堀井On-Line



4080, 老いの見本帳ーダークサイト −4

2012年05月27日(日)

  * 鼻白む出来事         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
 ここで紹介されていた新宿の百貨店の地下のベーカリーでの出来事が、どこにでもありそうなエピソードである。
品性卑しからずの70歳すぎの老人が、盆に乗せていた一斤のパンを落としてしまった。不思議なことに誰も、
そのことに気づいていないようだった。そこで、その老人は素知らぬ顔をして拾い、元に戻して別のパンを乗せ変えた。
著者は呆然と、それを眺めていたが不快感を持ったという。正直に店員に話せば普通なら店の方も心得ていて、新しいパンを取り替え、
そのパンは奥に引っ込める。それが、外見に相応しくない品のない行動に老いのイヤラシサを見せつけられてしまった。 私も雨の中、
ある駐車場から一般道に出るとき、溝の鉄板が外れてしまったことがある。 大雨が降っていなければ元に戻すところだったが、
誰も居ないことを良いことに、やり過ごしたことがある。その後の数年間、その近くを通るたびに自己嫌悪に陥った経験がある。 
今回の倒産劇の中でも、そのことだけは注意をしたが、それでも幾つか悔いの残る部分はあったが、可能な限り自分の良心に従った。 
もちろん、落城に付きものの手の裏を返した身内や友人が数名いた。 後味が悪い切断は、一生ついてまわる経験則が無いのだろう? 
品性もあるが。最後に残るのは自分の良心との自問自答だけ。 後足で砂を蹴った思いほど嫌なものはない。しかし実は返り矢で、
自分で気づいてないのが本当のところだろう。立場変われば、薮の中で、自分の勝手の解釈を、それぞれがしているにすぎない。
老化からくる偏執は、自分の価値観の歪曲からくる決めつけの起因が多い。老化による精神の弱体の顕在化は、そのへんから見えてくる。
著者は、「老いは、それだけで、その人の在りようを、偏屈で意地悪で寂しい老人と決めつけられ、それも安っぽい、
底が浅い不良少年にまつわる物語にされてしまう」と述べている。 社会的弱者になる、ということである。
だから、早く自覚をすべきということか。静かに、温かみを持って笑い、独り読書か、音楽を聴いて、目立たない老人も悪くないが、
意地悪ばあさん、じいさんも割り切ってしまえば楽である。 最後は、やはり宗教頼み、こんな私を神様、お助けください!か。
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3714, ジャズについて −9
2011年05月27日(金)
 モダン・ジャズの誕生 ー��       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   * マイルス・デイヴィスが生んだ 「クール・ジャズ」とは ?
【 そのチャーリー.パーカーのクインテット(五重奏団)でトランペットを吹いていたマイルス・デイヴィス(一九二六〜一九九一)は、
四九年から五〇年にかけて伝説的なレコーディングをする。このレコードの発明(四八)からほどなくして録音されたこれらの曲を、
レコード会社は『クールの誕生』というタイトルでまとめた。これは、その名の通り「クール・ジャズ」の誕生を告げたアルバムである。
 クラシックでは馴染みの楽器、チューバとフレンチホルンが加えられたこのレコード。 ここでのプレイでは、ビバップにはまだ
残されていたドライブ感のあるビートやホットな音色はきれいに消え去り、かわりにビブラートのない繊細な音色、明瞭で軽快な
スウィング調のビートが生かされた。黒人音楽の伝統であるブルース的な表現も極力抑えられており、その意味では、クール・ジャズは
ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽、ともいえる。 事実、その後のクール・ジャズは、白人中心の展開を見せる。
 マイルス自身も白人のアレンジャーであるギル・エヴァンスや白人ピアニストのビル・エヴァンスなどとともに「マイルス・アヘッド」
「マイルストーン」「カインド・オブ・ブルー」など、歴史に残る名盤を発表している。
 また、マイルスはそのキャリアを通じて、モダン・ジャズの歴史に大きな足跡を残すとともに、つねに新しいアイデアを提供し続けた
アーティストであった。 ヘロイン中毒から立ち直った一九五六年には、クインテットを結成してパートナーにジョン・コルトレーンを
迎えている。この頃のアルバムに「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」がある。
 六〇年代後半には、テナーサックスのウェイン・ショーターやピアノのハービー・バンコックらの新進とジャズの枠を飛び出す新しい
方向を模索し、その成果は六九年の「ビッチェズ・ブリュー」で開花することになる。 エレクトリック・サウンドの導入による、
ロックとジャズの融合という果敢な試みを成功させたこのアルバムは、伝統的なジャズファンの間では賛否両論を巻き起こしたが、
マイルスの名声をさらに高めることになる。 七六年には一時引退し、再びドラッグに手を染めたが、八一年に復活。
彼の音楽はよりポピュラリティを増したものになり、ディスコでもかかるようになった。日本のCMにも登場するなど、
ジャズブァン以外にも広く名前を知られる栄光のうちに、九一年、六十五歳の生涯を閉じた。
 なお、四〇年代後半にニューヨークにおいてマイルスによって起こったクール・ジャズは、朝鮮戦争で軍需景気に沸くロサンジェルス
など西海岸にも飛び火し、ウエスト・コーストジャズなどと呼ばれるようにもなった。こちらも、中心は白人ジャズメンであった。 】
 ▼クール・ジャズを要約すると、「ビバップから‘黒っぼさ’を抜いた音楽」で、白人中心の展開を見せはじめた。ビバップには
 まだ残されていたドライブ感のあるビートやホットな音色は消え、かわりにビブラートのない繊細な音色、明瞭で軽快なスウィング調の
 ビートが生かされた。黒人音楽の伝統であるブルース的な表現も極力抑えられた。この辺になると、ジャズマニアの嗜好の範疇になる。
 この辺を意識して、貰った千数百のジャズの曲を改めて聴くと、それぞれのジャンルを想定しながら聴くと、また違って聞こえてくる。
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3349, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −3
 2010年05月27日(木)
 「2011年新聞・テレビ消滅 」佐々木 俊尚 (著)
  * 新聞の敗戦
ー第二章 新聞の敗戦ー の内容は強烈。 著者によるマスコミの死亡予告である。
   その一部分を抜粋してみる
≪ 結論として、こういうことだ。何をしたって助からないものは助からない。コンピューターの時代がやってくれば
 紙のマスメディアが成り立たなくなることは、実はアメリカでは何十年も前から議論されていたが、これまで
「こうすれば何とか生き延びることができる!」という話は聞いたことがない。もう紙メディアは「さようなら」である。≫
 ここまで書いて良いものかと一瞬思ったが、著者の言うとおりである。 さらにいう、
≪ 新聞は再販制度に守られてぬるま湯に浸り続け、あげくに「押し紙」などという発行部数の水増しを行って弱小新聞販売店を
いじめてきた流通寡占と広告減少が密接にかかわっている(中略)寡占が進むと供給者と需要者の間の情報を取り持つ広告の
機能がなくなってくる(中略)メーカーなどの供給者は、マスコミを通じて直接需要者に宣伝するよりも、強力な流通業者に、
セールスプロモーションと称するカネを払って、自分の商品を売ってもらうほうが効率的という考え方になる新聞、テレビが来年、
消滅するというより、壊滅するのは間違いないようだ。地方の新聞社にとって三行広告というのが隠れた収入源だったのが、
アメリカでは、これがネットによって崩壊過程にある。「売ります」「買います」「仲間募集」といった個人広告がそうだ。≫
 ▼ 何度も書いているが、アップルのタブレット式のiPadが明日発売されるが、これが新聞の息の根をとめる役割になる。
日刊紙だけでなく、週刊誌も、月刊誌もだが。3〜5年もしないうちに、全国紙が倒産か、大同合併をするしかない。
総部数も半分か三分の一になる、といっても実感が湧かないが。新聞記者より、端末を持って現場にいる人の方が、
情報を先取りし、共有してしまう。さらにミニブログのツイッターが爆発的に普及しているが、これも影響してくる。
 電子化の波は、新聞、そしてTV局を破壊する大津波である。 次は、テレビ、いやテレビ局の崩壊について、である。
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2974,超円高社会  ー2
 2009年05月27日(水)
「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
  * 資源小国・日本に眠る天然ガス
 思わず見入ってしまったが、実際のところはどうなのか?
  ー大まかに概要をまとめてみるとー
英国が第二次世界大戦後、英国から主だった植民地が全て独立をしてしまった。
にもかかわらず、ケインズ流の高福祉政策が労働党によって実施され、経済は活気を失い、国は疲弊の極に陥っていた。 
それはソ連がばら色の宣伝を行ったことも影響していた。この英国病を救ったのは、サッチャーの行った徹底的な民営化と、
小さな政府への方針転換がある。 だがいま一つ、「北海油田の発見と開発」なのである。日本も現在、英国病に似てきて
日本病の様相になっている。ところが日本にも年間消費量の数十年分の天然ガスが噴出したとしたら、どうだろう。 
それがあるというのだ。 メタンハイドレートという。 低温高圧の環境下でのみ、メタンガスは少量の水といっしょに
氷を作る性質がある。この「メタンの氷」、メタンハイドレートの鉱床が、静岡県から鹿児島にかけての太平洋沿岸の沖合いに
広がっているのが発見された。 経済産業省が2007年に静岡と三重県の沖合いの区域を対象にして資源量評価を実施した。
その結果、その区域だけでも日本の天然ガス消費量の14年分のメタンガスが眠っていることが分かった。
今回の調査で最大のポイントは、所どころに集中的にメタンハイトレードが存在している場所がある発見だった。
濃集帯の存在が判明したおかげで、発掘の商業ベースに乗ることが分かったのである。静岡と三重だけで7年分、日本沿海で
数十年分のメタンの氷が眠っている可能性があるという。何でできたかというと、地上の有機物が数百年ごとの間隔で、
ドスンと一気に流れ込み、海底に深く溜まったことが判明した。 つまり、西日本の太平洋側は温暖で雨が多い。
そこには豊かな緑が育ち、大量の有機物が地上に蓄積していく。ところが山が険しく、海が深い。しかも地震帯のデパートである。
数百年に一度、巨大地震が襲来し、巨大な台風が襲来する。地上に分厚く堆積していた有機物の層が一挙に深海にまで勢いよく
なだれ込んでしまう。これが浅かったら意味がない。
(字数の関係でカット 11年05月27日)
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2610, 平和度指数で日本が5位というが !
2008年05月27日(火)     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
 ーまずは、YaHooのニュースーから
英経済誌エコノミストの調査部門、エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)などが140カ国の政情や治安状況を分析し、
ランク付けした「世界平和度指数」2008年度版が20日公表された。日本は昨年と同様5位で、主要8カ国(G8)中では最高。
隣国と緊張関係にあるものの、重大犯罪が少なく、政情も比較的安定していることなどが評価された。
(1) 戦争や内紛が起きたか(2)暴力犯罪のレベル (3)政治的安定性 (4)テロ発生の潜在性など24項目について分析し、
 数値化して国別比較した。トップはアイスランドで、二位がデンマーク、三位がノルウェー、4位がニュージーランドが続いた。
 最下位はイラクで、ワースト2位はソマリア。ほかは英国49位、中国67 位、米国97位などとなっている。 
 ーまた読売新聞によると、
日本は、防衛費の対国内総生産(GDP)比や犯罪率が他国より低い点が評価。
G8では、米国は97位(昨年96位)、ロシアは131位(同118位)だった。
上位20か国のうち16か国が欧州勢。
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 以上だが、それでは何でトップ三位には入れなかったか?その理由として近隣に北朝鮮や中国などの不安定の国があるから。 
(字数の関係でカット 09年05月27日)
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2007年05月27日(日)
 2245, 耐震偽装 ?3
ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
この問題、知れば知るほど根が深い。 間違いなく政権を根底から揺るがす大問題で、背後に創価学会の何かさえ窺わせている。
(字数の関係でカット 09年05月27日)
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2006年05月27日(土)
 1880, 新潟県活性化案
1、新幹線を新潟飛行場まで延長する。
2、コスト削減のため単線にする。
3、新潟飛行場を3000~3500?に延長してハブ空港(国際空港)化する。
4、第三セクターを立ち上げ、新潟飛行場周辺を数十万坪買い上げ、特区にして高層のビルの容積率を
 1千%に上げ、買入価格の二~三倍?で売却、新幹線工事費の半分?大部分を捻出する。
5、飛行場と東・西港周辺に大流通センターの特区とする。
 ?特区として、労働特区(外国人への最低賃金制度を免除等)学校特区、高齢者特区・・・
6、飛行場から新潟駅まで新幹線の線路を使った新交通システムの無人電車を通す。
 (新幹線の空いている時間をフルに使う)ー特区地区の住民には格安の乗車券にする。
7、新潟駅から朱鷺メッセ?西港~飛行場~東港の新交通システムを新幹線の延長工事にあわせて本格検討に入る。
 以上、新潟県を「環日本海拠点都市」と位置づけ、高らかに宣言をする。
 その象徴(目玉)として「東京駅から飛行場への直接乗り入れの新幹線」とする。
 ▼ 以上が新潟県活性化のための原案である。観光は金沢・富山・福井の観光資源に対して太刀打ちはできないのは
 誰の目にも明らかである。(2010年富山開通、2014年金沢全線開通)東京駅から新潟飛行場まで直接乗り入れをすることで、
日本初の直接乗り入れのハブ空港にすれば良い。時代は日本・中国・ロシア・朝鮮半島の環日本海時代であり、
首都圏からは一番近い立地を生かした拠点として、物流基地、アジア大陸への拠点基地として首都圏への中継基地として、
さらには独自の物流基地化が新潟県の機能としてもとめられる。「新潟から2百?のテリトリーとした商圏」のハブ空港化も
セールスポイントになる。軌道にのるに20~30年のスパンになるが、これが新潟県の活性化の最適な姿である。
この案に近いものが方針に出されるだろう。 何故なら、当たり前のことであるからだ!
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2005年05月27日(金)
 1515, 気の発見 ー1   ー読書日記
去年の今頃に書店の店頭で目にしたが、初心者向きに思えたので買わなかった。
ところが先日、図書館で偶然見つけて読んだところ、これが面白い。五木寛之と、対話者・気功家の望月勇の対談集であるが、
作家と気功家の組み合わせが良かったのか、気功について解りやすい言葉で引き出している。「気ってなに?」という本質的な部分と、
気による治療行為、想念、遠隔治療、イメージ治療、東洋と西洋の思想の違い、誤った呼吸法の危険性とかが、読み手に解りやすく
語りあっている。私自身、学生時代に合気道に出会い、本部道場にも通ったこともあり、気については40年間にわたって、
本を読んだり、実践を通して健康法の一つとしてとり入れてきた。現在は20年近くかけて「ウォーキング気功」を独自でつくりだし
実践している。
(字数の関係でカット 12年05月27日)
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2004年05月27日(木)
 1150, つれづれに
ー古着屋ー
(字数の関係でカット 12年05月27日)
 ー自然体ー
フッと詩集が目に入ったが、なかなか深い自然体の良さがでている。
【坂村真民詩集】
才なき人は才なきままに 処するがよい           花にたとえるなら侘助(わびすけ)のように
鳥にたとえるならみそさざいのように おのれの花を咲かせ  おのれの歌をうたい 嘆かず訴えず
なにごともあるがままに 生きるのが一番よい        
《見えないからと言って》
日の昇らない時があっただろうか        月の出ない時があっただろうか
見えないからと言って             なかったとは言えない
それと同じく                 見えないからと言って
神さまや                   仏さまが                   
いないと誰が言えよう
それは見る目を                持たないからだ                 
大宇宙には                  たくさんの神や仏さまが居て          
この世を幸せにしようと            日夜努力していられるのだ
一輪の花の美しさを見たら           一羽の鳥の美しさを見たら
それがわかるだろう              見えない世界の神秘を知ろう
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2003年05月27日(火)
 783, 新婚さんいらっしゃい !
テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。 桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、
2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬 両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。
(字数の関係でカット 12年05月27日)
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2002年05月27日(月)
 419,「金融腐敗列島」
昨夜、BSー6チャンネルの「金融腐敗列島]を見ていると、現在進行中の何処かのある地方銀行の姿そのもの。
(字数の関係でカット 12年05月27日)
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2001年05月27日(日)
 [33] デフレ実感
家内が初めてマックの半額のチーズバーガー2個とマックシェ?ク1個を買って300円でお釣りがきたという。
息子とインスタントコーヒーを出し、チーズバーガーを1つとシェ?クを半分ずつ飲んで信じられない感覚だったとか。
1人150円でインスタントコーヒーをいれて170円、デフレを実感したという。うかつであった。
買った事がなかったのだ。 100円ショップ、家具のニトリ、サエゼリア、ユニクロ大きい共通点がある。
物価のグローバル化を戦略的にめざしている。100円ショップの原価は平均28円だそうだ。
300円から3000円のプライスの商品をトレードオフして、中国などの国で10?35円で作らせて持ってくればいい。
100円ショップは当分は伸びる。2000?3000円した旅行用空気枕を100円ショップで買って結構良いのに驚いた。
デフレとこの不況まだまだ入り口だ! デノミのタイミングもそろそろだろう。


