堀井On-Line



3348, 閑話小題 

2010年05月26日(水)

 * 何か凄い夢をみた!
 一昨日の夜半に、変わった夢を二つ立てつづけにみた。これ以上の不愉快がない夢をみた。これは不徳のなせること?
もう一つが夜空の星雲をみている夢である。 それが壮大なスケールで美しく今だかって見たことのないイメージ。
何かの宇宙映画の映像が頭の隅にあったのだろう。 神の目線のような、夢でしか経験できない内的な経験である。
もっと近づいて見ようとするうちに夢が終わってしまった。 宇宙に浮いて立体的に星座の星をみている夢は初めてだが、
こんなリアルで壮大な夢をみたのに驚いている。「アバター」や「2012年」をシアターでみたのもあるか。
3Dの映画やTVで、これに近いか、それ以上の経験もできるのだろうが。 脳の奥行きの深さを夢で知らされた思いである。
こんな夢をみるとは、お迎えが近いのかもしれないゾッとする内的経験であった。 内面は宇宙ということ? 
宇宙の境界線に実は我われの意識があるのでは? それとも、宇宙の外の視線?
夢分析?からみると、その不快な夢が、その前段階にあり、それからドロップしたのが、宇宙ということか。
 * 朝鮮半島の不気味!
 朝鮮半島が不気味な緊張感に包まれてきた。果たして米韓の陰謀なのか、アメリカの潜水艦が接触事故をおこしたか。
北朝鮮の攻撃だったのか、今のところ分からない。北朝鮮としたら、新通貨導入失敗の混乱の引き締めと、
後継者引継ぎの権力移行の計画的パフォーマンスとも考えられる。 実際に、この真相は何年か経たないと分からない。 
欧米諸国にとって、ここで戦争を起こして注意を向けて、その間に通貨切り替えをするに丁度良い事件。
中国が上海万博で動きづらい時期と、ワールドサッカーもあるから、ここが狙いどこでもある。 
イラクが片付き、次は北朝鮮かイランという順もある。アメリカにとっても、北の暴発を期待しているのか。
欧州の金融恐慌の広がりも含めて、だんだん、生臭くなってきた。
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2973,超円高社会
2009年05月26日(火)
 「超円高社会」 水澤潤著 ー読書日記
 この本は初めから終わりまで、たとえ話のオンパレードである。
下手な分析より、たとえ話の方が解りやすいことが多い。「まえがき」の一行目の冒頭から、
《 日本は世界のATMだと言われてきた。お金が必要だと思ったら、欲しいだけ、いくらでもニッポンATMから
ゼロコストで引き出しできるというのだから。そこで引き出された金は、みんな日本以外のところに流れていき、
世界中を潤してきた。21C初頭の世界的な好景気の原動力となったものこそ、実はニッポンATMがしゃぶしゃぶに
供給してきたキャッシュだったのである。アメリカ、中国、欧州、ロシア、インドが、産油国が好景気を堪能した。
しかしただ日本だけは、好景気から取り残され街角に佇んでいたのである。ニッポンATMからどんどんお金を引き出しては、
飲んで踊って、いい気分に酔っていた。 自分の銀行口座に残高ゼロなのに、ATMから無尽蔵に引き出しているとしたら、
それが本当にラッキーだったのだろうか。ゼロコストで借りたと思って引き出したお金には高い金利がついていた。
為替変動によって、数割も、ものによっては数倍にも元本額が膨らんでしまった。・・・ 》である。
 もう一つは、「おわりに」の政府を「一法人」に例えた話である。
《 政府は一個の法人に過ぎないと言う事実を見過ごして、「国民が1570兆円の金融資産を持っているから、
 1570兆円までは国債を増やしても大丈夫」などという戯れ言に、ウカウカと乗せられて国を誤ったのが、この結果。
町内に資産が16億円の資産家が住んでいたとして、そこに住む札付きの悪党が合計16億円の借金をしていいとは限らない。
悪党と資産家が同じ町内で住んでいても、別個の家計を持ち、独立した人間であるからである。
ところが、こんな滅茶苦茶のな理屈でも、成り立つ場合がある。 警察にも裁判所にも悪党の息がかかっている場合だ。
何をしようが、借金をチャラにするだけの力を持っていることが前提である。 悪党=政府が国民から資産を
脅し取る権利が前提である。それを知っている町内の人は誰も金を使おうとしない。ところが、悪党が改心をしないで、
上手くいくケースもあるのである。 町内が対象となる大規模再開発計画が明らかになり、いきなり投資資金が
流入し始めた場合が、これに当たる 》
 解りやすい例え話である。特に「まえがき」のニッポンATM論が、何とも上手い例え話し。
後者の方も、私もそう信じさせられていた。悪党が裁判所と警察とグルときているから絶望的である。
 町内の人もある日、その事実を周知する。それが何時か?近い。結果として株価暴落と、ハイパーインフレ?
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2609, サルトルについて、考えてみる ?1
 2008年05月26日(月)
              ..φ(ー ̄*)カキカキ_φ(* ̄0 ̄)ノオハ
 最近は、サルトルは人気がないが、私が学生時代は最も人気のある思想・哲学者であった。
サルトルといえば「存在と無」である。その中で説かれている「対自」と「即自」と「対他」
というキーワードがある。これらの言葉に出あった時の驚きを今だに忘れることが出来ない。
この言葉から「自分の裂け目」を言葉で初めて知った。
 ・そのままの存在が「即自」。 犬は己を犬と思わない。 自分が何者かを問わない存在。
 ・その己に語りかけるのが「対自」になる。自分が「?である」ことを意識して生きている存在。 
 ・そして、他人から「もの」として見られる存在という意識が「対他」。 
「実存が本質より先立つ」人間はまずは生まれて「存在」となる。その後に、それぞれの本質が作られる。
実存主義だが、サルトルは、 それで、「私」という殻から抜け出て「外に出よう」と....。 
この辺が学生時代の「私」の理解である。当時、これを読んでいるうちに少しオカシクなりかけた記憶がある。
先週は、面白いので手持ちの哲学書入門書の何冊かを引っ張り出して、サルトルに集中してみた。
なるほど大戦後に一世を風靡するだけのことがある。共産主義の理解者として、左派のイメージが当時あったが、
現在振り返ってみると、それほどでもない。 さて、この一週間で サルトルで思い出した知識といえば、
・「主体性」の哲学であること。
・デカルトは「あらゆるもの疑ってみた結果、疑っている自分、そのように考えている自分がいる、
 ということだけは疑うことが出来ないのではないか」と考え、「私は考える、ゆえに私は存在する」とした。
  それをサルトルは批判をした。 彼は「私が、何かを見ている」「私が何か考えている。」の
 「私」が疑問という。「何か考えている」は確かだが、「私」は振りかって「反省」をしていた時に生まれる対象。
 つまり反省している意識とは、意識自身を対象とする意識なのである。「私とは一人の他人」なのである
・人間は自由の刑に処されている。「人は何も決められてない投げ出されて、一から自分をつくりあげていくしかない。
 それが人間の「自由」である。投企とは、現在の自分を乗り越えるため未来へと 自分を投げ出していくこと。
 人生を前向きに生きていくことということである。
・アンカジュマン=自分の選択をする以上、自分の行動には責任を負わなければならない。
 と同時に、社会の未来に対して責任を負うべきである。
  ー 等々である。                   
       次回は、新たに知ったことを要約してみる。     ヾ(^ω^*)
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2007年05月26日(土)
2244, 耐震偽装 ー2
          ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!。
この本の、面白さは著者の藤田東吾がHPに時系列で記録を残していることである。
だから政治家や役人が奇麗ごとをいっても、その時やりとりした記録には真実の迫力がある。 
ネット上に事実が時系列に流れているからである。「安部首相が何で『美しい日本!』など言う資格があるというのか?」
と週刊誌に取りあげてあったが、これを読んでいると心底から同調する。魚は頭と尻尾から腐るというが、全くその通り。
藤田はパソコン世代なのである。会社のHPや自身のパソコンに詳細に成り行きをメモしていたのである。
文藝春秋が圧力?で、この本の出版から降りてしまった。しかし、彼は自費出版というカタチで世に問うてきいたのである。
人気ブログの「きっこのブログ」に、自分の書いた文章を寄せてきたのである。これで火がついたのである。
国交省の役人も思ってみない所から火がついてしまった。小泉と安部でしか、この隠蔽は指示・判断できないのは明らか。
そして、その安部が『美しい日本』などと、のたまっている。政治家を今さら非難するなど、意味はない。 
pー^263
 (字数の関係でカット2008年5月26日)      ーつづく    ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年05月26日(金)
1879, つれづれにー
                おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
湯沢のイナモト旅館が自己破産をしたと、先日の新聞に載っていた。
(字数の関係で中間カット2009年5月26日)
今日は、私の事務所のあるホテルで、[新潟県活性化を考える会]が開かれる。
14~5名の出席である。去年11月、東京で不動産鑑定士をしている大学のゼミの後輩から電話が入った。
卒業後、ゼミ出身者の会で何度か顔を合せていたが、それでも十数年ぶりであった。
この人は[道路行政に関する本]を出していて、数万冊売れたという。
(字数の関係でカット2009年5月26日)
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2005年05月26日(木)
 1514, 酒中日記        ー「酒中日記 」中公文庫  吉行 淳之介著    
何げなく図書館で借りてきた「酒中日記」が面白い。「小説現代」に連載された『酒中日記』のエッセイを集めたもの。
出版年は2005年だが、各エッセイは昭和41年からのもの。四十年前の酒飲みの交友であると同時に、文壇交遊録でもある。
ちょうど私が20代の頃で、東京、四日市、神戸、千葉、金沢、と転々としていた所々で、うまい酒を飲みまくっていた頃である。 
現在の私の年齢と同じ位の当時の作家達が、面白おかしく酒を飲んだ生々しい日記だから、更にひきつけられる。
30年?40年前の日記が、昨夜のように感じられるのが良い。さすがに作家の日記である。具体的に克明に、
面白おかしく書いてある。このように私も当時の酒中日記が書いてあったら、それぞれの懐かしさが具体的に記憶に
鮮明に残っただろうに、残念である。「金沢などの当時の人間関係を織り込んだ酒場でのやりとり」が書き残してあったら、
私にとって絶品の内容になっただろう!誰もが、酒で多くの気晴らしや、ほろ苦い出来事や、面白い記憶があるはずだ。
この本では、酒を通じての交友、華やかな祝い酒、酒乱とその翌日の後悔の時間、大酔しての活躍状況、
いくら飲んでも底なしの人物…… その他いろいろ、各種各様のタイプの酒にまつわる話が次々と出てくる。吉行淳之介から、
安岡章太郎、瀬戸内晴美、遠藤周作など、現代文学史に出てきそうな人たちから、山田詠美、吉村昭までの32人の作家に
よるエッセイだから、面白くないわけがない。「某月某日」で始まる(酒を飲むこと)をテーマに軽く書かれたが内容は生々しい。
「バーからバーへとはしごを続け、気が付くとパジャマで朝の新宿を歩いていた」とか、作家同士、昼日中に相手の家に押しかけ、
飲んでは人を呼び自分も出かけるという、「作家」イメージが見事に再現されている味ある文章が続く。
「朝、家で起きてみると、やはり目の前に大きな鬱のクマがいた。しかたなく、また死んだフリをする。」など、酒飲みの
何ともいえない心理を書いている作家もいる。銀座に遊ぶ作家たちの賑(にぎ)やかな酒もいいが、
京都逗留の水上勉の一人酒の話もよいものだ。創作の疲れか、女性問題の悩みか、花見小路や先斗町をフラフラと
飲み歩く姿が目に浮かぶようだ。孤影悄然とした水上の一番輝いている姿だろう。次に具体的に彼らの文章を書き写してみたい。
                ー つづく                   
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2004年05月26日(水)
 1149, ああ結婚! ー1
結婚について『随想日記』の中で、多くを書いてきた。長い歴史の中で一番多くのドラマが、結婚という結びつきの中で
生まれてきた。そのドラマは、多様で深遠で、いくら書いてもつきない。そこで、格言集の中から面白そうなものを
探してみたところ、あるある、とびきり深い奴が、いくらでもある。赤裸々な人間の本性が、結婚という名のもとに
あらゆるカタチで露出している。結婚前には、知らない方がよいことがあまりにも多い。そこにあるのは、相性と、忍耐と、
諦めと、思いやりである。以下のインターネットで調べた格言は、読めば読むほど男女の溝の深さを感じる。
と同時に人間の本質がそのまま、可笑しくも、悲しく顕れている。
一番こころ、うったのは、「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめだ!」 ーバイロンーである。
過去の亭主どもが、この言葉を殺意?を持って何度つぶやいたことか!女房も同じだが。
自分に甘く、他人に厳しいエゴイズムが、ぶつかりあう先ず初めての場が結婚生活だ。
手持ちのジョーク集の中に面白いものがあった。 実際にありそうな話だ。
 ー「こわい話」
男A「棺桶にテレコを隠しておいたんだ。‘おい開けろ!’って声がしたはずなんだが」
男B「奥さんビックリしたろうな!」 A「いや俺がビックリしたんだ!」
 B「なんで?」 A「昨夜はおくさんがひとりで通夜してたはずが、なんの騒ぎも起きなかったんだ!」
   ー面白く、深いから、ご覧あれ!!  それも何回も!
 ー結婚についての格言ー 
・女には、どうしてもわからないテーマが一つある。
 男は仕事に注ぐだけの熱情をなぜ家庭にそそげないのか、ということだ。  D・デックス
・女はみんな結婚するほうがいい、男は一人も結婚しない方がいい。   ベンジャミン・ディズレーリ
・男はみんな賭博師だ。でなきゃ結婚なんてしやしない。       フレデリック・リット
・あらゆる人智の中で結婚に関する知識が一番遅れている。     バルザック
(字数制限のためカット 2010年5月26日)         
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2003年05月26日(月)
782,ドイツが揺れ始めた
  (字数の関係でカット2008年5月26日)
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2002年05月26日(日)
 418,価値観の変遷
大学の同期のゼミの男が「価値観の年齢における変遷」を卒論のテーマに選んだ。「こいつ凄いテーマを考えたな」と
完成を待ったが、結局テーマ倒れであった。 時間がないということで、断念してしまった。
 ーそこで軽く短かい内容で、遊びで考えてみる。
1、中学まではやはり親の価値観にほとんど左右されている。
2、中学、高校は、自分に適した大学、高校選びである。マセタ子供なら緊急事態の性欲処理としての異性の確保であろう。
3、大学はそれまでの進学という目標から、基礎教養と,会社選びと職業選択の知識の収集である。
4、そして社会人。男の場合は、その集約として会社の仕事の把握である。
  そしてその中での出世がポイントとなる。女性の場合は、結婚相手の選択が大きい位置を占める。
6、そして家庭づくりである。家と子供育て、そして会社では自分の出世、事業ならその発展である。
7、・・・ そして最後は「ころりと死にたいと望む老人の切なる願い」以上のようなことが、その年齢でどんどん変化していく。
 以前書いた人間の7年・8年の周期説がある。その周期ごとの価値観の変更とも考えることができる。それを受身でなく、
 積極的に自ら変えていく時節。どんどん変わっていく価値観と変わらない価値観がある。そして地域によって違う価値観がある。 
 その年齢ごとの欲望の変遷でもある。56歳ー7年説から考えると、8*7=56歳で変身の歳・時節にきている。
 価値観の再検討、いや今の変えるべき価値観からの脱皮の時節という事か。
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 2001年05月26日(土)
[32] 34年ぶりの文章化
欧州1周旅行(印象記)欧州1周 ー 1967・07?
 デンマーク(コペンハーゲン)・スエーデン・イギリス
・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・タイ・・・ 
・34年前の立大三年ー大学の海外旅行研究会が募集した旅行会が募集した欧州1周旅行に参加した。
・期間 は30日間ー1967年7月01?30日ー総勢 40名
・ 団長 高木豊 添乗員 玉井 氏であった。?深井・川崎・酒向・池永・堀井八郎・・
内側(内面。国内)ばかり見てきたそれまでの世界観が一変、地球の広がりを肌で感じた当時年間20万人しか
海外旅行者はなかった。カルチャーショックで、人生観が全く変わってしまった。
自分の世界の狭さを知る人生の一大転機でもあった。それまでの総てが粉々になってしまった。
人生でこれだけの楽しみも初めてといってよかった。
その時の印象に残っている事は、
1.まず自分は東洋人ということであった。白人の世界で初めてそのことを自覚をした。それと露骨な人種差別の視線を。
2、欧州の豊かさも想像をはるかに超えていた。
3、また文化の深さに驚愕した。毎日毎日見るものふれるものが、全て新鮮で興奮の連続であった。 
 全く事前の知識を入れてなっかったのが逆に良かった。
4.若さにありがちなコンプレックスの塊の自分に初めて自信がついたー行動としては初めてといってよい。
 〜〜
A.まず機内ーー飛行機で食べたヒレステーキーこんなにおいしい牛肉は生まれて初めて!
B.デンマークの街並みの清潔かつ美しさ! 一人で路面電車に乗ったとき嬉しさと不安! 
 郊外にあったお城からみた緑と空の色! 当時日本では殆どなっかったコッテジ風ホテル
C.スウエーデンでみた金髪美人の美しさと着こなし!それが北欧の街並みにぴったり!そこのバイキングの食事
 ーバイキング方式の食事の存在をそこで初めて知った。
D・ロンドンの王宮そしてビッグベン。イギリスではパブが印象に残っている。軽くスタンドでビールを飲める感じであった。
E.ドイツはミュンヘンのビヤホールの大きく豪華なこと。 確か2000人位の客がステージの楽団にあわせてホール全体が
 一つになり楽しんでいのるのが不思議に思えた。なるほどヒットラーが出るわけだと思った。また古い街並みと古城のよい
 ハイデルブルグ、そしてライン下りで見た田舎ドイツの何とも言えない深みのある景色。
F.スイスアルプスの登山列車から見る山並み。    
G・オーストリアで飲んだ地酒のワインと生ハムの美味しい味。 
H・パリで見た凱旋門とシャンゼリデ通りそしてルーブル博物館のモナリザの絵と
 ミロのビーナス。そしてヴェルサエル宮殿とその鏡の間。そして庭。
I.ローマの遺跡の数々。コロセウム闘技場にトレビの泉。284本の円柱が囲む楕円形のサンピエトロ広場と寺院そこで見た
 ピエタの像。 地中海のカプリ島。幻想的だったコモ湖。
J.帰りに立ち寄ったタイのバンコク?その何ともいえない素朴な景色。 寺院もどこもかしこも仏教の影響の為か純粋な
 東南アジアの良さがにじみでていた。この旅行から帰ってきて2?3ヶ月呆然自失であった。
 もし神様が人生で1ヵ月時間を戻してくれるとしたら、迷わずこの一ヶ月を選ぶだろう。
 ー34年ぶりの文章化である。意外と憶えているものだー


3347, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −2

2010年05月25日(火)

