堀井On-Line



5592,幸福の条件とは 〜③

2016年07月07日(木)

           <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著>
   * ドーダの追求
 自己愛丸出しの心の中で叫ぶ「ドーダ!」をキーワードにし、資本主義の
「限度なき貪欲」を解明していく内容。 この随想日記を毎日、書き続ける
心底には、涙ぐましいエネルギーをかけた、さあ、「ドーダ」のためか。
自分では気づいてないが、傍からみえrば自己愛、エゴ丸出しだろう。
 〜その辺りから抜粋〜
≪ 幸福感はそれほど増えないのに、人はなぜ、限りなく富を求めるのか?
 思うにそれは、私の用語でいうドーダのせいです。ドーダというのは
「ドーダ!すごいだろう、まいったか!」と自己愛丸出しで心の中で叫ぶとき
の「ドーダ!」のことで、漫画家の東海林さだお氏の発明になる用語です。
 資本主義の悪弊であるところの「限度なき貧欲」というのは、じつは、
幸福の追求からくるのではなく、このドーダの追求にあるのです。
 このメカニズムを説明するのに、ジェイコム株の誤発注で十億円以上の利益
をあげたと伝えられる「ひきこもりディーラー」の青年を例に取りましょう。
青年はなかなか正直な人で、雑誌のインタビューに答え、「わたしは贅沢
なんてしたくはない。それに、金儲けをしていても苦しいだけだ」と告白する
一方、昨年来の大暴落では、おおかたの予想を裏切って「売り」で大儲けし、
資産を数百億円に増やしたと自慢していました。
 この青年をサンプルとして考えるとよくわかるはずです。人は贅沢をしたい
から、幸福になりたいから、利潤を追求するのではありません。むしろ、自分の
予想の正しさ、着眼の正当性を確認し、それによって「ドーダ、おれはすごい
だろう、天才だろう、まいったか!」と心の中で絶叫したいがために、とことん
利潤を追ってしまうのです。ひとことで言えば、現実の中の人というよりも、
想像力の中の人を相手にドーダしているのです。
 問題はここにあります。現実の人間が相手の場合、ドーダと喝采のやり取り
にはおのずと限りがあります。しかし、想像力の中の人間が相手では、ドーダと
喝采のキャッチボールには限度というものがありません。いくらドーダしても、
喝采はいくらでも続き、これでおしまいということはないのです。
利潤の無限追求が、贅沢がもたらす幸福感という点では限度があっても、ドーダ
においては限度がないのはこのためなのです。 ドーダ恐るべし! 
一度火のついたドーダは果てることがないのです。≫
▼ 著者は、ドーダが「自己愛に源を発するすべての表現行為」であり、
「想像力の中の人を相手にドーダしている」という。そうこう考えると、
世の中、こんな事で動いているのかもしれない。ここで、「ドーダ」を
「陽ドーダ」対「陰ドーダ」、「外ドーダ」対「内ドーダ」という
サブ・ジャンルに分類している。秘境・異郷旅行も、かつて同行したツアー
仲間に対して、「ドーダ、今度は、ここに来ているよ!」と、心の内で、
問答している? しかし、過剰な欲望ではない。その時に、考えられるだけ、
考えて決断した結果で、ドーダは、微塵もない。それがライフワークである。

・・・・・・
5227,「エリック・ホッファー自伝」 〜⑤『適応しえぬ者たち』
2015年07月07日(火)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 適応しえぬ者たち
「季節労働者キャンプにいることが何を意味しているのかがわかった。
 ここにいるわれわれはゴミの集まりなのだ、と。」 
誰が好んで、ここに居るものか、社会に適応できぬ者たちが、ここにいる。
まあ、シビアである。 私の社会生活、アウトサイダーと自認していても、
適応できないだけかもしれない、 〜その辺りから〜 
≪ ―開拓者としての放浪者?―ば かげた考えのように思えた。しかし、
白い砂漠を横切って歩いている間中、この着想について思いをめぐらせていた。
開拓者とは何者だったのか。家を捨て荒野に向かった者たちとは誰だったのか。
人間はめったに居心地のよい場所を離れることはないし、進んで困難を求める
こともない。財をなした者は腰を落ち着ける。居場所を変えることは、痛みを
伴う困難な行動だ。それでは、誰が未開の荒野へ向かったのか。明らかに財を
なしていなかった者、つまり破産者や貧民。有能ではあるが、あまりにも衝動的
で日常の仕事に耐え切れなかった者。飲んだくれ、ギャンブラー、女たらしなど
の欲望の奴隷。逃亡者や元囚人など世間から見放された者。そして、このほかに
冒険を求める少数の若者や中年が含まれる。おそらく現在、季節労働者や放浪者
に落ちぶれた者と同じタイプの人間が、一昔前は開拓者の大部分を占めていた
のだろう。新しい国への移住はほとんど例外なく、これに妥当する。
 オーストラリア移住の前衛を占めたのは元受刑者だったし、シベリアに定住
したのは流罪者や囚人だった。アメリカで初期と後期の移住者は失敗者や逃亡者、
重犯罪人だったし、宗教的情熱に突き動かされた開拓者だけが例外である。
ともかく、この放浪者と開拓者の親縁性の発見は、私の心を強く捉えた。
それから何年もの間この発見、表面的には放浪者にも開拓者にも関係ない考察と
絡みあい続け、それまで関心を抱くことがなかったテーマについて考えるよう、
私を導いたのである。そして、人間の独自性とは何かという根本的な問題に
突き当たったのだ。
 人間という種においては、他の生物とは対称的に、弱者が生き残るだけでなく、
時として強者に勝利する。「神は、力あるものを辱めるために、この世の弱きもの
を選ばれたり」という聖パウロの尊大な言葉には、さめたリアリズムが存在する。
弱者に固有の自己嫌悪は、通常の生存競争よりも遥かに強いエネルギーを放出する。
明らかに、弱者の中に生じる激しさは、彼らに、いわば特別の適応を見出させる。
弱者の影響力に腐敗や大敗をもたらす害悪しか見ないニーチェやD・H・ローレンス
のような人たちは、重要な点を見過ごしている。 弱者が演じる特別な役割こそが、
人類に独自性を与えているのだ。われわれは人間の運命を形作るうえで弱者が
支配的な役割を果たしているという事実を、自然的本能や生存に不可欠な衝動
からの逸脱としてではなく、むしろ人間が自然から離れ、それを超えていく
出発点、つまり退廃ではなく、創造の新秩序の発生として見なければならない。≫
▼ 弱者の立場から、その役割の重要性を看破している。「特別の適応」を
 弱者は見出していく。弱者の自己嫌悪は、通常の生存競争より遥かに強い
エネルギーを放出する。それは、挫折をした節目で、内に向かって出てくる
それである。それが強者に勝利する原動力になる。適応しないことも時に重要
になる。ただし、目的が、そこに有るかどうかが、孤高と弧底?の境目になる。
・・・・・・
4862,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー30 
2014年07月07日(月)
  * 本来、この事業構想は正しかったのだろうか?  ー前半、終了ー
 この事業は、280室で駅前シリーズを終えた後に、郊外型ホテルへ切替えるか、
事業売却であった。そこで節目を作るのが、学生時代に構想した創業型事業人生。
それを作らなかったのが、三年前の結果に繋がった。1985年のプラザ合意直後
から生じたバブルと崩壊は、明治維新と、太平洋戦争敗戦と同じぐらいの大きな
節目である。アメリカの陰謀による経済敗戦であり、更に9・11テロ、9・15の
リーマンショック、3・11の東北大震災である。 それが私の事業にも直撃、
これまで深手になることを読めなかったのが致命傷になった。創業当初の
10年間で、ユデ蛙になったためである。「ご覧とおり、そのまま結構」である。 
これを書いて気づいたことは、創業時に転売した二ヶ所の土地が、実は郊外型
ホテルの立地だったこと。あの時に「もしか、ここがホテル立地?」という
想いはあった。しかし、新幹線開業した直後の上越新幹線最終駅前の周辺に、
執着するのも仕方がない?あと講釈としても、十年目に大きな節目を作るべき
だった。進むべきか、立止まるか、引くかのサイン?があった。 その時、
そのサインを読み違え、戦略を新潟駅周辺に280室から、500室の拡大
戦略をとってしまった。当時、大型チェーンの駅前などの繁華街店舗が急激に
衰退していった。その頃に、ペガサスでは駅前立地から本格撤収を指示していた。
事業構想は10年スパンか、駅前周辺300室内なら正しく、それ以上は致命
的間違い! 新潟駅前シリーズは、バブル崩壊による日本経済、特に地方の
衰退が本格的に始まった中で、舵取りを間違えた結果、最期は、これ。
直接原因はリーマンショックと、東北大震災?で、間接原因は500室の駅前
への過剰投資。だから諦めはついている。歴史的バブル経済の崩壊にかかわらず、
逆に新潟駅前でバブッタのである。これが直接原因で、最後の二つは、
駄目だしの間接原因ともいえる。物語として、私には、これが丁度良かった!
 〜と、思うしかない。 そして、反省の日々! そして、外海には、更なる
大津波の音がする。内海では、その中、祭り(東京オリンピック)の準備で
ミニバブル! 高台からの下界の景色を、妙な気分で見るのも?
「天気晴朗なれど、波高し!」が内海の景色!ここからみえる
人生68〜75年の最期の祭り?が、面白そうだ。
・・・・・・
4495, 怒らないって本当は恐い! ー10
2013年07月07日(日)                     
   * 石原と橋下の怒りについて     『怒りの作法』小川仁志著 
 怒りといえば、石原と橋下。TVで常に怒っている。アメリカの間接統治
のために与えられた憲法さえ変えることが出来ないのが二人の怒りの根にある。
更に実質的に日本は官僚が支配している実態に対しても怒っている。二人とも
怒りを実に巧く使い、改革を実施してきた。実質、占領下の現状に対し、
怒るのが当たり前だが、それを表立てると何故か失脚をする。
 歴代の首相も何故か、独立を企てると失脚してきた。アメリカにとって一年の
首相交代は間接的統治に理想的である。ーその辺りから抜粋して考えてみようー
≪ 橋下大阪市長と、もう一人石原都知事の二人は、事柄に対して本当に怒り
 を示せる人物だということができます。彼らのメッセージはしっかりと
伝わるのです。それが人気の秘訣でもあるのでしょう。彼らはまず怒ります。
そしてその怒りのモードに諭理を載せます。なぜ怒っているのか、なぜ
メッセージを発しているのかが明確なのです。そして筋が通っています。
ただ、両者の怨りの根源は大きく異なります。石原都知事の場合は、偏った
保守思想に恨源があるのに対して、橋下市長の場合は、世の中の不合理さに
対する怒りに恨源があります。 石原都知事は外国人に対する差別的発言に
顕著なように、自分の思想に反する事柄を排除しようとするエネルギーが怒り
の源泉となっているのです。これに対して橋下市長の場合は、弁護士出身
だからというわけではないでしょうが、世の中の不公平に対して挑戦しようする。
・・・ そんな橋下市長がぶち上げたのが大阪都構想です。大阪市を特別区に
分割し、他の市と一緒に再編してまとめようという。 これによって、
大阪市が副都心として活性化するというわけです。 同じ独裁的イメージを
醸し出す二人ですが、いわば石原知事が偏向思想に基づく自己中心型独裁
であるのに対して、橋下市長は、奇しくも彼が解放と表現したように人民開放型
独裁のです。この違いは偏りに怒りの恨源の違いに基でづくものといえます。
私もこうした橋下市長の怒りの根源には、石原都知事の偏向思想と連って大いに
共感します。この共感を持てるかという点は、実はメッセージの威力に影響を
与えます。というのも、共感とは納得感であって、誰もが納得できるというこは、
それだけ論理的だということだからです。≫
▼ 東京と大阪の首長までは、彼らの手法が有効に働いたようだが、
 こと国政においては難しいようだ。遅かれ早かれ政治的謀略で消え去る
可能性が強い。しかし、ここは怒りの話。都会人なら、二人の怒りを理解できた
としても、それが全国区となると、民度からして、理解できないのである。
その意味で、二人は怒りが洗脳され、安穏とした日本という国の実態に怒りが
向いているだろう。それにしても怒らなすぎる日本人は! 考えないからだ。
怒りが私の人生を狂わせたと、少しは思っていたが、そうじゃない、怒りこそが、
大きな原動力になっていた。歳をとったら、少しは大人しくした方がよいが、
これでは怒って当然のこと。 「怒り」の肯定論があるとはね!
・・・・・
4121, 空腹感のすすめ
2012年07月07日(土)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、
ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の違いを取り上げたことがあった。
生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていない。 
著者は、空腹感状態の方が身体に良いという。私は終戦直後に生まれ、それも
大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、
今でも腹八分目は食べないと気が済まない。 ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。
 空腹である、ということは、摂取した食料が体に採り入れられ、それが身体
各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、
動物の体を作ってゆく、という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギー
を消費するという面では消費的な活動をしているのである。空腹というのは、
今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図。
それで、もう体の中の余分なエネルギーは残っていません、というのが疲労で
あり、休息と食事の時間、ということになる。それなのに、生物の中でも最も
恵まれた動物である人間は、空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。
体を生産的なことに動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。
考えてみてほしい、空腹感は、あれで結構、好ましい状態なのではないか。
少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。「腹が減ってきた。
何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、獲物になるものを探したのであろう。
空腹はそういう根本的な動物の行動を促す動機になる。それなのに現代の日本の
ような先進国では空腹を感ずると食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり
入れて、アイロンをかけて収納する。さて一休みという段階で、ちょっと空腹感
を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を
買いに着物を着替えて、駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということは
まだはっきりしないが、マーケットに行けば、その日の安いもので、亭主の好さな
ものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しといった
新しい行動をうながしたのである。こうやって、夕食の準備をして、子供には
先に食べさせて、寝かしつける。 自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに
帰宅する亭主を待つ。≫
▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、
 時間が来たから食事をするというより、腹が減ったため食事をしていた。
そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、
腹5分位が丁度よいというが、まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。
 人間は精神的空腹感も同じように必要か!青年期の精神的渇望感が懐かしい。
・・・・・・
3755, 夢はリアル
2011年07月07日(木)
 昨日の朝の夢は、生々しい内容である。 ーその内容とはー
【 経営破綻しそうな会社を引き受けないかと言われるが断る。そこに社長の
奥さんがいたので、「助言はするので、あなたが引き受けるべきです」というと、
「二つの経済震災と、自然震災で失敗したというが、そんなのは言い訳、この
事態でも乗り切れてこそ、真っ当な経営者。貴方の言うことは当てにならない」
と、言われた夢。】
 生々しい、辛らつの指摘であり、その指摘は至極当たり前の道理である。 
意識、無意識を含めて、今回の破綻の8割は、3つの震災が原因と思っているが、
反面、それは黙っていればこそ。それを堂々と、ここで書き、また周辺に公言
している脇の甘さが、現在の私。 心底(沼)でドロドロしていたのが変容して、
具体的に夢になって自分を責める。 2割の見方こそ8割の道理がある。 
それを前提と考えてみると、「9・11からの長期低迷で売上が三分の二になり、
更に7年後の9・15=リーマン・ショックから二年半で三分の一になったこと
は果たして想定出来なかったのか? それも、三年目に入っても売上が2割以上
も続けて落ち続けていたが、二年目で収まると楽観視していた、リーマン・
ショックの経済大震災に対する認識の甘さ。 いや、ギリギリのリストラは
実施してきたが・・ 夢は、誰も思っていても直接いわない事実を、潜在意識が
生々しい幻影で教えている。 あの眼差しを見れば感じるか?
30年で一応、事業のフルコースを味わったことになる。10年登り、10年
緩やかな降り、そして10年で、絵に描いたような急激な降り。 それに対し、
手をこまねいているしかなかった長期装置産業の宿命。そんなことは、分かって
いたことでしかないのでは?と、言わんばかりの、夢の中での指摘。
それを赤裸々に書いている現在の私がいる。「喜劇と悲劇は紙一重でしかない、
というのは、このことか」という心の声。 それでも、仕方がないと、
独り嘯くしかない。自嘲か、これは。 と同時に、それをも事業のコースと
楽しんでいる変な自分こそ、私そのものか。 意味など、あと講釈。


