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堀井On-Line
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2016年04月18日(月)
〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時 熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト * 中国の成長モデルは賞味期限切れ 隣りの中国は、今や世界恐慌をもたらすかもしれない火薬庫でもある。 経済の失敗を覆い隠すために、戦争を仕掛ける可能性もあり、その時期が、 3〜5年先かもしれないというから、尋常の話でない。日本は、大地震と 大噴火、そして異常な国債過剰などを抱え、中国経済の問題は、他山の石 ではない。現役だったら、その危機感は想像を超えたものだろう。特に、 地方は、激流の波の被害を一番早く受けることになる。問題は、その後の、 日本への難民の処遇問題になる。 グローバル化とは、こういうこと! ≪ 中国の成長モデルは最早、賞味期限切れが近付いている。 構造問題が山積しており、経済的・社会的な矛盾が臨界点を超えつつある。 経済面では、政府との癒着が続く中、国有企業の改革は遅々として進まず、 労働生産性が低迷している。 国有企業は利益を配当として政府に還元する ことなく、非効率な事業への再投資を続けている。経済の牽引役は依然として “箱物”中心のインフラ投資で、経済のサービス化も遅れている。 結果として民業は圧迫され、規制緩和等を通じた民間企業のイノベーションは 進展していない。社会構造の面では格差が拡大・固定化し、低賃金労働者の不満 が溜まっている。社会保障・教育・医療等のセーフティーネットの整備が不十分 であることも、消費低迷を助長している。 中国には“ネズミ族”という、地下の明かりの無いところで共同生活を送る 貧困層が100万人以上存在すると言われる。その多くが地方からの出稼ぎ労働者 (農民工)だ。彼らの部屋に窓は無い。その暮らし振りは、宛ら洞窟で生活する ような印象だ。 これらの構造問題を根本的に解決しない限り、中国がどれだけ 公共投資等のカンフル剤を打っても、それは問題の先送りに過ぎない。 将来的には、より一層膨張した“バブル”が弾けるという最悪のシナリオが 不可避となるだろう。 ここで、中国で“バブル”が崩壊した場合の潜在的なマグニチュードを定量化 しておきたい。 筆者のシミュレーションに依れば、 〔資本ストック調整が本格化する“メルトダウンシナリオ”では、中国の潜在 成長率は1.6%まで低下し、実際の経済成長率は大幅なマイナスに陥る。〕 勿論、一般論として言えば、世界経済のドライバーは依然としてアメリカで あり、決して中国ではない。仮に中国経済が少々減速した場合でも、日本経済に 与える影響は軽微なものに留まろう。しかし、中国経済が“メルトダウン”する 場合には、全く別次元の話となる。その影響は、〔世界経済を奈落の底に叩き 落とす程の強烈なインパクトを持つ〕ことになりかねない。中国の政策当局には、 自らが置かれた状況を的確に認識した上で、中長期的な構造改革と、短期的な カンフル剤に依る景気刺激策をバランスよく講じて、何とか中国経済を “ソフトランディング”に導くことを切に期待したい。尚、中国での“バブル” 崩壊に伴う日本への悪影響は、主に中国向け輸出の低迷と、消去法的な 円高進行を受けた他地域向けの輸出低迷という2つのルートから生じる。 中国人に依る“爆買い”の消失を懸念する向きもあるが、2014年のデータでは、 日本の対中輸出は13.3兆円程度と、訪日中国人の日本での消費額(5600億円程度) の24倍に達する。つまり、中国向けの輸出は中国人に依る爆買いよりも、日本 経済に与えるインパクトが遥かに大きい。中国経済の減速に備えて、我が国の 政策当局は何をなすべきか? “Do your homework.(自分の宿題をやれ)”と いう言葉があるが、日本政府は自らの積残した課題に粛々と取り組むべきだ。 現時点では、当初のアべノミクスの3本の矢の中で、“第1の矢”(金融政策) に過度な負担が集中しており、構造改革は若干遅れ気味である。今後は、 ①農業・医療・介護といった分野における所謂“岩盤規制”の緩和 ②社会保障制度の抜本的な改革を通じた財政規律の維持等の国民にとって 耳の痛い構造改革を断行することが、最大の課題となるだろう。≫ ▼ 今回の熊本地震、まさか九州の中部で大地震が起こるとは思っても いなかったようだ。そして、いざ災害になると、その準備態勢が如何に 甘いか知ることになる。これは、中国のメルトダウンに対しても言えること。 問題は、弱者ほど、その対応が不十分ということ。「弱者だから準備ができ なかったからではなく、準備をしてないから弱者」 とも言えることになる。 「南海トラフト地震が本陣とすると、その一部の部隊が動いた一現象」か! 東北大震災が本陣とすると、中越地震、刈羽沖地震、一連の東北地区の地震が、 熊本大地震にあたる。 直近でないとしても、本陣が控えていることは事実。
・・・・・・ 5147,1%による1%のための勝利戦略 ー② 2015年04月18日(土) 【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 ー内容紹介ー 〜ネットにあった概要の後編より ≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。 「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし 戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」 から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。 ・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら 99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。 「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の 連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。 ・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として 褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、 実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに 伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、 ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、 本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて 納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム (新自由主義化)の一環であることを改めて教える。 ・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、 そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが 目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、 ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫ ▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード (すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。 この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪 すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が 払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として 大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。 ・・・・・・ 4782,大不況には本を読む 2014年04月18日(金) * 「本書のまとめ」 「大不況には本を読む」橋本治著 今さらだが、時代を鳥瞰するにクリアーで解りやすい。 ー(P183) 《【十八世紀の後半に起こった産業革命は、それまでの世界のあり方を変えて しまった。その新しくなった"世界秩序"が日本にやって来て、日本は150年前に 開国した。開国した日本は、その時の世界秩序にのっかって、見事に成功した。 成功して行き過ぎて、第二次世界大戦とバブル経済という二度の破綻を経験した。 成績トップになった優等生の日本は、それゆえに"見事な破綻"を経験するが、 その他の国はまだそこまで行っていないので、相変わらず"産業革命以後の体制" は健在だったが、今度はアメリカが新たな破綻にぶつかった。産業革命以降の 体制は、アクセル全開の自由貿易主義だったが、そのこと自体にブレーキが かかってしまった以上、改め"ブレーキをかけることの意味"を理解した方がいい。 そんな世界的なあり方は、″会社の仕事に追い回されて、自分及び自分の家族 やその周辺のあり方を省みない゜という日本人のあり方にシンクロする。自分の あり方を省みるために、もう一度‘本を読む’というところに立ち戻ったらいい】 この考え方をエコノミスト的に裁断すると、私は「保護主義のイデオローグ」 ということにもなるが、私はエコノミストではない「人間のあり方に立脚する」 文芸関係者なので、「そりゃお門違いだろう」ということにしかなりません。 バブル経済へ向かって進行する中で、いくつもの誤解は生まれましたが、 「経済が分からないのはバカだ。物事は経済的見地’にのっとって見なければ ならない」ということになってしまったのも、その一つです。 経済の方で 「保護主義的」と言われるものは、「人間のあり方に立脚する」立場からすれば、 「人が生きて行くために押さえておかなければならない基本」でもあって、 だからこそ私は、経済の方では「保護主義的」と言われるものを「自立」と 関連づけるのです。「金儲け」のことをあまり考えない、その能力があるとも 思えない文学や思想、哲学といったもの ーつまり「文学」「その他」は、 「働いて金を稼ぐ」に代表される現実生活のことを、ともすれば忘却しがちです。 ・・・ 2008年秋以降の・金融危機・経済危機はそれで、「破綻してよかった」 でもあります。しかし、でありながらも「世界」の方は「豊かさの達成は進行中」 という前提に立って、相変わらずの「富の均質化」を求めます。だから、輸出量 や輸入量の調整は求められるのですが、この「調整」の向う方向は、一つです。 「豊かである国の、既に達成された豊かさを目標にして、世界中を均す」です。 既に経済危機で「豊かな国の豊かさの基準」はぐらついているのですが、世界が 「豊かさの達成はなおも進行中のはず」という前提に立っている以上、目標と される基準値は「豊かな国の豊かさ」です。そしてこれは、「工業に追い抜かれ、 工業にすがりついて追いつこうとする農業の哀れさ」と同じ質のものなのです。》 ▼ 大きな節目時に、読書をして行間を読むしかない、ということ。 特に、アメリカの露ばらいをさせられた日本こそ、新たな解決をしなければ ならない。「経済の自立=保護主義的になりざるをえない、という基本を押さえて おくこと」には、考えさせられる。日本は明らかに衰退の道を歩き始めた。 しかし、現実をみると、誰も直視しない。そのツケは、株価と国債の暴落という 突然の崩壊で生じることになる。日本は近い将来、豊かさとは、かけ離れた国の 悲哀を味わうことになる。150年の間の政治経済のマクロの流れを振り返り、 今後の方向性を見つけることは至難の業だが、それでも見つけ出すしかない。 「普通の国」が、キーポイントだが、地政学的に見て、日本は中国とアメリカ の間にある海洋国家。その辺りが鍵になる。今後10年間は、これまでの10年間 より遥かに厳しい事態になる。この20年間の変化が、10年間に圧縮して襲い かかるとしたら、考えただけでも身震いがするが、興味もそそられる。 気の毒なのは、若い人たちである。 ・・・・・・ 4415, 余生を過ごす場所は? 2013年04月18日(木) * 今の場所で快適に過ごす工夫を! 「知的余生の方法」渡部昇一 余生を過ごす場所は、生れ故郷か、はたまた別荘地か、海外か、そのまま現在 住んでいる場所か、迷うところ。著者は、現在住んでいる場所こそ「ふるさと」 と思い、別荘地など考えずクーラーでも入れ快適にするなど工夫すべきという。 「住めば都」で、心地よく住んでいるところが、いなかと諭す。ーその辺りよりー ≪ P・94 英語では一般的に「ふるさと」は単にホームという。イギリス民謡の 『埴生の宿』の原題は‘Home,SweetHome’だが、このホームがそうだ。ホームは 単なる「住み家」「生まれた場所」という意味に過ぎない。そこから懐かしさを 伴って、「ふるさと」をあらわすようになり、「家庭」を意味するようになった。 だから、「ふるさと」と「家庭」が相通じ、切り離せない関係にあるといえる。 そこには父や母がいて、昔の日本の田舎でいえば、囲炉裏を囲んで話をする風景。 そのホームも、今では崩れつつあるようだ。 ローマ時代からの諺に 「自分がうまく生活しているところ、そこがホーム、つまり自分の「ふるさと」 「故国」という意味である。これは言い得て妙で、都会暮らしの生活者にとって、 救いになる言葉である。田舎から東京に出てこようが、海外に移住しようが、 そこで成功し、そこで良い暮らしをしていれば、その土地こそ「ふるさと」である。 都会でうまく生活しているなら、都会こそ自分の「ふるさと」と腹をくくるべき。≫ ▼ 思い切り移住するのも悪くないが、そのまま居座るのが自然。私のように、 ブラックスワンの御蔭で、肩身が狭くても、「平気で死ぬのが悟りでなく、 平気で生きてこそ悟り」と、自分に言い聞かせ、割り切れば別に何とことはない。 ソフト・ランディングだったこともある。しかし、5億、10億の現金があれば、 軽井沢のマンションか、ハワイを考える。としても、現在と大して変わりはない。 いや、違うか! 天使の様に、肩に羽をつけ、浮いたように生きればよいだけ。 フワフワ生活するのはお手の物。いずれにしても死んでしまうのだから、 今を楽しむしかない。場所は二の次? 改善でよい。 ・・・・・・ 4041, 世界の旅行記101 ー2 2012年04月18日(水) * 旅行記は事件簿でもある はじめにー旅行記を読むということーの冒頭が、旅行記の本質をついている ≪ 古今東西、旅をする人たち、旅を愛する人たちは無数に存在した。そして 無数の旅行記、紀行文が書かれた。どうも旅という非日常の行動は、文章の 起草をはげしくうながすものらしい。いろいろの旅行記がある。任務をもって 旅したものであれば、復命書を。さだめなき漂泊の旅にでたものであれば、遍歴 の跡をしるす随筆を。どれも当の本人にとっては、記録としての重みは、ひとしい だろう。だが、旅行記を読む側からすれば、自から興趣には軽重の差がある。 「読み甲斐」のある旅行記とはどんなものであろうか。まず考えられるのは、 旅そのものが、冒険や危険にみちている場合。 安穏として、ほとんど日常の 域を出ない旅とはちがい、未知の領域や未踏の領野をゆく旅は、つねに発見と 遊遁にみちている。ドキドキ、ワクワクの連続は、旅する本人とともに読者をも、 不安と興奮にまきこむ。探検記、踏査記が長らく愛読されてきた由縁である。 旅は始点と終点とがある事件であるとすれば、旅行記は事件簿でもある。 そこにふくまれる小事件のつながりが、どれだけ起伏にみち、意外性にあふれて いるかによって読者へのアピールはことなる。実際には、みずからその事件に 参画することは困難だが、そのアピールをうけいれ、旅行記とともに旅という 事件を追体験する。おそらくは、なにがしかの潤色がほどこされるではあろうが、 旅は現実に存在した事件であるだけに、迫真の体験が身にしみる。アームチェア で葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に読みふけるものも、 旅行記から、かの体験をうけとるだろう。ときには、身にうずきを感じ誘われる かのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、じつに広く深い。≫ ▼ この事件簿は大事件の膨大な資料が詰まった代物。それぞれのダイジェスト は50数人が書いたのを編集したもので、紀元前から近代まで至っている。 2〜3ページに纏められているので、軽く読めるし飛ばし読みもできる。 2千数百年にわたる時代の世界各地を、それぞれの目線を通したフィールドワーク を編集しているから、面白いはず。とはいえ、ダイジェストはダイジェストだから、 これを手引書として各書を読むと良い。旅という非日常から、旅先の日常を垣間 見るのも面白い。 私たちの生きている世界が、いかに極小で、特異ということ にも気づかされる。 私たちは最高の特異の時代に生きてきた!のである。 ・・・・・・・ 3675, 節目どきに ー8 2011年04月18日(月) * 体重が減り始めてきた! 毎朝のウォーキング(サイクリング)を20数年間続けてきたためか 体重は標準である。ところが、ここでスポーツジムに通いだしたため? 半月で学生時代の体重まで落ちてきた。心労もあるかもしれないが、これは 明らかに運動効果である。入会時にジムの人に計ってもらった肉体年齢が私の 肉体年齢より11歳も若かったのに驚いた(54歳)。長年の早朝のウォーキング の蓄積が肉体年齢を若くしていたようだ。 肉体的には健康的な日々だが、 精神的には、どうだろう。 * CTスキャンは大量の放射能を? CTスキャンの被爆量が胸部レントゲン写真300倍に匹敵し、数十年後に がん発症リスクは被爆で高くなるという。私など毎年の検診で20年近く CT検査をしているので、大量の被爆をしていることになる。そろそろ被爆の 結果が出てくる頃。知らないことは恐ろしいことである。チャンとした説明を 受けていれば、三年に一度位に減らしていた。 しかし適当な被爆なら、 細胞が活性化して、むしろ健康によいとも言うが。 * 今でも、私にとって3月11日が止まっている TVの画面で、被災地の中年女性の言葉が印象的だった。 「私にとって3月11日がそのまま止まっている。毎日が、そのまま3月11日の 繰り返しで続いている」と。 そうだろう、被災者にとっては、あまりにも、 その日の出来事は大変事で、その日をもって生活環境が一変してしまった。 被災者の一人が、「ここにいる殆どの人たちには、生死の境目にいて、九死に 一生を得たドラマがある」と朴訥とした言葉で話していた。現在進行中の原発 事故が、今だに、この災害が終わってないことを告げている。我々が自覚して いるより、遥かに危険な状態の置かれているが、まだ、序曲。 そういう私も、震災ショックによる何の被害者である。
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| 5511,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが 〜② |
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2016年04月17日(日)
