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堀井On-Line
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2011年02月20日(日)
「 忘却の整理学 」外山滋比著 ここで、著者は早朝に目をつける。どうも、夜の間に忘却が起こることはたしかであると。 忘却が頭を働かせやすく、きれいに整理をしてくれるとすると、一夜明けた朝がモノゴトを考えるに適しているのは当然である。 昔から、それに気づいていた人は少なくなかった。イギリスの詩人のウィリアム・ブレイクに次のようなを紹介してある。 朝、考える ひるは はたらき 夕がた 食し 夜は 眠れ まず 朝いちばんに思考せよ である。 他の仕事は、そのあとでよい。 昔、中国の役所は、朝、日が昇ると同時に開始されたという。それで、「朝」廷で、効率的であることを知っていたのである。 日本の諺に、簡単の仕事を「朝飯前の仕事」というのがある。 本来は朝飯前に手がければ、簡単な仕事でなくても、 頭は整理されていて、仕事の判断、手順がたしかで処理が早くなるということから来ている。 もう一つ、思考に向いているのは夕食前である。その時間は早朝と同じで、働いた後で、空腹も加えて脳が活性化している。 更に勧めているのが昼休みの短時間の昼寝。 そこに僅かな時間でも睡眠をとることで、忘却の要素を入れることになる。 最近、再開をした「モーニング・ペイジ」がある。 白紙の大学ノートに30分位、思いのままを書き付ける。 早朝だから、自然に出てくる言葉は、外部情報に染まってないサラの内部?から声を掬い取ることになる。 ところで以前に、過去の全てを忘却した男の映画をみたことがある。その時に過去の記憶こそ、人間形成をしていると思い知った。 ということは記憶と忘却の形が、その人物形成をしていることになる。忘却の、いま一つの方法は、より刺激の強い経験を 挟むことだ。忘れようとしても忘れられないなら、より刺激の強い何かを探し、そこに気持ちを切り替えることだ。 それは前向きということになる。後ろを向いて記憶を強化ばかりしてないで、目先を変えることが忘却の一番の方法である。 ーつづく ・・・・・・・・ 3253, 置き引き? 2010年02月20日(土) 一昨日、新潟の万代シティの近くのマクドナルドで海老バーガーを食べて、最後にポテトフライをつまんでいた。 半分ほど食べたところ腹は一杯。 持って帰るか、食べて帰ろうかと。 で、そこからである。60歳後半の暗い顔をした男が やってきて、私が一番奥に座っている隣席をみて、そのまま店頭にある売店の方に戻っていった。 自分の席でも確認して注文した商品を取りにいったと、ポテトフライを摘みながら思っていた。 ところが女性の一人客がきてバックを置いて店頭のほうに戻っていった。その直後に男が戻ってきて、その席をジッと見ている。 自分の座ろうとしていた席を取られて他の席を探しているのだろうと思っていた。 ところが、もう一人の女性客が目前の席に バックを置いて店頭に行った。その男、再び戻ってきて、後に来た客のバックを見ている。その時は、その男、自分で座ろう としていた席を二度まで取られて、それを見ていたのだろうと思っていた。しかし私の一つ置いた席の女性が何か不審そうな感じで、 その男を見ている。 私もホームレスが、食べ残しを探しているのではと思い始めていた。 ところが入り口近くの台から、チッシュを数枚持ってきて、二人の席の間の机を拭き出した。 その辺から、この男は変だと じっと見つめた。 バックの置いてある二つのバックを窺っている。 隣の女性も私と同じようにジッと見ていた。 そのためか結局、何も取らずに出て行った・・・明らかに置き引き。 バックを置いた女性は財布は持っていっているから 大丈夫と思ったのだろう。 少したってから席をたって販売カウンターを見たら、本人は居なかった。ビデオは付いているだろうが。 バックを窺っていたが、ジッと見ていた二人が居たので何も取らずに出て行ったということ。本の万引きの現場は見たが、 こういうのは初めて。ハンバーガーを食べ終わって店内をボッと見ていたから、気づいたこと。 外国で日本人が平気で席に荷物を置いて、他に行く。 置き引きは外国では日常茶飯事。 ・・・・・・・ 2878, 閑話小題 2009年02月20日(金) *大型店の出店の目玉商品を検証してみた 新潟駅構内に「ビッグカメラ」が今日オープンする。昨日はプレオープンというので昼休みに行ってみたが、 県内最大規模の一万?というだけあって広い。三層の店舗になっており、四階から八階までが駐車場で駐車台数が 800というから本格的である。新幹線、在来線、バスのターミナルが集結しているので駅中ショッピングセンターとしては、 これ以上ない場所である。至近距離に大型書店があるので、既存の専門店を含めると大ショッピングセンターになる。。 これで駅中の100メートルほどにある「ヨドバシカメラ」が、最終的には撤退をせざるを得なくなるかどうかだ? これに大型のファッションのH&Mとユニクロでも出て来れば更に面白くなる。配っていたチラシの毎日の超目玉商品の中から、 「コンパクト・デジタルカメラ」を選んで、価格ドット・コムで7〜8点調べてみた。しかし半分は同じ位、半分は、 その7割の値段であった。バイヤーも調べての値段設定だろうが。イメージとして安いのを優先しているようだ。 2GBのSDカードを特価台で囃してしたが、780円など廉くも何でもない。PCデポでは三枚で980円。 新聞の4面の大きさのチラシに9日分の日替わり特価品を出していたが、買うほうからしたら何処かに欲しい商品があるだろうから、 見ていて面白い。店舗と同じである。この大恐慌?の中、家電の売り上げが激減しているというから、経営のサイドも大変だろう。 *県民所得差 先週になるが県民所得の2006年度が発表された。(以前も少し書いたが) この数年は、それほど変わってないが今年度は様変わりするだろうが・・・ 1〜7位までは前年と変わらず。 東京が480万でとトップ。 沖縄が209万で最下位。 丁度中間の23位が福島で278万。 新潟県が273万で25位。 全国の平均が307万円。 トップ10は、関東と東海ベルト地帯の愛知、静岡、神奈川や、他に大阪、広島などである。 下位では九州、四国、東北、北海道などが目に付く。地元新潟で住んでいる実感として、東京の6割というのは肯けるが、 物価や住居などの安さを含めると、8割の生活レベルだろう。全国平均と、ほぼ同じというのは分かるが、新潟市は中の上、 長岡市は中の下という感覚。 地方は、あまり格差がら露出されてないので気持ちは穏やかになれる。田中角栄が健在のころは、 新潟県は日本でも有数の豊かさを実感していた。当時の長岡市の公共投資と山形県が同じというから、いかに政治の力が大きいか。 ・・・・・・・・ 2008年02月20日(水) 2513, 思い込み *緊張と深呼吸 この歳になって、思いもよらない思い込みや、間違いに気づくことがある。 先日のTVで「受験の際、緊張しない方法」について、オヤッと思わず考え込んだことがあった。 「受験場では、深呼吸をしないこと! ほとんどの人は逆と思い違いをしている。深呼吸はすればするほど、 緊張度が高まります。なるべく深呼吸をしないように、小さく息をするように心かけて下さい」という。 こんなことを聞いたのは始めてである。私の場合は、緊張する場面は、人知れず深呼吸をしていた。 心を落ちつける要点は、深呼吸であるのは自明のことである。しかし、それが過ぎると緊張を柔らげるところか、 逆の効果になるという。改めて振り返ると、多々、思い当たることがある。その人により、緊張する場面が違っても、 それぞれ極度に緊張する場面があるという。色々の人を見てきたが、驚くほど多様である。その時の体調によったり、 温度差の大きい部屋に入ったり、食後など、自律神経などの狂いにより、何でもないことに赤面したり、極度の緊張でパニックに なったりすることは多くありすぎて、書ききれないほど。そして誰もが自分だけではないか?と、それぞれが思い込んでいる。 自分は、緊張症だ、赤面症だ、精神質症だ、・・それぞれが思っていることを知らないのである。そんなことを言っていたら、 生きていけないから乗り越えているだけである。それはよいとして深呼吸が緊張を高めるとは、この歳になるまで気づかなかった。 「リラックスするには、深呼吸をしなさい。ただ、一度だけにしておきなさいよ。し過ぎると、逆に過呼吸になり緊張は高くなり 逆効果になりますよ。 呼吸は、小さく整えて気持ちを息に持っていきなさい」ということ。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月20日(火) 2149, へべれけに酔っ払いてえなあ。 v(=゚ω゚)ノおはょぅ −読書日記 この文章を読み終わったとき、その衝撃で暫く茫然としていた。短い文章の中に労働者の生活と哀歓が よく表現されている。内側にしか破壊衝動を向けざるを得ない者たちの深い哀しみと諦観をみごとに語っている。 この諦観は中年期の男の誰もが何度も味あう屈折した心情でもある。「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、 皆な私が悪いのよ!」でなく、「お酒が悪いのよ!」と、オダをあげなくては生きていけないのが人生。 知人が先日亡くなったが、連れ合いが父親の葬式の晩に自死したという。へべれけに酔っ払っても、何もかも壊しても、 その傷は癒えるわけがない。食道ガンだったというから、毎晩飲みつづけるしかなかったのだろう。 【人生のことは、小説が教えてくれた】より −2 葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」高橋敏夫 中経出版 松戸与三は恵那山の麓で発電所の建築現場で働いていた。一日中顔をセメント粉にまみれながら樽から コンクリートミキサーに移す仕事に就いていた。仕事にヘトヘトになつた頃、樽の中から小さな箱が出てきた。 しかし、作業は彼にはこの中身を確かめる時間を許さなかった。彼は腹掛けの丼(ポケット)にほうりこんだ。 「軽いところを見ると、金も入ってねえようだ」ミキサーがからになり、終業時間になった。「なんでセメント樽から 木の箱が!?」思わせぶりに頑丈に釘付けしてあった。石にぶつけ何度も踏みつけた小箱のなかからボロに包んだ 紙切れが出て来た。 それにはこんなことが書かれてあった。 ーーー 私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れる事を仕事にしていました。 そして十月の七日の朝、大きな石といっしょにクラッシャーの中にはまりました。そして石と恋人のからだは砕け合って、 赤い細かい石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へはいってゆきました。そこで鋼鉄の弾丸といっしょになって、 細かくこまかく、激しい音に呪いの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、りっぱにセメントに成りました。 骨も、肉も、魂も、粉ごなになりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ。 私は恋人を入れる袋を縫っています。私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いてこの樽の中へ そうっとしまい込みました。あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私をかわいそうだと思って返事を下さい。 この樽の中のセメントはなにに使われたでしょうか、私はそれが知りとうございます。あの人はやさしいいい人でしたわ。 (字数制限のためカット 2011年2月20日) −−−−−−−− 2006年02月20日(月) 1784, 「すごい考え方 」 おはよ〜 (ゝc_,・*)♪ 先日書いた「夢ノート」を、少し難しく書いてある本に出会った。 「すごい考え方 」ーハワード・ゴールドマン著 である。 この本のキーワードは「未来語」である。 (字数制限のためカット 2010年2月20日) ・・・・・・ 2004年02月20日(金) 1052, アンドロマック 学生時代に見た唯一の演劇である。そして、知人がその演出をした事もあって真剣に見た記憶がある。 内容を殆ど憶えてなかったので、早速インターネットの検索で調べてみた。そして、その時の内容が蘇ってきた。 ギリシャ神話の登場人物が題材となるフランスの古典悲劇で、トロイ戦争の後日談として描かれている。 お互いの片思いからなる4人の登場人物が織り成す愛憎から悲劇が生まれる内容であった。エルミオーヌ役の 女性の熱演が特に光っていた。彼女が全てを失って嘆き悲しむシーンで終わった姿が脳裏に浮かぶ。 ー 以下は、その劇の内容。 そのギリシャの勇将ピリュスはトロイ戦争により捕虜として連れ帰ったアンドロマックに恋心を抱き、その息子アスティアナクスを 軍の意に叛いて不当に匿っている。その彼の宮殿に、今は亡きギリシャの総大将アガメムノンの息子オレストが訪れる。 表向きは敵将エクトールの遺児をギリシャ方に取り返すための使者としての訪問だが、オレストの心中は愛しいエルミオーヌを 連れ出すことばかり。オレストはピリュスに会い、遺児の引渡しを要求するが、ピリュスはこれを拒絶する。 オレストは再び戦争が起ころうとも、彼の心の中には今やアンドロマックへの愛しかないのだ。しかしアンドロマックは、 亡夫エクトールへの貞節を守り彼の愛を受け付けない。却って婚約者・エルミオーヌの許へ戻るよう、ピリュスを諭すのだった。 一方エルミオーヌは、許婚ピリュスに裏切られた怒りと嫉妬のあまり、彼とアンドロマックの仲を裂こうと謀る。 そして、自分を愛するオレストの心を知りながら、彼を計略に巻き込むのだった。それは、敵国の遺児を匿うピリュスを、 裏切り者としてギリシャ軍に攻略させるというもの。だが遺児をとるか、エルミオーヌをとるか、という選択をせまられたピリュスは、 意思を翻して、遺児を殺し、エルミオーヌを妻にすると告げる。思いもよらない展開にオレストは、エルミオーヌをかどわかしてでも ギリシャに連れ帰る決心をする。最愛の息子の命が奪われると知ったアンドロマックは、エルミオーヌの許に命を乞いに行く。 彼女は以前、エルミオーヌの母エレーヌの命を助けたことがあるのだ。しかし憎いアンドロマックの言葉を、エルミオーヌは聞き入れる はずもなかった。息子の命を助けるべくアンドロマックに残された最後の手段は、ピリュスの愛を受け入れることだけ。 侍女に諭されたアンドロマックは、気が進まないながらピリュスにすがる。自分につれないアンドロマックにわざと冷たい仕打ちを していたピリュスは、これを受け前言を取り消して再び彼女に求婚する。アンドロマックは息子の命を守るため、 自らの命を絶つ決意をして、これを承諾するのだった。二度までもピリュスに裏切られたエルミオーヌは、彼への憎悪に目がくらみ、 オレストをたきつけピリュスを殺す計画を立てる。アンドロマックとピリュスの婚礼の日。オレストはギリシャ軍を率いピリュスを襲う。 そしてこの悲劇には、意外な結末が待っていたのだった。 ー 以上が検索で調べた粗筋だが、チョッとした内容をこのように一瞬で調べられることが不思議である。これが情報化ということ。 作者はジャン・ラシーヌで17世紀の作家である。この一月も演劇が自由劇場で開催されていたようだ。自分の壁をつくらず何事にも 興味を持つことが大事だと、この歳になってきて実感する。バカの壁が頑強に取り囲んでいるのが、自分では見えない。 他人からはよ〜く見えるのだが!そして振り返ってみると。地方は刺激が少ないこともあるが。 ・・・・ 2003年02月20日(木) 687,サラ川(サラリーマン川柳) 毎年この時期になると、第一生命のサラ川(サラリーマン川柳)が発表になる。 Webで調べコピーしてみた。 ー朝日新聞Websieー 第一生命は17日、恒例となっている「サラリーマン川柳コンクール」の入選100編を発表した。 サッカーW杯やノーベル賞、タマちゃんなど流行や話題性の高テーマを選んだ作品が多かった一方、 中高年サラリーマンやその家庭の悲哀がにじんだ作品も目立った。「髪型は息子ベッカム、父ジダン」 「年収はゴジラ松井の一打席」のお父さん。「オヤジギャグうちの主任は冷やし系」「言ったあと、これセクハラか? 聞く上司」とからかわれ、 家庭では「午前様妻のイビキにホッとする」。「タバコより体に悪い妻のグチ」と嘆き、 「顔だけがブランド品でない女房」と文句も出るようだ。 娘にも 「大そうじ今年も娘がかたづかぬ」とあたるが、 結局は 「不景気で家族の団欒(だんらん)取り戻す」。 そんなサラリーマンに、「人生は川の流れとタマがいう」というのも実感がこもっている。 ・・・・・ *歴代第一位の作品 第15回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 ー デジカメの エサはなんだと 孫に聞く ー浦島太郎 第14回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 ードットコム どこが混むのと 聞く上司ー ネット不安 第13回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 ープロポーズ あの日に帰って ことわりたい ー恐妻男 第12回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 ーコストダウン さけぶあんたが コスト高 四万十川 ー信彦 第11回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 ー わが家では 子供ポケモン パパノケモン ー万年若様 第10回 サラリーマン川柳コンクール 第一位 △[早くやれ そう言うことは 早く言えー 新舞い (字数の関係でカット09年02月20日) ・・・・・・・・ 2002年02月20日(水) 337,ホームページの為の文章作法−2 随想日記を書き続けてまず考えたことは、負担にならないで、如何に自然体で書きつづけるか? そしてそのノウハウは ・まず数人の前で話を毎日することを想定した。 ・気取らず、自然体で書く。 ・自分の為に書くー書いていて楽しい文にする。 ・話題の底がつきるまで書く、いや尽きた時こそチャンスと考える事にした。 ・毎日15~20人の人に読んでもらえるまで、内容を上げる 3週間ぐらい前、定点観測の本屋でコピーライターの書いた「文章上達トレーニング」という本を買った。 「話すように書く」が、自分の方法と同じだったからだ。 ・「話し言葉で」下書きするー最も親しい人に話しかけるように書く。 ・それを文章化する。 ・更に文章らしくなるように手を入れる、 が要旨である。 文章作法の基本は「起承転結」である。それを「結承転結ぐらいという気楽な感覚で、いいたい事をまず明確に書く。 いい文章とは分かりやすい文章だ。けして美文をいわない。人に話す時は、必ず話している内容は筋は通っているものだ。 そのまま書けばよいというのも肯ける。それが難しいのは、かまえたり飾ろうとするからだ! 「葉書の書き方」の方法論の本の中に「まず結論を初めの2〜3行で書き上げてしまえ!」というのがあった。 その後は、流しでよい。それを先に書いてしまえば後は気も楽になるし、すらすら日常のことが出てくる。 それを実行してから葉書や手紙を気楽に出せるようになった。随想日記も基本はそれである。それとなるべく短文にすること、 ようするにシンプルにする。短文なら誰でも書ける。それを重ねていけばいい。読むほうも、読んでいて読みやすい。 気取らず、自身の言葉で書く。あと書き換えをなるべく多くやる。上達の訓練はそれしかない。 その点でパソコンはいい。いくら書き換えても汚くなることはない。 それと意外なポイントとして、短時間で一気に書き上げることだ。何事も気合だ。それを何回か添削する。 それと書きだめを幾つか書いておく。書きだめと思って書くと気楽に書けるからだ。
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2011年02月19日(土)
今年に入って早々から始ったネットで触発されたデモで、アラブ諸国が次々と政変に至る事態に陥っている。 これは、当分の間は続くだろうし、事態は思わぬ方に発展していく可能性がある。 ネット社会に移行しつつある現在、 日本では、まだ地位と肩書きが高ければ偉いと思っている人が多い。 しかし情報が優先されるネット世界では、そんなものは 何の価値も持たなってきた。 アラブ諸国のような旧態依然の権力構造国家が、ネット人間によって、当然のごとく軒並みに崩壊過程に 入ってしまった。 年寄り優先、性差別、情実、肩書き故に威張っていた絶対権力者は、若いネット社会人には、無能な漫画的老人として、 ある日、突然、追い落とされてしまう。 それでは、彼らの中の優秀な人材が、急にとって代われるかというと、そうはいかない。 情報ネットはフラット化で平等社会にする良い動きもある。 が反面、真の実力が求められる競争社会でもある。 情報社会と知識社会とは違う。 情報社会は、情報が優先されるが、それが知識にまで到達してないレベル。 これまで権力構造の上層部しか持てない情報が共有されるから、否が応でも過去人間は早々に淘汰される。 ここで知識と情報の違いは何だろうか?という問いがたってくる。 情報は、本やネット、マスコミ媒体、そして人など、 外部から入ってくるもの。 知識は、一度自分の中で消化され血肉になって内側から出てくるもの。 だから情報社会は恐ろしい。 事実は一瞬で流れるが、真実は伝わりにくい。 しかし、一部に偏っていた情報がフラット化をする作用がある。 日本では、現在アラブで起こった問題は、この10年間、いや20年かけて起きて、権力構造を変えてきた。 その辺が、アラブとの知識構造が違うのだろう。 この毎日の随想日記は、情報の知識への転換プロセスと、書きながら気づいた。 私の触覚が捉えた情報を、起承転結の文章のパッケージ化してしまう。 そして忘却して、翌年から、毎年読み返すことで、 情報から知識への転換をしていたのである。 鈍くても、5年、10年も繰り返して読めば、知識に転換する。 努力の割りに蓄積効果が自覚できないのは、基礎教養の土台に問題ありか・・・。 話しがそれた。 もう一つのネット世界が、旧来の現実世界を破壊を開始した一例である。 間違いなく、近い将来に中国でも共産党を 破壊するか、大改革を迫ることになる。 ここで、モバイル携帯や、タブレット式パソコンが爆発的に普及しだしてきた。 これが更に、ネット世界の力を急激に増すことになる。 その結果は、誰も想像すら出来ない世界に突き進むことになる。 ・・・・・・・ 3252, 大恐慌 入門 −1 2010年02月19日(金) * 「大恐慌 入門」朝倉慶著 一昨年の9.15のリーマンショック以来、多くの恐慌関連の本を読んで事態の大きさに呆然としたが、ここにきて少し 小康状態を保っている。冬季オリンピックが終わる頃から本格的な波が押し寄せてくる。 既に恐慌は起こったのである。 現在は、緊急措置で平静を保っているだけ。そこで数日前から数年前から去年にかけて読んだ金融恐慌関連の本を重ねて読み返している。 当時は読み過ごしてしまった内容にハッとすることしばしば。その一冊の「大恐慌入門」朝倉慶著がある。読んだ時は、 「色いろな学者の論をダイジェスト的に纏めたもの」と気に留めてなかったが、一年後になって読み返すと簡明だからこそ納得する。 表紙裏に < これまでは「春の散歩道」。これからデバティブ6京円というスーパーバブルが破裂する。 世界を覆う「百年に一度の津波」にどう備えるか。> とある。9.15から一年半経つが、アメリカの投資銀行は瞬間的にホボ消滅、 GMとクライスラー、シティバンク、日本では日本航空が破綻した。それ以外は、あまり目立った動きはなかったが、 これからCDSの破綻が表面化してくる。これに比べたらサブプライム問題は公園の散歩みたいなもの。一昨年の大晦日に発刊されたが、 著者の予告していた通り世界各国に国家破綻が現実に問題になってきている。アイスランド、ギリシャと深刻な問題が表面化してきた。 ・このスーパーバブルの崩壊は誰も止めることが出来ないし、アチコチで火山の噴火のように吹き出るのは時間の問題。 ・オバマは、処理など出来ないで、その責任を問われる悲劇の大統領になる。置き土産は、新ドルへのデノミか、大幅なドル安誘導。 ・資本主義の崩壊は、これから始まりCDSを抱えた金融機関や、企業の淘汰が表面化する。 CDOは、まだ300兆円だが、 これから5400兆円のCDSの問題が出てきざるをえない。それを解決するのは、世界各国が現在の貨幣量を果てしなく増加して、 ハイパーインフレにし、その結果、新たな貨幣への切り替えを世界中が一斉に実施、CDSをチャラにするしか方法は残されてない。 