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堀井On-Line
| 6155,読書日記 〜合理的無知とは誰のこと? −1 |
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2018年01月19日(金)
『クラウド時代の思考術ーGoogleが教えてくれないただひとつのことー』 ウィリアム・パウンドストーン著 * 人は自らの知らないことを知ろうともしない 「知れば知るほど、知った領域の周辺の知らない知識が多いことに気づく。」 これは知識の質量の拡大、向上の継続の必要性を一言で解らしめる言葉である。 このブログを開設して17年近くになるが、‘対自分’的には効果的であり、 面白いが、‘対他人’的には、マイナス効果の比重が大きいのは自覚している? エゴイストの本音の丸出し、経験と知識の未消化そのままを露出し続けてきた。 露悪、偽悪、そのものである。 直ぐ上の姉に、青年期の頃から、 「あんたの欠点は悪ぶること」と、キツク言われ、他の姉からも、 「露悪というより偽悪。まだ偽善なら良い…」とも。 「まず偽善を演じな。演じれば自ずに善人になれる。偽悪も続けていれば 悪人になってしまうよ」とも。 偽悪と偽善の問題?… 露悪よりマシ? 姉に頭が上がらないのを長女である家内に詰られ続けられ、末っ子は大変。 品が無い? だって男だよ幾つになっても。わざわざ言うことでもない? 〜クルーガー効果という研究結果がある。 ≪ 優越の錯覚を生み出す心理学的現象は研究によって、自らの能力の低さを 認識することの困難さが過剰な自己評価につながる、認知バイアスの一形態で あると認識された。なぜ人間は自身の不得意を認識できないのか(2003年)と いった認知的不協和に関する調査は、与えられた活動の評価基準の無知に由来 する自己評価の誤りの多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、 読解や診療、自動車の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた。 また、この効果を策定したダニングとクルーガーによって2012年に行われた 「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」の調査によれば、 能力の低い人間は以下のような特徴が分かった。 ・自身の能力が不足していることを認識できない ・自身の能力の不十分さの程度を認識できない ・それ故に、他者の能力を正確に推定できない その能力について実際に訓練の後であれば、自身の能力不足を認識できる。 2005年に執筆された自身の著書「Self-insight」の中で、ダニングは自己認識 欠損の類推を「日常生活の病態失認」に適用し、身体障害者が自身の身体能力 の不全を否定、或いは認識しないといった認知バイアスが存在することを発見。 「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない。 正しい答えを生み出すために必要なスキルは、正解が何であるかを認識するため に必要なスキルと同じである。」 2000年、この効果を策定したダニングとクルーガーは、優越の錯覚を生み出す 認知バイアスについて1999年の論文で、イグノーベル賞の心理学賞を受賞。≫ ― ▼「・無知がどれほど正確な判断や決断に影響を与えているか、 ・デモクラシーがどれほど脆弱な大衆の知恵と判断に基礎を置いているか、 ・知識の多寡が個人の豊かさとどれほど相関しているかを、繰返し述べている。 青年期の挫折経験の必要性は、如何に己が無知かを骨身にしるための必要条件。 「破壊からの創造」の言葉が示すように、一度、それまで植えつけられた常識を 粉々にし、棚卸をし直し、再出発する機会になる。 20歳半ばの金沢時代に学んだことが、「自己能力の限界の設定」。闇雲の プラス思考や、ポジティブ思考だけでなく、冷徹な自己能力の在庫管理が必要 ということ。…とはいえ、選ばれやってきた、大よそ『80年滞在の地球旅行』。 可能な限り、広く、深く知って、味合わないと生れてきた意味(価値)がない。 <アポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされたソクラテスは、 これを、【自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、 その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだ】と考えたとされた 「無知の知」。「賢い者ほど、無知であることを自覚しよう」を伝えたかった。 学生時代の総括が<私は全くの無知!>の自覚。ならば生涯、独学を自らに 課すことを誓い… で、17年前から、この習慣化に至る。で、以下の間抜けな 泥棒のように「見えないレモンジュース」を顔に塗ったつもりのように、毎日 ネットに… 成るほど、馬鹿は死ななきゃ治らない。
・・・・・・ 5058,閑話小題 〜中の人・外の人 2015年01月19日(月) ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜 * 着ぐるみの「中と、外」 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。 異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような 不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。 ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が 何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。 常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 〜その辺りから〜 ≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。 僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。 真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部 にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」 と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの 真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は 「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた 一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。 内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域 を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、 お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間 領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら 目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と 「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の 循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。 「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。 そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫ ▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、 『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人 =よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。 そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、 これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重? ・・・・・・ 4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 2014年01月19日(日) * がん哲学外来科なるもの 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。 その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、 その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが 見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。 亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』 なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。 がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想 日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、 何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど 土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、 その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。 それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い! といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。 100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって 膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ? * パソコン売り場にて iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。 しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、 iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、 この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり 入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型 でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。 次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。 やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの 可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。 消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。 これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! ・・・・・・ 5788,閑話小題 〜つれづれに大相撲 2017年01月19日(木) * つれづれに大相撲 〜 20年、NHK大相撲の解説をしている「北の富士」が、心臓病の手術で今場所 は休んでいる。スキャンダル塗れの現役時代だったが、解説者としてははまり役。 以前、「神風」という元力士の解説は、歯切れが切れて、相撲ファンを楽しま せてくれていた。途中から「玉ノ海」と交互に出ていたが、何時の間にか消えて しまった。相撲解説としては、「神風」の右に出る人はいない。 ラジオ放送を含めて65年以上も相撲を趣味としていた者にとって、半端な解説 は耳障りである。 横綱をはった「大乃国」や「北の富士」と「舞の海」とでは 一言一言の滲み出る実感の重みが違う。 その中で、舞の海が堂々と持論を披露 するには、余程の苦労をしているのだろう。解説者は、まず自分が好角家で、 その楽しみを、視聴者に伝えるのが第一歩。論理力のない人の解説は、聞く 方も大変。 中でも「高見盛」の解説が劣悪。愚直が売りの力士だったが… 白鵬最盛時代が終り、 ・これまで目立たなかった地味なモンゴル人が台頭を始め、 ・怪我などで出遅れた「逸ノ城」「照ノ富士」のグループと、 ・学生相撲出身の「遠藤」「正代」「御嶽海」「北勝富士」「小柳」の若いが 相撲センスがある新興グループ。新鮮なチビッ子力士は、あくまでアナザー。 地元出身の「小柳」は、あと1年後の力士。目先の期待はしない方が良い。 ・そして、潜在能力が燻っている元期待された力士たち。 大相撲、のめり込まないで適当に観ている分には面白い。 ・・・・・・ 4326, つれづれに ー歯医者 2013年01月19日(土) * 歯医者 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。 通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。 現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、 やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉 をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。 それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが 無くなってきた。 * 血圧計 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は 100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、 えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130 の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。 運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、 晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 * 大相撲ーつれづれに 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに 逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。 横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。 10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。 ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、 どんどん落とせば、これまた面白いか? ・・・・・・ 3951, 閑話小題 2012年01月19日(木) * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、 細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、 本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間 以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産 ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に 伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。 バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・ 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、 老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人 が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる 「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り 込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では 銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で 客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減 すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。 おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、 公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・ * 日本に再び大地震があるか? 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について 仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する 内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」 と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、 その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで 起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に 東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に 巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。 ため。