去年の[2015年04月12日(日)}に以下のテーマで書いた文章が、数日前、 目にとまった。そういえば一ヶ月前、「通貨量が三倍になった」との ニュースが流れたから、この一年で、1・5倍の通貨量になったことになる。 問題は、通貨量を三年で三倍にしても、デフレも景気も浮上しないこと。 預金総額が1700兆円に増加したが、それは平均であって、一般大衆の預金が 増加したのではなく、あくまで一部の富裕層だけ。 〜まず、去年のコピーから〜 【 * 二年間で円の通貨量が二倍に! 二年前、日銀の黒田総裁が、「2012年末に138兆円だった資金供給量を14年末 には約2倍の270兆円に拡大。長期国債の購入量も2年で190兆円と2倍強にして、 上場投資信託などリスク性資産の購入も増やす。インフレターゲットは2%。」 と発表した。ところが、先日のニュースで、「2年間で円の通貨量が2倍に なったが、インフレ目標の2%はゼロのままと、日銀が公表」と報じた。 リーマンショック後、米国は数ヶ月で二倍、現在は三倍以上にドルを増刷、 為替相場が3分の1になったかといえば、7年前と同じ。 日本の供給量は2年で二倍。しかし為替相場は3分の2。株価は安倍首相が 就任した2012年12月26日の終値は1万0230円36銭だから、2倍になった。 日本も米国も通貨量を2倍にしたにも関わらず、インフレにならないところが 摩訶不思議。アベノミクスは中長期的にみて明らかな失政が見てとれるが、 保守本流の頭脳は膨張以外、考えが至らない。「後は野となれ山となれ」である。 現在は太平洋戦争突入の数年前の様相と似ている。家内を見ていると、物価の 値上げに対する反応に敏感だが、これは一般主婦の趨勢。スタグフレーションの 様相を示している。保守本流は、アメリカの忠実なポチ。強者に優しく、弱者に 厳しい。先日、図書館で借りてきた、『金持ちが確実に世界を支配する方法』 の「1%による1%のための勝利戦略」が、まさに現在の政権と酷似している。 とって付けの、政策など、直ぐに、その正体を現れ出るが、その前に衆議院選挙 を昨年末に断行した安部も、強かである。この国民をして、この政府。 とはいえ、激動期には保守本流で中心を固めないと、学芸会のような政治 ごっこの政党に、国は荒らされる! まだ、マシ? 】 ▼「通貨量が三倍に増加」のニュースが何故か消えてしまった。聞き違いの 可能性があるため、この文章を書くのを控えようか迷ったが、記憶を辿って みても、間違いない? そこでネット検索でやっと見つけたのが、 【マネタリーベースは12年末の138兆円から昨年末は365兆円と2.6倍 に膨らんだものの、15年平均の全国消費者物価指数(生鮮食品を除く)は2% 目標には程遠い前年比0.5%増。誰が見ても「黒田バズーカ」は失敗】 があった。 とすると現在の三倍のニュースは、間違いない。これからみても、 アベノミクスは間違っており、この失敗は、次世代の弱者に更なる負になる。 その札束は、そのまま富裕層に移動する。〜で、これも偶然で、以下につづく。 ・・・・・・ 5146,1%による1%のための勝利戦略 ー① 2015年04月17日(金) 【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著 まずは〜内容紹介〜より < 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに 見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、 一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者 が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。> ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。 ≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1% への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、 アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕 層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。 各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、 このような事態を引き起こしているのか。 ・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空 の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、 鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを 暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、 実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。 「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、 秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが ピッタリである。・・ 〜つづく ≫ ▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、 ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界 の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。 仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、 公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、 事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の 『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、 内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ! ・・・・・・ 4781,閑話小題 ー怒りの取り扱い方 2014年04月17日(木) * 怒りの取り扱い方 一昨日こと。家内に「同級会の席や二次会などで、誰かに見られているかも しれないから気をつけて!」と言われて出かけたが、案の定、二次会のスナック でハイになっている中、銀行OBと思われる男に「誰かに見られているぞ!」と、 通りすがりに声をかけられた。「うるさい、人のことより自分をみてろ」と、 言えないし。軽さが、そのまま出ていたが。他人ごとではないか?スポーツジム でも、露骨なイヤミな視線を数ヶ月に一度は感じる。で、悟りが深くなる。 ー悟りとは、平気で死ぬのではなく、平気で生きることーというが、何事も慣れ。 最近、腹が立つとすることがあるが、書くのはやめておく。 ヒト指先で人をさすとき、親指は上(道理)、他の三本は、自分を指している。 哲学でいう認識である。他人の指摘は自分の世界観を言っているに過ぎない、 という自覚がない。ネズミ集団=世間の戯言ネタに、一々怒ってもいられない! 世間教の下世話ネタが、ネズミたちの集団念仏。気の毒といえば、気の毒だが、 こんな??のことを書いている私こそ遥かに気の毒? そのために、ぼんやりの 時間を持たなければ、せっかくの人生は台無しになってしまう。それにしても、 バカなことを書いている、自分に驚いているが。で、ぼんやりする時間が必要。 [・現実の背景にある膨大な漆黒の闇を意識する。・その為に独りの世界を大切 にする。・その時空をつくる為に、閑居の世界を身近に持つ。・働いてばかり いないで、怠けること。・その中での心の余白を良しとする懶惰の気持ちが鍵] 。 ぼんやり時間のエネルギーこそ、己を包み込む。 怒りは、エネルギーの源。 大事に扱うべきだが、因われないことも重要。・・人生は、面白い玩具で一杯。 老いも、喜怒哀楽も、楽しか! 目を本質から逸らさなければだが。 長岡という出生の地に飲み込まれない知恵こそ、今こそ必要だが、老いは、 その知恵を弱らせる。私の人生は、50歳辺りから二毛作目と思っていたが、 二期作でしかない?(二期作は、同じ農作物。二毛作は、違った作物) それとも、50歳から三年前まで、二期作目で、その後が、二毛作目? ・・・・・ 4414, ボストン爆弾テロについて 2013年04月17日(水) * この結末は、どうなる? ボストン爆発テロ、北朝鮮の関与を誰もが思い浮かべただろう。 アメリカの反政府の団体という仮説も立つが、平城でマラソンが行われた直後、 ボストンのゴールのカメラの多い中で、二つも爆発させたのは脅しの効果として 抜群。他に二つの爆弾が発見されたというから、明らかに何かの警告。 刑事ドラマのシリーズ「相棒」で、東京マラソンを狙った爆弾テロを阻止する ストーリーがあったが、手口は同じ。とすると近くの国の??と連想するのは 私だけでないはず。 ボストンマラソンといえば、世界で有数の権威ある大会。 そのゴールを狙うとは大胆。それもケリー国務大臣の因縁あるボストンで・・ ミサイル実験の前のデモンストレーション、としては危険すぎる? 今のところ、誰も北の関与を口に出さない。だから恐ろしい。タイミングから して確率は高い。アメリカが黙って見過ごすか、全面戦争の切り口になるか? 関与していなければ、北朝鮮は震え上がっているはず。これだけ全面戦争と 騒いでいた最中、タイミングが合いすぎ。 覚悟があってだろうがまずは、 この数日が境目だが、数ヶ月後には、全面戦争?が現実味を帯びてきた。 まさかと思っていたが、やはり! その最中、ミサイル発射実験、やるか、 やらないか、見もの。 これで軍事的に一触即発になった。しかしアメリカも 軍事産業立国の要素が強く、得体の知れない国家。さらにシリアもイランも、 アメリカの矛先を北に向けたい思惑もある。またCIAが北の仕業にした先制攻撃 の口実作りも考えられるし、アルカイダがビンラディン殺害の復讐のため、 北朝鮮と見せかけ、全面戦争の‘けしかけ’の可能性もある。どの切り口も 前面戦争の方向。その最中のシナリオ、あの坊やの考えそうなこと。危ない! アメリカは金がない、中国も新体制が整ってない、欧州危機は深刻だし、 日本は衰弱。 最初のブラックスワンは何から? ・・・・・・ 4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3 2012年04月17日(火) 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の 心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、 若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと 思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。 長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを 遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、 血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分 の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2 2005年04月17日(日) 】 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、 「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分 ー倒れてしまった悲しみにー 倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる 倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる 倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる 倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう 倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ 倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき 倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ 倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす 倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯 倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき 倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは ▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。 ・・・・・・・ 3674, 自己を見つめる −2 2011年04月17日(日) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、 人生を豊かに、実りあるものにする。 ー 第一章 経験 の中より ー 哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。 ・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、 まったく予測することができない。 ・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、 とガダマーは断じる。 ・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。 ▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して 行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を 見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を 踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? ・・・・・・・ 3309, 笑われ力 −1 2010年04月17日(土) 「 笑われ力 」 太田 敏正 (著) 石原 壮一郎 (監修) 図書館で、この本を見つけた時に、「面白い!」と、直ぐに借りた。 「自分の失敗や欠点を笑い飛ばしなさい。それで既に自分を客観的に見下ろして いることになる。」とは癒しの真髄であり、これまで「フン、この程度モノさ!」 と自分を笑い飛ばしてきた。 しかし、それを一冊の本として真正面から取組む とは。お笑いのサンマやタモリが、この名人である。 実に上手に自分の失敗談 を取上げて、周囲の共感と笑いをとる。タモリが「電車で、もようして? 有名人なのでトイレに入りづらく、失禁直前に家にたどりついて、ホッとして、 ところが大爆音のガス一発だけ! あの1時間の苦労はなんだった? 」で、 場内、爆笑だったが、「笑われ」の典型的事例。誰も一度や二度は経験のある?。 私の知人でも、「笑われ力」を駆使して世渡りをしている人が何人かいる。 実に自分の欠点、失敗を披瀝をし、周囲の苦笑と共感を誘っている。自分より 知識や、経験の少ない人の前では可能だだろうが、同じレベル?の人の前では、 躊躇をしてしまう。 素の自分を曝け出し、相手を笑わせようというのだから、 基盤がないと出来るものでない。 まずは、アマゾンの ー内容紹介よりー ≪石原壮一郎≫ ≪「心地良い人間関係」に「笑い」が不可欠なのは言うまでもないでしょう。 しかし、ウケを狙えば狙うほど、スベりやすくなるものです。まして、 人をバカにして笑っても「心地良い人間関係」は生まれません。そこで 「笑われ力」の登場です。 笑わせようとするのではなく、笑われる意識、 人をネタにするのではなく、自分をネタにするスタンスです。 お笑い芸人 のような爆発的な「笑い」が、笑わせることを目的にしているのに対し、 「笑われ力」が生む自然な「笑い」は「心地良い人間関係」を築くための プロセスに過ぎません。大爆笑は不要です。 自然で心地良い「笑い」を プロデュースする方法をゆる?く紹介します。≫ ▼ 「まえがき」の冒頭に、「いきなりですが、おめでとうございまう! あなたが、こうして『笑われ力』に出会ったことは、あなたの人生にとって、 大きな意味を持つでしょう。きっと日ごろの行いがいい方に違いありません」 とあり、最後の方には「大人力の77パーセントは「笑われ力」でできています。 残り23パーは、さほど気にしていただく必要はありません。」とある。 この随想日記やブログも早くいえば「笑い」というより自嘲の披瀝。そうでも 思わないと、毎日、アクセクして書いていられない。ある意味、癒しになって いる。 読み続けている人はご存知のとおり、最後の一行に捻りを入れるよう にしている。それも共感を得るような自嘲気味の捻りで締めるように。決して、 この本を読んだぞ!でなく、やっと読みおえた!でないと続かない。 この本の内容は簡単明瞭。 嫌味なく自分をダシに笑いをとれれば、悩みや、 怒り、悲しみの絶対量は激減する、ということ。 そういえばオカマバーの方々、 実にオカマの世界を自嘲気味に話し笑いをとっている。笑われてナンボの世界か、 珍獣?の世界は。10年以上は行ってないが、歳のせいか気持ち悪いが先にたつ。
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| 5510,閑話小題 〜魂の致命的な敵は、毎日の消耗である |
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2016年04月16日(土)
* 『魂の致命的な敵は、毎日の消耗である』 ロマンローラン『ジャン・クリストフ』の言葉である。 リタイア後の最大の収穫は、毎日の消耗が大きく減ったこと。 何も期待されないし、誰にも気を使うことがない気楽さが、こんなに よいとは思いもしなかった。WOWOWの「ドラマW」枠の「双葉荘の友人」 の中で、主人公の妻が、職場の御産で退社する上司の仕事を受継いだ後、 訪ねていった時の先輩の言葉、『辞めて、家事専門になって慣れると、 思いの外、これがいい』である。 これと同じ感覚を5年前から実感して いた。 仕事のプレッシャーの累積は、実は魂の致命傷になっていた。 いや、逆に 魂の消耗の果ててこそが人生じゃないか? もある。 * 負いかた一つで、重荷も軽い 『負いかた一つで、重荷も軽い』 こんな、言葉があった。 傍からみたら、現在の自分が、重い荷物を負っていると見えるだろうが、 何故か羽根が生えているかのように軽い。 私より、一ランク上?の 人種の24時間のスケジュールをたて、こなしていることが、重荷?を軽く している。これをこなしている限り、重荷になるはずの状況(環境)下で、 重荷も?軽くなって当然と実感。気を強く持ち、日々を真正面に過ごせば、 気持ちの揺らぎも、一時的で終わる。 生老病死などの四苦八苦の重荷は、 老いるほど肩に食いこんでくる。「負いかた」を「老いかた」と置き換えて、 『老いかた一つで、重荷も軽い』にしたいもの。 ルソーがエミールの中で、『もっとも長生きした人とは、最も多くの歳月を 生きた人でなく、もっとも「よく」人生を体験した人だ』と語っている。 「人生の重荷の負いかた」を知り、可能な限り、遊ぶ、学び、働くこと、 特に、遊びは、その重荷を軽くする。これでも、まだまだ、遊び足りない? さて、今日は、何をして楽しみ、遊ぼうか?
