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堀井On-Line
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2009年06月27日(土)
「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で 「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 早速、借りて読んでみたが、面白い。 戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。 坊様が葬式のドサクサに故人の苗字と名前を元に 名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。 それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。 ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 宗派により、それぞれルールは違うが、 浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。 精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。 それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。 (最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い) この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。 これも縁である。 私 =堀井八郎 志誠院釈八楽居士 (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字) 家内=堀井恵子 慈愛院釈尼恵光 長男 =堀井大 霊覚院釈大道居士 次男=堀井崇史 自然院釈崇駿居士 まあ、決して悪くはない出来栄?である 80ー90点?。 訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・) 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。 「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。 ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた 父=堀井誠作 池行院釈誠道 母= 志麻 報寿院釈尼信華 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。 ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。丁度良い酒の肴になる。 酒楽院釈酩酊居士 の戒名か? ・・・・・・・・・ 2641, 今年前半の総括 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。 ー海外では ・アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安 ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った ・ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡 ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及 ・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明 ー国内では ・岩手・宮城大地震 ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた ・アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落 ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった ・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。 これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。 ー個人的にみると、 ・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。 ・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連れ合いも全て亡くなった) これで親戚関係の付き合いが大きく変わる。 ・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。 ・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引に ピンクに引き込まれそうになって警察まで行った騒動もあった。 ・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。 ー会社は、 ・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。 後半も大きな波乱要素が多くある。山より大きな猪はいない、というから、 その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
・・・・・・・・ 2007年06月27日(水) 2276, 天才論 ー1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] ー読書日記
「天才論」 ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。 この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。 ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子 ということも含めて、自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、 ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」 というところが印象的である。 「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら 何なんだろうか?モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、 ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。 ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある 「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。 レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。 天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に「具体的な何か」をハッキリと思い浮かべてしまうよう。 アインシュタイン、モーツアルト、ニーチェなど天才と言われるひとたちには、「トップダウン」の働きが強いが、 レオナルドは「ボトムアップ」「トップダウン」の両方の要素を持っていたと著者は指摘。 彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを語る上で重要な部分とみている。 それはキャンバス(背景図)に描かれた部分に秘密が含まれており、それを読み解くことを見る人に 問いかけていると指摘している。
ー天才についての著者は以下のように指摘している。 「この章の冒頭で、天才はみんな、潜在的に万能である、と書きました。 それはどういうことかというと、人間や世界の根本への深い理解は、あらゆる分野の卓越した業績につながり得る、 ということです。多方面に天才的な能力を発揮した人物というのは、現実には見当たりませんが、天才はだれでも、 どの方面にでも能力を示すことのできる素地をもっている、と言えるのではないでしょうか。」と。 また、他の箇所でも「大事なことは総合的な知性を蓄わえた上で、ある特定の分野に集中することです。 そうでなければいろいろなものに手をだしたあげく、結局はどの業績も一流ではなかったという、 器用貧乏に終わってしまうでしょう」と指摘。またレオナルドを通して「生きていること」に言及しながら、 著者は「・・・生きていることは、そもそも根本的に恐ろしいことです。 生命は、ほかの生命の犠牲なしに生きていくことはできません。・・中略 いわゆる生きものだけではありません。宇宙空間でも、同じようなことが起こっています。 ・・中略・・つまり、われわれの生は、星が死んだことではじめて、可能になったわけです。 それは、なんと壮大な「die and let live」でしょう。・・(死ぬ、そして生きさせよ) 天才は、このような「die and let live」の連鎖のなかで、人類が生き延びるために編み出した さまざまな技術が、ひとりの人間のなかに高い水準で実現した生命現象です。 レオナルドとは、そのような人だったのではないでしょうか。」と、述べている。 ーーー 深い穴を掘るのに、周辺を広く掘らなければならない!ということを 著者は言いたいのだろう。 それは天才論という分野だけではない。 人生に基礎教養が必要!ということと同じである。 ?つづく ヾ(・ω・`)ノバイ ・・・・・・・・・ 2006年06月27日(火) 1911, スペイン画家・堀越千秋?3 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ 「スペインうやむや日記」?2 ー 読書日記 ースペイン人の特質ー
この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。 同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・・ 堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。 28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に慣れた者のことなのである」 といっているが、海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。 流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。 ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー ・行方不明者はタチマチ『死んだ』か、『刑務所入り』にされてしまうような国。 何でも断定と、言い張ることは、スペインの特技。 ・女性に対しては、『誰に許されて、彼女らはあんなに威張っており、わがままであり、傍若無人であり、 支離滅裂であり、没論理的であり、没個性的であり、保守的であり、ヒステリックであり、お行儀が悪いのか』 ・頭の中には、サッカーと闘牛しかない男たち。 ーー だいたい、これで著者のスペイン人についての思い・描写の部分を抜粋した。 下手な作家より、どうしてこうも画家の方が描写が上手いのだろう。 やはりスペイン在住日本人で、何よりスペイン人が好きだからだろう。 つづく (⌒▽⌒)/"”バイバイ! ・・・・・・・ 2005年06月27日(月) 1546, 人生の最後に後悔すること
アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」 の答えは、「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。 おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。 一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。 この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。 中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。 何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか? 知識がなかった、現状に満足しきっていた、 余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。 豊かなアメリカの90代の人々が「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」という切実な後悔は、 何を意味しているしているのか? 旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。 それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。 ということは、 「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。 教養とは、 ・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、 広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、 ・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。 しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。 精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられないからだ。 それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」 この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めてみよう! 父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」 と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。 人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。 そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、老いている状態である。 今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。90歳の人がいうから問題がクローズアップする。 20歳の人でも同じ問いかけが必要である。周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。 見えてないのだ。それも足元にあるのに。
・・・・・・・・ 2004年06月27日(日) 1181, カント ー 哲学についてー11
カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。 ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、 背中にコブがあり、身体がゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。 脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな子供であったのだそうです。 毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」 と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。 そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。 「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。それは医者として見ただけでわかる。 しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。 心までも“ せむし ”みたいにゆがんで、息苦しくてゼイゼイしているのならともかく、あなたの言うことも 心もしっかりしている。身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで 何にもならない。それよりも、心のしっかりしていることに感謝しなくては。 死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」 カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。人間というのは、 身体あってのものだろうか、 心あってのものだろうか・・・。 そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。 終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。 毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。 しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。気に入った人と時間を過ごすことを好み、 昼飯はかならず人を招待をしていた。講義のすばらしさも、今も伝説になっている。 中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、彼以降は高名な哲学者が大学教授に なるのが珍しくなくなった。 彼は*経験論と合理論の統一*をして観念論をうちたてた。 それは、一言で言えば人間に知りうることと知りえないことを明らかにすること、 言い換えれば「経験」つまり「認識」の成り立つ条件を原理的に究明することによって、 認識能力の範囲と限界を明らかにしようとすることである。 ー難しいようだが、人間の持っている五感の機能の範囲でしか世界のことを理解できない。 盲人に自然の美しさは理解できない。舌のない人にあの美味しい料理の味を味あうことはできない。 反面、5感では感知できない他の世界があるはずである。 カントは デカルトやスピノザの合理主義にも、ロックやバークリやヒュームの経験主義を超えていた。 ・合理論を唱えた人々は「あらゆる認識の基礎ははじめから意識の中にある」と考えた。 理性を重視し、認識の源泉は理性にあるとする。 つまり理性だけを信頼し、経験を軽視していた。 ・それに対して、経験を通して確実な知識を手に入れようとした経験主義者たちは、 感覚によって認識できるものしか存在しないと考え、経験を超えたものは何も存在しないと唱えたのである。 カントは経験論、合理論ともに否定している。哲学史上、カントはこの2つの思想を批判統合し、 さらに啓蒙思想を加え、批判哲学を確立したと位置付けられている。 (2008年6月27日字数制限の為カット)
・・・・・・ 2003年06月27日(金) 814, 「ありがとう」の言葉 ?6
昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。 たまたま通りがかりの自転車に乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれる という。ところがなかなか現地のその場所がわからない。普通なら、途中で「誰かに聞いてください!」 というのが当たり前なのに、30分近くも一緒にさがしてくれた。 人品のよい、かなりの人というのは勘でわかったが、こういう時の親切は本当に嬉しいものだ。 最後にお礼を言おうとしたが、逃げるように帰って行った。 その時ハッとしたのが、「ありがとう」という言葉が心から出ていたことだった。 さがしている間に何回も何回も「ありがとうございます」といっていたのだ。 「ありがとう」といい続けていれば有り難いことがよってくる。 先日から「ありがとう」の言葉を繰りかえしていたために、ありがたい気持ちが伝わったのだ。 もちろん、その人がそれなりの人品の人という前提があったが。 「ありがとう」を口ずさむ習慣を身につけて、実感として自分が一番足りなかったのが、 「ありがとう」という気持ではなかったかということだ。 私の場合は特に亡くなった両親に一日千回いったとしても、足りない。 まして恩師や上司や先輩に対して考えてみると、数千回いっても足りない位だ。 そういう視点で周囲を見渡すと、幸不幸は「ありがたい」という気持ちをどれ位持てるか どうかで決まってくるのが歴然としている。何か修身みたいな話だが、やはり歳をとった為なのか? 「やれる親切は可能な限りする」というのが信条なのだが、見知らぬ地で見知らぬ人に困り 果てた時にあってみて、親切心は、教養という面で身に付けておきたいものだと思い知らされた。
・・・・・・・・ 2002年06月27日(木) 450,吉村作治-宗教・教えー3 (2008年6月28日字数制限の為カット)
・・・・・・・・ 2001年06月27日(水) [66] ソフト変更
昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。 これは写真も貼れる。そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。 お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。 まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。 昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、このホームページの変更の 打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。
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2009年06月26日(金)
「世界は感情で動く」 ー5 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー
21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」 まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、 【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に見積もる認知的バイアスをいう。 つまり、人はある状況における自分の判断や行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、 他者も普通なら自分と同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もしそれを逸脱した他者に出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在だとみなしてしまう。】 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと同じものであることは、 ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、「自分と違う」人が現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、 自らの「常識」に固執するようになる。 その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。 世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。これは世界一般のことだが。 しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を見逃している。 考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに気づかされる。 思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を「そう考えない人はどうか している」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚きたてていた変な教祖様が話題になったことがあった。 これを自分に向けると、良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。 松下教も、紙一重の社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。 それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。 で、その偏見で、偏見を解釈しているのだから、 ますます、歪んでいくのである。 まあ、それが自分という壁を作っているとすると、私は何? この随想日記も、「私の偏見日記」ということになる。 他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、唯我独尊になる。 まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。下手に説得力が あるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
・・・・・・・・・・ 2640, ブランド品 ー2 2008年06月26日(木)
ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。哲学者にとっても社会学者にとっても、 これは面白い対象である。もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。 それまでは、嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。 それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40?50年前からでしかない。 特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちで はないのが悲しい。それにつりあわない若者とか、そのランクから何段か下の人たちである。 ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、 自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。 それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。 またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。 人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。 フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。 それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。 だから、銀座のブランドショップで買い物をする人は、それを買うに相応しい人ではない。 成金か、その家族か、自分に自信を持てない、その階層?の人たちである。 「中村うさぎ」がブランド品偏執狂と自認しているが、カタチは色いろあるが、ああいう人たちがメインの客である。 考えれば直ぐに分かるだろう、ファッション関係の人は、ブランド品は身につけない。 付けていたら、その人はファッションセンスが疑われてよいはず。 頭の軽いタレントや成金の類が、それを飾り立てた姿をみれば解るだろう。 ぶっちゃけた話、家内が、旅行に行く度に一品は買う。 見ているだけで腹が立つが、 喧嘩をすることもないが、常に誰かを想定して自慢をするのが見え見えである。 それも・・・まあ、止めておこう。 ――― 2001/12/19 261,ブランド品 ー1 2001年12月06日(木)
ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。 それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型 2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。 3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。 ?野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか! 4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。 5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。 したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。 したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い!それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2?3年か、それ以前の「投げ捨て商品」。 その筋のシンジケートから「売価の一?二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の 6割か7割の家賃を取っていることでそれが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の代理店がそれを熟知、一時かなり稼いでいた。黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象であった。
・・・・・・・・・ 2007年06月26日(火) 2275, 希望格差 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
本屋に「希望格差」という本があったので、概要を知りたいと「検索」をした。 会社を安易に辞めていく若い人を見ていて、「この方々は下流格差を自ら希望の人たちでは?」 と思っていたので、彼らの下流志向のことを書いていると思っていた。 しかし、その意味は ・将来に希望を持って取り組める人たちと、 ・将来に希望を持てない人たち、 との格差であった。そうすると、当社は将来に希望を持てないと思われたのだろうか? (そうだ、そうだ!と聞こえてきそうだが。それでは希望の持てる会社って、 何処なのか?あったとしも、ミスマッチで受け入れるところは無い? 希望のある会社だって選ぶ権利がある!いや、あるのかもしれない? その辺を間違うとフリーターへの分岐点になる?) (以下は字数の関係でカット2008年06月26日) ・・・・・・・・ 2006年06月26日(月) 1910, スペイン画家・堀越千秋? 「スペインうやむや日記」?1 読書日記
先日、図書館で何げなく手にした本が「スペインうやむや日記」 ?堀越千秋ー集英社 であった。 文章は、10年以上前のものだが、現地に長年住んでなくては書けないことばかり。 さっそく著者が最近出版したばかりの『スペイン七千夜一夜』ー集英社文庫ーをネットで取り寄せた。 (まだ読んでないが・・・) 画家のためか、言葉の一言一言が深く胸に突き刺さる。読んでいると飾らない著者の言葉が、 「自分より自分自身の存在が彼のなかにある」というような錯覚になってしまう。 それと、文章の書き方を教わった。 結局は人は自問自答をしているのである。とくに随想日記は独り言で良いはずだ。 著者に、こう言われているようだ。「何を改まってないで、もっと自分に語りかけるように書きなよ! ブツブツとさ。だいたい頭の中で繰り返している言葉からして何だよ。 そうつまらないよ。言葉を変えなよ。 ヘラヘラしてさ。いいじゃない、それで。アンタなら、そう書いても誰も何とも思わないよ。」 そこで単純だから、素直に少し文体を変えることにした。直ぐに元に戻ってしまうかどうか、楽しみ。もどるだろう。 ただ、短文に、簡単な言葉にはなるだろうな?・・ 「うやむや日記」の =第一章 スペインの黒い雨=から、 スペインの世界の引き込まれてしまう!まずは、ご覧あれ!これで何も感じなかったら、脳が少し鈍感になっている、 と思ってもよい? ーー 私は画家である。従って、ものの美醜や、もののうまいまずいなどに通じており、さぞ大酒飲みで貧乏であろう、 と人は皆思うらしいが、そうではない。ARTというものは、ものの美醜の彼方にあり、ましてやもののうまいまずいなどは とっくの昔に解脱しており、酒はオホホと笑ってたしなむ程度、マットレスのクッションは札束、というのが私の実情。 が、そんなことを吹聴していたのでは、六日間着たままのシャツが「着こなし」に見えなくなってしまうし、高級料亭に お招ばれされるべきところを「実はおいしいギョーザ屋があるんですよ」となってしまうし、 貧乏な友達にはたかられてしまうであろう。それでも、長いスペイン暮しで、いやおうなくワインやシェリー酒は 飲みつづけているから、金曜日だけが安ワインの日、という普通のジャパニーズよりはワインの味は分かるかもしれない。 だから、たまに日本でのお招ばれでフランス料理なんぞをゴチになったりすると、先方がせっかく張り込んでシャブリ だのボルドーだのと開けてくれても、こっちは値段を知らぬものだから、平気で正直に首を傾げて「うーむ」 などと言ってしまう。 あとできくところによると、そういうものはまあレストランにもよるが 一万円以上するらしい。そんな高価なものを口に含んで「うーむ」と唸る当方が、さぞかしワイン通にみえるのは、 東京の金曜日の安ワインファンにはやむをえまい。 でもまずいんだから仕方ないよ。そもそもフランスのワインなんぞ というものが、どういうクワセモノであるかは、先頃一九九五年のシラク大統領の南太平洋における核実験再開をみても 察しがつこうではないか。いや何も私は、このごろになってそんなことを言っているのじゃない。 シラクがパリ市長だったころから、右翼的で尊大で野心的で人種差別主義者的なこの男の顔が私は大嫌いだった。 この手のツラは、スペインにもちらほら、いやこのごろはぞろぞろいる。 特に一九九二年のバルセロナ・オリンピック以後。 スペインは今(一九九五年)、銀行家や警視総監や政府首脳を含む一大汚職にまみれており、そやつら、 亡国的売国的利己的な連中の顔が、スペインの湿った裏庭パリにもいた。 それがシラクである。 (以下は字数の関係でカット2009年06月26日) (*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・ 2005年06月26日(日) 1545, エホバの証人ー1
誰もが年に数回は、街角などで二人連れで本をかざして立っている姿や、自宅への訪問伝道で、彼らの姿をみているはず。 といって、「エホバの証人」で知っていることといえば、献血拒否で時々新聞に載る位のことである。 学生時代の友人が入ったが、みるみるうちに異様な男に変容していった。 (しかし、自力で脱会してきたが)中学校の同級生が自宅に訪問伝道にきたり、 前の会社の元部下が街角に立っている姿をみたりしていた。 貰ったパンフレットなどは馬鹿馬鹿しいのでみたことがなかった。 街角に立っていた元部下に偶然、10年ぶりに会った時の話。 「抜けることができるのか?」と聞いたら、「もう無理でしょうね!」と答えた。 「あれだけ本を読んでおけと言ったのに!読まなかったのだろう。 だから洗脳されて抜けだせないんだ!自業自得さ。」と冷たく言ってしまったが、 それはそれで仕方がないのか。基礎教養が少ないと、こういうものを盲信してしまうのだ。 ある本に彼らの概要が解りやすく書いてあった。成る程、こういうことーシステムーだったのかと、 納得できるものだった。典型的なカルト?の異常集団である。しかし、教徒を盲信させる教えや、 洗脳システムは凄いとしか言いようがない。 ーこの教団の要点をまとめてみた。ー ・エホバの証人は19世紀半ばにチャールズ・ラッセルによって始められた アメリカ生まれのキリスト教の一派である。 (以下は字数の関係でカット2008年06月26日)
・・・・・・・・ 2004年06月26日(土) 1180, 秘境・異郷ツアーレッスン ー2
このツアーで出会う人が素晴らしい?私の過去に出会った人の中でも「特A」?の人と出会えることである。 それも、濃厚な空間で共通の趣味ということもあって互いの気持ちを開く。 金を出してまで南米やアフリカやインド・パキスタンなどのシルクロードに危険を 冒してまでくるのだから、よほど好きか、そこに何かすばらしい体験がまっているのを知っている人である。 旅行をし尽くしたか、大きな人生の忘れ物を捜しにやってくるか、何らかの理由でその地域に興味がある人か、 人生の癒しを求めに来ている人である。 また写真や絵や小説の題材を探している人とか様々である。 職業は役人、先生、商店主、会社役員、主婦、等々いろいろある。年齢は中高年が多いが、若い人も少なくない。 その人たちと同じ目的で濃厚な時間と空間を供にする。そこでは普段聞けない面白い話や人生を垣間見ることができる。 一回の旅行で、本や周辺の人では絶対に聞けない濃厚な話が聞ける。 遠藤周作の小説「遠い河」のような、それぞれのおもい人生を背負った人の集団と赤裸々な日々を過ごすことにもなる。 もう二度と会わないから、本音の話になる。そこでは、それぞれの旅行経験の情報交換の場になる。 旅行回数と情報の質は、ほぼ正比例をする。旅行をしていて気がついたことは大まかに ・自然派と遺跡派と欧州派 ・アフリカ派とインド派と南米派と中国派 に分類することができる。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2003年06月26日(木) 813, 日暮里界隈
一度、日暮里に行きたい思っていたが、念願かなって知人に夜の日暮里を案内してもらった。 谷中銀座と日暮里駅の中間を少し入り込んだところに、時代から取り残されたような場末の飲食街があった。 それが何ともレトロ調で映画のセットの中に入ってしまったよう感覚である。 知人の会社の東京事務所があったため、よく通ったという店があった。 沖縄出身の60歳位の女将がやっている7~8人位しか入れない沖縄料理の小さい店であった。 店の名前は『あさと』といって、本人の名字の安里をそのままつけていた。 石垣島出身で、具志堅用高もわざわざ訪ねてきたという。何とも沖縄料理がおいしい。 豆腐よう、ほしぶどう、ゴーヤーの炒め物、そして泡盛が絶品であった。 そういえばこの数ヶ月、泡盛を晩酌で飲んでいる。スーパーで売っているが、ブレンドされた泡盛がいやにおいしい。 店の中の全員がお互いの話を旧知のように話し合える感じがよい。それこそ若い人は皆無という雰囲気がまたよいのだ。 たまたま若い女性が一人入ってきて飲んでいた。話しかけると「2~3日うちに石垣島に亭主と行く」とのことで、 女将に知り合いの店を紹介してもらっていた。何か楽しくなって、下の息子を呼びだして一緒に呑むことになった。 本人も目をクリクリさせて、「今時、凄いところがあるものだ!」と驚いていた。 その後にもう一軒、谷中銀座の中にある居酒屋にいったが、ここも印象深い店であった。 大きいメンチカツが何とも美味しい!
