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堀井On-Line
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2012年10月19日(金)
* 地軸様 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。 大きく息を吐き出しながらシャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。そして、そこから大きな息を吸い上げながら 立ち上がり、今度は空に向かって気を吐き出すイメージで息を出す。 それを一回につき7〜8回、続けていたところ、擬人化した 地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、「よう、 昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いもよらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と 「即自」の、掛け合いになる。 ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な道路拡張工事が始まり通行止。 そこで違うコースを迂回して歩いているうち、 電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。 三年前のことである。それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。ところがチャリだけでは、 物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリをしながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。 「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時は360度のパノラマを味わえよ!」、 「もっと深い呼吸をしなさい!」、「わたしとせっかく出会えたのだから、私からエネルギーを、もっと吸い上げろよ!」、 「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ) とか、なかなか面白い。 スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら運動している時など イメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。 知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、私にとっては、20年以上の対話の過程がある。 自分の魂を擬人化した、「真魂様」でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。問題は意識して やるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。 ・・・・・・・ 3859, 釈迦でさえ非難される 2011年10月19日(水) 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐ったものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、 それは誰のものになるか考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と言ったという。 この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、 その人自身の問題を投影しているに過ぎない。 それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負ってしまう。 要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。 釈迦の言葉には、納得できるものが多い。 この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。 老年になると、無知は老害となる。 ーーー * 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。 * 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も非難される。つまり、世に非難されない者はいない。 * もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。 * 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。 * 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪を楽しむようになります。 * 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来るのである。
* 他人の過失を見る必要はありません。 * 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事としなかった事だけを見るようにしなさい。 * 自分で自分を、励ましてあげなさい。 * まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。 *「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。 ▼ 《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。 《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、 上から目線で、教養の無さの目盛りになる。 上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。 ・・・・・・・ 3494, 金が高騰 2010年10月19日(火) ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。 何と二年で40パーセントの値上がり、年率で2割づつ上がっている。国内価格は円高のため27パーセント、それでも値上り幅は大きい。 ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドルまで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。 8年前に金の上場投資信託(ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が流入している。 その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。 リーマンショックによる世界金融危機が一番の値上がり要素。 各国は危機乗り切りのため通貨をばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。 「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」という説は、先日ここで書いた。 (字数の関係でカット2011年10月19日) ・・・・・・・ 3119、久々のジョーク ー6 2009年10月19日(月) ▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる? ひとつき ▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」 「待て!50年前、わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。残しておいてくれ」 「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。じゃあ、あっちの木を切りましょうか」 「待て!その初めての体験のとき、あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。残しておいてくれ」 「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手のお母さんにずっと見られてたんですか?」 「そうじゃ」「お母さん、黙ってなかったでしょう。何て言いました?」 「モー」 ▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と 大声で叫んだ。息子の無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこをしたくなったら『歌を歌いたい』と 言ってごらん。そうすれば私はお前がおしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?うん、わかった。 これからはそう言うよ」 そして、その日の夜―― 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。 何も知らない父親はびっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃないとだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」 ▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。 突然、目の前に妖精が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」そして、感激して男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」 ・・・・・・・・・ 2754, 世間とは、一人ひとりの人間の繋がり 2008年10月19日(日) 「世間」については何度も「身近な数人の縛り付けられた小さな常識の網でしかないと!」と、否定的な意味で扱ってきた。 それでは「世間」とはいったい何か?を、岸田国士が「恐怖なき生活について」で、次のように書いている。 【「社会」という概念とは一致しないが、その道徳と習慣と、特に群集心理によって支配される意志表示とを重くみた考え方で、 それはまた、自己保存のほかなんらの理想をもたず、非情ともいうべき形式的な掟の上にたち、 すぺての異分子的存在を 排撃する本能のきわめて目立つ、地域的、時代的に限られた一社会を指すものと思われる。】 と・・・、 簡潔で分かりやすい。≪世間=非自由≫と割り切って、沈み込まないように意識をしてきた。 しかし、次の 佐野洋子の「私の猫たち許してほしい」の文章に出会い衝撃を受けた。 【 ある時、通りの下から二人の女の声が聞こえた。一人は相手をたしなめているようだった。 もう一人はその人よりも若いらしく、 とぎれがちにいいわけをしているようだった。 ずいぶん長い間、ひそひそと立ち話をしているけれど、ことばは聞こえなかった。 あるいは二十歳の私には、水商売の女の人たちの話に興味がなかったのかもしれない。 「あなたそんなことをしていると、世間が狭くなるよ」ということばだけがはっきり聞こえた。そしてあとは静かになってしまった。 私は、「世間が狭くなる」ということばを初めて聞いた。「世間」ということばが、私の知っている「世間」ではない様子をして、 ありありと私に見えてきた。 私には、「世間」というものは、目に見えないものであった。漠然と私をとりまいているものであり、 少し古めかしい、少し私を束縛するものであり、とりはらいたいものであった。その時はじめて、私は‘世間というものが、 一人ひとりの生きている人間のつながりである’ということを理解した。】 が具体的で分かりやすい。 これからすると、世間を否定することは人間を否定することになる。 (字数の関係でカット2010年10月19日) ・・・・・・・・・ 2007年10月19日(金) 2390, インターネット社会の凄み オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 連日のようにインターネットを介在したサイト犯罪が話題になっている。 自殺サイトの自殺依頼による殺人、見知らずの男がサイトを介在して集まっての殺人事件、円天というネズミ講の 応用の詐欺もサイトを巧妙に利用したものである。「フラッシュ・モブ」という新しい現象も起きている。 インターネットを通じて広く呼びかけられた群集が公共の場に終結し、あらかじめ申し合わせた行動を取る即興の集会。 (字数の関係でカット2009年10月19日) ・・・・・・・・ 2006年10月19日(木) 2025, 「私」のための現代思想 −13 オッ(*^○^*)ハ〜 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、最初の「超越確実言明」 を行うということです。簡単に言えばー「私}を認める者の存在ーを通して《私》になる。 その一番最初は、普通は母である。 初めの他者が母である。両親によってタップリ愛情を注がれた子は、 初めの出会いで、その存在基盤が強固になるのである。その基盤の上に「超越確実言明」が成立し、《私》は 強固になっていくのです。両親の愛、特に母親の愛は《私》の基盤を決定する。「ごうの虎」の年に生まれた人は気が強い! という言葉を聞かされて育った女性が、それが「超越確実言明」になってしまえば、気が強くなってしまうのも当然である。 代々婿取の家系での長女で、A型で、ごうの虎年生まれで、男子高校を卒業で、中途半端な短大卒で、両親にタップリ愛情を 注がれて育った、ときた分には、亭主としてたまったものでない。誰の話??何の話??強固の《私》の基盤の人の実例の話。 −−− 第五章 「私」が「生きる/死ぬ」ということの意味−? *「共振」のエネルギー − 私たちにとって<他者>とは、私たちが<出会い>を経験したすべての人たちです。 私たちが出会い、その存在を知りえた相手は、 それがたとえ直接には顔を見たことのない人であっても、既に亡くなっている人であれ、「私」にとっての<他者>であり、 この「私」の存在を引き受ける者となりえます。出会いのあるところ、多かれ少なかれ、必ず共振が発生します。 そして、それによって《私》にエネルギーが与えられます。このエネルギーは、消費されない時は、「私」の内部に滞留し、 消費された時には、「外部への振動」となってあらわれます。人は、生きている限り、共振しつづける存在です。 *「私」が《私》となる瞬間 − 初めて母親の声を聞いたとき、「私」が個体としてこの世界に生まれてきて初めて「私」=《私》は 「私は私が母の声を聞いたことを知っている」という「超越確実言明」を行います。 これは、言明の正しさの基礎となる「超越確実言明」のうちで最初に発生するのが、 「私が存在する」ではなく、「ある他者が存在する」であることを意味しています。 そしてこのとき同時に、《私》の存在の基盤が与えられます。それは、「私」が《私》になる瞬間です。 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」です。 個体としての、物質としての「私」は、「存在を引き受ける者」によって《私》となり、 最初の「超越確実言明」を行うということです。「超越確実言明」の強度は、論理的な正しさによるものではなく、 「《私》の存在」の強度に支えられています。そして「《私》の存在」の強度は「<他者>による引き受け」によって その力を増していきます。頑健な「超越確実言明」の上には、堅牢な「論理」を構築することができます。そのようなとき、 その論理によって構築される<言葉><価値><物語><世界>は、頑強な「個別の正しさ」を持つことになります。 * 弱い「超越確実性言明」− 逆に、<他者>によって「厚く引き受けられない」とき、「《私》の存在」は強度を弱め、 「超越確実言明」も弱いものとなっていきます。そうすると「超越確実言明」を基盤として、 その上に<価値>や物語>をつくり上げることが難しくなってしまいます。 前に書いた、「仮面」を思い出してみてください。仮面と、その下の顔の関係です。 「仮面」が役割であり、「その下の顔」が「私は〜である」という形式の「超越確実言明」です。 芝居を上手く演じるには、ある程度その「舞台」、つまりは<世界>に 没入しないと上手くいきません。「没入できる」ということは「戻ることができる」ということが前提です。 (字数の関係でカット2010年10月19日) ・・・・・・・・ 2005年10月19日(水) 1660, 「人生の実りの言葉」 読書日記 「中野孝次」著の「人生の実りの言葉」がよい。その冒頭の「愛」についての言葉が胸に突き刺さる。 愛について、これだけ解りやすくストレートに語っている言葉も珍しい。 ーまずは、その一説を書いてみる。 1、愛について わたしの誕生を司った天使が言った 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ 行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも ( ウィリアム・ブレイク ) わたしがこの詩句を知ったのは、ドイツの作家H・E・ノサックの小説『盗まれたメロディー』を訳しているときだった。 小説の中ではこれは流行歌の歌詞としてさりげなく出されていたのだが、わたしはただちにこの言葉の魅力にとらえられた。 こんなに直戟に愛というものの性質を示した言葉があるだろうか、とおもった。 この詩句の要である”Go Love”という二つの単語を一つにしたところに、この詩のすごさがあるのである。 一方的な、自発的な、無限の無償の行為としての愛の性質が、そのことによってくっきりと描き出された。 ノサックはこの詩句の背後にはこんな思いが潜んでいるのではないかとして、 『絶望のむこう側にだけ、ひょっとすると、他人を助ける可能性があるかもしれぬ。』 という章句を書いているが、たしかにそういう冷えきった荒涼たる背景の中から このほとばしるような命令「行きて愛せ」が発せられたような気がする。ブレイクは愛の詩人と言っていい。 ひとの悩みを見て 自分も悲しまずに おれようか? ひとの嘆きを見ながら いたわり 慰めずに すまされるか? 「ひとの悲しみを」寿岳文章訳 そういうブレイクの生涯の思いを圧縮した言葉が、ここに引用した”Go Love”だとわたしはおもう。 こういう言葉は一度心につきささると忘れられないものになる。 そして折々に心のうちに浮かびあがって、われわれの人生をみちびく。それが真なる言葉の力だ。 ーーーー 以上だが、この「行きて愛せ」という言葉は実に力強い。 ひさびさに素晴らしい言葉に出会った。 いま一度復唱してみようわたしの誕生を司った天使がいった 喜びと笑みをもって形作られた小さな命よ行きて愛せ、地上にいかなる者の助けがなくとも
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2012年10月18日(木)
神は妄想である ー4 * パスカルの賭け ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得したことを憶えている。 と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方がお得」という、いかがわしさも感じとった。 イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。 パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然である。 ーその辺の記述の箇所を抜粋ー ≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんなに小さくとも、神の有無について間違った推測を したときの報いには、かなり大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、なぜなら、もしあなたが 正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違っていたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、 もしあなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、 正しかったとしても、何の利得もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。けれども、この論証には、 はっきりとおかしいところがある。信じるというのは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。 少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定できるようなものではない。私は教会へ行くか どうかを決定できる。私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに書かれているすべての言葉を 信じると宣誓するという決定をすることができる。しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に 信じさせることはできない。 ‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための論証でしかありえない’。 そして、あなたが信じると主張する神は全知という類の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いて しまうだろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿げた考えは、ダグラス・アダムズの 『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、 それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 宣伝によれば、デラックス型は、 「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地]では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。 しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければならないのは彼を信じることだ」という考えを、 そんなに簡単に受け入れてしまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、寛容、あるいは謙遜、 あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのことではないだろうか。≫ ▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられるだけで、十分過ぎる」ことも確かである。 信仰は自分で自分の首を縛るだけか、長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに足りるか。 キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。 ・・・・・・ 3858, 幽霊を哲学してみる 2011年10月18日(火) 先日、ある人と食事をしていた時の話題。《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。 貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 最近、気晴らしにパワースポットに 行くのが趣味になっている。長岡には、そういうスポットは何処にあるのか? 》という内容。 それに対する私の返事は、 《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、シックス・センスが身についた時期があった。 実際に経験してみて、こういうものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔をしているのを聞いて、 他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡くなった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、 我に返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが 多く続くようになった。 これだけは、実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、何度も読み込むうち、 霊の正体が理屈で分かりかけてきた。 