・・・・・・ 5145,閑話小題 〜漫画本を読む感覚でシネマを観る 2015年04月16日(木) * シネマは、漫画本を読む感覚で・・ 明日の金曜日は、所要でシネマに行けないので、昨日、前編に続いて 『ソロモンの秘密ー後編』を観てきたが、期待に反しない重厚な内容。映画館 で、シネマを観ると何か充実感が残る。大きな館内で、大型スクリーンで、 大音響で、数多の映画の中で選んで、独りで行って、観るからこそ没頭出来て、 その世界の幻想世界に入り込むことが出来る。平日の昼前後は、10〜30人 位しか観客がいないところも良い。この3年間、年に数度は休むが、ほぼ毎週 金曜日のシネマ通いを欠かさない。面白いから続いているが、デジタル技術の 進化で、迫力が日々、増しており、コスト対ストレス解消効果はネットに 劣らない。あれだけの幻覚の別世界に誘って、千百円は価値がある。 平静を装っているが、ストレスは沈殿して、少しのことでも動揺は起こる? そこでTVや、ネットなどで、自動発生するマイナスの情念を日々、解消する。 そのため面白、可笑しく、気持ちをフレッシュにしバウンドしている。 ハピネス・アドバンテージ(幸福優位性)を維持するためには、マイナス感情 の3倍の楽しみを持つ必要がある。慣れてしまえば、結構、ネタはある。 この文章を書く習慣も、その一つ。 20年になるが、母親が痴呆症になって5年半、そのストレスは尋常では なかった。そこで、本能的に好きな年二回の秘境ツアーに行くことにした。 そうでもしなければ、ストレスの短期間解消が出来なかった。 あれは、 恐怖心を乗り越えるゲーム。帰路の機内では、ストレスが見事に消えていた。 その代りがシネマ通い。月4〜5回で4〜5千円が高いかどうかだが、居酒屋 や、スナックの一軒分からみれば、価値は充分。問題は、これも続けること。 デジタルの映像漫画を、大スクリーンで、観ると思えばよい。所詮、人生、 振返れば幻覚の悲喜劇の世界。せめて、小さな世界から一時だけでも、 ドロップするのも好い。面白いことに、館内から出た瞬間、全てを忘れる。 人生と同じ。何せ幻想世界であるからだ。それを現実と思うから、変になる! ・・・・・・ 4780,ぼんやりの時間 ー9 2014年04月16日(水) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * ぼんやり時間について ーつれづれに 10年前に、この本を読んでいたら、どうだったろう? まだ娑婆っけが強かった年齢。人生の余白を埋めることに全力をあげていた 真っ只中で、ぼんやりなど程遠い生活であった。 ー‘あとがき’の次の箇所が最後のマトメによいー 《ところで、「ぼんやり」という言葉は、辞書ではどう説明されているのか。 何冊かを調べてみて、予想以上に評判が芳しくないことを改めて知った。 「①気がきかないさま。②利発でないさま。③どこか元気がなく、気持ちが 集中しない様子。④間が抜けているさま。⑤呆然としていたり、うかつで あったりする状態。」 多くの辞書では、「ぼんやり」という言葉は否定的な 意味で説明されているし、世間の人ぴとのぼんやり観も、たぶん、同じように 否定的なものだと思う。たしかに、横断歩道のところで呆然とした状態で ふらふらと車道に歩み出れば、これはもう危険な場所、不適切な場所での ぼんやりは困りものだ、ということについて、私としては異議もなく、異論も ない。そういうことは承知の上で、串田孫一は「ぼんやりしているのは人間に とって非常に大切な貴い時間である」と書いたのだと思う。 私は、串田の文章に共鳴するものだが、それでも、ぼんやりの否定面を 忘れることはなかった。ぼんやりの否定面を仮に「ぼんやりH」といい、 ぼんやりの肯定面は「ぼんやりK」ということにしよう。この本で繰り返し 説いてきたのは、主にこのぼんやりKのことである。「これは、ぼんやりKの 場合です」といちいち断ってはいないが、いままでこの本で書きつらねてきた のは、ほかでもない、主にぼんやりKのことである。世の中の支配的な風潮に 対して否定的な考え方を示すことは、難しいことではあるが、ある意味では 実に大切なことだと思っている。ぼんやりということを考えるとき、 「ぼんやりH」的な思いが支配的な風潮であるならば、一方で、「ぼんやりK」 的なもの、つまり、ぼんやりには、脳の働きをいきいきさせるものがあり、 生命力をよみがえらせてくれるものがあると主張することは、ことのほか 大切なことではないか。そんな思いが私にはある。私たちは「光」の恵みを 考えるならば、同時に「闇」の恵みにも思いをいたす必要がある。 「陽」の力を思うときは、同時に「陰」の力を思う必要がある。「動」や 「働」や「がんばり」が大切だと考えるときは、「静」や「休」や「ぼんやり」 もまた、いかに大切であるかを考えねばならぬ。日常の暮らしのなかで、 私たちはあまりにも「働」や「緊張」や「がんばり」に力点をおきすぎて、 「休」や「やわらぎ」や「ぼんやり」の効能を片隅に追いやっているのでは ないか。ぼんやりは「呆然としていること」であり、「間が抜けているさま」 であるということとは別に、「ぼんやりすることは貴い」「ぼんやりする ことで、なにかが貯えられる」「ぼんやりは活力を生む」という場合もある。 ときおり、ぼんやりした時間をもつことは、生気、活力をよみがえらせる ためにも必要なのだ。》 ▼ 人生には「よく働き、よく学び、よく遊ぶ」ことが核になる。それを、 いつも意識をし、分類し、バランスをとってきた。その他に、もう一つ、 背景に広がる空白も意識してきた。働くでなし、学ぶでなし、遊ぶでない、 ボーとした時間である。これは幾つかの挫折体験などから、否応なしに誰もが 経験すること。 そこでの、ぼんやりの時間も飽きてくると、そこから エネルギー、気力が湧き出ることを、である。ツアーで、独自で行けない 秘境・異郷に行くのをライフワークにしてきた。そこでは、旅の企画と手配と 案内は全て代理店と添乗員がしてくれる。その大部分が、移動の飛行機か、 バスの中。そこの「ぼんやりの時間」が良いのである。慣れるまでは苦痛 だったが、回数を重ねる度に、その高速移動空間で、ただただ、ボ〜っと する時空の魅力に気づくようになった。何か、痴呆症の勧めのようだが・・ ・・・・・・ 4413, 早起きの話 2013年04月16日(火) 早朝の読書習慣は事業を立上げた27歳の頃から現在まで40年になる。 父も早寝早起きで、夜は9時前に寝ていた。一日、二時間は読書をすると 決めていた為、創業の忙しさの中で読書環境は静かな早朝しかなかった。 40年にわたる早朝の読書時間は私の独学塾。その蓄積で、もう少し読書 の質が上がって良いさそうなものだが、独学もあり壁を破れなかった。 それもあって夜は9時就寝に自然となっていた。 晩酌をすることもあり 就寝と同時に4〜5時間は爆睡するが、深夜1時〜2時頃に目が覚める。 その30分は頭が冴え渡る。事業で何か大きな決断をするとき、2時半を 目安にして判断をする。その後、半覚半睡の状態で二時間ほど過ごし4時〜 4時半に起床、書斎に入る。そして6時頃からポタリングに出る。 早朝時間の活用をしている人は意外と少ない。 時間帯として、 「20対80の法則」「6対94の法則」でいう、この時間の読書と散歩か ミニ・サイクリングは私にとって重要事項。カレルが「物理的に過ぎ行く 時間の他に『内的時間』が別にある」というが、早朝の時間は、その内的時間 に入る。内的時間の芯といえば純化した心のゾーン。名著などに没我しきった 時間の、それである。ところで日本は戦中・終戦直後まで人口の過半数以上が 農林漁業に従事していた。そのため、朝早く起き、夜早く寝る習慣になっていた。 朝の陽光が生命の源。朝の語源は、天が開いて明るくなる「明ける」からきた という説がある。英語のモーニングもドイツ語のモルゲンも、太陽の光を 思わせるイメージがある。仕事により朝方かどうかが変わってくるが。 早起きの効果は、長年続けなければ出てこない。部屋で、土手で、早朝、 独りで物思いにふける時間は至福である。 ・・・・・ 4039, 世界の旅行記101 ー1 2012年04月16日(月) ー 内容(アマゾンより)ー 「世界の旅行記101」 樺山 紘一著 アームチェアで葉巻をくゆらせながら読むものも、通勤の電車内で文庫本に 読みふけるものも、旅行記から、迫真の体験をうけとるだろう。ときには、身に うずきを感じ誘われるかのように、みずから旅への計画にむかうこともあろう。 旅行記の効用は、実に広く深い。ヘロドトスの「歴史」からイブンバットゥータ の旅行記、ぺルリ提督日本遠征記、はたまた永井荷風の「あめりか物語」・・ 異文化への遭遇と驚き、喜びを満載した古今内外の代表的な旅行記101冊の 歴史的な意味と、意義、概略をコンパクトにまとめている。自宅でくつろぎ ながら、旅行記の魅力に浸れます。 この中から興味を持った本を図書館に行って借り、読むのも一興。 ◎ アマゾン読者感想 ≪ 読書と旅が好きな者にとって、旅行記は興味この上なく深い。しかし、 世の中には旅行記なる書物は山のように存在する。その中からその時の関心の 在処に応じて何か良いものを探し出そうとする時、手引きとなる情報があると 助かる。 旅に出る時、ガイドブックとは別にその地をめぐった先輩の書き物 に教えを請おうとする時、適切な本を探索する手引きとなる情報があると助かる。 また、仕事を終えた夜のつれづれに、何か旅の本に想いをいたそうとした時に、 そんな本の梗概を記した手軽な本があると愉しい。私は、数年来、この本を そんな風に使ってきた。先日、タヒチを訪ねるにあたって、モームやゴーギャン の作品などとともに、ブーガンヴィル、クック、ダーウィンという探検の時代の 旅行記の関係部分に目を通した。その時、この本が彼らの旅行記を推薦した。 そして、私のタヒチ旅行はいっそう内容豊かになった。この本には、紀元前から 現代までの代表的旅行記が外国から日本まで101件、原則2頁で、時に地図や 写真を付けて紹介されている。各文末には、入手可能翻訳本を記している。 関連年表、索引もやや詳しい。目次は、書名のみ、著者・解題者付書名、執筆 年代順書名という3種が付されている。ハンドブックとして工夫次第で利用勝手 は拡がる。旅が好きな読書子には常備して価値のある本であろう。理想を言えば、 併せて、古今東西の旅行記・紀行文を網羅したリストを座右におけば、 精粗あわせて情報が得られて良いのだが・・・ ≫ ▼ 10年ほど前に買った本だが、数編を読んだまま蔵書になっていたもの。 どのページを開いても、生々しい事件に満ちている。編者の「旅行記は事件簿 でもある」という見方こそ、面白い切り口である。旅行は事件なのである。 そこには、それぞれの人生の全てトラブルが現れ出ていて、生々しい記述で満ち ている。それと、自分の人生の様々な場面と合わせ鏡にすると万華鏡のようである。 次回から、目に止まった面白い旅行記の逸話を抜粋する。 ・・・・・・ 3673, 自己を見つめる −1 2011年04月16日(土) 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) ここまで人生を生きてきたら、要は「生きてきた過去をどのように 受けとめるか?」になる。それは生きてきた「自己を見つめる」になる。 その「自己とは、そもそも何か?」色々な場面で、多くの判断をし、決断を してきた、その時々の主体が節目ときの自己になる。それらの自己の総合体が 自分になる。 先日、何気なく図書館で借りてきた10冊の本を流し読みを していたら、思わない拾物をしたのが、この本。現在は、その「節目どき」。 自分を見つめ直す機会である。 まずは、−アマゾンの説明書きよりー 《 放送大学の空前の人気授業といわれたテキストを叢書化。ニーチェや ハイデッガーのことばをまじえながら、崩れ落ちそうになる気持ちを支え引き 締めてくれる。「この授業、このテキストがあったから、いまの私の人生がある」 と語りつがれる哲学の名著。 日本を代表する哲学者が「自己」「仕事」「孤独」 「世間」「運命」「不幸」など 15章のテーマで語る人生の真髄。 ― 次に、アマゾンの感想文の中の抜粋をコピーしてみた ― * 「生き甲斐は、根本的に重い運命愛の意識に担われた、死場所への覚悟と いうものと深く関係している。しかし、他方では、それは、ときにはそれを 忘却した、放念と遊戯と飛翔のうちで、自己の快癒を図る悦楽の解放感とも 接続していることは確実である。この大きな振幅のなかで、私たちの生の 営みは展開している」 (「生き甲斐」) * 「愛とは……問題となっているものを、深く大切に思い、それを慈しみ、 人生の大事と考えて、その尊厳を守ろうとする、控え目ながらも持続的で 強い根源意欲ないし生命意欲に関係するものであり、また、そのことに伴う あらゆる憂いと悲しさの 情念のすべてであり、自己としての生きる人間の 根源に関わる根本問題なのである」 (「愛」) * 「幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる 失われた桃源郷である」 (「不幸」) * 「老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと 気づかないうちに、自分に忍び寄ってきて、自分を支配することに至った ことを理解する。自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、 ようやく分かるのは、老年になってからである」 (「老い」) * 「人は、多くの場合、無言のまま、誰にも相談することのできない、 こうした人生の重大問題を抱えて、悩みながら生きている。私が、本書 『自己を見つめる』において、語りかけたいと思っている読者は、そうした 優しく敏感で、傷つきやすい、心豊かな人、慰めもなく、苦しみながら、 しかし立派に生きる務めを果たそうとしている人である」(「まえがき」より) [目次] まえがき 第一章 経験 第二章 時間 第三章 境遇 第四章 遍歴 第五章 自己 第六章 生き甲斐 第七章 仕事 第八章 孤独 第九章 愛 第十章 他者 第十一章 世間 十二章 運命 第十三 不幸 第十四章 老い 第十五章 死 ▼ これを図書館から借りてきて、直ぐにアマゾンで、姉妹書の「人生の哲学」 と共に注文をした。老年に差し掛かってきた現在、自分の歩んできた人生を 振り返り、己を見つめ、考える時期に来ている。それが「節目を打つ」こと。 青年期の挫折時には、これをチャンとしていたから、躓きの石を踏み台の 石にすることができた? 内省も面白いものだ。 ・・・・・・・ 3308, 万田酵素 2010年04月16日(金) 新聞広告で、「万田酵素、無料キャンペーン」の見出しがあった。 前から新聞広告やドラッグストアで見かけていたが、一万円前後。無料キャン ペーンはお試し用の6パックで1200円。10日前に届いたので、試飲をしてみた。 で、二日間、一パックを飲んだところ、二日酔いのような赤ら顔になった。 何かニンニクエキスを飲んで、一日中逆上せているような感じ。そこで、小さな パックだが、半分にして飲んだところ、丁度良い。酵素といえば、もう25年来、 玄米酵素を飲みつづけている。これも一日一パックを飲んでいるが、続いている から身体に適応しているのだろう。 酵素といえば新潟産業博で年一度、小さな コーナーで「酵素源」のデモ販売をしている。そこで三度ほど買ったことがある。 ただ7千円もするので、一瓶を数ヶ月かけて飲んだ。確かに身体全体に活力が 出たが、電話で取り寄せるほどではなかった。無料の試しパックは一パック 2百円と高い感がする。 しかし飲んでみると、全身から活力がみなぎ出る感じ。 通勤途上にある「マツキヨ」の健康食品のコーナーをみたら、全く同じものが 一瓶9800円である。これなら少しずつ飲めば三ヶ月は持ちそうである。 で、ネットに「格安 万田酵素」と入れたところ、何と3600円。ネットでは、 3000円半ばの販売価格に集中していたから、「マツキヨ」のバイヤーもネットで チェックしているはず。それでも、この価格で販売しているのだから、ネットで チェックしない客を狙っているのか。ネットの世界=情報化は、ドラックストア さえ中抜きにしてしまう。 バイアグラとしても、使える?代物。 バイアグラ以外では、これが一番? 今さら、大して用がないか!
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2016年04月15日(金)
* 今年の桜の総括 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、 飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、 「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大 イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車 で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の 『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の 裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、 そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。 なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、 週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、 この40年間で、数回かあった。
・・・・・・ 2003/04/21 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。 毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。 他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。 季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、 満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。 いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。 それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。
雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。 それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。 最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、 悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。 「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」 という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。 参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。 もう50年も前のことだ。 花見こそ一期一会である。 吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・ 2003/04/19 「散る桜、残る桜は散る桜」 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。 他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。 この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。 桜は生臭い死の臭いがする。 人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?
今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。 2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。 「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。 悠久山の桜も絶品だ! 5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に 関係してくる。 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。 以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。 ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。
また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。 多くの写真を撮り残して。 新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・ 2005年04月22日(金) 1480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。 もう散りかけてもきている所もある。 近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。 満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。 車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。 「どうして?」と聞いても解らないと言う。 「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、 「恐らくそうじゃない」と答えた。 私は、すぐ散るから気にいっているのだが。
10年に一度位は大当たりになる。 悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な 光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。 サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。 現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が 無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、 吹かずともと言う文章を書いていた。 桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。
庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。 本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・ 2006/04/20 1843, 桜の話 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
近くの福島江の桜は昨日・今日が満開である。 「花」と言えば桜を意味するくらい、桜は日本人にとって特別な花である。 今年の花便りだと桜の当たり年のようだ。 私のHPに投稿してくれる井上さんのHPも、 桜の花が多い。
長岡にも幾つかの桜の名所がある。 自宅から数分のところにある、福島江の桜と、悠久山の桜だ。 毎年、開花を楽しみにしている。 5年に一度は大当たりの年になるが、 今年はその年か如何か?