まず、ハイパーインフレに転じるに、あと一年はかかるから来年から再来年の2012年末辺りに標準を絞っているようだ。 ・失業は欧米で9パーセントを超えているが、日本は救済処置で5パーを維持しているが10パーは時間の問題。 〜 まあ、そういうこと! これらを読む限り楽観論は、この数年は考えられない。 〜 つづく ・・・・・・・ 2877, 自分らしくあれ! 2009年02月19日(木) クリントン女史が慌ただしく日本を駆け抜けていった。大学生との対話の中で、ある女子大生の質問 「女性なのに、どうして、そんなに強くなれるのですか」に、「自分らしくあることよ」と、答えたのが印象的だった。 ーそこで「自分らしくある」ことを、哲学的に考えてみる。 まずその「自己」を考えると「他者」の問題にぶつかる。 他者の中の「これ=自分」は時間の経過と同時に発生?する。 さっき向こうから歩いていた「これ」が現在、橋に立っている。 その時に、さっきの「これ」が「自分」になる。生まれて今まで他者の間で生きてきた。その他者との境界線の内側が「私」である。 「自分らしさ」とは、それまでの人生で他者との接点の「あり方」、あるいはその内側の蓄積である。その時点時点で、 何かを追求している在りようが「自分らしさ」である。何かに没頭していて我を忘れている姿に「自分らしさ」が生まれてくる。 初めから「自分らしくあろうと振舞ってはならない」ということである。役者が仮に信長を演じていたとすると、 役者が自分の個性を意識した時、大根役者に陥ってしまう。我を忘れて信長を演じた時に出てくる味が「自分らしい」のである。 クリントン女史は、民主党の大統領候補、クリントン元大統領夫人、弁護士、上院議員等々の顔がある。その役をこなしている プロセスで出来上がった個性が「自分らしい」ということである。彼女の場合、どの役をこなしていても、肩書きより クリントン女史そのものが前面に出ている。これこそ、名優の証拠である。言葉づらだけを捉えると「自分らしさ」を、 多くの人は誤解する可能性がある。自分らしくとは、取り組んでいる役割りや、目標、そして遊びに自分を忘れること。 小林秀雄の「無私の精神」に達することこそ、「自分らしく」なることである。 「何ごとも、魂をこめてすること」で、自分らしさが生まれ出てくる。 ・・・・・・・・・ 2008年02月19日(火) 2512, iPod nanoを買ってみた! おっはぁ〜。:.+.:*w(′┏▽┓`●)w 先日、長男が帰省のおりに、ソニーのウォークマンを見せてもらってビックリした。 そこでiMacのパソコンを導入したので、iPodを買ってみようと思い立った。 iPodの機種にはtouch、classic,nano,syaffleがあるが、その中で何を選定するか、 迷った末に、一番小型のnanoに決めた。アマゾンから注文したが、2時間ほど夢中になって時間を忘れるほどであった。 選定の最後の決め手は小ささであった。直ぐに分かったことはタッチとプッシュで簡単に操作でき、何よりシンプルなのが良い。 Macのパソコン同様に、売り場を何気なく遠くからみるだけで、難しそうで近づきがたかった。 どのように数千曲もの音楽を、小さな器械に入力できるのかが、まず不思議であったが、iMacを入れたおかげで、 CDを差し込むだけで入力できることが分かった。まずはミュージック、そしてライブラリーと開いて、iPodとコードを つなぐだけで、自動的に入力をしてくれる。 だから若者を中心に多くの人が飛びついたのである。 iMac(パソコン)のライブラリーのコーナーにCDや、インターネットで購入した曲を記憶させる手間が少しかかるが、 これはいたし方がない。驚いたのは、CDで入力した曲の情報を自動的にテーマや、作曲者、入力順、聞いた順に分類し、 羅列してくれることだ。さらに流れている音楽の広告も出てくる。これはアマゾンやグーグルと同じである。 (字数制限のためカット2011年02月19日) ......... 2007年02月19日(月) 2148, 幸福に驚く力 −1 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! 大雑把に言ってしまえば{人は子供の本と物語の力によって、日常の中にある幸福に驚き、 人生を肯定的に生きることができる}が柱である。 幼児期、少年期の生活環境の重要なポイントが 見えてくる内容である。今回はテーマそのものの[幸福に驚く力]についての、要点を抜粋してみる。 ー幸福に目を凝らすー 大人の文学は、よくもまあ、これだけ不幸に目を凝らすものだと思われるほどに、重箱をつつくようにして 不幸をえぐり出しますね。それはそれで面白いんです。では児童文学は何をやっているかというと、幸福に目をこらしているな〜 と思うんです。一見不幸と見えるなかに、よく目を凝らすといっぱい喜びが潜んでいることを、ちゃんと取り出して書いている。 不幸に驚くことは放っていても誰でもする。 不幸に目を凝らすことは放っておいてもみんなする。 でも、子供の文学はずっと幸福に目を凝らしたり、幸福に驚いたりする心を持った人によって、書かれてきたんじゃないか と思うようになりました。だから幼いときに昔話や優れた児童文学に出会うことは、非常に大事です。 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」 とはよく聞くが、 そのことをやっと最近になってわかるようになった気がします。まあ昔話は人生のイメージ・トレーニングをすることである。 ー人生を肯定する生き方 「昔話を聞いたり読んだりして育った人は、それだけで人生に対する抵抗力がつく」とはよく聞くことですが、 そのことが最近やっとわかってきたような気がします。昔話はだいたい、主人公が一人いて、いつも前進し続けていて、 最後には幸福になるという筋書きですね。これが繰り返し繰り返し、いろんな物語に出てくる。 これらに出会うことによって、なるほど人はひとつのイメージ・トレーニングができてくるのだろうなと思います。 それから、必ず善が勝つのも昔話の特徴でしょう。善が勝つ、善が生きのびるということは、とにかく小さい時にはこれでもか、 これでもかと伝えてやらなくちゃいけないんでしょうか。そうやって生きるということを徹底的に肯定的に肯定してやること。 それをしなかったら、すぐ「どうせ人間なんて」ということになってしまう。「どうせ生きたって」「どうせ大人なんて」 ということになる。私は児童文学とか昔話は、人生を肯定的に見る下地をしっかり子供の中に作ってくれるのではないかという気が しています。またそうあって欲しいと思います。『夜と霧』を書いたフランクルが「それでも人生にイエスと言う」を出している。 (字数制限のためカット2010年02月19日) ーーーーーーーーーーーー 2006年02月19日(日) 1783, インディアンの心 オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)(´・ω)(´・ω・`)ヨ〜 「インディアンの教え」は今まで何度か書いてきたが、ある書物の中で有名な手紙に出くわした。 1854年、ネイティブ・アメリカンのドウワミン族長シアトルが、アメリカ大統領に出した手紙である。 インディアンの崇高な魂が伝わってくる。 数千年の純粋な経験の積み重ねの深い教えがある。 この数千年、人類は何をしてきたというのか? あのラージXとかいう神の名の元で! ( ノω-、) −−− 水のささやきは私の父の父の声です。 川は我々の兄弟であり、我々の渇きを癒してくれます。 川は我々のカヌーを運び、我々の子供たちを養います。もし、我々のこの土地をあなた方に譲るとするなら、その時あなた方は、 川とは我々の、そしてあなた方の兄弟であり、どの兄弟にも示すその親切を川にも示さねばならぬということを、必ず思い出してください。 白い人の死者は星の間を歩き始めると生まれ故郷を忘れます。我われの死者は決してこの楽しい大地を忘れることはありません。 なぜならそれは、赤き人々の母だからです。我われは大地の一部であり、大地はわれわれの一部です。香りたかき花は我われの姉妹であり、 鹿や馬は大きな鷹は我われの兄弟です。岩場の山頂、野原の露、ポニーの温かい体、そして人間みな、一つの同じ家族に属しています。 あなた方はご自分の子供たちに、足の下の大地は我々の祖先たちの遺骨の灰であることを教えねばなりません。彼らが大地を尊ぶためです。 子供たちに、地球は我々の親族の命、すなわち、大地は我々の母である、ということをあなた方の子供たちに教えてやってください。 大地にふりかかることは、大地の子らの上に降りかかります。地上に唾を吐くことは、自分自身に唾を吐くことです。我々は知っています。 大地は人に帰属せず、人は大地に帰属する、ということを。血が一つの家族を結ぶように、そのように結び合っていることを。 ー後記ー 近代文明が果して、進化を遂げてきたというのだろうか? アメリカは、米国本土への侵略を現在も行っているのではなかろうか。アラブ人の怒りは間違ってはいないのでは? ~~ヾ(´ω`●)バイ(●´ω`)ノ~~ ・・・・・・・ 2005年02月19日(土) 1418, アメリカの強さとは アメリカの強さに対して、疑問がでている。それが、ドル安や国債の安値の不安定要素になっている。 先日、保険代理店の社長と話す機会があったが、「アメリカの強さは当分揺るがない」と言って、 次の4つの要素をあげていた。 ・世界の基軸通貨がドルである ・軍事力が世界でずば抜けている ・金の世界での保有率が70?を占めている ・世界の共通言語が英語であること これがアメリカの強さであり、当分の間は崩壊することはない。その上に、イギリスと日本の一枚岩の同盟も大きいという。 英国民は6000万だが、英国連邦など国外に出ている英国人は6000万人も存在している。日本は12600万だが、400万人しか外国にいないとか。 実質的な力は日本を圧倒している。「アメリカは、イギリスと日本と固い同盟を結んでいる限り、基盤は揺るがない」というのも 理屈は通っているが。反面、アメリカ国債やドルなどの紙切れを印刷をして、相手国の資源や商品を騙し取る?商法が(空手形手法) 何時までも続くわけがないことも確かである。その両方とも正しいが当分は安泰であろう。 最後は恐慌か世界大戦で清算すればよいが、もう世界規模の戦争は不可能である。とすると、世界恐慌で清算するしかない。 アメリカの土台にはユダヤの数千年の歴史がある。 ・・・・・・・ 2004年02月19日(木) 1051、TVが面白いー銀座ホステスの面接 先日、BSTvで放送した「ニューヨークのデート・カウンセラー」を取り上げたが、翌日も面白い人間模様を見ることができた。 銀座の有名クラブのママ三人が[銀座ホステス]希望者との面接であった。現役ホステスや女子大生と面接をして、 気に入ればその場で採用をする。三人の応募者とも採用をされたが、なかなかの迫真の内容であった。 銀座ママの質問内容はやはりシビアである。 ・何故銀座ホステスになりたいのか ・どういうスキルを持っているか ・男(ひも)がいるかどうか ・本人の頭の回転と品性 等々を、質問をしながら見ている。 生き馬の目を抜くような世界で生きてきているママは、華やかな背後にあるドロドロした激しい競争社会を知り尽くしている。 (字数制限のためカット 2011年2月19日) ・・・・・・・ 2003年02月19日(水) 686, まれに見るバカ−読書日記−5 ー バカの定義ー バカの定義をこの本の中から抜粋してみた。 ・小谷野敦「バカのための読書術」の中で「当面、哲学とか数学とか、抽象的なことが苦手、というような人のことである」 ・勝谷誠彦「バカとの闘い」で、「バカとは人間に与えられた志を追うという能力を捨てて、馬や鹿のように、 本能のまま目先の欲望のためだけに生きている輩をいう」 と書いている。で、何故かくもバカが多くなったかというと 「戦後のアメリカ軍の洗脳教育で、 バカをバカと指摘する美しき日本の風習が否定されたからだ」といっている。 ・立花隆「東大生はバカになったか」で基本的知的能力を欠くというのでなく「教育の目的とは現制度の賛美者をつくることでなく、 制度を批判し改善する能力を養う事である」と書いている。 そこでまたー人間、教養がないとどうなるかというと、 幅が狭い近視眼的人間になる。 教養とは、幅広く全体を見る巨視的能力を身につけることをいう。 ・吉野敬介「やっぱしおまえはバカじゃない」本当のバカというのは、すべてを要領よくこなし、何ひとつ 本物に行き着けない奴の事をいっている。要領のよさや、要領だけで世渡りのうまさを吹聴するヤツはバカの第一条。 自分だけの小さな規準で満足しているヤツ。これが第二条。 ーー 以上がバカ規準として書いてあった内容だ。 わたしがバカと信じてきたのは吉野敬介にほぼ近い! 「誰もがバカであるから、あまりいわれても気にしない事だ」と気休めを考えているのが一番バカということだ。 「つくづく自分てのは、バカだな~」が結論! ー 終わり ・・・・・・・ 2002年02月19日(火) 336,ある時間の断面−2 −1968年8月31日日記帳より 今日雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。 足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。しかし現在の自分が求めていたもののヒントを与えてくれそうだ。 ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が 10人位いる。面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。 ー9月1日 朝5時に目が覚める。6時半に起き、早速掃除をする。朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。 たった今鐘の音が聞こえてくる。深夜の鐘もいいものだ。昼、彼女らが帰る、何か寂しい。 昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページを 繰り返し読む。勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。 誰も見ていないので自分との闘いだ。 ーーー 捜し物をしていたら「日記帳」が紙袋の底より出てきた。半年分が書いてあった。過去の自分との対面である。 ー2004年02・19日記 もう終わったので、コピーするのを躊躇ったが?
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2011年02月18日(金)
「 忘却の整理学 」外山滋比著 この随想日記は、私の「忘却のための整理法」である。 本来、ノートやメモを取るのは忘却をした後に再び思い出すため。 これを書きアップすると、次に出あうのは翌年の同月同日になる。一度記録としてまとめると、毎年必ず出会うことができる。 もう一つの分類コーナーの検索で、思い出したいキーワードを入力すると、過去の記録が羅列して出てくるから電脳そのもの。 そのためアップした文章は、その瞬間には綺麗さっぱり忘れてしまう。 誰かと雑談をしていて、読み手が書いた内容を憶えいて、 書いたばかりの話をすると「そのことは、先日、書いてありましたよ」と不思議そうな顔をする。 忘却は知的メタボリック症候の回避に有効になる? 一度まとめ、そして忘却の過程を踏む繰り返しは、新鮮な情報、知識に対する 感度は高めてくれる。 起承転結の文章として書き上げることは、電脳としてのパッケージ化になり、安心して忘却が出来る。 −P31の部分が、忘却と記憶の関係を分かりやすく説明している。― ≪ 記憶はなにもかもすべて覚えようとする。それに対して、忘却は、成功したところ、よいところだけをのこし、よくないところ、 失敗したことが、後に尾をひいて繰り返されないように、取り払ってくれるのである。もし、失敗した経験がいつまでも生きていれば、 何度も同じミスを繰り返すことになって進歩は望めない。 よいところだけ残し、悪いところは廃棄してしまう忘却は、進歩、上達、 学習の重要な原則のはずである。 学習においても、記憶ばかり問題にするのは適当でない。 上達、進歩を支えるのは、後退、 失敗の部分を除去する忘却のはたらきはきわめて大きい。これまでほとんど注目されることもなく、わけもなく、忘れるな、 よく覚えておけなどと言われてきたのは不当である。実に長い間、というより、歴史のはじめからずっと、忘却は故なくして汚名を 受けて泣いていたと言ってもよい。 記憶が陽であれば、忘却は陰である。陰がなくては陽は陽たることができないはずである。 記憶が活動し成果をあげるには、陰の存在、忘却が不可欠である。両者が協同してはじめて健全な学習、習得ができる。≫ ー忘却の前に、しっかりした記憶こそ大事。人生の前半に職業の変転で、多くの経験をしてきたが、その都度、総括をして、 その記憶を革の袋に入れるイメージにして置いた。だから、あまり人生を振り返ることは最近までなかった。 しかし、数年前から、その革袋から、思わぬ記憶がフラッシュのように飛び出てくる。それも悪くはないが、後ろ向きである。 忘却の彼方の記憶も、何とも抽象的で味わいがある。 ボロボロで途方にくれていた、あの時の記憶が光り輝いてよぎる。 ・・・・・・・ 3251, 新・マネー敗戦 −2 2010年02月18日(木) * ドル一極の世界通貨システムの崩壊 「既存の赤字を埋めるには更なる借金をしなければならない米国は、特に90年代以後、製造業を切り捨て金融大国に変貌し、 借金をし続けた結果、米国の公的債務残高はいまや64兆ドル(6000兆円)とも言われている。現段階ですでに支払い不能は明らか。 米国にとっては、都合のいいときにドルの価値を高め、各国から投資資金を呼び込み、ある程度借金が膨らんだところで バブルで弾けさせドルの価値を下げ、借金を実質損として計上できれば、最も少ない金額を支払えば済む。借金体質の米国にとって 最も必要なものは、ドルの価値の大きな継続的な上下である。だが、1971年にドルと金との交換を中止して以来、これを利用した 米国の資金集めと借金棒引きシステムも限界にきた。 金の裏付けをなくしても、これまでは原油という枯渇燃料で価値を 保ってきたドルだが、それも各国の原油決済通貨のシフトがユーロなどで行われる現在、米ドル需要減退は時間の問題。 現存する借金をなるべく多く踏み倒すために、米国は同じようにドル暴落を図るしかない」 ーー 世界の国々は長年、汗水流して貯めた資金の価値を一方的に減額されるのだから変になるが、紙切れしか発行してない アメリカ本体は、何の問題はない。 そこで金本位制度に戻るか、何割かの金の交換を約束する部分金本位制度にすればよい。 それを見越して、彼等は大量の金を持ち続けていた。しかし日本政府には強力な圧力で最小の金保有しか認めなかった。 現在でも、アメリカの10分の1以下である。 2001年の9.11テロの数ヶ月前に、スイスフランが事前に予知した??が大量に 買いに入っていたと著者の岩本は書いている。 陰謀説は、その辺から出ている。 テロ筋が、スイスフランを買っていたのを 察知した金融筋が、それに便乗したか、それとも為替差損の利益を狙った金融筋がテロを動かしたのか? 得体の知れない魑魅魍魎の世界である。 アメリカの経済学者が公然と、「アメリカの一極支配はソ連・東欧の崩壊と同時に 始ったが、まだ序盤である。金融恐慌とはいえ、圧倒的な海軍を持つアメリカの軍事力がある限り牙城が崩れることなどない!」 と断言していたのには驚いた。 いまなお、世界はアメリカの手中にあるのだろうか? それとも、リーマンショックで世界恐慌を引き起こしとことで、大きく弱体化したのだろうか? これでは、紙切れで原油をかすみとられるアラブの怒りも分からないでもない。イラク戦争も、ドル一極体制を守るためだった。 今回も、アメリカを除く世界中がマネー敗戦になる。 そう考えるとアメリカこそが諸悪の根源?ではないか。 ゴールドマンサックスなど焼け太り。 北朝鮮など可愛いもの? ・・・・・・・・ 2876, オバマはグランドキャニオンを直視できるか 2009年02月18日(水) 「現代思想」ー金融恐慌特集ー の中の「オバマはグランドキャニオンを直視できるか」 マイク デイヴィス著 の例えが奇抜だが分かりやすい。 ーまずは、その概要からー 1540年、初めてグランドキャニオンを見下ろした欧州人のカルデナスが、その景眺望に恐れをなして後ずさりをして、 逃げ帰ったという。その三世紀後に、次に見たアメリカ陸軍のイヴスも二回遠征して、「殆ど凝視に堪えないほどの恐怖」 という報告をしている。 要は二人とも自分たちが観たものを理解できなかった。 その後の南北戦争の英雄と地質学者や画家のチームが、コロラド川に取りつかれるが、その時に初めて、グランドキャニオンは 的確に描写されるようになった。数年かけた調査によって、グランドキャニオンを受け容れる概念が出来たのである。 遠く隔たった時間をかけて、想像を絶する景色を受け入れることが出来たのである。現在の金融恐慌をグランドキャニオンを探検した 人々のように、我われが今回の金融危機を、これまで持っていた理解力を乗り越えることが出来るだろうかと、問題提起している。 そしてオバマが今回の危機を直視が出来るのだろうか?と・・ オバマのプランといえば、「社会主義」ではなく、「超資本主義」であり、その中味は、 「少数の巨大銀行に信用を集中して、その大部分を政府系ファンドによって、制御するもの」である。 オバマは、知的にも政治的にも、クリントン主義の気乗り薄な継承者でしかない。 イラクの撤退の替わりにアフガンとパキスタンでの部族戦争を加速する抵当権を設定しただけである。 そして、彼の理想主義が失敗すれば、チェイニーやカール・ロープ、あるいはもっと邪悪な権化が舞い戻る可能性がある。 −以上だが、 アメリカの商務大臣を一度受け入れた二人が、たて続きに就任直前に急遽辞退した。 恐らくグランドキャニオンを、 この経済危機の中に見たのだろう。 人類が過って経験をしたことのない、深刻な広さと深さを見れば誰も後ずさりをする。 今度の恐慌は直視しても対策が限られているために、その火の手は簡単に消すことが出来ない。今年から3〜5年間は、 深刻な大火災が世界中を燃え上がることになる。その火は、世界中の国家権力を総動員をしても消し去ることは不可能。 燃え尽きるまで待つしかないから深刻なのである。肌の色?だけでは、消火は無理である。 自業自得と他山の石として眺めている場合ではない。歴史的日々が続く。 ・・・・・・・・・ 2008年02月18日(月) 2511, 黒柳徹子 −2 。・∀・)ノ゛おっは〜 誰でも黒柳徹子のように「好きなことだけをして生きたいが、それが出来ないから苦労するじゃないか?」 という声が聞こえてきそうである。で、どうだろうか?これは自分のこれから自問自答の死ぬまでの問いかけとして、 付きまとう人生に対する影の声になる。「上を見ればきりがない。下を見れば底がない、横を見れば情けない」という内語と 同じ内容である。仕事でも趣味にでも好きなことを見つけただろうか?見つけたなら、他人のことを羨むこと、 比較することはないはず。彼女の次の問いかけは人生の先輩としての真実の声として、よい指標になる。 −− 胃腸が人一番強かったのが、幸運だった。いつも食べることを考えてきた。いま考えているのは、足を、どうしたら、今のままで、 百歳まで、保てるのか、ということ。これは、ジャイアント馬場さん亡くなる前に、『徹子の部屋』で、「あなたは百歳まで生きたい (字数制限のためカット 2010年2月18日) ・・・・・・・・・ 2007年02月18日(日) 2147, 白い雲に乗って ー2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時のイメージが出てくる。 如何いうことなのだろうか? それは57年前の世界そのものである。 その世界から此方をみている感覚と、此方の世界の感覚の間の塀の上での微妙な世界に立っているようである。 ーー 白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。 中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」 に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンがニコニコしながら色々なことを聞いてきた。 母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って 前の安栄館というビルの同じくらいの友達のところに行った。やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい! その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、お母さんが 「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、 凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。 