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2018年01月18日(木)
* これまた面白く深い展開に 熊さん: 白鵬と稀勢の里が連敗したね。結構、稀勢の里も張り手を使って いたしね。白鵬など、初日から全く精彩がないね。八つぁんの言う通り、 この一連の事件を引き起こした「横綱アドバンティジ」を無くした 大横綱の正体が、このザマさ。 寅: 貴乃花親方の含み笑いが聞こえそう。白鵬も、「アドバンティジ」の 有効利用無しで優勝したかっただろうがね… あれじゃ、この一連の事件、 『横綱アドバンティジ暴行事件』と命名されるよ。勝てないのが何より証拠さ。 熊さん: 俺たちの、会話を相撲関係者が聞いているのでは? 何か変? 八つぁん: 大丈夫だよ。誰の目にも明らかな内容だからね。それにしても、 ライブで事件の謎解きを見れるのだから。こんなに面白いことはないね。 大家さん: 私も、黙っていられなので、参加するよ。一番、震えているのが、 理事長と取巻きだね。日本の祭りごとの根本にあるのが、御賽銭。これって 神様への小さな賄賂だよね。神社仏閣の行事の根本が、賄賂と談合がある。 その強要が、これさ。 熊: とすると、土俵周りの親方の役割は、勝負の審査だけでなく… 他に。 でも、そこまで言っちゃあ、お終いよ。でも、毎日毎日、あの不甲斐ない 負けを続ける横綱の姿は… 大家: 『横綱アドバンティジ』疑惑など根幹に関わる問題だね。やはり、 八角親方には引退をしてもらい、貴乃花を押すべきだね。 八つぁん: でも、あの自閉症的性格では無理だね。 大家: おや、初め、そう言ったのは八つぁんが言い出したんじゃないか。 他に居ないのは解るけどね。 ハつぁん: 理事長、理事会も、性格上、自助能力、自浄能力が持てないん じゃないの。だったら、国技とかいう、法律上は何もない協会を一度、 解散し、税金免除のない普通の営利団体にすべきだが… まあ無理だね。 ・・・・・・ 6028,閑話小題 〜大相撲・炎上 2017年09月15日(金) * 横綱・大関の権威失落 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほどの 大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど である。初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人の横綱が前半で2勝3敗とは、 これいかに。上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。 日馬富士の負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、 3人の大関も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、 首を傾げざるをえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきた ことがある。もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を 見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。 「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、 稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。 将棋の新生人と同じ。 白鵬が、それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメント を見たが、その中で、強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ていると いうことか。
・・・・・・ 6139,閑話小題 〜今年の正月は 2018年01月03日(水) 閑話小題 〜今年の正月は 番外篇; 熊さん:年末年始のTV特集で、政治経済向きモノがいやに少なかったね。 寅さん:不安を掻立てないよう国からの御達しがあったのでは? 社会情勢、 世界経済を取上げれば、第二次朝鮮戦争の可能性云々に行きつくからね。 八つぁん:それだけ、状況は追い詰められているんだよ。としても、黙って 過ごせない問題である。今日明日にも再び、ミサイルか、核実験をする 可能性が大。とにかく、日中韓米と、ロシア首脳の顔ぶれが悪すぎるよ。 私など、元旦に帰省した次男に、『危ないと思ったら、三人で着の身着の ままに、ここに帰ってきなさい』と、真剣に勧めたよ。 大家:「そんなことあるわけない」という空気が、まだまだある。 北朝鮮の漂流漁船の数が異常に増えている。異常太りの金様の脳卒中待ち のところもあるようだが。一とき、痛風を思わせぶりの脚をひいていたが。 あれじゃ怖くて減量などの進言を誰も言えないよ。 熊さん:でも、数が月内に攻撃をしないと、もう手遅れになるから、日米韓は、 迷うよ。中国も、他山の石・騒ぎじゃなくなってきたよ。 大家:開戦ともなれば最も被害を受けるのは韓国と日本。手始めの脅しで、 東京湾沖に一発、ミサイルを打ち込めば、日本中が震えあがるよ。勿論、 アメリカと密約の上で… 動転させて不良在庫?の処分品の押しこみさ。 寅さん:何か物騒な話だが、有得ない話じゃないから… でも開戦ともなれば数百万 の死者が出るというじゃないか。首都圏に核ミサイルが… など、考え られないよ。でも、現実は現実、直視しておかないと。 大家:何せトランプは「アメリカファースト」言い換えれば「白人ファースト」 を標榜して大統領になっただよ。黄色の百万、二百万が如何なっても、 いいんだよ。アメリカ、オーストラリアで、現地民を数百万?を虐殺した 白人を先祖に持つ国。あそこまで、悪し様に口撃をされれば、虐殺も したくなるよ。既存武器の入替え時でもあるし。 八つぁん:あのボロ漁船で日本海の航海も限界がある、せいぜい数万人。 計画案は出来ているのだろうが。日本には離島が数知れずある。 熊さん:故・青島都知事に勝新が言ったというジョーク、「嫌な都政に なりやしたね〜」を、今度は、女パンダの口上にならなければね! 「‘どせい’ばいい」じゃなくて…」 <オチが悪い? 失礼しました> ・・・・・・ 6135,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び 2017年12月30日(土) * 熊さん、寅さん、大家に、八っつあん 熊さん: 貴乃花の処分、こりゃ何じゃい!あの理事連中の面構え、暴力団面 じゃないかい。頭の中は、?学校一年程度。俯瞰して考える元がないのに、 まともな判断など出来ようがない。これだけは公然と言えないことだが。 大家: あの横審というのも胡散臭いね。肩書は御りっぱだが、前例主義の 役人上がり。知恵とか、個人的理念が全く見えてこないね。 八つぁん: 初めから言っていたとおり、朝青龍、白鵬に舐められる訳だ。 必死に戦っているのに… お人形そのもの。奴らを間接恫喝で若手力士を 怒鳴り上げたら、震えあがっていたよ。主犯が白鵬、実行犯が日馬富士、 なだめ役が鶴竜。まあ、暴力団の脅しじゃないか。左からの張り手と、右腕 のカチ上げ風肘打ち。これが、朝青龍からモンゴル横綱に引継がれてきた 「横綱アドバンテージ」。逆をすると、稽古場に押しかけ『可愛がり稽古』。 寅さん: 何故、実行役だけが告発をされ、他の2人が大した御沙汰がないの? 貴乃花は、何はともあれ、この二人を刑事告発すべきさ。 大家: それと八角理事長は、先場所と、先々場所の横綱・大関の多数の休場 責任と、今回の事件を受け退任をするのが筋だろう。現役時代の「保志」と いう力士は良かったが、あれは理事長の器じゃございません。 寅さん: 白鵬も真摯で良い相撲取りだったが、何ですか、あれは。 大相撲はあくまでも日本の神事が建前がある。それを…逆上せ上りも いいところ。実際、間垣を除いた他の理事たちの心の底は拍手喝采さ。 熊さん: 貴乃花も、かなり変だよ。ありゃガキだね。もし報告していたら、 百%、有耶無耶にされて表沙汰にならなかったね。 若い時分に、教育係 が必要だったのさ。でも、横綱になる確証がなければ、それも依怙贔屓になる から無理ですか。でも、今回の処分に貴乃花は不満だろう。彼も一時代を築き、 一代横綱部屋の権利を貰ったが、引退すれば日陰の人。 八つぁん: この事件を受けて白鵬への、この権利が怪しくなったね。 40回優勝の権勢で、貴乃花親方の一番弟子の酒宴に三人して殴り込みとは… 怒るのは当然だ。あとの二人を告訴すべきだね。来場所には引退に追込まれる 可能性の高い?鶴竜が、力士会の会長を辞退しないで受けたのも、少しでも 有利の立場にいたいための浅知恵さ。 大家: ところで熊さん、白鵬のことになると、いやに生き生きするね。 熊さん: だって、あの万歳はないだろう。舐めるのも好い加減しろだ。 八つぁん: そもそも論になるが、こうなると、国技と称して税金逃れをして きた仇が、ここにきて跳ね返ってきたのさ。「相撲取り、引退すればただ のバカ」。何で検察が動かなかったか? 何を特別委員会の会長にしていた お陰だろう。でも、貴乃花は、本気になってモンゴル横綱を追い出すべきさ。 大家: それにしても、朝青龍の不祥事後の大相撲を、しっかり、横綱の役割を 務めてくれたし、一概には言えないよ。彼も人の子だよ。 寅さん: 幼稚でバカなら、せめて利口な振りをさせる必要があるよ。そのことに 周囲がもう少し気を使ってよ。 八つぁん: 私の中学校の同級の友人に、大手レコード会社の重役をしてた後に、 レコード協会の専務理事をしていたのがいたが、彼が入社の仕立ての頃には、 森進一や、山口百恵の教育係の専属をしていたとか言っていたよ… アイドル や歌手には基礎教養を意図的に加味させていたようだ。三役にもなれば、大物 としての教養のベースをつけてやらないと… 白鵬を見ていると、気の毒だよ。 でも焼き直さないと無理だろうね。 大家: こんな与太郎レベルの会話の中に私を呼び出す必要などないよ。何故だい。 八つぁん: 大家さんが出てこないと、こんな話を大声?で話せますか。 総括として、<貴乃花よ、よくやった。それが好角家の総意であります。> 大家: ついでに告訴をして、一歩踏む込んだ問題の解決が必要。 「張り手、肘打ちの禁止」の規定をすべきだが、あの面々からして無理ですか。 寅さん: このままでは終わらない禍根が深まっていく根深い事件だよ、これは。
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| 6153,閑話小題 〜ネガティブな感情が成功を呼ぶ |
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2018年01月17日(水)
『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』 ロバート・ビスワス=ディーナー (著), 〜Amazonの内容紹介〜 ー100%ポジティブをめざす人よりも、20%のネガティブ時間を有益に使える人 のほうが、仕事でも学問でも成功し、幸福な人生を歩める!ー 怒りは想像力の燃料となる、罪は改善を促す、自己暗示こそがパフォーマンスを 向上する、我ままは勇気の源だ、非情(マインドレス)がよりよい決断につながる。 ポジティブ心理学の若手精鋭研究者による(心の暗い部分)がもたらす効用に 関するユニークな論考。どのような状況にも素早く対処できるように、あえて いろんな感情に目を向ける力を持つこと、ありのままの自分と付き合うことの 大切さをわかりやすく説く。ー ― ▼ リタイア―以降から現在に至る私の実感である。 表向きは「落ちた人」 の立場。イメージとしては、「遠くの火事場を楽しみにしている人達が大挙 してやってきて、特に金融系の何?にとって、経済犯罪者そのものの欠席裁判。 これほど楽しい検事たちの酒のツマミの罪状つくりにあいなる。 ところが、 これが見え透いているため、そのネガティブな感情そのままが合せ鏡で見える のが、実に面白い。それを感じるほど、その数倍のポジティブの心理状態に 自らを置きざるを得なくなる。これが、新たな旅立のための習慣化を促す。 特に、自分自身と、岩場に閉じこめられた山椒魚に… 怒りと侮蔑感が湧出る。 これがエネルギーとして、世界を改めて再構成して見ることになる。それが 面白い。「喜怒哀楽」の感情で最も重要な役割は「怒り」である。エネルギー の源であるため。これを知ったのは、20代半ばの頃。 ナチスの大衆煽動に、 使ったのが、「怒り」。今では、北朝鮮の金王朝の一連のドン様の権力維持の ための手法である。白鵬の自作自演の暴行事件もしかり。脇役の若頭の横綱が 思わず、モノを使っため追放になったが、誰が何の為かは、自明である。 ・熊さん: 白鵬の『横綱アドバンティジ』の左手の張り手と、一瞬遅れの カチ風「肘打ち」を封じられて、連日苦労していたが、昨日は負けたね。 ・寅: プライドの高い白鵬、それがバレて今まで通りに勝てない上に、 八百長強要の疑惑が明らかになれば… 40回の優勝記録も何の価値もなし。 まあ、あの酷かった朝青龍並みに落ちてしまったな。相撲に取り組む 姿勢は好きだったがね。 … ネ、大家さん。 ・大家さん: 私が話に参加するより、二人のレベルだろう。これは。 ・熊: モンゴル人の子供たちのドリームの選択肢は、大相撲の横綱 ぐらいしかないしね。次から次への強そうな出ているね。 ・八つぁん: チビッコ相撲上がりの力士にも、有望そうなのもいるしね。 これまでも、これからも、こういう事件を抱え込んでいくしかないし、 そのネガティブを抱え込むから、進歩があるんだよ。 要するに、 「正・反・合」あればこそということ。 大家: あら、あんたも出てきたの。なら私にも話をさせて… 21世紀の大相撲は、かくあらんで、内向きの日本人だけよりも遥かに 面白いよ。『横綱アドバンティジ』つくりと、八百長疑惑もあってさ。 八つぁん: まさに、『ネガティブ』を孕んで乗越えてこそですか… 熊さん: 何か一連の事件を通して、話し合っている内に、利口になった ような。こういうのを知っているかいないかで大いに違うね。 寅さん: これが21世紀ということね。ところで、稀勢の里が、前評判とおり、 引退の危機だね。弱いのを強引に祭上げたせいさ。気の毒なのは本人さ。