5591,私の人生で出あった大断層は

2016年07月06日(水)

   * 私の人生で出あった大断層とは
 日本の断層といえば、戦国時代、明治維新、太平洋戦争の敗戦、そして、
バブルとバブル崩壊による日米経済戦争の敗戦である。敗戦直後に生まれた
私にとっての最大の断層は、ソ連・東欧の崩壊と時を同じくしたバブル崩壊。
 アメリカによる日本潰しだったバブル崩壊について、あまり語られないが、
太平洋戦争敗戦に比する経済敗戦。あれ以来、大規模な金融再編、大型スーパー
や百貨店の倒産、西武鉄道グループの銀行管理などが連鎖して起こった。
 その結果、資産デフレが、10年、20年かけて、じわじわと日本経済の体力を
奪っていた。2001年の9・11テロ、2008年のリーマンショック、2011年の3・11
大震災が、更に加わった。そうこう考えると、地方の一中小は、他動的な、
思いもよらない大波に飲まれたら一瞬に消え去るしかない。 私の事業も、
バブルとバブル崩壊の結果、デフレの大波に飲みこまれたことになる。
 バブル崩壊以前の大波といえば、
・大学卒業から2年半後の1971年8月に、ニクソン大統領の発表した、
ドルの金との交換 停止によってドルの価値が急落したドルショック。
・次にオイル・ショックで、1973年(第1次)と1979年(第2次)に 始まった
(ピークは1980年)、原油の供給逼迫および原油価格高騰と、それによる
世界の経済混乱である。
・そして、極めつけは、アメリカの謀略の1985年のプラザ合意がある。
プラザ合意については、バブル崩壊後にさまざまな議論がなされたが、
バブル景気とその後の失われた20年(長期の経済低迷)の起点という
見解がある。
そうこう考えると、私の人生も、世界の政治経済の潮流に漂っていただけ。
もう一つ、1995年のウィンドウズ95の発売と、普及。そして、最近の
スマートフォンとタブレットの普及である。ネット社会が、何時の間にか、
現実社会を覆ってしまった。その結果、頭と足が腐ってきた。

・・・・・・
5226,「エリック・ホッファー自伝」 〜④
2015年07月06日(月)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
    * 運命の出会いと別れ
 ホッファーの放浪者としてのベースは、『旧約聖書』との出あいである。
それを引き合せてくれた運命的邂逅の相手が、雇い主のユダヤ人であった。
<ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である。>
のとおり、ホッファーも放浪労働者として、真理を追究していく道を選んだ。
 〜その辺りから〜
≪・ドイツ系移民の子としてニューヨークで生まれたエリック・ホッファーは、
 7歳で母を亡くし同時に失明。15歳で突然視力が回復すると、また視力を失う
 怖さから本を貪り読むようになる。18歳で父を亡くし天涯孤独の身になると、
 さまざまな労働に従事するかたわら公立図書館を利用して読書に没頭する。
 家系はみな短命で、50歳以上生きた者が誰もいなかった。自分の命も40年
 だと疑う事なく信じていたホッファーが40歳までの"半生"を綴っている。
・ローズベルトが大統領になる前のアメリカは、自己憐憫とはまったく
 無縁だった。言葉を交わした人間の誰一人として、自分の不孝を他人の
 せいにする者はいなかった。
・雇い主のシャピーロとの会話は本の話題が中心で、彼は私が何を読んでいる
 のか知りたがった。彼は大学を卒業しており、死んだ叔父が倉庫を残さな
 かったら、学者の道に進んでいたらしい。つまり、大学教授になる代わりに、
 やり手のくず鉄屋になったのだ。私は贈罪日に倉庫を閉めたのを見て、
 初めてシャピーロがユダヤ人であることに気づいた。それからユダヤ人に
 関する本を読み始め、シャピーロが私に関心を示したのは、彼がユダヤ人で
 あるからだと確信するようになった。ユダヤ人は特別な民族である。
 彼らは神を見つけ出し、その数に比して歴史的に大きな役割を担ってきた。
 <ユダヤ人の神は他の神とは違い、怠惰な貴族でなく、働き者の職長である>
 そうした神を崇拝し模倣した西洋においてのみ、機械時代が訪れた。
 中国人と日本人はその発明の才と技術習得力にもかかわらず、機械時代を
 招き寄せられず、西洋から受容しなければならなかったのだ。
 この考えにシャピーロは喜び、ぜひそのことを書いてみるべきだと言った。
・古代の始まりからユダヤ人は、人間の顔に表れる象形文字を判読する能力に
 秀でていた。人間が何をしようと何を考えようと、それは顔に刻み込まれる。
・新たな好奇心が私を旧約聖書へと導いていた。ちょうど筋肉がついてきたという
 意識が、青年をウェイト・リフティングやレスリングへと駆り立てるように、
 精神が成熟してきたという意識が、私を未知の新たな仕事へと向かわせた。
・貧困者に対して非情になるなという訓戒が、争いごとにおいて
 貧者の肩をもつなという冷めた諫言と並存している。
・この世の現実に執着するあまり、古代ユダヤ人は来世のことを考えなかった。
 彼らにとって最高の報酬とは、自分の寿命を延ばしてもらうことである。
・真実を構想して未知のものを思い描き、物語を語る能力は、未知のものを
 探るうえで必要不可欠な才能だ。≫
▼ 放浪労働者から解放される機会が多くあったが、敢えて、その道を
 選ばなかったのは、40歳までしか生きられないという思い込みがあった
ことと、旧約聖書の影響である。しかし、放浪労働者は違っていた。
ただ社会的不適応者でしかなかったが、彼らの群れには魅力が隠されていた。
・・・・・・
4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29
2014年07月06日(日)
  * 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、
④転売可能で、⑤手堅いこと」を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分に
ダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の更地を売却をして、
新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。
まずは、千葉と長岡と同じく、孤独、孤立からの出発である。不安と緊張の中で、
漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。ところでホテル名は、
学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。
その上にツイン、ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円
の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!の確信が生まれていた。
これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要で
あるということ。すなわち、いつまでも古い形式にこだわってはならない、
というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、己を無に
して市場に聞きながら、踏出すのが基本。 事前調査で、ビジネスホテルは
月〜木曜日が、ほぼ満室、金土が5〜6割、日曜が3割、平均稼動8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 
平日はフロントに、土日はショップにシフトをし、回わせば、究極の合理化。
その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、大いに
利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、
短期的にはプラスに働いたが、長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がり
の衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、十年近く経って
気づくことになる。しかし創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、
二、三棟目のホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? 
それにしても、何だろう、この男? ドンキ?
・・・・・
4494, 怒らないって本当は恐い! ー9
2013年07月06日(土)
   * なぜ世界中でデモが起こるのか
 現在、北アフリカと中東をはじめ世界中でデモが起きている。
デモは集団による政治のメッセージである。ここでは、格差問題が若者を中心
に怒りとして燃え上がった。その背景には携帯電話という情報機器の普及で、
体制側の腐敗と貧富の格差の情報が隅々まで流されることがある。日本のデモ
のようにお祭り騒ぎで練り歩くだけでは怒りは伝わらない。怒りが伴った暴動
こそ、その意思が伝わる。  ーまずは、その辺りからー
≪ 議論と同じ意味で怒りを道具になるのは、メッセージを伝える感情だから。
 つまり行動である。その中で、一番わかりやすいメッセージの伝達行動は、
デモでないだろうか。 通常、デモは政治的メッセージを発信するために、
集団で練り歩く行為をいいます。デモンストレーションの略ですが、語源は
「示す」という意味を持っている。したがって、デモの本質は、人々が自分の
意思を示す行為である、と言えるのである。しかし漫然と歩いているのでは
効果がない。怒りが示されると俄然と効果が現れてくる。世界で変革を求める
デモが起きているが、それはもっと非日常的な非常事態であってしかるべき。
しかし先進国のデモは、そうでない。特に、日本のデモは、どれもお祭り騒ぎ
である。それは去勢されたから。安保闘争の時に圧倒的な取締で潰えた後、
すっかり大人しくなってしまった。それでも、唯一怒りを伴ったデモらしき
ものは反貧困を掲げた運動だった。派遣切りをはじめ、人をモノ扱いにする
ような新自由主義的な自民党政治に対し、さすがに人々が怒った。
この運動で自民党政治の行き詰まりもあって、ある程度効果があって、
一度政権が交代した。そして、誰もが、貧困が解消されたかに見えたが、
実際は自民党的体質を変えることは出来なかった。反貧困の湯浅誠が、
内閣参与という形で迎えいれられることで去勢されてしまった。・・ ≫
▼ 携帯電話、スマホは、国境を超えて情報を一瞬のうちに世界に行き来する。
 今さらグローバル化を元に戻すことは不可能。それは情報を通して、世界が
平準化していくことを意味するが、様々な格差の拡大を生む。その怒りが
世界中に噴出するのは避けがたいことになる。現に中国が年間十数万件も
暴動が起きている。それが一斉に起きてないから内乱になってないだけ。
社会には、貧困、格差問題は常に存在する。問題は、グローバル化が貧困、
格差を拡大する力になるからである。ということは、世界各地で起きている
デモや暴動は、ますます激しくなっていく。時の権力者は、その矛先を自国
より弱い周辺国に向けるため、国境問題を操作する。グローバル化は
戦争の機会を促進することになる。
・・・・・・・
4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
  * 女の変容    「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。奥さんが
曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に「男から見る女性の、対男性
の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期の
オニババ化が始まる。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、
 男としては、うん、この女は優しくて、オレの世話を何くれとなく見てくれる、
 と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。
 それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと容赦しない。
 彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、
 亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわり
 のあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、すざまじい勢いで叱り
 つける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。
 この場合の指図される相手は、多くの場合い、亭主しかいないから、オニババ
 の夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。 ≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。
 予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。
オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が大量に定年を向かえ
家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミが
イガミアッテいる。私など平均4時間は外出。ちらほら愚痴が聞こえてきて
いるが、当人にとっては切実の問題。以前読んだ、あるエッセーにあったが、 
定年になった時に、「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」
妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を
始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。人間の記憶の大部分が
マイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナー
を身近の人に見ることになる。その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が
進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から
解放された挙句に、である。
 ・・・・・・・
3754, ワシも族か〜  ー�
2011年07月06日(水)
  あるブログにあった「ワシも族」、によると、
【・定年で毎日が日曜日状態になった父さんが、
 ・家でやることもなくゴロゴロ 
 ・妻がどこかへ行こうとすると「ワシも一緒に」と着いて来る男性を指す。
 一般的のサラリーマンは、「定年になったら、あれも、これもやりたい」
と考えるが、何をしても中途半端で飽きてくる。 定年で急にはじめても、
アマチュアになるには遅すぎる。最低で10年の準備が必要。
そこで、妻に縋るしかない。 TVのワイドショーで「ワシも族・度」
が紹介されていた。
1)近所で人当たりが良いが、家では無口 2)夫が家事をするのは「手伝い」と思う
3)妻の予定や行動をよくチェックしている 4)妻にはつい、つらく当たってしまう
5)妻の家事に手は出さないけど、口は出す 6)妻のお出かけにはよくついていく
7)妻子を養ってきたとの自負がある
【判断基準】・3個以下:とりあえずは大丈夫? ・4〜5個:ワシも族の素質、
十分です ・6個以上:要注意!見捨てられるかも会社人間の習性で、
「自分では手を出さずに、命令すること」「部下が作成したものを批評し、
自ら積極的に行動しない」が習慣化しているからだ。 】
▼「ワシも族」といえば、私の夫婦間では、家内の方が前より「私もやりたい」
 と、言う方。女なら、それは愛嬌だが。私がネットに夢中になれば、見よう
見まねでネットで情報をとったり、ネット・ショッピングに夢中になったり。
海外旅行といえば、初めは反対するが、私が申し込む直前に「私も行く」と、
のたまう。大反対をしたもの(ハンモック・チェアーや、健康機器)を良さそうか
どうかを見極めてから、都合の良い理屈をつけて始める。それが、今度は逆転。
 私も暇時間のつぶし方は得意だが家内には敵わない。相手は38年、年中である。 
一般的には仕事にネルギーを奪われ、ライフワークの趣味を作り上げてこなかった
ツケが、定年後にくる。でも、それでも妻の後についていくだけ、まだましか。
 いくら東京が好きとはいえ、5日連続とは!驚くより呆れる。
「ツアーに出ているよう」だと! 内容からして価値あるツアーだが!
・・・・・・・
3389, 911・考えない・日本人  ー6
2010年07月06日(火)
           「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には
   次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに
 動物心埋の水準をはっきり乗り越える。…つまり反省意識という人間の段階は、
 言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえる言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがる」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。
  それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語として
 はコミュ二ケーションの役を果たし、内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、
 言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ
 知恵があるのだ。人間の身体は原初から何も変わっていない。変わったのは
 精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。
 …… 言語は対象を離れ、独立する。本質的にコミュニケーションの手段では
 なくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
 内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。
 音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
 まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら
 言語段階から見ると日本人が人間としていかに未成熟かが歴然としてくるからだ。
 特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。どうやらわれわれの
 大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
 饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語
 の失語症を起こしている。だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、
 結局主観と客観の区別がつかない。それが「無反省」、つまり精神の言語化、
 あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、
 そこから、自分に対するyouが出現する。いや、youが(自分=I)を
創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始る
のは、自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。
また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、それを一度、ノートに外に
出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。
サルトルの対自、即自である。偶然だが、去年の今日、同じようなことを
書いていた。 面白いものである。


5590,幸福の条件とは 〜②

2016年07月05日(火)

 「幸せの条件?」をネット検索にかけてみた
≪ 幸せの3つの条件(『人生談義』松下幸之助より)
   1.自分が幸せだと感ずること。
   2.世間の人びともその幸せに賛意を表してくれること。
   3.人間の共同生活の正しい進歩向上に即したもの。
  幸福のための4条件(『不幸論』中島義道より)
   1.自分の特定の欲望がかなえられていること。
   2.その欲望が自分の一般的信念にかなっていること。
   3.その欲望が世間から承認されていること。
   4.その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない
    (傷つけない、苦しめない)こと。
「どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せだと思っていなければ、
 その人は幸せではない」のです。
幸せの第一条件は、「自分は幸せ」という“自覚”があることです。
それを確かにするのが、実際に“幸福感”を感じて生活することです。
世間からの賛意・承認を得るということは、善いことをする、人の役に
立つのようなものに加えて、人に迷惑をかけない、悪いことをしない
というようなものも含むと思います。≫ とあった。
▼ 年収七百万までは、比例して右上がりになるが、それ以上は、急速に
 角度が下がる。貯蓄も、一世帯3千万が心配しないで済む安心の目安。
「どんなに幸せそうに見えても、本人が幸せだと思っていなければ、
その人は幸せではない」とあるが、逆に、「どんなに不幸に見えても、
本人が不幸と思っていなければ幸福である」といえる。としても、
何時も金の心配をしなければならない生活は決して幸福といえない。
 資本主義社会とは、貨幣を基準に価値判断をする社会。不条理だが、
割り切るしかない。お金の本質といえは、ずばり、「自由」と「能力」。
「自らに由る欲望の達成」の手段がお金。達成できる力が「能力」。
千円には千円の、百万には百万の、一億には一億の能力がある。
 自由、博愛、平等度が高い社会ほど、幸福度の高い社会になるが、
その前に、人と比較しないこと! 
 そうすれば、自らを縛りつけている枠が取れるため。

