあつこ さん 2006年11月14日ー (字数の関係でカット2008年11月24日)
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2012年11月23日(金)
* 人生、虚無より傷心が上? W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、 第二の創業を幼児から少年期にわたり目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、 去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間だった。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、9・15、3・11)の歴史的震災?で、 呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことをいっても、やはり深く傷ついている。とはいえ、「何も人生をかける 機会がない、虚無の人生」や、「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。 いや、自分にそう言い聞かせている。 節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が心を覆う。 何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように)傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。 何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことがあった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、、 ただ独り、極小に縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解るので、 ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜する しかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。しかし、知らぬ間に愚痴めいた独りごとを呟いている自分がいる。 先日も、近くの道路で大声で愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを見たというから、 痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。 「人生、傷心、時どき虚無」か。いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。 台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・ ・・・・・・ 3894, ギリシャの次は・・ ー2 2011年11月23日(水) 前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。 ・ ギリシャ 32.29% ・ ポルトガル 11.52% ・ アイルランド 8.22% ・ イタリア 7.28% ・ スペイン 6.43% ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、 「ギリシャが現在の国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。 あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。これらの国のトップは殆ど、 ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、 日本国債が今後どうなるかである。現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、既に国家予算の半分が、 国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。 首相を一年ごとに変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、 この数年、続いている。 アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早くIMFの 管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケはハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、 欧米の平均値の20%まで15%のノリシロがある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。 それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの 大混乱になるというが、その具体的な状況は誰も想像がつかない。 一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。 ・・・・・・・ 3529, ハーバード白熱教室 ー1 2010年11月23日(火) 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールのサンデル教授の授業をを見た。 ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、 最大の履修学生数を誇り、あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。 その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との 質疑応答を中心としたもの。 元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで 放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。 東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、サンデル教授が提示した 究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。 * 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福) * 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張) * 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、 その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。 まず初めの学生は、 「3人が生き延びるためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生からは 「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、 カント、アリストテレスの立場の哲学を導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を 踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀の政治哲学者ベンサムの功利主義が、 常に正しいとは限らないことを示唆したり、カントの立場も示唆したりする。 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。 そう、私が度々、ここで書いてきた、学生時代の人事管理の武澤ゼミでの 放課後の週二回のゼミである。 人事上のトラブルを、ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、 それについて15〜6人が議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。 次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように座っている。 したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。 2時間の議論を終えて部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは絶対的知識不足である。 一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。 ・・・・・・・・ 3154,低反発マットと腰痛 2009年11月23日(月) 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラにバスタオルを巻いて使っているが、 その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。 腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。 人は平均、左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。だいたい寝返りの時に 目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、 マクラと首も同じである。実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと 分からない。 特に腰痛の人にはお勧めである。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み込むことにある。 シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の 重圧で寝返りが多くなる。 ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。 私のはニトリで2千円だが、そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている) 低反発マットもニトリで6980円の値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。 ベッドには、低反発枕と、その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムのアイマスク、 耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は充分出ている。 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。 この低反発マットを使って気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。 ・・・・・・・・ 2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2 2008年11月23日(日) 人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。この4つを、どうバランスよく拡大、 深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。 鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。 人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、 その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、 美術館で良い絵や陶器をみたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、 季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、幾らでも転がっている。 「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。 彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、 成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。 何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそ ゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。
そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで話題になっている。ウィキペディアによると、 【 原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案された「The Checkered Game of Life」。 日本版は、1968年、株式会社タカラ(現タカラトミー)から発売された。 タカラトミーの発表によると、日本版の累計出荷数は 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の 人生が左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。 現在でも改良版が発売されているという、息の長いゲームである。】 面白そうなので、一度してみたいものだ。 ・・・・・・・・・ 2007年11月23日(金) 2424, 四四太郎の日記 −9 (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´-ω-)o) 一年ほど前に、新しいブログ「四四太郎の日記」をつくってみた。 すぐネタが尽きたのと、幼稚に思えたことで一年間、放っておいた。 先日、バードウォッチのコーナーに 久々に悪戯の貼りつけがあったのを機会に、新しいブログに切り替えようと思いたった。 そこで多くのブログを実際に立ち上げてみた結果、去年開設したブログが(私にとって)ベストと判断、 ブログ名を「四四太郎の日記」から「バードウォッチ」に変えて、再スタートを切ることにした。 全く記憶から消えてしまった自分の書いたブログを、第三者の目で読んでみた。読後感として、それほど幼稚でもなく 400年前からみた現代の現象が書いてあり、本当に?祖先様が語りかけている感覚になってしまった。 {「私」の中の<私>の中核の《私》}とコンタクトしているからだろう。「チロリ、チロリ、チンチンチロリ」ではないが、 週に一度、曜日でも決めて、御先祖様に出てもらうのも悪くは無い。このブログの内容は記憶から全く消えていたが、 四四太郎に最近?亡くなった縁者を連れてきてもらい、実際に?話し合うのも面白い。何か神がかりになりそうだが、 恐らく面白い出会いと、意外な対話になるだろう。書くということは、 不思議なことである。 ーー ところで、いま、その「四四太郎」が語りかけてきた。 *宗親(ペンネーム) 【おい、宗親よ、何で一年間も放っておいたのだ。せっかくワシという先祖のブログを立ち上げていながら! 字数の関係でカット(2011年11月23日) ・・・・・・・ 2006年11月23日(木) 2060, あたりまえなことばかり −14 (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜 {人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。 「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。 死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。 こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。} 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、 それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、 ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で ーーーーーーーーーーーー 他者の死はなぜ悲しいのかー? ーーーーーーーーーーーー 死は観念である。 人が、自分の死をいう観念を、現実のものと思い込むに至る経過について考えてみたい。 死ぬことを知らない人は死なない。レトリックではない。「意識そのもの」とは、「存在すること」に 他ならないからである。「存在しないこと」としての死は、意識そのものには存在しない。 「存在しないこと」という観念が存在するのでなくては、人には、死ぬということはないのである。 言葉の抽象度が高すぎるので、いくらか具体的に考えてみたい。生まれて初めて人の死に出合うのは、誰か他者の死である。 自分の死に出合うことはありえないから、人は他者の死に出合う以外ない。 おそらく、幼少の頃、誰か身近の人の死を見る。 「死を、見る」 ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪ しかし、ここでは細心の注意をはらって考えたい。人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。 「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。 しかし、多くの人は、この両者を混同する。死体を見たことによって、死を見たと思うのである。 (~Q^(^┰^;)ゞ 当然である。「存在しないもの」としての死が、存在するものとして見つかるわけがない。 こう考えると、自分の死だけでなく、他者の「死」もまた「存在しない」。そもそも存在しない死に対し 「死」と名づけたことにより、死は存在していることになったというのが真相なのである。 字数の関係でカット(2007年11月23日) ・・・・・ 2005年11月23日(水) 1695, 辺境へ −1 ー 読書日記 素人の身として辺境へは、ツアーでしかいけないが、「辺境・秘境」をキーワードにして、この十数年近く アフリカ、南米、 シルクロードなどを家内と共に行ってきた。図書館にあった、「辺境へ」−大谷映芳著ーはもう5~6回以上借りてきて読んだ。 そして、ついにインターネットで新・中古本だが、買ってしまった。 写真も、文章も体験をそのまま書いてあるので、 心に直に迫ってくる。この本で、著者が一番思いの深いの7ヶ所を紹介している。チベット・ヒマラヤを除いた5ヶ所 訪れているので、私にとって非常に魅力のある内容で、何回読んでも飽きることはない。 まず著者の大谷映芳の「内容紹介文」をコピーしてみる。 ー「ニュースステーション」で、高視聴率を獲得した“秘境ドキュメント”。 ブータン、ギアナ高地、ドルポ、アフリカ大陸グレート・リフト・バレーなど、その取材は、全世界の秘境と 言われた地域に及ぶ。今は亡き冒険家の植村直己や夭折した写真家・星野道夫、グレートジャーニーの関野吉晴氏ら その旅の思い出とともに、こうした世界の秘境エリアをレポートしてきた著者が綴る紀行と貴重な写真を多数掲載した写文集。 ーこの本の7ヶ所とは、 w((´ω`))wワオッ!! ヒマラヤの王国ブータン/ 南米大陸のギアナ高地/ 南米パタゴニア/ 西ネパールのドルポ/ アフリカ大陸の グレート・リフト・バレー/ 北極圏のグリーンランド/東チベットのヤルツァンポで、写真とともに紹介している。 その写真が素晴らしい。また人々との出会いなどが中心に書かれているのも特徴。 現地で出会った人々の話や、亡くなった冒険家の植村直己さん、写真家・星野道夫君、探検家の関野吉晴さん等の話も面白い。 ー彼のこの本に対するコメントも良いー 「地球上にこういう素晴らしい所がある事を知ってもらいたいし、そういう場所が冒されつつあるということは人類にとっては 非常に危機的状況であると思うんです。 そしてこういう本を書くと改めて日本の事を思うんですね。 比較というんですかね。∩゙ヽ(。・ω・。)へ (以下、字数の関係でカット09年11月23日)
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| 4268, この非常事態に、万一の備えがあるの ? −3 |
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2012年11月22日(木)
* 始まった身近な崩壊現象 先週、歯医者で地元紙を何気なく見ると、高校の同級生の会社倒産の記事が載っていた。 早速、家に帰って地元情報に詳しい同級生に聞こうと部屋に置いていた携帯をみると、その人から留守電が入っていた。 久々に近くのサエゼリアでの雑談の中で曰く、「これで貴方を含め同級会の中心メンバーの三人全てが全滅!」だと。 10年前に100億規模のスーパーの社長をした男がガンで急死、息子が引き継いだが数年後に倒産。 そして、私が去年。 更に三人目が彼である。 ところが話はまだ続く。一昨日、午前のTVニュースで、「(地銀の系列の)計算センターが 雇用調整給付金の不正請求!」と報じていた。そこで午後、スポーツジムで地元紙を見ると、社会面に大きく掲載されていた。 労働局が「内部告発があり、それにもとづき調査の結果、書類などの改ざんで水増しなどをした悪質なもの。不正分の返金のため、 刑事訴追はしなかったが、公表した・・」と。 二年間で1億3千万。200人規模の会社としても半端でない。見せしめだろうが、 全国レベルのニュースにならなかったのが不幸中の幸い。その社長も、そのクラスの同級生。 その二人が春先の同級会の宴席の 前席に座っており、去年春以来の初めての同級会でもあり、上から目線で見られているようで、少し気遅れをしていた。 そこは銀行系なので責任が厳しく問われるかどうか。あまり偉ぶらず誠実で好感を持たれる人物だが、挫折には強そうではない。 それと内部告発は良くない。この制度は早くいえば、経営の苦しい中小企業への資金援助。手続きに則っれば、問題はないはず。 しかし解釈によっては、どうとにも判断が可能。悪意の虫が一匹、社内にいただけのこと。今は疑心暗鬼のルツボだろうが、 いずれの組織も一歩中に踏み込むと、どろどろした何かが必ずある。不景気の一現象だが、三ヶ月もすれば忘却の彼方レベル。 処分は少し退職が少し早くなる位で軽く?済むだろうが、人生、何があるかわからないもの。 ・・・・・・ 3893, 閑話小題 2011年11月22日(火) * 乗りつっこみ 漫才の掛け合いに「乗りつっこみ」がある。相手のつっこみに、そのまま乗って、その直後に否定することで笑いを誘う。 サンマやタモリなどは、そのへんのプロである。 「御前のカミさんはブスや」のツッコミに対して、 一度「そうや、ワイのカミさんはブスや」と、答えた後で、「御前に、何で言われなければならないや」と切り換えて、 一瞬間を取るやり方である。 日常の会話も、その技が出来るかどうかで大きく違ってくる。「つっこみ」に対する「乗り」である。 落語の、ご隠居と与太郎との会話も、この技法が多用されている。その場の空気を読んで、落ちを考えて、笑いを誘うのである。 それも一瞬のタイミングを外さないことが重要。 * 言葉を使うときは王のような視点を持て、というが 言葉を使うとき、文章を書くときには、王のような視点を持てという。客観性と、真理、道理が厳然となければ、詭弁になる。 毎日この随想日記を書いていると、知らず知らずのうちに王様になった心持ちになっている。偉そうに、である。 自分の想いや意見は相手が納得しなければ、何にもならない。納得させるためには、王様が語るほどの内容に権威が必要である。 だから王のような視線で、言葉を選ばなければならない。 また一度書いたものと毎年の同月同日に、再び出会うことになる。 その時に矛盾や自分が恥じるような言葉と論理は、そのまま己に帰ってくる。そのため何ども読み返し、論理の矛盾を探す。 それでも数日後、数年後に読み返したとき、それに気づくことが多い。それが論理や思考にプラスになる。それを続けていると、 他の人の言葉、論理の矛盾が分かるようになる。その反面、評論家や作家の卓越した論理と自分のそれの違いが見えてくる。 王のような視点を持て、というが、一流のプロは全く違う。恥ずかくもなく、馬鹿な知能を公開するのも勇気がいるが、割り切って しまえば、それはそれで自己満足になる。 ・・・・・・・ 3528, 死に至る地球経済 ー3 2010年11月22日(月) * トリフィンのジレンマ この著書で基軸通貨国のジレンマを紹介している。 ロバート.トリフィンというベルギー人の学者が、 「流動性ジレンマ」と名づけ、以下のようなジレンマ「トリフィンのジレンマ」を見事に例えている。 ーその内容は次の通りだ。 ≪「基軸通貨というものは、世界で幅広く使われるのであるから、潤沢に出回ってもらわなければ困る。供給不足は禁物だ。 だが、あまり出回り過ぎると値打ちが落ちる。基軸通貨たるもの、値打ちが下がったのでは、そもそも基軸通貨としての基盤が 揺らぐから、これも禁物だ。要するに基軸通貨は希少価値があると同時に流動性が十分でなければならない。 希少性と流動性を同時に満足させることは極めて難しい。これがブレトンウッズ体制下のドルにつきまとうジレンマだ。」 トリフィンはこのジレンマをブレトンウッズ体制の構造欠陥だと批判したのである。トルフィン流に考えれば、基軸通貨とは 要するに人気歌手のようなものだ。人気があるという人気が高いということは、希少価値が高いということだ。