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堀井On-Line
| 3749, ジャズについて(鵺) ー「ジャズ完全入門!」④ −19 |
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2011年07月01日(金)
ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ④ ジャズの聴き方のポイントは、②、③で書き写し解説した。歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、 ここでは飛ばし、「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げてみる。 【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類 (ヴァイオリン、ビオラの類)はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで使われないもので ジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしいリズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。 クラシックの楽器類マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトでキレの良いサウンドを作っている。 以上のように、楽器そのものより演奏法によってジャズらしさが出ている。 * まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけでなく、2ビート、4ビートといった 基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。 * 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといったクラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有の ダイナミックで個性的な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」演奏しているからだ。 クラッシックでは決められた楽譜があることで同じ楽器でも、一応基準軸となる表現が想定されている。ところが、ジャズには、 演奏者を外から規定するものがない。基本的に楽器をどんな音色で鳴らそうが自由ということになる。つまり、トランペットから、 その楽器の本来の機能、目的とされたサウンドから外れた音色を出しても、それが奏者の個性的なものであれば構わない。 要約をすると、楽器を思い切り自分の身体が持っている固有の癖に引きつけて演奏するのが、ジャズ演奏の原則なのだ。 * 上記のことから、普通、編曲というものは、トランペット、テナー・サックスという楽器パートの指定はあっても、 「誰が吹くか」というのは無関係。ところがエリントンの楽譜は特定のミュージシャンを想定している。人によって音色が違うことを 大前提にして、エリントンはバンド・サウンドを考えている。それらメンバーを色いろ想定しながら、彼らの音色をパレート上の 絵の具のように巧みに混ぜ合わせて自分の絵を書いているのである。従ってエリントンの音楽は楽譜があっても、それを演奏する 特定のミュージシャンまで揃えなくては、絶対に同じ音にはならない。 P-58 】 ▼ この辺の説明で、ジャズの特性が、少しは分かるような気がする。すこし演歌の作曲、作詞家の音楽つくりにも似ている。 彼らは、時代の趣向の流れと、有名歌手の特性を考え合わせて、チームを組んで新曲を作り出していく。 ジャズといえば、リズミカルな黒人音楽で、聴いていて深い趣きのある曲、程度しか知らなかったが、少しずつ知るにつけ、 どんどん引き込まれていく世界である。絵画でもそうだが、ある程度の知識さえあれば、これほど作品を通して、彼らの魂が 直に伝わってくるもの。骨董の陶器は、もろ魂そのものが露出している。ジャズも同じ。数多く接することと知識の積み上げである。 ・・・・・・・ 3384, 911・考えない・日本人 −2 2010年07月01日(木) 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著) ーアマゾン、内容紹介、よりー ≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、 人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。 911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。 911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。 これだけは確かなことである。 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、 ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とは まったく違うものであるということを、確信している。なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が 多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、 「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫ ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86) 【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない 日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、 その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。 その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば 熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、 哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、 率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、 そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。 多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。】 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、 それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。 ― つづく ・・・・・・・ 3009,誰が電気自動車を殺したか ? ー2 2009年07月01日(水) GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。 将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。 この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。 そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。 歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。 「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。 腐りきったネオコンがアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、 彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。そして、その戦費を捻出するために、 サブプライムローンなどの債権の乱発になっていった。 結果から見るとブッシュ親子、クリントンは歴史に残る最低の烙印が押される大統領。「誰が世界恐慌を引き起こしたか」というと、 ネオコンであり、ブッシュ親子、クリントンである。その総括がアメリカで行われるかといえば、その動きが出てこない。 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日) ・・・・・・・・・ 2645, アメリカ狂乱 ー1 2008年07月01日(火) 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著) 本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、 数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。 (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日) ・・・・・・・・ 2007年07月01日(日) 2280, ビジネススーツ ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー *半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。 超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。 ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、 抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。 それを「国際化」と見る人もいる。ー 概略は、このようである。 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日) ・・・・・・・・・ 2006年07月01日(土) 1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。 私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、 「もし永住するならスペインが良いな?」と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。 ー スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」 など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。 「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。 じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。 あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを こしらえて喰いなよ。 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日) ・・・・・・・・・ 2005年07月01日(金) 1550, 将来の不安?2 ー不安を哲学するとー 我われは、過去に対しては悔恨があり、未来に対しては、不安が付きまとう。 といって、まだ来ぬ未来を不安がっていても仕方がないし、反対にノンビリ過ぎるのも問題。 最悪を想定しておくことも必要であり、「大丈夫!」という言葉を口ぐせにしておくことも、一つの解消方法である。 不安の対象に対して考えつくしたあとで、「その時は、その時だ」と放念することも時に必要である。 青年期の日記を読み返してみても、その時点時点で不安感が大きく口を開けていた。 不安は一生我々を悩ますものだ。我われを脅かす「特定の対象」に向けられたものが「恐れ」であり、 「不安」は漠然とした恐れの感情をいう。その恐れに対して、打ち勝つ克己心が勇敢、勇気ということになる。 前にも、「将来の不安」という題目で書いた。不安は目先の変化に対する不適応から生じる心理の揺れと書いたが、 目的意識の希薄さも不安心理の一つである。 その不安感に対して、哲学者がどのように考えてきたのだろか? ーある本からの抜粋をしてみるー ・先ずは、キリスト教の初期に神に対する畏敬や罪に対する恐れを不安とみた。 その不安を克服することが永遠の生を得るための前提であるとした。 ・次には、19世紀になって、キルケゴールが不安の心理分析をおこなった。 その後、ハイデッガーやサルトルなどの実存主義者やフロイトなどの精神分析で中心概念になった。 キルケゴールは不安感を罪の問題に結びつけて考察する。アダムとイブの原罪から, 人間は皆罪を持って生まれてきたとして、 罪の状態に陥る可能性の中で罪あるものとなると。 不安とは、悪魔的なものが持つ妖しい魅力に堕落できるという「自由のめまい」であり、それは堕落の深遠を 覗き込む時の感覚にたとえられる。サルトルは、これを「めまいが不安であるのは、私が断崖に落ちはしないか という恐れだけでなく、私みずからが断崖に身を投げはしないかと恐れるかぎりにおいてである」と考えた。 ひとは天使や動物と違って、可能性に対してたえず不安を覚える。 それは人間がこころと身体との総合としての精神という特殊のあり方をしているからだ。つまり人間はその本性上、 不安になりざるをえないのだ。 不安の中でおのれの罪を自覚して、はじめて目覚めた精神となる。 その絶望的な不安にかかわらず、なおも自分自身に真剣であり続け、 ひとりの単独者として信仰へと 飛躍することによって、不安から解消され、真に自由になることができる。 キルケゴールは不安の心理を分析することを通して、人間のあるべき姿を探求した。 ・ハイデッガーは、不安とは現存在として最も根本的な気分であるとした。 彼によると、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、そのつど、何らかの気分に規定されている。 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日) ・・・・・・・ 2004年07月01日(木) 1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4 秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。 それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのもの。 ・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。 ・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。 ・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって住み着いたケース。 ・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。 等々さまざまである。 日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、そして日本語が話せることが嬉しいようである。 ・最近の変わった人といえば、去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。 60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。 観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」 といっていた。この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは思ってもいなかった。 狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、 週刊誌に騒がれた人物でもある。 嬉しそうに、その逸話を話していた。 ・やはり去年の、アイスランドの若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った白人男とたまたま アイスランドに来て数年滞在している」といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。 今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。 ・イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で神学者くずれの60歳位の人。 癌で何時死ぬかわからないといっていた。 日本にいまさら帰っても、友人もいないし、 現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。 日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく 話しまくっていた。「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から響いていた。 旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って生きている姿が印象的であった。 ・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、移住した。 ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。そのまま日本に住んでいた方がよほど 豊かな生活ができた、無念であるという言葉が何か微笑ましく、 しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。 ・南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。 日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、 仕事の関係でケープタウンまできて生活をしている。 日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。 その女性に何があったのだろう、推理するだけでも面白い。 みていて寂しさが墓から伝わってきたという。 若い時の海外生活はよいが、歳を重ねたそれは厳しいという。 自分の子供の名前を日本名前にするか、イギリス名にするかで 夫婦で争うという。 死んだ後、自分の存在が子供の名前しか残らないからだという。ツアーはよい、絶対に個人では 行けないところまで、行けるからだ。それも安く、安全に。 [皆で行けば怖くない]ということか。 ・・・・・・・・ 2003年07月01日(火) 818, 12の宮 ーある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。ー 昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。うろ覚えなのですが、こんな内容でした。 私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。 「12の宮」というものを私なりに作ってみました。 ・家族・家系的な6つの宮に対して ・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。 ー家族・家系にかかわる宮として 1番目として家系運 2番目として親運 3番目として子供運 4番目として兄弟運 5番目として親戚運 6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む ー自分運として 7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金 8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金 9番目として仕事運 10番目として健康運 11番目として友人・先輩運 12番目として異性運 以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。 この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日) ・・・・・・・・ 2002年07月01日(月) 454,面白かった!! ワールドサッカーが終わった。 やはり世界のトップが集まる試合は面白い。サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日) ・・・・・・・・ 2001年07月01日(日) [70] 夢についてー2 何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と夜見る夢と共通点が非常に多いという。 トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。次の夢は不思議な不思議な夢だ。 ‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。 痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。 次にまた以前書いた文章をコピーしておきます。 ーーーーーー H0511妙な夢? ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周して もどってきて布団に入る。ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。まずいと思い反対側に ねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて(そのまま水平にいて) (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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| 3748, ジャズについて(鵺) ー「ジャズ完全入門!」③ −18 |
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2011年06月30日(木)
ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ③ 【 聴き手のほうから音楽に寄り添わなければわからない、という理由は、もう一つある。それは、ジャズが異文化に属しているという 事実である。いまとなってはポピュラーミュージック、ロック、それにクラシック音楽も含めて、我々を取り囲む音楽環境はほとんど すべてと言ってよいほどに外来種のものとなってしまったので、ことさらジャズの異文化性を取り上げても、ピンとこないかもしれない。 しかしアメリカの黒人音楽として誕生したジャズは、その文化的な背景が我々とはかなり違っているので、私たちの素地のままの感性で 判断しても、その狙いがわかりにくいということがあるのだ。たとえばカウント・ベイシーのバンドなどは、よく演奏のエンディングを 一度終わったように思わせておき、また繰り返すというような芸を見せるが、その回数はお茶漬文化の僕らの感覚から言ったら、 少々「くどい」と思わせるほどなのだが、これは黒人音楽の特徴の一つなのである。... これなんかは、ジャズってそういうものなんだという了解があればすぐに慣れてしまう種類の感覚だ。そしてジャズには他にも そういった独特の黒人的価値観があって、それらの「狙い」さえわかってしまえば、別に難しく考える必要など一つもない。 結論を言えば、ジャズの聴き方といっても、正座して真面目に聴かなければいけないというような堅苦しいことを言っているのではなく、 もし本当にジャズを楽しみたいのなら、あなたの感覚の枠組みをジャズの狙いにフィットさせたほうが効果的ですよ、ということである。 ところでここまで読んできて、最後に一だけ素朴な疑問が残ったのではなかろうか。 それは各人の好みをいったん脇においてまで、なぜジャズに寄り添わなければならないのか? 趣味というのは個人の感性、趣向を 大切にするものではないか?と。 しかしその答は既に出ている。あなたがジャズという未知の領域に関心を持ったということ自体、 あなたが持って生まれた感性や好みの領域を、少しばかり広げてみたいと考えたからなのだから。 】 ▼ ジャズは、アメリカの黒人文化の中から生またという前提を持って、割り切ってしまえば、その良さを知る早道になる、、 と著者は言いたいのである。ジャズを聴いて、何かを感じたことで興味を持ったことで、もう、自分の枠を超えようとしているなら、 自分の方から、ジャズに自分を合わせれば、その奥深い世界に入ることが出来るということ。逆にアメリカ人が日本の演歌に 興味を持ったら、同じことが言えるだろう。直感的に演歌に魅力を感じたアメリカ人が、アメリカ人の主観を捨て、日本人の特性に 擦り寄ったら、この国特有の情の濃い世界を演歌を通じて知ることになる。クラシックや、ジャズを知り、愛することは、自分の 枠を一歩も二歩も超える役割を持つことになる。私は、これまで47回のツアーや読書で、小さな己の視野を少しずつ広げてきた。 ソクラテスは哲学生みの親だが、自分が何も知らないことを知ることこそ哲学の第一歩と説いた。ジャズ一つとっても何も知らない。 第二の人生は、てっきりギア・ダウンと思っていたが、実際に立ち位置に立つと、ギア・アップとは知らなかった。恥ずかしい限り。 ・・・・・・・ (後記)人にもよるのだろうが? 準備をしてないのは今更か! 2010年06月30日(水) 3383, 「だまし」の心理学 ー1 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」を、ここで書いたことがある。 その中で「だまし」に絞って書いた書である。重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。 固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、意識をしないツワモノに出くわしてきた。 倒産で資金繰りのため、我を忘れて身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテを いく手法で親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著) =まずは、アマゾンの内容の紹介より= ≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。 最近問題になった、マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、 振り込め詐欺、盗作、必修科目履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。 また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテインメントとしての、罪のない「だまし」というものも 存在します。本書では、古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、なぜだまされてしまうのか という疑問を、図説を使いながら解明していきます。 自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などの トリックを暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ人々はスピリチュアルなものに 惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ その幾つかを紹介してみる。 * かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた人がいた。その人M氏は、虹の色の濃さや持続時間に 基づいて地震の予知をしていた。 その予知はハガキで知らされていた。たとえば、8月2日の午前2時に某地方で震度4の地震が あったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを見ると、二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。 その文面には「8月2日の午前2時に某地で地震が起きる」と書いてある。それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 ところが、これが騙しだった。M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。このハガキこそが、 虹による地震予知のトリックだった。 これをどこかで、地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの文面を 消しゴムで消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。そのハガキを、自分で入れにいっただけ。 知らない近所の人は驚くわけである。稚拙なトリックだが、騙すに充分である。 ・・・・・・・・ 2009年06月30日(火) 3008,今年も半分が過ぎた ・新インフルエンザが発生し、パンデミックになったが、弱毒性のためかまだ落ち着いている。問題は第二波のくる秋口。 ・去年の9月15日に起きた金融危機の直撃の影響が身辺にも影響を始めてきた。アメリカのGMとクライスラーが倒産。 シティなどのアメリカの金融機関が実質国家管理になった。 ・1月末にオバマが正式に大統領に就任、その政策転換が具体的に見え出してきた。 ・北朝鮮で、原爆の実験が行われたが国内的に不穏な動きが出てきているようだ。 毎年の傾向だが、今年も大きな事件は後半に先送りになった。 去年が、世界的な金融恐慌発生がキーワードなら、今年は新インフルエンザのパンデミック。 要は秋口からの二波で猛毒になるかどうかだが、後進国で猛威をふるった時の医療体制の不備が最大の問題。 この新インフルエンザが、世界的に数百万、数千万の死者が出るパンデミックの初期とみるかどうか。 さらにアメリカ発の金融恐慌を、世界恐慌の初期段階と見るかどうか。 この辺の見極めがポイント。 歴史的から見ると、悲観的にみる方が正しいようだ。去年の9・15が起きた時に、アメリカの恐慌を専門に 研究している経済学者が、「今回の恐慌は、20世紀前半の恐慌とは比べようもないほど規模が大きく、かつ質も悪質である」 とコメントしていたのが印象的であった。 それが雰囲気として、底をついたような楽観的な空気が一部あるが? まだまだ初期の初期段階でしかない。明日からの後半は、更に大荒れの歴史的日々が待っている。 近くに自民党が衆院選挙で 解党的な敗北が決定的。民主党が政権を取った後に、本格的な政界の再編成があり、その過程で終戦後の60年の膿が出てくる。 そして、気づいた時には日本は、更に経済的にも、政治的にも大きく縮小している。 現に10年、20年前に比べると現在が、そうである。 それが顕著になるだけ。悲観的過ぎる? じゃあ、楽観的というと? 原子力や、電気自動車などに応用されるユビキタスなどの技術は日本が持っており、調整段階をこなした後は日本にチャンスが必ず来る。 特に省エネが世界的テーマになるから、それは日本のもっとも優れた分野である。 等々・・・ アメリカこければ、日本は重症だろう、やはり。まあ、無事なんとか、乗り越えているだけ、良いとしなければ。 ・・・・・・・・・ 2644, 「無法バブルマネー終わりの始まり」 ー2 2008年06月30日(月) まず第一章の中の小項目 ーゴーストタウン化が始まった!ー P/56を、そのままコピーしてみる。 ≪ いま、金融機関ばサププライムローンによる融資どころか、プライムローン(なんの延滞もない健全顧客向けのローン) にまで融資をストップしている。 年収五〇〇〇万円を超えるリッチな顧客向けのジャンボローンですら、新規融資は止まったまま。 (以下、字数の関係上カット10年6月30日) ・・・・・・・・・ 2007年06月30日(土) 2279, 今年の半年の総括 (2) ☆^(*・ω・)ノ~~~オハヨウ! もう半年が過ぎてしまった。比較的、穏やかな前半といってよい。それでも振り返ってみると色いろなことがあった。 *プライベートでは ・次男がめでたく結婚(3月3日) ・実家にあたる兄の会社が倒産(5月15) ・両親を含めて最後の叔母堀内リツさんと、母の従兄弟の元市長の内山由蔵さんが死去(1月下旬) ・ゴールデンウィークに大學の友人の川崎整治さんを静岡に訪ねる ・高校の同級生二人が癌で入院、手術 *会社では ・新潟駅立体工事が正式に着工 ・会社のホテル業の底打ちと、右上がりが始まった *政治・経済・社会面では 海外も国内も大きな変動はなく、比較的穏やかな半年であった。地方統一選挙も大きな波乱はなかった。 社会面では、相変わらず陰惨な殺人事件が毎日のように続いている。 経済面では、少し経済が持ち直しているようだが、あくまでも一時的なもの。大嵐の前の微風が吹いているに過ぎない。 *本で印象的だったのは カズオ・イシグロの 「日の名残り」 中村うさぎの 一連の本 藤田東吾の 「耐震偽装」 佐藤優の 「獄中記」 高橋敏夫 「人生のことは、小説が教えてくれた」 野口悠紀雄 「日本経済は本当に復活したのか」あたりが印象に残っている。 *健康面では「半日人間ドック」で、全く問題なし。 後半は、かなり政治も経済も含めて大荒れの予兆がしている。 ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ ・・・・・・・・ 2006年06月30日(金) 1914, スペイン画家・堀越千秋ー5 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? この本を読んでいると、ところどころで日本の文化との違いに「そうか?!」と唸ってしまう。 アンダルシアに行ったとき、日本人女性の名前の墓を見たことがある。百年以上前のものだった。 「何の因縁でそこまで行ったのだろうか?」人の世の深遠を見たような、感動があった。その女性の寂しさが直に 伝わってくるようだった。南アフリカでも、古い女性の墓を見たことがある。またケープタウンの日本人女性の現地ガイドの 話が生々しく印象的だ。「東京のイギリスの商社に勤めているとき知り合った英国男性と結婚。イギリスに行った後、 南アフリカのケープタウンに来た。若い時は外国暮らしは良いが、歳をとってくると厳しい。 もし旦那が死んで、子供が独立をしたら天涯孤独になってしまう。 (以下、字数の関係上カット10年6月30日) ・・・・・・・ 2005年06月30日(木) 1549, 宇野千代 宇野千代が代表作「おはん」を書き終えた後に、一行も書けなくなってしまった。そこへ中村天風が「今度ね、自分の頭の中に 舞台をこしらえて、その中でいろいろ、あの女とこの男とひっつけよう、この男とこの男とこうしようというふうに躍らせながら そいつを書いていったらいいだろう」「出来ないと思うものはできない。出来ると信念することは、どんなことでも出来る」言った。 「いい事聞いた!」宇野千代は、それいらいスランプを脱し、書く文章も変ったという逸話がある。この天風の言葉を、 スットンと脳に入れてしまう彼女が凄い。彼女は中村天風の弟子であり、その教えの実践者である。天風の言葉が、 彼女の中で血肉になって明るく具体的に噛み砕いているところがよい。 ー「私は不幸に対してはなかなか凹まない自信がある。どんなところからでも、私流に幸福を見つける自信がある。 私は、勿論不幸は好きではない。…自分を不幸だと思うことの方が、もっと好きではない。…」 ー「何事をするにも、それをするのが好き、という振りをすることである。それは、単なるまねでよい。すると、この世の中も、 嫌いな人がいなくなる。このことは決して偽善ではない。自分自身を救う最上の方法である。」 ー「私たち人間は、何時でも、ものの考え方の方向を、絶対に明るい方にもっていきたいものです。 明るいところには元気が、暗いところには病気が必ず宿っているのです。」など、まさに、天風の言葉が彼女の体験を通して 具体的に諭しているようだ。また、彼女の「私、なんだか死なないような気がするんですよ。」という言葉もよい。 90歳半ば頃に発した言葉である。本心から出ているからよいのだ。「人生はいつだって、今が最高の時なのです。」 と語っている彼女の顔が目の前に浮かぶようだ。人生を最大限に生きた人は、サッパリとして清清しい。 ーつづく ・・・・・・・ 2004年06月30日(水) 1184, ‘私は幸せ’ あるホームページをみていたら、福田純子さんの講演が載っていた。この人の本を読んだこともあって、さっそく読んだが、 奥の深い内容であった。そういえば母の口癖に、「わたしの幼児期に亡くなった父が、自分の守護霊で、いつも私を見守って いてくれていて、時に助けてくれている。だから何があっても大丈夫なの」があった。そう信じていれば、潜在意識の中で 父親が自分をコントロールしてくれるのだろう。まあコピーしておきます、ご覧あれ! ーー 始めての方に“私は幸せ”って話を一つだけさせて下さい。よろしいですか、10分だけ 山岸さんの時間を頂きます。 名古屋から博多に帰る時です。新幹線で指定席を探して歩いていると向こうからキラっと光る奥様がいてとても気になったんです。 (字数の関係上カット08年6月30日) 2011年六月三十日記ー【この人の口癖は‘私は幸せ’】過去を、そう思い込むことは可能。 ・・・・・・・ 2003年06月30日(月) 817、「神話の力 」 2 早川書房 ー私の感想 この本は、私にとって過去に読んだ本の中でベスト5に入る本である。随想日記でも何回か取り上げてきた。 自分とは何かを考える時、神話に大きいヒントが隠されている。日本のような島国の神話は「中空」思想が物語に隠されている。 左右に相対立するものを配置して中央に中抜きの存在を置いて、ガス抜きの役割をさせている。今も天皇制が中空としての 役割として存在しているのが面白い。西部劇もそうだ。ある町にふらりと現れた主人公が、そこの悪役と対決して苦難の上に、 倒して英雄になり、何処かに帰っていく。これが神話のストーリーと同じである。男は無意識のうちに英雄願望を持っており、 女は誰もがシンデレラ姫コンプレックスを持っているという。 結婚して10年も経った姉が「今でもシンデレラコンプレックスが ある。白馬に乗った王子様が何時か迎えに来てほしいという」と私にうちあけたことがあった。 人間なんてのはそんなものだろうが、これも無意識の中の刻印があるためだろう。 ーレビュー 神話はわれわれに何を語ろうとしているのか。 神話が人間の精神に及ぼす見えない影響を明らかにし、全米に神話学ブームを巻き起こしたベストセラー。 <いま生きているという経験> 神話は人間生活の精神的な可能性を探る鍵である。「人々はよく生きることの意味を探していると言いますが、人間が本当に 探求しているのは<いま生きているという経験>です。」この本は、神話学の世界的な権威であるジョーゼフ・キャンベルが、 世界各地の詩人や賢者の言葉を使い、私たちに「人生は素晴らしいことだ!」ということを伝えてくれる。 (以下、字数の関係でカット2008年6月30日) ・・・・・・・・・・ 2002年06月30日(日) 453,世界で一番に貴方の味方 「大都会の超高級クラブの裏側」というドキュメント ーお水の青春ー女心の裏表ーが副題であった。 印象順に順不同で書いてみると ・大都会のクラブの「ママとナンバーワンホステスとタイとフィリピンの混血のホステスの3人」の内側レポート。 ・会員制でお客の情報がパソコンで完璧に把握されている。その相手のホステスも決まっており気配りを徹底的にしてある。 ・指名ナンバーワンーベストスリーを発表、お互い競わせる。 ・ナンバー1の女性が店が終わった後、必ずその夜のうちにその日のことをノートにきめ細かく書き込むー書く事でいろいろな 気づきとか、話題を記憶にとどめる。 その人の話題書き留めるーそのうち重要な事を情報はパソコンに打ち込む。 ポイントはその日のうちにやることだという。 ・メールと電話をする。 食事に誘う。事前の準備をきめ細かくしておく。 ・銀座などの高級クラブのシステムは世界で日本しかないシステムである。 ・男は夜の世界でー嘘と誠の世界を楽しむホステスは自分総てをかけて男女の際どいゲームを楽しむ ホステス教育で其処のママが言っていた、「自分のお客に、世界で一番に貴方の味方と自分を認識して下さい」 「一番大事なことは人格であるーそれを磨く事」 なるほどと思った、そういう店が有ったら 行ってみたいものと思った。一晩10万以上も払ってけして高いと思わせない何かがあるから行くのだろう。 ( 以下、字数の関係でカット2008年6月30日 ) ・・・・・・ 2001年06月30日(土) [69] 夢についてー1 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。年に一?二回熊に追われている夢を見る。 熊に追われて二階‐三階の部屋に逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。 熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰もが経験ある夢である。 一度凄い夢を見た。10年以上前に社内報に書いた文章をコピーしてみる。 霊的体験‐ 平成4年 7月 二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をしてみた。死後一週間後位か妙な夢をみた。 私自身父の気持になり“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。 自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’という内的実感。 夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。 また死後二?三日後の夢も強烈な夢(?)であった。 何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが “おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。 そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。 全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。
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| 3747, ジャズについて(鵺) ー「ジャズ完全入門!」② −17 |
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2011年06月29日(水)
ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ② 【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」 ということ。音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり 優しく聴き手に寄り添ってきてくれるものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を理解するよう努める 姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、 「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、 その昔は「ゲイジュツ」というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっているミュージシャンの思惑とは 関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。 これは・国宝に指定された仏像のことなどを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象であり、 その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を 持ってしまうことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを背負ってしまったと考えていただきたい。 そしてこの芸術性というようなものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している商品のように 口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように 誰もが喜んで購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果としてTVのワイドショーのように「万人が理解できる」 といったものでもない。たとえばピカソの描くひしゃげた顔の絵を子供に見せれぱ「変だ」という答が返ってくるのが自然だし、 またそれが普通の感覚というものだろう。 ここに芸術と言われるものの不思議で難しい性格があるのだが、その核心部分は、あえて 曲がった顔を描いてしまうような芸術家の強烈な自己主張を、とりあえずは認めるところから始めなければ、捉えがたいものなのだ。 】 ▼ ジャズの特性を、非常に分かりやすく噛み砕いてある。著者はジャズ喫茶を20歳で四谷でオープン、40年以上経過している。 多くの著書を出し、その他にも講演や、ラジオなどで、ジャズの楽しさを伝えている。趣味と仕事を両立させた理想的生き方の一例。 ジャズを愛する気持ちが、そのまま、文章から伝わってくる。ただジャズのフィーリングが好きと聴いているより、知識を入れ、 聴くのとは雲泥の差が出来てくる。 ・・・・・・・ 3382, 考えない・日本人 2010年06月29日(火) 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著) * 家畜人間ジャップ ーアマゾン、内容紹介、よりー ≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、 人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。 911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かである。 911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。 これだけは確かである。 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、 ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とは まったく違うものであるということを、確信している。なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が 多すぎると感じたからである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、 「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫ ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86) 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。 江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない 日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、 その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。 その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば 熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、 哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、 率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、 そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。 多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアからみる、 それがリアルに見えるようだ。特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。 ― つづく ・・・・・・・・ 007,誰が電気自動車を殺したか? 2009年06月29日(月) 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」というドキュメント映画を放映していたが、 時が時だけに、その内容に引き込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。 19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの 業界の圧力の中で、何時の間にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、石油メジャー、 アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定して、具体的に探っていく。 ーその映画内容の紹介のHPからー 「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年 舞台はロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手のGMが1990年に発表した画期的な電気自動車「EV1」が さまざまな理由で、この世から葬り去られるまでを克明に描いている。