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堀井On-Line
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2002年01月09日(水)
この正月、TVに出てきた創業社長の言葉である。 「時間を切ってない仕事は仕事でない」のは、言うまでもないが、 夢に時間を入れるとは、その段階から計画に移行したことになる。
夢ー>希望ー>目標ー>計画ー>手順と具体的行為に思考ダウンしていくものだ。 時間を入れるということは具体的目標、計画化に入ることになる。
夢とは長期的な漠然としたものである、時間を入れることにより、短期レベルに、 具体的レベルに引っ張り込むことが可能となる。
人生にビッグな設計図を描いておくことは当然のことだが、時間(日付)のところが 意外と曖昧になってしまう。私が自分の葬式の写真からの視点を、忘れないようにしている のも、人生の終わりー最後日を意識しているからだ。 言葉の遊びか本心か、「2020、0202、0202」」 2020年2月2日ー午前2時2分。 この辺りを目安に、生きてみよう!今年死ぬかもしれなが、後は神の思し召しのままに!
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2002年01月08日(火)
今の日本は6掛け規模に収縮になるべき立場にある。 何をもって6掛けかはただ勘であるが、間違いはない。 今の生活を維持をしようとして、それを嫌がりどんどん銀行から金を借り、 雪達磨式に借金が年収の10倍以上に増えていった家庭の状態と仮定できる。
今もその範疇より一歩も出れない状態にある。 「こうすれば、よくなるという」視点より脱却しなくてはならない時期に来ている。 やはりクラッシュに向かって正面突破しかない。 もっとも自然にそうなっていく。しかし今の評論家のほとんどが、 この視点から一歩も出ていない状況である。
ソ連の崩壊までの前提と、それ以降の前提が全く変わってしまった。 アメリカの優待の立場が消滅してしまった、その事実が解ってない。 解っていてもどうにもならないのだ。 この10年ああすれば、こうすればと小出しにいろいろやってきて気づきはじめた。一度清算しなくては、これを小泉首相が建前で言った。 しかし見ていると、まだ腰が引けている。
恐らくクラッシュがおきるだろう、いやおき始めたと言ってよい。 仕方がない、いや長期的にみたらよいことだ。大津波がきている、 しかし全ての知恵を使って各自が自助努力するしかない。 恐ろしいことだが!近じか地元の大手の建?業が倒産するとの噂も入ってきた。
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2002年01月07日(月)
この映画はほとんど見ている。なぜ見るか?やはり「家庭の温かさ故郷の 暖かさ」を求めていた為だ。半分は映画館、他はTV である。
長岡に帰ってくるまで、どこにいても故郷代わりになってくれていた。 山田洋次監督のテーマは、仏教の仏の暖かさを、寅さんの中に 表現しているように思える。団子やの一家もしかりである。
「旅」と「帰る家」がテーマだ。頭の軽いフーテンが仏性である。 赤裸々の人間の中に崇高な仏性を表現している。
風のようにフラリと旅に出て、フラリと帰ってくる。 そして行く先々でまた帰ってきて事件を起こす。
何か自分の姿をみているようだ。可笑し(*^_^*) さの中に悲しさ、 そして悲しさの中に可笑しさが含まれているのがいい。
その作ごとに出来不出来の波がある。映画を見終わった後味がいい。 TVで何回も見ても飽きないのは、やはり好きの為だろう。
曽野綾子が「こんなひどい映画はない」と書いていた、キリスト教文化の 視点ではそうかもしれない。隠れテーマが解らないだろう。
年末年始にこの番組が集中的に放映されるが、一杯飲みながら、大口を 空けて笑っている自分が可笑しい。正月にぴったしの番組だ。もっとも それ狙いに作ってあるのだから。
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2002年01月06日(日)
システム・エンジェニアーSE
ソフトハウスの仕事の柱になるのは、SEである。 去年、下の息子がアメリカの会計系のコンサルタント会社に就職した。 勤めて初めての帰省で、会社の内容ー特にシステムー を少しでも聞いてみた。あまり多く聞くチャンスがなかったが、 「仕事内容は実際何だ?」と聞いたところ、意外な返事であった。
会計を中心としたシステムの「システムエンジニア」であった。 なるほど!と思ったが、当然といえば当然だ。 会社の(システム)改革は、新しい進んだソフトを導入することである。
そこでハッとした、事業も考えてみたらシステム・エンジニアでないかと! 会社作りもそうだ。時代のニーズに対する、新しいシステム設計とそのカタチ 作り(業態)を起業というのでは?間違えていれば即座に破壊される。
GE のウェルチのNO1戦略も事業のシステム設計でなかったか? 設計会社も考えてみれば、システム設計が本来の仕事である。 この事は全ての事業に云える事でないか。少し飛躍した論になってきたが、 情報社会において、「システムとして選択と集中の設計」がもっとも大事な課題 であることは確かである。
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2002年01月05日(土)
孤独に強い人は、これができるかどうかである。 一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、 それって「お宅」でないか。似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか? 結局中途半端のそれをいうのではないか? 字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。 別にそれをお宅といわない。 読書好きの人もお宅といわない。
自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても そこに何もないことを、経験上知っているためだ。 結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。 そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)ということを示すことだ「示単」。これはある有名な禅僧から直接聞いたことだ。 そこで自分の好きのことを見つけ、 それを楽しむことから始めなくてはならない。その積み重ねが個性を作る。
ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。 常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。
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2002年01月04日(金)
TVであるが、元旦の小沢征爾のウイーン・フィルニューイヤ・コンサートが 素晴らしい内容であった。 あまり興味のない分野だが、日本人初のこの指揮を生放送ということで見てみた。もちろんウイーンからの生である。
シュトラウスの「ラデッキー行進曲」やワルツ「美しく青きドナウ」などであった。
それに合わせ他の?お城でダンスを踊っているのが中継されていた。 夢のような世界であった。 指揮者・演奏者・観客が一体になり音楽の世界に入りこんでいる、 歓喜の世界であった。
当然最後はアンコールの拍手の渦であった。 この音楽会でこの曲を聴く前と後、というくらいのインパクトを与えるのが芸術の力である。あの場面にいたら、その位の気持ちになったのでなかろうか。 歓喜・感激はそれ位のインパクトを人間の心に与えるものである。
音楽などの芸術は、宇宙・大自然の中のあるメッセージを一瞬にとらえ、 作品に仕上げたものであろう。 それを会場の全員がそのまま受け取っているのでないか。 歓喜は当然のことだ。
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2002年01月03日(木)
「歓喜ー>理智ー>意志ー>気ー>肉体」 私にある知人が転勤で引っ越していく時の挨拶の文書に書いてあった文章の 1文である。「生きてきて人生これだと思う」という内容だった。
その時私がこの文章を解釈するために考えた「たとえ話」がある。 実を言うと私は「たとえ話」を自分の思考法に昔から使っている。
喩えの名人になってしまった?いや迷人か。
この時の喩えは、巨人の9連覇の選手である。彼らの多くが監督、コーチになっている。 もちろんそれだけの才能があったからだが、多くの試合と優勝積み重ねの中で、 上記の内容を全身全霊に体験したからである。
勝ち癖ををつけろということは、こういうことである。 どんな奇麗事をいっても所詮「歓喜ー>理智ー>・・・」の経験にかなわないのは、 それは理智に留まっているからである。
秘境ツアーにいそいそいくのは、自然・歴史の中の対象に感動し歓喜するからである。 薬物とか、酒でそれを求めると「歓喜」のそれだけになってしまうから、不自然の カタチになってしまうからだ。
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2002年01月02日(水)
捨てる技術という本が数年前、ベストセラーになった。 それに対し、立花隆が全く正反対の立場であった。
その本を読み数年前、思い切って本を八割かた捨ててしまった。 そして後で後悔した、といってさっぱりしたことも事実だ。 矛盾が残った。
先日図書館で野口悠紀雄の「超」整理法3を借りてきて読み、感じるところがあった。 パソコンの「ゴミ箱」の考え方である。−とりあえず捨てるのである。 後で拾いなおすことができる。
「バッファー」という概念である。ショックを吸収するための緩衝器である。 「廃棄バッファー」が重要だという。
ベストセラーの「捨てる技術」と立花隆の反論の中間の?方法である。 具体てきにいうと「多分必要でない書類を」収容する封筒をまず作ること、 次にそれを収容する箱を作ることである。要するに「保存ごみ」である。 保存することによって捨てることができる。
捨ててしまった中に宝があったのに?といつも疑念が残っている。 分ければ、資源になるのに?とかも。
「到知」という雑誌を捨てようかどうかかどうか迷っていたが、そうだ自宅の 倉庫に整理しておいて置けばいい!とか、新しい考えが出てきた。
新聞の切り抜きもしかり、「随想日記の保存分類ごとに封筒を作り」 放り込んでおけばいい。
ホームページを立ち上げ、運営してきづいたことは、 ホームページの本質は、ストックでなくフローであるということだ。 それがそのままストックになっていく楽しみだ。 捨てる技術がそのままシステムでできることだ。
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2002年01月01日(火)
今年のキーワードは「リセット」と,年末に挨拶に行った銀行支店長が言っていた。実際のところそのとうりである。
21世紀的なものへの、変わるべきところへのリセットである。 自分自身に対しても同じことが言える。世界、日本にとって政治経済で 白紙からの出発の年といっていいだろう。その背後は 情報革命の本格的影響が本流になってきたためだ。
何を変え、何を更に充実すべきかよーく見きわめなくてはならない。 ここで一歩間違うと、とんでもない事態に陥ってしまう瀬戸際の年である。
まず変わらなくてならないのは、自分の脳からであろう。 どう変わらなければならないか、新年じっくり考えてみる。 やはり個人はホームページの充実、会社も社内ネット化とホームページの充実である。
あとは今の事業の棚卸である。
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2001年12月31日(月)
「ビージョナル・カンパニー」という本を知人に紹介され、 その後その人と酒を飲んだ。ある目的のために人材を集めるのでなく、 まずよい人材を集め、それから何をやるか決める、という逆の見方である。 考えてみればその方が正論である。
ある人材が何人か出会い、さて何をやるかを考えそれをやり遂げていく。 その上で明確な目標をきめていく方が筋が通っている。
酒を飲みながら、それではよい人材とはどういう才能をいうのだろうか? という話の内容になった。酔っ払いが話しているのだから、 いい加減の内容であったが、それでも結構真実をついていた。
「自分で問題を見つけ、それを解決する手順を考え、 着実に実行やり遂げる能力である。」それがその時の結論であった。
そう考えると、私も悪い人材ではないと少し安心した。 そういう目で周辺を見渡すと、なるほどと思う。両親、兄、姉、義兄も元上司、友人を見渡せた。 大学時代のあの男、高校のあの男、なるほどと思った。
その視点で見たとき、よい人材といえる人はごく僅かである。 その点で誰もが安心してよいのではないか。
その時、その知人が言うに、「ビジョンとは、夜旅をしている人が星を目安にして、自分の位置を確認する。その人の一つの星がビジョンでないか。 それを時々確認しながら一山二山乗り越えていくことではないか」 なるほどといやに合点した。
日本的に言えば「志を持つ」ということか。 来年は自分の若いときの志はなんであったかを、早々考え直してみよう。
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