桜をぬきにして日本人の自然観や人生観を語ることは出来ない。 文学・能・歌舞伎・絵画のどれをとってみても、 桜は大事な役割を果たしている。 日本人の考え方や生き方を表しているとも言える。 春になると「桜前線」が、天気予報のように、 (今どこが満開かと)放送される位だ。
十数年前の話になるが、私の近くに住んでいた従兄弟が、 桜の散り際を待っていたように「自死」をした。 その納棺の儀式の時、桜吹雪が部屋の中に吹き込んできた。 ゾクッとするような不思議な体験であった。 5月3日に、その法事に行くことになっている。
(*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? ー幾つかの花に関する和歌・俳句を HPからコピーしてみた。
世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平
ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 細川ガラシャ
人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂いける 紀 貫之 こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな 紀 貫之
みよしのの 山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける 紀 友則
色見えでうつろうものは世の中の人の心の花ぞありける 古今和歌集
願はくは 花の下にて春死なん その如月の望月のころ 西行 吉野山 こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき 西行 浮世には 留め置おかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり 西行 仏には 桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば 西行
吉野山 梢の花の色々に おどろかれぬる 雪のあけぼの 太閤秀吉
咲く花を ちらさじと思うみ吉野は 心あるべき春の山嵐 徳川家康
花咲くと 心にかけず 吉野山 またこむ春を 思いやるにも 前田利家
花にねて よしのや吉野の吉水の 枕の下に石走る音 後醍醐天皇
吉野山 陵ちかくなりぬらん ちりゆく花も うちしめりたる 昭憲皇太后
まだ咲かぬ 花のあかりや 蔵王堂 芭蕉 古寺に 誰が植え捨てし 花一本 芭蕉
妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ 蕪村 そのくせに 花はくれない 人は武士 古川柳
難波津に 咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花 古今集
こち吹かば 想いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ 菅原道真
さくら さくら やよいの空は 見渡す かぎり かすみか くもか におぞ いずる いざや いざや 見に ゆかん
ーー 桜は死の匂いがする。 一瞬にして咲いて散るからである。 それが、また良い! 今朝は強風が吹いている。 こういう日の強風は、 何か腹立たしくなるものだ。 ε(´',_c')зβyё☆βyё
・・・・・・ 2005/04/22 1480, 桜咲くーつれづれに
昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。 もう散りかけてもきている所もある。 近くの山は大よそ一週間おくれになる。
何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。 満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。
近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。 車で10分ほどの悠久山の桜も良い。 特に豪雪の年は良い桜が咲く。
家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。 「どうして?」と聞いても解らないと言う。 「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、 「恐らくそうじゃない」と答えた。 私は、すぐ散るから気にいっているのだが。
10年に一度位は大当たりになる。 悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な 光景を目にすることが何度かあった。 一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。
全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。 サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。 現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が 無数に漂っているのだろう。
先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、 吹かずともと言う文章を書いていた。 桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。 ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー
今週の長岡は、桜の週である。
庭の梅の花も散り始めてきた。
近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。 本格的な散歩が、この時期から始まる。
・・・・・・ 2567, 閑話小題 2008年04月14日(月) *桜咲く 今日現在、桜が満開である。三分咲き、六分咲き、七分咲き、そして満開と 自分の人生を開花の中にみる。毎年、同じ桜でも気持ちが新たになる。短時間 に咲いて散るから心を打つのである。一日ごとに、それぞれの姿を見せてくれる。 そして今日あたりから一日一日と散っていく。通勤途中だから、それがよく 見える。散るのもまた良しの気持ちにはどうしてもなれない。
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2016年04月14日(木)
〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時 熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト アメリカ、欧州、日本、中国、そしてロシアも、政治経済の行き詰まりを 見せている。その中で、経済で中国が最も危ないことは誰の眼にも明らか。 短期的に力で押さえつけても、市場は中長期的には、何処かで火がつく。 〜以下のレポートが解りやすい。 ≪ 2015年の夏場以降、中国における“バブル”崩壊の懸念が急速に強まった。 中国が突如、人民元の切り下げに踏み切ったことをきっかけに、グローバルな 金融市場は激震に見舞われた。我々は、中国経済が抱えるリスクをどのように 捉えればよいのだろうか? 筆者の中国に対する見方を一言で述べれば、 “短期=楽観”“中長期=悲観”である。中国は所詮“社会主義”の国なので、 公共投資を中心とするカンフル剤を打てば、問題を1〜2年程度先送りすることは 可能。しかし、向こう3〜5年程度の時間軸で見れば、中国では“バブル”崩壊の リスクが高まると見ている。 最初に、現在の中国には膨大な2つの過剰が存在することを指摘しておきたい。 ・第1の過剰は、金融面での過剰融資である。中国における過剰融資の総額は 1000兆円以上と推定される。将来的に、 この内の何割かが焦げ付く場合、 数百兆円規模の不良債権が発生することが懸念される。我が国の“バブル” 崩壊に伴う不良債権額が100兆円規模であったことを勘案すると、文字通り “人類史上最大のバブル”と言っても過言ではない。 ・第2の過剰は、工場や機械といった所謂“資本ストック”の過剰である。 その総額は400兆円以上と推定される。外資を自転車操業的に呼び込んで、 資本ストックを増やすことに依って成長する中国の経済成長モデルは、大きな 曲がり角に差し掛かっている。これに対し、中国の財政出動余地はどの程度か? 「中国が諸外国並みにストックベースの債務残高を拡大する」という前提の下 では、600兆〜800兆円規模の財政出動が可能だと推定される。つまり、現在の 中国経済を取り巻く状況を極めて単純化すれば、 「“1000兆円以上の過剰融資”“400兆円以上の過剰資本ストック”に対して、 中国政府が600兆〜800兆円規模の財政資金で立ち向かう」という構図である。 中長期的に見て、中国経済は決して楽観視できない。仮に、政府が大型の財政 出動を行ったとしても、中国が抱える本質的な構造問題は解決しないからだ。≫ ▼ 中国の混乱の影響は、欧州に飛火、シリア・アフガン難民を抱えている 欧州経済の混乱は計りしれない。そこで、日本は、表向きは目先のリオと、 4年後の東京オリンピックに向くが、その間に、世界情勢は一変している。 特に、中国の経済難民の問題が、今後、大問題として表立ってくる。
・・・・・・ 5143,知の逆転 〜� 2015年04月14日(火) ー知の逆転ー * 5万年の間、人間の認識能力は進化してない 対談相手 〜ノーム。チョムスキー フランス、スペインに多くの洞窟壁画が、近年発見されたが、発見当時は、 プロの画家や学者は、3〜4万年前に、これほど高度技術の壁画の存在を認めず、 最近、いたずらで描かれたと譲らなかった。ラスコーの壁画は、霊媒師のような 存在の人が、百数十年にわたり書き加えていたという。 ≪ ・わかっていることとしては、約五万年前、ごく小さなグループの人間が 東アフリカを出て、急速に全世界に広がっていったということ。それ以来、 知る限りにおいて、認識能力の進化は起こっていない。 つまり、たとえば アフリカを出てから全く他の人種との接触のなかったパプア・ニューギニアや アマゾンの原住民の子供たちと、われわれの子供たちとは、認識能力に全く差が ないということです。当時の原住民の子供をボストンに連れてきて育てれば、 私の孫たちとなんら変わらないはず。種族間の遺伝的な差異は見つかりません。 同じ種族の中での差異はありますよ。たとえば、病理学上の違いとか。 でも基本的には認識能力に差はない。ですから、過去五万年の間に、進化上の 変化は全くなかったと言っていい。たとえば髪の毛の色といった表層的な 変化はありましたが、認識能力上の変化は起こっていない。 ・考古学上の資料によれば、約5万年から10万年くらいの周期で、重要な 創造力の爆発があるといいます。ですからそれくらい前に人類学者が「大躍進」 と呼ぶような何かが起こったらしい。その頃、記号を使った行動や表記が始まり、 天体の記録や複雑な社会構造が生まれ、考古学上の記録だけでも、人間能力の 突然の進化や向上が見られるわけです。それ以前にも進化はあったけれども、 この頃に急激な変化が起った。 ・カンブリア紀の生命爆発の頃に、生物の基本的なパターンというものが 整ってからは、生物の発達というのはみなほとんど同じなのです。 遺伝子の保存についても十分にわかってきている。多様な生物は、実は一種類が 非常に長い時間をかけてわずかずつ変化してきた結果であるとする論文も発表 されているくらいです。しかしそれらとは違って、言語を含む人間のさまざまな 能力は、非常にごく最近、突然現れたものなのです。・・ ≫ ▼ 「5〜10万年の周期で、創造力の爆発がある」というが、まさに現在の ネットの世界的普及が、これに当る。認識能力が、このネットで飛躍的に 伸びることになる。ハッキリいえば、最近、同年代の人を二つに分けている。 「パソコンをどのように使ってますか?」「ネットサーフィンしてますか?」 人類にとって、これは有益かどうか?など、考える必要はない。奈良時代に ヘリが空から舞降りてきて、誰でも使えるようになったようなもの。こんな 面白いものを使えないのは、知らないから。認識の飛躍的拡大が可能のマシーン が、各自が手にしたのである。 人類にとって、断絶の時代である。 ・・・・・・ 4778,閑話小題 ー 二度のポタリングの試み 2014年04月14日(月) * 先週から、一日二回のポタリングを開始 先週から、早朝に加え午後の一時間のポタリングを加えた。 午後はスポーツジムを早めに切上げ同じコースを走る。健康もあるが、 グライダーで空中遊泳をしているようで気持ちが晴れるからだ。 音楽を聴きながらの土手の時間は特上。 NHK・BS/TVで、朝食時に日本各地を火野正平が撮影チーム4人と自転車で 駆け抜ける番組を放映している。数ヶ月先のコースを予告して、視聴者が、 どの道を走って欲しいかの便りを元に走る内容である。朝ドラの直後もあって か、視聴率が高いという。平凡な毎朝の、私の定番だが、ツーリストの 自転車目線が好き。 その一つの便りに、「先年、亡くなった父親が生前、 行き先は何も言わないで早朝から夜遅くまで、出かけていた。ところが最近、 父親の日記帳を見たところ、自転車でお寺や名所廻りの行先の記録があった。 その一つの寺院のコースをまわって欲しい」とあり、そのコースを辿っていた。 「早朝から夜まで、自転車に乗って、独り、何処かに行っていた」という 言葉が妙に引っかかった。 私の自転車歴は4年半だが、その人は、一日中、 どんな気持ちで走っていた? チャリダー? ポタリスト? 私の命名は、 「一日ツーリスト」。 少なくとも、家でゴロゴロしているより遥かに良い。 そこで「現在、一時間のポタリングも、2〜3時間にしたら?」と思いたち、 先週から二回目を挑んでいる。で、私は、「一時間ポタリスト」というところ。 ただ、自転車は危険なこと、この上ない。それもあって、土手と、バイパス 脇の道路以外は、避けている。最近、始めたのが、ある本をヒントに、 ベンチで「ぼんやり時間」を持つこと。これが、なかなか、難しい。 自転車があるので、道の傍のベンチに座るが、ウォーカーが通ると、 何か落ち着かない。ボ〜っとした自分の姿を他人に見られたくない気持ちが 動くのだ。 まだまだ「ぼんやり道」の初心者でしかない。 * 面白い公園 ツアーで、世界中を旅行していると、行先の都市の美術館、博物館、寺院 などの観光の中に、公園がある。公園は、その国の文化が、そのまま現れ出る。 その中に、ノルウェーのオスロの彫刻家のヴィーゲランの作品をテーマにした 公園がある。 幼児期から老人期、そして死、愛、感情など、一生の出来事を テーマに、人生を考えさせられる像が、様々なテーマごとに並んでいる哲学的 空間である。初めて、その空間に入った時の驚きは、今でも憶えている。 人生をテーマに国をあげて公園をつくる、そのセンスの奇抜さに・・ 一日がかりで、それぞれのコーナーで、自分の人生と重ね合わせると、 記憶が生々しく立ち上がるのだろう。 ・・・・・・ 4411, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −8 2013年04月14日(日) * 心清く、よく遊びよく遊べ ーつれづれに 老後を考える上で、なかなか面白い本である。何事にも自然体で、拘りを 持たず、自由に気楽に生きることがベース。人間は、それぞれ固いバイアスに 囲われている。それを一枚一枚、そぎ落としていくのが人生。老いるにつれ 何事も面倒になり、過去に目を向けて、周囲の現象には上から目線になりがちに。 両親の晩期を供に生活をし、冷静に身辺整理をした父の姿を見ることが出来た。 母からは何事にもチャレンジする姿を見た。「始める前に、あるレベルまで 到達できるかどうか見極めること。決心をしたら、先生を見つけ集中すること。 ライバルを見つけること」と、教えてくれた。道を極めようと一心不乱で 日々過ごすと、心が純化されていく姿が見て取れた。「心の純化」こそ極意。 以前「何かに集中していると、あるゾーンに入る瞬間がある」と書いたが、 それは心の純化の状態。 何事も純化の心から生まれ出てくる。「童心に帰り、 純化の心で、遊べ遊べ!」である。人生を振返ると、その時々、面白く遊んだ ことが思い出される。 事業も、遊びも、何でも、遊びになるまで対象に入り 込まないと。それは楽しむことから始まる。楽しみになるまで対象に同化する こと。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり」 これは高杉晋作の言葉だが、その心は純化した心。 論語の雍也第六に 『子曰。知之者不如好之者。好之者不如樂之者』がある。「師曰く、真理を 知る者は真理を好む者に及ばない。真理を好む者は真理を楽しむ者に及ばない」 という意味である。真面目に学べば「知ること」ができる。 しかし、知った ことは、よく忘れる。だが、好きでやったことは身に付くから忘れることも 少ない。更に良いのは「楽しむ」こと。・・・更に、楽しみを遊びにしていく ことである。遊びは、現代風にいうと、ゲーム化することになる。 ゲームは仮想世界の競争である。人生を夢幻として、難関を乗り越えて いくことになる。人生のゲーム化。 夢幻の劇場で自作自演の役割を演じ、 それを味わい楽しむことである。心清く、遊んでいれば、その役をこなすこと が出来る。 「うれし、たのし、おもしろし」の世界を、持つこと。ただし、 節度を持ってである。だから、そこに「良く」がなければならない。 その辺りに少し気を使いながら。 ・・・・・・ 4037, 閑話小題 2012年04月14日(土) * スマトラ沖でM8・7クラスの大地震 先日のスマトラ沖地震は、2004年のスマトラ沖大地震の余震とみられる。 前回のような断層の縦移動でなく、横に移動したもので、M8・7の大地震に しては大津波は発生しなかった。地震学者は、「これは東日本大震災も震源地の 隣接地域で10年、20年単位で誘発地震が起きる可能性を示唆しているもので、 注意が必要。」と、忠告している。東海、東南海、南海地震と、首都圏直下型 地震の可能性を示している。 地球規模の地殻変動期の渦中にいるのである。 日本は、その地震帯が重ねっている地震大国。 そこに原発が54もあれば、 危険極まりない事態。 * ポタリングを再開 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた4 月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから 7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、 午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の 組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車 の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、 お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう (ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ変え 始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。 * チョッと騒ぎすぎでないのか? 打上げ失敗で、よかったものの、北朝鮮のミサイルの打上げ少し騒ぎすぎ。 また、おどおどした防衛大臣の巡り合わせも悪い。北朝鮮の存在で一番、都合が 良いのは中国。極端に時代がかった漫画的国家を存在させておくのは、米国の 属国、日本と韓国の国境の緩衝地帯として地政学的に見ても必要である。 まだ韓国が存在しているから他人事のように勘違いしているが、危険極まりない。 更に、やっかいなのは日本。充てがわれた憲法をたてに、軍隊の存在を認めず、 国境を侵犯されても他国への攻撃は相成らぬという、呪縛にとらわれている。 その結果が、国家の体をなしてない有様。この十年で、残った体力を使い切る ことになる。 ・・・・・・・ 3671, 節目どきに ー6 2011年04月14日(木) * 都知事選の結果をみて 一度、不出馬を表明していた石原慎太郎が一転、出馬をして当選をした。 東国原とかいうお笑いタレントが石原が不出馬の場合に、当選する可能性が あったからという。お笑いタレントを首都東京に選出するなど論外だが、 この国ではありうること。都民の大部分は以前、タレントの青島で大失敗を したことを知らない。 この時期に人材が存在しないのは、悲しむこと。政治は 言葉で方向性を常に発し導くことである。石原を除いた他の候補は、論外も論外。 * 本州壊滅は本当だったのだろうか? この原発事故が発生した数日後、あるところから、これは「本州壊滅の惨事」 と聞き及んでいた。ここでも何度か書いてきたが、その直後から外国人が列を なして帰国をしていった。去年の三月にオープンした、東京駅に隣接している シャンブリアホテルの支配人やシェフが、逃げ出して運営が出来なくなり、 事故後10日もしないうちに、休業に入ってしまった。(昨日に、営業再開の ニュースがあったが・・)ところが数日前になって、チェルノブイリ級の最悪 レベル7に引き上げられた。事故直後は、危険レベルが4だったが、実際は7と いうことを外国人は知っていたのである。知らないのは日本人だけだったのが、 ここで裏づけられたことになる。風評に気をつけろでなく、政府の発表と風評、 両方とも疑ってかからないと、大きなリスクを負う。 * ホテル・飲食・サービス業界の悲鳴 一足先に、事業を清算したが、同業の悲鳴がグッサと刺さってくる。 前年比で全国平均で三割減、首都圏で6割減、東北・北陸で八割減。それも、 リーマンショックで売上げが半減し体力を消耗した上で、これである。地元の リゾート地や、佐渡など壊滅的と漏れ聞こえる。「過度の自粛を控えなさい」 というが、この世情の中で、生活防衛に入りざるを得ないのは当然のこと。 だから、あまり費用のかからないスポーツジムが大流行になる。 気の毒なのは料理屋、居酒屋である。 酒のツマミには魚料理である。 その魚に不信感を持ってしまえば、足が遠ざかる。最近、居酒屋の刺身が、 いやに美味しい。高級魚が売れないため、居酒屋に安く流れてくるためである。 ・・・・・・・ 3306, 日本破綻 −1 2010年04月14日(水) ー 「日本破綻ー株・債券・円のトリプル安が襲うー」藤巻 健史 (著) また恐慌本だが、近未来の津波のひとつの形が株・債券・円のトリプル安 と分かりやすい。現在の世界経済と国内経済も異常事態だが、何か茹で蛙と いうのか、諦めムードというか、危機感がいまひとつ。津波がきたところで、 今さら如何にもならないこともある。それに加えて政治の混乱である。 最悪の政党がやっと瓦解し、溶解しかけているが、それに劣らない時代遅れ の社会主義政権になってしまい滅茶苦茶な空理空論の政策を始めた。 それが、とんでもない破滅型政策とくれば「株・債権・円」のトリプル安は 早まること必定。 まずはー 内容(amazn)から 《 バブル崩壊を上回る市場の反乱が日本を襲う財政の極度の悪化が招く 「日本売り」が迫る。市場経済を無視し続けた代償として「トリプル安」 による未曾有の大混乱が迫る。惨事を回避する策は果たしてあるのか? 〜 本文の印象的な部分を抜粋しながら考えると、現状の深刻さに凍りつく。 *「市場の反乱」が起こると、人はそれを市場の暴力といいます。しかし、 それは違います。日本でも株価が4000円を割り、円は200円まで 暴落をし、失業率30パーセントが日本を襲う可能性がある。しかし、 それは『市場』の自動調整機能を封印し、「計画経済」「管理経済」政策を 長い間とってきたことの‘ツケ’なのです。 *2008年の54兆円の税収が、リーマンショックで44兆円まで 落ち込んでしまった。この44兆円の内訳は、法人税が10兆円、所得税が 15兆円、消費税が10兆円、その他が9兆円。その結果、33兆円の赤字 を出してしまった。法人税は、これで世界で一番高い税率である。ところが、 2009年度では10兆円だった法人税が「5〜6兆円」に減ってしまった。 それは民主党がいっていたマニフェスト「子供手当て」とホボ同額。 法人税は日本の三大税収のひとつだが、そのひとつ分を「子ども手当て」 として、すべてばら撒こうという。その結果、53兆円の赤字国債を発行 して、更に金を借りようとしているから驚きである。 *ハイパーインフレは「合法的徳政令」= 以上のことから、過剰なトリプル 安が起こった結果としてハイパーインフレになった結果としては、貨幣の 価値が大幅に低下する。その結果、政府の872兆円の借入れは、どんどん 小さくなる。国債も紙くずになるということ。こうなると政府も簡単に借金 をへらすことができる。私が、これを「合法的徳政令」政策と呼ぶ理由はここ にあります。 ・・しかし、ハイパーインフレは大きな格差を生むことになる。 株式や不動産を持っている人は良いが、持たざる人や、 給料の低い経済弱者が酷いめにあう。 〜〜 結局、何時の世も弱者が最大の被害者に成りざるを得ないのである。 問題は、これが何時、始るかである。