・・・・・・ 2844, 「ほめる」言葉 −1 2009年01月17日(土) 《精神対話士》の「ほめる」言葉 ーメンタルケア協会偏 読書日記 図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書 と思ったが、《精神対話士》の、という部分が気になり借りてきた。ところが、 なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が並んでいる本。 基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。この本を編集 した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーする。 < 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウ するための根幹となる「生きがい」を見失いがちになることに着目。それらの 人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため 精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。この本は、精神対話士の効用の 一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。「温かいひと言」を相手に投げかける ことで、親密な人間関係を築けることを教えている。> 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。 こういう場合、アマゾンは有り難い!私が人を褒めると、知人や同級生に 驚かれることが何度かあった。「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて 殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。「営業用の褒め言葉」を 聞きなれているため?言えないのである。全て知った上で「嫌味」を言うより、 営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。 (字数制限のためカット 2012年1月17日) ・・・・・・・ 3584,閑話小題 2011年01月17日(月) * 日めくりの格言 「仕事に雑用はない!」 そうか! そうだ! これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。 * セレンディピティとは − ウィキペディアによると、 <セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは 別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見した という「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、 ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡 『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。> ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。 それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが? * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。 まったく理解できないが、感覚的には面白い。 ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、 【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」 「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」「やっふぃ」「もいきー」 「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20が あるとか。それぞれの言葉の意味や出所だが、 ・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。 『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 ・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」 ・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。 病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」 ・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。 ・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団 『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ歌い踊る中で 使用される掛け声」などである。… ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら 良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の 別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。 ・・・・・・ 5056,閑話小題 〜つれづれに 2015年01月17日(土) * つれづれに ☆ 一昨日の新潟駅周辺で、後ろから連れのオバサンの話が聞こえてきた。 その話題の内容とは、「年金は、とにかく前倒しに貰った方が良いみたい。 ところで〇〇さんの主人、定年で一日中、家にゴロゴロしていて、何処にも 出かけないというけど、小遣いを一万しか与えてないのなら、出かけようが ないわよね・・プライドが高いので、財布が空なら人とも会えないしね〜」 と、何か深刻の内容。そして物価値上がりの愚痴が続いていった。 ☆ 地元のカラオケスナックでは、60歳位のチイママのところに電話が何度も 入って真剣な顔。聞くと、「アパート持っているが、その住人が気分が悪くなり 救急車を呼んだが、親戚が分からないので、大家の私に連絡があった。 本人は生活保護を受けていて・・ でも、どうしようもないしね」とか。 何か、切ない話ばかり。 ☆ 最近、人に会うたびに、顔色がツヤツヤしているといわれる。自分でも鏡を みると、そう思うが・・ スポーツジムの効果があるのだろう。朝、4時起床 からのスケジュールを真面目にこなしているので、当然だが・・ ☆ どうも冬期間(12〜3月)は、チャリが雪道のため乗れない。 早朝のポタリングはストレス解消というより、エネルギーの充電になる。 それでも週3〜4回のスポーツジムでのエアロヨガがあるからまだ良いが。 ☆ 人から聞いた夫妻の話が凄い。「旦那の職場からも、一人娘と親も含め、 夫婦して年賀葉書が一通こない」という。ただ、それだけの話だが・・ 夫婦自閉症ということ? 老いる度に、最後は、誰もが津軽海峡冬景色? ・・・・・・ 5786,閑話小題 〜つれづれに大相撲 2017年01月17日(火) * つれづれに大相撲 初場所が始まって、はや後半になる。いつもの場所と同様、 <全勝の稀勢の里が、最後は残念ながら優勝を逸しました>の物語の様相に なってきた。前の親方が、他の部屋への稽古を禁止したのが、いざとなると、 負けてしまう脆弱な性格をつくりあげたようだ。白鵬も、やはり相撲年齢も あってか最盛期の力はない。だから面白いのだが。一連の八百長相撲の問題で ヤリニクイだろうが、阿吽の呼吸で??でもしないと… この男には! * 張り手の禁止が必要では ☆ 白鵬と、朝青龍の時代から張り手が多くなったが、これは変だと常日頃から 思っていた。上下関係の厳しい大相撲の世界で横綱の顔を張るなど、とんでも ない思いこみを利用した卑劣な行為。張る方も、脇が甘くなり、差されてしまう 危険が大。先場所、張られて脳震盪をおこした力士がいた。今場所も、その恐怖 が残っていてか、初日はオドオドしていた。 やられたらやり返すのが、プロ。 必ず2倍は張り返せばよいが。そこを逆に狙われる? 相撲は立合いから数秒で 勝負がつくため、立合いの駆け引きが面白いが、張り手の瞬間、何か白ける。 * チビッ子相撲上りの中に? ☆ 最近、チビッ子相撲上りの相撲取りの方が、野性味は少ないが、子供の頃 からの基本があるため、強そうなのが出てきた。指導者も方針を変えたようだ。 だから、年末に全日本相撲選手権、学生相撲選手権で、逸材を見抜くのを楽む ようになっている。もう5年前になるが、中村大輝が二年生の時に、東日本学生 相撲選手権で優勝をしたとき、これは強くなると思ったことを憶えている。 来場所入門組の中にも有力なのがいるが、現在の2年3年にも多くいるようだ。 相撲は年寄りの楽しみということか? そうこうみると、外国に開放したのも、 正解だったのかもしれない。ただしアジア系に限り… ・・・・・ 4324, 財政恐慌 −2 2013年01月17日(木) ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー 『財政恐慌』浜矩子著 ≪ ー 今回の質問の内容 − ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか ● なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか ◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」 □ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期 が終わり、ニクソン・ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、 失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を 味わい、格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、 時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。 ◎ 我々はどこに行きたいのか □ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金 問題や通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。 そのような安らぎの天地を求めている ◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか □ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。 だが成長神話は古い。それに、この間を通じて日本経済はそれなりに成長 してきた。ところが、それによって人々が安心することができるように なっているわけでない。今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。 大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。 そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫ ▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた 金が不動産投資などバブルを引き起こした。そして5年後のバブル崩壊。 その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。 その結果の膨大の借金。偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは 決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。 ・・・・・・・・ 3209, 年金支払い総額 1400万 2010年01月17日(日) 「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。(以前の年金通知の中にもあった かもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動 などからみて3倍が妥当。実質の支払額は 1400×3=4200万は 積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。 21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、これを過去に食い散ら してなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段? をしていたのである。その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる 時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。未来のために 積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、 国家のダウンサイジングが現実のものになるとは思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。こういう事態 をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。 いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。 ・・・・・・ 3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1 2012年01月17日(火) * ユーロとドル安が続いているが、 欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きて ないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。地震(リーマン・ショック) より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。ニュースで近じか 仏大統領が大きな決断を下すという。ドルは50円、ユーロは60円、株価は 6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。日銀の白川総裁が、 「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力 が弱っているため大打撃になる。 分かっていたことだが。 問題は、三月あたり・・・ 「日本の論点 2012」ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」 が、この辺を分かりやすく書いている。 《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。 直接的な要因として挙げられるのが、米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和 政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三千億ドルに およぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。 これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。成果については賛否 両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落 すると考えるのがふつうだろう。しかし、円が高い理由はそれだけではない。 日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに 「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはず であり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。 つまり、為替 レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえ 二〇〇〇年から今日までの十一年間で、米国の消費者物価指数は約三〇%上昇。 いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レート の水準は一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レート によって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。 とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。 つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、デフレの国の通賀は高く なりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高く なるのは、必然であるといえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。 海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を 下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の 制限といった国内産業の合理化を促す。さらにそれは生活基盤を失わせる 雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます 円高が進行する。こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの 円高対策も実効性は薄い。》 ▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、 スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが日本の三倍近いのに驚いた ことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。 それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
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2018年01月16日(火)
* つれづれに、独り言 ☆ 少し積雪があったようだが、8〜100僂阿蕕い。一月半ばはこんなもの。 例年は1・5m位は積もる。地元の道路は大方、消雪パイプのため乗車に問題ない。 要は今週の積雪が如何なるか。居間と寝室にエヤコンがあるが、冷暖房費を 考えて、殆どつけない。家では、古くなったダウンジャケット、ダウンベスト、 フリースに、アンダーベストの重ね着をして過ごす。 姿見をみると、恰も エスキモーか、ホームレスのよう。夜間も、電気アンカを抱いて寝ている。 それでも、電気代は普段月の2倍以上になる。 これを書上げる為に冬期間は3 0分遅れの4時半に起床して、まず風邪予防に生姜湯と、ヨーグルトを飲み、 仏間の一角のパソコン前に鎮座する。で、常に鼻風邪気味状態。
☆ 昨日から大相撲が始まった。土日は15時から、平日は16時〜18時までTVの 相撲観戦になるため、日常の生活が少し変わる。今場所は「暴行事件の不祥事 の最中、モンゴル人対日本人若手力士の対立構造が浮上がり、それに加え、 最高格行司の式守伊之助が男色で、泥酔の上、セクハラ行為の結果、業界から 実質追放の結果、天覧も中止に相成った。初日、横審のメンバー御揃いの前で、 白鵬が御得意の「横綱アドバンティジ」(左手張手、右肘打ちの立合い)を 披露するかどうか?が注目されたが、流石に無理!マトモな立ち合いの結果、 初日は、土俵際で一本足で残し辛うじて勝を拾い。昨日も、張り手が使えず、 苦労の勝利。「幽霊の正体見たり枯れ尾花…」。40回優勝の威厳が地に落ちた。 その結果、張りつめていた気力も萎えて引退も近づいてきた。 …としても、 大横綱であることは間違いない。