当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的だった。 「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」(俳優トム・ハンクス)も大絶賛。ところが石油業界から 「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との声が上がってから風向きが変わってくる。低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。 トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなくリースだけで市場に出回ったEV1は 2005年3月、同州から完全に姿を消した。そのころGMが大々的に販売していた車の一つが大排気量の装甲車のハマーが皮肉だ。 ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェネッガー同州知事。 まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、技術的に未熟な面があったが、 作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。 ▼ 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、 三年前に作られていたというのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると一万で済むという。 ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、組み立ても同じことになる。 既存のメーカーは規模が大きいところほど、今後の転換が難しくなるのである。 ・・・・・・・・・・ 2643, 戦略+夢・ノート 2008年06月29日(日) 大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。文庫版に統一するのが本当なのだろうが、 あと一月で結論を出すつもりだ。サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは思わなかった。 文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できるのが、私にとってのポイントだった。 早速、日常の思いを書く「随想日記」「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。 特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、どんどん書きこめるのである。 そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベターである」を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、 5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、「潮流とは何か」を考えることになる。 長期の装置投資を事業するものにとって、この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、 こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが何時まで続くか自分でも楽しみである。 (数ヶ月で自然消滅の可能性もある)「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの 「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップすることと、ウォーキングを優先している。 (字数制限のためカット2011年6月29日) ・・・・・・・・・・ 2007年06月29日(金) 2278, あと半年の命!と告げられた人の言葉 ー2 才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪ ガン告知と、末期がんの死期の告知とは違う。 その辺が曖昧になっているから、医療現場では残酷な問題が生じる。 「あと半年!」と言われて、果たして抗しきるというのだろうか。この女性は、正直にその辺の気持ちを吐露している。 その瞬間から、砂漠の真っ只中の炎天の中に置かれたようになるという。それまで生きてきた分の人生を、 その期間の僅かの間に生きるのである。だから死ぬ時は、その人が生きてきたように死んでいくのである。 ー以下は昨日の、続きー 我がことながら、いまもってその行為(祈り)の意味、内容を言葉で説くことはできません。最初は確かにわかりやすかった。 「助けて」「治して」といった懇願でした。が、いつの間にか意味不明、質、量もつかめぬまま曖昧な時間に変わってしまう。 いわば、からっぽ。・・・・中略 私の住む京都は数え切れぬほどの宗派が密集しています。そこで多くの宗教的なる行事、 儀式に参集し、指導されるまま念じたり、動いたりしてきた。そこで何となしにつかめたのが、炎、音、匂い、金銀極彩色、 像、言葉、残酷な修行のいずれも、からっぽになる為の巧みな装置であるということでした。それらを駆使して何処かに導くのが、 僧侶、宗派の教祖であるようで、彼らは演出家といっていい。人の祈りにさらされ、磨かれた回数、機会が多い宗派ほど、 その演出、導きの巧みさが際立っているのは言うまでもありません。それを理解してなお、告知されて後の恐怖のリアルを とりあえず騙す、目くらまし剤は今考えても、どうさぐってもあの、からっぽへと導く行為の蓄積以外にはなかったと思います。 それにしてもテレビなどで紹介されると必ず数十通の手紙が局に届き、数人がわが家を訪れます。ほとんどが健康食品と 宗派への勧誘です。そこで語られ、展開される論旨、勧誘の説得法、術はどれもきわめて似ています。訪間者の全員が 確信を瞳に浮かべ、強引に部屋に進入し、笑顔を湛えています。これで貴女は救われますと断じます。 彼らの確信する「やさしさと善良さ」を如何拒めばよいのか? 形も効果もない空っぽだけが私を支えうる、 と善男善女に伝える術を今だ見つけられず、戸惑うばかりです。 ーおわり ▼ ー死は誰にとっても永遠なる闇の空洞。その空洞はその大きさ、質感、彩など具体的に知るうる 捉えきれないゆえに言いしれぬ恐怖を誘います。想像力のなかに位置するブラックホール。 (字数制限のためカット2010年6月29日) ・・・・・・・・ 2006年06月29日(木) 1913, くちなしの花 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 一昨日の日経新聞の「私の履歴書」ー遠藤実ー の中にあった詩である。 深い純粋な思いが直接伝わってきて、思わず息を呑んでしまった。 俺の言葉に泣いた奴が一人 俺を恨んでいる奴が一人 それでも本當に俺を忘れないでいてくれる奴が一人 俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人 みんな併せてたった一人 私が20代後半に流行った、渡哲也の「くちなしの花」(遠藤実・作曲)の元になった詩。 (以下、字数の関係でカット2008年6月29日) (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年06月29日(水) 1548, 私の酒中日記 −11 金沢ー7 1972年7月20日 明日で、金沢を去る。 一番上の姉・正子さんから電話があり、京都に行く途中に金沢に寄るという。 そのため今夜、金沢で酒を飲むことになった。片町から少し歩いた犀川大橋の先にある、ごり料理の有名店に行く。 「ごり」とは金沢を流れる浅野川などに生息するハゼのような川魚だが、昔から金沢料理に使われる名物である。 川のほとりに建ち、「ごり」を中心にした加賀料理の店である。二階の一室に通されるが、なかなか趣がある。 ワラビのヌタや、ごりの佃煮と揚げ物が出た。夕景の中での料亭も風情があってよいものだ。ごりは、小さな川魚で ゴツゴツした形である。金沢で初めて食したが、良い思いでになった。その後、金沢の郊外にある「ホワイト・ハウス」 という有名レストランに案内をする。金沢市内を一望できる有名店だ。同僚と一度いったことことを思い出して案内した。 その後、都ホテルに姉を送る。金沢の夜も今日で最終になった。一年半近くいたが、五年もいたような気分であった。 会社が揺れていたこともあるが、中味の凝縮された日々である。気分的には屈辱の日々であった。金沢は見方によれば、 露骨な差別社会で、そと者の社員は人間扱いはされない。金沢で特に感じたことは、加賀百万石の文化の深さである。 自分の故郷も元長岡藩だが、その歴史の深さがまるで違う。金沢は、派手なのだ。背後には能登半島、福井、富山、高山を 控えた観光地である。対極にある長岡は、それに対して地味の世界である。比べること自体が問題であるが。 幕末に長岡藩家老の河井継之助が「贅沢禁止令」を出した文化が、今でも脈々と続いている世界である。 それと江戸末期に官軍に敗れたことが、どこか卑屈になっている。金沢に住んで、このことがよくわかった。 長岡は、金持ちが「めかけー愛人」を持つことは悪口の対象になる。金沢では、それは羨望であり、ほめ言葉である。 男女の?も非常に大らかで、自由な雰囲気が満ちていた。日本の中のスウェーデンと内々で自認している世界。 また、男は今でも自分のことを「わし」という。相手を呼ぶ時は「お前」か、「貴様」という。 店では、男は絶対に掃除はさせないのだ。箒を持ったら誰か女性がきて、取り上げられてしまう。 とにかく、加賀百万石の異様な?世界であった。外者にとって、長くは住みたいとも思わない世界である。 でも三年住むと、それも無くなるという。 さらば!金沢。 ・・・・・・・・ 2004年06月29日(火) 1183, ショーペンハウエルー哲学について-12 ショーペンハウエルは、カントの思想を修正して完成をさせたドイツの哲学者で、主著は「意志と表象としての世界」である。 (一七八八?一八六〇)に生き、その思想はカント・ショウペンハウエルというものをつくりあげた。 彼はあくまでカントを自分の理論の前提条件とした。その意味で彼の哲学の出発点は「カント哲学批判」だった。 「真の実在は盲目的な生存意志であるとし、個々の人間の中に意志として現れ、盲目的意志の衝突が相継ぐ結果、 苦痛に満ちた人生を送らざるを得ないという厭世哲学」を主張した。 この苦痛から解脱する道は、 ・芸術活動に専心して個体の意志を克服するか、 ・個体はすべて同一の形而上学的本質をもつ意志であると自覚し、 他人の苦痛への同情を根拠として倫理的に解脱するか、のどちらかであると論じた。 絶え間ない望みと恐怖を伴う欲望の渦に身をゆだねるかぎり、永遠の幸福と平和は手に入らない、と説いた。 カントは、物自体の世界にやどる意志の働きによって、人間の体は「自由」な運動をすることができると主張した。 それに対して、ショーペンハウエルは、それは不可能でとして、意志の働きとそれに関する体の働きは、本当は同じ一つの出来事が 二つの側面からとれえられているいるだけと考えた。一つは内側から経験されているもの、もう一つは外から経験されているものだ。 このことを、彼は「動機とは内側から経験される原因である」という有名な言葉でいいあらわしている。 人の倫理観の源になっているのは「同情心」であってカントが信じている理性ではないと論じた。 彼によればこの同情心こそ愛と倫理が生まれてくる基盤と考えた。彼まで、西洋では東洋哲学は全く知られてなかった。 その東洋哲学はこの時期に西洋哲学と同じ結論に達していたのだ。これを知った彼は、この発見を書にあらわした。 ショーペンハウエルは、人間が閉じ込められているこの世界の地下牢からのつかの間の解放される方法を一つだけ示している。 (字数制限のためカット2011年6月29日) ・・・・・・・ 2003年06月29日(日) 816、『80対20の法則』ー読書日記 リチャード・コッチ著 仁平和夫訳 ー私の解説ー 数年前になるが、この本を読んだ時はショックであった。約100年前のイタリアの経済学者パレートは、19世紀のイギリスに おける所得と資産の分布を調査した結果、所得と資産が一部の人達に集中していることを発見、2つの奇妙な事実に気が付いた。 「わずか20%の人達に資産総額の80%が集中していた」という数理的事実を発見した。以前からABC 分析や戦略論などがあったが、 この本は非常にわかり易い内容であった。この法則を知っているかどうかで、数倍も人生を濃く生きる事が可能になる。 7つの法則ー最優先事項ーに、要約すると似ているところがある。人は無意識的に「如何でもよい方の80」を選択しているように 思えて仕方がない。どの要因の20%が結果の80%を決定するのかを、つねに自分に問いかけてみる習慣をつけるかだが。 (字数の関係でカット09年06月29日) ・・・・・・・・・ 2002年06月29日(土) 452,「まあだだよ」 昨夜TVで見た黒澤明作品である、これで見るのが3回目だ。見れば見るほどその味わいが深くなる。 内田百聞とその門下生だった男達の心あたたまる物語である。 その内容は省くが、見るたびに新しい味わいを感じる 百聞の記念式典で花の贈り物を持ってきた生徒の孫に、思わず説教をする。もちろん小学生低学年でその意味が解るはずがない。 (字数の関係でカット2010年06月29日)
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2011年06月28日(火)
◆ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。 その中で最もリアルに出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。 人間には、「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、体の細胞たちからの記憶が、人の中に 蠢いている。 過去の色いろな感情や感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を待っている。 その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。 さしずめ、今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、 それである。そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・。原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。 「他人のせい」は、メビウスの輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、あれは数百年に一度の天災が 原因である。そこまで、想定できないのは自明である。それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。 ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップからだが、包装を開けてみると、靴下二足。 白系と黒系の無地もので、よく見ると、立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、 踵、そして土踏まずの箇所が、それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見たことがあった。 スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に 欠かせなくなる。これなら2〜3千円を出してでも買いたくなる。 ところで昨日、ジム用の着替えのスポーツシャツをと専門店に いったところ、何と「3Dシャツ」のコーナーがあった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ってみたが、これも良い。元々あったのだろうが、 ベトナムで、トレード・オフをし価格ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったのだが。これも、デフレの一現象。 ・・・・・・・ 3381, 今年、半年の出来事 2010年06月28日(月) 今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、ハイチでは30万人の死者がでた。 一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末にはスマトラ島沖地震・インド洋大津波で20万人が亡くなったが、 今年は前半だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。 景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。 ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。 北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。 まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付で何とか最悪の事態を避けているが、 実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッター(ミニブログ)が爆発的に普及始めている。 またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌・書籍などを近い将来、淘汰することになる。 大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の 大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・不幸は無かった。 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。 後半も、何か大きな事件が続きそうな感がする。 日本経済も土壇場に来ており、先は暗雲が漂っている。 ・・・・・・・・・ 3006,戒名を自分で付けてみた ー2 2009年06月28日(日) 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記 歳が歳だけに戒名を自分で考えると、何か神妙な気持ちになる。 思い立ったが吉日、軽い気持ちで考えると良い。 あの世の名前を、自分が生きてきた生き様を元にネーミングする作業だから、これほど面白いことはない。 当時は坊様以外に、その能力を持った人が少なかったこともあるが、今は違う。家の仏壇には回出位牌が二つある。 回転式の祖先の過去帳である。 明治半ばからの当家の祖先の戒名と俗名と亡くなった日が記録してある。 八角形の筒状になった書き込み式位牌で、中が回転する。私が実家に住んでいるので、仏壇を守っていることになる。 この仏壇の中に祖先の魂が入っていると考えてもよい。 この文を書くにあたりメモをとったが、一人ひとりの人生が 何かを語りかけているようである。 俗名も法名も、一人の人間のミニ物語である。 そして亡くなった年齢も命日も、 その人だけの物語の記念日。嘆き悲しむ親や親族がいて、坊様も、それを踏まえて法名を捻り出したのである。 本人も死に怯えたかもしれない。 それさえ無かったのかもしれない。戒名も、位牌も決しておろそかにしてはならないのである。 だから、自分の戒名を自分で作るのも、永遠の自分を残すという意味で大事な作業かもしれない。坊様から命名してもらうも、 それはそれで良い。自分で命名するのが邪道なら、自称戒名、として別につくっておくのも良いだろう。 俗名は親が作るなら、あの世の名前は自作でつくるのも理屈である。 ところで、家の回出位牌に書かれていた法名とは、以下の通りである。 父、堀井誠作 の法名は 池行院釈誠道 72歳没 昭和48年6月30日没 母 志摩 報寿院釈尼信華 88歳没 平成4年9月23日 一番上の兄、運一 の法名は 釈足心 23歳没 昭和27年3月15日 二番目の兄、進 の法名は、釈証盆 24歳没 29年8月11日 三番目の兄 誠 の法名は、釈淨誠 5歳没 11年6月4日 祖父の多吉は、釈淨信 62歳没 2年7月22日 祖母のツルは 釈尼妙証 55歳没 大正12年10月 父には幼児の頃に亡くなった兄がいて 修作 5歳没 明治31年8月29日 明治29年に亡くなった父の姉のヒサ 42年に亡くなったフミの名前がある。 そうこう考えると仏壇を守る立場として、自分の戒名を勝手に付けて良いものか、疑問もある。 下手をすると罰当たりになるか? それぞれの命日には、心を込めて般若心経をあげないと・・・。 ところで両親を除くと、誰も彼も私より年齢が下である。父親は「先祖供養だけは、しっかりしておけ」が口癖だった。 ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけておくのもオツである。 合掌! ・・・・・・・・・ 2642, 郵便ポストが赤いのも、みんな娑婆が悪いのよ! 2008年06月28日(土) 昨日の産経新聞の一面のコラム、 曽野綾子の「小さな親切、大きなお世話」 ー弱点を武器にする弱者たちー が、的を得た論評であった。 ー要旨といえばー 秋葉の男を通した、現代の腑抜けの若者と負け組みと称して何もしない人たちへの批判である。 戦後教育の最悪の集大成が秋葉無差別殺人である。曽野綾子は、彼は弱点を武器にする弱者でしかない、と批判。 短大を出た環境に育ったこと、派遣会社でも勤めることができること、五体満足の体と健康があること、 それだけで充分という。 アフリカや南米の貧困層と比べれば、全く恵まれている。 それを「負け組」意識、弱者の僻みで根が歪んでしまっていると指摘する。 彼らは「弱者は弱い」のだから、援助しろ、イタワルのが当然という、開き直りを武器にしている、と。 − 以上だが、 団塊ジュニアの弱者の事例が周辺に幾らでも転がっている。彼らは、それなりの間接的な脅しをしてくる。 「死ぬしかない!」とか、「弱者になっていまったのは親や社会の責任だ」とか。時代が下降すると、頭と尻尾が腐るというが。 何が平和憲法か、笑わせる。アメリカの去勢をモクロンダ枠組をそのまま大事にして、この様である。 この事件は序曲でしかない。 彼女の最後の閉めの言葉 「戦後の日本は心身を強くすることは軍事力の象徴で平和の敵とみなしてきたが、それは間違いだ。 強くなって耐える力を持ち、自発的に不運な人のために金か労力か、心か時間を差し出せる人を 目的に教育すべきである」が、教育の背骨になければならない。 「郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、みんなアナタが悪いのよ!娑婆娑婆 」ではね?。 ・・・・・・・・・ 2007年06月28日(木) 2277, あと半年の命!と告げられた人の言葉 ー1 何げなく読んだ言葉の重みに、すくんでしまった。その一言一言の重みと、末期ガンと宣告された経験者しか知らない、 虚空を目の前にした不思議な体験の言葉。 ノンフィクション作家の柳原和子の「からっぽの演出と装置」の文章。 ーー 三年半前、医療から末期を告げられました。なぜか今も生存しています。告知された私が三年半かけて自覚したのは、 告知人が医師であれ、占い師であれ、裁判官であれ、死の期限を切られると人は(わたしは) 「その言葉にとことん支配されてしまう、修正がきかない、」という他人からみれば愚かしいまでの単純な事実でした。 実のところ死は虚構です。誰ひとり体験し、蘇り、それを聞かせたり、した人は一人もいません。 (字数制限のためカット2010年6月28日) ・・・・・・・・ 2006年06月28日(水) 1912, スペイン画家・堀越千秋?4 「スペインうやむや日記」?3 ー読書日記ー * その9 ーむかつく (P-90)が面白い! プラド美術館のそばに何ヶ月か住んでいる知り合いの日本の女の子が、まだプラド美術館を見てないというから、 『え~見てないの。せっかくそばに住んでいるのだから、損だよ、そりゃ見なくてちゃ』といった。 この言い方あるいは内容が、何か先方に劇的な感情を起こすかもしれないと。ところが、何と彼女は、にわかにわめきましたです。 「それってむかつくっ!」「・・・はい?」「む・か・つ・く!」 同席していた、もう1人の女の子(両方20代)が説明してくれた。 こういう「あたまごなし」の「先生みたい」な「一方的」なものの言いようは、「おしけがましく」て「むかつく」そうだ。 ニャニィ 【君はъака】\_(・ω・`)ココ重要! あのな、ふざけんなよばかやろう。 だが私は分別のあるインテリの国際人であるから、私の言葉のどこがそれに相当するか、静かに問うた。 しかし、むかついた女の子Aはソッポを向いているし、女の子Bは私が悪いという。 そもそも私は下心なしに安いレストランで不味い夕飯をおごり、そのあとアルメンドロのカフェでコーヒーまでおごっているところである。 全く無罪である。それが何故??「世代の差」と女の子Bはぬかした。ヾ(。??∀??)ノ? 私の目の前にいるのはタヌキか、虫か、ナマズか、 火星人か? 頭ごなしでいったのではないし、先生みたいでもないし、先生でもない。ただの親切だ、ということです。 その情けない論理にすがって、言い方の言い訳をいうのに二時間も要した。 