・・・・・・
5225,「エリック・ホッファー自伝」 〜③
2015年07月05日(日)
           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 自殺未遂の場面と、覚醒!
 自殺決行の場面をリアルに書き連ねている。自分の走る歩道の足音を拍手
のようだ、というのも、緊張の極まりのためだろう。「口中に、百万本の
針が突き刺さったようだ」というのも迫真がある。 ー以下の場面は圧巻・・
≪ ビンを包みから取り出している間、熱にうなされたような思いがかけめぐる。
 私はビンのふたをはずし、口いっぱいに一気にシュウ酸を流し込んだ。
口中に百万本の針が突き刺さったようだった。激情に打ち震えながら、シュウ酸
を吐き出した。つばを吐き、咳をし、唇をぬぐいながら、暗闇にビンを投げ捨てた。
 つばを吐き、咳をし続けながら、急いで道に戻った。泥道を走り抜け、セメント
道に入った。舗道に響く足音は拍手のようだ。興奮して、独り言を言いながら、
群衆にたどり着くまで走り続けた。ランプも、点滅する信号も、鳴り響くベルも、
路面電車も、自動車も、人間が作ったすべてが自分の骨身の一部のように思える。
ひりひり痛むほどの空きっ腹を抱えて、カフェテリアへ向かった。
 食事をとると、一本の道――どこへ行くのか何をもたらすのかもわからない、
曲りくねった終わりない道としての人生―という考えが、再び頭に浮かんできた。 
これこそ、いままで思いもよらなかった、都市労働者の死んだような日常生活に
代わるものだ。町から町へと続く曲がりくねった道に出なければならない。
それぞれの町には特徴があり目新しく、それぞれが最高の町と主張して、チャンス
を与えてくれるだろう。私は、そのすべてを利用し、決して後悔をしないだろう。
私は自殺をしなかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生した。≫
▼ ホッファーの知的欲求は、盲目の7年間の暗闇の中から生まれ出たのでは
 ないだろうか。死の淵で知ったのは、放浪者として、曲がりくねった道を歩く
ことで、新しい町と出あい、色いろな知識を得つづけるのが自分の人生と悟った。
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の
よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」
という思いが、ここで固まった。人生は己の芸術作品である。永遠のよそ者、
他の惑星からの訪問者なら、一つの町に留まらない。町々の間を、自己配転をし、
多くの出あいを求める。これは死の淵に立ってこそ知りうること。
 死んだような都市労働者の日常生活から、放浪者として彷徨いながら、
多くの世界を知っていくことの意味が、ここで理解出来る。これは、地方の
城下町を凝視すると見えてくる。非日常から逃避して、日常に沈み込む
恐ろしさが不気味に迫ってくる。 あのゾンビのような人たち。
『変化、挑戦、戦い』の繰り返しの中から、新しい出あいの機会が現れ出る。

・・・・・・
4860,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー28
2014年07月05日(土)
  * 15年の準備期間の総括! ―チェーンストア理論とは
 多くを学んだ割りに、大きく脱皮出来なかったのは、「根が怠け者」がある。
だから、20歳で創業を目指すと決心したことで、何とか人生を全機
(人間としての機能フルに生かす)でないとしても、その数分の一は生きること
が出来た。終戦直後に生まれ、地元長岡の焼け野原からの時代は間違いなく右上り
の時代。アメリカ占領統治から独立過程で、アメリカ的合理主義が求められていた。
その一つの現象が、アメリカのチェーンストア業態。未開の大陸、流通業の小売で、
合理的業態として、セルフ方式のチェーンストアが、アメリカ全土にあった。 
JC・ペニー、シアーズ・ローバックが当時の雄であった。 現在ではウォルマート
などが主だが・・ 学生時代に、日本の流通革命を目差すペガサス・クラブと、
流通コンサルタント・渥美俊一の存在を知る。当時の都市の駅前には、業種店の
百貨店と中小小売店が賑わいを見せていた。そこに業態店のスーパーを中心とした
新たな流通バイパスの業態店を!というから、これ!と思うのは当然。ちなみに
業種店とは、駅前に残存するが、メーカーなどの売り手サイドの括りで、問屋を
仲介にした仕入を主にした店で、「何を売るか」で、括られる。
それに対し業態店とは、「どのように売るか」で括られた店。セルフ方式で安く
売るスーパーや、ディスカウント店である。コンビニは、車で10分の商圏の中、
10分以内に消費する商品を、24時間営業を、売りにしている。それに対し、
駅前・駅中の靴屋、化粧品店は、あいも変わらず? その為、何時の間にか、
スーパーや、ネットで、売上げは激減状態!
 卒論に「流通革命」をテーマにしたこともあり、チェーンストアのシステムの
話になると我を忘れるが、これ、はまると、意外と面白い!その中で、一番要は、
チェーンストア統一伝票と、その伝票にバイヤーが書き込む仕様書発注である。
それさえ、詳細に書けば、それが、そのまま契約書にもなる。これが曖昧だと、
売り手が曖昧な商品を納入可能になる。 ある規模になれば、生産地で、直接、
メーカーと共同開発の特別発注が可能になる。 このところ、イオンが、イオン
ブランド品に比率を上げているのは、競争激化による。 そこで、トレード・
オフで、ホット商品の無駄をはぶいて数段の値段を下げで、カジュアルにする。
アメリカのディスカウントチェーンは、メーカーと組んで、商品開発から取組んだ
商品を売る、業態店をいう。 値下がり品だけを売る店は、チープ店である。
 小売を科学するとは、流通戦争の中で、生延びる中で生まれてくる。
だから、商売のヒントと原則が、数限りなく積上げられてある。その中で面白い
のが、ロスの概念! 商売をすれば当然、ロスが発生する。
これを、元から予測して、「発生は仕方がないが、最小にする!」という考え方。
これ、人の生き方にも当てはめることが出来る。「思いのまま生きた分、心の傷も、
喪失感が多くなるが、それ以上に得ることがある!」と言い換えることが出来る。 
冒険を恐れて、周囲の価値観の範囲で、人生を終える時に、やりたかったが、
やれなかった機会ロスがあまりに多かったことに気づくが、既に遅し!
そのゾンビが巷に多い。 彼らの敵は、逆の人生を生きてきた人!
・・・・・
4493, 怒らないって本当は恐い! ー8
2013年07月05日(金)
 人間を閉じ込める心の壁と構造について、何度も書いてきた。
「〜をしてはいけません」という心の壁。それについて何も考えずに、そのまま
一生を終えてしまう。そして、心の奥で両親を憎むというのが親子の関係にある。
それに反発し、両親の元から離れるのが親離れになるが、それが出来ないとミニ
ミニワールドでつい果ててしまう。そして、それを打ち消すために、その価値観
を家族をはじめ、周辺に押し付けてしまう。それも無知の自覚無しときている。
小さいほど、満ち溢れたエネルギーは毒を強くする。それで、まずやられるのが
自分自身。あの老人たちの暗い顔が証拠である。
 ーその辺りからを抜粋してみるー
   * フロイトの心の構図と怒り
≪ 怒りという感情を持たないようにするのではなく、いかに上手くコントロール
 するかだが、精神分析医のフロイトは、歴史上初めて、人間の心の構図を明らか
にした。彼は私たちの心は、実は三層構造になっているという。まず人間の根底
にはエス、あるいはラテン語でイドといわれる無意識の心的エネルギーがある。
これに対し、悪さをすると叱られる父親の存在に象徴されるような、ある種の
規範意識が対立します。これを超自我という。これは両親の道徳観が子どもの
心の中に内在化されたもの。従って超自我の多くは「〜してはいけません」という
禁止の形をとります。これは行為だけでなく、不道徳の思いに対しても作用する。
そうして両者は対立することになる。その両者を調停するのが自我です。
両者の対立をうまくコントロールしたり、阻止したりする機能を働かせることで、
自我は発達していく。それは思考をつかさどる意識の領域にほかならない。
つまり、心というものは、学校での三者面談のような構造になっている。
先生役の自我は、常に緊張状態に置かれていて、いつ爆発してもおかしくない。
これを防ぐのが防衛機制という機能です。人は自我を維持するのに危機を感じた
とき、無意識のうちに、その危機を避けようとします。たとえば不愉快の過去を
忘れてしまうために、持ちたくない意識を外に締め出します。これは「抑圧」
という防衛機制の一種です。また、本当の欲求が満たされなかったから他の
ことを行ったのに、それを正当化するため丁度の良い理由を見出すことがある。
手の届かないブドウを、酸っぱいに違いないと決めてかかるキツネのように。 
これを「合理化」という。さらに、自分の願望と裏腹の態度や行動をとる
「反動形成」も防衛機制の一つです。したがって怒りの感情をコントロールする
というのは、フロイトのいう自我が正常に機能して、防衛規制がきちんと働く
ことによってはじめて可能になる。それができないとキレまくることになる。
怒りをコントロールするためにも、自我の形成が大事になってくる。
自我は思考を鍛えるということにつながっていきます。欲望と規範の間で格闘
する自我とは、計算であり、配慮であり、決断にほかならない。 ・・思考を
鍛えて怒りを飼い慣らすことができれば、日常世界がもっと豊かになるはず。≫
▼ サラリーマンが、いちいち怒っていたら、組織の中で生きていくことは
 困難になる。だから、まず、気持ちを押しとどめるしかない。上記の「抑圧」
も「合理化」も「反動形成」も、嫌が上にも身につけるしかない。 そして、
それが性格形成の元になる。組織そのものが一つの人格として三者面談を形成
してくる。それが組織人というもの。それも給料の内と割り切るしかない。
そこに埋没しないためには、ライフワークとしての趣味を持つしかない。
 怒りは、その行き詰まった自分を考えるキッカケになる。「エス」「超自我」
「自我」の心の構図の論は怒りを考える上で理解しやすい。「自我」にとって、
怒りこそエスを正しい方向に導いてくれるということを。それも若いうちにである。
・・・・・・
4119, 閑話小題 ー平均寿命と医療費
2012年07月05日(木)
   * 平均寿命と医療費
 あるレポートに「世界一高い医療費を払っているアメリカで78・3歳、
最低の北朝鮮でも67歳の平均寿命」とあった。アメリカとキューバの平均
年齢は全く同じだが、キューバの医療費はアメリカの一割でしかない。
北朝鮮では年間、たった一ドル。社会主義という背景もあるが両国とも最貧国。 
皮肉ではないが栄養失調ギリギリの粗食は健康に良いらしい。ちなみにロシアが
65歳、インドは64歳である。 日本の医療費は、先進国の平均値より低いが、
女性が86・4歳、男性が79・6歳,男女平均83歳と世界最長である。
こと医療体制をみると、日本は色いろの問題があるにしては最良のシステムに
なっている。現実的にみて、財政破綻状態だが決して住みにくい国ではない。
   * アメリカの学費ローンの実情
 アメリカでは所得水準が下半分以下の家庭に生まれたら、返済義務のない
奨学金を獲得して大学に入ることは不可能という。入学金とか学費などの学費
ローン(総額9兆円)は、全米の学生の三分の二が借りているほど一般的とか。
しかし、このローンの仕組みも多くの問題を残していて、卒業直後に計画的自己
破産による棒引きケースが続出した時期があった。その当時のクリントン大統領
が、罰則として大学を中退しようが自己破産しようが、学費ローンだけは永遠に
返済しなければならない法制化をした。それは当人の許諾を得ずに給与天引きで
ローン返済をする厳しいもの。アメリカは学費ローンに限り厳格のようだ。
日本では本人の学費ローンは、あまり聞かない。大体が親がローンを組むケース
が多い。それにしても日本の大学進学率が五割を超えているのは問題である。
まだ三割なら分かるが。もっともアメリカも5割を超えている。ドイツは三割強、
先進国は4割前後というから、日本が取り立てて高い訳ではない。 
私の年代では18%だったが。
 ・・・・・・・
3753,ワシも族か〜  ー�
2011年07月05日(火)
 私もついに「ワシも族」になってしまった。 家内は、この数年来、JR東が
2〜3ヶ月に一度の3〜4日間乗り放題のサービス期間、毎日、日帰りで東京
名所見物を楽しみにしている。 8時過ぎの新幹線に乗って、18時過ぎに
長岡に着く列車で帰ってくる。それも、何年も続けていると、予めネットで調べ
ていた行き先をこなすのも手馴れたもの。 妹や義理の姉を度々、従えて行く。
ついに暇を持て余している私も「ワシも族」として、家内に従うことになった。 
行き先は、国立新美術館で行われている「ワシントンナショナルギャラリー展」。 
乃木坂の美術館としか知らなかったので、まさか近年新しく出来た(黒川紀章設計)
国立美術館とは露知らず、ついて吃驚!それもワシントンのナショナル
ギャラリーの印象派とポスト印象派の、多くの作品を目の当たりするとは・・。
見学者の行列にそって作品を観るごとに驚いている次第。初めのうちは、何だ、
この程度かと思っていたが、次々と有名画家の写真集や、TVなどで観た有名な
絵画が出てきたのに驚いた。絵画から出ているエネルギーの直感こそ魂。
  ーこのHPの紹介文よりー
「ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、
特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数およそ400点の印象派とポスト
印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、
全83点を紹介します。クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、
印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、ピサロ、
ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、
スーラなど、それぞれの表現によって印象派を乗り越えていったポスト印象派
に続きます。 17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開
のフィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの
《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた初期の名作
《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・
ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、ポスト印象派を語る上で欠かせない
名作の数々。 まさに、「これを見ずに、印象派は語れない」 
http://www.museum-cafe.com/report/5333.html 
http://totemokimagure.cocolog-nifty.com/zakkan/2011/06/post-d2d9.html
     次回は「ワシも族」とは、どんな人種か? について・・
 ・・・・・・・
3388, 911・考えない・日本人  ー5
2010年07月05日(月)
  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。
  日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら
視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。善悪という山場のない、ドラマのない
国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、
悪もなく暮らす。何事にも意味を求めずに生きる。一体、何がその生活に残るか? 
考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、悪が善に勝つこともない。
戦いはなく、葛藤はその一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に
残るものは何か?ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。
自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。
ヘラクレスと比較すればいい。日本史最大の賢者は誰か。聖徳太子だとしよう。
アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。
アレキサンダーと比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。
ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと比較すればいい。一方はただの
世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、
かつ前者には皆無な勇気の美徳を持ってい。≫
▼ 辛辣である。 島国で海が要塞になっていて、小さな世界で安穏できる
 自然環境が日本を考えないで済ませている。しかしネットで世界が結ばれ、
その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えて
みれば、日本史より低いドラマだろうか? その質は、歴史の長さと地政学に
関係してくる。高度成長期の真っ只中に日本のTV業界の脚本家として名を成し
活躍したぶん、現在の日本の現状とのギャップが鮮明に見えるのである。
隷属国家の考えない日本の姿が、あまりに酷く悲しいから書くのである。
茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、
彼のみたまま。二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。
「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!


