堀井On-Line



641, 動物と人間

2003年01月09日(木)

旅行をしていると、色いろな世界を垣間見れる。特に動物の話しが深い。
・シナイ半島で聞いた話だが、ラクダが面白い性格を持っているという。
 理不尽にいじめたりすると根に持って,
 隙を狙って人を殺すという。
 理屈に合ってたしなめながら調教なら恨まないという。
 人間の気持ちと同じという、何か解るような気がした。
・ケニアの湖の小さな舟の船頭に聞いた話だが。
 目の前にいるカバのグループ一匹が先日ある男を襲ったという。
 その男はいつも遠くからカバを馬鹿にしてからかっていたという。
 静かに船に忍び寄ってきて襲って、その後死体はあがらなかったという。
 何気なく現地の人が話すが内容は新鮮で迫力がある。
・中国ウイグルのホータンで聞いた話しが面白い。
 ロバと人間の関係がよい。
 労働力として運命共同体として運搬としてつかうが、死んだら墓をつくり
 埋葬するという。何かその地域の特性があらわれている世界だ。
・アフリカでは野生動物は自動車に乗った人間は絶対に襲わない。
 時間をかけた、といっても100年だろうが、お互いの契約ができていると
いう。
・ペルーのチチカカ湖の沖にの葦で作った島に住む住民の世界だ。
 驚いたのが、鵜に似た鳥が天敵がいなかったせいか人間を恐れないのだ。
 その島民も欲しいときにその鳥をとって食べるのだ。
 現場を見て自分の常識から考えられない光景に口を開けたまま呆然とし た。
・もっと刺激的なのはインドである。牛は神聖な動物とされて最下層の人より
 上に扱われているのだ。街で自由に闊歩している。当然誰より自分が上という
 事をしっている。餞民が交通事故の場合はほとんど問題にされないが、
 牛の場合は大きい問題になる。日本では考えられない。
・パキスタンでは、街の真ん中で羊を殺し解体している。
 日本では勿論、許可をえた場所以外屠殺は禁止されている。

動物との関係は風土や宗教により成り立っている場合が多い。
世界は好奇に満ちている。


640 ,ラスベガス

2003年01月08日(水)



去年の年末にBSTVでラスベガスのショーを連日放映した。
その華やかさにただただ驚いた。
NHKの紅白より豪華で格段の差があった。
センスといい規模といい比べること自体が可笑しいといってよい。
アルゼンチンでタンゴのショーを見て圧倒されたとき、ラスベガスの
ショーはこんなものでないのだろうと思った。

先日図書館で借りてきた本に偶然そのラスベガスを書いてあった。
浅田次郎の「絶対幸福主義」である。
彼は仕事の頭の切り替えにラスベガスに年5^6回行っている。
そこでこの街をわかりやすく描写している。

ーラスベガスというのは、カジノだけでなくホテルもレストランも、全体が堅気ではない。すべてが遊び場、夢の世界なのです。
だから24時間、私を別の自分にしてくれる。
こんな街は世界に二つとないでしょう。
何を求めて年に5回も行くかというとリフレッシュのためです。
いやリライフー生き返る・蘇生するという造語を言わせてもらう。

まずホテルからして面白い。私が滞在しているのは「トレイジャーホテル」ですが。
その名のとおり、コンセプトが「宝島」。で、地下のフロアーに行くと海賊がウロウロしているんです。隣の「ザ・ミラージュ」は、ホテルそのものが
ジャングルになっている。その隣の「シーザーズ・パレス」は、古代ローマそのままの内装なんであります。
街そのものがワンダーランド。ディズニーランド顔負けであります。
意外と思われる方も多いでしょうが夫婦や家族ずれで来るとさらに楽しいところだ。

