堀井On-Line



3177,デフレス・パイラルの脅威

2009年12月16日(水)

* ハイパー・デフレの始まり
 どうも本格的なデフ・レスパイラルに入ったようだ。それもハイパー・デフレ。ということは、二番底に向かって
転がりだしたということになる。先日、自宅から歩いて10分もしないところにある中古プレハブ住宅の販売広告が入っていた。
土地が25万、建物が20万?の相場の家屋が何と土地15万、建物10万の値段である。(その逆でも同じぐらい)
その販売業者は、競売物件を買って、少し手を入れて二割位の利益を乗せて売るのを専門にしている。
(なぜ分かるかというと、知人の自宅が、そのプロセスで売却されたからで、競売落札の値段も、お化粧代も大よそ分かる。)
どうみても半値に近い相場だが、結果として資産デフレに火をつけている。 近所の相場が、それによって暴落する。
会社の人の自宅近くが半値×八掛けで売りに出され、数日で売れたという話も入ってきた。資産デフレである。
 あらゆるところで価格が暴落しているのは、誰も彼もが実感していること。 背広の客単価が一年前の4割も落ちているし、
薄型テレビも3割ダウンした。冬物衣料などもオール半額!というチラシが入ってくる。 ホテルもネットで2980円、3180円、
3280円が出ている。安い順に売れていくが、それさえも最近は売れ残っている。 安くしないと、消費者は買わないから、
競って安くするが、全ての業界が始まり体力の消耗戦になってきた。 一番強い者だけしか生き残れないのである。 
そして、会社の多くは淘汰され、そのうちに、今度は金(かね)の価値が暴落を始まる。 ハイパー・インフレが始ると、
これは国家破綻を意味する。いつも同じことを書いているが・・ 世界は間違いなく経済も、政治も含めて大動乱に入った。
 アメリカも、去年のリーマン・ショック以来、経済はガタガタ。失業率が、あれよあれよと、10パーセントを超えてしまった。 
日本も、数年以内に、それを超えるだろう。リーマンショックの津波が姿を現してきた。デフレス・パイラルは4年間?続く。
来年からは、その中で食品の一部が値上がりが始る。 ハイパー・インフレの波も現れる。 

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2812, 今年を振り返る
2008年12月16日(火)

今年もあと半月、振り返って、思いのまま書いてみる。
大荒れの一年で、歴史に残る年といってよい。
世界をみると
・アメリカ発の金融恐慌である。予測はされていたことだが、実際に起こると、その衝撃度は甚大であった。
 100年に一度の経済的危機というが、私の人生で起こった最大の世界的大事件である。
 一次世界大戦、第二次世界大戦、世界恐慌の三つの一連のウネリより大き事象が十年以上は続くレベルの大事件である。
・アメリカ大統領選挙で、民主党のオバマが史上初の黒人大統領に選出された。
 これも歴史的出来事である。それだけアメリカの懐が深いということか。
・中国の大地震、ミャンマーのサイクロンの自然災害は、地球システムが人間システムに対して発した警告である。
・中国オリンピックの開催と、中国国内の暴動の頻発。 これは中国の将来を暗示してもいる。
・北朝鮮の金総書記に異変? 朝鮮半島が流動化になるかどうか。
国内では
・金融危機で一挙に景気の悪化。不気味な雰囲気が漂い始めた。
・福田が辞任して麻生が首相になったが、凡将の器が露見、一挙に政治混乱が始る。
・若者等の無差別殺人が続出をした。
今後、10年以上続くだろう社会的な大混乱の‘目次’と‘前書き’が今年の事件の集約とみるべきである。
暗い日々が待っていると思うと憂鬱になるが、これだけの変動の中で、自己責任をより自覚しないと。
「1970年代に始った新自由主義経済の崩壊が始った」と、新聞の論説にあったが、
この数年間で統制が強くなるだろう。 
それぞれの企業が、根底から存在意義を問われ、価値のないものから否応無く淘汰される。
特に来年一年が今後を占う年になる。 どうなることか?

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2007年12月16日(日)
2447, 四四太郎の霊日記 ー12

           (*´_●`)ノオハオハオハ♪
さてと、お出ましである。 何時も同じようなことをブツブツ言っているが、
違う視点を持つことに意味があるということじゃ。
<私>+<私の体>=「私」ということは 「私」−<私の体>=<私> と誰か哲学者が論じていただろう。
 その<私>の芯にあるのが、≪私≫とすると、更にその奥にあるのが≪≪私≫≫ということになる。
いや、この括弧を内側に幾つかつけたのがワシということ。これが≪私≫を通して<私>に語りかけているということ。
だから、御主も何か変な気分になるのは解るし、御主とは見方が違ってくる。 だから先祖を大事にせい!というのは、
決して間違ってはいないのだ。ただ、葬式坊主のタカリに乗ってもよいというのとは違う。
ところで、御主が娑婆で過ごす心得を教えてやる。大きな地球儀を何処か身近に置くことじゃ。
パソコン内ではない、とにかく手に触れる場所に置くこと。
そして月の上か、衛星から地球をみる気持ちで常に見ることじゃ。
娑婆の連中は意外とこの効用が解ってないのだ。自分の魂の視点をそこに置くことが重要になる。
あれは子供用だけではなく、大人にこそ必要である。その習慣こそ、周囲の騒音から己を外に置く
一番手っ取り早い方法になるのだ。それと詩を学ぶことだ。詩は、何かに書き残しておけば何年経っても
伝わりやすい痕跡になる。それでさえ宇宙の彼方から見れば、如何でもよいことになるが、
しかし人の心の奥の凝縮された言葉こそ、己の心の奥に突き刺さるのじゃ。

ワシの世界で知り合った面白いのを御主に就けておく。知恵は数倍出ることは間違いないだろう。
名前はダジーダ・ジーダという。通称ジーダでよい。何か考え事をする時に、彼を呼び出し聴くか話せばよい。またな!
                   ヾ(´∀`o)+バイバイ
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2006年12月16日(土)
2083, 哲学者がローマ法王の奇跡を切り捨てると!    才八∋ウ_〆(∀`●)
   知ることよりも考えること−? ー読書日記
              
週刊新潮の連載コラムを集めたため、身辺の話題が解いやすい内容である。
先年亡くなったローマ法王のヨハネ・パウロ?を『聖人』として認定するかどうかの
審査会議などの低?次元の話題や、最近TVなどに出てくる胡散臭い江原啓之とかいう
男の超常現象?について、哲学者の視点から言及している。
どれをみても理路整然と、その矛盾をストレートに切り捨てているところが痛快である。。
「あたりまえのことばかり」「人生のほんとう」に続いてこの本を読んであまりに面白いので、
さらにアマゾンで中古本だが「14歳からの哲学」と41歳からの哲学」を買って、読んだ。第四章ー54項目の構成だが、
ランダムに面白そうなところから選んで要点の場所を抜粋しながら考えてみよう。
まずは次元の低い「教皇の聖人の認定か否か」の問題である。アホくさいが、まあ著者・池田の真骨頂が現れていて面白い!
 秋刀魚の骨も信心から」と思って読めば、これもよい。
ー奇跡大好きー
新ローマ法王の選出選挙、コンクラーベの政治性も凄かったが、これも凄い話である。
何でも、この[聖人]とは、カトリック教会の最高位で、死後これに認定されるためには、厳しい審査がある。
[聖人]よりワンランク下の「福者」として、先般マザーテレサが承認されたが、法王といえ、これらの位には
なかなか昇格できないという。神の前に平等のはずの宗教界でも、階級化が[死んだ跡]にもついて回るのである。
生きているうちに政治的な動きをしていたのだろうか?が、凄いと思ったことは、その資格認定とされるものだ。
必須とされているのが、「聖人」の場合でも二回以上、「福者」でも一回の奇跡をおこしていなければならない。
[奇跡]の定義が、[科学的に説明不能」であること、それを審査するためにバチカンにも専門の科学者がいる。
そこで、説明不可能といわれたものが、[本物]の奇跡であるか否か、高僧達が判断を下すそうだ。
私はある種感嘆をおぼえた。科学的に不可能であるということが「すなわち」価値である世界があるとは、
盲点を突かれる思いであった。彼らが[奇跡]を価値とするのは、イエス・キリストが病人を癒したとか、
死人を生き返らせたとか、聖書に記載されているからだろう。それで、そういう[奇跡的]力を有する人が宗教的に
優れた人ということになるのだろう。しかし、当のキリストは、この世の命を命と思うな、現世の価値に執着するなと、
繰り返して説いている。永遠なるものは、その価値は、あなたたち自身の内にあると。
宗教の本質とは、現世的価値に対して永遠的価値を提示することにあるのではなかろうか。
癒しや復活など現世的としての奇跡的出来事は、宗教の本来無関係のはずである。
ゆえに、宗教が奇跡それ自体を価値とするなら、すでに話は転倒している。 宗教など、早い話が、永遠のふりをした
しょせんは現世利益じゃないかと言われても、仕方がないのである。第一、科学により説明不可能ということが、
何で奇跡ということなのか。逆に科学により説明可能なら、奇跡は奇跡でなくなるというのか。ここに根本的な勘違いがある。
科学というのは、そのとおり、説明のための一方法である。何を説明するかといえば、言うまでもなく、自然である。
自然の奇跡である。花が咲くこと、陽が昇ること、この宇宙がこのように存在することの奇跡である。
ゆえに、科学がいかに説明しても、このこと自体の奇跡が、軌跡でなくなるわけではないのである。
逆に、このこと自体の奇跡はいかにしても説明不可能だからこそ、人は[神]という発想をもったはずなのである。
したがって、科学により説明不可能なことのみを奇跡とするような宗教は、科学の優位に立っているいるつもりで、
じつは科学に従属しているのである。神の奇跡なんぞ、本当に感じているわけではないのである。
そういう人々が、現世利益、現世的ヒエラルキーの追求にかまけることになる。
本当に宗教的な人、本当に神の奇跡を感じている人は何もかも奇跡的なことのはずだが。
だから、とりたてて何かだけ奇跡的だ、価値なのだと、騒ぎ立てるはずがない。
  ーーー
以上であるが、[ゴッドファーザー]に教皇を暗殺する場面が出てくるが、教皇といえ、あの程度の男でしかない?
という裏面を辛辣に表現していた。「奇跡」の云々を信者が求めているのなら、それを演じて見せるのも必要である。
                         *** Ψ( `▽´ )Ψケケケケ♪
               (~Q~;) ネム〜〜
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2005年12月16日(金)
1718, お金の現実          
 オハ ☆:*:・★(o≧□≦)o☆・*:..。o○☆*゜オォォォーーーハヨ!!       
          −読書日記  岡本 吏郎著            
             ma!~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ
これまで著者の本は二冊読んでいるが、
 ・中小企業を経営しているなら、一億の現金を個人名義で持ちなさい。
 ・ヤップ島のフェイという石で出来たお金の話以外、さしたる記憶が残っていない。
  今年の4月に新らしく刊行されて本屋で見たが買う気にならなかった。
  ところが先日図書館で見つけて読んだところ、なかなか面白い。
 ほとんどのポイントが最後の章の第五章・この本の結論に集約されていた。
ーそれを更に私流に要約すると、
お金の語源から、その意味するところは「測定」「警告」「狂気」「生け贄」「循環」というキーワードである。
「測定」は、対象の価値を測定するもの「警告」は、お金からの警告である。
儲からなくなってきたのは、お金から事業に対する警告である。
「狂気」は、成功している人は必ず狂気を含んでいる。パラノイア(偏執狂)とか、変人である。
それが無くなったとき、平凡な経営者に落ち込んでいる。「生け贄」は、何かことを成すときは、犠牲が必要である。
それは私生活であったり、普通の人の生活の犠牲であったり。「循環」は、お金は循環してこそ本領が発揮できる。
お金の概念として一番重要な意味といってよい。箪笥預金は、お金として一番意味も無いし、本領を発揮しない。
我われが情報を買っているのは、金で時間を買っていると同じことである。
 ーさらにポイントをあげるとー
  字数の関係でカット(2009年12月16日)
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2004年12月16日(木)
1353, おれおれ詐欺ー2
お笑い学芸会ー可愛い演技 「おれおれ詐欺ー振り込め詐欺」

4〜5日前に自宅に「面白い電話=俺俺詐欺」と思われる電話があった。
「土地を買いたいという人がいるが、業者ではないが売る気があるのか」とか。
これ、土地の売買のプロからいうと、とんでもないことである。素人の騙しか、玄人の人をバカにした内容である。
それも、旦那がいない時間に自宅に電話をするのは、詐欺以前の軽蔑の電話である。
建業法違反ということも解かってない程度の低い俺俺詐欺レベル。 第三者の仲介は業者以外してはならないのだ。
家内は、「そういう話は文章でいってほしい」といったという。 その文章が昨日封筒できた。
ワクワクしながら開けてみると、チャンとした会社のふりをした??株式会社とかいう会社名であった。
インターネットで調べると、一生懸命に詐欺のためつくりあげたHPであったが、よく内容を見ると実体のない会社が、
見え見えである。 実在している会社のグループのように見せているが、よく調べると違っている。
早速、電話をかけると?と思われる若い男が出てきた。無言できったが、それにしてもここまでやるかである。
そこで、イエローページで調べるとそんな電話番号がない。電話番号(携帯でない)も、おそらく新潟で詐欺をするために
直近につくったのか?名刺はつくったばかりのペラペラの即席もの、封筒も作ったばかりの見るからに詐欺用。
手の込んだ振り込め?か、近所?の事情をよく知ったものと組んだ?程度の低い??。
何処かのインターネットカフェで一生懸命につくったのだろ?
不動産の売りのオーナーを片っ端から電話をしているのだろう。まあ、こういう時代なのだろう。
その辺のチンピラ暴力団員か、流しの詐欺が必死に考えた新手の詐欺レベルである。
面白いことに、去年の今日「おれおれ詐欺」を書いていた。不思議といえば不思議である。毎日、面白いことは続く。
ーもしかしたら、私の思いすぎかもしれないが、その方がもっと面白い。

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2003年12月16日(火)
986, おれおれ詐欺
字数の関係でカット(2007年12月16日)
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2002年12月16日(月)
612,ある時間の断片-26
10月27日1968年  土曜日
夕方6時に、欧州旅行の????会が集合。池袋の「嵯峨」に集合。川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。 
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。
今後とも彼のような男と巡り会えないだろう。20時に高木が来る。これで我々の仲間の6人中5人が集合した。「パブ・エリート」
へ飲みに行く。最後の一人の酒匂も来る。全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。
それだけ見ているだけで楽しい。その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして2時頃に寮に深井と酒向がくる。 30分で酒向は帰る。私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。 
このところ毎日刺激が強い酒だ。
 10月28日1968年(日曜日)
10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。 13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。第三京浜も久々だ。夕日の富士が絶景だ。こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出か。 帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。

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2001年12月16日(日)
271,今年の驚愕?
毎年驚愕することが多い! 
 ー驚きーでは言葉が足りないので「驚愕」にした
   ー今年は以下五つー
1、アメリカのテロ  あえて書いても仕方がない!
2、ホームページ作りからみたパソコンとインターネットの世界!
3、イチローのアメリカでの活躍!
4、不況感!
5、ソニーの36インチのハイビジョンTV  1年見続けての実感として凄い!
ー実感としてこの五つは、今までの常識を超えていた。
 やはり21世紀の景色である。旅行には例年感じる驚愕は少なかった。
・それでは去年は如何であったか?「シルクロード」「シリア・ヨルダン・
 レバノンの旅」!「オーロラ!」どちらが凄い?と聞かれてばもちろん、迷わず去年?
・ 一昨年はもちろん驚愕!「ヌ〜の河渡り!」そして「イスラエル」と「ネパール!」・・!
・3年前は「スペインのパンプローナ牛追い祭り」と「インド」と「イスラエル」 ショック!
・4年前、「ギアナ高地」と「タンザニア」・・・・! と比べることが、おかしいといえばおかしいが。
 何だ旅行の自慢か!いや、違う!「うん〜」「そう〜か!ちゃんとバランスがとれているのか?」
それにしても21世紀とはこういうことだったのか!  
 ・・・・・・
 ある時間の断片 
 12月16日ー月曜日1968年
10時起床。
卒論のテーマの変更のため登校する。武沢教授に会うことができた。10分位で用件が終わる。 
食事をして帰寮するが、急に眠くなる。今日は、姉の優子さんのところ行く予定であったが17時過ぎまで寝込んでしまう。
駒村君の部屋に行き、彼と食事に出る。食堂のTVでゴーゴーをやっている。見ていたら、二人で顔を合わせて
行こうという話になる。着替えて、そのまま新宿へ行く。23時近くまで2時間も踊る。その後、スタンドバーに入り飲む。
もう寮では私のあとの見えない勢力争いがおき始めているいう。 初めて解ったことだ。
彼とブーちゃんと尾形君だという。40分近くも歩いて帰ってくる。南波嬢の件を言いだす。
私がイビッテイルという。別にそうしている訳ではないが、そうなら気をつけないと。
最近は石川や深井や米林につぎ彼女のことを、イビッテしまったのか。この前の軽井沢で生意気そうだったので、
少し意識をして無視をしただけだ。まだ以前に軽井沢の「愛の散歩道」を二時間おデート散歩した気持ちの
余韻が残っていることか。 可愛いが、あまり身近すぎて面倒だ。


3176, アメリカは現在、どうなっているのか ー1

2009年12月15日(火)