・・・・・・・・・ 2002年06月26日(水) 449,吉村作治ーピラミッドは王様の墓ではない!ー2
「歴史」ー岩波文庫 に書いてあるが、紀元前ギリシャのヘロドトスがピラミッドを見たときに、 近くにいた老いた神官が「これは何か?」の問いに「王の墓ではないか」 と答えたという。ただそれをヘロドトスが歴史書に書いただけで、数千年それが信じられてきただけだという。 最近になってピラミッドを造った人達の街が見つかった。墓や出勤簿が出てきたという。 それまでは奴隷が造ったと信じられてきた。出勤簿には欠勤の理由が書き込まれていたという。 二日酔い、兄の結婚式等々。発掘で事実がまったく変わってしまう。日本では中ぐらいの川が3000本あるという。 エジプトはナイル川一本だけ。しかしエジプトの農耕地は日本の面積分が今もあるという。 ピラミッドは公共事業という説がある。それも無用の長物だから意味があるという。収穫の50?が王様、25?が地主、 25?が農民が取った。する仕事がない時に王様が25?をその公共事業のために放出したという。 一回だけ200年かけて4,500年前に運河を作った、しかしそれが王様の利益と判ると二度とそれをやらなくなった。 その後神殿造りに変わっていった。今地球上で61億人中45億の人間が神がいると信じているという。 当時のエジプトで神について以下のように考えた ・一番良いのは、神などいる訳がないと理解した上でいた方がよいという考え ・二番目に良いのは、神が本当いると信じること ・三番目は神はいないと思うこと ・最低なのは神がいてもいなくてもどうでもよいと思うこと{これが今回一番面白い内容であったー現代人と変わってない} 日本は古い国と思っているのは日本が世界を知らないだけでしかない。新しい国だ。 AC3世紀にはもうエジプトは終わっていた。エジプト中には83のピラミッドがあるという。 ほかに50はあるといわれているが、まだ発掘されてない。王様にも最大5個のピラミッドを持つ者や、 ゼロのものもいる。今は3年に一個の割合で発見されている。最終出るまでに後200年かかるといわれている。
・・・・・・・・ 2001年06月26日(火) [64] おまいり
毎日の散歩のユーターンの地蔵様に祈っている言葉がある。もう4〜5年続けている。 「あの世のお父さんお母さん、運さん(長兄)進さん(次兄)誠さん(次次兄)、 祖父さん祖母さん、親戚の人たち、ご先祖様、そして総ての霊が安らかお眠りください。 仏様有難うございます。そしてご苦労様です。お父さんお母さん有難うございます。 そしてこの世の総ての人達がより良くありますように。特に大変な人こそより良くありますように。 かさねてお父さんお母さん有難うございます。今日一日精一杯活きます。そして笑って暮らします。」 大変な人は、今周辺で大きい問題に突き当たっている人の具体名をあげる。 これを続けているせいか、精神のバランスが崩れることはない。
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2009年06月25日(木)
これまで何度か酒の失敗について書いてきた。 飲む、打つ、買うのうち、一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。 といって私から酒の癖の悪さを取ったら、これほどツマラナイ人間はいないだろう?と、 一人うそぶき飲み続けている。 少なくとも10年は命を削っている。 人間関係も10倍、いや100倍は広がっていただろう。 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、アルコール依存症という。(但し国際基準) ・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が弱くなってきて、1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。 ー適応 ・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状(禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。 ・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」「ビールだけにしとくつもり」 ー適応 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。 ・4番目は、何度か酒をやめよう、減らそうと試みるがうまくいかない。 ー半適応 ・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が長くなってきた。 ー不適応 ・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなってきた。 ー不適応 ・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、まだ飲んでいる。 ー適応 これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、 半分の3・5が適応するから、軽いアルコール依存症というところか。また国際基準というから。 少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の死因でも自殺がトップ。 年間3万3000人の自殺者が出ているが、その15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。 過度の酒は緩慢な自殺の一つである。多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから止められない。 しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚していなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。 解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。
・・・・・・・・・ 2639, 世界の原子力発電の実情はどうか? 2008年06月25日(水)
このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。 更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉のエネルギーが見直されている。 地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態である 今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。 一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、今では殆ど影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。 ーー 世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、 運転中が429基(約3億8705万kW)、 建設中が35基(約2940万kW)、計画中が47基(約5217万kW)とされる(日本原子力産業協会の発表資料による)。 国別の設備容量では アメリカ合衆国が最大で、06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、 フランス(約6602万kW、59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 ロシア連邦(約2319万kW、27基)、 ドイツ(約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。 日本の原子炉はすべて商業用の原子力発電所である。 日本の総発電量(自家発電をのぞく)に占める原子力発電量は1987年度(昭和62年度)に30%をこえ、 2006年度(平成18年度)では総発電量約1兆1611億kWhの約26%にあたる3034億kWhを占めている。 ーーー 情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が一挙に消えた。 それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替エネルギーの比率を大きくしてきたから。 それでも、日本は危機状態といってよいから、必要悪としてもなくてはならない。
――― 2007/08/06 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている? ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning 今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、 殆ど意識してなかった原発に対する依存度に少し関心が向いた。 インターネットで早速しらべてみた。 ーーー 世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37パーセント。 世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。 現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。 日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、 スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。 石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、2001年度に50%になった。 (エネルギー消費と発電の石油依存度は違う) 現在の日本には、53基の原発があり、発電量で37%を占め、 これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。 電力10社では原発31%、石炭火力26%、LNG・LPG火力24%と 構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、53基が稼動中。 その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、アメリカは20?でしかない。 ここまで原発への依存度が高くなると撤去するわけにもいかない。 地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。 刈羽原発を筆頭として、日本列島はどこでも地震が起こり得る。 今度の地震も新たな活断層が動いたというが、日本で活断層を避けることは難しい。 今回のように地震が起こって初めて分かるのが現状である。 資源の乏しい日本では、エネルギーを確保、維持していくことは国の盛衰に関わる。 といって、数年来の原発事故や安全性隠しで原発に対する不信感は非常に強い。 敦賀周辺や東海周辺の原発の地下には活断層がある可能性があり、一つ間違えば、 大都市が近くに多くあるため、数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。 この問題は、日本にとって今後ますます大きく問われることになる。 byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ ・・・・・・・・・ 007年06月25日(月) 2274, 現在とは何か? (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ 「現在」とは何だろうか? 歳を重ねれば重ねるほど、その意味の深さを直感する。その意味の奥に一歩でも立ち入ってみたいと思っていた。 ところが面白いもので、そう思っていると丁度知りたいと思った分の知識が、目の前に現れるから不思議である。 決して哲学的に難しい理屈ではない。何時も直面している「いま、ここ」、「現在」の意味である。 文芸春秋の特別版「一冊の本が人生を変える」の中で、?ハインペル『人間とその現在』訳者である阿部謹也氏 (一橋大学名誉教授)の「ハインペルとの出会い」という文章の中で、この本をあげている。 難しい本を優しくまとめてある文章のため、中味の濃い内容になっていた。 ーその内容の一部を抜粋してみるー ー私が大学三年のとき、歴史というものを自分の外の世界で起こっている出来事の流れだと思っていた。 その出来事が確固とした流れをなしており、その過去から現在までの流れを観察することが歴史学と思っていた。 しかし本書を読んで私のそのような印象は全く崩れ去ってしまった ハインベルによると「現在」は4つの層から成り立っている。 一、まず、そのときそのときの現在が問題になる。 私が子供の時のある日の出来事に刻まれている現在。 それは過ぎ去ったものとして過去に属するが、 そのときの「今」という意識は生き残っている。青年期にも中年期にも老年期にも、その時その時の現在がある。 その時の現在はいつから始まるかといえば幸せな結婚生活を送っている人にとっては結婚以後が現在になる。・・・ かってはロシア(ソ連)の現在は1917年のロシア革命に始まっていた。しかし、現在のロシアはソ連邦の崩壊以後 ということになる。破局と大革命、強制力のある理念などが現在を現出していることになる。 二、次に、持続する現在がある。 私たちの意識の下層は過去を残している。 言葉と習慣と食べ物などは正にそのような過去のものが現在に生きている姿である。 ひとたび創りだされたものが生きつづける姿もまた持続する現在の姿である。 秘蹟の中にキリストが現在する形でミサも営まれている。 三、一回限りの現在がある。 それはひとたび生まれて死ぬ人間の運命である。子供はたしかに成長する過程にあるが、 完結した全的人間でもある。戦渦の中で飢えている人には一切れのパンが現在であり、 孤独なものには援助の手が現在になる。一回限りの現在は時代の脅威の中で幸福を享受することでもある。 四、最後に決断の領域がある。 私たち自身の行動によって人と人とが感謝で結ばれていくことである。 要するに、歴史に対して私たちは自己を主体として対するのであり、時間も客観的に流れていくのではなく、 自分が捉えることによってはじめて生きてくるということが解ったのです。 すべての歴史的出来事を現代という視点で捉えるということは、自分の目で歴史を見るということであり、 そのためには自分の内面に対応する歴史を発見しなければならないのである。 私の若い頃の日本の歴史学にはこのような時間論は無かった。古代、中世、近代という 時代区分が確立しているとされ、それぞれの時代のなかに幾つもの現在があるなど思いもよらなかったのである。 現代世界にも様ざまな現在があるように、古代にも中世にも様ざまな現在があり、 それらを意識していた人々の暮らしと思想を見出さなければならないのだと、思い知ったのである。 私は自分が生きている空間としての周囲の世界を見ることから始めたのである。 当時、安保騒動のさなかにあり、私の周りでもデモや議論が渦巻いていた。 私もその議論の中にいた。しかし私はその中で自分の目で見、確認したことから出発しようとしていた。 私は一つの地域を選び、その地域の歴史料から、その地域の歴史を起こしていくことを 考えた。それは外国史を対象としているものにとってとてつもないことであった。 ーー ー以上が概要であるが、なかなか難しいようだが、それでも解りやすくもある。 ・その時どきの現在があり、それは大きな革命や、出来事が現在を現出しており、 ・現在は、私たちの意識の下層に過去を有しており、 ・現在は、一回限りであり(一期一会)、 ・現在は決断という領域を有していて、自己と対峙して自分が捉えることによって、はじめて生きてくる。 現在は、自分の主体的に世界を捉え、自分の内面と対応した実感として考えたときに、その中に意味を見出すことが出来る、 ということである。「現在」という問題も、結局は「いま、ここの現在」の自分との対峙ということになる。 般若心教を唱えているときの、五蘊皆空の直感に似ている。 (ノ ゜口゜)ノさらばじゃあ ・・・・・・・・ 2006年06月25日(日) 1909, スペイン画家・堀越千秋?1 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ブエノス ディアス!
