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堀井On-Line
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2011年11月18日(金)
積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。 天才と秀才の差は逸脱をしているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。 野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは逸脱と捉えられがちになる。 彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウはアメリカでも天才だろう。 そう考えると天災、秀才は比較の問題になる。とすると、自分で地元で、 積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。単なるアウトサイダー、ハグレモノ。 天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ逸脱者として扱われてきた。 ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、それは違う。 前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消のため秘境旅行に数多く行ったが、 これは日常からの積極的逸脱であった。 その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。 人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の趣味の世界に入る人がいる。 江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情があり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に 産業廃棄物扱いをされてしまう恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に 入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 事業に「たら、れば」はない。 積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。 これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。 ・・・・・・ 3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い 2010年11月18日(木) 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリした違いがあるようだ。 この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。 【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて使われてきたかを、英語、フランス語、 ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」は われの人としての自覚から始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように 世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。これは、人に間の字を添加している。 間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、 そういう人の間の関係を示すということになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる 古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に関わるものでないことを実証している。】 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 ) 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、人間になっていくのである。 また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと発展していくが、それは、人間の意味に、 あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、それぞれの自己絶対化が生じてくる。一神教が、それを言いあらわしている。 人は人間関係、社会を通して人間になっていく。 書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。 ・・・・・・・・ 3149,つれづれに ー閑話小題 2009年11月18日(水) * 論理的思考とは 毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。 自分のメルクマールのため続けているが、 この習慣で得たことは、「インプットした知識もあるが、各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた 本質を見抜く視点と、それを起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたことにある。」 論理構成力こそが、自分の核である。 その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界に繋がっているようにも思える。 大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。 何かのイベントに参加すると、その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。 それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。デジカメで日常の写真を撮り、 そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで豊かな気持ちになれる。 その人によるが。 * ブルーレイ録画機 7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたので、ブルーレイをネットで買った。量販店の7〜8掛けである。 (字数制限のためカット2011年11月18日) * オモシロ、オカシク 20年ほど前になるが、何処かの企業の創業者が、自社の理念を「オモシロ、オカシク」にして注目を浴びたが、 最近はあまり聞かなくなった。 「この不景気に、何がオモシロ、オカシクだ」ということだろう。 (字数制限のためカット2011年11月18日) ・・・・・・・・・ 2784, こんな経験したことありますか? 2008年11月18日(火) 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている五感の範囲のことでしかない。 犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。 以下の内容は不思議でもなんでもない。普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。 絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 ーー *うぶだしや* (うぶだしや=遺品買取屋) 「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死をいたむものだった。 ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床にあッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。 友達が学校に通い、結婚していくなかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。 思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常ばかりであった。 彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二とのできない憧れの生活を描きつづけていた。 そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、 絵の裏に、師匠の画評が書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ」 と書かれた額があった。 昭和皇太后の肉歌であった。私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。 「これ!もう売ったんですか?一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」 「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。 うれしそうであった。私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、だまって指を二本たてる癖がある。 私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、ときどき取り出しては、うっとりとながめた。 画中の女は、美しいというより、どこか寂しげであった。 だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、 右のいきさつを話したら、その骨董屋の顔色が変わった。「先生、そういうお品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。 悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」 たしかに、それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。 (やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。 捨てられないと、 こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、信じられないことが起きた。 ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、それほど親しいわけではない。 なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから二人で見にいきませんか?」という。 こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、いくこことにした。桜は美しかった。 墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと思っった。私は、はずかしいから地面をみて、 女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。 体が弱いのか、のどくびを覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。「桜、きれいね」 そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、そこには、信じられないないものがあった。 あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。 地の底から、女が、じっと、こちらをみているような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、 その花見の女性とは会わなくなった。 二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。 −− 私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、 毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。 いや、感謝をする。 何で気持ちが悪いのだろうか? まあ、いいか! これも解釈の一つでしかないが。 桜には霊気が満ちているというが! ・・・・・・・・ 2007年11月18日(日) 2419, 『楽天主義』 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著 ー読書日記 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のようなメッセージに驚いてしまった。 三重苦を乗りこえた偉大な人物ということは周知のことだが、実際に彼女の本を手にするのは初めてであった。 それも何と彼女の処女作で、100ページ足らずの読みやすい本である。この一冊を20歳前に読んでいたら人生が 変わっていただろう。 三重苦の中で、言葉の持つ意味を深く理解したのである。もしかしたら、 今年の最高の本といってよい本だろう。この本はもう廃刊になっていて、中古本で二倍の値がついていた。 ーその概要といえばー この本は、ヘレン・ケラーが1903年、大学在学中に初めて書いた処女作である。 ヘレンは三重苦の身でありながら、88歳の生涯を障害者の救済のために力強く生きた。 彼女は生後19ヶ月の時に熱病に罹り、聴力と視力を失い、三重苦の生活を強いられた。サリバンという女先生と出会い、 読み書きを覚え、大学を卒業後、世界各地で講演したり福祉活動を行い「奇跡の人」と呼ばれた女性。 ここで彼女は「楽天主義者とは、善を信じ、輝かしい未来の到来を確信し、明日を今日より美しいものにするための 努力を重ねる生き方」と述べている。楽天主義者は、信じ、試み、そして目標を成し遂げる。楽天主義こそいっさいを 成功に導く信念である。 希望がなければ何ごとも成就するものではない。 人生の目的は何か、などと堅苦しく考える必要はない。楽しく生きて、この世を去るときに、 「生まれてきてよかった。幸福な人生だった」と振り返ることができたら、その人は人生を楽天主義者として 過ごした成功者である。将来に希望をもって努力することで幸せは得られるものである。 逆に、悲観的な考え方のクセがある人は、幸せになりにくく、不幸になりやすい。幸せになるためには、悲観的な (不幸になる)考え方をストップし、意図的に楽観的な考え方をできるだけ心がけたほうがよいのである。 ー彼女は、ここで次にように述べている。 「幸福は心の持ち方の問題で、外見から他人が判断できるものではない。 私は、盲・聾・唖の障害者でも、世間の常識に反して自分は幸福である、という考え方を信条としている。 どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せと思っていなければ、その人は幸せではありません。 (字数制限のためカット2010年11月18日) ・・・・・・・・ 2006年11月18日(土) 2055, あたりまえなことばかり −9 読書日記 (~Q~;) おはよう〜〜 自分とは何、これは考えても考えても尽きぬ問である。孤独という実感の先にある「宇宙の真っ只中に浮いている意識」 が真我であるのか? 以前も書いたが、「禅」の字は「単を示す」と、新井石龍禅師が語っていた。 「宇宙に誰もいない、ただ一つの生命」これを実感するのは死期を悟った時。 これが苦しいのか、苦しくないのか経験したことが無いので今のところ解らない。 恐らく、あのバンジージャンプの板の上に立った実感が近いのだろうが・・ しかし、あの落ちていく瞬間の覚醒の意識が最後の見納めとして周囲を見渡す時のそれなのであろうか。 私の場合の「私」は、このHPそのものである。このHPの先にいる得体の知らない「これ」である。 デカルトのいう「考えている、『!』『?』」である。たしかコギトと表現していたが・・考えている、思っている、 思い出している、想像している、これであるー> ( ̄ω ̄;)!!エッ `s(・'・;)エ-トォ? .. (^┰^;)ゞオレ馬鹿 ? (゜_。)?(。_゜)? (>△<‖)ワカラネ〜 (−◇ー;)!! ソウカ(・_・ゞ−☆ (/--)/ ドウデモ ー孤独とは苦しいものなのか − *自分とは何であろうか たとえば、自分とは自我でなく、この肉体でもないとしたら、同じ理由によって、他者とは誰のことであろうか。 他者もまた、その自我でもその肉体でもないとしたら、孤独の癒しとして求められるような他者とは、自明なものだろうか。 孤独であることは、苦しいことと感じられるほど確かなものであり得るのだろうか。自分とは「何であるか」、 他人や社会によって知ることができないと知ったとき、人は自我の向こうに自己をもとめて、船出することになる。 (字数の関係でカット、2009年11月18日) ・・・・・・・・ 2005年11月18日(金) 1690, 僕が最後に言い残したかったこと ー読書日記 「銭道」などのシリーズで売れっ子漫画家の青木雄二の本を手にしたら、彼の遺書代わりの本であった。 死を直前に書いた本で迫力がそのまま伝わってくる。 (二年前に死亡) 図書館で何度か、この人の本を手に取ったが借りる気はしなかった。金に関して素人向きの内容だからだ。 現に、この本もそうだが、死を前にお金と人生の関係をシビアに表現しているところが面白い。 私は、両親からお金について幼児の頃から話を聞いていた。 耳年増であるが、特に父の死の直前に教わったことは 現在の私の金銭哲学になっている、 § d^^b ┃ ^namu Э ∬∨∬ (^┰^;)ゞ ┃(〜∞〜) ┃( 人 ) ・お金は自分で稼いでこそ価値がある ノ ハ ・使う楽しみを知らなくては稼いだ価値がない ・あの世には持っていけないもの、使うべき時に使うからこそ金の価値がある ・自分で事業をみつけ、それを楽しめ。 そのカスがお金として残ってくる。 ・:*:`☆、。・:*:`★ *この本でなるほどと感じたところを書き出してみた* ー最後にこれだけは言っておく。金は貯めるために存在するんじゃないで。 時間を有意義に使うために金はあるんやで。そう、金は使うために存在するんや。 死んでしまってからは使えんのやからな。それが僕の偽らざる実感や。 ー忘れてならないのは、お金自身に価値があるのではない。 お金を「真に価値あるもの」と交換することが大事だということや。 ♪〜(=^ε^= ) ーサラリーマンの人たちは、定年後を考えて現役のうちから人生設計を考えておくことや。 とにかく「自分のやりたいことをやることや」趣味でもよいし、アルバイトでもよい。 大きな器をつくるには、時間がかかるんや。 定年では遅すぎるんや。 では、何をやるか。それはあなたが考えることや。特に奥さんとの仲を良好にしておきなさい。 (o;´=ω=)o)) ドキッ! ーある人が一千万円の資産を持っていたとしても、厳密な意味で、「持っている」というわけではない。 (字数制限のためカット2010年11月18日) ・・・・・・・ 2004年11月18日(木) 1325, 小型のヒト 以下は、10月末に一斉にマスコミに流された内容である。 「新種」のヒト化石を発見、 インドネシア東部フロレス島 2004.10.28 - CNN/REUTERS/AP (字数の関係でカット、2008年11月18日) ・・・・・・・・・ 584, ーこころのかぜをひいたら - 2002年11月18日(月) ー宗親ー そうかい こころのかぜをひいたのかい こころのかぜは からだのかぜとおなじだよ こじらせると はいえん まんびょうになってしまうんだ
そのときは おいらの いざかやにおいてよ ぶるーの こーなーにおすわり そこはかぜをひいたひとの せんもんこーなーなんだ
そこで たまござけ のむといいよ そして にんにくのまるあげを ちゅうもんするのさ かえりに もうひとつ にんにくあめを おみやげにあげるよ
そしたらすぐに へやにまっすぐおかえり へやをあっためて そうそう ねることさ
こころのかぜは さむさに とくにゆわいんだ ひえたこころを まずあっためてやらなくてはね そして つかれをとることさ
こころのかぜは からだより びみょうなんだ とくにさむさにね
だれにも あわないほうがいいよ ひとにうつしてしまうからね
ひとり ふとんのなかで なんにも かんがえないで ゆっくり ねることさ ゆっくり つかれをとることさ そして あせをたっぷりかくといいよ はやく なおそうとしないのが こつなんだ
こころのかぜは こころのかぜは こうねつになるからね きをつけたほうがいいよ
こころのかぜは かみさまのさいん うすぎを しているよという さいんだよ わるいばしょに いるという さいんだよ ・・・・・・・・・ [231] ベトナム旅行記ー3 −偽100ドル事件ー 2001/11/18 今回の旅行で面白い事件に出くわした。 明らかに観光客を狙った偽100ドル詐欺事件だ。 日本では大事件だが、ベトナムでは日常に行われているのだろう。 (字数制限のためカット2011年11月18日)
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2011年11月17日(木)
サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。 自由は人間の求めるところだが、突然の倒産や、 会社に不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、 その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に入り直したが、もう社会的には傷物。 その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、 再度、金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 何とか踏みとどまっていたが、逆に、 その立場の視線で社会を見ると、多くの事が見えてくるもの。 結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。 「なるほどサルトルのいう、自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は、自分の思いは、思いでしかない。 その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんなものかと冷静にいることが出来ている。 それよりも、65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く、自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。 自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、最大の人生の収穫であった。 自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが出来たことほど、幸せなことはない。 サルトルは実存主義者であるが、人間の本質は、「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、 実存が存在に先立つとしている。 しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く前に絶望が先立つから困ったもの。 自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると、非常に難しい課題になる。 「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。 ・・・・・・・ 3523, 都市型狩猟採集生活 2010年11月17日(水) 「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著) 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の坂口恭平の対談があった。 「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容についての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、 これ以上、新しい建物を作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすればいいと考え、 路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。 たまたま図書館で、その写真をみたことがあるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、 それらから家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな世界に見える。 坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 彼らは“都市の幸”で暮らせば、 政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身にしかできない生活を獲得している。 ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー * 「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、みんなあまりガツガツ していないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集したあとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。 そんな姿を見ている人がいる。 それが次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68) * 「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ変えることなく文句一つ言うことなく、 独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・ 社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、 人間を苦しめつづけるだろう。 それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。・・・ <都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148) * 「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが冷淡であるのはどうしてか?」 ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもっていたこと。彼らは、 「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」という。うちの手伝いに来て、 アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていけることが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。 人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。 歩けば何でも見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。 養老:身体を使うことは大事。私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。 〜〜 日本には、トレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、生活保護などの支給があるからか。 それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。 何か無駄なものを人間は持たされてしまったのではないか! 立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・ ・・・・・・・・ 3148,殺人事件の半分は家族内殺人 2009年11月17日(火) 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 のレポートが目に入った。 子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。 しかし、このレポートの題目をみるまで『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占める というから驚きである。これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。 それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている10人の 家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。 ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー ≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。 それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。 自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存性を生む。 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。 だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。 子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫ ーー 多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもにとって 厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻にとっても夫が危険である。 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人というから、ありそうなことである。 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ? ーー 「身内の犯行」 橘由歩著 ーネットよりー (字数制限のためカット 2010年11月17日) ・・・・・・・ 2783, 外は広く、内は深い 2008年11月17日(月) 日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)についての文章の一節である。 【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。 