4079, 老いの見本帳ーダークサイト −3

2012年05月26日(土)

    * 第一章 孤独な人       「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)   
  孤独は、老人に一番、似合っている。老いれば老いるほど、人間は頑固になると同時に、愛想がなくなり殻に篭るようになりがちになる。
 この章で紹介している老人は、比較的強い人たちで孤独の世界にドップリとつかっている。 私も長く生きるほどに、この中の誰かに
似た人になっていくのだろう。いや、既にそうか?「長生きはしたいが、歳はとりたくない」という絶対矛盾が誰の心にもあるのだろう。
理想的老人は、孤独でなくてはならないようだ。社会的にも、経済的にも弱者に追いやられ、孤立せざるをえないのが老人。
 ≪ 菊蔵は、他人の不幸が嬉しいのではない。まだ自分と無関係にはなりきっていないがどんどん遠ざかりつつある「世間」で生じた
 惨たらしい出来事が、孤身の自分の気楽さと寄る辺なさとをマゾヒスティックに際立たせてくれるから、
「また、子供が落ちて死んでいないかな」などと思わずにはいられないのである。 そこに孤独な晩年の鬱屈と醍醐味とがある。・・・ 
わたしとしては心の深いところで共感したくなってしまう。 わたしはこの章で、自分の憧れる、あるいは好ましく思う老人たちを
紹介してみようとしたのだった。すると、どの老人も孤独な影を携えた人ばかりではないか。 老いに伴って、心身の能力は衰えていく。
もちろん人生経験を踏まえて円熟したり豊かになっていく要素もある。 が、おしなべて衰えは我々に違和感や困惑を与えてくる。
自分自身がマイナス方向へ変貌していくという実感は、孤独感に通じるだろう。家族や友人に囲まれていてもなお、ある種の頼りなさや不安、
無力感や孤独感が、多かれ少なかれ付いて回るのではないか。 老人となることは、死に近づくことでもある。また、馴染み深い人や
大切な人がいち早く彼岸へ旅立ってしまう機会も増えてくるだろう。死とは、おそらく究極の孤独である。だからこそ恐ろしい。
だからこそ祈りが求められる。孤独であっても、淡々と、あるいは瓢々と、あるいはふてぶてしく生きていく老人たちに興味が向いてしまう
理由には、そのように死への不安が伏在しているからなのかもしれない。もちろん自身の孤独癖が大きく関与しているからでもあるのだが。≫
 ▼ 友人や、連れ合いにも先立たれ、誰も見向きもしなくなった頑固一徹の老人が長生きの果てに待っている結末か。
  逆に90歳半ばを超えて元気で、あと10年は生きると仲間たちと運動している老人も、何か変である。年寄の愚痴と、悪口、
  噂話ほど醜いものはないが、それは、孤独を更に際立てる。 とぼしい行蔵の棚卸も孤独を増すだけ。 人生の終え方は難しい。  
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3713, ジャズについて −8
2011年05月26日(木)
 モダン・ジャズの誕生 ー②            ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
  * ビバップのキーマン、 チャーリー・パーカー
【 四〇年代に出現した、ビバップ・スタイル以後に続く流れを総称して、モダン・ジャズという言い方もする。
それほど、ビバップ・スタイルの出現は革命的だったのだ。そのビパップの"スポーグスマン"的役割を担ったのが、トランペット奏者
デイジー・ガレスピー(一九一七〜一九九三年)。「クレオパトラの夢」で有名なピアニスト、バド・パウエル(一九二四〜一九六六年)も、
のちのジャズメンに多大な影響を与えた (アルバム『バド・パウエルの芸術』『アメイジング・バド・パウエル』など)。
 だが、最大のキーマンといえば、その飛び抜けた才能を死後になってようやく正当に評価されたサックス奏者チャーリー・パーカー
(一九二〇〜一九五五)があげられる。 ジャズという音楽において、ペルギー人が発明したとされる管楽器サックス(サキソフォン)が
果たす役割は、他の音楽に対して比較にならないほど大きい。 バリトン、テナー、アルト、ソプラノと四種類があるが、
いずれもジャズと切り離すことができない大切な楽器である。 このようにジャズにとって命ともいうべきサックスの演奏家として、
あえて代表をあげるなら、のちに触れるジョン・コルトレーンとカンザス・シティ出身のこのチャーリー・パーカーをおいてほかはない。
 サックスを、それこそ自在にはね回る鳥のごとく縦横無尽に操る早業から、‘バード’名称をミュージシャン仲間につけられたパーカー。
芸術肌のミュージシャンのご多分にもれず、彼は酒と麻薬に溺れ、34歳の非業の死を遂げるが、ジャズに新し息吹を吹き込んだ
天災であったことは間違いない。 】
 ▼ それぞれの楽器で、その時代のジャズを特徴づける奏者が出てきてきていた。パーカーはサックスである。
  モダン・ジャズでのサックスの役割は大きい。モダン・ジャズは、更にクールジャズへと変っていく。
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3348, 閑話小題 
2010年05月26日(水)
 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。これは不徳のなせること?
もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、
こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。
3Dの映画やTVで、これに近いか、それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。内面は宇宙ということ? 
  (字数の関係でカット2011年5月26日)
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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでもニッポンATMから
ゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに流れていき、
世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに
供給してきたキャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
                        (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2609, サルトルについて、考えてみる ー1
 2008年05月26日(月)              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。サルトルといえば「存在と無」である。
その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに
忘れることが出来ない。この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、ということだけは疑うことが
出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
 それをサルトルは批判をした。彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の「私」が疑問という。
「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。つまり反省している意識とは、
意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。         次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
 この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
 (字数の関係でカット2008年5月26日)      ーつづく    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー                おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
   (字数の関係でカット2009年5月26日)
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2005年05月26日(木)
 1514, 酒中日記        ー「酒中日記 」中公文庫  吉行 淳之介著    
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。
ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。 
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。30年〜
40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに作家の日記である。具体的に克明に、面白おかしく書いてある。
このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に鮮明に残っただろうに、残念である。
「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、私にとって絶品の内容になっただろう!
誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、
酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの
酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作など現代文学史に出てきそうな人たちから、
山田詠美、吉村昭までの32人の作家によるエッセイだから、面白くないわけがない。「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)を
テーマに軽く書かれたが内容は生々しい。「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、
作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、飲んでは人を呼び自分も出かけるという、「作家」イメージが見事に再現されている
味ある文章が続く。「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、
酒飲みの何ともいえない心理を書いている作家もいる。銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、京都逗留の水上勉の
一人酒の話もよいものだ。創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町をフラフラと飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。
孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。次に具体的に彼らの文章を書き写してみたい。       ー つづく 
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2004年05月26日(水)
 1149, ああ結婚! ー1
結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で
生まれてきた。そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。そこで、格言集の中から面白そうなものを
探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとに
あらゆるカタチで露出している。結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、
諦めと、思いやりである。以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。一番こころ、うったのは、「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、
お前のようなやつははじめだ!」 ーバイロンーである。過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!
女房も同じだが。自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。
 ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
   ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。  D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。   ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。       フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。     バルザック
(字数制限のためカット 2010年5月26日)         
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2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
  (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2002年05月26日(日)
 418,価値観の変遷
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。「こいつ凄いテーマを考えたな」と
完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。 時間がないということで、断念してしまった。
 ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 (字数の関係でカット2012年5月26日)
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 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化
欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07
 デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 
・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01?30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。?深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか
海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。 その時の印象に残っている事は、
 1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をした。それと露骨な人種差別の視線を。
 2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
 3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
  全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
 4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
 〜〜
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこのバイキングの食事
 ーバイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が
 一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよい
 ハイデルブルグ、そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見た
 ピエタの像。 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク?その何ともいえない素朴な景色。 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な
 東南アジアの良さがにじみでていた。この旅行から帰ってきて2?3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


4078, 老いの見本帳ーダークサイト −2

2012年05月25日(金)

   * 序章 初老期と不安  ー�◆      嶇靴い悗良坩臓〆个鮗茲蠅修海佑訖佑燭� 」春日 武彦 (著)   
 人生で一番大切な時期は50歳代と思って、悔いの残らないように過ごした。今から振り返ってみて、良かったと思っている。
「残り20〜30年分を10年に凝縮して生きる」と、本気で。 60歳を過ぎて、気持ちが非常に楽になったことはいうもでもない。
「老いの不安」からウツに陥り、初老にさしかかり医者から貰ったハッピードラッグで薬中に陥った人がいる。 それは惨憺たるもの。
  ー ここで「惰性から離れる不安=初老期の不安」を表している。
≪・・ となれば、定年とは惰性の喪失、マンネリの終わりということになるだろう。もちろん新たな惰性が始まることにはなろうが、
 その前に、よるべなさや心細さを痛感し、生きる意味といった類の根源的問題が脳裏をかすめることになる。そのような事態を
 先取りして想像し、自分で自分を追い詰め、自壊するかのように五十代半ばにして「うつ」に陥っていくケースはかなり多い気がする。
 しかも実際に定年に直面すれば、予想外の雑用や成り行きでどうにか乗り切ってしまったりすることのほうが案外普通ではないだろうか。 
 老いそのものよりも、想像力や予兆によって我々は老いに脅かされる。それはホラー映画の構造と相似しでいる。お酒落というよりは
「若作り」に励む中年男性が増えたような印象がわたしにはあるが、それはたんに異性にモテたいとか一目置かれたいとかの皮相的な
 理由ではなく、老いという未知なるものへ対する護符にも似た魔術的効能が求められているからだろう。
 老いることのネガティブな側面は、健康や金銭面で弱者になりかねないことと、世間から置き去りにされかねない不安、死への接近と
 いったことであろうか。必要不可欠な人物という立場から退場することへの寂しさ、敬して遠ざけられがちなことへのもどかしさ、
 切実な無力感といったこともあるかもしれない。核家族化によって、老人なりの役割分担を与えられなくなってきていることも問題だろう。
 そうなると老人は青年や中年の劣化バージョンということになりかねない。男性、ことにサラリーマンは定年と老いとの同義化と、
 それを先取りした不安が問題となっている。若作りというどこか滑稽な振る舞いにも、シリアスな意味が込められている。≫
 ▼ 初老期の人間の姿をシリアスに浮かび上がらせた内容である。「老人は青年や中年の劣化バージョン」は、言いえて妙である。
  ひと足先に定年をむかえた人が先年、「暇を持て余すと思っていたが、実際は毎日やることがある」と言った意味が最近分かってきた。
  人生は最大限に生きるべき、それが老いへの準備になる。年齢に従って劣化を劣化として受け入れるしかない。起承転々・・いや転倒
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3712, ジャズについて −7
2011年05月25日(水)
  モダン・ジャズの誕生 ー�        次 峅山擇遼棔彁飴淦�彰著 より
 ■ 四〇年代、ジャズの常識を打ち破った「モダン・ジャズ」の誕生!  P−195
   ▽ "踊る音楽"から"鑑賞する音楽"へ ーまったく新しい「ビバップ」とは?
【 時代は第二次世界大戦(一九三九〜一九四五)に突入。四一年の日米開戦によってアメリカは本格的な戦時体制に入り、
 ジャズメンの中にも召集を受ける人が出てくる。あわせて、歓楽街とりわけダンズホールへの課税も強化され、スウィング・ジャズを
 支えたビッグ・バンドの維時は雛しくなる。 そうした状況の中で、ひと旗上げようと全米各地からニューヨークに集まってきた
 ジャズメンは、ハーレムのミントン・プレイ・ハウスやモンロー・アップタウン・ハウスなどのクラブで、店が閉店したあとも、
 夜な夜な ジァム・セッション(独奏者が集まって即興演奏の腕比べをすること)を繰り返して腕を磨いた。
  小規模のコンボで演奏する彼らにとって、型通りのビッグ・バンド・スタイルのスゥィング・ジァズは、もはや古くさく物足りない
 ものであったことはいうまでもない。いかにありきたりの形式を打破し、自分なりの新鮮な要素をジャズに注入するかという実験に
 彼らは腐心した。 こうして生まれたのが、「ビバップ」(もしくは単に「パップ」)と呼ばれる新しいスタイルである。
  ジャズにおけるビバップ・スタイルとは、メロディー、リズム、ハーモニーすべてにわたって従来のジャズの常識を打ち破ったもの。
 なによりも驚くほどテンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化など、
 全体の音色はより硬質化し、フレーズ(即興演奏における音の連なりの聴こえ方)の多様性はいちだんと広がった。 
  ジャズの醍醐味の一つは、ソロによる即興演奏にある。たとえば、同じ曲を演奏するにしても、ソロの演奏の仕方によって
 まったく別な印象を与える。そのソロ演奏が不可欠となったのも、この時代といっていいだろう。
 もちろん、このビバップは、従来のニューオリンズ・ジャズやスウィング・ジャズの、ある意味では単純な‘ほのぼの’とした
 ジャズを聴き慣れた耳には、複雑で"とんがった・印象を与えた。
  こうして、それまではもっぱら"踊るための音楽"だったジャズは、‘鑑賞する音楽’の色合いを強めていく。
 そしてそれは、大衆的な幅広い人気という面では、従来の輝きを失っていくことにもなるのだが、一方では、
 音楽としての芸術的真価を発揮し、熱心なファンを獲得することになる。 】
  ▼モダン・ジャズが第二次世界大戦の最中に生まれ、ビパップのスタイルに変わっていった。「全体の音色が硬質化し、
 テンポが速くなり、不協和音の多用による音の飛躍、リズム・アクセントの変化によるビートの細分化が特徴」というと、
 訳も分からず聴いていたモダン・ジャズの特徴を、それまでのジャズとの区別がつくようになる。 ジャムセッションという言葉は
 聞いたことがあるし、幾つかのバンドが次々と演奏を競うのもTVでみたことがある。あれがジャムセッションだったと、今回知った。 
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3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2
 2010年05月25日(火)
   (字数制限のためカット2012年5月25日)
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2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬と朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌、パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
(字数制限のためカット2011年5月25日)
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 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!
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2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
                 (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記
  (字数制限のためカット2010年5月25日)
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2006年05月25日(木)
 1878, <不良>のための文章術        おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
 ーNHKbooks 著者 永江朗  ー長岡中央図書館・借入れー
5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。書き続けたからこそみえてきたこと。 
何が違うのだろうか? ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。
そんなことは素人が書くことだという。この本でまずガツンとやらえるのが「自己表現を捨て読者を愉しませることに徹せよ!」
である。私の5年間書き続けてきた「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。そこがプロと私の差である。
もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!
 ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。
こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそが
プロフェッショナルの文章である。おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
(字数制限のためカット2011年5月25日)
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2005年05月25日(水)
 1513, こころを凛とする196の言葉 ー2      ー読書日記
美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、自分は
悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが「姿勢の悪さ」である。
背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・。
世にも簡単な、変身である。
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
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2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を
演じているのは、遺伝子と生物個体である。」人間の身体を支配するものは遺伝子であって、
人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
 ーあるホームページからのコピーですー なかなか解りやすくうまくまとめてあるー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは
遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。  (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。個体を維持させることが目的でなく、
遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になって
きたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
・・・・・・
2003年05月25日(日)
 781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。 時間をかけて種銭をつくり、
情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。ー以前書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
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2002年05月25日(土)
 417,人生の負け組みと勝ち組み
だいたい20パーが勝ちで、80パー負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはず。
社会的な勝ち負けの話しではない。 負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、 ・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。刑務所など99?だろう。
その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。80?の人も然り?ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。
ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。
「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。
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2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていくものだが、
ーいつか実行したいと思っていた。そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。 しかし途中挫折しなければよいが? 
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。どういう展開なるか自分でも解らない。小さな世界がますます
露呈されていくが、しかたあるまい。だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが


4077, 哲学で自分をつくる ー4 (ソクラテス)

2012年05月24日(木)

             「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
    * 魂に磨きをかける
   第一章  しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス ー②
≪ 死刑を宣言された際、つまり自分の死に対し、「死を恐れることは、死のことがよく分かってないのに分かった気になる」に等しいと、
 ソクラテスは考えた。死について何も分かってないのに「死を恐れる」などということは愚かしい、誰も死を知っている者はいないのに、
 なぜ恐れるのかと問いを発する。命がけで期待された弁明の機会もアテネ市民の将来を憂いる。そして死刑判決を受ける。
  ・・・無知をハッキリさせることは「汝自身を知れ」に通じる。自分が何も知らないことを自覚し、より一層真理を追究する態度は、
 単に、汝自身を「知る」ことでなく、魂の鍛錬という「実践」であり、自分がよく生きるための問いである。魂を磨くことは、ただ漠然と、
 自問自答するのではなく、他者にかかわる中で、他者に問いかける中で磨かれるものである。 ソクラテスが探し出そうとしたのは
 「真理」であって、ソクラテスらしさではない。探し出すには、相当の鍛錬、実践が必要とされた。自分の魂を磨くには、命をかけて
 真理を追究しなくてはならない。他者が嫌がることでも、問いかけを行わなければならない。 この対話、営みは「パレーシア」
 (真実を語ること)と呼ばれている。彼の対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための技術ではなく、「相手に問いかけること」
 そして相手の主張を「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この「聞くこと」のための手法にあった。
 何かを知っているから語るのではなく、何も知らないから、分かってないからこそ、相手から引き出そうとする。 パレーシアの原点は、
 そこにある。それゆえ、その原点は、密接な一対一の関係が必要である。この対話は、自分が主役として振舞うのでなく、相手の話を
 引き出すように行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分について語ることになる。重要なのは、自分が語ることができる
 「ロゴス」(論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。 ・・・  ≫
  ▼ 「吟味されることのない人生など生きるに値しない」というソクラテスの言葉が好きである。要は、味わい尽くしてこそ人生である。
    対話は他者だけでない、自分の経験に対してもおこなうべきである。 そのため老後という期間が人生に与えられている。
   老後を如何に過ごすか?と問われれば、「それまで人生に対しての自己問答を通して、魂に磨きをかけること」が答えになる。
   それは死を間近にした真剣勝負である。だから面白いのである。魂に磨きをかけるとは、そう甘いものではない。
  ・・・・・・・
3711, ジャズについて −6
2011年05月24日(火)
                    ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
    ー1935年、2ビートから 4ビートへ ー「スウィング」の時代    ー P・192
  * 「スウィング・スタイル」の立役者ぺニー・グッドマン
【 デューク・エリントンに、「スウィングしなけりゃ意味がない」という、よく知られたタイトルの曲がある。
 一九二九年の金融恐慌に始まった大不況がようやく回復の兆しを見せてきた三五年頃、ジャズの中心地となっていたニューヨークでは、
スウィング・スタイルのジャズの時代を迎える。スウイング・スタイルのジャズとは、ビッグ・バンドによる躍動感あふれるダンスの
ためのジャズといってもいいだろう。ジャズのリズム的特徴の4ビートにある。従来の2ビートから4ビートに移行したのも、
このスウィング・スタイルの特徴であり、心地よい揺れるような感じ(スイング感)がこれによって生まれた。
 立役者は白人のペニー・グッドマン(一九〇九〜一九八六)。彼は、一九三四年に不況のあおりで自分のバンドを解散せざるを
えなかったフレッチャー・ヘンダーソンから、そのビッグ・バンド・スタイルの編曲を丸ごと"買い受け"たのである。
そしてそれに洗練を加えることによってダンス音楽としてのジャズに新たな味わいをもたらした。
 そもそもジャズは、誕生当時からダンスホールやクラブで演奏されることが多かったように、ダンス音楽の側面を持っていた。
ジャズが鑑賞のための音楽になるのは、その後のことである。
 グッドマンは、より速いテンポ、短いフレーズの繰り返し、軽快で歯切れのよいタッチの演奏で、それをスウィツグ・ジャズ・スタイル
として確立させたのである。グッドマンのあとには、トミー・ドーシー楽団やグレン・ミラー楽団といった白人ビッグ・バンドが続いた。`
 やがてこのスウィング・スタイルでのコンポ(八人くらいまでの小編成楽団)も人気を集めた。彼らはニューヨークの五二番街に
集中していた小ぶりなクラブでもっぱら演奏したので、五二番街は「スウィング・ストリート」と呼ばれた。
 スウィングを担ったジャズメンは白人が多かったものの、だからといって、ジャズが「黒人による不良・ぽいワイルドな音楽」から
「白人による健全でスTト書楽」へと変質したわけではない。むしろ、スウィングから次のビバツプの時代を経て、ジャズが
黒人だけの音楽から、白人を含む音楽へと広がりを持ったと認識すべきであろう。】
 ▼ ここでジャズは、元もとダンス音楽の側面があり、スウィングの流行後に、ジャズ音楽鑑賞として進化したとは知らなかった。
  それも、あのべニー・グッドマンがスウィング・ジャズの立役者とは。 あの恐慌の半ばで・・・ それと、学生時代に
  持っていた少ないレコードの中にグレン・ミラー楽団とべニー・グッドがあったことを、この書を読んでいて思い出した。
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3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1
 2010年05月24日(月)
 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
  ーこのサイトのHPによるとー
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと繋がっていたいという人たちが、
自身をブロードキャストすることができる場となりました。YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、
活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり
20 億回を超えるまでになりました。これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、200 カ国に放映される 
1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビュー
までも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
     (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。さすらいといえば、船乗りと遊牧民。 
彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。 彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 
彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、
さすらいが出来る。 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、彼岸という最終目的に
至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
   (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、現職議員や老人福祉係、
ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、トレンドクリエイター、コピーライター、
サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、その他諸諸のことについて、対話する。
筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、ソクラテス(池田晶子に話をさせている。 
ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 
でも世の中って、そういうもんて言や、そういうもんなんじゃないの。(中略)あたしは自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。言ってわかる連中じゃないんだから。 
(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとは
そっちが先でないのか。みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」 ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
    (字数制限のためカット2011年5月24日)
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2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
  (字数制限のためカット2011年5月24日)  ところで、この数年後に鬼籍に入られた。
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2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 ー2          おっ w(゚Д゚)w ハァョ?               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く(たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
   「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。ノートは片面しか使ってないので
    切り離してもよい。タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)^ー^)/C□~コーヒー?
   (字数の関係でカット 12年05月24日)
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2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1          読書日記
 最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも
当てはまる内容が多い。特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気をつけることとして、
「清潔7割、色気3割」は、男にとって「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議である。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んでほしいものものばかりだ。
女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、でも? まあ、いいか!
女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にするのが基本であるという。
ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
 ー 幾つかを書き出してみる ー
・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 
この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。脳こそ、情報器官そのものであり、
それがコンピューターと結びつき、さらにインターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。
自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、他人が見たらもっと面白いだろう? 
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。「現代人は脳の中に住むという意味で、
いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」と著者は書いているが、ある意味、このHPもお伽噺かもしれない。
ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
 (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃 −1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。280室に向けて一番勢いがあった。
 (字数制限のためカット2010年5月24日)
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2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。しかし本来ある技法を、とってつけたような
内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、技術の宝庫で
あることは間違いない。この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗。私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。
最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。
10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。 それがきっかけであった。そして中学二年の時、・・・と。
  さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
   (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感
 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先ホームページの開設を思い立ち、
そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニットをつかむ事が出来た。自分のデータベース造り、及びその蓄積に
なっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。
この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとHPをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。


4076, 老いの見本帳ーダークサイド ー1

2012年05月23日(水)

                「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)
 面白い本を図書館で見つけた。一日一日、老いていく日々だが、どうも心は歳を取そこねている。実感がわかないのである。
この本は老いの見本帳、それも老醜の見本帳である。わざわざ自虐的な、マゾ的な、げんなりするような事が書いてある。
<・・人生など呻き声をあげたくなるようなことの連続ではないか。まして老いたら、それはそれで独自の当惑や「釦の掛け違い」、
 恥や失望や悔しさが待ち受けているに決まっている。ならばそのようなものを、まずは他人事として味わってみるのも一興ではないか。
 ・・ 気負った言い方をすれば、種々様々な悲しみや煩悶や屈託を見知ってこそ我々は豊かになれる。その上で若づくりする初老期を
 笑うのも結構だし、共感するのも結構ということになる。> と。  これまで両親、親戚、近所の老人を見てきた。
 それが何時の間にか、その仲間入りである。しかし歳を取りそこねているようだ。知的好奇心や、やりたいことがあまりに多い。
 気持ちが枯れてきた実感など、どう考えてもない。しかし鏡を見ると歳相応で、ますます怒りっぽくなっている!
   まずは ーアマゾンの内容紹介よりー
 老いることは、むずかしい……「若さという神話」への無自覚で強迫的な執着は虚しい。 ならば、望ましい「年寄り」の適切な
モデルはあるのか? 歳をうまく取れないために生じる恥、勘違い、いかがわしい振る舞い。老人の不安に向き合ってきた精神科医が、
臨床現場での知見と数多くの文学作品の読解をもとに、老人の心に迫る。 哀しくもおかしな老いの見本帳
   = 序章 初老期と不安 =
 ≪ 人間の心を安定させ安寧を保つ装置のひとつとして、惰性というものが挙げられる。我々は基本的にマンネリに則って生きている。
 退屈で変化に乏しく、うんざりする。だがこの十年一日のトーンこそが我々に安心感を与えてくる。とりあえずこのマンネリに
しがみついている限りは、大きな聞違いや不幸は(たぶん)生じない。 自分の存在意義も生きている意味も現実の確実性も、
みんな惰性の中に埋め込まれている。 過去を振り返ってノスタルジックだとか懐かしいと感じられる事柄の大部分は、
リアルタイムにおいて惰性やマンネリに彩られていた事物なのである。
 日々の惰性がストップしたとき、そこに出現するのは異形の現実である。精神的にショックを受けたとき、生活の根幹を揺るがせる
事態に直面したとき、世界は親しみやすさを失う。当たり前の世の中が、よそよそしく違和感に満ちたものとして迫ってくる。
我々は孤独感と不安とに襲われる。それこそ実存的な風景とでも称すべきか。おそらく死とはこのような感覚の究極としてあるのでは
ないかと予感したくなるような風景に向き合うことになるだろう。我々は日々の惰性を憎みつつも、それによって安心感を得ている。
そしてときに訪れるささやかな絶望や悲しみを介して、惰性が、マンネリが失われる恐ろしさを薄々理解している。≫
 ▼ 「初老期の不安は、それまでの人生の惰性を失うのではないか?」という見方は確かに心当たりがある。老いとは、一日一日、
死にむかって歩いている時期にある。そして、それまでの人生の返り矢が次々と返ってきて弱者への道を歩むことになる。
  老いるのは、まず肉体からだが、それに従って確実に心も老いていく。それに気づかないのが老醜。如何に包み隠すしかない。
・・・・・・
3710, 自己を見つめる  ー番外
2011年05月23日(月)
   * つれづれに、早朝に・・
 あの日々から二ヶ月近く過ぎ、少し気持ちが落ち着いてきた。 しかし、いくら平気な顔をしていても、やはり一大事である。
数日前に、自宅に一本の電話がかかってきた。 家内が買い物に行っていたので私が受けた。 「日テレの番キシャの記者ですが、
震災の影響で廃業されたホテルの件の取材の電話です!」で・・・、拒否反応の感情が先に立ち、「そういうことは、
一切お断りをしています!」と、直ぐに切ってしまった。 当然といえば当然。 番組では当方は取り上げてなかったが、
「震災倒産」がタイトルで、東北から離れた地域の北海道とかの遠方でも、倒産が出始めてきたという趣旨の内容であった。 
 ところで、東京も含め関東甲信越以北のホテルは壊滅状態。東京の4月のホテルの平均稼働率が80パー以上だったのが、
半分以下まで落下したとの新聞報道があった。 それを見越して見切ったが、読みどおりホテルは壊滅状態。
実際のところ、前倒しを決断できる状態だったから、見切りが出来た。 が、月末の資金繰りに困るようだったら前倒しは無理。
 当方は10年前の9・11ショックで、売り上げが4年かけて3割以上も激減した上、二年半前のリーマンショックで、更に半減。
三分の一まで落ちていた。 それでも、借入返済の減額や、人件費などの政府補助で何とか遣り繰りしていた矢先の、この震災。 
シュミレーションをすると、半年後には丸裸。 今なら銀行債権以外は清算が可能。 それならばと見切り廃業を決断した。 
結果からみて、「少し早めの見極めは打撃は半減、少し遅めは打撃が倍増?、その差は4倍」と、実感している。 
 兄と姉の倒産劇を身近で相談に乗っていたから、断末魔の苦しみを肌で感じてはいた。「金がないのは首がないのと同じくらい苦しい」
が生前の父の口癖であった。それは「日々の資金繰りに追われることだけは避けろ」という教え。 それだけは避けたいと思っていたが、
こういう結果で終わっても、資金枯渇の苦しみは殆ど経験しないで済んだのは救いである。 どっちにしても人生は甘いものではない。
生きてきた、そのままが、返りや矢として自分に戻ってくる。プラスにもマイナスにも。 「これが、生きるということだったのか。
それならば、もう一度」という二ーチェの言葉は、なかなか言えないが、人生全体から搾り出しても言わなければ・・
 9・11、9・15、3・11と歴史的経済震災と自然震災に続けて直撃をされると、運、不運とかいう以前の諦念の問題になる。
学生時代に合気道の経験があるが、そこで学んだ一番の教えは危機の際の「引き」である。 危機に出会うことを避けるのが真の極意だが。
 来年に入ったら、謹慎期間が(私にとって)終わるので、倒産劇の悲喜こもごものミニ講演を受け付けます。
ここに書けないことが、けっこうある。 個人的には、何時でも・・・臨場感があって、面白い材料がタップリ・・・ 味付けもして?
 ・・・・・・・
3345, 閑話小題 ―つれづれに
 2010年05月23日(日)
  * トヨタのレクサス
 先日、車検に出していた車を引き取りに行ったところ、30分ほど待ってくれというので隣にあるトヨタの中古車センターで車を
見ていたところ営業マンがよってきた。そこで時間つぶしの事情を話したが、ついつい「高級車か、スポーツ車で面白そうな車があるか?」
といったところと、マークとレグサスを見せてくれた。私は先代の車をいれて22年間、ソアラに乗っている。現在の車は18年も
乗っているが今でもエンジンの衰えが全くない。 で、外からはレグサスを見てはいたが、運転席に初めて座ってみた。何か違うのである。 
偉くなったような選ばれし者といって気分になるのである。 自動車も18年もたてば車も格段に進化しているのである。
二年前の車で、600万が367万円。 個人として買えないことはないが、リーマンショック後の恐慌の世。
この暗い世相で無ければ、おそらく買っていただろうが。もっとも、最近は遠出は年一もないし、乗るのは市内のみ。
 良く稼ぎ、良く遊ぶためにも、景気回復が待ち遠しいが、当分は無理。  TVでも買え換えるか。
  * ペット大嫌いな人と、インコ
 去年の10月に、メキシコ・コガネインコを飼ってから7ヶ月になる。家内がペット大嫌いで、買った当初は居間の
ベランダに鳥篭があることもあり、一月ほど居間に用がある時以外は、立ち寄らなかったほどの拒否反応。
ところが現在は、休日など見ていると一日数回は、籠前に置いてある簡易イスに座ってインコと戯れている。
インコが人に時々必死に呼びかけてくるのを聞くうちに情が移ったようだ。あれだけ、嫌っていたのに。
小桜インコを5代(匹)飼っていた十数年は、全く感心を寄せなかったのに。犬と同じ位の感覚で人の気持ちを察知する。
そして、自分をかまってもらいたいのである。今まで鳥を多く飼ってきたが、自分の糞が好物というのは始めてである。
ウサギが、そうだと聞いたことがあったが・・・
 ・・・・・・・・
2970住まうこととさまようこと ー2
2009年05月23日(土)
  * まずは「住まうこと」とは
 住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は逆に内側が光の世界に逆転する。
外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、
垣をめぐらしている。それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。また住まいは上下の構造になっている。
ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、次のように述べている。
「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。この両極性の特徴は、大変深くおよんでいるために、
非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、
見ることができる。そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室はどうであろうか。きっと、そこは役立つものと
考えるだろう。便利さの合理性を幾つかあげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、殺人のための道具や、
死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、
光が満ちていて、別世界への入り口になっている。 屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。
私が4?10歳まで育った商家では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。
1Fが店、2Fが事務所と倉庫、3Fが台所兼食堂、そして家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説のような生々しい物語の連続であった。
住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断(機能別の空間)があった。
・・・・・・・・・
2606, 脳内会話
 2008年05月23日(金)
昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
 ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫
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2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ー2
         o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯電話を買え替えた。
前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
 ーまずは面白そうな部分からー
*インターネットの本質  ーP・29
 インターネットとは何か?「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を乗り入れ可能にするために、
 同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち技術的約束事である。同じ技術的約束事を持っている
同士であれば、アメリカでも日本でも、どこからでも、必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノートパソコン、さらには片手で扱える
携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、携帯トリプル?が
これから世界を席巻するということになる。
  携帯トリプル?とは、いわゆる携帯電話のことだが、それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、  ・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、      ・GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に携帯トリプル?と呼ぶことにする。
この携帯トリプル?はマイクロソフトやインテルの牙城ではない。国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、
携帯トリプル?をどうすればよいか国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。
インターネットは所詮、携帯トリプル?のバックテクノロジーに過ぎないことが、だんだんわかってくるだろう。
人々の生活を激変させるのは、インターネットではなく、携帯トリプル?である。インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.?は、ハードやコンテンツではなく、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー
 *携帯トリプルーが、パソコンの未来 ーP・30
実際、携帯T・?はパソコンの問題を多く解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル?は、パソコンの未来なわけだ。
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル?でも出きるということである。
現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなりそうもない。
投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプのモニターなども具現化しているが、
まだまだ使いづらい。したがって、人間の手の先にあるキーボードという入力端末と、
液晶モニターという出力端末のサイズはそのままで、その間に携帯T・?が挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)ということになる。
iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。
   ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫
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2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?            おはよ?!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、
それを潰していく生きかたをする」である。 (七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
私が十年前に考えたことは、「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。それがこの程度の変化でしかなかったのか?。  
という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。 
  ≪字数制限のためカット2010年5月23日≫
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2005年05月23日(月)
 1511, 子供や若者が変!
若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。
しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい」と思うようになった。
 (以下、字数の関係上カット 12年05月23日)
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2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条
{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が含まれている。
耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。
1.むかう所を明瞭に示せ。              2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。  4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。      6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。    8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。
  (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩
  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!        
  落ちこぼれ       茨城のり子
       (字数の関係でカット2,008年05月23日)
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 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。
書き続けることが大事である。「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。後二年近くかかるが。
それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。大テーマを立ちあげた時に、それぞれの大テーマに合わせて
それを組み替えればよい。書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、散歩の時間にそれを集中する。
 ≪字数制限のためカット2012年5月23日≫