だが、人気に任せて 彼方此方に出すぎると、飽きられ人気が落ちる。さりとて、あまり希少価値にこだわって自重していると、出し惜しみで顰蹙を買う。 人気稼業の難しさは人も通貨も変わりない。希少価値と流動性の同時たっせい。基軸通貨国には、この至難の技が義務付けられる。 この両立不可能なことの両立を求められる、これぞまさしく基軸通貨国家に課せられた呪いに他ならない。≫ 〜 とはいえ、基軸通貨国だけで、紙切れの紙幣を刷っただけで世界中のモノが入ってくるのだから、維持のためには 何でもするのは当然である。そのアメリカのドルによる基軸通貨体制が崩れようとしているのが現在の世界。 冷戦の終了と同時に共産圏が自由貿易圏に変わり、その広がりが増えたことが、20年近くドル基軸を保つことができた。 しかし、リーマン・ショック以降、それが崩壊を始まり、混迷を深めている。 ・・・・・・・・・ 3153, ラ行の受身形 ー2 2009年11月22日(日) ー まずは前回の続きの部分より ー 妻の葬式の時、私は不思議な体験をした。 いよいよ出棺というそのとき。私の鳩尾(みぞうち)から喉に向かって稲妻のように 熱いものが走ったかと思うと、それは胸全体へと広がっていった。 その瞬間、私は言葉では譬えようのない至福感の中にいた。 あの体験は、「 死は悲しみではありません。 私は満ち足りた気持ちであの世へ向かっています 」という妻からのメッセージでは なかったかと、今になってそう思うのである。もし、あの世の妻とコンタクト可能なら、私はこんな問い掛けを妻にしてみたい。 「 がんに殺されたと思う? 」、「 いえ、がんに殺していただいたんです。お蔭でたくさんのことを学ばしていただきました。 ありがとうございます 」 「ラ行の受身形」の透けとおった心で、そう応えるかもしれない。そして最後に 「あなたも感謝の心を持って、狼狽えることなく生きてくださいね 」と妻は、微笑みながらそう付け加えるのを忘れないであろう。 ▼ こういうのは、本人しかできない不思議な体験である。 「鳩尾から喉に向かって稲妻のような熱いものが走った」というのが、 チャクラが反応したのである。 似たような経験を、幾つかの記述を何度か読んだことがある。身近な故人とは、色いろの魂の邂逅が あるようだ。 私も父が亡くなった初七日に不思議な邂逅があった。 夢で父の気持ちになってしまい、死の恐怖心から 〔死にたくない〕と思った瞬間、我に返った時、あれっ、私は生きている!という不思議な安堵感と父の魂との邂逅と、似ている。 思いは、言葉で作られ、そして残るもの。 思いも、それを形成する言葉は、後々残るから大事にしなければならない。 気楽に、言葉遊びとして、ラ行の受身形を前向きな言葉に替えるように努めたいものである。〔こん畜生め!〕は、やめとこう。 言ってもいいが、その後に「何かのサインを出してくれて、ありがとう」を加えれば、気が楽になる。歳をとった暗い顔だけはなりたくない。 ・・・・・・・・ 2788, 平心庵日記 2008年11月22日(土) 「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で読んでいる。 これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考えさせられる内容である。 明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を、 大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本である。 当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がもの静かに書かれている。 「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者だが、 政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、 現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評にあるが、 成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、茶の湯や美術関係の人には、 よく知られているという。両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、 茶席に同席させられたこともあり、何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 これを読んでいて気づいたが、両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、 現在も近寄れない。 しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 ーーーー 「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生著 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。 (字数の関係でカット 2011年11月22日) ・・・・・・・・・ 2007年11月22日(木) 2423, 夢のようなホントの話 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning 週刊誌を何気なく読んでいたら面白い話があったので、紹介しよう。作家の高橋三千綱のミニ・エッセーだが、引き込まれる内容。 こういうことが実際にあるのだろうし、また逆のこともあるはずだ。 その分岐点は、その人が持っている人間性である。 ーまずは、その部分からー 南カリフォルニアのラ.コスタに滞在していた、ある年の夏のことである。 ・・ホテルのラウンジバーで飲んでいると、いつのまにか人の輪の中に紛れ込んでいた。 話題がラスベガスの話になったので、その頃人気のあったマジックショーを見たいものと私が言った。 時刻は午前一時を回っていた。どうやらホテルのマネージャーを呼び出しているらしい。 相当酔っているな、と私はあきれていたのだが、四日後にはラスベガス空港に降り立っていて、しかもリムジンが待っていた。 それから私は、夢のような3日間を過ごした。部屋はスイートで寝室がふたつあり、バーも広い談話室もついていた。 最前列で見るマジッグショーは迫力満点で、目の前で巨大な像が消えた。ホテルでは私専用の女性秘書をつけてくれて、 あらゆる用事を彼女がやってくれた。その全でが大男の招待だった。カジノでも私はつきについた。 一体、あの男は何者なのだ、と秘書に訊くと、ニューヨークの大富豪で、有名なプロデューサーでもあるという。 何も知らなかったの?と驚く彼女を見ながら、こんな話をしても誰も信じないだろうな、と私は思っていた。 ▼ 大金持の酔っ払い世界に紛れ込んだということだ。その大男からみたら「気分が良かったのでしてあげた」 だけのこと。2〜300万の宝クジに当たったレベルの話でしかないが、それでも庶民感覚とは、 かけ離れた世界の一端を、垣間みた話である。 ☆bye-bye☆ε(*゜ω^*) ・・・・・・・・ 2006年11月22日(水) 2059, あたりまえなことばかり −13 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 ここでは、深い哲学のサワリを解りやすく書いてある。我われは「観念としての死」に、今まで取り付かれてきた。 そして物理的な時間軸を生から死へと一直線の前方に向け生きてきた。ところがそれは違うというから、面食らってしまう。 「永遠として直感される瞬間とは、それ自体で生死を越えて、生死を飲み込んで今ーこの瞬間に立ち上がる!」ということは、 人生の深い経験をしてこそ実感できるのである。経験の裏づけがないと、言葉の言い回し位としてしか理解できないだろう。 いや、鋭いのは解るか?その瞬間の「永遠」は、死後にあるのではない、生の真っ只中に垂直に立ち上がる。 (感動、歓喜の中で)著者の池田晶子の、その瞬間が以下の文章に立ち上がっている。 仏教でいう、悟り、覚醒感がそのまま伝わってくる内容だ。 −−−−−−−−ーーーー * 死ぬのは不幸なことなのか ー? 死は、恐るべき避けるべき事柄と、深く思い込んでいる。転倒した生存本能としての死の恐怖は、人生の孝、 不幸を量るわかりやすい目安とも化し、観念と現実からも判然としないまま、今も岩のように人類を縛り付けている。 死は、恐れるべきものではなく、あるいは祝福すべきこと、喜ばしきことなのかも知れない、 という可能性である。これは死は恐ろしいもの、と言う可能性と同じく、その論拠は無い。 それを恐れとして、喜びとしての「死後」を提示することで答えようとする宗教とは哲学は違う。あくまでも、 「死後」を語っているのは、生きている人だけである。永遠として直感される瞬間とは、そのこと自体で生死を越えている。 あるいは、すべての生死を飲み込んで、今である。考える精神として、一直線に前方へと流れる物理的時間塾から 垂直に立ち上がる時、人は、自分が肉体として生き死ぬ自分でない存在であることを知る。生きているか死んでいるかが、 なぜ今さら問題であり得るのだろうか。すべては永遠に存在し、永遠に生成する。今この瞬間に直感されるそれは、 したがって、「死後」ではない。死後などない。死後は死後に存在するのではない。 生の真っ只中においてこそ、 それは永遠の時間として知られるものなのである。ギリシャ人たちが、肉体を墓場であると呼んだことの背後には、 このような確信が存在している。精神でありながら、同時に肉体である我われが、永遠の存在であると同時に 死するべき存在である。しかし、死への恐怖に衝き動かされながら、直線時間軸上をよろめきながら歩いているという 惨めな表象が錯覚であるとしたら,逆に肉体こそ死後であろう。 したがって、肉体が死ぬということは、本来の「生」、 すなわち永遠的存在への開放に他ならない。死ぬということは、精神の再びの誕生として、祝福すべきことでなかろうか。 だからと言って、死すべき肉体を粗末に扱うということにはならない。摂食、生殖、快楽の意味、幸福の源泉であることで 不幸の源泉でもあるところの肉体を、精神がどのように扱うか、それが肉体によるこの生を、われわれが経験していることの 意味だからである。この生で幸福になるのでなければ、どの生で幸福になることができるのだろう。 ・・・・・・・・ 2005年11月22日(火) 1694, 「官から民への流れ」の一現象 選挙の自民大勝を受けて本格的に小さな政府に向けての動きが本格的になってきた。 まずは政府系の金融機関の大鉈がふるわれることになった。中小・零細企業は大きな岐路に立たされる。 (X_X;) ところで身近でも、面白い動きが出てきた。 求人を出していたところ、『財団法人・雇用能力開発機構センター』 という所より連絡が入った。国から、雇用を促進するために委託をうけた独立行政法人という。 ・雇用保険を受けている人で、ある職業を希望している人の仕事を ・三ヶ月間、希望先で実習・訓練して、互いに合格すれば入社をする。お互いに不一致でも、本人の職業訓練になる。 ・その期間、求人側は採用不採用に関わらず約2万5千円を補助してもらえる。 求職者も雇用保険を貰いながら、一日500円の日当が支払われる。 ・パート、準社員の求人でも雇用保険と社会保険が支払われれば適用範囲になる。 解りやすくいえば、今までの丸抱えの職業訓練を、「一日500円払うから、就職の適正を互いに見合うという条件で 現場で教えてくれないか」という仕組みである。よく考えたものだ。採用する方も三ヶ月という期間、雇用保険も社会保険を 支払わないで済むというメリットがある。 三者両得という理屈に合った仕組みである。 ?¬_¬)nannjai 現在、職安に行くと30台ほどのパソコンが並んでいて、求職者で満杯で、一昔前の様子と様変わりという。 全く求人する方も求職する方も、世知辛い世の中になったものである。考えてみれば当たり前のことでしかない! フウ〜 ( ̄ω ̄;)!! ーつづく ・・・・・・・・ 2004年11月22日(月) 1329, 教養と自由とバカの壁 「教養とは自由になるためのアーツ(芸術・芸)」と、昨日の読書日記で書いた。 そういえば「自由」について以前書いたことがあった。 (後に、コピー) そこでは、自由について ・積極的な自由とは、自分の真にしたいことを見つけて追求すること、 ・消極的な自由とは、束縛されていることから解放されること、 の二つに分類した。 教養とは、「真に自分がやりたいことを見つけ実施していくために蓄積し、知識、経験を芸にまで高めておくこと」 である。また自己を束縛していることから、いかに解放するかのアーツ(芸術)といえる。 「話が通じない時、情報を遮断しているもの」を養老孟司が、「バカの壁」と名づけたが、 情報を遮断している小さな固定観念を一つずつクリアーしていくことが、経験を芸に昇華していくことになる。 自由とは、選択の自由である。多くの選択肢の中から、一つの選択をしなくてはならない。 これは非常に難しいことである。そこには決定という自己責任と結果が生まれてきて、その不安に常に付きまとわれる。 そこに哲学が必要になってくる。教養としての哲学は、取り囲んでいる壁に対して自覚することから始り、その壁を土台にすること、 そして乗り越えるのに必要になる。話は少し変わるが、「英語をマスターすることも教養のうちか?」と、問われれば勿論教養のうちだ。 英語を話せる分、読める分、それだけ自由の枠が広がる。特に英語は、現在世界の標準語になっているから。 (字数の関係でカット 2009年11月22日)