 一般投稿というアイディアをカタチにして1年半僅かでグーグルに16億ドルで売却するのだから驚きである。
最近、映画館に行くと開始前に「ビデオの撮影禁止の注意」を流すが「ビデオに何故撮る必要があるのか?」と疑問だった。
YouTubeに投稿するための盗撮だったのである。 少し画質の劣化を我慢すれば、このサイトで見れるのである。
 外国でも、日本のニュースなどや、人気のワイドショーなどが、ここに投稿されていてネットで見ることが可能になった。
大晦日の紅白歌合戦を、これで見る人が多くなっているという。 テレビが無くともパソコンで見れるのがポイントである。
当初、このサイトの動画は最長5分だったが、現在では10分。普通のテレビ番組が数百万人、数千万の視聴者を5~10分間、
釘付けにすることは不可能である。 実際にケーブルテレビのチャンネルが100もあるアメリカでは、平均滞在時間は
13秒でしかないという。 だから、5〜10分間見てもらえるユーチューブが広告メディアとして注目されるのである。
これまで外国の人たちと日本人の共通の話題がなかなか見出せなかったが現在では、この人気ランキングの話題が共通の
話題になることが多いという。 私のブログに面白いのを見つけると載せるようになったことから見ても、肯ける。
 TVボクシングを見ていた猫が立ち上がりボクサーに感情移入をしてしまい、左右のパンチを繰り出している映像が
人気ナンバーワンになっていた映像があったが、誰かに教えたくなるのも人情。また聞けば見たくなるはず。
日本にも独自の「にこにこ動画」が出来て人気サイトになっているが、そこから変わった人気者が出始めているという。
 数日前に、ソニーとグーグルが、パソコンとテレビを融合した未来型のテレビ開発で提携と発表があった。
この恐ろしさを一番感じているのがテレビ局だろう。 グーグルはYouTyubeの親企業、その映像がテレビで気楽に
見れるようになったら、視聴者も広告スポンサーも、一挙にネットサイトの映像に向かうことになる。
 ユーチューブには、これまで投稿された膨大の映像が保管されているし、それをテレビを通して気楽に見ることが
できれば視聴者は直接、見ることが可能になる。 さらにタブレット型パソコンが、この数年で爆発的に普及するだろうが、
これもテレビに縛られていたカウチ族が、それを持って外に出てくる。 これが「ツイッター」と連動すると、
社会のあり方そのものが、さらに根底から変化するはず。だから、情報発信だった百貨店が壊滅をしているのである。
 他人事ではない、ビジネス関連と打ち合わせのための宿泊は激減している。情報革命が、これだけ激しいものとは。
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2972,閑話小題
2009年05月25日(月)
 * 大相撲
 今場所は、白鵬と朝青龍の間に、日馬富士が割り込んだ三者の争いで面白い場所であった。
この三人のモンゴル人に、次の大関候補の鶴竜もモンゴル人。若手の将来性のありそうなのは、全てがモンゴル人である。 
大相撲は更にモンゴル相撲の世界の様相を示してきた。相撲に対する熱意とハングリーさが、日本人とは格段の差がある。
今さら外国人は排除できないから、当分の間は続くことになる。草原の中で自由に育った肉体も日本人とは違う。
彼らの金銭感覚からみて、関取になれば大成功の収入になるのもハングリーになる背景がある。
朝青龍は明らかにピークは過ぎた。 最盛期は歴代の横綱で私が知る限り一番強かったようだが。
日本人の大関、三人とも八勝七敗。 何時も似たような引退かどうかの塀の上。
  * 自殺が10年で33万人
 自殺者が、10年続けて3万2〜3千人を超えており、合計33万人が自殺をしたことになる。
自殺未遂が、その10倍はおり、一歩手前で踏みとどまっている人が、その10倍はいるというから、33万人が自殺未遂、
330万人が自殺の一歩手前で、30数軒に一軒の割ということになる。十数年前は、20万人前後というから、異常な数である。 
一つ踏み外せば自殺願望者になる。世界恐慌、パンデミック、凄惨な事件が続き、周辺の環境も暗くなると、
何時の間にか鬱気味になる。その社会不安と環境が、何時の間にか鬱気分になっている。
その中で一人、鼻歌を唄いながらスキップでもするしかないが・・・。
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2608, 閑話小題
 2008年05月25日(日)      ヽ(。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
 *西堀ローザの衰退
新潟市の古町近くの地下の西堀ローザが、去年の売り上げが前年度の30?減だという。
オープンから30年が経っており、16年前の売り上げが三分の一、11年前の半分、6年前の6割、
一年前の7割というから、壊滅状態といっていよい。テナントも47店舗のうち7店舗も開いている。
去年できた新潟駅から10分ほどのラブラ万代の影響が20?、郊外にできたイオンのSCの影響が10?。
まあ、手の打ちようが無いのが現状だろう。ダウンタウンの古町にある大和百貨店も撤退の意向のようだが。
新潟駅の再開発も、今後すすみ更に古町周辺は地盤沈下は避けられない。これも時代の流れである。
同じことを、知人が言っていた
「長岡駅と新潟駅の中にテナントとして入っているが、長岡は、ユニ系のアピタがオープンしたら三割減。
新潟駅も三割減である。今年が勝負の年になる。新潟駅は新ビルが出来たところに移転するが、経費だけ増え、
売り上げが元に戻るだけ。」
 *柏崎原発「一月再開」という内部文章が露見?
柏崎原発が来年の一月に再開、という文章が外部に流れたという。
これも、穿った見方をすれば「やらせ」?とも思えるのも、東京電力への不信感が強いからか。
そうとすれば上手いやり方である。 従来の5倍の震度に耐えられる構造に作り変えるというが?。
 ーー
 *五雨十風
「晴れの日ばかりではなく、5日に一度の雨、10日に一度の風が吹く。そんな繰り返しの中で自然の
豊かさがうまれる」雨や風は、その立場にとって良い場合と、悪い場合がある。
運動会の日の雨は、あいにくの雨であり、自然の環境にとって、五雨十風の天候は丁度良い。
こういう言葉が日本にあったのは、先日読んだ本で初めて知った。自然の中で住む我々は、五雨十風の恵みの中でこそ
生きられるのである。雨が降ったといって、気分がすぐれないとか、好きなことを言っているのは人間だけ。
このことは自然現象だけでなく人生でも、良い事だけでなく悪いこともアザナエル縄のごとく、
交互にやってくるという意味もある。           (σ・з・)σホナ、マタ!
・・・・・・・・・・
2007年05月25日(金)
2243, 耐震偽装 ?1 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪  
                 (藤田東吾著 自費出版)  ー読書日記
インターネットで取り寄せた本だが、読み出すとなかなか面白い。
国家権力による偽装と隠蔽をそのまま暴いてる。ヒューザーや、アパグループのマスコミ発表は氷山の一角!
平成元年?17年の間にわたって200万棟?の偽装のビルがあり、それを許したのは国交省である。
政府と役人そして、それを周知の上でつくったマンション建売業者は、この問題は、けりがついて、
この世からイーホームズと少数の者が消える、そう考えていたであろう。国の威信を守ろうとした策謀が、
かえって国家そのものを傷つけていくことを、そのまま告発しているので内容はクールである。
「偽装物件を押さえようと思っても、雨後の筍のように後から後から出てくるな。
誰も止めることなんてできないと思う」まさに予言者の如くであった。
 (本文より抜粋)
  (字数制限のためカット2010年5月25日)
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2006年05月25日(木)
1878, <不良>のための文章術
              おはよ?!(*^ワ^*)i  ー読書日記ー
 ーNHKbooks 著者 永江朗  ー長岡中央図書館・借入れー
5年間、テーマを立て文章を書き続けて思うことは、プロは凄いということだ。書き続けたからこそみえてきたこと。 
何が違うのだろうか? ここでいう<不良>は、良い子でない文章の書き手、という意味である。
私のプロの物書きに対する解釈といえば・・「絶対量が違う上に、奇麗事を一切捨てて本音で書いている。
更に現場に立ち、実際の経験の裏づけに徹している。」であった。この本では、そんな当たり前のことを書いてはいない。
そんなことは素人が書くことだという。この本でまずガツンとやらえるのが「自己表現を捨て読者を愉しませることに徹せよ!」
である。私の5年間書き続けてきた「テーマ日記」は駄目な典型である。どのように表現するか、それだけで必死であった。
読み手のことなど関係なく、自分の知識倉庫に入れるための手段であった。そこがプロと私の差である。
もっとも、それが動機であったのだ。動機からして、プロと比較するのがおこがましい。
こんなことを書くこと自体が素人である。本書の副主題は「書いてお金を稼ぐには」である。
動機が違うのだから仕方がないでは、文章は上達はしない。今まで読んだ「文章術」の本で、一番納得するものだ。
文章とは自己表現と思っていたのに、プロは自己表現ではないという。 なるほど足元には及ばないはずだ!
 ーまずは概略を書いてみたー
プロが書く文章は、貨幣と交換されるためのもの。読者が「ここに書いてあるレストランって、うまそうだね。
こんど行こうかしら」と、書いたライターのことを気にしないような文章である。こういう文章こそが
プロフェッショナルの文章である。おカネになる文章とは、どこか過剰だったり何かが欠落しているような文章です。
・・・美しく正しい文章なんて、退屈で眠たくなるだけです。そんなものはシロウトにおまかせしておけばいい。
プロは客を退屈させてはいけません。客を眠らせてはいけません。良識ある人は顔をしかめるかもしれませんが、
しかし、それでいいのです。(中略)というわけで、<不良>になればなるほど文章の商品性は増します。
<不良>でたりなければ、極道でも悪党でもなんでもけっこうです。つまりこの本は、「出版社がカネを払いたくなる。
読者が買いたくなる」ような文章の指南書である。名文はカネにはならない。美しく正しい日本語は良い子のもの。
不良(プロ)は自己表現という考えを捨て、読者を愉しませることに徹します。「本書を読めば、誰でも
プロのライターになれます」万が一なれなかったとしたら、それはあなたが『良い子』だからです」と。
「自己表現を読みたくなるのは有名人、大家に限ってのこと。どこの馬の骨だかわからないやつの自己表現など
見向きもされない、ことを自覚しておくべきだ」という。アマチュアの文章が「書き手」からの発想とするなら、
「読み手」から発想するのがプロの文章です。「読み手」にとって役立つ情報とは何か、プロは「読み手」は
何をいちばん知りたいか、から考えはじめる。
読者が知りたいのは書き手の「私」ではなく「本」であることを忘れないよう釘をさしている。
 ーー
図書館で借りてきて、買いたくなる本が三ヶ月に一度くらいある。この本が正に、これだ。
プロになりたい人より、プロの技法を盗みたい人向けの本でもある。
最近では[ローマから日本が見える][ずっとやりたかったことを、やりなさい」である。注文をして手元に届くと、
それで安心して読まなくなるが,それでもよいと思わせる本が良い本である。「商品としての文章を書くのがプロである。
だから貴方の文章はつまらないのです」と自覚せざるを得ない内容である。文章術に関してベスト3に入る本である。             バイ♪(ノ´∀`*)ノ
・・・・・・・・
2005年05月25日(水)
1513, こころを凛とする196の言葉 ?2
               ー読書日記
美容評論家の斉藤薫の書いた多くの著書のさわりが、この一冊に集約されているから、一言一言が強烈に響いてくる。
美容ジャーナリストという彼女の職業の立場が、美容を通して女の「こころのあり方」を見ているのだろ。
女も大変である。受けの立場であるからだ。さりげなく男を引き付ける努力をしなくてはならない。
こころを凛とすることも大事だが、もっと知的努力も必要だろうと思うのも、私の年齢のためか。
美容ジャーナリストの本に、読者も知的背景の勧めなどを求めてないのか。何事も努力・努力である。諦めたと同時に・・
・音の効果
自分の好きなCDだけを繰り返し繰り返し、一日で擦り減るほど聴く。じつはこれ、私にとっては立派な美容法。
好きな音は、耳に脳に心地よいだけでなく明らかに魂に響き、はっきりと共鳴を起こす。
その共鳴が体中をめぐるのを感じ、そういう時はなぜか必ず顔色がよい
・喜びの分水量
誰をどれだけ愛し、誰にどれだけ愛されてきたか、その喜びの量が、
そのまま艶となって人を潤すってことなのかもしれない。
・女に学ぶ
よく「つらいことがあると、宇宙の広さを思う」という人がいる。チリの一粒にも満たないちっぽけなことで、自分は
悩んでいたんだ、バカみたい・・・そう思うためだが女は視野が狭くなりかけたら、宇宙のかわりに年上の女を思おう。
辛そうだけど、ときどき悲しそうだけど、くじけずに頑張っている年上の女性の姿を。つらいときこそ、女は女に学ぶのだ。
・女は姿勢がつくるいちばん身近なことに、いちばん気がつきにくく、そして人をいちばん醜くしてしまうのが
「姿勢の悪さ」であると思う。背筋をピンと立てるだけで、毒が抜けたように、女は生まれかわってしまうのに。
美しく、潔く、生き生きしていて、正しい女に・・・。世にも簡単な、変身である。
・「覚悟」は美しい
退社、独立、離婚、別れ、親との同居・・。「女の覚悟」はいつも人生に関すること。時に自分の幸せを犠牲にするもの。
だから、「覚悟した女性」は感動的に気高く、そして美しい。いちばん美しいのかもしれない。
・オーラは意志。 人間の意志の強さは、姿形にも現れ、人をとんでもなく美しく見せることがある。
誰が何と言おうが、自分の意志だけで自分の力を信じて歩いていける人は、目に見えない「美しい緊張感」
みたいなものを全身に張りめぐらせて、それが何ともいえない凛とした力強い美しさに変わる。
「オーラがでる人」とは、たぶんそれ。「強い意志を持っている人」を指すのだろう。
・・・・・・・
2004年05月25日(火)
1148, 遺伝子の話
遺伝子の研究が進んだのはごく最近である。遺伝子の性格は、ほんらい利己的であるという。
「我々は遺伝子という名の利己的な存在を生き残らせるべく盲目的にプログラムされたロボットなのだ 。
遺伝子は、マスター・プログラマーであり、自分が生き延びるためにプログラムを組む。
個体というものは、その全遺伝子を、後の世代により多く伝えようとする。自然淘汰における中心的な役割を
演じているのは、遺伝子と生物個体である。」人間の身体を支配するものは遺伝子であって、
人間の個体が死んでも遺伝子は生き残っていく。自分というものは遺伝子にとって、仮の宿でしかない。
「父親や祖父などの祖先から、遺伝子は転々と住み変えている宿でしかない」と考えると、気が楽になる。
人間は、利己的遺伝子に貸している借りの姿で、すべてを支配しているのは、利己的遺伝子である。
最後は自分が一番可愛いのであり、それでよいのだ。
 ーあるホームページからのコピーですー なかなか解りやすくうまくまとめてあるー
生物は遺伝子の乗り物である生物が親から子へと受け継いでいくのは遺伝子である。
個体は寿命が来ればあっけなくこの世を去るが、遺伝子は子孫に受け継がれていくのだから不滅であるといえるだろう。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない。生き残ろうとしているのは、個体ではなく遺伝子なのである。そこでドーキンスは
遺伝子のことを、自己複製子と名付けている。  (以下、字数の関係で中間カット2,009年5月25日)
ー感想ー
要するに、「遺伝子が生き残る為に個体を維持させ、乗り換えている。個体を維持させることが目的でなく、
遺伝子そのものが生き延びていくことが目的でしかない」ということだ。これを読んでいたら、何か気が楽になって
きたことは確かである。神は遺伝子に宿るということか?! いや、エゴイズムのはずがないから違うか?
・・・・・・
2003年05月25日(日)
 781, 父が亡くなって30年
 父が亡くなってあと5日で、三十年になる。去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。反面非常に厳しい人であった。
 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。 時間をかけて種銭をつくり、
情報を自分で集め、投資をしろということを教えたかったのだろう。ー以前書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・
2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1
(以下、字数の関係でカット2,008年5月25日)
・・・・・・・・・・
2002年05月25日(土)
 417,人生の負け組みと勝ち組み
だいたい20?が勝ちで、80?は負け組みである。何をもって勝ちで、何をもって負けというのか?というが。
一般的に自分の真にやりたかった事を見つけ、やりとおせたかどうかだ。 その意味でやはり、あるはずだ。
社会的な勝ち負けの話しではない。 負け組みの、負け惜しみで何かへ理屈が出てきそうだが。
・過去の蔵にそれ(やりたかった事をやってきた行為)が詰まっており、
・現在それを過去の計画どおり実行しており、 ・未来の計画をキッチリ立ててある人
そういう意味で大体私の周囲では、2対8の比率は間違いない。刑務所など99?だろう。
その共通点は目先しか見えない峡視の人だろう。80?の人も然り?ダイヤを入れれば、ダイヤが出てくる。
ゴミを入れいればゴミが出てくる、その分別ができなかった人だ。何か厳しい内容だが、見方を変えればいい。
「自分は社会的なことは別として、ずっとやりたいように生きてきた。
自分の大好きな○○をしてきた、それで充分だ」こう言える生き方が勝ち組だ。
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2001年05月25日(金)
「31]」写真日記コーナー開設! ウイークリーマンションの司の社長の写真日記
ーこれはノートにその日あった人のインスタント写真を張りつけていくものだが、
ーいつか実行したいと思っていた。そしてホームページで 是非実現してやろうと思いつき今日開設した。
ソフトが不備で思いどうりにならず、苦戦していたが何とか間に合った。 しかし途中挫折しなければよいが? 
慣れてくれば、習慣化してしまえばしめたものだが。どういう展開なるか自分でも解らない。小さな世界がますます
露呈されていくが、しかたあるまい。だんだんホームページに関わる時間を短縮していかなけれと思っているが
 


3346, YouTube の視聴回数 1 日 20 億回! −1

2010年05月24日(月)

