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堀井On-Line
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2002年01月12日(土)
私の一番のマイナスの特性は酒乱のケがあることだ。 勤めてそれも本格的になったのが、金沢時代からだ。
酔わなくてはやってられない、いや酒に逃げていたのかもしれない。 といってそれで人生を狂わせたというまででもない・・・?
酒の失敗がない人生を考えてみると、10倍位の人間関係が 広く深くなっていたと思う。 反面、人間関係でABC 分析のBCの人間の排除に一番いいのも確かだった。 そう思い込んでいるのかもしれない、これは負け惜しみか。 「人間はおおよそ失敗するのは、女か酒か賭け事の何れかだ。 もっと詰めれば女か酒かだ」とあるゼネコンのベテランの営業の人がいった。
「貴方は酒の失敗系の人だ、女はない。10年も付き合って一度も、 飲んでいてその場面に近いことがない、必ず尻尾が出るものだ」と。 酒の失敗がなければ、そちらに何かあったと思う。
その意味でぎりぎりセーフというところか。よく警察沙汰によくならなかった ものだ、当たり前のことだが。
酒の中で一番危ないのが日本酒である。 これで何回失敗してことか!
気違い水とはよく言ったものである。 最大の敵を自分の脳の中に入れることと同じことだ。 酒を入れるとその人間性があらわになる。 卑しい奴は卑しく、凶暴のな奴は凶暴に、暗い奴は暗く、 スケベの奴は助平になる。
「酒も飲まず、タバコも吸わず百まで生きた馬鹿がいる」というが、 それも事実である。
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2002年01月11日(金)
・何といっても不景気だ、気分的に沈みがちの中飲んでいても旨くない。 誘いも少なくなる。 ・新潟駅と長岡駅に鮮魚店や料理屋の販売店などのテナントが出来た。 通勤の途中に両方がある。これが一杯飲み屋よりもずっと美味しい。 地元の一流の料理屋が出店で割烹料理を売っている。 子供の時の正月料理とほぼ同じ味である。これを帰りの時間(PM6:00) の値引きセールになる。家で食べる方が美味しいという逆転現象がおきる。 ・歳をとってきたー以前ほど赤ちょうちんの雰囲気に親しみを感じなくなった。 ・TVのパフォーマンスの方が楽しい。 以上が理由に上げられる。 サラリーマンのスーパーでの買い物が増えているのと、自分の姿が二重写しになる。 週に二回はどちらかの駅の売店で肴のツマミを買う。 家内も外で飲んで帰ってくるより、健全?で美味しいから文句をいわない。
彼ら店主は、この時代の変化が全く解ってない!これは他人事でない。 何処も全く同じ味の商品!こちらは毎日が少なくとも生活では変化の連続だ。 また変化し続けてる店しか行かなくなった、それが当たり前である。
スーパーの食品も冷凍・冷蔵技術や器の高度化や低コスト化で日日向上している。 闘いの相手がどんどん変化している。家でデジタルTV をつけ、パソコンをいじり 買ってきた肴をつまみ、酒を飲んでいたほうがずっとよくなってきた。 年齢もあろうが。
デフレとライフスタイルが変わってしまったことに気ずいてない。 店主よりこちらが舌が肥えてしまったという逆転にも。 毎日が激変である。
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2002年01月10日(木)
5〜6年前か、息子の大学入試の作文の課題が「仏教について」であった。 そこで自分ではどう書くか考えてみた。 チャンスがあったらに書いてみようと思うが。
その前年が「壁」であったと聞いて、すぐ自分のそれを考えた。 それを思い出して書いてみる。 「壁というと、まず考えられるのが仕切りの壁で、区分の役割である。 そして心の壁である。それも自分の思考習慣の壁である。
仕切りの壁も人工のものと、自然の壁がある。 人工のものとして一番大きいものとして万里の長城がある。 日本だったら海というところか。
これは外国から国を守る為のものだ。 屋敷の壁、これは家屋敷を外から遮断するものである。 部屋の壁はそれぞれの機能の区分である。
こんな内容であった。何故はっきり憶えているかというと、 日記に書いていた為である。
これに対し、今新たな考えを加えると「言葉の壁」と「習慣の壁」である。 言葉の壁の「取りあえず」「でも」「まいっか」・・・・ そして外国語の壁がある。 習慣の壁、そうそう行動の壁、感情の壁、いくらでも出てくる。
言葉の壁を次回書ててみよう。
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2002年01月09日(水)
この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。 「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、 夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。
夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と具体的行為に思考ダウンしていくものだ。 時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。
夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、 具体的レベルに引っ張り込むことが可能となる。
人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが 意外と曖昧になってしまう。私が自分の葬式の写真からの視点を、忘れないようにしている のも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。 言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」 2020年2月2日ー午前2時2分。 この辺りを目安に、生きてみよう!今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのままに!
