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堀井On-Line
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2015年07月02日(木)
* 中学校・古希での見聞とは 卒業から古希の会まで半世紀以上、それ以来、初めて出会った人が何人かいた。 また、様々な日々を過ごしている人の話を聞いたが、それがユニークで面白い。 <月に一度、東京駅近くの居酒屋に大学時代の友人が集まり、13〜17時まで 酒を酌み交し、17時半の新幹線で帰ってくる。年に一度ぐらいは、それぞれの 地方の友人の所を訪ねて、地元を案内してもらう。>とか。 <去年、大病をして死線を彷徨い3ヶ月入院した。>とか、女性では、 小児麻痺で、片脚が少し短く、俗にいうビッコをひいていて、何時もオドオド していた女性が、最近、手術で正常に戻り、見違えるほど明るく、嬉しそうに、 「正直に本当に嬉しい!」と言っていたり、少し暗く神経質だった男が、 明るい人格者風?な教師になって、<出世コースを登るか、教師として現場に 残るかの分かれ道で、現場に残った。それが良かった!> とか、様ざま。 私のように地方で、肩肘を張っていたのが、9・11テロ、9・15のリーマン ショック、3・11地震であえなくダウンしたのもいるし、田舎の成功者?として、 金を、これ見よがしにチラつかせていた人が、??で倒れ、死の恐怖に怯えて いる人もいた・・ 駅前を学校区にした中学校は、分類される直前のため、 「人生の事前事後」が漫画的に垣間見えてくる。たかが人生、されど人生である。 還暦より、古希の方が、様ざまな人生が色濃く出てくる。 とすると喜寿は? * つれづれに 新幹線内の焼身自殺があったが、50年間、犯罪?による死者が無かったとは 奇跡的である。 際どい場面を、新幹線内で目撃をしてきたので、「半世紀」も 無かったこと自体が、不思議である。車内や、ホームには隠しカメラとか保安が 緻密になされていることを犯罪者は、知っているため、タブーなのだろう。 新幹線内で時々目にするのが、三国人のエゴ丸出しのマナー不足の振る舞い。 特に子供が酷いが・・親は見てみぬふり。それに対する、日本人の無視の冷やか な態度と、それさえ分からない彼ら。 ヤクザが、私の前席の一番前に座り、 トイレの手洗所の獲物を狙い、カーテン内に引き込んで・・ 助ける以前に、その迫力に、唖然と席から見ているだけだった・・ 酔った労務者風の乗客が母と私に絡んできた時、脅し返したこともあった・・ ほぼ全席、サラリーマンが気に入らなかったか、甘くみたか、やはり労務者風 の男が大声で、「この虚勢犬どもめ」と喚き、悦にいっていたのが、車掌が 来ると、急に大人しく黙ってしまい、その後は、最後まで狸寝入りとか・・ その中で、一度も死者が無かったとは驚き。新幹線通勤30年には、色々ある。 ・・・・・・ 4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と! 2014年07月02日(水) * ぼんやりと、考えてみると! 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた 過去の語り直しをシリーズで書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」 の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、切り口から見える当時が、 新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換える ことが可能なのか。世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、 それは真実の記憶になるのか? バカがバカと自覚できないのが世間様。 その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが俗世界。 そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。 過ぎ去った昔と現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、 間違いなく、時間差の中で違う人が存在している。それが、自己と、自分の、 言葉の意味の違いになる? 刻々変化する世界と、自分の受け止め方の変化。 両者とも、儚い泡のようなものでしかない。なるほど、《ぼんやり》とは、 「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。 「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。 「懶」―心の余白。の様というが、 過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、 《無我夢中》の言葉の対比が、何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、 輝きになるが・・ 人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 ぼちぼち、過ごすしかない。 * 夢と現実の境目で 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査 をすると浮かぬ声。知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで 頭が一杯で、落ち込んでいるという。その後、その結果がどうか?は、大腸だけ に電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を入れたが不在。 その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、 どうだった?』と聞くと、『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』 と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と後悔したが、時すでに遅し!》 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、 夢だったか分からない。そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、 あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、電話をしたところ、 『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。 ・・・・・・ 4490, 怒らないって本当は恐い! ー5 2013年07月02日(火) * 哲学者と、ジェファーソンの教訓 『怒りの作法』小川仁志 著 ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。 ・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、 後悔をもって終わる」といっている。・・・ ・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって 真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。赤くなる人は、頭に血が 上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに 青くなる、しかし、その後、恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。 ・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに 静かにそれを観察することなり」と提案。 ・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを 言ったりしたりする前に10まで数えよ! それでも怒りがおさまらなかったら 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。 決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、 良い結果が生まれるということだ。ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに 対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスだが、ボッとしているのも。 ▼「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」は、その間に冷静に考えろ ということ。私の場合、「二年スパンもの」。正しい怒り方、すなわち問題 解決型怒り方とは、粘り強い思考を持って、正しいエネルギーを使うことになる。 怒りは、目を外らさないで中心点を見続けていると、時間の経過で殆んど収まる。 その鎮静に膨大のエネルギーを投入するが、そこで多くの認識が出来てくる。 この倒産劇の中で、多くの怒りを経験し教訓も得た。 怒りにも、私憤と義憤が あること。救いようのない怒りと、救いのある怒りがあること。何事も実際に 自分が経験してみないと分からない。今回の一連の私憤はデカルトのいう、 「青くなる怒り」。世界は既に世界が恐慌に深く踏み込んでしまっている。 その直撃で青くなったのは、世界恐慌のウネリの到来を感じたからである。 それも、後に控えている歴史的大津波の到来が見えたからだ。地元も含め、 地方の中小・零細の8割以上はただ呆然と立ち竦んでいる。残る2割の多くも、 時間の問題でしかない。その中で、何処かの首相が、10年後の一人あたりの所得 を150万円増やすと曰わいている。耳を疑うより、怒りが込み上げて来たが、 これは公憤である。「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」というが、 挫折は、「二年(スパン)もの」。私の場合は、どうだろう? 自分も周囲に 対しても、腹の底から笑えたが! 「怒らないって本当は怖い!」は、 現在の自分にピッタリ。現在、もっと笑い、怒り、哀しみ、楽しめということ。 ・・・・・・ 4116, 財政恐慌 −3 2012年07月02日(月) 「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著) 英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過って の持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。サー・ベンジャミンは、ロンドン 市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が 新鮮である。この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えて いる形式になっている。 * ミスター・ビーンに聞こう 【・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。イギリスの大物政治家で 自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である 彼を演じて大反響を得たのが、ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物 的俳優で異様な喜劇俳優だ。物言わぬドタバタ男キャラクター「ミスター・ビーン」 としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。 だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。七変化的な役柄の演じ分けが 得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベント。その栄えある舞台で、 サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、 あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。「今日、イギリスは一三八○年 以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。 なぜ一三八○年なのかはよくわからない。・・ここから、その「我々がみずから に投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、 我々はどうすればわかるのか ● 我々は地図を持っているのか ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか ● 我々はここで立ち止まりたいのか ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】 ▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。 ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。 それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショック という大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ! ・・・・・・・ 3750, 自分の居場所のみつけかた ー� 2011年07月02日(土) 「自分の居場所のみつけかた」ー斉藤学著 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが 中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが心の底の沼に溜まり、 いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、 その毒で脳がやられ下手をすると、重症の鬱病か分裂病になる。それを防ぐ には孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。 憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。 以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。 【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる ーP・118 「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものを おねだりしてももらえないというときの感情です。まだ相手の愛を求めています。 赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。 これを「怒り(アンガー」と言います。そこに「羨望」が入ってきます。 これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り 上げたくなる感情。「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。 つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。怒りに羨望が 絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、 自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、怒り、不安の複合した 感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。 ここにも「憎しみ」があるわけですが、男女関係が絡まないエンヴィーとは 区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊される ことを恐れる感情ですが、憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。 もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのに もらえない」というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの (おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが持って いるものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると 怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。