 YouTube の視聴回数が1 日 20 億回!には驚いた。2年前に息子から面白いとサイトを開いてK-1を見て驚いたが、
それっきりだった。 それがビデオカメラを買って、撮影し、投稿して初めて面白い投稿が多くあるのに気づいた有様・・。
まずはペットから始まり、アフリカの野生動物、そして花火と、見る度にはまってしまった。
 このサイトのHPによると
≪ 5年前の5月、YouTube の創業者たちは何カ月も深夜まで及ぶテストと作業の末、YouTube.com をオープンしました。
その使命とは「誰でも簡単に動画をアップロードし世界中と共有することができる場所を提供すること」。
今日 YouTube は、映画監督でも、政治家でも、自慢の子を持つ両親であっても、または大きな何かと
繋がっていたいという人たちが、自身をブロードキャストすることができる場となりました。
YouTube は誰もが想像したよりも遥かに素晴らしいサイトに変化を遂げ、活気に満ちたユーザーのコミュニティが創られた。
多くの皆さんに使っていただいた結果、今日 YouTube の視聴回数は 1 日あたり 20 億回を超えるまでになりました。
これはアメリカの主要テレビ局 3 局のゴールデンタイム中の番組視聴回数の合計の 2 倍近い数値です。
自宅の寝室で撮影された動画ブログやバイラル動画のサイトとして始まったものが、HD画質や3D動画に対応し、
200 カ国に放映される 1 シーズン分のスポーツの試合、より良い社会を目指したドキュメンタリー映像、
更にはアメリカ合衆国大統領へのインタビューまでも配信する世界的なプラットフォームに進化しました。≫
  ー以上だが、ツイッターには、すぐ反応したが、これに反応しなかった鈍い感性に驚いている。
2006年10月にグーグルに16億5000万ドルで買収されグーグルのグループ会社となった。
社名とサービス名であるYouTubeのTubeは、真空管、映像を表示するテレビのブラウン管を意味している。
今や大画面TVでくだらないバラエティーやドラマを見るより、パソコンの小さな画面で素人が投稿した動画を見る方が
面白いと感じるようになっている。 世界のネットやビジネスの共通話題がYouTubeの映像の話題になることが多いという。
一つの映像を世界中で数千万人がみることも珍しくない。アフリカの動物の動画で一千万以上のアクセスが次から次に出てくる。
見る方からしたら五百万以上のアクセスのものから見れば、面白いのに確実に辿りつける。
更に驚いたのが、アクセスしたテーマの類似ビデオが右側に羅列して出てくる。これでは、はまる訳である! 
                                         ー続く
 ・・・・・・・・
2971,住まうこととさまようこと ー3
2009年05月24日(日)
  * さすらう者たち
 「さすらい」という言葉は、深い何かを感じ取ることが出来る。それは、青年期になると、親から一歩はなれて、
自分の世界を探し求める者の姿に二重写しにもなる。産まれ、育ち、生きていく人間のありようが、さすらいかもしれない。
その言葉に、「ニヒリズム」の響きを感じるとるのは、人間の存在は死すべき存在であるかだ。
さすらいといえば、船乗りと遊牧民である。 彼らは、「住まうこととさすらうこと」を同時にしている。
彼等の方向性は、目的とする港であり、商業の街である。 彼らは、港や商業地で住む人たちとは本質を別とする。
「男はつらいよ」の寅ちゃんではないが、自分の帰属するところがあってこそ、さすらいが出来る。
 古来、未知なるものへの憧れが、人間をさすらいへと駆り立ててきた。
欧州ではユダヤ・キリスト教の影響が顕著になると、さすらいは原罪を背負い呪われた者たちの宿命であり、
彼岸という最終目的に至るための受難の道に過ぎないと、考えられるようになった。
 今日でも、何らかの最終目的に到着することが、旅の目的とみなされてきた。
しかし、著者は到着のためにさすらうのではなく、「さすらいのためのさすらい」、「さすたいのうちに住まうこと」
「住まいながらさすらうこと」すなわち「旅を枕とすること」を主張している。
我われが住まう空間を個々の物質的に限定された家の枠を越え、天と地のあいだの空間、
すなわち世界という家と解釈するならば、そこは我われがさまよう空間でもある。
 さすらいの人生、そういえば哲学的だが、元々人類は一万年前までは、さすらってきたのである。
それが天変地異があり、採取では生きていけなくなり、実のなる木を植え、動物を囲い込んで飼うことで
生き延びてきた。そして、それまでの移動生活から、固定した家をつくる切っ掛けになったのである。
だから、さすらいという言葉に人間は本能的に憧れを持つのである。
 既に亡くなった両親や、兄や姉、そして親戚の人たちを思い出すたびに、彼らは、娑婆でさすらい住んで、
そして無に帰っていったことがわかる。この歳になると友人が多く亡くなっている。
彼らを思うたびに、天の下、地の上に住まいさまよってきたことが合わせ鏡のように理解できる。
先日、小林旭の「さすらい」と、渡哲也「東京流れ者」をカラオケスナックで唄ってきたが、
「落ちこぼれ者」の哀愁の歌でしかない。 全ての人は、生まれ、住まいさすらい、落ちこぼれていく?
 ・・・・・・・・・・
2607, 脳内会話 ー2
2008年05月24日(土)
 脳内会話といえば、
哲学者の池田晶子の「帰ってきたソクラテス」「ソクラテスよ、哲学は悪妻に訊け」「さよならソクラテス」の三部作が、
池田晶子の脳内会話のようなものだった。宇宙の彼方から帰ってきたソークラテスが、現代のニッポンに甦り、
現職議員や老人福祉係、ニュースキャスター、ジャーナリスト、エコロジスト、フェミニスト、マルチプランナー、
トレンドクリエイター、コピーライター、サラリーマンから釈迦まで、様様な職業の人たちと、政治や老人福祉、
その他諸諸のことについて、対話する。筆者が抱いている「ソクラテス像」というフィルターを通して、しゃべりたいことを、
ソクラテス(池田晶子に話をさせている。 ソクラテスなら、こういうだろうと池田が成りきっているところが面白い。
これこそ脳内会話そのものだろう。
ーー
「そーさ、そりゃあたしだって、決してこんな世の中いいと思ってるわけじゃない。
確かにこの頃は・目に余るところはあるわよね。 でも、世の中って、そういうもんて言や、
そういうもんなんじゃないの。 (中略) あたしは、自分の身の丈の暮らししかしたいと思わないから、
官僚が金儲けしようが女子高生が売春しようが、あきれはするけど、かまわないね。
言ってわかる連中じゃないんだから。(中略) ああいうのに腹立てて、やいやい言ってるヒマがあんなら、
自分をまじめに生きてる方が、あたしはいいね、ほんとはそっちが先でないのか。
みんながそれをほっぼらかして、人のことや世間のことばっか気にするから、結局世の中全体が、
そういうふうになるんでないのか。.……」ーソクラテス
『悪妻に訊け』で読んだ「フェミニスト」とのやりとり。
「 フェミニスト  女の能力は生殖や家事に尽きるものではないと私は言ってるのです。
   女の隠れた能力を存分に発揮できる場所を、社会は用意するべきだと言ってるのです。
  クサンチッペ  馬鹿だねえ。女の能力って言うんなら、そりゃ男を動かすことに尽きるでないの。
   社会動かしてるのが男なら、その男を動かすことこそ女の技量ってもんよ。せっかく女やってるんなら、
   断然その方が面白いね。
  フェミニスト  全然甘いわね。男たちは女の言うことなんか、そんなに簡単に聞きやしませんよ。
  クサンチッべ  そりゃ、あんたがそれほどのタマじゃないからさ。それだけのことだよ。
  フェミニスト  失礼ね!自分の食い扶持も稼げないくせに!
  クサンチッペ  やれやれ、食うことばっかりこの人は言うんだ。ない、私が稼がないのは、
   ソクラテスが私に惚れているからだよ。男ひとりに惚れられなくって、何で女の能力なのさ。」
 ーー以上だが、
もちろん、クサンチッペは池田晶子そのもの。 一人にやにやして、自己会話をしている姿が彷彿する。
そうそう、面白いことを思い出した。 ある家の部屋の更に奥にある部屋に入って亡くなった親戚、家族、友人、
恩師などのテーブルを想定して、そのテーブルに座り、一人一人と会話をするイメージの創作をしたことがあった。
何かの本からヒントを得たのだが。これをイメージだけでなくノートに書けば、面白い文章になったのに、書いておけばよかった。
当時は気持ちが重くなって、あまり長続きはしなかった。今からでも遅くはないが。
 脳内会話の本、アマゾンでまだ注文してないが、するか。
・・・・・・・・・・・
2007年05月24日(木)
2242, 閑話小題  ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 *滋烈亭のママ*
十数年前の話になるが、長岡や県外の人が新潟・古町界隈の「個性的な店に行きたい」というと「滋烈亭」という
創作中華料理店に連れて行った。ママも美人でキップが良かったこともあったが・・・ ところが当時、改装をしたという
案内をもらったので行ったところ、カウンターを主体にした、より高級志向の店になっていた。
当時、「ちょっと高級志向的過ぎるのでは?」と注意した記憶がある。露骨に嫌な顔をされて、それ以来行ってなかった。
その直後に金融の再編成や、官公庁への接待なども厳しくなって、高級イメージがマイナスになったことも加え、
前ほどお客が行かなくなった、という噂を聞いていた。 本人は骨身に沁みていただろうに!
だが、「本当のことをいってはならないのが人のため」というのが最近分りかけてきた?・・・私には出来ないが!
そのママが先日、事務所に訪ねてきた。 曰く「この十数年、ギリギリ乗りこえてきたが、東京で勤めていた息子が
店に入るというので、それを機会に駅前に移転したいので駅前界隈の情報を知りたい。色いろな病気もその頃から出て、
この十年は闘病の日々であった。十数年前までは接待費の店として充分採算があっていたが、今は時代が変わった」とか。
以前の面影はあまり見られなかったが、それでも人生に対して前向きのところは変わってなかった。
この話を聞くまでは「格差社会の中、で高級志向の人たちに支持されているのかな」とも思っていたが、
それほど甘くはなかった! ということだった。
ーー
 *やはり変わった駅前周辺の空気*
   (字数制限のためカット2010年5月24日)
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2006年05月24日(水)
1877, 「ノート術」本当の極意 ?2          おっ w(゚Д゚)w ハァョ?               
 「手帳とノート魔法の活用術」の著者の和田茂夫氏の
  ービジネスノート活用七原則ー の基本的ノートの使い方が参考になる!
原則一、ノートとメモは使い分ける(メモは気づいた時に、適当に書きとどめるので改めて書き直す方が良い。
     メモ情報のなかにお宝が多いのを掘り出すことになる。     
原則二、カタチは何でもよい(A4かB4のノートで十分)    
原則三、ノートは片面だけをつかう
    (ノートを切り離して使うためにも、片面がよい。見直すときも常に書いてある方をみれるし、みやすい) 
原則四、タイトルは×マークで(その上の部分にテーマ、右の出典、左に月、下に日付けを入れる 
原則五、主語+述語のワンフレーズで書く(たとえば「新会社法」とか「見積書」の場合、
   「新会社法の施行」「見積書をファックスする」)     
原則六、図解してみよう(マインドマップ、○△□→などを多くつかう)  
原則七、封筒で整理する (テーマごとに大きな封筒の、関連のノートなどを入れておく。ノートは片面しか使ってないので
    切り離してもよい。タイトルを端に書いておけば、少し引き出しただけで、封筒の内容がわかる。)^ー^)/C□~コーヒー?
この内容のポイントは、
・ 楽しく書けば長続きする。
・ 方眼紙の紙やノートを使うと図表やグラフを描きやすく便利である。
・ 空間を充分に取り、絵とか図を多く取りいえるとよい。ノートは片面だけを使う。
・ メモの場合、必ずワンフレーズにしておく。 というところだが・・・
現在、モーニング・ページで毎朝思いついたまま3P書き連ねているが、ほぼ上記をカバーしているが、実際のところどうだか?
                 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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2005年05月24日(火)
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
                     読書日記
最近、あまりこだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも
当てはまる内容が多い。特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気をつけることとして、
「清潔7割、色気3割」は、男にとって「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要なのかもしれない。
とにかく、読んでいて男の自分が「ハッ!」とする内容が次々と出てくるから不思議である。
特に、汚いオバサン化した女性には厳しい言葉である。若い女性には、是非読んでほしいものものばかりだ。
女性の気の使い方が読んでいて面白い。大事なことだが、でも? まあ、いいか!
女性の化粧は、欠点をカバーするもので、特にアンバランスを調整する為にするのが基本であるという。
ブランド物でどういうバランスを保てるのか疑問符があるが。
 ー幾つかを書き出してみるー
・美の真骨頂は7対3
  私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
・清潔感を毎日ひとつ
  メイクでも服でも香りでも何でもいい。毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
・服のルール
  おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
  (字数の関係でカット 09年05月24日)
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2004年05月24日(月)
1147, 「唯脳論」 
この本も、なかなか面白い。情報化時代だからこそ脳が問題になる。脳こそ、情報器官そのものであり、
それがコンピューターと結びつき、さらにインターネットでネットされた現代社会では、最も注目されてしかるべきである。
自分の脳を公開して、さらに自分で時間をおいてみてみると、自分でも面白いのだから、他人が見たらもっと面白いだろう? 
この随想日記は「唯脳の世界」そのもの、それも重層に重なっている。「現代人は脳の中に住むという意味で、
いわばお伽噺の世界に住んでいるといっていい。」と著者は書いているが、ある意味、このHPもお伽噺かもしれない。
ー以下は、あるホームページの抜粋を、再構成したものである。
それにしても、神様か、高度の何かが人間や生物を創ったとしか思えないが。
ーーーー
養老孟司著 青土社刊
●はじめに
・現代とは、要するに脳の時代である。
 (字数の関係でカット 09年05月24日)
・・・・・・・・・
2003年05月24日(土)
780,またおきた「意味ある偶然の一致」
  ー40歳の頃 −1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきたかの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。時代はバブル直前の何ともいえない
エネルギーが溢れていた。コンピューターを導入した年でもあった。政治的には、アメリカとプラザ合意をして
バフルに入った直後であった。気持ちの中ではギリギリの限界であった。ーこれを書いているときー今、
TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の?と歌っている」
また起きた感じだ。 NHKのBS・2で、時間は21時55分。恐ろしい感じがする。よくおきるがあまりに露骨だ!
 (字数制限のためカット2010年5月24日)
・・・・・・・・・
2002年05月24日(金)
416,鳩山家の「勉強法」
何回か立ち読みをして買うかどうか迷っていたが,先日買って読んで面白かった。しかし本来ある技法を、とってつけたような
内容も多かった。最近ノウハウ書に凝っている。以前はノウハウ書などの小手先の本を甘く見るところがあった。
ところがそれが思い込みでしかないことが、この年で解った。ノウハウ書ばかり偏るのがよくないのであって、技術の宝庫で
あることは間違いない。この本もそうだ。ノートのとり方一つでも目から鱗。私の場合あまり勉強が得意でなかったこともある。
最近凝っている即読法もそうだ。10倍とはまだなってないが、3~5倍早く読めるようになった。うそみたいな話だが。
10歳ぐらいのときに、ある姉が教えてくれた。「一科目だけでいいから、勉強して一番をとりな!」
これが小学年の後半、算数だったと思うが一番になった。 それがきっかけであった。そして中学二年の時、・・・と。
  さてこれで印象に残っている順に書くと!
・ノートの左右の書き分け 左にキチット先生の教えたことを、ノートにとる。
  右に 右脳的に 絵とか自分の 形に遊びを入れて書き換える。
 また、そのときの部屋の様子や、他のことも書き加える。ダビンチのノートもそうだ。
 絵と文を交互に空間を広く取りながら書き込む。広くとった空間にどんどん書き加える。
・あと問題集を徹底的に解く。 それもどんどん答えを見ながら、先に進む。
・本は全体をとりあえず読む。そして後ろのほうから、逆読みをする。
 推理小説の犯人を先に知った上で、 そのストーリーを読み解く方法を勉強法に取り入れる。
・黒板を周辺に置き、いま覚えるべきところを書き込む。
・勉強をすることが楽しい雰囲気を作る。音楽はアダージョなどの、アルファー波の出る音楽を流す。
・黒板で自分が先生になったつもりで、生徒に教えるように演技してみる。
・暗記は繰り返し暗記をすれば、誰でも憶えられる。
・頭の切り替えの為、ポイントごとに遊びを入れる。
・最も大事なところは、勉強と終わりに集中させる。
・あくまで本人の主体性を尊重する。
これは別に写したわけでなく、自分の印象に残った順に記憶から記している。
受験なら、どこそこの大学と具体的に目標を決め、その科目を集中して勉強する。
それも高校一年の時から割り切り、他の授業は割り切って進級すればよいレベルにする。
こういうのを戦略的勉強法というんだろうが。
でもそれを出来なかったが、「生き方で戦略的に生きてやれ」と、学生時代に意識できた収穫もあった。
・・・・・・・
2001年05月24日(木)
ホームページを開いて3週の実感
 今週末に‘写真日記のコーナー’ができると一応ホームページの骨格が完成だ。
パソコンを何のため使っているのかな?使い切っているのかな?と疑問を持っていた矢先ホームページの開設を思い立ち、
そのプロセスの中で他のホームページの構造とユニットをつかむ事が出来た。自分のデータベース造り、及びその蓄積に
なっていくと同時にそれがそのまま外界にリンクしていくサテライトスタジオ機能を持つことと言える。
グローバルに対する自己の開放である。ホームページはその表紙を語源とする。ということは大項目のデザインということになる。
この数ヶ月かなり追加と変更が予測できる。今年の新年の誓いはパソコンとインターネットとHPをものにする事であった。
特にホームページは思ったより収穫になりそうだ。 開設の5月2日以前と以後と言うくらいのそこに大きい段差を感じる。


3345, 閑話小題 ―つれづれに

2010年05月23日(日)

  * トヨタのレクサス
 先日、車検に出していた車を引き取りに行ったところ、30分ほど待ってくれというので、
隣にあるトヨタの中古車センターで車を見ていたところ営業マンがよってきた。そこで時間つぶしの事情を話したが、
ついつい「高級車か、スポーツ車で面白そうな車があるか?」といったところと、マークとレグサスを見せてくれた。
私は先代の車をいれて22年間、ソアラに乗っている。現在の車は18年も乗っているが今でもエンジンの衰えが全くない。 
 で、外からはレグサスを見てはいたが、運転席に初めて座ってみた。 何か違うのである。 偉くなったような、
選ばれし者といって気分になるのである。 自動車も18年もたてば車も格段に進化しているのである。
二年前の車で、600万が367万円。 個人として買えないことはないが、リーマンショック後の恐慌の世。
この暗い世相で無ければ、おそらく買っていただろうが。もっとも、最近は遠出は年一もないし、乗るのは市内のみ。
 良く稼ぎ、良く遊ぶためにも、景気回復が待ち遠しいが、当分は無理。  TVでも買え換えるか。
 
* ペット大嫌いな人と、インコ
 去年の10月に、メキシコ・コガネインコを飼ってから7ヶ月になる。家内がペット大嫌いで、買った当初は居間の
ベランダに鳥篭があることもあり、一月ほど居間に用がある時以外は、立ち寄らなかったほどの拒否反応。
ところが現在は、休日など見ていると一日数回は、籠前に置いてある簡易イスに座ってインコと戯れている。
インコが人に時々必死に呼びかけてくるのを聞くうちに情が移ったようだ。あれだけ、嫌っていたのに。
小桜インコを5代(匹)飼っていた十数年は、全く感心を寄せなかったのに。犬と同じ位の感覚で人の気持ちを察知する。
そして、自分をかまってもらいたいのである。今まで鳥を多く飼ってきたが、自分の糞が好物というのは始めてである。
ウサギが、そうだと聞いたことがあったが・・・

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2970住まうこととさまようこと ー2
2009年05月23日(土)
 * まずは「住まうこと」とは
住まいは、外壁で外と内の世界が分けられており、昼は外が光の世界になり、夜は逆に内側が光の世界に逆転する。
外部空間の環境と、家の内部空間、その両者の布置が、部屋の雰囲気、広がりを決定する。住居は、壁で囲まれ、
垣をめぐらしている。それは自然に対する防禦でもあり、人間に対する遮断でもある。また住まいは上下の構造になっている。
ここで、「空間の詩学」という本を紹介し、その中の「家とはまさに「垂直的な存在」であるとして、
次のように述べている。「垂直方向は地下室と屋根裏という両極によって確保されている。
この両極性の特徴は、大変深くおよんでいるために、非常に異なった二つの座標軸を開いてみせる。
屋根に関しては屋根裏では、人は梁全体の硬い骨組みがむき出しになっているのを、見ることができる。
そこで大工の手堅い幾何学にあずかるのだ。 そこで、地下室はどうであろうか。きっと、そこは役立つものと
考えるだろう。便利さの合理性を幾つかあげるだろう。しかし、そこは家の暗い存在、地下の威力をわけもつ存在である。」 
殺人事件の映画では、刑事が犯人の家に踏みこんで調べると、そこには地下があり、殺人のための道具や、
死体があったりする。 逆にファンタジー映画の場合は、屋根裏部屋の箱の中や、見知らぬドアに、
光が満ちていて、別世界への入り口になっている。 屋根裏部屋は最も孤独で静寂な上昇の象徴でもある。
私が4?10歳まで育った商家では、戦後の数年後に建てられた4Fのビルであった。
1Fが店、2Fが事務所と倉庫、3Fが台所兼食堂、そして家族の住居、4Fが従業員の宿泊部屋、そして街全体を見渡せる屋上。
まさに垂直的な存在、そのものであった。幼児期の、そこの体験は、まさしく小説のような生々しい物語の連続であった。
住まい、商いが、混同した楽しいが、しかし戦いの連続の世界であった。 そして、ついに大事件が幾つか発生した。
それは、ここでは省くが。 住まいは、外と内があり、内の中にも垂直と、横断(機能別の空間)があった。
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2606, 脳内会話
 2008年05月23日(金)
昨日の新聞の広告欄にー「脳内会話」の法則ー成功も幸福も3つの言葉で手に入るー
という本が紹介されていた。さっそく、検索などで、その3つの言葉を調べてみたが、何処にもない。
そこで新潟駅の本屋に行ってみたが、やっとジュンク堂に、その本を見つけた。
しかし、色いろの場面で、幾つかの3つの単語があっただけで、それほど目新しい内容でなかった。
もちろん買わなかったが、それでは私自身の脳内会話の3つの単語を幾つか考えてみることにした。
擬人法で、
・まずは *絶対肯定君、(反対の *絶対否定君)
・次は *欲望君、 ( *真面目君)
・最後は *冷静君 ( *情念君)  としてみたが、どうだろうか。
数日以内に、この6人に問いかけをして、脳内会話をしてみる。
ところで、脳内会話は、読書や、日記、そして独り言などで、誰もがしていること。
この随想日記や、バードウォッチなども、独り言そのものである。
私は、亡くなった父親と対話することが度々である。
「ところでお父さん、貴方なら、この問題を如何考えるだろうか?」とか、
「兄のこの件に関して、如何判断する?」などなど・・・
他にも、大学ノートに「モーニング・ページ」を毎日のように書いている。
白紙に9つの桝を書いて、その真ん中にはハートの絵と、その外側に心臓の絵を書く。
そして思うままに、ペンの動くままに書き込むのである。
これこそ、脳内会話になるが、さっき考えた肯定君や欲望君、そして冷静君など擬人法をつかって書き込めば、
  ペンの動きは更に活発になるだろう。 まあ、子供じみているが、その子供じみているからこそ良いのである。