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2016年04月13日(水)
〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜 〔国立科学博物館 海部洋介〕より 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。 以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の 70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の 己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の 人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。 * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い ≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を 越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。 ・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。 恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし 数字の大きさが全てだとは、私は思わない。 ・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中 緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。 ・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、 つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え 無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が 植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など 様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。 ・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物 がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。 衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を 開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。 ・かつての世界には、ジャワ原人、フローレス原人、ネアンデルタール人など の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。 世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。 私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫ ▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する 権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。 権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代 のアメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに 包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える 仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、 以下につづく。
・・・・・・ 5142,知の逆転 〜⑤ 2015年04月13日(月) ー知の逆転ー * 帝国主義の終わり ーC (民主主義の限界と、ネット) 対談相手 〜ノーム。チョムスキー 帝国主義の限界が見え始めてきたが、まだ当分の間は続いていく。 新しい時代に入り世界の枠組みが激変を始めた現在、民主主義も 限界にあるようだ。 〜インタビュアーの質問に ≪ ー侵略者はいつだって、気高い志に燃えているー もしブッシュをインタビューして、真実についてどう考えるかと聞いたら、 おそらく真実は素晴らしいもので、自分は真実というものに挺身するつもりと いうでしょう。ヒョッとしたらヒトラーも同じように・・ アメリカ南部の奴隷所有者たちも実際かなり的を得た論理を重ねていた。 ー民主主義の限界ー アメリカは世界中で最も自由な国のはずだが、国内に力の不均衡がある。 情報システム、メディア、広告などが、ほんの一部の手に集中している。 巨大な力を持つアメリカの企業は、地球温暖化というのは根拠のない仮設 に過ぎないと、大衆の説得を試みていて、しかも成功しつつある。 人為的な理由による地球温暖化を信じているのは人口の3分の1にすぎない。 先の(2010年)中間選挙で当選した共和党の大部分は、温暖化を否定。 共和党の主要委員会の若いリーダーは、「そんなことを神が許すわけがない。 神が許すわけがないことは存在しない」と言ったのです。 ーインターネットなどの垂れ流しの情報は、情報がないのと同じー 生物学者が、ハーバード大学の図書館にある全ての論文を読んだところで、 ほとんど何の役にはたたない。 生物学でノーベル賞をとるような人は、 論文を片っ端から読むような人でなく、何を探すべきか、何が大事か、 ということがわかっている人です。だから、こちらで大事なことを拾い、 あちらで大事なことを拾うという風に働く。・・・ 世界事情も同じで、何が必要か知っておく必要がある。そのために、 理解あるいは解釈の枠組みというものをシッカリと持っていなければ ならない。これを個人で獲得するのは大変で、機能している教育制度や 組織が必要だし、他の人たちとの交流が必要になる。ちょうど科学分野の 大学院のようなものです。≫ ▼ 世界の富の半分は、およそ80人が所有するという。グローバル化が、 そのために大きな力に働いている。イスラム国は、それに対する抵抗 勢力とみると、その意味の一端が見える。アラブやアフリカの国は、 欧米の都合によってつくられた人工的国家であり、元首はポチと見做す のも、一理ある。そして、日本の保守本流も、そう見ると肯ける。
・・・・・・ 4777, 閑話小題 ー消費税3%値上げの実感 2014年04月13日(日) * スタップ細胞の真偽について 世紀の発見といわれたスタップ細胞の存在の真偽問題で、小保方リーダー の記者会見がライブでTV放映をされた。理化学研究所のトカゲの尻尾切りで 終わらせようとした目論見は失敗。冷静にみれば、やはり小保方氏に問題が あったとみるしかない。200回もつくったなら、期限を決めて201回目を専門家 を総動員してやればよい。共同研究者の上司が降りたことからみても、疑われて 仕方がない。世界的な大問題になった中での、彼女の会見の受答えには驚いた。 本人が撒いた種としても、問題が表沙汰になってからは地獄だったろうに。 彼女が醸し出ている怪しげな雰囲気が、ドラマ仕立てに妙にピッタリである。 「傷口が膿んだ後に皮膚が再生するのだから、それらしき何かがあって 然るべき」という専門家がいたが、いやに納得させられた。 * 消費税3%値上げの実感 毎週、木曜日のスーパーのシルバーディに酒とツマミなど一週間分を 買い込む。で、先日の値上げの実感といえば、思いの他、大きいというのが 実感。他の値上げを加えた家計は、これでは大きく響くはずだ。私にとっては 酒を控えるチャンスにもなる。ウィスキーの水割りと黒ビールの二本を、 350mlのノンアルコールビールと、黒ビールの二本にすればよいが。つい売場 で、他に日本酒かウィスキーのボトルに手がいってしまう。この値上で、電化 商品とか車などの売上が、駆け込み需要の反動で激減しているが、ファミレス とかコンビニは、影響が少なそうだ。 年金だけが収入の我家。家内の買物 行動をみていても、異常なくらいシビアになってきたが、何かゲームを楽しん でいるふう?これでは当分は、さらなる消費の落ち込みになる!それと価格に 転嫁の難しい中小企業も、厳しい事態である。世界的株価の暴落の可能性も 膨らんでいる現在、危険な日々が続くことになる。「10年前から今日まで、 何が起こった?」そして、「今後10年間で、同じレベルか、それ以上のことが 今後起こるとしたら、それ何?」とすると? それより我身の存在? ・・・・・・ 4410, 夫源病と妻源病 2013年04月13日(土) 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、 「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人 いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー ≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、 妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の 役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす 病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、 激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、 不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満 が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、 と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、 プチ家出をする、などがある。≫ ▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦 の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。 また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の 「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、 団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして 今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。 多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。 で、やはり強いのは大方は御夫人の方? ・・・・・・ 4036, 一時停止 ー2 2012年04月13日(金) 「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010 * 昼と夜 ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より ≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。 私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは 詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、 人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い 行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」 詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら 詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが 言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです 「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」 その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは 黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、 ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間 の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を 諦めているわけではないのです。」≫ ▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも 夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。 ・・・・・・ 3670, 節目どきに ー5 2011年04月13日(水) * 娑婆には知らないことばかり 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、 10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始 されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。 「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と 思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、 成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。 家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると 聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない 上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、 ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。 平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、 ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、 そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の 平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、 一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の 運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く なった分、身体を動かさないと! ・・・・・・・ 3305, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー2 2010年04月13日(火) ハイパーインフレへの対策は、少しは金でヘッジをすべきと思っていた。 前回のレポートからみて、投機、投資の世界は、私たちの窺い知れない世界。 金融シンジケートの手中にあるようだ。そのうえ、国家が金を吸い上げようと 思えば、朝飯前。利益に8割でも9割でも税金を賦課すればよい。その結果、 金売りが殺到し暴落する。その後、政府が買い上げた上、その法律を元に戻す。 一般の国民は、一時的の収益があっても中長期の利益を上げ続けることなど 不可能である。アメリカの金融占領国の日本は、そのコントロールから抜け 出すことは出来ないのが現実。近々に為替か株式かで、乱高下が起こるはず。 金は世界共通通貨である。ネズミ溝システムの米英通貨体制とすると、 ドル体制を守るために金の価格をコントロール下におくのは当然。金が真実で、 ドルを虚偽と仮説すると、ドルを発行するアメリカは、金の価格を可能な限り 下げておく必要があった。 しかし借金棒引きために、数十年かけて静かに 買い集めたゴールドを、今度は暴騰させドルの価値を下げる必要性が出てきた のである。ドルの下げはアメリカの対外債務が大きく減額される。1〜2年か 遅くても3〜5年後には金の暴騰を中国などと組んで仕掛けてくる。と同時に デノミなどを世界中が一斉に実施するだろう。その前に金融シンジケートは 何度かは大きな株や債権の上げ下げをしながら、売りだされた金などの現物 商品を買いに入る。だから、5〜10年スパンの長期保有の覚悟があるなら、 金は買い。「世界は、ごく一部の人たちによってコントロールされていて、 99パーセントの人たちは、彼らに搾取されている」という、眉唾的な本を 度々見かけるが、一連の恐慌謀略説など、あれは本当だったのかと考えざるを 得なくなる。G7の首脳を動かしている力の存在は、当然、存在している はずである。今更何をいっているかだが!
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| 5506,閑話小題 〜最近のTVは、面白いのが多い |
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2016年04月12日(火)
* 最近のTVは、実に面白いのが多い。 その時どきのウェーブがあるが、最近のTVは、面白いのが多い。 『Youは何しに日本へ?』『家、ついて行ってイイですか?』『世界街歩き』 『火野正平 こころ旅』など、軽い目線で、街や村の道路で声をかけたり、 街歩きをする番組などである。チョッとした旅行をしたいが、面倒だったり、 通りすがりの人の私生活や人生を生(なま)で覗いてみたい気持ちを代行 して、ズカズカと入っていく面白さは格別。 『家、ついて行ってイイですか? 』を検索すると、以下の内容説明があった。 < 終電を逃した人に「タクシー代を出すので家について行ってイイですか?」 と声をかけ、家を見せてもらいインタビューをおこなう。 深夜、急に訪れる 片づけられていない素のお宅は、その人の人生ドラマが 散りばめられた宝箱。 そして誰しもが、一見フツーでも 、ぜんぜんフツーじゃない 人生ドラマを 持っている! そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。> 一昨日見たキャバクラ嬢や、美容師の変態ギャルのキャラクターと実態に、 お笑い5人のスタッフが、呆然と声を失う。 最近、見始めたばかりなので、 過去分を動画のYoutubeで見ると、あるある面白い人生が。 『YOUは何しに日本へ?』の検索には、 < 空港に居合わせた外国人(永住・帰化した人物なども含む)に 「YOUは何しに日本へ?(Why did you come to Japan?)」と問いかけその返答 の様子や、気になる返答をした人に密着取材を依頼し来日した目的を果たす様子 を放送する。番組内では性別・年齢問わず名前ではなく外国人はすべて"YOU" (複数ではYOUたち)と呼称するが、密着時には混同を避ける意味もあり個人名 も使われる。基本的には半日から数日間の密着であり放送も一度限りだが、 長期の旅行や研修に密着する場合、放送回をまたいだり、しばらくしてから 後日談が放送されたりするケースがある。基本的に密着時はYOUの日程に合わ せて行動するため、出先の店舗や施設ではその場で撮影交渉を行うことが ほとんど。> それぞれの分霊に、これまで生きてきた触媒が取囲んで自分を形成している 姿が浮き上がる。死ねば、その分霊ともども消滅する。その分霊は、これまで も、今後に、人類が存続する限り浮かび上がってくる。人生は、その触媒の 質量で形成されるが、そこには両親の格差で、大きく左右されるが、可能な 限り、そこからアップスケールし続けるかどうかもある。その触媒で、一番、 手軽なのが、書籍と、TV、友人、ネットなどがあるが、自然との触合いも 欠かすことが出来ない。情報化の時代、暇と少々のお金こそ財産になる。
・・・・・・ 5141,閑話小題 〜二年で円の通貨量が二倍になったが 2015年04月12日(日) * 二年間で円の通貨量が二倍に! 二年前、日銀の黒田総裁が、「2012年末に138兆円だった資金供給量を14年末 には約2倍の270兆円に拡大。長期国債の購入量も2年で190兆円と2倍強に、 上場投資信託などリスク性資産の購入も増やす。インフレターゲットは2%。」 と発表した。ところが、先日のニュースで、「2年間で円の通貨量が 2倍になったが、インフレ目標の2%はゼロのままと、日銀が公表」と報じた。 リーマンショック後、米国は数ヶ月で二倍、現在は三倍以上にドルを増刷、 為替相場が3分の1になったかといえば、7年前と同じ。日本の供給量は 2年で二倍。しかし為替相場は3分の2。株価は安倍首相が就任した2012年 12月26日の終値は1万0230円36銭だから、2倍になった。日本も米国も通貨量を 2〜3倍にしたにも関わらず、インフレにならないところが摩訶不思議。 アベノミクスは中長期的にみて明らかな失政が見てとれるが、保守本流の 頭脳は膨張以外、考えが至らない。「後は野となれ山となれ」である。太平洋 戦争突入の数年前の様相と似てきている。家内を見ていると、物価の値上げに 対する反応に敏感だが、これは一般主婦の趨勢。スタグフレーションの様相を 示している。保守本流は、早くいえばアメリカの忠実なポチ。強者に優しく、 弱者には厳しい。先日、図書館で借りてきた、『金持ちが確実に世界を支配 する方法』の「1%による1%のための勝利戦略」が、まさに現在の政権と 酷似している。とって付けの、政策など、直ぐに、その正体を現れ出るが、 その前に衆議院選挙を昨年末に断行した安部も、強かである。この国民を して、この政府。とはいえ、激動期には保守本流で中心を固めないと、 学芸会のような政治ごっこの政党に、国は荒らされる! まだ、マシ?