以前NHK・BS でー遠くにありて にっぽん人 ーを、シリーズで放送していた。 世界各地の国に溶け込んで活躍している日本人の芸術家や、技術者や、経営者などを紹介する番組である。 強烈な個性的人物が、日本人のアイディンテティーを守りながら、活躍している姿を放送していた。 その中で選ばれた人を、日本のスタジオに呼び寄せて紹介する特集があった。 その中でも特に、堀越千秋さんが印象的であった。題名は「フラメンコの心を描く?スペイン 堀越千秋?」 furaヽ(∀`●ヽ)!(ノ●´∀)ノmennko。 ゚+.ヽ(●´∀`●)ノ。+.゚ イェイ♪ そこで彼が1枚の絵を描きあがるプロセスを数日にわたって撮影した場面があった。 大きなキャンパスに茶色の背景を塗りたくり、数時間もジッと見ているだけ、 そしておもむろに描きたしていく。自分の潜在意識から滲みだしてくる抽象画である。 キャンパスに全身全霊を叩きつけて、スペインの情熱を自分を通して放射させるのだ。 (2009年6月25日カット) ・・・・・・ 2005年06月25日(土) 1544, 私の酒中日記?10 金沢ー6 ー1972年3月某日
武蔵店の店次長と最近飲むようになった。店長の愚痴をよく言うが、私が口が堅いことを見抜いているからだ。 これで二人目の店次長だが、二人とも現在の店長の悪口を平気で言う。何時ものように居酒屋に飲みに行こうと 歩いていると、目の前に店の女子がいる。丁度よいから誘うと、嬉しそうについてきた。 ところで、店次長の今日の話が面白い。金沢でよく言われている裏話があるという。 その地区でしか聞けない面白い話しである。「能登と福井の女は止めておけ、嫁を貰うなら富山がよい。 自分の出身が能登だから、間違いはない!潮風と海に囲まれているのが良くない。 富山は山が背景にある。豊富な水が人間性まで豊かしている。 一番は金沢市、二番が石川県内、三番が富山、四番が福井、能登だけは止めておけ。 自分が能登出身だから間違いがない!潮風が土地を枯らし、人間性まで枯らしてしまう」 その同僚女子は金沢周辺の出身で問題はなかったが。そういえば、前の会社に居たときに伊勢出身 の女性が良いと聞いたことがある。神社のあるところは、湧き水が特に良いからだという。 人間も米も水しだいというが、こと結婚相手の女性は湧き水の綺麗なところがよい。 今日は居酒屋から、スナックに行く。以前から飲みに誘われていた女性だったので、これでよかった。 二年先輩の彼女だが、サッパリしていて好きなタイプだ。去年の暮れに二日間、金沢の郊外で一緒に 売り出しのダイレクトメール配りをしたことがあった。下手なデートよりズット面白かったが。 彼氏のいる女性は安心して遊べるし、複数なら問題はない。三人で、かなり盛り上がった。 ところで、先日会社の私的な集まりがあった。40人位の若手の男社員が集められていた。 西友ストアの資本提携に対する反対総会のようであった。西武系の東大出の嫌味な人事部長と、 慶応出のキザな総務課長が乗り込んできたが、あまりも見下すような気持ちが露出していた。 その爆発なのだろうが、明らかに社長が裏で動いているのが解った。 その直後、西武から来ていた10人ぐらいの社員が一せいに引き上げた。重大な局面にあるようだ。 会社は弱者の立場に多ってはならないケースとして、しっかり見ておかなくては!
・・・・・・・・・ 2004年06月25日(金) 1179, 哲学についてー10 ー現在の哲学
現在の哲学はどうなっているのだろう。現在の哲学を考える時、「構造」主義の概念がベースになっている。 この「構造」とは「構造化されたシステム」をいうのではなく、無意識であり、自己の限界を次々に乗りこえていく 根源的生命力のことをいう。構造主義とは[さまざまに変化していく諸現象の背後に隠された深層的で不変な「構造」 (無意識)を探求する]と、いうことである。解りやすく大雑把にいえば 「哲学であれ何であれ、あらゆる種類の言説は言語の構造であり、それがすべてである」 その構造主義を唱えたのはソシュールである。彼は、人間は言語を持つことによって人間になった、 「人間は言葉だ」と主張。構造として「主体の発見があり、言葉は真の創造者だ」とした。 このような構造主義や、脱構造主義が出てきた背景には情報化社会の到来がある。 情報化はデジタル社会といわれ、すべてを情報量で記述する記号社会のことである。 情報化はコトバを持たない人、自在に駆使できない人やシステムが敗北をする社会といってよい。 その意味で哲学は個々人にとって真正面から取り組みざるを得なくなっている。 哲学は日常実世界には一見無用にみえるが、人生そのものにとって非常に重要になってきている。 自分のホームページを持ち、そこに自分のコトバで主張することの重要性をあらためて確認した。 「哲学について考える」を書いてきた効用か、いままでとは何か違った目で「哲学」の本を読めるようになった。 この程度でだ。 ところで、本棚には哲学に関する本が何冊かある。何冊か書いてみると 「哲学のカフェ」 ノーラ・K 「ソフィーの世界」ヨースタイン・ゴルデル 「哲学を知ると何が変わるか」鷲田小弥太 「哲学がわかった!」鷲田小弥太 「哲学のコテン101物語」木田元 「新哲学入門」三木清 「ツァラトゥストラかくかたりき」ニーチェ 「ユング」コリー・ウイルソンなどなど、 30?40冊以上はあるが、それを理解しているかといえば話は別である。 ー哲学書かどうかファジーの本が何冊かあるので30?40とした。 哲学者が子供か大衆向けにやさしく書いた本ほど、本質を突いている場合が多い。 難しいことをシンプルに、シンプルのことを深く、深いことを面白くである。 哲学の世界にいつの間にか引き込まれ、難しいことでも解ってくる。 ーまったくの粗い内容であったが、哲学についての概論を終了する。 今度は思いついた順に、哲学者や[実存主義」とかの概念をテーマにして書くつもりである。 次回はデ・カン・ショか、ニーチェあたりか。
・・・・・・・・・・ 2003年06月25日(水) 812, 変な人が書いた成功法則 ー 読書日記 (2008年6月25日字数の関係でカット) ・・・・・・・ 2002年06月25日(火) 448,吉村作治ー考古学について ?1
昨日、彼の講演があったので聞いてきた。 エジプトなど遺跡が好きであった事と彼の本を読んでいたため、一言一言が非常に興味をもてた。 講演内容を時系列にそのまま書いてみる ・考古学は人間学である。 骨董屋とは違う ・掘ること自体が面白いー好きにやれと好きに掘らせておくと60日経つと虜になる ・自分だけの史料を見つけることができる ・歴史学は批判学であるー歴史上言い伝えられていることは真っ当な事はない非難とは違う ーそれを検証する事である ・考古学はない史料を探すこと 図書館の片隅の史料を探す事も発掘という ・一回の発掘のクルーはー60日*20人・現地人100?150人・2000万の費用ーが目安 今までない史料探し、それを今までの史料と検証する。 (字数の関係でカット2008年6月25日) ー 続くー
・・・・・・・・ 2001年06月25日(月) [63] 秘境ツアーコーナー故障中
3Dホームページ作成中故障発生?明日中に直ります。 ホームページ面白いがメンテとランニング大変! 好きだからやってるが、そうでなくては無理。 ーつづく
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2009年06月24日(水)
昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、 「闇金の事務所の至近距離にあるホテルの美容室に勤務している娘が昨夜帰ってきて泣きながら、 殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。 新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュースでは100万円以上が盗まれたと報じていた。 闇金なので金は無かったとしか言えなかったのだろう。 それにしても、事務所内は血の海で、血の足跡が 外まで続いていたというから、凄惨な殺し方のようだ。 月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金からみて、 極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって決めておいて逃げたのだろう。 犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの可能性もあるから、どうだろう。 女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、 大した給料ではなかったようだ。 そういえば現場から200メートル先で、7〜8年前に金券ショップの店主が殺害された事件があった。 殺された店主の隣人が、万代の町内会長で飲み会で月に一度は顔を合わせていた人。 町内会長には警察からその詳細の内容が入るとかで、その会で微に入り細に入り聞いた記憶がある。 この時は怨恨で犯人は捕まったが金券か何かの縺れから、事件を起こし服役。 服役中は「ただ復習しか考えてなかった」という。 恐ろしいことである。 ところで、新潟駅前にはサラ金が多く見かける。 貸しビルの1Fは大手が入り、上階にいくにつれて際どいサラ金になっている。 会社の人の話によると、毎日、集金をして銀行に行っていると、店主と自然に顔見知りになり、 一言二言話をすることがあるが、かなり危なそうな人。 毎日の記帳が一冊になるという。 ということは、通帳には600段あるから5ー600人の振込みがあることになる。 せいぜい2〜3千円としても膨大な金額。 娑婆には私らの知らない世界がある。
・・・・・・・・・ 2638, 娘に贈る12の言葉 ?5 2008年06月24日(火)
投資家ジム・ロジャーズの言葉 ?読書日記 ー8、汝自らを知ること。ー ・自分自身をよく知ってほしい ソクラテスは「自分の無知を自覚して自分の魂を育んでいくよう」という 倫理的要求として、 自らの行動上の標語としたと言われている。もともとはスパルタのキロンの言葉といわれ「身の程を知れ」 という意味だった。 投資で成功するには何をさておき、自分というものを解っていなくてはならない。 どんな時にも、冷静な判断をしなくてはならない。そういう状況に自分がパニックになるかを知っている ことが重要である。 人は自分の好きなことについてはうまくやることができる。 自分が最も好きなことを続けなさい。そうすれば成功をすることが出来る。 ・人は群集心理にかられやすい 群衆から離れて冷静に状況を判断すべきである。 ・パニックを起こしてはならない。心理学を学ぶべき。 マーケットで起こりやしヒステリック状況を冷静に判断すべきである。 解)命と同じぐらい大事な金を賭けるのだから、顕わな自分と直面する。命を摩り減らすのは自明である。 投機と投資を間違わないことだ。幾ら投機で損をしたことか!中国のバブル崩壊のパニックが何時起こるかである。 ヘッジもしておかなければならないことも確かだが。 ーー ー9、変化を捉え、そして受け入れなさい。ー ・すべては変化していく。 世界は時とともに変化をしていき、それが重なったのが歴史である。 あるものにとっては開かれていくプロセスであり、あるものにとって閉ざされていくプロセスになる。 変化は触媒になりうる。大きな変化こそ大事なのである。大きな変化は十年単位、百年単位でおこるもの。 ・需給の原理を覆したものはいない。 共産主義は需給に頑強に逆らってきた。需給の原理は経済の教科書の一ページにかいてある。 これに逆らったからソ連は崩壊した。 *上司と食事に出かける健全な理由などないし、ましてやのみに出かける理由など存在しない。 *毎晩のように同僚と飲みに出かけるのは辞めたほうがいい。君の上司はそんなことしない。 だからこそ、彼は上司なのだ。 解)現在の変化は、地球上の半数を占めるアジア人、その中でも中国に火がついたことと、 情報化の大波が世界を揺るがしている!と言ってよいだろう。 ナチ、ソ連など独裁国家がオリンピックを開催すると何年後に体制が崩壊する。 中国も、一度解体するのだろうか。 見ものである。 ・・・・・・・・・ 2007年06月24日(日) 2273, 霊長類オンナ科図鑑 ?1 (★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 中村うさぎ著 角川書店 またまた、 中村うさぎである。図書館で手に取ると、ついつい借りて読んでしまう。 この本は、「こんなオンナはイヤだ!」と、女達への悪口の連続!の内容である。 女の職場で、いやというほど色いろな女族を見てきたが、でも可愛いのが女である。 それにしても中村うさぎが、よくぞ冷淡に女の生態を書きあらわしている。 だから同性に嫌われるのだろうが、若い鼻持ちのならないバカ女!達よ、 少しはこの本を読んで、自分の姿を省みなよ!と心底、言いたくなる本である。 しかし、男の立場で見ても、笑ってはいられない。男と女とかいう境を越えて、人間の滑稽さや、 自己盲目の露わな姿は身に覚えがあることばかりで、自分が笑われているようでもある。 勘違い女に、男の前でだけはしゃぐ女、キティ好き女に、お母さんな女、嘘吐き女、おねだり女、自慢女、 オカルト女、英語自慢女、エコ女、マスコット願望女、媚び女、ボディータッチ女、露出女、謎めきたがる女、 カマトト女・・・などなど、「珍奇なオンナ」という生き物を、うさぎが小気味良く斬りすてている! これら等をふくめ、怒涛の悪口も36連発もある その中から印象的なバカ女の図鑑から幾つか拾ってみよう。まずは一番初めに出てきたー勘違い女ーが抱腹絶倒である。 ーーーー =勘違い女= (字数の関係で中間カット 09年6月24日) ーー 解) 本当に、こういう女を数多く見てきた、数え切れないほどである。 特に、自意識過剰な女子短大出の中途半端な無教養女!(誰のかみさん?) 女って、殆どこういう要素持っているではないか??。メス猿がキーキー「セクハラ~」と言っても、 書いているのが中村うさぎ!だから、文句あるまい。周囲は「この自意識過剰女め!」と不快感を隠しているのに 知ってか知らずか、鼻声で自分だけが女よ?って、面をして。オンナとは、こうも業の深い生き物でしかないのか。 男の愛すべき性質やはかなさもそれはそれで良さはあるが、知れば知るほど良くも悪くも女の方がずっと奥が深いと、 著者は言う。あまりに深すぎるから、大して美人でない女ほど「あたしって美人」と言い放つから奇妙な展開になってしまう。 でも再びいうが、それでも素直で、明るい、品性の良い女性は良い! (○´ω`○)ノ**SeeYou** ・・・・・・・・ 2006年06月24日(土) 1908, 地方経済(新潟)の実態 おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
先日、佐渡出身の人から聞いた話。「佐渡の人口が、自分が高校を卒業した40年前に比べて14万→7万人以下に半減。 観光客も、120万→60万人に激減した」という。40年前(学生時代)に、大學の友人と遊びに行ったことがあるが、 何の印象も残っていない。 「二度と来るところではない島」という印象が残っただけだった。 「ドサ周り」の語源が、佐渡と土佐から来ていると聞いたことがある。 先日の知人の話によると「あの小さな島で200?300の建設業者がいる」という。10〜20でも驚きなのに。 仕事柄か、佐渡だけでなく新潟県の衰退を肌で感じている。冬季オリンピックが終わった時、 長野県が大きな転換期を向かえたが、新潟県も、戦後から続いた公共投資も底をつき、農業保護政策も転換。 急激に衰退し始めている。これは全国レベルでいえることだが、新潟が特にいちじるしい。 ・新潟県の総建設費が10年前の1996年に比べて40?減。 ・公共工事にいたっては10年前の60?減という。 ・談合への締め付けで発注工事の平均落札率の90?まで落ち込み、 今年の1~3月の落札率は80?という。橋梁工事にいたっては60~80?にいたっているという。 地元最大手の福田組は去年の12月期の決算で、156億円の純損失を出したが、 先日の地元新聞によると「新潟市の官制談合の排除勧告を受け入れ」と報じていた。 これは、もう談合をしませんという誓約書になり、もしこれを破れば、公共事業の締め出しを食らうことになる。 二年間、不服を言いたてていた背後には、認めれば談合を自主廃止をしなくては!という背景と、 さらに多額の談合で儲けたお金の一部返済もある。 公共事業が10年で60?減とは、危機ラインを超えている。 本来は、全県の総力で極東向けー環日本海都市宣言をして、物流の拠点を20年~50年スパンで造って こなくてはならないはず。目先だけの公共事業に頼り、時代を見越した都市構想もなく道路や橋だけにエネルギーを 分散をしてきたツケが廻ってきたのだ。あと五?十年もしないうちに、更に大きな衰退が待っている。 そのレベルの政治家レベルしか持ちえなかった新潟県民の責任は大きい! (*^ワ^*)iバイ ・・・・・・・・ 2005年06月24日(金) 1543, 新宿・歌舞伎町の変容
歌舞伎町といえば、1~2年前までは風俗無法地帯であった。 しかし石原知事が『歌舞伎町浄化作戦』 を展開させてから昨年の4月から半年間で、風俗関係を162店、人数にして500人、 暴力団員が200人、それから不法外国人が7百人が検挙されて歌舞伎町の街が一変しているという。 それまでは、日本暴力団とチャイナ・マフィアが仕切る無法地帯に近い状態。 そこで石原都知事が元広島県警本部長の竹花豊を副知事に任命。彼は、「NYはここ10年間で犯罪は減ったが、 歌舞伎町は犯罪が増加傾向にあり、その原因は違法風俗店が増え、その資金が暴力団に流れている」と宣言し、 本格的に浄化作戦に出た。アジア最大の歓楽街と言われる歌舞伎町を、「親子で歩ける健全な街に戻そう」 という動きが本格化した。警察などの取り締まり強化で怪しげなネオンが消え、飲食店舗ビルの看板は虫食い状態。 違法風俗店が続々と摘発され、キャバクラやクラブなどの店舗も相次いで閉店。 歌舞伎町の町内会では、監視カメラを据付てビデオで録画などの警察と共同作戦が効を奏し、売春婦、呼び込み、 前科者、ヤクザ、不法滞在者などが消えてしまった。以前なら客引きに付きまとわれたが、 今では飲食店を含む客引きは一切規制され、ピンクビラは配布するだけでなく、配布用に持っているのも禁止。 「路上のたむろ」さえ規制の対象された。この三月に、北池袋の東横インに宿泊したが、 以前のような怪しげな店や、呼び込みの姿は殆ど見られなかった。 このため、ピンク対象の飲食ビルなどのテナント撤退が進み、不動産の相場が暴落したという。 2007年問題(現在工事中の高層ビルが一斉に完成すると、中小ビルから高層ビルへの移転がさらに進み、 地価暴落の大きな要素になる)が控えていて、どの要素をみても、地価に対してはマイナスである。 それにしても、あの桃源郷?といわれた歌舞伎町が健全の街になるとは! そして地価が暴落するとは数年前までは考えられないことであった。政治の力は絶大である。
・・・・・・・・・・ 2004年06月24日(木) 1178, 哲学についてー9 ー現代の哲学?2
実存主義の大きい影響を受けたサルトルは、たんに優れた著述家としてだけでなく、 劇作家・小説家としても名を知らしめていた。彼はハイデッガーを研究し、最初の戯曲を発表。 また1943年には哲学上の著作として重要な「存在と無」を書き上げた。 彼の言葉に「精いっぱい生きること」がある。「社会が課す規制や規則に反発するのは若者であり、 誰でも『自己についてのあらゆる選択権』をもっている」という、彼の言葉に当時の若者が飛びついた。 現代の哲学を考えると、アメリカのプラグマティズムをあげなくてはならない。 「知識を実践的な活動としてとらえる」考え方である。18世紀後半アメリカが国家として独立すると、 アメリカ特有の新しい文化や思想が生まれるようになる。その後100年かかって優秀な哲学者が ハーバード大学などからでてきた。バース、ジェームス。そしてディーイである。 バースはプラグマティズムを「言葉に表れた意味を確認する手法、意味論である」と主張した。 彼の一主張で「知ることはひとつの行為」であるというのが印象的だ。 20世紀には分析哲学が飛躍的にのびた時代でもある。哲学者の多くは学者や科学者ばかりという背景もあった。 論理分析や言語分析などは歴史的に見ても飛躍的といってよいものであった。 人間の知識の本質に対する徹底的な再検討と分析である。 そして構造主義がうまれてくる。
・・・・・・・ 2003年06月24日(火) 811, 「最良」の敵は「良」である
ある本の冒頭に出ていた見出しである。 ー以下に書き写してみるー
「重要事項を優先すること」は、人生の核心に関する問題といえる。ほとんどの人は、「やりたいこと」や 「やらなくてはならないこと」がありすぎて疲れ果てている。 自分の時間を最大限に使い果たすために、 そのときどき、あるいは一瞬一瞬、行動を決定することは大変なことである。 「良」か「悪」を見分けることは簡単だ。無駄な時間や愚かな時間の時間の使い方なら誰にもすぐに分る。 「良」か「最良」かを見分ることが難しいのだ。「最良』の敵は「良」であることが多いからだ。 あなたにとっての「最良」とは何だろうか。「最良」のために時間を使うことを妨げているのは何だろうか。 それは意外なことに、あまりに多い「良」が邪魔をしている。数多くの「良」に邪魔をされて、 最優先事項を優先できなかったことを、ほとんどの人が後悔するのである。 ・・・・・・ ー以上であるが、「無意識的に小事に取り組んでいるのは、意識的に大事に取り組まないのと同じだ」 と次の項目にあった。 小事が「良」大事が「最良」と考えてみると小事が最大の敵というのが解る。 小事も大事であるが、それにとらわれて大事を見逃すことが致命傷になる。 目先の緊急を処理することが、いっけん大事そうだが、これが敵である。 「最良」を明確にして、真北(北極点)に向かって常に磁石の針を「最優先事項」に向けていなくてはならない。 何かハッとする言葉である。イトーヨーカドウで「ヘドロー売れ筋外れ商品」の仕入れ原因を調査した。 ーそれがなんと売れ筋商品の品切れをカバーする為に仕入れた類似商品だったー売れ筋を 最良とみて、次善の商品を入れたつもりが、最悪の事態を呼び寄せてしまった。 少し意味がそれたか?人生そのものであると同時に、すべてに当てはまることといってよい。 今の日本の姿といってもよいだろう。自民党旧守派が常に「足して二で割る」政策をしてきたことが、この「良」といえる。 日本をここまで追い込んだのは醜悪集団が「良」の選択をしてきた結果である。 単なる利権集団屋さえ気がつかない低俗国民に問題ありだが。最良の「敵」が「良」とは、もっと早く気がついているべき! 気がついているほうであったが、それは「良?」の人に比べてか。 最良じゃない自分がいう権利はないか? しかし真北の選択という面で最良は選ぶことはできたはずだ。その都度真北を見てきたつもりであったが、どうであろうか。 私が意識的にー敵(良)としてきたことは俗に言う「世間様」である。 それでも一言で「『最良』の敵は『良』である』とずばりいってのけるとは!
