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堀井On-Line
| 4100, ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1 |
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2012年06月16日(土)
アマゾン内のネットサーフィンをしていたら、「ポジティブとネガティブの黄金比率、3:1」という言葉が目に入ってきた。 一般的には2:1だそうだが、ポジティブであろうと意識することで3:1に引き上げることが出来るという。不自然に4:1、 5:1に引き上げようとする無理が出る。マイナス部分から目をそむけることになる。「ポジティブ」という概念は、精神論で 語られることが多かったが、21世紀の心理学と言われ欧米では教育界、ビジネス界などでもその成果が応用されている。 100%のポジティブを求めるのではなく、ネガティブを3:1の比率で最初から割り切ってしまうのも良い。 秘境ツアーなどに参加すると、旅行中に一通りのトラブルを経験する。それも慣れてくると起きて当然と割切りが出来てくる。 僻地という圧縮された時空の中で日常には無いトラブルに遭遇する機会が多くなる。しかし、それさえ楽しむ心構えが経験の積みから、 自然と出来てくる。そして、その数倍の感動の場面に出会うことになる。 旅行もネガティブの比率を経験を重ねることで 四分の一にすることが可能になるということ。 最初の数回はネガティブな方に気持ちが動くが、慣れてくると、ポジティブに 気持ちを集中できるようになる。 人生も似たようなもの。 私の見立てでは八割の人はネガティブ感情に支配されていて人生全体を暗く平凡にしている。 少しの訓練と習慣で変えることが出来ることを知らない。 人間に宗教が必要なのは、神を信じることでネガティブな感情を ポジティブな感情に押し上げる効果があるからである。 日本では中村天風の教えがある。「積極一貫」を常に心がけ、肯定的 言語を意識的に使うことで己を御す教えである。それと呼吸法と瞑想を取り入れてあり、なかなか奥行が深い。 最近、心掛けていることは、マイナスの言葉が出たときに、意識してプラス用語を使うようにしている。 オウゴン比率3:1は、頭に浮かぶ内語にも、映画、本、行動選択にも当てはまる。暗いより明るい気持ちでいた方が良い。 ・・・・・・・ 3734, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜⑨ 2011年06月16日(木) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 * 人生は「自己中心」の法則が握っている 私が部屋に入っていくと、そこにいる人は私が来たのが感じでわかると言うのを聞くと、私は今でも驚く。それは彼らの認識だ。 だが私にとっても、その部屋、その領域は自分のものであって、自分はその中心にいる。私にとって、宇宙のすべてのものは自分から はじまる。これを「自己中心」の法則と呼ぼう。この法則はあなたにも当てはまる。 これは子供じみた見方ではないだろうか。 幼稚な性格を暴露しているのではないだろうか。 こういう自己中心的な見方で世界を見るのは、子供だけだからだ。だが、 私は自分の幼稚な世界観を大切にしている。私はセラピストが要求する大人らしさと戦う。成熟と死は、似た者同士だ。 私は精神科学者の冷淡で断定的な見方に抵抗する。彼らは私たちにレッテルを張るが理解はせず、私たちを分析するが愛さず、 私たちに関して黒か白かと割り切った冷淡なレポートを書くことはできるが、私たちの喜びや愛情、悲しみなどの感情について、 そして自分自身の感情についてはたった数行すらも書くことはできないのだ。 私は絶対に大人にならないことを誓う。子供らしい見方を絶対に失わないこと、喜びを感じる子供の部分を絶対に捨てないと、 子供のすばらしい自発性、魔法のような創造性、純真な心を絶対に投げ捨てないことを誓う。 私は自分のなかの子供らしさの 最後のかけらにしがみつきながら(死ぬことがあるなら)死んでいくだろう。子供の持つ畏怖の念と純真さがあってはじめて、 死を体験することができると思うからだ。 空の星を見てごらんなさい。三百六十度、ぐるりと回って眺めてごらんなさい。 あなたは宇宙の中心にいるのではないだろうか。部屋のなかにあるものを見てごらんなさい。あなたが回転すれば、あなたから見て、 部屋のなかのものもあなたを軸としてぐるりと回転しているではないか。それを認めなさい。あなたはあなたという宇宙の中心に いるのではないか。もしわれこそ自分の宇宙の中心を占める王様だと思わなければ、他の誰かか他の力がその場所を占めることになる。 他人が自分の中心を占めているということは、自分が他人にそうすることを許可しているからに他ならない。だが、すでに学んだとおり、 他の人や力をそこに置いているのは「自分の力」だ。王位に就かせたり、宇宙の中心に置いたりする力を自分が持っているならば、 私たちは自分自身にもっと敬意を払うべきではないだろうか。 これについて、さらによく考えてみよう。私の許可なくしては、どんな人もどんなカも私の宇宙の中心部を奪い取ることはできない。 だとすると、許可という言葉は、力を意味する言葉だということになる。私はどんな人でも私の中心を占める許可を与える。 私は自分の宇宙の中心を占める許可を自分自身に与える。あなたに、私の師に、神に与える。だが、許可を与えるのは私自身だ。】 ▼ 仏教的教えが建前上、根づいている日本で、ー人生は「自己中心」の法則が握っているー などという本音はなかなか書けない。 最近になって、遺伝子学者ドーソンが、「すべての動植物の遺伝子には、遺伝子自身の繁栄を優先するような メッセージが 組み込まれている」という‘「個の利己主義」「種の利己主義」=「遺伝子自身の利己主義」’の研究発表をした。 だから自己御都合主義が良いと言っているわけでない。それが、生物、人間の原点であり、社会は、それで成り立っている前提を 認めるべし、ということ。そのエゴのぶつかり合いが裁判で議論になる。 その渦中の弁護士が言うから、言葉が重い。 ・・・・・・・ 3369, Youtubeでみる津波の映像 2010年06月16日(水) 何度もYoutubeでスマトラ沖地震の津波映像を見ているが、百年か五百年に一度の経済恐慌のイメージとして見ると、 現在の置かれている立ち位置が見えてくる。マスコミで放映するものは、生きている人が逃げまどって姿や、人々が 流されていく映像を全国放送では流せないが、Youtubeでは次から次へと生々しいのが出てくる。 津波が押し寄せてくる直前まで人々は何が起きているか理解できないのである。そして、気づいた時には大波に流されていく。 映像は、あどけない子供が大波に浚われるリアルのものもある。20万とか30万人が亡くなったというが・・・ この映像から現在の経済恐慌を類推すると、アメリカの金融恐慌という大地震を震源とした大津波が日本に押し寄せている。 「輸出産業の拠点として名古屋が、金融の拠点として東京に原爆が二発落ちた」と形容する評論家もいる。 その結果として派遣切りが生じてホームレスが関東・東海ベルトラインに溢れることになったが、もっと酷いのが地方経済。 現在、政府が中小企業への緊急金融救済法で何とか急場を凌いでいるが、それも目先の対処療法でしかない。 何度か、津波の映像を見ているが、20〜30波の津波のうち、まだ2〜3波でしかない。それでも、この惨状。 そうこう考えると悲観的になりざるをえない。 悪いことに日本は少子化による人口減少に転じている。 二年後にはハイパーインフレに転じ世界的に通貨の切り替えの可能性がある。その時に日本では消費税の値上げも・・・。 もし5パーセントのアップとすると、脆弱の企業はコスト増で立ち行かなくなる。どうなるのだろ? とはいえ国家も大幅な税収減で、 それ以外に手立てがない。 何もかも濁流は奪い去っていく。Youtubeに一日20億回のアクセスがあるというが、成程である。 ・・・・・・・・ 2994、筆談ホステス 2009年06月16日(火) 「スナック」という写真集を借りてきて、ママの姿と顔をジックリとみていて気づいたことは、ママには「美人系」と、 「癒し系」があることに気づいた。 それに「笑い系」もあるが。先週の日曜日に朝の番組で、銀座のナンバーワン? と言われている「筆談ホステス」を取り上げていた。本人が本を出版したところ良く売れた為にマスコミの目に とまったのだろう。聴覚障害で喋れないので筆談で御客とヤリトリするのが、心に響いて売れっ子になったという。 私も毎日、この随想日記を書いているので書くことの魔力の一端を知っている。 ≪字数制限のためカット 2010年6月16日≫ ・・・・・・・・・・ 2630, 閑話小題 2008年06月16日(月) * 台風と地震が何で土.日曜日に多い? 統計的にみれば、違うのだろうが災害の起こるのが土日に多いのは何故だろう。特に台風は決まったように週末である。 最近では地震まで御付き合いのようだ。中越地震が土曜日、去年の能登地震と中越沖地震が日曜日、そして今回の地震が土曜日。 (中国の四川地震とミャンマーのサイクロンは月曜日だったが、外国である)偶然なのだろうが、不思議といえば不思議である。 * ワーキング・プアのテロ? * 「ヤミ金に元本返済不要」と最高裁が判断 ≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫ ・・・・・・・・・ 2007年06月16日(土) 2265, 動物が家畜化されると、どうなる? *´・ω・)ノはよー! 動物学者・小原秀雄によると ー人間は、代を重ねて自分で自分を飼育し、家畜化して、文化(檻ーおり)を発展させてきた 不思議な生き物という。 ー家畜化した動物の特徴は ・体毛が部分的に長くなる傾向があり、毛深かった体毛が部分的に残って、しかも長くなる。 人間をチンパンジーと比べると、頭髪、眉毛、髭、陰毛・・など、明かに人間は部分的に長毛化している。 ・もう一つの家畜化した特徴は、発情期間が長くなる。 >(^┰^;)ゞ 例えば、野生の羊は年に一回しか発情しないが、ウール用に飼育されたメリノ種は、ほぼ一年中発情する。 人間も、コンクリート・ジャングルの‘うさぎ小屋’に住んで、会社という‘イヌ小屋'に通いながら、 胃潰瘍、糖尿、自律神経障害などの数々のストレスと闘いながら、一年中発情している。 ・また、うまく飼育されると、一部の動物は寿命が延びる。 野生のネズミなど、広い場所に飼われると、寿命が4倍も延びた例がある。 ・家畜には、幼児的な形質が長く残る傾向がある。その分、寿命も延びていく。 ・人が失った最大の能力は、体温の温もり、なめる感触、匂い、声の響き・・・ 言葉以外のコミュニケーションである。 人間は、言葉に頼りすぎている。 ーという。 ▼ 成る程、肯けることだが、人間は自分を家畜化する動物とは言いえて妙である。動物は自然環境の変化に対して、 自分を変えて生き延びてきた。それに対して人間は、自然を人工の物に置き換えて、文化(檻)を発展してきた。 自然を切り開き、人工の家を建て、村をつくり、町をつくり、都市化し、その中に自分を押し込んで家畜化してきた。 その結果、頭髪や陰毛がのび、年中発情をし、幼児化して、長生きをするようになったが、言葉のお陰で、五感が退化して 頭がおかしくなってしまったのである。そして、文化という檻をますます、堅固につくって、最後はそれで滅びていく憐れな 生き物ということになる。 全くその通りだから、恐ろしい。 論語を読んで、つくづく不自然な何かを感じていた。 あれって、王侯貴族のための大衆の家畜化のマニュアルじゃないのかい?と! 「互いの立場に立って互いを思いやりましょう」ということは、いいが。 一つの大きな基準は必要だろうが・・ ところで、私は家内の家畜化された哀れな亭主!!じゃないかい? ・・・・・・・・・ 2006年06月16日(金) 1900, グーグルアースが凄い! おはよ?!(*^ワ^*)i 数日前にグーグルアースがバージョンアップした。 ・画面鮮度が3~4倍のアップ、 ・さらに飛行機ゲームの操縦装置が付き、水平の角度も簡単に変えることができる。 そのため、地球上を簡単に移動できる上に、街の上空150mを自由に操縦して飛びまわれるようになった。 実際に入り込んでしまうと、異次元にタイムスリップしたような気分になってしまう。 二ヶ月間、何度か使っているうちに、「画面がより鮮明になり、移動もスムースになれば面白いだろう」 と思っていたら、バージョンアップ版がタイミングよく目の前に差し出されたようだ。 5~6年前、ある本に、インターネットは奈良時代に下りてきたジェット・ヘリコプターのようなもの。 使うか、遠から眺めるか、どちらかである。」とあった。グーグルアースは、それをそのまま実感させてくれる。 最近、自分と同年代の人を見分ける規準が、インターネットを使いこなしているか、いないかである。 「麻呂や、今日の気分はいかがじゃ」と言っている奈良時代も楽しいが! ジェット・ヘリコプターに乗ってみるのもよい。 別に知らなくてもよいが・・ インドのカースト制度の下層階級の子供達に中古のパソコンを与え教えようという運動がある。 知らしめることが幸せか不幸せなのかは別問題だろうが。 「麻呂よ、どうじゃ!」 (。・ω・)ノバイ 以前、グーグルアース書いたものをコピーしました。 (字数の関係でカット二〇〇八年六月一六日) ーー 2006/04/07 1830, あちら側の世界 ー8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ? 「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 ≪字数制限のためカット 2011年6月16日≫ ーーー 2005年06月16日(木) 1535, 秘境探検家の「幸福論」ー1 (字数の関係でカット2009年6月16日) ・・・・・・・・・ 2004年06月16日(水) 1170, 哲学についてー4 ー近代科学の芽吹き近代科学が16~17世紀にかけて登場してきた。新しい科学がそれまでの世界観を根本的に変えようとした。 まずはポルトガルのコペルニクスである。宇宙はこの大地にあるのではなく太陽であるとすると仮定したら、数学的に解明 できなかった問題が多く解決できると指摘をした。地動説である。それまで教会が主張してきたことを、聖書に書いて あったことを根本的に否定することになった。そしてガリレオ・ガリレイが時の権力者と地動説で真っ向から対立をする。 キリスト教の教義と対立をするため宗教裁判にかけられてしまう。結局は自分の地動説を放棄させられてしまう。 しかし彼は有名な言葉をつぶやく「それでも地球は回っている」と。次に史上最高の科学者アイザック・ニュートンがあらわれる。 1666年に自分の庭でリンゴが木から落ちるのを見て、引力の意味に気がついた。彼はそこでリンゴを落下させるために働いて いる力は、月を地球に引きつけている力、地球を回らせている力と同じであると気がつく。 近代科学の登場で思想に対する教会の影響力が薄まってくると、哲学の分野でも合理主義の芽吹きが出てきた。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月16日(月) 803、50歳の頃ー1 ー60歳までの人生 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。丁度私が50歳の時であった。 50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという自分への 問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米のギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、 夕陽を見ながら息子と日本酒を飲みながらふと思った、「ああ自分の人生の元は充分にとった」と。 その時に考えたのは、 「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳までに詰め込んで生きよう! 『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」であった。 ・海外旅行をそれまでに50回行くこと-不景気で難しく?なってきたが ・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう ・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようであった。 しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。母の行き方を見ていたので、この人はまだまだ解っていないと思った。 本当に「良いのは60歳から」というのを母の生き様から教わっていたからだ。 しかし「60歳以降の前倒しをしてしまおうという決心」は良いのではと解釈した。 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人が人生の秘訣を教えてくれた。 「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にして、そこまでに人生のすべてをし尽くした。 その一つに日本を全てを家内と娘と3人で回り尽くした。その後は世界にチャレンジしてほぼ全てをまわり尽して今もこうして 生きている。短命の家系という前提それがなかったら人生をここまで味わいつくせなかった」 かなり深い人生の示唆であった。 「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた直後であったから、尚のこと心に響いた。 あと2年半で、その60歳に近づきつつある。「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。 元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きることができるのではないだろうか。 そして、それまで経験をしたことのない分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に飛び出せる のではないかと考えている。 最近になり、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどでアフリカや 中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。 あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。 ・・・・・・・・・ 2002年06月16日(日) 439,随想日記の不思議 毎日書いていて不思議な気がする事がある。 気の置けない友人か家内に話す内容を、そのまま正直に書いている。 それが何か非常に気持ちが安定する。 心の中の自分との対話を常に書き込んでいるのである。悪趣味?といえば、 そうかも知れないが、見られていることを意識して書いている事で一応修正はしてある。書いた翌日一番で書き直すことは度々だ。 書き続けていて不思議な感覚がどんどん深くなる。色々の人の日記を見ていても、やはり「ソフィーの世界」のような不思議な 感覚を受ける事がある。ある意味で開き直っている自分とコントロールしている自分がいる。もっと面白いのは過去の自分の文章。 読み返した時に、空の上から自分を見ている自分の視点が何とも不思議である。 書き続けている事で、その日その時間の 心のメルクマールになる。過去に日記を書いておけばよかった。反面忘れる事も大事である、書かなかった良さもある。 学生時代の卒業間じか半年分は書いたのがあるが、その時の心情が赤裸々に書いてある。書くという事は排泄と感じることもあるし、 昇華ということもある?メルクマールでもあるし、呼吸でもあるし、発散でもある。一度書けばコピーをして、その書き足しもできる。 思考の再深耕が容易になる。 ビルの上からの視線でその方向も見えてくる。 ・・・・・・・・・・ 2001年06月16日(土) [54] つれづれに 朝20000歩歩く。前日の飲み会のアルコールを抜く為だ。更に風呂でほぼ完璧!二日酔いなし。HP を開いてから、毎日が楽しい。 パソコンの先生のように、故郷の友人がお互いにホームページを覗きあいコミニケをしているという。女性だからできるのだろうが、 ある意味で理想に近いコミニヶだろう。もし知人が私にようなホームページを開いたら毎日か、一日おきに見るだろう。 自分の居間の開放をしたうえで、かつサテライトスタジオを開いたようなものだ。
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2012年06月15日(金)