それより、迷ったこの本を買いたくなった。中古本は出てないが、まあ、面白いか。
読めば、また脳内会話の擬人の6人も違ってくるはず?。
  私「ところで、冷静君よ。この原油の値上がりで、如何なるんだろう」
  冷静「誰も答えなど無いから、変化の時々に考えるしかないだろう」
  私「そうは思っているが、スタグフレーションという本当に性質の
    悪い大雪崩か、大津波みたいなやつ。高台に逃げようにも。??」
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2007年05月23日(水)
2241, ヤバいぜっ!デジタル日本 ?2
         o(゜∀゜)o オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー
二ヶ月前に家内がワンセグの携帯電話を買ったのをキッカケに、私も三年前の携帯電話を買え替えた。
前の携帯電話とは全くの別もので、ミニ・パソコン?ではないかと!
この本に、私が感じとったことや知りたいこと、その方向がわかりやすく書いてあった。
 ーまずは面白そうな部分からー
*インターネットの本質  ーP・29
 インターネットとは何か?「バラバラで始まった世界のあちこちのネット同士を乗り入れ可能にするために、
 同じ技術を使いましょうという約束事である」 すなわち技術的約束事である。同じ技術的約束事を持っている
同士であれば、アメリカでも日本でも、どこからでも、必要なサーバーやクライアントに入ることができる。
またどの場所でも、それが可能であるのが利点というなら、デスクトップよりノートパソコン、さらには片手で扱える
携帯電話が、より有利になる。すなわち、技術的約束事を持った携帯電話、もう少し言うと、携帯トリプル?が
これから世界を席巻するということになる。
  携帯トリプル?とは、いわゆる携帯電話のことだが、それは既に単に電話ではない。
・メールやブラージングもでき、  ・ラジオも聞け、TVも見れ
・カメラもついていて、      ・GPS付や財布にもなりはじめている、
これは、もはや電話ではない。だから、この進化し続ける複合機を、便宜的に携帯トリプル?と呼ぶことにする。
この携帯トリプル?はマイクロソフトやインテルの牙城ではない。国産OSを開発したり、リナックスなどに注力するより、
携帯トリプル?をどうすればよいか国際的戦略を組むほうが日本として大切なことになる。
インターネットは所詮、携帯トリプル?のバックテクノロジーに過ぎないことが、だんだんわかってくるだろう。
人々の生活を激変させるのは、インターネットではなく、携帯トリプル?である。インターネットは所詮、技術なのだ。
携帯T.?は、ハードやコンテンツではなく、まだまだスタイルを作ることができる。
その使いこなしの先端に立っているのが、いまの段階で日本人である。
ーー
 *携帯トリプル?が、パソコンの未来 ?P・30
実際、携帯T・?はパソコンの問題を多く解決している。
まず、小さい。安い。通信が殆ど落ちない。画面が固まらない。
所有者の身元が比較的しっかりしている。課金が簡単など挙がればきりがない。
すなわち、携帯トリプル?は、パソコンの未来なわけだ。
見方を変えれば、パソコンで今やっていることは、数年後には携帯トリプル?でも出きるということである。
現在キーボードや液晶モニターは、当分小さくなりそうもない。
投射型レーザーのヴァーチャル・キーボードや、ゴーグルタイプのモニターなども具現化しているが、
まだまだ使いづらい。したがって、人間の手の先にあるキーボードという入力端末と、
液晶モニターという出力端末のサイズはそのままで、その間に携帯T・?が挟まって使用できるというのが現実的である。
言わば、ポケットに入れて持ち歩きのできるCPU(パーソナルコンピューター)ということになる。
iPadがハードデスクをポケットに入れる新しい提案なら、次なる提案はポケットサイズのパソコンだろう。
  ーー
 *インターネットの限界 - P・32
インターネットはまだまだ無限の可能性があるように言われている。
私はむしろ逆で、行き先の限界をそろそろ理解しなくてはならないと考えている。
インターネットからまだ本物のスターは出ていない。それは何故か?
インターネットが、スターを生み出すような仕組みを持っておらず、
ここでは全員がスターだからだ。インターネットは大きな夢を生み出すのが苦手で、
マス・マーケットを狙ったエンターティーメントを構築するのが難しいのだ。
小さな個人の夢と欲望と、マスメディアとは違う大きなスキャンダルのようなもので
今日のインターネットのコンテンツは動いていると言える。
   ーーー
解)
確かに、携帯T・Xの最近の動きは異常と思えるほど進化を始めている。
私のように明治生まれの両親を持つものにとって、SFの世界のようである。
特に携帯T・Xに関しては、戸惑うほど進化が激しい。この日本の携帯T.Xが数年内に世界の文化を根こそぎ変え、
また光ファイバーを全国にいち早く導入した効果が、現象として現れ、それが+?面で顕著になっていくだろう。
    それが格差をさらに生み出し、社会を不安定にしていくだろう。 それも面白いだろうが・・・・
                  (´∀`)ノ~サイナラー
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2006年05月23日(火)
1876, 10年後に後悔する事とは?
            おはよ?!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、
それを潰していく生きかたをする」である。 (七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
私が十年前に考えたことは、           (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。それがこの程度の変化でしかなかったのか?。  
という自問自答は残るが。現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。(*^U^)人(≧V≦*)/
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
 とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  (・∩・)?アレ??≡3   
想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、それ以上である。
後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミスが最悪だったということ。それが想定可能かといえば、可能である。        10年後に何を後悔するだろう?一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいればもっとシビアな手が打てたはず。
 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
  ≪字数制限のためカット2010年5月23日≫
・・・・・・・
2005年05月23日(月)
 1511, 子供や若者が変!
若い人や子供をみて、「いまの若い者は!」とか、「今どきの子供は!」とだけは、言いたくはなかった。
同年代の人が、この言葉を言ったら顔を歪めていた。古代の遺跡にも「今どきの若いものは」と書き残してあったという。
しかし最近になって、じっくりと小学生や高校生を見てみると、やはり[最近の子供がおかしい」と思うようになった。
どうも、例の「ゆとり教育」のぶざまな結果である。一時「ゆとり教育」が騒がれたが、いまや余りの学力低下に
文部省も慌てふためいて指導要領を見直すことになった。世界からみても、日本の学力低下が著しく目立ったためである。
20年前からスタートして、2002年開始の学習指導要領で完成したはずの「ゆとり教育」が、「学力だけでなく、
質そのものの低下になってしまった」と、いうのだ。それでは、その「ゆとり教育」とは何だったのか
 ー以下は、あるHPから抜粋した学力低下の実態であるー
OECDが3年に一回、世界41の国と地域を対象に行っている国際学習到達度調査の成績が前回は8位であったが、
今回の調査で日本は14位。3年で6位も転落してしまいました。日本が得意とされてきた数学力でも日本は1位から6
位に転落しています。この傾向は他の調査でも同じで明らかに日本の子どもの学力は低下している。
また、日本地理学会が発表した初の「世界認識調査」で、日本の大学生や高校生を対象に最近ニュースなどで
よく取り上げられる世界の国と地域の場所を認識しているか調べたところ、約4割がイラクの位置を正しく認識しておらず、
アメリカも約3%が場所を知らないという実態が明らかになった。一方、日本の子どもが宿題する時間は1時間で調査国の中で最下位。
 (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
ーーーーーー
以上であるが、ゆとり教育の結果が、その弊害だけがでてしまった。
「お子様大事、優先」の結果、どうにもならない馬鹿な世代が出来上がってしまった。
現在の小学生から大学生を中心にした世代である。教育現場では、大問題になっているという。
現場の教師が一番そのことを知っており、自分の子供は私立の小学校・中学校に入れるという。
それだけでなく、小学校の先生は父兄に私立の中学に行くようすすめているという。高校にいたっては、
30?も中退するところもあるとか。特に、外資系の会社員は「ゆとり教育」など認めてなく、
個性のある私立校に当初から子供を進学させていた人が多い。
何か、失われた10年は経済・政治だけでなく教育界も同じだったようだ。
衰退する時とは、こんなものだろう。 恐ろしいものだ。
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2004年05月23日(日)
1146, {上に立つ者の道}三十ヵ条
{上に立つ者の道}三十ヵ条がよい。
これは住友の岩澤正二氏が部下達に与えた指導者としての指標という。働くとは、
人間関係のどういうことが求められるか、どういう人間であるべきかの多くの示唆が含まれている。
耳の痛いことばかりである。住友の気概がそのまま伝わってくるようだ。
もっと早く、知っておくべきことがあまりにも多い。道としているところがよい。
理想は何処までも遠くにあっても一歩ずつ歩いていくべし、ということだろう。
1.むかう所を明瞭に示せ。
2.信を他の腹中に置け。
3.虚心担懐、光風霽月、是を是とし、非を非とせよ。
4.褒める時褒め、叱る時叱る。
5.権謀は無策に劣る。功詐は拙誠にしかず。
6.功を部下に推し、責めを身に引け。
7.広く意見を徴すべし。部下の話は熱心に聞け。
8.己に薄く人にあつく、己に厳に人に寛なれ。
9.長所を見て人を使え。人は誰しも長所を有す。
10.愚痴と立腹と厭味とは人の上に立つ者の大禁物、言いたきことあるも耐え得る雅量あるべし。
  (以下、字数の関係上カット 09年05月23日)
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2003年05月23日(金)
779, 茨城 のり子の詩
  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした。 私の解説など入らない!        
  落ちこぼれ       茨城 のり子
       (字数の関係でカット2,008年05月23日)
 ・・・・・・
 2002年05月23日(木)
415、「テーマ日記を書き始めて一年 ー2」
ホームページ上のテーマ随想日記は、非常に有効だ。一年書き続けて、毎日それなりにチャンとテーマが出てくる。
10日に一度くらいが、まったく思いつかない状態になるが、それでも、その状態の中でも湧くように出てくる。
書き続けることが大事である。「一ヶ月で、千項目テーマをあげて文章を書け」といわれても絶対に不可能だ。
しかし毎日一項目書き続けることは不可能でない。その習慣をつければ、何とか千項目書けるのではないか。
後二年近くかかるが。それさえ作っておけば、自分のデータベースになる。大テーマを立ちあげた時に、
それぞれの大テーマに合わせてそれを組み替えればよい。書いているうちにコツが解ってくる。新幹線の中とか、
散歩の時間にそれを集中する。またどういう訳か集中できるのだ。この時間の集中の積み重ねが膨大のデーター化になる。
またテーマを考えることと、そのテーマに対し色々言葉を組み合わせる作業が考えを深める。
内容に対しては、それぞれ批判があると思うが、その時点の自分の自然に出てきたテーマと内容なので、
これ以上でも以下でもない。書き続けるポイントは「ギブ・アンド・ギブ」である。そうでなくては、続けられない。
今までの自分の持っている経験・知識を全て吐き出し、現在、得た情報をそのまま出し続けなくてはならない。
しかしそれを実行していると、他のホームページのそれが良く理解できるからだ。そうする事が、逆に自分の為になるからだ。
仏教の布施、キリスト教のボランティアみたいに。それをすることで、他のページのそれが解ってきた。
自分が入れたエネルギーの数十倍、いや数百倍が入っている事が、理解できるようになったからだ。 
そうしていれば、相手の内容を見る目が違ってくる。また謙虚な眼で、それを見ることができるようになってくる。
またその時々のメルクマールにもなる。時間が経つにつれて、自分の考えもどんどん変化していく。
その変化した視点で、過去の自分の考えを見つめ直すこともできる。


3344, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー1

2010年05月22日(土)

 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
   ーアマゾンの内容紹介よりー
 消費税は上げなくても大丈夫! 年金は破綻しない!政府の借金は心配するな!  国民的大疑問を丁寧にわかりやすく解決。
 日本経済の常識を根底から覆す。 世界の経済大国「日本」の底力を、グラフやデータをもとに世に知らしめる珠玉の一冊!
 ≪年金、消費税、格差、国の借金。4つのテーマから見る、日本の将来が安泰なこれだけの理由。≫
 ーまず、その概要をまとめてみたー
 以前からメディアは日本の借金が数百兆円だ、破綻すると騒いでおり、現在、日本の借金は1000兆円を超えようとしている。
しかし一向に国家が破綻する気配を感じない。「いつ破綻するの?」「いくらになると破綻する?」のだろうか。
 父親(国家)が、子供たち(国民、企業、他)の預金を借用書(国債)で目一杯借りて、何とか急場を凌いでいるが、
それが数年で差し引きゼロの限度に達しようとしている。 とはいえ国の預金は、まだ二百数十兆円もあるから大丈夫!とか。
そして発行する国債の限度が尽きた時、自前で札を刷って、それを国債で賄えば良いだけと著者は主張する。 
しかし、これは禁じ手と前から言われていること。 この辺から著者の論に疑問が出てくるが・・。 国の金融資産も、
アメリカ国債を強引に買わされ、その額が500兆というし、楽観視は出来ないはず。 ただし消費税がまだ5パーセントと、
20〜25パーセントまで余裕?がある。 (ここには書いてないが)それを資産価値に換算すると500兆円。
 しかも国民の銀行預金や企業の預金などで国債借入れを賄っているので円安になった時のリスクはない。
(もし外貨建てなら90円が150円になれば、借金が900兆円から1500兆円に増えることになる。)
知人から「国債は永久債にして、返済は一切しない!で、金利だけ払う方法がある」と聞いたことがあるが、
金利をしっかり払えば、子供たちも何とか我慢してくれるか? そのため諸外国は日本の国債の異常な数字には、
あまり危険視をしていないというが・・。 
ところで、リーマンショックで欧米がニッチモサッチモいかなくなってしまった。アメリカは軍事力を背景に新ドルの
「アメロ」の切り替えで、デフォルトをしてくる可能性があるが、ユーロ通貨の矛盾も見ているので躊躇するだろう。
「日本経済がすごい!」稼動かは疑問だが、1400兆の預金は中途半端な金額ではない。
それと、消費税の10〜15パーセントの余裕もあるか? さらに永久国債化と、日本銀行の国債買い入れ、デノミ、
道路公団の株式化による売却に、地方分権と称した切捨てに、・・ギリシャのように、気楽に生きましょうか〜 
                                              ったく!  ー続くー
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2969、住まうこととさすらうこと −1
2009年05月22日(金)
 「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著      ー読書日記
 *世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。 
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 舟の上に生涯を浮べ、
 馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。
住まうこととさすらうこと、さすらうことと住まうこと。 人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。
そこで学生時代の寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっていることが解る。
そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。 東京に舞い戻り、金沢に、住まいさまよい、長岡に舞い戻り、
千葉に、そして、再び長岡・新潟に 住まいさすらってきた。 人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、
その一言一言が鋭く心の奥に響いてくるのである。通勤途上に私と同じ年位のホームレスの姿が「住まうこととさすらうこと」
を目の当たりに見せつけられる。 住まうことは、特定の場所に、特定の時間にいることである。
 それに対して、さすらいは、動いており、過程にある。異郷の馴染みのないものの挑発に実をさらし その中から身の証を
立てていかなければならない。 その経験が、その人の人生である。住まうことは「より自然に生じたもの」、
より大地に結びついている。それは、「屋内」という閉ざされたなかで、緊密な領域でくつろぐことである。
そこでは、開かれた外を忘れ、ゆったりと落ちつくところである。しかし、住まいのないさすらいは、ただ落ち着きのないだけ。 
住まいがあるからこそ、さすらいがある。「男はつらいよ」の寅がそう。正しく人生は、住まうこととさすらうこと、である。
だから、この本に引き込まれ自分の人生を重ねてしまう。人間の存在が、住まうことであるなら、それは
「世界という住まいー家ー」に住むことである。天の下、地の上を我が家にしていることを自覚することである。 
逆にさすらいは、つねに新たな未知の空間や辺鄙な地域に行ったとしても「全体的な世界」を自分の住処にするのである。
・・・・・・・・
2605, 自己愛について
 2008年05月22日(木)
先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の奥の本質を、そのまま提示されたことである。
夢に出てくる「海」が「自己愛」の象徴で、海底の牢獄でもがいている己の姿に、我ながら驚いた。
ユングの地下の象徴の夢に近い。 その夢の中には、自己逃避、不安、自己愛、それに囚われもがいている自分、
そして、死などなど、多彩な内容が重なっている。これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
  ーー
 真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。 自分が深く納得している自己愛でなければ、ナルシストの姿
 かたちの表面的なものに過ぎない。キリスト教の教えのように、真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという自己愛である。
 自己愛という言葉は、「私さえよければ」という利己主義とはまったく違う。 あるいはまた、自己愛は自分の魅力を感じて
 自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違う。その区別を見わけるために本当の自己愛の条件をあげてみる。
 自己愛とは、自分が認められたり、周りから褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。生きていくうえで、他者の存在は
 絶対に必要で、そのため自己愛と同じように他者愛を持つことも必要となる。 常に自分が一人ではない、と認識したうえで、
 自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。その極端な「自己愛性人格障害者」の特徴として、次のようなものがあげられる。
・自分は偉くて重要人物だと思っている。この幻想に限度がない ・自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。         ・相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
 〜〜 以上だが、
ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。女性の本質だから、仕方が無いだろうが。いや、誰の心の奥にも、
酷似して傾向が隠れている。自己愛性人格障害者の特徴に一言を書き加えれば、誰にも当てはまることだ。
そうすると、仏教の四苦八苦の世界の煩悩の最たる要素が極端の自己愛ということになる。
しかし、それは人間を大きく動かすエネルギーの元ともいうことも出来るのである。生物の遺伝子は自己愛ーエゴ
そのものという。自然体とは、エゴ丸出しということも出来る。キリストも、「己を愛するように隣人を愛しなさい」
と言っており、己を犠牲にして隣人を愛しなさい、とは教えてないのである。      ーつづく
・・・・・・・・・
2007年05月22日(火)
 2240, ヤバいぜっ!デジタル日本    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
               高城剛著  集英社  ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、情報最先端の事象を紹介しつつ
日本人の知らない日本と日本人を論じる。世界から取り残されてしまったIT戦略をこのままにしていいのか?
国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか? 日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる要素を組み合わせて
新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか?
日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。
著者は、これからの近未来はPCではなく「携帯電話」を情報の受・発信装置として駆使するライフスタイルが主流となり、
そのTrendは日本(人)が主導する」と予言。「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
「Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り遅れないために日本が行うべき事として
使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の機能・Design・Softを開発し、デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を練って
いくべきと論じている。グーグルに対しての見方には異論があるが、それでも携帯電話が主流になるとは、成る程と思うが・・
ーまずは面白そうな部分を
 P-21 ー TVを処分することを勧める!ー
情報ダイエットの方法として、思い切って何かをやめるとしたら何だろう。情報量の多い、インターネットか携帯電話、
そしてテレビ。その中で一つやめるとしたら、あなたは何を選択しますか?
どれもやめられないとう人がほとんどだろう。僕は、テレビを数年前にやめた。
モニターを数台持っているが、チューナーを接続していない。一週間で見るテレビの時間はゼロである。
もちろん、サッカーもオリンピックも見ない。正確に言うと見られない環境にある。朝一時間くらいついていたり、
夜1~2時間ついていて、テレビの音声を聞いていることが多い。一日3時間、週に21時間、テレビと暮らしていることになる。
これをやめれば、約一日使える時間が増えることになる。週8日。これは大きな変化である。
もし本気で情報ダイエットに取り組もうとするなら、ネットオークションでTVを売るか、友人にあつかってもらうことを勧める。
 P-24 ー未来のないゲームー
この数年で、ゲーム業界が不振に陥っている。一般的には、携帯電話に市場を取られた、次世代機を持っている、
などいうものだった。 プレーステーションでゲームの頂点を迎えた。実際に、マイクロソフトからもX-box360と呼ばれる
次世代機が発売され、僕も使ってみたが、映像がきれいになった程度で、欲しいものではなかった。
 わかりやすく言えば、iPodほど価値観をかえるものではない。オンラインで音楽を入手して、それを一万曲ハードディスクに
詰め込んで、外に持ち出す。音楽の入手を一貫して提案できたのはアップル社だけであった。・・・
では何故ゲームをやらなくなったのか?僕はこの数年来、「街の構造がゲーム化したから」と答えている。
簡単に言えば、ドラゴンクエストなどでポイントを貯めたりレベルを上げることより、家電量販店のポイントやマイレージを
稼ぐ方が楽しくて現実的で、美少女ゲームをやるより、出会い系サイトのほうが楽しいということだ。ITが普及したことで、
実写がゲーム化したことも大きい。大金をかけた架空の箱庭のゲーム・コンテンツが、現実社会に根ざしたちょっとした
メールに負けているのだ。時代はブログのような発信可能なメディアへとシフトしているのだ。大情報化になってしまって
時間がなくなったのである。非現実的なものに触れる時間は、まず第一に削られることになった。 それがゲームである。
 ーー
解)これを読んでいて、全くと思う。 私が40数回いった秘境ツアー、あれは旅のゲーム化である。
それも、その地域を熟知している専門代理店の企画に乗ったバーチャルに近いものである。
その道の専門家からいったらあれは偽もの。 しかし、お客はそれでいいのである。
詳細は帰ってきてから、TVや図書館にある写真集や、冒険家の本を読み返せばよい。
リスクは負いたくないし、タンザニアなど危険すぎて単独旅行などできない。
なら企画モノに乗ればよいのである。情報は幾らでもある、それを元にいかに構造を組み立てるかが、
個人個人に求められる時代ということである。日本は、その点では非常に知恵のある人種。
可能性は幾らでもある時代になってきたということか!    ヾ(・ω・`)ノバイヾ(・ω・`)ノバイ
・・・・・・・・
2006年05月22日(月)
 1875, 大相撲・千秋楽   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。今場所は、朝青龍が怪我で休場をしたが、
最終的には白鵬が優勝をした。まあ順当であろう。最近は千秋楽の翌日に、大相撲について書くことが多くなってきた。
この数年間(若乃花・貴乃花時代が終わってから)全くつまらなくなっていたが、最近になって徐々に面白くなってきた。
今場所も以前から比べると空席が少なくなったようだ。日本人、モンゴル人、旧ソ連圏のグループの対決が鮮明になり、
モンゴル相撲と、トルコ系?レスラーの異種格闘技の様相が時代にマッチしてきた。ただ若い有望な力士は殆んど
外国人力士の上、幕内上位の半数が外国人力士というのが気になるが。一部屋に外国人力士一人という制限があっても、
段違い?外国人が強いのだから、その制限をとったら幕内の殆んどが外人力士になってしまう。まだ幕下に強い外人力士が
数人いて、まもなく上がってくる。金髪の把瑠都という力士も、怪我さえなければ横綱昇進は間違いない。
白鵬、朝青龍、把瑠都の時代が3~5年は続く。先日、新聞に載っていたが、過去の15日制になってからの
全データーを調べると、7勝7敗の力士の勝率は8割という。その数字は明らかに八百長の存在をあらわしている。。
そのため千秋楽の前日は、翌日の番組発表は幕内の取り組み後になっている。ただ、最近は携帯があるから?・・・
自信を無くしていた日本人も持ち直してきた。相撲を始めて二年もしない新入幕の金髪力士が
優勝に絡むのだから、相撲の深みとは何?なのか。ただ、立合いの気合いが大きい要素というのは、他にない格闘技である。
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2005年05月22日(日)
 1510, ご自愛のほどー2
この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にしてきたことを娘のために綴った、
詩のような言葉である。 著者は、この本を完成させてまもなく、命まで本にこめて亡くなってしまう。
そう思って読むと、またどの一行も深く感じるものである。彼女が亡くなった後で、娘が自費出版を続けていたのが、
出版会社に目がとまり、多くの読者に読まれるようになった。
 (以下は字数の関係でカット)
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2004年05月22日(土)
 1145,「デフレ・スパイラル」について
 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。 そこで、デフレについて、調べてみた。
 現在の世界の経済は、有史以来三度目の大きな屈折点にある。 21世紀はデフレの世紀になるだろう。
・経済の第一の屈折点は、10000年前の農業革命である。人類が定住を始めて物々交換市場が成立した時点。
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年
 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の
衣料ディスカウント店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)に転居していた。
それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。
母親が重度のノイローゼーになっていた。二人の息子(兄)の不幸の死と、仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。医者にも見放されそうで、何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。身近で見ていても子供なりに、それが分った。そのあと40年は
遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。商売を続ける事は、すざましいことだ。
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ーその頃の政治や社会的出来事としては、
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2002年05月22日(水)
 414, サッカー直前の馬鹿話!
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、開催地のホテルが深刻な?
悩みというのを放映していた。一年前の説明会で25パーセントの紹介手数料と聞いて、何を馬鹿な!
それなら逆に、他の一切の代理店の予約もとらないで、落穂拾いの方針に切り替えた。
黙っていても、溢れたお客が流れてくるのを拾ったほうが有利に決まっている。
どこかの国の訳のわからない総代理店、何の保障がない。昨日のTVで、それに合わせて開業予定のあるホテルが、
設備を代理店の言うままに追加投資。それが直前になって90パーセントが解約されてしまったという。
泣くになけない状態とTVで責任者が嘆いていた。何処かの県?の旅館組合の代表が、この時期に毎年やる
他のイベントがそれを嫌がり、他の県に移った。むしろ普通の月よりマイナスだと、間抜け顔をして言っていた。
少し考えれば、幾らでも知恵が出てきそうなものを!普段の月より、一割も稼動が増えるかどうかのレベルの話。
去年、プレの大会があった為、前年並みで終わる可能性がある。ただなんとなく街に人が多い感覚で終わるだろう
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2001年05月22日(火)
 チャレンジ100
60歳までに50回 外側?異境秘境をメインに旅行の目標を数年前にたてた。
ねん3回ずつ最終年4回で達成だ。今まで34回面白かったし、エネルギーも
つかった。この分だけ人生に上乗せという感だ。年三回というと家内の分も含め
ると2百万余かかる。ゴルフはやらず、
(以下、字数の関係でカット2,008年5月22日)


3343, 閑話小題

2010年05月21日(金)