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2012年11月21日(水)
* 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。 そうすると日本維新の会しかない。中心人物二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。 その実績をもって二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 おそらく、自民が180〜200票で、 維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の 可能性が出てきた。こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。 また、国内的にみても 荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った 荒治療をすべき時期でもある。 一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から狙い撃ち状態になる。 いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 野田首相は、それでも真ともだったが民主党の3年あまりは酷かった! しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と、 前からいわれていた。個人国債も同じだ。自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか 見あたらない。 どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。 国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? この選挙で、日本の 将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・ ・・・・・・ 3892, 顔を哲学する 2011年11月21日(月) 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧とファッションを取り扱った番組が多い。 それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。 顔について哲学した学者といえば、レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの 釣り合い(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に集約されて出てくるからだろう。 口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。 顔面の評価認識は時代により、国により変化している。また脳の中に それ専用の部位があることから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単にコミュニケーション のためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣の選択のシンボルとなっている。そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から 分裂して形成される事から推察される(だから胃が荒れると唇も荒れる)。 美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。 その意味で顔は、その人の家系の表出と見てよい。 韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。 整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、 人の心が、そのまま現れ出てしまう。 だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、 欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ違っている。その人の認証のサインである。 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。 ・・・・・・ 3527, 円高より深刻な国力低下 2010年11月21日(日) 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー ≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、まだ30〜40パーの円高に過ぎない。 しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 それを考えると、 15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、周辺国の競争力が上ったのである。 これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を嘆かなければならない。≫ と言うのだ。 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から 出てくるエネルギーが目だって落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、数年もしないうち、 再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つになったり、証券会社が淘汰された時期である。 そこに、2001年のリーマンショックである。そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、 金融と輸出で大きく潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、 関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の更なる衰弱になっていった。 悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、更に国力が削ぎ落とされてしまった。 これで、まだ大底についてないのが実情で、この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。 それを前提に現在を、そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。 それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、 10年、20年前に誰が予測しただろう。この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、 現在の暗い世相の段差が分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若い人たちは、 こんなものと思っているのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。 ・・・・・・・・ 3152, ラ行の受身形 2009年11月21日(土) 「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。 ーその概要を短く纏めてみるとー 10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で 受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。 ラ行の受身形とは・・・ ・叱られた ・文句を言われた ・虐められた ・騙された ・裏切られた ・嫌われた これらは私達が日常でよく使う受身形。 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、 「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。 その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。 奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、 激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。 その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。 そして、ある日、 「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。 ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に 変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉= 《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく 揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。 文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。 そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、 やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。 使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。 ー 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と 考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。 書いていて思い出したのが 「もとは、こちら、そのままけっこう」である。 実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、 直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、 何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。 ・・・・・・・・・ 2787, 不況景色 2008年11月21日(金) ・新潟市内の【新潟タクシー】が倒産した。 先日倒産した【新潟相互タクシー】に続いてである。 タクシーの所有が70台、従業員が130人というから、新潟相互タクシーと、ほぼ同じである。 ピーク時の売り上げの半分まで落ちていたというから、仕方がない。 タクシーも、ビジネスホテルも 似たような客商売である。 だから、さもありなんと納得する。 次は何処のタクシー会社?という段階だろう。 二社潰れても,タクシーの台数の一割強でしかない。彼方此方から不況の現場の話しが聞こえてくる。 資産の劣化も始っている。昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で、中古マンションの荒廃の実態をレポートしていた。 バブル期のマンションなどが荒廃をして、投売りで暴落、廃墟になっているマンションも出ている。 5〜6年前で2百数十万室もあり、その後も激増しているという。 不動産業者は10年を目安に造り、売却する。 その典型が現在、問題になっているアパとかいう、業者である。 買うほうも深く考えないで目先のファッション服を 買う感覚で購入する。 10年経った後に、大きな問題になってくる。 物件は暴落し、荒廃が進む、という図式になる。 ・アメリカのシティと、スイスのUSBの株価が暴落している。 USBは、二年前のフォーブスのランキングの数万社の世界の超優良会社で、ベスト9の会社である。 それが、風前の灯といから、すざましい。 ゴールドマンなど、1〜2ヶ月で、半額以下である。 