 日本とアメリカ社会は少し早いか遅いかはあるが似たような動きを示す。
日本の現状も酷いがアメリカは実際のところどうなっているのか?と思っていた。
マスコミはアメリカまでの実情を辛らつには暴かない。それ以前に、日本の現状が悪いということか。
 2001年の9・15テロと、去年のリーマンブラザーズの破綻から金融恐慌は社会的・経済的にアメリカ国民に
大きな打撃を与えた。ダブルパンチであり、この二つの事件は、連動している。 まず9.11テロの後、傷ついた経済を
立て直すためサブプライム・ローンを下層階級の人たちに勧め、それを証券化して世界中にばら撒いた。
そして、それが破裂をしてしまい100年に一度という金融恐慌を招いてしまった。失業者は瞬く間に10パーセントを超え、
2008年の末から2009年の初めにかけて三ヶ月で家計部門の純資産が100兆円以上も失われてしまった。
 アメリカのメトロポリタン生命保険会社が、毎年[アメリカンドリームの研究」という調査を行っている。
   以下は、そのレポートである。             『 中央公論11月号 参照 』
《 ・回答者の59パーセントが個人破綻に追い込まれることを心配し
  ・64パーセントが住宅を手放さなければならなくなるのでは、と答えている。
  ・失業すれば二週間で蓄えが無くなると回答した人は28パーに達している。
  ・さらに56パーが、来年、失業するかもしれないと答えている。そこには楽観的なアメリカ入のイメージはまったくない。
  ・経済的な苦境を乗り切るために多くの人はライフスタイルも変えつつある。
   44パーの人が、不況によって生活の優先順位を変えざるをえなくなったと答えている。
   大多数の入は外食を減らして自宅での食事の回数を増やし、旅行は贅沢だと考えるようになっている。
  ・40パーの人が、買い物は大型安売り店でするようになったと答えている。66パーの人は株価や住宅価格の動向に
   以前ほど注意を払わず、現在は家族や友人、子供、結婚といった‘個人的な事柄’を重視するようになっていると答えている。
  さらに同報告は「雇用不安が高まる中で職場がアメリカン.ドリームの礎石となっており、従業員福利が重要な意味を持ち始めている」
  「アメリカン・ドリームがこの一年で大きく変わったのは明らかだ。人々は人生の成功とは何か考え直し始めている」
  という興味深い指摘をしている。 どこの国でも不況期には、人々は生活防衛的になるものである。しかし同調査では、
  こうしたライフスタイルや人生観の変化は一時的なものではないと結論付けている。 ≫ 
  〜〜
 この調査から分かることは、この金融危機がアメリカ人に与えた影響は我われ日本人が見ているより遥かに大きな
 インパクトを示している。しかし、どうだろうか、日本の地方の現状も、こんなものかもしれない。

 ・・・・・・・・・
2811, 閑話小題
2008年12月15日(月)

 *韓国経済が変なわけ
日本より一歩先に金融恐慌の影響が韓国経済を直撃、深刻な窮地に立っているようだ。 
韓国の経済の貿易による割合が何と76%もあるという。ちなみに日本は、27%というから、この金融危機の影響は
国家存亡の事態。先日、日本が韓国に3兆円の緊急融資をしたことからみても、極めて重大な事態ということになる。
円に対してウォンが一年前の半値になっている。 輸入は倍、輸出は半値は厳しいだろう。
自己通貨の暴落は、恐ろしいことである。
 −−−−
 * 医者は社会的常識に欠けるのか?
麻生の『医者は社会的常識が欠けている』は、誰も知っていること?
一部を除けば、「医者は社会的常識が欠ける」の成否は、いまさら議論の余地はない。
ただ普通の人と同じレベルでしかない?ということである。当たり前のことでしかない。
医者とか先生という尊称?と、実態レベルの差が、「社会的常識は無い」といわれる所以。
医者になるための猛勉強で、社会との接点が最小になりざるを得なかったプロセスで、一番大事な時期に培われる常識が
欠落するのは当然のこと。そのことを医者自身が仲間を見ていて熟知しているから、怒り心頭になるのである。
家内の友人の旦那が医者で、「実際、その通りだが、ズバリ言われると腹が立つ」と言っていたという。どの世界も、
二割はまとも、六割は普通、あとの二割は??。医者とて同じである。麻生首相、更に幼稚園の先生と生徒の母親の集まりで、
「子供より親が問題で、その教育のやり直しこそ必要」と、お述べになったが、これも誰もが認めることである。
団塊ジュニアの親が、教育現場で深刻な問題になっている。映像に映っていた彼女達の戸惑った顔が何ともいえない。
これまた隣の父兄を見れば解ること。話しは元に戻るが、医者の多くは激務に追われ、
一般教養を追加する余裕が無いのではと思われる。生死に関わることだから、これが一番恐ろしいことだ。

・・・・・・・・・・
2007年12月15日(土)
2446、狂気について
 (*^o^*)オ (*^O^*)ハ (*^。^*)ヨー!!
   「狂気について」渡辺一夫著(フランス文学者)       −読書日記

「狂気について」は、1948年のエッセイ集「寛容について」の中の一章である。
 ーまずは概要を、まとめてみたー
人間は「天使になろうとして豚になる」存在であり、おそらく狂気とはこの自覚を持たない人、あるいはこの自覚を忘れた
人間の精神状態ではないのか?と、我々には皆キチガイじみたところがあり、うっかりしてると本物になってしまう。
しかし人間というものは狂気なしには居られないものらしい。我々は、「天使になろうとして豚になりかねない」
存在である事を悟り「狂気」なくしては生活できぬ存在であることを悟るべきである。酒飲みの醜態を考えてみればよく解ること。
酔って醜態をさらし、しばらく飲まないで生活する、そして再び醜態を曝す。この循環こそ、人の状態でないのか? と。
狂気も正気も人の心に棲んでいて、これを忘れてはならない。
「戦争が狂気、平和は正気であるとするなら、戦争より平和の持続の方が実は苦しい」
平和は苦しく、戦乱は楽であることを心得て、苦しい平和を選ぶべきで、冷静と反省が、
行動の準則にならなければならない。常に「病患」を己の自然な姿と考えて、進むべき。
 ーーーー
これを読むと、何かホッとする。特に酒飲みの醜態の循環の箇所など!何かを目指したら、他からみれば
(目指している先は見えないから)狂気に見えるのは当然のこと。まずはそれを乗り越えることが求められる。
元々、人間は理想を求めれば求めるほど、「天使になろうとして、豚になりかねない」存在になってしまう。 
それを、独り自問自答しながら、キチガイの自分を冷笑し自覚するのである。 
狂気と正気の循環こそ、人間の姿というのは自分の過去を振り返れば自明のこと。
ここで著者は {天才とは「狂気」が持続しない狂人かもしれないし、狂人とは「狂気」が持続している天才かもしれない}
と言っているが、元々、両者を循環をしているのが人間の自然な姿と思えば、気持ちが楽になる。
狂うほど物事に熱中しなければ、天才的な仕事は出来ない!のは事実だが、鈍才で気の小さい吾身とすれば、
ホッとするのは自己欺瞞というより誤解でしかない。大恋愛も、観ている方からすれば「色狂い」?しかし、そ
れもまた人生の花?でもある。そういえば、4年ほど前にここで「閑吟集」のチロリチロリチンチロリを取上げた。

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
                         バイ (*бωб*)/
・・・・・・・・・
2006年12月15日(金)
2082, ワーキングプア?
            (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
    
12月10日(日)にNHKで総合テレビで放映された「ワーキングプア?」ー努力すれば抜け出せますか ー
がシビアで、深く考えさせられる内容であった。今年の7月に放送したのを見て、肌で感じていた厳しさを
全国の事例として目の当たりにみせられ衝撃的であったが、その続編である。

まずは、ーNHKのHPより抜粋したものであるー
『働いても働いても豊かになれない…』。
今年7月に放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、生活保護水準以下の暮らししかできない
“働く貧困層”の厳しい現実を見つめ大きな反響を呼んだ。NHKに届いたメールやファックスをもとに、今回、
ワーキングプアのさらなる実態を取材。「第2弾」である。この10年の雇用環境激変の影響を、最も大きく受けた女性たち。
その窮状を訴える声が数多く寄せられた。雇用が回復した今も「正社員」は依然として狭き門で、
複数の派遣やパートの仕事を掛け持ちしても、生活ギリギリの給料しか得られない女性が急増している。
『字数制限のためカット 09年12月15日』
 ・・・・・・・・・
2005年12月15日(木)
1717, 戦略ノート ー2
          オッハー☆_φ(´∀`    
以下が具体的な
「戦略ノート」である。夢実現のための具体的な技術編である。
何ごとも、実際に文章化をして一つずつ実行すればよいが、
                       誰も実行しようとしない。
−−        ma nomete  ~~旦⊂(・∀・ ) ~~旦_(-ω-`。) ドモドモ
1、自分の夢を書く  しかも締め切り入りで
 2、今の自分の資源を洗い出す
   a)夢を実現するためにどれだけのことをしなければならないのか、
    そしてそのために全身全霊で打ち込む決意があることを確認する
    声明文を具体的に書きなさい
   b)夢の実現に役立つ自分の強みを三つ書きなさい
   c)夢の実現を拒むもので自分の力でなんとかできるものを三つ書きなさい
   d)夢の実現のために払うべき代償はなにか?
    ◇金銭 ◇時間 ◇人間関係
    ◇現在の仕事・キャリア ◇安楽な生活 ◇その他
  3、夢、実現への理念を書く
    自分の夢が明確になったら、実現へ向けての理念を書く
    自分の価値観と信念に根ざしたもの
 4、成功への旅の進行度をたずさえてチェックする
   成功の目安となる具体的な目標を設定する
  −−−−       φ(・ω・〃) ♪
  ー他に、この本のポイントを書き出すと
    *人生の質を高めるなら自分自身を高めるしかない
    *いつか、そのうちなんて日はない
     ・今日この日に手をつける習慣をつける
     ・今日の成長は明日のための投資
     ・自己成長は自分の責任で行う   
     ・今日の成功は明日の敵   ねむ!(ρ_-)
     ・時間不足などいくらでも埋め合わせができる
     ・人生の核となる軸に時間とエネルギーを集中させよう
     ・一日一時間、週5日法でその道のエキスパートに。
     ・捨てるものを厳選しろ
     ・せっかくの知識を持ち腐れするな
     ・どこで使えるか  いつ使えるか  誰の役に立つかを考えると情報の使い方がうまくなる
     ・成長が加速する環境に身を置く  よっしゃ♪o(>w<)〇゛
   「付き合う相手で自分の価値が決まる 」
   「自力でできることだけに集中する 」
   「成功は失敗と反省の繰り返しによってのみ成される 」
   「得るか失うか交換する ー
    この三つの選択肢で成り立っている 」
  ーこういう人に人が集まるー     σ (=^ε^= ?)’♪ (´-ω-` )ゝ
   よほど、純朴でないと、これらは空論にしか思えないものだ。
   しかし、自分のミッション・ステーツメントになる。
   何ごとも判断基準を明確にしておけばよい。  
              d(-。^)good!!
・・・・・・・・ 
2004年12月15日(水)
1352, 23歳の日記ー6
6月17日 (2)
今日は休日である。 何かしらない安堵感と、寮で一人いる不安感が複雑な気持である。
何か日ごとに、会社に染まりつつある。それ自体悪いことでないが。流されている自分が不安である。 
自分が目指してきたものが、少女の淡い結婚を夢見ている姿とどこが違うというのだろう。
その甘さが、今の気持を不安にしているのだ。 それが行動にチグハグが出ているのだ。流されているという感じも、
そのためだ。自分の信念に対して、決してたじろいではならないのだ。歩むことしか、今は許されないのだ。 
休むことも必要だ。といって、休みすぎて、歩くことに躊躇を感じるようになってはだめだ。登っていることはそれでよいが、
しかし断念はしてはならない。頂上の着くことより、そこへ着こうとしている努力こそ求められなくてはならないのだ。
しかし、登山には登山の準備が必要である。一つずつ山を登り続けなくてはならないのだ。
現在目指す山は『商道で力をつけることだ』流通業で、自分の創造力をつけることだ。
しかし、僅か3ヶ月もしないうちに、不安と疑問を持ち始めているのだ。このこと自体ナンセンスなのではないか?
という疑問である。5月病でしかないのか。自らが燃えないで、どうして光をつくることができようか。
そのエネルギーがこの程度ということか? どうしたのだろうか?
 −−−
7月16日 1969年
 22時30分
10日位前に四日市から、神戸の垂水店に来ている。四日市の検収をしている商品管理部から、室内装飾の売り場に移動後、
やっと慣れたら、2日後に急遽転勤の辞令。実際のところ頭が真っ白である。前知識なしに何人かが合併の先頭の交流の為に
神戸や大阪や姫路などに転勤である。まだ日にち4ヶ月も経ってないが、刺激的な日々である。昨夜は当直、その為か
今日の午前中は肉体的極限状態。聞きしに勝る酷い環境で、何か数百年前の江戸時代のような世界である。
日用雑貨の一部を受け持つが、30歳近い「主のような女性」が難物である。店の女性を仕切っている大ボスである。
まず彼女を自分の監督下におかないと。乗りこえなくてはならない女の壁だ。四日市本店は丁度よい時期に転勤かもしれない。
ボロが出る直前だったからだ。そのため、良い思い出だけが残った。特に寝具売り場の大西さん、黒田さん、伊藤さん、エッチャン、
伊藤さん、それに梅村さんだ。四日市のよい思い出になった。特に最後の夜の思い出は忘れることができない。ところで今日、
アポロ11号の打ち上げがTVで放送されていた。歴史に残る、素晴らしい光栄に満ちた出来事である。
あと半月後に社員登用試験が控えている。それには絶対受からなくてはならない。それにしても、凄いところにきたものだ。
寮が、四日市で同室であった堀田君が一緒というのが救いである。丁度良い相手が同室になって良かったが、
寮生と店の人たちは、まだまだ、心を開いてはくれないが、彼らも様子見というところだろう。

ーーーーー
2003年12月15日(月)
985, アパについて
 先日の夜のワイドショーにアパホテルの女社長がTVで出ていた。
アパ・マンションの社長婦人で、ホテルを任されている人だ。
ホテルにしても、奥さんがTVのワイドショーに出てきた時は大体が末期の時である。
落ちとして最後には「わが社のマンションを買ってくれ」とのコマーシャルで終わった。
(字数の関係でカット 2008年12月15日)
・・・・・・・・・
2002年12月15日(日)
 611,ある時間の断片-25
 1968年 10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。 人事管理で討論をやる。我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。
大学の近くにある。寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。それぞれあるのだろう。欧州旅行の仲間の会を
日曜日に開くことにする。そこで連絡の打ち合わせをする。喫茶店のジョーイに行く。そこで川村の鈍行というグループが
集まっている。石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。田島は個性豊かな人間だ。私の顔がユニークだという。 
貶しているのか、褒めているのか。 お前に言われたくないとも言えなし。
13時から武澤ゼミに参加。指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいか
まるでついていけない状態だった。 つくづくいやになる。ゼミ終了後、高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。
2軒回った後に、所属している合気道会の主催の「素晴らしき飛行機野郎」をタッカーホールに見に行く。 
21時半に寮に帰ってくる。新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。
別れようが別れまいがどうでもよいだろう。23時に就寝。ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。
もっと本を集中して読まないと。 プラスマイナスを明確に把握、その為には、本を4~5回は読まないと。

・・・・・・・・
2001年12月15日(土)
270,本屋と図書館
“私は書物を人にはすすめない。その人にとって本は買うまでが勝負である。
本屋でこの本を自分が買うと決めるその一瞬こそ最も大事なのだ。”
(第一生命・桜井社長・“NHKトップインタヴュー”より)
本屋に行くと何ともいえない緊張感がある。そのせいかもしれない。
自分でリサーチをして、そして決断か、情報万引きー立ち読みか、本当の万引きか、その雰囲気を楽しむか、
いろいろあるからだ。週に二回か、三回行く。その時の時勢が反映しているのが面白い。
最近はネットの「紀伊国屋」や「アマゾン・コム」で、半分以上買うようになった。
桜井氏の考えにも一理あるが、私など是非そのような人物が近くにいたら、
教えてもらいた。といってやはり自分で苦労して捜してこそ意味があるのも当然の事だ。
本屋とか図書館に神か妖怪がいて、自分が真に求めている所に導いてくれるという。
誰もがその不思議な出会いを経験しているはずだ。
立花隆の「僕はこんな本を読んできた?・?」が今の私のガイドブックになっている。
トイレに置いてある。一度座るたび、ダイジェストで一冊の要約を知る事ができる。

・・・・・・・・・
ある時間の断片
12月15日 ー日曜日  1968年
 朝10時に起床。午後も何となく過ごす。 夕方食事に行き、その後独りで本を読む。
 その後卒論をまとめたりして過ごす。今朝ゼミの植本君から一昨日の礼状がきていた。
 その番のうちに礼状を書いて翌朝速達でよこすとは凄い。 それだけ感激したようだ。
 しかしこの気持ちが一番大事なことである。先日のゼミの私が創作をした内容は実家の商家をモデルにした。
 そこでの人間関係を現在の寮の自分の立場に置き換えて話した。しかし、あまり練ってなかったので、
 その場でパフォーマンス的につくり変えたので矛盾点が出たのだ。どうしても表面的な受け答えに なってしまった。
 必死に突っ張っている自分がそのまま露呈したようだ。


3175,学習性無力感

2009年12月14日(月)


[私はいつも仕事でミスばかりしている」[自分が就職する企業は、何処も良くない」
「どうせ自分は何をしてもダメだ」「旅行に出ると、嫌のことばかりつづく」
「女性には持てたことがない」「あ〜あ、面白くない」とマイナーなことばかり目に捉われる人がいる。
そういう心理傾向を[抑うつ的自己意識スタイル」という。悲観主義者である。誰も失敗したり、何をしても駄目な時期がある。
そして自己嫌悪に陥り、欝症になり、それが重くなると、鬱病になる。そして、マイナーな言葉により、何もヤル気がなくなる。
それを[学習性無力感」の法則という。その底から、這い上がる過程で自分を作り、そこで力がつく。
 アメリカの心理学者の実験がある。
≪ 第一のグループには騒音を止めることが可能で、第二のグループにはコントロール不可能な状況に置き、その後、
全員を騒音を止めることが可能な状況に置いたところ、第一のグループは簡単に騒音を止めることができたが、第二のグループは、
「学習性無力感」が働いたのか、誰も騒音を止めようとせず、その状況に耐え続けることしか出来なかったというのである。≫
 一番の問題は≪どうせ自分なんか≫という考えが習慣になると、ろくなことがないということ。
これに対して、成功体験が人間をプラスを重複して導き出すのである。これが世の中に出回っている「成功本」の共通点。
この「学習性無力感」をもじれば、「学習性達成感」ということになる。大相撲やプロ野球で、優勝回数の多い力士や選手は、
ますますヤル気が出て練習に熱が入る。 優勝というゴールセッテングが体験でハッキリイメージできるからである。
逆に、失敗時のイメージを持つと、負け犬になってしまう。 「学習性無力感」が付いているのである。
 恐ろしいのは、この20年近く日本は、バブルの崩壊以来、どうも学習性無力感が国に、ついてしまったことだ。
現在の若者の間で、「一度で良いから景気の良い社会を経験してみたい」という願望があるという。
景気がよく、努力をすれば報われる実例が周りにあれば、自分も!と啓発されるのだろうが・・・