私はカレーを食べると汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり カレーの臭いさえしてくる。 これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 それと、あなたが見える幽霊に似ている。 そこに幽霊がいるのではなく、貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、シックス・センスは、 その入り口で遮断される。 人間の脳は、生物が20億年かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。 霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。 過去を振り返ると分かることだが、我々は共同幻想の中にある。 人生は幻想の中で浮遊していているだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。 その見えるも脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じこと。 たまたま、二年前の同月同日に「 生きる幻想 死ぬ幻想 −2」を書いていた。 ・・・・・・・ 3493, 人生、よもやま話 ‐2 2010年10月18日(月) 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。 まだ憶えているのが、初めて海を見たときだった。 長岡から当時の列車で一時間足らずの柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。 同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊り込みで遊びに行っていた。 実家では店のビル全部が遊び場であった。 また幼稚園に入ってから直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。 家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせてくれた白モツの味は今でも忘れられない。 その店(鳥梅)は、現在もある。 そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。 歳の離れた兄が5メートルの 飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。 その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。 特に「チケンサマの祭り」が多くの屋台や、植木の店がたつ。 そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。 その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質の人、 三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを買う楽しみではなかったが、普段には見れない 珍しいものを見るのを楽しみとしていた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、そのため。 新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと 思ったことはない。所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。 美術館で見れば充分である。 そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは肯ける。人生は記憶で彩どられている。 ・・・・・・・ 3118, 生きる幻想 死ぬ幻想 ー2 2009年10月18日(日) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 * 一神教批判をめぐって 多神教の日本人と一神教徒の欧米・アラブ人とは肌の色だけでなく、根本的に考え方が違う。 一神教徒は多神教の多い黄色人種や黒人を元もと見くびっているのである。宗教そのものは、本来そういうもの。 だから、今さら、そういう異種の人と割り切り付き合うしかない。 外国旅行をしていると、辛らつな人種差別を 感じとることは度々である。 今さらのことだが。 アメリカは、中近東にサウジアラビア、東洋に日本という 赤色と黄色の属国があるとしか捉えていないのである。いざとなるとCIAが陰湿な謀略を属国日本に仕掛かける。 〜以下の文章を読むと、その辺のことが、よく見えてくる〜 Pー6 ユダヤ教・キリスト教・イスラームは、同じ「一神教の神」を奉じる兄弟宗派です。 一般に「旧約聖書」と呼ばれているのはユダヤ教の聖典で、これはキリスト教もイスラームも聖典として認めています。 キリスト教にとっては『旧約聖書』プラス『新約聖書』が聖典であり、イスラームは『旧約聖書』と『コーラン』が聖典です。 同し神様を奉じているのに、どういう角度で見るかによって、歴史的に分派しているわけです。ですから、この三つの宗教は 「セム系一神教」とか「アブラハムの宗教」と呼ばれている。このうちユダヤ教は、一応ユダヤ民族と呼ばれる人々の 「民族宗教」で、あまりほかに拡がっていかない、むしろ閉ざされていく傾向を持っていますが、キリスト教とイスラームは 「普遍宗教」として民族・文化を超えて拡がっていこうとする。 これが非常に問題を起こすのです。 一神教というのは基本的に自分たちの神だけが真実の神である、と主張しているわけですから、他の宗教には非寛容です。 実際、他の神々を否定し、殺していきます。そして極端に言えば、自分たちの神を信じない者は人間ではないと考える。 ところが一神教徒にとって最も大きな敵は、同じ一神教の他宗派なのです。多神教徒は、劣った連中、迷妄の徒だと思って 下に見ることができますが、同じ一神教の仲間だと、そうは行きません。これはちょうど左翼の中で一番敵視して闘ったのは、 むしろ国家権力やブルジョワ階級よりも、同じ活動をしている分派の方だったのと同じ心理です。 解釈を違えた者同士は、まったくの異教徒よりもっと敵となるんです。 P−50 僕の仮説では、人間はもともと黒人で豊かなアフリカに住んでいた。ところがそこに色の白いアルビノが 生まれて、それが差別されて、中東やヨーロッバに追いやられた。そういった差別された連中がまたエジプトでも差別されて 生み出したのが一神教であって、もともとユダヤ教は恨みがましい宗教だという説です。自分たちが差別され、 虐げられてきたから、他に対して攻撃的になり、他を差別する。ユダヤ教は、さきほども言ったように、エジプトで奴隷になって いた入々が、モーゼという英雄に一つにまとめられて、パレスチナに逃亡してきて、現地の神々を追い払ってつくった宗教ですし、 キリスト教も、ユダヤ教徒のなかで差別されていた人たちがつくり、ローマ帝国の中で差別された人々に広まった宗教です、 だから万軍の主という神や、復讐の神といった、自分たちを差別する連中をやっつけてくれる神を作り上げたのです。 キリスト教がヨーロッパに拡がったというのも、ヨーロッパの特に北部は、非常に自然が過酷で、そこに追いやられた白人たちは、 人類史的に見れば、ひどく悲惨な目に遭っています。だからこそ、ああいう磔になって死んだ人が教祖であるような宗教が、 ヨーロッパ人にとっていちばんフィットしたのではないかと思います。教祖は人々が同一視できるというか、自分を そこへ投げ入れることができるような存在である必要がありますから。 〜〜 多神教と一神教が戦えば、間違いなく後者が勝つことは、歴史が証明している。 多神教にとって、一神教もその一つだが、一神教は他の神を認めないのだから、心根が全く違う。 ・・・・・・・・・ 2753, ジム・ロジャーズの金融危機インタビュー 2008年10月18日(土) ライダーの投資家で知られてる、ジム・ロジャーズが、この金融危機についてインタビューしていた。 ー以下は字数の関係でカットー2010年10月18日 ・・・・・・・・・・ 2007年10月18日(木) 2389, こころの旅 −3 c⌒っ *・∀・)φ【才八∋ゥ♪】 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 第一章、人生の出発点の中の −人生の諸段階ーの説で、八段階の半分の四段階が11歳までに区分されている。 更にいえば、5歳までに三段階が終わっているのである。これからみると、小学校で既に勝負がついているのである。 いや、もっと厳密にいえば、小学校入学時に質として、もう範疇に分けられていたのである。以前、最終区分前の中学校の成績順が、 そのまま人生を決めていると書いたが、エリクソンによると小学校でホボついていることになる。そう小学校も中学校と同じことが言える。 一番、二番、三番、四番とその後の消息を聞くと、そのまま拡大した人生である。私は4番位であったが、男で7番以内で地元に 帰ってきたのは私だけである。といって兄弟でもえらく違うから、一概にはいえないのだろうが。 大學の時に当時の親友だった男に、 「お前は竹のようなヤツだ。遊ぶが、ある所までいくと元に戻って自分の姿勢は崩さない」と言われたが、それが子供の時からの親の 生きる姿勢を見てきたからである。それでも自分の殻を必死に破ろうとしてきたが、これでこのザマである。 以下は、その人生の諸段階の部分である。意味は深い! ーーー 人生をいくつかの段階に分けて考えることは昔から多くの人が試みてきた。成人までの発達段階についてはフロイトの 図式が長い間君臨してきたが、最近はピアジュの長年の実証的研究による図式がつねにこれと比較対照されるようになった。 全人生の分析としては、シャーロッテ・ビューラーの「生活曲線」が興味ぶかい試みである。最近では エリック・エリクソンの「ヒトの八年代」が注目をひいている。その年齢的区分だけを示すと、次の通りである。 *乳児期。*二〜三歳。*四〜五歳。*六-十一歳。*十二−十八歳。 *成人早期。*中年期。*老年期。 この各年代にそれぞれの課題と危機があるが、それがうまく乗り越えられたときには生きて行く上で大切な力が身にそなわる。 (以下、字数の関係でカット2008年10月18日) ・・・・・・・・・ 2006年10月18日(水) 2024, ある「煉獄」の中にて 才八∋ウ_〆(∀`●) これからの内容は本人の同意を得て書いている。 (もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。 本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてもよいです!」・・) そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題(嫁・小姑など家に存在する)不条理である。 Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話である。どこの家にも、このような問題はあるが、 あまりにも複雑な構図である。それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。 〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す) ・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区にある実家に出戻った。 ・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半)がいる。家は大きな家ではない。 ・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。 そしてAは女子短大を卒業、新潟に就職して5年目になる。 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職した。 ・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。 ・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが崩れてしまった。 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働けないため収入が途絶えたことで、 弱い立場の陥り、その結果として鬱病になりかけている。 ・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は重度の鬱病になり廃人になってしまう。 A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと 母は間違いなく潰れてしまう、 という内容である。 露骨に言ってしまえば、 ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の「お祖母さん」と、 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。 (以下、字数の関係でカット2009年10月18日) ・・・・・・・・・ 2005年10月18日(火) 1659, 北イタリア旅行記−8 ー旅行雑感−1 旅行中に、色いろな思いや出来事に行き会うことが多い。ただ、文章にするには如何書いてよいものかと切り捨てている 場合が多い。しかし、むしろ面白いのは、知りたいのは、思い出として取っておきたいのは、その方が多いだろう。 ・一人、50代半ばの女性が参加していた。百回近くは、旅行しているという。 娘の就職を有利にする為に、娘の学生時代に 年13回も一緒に旅行に出たという。 プロテニスや、プロ野球、スケートなどの何ママとかパパは聞いたことがある。 (松井や、イチロウ。テニスの・・・・)一流旅行代理店に入社させるために、旅行に徹底的に連れて出たという話は初めて。 その努力が実って、めでたく大手航空会社に就職が叶ったとか。本人が旅行代理店に勤めたかったので、娘にその夢を託したという。 ・今回の旅行は、ヴェニスで雨がドリャブリ。その寒さの為か腰痛になってしまった。 そして帰国後も、その腰痛がさらに悪化してしまった。もう10日近く経つのに、全然よくならない。 ・「欧州の豊かさは日本のゆたかさとは雲泥の差がある」とバブル只中、当時の東京相互銀行の長田頭取の手記にあった。 イタリアで感じたことは、3000年の歴史の蓄積の豊かさを実感した。街の教会にしても、 公園、家にしても、数百年も経っている。 それがすべて長年かけた先祖からの遺産である。 ・どの国もそうだが、北が豊かで、南が貧しい色分けになっている。 イタリアも同じであった。イタリア人は、自分の出身をイタリアとほとんどいわない。 シチリアとか、トスカーナとか、ローマという。彼等は数百年もそれぞれの地区が独立国だったためだ。 ・・・・・・ 2004年10月18日(月) 1294, 県知事選挙ーつれづれ 昨日は県知事選挙。 実のところ、ギリギリまで誰に入れたら良いか焦った。 以下は字数の関係でカットー2012年10月18日 ・・・・・・・ 2003年10月18日(土) 927, 「楽しく生きるには」−読書日記 学生時代の日記帳を見ていて気がついたことは、「人生楽しく」をそのまま実行していたことだ。 その点では今と変わりはない。 よく読むと、議論をしているか、本を読んでいるか、遊んでいるか、酒を飲んでいるかだ。 以下は字数の関係でカットー2008年10月18日 ・・・・・・ 553, 基調色 - 2002年10月18日(金) 私に着こなしの事を語る資格はない。しかし、実質的合理的な着方なら話せる。背広やブレザーは自分の基調色を決めておく。 (以下、次数制限のためカット2011年10月18日)
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2012年10月17日(水)
* 生々しく聞こえてきた世情の話 「赤表紙本」といえば、経済状況を大げさに書きたて、不安を書きたて本を売る方法に使われる。「読むほうも、書くほうも、 割り切って読んでいる、」のが一般の見方。ところが、どんなにオーバーに書き立てても実際の現象になると、それを遥かに 超えるから恐ろしい。「欧州危機、恐慌と騒いでいるが、今だに起きてないじゃないか」というが、早いか遅いかの差で、 間違いなく起こるのは確か。一昨日も、BS/TVで、こんなことを放送してよいのかと思われるほどの過激なレポートだった。 そのゲストのブログで、現地の惨状の実態を読んではいたが、それをTVで流すのだから、一般の人は、驚くはず。 要は、日本円の預金をドル建てに替えて持つべきとか、日本も、PIIGS並みに数年内になる?とか・・ ギリシャやスペインの 街中で出会った人の生々しい窮状は、日本にいては分からない。まず一部勝ち組と、大部分の負け組みがいて、その負け組みも、 二分される。一年分の生活費の蓄えがある人と、数ヶ月以内に教会の食料配給の列に並ぶ人に分けられる、とか。 歯医者の開業医が、店を閉めたという、殆どの人が歯医者にかかる金が無いので、経営が成り立たなくなったという。PIIGSでも、 アイルランドのように国が一体になり再建を始めたところと、ギリシャのように国家がバラバラで、その意欲が全くない国がある。 それは日本でも同じこと。家内から聞く世情の話は、一部勝ち組と大部分の負け組みの段差の内容が、日常のリアルの内容になる。 家内の友人の勤め先の話。「顔が腫れているのに、そのまま。病院に行かないので変と思っていたが、その人、お金が無いため 行けないと、後で知った!でも、いつの間にか腫れが直ったみたい!」。 国内では預金ゼロ世帯が三割。それなら病院にいく 金も無いに等しい。 失われた20年で中流といわれる大衆は、本当に貧しくなった。 他人事ではない。 昨夜もNHKの 「クローズアップ現代」で、欧州危機を放送していた。実際に起こったら、どうなるのだろうか? 私の出来る範囲で恐慌の 備えの大方は終わったが、実際になると想像を遥かに超えるはず。まだ平和ボケの範囲でしかない。 まだ火の手は上がってない。 ・・・・・・ 3857, Macの創業者のジョブス 2011年10月17日(月) Macの創業者のジョブスが先日、亡くなった。 iMacパソコンを二台、iPodを二つ、 iPhone(現在はドコモの携帯電話に逆戻り)、iPadと、最近買った端末は、ほぼMacである。 iPhoneは、小さすぎて指入力に戸惑い使い切れなかったが、他は及第である。 iPhoneには驚いたが、最近買ったiPadには感動もの。 デジタリアンと自認しているが、 実はジョブス・ファンだったようだ。 先日、NHKの「クローズアップ現代」で、ジョブスの死を悼んで 『世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔』として報道番組を組んでいた。 ここで孫正義が、《 彼は商品、製品を生み出すのではなく、ジョブスの作品を生み出している。デジタル端末などの人間化を テーマに、高度のマニアしか使えないデジタル機器を、普通の人が気楽に使える作品を作り上げてきた。iMacなどのiは、 愛に通じる。もし、彼が20年、30年生きて、最後に自分が作りたい作品は「iRobot]と、提示するのでは! 彼は、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才。数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダ・ヴィンチを並び称するだろう。》 とまで、賞賛している。今までのパソコンと比べると、マニアが使いこなしていたデジタル端末とネット世界を、ごく簡単に、 我々一般人が使えるようになっている。だから、何だと言われれば、それまでだが、知的好奇心が強いものにとって、これほど 有難いものはない。それにアプリが豊富にあることが、相乗効果になっている。ジョブスのように明確な形で(身近なモノ)で、 世界を変えてしまうのも、グローバル化の一つである。 本人自身、もっと生きたかったはず。 ー NHKのHPの紹介文から ー ≪ iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られた スティーブ・ジョブズ前最高経営責任者が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップでアップルを率いてきたジョブズ。 製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。番組では、 ジョブズを身近で知る人々の証言や、ジョブズの言葉、かつてクローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、 IT界の天才と言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。 ゲスト:孫 正義さん(ソフトバンク社長) ≫ ・・・・・・・ 3492, 実践・50歳からの少食長寿法 2010年10月17日(日) 「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著 ーアマゾンの内容説明からー 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、 食卓を「宝食」に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるようになった「豊食」くらいで止めれば よかったはずです。ところが金にあかせて食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。しかもそれだけでは 済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味しない 「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るように なりました。さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えています。 こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。 これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。 ●みそ汁を飲むとがんは防げる? ●更年期障害になる人、ならない人 ●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密 ●4ヵ月で7キロ減の4つの方法 ●朝食断食・一日一食のどちらかで ●沖縄長寿神話の崩壊 ●歩いて旅して3000キロ ●自己防衛の「食の10ヵ条」 ●フードマイレージという考え方 ●命を与える偉大な発酵食 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。 この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。 1、食事は量より質にこだわる 2、主食は御飯 3、発酵食品を食べる 4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意 5、パンを常食にしない 6、液体でカロリーをとらない 7、副食は季節の野菜を中心に 8、動物性食品は魚介類を中心に 9、未精白の御飯に挑戦する 10、食事はゆっくり、よく噛んで 要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。 御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。 ・・・・・・・・ 3117, つれづれに 〜閑話小題〜 2009年10月17日(土) * 電動自転車を注文 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として持ったことがない。 中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては持てない時代であった。子供時代の記憶に、 あまり乗りまわした記憶がない。 成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで 一万歩以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 ところが最近になって 自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男がスポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て 自分も自転車が欲しくなり、数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか決心が定まらない。 ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小さい折り畳みか、電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、59800円の電動自動車を発売」 の新聞記事をみて、HPから注文をした。