どこに行ってもきれいだし、治安がいいし、買い物をするにも世界一というほどショップが揃っている。洒落たレストランもそこらじゅうにある。
この街の健全性に、私は感動してしまいました。
と同時に、いかに日本人が博打を罪悪してるかを再確認しました。
   ・・・・・・・・・
等々、目に浮かぶような描写である。
俗っぽく言えば「如何にお金を持つことが大事であるかと、またそれを使うには能力が必要」ということだ。

私の場合は秘境旅行をそのままこの文章に当てはめることができる。
「こちとらは、ニセモノのジャングルや古代ローマや宝島じゃないぞ。
本物なのだ」というのも金と能力の限られた人間の負け惜しみだ。
一度ラスベガス行ってみたくなった。
何時も乗換えで飛行場から遠く街を眺めていたがこんな楽しい街なら行ってみたい。
金をたっぷり持った人種に圧倒されて帰ってくるのが目に見えているが。


639, 自己疎外

2003年01月07日(火)



35年前の事だが経営学の野田一男教授の授業をうけて数ヶ月。
同級生が手をあげて「自己疎外とは何ですか?」という質問をした。
それに対しては一瞬詰まって「君にはちょっと早い問題だよ!」
と答えた。その時から「疎外」というキーワードが記憶に鮮明に残った。

これは大不況の今の時代にピッタシだから敢えて書いてみる。
組織や地域社会に所属していると孤立している感覚に陥ってしまう。
全ての人が自分をあざ笑っている感覚であり、取り残されている感覚が
疎外感である。誰もが持っている挫折感と絶望感の一番の空虚感である。
死や失業になった時に初めて気づくのだ。

自己疎外感は孤独のブラックホールといってよい。
全ての充実感や存在感を吸い取っていくのだ。
宗教業界の商品作成のデザインの一番の落としどころだ。
それを見抜いて神と共同体を与え愛をささやくのだ。

今の日本に自己疎外を持った人が満ちている。
それは絶対神ーラージXを持たない日本の弱点になっている。

大都会の酒場で一人飲んでいるほうが禅寺で座禅をしているより、
孤独感を感じるのは自己疎外に陥っている状態であるからである。
ところでこのホームページを開いてから自己疎外感が激減した。
疎外感退治にホームページを開くことを勧めます。

疎外感を感じている方が真実に気づいている事も事実である。


633, 不幸論ー中島義道

2003年01月06日(月)


図書館で借りてきたユング派の哲学者の中島義道の不幸論が面白い
内容であった。

幸福論の自己欺瞞を鋭く指摘したあとに、人間の最終結末の死をとらえて
不幸論を書いている。しかしあくまでも幸福論の批判であって、
不幸論そのものを見すえて論じてはなかった。

しかし不幸を座視にして幸福論を批判するのは、逆に幸福論をより鮮明に
浮かび上がらせて理解するのに良い。
幸福の構造は
1、自分の特定の欲望がかなえられていること
2、その欲望が自分の一般的信念にかなっていること
3、その欲望が世間から承認されていること
4、その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れてないこと
特に1〜3までの実現に4が生じてしまう。

幸福論というと、エピクロスの快楽主義が思い浮ぶ。
「人生において、面白おかしくしたい事をする事が全てに優先されるべき」
バランスが問題になるだろうが。

最近の幸福論としてヒルティやアランである。
・ヒルティの幸福論はキリスト教の理想的なカタチ
・アランは内省ー解釈の仕方ー気持ちの持ちよう
集約するとこんなものだろう。

私の幸福論はやりたい事を見つけどれだけやったかという
達成主義である。それもあくまで自己欺瞞でしかないのだろう。
愛・知・力という3点に自分の目標値は決め、達成のプロセスが=幸福という
単純なものだ。しかし死を宣告された時にその達成感など何の支えになるかと
考えると、その前に粟粒でしかない。

この不幸論の一番気にいったところを抜粋した

ーだいたい、幸福論を書こうという人の動機が気に入らない。
彼(女)は、
・まずだれでも幸福になるという基本態度を押し出す。
・次に、この磁石の上に、自分の体験を重ね合わせて、幸福とは大それたもの
でないことを、それは考え方を変えることで誰の足元にもころがっているという、
壮大な建造物ー砂上の楼閣を創りあげる。