5589,閑話小題 〜『エング・オブ・キングダム』

2016年07月04日(月)

   * 「離脱ドミノ」〜英国の次はフランスか? 
 来年はフランス大統領選とドイツとベルギーも総選挙がある。
これまた、離脱か、残存かを問う選挙になるが、英国に続いてフランスが
離脱をしたらドイツを核とした新たは枠組みの経済圏が出来るのか。
その上、ドイツも離脱をしたら、EUが消滅をする。連鎖の可能性から
して、どうだろう。 先日のスペインの選挙では、EUの維持を選んだが。
 〜ネット上に、以下のレポートがあった〜
≪ Brexitショックを消化しつつ、一定の安定感を取戻したマーケット。
 しかし、市場は先読みする。英国が引き金を引いた「離脱ドミノ」懸念。
Brexitの次はどこか。そこで、最も切迫感のあるリスクを抱える国が
フランス。来年5月の大統領選が、事実上の英国型国民投票と化す可能性がある。
既に、オランド大統領の支持率は10%台前半にまで急落中。いっぽう、
予想される対抗馬の国民戦線党首ルペン氏は20%以上の支持を得ている。
フランス国民の不満がうっ積しているのだ。解雇条件緩和などを盛り込む
労働法改正に対し、労働者は激しく抵抗している。清掃関係の労働者が
ストライキしたときには、パリの街角がゴミの山となり、異臭が漂った。
自然も味方せず、異常気象による集中豪雨がパリを直撃。セーヌ河の水量が
通常より6メートル以上上がり、洪水が発生。一部の地下鉄駅は水没した。
「それもこれも、そもそもEUのせい。」理不尽なまでのEU悲観論は高まる
ばかり。ピュー・リサーチセンターによれば、フランス人の66%がEUは
経済的に失敗と考えている。反動で、移民排斥への共感度は高まる。
「選挙で選ばれていないEU本部の人たちにより構造改革を押し付けられた。」
との反感も強まる。しかし、ドイツとともにEUを礎として支える立場の
オランド大統領は、公式の場で、メルケル首相と並び、EU結束を訴える。
そもそもフランス人には、独一強、独主導への警戒感が根強い。その国の首相
と「EUがんばろう。」とスクラムを組むオランドへの支持率下落は加速する。
「EUより我が国の内情を心配せよ」との批判は高まる。
 フランス国民の間には、英国型国民投票を望む意見も急浮上する。
英国のEU離脱に関しても、「わがままを言う英国が出てゆくのは歓迎。」
との考えも根強い。「英国がEUを離脱するなら、この際、我が国も独立性を
取り戻そう」と発想も芽生える。フランスは英国をライバル視する傾向が強い。
なお、ドイツとフランスの間にも不協和音が絶えない。英国EU離脱交渉に
関しても、オランド大統領は、「ただちに出てゆけ。」といわんばかり。
対して、メルケル首相側には、経済関係が密な英国に、一定の冷却期間を与え、
出来ることなら考え直してほしい、との計算が透ける。EUから最大の経済的
恩恵を受けているのはドイツなのだ。しかし、米国覇権への対抗、中露に対する
団結としての欧州協調路線は崩せないから、英国EU離脱交渉には強い態度を
示さねばならない。独仏は「仮面夫婦」を演じる宿命にあるのだろう。
英国EU「離脱」は、しばしば「離婚」に例えられる。その発想の延長線上には、
独仏仮面夫婦の「離婚」も視野に入る。それは、フランス大統領選挙で、
反EU派候補が勝利するときだ。なお、実は、オランド大統領にも勝算がない
わけではない。フランス国民が、英国内に拡散するRegrexitの惨状を
見て、考え直すシナリオだ。大統領選挙戦ともなれば「英EU離脱に軽軽に票
を投じた人たちの後悔を教訓とせよ。」と訴えるであろう。≫
▼ 非常にわかりやすい内容である。それにしても、長年かけてつくりあげた
 EUも、英国の数人の凡庸な政治家の判断ミスで、一瞬のうちに崩壊する
可能性を含んでいた。凡庸な数人の政治家と、老人と、低知識層によって、
いとも簡単にEUだけでなく、英国連邦そのものの崩壊の危機がつくられた。
1月前に観たシネマ、『エング・オブ・キングダム』は、全世界で大ヒットを
飛ばした『エンド・オブ・ホワイトハウス』の続編で、舞台は英国。その
ロンドンの街中を破壊尽くす“テロリズム”との壮絶な闘いを描いたもの。
皮肉なことに、時を同じくして政治的場面で起こってしまった。
「事実は小説より奇なり」そのものである。恐ろしいことだ。

・・・・・・
5224,「エリック・ホッファー自伝」 〜②
2015年07月04日(土)
           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * 希望でなく勇気  
 希望は誰も持つが、いざ実行となると難関が立ち現れ、萎えてしまうもの。
私の経験からして、勇気は「呼吸」である。大きく吸い込み、息を止め、一歩
を踏み出す。そのためには普段より「否定1に対して、肯定3」の思考と行動
習慣が必要になる。  〜その辺りから
<自己欺瞞なくして希望はないが、勇気は理性的で、あるがままにものを見る。
希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は長い。希望に胸を膨らませて困難な
ことにとりかかるのはたやすいが、それをやり遂げるには勇気がいる。
闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、勇気が必要だ。絶望的な
状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の存在になるのである。>
「希望」と「勇気」。どちらも自分の先に対する「可能性」への心の動きだが、
「希望」が思考に留まるものなのに対し、「勇気」は行動を伴うもの。
しかし、自己欺瞞としても「希望」が必要だ。そして、それを実現するには
「勇気」が必要になる。ホッファーは、ここで、ゲーテの以下の詩を取り上げる。
《 財産を失ったのは──いくらか失ったことだ!
  すぐ気をとなおして、新しいものを手に入れよ。
  名誉を失ったのは──多くを失ったことだ!
  名声を獲得せよ。
  そうすれば、人々は考え直すだろう。
  勇気を失ったのは──すべてを失ったことだ!
  そのくらいなら、生まれなかった方がいいだろう。」
               「「温順なクセーニエン」第八集) 》
▼ 「正中心一点無」の言葉が、私の行動の一歩を踏み出す時に、
 思い浮かべる言葉であった。「希望」と「勇気」の間には深い溝がある。
兎にも角にも、その向こう側に向かって飛び越えなければならない。
ネットで「勇気」のポジティブな対語(反対語ではなく対になることば)
として、「智恵」とあった。また、「慎重」も。「智恵」は、「勇気」の
中から生まれ出てくるが、事前の「智恵」も必要である。それが「準備」と
いう計画の具体的練り上げへのダウンに繋がっていく。
・・・・・・
4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27
2014年07月04日(金)
  * 15年の準備期間の総括! ー2
 この準備期間の15年は、緻密に練られたようだが、実際は成行きの要素
が多かった。事業を立上げ、それを転売をする度にアップスケールする創業を
求めた結果が、自然に準備そのものになった。私の性格が外交的というより、
内省的のため、その都度、非常な緊張感が付きまとっていた。医者に診て
もらったら、恐らく、自律神経失調症か、対人恐怖症と診断されただろう。
人間は、気づかどうかだが、全ての精神症の要素を持った総合体で、問題は、
そのバランス。その中で、特に初対面の相手との対面が苦手だったが、いざと
なれば腹は据わるもの。その「いざ」の場面から、自ら逃げるから、精神症
から精神病に陥ってしまう。絶対的父親の元で育った八人姉兄の末っ子が、
父親のような創業を、何を血迷ったか求めれば、精神的限界に立たされて当然。
何とか、その都度、本屋の中の天使に導かれ手にとった本で、乗り切っていた。
 その中で、様々な場面で、多くの判断が求められた。
・大きな問題の一つが、連れ合いである。 右腕タイプか、全く商売の興味を
 示さない家庭的な人? 結果として選んだのが、後者タイプだったが、
 どうだろう? これだけは答えが出ない人類永遠の課題! 右腕タイプは、
 事業が拗れた場合に、相打ちという自滅の危険が生じる。巷に多々みかける!
・次が、現場の要の人材である。これが、なかなか定まらず、直前まで手こずって
 いた。職安やリクルートを介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使って
 みても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地
 二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。そこで《事業資産は、博打場に投入
 した掛札!手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる
 白刃の真只中! 本番の創業が始まる。出発点で、5百%の成功確率の準備を
 整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことを
 させます。観客を怒らせるためです。そして観客に、「どうしてもっとやり
返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出る。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、
すっきりするわけです。そもそも人間の感情として怒りが具わっているという
点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。たとえばニーチェが
『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な
世界観を描いたのは、そのことをいいたかったから。アポロンは美と光の神、
ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。古代ギリシア人たちは、
アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、
決してそんなことはない。実は人生の暗黒側面と激しく戦って、それを征服し、
苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な側面が
あるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの
影であって、本質的なところで苦しさを受け入れているからこそ、彼らは強く
明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに
象徴される怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。
 ・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、あるがままに
受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。
これが彼の超人思想の根幹ですから、その意味で怒りは避るべきものではなく、
素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。
 山高ければ谷深しである。人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の
日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
変わって見えてくるから面白いのである。両親や、社会のバイアス(先入観)
に縛られ、光の当て方さえ知らずに、小さな岩場の穴に閉じ込められている
ことさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。他者に原因を
求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を
見出すことが正しく怒ること。怒りを生み出している原因は客観的なもの。
それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
 今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど
肯定している本は珍しい。怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば
気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。自分に怒り、相手に怒り、
社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの
人生が台無しになるが、正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、
ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。
悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、政治家も国民も、目先の安易を
選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても「成長なくして生存なし」
と曰っている。その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか
思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
  * あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、
 日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。ドルの過大評価が修正される
ことの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造
が変わる 』ハズだった。日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」
「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストの
ような日本経済のファウスト症候群の原点だった。その結果が、言わずと知れた
バブル経済の出現。その時に先送りにされた課題が現在の我々にのしかかる。≫
▼ あの時から27年間、バブルと崩壊を経た後、ただひたすら財政投入を繰り
返し、一千兆という膨大な借金を積み上げてしまった。考えてみたら私の新潟駅前
事業シリーズ、あの時からホテル拡大が本格的に始まった。投資の資金計画さえ
立てれば銀行が応じてきた。そして目先は計画通りに順調に売上が上がったが、
目標数字は三年もしないうちに計画より下回っていた。要は、プラザ合意の背景
があって資金需要先が必要だったのである。新幹線開通の勢いと、価格破壊の戦略
もあったが、プラザ合意のアダ花でしかなかった。時代の流れに乗り、その後、
激流に流されただけ。それを乗り越えるのが経営。この大津波の飲み込まれた
のは、それまででしかない。何とか近くの山に逃げることが出来たが、山上から
見えるのは内海の向こうの大津波。しかし、防波堤の内側の人たちは、のんびり
内海を眺めているため、叫び声が聞こえていない。逃げた人たちが山の上で手を
振っているのを見て笑うだけ。江戸の長き眠りをアメリカの強引な開国要求で
醒まされ、無血革命で近代国家造りを余儀なくされ、その膨張の結果、日米大戦
に引きずりこまれ敗戦。その後はアメリカの属国として世界第二位の経済大国に
なった。しかし、プラザ合意を強引にアメリカにのまされて、バブルと崩壊の中、
ドルとアメリカ国債という紙切れで溜め込んだ資産を収奪されている。
それもこれも娑婆娑婆! 所詮はイエロー・モ(ヤ)ンキーか。
・・・・・・
3752, 創業と 野良の話
2011年07月04日(月)
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。某ゼネコンの担当で、
4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、その本社の営業会議で上司が
営業の不甲斐なさを責め立てるに、「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。
それさえ出来ないのは、野良猫以下だ!と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞か
されたことがあった。その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、
野生の本能を使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、
とことん飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、その中で勝ち抜けない」
という比喩を言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、
修羅場の闘いの中で、獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。
この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、その言葉を
解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
 私の知人が大手の?を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」
と頼まれたことがあった。その時に、長年、大組織を背景にした人が果たして
一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。振り返ってみて、
よくぞ、こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、
「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、
外に出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらなければ
ならない事態もある。その覚悟があれば、上手くいく」と。それでも本人は
嫌な顔をしないで?聞いていた。そのまま、その道に突き進み、経験を
生かして第二の職業で自己を確立している。そういえば、以前にも同じような
相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、第二の人生を
ハッピー・リタイアーをした。ギリギリの野生に立ち返り、見栄も外見もかき
すて、ただ成功させるに、どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた
状態で、計画をこなしていくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、
いや、もっと確率は低い。それほど自立は難しい。だから、野良犬、野良猫
という例え話で、創業のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、
その覚悟を反応でみる。本人は、「頭を垂れて自分の方から聞きにくる第一歩
からして、計画のチェックをしにきているに過ぎない。」で、初めは上手く
いっても、私のように震災三つで、はい、さようなら!である。 
何かをやろうとしたら、準備、準備、準備。準備さえしてあれば、野良猫でも
野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上で軽蔑し、頭で考えていただけで
準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見る
ことが出来ないから、その中心点と、その奥にある、血と汗を感じ取ることが
出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化してきたかが、大きく左右する。 
それとて死んでしまえば皆、同じ。
・・・・・・・・
3387, 金融のミニ講演
2010年07月04日(日)
 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の
生の金融情勢も面白そう、と。 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って
何割かの金融資産を出した方がよい。その手伝いが自分の仕事の一つという。
世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、
とか。(字数制限のためカット 2011年7月4日)
 


5588,閑話小題 〜4日間の東京日帰りツアー

2016年07月03日(日)

   * 4日間の東京日帰りツアー
 家内は、JR東の「4日間乗り放題のサービス」を使った東京日帰り観光
ツアー。初日は単独でルノアール展などに。 2・3日目は義妹と、その娘を
引きつれスポット巡り。 4日目は、再び単独で、最後の締め。
 ネットで、観光スポットの有名店のサーフィンが趣味。10数年も年に
二度も行き続けているため、手馴れたもの 行き帰りの車中で、死んだように
寝ているので全く疲れないという。私と30年近く、秘境・異郷のツアーに行って
いたのと、丸の内に二年の間、勤務していたこともあってか、隣町に行く感覚。 
 この時期、このサービスを使った中年女性の連れの御のぼりが、新幹線と、
観光スポットに満ち溢れているとか。 何事も、「求めよ、さらば与えられん」。
その間、私の夕食は、コンビニ弁当と、録りだめのビデオ観賞の日々。
「どうしよう?」と、時に躊躇する家内に、「行きたいうち、行けるうち、
迷ったら一歩踏み出せ」と、勧める。どの道、直ぐに行けなくなる、行きたく
なくなることが分かっているため。といってうちに、既に10数年も経った。
 でも、この足の軽さは、私にないもの。
 ―――
  * シネマ、評論    http://creepy.asmik-ace.co.jp/
 一昨日のシネマは、『クルーピー 偽りの隣人』を観た。
あまり気持ちが良さそうな内容でないが、監督が黒沢清にひかれて、
これに決めたが、結果、邦画で90点は私として高評価であった。和製の
サイコパスもの、物語は淡々と展開し、徐々に恐怖の底に観客を引きこむ。 
観客は月初めの1日サービスデー(千百円)のためか、平日にかかわらず
100人以上はいたような。
 〜あらすじ
あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。
隣家の少女の告白 × 未解決の一家失踪事件。二つの繋がりは、
本当に恐怖の始まり――隣人が“何者”か、知ってはならない。
六年前の一家失踪事件を調べる犯罪心理学者。
愛する妻と引っ越した先の隣人は、人の良さそうな父親と、
病弱な母親、中学生の娘。ある日、その娘が突然告げる。
「あの人、お父さんじゃありません。全然知らない人です。」
未解決の事件と、隣人一家の不可解な関係。二つの繋がりは、
本当の恐怖の始まりでしかなかった…。