・・・・・・・ 2002年06月24日(月) 447,内面処理の仕方ー心の自己処理
昔から自我の強い性格「プライドの高い性格=コンプレックスの強い性格」でいろいろ行き詰まりなどあった? それなりに乗り越えてきたのは「最後は一人」ということが実感で解っていることもある。 行き詰まりとかトラブルがあった時の気持ちの処し方で ・一番手っ取りはやいのは、辛らつにその内容を紙に書く。自分の気持ちと事象を、とことん書き連ねる。 ・それでもどんどん出てくる気持ちの混乱、それをとことん書く。 ・脳内に出てきた言葉を全部、書き出す。もう出てこなくなるまで書く。 ・その内容を読み返す、そして更に書く。これを繰り返すと、幾らでも出てくる、それを書き尽くす。 ・それをきっちりまとめて、最後は破って捨てる。 ・そしてその全てを袋に入れて紐で縛りつけ、心の奥にしまっておくイメージを繰り返す。 その時は残るが、時間が経つと全く内面から消滅する。「割り切」を合理的にしていることになる。 それを中途半端にすると後に残ってしまう。 あとは時間が全て洗い流してくれる事を信じる。 その時間の見積もりをする、これは一年、三ヶ月と、最近は誤差がない。一番辛いという、連れ添いの死も三年という。 般若心教を暗記してあるのも良い。全ては宇宙の出来事の些細な出来事でしかないことが自己確認できる。 般若心教は憶えておいた方がよい、心の保険としても。
・・・・・・・・ 2001年06月24日(日) [62] あと2週間
あと2週間で北欧ロシア旅行だ。まだ実感がわかないが、かなりハードな旅行になりそうだ。 南アフリカやシルクロードからみれば、半分ぐらいだろう。このコースはやはり外せないコースだ。 ペルーにいった時、同行の人に「旅行道という言葉があるならインドは絶対外せない」 と言われて、インドに行ってみて納得したが、このコースもそれに近い何かを直感した。 それが当たっているかどうか?「12日で5カ国、バスあり飛行機あり船ありだ」毎日が面白そ
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2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * ハロー効果の意味とは?
ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、 【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての 評価が歪められる現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、 ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、 後光効果、光背効果とも呼ばれる。 例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、 人格的にも優れてると思い込んでしまうケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品や サービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。 それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、 実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】 ーー 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。 周囲を弟子に囲まれ、これから大一番に向かう冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことがあるという。 といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」というだけのこと。 ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。 この認知バイアスを利用しようとカリスマを演じている人もいるが、 ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も似たようなもの。 目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。 宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。 そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的人物を演じるのである。 そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段差に唖然とする。 世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、ハロー効果を狙うのは当然のこと。 そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿しくなってきている日々であります。 ‘ 達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線 ’ で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味! 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、誰も疑わなかったことによる。
・・・・・・・・ 2637, ロードサービス、初体験! 2008年06月23日(月) ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは! ー半ドアでバッテリーが上がるー 昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。 バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 ・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。 前なら行きつけのガソリンスタンドの電話をして来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、 そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。 ・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。 ・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりに くるわけがないと独り言を言っていると、家内が駄目もとと、電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でもやってみるものである。 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 カードのロードサービスは、それぞれの地区の自動車修理の業者と契約をしていて、 電話をすると、20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。 今回、観察をして解ったことだ。 電話をしたしたところ、「○○自動車修理というところが、 20分後に伺います」と言う返事であったことから、理解したこと。 宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという昨今、 これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよいものである。 バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。 その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。 ゚Д゚*)ノ⌒バイ! ・・・・・・・ 2007年06月23日(土) 2272, 漢字は、一字で、詩やねん (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯ ー 榊莫山 の名言ー
漢字は、一字で、詩やねん。 字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。 山、川、木、森、すでに、字そのものに、絵と言葉の合体がある。 室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。 それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、 なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ... ーー 「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である! 「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、 この言葉を重ねると何とも言いえて妙である。 その物語のテーマという名前を両親が 愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生をかけて演じるもの! 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。 墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。 一人一人物語と深い経験を持っている。 そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男! 私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った? 八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか! o(*・ー・)〇"ぐっ♪o(*・▽・)ノ"ばーい♪ ・・・・・・・・ 2006年06月23日(金) 1907, エピソードで読む西洋哲学史ー2 。・∀・)ノ゙オハヨウ! ー読書日記 この本の中にフランスの教育事情があった。 日本との違いに驚いたが、これでは不法移民が暴動を起こすのも解らないでもない。 自由・平等・博愛を標榜している仏国をエリート教育システムからみると、徹底的な差別国家とも受け取ることができる。 (エリートは、選抜された人である。その背後には振り落とされた人が多く存在している) 自由、平等、博愛はエリート社会の仲良しクラブ内だけの合言葉でしかないのか? 「有得ないからせめて努力しましょう」ということだ。北朝鮮のように、漫画的な奴隷制度が残存している国から みればまだよいが。優秀な人を選んで徹底的に教育しなければ国は成り立たないのも事実。 ーー P・310 高等師範学校(エコール・ノルマル・シュぺリウール)、 これがフランスの知識人世界を理解するキーワードの一つである。 フランスの高校生は大学に進学しよう思えば、 ・バカロレアと呼ばれる全国統一テストを受ける。 ・これに合格すると大学入学の資格を得て、基本的にどの大學にも進学できる。 ・フランスでは大學の授業料はタダ、無料である。 現在のデータでは、ソルボンヌ大學の場合、年間二万円少しの「登録料]]を払えばよい。 基本的には欧州の大學は、フランスでもドイツでも、授業料はタダ。 この点がアメリカとは基本的に違う。(アメリカは年間250万円が相場) 欧州は大學授業料がタダなので、私立大学は殆ど存在しない。 しかし、フランスのエリート高校生は大学には進学しない。 ソルボンヌ大學なんか行かない。 何処に行くか? 高等専門学校(グランゼコール)を目指すのである。高等専門学校には様々なものがあるが、 パリの「高等師範学校」は超エリートコースなのである。フランスの高名な学者の多くは、たいていここの出身である。 哲学や文学だけでなく、物理、生物、化学、数学、情報科学などのコースもある。 しかし大學と違って、高等師範には入学試験がある。昔のエリート度はアメリカのハーヴァード、 イギリスのオックスフォードを問題にしないほどであったと言われている。 フランスは「自由・平等・博愛」というが、(それとも、そのためか)徹底したエリートコース支配の社会であり、 官僚支配国家である。高等師範、国立行政学院、理工科学校といったエリート専門学校の卒業生がフランスの政界、 財界、学界を仕切っている。そういうわけで、卒業生のネットワークがとても強固である。 イディオロギーに関係なく、お互いに助け合うということになる。 当然、高等師範の入学試験は難しい。超難関である。普通に勉強しても受からない。 そこで優秀な高校生は高等師範のための特別クラスに入り、二年ほど勉強をする。その中のごく少数が入学できるのである。 高等師範の授業料はタダである。タダどころではない。そこの学生は公務員待遇で、月に20万円の給料が 4年にわたって支給される。もっとも、高等師範の学生の大半は、上流階級の子弟である。 彼らは、特にサルトルなどはソルボンヌ大學の学生や教師などを見下していた。 サルトルは、「彼らは完全な人間ではない」と思っていたと、告白している。 どこであっても、つねに特別扱いされる、またそれを当然と受け取る、それがフランスのエリートの世界。 ーーー これを読んでいるだけ腹が立ってくるが、日本でも霞ヶ関では、そのままの世界が存在している。 東大、京大、慶応、早稲田と色分けをして、高級官僚のエリートの世界で選抜されて、 特別扱いをされて、本人達も当然として受け取って。 利権を貪って。 日本では、フランスほど露骨でないだけ! 天皇制とは、そういうことだ。 官僚からみたら、こんな都合のよいシステムはない。 しかし情報化社会は、それらを含め根こそぎ破壊し始めている。 i*^ワ^*)iバンザイ つづく ・・・・・・・ 2005年06月23日(木) 1542, バージン島にオフショア会社設立?
一昨日、取引先の保険会社の社長が、「面白い人を連れて行くから会ってくれないか」という電話が入った。 何回か、その面白い人?の話を聞いていたので、気楽に会うことにした。 菊池ファイナンシャルグループ代表の菊池重喜氏という人である。持ってきたパンフレットによると1966年にカナダ移住。 現地で、伊藤忠商事カナダ、サンライフ生命保険を経て、1980年に保険会社の菊池ファイナンシャルを創立、 2000年には現在の菊池ファイナンシャルグループを創立をしたという。 彼の話の要点は、 ・日本そのものが危ない状態に入った、 ・AAA格付けのカナダ国債・アメリカ国債をオフショア金融センターで購入しておけば資産が安全に育ちますよ! そのお手伝いが、彼の仕事である。今までは、海外のオフショア会社の設立など、全く別世界に思えていたが 手軽につくれるという。このサービスは、日本にいながらにして、国際的オフショア金融センターである 英国領のバージン諸島において、オフショア会社の設立が可能となるという。 それにより、法人・個人の合法的節税対策に有効な手立てをこうじることが可能になるとのこと。 その設立費用は3000ドル、年間会計監査費用として、1500ドル必要とのこと。 最低ロットが2500万円という。決して胡散臭くはなさそうだが、解ったような解らないような話ではあった。 私の感想として、彼はアメリカが絶対に大丈夫といっているが、その前提の上でアメリカ国債の買いを勧めている。 果して「今後10年~20年以上、アメリカが大丈夫!」かに対して、非常に疑問を感じる。5年すら疑問である! 彼があげていたアメリカが大丈夫という理由 1、軍事力が絶対的に優位 2、ドルが主軸通貨 3、英語が世界共通語である 4、金の保有量を世界で25パーセント保有 これが果たして絶対的な理由になるだろうか?奇麗事の言葉の羅列でしかない!という仮説をたてると、 同じくらいの反対理由が成り立つ。信じるかどうかだが、私は信じない! 半分恐喝的に、アメリカの国債を日本政府が買わされているのは、周知の事実である。 それを肯定することと一緒である。それと同じことを奇麗事で個人に勧めているに過ぎないのではないか? 彼が勧めているはカナダ国債だから、少し話は変わるが。ただ、オフショア会社の設立をして、その利益を プールしておくのは、日本の個人国債を買うことから比べたら、リスクは少ないし大きなヘッジになる。 金融のグローバル化をまさに地でいっている事例としてみれば参考にはなる。 金(きん)を買って、銀行の貸し金庫に入れないで(銀行閉鎖の場合、金庫も閉鎖されるという)、 民間の貸し金庫に入れておけばよい話だ。自己責任とは、恐ろしい時代である! 紙幣も国債みたいなものだが? 金融のクローバル化の一現象! まだ私の頭が固いのか、それとも? それほどの余裕がないから、どうでもよいことだが!