4075, 哲学で自分をつくる ー3 (ソクラテス)

2012年05月22日(火)

             「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
   * 知ったかぶりするな! ばか
  第一章  しったかぶりはもうたくさん 〜ソクラテス 
        ――「無知の知と魂の鍛錬」――    
≪ 自分のことは自分が一番よく知っているというが、本当にそうだろうかと2500年前に問うた人間がいた。ソクラテスである。
 彼は一切、書物を書き残さなかった。ただひたすら人々に問いかけ、納得のいく議論を仕掛けた。 自分自身を知るためである。
 その自分自身を知ることは「無知の知」から始まる。何も分かってない自分を知ることである。 ソクラテスは「無知の知」
 「魂の鍛錬」がキーワードになる。彼は、哲学の生みの親である。確固たる哲学の約束事のない中から哲学を作り出していった。
 彼の問いかけは、多くの人々の心、魂を強く揺さぶった。しかし、当時、弟子を除けば、偏屈者としか理解してもらえなかった。
 お前は無知だと他人から言われれば、不愉快に思われて当然。しかし、ことの発端が、当時のギリシャ人が奉っていた神が、
 「ソクラテスがアテネで一番の知恵者である」というお告げを出したことである。そこで彼は、「こんな馬鹿がなぜ一番の知恵者か、
 間違いではないか」と考える。そこで、世間で知恵者といわれている人たちに多く会ってみる。彼らは、確かに知識、技巧、才能はある。
 それは凄いが、それが何であるかの理屈がない。その根拠や意味が説明できないと、ソクラテスは考えた。説明できないなら、
 「知恵」がないに等しい。ソクラテスは、彼らほど何かを持っていないのに、一番の知恵者といわれるのは、自分が何も知らない
 ということを知っているだけ。彼らから知恵を学ぼうとしたが、彼らは何も知らないといえない。ソクラテスは彼らより風通しの
 よいところにいて、なぜと問うことができる。どうも、その辺が違うのではないかと考える。それまで似たような理屈をこねる人々は
 ソフィストと呼ばれていたが、彼らが追求していたのは「弁論術」と呼ばれていた。自分の意見で相手を説得することを目的にしていた。
 どうも、それとは違う。「たえずそれが何であるかを問い続けることが大事なのである。これが「知を愛する」、つまり「哲学」と考えた。
 それを公衆の面前で行ったため、結果として相手をやりこめることになった。それゆえに、相手から憎しみを増す結果となった。 ≫
 ▼ 相手の無知、いい加減さをつけば、相手は不愉快になる。その相手の怒りの感情や圧力に耐えて、その先にある真実を
  追求しようというする態度、これが哲学である。この歳になっても、毎日のように自分の無知に出会うことは、他人だけでない、
  自分が一番、辛い。しかし、せっかく地球に人間として生まれきたからには、少しでも真実を追究するのは当然のことである。
  感動し、感激すること、真実を知ること、自分とは何かを求めることは、死ぬまで求めなくてはならない。以下は偶然関連していた。
  ・・・・・・・
3709, 自己を見つめる −25 
2011年05月22日(日)
               「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 最後の「解説 渡邊哲学の真髄 ー榊原哲也」が、全体の要約で締めくくっていて分かりやすい。
  ーまずは、その部分から
【 著者の渡邊氏の長年の研究成果は、
・「世界を見ることは自己を見ることであり、自己を見ることは世界を見ることである」という哲学上の根本洞察と、
・「意味と無意味が力動的に交錯する世界のなかで他なるものの媒介を経ながら自己を実現していくのが人間である」という
 世界観・人間観に結実したが、こうした渡邊哲学の核心が、本書ではたとえば、「内面性」という「孤独」こそ
 「そこで私たちが本当の自分を取り戻し、自己自身と世界と人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間だ」(「孤独」)とか、
・「どこからも、どこへも見通せない、その投げ出された底なしの」「自分の存在の根底」をみつめつつ、
 「まことに定めなく、当てにならず、油断のならない魔物である」「世間」のなかで「徐々に自らの理想を目指して努力する
 漸進主義的な考え方以外に、人間の生きる道はない」(「世間」の章)といった平易かつ説得力ある表現で語られている。
・本書でたびたび言及される「これが、生きるということだったのか。よし、それならば、もう一度」という二ーチェの言葉は、
 世界観・人生観上の根本問題に対する渡邊哲学の真髄を一言で表したものといっても過言ではない。
本書は、一般の読者が人生の諸問題を自分にひきつけて哲学的に考え、「自己を見つめる」ことを可能にする好著であり、
また渡邊哲学への格好の入門書でもある。放送大学叢書の一冊に加えられることになった本書が、さらに多くの読者を
獲得することを願ってやまない。  (さかきばら・てつや/東京大学大学院准教授) 】
 ▼ 人生の節目時に、偶然この本をみつけ、連日、読み解説をしてきた。一章ごとに、考えさせられる内容で満ちていた。
  特に、「孤独」「愛」そして「老い」については、{老いへの節目時}ということもあり、一言一言が自分の現在に
  向けられているようである。 ー特に以下の部分は現在の心境にあって、ドッキとする内容である。
 【 老いは、心身の変化や不調、障害や不全、病気や悩、生計の面での困難や窮迫、人間関係における亀裂や別離、忘恩や裏切り、
  さらには長年の人生遍歴における事故や災害、対立や紛争などの側面の出現といった、ありとあらゆる不幸な事態の顕在化という
  姿を取って、人生の暗い側面を表す顛末の様相を帯びながら迫ってくる傾向が強い。もちろん、明るく幸せな老年というものも
  存在するであろう。けれども、老いは、もともと死の予感とも結びついて、悲惨な様相の影を本質的に内在させている。
*老いは総じて、誰もがそこから眼を背けたがる暗黒の象徴を含んだ現象であることは否定することができない。】老いてこそ気づくか?
 ・・・・・・・
3344, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー1
 2010年05月22日(土)
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
   ーアマゾンの内容紹介よりー
 消費税は上げなくても大丈夫! 年金は破綻しない!政府の借金は心配するな!  国民的大疑問を丁寧にわかりやすく解決。
 日本経済の常識を根底から覆す。 世界の経済大国「日本」の底力を、グラフやデータをもとに世に知らしめる珠玉の一冊!
 ≪年金、消費税、格差、国の借金。4つのテーマから見る、日本の将来が安泰なこれだけの理由。≫
  ーまず、その概要をまとめてみたー
 以前からメディアは日本の借金が数百兆円だ、破綻すると騒いでおり、現在、日本の借金は1000兆円を超えようとしている。
しかし一向に国家が破綻する気配を感じない。「いつ破綻するの?」「いくらになると破綻する?」のだろうか。
 父親(国家)が、子供たち(国民、企業、他)の預金を借用書(国債)で目一杯借りて、何とか急場を凌いでいるが、
それが数年で差し引きゼロの限度に達しようとしている。 とはいえ国の預金は、まだ二百数十兆円もあるから大丈夫!とか。
そして発行する国債の限度が尽きた時、自前で札を刷って、それを国債で賄えば良いだけと著者は主張する。 
しかし、これは禁じ手と前から言われていること。 この辺から著者の論に疑問が出てくるが・・。 国の金融資産も、
アメリカ国債を強引に買わされ、その額が500兆というし、楽観視は出来ないはず。 ただし消費税がまだ5パーセントと、
20〜25パーセントまで余裕?がある。 (ここには書いてないが)それを資産価値に換算すると500兆円。
 しかも国民の銀行預金や企業の預金などで国債借入れを賄っているので円安になった時のリスクはない。
(もし外貨建てなら90円が150円になれば、借金が900兆円から1500兆円に増えることになる。)
知人から「国債は永久債にして、返済は一切しない!で、金利だけ払う方法がある」と聞いたことがあるが、金利をしっかり払えば、
子供たちも何とか我慢してくれるか? そのため諸外国は日本の国債の異常な数字には、あまり危険視をしていないというが・・。 
ところで、リーマンショックで欧米がニッチモサッチモいかなくなってしまった。アメリカは軍事力を背景に新ドルの
「アメロ」の切り替えで、デフォルトをしてくる可能性があるが、ユーロ通貨の矛盾も見ているので躊躇するだろう。
「日本経済がすごい!」稼動かは疑問だが、1400兆の預金は中途半端な金額ではない。 それと、消費税の10〜15パーの
余裕もあるか? さらに永久国債化と、日本銀行の国債買い入れ、デノミ、道路公団の株式化による売却に、
地方分権と称した切捨てに、・・ギリシャのように、気楽に生きましょうか〜       ったく!  ー続くー
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2969、住まうこととさすらうこと −1
2009年05月22日(金)
 「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著      ー読書日記
   * 世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
 図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。 
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 舟の上に生涯を浮べ、
 馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。
住まうこととさすらうこと、さすらうことと住まうこと。 人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。
そこで学生時代の寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっていることが解る。
そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。 東京に舞い戻り、金沢に、住まいさまよい、長岡に舞い戻り、
千葉に、そして、再び長岡・新潟に 住まいさすらってきた。 人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、
その一言一言が鋭く心奥に響いてくるのである。
(以下は字数の関係でカット2012年5月22日)
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2605, 自己愛について
 2008年05月22日(木)
先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の奥の本質を、そのまま提示されたことである。
夢に出てくる「海」が「自己愛」の象徴で、海底の牢獄でもがいている己の姿に、我ながら驚いた。
ユングの地下の象徴の夢に近い。 その夢の中には、自己逃避、不安、自己愛、それに囚われもがいている自分、
そして、死などなど、多彩な内容が重なっている。これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
▼ 真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。 自分が深く納得している自己愛でなければ、ナルシストの姿
 かたちの表面的なものに過ぎない。キリスト教の教えのように、真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという自己愛である。
 自己愛という言葉は、「私さえよければ」という利己主義とはまったく違う。 あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて
 自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違う。その区別を見わけるために本当の自己愛の条件をあげてみる。
 自己愛とは、自分が認められたり、周りから褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。生きていくうえで、他者の存在は
 絶対に必要で、そのため自己愛と同じように他者愛を持つことも必要となる。 常に自分が一人ではない、と認識したうえで、
 自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。その極端な「自己愛性人格障害者」の特徴として、次のようなものがあげられる。
・自分は偉くて重要人物だと思っている。この幻想に限度がない ・自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。         ・相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
  〜〜 以上だが、
 ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。女性の本質だから仕方が無いだろうが。いや、誰の心の奥にも酷似した傾向が隠れている。
               (以下は字数の関係でカット2011年5月22日)
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2007年05月22日(火)
 2240, ヤバいぜっ!デジタル日本    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
                高城剛著  集英社  ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、情報最先端の事象を紹介しつつ
日本人の知らない日本と日本人を論じる。世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?
国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか? 日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて
新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか?
日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。
著者は、これからの近未来はPCではなく「携帯電話」を情報の受・発信装置として駆使するライフスタイルが主流となり、
そのTrendは日本(人)が主導する」と予言。「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
「Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り遅れないために日本が行うべき事として
使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の機能・Design・Softを開発し、デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を練って
いくべきと論じている。グーグルに対しての見方には異論があるが、それでも携帯電話が主流になるとは、成る程と思うが・・
ーまずは面白そうな部分を
 P-21 ー TVを処分することを勧める!ー
情報ダイエットの方法として、思い切って何かをやめるとしたら何だろう。情報量の多い、インターネットか携帯電話、
そしてテレビ。その中で一つやめるとしたら、あなたは何を選択しますか? どれもやめられないとう人がほとんどだろう。
僕は、テレビを数年前にやめた。モニターを数台持っているが、チューナーを接続していない。一週間で見るテレビ時間はゼロである。
もちろん、サッカーもオリンピックも見ない。正確に言うと見られない環境にある。朝一時間くらいついていたり、
夜1~2時間ついていて、テレビの音声を聞いていることが多い。一日3時間、週に21時間、テレビと暮らしていることになる。
これをやめれば、約一日使える時間が増えることになる。週8日。これは大きな変化である。
もし本気で情報ダイエットに取り組もうとするなら、ネットオークションでTVを売るか、友人にあつかってもらうことを勧める。
 P-24 ー未来のないゲームー
 (中略 2011年5月22日)
解)これを読んでいて、全くと思う。 私が40数回いった秘境ツアー、あれは旅のゲーム化である。
それも、その地域を熟知している専門代理店の企画に乗ったバーチャルに近いものである。
その道の専門家からいったらあれは偽もの。 しかし、お客はそれでいいのである。
詳細は帰ってきてから、TVや図書館にある写真集や、冒険家の本を読み返せばよい。
リスクは負いたくないし、タンザニアなど危険すぎて単独旅行などできない。
なら企画モノに乗ればよいのである。情報は幾らでもある、それを元にいかに構造を組み立てるかが、
個人個人に求められる時代ということである。日本は、その点では非常に知恵のある人種。
可能性は幾らでもある時代になってきたということか!    ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
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2006年05月22日(月)
 1875, 大相撲・千秋楽   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。今場所は、朝青龍が怪我で休場をしたが、
最終的には白鵬が優勝をした。まあ順当であろう。最近は千秋楽の翌日に、大相撲について書くことが多くなってきた。
この数年間(若乃花・貴乃花時代が終わってから)全くつまらなくなっていたが、最近になって徐々に面白くなってきた。
  (以下は字数の関係でカット2012年5月22日)
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2005年05月22日(日)
 1510, ご自愛のほどー2
この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にしてきたことを娘のために綴った、
詩のような言葉である。 著者は、この本を完成させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。
そう思って読むと、またどの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、娘が自費出版を続けていたのが、
出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるようになった。
 (以下は字数の関係でカット)
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2004年05月22日(土)
 1145,「デフレ・スパイラル」について
 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年
 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウント店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町に転居していた。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。「一教科でよいから、良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。
  (字数制限のためカット2010年5月22日)
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2002年05月22日(水)
 414, サッカー直前の馬鹿話!
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地のホテルが深刻な?
悩みというのを放映していた。一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。
  (以下は字数の関係でカット2012年5月22日)
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2001年05月22日(火)
 チャレンジ100
60歳までに50回 外側?異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーをつかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。
年三回というと家内の分も含めると2百万余かかる。ゴルフはやらず、
(以下、字数の関係でカット2,008年5月22日)
 