これは幸福教の布教にすぎないまやかしである。
幸福そのものが虚妄なのではない。
幸福そのものが、じつはあまりにも高いところに位置する。
幸福が安直に手に入ると思う事が、虚妄なのである。

各人の幸福は自分の五感で探すしかない。
そしてヤコブが砂漠で神と格闘したように、全身全霊でみずからの
人生と格闘した後に、とうてい到達できない事を知って、絶望するほかない。
こういうことを悟った者は幸福でない。
しかし、幸福という幻覚に陥っている者より数段マシである。
・・・・・・・・
以上がだいたい彼がこの本で貫いている主張の要旨だ。
私の今の気持ちー敢えて気持ちと書くーは以下である。
両親や身近な人の死に様や生涯をみて、
一生かかって何かをやり終えた人生そのものの判断を幸・不幸という言葉で
論じるべきでない。
それは酔ってる気分の状態を論じているにすぎない。
「酔って気持ちが良いか、悪いかの」
まあ幸不幸は考えないのが一番幸福だ??


632, 自由化\(~o~)/

2003年01月05日(日)

日本が大きな曲がり角にきている最大の原因は自由化のウエーブである。

特に厳しい業界は規制により守られてきたところだ。
酒屋、米屋、ガソリンスタンド、スーパー、ホームセンター、金融ー銀行・保険、農家など殆ど全てといってよい。

自民党と結託した利権団体を隠れ蓑にした社会主義の実質共産党員社会
である。
その意味で今のこの混乱はソビエトが崩壊した十数年前のロシア共産社会の
混乱に酷似をしている。

今の自民党はロシアの共産党以下のレベルを演じている。
それを支持しているこの国の民度の低さがますます露呈されている。
その意味でこの3年間は更に激しい破壊の年になる。

システムや能力は激しい競争社会の中でしか進化をしない。
それを否定し理想社会を夢見たのが共産主義や社会主義である。
チャンス平等でなく、結果平等を求めた。
資本主義社会の矛盾の破壊の役割として有効に機能を一時果たした。
現在その役割を果たした日本的社会主義の終了過程にある。

自由化とは何か??いや自由とは何??
それぞれが自己責任を背負う事??
それを国家単位で放棄してきたツケがこの数年で一挙に清算過程に入った。

ところでこのホテル業界は規制が全くない。
結果的にこれが非常に良かった。競争対策を常に求められた。
一見大変そうだが、競争対策がシステムに組みざるを得なかった。
従って現在大混乱にある甘さがよく見える。規制ー寄生の甘さである。

例をあげてみると
スーパーが大店法に守られ競争対策が全くなされてない。
「存在意義が大店法の存在だけ」という事が露呈してきた。
地方豪族化の漫画的存在が周辺でも見られた。
あと5〜7年後にアメリカのウォールマートに制圧されるかどうかの
瀬戸際にたたされている。その前に自滅もあろうが。

ホームセンターやスーパーの1ロットが最低5000億の世界という。
地方では500億で大企業だ。
その行方が??


631, 文化と文明

2003年01月04日(土)



文明と文化の言葉の意味を明確にしておきたいと思い辞書でひいてみた。
1、世の中が開け、生活が高度に進むこと
2、人類のあらゆる時代を通じ、人間が自然に働きかけることによって、
 みずからも自然状態から脱して作り出してきた物質的・精神的ないっさいの成果。
 フンボルト以来物質的文化を文明、精神的文化を文化と呼び分けることが多い。
であった。

これまでは
文化の積み重なりとしての遺産を文明。
その現時点の花開いている集合体を文化と理解していた。
時間軸でショートスパンで捉えたものを文化。
ロングスパンのものを文明として捉えていた。