そういう「関係」に身を置くのが 厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなる こともあるでしょう。昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だ というものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、 仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、 どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを考えなければなりません。 あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れる かもしれませんが、いざ本当に離れたところで一人暮らすとなったら、 今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 人間は人の中でしか生きるしかないのです。】 ▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷 などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。「怒り」×「羨望」 =「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく 受けてきたが、逆の与え方は上手くない。「自分」というものは、自分一人の 閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調。 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど 人間関係は丁寧に扱わなければ。「ピーク、エンドの法則」がある。 記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割 以上の記憶を決まる。ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。 ・・・・・・・・ 3385, 911・考えない・日本人 ー3 2010年07月02日(金) 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著) ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62) ≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。当然、日本にある わけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。白人の悪は復讐の対象である。 根本的に異質だ。人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。人間を悪から解放するものは、より強力な 悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。それは無知であり、バカだ。 生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない 限り、今後の人間の条件はない。「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと 深く理解しなくてはならない。だが、悪がわからなければ、神もわからない。 悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。存在しない神は死ぬ こともできない。つまり「意味」がない。 意味――、神と悪は鶏と卵だ。 ねえ、ちょっと、ほんとに・・ 冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 そして、その後で世界史を勉強してごらん。そうすれば、いまなぜ日本が。 これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。 ▼ 「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。人間を悪から解放するものは、より 強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」 これは、ユダヤ教などの 一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州 には悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、 過去の歴史をみれば分かること。僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・ 毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。 あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担が されるか、殺される。現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に 変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。 =偶然、以下の「垂直の言葉」に、思考について書いてある。面白い偶然= ・・・・・・・・・ 3010,垂直な言葉 2009年07月02日(木) 「魂とは何か」池田晶子著 ー読書日記 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。 横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。 「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、 感動、感激の瞬間に感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。 ーまずは、その部分である。 P-217 * 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子 池田 当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、 と受け止められているのではと。 石川 それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。 池田 以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えた ことがあったけど。 石川 そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に 降りていくものと自覚的に使っている人は、めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。 横の社会なんですよ。(字数制限のためカット2,012年7月2日)
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2015年07月01日(水)
* つれづれに 〜今年も半分経過した ・そういえば、昨日で今年も半年が経過した。身辺では、さしたる出来事もなく、 1月15日に古希を向かえ、数日前に中学校の同期の『古希の会』があった。 身辺では、このくらい。 前の会社の債権関係の動きは一年半、全く無し。 ・国内では、小さな噴火が頻繁に起きたが、数百人、数千人単位の死者が出る ほどの規模のものは、まだない。しかし、不気味に、頻繁に起きている。 以前、これほど続くことなどなかった。やはり3・11が契機である。 ・経済もアベノミクスで金融が緩んでいるためか、倒産が目立たない。 安部政権になって、資金供給量が二倍になったにもかかわらず物価は、 今までは安定してきたが、円安効果で、物価の高騰は始まってきたようだ。 ・ギリシャが、今日、デフォルト?になるが、これで、株価大暴落とまでは いかないようだ。その行方は茨の道だが、落ちどころは分からない。 現政権を選挙で勝たせた責任を国民自身が現実で受け止めることになる。 数年前に、ギリシャに行ったが、地中海の温暖な気候の中で、誰が一生懸命 働くかである。恵まれた環境が、その原因とは皮肉である。 ・自民党と組んだゼネコンマフィアが、オリンピックの箱物をネタに、規模の 拡大を始めた。自民党に勝たせすぎたツケが、日本にもまわってくる。 必ず起きるといわれる、大噴火、南海トラフト地震、そして国家財政の破綻を 考えると、ギリシャ、韓国の後追いをしている。 ・一年前にはスガタもカタチもなかった、イスラム国という、得体の知れない イスラム原理主義の集団が、世界中でテロを本格化を増してきた。 ネットで呼びかければ、何処でも共鳴者による爆弾攻撃が可能という。 まだ日本で起こってないが、これもどうなることやら。 新幹線から50年。死者が一人も出なかったが・・ついに焼身自殺が出た。 ・75歳に死亡推定年齢を決めたが、前後3年のブレを入れると、最短で、 二年半になる。直ぐだが、その焦りが無いのは、どこかで信じてないから? 70歳を超えると、背後にあった死の不安が、前方に位置をかえて向かって 来るというが、成るほど、そのとおりのようだ。 ・・・・・・ 4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25 2014年07月01日(火) * 無我夢中の面白い4年半であった! ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが 「無私の精神」(小林秀雄著)。 「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。 現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人。 物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」 何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。! その頃、激情を抑えた状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。 「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの棒に自分に譬え、 孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。対象に全身全霊を入れれば、 それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。しかし時間が 経てば、何の未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく 吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が入ったような感覚。 長年かけて積上げ られた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、実感。 現場と、 幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、 そのまま成果になるため、楽といえば楽である。仕入は、問屋やメーカーには、 大のお客様。慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。 反面、一つ間違えると、実績に直に跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上 とすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。それも、産地に現金 支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華 することも可能である。 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを 建替え、残留の大半を入替え、統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れ、 ホッとし、自分を振るかえると、今度は自分自身の問題。そのまま留まると、 実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。それと私に、権利という基盤が無い! それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間暖めていた新潟ホテル シリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、 信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。 「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知って いると知らないとは雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。 ・・・・・・ 4489, 怒らないって本当は恐い! ー4 2013年07月01日(月) * 怒りの四分類 『怒りの作法』小川仁志 著 ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを 4つに分類している。 ーまずは、その辺からー ≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」 「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。 ・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンといいます。 ・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、 ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。 ・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。 ・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、 怒りの感情を表に出さないパターン。 ・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。 この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できて いるとはいえない。・・(中略)そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、 問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの指標によって 分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに 分けることが出来る。 それぞれ見てみましょう。 △ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、 「自爆型」と呼ぶ。彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に 表すことはありません。だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を 究明し、それを解決しようともしないのです。したがって、怒りは自分の中で 増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。あたかも怒りで自爆 してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。 つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、 テロリストや無差別殺傷の犯人に多い。 △ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りという のは、「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すこと はありませんが、少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。 ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけには いかないのです。 △ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、 「ラッパ型」といえます。怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に 結びつけようとはしないのです。いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ 立てるだけで、問題を解決しようという建設的な姿勢はこれっぽっちもない場合 をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多いといえるかも しれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、 この語は「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒り には何の展望も描けないのです。 △ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」 の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうという もので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫ ▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。 その痛みを時間の経過の中で耐えている間に、考えるという働きが出てくる からである。怒りっぽい私など、何時も独り心の中で、このプロセスの中にいる。 結局、全ての怒りは時間が解決する。怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。 怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。 ・・・・・・ 4115, 財政恐慌 ー2 2012年07月01日(日) * 共同債の発行など気違沙汰! 「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著) 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になる からだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、キプロスと、その危機はモグラ叩き のように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政 対策を打ち出し、何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。 しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。 字のとおり、 ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金 を調達しようとする代物。これまでの、加盟各国が個別に国債を発行するのでは なく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、 これほど有難い国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行 してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、7%近い 金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。 しかし、そうでもしなければ、PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。 ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など無理ときている。 何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。著者は、ここで 「ある地域内で単一通貨を導入して、うまくいく二つの条件がある。一つは、 その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は経済格差が 全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める 中央調整装置の存在が前提としている。この二つが存在しているかというと、 否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、 財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に 相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの刑にさらされているという。 ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、 その足元をみて、今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題 が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、国家予算は税収の 二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。 ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。PIIGSを、最終的に準加盟国という名目 にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。 ・・・・・・・ 3749, ジャズについて ー「ジャズ完全入門!」−19 2011年07月01日(金) ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここは飛ばし、 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げる。 【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、 クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類(ヴァイオリン、ビオラの類) はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで 使われないものでジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしい リズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。クラシックの楽器類 マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトで キレの良いサウンドを作っている。以上のように、楽器そのものより演奏法に よってジャズらしさが出ている。 * まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけ でなく、2ビート、4ビートといった基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、 クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。 * 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといった クラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有のダイナミックで個性的 な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」 演奏しているからだ。(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日) ・・・・・・・ 3384, 911・考えない・日本人 −2 2010年07月01日(木) 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著) ーアマゾン、内容紹介、よりー ≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、 人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。これだけは確かである。 911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば 「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演、 ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府 が公式に発表している内容とはまったく違うものということを、確信している。 なぜか?まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたから。 次に考えたから、知る努力をしたからである。そのときに私の持った精神状態は、 「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫ ー 以下は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙。ー(p86) 【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳なども その中の一人だったが、あのようなろくでもない 日本人のクズが、モルモット 代わりに研究されたのかもしれない。確かにあのような男を典型的日本人モデル として研究すれば、その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人間 家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。その性温厚にして、地球 上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、 喉もと過ぎれば熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語 に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、哲学志向ゼロ。 おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙って いても《彼ら》の意を先取りし、率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。 あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、 そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、 どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。多分アカデミー関係が 多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下 では連動している可能性も高い。】 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で 日本人が家畜化されていることすら気づいていない哀れさ、その手先が歴代の 自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオースト ラリアの視点からみると、それがリアルに見えるようだ。特に失われた20年で 日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。 ― つづく ・・・・・・・ 3009,誰が電気自動車を殺したか ? ー2 2009年07月01日(水) GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1 の優良メーカーだったはず。将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、 それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。この数年は多目的の SUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。そのうえ 自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。 歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車 の抹殺に組していた。「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えても よいようなアメリカの縮図でもある。腐りきったネオコンがアメリカを支配し、 それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、 彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日) ・・・・・・・・・ 2645, アメリカ狂乱 ー1 2008年07月01日(火) 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著) 本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。 それが数日前に、図書館で読んだら、数十年近くに渡り、アメリカの国内事情 と大統領選挙を見てきた著者の視点のため多角的に分析していて説得力がある。 (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日) ・・・・・・・・ 2007年07月01日(日) 2280, ビジネススーツ ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー *半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の 「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツ と類推するところがユニークである。ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち 並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、 抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする 傾向に入った。それを「国際化」と見る人もいる。ー概略は、このようである。 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日) ・・・・・・・・・ 2006年07月01日(土) 1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6 おはようございます!(*^▽^)/ 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感 を垣間見ることができる。私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒の ツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」と思っていたら、 一撃を喰らう内容があった。 ≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、 「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」など言いがちである。 おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。 「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」 という人がいる。じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブ オイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。あんたの好きな烏賊のリンク 揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツを こしらえて喰いなよ。≫ (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