  * 9・11事件の謎
 ここで「9・11事件についての謎?」何で、というと、米国軍事産業か、金融関係者なら平気でやりかねないと最近、
特に思うようになってきたからである。このテロでアフガンやイラク戦争で軍事産業が大きな需要が生じ、恩恵を受けたからだ。
さらにリーマンショックもしかりである。世界中に不良債権という毒の入った債権を売り、その影響が今後、
10年〜20年間にわたり出てくる。これは数百年にわたって築き上げられてきた近代資本主義の崩壊をもたらす。
それさえ金融の支配者はやりかねないという疑念が出ている。ユーロの揺さぶり、そして膨大なアメリカの借財の棒引きの狙いだ。
その真っ只中に我われがいるのである。その第一波の大きな波が、まずは南欧のラテン系の国家、Piigsである。
そして、時を同じくして日本の地方と輸出産業である。まずは地方の我われが、その直撃を受けている。
 9・11事件発生の数ヶ月前から、株と為替に異常な動きが在ったと、関係者からの証言がある。
事前に知っていた者たちが、その情報で大儲けをしていたのである。あれから世界は本格的に激動を始めた。
  * 韓国が北朝鮮に報復攻撃?
 5月19日の読売新聞によると、≪ 韓国海軍哨戒艦「天安」の沈没原因を調べている韓国軍・民間合同調査団は、
沈没現場付近の海底で回収した魚雷スクリューの破片に記されていた識別番や刻印が北朝鮮の字体だったことを確認し、
北朝鮮の犯行を裏付ける有力証拠とみている。≫ また、昨日では、それが正式に発表された。
 この件で、攻撃された韓国軍が黙って見過ごすとも思えない。 北に攻撃を仕掛けることは充分にありえること。
あまり気持ちの良い事態ではない。 本当に北朝鮮かどうかは現時点では分からない。アメリカの陰謀もありえるからだ。
北の魚雷スクリューの破片が発見というが、それも本当かどうかである。 韓国と北が交戦して一番、利を得るのはアメリカ。 
日本の普天間基地問題も、これでスムーズになる上に、日本の参院選挙でも民主党に対する揺さぶりにもなる。
  * 一年近く収まっていた腰痛が?
 ベッドとシーツの間に低反発マットを、居間と事務所の椅子にも低反発クッションを敷いたため腰の負担が半減したこともあり、
腰痛が殆んど収まっていた。 しかし、例年の五月連休明け後から恒例の腰痛が出始めてきた。 腰痛予防に年中、
腰に幅5センチほどのゴムベルトを巻いている。それでも、このところの寒さと湿気のためか腰が重い。
数日前に、会社のYさんが急にギックリ腰になってしまった。 車に乗るのに5分、降りるのに5分もかかったといか。 
いつも私が腰痛の姿を見ていたが自分が経験してみて、その苦痛の深さが分からなったという。
歩く動作が、自分の姿を見ているようで不思議な感覚になった。 まさか「この苦労を47年もしてきた」と言えないし。
腰痛にも軽症、重症、そして超重症がある。その超重症の時の痛みなど、言葉には言い表せない。
這っていた猿が縦になって歩き出した結果、腰の骨格が対応してないためだが・・・・
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 2968,閑話小題
 2009年05月21日(木)
 * 考えるほど、恐ろしい近未来
新インフルエンザが、日本でも拡大してきた。通勤帰りの新潟発の新幹線は、車内で一割、新潟駅構内と長岡駅構内では
3〜4%位がマスク着用。数週間後には、全国に蔓延しているだろう。微弱性の新インフルエンザに過剰反応と思いがちだが、
秋口には、弱毒性から強毒性になる可能性がある上に、鳥インフルエンザが流行する可能性もあるというから、WHOの反応は
決してオーバーではない。今回の新インフルエンザは、鳥インフルエンザに対する世界規模のシュミレーションになっていると、
考えた方がよい。新インフルエンザの死亡率が2%だが、鳥インフルエンザは60%というから、ただごとではない。
都市機能だけでなく国家機能も失われることになる。 この騒ぎが何時まで続くか誰も知らない。
世界恐慌を上に、これである。 現実の世界とかけ離れた小説のような世界に入ってしまった。
地球システムが、人間システムを根こそぎ壊し始めたということなのか?
 * 事務所の移動
事務所を移動したが、これで8回目。前の事務所は5年間。これまでの平均すると4年である。
まあ腰が落ち着かないが、ここも4〜5年先に移動することになる。 今回の引越し理由は、事務所の壁を隔てた隣のテナントの
居酒屋が事務所の面積を含めた規模を希望したため。 今回の事務所は、第一シングルインの隣のビルの2Fである。
オーナーと知り合いで、家賃を半値にしてもらったことが、この移転の決め手になった。
とはいえ、ここも駅再開発工事の道路拡張のため取り壊しになるので、移転しなければならない。
また、第一シングルインの接収の売却交渉に、隣りのビルにいた方がリアルで交渉がしやすく、
そこのオーナーとも共同戦線もはれることも良い。 昨日で大方の移動作業は終了したが、
窓側が全面ガラスで天井が高く、事務所環境は格段上である。 さすらいの事務所? ということか。
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2604, 最近みる夢 ー2
 2008年05月21日(水)
前回、「空からパラシュートから飛び降りて、墜落し、気がついたところが海底の檻の中で、
もがいている所で目が覚めた夢」を書いた。そこで、その夢分析をしてみた。
・まずは「空を飛び降りる夢」
 空は束縛のない自由の世界。 現実の世界は覆いかぶさる責任ある仕事の重圧や、会社や家庭という束縛、日常の退屈など、
 知らないうちにプレッシャーがある。 空から飛び降りる夢は強い脱出願望の現れ。また落下することは、強い不安の現れである。  
 不幸な境遇に陥る、ひどい気分に落ち込むなどを、敏感に感じ取っていることを現わすから、サブプライム問題で更なる
 不況への不安感や、還暦を過ぎたことの焦りなどが、夢に集約されている。
・「落下途中にパラシュートが開かない」 これは開くはずのパラシュートが半分しか開かずパニックになる、
 予定していた想定が、外れる不安である。この歳になると、いつ死に直面するかもしれない不安感の顕れ・
・次は、「海に落ち、海底の牢獄の中で檻から出れないでもがいている」部分。 これが面白いのである。 
 夢の中で、海なら助かると自分で直感的につくりあげた瞬間創作。海は欲望、それも自我愛である。 
 海底の牢獄は自我愛の牢獄。そこでもがいて死の境にいる私の顕わの姿そのもの。
・そして、「ああ、このままでは死んでしまう」と恐怖を持った瞬間に目が覚めた。
 死の夢は、 古い自分が死んで新しい自分が生まれる前ぶれという期待。
 従って死ぬ夢は、新しい人格の為に古い人格が死ぬことを意味している。
 解釈の問題だろうが、それにしても人間の顕わの姿が、自分の夢に示されている。
 現在、色々の問題で混乱している部分の己を、こういう夢で光を与えてくれていると解釈すると、驚きである。 
 一種のユング的な夢と受け止めることができる。 夢そのものより、解釈のほうが面白いだけか?受け止め方である。 
  前夜、これを書いたためか、これに劣らないほど?面白い夢をみたが、ほぼ断片を残して記憶の彼方に消えた。
・・・・・・・・・・
2007年05月21日(月)
2239, 宇宙に他に地球のような星があるの?
                    ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
以前にもすこし書いたことがあるが、20年以上前の話。夏休みの午前中にNHKラジオ放送の「子供電話相談室」に
「宇宙に地球のような星が他にあるのですか?」という質問があった。子供は純粋だからこそ鋭いから、偉い先生も
タジタジすることが多い。その時の回答の先生が天文科学者だったが、その名回答に、「成る程!」と感心してしまった。
    ーー
「宇宙に人間が住める星が他にあるかどうか、まだ科学では解ってないの!
でもね、考えてみて、この広大の宇宙に地球のような奇跡の星があって、人間や生物が生きているとうことの方が、
素晴らしいことで疑問なの。現在どんなに科学の研究が進んでも、解決できないほどの奇跡の結果なのね。
解る?だからね、他に星があるのか疑問に思ったなら、この広大な宇宙に地球しか無いかもしれない不思議を考えてみる方が
重要なの解る!」である。車を運転しながら「何ということをいう学者だろう!」と驚いてしまった。最近マスコミで、
「さほど遠くない星に地球に酷似した環境の惑星が発見された」と発表されたが、生命がいるということではない。
哲学者の池田晶子が、最近TVに頻繁に出ている怪しげな「来世」など「生まれかわり」を話す江原啓之を、
一刀で切り捨てていた。「いま、生きていること自体が不思議で解らないことばかりなのに、何で来世など問題に
できるの?笑ってしまう」と。 全くその通りである。 現世を地球人にたとえ、来世を宇宙人にたとえれば
面白いのかもしれない。宇宙人を問う前に、地球人とは何か知るべきである!
その視点で江原啓之の話をTVで聞いていると、下手なお笑い芸人よりズ~ッと面白い。
 ーウキィペディアで江原啓之を調べてみた。以下はその一部ー
(字数制限のためカット 2010年5月21日)
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2006年05月21日(日)
1874, 人生の質×量=人生の総量
            才八∋ウ_〆(∀`●)
4月19日のバードウォッチングの中で、
「人生の真実は、人生の勝敗で勝ったとか負けたとかは関係ない。人生の質は常に喜ぶことのできる能力に比例する。
その喜ぶ能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる」を紹介した。
(モーニング・ページを紹介してある「ずっとやりたかったことを、やりなさい」 の中にあった言葉である)
この言葉が頭の中に残っていて何度も思い浮かべているうちに、人生の質×人生の量=人生の総量(豊かさのレベル) 
と思い至った。人生の質は認めるが、それだけでは男として物足りないと考えているうちに、人生の量(行蔵)も
大事であると思いたった。そらから人生の質×人生の量=人生の総量ではないかと。そして総量があるラインを越すと
アップ・スケールが生じる。蛹が蝶になる脱皮である。 総量が一段上の質へ転換することだ。 
人生の質だけでは何か男として物足りない、量も大事では?と思ったことが、これで筋が通ってくる。
アップスケールし続けることで総量(豊かさ)が増え続けることになる。人間は、それぞれの立場で、立ち止まることなく、
変化(アップスケール)をすればよいのだ。少し歪んだ立場(場面)になると、人間は自分の人生を必死になって肯定しようとする。
誰か何らかの形で、現状を肯定しようと必死になっているものだが。幼稚園から、小学校、中学校、高校(大学)、社会人、
親・・と、それぞれの立場が変化していく。その時々の立場を喜んで受け入れ、肯定して次の立場へのステップをしながら
脱皮続けることが、人間のあるべき姿ということになる。 「人生の質とは成功も失敗も喜んで受け入れる能力に比例する」
ということからみても「好きなことを見つけ、それをやり続けること」こそ、人生を豊かにするである。
「人生の質=喜んで人生を受け入れる能力」という言葉から、人生を考えてみた。
          ヾ(^ω^*) バイ! 
・・・・・・・
2005年05月21日(土)
1509, ご自愛のほど?1
 「もっと自分を愛してごらん」ー1    ー読書日記
図書館で何げなく借りてきた本である。女性向の本だが立ち読みをして、心が和んだので借りてきた。
簡易な短い言葉の奥にある優しさや力強さが、そのまま感じられ、また見る度に気になるページが変るから不思議である。 
すっと自分の心に入るもの。ちょっと考えこんでしまうもの。自分を愛すると変わってくるもの。自分を満たすと見えてくるもの。
そのページごとに深い愛情が、言葉の底から湧き上がってくる。その愛情が自分を楽にしてくれ、誇りを感じるようになり、
また深い自分に気づくようになる。実際に「自分の娘に語りかけるように」して書かれた内容である。
一人、孤独に浸るときなど、女性だけでなくとも読むと良い。また心の疲れや悩みを和らげてくれる。 
 まず、自分を愛してみることである。
 ーその幾つかを書き出してみるー
もっと自分を愛してごらん すると すぐにあきらめたり 妥協したりしなくなる
もっと自分を愛してごらん すると自分のいいところが見えてくる。
もっと自分を愛してごらん すると 今いるここ この時代こそが
実は自分にピッタリの居場所だったのだとわかってくる。 そして むだな力が 抜けていく。
もっと自分を愛してみたら ひとりでいることが 好きになった。
静寂につつまれ その魔法にも似た力に打たれながら 自分の内のはるかな広がりに 耳を傾けるようにして。
自分をしずかに愛してみたら わかるようになってきた。
べつにわたしは 特別な人間ではない でも この世に ただひとりしかいない人間だ と。
自分をしずかに愛してみたら 「成功する」ということの意味が変わって
人生がシンプルになった。 ああ 毎日が 何と すがすがしくなったことだろう。
もっと自分を愛してごらん すると かわってくる。 人生を追かける必要のないのだ、と。
しずかに あわてずにいれば 人生のほうから やってきてくれる と。
自分を深く愛してみたら 心の痛みというのは わたしが何か 神様の真理からはずれたことを
してしまっているシグナルだと わかってきた。
ちゃんと自分を愛してみたら機会あるごとに せっせと歩くようになった。
階段を歩くようになった。 景色のいい道を 選ぶようになった
 ーーー
  以上のような詩が 82も書いてある。
左側には母親の自筆のノートが写真で。
右側が訳者の言葉で、心がこもっているためか、どれを見ても染みるように響いてくる。
「もっと自分を愛してごらん」 キム・マクミラン著  文藝春秋社 
 ー明日も、幾つか書き写す。
                  ーつづく
・・・・・
2004年05月21日(金)
1144, つれづれに -不安
 ・テロの脅威
アルカイダ幹部が、昨年9月まで、一年二ヶ月も新潟に潜伏していたという。経歴もかなり年期の入ったテロリストで、
本人がその気なら何時でも大きなテロを起こせたようだ。まさかと思っていたが、身近な問題になっていている。
ドイツで捕まり、取調べからこの事実が初めて解ったのだ。上越新幹線か柏崎原発辺りは、何時でも可能であった?
スペインやインドネシアのテロが思い出される。国内への600万の入国のチェックは、かなり難しいだろう。
参院選挙が近づいてきて、非常に危なくなってきているとみたほうがよい。
もし、新幹線などのJRの駅でテロがあったら、直接に商売が上がったりになることは自明である。
最近、新幹線のホームで警察官の姿が目立つようになったのも、こういう情報に基づいてのためであろう。
 ・今度はUFJ銀行
「りそな銀行」の国家管理が落ち着いたと思ったら、次のターゲットが「UFJ銀行」になってきた。
3年連続の赤字で、今期は3000億の赤字とか。関連のUFJ信託銀行を、住友信託に3000億前後で売却に入るとか。
東海銀行にしても、三和銀行にしても、硬い基礎の銀行で、悪いなりに大丈夫というイメージがあったが、
このデフレ・スパイラルには抗しがたいようだ。グループの三人のトップは引責辞任とか。
・・・・・・
2003年05月21日(水)
 777, 何ともいえない日々が続いている。
 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、
黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまったと聞いている。当方もこの一?二年で可能性がでてきた。 
そのパターンは「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくてはならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。明日はわからないというのが、
全ての会社の偽らざる事態だろう。もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業やデズニーランドや
飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。日本でも26万人死んだというが、SARSが
この状態になる前に防ぐことができるだろうか? 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、手と身体を清潔に保っていたのが
ペストにならない原因。話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。これも清潔に関係しているという。
世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロやエイズなど暗い問題が多いが、
せめて気分は前向きにしておきたいものだ。
・・・・・・
2002年05月21日(火)
413,ー印象に残っている両親の言葉ー
母から聞いた言葉で「片耳だけを聞くな」という言葉があった。昔から、ちゃんとそういう言葉があったのだ。
世間知らずの人や、人の良い人を利用しようとする時、あるタイプの人(片耳内幕情報や)が利用する。
三流マスコミや株屋、そしていびつな組織人が良く使う手だ。要するに一方的の話しだけを聞いて判断するな、
数名の人の話を聞いて判断すべきという事だ。何人かに聞いているうちに、その背景見えてくる。
「あと歯に血がつく」という言葉も、母から聞いた。博打で勝ってその味を知ってしまう事をいうが、上手い言葉だ。
歯についた血がいつまでも口に残る。今はあまり言葉として聞かないが、父が使っていた言葉で「てんごうを欠く」があった。
自分の力の以上の仕事をして、失敗することを言っていたので、天の理を欠くで、「天合」?を欠くというのだろう。
倒産した会社の社長を何時もそう非難していた。「きみせをするな」とも、子供の頃よく言われた。他人におどけて見せたり、
パフォーマンスをするなという意味だった。大家族のせいもあって、あまり目立つ行為をするなということだった。
 家内に時々そういう類の言葉を使い、「明治生まれの両親の子」とからかわれている。
・・・・・・・・・・
2001年05月21日(月)
つれづれに
今日3時半に目が覚める。4時半に散歩にでる。この時間でもけっこう歩いている人がいる。
土手を朝日をうけて歩くとこの上なく気分がよい。このところ5時間も寝ると目が覚める。
爆睡しているせいか、寝不足に感じない。最近CS?TVの癒し系の番組268チャネルを』
申し込んで音楽を聞いているが映像もいい。何回も書いているが、このソニーのBSハイビジョンTVはいい。
映像つきラジオ番組472チャネル?マザーアースもいい。


3342, 医師と看護婦の危ない関係

2010年05月20日(木)

 いまさらの話だが、医師と看護婦の危ない関係が表面化してしまった。下世話の話だが、何処かの同級会で
「あの何某、医師になって順調に出世しているが、彼の話だと看護婦は、○○放題?だと!」。
酒席で酔っ払っているので、言っている方も、聞いている方も、ほぼデマ?として本当とは思ってないが、
「そういうこともあるんだ?」と、半信半疑で聞いたことがある。 看護婦の立場からみれば、医師にみそめられるのが
理想系だが、医師の立場からすれば、同じ医師か、その世界の娘と結婚をするか、医師のネームバリュー?で
自分より格上の家の娘を対象にする。したがって看護婦は浮気相手に丁度良いが、結婚となると躊躇をするのである。 
病院といえば激務の閉ざされた世界。 そこには、医師の序列があり、その下に看護婦の序列、そして事務系の序列がありで、
歴然とした階級世界である。 それを小説にした山崎豊子の「白い巨塔」がある。映画化をされて話題をさらったが・・。 
そこは閉鎖された社会であり、医師とはいえ、医者○○?の技術者。 それと看護師の織り成す話なら日本中、話題は尽きない。
が、どういうわけか、表面化が少ないのは、どういうことだろうか?そういえば、米国のTVドラマのシリーズものにあるが。
 今回の事件、まさに小説のようである。 あらゆる要素が、この事件の中に含まれている。
「妊娠していた相手の承諾を得ないで薬物を飲ませ、流産させた」というから、恐ろしい話だが、看護婦の方も、
堕胎した遺体を保管しており、薬物の痕跡になる証拠を残していたというから、何か異様である。
それを本人が承諾していたか、いないかは内面の問題になるから、男女関係の縺れの水掛け論の可能性がある。
もしかしたら、実は女性の方の・・・という可能性も当然も論じられる。これが表立ったことで二人の一生の致命傷になる。
 日本中のお医者さんの何割か?が、息を呑んでいるのではないか? 邪推? そうそう 面白い小話があった!