「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、 「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。 西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の成立を図る思考であり、 そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化や産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。 他方、東洋的な見方は対置概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようとする知性である。 西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に 分りますか」と尋ねたという。大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】 〜〜 己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの輪郭が見えてくる。 (字数制限のためカット 11年11月17日) ・・・・・・・・・ 2007年11月17日(土) 2418, よく生きる −3 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に「私は無宗教」と言うと、 腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめるのだろうが。しかし著者の次の内容は、 宗教の必要性を解りやすく説いている。私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。 その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った人の集まりが社会である。 宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー (3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを味わっも、挫折、病気、老化、 それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、 宇宙のすべての存在者の根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、ヤーヴェ、 仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、 死を通しての根源へと帰るのです。このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、 安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは自分と他老の区別が意味をなさなくなる。 それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に抱かれて万人が肯定される世界です。 ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に 献身していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が自己絶対化を捨てなければ ならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教が それぞれ異なる道を通って共通の根源へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。 (4)そして最後に、第四点として、社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で生きる存在者ですから、 どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、 やがて貴族制へと移行し、それらの劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として 是認しつつあります。 (字数制限のためカット 11年11月17日) ・・・・・・・ 2006年11月17日(金) 2054, あたりまえのことばかりー8 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 団塊の世代が本格的に60歳を向えようとしている。その中でサラリーマン生活を過ごしてきた人達が、大量に定年を向えようとしているが、 彼等にとっての大問題が第二の人生である。常に集団社会の中で、「孤独」の確立が出来てない人が大部分である。 「どうしてよいのか解らない」のが、本当のところだろう。 せいぜい、前の会社のOB会の集まるスナック・居酒屋とか、 ゴルフ会とか、町内会の会に出るぐらいしか知恵が出てこない。この問題を、著者は「孤独」の意味を探りながら論じている。 彼らこそ、群から離れて「隠棲」に入ることが、サラリーマン社会に生きてきた人ほど必要であろう。 隠棲といっても、ブログで繋がる便利さもできているから、それほど深い寂寞感はないだろう。 しかし、孤独は生やさしいものでないことも事実である。 ーーー ー孤独は苦しいものなのか ー 隠棲するということは、静かで豊かな魂のありようのために、意志的に選ばれる行為だったはずである。 それが、「引きこもり」という言い方によって、何らか心理的に問題のある一種の症候群に目されるようになったのはなぜだろう。 自宅や自室に引きこもって、長時間にわたって社会と全く接触を持たない若者が、30万人はいるという。 家族とさえ打ち解けず、家族でさえその理由は解らない。 本人たちは、非常に苦しいものらしい。 孤独を欲していて、実は孤独を欲してないのだろう。本人は人と関わりたいと思っているが、 うまく関われない、無力感、挫折感、自己嫌悪感の泥沼の長期化、恐らくそういうことなのだろう。 (字数制限のためカット 09年11月17日) ・・・・・・・ 2005年11月17日(木) 1689, 今日という日は誰もが素人だ! 「今日という日は誰もが素人だ!」三浦綾子の本にあった言葉だ。つくづく良い言葉と思う。 ~~■P_o(δ-δo) COFFEE 誰も今日という日は初めてで、何に出会うかもしれない日である。 その気持ちを忘れてしまうから、素人の持っている新鮮さを失ってしまう。 茶道に『一期一会』という言葉がある。 その言葉の真髄に ヽ(δ◇δ)ノ エーーー! 「今日(今)という日(瞬間)は二度とない、誰も初めての経験であり、最後の経験になる」がある。 それを意識をすれば、全ての出来事に「驚き」が出てくるはずである。生きるということは驚きであり、 感動であり、感激である。その気持ちは、素人だからこそ生まれてくる。 Σ(δOδ*)ハッ 今日という日は、昨日までの自分の積み重ねがあったからこそ存在することも事実である。 今日という日に素人になるには、昨日の玄人であるほど良いのも事実である。 (*δ-δ)ノ彡☆゜・。・゜バイバイ ・・・・・・・・・ 2004年11月17日(水) 1324, ライオンの柵内に男が侵入 10日ほど前のTvのワイド・ショーの衝撃映像が面白い。台湾の動物園のライオンの柵内に、男が入り込んでいる映像が流れた。 (字数制限のためカット 2010年11月17日) ・・・・・・・ 2003年11月17日(月) 957, ナレッジマネジメント −1 「図解、解る!ナレッジマネジメント」の本から、ナレッジマネジメントの意味と本質を考えてみる。 数年前に、「ナレッジマネジメント」という言葉がしきりにいわれた。ナレッジは言葉の通り「知識」である。 この場合はむしろ「知恵」に近い意味と考えてよい。「人、物、金、情報」の経営資源に対して、変化の激しい情報化社会では、 「情報」が最も重要になる。 この情報をコントロールした変化対応が、生き残りがポイントになる。 それを活用する「知識」活用がナレッジマネジメントである。「第5の重要な経営資源が、ナレッジー知識(知恵)である」 まずは現場社員が持つ「知的資産」の活用が求められている。知とは「組織経営、企業活動に価値ある全ての情報」である。 ナレッジ経営の第一目標は顧客満足にあり、顧客志向が鮮明でない企業は生き残れない。その為の「組織知」の拡大と、 「個人知」の共有が必要である。 ナレッジマネジメントの目的は、顧客サービスの向上である。 ある事業の立ち上げをしようとすると ・「情報」収集がまず第一歩になる。 ・次にその情報の蓄積が「知識」になってくる。 ・その集積と熟成が「知恵」に変わってくる。 その「知恵」で「情報と金とモノと人の組み合わせ」を再編成をして、企業目的を遂行していく。 情報化の時代に、知恵をまず第一の資源としてエネルギーの集中が必要とされる。 事業を創めるとき、 「目的を持って人を集めるのでなく、優秀な人を集めて事業の目的を決める」という今までの逆の発想も重要になってきている。 「まずは知恵のある人間を集めて、目的・目標をさがす」。目標を決めて、その手段として人材を集めるのは、 あくまで道具を集めるにすぎない。道具は道具の知恵を遣って「馬鹿の壁」をつくっていまう。 道具は道具以上の力を出すことが無い。 今までリ・エンジニアリングからベンチマーキング、そしてナレッジマネジメントと 色いろな技法が開発されてきた。事業のベストプラクティスから、小さな業務上のコツまで、さまざまに収集、蓄積できれば、 間違いなく会社の有力な財産となるはずである。ナレッジは知識というよりは知恵に近いものである。 ーつづく ・・・・・ 583, 風邪のひき方-こころにのこった詩 - 2002年11月17日(日) なかなか良い詩があったのでの載せておきます。 明日は「かぜをひいたら」という人生で初めてつくった詩を載せます。 散歩で即興でつくってみたので今日一日で何回か修正してみたいと思っている。 辻征夫 かぜのひきかた こころぼそい ときは こころが とおく うすくたなびいていて びふうになびいていて みだれて きえてしまいそうになっている こころぼそい ひとはだから まどをしめて あたたかくしていて これはかぜを ひいているひととおなじだから ひとは かるく かぜかい? とたずねる それはかぜではないのだが とにかくかぜでないのだが こころぼそい ときの こころぼそい ひとは こころにあがらう げんきもなく かぜですと つぶやいてしまう すると ごらん さびしさと かなしさがいっしゅんに さようして こころぼそい ひとのにくたいは すでにたかいねつを りっぱに きちんと かぜをひいたのである ・・・・・・ [230] 抽象概念と具体概念 2001/11/17 抽象概念と具体概念を、ある本に書いてあったのをまとめてみた。 −少し硬い表現だがー ・それ(抽象・具体概念)以前は「非言語的原始概念」−原始記憶の集合や組み合わせを、頭の中でこねくりまわしている 状態を言い、あと一歩で言葉になる状態をいう。頭の中のヴィジュアルな素朴な原始記憶を「非言語的原始概念」という。 言葉にまとめておかないと、この原始記憶のジャングルのままになってしまう。 ー毎日このような文章かをしていると、 なにか毒だしをしているようだ。宿便を毎日吐き出しているいるようでもある。ほとんどが以前文章化したことがある。 一日7〜9万回考えていた一部でしかない。 それを概念として、まとめる事が最大の収穫でもある。 文章化とは原始記憶の集合や組み合わせを、頭中でこねくり回した状態を概念化していることになる。 ‘経験を素朴な言語化をして置いておいた原始記憶’の蓄積があるから毎日かけるのだ。 抽象的言語と具体言語とそのミックスしたものを概念化として吐き出す。これが慣れてくると面白い、こうなればしめたものだ。 毎日飽きずに書いているのは、実際のところ面白い。 何かわけのわからないことを書いている! 抽象概念も具体概念も、 所詮は・・・ わけが解らなくなってきた。 あまり理解していないためだ。 しかし、キーワードの抽象・具体概念とその以前の 「非言語的原始概念」について少しは理解したか。
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2011年11月16日(水)
異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。日本語にすると積極的逸脱になる。 世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。 そういう私の方が地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の同級生を除いて 最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいてこそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。 「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在ではビジネスに使われているようになっている。 後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、 たまたま近くに医者がいる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から 逸脱していることになる。 しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、全体の死亡率が減っていった、 とういう事例がみられる。 コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して 不具合が生じるトラブルで、これはエンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの 一人のエンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への競争優位をもたらしたという。 大体が改革とは、そういうもの。 従来のやり方を根底から変えることは、どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、 極的逸脱と見ることが出来る。 世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。 そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、比例して満足度が高くなっていた。 あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が 残された人生を生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。そこで、それを本気になって探すと、 自分の生きている世界中に、それが無限に転がっていることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。 緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・ ・・・・・・・ 3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると! 2010年11月16日(火) 今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 まず、この問題は、G20が韓国で 開催される時期と、APECの日本で開催される直前に明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、 やすやすと乗って、中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに上陸をさせてしまった。 これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの 計算外の海保の保安官の秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から幾重もの クッションを通して行われた可能性を含んでいる。 それが出来るほどのタマは現在の日本にいない? しかし、中国のトップの顔に 泥を塗るにタイミング的に良かった。その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて タイミングがよすぎるたのではないか。 保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる直前にマスコミに接触したことも、 一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。 「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに 効果があった。だから、あの男は、日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でもされれば 管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も20パーセント辺りまで急落することになる。 その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。 これが完成すればアメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が大同連合を組み、 国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 それが100年、250年に一度の地球規模の 危機に対する対処になる。 海保の保安官の逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか? ・・・・・・・・ 3147, 地方経済惨状の一現象 2009年11月16日(月) このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国バンク支店長のインタビューで 「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。 団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。 それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、新潟の信濃川の川沿いの 大きなマンションが宙に浮いた状態にある。 それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、 5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、 息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にあるマンション、4室もあって 1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、 その間に世界が劇的に変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。 その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。 新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 (以下、字数の関係でカット2011年11月16日) ・・・・・・・・・ 2782, 浅井さん 2008年11月16日(日) 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。 −−− ー浅井さんー 諏訪崎はるえ 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、 私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、 庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。 「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。 掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。 うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が 雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 その数日後、浅井さん夫妻には 長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 (以下、字数の関係でカット2010年11月16日) ・・・・・・・・・ 2007年11月16日(金) 2417, よく生きる −2 ・ω・)ノはよー −読書日記ー この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」という自問自答である。 やはり根本的なところが欠けていたいたようである。「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。 無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、 こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?という自問自答である。 真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・ まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。 ーはじめにー 旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、 (字数制限のためカット 09年11月16日) ・・・・・・・・ 2006年11月16日(木) 2053, たとえ他人の過ちが90パーセントであっても 才八∋ウ_〆(∀`●) いいですか、たとえその人のあやまちが90パーであり、あなたのあやまちが10パーであるにしても、 あなたは90パーのことを考えることより何も得ることはできません。 何故かと言うと、あなたはそのことをどうすることもできないからです。 ところが10パーからは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。 (ユング) ーー ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングはフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、 フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。 そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。 同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。 それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、 相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。 理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。 この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・ 些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい! 熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。 ・・それも他人の90?の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。 家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい? 夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか! (;´-`).。oO (ぇ・・マジ!) (。^0^。)ノサイナラ! ・・・・・・・・ 2005年11月16日(水) 1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府" 数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。 今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。 目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。 ー以下はその概要であるー ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。 (以下、字数の関係でカット2008年11月16日) ・・・・・・・・ 2004年11月16日(火) 1323, まさか、地元で大地震!ー13 Σヽ|゜Д゜|ノ┌┛☆【びっくら!】 やっと収まったと思いきや、昨日も震度三の地震があった。しかし三週間以上も余震とは、全くシツコイ。 道路などの公共施設の損害が約2000億円と発表されたが、まだ膨れあがるだろう。学校や役場なども酷い状態とか。 民間を含めたら、その倍だろう。「被災地の多くの家の躯体は大丈夫だが、内部が目茶目茶で使えない」というのが実体だという。 屋根瓦が雪国用に厚く作られている為、重量がかかって押しつぶされている。青いシートが多く屋根にかかっているので よく分る。特に長岡の悠久山よりの住宅に多い。新幹線も、「トンネル内部などの損傷が激しく実体を発表できない状態」 との話も洩れ聞こえてきた。1〜2年、いや数年、という事も考えられるが、これだけは予測が付かない。まだ高速道路が通るから 救いがあるが、何といても新幹線の影響は大きい。長岡、新潟駅の専門店など如何なるのだろうか。 いや他人事ではない。 ------- メルクマール 堀井 11月12日 ・今朝方はAM2時半位に震度1〜2の地震あり。何だこの程度か、せっかくなら、せめて3~4位になれと!思う余裕も出てきた。 これは被災の大きい人達に悪いと考え直したり。それでも一時であるが大雨が降ってきたが、ダムの土石流は大丈夫か心配になる。 ・東京に出張を控えていた人達が、そろそろ出張に行きはじめた。長岡を新幹線で朝6時40分に出たら、10時に東京に着いたとか。 来週、仕事で東京に行くとか。バスが一番手ごろのようだ。それにしても、駅は可哀想なぐらい人が少ない。 毎日のように長岡駅の専門店に通勤の帰り道によって、大幅値引きの弁当や酒の肴を買っている。 売れないため、スーパーの半額以下。いや、もっと安い。 せめての贅沢?である。可愛いものだ! ーーー 11月11日 ・2〜3日続いた夜半の余震が無かった。 寝ているところを突然揺れると、少しは動揺する。 (字数制限のためカット 11年11月16日) ・・・・・・・・ 2003年11月16日(日) 956, ハイビジョン超特急 昨日の昼、NHKハイビジョンで過去3年間の「ハイビジョン番組」90本を5分以内にまとめて、4時間ぶっとうしで放送をした。 デジタルだから可能なのだろう。様々なジャンルの番組を繋げて放送するもので、息をつかせない内容であった。 未来の一部を垣間見たような時間であった。そして、至福に近い4時間であった。元々ハイビジョンの内容は、選りすぐりのものが多い。 その二時間を5分にまとめて、次々に放送するのだから一瞬も目を離せない。 年末に再放送をする予告編も兼ねていた。 音楽スーパーライブ、美の回路、お祭り、サッカーなどのスポーツ番組、動物、自然、宝塚、歌舞伎、遺跡など次から次へと出てくる。 7割は見た番組だったからこそ、更に面白かったのだ。 これからは、こういう番組が多くなるのだろう。ワールドカップのサッカーも 5分にまとめてあるのだから目が離せないのも当然。スポーツ、遺跡など、それだけを集めて5分にまとめて放送する番組も出てくるだろう。 印象的なものとして、「長野オリンピック」「源氏物語・絵巻師との対話」「エチオピア」「イグアスの滝」 「ベネチアの仮面祭り」「ワールドカップ」「謎の深海大峡谷アメリカ西海岸・モントレーの神秘」「ミレニアム・オリンピック」 「リオのカーニバル」「青森ねぶた祭り」「天空への道」「南極大紀行」「大砂漠ラクダキャラバンーテネレ砂漠」 「永平寺」「九さい溝」「リビア」 どれ一つとっても非常に興味をひかれる内容である。 ハイビジョンの良さは遠くの背景がしっかりと見て取れることだ。すごい時代である。 ・・・・・・・・・・ 582, NTTと日本の現状 - 2002年11月16日(土) このところ光ファイバーを会社や自宅に導入して、NTTの現状を垣間見ることができた。 自社ホテルの電話の使用売上が10年前の十分の一以下に落ちている。 携帯電話に変わった為だ。 各家庭や会社はホームベースとしての据え置きの電話があるが、使用回数が激減しているのは間違いはない。 そうするとあの電信柱から引き込まれている数兆とか十数兆の設備投資の価値が激減していることになる。 NTTの知人が「電電公社に入り、こういう目-肩たたき-にあうとは思ってもみなかった」と言っていた。 この現象が今の日本の大不況と酷似している。 新しい流れに転換できないでいるのが日本だ。 すでに電信柱からデジタルの携帯電話や光りファアイバーの変わろうとしているが、転換できないでのた打ち回っている。 不良会社の整理も当然しなくてはならない。 電信柱に例えられる旧体制がまだ抵抗している。 有線放送とかいろいろな関連会社も、その脱皮についていけないで。 駄目の者は駄目なのに。その代表が自民党の橋本派である。実際に利権を握っている為現実が見えてないのだ。 NTTもNTTドコモがあるから救われるが、今の日本には殆ど見当たらないのが恐ろしい。 ・・・・・・・・ 2001/11/16 [222] ベトナム旅行記−1 1、 −オートバイ社会ー 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。 それに2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。 おまけに殆ど信号がないのに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。 今もそうか!? 2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 これでかなり物質的に豊かになった。 国民がアメリカ、日本に目がいっているという。 3、80パーセントが農業人口で占められとおり、貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。 4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。 5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。 6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。 7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり美味しい。 8、地方の風景は、日本のそれに似ている、水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。 ー印象をそのまま書くと ・まじめな、仏教徒国、 ・農業が80パーセントの縦に長い国 ・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期 ・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事 ・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。 ・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。 ・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。 ー今回の旅行での出来事 ・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう ・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。