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2015年06月30日(火)
「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳 * すべてを読書と思索に明け暮れた「沖仲仕の哲学者」 10年前に購入して流し読みをしたまま、本棚に眠っていた本。 流し読みなど著者に失礼と思わせる内容。いずれの場面も、臨場感があり、 ホッファーの、その時々の世界に引きこまれる。〜アマゾンの商品説明より〜 《「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生 を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築き あげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。 7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。 「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」 という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選びながら、 劇的な生涯を送ることになる。 トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、 化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。 そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語 翻訳や研究の手助けなどのアルバイトをはじめる。あまりに研究熱心な彼に、 教授は研究所での職を用意してくれるのだが、「本能的にまだ落ち着くべき ときではないと感じた」彼は、ふらりと季節労働者の生活へ戻ってしまうのだ。 「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠の よそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」。 自己と徹底的に対峙し、自己欺瞞と戦いつづけたエリック・ホッファー。 まず学ぶべきなのは「学問」そのものではなく、彼が貫いた学問への、 そして、人生への「姿勢」かもしれない。》 ▼ いずれの言葉もシンプルで、鋭く突き刺さってくる。辿ってきた人生が、 究極の哲学への求道者の姿そのもの。戦場の真只中で、独り、戦う、狙撃兵 のようである。労働に励んで、28歳の時、「今年の終わりに死のうが、 10年後に死のうが、いったい何がちがうというのか」という感覚に見舞われ、 自殺を図るが、未遂に終わる。そこで、「曲がりくねった終わりのない道と しての人生を」を送ることを決意。その後、10年を、季節労働者として カルフォルニアを徘徊する。青年期に読んでいたら、間違いなく人生が変わった いただろう。「永遠のよそ者」「他の惑星からの訪問者」とは、言い得て妙。 人生を道として求めれば、この二つは、強弱あっても、当然ついてまわる。 ・・・・・・ 2014年06月30日(月) 4855,閑話小題 ー完全自動運転の車が * ロボットカーが現実に? 最近、グーグルとか日産が、ロボットカーの公開を始めた。 それも、2020年までに販売?とか。初めてニュースで見たときには、 思わず目を疑った。SFの世界でも、自動運転車など聞いたことが なかったが、今では、実際に試作車が走り始め、販売時期まで明示している。 ネット辞書には、『ロボットカーとは、人間の運転なしで自動で走行できる 自動車。日本語では「自動運転車」』とある。それが現実に現れ出るとは・・ ウェアラブル・パソコンや、ロボット掃除機にしても、一時代前には考え られなかった商品が次々と、現れ出てきている。デジタルによるユビキタス の限りない進化のため。 面白い時代である。 * つれづれに ースズメとエールの交換 夕方、庭で一匹のスズメがピイピイと呼びかけてくる。これまで、ベランダ からのペットのインコが呼びかけに、口笛で答えていたが、今度は庭のスズメ の呼びかけに、口笛で答えている。実際はインコに興味があるようだが。 エール交換も20分経った後、ドアを開けると、一直線で飛んできて、2Mの ところで、慌ててトンボ返り。可愛いものである。で、連日、同じ時間帯に 鳴きかけてきている。 よく観察すると、他の仲間もいるようだ。インコが、 家人を求めて鳴いているのがスズメを引き寄せるようだ。 御隠居は御隠居で、日々、面白い発見がある。 * 考えてみたら、今年も折り返し、ですか! 明日から、7月。今日で、今年も半分、過ぎてしまった。 例年、前半は比較的、落ち着いているが、後半に、大きな事件が起きている。 今年は、現在、行われているワールドカップが、メインで、それが今年の境目。 再び、アルゼンチンの債務不履行が、出てきている。これまで、ロシアの クリミア半島の奪取が起きている。韓国も、多くの民度レベルが問題として 表立ってきている。北朝鮮や、経済等の問題から、あの大統領では、ますます、 脆弱になっていく。ある意味で、近未来の日本の姿である。 問題は、中国を筆頭にした後進国と、欧米の経済問題。それに加え、日本の 6年後の東京オリンピック開催の決定が、後で禍根を大きく残すはず。 大震災クラスの経済のクラッシュが、いつ何時、起きても不思議でない 綱渡りの日々が続くことになる。『前半は、経済クラッシュが無かった』が、 隠れ大ニュースかもしれない。 私は、とにかくも、半年、無事! ・・・・・ 2013年06月30日(日 4488, 閑話小題 ー今年も、はや半年 * 今年も、はや半年 今年も半分が過ぎてしまった。経済は円安、株高で少し微風が吹いているが 何時、破裂するのか予断が許せない。先日、読書日記の『静かなる大恐慌』で、 既に世界は恐慌に入っているというが、現在の日本には、その認識が少ない。 表面は静かだが、水面下は一日一日と深刻化している。何時、何処で、歴史的 大事件が勃発するのか。これは発生するまで、誰も知るすべがないが、間違い なく起こるのは確か。 株式の暴落は大方が9月か10月に起こるが、年例行事 にように、何とか翌年に引き伸ばしているのが現状。「数年来、恐慌だ、戦争だ、 と騒ぎだてているが、何にもないじゃないか?」というかもしれないが、表て 立った時には、国家非常事態。とはいえ、膨大は不良債権も、国家間の決め事 なら、静かに沈殿させて先延ばしをしておけば、それはそれで罷り通る。 個人的には、これだけ平穏で落ち着けたのは希。早朝から就寝するまで、 ほぼ同じ日程を繰り返している。 * 今年に入ってシネマ、28回 リタイアから三年目に入って気が緩み始める現在が、ストレスからくる ウツ症が来そうな時期。刺激的?人生を過ごしてきたので、反動は大きいはず。 早朝から、ネットや、ポタリング、読書、スポーツジムにと、スケジュールを 組み何とか落ち込みを防いでいる。現在はストレスの無いのが一番のストレス 状態? 週に一度の映画鑑賞は、費用対効果という面でも非常に効果がある。 これまでシネマにいった回数を数えてみたが、26週で28回。行かなかった 週が二回。週二回が4回もある。これまで一度も70点以下が無いのが良い。 私の評価として、邦画の平均80点に対し、ハリウッドは90点。デジタル技術 の大画面の迫力は圧倒的である。邦画の見劣りはあるが、3〜4回に一度位が 丁度良いバランスである。卓上型手帳の週単位のページに入場券を貼り付けて いるが、内容は殆んど憶えてない。これだけはネットの評価そのまま。もちろん、 それを確認していく。家のTVで、シアターで、「デジタルが創り出した 仮想空間の世界に浸かる日々」になる。 ・・・・・・ 2012年6月30日(土) 4114、財政恐慌 「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著) 昨日、たまたま図書館で見つけた本だが、丁度良いタイミングに知りたい内容 が書いてあった。「これまでは序曲に過ぎない。2012年からが財政恐慌本番 の年である!」と、欧州の金融恐慌の最後の死に至る無限ループが手に取るように 分かりやすく書いてある。「本来の経済の火消し役であるべき財政政策、金融 政策がなぜ現在の金融危機につながってしまっているのか?」 金融危機を お金を刷ってばらまくことで解決しようとする(漏洩金融)財政政策により、 グローバル経済における金融と財政の死に至る無限のループを以下の述べる。 ≪グローバル経済において、ヒト・モノ・カネは容易に国境を超え、その飛躍と 拡散が行く先々で様々な問題を引き起こす。 ところがそれら諸問題の火消し役 を果たすべき国々の財政は、国境を越えられない。このミスマッチが国々の財政 政策にかつてない負担をかけ、金融政策をかつてなく無力化する。そして、 重みに耐えられなくなった時、起こってはいけない 財政恐慌が発生する。≫ ≪ リーマン・ショックそのものは金融恐慌だった。国境を越えて暴走が もたらした恐慌である。かってなく巨大で、迅速で、複雑で、公域に広がり をもつカネが、金融の大河に溢れて超弩級の洪水を引き起した。 それがリーマン・シックに他ならなかった。この空前のスケールの グローバル恐慌に、国境を越えられない国々の財政が立ち向かったのである。 勝敗は目に見えていた。しかも、国境を越えて大きな過ちを犯した。彼らは、 なにはともあれ、経済活動をリーマン ・ショックによる落ち込み前の段階に 押し戻そうと躍起になった。そのために、空前の財政大盤振る舞いに乗り出した。 あの時、アメリカの財務長官だったポールソンが何と言ったかをご記憶だろう。 金融恐慌をせき止めるために、彼は「バズーカ砲を用意した」と。 借しげもな火薬をつぎ込んで、銀行の不良権を買い取る。傷ついた金融機関は、 どんどん重荷を軽くしてあげる。負担は連邦政府が全部肩代わりしてやろう。 迫力はあったが、そのおかげで金融機関の痛みが財政の痛みに転化することと なった。他の諸国においても、同じことが起こった。その道に踏み込むとする 国々もあったが、結局は、金融の痛みを財政が肩代わりする流れに誰もが 巻き込まれていってしまった。そもそも、リーマン・ショック発生前夜に おいて、国々の経済は明らかに危険すぎる経済的な高みに上りつめすぎていた。 だからこそ金融恐慌という名の大洪水力発生した。それなのに、リーマン・ ショック後における国々の財政は、あの高すぎ危険な山の上に、経済活動の 水準を押し上げようと必死になった。≫ ▼「日本は既に輸出主導、円高対応、成長戦略を目論む局面から、成熟戦略へ 入っているのではないだろうか」と、今後の日本の進む方向の転換の必要性 を説いている。今だ「成長なくして生存なし」という言葉が支配しているが、 無理な道理を通そうとするため、財政出動の繰り返しになる。結果として 金融恐慌の原因を作り、そして世界恐慌へ 向かっている。 その限界が年内、2012年問題である。 ・・・・・・ 2011年06月30日(木) 3748, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −18 ー「ジャズ完全入門!」後藤雅洋著 ー � 【 聴き手のほうから音楽に寄り添わなければわからない、という理由は、 もう一つある。それは、ジャズが異文化に属しているという事実である。 いまとなってはポピュラーミュージック、ロック、それにクラシック音楽も 含めて、我々を取り囲む音楽環境はほとんどすべてと言ってよいほどに外来種 のものとなってしまったので、ことさらジャズの異文化性を取り上げても、 ピンとこないかもしれない。しかしアメリカの黒人音楽として誕生したジャズ は、その文化的な背景が我々とはかなり違っているので、私たちの素地の ままの感性で判断しても、その狙いがわかりにくいということがあるのだ。 たとえばカウント・ベイシーのバンドなどは、よく演奏のエンディングを一度 終わったように思わせておき、また繰り返すというような芸を見せるが、 その回数はお茶漬文化の僕らの感覚から言ったら、少々「くどい」と思わせる ほどなのだが、これは黒人音楽の特徴の一つなのである。... (以下、字数の関係上カット12年6月30日) ・・・・・・・ 2010年06月30日(水) 3383, 「だまし」の心理学 ー1 二ヶ月前にも、この著者・安斎 育郎 (著)の「不思議現象の正体を見破る」 を、ここで書いたことがある。その中で「だまし」に絞って書いた書である。 重なっている部分が多いが、これはこれで面白い事例が次々と出てくる。 固定観念を巧く利用した手法は、なるほどと感心するが、騙していることすら、 意識をしないツワモノに出くわしてきた。倒産で資金繰りのため、我を忘れて 身近なものから借金のために「だまし」を仕掛け、その結果、詐欺師のウワテ をいく手法で親戚・友人を騙していくのを身近で見たことがある。 浅ましいというか、見事というか、身が凍るようだった。 ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー 「だまし」の心理学ー 安斎 育郎 (著) =まずは、アマゾンの内容の紹介より= ≪ 世の中には、さまざまな「だまし」があふれています。最近問題になった、 マンション強度偽装、食品の消費期限偽装、振り込め詐欺、盗作、必修科目 履修漏れ、テレビ番組の捏造などなど、どれも広い意味での「だまし」です。 また、推理小説や手品、トリックアートなど、人を楽しませるエンタテイン メントとしての、罪のない「だまし」というものも存在します。本書では、 古今東西、さまざまな事例をとりあげながら、人はなぜだまそうとするのか、 なぜだまされてしまうのかという疑問を、図説を使いながら解明していきます。 自称霊媒師による詐欺行為や、UFOやネッシーのニセ写真などのトリックを 暴きつつ、霊やたたり、超能力は存在するのかを科学的に分析。また、なぜ 人々はスピリチュアルなものに惹かれ、カルト宗教に心を奪われるのか、 心理的、社会的な面からもアプローチします。≫ ー その幾つかを紹介してみる ー * かって虹の観察で、どこでどんな地震が起こるかがわかると自称していた 人がいた。その人M氏は、虹の色の濃さや持続時間に基づいて地震の予知を していた。その予知はハガキで知らされていた。たとえば、8月2日の午前2時に 某地方で震度4の地震があったとする。近所の人が8月2日に郵便受けを見ると、 二日前の消印の付いたハガキがあり、差出人がM氏になっている。 その文面には「8月2日の午前2時に某地で地震が起きる」と書いてある。 それで、予知が本当と信じ込んでしまう。 ところが、これが騙しだった。 M氏は自分宛によく「文面や宛名などをエンピツで書いたハガキ」を出していた。 このハガキこそが、虹による地震予知のトリックだった。これをどこかで、 地震が起こると、自分宛に送られたハガキに書かれたエンピツの文面を消しゴム で消して、近所の人の名前と、地震の起こった日時と、場所を書き込んでいた。 そのハガキを、自分で入れにいっただけ。知らない近所の人は驚くわけである。 稚拙なトリックだが、騙すに充分である。 ・・・・・・・・ 2009年06月30日(火) 3008,今年も半分が過ぎた ・新インフルエンザが発生し、パンデミックになったが、弱毒性の ためかまだ落ち着いている。問題は第二波のくる秋口。 ・去年の9月15日に起きた金融危機の直撃の影響が身辺にも影響を始めてきた。 アメリカのGMとクライスラーが倒産。シティなどのアメリカの金融機関が 実質国家管理になった。 ・1月末にオバマが正式に大統領に就任、その政策転換が具体的に見え出してきた。 ・北朝鮮で、原爆の実験が行われたが国内的に不穏な動きが出てきているようだ。 毎年の傾向だが、今年も大きな事件は後半に先送りになった。 去年が、世界的な金融恐慌発生がキーワードなら、今年は新インフルエンザの パンデミック。要は秋口からの二波で猛毒になるかどうかだが、後進国で猛威を ふるった時の医療体制の不備が最大の問題。この新インフルエンザが、世界的に 数百万、数千万の死者が出るパンデミックの初期とみるかどうか。 さらにアメリカ発の金融恐慌を、世界恐慌の初期段階と見るかどうか。 この辺の見極めがポイント。歴史的から見ると、悲観的にみる方が正しいようだ。 去年の9・15が起きた時に、アメリカの恐慌を専門に研究している経済学者が、 「今回の恐慌は、20世紀前半の恐慌とは比べようもないほど規模が大きく、 かつ質も悪質である」とコメントしていたのが印象的であった。それが雰囲気と して、底をついたような楽観的な空気が一部あるが? まだまだ初期の初期段階 でしかない。明日からの後半は、更に大荒れの歴史的日々が待っている。 近くに自民党が衆院選挙で解党的な敗北が決定的。民主党が政権を取った後に、 本格的な政界の再編成があり、その過程で終戦後の60年の膿が出てくる。 そして、気づいた時には日本は、更に経済的にも、政治的にも大きく縮小。 (以下、字数の関係上カット12年6月30日)
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2015年06月29日(月)