 ・・・・・・・・・
2967,困難は分割して解決しろ!とはいうが・・
 2009年05月20日(水)
人生にしろ、事業にしても、困難が付物。 困難に突き当たったら直視するしかない。
問題=困難に突き当たった時に、まずは割れ目を探すことが第一歩。更に、的(敵)を幾つかに分割して、
簡単なものから一つずつ集中して解決する。それをこなしていくうちに何時の間にか困難は解決している。
問題が複雑で難易度が高いほど、その達成感は深くなる。 それに熱中するほど、無私になっていく。
政治家ほど、その無私が求められるが、一般的には外からは見えない。これは人生にもいえる。難しい問題ほど真正面から
当たるしかない。大相撲の立会いの一瞬に「勝負の分け目の難関」がある。 その瞬間が大相撲の醍醐味である。
目先の問題に対し、分割以前の困難性が立ちふさがることがある。その場合、ただただぶつかっていくしかない。
そのうちに時間が解決する。孫子の兵法の「戦略」の基本に、敵を分断をして弱い方から攻撃をするのがある。
そのために、準備と構えが最も重要になる。ところで、野球のイチロウは「超一流の投手こそ一番打ちづらそうな球を待つ」
という。普通は一番打ちやすい球を狙うが、それは普通の世界の人のこと。彼は、一番難しい難問にチャレンジする。 
そこが超一流選手の考え方である。それが「最も重要なことから始よ」という道理なのだろう。
世界恐慌、そしてパンでミックと、次から次へと難問が押し寄せている。それも危機という点では、数百年に一度の難問である。 
下手なハリウッド映画など足元にも及ばない規模ときている。「困難は分割して解決しろ!」とは言え、これだけは・・ 
それでも立ち向かわない問題である。 まあ、面白い、などと悠長に構えていられない。
 人類に、そして私たちに何をチェンジしろと、迫っているのか。 人類圏そのものの存在か?
・・・・・・・・・
2603, 最近みる夢
2008年05月20日(火)
                  (p≧w≦q)オッ☆ ハ!
 最近みる夢は、ますます深遠の奥にある中心に入り込んだような内容が多い。
  一昨夜の内容といえば、
 飛行機からパラシュートで落下するが半分しか開かない。先に飛び降りた人達のパラシュートは開いているのに・・・
 そして海に落下する。そして気づくと海底の牢獄のようなところでもがいている。 ところが檻があって海面に
 出ることができない。生死の境目を漂っているようなストーリーである。 最近、図書館から借りて目を通した
「死のまぎわに見る夢」の影響だろうか。哲学書の生死の問題について読んだばかりのためだろうか。
 映画でみたダイビングのシーンの影響か。その全てだろう。夢とはその人に深く埋もれている創造性が出るというが。
 現時点の、死に対する潜在的なイメージだろう。何度も書いたが、父親が死んだあとに父のベッドで見た夢は、
 心の奥深く刻まれている。 亡くなる前の数ヶ月、父は「死にたくない」という死の恐怖と闘っていた。 
 一緒に住んでいたので、その気持ちが私には痛いほど感じていた。亡くなった数日後の深夜に、父のベッドで、
 その気持ちに乗り移ってしまい「死にたくない、死にたくない」という父の気持になったのである。 
 その夢から覚めたときに、「何だ生きているじゃないか!」という、父の感覚が乗り移って現に生きているという不思議な感覚。 
 魂が入り込んだとイメージである。 魂は不死という不思議な感覚を、その時に初めて実体験をしたのである。
 27歳時だったが、それ以来20年近く、霊能力みたいな五感以外の感覚が私の中に入りこんでしまった。
 最近は、殆ど無くなってしまったが、何時また出てくるかもしれない。夢の内容を意識的に思い出し考えると、
 不思議な世界を覗き込むようである。深い得体の知れない自己の深遠の世界をみるのである。その奥は、想像を遥かに超えた
 自分の経験の積み重ねだけでなく、何億年の生命の経験の積み重ねの記憶まで広がっているようにさえ思える。
 考えてみれば、宇宙の一点で独り彷徨っているのである。 それを真に気がつくのが死の間際だけとは・・・
 身近な不幸な死を垣間見たとき、つくづく感じるのである。群れているしか身の処し方を知らない人こそ、そうだ。
                              (*´・ω・)ノホナ
・・・・・・・・・・
2007年05月20日(日)
2238, お金の正体 ?2
  (*゜ロ゜)ノミ☆【おは?♪】         ー読書日記
ーまずは面白そうなところを幾つか抜粋して考えみよう。
P32ー  ここで不動産のイロハを言うと、
・土地、建物の値上がり率は経済成長率より低い。ロンドンでもニューヨークでも、50年~100年間の統計がそうなっている。
 その理由は固定資産税をとられるからで、経済成長率より低い分はちょうど、
 税金額に見合っている。 不動産に対する税金は逃げようがない。
・ロンドンやニューヨークで不動産で財産をつくった成功者がいるが、
 その人たちは大抵ユダヤ人である。ユダヤ人相手に売買して負けになら そうぞおやりください。
・ロンドンでもニューヨークでも人口が爆発的に増加した時があった。その初期に買った人は巨万を築いたが、
 やがて町にも必ず衰退期がくる。その前に売り抜けないと! 一等地だから大丈夫という人は大抵騙される。
 これは古今東西に通じる真理である。 結論をいうと、土地に限らずお金をまわして儲けるのは、自分で事業をおこして
 儲けるよりも楽ではない。 確実だとはいえない。 事業そのものを見る力のない人は不動産売買に近づかないことだ。
 土地は万能基本財だが、それでも大きな浮き沈みの波に晒される。
  ーーー
 解)身に染みて解ったことが不動産の浮き沈みである。これが解らないから苦労するのである。大銀行もである。
  そして、また都会を中心に土地バブルがおきようとしているが、今度は利益還元法で割り出した
  裏づけを求められるだろうから、以前とは違うのだろう。
 〜〜
P120ー
 *格差社会といっているが
 日本は精神でも身分でも経済でも平等な社会をつくることでは、世界で一番成功している。いまはだいぶ崩れてきて
 格差社会といっているが、5~10年前に比べればの話で、国際社会からみれば世界で一番平等な社会である。
   (字数の関係でカット2,009年5月20日)
・・・・・・・
2006年05月20日(土)
1873, 「ノート術」本当の極意 ?1
    \(^▽^*)おはようございます!*^▽^)/                    
本屋の中を徘徊?をしていたら、ー日経ビジネス・アソシエー という雑誌に「ノート術」本当の極意 があった。 
朝刊の広告にあったものだ。7~8年前に、「天才のノート術」を分析してあるトニー・ブザンのマインドマップ方式の
ノート術を知り、これを中学校時代に知っていたら・・と、目から鱗が落ちる思いであった。
ノート術そのものが、脳の力を強化する思考技術だったのだ。このテーマ日記も一種のノートである。
最近になって、モーニング・ペイジという習慣を身に付け、これも目から鱗であった。
これらを人生の最後の直線コーナーに入って気が付いているのだから・・
いや何度か気がついていたが習慣化までいってなかった。しかし気が付かないよりは良いだろう。
随想日記の五年間書き続けたことも、自分にとって最大の収穫である。
                 。。。φ(ー` )メモメモ   ・・・ボキッ!!☆_/o(□`;)!!
話を元に戻すが、この本の内容は奥行きが深い。この特集では、15人のノート術を紹介しているが、
その何人かを纏めてみよう。面白いのが紙面で、そうは書いてないが、内容の濃い順に書いてある。
ノート代わりに写してみる。      ??φ(.. ) メモメモ あっ間違えた_ロ(.. )m ケシケシ 
                   やーめたφ( ゜゜)ノ ポイ でもなぁ( ..)_ ヒロットコ
 最初のユニ・チャームの高原慶一郎氏の「ノートがあなたを成長させる」の要点をまとめてみよう。
・45年間に書いたノートは650冊以上。
・テーマごとに分けてノートをとっている。海外出張、コンサルティング、セミナー、人生シナリオなど。
 ?大きなくくりとしては、「世界を知る」「経営の定石を体得する」「自己と組織開発」
・世間にありふれた情報や知識をノートにまとめることで、自分として根づく。
 その際に、漫然としてとるのではなく「1P6W2H」でまとめます。
 -priority ー優先順位 
 -6W=5W+whom
 -2H=how to, how much.  こうした視点で、自分の思考を瞬時にまとめる。
・ノートはコクヨのA4サイズの「キャンパスノート」に100円のボールペンで書いている。
・あらかじめ最初の数ページは目次と要点をまとめるページに割いておく。
 それぞれのページの欄外には気づきやヒラメキを書く。キーワードにはマーカーをひく。
・書いたノートは執務室の書庫に保管して、いつでもオープンにしています。
 ナレッジは共有・継続するものなので、体系的に整理して「ユニ・チャーム語録」
 としてまとめました。 それを社員手帳に収録し、全社員に配ってます。      
              .._〆(・∀・@)...〆(´U`*...φ(・∀・*) _φ[・ω・`*]メモメモ♪
ー高原会長が書き続けてきて、ノートは何か?という実感は?
 ノートはただ記録するだけのものでなく、人生を豊かにする一番身近な、毎日できるトレーニングの方法。
 スポーツ選手のプロが朝から晩までズットトレーニングをいている。
 それは頭で覚えるものでなく、身体で覚えるものである。ビジネスパーソンにとってのノートも同じである。
 毎日書き続けることによって、自分の能力が高まり達成感が得られる。
 誰でもやろうとすればできることを、一流の人は繰り返し継続をする。 継続は力です。
 元来、人間は考え、行動を繰り返す生きものです。また自分の内なる欲求と外部の刺激によって成長し続けるもの。
  (字数制限のためカット 2010年5月20日)
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2005年05月20日(金)
1508, 猛女怪女列伝ー2
ー藤田小女姫ー
美人霊能者として一世を風靡し、時の政財界の大物まで占った女性占い師である。
ところが1994年、ハワイで子息と同時に別々の場所で殺され、その真相は現在も充分明らかになってはいない。
彼女は結婚後3年で離婚(1964年)、1968年には経営していた有楽町のサウナ風呂の店が焼け従業員3名が焼死。
その責任として、執行猶予つきだが有罪になっている。 その辺りから彼女の霊能者としてのピークは過ぎた。
彼女は政財界との交流が多く、野田醤油がキッコーマンに、産経新聞がサンケイ新聞に改名した背景に彼女のアドバイスが
あったと言われている。またワシントン・ホテルを経営する藤田観光の名前の由来が彼女の名前にあやかって付けられたと
いわれている。米誌『ニューズウィーク』のインタヴューに応えて行なった予言は、韓国の朴正熙大統領の暗殺予言が
未遂であったことを除いてすべて一応的中していた。彼女が小学校の2年生の時(昭和21年)に、ハワイから来た狐が耳元で、
「コトドメヒメ」と囁いた夜を境に、「ものが聞かれると頭の中でタイプを打つような音がして無意識のうちに言葉が
ヒョイヒョイでるようになった」という。そして、その素っ頓狂な調子で予言を口はしる美少女は時の人になる。
当時の政治評論家の細川隆元も、彼女の能力を買った一人である。日米安保条約の改定案成立に、日本中が騒然と
なった昭和35年、時の総理の岸信介が、細川に藤田小女姫に会わせてくれと頼んできた。 この時、彼女は22歳である。
岸は、彼女に「安保は通るか通らんか」と訊いたところ、「断固とおやんなさい。通ります。そのかわり、通ったあとに、
内閣は長く持ちませんよ」と答えたという。あとで岸は「彼女がいなかったらいまの自分はなかっただろう」と呟いたという。
最後は殺害されて彼女の人生の幕が閉められたが、自分のこと以外は、彼女には霊感があったようだ。
しかし、実際に霊感があったのは小女姫の母親で、娘は母のプロデュースによってつくられたただの
タレントという話もあったという。しかし余程の霊感がなければ、多くの大物が心酔はしなかっただろう。
 ー新潮45?4月号参照ー
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2004年05月20日(木)
 1143, 宇宙とは自分の脳みたいなもの!
この言葉に出あった時に、真言密教の奥義を知ったような深遠な感覚を持った。
宇宙といえば、太陽系があり、銀河があり、その銀河が数百億あり、その銀河系の中に
ブラックホールがあって、もしかしたら、そのホールが他の宇宙のトンネルになっている可能性がある。
地球物理学者の松井孝典氏の本の一節で、「この宇宙が『自分の脳』みたいなもの」
と言ってのけるのだから驚きである。 凄いことを言うものである。
                 (字数の関係でカット2,008年5月20日)
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2003年05月20日(火)
776、「ドラッガーとの対話」  ?読書日記ー2
『未来を読みきる力』
 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と、山岡荘八の『徳川家康』は戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。以下はドラッガーの名言録を書き写した。 
なかなか深く耳の痛いところが多い。企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。 大不況の中どうしても後ろ向き、
内向きになってしまいがちだが、励まされる内容である。私のような対人関係が煩わしい人間は
「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」 自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされて消滅するなどというのは全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップなきプロジェクト(計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくてはならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」
読めば読むほど、耳が痛い!
・・・・・・・・・
2002年05月20日(月)
 412, 次の旅行の予定
ー次の旅行の予定である、だだ変わる可能性があるが。
1、スイス・アルプス 2002/07
2、イラン 2002/10
3、南米のパタゴニア 2003/02
4、南アフリカのナミビア2003/06
5、南米のガラパゴス 2003/10
6、ポルトガル 2004/02
7、アラスカ 2004/06
8、イースター島 2004/10
9、パプアニューギニア 2005/02
10、リビア       2005/05
11、南インド 2005/07
12、アイスランド 2005/10
13、エチオピア 2006/01
これで50回ー目標達成である。
ー20??年1月15日ー60〜70歳
 飛び石で世界一周したことになる。60歳は無理だろうが、目標は目標だ。これ以降はフランス、ドイツ、イングランド、
トルコ、中国などの国の田舎街をまわるコースを中心に? 77歳で98回目の人が、シリア・ヨルダンの旅行でいたが。
何か100回が執念という感じがあった。そう思って生きれば、張り合いもできる。
海外旅行紀行などの番組を見ていても、楽しい。
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2001年05月20日(日)
 随想日記?テーマ日記
8年前より随想日記?テーマ日記に切り換えた。其のためこのような風変わりな日記となっている。
毎日よくネタがあると思うが何年かんの訓練と、パソコンの中の材料を使っているにすぎない。
6年まえの文章をコピーしてみる。日記お宅になってしまいそうだ。                             ーテーマ日記  H0701
二年前より日記を“テーマ日記”方式に切り換えた。なれるまでは大変だったが今ではけっこう面白い。
この文も去年の一月七日の“テーマ日記”が下敷きになっている。 思いつくまま“テーマ”書き、それをもとに内容を書く。
前日みた“TVドラマ”がテーマであったり。 前夜みた“夢”の内容であったり、“父の思い出”“年記”
(年末に日記風に一年をまとめた内容)、“読書感”であったり。あとでふり返って読んでも面白い。
いかに普段あまり深く考えてない事と、その時点の自分の興味の変化がわかる。
“日記”より雑記に近いが…。(随想、随筆の難しさがよくわかる。)


3341, 今日からデジカメ写真がうまくなる

2010年05月19日(水)

    「今日からデジカメ写真がうまくなる」 久門易著
 元もと写真が好きで多く撮ってきたが、デジカメが出来てから、それがより多くなったようだ。
それにしてもデジカメの機能の日々の進化は目を見張るものがある。 プロとアマチュアの差は、
「多くの角度から枚数を撮って、その中からベストのものを選択できる要因の差」という。
その繰り返しの中で「一枚だけでもベストの写真が写せる」能力がつくのだろう。
世界中の秘境で写真を撮るのは良し悪しがある。対象を、身体全体で感じ取るために現地に行くのに、
ファインダーを通した小さな視界の中でしか見えなくなるのである。写真は素晴らしいのが残ったが、
現地での体感が残らないのである。その辺の兼ね合いが意外と難しい。今回のテーマとそれたか。
 この本、ブックオフで見つけ買って読んだが、幾つか教えられた箇所があった。
基本中の基本だが、といって、言われて成るほどと分かることもある。場数は多くつんできたが、スナップの基本を正式に
学んだことがなかった。場数や、アマチュアの人からの聞きかじりで、素人からアマチュアの入り口に入りつつあるのが
現段階と思っていたが、この本を読んで気づいたことは、まだまだ素人の段階ということ。この本は、ズブの素人向きだが、
基本の基本が曖昧だったことを確認した。
・その一つが、料理を撮るときは対象を大きく写すである。 これまでの経験からして、それをしてきたが、
 画面からはみ出すほどは写したことがなかった。 まだ中途半端であったことを事例の写真を見て納得させられた。
・また人物を撮るときは、望遠モードで撮ると対象が浮き出てよく撮れる!というのも、初めて知ったこと。 う〜ん
・「対象の背景のバランスを意識して撮る」のは場数をこなしてきたので、分かっていた。そして背景から逆に
 対象の主役を決める知恵は自分でつけていた。これは、中級に入るのだろう。
・写真を撮るさいに、対象の中身を良く知っているかどうかが問題になる!というのも肯けること。
 子供を撮るときには、その子供の個性を知った上に、それを引き出すためリラックスさせることも必要だ。
・「写真は、真実を写さない!と、むしろ思ったほうがよい」、というのも本当だろう。そのために演出も必要と。
・被写体に当たっている光を充分に意識するのは分っていたが、写真を撮るさいに、カメラ内の光調整の変更を殆ど
 したことがなかった。それと、オートだけでなく、カメラについている機能を、その場に応じて変えることもなかった。 
この本を読んで、今年の桜の花の写真を見直したが、10年以上、撮り続けたためか、修正ポイントは無かった。
むしろ普段の食事や、知人とのスナップ写真に大きな変化が出てくるだろう。 対象を純粋な目でみて、それに同化する、
そして、自分が感動し、愛し、一体化し、対象によって撮らされている! というのが、撮る人の中にないと、
良い写真など撮れるものではない。 最近のデジカメ、デジビデオは、素晴らしい! 大自然も普段も、である。
  ・・・・・・・・・
2966,ミューズが降りる
 2009年05月19日(火)
先日、立川談志のテレビインタビューを見ていたら「ミューズが降りた」芸について語っていた。
年に2〜3回はあるという。 話芸の中の人物に魂が降りてきて、自分でも信じられない芸になる。
その幾つかの中の一つの「芝浜」の録画を放映したが、何度か観たことのある録画。名優の演技には、度々あるのだろう。 
森光子の放浪記の演技の中でも多くあったはず?。 談志曰く、「その時の芸は自分でも抱きしめたいようだ!」
 ーネットでミューズを調べてみると・・・
ー「ミューズ とは、ギリシア神話に出てくる、文芸・音楽・舞踊・哲学・天文・芸術一般などの女神たちの総称。
個々の女神は、Muse ミューズで単数の形になります。 大神ゼウスと、記憶を意味するムネーモシュネー女神のあいだに生まれた、
9人の姉妹とされている。ー 芸の中の人物を演じていると、その人物が自分を観ている錯覚を覚えるという。 
霊感の鋭い人の感覚は、鈍い人に解りようがない。スポーツ選手でも、政治家でも、一番勢いの乗っているときは、
誰でも神がかる。神?が本人を使っている状態か。 頭に浮かんだイメージに自分を通してエネルギーを入れると、
魂が入るということだ。芸術品もミューズが降りた神の仮の姿とみれば、違った面も見えてくる。
私の同級生の兄が「能」をしているが、「能の世界は現実か、現実が幻想世界か、混同することがある」(新聞紙上)
と、同じようなことを言っているのだろう。 ところで私にミューズが降りたことがあっただろうか? いや、
誰にもあることでしかないか?言わないだけ、表現する場がないだけ、表現方法を知らないだけ、それだけ人間の脳力は
深いということ。 (後記ー偶然、昨年書いた、「ごっこ遊び」が、関連したような内容。)
・・・・・・・・・
602, ごっこ遊び
2008年05月19日(月)     
 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。
ーまずは「ごっこ遊び」を、ー辞書で調べてみるとー
【ごっこ遊び(ごっこあそび)はこどもの遊びの一種で、何かになったつもりになって遊ぶものである。
通常、○○ごっこというように、何かの名前をつけて呼ぶ。 何かの職業のまねをして遊ぶ場合や、テレビやマンガの
ヒーローやヒロインのまねをして遊ぶ場合がある。こどもはあこがれを抱いた対象ならどんなものでごっこ遊びにしてしまうので、
「わんちゃんごっこ」や「お人形さんごっこ」 など大人の予想しないごっこ遊びを始めることがある。】とある。 子供の頃に、
多くのごっこ遊びをした記憶がある。最近は、若者の間にアキバ系で「メイドカフェ」なども、「ごっこ遊び」そのもの。
他にも、ロールプレーイング・ゲームがある。元々は戦争シミュレーションゲームから派生したアメリカで考案された遊び。
参加者が各自に割り当てられたキャラクター(プレイヤーキャラクター)を操作し、一般にはお互いに協力しあい、
架空の状況下にて与えられる試練(冒険、難題、探索、戦闘など)を乗り越えて目的の達成を目指すゲームの一種。
様々な設定と制約の元で、空想上の世界で物語の登場人物のように活躍できる。考えてみれば、世の中の多くは
「ごっこ遊び」のようなもので、国が発行している札だって、所詮は紙切れでしかない。
それに価値があると国民が思い込んでいるから価値があるのであって、冷静に考えてみたら、それって印刷された紙切れ。
子供の頃に紙に書いた紙切れで御店屋ごっこをしたのと何が変わるのだろうか。お互いに思い込みをして演技をしている
「ごっこ遊び」に過ぎないのだ。その最も滑稽なのが、青少年期の恋愛である。 互いに理想的な男女を演じる姿も微笑ましいが。
そして、その段差があまりに大きいため、幻滅の時期の白けも大きくなる。成田離婚が、その典型である。
「振りをする」というのも疲れるものだろうが。 世の中、それぞれの役割がある。
その役割をこなすには、まずは「振り」から始めなくてはならない。ぶりっ子という言葉があるが、これは「振りっこ」
のミエミエのことである。俳優も「ごっこ遊び」に徹することから始まり、最後も、俳優という仕事で配役を「ごっこ遊び」
として楽しむところにコツを見つけるのだろう。まあ、人生ごっこも面白いと言えるかどうか?
                        ヾ(??????)ノ
・・・・・・・・
2007年05月19日(土)
2237, お金の正体 ー1
      「お金の正体」 ー日下公人著      (((。・-・)从(・-・。)・゜
「生・死」と「金」の話題は尽きることは無い。
特に「金」に関してはもういいや!と思うが、それでも次々面白い道理に出あう。
しかし、どれを読んでも面白いのは、金が欲の集約でもあるからである。
この本を図書館で手に取ったときは、あまり内容のない本に思えたが、実際読んでみると、面白い本である。
「お金の正体」はつきつめると「その人が求めている幸せは何ですか?」ということになる。
幸せとは何ですか?は、これも単純で解りきったように思えるが、実は深い問題である。
私が好きな「幸せはアルコールのようなもの」とか、軽く扱われない大きな問題である。
以前にも何度か書いてきたことたが、父が死を覚悟した時にジッと私の顔をみて、数千万円の数字を紙に書いて
「この数字と銀行預金の同じ数字と何処が違うのだ?」と深刻な顔をして私に問いかけた。
「事業という楽しみの後に残ったカスがお金である!」が父の口ぐせだったが、それでは、そのカスも紙に書いた
数字でしかないことに気づいたのだ。「実際に使えないなら現状なら、無いに等しい」といいう言葉を加えた。
しかし両親は、そのカスを更に楽しんで使っていた。それ以上を求めること自体は、少し求めすぎのように思えたが、
それでも逝く直前に割り切れない何かが心が残った。その時、何かを伝授してもらった。
「仕事を遊びまで高めること、そして、そのカスとしてのお金を、仕事とは別の趣味を見つけ楽しむこと。
それも楽しんだら、大らかな気持ちで余韻を楽しむこと」である。金を哲学的に考察すると、交換手段としてのルール
(価値尺度)でしかない。それでは目的はというと「魂の充足と自由」である。「金」を通して(物や事で)
魂の充足をしているうちに、目的と手段が混同し、その混同が生き方を誤らせてしまっているのが現代の傾向である。
金という手段で「魂の充足と自由」をやり取りしているうちに、金が魂と同類に思えてしまったのである。
だから価値尺度の通帳を見てニヤニヤしているうちに死に直面してしまい、「金」が果して何だったのだろうかと
錯乱してしまうのである。 ところで私の父親の迷いは何だったのだろうか? 
その謎解きをしてみよう! 事業を楽しんで当時として、地方では財をなした。
そして、以前の家業の骨董屋の因縁で「骨董」の収集と、「国内旅行」を楽しんだ。 更に豪邸をつくった、
そしてその8年後のある日突然死を宣告された。目の前には、当時の数千万の預金と、幾つかの土地屋敷がある。
「それでも残ったこれは(資産)自分にとって何だろうか?」という疑問である。
死を直面して、混乱をしたのである。父は事業も趣味も充分に楽しんだ。そう、魂の充足はしたのである。
ところが、何かが欠けていたのである。それは哲学的思考である。それも、難しい哲学ではない。それで充分幸せであった!
という心の安定を裏づける確信ができなかったのである。
「それでは完全燃焼などあり得るというのか?」という哲学的な答いが出来なかったのである。
父の姿をみていて「哲学の基礎だけは教養として身につけておかなければならない」ことを教えてもらったのである。
 ー以前、書いた一部を紹介してみるー
 ーーーーーーー
  お金について
 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。 これほど重要なモノについて誰も直視しない。
(字数の関係でカット2,010年5月19日)  
・・・・・・・・
2006年05月19日(金)
1872, グーグル Google -8    ー 読書日記
   (字数の関係でカット2,008年5月19日)                              
・・・・・・
2005年05月19日
(木) 1507, 猛女怪女列伝
  ーアナタハンの女王 ー
終戦直後の日本で、このようなドラマがあったと「新潮45」という月刊誌のー猛女怪女列伝ーで初めて知った。
 太平洋戦争での敗戦濃厚になった、昭和19年6月から6年間、敗戦を知らない南海の孤島「アナタハン」で取り残された
「男31人、女1人の生活」で、一匹の『女王蜂』比嘉和子をめぐる、壮絶な性と生のもう一つの戦争があった。
その殺戮の中で生き残ったのは20人、残りの12人は、『女王』を争って殺されたり、
原因不明な死を遂げたと生還した兵隊達によって証言されたという。
 (字数の関係でカット2,009年5月19日 H0903
・・・・・・・
2004年05月19日(水)
 1142, 自由について ー2
「自由ほど不自由」ということを感じたことを誰もが経験していると思うが?これは「自由な自己決定」を迫られる
「不自由」ということにある。自由とは主体的であるということだが、その主体ということが怪しいのだ。
主体的と思いこんでいるだけでしかないことに気がついてないのだ。その主体も外的要素によって規制されているから矛
盾が出てくる。目の前の「自由」が、ちゃんと何かによって規制されていることを嫌というほど、思い知らされていることを。
人生経験の中で主体と思ってきたことも、所詮は限定された世界の泳がされてきた小さな池の魚でしかなかったことを。
主体を「気短」という説がある。なるほど、面白いドキッとする内容である。主体的ということは、気短で、その結果として
目先の判断で動いているだけという。なるほど、そうかもしれないところが、身に沁みる。自由から、何で気短に行きつくのが
不思議であるが。現在の社会の様々な問題の根底の部分に、「自立した自己」や「自由な主体」などの、幻想が潜んでいる
のではないだろうか。「ゆとり教育」とかいうものが、幻想でしかないことを国は気がつき始めた。国民レベルは、
それが幻想ということを初めから知っていたが。自由は戦いとるもの、積極的な自己目的を追求する姿勢の中にこそある。
「不自由論」という本がある。曖昧な自由論を批判している内容である。 風刺漫画を思い出した。
「夫婦が、お互いの首についた紐を握りしめ溜息をついている絵」である。何とも不自由そうであった。
 ーーーーーー
【-自由について-】
・あまり安価で手に入れたものは軽く扱われる。自由のように神々しいものが高価でなかったら実におかしいではないか。ーペイン
・人間の自由を奪ったものは、暴君でも悪法でもなく、社会の習慣である。ーJ・S・ミル
・痩せた自由は肥えた奴隷にまさる。 ーイギリスのことわざ
・自由は外的な事実の中にあるものではない。それは人間のうちにあるのであって、
 自由であろうと欲するものが自由なのである。 ーエルンスト
・自分自身を支配できないものは自由ではない。 ーマッティアス=クラウディス
・自由に気がついていないときこそ、人間は一番自由なのだ。 ーローレンス
・自由は責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。 ーバーナード・ショウ
・人間が自由であり得るためには、神があってはならない。  ーシェリング
・自由であるとは、自由であるべく呪われていることである。 ーサルトル
・真に重大な自由はただ一つです。それは経済的な自由なのです。  ーモーム
・自由は新たな宗教であり、われらの時代の宗教である。    ーハイネ
・ビロードのクッションの上に大勢で座らされるよりも、
 カボチャの上に座って、カボチャを自分で占領した方がいい。 ーヘンリー・ダビット・ソロー
・自由を愛することは他人を愛することだ。力を愛することは自分を愛することだ。 ーハズリット
・おお自由よ!汝の名においていかに多くの犯罪がなされたことか。  ーマダム・ジャンヌ・ローラン
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2003年05月19日(月)
 775、「ドラッカーとの対話」ー読書日記 ー1  著者/訳者名:小林薫/著
【本の内容】 ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。
 ー私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」「創造する経営者」
「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。
・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。
 このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが
 現代に受け入れられる。話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、
 自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、
 重要事項から始める癖をつけよ、と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。
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 2002年05月19日(日)
411,自分の人生のつくり方 -いろいろな悩みー3
それでは自分の人生のつくり方とは?どうしたらよいか。ライフワークをきっちりつかまえて、その都度脱皮すればよい。
「脱皮できない蛇は死ぬ」というが、そういう人間で満ちている。ライフワークとは一生涯を通じてやり遂げる趣味と仕事。
そして一生涯を通して脱皮の時期がある。7年説、8年と10年という説がある。
ライフサイクルというが、
・7年ー7歳、14、21,28、35、42、・・と節目がある。
・8年ー16、24、32、40歳・・
・10年ー20,30,40,50年歳と・・
 またこういう説がある
1、児童期・青年期  0〜22歳
2、成人前期     17〜45歳
3、成人中期ー中年期  40〜65歳
4、成人後期ー老年期   60歳以降
重なっているところは移行期、これが一番わかりやすい。これと7年説が私の一番納得できる。
その節目ごと、脱皮していく事をいう。「節目を叩け!」という諺があるが。
自己実現という言葉がある。たしかユングの言葉であった。自分のなりたいこと、
したいことを実現することをいう。それも一生涯を通してだが。それを自分の人生という事にならないか。
子狐がここにきて、にわかにそれをつくろうとしている。やらないよりはいいが。
10年?20年スパンで何をすべきか判断して、それぞれ節目を作り、やり通すのがライフワークである。
それをやり通すことが、結果として自分の人生という。「濡れ落ち葉」はそれを全くやってこなかった人、
そして、これからもそれを見つけられない、その気力のない人をいうのではないか。
中年クライシスという中年の危機といわれてのが、これである。中学の先生もそれだった。
今度中年クライシスについて書いてみよう。 周囲はその人たちで満ちている。
一ヶ月前、150m先の58歳のご主人が自殺したという。 家を新築したばかりなのに!
 それにしてもそういうことに無知すぎる!
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2001年05月19日(土)
 どうも不調
昨日1日このがサイトがひらけなかった。きのう23時に帰ってきて、
文章を書いたが記載出来なかった。これから散歩に行く。


