|
堀井On-Line
|
2002年04月03日(水)
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、 本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。
読書や文章を書くとき、「頭の上に意識を集中するといい」とは 昔からいわれていた。 それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。
今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。 集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。
中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と、実際あったという。 落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。
ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。 それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。 授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。
石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。 カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。
注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を 読書などの対象に集中させる事が出来る。
仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。
|
|
|
|
2002年04月02日(火)
毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。
当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、 歓迎会がさらに盛り上がる。
2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。 お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。 その辺を調整しながら、盛り上げる。 しかし面白いことこの上ない。
若い人のエネルギーを戴く感じである。 若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい! 花が咲いたという例えがピッタシである。 それと時代に左右されている。
彼等はとにかく携帯電話世代だ。 意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。 新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。 反面、孤独という一番大切な世界を知らない。
宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると 以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。
|
|
|
|
2002年04月01日(月)
聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。 その中にあったデールの6原則があった。確か 1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる 4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める と記憶している。
学生時代まだ田舎を出たばかりで、 人間関係の都会的センスが身についてなかった。 どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。
即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。 そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。
特に聞き役は大変だ。 そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。 と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。
あの頃は頭でっかちである。 誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。 誰か聞いて欲しいのである。 また孤独で自分を知って欲しいのだ。 そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。
「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」 「今度は逆をやってみよう!」
ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。 その時読んだ本が「教祖の話術」−赤塚行雄ーであった。 聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。 そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。
行動科学のシュミレーションをしていたことになる。
|
|
|
|
2002年03月31日(日)
中学の頃の話である。 隣にMという一家がいた。 そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。 その家の裏に倉庫があった。
そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。 母親が肺病で、私のある姉にあの家の近くに近寄らないように言われていた。 カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。
カッチャンの父親は数年前亡くなり、 母親とカッチャンとその姉と3人の家族であった。 今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。 その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。
ところが彼女が癌で、なくなってしまった。 神も仏もあるものかである。 残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。
その肺病の母親もまた二年後亡くなった。 そして娘は施設に引き取られていった。
その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。 そのMという人の心に気がついた。 どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。 そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか?
人間の一番大事なことは何であるのか? それとは関係なく、現実は非情に動く。 「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、 反面本当かとも疑問が湧く。
人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。 少なくともカッチャンと姉さんには、深く残っているのではなかろうか? それとその娘の心に!
|
|
|
|
2002年03月30日(土)
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。 ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、 ああそれとパキスタンとネパール。
それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。 考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。 まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 私用の時も身から離さないようだ。
あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。 市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。 その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。 これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。 4000年の対立は致し方ないのだろう。 3年前の文章をコピーしておく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
H1105イスラエル聖なる旅
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。 四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。 現地の日本人ガイドのシャワ−のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。 その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。 関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。 人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。 旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、 ただただ面白い!内容であった。 旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。 また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
印象の強い順に列記してみると、