☆ 冬と季節の変り目には、40年来、腰痛予防も含めてホッカイロと腰ベルト を装着するが、今では5月と11月に一週間位になっている。スポーツジム通いと、 そこのヨガ効果である。ヨガそのものも良いが、普段の生活の中で、無意識で ストレッチをするようになったこと。布団の中で、背筋を延ばしたり、足の裏 を合わせたり、パソコン前で、顔面と耳と頭をマッサージする。リタイアから 7年になり、現在の生活に馴染んで、楽しんでいる。「独りリズム」で心を浮か せる「独楽」は、昔とった杵柄。この随想日記もそうだが… この生活も何時 まで続くことやら。 幸せな人は、何があっても、何をしても幸せになる。 「独りのリズム」を作れるため。基本は己の居場所を見つけ、そこで転々と すること。 傍からみれば、気味が悪いのだろうが…
・・・・・・ 5055,生と死をめぐる断想 ー6 2015年01月16日(金) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 時代という背景 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。 著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。 癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜 ≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編) という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。 「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、 第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。 取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。 坐 岡田虎二郎と岡田式静坐法 霊 大本と鎮魂帰神 心 森田療法の心と癒し 食 マイクロビデオテックの世界観 気 野口晴哉と「全生」思想 ・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。 ・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、 ・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。 ・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。 ・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一 が発展させた、狭義には食事療法だ。 ・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。 ・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。 ・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。 ・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも 一定の 成功をおさめている。 ≫ ▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、 多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに 人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった 経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。 ・・・・・・ 5785,閑話小題 〜アンドロイドTV 三週間後 2017年01月16日(月) * アンドロイドTV 三週間後 昨年暮れに寝室のTVを入替えたが、これがアンドロイドTV。 グーグルとソニーの共同開発のソフトのアンドロイドが組み込まれたTVで、 コントローラに声認識が付いて、キーワードの声認識で、YouTubeなどの番組、 映像を呼び込んでくる。今までは20インチのパソコン画面だったが、今度は 大型TV。それが見たことがないようなクリアーの画面となれば、オーバーに いえば、毎日が異次元の日々に様変っている。 タブレットと同じ位に驚かされたPC。特に、秘境の大自然の光景に惹れたが、 過去の蓄積がさせているため。 「ゴッフのヒマワリ」と声認識で入力すると、 美術館で、現物をみるより繊細に加工された、より綺麗な絵画が現れたとした ら… それが大自然の光景なら、更に素晴らしい。白川義員のヒマラヤ上空を 見たことがあるが、これも人間の裸眼で見るよりも遥かに美しい光景を映し 出していた。 数年後には4k、8k画質の画像が、配信されるというが、これでは映像世界 が様変るだろう。世界各地の名所で自撮棒で撮った4k映像を編集し投稿した 映像が幾つか投稿されているが、どれもこれも息を呑む異次元の世界。 私の数十回の秘異境ツアーそのままを撮影し編集したとしたら、これらに決して 劣らないと思う。が、当時は、デジカメさえない時代。 当初、アンドロイドTVはPC機能が入っているものと勘違いしたが、これは オプション。パソコン機能の端末を購入すればよい。 6年半前のTVとは、 機能性能からみて一桁違うアップしている。 〜AndroidTVをネット検索より… 【 AndroidTVでできることは ※「テレビ画面で、インターネット配信映像を見られる」 ※「スマートフォンやタブレットをリモコンにして、配信動画をテレビで表示できる Chromecast互換機能『Google Cast』が使える」 ※「Android TV向けのアプリが実行できる。ゲームやさまざまなアプリを実行できる」 という3つが挙げられます。 ・1つ目は、スマートテレビとしては当たり前の機能ですが、YouTubeだけでなく、 Google PlayムービーやHuluといったビデオオンデマンド配信サイトの映像も購入し、 テレビでそのまま鑑賞することができます。ちなみにGoogle Playムービーなど Google Play関連からコンテンツをダウンロード・購入する場合、Googleアカウント が必要となりますが、既にAndroidスマートフォンで使っていたGoogleアカウントを AndroidTVでも共有できます。GoogleアカウントのAndroidTVへの登録は、Android スマートフォンで指定にURLにアクセスし、画面に表示されるパスコードを、 AndroidTVに入力するという簡単なオペレーションで行うことができます。 ・「Google Cast」は、「Chromecast」互換とも言える機能です。 Androidスマートフォン・タブレット、およびiPhone、iPadといったiOS搭載機器 から映像をキャストできます。キャストとは、Androidスマートフォンなどの端末 からURLを指定し、そのURLの動画を写すという機能のことです。 ・そして「アプリ実行」は、AndroidTV搭載のテレビであれば、テレビ単体でAndroid 向けのアプリを実行することが可能という機能を指します。 Androidスマート フォン・タブレット用には多くのアプリケーションがGoogle Play から提供されて いますが、Android TVでも同様にGoogle Playからアプリをインストールし、実行 することが可能です。テレビのGoogle Play画面からインストールすることも 可能ですし、PCのGooglePlayからリモートでインストールさせることも可能です。 ・ちなみに、Android TV用のアプリケーションは、Androidスマートフォン・タブレット 用に開発されたアプリケーションに、多少の改修(Android TV用ライブラリのリンク、 Android TV向けUIに対応した操作の追加)が必要となりますが、ほぼ共通のソースを 使うことが可能で、モジュールもAndroid TV・スマートフォン両方対応のものと なります。 ―― ▼ 去年の秋口に地元の従兄の葬式に、東京下町に住むカメラマニアの従兄が来た時、 「84歳で進行ガン。あと10年遅れて生まれたかった!4kテレビと、4kカメラを 4台持っているが、これが素晴らしい。ドローンにカメラをつけた空中写真を撮るのが 夢だったが!」と語っていた。彼の年齢は85歳だが、このテレビに切替える切っ掛け になった。そこで、考えたのが、これまで行った秘異境と、遺跡、美術館などを、 アンドロイドTVで映像を通して訪ねること。白黒TVとカラーTVでシネマを見るのと、 違うように。情報、音量、迫力はシネマに及ばないが、画面は、この方が良い? パナソニックとソニーのTVは、これに絞った付随した機器グループの戦になるとか。 ――― 5764,パソコン融合TVの時代に 2016年12月26日(月) * 再びYouTube 以前、ÝouTubeが面白くて、別のブログ『バートウォッチ』に、面白そうな 映像を紹介していたが、今では各TV局がチョイスをして放映している。 一月ほど前、家電チェーンの売場を暇に任せ彷徨っていると、売場担当者に 『アンドロメダTVが最近売れてますよ』と声を掛けられた。ソニーがグーグル と共同開発したアンドロメダを基本にしたパソコンとTVを融合した、一言で いえば『画面検索付パソコンテレビ』。グーグルの検索機能をコントローラに 付けて、音声入力をすれば、目的の映像を呼寄せる機能。 選択したÝouTubeに、 「4k画面 築地 マグロ」と発声すると、4K画面のマグロの解体シーンが 映しだされた。ミソは「4k画面」のキーワード。一般放送で、まだ4k放送は 少ないが、YouTobeには4k録画の映像が投稿されている。それは、これまでの 映像とは違った鮮明な画面。担当がいうに『売れているのが、アンドロTV』。 そこで家でチラシを改めて見ると、ÝouTube付が有るのと無いのがある。 新しい方のソニーのPCで、その画面をみると4kで入力された画面があった。 生々しい現場で撮影され投稿された映像、例えば、『シナイ山の初日の出』 『北欧のクリスマスイブの光景』『聖地の祈り』『ナイル川クルーズ』とか、 『サントリニー島の日没』等々、何でもござれ。これらを大画面TVの音声検索 で瞬時に茶の間で見れるのだから驚いてしまう。18ケ月〜24ヶ月で、情報機器 が半額に下り続けているというが、商品としての機能が、それ分アップする。 パソコンTVが、既に売れ筋の主流になっていたとはね。グローバルになるわ! ・・・・・・ 4690, 身近な貧困 ー4 2014年01月16日(木) * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」 ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと 同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。 あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を 絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という 逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。 まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。 ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。 ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐 マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に 使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。 そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。 チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な 面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処 が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、 充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」 さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、 秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、 『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。 ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。 帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、 そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな 肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。 これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、 聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。 一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。 決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、 以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
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| 6151,閑話小題 〜誕生日の早朝、20歳の私との対話! |
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2018年01月15日(月)
* 20歳の私とですか! 今日は「72歳の誕生日」。「目出度くもあり目出度くもなし」である。 「自分が、この年齢になるとは!72歳の私って誰のこと?」が実感。 面白いので即興で、20歳の私を呼び出し、現在の私と対話させてみる。
― 20歳の私: 72歳の自分と出会うなんて何か奇妙な心持がする。 私: 私でも、そう思うよ。自分で自分じゃないみたいな… 老いるとは、 こんなことかと、毎日、新しい老いの発見の連続だよ。 20歳の私: 精神年齢は正直のところ幾つぐらいに思えますか。 私: そうね〜 20歳から60歳の間を、彷徨っている感じかな〜 とにかく、ネットと、TVの御蔭で、キーワード探しをして、面白い 情報と知識に次々と出あえるからね。それは、アンタには解らないよ。 想像しろと言っても無理だろうがね。 20歳の私: 1966年と、2018年じゃ、想像も出来ないよ。でも、ソ連が崩壊。 中国が自由経済社会に変身。日本もアメリカによって骨抜きが進み、属国 状態。それと現実社会をネット社会が覆ったというが、どうだった、 この半世紀の実感は? 私: あの頃はバブル経済の二段階辺りで、何もかもが夢のようだった。 あなたは、翌年に一ヶ月間の欧州旅行をすることになるよ。 20歳の私: 本当ですか。 私: そうだよ翌年のゴールデンウィーク時に、ヘルパーとして手伝いに 行っていた軽井沢の『友愛山荘』で、他のヘルパーに感化されて… 欧州一周旅行。それで小さい、固い殻が木っ端微塵に叩きこわれ、新たな 真我が顔を出すことになるんだ。 20歳の私: そこで、人生が変わりそうだね。 私: 今考えると、あれが良かったか、悪かったか? それでも、以来、 51回も、地球を広く深く見て歩けるんだよ。そりゃ面白いことは確約する。 大変だとしても、これは絶対に良いよ。デズニィのキャラクターのように、 今は頭でっかちで良いんだ。とにかく、毎日をフル回転すべきだよ。 私は、当時のアナタに感謝しているんだよ。 「キリスト教倫理」の教授が、夏休みの宿題に、「生涯展望の見取り図」 を、一夏かけて必死に書いたよね。 それに対し、教授が丁寧な返事がきたよね。 あれが良かった。 20歳の私: 軽井沢の山荘で、早朝、近くの「離れ山」を散策しながら、 必死に考えたさ。毎日が若い女性の旅人たちと歌い踊ってね。 今が人生の春ど思っていたが、もっともっと面白いことが連なり待って いるなんて。 ところで、激変の中で、生きてきた実感は? 私: 当時、『全機』という禅語に出会ったね。あの言葉を貫いてきたのが ポイントだったようだ。 正法限蔵全機の巻に、「それそのものが何もの とも相対せずに存在していることを全機という。」と。「人が持つ全ての 機能を現し、発揮する」事をよしとする意。 これだったんだよ。 20歳の私: かなりズッシときたが、成るほど。 私: でも、こうして話せるのは、この年齢まで生きているからさ。 「純真な心の芯が魂」ということさ。 最後の最後は、そこだよ。 20歳の私: 行蔵を覗くと、そうでもないようですが… 何か偽悪と、 露悪を楽しんでいたような。こんな筈ではなかったんじゃないですか。 何か、勝手に自分を卑小化していませんか。 私: いや、こんなものさ。 20歳の私: 面白いから、また呼び戻して下さい。 ― ▼ あたかも、別の存在に憑依され支配されている自動書記のような感覚の時間 が過ぎていたような。対話は、あたかも「己の人生の使用前と、使用後の内面 の自己対話のような。インナーチルドの青年期の私との対話とも。 煉獄内の独り言?
