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堀井On-Line
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2003年05月29日(木)
昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。 二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。 せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを見せている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。 空いているカウンターに我々4人が座った。 暫くすると、他の団体も帰っていった。 隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。 何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。 「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、 自分は佐渡の出身だという。 その場が急に同郷の会みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。
そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。 二人が深刻そうな話を始めていた。 「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。 ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが 捨て身で店を開いていたのだ。 連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。 その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。 その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。 そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。 どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。 歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。 その話を翌日、行かなかった人に話をしたら 「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。
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2003年05月28日(水)
5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、 面白そうなので参加した。 大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の 集まりであった。 一回目が九州と大阪。 二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。 県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。 日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。 反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。 といって、取ってつけた感も否めなかった。
一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、 湯布院、大阪の再開発の視察であった。 半分はその名を借りたお遊びでもある。 しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。 特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが 感じ取れた。 再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。 湯布院が期待していた以上であった。 時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。 個性的な店が多く出ていた。 料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。 若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。 映画セットの中にいるような感じがした。 30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり ほのぼのとした感じで好きだ。
二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。 メンバーはほぼ同じである。 これも楽しい面白い旅行であった。 札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。 いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地と モチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。 函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。 石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。 この旅行で芸術家数人に向かって、 「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と酔って 言ったらしい。 ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。
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2003年05月27日(火)
テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。 桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、 新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬両司会が引き出していく。 恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。 人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。 時には際どい下ネタが出てくる。
この番組を見はじめて30年以上が経つ。 軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。 周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。
先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。 17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、カラオケにいって、そのまま 部屋に泊めて、成り行きで結婚したケースであった。 捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。 いろいろあるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。 結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。 幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
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2003年05月26日(月)
昨夜のNHKスペシャル「地球市場・富の攻防(5)・自動車欧州戦線」 フォルクスワーゲンの戦略ーが面白い内容であった。 2年前に北欧に旅行した時、どの国の首都も不況の真っ只中であった。 その国の首都に集中していた企業の本社がドイツのベルリンに、雪崩をうって 移転している為だ。EUが国のあり方を変えている。 昨夜の内容は新たに10カ国増えて、25カ国に拡大する事に決まったEUを 舞台にいま、自動車メーカーが激しいシェア争いを繰る広げている。 その最前線を探る内容であった。
旧共産圏の人件費の安い国に工場移転が本格的になってきている。 それがドイツの国を根幹を揺るがしているのだ。 現在の日本と中国・アジアの関係に酷似している。 ドイツお前もかというのが感想である。 第二次大戦の成功モデルの日本とドイツが、そのシステムが根こそぎ揺らいでいる。 部品メーカーが価格引下げの要求に、旧共産圏に工場を移転しなくては 成り立たなくなってきているのだ。 そうするとドイツやスペインなどの企業が、今までの労使の協約も根本から 見直さないと、会社そのもの国そのものが存立しなくなってしまうのだ。 グローバル化の典型的な事例である。
話は変わるが、今度のSARS騒ぎは企業の情報化を更に推し進める事になるだろう。 TV会議システムなどの直接人間同士が接触しなくとも、衛星などを使った 情報交換を最大限駆使したシステムを使い情報交換が可能な状態にするだろう。今回のイラク戦争も殆どが情報戦であった。 これで駆使されたシステムが、一般の企業の端末に入ってくるのは時間の問題である。 ますます競争の激化と、変化が顕著になる。 この情報化社会はグローバル化と激しい競争社会を加速していく。 そして既存の社会・国・企業・家庭・個人のあり方など全てを根本から変えていく。
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2003年05月25日(日)
父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。 去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。
私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。 子供に対して、非常に愛情の深い人であった。 母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。 反面非常に厳しい人であった。
年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。 毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。 非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。 反面、非常に寂しがりやのところがあった。 こう書いていると自分の事を書いているようだ。 過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。
もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を 貰うのが恒例であった。 そして数日後、全額を預金させられた。 もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。 高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、 それも自分で銘柄を選べと。 必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。 結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを 教えたかったのだろう。
以前書いた文章をコピーしておく。 ・・・・・・・・・・・・・・・
2002/06/01 父・堀井誠作のこと -1
一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。 早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。
父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。
・典型的な明治人で長岡商人であった。 ・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。 ・数代続いた骨董品屋の2代目で、 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。 その為必至に資産をつくり上げたようだ。 ・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。 しかし戦災で大部分失ってしまった。 ・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、 かなりの骨董品の商売をしていたという。 ・戦時中は仏壇で食いつないだという。 ・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。 以前父のことを書いた文をコピーしておく。
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2002/06/02 父・堀井誠作のこと−2
・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。 家庭人としてこれが一番の基本である。 ・非常にシャイなところがあった。
・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。 年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!