時計を見ると午前三時である。この馬鹿どもの相手に、あたしゃつかれた。;;(≧ω≦;) ーーーーー 以上だが、そのときの場面が目に浮かぶようだ!こういう馬鹿女が、何も知らないでスペインにきているのだ。 とくに欧州に行くと、日本人女は舞い上がってしまう。日本とは、女の扱いが全く違うのだ。 レディファーストに徹しているから、 それが土地柄ということが判らないのだ。旅行先で何時も辟易させられている。頼むから食事の席では、そばに来ないでと・・・ この三十数年間、新入社員の入社前教育が、ほぼこういう経験である。 詳細は書かないが・・・ 家庭教育が全く入ってないのだ。 それと学校でも社会規範を教えてない。ニャニィである。そして、1〜2年すると解ったような顔をして それも・・まあ、やめてこ! 他人事ではない、自分の最も身近の誰々さん、まさか家内とも言えないが、 「もっと、 ひ・ど・い・・・・・」殺される?? 消せ消せここ!何か堀越が乗りうつった?感じか。 .゜ヽ(●´ω`●)ノ。 わたし、プラドを見てまわった時の感動今でも忘れることが出来ません。これだけの絵が何と無造作に彼方此方で、 見れるのである。確かに、ルーブルも凄いがプラドはまた違った感動がある。近くに住んでいて見てない!など・・・ それも画家に言われて何を・・・である。 これを書いている現在、ワールドカップのフランス対スペインをみている。 フランスが後半に一点を入れたところ。 スペイン人はフランスを嫌いのようだ。フランスは嫌いじゃないが、フランス人が 嫌いだと!試合そのものは面白いこの上ない。自国の場合、こうも冷静に楽しめない!と書いていたら、ジダンが三点目をいれた! (註)ープラド美術館ー スペインを、いや世界を代表する美術館の一つがプラド美術館。絵画館としては世界一という声もある。 ボスの『快楽の園』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、ゴヤの『裸のマハ』『着衣のマハ』、 ルーベンスの『三美神』…… 「オランダ絵画やフランドル絵画を研究しようとすればプラドを訪れなければならないが、 スペイン絵画を研究するには プラドを出る必要はない」という言葉があるほどだ。 ー つづく ・・・・・・・・ 2005年06月28日(火) 1547, エホバの証人ー2 彼らの世界に一度踏み入ると、多くの規則に従しなくてはならない。 信者は教会活動に全身全霊を捧げることを強要?される。 ・献血の拒否 ・偶像崇拝の禁止 ・国の祝祭日の否定 ・特定の学校行事への不参加 ・長時間の伝道の義務(多いもので月に140時間、少ないもので60時間、 『ものみの塔』と『目ざめよ』の両誌を手にして家をまわる) ・毎週5つの集会の出席 以上のような義務を果たそうとすると、家庭はもとより、職場や学校から次第に離れるようになっていく。 (字数の関係でカット11年6月28日) ・・・・・・・・ 2004年06月28日(月) 1182, 秘境・異郷ツアーレッスン ー3 いま一つ面白いのは、添乗員と現地ガイドである。旅行の3分の1は添乗員の質できまってくる。そして、質とは我々をいかに楽しませて くれるかである。結局、自分でその仕事を積極的に楽しんでいるかどうかである。そして自分の仕事の役割を理解しているかどうかだ。 どんな仕事でも、それは共通している。そこには、その人の素材としての質と会社の教育が重なって出てくる。 ツアー客の、代理店に対する評価は辛辣であり、それに耐え得なくては存立し得ない厳しい世界である。見ていて本当に激務の仕事である。 次から次に起きてくる予期せぬトラブルを、一つずつ確実に処理をしていく。ベテランなら解るが、まだ20代の女性の場合 見ているほうが辛くなることが多い。トラブルを処理をしてくれるのから、ツアーは非常に楽といえば楽である。 北スペインの時の女性はまだ忘れることができない。20代半ばなのに、30分前に閉館した博物館を日本からワザワザ来たと 談じ込んで開けさせたのには驚いてしまった。「私は不可能を可能にする女」と自分でいって最後まで、その姿勢を崩さなかった。 最後は泣きながら大きなトラブルを処理をしていた。仕事の辛さという面で、究極の場面が次々と出てくる。やはり南スペインの アンダルシアの時の女添乗員もすばらしい。スペインが大好きという本人の気持ちが全員に伝わっていた。スペインのカセットを 持ち込み、バスの中ではその地方地方の音楽を流してくれた。まあ、人生の何であるかを教えてもらったようだ。 厳しい中でも、その環境を楽しむこと、それだけでなく世界を知る努力の必要性である。 ー つづく ー以前書いた文章をコピーしておきます。 [90] 人生のコツ 2001/12/21 (字数の関係でカット09年6月28日) ・・・・・・・・ 2003年06月28日(土) 815, たそがれ清兵衛 構想十年、山田監督が藤沢周平の時代劇を選び映画化した話題の作。中年男性が目に涙をいっぱいためて映画館から出てくるという。 昨年、行きそびれてしまい、DVDレンタルがでたら借りようと待っていた。4月に貸出し開始の予告の張出し広告が、レンタルショップに出た。 しかし店頭には中々でなかったが、やっと3週間前に出た。ところがいつも貸し出し中。それがやっと昨日借りることができた。 藤沢作品は表題作を始め、どの短編もいじらしく人間くさい主人公と、普段は見せぬがいざというときに出てくるあざやかな剣さばきの 対比が素晴らしい。作者が晩年に達したといわれるユーモアとペーソスをさわやかに織り成しながら、剣客小説としての凄絶さも 失われないのがよい。彼の多くの小説の共通点がある。地方の名も知れぬ小さな藩の中の、風変わりな主人公が、それゆえに周囲から あざ笑われている。しかしそこで、お家騒動がおこり巻き込まれていく。そして・・・ 早速、映画をみて驚いた。 小説と映画は全くといってよいほど違っていた。 ー映画のあらすじは (字数の関係でカット09年6月28日) ・・・・・・・・・・・・ 2002年06月28日(金) 451,星野富弘ー詩画展 先日、新潟近郊の豊栄の公会堂で彼の詩画展に行ってきた。数百人が来ていて,何ともいえない熱気に包まれていた。 ー彼の概略は ・私と同じ年の1946年生まれ。24歳のとき教師をしていたクラブ活動で、首の骨を骨折して手足の自由を失う。 ・入院の2年目より口に筆をくわえて文や絵を書き始める。 ・9年後の退院の年に前橋で絵画展を開く。 ・その後国内やアメリカ各地で花の詩画展を開く。 ・1991年に生地の群馬県勢多郡東村で村立富弘美術館を開く。 毎年40万人が訪れるという。 彼のことを知ったのは十数年前の「到知」という雑誌である。対談だったと思うが、その中で「傷口よりあなたの優しさが沁みこむ」 という文が忘れられない。早速詩画集を買って絵を繰り返し見た。口で、これだけの絵を書くエネルギーに別世界を感じ取った。 今回の豊栄の「花の詩画展」で彼の絵を同じ目線で直接見て、自分が彼そのものになって、自分の絵を見ているような気持ちに なってしまった。何か悲しい、底から突き上げてくるような暖かさを感じとった。更に動けない自分と花が一体化したような。 花も星野という一つの生き物が自分と一体になっていることを喜んでいる感覚。見方によって不自然な絵でもある。 これまで一人の人間に見つめられた花が過去にあっただろうか?愛情と言葉とエネルギーに包まれ一体化し、絵として表現されたことが。 絵の世界ではあったのか知れないが。決して幸せでない、動けない自分に対する苛立ち、諦め,怒り、そして愛がそのまま絵と文を通して 迫ってきた。地方の女性が一生、因縁に縛られ他の世界を知ることなく終えようとしている。 そういう人にとって、その絵と文は今はやりの癒しとなるのだろう。 ・・・・・・・・・ 2001年06月28日(木) [67] 月次決算 20年前の創業時より月次決算と毎月監査を実施している。そしてその報告書を銀行に提出している。 都銀の担当者がいうに県内で大手も含めて殆どなかったという。不況に入り今になってその実施を慌てて地銀が 要求始めていると聞く。これをきっちりしてあるから権限の委譲ができる。 安心して海外旅行もできた。
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| 3745, ジャズについて(鵺) ー「ジャズ完全入門!」① −16 |
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2011年06月27日(月)
ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ① 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。 しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係の文庫本を借りてきた。 その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。 【 *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなり ジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。 たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった 昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、 演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、 再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、 といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」 というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっている ことが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・ 要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では、演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、 とりわけ現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。 またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、 いったい何をどう聴いていいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのか よくわからない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズマンたちは、 いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】 ▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを証明するための 利用対象にしている。曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。その個性的演奏がジャズの 持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる 内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴きながら、これらを読んでいると、この世界が、 こんなに深く面白いとは、知らなんだ。 ・・・・・・・ 3380, 閑話小題 2010年06月27日(日) * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。 10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。 県としては秋田県が毎年トップというが。 真面目な内向きな性格が、そうさせているようだ。 年代でいうと50、40、60歳の順で、男二に対し女一の割合。 40から60歳代といえば中年から熟年への過渡期。 仕事も肉体も大変な時期である。 自殺といえば昔から北欧が多いが、日照の時間が短く、家にいる時間が長くなる黒夜の時期に、 内向きの暗い気持ちになり自殺する傾向が強いと現地で聞いた。年寄りだけでなく、青少年の自殺が多いという。 東北・北陸も、北欧と同じような緯度にあり閉鎖的になってしまうからだ。それと景気悪化の直撃もあるのだろう。 * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」 「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。 手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は? というと、 本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、 差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 他にも、配達人の恰好で、留守の人(旦那とか、隣の家にいって)に立替で集金をする。TVのニュースでみたのは、 夜間金庫が壊れているといって、警備員の恰好をした詐欺師がお金を預かる、などなどである。 この本の詐欺師の手口の紹介、近々に書いてみるか? 「世界は騙されたものの上で成り立っている」というが、 結婚など、その最たるものか。 幻想を互いに利用して実際は?? 騙し騙されない者よりはズット良い? 幻想もあるか? ・・・・・・・・ 3005,戒名を自分で付けてみた 2009年06月27日(土) 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記 以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 早速、借りて読んでみたが、面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式のドサクサに故人の 苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。 それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。 ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 宗派により、それぞれルールは違うが、 浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。 精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。 それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。 (最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い) この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。これも縁である。 私 =堀井八郎 志誠院釈八楽居士 (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字) 家内=堀井恵子 慈愛院釈尼恵光 長男 =堀井大 霊覚院釈大道居士 次男=堀井崇史 自然院釈崇駿居士 まあ、決して悪くはない出来栄?である 80ー90点?。 訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・) 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。 「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。 ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた 父=堀井誠作 池行院釈誠道 母= 志麻 報寿院釈尼信華 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。 ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。 丁度良い酒の肴になる。 酒楽院釈酩酊居士 の戒名か? ・・・・・・・・・ 2641, 今年前半の総括 2008年06月27日(金) 毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。 ー海外では ・アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安 ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った ・ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡 ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及 ・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明 ー国内では ・岩手・宮城大地震 ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた ・アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落 ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった ・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。 これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。 ー個人的にみると、 ・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。 ・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連れ合いも全て亡くなった) これで親戚関係の付き合いが大きく変わる。 ・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。 ・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれそうになって 警察まで行った騒動もあった。 ・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。 ー会社は、 ・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。 ・・・・・・・・ 2007年06月27日(水) 2276, 天才論 ー1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] ー読書日記 「天才論」 ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。 この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。 ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含めて、 自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも 持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的である。 「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろうか? モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」 があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある 「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。 レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。 天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に「具体的な何か」をハッキリと思い浮かべてしまうようだ。 アインシュタイン、モーツアルト、ニーチェなど天才と言われるひとたちには、「トップダウン」の働きが強いが、 レオナルドは「ボトムアップ」「トップダウン」の両方の要素を持っていたと著者は指摘。 彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを語る上で重要な部分とみている。 それはキャンバス(背景図)に描かれた部分に秘密が含まれており、それを読み解くことを見る人に問いかけていると指摘している。 ー天才についての著者は以下のように指摘している。。 (2010年6月28日字数制限の為カット) ・・・・・・・・・ 2006年06月27日(火) 1911, スペイン画家・堀越千秋ー3 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ 「スペインうやむや日記」ー2 ー 読書日記 ースペイン人の特質ー この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。 同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・ 堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。 28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に慣れた者のことなのである」といっているが、 海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。 ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー ・行方不明者はタチマチ『死んだ』か『刑務所入り』にされてしまうような国。何でも断定と言い張ることは、スペインの特技。 ・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがままであり、傍若無人であり、支離滅裂であり、 没論理的であり、没個性的であり、保守的であり、ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』 ・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。 ーー だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。下手な作家より、どうしてこうも画家の方が 描写が上手いのだろう。やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。ーつづく (⌒▽⌒)/"”バイ! ・・・・・・・ 2005年06月27日(月) 1546, 人生の最後に後悔すること アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」の答えは、 「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。 一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。 この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。中村天風のいう「積極一貫」を、 人生を通して徹することである。何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか?知識がなかった現状に満足しきっていた、 余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。豊かなアメリカの90代の人々が 「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」という切実な後悔は、何を意味しているしているのか? 旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえる。 ということは、「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。 教養とは、 ・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、 ・『人生は可能なかぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。 しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。限界まで生きてきたからだ。それしかないし、 他は考えられないからだ。 それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」 この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めてみよう!か。 父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」 と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。人間を支配している不安と恐怖が、 新しいチャレンジを阻害するのだろう。そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、老いている状態である。 今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳でも同じ問いかけが必要である。 周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。見えてないのだ。それも足元にあるのに。 ・・・・・・・・ 2004年06月27日(日) 1181, カント ー 哲学についてー11 カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。 ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、 身体がゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな 子供であったのだそうです。毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」 と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。そうするとこの医者は、じっとカントの様子を 見てからこう言います。「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう苦しかろう。それは医者として見ただけでわかる。 しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。 心までも“ せむし ”みたいにゆがんで息苦しくてゼイゼイしているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。 身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで何にもならない。それよりも、 心のしっかりしていることに感謝しなくては。死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、 身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」 カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・。 そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。 毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。 (2008年6月27日字数制限の為カット) ・・・・・・ 2003年06月27日(金) 814, 「ありがとう」の言葉 ー6 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。たまたま通りがかりの自転車に 乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれるという。ところがなかなか現地のその場所がわからない。 ( 2008年6月28日字数制限の為カット ) ・・・・・・・・ 2002年06月27日(木) 450,吉村作治-宗教・教えー3 (2008年6月28日字数制限の為カット) ・・・・・・・・ 2001年06月27日(水) [66] ソフト変更 昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。 これは写真も貼れる。そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。 まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、 このホームページの変更の打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。
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2011年06月26日(日)
◆ 長寿の秘訣 ー② NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。しかし、何か疑問が残ったのは、 「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカや中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。 問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた実験用の猿はメタボ気味で、7分目の方は、 溌剌としていたのは、その3割減だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 以前、モロッコの片田舎で 80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、 この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、泣き出しそうに話していた。腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。 〜〜 ◆ エアロビックス ー② 昨日は、スポーツジムで、エアロビックスの「ZUNBA」に初参加したみた。40坪位のスタジオに100人以上が集まり、 要は、「洋風の阿波踊り」。 中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、エアロビックスの場をかりて ドンチャン騒ぎをするのである。 変わった衣装を着た男のインストラクターに乗せられ、その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、 狂ったように踊って?、いや、エアロビックスをしている。 隣の人とブツカリそうな密度の中でストレスを晴らすように。・・・・ これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで壁フラワー・・・・ 健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、そのへんのニーズを知り尽くしている。 昔、踊る宗教というのがあった。 とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 今度、独りカラオケでも行ってくるか。 ・・・・・・・・ 3379, 改めて、現時点を考えてみると 2010年06月26日(土) 現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて如何いうことだろか、改めて整理してみる。 これは百年に一度、いや二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 ・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、欧州がアメリカ大陸に進出をし、 自分たちの文明を世界に押しつけた時代からの延長の終焉とみるか、 ・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、 ・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、 ・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、 ・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 等々の見方がある。 その5つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。 ここにきてネット社会という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが入手可能になった。 アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。 それが進化を止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めている20世紀的体制の 本格的破壊である。 哲学的にみればポスト・モダン主義が現象として姿を現してきたことになる。 日本にとっては、 ・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり出来たことが幸運か不運か? 結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされてしまった日本が「現時点の日本」である。 その去勢された姿を象徴するのが、社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。 北朝鮮の金一族がアメリカ、支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・ ・・・・・・・・・ 3004,そう考えない人はどうかしている 2009年06月26日(金) 「世界は感情で動く」 ー5 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー 21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」 まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、 【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。 つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、 他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した 他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、 ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、 「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」に固執するようになる。 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。 これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。考えてみると我われの 思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。 自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも 使いようということ。それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、偏見を解釈している のだから、ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、 「私の偏見日記」ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。 下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ) ・・・・・・・・・・ 2640, ブランド品 ー2 2008年06月26日(木) ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、これは面白い対象である。 もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。それまでは嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。 それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。 ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちではないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから 何段か下の人たちである。ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、 自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで 心の空洞を埋めようという行為でしかない。またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。 それは階級コードではないのである。それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。 (字数制限のためカット 2011年6月26日) ――― 2001/12/19 261,ブランド品 ー1 2001年12月06日(木) ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型 2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。 (字数制限のためカット 2010年6月26日) ・・・・・・・・・ 2007年06月26日(火) 2275, 希望格差 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ 本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。 会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」 と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は ・将来に希望を持って取り組める人たちと、 ・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。 そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか? (そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、 何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い? 希望のある会社だって選ぶ権利がある! いや、あるのかもしれない? その辺を間違うとフリーターへの分岐点になる?) (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2006年06月26日(月) 1910, スペイン画家・堀越千秋? 「スペインうやむや日記」?1 読書日記 先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋ー集英社 であった。 文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。 さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。 (まだ読んでないが・・・) 画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」 というような錯覚になってしまう。それと文章の書き方を教わった。結局は人は自問自答をしている。とくに随想日記は独り言で良いはず。 著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ!ブツブツとさ。だいたい頭の中で 繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、 そう書いても誰も何とも思わないよ。」そこで単純だから、素直に少し文体を変ることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。 もどるだろう。ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、スペインの 世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、と思ってもよい? ーー 私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、 と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。 が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、貧乏な友達にはたかられてしまうであろう。 それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という 普通のジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。だから、たまに日本でのお招ばれでフランス料理なんぞをゴチに なったりすると、先方がせっかく張り込んでシャブリだのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、 平気で正直に首を傾げて「うーむ」などと言ってしまう。 あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが 一万円以上するらしい。そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、東京の金曜日の 安ワインファンにはやむをえまい。 でもまずいんだから仕方ないよ。そもそもフランスのワインなんぞというものが、 どういうクワセモノであるかは、先頃一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても察しがつこうではないか。 いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で 人種差別主義者的なこの男の顔が私は大嫌いだった。この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。 特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む 一大汚職にまみれており、そやつら、亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。それがシラクである。 (以下は字数の関係でカット2009年06月26日) (*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・ 2005年06月26日(日) 1545, エホバの証人ー1 誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはず。 といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。 学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。(しかし、自力で脱会してきたが)中学校の 同級生が自宅に訪問伝道にきたり、前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。 貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。街角に立っていた元部下に偶然10年ぶりに会った時の話。 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2004年06月26日(土) 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2 このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。 それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどの シルクロードに危険を冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを知っている人である。 旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、人生の癒しを求めに来ている人。 また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。 年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。そこでは普段聞けない面白い話や 人生を垣間見ることができる。一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。遠藤周作の小説「遠い河」のような、 それぞれのおもい人生を背負った人の集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。もう二度と会わないから、本音の話になる。 そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。 旅行をしていて気がついたことは大まかに ・自然派と遺跡派と欧州派 ・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月26日(木) 813, 日暮里界隈 一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。 谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。 それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。知人の会社の東京事務所があったため、 よく通ったという店があった。沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。 店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。石垣島出身で具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。 (字数制限のためカット 2010年6月26日) ・・・・・・・・・ 2002年06月26日(水) 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2 「歴史」ー岩波文庫 に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに 「王の墓ではないか」と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで数千年それが信じられてきただけだという。 最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。 それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。 二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。日本では中ぐらいの川が3000本あるという。 エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。 ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、 25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。 一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。 その後神殿造りに変わっていった。今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。 当時のエジプトで神について以下のように考えた ・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え ・二番目に良いのは、神が本当いると信じること ・三番目は神はいないと思うこと ・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であったー現代人と変わってない} 日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。 エジプト中には83のピラミッドがあるという。ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個の ピラミッドを持つ者や、ゼロのものもいる。今は3年に一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。 ・・・・・・・・ 2001年06月26日(火) [64] おまいり 毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。 「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、 そして総ての霊が安らかお眠りください。仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。 そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くありますように。 かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」 大変な人は、周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。