・・・・・・ 1月15日 1969年 今日は学生時代最後の誕生日だ。 毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。 このよう見るのは最後だろう。 内容と評価を、メモをしながらみた。 ・北海道代表の武田(女)さんの主張 あまりハッキリした意志が感じられないー65点 ・東北代表の清水さん 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から 自分を見つめられる人間になりたい −70点 ・四国代表の中西さん(女)ー実習教官 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点 ・東海代表の須田さん(女) 女である自分の農業の立場 75点 ・東京代表の守屋さん 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方 若さの代名詞は可能性 75点 ・沖縄代表の宮城さん(女) 沖縄県民の心情ー85点 ・近畿 林さん 精薄施設の女指導員 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点 ・関東代表の関谷さん 自分1人で生きていく心構え 70点 ・九州 河嶋(女) 生活の為働かなくてはならない姉妹について 老人対策など 90点 ・中国代表の吉原さん 非行少年の観察員の主張 心が病んでいる少年達ー80点
〜以上が私のつけた評価の点数である。 現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと 広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。 可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。 流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。 そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。 そこで自己建設をしていくことになる。 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。 何故、そんなことをしなくてはならないか? 人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。 それが義務といってよいからだ。 その立場によって、それぞれが違って当然である。 私は今、そのスタートラインに立っている。 誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。 ・・・・・・ 5784,閑話小題 〜今度は71歳ですか 2017年01月15日(日) * 今度は71回目ですか 昨日は誕生日の前日だったが、地元ステーキチェーン店で、細やかな誕生日 祝いをしてきた。 昼間の千円ランチでの誕生祝いの品は、皿にアイスとか、 ケーキがついた、飾りには小さな閃光花火がチリチリと光っていた。 隔年ぐらいは、その線香花火に癒されている。 この年齢になると、祝いというより、あの世への一里塚の感が強くなる。 還暦か、その一年後の70歳代になったら、自分への贈物をと考えた挙句、 アンドロイドTVの買替えを思いついた。家内に察知されれば、即、潰される。 とはいえ、年金生活者には重負担。家内の罵声覚悟の上だったが… それが 何とも、老いの身に堪える。で、何とか乗り越えた。一番喜ぶのは家内。 この5年半はタブレットPCに夢中だったが、今度は、これに気持ちが移行する。 で、結果として、思い通りに大正解。 これが思いのほか極上の機能。 白黒からカラーTVへのアップスケールした以上の画期的代物。一時、3Dテレビ が話題になったが、この立体的に見える画面であれば、その必要性は薄れる。 例とえば、大相撲の力士が土俵下で映し出されるが、同時に観客席の観客の 姿かたちと表情が力士と同じ位に鮮明に見える。 相撲も面白いが、様々な コーデネイトや、長年かけて出来上がった、様々な仕草を見ているだけで、 現場の臨場感がある。何か異次元世界に足を踏みこんだ感がする。17時〜20時 までは居間で晩酌をしながらTVを見ていたのが、今では1時間もしないうちに、 奥の院の寝室に行く。居間のTVでは頭が痛くなるため。 明日は、このアンドロイドTVをテーマにする。
・・・・・・ 5419,閑話小題 ー今日で満70歳ですか 2016年01月15日(金 * 世界的不況が更に深刻のようだ ☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、 120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が 背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、 株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。 ☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、 冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、 『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、 奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』 と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』 と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。 地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 ☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光 発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を 知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック 規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、 株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活者 など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。 * 今日で満70歳 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、 一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。 そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。 そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を 噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。 60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、 これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。 <楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した <「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻! これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。 まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。 喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。
・・・・・・ 5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2 2015年01月15日(木) * 古稀ですか ー2 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ 気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、 同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。 当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな 文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆? どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が 亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、 母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が 面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折? の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、 己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、 「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・ この程度としても、恵まれていたし、面白かった! 現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。 それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、 面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? ・・・・・・ 4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜 2014年01月15日(水) * 68歳に、つれづれに〜 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、 同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、 それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。 日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居 になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、 情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、 もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。 他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、 この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている 自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、 自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、 「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう? そのイメージで書くと・・ 〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。 今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。 そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した ・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」 であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、 この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話 になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった! ・・・・・・ 4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き 2013年01月15日(火) * ネットカフェ難民から、マック難民へ * 住宅ローンの破綻と立ち退き * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略) * 67歳か〜 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。 最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。 父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、 自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。 これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、 欧米と日本の経済惨状。世の中変わった! ・・・・・ 3947, つれづれに ー66歳か 2012年01月15日(日) * 66歳の誕生日に 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の 大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡 を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、 去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの 風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。 10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打 で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを 大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは 欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。 66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。 仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に 思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、 若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、 考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを 見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在 しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・ もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の 経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き 連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない! ・・・・・・・ 3582, 65歳か〜! 2011年01月15日(土) 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。 二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。 60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年 を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代 に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。 リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも 深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、 見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、 還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で 一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。 とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。 父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」 として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。 特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」 この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」 それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
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2018年01月14日(日)
* あの電話は、「オレオレ詐欺? 去年末の話になるが、家内の留守に自宅電話に不通知表示の電話が入った。 「こちらは警察署ですが、オレオレ詐欺についての調査で協力をお願いします。 それらしき電話はありませんか?」と。非通知のため、警察を名乗ったオレオレ 詐欺かもと警戒しながら応答をした。口調は警察そのもの。 最後に「充分、 気をつけて下さい!」と。オレオレ詐欺の探りか、仕込みなら、これほど巧妙な 方法はない。逆に、用心深くなるため、逆効果もある。…その後の展開を楽しみ に待っていたが、今のところなし。考えすぎか?。10年数前になるが、自宅に、 『御主人が、市内の○○で交通事故にあいました。』との警察署からの電話。 家内が『あら、家に車はあるし、主人の勤め先は新潟で市内にはいないはず!』 と、答えると、即座にプッツン… 。 ―― * 実際の降雪量は例年に比べ… 長岡から普通列車で30分ほどの三条駅から新潟寄りで積雪のために列車に 一晩、閉じこめられた全国版のニュースになった。他県の人がニュースで見ると、 よほどの豪雪かと思うが、私の住む長岡市は、数年来の小雪で60僂△襪どうか。 ニュースからすれば中越地区は豪雪のイメージがあるが、大きな格差がある。 新潟の下越より中越地区の辺りが一時的豪雪で、地元の市内は例年に比べて小雪。 こんなものである。以前、ギリシャ・ツアーに行く10日ほど前に森林火災が発生、 中止も考えたが、恐らく、九州の阿蘇山辺りの森林火災が、大々的に報じられて いるはず」と… …で現地では、思った通り。マスコミの過剰報道そのもの。 冬期間では、列車の立ち往生もあって当然。全国版にすることもなし。 地元民も、過剰報道に応じたカメラ目線で受けごたえするため、何が何やら。 情報化は、その辺のインテリジェンスがないと、害悪になる。早速、解説者が 真剣な顔をして対策の問題点を上げていたのが、それがはや何とも滑稽。 中越地震の際、医師をしていた同級生を褒めたたえるニュースを全国版で報じて いた。 中越地震の報道の「味付け」に使っただけだが、早速、「励ます会」を やろうじゃないかと電話が入った。それはそれで、いいじゃないかと思いつつ、 提灯行列じゃないかと心底の判断で都合をつけて断った… 田舎には狐も狸も 徘徊している。都心にもだが… TVディレクターは面白だろうに! 滑稽だが!
・・・・・・ 3581, 閑話小題 2011年01月14日(金) * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない! 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解 しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。 恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは? 10年間これを書き続け、かつ哲学書を読み続けてきたため、論理的に捉える力 が以前に比べついていた。毎日、過去10年分の同月同日の文章を読み返して いると、自分の能力の範囲がみえてくる。そこで、その範囲でしか理解して ない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を深めて おかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶すること。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに唖然とする。 特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに見合った情報、 知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが普及、進化 を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。 知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で 消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、 無ければ、情報のまま消え去ってしまう。 * 辺野古の移設先は「原子力空母」 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案 を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、 沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島 に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は 広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。 今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、 中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される! ・・・・・・ 5053,閑話小題 ー古希ですか! 2015年01月14日(水) * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。よくぞ無事?に到達した もの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が70歳前半までに亡くなる。 それでも生きているの人は、刃物が入っている人? 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。 仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは! 気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」 (酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。 (しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。 還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲 ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」 との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、 あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。 9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」 という思いは意外と少ない。 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした 『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49) 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50) 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51) ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や (52) 夢幻や 南無三宝(53) くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54) 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55) 現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、 うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、 『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん! ・・・・・・ 5418,人生で最も大切な技術 ー 2016年01月14日(木) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著 *「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション! 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー◆廚鬟董璽泙暴颪い拭 ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの 幸福論につながる丁度よい答えであった。 < 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が 「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。> 何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で はないか!と。・・> ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、 帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を 書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の 対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に 感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の 経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。 秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感 などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、 余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は 恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、 <「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という 発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた 何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。> リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、 後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の 半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。 それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い! ・・・・・・ 5783,福田恆存の「私の幸福論」〜 2017年01月14日(土) 「私の幸福論」福田恆存著 * 快楽と幸福 ーB 快楽に近い言葉に、「快適」がある。 ネット辞書によると、 「快適」は「心地よい」、 「快楽」は「楽しく過ごしている時に感じる喜び」とあった。 これからして『幸福』とは「快適な状況」で、「喜びを感じる楽しい感覚 ということになるが、それほど簡単に幸せには決めつけられない。これは、 生物だけが実感できる感覚といえば、その極めの体験が『至高体験』。 大自然の壮大な景色などや、偉大な芸術作品に出会った時の感動で、対象の 波長と一体化した状態をいう。感激は心の振動、感動は魂の振動である。 〜その辺りを抜粋〜 ≪ 快楽や快適を目指すところには、その底に利己主義がひそんでおります。 刹那的な快楽主義の場合、誰の眼にもそれは明かです。 が、エピキュリアニズムのような個人主義になると、外界にわずらわされぬ 「不動の心」というような精神的美徳を表看板にしているので、私たちは その底にある利己主義に気づきにくいのです。 さらに、社会主義、共産主義、福祉国家となると、貧しい人々の利害を考え、 「最大多数の最大幸福」というような合言葉が出てくるので、そこに利己主義 があるというようなことに、誰も気がつかないのであります。