・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。
・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。 これも両親からの最大の教えである。
・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。 集り坊主の丁度いいお客様であった。 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。
・お金に関して父なりの金銭哲学があった。 ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。 −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。 −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。
・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。
・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、 逆に父はシャイなところがあった。
・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの 利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000 〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。 −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。
いずれにしても自分にとって最大の先生であった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー H0505小説のような本当の話!
十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。 ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。
生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、 お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。
たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには “自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、 正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。
それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、 必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。
聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。 その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。 そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる 出来事でした。 父の名前は誠作という事もあり、 それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、 丁度今の会社の理念を考えていた矢先、 それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。
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2003年05月24日(土)
ー40歳の頃−1986年
過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきた かの謎解きを一人しているような気分になる。 この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。 280室に向けて一番勢いがあった。 またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。 時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。 コンピューターを導入した年でもあった。 政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。 気持ちの中ではギリギリの限界であった。
ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で 1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」 また起きた感じだ。 NHKのBS・2で、時間は21時55分。 恐ろしい感じがする。 よくおきるがあまりに露骨だ! シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。 嘘みたいだ! 実際のところ、現におきたのだ。 書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから! あまりにも出来すぎている。 これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いていたということになる。 深い自分のしらない何かがあるのだろう。 これだから面白い!テーマが変わってしまった。
ー重大ニュースー ・三原山大噴火 11月15日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害をもたらした。その後の調査で、三原山が7.7m高くなったことがわかった。 ・撚糸工連事件 日本撚糸工業組合連合会側から200万円を受け取ったとされる横手文雄代議士が受託収賄罪で、500万円を受け取ったとされる自民党の稲村佐近四郎代議士が収賄罪で起訴された ・社会党に初の女性委員長 ・イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日 5月8日、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が日本政府の招待で来日した。ダイアナ妃ブームに。京都見物を終えてから東京入り。歓迎式典や青山通りパレード、宮中晩餐などの超過密スケジュールをこなして、13日羽田空港から帰国。 ・現金輸送車の3億3000万円強奪 11月25日朝、東京千代田区有楽町、三菱銀行有楽町支店前で現金3億3000万円入りのトランクを積んだ輸送車が停車、運転手と警乗員がドアをあけたところ、後方からきた車から2人の男が飛び出し、モデルガンで運転手を殴りスプレー式の目つぶしを吹き付け、ひるんだすきにトランクを奪い車で逃走した。車の中にも1人おり犯人は3人組だった。87年10月フランス人の犯行と判明。現金輸送の強奪事件では1968年の3億円事件を上回る・史上最高被害事件。 衆参同時選挙で自民党が空前の勝利 。
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2003年05月23日(金)
何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。 魂の響きがそのまま直に伝わってくる。 インターネットで調べてコピーした 私の解説など入らない!
落ちこぼれ 茨城 のり子
落ちこぼれ 和菓子の名につけたいようなやさしさ 落ちこぼれ いまは自嘲や出来そこないの謂(いい) 落ちこぼれないための ばかばかしくも切ない修業 落ちこぼれこそ 魅力も風合いも薫るのに 落ちこぼれの実 いっぱい包容できるのが豊かな大地 それならお前が落ちこぼれろ はい 女としてはとっくに落ちこぼれ 落ちこぼれずに旨げになって むざむざ食われてなるものか 落ちこぼれ 結果ではなく 落ちこぼれ 華々しい意志であれ 花ゲリラ 茨城 のり子
あの時 あなたは こうおっしゃった なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる 私を調整してくれた大切な一言でした そんなこと言ったかしら ひゃ 忘れた あなたが 或る日或る時 そう言ったの 知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない そんな気障(きざ)なこと言ったかしら それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ ポカンと忘れた百舌(もず)である 思うに 言葉の保管所は お互いがお互いに他人のこころのなか だからこそ 生きられる 千年前の恋唄も 七百年前の物語も 遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも どこかに花ゲリラでもいるのか ポケットに種(たね)しのばせて何食わぬ顔 あちらでパラリ こちらでリラパー へんなところに異種の花 咲かせる
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自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを近親のせいにはするな 何もかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな そもそもが、ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい 自分で守れ馬鹿ものよ
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根府川の海
根府川 東海道の小駅 赤いカンナの咲いている駅
たつぷり栄養のある 大きな花の向うに いつもまつさおな海がひろがつていた
中尉との恋の話をきかされながら 友と二人こゝを通ったことがあつた
あふれるような青春を リュックにつめこみ 動員令をポケツトにゆられていつたこともある
燃えさかる東京をあとに ネーブルの花の白かつたふるさとへ たどりつくときも あなたは在つた
丈高いカンナの花よ おだやかな相模の海よ
沖に光る波のひとひら あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月 風船のように消えた 無知で純粋で徒労だつた歳月 うしなわれたたつた一つの海賊箱
ほつそりと 蒼く 国をだきしめて 眉をあげていた 菜ツパ服時代の小さいあたしを 根府川の海よ 忘れはしないだろう?