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2011年06月25日(土)
* エアロビックス スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、スタジオで色々なプログラムをこなしている。 15〜20分の休憩をおいて何かが30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど参加者が少ない。 男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。 年代が高い人やメタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの間の空間で、インストラクターの指導で、 12人がステップ台とマシーンを交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの参加者が冷たい?視線で、 行列に並びながら見ている構図になっている。このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて参加してきたが、 この梅雨の湿気で一回限りにしている。 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟をして参加したが、 意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」など 10回以上は参加した。 最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついていくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。 それにしても、あの熱気は凄い。時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを堪えている。 今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。 面白そうだが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか? ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる時間帯では、2〜3割位は減ったような気がする。不景気が影響しているのだろうか。 ・・・・・・・ 3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2 2010年06月25日(金) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、 老歴期までの準備の蓄積の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の最終の中学校の同級生を見ると、 その時の成績順が、そのまま人生の生き方を決めている。一番が慶応大の教授、二番がレコード協会の専務理事、三番が・・・ そんなことは、この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったのが、街中の学校区ということで集まっていただけ。 地元には大学の付属の小中学校もある。学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の子供が行く学校。 子供なりに腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校に、 わざわざ越境していたと数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材がいたようだ。 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を 表すというが、次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。 そうこう考えると、両親の質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。 その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、先日の広島のマツダの無差別殺人は、 これらの不条理が本人に覆いかぶさった結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。 結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。 これが果たして、不条理を乗り越える役割とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。 ・・・・・・・・ 3003、アルコール依存症 2009年06月25日(木) これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、一人うそぶき飲み続けている。 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準) ・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、 1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。 ー適応 ・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。 ・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」 ー適応 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。 ・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。 ー半適応 ・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応 ・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。 ー不適応 ・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応 これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。 また国際基準というから。 少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。 解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。 ・・・・・・・・・ 2639, 世界の原子力発電の実情はどうか? 2008年06月25日(水) このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。 更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。 地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である 今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、 今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。 ーー 世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、 計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカ合衆国が最大で、 06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。 ーーー 情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。 それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。 それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。 ――― 2007/08/06 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている? ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。 ーインターネットで早速しらべてみた。 世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37パーセント。世界全体として原子力の依存度が 高まる傾向にある。現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。 日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、スウェーデンの エネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める 石油依存度は、2001年度に50%になった。(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う) 現在の日本には、53基の原発があり、 発電量で37%を占め、これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。電力10社では原発31%、石炭火力26%、 LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。 その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。 (字数制限のためカット2010年6月25日) ・・・・・・・・・ 007年06月25日(月) 2274, 現在とは何か (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ 「現在」とは何だろうか? 歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。 ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。 文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、?ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏 (一橋大学名誉教授)の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。 難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。 ーその内容の一部を抜粋してみるー ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。 その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。 しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまったハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。 一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・ かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。 二、次に、持続する現在がある。 私たちの意識の下層は過去を残している。 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。ひとたび創りだされたものが 生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。 三、一回限りの現在がある。 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。子供はたしかに成長する過程にあるが、完結した全的人間でもある。 戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、孤独なものには援助の手が現在になる。 一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。 四、最後に決断の領域がある。 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として 対するのであり、時間も客観的に流れていくのではなく、自分が捉えることによってはじめて生きてくるということが解った。 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、自分の目で歴史を見るということであり、そのためには 自分の内面に対応する歴史を発見しなければならないのである。私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。 古代、中世、近代という時代区分が確立しているとされ、それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかった。 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、それらを意識していた人々の暮らしと 思想を見出さなければならないのだと、思い知ったのである。私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから 始めたのである。当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。私もその議論の中にいた。 しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから出発しようとしていた。私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、 その地域の歴史を起こしていくことを考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。 ーー ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。 ・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、 ・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、 ・現在は、一回限りであり(一期一会)、 ・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、はじめて生きてくる。 現在は、自分が主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、 ということである。「現在」という問題も、結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。 般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。 (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ ・・・・・・・・ 2006年06月25日(日) 1909, スペイン画家・堀越千秋 −1 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス! 以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。 世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを紹介する番組である。 (2009年6月25日カット) ・・・・・・ 2005年06月25日(土) 1544, 私の酒中日記 ー10 金沢 ー6 ー1972年3月某日 武蔵店の店次長と最近飲むようになった。店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。 これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。何時ものように居酒屋に飲みに行こうと歩いていると、 目の前に店の女子がいる。丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。ところで、店次長の今日の話が面白い。 金沢でよく言われている裏話があるという。その地区でしか聞けない面白い話しである。「能登と福井の女は止めておけ、 嫁を貰うなら富山がよい。自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。 富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、 能登だけは止めておけ。自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」その同僚女子は 金沢周辺の出身で問題はなかったが。そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身の女性が良いと聞いたことがある。 (字数の関係でカット2011年6月25日) ・・・・・・・・・ 2004年06月25日(金) 1179, 哲学についてー10 ー現在の哲学 現在の哲学はどうなっているのだろう。現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。 この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく 根源的生命力のことをいう。構造主義とは[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」 (無意識)を探求する]と、いうことである。 解りやすく大雑把にいえば 「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」その構造主義を唱えたのはソシュールである。 彼は人間は言語を持つことで人間になった、「人間は言葉だ」と主張。構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。 このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。 情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。 情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする社会といってよい。 その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。 哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に重要になってきている。 自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。 「哲学について考える」を書いてきた効用か、今までとは何か違った目で「哲学」の本を読めるようになった。この程度でだ。 ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。何冊か書いてみると 「哲学のカフェ」 ノーラ・K 「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太 「哲学がわかった!」鷲田小弥太 「哲学のコテン101物語」木田元 「新哲学入門」三木清 「ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ 「ユング」コリー・ウイルソンなどなど、30〜40冊以上はあるが、 それを理解しているかといえば話は別である。ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30〜40とした。 哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。難しいことをシンプルに、 シンプルのことを深く、深いことを面白くである。哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。 ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」 とかの概念をテーマにして書くつもりである。 次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。 ・・・・・・・・・・ 2003年06月25日(水) 812, 変な人が書いた成功法則 ー 読書日記 (2008年6月25日字数の関係でカット) ・・・・・・・ 2002年06月25日(火) 448,吉村作治ー考古学について ?1 昨日、彼の講演があったので聞いてきた。エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、 一言一言が非常に興味をもてた。 講演内容を時系列にそのまま書いてみる ・考古学は人間学である。 骨董屋とは違う ・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる (字数の関係でカット2008年6月25日) ー 続くー ・・・・・・・・ 2001年06月25日(月) [63] 秘境ツアーコーナー故障中 3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。 ホームページ面白いがメンテとランニング大変! 好きだからやってるが、そうでなくては無理。 ーつづく
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2011年06月24日(金)