* 自転車のパンク 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、年に二回はパンクをする。 たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。 一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。 昨日もパンクをしたので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、 市内の自転車屋の数を聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため次世代が店を継ぎたがらない」という。 店売りの自転車はHCや、スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。 パンクの修理時間は平均、20分。 それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。 奥さんがパートをする兼業商家なら何とかなるのだろう。 * 書見台 iPadタテがあるなら本立て(=書見台)があってよい筈と、調べたら、あるある。江戸時代の学者が正座をし書見台に向かい 読書をしている絵を見かけるが、その卓上版があった。 元もと在ったのだろうが、この歳で初めて書見台の存在に気づくとは。 隠れたブームになっているというから、一般的ではなかったようだ。 それにしても楽で良い。 机上では両手で支えるか、 下に置いて斜め上から読んでいた。 現代書見台は、小さな衝立に立て、下の両側をバネで抑える仕組みで、両手を使わないで済む。 メモをとる時とか、デジカメに記録に残す時などに便利である。これにiPadを立てて使えるため、既に必需品になっている。 * ギリシャがどうなるのか? 17日から数日間はギリシャから目が離せない。ギリシャ国民がユーロ圏から離脱するかどうかの再度の国民投票になる。 もし離脱になれば、世界恐慌のキッカケになる可能性が出る。予測は5分5分だが、悪いことにスペインの三段階の格下げ発表だ。 いまやPIIGSのモグラ叩きの様相であう。 何時まで持つかだが、一度火がついてしまえば、世界恐慌が吹き荒れる。その惨状は、 想像すらできないほど深刻という。後は野となれ山となれ、だが、衰弱化しきった日本は外国から狙われること必定。 どうも世界の動乱期での日本の小選挙制度の仕組みが適正でなかったようだ。その意味で、ここで日本も一度、現在の枠組みを 変えるしかなく、政治動乱の過程を踏む必要がある。 まずは、この一週間は国内外の政治経済から目が離せない。 ・・・・・・・ 3733, 閑話小題 2011年06月15日(水) * 衣替えのアイロンがけ この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロンかけをする。(家内は一切無視? ったく!) 風呂敷から出して、新鮮な空気に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちにシャツが姿を変える。 無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。 新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。 それだけではない、知識も入れ替えをしないと。 「新婚さんいらっしゃい」というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・ それって、奥さんがするんじゃ? * ハイボールの語源 日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。 もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーター などの炭酸飲料や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったものをハイボールと言う。語源について諸説ある。 <1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で水の補給のための停車の際、 棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。 <2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、 あがっていなければ don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行ってよいかどうかの判断もあった。 その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。 <3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあった ソーダにウイスキーをあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが飛んできた、それが語源だという説。 早くいえば、ハイボールは 「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わせの「角ハイボール」を 大々的に宣伝を始めた。 人気の背景には飲みやすさに加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。 ・・・・・・・ 3368, ユーストリームの世界 2010年06月15日(火) ツイッターに驚き、Youtubeに驚き、とどめはユーストリームである。実はツイッターを始めた頃に、「生中継サイト」があってよいし、 できるのも時間の問題と考えたが、既にあったのである。ツブヤキだけでなく、映像の生流しもと・・・ フクロウや鷹の巣に設置された カメラの生中継にまず驚いた。他にも漫画家の制作中の漫画や、ある街角の道路や、ボクシングだったり、色いろある。 若い女性が自分のパソコンのカメラで語りかけているのに対して、チャットで数秒単位で複数の男?が書き込んでくる。 その両方を生中継をしているのである。何か異様な世界に紛れ込んでしまったようである。 恐らくアダルト系も?。 iPadなどのタブレット式パソコンが普及したら、街角に溢れて、「こんな面白い画面が・・・」となる。 ツイッターが140文字のツブヤキの垂れ流しに対して、これは映像の垂れ流しである。国会中継も、野球中継も、個人から発信可能になる。 飲食店やスポーツジムなどが販売促進として、店内を生中継をするには良い。またメガネやサングラスに極小のカメラをつけた生中継も可能。 そういえば、以前に隼の頭にカメラを据えつけて飛ばした映像を見たことがある。時速200キロ前後で林の間を飛んでいる映像は 自分が飛んでいるような錯覚になる。独り住まいの老人の家庭の監視にも応用できる。 中高年のネット難民と若者の差は大きくなるが、 iPadで何とかなるか? この十年の時代の変化は激しい。その根は情報革命。これでは小松左京でないが、SF作家もついてはいけない。 しかしツイッター、Youtube、ユーストリームは面白い! 恐らく近い将来スーパーが店内のコーナーがことに、カメラを据えて 中継するネットスーパーが本格化するだろう。 面白い時代である。 ≪偶然の一致だが、以下は、この文章に関連している≫ ・・・・・・・・ 2993,アトムの七つの力 2009年06月15日(月) 鉄腕アトムは1951年に登場したというから私が5歳の時。美空ひばりの歌が聞こえてきたのと同じ頃である。 最近、アトムが再び見直されてきている。 その手塚治も現在のIT化をみたら、驚くはずである。 ー ウィキペディアによると・・・ ー 電子頭脳(CPU)の記憶容量は15兆8千億ビット(約1844ギガバイト)。 身長135センチ、体重30キログラム。ちなみに電子頭脳は頭部ではなく胴体内上部に設置されていて、 頭部は単なる飾りとされた(透視図では頭部にセンサー類が集中しているようだが、作中では頭部が外れてしまったり、 無しでも活動可能な描写があり、胴体にもセンサー類は搭載されているようだ。 彼が登場した時代は、2003年。 まさに現在である。 最近、色いろのロボットが出始めてきているが、自分で考えたり、心も持つまでには至っていない。 しかし、彼には、七つの特別な能力があり、1963年、1980年、2003年と、その能力は変わっている。 * 1963年アニメ第1作(モノクロ版) 1、どんな計算も1秒でできる電子頭脳。 2、60か国語を話せる人工声帯。 3、普通の1000倍も聞こえる耳。2000万ヘルツの超音波を聞き取りが可能。 4、サーチライトの目。 5、10万馬力の原子力モーター。 6、足のジェットエンジン。 7、お尻からマシンガン。1秒間に500発撃てる。 * 次の1980年アニメ第2作になると 1、胸の中に電子頭脳セット。60か国語を同時通訳ができる。 2、耳は音を1000倍に聞ける。 3、サーチライトの目。 4、10万馬力の力。重水素燃料による核融合エネルギー。 5、腕と足はジェットで空を飛べる。 6、腰の中にマシンガン。1分間に600発撃てる。7、レーザーブラストの手。 * 2003年ASTROBOY版 1、高度な人工頭脳。 2、人間の1万倍の聴力。 3、透視能力を持つ目。 4、10万馬力の力。 5、足のジェットで空を飛べる。 6、指にフィンガービーム。 7、腕にアームキャノン砲。 ▼ 以上だが、個々を分解をすれば60ヶ国を話せる人工声帯以外、現在では実現をされている。ロボットとして飛べないが、 グーグル・アースで世界の空を何処へでも飛ぶことも可能になった。 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫ ・・・・・・・・ 2629, 世界バブル経済終わりの始まり ー3 2008年06月15日(日) 第二章は、投資の最近の基本的な常識が項目ごとに書いてある。まずは第一章のように、項目の言葉をつなげてみた。 「大金持ちの投資家以外は、何かに集中しなければならない。それもまだ脚光を浴びてない将来性のあるものを探し出すこと。 ただし焦っての駆け込み投資はさけること。独り自分の確信を持てたものを長期的に保持し、儲けることである。 ヘッジファンドは、投資先をブロイラーとしてしかみない。 太らせて目先利潤を得ればよい。 アナリストの予測は、ホボ当たらないもの、自分の目で調べ探し出すこと。」 目次に感想を入れてみた。 ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫ ・・・・・・・・・・ 2007年06月15日(金) 2264, 閑話小題 (*´・ω・)ノはよー * ー都銀の地方攻勢が始まったー 都銀が数年前から地方に本格的攻勢をかけてきて、その玉突き現象が地銀以下の銀行に起きている。 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫ ーまた、中学校の同級会ー * 一昨日、長岡のホテルのビア・ガーデンで中学校の同期の面々の同期会に出席した。 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫ * ーサプリメント依存症ー ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫ ・・・・・・・・ 2006年06月15日(木) 1899, 結婚の三条件ー2 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ 反対に結婚してはいけない三高条件と三低条件を体験から考えてみる。 こういう場合は、ごく身近な人のマイナス面を観察すればよい。 ドキッ! 私の主観が入りすぎているが? ーまずは三高とは? ・高コスト ー金のかかる女 (稼いでくれれば、まだよいが) ・高プライド ープライドのみ高い女(中味の薄さを、身近の人の批判でカバーしようとする) ・高依存症の人 ー常に判断を相手に求め結果のマイナスを攻撃する人(高コストと重なるが、高ブランド依存症である) 早くいうと教養のない人? ー三低とは? ・低い品性 ?親の躾と生活情報が入っているかどうか・・ ・低い夢しか持てない人 ?現実に溺れすぎている人 ・低い趣味 ?本当に好きなことを求めてきたか・・ さらに低い知能もあるが・・・ 誰も?大部分が当てはまるから、これ以上書くと問題になるか?いや、それよりも自分の姿が重なる? 人生は、選択した職業と、連れ添いと、ライフワークとしての趣味の質量、で決まってくる。 職業は生活の為とか、工夫によって何とか適応できるが、結婚だけは10年20年経ってみないと、分からない。 だから、せめて前提条件を見定める必要がある。両親をみれば半分は分かるが、あとは神のみぞ知るである。 神は一番相性の悪い相手を与えて、人生のレッスンをさせるらしい!毎日、よいレッスンをさせて頂いてます。 ・・・・・・・・ 2005年06月15日(水) 1534, わたしの酒中日記ー8 ーミニ能登旅行 1972年4月某日 今朝、急に思いたって観光バスで「能登一周コース」を、まわってきた。50人乗りのバスに、乗客が12~3人位。 車内がゆったりしていたこともあり楽しい一日であった。金沢駅から出発、金沢港近くを通ってしばらく経った後、海岸線に出る。 何と波の打ち寄せる際の砂浜をバスが走るのだ。今まで、海岸線が道になっているのは初めてである。 こんなのが、日本にあるとは全く知らなかった。「千里浜なぎさドライブウエー」というが、能登の情緒がそのまま出ている。 しばらく走ると海の家の前に止まり、そこで「サザエのつぼ焼き」が出された。その景色の中で食べる味が何とも良い。 ビールを一本買って飲んだが、その美味しい。まだ4月のためか風は寒く波が荒いが、天気が良いこともあって風情があった。 数ヶ所名所を観た後に、輪島に到着。そこでは有名な「朝市」を覘いてみる。昼近くに着いたが、殆どの店はまだ開いていた。 風情のあるオバサン・オバアチャンが、それぞれの個性を売りにしている。帰りは、逆に富山寄りのコースになっている。 七尾と数箇所を観て、最後は金沢駅で解散。観光バスは気楽に最短のコースをまわってくれるからよい。その後、駅の地下の おでん屋に寄る。いつも帰省する時に寄る店で、何げないオデン屋だが有名店である。ここの土手焼きとオデンとハンペンが絶品で、 また焼き蛤が美味しい!何ともこたえられない店である。そのあと香林坊まで移動、そこで一人飲むことにした。初めて入る店で、 少し高級そうなスナックで、靴を脱いで入る店だ。中は幌馬車内をモチーフにしてある。初めてみる異様な雰囲気を漂わせている。 ママとホステスは、ウエスタン・スタイルで、何か西部の田舎町に来ているような錯覚をしてしまう。薄暗いカウンター内に、 赤い顔文字のネオンが印象的だった。アメリカのウエスタンの片田舎にいる!という感覚になる。今度、誰かを連れてこよう! とにかく金沢は何処もあか抜けている。今日は一日としては、充実をした時間を過ごせた。こういう急に思いたって一人でする旅は、 自分を開放してくれる。小さな籠から飛び出し小さな自由を満喫して、再び籠に舞い戻った鳥のようだ。来月は市内の観光バスに乗ってみよう。 面白そうだ。まだまだ、市内で知らない場所が観光ガイドに多くあった。金沢は、富山に福井に能登に加賀温泉、そして金沢市内に 多くの観光資源が豊富にある。そういえば、一昨年も四日市にいた時に紀伊半島を一泊旅行をした。尾鷲に一泊した列車旅だった。 まだまだ、学生時代を背負っていた。また四日市を去るとき、同期の連中と尾鷲と伊勢に「お別れドライブ」をした。急に変なことを思い出した。 渡辺、西尾、桜井、私に、女性が二人いた。その一人と西尾が結婚したと、桜井から聞いた。彼らは一番初めに配属された職場の連中だった。 いろいろあった。昔を思い出すには、まだまだ早い!明日は、結婚で辞める藤井さんの送別会だ。 ・・・・・・・・ 2004年06月15日(火) 1169, 秘境・異郷ツアーレッスン ー1 過去にいろいろ秘境・異境ツアーを書いてきた。この随想日記の引き出しのコーナに「秘境・異境コーナ」をつくる予定だ。 そのための前段として、このテーマで書いてみる。このツアーから学んだものは、あまりにも多い。今まで書いてきた文章を読み返してみると、 想像をはるかに超えた自然や遺跡や文明に出会い、感動をしてきた痕跡が記録してあった。実際に見て肌で感じ取ったことは心の奥底に残る。 「うあ?、何じゃこりゃ!、この地球上にこんな世界が実際にあるんだ、知らなかった!」と何度も何度も思ったことか。 そこで何よりも感じたのは、世界の広さと、自分の小さな世界である。自分の満足や不満のことなど、 この広い世界からみれば些細なことでしかないと実感できる。世界では人間の占める立場が、いかにささやかなものであるかを つくづく悟らされる。旅行は人間を謙虚にさせてくれる。10日から半月の旅行でも、秘境に行くには莫大のエネルギーをつかう。 一回の旅行の経験ごとに、間違いなく自分が成長していくのがわかる。自分の世界が広がり、それだけ内面が深耕していくのが よく解るのだ。そこの大自然に感動するのは、自分がそこに同化したことであり、自然の中にある霊性と自分の霊性がつながる ことになるのだ。それが精神の若返りの秘薬になる。多くの旅に出かけたところで人生観が変わっても人格は変るわけではないが。 「世界は一冊の本と喩えると、旅をしないものはその本を一頁しか読めない」という。まだまだ、これから先のページが 多く残っている。旅をするのは到着するためではなく、そのプロセスこそ意味がある。そのすべて楽しみに引き上げることだ。 人生と同じである。秘境旅行という本を1ページごと読み続けている限り、連続線の旅行をしていることになる。 それだけ、私にとって強烈な体験でもある。 成田で、飛行機に乗ると逆に「ああ旅行に帰ってきた!」と思ってしまう。 それだけ私にとってインパクトの強い経験である。ー10年前の文章をコピーしておきます。この時16回と書いてあるから、現在41回とすると、 10年で25回も旅行したことになる。 ≪字数制限のためカット2010年6月15日≫ ・・・・・・・・・・ 2003年06月15日(日) 802, サッカー観戦記 先日、知人からサッカーの招待券を貰った。アルビレックス新潟とサガン鳥栖の対戦である。こういうチャンスはめったにない、 行くことにした。昨日ー6月14日、場所は新潟市の駅裏から数キロ先である。去年のワールドカップの為につくった 新潟スタジアム、一度見てみたかったから丁度よかった。雨が気になったが終了後、車に乗ったと同時に降ってきた。 ≪字数制限のためカット2012年6月15日≫ ・・・・・・・・・・・ 002年06月15日(土) 438, 因縁についてー与三八さん 私の仲人の名前である。私が八郎ー兄が三郎。兄は男で3番目、私が兄姉の8番目で八郎になった。 多くて最後の方は面倒だったのか、戦時戦後のドサクサでじっくり考えている余裕がなかったのだろうか? シンプルだ。兄も私も嫁さんを与三八が紹介してくれた「仲人」である。三八に与えるで与三八である。 そのことに気づいたのは、結婚して数年経ってからである。本人に「自分の名を宿命と考えてか、ブラックジョークと考え 意識して紹介したのか」と聞いた。本人はエヘヘと笑って答えをはぐらかした。まあ面白いものだ。 ≪字数制限のためカット2011年6月15日≫ ・・・・・・・ 2001年06月15日(金) [53] 北欧ロシアに決定! 朝スイスに決まっていた旅行、急遽‘北欧・ロシア’に変更。理由は「迷った場合は先に行っていたほうがよいほう選定基準にする」 である。スイスも捨てがたかったが‘モスクワとサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館’と ‘北欧の大自然’が捨てがたかった為だ!ぎりぎり迷い判断するから、後で後悔が少なくて済む。ぎりぎり迷うのも旅行前の 楽しみの一つだそれだけ多くの情報を真剣に探し、その世界に入るからだ。あと三週間今からが呼吸を整える時期になる。 たまたま朝、決断後書いた文章で、一度ホームページに載せた後に削除した内容である。
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2012年06月14日(木)
* ローマ帝国衰亡との類似 予言の書で、日本とローマ帝国衰退と類似点として、エゴの氾濫と悪平等主義の流行を上げている。極端に現れ出ているのが 日本で、これは世界中の各国の共通問題でもある。その中で、情報化による情報の氾濫。情報は平準を求めるもの。 ローマ帝国のサーカスは現代ではTVになる。それと都市、とくに首都圏への集中化も同じである。 ≪ 諸文明の没落の原因を探り求めて、われわれの到達した結論は、あらゆる文明が外からの攻撃によってではなく、内部からの 社会的崩壊によって破滅するという基本的命題。 過去のほとんどすべての没落した文明は、外敵の侵入、征服、支配などの前に 自分自身の行為によって挫折してしまっていた。ほとんどすべての事例において、文明の没落は社会の衰弱と内部崩壊を通じての ”自殺” だったのである。 いかにローマは滅亡したのかについては以下の5つの理由を挙げている。 ・第一に、巨大な富を集中し繁栄を謳歌したローマ市民は、次第にその欲望を肥大化させ、労働を忘れて消費と娯楽レジャーに明け暮れる ようになり、節度を失って放縦と堕落への衰弱の道を歩み始めた。それはまさに繁栄の代償、豊かさの代償とでも呼ぶべきものであった。 ・第二に、ローマ帝国各地から繁栄を求めて流入する人口によってローマ市の人口は適正規模を越えて膨張に膨張を続け、 遂にあの強固な結束をもつ小さくまとまった市民団のコミュニティを崩壊させてしまった。 ・第三に、これらローマ市民の一部は一世紀以上にわたるポエニ戦争その他の理由で土地を失い経済的に没落し、事実上無産者と化して、 市民権の名において救済と保障を、つまり「シビル・ミニマム」を要求するようになった。よく知られる「パンとサーカス」の要求である。 無料の「パン」が保障されると、退屈しのぎのためにマス・レジャー対策が必要となる。ここに「サーカス」が登場することになる。 ・第四に、市民大衆が際限なく無償の「パンとサーカス」を要求し続けるとき、経済はインフレーションからスタグフレーションへと進んで いくほかはない。過去の諸文明が、その挫折と解体の過程でいずれもインフレに悩まされているのは誠に興味深い歴史的事実である。 ・第五に、文明の没落過程では必ずといってよいほどエゴの氾濫と悪平等主義の流行が起こる。こうして民主主義はその活力を失って、 一方で放縦に走り、無秩序と解体をもたらし、他方で悪平等主義に走って画一化と全体主義の泥沼のなかに腐敗していく。” ≫ ▼ 現代の戦争は経済戦争になる。ソ連・東欧は経済戦争でアメリカと西欧に負け、勝者の欧米も、その奢りで自壊しつつある。 「日本の自殺」が書かれた時は、既に崩壊に入っていたのである。それを冷静に歴史の中で予知し、予言として警告していたのだ。 その結果が現時点である。市民権の名において救済と保証を第一優先にしている日本とギリシャ、救いようがないというしかない。 ・・・・・・・・ 3732, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜⑧ 2011年06月14日(火) * ジャンプのために 《恐怖の「目」をにらみつけよ、そうすれば自分から「解放」される》『議論に負けない法』スペンス著 さて私たちは今、聴衆の前に立っている。どうすれば話せるだろうか。どうすれば手を離すことができるだろうか。 その経験は、近所のプールの高さ四メートルの飛び込み台から、初めて飛び込むのに似ている。飛び込み台の上に立って下を見下ろすと、 胃は硬直し、膝はがくがくしはじめる。さりげなくくるりと向きを変えて、引き返したい気持ちになる。だが心のなかのかすかな声は、 飛べ、と急き立てる。 「魔術的な議論」のため手を離すこと、メモに縛られずに自分自身を解放すること、裸でたつこと。 頭からではなく心から話すこと。読むのではなく、話すこと、それはこういうものだ。「魔術的議論とは、自分自身の中に飛び込むことだ」 私は若い弁護士たちに、まず近所のプールに行って飛び込み台から飛び込むことによって「魔術的な議論」に飛び込むことを、実際に 体験してみることを勧めている。実際に泳げなかった私の生徒の一人は、飛び込み方を学んだばかりか、泳ぎ方も、そうこうするあいだに 身につけた。 議論もそういうものだ。彼は陪審員の前に歩み出た時に自分が飛び込み台に立って飛び込もうとしているところを想像した。 激しい恐怖が襲ってきた。 私が忠告したとおりに、彼は陪審員に自分の恐怖について話した。 なぜこの裁判が自分にとって重要なのか、なぜ勝ちたいのか、なぜ負けるのが怖いのかを説明した。彼が恐怖を感じたのは、自分の依頼人の ためだった。が、自分自身のためでもあった。依頼人のことを心配していたからこそ、怖かった。負けたらつらい思いをすることも怖かった。 だが、彼は飛び込んだ。そのあと「魔術的な議論」は一気に湧き出てきた、と彼は私に話してくれた。 もう一人の生徒は、大学時代に 飛び込みの選手だったため、飛び込みはお手のものだった。「それなら、肉体的に何か怖いと思うことをやってみなさい」と私は提案した。 次に彼に会った時、彼はこの経験で輝いていた。 彼はなんと飛行機から飛び降りたのだ。 