・・・・・・ 4776,閑話小題 ー痴呆症を持った家族の物語 2014年04月12日(土) * サクラサク ー昨日みたシネマ 評ー85点 ストーリーは、《 大手家電メーカーに勤める大崎俊介は、部下からの 信頼も厚く、将来を嘱望される会社員だ。重役への出世も目前で、生活は順風 満帆なように思えた。しかし気付けばその家庭は多くの問題を抱えていた。 妻・昭子との関係は冷え切り、息子の大介は大学受験に失敗してからは アルバイトを転々とし帰宅後も部屋に閉じこもる。娘・咲子は高校生だが毎晩 帰りが遅く、俊介の忠告も聞かず何を考えているかわからない。周りを見つめる きっかけは、父・俊太郎が老人性認知症を患ったことだった。大雨の夜、俊太郎 は徘徊しているところを警察に保護され、この日を境に変な行動が増えていく。 苦しむ俊太郎を見ても家族は見て見ぬふりで、一切助けようとはしなかった。 薄情な家族に俊介は大きく失望し、孤独な父を守ろうと奮闘する。 しかし実は、息子が人知れず俊太郎を介護していたことを知り… 》 ▼ 40歳半ばから50歳までの5年半の間、母親の認知症と付き合った。 映画は息子と娘、私の場合は、息子2人と、少し状況は違うが、家内も同じ頃。 家庭内や、4人の実姉達との関係は崩壊寸前。他にも大きな問題を抱えていて、 人生の大きは危機の時期であった。実の母親のシモの失敗の始末は、なかなか 出来るものでないが、思わぬことが起きた。長男がみかねて、率先して面倒を みてくれるようになっていた。しかし次男は、素知らぬふり。ところが、その 長男が進学で上京をしたと同時に、自分の順番とばかりに、負けないぐらいに 世話をするようになった。それぞれの立場があったのである。それにしても 一番だらしないのが自分。それでも毎日の早朝、車で20数分先にある、長岡 ニュータウンの散歩道で三十分の間、神秘的時間を過ごしていた。この映画の ストーリーはハッピーエンドだったが、実態は、そう甘くはない。経験者に とっては、物足りない感が残るのでは?現在、非力な自分への後悔の念が残る。 その時は無我夢中だったが、よくぞ家族で乗越えたものと改めて、家内と 子供に感謝の念が湧いている。そして今度は自分の順番が、さほど長くない 先に控えている! やはり死ぬべき時に死ぬが良い!それまで一日一日を 味わい尽くすしかない。母親は下の失敗は最小で済んでいたが、呆けても プライドが、そうさせていた。 御陰で、この5年半の経験がバネになって、 50歳代の10年間で20年〜30年分の人生を燃焼することが出来た!
・・・・・・ 4409,隠居大学ーよく遊びよく遊べ −7 2013年04月12日(金) 第六時限「遊行の旅に出よう」ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 安野光雅 * いのち短し恋せよ 人生は! 御隠居には自由気ままで何事も楽しめる特権がある。桜は咲き誇った時だけ でなく、桜絨毯にも何ともいえない美しさがある。散った花も花である。人生は 二度なし、その時どき、すべきことをしておくべき。しない後悔より、してみた 後悔がよい。「いのち短し恋せよ 人生」である。今でも遅くない、 自分のバイアスに気づき取り払うこと。それが、御隠居の残された最後のお勤め。 今までの枠を超え楽しまなくては、長生きの甲斐がない。 どちらにしても先は長くはないのだから。 ≪ 天野: 落葉の風情なんてまるで意味のないものと思われていますよね。 安野: あのね、わたしの家の近くには桜並木があって、春には窓から 花見ができる借景なんです。この前、ある人が近所に引っ越してきて、 その人も最初はキレイな桜を見て「素晴らしい、素晴らしい」って喜んで いたの。ところが、秋になって落ち葉が家に入ってくるようになうたら、 こりゃ住めたもんじゃないっていって、引っ越しちゃった。花も落葉もある いいところなのに。落葉は風が吹くと竜巻ぎみたいになって、クルクル 回ったりしてね、いいなって思うんだけど。 天野: 落葉のそういう風情を楽しむのは、遊び心の一つなんですよね。 機能的なことだげ考えたら、そんなのないほうがいいってことになっちゃう。 だけど、そういう、なんとなく無駄なようだけど風情があることの中に、 何かこう人生を感じたり面白味があったりするなあと思うんですよ・・(略) 安野: ・・・いまの現代の文明が昔を超えたかというと、超えていないわけ ですよ。ミケランジェロみたいな絵を描けっていわれても描けない。 ミケランジェロはおろか、まだ人間以前のクロマニヨン人が描いたラスコー の壁画だって描けませんよ。電気もない、真っ暗な洞窟の壁に、あんなもの どうやって描いたんだろうと思うけど。文明は進化したかもしれんけど、 文化はさほど進化していない。だから、古いものだからって、 バカにするのは違うんですよ。 天野: 人間は技術文明の上では巨人になっても、文化や芸術の面では木偶の坊 になったっていう人がいるんだけど、同感だね。せめて現代の隠居は、落葉の 風情の楽しみ方みたいなものを次の世代に伝えていけたらいいと思います。 安野:『即興詩人』に憧れてイタリア全土を周遊するなんて若いころの話で、 今では、仕事だから、仕方がないから行っているものも多いんです。 私は言葉が分からなくても行くからね。そういうと、言葉とか、食事は どうするか聞かれる。高学歴の人に多いね。でも、困ることなどない。 宿屋に行けば、「部屋探しに来たんだな」って思われるし、八百屋に行けば、 「野菜を買いに来た」と思われる。レストランなどでは上から三つ目にしている。 たいてい食べられるものが出てくる。 一度、とんでもないものが出てきた ことがあったけどね。(笑い) 天野: 隠居生活は、遊行の旅のようなもの。日々気ままに、 好きなほうに歩いていけばよい。面倒なことをしないで。 安野: そう、なんでも、自分の思いのまま、楽しんでやってみたらいい。 言葉など必要ない。いのち短し恋せよ少女、ですよ。≫ ▼ 何ごとも楽しむ人生を過ごせたので、あまり人生に後悔はない。 いい時代、いい家庭に恵まれたことを感謝している。あとは、過去の思い出と、 現在の楽しみを味わい尽くすことである。死んでしまえば、それまで。生きて いるうち。 それにしてもバイアスが邪魔をする。「ハミングしながら スキップ気分で何事にも触れること」は分かっているが、いま一つ。
・・・・・・ 4035, パチンコに日本人は20年で540兆円使った 2012年04月12日(木) 「パチンコに日本人は20年で540兆円使った」 (幻冬舎新書) 若宮 健(著) 以前にも、同じ著者の本を取り上げ、パチンコが日本に大きなマイナスを 与えている実態の驚いた。先日、図書館で、その続刊の最新書を見つけ読んで、 改めて、その被害?の大きさに驚いてしまった。 ー内容紹介ー ≪ あっという間に1万円が消えるパチンコに日本人は多くのカネと時間を 奪われてきた。この既得権益を貪る人間、依存症に苦しむ人々。20年で540兆円 ―日本人が「失われた20年」でパチンコに費やしたカネは、2011年の国家予算 (92兆円)の約6倍、GDP(479兆円)を凌駕。多くの人々の労働・消費意欲を 奪い、また精神疾患であるパチンコ依存症者の数は450万を超える。ものの30分 で1万円以上を失うパチンコが、カネと人間性を奪ってきた。なぜ韓国には できた「パチンコ全廃」が日本ではできないのか。依存症の実態とそれを誘発 するメーカー、蜜に群がる利権政治家、警察、マスコミの現状を徹底糾弾。 ◎ パチンコ業界の売り上げは、『レジャー白書2011』によると、2010年は 19兆3800億円。これは日本独自の市場。ギャンブル依存症は世界保健機関も 認める精神疾患近年は通常の病気と同様、健康保険の適用を受けられるように なった。否認の病気と言われ、嘘・借金・お金を盗む・うつ・失踪などが症状 で、進行性の病気である。厚生労働省が2009年に行った研究調査の結果によると、 日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.4%がギャンブル依存症であるという。 2009年の成人人口から単純計算すると、男性は483万人、女性は76万人で、 合わせて559万人という驚くべき数。そのうち8割程度がパチンコ、 パチスロによるものと言われる。 ◎ テレビ、映画で禁じられるサブリミナル効果がパチンコの特許に特許 3029562の発明。大当たりの図柄を暗示銘柄にし、遊戯者が認識できない短い 時間、挿入している。潜在意識に働きかけ、遊戯を続行させる手段として 用いているようだ。≫ ▼ 私の感覚では20年で540兆円、年平均27兆円も使ったとは信じられない 額である。コンビニの総売り上げが8兆円。スーパーの売上総額が20兆円。 書籍の2011年総売り上げが1兆1千億というから、その20倍の売上高。 それに対してパチンコの売上総額が20〜30兆円。しかも愛好者が1600万人、 中毒者が500万人。数多あるコンビニの二倍以上の売上高?信じられないので 何度見直しても、そうある。 事実としてみると、これは亡国の事態。 韓国は、その社会的大きさに、国家として廃止してしまった。 しかし日本には、それを実行するだけの自己修正力は無くなっている。 ◆ パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? −2 2012/02/28 パチンコの売り上げ、10年前に30兆円、現在では20兆円という。ギャンブル 総額が30兆というから、大部分がパチンコ・スロットの売上げが占めている。 子供を含めて一人あたり15万円にもなる。これは明らかに賭博であるが、 どういう訳か廃止論が出て来ない。この国は、政界、警察、広告、メディアが パチンコ業界と癒着?の実態がある。それがあって当然というのも異常。 チョットした市の郊外には必ずパチンコ屋がある。ギャンブルと見なされて ない遊びの文化のようで何の規制もない。 受験が終わって、友人と初めて 行ったのがスロットマシーンとパチンコ屋。 やっと大人を感じる時である。 人がギャンブルに嵌りこむのは、大損しても、稀に勝った快感の記憶が残り、 その味を求めて繰り返す仕掛けがある。業者の方は、勝った際の高揚感や 恍惚感を高める工夫をする。パチンコ店の音楽やパチンコの光と音など。 そして勝つための技術が必要と錯覚させる仕掛けをつくる。負けたのは、 勝つための技術料金と錯覚させる。もう一つ巧妙なのは、ニアミスの仕掛け。 スロットの場合、AAAが当たりの場合、ABAや、AABが出ると、 「当たり損ねた」と考える。 しかし、外れは外れでしかない。その辺の 気持ちを逆用するようゲームは出来ている。ギャンブル依存症の人は、 脳内に勝った時に出るドパーミンが長年の間に多くなっている。それは麻薬 中毒の似ている。iPadを購入して以来、パソコンゲームに嵌っている。 あるゲームの場合、達成すると、音楽と金色の星が三つでる。失敗すると、 グフフ!とバカにしたような笑い声と軽蔑の絵が出てくる。 それも、 あと一歩のところで達成できないようになっている。金を賭けている訳でも ないのに、やり始めたら、止めるタイミングが無くなりトイレさえ行けない ほど熱中する。難しい本を読んだ直後には非常に効果的である。私の周辺の 人でパチンコが趣味というのは一人もいないため、20〜30兆円がピンと こないが、この金額は国民の何割の人は中毒に近いと伺わせる。韓国は、 悲惨な悲劇の続出で禁止されてしまった。この不景気で、業界は壊滅的打撃 を受けているはずだが、何故か倒産の話は聞こえてこない。
・・・・・・・ 3669, 節目どきに ー4 2011年04月12日(火) こういう時にこそ、これまでの付き合いの真の姿が見えてくる。 私の人間関係は長年?の友人が多い。その節目どきに、真かどうか見えてくる。 具体的の話は、まあ・・止めておこう。立場が変われば、これまでの関係が 変わるのは当然。それを取り上げること自体がおかしい。その中で一番身近な 家内が、このところ上機嫌である。立場が逆転するからである。 今後を考えただけで恐ろしい。早々に粗大ゴミにされてしまう恐れがある。 彼女も含め、手の裏を返す人の共通点は、プライド?の高い、底の浅い? 修羅場経験の少ない人?等、共通がある。しかし何処か憎めない性格。 前向きな人生を生きていなかった? それぞれの人生が、境目から見えてくる。 これは私の歪みの目。それでは御前は何じゃい! と言われると返す言葉がない。 年齢からして「節目どき」というより「夕暮れどき」か? 65歳なら、それも 仕方がないか。 大体が人間の付き合いは立場における力のバランスの上で 成り立っている。その力が変化をすればバランスが崩れて当然と割り切れば よいのは分かっているが。 ところで昨夜、学生時代の友人が当時のクラブを 代表して東京から見舞い?に来てくれ新潟駅南で一献を傾けた。 (当人の会社の仕事が偶然あったこともあるが)有難いことである。 そうこうして落ち着いた二ヶ月後に落ち込みが来ると、何の?先輩の実兄が先日、 電話で教えてくれた。 この体験の中で、ここでは書けない聞くに値する? 話しは幾らである。いや、この数年間は、その宝の山だろう。特に銀行筋の 手順の中には・・・ それと、世間様レベルの人々の視線を、そのまま書く ことになるだろうが、面白そうだ。「家内が、先日、前の町内会長婦人とあった ので、挨拶をしたら無視された」レベルの話しである。こういうのを重ねて、 ジワジワ追い詰められていくのだろうが、アウトサイダーの長年の実績が、 こういうのを茶化して楽しむ術がある。人は言葉よ、言葉!それも心の奥底の 絶対言明!より深く本を読む節目の時節到来か。
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2016年04月11日(月)
『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 』で、「下流老人」の用語を 提示をした藤田孝典 が、その定義を、「生活保護基準相当で暮らす高齢者、 およびその恐れのある高齢者」とした。 既に貧困老人は700万人に及んで おり、相対的貧困率は22%、高齢者の4〜5人に1人の割合だが、 その少し多めの人を入れると、3人に1人となる。お金は天下のまわりもの だが、愚痴を言いたいのも分かる。 〜著者のレポートによると、 <・2014年の高齢社会白書によると、3千万円以上の預金を持っている 高齢者は25%もいるが、蓄えが十分と答えた人は、わずかに3・4%しか いなかった。既に一割が安心して暮らせる水準だが、あとの9割は不安定の 状態におかれている。 ・例えば、自営業で働いてきた夫婦の場合、二人の国民年金は、13万円。 税金などを引かれて10万そこそこなら、生活保護並みか、それ以下になる。 生涯平均年齢400万のサラリーマンをみると、厚生年金が16万、妻が 国民年金として、その加算が22万として、手取18〜9万では、ほぼ生活 保護並み。夫が、ガン等の病になれば、即、困窮生活に入る危険がある。 ・その上に、子供が失業をして実家に頼ってきた場合も、困窮理由になる。> ▼ 4人に1人が3000万の預金とは驚き。老人の貧富の格差があまりに大きい。 NHKや、民放のTVで、下流老人の厳しさの実態事例を放送しているが、 これは何処にも見られる話。 周辺を見渡すと、比較的豊かな人が多いが、 3分の1か、4分の1は、瀬戸際にあり、傍でみても、非常に厳しいのが分かる。 貧困老人問題が関心が持たれるのは、老後の貧困が、特殊な人ではなく、 平均的サラリーマン生活を送って来た人にも、近い将来現実になりつつある ことがわかってきたため。 去年の6月30日に起きた71歳の老人による 新幹線車内でガソリンをかぶっての焼身自殺を図った焼身事件。 当人は、 その月から年金だけの生活になって、改めて受給額の少なさを実感し、不満を 周囲に漏らし、自殺をほのめかしていたことが事件後に、明らかになった。 その年金受給額は月12万円。居住していた杉並区の生活保護基準は14万 4千円。 年金受給額が生活保護基準を下回っていた。それまで清掃業の仕事 をしていたが、仕事がなくなり、年金だけの生活。もっと少ないと生活保護を 申請するケースが多いが、12万は、生活保護基準を下回るが、極端にひどく はなく、普通の勤め人生活を送ってきた人が、年金暮しで単身生活を送る 標準的なケースという。 この老人は、将来を悲観してしまったのだろうが、 特殊なケースではないとか。老いてからの貧乏は身に染みるが、9割が、 その淵とは・・ 老いた夫婦の場合、「先に逝ったもの勝ち」も、あながち?