大きな雪がフワフワと降っている。ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。 それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。 ツリーの電飾がいやに奇麗だ!こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。 あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。 突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。何処に行ったのだろう、皆は!白い靄がかかり、の中で恐ろしさが襲ってきた。 目をつぶって白い布団を被った。 (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・ 2006年02月18日(土) 1782, ウオーキング・シューズの話 (字数制限のためカット 2010年2月18日) ・・・・・・・ 2005年02月18日(金) 1417, 新シルクロード 数年前のツアーで、北京からウルムチに飛行機で飛び、そこからタクマカラン砂漠を眼下にみて、ホータンに渡った。 ホータンからはバスに乗り換えて、シルクロード南道を一路カジュカルに数百キロ走った。 右にタクマラン砂漠を見ながら何処までも続く道は、25年前にNHKが放送をした時に見たシルクロードの景色が続いた。 荷車を牽いたロバと老人の姿が印象的である。1980年に放送され、大ブームを呼んだNHKの大型紀行番組 「シルクロード」が、25年ぶりによみがえった。前作では平均視聴率20%を超え、喜多郎のテーマ曲も話題を呼び シルクロードブームを起こした。当時は遠い遠い異国のイメージであった。25年後の中国の民主化と、経済発展と、 西域での遺跡発掘の進んでいること、などから新シリーズが企画された。日中共同制作の「新シルクロード」 (中国編全10回)として、この1月から1年間にわたって放送を始めた。既に二回放送されたが、見ごたえのある内容であった。 (字数制限のためカット 2011年2月18日) ・・・・・・・・ 2004年02月18日(水) 1050, 客観性ってのは何? 金沢にいた頃(25歳の頃)の話になるが、「客観的に」という言葉を、よく使っていたところ「客観的というが、客観的と勝手に 思っているお前の主観ではないか?俺は客観という言葉が嫌いだ」と言われて、ドキリとした思い出がある。親しかった金沢大学を 出たばかりの寡黙の哲学的な男であったから、なお答えに窮した。それから客観的という言葉を控えるようになった。 「事実」は「客観的事実」と「自己ー主観」にわけることができる?が、その「客観的事実」も突きつめれば、あくまでも 「主観」でしかない。主観と客観の違いは、あくまでも情報量の比較の世界でしかない。または自分を隠す手法になるケースが多い。 (多いほど客観的といっているにすぎない)真理を追究する科学者は、その目指すところは「客観的事実である」それも、 次の真理へのステップでしかない。この随想日記も、「自己の主観」を第三者の目に曝けだして客観性を鍛えていることになるが。 今まで書いてきた文章を読みかえして、支離滅裂の内容は自分自身でも妥協できないものだ。 「自己主張ー主観」が客観的?に充分耐えられことがまず重要になる。その意味で、常に内省を繰りかえさなくてはならない。 文章化は自己客観化への一歩といってよい。テーマの内容を起承転結の筋道をつけることは脳の機能を有効に使うことになる。 「万物の霊長類である人間の最大の特質は言葉を持った」ことである。この随想日記を書くようになって、自分の考えをより客観視 出来るようになった。それも55歳過ぎてからのこの三年間である。書き手としての視点を外と内に向けざるを得なくなったからだ。 随想日記というからには「起承転結]をハッキリさせなくてはならない。これが思考能力を飛躍的に伸ばしてくれている。 特にインターネットの検索が使えることが最大の武器になった。テーマさえ決まれば情報はいくらでも取れる。 今まで、社内報の原稿や手紙を書くときは、メモ用紙に下書きして、書き足しや書き直しをした後に、清書をしていた。 ところが現在はパソコンに思いついたことを随時書いた後に文章化と添削をするようになった。これで書く量が飛躍的に増えた。 またパソコンを開けば、そこが書斎になってしまうことで、隙間時間に気楽に書き込めるようになった。 文章が(紙という物質を媒体をしていたものが)パソコンの画面という非物質の媒体になってしまった。 気楽に他の文章をコピーをして貼り付けて加工さえ可能になった。紙から開放されたのだ。これは書き手にとって 革命的な大事件である。文章化が客観性への第一歩なら、ここで飛躍的に変化したことになる。 紙に書くこととワープロでは、自転車と飛行機の差以上であろう。だから毎日こういう随想日記も書けるのだ。 ここにきて当初の五分の一のエネルギーで済むようになった。 本を出すことを考えている訳でもないし、 興味本位で書いているだけでもない。自転車から飛行機に乗りかえて、今までとは違った視野ができたことの 自由さと一日単位の達成感が味わえるから書いているのだ。自己慰安が最大の動機かもしれないが。 ・・・・・・・ 2003年02月18日(火) 685, 値段のカラクリ ダイヤモンド価格の話である。世界で一般にダイヤと金は物質的な価値基準になる。動乱で最後もって逃げる物質として、 コンパクトで便利な塊である。どこの世界でも通用する。買った宝石を高価と思っていたが質屋に持っていったら、 ぜんぜん値段がつかないことはよくあることだ。じつは、宝石の原価には、面白い原則があるという。 全体の値段が高いものほど、原価の占める割合が大きいのだ。たとえば、100万クラスの指輪だと、原価が20〜30万。 ところが、20万だと、原価は1〜2万いやそれより以下だ。宝石は買ったと同時に10分の以下になると考えてよい。 数ヶ月に一回位、5〜8割引の宝石などのチラシが入ることがあるが、あれはゴミ?である。それで満足するのもそれでよいが。 規格外の小さいゴミを飾り立てているのだから、面白い。20万クラスの宝石が売れた場合、原価が10%だが、 ・メーカーが15パー ・卸商が25パー ・最終の販売店が50パー 三越や伊勢丹や阪急などの百貨店は、地下の食品で釣って、1〜2Fの宝石・装飾品売り場で、無知の客を吊り上げ 詐欺師商法に近い事をしている。詐欺?を自覚しているから、詐欺るためにあらゆる仕掛けをつくってある。 50?のいや80?の利益を得る為にあらゆる手段を使うのだ。これしつこくいうが、三越や高島屋が実際やっているのだ! 老人を集めて、飯を食べさせて、詐欺同然の商法を今も実際やっているのだ。十数年前にハワイの飛行場の免税店のテナント料が、 売り上げの70数?が報道された事があった。売れ残りのブランド物を10〜20倍の価格をつけて売っているのがばれてしまった。 JTBとか日本旅行が安いツアーで、詐欺同然の店に連れて行って騙して、原価10%の商品を売りつけていた。無知という事は、 本当にかわいそうなことだ!今の日本のデフレも、こういう仕掛けが壊れているだけでしかない。これはデフレというのだろうか? ・・・・・・・・ 2002年02月18日(月) 335,読書について ・大学にいってよかったのは、「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。 ー読書の必要性を学生生活を通して実感 ・特に基礎教養としての読書の必要性、しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない ・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV、今はパソコンのインターネットである。 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。 「おおよそ500円から5000円」の間で これだけの情報が詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。 ・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。 ・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。 ・特に学校を出てからの読書が大事である。 ・学歴でなく、学力が最も重要である。その力を効率良くつけるのが読書だ。 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。 ・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称と言える。いや蔑称か。 ・卒業をしてから大体平均2〜3時間は読んできて、この程度の学力だ。 ‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、背筋の寒さを覚えた。 世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。
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2011年02月17日(木)
「忘却の整理学」外山滋比著 内容= 頭を働かせるにはまず忘れること。情報・知識でメタボになった頭脳を整理し、 創造・思考の手助けをするのは忘却なのだから。『思考の整理学』の続篇 * なかなかオシロイ本である。 忘れること・忘却を中心に据えた本は私が知る限り過ってなかった。 呼吸は、まず息を吐き出さないと新しい空気は吸えないと同じで、忘却によって整理され、きれいに片付いた頭で 新しい知識や情報などを取り入れられるために積極的に忘れろという。一度書いた文章をまず寝かせたり、 気分転換すると思いもよらぬ着想が得られたりするのは、忘却による効果。 忘却が知識を選択的に頭の中で熟成させ、 時間の風化作用で別次元の高みに体系化する働きがある。 忘却はランダムに起こるが、それが個性を形作る。 ー‘まえがき’の以下の部分が、アラスジにもなっているー ・・どうして知識が独自の思考に結びつかないのか。両者の間に忘却を考えないと、説明がつかない。 知識をいったん かなりの部分を忘れたあとで、もとの知識から離れてオリジナルな思考の生まれる余地が生じる。忘却がないと、知識は途方にくれる。 知識は利用されることを待っているのであって、それだけで、思考、創造をおこす力をもっていない、 むしろ、そのままでは自由な 思考の妨げになるおそれは十分である。そんなことをあれこれ考えていて、忘却論に思い及んだ。記憶と表裏をなす忘却があるという考え。 ナマの知識は使いものにならない。忘却をくぐらせて枯れた知識のみが新しい知見を生み出す。大工は生木で家を建てないのと同じ。 忘却のアポロギア、弁明を思い立ったのは数年前のことだが、どうして忘却がこれほど長い間きらわれ、怖れられ、卑しめられてきたのか。 忘却を称えたことばはないものかとそれとなく心がけてきたが、日本には見当らない。 おしなべて忘却性悪説である、 ・・ことにコンピューターが異常なほどの発達をとげて人間の記憶力の価値を暴落させている。知識人ほどその衝撃を強く受けている。 コンピェーターを念頭において人間の知的活動を考えたならば、創造的思考がもっとも人間らしい活動であることは明らかになるはずで、 その独創の土壌になるのが忘却である…… そういう考えのもとに、この本に収められた諸エッセイは書かれている。 忘却論ではなく、忘却をめぐるエ・セイを集めたものである。 ーここに書いた内容は、アップした瞬間、ほぼ完全に忘却の彼方になる。 「いま、ここ」に集中すれば、忘却の後々に残る。それがよい! ・・・・・・・・ 3250, 新・マネー敗戦 −1 2010年02月17日(水) 以前、NHKスペシャルで「シリーズ マネー資本主義」を放送していた。 ■第1回 “暴走”はなぜ止められなかったのか 〜アメリカ投資銀行の興亡〜 2009年4月19日(日)午後9時00分〜 ■第2回 “超金余り”はなぜ起きたのか? 〜カリスマ指導者たちの誤算〜 2009年5月17日(日)午後9時00分〜 ■第3回 年金マネーの“熱狂”はなぜ起きたのか 2009年6月14日(日)午後9時00分〜 ■第4回 ウォール街の“モンスター” 金融工学はなぜ暴走したのか 2009年7月19日(日)午後9時00分〜 ■最終回 危機を繰り返さないために 2009年7月20日(月)午後7時30分〜 ■ウォール街の“モンスター” バブルは再び起きるのか 2009年12月20日(日)午後9時45分〜 再放送も含めて食い入るようにみた。 紙切れ(ドルとアメリカ国債)を刷って、再びアメリカに還流するシステムを 追う番組である。そこには、紙切れで世界中のものを手に入れる仕組みをインタビューや解説で解明していた。 それは正にアメリカが親のネズミ溝。それがアメリカ資本主義というらしい。その最大の被害者は、もちろん日本。 ところで先日、知人から、「新・マネー敗戦」を一時間ほど借りて、速読をしてみた。 大筋は、このアメリカ・ドル本位主義の構造の分析である。 * 「新・マネー敗戦」 岩本沙弓著 ーこの本の概要といえばー《 ネット参照 》 19世紀から20世紀にかけて繁栄した英国は、絶頂期でデフレに見舞われた。しかし金本位制を廃止せず緩やかな没落の道を辿った。 その英国に替わった米国は、ドルを世界中に流通させ金本位制を廃止した。 実物資産の裏付けのないマネーの誕生である。 バブルが起きるたび、その対策として投入された膨大なペーパーマネーはさらなるバブルの原因となった。 自国通貨を基軸通貨として世界に流通させ、ペーパーマネーを溢れさせた米国はさらに原油を用いて、ドルの価値の維持と 産油国経由の米国への還流を図る。 原油決済をユーロで行う機運が出てきた際には、原油決済通貨をユーロに変更したイラクに対し 戦争を仕掛けてまで自国の繁栄を図ってきた。 それでも原油決済通貨の変更がなされる現在では米ドル需要の減退は時間の問題。 6000兆円ともいわれる公的債務残高を積み上げた米国ではドルの減価を通じて、米国債の返済負担を下げ、さらに新しい通貨発行で 再びマネーを呼び寄せることを考えている. .ドルが減価しつつあるトレンドラインからして、2012年秋口には1ドル=60円になる との予想。米国はそれに併せて何らかの部分本位制の新通貨を発行し借金の棒引きを図ることも決して想像できないことではない、と。 このような状況の中で、弱肉強食のライオンアメリカとシマウマの日本。その図式は「米国債を外国に買わせ、その後にドル安に して実質的な借金棒引きにする」こと。 過去においては日本が被害をうけたが、現在は中国がその流れに乗りつつある。 ーーー以上だが、このカラクリを知ると、隷属国家の日本の姿が哀れである。 70年代以降、金に代わって原油とのリンクに よって保ってきたドルの価値をなくし、借金を棒引きを図るアメリカ。 そのためには原油の価値を喪失させ、世界の原油の需要の 減退につれてドル需要が減少すれば、ドルの価値も地に落る。で、オバマに変わったと同時に、電気自動車と原子力、風車、 太陽熱へのエネルギー転換キャンペーンである。 行き着くところは、アメリカにとって都合の良い結果になっている。 その腰巾着だったのが、自民党と完了である。 まずは、そこから、次はアメリカとの距離を置くこと! ー つづく ・・・・・・・・・ 2875, ポルトガル人のみた信長と秀吉 2009年02月17日(火) 「日記をのぞく」ー日経新聞編の一編 ールイス・フロイス「日本史」ー の中で、ポルトガル人フロイスの見た信長と秀吉の姿が新鮮に写し出されている。 現在、「天と地」をNHKで放映しているが、直江兼継の見た秀吉と信長の姿と重ねると面白い。 ーその部分を要約すると・・・ 1569年4月に、信長と京都の二条城の建築現場で引見、信長はフロイスを気にいったようだ。フロイスは1581年3月、再び会うが、 安土城を自慢したかったようだ。彼の見た信長は「中ぐらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、 極端に戦いを好み、軍事修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった」「酒を飲まず、食を節し、人の扱いには きわめて率直で、自らの見識に尊大であった」「その鋭い観察眼で捉えたこの武将の人物は、他の追随を許さぬ迫力と 真実性が感じられる」その信長が亡くなった後に、今度は秀吉を大阪城に訪問する。フロイスの「日本史」の中の秀吉像は、 信長像に比べておおらかではない。「彼は優秀な騎士であり、戦闘に熟練していたが気品に欠けていた」 「身長は低くまた醜悪な容貌の持ち主」「抜け目なく狡猾」「極度な淫蕩で、悪徳に汚れ、獣欲に耽溺」・・・ 生理的は反発がうかがえる。1587年に九州に遠征中に伴天連追放令を発した。秀吉の漁色乱交に、 キリスタンの女性たちが抵抗したので、暴君の秀吉が怒り狂った、とうのが彼の解釈だ。 ーー この「日本史」では、外国人ジャーナリスト?の目で当時の日本と日本人が体系だって観察されている。 その点では信長と秀吉を現代人の感覚で観察している目に近いと言えるのである。 更に、信長の最期の姿が仲間の宣教師から九州にいたフロイスに詳細な報告が入る。 それによると、 ー 1582年、6月21日、本能寺の変が起きる。明智方は本能寺を襲い、「手と顔を洗い終えて身体をふいている 信長」を見つけて、背中を射た。信長はその矢を引き抜き、長刀を手に戦ったが、「腕に銃弾を受けると、 自らの部屋に入り、戸を閉じて、そこで切腹をしたと言われ、また他の者は、彼はただちに御殿に放火して、 生きながら焼死したと言った」更に、「我らが知っていることは、その声だけでなく、その名前だけで万人を 戦慄せしめていた人間が、毛髪といわず骨といわず灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては 地上に何ら残存しなかったことである」と・・・ー 生々しい信長が直に伝わってくるようだ。 ・・・・・・・・・ 2008年02月17日(日) 2510, 黒柳徹子 子供の頃から、いつも彼女の声や姿をみてきた。美空ひばりと黒柳徹子は私の生きてきた時代の中で何時もラジオかTVで見かけてきた。 現在もTVの『徹子の部屋』などで毎日のように見かけるが、殆ど彼女の番組はみてない。しかし芸能界の一線で55年も活躍している のだから、それなりの信条があるのだろう。どちらかというと、女性の好みとして苦手のタイプ。彼女は子供の頃からの異端児で、 学校では劣等生だったという。ある本に、彼女の手記があったが、なかなか面白い。 その概要といえば、 −− 仕事をはじめて5年目に過労で一ヶ月の入院をした。 当時のTVは殆ど生番組で、出ていた番組では私抜きでもドラマは進行した。 その時に、二度と病気をしたくない、と思った。だから退院をするときに院長に、「死ぬまで病気をしたくないですけで、 どうすればよいか?」と聞いたら、先生はおっしゃった。「長いこと医者をしているが、そういう質問は初めてだ」。 でも、と先生はおっしゃった。この先生は名医だった。「一つだけ方法がある。でもたいがいは、出来ないんだよね」 私は必死に食い下がった。「やります、どんなことでも」「じゃあ、好きなことだけをして生きなさい」 「え?じゃ、明日は芝居を見て、あさってはピクニックをして、しあさってはショッピング。そんなお金はないな〜」。 「誰が遊んでなさいといいました。自分が進んでやる仕事をやること。身体の疲れは、寝れば直る。でも、嫌だなと思ってする仕事は、 少しずつ身体に溜まっていく。それが繰り返されると病気になるんだと思うんだ。だから、進んでやる仕事はやっていれば、 病気にはならないんだと思うんだ」。私はそうしようと決めた。だからマネジャーと相談してよく寝ることは勿論だけど、極力、 自分が進んでする仕事をするように生きてきた。もちろん、若いときは難しかったけど、どんな金儲けの仕事が来ても、気が進まないと、 やめた。その代わり、自分が引き受けた仕事は、すべて、これは自分がやりたくて引き受けた仕事だから、と全力でやった。 そんな風にして、50年間、病気なしでやってきた。 ーつづく ーー なるほど、素晴らしい信条であり、それが彼女を、ここまで一線で活躍させた源泉である。ここで何度も書いているが、 50歳になったときに、はて、どうして生きようか?と考えた。そして、50代で一生分を前倒しをして生きること。 その為には、嫌なこと、嫌いな人とは一線を画する。それと、社会の価値観を徹底的に疑うこと。好きなこと、したいことを 優先することと決めた。そうすると楽になった。そして日々が非常に楽しくなった。この経験があるから、彼女の言葉が 理解できるのである。 いや、元々してきたが、より徹するようになった!ということ。 ・・・・・・・・・・ 2007年02月17日(土) 駅前専門学校の時代の終焉! 才八∋ウ_〆(∀`●)サン 十数年来、長岡や新潟駅前の建設やビルの買収といえば専門学校であった。 しかし、この破竹の勢いはここまで、逆現象が始まるという。 就職難民が体裁を整えるためとと、 とりあえず資格取得をめざすのが専門学校の存在意義であった。就職難民の一時収容所に近い機能が実態?だった。 字数の関係でカット(2010年02月17日) ・・・・・・・・・・ 2006年02月17日(金) 1781, 他罰の人−2 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!! 他罰を理解するために、その対比する言葉を調べてみたら ー 自己罰(内罰) ー 他罰(外罰) ー 非罰 があった。 電柱にぶつかって怪我をした時、 w(☆o▽)w ・自分の不注意でぶつかってしまった... と思うのが 内罰・自己罰。 ・こんな所に電柱があるからいけないんだ! 誰だここに立てたのは! と思うのが 外罰・他罰。 ・この程度で済んで良かった... と思うのが 非罰。 この喩は他罰を考える時に解りやすい これから見えてくるのは 他罰は責任転嫁ということである。 非罰は仏教的な考え方になる。 この全てを考え、後は忘れるのを待つ!のがベストであるが。 似た事例として 宗教書に「お寺におまいりにいき、石に躓いて怪我をしてしまった時に ・信心があったので、この程度で済んだ!と思うか、 ・おまいりに行ったのに何で怪我をしなければならないのか!と思うか、 字数の関係でカット(2011年02月17日)! ・・・・・・・ 2005年02月17日(木) 1416, 50肩になった 一月ほど前から、左肩と首が痛む。 通勤時にビジネスバッグを肩にかけていたのが原因? 他に考えられるのはパソコンと、TVの見すぎも考えられた。たまたまNHKの「ためしてガッテン」が、 「40・50肩の特集」をしたのをみて、もしかしたら50肩と気がついた。 字数の関係でカット(2010年02月17日) ・・・・・・・・・ 2004年02月17日(火) 1049, お金の教訓 「お金はむき出しの真実である」というが、これだけ本音と建前とかけ離れているのも珍しい。 今まで随想日記に、お金に関して何回か書いてきた。といって、本当に解っているのかというと疑問である。 一番金にシビアな坊主も[布施の分だけ経を読む]とかいう。滑稽といえば滑稽である。 世の中の悩みの大部分が金の悩みという。ということは、殆どの悩みは金で解決可能ということになる。 金に対する[金言」をまとめてみようと何冊かの格言集をみたが、なかなかこれはというのが無いが、その中から幾つかあげてみる。 ・「もしも心がすべてなら、いとしいお金は何なのだ?」 ー都都逸 ・「金勘定 しているいる妻は 美しい」 ー川柳集より ・「私は金のためにこの世界に入った、芸はあとでついてきたものさ」ーチャップリ ・「10中89、お金は急場を救ってくれる」 −ジョン・ウェイン ・「お金と知識はあの世にはもっていけないよ」生きているうちに使えと!あればだが。 ・「お金があれば、どんな悲しみにもたえられる」 ー財多ければ、悲しみ少なしー ー財布軽けりゃ心が重いーというのもある。 ・「小指切れとは当座のことよ、金が泣くなりゃ手まで切る」ー都都逸 ・「貧乏は貧乏人を追いかけ、金は金持ちを追いかける」 ユダヤの諺というから恐ろしい。 ・「金のない人は、京都の茶屋で遊ぶ資格あらへん」という芸子はシビアである。 これは昔から欧州の社交界では当たり前だった。 ・「金と頭とチ○ポはいきているうちに使え」と、本田宗一郎が言ったとか。 まあ彼が言うからよいのだろう。 ある統計によると 65歳のアメリカ人100人のうち ・金持ち1人、 ・快適な暮らしを送る人 4人、 ・まだ働く人は 5人しか居ない。 ・あとの 56人は政府か家族の援助を必要とし、 ・残りの人は亡くなったそうだ。 よく「引退すれば、生活費が減る。だからお金はそんなに必要ない」という人がいるが、それは間違いだ。生活費は下がるが、 医療費は大幅に上がるからだ。多くの保険機関は高齢者を制度から締め出そうとしている。これから高齢者はお金を持っていれば 生きられるのに、お金がないために死ぬということも起きるのだ。本屋のエンドに平積みに[300万で生活する方法」 というような本が目立てってきた。最近出た本では、さらに「200万で生活する法」まで引き下がってた本が出てきた。 この大不況の中に他人事ではない。調べてみると過去に多く、金について書いている。いま読んでみてもシビアで面白いが、 では実践でというと?? 書いている分には面白いが、金に追いかけられだしたら地獄である。 ・・・・・・・ 2003/01/13 お金はむき出しの真実 字数の関係でカット(2009年02月17日) ・・・・・・・ ー以前書いた文章をこぴーしておきます。 お金について -事業百訓より [112] お金について 字数の関係でカット(2008年02月17日) ・・・・・・・・・ 2003年02月17日(月) 684, まれに見るバカー読書日記ー4 男・獲物ー獲得法 第2章「バカ本を読む」の中の酒井冬夏「バカ・ゲット」がおもしろい。 1995年に流行った「バカゲット」とは、「バカ」な男を「ゲット」する、自分に「安らぎ」と「安全」を 与えてくれるバカ男ー獲物を獲得する意味である。この獲得のマニュアル本である。 目次は「コンセプ」「マーケッングリサーチ」「アポイントメント」「営業」「交渉」「プレゼンテーション」 「接客」「契約」などあって、男と女の関係もビジネスと思わせる仕掛けがある。 ・男は「クライアント」であり、 ・自分は「会社」であり、 ・結婚は「プロジェクト」であるというわけである。ところが一転、 ・社内で「獲物」を探すのが「近海漁業」であり ・「合コン」は「遠海漁業」 ・なんでも手を出すのが「そこ引き網」 ・ずっと付き合って結婚するのが「一本釣り」 ・同性からの紹介は「おとり漁法」 ・シャイなふりをするのは「定置網漁法」 字数の関係でカット(2011年02月17日) ・・・・・・・ 2002年02月17日(日) 334,私の読書法 やはり速読法が中心だ。それも「要点集中主義」だ。 その典型が図書館で可能な限り(10冊)借りてきて、居間の「私の居場所」 の横に積んでおく。食事やパソコンをイジッテッル合間にチョイ読みをする。 通勤で行き帰り読む。そして返す時間が詰まってくる、 もちろん週10冊は読めない。そうすると要点を見ざるを得ない状態になる。本はその状態でないと、読まないことが多い。 返す期間が決められていると、要点をみざるを得ない。これは買うに値すると判断するとすぐ「ネット」で注文をする。 買った本は、すぐ折込に入る。本の端を重要な箇所を折り込んでしまう。目次、各章、終わりに図と絵、太字のページを折りこむ。 そうすると、その時点で自分だけの本になってしまうそして身近においておく。読んでいて、いやパラパラと開いていて、 ここは重要と思うと左下を折り込む。折込にも情報を入れる。左上は図示と絵。急ぐ時は、終わりより逆にめくっていく。 そうすると、どういう訳かポイントが良くわかるのだ。それでも時間が無い時は、この本から一つだけ情報を取るという視点で集中する。 一つはあるものだ、特に「目次」か「終わりに」でそれを探す。いま一つ実行していることは、本屋に週2回は寄る。 通勤途中の二軒のどちらか一軒だ。本屋も毎日のように、売れているコナーの本を入れ替えている。定点観測である。 立ち読みで要点読みが結構できる。都会ー東京の羨ましいのは神田も含め大書店が多いことだ。情報格差の一番象徴的なところだ。
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2011年02月16日(水)
* 哲学は死の練習になるか ー木田元 死についての特集の中に、木田元の文があった。なかなか考えさせられる ーまずは、その抜粋から。 ≪ 哲学者ハイデガーは『存在と時間』で「自己の死」についてこう述べている。 自己の死は「誰にも替わってもらうことができないし、 誰の助けを借りることもできず、それがくることは確実だが、いつくるのかは決まっておらず、その先にまわってみることなど決して できない、自己の究極の可能性」なのだ、と。 そしてハイデッガーは、人間にとって「本来的な生き方」とは、この自己の死を 不断に見据え、それに覚悟を定めて生きる生き方、つまり「死に臨む存在」なのだと主張するのだ。 ・・・ 自己の死についてのハイデッガーのこの見方はまことにユニークだが、まるで『はがくれ葉隠』のように、つねにおのれの死を 見据えて生きるというのが、いったいどういう生き方なのか、私にはうまくのみこめない。自己の死についてのハイデガーの こうした主張に対しては、少し年少のフランスの哲学者サルトルも『存在と無』で異論を唱えている。 彼にとって死は私のすべての可能性を無にし、私の人生からすべての意味を除き去ってしまう、まったく不条理な偶発事なのである。 彼に言わせると、私の誕生が選ぶことも理解することもできない不条理な事実であるのと同様に、私の死も、理解したり対処したりする ことのできない不条理な事実なのだ。ここで面倒な議論をする気はないが「自己の死」に関してだけは、私もサルトルに一票を投じたい。 こちらの方が私の感じ方に近いからだ。 ハイデガー自身、『存在と時間』で持ち出した死生観の根にあるのは自分の個人的信念で あることを認め、どんな哲学的思索も、結局こうした個人的信念を出発点にせざるをえないのだと主張していたそうである。 ・・・つまり、私たちは生命の大きな流れの中から飛び散った一滴のしずくのようなもので、しばらくはそうした個体とし生きているが、 やがてまた元の大きな流れに引きもどされ、蕩々と流れてゆく。それが個体にとっての死なのだ、とそんなふうに思うようになってから 体調が落ちて、あまり永くは生きられそうもないなという気分になったときも、それほどジタバタしなくなったような気がする。 こうした一種アニミステイックな死生観を整理し体系化すると神道のようなものになるのではないかと思うのだが、あまり体系化など しない方がよいのかもしれない。 本当に死が間近にせまったとき、肉体的苦蒲のなかでこんなとりすましたことを 言っていられるかどうか自信がないが、これが今のところ私の死をめぐる想いである。≫ ー以上だが、言葉を持ってしまった人間は、他者の死を身近にみて、自分の死を思い抱くようになった。 死んだ人は、その瞬間に何もないが遺体が残る。それが死と勘違いするから、妄想が起こるのだが、その妄想を理性で 乗り越えようとしても、それも無理の話である。木田元は、滔々と流れていく大河に引き戻されて一滴が固体の死のイメージを 述べているが、毎年同じ木に咲く桜の花とも、それぞれのイメージがあるもの。 ・・・・・・ 3249, 最近のベーカリー事情 2010年02月16日(火) * ベーカリーのファーストフード化 数ヶ月前から週に2〜3回は新幹線の改札口に近いベーカリーで通勤途上、昼飯用のパンを買っている。 サンドイッチや、ナンで惣菜を包んだものや、カレーパンなど種類が多くあり、値段の割りに美味しい。中でも食べられる。 300円から500円で済み、外食の半値で済む。他に構内スーパーにある弁当とか、専門店街の菓子屋が売っているオニギリを買っている。 その御蔭か週一も外食に出なくなった。要は気晴らしに出ていた外食が面倒になったのだ。 ところで、知人が「カテゴリーキラーの外食が新潟郊外の青山に去年の暮れにオープンした」と話してくれた。 ・テイクアウトも、イートイン(店内でも食べられる)も出来るベーカリーで、レストランのような外観と、 イートインのできる客席はレストラン風 ・ポイントは、コーヒーが無料で、二杯目が20円 ・家族3~4人で、1500~1800円で食事のできる店というのが受けている・・・ その話を聞いて、「ラブラ万代の地下にあるベーカリーが、コーヒー無料にして、その脇にある自由食事スペースの テーブルと椅子をレストラン風にした感じ?」というと、その通りという。 成るほど、親子三人でパンやミニピザを 2〜3個ほど食べても、コーヒーが無料なら2000円以下で済む。 長岡と新潟の新幹線構内にあるベーカリーで、パンを買った お客にコーヒー無料にすれば、客は何割か増えるだろう。 イートインの客単価は下がるだろうが、客寄せになる。 考えてみれば、好調のマクドナルドは、コーヒーなどが付いたセットが300〜600円だから、 別に、取り立てていうことでもないじゃないか、ともいえる。パン屋のファーストフード化ということか。 一時、焼きたてのパンを出すファミレスがブームになったことがあったが、何時の間にか萎んでしまった。 あらゆる業種が恐慌の中で知恵を絞って集客をしている。最近では、回転寿司が「握りセット」を始めてきた。 10カンを違う種類にして安く出す。 スーパーの弁当も300〜400円が中心。500円といえば豪華にさえ感じる。 ・・・・・・・・・ 2009年02月16日(月) 2874, 成長モデルから 脱成長モデルへ −2 「規制されたモデル」といえば、戦後日本の20数年の日本経済のモデルが理想であるが、これは成長モデルそのもの。 結局は資本主義経済はバブルの繰り返すしかないのである。その本質はネズミ溝であるからだ。 その繰り返しの中で、自由と平等を如何に両立させるかという難しい問題は人類の永遠のテーマと重ねる。 突き詰めると、どれもこれも共同幻想でしかない。 共同幻想でしか人類はコントロールできないとすれば、 共同幻想の「正・反・合」を繰り返すしかない。 更に前回に続いてポイントの部分を抜粋する。 〜〜 *『自由放任的競争』から『規制された競争』 「ケインズが終生説いたのは、実は、グローバリズムへの警戒なのである。 『頽廃的で国際的で個人主義的な資本主義が世界をかけめぐり、国内経済を破壊することこそ、彼は恐れたのである。 『それは、知的でなく、美的でなく、公正ではなく、有徳ではない。われわれは、それを嫌っている。 いまやそれを軽蔑し始めている』とさえ彼は書いている。この『資本の気まぐれな浮動』から、一国の経済を守らなければならない。 それこそが、ケインズをして、政府による資本の管理と公共投資を唱えさせた理由なのである。そして、住宅、個人的サービス、 都市の美観、地方生活のアメニティ、といった『国際商品ではないもの』をこそ重視したのである。」 −− 「今回の危機をきっかけに、世界秩序は、アメリカ一極構造から変わっていくかといえば、アメリカと中国の綱引きになるだろう。 中国は、製造業が成熟しきらないうちに金融が拡大するといういびつな経済構造のため、経済を膨張させていかないと国がもたない。 (字数の関係でカット11年02月16日) ・・・・・・・・・ 2008年02月16日(土) 2 509, 新・知的生産の技術 −2 好感の持てる人である。東京の知人が言うには「最近、東京では健康を兼ねてスポーツタイプの自転車でチョットした移動に 活用している人が多くなっている。」という話を聞いたばかりなので、成るほどと感心した。この人の場合は、 携帯用のナビまでつけている。ナビは個人の行動まで自由にしているようだ。ここまで電子機器が発達し、ソフトも高度化したなら、 己を空しくして逆に無駄取りをして合理化に徹したほうが良いに決まっている。その意味で、この本は批判が多いかもしれないが、 見習うべきことがあまりに多い。ここまでグーグルが世界の人たちに支持をされるには、それなりの内容があるはず。 なら、限度のある自分を徹底的に排除をして、己を空しくして圧倒的なベストに従ったほうが良いという 彼女の問いかけが、シンプルで訴える力がある。 ・補助脳としてのパソコン ・フォトリーディング、親指シフト、マインドマップなど、じぶんなりのOSを整え ・アナログとデジタル入力のバランスを使い分け ・マスメディア情報を減らし、実体験、他者体験、良書を三大情報源とする。 ・自分以外の感覚器、特に耳をもっと活用する ・そして睡眠はよくとり、運動をよくする だいたい、これにブログや日記、メモをよく取ること、これが言いたいことである。 大部分が進学にエネルギーの大部分の人が取られているとき、このような合理性で自己研鑽に 勤めれば、そこそこのことが出来ることだ。 ・・・・・・・・・・・・ 2007年02月16日(金) 2145, 「狂い」のすすめ −2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) この本は「世間」に対する私の鳥瞰視と同じトマリ木の目線である。第一章の「狂い」のすすめは、 「世間を幻覚と割り切ること。その為に自分を狂者と割り切ってしまえばよい。世間は狂っているのだから、 そんなものを元々相手にしなければよい。」私自身の人生を振り返ると、「狂」が一つのキーワードであった。 狂を演じてないと、事業など立ち上げることができない。現状否定が事業の立ち上げの切り口であるからだ。 その辺の二代目が、その「狂」を冷笑しているのをお笑い芸人の目で、その反応を計算している自分の様も面白かったが。 現在もそうである・・。いや、狂いが目立たなくなったということか!定年を迎えようとしている男が急ごしらえの定年後の準備を 始めている様はコミックといえばコミックである。「狂」になって一度自分を破壊しないと、定年後の第二の人生の構築はできない! その意味で、この本は彼ら向きなのだろうが、はたして理解できるか?この本では「狂者の自覚」という表現をつかっているが・・・ それまでの人生観を根こそぎ疑って、新しい人生観を構築しないと!それが第二の人生である。 この無自覚な連中を集めて商売にしようと目論んでいる人がいるが、その悪臭は自分では分からないだろ。 でも、その人たちに目先の安らぎを与えるどこが悪いか! という論法も成り立つが! どうでもよいことか。 この本の中で一番気に入ったのは、ーカタツムリからナメクジへー というところである。 *そこを抜粋すると* 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。 そうした気持ちでする旅こそ、最高の旅である。たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、 重い鞄を持って塾通いと、裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 もう一つは ーついでに生きているー である。「‘人生なんぞ無意味である'と言うのであれば、なんでお前は生きているのか? それなら、生きている価値がないじゃないか」と言うが、その反論として「人生に意味がないなら、自殺さえ必要ないじゃないか」 と反論していた。そのうちにうまい言い方を考案しました。それは、人間は、−ついでに生きているーという言葉です。 人間に生まれてきて、生まれたついでに生きているだけだ。 別段、それ以上の意味はない。 人生に意味があり、目的があるとしたら、私たちはその目的に向かって邁進したくなります。 そうすると、競走馬的な人生になってしまいませんか。 −− まあ、一日一日を切断して、その一日を「日々是好日」と楽しめということだ。 二度とない人生、そして一日である。著者こそ、実際は逆に生きてきたし、現在もそうだろう。 悩める人に対して、そう教えるのが彼のお仕事であるから、それでよいが。 「人生に対して意味を求めつくしてこそ、その逆もさもありなん」と相まってこそ、人生無意味の意味が深まるのである。 「そんなこと、言われなくても分かっている!」というが、一応、念のため。カタツムリだものね、人生は。 どっちも同じ? 喩えがね〜 同じか! カタツムリが、定年を向かえて、否が応でもナメクジになったとき、その人は如何すればよいか?ということだろう。 こういうナメクジに新しい殻を与えようとしているのか、「あの人」は!それも既成品を。オーダー作れないもんね! その人たちは、今さら。 だから、安直な仕入れ品を当てがおうというのか! もともと安直な殻なら、その後の殻も安直で 充分というのも理解できるが。 でも、何かおかしな話である! まあ、考えるに丁度よい材料になるが。 b(^o^)ノ バイ! ・・・・・・・・ 2006年02月16日(木) 1780, 他罰の人 (`・ω・。)っノXXXX>C【才ノヽ∋―】゚+。*゚+。 ある本で「他罰」という言葉に行き当たった。他罰性は、現代のキーワードといって。特に情報社会の病巣といってよい。 自分のマイナスすべてを他人や社会のせいにする傾向の強い人間は何処にもいる。 私がタレントの‘みのもんた’を嫌いなのは、職業柄もあるが、他罰性が非常に強いからである。 まあ観ている方も他罰を一緒に楽しんでいるから本人の責任だけではないか。 ~~旦_(^O^ ) 人生の後半に(いや前半もそうだが)明るい生活を送っている人の分析がある。 ・縦と横の人間関係がキッチリできていて ・本業以外にライフワークを持っていて ・何ごとも前向きで楽観的で ・他罰性が無いこと それと(私の意見だが)奥さんが明るい人である。逆に社会に適応できない人とは 「他罰性が強く、そのため人間関係が崩壊、何ごとも後ろ向きで、趣味が少なく、暗く温かみが無く、 そのため神経症になっている人」である。 ゙o(≧◇≦*)o o(*≧◇≦)o"ダメ ジャ〜!! 誰の中にもある毒素であるが、その傾向が強いか弱いかにある。 私が敏感なのは、他罰性の強い人間である。自分の中に、あるから嫌なのだろう。 その傾向の強い人種は常に攻撃対象を探している。それを思いつくまま挙げてみると ユルサン![(#▼皿▼)]ムキッ 親が悪い、友人が悪い、学校の先生が悪い、上司が悪い、会社が悪い、政治が悪い、社会が悪い、等々 社会的貧者に、 この傾向の強い人が多い。「人生は最も偉大な言葉」とは‘自分の生きてきた全て(人生)が何もいわなくても全ての自分を 語っている’ということ。その中で一番の問題になるのが他罰性といってもよい。ルァァ!! (*`д´ノチキショ! (`?´)ゴルァ!! 夫婦間など、男女間のトラブルは他罰から生じる典型なことである。 自分のことを考えてみれば家内との喧嘩は何時も、 どちらが悪いかの言い争いである。 会社組織も他罰の牽制で成り立っているといっても過言ではない。 ーつづく ・・・・・・・・ 2005年02月16日(水) 1415, NHK視聴料について 数年前から、NHKの視聴料の支払いに対して疑問を持っていた。そして、最近起こった不祥事事件である。 自宅で三紙とって日経新聞を止めて、WOWOWに加入。次に新潟日報を止めて、薄型TVを購入した。NHKを止めて、 CSに加入したくなるのが当たり前のことである。以前から会社で支払っているNHKの視聴料の支払いに対して、 何時止めるかタイミングを計っていた。「宿泊のお客は自宅で視聴料を払っている。それが何で、ホテルの客室の視聴料を 払わなくてはならないのか!おかしい?」と考えて当然である。先日のラグビーの番組の中止(途中から抗議殺到で放送したが)で、 切れてしまった。会社に行って早速、「NHKの支払いの必要無し!」と宣言をした。ところが、呆れた顔をした支配人 「10数年前から、一円も払ってません!」私「・・・・」やるべきことは、やっていたようだ。 個人は、結構NHKの番組みで楽しんでいるので払っている。 ーーー 2005/01/31 ー1399, NHKと朝日新聞 (字数の関係でカット09年02月16日) ・・・・・・・・ 2004年02月16日(月) 1048, デート・カウンセラー 最近、TVが面白い。特にBSTVが色いろな世界を鋭く切り取っている内容が多くなった。普段知ることができない世界を垣間見れる。 一昨日のBSの、[地球ウォーカー]のニューヨークのデート・カウンスラーの目を通したドキュメントがよい。結婚相手を見つける チャンスが少ないのが大都会の独身者の悩みという。特に女性の場合、チャンスが少ない。大都会は同姓愛が多くて、出会いパーテーを 開いても男性の数が少ないのが悩みになる。10対8といっていたが、実際はもっと少ないようだ。この33歳のティナというブロンドの デートカウンセラーの目を通したニューヨークの独身女性の結婚問題を掘り下げていた。女性20人位のセミナーで色いろの 講義をしているのだ。現在、学生時代の日記を書き移しているが、男の立場からみても合点することが多い。 結論からいうと[ありのままの自分に自信を持って、オープンに積極的にあれ。但し、これには守るべき原則がある!」という。 ーその原則とは ・直前(その場)のデートは断る4日後に引き延ばすこと ・相手の言動を分析しない勝手な分析などしないで軽く考えること ・女性の場合、支払いは相手に ・あせりは絶対に見せない ・メールの返事は3回に一回ぐらいにしておく 等々である。 この番組に出てきた独身女性を見ていると(いや大方)、男性不信の人が多い。前の男性が駄目であっても次の人が駄目とは限らないのだ。 (字数の関係でカット11年02月16日) ・・・・・・・・・・ 2003年02月16日(日) 683,まれに見るバカ−読書日記-3 ー 続く ・・・・・・・・・ 2002年02月16日(土) 333、20歳の頃 −1 立花隆の「二十歳のころ」が面白そうなのでネットで買い寄せた。本屋で立ち読みをしていたが、実際に買い読み始めるとこれが面白い! 立花隆と東大の立花ゼミ生が「各界著名人や無名の人の20歳のころの事」をまとめたものである。一番の人生の不定形の可能性の塊の ころである,と同時に一番不安定のころでもある。そして一番その後の「人生の基盤」を作っている時期でもある。 私の周辺の人を見ていると「大学時代何をしていたか」で人生が決まってしまう。その頃遊びほうけていたり、ただ漫然と 大学生活を過ごしてきた人は、今もその延長にいる。人生の要所であることに若さゆえ気づかない。「さすが立花隆!」と思うのは、 「ホームページ上でサイバー大学という形」で進めていったことである。ゼミのメンバーと同じ年代の人と普通なら、 これをやらなくては絶対会えない各界の人から、色々な啓示を受けたことだ。それもホームページ作りを通してである。 まったく羨ましい限りである。人生のOFF−J−T,いやOFF−L(LIFE)−Tそのものだ 私の二十歳頃を近くに書いてみよう。 それより学生時代の頃になるか。 屋上から「通行人の自分」を眺めているみたいで面白い。 ー2004年2月16日記 この文章が、恐らく「22歳の日記」を公開するキッカケになったのだろう。
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2011年02月15日(火)
* マッターホルンの登山ツアー 先日、BS/TVでマッターホルン山頂の登山ツアーを放映していた。それもNHKの女性ディレクターが、それにチャレンジをする内容。 ここはアルプスの中で最後まで登山を許さなかった標高は4478メールの魔の山。140年前に初めて英国の7人の登山家によって征服された。 しかし下山の途中に4人が足を滑らせて死んでしまった。その山頂へ地元のプロ登山家のガイドが先導して登る内容を克明に記録した内容。 もちろんクライマーは経験者で、登山前に近くの山頂へのロッククライミングで、その人の能力がガイドによって試され、 合格者のみが登山が許される。コースは決まっているので何組も同じコース登っていたことには驚いてしまった。 もちろん、一つ間違えば滑落して死んでしまう。頂上には、登って休んでいる先着者が何組かいて、そのパラダイスを眺めていた。 そのガイドは70回以上、登っているという。 その頂上から見るパノラマの素晴らしいこと、この上ない。 スイスには三回行っているが、学生時代の車窓からみた景色の美しさは今でも忘れることが出来ない。 スイスツアーにトレッキングのコースもあるが、山は、その時の天候で大きく左右される。 外れたら、山頂からの景色は霧一色で覆われて何も見えないリスクが伴なう。 近くの丘のビューポイントからのマッターホルンは絶品。天候に恵まれた場合になるが、スイス山岳ツアーはお勧めである。 ここと、カナダのロッキー、ヒマラヤ、北スペインのピレーネの絶景は、深く心に刻みついている。 一度行ったところは、TV放送で再び楽しめるからよい。