納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。 あれこれ考えたが一番が休日のサイクリング。 他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。 どれもこれも愛用品になっている。 もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助にしている。 そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器など自分に合うものが見つかると本当に良い。 あれば使う、無ければ使わない、ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが! 〜〜〜 * いわしの群れになるな!というけれど (次数制限のためカット 2011年10月17日) ・・・・・・・・・ 2752, サブプライム問題の6つの波とは 2008年10月17日(金) 株の相場に興味のない人でも、今回の金融危機のタダならぬことに気づき始めてきたようだ。 今年の年末から数年にわたり、過って経験したことのない現象に遭遇することになる。 恐らく半数近くの事業所が閉鎖され、失業者が10パーセント以上、ハイパーインフレが襲い、食糧危機が襲うなど、 想像外の事態にジワジワ追い込まれる。 既に秋葉原の無差別殺人や、親の子殺し、などの予兆はあったが・・・ リーマンブラザーズの倒産以来わずか一ヶ月で起きた一連の金融崩壊と、フォードとGMが倒産でもしたら アメリカ炎上といっても過言でない。 歴史的大事件を毎日、目撃していることになる。 この影響を一番被るのが、やはり日本。 それがハッキリするのが年末から来年の5月にかけてである。 まずは倒産ラッシュだろう。 この十数年で淘汰されるべきところはされたが、しかし、今度の津波は根こそぎ 私たちの生活を破壊するほど強烈になる。まずは衰弱の激しい地方の企業と地銀から問題が発生する。 銀行は金を貸さなくなり、売り上げは、平均30%は落ちる。 それで立ちいかなければ、消え去るしかない。 あれだけの思い切った資本注入を発表して、二日間しか相場が回復しなかった。 目先のカンフル剤になるはずだが? それさえもである。 GMが倒産した場面で6千円台をつける可能性がある。日本の生保・銀行の含み益が大きくマイナスに転じ体力を消耗する。 今回のサブプライム危機をステージとして、次の六段階になる。(参考ー日経、10月5日ーサブプライム危機ーより) 1、去年の8月のフランスのパリバショックである。 −金あまりを背景とした欧米での信用膨張が瓦解を始めた瞬間ともいえた。銀行間の取引こ疑心暗鬼が広がり、 中央銀行による多額の流動性供給など当局も緊急対策姿勢を強めた。 2、次に来たヤマ場は2008年2月、米証券大手ベアー・スターンズが資金繰りに行き詰まり実質的な破綻状態になったこと。 円相場は一時=95円台に上昇、日経平均株価は12000円を割った。 3、三つ目のヤマ場となったのは7月。今度は米国の連邦住宅抵当公社(ファニーメイ)など、住宅公社二杜の経営悪化問題が浮上した。 金融不安は現実の金融危磯に発展、 4、9月15日に米証券大手リーマン・ブラザーズが破綻したのである。 米証券大手メリルリンチは米大手銀行パンク・オブ・アメリカへの身売りを決めた。 リーマンは救済されるとの観測が大勢だっただけに市場では大きなサプライズと受け止められた。 これを機に欧米の金融機関同士の疑心暗鬼は一段と強まり、各国中央銀行が大規模なドル資金供給を続けたものの、 銀行間金利は上昇を続けた。 (字数制限のためカット 2010年10月17日) ・・・・・・・・ 2007年10月17日(水) 2388, こころの旅 −2 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 第一章 人生の出発点 の心の琴線に触れた部分を取りあげて考えてみる。 ーー ーP.22 天井からぷらさがったガラガラの動きに赤ん坊がよろこんでさらに手足を勤かすと、ガラガラはいっそういきおいよく 動いて音をたてる。これを何度もくりかえしているうちに「条件づけ」ができて、赤ん坊には何となく自分の動きと ガラガラの動きとの間の因果関係がわかってくる。この感覚運動的知脳が発達してくると、今度は紐のついていない、 (字数の関係で中間カット2009年10月17日) 解) 両親の愛情の温もりが直に伝わってくる人がいる。特に幼児期に両親や周囲の愛情をシャワーのように受けた人である。 深い愛情を受けると、人は笑顔になり周囲に対して積極的になるものだ。そして、それが性格の基礎としてカタチつくられる。 如何に幼児期の愛情が大切か身近の人を見ていると実感する。人間は絶対量で既に一生は決まっているといって過言ではない。 簡単にいえば温かみのある人で人品が良いともいえる。こういう人は本当に強いし、弾力性があり、不幸の方が弾き飛ばされるようだ。 反対に全くそれを感じない人がいる。 そういう人は直に解る。貧すれば鈍するでないが、両親の不仲の環境に育った人である。 自意識過剰で、自分を過大に勝手に評価、直に手の裏を返す。自分の顔に責任を持て!というが、顔と目に出るから恐ろしい! ・・・・・・ 2006年10月17日(火) 2023, 「私」のための現代思想 −12 (字数の関係でカット2008年10月17日) ・・・・・・・・・ 2005年10月17日(月) 1658, 北イタリア旅行記−7 ツアーの楽しみの一つに、普段なら会えない人と会えることがある。一度会ったら二度と会わないから、気楽に何でも話せる。 共通点は旅行愛好家ということで互いの情報交換が気楽にできる。その中で色いろな人生が、それぞれ垣間見ることができる。 また私たちも彼らから同じ視点から見られているのだろう。今回は、北イタリアという場所ということもあり欧州派がそろった。 アフリカとか南米とかシルクロードなど殆ど誰もいったことがない。反面、欧州には隅々まで行っている人達ばかりで、 殆ど話がかみ合わなかった。特に、イタリア愛好家が何人かいて、イタリアへの深い愛情を感じた。 好きなものは好きなのだ。イタリアに行けば、その理由はよく解る。ローマ帝国から続いている長い文化が味わいがある。 どの街を見ても深い文化と歴史を感じることができる。イタリアとは関係ないが、面白い人がいた。趣味として、 デジタルビデオを番組風に編集してしまうのだ。元映像カメラマンの人で、編集には熟知しているから可能だという。 過去に30本以上も番組として完成してDVDに収めてあるという。5~6枚この旅行に持ってきてミニDVDデスクで見せてもらった。 奥さんが劇団にいた人で、ナレーターをして共同制作をしている。NHKなどで放映している海外ものの番組の内容と 同レベル?である。まず映像を編集して、ナレーションの内容を考え、バック音楽を選定し45分位にまとめ上げなくてはならない。 集中して三週間はかかるという。それにしても、旅行者として羨ましい限りである。そのテープを旅行代理店のツアー説明会に提供 しているようだ。代理店にとって、宣伝用の番組をつくるのには数百万円は最低かかるからそれを借りることができれば便利である。 「一人位、ツアーに半額位値引きしてでも?」と、考えるのは私の卑しい考えになる。何よりも、つくっている本人が 一番楽しいだろう。一度つくれば、コピーは簡単である。ボランティアとしても、誰からも喜ばれる。 今回も、希望者に送ると全員から住所を聞いていた。同行のツアー仲間にしてみれば、夫婦のビデオカメラマンを 引き連れていったと同じ。この夫妻にとって、最高のものを与えることで喜ばれ繋がりができる。 自分も楽しみ、そしてそれが因縁のある人達に最高に喜ばれる。人生の最高の楽しみになるはず。世の中は広いし、人生の達人がいる。 ・・・・・・・・ 2004年10月17日(日) 1293, 「閑」のある生き方ー読書日記 −3 「今ここに」を、更に考えてみる。 ー前回では 「空」を時の上から解釈して、「即今」、 平たくいえば、ーただ いまーと解釈した。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるということである。 この「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこには、あとに残る過去も先に待つ未来もなく永遠の今があるだけということに気づく。 空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。ーを抜粋し、そして感想を書いた。 今回は、その即今の凝縮した瞬間はどういう時か考えてみる。 感動、感激、至高体験、歓喜、感謝の時といえよう。 その瞬間が「今ここ」を実感する時である。その瞬間を経験した時、それが永遠に通じている感覚がする。 それが「永遠の今」である。 感動の時、その瞬間は自分の中に永遠に残る切り取られた時である。 この経験をするため、この瞬間を経験するために、生まれてきたといってよい。それまでの全てを超えた体験する飛躍の時である。 その「今ここ」は、悟りの世界でもある。この中に、感激、至高体験、歓喜、感謝が含まれる。いや、これらの言葉の中に、 それぞれが含まれる。「今ここ」は、決してプラスの時だけでない。 挫折をした時、死を宣告された時、 絶望を味わった時、 身近の人の死の時、 等々、あげることが出来る。 意識の深くに陥ってしまう時といってよい。 その時は意識は研ぎ澄まされ鋭く自分を切り裂く。 「今ここに」を意識している時は、宇宙の中心に立っている時であり、宇宙と直接つながっている瞬間である。 ・・・・・・・・・ 2003年10月17日(金) 926, 180円ラーメン 新潟市内で目についた180円ラーメン店に入ってみた。180円のラーメンと、色いろなトッピングを付けたラーメンと、 餃子とチャーハンのセットがメニューの基本であった。 ー何処のラーメン屋もそうだが。 特別美味いわけでもないし、といって不味いわけでもない。ただちょっと食欲の無いときや昼飯に食べるのに丁度良い店である。 (字数制限のためカット 2010年10月17日) ・・・・・・ 552, 人生に目的はあるのだろうか? - 2002年10月17日(木) この年になると人生の仮決算期に入ってくる。「自分の人生はハタシテこれでよかったのだろうか?」 「人生に意味などがあるのだろうか? 有るとすればなんだろうか?」そういう話が最近面白くなってきた。 人生の目的とは漠然と考えてみるとー (字数制限のためカット 2012年10月17日) ・・・・・ 2001/10/17 「189」ツアーのプラスとマイナスを考えてみる ーマイナス面ー (字数制限のためカット 2012年10月17日)
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2012年10月16日(火)
新約聖書、旧約聖書は、生々しい逸話で満ちている。神仮説は、超人間的、超自然的な知性=‘ラージX’が存在している という仮説である。アブラハムがヤハウェという神をつくりあげた。その神に、現在も何億という民が、聖地に向けて祈っている。 初めてイスラム圏のカイロに泊まった早朝、異様な「アッラーの祈り」の声。丁度、ラマダンだったこともあり、目を据えた 人々が住む異世界に驚いてしまった。 その祈りは数百年も続いてきた生活の一部であり、アッラーの神が存在しているのである。 * 可愛げない神仮説 ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 ≪ 神がいるという仮説(神仮説)は、もっとも可愛げのない証拠事例である。 面白みのないキリスト教の顔である「おとなしくて優しい寛大なイエス」にも、その正否を委ねるべきではない・・・ 私は、ヤハウェの、あるいはイエスやアラー、あるいはゼウス、オーディンなどの他の特別な神の特定の性質を攻撃しているわけでない。 むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを 意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説である。本書でその代案として提唱される考え方は、何かを 設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終産物にすぎないというものである。 進化によって生じた創造的知性は、当然のことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、その設計に責任を もつことは不可能である。このように定義された意味における神は妄想である。そして、それは有害な妄想なのだ。 神仮説は、証拠よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、さまざまな変形版があるとしても 驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族のアニミズムから、ギリシア、ローマ、北欧神話の神々のような多神教を経て、ユダヤ教 およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教にいたる発展過程を認めている。・・・ (中略) ・・われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはぼかられる最大の悪が一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な青銅器時代の 教典から、三つの非人道的な宗教が進化してきたーユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。 これらは天空神をもつ宗教である。 文字通り家父長的 ー神は全能の父ー であるため、この天空神と現世におけるその代理人である男に苦しめられた国国では、 二千年にわたって女性蔑視がつづいている。・・・(中略) ・・三つのアブラハム宗教のうちでもっとも古く、他の二つの祖先と言ってまちがいないのがユダヤ教である。 もともとは、猛烈に不愉快な一つの神をもつ一部族のカルトにすぎなかった。この神は、性的規制、焼けこげた肉のにおい、 他の神々に対する自らの優越、そして、選ばれた砂漠の民の排他的権利というものに病的にとりつかれていた。 ローマ人がパレスティナを占領していた期間に、タルソスのパウロによって、ユダヤ教のそれほど無慈悲ではない一神教的宗派として キリスト教が興されたが、これは排他性も薄く、ユダヤ人の外の世界に目を向けたものだった。数世紀後にムハンマドとその弟子たちは、 もとのユダヤ教の断固とした一神教に回帰したが、その排他性は引き継がず、新しい聖典『コーラン』にもとつくイスラム教を興し、 信仰をひろめるために軍事的に征服するという強力なイデオロギーを付け加えた。・・・ ≫ ▼ 最近、宇宙が一つでなく10の50乗の気が遠くなるほどの数があるという説が現れた。その中で、アラブの蛮族から 発生した一神教の神は、アブクでしかないことが分かる。しかし、信心は、そんなもので揺らぐほど強いのである。 人間を人間たらしめている情報伝達手段の言葉が、イメージを作り上げるようになった。そのイメージは、大自然の神秘と力に 神をイメージしたのが、アニミズムになっていった。それが、部族間の争いを大きくしていき、現在に至っている。 ・・・・・・ 3856, 猿の惑星:創世記 2011年10月16日(日) 先日、「猿の惑星:創世記」を長岡シネマで見てきたが、極めてシリアスなストーリー。 「猿の惑星」をみたのが40年数前。 その時の衝撃は現在も残っているが、20歳代半ばの記憶が今でも鮮明に残っているのは、 猿が人間を支配している意外性である。 その後、何本か続編が続いていた。 今回の、猿が人間と逆転するキッカケの創生の物語は、 不気味で恐ろしい原点を私たちの前に展開している。 結果は初めから分かっているが、筋書きが初めから終わりまで重い。 猿とチンパンジーの差より、人間とチンパンジーの遺伝子の差は小さい。今世紀中に類人猿の人権擁護法も出来る可能性もあるという。 物語は、製薬会社がアルツハイマーの新薬の開発にチンパンジーを実験に使っていたが、その効果は上がっていたが、何かの切欠で 暴れてしまい射殺されてしまう。 しかし、そのお腹に赤ちゃんが宿っていて、それを秘密に持ち出した男が、育てあげる。 しかし母親に(実験のため)投与されていたアルツハイマーの新薬が、その子供に影響しており、育つにつれ飛躍的な能力を発揮する。 問題は、人間の能力より遥かに高くなっていたこと。 そして・・・、 と物語りは展開していく。 初めは、人間サイドから見ていた筋書きも、何時の間にか類人猿の創生の物語に転化され、チンパンジーの目からみた人間社会の 文化の非難へと引き込んでしまう。 チンパンジーの目から逆照射した人間社会への視線は痛いほど。 創生者?のチンパンジーの名前が、シーザーというのも良い。 ところで、アルツハイマーの新薬が、私の目には現代の携帯端末か タブレットPCに思えた。 誤解を恐れないでいえば、《 欧米の白人からみたら、チンパンジーが有色人種。 新薬が携帯電話と端末とPC、そしてネット。 これは後進国といわれている人たちの知識を飛躍的に進化させる劇薬に匹敵する。 一度与えてしまった劇薬は、世界中の底辺の人々に自由と平等の概念を植えつけてしまった。 欧米中心で世界が動いてきたが、 それが崩壊過程にあるのが、現在の世界の現状である。 20年、30年前には想像すら出来なかった事態が日々刻々進んでいる。 今度の福島原発事故は、それを世界に知らしめてくれた。 情報端末とネットだけでなく、人間が作り上げてきた文化、 文明の象徴が、アルツハイマーの新薬開発と、チンパンジー創生と考えると、現在が見えてくる。 ・・・・・・・ 3491, しあわせの法則 2010年10月16日(土) 先日、昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。 何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。 その場で意識して記憶したが、9つ、一つ残らずに憶えていた。 1、男性より女性の方が幸福の人が多い。 2、都会の人は大よそ幸福と思っている。 3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。 4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点(それ以上になってにあまり変わらない) 5、幸福の八割は遺伝する。 6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。 7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。 8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。 9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。(連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える) ー [幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の友人の実例をみていると肯ける。 豊かで教養ある両親の元で、順調に育った人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。 何度も書いているが、最終振り分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、その格差が大きくなっているだけ。 家柄?が、運命そのものになっている。 とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。実際は10歳までに決まっている。 そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。 特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するため、 ドライになって当然のこと。 相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知るである。 またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという結果もあるという。 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。「しあわせ」は、能力の一つか。 ーーーーーーー 3116, 久々のジョーク −5 2009年10月16日(金) * ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を殺してしまった。焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。 それから数週間が経った。夫は5歳になる一人息子に言いました。「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけど お前は何にもいわないな」 そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」 〜〜〜 * あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金を受け取った。 しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?との疑いを持っているようだった。 入院しているユダヤ人を友人が見舞った。「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」 「いやあ、そうでもないさ。」「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」 「大丈夫、とりあえず退院したらフランス行きの飛行機の切符買ってルルドへ行くから」 〜〜〜 Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、一人は精神面で成長阻害が見られ、 そして本人は梅毒を患っている妊婦の知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか? 解説は、次の問題を解いてから見てください。 (字数制限のためカット2011年10月16日) ・・・・・・・・・ 2751, 米国大統領は激戦区の白人の黒人観で決まる? 2008年10月16日(木) アメリカ大統領は、このままではオバマで決まりそうだが、実は結果を待たないと分らないという。 アメリカの黒人差別は根強いものがあると昨日の 毎日新聞の「記者の目」 の論説員のレポートは説得ある。 今回の正副大統領候補は、黒人、女、そして老人の組み合わせで、壮年の白人は一人もいない。 ーーまずは、その辺をコピーしてみたーー ずっと気になっている。これまで来国では白人男しか大統領にならなかった。さて、今年、黒人あるいは老人を大統領として、 そして女住を副大統領とて受け入れる用意が米国にあるだろうか。そうした個人の属性は人の意思では変えられい。 そこに優劣や価値をつけ、反対票の理由にする。そんな人がどれぐらい多いか、という問題だ。投票まで3週間を切った 大統領選挙の最大の政策課題はもちろん経済だ。しかし、票の争点にはならないので気づきにくいが、今年、米国人の投票行助を 左右する争点が三つあると思う。それがへ人種、年齢、男女の性差だ。米国は、この3点を根拠に、他人を差別してはならない。 (字数制限のためカット09年10月16日) ・・・・・・・・ 2007年10月16日(火) 2387, 新潟経済は今 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ 先週の金曜に取引先の地銀の担当が「判・仕事」で事務所に来た。 そこで最近の地元経済の状況を聞いてみたところ、担当が浮かぬ顔をして言うには、 ・地元は一部自動車部品メーカーを除いて中越沖地震を境に悪化 ・特にマンションや一般住宅が売れなくなり、露骨な値引きが始まっている さらに建設中や予定のマンションが十数棟もある ・風評のためホテルや飲食店の売り上げが減少、回復の兆しがない ・不動産の動きも芳しくないという。 中越沖地震が地元経済にとって甚大な影響を与えている。さらに手取り収入の減少、年金問題の不安感の増大、 農家の実質収入の激減など、多くのマイナス要素が重なっているためだという。先週の金曜日に長岡で飲んだが、 お客の数は少ない。客単価を上げようと店の方は必死。それはそれでよいが、健康も含めた対策として飲む回数を減らす。 地方は、特に新潟県は、ますます疲弊しているのが実情である。 しかし、地方の疲弊は前ぶれ、関東・東海地区にも遅かれ早かれ 波がくることは必定。3〜5年後を考えると何か恐ろしい雰囲気である。ただ当方は目先は大口の団体が半年にわたって入ったのと、 駅の再開発が始まったので、一応目途は立っているが。ただ全体の地盤沈下はいただけない。