 ・・・・・・・・
2810, 禁断の市場
2008年12月14日(日)
「禁断の市場 ーフラクタルでみるリスクとリターン」 
               ベノワ・B・マンデルブロ (著)
この本の「内容紹介」と『禁断の金融10ヵ条」が、簡潔に纏めてある概要である。
それぞれのページは、あまりに難しいので、この部分をジックリと理解することで良しとした。
 これもフラクタル理論の応用?
ー内容紹介ー
「フラクタル」という言葉、あるいは本書の著者である「マンデルブロ」については、どこかで聞き覚えがあると思います。
フラクタルとは、全体を一定の割合で縮小すると部分が再現できることを指します(部分と全体の自己相似)。
1970年代にマンデルブロにより命名され体系化された概念です(本書167頁)。自然現象との幅広い関わりが研究され、
統計物理学、宇宙論、気象学、水文学、地形学、解剖学、分類学、神経学、言語学、情報技術、コンピュータグラフィックス
などの分野にさまざまな影響を及ぼしています。 インターネットで「フラクタル」あるいは「マンデルブロ集合」を
検索していただければ、どこかで見たような図を多数見ることができます。雲や山脈などの風景を描いた、「写真」のような
図もありますが、コンピュータが計算して描いたグラフィックスです(本書196、324頁)。
マンデルブロ以前には、自然の世界において「雲は丸くないし、山は円錐ではないし、海岸線は滑らかではない」ことを
数学的に説明することは不可能でした。それを明らかにしたのが、1982年に刊行された『フラクタル幾何学』(翻訳は1985年)です。
その功績は「私たちが自然を見る目を変えてくれた」と称えられ、1993年には物理学の世界で権威あるウォルフ賞を受賞している。
また2003年には日本国際賞を受賞しています。 本書は、その考え方を金融市場に応用したものです。
マンデルブロにとっては、1960年代から続けてきた研究ですが、一般書の形で発表されるのは本書が初めてです。
マンデルブロの研究は、所得の分布と綿花価格の変位の分布、乱流状態にある流体エネルギー散逸量の変動と金融市場における
ボラティリティの変動の類似性など、グラフを見比べて「似ている」と感じた直感に基づいて研究が発展したそうです。
本書では、「自然現象のフラクタルと経済現象のフラクタル」は同一のものであり、このフラクタル幾何学を金融市場に
適用することによって「ランダムウォーク理論からは予想できないバブルの発生と崩壊」が理解できるようになるという
マンデルブロの考え方が示されています。金融工学の基礎となっているのは、コインを投げて、表が出たら相場が上がり、
裏が出たら下がるという最も単純な「マイルド型」のランダムさの変動をモデル化した概念です。実際の市場は理不尽な動きをする
「ワイルド型」のランダムさに基づいて動いている。市場の動きを説明しモデル化できるのは「洪水」や
「大気の乱流(タービュランス)」などを説明できる「マルチフラクタル・モデル」であるとマンデルブロは主張します。 
2008年1月のダボス会議でライス国務長官は、サブプライムに揺れる世界経済について
「われわれは今、タービュランス(乱気流)のなかにいる」と発言し、話題になりました。
 ーーー
  それにしては、内容が難しい。そこで、一番の要点の12章の「禁断の金融10ヶ条」から、
 「サブプラム・ローン入りの債権」で大損をした無数の人を対象に、これを当てはめると、
 この意味が解るから面白い。 私も証券会社の人を近づけていたら、毒入り債権を買っていた可能性があるからだ。
「だろう」と、結果としての「〜になった」は、違うのである。
 *禁断の金融10ヶ条     
? 市場価格とは乱高下するものである。 
?市場とは、きわめてリスクの高いものである
 ー既存の金融理論ではけっして起こるはずのないリスクが現実に起こる
?市場のタイミングはきわめて重要である。 巨額の利益と損失は短期間に集中して起こる
?価格はしばし不連続にジャンプする。そして、それがリスクを高くする。
?市場での時間は、人によって進み方が違う
?いつでもどこでも市場は同じように振る舞う
?市場は本来不確実であり、バブルは避けることがでぎない
?市場は人をだます
?脳の予想は無理と思え。しかし、ボラティリティなら予測可能だ (*価格変動率)
?市場における価値は限定された価値である
 −−−
何か大損をしたと想定して、これを読むと、一言一言が実感として解る。
間違っても、証券会社の言いなりになってはならないということである。

・・・・・・・・・
2007年12月14日(金)
2445, ルサンチマン
            (Оゝ∀・О)。+゜+。ォハョォ☆
初め、ルサンチンマンという言葉をニーチェを読んで知った時に、その鋭い指摘に驚かされてしまった。
弱者の怨念を宗教の巧妙な手口で利用したのがキリスト教の基本か?と。
昨年の9月の読書日記に一部書いたが、更に掘り下げて考えてみる。
 *まずルサンチンマンを ーGoo辞書ーで調べてみた。{ もともと恨みや憎しみが心の中にこもって鬱屈した状態を
いう言葉だが、ニーチェはこれを弱い者への思いやりや自己犠牲を説く平等主義的な道徳の起源を説明するために用いた。 
彼によればキリスト教道徳や,そこから生まれた近代市民社会のヒューマニズムや人権の思想は,
弱者の強者に対する恨みや復讐心を道徳として表した奴隷の道徳なのである。 
この延長上にある社会主義の思想も,このような奴隷道徳の一部に他ならないと考えられる。
ニーチェはこれに対して強者の道徳,貴族的な誇りや勇気を讃える戦士の道徳,
君主の道徳を対置した(ニーチェ『道徳の系譜』)。これは結局ファシズムによって利用される結果にもなった。}
 ーー 
あるブログの中では、
{ニーチェは、人が「善悪」という言い方をする真の原因は現実世界の力関係にあると言う。
強大な民族が平和に暮らしていた弱小民族を襲い、征服したとしよう。勝者は敗者の財宝や婦女を奪い去っていく。
残された人々は、相手に害も及ぼしていない自分たちを襲い、悲惨な目に会わせた相手を悪の権化として呪うだろう。 
それに比べ、罪なき自分たちは善である。「善悪」はこうして、カでは相手にかなわない弱者がせめて「道徳的」には
優位に立って、相手を見下そうとする心理、「妬み(ルサンチマン)」から発生する。
同じことは「正義」「節制」「勤勉」「清貧」などあらゆる道徳的価値に言える。
肉食獣に襲われた草食獣が円陣を組んで抵抗するように、弱者が強者から身を守ろうとする
「蓄群本能(ちくぐんほんのう)」から生まれたのが、ローマ帝国の奴隷にまず普及した
「奴隷道徳」としてのキリスト教である。}とあった。
  ーーーーーーー
 以上を、更に噛み砕くと・・・
 たとえば、善を高貴で富んだ者とすると、 悪は、その反対の、野卑で貧困で弱い人になる。 
 しかし一方で、この価値判断に対立する考えがある。「貧困で弱い者は善である」という考え方である。
 これをルサンチンマン=怨念と考えた。 カントは、キリスト教の教義「神は貧しき者の味方なり」
「貧しき者は幸いなり」など、キリストの名を借りて、貧しいものが善で、富める者は悪であるという
 概念をつくり上げた功罪を厳しく批判した。弱者を正義に祭り上げようとした宗教は、もう必要はないと、
「神は死んだ」と主張。 まだまだキリスト教の教義にガンジガラメの当時の社会を変革しようとした。
 キリスト教も、ユダヤ教が対象としなかった女や病人などの弱者の立場を擁護する教え。
 そこにニーチェは、弱者善人、強者悪人という怨念の縛りを感じとったのである。
 大部分の弱者である一般の人にとって、宗教は必要になる。 しかし、他の国や民族から、自国や民族を守るには
 強者の支配も必要なこと。 その結果として、左手に聖書(正義)、右手に剣が必要になる。
                   ヽ(゚∀゚)ノ バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月14日(木)
2081, あたりまえのことばかり −20
                     才八∋ウ_〆(∀`●)       
  ここでは哲学という視点で、心の問題を取り上げているが、感情について、なかなか切れ味は鋭い。
  「激しい感情が、向こうからの訪れる」とは、なるほど!である。 向こう側とは何処なのか?
  学生時代に[情念の話術]という本を読んで、実際に自分で試したことがあった。
  喜怒哀楽を前面に出して、自分を押し出して、話しをする。車でいうと、感情というエンジンを前輪駆動にする。
  これをやりだすと、それまでと全く違った自分を見出せる。
  抑えている感情を逆に、エンジン代わりに言葉にのせて自分を奮い立たせる。
  これは性格改造にもなるが半面、非常に危険である。一つ間違うと、周囲を深く傷つけてしまう。
  これはヒットラーが大衆を煽動する手段として演説などに使った。よほど計算を緻密にしておかないと、
  自分が見えなくなる。しかし自分の感情を常に支配下に置くに、よい訓練になった。
  感情を道具にするのだから。傷つくということは、感情に支配さえていることだから! 
   ー傷を癒すには傷とは何か、傷つく感情とは何かを、考えてみなければなるまい。
   虚構の自我に捕らわれている自分に気づいていない無知が、勝手に傷ついているだけ。
  要点を抜粋してみる。
 ーーーーーーーーーーー
 どうすれば癒されるのか −?
 ーーーーーーーーーーー
 私が私であり、私の心が私の身体の中に存在するという錯誤の世界像を思い込んでいる人だけが、
 各種のグッズやセラピーによって「癒される」。癒されたと思い込むことができる。
「本当」の傷を負った人々は、そのような単純な主客二元の処方箋では治療できず、
「本当か」の問いに直面するのではなかろうか。すなわち、傷ついている人は誰なのか。
「私の」意志を越えて立ち上がるこの感情の激しさとは何か。
「私の」運命はなぜこのようでなければならないか。私は私である、
 すなわち私は自我であるとは明らかに虚構であり、しかも近代特有の虚構である。
 それなら、病理として現れるその崩壊現象こそ、ある意味では、
 近代以前の本来的のありようを示しているといえるかもしれない。
 古代の人々にとって、感情の自律性とは、それ自体で神々の訪れだったようである。
 怒りの神が、嫉妬の神が、憎しみの神が、到来する、私の心に、このとき私の心が
 私の所有であるとは意味を成さないだろう。感情それ自身が神々である。
 あるいは魂が複数の人格から成るという世界観は、現代のわれわれの心的生活を、少なからず解放する。
 ある強い感情に圧倒される時、これは「私の」感情ではない。向こうからの訪れなのだと捉えることは、
 自己観察の距離を生む。逆に、見慣れない感情、厄介な感情をもむかい入れ、親しむ余裕すら生じるかもしれない。
 否定的な感情というのは厄介なものである。主客が分かれた世界においては、
 黒々とそこにあるそれは、目を逸らすにも抑圧するにも明瞭にすぎ、
 人は主観のうちに担い切れず、客観の側に犯人探しをして、その責めを負わせることになる。
現代社会の構造が、人の感情を否定的にしていると思われがちだが、話は逆で、否定的感情の処理の仕方を
知らない現代人が、それを社会のせいにしている場合がおおいだろう。 主観と客観の狭間で、
処理することができずに膨張する一方の否定的感情に追い詰められて、自爆寸前の現代人にとって「魂」という
第三の存在の視点として所有することは、それ自体で対立に風穴を開けることになる。 それはあくまでも視点でしかない。
  主観と客観の対立が虚構であるように、魂もまたひとつの虚構である。
  しかし、それ自体が謎であるところの世界と存在の謎を見抜こうとする
  眼差しにとって、一切が虚構として見抜かれるとして何の不都合があるのだろうか。
  虚構は虚構として自覚されることによって、視点として有効になる。
 ーーー
この本も、この辺で終わりにする。池田晶子の本を、さらに4冊も読んでしまった。
1、「14歳からの哲学」 2、「知ることより考えること」 3、「人生のほんとう」  
4、「41歳からの哲学」で、良かった順である。
それだけ、わかりやすく鋭い切り口で、気楽に哲学の世界に引き込んでくれる。
年内は、池田晶子ワールドにドップリ浸かるのもよいだろう!
            おわり  (*⌒ヮ⌒*)ゞ  バイ!
・・・・・・・・
2005年12月14日(水)
1716, 絵文字が面白い!ー2
  ー喜怒哀楽の絵文字
 (以下、字数制限のためカット 09年12月14日)
・・・・・・・・・
2004年12月14日(火)
1351, 全日本相撲選手権
この時期の日曜日、全日本選手権が行なわれている。
全日本学生選手権か、この選手権で優勝すると、多くが卒業をすると大相撲にいく。毎年、そのためか多くのドラマがある。
今年の見どころは既に学生選手権で優勝して大相撲の幕下から角界に入る事になっている学生横綱と、スケールでは
一回り大きい高校横綱の優勝争いであった。 トーナメント戦と準準決勝で争い、高校横綱が連勝した。
これで高校横綱も角界に入ると思われる。今年は、思わない伏兵が優勝をした。
過去ほとんど予選で敗退してきた29歳の小手投げでしか勝てない選手が、すべて小手投げで勝って優勝をした。
小手投げを相手も用心をするのだが、それで勝つのだから面白い。小手投げは、捨て身の起死回生の技である。
それが得意技というのも、珍しい。今まで見てきた、この選手権では一番面白い内容であった。
この選手権の面白みは、一発勝負である。去年も書いた内容をコピーしておきます。
   毎日、面白いことがつづく。
・・・・・・・
2003年12月14日(日)
984, 電波時計
 電波時計を買って2年近く経つが、昨日のチラシに電波時計のフェアが載っていた。安いもので1980円のものもあった。 
昨年買って使ってみた感想を書いてみる。今までは1〜2分位の誤差があったが、電波時計は自動的に時間の修正をする為に、
時間合わせが無くなってしまった。時間に対する信頼感というものは意外と気持ちが落ち着く。 
JRの時計は結構間違えていることがある。もし信頼感がなければ、自分の時計が間違っているのではと思うが、
今では自分の時計の方が正確と確信がもてるようになった。この絶対信頼感が意外な盲点であったようだ。
これにソーラー機能の付いたものや、薄型デジタルなどがチラシ広告に載っていた。15歳の時、父親に時計を買ってもらった。 
当時クラスで誰も持っていなかった。隠すように腕にはめていた。気持ちの中では凄く豊かな気持ちになったことを思い出した。
今や時計も、100円ショップで買える時代である。
・・・・・・・・
2002年12月14日(土)
610,ある時間の断片-24
  10月24日 木曜日
6時半起床。 7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。ホステラーが帰った後、一人で過ごす。
16時半に寮の高橋君と佐々木弟を迎えに行く。寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位
散歩をしたのを思い出す。 ただそれだけだが。あいも変わらずキャキャやっている。
去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で4人のうち私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。
そして、その夜のうちに旅行を決定した。 両親を口説いた。まず母を篭絡して、母と父の篭絡の相談をした。
母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」と言ってくれた。
そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが、うれしそうな顔をしていた。
19時の列車で寮に向かう。22時前に部屋に着く。ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。
その後駒村と米と語り、零時まで明日のゼミの予習をして就寝。
追文ー軽井沢はスランプのためによかったが、気を取り戻して卒論をやらなくては。
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2001年12月14日(金)
269,再開発の愚
過去に書いた再開発の愚の文をコピーしておくが、懲りずまたもや新潟駅前で始まった。
それと万代橋の近くの再開発もである。 理屈はわかるが、民間がやるべき事だ。
どうしても権力を持つと自己証明をつくりたくなる。そしてやり逃げをやる。
逃げるところがあの世だから、更に始末が悪い。再開発だけには関係するな!これが鉄則である。
 (字数の関係でカット08年12月14日)
・・・・・・・・・
12月14日 土曜日  1968年
 12時に、同級生の雨宮のフォークソングのライブを聞きに行く。以前、長岡の自宅の遊びがてら泊まりにきたことが
ある友人だ。ーその見返りに茅ヶ崎の旅館に泊まりに行った。知り合いでは彼と角田などがいる。
想像をしていたより、ズット上手いのと生き生きしていたのに驚いた。
それと堂々といていたのも新しい発見である。しかし途中で飽きてしまった。
わざわざ池袋まで行ったのにと思ったが中座をして帰ってきた。悪いことをした。
 18時から寮の忘年会である。
全員が楽しそうであったが気持ちの奥で、何か白けている自分がいた。
何げなくその会場から出る。 先輩の文夫さんの言っていることは何だ!
先輩だろう、情けない!自分で考えることのできない人間だ。 何も考えないできたのだろう、
気の毒の一言である。 同僚のいや同寮の水野君と新宿のクレージキャッツに行き、踊り狂う。
汗ビッショリである。しかし気分がすっきりとした。0時半に帰寮。毎日何をしているのだろうか。


3174,言葉はこころの杖

2009年12月13日(日)

 「片耳の話」ー秋山駿著 で、
「言葉は、人生を歩くための杖である。というより、こころの杖である、といった方がよかろう。
 若いときは、高く跳ぶための杖だが、老いれば、転ばぬための杖である」
「―汚い言葉は、汚い痰のようなものだー 私は教室で若者達に、このようなことを言っている。
 もっと言葉にお洒落になってもらいたい、として、よくプルタルコス[饒舌について]の次の言葉を紹介する。
《 すなわち、酒は本来楽しんで愉快になるために発見されたのに、むりやり何杯も、それも生のまま飲ませる
 連中がいて、こうなると酒は不愉快な泥酔のためのものになる。 まさにそれと同じように、言葉は本来楽しく、
 かつ最もよく人間味を伝えるものなのに、それを悪用し、また無造作に使う者がいて、そうなると言葉は人情に反し、
 かつ人を孤立させるものになってしまう。》」と、言葉の人生に対する影響を述べている。 
それは、杖だけでなく刃物にもなってしまうこともある。 
人生の終盤を迎え、そろそろ転ばぬように、自分を支える杖としなければならない。
「ありがとうございます」や「般若心教」は、こころの杖として、最上級のものだろう。
仏教では、「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華教」という御経を杖として与えている。
晩年は如何に良い言葉を多く知っているかで決まってくる。 
そういえば学生時代、紙に書いて部屋の壁に貼っていた言葉がある。
ロマンローランの「ベートーベンの生涯」の中の言葉
「良くかつ高貴に行動する人間は、それだけでも不幸に耐えることが出来る」
「苦難の通りぬけて歓喜へ」である。 現在は何だろう? 「如何にでもなる!」あたりか?