人間は人間の道具にはならない。にもかかわらず、快楽というものをつきつめて いくと、どうしてもその極限には、相手を自己の欲望充足手段としか見なさぬ 生きかたに辿りつくのです。だから、私は快楽というものを、おのれ一人に しかかかわらぬ孤独な迷妄だというのです。
快楽の思想にはなにかが欠けている。私たちはそのことを反省すべきです。 皮肉なことに、私たちに欠けているものの一切を埋めようとする快楽思想に、 わたしたちにとってもっとも大切ななにかが欠けているのです。 それは幸福の観念であります。
「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、 「快楽」でないということにすぎない。
私たちは自分の欲するものを得るために戦わなければならない。 その戦いにおいて勇敢でなければなりません。が、今日、「正義」の戦い を称道する人たちの大部分が、ただ勝利のためだけしか考えていない。 そうなると、敗北すれば、すべては犬死にであります。
将来のことを考えたら、誰も自信がもてないのが当然であります。 思うに、私たちはなにか行動を起すばあい、「将来」ということに、 そして「幸福」ということに、あまりにこだわりすぎているようです。 将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるか どうかわからない、が、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきた のだから、この道を採る」そういう生きかたがあるはずです。いわば自分 の生活や行動に筋道をたてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」 になっても、それはやむをえぬということです。
「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろ するだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして 得られた「幸福」では、心の底にひそむ不安の念に、たえずおびやかされ つづけねばなりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。≫ ―― ▼<「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、 「快楽」でないということにすぎない。> 幸・不幸は、あくまで 受止め方でしかないが、「恒産あって恒心あり」が前提にある。快楽を 満たすためには、満たすだけの力量が必要。私たちは、利己主義と個人主義を 混同してしまいがちになる。公共、公正を守った上に、自分優先に考えるのが 個人主義である。しかし、公共・公正の解釈は各自違うため、誤解が生じる。 考えてみれば、不幸も、幸福も一時的妄想に過ぎない。 【笑っても、泣いても同じ空】なら、笑える状況を自らつくっておいた方が 良いが、どうだろう。隣人を卑下した笑いではなく! 互いに楽しむ笑いでさ。 追文) これも全くの偶然で、以下の文章に文脈として続いていく… ・・・・・・ 3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3 2012年01月14日(土) * 陸と海のたたかい 「終わりなき危機」 水野和夫著 「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。 これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」 の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20 世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、 「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、 米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。 そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。 膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、 「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、 リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、 第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊 の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、 「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、 日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま 一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。 その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。 その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、 その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。 その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。 それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って 攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。 ・・・・・・ 4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末! 2014年01月14日(火) * 奇跡的逆転勝ち 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で 追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー 【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝 を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一 は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ 一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって 富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。 延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘 に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一 は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま 勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。 ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝 として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で 同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会 の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。 この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。 下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。 あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
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| 6149,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −3 |
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2018年01月13日(土)
* 書きネタが無いと、御呼びですか! 大家さん: 書きネタが無くなると、御呼びですか。仕方がないがね。 熊さん: 北朝鮮が、オリンピックに参加だってさ。有得ないと思ってたがね。 寅さん: 精一杯の虚勢さ。まあ、物資不足は明らかだこそ、ここが土壇場。 国そのものが張りぼて。よくぞ、やってるよ。そろそろボロが出るさ。 大家* 中国が、本気になってきたからね。そこに、韓国が抜け駆けをして、 オリンピック参加の勧めの尻尾振りをしたから、アメリカと中国は動転? 韓国も開戦ともなれば、百万、二百万の死者も出るから、解るがね。 八っあん: この時節に冬季オリンピックとは、何でまた?の疑問が残るね。 ここまでは、手を出せまいという思惑のためですか。 熊さん: これほど辛辣な挑発を繰返したのだから済やしないよ。 寅さん: 何かマンジリしなかったが、数ヶ月の猶予期間を稼げただけでも 良しじゃないかい。ただ間延びをしただけだと思うけどね。 八つぁん: どうも私たちの心の底には、最悪の事態を期待する悪魔が存在 しているところがあるね。アメリカ人なら、まさか大陸間核ミサイル が飛んでくるとは思わないから、今のうちにヤッチマエと。 熊さん: どうも朝鮮半島問題は暗くなるから、大相撲の話題にしましょうや。 といっても、これはモンゴル人問題になるか。 …でも気が晴れるね。 大家さん: 朝青龍と白鵬が長年かけてつくり上げた「横綱アドバンティジ・ システム」が、露わになり、使えなくなったから、今までとは違うよ。 これは八つぁんが創った造語だけど、ズバリ言当てているね。 八つぁん: それでもやってくる可能性があるね。貴乃花の母親に手紙でも 出して、バラエティで10回、このキーワードを繰返せば、ポチとはいえ、 立合いの張り手を禁止条項にせざるを得なくなるね。 熊さん: 「横綱アドバンティジ」の実情を聞いて、白鵬と遠藤の立合いを 見てから、白鵬への見方が全く変わったよ。 大陸と島国の考え方、 体質の問題になるよ。開放したのだから…云々か、日本の国技だから、 島国用に合わせなければならないとか…。確かに難しいのは解るけど。 大家さん: 白鵬への大横綱とかいう特別視が無くなったのは大きいね。 新弟子からして誰も偉大な力士と思わなくなってしまったのは、本人に とって衝撃さ。でも、その孤独こそ、最も大事なことだが、その自覚は、 逆上せガエルになった当人には、土台、無理だろうね。 八つぁん: 今場所は、色いろな面で面白いだろうね。大鵬の孫もデビュー するしね。ところで、先日、元・琴欧州が開いた小部屋のブルガリア人 の新弟子のドキュメントを見たけど、一人の新弟子の稽古の激しさが 直接、伝わってきたね。土俵の中でのド突きあい、殴りあいだね。 あれじゃあ、強くなるわけだ。 大家さん: 私も見ていたが… 他の部屋の幕下力士が「御前は気が弱い!」と 注意していたのが、本人には堪えたようだね。「自分は東欧から遠来して いるだけでも気が強いはず。何で気が弱いと言わなければならないのか!」 と…。 幕下力士は、「気が弱い」と、「気が優しい」の言い違いを していただけ。気が優しいのは、気が弱いとは、違うのさ。 熊さん: こういう問題があるからこそ、面白いんだよ。白人、赤、茶色の 人種が肌の色を超えて戦うからさ。俺も、哲学的になってきたね。
・・・・・・ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 2015年01月13日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。 成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。 瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。 ーその辺りから抜粋ー 〜P90 ≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。 「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。 たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、 次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは 常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。 暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」 の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。 「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。 なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、 その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命 の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、 相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。 植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、 それこそ知性によってとらえられるものだろうと。 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、 そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。 が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、 「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい ことを感じるようになってきた。・・ ≫ ▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、 自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。 地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。 その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき 宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。 ・・・・・・ 5417,人生で最も大切な技術 ー 2016年01月13日(水) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福の探求 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、 24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を 行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を 任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの 言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 ≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の 指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の 道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望 された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。 現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果 に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として 人道的プロジェクトに従事する。 ≫ 〜リチャード ギアの内容紹介より〜 ≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、 これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も 叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫ ▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見 を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に 一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を 惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。 挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。 パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に 戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを 見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる 議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、 インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか! 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。 ・・・・・・ 4687, エッセイ力は人生力 ー2 2014年01月13日(月) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * エッセイを書く目的と、日記との違い ーまずは、その辺りの抜粋より 《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、 おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは 十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように 書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心 の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。 きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識 されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身 がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、 書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように 客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分 以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、 もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、 ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも (つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。 それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」 しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。 だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容 こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」 に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。 人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、 そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的 であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。 ・・・・・・ 5782,多国籍タウンで夢を追う 2017年01月13日(金) < にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム 〜東京大久保 多国籍タウンで夢を追う〜> 2017年1月9日放送(18:10〜18:45NHK総合) * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。 その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。 世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、 アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。 ≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を 求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街 では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。 外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。 ★パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに 新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。 アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。 ★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、 5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。 彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。 メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。 ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト 教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の 人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが 気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを 見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの 妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。 ★ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の 危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を 勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円 前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。 チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。 ★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、 中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。 高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ 仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、 仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具 が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で 車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。 高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫ ――― ▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。 難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。 自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、 何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを 支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。 アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている から絶対格差に耐えられるという。