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2011年11月15日(火)
* 江戸時代の幸福とは 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。 < 世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人 > 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世にもついてまわる。 最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 これを現在に置き換えると? < 世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人 >というところ? ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っているかである。
* 人生に意味(価値)があるのだろうか 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々の中で、「自分の人生は何だったのか?意味=価値があったのか?」等を、 考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って 生きているのが人間だが、実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい加減な 万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、指摘している。 キリスト教の教えを、 弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。 そうこう考えると、せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったのだろうか?などという 思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で、 人の悪口、陰口を言っている醜さは、結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が 腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 全ての人である。 ・・・・・・・ 3521, 我が家に新しいTVが −4 2010年11月15日(月) 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから三ヶ月近くが経つ。 そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでのテレビとは別物のマシーン。 ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わってしまった。そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。 * 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、19時~23時の四時間×6日間(変更可)を 自動録画する機能がよい。これが一番の売りだったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、 実際に使ってみると、これがよい。 ゴールデンタイムには必ずといってよいほど面白い番組がある。 しかし当日の地デジは 殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白くなければ、その場で消す。 平日の18時半から21時には、 せいぜい二番組しか見る時間がない。当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て 面白いものが冷静に選ぶことができる。そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。 *マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、プロ野球が格段に臨場感が出たため、 内容が数段良くなって見える。 家内は三日に一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、 臨場感がアップしたのである。 それが感受性を更に高めている。 *先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間テレビに釘付けになってしまった。 ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに 引きこまれてってしまった。 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観たマイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督) 最後のコンサート「THIS IS IT」のリハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、 いずれもステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り返れば夢のまた夢。虚構は虚構で! (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。隔世の感がある) ・・・・・・・・ 3146, 変である、日経の論調 2009年11月15日(日) 一昨日の日経新聞のー経済教室ーで 「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。 慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。 日経に請われて書いた提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。 ポイントとして :貸し渋り対策で、過度の政府介入するな :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。 5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように指導し、 強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。 何を、この新聞社を載せるのだろうか。 そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ これで新規融資が一段と萎縮するというが、 上から目線の論法でしかない。 地方の現場から逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、 下の目線で資金コントロールするのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、 どこが悪いと言うのだろう? 二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の低迷」というが、 リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で救済する、どこが悪いというのだろうか。 日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、私の意見と思うが。この学者、「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 地方の企業は、そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上などと言っているケースではない。 大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されているのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を 生み出しかねないと、一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。 床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、 「これは、大震災、それも100年に一度の大震災」。 都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感できないのである。 それと、日経新聞もである。 ・・・・・・・・・ 2781, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −2 2008年11月15日(土) 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2 ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。 ・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。 思いつく最も説得力のある答えは、 金融機関の不良債権を買い取らせるとうポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森) ・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスのために六千億の金を用意しているという。 ・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対してもドルの価格は上がっている。 但し、円だけはありあえない。 ・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。中国には、その力はない。 ・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら特殊な国である。 端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。こんな国は他にはない。 その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。 ・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。これからは、新興国の人から預金を集めて、 中小企業にきちんと貸すリテール中心の銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。 ・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立しない。 日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争するしかない。 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。 ・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、中小企業であり、農業を初めとする 第一次産業である。 農業といっても、農業土木ではなく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。 −−− 以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、ゼロからやり直すチャンスと説いている。 (字数の関係でカット 11年11月16日) ・・・・・・・・・ 2007年11月15日(木) 2416, よく生きる −1 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆ 池田晶子と陸田真志との対話集の中で、ソクラテスの{ただ「生きる」のではなく、「善く生きる」べきである。} という問いが語られていた。 何か解りやすい本がないかと図書館で調べたら、やはりあった。 哲学者の 岩田靖夫著「よく生きる」−ちくま新書 である。 目を通すと、「はじめに」の要約が解りやすい。 これで充分といえるほど簡潔で、知りたい全てがそこにあった。 それを要約をすると、 1、幸福とは、自己実現することである。 2、その自己実現は目的ではなく、条件であるが、その意味ではない。目的は自己実現したレベルでの他者との邂逅である。 3、その中でも、挫折、病気、死などが待ち受けている。それを解決できるのは宗教しかない。 それぞれの神という根源の元に帰るという確信こそ、人の求める究極である。 4、我われは、そういう人々の社会の中で生きている。そこでは自由と平等が求められる。 その仮想がユートピアだが、理想として追求するのが求めるべき人間の姿勢である。 さらに表紙裏の説明文が更に簡潔であった。 ーまずは表紙裏ー (以下、字数制限のためカット2010年11月15日) ・・・・・・・・・ 2006年11月15日(水) 2052, 新潟は今・・ (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! このHPを見ていれば解るように地方経済は重苦しい状態がつづいている。首都圏のような明るさの気配は全くない。 駅前ホテルと飲食店、そしてタクシーは特に地方の景気に敏感である。目立たないが、飲食店の廃業の話が連日のように 入ってくる。一ヶ月ほど前には新潟駅から直通のワシントンホテル(300室)の撤退のニュースである。 シーズンが変わる度に、夜の繁華街の人通りが少なくなっている。もう誰も不景気とボヤク人もいなくなった。 その中で一部だけ良い店があるからだ。今風にして、ほんま物を廉価にして、互いの姿を見えないようにした隠れ居酒屋は、 それなりに入っているからだ。 それが出来ないところは自然消滅しかない。ところで、新潟市内のタクシー業界では 来春から一斉に完全歩合給に入るという。もし事実なら、タクシーの運転手も暇で仕方がないとぼやいてはいられない。 長岡でも新潟でも給料の話すると「固定給12〜3万+歩合給=15~6万円で、手取り13〜4万。それに、家内のパートで 8万円、合計20万で親子3人で暮らしてますよ。今さら働くところも無いし、辞めても直ぐに誰かが入ってくるし・・」 という返事が返ってくる。それが来春から完全歩合給になるというから、運転手も目の色が変わりざるをえない。 「個人タクシーが成り立っているのだから、完全歩合給も成り立つはず」という理屈も成り立つが・・・ 15年ほど前に、札幌でタクシーに0時ごろに乗ったとき、運転手に「深夜の勤務は幾らほど出るのか?」と聞いたところ、 その返事に一瞬にして酔いが醒めてしまったことがあった。「札幌はね~、最悪の景気なの。私も問屋を倒産させてしまってね〜 最後の生き残りをかけて運転手をしているの。といって今さら正社員じゃ無理なの。 夜のタクシーは、殆ど私と同じ立場の 中途半端の中年が小金を稼ぐため、タクシー会社と契約して夜間だけ車を借りているの。 客を拾えなければ収入はゼロだから必死。 何処で客を拾うか、ハンターと一緒で勘が頼りなの。とにかく生きていかなくてはならないからね〜辛いよ!」今でも、 その時の情景をリアルに憶えている。完全歩合制は、それと同じ状態に全ての運転手がおかれることである。 固定給のベースを割る車が出始めてきているのだろう。数年前から始まったタクシー自由化と、不景気が背景にあるのだろうが。 私自身を考えてみても、タクシーを乗らなくなった。飲んでも、酔いさましのため、酔いの勢いを借りて歩いて帰ってくる。 十年ほど前から、特に古町の飲食街に行かなくなってしまった。 高いし、以前ほどホステスのプロも少なくなったし、 タクシー代はかかるし、機会そのものも少なくなった。新潟駅前で一軒の店に3時間ほど粘って帰るのが殆んどである。 まあ、燃やせば骨も残らないほど飲んでしまったし・・・ (。^0^。)ノサイナラ! ・・・・・・・・・ 2005年11月15日(火) 1687, 新潟県 「2010年問題」 最近、新潟県でも「2010年問題」がささやかれだした。 新聞で断片的に取り扱われていたが、朝日新聞新潟版・土曜特集に報道していた。 ーポイントくをまとめてみると φ(・ω・ ) ・北陸新幹線の金沢までの開通が、2014年、富山までの開通は、2010年。 [2010年問題]といわれるのは、2010年の方が、[呼びやすい]という説もあるが、 富山までの開通でも新潟県に甚大な影響が予測されるためだ。 (=_=;) ・この開通で、北陸新幹線が幹になり、上越新幹線が枝になってしまう可能性が大である。 ・上越市経由のため新潟県上越地区が新潟県から分断され、金沢・富山圏に組み込まれてしまう。 (字数の関係でカット 11年11月16日) ・・・・・・・・ 2004年11月15日(月) 1322, PDPTV −2 2年前の今日、PDPTVについて書いていた。そこで、この2年間の感想と実感を書いてみる。 値段の値崩れが、思ったより少ない。50インチで年15〜20?下がっていれば、40〜50万円位のはずである。 (字数の関係でカット 09年11月16日) ・・・・・・・ 2003年11月15日(土) 955, 自分づくりの文章術 ー読書日記 毎日、書き続けていると、自分の中の見えない自分や忘れてしまった過去に愕然とすることがある。 暗黙知を形式知に置き換える作業を毎日コツコツしていると、それが暗黙知の中にある自分を引き出し、直視することになる。 その点で書くことが無くなるまで?書き続ける効果は絶大である。 書くことが無くなるまで書くと、そこから暗黙知の中の本筋が出始めるからだ。 いまひとつは、分類コーナーに投げ込んだ文章を改めて読み返していると、何気なく書いている文章の蓄積が、 違ったものとして存在をしているように感じる。 もう一人の自分が、独立をして存在していて、 自分の知らない自分を見ている感覚になる。 分ければ資源、いやその蓄積が資源になるのだ。 以下の本は、1000近く随想日記を書き続けて、文章に対して言いたいことの全て、その数十倍のことが書いてある。 その遙か多くの文章を書いているからだ。アマチュアとプロの差は、如何にもならないのだ。 いや素人とプロの差だ。 ホームページを立ち上げ、毎日「テーマ随想日記」を書き出して二年半経つが、「自分づくり」というのが、ズバリ言い当てている。 毎日毎日、コツコツと自分をつくっている、いや自分の世界を広げている感覚である。その手ごたえが無ければ続かなかっだろう。 ・・・・・・・・ 「自分づくりの文章術」 清水良典/[著]出版社:筑摩書房 (字数の関係でカット08年11月15日) ・・・・・・ 581, PDPTV - 2002年11月15日(金) PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。設置に3人で5時間以上もかかった。パイオニア製で50インチ。 それにソニーの音響システムを組み合わせて税込みで76万円だった。 あと半年で3割は下がるだろう。 半額はローンにした。 さすがに迫力が違う。 相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。まだじっくりと見る時間はないが、 今週末から見るつもりである。コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、その価値を充分感じ取ることができる。 あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めたパイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。 何か凄く豊かになったような気分だ。あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。ソニーはそれに絞って 商品開発をしているという。こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になっているのに丁度よい代物だ。 それとこのパソコンが。 つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。 ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。 それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。 ・・・・・ 「222」ベトナム旅行記−1 2001/11/15 1、−オートバイ社会ー 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。 それに 2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。 おまけに殆ど信号がないのに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。やはり、いや当然事故が異常に多いという。 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。今もそうか!? 2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。 これでかなり物質的に豊かになった。 国民がアメリカ、日本に目がいっているという。 3、80パーセントが農業人口で占められとおり、貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。 4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。 5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。 6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。 7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり、美味しい。 8、地方の風景は、日本のそれに似ている、水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。 ー印象をそのまま書くと ・まじめな、仏教徒国、 ・農業が80パーセントの縦に長い国 ・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期 ・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事 ・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。 ・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。 ・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。 今回の旅行での出来事 ・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう ・ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替ーもちろん意図的につかまされる。
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2011年11月14日(月)
最近、平等と公平に対する議論を多く目にするが、その辺の哲学か理論があるはずと思っていた。 ところが、小川仁志著「人生をやり直す哲学」中で、ロールズの『正義論』が紹介されていた。 その概略というと、≪ ロールズは、ハーバード大の教授で、アリストテレス以来の政治哲学の復権を図った人物で、 その『正義論』は、その後の正義に関するあらゆる言説、あるいはリベラリズムの議論の機軸になったと言われている。 リベラリズムとは自由主義のことを言い、物事の価値の中立性をとなえる立場である。分かりやすく言うと、 「善に対して正の優先性」をとる立場である。 本来は平等など我われの世界には存在しない。全てが不平等である。 金持ちと貧乏人、才色兼備と、そうでない人など比較すれば全てが不平等に出来ている。情報化などで一強多弱が進むと、 その格差は社会的歪を生み出してくる。 そこで問題になるのが平等と公平の問題になってくる。それを克服するために 正議論が出てきている。 正義の二つの原理、すなわち「平等な自由の原理」と「機会均等」である。 ◎ まず第一原理ー「平等な自由の原理」とは、<各人は基本的な自由に対する体系に対して平等の権利を持つべきで、 この自由の体系は他者と両立しなければならない>という原理である。自由に関して誰も平等であるべき、ということ。 ◎ 第二原理とは、「社会的、経済的不平等は次の二つの条件を満たしていなくてならない。(a)「社会の最も恵まれてない 人の状況を改善すること」、(b)機会の公正な均等という条件の下で全員に開かれている公職や地位に伴うこと」の二つ。≫ ▼ 競争条件の前提として、自由度と機会平等の権利を持たすべきということになる。資本主義も、社会主義も、家系の知力、 資金力で、競争前提が全く違っているのが実情。それが、そのまま、社会的格差になっている。 中学校の同級生の、 その後の人生を見ていると、その時の家庭の格差の拡大が、そ後の人生に見えている。(但し、何事も例外はある) ロールズの言わんとする趣旨は、道徳的議論、つまり善悪の「善」よりも、手続き的な正しさの「正」を優先させるところにある。 それを守るために、これらの原理と、その都度の判断を比較して、公式そのものの妥当性をチェックすべきとしている。 「平等は無理としても、公平であるべき」というが、しっかりした二つの原理の社会的前提がなければならない。 現在、情報化で社会的不平等が露出されてデモが多発している。 これは「平等と公平」の問題を訴えているのである。 そこで、この『正義論』が大きくクローズアップされている。 自由人平等と博愛の問題は、そう簡単でない。 明治以降、日本が世界列強の一つになったのは、家柄より学力、学歴を最優先したからだ。 二つの原理が明確に当てはまる。 ・・・・・・・・ 3520, 電子書籍は、その後どうなった? 2010年11月14日(日) iPadで火がついた電子書籍は、その後、どうなったか?が、読売新聞で特集をしていた。 また一昨日の朝のNHKニュースでも取り上げていた。 5月末に発売されて半年で、トピックスとしても丁度良いタイミング。 私も秋口の11月頃と発売当初に考えていたが、各社メーカーが年内に出揃った後、比較してからにした。 それとまだ電子ブック・ソフトの販売網も充実をしてない。 4年後にタブレット式パソコンが二億台も普及するという。 戦士書籍だけでなく新聞、雑誌も、ブログ、ツイッターも、ここから見ることになる。 これまでの隠れネット難民も、 その使いやすさから使い出すだろうから、社会的には大きなインパクトを与える。例えの話だが、村上春樹が自分の小説を ブログから直接販売も可能になる。 映像ではYoutubeが自分撮ったビデオを、直接投稿をしている。良い内容のものはネット上の 口コミや視聴ランキングの多さで、一瞬に世界を駆け巡るので、直ぐにスターになれる。 既に、ここから多くのスターが出ている。 タブレットは電子書籍専門のものと、他の機能が入っているタブラットと大別される。多機能のiPadは、半年で700万台売れた。 その使用場面が居間と外出先の電車やレストラン。多くのメーカーが、それぞれの機能の特徴を前面に出した機種の出現が楽しみである。 思いもよらないソフトも出てくるだろう。既にアコーデオンの鍵盤を画面に映し出し、演奏できるものや、パソコンやiPhoeにある 自動車運転ソフトを使い、他の誰かとレースを競うものとか、カラオケ端末機能とか、数年後には、日常の当たり前の端末になる。 その反面、雑誌、新聞、書籍などが激減することになる。レコード店など駅前商店街が消滅していったように、新聞、雑誌、 地方TV局など多くが淘汰されていく。 これもインターネットの渦の一つ。 ・・・・・・・・・ 3145,高速道路千円の仕掛け人 2009年11月14日(土) 学生時代のゼミの一年下の松下さんと、以前に「新潟を活性化するに如何したらよいかと大和総研に頼まれたが、 何か知恵がないか」と電話があったので、「 新幹線を新潟駅から飛行場近くまで延長して、東京駅から直接乗り込みの飛行場を 持った環日本海都市として売り込めばよい。その沿線には中国、ロシア、朝鮮の特区地区としてパスポートで出入りする地区をつくり、 工場などを誘致して、それで足りなければ、高齢者などの施設をつくって首都圏の補助機能をつくり、元もと天領だった特性を、 そのまま利用すればよい。現在、新潟駅再開発が動き出したので、その延長として本気にならないと、北陸新幹線が完成したおりに、 幹から枝葉の地区に取り残される。これが最後のチャンスと思うよ」と、軽く答えた。 ところが数日たってから、その話を新潟県の エライサンに直接話して欲しいということになり云々・・・話は長くなるので、これはこれで終いにするが、その松下さんが 道路経済学を一人で長年かけて学んできて、現在では、その道の権威者。「高速道路の千円」の大元の理論家である。 更に無料化の流れを彼がつくったというから、尊敬に値する。その彼が、民主党が天下を取ったら自分の理論が政策に取り入れられ、 大きな役割を与えられると数年前に言っていたが、その時代がやってきたようだ。 先週に彼から、週刊エコノミストに大きく 取上げられたとそのコピーが同封されてきた。 早く言えば、「思い切った高速道路の値下げが、大きな経済効果をもたらす」 という、英国学者の理論を日本に紹介したもの。彼の著書「道路経済学」も、なかなか説得力がある。 「過剰な?高速道路を、世界一高い値段の料金を無料化をして、皆で使いましょう。大部分は、ほとんど 使ってないのだから」というのも一理ある。それを先読みして、コツコツ学んできたのだから・・・ 以下は、コピーの礼状である。 ー松下文祥様ー 前略、 送っていただいた資料、さっそく拝見しました。高速道路の料金一律千円、松下さんの出版された本が出発点 だったようですね。近くの岩室温泉や月岡温泉などのリゾートホテルが潤っていると知人から先日、聞いたばかりです。 また、民主党が高速道路の無料化の方針も、やはり貴方の理論的裏づけがあるようですね。 貴方の長年の地道な努力が、こういうカタチで花咲くのは同じゼミの出身者として誇りに思います。 恐らく、戦略会議の一員にも推挙されているのでは? と思いますが・・ 《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》 ・・・・・・・・・ 2780, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −1 2008年11月14日(金) 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか ー未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」を読んでみた。 