4074, 屋根裏に誰かいるんですよ

2012年05月21日(月)

          「幻の同居人」 ―都市伝説の精神病理  春日 武彦 (著
   ーアマゾン 紹介文ー
まず、その奇妙なタイトルが目を引く。しかし本書は、そのタイトルから受けるコミカルな印象とは異なり、
 精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて冷静に考察したものである。
 ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある
 日用品などを盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。しかし、姿は見えない。
 まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか言いようがない不可解な話を、老女は真剣に語る。
表題となっているこの症例は、「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。
 患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない場合が多い。
 「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」
 と著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。本書は、現代社会においても、妖怪と出会うといったような
 「非日常」的な現象が、たちあらわれる瞬間があることを示唆する。 精神科医が語っているだけに、いっそう説得力がある。
  ▼ ある亡くなった友人の奥さんが数年前、急に事務所に訪ねてきて、世間話の後に何気なく、「最近、家に侵入者が時々入ってくるが、
  生前、主人が何か言ってませんでしたか」と言う。「侵入者とはとんでもないこと、どういうことですか?」と吃驚して聞きなおすと、
  「自宅の屋根裏に侵入者がいて、彼方此方、徘徊している。」という。 よくよく聞いた後、「貴女は魔界に一歩踏み込んだようですね。
  ご主人からは、それについて聞いたことはありません。」と答えた。警察に相談して屋根裏を調べてもらった時の写真を何枚か出して、
  「私には、侵入者が見えるが,貴方は見えませんか」という。 私には全く見えなかったが、その辺から、何か精神的に追い詰められている
  のだろうと思い始めた。その後、ご主人と共通の複数の知人から彼女の同様の話を聞かされた。本人には、実際に屋根裏に何かが
  いるのだろう。彼女は初老で、独り暮らしである。佐藤愛子が、似たような現象を経験している。それと同じかどうか私には分からない・・・ 
  ・・・・・・・
3708, 自己を見つめる −24
2011年05月21日(土)
   ー 他者について 〜② ー    ーP194      「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 幼児は、他者が素敵な玩具をもっていると、自分もそれをもっていなければならないとすぐに決め込み、それでいて自分には
その玩具がないところから、その他者を激しく嫉妬することになる。 こうして、一般に、大人になってからも、人間は、他者とか
世の中とか世間からの影響を色濃く帯び、ときにはそれに飲み込まれてしまって、その水準で自分を裁断し、ほんとうの自分の姿を見失い、
自己喪失の状態に陥ってしまう。 また、自分の不幸や不満の原因を、他者のせいとして責任を転嫁し、自分がひどい目に遭った原因を、
ともすれば世の中に押しつけ、他者攻撃に生きる傾向に人は陥りやすくなる。したがって、本来そうであるぺきなように、自己でありつつ、
他者とともにあるという、二重性ないし両義性をほんとうに生きることは、人間にはきわめて困難になるのである。
東洋ふうの言い方をすれば、「和して同ぜず」という、自他の自由な自律性と、連帯性ないし他者容認とが、過不足なく、
円滑に両立してこそ、自他の関係は充足されうるのだが、それがきわめて困難になるのである。
 ニーチェは、自他の関係において、ルサンチンマン(怨恨感情)という恐ろしい感情が胚胎する機微を鋭く抉り出した。
他者の不当な振る舞いに直ぐに反発できずに、じっと我慢する人間のうちに、やがて次第に欝積してくる不満の感情のことを指す。
それは、恐ろしい怨恨感情となって、やがてさまざまな形で爆発してきて、自虐と他虐の凄惨な凶行さえも生み出す原因となる。
しかし、ニーチェにょれぱ、そうしたルサンチマンの人は、他律的なのである。つまり、怨恨感情は、他者に囚われ、他者からの
傷跡に執着し、こうして、他者への遺恨を募らせ、やがて復讐心の形を取って、自虐と他虐に向けて爆発する。
 そこでは、自己自身の本来性が見失おれている。しかし、自己は、ときに、自己自身を見失って、他者になりきってしまうことも
あるものである。しかもそれは、人間的他者に関してだけ起こることではなく、事物に関しても起こる。 たとえば、私がすっかり
花に見惚れたときには、花が私になりきってしまうのである。それと同じ意味で、私たちは、自己自身を見失い、ついには、
さまざまな主義主張の虜になったり、迷信や邪教に取りつかれたり、神憑りになったり、あるいは、変身願望に駆られ、嘘と芝居で
身を塗り固め、役者気取りで自分を英雄天才視し、人類の救済を気取って、大言壮語し、自己欺瞞と他者篭絡に憂き身を窶すことすら
生じかねない。 その反対の被害妄想や厭世意識も似たりよったりである。 】
▼ その人を知るには、その人の身近の他者(=親、妻、友人、会社の上司など)を知ればよい。そして、その不満と満足度を聞けば、
 ほぼ大部分を知ることが可能になる。「人を恨めば穴二つ」と言うが、恨んだレベルのことでしかない。そこに囚われるからだ。
 長期の間に、その質の段差は、その空白に大きなガスを溜めることになる。 身近な人と、自分の関係はメビウスの帯のように結局は、
 同じようなもの。だから、連れ添いや、仕事は厳選をしないと互いに命取りになる。 他者は、三人称より二人称をさすことが多い。 
 他者たちによって形づくられた自己は、自分の合せ鏡でもある。 
・・・・・・・
3343, 閑話小題
2010年05月21日(金)
  * 9・11事件の謎
 ここで「9・11事件についての謎?」何で、というと、米国軍事産業か、金融関係者なら平気でやりかねないと最近、
特に思うようになってきたからである。このテロでアフガンやイラク戦争で軍事産業が大きな需要が生じ、恩恵を受けたからだ。
さらにリーマンショックもしかりである。世界中に不良債権という毒の入った債権を売り、その影響が今後、10年〜20年間にわたり
出てくる。これは数百年にわたって築き上げられてきた近代資本主義の崩壊をもたらす。それさえ金融の支配者はやりかねないという
疑念が出ている。ユーロの揺さぶり、そして膨大なアメリカの借財の棒引きの狙いだ。その真っ只中に我われがいるのである。
その第一波の大きな波が、まずは南欧のラテン系の国家、Piigsである。そして、時を同じくして日本の地方と輸出産業である。
まずは地方の我われが、その直撃を受けている。 9・11事件発生の数ヶ月前から、株と為替に異常な動きが在ったと、
関係者からの証言がある。事前に知っていた者たちが、その情報で大儲けをしていたのである。あれから世界は本格的に激動を始めた。
  * 韓国が北朝鮮に報復攻撃?
  (字数制限のためカット 2012年5月21日)
  * 一年近く収まっていた腰痛が?
 (字数制限のためカット 2012年5月21日)
  ・・・・・・・・・
 2968,閑話小題
 2009年05月21日(木)
 * 考えるほど、恐ろしい近未来
新インフルエンザが、日本でも拡大してきた。通勤帰りの新潟発の新幹線は、車内で一割、新潟駅構内と長岡駅構内では
3〜4%位がマスク着用。数週間後には、全国に蔓延しているだろう。微弱性の新インフルエンザに過剰反応と思いがちだが、
秋口には、弱毒性から強毒性になる可能性がある上に、鳥インフルエンザが流行する可能性もあるというから、WHOの反応は
決してオーバーではない。今回の新インフルエンザは、鳥インフルエンザに対する世界規模のシュミレーションになっていると、
考えた方がよい。新インフルエンザの死亡率が2%だが、鳥インフルエンザは60%というから、ただごとではない。
都市機能だけでなく国家機能も失われることになる。 この騒ぎが何時まで続くか誰も知らない。
世界恐慌を上に、これである。 現実の世界とかけ離れた小説のような世界に入ってしまった。
地球システムが、人間システムを根こそぎ壊し始めたということなのか?
 * 事務所の移動
事務所を移動したが、これで8回目。前の事務所は5年間。これまでの平均すると4年である。
まあ腰が落ち着かないが、ここも4〜5年先に移動することになる。 今回の引越し理由は、事務所の壁を隔てた隣のテナントの
居酒屋が事務所の面積を含めた規模を希望したため。 今回の事務所は、第一シングルインの隣のビルの2Fである。
オーナーと知り合いで、家賃を半値にしてもらったことが、この移転の決め手になった。
とはいえ、ここも駅再開発工事の道路拡張のため取り壊しになるので、移転しなければならない。
また、第一シングルインの接収の売却交渉に、隣りのビルにいた方がリアルで交渉がしやすく、
そこのオーナーとも共同戦線もはれることも良い。 昨日で大方の移動作業は終了したが、
窓側が全面ガラスで天井が高く、事務所環境は格段上である。 さすらいの事務所? ということか。
・・・・・・・・
2604, 最近みる夢 ー2
 2008年05月21日(水)
前回、「空からパラシュートから飛び降りて、墜落し、気がついたところが海底の檻の中で、
もがいている所で目が覚めた夢」を書いた。そこで、その夢分析をしてみた。
・まずは「空を飛び降りる夢」
 空は束縛のない自由の世界。 現実の世界は覆いかぶさる責任ある仕事の重圧や、会社や家庭という束縛、日常の退屈など、
 知らないうちにプレッシャーがある。 空から飛び降りる夢は強い脱出願望の現れ。また落下することは、強い不安の現れである。  
 不幸な境遇に陥る、ひどい気分に落ち込むなどを、敏感に感じ取っていることを現わすから、サブプライム問題で更なる
 不況への不安感や、還暦を過ぎたことの焦りなどが、夢に集約されている。
・「落下途中にパラシュートが開かない」 これは開くはずのパラシュートが半分しか開かずパニックになる、
 予定していた想定が、外れる不安である。この歳になると、いつ死に直面するかもしれない不安感の顕れ・
・次は、「海に落ち、海底の牢獄の中で檻から出れないでもがいている」部分。 これが面白いのである。 
 夢の中で、海なら助かると自分で直感的につくりあげた瞬間創作。海は欲望、それも自我愛である。 
 海底の牢獄は自我愛の牢獄。そこでもがいて死の境にいる私の顕わの姿そのもの。
・そして、「ああ、このままでは死んでしまう」と恐怖を持った瞬間に目が覚めた。死の夢は、古い自分が死んで新しい自分が
 生まれる前ぶれという期待。 従って死ぬ夢は、新しい人格の為に古い人格が死ぬことを意味している。
 解釈の問題だろうが、それにしても人間の顕わの姿が、自分の夢に示されている。
 現在、色々の問題で混乱している部分の己を、こういう夢で光を与えてくれていると解釈すると、驚きである。 
 一種のユング的な夢と受け止めることができる。 夢そのものより、解釈のほうが面白いだけか?受け止め方である。 
  前夜、これを書いたためか、これに劣らないほど?面白い夢をみたが、ほぼ断片を残して記憶の彼方に消えた。
・・・・・・・・・・
2007年05月21日(月)
2239, 宇宙に他に地球のような星があるの?       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
以前にもすこし書いたことがあるが、20年以上前の話。夏休みの午前中にNHKラジオ放送の「子供電話相談室」に
「宇宙に地球のような星が他にあるのですか?」という質問があった。子供は純粋だからこそ鋭いから、偉い先生も
タジタジすることが多い。その時の回答の先生が天文科学者だったが、その名回答に、「成る程!」と感心してしまった。
    ーー
「宇宙に人間が住める星が他にあるかどうか、まだ科学では解ってないの! でもね、考えてみて、この広大の宇宙に地球のような
奇跡の星があって、人間や生物が生きているとうことの方が、素晴らしいことで疑問なの。現在どんなに科学の研究が進んでも、
解決できないほどの奇跡の結果なのね。解る?だからね、他に星があるのか疑問に思ったなら、この広大な宇宙に地球しか無いかも
しれない不思議を考えてみる方が重要なの解る!」である。車を運転しながら「何ということをいう学者だろう!」と驚いてしまった。
最近マスコミで、「さほど遠くない星に地球に酷似した環境の惑星が発見された」と発表されたが、生命がいるということではない。
哲学者の池田晶子が、最近TVに頻繁に出ている怪しげな「来世」など「生まれかわり」を話す江原啓之を、一刀で切り捨てていた。
「いま、生きていること自体が不思議で解らないことばかりなのに、何で来世など問題にできるの?笑ってしまう」と。全くその通り。 
(字数制限のためカット 2010年5月21日)
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2006年05月21日(日)
 1874, 人生の質×量=人生の総量      才八∋ウ_〆(∀`●)
4月19日のバードウォッチングの中で、
「人生の真実は、人生の勝敗で勝ったとか負けたとかは関係ない。人生の質は常に喜ぶことのできる能力に比例する。
その喜ぶ能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる」を紹介した。
(モーニング・ページを紹介してある「ずっとやりたかったことを、やりなさい」 の中にあった言葉である)
この言葉が頭の中に残っていて何度も思い浮かべているうちに、人生の質×人生の量=人生の総量(豊かさのレベル) 
と思い至った。人生の質は認めるが、それだけでは男として物足りないと考えているうちに、人生の量(行蔵)も
大事であると思いたった。そらから人生の質×人生の量=人生の総量ではないかと。そして総量があるラインを越すと
アップ・スケールが生じる。蛹が蝶になる脱皮である。 総量が一段上の質へ転換することだ。 
人生の質だけでは何か男として物足りない、量も大事では?と思ったことが、これで筋が通ってくる。
アップスケールし続けることで総量(豊かさ)が増え続けることになる。人間は、それぞれの立場で、立ち止まることなく、
変化(アップスケール)をすればよいのだ。少し歪んだ立場(場面)になると、人間は自分の人生を必死になって肯定しようとする。
誰か何らかの形で、現状を肯定しようと必死になっているものだが。幼稚園から、小学校、中学校、高校(大学)、社会人、
親・・と、それぞれの立場が変化していく。その時々の立場を喜んで受け入れ、肯定して次の立場へのステップをしながら
脱皮続けることが、人間のあるべき姿ということになる。 「人生の質とは成功も失敗も喜んで受け入れる能力に比例する」
ということからみても「好きなことを見つけ、それをやり続けること」こそ、人生を豊かにするである。
「人生の質=喜んで人生を受け入れる能力」という言葉から、人生を考えてみた。      ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年05月21日(土)
1509, ご自愛のほど ー1
 「もっと自分を愛してごらん」 ー1    ー読書日記
図書館で何げなく借りてきた本である。女性向の本だが立ち読みをして、心が和んだので借りてきた。
簡易な短い言葉の奥にある優しさや力強さが、そのまま感じられ、また見る度に気になるページが変るから不思議である。 
すっと自分の心に入るもの。ちょっと考えこんでしまうもの。自分を愛すると変わってくるもの。自分を満たすと見えてくるもの。
そのページごとに深い愛情が、言葉の底から湧き上がってくる。その愛情が自分を楽にしてくれ、誇りを感じるようになり、
また深い自分に気づくようになる。実際に「自分の娘に語りかけるように」して書かれた内容である。
一人、孤独に浸るときなど、女性だけでなくとも読むと良い。また心の疲れや悩みを和らげてくれる。 
 まず、自分を愛してみることである。
 ーその幾つかを書き出してみるー
もっと自分を愛してごらん すると すぐにあきらめたり 妥協したりしなくなる
もっと自分を愛してごらん すると自分のいいところが見えてくる。
 (字数制限のためカット 2011年5月21日)           
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2004年05月21日(金)
1144, つれづれに -不安
 ・テロの脅威
アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。経歴もかなり年期の入ったテロリストで、本人がその気なら
何時でも大きなテロを起こせたようだ。まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。ドイツで捕まり、取調べからこの事実が
初めて解ったのだ。上越新幹線か柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?スペインやインドネシアのテロが思い出される。
   (字数制限のためカット 2012年5月21日)  
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2003年05月21日(水)
 777, 何ともいえない日々が続いている。
 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、
黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。ここで景気がさらにおかしくなってきた。
     (字数制限のためカット 2011年5月21日)
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2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー
 母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、
数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。
「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、上手い言葉だ。
歯についた血がいつまでも口に残る。今はあまり言葉として聞かないが、父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。
倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。他人におどけて見せたり、
パフォーマンスをするなという意味だった。大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 家内に時々そういう類の言葉を使い、「明治生まれの両親の子」とからかわれている。
・・・・・・・・・・
2001年05月21日(月)
つれづれに
今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS?TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル?マザーアースもいい。