パラシュートを開くのをこらえながら、 地上数百メートルまで落下していく時の気分は最高だったと彼は言った。 】 ▼ ニュージーランドで、南アフリカのザンベジ川の鉄橋で、43M、100Mのバンジージャンプで、飛び込みの恐怖の経験をしてみた。 あの恐怖は、筆舌であらわすことは無理だが、この二回の経験で、今でも躊躇する場面(=倒産時の銀行への侘び挨拶など・・)で、 冷静でいられる。 もっとも、これまで、幾つかの事業を経験してきたが、その度、胸試しに似ていた。 <事業を立ち上げるとは自由を得ることであった。その事業は失われても、その自由を充分味わった後味は、身体と心に染み付いている。> ・・・・・・・ 3367, 大不況で世界はこう変わる! −2 2010年06月14日(月) * ネットワーク型資本主義 ここで、榊原は、キーワードとして、「ネットワーク型資本主義」と表現をしている。 アマゾン、ヤフー、楽天、マックなどの出現から知ることができる。私の最近の買い物の半分はネット購入である。 アマゾンン、価格ドットコム、楽天、ヤフーなどを通し購入、週に二日は宅配便が来ている。 ネット販売は既に百貨店業界や、コンビニの売り上げを越えている。 これにiPadなどのタブレット型情報端末が普及すれば、 ネットワーク型資本主義の時代の姿は鮮明になる。それは、もうアメリカ型資本主義の象徴である大量生産・大量販売の時代から、 ネットワークによるモノの交換の時代になっていくのである。 ネットで市場で農家の奥さんが直接、お客に売る時代に 逆戻りをすることが可能になる。この著で一つの事例を上げている。 オイシックスという企業は農家1000軒あまりと契約をし、 ネット販売している。ここは注文があってから収穫し、新鮮な野菜を三日以内に届ける他、カタチの不ぞろいな野菜を扱う等、 オイシイということを基準に価格を三割程度低くして販売している。こうした新しい試みは、野菜の色と形を基準に仕入れをする スーパーマーケットの方式に対する挑戦でもあり、いわゆるスーパーマーケット文明を壊していくポテンシャルを持っている。 スーパーマーケットは、その効率と低価格で八百屋や魚屋、肉屋などに取って代わっていったが、オイシックス等は 新しいインターネットという技術を使って、二十一世紀型の八百屋をつくるという試みだということができるのでしょう。 家内が最近、米を近くのスーパーや米穀店からネットの米屋に注文をかえた。 この方が価値があると判断したからである。 そういえば最近、ヨーカ堂のネット注文の配達の車を見かけるようになったが、この傾向が更に強くなるだろう。 情報化が世界を根底から変えようとしている。その一つが、この恐慌である。 21世紀世界の創造の前の破壊である。 ・・・・・・・・ 2992,転機を迎えた受験ビジネス 2009年06月14日(日) * 先日の産経新聞のトップ記事に時代の変化をみた。 早稲田大学が、関西に中・高校一貫校を開校しようと新規に募集したところ、245人の高校に対して35人に留まり合格者が28人。 中学も140人に対して170人の受験者しかなかったという。中学では三次の募集を賭けたが、結局は合格者は定員の半分に満たない63人。 私立の中・高一貫校は加熱する中学校受験ブームの中核だったのに、早稲田の不人気ぶりに受験の環境の一端を示すことになった。 (字数制限のためカット2012年6月14日) ・・・・・・・・・・ 2628, 日本経済、どん底への転落 2008年06月14日(土) 連日、日本経済の悲観論の本。本屋で見かけたが、買うほどではないが読んでみたいとおもっていた。 それが、長岡の図書館で先日借りて読んだ。 まずは、この本の紹介文と、目次からー ー「日本経済、どん底への転落」 著者・水谷研治/著 ー読書日記 いますぐ借金経営と訣別しないと、日本は「もの不足」=悪性インフレに突入する! 日本経済の実態を明らかにし、痛みを伴なう本格的な改革の断行を提言する。 これまで日本経済は世界に卓越した「ものづくり」による強力な供給力に基づく経済力で、敗戦後の焼け野原から奇跡の成長を遂げ、 黒字を蓄えてきた。しかし、財政赤字の放置と、成長後の日本人の国民性の変質は、この国の経済を「赤字体質」へと変えてしまい、 かつてあった勤勉な国民性を失った今、「ものづくり」ができない「品質の劣化」した経済に至らせた。 このあとに待ち受けるのは、悪性インフレの到来による「もの不足」の世の中であると著者は言う。 そこまでに残されている時間も5ー10年と、次の世代にとっては大変過酷な状況にある。 本書は、今こそ、増税を含む社会の大改革なくして、この危機は乗り切れないとする警世の経済書。 (目次) (字数制限のためカット2010年6月14日) ・・・・・・・・ 2007年06月14日(木) 2263, 人生の真価の問われる10年とは ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 人生の真価が問われる時期といえば、50歳代の10年間である。 30歳代までは、仕事や家庭の問題にただガムシャラの時期であり 40歳代は、ある程度の余裕ができ、基礎が確立できる時期。 50歳代が、その全てが熟成された結果ができて、自在に出来る時期になる。 自分の過去を振り返ってみて、充実という意味では一番安定していた時期であった。 そういえば、父親も亡くなる前に、50代が一番良かったと回顧していた! 私の場合、 20歳代までの三十年は、がむしゃら 30歳代は、自分の力の出し方がわかりかけてきた時期 40歳代は、多く部分で矛盾や失敗の揺り戻しがあり 50歳代は、もう一度、それまでの人生を見直しをしながら自己修正の時期 60歳代は、徹底的に足元を見つめなおす時期 というのが、現在の心境である ところで人生は全て過去に覆われていて、その窓は「いま、ここ」だけである。過去は打ち消すことが出来ない。 過去の構造が「いま、ここ」をベースにする。未来への意思は「いま、ここ」の中で頑丈なものにする。 真価を問われた50代を過ぎた、60歳から80歳すぎは、無防備に過ごしてきた人にとっては大変な時期。 性欲も、食欲も減退し、体力は落ちる一方で、分ひとりで切り開いていかなければならない時期に、それまでの生き方が問われる。 その為、何十年かけて、その準備をしなくてはならない。ただ生きている人生ほどつまらないものはないからである。 準備。 この成果が重要というより、前向きに生きる姿勢こそ、真価といえる。 50歳代か?! 面白かった! ヾ(´Д`、)マタネ ・・・・・・・・ 2006年06月14日(水) 1898, 結婚の三条件 \(^▽^*)おはようございます! (*^▽^)/ 息子も結婚の適齢年齢になってきたが、最近の結婚条件が以前の三高から3Cに変化してきたという。 ーその3Cとは、 Comfortable(快適な) - 今の生活水準を落とさない十分な収入。 Communicative(理解しあえる、通じ合える) - 価値観やライフスタイルが一緒。 Cooperative(協力的) - 家事や育児に協力的。 バブル期の「三高」(高学歴、高収入、高身長)と比較すると、「高収入」は変わってないが他の条件が 「個人的な快適さや満足感」に変わっている。 女性が「自慢できる夫」という見栄より、「ラクさせてくれる結婚相手」を欲しがるようになった。 自分の満足を追求する時代の風潮であろう。 それに加え、最近では「三低」が求められるという。 「三低」とは、 ・低姿勢 ーレディーファースト ・低リスク ーリスクの低い安定した職業(公務員、資格保持者など) ・低依存 ー束縛しない、お互いの生活を尊重の男性 これは男性に対して言えることではなく、女性に対しても要求されることである。 こういうことが情報化社会で知られると、男女の結婚難の原因になる。 そんな男女何処にいるの?と考えてみたら、共働きなら、そうせざるをえないか、前提条件になる? それでは、自分は如何であろうか?三高なら適応しないが、3Cと三低なら、大筋は合致している?いやしていないか! 低姿勢は、三十数年の間に躾けられた?結果でしかない・・・ (字数制限のためカット2011年6月14日) ・・・・・・ 2005年06月14日(火) 1533, タイソンの終焉 一昨日の昼、タイソンとマクブライトとの(ノンタイトルだが)、ボクシング・ヘビー級の一戦がwowowで放映された。 6回終了後、試合放棄でタイソンが敗れたが、試合後のインタビューでは涙を流して、「もう気力が出てこない!」 と言ったのが印象的であった。一時代を築いた男も、これで終わり。相手のマクブライトは、明らかに2流選手。 肉体は贅肉でブヨブヨ、2メートルの巨体で出来る戦術は小柄のタイソンに覆いかぶさって肉体的な疲れを待つだけ。 それに引っかかった平凡な試合であった。あの肉体に突き刺すようなフックやパンチは影を潜めていた。終わりはこんなもの。 あと数日で39歳というから丁度引退時期。20年前の野獣のような試合も、今は昔の話。解説者のコメント 「野獣が人間に戻ってしまった!」が、言いえて妙である。日本での、まさかのKO負けや、イベンダー・ホリフィルドの 激戦を思い出す。あるHPに歴代のヘビー級の強さのランキングがあった。もちろん時代が違うので、主観なのだろうが。 タイソンと、ロッキー・マルシャーノが入れ替えれば、こんなものである。 やはりモハメッド・アリは一番である! そういえば、この試合の前座でアリの娘が女子ヘビー級の試合をしていた。娘が勝ったが、アリ本人も会場にいた。 このHPのランキングの殆どの選手を子供の頃から知っていた。当時、ボクシングと野球と相撲ぐらいしかスポーツはなかった。 丁度、白黒TVが出はじめた頃に、ジョー・ルイスや、ロッキー・マルシアノなどの過去の映像が流されていた。 現在は、歴代に残るようなスター選手はヘビー級にはいない。 ー歴代ヘビー級ランキングー 1位 モハメド・アリ 2位 ジョー・ルイス 3位 マイク・タイソン 4位 ジャック・デンプシー 5位 ジョージ・フォアマン 6位 ジョー・フレイジャー 7位 ジャック・ジョンソン 8位 ロッキー・マルシアノ 9位 ラリー・ホームズ 10位 イベンダー・ホリフィールド (字数制限のためカット2011年6月14日) ・・・・・・・・ 2004年06月14日(月) 1168, 笑いについてー2 笑いについて、度々この随想日記で書いている。動物のなかで笑うことができるのは、人間だけである。 人間はちょっと工夫すれば、いつでも笑うことができるし、笑いの習慣化も可能である。 とくに、自分を笑うことができれば、その効果が倍増する。自分を深刻に考えている時ほど、可笑しいことはない。 (字数制限のためカット2012年6月14日) ・・・・・・・・ 2003年06月14日(土) 801, 一期一会 「一語一会」ー2 「一期一会」それは元来、お茶の世界のこころとして「すべての客を一生に一度の出会いとして悔いのないようにもてなしなさい」 という意味である。 私が酒を人と飲む時に常に「一期一会」で飲むことにしている。そうすると、飲み方が変わるのだ。 ある会が面白かった、といってそれはそのTPOS がたまたま良かっただけと割り切るのだ。一回ごと徹底的に割り切って飲む。 店でもそうだ、一回こっきりと常に割り切って楽しむ。そうすると酒の味も、その場の感じ方が全く違ってくる。 スナックなどでボトルを入れる人の気持も解らないでもはないが、私は絶対に入れない。あまり飲み屋のママにはいい顔をされないが、 明日から二度と来ないかもしれない、という緊張感が良いのだ。 そういえば一期一会の酒を数限りなく飲んできた。 そして、その全てが思いで深い、よい酒であった。桜と同じである。一回性だからこそよいのだ。年齢を重ねてくると、この意味が 今更のように思い知らされる。「べき時に、べく事を、べくすべし」を常に意識してことがよかった。これは酒席だけではない。 言語学者の西江雅之ー「ことば」の課外授業ーに「ことば」はその場、その時、一回限り、という趣旨のことがあった。 ー 以下に少し書きうつしてみる ー 現実の場では、人はことばを二度と同じようには言えない。すべての発言は「一回限り」である。 たとえば「これは何ですか」と、同じ調子で二回言ったら、二回目はくどいと思われます。怒鳴っていったり、 これも当然違ってきます。 (字数制限のためカット2012年6月14日) ・・・・・・・・ 2002年06月14日(金) 437,地球に気が満ちている 朝散歩をしていて、今までにない全身に気が満ちていて驚いた。何故だろうか、そうだサッカーのせいだ。 一球に地球上の多くの人の気が集まっている、それを毎日見ている為だ。ワールドカップはサッカーを通した国家間戦争か。 オリンピックは多くの競技で行われるが、サッカーはその時間帯では一試合か二試合である。 それも自国の試合だけでなく、他の国も微妙に関係してくる。少しのミスが取り返しのきかない致命傷になったりする。 数億いや10億人以上が全神経を集中してみている。庶民レベルでは、今地球上のイベントでは最大の催事といってよいだろう。 地元で行われることにより、私のようなあまり興味のない人間でも俄かファンになってしまう。その為か見ている自分にまでも、 そのエネルギーが流れてくる。地球上がこの期間、人の気で満ち溢れる。これから勝ち進んでいく国にそれが集中していくのだろう。 フランスが前回優勝した時のフランスの気は、満ち満ちていただろう。これとオリンピックが隔年で行われるのだから、丁度よい。 ・・・・・・・ 2001年06月14日(木) [52] つれづれに 情報化社会がもたらしている時代の変化をつくずく感じる。共産社会‐ソ連も東側ベルリンの壁も、遅くなったが自民党ー経政会? も壊してしてしまった。情報端末の究極は携帯TV電話だという。これが普及はじめる3?4年先は想像不能だ! この秋玩具メーカーから7?8万円で撮影機のついた移動式ロボットが売り出されるという。 これだとTV携帯電話に連動すれば家の移動式防犯カメラになり、警備会社の存亡の危機になりかねない。 ホームページに連動して個人や情報の公開や、お店なども家にいながら観て回れる。あらゆる場所に固定して置いて、 自由に公開しておけば世界のあらゆる場所に、視界と言う意味で自由に何処でも飛べるようになる。
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2012年06月13日(水)
* 日本没落の予感 【 ”小松左京氏の小説「日本沈没」では地殻変動で陸地の殆どが海面下に沈降するとう設定で、地質学的レベルでの日本沈没について 扱っているが、日本沈没の可能性については、単に地質学的レベルだけではなく、政治学的、経済学的、社会学的、心理学的レベルでも 存在しているのではないか、という思いに駆られ、現代日本社会のなかに観察される没落の諸徴候群と思われるものを、諸文明の没落、 とりわけギリシア・ローマの没落の研究と比較しつつ検討を加えるという手間のかかる作業を進めたであった。” ・・・ ”例えば、プラトンによれば、ギリシアの没落の原因は、欲望の肥大化と悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた 野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて社会秩序を崩壊させていったというのである。” 現在のギリシア危機をみると、まさにプラトンが生きていた時代と同じ状況にある。これって歴史は繰りかえすということなのか。 こうした歴史的資料の断片を通じて、ギリシア・ローマの没落過程に足を踏み入れていけばいくほど、われわれは日本の政治的、 経済的、 社会的、文化的没落の危機の大きさをいまさらのように痛感させられるのであった。】 ▼ 現在の日本は、37年前の予言のとおり沈没一歩手前にある。プラトンが当時のギリシャを批判した≪没落の原因は、欲望の肥大化と 悪平等主義とエゴイズムの氾濫にある。道徳的自制を欠いた野放図な「自由」の主張と大衆迎合主義とが、無責任と放埒とを通じて 社会秩序を崩壊させていった≫が、現在の日本そのもの。2千数百年前のギリシャと何ら変わらない姿が、日本だけでなく、 欧米の現在の惨状である。この世界の激動期に日本没落の予感がするのは当然で、転げ落ちる速度は時間とともに加速する。 ・・・・・・ 3731, 温泉旅館の苦悩 2011年06月13日(月) 先週末の金曜日にTVで「ある旅館経営者の苦闘〜」を放送していた。 妙高・赤倉温泉の旅館の苦闘が、その内容。 ーまずNHKのHPの番組説明からー ≪ 東日本大震災から3ヶ月。自粛ムードが広がる中、観光産業が大きな打撃を受けている。 県内有数の観光地・赤倉温泉も4月の宿泊客が例年に比べ大幅に減少した。旅館を経営する荻野光貴さんは、かつてない経営難に直面。 悩んだ末、給料をカットしたところ会社を辞める従業員が続出する事態に陥った。 観光客を呼び戻そうと、首都圏での売り込みや 仲間の経営者と新たな旅行プラン作りに動き出した荻野さん。 その苦闘の日々を見つめる。≫ ■ 地方の駅前ホテルは、この10年間で大きく宿泊が減った上に、東北大震災である。 私のケースもシュミレーションの結果、 成り立たないと判断、そうそう事業をたたんだ。 そのプロセスで、リゾート・ホテル、旅館の惨状が聞こえてきた。 温泉地の宿泊は、ほぼゼロで人影も疎ら。この冬の大雪で東北・北陸地区は最悪。やっと春になり、取り戻そうとしていた矢先のこれ。 赤倉の38歳の店主の苦悩の姿が痛いたしい。 長期衰退の上に、売り上げが前年の5分の1以下で、温泉街に人影は殆ど見かけられない。 それは本州の何処のリゾート地でも同じ事態。このホテルでも何人か辞めていった。更に残った人たちの給与は半額にし何とか凌いでいる。 色いろの対策のイベントを考え出していたが、「山火事に一杯のバケツの水の対策レベル」としか思えない。 現在も放射能が大気に 拡散を続けており、それが雨などの循環で大地に水が沁みこんでいる。 この事態で、温泉など恐ろしくて・・・。 一年か二年の急場として乗り切れば何とかという事態ではないため、深刻である。これは、全国の居酒屋でも同じである。 何とか、凌いできた駅前の居酒屋も壊滅的な事態である。自分の身に先駆けて起こったことが、これから全国で起き始めている。 当方は、日本経済の3〜6ヶ月早く敏感に数字として出る。それからして、今月から来月にかけ経済恐慌として、事象として表れる。 温泉など、浸かってはいられないのは当然である。 私に起きていた10年近くの事象と苦悩をダイジェストで見ているようであった。 ・・・・・・・ 3366, 大不況で世界はこう変わる! −1 2010年06月13日(日) 「大不況で世界はこう変わる! 」 榊原 英資 (著) ーアマゾンの内容紹介からー 「この世界同時不況の本質は、大量生産・大量消費を成長モデルにした20世紀型資本主義の終焉である。全く“新しい経済”が始まる」 と著者はいう。 製造業破たんの危機は? 新興国は失速するのか? そしてドル暴落の危険は? 「ネットワーク型資本主義」「日本回帰」「真の構造改革」等をキーワードに、世界経済のパラダイムシフトを読み解き、 日本に不可欠な経済政策等を提言する。 軽いタッチだが、面白い本である。その概要をまとめてみる。 ≪ 現在の事態は深く長く続く世界同時不況である。アメリカの金融システム崩壊と国内の消費バブルの破裂が世界に大激震を 起こしてしまった。 その被害の大きいのが特に東アジアの輸出国。アメリカ発の世界同時不況だがドルはそれほど暴落しない。 米経済が最も早く回復するのはネズミ講の親だから。 この恐慌は二〇世紀型資本主義が終ったことを意味する。 それは大量生産・大量消費の終焉であり、自動車・スーパー・ファストフード文明の終焉である。戦後からアメリカを追い続けたのが 日本だったが、最もマイナスの影響を受けている。21世紀はITが「アメリカ型資本主義」から「ネットワーク型資本主義」へ変える 役割を果たすことになる。この恐慌で製造業の落ち込みは激しい。モノは先進国ではあふれており、経済の成熟でモノが売れないのである。 そこで消費として新興市場国の台頭が求められる。環境問題と農林水産業が、オバマのグリーン・ニューディールもあり注目される。 世界は温暖化・フラット化・人口過密化が、ますます問題になっており、これが21世紀は環境・自然・健康・安全認識などへ パラダイムシフトしていくことになる。 ここで先進国と新興市場国の環境をめぐる対立が起きはじめている。文明の相克である。 その1つに一神教から多神教的価値観へ、がある。 アメリカの隷属国家の日本は果たして変われるのだろうか? 必要なのは「日本回帰」である。ユニークな歴史を持つ日本は21世紀への先頭に立てる要素がある。江戸時代は一つの完成型であり、 道州制より「廃県置藩」が望ましいのではないか。≫ ネットワークが人間社会を根底から変えているが、経済も政治も、それに対処できないでいる。それが、この恐慌の根本理由。 この10年は、その意味で混沌とした時代になり、ドラッガーではないが20C的なものから21C的への断絶の時代になる。 その具体的なものとして、モバイル携帯電話、iPadやパソコンなどの情報端末。そしてツイッターやユーチューブや ユーストリームである。 情報化が人間のあり方を根本から変えていく世紀が21C。 「情報化で世界はこう変わる」である。 ・・・・・・・・ 2991,スナック・ママ の写真集 2009年06月13日(土) 写真集『スナック』 山田なおこ 写真集! の日本のスナック 、164店177人のママを収録したもの。スナックといえば、ちょっと話を聞いてくれる場所であり、 男にとってはグチをこぼしたり、仕事帰りに立ち寄ると、いつものママが迎えてくれる。10年の歳月をかけ、北は札幌から南は 石垣島まで、列島中のスナックを訪ね歩いて撮影した写真家・山田なおこ、のデビュー作という写真集である。 近くの図書館で見つけたが、去年の暮れに出たばかりのもの。さっそく借りてきたが、ジックリとみると、ナカナカ一人一人の 上半身のカラー写真が味がある。スナックといえば40数年間、彼方此方で通ったものとして興味がひかれる。 アルバイトでスナックに勤めながら、北海道から沖縄まで10年かけて、ママの顔だけ写してきたエネルギーが、 この写真集にタップリと入っている。 時間を巻き戻せるなら、飲みにいく時にカメラ片手に、このような写真を撮っておけば 良かったと、この写真集をみて後悔している。ほぼ全てが忘却の彼方。この写真集は、女性が女性を写しているので表情がリアルで、 気取りがないところが良い。何処かの駅前の繁華街の裏手のスナックのドアを開けると、この中の一人にソックリなママがチラリと 品定めをして、愛想よく迎えてくれる。そして何気なく身元を聞きながらお愛想を言って、共通の話題をさぐるのである。 全国色いろな地域のママの土着的雰囲気が何とも良い。 土地が顔を作っているのが、読み取れる。 それぞれ地区で、それぞれに人生を背負い、色いろな御客を相手に生き抜いてきた一国一城の主である。 優しさの向こうに、生きる逞しさを蓄え、店のコンセプトを大事にして、自分の城を大事に守っている顔である。 居酒屋、小料理屋、そしてスナックには、ありあまるほどの思い出がある。 ここでも何度も取り上げてきたが、スナックについては、あまり書いてなかった。 「うちのママより、店のママ」というが・・・ ドチラも、ママならぬ、というところ!