女の年輪をましながら ふたゝび私は通過する あれから八年 ひたすらに不敵なこゝろを育て
海よ
あなたのように あらぬ方を眺めながら……
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わたしが一番きれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき まわりの人達が沢山死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった 男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき わたしの頭はからっぽで わたしの心はかたくなで 手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき ラジオからはジャズが溢れた 禁煙を破ったときのようにくらくらしながら わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき わたしはとてもふしあわせ わたしはとてもとんちんかん わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに 年取ってから凄く美しい絵を描いた フランスのルオー爺さんのように ね
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2003年05月22日(木)
長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。 10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの 店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン) に転居していた。 それが転機であった。 あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。
丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。 ある姉に勉強のコツを教えてもらった。 「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ! そうするとコツが解るし面白みが出てくる」 そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。 それからコツが解りかけてきた。 とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。
この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。 一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。 また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。 このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。 また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。
母親が重度のノイローゼーになっていた。 二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。 あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。 医者にも見放されそうであった。 何回も死線を彷徨っていた。 その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。 今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。 母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。 身近で見ていても子供なりに、それが分った。 そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。 死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。 それだけ悩みが深かったことが分る。
商売を続ける事は、すざましいことだ。
・・・・・・・・・・・・・ ーその頃の政治や社会的出来事としては、
日ソ国交回復 参宮線列車転覆の惨事 弥彦神社惨事 砂川基地闘争 メルボルン・オリンピック ーことば(流行語・話題の発言)は 「一億総白痴化」(大宅壮一) 「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」 「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から) 「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から) 「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」 「もはや戦後ではない」(中野好夫)
ーベストセラー 太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞 帝王と墓と民衆 異性ノイローゼ あなたは煙草がやめられる 夜と霧 モゴール族探検記 大菩薩峠 マナスル登頂記 細胞生活
ー音楽ー ・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表) ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三 ・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売) ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん じゃないが ここらは近頃物騒だ ・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売) ・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた ・ここに幸あり(大津美子)(5月発売) ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し ・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売) ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる ・哀愁列車(三橋美智也) ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音 ・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売) ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく ・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売) ・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。 ースポーツとしてはー 第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】 トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。 【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。
第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】 ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】 <オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催> 南半球初のオリンピック開催。 【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5 体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。
ー野球ー セ・リーグ [優勝]巨人 パ・リーグ [優勝]西鉄 第7回日本シリーズ 西鉄 4(●○○○●○)2 巨人 第28回選抜高等学校野球大会 [決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜) 第38回全国高等学校野球選手権大会 [決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)
ー大相撲1ー 1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。 大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。 初場所 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目) 春場所 朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初) 夏場所 若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初) 秋場所 鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目) 1956
ー囲碁・将棋ー 囲碁第11期本因坊戦 高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段 <本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。 なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった> 呉・高川十番碁(第4局までは1953年) 呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先) <段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。 第八局で向先相先に打込んだ> 将棋王将戦 升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>
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2003年05月21日(水)
中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。 数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。 ここで景気がさらにおかしくなってきた。 数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。
そのパターンは 「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」 というのが共通点である。 大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては ならないのが経営というものだ。 「後は野となれ山となれ」ともいえない。 今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。 うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。
明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。 もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。 第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。 戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。 日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことがで きるだろうか?
中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、 ユダヤ人だけは無事だったとか。 ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、 手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。 話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。 これも清潔に関係しているという。
世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。
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2003年05月20日(火)
『未来を読みきる力』
この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。 ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と山岡荘八の『徳川家康』は 戦後の経営者のバイブルであった。 若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。 以下はドラッガーの名言録を書き写した。 なかなか深く耳の痛いところが多い。 企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。 自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。 自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。 自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。
大不況の中、どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、 何か励まされる内容である。 私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」 自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした! ー『ドラッガー名言録』ー 1、「表の風に吹かれろ!」 2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」 3、「昨日を捨てよ」 4、「お山の大将根性を捨てよ」 5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」 6、「知識は消え去りやすい」 7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは 全くのナンセンスである」 8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」 9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」 10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては ならない」 11、「教師が学習を阻害することがある」 12、「人間は単能マシーンではない」 13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」 14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」 15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の 人間は時間の浪費家である。 16、「知識労働者自身に上下はない」 17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」 18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、 ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」 19、「最も重要なことから始よ」 20、「知識は本の中にはない」
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