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2809, 閑話小題
2008年12月13日(土)
 閑話小題

 *米自動車救済法案、協議決裂 政府支援白紙だと!
間違いなく通過するだろうと見ていた米自動車救済法案が決裂、政府支援が白紙になった。
これから、どうなるかが問題だが、これを書いている12日の16時現在では、アメリカの株が大暴落の可能性がある。
株の世界は、これを逆に好感するかもしれないが、この時期では弱気が大勢を占めているので暴落になるのだろうか。
その方が、下手に延命して無駄な資金を垂れ流すより良いことは誰の目にも明らかである。
ドルはアッサリと90円を割ってしまった。長い目で見れば、日本車のメーカーはプラスに働くだろう。
しかし当面は七転八倒の苦しみを味わうことになる。 何とか輸出企業の頑張りで持っていた日本経済の信号は黄色点滅から、
一挙に赤信号?になってしまった。もし、GMが倒産でもすれば、アメリカ経済は氷河期に入り、その影響は世界も
大恐慌への足が速くなる。考えただけでも恐ろしい。恐らく、これに合わせて日本の政局も大きく動き出すことになる。
 しかし、取りあえず救済策を出すしかない。
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 * オバマ政権の顔ぶれをみると
オバマの次期政権の顔ぶれが出揃ったが、8年前のクリントン政権関係者と、現政権下の国防大臣と
ニューヨーク連銀議長の二人をを加えると15人中11人が過去三期の大統領下の閣僚などの関係者である。
これでは、『変革』より、『継続』への変更ではないかと危惧する面もあるが、しかし実力者を集めたことには違いない。
これをみる限り、やはりたぐい稀なる人物のようだ。変化すべき部分と、変化してはならない部分を使い分けるものが
指導者である。これからは、彼がこれだけの多様な人物を使い分けることが出来るかどうかにかかっている。
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 * アメリカが新ドルの発行で、対外債務を半分に?
オバマが、大統領に就任した後の、近い将来にアメリカが『新ドル』に変更。
旧ドル二ドルに対して、新ドル一ドルにするのでは?という説がある。 
早く言えば、「どっちにしてもドルは半分の価値になるのだから、新ドルに切り替え、交換比率を半分にして借金の半分を
踏む倒す」というもの。「国内的には給料は維持するから預金を持っている人は、半分になる反面、借り入れをしている人も
半分になる。給料は、そのままにする」というのだから、大問題になるだろう。それしかないだろうと、
日本の学者が、その可能性を述べているに過ぎないが。しかし、日本もして欲しいものだが、無理だろう。
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*トヨタが100万台以上の生産削減
トヨタが、グループを含めて100万台以上の車の生産を決めたと、昨日の朝に報じていた。
さて、大手新聞が今朝の一面のトップに載せるニュースのはずが、殆どの新聞に掲載されてなかった。
恐らく、政府からの御達しがあったのだろう。常識的にみれば、世界に40万人のうち、5万人以上の
人員整理が想定されるからだ。 日本は8万人の従業員というから1万人、部品メーカーなど下請けを入れたら、
数万人の人員整理のなる。 そうすると、他の自動車メーカーは、更に多いはずだからというと・・・・
新聞各社は刺激があまりに大きいことになる。 これに住宅・マンション・オフィスビルの新規着工が
見合わせられることになるから、来年は倒産と、人員整理の嵐になる。 考えただけで恐ろしい年になる。

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2007年12月13日(木)
2444, 挫折は財産
            (^ω ^)おはようw            
  故・音羽信子の夫であり、映画監督・新藤兼人の次の言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしよ。生き延びてきたということは、
 挫折を乗り越えてきたからなんです。 そうすると、私の財産は挫折なんです。
 乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。これからするわけなんだから。
 だから、若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、私が挫折という財産を持っているからなんです。」
ー図書館で何気なく手に取った本の中の新藤兼人の言葉である。挫折を財産と言えるには、結果として乗り越えたからである。
 人生はいずれにしても、最後は何らかのカタチの挫折が待っている。
 挫折は誰のせいではない。自分自身の問題だから自分で解決するしかない。 挫折から人は多くのことを学ぶ。
 乗り越えられなくても、諦めるしかない、そのことの方が何倍も大事である。 諦念の底から知恵が出てくる。
 知恵など出なくても、挫折した人の気持ちを知ることが出来る。 多くのことを考えさせてくれる言葉である。
渡辺貞夫の次の言葉もよい。
「練習は出来るかぎり毎日欠かさない。楽器はシビアなんですよ。適当にやっていては、言うことを聞いてくれない。
 また楽器も手応えのあるものでないと、 サックスは一言でいうと、ぼくの批判者。
 サキソフォンを通して、僕の状態が何時もみえる。 僕がよければ、いい音を出してくれるし。
 だから楽器を通して、僕は今の自分が全部見えるんです。」
ーこれは、一つのことに徹してる人だったら言える言葉だろうが、自分の選んだ楽器と心が一体化しているという響きが良い。
 二人とも一流のプロである。多くの難問を乗り越えてきた経験から出た言葉である。
               *・д・*)ノ″
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2006年12月13日(水)
2080, 談合列島!−3
       _ _)oパタ (o- -)oムクッ (o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
昨日・一昨日、この随想日記に「談合列島」というテーマで書いたところ、昨日の19時半のNHK
「クローズアップ現代」で、ー談合列島ーが二日間にわたり放送していた。
一昨日は忘年会でみることが出来なかったが、昨日の「崩れ始めた“談合列島”」は、
脱談合が進みつつある業界の実態に迫るもの。 公共事業の大幅な削減や談合を規制する制度改正が進む中、地方では、
従来型の談合では共倒れになると業者が対立。"談合破り"とそれに対する報復が繰り広げられるなどの異変が起きている
現状をレポートしていた。一連の県知事逮捕が続いている中で、タイミング的に丁度よい内容である。
大手ゼネコンや機械メーカーは、独占禁止法改正による罰則強化をきっかけに"脱談合"を宣言。その結果、入札の現場では
自由競争が促進されたが、予定価格の50〜60%の「叩き合い」が起きているという。
談合で守られていた価格破壊が、一挙にこの業界襲っている。建設関係の従事者が国民の一割に当たるというから、
この数年は、すざましい淘汰が吹き荒れることは必定である。公共工事が平成七年の35兆円から、現在は半分に減少している。 
全国土木協会会長の大成建設の社長が、これまでの談合の存在の事実を認め、「今後は談合は行わない」
「その結果として、業者数が五分の一、十分の一に減ることも仕方がない」と答えていたのには驚いてしまった。
当社のホテルのある「前町内会長」が経営していた土木会社も、落札率が6割では経営が成り立たないと、
今年になって廃業をしてしまった。数年前まで、スナックなどで飲んでいる建設関係の人が目立っていたが、
今年に入ってから彼らの姿が少なくなってしまった。激変の時代の一つの現象である。 
                                \\★ (^_^)/~~ バイバイ
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2005年12月13日(火)
1715, 下流社会    茶 どうぞ ( ^-^)_且~~~

最近、下流階級とか、下流社会という言葉が目につく。 その丁度良いタイミングに『下流社会』という本が出た。
先取りの典型的な本である。初めて東京暮らしをして実感をしたのが「世の中は歴然とした階級社会」ということであった。    
(*o☆)\ 初対面で、自己紹介で何気なく自分の身分のキーワードを入れる。
それでそれぞれの立場(階級)を確認するのだ。 情報化、グローバル化は結果として競争激化をもたらす。
それが激しければ激しいほど、階級格差がハッキリする。特に近年の競争の激化が中流社会を希薄にし、
一部勝ち組の上流?社会と、  他の負け組みの下流社会の二分化を鮮明にしだした。
そういえば「○金」「○ビ」という二分法が、80年代末の日本では一世を風靡したことがあった。
                      オレ〇ビ? σ(*`θ´*)
ーーー
ーこの本のインターネットで調べた概要を編集してコピーしてみたー 〔読まなくても充分である。〕           
 「下流社会  新たな階層集団の出現」光文社新書(著:三浦展)
「下流」とは、単に所得が低いということではない。
 コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。
 その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。 そして彼らの中には、だらだら歩き、
 だらだら生きている者も少なくない。その方が楽だからだ。 (「はじめに」より)
 団塊ジュニア(1970年〜1975年頃誕生)世代の女性で「上流」意識を持っている人が気に入っている
 時計のブランドがオメガ等を押さえてセイコーやシチズンであるという。
 オメガからシチズンに変えた理由はオメガの鎖が切れたので修理しようとしたところ、大変な時間と費用が
 かかることが分かったからだ。また自動巻きのオメガは少し外していると止まってしまうし、
 月末には日付の調整をしなければならない。それに較べて電波時計は、全くのメンテナンスフリーだからだ。   
 時計とは「正確」で「手間がかからず」「そこそこの堅牢性」があることが最大のポイントだ。
 それをデザインだの、手巻きに味がある等と講釈を付けるのは時計メーカーのセールストークに過ぎないだろう。
 時刻合わせに気を使うより、世の中には沢山しなければならないことがある。   (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _ )/
 先程の時計の調査で下流階級ほどロレックスやオメガを好む傾向が出ている。
 外見以外に自分を際立たせるもののない下流階級の悲しい性(さが)という。
 著者は「『下』は自民党とフジテレビが好き」であることを指摘している。
  これを数字で以下のように示している。
 対象世代は「団塊ジュニア世代」(1973−80年生まれ)。
    「上」の自民党支持率は8.3%、 民主党支持が16.7%、 支持政党なしが75%。
    「下」の自民党支持率は18.8%、 民主党も同率、支持政党なしが60%。
  ー字数の関係で中略(2007年12月12日)ー
 ーーー
ー感想
この「下流度チェック」半分以上である。(2~7と11が、!チェック)
そうすると、私は下流? (T0T)\(^−^;)mama!  まあ、いいや!
読みようによっては、かなりシビアな本である。しかし、これが現実であり、競争社会の姿なら、
そう受け止めざるをえないだろう。それが勝ち組から負け組みに落ちた時に、社会の現実がリアルに見えてくるのだろう。
今後はニートやフリーターなどの「労働意欲のない、多く働かない層」がそれによって下流に転じ、
逆に「上昇志向の強い上流」という流れと相反して二極化が進む。
またその層の子弟らは自然にこの階級の社会環境によりそこに留まり、階層の固定化が強まるということか。
 第5章「自分らしさを求めるのは『下流』である?」は刺激的なタイトルである。
 この章の「生活の中で大事にしていること」で「個性・自分らしさ」を挙げる人は階層意識が「下」の人に多い、という。
「自立・自己実現」もそうだ。 一見世間的に悪い響きでもなさそうなのだが、実際データを取ると下流だと
 自分を考える人ほどこの項目を挙げる率が高い、というが、どうだろうか?
 それでは「上流」では?、男女ともに共通しているのは「ゆとり」だ。
 男性はこのほか「仲間・人間関係」「創造性」「活動的・アクティブ」で、女性は「美・おしゃれ」
「公正さ・品の良さ」という。 これまた極端な内容すぎる。       (*◎ω◎*)~ 〜♪
 団塊ジュニア男性が「これからお金をかけたい事」は『上』では「財テク・投資」「家具・インテリア」「健康」
「スポーツ・フィットネス」「住宅・リフォーム」であるのに対し『下』では「教養・資格取得」「娯楽・イベント」が顕著。
 男性の趣味でも『上』は「旅行・レジャー」「スキー」「サイクリング」「ゴルフ」と
アウトドア志向なのに対して、
『下』は「AV機器」「音楽コンサート鑑賞」「テレビゲーム」「スポーツ観戦」「パソコン・インターネット」・・・
「私はどうか?」と不安になる。 著者が自分を規準に考えているに過ぎないだろうから!?
        ○=(≧Σ≦) へっくし!            バイ〜〈*・。・*)/
・・・・・・・
2004年12月13日(月)
1350, 遠くにありて日本人

この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク)の日本人が面白い。
ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、
ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。いずれにしても、プロフェッショナルの共通点がある。
すべてを投げ打っているという点で学ぶ点があまりに多い。この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで
自分の生き方を貫いている日本人を紹介しながら、その地域や、人間の生き方を覗き見る内容である。
自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが、人間としての理想的な生き方である。
グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。
アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に差し掛かった女性も印象であった。
この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。
「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の医師をしている。
いま仮設の住宅地でやはり仮設の診療所を開いて苦労しているからクラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」
とのこと。時々TVや新聞に出ているという。 それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」
なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。
 
・・・・・・・
ある時間の断片
12月13日 1968年

 昨日に続き、朝起きることが出来ない。結局起きたのが11時過ぎ。やっとタクシーに乗り、学校へ向かう。
昼飯後、ゼミに出席する。 この日は、ゼミの「ケーススタデー」は、私の番である。
私が創作した「ある会社内のトラブル」を具体的に述べて、それを全員が問いただし問題のありかや処理を考える。
質問に対して臨機応変に答えなくてはならないのだ。アガリはしなかったが一人一人の質問に辻褄を合わせなくてはならない。
特に武沢教授の執拗な質問には、ドンドン追い詰められていった。私のいい加減なところを徹底的に問い詰められてしまった。
この時、このゼミの奥行きの深さに内心驚いてしまった。ストリーを創ることで精一杯で、そのストーリーの組み立ての
いい加減さを自分で気がついてない。全員に囲まれて、竹刀であちこちから打ち込まれるのだ。 それも道場主から
鋭い竹刀が彼方此方から来るのだからたまったものではない。石川の「イヤミ」もその中で出た。 
その後、総評の中で石川、植本、東レの照井さんの私に対する性格分析があった。非常に鋭い内容で丸裸の自分を
曝け出しているようであった。一生忘れられないだろう。 ゼミ終了後、一年後輩の植本君を誘って飲みにいく。
池袋の「嵯峨」「パブエリート」そして、先日姉達といった赤坂の「ムゲン」のコースであった。 
その日の鬱憤晴らしで、2時間も踊り狂う。植本君も純粋で面白い男である。自意識過剰のところが他人に性格を
変えられてしまう可能性がある。その後、帰寮。駒村孝道が部屋に来る。学校で何かあったようで、大荒れであった。
部屋のウイスキーを飲んで、話を聞いてやる。 2時就寝。
 ー今日のゼミ、一人で全員を相手に受けて立つのもよい経験であった。よい学生時代の思い出になるだろう。
  真剣勝負の感じがしたが、舞台のステージに立っているようで面白いところもあった。


3173, 閑話小題

2009年12月12日(土)

 * 腰痛
 腰痛が、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。
いずれ出てくるのだろうが・・・。 今のところ考えられるのは、・ベッドに低反発マットを敷いたことと、
・海老反りマシーンを毎朝晩使っていることである。・それと外で酒を飲む機会が少なくなったこともある?
もちろん、20数年来の毎朝のウォーキングは欠かさず行っている。
 
* 変な話
 家内が言うには、「駅裏の越後交通ビル(元ダイエー跡)の駐輪場に自転車を置いて、用を済ませて帰ろうとしたところ、
自転車の籠の中に、年代ものの女物の財布があった。 気持ちが悪かったが、駅前の警察まで行くのも面倒なので、
1Fの酒売場に事情を話して置いてきた。 千円札が数枚と小銭が見えたが、それ以上は見ないようにした。
しかし住所を聞こうとしなかった」という。 それに対して「住所を聞かないのは、こういう御時勢。下手に聞くと
苦情を言われるからじゃないか」と答えたが・・。 で、何で、置いたのだろうか? 
年代もの、ということで、痴呆の入った老婆の行動が考えられる。 次に考えられるのは、盗んだ人が、
万札だけを抜いて置いた? これは、千円札だけ残すのは変である。 次は、落としてしまった財布を、拾った人が
警察に届けるのが面倒なので、近くの自転車の籠に入れた。 この可能性が一番高いか?
 