シティ $ 6.45(−22.85%) UBS $ 9.28(−14.75%) ゴールドマン $55.18(−11.04%) AIGも時間の問題といわれているし、ビックスリーの自動車会社も、実質破綻に近いという。 自動車関連の従業員が、アメリカの就業者の1割を占めるというから、これまた破綻は国家存亡の問題。 生かしておいても、資金の垂れ流しになるし、潰せば世界恐慌の速度を速めることになる。 この金融恐慌、他人事ではないから深刻である。 株価が、ある日総崩れになる可能性を孕んでいる。 恐慌は勝ち組も負け組みもない。全てが、死線の上を漂うことになる。社会的には、失業者が急増、凄惨な事件が続く。 それが地域紛争につながり、そして世界戦争に拡大していく。これに鳥インフルエンザが重なると、60年前の姿と酷似する。 ただ、日常は淡々と流れていくが、気がついたときには生活実態は三分の一のレベルまで、下がっているということ。 まずは、今年の暮から来年の三月までが、第一の倒産ラッシュが吹きすさむ。 トヨタのトップが「市場が消滅してしまうのではないかという恐怖心にかられる」といっていたが、これから起こることは、 想像を遥かに超えたものになる。経済学者が言っていた、「16世紀以来の中産階級の崩壊のプロセス」に入ったのか。 そうすると、100年に一度の大事件ではなく、1000年に一度の歴史的惨事が待っていることになる。 ・・・・・・・・ 2007年11月21日(水) 2422, サブプライム問題 −2 (*´・ω・)ノはよー 前回の記事の続きを読むと、この問題は裾野が広いのが解る。日本でもビルなどの不動産の証券化した債権が 一般の投資家に対して売り込まれている。これはアメリカだけの問題ではないのである。その意味で今年の暮れから 来年にかけては日本でも問題が発生しかねない。更に駅周辺に怪しげなマンションが、奇麗な歌い文句で売られている。 これも不動産債権と大同小異のもの、直接、跳ね返るのが買った本人になる。それさえ気がつかないから深刻である。 ー前回のつづきの記事も解りやすいー 株価の値下がりは一般的にはサブプライム問題と言われているが、症状の一つに過ぎない。 根本問題は、アメリカ経済が既に一年前から不況期に入っていることにある。そのことは工業品出荷の推移からも ハッキリと現れている。昨年6月をピークとして急速に落ち込み、昨年10月には前年比マイナスの水準になってしまった。 アメリカが不況になったからこそ、住宅価格が下落に転じ、その結果差プライムが火を噴いたのである。 サプライム問題を考える時、日本人は日本の住宅ローンを考えるが、これはアメリカとは違うのである。 日本では、ローンで買った住宅が大きく値下がりした時に家を売却をしても借金が残る場合がある。 (字数制限のためカット 10年11月21日) ・・・・・・・・ 2006年11月21日(火) 2058, あたりまえなことばかり −12 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 死は他者の死しか知ることができない。 そして他者のごく身近な人の悲しみの表情をみて、 死=悲しい、という構図を長年人間は描いてきた。象も死んだ子供や仲間の死を悲しむというが、それも、 その象の表情を見て、勝手に思っているだけである。虚無になる恐怖感と言えども、「無になる」とは 他者の死体を見たイメージでしかない。人生ー生死が何ものか解らないのに意味など果してあるのだろうか? という、疑問が成り立つ。せいぜい、年寄りの老化現象でしかないのか。 といって、意味の意味が、「価値」とするなら、「人生の価値は無い!」と切り捨てることも出来まい。 *死ぬことは不幸のことなのか −? −−−−−−ーーーーーー (字数の関係でカット 2008年11月21日) ・・・・・・・・ 2005年11月21日(月) 1693, 中学校還暦同期会 あと二ヶ月で還暦になる。(O_O;)Shock!! 中学校の還暦同期会は、考えようによっては面白い。 卒業してから45年という歳月と、義務教育の分別?される前の、危ない場の中学の還暦はそれぞれ思いは深い。 同期会ということもあって、45年ぶりの再開の人が多い。それも、もう恐らく二度と会うことはない人だ。 一昨日が、その中学校の還暦同期会があった。来るべき時が来た!というのが、実感!。 そして興奮と感激の連続であった。koufun (+`ω´+)∩・・驚いたのが、学年の三分の一の108人が集まったことだ。 (私のいたクラスは一番まとまりのあるクラスだが、五分の一だった。) 長岡の一流?の料亭の鴨川別館で、会費が写真込みで一万円。幹事は大変だったはずだ。 ase ∩(+`ω´+)∩・・・キュゥ 二次会はフロアーを変えた別会場で設定してあった。ほぼ8割が出席していた。(別料金)不景気、料亭も考えるものである。 これでは、スナックは大変だ。 ヽ(゚Д゚;)ノ!! 還暦に神社で御祓いの習慣があることをはじめて知った。わざわざカジュアルの服装で行ったが、男の8割が背広であった。 還暦とは、成人式と同じ感覚なのだろう。 還暦が過ぎると、「生老病死」の問題がシビアに出てくる。 反面60歳代が人生で一番面白いとか? 準備してきたかどうかで決まるだろうが。(O.O;)(oo;) (^_^)/~~ ・・・・・・・・ 2004年11月21日(日) 1328, 「哲学者たちは何を知りたかったの?」−1 −読書日記 ー教養は何故必要か?− ふと本屋で立ち読みをしていたら、ー教養とは自由になるために必要なアーツー という文章にいきあたった。。 早速買ってきて読んだが、なかなか読み応えのする本であった。特に教養に対して、ズバリその本質をついている。 ー「日本で教養というと、大学の教養課程やその延長線上で身につけるものと受けとめられがちだが、本来教養とは、 人間が自由(リベラル)になるために必要な(アーツ)だったのです。ですから、教養としての哲学、教養を持てば、 それがガイドやパイロット、あるいは乗り物となっているので、脳空間の中を自由に飛躍でき、さまざまな世界を のぞき見ることが可能になる。人間は、神のもとから自由な空間に解放され、そのために多くの不安や悩みを もつようになりましたが、教養としの哲学を持つことで人間として生きていくことの素晴らしさを味あうことができ、 それがまた、不安や悩みの解消につながり、「幸せ」を招来してくれることも確かです。ーー −以上だが、なるほどそのとおりである。生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、教養とは、 それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」であるが、 それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。 一流の職人が「おれ中学しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」という素朴な言葉の中に、 多くの問いかけと答えが含まれている。現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。彼は言葉の中に含まれる 意味の世界とは全く無縁であるから、目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。 しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、一流になれたのだ。 宇宙から見れば人間の存在などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下であることを考えれば、その知識の差、 教養の差など些細なことでしかない。しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、 自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。 人間という拘束された存在を自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から自由になることが最も重要である。 (字数制限のためカット 10年11月21日) ------ 2003年11月21日(金) 961, 「いらっしゃませ〜!ぽんぽこぽん〜」 (字数制限のためカット 09年11月21日)
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2012年11月20日(火)
「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著) 今さら法則もないが、しかし面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介からー 【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が実際に使えるのか、そしてどのような場面で どんな法則を使うべきなのか、迷ってしまうことも多い。そこで本書ではどれが有効なのか、ケース別、TPO別に解説する。 ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅! △ 世の中はこんな「法則」で回っている! 組織には必ず20%の怠け者が存在する 会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある 一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる 先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 不安定な時代に知っておくべき「法則」がある。人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】 ▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が各分野に多くあるのに驚いた。 それらの法則を知っているか知らないかでは雲泥の差になる。「法則の取り扱い方」の説明書より、法則の紹介書ともいえる。 「法則」を多く知り、用いることが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。しないで済む 苦労も事前に避けることが可能になる。 長い歴史の中で科学も人生も、ほとんど先人が既に経験済みのこと。 法則は、それらを経験則として凝縮されている。それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前の出版された本だが、 過去に、このような本は数多あったはず。 多くの「法則」、知っていても本当に理解していたか?というと疑問である。 ここで法則を、職場関係と仕事の法則、ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則などに分けている。 半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も多く紹介されている。 何気なく目次を見た中で、「好意の互恵性」の法則があった。「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とか いう法則である。これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく人間関係に適用すれば、 職場などの人間関係で有効になる。 次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。 ・・・・・・ 3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 2011年11月20日(日) 先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、 内容は、思わない展開であった。大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、その痛みは ストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々> という内容。今でも半信半疑である。 ー まずは、「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみる ー ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は「国民的大誤解」があることがわかった。 まず、なんと「腰痛の85%が原因不明」という。 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない? 町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、 ひどければ手術!