4073, 哲学で自分をつくる ー2

2012年05月20日(日)

      「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
 
 以下の人たちの哲学を一通り理解し、ダイジェスト的に説明出来れば一応、哲学の歴史の一端を理解出来たことになる。
 対象が哲学の初心者に向けられているので、門前の小僧にとってシンプルで分かりやすい。
  ーはじめにーより
≪  本書に登場する哲学者と、哲学史上の位置づけは、以下のとおりである。
  ①哲学は、ソクラテスからはじまる。
  ②近代西洋社会を支えたのは、デカルト、カント、へーゲルの哲学である。
  ③根本的な近代批判を展開したのは、マルクス、フロイト、二ーチェである。
  ④二〇世紀の哲学を構築し直したのは、フッサール、ベルクソン、ウィトゲンシュタインである。
  ⑤二〇世紀の哲学を反転させたのは、スピノザ、ハイデガー、メルローーポンティである。
   ※スピノザは一七世紀の人間であるが、影響という意味でここに配置されている。
  ⑥二〇世紀哲学は、実存主義と構造主義の対立、つまりサルトルと、ソシュール、レヴィストロースの対立に代表される。
  ⑦二一世紀の哲学は、フーコー、デリダ、ドゥルーズからはじまる。
  一般的な哲学入門書と似たような構成をとっているが、確固たる哲学の教義体系に必ずしも沿ってはおらず、「近代」以前の哲学や
 西洋以外の哲学についてもあまり言及していない。また、哲学の知識や技術を伝授するような目的で書かれたものでもない。
 ここで言う「哲学」とは、今生きている私たちの「常識」的な考えの「見直し」。「常識」を「否定」「非難」しているわけではない。
 あくまでも「見直し」は、哲学で言うところの「批判」である。その結果、あなたがこれまでの「常識」と違った考え方を
 持てるようになったならば、本書の目的は達成されたことになる。もちろん、「常識」も大事である。
 鵜呑みにするのがよくないだけである。いろいろと考えた末に、「常識」的な考えに立ち戻ってもかまわない。 
 「常識」以外にも別の視座を持ち、力強く二一世紀を生き抜けるよう、願ってやまない。  ≫
 ▼ この近代哲学の区分けも分かりやすい。著者は、常識的考えの「見直し」という点を強調しているが、哲学は本来そういうこと。
   共通するのは、あくまで入門書のため。現在ギリシャが経済を含め破綻しているが、欧米の行き詰まりの象徴である
   ギリシャ哲学の行き着いた果て。人間の心の奥には不安、悩みが常に沸きあがっている。目先の安易の解決を図ろうとせず、
   一度、世間的常識から手を切ることだ。勝手なエゴイズムにならないようにしながら、考え抜いて肯定的に生きるべきである。
・・・・・・・・
3707, ジャズについて −5
2011年05月20日(金)
       ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 ジャズといえば、日本人の私にとって、「アルカポネがいた20世紀初めの大都会の下町の酒場で、マフィアとか、
チンピラの屯している中で、数人の演奏者が奏でている曲」というイメージがある。 実際に、ジャズの歴史に残る巨人たちは、
そこから名をなすことになる。以下の三人も、ジャズに興味が薄い私でも知っている名前である。
  * "不良の巣窟"に生まれたホーキンス、レスター・ヤング、カウント・ベイシー
【 p・189ー アメリカ中西部のミズーリ州カンザス・シティ、まさに‘不良の巣窟’だった街に目を移してみよう。
アメリカでは二〇年から三三年までは禁酒法の時代だった。禁酒法はかえってアル・カポネに代表されるギャングを生む土壌をつくった。
カンザス・シティは、こうしたギャングたちが経営する密造酒場やダンスホールが栄えた街で、ジャズもまたそうした場所を
賑わせることになる。カンザス.シティのジャズを代表するのが、コールマン・ホーキンス(一九〇四〜一九六九)とレスター・ヤング
(一九〇九〜一九五九)という、スタイルがまったく対照的だったテナーサックス奏者の二大元祖だろう。ホーキゾスは、アップテンポの
曲では豪快に荒々しく、バラードでは甘く柔らかく、低音域から高音域まで緩急自在なトーン・コントロールで、サックスを単なる
伴奏楽器からソロをとれる楽器へと押し上げた。 三〇〜四〇年代のニューヨークでは、たいていのテナー奏者がホーキンスを手本とした。
 一方、レスター・ヤングは、同時代人としてホーキンスの色に染まらなかったところに、その独自性がある。
彼はニューオリンズ、メンフィス、ミネアポリスと渡り歩いて・カンザス.シティのカウント.ベイシー楽団で頭角を現わす。
そのテナーサックスは、ホーキンスのリズミカルな力強さよりも、まろやかでメロディアスなフレージングを特徴とした。
二人ともスウィング・ジャズ時代に全盛期を迎えたが、のちのビバップ時代のアーティストとも共演している。
ホーキンスのテナーは、スウィングの衰退後しばらく鳴りをひそめていたものの、五〇年代後半、ジャズの復古ブームとともに蘇り、
力強い豪快なトーンの健在ぶりを示してビバップ派を驚かせた。しかし晩年は深酒に溺れ、栄養失調による餓死同然の状態で最期を迎える。
 レスター・ヤングはシンガーのビリー・ホリデイ(一九一五〜一九五九)との共演でも知られ・ビバップ時代以降は、スタン・ゲッツを
はじめとするクール派の白人アーティストの間に熱狂的な信奉者を生んだ。彼は軍隊生活で人種差別にあったことなどから
その神経を病み、やはり酒とドラッグの助けを借りることが多くなって、晩年のセッションはしばしば深い憂馨をたたえたものになる。、
 カンザス・シティのジャズといえば、なんといっても、カウント.ベイシー(一九〇四〜一九八四年)と彼の楽団を抜きにして語れない。
カンザス・シティ。そのカンザス・シティを拠点に活躍していたカウント.ベイシーも、のちに楽団を率いてこユーヨークに進出する。
エリントンとベイシー。期せずしてビッグ・バンドの両雄がニューヨークで相対し、人気を二分する。いや、三十年代に入って
禁酒法が廃止されると、カンザス。シティの歓楽街の灯も消え、そこを拠点にしていた他の腕こきジャズメンも相次いで、この街をさり、
ニューヨークへと向かうことになる。以後、ジャズの中心地はニューヨークになっていく。 】
▼当時の黒人はスポーツかジャズマン位しか名をなす機会がない世界。そこで名をなすのは至難の技の筈。その曲に魂が入っていて当然。
 ・・・・・・・
3342, 医師と看護婦の危ない関係
 2010年05月20日(木)
 いまさらの話だが、医師と看護婦の危ない関係が表面化してしまった。下世話の話だが、何処かの同級会で
「あの何某、医師になって順調に出世しているが、彼の話だと看護婦は、○○放題?だと!」。
酒席で酔っ払っているので、言っている方も、聞いている方も、ほぼデマ?として本当とは思ってないが、「そういうこともあるんだ?」
と、半信半疑で聞いたことがある。看護婦の立場からみれば、医師にみそめられるのが理想系だが、医師の立場からすれば、同じ医師か、
その世界の娘と結婚をするか、医師のネームバリュー?で自分より格上の家の娘を対象にする。
(字数制限のためカット 2012年5月20日)
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2967,困難は分割して解決しろ!とはいうが・・
2009年05月20日(水)
(字数の関係でカット2,011年5月20日)
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2603, 最近みる夢
2008年05月20日(火)             (p≧w≦q)オッ☆ ハ!
 最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
  一昨夜の内容といえば、
 飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
 そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところでもがいている。 ところが檻があって海面に
 出ることができない。生死の境目を漂っているようなストーリーである。 最近、図書館から借りて目を通した
「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
 映画でみたダイビングのシーンの影響か。その全てだろう。夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。
 現時点の、死に対する潜在的なイメージだろう。何度も書いたが、父親が死んだあとに父のベッドで見た夢は、
 心の奥深く刻まれている。 亡くなる前の数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。 
 一緒に住んでいたので、その気持ちが私には痛いほど感じていた。亡くなった数日後の深夜に、父のベッドで、
 その気持ちに乗り移ってしまい「死にたくない、死にたくない」という父の気持になったのである。 
 その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、父の感覚が乗り移って現に生きているという不思議な感覚。 
 魂が入り込んだとイメージである。 魂は不死という不思議な感覚を、その時に初めて実体験をしたのである。
 27歳時だったが、それ以来20年近く、霊能力みたいな五感以外の感覚が私の中に入りこんでしまった。
 最近は、殆ど無くなってしまったが、何時また出てくるかもしれない。夢の内容を意識的に思い出し考えると、
 不思議な世界を覗き込むようである。深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。その奥は、想像を遥かに超えた
 自分の経験の積み重ねだけでなく、何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
 考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。 それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・
 身近な不幸な死を垣間見たとき、つくづく感じるのである。群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。・ω・)ノホナ
・・・・・・・・・・
2007年05月20日(日)
2238, お金の正体 ?2
  (*゜ロ゜)ノミ☆【おは?♪】         ー読書日記
ーまずは面白そうなところを幾つか抜粋して考えみよう。
P32ー  ここで不動産のイロハを言うと、
・土地、建物の値上がり率は経済成長率より低い。ロンドンでもニューヨークでも、50年~100年間の統計がそうなっている。
 その理由は固定資産税をとられるからで、経済成長率より低い分はちょうど税金額に見合っている。不動産に対する税金は逃げようがない。
・ロンドンやニューヨークで不動産で財産をつくった成功者がいるが、その人たちは大抵ユダヤ人である。
 ユダヤ人相手に売買して負けになら そうぞおやりください。
   (字数の関係でカット2,009年5月20日)
・・・・・・・
2006年05月20日(土)
1873, 「ノート術」本当の極意 ?1
    \(^▽^*)おはようございます!*^▽^)/                    
本屋の中を徘徊?をしていたら、ー日経ビジネス・アソシエー という雑誌に「ノート術」ー本当の極意 があった。 
朝刊の広告にあったものだ。7~8年前に、「天才のノート術」を分析してあるトニー・ブザンのマインドマップ方式の
ノート術を知り、これを中学校時代に知っていたら・・と、目から鱗が落ちる思いであった。
ノート術そのものが、脳の力を強化する思考技術だったのだ。このテーマ日記も一種のノートである。
最近になって、モーニング・ペイジという習慣を身に付け、これも目から鱗であった。
これらを人生の最後の直線コーナーに入って気が付いているのだから・・
いや何度か気がついていたが習慣化までいってなかった。しかし気が付かないよりは良いだろう。
随想日記の五年間書き続けたことも、自分にとって最大の収穫である。   φ(ー` )メモメモ ・・・ボキッ!!☆_/o(□`;)!!
話を元に戻すが、この本の内容は奥行きが深い。この特集では、15人のノート術を紹介しているが、
その何人かを纏めてみよう。面白いのが紙面で、そうは書いてないが、内容の濃い順に書いてある。ノート代わりに写してみる。      
  ??φ(.. ) メモメモ あっ間違えた_ロ(.. )m ケシケシ  やーめたφ( ゜゜)ノ ポイ でもなぁ ( ..)_ ヒロットコ
 最初のユニ・チャームの高原慶一郎氏の「ノートがあなたを成長させる」の要点をまとめてみよう。
・45年間に書いたノートは650冊以上。
・テーマごとに分けてノートをとっている。海外出張、コンサルティング、セミナー、人生シナリオなど。
 ?大きなくくりとしては、「世界を知る」「経営の定石を体得する」「自己と組織開発」
・世間にありふれた情報や知識をノートにまとめることで、自分として根づく。
 その際に、漫然としてとるのではなく「1P6W2H」でまとめます。
 -priority ー優先順位 
 -6W=5W+whom
 -2H=how to, how much.  こうした視点で、自分の思考を瞬時にまとめる。
・ノートはコクヨのA4サイズの「キャンパスノート」に100円のボールペンで書いている。
・あらかじめ最初の数ページは目次と要点をまとめるページに割いておく。
 それぞれのページの欄外には気づきやヒラメキを書く。キーワードにはマーカーをひく。
・書いたノートは執務室の書庫に保管して、いつでもオープンにしています。
 ナレッジは共有・継続するものなので、体系的に整理して「ユニ・チャーム語録」
 としてまとめました。 それを社員手帳に収録し、全社員に配ってます。      
  (字数制限のためカット 2010年5月20日)
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2005年05月20日(金)
1508, 猛女怪女列伝ー2
ー藤田小女姫ー
美人霊能者として一世を風靡し、時の政財界の大物まで占った女性占い師である。ところが1994年、ハワイで子息と同時に
別々の場所で殺され、その真相は現在も充分明らかになってはいない。彼女は結婚後3年で離婚(1964年)、1968年には
経営していた有楽町のサウナ風呂の店が焼け従業員3名が焼死。その責任として、執行猶予つきだが有罪になっている。 
(字数制限のためカット 2012年5月20日)
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2004年05月20日(木)
 1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!
この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な感覚を持った。
宇宙といえば、太陽系があり、銀河があり、その銀河が数百億あり、その銀河系の中にブラックホールがあって、もしかしたら、
そのホールが他の宇宙のトンネルになっている可能性がある。地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、「この宇宙が『自分の脳』
みたいなもの」と言ってのけるのだから驚きである。 凄いことを言うものである。
                 (字数の関係でカット2,008年5月20日)
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2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」  ?読書日記ー2
『未来を読みきる力』
 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と、山岡荘八の『徳川家康』は戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。以下はドラッガーの名言録を書き写した。 
なかなか深く耳の痛いところが多い。企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。 大不況の中どうしても後ろ向き、
内向きになってしまいがちだが、励まされる内容である。私のような対人関係が煩わしい人間は
「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」 自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
   ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」                 2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」                    4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」  6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされて消滅するなどというのは全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップなきプロジェクト(計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくてはならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」          12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」            17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングで2+2=4という具合に、ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」              20、「知識は本の中にはない」
読めば読むほど、耳が痛い!
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2002年05月20日(月)
 412, 次の旅行の予定
ー次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。
1、スイス・アルプス 2002/07  2、イラン 2002/10  3、南米のパタゴニア 2003/02  4、南アフリカのナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10   6、ポルトガル 2004/02  7、アラスカ 2004/06  8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア  2005/02  10、リビア 2005/05 11、南インド 2005/07 12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01   これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60〜70歳
 飛び石で世界一周したことになる。60歳は無理だろうが、目標は目標だ。これ以降はフランス、ドイツ、イングランド、トルコ、
中国などの国の田舎街をまわるコースを中心に? 77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。
何か100回が執念という感じがあった。そう思って生きれば、張り合いもできる。 海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。
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2001年05月20日(日)
 随想日記?テーマ日記
8年前より随想日記?テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな日記となっている。
毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料を使っているにすぎない。
6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                       ーテーマ日記  H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。
この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。 思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。
前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。 前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”
(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。あとでふり返って読んでも面白い。
いかに普段あまり深く考えてない事と、その時点の自分の興味の変化がわかる。
“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)