* 世知辛い、ボーナス
 一昨日の朝のワイドショーで、新橋駅前でサラリーマンにボーナスの結果のインタビューをしていた。
 大部分が「減りました」で、「貰えるだけ有難いです」という返事が多かった。
アンケートでは、66パーセントが減額、14パーセントが増額、20パーセントが変わらず、の返事だったという。
日経新聞の集計では、平均70万円で、前年マイナス15パーセント。20年前の水準。 世知辛い結果である。
これではデフレスパイラルに入るのは当然である。

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2808, 心を込めずに女を褒めよ !
 2008年12月12日(金)
作家の渡辺淳一が、ある雑誌の対談での、「心を込めずに女を褒めよ」という言葉?が面白い。
 【イギリス帰りの若い女性に「レディファーストは、マダムだろうが小娘だろうが、差別をつけてはいけないの。
 『女と見たらしなさい』って、向こうは子供の頃から叩き込まれるの」って、全くそのとおりだと思った。
 要は、心を入れないでやりなさい、ということなんだけど、こういう思想は日本には無かった。
 武士道は何でも心を込めろっていう思想。 でも、その御蔭で女を見たら直ぐに褒めるようになったよ。
 顔が綺麗なら顔を、顔を褒めるのが辛いと思ったら、髪の毛を。服、ネックレス、バッグはどうか・・・
 と見ていけば必ず褒めるところがある。女性はまず褒めるべきだよ。 妻とまともに話そうと構えるから、話せなくなる。
 日ごろから『ありがとう』『綺麗だね』って言う癖をつければよい。 そのレトリックは非常に大事だと思う。
 ・・・僕は京都のお茶屋でよく遊んでいたけど、帰るときには必ず、おかみと芸姑が門まで出てきて、大声で
 『おおきに、ありがとうございました」という。僕が2〜30メートル先に行っても言っている。
 どうしてあんなに丁寧に言えるか、その理由はたった一つ、客を何とも思っていないからだ。銀座は逆で、
 これは金払いが良いかどうかで・・・】 
  成るほど、道理である。当たり前になるまで習慣化しなさい、ということだ。 私の知人は営業畑の人が多いため、
 飲みにいくと、当然のように女性を褒め上げる。それが枕詞であるかのように、まず褒める、そして褒める。
 『今日は、いやに綺麗だね』『へ〜、今時に、こんな綺麗な人いるんだ』『新潟美人は、東京のオナゴと肌が違うね』
 まあ、よく言うよという位、平気でいう。 でも、そういう店のママやホステスも、言われ慣れていて、軽く流す・・・
 それでもいいのである。 言えないのは心を込めようとするから、である。
 何度も書いてきたが、学生時代にカーネギーの『人を動かす』という本に「人に好かれる6原則」とかがあった。
 そこで黙って友人知人に、それを実行したと同時に私の周りに人が集まりだした。 心を入れる余裕など無く、
 ただ、相手の関心のありかを探し、にこやかに、聞き手にまわり、相手が話し終わるまで我慢し、最後に褒める!
 それを全ての人に試みたのである。 また女性の多い職場環境に若い頃に居たころの一時期に、多くの美人?
 と友人になったことがある。(男女?ではない) 私は美人が好き、そう知らせれば良いのである。次に人畜無害のサイン。
 それだけで、心を開いてくれる。 姉が4人も居たから、その辺は幼児のころから鍛えられていたが・・。
 (いやいや、冷静に考えてみたら、嫌われる方が限りなく多かったが・・嫌なことは都合よく忘れてしまうから生きられる)
 逆に、心を入れて女を褒めたら、誤解されることが多くなる。 さりげなく、口先で褒めること。
 これが最高の贈りものになる。 面倒とか、馬鹿馬鹿しい、という気持ちを乗り越えて素直に言うことが基本だが、
 それが最近になって言えなくなってきた。 原点に戻って、心を込めずに、あたりかまわず言うしかないか!
   まずは、カミさんから・・・   辛いけど!      

・・・・・・・・・
2007年12月12日(水)
 2443, 死刑直前の手紙
                        【GOOD MORNING】q・ω・´)
『哲学の教科書』・中島義道ー の中で見つけた、処刑前夜から処刑二時間前までに断続的に母親に送った死刑囚の手紙である。
 人生の不条理が、そのまま出ている。今回は私の感想などは、何も書けない!  何度も何度も読まなければ、
 その心の底には辿りはつけない。ガン末期の別れの似たような場面に何度か立ち会ってきた。違いは、刑死かどうかの差である。
 罪悪感を持って虚空へ立ち向かう心情は如何なるものか?。
 ーーー
一九六九年三月八日
 
ーおかあさん
あたたかい晩ですね。 きょうはひょっとしたら東京に泊まるとか言っていたけれど、とにかく、
あまり悲しまずにからだに悪いことは気をつけて、よくやすむようにしてください。
ほんとに思いがけないことになってしまい、(むろん、そして一方ではじゅうぶんソノタ
の用意はしてきてはいたけれど)おかあさんに最後の、そして最大の親不孝をしてしまい、ほんとうにすみません。
おかあさんは、よくしてくださいましたね。ありがとう。
M先生のおっしゃるように、ぼくはおかあさんによって〈神の愛〉を知った、と思います。
まだまだ努力が足りなくて、それに書きたいことや、考えて深めたいことも多くあって、
そのうえなによりおかあさんはじめ皆さんと別れるのはつらいけれど、しかしこの与えられた
〈時〉は絶対的な意味をもっており、ただ、耐えつつ受け入れる以外にはありません。

でも、ソレは、ぼくひとりのことで、おかあさんに与えつつある悲しみの責めを
まぬがれることは、むろんできません。 ゆるしてくださいね。
おわびのしるしに、天国へ行ったら、きっとおかあさんのために山ほど祈り、
守ってあげますね。 だから、おかあさん、もう泣くのはやめなさい……
 −−
ー今は八時過ぎ。
夕がた、おかあさんのハガキが、美絵君と「あけぼの」のシスターの御文とともに到着しました。
もうおかあさんのハガキを見られないのか。 会えないんだな……ということのすべて、
きょう突然あったことと、あすのことすべてが、ユメのようです。
ユメならさめればいいのに……と思うのだけれどもやはりユメではない。だからこの一瞬一瞬をだいじにしましょう。
ほんとうに長いようで短い一生でした。 四十歳と七か月とすこし。 おかあさんの半分です。
いろんなことがありましたねえ。 ほんとにいろんなことがあった。
そして今、おかあさんにとって すべてのことが喜びに満たされていたというのに、
ぼくのためにいっさいが灰色になってしまいましたね。  ごめんなさい。
きょうは、久しぶりにおかあさんの肩をたたき、髪をくしけずり、手をさすることができました。
すっかり白髪になって、シワだらけになって、小さくなって、 やっぱり幼いころに知った 
あのおかあさんと同じでした。 でもおかあさんはやはり幼い頃に知ったあのお母さんと同じでした。・・・・・・
 ーー
ー夜中、といっても十一時過ぎ。十二時近くかな。何だか寝つかれないので、としおいつ、こしかたをふり返ってみたり、
あすに備えて手ぬかりがないかと考えてみたり、おかあさんがきょう「わたしが代わってやりたい」
と言ってくださったことばを思ったり、ほっぺたのあたたかみを思い出したりしています。
別に、あすの死を恐れてではなく、昼間の疲れのせいでしょう。・・・・・・・・
 ーー
ー夜明け。
まだ外はまっくらですが、おかあさんにもっとたくさん書いてあげたくて、起きました。
よく寝たような、うつらうつらのなかに過ぎてしまったような、へんな気分です。
おかあさんは? たぶん、ぼくのためにたくさん祈ってくださったことでしょう。ありがとう。
もうすぐ、きょうの午前中にはいなくなってしまう。そう思って、今ごろまた泣いているの〜
ほんとうにごめんなさい。 おかあさんの写真は笑っているのに。
きょうも、さして寒くない。髪とツメのこと、よく頼んでみます。きっとだいじょうぶですよ。
まだ眠い。 オヤオヤでしょう。 でもこんなときにだって、人は眠くなるし、
静かでいられるという発見は、なかなかもってたいしたことでしょう。
 −−
ーさあ、おかあさん、七時です。 あと一時間で出立する由なので、そろそろペンをおかねばなりません。
ぼくの大好きなおかあさん、優しいおかあさん、いいおかあさん、愛に満ちた、
ほんとにほんとにすばらしいおかあさん、世界一のおかあさん、さようなら! でもまたすぐ会いましょうね。  
だからあまり泣かぬように。さようなら、百万べんも、さようなら!(髪の毛とツメを同封します。コレだけでよかった〜)
今こそ・ぼくはおかあさんのすぐそば、いや、ふところの中ですよ、おかあさん!!
 −−
後記)これを読んだ母親の気持ちは? やはり宗教は必要である。
  やはり、言葉を持ってしまった人間は、それゆえ苦しみが倍増する。
  その言葉で、神をつくり、そして苦しみを和らげるしかない。 あまりに辛い手紙である。
                  (○´∀`)ノ
 ーーー
2006年12月12日(火)
2079, 談合列島!ー2
             才ノヽ∋―_φ(^O^*)♪
この土日の大手新聞の「知事の犯罪」の特集記事や社説の中で、日本経済新聞がずば抜けて要点をついていた。
その要旨は
・2000年に施行された「地方分権一括法案」で、知事の許認可権限が一気に強まった。
 元々絶大な権力が更に絶大になっていった。業者の方から見れば「知事をおさえさえすれば」ということになる。
・国会議員のゼネコン汚職で加速した政治改革の結果、地域の利権にからむ存在感が一気に低下。
 それを知った国会議員は利権を求め知事への鞍替えが加速した。
・常に選挙のことしか頭にない知事は、巧妙に手口を変え、知事の代理人を汚れ役にして集金システムを維持してきた。
・それまで東京高険だけにあった起訴権限を、全国の地検まで扱えるように変更した。その結果検察の姿勢が
 「一罰百戒」から「一斉摘発」に方針をかえることが出切るようになった。
 このため、談合はどこでも摘発される「普通の事件」になった。
・罰則の強化、談合を自首した企業への課徴金減免制度の新設、公共取引委員会への強制調査権の付与、
 等の談合摘発システムが着々と進んでいった。 警告は出されていて、その猶予期間は終了、そして
「ある日、突然、一斉の摘発が始まった」のが、この一連の逮捕劇になった。
 検察は日本社会にはびこる悪弊を根絶する機会として、その根絶を目指す姿勢を明確にした。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
・・・・・・・・
2005年12月12日(月)
 1714, 脳梗塞について
      (*´ノД`)<<<才八∋ー゜                    
  先週の日曜日夜のNHKスペシャルで、   ( ^-^)_且~~
  脳梗塞の患者となった多田富雄氏の日常を半年にわたってリアルにレポートしていた。
  患者になってしまった彼がふり絞るようにいう言葉が深く心に突き刺さる。
  番組を見ながらパソコン内の「メモ帳」に下書きをして数日以内に『随想日記』に取りあげようとした矢先に、
  産経新聞の「産経抄』に、名文を書かれてしまった。<(_ _)>
  プロの文章を読んでしまったら書く気がしなくなるが、それでも書くのが文章上達の早道。
  学生時代の友人や、仕事の関係などで脳梗塞や脳溢血で倒れる人が多くなってきている。 Σ(´Д`;)
  数ヶ月前にも、会社のナイトフロントの人が定時になっても出勤して来ないので、
  副支配人が一人暮らしのアパートに行ったところ玄関で倒れていた。
  救急車をすぐ呼んで緊急入院をしたが、もう少し遅れれば? 脳出血で左半身が麻痺が残り、
  退社をせざるを得なくなった。 私など、深酒の機会が多いので気をつけなければならない。
  脳梗塞は身体は動かなくなっても、思考だけはしっかりして「身体の監獄に閉じ込められる』というのが実感という。
  多田富雄氏も放送で『生き地獄』と言っていた。『地獄がこの世にあるものと実感した』という言葉が重い。
                       s(・・;)(/_;)
人間、生きているうち、元気なうちに、出来ることを出来るだけしておくべきと思う。
               ja~ (*゜∀)ノ.。・:*:
ーーーーー
=産経抄= 
        ~~ ~~┗─y('〜`;)
  米国のコラムニスト、ボブ・グリーンに「勇気あるアルファベット」という佳品がある。
 (以下、字数の関係でカット 08年12月12日)
                 ○o。―y(・ε・) フウー
・・・・・・・・・
2004年12月12日(日)
1349, 教養が試される341語

本屋で立ち読みをしていた本だが、図書館にあったので早速借りてきて目を通した。
 思ったより内容は気楽に読める本で、何気なく使っていたり、知っていたが意味まで考えたことがない内容で
 面白い本である。検索で調べたら、その中の71語の意味を書き出していたのがあったので、
 コピーして貼り付けておきます。毎日、文章を書いているためか、言葉に対しする興味が全く違ってきている。
 言葉は、そして文章化は人間を人間たらしめているものだ。それと数千年、いや数万年かかってつくりあげてきた人類、
 そしてそれぞれの民族の蓄積された叡智である。
 ーーー
・冥加に余る(みょうがにあまる):ありがたすぎて罰が当たりそうだ。
・弥栄を祈る(いやさかをいのる):ますます栄える。
・惻隠の情(そくいんのじょう):人の不幸を黙視できず、その人の身を哀れみ傷む心。
・やんぬるかな:予想した通りに事態が進行して、今となってはどうしようもない。
 (以下、字数の関係でカット 09年12月12日)
ーーー
以上ですが、なるほどすごい人がいるものだ。 よくぞ抜粋して書き写したものである。

・・・・・・・・・
2003年12月12日(金)
982, 目先だけを切りぬける人
 このノウハウを持って一生を切りぬける人がいる。 しかし程度の差はあっても、それは誰も持っている要素である。
その「程度」が、人生で大問題になるのだろうが。 「口先だけで生きてきた」飲み屋のママさんがその典型だ。
人生の一番の欠点になるが、その人にとっては最大のノウハウである。「我がうちなる小狡さの人」である。
 目先をどう切抜けるかにポイントを置いている人は、「志ー長期視点」が無いといえる。「7つの習慣・最重要事項」の
「緊急事態病」に似ている。緊急事態に追われて、一番大事な事が全く見えなくなっている人である。
それも相対的なことでしかないが。また「愚か者」と「馬鹿者」の関係に似ている。
反対に「目先だけを切抜ける人」を肯定的にとらえて見ると面白い。これも黒光りの方法・手段までなることもある。
これで首相になった悪しき?事例がある。 この人?、この小手先だけで首相に上り詰めた?のだから。
最も角栄を引き摺り下ろしたことは、歴史的には業績になった?小手先だけで果たして首相になれるのだろうか?
という疑問も残るが。ところで「目先だけを切抜ける人」を検索をしてみたら「見当たりませんでした」と出てきた。
「目先だけで生きる人」も「見当たりませんでした」と出た。こんなテーマで文章を書く奴は、いないか。
 「目先を切り抜ける」内容でした。

・・・・・・・
2002年12月12日(木)
608,ある時間の断片-22
ー1968年 10月18日
一時間目の人事管理に出る。その後朝食も含めた食事をしていると、ゼミの田島と川村がくる。
ゼミのOB会の連絡簿の案内書の住所書きをコモンルームで12時半まで手伝う。
その後田島とウイーンにいく。そこに「鈍行」という勉強会を開いている井上と森本など5人がいる。
あまり付き合いは深くないが、30分も話さないうちに旧知の友人みたいになる。 金沢に行きたいというので、
寮の市川さんから情報を聞いてやると約束をする。森本をほめると嬉しそうな顔をしていた。
こちらのほうが気分がよかった。ほめる事に関しては石川が先生だ。
帰寮後野球を見てすごす。 その後、食事へ行く。そこで先輩の永田さんと尾形君、丸谷君と会う。
一時間勉強の後、佐藤のところに行き、夜半の0時から3時まで酒を飲む。今日も田島に言い過ぎた、困ったものだ。
 ー 10月19日
10時過ぎにおきる。
夕方まで二日酔い?で夕方まで勉強をするが身が入らない。
夜9時から寮のミニコンパ。一時間本を読んで夜半の一時に寝る。 空虚な一日であった。

・・・・・・・
2001年12月12日(水)
267,一点豪華主義
 1品豪華主義(一点豪華主義)趣味でも、仕事でもー

人生でも総てにいえる事だが、これだけは特別というものに金をかける、人生の総てをかけることが重要だ。
反面それがアンバランスでもいいかという問題が残るが。それでもいいかどうかは、やはり本人の問題でもある。
金も、暇も、能力もない人間でもこれは可能だ。 好きな何かを見つけ、一点集中的にエネルギーを注ぐ。
それを続けていれば、それについてプロの領域にたっする。
私のそれは、ご存知のとうり秘境ツアーだ。 他人の評価など全く関係ない、それが好きでたまらないからだ。
パソコンもあと2〜3年経つと、それに近い存在になるかもしれない。
旅行のネタをインターネットに載せるのも、一応理にかなってる。
「絵の好きな人が旅行先で景色を書いている」のを見ると、人生の一番の奥義を見ているようだ。
一番好きな旅行で好きな絵を描ける幸せは何も変えられないだろう。ピアノも一曲だけを練習すれば、
弾けるようになるという。今度ピアノの先生について一曲おぼえてみようかと思うが、無理か?
wMWMWw, / ̄7 (好きな事をやろう!)
W"ヽ /  (感激しよう! )
(6 ^J^ / /  ────
|  ̄ノ/ /
 ・・・・・・・・・
 ーある時間の断片
12月12日  1968年
 朝9時に目が覚める。しかし起きることが出来ない。どうしたことか、学校に行かなくてはならないのに。
結局は行かないで、本を読んだり、風呂に行ったりして一日を過ごす。
千葉いる姉の優子さんに電話をして、来週から一週間一室を借せてもらうように頼む。
夕方、寮の近くでパチンコをする。 こういう時は、遊んでいても面白くない。
 その後、ボクシングの藤猛の世界タイトル戦を見る。無残に負けてしまった。勝負の世界の厳しさをみた。
その後、夜半の1時まで、今後の予定を立て1時半に寝る。


3172,ノートを下からとる!