と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、神経の圧迫が無くなったのに、 痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と、 「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に差がないことも明らかになってきた。 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。 それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。 「犬」を飼ったら大幅に直った!という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散したためである。 研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが 指摘されていましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、 なんと7割の腰痛患者が、健康な人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカのノースウエスタン大学が さらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは「側坐核(そくざかく)」という部分であることが分かってきました。 「側坐核」は、痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。これによって、脳は大きな痛みを 自動的におさえていたのです。ところが、慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令がいかないので、 痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を生み出すことが 分かってきた。 脳の鎮痛システムが働かなくなるので、痛みが増加しているというのです。 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを 続けており、二年前からは低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。そして、半年前からは スポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。 そんなものではない!というのが、私の現在の心境。しかしストレスは万病の元である。ストレス無いのが一番のストレスというが。 ・・・・・・ 3526, 死に至る地球経済 ー2 2010年11月20日(土) 「死に至る地球経済」 浜矩子 著 ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー 今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。 そして、その後に数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされないまま、銀行、 企業、そして自治体などに塩漬けにされている。しかし、そのままにしてはおけない。 ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■ * 「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に足がつかないまま、無理して舞い上がる ことを強要された恰好で推移してきた。このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを 貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、 一度は活力を取り戻して谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。今回のは、谷に落ちていく 途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。 そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」の苦肉の言い回しが、 この厳しさを実によく言い表している。 * PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」 * アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と「キリギリスの政府」と喩えられ、 「アリギリス」だ。 アメリカは、これからアリギリスを目指そうと言うが・・・ * 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。 *「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、 巡り巡って自国への強烈なカウンターパンチとなりかねない * ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。それは選択の技である。 選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。二つに一つだ」(61-2頁) (字数制限のためカット 11年11月20日) ・・・・・・・・ 3151、災害で助かる人、助からない人 2009年11月20日(金) 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で7人が死傷したが、 色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に地震や火災などに遭遇したとき、 人はどのような心理状態で行動するのか? まず、どちらが正しいか?という質問。 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 答えは2という。 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は速やかな 避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与えるために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れと なることもある。一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限りパニックなど起きないという。 過去の大災害時に助かった人で、一番死亡しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。 逆に一番助かりやすいのは「家族」で、行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。 家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも高めるということ。 マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、 また金持ちほど助かりやすいデータもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。 状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるかどうかが分かれ目になる。 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める効果がある。神戸の震災は復興はしたが、 経済的な後退感は否めない。それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、それを機に 都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することができたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、 衰退期の災害は一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。 飛行機事故で数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。 :天声人語に以下のような文章があった; 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した (字数制限のためカット 11年11月20日) ・・・・・・・ 2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! 2008年11月20日(木) ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー 【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉拘置所に拘束されていた。 その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。 ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。その中で私を惑動させたのは、 宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言であった。 〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。そのプランは生命の進化である。 個別的生命は全体の部分である。個別的生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。 この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。 〉 彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 朝から二度倒れ、四度嘔吐した。 その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。 年ゆくや天につながるいのちの緒 春樹 この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つであることを直感したのだ。 エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で体験したのである。そして平成十六年九月一日、 私は静岡刑務所の独房の中で、自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に生まれて来た、ということだった。】 ▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と違うところは、 そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。 ‘ゲームとは、到達地点を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。 人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、味わうかにある。 それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。 【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】という一休の詩がある。 せっかく、客として呼ばれたからには、この世の人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や悲しみ、というのが少しは分かるが。 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。 何か際どい話になってきたが。 ・・・・・・・・ 2007年11月20日(火) 2421, 閑話小題 ヾ(´∀`o)+。才ノヽ… *携帯電話・パソコンが変えたこと (字数制限のためカット 09年11月20日) ・・・・・・・・ 2006年11月20日(月) 2057, あたりまえなことばかり −11 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! −読書日記 「死と生」は、考えるほど不思議で尽きない。この無限の宇宙の中で、何で此処に自分が存在しているのだろう。 60年生きてきたが、「自分にとって死はない」というし、永遠は「いま、ここ」にしかないというし、 人間しか持ち得ない「観念」によって、動物のように十全に生きられないというし、 人間しか持ち得ない精神の思考によって、生物体としての死の恐怖を看破し得るという。 