内容は、刺激的なことをオブラートに包んで語り合っているが、それでも大恐慌に突入したことを 前提であるのが、興味深い。 もう堰は切れたのである。 面白そうなところを、書き出してみた。 ーーー 高橋洋一/榊原英資/竹森俊平渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥の対談で、 1、「失われた十年」再び来たる 2、株安・円高地獄の脱出策は? 3、「アメリカ金融帝国」没落す 4、GMがトヨタに買われる日 の、分野で議論をしていた。 ー印象に残った部分を書き出してみる。 ・欧米で合わせて320兆円を超える公的資金投入は、人類が始めて経験する未曾有な経験 ・アメリカのウォール街が主導して世界のGDPの十数倍の金融商品を作り出し荒稼ぎしてきた、 金融工学と称するシステムの破綻と、借金漬けの消費帝国アメリカの終焉。 ・その結果、アメリカという国は二度と立ち上がれないほどのダメージを負った。 ・アメリカの貧困層に住宅ローンを売りつけ、彼らを丸裸にしてしまった。 ・フォードやGMの社債は、額面の25〜30%を割っており、もはやジャンク債の域である。 GMは毎月1000億の損失を出している事態になっている。 ・アメリカが4割の下落に対して、日本は5割の下落である。 その理由は、日本の利益の源泉が北米の輸出で、利益の5割を占めている。大雑把にいうと、 それで5割の減益だが、アメリカの金融セクターの占める割合は4割。だから日本のほうが株価の下落が大きい。 (字数制限のためカット2010年11月14日) ・・・・・・・・ 2007年11月14日(水) 2416, 世界の「富」は、人口の2%が過半数以上所有 才ノヽ∋―_φ(゜▽゜*)♪ 一月ほどの新聞記事だが、国連の研究機関が発表した調査によると ー世界の「富」は、人口の2%が半分以上所有ーという。 これを解りやすくまとめると ・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。 ・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。 ・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 「上位1%」に居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%で、 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めていることになる。 ・一人当たりの世界の富の平均が、2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。 ・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。 値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0.89に対して、 アメリカは0.8に対して、日本は0.55で格差は比較的小さい。まだまだ、日本は健全にみえるが、この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から負債を引いたものを「富」と定義したという。 ーー 以上が大方の数字だが、20年近く前に中国に行ったときの一人当たりの格差が100倍だったが、現在は50倍というから、 中国は20年で2倍も豊かになったということだ。 「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というが、 日本は最後の余力を食べつくしながらも20%の立場を保っている。 ところで先日の新聞発表で、国内の一億円以上の預金者は大よそ人口の一?という。 一家族三人として、30数軒に1軒の割合になるが、地方では到底考えられない数字である。 それでも知人を見ていると数人はいるが、まあ他人の懐具合は、如何でもよいか! ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪ ・・・・・・・・ 2006年11月14日(火) 2051, あたりまえなことばかり −7 才八∋ウ_〆(∀`●) 幸福論も、あるところまでいくと生死の問題に深く関わることになる。しかし生死がわかるはずが無いことは、前に論じてきた。 観念としての幸福を、いくら説いてもラッキョウの皮を剥くようなもの。といって、人生の中で「自分ほど不幸ものはいない」と、 思ってしまうのが人間の性。 不幸という観念に捉われない為にも、孝・不幸は真正面から論じてみる必要がある。 前に読んだー「私」のための現代思想ーもそうだが、過去の知識の総点検をしているような感覚である。 知っただけ、経験しただけ生きてきたことになる。知識として知らないことがあまりにも多すぎた!これが現在の心境である。 ーー 「あたりまえなことばかり」 ー・ 幸福はどこにあるのか ー 《以下、字数の関係でカット。2009年11月14日》 バイバイ ・・・・・・・・・ 2005年11月14日(月) 1686, 「ひとを嫌うということ」−2 嫌いに対して、よくぞここまで書けるものと感心する。といって日常生きている上で、好き嫌いの感情はつきまとうものだ。 だから、世の中が面白いものとして現前する。 この本の印象的なところを抜粋した。 ー「嫌い」の結晶化作用ー `(`´)” スタンダールは恋愛における2重の「結晶化作用」について論じている。(′O`) ・第一の結晶化作用とは次のもの。ザルツブルグの塩坑で寒さのために落葉した1本の小枝を廃坑の奥に投げ込んでやる。 2,3ヶ月もして取出してみると、それは輝かしい結晶で覆われている。 一番小さな枝、せいぜい山雀の足くらいの枝までが、まばゆいばかりに揺れて閃く無数のダイヤモンドで飾られているのだ。 もとの小枝はもう認められない。 私が結晶化作用と呼ぶものは、目に触れ耳に触れる一切のものから、愛する相手が 新しい美点をもつことを発見する心の働きである。 なんとなく気に食わなかった人があるとき当然「結晶化作用」により大嫌いになることは誰でも知っています。 ・そして恋愛における第二の結晶化作用とは、相手が自分を愛していることの確信へと向かう結晶化作用であり、 疑惑と確信との間を揺れ続ける「交互作用」です。恋する男は15分ごとに呟く。「そうだ、彼女は私を愛している」と。 そして結晶化作用は一転して新たな魅力を発見することに向かう。と、ものすごい目をした疑惑が彼をとらえ俄かに彼を引き止める。 胸は呼吸を忘れる。彼は自問する。「だが、彼女は私を愛しているのだろうか」 痛ましくもまた甘いこうした相互作用の最中で、 哀れな恋人は痛感する、「やっぱり彼女は私に与えてくれるにちがいない、世界中で彼女だけが与えることのできる喜びを」と。 どうも「嫌い」の場合はこうした交互作用はあまり一般的ではない。 キラ(゜´Д`゜)゜━イ!!! ー「嫌い」の8つの原因ー 《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》 ・・・・・・ 2004年11月14日(日) 1321, 西武鉄道の上場廃止 ー時代の変遷の象徴 堤義明のオーナー会社・西武鉄道グループは、この不況下でも安定をした会社と思われていた。それが突然、不正が発覚、 株式が上場廃止という。 関連会社が西武鉄道の株を担保に借金をしている為、一挙に担保割れの事態になる。 日本の影のドンの一人といわれ、「総理大臣が誕生する度に3億円の祝儀を払い続けてきた」と囁かれていた堤義明も ついに逮捕?の可能性がでてきた。 世の中どう変わるか解らないものである。ーもっともコネにて一件落着の可能性があるが。 《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》 ・・・・・・・・ 2003年11月14日(金) 954, 「意味」の意味を考える 言葉や言語を考える時、重要な事として、すぐに「意味」が出てくる。 「人生の意味」とか、「意味がないよ」とか、「このことにどういう意味があるか」とか、言葉と意味は一体である。 考えるとは、言葉の羅列の繰り返しをしているといってよいが、それは羅列によって意味を幾とおりも置き返している。 といって「意味」の意味を考えると何が何だか解らなくなってしまう。「意味」の意味を考えるとは、半分ジョークみたいな話だ。 言語学者の西江雅之氏の本に、「意味は『価値』である」に注目をした。 「意味がない!」などと1人で解ったような気になるのは、「自分の価値観とは違う」とっていることでしかないのだ。 「人生の意味」も「人生の価値観を何処においておくか」の問題でしかないことになる。 言語学者の西江雅之の「『言葉』の課外授業」という本の中(p78)に「意味」の意味を簡潔にまとめてあった。 ・一つ目は「意味」とは「価値」である。世界のほとんどの言語では「意味」というのは、「価値」のことを言っている。 「あの人の話は意味深い」とか「あの人の話は意味がない」とか、「面白い」とか 「つまらない」とかは、受けての「価値判断」のあり方を「意味」と呼んでいるのだ。 ・二つ目は、「意味」というのは、出された例の、別の表現への「置き換え」なんです。 たとえば「『椅子』とは何か」と言ったら「それは『人が座る道具』である」と。 この置き換えが、ある種の「意味」になる。「置き換え」の二番目は、別の言葉に置き換えると言うことです。 《以下、字数の関係でカット。2008年11月14日》 ・・・・・・・ 580,中国の陰と光 - 2002年11月14日(木) 昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。 ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力しかないという。 初めて聞いたが三井住友銀行も持ち株会社をつくって、本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。 この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。本題の講演は「現在の中国について」であった。 ・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。 今開かれている中国共産党大会で、 これから20年で経済規模を4倍にするという。もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。 ・その為には年率7?の生長を続けなくてはならない。しかし絶望的の数字である。 《以下、字数の関係でカット。2011年11月14日》 ・・・・・・・ [221] ただいま帰りました - 2001年11月14日(水) 今朝、成田に7時半に帰ってきました。 午後は疲れか熟睡し、さっき起床しました。 明日から出社予定です。旅行記は改めて書くつもりですが、印象を書いてみます。 1、成田は意外とピリピリしたところはなく、少し警官が多いと感じでした。 シーズンオフを含めガラガラでした。 2、ベトナムは思ったより、西欧かされていました。 3、やはりアフリカや中東やインド・パキスタンなどに行き続けたためか、刺激という面で今ひとつでした。 4、その中で、イロイロな見聞がありました。 5、ベトナムも観光や、輸出などでテロの影響が出ているようでした。 疲れは殆ど残ってないようです。
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2011年11月13日(日)
ブラッド・ピット主演の『マネーボール』を見てきた。最近、シネマが面白いのがたて続きで、先月から今月にかけて映画漬け。 内容の概略といえば、今までは、スカウトが見つけてきた有望選手を一流選手に育て上げ、有能な監督が選手を有効に使って優勝に 導く手法だった。それを実在のアスレチックスのGMのビリー・ビーンが「他のチームで埋もれている傷物に近い選手を一流選手の 値段の数分の一で入団させて、その強みを組みあせて有効に使う手法」を、考え出す。 そのため、当初は敗戦が続き、旧来の スカウトや監督、選手、そしてマスコミからも袋叩きになる。しかし、ある時期からその理論通りにチームが20連勝を達成をする。 これでビーンは、現在のメジャーリーグの野球を根底から変えてしまった。それも、わずか10年前の実話を映画化したもの。 最近、弱小チームだったヤクルトが、監督交代と同時に優勝を争うチームに変身したが、この理論に忠実に沿ったチームの 立て替えだったかどうかは分からないが、みるみるうちに逞しいチームになっていった。 また新潟の野球チームの前監督が、 野村監督のデーター野球を引き継いでいたのを買われて巨人入りをしたと報じていた。 過っての巨人のような一流選手を金で かき集めたチーム編成で勝てる時代は終わったようだ。この映画を見た翌日に、巨人の騒動である。この数年のトレードの責任は GMを兼ねている球団代表にある。特に外人選手のトレードをみて、GMの首は当然と思うのは私だけでないはず。 ー 『マネーボール』のHPの内容紹介 ー < メジャーリーグの弱小チームを“常勝軍団”に作り替えた男、ビリー・ビーンを題材にしたノンフィクションを、ブラッド・ピット 主演で映画化した「マネーボール」が公開された。 「ソーシャル・ネットワーク」(2010年)でアカデミー脚色賞を受賞した アーロン・ソーキンらの脚本で、燃える男ビリーと相棒ピーターの孤立無援の戦いが、抑制の利いたタッチで描かれる。 経営難の球団、オークランド・アスレチックスは、スター選手をまたしても裕福な球団に引き抜かれ、ピンチに陥っていた。 ジェネラル・マネジャーのビリー(ブラッド)は、イェール大で経済を専攻したピーターを引き抜き、球界の常識を完全に無視した データ主義によるチーム作りに乗り出す…。 打点や本塁打の数より、出塁率や長打率を重視し、低コストで人材をかき集めていく ビリーに対し、ベテランのスカウトたちから強い批判が集まる。そのビリーには、かつて巨額の契約金を提示され、大学進学を あきらめてニューヨーク・メッツに鳴り物入りで入団、その後、芽が出ずに退団した過去があった。> ・・・・・・・ 3519, インターネットは20万年来の革命か? −2 2010年11月13日(土) 「一口に、インターネットは20万年来の革命というけれど、過剰表現では?」と思うのは誰も同じ。 人間が狩猟・採取から、牧畜・農業を始めて1万年、その20倍の20万年前に道具を本格的に使い始めて以来の大革命、 というから、いかにネットのツールとしての威力の凄いかである。 個々人の情報を写真、動画、論説、つぶやき、 などが発信も、受信も、気楽に出来るのである。 やはり道具として20万年、200万年来の大革命である。 それに加えて端末機器が日ごと進化を始めて、止まることがない。 電子化は一度ソフトが完成すればコピーと圧縮が可能。 それをベースに次々と新しいソフトの追加が際限なく出来るため時間の経過とともに、進化していくことになる。 「フューチャリスト宣言」の対談で、梅田 と茂木 の次の一節がネットの明るい可能性を言いあらわしている。 ーとにかく、明るい未来フューチャリストだから、読んでいても楽しい!ー 茂木: 自分の人格を高めていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでも最も強く、深い喜びはないでしょう。 食べる喜びなど、おなかがいっぱいになれば終わりだし、性的な喜びも限界がある。 それに対し学ぷ喜びは限界がない。 インターネットというものが、「学ぷ」という最も根源的な、終わりのない喜びを大爆発させる機会を与えている。 まさに、「知の世界のカンブリア爆発」です。しかも、一部の特権的な人だけにでなく、あらゆる人に、発展途上国の人にも、 その可能性が広がっている。基本的な認識はそこで、人間の脳の報酬系、強化学習のプロセスに作用する。 梅田: なるほど。言語を獲得したときも、脳が喜んだわけですね。 茂木: 要するに、それが現れたことで脳の使い方がまったく変わったもの、ということで、「言語以来」という言い方が 成立するのではないか。 言語によって脳の使い方が劇的に変わったんだけど、インターネットによっても変わる ポテンシャルがある。 でも、まだその可能性にまだみんなあまり気付いていない。 茂木: 人間は快楽主義だから、楽しいことをどんどんやろ・・とする。思っている以上に変わるかもしれない。 ほんとうに素晴らしい機会がいま訪れていますよね。動画でも何でも、たとえ大学の講義のようなものでも、 タダに近いかたちで入手できる。そういうときに大学などの既得権益を保持する側がどういう反応を示すか。 でも、長い歴史の中で人間の社会は必ず学ぶ喜びを青天井に開放する方向に変わると恩います。 〜〜 ネットが、ほぼ無料で、知識を世界中から簡単に入手できるツールになったこと、そのことが20万年来の革命である。 ネットが出現して15年、本格的に普及をはじめて7〜8年で、もう一つの世界をつくり上げた。ネット販売が僅かな時間で百貨店、 コンビニの総売り上げを超えてしまったこと一つをとっても分かる。 当方のホテルの三割近くが既にネット経由からの予約。 また私の書籍購入の八割がたはアマゾン。小型の電器製品もほぼネットから購入している。これは20万年来の革命的ツールと 仮説を立てると、まさしく符合する。ここでも脳学者が言語で脳の使い方が変わったのと同じく、ネットで脳の使い方が変ると 述べていることを考えると、ネットは200万年来の大革命というのも納得いく。これがリアル世界を根底から変化させている犯人。 ・・・・・・・・ 3144,「法則」のトリセツ ー5 2009年11月13日(金) * フェルミ法則 ーネット辞書「ウィキペディア」によるとー フェルミ推定とは、実際に調査するのが難しいようなとらえどころのない量を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推論し、 短時間で概算すること。名前は物理学者のエンリコ・フェルミに由来する。フェルミはこの手の概算を得意としていた。 フェルミ推定はコンサルティング会社や外資系企業などの面接試験で用いられることがあるほか、欧米では学校教育で科学的な 思考力を養成するために用いられることもある。Google社やマイクロソフト社でも、入社試験問題として出題されたことがある。 フェルミ推定という語句が日本に入ってきたのは、『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由―フェルミのパラドックス』 (スティーヴン・ウェッブ著、青土社、2004年)が最初だろう。ただしこのような考え方自体は大学の授業などで教えられていた。 例えば「東京都内にあるマンホールの総数はいくらか?」「地球上に蟻は何匹いるか?」など、見当もつかないような量を推定する。 フェルミ推定で特に知られているものは、「アメリカのシカゴには何人のピアノの調律師がいるか?」を推定するもの。 これはフェルミ自身がシカゴ大学の学生に対して出題したとされている。この問題に対して、次のように概算することができる。 まず以下のデータを仮定する。 ・シカゴの人口は300万人とする ー> ・シカゴでは、1世帯あたりの人数が平均3人程度とする ・10世帯に1台の割合でピアノの保有している世帯があるとする ー> ・ピアノの調律は平均して1年に1回行うとする ・調律師が1日に調律するピアノの台数は3つとする ー> ・週休二日とし、調律師は年間に約250日働くとする ・そして、これらの仮定を元に次のように推論する。 ー> ・シカゴの世帯数は、(300万/3)=100万世帯程度 ・シカゴでのピアノの総数は、(100万/10)=10万台程度 ー> ・ピアノの調律は、年間に10万件程度行われる ・それに対し、(1人の)ピアノの調律師は年間に250×3=750台程度を調律する ・よって調律師の人数は10万/750=130人程度と推定される フェルミ推定では、前提や推論の方法の違いによって結論にかなりの誤差を生じることもある。 〜 以上のような推定と実際の数値が、変わりないというから驚いてしまう。先日、新潟駅南のジュンク堂に 「フェルミ法則の事例訓練」の本があった。迷ったが買わなかったが、面白そう。推論の訓練も面白いだろう。 ・・・・・・・・・ 2779, アメリカは、どう転んでも、最小の損失! 2008年11月13日(木) こういう微妙な時期には「産経新聞」と「毎日新聞」の論説の方が、読売、朝日、日経より筆先は鋭い。 サブプライムローンの、問題の深さを解りやすく説明しており、民主党のオバマのスタッフが、クリントン時代の 面々が返り咲き、国債の「奉価帳」を回してくることを予測する。 今度の緊急サミットも、そのために使われるだろう。 アメリカの消費バブルと、中国が生産バブル、そして日本が金利ゼロの金融供給のバブル、それが一挙に破裂したことを 解りやすく書いている。 一番の加害国のアメリカは、実際のところ、大恐慌になっても、ドルもアメリカ国債の価値が 失墜しても、あまり困らないのである。損失は紙代だけという穿った見方もできる。 困るのは、紙を溜め込んだ日本と、 中国、そしてアラブの連中だけ。だから、アメリカの脅しにのり、更に紙を引きうけ、セッセと生産品を送り続け泣けれ ならないのである。 その結果、待っている事態は、戦争であある。 −まずは、その内容から (字数の関係で中間カット2009年11月13日) ・・・・・・・・・ 2007年11月13日(火) 2415, 閑話小題 才ノヽ──d(∀`d*)─(*b´∀)b── *古着の処分* 今まで、古い背広を思い切って処分をした記憶がない いや、数年前に処分したつもりであったが、よく見たらまだ何着もあった。 (字数制限のためカット2010年11月13日) ・・・・・・・・ 2006年11月13日(月) 2050, あたりまえなことばかり −6 \(≧ロ≦\)オハヨウ! サン 著者の幸福論もシンプルで解りやすい。幸福など観念でしかない、観念をカタチに求めるから‘こんなはずではなかった’ という結果になってしまうのである。それはあれ等、軽いタレント同士の結婚の破局をみれば分かることだ。 家庭内を含めると半数以上の夫婦間が破局するのも、このような無知からきている。 まあ、相性もあるが・・・ 幸福論は、格言以外あまりまともには読まないが‘付随してくる感情か、自分を納得させるための方便’にしか考えてなかった。 この著では、タレントとか有名人の表層の幸福のカタチは、動物レベル?になるが・・ コミックとしてしか誰も観ていないか、いやまともに見ているから恐ろしいのか! 「あたりまえなことばかり」 ・ 幸福はどこにあるのか ー 何ものでもない心の状態としての幸福というものを、ほとんどの人は物質に似たものとして人は思い込んでしまう。 人は「思い込みの動物」である。 動物存在として「カタチあるもの」をのみ幸福と思い込むのは自然である。 そのレベルでは、目に見え、触れるもののみが存在する。生存するために存在する。しかし動物は、そのような自身のありように 自身のありようを問わないであろう。人間のみが、その生存において、自身の孝・不幸を問う。このとき、その理由によって 孝・不幸は一つの思い込みになる。カタチあるものを、カタチない孝・不幸と同じように、カタチないものを、カタチあるものに 孝・不幸を求めてしまう。カタチなきものを、カタチあるように思い込む、 の思い込まれる思い込みを、通常は「観念」という。 孝・不幸もその意味で観念である。幸福とは何がしかカタチないものと予感しながら、カタチ無いままにさせておくことが出来ず、 何がしかのカタチあるものとして捉えては、捉われる、とか。例えば、カタチなきものであるはずの「愛情」を求めようとして、 人は結婚や家庭というカタチを求める。あるいは、カタチなどあろうはずが無い「自由」を求めようとして、「自由」「自己実現」 というカタチを求める。はたして幸福でない心に、幸福な生活があり得るだろうか。心は、いわば分母の一のようなもの。 心が不幸であれば、いかなる分子も不幸であろう。分母が幸福であれば、いかなる分子も幸福であろう。あれこれの生活の ありようなど所詮は分子的な存在でしかない。ここで問題のなるのは、「私」とは、では誰のことなのか。 他人と比べての孝・不幸であるところの「私」とは誰なのかの問題になってくる。 「私は私である」「私は個人である」とは、「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。 この限り「私」とは、一つの観念なのである。人は自分を「個人」と思い込むことによって「幸福を個人の領域」 に押し込んでしまう。財産や地位など有形のものも等しく「個人の所有」とみなして、その所有を幸福と思う。 (字数の関係でカット2011年11月13日) ・・・・・・・・ 2005年11月13日(日) 1685, ザ・マインドマップ−3 −読書日記 (~O~)ふぁ・・ ー技術的ルールとして、 1、強調 ・中心イメージを置く ・絵を使う ・中心イメージには3つ以上の色をつかう ・イメージと言葉を立体的にする ・感覚にうったえる−視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚など ・字、線、イメージの大きさに変化をつける ・スペースを整理して使う ・適当な余白を残す (ρ_-) 2、連想 (字数の関係でカット2008年11月13日) ーーーーーーー 2004年11月13日(土) 1320, 2000年前のポンペイ −3 小プリニウスの「手紙」−1 ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。 ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、 発掘が始ったのが18世紀の半ば。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。 まだ発掘してないところが多くあるという。歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。 当時まだ17歳だった青年の2通の手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。 その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。 その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官として ナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。 歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談。 この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。 「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。 発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。 ◎ 小プリニウスの「手紙」 ー6月16日の手紙 伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け、私は嬉しく感じました。 というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。 恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。 また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に書き留められる とすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。 私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるいは価直のある文章を書く能力を神から 与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。 私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。 (字数制限のためカット2010年11月13日) ・・・・・・・・ 2003年11月13日(木) 953, 腰痛ー2 腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。 いつも季節の変わり目に出るが、私は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。 いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。 間接的には、パソコンと寒さがあるが散歩の後、屈伸とストレッチをしたのが悪かったようだ。 腰痛について書こうと思って過去の随想日記を調べたら、去年の連休後に 書いていた。五月の連休後も例年腰痛が出るのだが、今年はどういうわけかなかったが。 腰痛になると何もする気が起きなくなる。また一回一回ごの痛みの内容が微妙に違う。 しかし今まで一回も医者がかりはない。経験上、暖めていると長くて10日で大体は直ってしまうからだ。 その治療法を40年近くしている。 インターネットで調べたら、腰痛にも色いろある。 デスクワークの人や、お産や生理が原因であったり、内臓の負担からくるものや、運動のやりすぎ、等々ある。 今朝おきたら3分の1位に痛みが減っていた。全治四日の予測が当たっていたようだが、どうなることやら。 ーーーーーーー 401, 腰痛 - 1 2002年05月09日(木) (字数の関係でカット2008年11月13日) ・・・・・・・ 579,ある時間の断片ー11 - 2002年11月13日(水) 1968年 9月29日ー日曜 8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。気持ちもすっきりした。午後は3時間、明日のための準備の読書だ。 そういえば最近寮の他の人との距離が出てきた。仕方がないが、あまり開放をしていると自分の世界が保てない。 彼らは彼らの価値観があるのだ。 当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから仕方がないことだ。 これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。 そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。 1968年 9月30日ー月曜 8時10分前起床、学校に出発をする。 武澤ゼミに参加する。 武澤先生に皮肉を言われた ー少なくとも私のいい加減さを指摘されたと感じた −気持ちだけは積極的になっているが、 その実はやっていることはいい加減だということだ。 ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。 気持ちが落ち着かず中途半端であった。 校庭であった奥野と中野と話をする。試験がその後あった、 ここは出ないと思っていたところが出てしまった。もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。 兼子と池袋駅まで一緒であった。 バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。 帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。 少しの時間だが食事をして話をする。 何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの動揺が残っている。 現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか? 今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?