* 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では考え方の一つとして割り切ってみている。 その最たるものが、中村天風の「積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、置く習性になっている。 現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。その辺のタイミングは心得ている。 あまりポジティブ思考に固執すると、嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。 ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、葛藤が大きくなる。 しかし、そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。 ところで、この本、読み始めたがナカナカ面白い。 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを 発揮したから、ここまで到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待っている」という考え方は説得力がある。 そこで私の強みとは何か?を、人生を振り返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」であった。 初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。 当然といえば当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、 可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。その一つが、10年前にHPをネットで公開し、 因縁のある人に学んだことを晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? それでも全くかまわない。その通りである。 この習慣そのものが、自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていくことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままにしてあるが、 治そうとしない、だらしなさがある。 弱点の克服も、重要という自覚がない。「強み」を生かせは、ドラッガーが強調していたことだが! 人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、形而上に変換し、考えることだが・・・ ・・・・・・・ 3377, 人は風呂に何を求めるのか 2010年06月24日(木) 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れていればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。 世界中で、汗をかくほどの湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かるのも日本人だけ。 だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンのシャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として 半地下の小屋で火を焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。 これが、焼き石を持ち込むことに替わり、焼き石に水をかけて 蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。 古代ローマも、各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。 ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。 日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂になっていく。 「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、 汗をかいた後に、汗や垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の気持ちになっていた。 刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。 だから、日本人は昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると 温泉に長時間の療養をしてきたのである。 国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で 「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題になったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。 ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり 美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に30分ほどつかる。 その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、 信濃川岸のサイクリングかウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、帰って新聞を読んで、 風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。 ・・・・・・・・ 3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件 2009年06月24日(水) 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している 娘が昨夜帰ってきて泣きながら、殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュース では100万円以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は 血の海で、血の足跡が外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、 極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。 犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、 黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 そういえば現場から200メートル先で、 7〜8年前に金券ショップの店主が殺害された事件があった。殺された店主の隣人が、万代の町内会長で飲み会で月に一度は 顔を合わせていた人。町内会長には警察からその詳細の内容が入るとかで、その会で微に入り細に入り聞いた記憶がある。 この時は怨恨で犯人は捕まったが金券か何かの縺れから、事件を起こし服役。服役中は「ただ復習しか考えてなかった」という。 恐ろしいことである。ところで、新潟駅前にはサラ金が多く見かける。貸しビルの1Fは大手が入り、上階にいくにつれて 際どいサラ金になっている。会社の人の話によると、毎日、集金をして銀行に行っていると、店主と自然に顔見知りになり、 一言二言話をすることがあるが、かなり危なそうな人。 毎日の記帳が一冊になるという。ということは通帳には600段あるから 5ー600人の振込みがあることになる。せいぜい2〜3千円としても膨大な金額。 娑婆には私らの知らない世界がある。 ・・・・・・・・・ 2638, 娘に贈る12の言葉 ー5 2008年06月24日(火) 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記 ー8、汝自らを知ること。ー ・自分自身をよく知ってほしい ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、自らの行動上の標語としたと 言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」という意味だった。 投資で成功するには 何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。 そういう状況に自分がパニックになるかを知っていることが重要。人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。 ・人は群集心理にかられやすい 群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。 ・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。 解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。 ーー ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー ・すべては変化していく。 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、 あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。 大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。 ・需給の原理を覆したものはいない。共産主義は需給に頑強に逆らってきた。 需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。これに逆らったからソ連は崩壊した。 解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、情報化の大波が世界を揺るがしている! と言ってよいだろう。ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。 中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。 ・・・・・・・・・ 2007年06月24日(日) 2273, 霊長類オンナ科図鑑 ー1 (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 中村うさぎ著 角川書店 またまた、 中村うさぎである。図書館で手に取ると、ついつい借りて読んでしまう。この本は、「こんなオンナはイヤだ!」と、 女達への悪口の連続!の内容である。女の職場で、いやというほど色いろな女族を見てきたが、でも可愛いのが女である。 それにしても中村うさぎが、よくぞ冷淡に女の生態を書きあらわしている。だから同性に嫌われるのだろうが、若い鼻持ちのならな いバカ女!達よ、少しはこの本を読んで、自分の姿を省みなよ!と心底、言いたくなる本である。 (字数の関係で中間カット 09年6月24日) ・・・・・・・・ 2006年06月24日(土) 1908, 地方経済(新潟)の実態 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? 先日、佐渡出身の人から聞いた話。「佐渡の人口が、自分が高校を卒業した40年前に比べて14万→7万人以下に半減。 観光客も、120万→60万人に激減した」という。40年前(学生時代)に、大學の友人と遊びに行ったことがあるが、 何の印象も残っていない。 「二度と来るところではない島」という印象が残っただけだった。 「ドサ周り」の語源が、佐渡と土佐から来ていると聞いたことがある。先日の知人の話によると「あの小さな島で200〜 300の建設業者がいる」という。10〜20でも驚きなのに。仕事柄か、佐渡だけでなく新潟県の衰退を肌で感じている。 冬季オリンピックが終わった時、長野県が大きな転換期を向かえたが、新潟県も、戦後から続いた公共投資も底をつき、 農業保護政策も転換。急激に衰退し始めている。これは全国レベルでいえることだが、新潟が特にいちじるしい。 ・新潟県の総建設費が10年前の1996年に比べて40パー減。 ・公共工事にいたっては10年前の60?減という。 (字数制限のためカット 2011年6月24日) ・・・・・・・・ 2005年06月24日(金) 1543, 新宿・歌舞伎町の変容 歌舞伎町といえば、1~2年前までは風俗無法地帯であった。 しかし石原知事が『歌舞伎町浄化作戦』を展開させてから 昨年の4月から半年間で、風俗関係を162店、人数にして500人、暴力団員が200人、それから不法外国人が7百人が 検挙されて歌舞伎町の街が一変しているという。それまでは、日本暴力団とチャイナ・マフィアが仕切る無法地帯に近い状態。 そこで石原都知事が元広島県警本部長の竹花豊を副知事に任命。彼は、「NYはここ10年間で犯罪は減ったが、歌舞伎町は犯罪が 増加傾向にあり、その原因は違法風俗店が増え、その資金が暴力団に流れている」と宣言し、本格的に浄化作戦に出た。 アジア最大の歓楽街と言われる歌舞伎町を、「親子で歩ける健全な街に戻そう」という動きが本格化した。 警察などの取り締まり強化で怪しげなネオンが消え、飲食店舗ビルの看板は虫食い状態。違法風俗店が続々と摘発され、 キャバクラやクラブなどの店舗も相次いで閉店。歌舞伎町の町内会では、監視カメラを据付てビデオで録画などの警察と 共同作戦が効を奏し、売春婦、呼び込み、前科者、ヤクザ、不法滞在者などが消えてしまった。 以前なら客引きに付きまとわれたが、今では飲食店を含む客引きは一切規制され、ピンクビラは配布するだけでなく、 配布用に持っているのも禁止。「路上のたむろ」さえ規制の対象された。この三月に、北池袋の東横インに宿泊したが、 以前のような怪しげな店や、呼び込みの姿は殆ど見られなかった。このため、ピンク対象の飲食ビルなどのテナント撤退が進み、 不動産の相場が暴落したという。2007年問題(現在工事中の高層ビルが一斉に完成すると、中小ビルから高層ビルへの移転が さらに進み、地価暴落の大きな要素になる)が控えていて、どの要素をみても、地価に対してはマイナスである。 それにしても、あの桃源郷?といわれた歌舞伎町が健全の街になるとは! そして地価が暴落するとは数年前までは考えられないことであった。政治の力は絶大である。 ・・・・・・・・・・ 2004年06月24日(木) 1178, 哲学についてー9 ー現代の哲学 −2 実存主義の大きい影響を受けたサルトルは、たんに優れた著述家としてだけでなく劇作家・小説家としても名を知らしめていた。 彼はハイデッガーを研究し、最初の戯曲を発表。また1943年には哲学上の著作として重要な「存在と無」を書き上げた。 彼の言葉に「精いっぱい生きること」がある。「社会が課す規制や規則に反発するのは若者であり、誰でも 『自己についてのあらゆる選択権』をもっている」という、彼の言葉に当時の若者が飛びついた。 現代の哲学を考えると、アメリカのプラグマティズムをあげなくてはならない。「知識を実践的な活動としてとらえる」 考え方である。18世紀後半アメリカが国家として独立すると、アメリカ特有の新しい文化や思想が生まれるようになる。 その後100年かかって優秀な哲学者がハーバード大学などからでてきた。バース、ジェームス。そしてディーイである。 バースはプラグマティズムを「言葉に表れた意味を確認する手法、意味論である」と主張した。彼の一主張で 「知ることはひとつの行為」であるというのが印象的だ。20世紀には分析哲学が飛躍的にのびた時代でもある。 哲学者の多くは学者や科学者ばかりという背景もあった。論理分析や言語分析などは歴史的に見ても飛躍的といって よいものであった。人間の知識の本質に対する徹底的な再検討と分析である。 そして構造主義がうまれてくる。 ・・・・・・・ 2003年06月24日(火) 811, 「最良」の敵は「良」である ある本の冒頭に出ていた見出しである。 ー以下に書き写してみるー 「重要事項を優先すること」は、人生の核心に関する問題といえる。ほとんどの人は、「やりたいこと」や 「やらなくてはならないこと」がありすぎて疲れ果てている。 自分の時間を最大限に使い果たすために、そのときどき、 あるいは一瞬一瞬、行動を決定することは大変なことである。「良」か「悪」を見分けることは簡単だ。無駄な時間や 愚かな時間の時間の使い方なら誰にもすぐに分る。「良」か「最良」かを見分ることが難しいのだ。 「最良』の敵は「良」であることが多いからだ。あなたにとっての「最良」とは何だろうか。 「最良」のために時間を使うことを妨げているのは何だろうか。それは意外なことに、あまりに多い「良」が邪魔をしている。 数多くの「良」に邪魔をされて、最優先事項を優先できなかったことを、ほとんどの人が後悔するのである。 ・・・・・・ ー以上であるが、「無意識的に小事に取り組んでいるのは、意識的に大事に取り組まないのと同じだ」 と次の項目にあった。 小事が「良」大事が「最良」と考えてみると小事が最大の敵というのが解る。 小事も大事であるが、それにとらわれて大事を見逃すことが致命傷になる。目先の緊急を処理することが、いっけん大事そうだが、 これが敵である。「最良」を明確にして、真北(北極点)に向かって常に磁石の針を「最優先事項」に向けていなくてはならない。 何かハッとする言葉である。イトーヨーカドウで「ヘドロー売れ筋外れ商品」の仕入れ原因を調査した。 ーそれがなんと売れ筋商品の品切れをカバーする為に仕入れた類似商品だったー売れ筋を最良とみて、次善の商品を入れたつもりが、 最悪の事態を呼び寄せてしまった。少し意味がそれたか?人生そのものであると同時に、すべてに当てはまることといってよい。 今の日本の姿といってもよいだろう。自民党旧守派が常に「足して二で割る」政策をしてきたことが、この「良」といえる。 日本をここまで追い込んだのは醜悪集団が「良」の選択をしてきた結果である。単なる利権集団屋さえ気がつかない低俗国民に 問題ありだが。最良の「敵」が「良」とは、もっと早く気がついているべき!気がついているほうであったが、それは「良?」 の人に比べてか。 最良じゃない自分がいう権利はないか?しかし真北の選択という面で最良は選ぶことはできたはずだ。 その都度真北を見てきたつもりであったが、どうであろうか。私が意識的にー敵(良)としてきたことは俗に言う「世間様」。 それでも一言で「『最良』の敵は『良』である』とずばりいってのけるとは! ・・・・・・・ 2002年06月24日(月) 447,内面処理の仕方ー心の自己処理 昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」でいろいろ行き詰まりなどあった? それなりに乗り越えてきたのは「最後は一人」ということが実感で解っていることもある。 行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。 自分の気持ちと事象を、とことん書き連ねる。・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。 ・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。もう出てこなくなるまで書く。・その内容を読み返す、そして更に書く。 これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。 ・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。その時は残るが、時間が経つと 全く内面から消滅する。「割り切」を合理的にしていることになる。それを中途半端にすると後に残ってしまう。 あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。 一番辛いという、連れ添いの死も三年という。般若心教を暗記してあるのも良い。全ては宇宙の出来事の些細な出来事で しかないことが自己確認できる。般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。 ・・・・・・・・ 2001年06月24日(日) [62] あと2週間 あと2週間で北欧ロシア旅行だ。まだ実感がわかないが、かなりハードな旅行になりそうだ。 南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。このコースはやはり外せないコースだ。 ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるならインドは絶対外せない」 と言われて、インドに行ってみて納得したが、このコースもそれに近い何かを直感した。 それが当たっているかどうか?「12日で5カ国、バスあり飛行機あり船ありだ」毎日が面白い。
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| 3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? |
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2011年06月23日(木)
指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論である。 この疑問に至ったのは、新聞広告で「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著) を知り、アマゾンで概要を読んで、 驚き同調したため。 この国では、政界、警察、広告、メディアがパチンコ業界と癒着?の関係になっている実態がある。 ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれになった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、 炎暑下の赤ちゃんの車中置き去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を取材してきたが、2006年暮れ、 たまたま旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に 帰ってきて新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている識者も誰もいなかったことである。 ーアマゾンに投稿されている以下の評論も、正論であるー ≪ 韓国に、2000年代に入ってパチンコが日本から移入され、様々な社会問題を引き起こした末に、数年で全面禁止になったという話は、 寡聞にして全く知らなかった。本書の圧巻は、タイトル通り、韓国で起こったパチンコを巡る一連の騒動を現地取材を踏まえ詳細に報じ、 韓国に禁止できて日本にできない訳をズバリ指摘している点である。 また著者は、依存症を招き多くの人を不幸にするパチンコを、 「数千人の莫大な利益のために、数百万人を泣かせる行為」として、廃止すべきであると強く主張している。 筆者は、日本のパチンコを 巡る構図を、パチンコ店経営者は小作人、メーカーを地主、警察を悪代官に喩え、この3者のトライアングルが金(=広告料)で マスコミを黙らせ、ロビー活動により与野党を問わず政治家を抱き込んで、「パチンコ王国=賭博天国」ニッポンをつくり上げている 実態を明らかにする。 家族にパチンコ依存症患者を抱え塗炭の苦しみを味わった経験のある私には共感できるところ大であり、 韓国の実例は希望を与えてくれる。≫ ▼ 私は家が商売をしていたため10歳まで繁華街のど真ん中に住んでいたので、近くにパチンコ屋があったことを憶えている。 公然と街中に、現在まで賭博場があったことに誰も異をとなえなかった奇妙さに、日本の文化の低さが見えてくる。 反面、戦後日本の小さな射幸心を満足させてきた遊びに、目くじらを立てることもない、という容認も、分からないでもない。 それならば、競馬、競輪は、どうなのかという問題も出てくる。パチンコ狂いからサラ金、家庭崩壊というパターンは数知れず。 私の親戚縁者や友人に、それで身を持ち崩したという人は一人も存在しなかったが? あの負けて店を出る時の不快感と虚無感! ・・・・・・・ 3376, 生涯に直面する四つの不条理 2010年06月23日(水) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 * 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。 ー 以下はネットで調べた概要 ー 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。 一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実である。 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の 出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実はじわじわと階層化が 進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面する不条理である。 二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、 時に一生その人につきまとうことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。 三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が一手に引き受けて、 生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。 不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく 異なっているのは、労働市場が男女で分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ 社会的支援が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があることである。 医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。 四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう人生の終盤期であり、 蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は 同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには周到な老後設計が求められる。 