・・・・・・
5223,思いが人生をつくる〜ジェームズ&リリー・アレン
2015年07月03日(金)
       『思いが人生をつくる』〜ジェームズ&リリー・アレン著
 アメリカ的成功本のはしりの本。 「人生は考えたとおりのものになる」
良いことを考え、良いことをすれば良い結果が自ずと生じるもの。そして、
逆も。今から思うと、子供の頃から母親が、似たようなことを繰り返し、
私に語っていた。 〜まずはアマゾンの内容紹介より: 
《「心のなかの思考が、私たちをつくっている」アレンの成功哲学は、
シンプルであるがゆえに気づいた人はみな、人生の夢の頂に登っている!
100余年の時を経て、アレン夫妻初のカップリングBOOK。 著者略歴
・アレン,ジェームズ
 1864年英国生まれ。15歳のときに父親が他界。以降さまざまな職業に就いたが、
34歳のとき、思い立ったように毎朝瞑想をするようになる。その後、瞑想から
得たインスピレーションを書きとめ、そのアイデアをもとに19冊の本を出版。
1903年に発表された『As a Man Thinketh』は、当時の世界中の成功者たちに
支持され、今でも多くの人に影響を与え続けている
・アレン,リリー・L.
 1867年英国生まれ。25歳で、当時29歳だったジェームズ・アレンと出会う。
1895年にジェームズと結婚、以降夫の執筆活動を影で支える。
1912年にジェームズが他界したあと、ジェームズ・アレン哲学を世に広める
という使命を悟り、執筆活動を続け、10冊以上の本を出版する
  〜目次そのままが、概要にもなる。
■ 思いはあなたが生みだした子供 〜リリー・L・アレン 
  ・思いはあなたの子供
〜「思い」という私たちの子供たちが人を支配し、世界をも動かしているのです。
  ・恐怖
〜善良で純粋な魂を持つ人にとって、恐れることは何1つないのです。
  ・プライド
〜「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
 「スピリチュアルなプライド」です。
  ・疑い
〜すべての人は善であり、誠実だと信じましょう。
  ・誠実
〜誠実になることは、信頼されることです。不誠実は恐怖に満ちています。
 誠実は、恐怖を知りません。
  ・希望
〜「希望」が存在するところには、「健康」「幸福」「純粋」、
 さらには「徳」が存在するのです。
  ・美
〜「美」のみが真理です!そして「美」のみが永遠なる存在なのです
  ・シンプルな法則
〜一度に一つのことだけを考えましょう。心の力を散乱させないようにするのです。
■ 人は思ったとおりの人間になる〜ジェームズ・アレン 
  ・思考と人格
〜人は思考の主人であり、人格の作者であり、状況、環境、運命の製作者なのです。
  ・思考と環境
〜特定の思考を継続すれば、良くも悪くも、その結果が必ず人格と環境に現れます。
  ・思考と健康
〜明るい思考ほど、病を軽くする医者はいません。
  ・思考と目的
〜人は自分の目的を抱き、一心不乱にその達成に前進すべきです。
  ・思考と物事の達成
〜すべての功績は正しい思考の結果なのです。
 それらは同じ法則と手法によって支配されています。
  ・ビジョンと理想
〜あなたが心のなかで賞賛するビジョン、たたえる理想こそが
 あなたの人生をつくり、あなたはそのとおりの自分になるのです。
  ・静けさ
〜真の自制心は力です。正しい思考は勝利です。静けさは力強さです。
▼ <「知的プライド」は危険ですが、もっとやっかいなのは、
「スピリチュアルなプライド」です。> には、ドッキとした。逆と思って
いる節があるからだ。他者をみると解るが、自分となると、それが曇る!
知的も、スピリチュアルも低いから、よりマイナスの人と比較したがる!
・・・・・・
4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26
2014年07月03日(木)
   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル
事業そのものより、その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、
どの場面も、私の実力の極限?を超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に
立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に蓄えられいく。 
その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てを
かなぐり捨て、それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色
(現象)が立ち現れてくる。何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ
考えることが出来ることになる。コップの水を一度、空にすればこそ、新しい
水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、ベストと実感出来たのは、多くを
失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。これを書いていても、それぞれ
の節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、その時の己を容認
するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備。この結果で最後は終わったが、
これが私の限界、「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と
本当にいえる程でもないことは、わかってはいる。
しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休
でなければならない。まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、
しかない。 どの場面でも、順調に枝と幹をのばし、張っている時より、節目
の時節の方にチャンスが隠されていた。白紙に戻して、考えるからだ。極限に
たつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、それらが消化
されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。語り直しだからいえるが、
挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前
のことになる。この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、
全てに恵まれていた。これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 
手作りヨットの遊びは、運航も良いが、準備期間が一番、面白い!今だから
こそ言えることだが・・ なかなか、書き直しもエネルギーがいる!
・・・・・・
4491, 怒らないって本当は恐い! ー6
2013年07月03日(水)         『怒りの作法』小川仁志 著                      
   * 怒りの蓄積がストレスになるが、解消の中にお宝がある
 怒りには、ストレスがたまるデメリットがある。しかし、それを正しく利用
すればメリットになる。2年前の節目時に、まず考えたのはウツ病対策である。
身体を動かすこと。暇を持て余さないこと。周辺の「C」さん?の毒素に触れ
ないことである。それでも、3月に一度は仕方がないと割り切ってはいたが、
彼らの毒はCなるが故に強い。 で、何より身体を動かすことが、まずは基本。
そして、滅多に味わえない経験を、先人の言葉の中から探し出すこと。
そして、最もストレス解消になったのは、この経験と思いを言葉として表現
することだ。「C」さん? の卑しさを言葉として表現し得た時の快感は、
既にそれでストレス解消になる。 ただ、その人に、その自覚さえないから、
罪もない。 ここで紹介している子どもの養育概念に「セキュア・ベース」
という言葉がある。「心の安全地帯」と訳される。子どもが安心して外の世界に
出ていけるのは、親の存在があるからである。誰しも自分の心の平静を保つ
ことのできる場所や状態を求めている。とりわけこの理不尽な社会においては、
なおのこと。怒るという行為は、押しつぶされそうな心を、正常な状態に戻す
機能を果たします。 怒ることが出来るから、人は安心して理不尽な世の中を
歩いていけるのである。映画の物語からして、そうだ。普通、怒りが人を
不愉快にするが、でも主役が冷静に、暴力に対し暴力を持って対峙して問題を
乗り越えたときの快感を味わいに映画館に行くのである。 その怒りは、
見るものを心地よくさせる力を持つのである。だから、この2年間はウツ病
予防と割り切ってハリウッド映画を毎週のように通った。主人公と同化して、
ネガティブの怒りにポジティブに怒りことで、ストレスを発散し、セキュア・
ベースをつくっていたことになる。平静を装っているが、実は、受けている
ストレスは同じ。しかし、それなりの防具を着ているだけ。しかし、一番
身近な家内は、ここぞとばかりに、全身で傷口を直接、蹴り上げてくる。 
そう人生は、甘くない。
・・・・・・
4117, 財政恐慌 ー4
2012年07月03日(火)
  ー ユーロ危機に対する質問群 ー  
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 
  3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
 2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショック
   があり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、失われた一年に見舞われ、
   小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化に
   おののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
 3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを
   逸し、流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、
   ここにきた。
 4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きた
   がっている。デフレや失業や年金問題や、通貨戦争や国々の財政破綻
   などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで
  行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった
  富をいかに上手に分かち合うか。そのための新しいメカニズムを考案して
  いくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変
  する必要がある。中央から全方位にばら撒く時代は終わった。
  地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
  我々はどうすればわかるのか≪自分にとって最適の場所に着いているのに、
  それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避
  していのではないか。 昨日の答えで、明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか=持っているのは古い地図ではないか?
   むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか=元いた場所が不相応に
   なったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか=この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。
   それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
▼ 以上だが、アメリカの支配下で一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。
 しかし、既に、その時は終わってしまった。そのことを、まずは悟らなければ
ならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国。
・・・・・・
3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく
手にとって読んだところ、これが面白い。300頁を毎日1時間半平均で四日で
読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代
の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、アクの強い西鶴の人間性を浮かび
上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。
  ーアマゾンで概要をみると・・
【俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう
磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に織り成される人間模様の数々。
米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】
とあった。 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本
を一気に読むことは以前なら、無理である。最近になって気づいたことだが、
会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、
この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の
冷房も寿命がきたようだ。 (字数の関係でカット 12年7月3日)
  ・・・・・・
3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の
中に、どれほどの偶然が含まれているかを見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、
その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取
り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークの
すぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、
 直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者はいなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が
多く入居していて、たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。
たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたま
テキサスの別荘(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他の
すべての民間航空機がアメリカ上空の飛行を禁じられているにもかかわらず、
たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊
することはありえないのに、たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、
同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの著書
には、これらの「たまたま」が羅列されている。 
・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、
 マスコミは、それを取上げようとしない。そういえば真珠湾の攻撃の時も、
明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、
その情報でメリットを上げた投資銀行である。株も為替も、その情報を知った
上での買いが入っていたのは、周知の事実である。


5587,幸福の条件とは 〜①

2016年07月02日(土)

           <「幸福の条件〜新道徳論」鹿島茂著>
   * 「恒産なければ恒心なし」
 10年前までは、『幸福』という言葉は何故か、何処の場の会話、対話で
軽過ぎる言葉として避けられていた。ところが、長期の不景気などで、社会が
混沌としてきたためか、テーマとして扱われるようになってきた。
 幸福の条件とは、まず生活に支障のない最低限の収入がなければならない。
「貧すれば鈍す」「金持ち、喧嘩せず」「恒産なければ恒心なし」で、人は、
裏づけある豊かさがあってこそ幸せになれる。いかなる場合も、万一の備えが
「先立つもの」があればこそ。蓄えが無ければ、いざという時、何も出来ない。
花街の色男も、前提が金持ち。 〜ここで、まず、それを指摘する〜
≪ アダム・スミスは『道徳感情論』の中でこんなことを述べています。
「健康で、負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何をつけ
加えることができようか。この境遇にある人に対しては、財産のそれ以上の
増加はすべて余分なものだというべきだろう」。 たしかに、その通りで、
人間は、健康で、負債がなく、良心にやましいところがなかったら、それで
充分なはずです。収入のさらなる増加は、増加した分に見合った幸せを
正比例的にもたらすというようなことは決してないのです。
 たとえば、健康で、負債がなく、良心にやましいところのない年収五百万円の
Aさんという人がいたとしましょう。このAさんと比べて同じ条件の年収五千万の
Bさんが10倍幸せかといえば、そんなことはないのです。幸せ度を測定する機械
があったとしたら、せいぜいのところ1・2倍くらいの数値を残すにちがいない。
物質的な豊かさのもたらす幸せが正比例的になるなどということは原理的にあり
えないのです。しかしながら、こうしたことが幸福の必要条件であるとしても、
それはあくまで一定以上の収入があった場合に限られます。
生活を維持するのに欠かせない最低限の収入がなければ、人は幸福と感じる
ことができないのです。「恒産なければ恒心なし」です。
 ところで、一昔前の日本人のアンケートに対する回答を見ますと、
「自分は中流である」と考える人の割合が90%近くに達していました。
これは、自分は健康で、負債がなく、良心にやましいところがないばかりか、
一定以上の収入があると考える「恒産あるゆえに恒心あり」の人が90%近く
いたことを意味しています。つまり、日本はかなりの程度まで理想的な社会に
近づいていたのです。
 それなのに、いまはどうでしょう。「健康で、負債がなく、良心にやましい
ところのない」のにもかかわらず、幸せを実感することのできない人々が、
社会の両方の端でどんどん増えてきているのです。片方は、当然、一定以上の
収入を持たない「恒産なし」の人、つまり、ワーキング・プアの人々の増加です。
これらの人々は、最初のうちこそ、健康で、負債がなく、良心にやましいところ
のない状態でいられても、収入が次第に減じていけば、そのうち負債が生まれ、
健康でなくなり、ついには良心に疚しいことまでするようになるかもしれません。
これは、大きな社会問題です。しかし、二十一世紀の社会にとってより解決困難
なのは、もう一方の端、つまり富裕層における不幸せな人々の増加です。≫
▼ 確かに、500万と5000万の収入で、10倍の幸せは得られないが、10倍で
 ないとしても、散在の行蔵は、その中に、何かを残してくれる。より稼ぎ、
より使ってこそ、お金(能力)である側面を持っている。小・中・高・大学と
進学するにつれ、幸せそうな人が格段に増えていく。両親の質?で、その前提が、
ある程度、決定される不条理がある。結婚相手も、つり合いで選ぶケースが多い。
結婚も、「悪貨が良貨を駆逐する」。いや、結婚そのものが、そういうものか。
・・・・・・
5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜②
2015年07月02日(木)
   * 中学校・古希での見聞とは
 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。
また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。
<月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで
酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの
地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。
<去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、
小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド
していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、
「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、
明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に
残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。
 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン
ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、
金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて
いる人もいた・・  駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、
「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。
還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は?
   * つれづれに
 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは
奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も
無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が
緻密になされていることを犯罪者は、知っているため、タブーなのだろう。
新幹線内で時々目にするのが、三国人のエゴ丸出しのマナー不足の振る舞い。
特に子供が酷いが・・親は見てみぬふり。それに対する、日本人の無視の冷やか
な態度と、それさえ分からない彼ら。 ヤクザが、私の前席の一番前に座り、
トイレの手洗所の獲物を狙い、カーテン内に引き込んで・・ 
助ける以前に、その迫力に、唖然と席から見ているだけだった・・ 
酔った労務者風の乗客が母と私に絡んできた時、脅し返したこともあった・・
ほぼ全席、サラリーマンが気に入らなかったか、甘くみたか、やはり労務者風
の男が大声で、「この虚勢犬どもめ」と喚き、悦にいっていたのが、車掌が
来ると、急に大人しく黙ってしまい、その後は、最後まで狸寝入りとか・・ 
その中で、一度も死者が無かったとは驚き。新幹線通勤30年には、色々ある。
・・・・・・
4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!
2014年07月02日(水)
   * ぼんやりと、考えてみると!
 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた
過去の語り直しをシリーズで書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」
の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、切り口から見える当時が、
新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 
 私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換える
ことが可能なのか。世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、
それは真実の記憶になるのか? バカがバカと自覚できないのが世間様。
その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが俗世界。
そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
 過ぎ去った昔と現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、
間違いなく、時間差の中で違う人が存在している。それが、自己と、自分の、
言葉の意味の違いになる? 刻々変化する世界と、自分の受け止め方の変化。
両者とも、儚い泡のようなものでしかない。なるほど、《ぼんやり》とは、
「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。
「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、
《無我夢中》の言葉の対比が、何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、
輝きになるが・・ 人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 
ぼちぼち、過ごすしかない。
   * 夢と現実の境目で
 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査
をすると浮かぬ声。知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで
頭が一杯で、落ち込んでいるという。その後、その結果がどうか?は、大腸だけ
に電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を入れたが不在。 
その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、
どうだった?』と聞くと、『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』
と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と後悔したが、時すでに遅し!》 
 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、
夢だったか分からない。そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、
あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、電話をしたところ、
『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
・・・・・・
4490, 怒らないって本当は恐い! ー5
2013年07月02日(火)
  * 哲学者と、ジェファーソンの教訓   『怒りの作法』小川仁志 著  
 ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。
・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、
 後悔をもって終わる」といっている。・・・
・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって
 真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。赤くなる人は、頭に血が
 上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに
 青くなる、しかし、その後、恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。
・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに
 静かにそれを観察することなり」と提案。
・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを
 言ったりしたりする前に10まで数えよ! それでも怒りがおさまらなかったら
 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。
  決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、
 良い結果が生まれるということだ。ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに
 対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスだが、ボッとしているのも。
▼「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」は、その間に冷静に考えろ
 ということ。私の場合、「二年スパンもの」。正しい怒り方、すなわち問題
解決型怒り方とは、粘り強い思考を持って、正しいエネルギーを使うことになる。
怒りは、目を外らさないで中心点を見続けていると、時間の経過で殆んど収まる。
その鎮静に膨大のエネルギーを投入するが、そこで多くの認識が出来てくる。
この倒産劇の中で、多くの怒りを経験し教訓も得た。 怒りにも、私憤と義憤が
あること。救いようのない怒りと、救いのある怒りがあること。何事も実際に
自分が経験してみないと分からない。今回の一連の私憤はデカルトのいう、
「青くなる怒り」。世界は既に世界が恐慌に深く踏み込んでしまっている。
その直撃で青くなったのは、世界恐慌のウネリの到来を感じたからである。
それも、後に控えている歴史的大津波の到来が見えたからだ。地元も含め、
地方の中小・零細の8割以上はただ呆然と立ち竦んでいる。残る2割の多くも、
時間の問題でしかない。その中で、何処かの首相が、10年後の一人あたりの所得
を150万円増やすと曰わいている。耳を疑うより、怒りが込み上げて来たが、
これは公憤である。「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」というが、
挫折は、「二年(スパン)もの」。私の場合は、どうだろう? 自分も周囲に
対しても、腹の底から笑えたが! 「怒らないって本当は怖い!」は、
現在の自分にピッタリ。現在、もっと笑い、怒り、哀しみ、楽しめということ。 
・・・・・・
4116, 財政恐慌 −3
2012年07月02日(月)
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過って
の持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。サー・ベンジャミンは、ロンドン
市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が
新鮮である。この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えて
いる形式になっている。
  * ミスター・ビーンに聞こう
【・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 
 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家で
自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である
彼を演じて大反響を得たのが、ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物
的俳優で異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクター「ミスター・ビーン」
としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。
だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。七変化的な役柄の演じ分けが
得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 
サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 
市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベント。その栄えある舞台で、
サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、
あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。「今日、イギリスは一三八○年
以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。
なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・ここから、その「我々がみずから
に投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。
 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー 
● 我々は今どこにいるのか           
● いかにしてここにきたのか なぜ、ここにきたのか      
● 我々はどこに行きたいのか
● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか 
  どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、
  我々はどうすればわかるのか
● 我々は地図を持っているのか                 
● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
● 我々はここで立ち止まりたいのか               
● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】
 ▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。
 ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。
それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショック
という大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ!
 ・・・・・・・
3750, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年07月02日(土)
            「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学著
 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが
中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが心の底の沼に溜まり、
いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、
その毒で脳がやられ下手をすると、重症の鬱病か分裂病になる。それを防ぐ
には孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。
憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。
以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものを
おねだりしてももらえないというときの感情です。まだ相手の愛を求めています。
赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。
これを「怒り(アンガー」と言います。そこに「羨望」が入ってきます。
これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り
上げたくなる感情。「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。
つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。怒りに羨望が
絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、
自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、怒り、不安の複合した
感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。
ここにも「憎しみ」があるわけですが、男女関係が絡まないエンヴィーとは
区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊される
ことを恐れる感情ですが、憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。
もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのに
もらえない」というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの
(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが持って
いるものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると
怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。そういう「関係」に身を置くのが
厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなる
こともあるでしょう。昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だ
というものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、
どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを考えなければなりません。
あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れる
かもしれませんが、いざ本当に離れたところで一人暮らすとなったら、
今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 
人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷
 などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。「怒り」×「羨望」
=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく
受けてきたが、逆の与え方は上手くない。「自分」というものは、自分一人の
閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど
人間関係は丁寧に扱わなければ。「ピーク、エンドの法則」がある。 
記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割
以上の記憶を決まる。ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 
心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。