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2018年01月12日(金)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 輪廻転生を考える 輪廻転生は如何だろう?『遺伝子学の論からすれば遺伝子が自ら生延びる為に 生物の身体を乗換えるという。 己の身体の中は、数知れない遺伝子から成り 立っており、己が消滅しても遺伝子は子供を通して次世代に受継がれる。 この身体は両親の結合で生まれ出てきた。宇宙開闢以来のたった一つの生命。 しかし、アナザーワンの一つ。輪廻転生は疑問だが、似た存在と、己と何が違う というのか?」 しかし、父親の死をまじかにし、思いもしない霊体質を10数年、 持った経験がある。幽体離脱とか、幽霊らしき存在の実感とか… それもあって、 著者の『輪廻転生論』に共鳴するのだろう。面白いところでは、アフリカからの 帰路の飛行機内で似たような経験がある。疲れ切った中の夢で、自分の身体が 地面から浮遊していく。ハッとして地面に戻ろうとするが、機内の足元も消え、 空中をタダ独り、ふっ飛んでいる。その恐怖感は極限を超えていた。 私より霊体質が遥かに大きい人の体験談、実感は、説得力がある。 これも、夢、霊感の言葉を切口にした‘内観’になる。 <内観ばかりしてないで、外観? をしてみたら> ていう貴方へ。 <外観しかできないアンタ、内観をしたら!> 野暮ですか? 〜その辺りから〜 ≪ 肉体で、現生にいることは確かに苦痛である。因果のサイクルから解脱 しない限りわれわれはいつまでもこの世に生れてこなければならない。 この世は、神の国に入るための修行の場である。この修業の場で修行を怠れば、 永遠に神の国に入ることが許されず、魂までもこの世から消滅しかけない。 これ以上の不幸はどこにあろうか。肉体であろうと、魂であろうと、この宇宙 の何処かにあることは素晴らしいことである。肉体でいることがたとえ苦痛でも、 あの霊界に閉じこめられているよりましだ。果たしてどれくらの時間、霊界に いたのだろう。… 神の国にいた者も選ばれたものでなければならないが、転生してくる者も 霊界の試験のパスをしてもう一度修行するためにこの世に、選ばれた者ばかり。 このように考えると、この現象界は魂を向上させるための場所であるともいえる。 われわれは過去世から因果を背負ってこの世に転生してきている。一日でも早く、 因果を帳消しにして神の国に入るべきである。その為に、神は善を与えている。 しかし、一方に善を試すために悪を与えている。 輪廻転生のない唯物的な一回こっきりの人生なら神はわざわざ人間に善を 与えなかったはずだ。一回こっきりの人生なら好き勝手にしてエゴイステック に生きればそれでいいはずだ。人間に理性があるのは人生が一回性でない証拠 である。たった一回で、人間は悟れないことを神は御存じだから、数多くの転生 を繰返す中で、善悪の何かを悟って、最終の人生で因果から解脱をして神の国 の住人になるのである。まことに気の遠くなる話だ。自分のことを考えると 怖ろしくなる。一体あと何度転生を迎えればぼくは因果のサイクルから抜出せる のだろう。あの恐ろしい霊界に再び戻らなくてはならないのかと思うとぞっと する。なぜぼくが霊界を恐ろしいかと思うかというと、現在の自分の本性を よく知っているからである。なんともいやな自分である。こんな粗雑な罪深い 自我が霊魂になった時、霊界で体験するビジョンを想像しただけで、身の毛が よだつ。『チベットの死者の書』では、「汝は肉体を持っていないのだから、 たとえ身を切られようと恐れることはない」と諭している。 しかし、たとえ肉体がなくとも肉体感覚だけは残っているはずだ。よく夢の中で 体験する恐怖がある。あれに似た様なものだろう。いや、あれ以上に増幅されて いるはずだ。人間は死ぬと天国か地獄に行くといわれる。天国も地獄も、その 人間の因果次第であり、全て想像が作るビジョンである。これはあくまで幻覚で あるが、霊の世界ではすざましいリアリティを持っているはずだ。夢が幻想で あるにもかかわらず強いリアリティを持っているように。… ≫ ― ▼ 前準備を含めて50年以上の実務を終えて第二か、第三の人生を踏み出して 7年間、心の底では輪廻転生を繰返していたような。因果応報のカエリ矢が、 次々と… これでも、後味の悪くなることは、極力、避けてきたが。 恐ろしい自分の言葉の刃が、自己被虐、自己嫌悪として向けられる。成るほど、 現生だけでは解決できないはずだ。 ヒトラー、スターリン、毛沢東を考え合わ せると分かるだろう。殺した数だけ、転生が必要である。生臭い彼らの魂が、今 でも漂っているとすると…。心に疚しいことは最小のはずだったが 娑婆娑婆! ・・・・・・ 2001/12/19 [70] 夢についてー2 「何か欲しい!とか、どこかに行きたい」といかいう夢と、夜見る夢との 共通点が非常に多い。トイレを探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいき たい状況である。 次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後も 自分のなかに生きている!’というが、私にとって、夢の中で、実際生きている。 痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が 私の中で事実生きているのだ。 ↓に以前書いた文章をコピーしてきます;。 ―― 2001/12/19 [69] 夢について−1 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。 年に一〜二回熊に追われている夢を見る。熊に追われて二階‐三階の部屋に 逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。 熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰も?経験する 夢のようだが。 一度凄い夢を見た。 以下、10年以上前に社内報に書いた文章をコピー。 ーー 霊的体験‐ 平成4年 7月 二十年近く前になるが、父の死後の四九日まで何度か不思議な体験をした。 死後一週間後位か妙な夢。私自身が父の気持になり “死にたくない。もっと 生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が 自身で、実感できたのである。 父が‘なんだ自分はこうして生きているでは ないか’という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった という不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。 その二〜三日後の夢も強烈な夢(?)。何やしら強烈な恐怖感が覆ってきた。 その時、父のベットで寝ていたが、思わず“おやじ助けて!”と言った瞬間、 廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が足をひっぱられた瞬間、ベットに しがみついた。 その時、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。 全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事が多くある…。 あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。 2001/06/30 ーー 2003/04/25 不思議-シンクロニシテー ・以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で 不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回 はある。先日も葬式から帰った後に散歩にでると、過去15年以上を散歩をして いるコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時のこと。 葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下 を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論 はじめてである。 ・前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前、近くの分家にあたる従兄が自死 した時のある現象である。納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が 舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになっていた。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に 一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。 こういう現象を、ユングが「意味ある偶然の一致」といっている。 ・涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。 それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。自然に囲まれた地方に おきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない! ―― H0511妙な夢―(機 ・ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとする が半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと 身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周しても どってきて布団に入る。ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 ・また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて (そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。 ・こんな事もあった。これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音が。 はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではない。 当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。 ―― H0511妙な夢―(供 ・秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かの気配に横を見ると 女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕を抓ったが痛い。 これは面白いと、 じっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の27-8才位の、のっぺらした美人。別に 恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に、 会社の人にその話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!” といわれ、はじめてゾーッと。 ・またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。 ・その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。 これも乗ったら危険と直観し去けた夢。あれに乗ったらどんな景色がみえた のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な実感があった。
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2018年01月11日(木)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 寿命は70〜80年で丁度よい それそろ寿命の尽きる御年頃に入ってきたが、この辺りが消え時だろう。 80歳後半ばまでとは思わないのは、長年の不摂生のため、そこまでは到底無理 と直感している心の保険かも…。<古希を過ぎれば皆、同じ>が、現在の心境! 〜80歳適正寿命説を著者が理路整然と説明する。 ≪ …人間は死を迎えてやっと一段落するのである。もし人間の一生がが5百年 もあれば、今のボクなら、その途中で狂人になってしまう。人間がもっと進化 していれば別だが。進化していない状態で、こんなに生かされてもどうにもかな わない。第一、5百年の間、毎日毎日他人と競争し、妻と憎しみあい、金儲けを 考え、―ああ、考えただけで気が狂うじゃないか。5百年の間に作った因果の 重みを一体どのように処理すればいいかというのだ。 今の人間の進化状態からいえば7、80歳の寿命が限度であろう。 死ぬことによって一旦ひと休みをして、前世の記憶を一切合切、きれいさっぱり 忘れて、別の顔と別の名を持って、新たな環境に生れてくるのが一番いいこと。 前世を忘れると同時に人間は死後の世界で経験してきた様々な出来ごとも忘れて 転生してくる。もし、憶えていたら、彼の一生は大混乱を起こすだろう。… …人間の想念というのは波動だと思う。幽霊は波動の塊であろう。言い方を かえれば想念の塊ということになる。強い想いを持ったまま死んだ人間はその 時の想念がそのまま霊魂の中に残され、それがしばしば形となって三次元世界に 物体現象を起こすようだ。… ≫ ― ▼ 17年近く連載してきた随想日記のHP。今生の想いの墓場として、全霊を入れ 書き続けてきた。『私には生霊の墓参りをして貰った方が向いている』と… これで。 その時々の想いは死んだ後でも残るが、「生前に御参りをして貰って いるのだから残す必要もない」ともいえる。 数年は残すが、5年後以降は 息子の判断で消去してもらう…。 その間は、魂は生き続ける? 毎日、自分 の17年分の‘生霊’を成仏させている、現生霊。 明日になれば、ただの笹音。
・・・・・・ 3578, 10年一昔というが ー2 2011年01月11日(火) この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。 更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、 ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。 これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。 この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー 1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争 3、ネット社会の出現 4、デジタル機器の飛躍的進化 5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む 6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ 7、アメリカで初の黒人大統領が選出 8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される 10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、 たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは 想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化 の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。 それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、 それほど長く続かないと見るべき? ・・・・・・ 4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6 2013年01月11日(金) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる 心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。 人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある ≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、 たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、 「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。 ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、 殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、 殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。 ・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の 少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。 ‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、 几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん) 魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、 自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向 の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より 数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、 その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい 課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫ ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、 まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」 という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から 見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。 それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは 石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か 知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大 津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・ ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、 そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう 思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは 魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、 実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。 この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば 良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、 みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、 「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。 そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。 ・・・・・・ 5050,生と死をめぐる断想 ー4 2015年01月11日(日) * 免疫学者・多田富雄の受苦 7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を 取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を 「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。 「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。 ーその辺りを抜粋するー ≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。 1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を 著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。 2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、 言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、 字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを 奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。 利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを 口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が 打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく 遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な 生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。 初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。 自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・ 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき 転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが 見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。 【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。 私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫ ▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した実感がある。 それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」のように宙に 浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナーのエネルギーの風 でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』と、呼ぶことに。 コヤツ晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、過去未来に平気で飛んでいく。 そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。 ・・・・・・ 4685, 10年日記 2014年01月11日(土) 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、 これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、 その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。 《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、 5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い 切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅 になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想 日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。 この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、 10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。 更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を 仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』 年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年 経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、 結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、 書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・ 》 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」 であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて 「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、 よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった? ・・・・・・ 5780,中国で急増するネットショップ村に密着 2017年01月11日(水) <中国で急増するネットショップ村に密着 ……NHKスペシャル> * 中国社会がネットで結ばれると 8日のNHKスペシャル『中国14億の消費革命〜ネット通販 若者の夢と挫折〜』と、 9日の、にっぽん紀行『オオクボ・ドリーム〜大久保 多国籍タウンで夢を追う〜 (18:10〜18:45NHK総合)がシリアスな内容。 ネット社会が別だてに形成された現代を、そのまま、現れ出したテーマである。 ネットでハッとすることが何度かあった。Windows10を追加入力をしようと、 家電で買ったソフトを入力しようとするが、私には難しい。そこで、ネットで、 マイクロソフトに質問を入れたと同時に、顔写真が出てきて、「その問題を 3500円で請け負います」と顔写真入の画面が出てきた。しかし数日後に、次男が 正月休みに帰ってくるので、それから考えようと応じなかった。(で、息子が、 アッサリと解決をしてくれた)それより、マイクロソフトへメールにヒットして、 即座に解決の見積もりをしてくる情報ネット世界に驚かされた。ヤフーのブログ に、パキスタンのフンザ村の写真を載せたところ、何時の間にか、ネット上に 乗っていた。(検索に フンザ 写真と入れたところ、その中に何枚かが、何と 私の撮ったもの)。 〜まずは『『中国14億の消費革命〜ネット通販』より〜 ≪ 経済成長の鈍化で、「世界の工場」から構造変換を迫られる中国。 いま新たな成長の起爆剤と期待されているのが、ネット通販(EC)である。 2015年の販売額は約60兆円余り。アメリカを抜き、世界一の通販大国に 急成長した中国が考えているのが、ネット通販を通して、今まで豊かさから取り 残されてきた「6億人の農村人口」の購買力を目覚めさせること。いま政府は “14億人の消費欲”を1つのテーブルにのせようと大号令をかけている。 番組では、急増する“ネットショップ村(淘宝村)”の現場に密着。 そこは村全体がネット通販のプラットフォームになっており、年間の売上は 約670億円にも達する。全国からやって来た若者が次々とネットショップを 起業し“現代のチャイナドリーム”を目指して、激しい競争を繰り返している。 さらに、中国政府は、民間企業と協力して、広大な国土の隅々に4万ものネット 通販のサービス拠点の設立を計画。高齢者や農民に、肥料や日常品、農具までも ネットで購入させることで、新たな消費革命を起こそうとしている。14億の 消費革命で、農村は、中国は、どう変わるのか? 新たな夢を抱きあがく若者 や、政府の戦略を通して、中国のダイナミックな変化をみつめていく。≫ ――― ▼ 中国人の特徴に、「流砂の民」という言葉がある。大陸的個人主義の性格が 強すぎて、まとまりがなく、掬い取っても指の間から落ちていく。半面、友人、 親戚間の繋がりは強い。 そこにネットが持ち込まれれば、中国の強さと弱点が 出てくる。それが農村部の消費拡大に繋がれば、それは膨大なエネルギーになる。 中国は歴史の深い国、ソ連解体の試練を乗越えた?ロシアのように、強靭な国に なっていくだろう。そして、あの大統領を選択したアメリカの衰弱は更に進む! ・・・・・・ 5415,だれもわかってくれない ー 2016年01月11日(月) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * パワーレンズ パワーを有効に引上げるには、よりパワーを持った人やグループに認められる 必要がある。そのためには、対象のパワーアップの手助けが可能と、アピール する必要がある。企業採用も、昇進が、これである。 社会も、結婚生活も、 パワーバランスで成立している限り、パワーを持つこと、それをデスプレーし、 アピールすることが必要である。 ーパワーレンズー項目の要約よりー ≪ ★ パワーレンズレは、誰でもつけたり外したりするのです. ★ パワーを持つ人は、あなたのことをきちんと認識してくれません。 その理由は多くの場合、相手が自分の目標達成に集中していて、ほかの人 の問題や考えにまで気がまわらないからです。ショートカットを駆使して 大まかに理解するので、他者の複雑で微妙な点までは目に入りません。 ★ パワーは状況によって変わります。ある時点であなたよりパワーを持って いた人が、別の状況ではパワーが低下することもあります。パワーは動的で常に 変化しているので、「パワーレンズ」は、誰でもつけたり外したりするのです。 ★ パワーを持つと、ステレオタイプや先入観により強く依存するようになる。 パワーのある人に自分を特別な個人として認めてもらうことは至難の業。 ★ 大きなパワーを持つ人が他者について的確に理解しようとするのは、それが 自分の目標達成のために必要なときです。だからこちらが有用な存在、つまり 相手の目標達成を助ける人になることが大事です。そうすれば相手は、時間と 精神的エネルギーを使ってあなたを正しく見極めることに意味があると思って くれます。 ≫ ――― ▼ パワーは集中と、その維持の中から生まれ出てくるため、アップ続ける には、長年かけること。生きていく必要条件である。そのパワーも、所詮は、 直ぐに消え去る一現象。特に女性の伴侶選びは、一生を左右するため、シビア なレンズになっている。で、一生かけてパワーを吸取られる浮世の無限地獄。 結果、自律神経失調症など精神がやられる。その対策として、独りを楽しめる ライフワークが必要となる。一番、手っとり早いのが、読書だが・・
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2018年01月10日(水)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』 横尾忠則 (著) * 悟りに至るとは 図書館の返却コーナーで見つけた本。指導を受けた禅師が、座禅やヨガの 目的の「悟り」について、『人間は、元もと悟った状態だったが、成長するに従い、 次第に分別くさいモノの考え方をするようになり、悟りの状態から遠のいていく。 それを座禅で赤子のような心に戻していく』のが根本と… 夜半の布団の中でする、ヨガの死者のポーズの時の心持と同じような。 〜その辺りから ≪ 座禅は、ある意味で去来する雑念との戦いのみたいなところがある。 現在抱えている問題に限らず、すでに記憶の壁の向こう側に去ってしまった ような大昔の事柄が再び壁を乗越えて、こちら側の現在の自分の心に迫って きたりする。つまり潜在意識に溜まっていた想念が座禅をすることで顕在化を したのだ。座禅は潜在意識の顕在化を必ずしも否定をしない。むしろ、これで、 心の奥の毒素が吐き出すことができる。心の奥の不透明な種子を「安楽死」 させることが出来るのではないか。… 心の底にじっと閉じ込められている想い や考えが、何か問題が生じた時に一気に駆け上がってきて、我々の表面意識を ゴチャゴチャにして問題を悪化させてしまう。だからそのような問題に振り 回されないようにするため座禅をしなさい、と禅僧はいう。 …雑念は底なし沼のように、ボコボコと泥の泡のように潜在意識から昇ってくる。 それをとことん吐き出せば、煩悩はなくなるはず。そして純粋無垢な赤子の ように… 座禅をすることで、悪想念を消して、気が付いたら悟っていた状態に 持っていくのが禅の学習らしい。≫ ― ▼ 毎日の行(業)の一つが、午前中の、この随想日記の準備と、仕上げ。 心の奥のネタ(毒素)が中心になるためか、同月同日分の過去文を読返しも 含め、瞑想と悟りのような心持が、内観そのもの。2〜3時間は、あっという間。 毒素そのままを言葉にして公開しているのだから… 今さらだが。 〜で、以下につづく ハワイ流 瞑想法である。 ―――― 2017年12月28日 ウニヒピリ(潜在意識) 『ウニヒピリ〜 ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」』 イハレアカラ・ヒューレン (著), * ハワイの3つの意識 ハワイ版「潜在意識と、その治療(洗濯)法の癒し本」というところか。 「本来の自分」であるインナーチルドに出会い、ケアする。そして宇宙に 開放してやる。「ハワイの地で、心、魂の洗濯」とイメージするだけでも、 開放される心持になる。ハワイに身を置くだけでも、本来の自分に戻れる。 <最後の部分の要約が「肝心」。最後の方だけでもご覧のほど!> 〜Amazon 内容紹介〜 ≪・ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」。 これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストであり「ハワイの人間州宝」の 故モーナ女史が、現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」です。 そんなホ・オポノポノのなかでも、最も大切な「ウニヒピリ」(潜在意識) について、初めてきちんとまとめられたのが本書。ホ・オポノポノを正しく 実践するためにも、必ず知っておきたい究極の真理です。クリーニングを通して 自分のウニヒピリと出会い、そしてケアしていくことで、ホ・オポノポノの目的 のひとつでもある本来の自分すなわち「セルフ・アイデンティティー」と出会う ことができるはず。あなたが今までその存在すら気づかなかった「ウニヒピリ」、 その子は今でもあなたからのケアを必ず待っています。 ・「ウニヒピリのケアをすることは、自分をほんとうの意味で解放し、全宇宙が 真の自由を得るために欠かせないプロセスです。ウニヒピリがクリーニングに 参加しなければ、記憶は再生されつづけるばかりで、過去の問題や傷を繰り返し 人生のなかで体験する状態から、決して自由になることはありません」 (ヒューレン博士「あとがき」より)≫ 〜ビュアー評〜 ・【 ハワイに伝わるシンプルな癒しの秘法「ホ・オポノポノ」では、 「自分」というものを3つのものから出来ていると考えます。 1つ目は表面意識である「ウハネ」、 2つ目は超意識である「アウマクア」、 3つ目は潜在意識である「ウニヒピリ」です。 ウニヒピリは心理学で言うところの「インナーチャイルド」に似ていますが、 個人的な記憶のみならず地球の誕生から現在に至るまでの全ての生物や無機物 が体験した記憶が保管されているところを指します。ホ・オポノポノによる 癒しはウニヒピリと繋がり記憶を徹底的にクリーニングしていくことによって もたらされます。】 〜ネット上の批評より〜 ・【ウニヒピリの協力がなくては、インスピレーションを受け取ることができ ません。私たちの中にある3つのセルフ、表面意識(ウハネ※)、潜在意識 (ウニヒピリ)、超意識(アウマクア※)がちゃんと存在し、それぞれの役割 を果たす。そうすることで、初めてすべての存在の源である“神聖なる存在” とつながります。表面意識から“神聖なる存在”につながろうとする人が多い のですが、流れとしては、表面意識が潜在意識に降りて、そして初めて超意識に 上がって、上の“神聖なる存在”につながっていきます。その順番が大事。 ウニヒピリのケアがあって、初めて上とつながれるわけです。 ※ウハネ…表面意識。私たちが日常で認識している意識。クリーニングを スタートさせる部分。ウニヒピリにとっては母親のような存在。 ※アウマクア…超意識。ウニヒピリから届いたクリーニングの働きを、 唯一“神聖なる存在”に届けることができる。】 ― ▼ 要約すると、<自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こして いるのだろう」と問いかけた後に、「ありがとう」「ごめんなさい」 「許して下さい」「愛しています」の言葉を繰り返すことで実践される。 大切なのは、ウニヒピリの存在を認めること> 毎日、20〜21時に就寝、0〜1時から半睡眠状態に入る。それが「ウニヒピリ」。 そして4時に起床をして、前日に書いた、この文章が「ウハネ…表面意識」。 その修正が、「アウマクア…超意識」になる。クリーニングは、そのプロセス で考える?ことで、衆人の視線を意識し修正することが、これになる。 過去の同月同日の文章数年分を読返している自分は超意識になる。 世間人とは、超意識が欠落している存在。 超意識の欠落は、表面意識も、 潜在意識も、狭く、浅いまま、群れたままで終世を向かえる。他人事でない、 自分のことでもある。それなら納得…? 神聖なる存在への意識ですか。 その存在に向けて、「正・中心・一点・無」ですか。5円玉を神聖なる存在と すると、真中の穴(一点)が無? 本体の外側が… お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2 2014年01月10日(金) 〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 * 私の体験例より・・ 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが 多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を 始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を 任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島 などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。 その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。 おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。 以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで 他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。 考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の 姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた 新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が 開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、 公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには 条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。 それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく 新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が 載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば 儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、 父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。 時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」 二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。 抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる! 予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、 次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」 と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると 七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。 そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、 実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、 焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で 取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、 長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。 千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、 思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、 この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当 から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。 10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視? 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。 ・・・・・・ 5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに 2016年01月10日(日) * 寒い朝〜つれづれなるままに ☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、 世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。 米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。 ☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。 ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、 それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。 ☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。 ☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。 ☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。 先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと 書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、 この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。 分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中! ☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。 人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、 その姿が少なく、中年女性が目に付く。 ・・・・・・ 5779,閑話小題 〜年初に、つれづれに 2017年01月10日(火) * 何? アメリカ 世も末かい! 日本国の事実的宗主国の当主が、隠れ極右の泡沫男に変ったら、どうなる? 気違いに刃物とは、このこと。これでは 今年は去年よりも大荒れになる。 去年が英国のEUからの離脱と、米国の泡沫候補トランプの大統領の選出。 その裏に、ロシアのプーチンの策謀があったというから…お粗末もいいとこ。 オバマが80点なら、20~30点程度の泡沫を大統領に選ばせたのだから 米国も地に落ちたもの。 ちなみに、小ブッシュは40点。 支持をした中・下層の白人が一番、圧迫されるというのに…これは歴史的惨事。 まずトランプが不動産屋ということ。長期ビジョンが少しはあるが、実業家の 本能で、目先の実績を優先する習性が染みついている。その上に平気で嘘をつく。 世界政治を大きく左右するアメリカ大統領には最も向いてない人物。それさえ 理解できないのが中・下層の白人の程度。低劣なハリウッド映画並の物語の 様相である。まず年末まで重大な隠された問題が出てくる? それもプーチン の仕掛けで…? 来年の夏までは持たない? 二流俳優上りのレーガンは、 レーガノミクスで対応したが、後始末が、それは大変だった事実がある。 * 大相撲が始まった 大相撲が始まったが、この数年、腕白相撲上りの個性的な力士が出てきた。 「正代」が関脇に、「遠藤」に加えた「北勝湖」と「御嶽海」が上位に顔を並べ、 新潟出身の「小柳」が十両上位に上がってきた。これに小兵力士の数人が加わる。 昨年末の全日本相撲選手権、全日本学生相撲選手権を見ると、モンゴル人、腕白 上りの将来性のあるのが何人かいる。 腕白相撲上りは、子供頃から基本が叩き 込まれている。しかし、大陸系のモンゴル人と骨格が違う。 ところで、目先の今場所はどうなる? 白鵬が本命?。相撲に対する姿勢が 他とは圧倒的に違う。ただ強いだけでなく、強靭の精神力・人間力があるが、 土俵年齢が賞味期限を超えている。それにつけても、女子供のファンが多い。 ・・・・・・ 4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5 2013年01月10日(木) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −� お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて 育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに 使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。 財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。 で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。 満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、 それがベースになっている。 ーその辺りを抜粋するー ≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに 決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、 誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に 左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに 関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには 興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。 賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。 お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。 人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。 それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、 心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に 尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩 足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、 出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。 しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる 脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫ ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。 その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった 細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに 余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、 振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、 楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。 ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。
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