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| 3883, 無知蒙昧が老いると、無知老害! ですか |
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2011年11月12日(土)
「無知蒙昧」が歳をとると「無知老害」になるというが、成るほど老いてきて、つくづく実感する。 何事も知っていると知らないとでは天地ほどの開きが出てきて当然である。それが自覚出来ないのが人間の儚さ。 それでも情報機器の飛躍的進化で私たちは、情報(知ること)が無限に近く入手可能になってきている。 とはいえ情報蓄積と、分析と加工のベースがないと、情報が、そのまま通過するのみ。 知識の蓄積と知恵への変換の基礎教養が が必要になる。そのため己の無知蒙昧を自覚するのが、第一歩。 「無知の涙」という死刑囚の執筆があるが、これは万人の姿。 人生を精一杯生きるほど、自分の限界線が鮮明に見えてくる。 何度か極限を見えたことがある。その先は何とか意識的狂気で 乗り越えた。 事故死をしたレーサーの名言がある。「誰もが極限まではやる。問題は極限の先を何処までやるかだ」と。 限界を超えようとすることを狂気という。 自分の正気は小さな限界を示している。 狂気こそが、その限界を破壊してくれる。 正気の世界のみで生きている人たちこそ、蔑視に値する人としてみると、成るほど合点がいく。自分の現在だからである。 正気の世界のみで生きた人生こそ「正気の沙汰」の人生になる。「若気の至りがない人生こそ、若気の至り」も同じこと。 「若気」こそ、人生のヒントが隠されている。この言葉から「老気」という造語?が浮かぶ。 歳相応の「老気」も悪くはないが、 人生を旅路とすると、最期まで旅そのものを楽しむ「若気」は失わない方が良い。私たちは、あまりに人生を無意味に生きている。 それもこれも、死んでしまえば皆同じ、と思えれば良いが、心は足りなかった部分にいく。 それが無知老害になっていく。 これ、顔に出るから恐ろしい! 最近、鏡を見るのが恐ろしい? ・・・・・・・ 3518, 不況景色とは、こんなもの? −2 2010年11月12日(金) これまで何度も書いてきたことだが、日ごと娑婆が留まることなく冷え込んでいると実感する。 「来年2011年から2012年にかけて世界も日本も大きな節目になる」と仮説を立てると、現在の深刻度がはっきり見えてくる。 二年前、アメリカのプライムローンの債権ばらまきから発した金融恐慌が、本格的に世界経済を大混乱に陥る時期である。 1929年に始った恐慌も大波は3〜4年後の1932年〜33年度にきている。その一番の大波がまず日本に来る。 アメリカの軍事・金融属国の宿命で、当然といえば当然。悪いことに、その時期が団塊の世代が大方、年金生活に入る時期に重なる。 その引き当て財源の多くがアメリカ国債などに化けている。 それが表面化すると一挙に円高から円安に転換し、5〜10年かけて 300円まで下がると予測される。あと数年で国家予算すら組めなくなり、国家の信用失墜となり、長期金利の上昇をもたらす。 不動産は底抜けし、株は暴落、ハイパーインフレが吹き荒れる。 日本がG8の中で最初にデフォルトを起こし、IMFの管理国家として 悲哀を味わうことになる。これが近未来に起こる大波の現象である。 現在は、まだ預金が1400兆円あるというが、 それらはハイパーインフレで価値が激減する。 一部の資産家は金の現物か、香港、カナダか、オーストラリアの国債に替える等の 避難をするが、一般人は丸裸に近い状態というイメージがわく。 この5年間の年替わりの政権たらいまわしをしてきたツケが、 今後10年の間、さらに低落に拍車をかける。 日本の政治システムが激変に対応できないのである。 これらを考えると悲観的に なってしまうが、これが現実。 割り切るしかない。 これも情報化社会の到来による劇的変化の一現象でしかない。 ・・・・・・・・ 3143,プロ野球の順位予測と結果 2009年11月12日(木) 毎年、毎日新聞の「記者の目」のコーナーで、スポーツ記者10人によるプロ野球の順位予測が、開幕前に取上げられる。 それぞれのリーグに5人ずつの記者が予測するが、その平均予測順位はセリーグ、巨人、中日、阪神、広島、ヤクルト、横浜。 結果が巨人、中日、ヤクルト、阪神、広島、横浜だった。 ヤクルト5位の予測が3位に入れ替わっただけだから、 良しとしなければならない。しかし、パリーグが惨敗で、予測平均は西武、ロッテ、日本ハム、オリックス、ソフトバンク、 楽天。 そして結果は日ハム、楽天、ソフトバンク、西武、ロッテ、オリックスというから惨憺たるもの。 特に西武が完全に外れ。その原因はコーチの大久保と、黒江が抜けてチーム全体が緩んでしまったことを上げていた。 さっそく大久保の現場復帰が決定された人事が発表されていた。 それと楽天を最下位に5人中3人が予測していたから、 これまた大きな外れといってよい。一位日ハムを予測した者は誰もいなく、もちろん二位楽天も一人も予測する者は無かった。 野球はチームプレーで、チョッとしたコーチの配置で、結果が変わってくる。だから、面白いのだろう。 −−− 記者の目: プロ野球順位 私の敗因「西武4位」 =田中義郎 プロ野球記者を通算14年務め、担当球団のリーグ優勝4回、日本一2回を目にした。それなのに2年連続で全部ハズレ。 読者の皆様に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「なぜ外したのか」を考えてみた。野村克也監督率いる楽天の2位躍進を 予想できなかった人は私も含めて多いが、それ以上に私の「敗因」は昨年日本一に輝いた西武の4位転落だ。中島裕之、 中村剛也両内野手や涌井秀章投手ら20代の選手が自信と力を付け、連覇を疑わなかった。 西武低迷の理由を探る中で、組織内の「人」の重要性を痛感した。日本一になったチームと今年の大きな違いは大久保博元、 黒江両コーチがチームを去った点にある。・・(中略) 3人が「仲良しグループ」ではなかった点が、互いの責任を明確に できたのだと思う。 90年代に黄金期を迎えた西武では、当時もヘッドコーチだった黒江さんが森祇晶監督に、 作戦面で何度もかみ付いた。選手も、マウンド上で野手が投手に「何で打たれるんだ」などと半ばけんか腰になっていたという。 ・・・・・・・・・ 2778, 世界は一冊の本 2008年11月12日(水) 次の詩がよい。その中の「本でないものはない。世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。」 私が秘・異郷ツアーに魅せられるのは、世界の開かれた本を正しく読めるからだ。それぞれ一期一会の出会いがあるからだ。 そして感動し、考えるのである。 生きるとは感動し、そして考えることなのだ。 ーー 「世界は一冊の本」 −長田弘 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。 書かれた文字だけが本ではない。 日の光り、星の瞬き、鳥の声、川の音だって、本なのだ。 ブナの林の静けさも、 ハナミズキの白い花々も、 おおきな孤独なケヤキの木も、 本だ。 本でないものはない。 世界というのは開かれた本で、その本は見えない言葉で書かれている。 ウルムチ、メッシナ、トンブクトゥ、 地図のうえの一点でしかない 遥かな国々の遥かな街々も、本だ。 そこに住む人びとの本が、街だ。 自由な雑踏が、本だ。 夜の窓の明かりの一つ一つが、本だ。 シカゴの先物市場の数字も、本だ。 ネフド砂漠の砂あらしも、本だ。 マヤの雨の神の閉じた二つの眼も、本だ。 人生という本を、人は胸に抱いている。 一個の人間は一冊の本なのだ。 記憶をなくした老人の表情も、本だ。 草原、雲、そして風。 黙って死んでゆくガゼルもヌーも、本だ。 権威をもたない尊厳が、すべてだ。 200億光年のなかの小さな星。 どんなことでもない。 生きるとは、考えることができるということだ。 本を読もう。 もっと本を読もう。 もっともっと本を読もう。 ーーーー ローガウの「格言詩」の中に「世界は一冊の本であり、人間ひとりひとりは活字である。 国々は綴じひもであり、時代はページである。」という詩がある。 これを人生という視点で置き換えると「人生は一冊の絵本であり、出会ったひとりひとりは挿絵である。 家族は綴じひもであり、時代はページであり 筋書きは愛である」という詩ができる。 それにしても、「世界は一冊の本」の詩は、ひとことひとこと胸に刺さる。 ・・・・・・・・ 2007年11月12日(月) 2414, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −2 オハヨウ (▼皿▼#) ! この本の中には検事の職業の裏と表を、あますことなく書いてあるが、次の言葉が解りやすく象徴的である。 「検事を含め法曹界におけるわれわれの仕事は、しょせんその「ドブ掃除」にすぎない。 正義を振り立て、人をリードする職業などではない。人間のやった後始末をするだけだ。 それも人間のいちばん汚い部分の後始末である。」それゆえに、ヤメ検は裏社会に適応するのだろう。 ー前回の続きの部分をコピーしてみるー (字数制限のためカット09年11月12日) ーーーーーーー 2006年11月12日(日) 2049, あたりまえなことばかり −5 オッハ ∠_(o ̄∇ ̄o) {「私」のための現代思想 }の読書日記を17回にわたり書いたが、ここでの著者の「私」についての、解釈も面白い。 「私」については、知れば知るほど面白い。ソクラテスの「汝自身を知れ」ではないが、汝が居てはじめて「私」が存在する。 複数の汝によって、「私」は社会の存在者として表出する。 ー 生きているとはどういうことか ー 科学的世界観時代のドクマとして、自分は肉体であると思い込むに至る。しかし自分は肉体であるとは、どういうことなのか。 それを極言すれば、自分とは脳であると、現代人は9割がたの人が疑ってない。「私」という言葉で、精神、感情、心とかいった ことも含めるんでしょうが、精神的なことも脳波を測定したりしていますが、「私」は果して脳なのでしょうか。 脳には触れることができるとしても、考えそのものには触れることはできません。 感情だって、同じである。 「私」という存在にもっとも驚いたのは近代哲学のデカルトである。なんだこれは。考えている「これ」です。 「精神」「コギト」と彼は言いましたが、非物質の精神の存在、コギト。 彼はそこで失敗したのは、それに「私」 という名を持ってきてしまったことだ。そこに「私という名を持ってくると、どうもそこに私が存在するようになる。 問いとしてあべこべになってしまう。 つまり考えている「これ」に「私」という名前を当てたに過ぎないのであって、 「私」というものが予めてあるのではない。何かにあてられた一人称代名詞。これも名前に過ぎないということに気がつきます。 この一人称代名詞「私」は一体、何を代名しているのか。 最近「自分探し」というのが巷で流行っているそうですが、 これは方向としてあべこべで「私」という何かが何処かに在ると思っている。 たぶんそれは社会的なアイデンティテーが欲しいということなんでしょうが。 それは正しい問い方ではない。 「私なんてものは、無いんですから。無いにもかかわらず、考えている何かがある。それは何か、ですから。 「何が私という名前で呼ばれているか」これが哲学的な問いです。どうも「私」は物質ではないらしい。非物質。 それと「私」は死なない。 死が無いから、「死後」は問えない。死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして 時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。この誤りに気がつけば、すべては、今ここにすべて存在する、 ということに必ず気がつきます。「私」が死なないという意味であって、死後にも生きているということではない。 なぜだか、全ては今ここに存在すると知っているこの何者かは誰なのか、これが正当な謎として立ち現れてくる。 このような不思議な存在に対して、「魂」と言いたくなる。しかし魂という言葉はつかい方が非常に難しくなる。 何か実体があるような、そういうものが生まれかわりするようなイメージになりがちです。実体的イメージ。 しかし、すべてが今ここに存在しているのだから、前世来世を問うのはナンセンスです。 だからと言ってそういうものが無いというものでもない。 とはいっても「私は私である」「私は個人である」とは、 「私とは誰なのか」という問いを止めてしまった我われの思い込みである。 ーーー ー死後が在るか無いかという問いの間違いは、死が存在するとして時間が前方に直線的に流れているという誤った表象に基づきます。 ーここがポイントではないか?「死があると信じて時間が直線的に流れている」と、思ってきたが少なくとも私は死なないのである。 「すべては、今ここに存在する」と、「死は無い」とが、 深く結びついているのである。 「永遠の今ここ、そして永遠の、《私》」ということか・・ 死(0_0)〜† しっし "ゞ(`') 死ぬわけ無いじゃん、わたすは私だから (*^ワ^*)i ホンジャ バイバイ ・・・・・・・・・ 2005年11月12日(土) 1684, ザ・マインドマップ−2 いままで読んできたブザンの本を開くと、どの本も「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、 世界が光り輝いているような開放感になる。 絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。 思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界への世界を直感させる。 この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。 頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。 考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。 多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。 学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。 ー要点をまとめてみたー マインドマップの目的といえば 1、思考を発展させる新しいコンセプトを知るー放射思考 2、これで人生のあらゆる場面で最大限に利用するために革新的ツールをしる −マインドマップ 3、思考プロセスの仕組みや発展はコントロールできること、 創造思考能力は理論的に無限であることを知り、脳の能力を大きく開放する。 4、放射思考を体験して、知的技術や知性の水準を向上させる。 5、新しい世界を学ぶことで、興奮と発見の喜びを知ることができる。 マインドマップの特徴として、 A,中心イメージを描くことによって、関心の対象を明確にする。 B,中心イメージから主要テーマを枝のように放射状に広げる。 C,枝には関連する重要なイメージや言葉をつなげる。 D,あまり重要でないイメージや言葉も、より重要なものに付随する形で加える。枝は、節をつなぐ形で伸ばす。 これに、色、絵、記号、立体化などを加えることで、面白さや美しさや個性などが出てくる。 このプロセスで「連想」が出てくる。この連想が多くの無限の力を引き出してくる。 天才は、そのことを知っており、多くの業績を残していった。 マインドマップは、言葉よりイメージ(絵)を中心におくことでさらに威力を発揮する。 言葉とイメージを結びつけることによって、脳の力を倍増させていく。 ー つづく ーー 以上の文章を マインドマップ的に、『島』にしてみた。 ^^^^^(^_^)/ いままで読んできたブザンの本を開くと、「絶対肯定の部屋」のドアが開き、アルファー波が飛び出てくるような、 世界が光り輝いているような開放感になる。絶対的な可能性が簡単に手に入るような気持ちにさせてくれるからだ。 ( ̄〜 ̄)ξ 思考を直線的一次元から、平面的二次元、そして放射的な拡大で三次元、多次元の世界への世界を直感させる。(`´)ゞ この効果として、要点をまとめやすくなり、それぞれの関連をすばやく明確に理解しやすくなる。 頭に中にある「!」を、言葉にするための中間段階としての役割を果たしてくれる。 考えていることを、書くことへの移行段階が成否を決するのだ。ほとんどの人が、この段階で失敗してしまうのだ。 (;´Д`) 多くの知識を溜め込めば溜め込むほど、その詳細をまとめることができなくなる。 学生時代に卒論で四苦八苦した経験があるが、この方法論が解っていたらエネルギーは10分の一済んだろうに。 ー要点をまとめてみた (字数制限のためカット09年11月12日) ・・・・・・・・ 2004年11月12日(金) 1319, スリッパの原則 新聞広告の欄を見ていたら、新刊本で『スリッパの法則』という文字が目に入ってきた。 事務所でスリッパを履き替えさせる会社は要注意という。以前から、このことは言われていたことだが、 本の題名になるのは初めてである。 当社もメンテを考えて、移転する前の事務所からスリッパに履き替えていた。 (字数制限のためカット11年11月12日) ・・・・・・ 2003年11月12日(水) 952, 「殴られ屋」ー読書日記 http://www.rosetta.jp/hareruya/back.html サロンのコーナーに貼り付けてある。 世の中には、想像を絶した生き方があるものだ。 「殴られ屋」の存在は「ホームレス作家」を読んだ時に、 そのレフリーのアルバイトをした内容が詳細に書いてあったので知っていた。 その本を図書館で偶然見つけた。 しかし借りてきて暫くの間は、手に取ることができなかった。気の毒で正視できない思いが先立ったからだ。 しかし、読んでみてサッパリした体育会系の生の必死さが伝わってきて好感の持てる内容であった。 人間死んだ気になれば、何でもできるものである。そして、その凄みが周囲の人に感動を与えていく様は素晴らしい。 ー以下は字数の関係でカット(11月11日)ー ・・・・・・・・ 578, 読書について - 2002年11月12日(火) 以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。 小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。「一冊の本からその真髄を一つを掴め! 多くのものを得ようとするな!」そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は知識の宝庫に変わる。 立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。勿論嬉しいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当にモノにしてきただろうか というと疑問だ。「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」 とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。 読書の一番の要諦はこれしかないのに。 多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは? また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは? このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んでいるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、 作家や記者などの物書きの凄さが解ってきた。 文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。 そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、人間の脳の中枢を刺激されるからだ。