* 中学校の古希の会 一昨日、湯沢のニューオータニで長岡市立東中学校の『古希の会』に参加。 一次会が17時から19時半、二次会が、その直後から別会場で開かれた。 9割が、そのまま移動。 参加総勢が61名で、女性34名、男性27名の割り。 同期360名のうちの二割弱になるが、年齢からみて多い参加者である。 男は大よそ4分1が亡くなっている。 私のクラスは、52名中、10人出席。 男6名、女4名。市内在住の男は、私1人の参加。県外が4人になる。 死亡は、男27名中7人、女性は2人。 喜寿は、恐らく今回の半分だろう。 連れ合いの看護や、当人自身の問題で欠席が多々あるという。 卒業以来、 初めて会う人が同クラスで二人で、教師と、自衛隊を勤め上げていた。 様々の人生模様があるが、出席者は比較的恵まれた人たちだろう。大病で、 ゲッソリした人が何人かいた。 自衛隊、教師、病院の薬剤師、日立、小松、 など仕事はさまざま。古希となると、元肩書きなどの意識が消えているので、 昔の時代に立ち戻りやすいようだ。多く人が「古希の実感ゼロ」という。 司会を自から申し出たが、思いのほか緊張してしまったのに驚いた。 直前に500mlの缶ビールを飲んだこともある。その上に、一線から引いて、 何かが緩んでしまったということか。17時から19時半まで一次会。 その後、近くのスナック風の宴会場で二次会が開かれた。私は20時53分 の新幹線で帰ってきた。これだけの同期の人が集まるのは、これが最後。 喜寿は、この半分〜三分の二だろう。 翌日の二日酔いは全くなかった。 後は急勾配の坂、70歳代が控えている。特に、男にとって厳しい。 そこで、「あと10年は生きるつもりだったが・・マサカ」の坂が? 私なら「あと5年は・・ マサカ!」になる。プラマイ3歳だから、 二年半を無事なら想定内、先は短い! とにかく古希の関所を超えた! ・・・・・・ 4854,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー24 2014年06月29日(日) * 転進の決断と、次への構想 そこで、新潟駅前の更地と、現在のアクロスプラザ近くの角地の更地を 有効に生かすことが急務と考えた。その角地は兄名義、新潟駅前は私名義。 背に腹は変えられないと、考えに考えた結論が、兄名義の更地を売却し、 新潟駅前に、ビジネスホテルにした遊休資産の活用である。その一角に 当時の稼ぎ頭の学生服を入れる構想。結論からいうと、鉛筆ビルの衣料 量販店の建替えは、時代の要請ではなかったことに逸早く気づいていた。 但し転用可能のビルでもある。兄は、当初に打ち上げたファッション衣料 チェーン化に集中すべきと主張!私と意見が分かれた。 「もし、やりたいなら、出ていってやれ!」と。そこで思い出したのが、 ここに戻った時点で、「実兄との問題もあり、5年間が目安!」と公言して いたこと。「身の引き時!30歳代前半からみて、ここで決断をしないと、 姉夫婦と同じトラブルを、実兄とすることになる。同じエネルギーなら、 新規事業に集中する方が遥かに有利」と、直感が働いていた。あのままでは、 間違いなく相打ちになった。2〜3ヶ月に一度の名古屋、岐阜、大阪、岡山 などの仕入れで、各地のビジネスホテルに泊まっていた。その仕入れ後に、 同行した同僚との現地の料理屋での一杯が楽しみになっていたが、食事代は 限られている。そこで、安いホテルを探し、その差額を加えるしかない。 その出張が宿泊客のニーズを知る立場になっていた。 産地の岐阜駅周辺 にも、客室主体のビジネスホテルがあって、そこを定宿にしていた。 立地は二等地だが、ユニットバスのある格安ホテルである。さらに現在は 無くなったが、倉敷に大学校庭をイメージした、レンガをモチーフにした スケェアガーデンホテルがあった。そのイメージをレンガ外装に、客室主体に したホテルと、学生服ショップを併設させれば、間違いなく大当たりする!と。 で、何度か実兄と衝突をするうち、半年後を期限にと、思い切った次の創業 の決断をする。あの兄に本当に本店が? その後、20期、全て赤字で消滅。 他人事ではない! 激変の時代、利益を出すのは本当に大変である。 これを書いて見えてきたのは、私も、実力相当の結果に終わったこと。 それと、引き時のタイミングの見極めの難しさ、である。 ・・・・・・ 4487, 怒らないって本当は恐い! ー3 2013年06月29日(土) * 怒るとは哲学することである 『怒りの作法』小川仁志 著 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで 「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると、「まだ遣り 残したことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが 沸くという。そして当然、「死とは何?」に行きつく。怒りは対象を 根こそぎ否定し、一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する 怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに 怒りと密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに 疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと 理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。 現代社会とは異なり、 容赦ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らはさ苛立ったことでしょう。 自然は何からできているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の 本質とは何なのかと。その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛上げられてきた。 世の中を説明するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、 カントを生み、へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが 西洋社会で怒りを露わにしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺい するために「真理」を妄信したりするような行為とは正反対の、いわば現実に 対する知的抗議ともいえる営みなのです。 怒りは言葉を生み出します。 怒ることを「黙ってはいられない」などと表現することがあるように、怒りは 人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。それはまさに哲学の営みにとって 不可欠の要素であるといえます。 ・・・当たり前のことに怒る、わからない ことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分自身の人生に怒る。 怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける人生を引き 受ける営みにほかなりません。 まさに怒るとは哲学することである。 ≫ ▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、 エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。 創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み 上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、 彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。 この一連の出来事で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、 怒りの本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を 見ることが出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、 実体験で非常に理解できた。結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出て くるもの。それも、マイナーの方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、 哲学(考えること)する必要性がある。何故、あの時、あの人は、あれだけ 怒ったのだろう? 何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で 何が変わったのだろう? 感情の最たるものは怒りと感動? ・・・・・・・ 4113, 世界は動き出したようだ! 2012年6月29日(金) * イスラエルのイラン攻撃の時期 イスラエルのイラン核施設への攻撃が、現実味を帯びてきた。それに備えて イスラエルは与野党の大連立政権を樹立した。時期は米・韓大統領選挙の前か、 直後の辺りか。シリアの内戦は、その上空をイスラエルがイラン攻撃をするに 丁度良い。反政府軍への武器の供与は、イスラエルと西側がしているはず。 イランを援護するシリアに対し、西側寄りのトルコが攻撃する機会を伺っている。 イランは半年以内に原爆製造の最重要部分が完成する。それが攻撃の根拠。 11月の米・韓大統領選挙は、現政権にとって、最も有効にはたらく。 それとギリシャ・スペイン発の世界恐慌発生が何故か重なる。中国も日本も、 この時期に政権交代期である。 オリンピックが終わる八月半ばから政治も 経済も世界情勢から目がはなせない。既に世界はカオスの入っているが、 これから具体的な世界恐慌、中東戦争というカタチが現れてくる。イランは ペルシャ湾閉鎖で対抗すると、アメリカとNATOの参戦に口実を与える。 その結果、イランは大打撃を受けるが、キリスト教圏とイスラム教圏の文明の戦い でもある。これを機会に世界各国はハイパーインフレになる可能性があり、金融 システムは大きく揺らぐ。世界の金融システム炎上である。オーバ―かもしれない が、これが現実味を帯びてきた。6京円の不良債権は膿みを出さない限り消す ことは出来ない。それにはイランとシリアでの戦争が狙い目で、一石二鳥になる。 ロシアも中国も、それが分かってシリアの現政権を後ろで支えようとする。 小沢も、野田首相も、自民党幹部も、そのことを熟知?しているはず。日本も イスラエル同様に、戦争と恐慌に備えた連立政権樹立が必要条件になる。 民主主義も、目先の正義も、世界恐慌と、大規模のカオスの中では必要が無い。 それを前提に世界は動き出したのである。小沢の離党も民主と自民党の妥協も、 その大きな渦の中から見れば小さなこと。恐慌と戦争に、平時の常識は全て 捨て去ることだ。これは仮説ではない。いや仮説として世界の動きを注意して みると、全てが当てはまる。 世界は本格的に動き出したのである。 ー以上は、あくまで私の独り言である!半年後に、振り返ってみたら? それを考えると原発の全面廃棄など、とんでもない! 必要悪だが、この時世、再稼働すべきである。日本も世界も危機である ・・・・・・・ 3747, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −17 2011年06月29日(水) ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー � 【 ジャスは「曲目ではなく演奏を聴く」と、もう一つ大切なポイント。 それは「ジャズは、聴き手が音楽に寄り添わなければ楽しめない」ということ。 音楽を二通りに分けてみると、ポピュラーミュージックや歌謡曲のように、音楽 のほうから「ね、聴いて聴いて」とばかり優しく聴き手に寄り添ってきてくれる ものと、クラシックやジャズのように、ある程度受け手の側が積極的に音楽を 理解するよう努める姿勢がないと、そのよさがわかりにくいものとがある。 これは、聞いてもらってなんぼの商業音楽と、ちょっと嫌味なコトバだけど、 「芸術性」を持ってしまった音楽の違いであるといってもいいだろう。 厳密に言えばジャズは大衆芸能から生まれたものなので、その昔は「ゲイジュツ」 というようなご大層なものではなかったのだが、ある時期から、やっている ミュージシャンの思惑とは関係なく(もちろん自覚していた人もいるけれども)、 否応もなく芸術性を持ってしまったのだ。これは・国宝に指定された仏像のこと などを例にすると、わかりやすいだろう。 はるか昔、お寺の仏像は信仰の対象 であり、その作り手は自分が芸術家であるなんて思ってみなかったろう。 しかし後世に、いつしか博物館に飾られるような美術的価値を持ってしまう ことがあるように、大衆芸能であったジャズが芸術性というややこしいものを 背負ってしまったと考えていただきたい。そしてこの芸術性というような ものは、とうてい一口で説明できないけれど、少なくとも、世間に流通している 商品のように口当たりのよいものばかりでもなさそうだということは、ご理解 いただけるだろう。有り体に言って、芸術とは、商業音楽のように誰もが喜んで 購入するような多数決の世界とは別の原理で出来ているものだし、結果として TVのワイドショーのように「万人が理解できる」といったものでもない。 (字数制限のためカット2012年6月29日) ・・・・・・・ 3382, 考えない・日本人 2010年06月29日(火) 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著) * 家畜人間ジャップ ーアマゾン、内容紹介、よりー ≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では 人間の歴史は完全に代わり、人間の条件も全く変わった。これだけは確かなこと。 911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かである。911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば 「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。 私は 「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、 ヤラセであり、捏造であり、その他どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府 が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信する。 なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じた からである。次に考えたからである。知る努力をしたからである。そのときに 私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫ ー以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判。ー(P/86) 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。 江藤淳なども その中の一人だったが、あのようなろくでもない日本人のクズが、モルモット 代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人 モデルとして研究すれば、その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、 一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。 (字数制限のためカット2012年6月29日) ・・・・・・・・ 007,誰が電気自動車を殺したか? 2009年06月29日(月) 昨日の午前、何気なくWOWOWに回すと、「誰が電気自動車を殺したか?」 というドキュメント映画を放映していたが、時が時だけに、その内容に引き 込まれてしまった。GMの倒産を暗示している内容で、映画の題名が良い。 19年前に画期的な電気自動車をGMが発表し、レンタルで貸し出した。 しかし電力モーターの普及に不利になる多くの業界の圧力の中で、何時の間 にか消えていった。その犯人を追及する内容。 犯人を自動車メーカーGM、 石油メジャー、アメリカ政府、消費者、マスコミ、州環境保存局、などと設定 して、具体的に探っていく。 ーその映画内容の紹介のHPからー 「誰が電気自動車を殺したか?」(クリス・ペイン監督)。2006年 舞台は ロスを中心としたカリフォルニア州。米自動車大手のGMが1990年に発表した 画期的な電気自動車「EV1」がさまざまな理由で、この世から葬り去られる までを克明に描いている。当初、高性能で環境にも優しいEV1は羨望の的。 「とにかくスピードが速いから、反則切符切られるよ!」(俳優トム・ハンクス) も大絶賛。ところが石油業界から「石炭火力発電だって大気汚染の原因」との 声が上がって風向きが変わってくる。