・・・・・・・・・ 2627, 世界バブル経済終わりの始まり ー2 2008年06月13日(金) 第一章の小項目をコピーして、その文をつなげるだけで、 その言わんとする大筋になる。その合間に私の言葉をつなげて文脈を作ってみた。 ≪ 真のNYダウ暴落への序曲が始った。 これは世界的なバブル崩壊へと続いていく。悲惨なサブプライムローン債券が次に出てくる。 これは今度波状的に世界経済を破壊する。その原因として1996年〜2006年までゼロ金利で世界にバブルを輸出した日本の存在がある。 しかし、それが終わりつつある現在、アメリカから資金の大移動が始まった。アメリカの低所得者までサブプライムローンで 住宅を担保に極限まで借金を重ねてきた。不動産バブル張本人の退職金が何と六〇億円という。本人はさっさと逃げてしまっている。 サブプライムローンの差し押さえで、新しいゴーストタウンがアメリカ中に急増、そこは差し押さえ物件の街と化しているのである。 FRBが金利を下げるとき、NYダウは暴落する。アメリカ国民はNYダウと一蓮托生だから、アメリカの消費は一挙に冷え込むのは必然である。 骨の髄まで借金体質で、日本とは全く違うのである。そこで各国はアメリカから距離を置き始めた。その中で日本の生きる道は 技術大国として、その特徴を活かすしかない。NYダウの適正値は七〇〇〇?八000ドルであるが、アメリカは株価急落防止チームを 発足させ維持に懸命。しかし、それは乱高下を重ねながら落ちていくだろう。それと同時にアメリカ国債も暴落する。 日本は500兆円も持たされているから、日本経済は大打撃を受ける。しかし、アメリカは紙切れでしかない。≫ (以下字数の関係でカット09年06月13日) ・・・・・・・・・ 2007年06月13日(水) 2262, 「正しいスーツの定義」 (゚∇^*)オハヨ♪ 図書館で借りてきた本の中に、もう亡くなったファッション・プロデューサーの石津謙介がビジネスの場の「正しいスーツ」 の定義をしていた。今さらスーツの定義ではなかろうが、ビジネスのベースとして知っていていいだろ。 クールビズも、それを猛暑の1?2月間は崩そうではないか!という面ではよいが、あくまでもフォーマルではない。 あの政治家の場違い!を見れば解る。といって、この定義はビジネスのベースで、TPOSで変えてもよい。 *石津の定義の部分を抜粋すると、 ービジネスの場の「正しいスーツ」の定義は、たったひとつ。目立ってはいけない。これです。ビジネスの服装に、個性は不要。 不要というより、あってはいけない。個性は服にではなく、その人の仕事にこそ表されるべきです。 スーツの色は濃厚か、中間色以上の濃いグレー。ようするにドブネズミ。オフィスでは緑や茶系は通用しません。 デザインは伝統的なイギリス調か、落着いた都会的なアメリカ風。前ボタンは2~3つ。長すぎない袖で、シャツがのぞくように。 ネクタイは4本しかいりません。2?3色の細めに斜めに入ったもの、いわゆるレジタル・ストライブ。 無地のニットタイ。 (字数の関係でカット2012年06月13日) ・・・・・・・・・ 2006年06月13日(火) 1897, 治安悪化 おはよ?!(*^ワ^*)i 先日、スナックで飲んでいたら一見客の入店を断っていた。最近、周辺のスナックで泥棒が頻繁に入るという。 その前に必ず新規の客として下見に来るので、一見客に、どの店も神経を尖らせているという。 (字数の関係でカット2008年06月13日) ・・・・・・・ 2005年06月13日(月) 1532, 「おばさん」の定義 図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、チェックポイントがあった。 私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。 「オバサン」の私のイメージでいうと、以下の通りである。 1.傲慢で緊張感が全くない 2.自己中心的かつ利己的で 3.他人の噂話が日々の潤いになっている 4.他人の行動が気になり節介をやきたがり 5.服装が世帯じみていて、アンバランス 6.知性が全く感じられない 「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」と言われると返す言葉もないが。しかし「何がオジサン・オバサンか」は、 自覚をしておかなくてはならない。その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。 服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。 時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、アンバランスになってしまう。 その過去の蓄積度の露出が、オバサン度を高くするという。その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、放漫のため 気がまわらなくなるのだ。まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。 「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、年齢だからと諦めては駄目!」ということを聞いたことがある。 (以下字数の関係でカット11年06月13日) ・・・・・・・ 2004年06月13日(日) 1167, 哲学についてー3 哲学の歴史については、いまさら哲学の授業ではないので大まかに述べると ・紀元前6〜4世紀にギリシャに始まる、それもソクラテス以前と、以後の分けることができる ・ソクラテス以前は最初に登場した特徴は宗教や権威や伝統とは関係ない論理で現実や世界を理解しようとした。 これは、それまでとは全く違った画期的なもの。他の人にも自分の力で考えるように説いたことも、それまでに無かったことだ。 ・そして、「宇宙とは何からできているのか」「何が大地をまっすぐにささえているのか」「万物は何からできているのか」という 根本的な問いかけを突詰めて考えていったのが、最初の思想家のタレスであった。またヘラクレイトスが「万物は流転する」という 有名な言葉をのこしている。この頃ピュタゴラスが、天才的な能力で「ピュタゴラスの定理」で、数学の幾何学的概念を考え出した。 「平方」や「立法」である。 ・ソクラテス以後は、まずソクラテスが哲学的対話を求めて問答法を生み出していった。 彼は「友情とは何か」「勇気とは何か」 「敬虔とは何か」特に「正義と何か」を問いかけたとき、いろいろな人間や判断や法律などの取り決めに対して、その何らかの真実を 探り出そうとした。彼はすべてを疑えと人びとに教え、力や権威あるという人びとの無知を徹底的に暴いていった。彼がここまで 哲学の代名詞のようにいわれるのは、基本的概念を徹底して疑うことを初めて説いたからである。ソクラテスは誠実であることこそ 何よりも大切として、神や法に対する義務より自分自身への義務こそ最も優先にすべしと説いた。 そしてプラトン、アリストテレスへと現在への西洋哲学の基礎がカタチつくられていった。 ・その後、哲学でいう暗黒の時代が1000年も続くことになる。 これは、キリスト教会の影響が大である。キリスト教と矛盾するものは、 排除すべきものとして、徹底的に吟味された。あくまでも哲学としては、キリスト教との結合の範疇でしかなかった。 トマス・アクィナスがその思想体系を世界観をつくりあげただけであった。そして中世になってやっと近代科学がはじまったのである。 ・・・・・・・・ 2003年06月13日(金) 800,「ありがとう」の言葉〜3 「幸せの宇宙構造」ー七つの言葉「祝福神」ーより 自分が最も得をする生き方はどういうものでしょうか。何よりも大事なのは笑って愉快に生活すること。 そのために私たちが発すべき言葉は・うれしい・楽しい・幸せ・愛している・大好き・ありがとう・ついてる、の七つ (これを七福神ならぬ「祝福神」と呼んでいます)です。そうすれば健康になるし、つまりは自分の人生にとって大変得になる ということになります。人間は自分の発した言葉で自分の人生をつくります。 私の周囲の環境や、自分が立たされた状況は すべて自分の発した言葉によって形成されていきます。ですから、朝から晩までうれしい、楽しい、幸せ、愛している、大好き、 ありがとう、ついてる、と言い続けると、この言葉しか言いたくなくなる人生に囲まれてしまう。 (以下字数の関係でカット2010年06月13日) ・・・・・・・・ 2002年06月13日(木) 436,凄い時代ー光ファイバーの時代 ADSLを自宅に入れようと思っていたところ、パソコンの先生に9月まで待ったほうがよいと言われた。光ファイバーが各家庭や オフィスに入るという。会社の方の切り替えも考えて早速NTTにきてもらって話を聞いた。契約後、導入に3ヶ月位かかるが 9月より新潟でも可能という。 そのパンフレットを見て驚いた、インターネットを通さずに直接メールやチャットが映像で やり取り出来るようになる。あるペットの好きな人が、映像でチケットで話している。そこの席が空いていればそこに入り、 お互いの顔を見ながら話ができる。驚きである。またホームページ内で映像も編集しておけば、いつでもそれをみる事ができる。 (字数の関係でカット2012年06月13日) ・・・・・・・・・ 2001年06月13日(水) [51] 無駄な事なし 人生ふりかえってみて感じる事は無駄な事は全くないという事である。もっともある程度燃焼してきたから、 言えるのかもしれないが!全く無駄にみえる事ほどふりかえってみた時、一番重要なポイントだったようだ。皮肉と言えば皮肉だ。 ポイントはぼろを羽織ってくるのだろう。老年にさしかっかた時、死と同じくらいの恐怖「自分の人生これでよかったのだろうか?」 という問いかけだそうだ。ある本に自分の母が死ぬ時「私の人生失敗だった!」という言葉を残していたと、姉より死後聞いて 立ち上がれないほどショックを受けたという内容が書いてあったが。無駄な事だらけという人生もあるのかもしれない。 人生にやはり意味を求めていないと、失敗だった?という気持ちになってしまうのだろう。
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2012年06月12日(火)
* 21の文明の「種」と、現在残っている7+3の「種」 この冒頭の文明の記述が、現時点の文明の立ち位置を知るによい。5大文明の起源だけでは現代を捉えるに無理がある。 情報化社会の到来が、この文明の地域割り、民族割り、国家割りを、根こそぎ変え、現在は大断層の真只中にある。 中学校の教科書では5〜6千年前に五大文明が生まれ、その延長上の文明が現在に至っているとある。学生時代にトインビーを知り、 文明の発展史の解釈に驚いたことを憶えている。 ー この本の冒頭から惹きつけられる。 【 われわれの知っている最古の文明の出現は、現代から六千年以上さかのぼることはできない。しかし、この六千年の歳月の間に、 ミノス、シュメル、マヤ、インド、シナ、シりア、ヒッタイト、バビロニァ、アンデス、メキシコ、ユカタン、エジプト、ヒンズー、 イラン、アラビア、ヘレニック、西欧、正教キリスト教、極東など、二十一の文明の「種」が発生し、成長し、あるものはやがて没落し、 消滅していった。二十世紀の現在なおこの地球上に生き残っている文明の「種」は、西欧文明、近東における正教キリスト教世界の本体、 ロシアにおける正教キりスト教世界の分枝、イスラム社会、ヒンズー社会、シナにおける極東社会の本体、日本における極東社会の分枝、 の七つの「種」と、ポリネシア、エスキモー、遊牧民の三つの「種」の発育停止文明であるとトインビーは分類している。 過去六干年間におけるこの二十一の文明の「種」の栄枯盛衰の歴史のドラマとその比較研究は、文明の発生、成長、挫折、解体の原因や その一般的パターンについて、われわれになんらかの示唆を与えてくれるものなのであろうか。そしてまたこの歴史の教訓は、現代文明の 進路選択、日本社会の進路選択にもなんらかの寄与をしてくれるものなのであろうか。こうしてわれわれは、特に文明の没落過程の 共同研究に着手したのであった。】 ▼ 中年期を終え老年期に差し掛かると、哲学、歴史に、より興味が増す。人生を振り返ると、そこに人類の歴史と重ねてみたくなる。 シナが極東社会の本体なら、日本は極東社会の分枝の中の己を歴史的位置から逆照射して、個々の卑小さを確認することで、 砂利同士の大きさや、変形の比較を気にしない心理作用に効果的である。人生を実際に60数年間、生きてみて思う5千年の実感は、 学生時代のそれとは全く違うもの。この情報化は人類のあり方を根本から変えている。悲観的にも楽観的にもなるが・・・面白い! ・・・・・・ 3730, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜⑦ 2011年06月12日(日) * 人生を自由に生きるためには? 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 「なぜカエルがジャンプするのか」ではなく、「どうすればこの小さな生きものをジャンプさせられるか」である。 もちろん、カエルには栄養分が与えられなければならない。次に、カエルは自由にさせられなければならない。群集の前に立った時、 あるいは上司の部屋に座った時、私たちはカエルになり、すでに見てきたように、あまりの恐怖心からジャンプすることなど到底できず、 ただ小さく気弱な声で泣言を発することしかできない。 カエルを自由にさせるというのは、私たちが人生を生きることのたとえである。 ほとんどの人にとって、自由になることは怖い。 私は人生のある時期、過去という不健全な場所にしがみついていた。 自分を解き放すことができなかったのだ。 計り知れない深淵に落ちてしまうのではないかという恐怖をどうすることもできず、 そうしていたら身の破滅につながることが分かってはいても、過去にしがみつくしかなかった。 この恐ろしい時期のある晩、たった一本の枝につかまって崖っぷちからぶら下がっている夢を見た。私は何百メートルも下の谷底を 見下ろした。そこで、自分が絶対に助からないことを悟った。手は疲れ果てて、ついに滑り出した。結局は手を離さざるを得なかったが。 だが、落ちながら、突然自由になったのを感じた。リラックスをしながら落ちていくのを楽しむこともできれば、落ちていながら 叫ぶこともできた。 落ちながら、何とも言えない高揚した気分、完全な自由な気分を味わった。 私たちカエルは崖から飛び降りよう、 経験を信頼をして旅を楽しもう、と私は提案をしているのだ。 やってみなさい。 手を離しなさい。 ジャンプをしなさい。 】 ▼ 海鳥の雛が、最初に断崖から海に向かって飛び出す時の映像を何度か見たことがある。本能に従い健気に恐怖に打ち勝ち飛びたつ。 人間は、恐怖のイメージがあるから、なかなかジャンプが出来ない。 実際に、今回の3つの震災で、会社が倒産してしまった。 どちらにせよ年齢からして、このままの状態は維持出来ないなら早めに清算した方がよいことは、数字が雄弁に物語っていた。 決断をしてみると、自らの手から離れ、一人歩きをしていく。これも、ジャンプか。 「べき時に、べく事を、べきすべき」だった。 私の場合、これに似た絶対言明がある。「正中心一点無」である。問題の中心を直感で見つけ、気持ちを集中すること。 「恐怖の目をにらめつける」も良い。イスラム圏に行くと、目玉の飾りの魔除がある。玄関で目の力で、厄を守る飾りである。 動物は視線に非常に敏感である。考えてみれば視線恐怖症は誰にも少しはある。日本は、それが世間の目になる。 恐怖は、ジャンプのエネルギーそのものになる。 にらみ返すことが出来ればだが! ・・・・・・・・ 3365, 「世逃げ」のすすめ 2010年06月12日(土) 『「世逃げ」のすすめ 』ひろさちや著 ー概要といえばー 世間はおかしな物差しで人の価値を計ります。その「狂った」世間の物差しを捨てられないならば、世間から逃げるしかない。 世逃げとは、どこか別のところに逃げるのではなく、精神的に逃げることです。 禅の洞山の無寒暑を思い浮かべればいい。 目盛りがないのだから測れません。だから、測れない物差しが仏の物差しです。 測れないのではなくて、測らないのです。 仏の物差しは、物を測らない物差しなんです。 仏様は苦しみの世と言われました。その苦とは、思い通りにならないことです。 世逃げとは、思い通りにならないことを、思い通りにしようとしないことです。つまり、あきらめの思想でもあります。 このあきらめとは、努力をするなということではなく、無駄な努力をするなということです。 無駄な努力とは、思い通りにならないものを思い通りにしようとすることです。仏教は「出世間の教え」。煩悩にまみれた 俗世間を厭い離れることが、仏教の姿勢である。ならー「世逃げ」しなさいーと!「世逃げ」とは、世間の物指しの他に、 神の、仏の物指し(目盛りのない物指し)を持ちなさい、ということである。 ▼ 以上が概要だが・・ 二年前に、この本の中の「ある一文」を紹介したことがあったが・・ ひろさちや、といえば仏教的視線で、 世間から一歩も二歩も超越しなさいという論だろうと、思っていたが、「『狂い』のすすめ」の続編の内容である。 学生時代に社会学を専攻、人事管理のゼミ入って、人間の管理という生々しい問題を冷静に捉えて、客観的?に見つめる「訓練の場」の ゼミの真っ只中に入った。そこでは哲学的にいえば、現象世界(感性、悟性)を、思考、訓練で理性に昇華する訓練の場。 教授は分かっていたのだろうが、その先は、それぞれ選択した社会分野で目指す世界を自分で創造しなさい、それが「自由世界」だった。 教養とは一枚一枚、束縛された固定観念を脱ぎ捨てることと思い知らされた。 とはいえ自由は甘くはない。 サルトルがいう 「自由という牢獄」での独りの闘いを必要とする。 ここでは、仏教だけでなく哲学的思考も隠されている。 狂い、失敗の繰り返しを40年以上やってきて? その結果、アウトサイダー、珍獣として冷笑されている。 しかし、その経験と哲学や宗教を学び続けてなかったら、とっくの昔に胡散臭い常識人になっていた。 ここで「世間は人間を商品価値で測っている」というが、世間とは、そういうもの。少し考えてみれば商品価値だけが人間の価値でない。 女性の容貌が衰えようとも、エリートコースを歩んだ人が失墜しようが、エリートコースの肩書きや職業がすべてではない。 それとは別の変わらない価値がある。その変わらない価値を、初めから人生に求めなさい!ということ。結局それは、社会的なものとは 無関係な自分の好きな世界を構築しておくことだ。フワフワした名声など、所詮は瞬時の現象。 しかし、それでは自分は商品価値で人を 判断していたのでは?というと、ない!といったら嘘になる。品性、教養、無心の人の傾向の強い人を認めてきたつもりだったが。 振り返ると、そうでもなさそうだ。商品価値の高い人ほど、それにともない、無価値の価値を身に付けている人が多いのも事実。 いや、その数倍も逆のがいるか? あれ等をみると!その、あれ等の一面しか見てないのだろうが。 商品価値ね〜 モーツアルトも、ダビンチも、あの才能より、隣の善良な人が? 良いとでも言うのか? ・・・・・・・ 2990、1ドルを競りにかけると 2009年06月12日(金) 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著 ー読書日記 * 一ドル競りゲームから見えてくること ゲームで、「1ドルの競りゲーム」がある。 小人数のパーティの余興に面白いというが、そのゲームの中に、深い示唆が含まれている。 もちろん、三人以上が参加するようにしておいて、1人に50セントまで値段がつくまで買いにまわってもらえばなお良い。このゲームでは、 最後に競り負けた人が、その金額を払わなければならないルールを前もって言っておく。5、10セントから始って、15、20、そして 30セントと。そして50セントで、頼んでいた人は降りてもらってよい。競り人は、そこで二人から50セントずつ貰えるから元は取れる。 しかし1ドルを越えたところで、二人とも1ドルを失いたくないため、1ドルを越えても、どんどん競りあがっていく。 3倍の3ドルとか4ドルに。 そしてどちらも競ってせり上げた分の損をする。最後に勝ったほうも、大損をしてしまう。 少し酒が入っていたほうが、冷静さを失うので効果がある。実のところ、これと同じことを我われはしているのである。 事業や商売でも、株でも同じである。コンコルドという超高速旅客機が、そうだった。 完成させたがよいが、 どこからみても採算が合わない上に、大きな危険が伴うことが分かったが、それまで開発してきたエネルギーと資金からみて、 中断できなくなった。しかし、その結果として、事故があり、大赤字を重ねた上に止めざるを得なくなったのである。 株で見切りが出来ないのと同じである。 このゲームは、剥き出しの一ドルを、競っても理性を失うのである。 株屋の本質は、これである。 巧妙に仕掛けて競り上げる。 ところで、百戦錬磨の女が自分を売りつける時も似たようなものか? 相手を多く集めて競って売りつける。 買わされた方は、一生棒をふる。 何か何処かで見たような? 誰かが似たような経験をしている?ような! ・・・・・・・・・ 2626, 世界バブル経済終わりの始まり ー1 2008年06月12日(木) (。・∀・)ノ゛おっは? 「世界バブル経済終わりの始まり」 松藤民輔著 ー読書日記ー 一年前に発刊された本だが、現在の状況を、見事当てている。 バブル時期には著者は日興証券、メルリリンチ、ソロモン・ブラザーズ などで年収2億円の凄腕セールスで知られていた。ソロモン・ブラザーズの時代に日本のバブル崩壊を読みきって、投資商品の主役が 「ペーパーマネー」から「金実物」の時代に以降すると予見し、独立。1995年に株式会社ジパングを設立。 2005年にアメリカ・ネバダ州の金鉱山を買収、日本第三位の金鉱オーナーになる。 この本の出版の少し前に、『アメリカ経済の終わりの始まり』を書いた。 ー今回は印象に残ったポイントをマトメテみた。 次回は、この目次をコピーして、考えてみる。 *この本では、アメリカの現在は日本のバブル崩壊の前後に酷似していると指摘している。ブルの塔」を、 ここまで高めたのは日本にある。長期にわたるゼロ金利政策こそ、全ての元凶だった。 (字数の関係でカット11年06月12日) ・・・・・・・・・・ 2007年06月12日(火) 2261, 「アンラーン」について (。・ω´・)っノ 【才ノヽ∋?】 「アンラーン」という面白い言葉に出会った。味と深みのある言葉である早速、検索で調べてみると次のようにあった。 ≪ 鶴見俊輔の言葉の中で ー戦前、私はニューヨークでヘレン・ケラーに会った。 私が大学生であると知ると、 「私は大学でたくさんのことをまなんだが、そのあとたくさん、まなびほぐさなければならなかった」といった。 まなび(ラーン)後に まなびほぐす(アンラーン)。「アンラーン」ということばは初めて聞いたが、意味はわかった。 型通りにセーターを編み、ほどいて元の毛糸に戻して、再び自分の体に合わせて編みなおすという情景が想像された。≫ △ 成る程、一度編み上げたセーターを、解きほどき、もう一度変化した自分の身体に合わせ編みなおすという喩えが、解りやすい。 ≪ ドラッカーが『創造する経営者』の中でも、「知識は消え去りやすいものである。したがって始終、再確認(リコンファーム)し、 学び直し(リラーン)、習練(プラクティス)し直さなければならない」と知識の扱い方を述べている。 さらに同書で、 「知識が知識であるためには、進歩しなければならない」と。知識は最も腐りやすい、そのため絶えずリニューアルすべきことについては、 「知識をラーン(学習)し、リラーン(再学習)し、アンラーン(脱学習)が、知識管理の大前提である」と述べている。≫ (字数の関係でカット12年06月12日) ・・・・・・・ 2006年06月12日(月) 1896, ダ・ヴィンチ・コード ー映画日記 才八∋ウ_〆(∀`●) 何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、 映画館に行く回数が減ってしまった。昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。全世界で5千万部、日本で五百万部 売れた本の映画化である。ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、あくまで漫画的な奇抜な 内容の域を出ていない内容。