3340, 感性・悟性・理性 ーカント

2010年05月18日(火)

  理性といえば、「純粋理性批判」のカントである。ーこの一冊で「哲学」がわかる!ー白取晴彦著ー の中で、
 認識についてのカントの考えを次のように書いている。
≪ 彼は、その中で「・・・我われの認識がすべて経験を以て始るとはいえ、それだからといって、我われの認識がすべて
経験から生じるのではない。 なぜなら、おそらく我われの経験認識ですら、我われが印象(直感)によって受け取るものと、
我われ自身の認識能力(悟性)が自分自身から与えるものとの結合真実であろうからである。」と述べている。
では、この「我われ自身の認識能力が自分自身から与えるもの」とはいったい何なのか。 それは感性と悟性である。
・感性とは、見えている素材がいろいろな形で心に受容される能力というほどの意味。 感性は五感を通じて現われたもの、
 すなわち現象を捉えます。このとき、感性は時間と空間という内なる形式にしたがって現象を整理して見ています。
 時間と空間というこの形式は、人間の感性の中にあらかじめ備わっている先天的なものである。
・この現象から得た情報を整理して判断するためには、もう一つの理性、「悟性」がここで必要となる。
 悟性とは、大雑把にいえば、「理解する能力」です。 少し丁寧にいえば、能動的な思考・判断能力となります。
 さらにわかりやすくいえば、「現象に規則を与える能力」だといえます。 この結果、概念の骨格が一つずつ出来てきて
 それに肉付けをしたものがイメージになって出てくる。 受け取った概念はたとえていえば、骨格標本のようなもの。
 これに対応するイメージを生み出すのが、我われの人間の「心の内奥に隠された技術」すなわち構想力だといいます。
・我われは日常的なこと、目に見えることだけを知りたがっているわけではありません。「愛とは何か」「神はいるか」
 「何が善で何が悪か」といったことを知りたがる。 カントによれば、これら形而上の事柄に関しての担当は悟性ではなく、
 理性であるといいます。感性と悟性は現象まで扱い、それ以上のこと、すなわち現象の原理については理性が扱うのである。
 「霊魂は単一か否か」は昔からの馴染み深い疑問でした。 しかし、これこそ、という答えはありません。
 霊魂は現象として目に見えるものではない。 しかし、理性はこれについて考えてきた。 つまり人間の理性は、感性や悟性が
 感知できないものについて、思考をめぐらすことが可能である。 しかし、カントは、そこで面白い結論を出したのです。
  すなわち、認識の限界を超えたことを思考すれば、必ずや二律背反に陥るということである。 
 二律背反とは、互いに矛盾するということ、互いに矛盾しながらも互いに反駁も出来ないことを言います。 
 どうして、こういうことが起こるのか。 感性も悟性も到達しえない理念について理性が考えても、その考えは
 認識できるものではないということです。  ≫
  〜〜
  カントの認識に関するエキスの部分を非常にわかりやすく噛み砕いてある。
 「・現象を時間と空間の中で対象として感性で捉え、・悟性で、その対象を整理をし、
  ・思考して(判断を加え)、・理性で原理を求める」 ということが認識としている。
    非常に分りやすいカントの認識論である。
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2965,世界はパンデミックに入ったのか! ―2
 2009年05月18日(月)
 * パンドラの箱が開いた!
ついに国内に新インフルエンザの感染者が出て、そして拡大が始った。時間の問題ではあったが、これからは何処まで感染者が
増えるかの問題になる。感染者が増えていく過程で、菌が悪性化するから問題。予測どおりにゴールデンウィーク明けの
10日足らずで、日本も世界並みに感染が始った。問題は高校生であるところ、多くの生徒の間に感染している可能性がある。 
更に家族などからネズミ算的に感染してる可能性がある。 スーパーや電車など人混みの多い所は要注意。
マスクは殆ど感染に効果がないというし、よく手を洗うしか予防がない。ウガイは10分以内の菌にしか、効果がないという? 
しないよりは、良いのだろう。 これは、世界恐慌の進行を早める。ニュースで神戸のホテルが宿泊・宴会のキャンセルが
相次いでいる事態を報じていた。新幹線などの交通手段を避けるだろうから、当方などの宿泊業などは最も影響を受ける。 
保健所に行き、どうしたらよいか聞きにいったところ、「毒性がさほど強くはないし、それほど心配することはない。」
と言っていたが・・・。問題は、秋口から数ヶ月間は、経済は瞬間冷凍のように凍りつく可能性の問題である。 
恐慌の入り口でタイミングが悪すぎる。私の場合は「当分の間は新幹線通勤は避けて車に切り替え?」とまず考える。
ということは、「誰もが同じく考えるのでは?」 また、先日の300人のディナーショーも、このニュースの後なら、
まずは避ける。 昨日の関西の百貨店、スーパーの人出がどうなるか非常に心配である。 まずは冬に入る南半球に
毒性の強い菌が蔓延するのだろうか? 半年後の世界、日本、地元、そして会社の事態はどうなっているのか?
最悪の数千万、数億人の死者の災害は、想像すらできない・・・
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2601, 柏崎沖地震で原発が7基、停止しているが
2008年05月18日(日)
去年、柏崎沖地震で7基の原発が停止をしたが、真夏の東京の電気を一時止めることも無く乗り切った。
これは、どういうことなのであろうか。 休止していた火力発電を急遽動かし凌いだといっても、原発の数は54基。
そのうち7基といえば大きい影響が出そうだが、それを乗り切ったという実績は大きい。単純に計算すると原発の発電電力が
占める割合が35パーセント。柏崎原子炉が大よそ15パーセントであるから、掛け合わせると5パーセントになる。
古い火力発電などを再開して、何んとか乗り切ったのである。2002年の統計だが、世界における総発電量(163215億kWh)
の16.2%が原子力発電所によるものであり、これは火力発電所の66.6%、水力発電所の16.5%に次ぐ。
世界でもっとも原子力発電所に依存しているのはフランス (78%)、次いでスウェーデン (46.3%)、ウクライナ (44.9%)、
大韓民国 (35.4%)である。2005年現在、日本における発電電力量の約35%、発電設備容量の約20%を担っている。
しかし、この異常な原油高、思ったより日本が動揺してないのは原子炉が三分の一あるからだ。
まずは50%まで供給したいのだろう。柏崎刈羽原発は3兆5千億円もかけた原子炉である。
地震の活断層の真上にあることが分かっていても簡単に諦めることもできまい。柏崎市の経済、東京電力からの収入が何年か
途絶えれば大問題になる。角栄が権力を持って以来、非常に恵まれたところであったが、一挙に貧乏都市になってしまう。
二回の大地震で新潟県の経済は大打撃を受けており、その深刻度は中越地区を中心に日ごと増している。
夢見るが如しというと、少しオーバーに聞こえるが実感はそれだけ酷い状態である。
駅前だけでなく、最近は郊外の空き店舗が目立ち始めている。 柏崎は家内の実家があり、小さな事業を
経営しているが無借金なので、ことなきを得ているが、あらゆる商売が切迫しているという。この原油高で、世界中の国が
本格的に原子炉を造るだろう。チュルノブイユのような事故が起こる可能性が増加するということだろう。
ところで、今回の中国の四川省の大地震、原発は無かったのだろうか?
住民が近くの化学工場から毒ガスが発生しているというデマ? で大挙逃げてきた映像があったが・・・
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2007年05月18日(金)
2236, *閑話小題*
      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
ーまさか、貴方まで!?
 同級生のY君が病に倒れ、いきさつ上、私とM君が入院の合間に「Y君を励ます会」の幹事をすることになった。
他の同級生にもお願いして、連絡する名簿を振り分け、まず一番初めにK君に電話を入れた。
「Y君の病状は決して良くはなく、退院予定が更に三ヶ月間の再入院になった」と病状を説明をした。
ところが、K君曰く「実を言うと10日前に胃を半分切り取った。今日、明日の土日の二日間の帰宅を許され家に居る。
残念ながら出席できない」という。言葉を選んで話したので、無神経なことを言わないでよかった!が、
まさか一番初めに電話したK君が手術していたとは! 60歳過ぎれば、誰もが何かあっても不思議でない年齢ということ。
ー次男が結婚後初めての帰省ー
 先日、次男が三月三日の結婚式以来、新婚旅行の報告も兼ねて二人で帰省した。日帰り予定を、私の勧めで一泊して帰ったが、
幸せそうであった。新婚旅行はドイツ・オーストリア12日間の個人旅行だという。 外資は年に一度一ヶ月間の長期休暇が
取れるという。傍から見れば、今でいうセレブのIBMマンである。しかし仕事は極限までのエネルギーを搾り取られるというが・・
ー耐震偽装の深層ー
 耐震偽装の深層はインターネットなどで、隠蔽を抑えることはできない昨今、深い国家としての歪みを露呈する様相。
先日、本屋に平積みをしてあったイーホームスの藤田東吾の自費出版の「耐震偽装」のコーナーに行ったが、
いつの間にか全て消えていた。見られたら営業に差し支えのある何処かの会社が買っていったのだろう。
それならインターネットで買いたくなるのが心情というものだ。さっそく注文をした。 考えてみたら、藤田東吾という人物、
耐震偽装を初め告発した人物である。「それが何で『見せ金』という容疑で逮捕されなければならないのだろうか?」
見せ金で逮捕?はおかしい!という疑問は誰も持ったはずである。今回の騒動は国交省の重大なミスである。
(字数制限のためカット 2010年5月18日)
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2006年05月18日(木)
1871, グーグル Google -7   おはよ?!(*^ワ^*)           
                             ー読書日記
 グーグルの収益方法  ーグーグルが何故儲かるのか   Pー38
 たとえば「花屋」のキーワードでオクションをやって、
 かぐらざか花店 150円   麹町ふらわーしょっぷ 200円   池袋花工房 90円とする。
この場合、麹町・・、 かぐらざか花店・・、池袋花工房の順に広告が表示される。
しかしオークションに参加したのが20店あったとすると、検索結果のトップページには収まりきらなくなり、
二ページ三ページとなる。そうすると利用者の目に止まりにくくなるから、オークションに参加する人は
何とかトップページに入ろうと入札価格をつり上げていく。だから人気のキーワードは、値段が高騰しやすくなる。
キーワードのオークションは「花屋」みたいな単一のキーワードだけでなく、「花屋 東京」「花 ギフト」
「フラワー 贈り物 送料無料」といった二つ以上のキーワードでも入札可能になる。そこでこのキーワードを
どのようにうまく組み合わせるかが、頭の使いどころになる。たとえば東京湾で屋形船を出している会社がある。
この会社はキーワード広告を始めた当初は、「東京湾 屋形船」というキーワードで入札していた。
  ( 以下、字数の関係でカット09年05月18日 )
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2005年05月18日(水)
 1506, ラジウム石・小物
現在は、ラジウム温泉をきっかけに、ラジウム小物に凝っている。 その小物とは
・フランチャイズ・店舗ショーで買ってきたラジウム石の‘ネックレス’と、以前取引先から貰った‘ブレスレット’、
・更にインターネットでラジウムを埋め込んだチタンの‘ブレスレッド’
・セラミック・ラジウムのコーヒーカップと、
・寝床には、枕の下にラジウムの‘粉末の入った袋’と、‘ラジウム石の塊’が枕の横にタオルに包んで置いてある。
・風呂には拳大の‘ラジウム石の塊’を入れてある。これをつかい始めて、直に変化が起き始めた。
 気力が数倍充実した感覚ある。恐らくラジウムが身体の中にある放射能を刺激をしたのだろう。
(人間も微量であるが、放射能を放射しているという)この冬は風邪とは無縁であった。
とにかく私の場合、凝るとトコトン追求したくなる性質。あと一月は、ラジウム石に気持ちを集中してみるつもり。
ラジウム石には、人によって体質に合わないことがあるようだ。私の場合は、体質には問題がない。
(初めは、風呂にラジウム石を入れたらアレルギーになったが)いずれにしても、人間の身体には良い影響を与えるようだ。
以前、不思議なことに身辺に置くと体調が良くなるコースターに凝ったことがあった。
あの種明かしが、ラジウム石の素材ではないだろうか?サルノコシカケという苔があるが、これはラジウム有機物質という。
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2004年05月18日(火)
 1141, 「ライフ・レッスン」 ー最終レッスン
最終のレッスンになったが、何ごともレッスンとみれば世の中の出来事はすべて意味があることになる。
過去を振り返ってみても、すべての出来事は意味があった。ならば、毎日の出来事にレッスンの意味を見出して
学び生きていくこと。この世は、意味を見出す為に、感動する為に、愛する為に、全てを学ぶ為にあることを、
この本からレッスンした。毎日は、「バカの壁」を乗りこえるための学校と思うとよい。
「秘境ツアー・レッスン」「事業レッスン」「挫折レッスン」・・など、いろいろ書けそうだ。
各章を書き続けて、多くを内省した。人生から学ぶことがあまりにも多い。
 ー最終レッスンー からの抜粋
・わたしたちは、自己の長所をしり、たがいの美点を見つめあい、生きていることの奇跡を讃えあうために地上に生まれてきた
ことを、思い出す必要がある。試練に揉まれて人は甌穴のなかの岩に似ている。 穴のなかで川の激流にもまれ、
翻弄されているうちに、角がとれて磨き上げられて、以前よりまるい希少な岩になる。穴から出てきたときには、
 もっと大きなレッスンを学び、もっと大きな人生を生きる準備ができている。すべての悪夢は祝福に変わり、
 それが人生の一部となる。人生は『なにが大切か』を、『本当の自分とは何か』を教えてくれる。
 「おわりは逆向きのはじまりにすぎない」のだ。 『生がいいものだとわかれば死もいいものであるはずだ。
 生も死も、同じ名匠の手によってつくられたものであるからだ」
・海のそばに住んでいる人はたくさんいるが、しみじみ海をながめ、海を味わい つくす人はほとんどいない。
 ほとんどの人は空の下に住んでいながら、星をながめようともしない。わたしたちは本当に人生にふれ、味わい、
 堪能しているだろうか? 平凡の中にある非凡なものを,感知しているだろうか。
 毎朝、目がさめるたびに、あなたが経験すべき人生を、もう一日だけ与えられているのだ、といってもおなじことだろう。
 その一日を、あなたが最後にフルに経験をしたのはいつだっただろう。
・いまの人生とおなじ人生は二度と手にすることはできない。この人生ではたしてきた役割をもう一度演じることも、
 もう一度これまでと同じように人生を経験することも、二度とない。
・あの両親のもとに生まれ、この家族を持ち、このこどもに恵まれ、
 この環境、この状況のもとに生きてきたように、この世界を経験することは、もう二度とできない。
・おなじ顔ぶれの友人をもつことも、今生の生かぎりである。 あの海、あの空、あの空、
 あの愛する人を、最後にもう一度だけみたいと願うようになるときまで待つ必要はない。
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2003年5月18日
 774, 30歳の頃(1976年)
 この年は本当に大変な年であった。その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。本店は当時6億の売り上げを上げていた。 家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と
(養老乃滝+焼きたてのパン屋)を経営委託にして、帰ってきたところであった。 仕入れに、販売に、新人の教育にと、
いま考えてもよくやったと思う。体が浮いているようでもあった。新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 何ごともコツというものがある。それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
一シーズン3ヶ月の間に[導入・最盛・売り切り]と一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。 従って間違えても外せないのが面白い!
 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。
仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。
 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
 ーーー
このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく浮かんでくる。
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2002年5月18日
 410, 自分の人生ー いろいろの悩み?2
昨日の続編でもある。 書いていて、改めて中学の担任の先生の悩みの深さに気づいた。
それすら理解できない子狐レベルを除けば、それぞれの人が理解できるし、身につまされる問題である。
それでは「自分の人生」とは何であるか。やはり親からの自立である。あるいは、育った環境ー社会からの自立である。
そしてその人独自の生き方が自分の人生でないか。しかし、それ(自立とか脱皮をしない人生)も自分の人生ではないか?
という疑問がでる。しかし自分の趣味とか、与えられた環境をフルに生きれば、それが自分の人生といえる。
そういう意味で、先生にとって適正でなかったのかもしれない。80?の人はやはり先生の悩みに近い悩みを持っている。
「自分の人生これでよかったのか?」という疑問を持っている。サラリーマンも事業家も100?は最後は挫折するという。
勝ち組の人も、最後は後進にその立場を譲らなくてはならない。後進の人や事業そのものもは、その人を乗りこえるため、
それまでの破壊を始めるからだ。そしてその時初めて敗者の気持ち立場が見えてくる。その年齢の景色を正直に先生が話された。
おそらく先生の過去の行蔵の中に、いっぱい宝が詰まっているはず。気づかなかったのかもしれない?
その年齢に段々近づいてきている。50歳代後半から60歳に訪れる、最大の人生の危機の典型ではなかろうか
  そう、初老性鬱病!
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2001年5月18日
 バーチャルで日銀ツアー
産経新聞でこの記事をみて早速覗いてみた。
やはり少しかたいが日銀内部はこんなものかという意味では面白い。
日銀のホームページ内の新コーナーだがお堅い日銀にしては上出来か。 http://www.boj.or.jp/