低公害車の販売を義務づける法律も骨抜きに。 トラブルも重なり、GMはリース中のEV1を回収し始める。もともと販売はなく リースだけで市場に出回ったEV1は2005年3月、同州から完全に姿を消した。 そのころGMが大々的に販売していた車の一つが大排気量の装甲車のハマーが皮肉。 ちなみに、そのハマーで環境問題を訴える催しに颯爽と登場するのがシュワルツェ ネッガー州知事。まるで笑い。 そのEV1自体にもトラブルがあったり、 技術的に未熟な面があったが、作品は地球温暖化の恐ろしさを訴えた 「不都合な真実」(2006年)に勝るとも劣らぬ衝撃的な内容。 ▼ 現在のアメリカの恐慌の原因を、その事例として、急遽つくられた錯覚 するようなアメリカの社会の歪みを炙りだした内容で、三年前に作られていた というのが救い。現在、車一台あたりの部品が3万だが、電気自動車になると 一万で済むという。ということは、部品メーカーが半分から3分の一に減り、 組み立ても同じことになる。既存のメーカーは規模が大きいところほど、 今後の転換が難しくなるのである。 ・・・・・・・・・・ 2643, 戦略+夢・ノート 2008年06月29日(日) 大学ノートサイズのノートを、文庫本版と、バイブル版のサイズに変えた。 文庫版に統一するのが本当なのだろうが、あと一月で結論を出すつもりだ。 サイズを小さくすることで、携帯に便利ということで、これだけ変えるとは 思わなかった。文庫版の薄いものなら常に持ち運びが出来る。 常に携帯できる のが、私にとってのポイントだった。早速、日常の思いを書く「随想日記」 「哲学ノート」と、5年?10年先を考える「戦略+夢ノート」を作った。 特に「戦略+夢ノート」が面白い。 5年を基点とした中期長期ノートとしたら、 どんどん書きこめるのである。そこに「7つの習慣」の「ベストの敵はベター」 を、副題として書き込んでみた。5年後(?10年後)を考えるということは、 5年前(-10年前)を振り返ることになる。ノートを開き5年先を想定することは、 「潮流とは何か」を考えることになる。長期の装置投資を事業するものにとって、 この程度の専用ノートを書き続けるべきであった。一度気がつくと、前から、 こういうノートを専用に作っておかなかったことが悔やまれる。ただし、これが 何時まで続くか自分でも楽しみである。(数ヶ月で自然消滅の可能性もある) 「モーニングページ」(毎日思いのまま書き込むノート)は、会社にきてからの 「ランチページ」として続いている。朝はこの随想日記を完成し、アップする ことと、ウォーキングを優先している。(字数制限のためカット2011年6月29日)
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2015年06月28日(日)
『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談 * 聴覚の方が、視覚情報より根源的! 全盲の辻井伸行が、譜面をみないで多くの曲を弾きこなすことに不思議?と 思っていたが、「皮膚の外側全部が宇宙」と聞くと成るほど、「聴覚の方が、 視覚情報より根源的!」というのも納得できる。 〜その辺りから〜 ≪ 堤◎ ー目に見えるものだけを信じることはなぜ危険なのでしょう? 佐治◎ 一耳のほうが優れているともいえます。目は見たいようにものをものを 見る特性が顕著です。 聖書にも「神の姿をかたちづ〜てはいけない」と書かれ ているでしょう。神の姿が見えようとすると、自分に都合の良い神をつくりだして しまって、極端の場合は、その神の命令によって、という思い込みから殺傷事件 を起こしてしまう。 それも、脳のメカニズムに関係してくるらしいのですが。、 堤◎ ーどんなメカニズムでしょう? 耳との違い?. 佐治◎ ー目は三種類の色を識別する細胞からできています.「RGB」、つまり 赤REDと緑(GREEN))と、青(BLUE)の細胞にどういう光が入るかによって いろいろな色を識別します。 ところが耳の聴覚器官は、二万五〇〇〇種類 くらいの細胞が縦に並んでいる。ある音が片側からやってきた場合、われわれ は二つの耳で、その方向を識別できます。ところが音が片側の耳に入って、 次にもう片側の耳に入るまでの時間差は一〇〇〇分の一秒くらいで、神経の 伝達速度では、間に合わない。となると、音源の方向を識別できないはずです。 そこで・片方の耳から入ってくる音は細胞の上から、もう片方は下から入って きて、その合致する位置から、脳が計算して方向の認識をしている。 しかも、目から入った信号が脳に到達する時間と、耳からの信号が脳に到着 する時間を比べると、耳からのほうが速い。つまり、耳のメカニズムのほうが ある意味では優れています。人類の進化の歴史を見ても視覚情報は、母親の 胎内にいる時にはシャットアウトされている。でも、音だけは聞こえている。 視覚情報のほうが優先されているということです。聴覚情報は、より根源的 ということです。 堤◎ ーならば目の不自駐方の感じ方は全然違うのでしょ-か? 佐治◎ ー生まれながら全盲の人の言葉を借りると、「先生にとっての宇宙は、 月とか太陽とか星なんでしょうけれど、ぼくにとっての宇宙は、皮膚の外側が ぜんぶ宇宙なんです」という。すごいですね。・・・ 佐治◎ ー目が不自由で、耳は健常な人と、逆に耳が不自由で、目は健常な人 とでは、感じている世界はまったく違うようです。 佐治◎ ー全盲のピアニスト、辻井伸行さんによると、カルテッドでの共演など、 通常はアイコンタクトで合わせますが、彼は、相手の呼吸を耳で読むといって いた。われわれには五感があるが、そのなかでいちばん深いところに入って いくのが音情報です。≫ ▼ 動物は海中から陸上に、上がって進化?してきた。海中は視覚より聴覚の 方が生存競争に有効に働くため、人間も、その流れを引継いでいるのだろうか。 ウツの対策に音楽療法があると、この書で述べているが、iPodで軽音楽を聴き ながらの早朝の自転車散歩で、その実感は確かにある。 情報端末の進化は、 聴覚、視覚情報を、より手軽に修得可能にする。 ・・・・・・ 4853,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー23 2014年06月28日(土) * 仮店舗と、本店ビルの建設 設計も終わって、ゼネコンへの見積もり。長岡駅前の一等地もあって、小さな 規模きかかわらず、多くのゼネコンの見積もり依頼があった。そして最後に、 大手の大成建設と、準大手の淺沼組に絞られた。しかし、500万の金額の差で 浅沼組になった。 準大手の淺沼組社長が、山本五十六元帥の元直属の部下で、 何もあっても取れとの厳命があったと、後で聞いた。しかし、500万の差が、 実はアーケードの見積もり落ちと、後で判明し、請求してきたが、話が違う!と、 トラブルになりかけたが、最後は相手側のミスと、決着。今から考えると、 建設は、一割以内の差なら、最大手を選ぶのが順当だった。ただし、浅沼組も、 悪くはなかったが。見積もり過程で、得体の知れない建設業界の不気味さを 感じ取っていた。談合で、殆どが決められる建設業界の(マフィアのような) シンジケートであるる。それも10数年前に社会的大問題になって大きく 変わったが、現在でも、それは厳然と残っている?はず。 ところで、ビル完成まで、どうするか?で、駅前に、たまたま撤退した ばかりの専門店街があった。その権利を、母の従兄弟の元市長がが持っていた 関係で、入店することにした。そして7ヶ月後、11月に新規オープンになる。 新店舗の開店も順調にいったが、直ぐに気づいたのが、売場面積を三倍にした 割に、売上げが、思いのほか伸びない。順調に伸びたのが、学生服の売上だけ。 既に、時代が車社会に入っていて、郊外店舗への流れが本格的になっていた。 その頃、仕入先の産地も、繊維不況で大きな曲がり角に立っていた。 それと大型店の影響で、駅前立地も本格的衰退の兆候を現していた。 その頃、チェーン店を目ざすクラブのセミナーの講習に三ヶ月に一度の割に 聴講にいっていた。そこでは『早く、新業態の店舗を開発し、現業を潰すべし』 と、繰返し、聞いていた。 現に、この10年間、各地で、それを目の当りに してきた。一息を入れたとき、全エネルギーを、店舗運営と、仕入と販売に 縛られる日々に、自分の限界を感じるようになっていた。その頃、ヨーカ堂に 出入りしている紳士ファッションメーカーが訪ねてきて、取引をしたいという。 ヨーカ堂に入れている商品の一部をブランドを変えるので、取引をさせて欲しい という。 ところが、その商品が嘘のように売れるのである。要するに全国的 ホット商品ばかり。内心、「これは!」の声。新興の大手チェーンには、 短期的には闘えても、長期的消耗戦では、勝てないのではないか?である。 本店の建替えも落ち着いた頃、ペガサスの教えのチェーン化に、実兄は、 やる気満々!私は、逆に自信が喪失。考えてみれば、私に会社の資産はないし、 縛られるものはない。引き時では?と。 話は変わるが、本店を開店した後に、その成功の祝いに、30人を連れて、 ハワイ旅行に行くことになった。それが、長岡での花。山場であった。これが、 それまでの疲れ全てを取り払ってくれた。そういえば、同じことを新潟駅前 シリーズでも、やっていた。その時々を仕事の合間でレジャーも楽しんでいた! ・・・・・・ 4486, 静かなる大恐慌 ー3 2013年06月28日(金) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) * 第二次グローバル化のゆくえは? この地球規模の混迷の行きつく先は、どうなるのか? そう楽観的ではないだろう。ーその辺りから ≪ 第一次大戦後には各国間の貿易が再開され、金本位制への復帰が進むなど、 戦前世界への回帰が模索された。しかし29年に始まる世界恐慌から、各国は 保護主義やブロック化へと雪崩をうって、保護主義やブロック化へと突入して いった。世界経済を統合するグローバル化の動きは、世界経済を分断する 脱グローバル化の動きに急速に切り替わり、貿易をめぐる国家の「経済戦争」 が激しくなった。それが第二次世界大戦へつながっていった。 そして、 それは第二次世界大戦で終わりをとげた。 それでは第二次グローバル化は、 どのような結末を迎えるのか。まず、当時と現在とでは状況が違う。 第一次当時は、予期せぬ経済変動に対し、各国経済はあまりに弱かった。 しかし、現在は先進国を中心にした労働者を保護する制度や、銀行や預金者を 保護する制度が幾重にも張り巡らされている。・・加えて、当時の金本位制度 という国際金融システムに問題があったといえる。多くの点から考えても、 現在のほうが遥かにショックに強いといえる。しかし、それがいえるのは先進国 だけ、新興国は遥かに弱い。二度のグローバル化に共通しているのは、輸出を 中心に成長する新興国が急激に台頭してくること、そして一たびショックが 起きると大きな打撃を受けるのも新興国であること。 世界はいつも、弱い鎖 から切れていく。アメリカで始まった現在の危機は、欧州に飛び火をした。 それも経済力の弱いギリシャに火がついた。これが別の地域、特に輸出を 伸ばして急成長をしてきたBRICsなどの新興国へと波及したとき、 危機の複雑さは一挙に深まっていく。≫ ▼ 著者は、100年前のような二つの大戦が起るかどうかまでは言及してない。 しかし、中国や北朝鮮のような新興国が現に存在している。内部の基盤が 危うい国は、それをカバーするために世界大戦やむなしと考える危険がある。 それだけでない、スマートフォン(小型パソコン)が一般大衆に普及したとき の危険性は計り知れない。政府より大衆の方が、情報を知り抜いてしまうからだ。 20、30年前なら数億、十億円もしたコンピューターが、誰もが持ち活用 した時の社会的影響は想像を超えるだろう。大きな政府をつくったとして、 ネットで結びついた力の終結は誰も予測不能だろう。静かに恐慌は進んでいき、 混沌は当分の間、続く。 隠れた正体は、「情報化社会の本格的到来」である。 ・・・・・・ 4112、閑話小題 ー血圧 2012年6月28日(木) * 血圧 血圧が高めのことは知っていた。しかし毎日これだけ運動をしていれば 大丈夫のはずと、たかをくくっていた。ところが、家内が先週末、ドラッグ ストアにある血圧計ではかったところ、思いのほか高かったと聞き、一昨日、 スポーツジムにある血圧計ではかったら、何と165もあった。ヨガを終えた 直後なので血流が良過ぎたのか、それとも・・ そして昨日、一時間半の 運動の後、怖々とはかってみたところ、130だったので、ホッとした。 しかし、これでも高いようだ。ジムに通い始めた頃には月に一度は見ていたが、 だいたい130代だった。ネットによると、≪ 日を変えて何回か血圧を測定し、 いつも拡張期血圧が90mmHg以上、あるいは収縮期血圧が140mmHg以上であるのが 高血圧の診断目安≫という。これからすると、私は、ぎりぎりセーフになる。 塩分と糖分に関しては、意識的に最小にするようにしてきた。体重も30年間、 体重も増えることもない上に、身体が重いと思ったことはない。 * 欧州発世界恐慌の瀬戸際 (同じことを繰り返して書いているが) ギリシャのやり直し選挙で緊縮派の勝利で、目先の世界恐慌の火種を何とか 消した。しかし、スペイン国債金利が7%を超えた。UCBなどが融資を決定 をし何とか、これも乗り越えつつあるが、何時までも続くわけでない。 一度、 火がつけば、世界の6京(6千億ドルの10倍)の不良債権が表立ち、世界中 の企業と銀行の連鎖倒産が出ることになる。これはリーマンショックなど 比べようのない事態。そのため何があっても目先、乗り越えざるを得ない。 次の目標はロンドンオリンピックの終了だが、微妙である。先日も、スペイン の銀行28行の格付け引き下げがあった。ドンヨリした暗雲が世界中を覆って いる中、国内政治は大混迷。消費税を上げないと日本はもたないが、引き 上げれば経済は大打撃。 これほど酷い政治と経済の惨状をみるとは! それも、まだ本格的世界恐慌は始まっていないのに、である。 悪いことに 内税のため、増税は実質は経費アップになる。その上、売上減は必至になり、 中小・零細企業は大打撃。もう私にとって影響は少ないが、一歩、ひいた目で みても恐ろしい。ある朝、何処かの株式市場で暴落が発生、その日を境に 世界経済は大混乱に陥る。解っていても手立てが無いから、ことは深刻。 ・・・・・・ 3746, 閑話小題 2011年06月28日(火) ◆ エイズ並みの、恐ろしい性病 人間、ギリギリに立つと、本性が出てくるもの。その中で最もリアルに 出るのが「他人(ひと)のせい」にする悲しいサガ(性)。人間には、 「あなた群」というのがあって、色いろな気持ちや体験を通して培った感覚や、 体の細胞たちからの記憶が、人の中に蠢いている。過去の色いろな感情や 感覚が、塊になって、その時々の感情や感覚を仲間として同居していて出番を 待っている。その一つが「他人(あのひと)のせい」病である。さしずめ、 今回の倒産劇の「三つの震災」を倒産理由にしている我が内なる、それである。 そう書きながら、これらの八割が原因と脳の奥からの声が聞こえてくるが・・ 原因や責任転嫁は動揺から生じることが多い。「他人のせい」は、メビウスの 輪で、「原因は自分にもある」ことに気づかなくしてしまう。東北大震災も、 あれは数百年に一度の天災が原因である。そこまで、想定できないのは自明。 それを政治は言明できないという恐ろしい事態である。 ◆ 3D仕立の靴下とスポーツシャツ 「父の日」に、次男からプレゼントが送ってきた。ネット・ショップから だが、包装を開けてみると、靴下二足。白系と黒系の無地もので、よく見ると、 立体的な足の形をしたモノで、足の部分ごとに縫い方が違っている。 それも、縫い目がない。足にピッタリ密着するようになっている。 分かりやすくいえば、足袋風ハイソックで、指先、踵、そして土踏まずの箇所が、 それぞれに合わせた織り方になっている。一度、TVで、その製造マシーンを見た ことがあった。スポーツジムで、それを履いてみたが、脚が全体が適度の締め 付けで軽快な感じがする。一度履いたら、運動に欠かせなくなる。これなら 2〜3千円を出してでも買いたくなる。ところで昨日、ジム用の着替えの スポーツシャツをと専門店にいったところ、何と「3Dシャツ」のコーナー があった。やはり立体的に上半身の形になっているシャツが並んでいた。 それも乾燥が早いシロモノである。それが千円というので、さっそく買ったが、 これも良い。元々あったのだろうが、ベトナムで、トレード・オフをし価格 ダウンしたのが店頭に並んだので、目に入ったが。これも、デフレの一現象。 ・・・・・・・ 3381, 今年、半年の出来事 2010年06月28日(月) 今年も半年が過ぎ去ってしまった。速いものである。 * 世界からみると、天変地異でチリとハイチで大地震が発生し、 ハイチでは30万人の死者がでた。一昨年に中国の四川で7万人、2006年12月末 にはスマトラ島沖地震・インド洋大津波で20万人が亡くなったが、今年は前半 だけで二つの大震災が発生した。地殻そのものが変動期に入ったようだ。 景気も、欧州に金融恐慌が表面化してきた。ギリシャ、そしてスペインと・・。 経済危機は当分の間、世界中で続く。北朝鮮問題も、再び動き出してきた。 破綻国家が何時、暴発するのか? アメリカの石油流出も大きな問題。 まだ流出が止まってないから、ことは深刻である。 * 国内では、鳩山から管首相へ政権が移行。景気は、エコポイント給付 で何とか最悪の事態を避けているが、実態は二番底に向かってまっしぐら。 社会現象では、ツイッター(ミニブログ)が爆発的に普及始めている。 またタッチパネル式パソコンのiPadが発売された。 これが新聞・週刊誌 ・書籍などを近い将来、淘汰することになる。大相撲で朝青龍が暴行事件で追放。 その興奮が冷めないうちに、今度は野球賭博が発覚、大相撲協会始って以来の 大不祥事に発展した。 身辺では叔父叔母など既に死に絶えたこともあるが幸・ 不幸は無かった。 大きな事件は、年の後半に多く発生する傾向にあるが、 大地震が既に二つが発生、アメリカの原油流出も発生した。後半も、何か大きな 事件が続きそうな感がする。日本経済も土壇場に来ており、暗雲が漂っている。