昨日、都銀の担当がやはり 「判・仕事」で事務所に来たおりに、同じく地場の景気の状況を聞いてみたが、内容はホボ地銀の担当と同じ。 ・中越沖地震が大きなキッカケで、デフレスパイラルの様相。 ・コストは上がるが、それを売価に転換できない矛盾が全ての業界に出ている。 ・地震が二つ続いたことで設備投資に対して、県内外の会社は及び腰で、その影響は大きい。 それらが複合的にジワジワ経済に影響して地域の地盤沈下を大きくしている。 今日で丁度柏崎沖地震から3ヶ月、その影響は地元にとって一過性の問題ではない。三年もたたないうちに二度起きたことは、 県内外の企業の設備投資に冷や水をかけた。さらに年金の不安も重なり、住宅の買い替えなどは躊躇するのは当然である。 さらに大きな問題がある、北陸新幹線の開通で環日本海都市が金沢になることだ。歴代の政治家に新幹線を日本海(飛行場)まで、 10キロ延ばさなかった重大な過失がある。延ばしておけば、そこに野球場や、サッカー場、物流基地、飛行場の拡張などが集積し、 環日本海の関東の拠点としての機能が集積していたはず。今更、開通しても遅いが・・これも県の民度といえば、それまでである。 駄目になるには訳がある! それにしても金沢は富山、福井県と能登半島、岐阜高山を至近に控え、 東京と大阪の距離のバランスも良い。どっちにしても新潟より金沢である。 ☆w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・ 2006年10月16日(月) 2022, 「ちょい悪」の一考察 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ハ〜 ヨウ 「ちょい悪親父」の「ちょい悪」 =不良= の意味を考えてみよう。 子供の頃「不良」という言葉には、不気味な響きがあった。ヤクザモノというか、前科者か、その予備軍という意味があった。 徒党を組んで同級生弱い者虐めや万引きをするゴミのような連中で、誰の目にも卑劣の負け犬ということが歴然としていた。 (字数制限のためカット09年10月16日) ・・・・・・・・・・ 2005年10月16日(日) 1657, 世界の絵画50 今回の北イタリア旅行でも、フィレンツェのウフィツ美術館で素晴らしい絵画を多く見ることができた。 実物を見ないかぎり、その絵画の背後にある意味を知ろうするには余程のキッカケがない限りできないものだ。 「知識を持って絵をみること」これを知ったのは、15年前にスペイン・マドリッドにあるプラド美術館で、 日本人のガイドの説明を聞きながら絵を見た時である。 絵の中には、さまざまなドラマが詰まっている。 その画家の技法、思い込み、性格を知ることで、絵が全く違ってみえる。 ピカソの「ゲルニカ」、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、そしてゴヤの「裸のマハ」「カルロス4世の家族」 スペイン独立戦争を描いた「1808年5月3日」など、絵の中にある多くの背景と、隠されているドラマを聴きながら、 初めて知識を持って絵を見ることの醍醐味を経験した。名画は、画家たちの精神や思索の凝縮したものである。 それが絵画というカタチで、私たちの前に提示されている。いかなる技法で描かれたか、あるいは画家が作品に 込めた思いや、その人となりを知ることで、はじめて鮮明に私たちの目の前に立ち現れてくる。 それまでは、絵の力や精気から感動を得るだけであったが、この日以来、絵の見方が全く変わってしまった。 その意味で、この本は初心者にとって理想的な本である。この歳になって、やっと知りえることがあまりにも多い。 年齢を重ねることは、前を向いているかぎり堰が切れたように好奇心が旺盛になる。自分を鳥瞰できるようになるからだ。 ー目次ー 1 誰の何という絵か言えないと恥ずかしい名画 2 見る者を神話・宗教の世界へいざなう名画 3 美術史のターニング・ポイントとなった名画 4 歴史と人間の営みをいきいきと表現した名画 5 画家の心象風景がリアルに伝わってくる名画 6 独創的な色づかいとフォルムに圧倒される名画 著者名:佐藤 晃子 出版社 :河出書房新社 ・・・・・・・ 2004年10月16日(土) 1292, 随想について 随想日記を書き続けていると色いろな事に気が付く。結局は、随想とは自分自身のこと、それも自分でしか 書けないことを表現する、自分の物語である。もともと日記と随想は違うもの。 日記の対象は自分であり、 日常の出来事や気持ちを書き残すものであり、随想は第三者を想定して、それに合わせて書き下ろすものである。 その二つを重ねた随想日記とは、矛盾している。 実際は「毎日書く随想、あれこれ」という意味である。 いや、日記にテーマをつけて書いていたのが、随想的になっただけである。 日記としては、この随想日記に書いてある 「22歳の日記」が、理想に近い。時系列に、その日の出来事と気持ちを正直に書いている。当時は、自分をコントロールする為に 本能的に書いていた。友人と議論した内容や、ちょっとした社会現象に対する意見や、 読んだ小説や本の感想が書いて置けばよかった。 当時、何故書いたか、その動機を憶えていない。 それに対して随想は、第三者に向かって自分を表現する物語である。 読んでいるほうは、実際こんなに面白いものはないだろう。ふつう経験できない個人の心の奥底に入り込めるからだ。 文章は飾り立てても、その飾り立てている姿が出てしまう。正直に書くしかないし、そうでなければつづかない。 飾り立てても今更というのが、書き手の立場である。 毎日テーマをたてて脳の奥底を書くかというと、 「未来の自分という読者と、まだこの世に存在しない子孫をも意識している」 からである。そう思って書いていると、魂が入る。「今ここで」が、そのまま入魂になるからである。
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2012年10月15日(月)
* EUがノーベル平和賞 EUがノーベル平和賞というニュースに思わず耳を疑った。ブラック・ジョークなら分かるが、冗談にもならない。 ギリシャ市民がインタビューで、「何かが、おかしいじゃないかい!」と答えていたが、大半の人が感じたことだろう。 実際にオカシイのはギリシャ市民の方だが、いずれ、まず国家の危機がくるのは彼らである。EUは一度、解体的出直しが必定。 PIIGSの幾つかは離脱せざるを得なくなるし、近い将来にドイツの国民が国家として離脱を望むことになる。 ドイツ国民の規格に南欧の人々が適応出来るわけがない。 崩壊寸前のEUがノーベル賞とは、EU存続の政治的判断だろう。 ノルウエー自体が参加していないのに何だろう。それもこれも、根はリーマンショック。これで欧州連合計画も崩壊寸前。 サブプライム・ローンの不良債権が欧州中の金庫に眠っている現実がある。ラテン系にドイツの経済規格など、どだい無理。 キリギリスとアリが同じ穴の中での冬ごえ(世界恐慌)などアリえない。 * どうなるアメリカ大統領選挙 オバマが有利と伝えられていたアメリカ大統領選挙、ロムニーとの討論でオバマが劣勢だったことから、混沌としてきた。 また北アフリカや中東の反米デモなどから、アメリカ国内が右傾化していることもオバマに不利な情勢。問題はイスラエルが、 大統領選挙の結果を待つかどうか。 トルコ国境のシリアとトルコの不穏な小競り合いも、関係しているだろう。 どちらにしてもアサド政権の崩壊は避けられない。ゲーム感覚で仮説をたて世界情勢を見ると、不謹慎かもしれないが、面白い。 * 人生は冥土までの暇つぶし、 ある男が、今東光に「人生って何ですか?」と聞いたところ、 「人生は冥土までの暇つぶし。だからこそ、上等の暇つぶしをせなあかん」と! そのとおり。 暇つぶしも、ひとつ間違えれば「ゴクツブシ」になってしまうが。 上等な暇つぶし、どうだろう私は? 暇は有りすぎるほどあったし、一応したいことは出来た。上等でないとしても、事業の始末は一応終了。 残る人生は「上等の暇つぶし」の仕上げになる。「他人と比較しないで淡々と生きる」が私にとって上等の人生、になる。 「上を見れば切りがない、下を見れば底がない、横を見れば情けない」なら、比較しない方が良い。・・天気晴朗なれど秋深し! ・・・・・・・ 3855, 閑話小題 2011年10月15日(土) * 人間国宝 国宝といえば、重要文化財の中で特別に指定されたものである。 それでは人間国宝とは如何なるものか。 辞書によると ≪ 伝統的、芸術的に価値の高い「わざ」も国宝に指定されるようになった。その技を持っている人を「人間国宝」と呼ぶ。 正式に「重要無形文化財保持者」という。具体的には、芸能(音楽、歌舞伎、能楽など)と、工芸技術(陶芸、漆芸、金工、人形など)の 二つの分野から選ばれる。「わざ」を極めるには、長い修行が必要で大抵は高齢者。1950年〜2010年まで保持者と認定されたのは 162名。 しかし特別な待遇が用意されているわけでなし、国からは年間200万円が特別支給されるだけ。≫ 人間国宝というと、何か雲上の人のようなイメージがある。それは本人にとって、プラスにもマイナスにも働く。その日から、周囲の目も 変わってくるし、家族は常に「人間国宝の息子とか、兄弟」と呼ばれてしまう。その分、家族は、自己存在が薄れてしまう。 世間的には、ノーベル賞受賞者の次に認知されている。 最近、国民栄誉賞とかいうスポーツ・芸能向けのものがあるが、これはB級グルメ。 文化勲章もあるが、政治家の受賞が入っている上に、格付けがあるので、権威は小さい。人間国宝が年間200万の特別支給だけ、とは驚き。 * 暇で仕方ないでしょう 最近、現役の同級生や知人に久々に会うと、第一声が「暇でしょう」。そういう私も還暦の同期会で、久々に会った退職したばかりの友人に 同じ質問をしていた。その時の返事が、「スポーツジムに行ったり、趣味の会に入ったり、本を読んだりで、暇を持て余すことはない」 であった。一部上場のエリートサラリーマンで、定年後、Uターンしてきたため人間関係も少ないし、身の処し方も大変だろうぐらいしか 理解できなかった。しかし第二の人生に足を踏み込んでみると、暇を持て余すと思いきや、坦々とした、それも充実した日常がある。 ところで、「暇でしょう」といえば、落語家の談志が、弟子を伴ない南米のベネゼイラのテーブルマウンテンに滞在したドキュメントを 数年前にTV放映をしていた。大自然に浸っていると思いきや、そこには暇で暇で、身を持て余した談志の姿があった。 TV撮影とはいえ、 「日本の落語家・談志を、そのまま、南米の奥地まで引きずっている」姿を見て、呆れてしまった。天才バカは、それはそれで仕方ないが。 そこで現地の中年の女性に、ぞんざいな言い方で、「暇でしょうがないだろう?」と聞いた。 その答えが、良い。 不思議なそうな顔をして、「暇という意味が分かりません」と・・・。 談志は。その愚問に自分で気づいたかどうか。 本人は重い癌でも 忙しい中、その不安解消のために時間を割いて、南米の土人部落に滞在している。 が、そこには、そこの時間と文化がある。 それさえ心の余裕が無くして、吹き出すようなことを言っていたのは・・・ 日本人は暇は、マイナーのイメージがある。勤勉が善という 刷り込みが、島国の農耕民族の価値観に織り込まれているため。 ところで暇?と、聞かれれば、「坦々としているが、暇ではない!」 それにしても、暇そうなのが、目に付くが、趣味が少ないのだろうか? 枯れてしまったのか。 生きてきたままが、老後になる。 ・・・・・・・ 3490, 居酒屋・スナックは今 2010年10月15日(金) 居酒屋・スナックは、この不景気に直撃を受けているのはホテル業と同じ。10数年前と比べて三割以上の売り上げが減って、 三割の店が廃業・休業直前。数年前までは悪い中でも人気がある店があったが、現在では、そこも不景気に直撃を受けている。 不景気でサラリーマンの小遣が減らされたことと、不景気の中で接待交際費も大きく削られたことによる。 私の行きつけの居酒屋やスナックの大方が最後の最後の風前の灯。そういえば、月に3〜4回は飲みに出ていたのが、1年前あたりから 2〜3回に減り、一晩に3〜4軒まわっていたのも二軒で帰るようになった。三軒、四軒目に行くと、必ず翌日、二軒で帰ればよかったと 後悔するのも加齢のためか。また一軒目、二軒目の店の客が少ないため引きとめられる。 そのため長時間居座ることになる。 三軒目となると22時過ぎになるが、以前のような元気が無いので帰るパターンである。家の大型の薄型TVにブルーレイが付いて 数百本も録画がされている。それをみている方が、スナックでカラオケを歌い騒いでいるより面白いし、刺激的。 スナックも実際の競争相手がTVのドラマやドキュメントになってしまった。巣篭もり現象である。駅の鮮魚店で酒のツマミを買って帰り、 WoWoWで録画した映画を観ていたほうが、遥かに面白い。それと昔のようなプロのママ、ホステスが消えたこともある。 ドンドン、見切りをつけて消えていった。 一番の理由は、やはり不景気。だいたい気合が入らない。生き残っているところは、 仲間内という風なアットホーム的なところだが、そこも飛び込みの客が激減しているからジリ貧である。 そういえば新潟の古町に 3年以上は行ってない。店主の悩みは、廃業後の働き場所が限られている。 華やかな仕事柄、あるのは3Kのものばかり。 特に国民年金も払ってない人が多いので悲惨そのもの。そんな話しを耳にするとマイナスの連鎖で回数が減る。 英国といえば、町並みの景色としてパブ(スタンド・バー)がある。田舎の街で、まず目に付くのが、これ。 ところが、そのパブが激減をしていると5〜6年前から聞いていたが、リーマンショック以来、その加速がついた。何処も同じである。 ・・・・・・・・ 3115, セコロジー 2009年10月15日(木) エコロジーをもじった「セコロジー」の特集を日曜日の朝番「がっちり」で放送していた。 セコイことなら幾らでもネタがある。 といって、一々書くのも何だが、しかし露悪趣味を 自認しているものとして書かない訳にはいかない。 その前に、この番組で紹介していた 「セコイ」内容とは・・ 「タクトモ・ドットコム」は、深夜に同じ方向に帰る人を携帯電話サイトで探して、割り勘で帰るもの。 その値段まで、サイトのソフトが探し出してくれる。 「試食会・com]も面白い。 レストランサイドが、予約の空いている日時を提示、その時間帯に申し込むと、 半額で食事ができる。レストランも、席を開けておくより埋まっていた方が良いという思惑がある。 私のセコロジーは、 ・海外ツアーである。 夏休み直前・直後の7月、9月とか、11月のツアーは半値近い値段になる。 そこを狙う。 ・通勤帰りの新幹線が18時に長岡駅に着くが、駅の食品スーパーなどの食品街が一斉に値段が下げる。 更に、切り落としのハムや焼き豚も買い得。 また朝、新潟駅に着くのが9時、これも前日の売れ残りの 精肉や果物が、三分の一から半値に値下げをしている。 バナナなどは殆ど無傷のものが三分の一。 ・本屋で欲しい本を見つけても、メモを取って、ネットで中古本を買うか、図書館で借りる。 中古本なら、送料込みで半額から三分の一。健康機器、小型家電、デジカメ、音響機器もネットなら三割以上は安い。 ( 次数制限のためカット 2011年10月15日 ) ・・・・・・・・ 2750, 閑話小題 2008年10月15日(水) *株価は反騰しているが *衆院選挙とアメリカ大統領選挙、どうなった? *新潟駅前で大の男が拉致未遂? (字数制限の関係でカット09年10月15日) ・・・・・・・・・ 2007年10月15日(月) 2386, ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章 「ビジネスマン退職後の誇りある生き方19章」 G.キングスレイ ウォード (著),飛鳥新社 題名だけをみると軽そうだが、ある本に推奨してあったので買って読んでみた。(アマゾンで、中古本を安く手軽に買えるのがよい) 以前、書店で平積みになっていた「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の著者の書いた本である。 私自身、サラリーマンの経験が少ないので、組織の束縛と逆に気楽さは最小であった。そのためか当たり前と思える部分が多いが、 一般的には定年で組織から離れるのは、大きな節目になる。この本では長寿社会の中で、人生の果てへのまだ遠い道のりの中、 プラス思考で身近な人たちと親密な関係を保って旅行や趣味を広げるように勧めている。私の両親が商売人で42歳と38歳時の 子供だったので若い時から、その晩年のすごし方、死に様を身近に見ることができた。そして色いろな人生訓を、特に母親から 教えてもらった。 そのお陰で比較的豊かな人生?を享受できたと自認している。 (アホ!) そして、ここで書いてあることは、当たり前の事として理解することができた。 問題は、周辺にいる八割の人生の何たるかを知らない 「妨害者」と著者が呼んでいる人たちである。 世間様のいう俗説や、常識とかいう世界が全てと思い、そこから一歩も出ようとしない 「あの方々」のことである。そういう自分こそ「あの方々」ではないかと自嘲している日々だが。それから日々脱皮するのが 生きるということ、いや学ぶということだろう。 こういう箇所を直に見つけ出してしまう癖がある。 ーまずは、そこからー 私が40歳で小型飛行機の操縦を習おうとした時に聞かされた、「いい歳をしてもっと安全なことを探したらどうか」 と忠告を受けた。それと同じようなことを妻も同じような人種「妨害者」から「何ですって、もういい歳ですよ。 (以下字数の関係でカット、2008年10月15日) ・・・・・・・・ 2006年10月15日(日) 2021, 「新潟ワシントンホテル」が撤退 (字数制限の関係でカット10年10月15日) ・・・・・・・・・ 2005年10月15日(土) 1656, 吹き来る風が私に云う 帰 郷 中原中也 柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ 縁の下では蜘蛛の巣が 心細そうに揺れている 山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ 路傍(ばた)の草影が あどけない愁みをする これが私の故里(ふるさと)だ さやかに風も吹いてゐる 心置きなく泣かれよと 年増婦(としま)の低い声もする あゝおまへはなにをして来たのだと・・・ 吹き来る風が私に云ふ 生まれ故郷に帰った中也が、自分に向かってつくった歌である。 何か万人の心の声といってよいだろう! ほんとうに、オイお前なにをして来たのか? 自分の人生を生きてきたというのか? これでよかったのか? だれもが、この気持ちを持っているだろう。 私など、何回思ったことだろう。 そして、次の言葉で、その言葉を打ち消す。 ー仕方がないじゃないか、精一杯やったじゃないか。 これしかできないのも自分。 まあ、いいや。 と。中原中也の詩は、悲しい。しかし、悲しみを慰めてくれる。 ・・・・・・・ 2004年10月15日(金) 1291, 「元気の出る言葉」ー5 ーどん底からはい上がるコトバー2 ■やりもせんで、できんというな。(by 堀之内九一郎) 一言 〜若いうちはね〜 ■見返りを求めるな、そうすれば行動は制限されない。 一言 〜解からない ■打ちのめされるような人生の経験は、もっとも豊かな報いをもたらし得る。 一言 〜「 」 ■自分について知ることは貴重であり、欠かせないことです。 それは、危険な楽観主義とともに、陥りやすい失望を避けさせます。 ■機会を待て。だがけっして時を待つな。(by ヴィルヘルム・ミュラー) 一言 〜何々、何々?何々!チャンス?呼吸? (字数制限の関係でカット09年10月15日) ・・・・・・・・・ 2003年10月15日(水) 924, アイスランド旅行記ー4 ーつれづれに雑記 ・ツアー仲間の話は書いていて面白い反面、物悲しいことが多い。今回は同じバスではなかったが、痴呆症?の65歳位の女性の話。 アイスランド最終日に初めて気がついてのだが、そのバスの同行者数人が面倒を見ていることに気がついたのだ。 それから注意してみていると全ておかしい。目が虚ろ、いつも誰かに質問をしているのだが、その結果が違うことをしている。 羽田に着いて、モノレールに乗る時も質問をしながら、結果として違う行為をしていた。まあ人生そのものだが。帰りの列車で、 独り考えてみたら凄い人であったということだ。 軽い痴呆症の人?が独りツアーに参加をして、ちゃんと帰っていったのだ。 決して軽蔑をして言っているのではない!意志があれば何事も可能ということである。そこに、その人の人生が全て現れているのだ。 前回の添乗員がある話をしてくれた。車椅子の人を家族の人が連れてきて、たった一言「お願いします!」といって、 逃げるようにして帰っていったという。結果としてツアー仲間が最後まで全員が協力しあって無事帰ってきたという。 痴呆症のオバアチャンもあったという。これも全員が最後までみたという。今回は隣のバスで明らかに同じケースであった?。 ・色いろツアーに参加したが、添乗員の面白い人に出会う。「ヌーの河渡り」の添乗員が、自分がホモと酒を飲んで 告白したハプニングがあったり、元大手銀行員の経歴の持ち主であったり。今回の添乗員が飛びっきり面白い人であった。 若い女性なのだが、お嬢様なのか、ただバカなのか? 全て自分のレンズを通してクドクド説明をして話すのだ。 お客は親位の年齢で、こういうツアーに参加しているレベル。何でも解っている相手ということが解らないらしい。 まず結論を言って、その結論に沿って、その説明をするのが添乗員の当たり前の世界と思っていたが、初めから最後まで その逆をしているのだ。 全員がイライラしているのが解る。全て自分本位を、そのままお客に知らずに出してしまっている。 しかし良い点もある。「何々でございまーす!」と最後に歌うように鼻声をはりあげるのだ。 そしていつも現地ガイドと大声で 笑って話しているのだ。イライラもその声で、ガックリして怒りを忘れてしまう。まあしようがないかという諦めを押し付けてしまう。 これはノウハウであろう。 旅行は普段会えない人に会えるのがよい。 いやな人もいるが! ・・・・・・・・・ 550, ビールの飲み方 - 2002年10月15日(火) ベトナムに行った時の話だが、朝から晩まで中華系料理。昼飯も、どうしてもビールが必要になる。 一本なら良いが、異常な暑さの為どうしても二本飲みたくなる。もちろん350mlだが、脂系の食事のため二本を 飲むと腹の心配になる。そこで考えたのが、コップに一口分(5分の1)をついで、ゆっくり味わって飲む事だった。 それが美味しいのだ。少ないビールを味わって飲んだからだ。その後は全くその事を忘れていた。 先日、図書館で池波正太郎の「男の作法」という随筆集を借りた。その中でビールの飲み方が書いてあった。 「一口づつ、その都度ついでイッキに飲むこと」 なるほどと納得をした。それと酒飲みの底の深さを改めて知った。 私の場合はそれさえもユックリと飲む事だが。量の制限がない時も、少量を一気に飲むのも悪くない。 その都度接ぐのが面倒だが、そこを習慣をしてしまえばいい。ケチクサク見えるだろうが,美味く粋にのむ為だ。 日本酒をお猪口をひっくり返して底についで飲むのが安くて酔うのは知っていたが。 ・・・・・・ 「187]」強い人 2001/10/15 私の周辺に非常に強い人がいる。何を持って強いのかと難しいことは横において、そういう人を観察してみると、 10歳位までに両親の愛情をたっぷり注がれている。逆に弱い人はその時期、両親の不和とかで愛情が中途半端な人が多い。 精神の柱が愛情で出来ているのではと思われる。そういう人は、明るい、暖かい、さっぱりしているが反面,我侭だ。 (字数制限の関係でカット11年10月15日)
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2012年10月14日(日)