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2002年01月08日(火)
今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。 何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。 今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、 雪達磨式に借金が年収の10倍以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。
今もその範疇より一歩も出れない状態にある。 「こうすれば、よくなるという」視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。 やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。 もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、 この視点から一歩も出ていない状況である。
ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。 アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。 解っていてもどうにもならないのだ。 この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。 しかし見ていると、まだ腰が引けている。
恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。 仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、 しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。 恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。
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2002年01月07日(月)
この映画はほとんど見ている。なぜ見るか?やはり「家庭の温かさ故郷の 暖かさ」を求めていた為だ。半分は映画館、他はTV である。
長岡に帰ってくるまで、どこにいても故郷代わりになってくれていた。 山田洋次監督のテーマは、仏教の仏の暖かさを、寅さんの中に 表現しているように思える。団子やの一家もしかりである。
「旅」と「帰る家」がテーマだ。頭の軽いフーテンが仏性である。 赤裸々の人間の中に崇高な仏性を表現している。
風のようにフラリと旅に出て、フラリと帰ってくる。 そして行く先々でまた帰ってきて事件を起こす。
何か自分の姿をみているようだ。可笑し(*^_^*) さの中に悲しさ、 そして悲しさの中に可笑しさが含まれているのがいい。
その作ごとに出来不出来の波がある。映画を見終わった後味がいい。 TVで何回も見ても飽きないのは、やはり好きの為だろう。
曽野綾子が「こんなひどい映画はない」と書いていた、キリスト教文化の 視点ではそうかもしれない。隠れテーマが解らないだろう。
年末年始にこの番組が集中的に放映されるが、一杯飲みながら、大口を 空けて笑っている自分が可笑しい。正月にぴったしの番組だ。もっとも それ狙いに作ってあるのだから。
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2002年01月06日(日)
システム・エンジェニアーSE
ソフトハウスの仕事の柱になるのは、SEである。 去年、下の息子がアメリカの会計系のコンサルタント会社に就職した。 勤めて初めての帰省で、会社の内容ー特にシステムー を少しでも聞いてみた。あまり多く聞くチャンスがなかったが、 「仕事内容は実際何だ?」と聞いたところ、意外な返事であった。
会計を中心としたシステムの「システムエンジニア」であった。 なるほど!と思ったが、当然といえば当然だ。 会社の(システム)改革は、新しい進んだソフトを導入することである。
そこでハッとした、事業も考えてみたらシステム・エンジニアでないかと! 会社作りもそうだ。時代のニーズに対する、新しいシステム設計とそのカタチ 作り(業態)を起業というのでは?間違えていれば即座に破壊される。
GE のウェルチのNO1戦略も事業のシステム設計でなかったか? 設計会社も考えてみれば、システム設計が本来の仕事である。 この事は全ての事業に云える事でないか。少し飛躍した論になってきたが、 情報社会において、「システムとして選択と集中の設計」がもっとも大事な課題 であることは確かである。
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2002年01月05日(土)
孤独に強い人は、これができるかどうかである。 一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、 それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか? 結局中途半端のそれをいうのではないか? 字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。 別にそれをお宅といわない。 読書好きの人もお宅といわない。
自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても そこに何もないことを、経験上知っているためだ。 結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。 そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。 そこで自分の好きのことを見つけ、 それを楽しむことから始めなくてはならない。その積み重ねが個性を作る。
ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。 常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
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2002年01月04日(金)
TVであるが、元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートが 素晴らしい内容であった。 あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。
それに合わせ他の?お城でダンスを踊っているのが中継されていた。 夢のような世界であった。 指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる、 歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。 歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に与えるものである。
音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、 作品に仕上げたものであろう。 それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
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2002年01月03日(木)
「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」 私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の 1文である。「生きてきて人生これだと思う」という内容だった。
その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。 実を言うと私は「たとえ話」を自分の思考法に昔から使っている。
喩えの名人になってしまった?いや迷人か。
この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。彼らの多くが監督、コーチになっている。 もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、 上記の内容を全身全霊に体験したからである。
勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。 どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、 それは理智に留まっているからである。
秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。 薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然の カタチになってしまうからだ。
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