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2011年11月11日(金)
* カラスの怒り 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと 50センチ位の間近かに鉢合わせをした。カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていった。 しかし体制を立て直したのだろう、30Mも行かないうちに自転車の数メートル先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇してきた。 それを4度も繰り返したことから、怒り心頭が分った。 カラスにも人間のような意地があるようだ。 散歩などで時おり威嚇してくることがある。 黒色系の服装が刺激するのだろう。 鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。 それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。 人間社会との微妙な距離を守り、共存している。 土鳩とカラスと雀は世界の街の何処にでもいる鳥である。
* オリンパスの飛ばし オリンパスの飛ばしと英国人社長の解任事件、英国人の優秀な人物を社長にしたのはよいが、その男は一神教の堅物。 彼を引き上げた実力者の意図と違った行動を始め即刻、首なった。 ところが、その英国人が内幕を暴露をし、 世界的なニュースになってしまい、実力者の元社長は追放され、司直が入る可能性が出てきた。 これが現在、伝わってくる情報。 飛ばしは、粉飾決算の手法の一つ。 それが銀行と証券会社主導かが問題視されている。 飛ばしは日本だけの慣習なのか? 世界共通の手法かは分からないが、これを切欠に、次の飛ばしの会社が槍玉になってくる。次は、どの会社かは情報筋は 分かっているはず。 この事件はアメリカにとっても、大きな日本バッシングのネタになる。今度は、オリンパスが買収される側になる? 一英国人からみた、日本の経営的慣行は、非常に歪んで見えるのだろう。それが白日に曝されるのだから・・・ アメリカは、TPP交渉に日本を引きずり出す絶好のネタとして、最大限、使ってくるはず。 ・・・・・・・ 3517, 不況景色とは、こんなもの? −1 2010年11月11日(木) * 繊維業界の不況景色とは? いずこも似たようなものだが、昨日の朝のNHKニュースのレポートで岐阜を中心とした繊維不況の実態を映し出していた。 デフレに対する人件費の削減のため、中国人を研修目的の名目で入国させて何とか凌いでいたが、研修目的という題目の 低賃金が法律で禁止されることになり、先行き真っ暗という。ついに、来るところまで来てしまったという深刻なもの。 30年前に5年近く実家の衣料量販店をたずさわり、岐阜や広島などの生産現地に仕入れに行っていたこともあり、その深刻度が 直に伝わってくる。現在は業種は変わってもほぼ同じような問題で地域経済は喘いでいる。 住宅も、車も、電気製品も、 エコポイント制度による前倒し需要で何とか今年は凌いできたが、問題は来年はどうなるのか?である。 前倒し需要の反動がモロに日本を覆うことになり、来年は更に冷え込みが大きくなる。考えただけで恐ろしい。 また消費税の増税も待ったなし、ときているし、さらにTPP(環太平洋湾自由貿易)で、農業も例外なく自由化されれば、 日本の農業は大打撃を被ることになる。もし参加しないなら、日本経済そのものが壊滅的打撃になる。 一昨日の同じニュースのレポートは、目と耳を疑う内容。「風俗嬢の派遣会社に一般主婦の応募が急増している」という。 顔を隠しているが、サラ金の借入れが厳しくなって、手っ取り早い風俗に昼間行っているという。週に4〜5日、 6時間で月40万になるという。 朝のNHKが放送する内容ではないが、時代は、そこまで深刻ということ。 もう自明になったが、民主党に政権を取らせたことが間違い。今年の暮れか来年早々、政変で自民党と民主党の小沢派が 大同連合をつくり、この難局を乗り越えないと、国家破綻が現実的になってくる。 アメリカのCIAは、あらゆる手を使って 阻止してくるが、それしかない。 まったく、どうなってしまった日本よ! ・・・・・・・・ 3142, 最近、いやに時間が短く感じるが 2009年11月11日(水) 齢を重ねるごとに、あれだけ長く感じていた1年があアッという間に過ぎ去る。 還暦を過ぎてから、それがますます激しくなっている。 日常生活に大きな変化がないためだろうが。 年齢を重ねるほどに、時が経つのが早くなるのは万国共通のこと。 これは実験でも検証されており、 「数十秒から数時間という経過時間を被験者に評価させると、加齢に従い短い時間を報告する」という。 また、苦しい時間はユッタリ流れ、楽しい時間は短く感じるのはどうしてか?などを突きつめると面白いはず。 「大人の時間はなぜ短いのか」一川誠著に、時間に影響を及ぼす主な要因としては 次の4つが挙げられていた。 ・身体の代謝= 代謝が高まると時間をゆっくりに感じる。1日の内でも代謝の関係で午前がゆっくりで 午後が速く感じられるようだ。 代謝は加齢に伴い低下する。年を取るほど時間経過を速く感じる一因となる。 ・心的活性度=緊張や興奮によって時間経過は速く感じられる。実験では逆にクモ恐怖症の人をクモと 一緒の空間に閉じこめると時間が長く感じられたという。 ・時間経過への注意= 時間を気にすると長く感じられる。時間経過への注意が時間を分節化してしまい、 分節化された時間帯の数を多く感じることで、長いと感じるという仮説がある。時計を度々見ると長く感じる! ・他の知覚様相の状態= 広い空間では時間はゆっくり。刺激が多い時間は速い。 受け取る情報に脈絡やまとまりを感じていると速く感じる。目や耳で感じる印象と物理的実在のずれは案外に大きいことがわかる。 時間感覚のずれも錯覚の一種としてとらえている。 今後、研究が進んでいけば、錯視パターンのように、 人間の時間経過を操作する技術が発見できるのかもしれない。人間には心地よいと思える「精神テンポ」が備わっているとか。 ーー なるほど、どれもこれも、納得できるものばかり。 分子の一年を、生きてきた分母で割ると、 その分母が大きくなる分、導き出された答えは小さくなる、すなわち短く感じると、単純に考えていたが、 他にも多くの要素があるようだ。肉体の新陳代謝のテンポや、齢をとるごとに刺激の感受性が少なくなるのも理由。 要は老化現象で時間が短く感じるということか。 長い時間をかけて、人間は自然とユッタリ身構えるようになる。 ・・・・・・・・・ 2777, 仮説思考 −4 2008年11月11日(火) 棋士の読みの一手は、仮説思考そのものである。 次の文章で、そのことを上手く表現している。 制限時間のかなで、判断しなくてはならないから、一瞬の仮説思考が必要になる。 羽生は、ここで「直感の七割は正しい」といっている。面白い確率だが、彼の天才的な能力だから七割なのだろう。 共同体の中で、共同幻想を持って、そのことすら気づいてない我われは、仮説の世界で生きているようなもの。 棋士の目で経営アドバイスをすれば、良い助言が出来るだろうに。 *天才棋士は一瞬で打ち手を絞り込む P−32 プロ棋士、羽生善治は稀代の天才棋士であることはいうにおよばないが、仮にビジネスの世界に進んでいたとしても、 かなりの確率で成功を収めたに違いない。なぜ、そんなことをいうかといえば、それは羽生が仮説思考の達人だからである。 羽生の棋風はオールラウンドで幅広い戦法を使いこなし、終盤に繰りだす妙手は「羽生マジック」と呼ばれる。 「マジック」の使い手ということになるが、こちらも妙手の秘密について著書「決断カ」で言及している。 羽生は将棋で大事なのは決断力だという。すなわち意思決定だ。決断にはリスクを伴うが、それでも「あとはなるようになれ」 という気持ちで指すのだという。そのときの意思決定を支えているのが仮説思考である。 将棋には、ひとつの局面に八○通りくらいの指し手の可能性があるが、その八○をひとつひとつ、 つぶさに検証するのではなく、まず大部分を捨ててしまう。八○のうちの七七、七八については、これまでの経験から、 考える必要がないと瞬時に判断し、そして、「これがよさそうだ」思える二、三手に候補手を絞る。これはまさに仮説思考だ。 八〇のうちから、よさそな三つの答えを出す。そして、その三つについて頭の中に描いた将棋盤の中で駒を動かして、検証する。 大胆な仮説を立てて、「これでよいのではないか」と指しているのだ。 羽生は「直感の七割は正しい」ともいっている。 直感は、それまでの対局の経験の積み重ねから、「こうういうケースの場合はこう対応したほうがいい」という無意識の流れに 沿って浮かび上がってくるものと思う、ど羽生はいう。 こんなこともいっている。 「判断のための情報が増えるほど正しい決断ができるようになるかというと、必ずしもそうはいかない。 私はそこに将棋のおもしろさのひとつがあると思っているが、経験によって考える材料が増えると、逆に、迷ったり、心配したり、 怖いという気持ちが働き、思考の迷路にはまってしまう。将棋にかぎらず、考える力というのはそういうものだろう」 将棋の対局の軽験をビジネスの経験に置き換えても同じことがいえる。ビジネスにおいても、問題の原因と解決策について、 あらゆる可能性を考えるよりも最初に焦点を絞って飯説を立てることが大事というのは、これまで述べてきたとおりであり、 それは、経験に裏打ちされた直感力、勘によるものだ。 −−− 羽生棋士の話より、多くの仮説から瞬時に一つを選ぶ‘決断’の重要性を教えられる。 孫子の兵法で「巧遅より拙速」というが、そのためには高度の経験の蓄積を必要とする。 何事も同じである。 ・・・・・・・・ 2007年11月11日(日) 2413, 反転 ー闇社会の守護神と呼ばれて −1 (ォ'`ョゥ) この本を読んで俗にいう娑婆のことを多く学ぶことができた。 バブル当時まで、元の住友銀行が大阪検察の幹部との定期的な会を開いていたことは周知の事実である。 これは検察が定年退職をして弁護士になる時に、銀行の取引先を紹介してもらう見返りに、その銀行に対して逮捕者は 出さない取り決めだという。かなり強引な手法も検察がついているから好き放題できたと、この本にもあった。 やはり本当だったようだ。 地検も法務省の一機関でしかないということだ。 それにしても、恐ろしいことだ。 人間がいるところ仕方がないのか?ーその部分を抜粋してみる。 「反転」 田中森一著 ー地検特捜の恐ろしさー ーP、178〜179ー 平和相銀事件の本質は、岸組による恐喝事件だったはずだ。 それが銀行側の特別背任にすりかわった。 本来、被害者が加害者になったようなものだ。その事件が、住銀の首都圏侵攻に大きく貢献したのは間違いない。 結果的に、われわれ検事は、都心の店舗をタダ同然で住銀に買い取らせるために捜査をしたようにも見えた。 伊坂はすでに亡くなっているが、古巣の検察にこんな騙し討ちのようなことをやられて、死ぬに死に切れなかった のではないだろうか。 この平和相銀事件を体験し、私は東京地検特捜部の恐ろしさを知った。 事件がどのようにしてつくられるか。いかに検察の思いどおりになるものか、と。 《字数の関係でカット2008年11月11日11日) ○´・ω・]ノヂャァネッ ・・・・・・・・・ 2006年11月11日(土) 2048, あたりまえなことばかり −4 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ ー 読書日記 「生死を問う?ー何のためにいきるのか」は哲学上の大テーマである。 このコーナーでも何回も取りあげてきたが、私が一番好きなのは、フランクルである。 「人生に何を求めるか?ではなく、人生が何を私に求めているか?を問うてみよ」である。 せっかく地球に生まれたからには「良く遊び、良く学び、そして良く働くこと」シンプルに言えば、これに尽きる。 彼女ー池田晶子の生死については解ったような解らないような・・ さわりの部分にこうある、「生死に対する、これはという答えなどないが、人は言語を所有するために、 存在するしかない存在についての意味や目的を問うてしまう。言語のせいです。動物は言語を所有していないので、 ただ生まれたから生きている。言語を持ってしまったから、問えない問いを問う不幸、十全には生きられない。 問いを持ってしまったのだから、問うしかないから、問わざるをえない。『何のために生きるのか』」 生を考えるとき、その対極にある『死』を知らなくてはならない。 しかし、死など解るはずがない。 −− 「あたりまえなことばかり」 ー 生きているとはどういうことか ー 「なぜ生きるのか」と問うても、「生きていることはどういうことか」とは、人はあまり問わない。 意味、目的を問う前に、まずは生きているとはどういうことか知りたい。このことを知った上で、そこから初めて生存の意味や 目的を問うべきである。生存を知る前に、死を知っていなくてはならないが、死とは生きていることじゃない!と答えるしかない。 死を知らないくせに、知ったつもりでいる。普通、死は恐い、恐怖、不安であり、いずれは死ぬという前提で人生を送っている。 他人の死ぬのをみて自分に当てはめて類推しているに過ぎない。自分が死ぬという経験は絶対にありえない。 (字数の関係で中間カット2010年11月11日11日) ーーー 内容はダンダン面白くなっているが、字数の関係でここで切る。エピクロスは、「人が生きているかぎり死は存在しないし、 死が存在するときには人は存在しない」と看破した。言葉を持った人間が死という言葉を持ったために、死という言葉の影に 脅えているに過ぎないということをよくよく納得しないと、生きかたを間違ってしまう。でも、言葉でわかったつもりでも、 「生きているうち、死んでしまえば、それまでよ!」と思ってしまうから困ったものだ。 しかし、死ぬという言葉自体が生きている人間が死体をみて、いや抜け殻を見て名づけた言葉である。 しかし仏教では「生老病死」というんじゃないか?でも、あれ宗教じゃないか! いや元々は宗教ではなかった。 死という字がよい、一の下に夕ヒである。夕陽が地平線の下に消えるのが人生の終わり!何ともロマンッチクである。 この辺に答えがあるのじゃないか?いや、一は生きている方が勝手に思っていること?当人は、その線の一は無い!のか? ・・・・・・・・・ 2005年11月11日(金) 1683, ザ・マインドマップ−1 −読書日記 ブザンのマインドマップに関しては、「頭の良くなる本」「自分が天才に思える本」「人生に奇跡を起こすノート術」 などを読んでいた。特に初めて「人生に奇跡を起こすノート術」を読んだ時は大きな衝撃を受けた。 その前に、「インスピレーション」というソフトを買って使っていたにかかわらず。 これをノートに切り替えるという、着想がわかなかっただけのことだが。しかし、絵入り、手書きという部分が違っていたが。 《字数の関係でカット2009年11月11日11日) ・・・・・・・ 2004年11月11日(木) 1318, ベスト・エッセイ集ー2 橋本元首相が、数年前に大手術をしたことは、ニュースで知っていた。この本の中に、その時の生々しい心情や、具体的な 日々が書いてあった。何かキザな鼻持ちのならない男と見ていた存在が、急に身近な一人の人間に思えてくるから不思議である。 またTV「お宝鑑定団」に出ている中島誠之助のエッセイもあった。普段知ることのできない骨董品の世界を覗き見ることが出来た。 骨董の世界は本物、偽者が混合している世界。本物の中でも、価値が大きくわかれている深い世界である。 ー中島のエッセイの印象に残ったところを抜粋してみる。「骨董の世界では、初めから人をだますために作られたものを、 偽者にもおよばない最下級におき、『嫌物(いやぶつ)』と呼んで下げすんでいる。 嫌物は、それをこしらえた人化身であるために、そのもの自体に罪がある。それに対して偽者は、その人が作りあげたもので、 品物自体に罪はないといえる」 著名の作家の書く文章は、何気ない日常の描写が鋭く、それを思わせないタッチがプロの凄み。 一流の人は何気ないことでも、その文のタッチで改めて対象を見つめさせてくれる。それが一流の一流たる所以である。 一流の役者が端役を演じると、その役そのものが端役でなくなってしまうから不思議である。何事も魂を込めるからである。 このエッセイ集に選ばれることが、著名なもの書きや、政治家や、エッセイストの大きな名誉となっているという。 この数年分の「ベスト・エッセイ集」をジックリ読んで勉強してみようか。 ・・・・・・・ 2003年11月11日(火) 951, 衆議院総選挙の結果を考える 終わってしまえば、こんなものだろうというのが選挙の結果である。もう少し、投票率がアップするのではと思っていたが、 それにしても低すぎる。総括として「二大政党のカタチが、でき始めた選挙」であった。 以下字数の関係でカット(2007年11月10日) ・・・・・・ 577, 一人旅 - 2002年11月11日(月) (次数制限のためカット 2011年11月11日)
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2011年11月10日(木)
