堀井On-Line



[184] 基本

2001年10月13日(土)


この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。

以前はまる三日、最近はまる一日になった。

真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。

結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。

本当にどうなっているのかと、開いた口がふさがらない事が多いが、
もうなんとも思わなくなった。

対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は

1、本を読むこと
2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事
4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること
6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事
  等々おしえる。

  しかし一番勉強になるのが、自分自身である。
 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、自分自身にそのまま教える事になるからだ。
 全てが大事な事だ。

読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。


[181] テロの影響

2001年10月11日(木)


昨日、月刊誌の「現代」と「文芸春秋」を買ってきて、テロの特集を読んだ。

そして今までのの週刊誌と新聞の切り抜きに目を通して、改めて戦慄をおぼえた。

‘日本は恐慌、世界は?必至の状態’は間違いないようだ!

やはり初め直感したとおり、9月11日以前と以後といえる位の段差のある出来事だ。

その重大さが日ごと増していくことを私のみならず感じているはずだ。

成田空港はガラガラ、昨日TVで相撲の元横綱の曙がハワイの観光地の宣伝をしていた。

40パーセントの客が減ったそうだ。実際そんなものですんでないと思われる。

実際古町にしても駅前の飲食店も、20〜30パーセントの売り上げが減るだろう。

そうでもなくても死に掛けているのだから、本当に死活問題であろう。

10日まえに古町にいったとき、ほぼ毎日お茶引き(客が一人も来ないこと)で、

廃業直前とある店のママが言っていた。

当ホテルの第二が飲食客の流れの宿泊が多いが、端的にその減少が見えてきた。

新幹線に警官の姿は年に2〜3日しか見なかったのが、数人車内の中を覗き見ている。

それにしても、あの国会議員の質疑内容のひどい事!日本が6000人殺されても、

黙っていろというのか。国連に提訴して、その判断に従えというのか!アメリカが

その相手を探し出し殺してくれるというのか?

あれが国会で議論されているー実際馬鹿馬鹿しく見てないが見なくとも解る!

国の態をなしてない!どうしてこうなったのだろう?

アメリカの隷属国家に安住しているためだろう。自民党と社会党(社民党)の  

今の姿がそのまま現状を表している。

文芸春秋は内容があった。  現代はひどい。


[179] 創造について-1

2001年10月09日(火)


創造とは‘カタチ’ にすることである。

言葉を‘か’と‘かた’と‘かたち’にわけて考えると

‘カ’ は ー神のカー神示ー 発想ーアイデアーインスピレーションであり

‘カタ’は  −型,形ー  枠組みにする、 システムを作るということになる。
  ( アイデアの実現の計画化ともいえる) 田は字のとうり枠組みであり、
       ‘かとた’をつけて形になる。

‘カタチ’ −カタに血(エネルギー)をいれ、カタチにする。

創造について、システム工学の城功氏の本に書いてあった内容であった。

なるほどと唸ったものである。

これはアイデアが出た後、これを実現化していく内容を簡便に分解したもので、
非常にわかりやすい内容であった。

カレーライスを例に取ると、急にカレーが食べたくなったとする。

これがカである。冷蔵庫の材料を頭に浮かべ、スーパーにいって足りない食材を買い、

仕込む、これが形作りである。そして煮込むこれが血である。

これが国作りでも、会社でも、ビルでもみな一緒である。

かー>かたー>かたちー>これを知らないうちに何らかの形でしている。

もちろんこの文章も、そうである。まずはテーマ次に枠組みを考え、時間をかけて修正、

そして一挙に書き上げである。


[178] 忘れられない店ー4(金沢)

2001年10月08日(月)


ー平家ー鉄板焼き

金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。

4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んでしまっていた。

その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。

落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。

今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りでツマミにでる。

大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が油でギトギトで真っ黒で、
またそれがいい。

親父が遊び人風の個性の塊のような親父で、その話を聞いているだけでよかった。

当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、必ず大喧嘩を

するのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。

「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人まで出る始末。そしてすざましい喧嘩である。

たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。

何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で大あてをして

連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴を当てた味を知ってしまった
のだからだ!」と先輩に説教が始まった。それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。

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NEC本社ビル屋上の生映像が見れるサイト。
http://livecast01.ias.biglobe.ne.jp/nec-sea/ibs.htm


[177] 世間様ー2

2001年10月07日(日)


あまりに程度の低い言葉なので書きたくないが、最も実感している言葉として、

その言葉を多用している‘痴呆症(病)の無恥蒙昧’(自身も含め)に捧げるためにかく。

しかしこの言葉の被害者になったり、加害者になったりしているからことは重大だ!