難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。 「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だったマグダラのマリアという設定。 マグダリのマリアといえば重度の生理?の売春婦で、よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に 入れたのだろうか?という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインがその血筋という設定に なっている。キリスト教徒にとって大問題になっても不思議ではないが、娯楽小説と無視しているようだ。 (字数の関係でカット09年06月12日) ・・・・・・・ 2005年06月12日(日) 1531、わたしの酒中日記ー7 2005年6月10日 ーバイアグラ飲めず! 今日は、高校の同級会があった。三年ぶりの同級会、久々のせいか21人も集まった。担任の先生が41年ぶりに、この会に出席してくれた。 16歳年上だが、もっとふけた男が?何人かいた。全く若い! 20年来、毎年続いていたが、仕切りをしていた? スーパーツチダ社長の土田君が亡くなってしまい、この三年間は休会状態であった。 (字数制限のためカット 2010年6月12日) ・・・・・・・ 2004年06月12日(土) 1166, 豊かな時間 「貧しい時間」とはなんだろうかを考えてから、「豊かな時間」を考えてみる。 貧しい時間 ・虚飾と虚栄に満ちた時間のなかで空虚に過ごすとき ・好きでないことを、状況から嫌々しているとき 等、思い浮かぶが、虚飾と虚栄の時間のなかで空虚?に過ごすことが豊かな時間の人もいるし、 群れていることが真に充実している人もいるし、刑務所にいるのが一番の充実している人もいるというから、複雑だ。 (字数制限のためカット2010年6月12日) ・・・・・・・・・ 2003年06月12日(木) 799, 「ありがとう」の言葉?2 「幸せの宇宙構造」 小林正観著 弘園社刊 (昨日の続き) ・・・ある講演会に『ありがとうの実践会』の人が200人ほどいらっしゃったとのことでした。 『私は60万回』『俺は70万回』『今はまだ97万回』というような人が次々に現れ、私は驚きました。 5万、10万回という人は結構多かったのですが。『ありがとう』の回数が5万回あたりで、奇蹟が起こるモードが 第一段階がくるらしい。 (字数の関係でカット12年06月12日) ・・・・・・・・ 2002年06月12日(水) 435, 酒の話ー2 ー酒飲みの作法ー 女か酒か博打どれか一つは、癖の悪いものがあるものだ?私の場合それが酒だ。かなり危ないことが多くあった。 警察沙汰にならなかったっことが不思議なくらいだ。それでも最近は2年に一度は?? 酒で失敗したことで、かなり自分の人生で 失ったことが多い。しかし全然後悔していないのも、それだけ酒が好きということだろう。更に失った以上に、失ったことで逆に 得ていることのほうが多い?子狐との喧嘩はむしろ??、いやしないほうがいいか?酒席はお茶の世界と同じで、一会一期で飲んでいる。 ボトルを入れる人の気持ちが解らない。従って、非常に楽しい思い出が山ほどある。ただ飲みすぎて身体を壊さないように 自己ルール化をしてある。 ー30数年の痛飲からの知恵であるタブーとしてー 自己規制 ・一人酒 a 一人で気にった店を探して入るプロセスを楽しむ酒 b なじみの店に一人通う酒- ・自宅での日本酒の晩酌 ーこれが一番危ない、蓄積される。 自宅で飲んで二日酔いしてる馬?がいるーその代替として7~8年前より紹興酒に切り替えた ・誘い酒ー こちらから誘わない ・二日続けての酒席ー どうしても重なるが ・自棄酒ー面白くない時の憂さ晴らしの酒 ?不快さがより深くなる ・子狐との同席ー最近これだけは十分気をつけているつもりだが・・ ・人の噂、悪口を話題にしないー 子狐どもの子狐たらしめているもの ・女性と2人だけで飲むことー家内は除くー ・23時を目途とする このルールを憶えるまでに数千万の金と、あわや???のリスクを負った。好きとは、こういうことだ。 実際の酒乱はこんなもんじゃないと聞く。 軽症と思っているが。一応許容範囲か??? 記憶が全く無くなるという、はじめは言い訳と思っていたが。実際経験してみて、嘘でないことが解った。 「酒飲まずタバコを吸わず100まで生きた馬鹿がいる!」というが、どうであろうか? ・・・・・・・・・ 2001年06月12日(火) [50] 日本のプロ野球がつまらない! どうして? もちろん理由は解っている。野球もいっきょにグローバルになってしまった為で、またイチロウ効果だ! (字数制限のためカット2010年6月12日)
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2012年06月11日(月)
先月、ローマ人が現代日本にタイムスリップし2000年の時空を行ったり来たりする「テルマエ・ロマエ」という映画をみてきた。 当時のローマ皇帝は体制を維持するため、何処の街にも劇場とローマ風呂をつくり住民を懐柔する政策をとっていた。 そこで歴代のローマ皇帝の最期が如何なるものかを調べてみたところ、その最期は壮絶なものが多い。 ーネット調べてみると ≪ 初代オクタヴィアヌス・アウグスツ帝(BC27)から、最後のアウグスツス(AC476年)まで、503年間に、皇帝は81を数えた (名前だけの神聖ローマ帝国は、1806年までも続いていたが、ここでは省く)81人という数も見方によって違いが出る。 時どき、数人併立したりしたからである。とりあえず81人として、 平均在位年数は六年四ヵ月、あまり長くはない。 奇妙な偶然だが、古代ローマの継承者を次々と自ら任じた歴代ローマ教皇の平均在位年数が、やはり六年四カ月になる。 その諸帝の最期は、暗殺、毒殺、強制された自殺、反対派に捕まって処刑などが34、戦死9、事故死1、計44人が非業の死。 死因すらもはっきりしないのが17帝で、ローマ式ベッドの上で死ねたのはわずかに20帝、四人に一人でしかない。 平均の六年四カ月以上在位できた皇帝は22人、これも四人に一人にすぎないが、その中に、強制自殺させられたネロや、 親衛隊に殺されたコモドゥスなど非業死を合んでいる。残る12帝も暗殺未遂などあったはず。≫ とあった。 ▼ これだけ絶大で安定していた古代ローマ帝国のトップの地位は、逆に非常に不安定であった。そこから人間的な権力闘争が 垣間見るることが出来る。人間の権力欲と闘争本能は決して変わることがない人間の業。 未来永劫、この業による争いは 変わらず続くのだろう。人類は歴史から何も学ばないのである。日本の首相は仕組みからみて一年間袋叩きでズタズタにする。 実はズタズタは国そのものであるのに、鬱憤をトップ攻撃に向ける。目先の安易を求め、国が破綻しようが構わないギリシャと同じ。 ・・・・・・ 3729, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜�� 2011年06月11日(土) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 * 常に主導権を確保せよ −そのためにー 「スペンスさん、あなたは私たち陪審員を信用していなかったんですか」「もちろん、信用していました。どうしてですか」。 私はあわてて答えた。「あたは大変苦労して、私たちが人格の優劣によって、この評決を下すのではないかと、心配している」 とばかり話していたからです。私たちは事実に基づいて評決を下したんです。どちらが魅力ある弁護士か、で決めたのではありません」 突然、私は「自分」に魅力がないことを証明してしまったのだと気づいた。手遅れだった。私は自分の言い分の正当性を陪審員に 主張するよりも、相手の弁護士を非難することに時間を使ってしまったのだ。 私が相手にあまりに多くの力を与えたために、 彼の主張は私自身の主張よりも正しいことになってしまったのだ。私は自分の敵が誰なのか、まったくわかっていなかった。 私は自分が作り出した絶対に勝ち目のない巨人に立ち向かっていたのだ。私は自滅したのである。私はこの巨人に、私を打ち負かすのに 十分な力をそっくり与えてしまったのだ。 あのころは、今私がここで教えたいと思っていることをまだ学んでいなかった。 それは学ぶのも覚えるのも大変な勉強だ。私たちはしばしば、自分が得意としていない分野を得意とする相手に出会う。 ほとんどの相手は自分より聡明で、博識で、頭の回転が速く、外見もいい。相手のカを心配することに時間とエネルギー、 全ての力を浪費し、相手に自分の力を与えてしまう。 どんな議論をどんなにうまくやってのけても、相手を変えることはできない。 自分の力で変えることができるのは、自分自身だけだ。 それ以来、相手に自分の力をこれっぽっちも渡すまいと私は思っている。 私は自分の力を自分の手元にしっかりと置いておく。そして自分の主張の準備をするため、自分の主張に気を配るため、 そして自分の依頼人の心配をするために使う。 私は自分に話しかけてくる、かすかな声に耳を傾けることを覚えた。 「大丈夫。君なら十分できる。もし自分自身を見つけ、ありのままの自分でいることに力を使えば、もしできるだけ誠実に 自分自身を表現すれば、もし子供らしさの最後のかけらが残っているところ、つまり何の邪心もない心の奥底から話をすれば、 そこからすべての本当の力が生まれてくる。それで十分だ」。 】 ▼ 相手に気を奪われ、自分の内なる知恵に耳を傾けなかった大失敗を通して、主導権を取るとは如何いうことか学んだのである。 相手に気を取られ、それが自滅を誘ったのである。それより準備をし、自分の内なる声に従って対峙して主導権を取る方が近道。 その辺のことが分からないから自滅をすることになる。ようするに自分のペースで議論を運ぶこと。そのためにシナリオつくりの準備を 充分にすることである。これは議論だけでない、人生も同じ。人生のシナリオと、その準備を数十年かけ作ること。シナリオが狂った? ・・・・・・・ 3364, 人みな骨になるならば ー14 2010年06月11日(金) * どうということはない地位と財産 P-126 ≪ 財産や地位などというものは、「あるに越したことはない」のである。 ただし、「あるからといって、あるいは、ないからといってどうということはない」という点を忘れるのは問題である。 現実に財産や社会的地位のあるものの殆んどは、「あるからといってどうということはない」点に気づきにくい。 また恵まれない者ほど、「あるからといってどうということがない」と信じたがりすぎる。 もし「あるからといってどうということはない」のなら「ないからといってもどうということはない」のだ。古来の聖賢たちが、 財産や地位を警戒してきたのは、ひとつには、いったん得てしまうと今度はそれを失わないために汲々としてしまいがちなこと、 あるいはさらなる欲望にとらわれがちなるとによる。なぜ、これらが警戒しなければならないことかというと、それによって 人生が空費されてしまうからである。財や名声を追い続けていると百年に満たない生涯はたちまち尽きてしまう。 ・・・ 財産や地位の空しさを論証するのはたやすい。「あの世まで持っていけるものではない」からである。 一生かかっても使い切れない資産というのは食べきれない料理と同じである。歴史に残るほどの偉業をなしても人類の歴史そのものが 永遠ではない。世界一の金持ちもいずれ死んで財産はそのうち四散する。世界の帝王になったとしても跡目は誰かに譲るか簒奪される。≫ ▼ 以上だが、分かっていても囚われるのが人間。「死んで三日もすれば三百年前に死んだと同じこと」とハッキリと自覚すれば、 何も目先のことに気持ちが大きく揺れることもないだろうに。生きていること自体が最も大事なことに気づく時は、死を自覚した時など 切羽詰らないと、なかなか無い。ここで、著者が最後に指摘しているように、「好きなことをして自然に転がり込んでくるような 名利でないかぎり、我が身や時間を切り売りしてまで欲しがるべきではない。百億の資産、大臣の椅子といったところで、 所詮はサルが食べきれないほどのエサを掻き集め、あるいは、ひとつのサル山での順位を目一杯あげただけだ」ということ。 われわれにはもっと他に大事なことがあるはずだが。 無いよりも、有ったほうがと、言うのが本音になるが・・・ ・・・・・・・・ 2989,歩く木 2009年06月11日(木) 歩く樹木があるという、その名は”ウォークパーム”。 アマゾンに生息しており、太陽の光を求めたり、成長するための空間を確保するために、根をタコ足のように伸ばして年に 10数センチも移動する。アマゾンの中でも樹木の争いがある。光の当たる方に根を伸ばし陰になったほうが腐ってくのだそうだ。 50年で5〜6メートルも移動するのだから大変なものだ。 (字数制限のためカット 2012年6月11日) ・・・・・・・・ 2008年06月11日(水) 『いのち楽しみ給え』吉川英明編 (講談社) ーまずは、 第二章 人間の本質 から抜粋してみる 理想のない漂泊者、感謝のない孤独、それは乞食の生涯だ。 *西行法師と乞食とのちがいは、心にそれがあるかないかの違いでしかない。 評)理想ある漂流者、感謝のある孤独か? 詩は心だからである。 (『宮本武蔵』火の巻) *今の足の向き方ひとつで生涯大きな違いが生じるのだ。必然こうなるものだと決定された人生などが あろうとは考えられない。偶然にまかせて歩くよりほか仕方がない。 評)必然と偶然、哲学の話になる。 (『宮本武蔵』火の蓋) *一個の人生にしたところで、余り気まま暮しな人間や、物に困らないものが、却って、 幸福でない例を見ても、総括した民心というものにも、艱難する時代と、共栄謳歌する時代と、 こもごもの起伏があっていい。なければ却って、民心は倦む。 「新誉太閤記」 *生きようとすれば、あがきの爪が、何かをつかむ。 (『「本太平記」みなかみ帖) 評)最近の若者の大多数?は、あがきもしない。 *どんな大難も、一過を待てば、おのずから雲間に晴天を見せてくれる。(『「本太平記」帝獄帖) *「なべて眼のあたりのことは、うこかし難い、また、変るなき鉄則に見えますが、 どんな現実というものも、じつは間断なく変っています、変るなと願っても、 推移せずにはおりませぬ。人の境遇も、人お互いの心も」(麻鳥) (「新・平家物語』静の巻) *人と人との応接は、要するに鏡のようなものである。 驕慢は驕慢を映し、謙遜は謙遜を映す。 人の無礼に怒るのは、自分の反映へ怒っているようなものといえよう。(「三国志」 望蜀の巻) 評)人を恨めば穴二つ、ということか。 *はたらいた俺にはあるぞ夕涼み 「書簡・詩歌集」 評)はたらかぬ俺にはあるぞ閑の味 老けて行く春を化粧の瓶の数 「書簡・詩歌集」 評)老けていく春をサプリの空の瓶 どん底の人に不思議な顔の光沢(つや)「書簡・詩歌集」 評)去年、癌で亡くなった人の顔 ▼ 評)は無かった方が良かったが、これを書かぬと味気ない。 後で読み返した時の(いま・ここ)の自分のマーキングである。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2007年06月11日(月) 2260, ミスター・ドーナツの原価 ? (っ´Ι`)っ { おはよう 先日、新幹線で学生が二人話しているのが聞こえてきた。「ミスター・ドーナツでバイトをしているが、原価が6〜7円。 手間がかかる分、荒利が大きい。」との二人の話。 そうすると原材料費が大よそ20分の1ということになる。 まあ、空気を食べているようなものである。 要はお客を如何に呼び込める!かである。何でも同じだが。 ミスター・ドーナツの繁華街店の入れ替わりが多いと聞いているが、新潟市と長岡市に関しては粘り強く生き残っている。 (字数制限のためカット 2011年6月11日) ・・・・・・・・ 2006年06月11日(日) 1895, 閑話小題 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? ー長岡スーパー戦争が面白そう!ー 倒産したスーパーツチダの旧店舗を新潟市を本拠を置くウオロクが引き継ぐことになったと、昨日の新聞に載っていた。 ウオロクもあまり芳しくない話を聞いていたが・・他に引き受けてが無かったのだろう。 関係者の話によると、「地元のスーパー原信と感情的になっているほど、商売上の叩きあいが凄い」と聞いていた。 (字数制限のためカット 2011年6月11日) ・・・・・ 2005年06月11日(土) 1530, わたしの酒中日記ー6 金沢ー4 ー1972年3月末日 大学時代の友人の島村君が訪ねてくる。年賀葉書に金沢にいると書いたためだ。何か金沢というと、東京では憧れがあるようだ。 会社の同期の桜井君が訪ねてきた。寮には社外の宿泊禁止規定があるが、こっそりと泊める。これだけうるさい会社で、 二回も規定違反をするのだからスリルがある。二人とも、寮に泊めてもらうつもりで来ているから。夜に落ち合って香林坊で飲む。 金沢の独特の雰囲気にのまれ、行く先々に興奮気味だった。私の現状はこれ以下ない惨めさである!観光気分の立場とは全く違うのだ。 それにしても、大学を卒業して激しい環境にいたのを島村君と対比して実感する。丸善石油の総務にいて、 ほとんど苦労していないみたいだ。それに引き替え私は、あまりにも惨めな気持ちである。居酒屋にしてもスナックにしても、 東京の世界とは全く違う。ただただ目を白黒している。直感的に金沢の異質な世界がわかるようだ。最後はホテルの最上階の スカイラウンジに連れて行く。金沢の街が一望に見えるバーカウンターで、学生時代を懐かしむ。しかし懐かしむほど、惨めな気分 になる。サラリーマンは気楽で良いものだ。「私は独立を目指してここにいる」という気持ちが、現在の自分を支えているだけだ。 ・・・・・・・ 2004年06月11日(金) 1165, 哲学についてー2 「私は何をすることができるか」の「形而上学」は事物の本質、 存在の根本原理を思惟や直観によって研究する学問であるが、 ーアリストテレスにおいては存在一般を考察する存在論、また超越的なものを探究する学問であった。 ーカントは純粋理性からの認識論をめざした。 ーヘーゲルは反弁証法的思考を形而上学的と呼んだ。 我々の住む世界の特徴は、空間(三次元)と時間(一次元)から成り立っているが、 その「空間とは、時間とは、そもそも何ぞや」という疑問から、その問いに対する答えを探そうとする。 そこでは信仰にすりかえたり、権威にすりかえることは許されない。 哲学といえば形而上学には二つの基本課題がある。 ・「存在するものは何か」 ・「もし何かを知ることができるとしたら、それはどのようにして可能か」である。 「存在論」と「認識論」である。 この何が存在し、何を知ることができるか、という課題は哲学で探求される問題の大前提である。 哲学を芸術と宗教と科学の違いから見てみると ー宗教は理より信仰がまずあり、宗教心を育てることに重きを置く。 ー芸術は哲学とものごとの底流にある真実をもとめ、人間を理解しようとするが、 その手段が絵画や音楽などの作品を通して直接的な感にうったえる。 ー科学もしかりである。真実を追究するが、実験や観察によって答えが出せる問題に限られる。物質的な問題が主になる。 フォイエルバッハではないが「宗教にとっては神聖なるもののみが真実である。哲学にとっては真実なるもののみが神聖である。」 というが、芸術は、さしずめ作品そのものの感動が真実である。これらはけっして相反するものではなくどれも宇宙や社会や 人間の存在という不思議を深く理解しようとするものである。また、直感と批判をどれもが必要としている。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2003年06月11日(水) 798,「ありがとう」の言葉 ー1 長年生きてきてつくづく感じるのが「幸せ系の人」と「不幸系の人」がはっきり分かれていることである。 家柄、結婚の相方との相性、本人の品性等いろいろの要素がある。 多くの人を見てきて、不幸系の人に感謝の念が足りない人 ー特に両親に対する感謝が少ない人ーが多いことに気づいた。両親に対する不信感ーが本人を不幸にしていることに気がついてないのが、 更に不幸を拡大している。その不信感が人間観になってしまうからである。 夫婦間のトラブルー権力争いーが子供を傷つけ、 子供が恨みで感謝を忘れてしまうことも起因している。人間には感謝はしないが感謝される事を求める傾向がある。 昨日図書館で何げなく借りてきた本を読んでいたら、あるページに目が釘つけになった。 ー以下に書き写してみるー 不思議なことに、心を込めない「ありがとう」でよいから2万5千回ほど言うと、涙が出てきます。呪文のように言っておくと、 その累計が2万5千回を越えたあたりで、突然涙がどっとあふれてくるということが、多くの人にあるようです。その涙というのは、 短い人で1時間、長い人で3時間、平均2時間ほどで、とにかく止まらないのです。こんなに自分の体から涙が出てくるものと思うほど 激しく流れ続けます。この涙が出終わって、そこからまた続けて「ありがとう」と言おうとすると、今度は心底から感謝の念がわいてきて、 体中が温かい思いに満たされ、本当に有り難くて「ありがとう」という言葉が出てくるようです。 さらに、心を込めた「ありがとう」が湧いたところから、2万5千回ほど心を込めて「ありがとう」を言い続けると、 なぜか突然「私」にとって奇蹟と思えることが起こるようになります。この話をあちこちでしていて、 「実際言ったが、そんな涙出てこない!」という質問を受けました。私はその人達に同じ質問をしました。 「2万5千回に到達する前に、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わなかったですね」と。その答えはすべて「言ってました」でした。 「それを言った瞬間、チ~ンという音がして『ありがとう』の回数がゼロになったのだと思いますよ」と答えています。・・・ ー続くー ・・・・・・・・ 2002年06月11日(火) 434,創業の勧め? 過去に創業を何回か繰り返してきた。好きで自分で望んだ事だから、そう苦ではなかった。しかしそう甘くもなかった。その時は、 のるか反るかの大勝負を賭けている。やはり脳は全開、見えない相手を考え尽くした上で一つづつ判断していかなくてはならない。 ゼロからの出発である。表面には出してないが、しかし色で出ているだろうが、キーワードは「発狂」である。 まったく存在してない自分の主張を、実際のカタチに創り上げていく工程を踏んでいるのだから。 部外者の人は狂っているという。そうでなくては実際新しい創造は不可能だ。基本に忠実にゼロから一人で、 一日一日孤独の行為の積み重ねである。その時、見えるのは人間の浅ましさと嫌らしさである。これは自分の事でもある、人間の底である。 ・人間はエゴであるー生命の発展はそれぞれのエゴイズムが原点である。 ・それがどうしたというのかーその当然の行為を始めたのだ。・その積み重ねが事業の出発点である。 ・馬鹿二代目が冷笑している、結構である。むしろそれが正しい事を証明してくれている。 ・赤裸々な莚旗を立てた赤裸々な姿、それが創業である。 ・事業に関していえば、まずは金そして金そして金・・・・ (字数制限のためカット 2012年6月11日) ・・・・・・・ 2001年06月11日(月) 「49」一期は夢 ただ狂え 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ 何ともなやなう 何ともなやなう 人生70古代稀なリ ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や 夢幻や南無三宝 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ ー 閑吟抄ー ▼ 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つ。 ‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。 今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。500年前この無名の男の人生 ‐過去に何があったのだろうか? 今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!