・・・・・・・・ 2004年06月23日(水) 1177, 「物語の主人公になる方法」ー読書日記
人生は一冊の小説のようなものというが、図書館でいつも見ているコーナーに 新たに新刊本が追加されてあった。さっそく借りてきて読んだが、実行しやすい手順が書いてあった。 若い人が読みやすい内容だ。人生ではそろそろ残された人生劇場の幕間もいくつかしか残っていない現在, 物語にどう落ちを入れていくかという面を考えていたので非常に参考になった? 以前、ミッション・ステートメントで粗筋は書いてはあるが。 誰も人生において自分の人生の主人公であるが、「物語を作家になってつくって、その主人公を自ら演じる」ことを勧める 自己啓発的な本であり、岡本太郎のように「生活はアートだ!」と唱える人生設計本である。 あまり考えずに日々を暮らして、その結果に対してストーリーを自分の都合の良いように修正するのが一般的だろう。 具体的手順として 1、まずは作家の誕生?あなたの内なる作家を呼び覚ます。 2、そして作家としての心構えをこと細かく書いておく。 ー駆け出し作家が決して忘れてはならないことや、空想世界の番人であることなどをー 3、作家はそれまでの過去と訣別する? それにとらわれと平凡な物語になってしまう。 4、暗示の影響力を意識をして構想を立てる。 第一の診断?主人公の現状を把握する 第二の診断?お望みの主人公をイメージする 第三の診断?主人公の十二大特性をチェックする 第四の診断?不良プログラムを削除する 物語の主人公になるヒントは3つある。 ・1つ目は、「自分のライフスタイル、その判断は良し悪しではなく、自分が満足すること」 それが、スターティングポイントであると。 ・2つ目は、「家族や周りの言うがままの人生、受動的なライフスタイルでは面白くないこと」 ・3つ目は、「人生はひとつの物語です。自分の物語を作って、その中で主人公を作って、 自分の日々の満足度をパーセンテージを出すこと」 人生は自作自演の人生劇場であり、特に大事なのは自分の中の作家としての能力である。 そこで忘れてならないものは、人生に何が必要かという冷徹な目。人生が自分に何を求めているかに気がつくことだ。 この本の著者は、そこまで到達していないが人生設計を構想するには解りやすい内容である。 ーーーー 「物語の主人公になる方法 」 著者/訳者名 : パトリス・ジュリアン/著 長岡中央図書館 2004年06・21日 ・・・・・・・ 2003年06月23日(月) 810, 「ありがとう」の言葉ー5
最近は殆んど見られなくなったが石油スタンドが完全自由化になる以前は、まだ石油の価格が暗黙のうちに 規制されていた。その際の、ガソリンスタンドの差別化として、お客の車に対して深深と頭を下げるのが 流行っていた時期があった。 30年前に千葉市の千城台で「養老の滝」を始めたとき教えられたのが、 「お客の後姿に頭を下げろ」であった。帰ったお客ではなく、店内のお客に対して見せる為だ。 (字数の関係でカット09年06月23日) ・・・・・・・・・・ 2002年06月23日(日) 446,喧嘩のコツ
・まずは先手必勝、なんでもそうだが ? 王手・飛車より、先手が怖い ・相打ちを狙う。 ー但し、相手よりより力を込め、弱点を狙う 自分が傷つくことを恐れて腰が引ける、やるなら相打ち ・逃げ道をつくっておくー 引き際を見つける 相手の逃げ道もつくるー窮鼠猫を噛む ・短期決戦ーこれも鉄則 ・大義をつくっておく ・時には捨て身でも ・長期に喧嘩か短期で戦法を変えるー見際めをする ー長期戦は江戸の敵を長崎で討つ方式 こういう奴の在庫がいっぱいある、男社会は仕方ないが。その前に殆んど自滅していくが。 喧嘩はしない事だ、但し仕方ない時は全力ですべきだ。 事業は見方を変えれば喧嘩そのものだ。事業は弱い相手を探して叩けばいいが。 子狐がけっこう喧嘩を売ってくる、仲間内に自慢か話題つくりか箔付けの為に。 その場合けっこう面白がってやる。生理的に楽しくかつラインが作れるからだ。 エネルギーのロスだが、長期戦にすぐ切り替える。長期戦の相手は徹底的に蔑視する,内面から消滅するまで。 おかげで人間関係で悩むことは少ない、割り切れるからだ。
・・・・・・・・・ 2001年06月23日(土) [61] 小泉総理メルマガの紹介 らいおんはーと ? 小泉総理のメッセージ] [大臣のほんねとーく] ● 私がタケノコ医者であったころ(坂口厚生労働大臣) 藪医者に至らない医者のことをタケノコ医者という。私が大学院の在学中で、 衛生学を学びながら一方で小児科臨床を1年半ばかり研鑽したある日、上司の助教授に呼ばれた。 「宮川村は三重県一の短命村、その調査に一年ばかり行ってはどうか。」行ってはどうか、は「行ってきたまえ」 の命令に等しい。 平均寿命35歳の短命村へ、結婚間もない私でしたが、妻を残したまま、赴任した。
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2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。 確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか 注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。 書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、 紺屋の白袴で・・・・? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。 ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
・・・・・・・ 2006/09/24 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。 5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをすることがなかった。 痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。 マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。 マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。 亡くなって一月後になって、「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。 両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。 戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。 第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・ ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。 この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、 断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ 転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、特に虐めがいったという。 それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく さて墓参りだ! ・・・・・・・・・ 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火)
1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると 約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。 あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた (書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、 実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が 間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。 会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに 見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。 いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。 そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。 スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。 それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。 書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。書き続けることは、書き重ねることになる。 書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。 深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、土日を休むとかして、今のエネルギーを 半分にしようと思っている?このまま続けると、ある日突然「や?めた!」ということになりそうだ。 千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。 来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に切り替え集中しなくてはならない。 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。 先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌に載っていた大前研一のレポートによると ・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており ・10年前の調査では、若い女性は通勤用、デート・レジャー用、結婚式やパーティー用と、 シーンを三場面に分けて、一万、二万、数万円の予算だった。 ところが5年前ほど前から、通勤とデート・レジャー用を兼ねた提案のメーカー、ショップに お客が移動するようになった。 更に最近は、全身で1万円でコーディネートできる H&Mや、 ユニクロなどに殺到するようになった。その上に、LA発のカジュアルファッションチェーンの 「フォーエバー21」などが次々に進出してきた。 百貨店は、20年以上も衰退傾向にあったが、若い女性のファッションで凌いできたが、 それも時代の変化についていけなくなってしまった。 ・大前研一は、「もし百貨店の建て直しを依頼されたら、大家との契約を解除をして値段を下げてもらい、 テナントにユニクロ、H&Mなどのテナントか、アウトレットのテナントに入れ替える作戦に出る」 と提案をしている。 家具はニトリや東京家具、電器製品は山田デンキやビッグカメラ、紳士服は青山、アオキになどに 侵食され、最後の砦も欧米の格安のファッション店に攻撃され、瀕死の状態。 その前の40年間は、ジャスコやヨーカ堂などの総合量販店に叩かれてきている。 そのジャスコやヨーカ堂も、専門チェーン店に侵食されて衰退傾向に入ってしまった。 日経新聞も、地方百貨店の減収を取り上げていたが、総じて10〜20パーセント減で深刻な現状。 本来の百貨店の役割はファッションなどの情報の先取りを売りにしていたが、 情報化社会ではネットやTVで、安易に収集が可能になってしまった。 自己存在の意義が無くなったしまったということ。 大丸が松坂屋を、伊勢丹が三越を、高島屋が阪急と阪神を、ヨーカ堂が西武とソゴウを救済合併。 目先を凌いでいるが、この合併効果も何時まで続くかである。 全ての業種で根こそぎ、存在意義を問われている。 正体は本格的情報化社会の到来。 既存の価値観、そして体制が適応出来なくなってきたのである。 動乱の世である。
・・・・・・・・・・ 2635, 娘に贈る12の言葉 ~4 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記 ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー ・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。 哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。 「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」 と考えられていて間違っていたことを、振り返ることである。 その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ調べて欲しい。 ・誰も考えないことを探す。 →多くの投資家が考えないことは何だろうか。 →「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。 →弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。 ・こんなふうに考えてごらん 歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く 解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。 経験の裏づけができた為だろうが、それにしても面白い。 特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。 先日から「子どものためのカント」(フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。 哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー ・君の世代では英語についで重要な言語となる。 ソ連が 74年間の共産主義だったが、中国は厳密の共産主義は30年間だけであった。 ・中国株を買おう。中国株を買わないことで有名だったウォーレン・パフェットまでが、 2003年にペトロチャイナの株を買って、その後も保有比率を増やしている。 解)20世紀初頭のアメリカが、現在の中国に似ているのではないだろうか著者は述べている。 成るほど、北京や上海の林立しているビル群をみると、肯けるが。 僅か20年もしないうちである。
ー 7、歴史を勉強しなさい。ー ・大局をつかむこと 歴史を学ぶことを通じて大きな視点で世界の変化を捉える。 「歴史は繰り返し、人類は常に変わらない。」 ・一見、目新しいこと それは歴史の中で繰りかえし起こっている。 今までに世界で何が起こって、何が起こらなかったか、しっかりと学ぶべき。 解)パール・バックの「大地」を学生時代に読んだことを思い出した。 中国の王一族の何代もの栄枯盛衰の壮大な物語である。 中国には、数千年の歴史が背後にあるから、その底力は計り知れないのは解る。
・・・・・・・・ 2007年06月21日(木) 2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと! ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』 という本に、「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。 二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いたばかり。 東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、若者は東京志向になるわけである。 感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。 地方の場合、地価が安く家持比率が高いので、そのまま生活レベルが半分とは言えないが・・ 東北6県の人口が1200万人というから、東京都の人口と同数である。 それが、これから28年間で23?減になるが、東京都は微増。東北地方以外の全国の他の地域も似たような傾向。 首都圏には全国の人口の三分の一近くが住むことになるが、この28年間に関東から東海地区にかけては、 大地震がおこる可能性が80?以上! 神様は微妙なリスクを置いている。その辺が何とも可笑しい! まずはーasahi.com の記事からー ーーー 2035年、45道府県で人口減少 秋田は65歳以上が4割 =2007年05月29日 (字数制限のためカット 09年06月21日)
・・・・・・・・・・ 2006年06月21日(水) 1905, グーグル Google ー10 おっ w(゚Д゚)w ハァョ? ー読書日記
この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深いのである。 早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない! お客の立場からのセンスが無いのだろうか? この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。五章の要点を抜粋してみる。 ーーーー 第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識されてなかった。 だからGoogleも当初は「今さら検索エンジンじゃ、儲かるわけがない」とみられていた。 ところがグロスという男が、検索に使われるキーワードに大変な価値に気が付いたのである。 そしてこの価値をキーワード広告という広告モデルに昇華させたのである。 このキーワード広告はそれまでのダメなインターネット広告を一掃し、「良質な広告」としてクライアント、 ユーザーの双方から絶賛され、受け入れられた。そしてグロスのキーワード広告はこっそりとグーグルによって真似られ、 アドワーズという広告としてスタートした。アドワーズはやはり巨大な収益を上げるようになって、 一時の苦境から完全に脱し、マイクロソフトやヤフー、インテルなどと肩を並べる巨大IT企業へと変貌した。 そしてアドワーズで急成長したグーグルは、2003年には新たに広告サービス「アドセンス」を投入した。 「アドセンス」は、個人のHPなどに広告を配信するサービスだ。 HPを持っている人がアドセンスに申し込むと、広告がグーグルから送られてくる。 その広告を自分のHPに貼り付けるように設定しておくだけで、広告は新しいものに自動的に更新される。 画面の端に比較的小さな文字で、「動画配信サービス」「クリエーターのお仕事情報」 といった広告が表示されている。これがアドセンスである。 こんな小さな広告が効果あるのかというが、これにグーグルの驚くべきノウハウがふんだんに使われている。 HPのコンテンツにあわせて、その内容と関連の高い広告を表示する仕組みになっている。 例えば、自動車について書かれたブログであれば、自動車のディーラーや自動車用品店の広告が表示される。 アジアンリゾートについての旅行マニアが書いたHPなら、バリやブーケットの格安ツアーの広告が表示されるわけだ。 この関連付けはグーグル得意の計算式によって全て行われて、人間の手は一切介してない。 驚くべきことに、この小さなアドセンス広告も圧倒的な広告効果を生み出した。 そして膨大な収益を、グーグルにもたらしたのである。 アドセンスは、アドワーズに近い売上高をあげているとみられる。 つづく (*^ワ^*)iバイ ・・・・・・・ 2005年06月21日(火) 1540, 「人を動かす」ー2 ー読書日記 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。 人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。 会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。 (世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。 数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!もしかしたら、自分も?) 誠意を持って相手の話を聞くことは、「人からして欲しいことを、まず自らなせ」 の実践である。少しまともな営業屋なら当然身につけている。 接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。 まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。 それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。 しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」ことにもなりかねない。 会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、 対話術は身につけていない。 この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、 誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。 しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。 人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。 ーーー ーあるHPより抜粋ー 人を説得する12原則 1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。 ・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。 議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。 相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。 ・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、そのうち一人はいなくてもいい人間だ。 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。 ・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。 ・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。 冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。 あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。 ・腹を立ててはいけない・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが決る。 ・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。 逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。 相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、愚の骨頂である。 ・意見が一致する点を探せ・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。 ・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。 それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。 ・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。 だから、相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。 そうすれば論敵を味方に変えることができる。 ・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。 ーー 2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。 ・人に物を教えることはできない。自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ) ・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。 わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。 これで議論が収まり、相手も寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、 自分も間違っているかもしれないと反省する。 ーー 3.自分の誤りをただちにこころよく認める。 ・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。 そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、こちらの誤りを許す態度に出るだろう。 ーー (以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
・・・・・・・・・ 2004年06月21日(月) 1175, 哲学について ?7 ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。 18?19世紀にかけて古代ギリシャに匹敵するほどの哲学がドイツを中心に発展する。 その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学と経験主義哲学を統一させた。 「人が経験することができるのは、身体的なあり方によって枠組みをされており、 その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。 盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能である。 人間の理解は、その持っている機能の範囲内に限られる。 カントの文章は非常に深遠で難解で、理解することが非常にむずかしい。 カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに豊かなものになっていく。 ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。彼は「現実世界のすべてとその歴史を、精神的なものが発展していく姿」 と考え、世界と現実は自己認識に到達するための歴史的プロセスと考えた。 その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。 マルクスはヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。 ニーチェはあらゆる既存の道徳を攻撃した。彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。 当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒キリスト教の教えが土台になっていた。 しかし当時は、その信仰心が薄れていて、自らの価値観を求められていた。 その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。 この頃の哲学者が生み出した思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。
・・・・・・・・・ 2003年06月21日(土) 808, 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。 そして残されたものが、如何にもならなくなった時がきた時に封筒を開いた。 その中味には「何とかなる!」 と書いてあったという話が残っている。本当かどうか解らないが、一休らしい逸話である。 先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。 さてと心トキメイテそこをみて驚いた。 常に「大丈夫!」といい続けることだと。 何か肩透かしを食らったようであったが、納得した。 言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。 それも女性なら尚のことである。 最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死ではなくなる。 あるのは「死」に対する恐怖である。だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。 何事も90数?が、あくまでも不安という恐怖心でしかない。 話はそれるが「女にもてる法」といえば、九州の学生時代の友人が新潟に遊びに来たときの話である。 彼は長崎で飲食店を数軒経営しているのだが、女性が大好きだという。 そして、女にもてる話が始まった。実際にもてるのだろう、なかなか含蓄があった。 ー我われ中年はそうでなくても若い人から見たら脂ぎっている。 それを自覚して「演技でよいからポヨーンとして、女には全く興味がない ようにしていなくてはならない。それで普通の状態に見られる。」 なるほど一理があるが、勝手に持てているのは自分だけ信じているのが面白い。 経験的にみると「お前は女に持てるだろう!」というと、殆んどの男が舞い上がってしまう。 そして「如何に自分が持てているか」の自慢話が始まる。誰かに実験してみたらよい、罪のないジョークとして。 少しアルコールの入っている状態で、誠意を込めていえば大部分の男は舞い上がってしまう。 挙句に「お前はもてないだろう。ケチで口が悪い上に・・・」と始まる。 ほっとけバカと思うのだが「もてるのもてないは苦労の結果だろう」というのが持論だ。 もてない男のいい訳か。これも男の永遠の課題だろう。 テーマが変わってしまった。この不況の中、今度は「ありがとう」だけでなく、 「大丈夫」を呪文のように唱えるか。 今さら、どうでもよいか?