高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本では年金だけで生活できないので 老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと 急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。 〜〜 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、恵まれた 両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 老後は、それほど為残したこともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。 ・・・・・・・・ 3001、ハロー効果 2009年06月23日(火) 「世界は感情で動く」 ー4 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * ハロー効果の意味とは? ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、 【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる 現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向への ハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてると思い込んでしまうケースがある。 また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。 それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、 実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】 ▼ 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に向かう 冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。この認知バイアスを利用しようと カリスマを演じている人もいるが、ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も似たようなもの。 目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。 宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。 そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。 世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。 そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。 ‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味! 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。 ・・・・・・・・ 2637, ロードサービス、初体験! 2008年06月23日(月) ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは! ー半ドアでバッテリーが上がるー 昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。 バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 ・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけのガソリンスタンドの電話を して来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 ・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。 ・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりにくるわけがないと独り言を言っていると、家内が駄目もとと、 電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でもやってみるものである。 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 カードのロードサービスは、それぞれの 地区の自動車修理の業者と契約をしていて、電話をすると、20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。 今回、観察をして解ったことだ。 電話をしたしたところ、「○○自動車修理というところが、20分後に伺います」と言う返事で あったことから、理解したこと。宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという昨今、 これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよいものである。 バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。 その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。 ゚Д゚*)ノ⌒バイ! ・・・・・・・ 2007年06月23日(土) 2272, 漢字は、一字で、詩やねん (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯ ー 榊莫山 の名言ー 漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字そのものに、 絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。 それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、 なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ... ーー 「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である! 「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも言いえて妙である。 その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生をかけて演じるもの! 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。 墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。 一人一人物語と深い経験を持っている。 そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男! 私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った? 八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか! o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪ ・・・・・・・・ 2006年06月23日(金) 1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2 。・∀・)ノ゙オハヨウ! ー読書日記 この本の中にフランスの教育事情があった。日本との違いに驚いたが、これでは不法移民が暴動を起こすのも解らないでもない。 自由・平等・博愛を標榜している仏国をエリート教育システムからみると、徹底的な差別国家とも受け取ることができる。 (エリートは、選抜された人である。その背後には振り落とされた人が多く存在している)自由、平等、博愛はエリート社会の 仲良しクラブ内だけの合言葉でしかないのか?「有得ないからせめて努力しましょう」ということだ。北朝鮮のように、 漫画的な奴隷制度が残存している国からみればまだよいが。優秀な人を選んで徹底的に教育しなければ国は成り立たないのも事実。 ーー P・310 高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)、 これがフランスの知識人世界を理解するキーワードの一つである。 フランスの高校生は大学に進学しよう思えば、 ・バカロレアと呼ばれる全国統一テストを受ける。 ・これに合格すると大学入学の資格を得て、基本的にどの大學にも進学できる。 ・フランスでは大學の授業料はタダ、無料である。 現在のデータでは、ソルボンヌ大學の場合、年間二万円少しの「登録料]]を払えばよい。基本的には欧州の大學は、 フランスでもドイツでも、授業料はタダ。この点がアメリカとは基本的に違う。(アメリカは年間250万円が相場) 欧州は大學授業料がタダなので、私立大学は殆ど存在しない。しかし、フランスのエリート高校生は大学には進学しない。 ソルボンヌ大學なんか行かない。 何処に行くか?高等専門学校(グランゼコール)を目指すのである。 (字数制限のためカット 2010年6月23日) ・・・・・・・ 2005年06月23日(木) 1542, バージン島にオフショア会社設立? 一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。 何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。菊池ファイナンシャルグループ代表の 菊池重喜氏という人である。持ってきたパンフレットによると1966年にカナダ移住。 現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、 2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。 彼の話の要点は、 ・日本そのものが危ない状態に入った、 ・AAA格付けのカナダ国債・アメリカ国債をオフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ! そのお手伝いが、彼の仕事である。今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが 手軽につくれるという。このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである 英国領のバージン諸島において、オフショア会社の設立が可能となるという。 それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが可能になるとのこと。 その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。 最低ロットが2500万円という。決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。 私の感想として、彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、その前提の上でアメリカ国債の買いを勧めている。 果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、非常に疑問を感じる。5年すら疑問である! 彼があげていたアメリカが大丈夫という理由 1、軍事力が絶対的に優位 2、ドルが主軸通貨 3、英語が世界共通語である 4、金の保有量を世界で25パーセント保有 (字数制限のためカット 2011年6月23日) ・・・・・・・・ 2004年06月23日(水) 1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記 人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに新たに新刊本が追加されてあった。 (字数制限のためカット 2010年6月23日) ・・・・・・・ 2003年06月23日(月) 810, 「ありがとう」の言葉ー5 最近は殆んど見られなくなったが石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が暗黙のうちに規制されていた。 その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが流行っていた時期があった。 (字数の関係でカット09年06月23日) ・・・・・・・・・・ 2002年06月23日(日) 446,喧嘩のコツ ・まずは先手必勝、なんでもそうだが ? 王手・飛車より、先手が怖い ・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち ・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む ・短期決戦ーこれも鉄則 ・大義をつくっておく ・時には捨て身でも ・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式 こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。その前に殆んど自滅していくが。 喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。 事業は弱い相手を探して叩けばいいが。子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。 その場合けっこう面白がってやる。生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。 長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。 ・・・・・・・・・ 2001年06月23日(土) [61] 小泉総理メルマガの紹介 らいおんはーと ? 小泉総理のメッセージ] [大臣のほんねとーく] ● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣) 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中で、 衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、上司の助教授に呼ばれた。
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2011年06月22日(水)
◆ 長寿の秘訣 先日のNHKで 腹7分目の猿と 腹いっぱい食わせた猿を20年実験した映像があった。腹一杯の猿の半分が死んでいるのに対し、 空腹の方の猿は八割が生存するという。それにしても、隣り合わせの檻に入れられた二匹の猿の姿の差に愕然としてしまった。 全ての生き物に、ある遺伝子のスイッチがあり 飢餓状態の方が健康にいいという内容であった。101歳のアメリカ人男性は 二十歳の頃から食事制限していて外見は70〜80歳ぐらいに見えた。 小食粗食は、身体に良いとは頭では知ってはいたが・・・ TVでも、実際にモニターが数人、三割カットした食事を7週間で試みた結果、遺伝子のスイッチが入った結果を出ていた。 これを健康食品で可能かを取り上げていた。レスベラトロールという物質が、遺伝子にスイッチを入れるという。最近、コマーシャルで 目にする「ブルーベリー」などに含まれているという。 これを飲み続けると、長生き出来るというなら、小食を心がけた上に、 これさえ飲んでいれば長寿になるようだ。私のように食事に、ある程度の満腹感がないと食べた気がしないのは、長生きは出来ないか。 ◆ 一メートルと、一kgの基準の割り出し方 やはりTVの番組で知ったことだが、「一メートルは北極から赤道までの1万、その延長上の南極までで、2万。 一周で4万分の一が一(キロ)メートルの基準値になっている。 また一キロは一リットルの水の重さが原点という。これも初めて知ったこと。 といことは、私の重さは、1・8Lのボトル32本分になる。そんなものなのか。 ◆ 65歳以上の人口比は? 2010年度の65歳以上の高齢者は前年より46万人多い2944万人(総人口比23.1%)と過去最高を更新した。 40年前の1970年度で、7・1パー、1980年度で9・1、90年度で12パー、2000年度で17パー、そして、去年で23・1パーセントになった。 何と、40年で3倍以上になったことになる。大よそ14人に一人から、4人に一人になってしまった。65歳になった現在、私より若い人は 4分の三になってしまった。これは、欧米の16パーセントを遥かに超えた数字である。 2020年には、30パーセントに近づくと言われており、 その年金だけで国家の財政は成り立たなくなる。恐ろしいことに、これは欧米社会も、今まで経験をしたことのない事態。 日本経済の不振も、この辺にある。とはいえ、アジアなどから、どんどん外国人を移住させるのも、問題が出てくる。 ・・・・・・・ 3375, 大相撲の野球賭博について 2010年06月22日(火) 大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博、覚醒剤とか、 一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、 神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。 地方巡業の興行というと、ヤクザが絡んでくるのは今さらのことである。 どうも、親方、理事の顔を見ていると、 彼等も何かやっていたのでは?と、思うのは私だけではないだろう。 野球賭博は40年ほど前から暴力団が始めたといわれ、 彼らの大きな資金源になっている。 新聞によると琴光喜は5年前から始めて、3千万ほどの借財があり、最近に勝った 5百万の金を返済に向けようと取り立てようとして、逆に350万を脅し取られた。更に一億を要求されたというが。 その交渉の席に親方二人が同席をしていたという。 自分から名乗り出た者は厳重注意だけで済ますという呼びかけに、 29人が野球賭博をしていたと名乗り出た。そこに親方衆まで入っていたが、元横綱の親方や理事などに 名乗り出れない立場の人もいるはず。 新聞によると「戦前の名横綱と、ある著名な親分が義兄弟の契りを結んでいた」とか。 直ぐに、誰でも分かる人といえば・・? 大鵬の横綱土俵入りの化粧まわしに、○○組の?のマークがあった映像を放映していた。 今回、執拗に脅しをかけた連中は警察だけでなく、ヤクザ世界の方からも、ただでは済まされない失態。 刑務所にでも入っていたほうが身の安全だろう。 国技とかいう特権を剥奪すべき時期にきたとみるべきである。 大相撲がつづく限り、こういう問題は付いてまわる。 これから角界を去った元力士からの実態の暴露もでるだろうし・・・ ・・・・・・・・ 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。 確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか 注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。 書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の白袴で・・・・? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。 ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。 ・・・・・・・ 2006/09/24 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメを することがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。 マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。 マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、 驚いてしまった。両親の一生をみると人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、 あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の 世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。 この話を故人になったが教育学者の 森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、断ってしまった。 20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。 母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。 3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書き)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく さて墓参りだ! ・・・・・・・・・ 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると 約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた (書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、 実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が 間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。 会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。 作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。 いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。 スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、 自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。 書き続けることは、書き重ねることになる。深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。
2004年06月22日(火) 1176, 哲学について −8
ー現代の哲学−1
ギリシャの国家都市が衰退した後、ふたたび民主的とよばれる社会が出てくるのは 18世紀のフランス革命とアメリカの建国である。 とくにフランス革命は、「愛と自由と平等」をうたいあげた民主主義思想 をヨーロッパ全体に広がるきっかけとなった。 民主主義思想を推し進める為に、個人の自由を社会的平等に結びつける 思想が大きな役割を果たすようになった。 自由を重心においたのが自由圏といわれる資本主義社会であり、、 平等に重心を置いたのが社会主義圏の共産主義社会であった。 そして愛のかわりに憎しみで対立したのが20世紀の時代といってよい。
現代哲学ではヘーゲル哲学の継承者としてのマルクスの思想を上げなくてはならない。 マルクスは19世紀半ばに「共産党宣言」を執筆した。 マルクス主義は一般的な意味では哲学に分類されないが、現代哲学へは大きな影響を与えた。 マルクスの考えでは、当時の産業資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が出現する 二つ前の段階にあった。彼は、近代科学技術は発展をし続け、ますます失業者を生み出し、 一般大衆は生産手段から疎外されると予想。 資本家と労働者の対立が激しくなり、労働者大衆が資本家階級を打倒すると説いた。 しかし彼の思想はみごとに外れてしまった。権力を持った人間の本音として エゴイズムと腐敗の温床になっていった。そのエリート集団は資本家より ブルジョア的になっていた。
また現在の哲学を考えるとき、「実存主義」を考えなくてはならない。 代表的な哲学者としてキエルケゴールとハイデッカーである。 「人間は自己のアイデンティテイに問題を見つけ、自己の経験の不可解さに目を向けて 人生の意味を明らかにしたいとと望む」という考えが基礎になっている。 キエルケゴールーはもっとも倫理的な存在は自己であり、よって最も重要なものは 「個人の主体性」であると主張した。 人間にとって最重要な活動は意志決定であるとした。 実存哲学として代表されるのはサルトルである。
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