* 有神論と理神論と汎神論 ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、 答えればよい。私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 ただ、「今ここにある自分の存在」が 不思議でたまらない。「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した『神』をイメージした」と 一言でかたずけられない。 神という言葉の解釈がいくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー ≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創するという主要な仕事に加えて、 自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。 多くの有神論的な信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。神は祈りに答える。罪を赦し、 あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。 理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を支配する法則を設定することに限定される。 理神論の神はそれ以後のことに一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。汎神論者は、 超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を、超自然的なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは 宇宙の仕組みを支配する法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔に関心をもたず、 私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって干渉したりしないという点で有神論者と異なる。 理神論者は、彼らの神が、汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、ある種の宇宙的な 知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論であり、理神論は薄めた有神論なのである。 「神は老獪なれど、悪意はない」や「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」 といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく汎神論であり、まちがっても有神論ではない。 「神はサイコロを振らない」は「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけではない」と翻訳されるべきである。 「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外のやり方で始まることができただろうか?」 という意味である。アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫ ▼ 読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。日本人からみれば、何を今さらだが。 「神がいるかどうかでない、存在しなくてはならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。 ・・・・・・・ 3854, 50歳代が勝負時? 2011年10月14日(金) 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、 曽野綾子の「人生の良いところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 そこで考えついたのが、 「残りの人生を、50歳代の9年間の中に押し込んで生きる」ことであった。 想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に 圧縮して生きることである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思いついたのが秘境・異郷ツアー。 行きたいところをピックアップし、何はともあれ行くことにした。 年に4回も行った年もあった。 更に10年前の55歳の時に、 個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。 これを書き始めた5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。 毎年10パーセントの売上減が3年続いた。 そして4年目に入って中越地震が起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期借り入れの返済原資を 三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上である。 その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。 その結果、60歳辺りから心に大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚である。 人生の元を取った実感は、 心に大きな安心感を持たせてくれる。 その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上げ減の中でも、 そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、 この結果としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、人生のページの余白を埋めた為である。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めてしまうと、他人との比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を持って諦められる。 それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めることが残された人生の課題ということが分かる。 70歳まで、四年少ししか残されてない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。60歳前半は、リーマンショックで エネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖になってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、 捨て身で後片付けをする時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の 真っ只中、それへの適応時期になる。 時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、周囲も同時に回っているため、 それを自覚できない。時流も激しく変化しているが、見ても見えずが、我々。 人間は現象との情死?しかないのか。 自然と、芸術とに触れ、感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 さて、信濃川のポタリングに出るか。 ・・・・・・ 3489、金は暴落する! 2011年の衝撃 2010年10月14日(木) 「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著 先日、ここで取りあげた「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」鬼塚 英昭の最近の著書である。 要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりをさせ、2011年か2012年の早い時期に 金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。 わずか3年前の2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。わずか3年で二倍近い値段である。 これを著者はロスチャイルドと金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。 来年から再来年に金価格の暴落をはかり、 逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、 大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。 バブル崩壊後に狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでもない。 やはりソ連崩壊後、 ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中に ばら蒔いてしまったから始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ罠という。 ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、 次にバブル崩壊を狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、金を買い漁る目論見とみる。 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、おかしく書いてある。 ー つづく ・・・・・・・・・ 3114, つれづれに ー閑話小題 2009年10月14日(水) * 低反発マクラ 最近、ニトリに行くと低反発マクラとマットレスが山積みになって多く並んでいる。 売れ筋なのだろう。 (次数制限のためカット 2012年10月14日) * 最近の万歩計 20数年前から早朝ウォーキングを始めたが、15年前辺りから万歩計を腰につけて年間1万5千歩を数年の間歩いていた。 (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2749, ソロスは警告する −2 2008年10月14日(火) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー 『アメリカ経済の終わりの始まり』などの著者の松藤民輔の解説の中の次の文章が、 欧米のエリートの意識感覚を言い表している。これがアメリカのエリートだけでなく、日本の官僚や、 エリートの偽らざる意識である。 所詮そんな意識とて、猿回しの芸を仕込まれたエテコウが一方的に 大衆をブタと決め付けているだけのこと。そのエテコウの舞い上がった演技で最悪の犯罪を犯したのが、 このサブプライム問題。 しかし彼らから学ぶことは「哲学と歴史を学び続けること」である。 歴史と哲学は最も重要な基本的な教養であるからだ。といって所詮あんなものかと、冷笑して学ばなければ、 ブタと言われた時に認めざるを得なくなってしまう。 まあ、面白いから、一度は知っておくべき彼らの意識構造である。 世の中は差別で出来ているのです、 ー松藤民輔(解説文)よりー (次数制限のためカット 2011年10月14日) ・・・・・・・・・ 2007年10月14日(日) 2385, 私の嫌いな10の人びと −3 「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著) ー読書日記 2章の「常に感謝の気持を忘れない人」が中島らしく面白い。少し歯切れは悪いが、それでもただ無闇に感謝する日本人の感覚に 疑問を持つのも、ご尤もである。感謝を売りにして一財産をなした小林正観という人もいる。この人の本を何冊も何度も読んだが、 一度ひいてみれば、所詮は「感謝という言葉を売りにして、一財産を築いた男」でしかない。 英語で、まず憶えるのはイエス、ノーの次にサンキューであるから、大事なのだろう。 営業の場合、この人の本を読んで心から感謝をする訓練をすれば、営業ギアは一桁は間違いなく上がるだろう。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2006年10月14日(土) 2020, 13日の金曜日恐怖症 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 昨日は「13日の金曜日」であった。日本では、あまり騒がれないが、西欧社会では「13日の金曜日恐怖症」がある位、 この重なりの日は自重をしている人が多いようだ。さっそくネットの検索で調べてみたが、インターネットは手軽に 調べることができるから便利である。古代から、13という数字が不吉というのは、初めて知ったが金曜日との重なりを 嫌うのは週末もあるのだろうか?数年に一度しかないので、この機会に知っておくのもよい。 まずは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のー13日の金曜日ーから抜粋してみた。 ≪・キリストの最後の晩餐に13人の人がいたことから、13は不吉な数とされた。 ・またキリストが金曜日に磔刑に処せられたとされていることから、13日の金曜日が不吉であるとされた。 ・一説には、イヴによるアダムの誘惑も大洪水からノアが脱出したのもバベルの塔が壊されたのも 13日の金曜日だと言われるが、聖書にそのような記述はなく迷信の域を出ない。 (中間、字数の関係でカット2008年10月14日) ーリアルの例としては、 オーストリアの作曲家シェーンベルクが有名である。彼は1874年9月13日に生まれた。 13は縁起の悪い数とされており、7と6をたすと13になるから彼は76歳で死ぬと思い込んでいた。 1951年、76歳になった年の7月13日の金曜日。その日が来ると彼は用心してベットから一歩も外に出なかった。 そしてその日がいよいよ終わろうとする午後11時47分、彼は死亡した。 −−−− まあ、13日の金曜日は皆で、このような話を楽しむ日ということか。 (。^0^。)ノホンジャ、マタ! ・・・・・・・・・ 2005年10月14日(金) 1655, 北イタリア旅行記−6 イタリア三大巨匠 ーダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエロー このイタリア旅行まではフィレンツェの「ウッフィッツェ美術館」の存在を知らなかった。 この美術館にはイタリア美術史に燦然と輝く名画が勢揃いしてあり、馴染みのある絵画を次々とみることができた。 ・ボッティチェッリの「春」「ヴィーナスの誕生」 ・ミケランジェロの「聖家族」 ・レオナルド・ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」「受胎告知」 ・ラッファエロの「ヒワの聖母」 ・フィリッポ・リッピの「聖母子と二天使」 などなどである。 特に印象的だったのが、ダ・ヴィンチの「東方三博士の礼拝」である。この絵は下書きの未完のものだが、 「モナリザ」「最後の晩餐」に匹敵するもである。また、ボッティチェッリの「春」と「ヴィーナスの誕生」が素晴らしい。 「春」を壁紙のHPよりコピーして一ヶ月位パソコンの背景画にしていたので身近な感覚で観ることができた。 地元の女性ガイドが絵画の説明の中で、同時代に生きたダ・ヴィンチとミケランジェロ、そしてラッファエローの 三人の関係を解りやすく説明してくれた。特に、ダ・ヴィンチとミケランジェロの人間臭い対立のエピソードが面白い。 それぞれの絵画の中の意味を知れば知るほど、その奥行きの深さが伝わってくる。 きしくも、三巨匠にボッテェチェリーなどが同時代にいたことが不思議である。 「旅は肯定である!」と、何かの旅についての随想にあった。ー旅は、肯定するためにある。ときにおこなう否定もまた、 肯定の一種なのだ。人間は、存在そのものが「!」であり、肯定なのだ。− 全くそのとおりであり、人生にも通じることである。如何なる場合でも人生は前向きにあらねばならない。 憎むためでなく、愛するためにある。苦しむためにあるのではない、楽しむためにある。 疲れたら、休めばよい。 急ぐことはない。 旅行は、そのことに気をつかせてくれる。 ーつづく ・・・・・・・ 2004年10月14日(木) 1290, ダイエーが再生機構活用! 一昨夜、自宅の近くにあるダイエーの紳士売り場と、靴売り場を見て驚いた。売り場に商品が、あまりに少ない。 債権が焦げ付く可能性があれば、メーカーや問屋が商品の納入はしない。まさに末期現象と思っていた。 ところが、昨夜のTVのテロップで、「ダイエーが再生機構を受け入れる」と臨時ニュースを流していた。 これで、解体、売却の手順が踏まれることになる。一つの時代の終わりの象徴といってよい。学生時代、 ダイエーが流通革命の旗手として飛躍を始めていた。チェーンストア理論を売りにしていたペガサスクラブの優等生であった。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ 2003年10月14日(火) 923, アイスランド旅行記ー3 ーオーロラハントー 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。その時は「何だこんなものか」 という程度で、期待とは全く違うものであった。薄い雲がスジ状に光っているだけであった。 だだ行きの飛行機から見たオーロラがカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。 夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。天空に展開した時の感激は、想像をしていたより 遙かに神秘的かつ荘厳であった。写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。 これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に 壁になり揺らぐ青白光の波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。あとは「・・・」である。 取材できていた共同通信社のカメラマンが、「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と 私に話しかけてきた。「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。 その時、涙が出そうになっていた。以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。 「もういつ死んでもよいと思った!」「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」 それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。しかし、この言葉の意味が実際見て 初めて解った気がした。 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうだろう! ・・・・・・・ 549,「宣戦布告」 2002年10月14日(月) 先日、映画の「宣戦布告」を見てきた。 北朝鮮の拉致事件の帰国も迫っていることもあり、 迫力と現実味のある面白い内容だった。「日本海沿岸の海に,一隻の国籍不明の潜水艦が海岸近くで座礁した。 浮上した潜水艦からは、戦闘服に身を包んだ男たちが出現、夜の闇の中に姿を消していった。 −そんな中からかって無かった未曾有の緊急事態に見舞われる。 今の法律では北朝鮮の戦闘員に発砲すら許されない。 追い詰めるが、一方的に射殺されていく。そして全面戦争への危機に発展していく姿」をまねいている。 この危機状況は、現実に起きても不思議でない状況である。スターリン時代のソ連がプチ状態で存在しているのが北朝鮮。 (以下、字数制限の関係上、カット09年10月14日) ・・・・・・・・ [186] 野村と円楽 2001/10/14 10年前の話になるが、新潟の大蔵ホテルで野村と円楽の講演会があった。 メインが円楽で前座が野村であった。もちろん私も円楽がまず面白そうで、野村も面白いのではと期待していった。 まず野村が出てきた、そして黙って会場を見渡し、ニヤッと笑い、「大部分は女性ですね、私の話なぞ如何でもよい と思っているんしょう。円楽の刺身のツマぐらいと思ってるのでしょう」実際そうでだったから、ザワツイテイタ会場は シーンとなってしまった。その瞬間に野村のペースに聞き手をのせてしまった。 ー要点はー ・自分は投手の練習用のキャチャー「壁」として採用され ・数年後解雇を言い渡された・丁度その時父親が癌になっていた ・直接上司と掛け合い絶対に辞めないと粘りかろうじて首を免れた ・そのぎりぎりのところでどうしたら一流になれるか考えた ・一流の選手は持って生まれた天性ある、努力だけでは埋めがたい差がある ・そこでぎりぎりのところで、どうしたら一流になるための方法を考えたー頭を使ったー 等々、底から這い上がってきただけに、一言一言が経験のうらずけがあるため説得力があった。 また彼も浪人の真っ最中の状態で、話に力が入っていた。 今までー王、広岡、森と講演を聞いたが、 野村だけは底から這い上げって来たためか、ずば抜けた内容があった。 その日の円楽の話も力が入っていたが、所詮噺家の内容はしれたもの、しらけた会場の空気が漂っていた 。 さすがキャチャー、瞬間その場を雰囲気をとらえ、自分のペースに捉える術。今でもありありと憶えている。 キャッチャーは9人の選手のうち、一人だけ逆方向を見ているのだから。
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2012年10月13日(土)
ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。 欧米のように、生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で育ってない日本人は、神様目線が 殆どない。殆んどは、「神は妄想」と思っているし、神の話など家庭内では皆無だろう。しかし欧米では無神論者は同性愛と同様か 変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者などの狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。 まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより ≪ 人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? 物事は、宗教が絡むとフリーパスになることがままあるが、 なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会の あり方は、おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっている著者は、かねてから宗教への 違和感を公言していたが、9・11の「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられなくなった。 「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについて あらゆる方向から鋭い批判を加えていく。 宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインを自称する、進化論を 学校で教えることに反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。あえて反迷信、反・非合理主義の 立場を貫き通す著者の、畳みかけるような舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫ ▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、 注目された内容。 9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉に対し、知人から 注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。 とはいえ、知識を持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。自然以外に、まず、それに アブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは 至極当然で、その対立は激しさを増している。そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる視点も、よく分かる。 「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの 猿が進化した生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、自然世界の時間をかけた 進化などをさせてきた、自然法則を神として理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく ・・・・・・ 3853, シリアスでストイック 2011年10月13日(木) 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。 シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。 コミックでは、「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。 ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という場合は自分に厳しい人という意味になる。 「今回のヒロインはシリアスでストイックなキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、 「ヒロインは極めて真剣で、自分に厳しいキャラなので・・・・」という意味になる。 プロの選手や兵士、そして原稿などの締め切りに追われている作家などは、シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。 漫画でいえば、「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。 そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイックに過ごさなければならない」ことになる。 まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。いや、「ファニー」の一日かもしれない。 その対義語ではないが、正反対のキャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風 変わった。」という意味。 お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。サンマ、タモリなどが、このキャラになる。 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスでストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を変えれば、違って見えて当然だが。 人生を振り返ると、この3つが混在している。 私の場合、「リアル」で、 かつ「コミック」も加わる。 まともに生きればシリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれていなくては、とすると?・・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ? ・・・・・・・ 3488, インコのクシャミ 2010年10月13日(水) ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。 籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣になっている。しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場で ジッとしている。呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで椅子に座り、みていた。 時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。 そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。 小さくクショッと人間のようにするのである。 そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、 クシャミまでするとは思ってもいなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲っているのをみて、何だろうと思い、 8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。 インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。 クシャミをし、全身の毛が逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。 ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコをしている」が、そのまま全身から伝わってくる。 全身で苦しみ、全身で喜びを表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は「ありのまま」で生きている。 だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。