ところで自分で考えるのが面倒? なら、 俗名を○と×のところに入れておけばよい。 たとえば、著者のように。 面白みはないが。 あの世の名前も、事前につけて おくのもオツである。 合掌!
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2015年06月27日(土)
『立花隆の書棚』立花隆・蒼田純一写真 * 神学と物理学と哲学の三位一体論 書店の店頭で数ヶ月前から黒表紙の『立花隆の書棚』という分厚い本が並んで いた。面白そうだが買うのを控えていたのを図書館で見つけ、さっそく借りた。 その「まえがき」の内容が良い! ≪ 「やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会う のも悪くないが、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象 にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七十を過ぎて、 素直に、何でも、よいものはよい、と言いたくなった」 ・・・(略) 『20歳の君へ』の中で、キリスト教の三位一体説を取り上げ、父なる神と、 子なる神と、精霊なる神が一体であるとはどういうことか、それに対する異論から、 最初の異端、アリウス派が生まれたという話をした。 「イエス・キリスト=神」とする正統的な三位一体論に対して、歴史上、 異論を唱える教派が何度も出ては、異論とされてきたのである。現代においても、 アメリカで最も有力な教派(ユニテリアン)が同じ見解の下に集団を作っていて、 アリウス派の現代版と目されるということを指摘した。 「現代版三位一体論を考えるなら、今こそ、神学と物理学と哲学の三位一体論を やるべきだと思う。それは、光とエネルギーと物質の三位一体論であり、これは 物理学の公式で書き表せば、E=mc²のアインシュタインの相対論と、E= hνの プランクの量子力学から導き出せる。これがこの本を書きながらたどり着いた 一つのことである。・・ 光とエネルギーと物質は、結局は同じものであり、 われわれ自身も、われわれを作ったものも、われわれが作り出してきたものも、 すべてこの三位一体説の中にあるのである。≫ ▼ そもそも光とは? エネルギーとは? 物質とは何か?を知らなければ ならない。結局は同じものというが、それは何か?である。 猫ビルなどの 書棚の写真を見ていると、本という媒体という物質。そこに込められた著者の エネルギー。光は情報・知識ということか。 あるいは、人間そのものも、 肉体が物質、エネルギーが行為、光は情報・知識になる。どれもこれも磨き 続けないと、劣化を始める。 問題は行き先の設定。それぞれ違ってくるが。 ・・・・・・ 4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22 2014年06月27日(金) * 本店ビルの建替えへ そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂の 傘下になっていた。そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発 ビル計画が立ち上がっていた。当地は、その四角にあり、要になるため、当然、 参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも30年も経って寿命もきていた。 私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は当然、大型店に 都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを 建替えることになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。 この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ 設計事務所と、担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、 新ビルの立上げを、身近に見ていた幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの 経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の建物でのベストの傑作の設計。 扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提において、テナントビルなどに 転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。二階以上のフロアーと地下を メインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。 この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗り うつって建てたような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り 相場の3〜5割高で売却が出来た。その買った人物が、その後に取組んだホテル 創業のスタッフだった因縁があった。ニヶ月でコンビ解消をしたが・・その人も、 私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。 10年後には、異種の ブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことに なったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで 一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、 飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。 長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。 何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を 1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。 ・・・・・・ 4485, 怒らないって本当は恐い! ー2 2013年06月27日(木) 『怒りの作法』小川仁志 著 * 日本人はなぜここまで怒らないのか 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 ーその部分を抜粋ー ・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的に とらえられるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。 三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを 秘めた感情。 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める 必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それを うまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。 ・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、 理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらう ことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。 ・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、 喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 ・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに 上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、 自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考えるようになる。 日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。 中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を 睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村 出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、 人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。 もう一つ、気候と関連するものに地形がある。 小さな島国の日本人は、 外部に対して、まず慌て動揺する。 ・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。 30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。 思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を 極めていた。一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・ それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。 権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方が ましだからです。 ▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が 出来ないからである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいか、 ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々の中で憎しみに変わろうと している。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。 そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。 とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。 何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。 ・・・・・・ 4111、閑話小題 ー民主党 2012年6月27日(水) * つれづれに 民主党は一度、解党するしかない。欧州発の世界恐慌が迫っている中、 日本は数年限定の大連合を結集するしかない事態。欧州も刻一刻と危機が迫る。 国債と株式の暴落は、一度暴落が始まると、あとは歯止めが利かなくなる。 その時が世界恐慌である。その影響を一番受けるのが弱体化している日本になる。 その上、アメリカも中国も、非常に危険な事態である。その結果、際どい金融 政策もありえる。それを隠すために、戦争を中東で仕掛けてくる可能性が強い。 イスラエルによるイラン攻撃か、シリア攻撃か、北朝鮮の暴発にみせかけた 挑発か、中国の内乱も十分考えられる。80年前の世界恐慌は第二次大戦で、 それまでの世界の仕組みを叩壊し、その再建を新たなエネルギーとして利用した。 ソ連と、共産中国の台頭、そして欧米の西側世界の制覇である。今度の、 それは、新資本主義中国と、インドの台頭になる。 要は、資源である。 その先導は電気自動車と、新エネルギーと、食料の確保。原発は危険としても 残すだろう。想像を絶した世界の混乱と、創造に向けての動きが始まった。 私も不摂生のため、長くて十年。 混乱の中で新しい創造の芽を見ることが できるかどうか。スマートフォンとタブレットPCが、更に時代を大きく 動かすことになる。 * 民主党の分裂茶番劇 (上記の文を書いて気づいたこと) ー 民主党の分裂劇は要するに、こういうことだろう。 【 反自民党連合の民主党が政権を取ったが、政索公約はを殆んど空約束に 終わった。このままでは自民党か、維新の会とかいう関西系弁護士の新興勢力 に取ってかわってしまう。近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢 チルドレンは、殆ど落選する。ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約 に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば過半数か、三分の二を残したい。 さあ、芝居の始まり。恐慌と大災害の中では消費税の増税など当り前のこと。 その前のすべき国家的リストラなど、この国の体質では無理なのは自明のこと。 宗主国のアメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。 自民党だけには、二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。 ・・・・・・ 3745, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −16 2011年06月27日(月) ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー � 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい 内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。しかし、それは熱狂的な 長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係 の文庫本を借りてきた。その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いて あったのが、この本である。 その「はじめの」の中の次の部分は、 聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。 【 *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの ‘演奏’を聴く音楽である」 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉を はしょって突き詰めてしまえば、これはかなりジャズの本質に追った鋭い答だし、 他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少し ずつ含んでいる。たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられている クラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった昔の作曲家 たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって 再現されたものを聴くことが一般的なので、演奏を聴くことは、同時に作曲 された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏 は過去の作品の解釈、再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、 紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、といった 側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、 「演奏者だけが音楽の主人公ではない」というところが、ジャズとは大きく 異なっているのだ。