・・・・・・・・・・ 2002年06月21日(金) 444,面白い話ー本?? http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html 「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。 子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて 「海外旅行に出たい」という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。 オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、有給休暇を条件に引きとめる。 そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容であったー本もホームページも。 そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、さらに講演を続けている。 それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。 こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、良いのではと思った。 http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/ http://www.melonpan.net/tatsu/ http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php
・・・・・・・・・ 2001年06月21日(木) [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ
富士総業の小竹さんより3dのホームページのモニターという 話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。当たればおお化けする可能性がある。 デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。7月1日を楽しみにしているが凄い世界に入ったものだ。
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2009年06月20日(土)
「世界は感情で動く」 ー3 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー * 他人に厳しく、自分に甘く
我われは「感情のトラップ」にはまっていることは自覚をしていたが、それを一つずつ解明している本である。 前に「ピーク・エンドの法則」を取り上げてみたが、今回は「帰属のエラー」について取り上げてみる。 17章の「他人には辛く、自分には甘い?帰属のエラー」である。 ーまずは帰属のエラーとはー まわりに起きる社会的事象や、自分や他人の行動の原因を推理・推論することを「帰属」あるいは「原因の帰属」という。 それを理論化したものが「帰属理論」。 下記のような、色いろなエラー、ゆがみなどを「帰属のエラー」という。 1. 知覚的に目立った情報・刺激に左右されること。 2. 他者の行動に対しては性格・個性などの内面的要因を重視する。 3. 自分の行動に対しては極めてポピュラーで普通の反応であり、 普通とは違ったとすれば状況、なわち外的要因が異なったと思い込むこと。 4. 自分が成功すると、自分の内面に理由があり、失敗すると外部に要因を求めること。 こうしたバランスの取れない判断は、とても奇妙な結果を生むこともある。 2,3に関しては誰でも身に覚えがあるだろうし、他人の失敗は、元々あいつは、そういう奴だと非難するが、 自分が失敗をするとタマタマ失敗しただけと、自分に言い含めてしまう傾向がある。 「期限を守る」ということにかけては、自分の能力に信頼を置いているし、「期限を守る」他人の能力は高く評価する。 でも、自分が期限が守れなかった場合は、「めったにないほど大変な事情があったからだ」と言い訳をしたりする。 しかしながらその事情とやらは、距離を置いて眺めたり、他の人に当てはめたりしてみれば、少しも例外的なものでなく、 どこにでもあることだとわかる。 かくして、「期限を常習的に守らない人の言うことは信用するなかれ」 という帰属のエラーにひっかかる。 -- 「世界は感情で動く」というより、「世界は気分で動く」という題名の方が適切ではないかと読み込むほど思ってしまう。 気分で90パーセントは動いているのだろう, 人間は。だから、それを如何に隠すか、目立たないように勤めなければ ならないのである。 人生をふり返ってみた時に、そのことが鮮明に見えてくる。 それほど人間は理性的ではないのである。 特に人間は他人に厳しく、自分に甘くなる。 そういう人は、評論家に向いている。特に引退した野球の選手に、それが露出して見える。 思わず、「それほどの選手だったの?」と言いたくなる評論が度々である。
・・・・・・・・・・ 2634, 娘に贈る12の言葉 ?3 2008年06月20日(金)
ー 2、大好きなことに情熱の全てを注ぎなさい。ー ・何かを始めるのに年齢なんて関係ない。好きな道を歩みなさい。 ・素晴らしい人生を歩むためには「お金をもらえなくても、やりたいことをやるべきだ」。 ・細部に注意を払えるかどうかが成功と失敗を分ける。 →大半の人が成功できないのは、限られた範囲の、不十分な調査しかしていないからだ。 →徹底的に調べる。それによって初めて他人よりも多くの知識を得ることが出来る。 →大変な労力を要するが、そのステップこそが人に差をつけられるところだ。 →情熱を傾けられることに打ち込みなさい。 私は中国に価値があると「思っている」のではなく、中国に価値があることを「知っている」のだ。 I thinkではなく I know なのだ。 ーー 解)「好きこそモノの上手けれ」 「好きと嫌いじゃ どれほど違う 命ただやる ほど違う」 自分が好きなことを、早めに見つけること。 ーー ー 3、常識はそれほど常識ではない。 ー ・ほとんどの常識は間違っている。 危険な場所には誰も行きたがらないし、投資もしない。 →だから全てのものが非常に安い。 ・新聞だって、そのまま信じてはいけない。 →時にはジャーナリズムが大衆をミスリードすることもある。 人口の半数以上の知性は平均以下だということを覚えておきなさい。 ?? 解)そのことをどれだけ知っているかどうかである。 大衆と違った視点で投資先を探せ! ということ。 ことあるごとに「定説」を連発していた教祖様がいたが。 ーー ー 4、世界を自分で見ておいで。 ー ・「イギリスだけしか知らないものに、イギリスが本当に理解できるはずがない。」 →他を知ることで、他から眺めてみることで観察は深まる。 世界を視野に入れなさい 世界市民になってくれ。 ・BRICsの重要性を理解するんだ。ブラジル、ロシア、印度、中国などだ。その中で、特に中国が重要。 解)知れば知るほど、自分が何も知らないことを知るからだ。 それと自分の世界の小ささを。
・・・・・・・・・ 2007年06月20日(水) 2269, 家は大事である *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 隣家が4年ほど前に新築に建てかえたが、日毎に家庭が明るくなっているのが、 手に取るようにわかる。 「家は大事」とつくづく感じる。何か家によって家族のあり方が変化するようだ。 「人間の器は育った家の器に大きく左右される」と聞いたことがあるが、その通りである。 家はその天井の高さと、居間の広さがポイントになる。更に大事なのが、「風通し」と「太陽」と「湿気」の三つである。 家には家相があり不幸が続く家があるが、実はさっきの三つが起因している。太陽が当たりにくく、風通しが悪いため、 湿気がたまり、さらにトイレも一番目立たないように作るため、健康に良くない家になり、それが不幸を招いてしまう。 怪しげな宗教家が勿体なぶって、家をみて家相を講釈をするが答えは簡単。 日当たりと風通しと、天井の高さと便所と排水を見れば誰でも分ること。(知らないから、彼らの餌になるのもある) 短期間にマンションに住むのは仕方ない場合もあるだろう。しかし、風通しのよい、日当たりの良い、 大きなリビングのある一軒屋に住むのがベスト。怪しげなマンション屋のマンションなど、住むこと自体が緩慢な自殺である。 新築の場合、素材から出る毒は人体に良いわけがない。できれば、日本が長年つくり上げてきた数奇屋づくりの家が理想。 面白いもので、家をつくりかえると不幸が続くケースが多い。 身体が、家に馴染まないために健康を害するというが、あれ建材などが発する毒素が原因じゃないか? 家は肉体に似ていて、住む人の魂の器といえる。 乗り換えがきくか、きかないかの差があるが。 グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ ・・・・・・・・・・ 2006年06月20日(火) 1904, グーグル Google -9 ー読書日記 おっ w(゜Д゜)w ハァョ? 「ロングテール」に関しては、『ウエブ進化論』の中に詳細があったが、大事なキーワードである。 情報の劇的なチープ化と、検索社会の象徴的な現象である。 私自身も図書館で気にいった本で、 既に廃刊されている本をアマゾン・コムから数分の一で買ったことがある。 以前なら有得ないことである。 この書の、めっき工場や羽田の駐車場は、ロングテールのアマゾン以外の卑近の事例として参考になる。 ーー 第四章 めっき工場が見つけた「ロングテール」
パレートの法則という理論があり、広くマーケッテングに応用されてきた。 「20対80の法則」という名でしられている。20?の商品群が、80?の売り上げをつくっているとか、 20?の富裕層が、世界の80?の富を独占しているという法則だ。 最近になってオンライン書店の「アマゾン」が、この法則を覆してしまった。 アメリカのアマゾン・コムの売り上げの半分以上が、販売部数ランキングの 4万から230万位までの本の売り上げをあげるようになったのだ。 リアル書店では在庫をもてない「売れない本」でも、インターネット上に リスティングするコストはほぼゼロだから、230万点の書籍を扱えるのだ。 しかも売れない本は競争が無いから、利幅も大きいという良いことずくめである。 このロングテール現象は、特にデジタルコンテンツのネット流通において 顕著に現れる。アップルのiTMSでの音楽ダウンロード総数が3億曲を 越えたが、取り扱っている百万曲以上のうち一回もダウンロードされなかった 曲は無いらしい。ここでもロングテールは長くなっており、 大ヒット依存のリアル世界とは全く異なる経済原則で事業モデルが成立し始めている。 これと同じことをメッキ工場がはじめたのである。 ネットから、大手のメーカーから、携帯電話のパーツのメッキの仕事が 舞い込んできた。また「個人メッキ市場」という尻尾を見つけた。 一般消費者向けのメッキサービスをスタートを始めた。 それ専用のHpを開設したのである。その名を「必殺めっき職人」という。 羽田の民間駐車場や、このメッキ工場のようなニッチな顧客と、 キーワードで簡単に広告が打てるようになった。これが世の中を根底から変えようとしている。 つづく (*^ワ^*)i バイ ・・・・・・・・ 2005年06月20日(月) 1539, 秘境探検家の「幸福論」?2
この二人の会話には抽象的でない「実感としての幸福感」が伝わってくる。 真・善・美とは何か? 人間は如何あるべきか? 人間は何が可能か? など難しい話はない。 大自然の中で、ただ自然の中で生き、死んでいく未開の地の人々の純粋な生き様のなかに、 人間としての原点の共通点を見つめている。 ーーー ー関野 ・・・ほとんどの日本人は、本当は景気が悪くて困っているんじゃないよ。 経済という唯一の価値観にがんじがらめに縛られて困っている。 苦しんでいる。景気がよくなったからって解決する問題ではない。 人間が生きていて嬉しい瞬間って、美味しいものを食べたとか、子供が成長を実感したとか、 差別されてないとか、好きなところに住めるとか、他人の誤解が解けたとか、そんなところにある。 人類が生まれた時からこれはズット同じである。ところが、そんな喜びがみんな経済に取り込まれてしまった。 効率よくお金を儲けたら、こんなことみんな上手くいくと思い込んでしまった。 ーーー ー長倉 「生きている実感がない」という人がいますね。 そういう人は間近で懸命に生きている人を見ていないんじゃないか。 生を実感するということは、自分自身を知ることにつながってくる。 自分を知れば生きる喜びをつかみやすく なるんじゃないか。アマゾンのアユトン・クレナックは「人はたった一人の存在だからこそ、人と出会うことに意味がある」 と話していたけど、これは人が在ることの意味をストレートに言い当てている。 ー関野 アマゾンのマチゲンガ族の村にもう30年も通っているんだ。 父親を「トウチャン」、母親を「カアチャン」と呼んでいるんだけれど。 そのトウチャンが死んでしまった。カアチャンは元気なんだけれど、何というかな、静かに、植物みたいに生きている。 要するに、目的がない。ただ、生きている。 彼らは、「何のために生きているのか」なんて愚問は受け付けない。 「何いってるの」って感じで、質問の意味が理解できない。 どこに行きたい、この先どうしたい、将来こうなりたい、 何を求めなくてはとか、考えたこともないだろうね。 でも今を楽しんでいる。 この人たちには敵わないと思うよ。
ーーーーーー 西欧的な幸福感に縛られている世界観を一度、冷静に見直してみる時期にあるのではないだろうか」 という二人の問いかけが深く問いかけてくる。それぞれの価値観は、それぞれの地域の土壌の中から生まれてくる。 その土壌の中から、根っこが生まれてくる。しかし、その土壌を冷静に見てみることも必要だろう。 グローバル化すればするほど、それぞれの地区の特性が求められる。 それぞれの異質なものを、異質として認めることが要求される。そして自分が異質に気づくことも重要なことである。 数年前の立川談志のTV旅行ドキュメントが印象的であった。 彼が癌に襲われて殆どの仕事を中止した直後、ベネゼイラのギアナ高地へ行った内容である。 全くすることがない彼は、そこで何と落語の稽古を始めた。 挙句のはて、現地のオカアサンをつかまえて、「お前、暇で仕方ないだろう!」という愚問をはっした。 それに対するオカアサンの返事が良い! 「暇とはどういう意味?」 暇という言葉が無いのだ。「それじゃあ、何もしないと面白くないだろう!」と、談志が訊ねると。 「いや、毎日が楽しい、チャンとすることがあるし、丁度よい自然もある」談志は、その返事に何も答えられなかった。 私のギアナ高地の実感と彼のそれの違いがあまりに違っていた。 私はギアナの大自然にただ呆然、一場面一場面に感動感動の連続であった。 談志は「死に対する恐怖感」のため、自然を見る余裕がなかったのだろう。
・・・・・・・・・ 2004年06月20日(日) 1174, 哲学についてー6 ー経験主義哲学ー
合理主義に対してイギリスとアイルランドから経験主義哲学が生まれた。 合理主義の「理性をとおしてのみ知識が得られる」という主張に対して、 「現実世界の知識は感覚器官をとおして得られる」という論である。 感覚による経験を絶対視する考え方は、合理主義に対してあまりにも対極にあるが、 アメリカとイギリスなどの英語圏では現在の主流になっている。 ジョン・ロックがいみじくも残した言葉がある、「いかなる人にとって知識もその人の経験を超えることはできない」 経験主義は「人間は物体の観察可能な性質と運動しか観察できないのだから、それを理解する為には その性質をとおす以外ない」というロックの認識論が基本になっている。 「現実世界についての理解は感覚をとおした経験から導き出される」というのが経験主義の中心になった。 彼は自由主義的な民主主義の基礎づくりに貢献した思想家であった。 ロックは、アメリカ独立運動とフランスの革命に、大きな影響を与えた貢献は大きい。 アイルランド出身のバークリーも経験主義者として、大きな位置を占めている。 「意識の内容は、その意識の主体にとって、経験されることのすべてである」それ以外のことは、 存在していることさえわからないという、いまでは当たり前のことを合理主義に対する一番いたいところをついた。 経験主義の哲学者としては何といってもヒュームである。 彼は人間を「感覚の束」としてとらえている。 彼はロックと同じく現実世界についての知識は、自分自身についても、他人についての経験も、実際の経験を通して しか得られないと主張した。我々が内省をするとき、頭に出てくるのは、感覚をとおして得た経験や思索、感情、記憶。 「私とは感覚の束である」という彼の言葉あまりに有名である。心理学でいう観念連合ということである。 私たちの行動は欲望や情念によって目的が決められる。理性が介入してくるのは、目的を達成する為の手段を選び、 適応する段階になってからである。 「理性は情念の奴隷」も、ヒュームが残した言葉である。 そして18世紀末から、ドイツ圏において古代ギリシャの時代に匹敵する哲学が開花していくのである。 つづく ・・・・・・・・・ 2003年06月20日(金) 807, 心の構造進化ー書き続けるということ
少し難しい話をすると、社会学者のレビィ・ストロースは、人間社会の基本形を 「時計仕掛け型」と「蒸気機関型」に分けた。 ・「時計仕掛け型」の社会は実質的に歴史を持たず、構造変化をしない社会 ー南アメリカのアマゾン奥の部族の人達やアフリカのマサイや・・・・・ ・「蒸気機関型」は我々の社会のように進化をしていく社会をいう この両者の違いを、ストローは「書く」ことによるとしている。 ーといって「どちらが文化的に優れているかというとむしろ『時計仕掛け型』ではないか!」といえるが、 この問題は違う時に考えてみる。社会だけでなく私たちの心も言葉にして書かない限り「時計仕掛け型」である。 内語を書きとどめることによって、人間の心も言葉との相互作用によって、構造進化を始める。 二年間書き続けてつくづくそれを実感する。 この随想日記を書き始めて、何かが大きく変わっているのを実感する。 毎日書いていて解るのだが、大体が過去の話である。ということは、過去のことしか書けないのだ。 未来のことも書けるが、結局は過去の前提の上での未来でしかない。せめて夢か予定の一部だけでしかない。 書くことで、過去の自分を見つめ直すことによって、心の構造進化をしている。 もし、過去を無理してふりかえないようにしているなら、心に蓋をしていることになる。 このように書き出すことによって、心の中の曇りやその奥にある光に気がつく。 その意味では、二年以上毎日書き続けたおかげで自分を見つめなおすことができた。 心がどんどん構造進化ー私の場合は構造変化だがーをしているのを実感する。 そして書くこと自体が面白くなる?! 毎日が一語一会になったしまう。 しかし、いつもネタさがしにキュウキュウとしているが。仏国生まれの文化人類学者(1908-まだ生きている)。 (字数の関係でカット 09年06月20日) ・・・・・・・・ 2002年06月20日(木) 443, 見せ金ーブランド志向心理
ヤクザが1万円札を財布にビッシリ入れ見せびらかす。詐欺の手口の応用である。俗にいう見せ金である。 中学の同級会で久々に出てきた男がまったく同じ事をしていた。 普段金に困っているから、 逆に故郷に帰ってきたときぐらい金を持っている振りをしたくなるのがミエミエである。 可愛いものだが。 銀座で永くクラブのマネジャーをしていた人の「人の見分け方」の話。 「高価な服装、靴、時計で身を固めている人が一番危ない!ツケはできない」という。 外見が金持ちに見える人は、成金とかバブルの成り上がりの人が多い。 実用本位の質素の服装をしている人が一番信用できるという。何回か会社を潰した人が再び会社を興し、 少しうまくいくとベンツに髭に皮ジャンに高級クラブ、お決まりのコース。 そして数年後夜逃げ、身辺でいくらでもある。すぐに逆上せ上ってしまう。 結局は事業はそれをしたかったための手段でしかなかったのだ。 それと同じ事が、スナックで見かけるやり手ブスの中年女。ブランド品を上から下まで飾りつけ、 香水の匂いを撒き散らす姿は喜劇。 コンプレックスの裸の王様そのもので、?心理は見せ金と一緒。 それに気がつかないから世の中面白いのだろう。日本人のブランド好きは上記のやり手ブスの心理そのもの。 それが人間の全ての集約した姿だ、自分の見えない姿でもある。
・・・・・・・・ 2001年06月20日(水) [58] 一六会について
毎月の16日に第二新館近くの大橋ー料理屋で開かれる平均7?8人集まる会である。 もともと花園のマルヒロ不動産の後藤会長が開いていた会で、会長が元気な4年前までは20人以上集まっていた会であった。 亡くなった後も続いていること自体不思議なことで、やはり後藤会長の人柄だったのではないかと思われる。 ただ酒を飲んで騒ぐだけなのだが、全く利害のない集まりで好きなことを言っても喧嘩にもならないのが良い。 ただ流れているのはやはり後藤会長の好きな連中の集まりというコンセプトだと思われる。 なんの気を使わず騒げる場もそうはない。平均年齢が65?70歳と少し高いが、それが何ともいえない味を出している。
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2009年06月19日(金)
「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著)
私が会社から離れて家庭だけの生活になったとしたら、まず「家内との日中の折り合い」が大問題になるのは解る。 定年直前に「定年後は、私の管轄下よ!」と、旦那に一括を入れていたのをドラマで見たことがあったが、 深い男の悲哀を感じ取ったことがある。 実際の似た場面も立ち会ったことがあったが・・・ 私など三連休になると、家内に顔をまじまじと見られ大きく溜息をつかれ嫌味が始るのが常。 「妻への詫び状」という、妻に白旗を揚げた、だらしのない男たちの見本帳のような本を取り上げている。 人口問題研究所の統計だと、離婚した夫婦の男の平均寿命は、死別した人や配属者のある人に比べて10年ほど短いとか。 だから離婚も耐えなければならないのである。 ある生保の調査によると、女性の1割以上が 「夫と同じ墓には入りたくない」と答えている。 更に、ここで取り上げている30年前の『定年後』の内容が凄い。 その著者は妻のことを「古猛妻」と命名している。 その妻に定年前に、「五箇条の御誓文」の提出を求められている。 一、午前中は一歩も書斎を出ないこと 二、小遣は現在の2万5千円 三、食事の内容には一切要求をつきつけない 四、仕事の上でやむを得ないと認める以外は外出を禁じる 五、これらを不服として大声を発することをしない これは実録小説といっているが、大筋は事実だろう。 ここで著者は「定年に先立って、その後に来るものを詳細周到に予測していたが、女房の支配権の無差別な 拡大という致命的な問題をぬかしていた」と、予期せぬ事態に戸惑う。 「定年で自由の身になったと思ったのは春の日の蜻蛉に過ぎない。時間単位で公私を区切る近代的雇用とは 比べようもない、運命共同体的な四六時中の関係に女房がいた」と。まあ、大変なことである。 離婚をして独り暮らしをしている同年輩の人が実際に何人かいる。 やはり10歳は老け込んでしまっている。 ここで一句 「 うれしくも 悲しくもあり 独り味 」 「 笑えるうち 笑っておけと 涙目で 」 そう遠くない日が待っているが、その時は、その時であるとしか、いいようがない。 死んでしまえば同じこと!