2009年12月11日(金)

  面白いノートの取りかたである。 これは、目から鱗。
ノートは普通は開いた左上から下に書き下ろし、右ページ上段に戻って再び書き下ろすのが一般の書き方。 
せいぜい、左ページを白紙にして右ページに書いたフォローとして重要なポイントや、絵とかを気ままに書いたり、
空間をタップリとって島状に文章を書いて、後で見直すやすく工夫する。
 ところが、これは逆転の発想である。
*開いたノートの左下から①・・・・・・ 、②・・・・・・、そして行を上げて
 ③・・・・・・・ ④・・・・・・・・ 、そして行を上げていく。
 だいたい三分の二あたりに、それまで書いたマトメのポイントAを小項目とする。
*次にまた右ページの一番下の行から、Aから導き出されたBを想定して、①・・・・・ ②・・・・・、そして行を変え、
 上の行に①・・・・②・・・・、そして行を変えて、上に向かって書き足していく。そして三分の二を目安に段落として、
 そのマトメとしてのキーワードの項目を書き出す。
*そして、今度は左ページと、右ページのキーワードを入れた両ページにわたる長細い楕円を書いて、 
 その中に、③・・・・ ④・・・・というふうに、書き出していく。
 実際に書いてみると、上から下へ書くより、下から上に書いていくほうが考えがスラスラと出てくる。
そして後で読み返すとき、先に結論が書いてある上に、図示で分かりやすい。

 私の読書法には、最後の章から前に向かってポイントだけを追う方法があるが、それに似ている。
要するに、言葉=思考を上に、どんどん積み上げていくのが良い。考えてみれば、何もない下に書くということは、
何か不安がある。 しかし、いま書いた言葉の上に積み上げていくという実感が、考えを誘発する。
「どんどん考えが浮かびあがる」といった風が良い。
 私の、これまでは、ノートの真ん中に小さなハートを書き、その周りを脳のような図を描く。
そして、右上から、5〜6行の文章を 下に向かって三段書いて、下の段の左側に文章を書き足していく。
そして、一番左の行を島として、上に書き上げていく。 これはこれで、なかなか良い。
しかし左側の一番下から上に書き上げるのは目から鱗である。 これ本屋で立ち読みだけで会得した?が、
やはり、買って読まないと著者に悪いことになる?。 これは良い。下の副題が決してオーバーではない!
【 苫米地思考ノート術
  ― 脳を活性化し人生を劇的に変える最強思考ノート  ー苫米地 英人 (著)  】

 ・・・・・・・・・
2807, 不況景色 −2
2008年12月11日(木)

 * アメリカ最大のメディアの「トリビューン」が破綻
あまり目立たなかったが「ロサンゼルス・タイムズ」や大リーグのカブスなどを傘下におく【トリビューン社】が、
破産法11条を米連邦破産裁判所に申請し事実上経営破綻した。
負債総額は何と1兆2000億円、<救済される>会社と<つぶされる>会社の線引きに批判が集まっている。
日刊紙8紙を傘下に置き、23のTV局を持ち従業員2万人の全米最大規模の総合メディア。
何故、【シティ】や【AIG】は (目先だろうが)救済され、新聞社の【トリビューン】社は破たんなのかと・・・。
さらに【NYタイムズ紙】の業績も急悪化、このままいけば経営破たんではないかとの噂も出ている。
今後、マスコミが巨大企業救済プランに一斉に反対キャンペーンを打ち出す可能性がある。
アメリカの新聞社は日本や英国に比べて競争力が弱く、その分だけ不況とネットの波が大きく影響。
アメリカ最大保険会社のAIGが実質破綻、自動車ビックスリーも倒産直前、シティバンクも風前の灯、
証券会社は壊滅というから、アメリカは恐慌に一歩足を踏み入れたといってよい。
 ーー
*地元・新潟も不況が深刻化
地銀の担当の話によると、一段と景況が悪化、特に不動産・建設、小売など急激に売り上げが激減しているという。
地元の金融機関は、地方経済の長年の悪化のために体力を落としており、含み損を多く抱えているため、
資金が出せない状態。マイナスの循環の速度が速まりそうだ。
当方は、日本経済の景気に直接左右される商売で、街角景況がリアルに分かる。
これまでは他の商売より三ヶ月は先行した数字が出るが、この金融危機の影響は、他山も同じのようだ。
世界恐慌は、製造から、流通、サービスまでが、25%減の売り上げになり、失業率は20%、
株価はピーク時の10%になる。それからみると、日本の株価は4千円。アメリカは2000ドル以下になる。
今年の忘年会、中止にしようか迷ったが、小じんまりとした会にした。 帰りの新幹線の乗客も、めっきり少なくなった。
来年から3〜5年間は世界は大きな経済的破壊が現実化するだろう。
  年を越した1月5日から一斉に倒産の実態が顕れるだろうという。
   新しい社会の創造前の破壊なら良いが。

 ・・・・・・・・・
2007年12月11日(火)
2442, 人生後半に、哲学は一般教養として不要か?
             (´Д`;) オァ/ヽ〜 二日酔い!
人生、後半ほど哲学は必要と思っていたら、学者の谷沢永一著『人生後半に読むべき本』の中で、
「熟年には哲学など必要ではない!」と断じていた。 この数年、少し哲学にのめりこんでいるので、
丁度良い中和剤の論と思いつつ読んだ。しかし何で彼ほどの博識の人が、こういう論を立てるか理解できない。
「人生後半ほど、それまでと違う目で世界を見る必要性がある」と確信をしているので、
「近代哲学に対してのアレルギーが彼にあるのではないか?」と、思いつつ何度か読み返してみた。
道理は道理で必要である。それは間違いない。独り自分と、世界の不思議を見つめなおすことも大事なことである。
それも中心点に向かって! 彼が言いたいことは、「今さら哲学でもないだろう、貴方レベルには!」
ということ? それとも哲学(中心点に向かって考えること)など、彼の基礎教養の土台の上では必要が無い!
ということか?と、面白い問題提起になった。
     「人生の後半に読むべき本」矢沢永一・渡部昇一著  −PHP出版
 *谷沢永一
人生を深めるという観点で、たとえば哲学書。若い日に哲学書を読んで、もう一度読んでみようと思われる方が
いらつしゃるかもしれませんが、これはどうでしょうか。哲学は、ある時代の考え方の枠組みを創る。
そういう役割を果たしたものを読んでおくことはためにはなります。
ただ、たとえば咀噌されつくされたカントの哲学は今の時代を生きるために必要かといえば、ほとんど必要ない。
 また、へーゲルといえば団塊の世代の人々にはとりわけなじみの深い哲学者の一人かもしれませんが、
彼のいわんとすることは、「この世には絶対精神があり、それがだんだんと世界を高尚に持っていく」という上昇史観です。
キングが君臨し、ビショップが威張り、官僚が圧制する。それらもすべては絶対精神が自己を実現していくための
大きな流れの過渡期の現象であって、現在はプロセスの途上にある。 このプロセス論には、憎むべき狡猜さがあります。
これからはどんどんよくなるのであり、その途中に生まれ合わせたのだから、「高きを望むな」と、現体制を弁護する
最高の理屈にもなるからです。そしてヘーゲルがトマス・アクィナスの「神学大全一に近代的な衣装を着せたに過ぎぬ事情は
一目瞭然でしょう。 一方、マルクスは徹底的に模倣です。独創性は何にもない。共産党宣言の根本はエンゲルスが書いた。
共産主義というドグマは、幸田露伴の「五重塔」の表現を借りれば、「エンゲルスこれを創り、マルクスこれを為す」
というようなものです。そのエンゲルスも本当は歴史を知らない。モルガンの「古代社会」を読んで、それを勝手に解釈し、
夢の古代社会を創った。ルソーがやったのと同じ手です。 こう見てくると、どうも哲学というものは、物書きを目指す人は
別だけれども、一般教餐としては全部いらないと思えてきます。あれは要するに、人に固定観念を植えつけるためのものです。
人を楽しませ、喜ばせるものではない。しかし、人間の中には時代を問わず常に必ず不平不満は絶対ありますから、
それに訴える哲学は永遠生きるということも真実です。その点では、不平不満を書いてある本を読んでおいても意味がないではない。
ーー
以上だが、近代哲学を要約してあって面白いことは面白。大衆向けには、この論は丁度良いのだろう? いや、如何だろうか?
                      ゚∀゚)ノ バイ!
・・・・・・・・
2006年12月11日(月) 2078, 談合列島!
 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
    「垂直に立つ!」
 これが「情報化社会」と、「非情報化社会」とを、分けるキーワードになる。
 「死が人生の終点」と信じる人の延長上と、「いまここに生きている今日明日の現実」と、
‘水平と垂直’との境目が[いまここ]である。人生に垂直も水平も、ハッキリした境があるわけがないが・・
垂直とは何だろうか?  水平とは何だろうか? 水平とは、現実である。
垂直とは、いまここの切り口から直感できる永遠である。そして、この瞬間の中にある澄んだ純粋性である。    
以下の、異常な事態を考えるために、「垂直に立った」澄んだ視点で現在の三県・県知事逮捕を鳥瞰しながら考えてみる。    
  −−
先日のNHKニュースで、宮崎県知事の逮捕を受け、「日本は談合列島の様相を示してきた」と、アナウンサーがいっていた。
(字数制限のためカット09年12月11日)

・・・・・・・・・
2005年12月11日(日)
1713, 絵文字が面白い! −1
                 (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
随想日記を読みやすく、かつ面白くするため、絵文字と空間を入れて一月経つ。
実際に、書いた後に絵文字を入れる方が面白い。感情が、いや心情がそのまま絵文字に入るからだ。
それと内容を和らげるのにもよい。♪〜(=^ε^= ) そこで絵文字の素材をHPで調べてみたら、これが面白い。
その中で見つけたのが、このエッチ系の奴だ。少し下品だが、とにかくご覧あれ!!
人間の本質が、そこにあるのだから仕方がない。漫画的に下ネタのイヤラシサを笑いに変えるところが良い。
赤裸々な人間の姿とみれば可笑しさも増すだろう! 
携帯電話世代が、心の深いヒダを記号で表現しだしている。言葉とは違った情報手段が出来つつある。
その組み合わせで、言葉以上?か、同じレベルまで心のやり取りの可能性が出てきたのだろうか。   
  ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!! ナンテコトヲ!  ーエッチ ー
         スケベ! ¬_¬) (´m`) ムフッ♪  イヤラシイ(*・ω・*)
イヤ━━━(゚,_ゝ゚)━━━ン!!! (´Д`;)/ヽァ/ヽァ
  ベット‖・Д・)ノ ハヤク コイョ マチキレナィ ゼィ   ストリップ♪ ▼⌒ ヽ州'∇^)ノ ⌒-●●-
 (´ρ`)φ シコ・・シコ・・ ( ´▽`).・: ゚ ・。.  イチャタ  (((.人.)))ユッサユッサ (((.人.)))ボヨヨーン!!
 ━━━━━ヽ(*゚浮゚)人(゚気゚*)ノ━━━━━ぃ   (・´з)(ε`・) ←--|柱|゚ω゚;)。oO(ゥ・・浮気モノォオ)
 女王様とお呼び、オホホホ  川^。^)/~~~~~~~~~ν
 ーーーーー
いい歳をして何じゃい!という声が聞こえてきそうだが。  
  面白いものは面白い! クルクル  σ@( ゚∀゚)y パー!? 
− 次は感情(喜怒哀楽)を取り上げてみる。
                 (^_^)/~~ja~ 
 ・・・・・・・
 2004年12月11日(土)
  1348, もう一冊のアルバム

  中越地震の少し前に、事務所の移動をしていた時、2百数十枚の写真が入ったファイルが出てきた。
  2〜3年前に200枚入りのポケット式のアルバムに、今まで行った旅行のベスト8〜10枚を選んで、
  ダイジェスト式に纏めようとしていたようだ。おそらくアルバムに張る前に忘れてしまったのだろう。
  もしかしたら以前書いた20枚入りのアルバムもその時、更にダイジェスト版にするために買っておいたのかもしれない。
  中越地震の時に自宅で、丁度良い時間つぶしに200枚をアルバムに整理をした。
  結果として「ベスト20のアルバム」に劣らない位よい。厚めの本ぐらいの大きさであるが、コンパクトなのがよい。
  ほぼ、この十数年の旅行を網羅してあり、いつでも気楽に見ることができ、
  事務所か居間のTVの横に置いておくに丁度よい。お宅そのものであるが。
  開くと同時に、頭の中では、異次元の世界になる。家内の分を入れると、新築の家一軒分の費用は使った。
  モノは残るが、コトは残らない。しかしコトは、生きた証として!あの世に持っていくことができる。

・・・・・・・
 2003年12月11日(木)
  981, 足銀の経営破綻 について

 足利銀行の経営が破綻した。新潟県に例えると、第四銀行と大光銀行の総額の預金量がある。
 群馬と新潟の経済規模から考えると地銀が全てが破綻したようなものである。
 総貸出しの50?近く占めている。破綻処理は、予想されていた「りそな型」ではなく、 国が既存の足銀株全てを
 ゼロ円で取得して経営を建て直した上で受け皿銀行に 引き渡すという、いわば「長銀型」の方式だ。
 投資家は株主責任をキッチリ取らされるのだ。 危機が叫ばれた時、「増資を貸出先に上積みをして引き受けさせた」
 と聞いている。取引先は二重のパンチである。 栃木県の深刻な経済危機である。これから年末にかけて本当に深刻になるだろう。
 政府系金融機関などは「土日なしの緊急事態」と何かに書いてあった。隠されていた負債が今後多く出てくるだろうから、
 県外の地銀に対してその連想が出て株価の暴落を呼びおこす可能が出てきた。もし新潟で、このような倒産が起きた事を考えたら
 背筋が寒くなる。 想像を超えた現象があちこちで始めるだろう。失業率が十数?とかいう数字である。  
 繁華街の店の灯は半分は、いや大部分が消えてしまうだろう。これが栃木県だけでなく、これから地方で次から次へと連鎖する
 可能性が大だ。今でも地方の落ち込みは、想像を絶するものがある。 この事業は、デフレスパイラルが手に取るように分かる。
 政府は目先政権を維持するだけで精一杯である。その中で地方経済の疲弊はマスマス激しさを増しているのだ。
 長野県が長野オリンピックの反動と、田中県知事による徹底的な公共事業の削減で大打撃を受けている。
 してこれで栃木県が続いたことになる。そして公共事業を潤ってきた新潟県や富山・石川県 なども疲弊の極みにある。
 会社の大矢支配人の実家が栃木県にあるが、早速生々しい情報が入ってきた。破綻となると、やはり空気が全く変ったという。
 再来年の4月からペイオフが待ったなしで行われる。ペイオフに向けて預金の引き出しが続くだろう。
 そうすると貸し剥がしがおき・・・ 来年からは考えただけで恐ろしい年になることは必定だ。
 高橋乗宣の本でも、いま一度じっくり読んでみよう。「引き出し」のコーナーに彼の文章をコピーしておきます。
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2002年12月11日(水)
607,ある時間の断片-21
        10月15日  1968年
9時起床。午前中卒論のまとめをするが集中しない。 夕方まで机に向かう。
夕方米林君が部屋に遊びにくる。 夜は夜で集中できない。
        10月16日
10時起床。オリンピックのせいか集中できない。4時間は集中しなくては間に合わない。
夜の8時過ぎに集中できた。明日は早く起きて学校の図書館に行こう。もっと集中しなくては。
        10月17日
9時過ぎの産関論を受講する。 50人も出席してない。午後は休講。
図書館で卒論のまとめをしていると石川がくる。20分ぐらい話をする。 いつもの彼でないみたいだ。
この前のことを根に持っているのか。かなり混乱をしているようだ。彼の弱点をまた言ってしまった。
もっとクールに状況をみなくては。自分に気を許しているから人に対しても気が緩むのだ。
外部と内部の一線を引くべきだ。 外部の内部化と、それを消化した内部の外部化が今の卒論だ。
割り切りをきっちりしてないと混乱がますます大きくなる。

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2001年12月11日(火)
266,基軸の日、基軸の時間

 一週間単位の基軸の日、基軸の時間。
それを決めておくといい。あくまで一つの見方としてだが。ふと私の場合、土曜日の9時に考えてみた。
そうすると何かぴったしだ。そうすると一日単位でも9時だ、いや9時20分だ。会社について「さてと!」
と言う時間だ。そう考えるとうなずける。そうすると、月単位では何時だろうか?年単位では、何時だろうか?
難しい話はまたとして、ホテル計画をして、ある重要な決断の場面の数ヶ月は、実際のところ午前二時三十五分が
基軸の時間になる。それだけ集中せざるをえないし考える。「何かその時間に意味がある」と、ものの本に書いてあった。
深夜の底というところか。木の水を吸い始める時刻が3時35分と聞いた事がある。「5時から男」は何時に基軸を
おいているのだろうか。仕事にんービジネスマンは一般論で言うと月曜日の9時というところ! そうすると、プライベートで
みるとやはり土曜日の9時、ビジネスでいうと月曜の9時というところか。

そこを芯にして、生活とビジネスを組み立てるといい。

・・・・・・・・・
 ある時間の断片
  12月11日   1968年
11時に起床。
学校の図書館に行って卒論の勉強のために行く。2時間位集中する。 欧州旅行で一緒だった江夏君にバッタリ会う。
宮崎の大きな酒メーカーの御曹司だ。少し話す。朴訥としたいい男だ。 4時過ぎに帰路につく。
途中に池袋駅の地下の床屋で、レザーで髪の毛をすいてもらう。 私の髪の毛が硬いので、頭にきているのがよく解る。
帰寮すると、ゼミの同期の高木から電話で、人事管理の問題を教えてくれとのこと。
今の私には、人事管理に関して教えるだけの蓄えがないといい、石川譲治に頼んだらといった。
何か悪いことをしたようで後味が悪かった。 明日、謝らなくてはならない。


3171,「にこまる」で超図解

2009年12月10日(木)

 ー 3秒間! で脳内整理術 「にこまる」で超図解すれば問題解決ー 
                              茂野太陽 (著)
二つの○を重ねて書き、重なっている部分を「同定」し、そこから新しいキーワードを探し、三つ目の○に書き出すもの。
・「正・反・合」を○で図示しながら、正・反から合を気楽に導き出すものと、考えてもよい。
・また「守・破・離」も守・破から離を導き出すことができる。
・「三位一体説」の「神(父)、イエス(子)、霊)のモデルの図示にも似ている。
・その他にも、起承転結や、帰納法、演繹法などに気楽に使える。
書店で、立ち読みで充分と判断していたが、手に取るたびに著者のエネルギーが本から溢れ出ているようで、思わず買ったが、
これは使える。「脳内整理を遊びながらする」手法であり、新しい手法というより、一つのテンプレートの提示である。
実際に図をノートに手書きでうつしていると、著者が考えつくしているのが分かる。
 テンプレートとして、*にこまる基本図、 *にこまる時間図、 *にこまるラセン図、の三図がベース。
何か問題を抱えたら、この三つの図をジッとみて、そこに問題のキーワードが収まるのを待つという方法もある。
その意味では、面白い提示をしているともいえる。 まず○印が二個重ねるというところが、ミソである。
 ー以下は、キーポイントの言葉である。
*頭がもやもやするのは入り口が自動ドアだから
 =入り口で、開けるかどうかの判断を手動でするべきというのは、情報社会だからこと必要
*情報は外だしすることで整理が加速する
 =書き出し、まとめてこそ、情報の価値がでる。 脳内整理は「答え」ではなく「問い」に重点を置くこと
*情報は、問いを含めた形で整理する
 =問うという能動的な形で整理するから価値が出る。
*情報を整理するには入れる箱が必要
 =自分の手作りの箱が必要。 この随想日記は私の箱である。 一般にブログは最適。
*思考のステップ化で脳内整理をさらに加速
 =この「にこまる」は、思考のステップ化に最適である。
思考法としては、シンプルで分かりやすい。 図示し、展開するには良い手法である。