3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −2

2010年05月17日(月)

         「2011年新聞・テレビ消滅 」ー佐々木 俊尚 (著)
 現在のマスメディア崩壊の原因の1つとしてメディアのプラットフォーム化の進展をあげている。
これまでは新聞社の社員が記事を書き、紙面をつくり、印刷し、それを販売店に届けた。
販売店も専売店としてネットワーク化されている。これを3つの層に分けて説明する(もとはグーグルの及川卓也氏の説)。
   その3つの層とはコンテンツ、コンテナ、コンベヤというモデル。
 ● コンテンツ=内容  ● コンテナ=内容を納める媒体 ● コンベヤ=媒体の流通経路  という形で説明している。
* これから旧来の新聞を分類すると、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙に印刷された記事(新聞紙そのもの)
 コンベヤ=新聞販売店 となるが、
  インターネットでニュースを読む層が増えてきた今は、
 コンテンツ=新聞記事
 コンテナ=新聞紙、またはニュースサイト
 コンベヤ=新聞販売店、またはインターネット  と変化してきているとのこと。
*  テレビだと、コンテンツ=番組、 コンテナ=テレビ、 コンベヤ=地上波、衛星放送、CATV。
 これがコンテンツ=番組、コンテナ=ユーチューブ、コンベヤ=インターネット、という形に移行し始めている。
 新聞社やテレビ局から奪い取られたパワーは、コンテナ部分を握る企業に移行する。コンテンツの重要性は
 これからも変わらないが、そのコントロールを握るのはコンテナの側にシフトし始めている。
 メディアの中でもっともメリットをえるのは「コンテナ」の部分である。 現在、コンテナ部分をニュースサイト
 (日本ならyahooがダントツ)に奪われてしまった新聞各社は、ますます経営が悪化していく。
  〜
 これからは新たなメディアプラットフォームの時代。 著者は既存の「新聞」「テレビ」の消滅を予測したのち、
「重要な問題は、われわれにとって最もよいメディア空間はどのようなものなのか?それはどうすれば構築することができるのか?」
と問題提起を行っている。 重要なことはわれわれの「選択」である。 これまでのような新聞がなくてもかまわない、
テレビがなくてもかまわない。しかし、そのときわれわれは、どのようなメディアのあり方を選択するか、
どのような情報を取り入れることを選択するか、どのような生活のあり方を選択するか、どのような社会を選択するか。
果たしてわれわれは選び切ることができるのかである。
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2964、「未婚社会」
 2009年05月17日(日)
  先日のNHKの特番「未婚社会」をみたが、収入に対して女性がシビアな現状に驚いてしまった。。
 長期停滞景気などの時代背景が、そうさせているのだろう。 最近は男性の収入も少ない。
 平均収入が200万円の男性が一番多いが、女性が男性に望む最低年収は400万円。
 20代の独身男性で年収400万円以上は4分の1しかいない。男の非正社員の既婚率は正社員の約2分の1。30歳になっても、
 この時勢では給料が右上がりにはならないなら、互いにミスマッチになる。セクハラを恐れて職場の女性に
 近付けない男性の声もあった。それなら男は自分の趣味に没頭するしかない。女性の魅力も情報化で減少する。 
 法的に縛った現行の結婚制度に対する反対もあったが、頭でっかちの感も。ドイツの新しい制度が紹介されていたが特徴として
 (1)減税あり、(2)お互いに貞操の法的義務なし、(3)一方的に「結婚」を解消化が可能。 日本とは背景が違う。 
  未婚者増加の原因は「草食系男性の増加?」と、背景にワーキングプアの拡大がある。 
  いま、この国の若者の置かれている状況は深刻。 情報化社会も、結婚を躊躇する要因になっている。
  ・女性の立場からみれば、豊かな社会がTVなどを通して入ってくる。そうすれば「金のない男と苦労覚悟で
   何で結婚しなければ?」と疑問を持つのも当然。
  ・男の立場からしても、「高慢な女性とワザワザ結婚するより、好きな趣味の世界を保っていたい」もの。
  私たちの時代は、男は30歳まで、女は20歳半ばまで結婚するという世間的圧力があった。
  しかし、現在では就職戦線が氷河期の中で、収入が大きな壁になっている。
  渡辺淳一が昨日のモーニングショーで、草食系の現代の若者に対して「欲情の作法」を語っていた。
  ・心を込めずに褒めろ ・テスティングをしろ(触れ、誘え)・片っ端から口説け 等々。
  いちいち真面目に考えずにチャンスをつくれということ。 しつこくする、のは違う。
  一時代前なら当たり前のことが、現在では教訓になる。男諸君、先日の週刊誌の見出しに「独身男は、9歳も早死にする」
  とあった。 理想が高いのは解るが、自分を見つめなおして見切りをつけなさい!ということ。 
   しないよりは良い。  いや、どうか? 過半数は破綻するから、どうともいえないか〜?
 ・・・・・・・
2600, 一点集中力
2008年05月17日(土)
  「一点集中力 」伊藤 真 (著)
図書館で見つけた本だ。今さらと思ったが、借りて目を通してみた。著者が東大在学中に司法試験に合格。
その後、受験指導を始めたところ、たちまち人気講師になり、95年に「伊藤真の司法試験塾」を開設して「伊藤メソッド」
と呼ばれる革新的な勉強法を導入して、司法試験短期合格者の輩出全国トップクラスの実績を不動にしていると、
著者履歴に書いてあった。その彼の恐らく最も基本が一点集中主義なのだから、説得力のある本であった。
表紙裏の紹介文は簡単にー何かを成し遂げる人は、みな「一点集中力」を持っているーである。
まだ憶えているが、小学校の5年生になった時、ある姉が勉強法を教えてくれた。
「いい点数をとりたかったら、一教科だけとにかく集中して一度良い点数をとってみなさい。そうすると、他の科目も
良い点数がとれるようになるから」という言葉であった。そこで算数に狙いをつけて一番になってみた。そうしたら、
他の科目も何時の間に取れるようになった。これも一点集中だったのだろう。とにかく、やはり借りて読んでよかった。
もし受験期の子供がいるなら、迷いなく、この本を買って与えることを勧めます。 私自身の一点集中は、
・この7年間は、この随想日記を欠かさず書き上げること。
・秘境ツアーに行き続けること。
・良い習慣を少しずつでも付け加えること。それ以外で捨てること。
私も一点集中ということに関しては、知っていたつもり。
「錐の先の一点集中のエネルギー」「レンズで太陽光を一点に集中し発火させる」等々
戦略・戦術のまず第一歩である。それを兵法でといたのが「孫子の兵法」である。
 まあ自分の話は、この辺にしておいて、
ーこの本の印象に残った部分を抜粋してみようー
・もし、あなたが何かを成し遂げたいと思ったら? とにかく、自分の目指す「一点」にエネルギーを集中すること。
 それ以外は勇気を持って「捨てる」こと。そして、この「決断」ができるかどうか・・・。
・我々の潜在能力、顕在能力も、レンズを通してグッと集中させれば、火が燃えてしまうほど、ものすごい力になる。
・「余計なもの」を見極める二つの考え方
 *集中すべき対象を、できるだけ単純明快、簡単にすること。
 *「全体から見る」視点をもつことである。全体の中から、自分を位置づけ、今は何をすべきか、切り分けていくこと。
 *司法試験の勉強で言えば、合格者が口をそろえて言うのは「絶対にあきらめないこと」と「基本が大切」、この単純な二点。
  この「ゴール」と「基本」に一点集中することの大事さに気づくかどうかである。
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2007年05月17日(木)
2235, 男は女のどこを見るべきか  ー2     (゚∇^*)オハヨ♪
                 ー岩月 謙司 (著)
第四章 女性は記憶をかいざんする がなかなか面白い。
 この歳になり初めて知らなかった女性の心の奥の魔性の一部を垣間見た思いがする。
 一番身近な家内の心の内の未知を幾つか知って驚いた箇所があった。
 なるほど男の知恵と女の知恵は大きく違う。 まあ、それが良いのだろう。
*記憶の改ざんについて*
特に記憶の改ざんについて、なるほど思い当たる部分があまりにも多い。 女兄弟や女性の職場にいたこともあり、
多くの特性を把握していたつもりであったが、所詮は男の立場の理解でしかなかった。
記憶の改ざんについては、・男はもともと事実を記憶するという特性があり、社会的圧力で、より正確に記憶が求められる。
これに対して、女性は事実より感情を基に、記憶の改ざんは多くしている。女性は自分の気分次第で過去の記憶を平気で
書き換えるが、ニセモノの記憶を脳に定着するまで、何度も何度も自己欺瞞を繰り返すのである。だから書き換えた記憶なのに、
自信を持つことができる。さらに悪いことに書き換えたことを正当化するために、他の記憶まで連動して書き換えてしまう
ことがある。さらに凄いところは不都合な記憶は男に比べて簡単に消去してしまうことができるのです。
両親の仲が悪く不幸な家庭環境の中で育った女性は、怒りの方向に記憶を書き換える傾向が強いために自らを不幸に
導いてしまうのです。消去、書き換えを平気でする上に、解釈まで変えるからもうどうにもならない危険人物に
なってしまう傾向があるから更に始末が悪い。
 (字数の関係でカット 09年05月17日)
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2006年05月17日(水)
1870, ブラジルの襲撃・暴動
                   おはよ?!(*^ワ^*)i
一昨日、TVのニュースでブラジルの麻薬組織が一斉に蜂起して、警察と刑務所を襲っている映像であった。
刑務所の待遇が悪くて囚人が暴動が起こしたというのでなく、麻薬組織が真正面から国家権力に武器を持って
攻撃しているというから、驚きである。ブラジルの民度の低さが、そのまま出てしまった事件である。
国家権力に麻薬組織が挑めば、完璧なまでに破壊されるはずだが、ことブラジルのこと、どう収まるだろうか?
ブラジルに行ったとき、ブラジル専門の旅行代理店の社長と たまたま同席になった。 ブラジルの事情を聞くと、
「ブラジルに支店があって100回は往復しているが、ブラジルは面白いが、しかし恐ろしい国だ。
支店に強盗が何時入ってくるかわからない。下手をすると直に撃たれる。 だから金庫に、強盗用のお金を入れておく。
(字数の関係でカット2,008年05月17日)
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2005年05月17日(火)
 1505, ドッグ・ファイトー2
一昨日の朝、散歩をしていると川原でカラスがシギ?を追い掛け回していた。ところが他の二羽のカラスが
そのカラスを攻撃を始めた。何か仲間を諌めているようで、微笑ましい世界を垣間見たようだった。
これを見て、以前にドック・ファイトについて書いたことを思い出した。異種の動物同士のテリトリー争いを
「ドック・ファイト」というが、現在は「戦闘機同士による空中戦」を意味する。
電線にとまっている一羽のカラスの周りに鳩が10羽ほど囲んで威圧をしている姿や、セキレイが鳩が数十羽もと
まっている中に入って、一羽ごと追い掛け回している姿や、雀と燕が、巣の奪い合いをしている姿や、鳶をカラスを
攻撃している姿など、異種の鳥同士の争いを目にすることがある。 去年、オーストリアに行った時も、
鳩とカラスの集団が空中戦をしていた。 「いずこも同じ」と、見とれてしまった。
この文章を書いていて、「ドッグ・ファイトについて」殆ど誰も書いてないことに気がついた。
いくらでもネタがあるのだ。あまりドッグ・ファイトを見かけないのだろう。
4年前の今日、やはりドッグ・ファイトについて書いていた。 ー後日談だが、燕の巣は雀が勝って棲んでいたが、
燕が来なかったためか、その後きれいに取り除かれしまった。
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2001年05月17日(木)  ドッグファイトー1
 3月末いつもの土手を散歩をしていると、顔見知りの人が{ツバメが今日来たようですよ}と声をかけてきた。
バイパスの下のトンネルの蛍光灯の上に7?8個ツバメの巣がある。十数年来この時期になるとやってくる。 
そして春の到来を実感する。なるほど十羽ほどが飛びまわっていた。なにか異様な雰囲気によく見ると、
ツバメと雀が入り乱れて飛んでいる。数羽の雀がツバメを追いまわしているのだ。もちろんその速さが違う、
またそれが可笑しいのだ。巣のほうを見るとツバメが巣の中の雀と戦っている最中。
しばらくすると中の雀がそのツバメをおいかける。そのくり返しのようだ。
近くに10羽くらいの雀がきて時たまその争いに加わる。しばらく見ていたらツバメが
いなくなった。雀が勝ったのだ。毎年雀のツガイが、その並んである巣の隅に住んでいたのは
解っていた。よくこんな近くで住めるものだと感心していたが、今年は雀が反撃に出たのだ。
その2~3日後一度やはり同じような事があったが、今年はそれっきりツバメの姿を見る
ことはなかった。その後1ヶ月位2羽がトンネル両側で見張りをしていた。
10年来もちろん初めてのことである。誰かにそのことを話したら英語でドッグファイトというらしい。
異種間の群れ同士の争いは何処でもある話でそう言うらしい。 以前NHKスペシャルで、
「ライオンの群れとリカオンの群れの死闘」のドキュメントを見たが、今でも鮮明に記憶でのっこっている。
最後はリカオンのボスが若い雄ライオンに殺されてライオンの群れが勝ったが。
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2004年05月17日(月)
 1140, 自由について-1
学生時代より『自由とは何』を考えてきた。そして自分の自由を優先して生きてきた?
しかし、よく考えてみたら、自由は自分のやりたいことをみつけ、それを追及することであった。
自らの自己実現に対して忠実に生きることであった。 字のとおり「自らに由り、生きること」である。
そして自由な生き方ー周囲の因縁や世間といわれている束縛から解放されている状態を理想としてきた。
調べてみると、自由には多くの意味やとらえ方があるようだ。手の自由といっても、しょせんは人間の体の一部としての
腕の範囲内の自由でしかない。しかし使い方は自由である。自由には当然、自由なだけの自己責任がともなってくる。
アイザリア・バーリンは自由を「消極的自由」と「積極的自由」の2つに分類した。
 ー「消極的自由」とは「他者からの強制・干渉を受けずに自分のしたいことができるという意味での自由」であり、
 ー「積極的自由は自己が自己を支配している状態」ととらえられる。
例えばカントは、恣意に従うのではなく「理性」に従う状態が自由であると主張している。
また、ハンナ・アレントは政治活動を通じての自己実現こそを自由の本質と看做している。
これは「より高次の自己」を獲得するための手段・条件としてとらえられることになる。
このような積極的自由は「個人主義的積極的自由」ととらえられる。
キリスト教世界においては、人間存在の根源的価値を「自由」としている。
ルソーは、その著書「社会契約論」で「人間は自由なものとして生まれた」と述べたが、
「全ての人間が社会において等しく自由である」という事は絶対に不可能である。
かつてホッブズは、各自が己の自由を守る為には「万人の万人に対する闘争」に陥る。と指摘した。
キリスト教世界において、人間が自由であり続ける為には、戦い続けなければならない。
「自由」という言葉には、英語では2つの単語が存在します。
 「Liberty」と 「Freedom」である。
 「Liberty」とは「束縛からの自由」を意味し、束縛から逃れる為には、戦わなくてはならない。
一方、「Freedom」は束縛から解放された結果もたらされた自由であり、「自由な状態」を指します。
そして自由な状態が脅かされる時には、やはり戦わなくてはならない。
哲学者のホッパーは自由を 文化的粉飾から自由になることが大事だとしている。
日本的にいえば、世間の常識に縛られないということだ。日本は自由という言葉は明治初期まで無かったという。
欧州から入ってきた「Liberty」と「Freedom」を西周が「自由」と訳した。
それまでの封建社会では自由の意味もまったく無かったのだ。鈴木大拙は自由に相当する言葉を自然(じねん)と看破。
自らを然らしむ、自由自在に自分を伸ばす、自分で自分の納得する境地を拓く、という内容である。
この「自然」の然は、もとは「燃」という説もある。「人間は燃えているときに仏性をもつ。
醒めた人間は悪魔だ」という。「自由とは道理」という解釈も面白く納得できる。
自由ー自然ー道理と考えると、なるほど納得できる。
「家内の束縛から自由になりたい」と思ったら、「家内の束縛から自然になりたい」ということになる。
束縛を束縛ではなく、それが自然と考えればよいのか?束縛に対し、自らを納得させるということになる。
束縛が道理であると諦めるということと考えると、解るような気がする。まあ、あまりに日本的だが。
「不自由を恐れるなかれ、無意味な自由を恐れよ」と、この文章を書いていて思いついたが、そのとおり!
逆もいえる「自由を恐れるなかれ、無意味な不自由を恐れよ」の方が、理にかなっているか。
                           ーつづき
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2003年05月17日(土)
 773, 日本が真に独立をするためには
評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ
日本は『核武装』しかないのか」が、なかなか説得力があった。
ー要旨はー
    (字数制限のためカット 2010年5月17日)
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2002年05月17日(金)
 409, いろいろな悩み
3年前まで20年近く中学の同級会が開かれていた。 3年間休み今年から再開とのこと。
高校もしかり、本当にまとまりのあるクラスだ。 もう10年少し前の話だが、丁度、中学の担任の先生が定年退職の年だった。
そのときは、先生にとって至福の一年となるらしい。受け持たれたクラス単位で、それぞれお祝いの会を開いてもらえるという。
湯沢の旅館で泊り込みでクラス会が盛大に開かれた。そして次の日の夜まで、30時間延延と続いたクラス会になった。
長岡である女性がスナックを開いており、翌日の2次会はそこで行われた。その時、たまたまカウンタの隣の席に座った先生が、
浮かない顔で、俺の悩みを聞いてくれという。先生「俺の両親が90歳と87歳、同居しており今もカクシャクとしている。
両方とも先生をしていた。別に自宅と別に、マンションを持っていて時たまそこに行く。
実をいうと、この年で実感として自分の人生が無かった。それが無念だ!本当に深刻の悩みなんだ。」
自分には、その先生の悩みが理解できた。父が亡くなった時、自分にとって溺愛してくれた喪失感が大きかった。
反面その時の家庭の事情等で、あと頼れるのは自分ひとりという精神的自立ができた。
丁度、千葉で事業の立ち上げの時期と結婚も含め、自分にとってタイミングが、ぴったりであった事も確かであった。
親の死は子供に対する最大のプレゼントというが。その要素も確かにある。その意味で、先生の悩みが理解できた。
でもその状態を「無念と考えるか最大の幸せと考えるか」もあるだろうが、本人しかわからない悩みだろう。
その数年後、両親が亡くなった。 先生に「実際亡くなると、違うでしょう」というと、
「いや何の悲しみも、喜びも感じなかった。やっと死んでくれたという気持ちと、ただ無念だけが残った」
といわれた。その先生も4年前に脳梗塞になり、東京の子供のところに引っ越していかれた。  人生はいろいろある。

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