5586,閑話小題 〜70歳は、一つの大きな人生の区切り

2016年07月01日(金)

   * 70歳を過ぎて半年経つが、
 70歳を過ぎて、何かが心の中で大きく変化したようだ。
健康年齢からすれば、いつ何時、寝たきりなど介護生活の入って不思議でない
年齢である。海外ツアーも、70歳を過ぎると団体行動に支障をきたすとして
歓迎されない。また、スナックに行っても、場違いのようである。
それもあってか、還暦を過ぎる頃から、頻繁に同級・同期会が開かれている。 
 振返えみるに、8年とか、10年の人生節目の分岐点で、冷静で、正しい判断
をしていた。いや、正しくない決断に気づいていない可能性がある。
どの決断が正しいか、間違っていたかは、あくまでも、思い込みである。
そこで、「充実をしたいたか否か」を基準に考えるとよい。これからすると、
プラス100の順境と、マイナス200の逆境の出来事も、マイナス200の方が
充実をしていたことになる。その視点で人生を振返ってみると、それぞれの
局面が違った捉え方になる。そこに面白かったが加わっていれば・・
   * 英国離脱決定から一週間
 EUからの英国離脱の国民投票から一週間になる。思わぬ離脱決定で、
株式・為替相場は大きく動揺をしたが、現時点では少し落着いてきた。
リーマンショックのような目先相場の混乱は大きくはないが、5〜10年スパン
からみると、比べようがないほど、複雑かつ歴史的問題を含んでいる。
もしかすると英国連邦の解体も有りうる。 現代に残存している近代の終焉
というと、少し大げさか。 問題は世界のパワーバランスが、大きく崩れる
可能性もある。今年の後半は、何でも有りの状況になってきた。株を買うなら、
軍事関連? それにしても、離脱はないだろう! 英国も地に落ちた。

・・・・・・
5221,閑話小題 〜今年も半分が過ぎた
2015年07月01日(水)
   * つれづれに 〜今年も半分経過した
・そういえば、昨日で今年も半年が経過した。身辺では、さしたる出来事もなく、
 1月15日に古希を向かえ、数日前に中学校の同期の『古希の会』があった。
 身辺では、このくらい。 前の会社の債権関係の動きは一年半、全く無し。
・国内では、小さな噴火が頻繁に起きたが、数百人、数千人単位の死者が出る
 ほどの規模のものは、まだない。しかし、不気味に、頻繁に起きている。
 以前、これほど続くことなどなかった。やはり3・11が契機である。
・経済もアベノミクスで金融が緩んでいるためか、倒産が目立たない。
 安部政権になって、資金供給量が二倍になったにもかかわらず物価は、
 今までは安定してきたが、円安効果で、物価の高騰は始まってきたようだ。
・ギリシャが、今日、デフォルト?になるが、これで、株価大暴落とまでは
 いかないようだ。その行方は茨の道だが、落ちどころは分からない。
 現政権を選挙で勝たせた責任を国民自身が現実で受け止めることになる。
 数年前に、ギリシャに行ったが、地中海の温暖な気候の中で、誰が一生懸命
 働くかである。恵まれた環境が、その原因とは皮肉である。
・自民党と組んだゼネコンマフィアが、オリンピックの箱物をネタに、規模の
 拡大を始めた。自民党に勝たせすぎたツケが、日本にもまわってくる。
 必ず起きるといわれる、大噴火、南海トラフト地震、そして国家財政の破綻を
 考えると、ギリシャ、韓国の後追いをしている。
・一年前にはスガタもカタチもなかった、イスラム国という、得体の知れない
 イスラム原理主義の集団が、世界中でテロを本格化を増してきた。
 ネットで呼びかければ、何処でも共鳴者による爆弾攻撃が可能という。
 まだ日本で起こってないが、これもどうなることやら。
 新幹線から50年。死者が一人も出なかったが・・ついに焼身自殺が出た。
・75歳に死亡推定年齢を決めたが、前後3年のブレを入れると、最短で、
 二年半になる。直ぐだが、その焦りが無いのは、どこかで信じてないから?
 70歳を超えると、背後にあった死の不安が、前方に位置をかえて向かって
 来るというが、成るほど、そのとおりのようだ。
・・・・・・
4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25
2014年07月01日(火)
   * 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが
「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。
物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!
その頃、激情を抑えた状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。
「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、
孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。対象に全身全霊を入れれば、
それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。しかし時間が
経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく
吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が入ったような感覚。 長年かけて積上げ
られた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、
幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、
そのまま成果になるため、楽といえば楽である。仕入は、問屋やメーカーには、
大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。
反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上
とすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。それも、産地に現金
支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華
することも可能である。 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを
建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れ、
ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、
実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! 
それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテル
シリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、
信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知って
いると知らないとは雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 
日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類       『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを
4つに分類している。  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」
 「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、
 ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、
 怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。
この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できて
いるとはいえない。・・(中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、
問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの指標によって
分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに
 分けることが出来る。  それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、
「自爆型」と呼ぶ。彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に
表すことはありません。だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を
究明し、それを解決しようともしないのです。したがって、怒りは自分の中で
増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆
してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。
つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、
テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りという
 のは、「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すこと
はありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけには
いかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、
「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に
結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ
立てるだけで、問題を解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合
をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多いといえるかも
しれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、
この語は「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒り
には何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」
 の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうという
もので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。
 その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという働きが出てくる
からである。怒りっぽい私など、何時も独り心の中で、このプロセスの中にいる。
結局、全ての怒りは時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。
怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・
4115, 財政恐慌 ー2
2012年07月01日(日)
  * 共同債の発行など気違沙汰! 
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になる
からだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、キプロスと、その危機はモグラ叩き
のように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政
対策を打ち出し、何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。
しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。 字のとおり、
ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金
を調達しようとする代物。これまでの、加盟各国が個別に国債を発行するのでは
なく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、
これほど有難い国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行
してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、7%近い
金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。
しかし、そうでもしなければ、PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。
ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など無理ときている。
何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。著者は、ここで
「ある地域内で単一通貨を導入して、うまくいく二つの条件がある。一つは、
その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は経済格差が
全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める
中央調整装置の存在が前提としている。この二つが存在しているかというと、
否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、
財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に
相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの刑にさらされているという。
ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、
その足元をみて、今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題
が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、国家予算は税収の
二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。
ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。PIIGSを、最終的に準加盟国という名目
にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
・・・・・・・
3749, ジャズについて  ー「ジャズ完全入門!」−19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著
 歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここは飛ばし、
 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、
 クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類(ヴァイオリン、ビオラの類)
はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで
使われないものでジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしい
リズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。クラシックの楽器類
マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトで
キレの良いサウンドを作っている。以上のように、楽器そのものより演奏法に
よってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけ
 でなく、2ビート、4ビートといった基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、
クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといった
 クラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有のダイナミックで個性的
な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」
演奏しているからだ。(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
   ・・・・・・・
3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、
 人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。これだけは確かである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 
これだけは確かなことである。911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば
「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演、
ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府
が公式に発表している内容とはまったく違うものということを、確信している。
なぜか?まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたから。
次に考えたから、知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、
「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙。ー(p86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳なども
その中の一人だったが、あのようなろくでもない 日本人のクズが、モルモット
代わりに研究されたのかもしれない。確かにあのような男を典型的日本人モデル
として研究すれば、その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人間
家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。その性温厚にして、地球
上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、
喉もと過ぎれば熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語
に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、哲学志向ゼロ。
おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙って
いても《彼ら》の意を先取りし、率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。
あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、
どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。多分アカデミー関係が
多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下
では連動している可能性も高い。】
▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で
 日本人が家畜化されていることすら気づいていない哀れさ、その手先が歴代の
自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオースト
ラリアの視点からみると、それがリアルに見えるようだ。特に失われた20年で
日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
 ・・・・・・・
3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1
の優良メーカーだったはず。将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、
それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。この数年は多目的の
SUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。そのうえ
自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車
の抹殺に組していた。「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えても
よいようなアメリカの縮図でもある。腐りきったネオコンがアメリカを支配し、
それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)


5585,お別れの作法 〜②

2016年06月30日(木)

    <「あの世」と「この世」をつなぐ お別れの作法 >矢作直樹(著)
  * 千里眼の不思議
 ネットの進化につれて、何故か、「千里眼」とか、テレパシーへの興味が
薄れてしまった。デジカメで撮った写真をネットでやりとりが、千里眼より
遥かな能力を持つことになった。しかし、面白いのは面白い! 進化と退化の
プロセスで多くの能力を持ち、かつ失われてきた。 〜その辺りを抜粋〜
≪日本で最初にシェクスピア全集の完訳をおこなった英文学者で、後に日本の
 近代スピリチュアリズム研究者の先駆けとなった浅野和三郎(1874-1937)は、
海軍機関学校の教師をしていた時、西洋医学で治らなかった三男の熱性疾患が、
女性祈祷師の予告通り治ったことから、心霊の世界に興味を持ち始め、やがて
教祖、出口ナオの「お筆先」と呼ばれる自動書記の内容を知りたいという
動機から大本教に入信しました。そして、1916年大本に接近してきた秋山真之
(日露戦争時の連合艦隊作戦担当参謀)と知遇を得、秋山は浅野に密かに、
日露戦争日本海海戦にまつわる秋山自身の千里眼体験を語ったのです。
<1905年5月下旬、鎮海湾の日本連合艦隊は、バシー海峡を通過したロシア・
バルチック艦隊がウラジオストックに入る航路として、対馬海峡なのか、
太平洋から津軽海峡を通過するのか、の判断に神経をすり減らしていました。
秋山は、連日連夜、頭を絞って疲労困憊の極致にありました。そして24日の夜、
士官室で横になって考えを巡していた秋山が、つい、うとうととしかけた瞬間、
突然眼前に、対馬海峡を二列になって北上して来るバルチック艦隊の様子が見え
ました。これは天啓だと直感して、直ぐに驚くほど緻密な「七段構えの戦法」
の計画を練り上げたのです。27日未明、まさに先の千里眼による情景と寸分
違わない隊形でバルチック艦隊がやって来ました。ここに日本の勝利が巡って
来ました。> 
覚醒状態からすぐに睡眠に入らない場合の中間的状態は、体外離脱しやすく、
思念が強いと瞬時にその場に移動出来るとされていて、秋山の場合もまさに、
これに当てはまるかと思います。こうした現象を経験すると、その方面の知識
がないばかりに怖がる方も多いと思いますが、怖いものではありません。≫
▼ 父親が亡くなった直後、魂の継承みたいな不思議な現象を何度か経験した。
 10年の間、体外離脱とか、シンクロニシティ=「意味のある偶然の一致」、
「共時性」が、あまりに多く起こっていた。それも、現在では、少なくなった。
現在では、それが、怒りの対象本人か、連れ合いの不幸の招来という「共時性」
で残っているような? その研究が、ユングによって取上げられている。
日露戦争日本海海戦に、秋山自身の千里眼体験が勝利を導いていたとは驚き。