* のんびり、ぼんやりといこか〜 ー スロータイムも悪くない! 第二か、第三の人生のキーワードは何だろと考えると、「ぼんやり、のんびり、のびのび、ほのぼの」という言葉が浮かんでくる。 あまり、のんびりすると、ボケてしまう?。 数十年も緊張の連続の後、これからの人生は、せめて一日のうち数時間でも、 のんびりし、ぼんやりすることも必要だろう。この随想日記を毎日書き続けるのも結構、緊張をする。スケジュールに沿って 生活しているので、一日中は、ぼんやりしていられない。 一応、午前中はスケジュールを満つにして、午後はフリーにしている。 最近、「アングリー・バード」という子供向けのパソコンゲームで、午後の一時間は遊んでいるが、これも、のんびりの範疇。 無意味=無価値の時間を遊ぶことも必要? 「定年になったら女房と、のんびりと世界一周をしたい」というのを聞いたことがある。 地方で装置産業を事業としてきたので比較的に時間があった。しかし、のんびりしてきたか?と言えば、そうでもなかった。 しかし節目が変わって、価値観がコペルニクス的に変わり、のんびりする時間が多い人生こそ最大の収穫と思えるようになってきた。 ところで、栗田昌裕の指回し体操で「 さわやか、まろやか、のびやか、晴れやか、ほのぼの 」とブツブツ言いながらする健康法が あるが、これを「ぼんやり」とすると良い。 積極的幸せの追求は、さておき、消極的幸せの追求に重心を移動する時節でもある。 積極的幸せとは、自分の趣味を追及するとか、人に認められるような事、人のためになる事を、追求すること。 消極的幸せとは、 病気や事故にならないように、人の迷惑にならないようにとか、まずは普通の生活を確保して、それに満足する生き方、 無事平穏こそ幸せ、と信じる生き方である。 第二の人生は現状を、これで良しと諦念する生き方?。 年寄りっぽくなってきたが・・ 「歳には勝てない」として生きるか、原野に留まり自分の価値を高め続けるのか、その人次第。それも、生活が安定した上の話になる。 ・・・・・・・ 3516, インターネットは20万年来の革命か? 2010年11月10日(水) 10年ほど前に、「ネットは人類の歴史で20万年以来の大革命である」と聞いた時、20万年前は、 言葉か絵画の出現では?と勝手に思っていたが、先日になって、それが「道具」と知った。 ■一万年前に狩猟・採取から農業・牧畜が始り、■5千年前に5大文明が世界各地で起こり、 ■250年前に蒸気機関が発明され、産業革命が起きた。■ そして人間が道具を使うようになったのが20万年前。 ■脳学者の茂木健一郎は、ネットは言語以来の発明というから、200万年以来の発明ということになる。 200万年の言語というと、掴みどころないので20万年の道具説以来の発明の方がよい。そして、この十年でネットが世界中に結ばれ、 検索にキーワードを入れると世界中からの情報が入ってくる。 さらにブログやツイッターが普及し、各自が情報を無条件に 公開を始めたため、情報が爆発的に増えている。ネット世界の出現で、もう一つの世界が出来たといわれるが、 それが現実世界の上位に立ち始めたことからみて、20万年来の革命的ツールという説も、言葉使用からの200万年説も、 決してオーバーとはいえなくなってきた。そのネットと最先端電子機器が世界を根底から覆していることを、あまり取り上げない。 今さらなのか? しかし現実を見ていると、機器とソフトが独走をして一部の人間を除くと、コントロール不能になり、 政治、経済のあり方を根底から変化させている。政治ひとつとっても、直接に政治に関りない国民の方が、渦中の政治家より、 正しい判断が可能になっているとか、思いもよらない情報が表ざたになるとかで社会を大きく変えてしまった。 現在問題になっている尖閣列島の中国漁船ビデオの流出も、それを阻止すること自体がどだい無理の話。一人の海保職員が 政治を大きく左右することが容易になっているのも、ネットのため。これらによる社会変動は、まだ始ったばかりで、 時間の経過が経つほど大きな影響を出してくることになる。 再度いうが、TV、携帯電話、パソコンなどの進化には驚かされる。 問題は、それをどう使いきるかである。 まさか、これを現実に目の当たりにできるとは! ・・・・・・・・ 3141,自分の年齢から時間の長さを考えてみる 2009年11月10日(火) 産まれて、あと二ヶ月で64年経つが、遥か彼方のようでもあり、それほどでもない感覚でもある。 20歳の人からみたら、大昔に感じるだろうし、90歳の人からみたら、それほどでもないだろう。 そこで自分が産まれた時点から、逆に64年前を考えてみると、128年前、1881年、明治14年である。 私の祖父が、この頃は10歳位になる。 それを考えると、やはり遥か彼方である。 この年を調べると、 ・外国の動きでは、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺 ・明治天皇、東北、北海道巡幸御発輦 ・黒田清隆、大隈重信の国会開設早急論に反対し、三条実美に趣意書提出 大隈重信、参議を罷免(明治14年の政変) 国家の形が出来始めたころだ。 この64年間に第二次世界大戦、朝鮮戦争、米ソの冷戦、中国の文化革命、ソ連の崩壊、9・11テロ、 そして、去年の9・15から始った金融恐慌である。そして眠れる獅子の中国の時代がやってきた。 また、時代とともに家電機器やパソコン、そしてインターネットの飛躍的な進歩で情報社会が 劇的に我われの生活を変えようとしている。もちろん、変わらないものがあるが、潮流は飛躍的に変っている。 三倍の200年の時代を経験してきたようだ。 特に、この20年の変化は劇的であった。 とはいえ、私の産まれる前の64年間には日清・日露戦争、5・15、2・26事件、昭和の大恐慌、東京大地震があった。 世界でも第一次、第二次世界大戦と世界恐慌があった。 世界は激動していたのである。 80歳を一つの目安とすると、あと16年。10年間は恐慌の嵐が吹き荒れる環境で、日本がダウンサイズし、 中国が勃興するプロセスを目撃することになる。また、ITなどのネット社会への激変も目撃することになる。 64年間、十分に世界を見てきた満足感はある。 長生きしなければ、世界の変化を充分に見ることは出来ない。 少し、酒でも控えるか。 もう、遅い? 戦争で兵隊を経験し、戦中を乗り越えてきた80歳後半の人は、 本当に長く生きてきた実感はあるだろう。 彼らは変化を受け入れ、冷静に見ているから、なお、 時間の長さ・短さを実感しているだろう。 これだけ激しい変化を目撃するとは、実際思ってもいなかった! ・・・・・・・・・ 2776, 仮説思考 −3 2008年11月10日(月) 「仮説思考」で、この金融危機を掘り下げて考えみる。 「この一連の金融危機は世界恐慌の序曲である。」と、仮説を立ててみる。 (「もうこれは仮説ではない! 現実である」という私の内なる声は無視する) −−その仮説から考えると−− 「1929年の世界恐慌と比べて、今回の方が遥かに規模が大きく、タチが悪い」と世界恐慌・研究の米国人経済学者が インタビューに答えていた。 経済危機としては歴史的にみて最悪の事態であり、5年や10年のスパンで収束しない事態。 その最大の被害者は一番の友好国である、イギリス、イギリス連邦、日本、サウジアラビア。 次は体質のまだ弱いUCの国々、ロシア、中国である。アメリカの毒入債権を金融機関や個人が多く保有しているからである。 アフリカ系のオバマが、いくらチェンジといっても、それは口先だけのこと、実際はあまりにも大きな壁があり、 早期回復など有得ない。 そうこう考えると、この10年は想像を絶する事態が待ちうけ、世界戦争につながる可能性が大。 「地球システム」の立場からみれば、この狂った猿の自滅が始っただけで、むしろ有益である。 今年の暮から来年にかけて世界中が一挙に不況風が吹き荒れ、倒産ラッシュは避けられない。 5〜6年先には、食品が二倍に値上がり(もっとか?)、消費税が25%、株は5千円以下、土地の値段は現在の半分か三分の一。 生活レベルが現在の半分以下とみればよい。 それでも40年〜50年前の生活に戻るだけである。 それがどうしたといえば、どうもしない。 この予測が悲観的ではなく、現実的な予測。そうなりざるを得ないだけ。 企業には成長対策、競争対策、生存対策、将来(長期)対策があるが、生存対策が最優先の時代の到来になった。 今回の問題は、これまでのドル体制が根こそぎ崩壊していくサインである。 更に悪いことに、ユーロも崩壊に近い状態であり、今後の新しい金融システムの未来像が見えてない。 そうこう考えると、世界は欧州、アメリカ、アジア、アラブ圏などの、ブロック化の傾向が強くなる。 その中で日本は、どのブロックに入っていくかが戦略的大問題になる。 今週末のサミットは異常事態の中での緊急に開催されるが、「驚くべき声明」になる可能性もある。 各国が同時に非常事態を宣言する可能性とか、一時的な銀行閉鎖もありえる。 世界はキセズシテ激動期にはいったのである。 日本でも、世界でも、大地震や津波やサイクロンが発生するし、 異常気象が発生している。 この世界的危機を含め地球システムそのものの変調が原因とみるべきである。 −−−−− 以上が、この異常事態を「世界恐慌」と仮説?して書いたものである。成るほど、書いていて基点が明確であるので、 どんどん言葉が出てくるし、掘り下げて考えやすい。 つづく ・・・・・・・・・ 2007年11月10日(土) 2412, 暴対法について ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜 また、九州で暴力団の素人を巻き込んだ殺人事件があった。こうなったら「暴力団対策庁」を「警察庁」から独立して設立すべきである。 暴対法が出来てまる15年、その社説が先日の産経新聞に出ていたが、この法律が出来てから見るからに暴力団風の男の宿泊は激減した。 またクラシックなパターンのホテルへのカツアゲも殆どなくなった。開業以来ほぼ強請り取られた経験はないが、それでも現場は常に 緊張感に包まれている。地元の暴力団は比較的に大人しいが、それでも数年に一度はニアミスを起こしそうになる。 (字数制限のためカット 10年11月10日) ・・・・・・・・ 2006年11月10日(金) 2047, あたりまえなことばかり −3 オッ(*^○^*)ハ〜 ー 読書日記 難しいことを、わかりやすく書いてあってよい。 考えることは数多ある娯楽の中で一番面白いと・・ 如何にわかってないかをわかること、無知の知の自覚こそ哲学の原点という。そして「きちっと考えれば悩まなくなる」 というが、そのとおり。自由への道を一歩一歩、考えながら歩むことになる。 ーーー 「あたりまえなことばかり」 ー 考えるとはどういうことか ー ソクラテスもこう言ってます。「何も考えても何の得にはならない、しかしわからないことをわかろうと考え始めて、 如何にわからないかということをはっきりわかることができる」彼はこれを無知の知という言い方をしました。 つまりはパラドックスの自覚です。このソクラテスの無知の知という自覚は、哲学の原点です。 考えてもわからないから、なお考えるのです。 逆に、考えるということはそこから始まるのです。 この「考える」ということは、世の中にある他の面白さなど大したことはない、というふうになります。 他の娯楽が多くあるが、直に飽きます。それはその面白さが大したことがないからです。 考えることがなぜ飽きないかというと、いくら考えても先があるからです。 もう少し実用的な言い方をすると、きちんと考えていると、悩まなくなります。 考えることが自分から始まって宇宙まで広がると、その開放感とか自由感は凄いものなのです。 なぜなら、非常に大きなところから自分を見る視点を獲得するからです。 相対的な視点が獲得できると、我われは日常のべったり張り付いている場所に居ながら、 また宇宙大の視点から見ることができるから、非常に自由になれるわけです。 今が日常のすべてと思い込んでいる人が、こういう目を持つことができれば、あれこれ悩んだり喧嘩したり することから開放されるのです。死体が残って、死が何処にもなければ、人は当然、魂という発想を持つわけですが、 これを上手く語る言葉がない。 また魂を語るといって、これは死後を語るということではないのです。 死後とは、これこれであると言ってしまえば、それは宗教になってしまいます。 死後は誰もわかっていないのです。 ですから、古代の人の死生観が如何に自然であったか気づくわけです。 どうやら人が自分を自分と思っている自分は、それほど明確なものではないらしい。 自分と宇宙、自分と他人というものをうまく分けられない。 万物は流転しているようだとだんだん気づいてきます。 そうすると再び、 今ここに居て何かをしている自分は何か、という問いに戻ってきます。 我われがこの地球に存在したことの意味と目的というのは、考えることによって、その不思議さを自覚することによって、 自由になることにあると思います。 我われは考えないことによって、要らないことにいっぱいこだわって、 不自由になっているいるわけですから、考えることによって、それから一つ一つ自由になっていく。 また本来すべての我われが自由であったということに、考えることによって人は必ず気づくはずです。 謎を自覚することは、自由である他になりません。 だからこそ人は、じっくり考える必要がある。考えて自覚すること、 自分が自分であることの謎を 自覚することこそ、この時代の人生を生きることの意味は尽きていると考えます。 ーー 以上が「考がるとはどういうことか」の主旨である。「人間の最上の快楽は考えることである」というのは少しは納得できた。 秘境旅行に行って、サッパリして帰ってくるのと酷似しているから尚のことだ。最果ての地で直感した開放感と自由感は、 その離れたところからの大きい視点を得ることによって、確実な心の基点を裏づけとして、何時までも残る。 それが、哲学することー考えることと酷似ているということである。哲学も、秘境旅行も、その蓄積により自分の中の自由を 大きく切り開いてくれる。我われは、よく考え、よく生きることによって、よき自分の物語を持つことができる。 自分の中に自分の物語と、歴史の物語を重ねることによって、互いのプリズムを照らし合わせて 輝かしい人生にすることが、哲学をすることに求められるのではなかろうか。 ・・・・・・・・・ 2005年11月10日(木) 1682, 「ひとを嫌うということ」−1 −読書日記 学生時代や、勤めていた時代に多くのタイプの人と接する機会があった。また、多人数の兄姉の末っ子ということもあり、 かなりきつい虐めにあった。学生時代の寮やクラブの先輩や、勤めているときに合わない先輩との確執も多々あった。 人間であるかぎり必然である。仏教でも四苦八苦の中で、怨み憎む人と出会う苦しみ(怨憎会苦)を説いている。 ここで取りあげるのは、こういう「程度の高い?」憎しみではなく、普段どこでもあるような嫌いについてであるが。 ひとを好きになることについては多くの本があるが、その反対の「嫌う」という問題を、真正面に捉えている 非常に面白い本である。ひとを好きになれ、しかし嫌いになるなというのは、食べてもいいが決して排泄するな といっていると同じで、無理である。著者の中島義道は、とことん他人から嫌われてきて、そしてやたら嫌ってきたが、 ある日を境に、人生の大問題になってしまった。何となく嫌われていた妻子から、ウィーンで大喧嘩をして・・・ そして徹底して嫌われるようになった。 冒頭の「はじめに」から、すざましい内容になっている。 ー「思えば、母は父を嫌って死の直前の40年間、彼に罵倒に近い言葉を浴びせつづけていた。 その同じほとんど言葉を、今や妻の口から出てくる。 そして、私もまた父を死ぬまで嫌っていた。 いや、死んでからもなお嫌っている。 息子が、また私をはっきり嫌っている。 これは一体何なのだ! 私はみずから生きていくために「嫌い」を研究するしかないと悟った。つまり、私は自分を納得させるために本書を書いたのです」 (字数制限のためカット 10年11月10日) ・・・・・・・・・ 2004年11月10日(水) 1317, ベスト・エッセイ集−1 ’03年度版ベスト・エッセイ集「うらやましい人」がなかなか面白い。 何冊か図書館で借りてきた本の一冊で、殆んど読まないで返そうとした本である。 この地震で図書館が閉館していた為に返しそこねて手元にあった。 何となく新幹線の中で目を通したところ、それぞれが面白い。 (字数制限のためカット 09年11月10日) ---------- 2003年11月10日(月) 950、「泣いて笑ってハッケヨイ」 昨日より大相撲が始まった。そういえば先日、再放送であったが、NHKの人間ドキュメント「泣いて笑ってハッケヨイ」 が良かった。今年の春場所に入った新弟子の何人かを追っていく内容である。 中学を出たばかりの子供が、 わずか数ヶ月の中で全く違った顔に変わっていく。もし自分の子供であったら、涙が止まらないだろう。 気の弱い登校拒否の子が、相撲の中で克服していく姿が生々しく映し出されていた。 ー字数の関係でカット (2011年11月10日) ・・・・・・・ 相撲を考える 2003年9月22日 ー字数の関係でカット(2007年11月10日) ・・・・・・・・ 2003年03月12日(水) 707, モンゴル大相撲 −字数の関係でカット ・・・・・・ 2002年09月22日(日) 527, 大相撲ー頑張れ武蔵丸! まさか貴乃花が千秋楽で同点決勝に持ち込めるとは思ってなかった。 もし優勝をしたら大騒ぎになるだろう。こういう時に勝つのが大スターであるが、 彼はそれを持っている。 しかし心情からみたら武蔵丸の勝利が望ましい。 (字数制限のためカット 09年11月10日) ・・・・・・・・・ 576, ある時間の断面ー10 2002年11月10日(日) ー1968年 9月27日 7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。 石川をチョット無視をする。 たまには薬になるだろう。 図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。 昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。 彼も大変のようだ。 その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調。 石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。 どうしたことか?疲れているようだ。 ー1968年 9月28日 9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、 卒論のまとめをしていると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。 石川と深井と川崎と松村の家に車で行くが、凄い家だ。山の手の家に入るのは初めてだ。 (いや鳩山御殿に、ある会合で映画でいうその他のエキストラで行ったことがあった)その後松村の家を出て、 石川と深井と3人で[[赤と黒」というスナックへ行く。それぞれの性格について話あう。 23時に帰寮後、 服を着たまま寝てしまう。夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。 それっきり眠れない。
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| 3880, 東北大震災と、9・11、9・15を重ねると |
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2011年11月09日(水)
東北大震災と、9・11、9・15を重ねると