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2806, イングランド・ツアー  
2008年12月10日(水)
  
*英国という国
 英国の概要については‘?’で書いたが、更に書いてみる。
・英国の国民性として『働かないけど、金よこせ』が、サッチャーの改革で『働くから、もっとよこせ』に変わったという。
・長年の歴史から階級がハッキリしていて、労働者階級が出世するのは大変だが、事業での成否での入れ替わりの
 システムはあり、社会的弾力性は維持されている。
・バスからは山は殆ど見ることがない。延々と牧草地が続いており、道路の両側にオークの木や、
 林はブナの木、そしてポプラの木が所どころに見ることが出来る。教会にはイチジクの木が多く見られる。
 北イングランドの湖水地区や、コッツウォルズのカッスルクームの絵のような村の美しさが印象的。
・牧草地が目立ち、牛、羊、馬が多い。 また豚の牧草地に放し飼いが目だったのは英国的である。
 中世にローマ軍がやってきて、羊を持ち込んだため、多くの畑が牧草地に代わり、多くの農民が失職し、
 アメリカ大陸に押し出される原因になった。 そのアメリカで綿が大量に生産されて、英国に大量に輸入されて、
 羊毛の値段を暴落させたのは、皮肉な自然の摂理だった。
・食料自給率は80%あり、カナダの150、フランスの140、アメリカの130、ドイツの100%、 
 には及ばないものの、日本の40%からみれば、安定している。
・英国は、庭つくりの好きな国民性であり、自然を利用した庭つくりが基本という。
 ちなみに、フランスは幾何学的、イタリアは地形を利用した庭つくりが基本。
・英国は産業革命が始めて起こった国。 当初の自然破壊も大きな問題になり、環境保護の先進国でもある。
・ロンドンなどの都市に入ると同時に目立つのが、一棟が真ん中から左右対照同じ家が多い。それぞれが別の家族が入っている。 
 建売で、互いに気にしないで生活している。(値段が、安くなるからだろう)
・今回の旅行で、家族が仕事の関係で住んでいる人が三組いたが、その人たちの話では、英国は住めば都と、いう。
・世界的な金融危機を直撃したため、国全体がピリピリしているように感じたが、国民性に深い歴史を感じた。
 イギリスは、ファンタジー小説が多く書かれている国だが、その背景には、世界から略奪した富の蓄積がある。

・・・・・・・・・・・
2007年12月10日(月)
2441, 四四太郎の霊日記 ー11
                ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪
(字数制限のためカット 09年12月10日)
・・・・・・・・・
2006年12月10日(日)
2077, 今年を振り返って −1
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
 そろそろ、今年の十大ニュースが話題になり始めている。年末の31日になったら、
 もう一度書くつもり?だが、ランダムに頭に浮かんだまま書いてみる。
・北朝鮮の核実験とミサイル実験が日本にとってトップになるだろう。
・イラクでは日ごとテロが激しくなり、イスラム教の宗派間の内戦の様相を示してきた。
・国内では小泉から安部首相に代わったということか。
・それに児童虐待(親と仲間内)が頻繁におきだしてきた。家庭内が荒んでいるのが原因だろう。
・大型薄型TVが売れ出したことも大きい。
・県知事が三人逮捕となれば、やはり大問題だろう。市長の逮捕など、それがどうした?と思えるほどである。
・会社は、なんとか減収同益に持ちこめそうだ。来年から駅再開発が着工、今期を含めて三期がどん底だったが
 光が見えてきた?か・・ それとも、今そう考えていたほうが都合がよいから?楽観的に・・
・それと一番私らしくないこと、「県活性化のための会」を主導して開いた。
 学生時代のゼミの後輩に依頼されてのことだが・・・まあ面白かったが、無事終了。
・身辺では義母と、仲人の高橋与三八さんが亡くなった。
・二人の息子が婚約?、自宅に連れてきた。 来年が結婚式か?
・新しい習慣として、モーニングページ(思ったことを起きざまに30分間にわたりノートに曼荼羅の枠の中に書き込んでいく)
 の習慣を、3月から始めたことだ。これが今年の一番の収穫である。
・旅行はケニアであったが、サファリ・カーの外より、車内の動物に・・・
・今年は、「面白い本」の大当たりの年であった。次から次へと目が醒めるような内容に出あった。
 あまりの無知に一人赤面をしていたのが本音である。ここはと思ったところを一字一字タイプで打ち込むのが、
 良いのだろう。 自分の潜在能力に対して、「頭の悪い子供」として対応するのが 早道。
 池田晶子の [ゼロ基点の孤独]と、[人生経験とは、失敗経験でしかない。それほど人生を深く考えることはない。
‘たかが人生’でしかない]という言葉が印象に残った。その‘たかが人生’が、問題である。‘されど人生’であるからだ。
 これをブツブツいいながら、あるとき、垂直にプッツンになるのが人生!?
 来年は何が待ち受けているか? 花も嵐も・・・ でもないか?

・・・・・・・・・
2005年12月10日(土)
1712, 私の生活流儀 −本多静六
                ー読書日記
著者の本多静六は色いろな本で紹介されていたが、書を読むのは初めてである。
平易な言葉の中に深い洞察が感じ取れる。給与生活者である立場にも関わらず、40才で預金の利子や株からの利益が
給与を上回り、60才(昭和元年前後)で、当時の数百万円の貯金と、株式、家屋、田畑、山林が一万余町、
 別荘六カ所という財産を築き上げた。                          ( ̄〜 ̄)ξ
ーその方法は簡単なもの。
1.本業に励む。
  一日一枚、出版レベルの原稿を書く。   _〆(。。)
2.給与の1/4と臨時収入のすべてを銀行に預ける
    3.ある程度のお金が貯まると、株式などに投資する。
・まずは、本業に励むことを説く。
 「人生最大幸福は職業の道楽化にある」という言葉に集約される。本業がキチンと確立すると、
  副業として、官庁や公共団体の嘱託、早稲田大学の講師、民間企業からの事業の相談を受けることができる。
  また、一日一枚の原稿で、370余冊の本を出版することになった。そして、二番目の「給与の1/4と臨時収入の
  すべてを銀行に預ける」で、人並み以上に働き、人並み以下の支出に押さえられれば、自然に、お金が貯まる。
  これは、給与生活の最初からの習慣にする方がスムーズに実行できる。
・三番目には、お金が貯まると株式などに投資を行う。本多静六は、山林の投資で多くの財産を築いた。
  氏の専門が造林学というのが有利に働きいたようだ。二万円の投資が、最終的には、当時の金額で五千万円になっていた。
  株式投資も行っている。投資方法は、先物で株式を買い、購入時に二割の利益を得られる状態になった場合は、
  躊躇せずに、現金化する。ある程度、保有して、二倍になった時に半分を売り出す。
  その後の株の値段はすべて利益になるのです。下がった場合は、ずっと、保有する。
 「好景気、楽観時代は思い切った倹約貯蓄、不景気、悲観時代には思い切った投資を」という。
  好景気時代にはお金を重視し、不景気時代には物を重視する。
 ーー
 以上だが、凡人が億万長者になる方法が理解でる。本業に専念して、給与の一定割合を貯蓄に回し、堅実な投資を
 行うことにより、 思っても見ないほどの資産を残せるのも理にかなっている。 
 若いときから、その情報や習慣をつけているかどうかだ。 金持ちと結婚するということは、その家系からくる
 生活習慣が家庭に入ってくるということだ。両親をみて結婚相手を決めなくてはならない!ハズレもあるが? 
                           ,,,,,(((( ;:゚皿゚:)_◇~~ アァァァ!!
・・・・・・・
2004年12月10日(金)
1347, 「自分を活かす極意」−3 
              読書日記
ー情報摂取法
この本は、ダイジェストなので多くの要点がつまっている。本の一番の情報収集は
「三色ペンを使い20対80の法則の20と10を色分けをすることと、それを続けることが読書術そのものになる」である。
情報収集に関しては、本にしても、人からの情報にしても、収集した情報を的確に要約することが最重要課題である。
いわば「ミソ」の部分をマトメルコトだ。 それを、私は随想日記で毎日している。
これは、第三者に対してギブ・アンド・ギブであるが、何よりも自分の基地に情報をコツコツ収集していることになる。
数時間の(情報)エネルギーを文章にして真空パック的に押し込む作業でもある。
本屋の立ち読みでも、何気なく読んでいながらパックしていることになる。 頭の中で文章化をしてしまうのだ。
何気ないTVの解説を聞いていてもアンテナが動いている。毎日、一文章のテーマに対して敏感になりざるをえない。
自分の発信・備蓄基地を持つことの重要性をつくづく実感している。まあ、斉藤孝の本の内容からずれてしまったが、
言おうとしている主旨は同じである。著者のコミュニケ−ション術と会話の技術が面白い。
 ーまずはコミュニケーション術である。
  −抜粋ー
 私は、コミュニケーション術を上手にするコツは「質問にある」と考えている。
 いい質問さえできれば、会話はクリエイティブなり盛り上がる。「質問力」というのは私の造語だが、
 内容は誰にもわかることだ。 それらの多様な質問は、同等の価値があるわけではない。
 いい質問と、そうでない質問といったようにレベルの差がある。いい質問というのは、「具体的かつ本質的」ということだ。
 具体的だが本質的でない質問と、本質を突いているが、あまりに抽象的で意味がないという質問がある。
 質問を向上させるには、TVのインタビュアーの質問に採点をつけることだ。とりあえず「質問」というコンセプトで、
 いろいろなコミュニケーションを みてみることから始めてみることのが手っ取り早い。
ー以上であるが、
私の学生時代の友人が、商社の新潟支店に転勤になってきて16年間、暇ができると飲んでいた。
6年前に東京に帰ってしまったが。彼は商社マンになりきっていて、会話や、人の気持を飽きさせないプロになっていた。
会話をしていても、この「そいずらし」が上手い。翌日気がつくが、いつの間にか勘定負けが続いていた。
私も「質問力」と、「沿いずらし」は上手いつもりであるが、相手は商社で鍛えられたプロ、やはり敵わない相手であった。
聞き手にまわるというのは学生時代に鍛えていた。 聞き手に回って、相手の気持を引っ張り込むには
「目を見て、大きくうなずくことだ。更に相手のキーワードを幾つか頭に残しつつ、あまり真剣に聞かないことだ。」
疲れることと、途中でつまらなくなるが、真剣に聞いたふりをしないと長い具体的な話でも辛抱強く聞けない。
世の中で、何が面白いといっても人間が一番面白い。それも自分が!

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2003年12月10日(水)
980, スーパーセンター
 この随想日記で最近話題にしている「スーパーセンター」とは、どういうものか調べてみた。
 スーパーセンターとは 
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2002年12月10日(火)
606,ある時間の断片-20
 10月13日
ー以下、次数の関係でカット(2007年12月10日)ー
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2001年12月10日(月)
 265,運について

運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」
が適切・正しいということだ。運のいい人とは適切な判断家ということになる。 適切な判断の連続線が運と言ってよい。
曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。
科学者に似合わない内容だった。その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。
ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。もって生まれた運勢があるという。
その共通点をみると。明るく、楽天的で、勘が鋭いという。(これは私の追加の感想ー>)それと努力家で夢がある人。
ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?何も努力をしないで、なにも学ばないで
「俺は運がない」と呟いている人を何人も見たからだ。そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。
運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか? 
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。その逆を重ねていくということか。
ーー
−H・0605「般若心経のすすめ 」
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記する。 
・自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
・心臓音に波長があっている(リズム)
・α波がくみこまれている
・“念”がこの中に入っている
・お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
・情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する。
・これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中にその中空がつくられる
・夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。

・・・・・・・
ある時間の断片
 12月10日 1968年
昼の13時に起床。 姉の突然の來京で、また予定が狂ってしまった。あと二週間で卒論を書き上げなくてはならない。 
どういうことだ、これでは間に合わないではないか。 あと二週間では無理である。 どうしようか。
おまけに就職予定のジャスコオカダヤに提出しなくてはならない論文がある。これは来年に一月十五日が期日である。 
姉の千葉にいる優子さんのところで数日篭るしかない。図々しいが仕方がないか。 明日優子さんに電話で打診である。
それと姉の正子さんに満足できたか電話をしてみよう。深井のところに電話をする。
彼いわく「今度の会(聖心女大のグループと、松村と深井と私との会)、来たかったら来い、来たくなかったら来なくてもよい」
とのことだ。先日の件で強く言いすぎたためか、他に何か思惑でもあるのか。ところが、すぐに電話で「やっぱり来い」
との命令口調だ。何を考えているのだ。行かないことにした。それに時間的・物理的に無理である。 まあこういうときは、
アマリ頭にこないことだ。私の道は彼達とは違う。自分に対して誠実であれば、こういう無礼なことに対して気にしないで済む。
このように怒っているのは自分に誠実になりきれないことか。何か毎日毎日がギリギリである。
・・・・
ー2003年12月10 日記
「深井義明」のことを書く。
10年位前に脳梗塞で亡くなってしまった。 あとで聞いた為、葬式に出席できなかった。
「新橋しの田寿司」の四十数店舗の寿司屋チェーンの息子で、「ある時間の断片」の中に度々出てくる。
私の結婚式に出席してくれた学生時代の友人だ。 日記を読み返して、ある時期によく寮に来ていた。
彼とは、欧州旅行で親しくなり、亡くなる直前まで接点があった男である。最後に会ったのが、チェーン理論の
ペガサスクラブのセミナーで箱根の小涌園であった。その時に学生時代のある秘密を私の打ち明けてくれた。
共通の知り合いの女性に結婚を申し込み振られてしまったことだ。まあ、美女に野?で不釣合いで、当然のことだ。
ところが、その女性に共通の友人も結婚を申し込んでいたという。私にすれば20数年後に知った「え〜まさか!」
という驚きであった。 わたしら三人と、合コンで一泊二日のドライブをした。相手方は「雲の雲の上の人」に見えた。
将来のことで頭がいっぱいで、余裕は全くなかった。無傷は私だけだったのか、そして私は二人のダシに使われていたのか?
後先出会った女性ではナンバーワンとは思っていたが、自分の恋愛対象など考えられなかった。
母親にどういうタイプが良いのかと言われたとき、その人の写真を見せた。それを見た人が今の家内の話を持ってきた。 
あの時代のことが、改めて思い出された。 それと、父親に対して「社内クーデター」を起こして強引に社長になったことも
打ち明けた。「その時父親が泣いていた」と話してていた。自分が考えていたことを実行したが全て失敗してしまった。
頭の中の理想でしかなかったのだ。その時になって初めて自分のした事の重大性に気がついたという。
最後とも思っていなかったのだろうが、心の秘密を10分ぐらいの立ち話で全て話した。
何か虫の知らせがあったのだろう。 人には色いろ心の傷があるものだ。


3170,つれづれに ー閑話小題 

2009年12月09日(水)

* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。
何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
 〜〜
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、
ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が
必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、
マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、
一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
 〜〜
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
もちろん、それを株式や、為替の相場は織り込んでいる。 その最後の予算が、これ。
株は半年先を読んで動くというから、来年春から夏にかけて株式と国債の大暴落があることになる。
デフレスパイラルの行着く先は、ハイパーインフレである。その時にデノミが行われる可能性がある。
来年も大波が襲ってくる。 二番底である。 本格的な世界恐慌のウネリが貨幣価値の下落という
カタチで現れてきた時が、恐慌と表現される。 事態は深刻である。

・・・・・・・・・
2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)

オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。
父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、
史上初の大統領にまでなった人物である。しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを
産経新聞の「世界を斬るーオバマのアメリカ」の岡本行夫と佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
【オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。
よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。
勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
 実は1930年代当時の日本の国際情勢の本にはニューディール政策の解説があり、ルーズベルト政治を
「ファシズムの一類型」と説明している。要するに、自由主義的な資本主義から離れて社会格差を是正していこうという運動で、
イタリアのファシズムに近いというわけです。人種神話はなくて、ナチズムとは全く別の思想ですよ。
1920年代の初期ファシズムは「イタリア人とは何か」の問いに始まるんです。イタリアを思い、イタリアのために行動する人が
イタリア人で、老いも若きも男も女もない。一握りの資本家が太って、庶民が街頭で職にあぶれているのはおかしいと。
オバマさんも「ウォール街だけが潤っているのはいけない」と、ムソリーと同じ表象を使っている。
このファシズムがナチズムと融合さえしなければ、福祉国家的思想になったかもしれない。そういう構造が今
《アメリカで起きてることと似ている。ロシアの現象とも似ているんですね。歴史は反復し、資本主義が
格差拡大で行き詰まると修正が出てくる。そういう観点でアメリカを見ていくことも重要だと思いますね。】
 −−
ムッソリーニを応用して戦略を立てたのだろうか、それともあくまで偶然であり、時代の要請だったのだろうか。
アメリカ大統領は世界に大きな影響を与える立場にある。 彼に不気味なマイナスを感じるのは私だけだろうか。
それとオバマ政権が元クリントン大統領の内閣のメンバーが多いのも気になる。日本にとって、厳しい対応になるだろう。

・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?
                 ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。 しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!
と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。
考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。
元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
 −−−
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところに
あるのではないだろうか」に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、
「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか言っているのでないことがミソです。
次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき
「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。
その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」
「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。
私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか
瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、
必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも
いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、
こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。
つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といった
レベルの議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っている
わけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく
非難する現状を見ますと、そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
 ーー
世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 「おい、お前、何を考えていたんだ!」
「あの時の、あの人は、こういう考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、
ある意味では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。
                                    w(′┏▽┓`●)w バイバイ!
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。
経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」と、
いっている。 経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。
人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、
経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、納得できる。
消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に
織り込むことが可能になる。これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。
生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。
最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、
深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。
石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら考えても仕方ないが。
意味は、価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、
記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
人間というものは!                (人・・)それで(・・人)
                            い〜〜いんじゃ〜んない!
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!  
                         (。^0^。)ノサイナラ!
・・・・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   

 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、現代新書から
 「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので是非読んでほしいという。       
 そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して全くの素人の私も理解できる内容であった。
 彼が不動産鑑定士をしているという話は10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。
 現在、不動産鑑定士だけでなく、明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。
                                   【dou ro】\_( ゚ロ゚)
 私がまとめた概略を記してみる。その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。
                                マ ~~匸Pヽ(・ω・`) coffe ーデモ…
 ー
著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~

・・・・・・・・
2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5

実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
何か焦りと焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。20代は毎日が変化の激しい
息詰まるような日々であったようだ。もっとも誰もがそうだろうが。 それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時はそれでもよいのだろう。
パンドラの箱を開けて、覗き込んでいるような気持ちである。

4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。それを乗りこえなくてはなるまい。
それにしても、週に一回同期と飲む酒の上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。 一日一日を毅然としているしかないが。
「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、良いのだ。」 転ぶのを恐れてはいないのか。
 −−−
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。
8割が女性社会ということは、はっきりいって知らなかった。
働いている女性の生き生きした姿を身近で見るのも初めて。
それにしても、いろいろな人がいるものだ。 自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)

・・・・・・・・・
2003年12月09日(火)
979, 結婚30年

 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
・・・・・・・・
2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン大会をラジオで
やっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。

・・・・・・・・・
2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、それをいちゃーおしまいである。
それにしても今まで、税務調査に入らないのもおかしい?野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の
甘い体質がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに税務調査が入った。
そして一億数千万を追徴されたという。税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いてあるが、嫌われる仕事だ。
中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、
帰国した新潟空港で円が下がってると9500円を返した返した。こうなると卑しいと卑下したくなる。
いや、その職業でなく人間性か!