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2012年06月10日(日)
「嫌老社会 老いを拒絶する時代 」長沼 行太郎 (著) * 歴史的一回限りの、新種の階級問題 10数回にわたり、「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) を取り上げて老いを暗黒面から考えてみた。 昔から老いは嫌われ片隅に追いやられてきた。ところが戦後の中核をなしてきた団塊世代が熟年をむかえ、大量に溢れ出してきた現在、 彼らを軸とした世代内の格差と、他の世代との格差が、大きな問題になってきた。周囲に元気な人が多いため自分たちが老人の意識が 今ひとつ持てないのである。彼ら自身が老いを嫌い、その下の世代からも目の上の瘤として厭われている。それが年金格差であり、 貯金格差などを起因とするから問題は複雑である。それは親子、嫁姑関係にも微妙に関係してくる。 まずは、内容ーアマゾンから 【 「老い」を嫌悪する時代そのものを問う! 今後、ますます高齢社会を迎える中、「老い」をどのように捉えればいいのか。 「老い」を拒絶し嫌悪する時代に、歴史的な背景から団塊世代の問題までを多角的な視点から論じ抜く。 高齢社会・日本において、いま考えるべきは「老い」の技術と思想だ。団塊の世代の問題、老人は過去にどのように処遇されてきたか、 老化を忌避する社会の今後の展望 …誰もが避けられない「老い」をテーマとして、歴史的な経緯から今後の展望まで多面的に捉えている。】 ー世代内格差についてー ≪ 一般的に老いは、現役時代の収入・資産状況の結論が出て、それが固定化される現象であるから、老後には、現役時代に拡大した格差は 固定されたままで、リベンジがきかない。とくに、老後の生活水準では、企業年金を積み、退職金の高い企業に勤めていたひとと、 そうでないひととの間での格差が歴然とする。 ・・・ 団塊世代では蓄えも退職金も世代内格差が大きいという団塊世代を対象とした アンケート調査もある(『日経新聞』2006年1月8日)。金融資産が500万円未満が34・4%、500万〜1000万未満が19・2%、これでほぼ半数を超える。 退職一時金も、「なし」が25・6%、500万円未満が22・8%で、半数近い。 言うまでもなく、団塊世代の多くのひとが、退職後も生活のために 働かなければならないと答えるのはこの事情があるからだ。つまり、日本社会全体の「希望格差社会」(山田昌弘)、希望の持てる階層と希望を 喪失した階層とへの分裂社会への移行を、膨大な高齢層が集中的に表現することになるわけで、団塊世代の場合、シニアデバイドは、世代問題、 人口問題、収入階層問題、という3つの次元の交点に現れる、歴史的に一回限りの、新種の階級問題なのである。また、この団塊世代に始まる 世代内格差は、団塊世代のあとにくる世代にも継承拡大されていくことが予想される。≫ ▼ 団塊世代の「金融資産が500万が三分の一の、過半数が1000万未満。退職金無しが四分の一、500万未満が半数。」という現実も厳しい。 これで20万そこそこの年金では、ギリギリの生活になる。この年代はバブル期に良い思いをしたため、その段差は大きい。それでも半数は 一千万以上の金融資産があるし企業年金も入る。そのため現役時代の格差が、そのまま延長される。 国家衰退は、個々人に直撃する。 ・・・・・・ 3728, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜�� 2011年06月10日(金) * 「必勝の議論」を組み立てる ー 物語にして話しなさい 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 【 ● 説得力を増強する議論構築法と表現の魔術 法廷内でも法廷外でも、夕食を食べながらでもコーヒーを飲みながらでも、どんな場合でも、議論は一つの物語に変えることができる。 議論には、そう、三匹の子ぶたの家と同じように、骨組みがある。オオカミに激しく息を吹きかけられて家が崩れ落ちるかどうか、 吹き飛ばされるかどうかは、その家がどんなふうに建てられたかにかかっている。全ての議論にとって最も強い骨組は「ストーリー」である。 「さあ、お話をしましょう」 ストーリーを話すというのは、大昔からお互いに教え合う大事な手段だった。たとえば焚き火を囲む集まり、一族が皆、焚き火を囲み、 目をまん丸にした子供たちが大人の後ろから覗き込んで一心に耳を傾けている。過ぎた日の物語を語る長老の乾いた声が聞こえてくるだろうか。 人々は物語から何かを学んだ。サーベルタイガー(剣歯トラ)を取り囲んで殺す方法、はるか遠くの森でマストドンの王を仕留めた話、 そして長老がいかにして嵐を生き抜いたか。 愛の物語もあれば、特別な秘薬の発見の物語、隣の種族との恐ろしい戦いの物語もある。 人間の知識はすべて太古にはストーリーの形で伝えられてきた。ストーリーを話す生きものは、私たち人間だけ。 ストーリーを話し、 それを聞くという行為は、人間という種と他の生物との最も大きな違いだ。子供のころ聞いた物語は大切な経験として心のなかに残り、 大人になった時に物事を判断したり決定したりする際の拠り所になる。意識の中にも無意識の中にも永遠に植え付けられる。 私たちが楽しむ映画やテレビドラマ、芝居、これらは高度に進化した形のストーリーだ。 一番効果的なテレピコマーシャルは、 三十秒あまりの小さなストーリーだ。 ジョークも小さなストーリーだ。 世に名を残した偉大な教師はストーリーを使って教えた。 キリストの壁え話もストーリーだ。 ・・・工場の工場長が機械が故障したのを知った時、修理しようと集まっている工員たちに まずする質問は「どういう話になってるんだ〜」 だろう。 警官が私たちの車を止めてボクサーみたいな顔を前の座席に突っ込み、 まずつっけんどんに言う言葉は「さあ、話を聞かせてもらおう」だろう。 】 ▼ この10年間の随想日記で、一日一話の物語を作っていたことになる。身近な縁者と、未来の自分が読んで納得できるように 加工することで、自分の情報整理と管理をしてきた。初めの数年は大変だったが、何時の間にか、それが面白くなっていた。 物語化すると頭に残るのである。後年に再び読んでも新鮮さが失われていない。それにしても、実践から得たこの物語化は面白い! ・・・・・・・ 3363, すでに世界は恐慌に突入した ー4 2010年06月10日(木) * ロボット・トレーダーとは! 「怪しげな超高速取引のロボット・トレーダーの優劣の戦いが始っている」と、この本で紹介している。 現在、ゴールドマン・サックスや大手ヘッジファンドは、膨大の資金を投じて超高速超高速コンピユーターを導入し、 取引に使っており、今やニューヨーク証券取引所における、この高速取引のシェアは七割に達しようかという勢い。 その中で問題とされているのは、フラッシュ・オーダーという取引執行形態である。このフラッシュ・オーダーとは一般投資家の 注文状況を、一〇〇分の三秒ほど早く見ることができる。一方、超高速コンピューターは○.○○〇四秒で、注文を処理することができる。 一〇〇〇分の一秒の間に何百という注文が執行できる。 これで、どういうことが起こるかというと、一足先に一〇〇分の三秒早く 一般投資家の売買動向がわかるので、その状況を的確に判断して儲けにつなげるというわけである。 たとえば、A社の株価は 現在四九四円とすると、この株価の売りと買いの注文状況が出たとする。この場合、成り行きで一万株買ってくれという注文であれば、 通常なら四九四円で買うことができる。場にある四九四円の売りものを拾う形となるからです。ところが、ここにフラッシュオーダーの 機械がセットされていれば、一〇〇分の三秒早くこの成り行き注文を感知することができる。すると一足先回りして、この四九四円の 売りものを買い付け、その後○・○○〇四秒の速さ、一万分の四秒のスピードで、四九五円に売り注文を出すことができるのです。 (字数の関係でカット2012年6月10日) ・・・・・ 2988、「平均」顔は美しい 2009年06月10日(水) 「世界は感情で動く」 マッテオ・モッテルリーニ著 読書日記 * 面白い実験 ー「平均」顔は美しいー 世の中には面白い実験をする研究があるものだ。目・鼻・口・額などの部分を、それぞれ平均して合成した顔が、 その中の誰よりも美しい顔になったという。考えさせられる結果である。国民の裁判制度が始った現在、特に考えさせられること?。 アメリカで長年にわたって取り入れられてきた裁判員制度だから、裁判長の1人の判断より公平かつ、信頼度の結果があるからだ。 それと平均顔の方が美しいと同じと考えるのも何だが、裁判員制度も悪くはないような気がする。 秋葉原のワシントン・ホテルで若い女性の幽霊の顔が浮かんでいるのを見たことがあるが、 これを読んでいて、あれは数千人、いや数万人の平均顔に思えてきた。ノッペラした何の特徴もない顔だった。 ー まず、その部分を書き写してみる ー P-185 テキサス大学の心理学者ラングロイスとログマンは一九九〇年、「平均的な」男女の顔は、その「平均的な」顔をつくるのに使った 個々の人びとの顔の誰よりも美しいと判断される、という結論に達した。二人はこの実験のために、336人の男子学生と214人の 女子学生の顔写真を集めることからはじめた。その後、男女それぞれのグループから無作為に96枚を選び、そこからさらに32枚から成る 部分集合をつくった(男子の集合が3つと女子の集合が3つ)。これをもとにして「平均的な」顔をつくるのは簡単だった。 リタッチのプログラムを呼び出し、いくつかの写真をクリックし、それぞれのピクセルに数値を与え、さまざまな写真から 詳細部分の平均を引き出す。二人の研究者はおおよそこのようなやり方で、女性の平均的な顔を3つ、男性を3つ作りあげた。 それから80人ばかりの人に、「平均的」人相を作るのに使ったほかの写真と比較してもらった。 すると男性の「平均的な」顔も女性のそれも、合成するのに使ったほとんどすべての本物の顔より美しいと 判断されたのである。なんともうるわしい結果であろうか。しかし、これは「合成した顔がすべて個々の顔より美しいのは、 多数の人の平均的顔には、一つ一つの表情を傷つける様々の欠点が見えてこないからである」と結論づけている。 集団の「平均的」判断としてまとめられるてしまうと、個々の間違いや偏見がチャラにされるからである。 ▼ 以上だが、美はバランスである。 目や鼻や口の形もバランスー均整がとれているのが良いということ。 バランスか〜、 バランスでしかないのか〜、 服装、化粧は、そのバランスを直すことこと。 人間の持つ幻想は、そのバランスに惑わされやすい、ただ、それだけのことなのか? クレオパトラは、大した美人ではないが、幻想を活用することを知っていただけ!と言うが。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2624, いのち楽しみ給え ー1 2008年06月10日(火) 図書館で借りてきて、直ぐにアマゾンで注文をした本である。長男が吉川英治の本の中から、人生の言葉を選んだもの。 なかなか、味わいのある言葉が並んでいる。 吉川英治といえば「宮本武蔵」「三国志」「新書太閤記」を読んだが、 これだけ、多くの「心に残る言葉」に再び出会えて良かったが、当時読んでも、その深さが解らないものも多かった。 やはり人生の経験を多くしてみないと理解できないこともある。「いつもの時代でも、亡ぶ者が、かならず抱いている滑稽な信念は、 (おれは亡ぶ者ではない)という錯覚である」 『新書太閤記』が、新鮮に聞こえてくる。 『いのち楽しみ給え』 吉川英明編(講談社) ー読書日記ー * まずは、第一章 生きるということ より 花は、散る支度をし始めるときが、花の一生のうちでもいちばん美しいし、盛りも見える。」 「新・平家物語」 幸福とは その人の心の手のひらがそれを持つか持たないかだけのはなしである。 幸福とはじつにそんな平凡で無味ににたようなものだ 「草思堂随筆」 円(まる) 円 いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。 果てなく、屈折なく、究極なく、迷いなく円い。 (字数の関係でカット2012年6月10日) ・・・・・・・・・ 2007年06月10日(日) 2259, 今日、ホームレスになった ー2 (字数の関係でカット2008年6月10日) ・・・・・・・・・ 2006年06月10日(土) 1894, 不良のための読書術ー2 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? 「本は見た目だと!」という声も、心の奥から聞こえている。文庫本は幾多出版された中で単行本として生き残ったではないか。 「文庫本の中にこそ良い本が残っているのに、表装が良い本がよい本を勧めるのはオカシイではないか?」というのも肯ける。 この本は若者向け、初心者向けの本として割り切ってみないと・・・ だからこそ鋭い切り口になっている。 =その面白そうなところを、筆者の方法で拾い書きをしてみた= ・ゴダール式読書法の基本とは本を手に入れたら、適当のページを開いて、20~30ページを読む。ただそれだけである。 読むページ数は決まってない。 小説の場合はやや長めに一章まるごととか。 短編だと一編丸ごと読む。それで解らないのは著者か 編集者が悪いと思う。ここで一番難しいのは、その本の何処を読むかである。どんな本も本文の一ページに力が入っている法則がある。 これを「ツカミの法則」という。それと、実用書などでは巻末の索引から、関心のあるキーワードを探し出す。 30~40ページも読めば良い、くれぐれも全部読もうとは初めから思わないこと! ・本はタッチ・アンド・バイである。良いと思ったら買いである。そんな時、本の値段を他のものと置き換えてみればよい。 コーヒー一杯500円と、文庫本。 居酒屋の突き出しとビールと、単行本。専門書なら、ジーパンかウィスキー。そう思えば良書は安い。 ・良い本は見てくれでわかる。 良い本は見た瞬間グッとくるものなのである。 本は見てくれでないと言うが、本は見てくれなのである。よくない本に見てくれを良くしようとするわけが無い。 ・読書は悦楽の狩猟と宝探しと思えば良い! ・本は全て辞書と思えば良い。 適当に見たいところを見ればよい。 ・筆者が生み出した「擬似速読術」 *小説やエッセイを読むときには「 」内の会話だけを読んで、他の文を無視する。 これは高校や大学入試のテクニックにも応用されているらしい。 *専門書や実用書を読むとき、キーワードとなるような漢字とカタカナだけを拾い読みする。 1P全体を見ると何度も出てくる言葉である。それがキーワードである。 *一つの行の上のほうの10文字だけとか、まんなかへんの10文字だけを読んでいくもの。 これはどんな本にも応用できる。 ▼ 一箇所に拘らないで、鳥瞰せよ!ということ。鷲になって獲物を探すように本をみればよい! (ω・`) bai ・・・・・・・ 2005年06月10日(金) 1529, 「人を動かす」ー1 ー読後38年目の読書日記 この本は思い出深い。学生時代に出会い、この原則を忠実に実行してみた。その結果、数ヶ月もしないうちに、 私の周囲に多くの人が群れだした。丁度、都会の生活にも慣れ、 脱皮の時期であった時に書店で見つけて読みながら一つずつ実行したのだ。 (字数の関係でカット2009年6月10日) ・・・・・・・・・ 2004年06月10日(木) 1164, 哲学について ー1 哲学について、いつか書いてみたいと思っていた。といって、これは簡単に書けるテーマではない。 知識の浅さがそのまま露呈してしまうゴマカシがきかないテーマであるからだ。 そうとわかっていても自分のために、まとめてみたいという誘惑にかられる。 挑戦をしてみるが、知識や経験の浅さを露呈しても今更と割りきるが、しかし恐ろしい。 今まで哲学書で、一番納得したのは末広渉の「新哲学入門」である。 「従来の物的世界像から事的世界観への転回をはかって、認識、存在、実践の三つの側面から、私たちを捉えている 近代的世界観の根底的批判を展開し、新しい知の枠組への案内を試みている」と、説明文に書いてあったが。 ーーー 日常におわれていて、ふと日常のおなじパターンを繰りかえしていることに疑問を感じ、「このことに何の意味があるのだろうか」 と疑念を持つことから哲学が始まる。この随想日記で「世間さま」を茶化して書いてきたが、これも哲学の初歩的なものだ。 「我々が住む世界の基本的な概念と原理に疑問に持つこと」が哲学の始まりである。前提そのものを先ず把握して、 それを疑ってかかることが哲学の始まりだ。過去の歴史的な偉大な哲学者が2千数百年にわたり,いろいろな概念を思索して 根本的なことを解明しようとしてきた。いまさら根本問題を深く考えても仕方がないが、といって避けては通れない問題でもある。 ー哲学そのものについては カントの哲学の定義が分かりやすい。 (一)私は何をすることができるか。 (二)私は何を為すべきであるか。 (三)私は何を希望してよいか。 (四)人間とは何であるか。 誰もが、漠然と常に考えている問題である。 第一の問いに答えるのは形而上学であり、第二の問いには道徳、第三の問いには宗教、第四の問いには人間論が答える。 (字数の関係でカット2011年6月10日) ・・・・・・・ 2003年06月10日(火) 797, 流通業界よりみた時代の変化ー 流通業界の事は度々書いているが、10年前の状態と今を比べると段差に驚かされる。 ー10年前は、 ・ダイエーの中内功は、まだ他の会社の建て直しをしていた。 ・西武グループの堤清二もバブルの後始末に入ったところであった。 (字数の関係でカット2011年6月10日) ・・・・・・・・ 2002年06月10日(月) 433,自由ほど不自由なものはなし! 自由ほど不自由なものはなし!誰もが経験がある事だと思うが。 ー至近の例で、 サラリーマン生活をしてきて、待っていた定年がきた時ただ呆然。 こんな筈でなかった、何もできない自分に直面する。 あれだけ求めていた自由に躊躇してしまう。今まで束縛されていた組織からの自由を求めているだけ。 「自らに由る」という言葉の意味さえ考える余裕も無かった自分に直面する。如何してよいか判らない。仕方がないので、 それまでの行動をとるしかない。会社の近くに同じ時間に出勤。今まで行っていた喫茶店やスナックなどの溜まり場に 行きざるをえなくなる。目の見えない首輪がそのまま付いたままなのだ、紐まで付いたまま。 そして紐付き首輪を付けて、それまで出たことのない同級会に出たりする。「元・・などの肩書き」はそこでは何も 通用しない事をそこで思い知らされる。そして他の軽く軽蔑してきた人と同じレベルまで引き摺り下ろされる。 (字数の関係でカット2012年6月10日) ・・・・・・・・ 2001年06月10日(日) [48] 同じ人生を 全く同じ人生を生きたい! 私の常識的判断では、90%以上の人は‘とんでもない!’と即座に答えそうだが。 しかし生きていく上で、全く同じ人生を生きたい!と思える人生を生きることこそ必要な事と、ある人生論の本に書いてあった。 そういえば父がガンで死を悟ったとき、母に何回も「もう一度生まれ変わって全く同じ人生を生き直したい」と言ったと聞いた。 その時はやはりとんでもない!と自問自答したことを憶えている。最近そうおもえるようになってきた。
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2012年06月09日(土)
先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で田中慎弥の芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、、 トップに取り上げていた論文を見逃してしまった。 最初は最近書かれた内容と思っていた。 その内容が的を得ているので 冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された論文と知り衝撃を受けてしまった。 今年一月の朝日新聞の一面で、 これを取り上げた主筆が瞠目したという内容。 著者は「共同執筆・グループ1984年」とある。 そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る 内部崩壊の危機に警鐘をならすものだった。それから37年、朝日新聞の若宮啓文主筆が1月10日付朝刊の一面で、この論文に注目し、 「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。 ーまずは、小見出しを拾ってみる 1 日本没落の予感 2 ローマ帝国滅亡との類似点 3 日本が直面する困難 4 危機は日本人の内部にある 5 豊かさの代償 6 現代文明がもたらす幼稚化 7 デマによる集団ヒステリー 8 情報の洪水が人間を劣化させる 9 自殺のイデオロギー 10 戦後民主主義の弊害 11 没落を阻止するために、 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、 精神的には、ほとんど敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然自失の状態である。 次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。 「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、 身に覚えのあることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。欧米が主導してきた文明とは何だったのか。 ・・・・・・ 3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜�� 2011年06月09日(木) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備があることは、言うまでもない。 以下の部分は、この本の中の一番の要の部分である。 よく調べ、勉強し、実践し、準備をした上で何事にものぞめ、 準備を遊びになるまで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。 【 * 私が百戦百勝している最大の秘訣 準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる 退屈なものを迂回できるような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明できればいいのだが・・・。 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を生きることである。 モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねてみたとしたら、おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、 彼の呼吸が、彼の音楽だった。 不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを費やした周到な準備の成果だった。 並はずれたIQを持っているが準備をするほど賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えているふつうの人になりたい。 準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、 単に何かに向けられたエネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、私は労働をしていない。 この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。 子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と 同じように、夢中になり、大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール酋長が言ったように、 「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、 そして勝ちたいのだろうか。暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。 それなら、よく調ぺ、勉強し、実践し、 準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から 飛び出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならないことが何かだけではなく、人類の歴史上、 最も興味深い人物 ーつまり、あなについて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を使うんですかと聞かれる。以前、私は暗審員に催眠術をかけた ということで被告側のリーダー的な人から訴えられた。私は裁判所からこの計略に加わるよう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】 ▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席があるのに、ホールには一人、厨房にも一人か二人。 あれは、セントラルキッチンで、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。スーパーより、ある意味で 合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りがしてあるから強いのである。 人間も同じ。 ・・・・・・・ 3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3 2010年06月09日(水) * アメリカの公共事業は、戦争! ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまではイラクとアフガンで、これからはイランか北朝鮮か、 それとも中国あたり? 兵器の在庫処分が必要になるからである。軍事産業という公共事業は、常に戦争をしておかないと 世界各国の需要が喚起出来ない。 第二次世界大戦時の日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。 彼等にとって、願ったり叶ったりである。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。度重なる東京大空襲、広島・長崎の 原子爆弾による殺りく。その大部分が一般人を狙った非道の攻撃である。そして朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦による軍事力の強化等の需要。 その間に、アフガン、イラク戦争とつづき、今度ねらうは、北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に満ちている。まずは北朝鮮で 仕掛けてくる可能性が充分にある。これまでは世界はアメリカよりの情報にコントロールされていたが、情報化で色いろな情報が入手可能に なってしまった。 アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺りから、金融を戦争の武器にすることに気づいた。 (字数制限のためカット 2012年6月9日) ・・・・・・・・ 2987,縁は異なもの ー4 2009年06月09日(火) 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に 現われずにはおかない」とは、これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、演劇にしても何事にもいえること。 さらに、「精神は認めたが、精神的なものは認めない」とは、グサリと来る言葉である。 ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー 【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。 主観と客観、現実と虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。それを私は「たましい」 と呼んでいる。私は「美」とは無縁と言っていいほどの生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの 真実に触れる体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、白洲さんの作品のなかの「美」への 理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような 印象的な言葉がある。青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。その青山ニ郎について白洲さんは 「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、いわば形の中にある 魂を求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、 もし本当に存在するものならば、それは外側の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが、『精神的』なものは認めなかった。 意味も、精神も、すべて形に現われる。 現われなければそんなものは空な言葉に過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。 『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 我われ心理学者はなどといわれる人間は、 「心理的」や「心」そのものを見えなくしているのではないか、と反省させられる。】 〜〜以上だが、 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。作家の魂が直に伝わってくるからである。 直近では、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。 絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくるのである。 だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、陶器の鑑定で映像を通しても 本物と偽者は一目で大体わかる。(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で 数限りの陶器を見てきたからである。 色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。 ・・・・・・・・・ 2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2 2008年06月09日(月) ー読書日記 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー『12の口癖』」?を書いてみよう ー私をマイナスにする『12の口癖』ー * 第1の口癖 「そんなこと出来っこないよ」「とりあえず、後で」 * 第2の口癖 「自分は駄目だから」「馬鹿だから」「どうせ自分なんか」 * 第3の口癖 「神経症だから」 * 第4の口癖 「もし失敗したら、どうなんだろう」 * 第5の口癖 「全然やる気が起きない」「面倒くさい」 * 第6の口癖 「世の中がマイナーだから、何をしても上手くはいかないよ」 * 第7の口癖 「自分は悪くはない、たまたま今まで出会った相手や会社が悪かっただけ」 * 第8の口癖 「自分はツイテナイ、不運だ」」「何で自分ばかり良いことがないのだろう」 * 第9の口癖 「大学を出てないから」「二流大学だから」 * 第10の口癖 「時間がないから」「忙しいから出来ない」「定年後にしよう」 * 第11の口癖 「あの時、逆のことをしておけば。大失敗だった」 * 第12の口癖 「あの馬鹿め」「死ね」「きもい」「あれほど酷い奴はいないよ」 (字数制限のためカット 2010年6月9日) ーーーー 2007年06月09日(土) 2258, 今日、ホームレスになった -1 「今日、ホームレスになった」増田明利著 新風舎 ー読書日記 自らの身に置き換えて考えざるを得ないようなリアリティな内容で、13人のホームレスの過去と現状が綴られている。 (字数の関係でカット2009年6月9日) ーーー 2006年06月09日(金) 1893, 不良のための読書術ー1 おはよー!(*^ワ^*)i 「不良のための読書術」永江朗著 ー 読書日記ー 「不良のための文章術」を図書館から借りてきて、あまりの面白さのためネットで買うことにした。 ところが送料無料の1500円には少し足りない。そこで、同じ読者が書いた「不良(プロ)のための読書術」を買うことにした。 既に文庫本になっているので半額である。「20対80の法則を、違う言葉で言い替えたのだろう」と思っていたが、 正にその通りのものであった。ゴダール式読書法と言い替えていた。 ゴタールという作家の映画の見方がユニークという。 三十分観るとさっさと次の映画館に行ってしまうという。原作を読んでいれば、それで充分なのだろう。 著者はその言葉からピンと来てゴダール式読書法と名づけたという。 それでも面白いのである。若い人向けの本だが、 基本中の基本が書いてある。老練の詐欺師が「女は見た目だよ!」と、ある本に書いてあったが、当たらずとも遠からず?である。 数十年本屋に通っていて、見てくれを意識したことは無かった。本は見てくれではない!と思うのが常識である。 しかし、良くないものに出版社が「見てくれ」を良くして売ろうとはしないのも事実である。見てくれだけを良くして売ろうと するのは、若い娘か、薄っぺらの教養のない男である。本人は見てくれを良くしているつもりが、どこかバランスがとれてない。 銀座で闊歩する夜の蝶ー蛾を見れば、一目瞭然である。 (字数制限のためカット 2011年6月9日) ・・・・・・・ 2005年06月09日(木) 1528, 生きて死んでいく重み 最近、中島義道の哲学書をよく読んでいる。そして、この日記にも何度か取り上げてきた。 同年齢ということもあって身近に感じられ、似た考え方だから次々と図書館で借りてくることになる。 特に還暦を八ヶ月後に控えていることもあり、「人生とは何だったのか?」という人生の総括が頭をよぎる。 その時、中島がストレートに著書の中で答えてくれる。 大体は本を借りてくると、 まずは目次と最後の10ページの中の要所を探す。 そして遇った、彼が真剣にいっている箇所が。 ー抜粋してみるー オリンピックで金メダルをとっても、どんなに災害撲滅を見出しても、せいぜい二番目に重要なことだと思います。 では、一番目に重要なことは何かというと「生きている」ことでしょう。 生きて死んでいくことでしょう。 この絶対的な重みは、忘れてはならないと思います。有名人が死ぬと、その人が何をしたということばかりが 報じられますけれど、そのすべては、ハッキリいいまして幻想です。何故かというと、全体を見ていないからです。 100億年もすれば全部なくなるわけです。 そうすると、多分一回きりだと思いますけど、自分の人生を、見ないようにして、 仕事に逃れていくというのは、もったいないのではないかと思うのです。つまり、自分の持っている不適正、欠点を しっかり見ていくことです。 私は理不尽に人生を与えられしまった、その中でよいことをしようということでなくて、 それをごまかさないで見よう、そういうことです。つまり、世間的には何も貢献しない、場合によってはマイナスのことを してきたかもしれない。でも、その人の生きてきた重みは、立派な建設をしたとか、トンネルを掘ったり、という全てを もっても代えられないものだ、と実感するんです。 私にとっては、生きる仕事以上の仕事はないわけですから、 どんなに世間的に立派な仕事でも、そんなに感動しないわけです。 働いて生きがいを感じ生き生きと生きる人生を、 私は批判しませんし、そういう人を批判しません。働くことが嫌でしようがない、あるいは働いても働いても報われない ということを、ごまかさないで徹底的にみてみると、そこから新しい視点が出てくるのではないかと思います。 ▼ 以上だが、これは私にとって考え直さなくてはならない見方・視点である。自分の中で、見ないふりをしていた自分の欠点や、 自分を鼓舞するために否定してきた考え方を含めて、「もう一度人生観を見直してみる必要のある問いかけ」をしている。 身近な人の死を経験した時、まず実感するのは「人生は生きているうちが花!金持ちとか、肩書きとかいう社会的属性などは 二次的なもの!生きていることが、生きてきたことが、最も大事。この人は(亡くなった人)好きなことをどれだけしてきたのか? その総量こそが人生である!人生は生きているうちである。そして最後はたった独りで死んでいくのだ! 人生などはかない。 (字数制限のためカット 2011年6月9日) ・・・・・・・・・・ 2004年06月09日(水) 1163, JRー駅なか商店街 (字数の関係でカット2008年6月9日) ・・・・・・・・・ 2003年06月09日(月) 796, 至高体験ー読書日記ー2 「歓喜 ー> 理智 ー> 意志 ー> 気 ー>肉体」 至高体験=歓喜の体験、それを知った理智、そして意志にかわる、それが気になり、肉体に反応する。たとえると野球で 9回の裏逆転のホームランを打った。そして歓喜する、その体験が理智になる、さらなるよい選手・バッターになる 意志を固める、それが気(気合)に変わり、練習をして積み重ねるようになり一流選手なっていく。 他には薬草や苔類を使う場合と、アルコールを使う場合や、禅などの修業で到達する場合などがある。教祖様やシャーマンは、 この歓喜体験を通して自己より解脱をして理智を得る。好きなことを見つけ一生続けるプロセスで、この歓喜体験をするケースがある。 女性の千人切りも好きな人には、歓喜体験ー至高体験を多くする事になるのだろう。 音楽会の会場が歓喜に包まれ、 アンコールの嵐をTVなどで見かけるが、至高体験をしている。この瞬間を味あう以前と以後位に感動するのだろう。 そういえば初めてロッキーに行った時も、旅行に行く以前と以後位に感動をした。 ー昨日とは別のホームページよりコピーしてみた。 ◆至高体験 (以下字数の関係でカット2008年6月9日) ・・・・・・ 2002年06月09日(日) 432, スイス旅行 スイス旅行日程 ー7月3日(水)?12日(金) 新日本トラベル http://www2.plala.or.jp/dontak/Swiss-AlCont.htm http://www2.plala.or.jp/dontak/map01.html 1日目、 日本航空でチューリッヒへ。 ?チューリッヒ泊 (字数制限のためカット 2011年6月9日) ・・・・・・・・・・ 2001年06月09日(土) [47] シンクロ二シテ- これは普通では考えられない遇然の一致を言う。 意味ある遇然の一致と心理学で言うー特にユングが深く研究ー 私も非常に多い経験してきた。 人間個人を考えれば、今生きている事こそ奇跡‐遇然の一致の積み重ねである。 ・ある自死をした元の部下の所に行ったとき起きた、不思議な遇然の一致の重なり ・柏崎の義父の葬式の帰り、そち峠で7回の‘虹の下’を通りすぎた考えられない出来事! ・従兄弟が自死をした時の納棺のおり、突風が吹き桜吹雪が舞い散った光景! ・大学を卒業して1年ぶりに池袋の本屋に行ったとき、学生時代の親友だった男が目の前を歩いていた。 (字数制限のためカット 2012年6月9日)
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2012年06月08日(金)
* 老いについて ーつれづれに 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) 定年とかで現役を退き御隠居暮らしになるのが第二ステージとすると、寝たきりとか痴呆症になって病院などで誰かの世話になる時期が、 第三ステージになる。第二ステージが60歳辺りなら、80歳辺りだろう。 それまで大よそ半数が亡くなるので生き延びた者には厳しい 現実が待っている。寝たきりなら、一日一生のような日々を過ごすしかない。人間は生きてきたように老いていくのである。 第二人称の人の死を身近でみる限り大往生は少ない。あるのは不幸にしか思えない死。そのため私たちの社会は嫌老が基本になっており、 老化を遅れさせるか、隠すことが善と捉えられている。 老いの肯定など、あまり聞かない。 その死に現実問題として日々近づいている 老人の心も肉体も歪まない訳がないと割り切った方がよい。 この本は、その歪んだ老人を真正面から光?を照射している。そうこうみると 最後は自分だけの孤独に慣れておく必要がある。 人間、「人は人、我は我、されど仲良く」が基本。相手に何かを求めないで、独りで 趣味を楽しむのが理想的。 古来から社会は老いを嫌い、可能な限り社会の隅に置いてきた。しかし医学の進歩により平均年齢が日本では80歳をゆうに超えてきた。 定年後、平均20年以上も生きていかなければならない。それは有難い反面、社会的弱者としての長い人生が待ち受けていることになる。 世の中は青年と壮年を中心に回っている。老兵は静かに去らなければならない。 引き時を見失うと憎まれもの世にはばかるになる。 それを自覚出来ないから始末が悪い。 老いることは、絶望に近い意味を含んでいることを忘れないこと。引くべき時には引かなければ。 人生も見切り千両である。歳を取りそこねる人たちは、その逆の漫然と生きている人たちをいう。人生は最期は独り静かに逝くしかない。 歳を得たが故の楽しみを見つけ独り楽しむ、それが良い老い方になっていく。この本と「嫌老社会」長沼行太郎著ーを読んで、ジックリ?と 老いを見つめると、背筋が凍る思いになる。やはり一日一生、一期一会で、日々、瞬間瞬間を生きるしかないということか。 娑婆から早々、 一歩身をひいて鮮明に見えてきたことは、世界が大きな断層の真っただ中にあることと、自分の年齢の微妙な立ち位置である。 地球見学の最期は、こんな風景だった。ネット社会など情報化社会の劇的進化と、それに伴なう社会的激変、そして、地震などの地殻変動、 どれもこれも、想像を遥かに超えたことばかりである。そうこう考えると、長く人生を生きてきたのである。あと、10年が、更に・・・ ・・・・・・ 3726, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜③ 2011年06月08日(水) 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 ここの12章に《 どんな議論でも「絶対に負けない」十の鉄則 》がある。 * 何ごとも十分に準備をする。 ー適切な準備には、物語・シナリオをつくることと、関係者に役割を当てることが必要。 * 相手に聞いてもらえるように、心を開かせる。 ーウソをつかない。 * 議論にストーリー性を持たせる。 ー私たちは遺伝子による物語の話し手であり、聞き手である。 審番員、上司、家族、相手は物語を聞くように条件付けられている。 * 真実を語る。 ー力の議論は、真実を語ることに始まり、真実を語ることで終わる。 * 相手に自分の望んでいることを話す。ー正義の力を忘れないこと、どんな議論にも備わっている正義を見出し、求め、要求しなさい。 * 皮肉や冗談を避ける。ー相手に敬意を払うことによって、私たちは高い次元にたつ。相手を軽蔑する人は、その次元に留まる。 * 論理を見方にする。 ー論理は力だ。「論理は剣に似ている。論理にうったえる人は、論理に滅ぼされる。」 * 行動と勝利は兄弟 ー最も緻密な防御をするより、たとえ最悪でも真正面から攻撃をした方がよい。相手に主導権を握らせないこと。 * 自分の議論の弱点を認めなさい(自分の弱点を曝け出しなさい) * 自分の力を理解しなさい(自分自身に勝つ許可を与えなさい。そして恐怖を乗り越える)。 これらが、この著書の柱になっている。 ≪ 主体的であること、主導権を持つこと、そして準備を充分すること、シナリオを練り上げること、自分の力を信じること。 それが、勝利のコツになる。≫ 周辺をみて、事業も、家庭も、うまくいっている人を観察すると、大体が上記の要素をクリアーしている。 十人に一人か、二人位だろう。 それらの人は、同じような人と群れるから、それが相乗効果として、ますますプラスが膨らんでくる。 逆に、まったく無頓着に、目先のこと、現象しか見ることが出来なくて、現象の底にある本質など考えることすら出来ない人は八〜九割。 その色濃い人に、不幸の種が八〜九割、集中する。 そして、それが自虐、他虐へとマイナス回転を始めることになる。 さらに似たのが集うから、不幸に箔がついてくる。要は、永年かけた教養を積んでこなかった結果である。 自分だけにマイナスの事態が 積み重なってしまうか理解出来ないため、自虐のドブ沼に嵌まり込む。「勝のセオリー」を、実際に身につけることは、そう生易しくない。 だから時間をかけて準備をし、積み上げていくしかない。 ところで日本の検察、この本の読みすぎ?検察が権力をつかったシナリオとは? ・・・・・・・ 3361, すでに世界は恐慌に突入した ー2 2010年06月08日(火) 「すでに世界は恐慌に突入した ーデリバティブとドルは あと数年で崩壊する」ー朝倉慶 著 P/129の 「デフォルト宣言するオバマ大統領」は注目に値する! ・過去を振り返るとニクソンはお馴染みニクソン・ショックで金本位体制を破壊し、ドル垂れ流しという アメリカの覇権取りに向けた基礎を作った。 ・レーガンは新自由主義と言って、規制緩和、財政支出拡大、スター.ウォーズ計画など 冷戦勝利のために軍拡に努めた。 ・クリントンの役割はドル高の演出で、世界からお金を無尽蔵に集めてくること。 ・次にブッシュに引き継がれますが、消費バブルや戦争バブルを拡張させるためにインフラ整備、要するにドルに魅力を 持たせること、ドルを集めることを至上命題としてきたのです。その後、集まったドルがレバレッジでさらに氾濫して、 今回の危機を起こしたのは承知のとおり。これもクリントンのやった世界中からの資金導入がなければできないこと。 ・そして今回オバマ大統領の影の役割、一番大事な、すでに大統領になる前から決まっている最大の仕事は何かと言えば、 〈借金踏み倒し〉スワットいわゆる米国債のデフォルト、それに伴う新秩序の形成なのです。いずれ〈オバマショック〉 と命名されるかもしれませんが、ドル暴落後の世界をいかに収めるか、それもアメリカの国益を最重点にして、これが焦点。 これまで書いてきた今の世界中で繰り広げられている国債発行、借金頼みはどう考えても持続不能。どこかで大整理が必要です。 ドル暴落は見事にこれから仕掛けられることであって、オバマ大統領の役目はその状態がいかに自然に起こってきたことなのか とふるまうことです。世界やアメリカ国民がこの状態では止むを得ないと思う形で、米国債の無価値化、借金踏み倒しをするか、 酷ければ戦争に走るかということでしょう。 これらの行為はアメリカの復権を目指すもので、そのプロセスを自然にやったように 演出することが大事なのです。 オバマ大統領は、就任前は中国を為替操作国と呼び、大変強硬な態度でした。それは今は中国に媚びて、 米国債を買ってもらうように懇願しているようにみえます。これは演技なのです。もうすでに財政破綻から、ドル暴落に陥っていくのは 日程に入っている状態ですから、自分達はドルの価値を維持するため、全力を尽くしましたという演技が必要なのです。 一生懸命ドルを支えるため、超大国アメリカの大統領であるのにもかかわらず、頭を下げたという演技が重要なのです。 〜以上だが、ほぼ上記のことは間違いないだろう。 このまま世界各国が札を刷りまくるしか手立てがないのだから、早かれ遅かれハイパーインフレは、発生する。 だから金(ゴールド)が、まず買われ、次に食料品、石油などの資源株が買われることになる。そして極めつけが戦争。 ネタはイランと北朝鮮あたりになる。アメリカにとっての公共事業は戦争であるから、もっともらしい火種に火をつける。 ・・・・・・・・・ 2986,友愛思想 2009年06月08日(月) 民主党党首の鳩山が「友愛」の必要性について語ったところ、自民党などに失笑をかってしまった。 隣に「北朝鮮」というテロ国家があるのに、何が「友愛」だと等々・・・。 私が学生時代に住んでいた寮の先輩が軽井沢の「友愛山荘」のペアレント(管理人)をしていたこともあり、 何度かホステラーのアルバイトに行っていた。 そこが鳩山一族の政治団体「友愛の会」の経営する山荘で、 友愛思想について、何度か聞いたことがある。クーデンホフ・カレルギーの友愛思想は現在のEC(欧州連合共同体) の根本思想で、自由と平等と博愛を目指す考え方である。フランス革命の自由・平等・博愛思想がバックにある。 ーネット辞書のウィキペデアによるとー 【『自由と人生』著者 クーデンホフ・カレルギー 1938 年刊 訳者 鳩山一郎 】に 友愛とは、上記「自由と人生」に 記されている友愛思想、友愛革命、友愛社会に則る考え方であるが、要は、自由と平等との対立を解消し、 克服するのが友愛主義であると記し、友愛の基本をフランス革命の友愛に依拠していると説明している。 (字数の関係でカット2011年6月8日) ・・・・・・・・・ 2622, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉 2008年06月08日(日) ー読書日記 ーまずは、「まえがき?人は言葉で評価される」よりー 銀座ママが見た日本のエリート1万人の秘密!! 「銀座という場所柄、お店にはいわゆる成功者」といわれる方々が数多くいらっしゃいます。 経営者、政治家、スポーツ選手、作家…その数は一万人を優に超え、どなたも溢れる魅力をお持ちです。 そして、その魅力が一番輝きを放つのは、口をついて出てくる言葉でした。 (中略)とくに、 何気なく話しているときに耳に残る口癖は、私を励まし、支えになってくれました。 そして、私はこの口癖こそが成功の秘密だと気づいたのです。」 ー次に、その『12の口癖』 * 第1の口癖「とりあえず、やってみよう」 * 第2の口癖「あなたに任せるよ」 * 第3の口癖「大丈夫だよ」 * 第4の口癖「あせっちゃダメだよ」 * 第5の口癖「気にしない気にしない」 * 第6の口癖「幸せだなあ」 * 第7の口癖「一から教えてください」 * 第8の口癖「ツイてるなあ」 * 第9の口癖「一緒にやろうよ」 * 第10の口癖「それ、おもしろいね」 * 第11の口癖「明日のために負けよう」 * 第12の口癖「信じているよ」 あとがき 成功する前は誰でも普通の人 (字数の関係でカット2009年6月8日) ・・・・・・・・・ 2007年06月08日(金) 2257, ビョーキな人々探訪記 ー4 |* ̄o ̄|お|* ̄O ̄|は 最近エステが大流行だが、いまいちその理由が解らなかった。 しかし、エステ依存症の横森理香と、同じ経験者の中村うさぎの対談で、その意味の一端が解ったような気がした。 奇麗になりたい!という心理は解るのだが、それが度を越して罠にハマってしまうのは、少々理解しがたかったが・・ 綺麗はバランス。 バランスを直すのがエステなら、やはりインプットとアウトプットのバランスをとることである。 エステ依存症の横森が行き着いたのは、地味飯の玄米食である。 外形を治すのに、逆に依存症という病気を抱え込んでしまうのは、 本末顛倒ということになる。外形は内側の歪みが大きな原因であり、それを治すのがエステの目的であるなら精神科が範疇でもよい。 サプリメントもエステに似たようなところもある。「私のサプリメント」でも書こうか! 結論はわかっている。 玄米食と自然食品がベスト。それが出来ないから、サプリを飲んでるんだよ!という内面の声。 (字数の関係でカット2008年6月8日) ・・・・・・・・ 2006年06月08日(木) 1892, 酔生夢中 才八∋ウ_〆(∀`●) 一昨日は、面白い人と酒を飲んだ。いま話題の南極越冬隊の高倉健が演じた菊池徹氏が父親という。 4月半ばに84歳で亡くなられたといっていた。カナダのバンクーバー在住で、保険業とカナダ国債の日本国内での販売が業務。 知人が菊池さんと親友ということで、「新潟で飲むので一緒に飲まないか」との、お誘いを受けた。 国際金融のプロフェッショナルで、日本人の金融音痴を嘆いていた。この数年は年の半分以上は、日本中を「国際金融」 などの講演をしているとか。16歳で、父親とバンクーバーに移住したので、思考は殆ど英語という。 ハワイでは日本人二世や三世を「バナナ」と言うらしい。(外見は黄色で中味が白色)食べ物は、やはり日本が絶対的に美味しい。 日本に、来ている動機の半分は、日本酒と魚を日本国中、食べ歩けるからだという。十数年前に、カナダだけにいるのに 飽きてしまい、日本全国を食べ歩きの旅をしながら商売になることを考えたそうだ。そして、世界有数の安全なカナダ国債を 売り歩くか、講演をしてまわることを思いついたという。こういう考え方は、成功の基本中の基本である。羨ましい限りである! そこで南極越冬隊という検索を入れたら、菊池さんのお父さんのことが出てきた。 最近「南極物語」が、アメリカ版でリメイクされた。 お父さんも、その映画に関わっていたとか。 ーーーー ー菊池徹氏(元第1次南極観測隊員)が多臓器不全のため死去ー 菊池徹氏(きくち・とおる=元第1次南極観測隊員) (字数の関係でカット2008年6月08日) !(*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・・ 2005年06月08日(水) 1527, わたしの酒中日記ー5 金沢ー3 ー1972年3月某日 とにかく部外者の目でみると、金沢は特異の街である。加賀百万石の数百年の重みが詰まっている。 それが酒場に集約しているから、あちこちと探して歩くだけの価値が充分にある。 それと人間味も面白い。 今日は会社の島君に酒を誘われる。同期の男なのだが、現在所属している武蔵店に配送センターから配属に なったばかりの男だ。いい男なのだが、全く彼女ができないという。何かオドオドしていて頼りがなさそう。 店では日常的に、月に1度は飲みに誘われるが、一~二度喫茶店に行っただけで「自分の彼」にされてしまった。 