しかしインターネットでで調べてわかった事は以下の事である。
ー各ホームページから抜粋したものを纏めたものであるー

・文化は個々人の心(意識と無意識)であり、
・文明は人間を取り巻く環境(自然環境、建築環境、社会環境)です。

ー文明とは人間が造り出した目に見える物質的なものに対して向けられる言葉であるが、
ー文化とは人間の身につけた自らの行動を律する目に見えない精神的なものに対して向けられる言葉である。
 最近の言葉でいえば「ハード」と「ソフト」との違いと言うことになる

「文化」と「文明」という言葉のつく固有名詞を考えて見ればこの違いはより明確になる。
・「○○文明」と言われるものの多くは「インダス文明」とか「古代文明」などのように、特定の時代の、しかも特定の人々の社会もしくはその経済的所産を指しており、
 その多くはすでに歴史の流れの中で過去のものとなっている。

・これに対して、「○○文化」と呼ばれるものは「イスラム文化」とか「仏教文化」というように、たとえその誕生した時期や地域が特定されるにせよ、その時代や地域に制約されることなく、その多くは今日まで何らかの形で生きている。
 確かに文化と文明とは人間の歴史の中で一体となっており、文明なしの文化、文化なしの文明などあり得ないのであるが、これらは決して同一のものではない。

 高度の文化を持ちながら、しかもずっと低度の文明しか持たない民族がいる
 ――例えば古代インド人――一方、大いなる文明を持ってきたが、
 比較的低い寄せ集めの借りものの文化しか持たない国民――例えばローマ人、そして現代ではアメリカ人――がいるのである。
 歴史の隠れたドラマは、人類の内的価値と外的価値の永遠の闘い、精神と物質、文化と文明との闘争であるとさえ言いうるであろう。
 アメリカとアラブの闘いは文化と文明の闘いと思っていたが、
 文化と文化の争いでしかない?

 ーー自分である問題を提起すると、一瞬のうちに纏めができることに驚いている。
 幾つかのホームページの要点を張り替えただけでチョッとした学者並みの小論文が出来上がる。


630, クロスエンカウンター

2003年01月03日(金)



仏教学者の紀野一義の講演会で
「ー縁ーの英訳で迷った訳者がキリストの十字架との出会いと人との出会いを
兼ねてクロスエンカウンターと訳した」という言葉が印象的であった。

先日読んだ野口悠起雄の本に
大蔵省にいた時に先輩に「急に出先で講演を依頼された時などの緊急の話題
をつくらなければならなくなった時に、縦軸と横軸のキーワードを探して
話をまとめるとよい」という内容があった。

一つの例として学校でのケースで考えてみると
先生を縦軸、生徒を横軸にすると面白い内容になる。
即興で作ってみると
「生徒を縦軸、先生を横軸に考えてみると生徒と先生のそれぞれの立場
が明確になる。生徒の一生を縦軸とすると、先生やクラスは大きいメルクマールであり、
知識や性格形成にとっても大きい影響を与える。
逆に先生の立場を縦軸とすると、教師生活での担任は先生にとってもメルクマールになる。
その時々のクロスこそ教師にとっても生徒にとっても真剣勝負でなくてはならない・・・」
このことは時間が縦軸、空間が横軸といえる。

商店主の会なら、店主とお客の関係を縦横にして話の構成をすればよい。
取引先と店も縦横にできる。

これをもう一歩進めて「考える中心軸」にすればよい。
対象を縦か横にすえて自分との対比とか、
対立する対象を縦横にして考える軸にすればよい。

一生はクロスエンカウンターの繰り返しである。
そしてその中心は自分だったり神様だったりする。


629, 英国人はまず道具を揃える

2003年01月02日(木)



今回-パタゴニアの添乗の人がイギリスに詳しい人で色々のことを教わった。
その一つに
「イギリスではゴルフやハイキングをする時は思い切った良いものをまず揃える」「まずは形から入る!」この言葉がいやに説得力があった。
長い歴史の中からの知恵を感じ入った。
しっかりした道具を買ってしまえば簡単には止めることができない。
覚悟ができると言う事だろう。
目的を見定めて手段のしっかりしたものをそろえるという事だ。

道具だけ揃えて持つことを趣味にする人がいるが、それはそれで趣味なら
良い。
チャーチルが持ち物は若い時から超一流のものしか持たないことにして
いたという逸話を思い出したが、今回の内容と関係ないか?!