・・・・・・・・・・ 2633, 娘に贈る12の言葉 ー2 2008年06月19日(木)
第一の言葉から要点を抜粋してみる。 一言一言が、肯ける内容ばかりである。過去に上手くいったことを省みると、そのとおりである。 考え抜き、調べつくして確信できたこと以外は失敗した。オリジナルはなく、周りの流れに従ったときである。 ーー 1、他者に流されてはいけない ー他者に流されず、自分の頭で考えることー
・君には「君」という優秀なブレーンがいる。自分自身で調べ、考え、確信できることを見つけなさい。 他人に、たいていの問題に関しては、自分のうちに問題を解決する能力をもっているものだ。 自分の考えに従って行動することだ。 ・君のアイデアが笑われたら、それは成功へのサインだ。→大勢に従って、成功した人間は誰一人いない。 以前、中国は投資するに値しない国だ、と言われていた。しかし、1990年代に 投資対象と気づいたのだ。実際の中国を調べると、13億の人たちが懸命に働いていた。 その上に、貯蓄率が35?もあり、それを投資に向けていた。そんな国が成長しないわけがない。 ところがアメリカはどうだろう。、1990年頃の貯蓄率を4?で、今ではたったの2?である。 しかも深刻な借金を抱えている。他の人が常識に従っているうちに、中国に投資をした。 おかげで、700?のリターンを得ることが出来た。 世間の常識を疑ってきたからこそ儲けられた。 →世間の常識は疑うこと。 ・オリジナルな「自分でいること」。色んな分野で成功してきた人は、誰のコピーをしていないだろう? ソニーをごらん、ソニーは周りとは違う。彼らは常に周囲と違うことをしてきた。 誰も歩まない道を行くからこそ成功をすることが出来る。 ・私に従わなくて良い、ただモラルだけは守って欲しい。 自分の頭で考えて正しいと判断したことなら、思ったとおりするがよい。 自分が絶対に間違ってないと自信がもてるほどてっていてきに調べてからでないといけない。 ・常に質の良いものを買うように。質の良いものは長持ちするし、より価値が高い。
・・・・・・・・・・ 2007年06月19日(火) 2268, 今年のミス・ユニバースって美人? ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning TVで日本人のミス・ユニバースの女性を見て、違和感を感じていたら、 夕刊フジのブログと、毎日新聞の文化欄の「〈現在〉を読む」に論評が載っていた。 誰も考えることは一緒である。 「少し可愛いいが、決して美人ではない。 生意気そうなところがマイナスで、差し引きゼロ。それ以上でも、それ以下でもない。 実際のところ、ミス・ユニバースの判断基準は理解できません?」というのが、両者の論評の概略である。 ー以下は夕刊フジのブログの概要である。 ーー 07年ミス・ユニバース世界大会で、森理世さん(20)が優勝し話題になっている。 日本人としては48年ぶりの快挙。昨年も、知花くらら(25)さんが2位となった。 日本も世界が認める“美人”輩出国となったかの騒ぎだが、テレビなどを見て、「可愛いが、決して美人ではない」 と思った方も多いだろう。果たして美人の世界基準は変わったのか。 専門家らが徹底討論した。 【違和感】 「森さんは鼻がツンと上を向いている。日本人の(美人の)感覚とは違ってコケティッシュ系ですよね。 化粧をすると、昨年の知花さんと変わらない。スポーツ紙が、韓国代表と間違えて写真を掲載するくらい 見分けがつかなくなっている」 テレビや新聞で伝えられた森さんの顔を見て、女性を美しくするプロの たかの友梨さんも、「顔立ちは際だってきれいというわけではない。 おちょぼ口や色白など日本人の良さとは違って肌は白くない。(日本の美人というより) アジアンビューティー的ですね。 日本人から見ると、アイシャドーはあんなに濃くなくてもいいのにと思う」 と指摘する。 漫画家のやくみつる氏は“美人ではない”と違和感を覚えた一人だ。 やく氏は、日本と外国の美の基準にも、「かなりズレがある。芸能人で、(森さんより)きれいな人はいると思う。 昨年も思いましたが、バチバチの派手な顔より、愛嬌のある顔が外国に受けるのかな」と、大きな違いを感じている。 (字数の関係でカット2008年6月19日) ・・・・・・・・ 2006年06月19日(月) 1903, 感動と感激についてー2 オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`)( )(´・)(´・ω)(´・ω・`)ヨ? ー感動と失望ー 感動・感激の反対語は何だろうか? 期待以下の大きなマイナスギャップ、 期待>実感 → 落胆・失望 ということになる。 「大きな期待を持っていったが、何も感動することがなかった。がっかりした。」である。 西アフリカの旅がそうであった。期待が大きかったからだ。失望を少なくするには、まず期待を小さくすればよい。 失望・落胆も、振り返った時に心と魂に多く残るが、人の脳は無意識のうちに、記憶から排除をしてしまう。
感動・感激とは驚きである。驚きは、そのまま考えるヒントを与えることになる。 驚きはギャップに対して起こる心の動きである。ギャップを埋めるための知識集積が自動的に生じて、 それが考えることになる。従って、人間の能力は感動・感激と、失望につながっているといえる。 今年のワールドカップ・サッカー、日本チームに対しては過剰期待である。 今回の過剰の期待と落胆は、貧困層の広がりが原因という見方がある。 冷静にみるより負けるまでせめて夢みたいという気持ちの表れは、貧困層の考え方?である。 WBC(ワールド・ベースボール・カップ)で日本が優勝した時、期待を誰もしてなかった上に、 イチロウなど日本人選手と王監督の健気な姿に感動が生まれた。 誰もがまさか優勝するとは思っていなかったから、驚きと感動が生まれた。 この期待をサッカーのワールドカップに当てはめようとしたが無理な話である。 いかに多くの感動・感激・感謝を積み重ねるか、反対に失望・落胆を少なくするかが、人生にとってのポイントになる。 これは意識をすれば、出来ることである。一流のものを見続けることである。 一流の人と多く接し続けることである。そこには、一流の人の波動が出ている。 そのシャワーを浴びればよい。
ー話は少し違うが、先日の産経新聞の産経抄の論評がよい。 ーーー ー産経抄ー 「勝てば官軍、負ければ賊軍」とはよく言ったものだ。 頼みもしないのに受信料をとりにくるテレビを筆頭に、 各メディアがサッカーW杯に出場した「青きサムライたち」をこれでもかと持ち上げ、 膨らみきったジーコ・ジャパンへの期待は初戦の完敗でみるみるしぼんだ。 ▼にわかファンたちが口角泡を飛ばす居酒屋談議では、梅雨で曇り空が続くのも、 株価が乱高下するのも、少子化に歯止めがかからないのも、みんな下手な采配(さいはい) をしたジーコのせいだ、と言わんばかりの勢いで批判の矛先が監督に向いている。 ▼もしあのまま1?0で逃げ切っていたら、同点にされたあと、 駒野が相手ゴール付近で倒されたときに主審がPKをとっていれば、ジーコは勝利を呼びこむ 「サッカーの神様」として褒めそやされていただろう。勝負ごとはやっぱり勝たねばならない。 ▼サッカーと戦争を比べるのは不謹慎極まりないことぐらい百も承知の上だが、 敗戦がどれほどみじめかはサッカーファンならずとも身にしみる。 戦後60年以上たっても、首相が靖国に参るだけで他国から悪罵を投げつけられている。 ▼中国や韓国が「軍国主義の復活」と言い続けるのは両国の国内事情もあろう。 それより理解できないのは他国に迎合して、無宗教の追悼施設をつくるため首相の靖国公式参拝を 「憲法違反の疑義がある」と明記した中間報告をまとめた 「国立追悼施設を考える会」の議員たちだ。 ▼このヒトたちには、「靖国で会おう」と国や家族を守るため心ならずも散華した人々への 感謝の念があるのだろうか。会長は下半身スキャンダルで週刊誌をたびたびにぎわしたセンセイである。 少なくとも小欄は、こういう人物に靖国問題について指図は受けたくない。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・・・ 2005年06月19日(日) 1538, 銀座24時-女たちの戦い
昨夜のTVスペシャル ードスペ!「欲望の巨大街・銀座24時-女たちの戦い」 銀座の象徴・“高級クラブ”の舞台ウラにカメラが潜入!!ー というTV番組の見出しにつられてみた感想である。二時間という時間がアッという間に過ぎ去った。 次から次へと、多くのケースを映し出したからだ。 人間観察という面で、 人間社会を赤裸々に見せてくれる世界である。 [高級クラブ・内幕もの」は随想日記でも何回も取り上げたが、見ている分には面白い。 この不景気で銀座のクラブの多くが淘汰されたが、その中にあってしぶとく生き残っている店があるのだ。
まず一番印象に残ったのが ー30歳新人ママ…涙の生き残り大作戦であるー 昨年11月にオープンしたクラブに半年間密着したもの。 その店を仕切るのは、同じグループ店のナンバー1ホステス。 一般ホステスと、ママの立場の違いを開店前から映し出していたオープン時は、 彼女を目当てに客が押し寄せる。しかし高級クラブ業界では、開店3カ月までは"ご祝儀黒字"。 それ以降に店の真の評価が分かるものだ。 正念場を迎えた新ママに、ホステス同士の内紛というトラブルが降り掛かる。 さらに、黒服といわれるスタッフ役の男達とホステス達とのトラブルが発生。 黒服の長であるマネジャーといわれる立場は、オーナーである会社側にある。 雇われママはホステスと黒服との間で苦闘する。 それらの多くの障害を一つずつ乗り超えながら、店を切り盛りする。そして、一人前のママに育っていく。 一晩で、数百万をつかっている生の現場をカメラは正直にとらえている。 数万もするドンペリが、どんどん注文される。果ては百万のドンペリを注文した場面もあった。 また、誕生日に100万の指輪に10万の花を添えてホステスの贈る場面も。 あるホステスが給料明細も公開した。時給4万円、それに指名料が加算される。 24歳のホステスと、27歳のモデルのお客の奪い合いの実態を冷酷に追っていた。 黒服が辞めたホステスの客を、二人のホステスに競わせるのだ。 銀座クラブの掟として、店では客の馴染みホステスが決まると「永久」に固定化される。 しかしホステスが辞めた場合、客に指名権が与えられる。店として、それを争わせる。 そのプロセスをお客に楽しませるのだろう。そこで、あらゆる手段で指名権を得ようと店の外で女の争いが始る。 結局は、新しく入った27歳のモデルが勝ちを収める。下手なドラマよりズット迫力があった。 TVでは取り上げることの出来ない「下ネタ」が、背後にあるのだろうが、まさか茶の間には出せない。 実際は凄いのだろう?エログロ番組になってしまう。早朝から、こんなことを書いている自分が面白い? いや、馬鹿か!
・・・・・・・・ 2004年06月19日(土) 1173, つれづれなるままに
・先日、競売物件の新聞公示欄を見ていたら、近くのホテルが売りにでていた。 富士銀行が80億の金を出したホテルで何と3億1500万の値段であった。 金に余裕があったら買いたいぐらいだが、色いろ権利が入り組んでいて力に余裕 がないと手を出せないのが残念だ。バブルの大きな傷を残した一つの事例である。 それにしても、この差額は実際誰が損をこうむるのだろう。間接的に国ー国民なんだろう。 二年前に、このまん前のホテルも20数億が3億5千万で、競売が落とされた。 ・最近、昼飯を食べにいってもお客の少ない。そういえば、私も昼飯の単価が2?3割も下がっている。 近くに牛丼の「松屋」ができ、他がランチの値段を下げた為だ。。 ・一昨日は、宅建主任者の3年に一度の講習会。 長岡郊外のハイブ長岡であった。 大きな会場で500人位が受講していた。初めて時計を持たずに行ったのが正解で、あっという間に時間が過ぎた。 危険物取扱者の受講もそうであったが、真面目に講義を聞くのがポイントである。 せっかく時間を過ごすなら、その時その時のテーマの中心から目をそむけないのがよい。 宅建の内容は聴いていて面白い。 法律の改正の変化が世相を現している。 何事も、まともに聴いているとなかなか面白いものだ。大學時代がそうであった、 授業とは面白くないという概念が根本から崩れた。特に専門コースに入ってから面白くなった。
・・・・・・・ 2003年06月19日(木) 806, 『自分様と馬の骨』 読書日記 ?なぜ認められたいか? ?