・・・・・ 3113,イチロウの言葉 2009年10月13日(火) 以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けている。 それに対して的確な自己分析を理路整然と話せるのスポーツ選手も珍しい。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・ 2748, ソロスは警告する −1 2008年10月13日(月) 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著 講談社 ー読書日記ー まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い! 生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月13日(土) 2384, こころの旅 −1 「こころの旅」神谷 美恵子 (著) 藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、 もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。 一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を 感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。 (以下、字数の関係上カット、 09年10月13日) ・・・・・・・・・ 2006年10月13日(金) 2019, 「私」のための現代思想 −11 (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。 「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。 「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。 《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。 <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。 そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の 存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。 第四章「私」にとって「他者」とは何か −? =「ともに生きる」ということ= −なぜ人は顔を露出するのかー <他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。 実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。 つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。 そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に 「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、 顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。 「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日) ・・・・・・・・ 2005年10月13日(木) 1654, 北イタリア旅行記−5 ーチンクエテッレー この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように 家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように 好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、 ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。 (字数の関係上カット2008ねん10月13日) ・・・・・・・ 2004年10月13日(水) 1289, 「元気の出る言葉」ー4 ーどん底からはい上がるコトバー1 どれだけ、どん底で先人の一言で励まされたことだろうか。 「元気の出る言葉」シリーズの中で、やはり胸を打つ言葉が多い。 読んでいて思った事は、実際あの時、果たしてどん底だったのだろうか?今回の一言は、特に気持ちをこめた。 正反合の反という意味で、後で読んだときの思いが合になる。 第三者の視点も合になる。 ーー ■心配すんな、どうせ死ぬんだ。 (by 軌保博光) 一言〜それが解かってないから心配する! でも、死ぬことを常に忘れるな、 そこから自分の人生を見つめよという点で良い言葉。 ■自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。 (by 高橋がなり) 一言〜現在という瞬間の継続が、潜在への入り口。 ■時間が迫ってきて追いこまれて「もうできるとかできないとか、そういう問題じゃねえ、 とりあえずやるしかねえ」って決心した途端に、一件目が決まる。 (by 高橋歩) 一言〜本当? ■「わくわく」センサーに従って、進路をズバッと決めてしまうこと。 (by 高橋歩) ■今がんばらなければ、いつがんばる。(by 藤田晋) ■ぐちだけは、言わんとこうな。 一言〜愚痴か〜 、一人で布団の中で泣くのとどっちがよいのかな〜 ■人生は10段変速の自転車のようなもの。 自分が持っているものの大半は使ってない。(by チャールズ・シュルツ) 一言〜一段だけの人もいるんだよな〜 ■なんのために生まれてきたのか。答えは1つ。 生まれ変わるため。(by 中谷彰宏) 一言〜うん〜〜〜?! ■乗らないと損だと思える提案をせよ。(by 神田昌典) ■自己実現とは、今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だ。 (by アブラハムマスロー) (以下、字数の関係上カット、 09年10月13日) ・・・・・・ 2003年10月13日(月) 922, アイスランド旅行記−2 ーアイスランドを印象順に書いてみるー 字数の関係上、カットしました。(2007年10月13日) --------- 548,予定挫折 - 2002年10月13日(日 ミスマッチの組み合わせの言葉である。挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。 この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいてその準備をしておく事である。 私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。 必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。大体が7年である。その時期を読み、変化を積極的に自分で 創らなければならない。その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。 スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツを覚えた事があった。 その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。 予定挫折を初めから組み込み、その時期がきたら割り切ってしまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。 ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。 有名らしいが漫画を見たことがない。 曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰ったし、もうやり残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。 それで生きていけそうだし楽しい!」私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。 五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。 予定どおりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。これが予定挫折というのかと苦笑をした。 しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。挫折時期はある程度読めるものだ。定年退職やリストラとかで、無知の為に 中年クライシスになってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。 準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!! ・・・・・・ [184] 基本 2001/10/13 この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。 以前はまる三日、最近はまる一日になった。真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。 結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。本当にどうなっているのかと、 開いた口がふさがらない事が多いが、もうなんとも思わなくなった。対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく! それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は 1、本を読むこと 2、日記を書くこと 3、相手の話をきっちり聞き取る事 4、自分の言うべきことを明確にする事 5、メモをとること 6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転) 7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事 8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事 等々おしえる。 しかし一番勉強になるのが、自分自身である。 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、 自分自身にそのまま教える事になるからだ。 全てが大事な事だ。 読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。 本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。 それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。
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2012年10月12日(金)
ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 「開国」とは何だろう 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。 TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに不利になるため、従うしかない。 属国から離脱など出来ないように囲い込まれてしまっているのが日本である。 ーその辺りからー ≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」 だといってきました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。 「開国」とは異質なものに出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。「開国」とは、何よりまず、異質な文化、 社会、宗教などに出会うことです。そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。独自性です。自国の、 自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることこそが 「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということではない。世界には、西洋もあれば、中国も、 インドもイスラム諸国もあるのです。しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、決して イスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。 いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」といった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。 「世界標準」とはアメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことなのです。「世界に乗り遅れる」というのは 実は「アメリカに見捨てられる」ということなのでした。 ≫ ▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を 覆ってしまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人がポケットに持ち歩けるようになった。それで、 個人情報の受発信が気楽に、しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し進めることになる。 それは、情報をコントロールでき、利用できるものと、出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが アメリカの一部の人たちである。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の 日本の水準から見れば下流になる。総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流ということになる。 預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を入れれば、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、 日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。 ・・・・・・ 3852, ツレがうつになりまして ー3 2011年10月12日(水) 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、 木の実ナナなど多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。 タレントの何人かが手記を出しているが、本当に辛そうだ。 老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常になる。 長生きの人生の利子。 私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、 長年、その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小? で済んでいる。 対策として、直後から、 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。 その為に、哲学書を一歩踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。 しかし、この結果に対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。当然のことだが。 欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなること。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大な エネルギーを要する。そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、ますます辛さが積もっていく。 私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、その崩壊は最小で済んでいる。 所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。 地域社会を象の皮膚の隙間とすると、 そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。 経験からして、心の傷は癒えるのに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。 時間が全てを解決すると腰を据えるしかない。 結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。 軽いのを入れると三分の二あたり。 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。 それが出来ないから欝になるから、これ愚答。 そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を変える、趣味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、 (神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。 これは神様の情け。 気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。 ・・・・・・・ 3487, ジョハリの窓 2010年10月12日(火) 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると 【ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく説明した。 コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。 <4つの窓> A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」 : B.他人は知っているが、自分は気づいていない領域「盲点の窓」 C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」 : D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して 「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。 その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げるためには 友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを率直に伝えることが大切。 このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し、「未知の窓」を広げていく。】とあった。 〜〜 私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ移行してきた。 そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。過去を思いやった時に、鳥瞰の視線で BとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。 その時点で気づかない未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、 神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化の プロセスが遺伝子に書き込まれている潜在意識の世界が隠されている。 開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。 自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。 驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。 