・・・・・・・ 3248, 閑話小題 2010年02月15日(月) * 力量と品格 朝青龍の引退について、少し前になるがNHKで特別番組を組んでいた。その中で「強さが抜群だが、品格に問題だが、 その品格というのが、いま一つ分からない」と、解説の元横綱の北の富士が話していた。「国家の品格」という本もあり、 それについて書いたことがある。「知識とか経験の裏づけから滲み出る人間性」と、私は理解している。その番組で、 北の富士氏は「一般にいう常識を守ること」と述べていた。一般でいう常識とやらも何だか分からないが、知識の裏づけのない 常識ほど己を抹殺してしまうものはない。大相撲は品があっても、強くなければ誰も認めない。強い上に、神秘的な綺麗なオーラ みたいなのが出ているイメージを品格というのだろうか。 相撲は、神事に後に余興で力比べをしたことから始った。 儀式の一つだから、歌舞伎みたいな神秘を保っていなければならない。 それも、その最高の位にいる横綱は神秘的イメージも必要というのも理屈である。 * その人物を知るには その人物を知ろうとしたら、 ・子供時代に、どんな環境に居たか ー家族構成と自分の立ち位置(長男、次男・・・・) ・学生時代など、青春時代に何を求めていたのか? 更に人生に何を求めたか、 ・何を恐れ、何に笑い、何に怒り、何を喜び、何を悲しんだのか、 ・何の仕事をしてきたか、 ・仕事以外のときに何をしているのか、 ・誰を愛してきたか、 ・それぞれの時代の友人は、どんな人だったか、 ・奥さんが、どういう人か、子供がどのような人物に育っているか、 ・本棚には、どの本が並んでいるか、 人生を振り返れば自分の外枠が見えてくる。 ・・・・・・・・・ 2873, 成長モデルから 脱成長モデルへ −1 2009年02月15日(日) 「もはや成長という幻想を捨てよう」ー佐伯啓思 中央公論 08年12月号が、なかなか説得力のある内容であった。 ーまずは、そのいくつかを抜粋してみる。 「今回の経済危機の原因は長期的に見ると、20世紀を通じて続けてきたアメリカ型資本主義による経済発展の行き詰まりである。 資本主義の本質は、物的生産力を無限に拡張していくことにある。だが先進国では70〜80年代に社会が成熟段階に達してしまい、 人々がさほどモノを欲しがらなくなった。その結果、製造業に投資しても大きな利潤が出ないので、余ったカネを金融市場に集めて バブルを常に起こすことで、経済発展をしてきた。人々が高いお金を払ってまでも手に入れたいと思う『モノ』がもはや亡くなりつつある、 ということであろう。だからそ、製造業は、過酷なまでの価格競争によって、価格を下げるほか無いのである。・・・ 今日、『経済活動の過剰』という問題に真っ正面から取り組むべきではなかろうか。確かに、今日、資源はますます希少となり、 食糧も希少化しつつある。食糧の奪い合いが始まろうとしているし、アメリカ人は借金をしてまで貪欲にモノを買い続けている。 人間の欲望は無限であり、モノは有限である。」 ーー 「グローバル化の第2の波である帝国主義の真相を、英国の経済学者でえあるボブソンは恒久的な消費の低下にあると見ていた。 ・・・ ケインズこそ、現代資本主義の最大の問題を消費の低迷に見ていたのである。かくも豊かな社会が到来すれば、人々はもはや その関心を『モノ』には向けなくなるであろう。その結果、消費は低迷し、それが資本主義の長期的停滞をもたらすだろう、というのが ケインズの予想であった。『豊かさの中の停滞』である。豊かさのまっただ中でこそ資本主義は深刻な問題を生み出す、というのである。」 ーー 「『貧困への恐怖』と『豊さへの渇望』がもはや経済活力の源とならない。・・・もしそうだとすれば、規制緩和や 市場競争促進政策は、いっそうの生産能力過剰をもたらすだけのことであり、それに伴う有効な需要の伸長がないとすれば、 よほど無理なコスト競争、価格競争をしなければ企業は存続できないであろう。 これは経済活動にあまりに過度な負担を強いることになる。この負担は、まさに、ワーキングプア、フリーター、派遣労働、 所得格差、労働強化、産業空洞化、地方の疲弊という形で表れているのである。(中略)今日、われわれは、消費者としては できるだけ安いものを買おうとしている。投資家としては株で利益を得たいと思っている。しかし、そのことがまさに、 市場競争を激化させ、組織的な労働を解体し、結果として、労働者としての『われわれ』は大変な目にあっているのである。」 〜〜〜 解)この考え方を、もし日本だけで当てはめたら国家そのものが破滅してしまう。何故なら、それを狙った他国が 逆の方針をするからだ。日本が「ゆとり教育」で、その世代の骨抜きが進行している間に、中国が一子政策を採り 両親のエネルギーを一人の子供に集中したのである。だから現在の日本の衰退が深刻なのである。 しかし、世界がブロック化をして、その中で互いに規制することは可能だろう。 日本の衰退を、「成長モデルから衰退モデルへ」と衰退を脱生長と言い換え、気がついたら国家破滅!の危機になる。 人口縮小に合わせて経済規模を均衡縮小を割り切ってする政策にすることは、間違ってはない。 ーつづく ・・・・・・・ 2008年02月15日(金) 2508, 世界をだました男 「世界をだました男」 (新潮文庫) ー読書日記 フランク アバネイル (著), スタン レディング (著), 以前にビデオレンタルで借りてみたが、あまり印象に残っていない。先日たまたま図書館で借りてきた後に、 アマゾンの中古本を買って読んだが、なるほど面白い!殆どが実話というが、さかりのついた男の あの手この手の必死さが面白い。色いろな示唆のある内容で満ちている。 この内容の概略をまとめるだけの価値はある。生粋の詐欺師の話として割り切って読むと面白い。 政治家は、この手の詐欺師まがいが多いのは見ているとわかる! ーー 6歳から21歳までアメリカやヨーロッパで詐欺を繰り返して二百五十万ドルを荒稼ぎだした。 連邦刑務所で服役後、数々の職業を経て、その手法を逆手にとって詐欺対策コンサルタントに。 (以下字数の関係でカット 09年02月15日) ・・・・・・・・・ 2007年02月15日(木) 2144, 「狂い」のすすめ −1 (~Q~;) おはよう〜〜ファ〜 サム! 閑吟抄の中の、「ちろリ ちろり ちんちろり ・・・・一期は夢 ただ狂え」 を切り口に、世間に縛られないで 自由に生きなさい!と論じている。 まさに何時も、ここで書いていることである。私にとって、今ひとつ物足りないところがあるが、 団塊の世代のマニュアル人間が定年を迎えようとしている現在、丁度良い内容である。人生に意味など無い、 生まれ、飯を喰って、くそをして、死ぬだけだ。 あるのは「いま ここ」だけ! ーまずは、その概要からー ー読書日記 著者:ひろさちや :集英社 世間や常識の奴隷になるよりも「ただ狂え」。狂者の自覚を持つことで見えてくることとは…。 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きようと呼びかける。 ー表紙裏の内容紹介ー 今の世の中、狂っていると思うことはありませんか。世間の常識を信用したばかりに悔しい思いをすることもあるでしょう。 そうです、今は社会のほうがちょっとおかしいのです。当代きっての仏教思想家である著者は、だからこそ「ただ狂え」、 狂者の自覚をもって生きなさい、と言います。そうすれば、かえってまともになれるからです。 人生に意味を求めず、現在の自分をしっかりと肯定し、自分を楽しく生きましょう。 「狂い」と「遊び」、今を生きていくうえで必要な術はここにあるのです。 −面白そうな所を何箇所か抜粋してみた- *『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです。』 *「日本人は人生を知りません。人間らしく生きることができず、エコノミック・アニマル、 すなわち畜生の生き方をしています。日本人は狂っているのです。」 *「上等の靴を履いてぶくぶく太った日本の子どもと、裸足でやせたインドの子どもと、どっちがまともなんでしょうか!? そして、どちらが幸せでしょうか!? わたしたちの『常識』『物差し』は狂っていませんか!?」 *「ともあれ、遊牧民族は、敵と味方をはっきり分けて考えることができます。 だから楽なんです。 ところが われわれ農耕民族の末裔である日本人は、敵か味方かわからない世間を相手にせねばなりません。それがしんどいのです。」 *「浄土経典である『大無量寿経』においては、《人、世間の愛欲の中に在りて、独り生れ、独り死し、独り去り、独り来る》 と言われています。 この「独生・独死・独去・独来」が人間の本質なんです。」 ・・・・・・・ 2005年02月15日(火) 1414, スローフード 欧州でまず驚くのはスローフードとスローライフの生活パターンである。 最近、日本でもスローライフ、スローフードが流行りだした。 アメリカ発の便利・効率を優先するファーストフードに対して、スローフードを見直す運動である。 イタリアのブラという街で生まれた運動で、日本スローフード協会によると、次の三つを指標にかかげている。 1、消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワインなどの酒を守る。 2、質のよい素材を提供する小生産者を守る。 3、子供達を含め、消費者に味の教育を進める。 アメリカのコンビニエンスという考え方が、食べることにも及んで、画一化が進みすぎて、ものごとを 「味わう」ことが少なくなってしまっている。その反省に立って、食事そのものを見直す運動である。 (以下字数の関係でカット 2010年02月15日) ・・・・・・・・・ 2004年02月15日(日) 1047、「22歳の日記」の終わりに 今日で学生時代の日記が終わっていた。何時から何時までという日付の無いフリーの日記帳なのだが、丁度よいタイミングで 最後のページで、最終日の今日だけレポート用紙が貼り付けてあった。いま一冊の日記帳にあと半年位は書いていたと思うが、 ハッキリした記憶が無い。この日記を書き移していて「恵まれていた環境にいた」とつくづく思う。 「寮生活に、一ヶ月の欧州旅行、ゼミ、クラブ、教授、両親、友人」と多彩な環境が重なっていたことに驚いた。 そこには地方出身の、土がタップリついた、純朴な姿がそのままあった。 この時期に培ったものが一生ついてまわることを、振り返って実感する。それと真面目な姿も、今も昔も一緒である? 大学の専門分野の授業が結構面白かったことと、全く知らない分野を、色いろ知ったのが最大の収穫であった。 また知識や情報や人脈の重要さを実感をした。知的好奇心がこの時期にやっと芽生えたのだから、かなり遅咲きであった。 大学の知識などは、実社会に出てからの経験や読書などの蓄積からみたら、微々でしかない。「大学を出てないから駄目だ」 という自分の思い込みという石をつくらないで済んだのも収穫であった。当時の学生時代の背景が、昭和40年代前半だった というのも恵まれていた。特別恵まれていたのではなく求めるものがあったから、見返りに対象が反応した部分もあった。 この時代のポップスは黄金時代といわれている。高度成長期の波に乗って、素晴らしい歌が次々出ていた。 恵まれた時代にあたった世代は、最後の最後まで恵まれるようだ。年金も、丁度よいようになっている。 同世代の人をみていると仕事などでハッピーエンドの人が多い。学生時代に真面目に過ごした人は、その後の人生で順調のようだ。 マージャンや女性狂いをしていた人は、あまり恵まれた人生ではない。知識や生活の基盤をつくっていなかったためだ。 その一人が自分でもあるが。寮にクラブにアルバイトに酒にと、全て中途半端であった。 しかし、それに気づいて産能大に入りなおして基盤直しをした?が、それでも取り返しがつかなかった。 それほど甘いものではない。基盤はそう簡単には造り替える事はできない。この日記から、温みを感じ取れるのも確かである。 私の人生を振り返って「恵まれていた、ついていた、面白かった、ありがとう」がキーワードにある。 この日記を見る限り学生時代も全く同じである。この日記を、つまらないという人と、リアルで面白いという人が二分していた ようだが、少なくとも私にとっては、リアルで面白い内容であった。自分の地偕の、あるフロアーに迷い込んだようなものだからだ。 この日記の最後にも感想を書いてある。 もう、こんな赤裸々な日記は書けない! ・・・・・・・ 2003年02月15日(土) まれに見るバカ −読書日記 −2 ー印象的なところを抜粋するとー 人はバカに生まれるのでない。バカになるのである。親子という縦の系列によってバカになり、友人・社会という 横のつながりによってもバカになる。・・なぜ容易くバカになるのか。理由ははっきりしている。人間は楽な事を選ぶ生き物だからだ。 できることなら責任なんか負いたくない。他人の心配などまっぴらである。難しいことより易しいこと、苦しいことより楽しいこと。 不自由より自由。貧乏より裕福。まどろこしい事よりすぐ成果が見えること、に流される。努力するのも金輪際イヤである。 これらの諸条件を満たすのは必然的にバカになる。自分中心主義で、物知らずに、自分の頭で考えることができない。 考える努力もしない。だから人に頼りたくなり人の責任にしたくなる。このようにして人はいとも簡単にバカを志向する。 だから親がバカだと子供はつらい。「バカ」を刷り込まれるからだ。バカになるのに訓練や努力はまったく必要でない。 欲望と感情だけがあればよい。そしてどんな人間でも欲望と感情だけはもっているのである。・・・ もしバカになったら、それはどこまでも自分の責任である。責任がなくとも自分で負わなくてはならない。 ・・・・ バカがひとりで死ぬまで山の中で生きているのならどんな罪もない。しかしそのときは「バカ」であることじたいが無意味であろう。 ひとりだけならバカも賢いもないのである。 バカの罪状以下のごとし。 ・・・・・・・・・ 2002年02月15日(金) 331、自分を愛すること 我々は「自分を愛することを罪悪」と知らないうちに,教え込まれてこなかったか。人間のいや生物の「遺伝子にはエゴイズムが 書きこめれている」という。まず自分のエゴイズムをハッキリと認めよう。そしてそのコントロールをすべきだ。 (以下字数の関係でカット 11年02月15日) ・・・・・・・ 2月15日 1969年 昨夜のことで、本当に自分が嫌になる。いい加減な自分に嫌悪感を感じる。 あとは、思い残すことなく社会に出よう。学生時代は終わったのだ。 ーこれからの予定として 2月17日に先生のところに最後の挨拶 2月19日にゼミの工場見学11時〜18時 その後、2日間長岡に帰る。2月26日にジャスコ入社式のため四日市に出発 3月2日まで、入社前教育 ーーーー 以上で半年続いた日記が終わっている。その続きを書いていたかどうかは記憶がない。書いていたかどうかは五分五分である。 この一年後、カード型の分類日記を一年間書いた記憶がある。その一年後、全てを捨ててしまった。本当は捨てなければよかった。 この日記よりもっと激しいことが書いたあったようだ。それだけ、その後の一年は激しい一年であった。心身ともボロボロになっていた。 大學を出て、十数年は誰もがそうだろうが、一生分の問題を吐き出し解決してきた。三十代半ばからは楽だったのは、それまで 精一杯生きたからだ。それにしても、凄い?20代~30代を過ごしてきたものだ。他の人のことは解らないが、私は限界ギリギリだった。 読んでいて気づいていると思うが、やはり背景は恵まれていたのだ。時代に、両親に、そして先生に、友人に。 月並みの言い方になるが「ありがとうございます」という言葉の重みをつくづく感じる。今も、当時も一番足りない気持である。 「ありがとう」という言葉は、言い尽きないのが人生と振り返って実感する。この時代の人達に「ありがとうございます」 と手を合わせて、この青春日記を終了する。 少なくとも書き写している間は当時にタイムスリップをしていた。 毎日続いた一時のタイムスリップも、今日で終わってしまった!あまり過去に住むのは良くない。今年の9月からの同月同日の日記として、 再び貼り付けるかどうかは、その時考えるが「もう見たくはない」のが現在の気持ちだ。半年も経てば気持ちが変わる可能性があるが。 当時のこの男の頭をなぜてやりたい。そして「35年前よ、さようなら!」と、腕がちぎれるほど何時までも手を振りたい気持ちである。 当時と同じように少し感傷的になってしまった! 「あたらしき 明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に うそは無けれど〜 啄木」 この日記帳の表紙にデザインとして書いてあった詩である。 日記帳の下欄には、啄木の詩や日記や書簡集が印刷をしてあった。しかし詩心は芽生えなかった! ーーー 明日からは、換わりに、次のシリーズとして、 このホームページの「お笑いのコーナー」の、 ジョークと小話を貼り付ける。 少し品のないところもあるが! 100話以上ある。 5月まで続く予定である。
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2011年02月14日(月)
「無縁社会 〜新たな“つながり”を求めて」 NHKスペシャル 2月11日 =内容= ‘社会に居場所がない’―― ‘無縁’となる人たちは高齢者だけでなく、すさまじい勢いで低年齢化し、 日本列島に無縁社会が広がっている・・・。「未婚で高齢の親と同居しています。私も無縁死するかもしれません」 「介護で仕事をやめざるをえなくなりました。日々、自分は無縁だと感じます」。無縁社会の放送を見てNHKに寄せられた 一万件を超える声。 多くは20代から50代の働き盛りの世代からだ。未婚、離婚、失業、職場での人間関係の希薄化。 若い世代を無縁社会に引きずり込むきっかけはあらゆるところに転がっている。 この世代に広がる自殺や心中。 無縁化した若者たちが社会での居場所も、自分の存在意義も見失い「無縁死せざるをえない、無縁死してもかまわない」 と考えるようになっている深刻な現状が浮き彫りになる。 ‘心の居場所’を作りたい――無縁化した人たちが再び、 社会とつながるための様々な試みを通じて、無縁社会を乗り越えるための処方箋は何か、解決の道筋を模索していく。 〜〜 この金・土曜日の二日間にわたり、ゴールデンタイムにNHKで放送されたが、考えさせらる内容だった。 知人に孤独死で亡くなった人がいたが、これは誰もが今後起こりえる問題。 ここでは、正社員をやめさせられ、 非正規社員をしながら食い繋いでいる中年に差し掛かった人たちの姿を追っていた。 また自分が社会から 必要とされてないのでは?という挫折感が心底の重しになっている。 「縁」という言葉は日本特有の言葉。 一神教の世界では、絶対神 X を発明し、常に祈ることで神様と共に生きている。 聖書が常に傍らにあり、 休日には教会に行けば、そこには信者仲間がいる。しかし日本には身近な周辺の因縁社会が、その役割を果たしてきた。 しかし最近ではプライベート的には、会社も、近所の人たちとの関わりあいが希薄なってきている。 一度、正社員から 非正規社員になると、社会との関わりが更に希薄になる。その中で縁を作るのも並大抵でない。 一神教徒からすれば、その辺がリアルに見えてくる。 しかし、彼らの切実な叫びから聞こえてくるのは凍り付く孤独感。 ふと孤独死をした知人の魂が、「御前さん分かるか、この気持ち?」と語りかけてきた気がした。が、最期は誰もが独り死ぬしかない。 仏様の像の小指と死にいく者の小指に赤い糸を結んで見送る風習があるが、やはり最後は神様しかないのか。 そういえば無縁墓を両親に頼まれて、毎年、ひとつお参りしているが・・・ ・・・・・・・・ 3247, 時事放談 2010年02月14日(日) アメリカの露骨な日本タタキが始った。小沢、鳩山の次はトヨタのバッシング。国内でも時を待ったように プリウスが槍玉に上げられた。アメリカにとって丁度良いネタ。次はドル安、円高圧力の再開である。 日本を揺さぶるなど朝飯前、 次は年度末にかけて株式あたりの揺さぶり。アメリカの海外に向けての揺さぶりは北朝鮮かイラン。中国も上海万博までは景気を 維持するだろうが、その後の反動期に狙われる。中国人は「流砂の民」。まとめようとしても 指の間からサラサラと落ちてしまう。 大きな権力で枠組をつくっておかないと体制は崩れてしまう。しかし20数年続けてきた「一人っ子政策」のプラス面もある。 下々は底から這い上がりたい一心に両親が二人がかりで全エネルギーを注ぎ込む。 本人は堪ったものではないが、エネルギーが 集中されるから教育効果は大になる。日本は、その間にアメリカの骨抜き政策の効果で「ユトリ教育??」が完成。 それが社会の中枢になりはじめてきた。秋葉の無差別殺戮は、その象徴的なもの。自分たちが、その犠牲者ということすら自覚できない。 現在は就職難で企業は新卒を極力採用しなくなっている。 彼等大部分の素材が適応外ということを知っている。 数年もしないうちに大部分が適応できないで辞めていくからである。 日本はダウンサイズの過程に入った。 これから10年は日本も世界も混沌とした時代になる。 二年後の予算編成が不可能という日本は、デノミという貨幣制度の変更が 現実的になってきた。失業は10パーセントを超え、炊き出しが日常の視界に入っているだろうし、危険で街も歩けない事態か生じる。 それが恐慌の現象である。一度、落ちるところまで落ちないと、この国は自己コントロールが出来ないようだ。 現在の国家の変調は、アメリカの日本人の愚民化の占領政策の完成と、百数十年づづいた官僚制の疲弊からきている。 米英と官僚シンジケートが日本を支配していたのである。 そうこう考えると恐慌3〜5年目の、今年から三年間は 特に厳しい時代になると覚悟をした方がよい。 開き直って「なるようになる!」で、立ち向かっていくしかない。 ・・・・・・・・ 2872, 貧困率 2009年02月14日(土) 最近になって、「貧困率」という言葉が話題になることが多い。 −そこでウィキペディアで調べてみた 貧困率は、「絶対的貧困率」と「相対的貧困率」とに大別される。 ・絶対的貧困率 当該国や地域で生活していける最低水準を下回る収入しか得られない国民が全国民に占める割合の事。 相対的貧困率よりも実状を反映しやすいという特徴があるが、逆に言えば、「生活していける水準」を どのように設定するかによってさまざまな基準があり、設定者の主観が入りやすいという危険を持つ。 ・相対的貧困率 国民の経済格差を表す指標で、「年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合」の事。 絶対的貧困率と違い数学的な指標なので主観が入りにくい。しかし絶対的貧困率と異なり国によって 「貧困」のレベルが大きく異ってしまうという特徴を持つ。この為裕福な国Aにすむ人が 相対的貧困率の意味で「貧困」であっても、貧しい国Bにすむ人々よりもずっと豊かな暮らしをしている、 という事もありうる。よって相対的貧困率は「貧困率」という名前であるが、貧困を表す指標と とらえるよりも国民の経済格差を表す指標ととらえたほうが正しい。 −−以上だが、貧困率がアメリカは17パーセントに次いで、日本は15パーセントの二位。 アメリカでは黒人・ヒスパニック系が25〜30パーセントに対して白人は10パーセント。 2000年には日米ともに13・5パーセントだったことから、その数字はジワジワと上がっている。 社会保障の行き届いている北欧はわずか5〜6パーセントからみれば、異常な数字と見てよい。 現在の日本の平均収入が307万円だから、大よそ150万がラインだが、実際には月15万×12ケ月=180万辺り。 総中流時代という言葉が懐かしい時代になってしまった。「ゆとり教育」の世代が社会の中核になってきたが、 ますます貧富の差が大きくなる要素が増えてしまった。 とはいえ社会主義政策の結果の総貧困社会も困る。 社会主義者は現在でも、やり方が間違っていただけと言ってはいるが・・貧困の恐怖が人間のエネルギーの元になってきたが、 それさえ感じられない世代を「ゆとり教育」が作りあげてしまった。結果として、能力カースト制度を子供時代から 作り上げてしまった罪は大きい。国が衰える背景には、マイナスの重なりがある。情報社会は、格差の実態をアカラサマに 露出するから鬱積が溜まり爆発するのである。自由主義の拡大は、結果として豊かになる自由もあるが、貧困になる自由もある。 「自由、平等、博愛」は人類の永遠のテーマである。 これも動物である限り共同幻想ということ? ・・・・・・・・・ 2008年02月14日(木) 2507, 地頭が良い人 b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ? 私の知人に何人か、地頭の良い人がいる。本人も自身の地頭の良いことを自認している。これは学歴の高低ではなく、 彼は常に何かを目標を立てて、ポイントを把握して、最重要順に実行する手順に入る習性が身についている。 人生の節目を知っており、その時節には自然と変身を始めている。こういう人は、人の話を良く聞く。そして、その話(情報)を、 己の言葉に置き換え行動の手順に置き換える。小林秀雄の「無私の精神」という文章に行動家の精神パターンを書いていた。 行動家は無私の精神構造になっていて、全てを知った上で、己を抑え目標を達成する。ある意味で、それをゲーム化をして楽しむことの できる人である。ところで、昨日の日経新聞の新聞広告に「地頭を鍛えるー問題解決に活かす『フェルミ推定』」−という本があった。 気になったので、アマゾンで内容を調べてみた。買うほどの内容ではないが、一応、概略を私なりにまとめてみた。 == 地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは限らない 現在において重要な 能力と定義される。