4072, 南直哉 恐山菩提寺院代の話

2012年05月19日(土)

昨夜の18日、BSフジ・プライムニュースに恐山菩提寺の南直哉(じきさい)院代が2時間近く出演し、
「生きる」ということ、「死」について、説いていた。最近、「恐山」出版されたようだ。
東北震災で家族を亡くされた人が多く訪れてくるというが、行方不明の場合、縋る思いで恐山に救いを求めるのは分かる。
院代とキャスターの問答の中で多くの鋭い指摘があった。
・恐山は感情の器。 ・死は観念、生は感覚。 ・「やりすごす」ことの重要性。(なんとかやっていける方法がくるまで待つこと) 
・人間には存在が認められた経験が必要。最初の動力になる。 子供の頃に、その基盤を両親がつくるが、それが壊れてしまっている。
・自殺は選択の問題。まず生きることを選択すること。転んでも起き上がることが大事、自殺したくならないような人生は本来の人生でない。
・あの世があるか?の質問に対し、「その前提に、死後の世界がある、という認識がある。」その前提は何か?と逆に問う。
・最近さかんに「心の時代」というが、どんな時代にも、その時代を生きた人には心があったのであって、いまさら、この時代だけを
「心の時代」と言うのか?「心の時代」と声高にいう人たちは、そう言うことで、「心の時代」という商品を作っているではないか?
 等々だが、訪問者が色いろの遺物を持ち込んでくる。その中に花嫁姿の人形が年に十数持ち込まれる。10年もすれば百以上になるが、
 捨てるに捨てられないという。毎年、その人形に拝みにくる家族がいるからだ。その花嫁人形も、特注のものばかり。院代の話の奥行は深い。
 東北大震災で奥さんがお産のため実家に帰っていて、亡くなられたヤンキーっぽい若い人の話が、涙を誘う。ただ独りで来たが、哀しみが
 感じられなかったという。哀しむまで心が追いついてないのだ。本当の悲しみは時間とともにやってくる。 あっという間の二時間だった。
 30年近く前に行った恐山は、強烈な印象である。山鳴りと、硫黄の臭いと、老人が多く入っていた硫黄風呂。 あちこちに置かれていた遺品。
そして、イタコと涙ながらに話している人たち。目の前に広がる白っぽい小さな湖。哀しみの感情の器である。
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3706, 自己を見つめる −23
2011年05月19日(木)
   ー 他者について ー             「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)   
 幼児の頃から、「自分」は、他者の呼びかけによってカタチづくられていく。そして一般的には、「他者」は、自分以外の人や、
生物、そして物を総称して呼ばれる。  二人称の「汝」と「我」の出会いと対話から生じてくるのが他者である。
【(* 対人関係の葛藤の海 ーp186) 二十世紀になって、たとえばブーバーなどを中心として、多くの思想家によって、
二人称の「汝」と向き合った、「我と汝」の出会いと対話の関係が、人間存在の根本事実として、改めて強調されるようになったのも
当然である。とりわけ、人間関係が稀薄になってゆく機械的現代文明社会のなかでは、「我汝関係」の豊かな拡充が緊急の課題として
重視された。ブーバーなどは、汝の奥に、永遠の汝の面影さえ予感して、神の前に立つ自己の存在の確認を、汝との出会いの延長線上に
設定するほどである。こうした我汝関係の思想は、十九世紀前半のフォイエルバッハあたりから始まるとも言えるが、
とりわけ現代において強調された重要な問題意識であると見てよい。
 さりながら、そうした他者のうちに、たとえば、サルトルは、むしろ逆に、鋭く私の秘密を握って、私に対して支配力を
行使しようと隙を窺っている、油断のならない「まなざし」を予感した。したがって、そこでは、自他の関係は、
永遠に自由をもった者同土の「相克」が宿命となる。調和的な共同主観などは幻想であり、むしろ、個別の体人同士の
峻烈な争いと闘いが、対人関係の根本事実と見なされるわけである。
 ヤスパーも、人間関係において、やはり、争いを、不可避の個別的限界状況と捉えていたことは、すでに述べた。
・ つまり、一つには、人間関係の根本には生存競争という非情な争いが、一皮剥けば、いたるところに隠れ潜んでいることが、
 すぐに露呈してくるからである。実際、人間関係の深刻な極限的状況においては、食うか食われるかの、生死を賭けた争いの火花が
 噴出してくることは、誰もがつとに覚悟している。 また、平凡な日常生活の場面においても、いろいろな局面で、先着順や成績順や
 業績順や体力順によって、岐路が分かれ、自他の運不運の差が顕在化して、憂き世での浮沈が結果としてくる。
・ さらに二つには、自己と他者は、相互に協力し合いながらも、「愛しながらの争い」において、互いにたえず、本心を確かめ合おうとし、
 公明正大さをめぐる人間的吟味の鋭い眼を、相互に向け合う。すなわち、自他は互いに、相手が、どれほど誠実であるか否かを、いつも
 気懸かりの種とする。つまり、他者を、その誠意や裏切り、欺朧や正直、傲慢や謙虚、忘恩や怠慢などの点で、吟味して、他者が
 真に信頼の置ける人物であるか否かを、人は不断に確認しようとする。・・・   】
▼ ソクラテス、デカルト、カントの三者の考えは、みな「私」を拠り所にして他者や世界と立ち向かっていたと感じていた。
  しっかりした「自分」があってはじめて他人と接しることができると考えていたようである。しかし、19世紀初めに
  生きたヘーゲルは、この考えに根本から批判する。自分が自分でいるのは、先に「私」があるのではなく、むしろ他者が
  先にいるからであると。少なくとも、相互作用が必要と言う。「他者」が「私」のことを意識することによってはじめて、
  「私」は、この世に位置づけられる。 人生の節目どきで、身近にいた他者が変わる時に、この意味が実に鮮烈に見て取れる。
  特に内面の希弱な人にとって、他者の交代の節目は、自分を支える基盤が無くなり、大きく動揺する。老齢になるほど大きくなる。
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3341, 今日からデジカメ写真がうまくなる
2010年05月19日(水)
    「今日からデジカメ写真がうまくなる」 久門易著
 元もと写真が好きで多く撮ってきたが、デジカメが出来てから、それがより多くなったようだ。
それにしてもデジカメの機能の日々の進化は目を見張るものがある。 プロとアマチュアの差は、
「多くの角度から枚数を撮って、その中からベストのものを選択できる要因の差」という。
 (字数の関係でカット2,012年5月19日) 
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2966,ミューズが降りる
 2009年05月19日(火)
先日、立川談志のテレビインタビューを見ていたら「ミューズが降りた」芸について語っていた。
年に2〜3回はあるという。 話芸の中の人物に魂が降りてきて、自分でも信じられない芸になる。
その幾つかの中の一つの「芝浜」の録画を放映したが、何度か観たことのある録画。名優の演技には、度々あるのだろう。 
森光子の放浪記の演技の中でも多くあったはず?。 談志曰く、「その時の芸は自分でも抱きしめたいようだ!」
 ーネットでミューズを調べてみると・・・
ー「ミューズ とは、ギリシア神話に出てくる、文芸・音楽・舞踊・哲学・天文・芸術一般などの女神たちの総称。
個々の女神は、Muse ミューズで単数の形になります。 大神ゼウスと、記憶を意味するムネーモシュネー女神のあいだに生まれた、
9人の姉妹とされている。ー 芸の中の人物を演じていると、その人物が自分を観ている錯覚を覚えるという。 
霊感の鋭い人の感覚は、鈍い人に解りようがない。スポーツ選手でも、政治家でも、一番勢いの乗っているときは、
誰でも神がかる。神?が本人を使っている状態か。 頭に浮かんだイメージに自分を通してエネルギーを入れると、
魂が入るということだ。芸術品もミューズが降りた神の仮の姿とみれば、違った面も見えてくる。
私の同級生の兄が「能」をしているが、「能の世界は現実か、現実が幻想世界か、混同することがある」(新聞紙上)
と、同じようなことを言っているのだろう。 ところで私にミューズが降りたことがあっただろうか? いや、
誰にもあることでしかないか?言わないだけ、表現する場がないだけ、表現方法を知らないだけ、それだけ人間の脳力は
深いということ。 (後記ー偶然、昨年書いた、「ごっこ遊び」が、関連したような内容。)
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602, ごっこ遊び
2008年05月19日(月)     
         ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
  ーまずは「ごっこ遊び」を、ー辞書で調べてみるとー
【ごっこ遊び(ごっこあそび)はこどもの遊びの一種で、何かになったつもりになって遊ぶものである。
通常、○○ごっこというように、何かの名前をつけて呼ぶ。 何かの職業のまねをして遊ぶ場合や、テレビやマンガの
ヒーローやヒロインのまねをして遊ぶ場合がある。こどもはあこがれを抱いた対象ならどんなものでごっこ遊びにしてしまうので、
「わんちゃんごっこ」や「お人形さんごっこ」 など大人の予想しないごっこ遊びを始めることがある。】とある。 子供の頃に、
多くのごっこ遊びをした記憶がある。最近は、若者の間にアキバ系で「メイドカフェ」なども、「ごっこ遊び」そのもの。
他にも、ロールプレーイング・ゲームがある。元々は戦争シミュレーションゲームから派生したアメリカで考案された遊び。
参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、
架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームの一種。
様々な設定と制約の元で、空想上の世界で物語の登場人物のように活躍できる。考えてみれば、世の中の多くは
「ごっこ遊び」のようなもので、国が発行している札だって、所詮は紙切れでしかない。
 (字数の関係でカット2,011年5月19日) 
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2007年05月19日(土)
2237, お金の正体 ー1
      「お金の正体」 ー日下公人著      (((。・-・)从(・-・。)・゜
「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。
特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。しかし、どれを読んでも面白いのは、
金が欲の集約でもあるからである。この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、実際読んでみると、面白い。
「お金の正体」はつきつめると「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。
幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。
私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。
(字数の関係でカット2,010年5月19日)  
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2006年05月19日(金)
1872, グーグル Google -8    ー 読書日記
   (字数の関係でカット2,008年5月19日)                              
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2005年05月19日
(木) 1507, 猛女怪女列伝
  ーアナタハンの女王 ー
終戦直後の日本で、このようなドラマがあったと「新潮45」という月刊誌のー猛女怪女列伝ーで初めて知った。
 太平洋戦争での敗戦濃厚になった、昭和19年6月から6年間、敗戦を知らない南海の孤島「アナタハン」で取り残された
「男31人、女1人の生活」で、一匹の『女王蜂』比嘉和子をめぐる、壮絶な性と生のもう一つの戦争があった。
その殺戮の中で生き残ったのは20人、残りの12人は、『女王』を争って殺されたり、
原因不明な死を遂げたと生還した兵隊達によって証言されたという。
 (字数の関係でカット2,009年5月19日 H0903
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2004年05月19日(水)
 1142, 自由について ー2
「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?これは「自由な自己決定」を迫られる
「不自由」ということにある。自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。
主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。その主体も外的要素によって規制されているから矛
盾が出てくる。目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、思い知らされていることを。
人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた小さな池の魚でしかなかったことを。
主体を「気短」という説がある。なるほど、面白いドキッとする内容である。主体的ということは、気短で、その結果として
目先の判断で動いているだけという。なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。自由から、何で気短に行きつくのが
不思議であるが。現在の社会の様々な問題の根底の部分に、「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいる
のではないだろうか。「ゆとり教育」とかいうものが、幻想でしかないことを国は気がつき始めた。国民レベルは、
それが幻想ということを初めから知っていたが。自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。
「不自由論」という本がある。曖昧な自由論を批判している内容である。 風刺漫画を思い出した。
「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。何とも不自由そうであった。
 ーーーーーー
【-自由について-】
・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。自由のように神々しいものが高価でなかったら実におかしいではないか。ーペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。ーJ・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。 ーイギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。 ーエルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。 ーマッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。 ーローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。 ーバーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。  ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。 ーサルトル
・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。  ーモーム
・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。    ーハイネ
・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、
 カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。 ーヘンリー・ダビット・ソロー
・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。 ーハズリット
・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。  ーマダム・ジャンヌ・ローラン
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2003年05月19日(月)
 775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 ー1  著者/訳者名:小林薫/著
【本の内容】 ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。
 ー私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」「創造する経営者」
「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。 現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。
・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。
 このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが
 現代に受け入れられる。話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、
 自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、
 重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。
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 2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3
それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。ライフワークとは一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・
 またこういう説がある
1、児童期・青年期  0〜22歳
2、成人前期     17〜45歳
3、成人中期ー中年期  40〜65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降
重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。
自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。自分のなりたいこと、
したいことを実現することをいう。それも一生涯を通してだが。それを自分の人生という事にならないか。
子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。やらないよりはいいが。
10年?20年スパンで何をすべきか判断して、それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。
それをやり通すことが、結果として自分の人生という。「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人をいうのではないか。
中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。中学の先生もそれだった。
今度中年クライシスについて書いてみよう。 周囲はその人たちで満ちている。
一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。 家を新築したばかりなのに!
 それにしてもそういうことに無知すぎる!
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2001年05月19日(土)
 どうも不調
昨日1日このがサイトがひらけなかった。きのう23時に帰ってきて、
文章を書いたが記載出来なかった。これから散歩に行く。


4071, 哲学で自分をつくる ー1

2012年05月18日(金)