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。 四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。 そして現在も続いている。 この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。 イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ−サ。 磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド−ムとアクサ寺院。 ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。 旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。 次はモ−ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。 深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。 そして、その麓にあるカタリ−ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。 そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。 “マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、 ロ−マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。 陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、 七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。 その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った (ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。 =「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」 =自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。 イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。 ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。 一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。 壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。 今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。 −イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。 “イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?” という疑問がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で 一大転機の経験となるのではないだろうか。 旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。 四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。 六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。 現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。 男子は三年、女子は二年の兵役があった。 国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。 一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。 といってその手の事件は一切ないという。 その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。 今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。 1999.4.14〜4.24
|
|
|
|
2002年03月29日(金)
世界の何処の社会でも長男相続である。 それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。 世界は広いそしていろいろあるものだ。
北欧のバイキング社会がそうだった。 成人をすると、男は船に乗り外の社会に出て行く。 最後に残った男か娘が両親の面倒を見るという。 その代わり、家督を相続するシキタリという。
彼等にとっての海は夢を実現する世界。 長男から成人になると、さっさと出て行くのが慣わしという。 それが永年の試行錯誤の中で、ベストのシステムになったのだろう。
広い自然資源があるから、そういうシステムになったのだろう。 力が付いたら広い世界へ旅立つ、大きい自然環境があった為。 バイキングといえば、海賊だ。 40〜50人乗りの海賊船を数十隻を連ねて、村や街を襲ったという。
日本などの農業社会では、すぐにでも男手が必要であり、 外にはそれほどの資源が無かった。 昔から長男以外は都会などに丁稚奉公や女中に出された。 継ぐべき田畑があったが、一家が生活出来るぎりぎりだった。
北欧の場合、せいぜい家と舟ぐらいだったから、長男などは魅力も 引き継ぐ仕事も無かったのだろう。 しかし海や海の向こうに、無限の自然のめぐみと夢があった。
バイキング社会は10世紀から200年ほどしか続かなかった。
|
|
|
|
2002年03月28日(木)
毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。 もう2〜3回の入社ゼロの年を除いて、 前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。
初めの頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり 今は一日だけだ。 研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センセビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。 当初の頃は、感性訓練を目的としていたが。
密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問いかけと、答える立場を決める。 そして彼らにテーマを出させ、そのテーマについてどことん聞き出させる。 脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声で叱咤する。
あるところまで来たら、立場を逆にする。 それを密室の中で、繰り返しそれぞれの相手を変えてやっていく。
その中で自分のいい加減さ曖昧さを互い気づかせ、表面的会話から、 本音の会話へ、更に対話に深めていく。 その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、 仲間意識や帰属意識をつくる。
組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。 聞いたことを、はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。 時間をかけて、叩かれていく過程で身に付けるものだが。 それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的とする。
それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。 ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。 ある意味で一生もう決まっている、その人のソフトのベースもある。
こういう訓練を通して、自分で把握した事がある。 日記を書くこと、本を読む事、人の話を聞くこと、自分で考える事、 理想も持つ事、良い習慣を多く身に付けること、変化する事、初心を持ち それを大事にする事、その訓練を通して一番教えられるのは自分だ。
|
|
|
|
2002年03月27日(水)
縞模様は、中世では囚人やらい病や魔女とレッテルを貼られた人に 着せられていた。 悪魔の象徴の模様が由来という。
それがパジャマの模様で着ているのは、どういう理由なのであろうか。 囚人服や病院服と似ているのは?
悪魔の模様であったのが、いつの間にか日常に 使われているのが面白い。
よこしま(邪ま)な野郎だ、という語源がここから来ているとは思えないが。 明治や慶応のラグビー部が確かこの模様であったが、このことを知っている いるのだろうか。
いや相手がこの模様のために、少し臆してしまうのを狙う効果もあるか。 シマウマは悪魔の馬と聞いた事がない。
そういえば葬式の時、バックに張る布も縞である。 いやあれは縦縞か。
|
|
|
|
2002年03月26日(火)
今回行った中で、私たちと同じ年格好の夫妻がいた。 100カ国の国を訪れるのが目標で、これで93カ国達成したという。
回数は70回、この5ヶ月は毎月アフリカに来ているという。 エチオピア、マリ、マダカスカル島、ナミビアそして西アフリカ。
現在失業中とか言っていた。お金の方はと聞きそうになったが、 さすがに聞けなかった。私がこのペースで年3回続けても、 10年以上かかる旅行にすでに行っているのだ。
次回はまだ決まってないが、帰ってから決めるといっていた。 本当に旅行が好きでたまらない感じだった。
こういう旅行のマナーとして、プライベートの事には興味を持たないようにしている。 しかし自分の世界をはるかに超えた人と出会うと、どうしてもその世界に 興味を持ってしまう。
金髪に染めていた30歳前後に見えた女性、実は?0歳近くで新婚。 相手の男性は10歳以上若いという。 1?歳の子持ちで月収数百万あり、使い切れないという。 行き帰りはビジネスクラス、アーどうなってるんだろうと 考え込んでしまった。
この5月の連休もアフリカに来るという。 最後は本性が出て、添乗員を怒鳴りつけていた。 来年は傷心旅行か? 色々面白い!
|
|
|
|
2002年03月25日(月)
能力探し
今回の旅行で面白い人とであった。 予備校の講師でミュージシャン、今度小説を出すという。
年令が31歳、数学の本を何冊か出し、予備校の講師。 今回の旅行で3つの歌を作ったという。
音楽のゴーストライターもやっているという。 ゴーストライターで本は聞いたことがあるが、音楽では珍しい。 ミュージシャンと数学の先生の二刀流ということだ。 CDを数枚出し、有線でトップテンに入ったことがあるという。 「防波堤」は、長岡のスナックで聞いた事あった。 夜バーで聞いた弾き語りがなかなかよかった。
昼からビールを二本飲んでいた。夜もしかり。 話しているだけで、自分の中の創造性が喚起される。
私の目では一応本物に見えた。 エルミナの夕景を見にホテルの海岸に出たら、一人海辺に隣接している 誰もいないスナックでビールを飲んでいた。 声をかけると、夕日で変わる海の色の変化を見ているという。 これはいえない言葉である。
何か変わった人だと気に留めていたが、家内からあの人はミュージシャンで 予備校の講師と聞いて納得した。
その後何回か話す機会があったが、講師とミュージシャンの仕事の特性の 為か、相手を自分の世界に引き込む話術には驚いた。 いや話術ではなく、その人の中味なのであろう。
http://yoshiki-o.hoops.ne.jp/ 大上芳樹
|
|
|
|