機能優先であまり物に拘らない生き方をしてきた事が果たして良かったのか?
少し疑問があった矢先に聞いたので印象に残ったのだろう。

ブランドものは値段の価値のあるものが多い。
といって、それだけを追いかけている人を見ると疑問を感じる。
ブランド=価値と勘違いをしてしまうからだろう。
しっかりした道具を揃えることとは意味が全く違うが。

道具はすぐ揃えるが、三日坊主の人があまりに多い。
私の場合三日坊主の経験は少ない、学生時代の英会話があったが。


628, お正月の意味

2003年01月01日(水)


今日はお正月、その意味をインターネットで調べてみた。

お正月の意味はお正月さま、年神様という先祖の集合霊をいう。
この霊が各家に帰ってくる。
12月13日は家を祭場する準備のすす払いの日という。
門松は神様の依り代で、神様が何処に帰ったらよいかの目印の
為に置くという。

お雑煮は帰ってきた神様に供えたものを下げて一緒に食べるごった煮
をいう。その餅に宿る霊魂をお年玉という。今はお金を貰うことだが
本来の意味は先祖の霊魂をいう。
子供の頃一家揃って年末の御参りをしたのも、年始参りもその為だ。
歳暮は、お正月に親元や実家で神様と一緒に食べる為に持ってくる
酒や食料をいう。
そういえば、旧家などで貰うお歳暮は貝柱だったりする。

お盆も同じように先祖を迎え入れる行事である。その準備を始めるのが
七夕だそうだ。
何かいつも何気なく過ごしている中に先祖崇拝の風習があったのだ。
日本的風習の中に盆暮れに実家に帰省をして仏壇参りやお墓参りは
良い。最近は海外旅行に変わりつつあるが。

ホームページのサイトをサロンに載せてある。


627,パタゴニア旅行記ー9

2002年12月31日(火)

ー絵を描く人ー

今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。
見るところプロ並みの絵を描いていた。
画家の安野光雅に小学校の絵の担任でもたれたと嬉しそうに言っていた。
いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。

何十種類のクレヨンを持ってきて30〜40分位で仕上げてしまう。
見ていても気持ちが良いぐらい綺麗に仕上がっていく。
あの位巧く書ければ本人も気持ちが良いだろう。

主人の方はカメラマニアでお互い自分の世界に没頭しているのが
バランスが取れていて良い。
ある意味で理想的な夫婦の形に見えた。

絵を描くということは対象に対し観察眼が鋭くなるし脳に残る。
私も60歳になったら、クレヨン画の勉強をしようかと考えてしまった。
旅行では一人はデッサンをする人がいるが、この位本格的の人は珍しい。
個展を開いたり、自宅のリビングに額に入れて折々楽しんでいるとか。

ところで話は変わるが、ご主人に写真の撮り方を学んだ。
・対象をしっかり見定めて
・両脇をしめて
・片目でファインダーを片目はその外をみて
・足を少し開いて
・撮る瞬間は息を止めること
・時に木や花を通して風景を入れる
・外国の場合意識してその土地に住んでいる人をいれる

等々であった。
雲一つでもその地域しか見れない色や形がある。
夕景の太陽の色とそれに映える雲もそうだ。
同じ景色でも経験を積んだカメラマンの目は鋭い。
私などいつもマニアの後について回っている。
旅行は日常から離れる事ができ、色いろな知識と経験を積める!

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