先入観ー馬鹿の壁ーがビッシリと脳にこびり付いていた自分の人生に、ここで気づいている愚かさ! そして、周囲を見て、まあいいか、と思っている愚かさ!自分にとっての時間は生まれ死ぬまでの時間ではない。 永遠は、「いま、ここ」に、垂直に、立ち上がる! なるほど、その通りである。 我を忘れるほどの感動の、あの瞬間! 縦に立ち上がっていた! 永遠に今も続いている。 薬物でもできそうだが・・・ それは、末期の時の一服の楽しみとして、とっておこう! **** Ψ( `▽´ )Ψ ケケケケ♪ ーー * 死ぬことは不幸なことか 人間のみが自殺する生物であるのは、人間においてのみ、死が観念として対象化されているという 事実を端的に示している。 観念でない現実の死。とは、どういうことなのか。 多くの人が、人間は死に向かう存在なのだと長く教えられてきた我われが、そのまま長く思い込んできた、 未だ気づかない間違いが、ここにある。考えてみれば、観念でない現実の死を考えるとする正にそのことによって、 死は常に観念となるという事実。観念でない現実の死など、観念としてしか存在しない。 しかし人は死ぬではないか、と人はいう。確かに現実に人は死ぬ。死ぬのは常に他人であるという事実について考えてみる。 他人の死は自分の死ではない、そこにも自分の死は、存在してない。人は、他人が死ぬのを見て、死を観念として対象化し、 それを自分に類推して、自分の死が現実に存在すると、思い込んでいるに過ぎない。ここでもあくまで観念でしかない。 笑うべきことだが、自分の死を考えようとして与えられている思考の真空、自分がいないとということを、考えている当の自分に、 どうして考えることができるのだろうか!かくして、哲学が誕生することになる。精神は思考することによって、 生物体としての死の恐怖、その錯覚を看破し得る、だから、考えることこそが、善く生きるということなのだ。 おそらく生物に存在するのは生存本能であって、死の恐怖ではない。生きようとするために死を避けるのであって、 死を避けるために生きているわけではない。人間という生物においてのみそこが転倒しているのは、自ら課した観念による 錯覚のためで、人間は動物のように、十全には生きてはいない。それ自体で転倒している死への恐怖を逆手に取り、 再び大きく転倒させるものが宗教である。あるいは、宗教は考えられないものとしての自分の死、思考の真空地帯のそこに、 「死後」の絵を画く。あたかもそれが、生の続きのように。しかし「生の続き」としての「死後」とは、どのようなことでありえようか。 自分の死が観念としかあり得ないのだから、その「死後」というのも、文字通り観念としかあり得ないのは自明なことだ。 死が観念なら死後も観念である。ふと気づけば当たり前のことである。 人が死と対になった「死後」という観念から 離れられないのは、真空への恐怖だけでなく、時間の一直線に前方に流れるものという時間認識の錯誤にもよるのではなかろうか。 時間は一直線に前方に流れるという人々の表象の原型となっているのは人は誕生から死へと向かう存在であるという人生の表象。 人は、物理的肉体として生まれ、育ち、次第に老いて、次に死ぬ。時間は、そのような物理的現在、物理的瞬間の重なりとして 表象されているのである。しかし、この時間表象によっては、決して表象されないときがある。 それが、それらを表象している正にこの現在、時間は一直線に前方に流れるものだと表象しているこの瞬間である。 (字数制限のためカット 2010年11月20日) ・・・・・・・・ 2005年11月20日(日) 1692, 二つのトッテ 「ものごとにはすべて、二つのトッテがある」という諺がよい。 (人`∀´)ィヒッ♪ 何ごとも両面がある(今さらだが、例えとして判りやすい)+面の取っ手を掴む癖をつけるかどうかで 人生変わってくる。 私のみるところ、意識をしてプラスを掴むようにしている人は1割も満たない。 平気でマイナスの取っ手を掴んでいる人をみると、その異様さに唖然とする。 家内にいわせると、 おばさん系の地味な服装の人に多いという。話題に暗い話をするのが恒例になっていて、マイナスの話に 快感を覚えているという。 ン・・ ヘロヘロ α〜(´`d)ぱぁぁ ー 字数の関係でカット(2007年11月19日) ・・・・・・・ 2004年11月20日(土) 1327, まさか、地元で大地震が!ー14 今回の損害は、おおよそ3兆円と発表された。 ・インフラー高速道路、山間部の斜面などで、一兆二千億 ・民間家屋、7000億 ・商工関係、3000億 ・他 8000億 という。 阪神大震災が兵庫県だけで9兆9000億というから、その三分の一の損害規模になる。 阪神大震災が都市型であるのに対して、中越地震は山間型地震の典型だ。 損壊した家屋が4万8千戸。そのうち全壊とほぼ全壊で2300戸という。 現時点で、解雇が50社で420人。 この地震での事業への影響は、目先プラスであるが、当面の復興の為の応援が収まったときのことを考えると 背筋が寒くなる。長期的にみたら、この大震災は新潟県にとって大きなマイナスである。目先の資金の確保は非常に楽になるが、 消費マインドが冷え込む。ことの深刻さは、日が経つにつれて深くなってくる。本当の問題が出てくるのは、これからである。 ただ年内に新幹線が全面開通の見通しが経ったのが救いである。 ・・・・・・・ 2003年11月20日(木) 960, バードウオッチングの面々−3 字数の関係でカット(2007年11月19日)
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| 4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2 |
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2012年11月19日(月)
私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の生活に直に伝わっていた。 終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。 「どこどこが倒産した」「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、 自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんでいる視線があった。 現在も、一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に 手順を打つのが自然の道理。30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の 一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。だから最悪に見えた経験も、奇妙な感情が支配していた。 あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも、 それも事業経営の一環であり、後悔も無念の感情も残らないのも道理。 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。 日本で、この2千年の間に4回の、東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で、直下型地震が 連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。経済の7割が集中している 太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、 分かっていても、資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。ある日突然、何かの 切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる 危険が非常に強いのである。 バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? 危惧されていた2012年、このままでは終わらない・・ ・・・・・・ 3890, ギリシャ/イタリアの次は・・ 2011年11月19日(土) ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送りをしただけ。その直後に、待ってましたと イタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると 簡単に人員整理が出来ない法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。 グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイタリア人気質が耐えられるか?というと、 非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の様相になっている。 それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。 1999年からG7にロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の12ヶ国を加えたG20が 年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。 イタリアに続いてスペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。 日本だったら1千兆の利回りだから、329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、数年後には、 似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。 <10年もの国債の利回> ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。 ・ ギリシャ 32.29% ・ ポルトガル 11.52% ・ アイルランド 8.22% ・ イタリア 7.28% ・ スペイン 6.43% たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。 ・・・・・・・ 3525, 死に至る地球経済 2010年11月19日(金) [死に至る地球経済」浜矩子 著 ー内容紹介ー ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される中国など混迷が続く世界経済。 長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、財政危機というトリプルショックを迎えている。 今、進むべき道はどこにあるのか。グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。 (第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、「成長に優しい財政再建を目指すこと」 の困難さについて述べている。 (第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、いったん始れば国家財政で 押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める (第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を踏まえての基軸通貨システムへの 代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に一つの解答を見出したくなるという (第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの瀬戸際に立つ緊迫状態 (第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義とそれが生み出す諸問題、 経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。正念場はこれから。 (第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かになっていく時代の状況は変わってしまった。 「下流社会」という言葉も出ている中、誰もやらないことをやるのが政策の仕事である。 ▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。エピローグで、ここで再び世界を 不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。 二つめが「二番底」という。財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う恐ろしいこと。 これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、 再び、立ち上がってきている。「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、さっそく、 この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への引き金を引きそうな事態になってきた。 ・・・・・・・・ 3150,「要は如何受け止めるか」である! 2009年11月19日(木) 「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ 岡野 守也 (著) 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて誰もが通らなければならない60歳前半の欝症だろうか。 それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、 以前のように切り替えに時間がかかり何時までも引きずってしまう。 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは失敗や陰口と思いこむ。 しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。 出来事・A → 考え・ビリーフ・B → 結果としての感情・Cとする。 「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な反応を決める」 要は「どう受け止めるか」である。 Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格から、明るい性格に換えてしまう。 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な 思い込みが、不健康な否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧であるべきだ」 「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aをいやな気分に変換してしまうとする。 そこで、論理的な対話型セラピーによって、非合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。 *「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力があるんですよね?」と 話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、目が見えているから視力もあるじゃないですか という風に誘導。 人間の心はおもしろいもので、「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。 「微力としても、力はある」と考えると、少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、 論理的な説得を繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。 *「落ち込み癖」を治すには ・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫 ・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。 夫婦で慰めあっているのがいるが、まあ、「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。 そのためにはミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。 「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する方向に持っていくことになる。 他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、 秘境ツアーに、あげれば限がない。 私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。 その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? その後は、慢性老人欝症かいな? ・・・・・・・・・ 2785, 恐怖指数 2008年11月19日(水) 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う指標とされる「ミザリーインデックス」である ◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を足した数字のことだ。 これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ ◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が増えるのは間違いない。 実は、日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。経済政策への不信感は、相当に強いに違いない (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) ・・・・・・・・・ 2007年11月19日(月) 2420, サブプライム問題 ー1 新聞広告につられ年に2〜3度しか買わない週刊誌を先日買って読んでみたが、なかなか面白い内容であった。 大体が週刊誌は期待した半分も中身がないが、週刊文春の11月22日の発行の「50年に一度の『株価クラッシュ』が始まった!」 の特集は、どれも考えさせられるものばかりであった その中のアメリカのサブプライムの問題はもしかしたら大恐慌の引き金になるほど、根が深いようである。 「住宅の借り入れ金の範囲しか責任がない(借金を返せなくなったら、その物件を銀行などの債権者にひき渡せば、それで済む) のがアメリカのノンリコール制度。 この制度のおかげで、不良債権化した物件や債権を引き渡された銀行は、 担保割れの物件の山になる。 まだ住宅の相場良いうちは問題は生じないが、相場が崩れると、強気で貸し付けてきた銀行の 損失になってしまった。それが数十兆円、百兆以上?もあるというから尋常でない」これでは大恐慌になっても不思議ではない。 どうなることか? これに石油高騰と穀物高が重なったのだから・・・来年は、更に荒れる年になるのは必定! ーーー *まずは週間文春の一部を紹介してみよう* 日本人はつい日本の住宅ローンの常識によって物事を判断してしまう。 だがこれは大きな誤りだ。日本では、ローンを組んで買った住宅が大きく値下がりした場合、 家を売却してもなお借金が残ることがある。この時、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然だと私たちは思う。 だからこそ日本では不況が恐慌に発展せずに済んだのだが、同時に十年以上も延々と不況が続いたのだとも言えるだろう。 日本の住宅ローンとは異なりつアメリカで一般的な住宅ローンはノンリコースローンである。借金を返せなくなった場合には、 担保、に入れていた住宅をお金の貸し主に渡してしまえば、それだけで借金から解放されるという契約なのだ。 日本の常識から見ると、アメリカの住宅ローンは、経営方針が大甘のカジノみのたいである。 金も持たずにやって来た客に対しても、喜んで賭け儲け金を貸してくれるという大甘の カジノである。 客が勝てば(=買った住宅が値上がりすれば)勝った差額を自由に持って帰ることができる。客が負けたら、 手元に残った残金だけ返せば(=担保となった不動産を引き渡せば)それ以上は責任を追及しないというカジノである。 こんな大甘カジノなら、客は殺到するだろう。大繁盛すること(=住宅の価格が高騰すること)間違いなしだ。 だがカジノが繁盛していることと、カジノが儲かっていることとは、まったく別のことなのだ。 住宅への需要が水膨れすれば、価格が高騰するのも当然であろう。 だが、どう転んでも客が損しないサブプライムローン の仕組みが成立するためには、住宅価格が右肩上が滑りで、今日よりも明日にはさらに高い値段になる必要がある。 ところがアメリカは昨年末には不況入りした。当然、住宅需要は減ってくる。 みんな、一斉に勝ち逃げしようと考える。住宅の売り物が増えてくる。価格は下落に転ずる。 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) ・・・・・・・・ 2006年11月19日(日) 2056, あたりまえなことばかり −10 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 内語は、声を出すと独り言になるが、独り旅で内語というカタチでブツブツ言っている自分に気づくことがある。 毎朝のウォーキングも内語が活発化している。内語といえば、この随想日記の同月同日の数年分を読み直しているとき、 そうか、そうか、と読みながら独り発語しているのは内語の究極と思える。まあ、このHPも内語そのものと言えよう。 そう、今年の3月から始めたモーニング・ページ(起きざまに白紙のノートに思いつくまま書き出す)も、 自己対話の形式の内語である。この良さは、頭で考えていることは、ほぼ些細な事と鳥瞰できることだ。 まあ、砂金がたまに見つかるのが・・・ この自己対話で質問者と回答者の対立が深まると、分裂症状になるが。 近くの居酒屋の親父、厨房で頭に浮かんだまま声に出している。 私のことを一度「あいつ、俺には合わないんだよな〜」と、 言っていたか・・ ブログなど、内語だった地声?を、そのまま公開することである。内語は考えるほど面白い形式だが・・ ー孤独とは苦しいものなのか ー *「内語」と「孤独」について 「思う」とはどういうことだろうか。 何かを思うとき、思っているのは自分だが、思われているのは自分ではない。 これは、よくよく不思議なことでなかろうか。「思う」というこれだけの出来事で、自他の区別はまったく不明瞭なのである。 あるいは逆に、「思う」ことによって、自他がそこで出合うのである。 孤独なもの思いにおいてこそ、人は世界へと開かれることができるという逆説、孤独な思索者の内なる饗宴である。 「内語」という現象にそれは極まるだろう。自分が自分に語りかけると、普通にわれわれは思っている。 しかし、自分が自分に語りかけるとは、一体どういうことであろうか。 もしも自分が自分として完結しているば、そこに語りかけるという行為は発生しないはずである。語りかけるとは、 問い尋ねる、確認する、疑念を発する、同意を求める等、本来的に他者へと向けられる行為である。 しかし、語りかけているそこには、目に見える他者など、存在していない。 すると、そこに語りかけているのは誰だろうか。なるほど「自分に」だと言うしかない。 だからこそ、他者として、語りかけ語りかけられている自分とは、自分にとって自分なのだろうか、 他者なのだろうかという問いが、いよいよ悩ましいものとして立ち上がることになる。 自分である、他者であるということは、自分であるという正にそのことにおいて、 いかにしても自明のことではあり得ないのだが、この場面において人は、目に見えるもののみ信じすぎる。 (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日) (*^○^*)ノ ホンジャ!また ・・・・・・・・・ 2005年11月19日(土) 1691, ザ・マインドマップ−4 ーマインドマップのメリットといえば、 (字数の関係でカットー2007年11月19日) 〆(∀`*) ・・・・・・・・・ 2004年11月19日(金) 1326, 海外旅行ー履歴 今までいった旅行履歴である。あらためて、よく行ったと自分でも感心する。 60歳まで50回という目標は無理であるが、年二回のペースなら63歳に達成する。 この不況の中、年二回のペースを守れるかどうかだが?70歳まで、年二回のペースを守ると65回になる。 (以下、字数の関係上、カットー2011年11月19日) ・・・・・・・ 585, ある時間の断片ー12 - 2002年11月19日(火) 1968年 10月1日 9時半に起床、11時までボーと過ごす。 その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。 一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。 (以下、字数の関係上、カットー2012年11月19日) ・・・・・・・・・・ 「232」人生の三つの坂 2001/11/19 人生に三つの坂があるという、「上り坂」「下り坂」「まさか!」 である。 (以下、字数の関係上、カットー2010年11月19日)
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