まずは、IT化によって手軽な情報を安易に利用してコピーする『コピペ族』が 増加しているが、真に頭を使いこなす者は減少していると前書きで述べている。地頭力の本質は、「結論から」「全体から」 「単純に」考える3つの思考力である。すなわち「結論から」考える仮説思考力、「全体から」考えるフレームワーク思考力、 「単純に」考える抽象化思考力だ。地頭が良い人とは この3つの思考力は鍛えることができるものであり、地頭力を鍛える 強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。「シカゴにピアノ調律師は何人いるか?」。 こうした荒唐無稽とも思える問いへの解答を導き出す考え方のプロセスを問うのが、「フェルミ推定」だ。 「フェルミ推定」と呼ばれるのは、「原子力の父」として知られ、ノーベル物理学賞受賞者でもある、 エンリコ・フェルミ(1901~1954)に由来する。本書では、「日本全国に電柱は何本あるか?」といった例題や その解答例から「フェルミ推定」のプロセスを紹介しつつ、「好奇心」「論理的思考力」「直感力」 という地頭力のベースとそれらのベースの上に重なる仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力の3つの構成要素と その鍛え方を解説している。」未知のテーマに向かうとき圧倒的に効率よく対処する方法、思考力を 鍛えるための方法、 仕事のアウトプットを増やす方法として大変参考 になる。特に「完璧主義」的傾向のある人はこういう現実的なやり方 もあるのだ ということをインプットしておくことはきっと自分の能力 をさらに高めるきっかけとなるのではないかと。 地頭力とは「未知の領域で問題を解決していく能力の事で、環境変化が激しい過去の経験が未来の成功を保証するとは 限らない現在において重要な 能力と定義される。「フェルミ推定」とは 把握する事が難しく、ある意味荒唐無稽とも いえる 数量について何らかの推定ロジックによって短時間で概数を求める方法です。 フェルミ推定はこれら3つの思考力(仮説思考力、フレームワーク思考力、抽象化思考力)に知的好奇心を 含めた要素から 、アプローチ設定、モデル分解、計算実行、現実性検証といった基本プロセスを通じて実行されます。 == この本の要点としてはこんなものだが、地頭は色々な要素が重なって出来上がる。それは、その人自身が長年かけて 作り上げていくしかない。逆に地頭のまったくない人は、羅針盤機能が荒い人が多い。 考えることを知らない人? 自分のことを考えると、まあ、自己嫌悪に陥るから止めとこう。 。´_`)ノ バイ ・・・・・・・・・・ 2007年02月14日(水) 2143, さおだけ屋はなぜ潰れないのか? オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン! いつも本屋の平台にあったが、初心者用の会計本と何度か手にとってみたが、それ以上には興味の無い本だった。 ところが図書館でこの本を見つけたので早速借りてきて目をとおした。月に一度は土日に『毎度お騒がせのチリ紙交換です』という 替わりに『さおやー、さおだけー、たけやーさおだけ、二本で1000円のサオです。』とあいも変わらず聞こえてくる声がある。 何をしているのだろうか?と誰もが思うのが当然である。この種明かしは簡単である。金物屋が、副業で暇な時間を 見つけてテリトリーの中を、在庫原価をゼロに落としたサオをアタカも専門店のようにしてマイクで走るのである。 そのサオ屋は情報収集をしているのである。 (字数の関係でカット2009年02月14日) ホンジャ ヾ(*´▽`)ノ=з=з=з バイバイ! ーーーーーーー 2006年02月14日(火) 1778, ライブドア問題の深層 b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァよー ライブドアの株価が、昨日91円から60円に暴落、絶望的な株価になってしまった。 毎日新聞の数日前の「記者の目 」ー「プロの金融犯罪」の印象ー の、ライブドアに対する記事が鋭い。 ・何故いきなり東京地検特捜が、金融庁や証券取引委員会の告発の手順を 踏まずにストレートに踏み込んだのか、 という経済関係者の疑問と ・資金洗浄をしなければならない理由は? ・そして役員が何故、自殺をしなければならなかったのか? 等々。 今朝、毎日新聞に載っていた自殺した野口取締役の自宅から発見された構造的犯罪システムとしての チャート図からみてもITという名の隠れ蓑の下に「もともと悪質のプロの金融犯罪集団(ライブドア)が金融機関と組んで おこなった可能性」である。たまたま、やり過ぎたのではなく、もとともプロの犯罪集団だった?のではという疑問である。 (字数の関係でカット2008年02月14日) ー毎日新聞 2006年02月10日付 βyё βyё...φ(´д` ・・・・・・・ 2005年02月14日(月) 1413, スペインについてー2 ー闘牛の話 闘牛について何回か断片的に感想を書いてきたが、もう少し詳しく闘牛について書いてみる。 三回行ったスペイン旅行のうち、二回見ている。マドリッドで初めて見た闘牛には、大きな衝撃を受けた。 帰りは下を向いて黙って帰ってきた。とにかく残酷なのだ。その日、一人の闘牛士が牛に突き殺されてしまった。 牛の角に刺されて空中に放り出され、会場が異常にどよめいた。こういう場合殆ど、闘牛士は亡くなるという。 死ぬと、闘牛の世界では大ニュースになる。現地のガイドが興奮をして、「こういう場面に出くわしたことは、不謹慎だが、 非常に幸運です」と言っていた。二回目に見た、パンプローナの牛追い祭りの最終日の闘牛が面白かった。 牛追いは、その夜の闘牛の牛を早朝街を追い上げる時に、男達がその前を走って勇気を競うことから始った。 またヘミングウエーの小説の舞台にもなって、世界的に知られるようになった。延々と続いたパンプローナの最終日、 興奮は最高潮に達してスペイン中がこの闘牛に注目する。二回目となると、初めと違って冷静に見ることができる。 闘牛は、闘牛士と人間の殺し合いである。生と死のギリギリのドラマが演じられる。興奮した牛の登場から、熱狂的な 闘いの後、死体になって数頭の牛に引きずられながら葬送のラッパと供に消えていくまでの全てを見るからこそ良い。 アンフェアなのは、牛に何回か槍を刺して弱らせてから、闘牛士と闘うことだ。そのままで闘うと闘牛士が殺される ケースが多いからだ。初めてみた時には、アンフェアと腹が立った。が、二回目から「こんなものだろう」と楽しむことにした。 一晩、2時間以上かけて、前座から横綱クラスまで、三人の闘牛士と六頭の闘牛の闘いがある。闘牛士にもランクがあって、 その実力は見ていても解る。牛にも実力があり、闘牛用の牧場で人間に触れないようにして、野性味を残してある。 (字数の関係でカット2011年02月14日) ・・・・・・・ 2004年02月14日(土) 1046, ノンアルコールに切り替えて ノンアルコールビールに切り替えて10日ほど経つ。アルコール度は0.5?ほどで普通のビールの10分の一程度だ。 500mmのビールを、350mmのノンアルコールしたのだから体調はよい。紹興酒一合位を今でも飲んでいるので、 一晩のアルコール量は半分になったことになる。今のノンアルコールは一度ビールを造った後に、アルコールを抜く 製法をとっているためか以前のような不味さはない。面白いもので慣れてくると、こんなものかと気にならないし 普通のビールを飲みたいとも思わなくなった。 (字数の関係でカット2010年02月14日) ・・・・・・・ 2003年02月14日(金) 681,「まれに見るバカ」ー 読書日記 ー1 「ぶざまな人生」が面白かったので、同じ著者のこの本をインターネットで取り寄せた。とにかくスッキリする! 「わが内なる馬鹿」というところか。わたしも辛辣だが、ここまでひどくはない!読んでいて私など可愛いものだと 思ってしまう本である。こんな本を書いてみたいものだが無理だ。下手な書評などより「まえがき」と「あとがき」を抜粋。 ー表紙裏ー (字数の関係でカット2011年02月14日) ・・・・・・・ 2002年02月14日(木) 331,、お見舞いの手紙−堀井正子さんへ お見舞い申し上げます。どう見舞ったらよいか? 最善と考えてこの本(フランクルの<生きる意味について>)を贈ります。 非常に深い内容のある本です。今度の貴女の病、あなた自身にコペルニクス的大転換(人生に何を要求するかより、 人生そのものが貴方になにを求めるか?)の問いの大転換のチャンスです。この本を読んでいるうちに、何かが見えてくるのでは ないでしょううか。<過去の総てを肯定し、容認すべし> 父が死を目前にした時「もう一度、同じ人生を・・」と言っていました。 これは非常に深い言葉だったと思います。それも知識より触発された言葉でなく「苦しみの底より掴んだ言葉」だからこそ 父のこの言葉を素晴らしいと思います。貴女の場合「池津屋とともに生き、そしてそこを去り倒産、そして音楽の先生という人生」 はそのまま安穏とした人生より、はるかによかったという見方です。自分の人生の総てを肯定する見方です。 この数年父の心境が判りかけています。「社会的自分を一度すてて、真なる自分」を今一度じっくり見つめ直す時期です。 「過去の総てを肯定する視点をもつべし」これは私が言った言葉でなくフランクルがいっている言葉です。 神が一日だけ、この世の中にある人を呼び戻したそうです。総てが光輝いて見えたそうです。 娑婆の人間に「何故それが見えないのか?」「どうでもよいこと、娑婆の表象」に流されているからだと思います。 そのゴミの中で生きているからです。それを餌の種にしているからです。これを機会に真実に生きてください! ご自愛のほど! ー魂の言葉ー 2000年11月30日 ー 八郎 ・・・・・・・・・ 2月14日 金曜日 1969年 10時起床。 17時に、池袋の松山寿司で行われるゼミの「我々の追い出しコンパ」に出席をする。 和やかな時間を過ごすが、石川と雲行きが怪しくなった。同期の田島も出席をしていた。 卒論を出せなかったのでやめたといっていたが寂しそうな顔をしていた。武澤先生と話をしながら泣いていたようだ。 私も気が緩んだのか、好き放題のことを先生に言ってしまった。そんなことを言えた柄でもないのに。 先生の最後の贈る歌が感動的であった。三年生からの贈り物で電気スタンドをもらう。 武澤ゼミに入って本当によかった。 自己疎外に陥り、反発も感じ、苦しんだ。 しかし、それもゼミに対する私自身の能力不足が原因である。これだけの思い出を、このゼミに入ったおかげで 得ることができたのは青春の財産になる。本当によかった!その後、2次会で私が幹事をする。 そこで先生の前に座り込んでクダをまく。先生に見得を切ったのだ。 バカもいいところだ。 最後の最後、石川と殴り合いをしてしまった。どういうことか、過去に一度も乱れたことのない自分が今日は本当におかしい!
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2011年02月13日(日)
二人が勝ち負けを決する個人競技である限り、そして個人の意思が携帯電話やパソコンで簡単に行き来できる現在、 「八百長をするな!」という方に無理ある。 お互いに四つに組んだ時に互いの耳と口が至近距離になる。 そこで、20、30万と仲間同士の符丁を決めておけば、阻止など出来るわけがない。「自動車事故死が数千人もあるので、 自動車を廃止してしまえ」と主張するようなもの。まずは交通違反を止めろと言っても、これも無理の話。 八百長に関して、今回のように発覚したら厳罰を科せばよい。「八百長が絶えないから大相撲を公益団体を外してしまえ」 という論理に無理がある。この怪しげな興行世界が日本伝統のマイナーの側面である。これを解説者では一部の人しか主張してない。 だから、今回も、4人は追放、疑問のある10数名を三場所の出場停止をして幕引きをするだけでよい。 日曜日の夕刻のお笑い番組の「大切り」は、作家がいて、そのストーリーにそって、落語家が珍妙なやりとりをする。 一時、週刊誌が、このことを槍玉に上げたが、メンバー全員それを否定したコメントをしていた。それは当然である。 160キロ平均もある鍛えぬかれた大男が、全力で15日間も続けてぶつかりあったら、どうなるか分かりきったこと。 幕内・数十人の閉鎖社会の中で勝ち星の貸し借りがあるのは当然で、それを含めて楽しむのが大相撲の面白味である。 だから、私は初日と千秋楽は幕下から見る。初日は貸し借りのない真剣勝負が見られ、千秋楽は出てくる互いの力士の 勝ち星を見て、暗黙のうちにドチラが勝つかを予測しながら見るのである。見る方も分っていて見ている。 私が知る限り、ほぼ100パーセント、貸し借りをしている。日本文化は談合世界の中で育ってきたのである。 麻薬などで追放になった元外国人力士などから、多くの実話が出てくるのだろうが、交通事故に気をつけた方がよい。 ・・・・・・・・ 3246, 新・欝の時代 −2 2010年02月13日(土) * 「うつ」9つの症状 うつ病について何度か書いてきた。私は、うつ病は、普通の風邪や胃腸病などと同じで、精神も発熱したり、 傷口が化膿するのは自然であり、手当てをすれば治ると思ってきた。 知人に、重い躁鬱の人がいたが、 医者より私の見立てに信頼を置かれ、20年近く相談にのってきた。 数年前に癌で亡くなったが、 それは見ていても気の毒であった。「精神の束の大元が制御不能になってしまう」というのが、私の捉え方。 その時は病院に入るか静養をとって回復を待つしかない。 うつ病はれっきとした病気。 うつ病は「気分がひどく落ち込んだり何事にも興味を持てなくなったり、おっくうだったり、なんとなくだるかったりして 強い苦痛を感じ、日常の生活に支障が現れるまでになった状態」。 この状態は、日常的な軽度の落ち込みから、重いものまであり、原因については諸々ある。 「 悲しくて苦しくて涙がこぼれ落ちそうになり、胸が強く締めつけられるような状態が何日も、時には何ヶ月も続くという。 うつ病は、内因性うつ病と、心因性うつ病とに分けて考えられていた。しかし、内因性うつ病でも発症の きっかけとなる心因があることが多いことから、症状の形で分類されるようになった。 *うつ病の基本的な症状は以下のようなもの(○は大丈夫、 ×はその傾向あり、 △は少し) 1.強いうつ気分 ○ 2.興味や喜びの喪失 ○ 3.食欲の障害 ○ 4.睡眠の障害 ○ 5。精神運動の障害(制止または焦燥)○ 6.疲れやすさ、気力の減退 ○ 7.強い罪責感 ○ 8.思考力や集中力の低下 ○ 9、死への思い ○ このうち、5つ以上が、二週間以上続いた場合に「うつ」と診断される。 私は最近、少し欝っぽいと思っていたが、全部○、全くの思い込みだった。 (1、の強いうつ気分)が、(少しうつ気分ぎみ)だけのこと。 何かガックリ?ときた。 4つが△なら、軽いウツとってもよいが。 高島忠雄や、小川宏の「うつ」の症状を聞くと凄惨である。 恐慌の時代、ある日突然に株と国債の暴落、それからくる経済麻痺が何時起きても不思議でない。 大部分の人にとって、生活環境が激変する可能性がある。 数年前の調査では、国内のうつ患者は250万〜300万人とされ、今では500万人の可能性も。 高齢者の大部分は、老人性鬱症という。 生老病死の問題が身近になれば仕方がないが・・人生の秋か! ・・・・・・・・ 2871、 構造改革路線の罪 2009年02月13日(金) 最近買った「文藝春秋・三月号」や、昨日の読売新聞に、構造改革推進派だった 三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏が、新自由主義からの「転向」宣言を寄稿している。 *まずは三菱UFJリサーチ&コンサルティングのブログに、彼のコラムが載っていたので、 要所をコピーしてみる。 「なんでも市場に任せるべき」「国がどうなるかは市場に聞いてくれ」という新自由主義的な発想に基づく「改革」は無責任だし、 危ないのではないかということを強調したいのである。実際、グローバル資本主義は巨大なバブル崩壊を招来し、世界経済に 多大の損害を与えたし、平等社会を誇っていた日本もいつの間にかアメリカに次ぐ世界第2位の「貧困大国」になってしまった。 そのほかにも医療難民の発生、異常犯罪の頻発、食品偽装など、日本の「安心・安全」が損なわれ、人の心も荒んできたように見える。 これを放っておいてよいのかという問題意識である。 新自由主義的改革においては、「個人の自由」を「公共の利益」に優先させ、 あとは小さな政府の下「市場にお任せ」すれば経済活性化が可能になるという考え方をとるが、それが上記のようなさまざまな副作用を 生んでしまった。したがって、「改革」は必要だが、それはなんでも市場に任せておけばうまくいくといった新自由主義的な発想に基づく 「改革」ではなく日本のよき文化的伝統や社会の温かさ、「安心・安全」社会を維持し、それらにさらに磨きをかけることができるような、 日本人が「幸せ」になれる「改革」こそ必要であると考えたわけである。そのための方向性はもっと勉強しなければならないが、 とりあえずは、「貧困大国」の汚名を返上する改革が必要だろう。底辺を底上げし、貧困層が社会から脱落していくのを防ぐこと。 このことが重要なのは、「日本の奇跡的成長の原動力であった中間層の活力を回復しないと日本の将来はない」と考えるからである。 日本が富裕層と貧困層に2分されてしまえば、社会は荒み、日本の良さが失われるだろう。 もう一つは、明治以来の中央集権体制を解体し「廃藩置県」に匹敵する位の大きな制度改革を断行することである。 中央官庁に集結した優秀な官僚が今度は疲弊した地方を再生させるために地元に戻り、彼らに自分の故郷が文化の 香り豊かな元気いっぱいの地域にする術を死にもの狂いで考えてもらう。 これくらいの大改革が必要だと思う。 ー以上だが、 彼は懺悔の書として「資本主義はなぜ自壊したのか」を出版したが、その巨大な「牙」が負わすであろう「傷」に 対する認識を持たないで、グローバル資本主義を更に押しすすめることが愚かであり、危険と指摘。 (字数の関係でカット2011年02月13日) ・・・・・・・・・ 2008年02月13日(水) 2506, 新・知的生産術 −1 ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆ 効率が10倍アップする 新・知的生産術 ―自分をグーグル化する方法 ー 勝間 和代 (著) ダイヤモンド社 本屋で何度か立ち読みをしたが、「自分をグーグル化する方法」という言葉が気になって思い切って買った。 買うほどの内容かどうかは人によるが、参考になる部分は多くあった。経済評論家・公認会計士として 活躍している著者自身が実践する効率的情報収集術だから、人脈形成術、読書術など説得力はある。 ・IT機器を自身の脳の補助に使い効率を上げ、 ・フレームワーク化・簡略化・階層化を駆使して絞込み、 ・原理原則を組み立てて、 ・GIVEの5乗で情報を共有し人脈作りに役立てるのは、情報化社会の流れを、そのまま実践した中で得た習慣であろう。 私自身、このHPを開いて、確実に10倍は知識のインプットと、アウトプットは増えた。だからどうなったということはない! ただ面白く、やりがいがあり、充実感があるから、現在もつづけている。その結果、この卑小な人間性を曝け出してしまった反面、 公開することで(私のレベルの)質を落とさないように維持をすることができた。その結果、「考えざるを得ない日々」 を作り上げたつもりが??・・で、この程度。私が著者から学んだことは、ともかく月に15万円の本を買い続けて、 1ヶ月に100冊の本を読み?、そして、それから得たことをギブの5乗の気持ちで与える姿勢である。 良質な情報源(実体験、他者体験、良書)から効率よくインプットし、各種手法(ピラミッド・ストラクチャー、MECE、 ブログ)にてアウトプットする。それを繰り返すことにより、自分の読み書き能力、情報処理能力が高める手法である。 「1%の本質の見極め」そこから「具体的な目標設定と目標達成のための 無駄の徹底的排除」の見逃せない習慣である。 勝間流1%の本質を見極める6つの技術 ・フレームワーク力をつける ・ディープスマート力で経験値を重ねる ・失敗力をつける ・ベストプラクティスの共有で学びを分けてもらう ・自分の価値を出せないところはバッサリ捨てる ・本代をケチらず良書を読む 『ノートパソコンがある・なしでは、カーレースを車で走るのか、徒歩で参戦するかの違いがある』は、 全くそのとおりである。奈良時代に、ジェットヘリの喩えと、同じである。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2007年02月13日(火) 2142, 世界で一番短い物語ーそれは名前 オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ! 「世界で一番短い物語ーそれは名前」、ある本を読んでいたら飛び込んできた言葉である。ん〜んそうっか〜と、唸ってしまった。 その人にもよるが苗字は何十代も渡って受け継がれ、名前は両親が愛する子供のために名づけた愛の結晶。その二つが相まって、 その人のブランドになっている。ただし、そのことに気づかないのは当の本人!そのブランドを一生をかけてつくり上げていくのが 人生である。その二つの重りで充分に物語である。何度も苗字が変わる人もいるが! 多くの物語があるのだから、それはそれで、 その人の人生である。 ジョン・F・ケネディー。この言葉だけで物語である。ジョンという名前が、そこでもう物語を含んでいる。 ケネディー家の父親がつけたジョン・F君という名付けに思いがあり、本人のジョンが一生かけて、自分の人生をつくりあげたのが 「ジョン・F・ケネディー」である。それは人の名前だけでなく、ファッションのブランドも、レストランの名前も、その名前の中に ある意味が物語をつくり上げていることになる。 子供の頃、自分の名前が嫌であった。しかし、歳を重ねるごとに自分の名前が 好きになってきた。自分の人生を気に入ってきたのと比例して好きになってきている。父親の名前が、堀井誠作である。 その名前が父の名前だけでなく私の物語の原点になる名前である。誠を人生をかけて作り上げた自分の原点である。私は人の名前を 直ぐに忘れる癖がある。フルネームを憶えるのは人間関係の基本である!はず。名前負けしている人もいるが、本人にとって重要な言霊。 人生で何十万回、いやもっと多く呼ばれる言葉である。それは自分の魂そのものと言ってもよい。子供の頃「ハッちゃん」と、 多くの人に笑顔で頭を撫でられたのが、人生の原点にあるようだ。それと同じぐらい殴られもしたが、武器は泣くことだった。 母が亡くなって、財産分与の話をしているときに姉に言われた「あの可愛いハッチャン、何処に行ってしまったの」と! 弟の分際なので心の中で、「あの優しい姉さんは何処に行ったの」人は変わるのです、しかし魂は変わらない心の芯の部分。 変わってはいないのだ。変わったのは魂の外側の部分。今日を機会に名前をしっかり憶えようか!(゚∇^*)ホンジャ、バイ! ♪〜 --------------- 2006年02月13日(月) 1777, わたしの「夢ノート」 −2 著者:中山庸子 出版社:三笠書房 (。・・)ノぉはょぅ♪ (字数の関係でカット2009年02月13日) ・・・・・・・ 2005年02月13日(日) 1412, 失敗学の法則ー読書日記 失敗学とは、事故や不祥事の原因を探る学問で、狙いは「再発防止」にある。 それだけでなく、それが逆に新しい発見を生むこともある。畑村氏が、この「決定版 失敗学の法則」の中で 「『うまくいく方法』だけを学んだ学生たちは、既存の技術のまねや、過去に起きた問題への対応は上手にできても、 設計の分野でもっとも大切な『新たなものを創造する』という能力がなかなか身につかなかた。 (字数の関係でカット2009年02月13日) ・・・・・・・・ 2004年02月13日(金) 1045、マ〜コー堀井正子に捧げる−2 ー姉の3回忌(3日前)の供養のための思いを書く。亡くなってまだ二年だが、もうズット昔のような気がする。 20代の頃、遊び相手に丁度良かったのだろう、大学時代は東京、勤めている時は京都、金沢と訪ねてきた。 観光がてらに遊びに来たのだ。12歳違いの姉というので、気が楽だったのだろう。亡くなる前年の5月に自宅に遊びに来た。 本人も、最後かもしれないという気持があったのだろうか。13時から17時近くまで4時間近く、一人話しまくっていた。 その時の写真を、当時このホームページのサロンに載せた。大手通の四つ角にいた頃のことや、亡くなった兄のことや、 手術のことや、現在の病気の状態を話していった。「大學を出てなかったことが一生に大きなハンデであった」と言っていたのが印象的。 特に芸大に行けなかったことが無念であったと。「取あえず父の死んだ71歳まで生きるのが目標で、あと4年は生きるつもり」 と言っていた。 