それこそ「みな皆いっている」

これが‘世間というやつ’の正体の、いや現象の表皮の世界の(俗に言う世間の)

テクニックとして通用しているからことは重大だ。

ある話を聞いてこれは面白い!利用してやろうという時、

「皆言っている!」と知的レベル低い人間を探していう。

あるいは相手を混乱させる目的に言う。

それでは「皆言っている」にどのようなが含まれているか?

1、誰も言わなくとも自分の主張強調するために使う。

2、一人に聞いたとき、誰かに話を強調するために使う。

3、噂の場合につかう。

4、聞くほうは実際どうか解らないが、それをまた人に使うに都合よい。

5、相手を実際やりこめる場合の言葉のテクニックとして有効。
  (俗物の塊のような男に何回もいはれた)
6、皆ーとは何?程度の低い底レベルの戯言そのもの。そのレベルの人種の呼び名。

くだらないことを書いているが、でもこういう世界が世間という事か?

[180] 創造ー2 (心観学術態)
会社を作るときまずは1、理念、そして2、何をやるか3、何をモデルとするか

4、どうしてそのモデルをカタチ化していくか、の手順を踏む。

別の例をとれば医者の例がある。

医者に子供の頃助けてもらって、自分も医者になりたいと誓いを立てるーこれが心、

そしてその為に良い進学校に入らなくてはと考えるーこれが視点・観点である。
そして勉強をするーこれが学である。

そのうち成績もトップクラスのノウハウを身につけ、そして医者の卵インターになり、
学び続け医者の技術を身につけるーこれがーこれが術である。

そして医者になるこれが態である。

心ー目的、中心点、目指すところ。
(芯・真・親・信・神・心・新・信・深・針・深

観ー観点、視点
  (感・観・勘・感・歓・完・歓・幹・肝・幹・

学ーその視点から学ぶ
  (楽・学・愕

術ー学んだ結果身につく、熟練する
  (術

態ーそれがカタチとしてみえている
  (態・体・諦
  −−−
心観学術態は、カタチ作りのシステムそのものといってよい。

  心ー会社の理念、個人の信念、国の国是−ー芯というところか!

  観ー心からの視点、見方といってよい(ある商社の部長が部下の女社員に手をだして
    妊娠させてしまった。帰りのの電車から、20数件の産婦人科のネオンが見えたという)
    たとえが悪いが、解りやすい!
  学ー観からの情報収集とか、経験から学ぶ。

  術ー学からくる、体質化、業態化、熟練化

 逆もある。業態−現象から学・観・心を観ていく




[176] [自己能力の限界の設定]

2001年10月06日(土)


この言葉は30年前になるが金沢にいた会社の浅野という人事部長の言葉だった。

何か強烈なインパクトのある言葉だった。

‘自己能力の限界点’から自分の足すべき能力をプラスしていく事と解釈した。

10数年前の講演会でヤクルトの野村監督が(彼の浪人時代)全く同じことを言っていた。

「自分は三流選手、一流になるために何をプラスすべきかを、
ぎりぎりのところで考え実行してた」

要するに三流をわきまえたため、戦略戦術をたてることが出来た。

それゆえに一流の成績を残す事ができた。

戦術戦略を立てるときに、自己把握なしにたてることは自殺行為でかつ空論でしかない。

自己能力の棚卸という事だろう。

自己能力の限界の設定は逆の面でも言える。勝手にマイナスに設定して、

それを理由に何もしないで留まってしまう事だ。



[175] 忘れられない店ー3

2001年10月05日(金)



2001/10/05 11:25 NoName


衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、
全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。
また大手商社からも直接仕入れをしていた。