・・・・・・
2015年06月30日(火)
5220,「エリック・ホッファー自伝」 〜①
           「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * すべてを読書と思索に明け暮れた「沖仲仕の哲学者」
 10年前に購入して流し読みをしたまま、本棚に眠っていた本。
流し読みなど著者に失礼と思わせる内容。いずれの場面も、臨場感があり、
ホッファーの、その時々の世界に引きこまれる。〜アマゾンの商品説明より〜
《「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生
 を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築き
あげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。
7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。
「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」
という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選びながら、
劇的な生涯を送ることになる。
トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、
化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。
そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語
翻訳や研究の手助けなどのアルバイトをはじめる。あまりに研究熱心な彼に、
教授は研究所での職を用意してくれるのだが、「本能的にまだ落ち着くべき
ときではないと感じた」彼は、ふらりと季節労働者の生活へ戻ってしまうのだ。
「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の
よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」。
自己と徹底的に対峙し、自己欺瞞と戦いつづけたエリック・ホッファー。
まず学ぶべきなのは「学問」そのものではなく、彼が貫いた学問への、
そして、人生への「姿勢」かもしれない。》
▼ いずれの言葉もシンプルで、鋭く突き刺さってくる。辿ってきた人生が、
 究極の哲学への求道者の姿そのもの。戦場の真只中で、独り、戦う、狙撃兵
のようである。労働に励んで、28歳の時、「今年の終わりに死のうが、
10年後に死のうが、いったい何がちがうというのか」という感覚に見舞われ、
自殺を図るが、未遂に終わる。そこで、「曲がりくねった終わりのない道と
しての人生を」を送ることを決意。その後、10年を、季節労働者として
カルフォルニアを徘徊する。青年期に読んでいたら、間違いなく人生が変わった
いただろう。「永遠のよそ者」「他の惑星からの訪問者」とは、言い得て妙。
人生を道として求めれば、この二つは、強弱あっても、当然ついてまわる。
・・・・・・
2014年06月30日(月)
4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が
   * ロボットカーが現実に?
 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。
それも、2020年までに販売?とか。初めてニュースで見たときには、
思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが
なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 
ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる
自動車。日本語では「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ 
ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機にしても、一時代前には考え
られなかった商品が次々と、現れ出てきている。デジタルによるユビキタス
の限りない進化のため。 面白い時代である。
  * つれづれに ースズメとエールの交換
 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダ
からのペットのインコが呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメ
の呼びかけに、口笛で答えている。実際はインコに興味があるようだが。
エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、2Mの
ところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に
鳴きかけてきている。 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、
家人を求めて鳴いているのがスズメを引き寄せるようだ。
御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。
  * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか!
 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。
例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。
今年は、現在、行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。
再び、アルゼンチンの債務不履行が、出てきている。これまで、ロシアの
クリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが問題として
表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、
脆弱になっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。
問題は、中国を筆頭にした後進国と、欧米の経済問題。それに加え、日本の
6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を大きく残すはず。
大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない
綱渡りの日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、
隠れ大ニュースかもしれない。 私は、とにかくも、半年、無事!
・・・・・
2013年06月30日(日
4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年
  * 今年も、はや半年
 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが
何時、破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、
既に世界は恐慌に入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。
表面は静かだが、水面下は一日一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的
大事件が勃発するのか。これは発生するまで、誰も知るすべがないが、間違い
なく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、年例行事
にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、
と騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て
立った時には、国家非常事態。とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事
なら、静かに沈殿させて先延ばしをしておけば、それはそれで罷り通る。
個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。早朝から就寝するまで、
ほぼ同じ日程を繰り返している。
  * 今年に入ってシネマ、28回
 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくる
ウツ症が来そうな時期。刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 
早朝から、ネットや、ポタリング、読書、スポーツジムにと、スケジュールを
組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無いのが一番のストレス
状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。
これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。行かなかった
週が二回。週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。
私の評価として、邦画の平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術
の大画面の迫力は圧倒的である。邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が
丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位のページに入場券を貼り付けて
いるが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。もちろん、
それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した
仮想空間の世界に浸かる日々」になる。
・・・・・・
2012年6月30日(土)
4114、財政恐慌
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
 昨日、たまたま図書館で見つけた本だが、丁度良いタイミングに知りたい内容
が書いてあった。「これまでは序曲に過ぎない。2012年からが財政恐慌本番
の年である!」と、欧州の金融恐慌の最後の死に至る無限ループが手に取るように
分かりやすく書いてある。「本来の経済の火消し役であるべき財政政策、金融
政策がなぜ現在の金融危機につながってしまっているのか?」 金融危機を
お金を刷ってばらまくことで解決しようとする(漏洩金融)財政政策により、
グローバル経済における金融と財政の死に至る無限のループを以下の述べる。
≪グローバル経済において、ヒト・モノ・カネは容易に国境を超え、その飛躍と
 拡散が行く先々で様々な問題を引き起こす。 ところがそれら諸問題の火消し役
を果たすべき国々の財政は、国境を越えられない。このミスマッチが国々の財政
政策にかつてない負担をかけ、金融政策をかつてなく無力化する。そして、
重みに耐えられなくなった時、起こってはいけない 財政恐慌が発生する。≫
≪ リーマン・ショックそのものは金融恐慌だった。国境を越えて暴走が
 もたらした恐慌である。かってなく巨大で、迅速で、複雑で、公域に広がり
をもつカネが、金融の大河に溢れて超弩級の洪水を引き起した。
それがリーマン・シックに他ならなかった。この空前のスケールの
グローバル恐慌に、国境を越えられない国々の財政が立ち向かったのである。
 勝敗は目に見えていた。しかも、国境を越えて大きな過ちを犯した。彼らは、
なにはともあれ、経済活動をリーマン ・ショックによる落ち込み前の段階に
押し戻そうと躍起になった。そのために、空前の財政大盤振る舞いに乗り出した。 
あの時、アメリカの財務長官だったポールソンが何と言ったかをご記憶だろう。
金融恐慌をせき止めるために、彼は「バズーカ砲を用意した」と。
借しげもな火薬をつぎ込んで、銀行の不良権を買い取る。傷ついた金融機関は、
どんどん重荷を軽くしてあげる。負担は連邦政府が全部肩代わりしてやろう。
迫力はあったが、そのおかげで金融機関の痛みが財政の痛みに転化することと
なった。他の諸国においても、同じことが起こった。その道に踏み込むとする
国々もあったが、結局は、金融の痛みを財政が肩代わりする流れに誰もが
巻き込まれていってしまった。そもそも、リーマン・ショック発生前夜に
おいて、国々の経済は明らかに危険すぎる経済的な高みに上りつめすぎていた。 
だからこそ金融恐慌という名の大洪水力発生した。それなのに、リーマン・
ショック後における国々の財政は、あの高すぎ危険な山の上に、経済活動の
水準を押し上げようと必死になった。≫
▼「日本は既に輸出主導、円高対応、成長戦略を目論む局面から、成熟戦略へ
 入っているのではないだろうか」と、今後の日本の進む方向の転換の必要性
を説いている。今だ「成長なくして生存なし」という言葉が支配しているが、
無理な道理を通そうとするため、財政出動の繰り返しになる。結果として
金融恐慌の原因を作り、そして世界恐慌へ 向かっている。
その限界が年内、2012年問題である。
  ・・・・・・
2011年06月30日(木)
3748, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −18
           ー「ジャズ完全入門!」後藤雅洋著 ー �
【 聴き手のほうから音楽に寄り添わなければわからない、という理由は、
 もう一つある。それは、ジャズが異文化に属しているという事実である。
いまとなってはポピュラーミュージック、ロック、それにクラシック音楽も
含めて、我々を取り囲む音楽環境はほとんどすべてと言ってよいほどに外来種
のものとなってしまったので、ことさらジャズの異文化性を取り上げても、
ピンとこないかもしれない。しかしアメリカの黒人音楽として誕生したジャズ
は、その文化的な背景が我々とはかなり違っているので、私たちの素地の
ままの感性で判断しても、その狙いがわかりにくいということがあるのだ。
たとえばカウント・ベイシーのバンドなどは、よく演奏のエンディングを一度
終わったように思わせておき、また繰り返すというような芸を見せるが、
その回数はお茶漬文化の僕らの感覚から言ったら、少々「くどい」と思わせる
ほどなのだが、これは黒人音楽の特徴の一つなのである。...  
(以下、字数の関係上カット12年6月30日)
・・・・・・・                           
2010年06月30日(水)
3383, 「だまし」の心理学 ー1
 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」
を、ここで書いたことがある。その中で「だまし」に絞って書いた書である。
重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。
固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、
意識をしないツワモノに出くわしてきた。倒産で資金繰りのため、我を忘れて
身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテ
をいく手法で親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。
浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。
 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 
        「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著)
  =まずは、アマゾンの内容の紹介より=
≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。最近問題になった、
 マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、振り込め詐欺、盗作、必修科目
履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。
また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテイン
メントとしての、罪のない「だまし」というものも存在します。本書では、
古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、
なぜだまされてしまうのかという疑問を、図説を使いながら解明していきます。 
自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などのトリックを
暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ
人々はスピリチュアルなものに惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、
心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ 
  ー その幾つかを紹介してみる ー
* かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた
 人がいた。その人M氏は、虹の色の濃さや持続時間に基づいて地震の予知を
していた。その予知はハガキで知らされていた。たとえば、8月2日の午前2時に
某地方で震度4の地震があったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを見ると、
二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。
その文面には「8月2日の午前2時に某地で地震が起きる」と書いてある。
それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 ところが、これが騙しだった。
M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。
このハガキこそが、虹による地震予知のトリックだった。これをどこかで、
地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの文面を消しゴム
で消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。
そのハガキを、自分で入れにいっただけ。知らない近所の人は驚くわけである。
稚拙なトリックだが、騙すに充分である。


5584,60歳までに、人生を前倒しをしていて!

2016年06月29日(水)

 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
 以下の内容を書いて13年間、友人、知人、親族が次々と倒れ、亡くなった。
病に倒れて発する共通の言葉は、「まさか、自分が! これから、ノンビリ
するつもりだったのに!」である。 死に直面した時の恐ろしさと動揺は、
「人生に、やり残した無念」があると増幅する。 とすると、老後の残務整理は、
それを探し、潰していくこと。そうこう考えると、【して失敗した後悔より、
しなかった後悔の方が遥かに大きい】ことになる。  一般的に、
「してしまった後悔1に対して、しなかった後悔が3」ではないか。どうだろう?
 30年分を10年に圧縮して生きた50歳代は、充実感があって実に面白かった。
60歳代の最大のイベントが、会社整理だったが、3・11もあって、未練も後悔も、
最小になっていた。両親の晩年に同居していたこともあって、「その都度、
計画的に楽しんでおくべし」という、人生の何たるかを、後姿から学んでいた。
この教えを学んで実行していたのは大きい。10年前と、13年前に書いてある
文章を読返してみると、計画通りに、遊び、楽しむ必要性を知っていた。
その時々に、真面目?に学び、楽しみ、遊んでおけ、ということ。
 辛いことも多かったが・・ それも楽しみの内。
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の行き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる
ことができるのではないだろうか。そして、それまで経験をしたことのない
分野を探し出しチャレンジすることである。その意味では、逆に広い世界に
飛び出せるのではないかと考えている。
 最近、景気後退ー恐慌一歩手前になってきたり、SARSやテロなどで
アフリカや中近東には以前ほど気楽に行けなくなってきた。
この時勢に優雅に海外旅行などともいっていられなくなってきた。
あの時点にやはりギアチェンジをしていて良かったと思っている。
――――
2006/05/23
1876, 10年後に後悔する事とは?
             おはよ〜!(*^ワ^*)i 
あるHPを見ていたら、次の言葉に引きつけられた。
「10年後に後悔しそうなことをリストアップして、それを潰していく
生きかたをする」である。(七田チャイルドの七田真氏と本田某氏の対談)
 私が十年前に考えたことは、   (。-`ω-)ンー
「50代の10年間で60歳以降の人生を全て押し込んで生きる」である。
20~30年間を50歳代の10年間で全て前倒しにする、と。
それがこの程度の変化でしかなかったのか?。 という自問自答は残るが。
現在になって振り返ると、先まわしをして良かったと思っている。
後悔しそうなことを潰していく生き方は消極的に思えるが、
「消極的な生き方(後回しーその大部分は中途半端)が一番後悔する」
とリストアップすれば、逆に積極的な生き方が出来る。  
 想定可能なマイナスをあらかじめ潰すのは、最善の行為と同じか、
それ以上である。後悔することは、その時は気がつかない行為か、判断ミス
が最悪だったということ。 それが想定可能かといえば、可能である。
ということは最善の準備と同じぐらい大事なことになる。
                          (‐”‐;)
ところで10年後に何を後悔するだろう?
一期一会と、何ごとも真摯に立ち向かえば後悔することはないはずだが。
いや10年前に事業で時代の先行きを、より悲観的に読んでいれば
もっとシビアな手が打てたはず。
 ー面白おかしく「10年後の最悪の後悔」をイメージをしてみた?
・酒を飲んで暴れて、家内に愛想をつかれて離婚。
 現在は年金で、何処かの街の安アパートで冷酒を飲みながら懺悔の日々・・
 それでも冷酒を飲んでいるのだから、懺悔にはならないか?-ω-`A) フゥ…
・死んで、この世にいない。誰も、もうこの男のことを憶えていない。
 二人の子供も、あの父親のことだけは思い出したくもないと墓参りもない。
(しかし、自分がいないのだから後悔しようがないか!)                 
・脳梗塞で入院しているが、気が短く、毒舌が冴え、
 同室の患者や看護婦から嫌われて自閉症気味。
・考えていたより遥かに、日本という国家の疲弊が酷い状態。
 10年前に海外に思い切って財産や生活の場を代えておけば
 よかったと、毎日の生活の追われる日々。
ありそうな10年後の姿である。より深く時代を読まなくては!
酒にも、病気にも注意しなくては!    
―――
〜2016年6月29日・記
この2年後に、リーマンショックが起きて世界経済は大混乱をした。
その煽りを受けて、3年後に事業清算に至ったが、何とか、それまでの
生活の延長上にある。大病もなく、この随想日記を書き続けている。