まさか半年後に亡くなるとは本人は思ってなかったようだ。 「スキルス性(悪性)の癌ではないが、保険を有利にもらう為に、知り合いの医者が悪性の癌と診断書に書いてくれた」 と言っていた。その時ピンときたのは「実際にスキルス性ではないだろうか」という素朴な疑問であった。 数日後にすぐ上の姉に[直感だが、そう長く生きれそうもないから、理由をつけて、会えるうちに多く会って おいた方がよい」と電話をした。そして、その年の10月に再入院後、翌年の2月に亡くなってしまった。享年68歳であった。 長女と末弟ということで気が合ったことは事実である。半分は息子のような気持ちがあったのだろう。 昔から「A型、長女、ウエット、お嬢様」タイプの女性が好きだったが、今から考えるとシスター・コンプだったのだろう。 家内には結婚してからシスコンと言われてきたが。4人も姉がいれば仕方がない。 大人数の末っ子は、兄姉に苛められる?反面、それぞれの生き様を直接見ることができる。 先生の悪口や、恋愛話?結婚話や、色いろな噂などなどが聞いていて、それぞれ見ていて良く解る。 姉兄の中で、一番夫婦仲が良かった。長女と旦那が末っ子という組み合わせが良かったのだろう。 組み合わせも、夫婦の機微に大きな影響を与えるようだ。悪い例もあるが、具体的に書くと差支えがあるからを止めておく。 派手なカリスマを持った大姉御というのが正子さんの一生を貫いていた。自分のステージを持った、本当に面白い人であった! ・・・・・・・ 2003年02月13日(木) 680、自殺志願 昨日の朝のニュースで自殺志願を報じていた。インターネットで知り合った若い男女3人が自殺をしているのが発見されたという。 インターネットの検索で自殺志願のキーワードを入れてみたら、あるホームページに、すばらしい文章が載っていた。 以下をコピーしておこう。 ・・・ 私は死に場所を探していた。脱サラして始めたラーメン屋も、思うように上手くいかずに借金だけが残り、 40を過ぎてやっと手に入れたマイホームも、結局、手放す羽目になってしまった。働き口も、そう簡単には見つからない。 妻も私に愛想尽かして家を出て行き、弁護士まで立てて離婚を迫ってくる。子供達も皆、妻の味方だ。今の私にあるのは借金だけで、 他にはもう何もなかった。夢も希望も、明日を生きる気力さえ残っていなかった。「ここにしよう。」私は、自殺の名所で知られる、 断崖に立っていた。ここから飛び降りれば、簡単に死ぬことが出来る。一歩、足を踏み出せば、もう苦しむ必要はない。 日が沈むのを待って実行する事にしよう。沈む夕日は、私の心を穏やかにした。そして、この夕日が消えた時、私も人生を終えるのだ。 最高の演出じゃないか。「おい!」 私はビクッとして振り返ると、一人の老人が立っていた。顔を見て、更に驚いた。 「親父!」夕日のせいで、ハッキリとは見えないが、間違いなく親父だった。10年も前に死んだはずの親父が、何故こんなところに いるのだ?「そう見えるか。」親父はそう言いながら、私に鞄を差し出した。「5000万円入っている。使え。」 私は訳が分からなかった。 夢でも見ているのだろうか?「これは貸すんだぞ。20年後に、ここに返しに来いよ。 まったく金のせいで命を捨てるなんて、バカらしいと思わんか。」 夕日が沈み、辺りが暗くなると、親父の姿はもう消えていた。 だが、札束のギッシリと詰まった鞄だけは確かに残っていた。それから私は、その金で借金を返済し、一生懸命に働いた。 親父との約束を果たす為に。妻とも一度は離婚したものの、数年後に復縁した。子供達も結婚して幸せな生活を送っている。 そして、瞬く間に20年の月日は流れた。私も70を過ぎ、物忘れが多くなったものの、親父との約束の日が今日だという事は、 ハッキリと覚えていた。私は必死で働いて貯めた金を鞄に詰め込むと、あの時の断崖へと向かった。約束を果たす時が来たのだ。 丁度、あの時と同じような夕日。本当ならもう死んでいたはずの自分が、こうやって、またここにやって来た。 何やら不思議な気分だ。そして、親父はまた現れるのだろうか。夕日が海に沈み始め、辺り一面がオレンジ色に染まる。 その中で座り込んで沈む夕日を見つめている男の姿が見えた。すぐに分かった。親父ではなく20年前の私がそこに座っていた。 ー感想を書いてみるとー 父親が現れて与えた5千万円は希望・意志ではなかろうか。「20年後に約束どおりそこに行くと、若いときの自分がいた。 (字数の関係でカット2011年02月13日) ・・・・・・・・ 2002年02月13日(水) 330,真実の時 闘牛に「真実の時」という瞬間がある。闘牛士が最後の止めを刺す瞬間、牛もそれを悟り最後の力を振り絞って突進しようとする その「一瞬の間」ーこれを「真実の時」という。葬式の火葬場で最後に釜に最愛の人を入れる瞬間もそうだ。 最も親しい人との別れの瞬間もそれだ。何回見ただろうか。いや両親の経験をしている、叔母も。昨日もその場面を経験した。 感動の絶頂の時もそうだ。バンジージャンプの落下している瞬間もそれだ。純粋に泣いているとき、笑っているとき、 怒っているとき、そして悲しんでいるとき、そして楽しんでいるとき、感動しているとき、をいう。 ・・・・・・・・・ 2月13日 1969年 11時に学校にいく。兼古と昨日の件で先生と話した内容を話す。彼とは1〜2年の時親しかったが、 このところは何か気持が通じなかったが、何か以前の感覚になっていた。兼古とも、これが最後の話になるだろう。 一度だけの人生で、本当によい学生時代をおくれたことだ。
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2011年02月12日(土)
八百長事件は昔から深い闇に包まれてきた。 ウキィペディアに、その一端が書かれている。 あの名解説の北の富士に以下の恐ろしい?過去があった。初場所では八百長に関しては歯切れの悪いコメントをしていた。 ≪橋本 成一郎(1940年 - 1996年4月14日)は、元大相撲力士で、元横綱・北の富士の現役時代の名古屋後援会副会長、 元関脇・高鐵山の大鳴戸親方が経営した大鳴戸部屋の後援会会長。 元力士で力士時代は幕下まで昇進したことがある。 廃業後はバーやキャバレーを経営し、昭和40年代には北の富士の名古屋後援会の副会長を務めた。元大鳴戸親方の著書によれば、 第52代横綱・北の富士の横綱昇進・優勝では八百長資金面などをバックアップ。 黒幕として暗躍したとされ、 多大な尽力があったとされている。北の富士と決裂してからは、独立した元高鐵山の大鳴戸部屋の後援会会長として大鳴戸部屋の 最大のタニマチとして存在した。 週刊ポスト誌上では、元大鳴戸親方とともに角界の八百長体質などの裏事情を暴露。 しかし、1996年に元大鳴戸親方と同じ日・同じ病院・同じ病気(肺炎)で死亡(同時刻とされることも多いがこれは誤りであり、 元大鳴戸は午前4時45分、橋本は午後7時48分に死亡している。≫ この事件は報道規制のためか? あまりマスコミは騒ぐことはなかった。しかし誰もが、この事件は不可解であり、 何?がらみと思っても、声を高くいえない不気味さが付きまとっていた。先日、地元紙の新潟日報で取上げていた。そこで、 優勝のかかった勝負は230万円で、橋本は、これまでいくら使ったか数知れずという。何で橋本が告発に踏み切った理由は 感情のもつれである。北の富士は潔く早々、弟子の千代の富士に親方の座を譲った背景に、こういう事件があったのである。 興行世界の一端が垣間見れる。 ・・・・・・・・ 3245, アメリカ一極は終了したのか? 2010年02月12日(金) 欧州のユーロが、ここにきてジワリと下げてきて、1ユーロ120円割れ直前で数年前の三分の二である。 PIIGS(ポルトガル、イングランド、イタリア、ギリシャ、スペイン)といわれている国も破綻懸念。 その上に、中東欧のルーマニア、ハンガリーなどの危機もある。ドバイのバブル破裂の今後も、どうなるか先が見えてない。 日本も異常な財政赤字で、国家も経済も疲弊しきっており、いつ経済の底割れが起こるか分からない事態である。 今年は欧州か日本が発火点になる可能性がある。 ところが発火点のアメリカは大きな変動がみられないのもおかしな話。 彼等は不良債権を発行し世界中から過剰輸入をしたが、その見返りはドル札とアメリカ国債、それと怪しげな債権を発行しただけ。 発行残高の数字が増えただけで、いざとなれば踏み倒せばよい。支払ったドルも、行き場が無いのでアメリカに戻ってくる仕組み。 リーマンショックからの金融恐慌で「アメリカの一極体制が終焉した」と思っていたが、経済雑誌に欧米の数人の学者が、 ≪経済の寡占化には、歴史的にみても必ず軍事的な圧倒的な優位が必要で、アメリカが、いまや圧倒的な軍事力を有している。 特に海軍の戦力の影響が大きく、地勢的に見てアメリカは大西洋と、太平洋に面しており、その海軍力は世界で圧倒的に強い。 中国はもちろん、ロシアも、欧州も、どこも、その力は無い。 その力を背景に、今後ともアメリカは世界一極の中心で ありつつける」≫ というのだ。 大英帝国をつくった英国も、当時は大艦隊で世界を圧していた。スペインも同様である。 世界が不安定になるほど海軍力がものをいう。 海軍力の上に、さらに圧倒的な空軍も、核弾頭もある。中国と2G体制など、 おこがましいというのが、アメリカの本音。 日本など、隷属国でしかないのは自明のこと。その暗黙の上で、世界が成り立ってきた。 ところが、この世界恐慌でアメリカ一極体制が本当に終わってしまったのだろうか。それとも圧倒的な軍事力と情報産業で、 その主導権を持っている強者の立場が、これから続くかどうかの見極めである。残念ながら、続くのではという論に一理あるようだ。 アメリカ一極支配は、まだ始ったばかりか?それとも飛躍的情報革命の進行は、それさえ呑み込んでいくか?その辺が面白いところ。 この数年が見ものなど、いっていられないか。 ・・・・・・・・ 2870, 北半球のミツバチの四分の一が失踪 2009年02月12日(木) この日曜日の毎日新聞「今週の本棚」の書評 「ハチはなぜ大量死したのか」ローワン・ジェイコブセン著-に驚いてしまった。 (内容はYahooにコピー)これによると、 2007年の春までに北半球のミツバチの実に四分の一が失踪したという。 結論からいうと ーこの「蜂群(ほうぐん)崩壊症候群」の原因は単一でないが最大の背景は工業化された農業。 不自然な管理がハチたちに強いストレスを与え、免疫抵抗性を弱め、ダニやウィルスに対する防御を弱めたのである。 そこに農薬の複合汚染が重なり、精密な社会生活を営む巣全体の活動をいわばアルツハイマー状態に陥れた。 病み疲れた働き蜂たちは、採餌の出先で倒れ、巣には戻れず、ただ死んでいった?・・・ ー それは「もう一つの人間社会を見る思い」と著者は人間の姿に重ね合わせている。管理され、同一の花畑だけを移動されて、 蜜を取らされて、毒(農薬)まで摂取していれば、当然の結果。自宅で十年ほど前から、ハエと蚊を見ることが少なくなった。 夏になると町内単位で各家の庭に毎年薬の散布をしているのが影響しているのだろう。それと近くの河の中に堆積した土砂を 徹底的の運び出したこともある。散歩していて虫の数が激減してしまったのである。ハチの姿は都会で働いている人を 冷静に見れば、酷似している。管理され、会社と自宅という箱の間をラッシュの電車で移動する毎日。 それが都会人のカッコよさと共同幻想をもって生きて、定年で初めて働きバチだった己に気づく。 一年間、気温良好なオーストラリアで蜂蜜業を初めたが、大失敗をした内容を書いたことがあった。 四季の変化のストレスが無いことと、冬のために蜜を蓄える必要がないため蜜を採らなくなったのである。 都会でノイローゼ、自殺が問題になっているが、自然に触れる機会が少ないのも原因だろう。 この大恐慌も、あまりに不自然な現状を考えるチャンスを「大自然」が与えたのである。 ・・・・・・・・・・ 2008年02月12日(火) 2505, 将来の不安−5 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆ 現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、 「何が不安?」と笑ってしまうだろう。イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。 十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、 「イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。 兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。 アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、あのような事件は呆れる以前である」と語っていた。 社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果。アメリカの心理学者のシーベリーは「不安は、否定的な 結果にすべての注意を向けること。 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」 「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に考えることである」という。 あらゆる不幸を背負うなど思ってしまう。不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。 だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。その世間とは何か?と考えると、 身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。夢を常に持ち、 一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。 自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった 人間の不安を麻痺させることは出来ない。逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか? それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい! 直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。あとは野となれ花となれ!しかないだろう。 不安など恐れることもない!宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。ヾ(´∀`o)+。 ホナ!それじゃ、 一人不安にさい悩まされている。 ‘一人プアー チャン’ バイバイ (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記) ーーーーーーー 2007年02月12日 2141, 中年の心象風景 −2 (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 サム 藤沢周一の『海鳴り』を4~5年前に読んだとき、中年から晩年にかけてのある初老の男の心情が切々と語られている世界に ドップリと引き込まれてしまった。そこには、この時期に忍び寄る老いと死の影が最後の輝きの背後に描き出されていた。 そこで感じ取ったのはピカピカではなく、人生の落雷のズッシとした閃光の光である。 ーまずは、その中の一節を幾つか書き出してみる。 {40の坂を越えたころから、新兵衛の胸にある不思議な感覚が生まれた。ある時期を境にして、自分が老いの方に身を 置いてしまったような感覚である。これまでも考えもしなった、老いとその先にある死が、いやに明瞭にみえた。 その見えて来た老いと死に、いくらかうろたえていた。まだ、し残してことがある、と思った。その漠然とした焦りと、 ひとの一生を見てしまった空しさに取り付かれ、酒と女をもとめてしきりに夜の町に駕籠を走らせた。新兵衛は47歳である。} さらに次の一節 {汚いことけがらわしいことは避けては、生きていけない世界に、大人は住んでいる。 商い、女、世間との付き合い・・。そういうものの間を大人は時に人を出し抜いたり、だましたり、本心を偽ったりして 辛うじて泳ぎぬくんだ。そこには大人の喜びがないとは言わないが、その喜びは時には罪の意識にいろどられ、 大方は正視に耐えない姿で現れてくるのである。そういう不純の部分を抱え込むことで、大人の世界は成り立っているのである。} {一家を背負うというものは、家の中に多少の不満があってもじっとこらえ、 こわれればとりあえず繕って、何度でもそうして辛抱強く家を保ちつづけるものなのだろう。} ーー 中年期から晩年期かけては、色いろな決別、絶望、諦め、挫折、喪失が怒涛の如く襲ってくる、その中で肉体としての衰えが 一日一日と実感し、気持ちも大きく揺れ動く時期である。ハッピーリタイヤなど、奇麗事であり、どちらかというと石もて 追われる運命は誰もが遭遇しなければならない運命である。その時、自分の人生の大きな問題に直面せざるを得なくなる。 そして60歳の頃、大きな初老性の鬱病を向かえるのである。結局は人はそれまで自分が生きてきたようにしか生きていけないもの。 それが家系として子孫に受け継がれるから、好い加減な行動はできない。そのジレンマの中で多くの問題を引きずりながら生きて いるのが中年期といえる。しかし人生で一番よい時期が中年期である。仕事は面白いし頭も冴えており、心も充実している時期。 世界は大きくドンドン開けていき、それまで蓄積してきたエネルギーが外に向かい開放される時期で、何もかもが面白いのである。 季節としては秋、人生の収穫期で、秋祭りの時期である。老い?、そんなもの!という気持ちで楽しむ時期でもある。 藤沢周一の中年の心象風景も、私の主観が入るとめちゃめちゃになるが、やはり奥さんとの絶妙な関係が 背景にあるのだろう。しかし、少し暗いが主人公の豊かな立場の設定が中年男の欝気分を上手く描き出している。 ー出版社のこの本の解説がよい!ー はじめて白髪を見つけたのは、いくつのときだったろう。骨身をけずり、果てにむかえた四十の坂。 残された日々は、ただ老い朽ちてゆくばかりなのか。…家は闇のように冷えている。心通じぬ妻と、放蕩息子の跡取りと。 紙商・小野屋新兵衛は、やがて、薄幸の人妻丸子屋のおかみおこうに、果せぬ想いをよせてゆく。世話物の名品。 いずれにしても、人生は甘塩っぱいものである。一度だけの人生じゃけん、 味わなくっちゃ骨まで!ただし家庭が基本である。 特に連れ添いとの関係は! ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪ ・・・・・・・・ 2006年02月12日(日) 1776, わたしの「夢ノート」 −1 (o゚▽゚)o オハョ〜 読書日記 週に一度はいく書店の文庫本のコーナーで、前より気になっていた本であったが「今さら夢でもないだろう!」 と思い、買わなかった。しかし最近年齢のためか、過去回顧に重点が行き過ぎているので「あと10〜20年間の夢づくり ー予定づくりのためにも」と思い買ってみた。(値段が350円ということもあったが)買ったと同時に利用価値が 多様にあることと、この本の奥行きの深い価値に気づいた。夢を書くことは前向きの言語の構成をすることである。 (字数制限のためカット 2010年2月12日) ・・・・・ 2005年02月12日(土) 1411, LOVE&FREEー世界の路上に落ちていた言葉−2 「求めよ、さらば与えられん!」が、人生である。この著者の生き方の中に、それがはっきりと見て取れる。 「何故、人は求めないのか?」、それは一般常識とやらに囚われているからだ。この題名のFREEは、一般常識からの自由と、 自らに由るという意味である。この本の中に以下の文章がある。オマエハ ナニガ ホシインダ? それに答えられない人は、 旅は続けられないぜ。これはズバリ、それを言っている。何が欲しいのか、何を求めてよいのか解らない人は旅を続けられない。 そのナニガ ホシインダという根本的問いかけを曖昧にしているのだ。 次の言葉もよい、 〜あるハワイアンの言葉より〜 「自分の魂が本当に満たされるというっていうのは、どういうことなのでしょうか?」 「それはね、自分が本当に何をしたいのか、何をするためにこの世に生を受けたのかを知ることです。 いくらお金を持っていても、いい仕事を持っていても、自分の魂を満足させられないと、病気になったり、 悪いことを引き起こしたりしてしまいます。いろいろな辛い体験を踏み、苦しい体験を経てこそ、その中から自分にとっての 本当の幸せを学びとることなのです。」「だから、本当に必要なものを見つけるまで、魂は旅を続けます。 ただじっと待っていても幸せになれません。また不必要なものを捨て去ることができなくては、新しく得ることができません。 (字数制限のためカット 2011年2月12日) −− ーこの著者の本から受けた感想は、はっきりと自分の欲しいものを見つめ、覚悟を持って始めれば、何ごとの中にも 一番重要なことが見えてきて、それを選んでいけば、シンプルになっていく。それが、自分の生き方のできる人だ。 ・・・・・・・ 2004年02月12日(木) 1044, 職業性格形成論−2 「職業性格論は一理あるかもしれないが矛盾も多い」と考えられる。確かに大雑把な論である。警官を例にとっても、 彼等にも色いろな性格もある。それはどの職業の人にもいえることだ。といって職業の性格形成に対する影響は大きい。 「職業の特性」と「本人の特性」とが、掛け合わさレて「職業性格」ができあがると考えると納得ができる。 その意味で、会社を選ぶのではなくまずは職業を選ぶべきである。その掛あわせがポイントになる。それが悪いと、 自分の特性が引き出されない。人間の性格は、両親や地域や兄弟の順位などが複雑に絡み合って形成されている。 したがって一概に一括りにはできないが、両親・兄弟姉妹・連れ添いと、選んだ職業は大きな要素になる。 (字数制限のためカット 2011年2月12日) ・・・・・・・・・ 2003年02月12日(水) 679, イヤなやつー2 ー良い人と偽善ー 先日書いた河盛好蔵の文章をから「イヤなやつ」の要素は以下である ・他人の幸福より不幸を喜ぶ感情の悪さがある。 ・自分ではできるだけ怠けて、人をはたらかせ、その功を自分だけで独り占めをしたいというズルさと、欲の深さがある。 ・権力者にはなるべく逆らわないで、 進んでその権力に媚びようとする卑しさがある。 ・自分に寛大で、他人には厳しくって、エゴイストの部分が非常に多い。 ・ケチで、感情高くって、他人の不幸にそ知らぬ顔をする。反対に「良い人とは如何いう人か」を考えると ・他人の不幸を悲しみ、幸福を共に喜び ・自分に厳しく、他の人より多く働き、その功を他の人に与え ・感情は常に冷静である 十数年前に経営セミナーで聞いた、香港の財閥と結婚後死別してオーナーになった日本人の女経営者の心訓を思い出した。 「人には優しく自分に厳しく、いつもニコニコと、人に良かれと思って生活する事」であったが、 相通じるところが自省する言葉である。それを意識して生活をすれば、初めは偽善?だとしても、真善の人間に 近づけるのではないだろうか。その意味で「偽善を次善としてなせ」も一理ある。目先に都合のよい人が「良い人」も 確かに間違いがない。所詮「よい人、悪い人」というのは、このレベルのでしかない。でも「良い人」の方が、お互いに良い。 ・・・・・・・・ 2002年02月12日(火) 329、夢日記ー13 自己喪失感 こういう経験ー夢をみたことがありますか。「全く無能で白痴の何の取っ掛りのない自分」に呆然としている夢。 夢から覚めても、しばし呆然としている。 自己喪失感というか、虚空の自分を実感した感覚である。 それこそ「自己中心絶対無」でなく、・自己中心絶対無能、 ・自己中心絶対虚空 ・自己中心絶対自信喪失 何か聞こえてきそうだ! 「実をいうと、自分はその塊だ!」あの恐ろしさ! 独り社会から引き離され、 虚空をさ迷っている魂。 ある人に話したら「 自己喪失感というやつでないか」といった。 永年連れ添った人を失った人が経験するのが、あの夢の感覚かもしれない。 ・・・・・・・・ 2月12日 1969年 武澤先生に会ってもらって話を聞いてもらう。もしかしてと思い、自主留年の可能性も言ってみた。 しかし、あくまでも学生時代の郷愁に浸っているだけではないかとのこと。自己納得だけで、客観的ではないと言われた。 むしろ社会に出て、自分をぶつけたほうがズット良いというのも理解した。食事をご馳走になりながら何か説得されている ようであった。このところ、周囲にあまりに影響されすぎたようだ。 迷惑をかけたにしても、先生と一対一で直接話す ことは初めてだった。何か一人芝居をしているだけなのか。しかし真剣な一瞬であった。「いい歳をして」という思いが残った!