全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。
20年間位は店にはお客が殺到していた。

大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。
各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態であ。
−当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。

そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、
三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の興こした‘丸大’とか、
十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、
‘内山商店’とか、大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。

私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。

怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。

10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。

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今回旅行はベトナム
  (11月8日〜14日ー7日間)に決定!
                ー近畿ツーリストー16.8万ー

ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2〜3年先の計画に入れていた。

あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。

あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。

今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。

来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。


[172] このテーマ日記について

2001年10月04日(木)


新たに考えた事より、殆どが一度日記帳などに書いた事があるものだ。

それをむしろ再度まとめ直しているといってよい。

具体的文章と抽象的文章とその中間の文章の3つを意識して書いた。

かなり刺激的な文章もある。これも迷ったが思い切って載せた。

ある意味でこの随想日記と事業百訓などの20年の文章は私の潜在意識かもしれない。

潜在意識の顕在化のプロセスを毎日実施していることになる。

自分でもよくテーマが出てくると感心する。一週に一回ぐらいの割りに全く何を書いていいか

解らなくなることがあるが、しかしいつの間にかテーマが出てくる。

もう一つは‘しかかり文章’を先に2〜3作っておく。

そうしておくと気持ちが楽である。

また仕掛かりとしての文章は余裕を持って気楽に書ける。

土日曜日に3〜4つまとめて、仕掛かりの文を書き溜める習慣もポイントのようだ。

なんか今までの宿便を出しているようでもあり、すっきりする。

どろどろした経験でたまった原始言語の概念化か。


[170] 忘れられないお店ー2

2001年10月03日(水)


その店(池津屋)で10年生活した事になる。すざましい日々だっだと思う。

その後長岡駅裏の台町の今の‘父ちゃんラーメン’のところに、

高校を卒業するまでの8年住むことになるが。

衣料のデスカウントハウスのはしりで、全国的にも有名な店であった。

‘1Fが店’‘2Fが荷捌きと倉庫と事務所’‘3Fが住居’‘4Fが直しと女子寮’

になっており、全宇宙が圧縮されているようであった。

ネコのタマとサルのタローと犬のコロが同居していた。そのビルと大手通りが私の遊び場であった。

かなりマセタ餓鬼だったと思うが、誰にもかなり可愛がってもらった。

特に綺麗な女社員が入ってくると、ぴったしくっついていた。

競合店が出来ると子供心に心配で一人偵察に行った。

また毎日の売り上げが気になり、必ずレジを覗いていた。

両親が従業員の評価をしていると聞き耳を立てて聞いていた。

倒産夜逃げはごく当たり前の日常の話題であった。今でも年に2〜3回はその頃の夢をみる。

でもクリスマスといえば皆でツリーを作ったり、正月は家族と従業員全員集まりご馳走を食べたり

して年越しをしていた。        − つづく


[168] 忘れられないあのお店−1

2001年10月02日(火)


このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られるはずだ。

初めてのデ-トで入った店とか、初めて勤めた時の近くのお店とか。

これをキーワードに過去をさかのぼると、無限に近い記憶が戻ってくるはずだ。

考えていたら予想を超えて、全く違う思いが底より湧き出してきた。

それが意外と?長岡の大手通りの‘生家の池津屋’という店だ。

要するに幼児体験の自身のアイデンデテーに立ち返るということだった。

私の3歳の時に両親が計画、仮店輔のため木造の家を今の厚生会館(前は公会堂)の前に引越した。

下に丸たんぼうを入れて移動したのだ。個人の申請として全国で初めてのビル建設の始まりという。

昭和24〜25年、その時のことをありありと覚えている。

そしてビルの完成、そして引越し、仮ネグラの二階の奥の場所。

今の緊張感の数倍あった、ということは当時の方が圧縮されていたという事か。

あの白壁の匂い!そして三階に引越し。四階に従業員のねぐらと倉庫。

子供ながら色いろあった。それが(トップページの倉蔵の写真)の中にある。

今から考えてみれば異常体験だった。

でも刺激的で悲しくもあり、楽しい毎日であった。

10人の家族と10人以上の従業員の戦場のような毎日!

軽く面白い小説になるような日々であった。

                −つづくー

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