噂が流れた瞬間から、他の誰も口を利かなくなるから女の職場は難しい。 その後は注意はしているが。 (字数制限のためカット 2010年6月8日) ・・・・・・・・ 2004年06月08日(火) 1162,「金融資産が狙われている」 ー日本の恐ろしい未来ー ビジネス社 ー長岡中央図書館 2004年0606 高橋乗宣の最新の書が面白い! ー 概略を書いてみるとー 「2004年・日本経済」で9月以降の経済の後退と国債暴落と、日銀による国債の直接引き受けによる日本経済の破綻の危険性の 増大を指摘しているが、この書では、9月以降ドル暴落の見込みが高まっていることを指摘し、現在デフレのど真ん中にあり 地方から疲弊した日本経済もより深刻な状態が予想されると一歩踏み込んだ言い方をしている。 これからの日本では、個人個人が自己防衛しなければならない。双子の赤字が限界に達し、ブッシュの大減税により無理やり 上昇させたアメリカ経済は9月以降必ず失速し、ドルの暴落を呼び、アメリカ経済は縮小していくだろうとしている。 グローバル市場を管理することは不可能であり市場の実勢に任せざるを得ない。日本経済がデフレから脱出するためには、 実質を伴った財政出動と、適切な規制緩和が必要であり、適切な規制緩和は新しい市場を作り出す。 ・今の日本の僅かな株高は、アメリカの演出したもの? あと半年で終了ー大統領選挙までアメリカの景気は幽霊景気であり、 ドル安、株安、国債安というカタチで崩れていく。 まもなくアメリカ経済の大規模な減税効果は剥げ落ちる ・日本の地方の空洞化は一段と激しさを増す 地方経済はますます土砂降りがつづく ・深刻なデフレ経済はますます激しくなる ・いまの地価の下げ止まりは一部の地区でしかない ・デフレもリストラも激しさを増す人員や設備の過剰感は消えていない ・ドル安基調が本格的になるだろう円が80円をこえる場面もありうる ・国債の発行が続いていくと、株価の暴落をまねく株価は7000円割れも考えられる ・地域金融のショックがアチコチで生じて、中央に逆流の可能性あり (字数の関係でカット2011年6月8日) ・・・・・・・ 2003年06月08日(日) 795, 至高体験ー読書日記 -1 数年前に買って読んだが、人に貸したまま帰ってこない本である。当時コリン・ウイルソンの文章の巧さもあって、 その面白さに夢中になって読んだ。インターネットで調べた内容を後でコピーしておくが、至高体験の内容に対して詳細に 情報が載っている。私の知人で精神症の人が、鬱の治療薬を飲んで一回だけ歓喜の体験談を話始めた。 「それは至高体験といい、薬物を使わなくとも経験できる。またその体質を持った人にはたびたびおこる現象」 と説明したところ、その人は怒り出した。「絶対に度々経験ができるはずがない!」と。 「じゃあ長島茂雄はどうなんだ。あの人は過去に他人の体験できない歓喜を数百倍経験しているだろう」といったら、 本人は納得をした。その直前に巨人が10・6?の劇的逆転優勝をしていたからだ。 (字数の関係でカット2011年6月8日) ・・・・・・・ 2002年06月08日(土) 431,モテル男 世の中に、自称持てる男が多くいる。 そういう男をからかうのが好きだ。 「貴方持てるでしょう!」大体がこれに引っかかる。 そしてレクチャーが始まる。 ・まずは[ 貴方は持てないでしょう。けちで努力もしなくては持てるわけがない。] (??)心の言葉 (ほってけ!馬鹿!うっせいこの女貧乏!勝手にそう思っているだけだろう。) ・「自分等中年はそうでもないのに脂ぎっている、それを如何に隠すかが勝負!」(それは当たっている) ・「とりあえず自分から絶対に積極的にいってはならない」 (ふんふん・・・・) ・「服装と言葉には十分気を配る」 (へーそうか、苦労してるんだ) 日夜それだけを考え努力しているという事だ。ちやほやされている状態が趣味という事。 (負け惜しみ) 逆に持てないという事は、そういう努力もしないで、表面だけを見て持てたいと思っているということか。 ギラギラした欲をそのまま出してしまう男?ところでゴッド姉ちゃんが4人もいた立場で育った環境。いっぱい教訓をいただいている。 (字数の関係でカット2012年6月8日) ・・・・・・・・ 2001年06月08日(金) [46] ユニクロのホームページ ユニクロのホームページがよい。そこで何点か商品を買ってみた。またパンフレットも取り寄せてみた。 ズボンの裾上げもサイズをうちこむと直され送ってくる。一度注文するとメールで週末その日の特売情報を知らせてくる。 (字数の関係でカット2012年6月8日)
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2012年06月07日(木)
* 幸福とは 「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著) 「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、この老人奇譚集の目的である。晩年になると、 来し方の人生を悔むこととなる。それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で見ていたので、 タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。 それでも、生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 ≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えないだろう。老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、 老人ないしは年寄りとしての自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送るのは、まことに居心地の 悪いことである。老いについて語り論じることは、結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。 近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになっている。 * ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない平穏な毎日である。それは往々にして退屈に感じられたり、 無価値に映る(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。 ある雑誌に「人生の意味について」を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな分野で文章を 綴っている人々にぶつけ、二十一名からの回答を載せているのである。詩人の谷川俊太郎氏の回答の一部を紹介すると、 「人生にあるのは意味ではなく味わいだと私は思っているのですが、言葉で言うとどうも据わりが悪い。禅問答ではありませんが、 答えは「……とでも言うしかありません」となっていて、なるほど味わいという言い方があったなあと感心させられた。 老いることには、当たり前の日常に備わった微妙な味わいを理解できるようになるといった効用があるのではないかと漠然と考えていた。 * 幸福におけるもうひとつの文脈は、それこそラッキーなこと、嬉しいこと、楽しいこと、満足感を得ることーそのような躍動的で 高揚感をもたらす事象との出会いであろう。こちらは個人差が大きく、ある人にとっては十分に喜ばしく感じられる出来事が別な人には むしろ物足らなさや悔しさを惹起することなどいくらでもある(たとえば優勝ではなくて二等賞に甘んじたとき)。こうしたことも、 歳を重ねて肩の力が抜けてくれば、それこそ春の訪れを告げる日差しの変化とか、隣人から土産にもらった鯵の干物の美味さとか、 窓の向こうに見える教会の屋根の赤い色と自宅で飼っている金魚の赤色とがまったく同じ赤であったことに今さらながら気付いた 軽い驚きであるとか、学生時代に読んだ小説を再読してやっとその素晴らしさを悟った喜びとか、そういったもので十分に幸福の文脈を 形成し得るに違いない。ガッツポーズをしたくなるような晴々しい出来事に遭遇しなくとも、さりげなく幸福の滴を感じ取ることができる。 ・・・だがどうもわたしの世代に近いほど、歳を取っても貧欲というか大人げないというか、若さの尻尾を引きずっているというか、 往生際が悪い。年寄りではなく、中古品の若者や 古ぼけた中年としか見えない。歳を経たがゆえの味わいを楽しめずにいる。 それがために、不満や不全感ばかりが募る。≫ ▼ 老人の殆どが老人性鬱症であり、20人に一人が鬱病患者。また80歳を超えると4人に一人が認知症になる厳しい現実がある。 それより、私の年代で、既に4〜5人に一人が亡くなっている。おうおうに早死した人は、「人生として恵まれてない人」として 思われる。とはいえ、生き残った人に待ち受けているのは煉獄の中のような日々である。それが必要な人がいる。地獄は娑婆にある。 ・・・・・・ 3725, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜② 2011年06月07日(火) ■ 今回の事態に、準備はあったか? 『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著 二つの経済震災と、一つの自然震災で、あれよ、あれよの間に、倒産をしてしまった。 これは、たまたま立ち居地が悪かったと、 自分でも納得せざるを得ない。 倒産時の最悪の構えの準備は? 私と家内の厚生年金を40年続けてきたので、何とか生活はしていける。 しかし自宅は借り入れの担保に入っているので今後、どうなるかである。 何とかクリアー? 出来なくても、それも定め。 ホテルなどの長期設備投資は何があるかわからない前提で数十年かけてシェルターを準備をしておくのは、セオリー。 あっさり倒産をしたのをみて、計画倒産?と数人に疑われたが、そんな『子供の寝小便』のようなことはしない。 「シェルター完備倒産」と評した人もいる。しかし徹底してなかった甘さを後悔している。 倒産は倒産であり、私は一度破産者に? まさか自分が・・・である。 冷笑している貴君、「まさか自分が!と思っているけど、他人事でないんじゃ?どっちにしても、 『まさか』の何かが待っている。老化は、それまでの前提が、次々と破壊されていくことに気づいてないんじゃ?」と、醒めた目でみえる。 言い訳になってしまったが、反省も込めて、この本を何回かにわたり辿ってみる。 ところで、一般的に言われている「計画倒産」とは、私が知っている限りでは、「手形を振り出している会社が、破綻末期になって 倒産を覚悟した時に、意図的に商品仕入れを膨らませて、それを現金化をして、債権者の目の届かないところに隠した後に倒産する」こと。 弁護士が言うには、「『計画倒産』と『計画的倒産』とは、似て非なるもの。 一般の人は、これを混同している。 計画的倒産は、 駄目と判断したら、倒産の日にちを設定して、粛々と手順を踏むこと。 その意味では、このケースは2週間前に決定したので、 計画的倒産にもならない。父さん(倒産)には『良い父さん(倒産)』と、『悪い父さん(倒産)』があるが、貴方のケースは前者の典型」とか。 その立場にたってみると、色いろの知識が入ってくる。20年ほど前に、既に亡くなったが、倒産・整理の専門のコンサルタントの先生に 姉夫婦の整理を依頼したことがあった。その時に、「倒産を覚悟した時は、最低、半年の準備期間が必要」と聞いたのが印象に残っている。 今年に入るまでは、あと1〜2年は大丈夫だろうと、思っていた。しかし、売り上げ減の角度が三年目に入っても殆ど変わらないのは、 想定を超えていた。その上に東北震災なら、何の未練もない。 で、どうした? かというと、最悪の事態への準備の大切さが本当は 分かってはいなかった、というのが、結論。 日本が、ここまで疲弊するとは。 特に、地方経済は、惨憺たる状態! 更に悪化するとなると、この数年は大荒れになる。 少し本論からそれた内容になってしまった。 まあ、言い訳と正当化、半分か! ・・・・・・ 3360, 京都! 無双の別荘群 2010年06月07日(月) NHKのワンダーワンダーで「京都!無双の別荘群」を放送していた。 明治・大正に財をなした財閥が、その贅をつくした別荘群が京都南禅寺の周辺に現在も存在している。 7000坪の邸宅に庭師だけで10人が365日、手入れをしている碧雲荘。野村證券の創業者の野村徳七がつくった邸宅である。 それらは借景という自然の景色と庭を組み合わせた庭造りをしている。 また庭屋一如という、庭と屋敷が一体化したつくり。 何有荘、清流亭、瓢亭など、そうそうたる屋敷が次から次へ紹介されていた。 ーまずはNHKのブログの紹介からー (以下、字数の関係でカット2011年6月7日) ・・・・・・・・ 2985,腰痛持ちの皆さんに 2009年06月07日(日) 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。 私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業でギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。 表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、地域の湿気の問題などもある。 現在でも年に平均3〜4回は軽い腰痛になる。5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、 一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の腰痛は無くなった半面、いつも腰に重い疲労感と 少しの痛みが残っている。 (以下、字数の関係でカット2011年6月7日) ・・・・・・・・・・ 2621, 消費社会から格差社会へ ー4 2008年06月07日(土) ー「負け犬女」対「下流男」ー 「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで何度か聞いたことがある。 それに対して、男は負け犬という言葉自体が負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。 そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 社会学者は、その辺の造語は適格である。 現在の男女の結婚年齢が32歳と29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。 それほど、当人は気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。 ーその部分を抜粋してみる。 三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。 ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。 上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの「下流社会』でよくわかったのは、 下流の人たちにパソコンのヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格の娯楽だから。 その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、なるほどと思いました。 三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、「上」の人の方が多いんです。 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。「おうち」でじつとしている(笑)。 上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、男女ともにね。 三浦: そうですね。あと高級スーパーの「成城石井」とかでね。一人でもおしゃれな惣菜を買って帰って、 エンヤを聴きながらカモミールティーでも飲んで、「まあいいかー」みたいな(笑)。 それとネットショッピング。ひきこもっていても、暮らしていける。コンビニすら面倒くさくて行かなくなる説もある。 三浦: 「負け犬」という表現にある諧謔が読めてない。裏返して書えぱ、彼女たちの対極にいるはずの、 彼女たちと同じ年齢層の結婚していない男たちは、自らを「負け犬」と呼ぶことすら抑圧している、 それくらい男の負け感が強い。自分の負けを認めることさえ、抑圧の対象となるほどの状況にいる男の立場と、 負けをさっさと認めて競争から降りる女の戦略とでは、男の抑圧の方が強いでしょう。 そういう意味では、「負け犬」の男に与えられた称号が、「下流」だったかもしれない。 上野: うん、男は負け犬とは呼ばないですね。なるほど、「負け犬女」対「下流男」か(笑)。 ただし同じ年齢層で「負け犬女」と「下流」を比べると、経済階層では「負け犬」の方が高いでしょう? (以下、字数の関係でカット2012年6月7日) ・・・・・・・・・・ 2007年06月07日(木) 2256, 定年後の生活費は幾ら? おはよー(((。・-・)从(・-・。)・ 私の年代が定年に突入をはじめた。そこで、その後の平均値はどうなっているのだろうか、調べてみたら、 平成16年度の総務省家計調査で、世帯主が60歳以上の無職世帯(二人以上の世帯)の ・実支出の月額は28万。 ・公的年金を含めた平均現金収入は、22万円。ということは差額の6万円は下げるしかないということになる。 下げるためには、小さな家に引っ越すとか、車に乗らないとか、食費を斬り詰めるとか、義理を欠くとか、割り切るしかない。 でも「括り」そのものを捨てるには腹をくるしかない。 それに対して、(財団法人の「生命保険センター」の統計では)夫婦で 「ゆとりある生活」をするためには、月額38万円が必要としている。 それにしても「ゆとりある生活」をおくるには、あまりに 大きな差がある。 だったら「ゆとりある生活」とやらの幻想を捨てて、22万円以下の生活に甘んじ楽しむようにするしかない。 反対に、定年生活者は将来の不安から、3割は貯蓄にまわすという日本的な国民性があるという。 余裕があるからいえるのだろう。 しかし、老後の不安とやらの心理が、自分の楽しみの壁になる。もう子供も巣立ちをしているし、健康のために粗食も求めらるから、 切り詰めた生活に不満も持たないで貯蓄に励む滑稽な存在が垣間見られる。子供や連れ添いにとって、これほど有難いことはないが、 アフォバカな哀れな姿でしかない。 一年前のある意識調査で1?が上流、74?が中流、25?が下流と自認しているというから、 まだまだ日本は健全の国。 大部分が中流意識を持っているのは、世界の奇跡?である。60歳も過ぎれば食べるものも決まってくるし、 車も軽自動車で充分。 いいようになっている。収入と支出だけが豊かさではない。しかし、最低限が保証された人間が言うこと! (以下、字数の関係でカット2012年6月7日) ・・・・・・・ 2006年06月07日(水) 1891, 村上ファンド崩壊の衝撃 ー2 おはよ?!(*^ワ^*)i (以下、字数の関係でカット2009年6月7日) ・・・・・・・ 2005年06月07日(火) 1526, ディープ・フロート判明 あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が米連邦捜査局(FBI)の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。 情報源については、諸説紛々であったが、その一人とも目されていたFBI副長官であったとは。 外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、当のニクソンを失脚をさせたことになる。 後任の長官に自分が指名されることを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近のグレー司法次官補。 (以下、字数の関係でカット2008年6月7日) ・・・・・・・・・ 2004年06月07日(月) 1161, 衛星授業 アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、学校に通わせたくない親が極端に増えているという。 そこでインターネット・ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、もう10数?になっているという。 ところが、その方が教育効果が遥かに高いということがわかりはじめ、まてよということになっているとか。 実際インターネット・ハイスクール出身の学力は普通の高校よりはるかに高くなっているという。 そこでは非常にユニークな教えかたをする。 重要なキーワード出てくると手元にあるパソコンに、「それを調べてみてみてください」 という指示がくるそうだ。 生徒は指示されたと同時に検索で調べる。 そこで、さらに専門的なキーワードを調べるようにという 指示がくる。そしてドンドン深く問題を掘り下げていくという。十年もしないうちに過半数を超えるのではなかろうか。 そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。予備校や専門学校もインターネット授業が本格的になったきた。 代々木ゼミとか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。講義中心なら、それで充分である。いやむしろ一流の先生の授業を 聴いたほうが効率がよいはずだ。考えてみたら、高校受験は受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、大学受験は、 それに加えてラジオ講座が中心に変わった。それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。面白い時代になってきたものだ。 ・・・・・・・・ 2003年06月07日(土) 794, 夢とイメージ 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。その姉は節目ごとに私にノウハウを教えてくれていた。 (小学校5年時の勉強のコツ、中学2年時に具体的な目標のたて方と挑戦の仕方を教えてくれた) 「実を言うとね、この家と庭と旦那とのこの生活、ずっと願って心にイメージをしていたの。それがね、このままいま現実にあるんだよね。 夢を持って、イメージまで高めなさい。そうすると叶うんだから。本当に驚いているんだから」と教えてくれた。ポール・マイヤーとか、 ナポレオン・ヒルとかの本に詳細にそのノウハウが本に書いてあるが、当時は新鮮な情報であった。「なるほど夢を持ち、それを目標に 変えて、具体的にイメージ化をして実行していけば夢が夢でなくなる」と解釈した。建物なら平面図を描き、次にビルのイメージ画を 先に書いてしまうのだ。 女性なら好きな女性のイメージを頭に描くのだ。しかし世の中には自分の想像を超えた理想の女性がいることを 現実に知った、高嶺の花でしかなかったが。好きなタイプをイメージ化した為、早めの判断をしないで済んだ。 (以下、字数の関係でカット2011年6月7日) ・・・・・・・・・ 2002年06月07日(金) 430,自分の居場所 誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がすくないということは、非常に厳しい状態の時である。 自宅の自分の場所、会社の自分の場所、通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。 20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。 まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。そうすると、そこにあなたの居場所ができあがる。 座ると何気なく自分の物を机の上などに配置する。いつの間にあなたの場所ができている。」 その時代だけでなく何時もそうだった。私だけでなく人間すべてがその筈だ。 居場所とは、 ・自分が一人でいても寂しくないところ ・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ ・すわり心地の良いところ そうすると趣味など、そういえるかもしれない。それをしている時、それが心の居場所だ。 毎朝あげるお経もそうかもしれない。引っ越したら、別に住まいだけでなく、まずは居酒屋、 そして昼飯を食べる店と自分の座る席。猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。 ・・・・・・・・・ 2001年06月07日(木) [45] 創業の話 27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。準備1年4カ月かかった。 その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。今も忘れられない1973年5月30日であった。11月07日、 店の立上げとビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・ その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台を引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。 全く知らない千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウしっかり身につけることができたと思う。 自らを空にして、おきて来た問題を一つずつ解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。 どういうわけか拝まれると人間引き受けてくれるものだと感じた事を憶えている。軽い気持ちで拝むポーズを時々みると、 張りたおしたくなるのそのせいだ。当時のことを記した文章がある。 ーーーー ーH0907 養老の瀧1122号店、店長の日々ー 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりであったが、いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さを つくづく思い知らされた。千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と“養老の瀧オ?プン”と“結婚”という、 人生の初体験を同時に始めた。丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯のマンション計画が中止となり、 最悪の出発となってしまたった。 そしてオープン...! 完全にパニック状態!オ?プン人気も含めお客の列! (字数制限のためカット 2010年6月7日)
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