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2011年02月11日(金)
* 多数人数の末っ子は・・ 新幹線の帰路の車内で、少し離れた席からビールを飲んで話しているグループの一人の言葉にハッとした。 「自分は大人数の兄弟の末っ子のため何時も許されてきた。だから、この歳になっても、失敗しても、 争いごとが起きても、許されるのが前提と何処かで思っている。自分には末っ子の甘さが付きまとっている」という。 これは何か自分が常日頃思い続けてきたことを、誰かが代弁しているようだった。三つ子の魂は現在でも付きまとっている。 だから女性は親分肌の長女で、包み込んでくれるような人に惹かれる。ちなみに家内は長女で生意気だが、最後は赦してくれる? 常日頃、赦していただいて有難うございます。エッ、赦してない!我慢しているだけですか。よく見ると、長女と多人数の下の方の 次男、三男の組み合わせが多いのは自然のなせる業。逆に長男は次女、三女がよい?その辺を間違うと離婚が待っている。 ーー * 日本の政府は巨大か、それとも普通か? 以前より日本の政府は巨大か、それとも普通か?の議論がある。ここで民主党が政権をとったはいいが、 何の間違いで極左が政権の真ん中にきてしまった。学生のころの都知事だった美濃部の国政版が現在進行中。 3月か6月に自滅するしかないが、これを立て直すに時間がかかるだろう。そこで、果たして日本は世界の中で、 政府として普通サイズか、巨大なのだろうか? 二重構造で、実は世界で一番の水脹れの国家になっている。 そのため国家財政破綻直前のところに社会主義者が政権の中枢になってしまったから、何をかいわんである。 一般会計では決して大きくないが、特別会計という母屋の隣の離れが、母屋の5倍以上はゆうにある。 官僚と保守政権が数十年かけて国民の目に母屋しか見えないようにして、離れで使い放題。 早くいうと構造詐欺。 この財政破綻状態に陥っても何も変られない事態。 ここを捻って浮かした分を福祉にまわすと極左政権が公約をしたが、 離れの住人と官僚は、それを軽く明け渡すほど柔ではない。 その結果、財政赤字が更に悪化、最後のダメ押しをしてくれた。 その結果、それが大きな圧力として我われに襲い掛かってくる。IMFの元で再生を図らないと駄目になるのだろうか? ・・・・・・・・ 3244, 真の価値に添う生き方 2010年02月11日(木) 私たちは、中年以降のある時期を過ぎると「真の価値に添った生き方に転換する時期」がくる。 死に直面したり、身近の人の死で深い悲しみを経験したりして、永遠の中の自分の一生の短さを目の当たりにし、世間的な成功、 名声、欲望、快楽、豊かさなどの有限性など取るに足らないと思い、内向的になり、芸術、大自然の無限性、人間の心温まる邂逅、 真理への傾倒、思いやりなど、全く違う価値観に転換する機会を得る。 それまで、宗教や、倫理系の団体などが述べてきたことに 気づくといってもよい。仏教の経典にしろ、バイブルも、世間から離れた永遠の道理を説いている。 世間の認める属性に ガンジガラメの人にとって、その転換は仙人の様に見えるのだろうが、属性は永遠の中では虚飾であり、何の価値も無いことなど、 義理で参列した葬式でさえも気づくことである。人間の命そのものより大事なものがあるとすると、相手に無条件で与える愛であり、 犠牲になる勇気であり、誠実性そのもの。 それに気づくかどうかが、中年期に、大きな危機を経験し、永遠の存在、 宇宙から一歩踏み出し、その外から自分の意識を冷徹にみるイメージを瞬間でも経験できたかどうかである。 私も人生の危機を何度か経験してきたが、その時に、以上のような、何が大事で何が重要でないかを、見極めて、 敢えて世間的な価値を求める視点を持ったこともあると、いえば嘘になるが、そこまで考えつくして魂を入れないと事業など 立ち上げることなど出来ないことも事実。 だから、ある時期から秘境・異郷ツアーに嵌ってしまったのは、そこでの見聞は、 普通の時間の中から一歩外に出て、世界の大自然と、遺跡、芸術、風俗に接することで、日常の価値観が砂粒でしかないことに 気づくことである。 些細な世間は必滅であり、大自然や、芸術、愛、誠実性は、不滅であるということが、短時間としても、 錯覚?としても見て取れるからである。 だから、中年以降は、読書といえば、自然と哲学書に惹かれていくのである。 また、好きな音楽に没頭する時間とか、映画鑑賞も、永遠を直感する契機になるのである。 日常という世間の中で我われは生活をするために、必死に同じ行為をアクセク繰り返す。 それは、何故だろうか。 その繰り返すことが、目的になってしまっているからである。 そして、その日常に質が小さな世界の中で少し良いことに満足し、 少し下の人を卑下し、上の人に嫉妬をしているに過ぎないのである。 その中でも、永遠に接することの出来る時間は幾らでもある。 一歩外に出て、近くの森に早朝行ってみるとか、自転車で川のほとりで日の出を見るとか、週末に畑いじりをしたり、 数えればきりがない。 してないのは、日常にドップリと浸かりすぎということに気づいてないからである。 ・・・・・・・・ 2869, 閑話小題 2009年02月11日(水) * 内閣不支持が14パーセント 朝日新聞の全国世論調査で、内閣の不支持が14パーセントという。居座れば居座るほど支持が下がる理由を本人は分からないのだろう。 比例投票先は自民が42パーセント、自民が22パーセントの結果は当然のこと。解散をすれば惨敗だが解散を引き伸ばすと不支持が 拡大していくから、小泉でも担ぎ出して、半分近くが党を割って出て、その後連携する位しか手が無いが、それさえ出来ないのが現状。 地に落ちた自民党が利権を守るためには、その位のことをするだろうか? そんな玉など、居るわけな? * インフレエンザ予防で「家族の帰国指示」 見捨てて置けない記事があった。 昨日の朝刊に「パナソニックが鳥インフレエンザの世界的流行の危険が増したため、欧米とオーストラリアなどを除く駐在員家族の 9月末までの帰国命令を出した」と報じていた。私らの知らない情報があるのだろうが、何か危なくなってきたことは間違いない。 爆発的流行の一歩手前ということは、間違いなさそうだ。どうなるのだろうか? * 野村證券の株価が5百円割れ 野村證券の株価が5百円割れと新聞にあったので、ネットでチャートをみてみた。10年前の7分の1、2年前の6分の1、 リーマンショックから3分の1になっていた。日本がバブル時代には、アメリカの投資銀行と類似したことをしていた報いである。 アメリカの債権も売りさばいていない訳がない。 最近は日本国債を売っているというから・・・ 彼等の手は、担当が替わったという 誠実そうな手書きの文を送ってきて営業にやってくる。ネット証券と、過去の悪行?のため、信用はゼロに等しい。 存在そのものが、必要悪。 なら、近寄らないことである。 アメリカの消滅した投資銀行と何処が違うというのだろう! ・・・・・・・・・ 2008年02月11日(月) 2504, まっ、いいか! (。・∀・)ノ゛おっは〜 最近、独りで「まっ、いいか!」と呟くことが多くなっている。年齢の為だろうと思っていた。 そこで検索で「まっ、いいか」と入れたら、 「まっ、いいか」と言える子を育てよう 協調性のある、柔軟な心の育て方 諏訪耕一/著 という本が出てきた。 [要旨] 本書では、子どもに柔軟な心を育てるための心の成長段階に応じた接し方のポイントを、幼稚園・保育園や家庭での27の事例を 通して具体的に紹介します。子どもの理解に必要な、子どもの心の成長の段階や環境との関わりについてもくわしく説明します。 [目次] 第1章 子どもの「心」の成長と環境(心は育てられる? ;子育ての移り変わり―子どもの育ちをうながす環境;心の成長表 ;心の成長に応じた「柔軟な心」を育てる接し方) ;第2章 子どもに「柔軟な心」を育てる具体的な接し方 (乳児期―誕生から十二〜十八カ月ごろまで ;幼児期(前)―十二〜十八カ月ごろから三〜四歳(第一反抗期)ごろまで ;幼児期(後)―三〜四歳ごろから六歳ごろまで ;児童期(前・後)―六歳ごろから十四〜十五歳ごろまで) これを読むと決して、マイナスの言葉ではなく、むしろプラスの言葉のようだ。決して良い状況ではないが、何とかなるさ! という陽気さ、目の前の事態を、そして運命を受け入るよう諦めと明るさを感じる。上記をみると柔軟な心と いうことになるが、好い加減な言葉にも思える。好い加減な心」が良いのかどうかわからないが・・・・ ^^^^^^^ この文章には、大きなドンデンカエシがある。実は、同じテーマで八ヶ月前に書いていたのである。 全く忘れていたが、何か書いたことがあるような?気がしてHP内の検索を入れたら、次の文章が出てきた。 その文の類似に我ながら驚いている。(あたり前だろう!) それにしても、なんじゃい!これで同じテーマを忘れて書いてしまったのは、3回目? 2500も書けばな〜 まあ、いいか! ーーー 2007/06/06 2255, まあ、いいか! ヽ(★>з<)。o○ オ〜ハヨ この随想日記の中に数十回以上?も「まあ、いいか!」といっている。そこで、検索に「まあ、いいか」と入れたら、 その題名の本が数冊も出版されていた。自分を慰める言葉で、私の常用語「あ〜あ!」の言葉の裏に含まれている。 「あ、しまった!」の「あ!」とは、仏教語で「許し」が入っているという。それを延ばしたのが「あ〜あ」か、これは屁理屈である。 「まあ、いいか!」は、「私は私のままで、仕方がないだろう」ということになる。 ゜≫q(´I`●) マアマア! 「まあ、いいか!」の前後の言葉として、「しょうがない」「なんとかなる」「こんなものか」が出てくる。 イライラしたり、落ち込むようなミスをした時、目を瞑って十回ほど心込めて「まあ、いいか! それがどうした」 と唱えれば、7割かたは気持ちが軽くなる。「あ〜あ」「で、どうした」「まあ、いいか」は、瞬間の癒しの三言。 しかし、ものごとを突き詰めた後に使っている分にはよいが、最初から、この言葉が先に立つのも問題である。 「中途半端な、あの人」になってしまう。金沢に「まあ、いいや男」というアダナの先輩がいた・・・・ バカ?の常套語にも成りえる言葉でもある。何でも使う人間次第だが、この言葉は特にそうである。 ーあるHPに、このような詩があったー *まあ いいか まったくもー、しょーがないヤツだなぁ まあ いいか。 俺も どーしよーもないヤツだしまったくもー、しょーがないヤツだなぁ とりあえず 俺のほうから謝るよ 傷ついたのは おたがいさまだし もし君が 俺をまだ許してなくて 謝ったとき 素っ気ない態度をとっても 俺は一人つぶやくんだろう 「まったくもー、しょーがないヤツだなぁ」 ク〜(”>_<)っ★( ーー 他に「まあ、いいか」に対して次ぎの言葉があった。 成長は悩まなくなることではない。成長すればするほど悩みはむしろ 深刻化していく。しかしうまく共存できるようになっていく。光を知れば知るほど闇も深くなっていく。 しかしどんなに深い闇でも、一筋の光さえあればやっていけることを知るだろう。 ( ̄ω ̄;)!! ーー 暗い闇にこそ「まあ、いいか」という一筋の光の言葉が輝くのだろう。「ところで、私の人生とは何だったのだろうか?」 「まあ、いいか! 今さらしょうがないもんな〜!あ〜a!」 バイ☆(^∀^)ノ~~ ・・・・・・・・・ 2007年02月11日(日) 2140, 幸福はキラキラと輝く瞬間 「藤沢周平に学ぶ」月刊『望星』・編 −読書日記ー ー人間の成熟にかかわる『人生の充足感』ー 山田洋次監督の映画は「男はつらいよ」の48本と、その他の映画の最近のものは殆ど観ている。彼が「男はつらいよ」についての TV特集などで渥美清を語る座談で、多く聞いてきた。 しかし、どういうわけか彼が書いた文章は殆んど読んだことはなかった。 ところが藤沢周平についての評論を24人集めた「藤沢周平に学ぶ」の冒頭の「藤沢作品を映画化して想うー人間の成熟にかかわる 『人生の充足感』」の評論があった。彼は幾つか藤沢の映画を撮っているだけあって、心打つ内容である。人生で誰もがキラキラ 輝いていたのである。そのとき!は。まずは、彼の文章の一節から・・ **幸福とはキラキラと輝く瞬間を持つこと!** いまの30歳代くらいまでの若い人の特徴は、子ども時代の体験があまりに貧しいということではないでしょうか。 団塊の世代までは、野原や川原で大勢の友達と遊ぶ楽しさを知っています。汗だらけになって遊び呆けて、日暮れどき、 仲間とアバヨと別れ、家路につきながら「ああ、楽しかった」という、身体の中が熱くなるほどの満足感。 そこには兄貴分がいて、喧嘩もあって、仲直りもあって、子どもとはいえ、小さな世界の秩序があった。 字数の関係でカット(2009年02月11日) (⌒▽⌒)/"”さいなら! ・・・・・・・・ 2006年02月11日(土) 1775, おひとりさまー2 ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。_ 米国はペア社会で、週末などの一人の食事は異様にみられ「誰にも相手にされない女性」と受け取けとられる。 「おひとりさま」は、最近出来た日本特有の言葉である。いい歳をした女性がホテルのバイキングランチなどで群れているのも異様。 一人での観劇や食事や旅行など慣れてしまえば行動範囲が増える。また思考(自己対話)の範囲が広まる。 「おひとりさま」という言葉は岩下久美子著「おひとりさま」で流行した言葉である。著者は、東南アジアの旅行中に不慮の事故で なくなってしまったが、この言葉は、そのまま女性のあいだに生きている。女性は横の関係が強すぎて「個」の確立ができていないので、 一人で新規の店に入る訓練が必要になる。イケメン男に女性を独占され、さらに『おひとりさま』が定着したらその他の男達は、 ますます女性が遠い存在になってしまう。一人でいようが、ペアであろうが、グループで群れていようが、それは個人の自由である。 それぞれの性格もあるし事情もある。要は「和して同ぜず」で、自分を確立していることと自己を見失わないことである。 どういうわけか青年期の一人旅や、一人で飲み歩いたことはリアルに記憶に残っている。群衆の中の孤独を楽しみは、 都会の絶妙な味がする。 ☆ミ(o*・ω・)ノ バイ! ・・・・・・・・ 2005年02月11日(金) 1410, 新潟駅前飲食店事情 事務所近くに面白そうな全国チェーンの居酒屋が17日に開店をする。 「かっぽうぎ」という名前の店だ。中高年狙いの2000円の価格ラインの店である。 字数の関係でカット(2009年02月11日) ・・・・・ 2004年02月11日(水) 1043, 随筆はプロが書くもの! −3 6−文章のヘソ 一番大事なのは、書き出しである。そこで「つかみ」が重要になる。テーマで興味を持たせて書き出し部分でひきこむようにする。 テーマがピッチャーなら、ヘソの部分がキャッチャーになる。そして最後に捻りを入れる。書き出しと締めくくりの間に3っの キーワードを置くとよい。書き手は同時に自分の文章に対する「冷酷な読者」である。一年・二年前の同月同日の文章を毎日 貼り付けながら読み返し、文脈のいい加減さを自分で見て再び添削をすることがある。文脈の甘さを見るのは気持ちのよいものではない。 7−文章の訓 私の場合は、この毎日の日記が文章の訓練になっている。また一年二年前の文章も、最近になって添削を始めた。 一度書いた文章を何度も添削するのが私にとっての訓練である。重ねれば重ねるほど、短く良くなるから不思議である。 本当は良い文章をどんどん盗作するのが一番良い訓練になるというが。 そこまでは自分に要求していない。 8−文章の品格 文章は品格がなくてはならない。 そういわれると、どう書いたらよいか迷いが出る。 ただ具体的な下ネタとか、不快になるような話題は避ける。「それは・・・、彼の趣味」「これは私のおもてなし」とか、 こういうような体言止めはあまりしないほうが良い。まして一つの文章に二つ以上使うのは禁じ手である。 流行語とか紋切り型の言い方、いわゆる手垢のついた表現はやめておくこと。どうしても文章には、人格がでてしまう。 人格の悪い人は、ついつい悪口が出る。評論家で片っ端から政治家や経営者の悪口をいう人がいる。 当たっていればいるほど、その人の人格を疑ってしまう。批評は悪口になりがちである。 ストレス解消になるが、あとで読んでやはり反省をする。 9−文章とユーモア 品格に関係するが、ユーモアも大事な要素だ。ユーモアは、文章を楽しく読ませるための調味料のようなものである。 しかし、これを下手に使うと品格を失う。ユーモアは自分が楽しんではならない。 相手を楽しませるセンスが要求される。私の場合は、ブラックジョークになってしまう。 10−悪口は書くな 過去の文章を読み返していて悪口を書いた内容は、いい気持ちがしない。それが国家や社会であったとしてもである。 読み手の心の中は、誰も、決して嫌なことは読みたくない。良いこと楽しいことを読みたいのだ。書いていると、 ついついそのことを忘れてしまう。 目先書いていると楽しいが、やはり他人に曝すことになる。 ー以上目次に要点を書き足した。 普段の何げないことを、面白おかしく、品格をもって、そして味付けをして毎日書くことは そう簡単のことではない。 しかし、それでも書いていると止められなくなるのも事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年02月11日(火) 678, 聞く耳持たぬ人 字数の関係でカット(2008年02月11日) ・・・・・・・・・ 2002年02月11日(月) 328,マ〜コ −堀井正子に捧げるー マ〜コとは昨日亡くなった(4人いる姉の一番上の)姉・正子の幼少年期に呼んでいたニックネームである。 彼女の話である。 ー供養も含めて書くー 「声楽家になりたかった」が口癖であった。「家の犠牲になり、それを断念せざるを得なかった」とも。 プロのソプラノ歌手の「中沢桂」と高校の新潟県大会で負けたのが人生の分かれ目になった。兄がたてつづきに亡くなり家業の為 (婿養子の)芳朗さんと結婚。家族の間に立ち、気苦労をした一生だった。長岡社会から一歩も出たことがなく、その卑小性、 特異性を全く自覚できないのが特性。性格は自己顕示の強い、自分を常に「ヒロインにしたて演じている可愛い人」でもあった。 常に人に気を使い、その場を常にパフォーマンスで盛り上げる事に、全神経を使っていた。その面では母に似ていた。 「波乱万丈長岡版」の人生を充分に生きた。独り芝居のパフォーマンスを会話だけでなく、人生で演じきった。 人に好かれ、彼女の居るところは常にオーラが輝いていた。もって生まれた才能であろう。後半ー40歳過ぎは事業で失敗。 それからは音楽の先生として、200人を越える弟子がいたとか。好きなことを仕事にできたのが「彼女への神の贈り物」であった。 おそらく彼女のこと、あの世でも歌を歌い周囲を笑わせ、独り芝居を演じているのだろう。 安らかにお休みください! さようなら。 ・・・・・・・・・ 2月11日 1969年 14日の最終コンパの件で河村、石川、田口君のところへ電話をいれる。あと武澤先生に電話をする。現在の自分は混乱をしている。 今を支えるのに精一杯である。特に今年に入って色いろあったが、この数日その反動がきている。あまりに激しい一日一日の刺激的な 日が続いた。振り返ってみると、この二年間は自分の人生とって大きな分岐点の年になった。それまでの20年分を圧縮した二年間だった。
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