東北大震災と、9・11テロ、プラス9・15リーマンショックを重ねると、現在の世界金融危機が見えてくる。 東北大震災は三つの地震が連動しM9の大地震になって、それが10メートルの大津波となって太平洋側の東北の海岸線に押し寄せた。 その上に宮城の原子力発電所を襲い破壊してしまった。 起こりうる最悪の重なり(大地震、大津波、原発事故)である。 その原発事故は今だ進行中である。 9・11テロと、9・15の金融危機の重なりも、ことは重大である。9・11はイスラム対キリスト教の対立。 またリーマンショックも、金融王国アメリカがもたらした経済大震災。アメリカのサブプライムローンを組み込んだ債権を世界中の企業と 金融機関などに撒き散らしたが、今だ塩漬けの状態。 しかし遅かれ早かれ表立って世界中の金融機関を破壊してしまう規模のもの。 今回のギリシャは何とか目先乗り越えたが、次はイタリア、スペイン、ポーランド、アイスランドが待っている。 東北大地震が起きた後の大津波の襲来は、1時間から4時間経ってから海岸線に押し寄せた。 リーマンショックを大地震と例えると、 その大津波は金融恐慌、経済恐慌に例えられる。 前回の1929年の恐慌は、当初の株の大暴落から3〜4年後の1933年に本格的大暴落になって、 大恐慌落に落とし込んだ。 今回はG20を緊急に組んで各国の首脳が対策に努めているので、何とか目先を引き延ばしている。 それも瀬戸際に近づいてきた。 不安を煽るようだが、東北大震災が日本経済に与える影響は、これから。一年一年、ジワジワと我われの 生活に影響をしてくる。 失われた20年とリーマンションショックの時期が重なっているため事態は深刻。 以前は世界規模の戦争を起こして清算してきた。しかし、現代では、そのロスの方が遥かに大きいのは目に見えている。その中で、 世界の指導者も、我われも自然の流れに身を委ねているのが現在。 株式の暴落=Xディーが、何時のなるのか、薄氷の日々が続く。 起こってしまった経済大震災と自然大震災、極めて大きな黒雲が漂っている。 これに情報化社会がもたらす社会変化が加わる。 その結果としての近未来の惨状は世界も日本も第二次世界大戦を超える可能性がある。特に経済的ロスは下々の方が大になる。 その彼らは正常性、同調性バイアスで、日々を過ごしている。 しかし、それも、あと僅かになってきた。悲観的過ぎるかもしれないが、 そうとしか考えられない。私の現状が既に震災の被害を直撃したため悲観的過ぎるのか、そこに身を置いたから分かることなのか? ・・・・・・・ 3515, ユダヤ人の頭脳活性法 ー7 2010年11月09日(火) 「ユダヤ人の頭脳活性法 」手島 佑郎 (著) * ユダヤ人の考え方から何が学べるか ー 日本人は、第一人称不在である。 記憶力が良いことと、自分で問題解決方法を工夫するのは別次元である。 「それについて自分がこう思った。私はここを疑問に思った。私であったらこう考える」という主張が欠如している。 つまり「自分自身は」という一人称が不在である。日本人の、無思考シンドロームの若者の多さは、大人たちの解答直行主義が まいた種子の結果である。学校時代のまる暗記などで大学受験を乗り切ってきた根源が社会に出てからも続いてきたからである。 ベストセラーなど名著を読んでも、その本に感化されるわけでもない、吸収もしない、いわば、消化器の胃腸を持たない食道だけの 状態の人間、知識の食道人間、それが日本人である。ソクラテスもカントもニーチェも、自分の時代の問題を自分のことばで 考えたのであって、他人の言説の解説はほどんどしてない。 対照的に、日本の知識人は、 あたかも自分の考えであるかのように海外の思想を引用し、それを基準に世間の動向を批評している。 ■ここで考える四段階とは?を説いている。 △第一段階で、考えるための基礎的知識とヒントをどうつかむか?を、 △第二段階で、考える課題を自分自身に引きつけ △第三段階で、自分で疑問を持ち、問題を発見し、解決法を組み立てて △第四段階で、自分のことばで、自分の考えを述べる これを徹底的にすることで思考力を高めている。 ■「質問」ができるか?という能力も大きく問われる日本人は、小中高校を通して、先生にあまり質問をすることはない。 それは逆に言えば、深く問題を自ら求めてないからである。先生の方も生徒に課題を多く出して、生徒自身が研究し、 自分で解答を見つけるように仕組むのが教育もあるべき姿である。ユダヤでは低学年の時から小人数のグループ編成と ディスカッションを進めている。一クラス25人を超えることはない。課題研究は5〜6名で、生徒たちは議論をしながら進める。 自分たちで考え、自分たちで疑問を持ち、自分たちで質問しあい、自分たちで答えを出す作業をしている。 〜〜 自分の頭で考えること、そのためには「自分自身は、こう思う」という第一人称で考えること。疑問を持ち、何が問題かを見つけ、 解決策を見つけ、自分のことばで考えなければならない。特にユダヤの教育は子供のころから、これを徹底させる。 島国の中で、外敵から攻撃の心配がないことが、思考の必要性を最小限にしたのだろう。明治維新は、外的の脅威から起こった。 坂本龍馬、高杉晋作、吉田松陰など、強烈な個性を持った男たちは、第一人称を持っていた。 ・・・・・・・・ 3140, マイケル・ジャクソン 「THIS IS IT」 2009年11月09日(月) 昨日、長岡T.joyでマイケル・ジャクソン「THIS IS IT」ーを観てきたが、期待した以上の内容だった。 長男が二回も観てきたというし、家内も観て良かったというので、ネットで内容を調べ納得し見ることにした。 亡くなった時に、あれだけ世界中が悲しんだのだから何かがあるはずと・・・。 ライブをそのまま映画化したものを観たいと思っていたので丁度よいタイミング。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 ・・・・・・・・・ 2775、仮説思考 −2 2008年11月09日(日) ー この本の背裏の紹介の内容が、ズバリ要所をついている ー 「情報が多ければ多いほど、よい意思決定ができる。このように信じているビジネスパーソンは多い。 そうであるがゆえに、できるだけ多くの情報を集め、それらを分析してから、経営課題の本質を見極め、解決策を出そうとする。 実際に起こることは何か? 情報収集しているうちに時間切れになったり、あるいは、ほかのどうでもよいデータはあるが、 最も重要なデータがないことに土壇場で気づき、苦し紛れで「エイヤーッ」と意思決定せざるをえないことになる。 徹底的に調べてから、答えを出すという仕事のやり方には無理がある。では、どうすればよいのか? 仮説思考を身につければよい。 仮説とは、十分な情報がない段階、あるいは、分析が済んでいない段階でもつ、「仮の答え」「仮の結論」である。 常に仮の答えをもちなながら、全体像を見据える習慣を仮説思考と呼ぶ。 「仕事が速く、優れた成果をもたらすコンサルタントはみな、仮説をもって仕事をしている」と著者は言う。 ーこれだけを身につけるだけで、全てが変化をするだろう。そして、その効用とは・・・ *仮説思考の効用 著者は、仮説思考の効用を3つ上げている。 (1)情報洪水に溺れなくてすむ、(2)スピードアップ、(3)他人に状況がよく見える。 (1)は、学生時代の研究レポートのようなものを考えると分かりやすい。「できるだけたくさんの情報を集めて 分析してストーリーを作ろうとすると、提出日前の夜中になって重要な点を調べ忘れたと気が付いたりする。 その結果、その部分は穴をあけたまま提出することになる。情報収集に時間を取られた結果、思考する時間が ほとんど取れなくなってしまうのは最悪だ」(内田)。これでは仕事の質が悪いばかりか、時間の無駄となる。 「最初に答えを決めておいて、それに必要な部品を集めていけばいい。100を網羅的にやるより、もっともらしい2、3をやる。 仮説思考は繰り返せば繰り返すほど経験がものをいうし、精度も上がる」 (2)は、仕事がスピードアップし、楽になるという点だ。多くの作業をこなした方が仕事をした気にはなるが、 実際には仕事の価値とはまったく関係ない。(1)とも関連するが、「100のうちの3に絞って考え、 それで結果的に問題の解決策につながれば、仕事は加速度的に素早くなる」。作業のスピードを向上させるのではなく、 仕事の量を減らすことで作業の効率化を図るというわけだ。 (3)は、他人に仕事が見えるという効用だ。例えば、部下に仕事を依頼し途中経過を確認しようとしても、 頑張ってはいるようだが、状況がよく分からないということがある。作業の状況よりも着地点を先に決めている人への方が アドバイスしやすいし、上司も安心できる。ここでも先に仮説を立てている人の方が結果として良い結果につながりやすい。 同様に上司も仮説を持っていると、部下は最初から仕事の方向性が見えるので無駄な作業をしなくてすむ。 「徹夜してやらなければならないような作業を行ったのに、結果的に間違ったものが出てくる」という事態を避けられる。 もう一つ事例を挙げると 「実験をする前に論文を書く」ケースがある。 最初に論文を書くことで、アウトラインを明確にする。 そのため、その結論に至る実験内容を決定できる。 つまり、その結論に至る余分な実験を行わなくてよくなる。 失敗しても自分の出した結論は間違いだと短時間で分かるため、それほど時間の無駄にはならない。 *自分より1つ上のポジションの立場で考える 仮説を持って仕事をするためのポイントは、全体のストーリーを立てることだという。 全部いっぺんにやろうとしてはダメだ。「網羅的にやって80点を取ろうとするよりも、ヘソをおさえてやる方が大事だ」 「少ない情報でもイマジネーションを使えば2週間もあれば結論を出せる」。新米のコンサルタントに最初の2週間で出させた結論と、 プロジェクト修了後に出した結論を比べてみても「これがほとんど変わらない」という結果になるという。 著者は仮説思考を訓練するために「常に自分よりも1つ上のポジションにいる人間の立場になって考えてみる」ことを勧める。 また「相手の眼鏡を掛けてものを見る」ように心掛けるのも役に立つという。 ーー 後記)考え方としては、「演繹法」に似ている。まずテーマを決めて、その要素を探し出す方法である。次回は、この本で紹介している、 天才棋士の羽生の話である。棋士ほど、あらゆる仮説を一瞬に立て決断しなければならない。 彼の言葉の一言一言が仮説思考について当てはまるのである。 ーつづく ・・・・・・・・ 2007年11月09日(金) 2411, からだのままに (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》 「からだのままに」 木けいし著 文藝春秋社 ー読書日記ー 数年前、レンタルDVDでみた「阿弥陀堂だより」が非常に印象的であった。図書館で見つけた本だが、 《以下字数の関係でカット2008年11月09日》 ノヾィ♪ヾ(´_`●)ノ ノヾィ♪ ・・・・・・・・ 2006年11月09日(木) 2046, 教養について −2 (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん 数ヶ月前に、同じテーマで書いたが、再び書く。 <前回の要旨>は、 ・「教養」の概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味する Bildungに対応していていて、豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験をいう。 ・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。 古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであり、 市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。 ・「世間」とは、建前の無教養に重なり、世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。 しかし、それは地域差別のコントローラーとして機能しており、そのことを客観視できる素材が教養である。 ・なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくかというと、 「何が大切で、何が大切でないかが、経験を通して見えてくるからある。 * 私にとっての教養とは、 「感動すること、感激すること、感謝すること、 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」 「知ること、愛すること、創造すること、それらを楽しむこと、 このために必要な知識・経験」である。 『親や、育った環境から与えられた先入観から自由になるための知識・経験』 というのが、結論である。 ▼ 先日の朝日新聞の紙面のトークショーの内容が「今、教養とは」であった。なかなか納得しやすい言葉で各自が語っていた。 印象的な発言を集約してみる。 ー日本画家の千住博の講演がユニークである。 {サルにとって、進化するための教養が壁画だった}という説が面白い。 西欧州の300ある洞窟の壁画のうち、新しいものの一つにアリタミラの壁画がある。 《以下字数の関係でカット2010年11月09日》 ・・・・・・・・ 2005年11月09日(水) 1681, うそつき−4 「うそつき」の話になると、いくらでも面白い話が思いつく。筒井康隆の『嘘と法螺』という随想に、子供の嘘がある。 ーある人が、下駄を片方なくして帰ってきた子を叱った。するとその子は、泥棒が持って逃げたのだと言い訳をした。 泥棒が持って逃げるのをみて、どうしてお巡りさん言わなかったのかと訊ねると、子供は、下駄を持って逃げた泥棒は、 実はお巡りさんだという。 お巡りさんが下駄の片方を持って逃げても、何の役にもたたないだろうというと、 そのお巡りさん片足だったという。 ー このような話だったと記憶しているが、こうなると瞬間芸としての子供の創作力に感心をしてしまう。ー 次の『嘘』についての話も面白い。ー昔、法螺話をする男がいて、村人からも面白いので好かれていた。 その男は毎朝、村から出て行き夕方になると帰ってきて、仕事を終えた村の働き手が仕事を終えた後に、 彼が今日見たという話を楽しみに聞いていた。ある日のこと『今日は何をみてきたか教えてくれ』というので、 その男は次の話をしたという。「森のなかで笛を吹いている牧神をみたよ。その音につれて、小さな妖精が、踊っていた」 『もっと話してくれ、ほかに何をみた?』「海岸にいってみると、波うちぎわで人魚が金の櫛で髪をとかしていたよ」 ところがある日、海岸に行くと人魚が金の櫛で髪をとかしていた。 そして、その後歩き続けて、森に行くと、牧神が笛を吹いて妖精たちが踊っていた。しかし、その夜、帰ってきて村人に 『今日も話して欲しい、何があったんだ』ときくと、彼は何もないような顔をして、「きょうは何も見なかったよ!」 ーー 見てきたような嘘だから、男にとってよいのであって、現実なら面白くも可笑しくもない、ということだ。 嘘といえば、化粧も、動物の擬態も、政治家の公約もある。 ・・・・・・・・ 2004年11月09日(火) 1316, まさか、地震が地元で!ー12 昨日の月曜日、ホテルの今週予約が如何なっているのか、実のところ心配であった。 新幹線と在来線の不通の事態なら、普段の客数の五分の一か、十分の一である。 実際、下越の観光ホテル・旅館でさえも殆んどがキャンセルである。 中越地区はゼロは情況から見れば、今さらいうこともない。新幹線がストップなら、駅前型のホテルも同じ情況で当然だが、 復興の為の手伝や、役所が全国から当分は集まって来ていて、差し引してもプラスになっている。 イベントも殆どキャンセルになっている。お客様のほとんどが、作業服を着た被災救援の関係者。 今のところ、復興部隊の人の宿泊でカバーしてくれるが、新潟県の経済は大打撃を受けたことは間違いのない事実だ。 建設・土木関係は当面、神風がふいた状態だろうが。何処まで続くかわからない事態の余震が、まだまだ収まりそうもない。 昨日も震度4〜5の余震があった。通勤の帰路にある長岡駅裏のダイエーが、地下の食品売り場を除いて閉鎖をしていた。 今朝の4時前に震度4弱の余震があった。 余震がいつまでも続いている。今では余震の度に、震度の当てあいをしている。 メルクマールの日記内容である。 ーーー メルクマール 堀井 ー11月08日 ・今日、会社に来ると、国土省の延べ400人の予約が入っていた。これからも震災関係も入ってくるから、予測していた動きが、 でてきたようだ。殆んどが事務方だ。長岡では宿がとれないためだ。といって、これは一時的なことでしかない。 東京〜長岡間は4時間15分〜5時間半はかかる。高速道バスで6時間だから、値段から考えたら、バスが多くなる。 新幹線の脱線の工事は、11月10日からというから、当分開通はないが。しかし亀裂をおこした立柱は、もう工事に 入っているだろう?から、年内は無理としても最短年越し直後辺りではないか。長岡の奥座敷といわれた、蓬平温泉の 「イズミヤ」など、三つのホテルの従業員全員−100人あまりーが解雇されたと、新聞に出ていた。失業保険で急場をしのいで、 一年後に再開するのか?いずれにしても、経済は生きるか死ぬかの大打撃であることは間違いのないことである。 ー11月7日 (字数の関係でカットー2011年11月9日) ・・・・・・・・ 2003年11月09日(日) 949, 流通大戦争 長岡と隣接している見附市の今町に5000坪のスーパーセンター「PLANT5」が開店をした。 10月29日に開店をしたがチラシをまかなかったのでオープンをしている事に気がつかなかった。 規模もさることながら、それぞれのアイテムの多さと値段の安さに驚いた。 エブリデー・ロープライスをそのまま実践をしていた。 お客の立場からみればアイテム数が多く、 廉価であることが第一である。ただただ「安い、アイテムが多い!」と驚いてしまった。 (字数の関係でカットー2009年11月9日) ーーーーーー 648, 流通業界を考える - 2003年01月16日(木) ー字数の関係でカット(2007年11月9日)ー ーーーーーー 516,デフレと流通大乱 - 2002年09月11日(水) 《以下字数の関係でカット2008年11月09日》 ・・・・・・・・ 575, つれづれに学生時代のこと ー2 − 2002年11月09日(土) 現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」 といっている。その価値観はまるで違う物差しになる。今の私は午後の人生の学生期にある。 それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。 若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを 自分の中に見出していく時期だ。そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。 「コペルニクス的視点の大逆転、『人生に何を求めるのでなく、人生が何を求めているか』の追求」である。 人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を余白でなく新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。 その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく 設計図の再構築が必要ということだ。その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。 別に難しい事をいっていない。 両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。 ・・・・・・・ 2001年11月9日 ーベトナム旅行中
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