外は、広い、内は、深い! そして人間には限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・ ・・・・・・・・・ 3112,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー5 2009年10月12日(月) 初めは、この返済猶予法案は難しいだろうとみていたマスコミなどの観測を尻目に、あれよあれよのうちに成立しそうである。 ( 字数の関係上、カットします−2011年10月12日) ・・・・・・・・ 2747, 仙台視察の二日間ツアー? に参加して 2008年10月12日(日) 商店連合会の仙台市の商業事情の視察バスツアーに参加してきた。 これまで地元の名士様と群れるのをタブーにしてきたが、全て無料と、仙台が一極化で顧客を集めているのを ニュースで見ていたこともあり、有難い誘いと参加してきた。 時系列に日程と概要を書いてみると・・・ 28人乗りの中型観光バスで、総員17名で、まずは牛タンの専門店で昼飯を食べ、仙台の商工会議所に訪問。 仙台の実情を聞いた後に、駅周辺の繁華街を見て周り、一度ホテルに戻って、18時から宴会。 2時間飲んだあとは、30分ほど飲食ビル街を散策後、国分町のトアル店に入る。少し高級そうで 6千円位の店と思ったが、「うちは飲み放題で4500円よ!」と言われ安心して、ダブルの氷割りを5〜6杯を飲む。 ( 字数の関係上、カットします−2012年10月12日) ・・・・・・・・・ 2007年10月12日(金) 2383, 私の嫌いな10の人びと −2 中島 義道 (著) ー読書日記 まずは、この本をダイジェスト的に書いてある最終章をコピーしてみる。 ( 字数の関係上、カットします−2008年10月12日) ・・・・・・・・・ 2006年10月12日(木) 2018、「私」のための現代思想 −10 「『孤独』とともに『自由』が発生する」の極みは一人旅であろう。 そういえば自由は孤独の極みにあった。過去を振り返ってみて、孤独の極みのときに一人旅に出ていた。 そして結婚と同時に自由は狭まり、孤独(感)も激減した。互いに首輪をつけて紐を握られ、握ってしまったからだ。 ( 字数の関係上、カットします−2009年10月12日) ・・・・・・ 2005年10月12日(水) 1653, 北イタリア旅行記−4 字数の関係上、カットします−2007年10月12日 ・・・・・・・ 2004年10月12日(火) 1288, 「閑」のある生き方ー読書日記 −2 11章の「今ココに」の心得が含蓄が深いので抜粋して、そして考えてみる。 ーー ・ー現在只今の自分を全肯定できること、これが人間として達しうる究極の境地である。 そこに達すれば現世の中で翻弄されている最中でも平然としていられるのだ。 ・「今ココニ」は過ぎ去っていくのではなく、自分が生きている事実がつづくかぎり同一のものとしてあり、 しかもそれがただち永遠につながっていることが、次第にわかってくる。 それは心の時間というべき状態である。 鈴木大拙はそれを「零=無限」として、こう言う。 「空」は空間の義に思い違えられるおそれがある。それで仏教者はいつも その弁明に悩まされるが、存在といえば、いつも空間の存在の義に考えられ、時間を入れない。 しかし実際は空と時とを分けるわけにはいかないのである。空と時を合わせて「一念」というほうがよい。 hereーnow が、それである。(略)とにかく、「空」を時の上から解釈して、「即今」という。平たくいえば、 ーただいまーである。 「空」がわかるというのは、その「ただいま」がわかるという意味である。 「ただいま」を手に入れなくてはならぬ。この「ただいま」を無限そのものだと悟るとき、零すなわち見元の式が成立する。 アッというこの一瞬が直ちに無限の時間そのものであると気のつくとき、東洋思想の根底にふれることができる。 鈴木大拙「東洋的な見方」岩波文庫 「今ココニ」を丸ごと心で把握するなら、そこにはあとに残る過去も先に待つ未来もなく、ただ永遠の今があるだけと いうことに気づく。空間が時間であり、時間が空間であり、その空間とも時間とも名付けられぬ絶対の現在がある。 それが生きている場である。そこから見れば、物差しのような時間観念はただ外にある人工的尺度にすぎない。 我々にあるのが「今ココニ」だけであると同様、二千年前に生きたセネカやエピクロスにも在るのは「今ココニ」だけである。 だから現在の自分とセネカは「今ココニ」というところで一つになる。これが人間の生きる時間の面白いところで、 過ぎ去っていく時間という観念から自由になれば、人は永遠の時の中に行き始めるのだ。 −−− 以上であるが、この随想日記の過去分を読んでみると数年分の同月同日の「今ココニ」に、毎日出会っていることになる。 いや36年前の日記の自分の今ココニとも同じことだ。その意味で感情を文章に込めて書くことの重要性の意味が納得できる。 気持ちを込める、魂を込めるということは、現在の今ココニに現世を 超越した永遠の世界に入っている事になる。 「茶道」の世界に「一期一会」も、「今ココニ」の世界である。 その瞬間こそ、自分に生きていることになる。 ーーー ー「閑」のある生き方ー 著者 中野孝次 発行元 新潮社 2004年10月3日長岡中央図書館 ・・・・・・ 003年10月12日(日) 921, アイスランド旅行記−1 ー2003年 10月4日〜10日 ーアイスランドという国とは ー 直行便がアイスランドに初めて出発するという新聞広告をみて、急に思い立ってアイスランドのツアーに参加をしてきた。 行って解ったことだが、今年から捕鯨を開始をしたアイスランドに対して欧米の観光の予約のキャンセル相次いだという。 その穴埋めということで国をあげての企画であった。9月27日、10月4日、10月11日とそれぞれ240名、 合計720名の満員の大盛況。何か秘境?に行った感はほとんどなかった。 もちろん直行便はよいが、乗り継ぎで現地の人の間に好奇の目にさらされて行くから面白いのだが。 乗り継ぎのエネルギーも大変だから贅沢は言ってられない。アイスランドと聞けば「氷と火の島」というのが印象である。 一般的には『それってどこにあるんだ』ってことである。この国の位置はイギリスと北極点の丁度中間に位置している。 大きさは北海道と四国を足した大きさになる。 そこに人口僅か28万人、首都レイキャビックに 18万人が住んでいる。 イメージは極寒の地であるが、実際はそうではない。 ・火山の国である為、地熱で温泉があちこちに沸いている。 ・更にメキシコ暖流が周辺の海に流れ込んでいる。 ・また氷河によって永い年月で出来上がった小さなテーブルマウンテンが 多くあり、それが北極の冷たい風を防いでくれる。そのため北極圏にしては暖かく、住めば都のようだ。 人口の50パーが漁業関係に従事している。 また地熱を利用したビニールハウスで野菜や果物ートマトやバナナやメロンなどが栽培されているのだ。 家も92?が地熱のお湯で暖房されており、地熱利用の発電所も多くある。 ー日本人の若い女性現地ガイドが面白い内情を話してくれた。 ・一見豊かさそうに見えるが、習慣としてローンを組む国民性があり、 借金でどの家庭も火の車という。一般的には手取りで20万足らず、物価が高い為夫婦共働きだという。 反面社会保障が充実しているため、将来の不安は少ないという。 医療費は大病の場合は無料とか。島国根性で見栄っ張り、外見を飾りたいとか。 ー何処かの国に似ている。 ・自殺の割合が、十代ではヨーロッパで一番多いという。 −これは一日八時間の日照時間に関係している。 ・消費税が24?もあり、更に小国のこともあり食料以外の殆どが輸入品である。 そのために物価が非常に高いのが特徴。 だいたい日本の物価の1・5倍である。 いかに高いか解るだろう。 ・犯罪はほとんど無く、殺人は三年に一度あるかないかという。 大統府も小さなオフィスのようであった。 ・どの人も何処かで人間関係が繋がっているという。 したがってあまり目立ったことができないとか。 −続くー ・・・・・・・・ 547, 人生で一番よい時 - 2002年10月12日(土) 母から聞いた話である。 母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いがうまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の 祖母の励ましの話が良かった。「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」私の一番苦しい時に聞いた言葉で あった為か、強い印象が残っている。小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得するものである。 祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。人生の深淵のある言葉である。 「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」という気持ちの意味が背後にある。 人生から逃げ回っている人が本当に多い。逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。 そしていつも逃げ回ろうとしている。このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。 「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。苦しむから歓喜があるのだ。 マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。 最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?
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2012年10月11日(木)
ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的城下町の世界だった。 とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れることだった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。 新潟市でさえ外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国だった。 住居を長岡、 事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。それも首都圏から見れば似たようなもの。 それを逆照射してみると、世界というより欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。 5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、その文化の高さに驚いてしまった。 当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼすほどの近代化された軍隊であった。 世界>東京>地方の図式は、 こと日本において、決して当てはまらないのである。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。 東京へ行くことは、また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいることは内向きで閉鎖的な部族民に 甘んじることなのです。そして、この場合、「東京」が普遍的な「世界」を象徴するとすれば、「地方」や「田舎」は特異な「日本」 そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で 連想するのは、田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりするのです。だから、確かにここにはかなり 「複雑」な事情があります。このことを突きつめてゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。それはこういうことなのです。 「開国の論理」とは、まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の近代化とはまさしく「田舎」を捨てて 「都会」をとろうとしたのでした。「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのものといってもよい。 日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。 この同じ論理をもう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、「日本」=「田舎」と見なせば、 ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、 自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫ ▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と 蔑んでみている。当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方出身者に向ける。地方の人も、自然と 固定観念に染み付き、自虐の念になる。しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。大方が気がつくには死期が迫った時。 ・・・・・・・ 3851, ツレがうつになりまして −2 2011年10月11日(火) この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。 学生時代の友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になってきて、それ幸いと古町などで15年ほど隔月ごとに 飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の聞き役。 支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に向いてしまう。 それも数値責任を達成した上だから、たまったものではない。トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の 辛らつな虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。 主人公も、外資系の会社で、リストラ、効率化、顧客主義、徹底した コスト削減、顧客のクレーム処理で神経を磨り潰す。 几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、鬱病が表立つ。 そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を打ち止めになった出版会社の担当に 「ツレがうつになりまして、お願いします、仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、 欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。 その必死さにうたれた担当が、その人を紹介し、それが、この 「ツレがうつになりまして」を書くキッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、ウツに追い込まれる人が 多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。 他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しくない。 事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も 当然起きてくる。 その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を冷笑している心の奥の視線もある。 当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、あれこれの思いが巡る。 それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。 それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は言葉で言い難い。 事業を興し、上手くいっている時は、 この世の春。しかし、ある時点から転げ落ちるように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 それでも手元資金が完全枯渇する 半年前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。 ≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、 できることからやるの「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく ・・・・・・・ 3486, つれづれに ー閑話小題 2010年10月11日(月) * ガラパゴスに戻って 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモの携帯に切り替えて7日が経つ。 二年前にiPhoneに切り替えたドコモの携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になったこと、画面が大きくなったこと、 カメラが810万画素になり、タッチ式になったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。 他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、ということで今の機種を選定した。 しかし他の機種で4〜5万を出したものなら、その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。 * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、 1994年のピークの664万円に比べ2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり続けている。 世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働きに出たり労働時間を延長したこと、などがある。 増税などを含めると、世帯の収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の世代の大量の 定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行とともに日本経済はますますダウンしていく。 おそらく10年で、更に2〜3割以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円になると、 勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。反面、それほどの貧困感は出ることはないだろう。 中古市場や、フリー(不用品の無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあうシステムが ネットを通して働くからだ。貧乏だけど、最低限のモノや情報には不自由しない時代になっていく。 ・・・・・・・・・ 3111,つれづれにー閑話小題 2009年10月11日(日) *「正座が趣味」は、言い得て妙である ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、 私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、 正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、 腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。 私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、 両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、 どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。 〜〜 * 自民党総裁選の結果を総括する! 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。 恐らく、当たり前のことを当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。 しかし新聞にしろマスコミでバッサリと斬った内容を見てない。 ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を 分散するための、「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。 要は、河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。 「森元首相など戦犯を追放し、民主党の大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」 全く、そのとおりである。 それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、 これまでの体制を維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では 必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば 必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って 保守本流の自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。 これで、官僚と自民党の守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。 そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。 ・・・・・・・・ 2746, 閑話小題 2008年10月11日(土) *7日間で3000円の下落 株式が7日間で3000円の下落した。それにしてもテンポが速い!フリーターなどの弱い部分に直ぐ影響が出てくる。 その結果、暴発したした事件が続くことになる。昨日、大和生命が倒産したが、この数年間は倒産のニュースが続くだろう。 他人事ではないから・・・全ての会社、個人にとって、最善を尽くして結果を待つしかない。 歴史的な経済崩壊の日々を生生しいく記録するのも、後年のため良いだろうと思いつつ連日、同じようなことを書いている。 それにしても中越地震、中越沖地震と大きな事件を経験した直後に歴史的なアメリカ発、世界恐慌?を目の当たりにするとは。 それから発生する不安定が、さらに世界戦争レベルの事件を引き起こす可能性がある! 6年前の同日に、 奇しくも8200円割れになったことを書いていた。この後に7600円まで下げているが、当時と、どちらが厳しい状況だろうか? 株式も考えてみたら、共同幻想で成り立っている。それが崩壊してしまえば、下げは下げを呼ぶ。 *「仙台視察」の感想記 仙台は何度か行ってるが、町内の副会長に「一人ドタキャンが出たので、仙台視察のツアーに参加しないか」と誘われて、 参加してきた。仙台の町内会連合の偉いさんや、商工会議所の担当のレクチャで驚いたのは、東北六県の一極集中化からくる、 景気の良さと強気である。しかし、不動産バブルが崩壊直後という感があり、10年間は、その影響で苦しむことになるだろう。 三井不動産が開発したアウトレットのSCが、ナカナカ面白い。 まだオープンをして一ヶ月だが、大成功のようだ。 10月の16日に、やはり郊外に三菱が同じようなアウトレットのSCをオープンさせる。 これが大きく仙台駅周辺の商店街に影響を示すだろう。 何処も同じ様な現象である。 ・・・・・・・・・ 2007年10月11日(木) 2382, 私の嫌いな10の人びと −1 「私の嫌いな10の人びと」 中島 義道 (著) ー読書日記 この本の要点は「『いい人』の鈍感さが我慢できない」に言い尽くしてある。なるほど、言いえて妙であるが、 『いい人』にも色いろある。中島の嫌う『いい人』というのは世間的な「いい人」である。 それに対し『良い人』とはカントのいう『良心』を持った人ということである。生活していると、積もり積もってゆく 世間の重圧がある。それらに押しつぶされている人達は、良心を足蹴りにしても世間的慣習を優先する。 笑顔を強制されたり、感謝を要求したり、善意を押し付けたり、前向きにさせたり、けじめを教えこんだり、 世間的「いい人」であらねばならないという脅迫観念に、全神経をすり減らしている。 