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12月9日 1968年
 9時半起床。
 11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。
  その後、正子さんの希望で京成電鉄で「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
  姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。18時20分に彼等と落ち合う。
  車が四人乗りで、横浜は無理である。以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは初めてである。 姉とその友人とも踊る。
  サイケ調でその世界に引きずり込まれてしまった。 その後、「アシベ」というクラブで飲む。
  遠藤周作がいた。 22時半に姉達を送っていく。


3169, 夫と妻 か〜

2009年12月08日(火)

 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。
私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。 
 そういう自分のことは分かりません!  だから生きていけるのでは?
悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。
しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。
< 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’のメリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。
野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーはそこに目をつけた。
メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、
家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。
これは大久保の助力で表ざにならなかった。
 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると 
・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。
 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。
「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 
スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。
嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。
付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。
だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。
それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。
特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。
 昨日、結婚記念日で36年たった。 

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2804, イングランド・ツアー ?
2008年12月08日(月)

『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。
  まずはギリシャのコーナー
 ーパルテノン神殿の破風彫刻ー
古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた
彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった
中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である
ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ)
これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。
次は古代エジプトのコーナー
 ージンジャー(ミイラ)ー
人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの
成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、
完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。
今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。
 ーアメンボテプ3世の頭像ー
古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。
欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、
顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に
誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ
 ーラムセス2世の胸像ー
新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。
19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。
右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。
ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため
「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。  BC1250年ごろ
 ーー
これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」
という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 

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2007年12月08日(土)
2439, サブプライム問題 −3
 *サブプライムローンの実態は消費者金融!

「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。
ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。
「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。
銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。
 ーこの要旨をまとめるとー 
 サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、
ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。
それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、
借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。
記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。
 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。
「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。
ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。
 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。
中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に
預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 
米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。
 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。
証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。
例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが
多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を
あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。
その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。
 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを
別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。
 通常、金を貸す時には、借り手の信用情報を吟味してから貸すものだが、証券化したことで借り手の顔が見えなくなった。
焦げ付いた債権がどの商品に組み込まれているのか把握できなくなり、一部が焦げ付いただけでも商品全体の価値が下落。
 中には優良債権もあったが、投資家は、危ないと思った証券化商品を早めに売ろうとしたため価格は急落、
市場全体が疑心暗鬼に陥った。 夏の金融危機はこうした構図で発生した。
 経済協力開発機構(OECD)は、サブプライムローン問題の損失が最大3000億ドル(約33兆円)
に達すると見通しを発表、「まだ我々は最悪期に至っていない」と警告した。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長も「最も悲観的な見通しを上回る損失になりそう」と話す。
 日本はバブル崩壊後「失われた15年」を経験した。米国が同じ轍(てつ)を踏むとは限らないが、世界経済が
米国への依存度合いを低下させ、中国やインド、ロシアなど新興国の影響力が相対的に増すことは容易に想像できる。
 そんな折、米金融大手シティグループがアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ投資庁からの出資を受け入れた。
その額は75億ドル。日本円で8000億円以上の巨額出資だ。 米国最大の金融機関がオイルマネーに救われる構図は、
米国の黄昏(たそがれ)と新興国の台頭を象徴している。
「20世紀初頭に経済の中心が英国から米国にシフトしたような、大きな経済の地殻変動が近づいている」。
米国赴任から2カ月、日に日にそんな思いを強めている。
ーー
このサブプライム問題、底なしの様相である。決して、記者の表現はオーバーではないだろう。
ここまでアメリカは、大きな問題を抱えていたのである。アメリカが風邪をひくと、日本は肺炎になるというが、
肺炎で済めばまだよい。アメリカが重症の肺炎なら、日本はどうなるのだろう。

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2006年12月08日(金)
2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有
                 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で
ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。
 ーこれを解りやすくまとめるとー
・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。
・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。
・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。
「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。
 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。
・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。
・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、
 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、
 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から
 負債を引いたものを「富」と定義したという。
 ーー
以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。
中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。
無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、
ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。
やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。
                     *^ワ^*)i バイバイ
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 2005年12月08日(木)
1710, 結婚32年の風景

 昨日で結婚32年になった。       ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ
 ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ )
                      マァ チャデモ!  且~
相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。
 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは
  ・長女  ・丸顔のノッペラ                  A(´∀`人)
  ・A型  ・控えめ  ・慎重  ・身長160?  ・気が強い    ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!!
であったが、ほぼ範疇に入っていたのが良かったのだろう。ただ、「代々続いた婿取りの家系の娘の特性」には
本当のところ驚いてしまった。男子受験高校の中でのチヤホヤされた環境も加え、60年に一回の年回りの『剛の虎』
生まれと、A型という血液型が加味されると、だいたい想像がつくだろう。 ((=゜Д゜=))剛のドラ      
全くの無知であったが、それは相手にも言えるだろう。「相互理解」という言葉の重みが身に沁みた32年間であった。
 その為には、やはり会話(いや、対話か?)が必要だ。 会話が無くなるのが大きな亀裂になるようだ。   
「我われ夫婦には『溝』などない、しかし、『浅くて広い河』がある」と、いつも知人に笑い話をしている。[河]`∀´)Ψ  
だから上手くいっているのだろう!!? それと、結婚して以来、国内外に旅行に供に出ていたのも良かったのだろう!
 我われにとっては『旅がカスガイ』だった。   ジャ! (^_^)/~~
   
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2004年12月08日(水)
1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選
                       ー読書日記
この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。
過去の名画は、よほど名画といわれる以外あまり見ていないと思っていたが、この200選の40?も観ていたのには驚いた。
最近は事務所の近くにDVDレンタルショップが出来たことと、PDP・TVを二年前に購入したこともあって、
平均週二本は借りてきて見ている。名画のコーナーがあるが、どうしても最近封切られたものを借りることが多い。
しかし、立ち読みをしているだけでも内容をダイジェストにまとめ上げている内容の濃い本である。
見たことのあるものも読むことによって思い出すことができる。これからは、この本を参考書として、
過去の見ることができなかった映画の世界に入っていこうと考えている。恐らく過去に見た人でも、このあらすじを
思い出すためにも非常に良い本であることは、私も認める。あまり過去の名作映画に興味ない人でも、
あらすじを知っておくのにも素晴らしい理想的な本である。
 ー私の場合、
 2.サスペンス&アクション
 3.SF&スペクタクル
 4.ウエスタン のコーナーは殆んど見ているが、他はあまり見ていない。 かなり極端である。
 この本は
・あらすじ ・みどころ ・主役の詳細 ・淀川長治のワンポイントのコーナーが分かれていて、読みやすくなっている。
 読みやすく、手引書として絶賛してよい本だ。
 ーーーーー
「ビデオ・DVDで観たい名画200選 」 知恵の森文庫
 淀川 長治 (著), 佐藤 有一 (著)

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2003年12月08日(月)
978, 全日本相撲選手権
 (字数制限のため、カット09年12月08日)
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2002年12月08日(日)
604,ある時間の断片-18
 ー10月9日ー
7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。
もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。
 ー10月10日ー
今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 
波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。
一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。
深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。
 ー10月11日ー
8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。
姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。

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2001年12月08日(土)
263,玉突き事故

半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。
その車がまたその前の車にぶつかる、玉突き事故になってしまった。 その玉突きされた車の中から、
恐持てのやくざ風の男が、怒鳴りながら飛び出してきた。雪駄を履き、金の首輪、角刈りの何とかスタイル。
「何さらすねん、この野郎!」と、やべえーなと思っても仕方ない。
「これは全て私が悪いこと、とりあえず100メートル先のところで!」という事になった。
直接ぶつかった車の人が真っ青の顔をしていた。どういう訳か、いつもこういう時は腹が据わってしまう。
そしてそこに行くと、直接ぶつかってしまった人がいない。 少し待ってみようということで、
待っても待っても直接ぶつかった人がこない。恐れて逃げてしまったのだ。恐れる必要は全く無いのに。
こちらも拍子抜け、相手も拍子抜けになってしまった。バンパーがかなり傷が入っていた。
「バンパーを変えなくては駄目だ!」ときた。しかし直接ぶつかった相手がいない。私も「保険が降りない。
手を打ちましょう!」というと「幾らだ?」と言うから「一万円!」と言った。4〜5万?取られるなら、
ハッタリで思い切って安く言ったのだ。相手の額に青筋が立った。すかさず「こちらも本来保険で下りるところ
相手がいないので一銭も出ない。警察を呼ぶと面倒です、手を打ちましょう!」と言うと急に「よし!」と言った。
警察がよほど嫌だったみたいだった。 拍子抜けであった。
その時財布に7〜8万の金がたまたま入っていた。いざ支払う時にそれを見た相手の顔が忘れられない。
「しまった、全部取れたのに!」と言う顔であった。 後は逃げるが勝ち、さっさとその場を離れた。

・・・・
12時8日(日曜日)1968年
12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。
独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい。皆がそれぞれ楽しんでいるのを見ると、自分まで楽しくなる。
田島がアルバイトをしているスナックに行ってみたが、日曜日でもやっていた。しかし彼はいない。今度は銀座にしてみよう。
本屋などは独りで立ち寄るが、何の当てもなく出かけるのは初めてだ。違った遊び方を一つおぼえた。 今度は銀座にしよう。
ところで朝寝ていると長岡の一番上の姉の正子さんから電話が来る。明日東京に遊びに来るから、よろしくとの内容であった。
ニューオータニだそうだ。高木・川崎・松村が案内の候補にあがった。高木は遊びすぎで謹慎の身だそうだ。
次に川崎に電話をするとOKであった。友人の車があるから、車つきである。明日は明日になってみなくては判らない。
それにしても、いろいろ毎日有り過ぎだ。一日一日がギリギリである。何せ、卒論と卒業を絶対に成し遂げないと。  


3168,人生に関する閑話小題 ー2

2009年12月07日(月)

 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、なお人生を垣間見ることができる。
80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると
緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。
観察するうちに、その人が固まるから、犬も固まるのである。 2〜3度挨拶をしたが、その都度、犬が吼えかけてきた。
それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 

 * ある人生 
 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの市に在住だが、定期券を買って、
長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。 時々同じ時間の列車で見かけたので、
知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためだという。 土・日曜日も休みなしで三年も通っているため、
車掌とも顔なじみという。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして
帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から一歩でも毎日、外に出たいのだろう。
そういえば、この数年、家内が1〜2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットを売出時に一人で、
東京の街の散策が趣味。 ポイントは、一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをすることという。
八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。 往復4時間かかっても、六時間を東京や銀座や六本木など、
色いろ回れるという。 価値は充分あるという。 その御父さんも、長岡のスポットを回っているのだろうか。 
来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が広まるだろう。それも人生である。
定期を買うことで、習慣つけるのも良いこと。 夜のスナックより良い。

 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、
傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。 
自殺者の多くが鬱病という。 その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。
ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。 また聞くほうもマイナーの話題を好むから、まともに受け取って
いたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。 時代は、100年に一度のマイナーである。

 ・・・・・・・・・
2803, イングランド・ツアー ?
2008年12月07日(日)
 *集団スリに狙われて −2

 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。
「ショッピング・センターには少年の集団万引きに注意してください。
特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。
面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。
その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。
ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが
出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。
その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。
三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。
しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
 −−−
 *旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高い値段を出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に、移動時間をいかに過ごすかである。三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもあるということだ。
それを楽しむには、音楽かTVである。最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。
家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。
私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。
今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、無数の中から選択可能なのだ。
現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。
それなら、情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。 
ipodで、旅行先に自分の選択した2千曲を持っていけるのだから。

・・・・・・・・・
2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?
                     (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。
最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、
表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。
鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、あとオランウータンとゴリラだけだと
番組では言っていたが、しかし、これは違う。
たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。
そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。
今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、
私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。
で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。
右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、じつを言うと、私は、
鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。
とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、
指されているのが「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。
「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、
意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。
確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が
知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。 
では「われわれ」とは?
ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。
気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。
                    ((´_`○)ノ ノヾィ♪
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2006年12月07日(木)
2074, 寝ずの番
            才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに
義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。
「寝ずの番」とは、生通夜に線香を絶やさず故人の思い出を語って、一夜を過ごす風習である。
この映画は、それを題材に色いろな故人のエピソードを面白おかしく笑い飛ばすストーリーである。
伊丹十三の「お葬式」や「男はつらいよ」などで、通夜のドラマが演じられている。
泣きながら頭にあるのは相続の算段をしているのが、シビアで笑いを誘う。
ーその概要といえばー
俳優・津川雅彦が、祖父(牧野省三)、叔父(マキノ 雅弘)と同じ「マキノ」性で映画監督デビューした作品でもあり、
原作は故中島らもである。笑満亭橋鶴という落語家一門の「寝ずの番」の可笑しくも悲しい物語。
師匠橋鶴、一番弟子橋次、おかみさん(師匠の奥さん)志津子と次々に亡くなり、それぞれのお通夜でのエピソードが味がある。
始りの場面が、死に際の師匠の「そそ が見たい」という言葉から始まる。
(実はそそは‘空’の聞き違いだが)そこで弟子の上さんの??を死に際の師匠に、見せる場面から・・・
 映画全体が下ネタのオンパレードである。 
 o_ _)ノ彡☆ ぎゃはは            _(_ _)ノ彡☆ばんばん!
 −−−
 京都で饅頭のことを「おまん」というらしが、京都でこの言葉を聞いて赤面したことがあるが・・。
ここまで次々と艶歌や下用語が出ていると、逆にイヤらしくなくなるから不思議である。
浅丘ルリ子、米倉涼子、中村勘三郎、桂三枝、笑福亭鶴瓶などが本人役でチョイ役で出てきたが、
津川雅彦の友情出演だろう。 笑満亭橋鶴のモデルは、鶴瓶の師匠・笑福亭松鶴?。
生通夜の席上、亡き骸と踊る“らくだのカンカン踊り”や、下ネタの‘座敷歌合戦’は「粋」でさえある。
死ぬ前に遺した最期の言葉で残っているのは、ゲーテは「光を、もっと光を・・・」
ベートーベンは、「友よ拍手を!喜劇は終わった!」 トルストイは、「私は真実を愛する」である。
そして、この映画の笑満亭橋鶴は「そら(そそ)が見たい」である。
邦画が再び息を吹き返してきたようだ。 この映画は明らかに中年年代以上を狙ったもの。
しかし、悲しみを笑いに変えて偲ぶ内容は、下手な泣きよりも深い愛情が出て良いものだ。
葬式ほど、虚実の虚構そのものに目がいくから、尚のこと下ネタの奥にある人間味が表出するのだろう。
それにしても、えげつない!下ネタ‘座敷歌合戦’の中の「ちんぽ、ちんぽと、いばるな、ちんぽ ちんぽ 
まんこのつまようじ まんこ まんこと、 いばるなまんこ  まんこ ちんぽの??? 」
    ここまで明け透けだと、嫌らしいと思う前に、ふきだしてしまった!   
                                  !(^o^)  バイバイ♪
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2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 

  マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。
  これまで「建設業界そのものが、政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。
  その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。 
                                       ~~匸Pヽ(・ω・`)
   今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が
   偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
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2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
977, 「開運!なんでも鑑定団」
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。
代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。(両親は戦後になって衣料量販店に転業)
しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
  古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、
山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、そうそうのメンバーだった。
一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。
事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、
事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。
修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。
私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。
「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。
昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。
「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。
その本人がリベンジで出てきた。10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。
もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
  ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。

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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年

10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
ー追記ー  2002年12月06日記
 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
  百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは
今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。
今なら一月もしないうちに、いや二週間で軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
  それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。ヨーカ堂やジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 
面白いものである。

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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口

ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも
支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」
という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
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 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として
尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ

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