「ぶざまな人生」「わたしを認めよ!」「まれに見るバカ」等、彼の文章のタッチの面白さに、 次々に買って読んだ。 人間の一番の本音をあまりにもシビアに書いている。 先日、図書館でこの本を見つけたときは、しめたと内心叫んだ。早速読んでみるとやはり面白い。 「わたしを認めよ!」の続編であり、何ともいえない力がこもっていた。 彼のいっていることは別に難しいことをいっているのではない。 ・自分を持して一生懸命に生きればよい、 ・ダメならまた自分を立て直してやり直せばよい。たとえそれがぶざまな人生であっても。 「懸命に生きる」とは「自分ひとりの関係」である。それが自分様であり、自己が自分になっていくことだといっている。 人間は自分はとるに足りない馬の骨と思うことに耐えられないのだ。特に比較において。友人との年収の差、学歴の差、 同業他社との利益の差、性経験の差において、馬の骨として、耐えられないのが人間であると主張。 創業を経験すると、人間観が変わるーこれは私だけでないと思う。自分の骨の髄のエゴイズムを知ることになるからだ。 その骨の髄のエゴイズムから、出発をしなくてはならない。それを嫌というほど、自分に対して思い知ることになる。 表層で生きている人は、創業のそのリアルな姿を見て冷笑する。 しかし、自分がその立場になれば全く同じ利己主義に落ちざるを得ないことに気がついていないのだ。 また環境がそこまで追い詰めない。 創業は自分ひとりになって、その一人の内語から出発をする。自己から自分へのプロセスの始まりである。 馬の骨からおれ様への本質的な転換を事業で始めることだ。 ー「自己」と「自分」のちがいについて書いてあるのを少し抜粋してみるー 「自己」とは匿名的個人のことである。それゆえに、一人ひとりの「自己」は同等の存在価値を持つ。 世界の人口の数だけ「自己」がいる。他方、「自分」とは何々の某という名前を持った、世界のなかでただ一人 の、この自分のことである。この「自分」に価値がある。 ・「あなた」も「わたし」もおなじ個人だから、おたがい大切というのが「自己」 ・「おまえ」は「わたし」でないから、「おまえ」がどうなっても知ったこたない というのが「自分」 この二重性を生きているのが人間である。 ー以上である。 何故ここであえてこの問題を出すかというと、「他人とは何か」を知ることが 生きていくうえの一大事である。それが自分を知ることになる。 その自分の骨の髄はエゴイズムー利己主義でしかない。 そこのところを知らないと、自分の中の悪魔と神と出会うことがない。
・・・・・・・・ 『自分様と馬の骨』 勢古浩爾 著 長岡中央図書館 2003年6月15日
・・・・・・・ 2001年06月19日(火) [57] 3D-ホームページ
今日は午前、午後パソコンずけだ。 午前はインテリア山下の南雲さんと、富士総業の小竹さんと 3d開発の増嶋さんだ。 そして夕方はパソコン教室だ。 パソコンはやはり凄い世界だ。 このホームページの作成だけでも、背後に多くのエネルギーが入っている。 何気なく見過ごしている中に、情報がびっしりつまっているのだ。 情報革命は時代を大きく変えるだろう
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2009年06月18日(木)
「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー 北 連一 (著) 読書日記
還暦を過ぎてからの年賀葉書に、「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、 地元のスナックなどで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と言われ、 その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は 定年後の日々を切り替えるのは大変だろうと察する。 私の知人は、殆どが現役なので、 深刻な話はまだ聞こえては来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。 群れから離れて、奥さん1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。 そして、まずは「老人性うつ病」が襲ってくる。 これは抉らすと危ない。 現在の私も少し「うつ病」気味である?、とにかくムカツクのである。いや、恐慌下の売上不振なだけか。 そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。 具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げている。 ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、今度は小さな家の中での息の詰まるような関係。 「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 この本は「定年退職前後はこういうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 【 定年前に‘やっておいてよかったことは’、料理ができるようになっていた,遊び仲間がいる, ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを追い出したことだと吐露する。 ‘やっておけばよかったことは’,会社離れをする前に,定年後のシミュレーションをやっておく, 妻とのコミュニケーションをとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】 こういう人生もあるのかというような内容だが、「定年の敵は女房だ!」という人のケースなど、 深刻な内容も赤裸々に取り上げている。 8人兄姉の末っ子だったことや、親戚に多くの従兄弟たちの 生き様がみえる立ち位置に居たことからみてきて、「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。 その辺は、受け止め方の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、 最大の問題ということ。 それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうかである。 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。
・・・・・・・ 2632, 娘に贈る12の言葉 2008年06月18日(水)
「人生と投資で成功するために 娘に贈る12の言葉」 ジム ロジャーズ (著) b(’0’)d おっ w(゚Д゚)w ハァ? ある本に紹介されていたジム・ロジャーズの「中国の時代」「娘に贈る12の言葉」を アマゾンで取りよせて、読んでいる。成るほど面白い。二年ほど前に、ロジャーズの本を 二冊読んだが、なかなか面白かった。 それに劣らない力作である。 「ビジネスマンの父から息子へ送る手紙」を彷彿する題目だが、内容は全く違う。 ー まずは、その12の言葉 ・他人に流されてはいけない ・大好きな事には情熱のすべてを注ぎなさい ・常識はそれほど常識でない ・世界は自分で見ておいで ・哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい ・中国の時代 中国語を身につけて欲しい ・歴史を勉強しなさい ・汝自らを知ること ・変化をとらえ、そして受け入れなさい ・未来を見つめなさい ・大衆に逆らいなさい ・幸運の女神は努力を続けたものに微笑む ーー ジム・ロジャーは一貫して、他人に流されないこと、好きで情熱を傾けられることをすること、 徹底的に歴史、哲学、経済を学ぶことを推奨している。 ジム・ロジャーズが生まれてしばらくして、この本の訳者が我が子に伝えたいことは何かと 尋ねたところ、彼の答えは「自立した考え方をする」「疑問を持つ」だった。 また、投資家にとって大切なことは何かを聞いたら、 「大きな流れを見ること。ビッグチェンジがあるところに、ビッグチャンスがある。 それを見極めるためには、自立した考え方をし、疑問を持つことだ」というものだった。 投機家を意味するスペキュレーターhw、もともと「突っ込んで考える人」という意味だそうだ。 その為には哲学を学び、思考することを学ばなければならない。 次回から、12の言葉の幾つかを取り上げて考えてみる。 ゚Д゚*)ノ⌒【さいなら】 ・・・・・・・・・ 2007年06月18日(月) 2267, 「遊び」 (゚∇^*)オハヨ♪ 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から「働き」と「学び」と同じくらいに 位置づけてきた。その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、 年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。 「遊び」をネット百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみた。 ーーーーwww**ww*w(/⌒∇⌒)/?∞**www***w ーーーー 楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス (生体)解消などの目的で生物がする行動の総称。 普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら望んで行われない労働などは含まれない。 また、工学などにおいて作られる、ある一定のたゆみ、ゆるみ、余白のこと。 これを作ることを「遊びを持たせる」という。ハンドル等、機械で人間が操作する部分の遊びは、 不覚筋動を機械の動きに反映させないという効果遊びとは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、 ストレス解消などの目的で生物がする行動の総称とされます。どのような時代においても遊びは存在し、 太古の昔から現代まで私達の心を楽しませてくれています。 人間以外で、動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。 ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟するとあまり遊ばなくなるが、 ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後も遊びたがる傾向があるようであり、 野生動物でもカラスには、成熟した個体に遊びと思われる行動が見られる。 フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」 に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。その中でカイヨワは遊びを次の4つに分類している。 ・アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ・アレア(偶然)、くじ(宝くじなど)、ギャンブル(競馬など) ・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと ・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ カイヨワの説は遊びはこれらの4つの区分に分けられるとしたものであったが、 遊びは必ずしもこれらの単一の要素からなるものではなく、複数の要素を含むものも多いとする説もある。 ーーーー (^Q^)/゛ d(o^v^o)b !!(^Q^)/゛ \(^o^)/!! ^^*)ノ \(^^@)/ \^o^/ d(^_^o) なるほど、と思うが・・・
「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることになる。 そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。 何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化が楽しみへ持ち上げるポイントであった。 ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながら プロセスを楽しめば、遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として一般的に認められているが、 日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」 という印象を与える。学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。 遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。 同じ人生、楽しまなくては! 何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー (字数の関係でカット、09年06月18日) ・・・・・・・ 2006年06月18日(日) 1902, 感動と感激について 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
感動・感激・感謝は、人生の豊かさという面で大きなキーワードである。 感謝は「ありがとう」というキーワードで多く書いてきたので、今回は感動と感激について焦点をあててみる。 まず「感激と感動の違い」についてである。感激は人の言葉や物事に心が感応することで、 感動は大自然や音楽などに魂が感応することである。 感激は、その気持ちが対象に向かうのに対して、感動は自分の内側深くに向かう。 どちらも、対象の波動に自分の心・魂が共鳴することである。 期待 <実感 → 感動・感激 期待と実感のギャップが大きいほど感動、感激、感謝が大きい感情になる。 その為には期待を小さくして、実感を大きくして、そのギャップを大きくすれば、 感動を大きくすることが出来る。反対に期待が大きすぎた時に感動は小さくなる。 秘境・異郷旅行は、正しく感動を求めるもの。厳しいところほど感動が大きい対象に出会える。 そこへ到達するまでの苦労が大きいほど、感動が大きくなる。そこでは魂の根底を大きく揺さぶるものがある。 この感動と出会うまでの人生と、その後の人生と、分ける位のインパクトになる。そこに慣れてくると感動は小さくなるが、 それで良い。それは自分が対象に同化したことになるからだ。冷静に対象を見つめることが出来るようになる。 感動・感激・感謝の経験の質量が、心の豊かさといえる。 人生を振り返った時に、自分の心に残っているのは感動と感激と感謝、そして後悔の念である。 一般的に感動・感激は年齢を重ねると同時に少なくなっていく。 ある調査によると、毎月一度以上感激・感動する人は 10〜20歳代で50?だが、30~40歳代になると30?に減るという。私の場合、歳を重ねるに従って、感動・感激の 場面が増加している。感動はその蓄積が、その質・量に比例して心の壁を低くし、さらに感動に対する磁力を強くする。 親の責任の一つとして子供に「感動・感激のシャワーを多く浴びさせること」がある。 それは自分自身に対してもである。ある質・量を超えると、その人間の質のアップ・スケールが生じる。 一番の効果は、内面に自信が出てくることである。それと自由の意味も解ってくる世間とかいう奴にも迷わされないようになる。 感動は意識して自分に与えなくてはならない滋養である。 そのためには自分を太鼓に喩えていうと、常に手入れをして、その革を張り詰めていなくては共振はしない。 i (ω・`) bai ・・・・・・・ 2005年06月18日(土) 1537, 「これから5年・地価は半値になる」?2 ー読書日記 ー対談方式だが、概略をまとめてみた。 {??}は私の意見である。 40年前の山の手線内の駅の数が、多くの地下鉄などの開発によって、現在では三倍以上に増えたという。 山の手線内では殆んどの場所から5分以内に、何処かの駅に歩いていけるようになった。 それが地価の高騰を招いたのであって、山の手内の地価の高騰はバブルではなかった。 それにつられて上がったところが、バブルになったと看破している? {それにしても、あの高騰はバブルである!} 最近目立ち始めた高層ビルも、2000年頃から建ち始めたもの。 2003年には都内の大型オフィスビルが面積換算で、例年の倍以上も完成。 1999年には36万?大型オフィスビルが、2003年には218万?と4年で6倍に増えてしまった。 そのオーナーも森ビル、三菱地所、三井不動産と大手が目立っている。 ところが、そのビルにはチャンとテナントがはいっているから不思議。需要の多いビルには法則があり、 『新・近・群・大』である。駅に至近で、新しく、複合かつ多くのビルが群れていて、大きい。 それに最近では、地価の下落後のため、安い家賃のビルが出て来ている。安いもプラスされている。 なぜ坪10000円の中小ビルから、30000円もする大型ビルに移動するかというと、 ワンフロアーに子会社や部門を集約して、効率化を図ったのだ。 超高層ビルなどを『親ビル』、中小のビルを『子ビル』と表現すると、親ビルが子ビルのテントを ドンドン吸収している。その子ビルが『孫ビル』の小さなビルのテナントを吸収する図式が出てきている。 『孫ビル』とは、新宿や池袋などにあるペンシルビルである。 最近では更に『親ビル』同士の闘いが始まって、大小入り乱れての大乱戦の状態になっている。 これが地価の崩壊を更にすすめる。 先ずは親ビルが玉突き状態で『子ビル、孫ビル、ひ孫ビル』と 崩壊させ倒産させている。それが周辺の地価を引き下げているのである。 特に、銀行への金融庁に対する引き締めが強まれば強まるほど、中小のビル経営が崩壊、 これが社会現象を悪化させ、更に二等地の地価を引き下げるというマイナスの循環が出ている。 {こういう事態から5年~10年先を考えると、先行きは真っ暗闇といえる。 一強多弱の世界が、不動産の世界にも明確に現れてきている} つづく ・・・・・・・・・・ 2004年06月18日(金) 1172, ビューポイント
学習曲線というものがあって、自転車の乗り方や勉強や企業経営も同じである。 新しいことを学ぶということは,S字を横にしたようなパターンをたどる。 初めはゆっくりだが、次第にペースが上がり、ピークに達してから穏やかに下降するパターンである。 エントロピーは学習パターンがピークを過ぎたころにみられるエネルギーの喪失を意味している。 山道を車で走っていると、何処にもビューポイントがある。大体が8?9合目の辺りで、それまでの急勾配から 緩やかな坂に変わるところだ。下界と遠景が遥かかなたに見え、その前後は今までいた道がよく見える。 そこでは駐車場になっていたり、土産物屋や休憩所になっていたりする。 そして、どういうわけか道の枝分かれをしているところが多い。そこで立ち止まって、自分の歩いてきた道を 観察する必要がある。そこでは一歩後退をして見ることも重要である。 大きな分岐点になるからだ。 人生においても、事業においても全く同じことがいえる。ジョージ・ランドが「展望点ービューポイント」を 喩えている論法が面白い。頂上への8?9合目辺りで坂が緩やかになるポイントで、サーファーが波の衰えを感じて、 崩れる前に新しい波に乗り換えるのと同じポイントである。新しい学習曲線への波に乗り換えるポイントになる。 自分がビューポイントに達したかどうかは簡単に解るわけがない。しかし注意をしていれば兆候を見つけることができる。 それが過ぎてから初めてわかるケースが多い。波が最終局面になって、初めて気がつくケースが多いことも事実だ。 とくに事業はそうだ、他人事でない。その時はブラックジョークではないが、再生のプログラムになるが。 それぞれの人生にとってのビューポイントで違う波に乗り換えることも必要だろう。 乗り換えた波がより合わない波の場合が多いから難しいのだ。
・・・・・・・・ 2003年06月18日(水) 805, 「ありがとう」の言葉ー4
一週間「ありがとう」を、一日おおよそ500回を言った実感を書いてみる。まずは、気持ちが落ち着いた。 特に夜半2時半に目が覚め、この経済の異常事態や事業のことをあれこれ考えてしまう。 ベッドの中では考えない訓練はしてあるのだが、今の状況は過去になかった異常な事態である。 会社も日本経済もだが。しかし、その時しめたと「ありがとう」を繰り返すと、あれこれ考えないで済むのだ。 また新幹線の中や散歩やふとした空白時間に繰り返していると、結果的に否定的な考えが激減している。 不思議といえば不思議である。単純に思えるかもしれないが、何か否定的な感情を消す作用があるみたいだ。 それと、意識をしていると結構細かい時間が多くあることに驚く。マイナスな時代に、否定的な言葉の毒消し作業がよい。 死ぬ時に、周囲に対して心の底から「ありがとう」と言っていけたら、残った人に対して 最高の癒しになる。と同時に自分の死に方としても最高の死に方になる。 その為には「ありがとう」を数万回、数十万回、脳の中に叩き込んでおくというのも理屈に合っている。 以下はインターネットで調べた、50年以上「ありがとう」を言いつづけて2億回言っている人を書いた内容をコピーした。 ーーーーーーーー (字数の関係でカット2008年6月18日)
・・・・・・・・ 2002年06月18日(火) 441,時間持ち
「金持ちがあるなら、時間持ちという言葉もあってよい」というのを本で読んだ事がある。 若いときから時間だけは多くあった。時間のブルジョアといってよい。現在もそうである。 初めは持て余していたが、今は充分?に有効利用をしている? 現在も装置産業を選んでしまった為、時間だけはたっぷりある。 初めの数年は本当のところ、どうしてよいか戸惑った。小人閑居して不善をなす」というところもあった、今もか。 経営セミナーに出るか本を読むか??しかなかった。 お金と同じである。人がお金を持て余さないのは、 お金を自分のために使おうとしている為である。「主体的」に使えるから、お金は幾らあっても持て余さない。 お金は自由の塊そのもの。時間があるということは、自分で使える自由があるということだ。 時間を持て余すことは、その自由を使いこなせない事。もう十数年も前の事になるが、ある長岡の不動産屋の社長が 毎日が日曜日のくらい暇な日程の私の姿を見ていて笑っていた。 3月のある日、年度替りで不動産屋が一番忙しい時だった。奥さんと二人パニックに近い状態に。 その後二人で喫茶店に行った。本人自慢げに「イヤー忙しいくってね?」 私「その仕事何パーセント、500円のパートのできる仕事?」不動「99パーセント」 私「ふーん、あんたの時給はいくら?」不動「一万円あたりかな!」 私「時給一万が、500円(当時)の仕事をして喜んでいるんだ」その後、本人はすぐ一切の雑務をしなくなった。 話しは外れたが、時間もち(金持ち)とは、主体を持って使いこなしているかどうかだ。
・・・・・・・・・ 2001年06月18日(月) [56] 母のアルバム
昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達の写真があった。 そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、上部が細くなる写真に映し出された。 何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように上部が細くなる。 怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから ‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。 遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。 仕方がないので隣にならんであった、母の見合い用と聞いていた写真をスキャンする。 何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので‘あの世でも上手くいってないのでは’ と心配になってきた。 思い出の写真コーナーに載せてある。
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