この本の目次を、そのまま書いても、その「世間的いい人の型」が見えてくる。「何時も笑顔を絶やさないで、 感謝の気持ちを忘れないこと。そして周囲を喜ばせ、何ごとも前向きに、自分の仕事に誇りを持ち、けじめを大事にして、 喧嘩をする人がいたら宥めて、人の嫌がることは言わないようにして、卑下することなく、悔いないように生きていくこと、 それが人生の目指す姿である。」まあ、何処でもいる人格円満を演じている市会議員か、地方名士の仮面の姿である。 自分自身からして笑顔と感謝の心は心がけているし、前向きに生きようとしている。 更に、『人生に悔いなし』と自分の生き方を正当化しようとしている。 (字数制限のためカット2010年10月11日) ・・・・・・・・・ 2006年10月11日(水) 2017, 北朝鮮の核実験について 才八∋ウ_〆(∀`●) 「ついにきたか!」というのが、このニュースを聞いた時の実感である。朝鮮半島の情勢が、そのままつづくとは思えなかったが・・・ ( 以下は字数の関係上カット・2011年10月11日 ) ・・・・・・・・ 2005年10月11日(火) 1652, 北イタリア旅行記−3 昨日の午前、午後にかけてタイミングよくNHK総合で『世界遺産イタリア縦断1200?・総集編』を放映していた。 今回の旅行前(8月と9月)にBSで放送したものだが、行く前と行った後では、見る目も違ってくる。 今回行ったところではシエナと、チンクエレッテがあった。とにかく石の文化は残るからよい。 一度つくってしまえば、数百年も先祖代々住みつづけることができる。やはり、 日本とは歴史の深さからくる民度が圧倒的に違う。またイタリアも北と南との豊かさの格差が大きい。 ーフィレンツェー ルネッサンス発祥の地”フィレンツェ”。フィレンツェ歴史地区はフィレンツェの中心部であり、 ユネスコの世界遺産(文化遺産) に登録されている。 歴史的な町並みが広範囲かつ集中的に保存されていて、ルネッサンスの芸術や文化を感じることができた。 イタリア統一後、短期間イタリア王国の首都がおかれていた。 (1865年-1871年)。 フィレンツェは長期にわたりメディチ家の支配下にあった。中世からルネサンス期にヨーロッパにおいて、 商業および金融の重要な中心地であり、文化の中心地域としても発達し、美術、建築の傑作が数多く残されている。 黄金期のミケランジェロやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの作品が残り、街全体が美術館のような佇まいになっている。 ーその幾つかの概要を書いてみるー ・大聖堂 フィレンツェといえば、その象徴とも言える大聖堂である。別名「サンタ・マリア・デル・フィオレ(花の聖母寺院)」 と呼ばれ、白・緑・ピンクの色大理石を巧みに使った優美な外観を持つ。量感と均衡に満ちたイタリア独特の ゴシック建築である。着工は1296年カンピオによって始められ、その後ルネッサンスの建築家ブルネレスキが 14年の歳月をかけて大円蓋(クーポラ)を架け終ったのが1436年のことである(頂上のランタン部分は1461年に完成) ( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 ) ーーーーー 2004年10月11日(月) 1287、「閑」のある生き方ー読書日記−1 そろそろ定年をむかえる団塊世代を意識した内容だ。現代人は忙しいが、忙しさに流されたままでは充実した人生が送れない、 その中にあって「閑」のある生活が、不可欠である。内なる自分を優先して生きる為に、生活を単純化して、自分の ハートを 大事にして、自分の納得した生き方を勧めをしている。著者は「風の良寛」「老年の愉しみ」「自分を生かす”気”の思想」 を読んで、質素な老いの生き方に同調、「老いの生き方」の準備の必要性を説いている。そこには多くの引用があった。 (以下は字数の関係上カット・2008年10月11日) ・・・・・・・ 2003年10月11日(土) 920, ある時間の断面ー41 11月18日 1968年 ・11時起床 15時過ぎまで試験の勉強をする。その後、試験のため大学へ行く。 試験終了後、学食で酒向と偶然会う。川崎君と三人で「嵯峨」で一杯飲み、その後パブ「エリート」へ行く。 ( 以下は字数の関係上カット・2008年10月11日 ) ・・・・・・・ 546、株下がるー非常事態? - 2002年10月11日(金) 株価が一時だが8200円を割った。8500円までは下がるといっていたが、軽く割ってしまった。 今度は8000円を割り込むかのポイントになってきている。7500円を割る可能性もでてきた。 8000円を割るということは殆どいわれてなかった。「どうなるんでしょうか?」と聞いても、 誰も経験してないのでコメントのしようのないのが実情だろう。銀行に金を借りるとき、持合で その銀行株を持たされるケースが多い。痛むのが銀行だけでなく、持合の会社も足を引っ張られるのが多い。 数年前に地元のスーパーがそれで数億引っかかったことがある。 長銀だった? (字数制限のためカット2010年10月11日) ・・・・・ [181] テロの影響 2001/10/11 昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに 目を通して、改めて戦慄をおぼえた。‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!やはり初め直感したとおり、 9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。 (字数制限のためカット2012年10月11日)
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2012年10月10日(水)
ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か? 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。 一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と 教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、社会を、 人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー ≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、 まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは事実でしょう。 彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全く そんなことはありません。・・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は 「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。 知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、彼らは、彼らに都合のよい西洋の思想や学問を取り入れて、それを「科学」 といい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=「専門的」=「先進的」であり、これに対し、 「日本的思考」=「非科学的」=「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」「専門家」「先進的」 の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と同じ。 この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という 特権的立場を手に入れたのです。・・(中略) ・・ この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を開かないと、世界の 潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、 「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式 だったのではないか。この「世界」を「東京」に、そして「日本」を「田舎」に置きかえてみましょう。 ・・・ ≫ ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が果たしては特異で後進的か?を、問うている。 それまでの欧米は、自分たちは文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させるという建前で、 世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、 という刷り込みではないかと、著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。 真の支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! ・・・・・・・ 3850, ツレがうつになりまして −1 2011年10月10日(月) 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。 TVでも放映され話題になったストーリー。 ところで、 もう亡くなってしまったが、前の会社の取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に 暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。 ところが20数年前のバブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。 その症状のまま営業や知人先に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、 晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、 再発の報告と相談に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や精神科学の本の言葉で、何とか 危機を乗り越えてきた体験があるので、痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは ≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいことではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人は いないのと同じ。 上司に正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりにすれば、それ以上悪くなる ことはないし回復は最短になる。とにかく拗らせないで治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度ぐらいは来ていたが、その都度、初めに飛び込んでくるのは私のところ。 欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが山ほどある。 しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時入院をするようになっていた。 会社は管理職からヒラになったが、 最後まで病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、他人に危害を加えるかどうか。 その辺はギリギリでセーブをしていた。彼の場合、多くの友人がいて、その失敗を見守って許してくれる人間性があった。 営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。 その人も7年前に癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。 欝による失態も、決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に 感情移入をし、涙をしながら見入ってしまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、 何らかの成人病が出てくる。 欝になるな! という方が無理な話。 その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、 割り切りきった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた方が良いことになる。 私は子供の頃から仏壇前のお経だった。 次回は、映画の感想文・・ ・・・・・・・ 3485, エッセイ脳 ー2 2010年10月10日(日) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー ・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、 「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共) の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。 ・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。 ・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。 「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。 ・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。 ・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。 ・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」) を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。 ・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。 ・注意事項として�ゞ饌寮�に心かけ�∧絃呂話擦��J犬慮�た目(ビジュアル)に配慮ー余白など�な犬離螢坤爐貿枸犬垢襦△砲覆襦� 〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。 ・・・・・・・・・ 3110,生きる幻想 死ぬ幻想 2009年10月10日(土) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を 世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、 といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。 「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。 現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。 ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。 本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、 そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、 人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。 自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう 世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、 現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を 形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。 この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略) ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、 多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると 言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな 形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。 ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。 一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、 差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、 信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。 (以下、字数の関係でカット2010年10月11日) ・・・・・・・・・ 2745.サブプライム問題と「ファウスト」 −2 2008年10月10日(金) *メフィストフェレスのモデルはジョン・ロウ ゲーテが第二幕のこの場面で、「紙幣」の創造を語ったのは、単なる思い付きではなかった。 それは、「ファウスト」という作品そのものの制作動機と深くかかわっている。つまり、「紙幣」の創造に象徴される「錬金術」 こそが、この不滅の名作のテーマなのである。南ドイツのフライブルクに近いシユタウフェンという町に、こんにちでも獅子亭 という宿屋が残っている。 (以下、字数の関係でカット2008年10月10日) ・・・・・・・・ 2007年10月10日(水) 2381, 下流社会 第二章 産経新聞・土曜版の産経書房というコーナーの 「下流社会 第二章」 ーなぜ男は女に負けたのかーの書評が、面白い! 買って読むほどではないが? 前書の「下流社会」を読んでいたので、尚のこと面白い内容だった。 (以下、字数の関係でカット2010年10月11日) ・・・・・・・・・ 2006年10月10日(火) 2016, 「私」のための現代思想 −9 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス! *まずは第四章の内容を大まかに書いてみる この章では、「私」にとって「他者」とは何かを掘り下げている。「他人」と「他者」の違いと、「他者」は「私」 にとってどういう位置づけなのか? その意味と位置づけが、この章を読んでいると少しずつ解ってくる。 「私」は<他者>の「声」の存在を通して「境界」の存在を察知する。その境界の中で、芯としての《私》に気づきます。 他者との境界が、内なる《私》をつくっていく。他者は時間とともに変わり、消滅しても「境界」と、内なる《私》は残る。 この汝らとの境界が発生することによって、それまで未分化だった「私」は、明確な「形」をもつようになります。 これが《私》の発生です。《私》は、他者の「声」に触発されて発生する「私の核」である。それがいつの間にか、 私の境界を守るようになる。それが孤独を発生させ、「固別であること」の自由を得ることになる。 その《私》は「他者」を自分の都合の良いように認識する、その姿が「他人」となる。「他人」の姿は、《私》が自分の 物語のためにつくり上げた「他者」の像でしかないのか? そう考えると、全くその通りでしかない! ー以下は、要点を抜粋した内容であるー 第四章 「私」にとって「他者」とは何か −? この章では、私たちの存在の核である、《私》の成り立ちを明らかにすることによって、<私><身体>を 所有することを考えていく。他者と他人は異なる概念であるということに注意すること。 <他者>が、<私>によって認識されたとき、その認識された像を「他人」という。 ここでは、まず「<他者>とは何か」ということから考えはじめる。ところで、<物語>と<世界>を所有した人間は、 その物語を遂行する際や、世界認識において、<他者>と対立します。<社会>とは、異なる物語を生きる者たちの 集合体なので、そこに行き違いが発生する。行き違いを調整して同じものを目指そうとする必要がありません。 <他者>の了解不可能性を認識し、闘い、共振することを目指すだけで、<社会>を所有することができます。 <他者>の存在を想定することによって、<社会>を所有することができるのです。 ーレヴィナスの <他者>− (以下、字数の関係でカット2008年10月11日) ・・・・・・・・ 2005年10月10日(月) 1651, 北イタリア旅行記−2 ードロミテ渓谷ー オーストリアと国境を接するドロミテ渓谷。アルプスの雄大な山々と奇峰の間の道をバスで通りながらみる光景は 感動の連続であった。オーストリアからの抜け道的な道路は、第一次、第二次大戦の時の軍事道路として開発され、 その後その景観の美しさから山岳リゾート地として知られるようになった。イメージとしてスイスに酷似しているが、 210?にわたる道路からみる景観は今回の旅行のハイライトであった。その中で、やはりボルドイ峠にみる カレッツァ湖の美しさが感動的であった。石灰岩の岩肌がむき出しのノコギリ状の山々が次から次と雄姿を現していた。 山と空は、その地域特性をそのまま露出して見せてくれる。観光初日で、既に感動のピークになってしまった。 山の美しさは、何故これほどまでに人の心をうつのだろう。カナダのロッキーが広大の大地を背景にした 山の美しさなら、ドロミテは奇景の山並みの間からみる美しさである。 ーべネツアー (以下、字数の関係でカット2012年10月11日) ・・・・・・・・ 2004年10月10日(日) 1286, 内部告発ーもう一つの情報化 UFJが刑事告発をされたが、発覚は一本の電話だったという。「UFJ東京本部の3F会議室に、 金融庁に説明をしたものとは別に資料が隠されている」という電話が去年の10月9日に入った。 (以下、字数の関係でカット2011年10月11日) ・・・・・・・・ 2003年10月10日(金) ある時間の断片ー40 11月15日 1968年 ・8時過ぎ学校へ出発。「人事管理」の授業に出席。終了後。先生と顔を合わせるが、緊張をしてしまった。 自分に自信がないためか。全て見抜かれているようだ。授業終了後、高木の車で寮近くまで送ってもらう。 再び、ゼミに出席のため、大学にいく。15時から17時まで教授と同期の3人と「東レの派遣学生」4人と 議論をする。特に田島が教授に対して好戦的な議論を仕掛ける。大した神経の持ち主である。そして自信も凄い。 その後、田島と二人で学食で夕食後喫茶店へいく。カナダに行きたいといっていたが断念をしたと告白した。 その理由を話した。 ・カナダの叔父さんから手紙で、甘さを指摘された。 ・母から家庭に事情で行かないで欲しいと哀願された。 ・アルバイトをしていて、世間の事情がわかってきたこと ・兄夫婦を見ていて、実直に生きる必要性を感じた ・遠くを見つめすぎた、夢のようなことばかり言っていられない等々理由を挙げた。20時過ぎに帰寮。22時から机に向かう。 ー11月16日 1968年 ・朝10時半起床。大学の書籍部へ行く。どういうわけか今日は誰も会わずじまいだ。こういう日もあるのだ。 (以下、字数の関係でカット2008年10月11日) ・・・・・・ 545, 物書きの凄み - 2002年10月10日(木) このホームページで素人レベルで毎日文章を書いているが、プロは凄いとつくづく思う。 毎日文章を書いているから、それが解るだけの話しだ。作家の椎名誠が週刊文春に、「赤マント」という連載を書いている。 (以下、字数の関係でカット2012年10月11日) ・・・・・・・・・ 179、創造について-2 2001/10/10 創造とは‘カタチ’ にすることである。言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると ・‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり ・‘カタ’は −型,形ー 枠組みにする、 システムを作るということになる。 ( アイデアの実現の計画化ともいえる)田は字のとうり枠組みであり、‘か’と‘た’をつけて形になる。 ・‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。 (以下、字数の関係でカット2011年10月11日)
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