               「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
 実をいうと、この本、トイレに一年間以上、置いておき毎日読んでいたもの。これを手に取ると自分の本音を見透かされてようで、
切り口が素朴で日常的のため面白い。あまり知られてない、こういう掘り出しものが哲学書には数多ある。 
門前で野狐禅みたいなレベルで知識を弄んでいる輩(私)に、噛み砕いて教えを説かれているようである。
   ー内容ー
 ソクラテス、ニーチェ、ウィトゲンシュタインから、フーコー、ドゥルーズ、デリダまで、
19人の哲学者の思想・人生のエッセンスを、現代に生きるリアルな問いに置き換え、今を生きぬいていく方法を学ぶ。 
 (読者評価) 19人の哲学者たちの声に耳を傾けつつ、もう一度自分自身の頭で考えるということから始めてみよう。
確かに悩みや不安を宿命として受け止め肯定的に捉えるのは容易なことでは無い。しかしそのために考えることを生きていくことの
力とする哲学というものが存在する。もっと哲学という方法を、すなわち自分で考えるということの強度を信頼しても良いのではないか・・。
著者はそうした問題提起の下、それぞれの哲学者に成り代わって現代の読者との対話を試みるのである。しかし本書は哲学者を高みの
存在には置かない。また、昨今の入門書のようにデフォルメもしない。あくまでも彼らがそれぞれの時代を生きた一人の人間であり、
一人の生活者であったことに軸足を置いている。このニュートラルな哲学者の位置づけによって、それぞれの哲学者に瑞々しい生命力が
与えられ、彼ら哲学者と現代に生きる我々との問題意識が決して隔てられたものではないという親近感を得るのに役立っている。
  ーはじめにー の冒頭が、この著書の特徴と狙いを書いているー
【 あなたには、自分らしくありたい、人に認められたい、自分のことを分かってほしい、世の中で成功したい、幸せになりたい、
 金持ちになりたい、モテたい、死にたくない、もっと真っ当に生きたい、といった積極的な意欲があることだろう。 もしくは、
 とにかくモヤモヤしている、何もかもが信じられない、人づきあいが面倒、生きるのがつらい、何もしたくない、誰かなんとかして、
 といったような、消極的な感情もあるかもしれない。過去の哲学者たちがもし、今、ここにいて、21世紀に生きる私たちの、
 そういった悩みや葛藤を聞いたなら、はたしてどうなるのか。どのように聞きとり、どのようなことを語ろうとするのか。
「街の意見」をぶつけられた哲学者が応えるようなスタイルで本書は、書かれている。 本書は、あなたに「哲学する」ことを勧める。
 ここで言う「哲学する」とは、生きてゆくうえでの「思考の力を磨くこと」である。既存の哲学を単に解釈したり理解することではない。
 日常的に哲学的な問いかけを行い、生きることに役立てること、つまり哲学を使って「自分」をつくるということである。】
 ▼ 現代の我々にとっての疑問、悩みを歴史上の哲学者が答える形式は分かりやす。我々が日常で悩んでいることや考えていることは、
  全て過去の哲学者が考えてきた一部の悩みでしかない。19人は哲学者の中でも選りすぐりの人たち。彼らのいっている
  真理は現在でも、そのまま通じること。最近、気づいたことは、私の人生はニーチェに大きく影響されていたようだ。
  この生活者としての生の内面の疑問に19名が答える形式は哲学を身近に引き寄せる。残されて人生、とにかく考え続けるしかない。
  ・・・・・・・
3705, ジャズについて −4
2011年05月18日(水)
                 ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
 一九二〇年代に「ビッグ・バンド・スタイル(4人位のバンド編成が、15人を超える大編成)」が受けるようになった。
 その巨人が、あのデューク・エリントン。ジャズの世界を知れば知るほど、面白い。
  * ビッグ・バンド・スタイルの流行
【 ジャズの中心がその生誕地ニューオリンズからシカゴに移っていた二〇〜三〇年代、ニューヨークやカンザス.シティでは、
大編成によるビッグ・バンド・スタイルのジャズが流行した。トランペット奏者、サックス奏者、トロンボーン奏者がそれぞれ四人程度、
それにピアノ、べース、ドラム、ギター奏者が一人ずつの編成し、クラシックの楽団には比べるべくもないが、それでも、一五人を超える
メンバーからなるビッグ・バンドはニュー・ーオリンズ・ジャズの編成(一般的にはコルネットット、トロンボーン、バンジョー、ピアノ、
ベース、ドラム各一人)に比べればはるかに大規模だったし、現在でもトリオ(ピアノ、べース、ドラム各一が基本)か、カルテット
(ピアノ、べース、ドラム各一にトランペットかサックスが加わる)がジャズ演奏の主流であることを考えれば、大編成と呼んでもいいだろう。 
そのビッグ・バンド・スタイルを確立させたのは、フレッチャー・ヘンダーソン(一八九七〜一九五二)。しかし、ニューヨークの
黒人居住区であるハーレムのポールルーム(ダンスホール)やクラブを拠点に活躍したビッグ・バンドの巨人といえぱ、
デューク・エリントン(一八九九〜「九七四)をおいていない。 本名エドワード・ケネディ・エリントン(デュークは公爵という
意味のニックネーム)は、あとで触れるマイルス・デイビスに、「あらゆるミュージシャンは彼に感謝を捧げる日を持つべきだ」といわしめ、
フランスの作家ポリス・ヴィアンをして、小説の登場人物に、「かわいい女の子たちとの恋愛と、デューク・エリントンの音楽。
それ以外は消え失せたっていい。醜いんだから」と語らせた人物である。「A列車で行こう」「黒と茶の幻想」
「ソフィスティヶイテッド.レディ」「サテン・ドール」・・・。ジャズ・ファンならずとも耳にしたことがある名曲.名盤を数多く残し、
自らもピアン奏者であったが、彼の真の楽器は、自分の楽団そのものだったといっていい。アーム・ストロングと同じように時代や
国に影響を与えた彼は、アームのソロイストとは対照的に、優れたバンドリーダーであった。エリントンにとって、バンドのメンバーは
さながら絵の具のようであり、それぞれ個性という色を混ぜ合わせて、最終的には「エリントン風絵画=楽曲」に仕上げることに長けていた。】
 ▼ そうこうジャズについて知ると、学生時代に、こういう本があれば、もっとジャズ好きになっていた筈である。
  エリントンの70年の録音された「ニューオリンズ・スイート」は、その地と縁もゆかりもない彼が、ジャズの発祥の地に
  敬意を表したアルバムである。 アメリカ発の魂の歌とも言うことができる。
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3340, 感性・悟性・理性 ーカント
2010年05月18日(火)
 理性といえば、「純粋理性批判」のカントである。ーこの一冊で「哲学」がわかる!ー白取晴彦著ー の中で、
 認識についてのカントの考えを次のように書いている。
≪ 彼は、その中で「・・・我われの認識がすべて経験を以て始るとはいえ、それだからといって、我われの認識がすべて
経験から生じるのではない。 なぜなら、おそらく我われの経験認識ですら、我われが印象(直感)によって受け取るものと、
我われ自身の認識能力(悟性)が自分自身から与えるものとの結合真実であろうからである。」と述べている。
 では、この「我われ自身の認識能力が自分自身から与えるもの」とはいったい何なのか。 それは感性と悟性である。
・感性とは、見えている素材がいろいろな形で心に受容される能力というほどの意味。 感性は五感を通じて現われたもの、
 すなわち現象を捉えます。このとき、感性は時間と空間という内なる形式にしたがって現象を整理して見ています。
 時間と空間というこの形式は、人間の感性の中にあらかじめ備わっている先天的なものである。
・この現象から得た情報を整理して判断するためには、もう一つの理性、「悟性」がここで必要となる。
 悟性とは、大雑把にいえば、「理解する能力」です。 少し丁寧にいえば、能動的な思考・判断能力となります。
 さらにわかりやすくいえば、「現象に規則を与える能力」だといえます。 この結果、概念の骨格が一つずつ出来てきて
 それに肉付けをしたものがイメージになって出てくる。 受け取った概念はたとえていえば、骨格標本のようなもの。
 これに対応するイメージを生み出すのが、我われの人間の「心の内奥に隠された技術」すなわち構想力だといいます。
・我われは日常的なこと、目に見えることだけを知りたがっているわけではありません。「愛とは何か」「神はいるか」
 「何が善で何が悪か」といったことを知りたがる。 カントによれば、これら形而上の事柄に関しての担当は悟性ではなく、
 理性であるといいます。感性と悟性は現象まで扱い、それ以上のこと、すなわち現象の原理については理性が扱うのである。
 「霊魂は単一か否か」は昔からの馴染み深い疑問でした。 しかし、これこそ、という答えはありません。
 霊魂は現象として目に見えるものではない。しかし、理性はこれについて考えてきた。 つまり人間の理性は、感性や悟性が
 感知できないものについて、思考をめぐらすことが可能である。 しかし、カントは、そこで面白い結論を出したのです。
  すなわち、認識の限界を超えたことを思考すれば、必ずや二律背反に陥るということである。 
 二律背反とは、互いに矛盾するということ、互いに矛盾しながらも互いに反駁も出来ないことを言います。 
 どうして、こういうことが起こるのか。 感性も悟性も到達しえない理念について理性が考えても、その考えは
 認識できるものではないということです。  ≫
 ▼ カントの認識に関するエキスの部分を非常にわかりやすく噛み砕いてある。「・現象を時間と空間の中で対象として感性で捉え、
  ・悟性で、その対象を整理をし、・思考して(判断を加え)、・理性で原理を求める」 ということが認識としている。
    非常に分りやすいカントの認識論である。
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2965,世界はパンデミックに入ったのか! ―2
2009年05月18日(月)
 * パンドラの箱が開いた!
ついに国内に新インフルエンザの感染者が出て、そして拡大が始った。時間の問題ではあったが、これからは何処まで感染者が
増えるかの問題になる。感染者が増えていく過程で、菌が悪性化するから問題。予測どおりにゴールデンウィーク明けの10日足らずで、
日本も世界並みに感染が始った。問題は高校生であるところ、多くの生徒の間に感染している可能性がある。更に家族などから
ネズミ算的に感染してる可能性がある。 スーパーや電車など人混みの多い所は要注意。マスクは殆ど感染に効果がないというし、
よく手を洗うしか予防がない。ウガイは10分以内の菌にしか、効果がないという? しないよりは、良いのだろう。  
 (字数制限のためカット2011年5月18日)
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2601, 柏崎沖地震で原発が7基、停止しているが
2008年05月18日(日)
 去年、柏崎沖地震で7基の原発が停止をしたが、真夏の東京の電気を一時止めることも無く乗り切った。
これは、どういうことなのであろうか。 休止していた火力発電を急遽動かし凌いだといっても、原発の数は54基。
そのうち7基といえば大きい影響が出そうだが、それを乗り切ったという実績は大きい。単純に計算すると原発の発電電力が
占める割合が35パー。柏崎原子炉が大よそ15パーセントであるから、掛け合わせると5パーセントになる。
古い火力発電などを再開して、何んとか乗り切ったのである。2002年の統計だが、世界における総発電量(163215億kWh)
の16.2%が原子力発電所によるものであり、これは火力発電所の66.6%、水力発電所の16.5%に次ぐ。
世界でもっとも原子力発電所に依存しているのはフランス (78%)、次いでスウェーデン (46.3%)、ウクライナ (44.9%)、
大韓民国 (35.4%)である。2005年現在、日本における発電電力量の約35%、発電設備容量の約20%を担っている。
   (字数制限のためカット2012年5月18日)
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2007年05月18日(金)
2236, *閑話小題*                ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
ーまさか、貴方まで!?
 同級生のY君が病に倒れ、いきさつ上、私とM君が入院の合間に「Y君を励ます会」の幹事をすることになった。
他の同級生にもお願いして、連絡する名簿を振り分け、まず一番初めにK君に電話を入れた。
「Y君の病状は決して良くはなく、退院予定が更に三ヶ月間の再入院になった」と病状を説明をした。
ところが、K君曰く「実を言うと10日前に胃を半分切り取った。今日、明日の土日の二日間の帰宅を許され家に居る。
残念ながら出席できない」という。言葉を選んで話したので、無神経なことを言わないでよかった!が、
まさか一番初めに電話したK君が手術していたとは! 60歳過ぎれば、誰もが何かあっても不思議でない年齢ということ。
ー次男が結婚後初めての帰省ー
 先日、次男が三月三日の結婚式以来、新婚旅行の報告も兼ねて二人で帰省した。日帰り予定を、私の勧めで一泊して帰ったが、
幸せそうであった。   (字数制限のためカット 2010年5月18日)
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2006年05月18日(木)
1871, グーグル Google -7   おはよ?!(*^ワ^*)   ー 読書日記
* グーグルの収益方法  ーグーグルが何故儲かるのか   Pー38
  たとえば「花屋」のキーワードでオクションをやって、
 かぐらざか花店 150円   麹町ふらわーしょっぷ 200円   池袋花工房 90円とする。
 この場合、麹町・・、 かぐらざか花店・・、池袋花工房の順に広告が表示される。
   ( 以下、字数の関係でカット09年05月18日 )
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2005年05月18日(水)
1506, ラジウム石・小物
 現在は、ラジウム温泉をきっかけに、ラジウム小物に凝っている。 その小物とは
・フランチャイズ・店舗ショーで買ってきたラジウム石の‘ネックレス’と、以前取引先から貰った‘ブレスレット’、
  (字数制限のためカット2011年5月18日)
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2004年05月18日(火)
1141, 「ライフ・レッスン」 ー最終レッスン
 最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば世の中の出来事はすべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して学び生きていくこと。
この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、全てを学ぶ為にあることを、この本からレッスンした。
毎日は「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・など、
いろいろ書けそうだ。 各章を書き続けて、多くを内省した。人生から学ぶことがあまりにも多い。
  ー最終レッスンー からの抜粋
・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きていることの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきた
 ことを、思い出す必要がある。試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。 穴のなかで川の激流にもまれ翻弄されているうちに、
 角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい希少な岩になる。穴から出てきたときには、 もっと大きなレッスンを学び、もっと大きな
 人生を生きる準備ができている。すべての悪夢は祝福に変わり、それが人生の一部となる。人生は『なにが大切か』を、
 『本当の自分とは何か』を教えてくれる。「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。 
 『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。生も死も、同じ名匠の手によってつくられたものであるからだ」
・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい つくす人はほとんどいない。
 ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、
 堪能しているだろうか? 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、
 もう一日だけ与えられているのだ、といってもおなじことだろう。 その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつだっただろう。
・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
 もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。
・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、この環境、この状況のもとに生きてきたように、
 この世界を経験することは、もう二度とできない。
・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。 あの海、あの空、あの空、あの愛する人を、
 最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要はない。
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2003年5月18日
774, 30歳の頃(1976年)
 この年は本当に大変な年であった。その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。本店は当時6億の売り上げを上げていた。 家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と
(養老乃滝+焼きたてのパン屋)を経営委託にして、帰ってきたところであった。 仕入れに、販売に、新人の教育にと、
いま考えてもよくやったと思う。体が浮いているようでもあった。新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
  (字数制限のためカット2012年5月18日)
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2002年5月18日
 410, 自分の人生ー いろいろの悩みー2
昨日の続編でもある。 書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。それすら理解できない子狐レベルを除けば、
それぞれの人が理解できるし、身につまされる問題である。それでは「自分の人生」とは何であるか。やはり親からの自立である。
あるいは、育った環境ー社会からの自立である。そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。
しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか?という疑問がでる。しかし自分の趣味とか、
与えられた環境をフルに生きれば、それが自分の人生といえる。そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。
80?の人はやはり先生の悩みに近い悩みを持っている。「自分の人生これでよかったのか?」という疑問を持っている。
サラリーマンも事業家も100?は最後は挫折するという。勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。
後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、それまでの破壊を始めるからだ。そしてその時初めて敗者の立場が見えてくる。
その年齢の景色を正直に先生が話された。おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。
気づかなかったのかもしれない?その年齢に段々近づいてきている。50歳代後半から60歳に訪れる、
最大の人生の危機の典型ではなかろうか  そう、初老性鬱病!
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2001年5月18日
 バーチャルで日銀ツアー
産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。
やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。
日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。         

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