――― 2015/08/03 下流老人 ー① 去年になるが、NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー をみて衝撃を受けた。夫婦とも厚生年金のため、何とか人並みの生活は出来て いるが、リタイア前とは違う。先日の新聞の雑誌広告で、『下流老人』という 言葉が目に入ったたので、ネット検索をすると、以下の厳しい内容が出てきた。 ≪ ・ ー下流老人とは、 1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、 生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、 ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。) ・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める 割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち 600〜700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、 65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、 この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」 が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫ ▼ 10年、20年スパンでみると、9割?の老人が「下流老人化」するという。 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを 括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも 総世帯の15%が「下流」、老人世帯が22%というから、老人の立場は弱い。 本格的な国家衰退が始まってきたが、シワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。 ギリシャが問題になっているが、それより、日本の財政は遥かに深刻。 ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、 今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピック? 目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。 政権奪取には目先の甘い公約が必要。その繰り返しの結果がこのありさま。 ――― 2015/10/02 下流老人 ー② 〜下流老人への転落 この数年来、団塊世代が年金生活に入ったこともあり、マスコミに扱われる ことが多くなった。更に新幹線内で年金制度に対する抗議の焼身自殺もある。 今では、週に1〜2度は、TVで極貧の『下流老人』をレポートをしている。 多くの人にとって、他人事ではない問題。私の場合が一歩間違えれば・・ 準備期間を入れると45年間心血をそそいだ事業が思いもよらないリーマン ショックで成立たなくなった。 それでも事業設計の段階から万一の備えを 組みこんでいたこともあり、何とか人並みの生活が維持している。ところで、 ブログ内検索で調べてみたら、二ヶ月前、「下流老人」のテーマで扱っていた。 (後にコピー) 〜最近みたTVでのアンケート〜では、 ・病気などで、大金の思わない支出 ・離婚で、財産が消滅 ・転職の失敗(思い上がり) ・頼れる家族がいないか、その家族がギリギリの年金に頼っている ・手持ちがあったが、気前良く使っているうち底をついてしまった などなどの事例を生々しく映しだしている。 手持資金が底をついたが、あてが国民年金の一人暮らしで6〜7万円では、 家賃で大半が消えてしまう。数ヶ月前に、中学校の「古希」の会があった。 会場が県境の湯沢で、二万円近くの会費のため、出席できる人は、限られる ため、貯蓄、収入の余裕ある人が中心。そのため実態は見えないが、身近を 知る限り甘くはない。 TVで誰もが口を揃えて、「まさか自分が!」という。 私のケースでも、夫婦のどちらかが欠ければ、この大きな屋敷の一人住まいは 難しく、小さな家への住替えか、施設の入居の問題が出てくる。 団塊の世代は、終戦直後の最低の環境から、バブル崩壊まで35年間、 地球史上、稀なる7%の経済成長を続けた。これは奇跡中の奇跡の恵まれた 環境の中、そこで育った人生は幸せだったが、末路の気の毒な結果が、 『下流老人』。もっと気の毒なのが、その子供と孫。親の介護に、職も 全財産を注込んで呆然とする姿が、戦後世代間の全て問題を象徴する。
・・・・・・ 5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月 2015年04月11日(土) * 北陸新幹線開通1ヶ月 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、 富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と 引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在 でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を 一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に 習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。 特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。 その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半 で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の 会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。 高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。 * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評 ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、 これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。 《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。 彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を “さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症” になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに 襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」 と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給 自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略) クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見 どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息 していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人 たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を 続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、 タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村 に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》 ▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、 主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、 脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!
・・・・・・ 4775,ぼんやりの時間 ー8 2014年04月11日(金) * 「懶」 ー心の余白 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが 懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。 事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を 知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、 お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。 《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の 人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。 懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎) の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?. 「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、 それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の 定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、 東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化 しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと 動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を 捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは 思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。 「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的 瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》 ▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。 それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が 似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! いや、埋めようがない!
・・・・・・ 4408, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −6 2013年04月11日(木) 第五時限「うふふ力を磨こう」ー「隠居大学」天野祐吉、 * 俳句はゲーム感覚で楽しむ お相手 坪内捻典 母が50歳の頃、それまでの苦労のため重症のウツ病になり、数年かけ独り 立ち上がったが、子供なりに壮絶さを垣間見た。88歳で老衰で亡くなったが、 医師の要請による解剖で心臓の四分の一が壊死していた。第二の人生の40年 近くは、趣味の世界に徹底していた。舞踊、謡い、茶道、写真、短歌、どれも これも負けず嫌いで、ある領域まで達していた。 晩年、母親に、「一番、極めたのは何?」と訊ねたところ、 短歌という。 老年の趣味といえば、短歌と俳句と川柳がある。 ー 次の箇所は、短歌と俳句の違いを端的に示している ー ≪ 坪内:俳句的人間と短歌的人間って呼んでいるんですよ。ぼくの中では、 つぶあんは俳句的人間、こしあんは短歌的人間。天野 どういうところが、 俳句的、短歌的なんでしょう。坪内 そうですね、まず、俳句は、自分の言い たいことを言わないんです。これは、つくるときにも意識しておくといいと 思うんだけど、いちばん言いたいことを言わないのが、俳句がうまくなる コツですよ。よく「わたしのこの俳句は こんなところがこんなにいいんです」 と、自分で一生懸命説明する人がいるんだけど、そういう人はあまりうまく ならない。自分の俳句についてしゃべらなくて、人の意見を聞いている人が、 うまくなるっていうか、俳句向きだと思います。 天野 主体性のない人がいいんですね。 坪内 そうです。無責任で主体性がないんでいいんです、できるだけ(笑)。 天野 自分ってものを、強調したがるような人は……。 坪内 それはもう、あきらかに短歌の人です。短歌は最後の七七で、 自分の言いたいことが言えるんですよ。俳句には、その七七を言わない 醍醐味というのがあります。 天野 そうか。これは短歌じゃなくて狂歌ですが、「世の中に金と女は仇なり 早く仇にめぐり会いたい」というのがありますよね、これも、言いたいことは 最後の七七ですもんね。 坪内 俳句だったら、最後の七七はいりません。 ・・・(略) 天野 言いたいこと言わないなんて、欲求不満になりませんか。 坪内 そう思うのが、こしあんの人の特色なんじゃないですか(笑)。 俳句的つぶあんは、言いたいことを言う欲求より、自分の言葉を他人が どう読むか、っていうほうに欲求や興味がいくわけです。 天野 じゃあ俳句は、こう見て欲しい、感じて欲しい、こう解釈して欲しいって いうのは、表には出しちゃいけないんだ。 坪内 いけないってことはないけど、出さないほうが俳句らしいでしょうね。 天野 お話を聞いているうちに、「三月の甘納豆のうふふふふ」がなんだか、 これまでとは違うふうに思えてぎました。 なるほどねえ。今日、帰ったら さっそく俳句、つくってみようかな。・・・ ≫ ▼ 「俳句は、ひとりきりで捻っていく人はうまくならない。それは自分を 読者にしていまうから」に、ドキッとした。句会では、たいてい作者名を隠す。 それで非難され恥ずかしいと思ったら句会に入れない。恥をかくから上手くなる。 この随想日記、だから公開しているが、あくまで自分中心。毎日、書き続けて いると、誰かの嘲笑を独り感じる。そこで、馬鹿丸出しを曝してよいものか? 迷いが出る。しかし、人間には露悪趣味が心の隅にある。露悪とエゴと無知を 偽善で包んでいるのが人間の本来の姿と思って開き直るしかない。私が短歌を 書いたら、ほぼ狂歌だろう! 母の短歌より :窓の下 逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し :大仕掛け 空を焦がして彩どれば 中天の月いろを失ふ :若き僧 煙草の吸いがら 投げ捨てぬ 早朝のホーム 一点のしみ :青き田の水に浮かべる没つ日を 絵心あらば 描かむものを :ものかなし 豆腐屋の鈴流れきて 秋の夕暮足はやに来ぬ ・・・・・・ 4034, 幸福になるための五箇条 2012年04月11日(水) 「幸福になるためのソフト」の五項目 ー中川昌蔵 「今日一日 親切にしようと想う。」 「今日一日 明るく朗らかにしようと想う。」 「今日一日 謙虚にしようと想う。」 「今日一日 素直になろうと想う。」 「今日一日 感謝しようと想う。」 「以上のことを、実行してはだめです。意識して実行すると失敗します」。 意識するとエゴがでてしまいます。そういう想いが、いつも体の中にある人間に なるのが一番いい。 潜在意識に刷り込むのが良い。 ▼ 老齢とは、この逆になっていくことをいう。 「しようと想う;なろうと想う」が良い。パソコンかトイレに貼っておくと良い。 「今日一日、しん(親切)、めい(明るく)、にかけ、謙虚に、素直に、感謝 しようと想う」と憶えればよい。
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2016年04月10日(日)
『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著),
* 疑わなければ、信じられない 《 人間は、まず自分を信じていなければ、他人を信じることはできません。 自分の中の普遍的なものを見出すことで、自分を信じると同じに他人を 信じることができるのです。普遍的なもの、つまり、誰にも共通のその真実 を見出すためには、人は考えなければなりません。 考えるということは、 疑うということです。自分の、他人の、あらゆる言動や心の動きを、 これは何か、本当か、真実はどこにあるのかと、徹底的に疑うことで、 真実は初めて見出されるのです。だから人は、疑わなければ、信じられない。 そして、信じていなければ、疑えないのです。》 〜『私とは何か』 ☆ 「信じるものは救われる」でなく、「疑うものは救われる」、いや、 一度、「信じなければ、疑えない」ということ。疑うこともなく、 信じることもなく、百まで生きた人の一生。 これも人生である。 会社整理から5年経過、そこで見えてきたのが、自分と他人の浅い底。 自分の人生を中途半端に生きてきた蟠りの対象にもってこいの対象になる。 それが逆照射で炙り出てくるのは、それぞれの人の、そして自分の歪な姿。 ―― * わかる力は愛である 《「わかろう」という意志、これは何か。言うまでもない、優しさである。 わからないものをわかろう、自分ではない他人をわかろう、この想像的 努力のまたの名は、ほかでもない、愛である。愛のない人にはわからない、 愛のない人が、わかっている以上のことをわかることはあり得ない。 なぜなら、最初から、わかる気がないからである。わかる気のない人に、 なぜわかるわけがあるか。愛していないものを、なぜわかる気になれるか。 わかる力は、愛である。えてして人は気づいていない、真の知力とは、 愛する力であることを。》 〜『残酷人生論』 ☆ 「真の知力とは、愛する力である」とは・・ 愛する人のことを知り たがるのは分かるが、逆に嫌いな人は、生理的に遮断して、脳から消して しまう傾向が私には強くある。愛するには訓練を要するが、必要な訓練である。 「哲学とは、知を愛すること」というが、わかろうとする力こそ、愛の産物。 成るほど、親の愛とは、いや万人の愛は、理解する力、本源である。 ―― * 愛とは、 《 内に引き籠もるほど、外へ開ける完結することで、底が抜ける自分と 他人を分けられないのは、他人と自分だからである。愛とは、つまり こういうことである。 》 〜『リマーク』 ☆ 書くとは、文章化するとは、物語化するとは、一時的に、自分の内に 引き篭もることである。それが深いほど、気持ちが入るほど、外に開ける ことになるため、自分の底が割れることになる。それが同調すれば、自分も 他者もなくなる。 だから、この随想日記が15年も続いた。
・・・・・・ 5139,閑話小題 〜元校長の買春、12600人切り! 2015年04月10日(金) * 12600人切り、それも元校長の・・ にわかに信じがたい下世話なニュースが入ってきた。〜まず、その内容から ≪ 1975年に教員採用された高島容疑者が、マニラの日本人学校に赴任したのは、 およそ25年前。3年間、理科を教えていた。高島は、マニラ時代のことを コラムに「経済的理由で、学校に行くことができない子どもたちが多いこと。 明日をも知れぬ子どもたちが街にあふれているのだ」と書いていた。 高島は、このマニラへの赴任中に、少女などの買春を始めたという。 高島は「買春の快楽を覚えた」と供述している。日本に帰国したあとも、 学校の夏休みなどを利用して、フィリピンに65回ほど渡航。およそ25年間で、 13歳から70歳くらいまでの女性1万2,600人以上と買春したという。・・・ 警察が高島容疑者の自宅から押収したものの中には、複数のカメラやDVD、 児童ポルノの漫画のほか、買春した少女らの写真を保存したアルバムが410冊。 写真には、通し番号が振られ、その数は、1万2,600人以上に及んでいた。≫ ▼ 過って聞いたことがない話。 巷の話としては、こんなものだろう。 < 65回×10日+αとして、仮に千日。 赴任期間の千日を加えて二千日。 一日に6人の買春とすると可能だが、としても信じがたい。たまたま精力絶倫 の男の職業が校長だったため問題になったが。こういう人種が存在する具体例 のニュースとして面白い。「少女の清潔感が・・」は、経験者でこその言葉。 それにしても12600人とは! 一度きりの人生、「??まくるのも人生か」 その辺の誰かより、マシ? 巷の男にとって、ニヤと笑って本音は? が、 これだけはタブー。スケベの女性版では、かの国の元王女を思い出す! 最後は謎の死だったが・・ せめて10人、いや1人でも・・ > 大よそ、はな金の居酒屋かスナックの酔払いの話は、こんなもの。 こんなことを、朝っぱらから書いている私も私!だが。 ・・・・・・ 4774,ぼんやりの時間 ー7 2014年04月10日(木) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「怠」―「1日四時間労働」の夢 「怠」肯定の論など、それもラッセルというから驚いた。ーその辺りからー 《 英国の哲学者であり数学者であったバートランド.ラッセルは、一九三二年 『怠惰への讃歌』という論文を雑誌に発表。怠けることは「いいことなのだ」と いえば、昔はむろん、いまでもかなりの反発を買うことになるだろう。 お前は怠け者の味方をするのか、この世に怠け者が横行すればマジメに働く ものは損をする、働くことをおろそかにする世の中なんかおしまいだ、など など非難のツブテはつきないだろう。怠けることは大切なことだと主張した ラッセルでさえ、「何もしないで怠けているものに、悪魔がいたずらをする」 という子どものころに聞いた格言を紹介し、怠けることを恐れるあまり、いま まで一生懸命に働きつづけてきたと回想する。 それでもなお、ラッセルは 「仕事はよいものだ」という信念こそ、恐ろしく多くの害をひきおこしている と主張する。 ラッセルはなぜ「仕事はよいものだ」という世問一般の常識を 批判し、「怠惰はよいものひぽだ」という主張をしたのか。 人びとが生きるうえで大切なのは「閑」である、という思いがラッセルの 主張の根幹にある。勤労は神聖であり、働くことはすばらしいものだという 考え方は、支配者、富裕階級が、働くものにそう思いこませるためにいい つづけ、その企みが一般にもひろまったとラッセルは考える。 少数の特権階級は、他人の労働のおかげで多くの閑な時間を享受している。 自分たちの快適な閑を守るためにも、特権階級は働く人に向かい、「働くこと は大事なこと」といいつづけてきた。 「私が本当に腹からいいたいことは、 仕事そのものは立派なものだという信念が、多くの害毒をこの世にもたらして いるということと、幸福と繁栄に至る道は、組織的に仕事を減らしていくに あるということである」と、ラッセルは書いている。 文明が起こってから 産業革命まで、人ぴとはせっせと働いてきた。妻も、働ける年齢になった 子ども働いてきた。しかし、最低の生活支える分しか手元には残らず、 食料は支配者階級が管理した。飢饉のときは、余剰物資は支配階級の管理下 にあり、多くの労働者は餓死した。労働者たちは、十分な閑をもつどころで はない貧しい暮らしをつづけいた。 》 ▼「人生で最も大切なことに縁が無くなるのは、暇な時間が無いため」と、 ラッセルが指摘する。 私の選んだ事業は装置産業だった。 当たりさえ すれば、当分は何もしないで済む時間が、褒美として差し出される。当初は、 戸惑い、暇を持て余し次の設置に取組んで、最後は、過剰投資でダウンした。 しかし、その間の膨大の時間は、何ものにも代えがたい贈物であった。 冷静に考えれば、長期装置産業など、この激変の時代に、そぐわないが、 後悔が少ないのは、膨大の「怠」の時間を得ていたため。これは当事者で なければ理解できない実感。そのため、解放された現在、肩に羽がはえ、 空中を飛んでいる感覚がある。いずれも、同じでしかない、ということ。 生きるのは、辛く、哀しく、面白く、滑稽な、ことである。立場が変われば、 見方も変わる、ということ! 振返ると、挫折して呆然としていた時に、 人生で一番、必要なことをしていた。聖書を読んだり、講演を聞きに行ったり、 旅をしたり、溢れる言葉の整理とか・・ ・・・・・・ 4407, 閑話小題 ー自転車の修理 2013年04月10日(水) * 自転車の修理 一昨日はチャリのパンク。で、何時もの自転車屋に持っていくと、 オヤジさん、転んで左手を骨折で修理が出来ないという。「手伝うので直して ほしい」と言うと、しぶしぶ納得。そこで思ったのが、自分でも可能でないか ということ。「こんど泊り込みでサイクリングに出たいがパンクが不安。 で、見ていて私でも直せそう」というと、「問題は修理道具だが、二本の 専用ヘラがあれば、タイヤ外しと装着が手軽に出来る。HCにはパンク部分は ゴムのノリ付シールがついたパンク修理セットが売られている」という。 一寸した靴の修理と同じである。 靴も自転車も専門家が直すもの、という バイアスがかかっているだけのこと。それか千二百円を割り切って払うか? 次回、考えてみようか! * 絆とは 絆は家畜などをつなぎとめる綱の意味。言葉の通じない人間と家畜が、互い に生きていくため、鼻や首につけられる綱が転じて義理や人情の喩えになった。 互いが、その綱だけで繋がっている危うい関係をいう。そのため、震災での助け 合いの繋がりに使うのに無理がある。阿部首相が米国との絆を強調したが、 毎日新聞に「日本は米国の家畜と受け止められる」と批判されたのが、記憶に 新しい。絆という言葉に何か危うさ弱さを感じるのは私だけでないはず。 とはいえ、身内や自宅や共同体を失って路頭に迷った時、頼れるのは親戚縁者と 共同体の繋がりしかないのも事実。いまだ避難民が20万世帯もいると思うと、 「絆の批判」など、とんでもないこと。人と人の間で生きているから、人間。 その繋がりが絆ということか。 * ネットラジオ 書斎コーナーのBGMはネットラジオを聴いている。iTunesで、 世界中の千局のテーマ別スタジオから音楽を聴ける。思いもよらぬ曲が次々と 飛び込んでくるが、これが新鮮で良い。人は、思いもよらぬ仮想の中で気持ちが 解放される。それは未知の音楽の中に近道があるようだ。こういう音楽を気楽に 聴けるようになったのは、バイアスがとれたため。ジャズ、ソウル、カントリー などジャンル別だったり、70 /80/90年代のヒット曲別だったり、分類も豊富。 音楽好きだったら、たまらないはず。少し目をネット上に向けると、こういう のが無制限に手に入れることが出来る時代、それを如何に楽しめるかどうか? そのため若い人の間に居ないと。バイアスが外れる度、外は広く、内は深くなる! ・・・・・・ 4033, シングルイン、31年間の総括 ー9 2012年04月10日(火) * つれづれに ー9割がた終了 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを 加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件 で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。 これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに 逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。 夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷 が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中 し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、 深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測 される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。 その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、 拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、 銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。 ・・・・・・・ 3667, 節目どきに ー2 2011年04月10日(日) 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、 ・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての 立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。 ・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より 二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。 グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。 ・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、 部屋在庫を多く持ちすぎたことである。 ・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後 10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、 「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない 人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌 という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下 のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。 この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能 汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??) に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。 リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史 に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、 客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、 ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。 この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、 建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・ どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。 ・・・・・・・ 3302, ブログ向けビデオカメラ 2010年04月10日(土) 新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。 発売当初から両方とも興味があったので早速、近くの家電量販店に行ってみた。 たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、 なるほど実物は思ったよりズット良かった。衝動買いは必ず後悔することを 経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。ネットで調べて 迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。ヨドバシカメラの値段より、 25パーセントはやすい。16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千。 ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。一方のソニーのものと 最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。シンプルだが、非常に使い かってがよい。5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万 画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。 (字数制限のためカット 2012年4月10日) ・・・・・・・・ 2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6 2009年04月10日(金) *「三位一体モデル」を使った演習 ー � 「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、 考えさせられる。実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の 円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである 幻想としての「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。 * まずはー「国家」ーから 子= 国家 親= 国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、 これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。 国家としての政治・経済・軍事力・警察力。 * 次に、ー「国民」ー 子= 国民 親= 国家憲法、法律、それを維持する暴力装置 (対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、 街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・ * 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは 子= 家族 親= 血統、家柄。家訓、家そのもの。 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。 日本では天皇制度である。人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家 のために何をすべきかに行き着く。我われの安全を最後に守るのは国家である。 それが軍隊であり、警察という暴力装置である。現在の憲法は、明らかに アメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。 この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、 グローバル化になればなるほど、ベースとしての国家の強固の基盤が必要。 無理だろうが・・ つづく ・・・・・・・・・・ 2563, ディープ・スロート 2008年04月10日(木) 『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男 ボブ・ウッドワード著 これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、 買うほどではないと、判断していた。あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけた のだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。 ー内容 ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。 新米記者ボブ・ウッドワードに地下駐車場で極秘情報をリークしていた 人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。 フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を 受けて初めて明かす、フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、 その後の二人の関係…。 (字数制限のためカット 2010年4月10日)
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2016年04月09日(土)
「山岳遭難もの」は、苦手だが、『映画道』という言葉があるなら、 この『エヴェレスト 神々の山嶺』を避けてはなるまいと、シネマの日も あって、昨日の昼ごろ、心を奮い立てみてきたが、これが思いのほか、面白い。 私の邦画の評価で95点は上の上。 人間の極限状況は、そのまま、人生道 にも通じるところがある。 〜まずは、内容紹介より 《 日本のエヴェレスト遠征チームに参加していたカメラマンの深町誠は、 滑落事故で仲間を失い、登頂は中止になってしまう。 行き場を失い、ネパールの首都・カトマンズを彷徨っている中、骨董屋で ある古いカメラを発見する。それは、1924年6月8日、エヴェレスト登頂に挑み ながらも行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのカメラと 思われるものだった。 マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかと いう登攀史上最大の謎に魅せられた深町は、証拠となるカメラを追い、 一人の男に辿り着く。消息不明だった伝説のクライマー、羽生(はぶ)丈二。 彼はなぜ日本から姿を消したのか?その男がなぜカトマンズにいるのか? 「天才クライマー」と呼ばれながら、無謀で他人を顧みない彼の孤立した 過去を調べるうちに、深町はその生き様にのみ込まれていく。そして、羽生に 人生を翻弄されながらも、彼を愛し続ける女性・涼子と出会う・・・。 二人の男と、一人の女。それぞれの想いが交錯する中、己の人生を賭け、 世界最高峰の“神々の領域”へと足を踏み入れる男たちの挑戦が始まるーー。 岡田准一、阿部寛、尾野真千子、》 〜登山家の[羽生丈二]の言葉が良い。 ――
足が動かなければ手であるけ てがうごかなければゆびでいけ ゆびがうごかなければ 歯で雪をゆきをかみながらあるけ はもだめなら 目であるけ 目でゆけ 目でゆくんだ めでにらみつけながらゆけ めでもだめだったら それでもなんでもかんでも どうしようもなくなったら ほんとうにほんとうに ほんとうのほんとうの どうしようもなくなったら もうほんとうに こんかぎり あるこうとしても だめだったら
思え ありったけの こころで思え
―想え。 [羽生丈二] ――
そこに山があるからじゃない。ここにおれがいるからだ。 ここにおれがいるから、山に登るんだよ。 [羽生丈二] ―― ▼ 魂から絞り出た言葉が、これか、と思わせる内容。お勧めである。
・・・・・・ 5138,閑話小題 〜二人の旅路 2015年04月09日(木) 前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集 『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から ≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫ 〜ネットに、心のこもった投稿があった〜 《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、 枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。 父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の 中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制 送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、 柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の 貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。 しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も 許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省 に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を 期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇 仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、 2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。 もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、 柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府 の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は 亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。 2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は 遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、 哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》 ▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。 その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。 それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。 ・・・・・・ 4773,ぼんやりの時間 ー6 2014年04月09日(水) 「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) * 「閑」ー逆茂木に囲まれて 森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、 まさに逆茂木の「閑」の世界である。閑の字は、門の中の一本の木がある。 それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー 《 さかもぎの刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。 トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、「邪魔者はたやすく突破できない。 逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこと もできる。それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が 『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・ だれにも知られてない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない 尾根道で二時間も三時間もぼんやりしたときをもつとか、そういうのが逆茂木 に囲まれた「閑」の状態というのだろう。閑は時間であり、空間である。 それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐り つづける時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあると いってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で囲むには、それなりの 工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。 心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり 身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり (中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。 目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも苦しみ、 楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。 (中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、 散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、独りになること、 雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そして たっぷりとぼんやりする時間に恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、 そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。 そのよみがえりは偶然のことではなかった。》 ▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、 ということになる。現に、この二m四方の、この空間は私だけの世界で、 BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。 今では、タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも 持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も必要である。雪もとけ、 自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」 を意識的に始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、 勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、ベンチで30分でも 一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競ぐ。 ・・・・・・ 4406, 大丈夫、なんとかなるさ 2013年04月09日(火) * よい先生、わるい先生 ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは 思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、 ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から 二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。 ≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問 したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。 独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校 で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の 仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」 と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。 「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」 を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも 変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。 「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫ ▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に 残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳 ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを 書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、 「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の 子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。 「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。 とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! ・・・・・・ 4032, 「人生の知恵」ノート ー4 2012年04月09日(月) ー 人生を成功に導く言葉ノートより ー * 先延ばしは命どり 「仕事で失敗する理由で一番多いのが先延ばし。一度やりはじめれば 意外と簡単に片付く。とにかく先取りで問題を解決すること。 * 尊敬など、されようと思うな 孤高の姿が敬意を呼ぶ。無理に尊敬されようとしないこと。 * ツキを見極める 新しい事を始めるときは、運の風向きに敏感になり、 好機を待つ間に準備を進めよう。 * 引き際を見極める 勇敢な攻撃と同時に退くこともたたえれるべき。引き際のタイミングが大事。 幸運の女神は、その頂点が高いほど、期間が短くなる。絶頂期を見定めたら、 引き際を考えるべきだ。 * 欠点を直すこと 人は他人の欠点を見逃さない。あなたの実力を点検した上で、 欠点だけに注目、悪し様に言い立て、他の長所をかすませる。 * 二回目の挑戦を必ずする 一度失敗しても、必ず二回目の挑戦をすること。一回目の失敗を取り戻せる。 成功より失敗の方が多いが、二回目に成功する確率は一回目より遥かに高い。 多くの挑戦は二回目に成功が多いという真理を知っておくべきだ。 * 現実的に生きるべし 賢者は思ったふうに生きられないとしても、できる限りのことをする。 運命が与えてくれないものを惜しむのをやめ、運命が与えてくれたものを 大切にすべきだ。現実が理想を支えることを知ろう。現実の土台が弱ければ、 理想は単なる重石となる。未来の理想の自分を明確にしたうえで、現在すべき ことを確実に実行する。賢人は現実で未来をコントロールする術を知っている。 * 忘れるべきは忘れる 「人が一番良く覚えているのは、忘れた方がいいことである。」 嫌な記憶は楽しい思い出で吹き飛ばせばよい。反省をしたら、次へ。 ▼ 引き際は、最も大事な決断。最高値の引き際は無理だったが、 最後の最後は断崖絶壁での引き際。 いや、どうだか? ・・・・・・・ 3666, 節目どきに 2011年04月09日(土) 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 以前もそうだったが、それまでの生活と全く変わってしまったが、抵抗感はない。 肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、 独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣 つくりを始めている自分に驚いている。30年、40数年前の自分に戻ってしまった ようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。 今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして ・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、 初心者向スポーツジムに入会。平日、この二つを隔日に使い分ける。 今まで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 さらに月に一回のシネマの通いと、月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身で あることは事実。 元もとアウトサイダーを自認してきたので、こういう 切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 居間に中村天風本を手元に置いておくか。 ー つづく ・・・・・・・ 3301, 日本経済は死ぬのか 2010年04月09日(金) 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、それでも何か目新しい ことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人には ダイジェストとして丁度良い。その中で、野口悠紀雄が、「もはや日本経済は 死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を 「米国の金融危機」と考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は 米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。 戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗った ものです。米国の住宅価格のバブルによって、結果として日本の輸出が伸びたと いう現象が起こっていたのです。当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、 日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けて しまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。数字で言えばピーク時の07年 度に対し輸出で20パー、GDPで10%減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、 これは1984年度3月と、殆んど同じ。この事態に、政府はエコポイントで家電や 自動車などの購入を支援している。これは今の製造業が、政府の支援にしがみ ついて生きている状態。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返える。 それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが 打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える可能性が高くなる」等々、 刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェスト とし述べているといってよい。欧米の失業率が10パーセントに対し、これだけ 悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。それが一挙に二倍、 三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。他人事では決してない。 まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。 これが、既に欧州並みの20パーセントで、これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。 ただし国民を納得する上にも国会議員、地方議員も定数を半数か、三分の二に しなくてはならない。スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が 来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
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