・・・・・・             
5219,閑話小題 〜中学校の古希会
2015年06月29日(月)
   * 中学校の古希の会
 一昨日、湯沢のニューオータニで長岡市立東中学校の『古希の会』に参加。
一次会が17時から19時半、二次会が、その直後から別会場で開かれた。
9割が、そのまま移動。 参加総勢が61名で、女性34名、男性27名の割り。
同期360名のうちの二割弱になるが、年齢からみて多い参加者である。
男は大よそ4分1が亡くなっている。 私のクラスは、52名中、10人出席。
男6名、女4名。市内在住の男は、私1人の参加。県外が4人になる。 
死亡は、男27名中7人、女性は2人。 喜寿は、恐らく今回の半分だろう。
連れ合いの看護や、当人自身の問題で欠席が多々あるという。 卒業以来、
初めて会う人が同クラスで二人で、教師と、自衛隊を勤め上げていた。
様々の人生模様があるが、出席者は比較的恵まれた人たちだろう。大病で、
ゲッソリした人が何人かいた。 自衛隊、教師、病院の薬剤師、日立、小松、
など仕事はさまざま。古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、
昔の時代に立ち戻りやすいようだ。多く人が「古希の実感ゼロ」という。
 司会を自から申し出たが、思いのほか緊張してしまったのに驚いた。
直前に500mlの缶ビールを飲んだこともある。その上に、一線から引いて、
何かが緩んでしまったということか。17時から19時半まで一次会。
その後、近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。私は20時53分
の新幹線で帰ってきた。これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。
喜寿は、この半分〜三分の二だろう。 翌日の二日酔いは全くなかった。
後は急勾配の坂、70歳代が控えている。特に、男にとって厳しい。
 そこで、「あと10年は生きるつもりだったが・・マサカ」の坂が?
私なら「あと5年は・・ マサカ!」になる。プラマイ3歳だから、
二年半を無事なら想定内、先は短い! とにかく古希の関所を超えた!
・・・・・・
4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24
2014年06月29日(日)
   * 転進の決断と、次への構想
 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を
有効に生かすことが急務と考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。
背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、兄名義の更地を売却し、
新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。その一角に
当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料
量販店の建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。
 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料
チェーン化に集中すべきと主張!私と意見が分かれた。
「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、
ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言して
いたこと。「身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、
姉夫婦と同じトラブルを、実兄とすることになる。同じエネルギーなら、
新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が働いていた。あのままでは、
間違いなく相打ちになった。2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山
などの仕入れで、各地のビジネスホテルに泊まっていた。その仕入れ後に、
同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、食事代は
限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。
その出張が宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺
にも、客室主体のビジネスホテルがあって、そこを定宿にしていた。
立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。さらに現在は
無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにした
スケェアガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体に
したホテルと、学生服ショップを併設させれば、間違いなく大当たりする!と。
で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、思い切った次の創業
の決断をする。あの兄に本当に本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。
他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 
これを書いて見えてきたのは、私も、実力相当の結果に終わったこと。
それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。
・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)                 
  * 怒るとは哲学することである    『怒りの作法』小川仁志 著
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると、「まだ遣り
残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが
沸くという。そして当然、「死とは何?」に行きつく。怒りは対象を
根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
 怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに
怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。 現代社会とは異なり、
容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。
 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の
本質とは何なのかと。その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛上げられてきた。
世の中を説明するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、
カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが
西洋社会で怒りを露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺい
するために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、いわば現実に
対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。
怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは
人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。それはまさに哲学の営みにとって
不可欠の要素であるといえます。 ・・・当たり前のことに怒る、わからない
ことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。
怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き
受ける営みにほかなりません。 まさに怒るとは哲学することである。 ≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
 エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。
この一連の出来事で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、
怒りの本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を
見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか!
という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、
実体験で非常に理解できた。結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出て
くるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、
哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ
怒ったのだろう? 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で
何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動?
・・・・・・・
4113, 世界は動き出したようだ!
2012年6月29日(金)
  * イスラエルのイラン攻撃の時期
 イスラエルのイラン核施設への攻撃が、現実味を帯びてきた。それに備えて
イスラエルは与野党の大連立政権を樹立した。時期は米・韓大統領選挙の前か、
直後の辺りか。シリアの内戦は、その上空をイスラエルがイラン攻撃をするに
丁度良い。反政府軍への武器の供与は、イスラエルと西側がしているはず。 
イランを援護するシリアに対し、西側寄りのトルコが攻撃する機会を伺っている。
イランは半年以内に原爆製造の最重要部分が完成する。それが攻撃の根拠。
11月の米・韓大統領選挙は、現政権にとって、最も有効にはたらく。
それとギリシャ・スペイン発の世界恐慌発生が何故か重なる。中国も日本も、
この時期に政権交代期である。 オリンピックが終わる八月半ばから政治も
経済も世界情勢から目がはなせない。既に世界はカオスの入っているが、
これから具体的な世界恐慌、中東戦争というカタチが現れてくる。イランは
ペルシャ湾閉鎖で対抗すると、アメリカとNATOの参戦に口実を与える。
その結果、イランは大打撃を受けるが、キリスト教圏とイスラム教圏の文明の戦い
でもある。これを機会に世界各国はハイパーインフレになる可能性があり、金融
システムは大きく揺らぐ。世界の金融システム炎上である。オーバ―かもしれない
が、これが現実味を帯びてきた。6京円の不良債権は膿みを出さない限り消す
ことは出来ない。それにはイランとシリアでの戦争が狙い目で、一石二鳥になる。
ロシアも中国も、それが分かってシリアの現政権を後ろで支えようとする。
小沢も、野田首相も、自民党幹部も、そのことを熟知?しているはず。日本も
イスラエル同様に、戦争と恐慌に備えた連立政権樹立が必要条件になる。
民主主義も、目先の正義も、世界恐慌と、大規模のカオスの中では必要が無い。
それを前提に世界は動き出したのである。小沢の離党も民主と自民党の妥協も、
その大きな渦の中から見れば小さなこと。恐慌と戦争に、平時の常識は全て
捨て去ることだ。これは仮説ではない。いや仮説として世界の動きを注意して
みると、全てが当てはまる。 世界は本格的に動き出したのである。
ー以上は、あくまで私の独り言である!半年後に、振り返ってみたら? 
それを考えると原発の全面廃棄など、とんでもない! 
必要悪だが、この時世、再稼働すべきである。日本も世界も危機である
・・・・・・・
3747, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −17 
2011年06月29日(水)
       ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。
 それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」ということ。
音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽
のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり優しく聴き手に寄り添ってきてくれる
ものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を
理解するよう努める姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。
これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、
「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。
厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、その昔は「ゲイジュツ」
というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっている
ミュージシャンの思惑とは関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、
否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。これは・国宝に指定された仏像のこと
などを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象
であり、その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。
しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を持ってしまう
ことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを
背負ってしまったと考えていただきたい。そしてこの芸術性というような
ものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している
商品のように口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解
いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように誰もが喜んで
購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果として
TVのワイドショーのように「万人が理解できる」といったものでもない。
 (字数制限のためカット2012年6月29日)             


5583,閑話小題 〜暇とは、こんなに忙しいものか

2016年06月28日(火)

   * 暇とは、こんなに忙しいものか
 欧州サッカー選手権とプロ野球、WOWOWの映画とTVドラマと、時間が
足りないほどTVを観るのに忙しい。他動的で後ろ向きだが、面白いのは面白い。
これにスポーツジムとポタリングとパソコンと読書が加わる。更に近くの‘
ツタヤ’のビデオ・レンタルでも借り始めたら、本当にどうなるか?
 で、レンタルは、ウィンドウショッピングに止めているが面白そうなのが
多くある。 隠居になってみて、内向きの忙しさとしても、こんなに面白い
日々とは思いもしなかった。苦しみ1に対して、楽しみ3の割合に意図的に
加えていることもある。これは楽しい時間をスケジュールに組めば済む。
 例えば、早朝のペダリングだったり、TVで観る映画やドラマや、金曜日の
シネマ通いだったり、この随想日記のテーマ探しと書上げだったり・・ 
 これは75歳を健康年齢の目安に設定すると、自由に動けるのは、あと4年半! 
とすると当然、何事にも貪欲になる。 <死んで花実が咲くものか>だが、 
70歳という自覚が少ないためか。同年代の知人友人が次々と倒れるためか。
   * 2016年上半期 重大ニュース
 あと数日で、今年の上半期が終わろうとしている。世界をみると、ベルギー・
ブリュッセル国際空港のテロと、アメリカの大統領泡沫候補が共和党の代表に
選ばれたこと。国内では、枡添都知事の辞任と、熊本地震ぐらいだったが、
先週になって、『英国のEUからの離脱』という政治的激震が起こった。
 この影響は、今後、5〜10年と続くが、日が過ぎる度に、事の重大さに
世界は震撼としている。離脱自体も然ることながら、ドイツ、フランス、
イタリアなどにも離脱の動きが大きくなる。スペインのように、英国の離脱
を受けて、逆に熱が下がった、思わぬ効果もある。当初、トランプに順風と
思えたが、これまた逆のようだ。毎日の為替・株の相場から目が離せない。

・・・・・・
5218,聴覚の方が、視覚情報より根源的!
2015年06月28日(日)
       『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 
   * 聴覚の方が、視覚情報より根源的!
 全盲の辻井伸行が、譜面をみないで多くの曲を弾きこなすことに不思議?と
思っていたが、「皮膚の外側全部が宇宙」と聞くと成るほど、「聴覚の方が、
視覚情報より根源的!」というのも納得できる。 〜その辺りから〜
≪ 堤◎ ー目に見えるものだけを信じることはなぜ危険なのでしょう?
佐治◎ 一耳のほうが優れているともいえます。目は見たいようにものをものを
 見る特性が顕著です。 聖書にも「神の姿をかたちづ〜てはいけない」と書かれ
 ているでしょう。神の姿が見えようとすると、自分に都合の良い神をつくりだして
 しまって、極端の場合は、その神の命令によって、という思い込みから殺傷事件
 を起こしてしまう。 それも、脳のメカニズムに関係してくるらしいのですが。、
堤◎ ーどんなメカニズムでしょう? 耳との違い?.
佐治◎ ー目は三種類の色を識別する細胞からできています.「RGB」、つまり
 赤REDと緑(GREEN))と、青(BLUE)の細胞にどういう光が入るかによって
 いろいろな色を識別します。 ところが耳の聴覚器官は、二万五〇〇〇種類
 くらいの細胞が縦に並んでいる。ある音が片側からやってきた場合、われわれ
 は二つの耳で、その方向を識別できます。ところが音が片側の耳に入って、
 次にもう片側の耳に入るまでの時間差は一〇〇〇分の一秒くらいで、神経の
 伝達速度では、間に合わない。となると、音源の方向を識別できないはずです。
 そこで・片方の耳から入ってくる音は細胞の上から、もう片方は下から入って
 きて、その合致する位置から、脳が計算して方向の認識をしている。
 しかも、目から入った信号が脳に到達する時間と、耳からの信号が脳に到着
 する時間を比べると、耳からのほうが速い。つまり、耳のメカニズムのほうが
 ある意味では優れています。人類の進化の歴史を見ても視覚情報は、母親の
 胎内にいる時にはシャットアウトされている。でも、音だけは聞こえている。
 視覚情報のほうが優先されているということです。聴覚情報は、より根源的
 ということです。
堤◎ ーならば目の不自駐方の感じ方は全然違うのでしょ-か?
佐治◎ ー生まれながら全盲の人の言葉を借りると、「先生にとっての宇宙は、
 月とか太陽とか星なんでしょうけれど、ぼくにとっての宇宙は、皮膚の外側が
 ぜんぶ宇宙なんです」という。すごいですね。・・・
佐治◎ ー目が不自由で、耳は健常な人と、逆に耳が不自由で、目は健常な人
 とでは、感じている世界はまったく違うようです。  
佐治◎ ー全盲のピアニスト、辻井伸行さんによると、カルテッドでの共演など、
 通常はアイコンタクトで合わせますが、彼は、相手の呼吸を耳で読むといって
 いた。われわれには五感があるが、そのなかでいちばん深いところに入って
 いくのが音情報です。≫
▼ 動物は海中から陸上に、上がって進化?してきた。海中は視覚より聴覚の
 方が生存競争に有効に働くため、人間も、その流れを引継いでいるのだろうか。
ウツの対策に音楽療法があると、この書で述べているが、iPodで軽音楽を聴き
ながらの早朝の自転車散歩で、その実感は確かにある。 情報端末の進化は、
聴覚、視覚情報を、より手軽に修得可能にする。
・・・・・・
4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23
2014年06月28日(土)
   * 仮店舗と、本店ビルの建設
 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな
規模きかかわらず、多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、
大手の大成建設と、準大手の淺沼組に絞られた。しかし、500万の金額の差で
浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六元帥の元直属の部下で、
何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。しかし、500万の差が、
実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、
トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。今から考えると、
建設は、一割以内の差なら、最大手を選ぶのが順当だった。ただし、浅沼組も、
悪くはなかったが。見積もり過程で、得体の知れない建設業界の不気味さを
感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の(マフィアのような)
シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく
変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。
 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退した
ばかりの専門店街があった。その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた
関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、11月に新規オープンになる。
新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を三倍にした
割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。
既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。
 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。
それと大型店の影響で、駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。
その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの講習に三ヶ月に一度の割に
聴講にいっていた。そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』
と、繰返し、聞いていた。 現に、この10年間、各地で、それを目の当りに
してきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、店舗運営と、仕入と販売に
縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。その頃、ヨーカ堂に
出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。
ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引をさせて欲しい
という。 ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的
ホット商品ばかり。内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、
短期的には闘えても、長期的消耗戦では、勝てないのではないか?である。
 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、
やる気満々!私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、
縛られるものはない。引き時では?と。
 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、
ハワイ旅行に行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、
それまでの疲れ全てを取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前
シリーズでも、やっていた。その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた!
・・・・・・
4486, 静かなる大恐慌 ー3
2013年06月28日(金)        「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
   * 第二次グローバル化のゆくえは?
この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか?
そう楽観的ではないだろう。ーその辺りから
≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、
 戦前世界への回帰が模索された。しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は
保護主義やブロック化へと雪崩をうって、保護主義やブロック化へと突入して
いった。世界経済を統合するグローバル化の動きは、世界経済を分断する
脱グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の「経済戦争」
が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。 そして、
それは第二次世界大戦で終わりをとげた。 それでは第二次グローバル化は、
どのような結末を迎えるのか。まず、当時と現在とでは状況が違う。
第一次当時は、予期せぬ経済変動に対し、各国経済はあまりに弱かった。
しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を
保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・加えて、当時の金本位制度
という国際金融システムに問題があったといえる。多くの点から考えても、
現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国
だけ、新興国は遥かに弱い。二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を
中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、そして一たびショックが
起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。 世界はいつも、弱い鎖
から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、欧州に飛び火をした。
それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を
伸ばして急成長をしてきたBRICsなどの新興国へと波及したとき、
危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫
▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起るかどうかまでは言及してない。
しかし、中国や北朝鮮のような新興国が現に存在している。内部の基盤が
危うい国は、それをカバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。 
それだけでない、スマートフォン(小型パソコン)が一般大衆に普及したとき
の危険性は計り知れない。政府より大衆の方が、情報を知り抜いてしまうからだ。 
20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、誰もが持ち活用
した時の社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、
ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。静かに恐慌は進んでいき、
混沌は当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。
・・・・・・
4112、閑話小題 ー血圧
2012年6月28日(木)
   * 血圧
 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば
大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が先週末、ドラッグ
ストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、
スポーツジムにある血圧計ではかったら、何と165もあった。ヨガを終えた
直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・ そして昨日、一時間半の
運動の後、怖々とはかってみたところ、130だったので、ホッとした。
しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、
だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、
いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧が140mmHg以上であるのが
高血圧の診断目安≫という。これからすると、私は、ぎりぎりセーフになる。 
塩分と糖分に関しては、意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、
体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。
  * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが)
 ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか
消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。UCBなどが融資を決定
をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、
火がつけば、世界の6京(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中
の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど
比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。
次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。先日も、スペイン
の銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆って
いる中、国内政治は大混迷。消費税を上げないと日本はもたないが、引き
上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! 
それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに
内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、売上減は必至になり、
中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目で
みても恐ろしい。ある朝、何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に
世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 
・・・・・・
3746, 閑話小題
2011年06月28日(火)
   ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病
 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに
出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には、
「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、
体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や
感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を
待っている。その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、
今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。
そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・
原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの
輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、
あれは数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明。
それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。
   ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ
 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップから
だが、包装を開けてみると、靴下二足。白系と黒系の無地もので、よく見ると、
立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。
 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 
分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、踵、そして土踏まずの箇所が、
それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見た
ことがあった。スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め
付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に欠かせなくなる。これなら
2〜3千円を出してでも買いたくなる。ところで昨日、ジム用の着替えの
スポーツシャツをと専門店にいったところ、何と「3Dシャツ」のコーナー
があった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。
それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ったが、
これも良い。元々あったのだろうが、ベトナムで、トレード・オフをし価格
ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったが。これも、デフレの一現象。

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