また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、 あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっていることが多く、 お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くという のが普通の楽しみ方だろう。・・・ 要約すれば、ポピュラー・ミュージックの 世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、 とりわけ現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに 対して通用しないところを思い出してもらいたい。 それらに対してジャズは、 多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的でない。 またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を 「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、いったい何をどう聴いて いいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。 ところが、この何をやっているのかよくわからない「演奏」部分こそが、 ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズ マンたちは、いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立て あげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】 ▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の 個性の 表出として、オリジナリティを証明するための利用対象にしている。 曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。 その個性的演奏がジャズの持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない 限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる 内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴き ながら、これを読むと、この世界が、こんなに深く面白いとは、知らなんだ。 ・・・・・・・ 3380, 閑話小題 2010年06月27日(日) * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表。 10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が 自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。 (2012年6月28日字数制限の為カット) * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」 「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。 手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、 相手の名前は? というと、本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら 裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、 差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた 事例という。 なるほど! (2012年6月28日字数制限の為カット) ・・・・・・・・ 3005,戒名を自分で付けてみた 2009年06月27日(土) 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著 ー読書日記 以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で 「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。早速、借りて読んでみたが、 面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式の ドサクサに故人の苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出 するモノでしかない。それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、 遺族としても心の深くに響くというもの。ネットで調べると、自分で付けるのは 「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 宗派により、それぞれルールは違うが、 浄土真宗(私の家の宗派)は、○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉) が基本 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉 を入れるケースが多い。精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の 部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。それに本人が好きな言葉、 例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。 (最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い) この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を 即興でつくってみた。これも縁である。 私 =堀井八郎 志誠院釈八楽居士(志は母の名の一字、誠は父の名一字) 家内=堀井恵子 慈愛院釈尼恵光 長男 =堀井大 霊覚院釈大道居士 次男=堀井崇史 自然院釈崇駿居士 まあ、決して悪くはない出来栄?である 80ー90点?。 訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌) 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か 葬式屋にお願いすればよい。「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」 といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。 ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた 父=堀井誠作 池行院釈誠道 母= 志麻 報寿院釈尼信華 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。 ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。 丁度良い酒の肴になる。 酒楽院釈酩酊居士 の戒名か? ・・・・・・・・・ 2641, 今年前半の総括 2008年06月27日(金)
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2015年06月26日(金)
『借金人間 製造工場―“負債"の政治経済学』 マウリツィオ・ラッツァラート (著) * 借金苦は権利書と共に、サラバ! 公立、私立大学の6割が奨学金を受けていて、平均300万。旅たち時点で、 既に借金人間である。日本の国債が1千兆円、一人当たり750万の借金を 負わされている。社会全体がローンとクレジットに覆われ、国家予算全体が 国債で半分が賄われている。国家も、社会も、個人も借金人間の塊だ。 ーアマゾンの案内が、ミニ概要になっている。 ≪ “負債"が世界を支配している! 私たちは、借金しているのではない。 金融資本主義によって、借金させられている! 欧州で話題のベストセラー! 現在、国家の“負債"も、個人の“借金"も、世界的に急増しつづけており、 国家財政にとっても、私たちの人生にとっても、最大の脅威となっている。 では、なぜ“負債/借金"は、それほどまでに増大しつづけるのか? 書は、今ヨーロッパで注目される社会学者・哲学者が、経済学から、ニーチェ、 ドゥルーズ/ガタリ、フーコーの哲学までも駆使しながら、“借金/負債"とは 何かを、古代ギリシャから現代までの歴史をさかのぼり考察し、現在では、 グローバル資本主義による個人・社会への支配装置として機能していることを 明らかにした、欧州で話題のベストセラーである。本書は、現在、最も世界的な 注目を集めている問題をあつかっている。とくに興味深いのは、それを表層的な 経済問題の議論を超えて、ダイナミックに歴史的に考察を深めていることである。 哲学者にして社会学者でもある著者にとって、社会的なもののパラダイムは、 象徴的交換ではなくて、“債権者/負債者"の関係にほかならない。 「各個人を、借金を背負った経済的主体に変えること」―これが、我々が現在 生きている経済システムである。 “借金人間"こそが“経済的人間"の新たな 相貌、と著者は喝破する。“借金人間"である我々は、 ・住居を得る権利を持っているのではなく、住宅ローンの権利を持っているだけ。 ・教育を得る権利を持っているのではなく、学歴を得るために奨学金を組む 権利を持っているだけ。 ・現在の経済システムにとって、負債(借金)は、社会的コントロールの願っても ない道具である。それは“人々の未来を所有する"ことを可能にするからである。 つまり“人々の予測不可能な行動"をあらかじめ封じ込めることができる。 ・そして、“借金は返済するべきだという倫理を製造すること"の背後に、 “罪悪感の製造"を見る。 著者は、マルクス、ニーチェ、フーコー、ドゥルーズ/ガタリなどを援用しながら 考察を深める。最も刺激的なのは、現在、われわれは、負債と永遠に手を切る ことができないというところだろう。これは、著者のテーゼの中で最も注目すべき 指摘であるが、人類の歴史において“負債(借金)"とは、太古の社会では“有限" なものであったが、近代化の過程で“無限"なものへと移行し、さらに金融資本 主義の誕生によって、けっして完済することのない“借金人間"が創り上げられて いったというものである。こうして我々は、借金を背負い返済しつづける “現代のシジフォス=☆"となったのである。 ――『ル・モンド』評 ☆ 【シジフォスとは、ギリシャ神話で、狡猾 な コリントスの王。 ゼウスの怒りにふれ、死後、地獄に落とされて大石を山頂まで 押し 上げる罰を受けたが、大石はあと一息のところで必ず転げ落ちたという。】≫ ▼ 消費社会において、常に2割増の過剰消費の欲望が掻き立てられる仕組みに なっていて、そこにローンという落し穴が組み込まれ、蟻地獄に陥っていく。 私の事業が装置産業のため、長期ローンの恐ろしさも知らず、結果は、このザマ。 ホテル4棟のオーナーではなく、最大時に23億の借金の土地屋敷の権利書を 持っていただけ。で、整理をして、初めてそのことに気づく。しかし、 「ただ権利書と相殺しただけ」も事実。だから、これで良かった!が実感で、 何も命を奪われることもない。 経験しなければ、この道理を実感できない! ・・・・・・ 4851,「事業人生を決心して45年」の語り直しー21 2014年06月26日(木) * 旧社員の入替と、パート化 数ヶ月で冬物を大成功させ、その勢いで翌年の春、夏物まで勢いよく商品が 回転した。しかし、次の秋物が、2期目に入ったにも関らず不調に終わって、 その影響で、次の冬物の不調につながった。一シーズン失敗すると、あとの2期に 大きく影響を及ぼす恐さを肌身で知る。その時、何であれシーズン単位の成功が、 翌シーズンの成果の絶対条件!そのため仕入の成功と、良質な知識と情報が 営業成績を左右することを知った。「利は元(仕入れ・情報)にあり」である。 仕入れには、『10、4、2、1の原理』がある。導入期に10の商品を幅広に 展開。最盛期は、それを売れ筋を4を、次に2、最後は1に集中させていく。 見切り時期には、導入期と最盛期の売残り品に、メーカ処分品を加えて格安で処分。 それを円滑にするには、担当者の仕入、販売、在庫調整の即断が可能な権限を現場 に落とさなければならない。スーパーの生鮮食品と同じで、売りきって何ぼである。 それは、月単位か一日単位か、の違いだけ。そこで数値責任を明確にした部門別 管理が必要となる。最初の一年間は、日々、そのため互いの対話が続いていた。 熱くなる反面、冷静な客観性が求められる。そこには、商品、数値、担当、顧客 を鳥瞰する目線が必要になる。 だから、難しいといえば非常に難しい。 その道10年、20年の経験の前任が、未経験者な私には絶対無理!と断言する のは当然のこと。その中で、数ヶ月で、以前より客足が増えたのには、彼らも 驚いたはず。店は繁盛して何ぼの生き物。 ところが、数ヶ月もしないうちに、 残留の社員が次々と辞めはじめた。全く素人の私が仕入れた商品に呆れ、新しい 伝票システム、マニュアル、日報、朝礼など、次々と変る中、過って辞めていった 社員達の中傷があった。辞めていった穴埋めに、パート・アルバイトでカバー するしかなかったが、皮肉なことに、それがプラスになっていた。新規のパートで 応募してくるのは、結婚をして、子供が小中学生になり手が離れ始めた、過って の販売経験者が主。筋金入りで、生活費の補填という目的を持っていて、去って いく人達より遥かに良質。新しいマニュアルや、部門別管理の徹底は、入替わった 人が即日、戦力にする仕組みでもある。新システムは、人件費などの経費などの 激減効果になっていた。その頃、石油ショックの影響もあって、就職事情が大きく 変わり、翌年の新卒に上質の人材が多く含まれていた。 新システムに直ぐに 馴染んだ彼らが、1〜2年で、即戦力になっていた。事業人生を決心して 10年間で得た経験と知識が、瀬戸際の中で、完全燃焼をしていた。 ・・・・・・ 4484, 怒らないって本当は恐い! 2013年06月26日(水) 『怒りの作法』小川仁志 著 生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を顕わにすることは 絶対タブーの中で育った。それもあって『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ーを 学生時代に読んだ時、私の常識と全く逆の内容に驚いた。この本でナチスの大衆 誘導の手法を教えていた。「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念 で煽って集団催眠にかける手法。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を 振り上げ怒りの感情を大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動 のエネルギーの源泉にせよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動の アクセルにせよ」というのだから・・ 当時の私にとって、これは性格を変えて しまうほどのインパクト。私が怒りっぽくなったのは、これ。これを人知れず ノウハウにしたら、突然狂ったと思われる。喜怒哀楽の中で一番疎んじられている 怒りこそ日本人に欠けている。(仏教の影響もある)これを、コミニケーション の扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケで怒りの訴える 強度が一番高い。 もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて抗議しても、 怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。 逆に人間関係を一瞬に破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。 そこに作法が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、 しばしば道徳と勇気の武器なり」という言葉を紹介している。 《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、 「正しく怒ること」が大事ということ。アリストテレスの「中庸」という 思想を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。 怒りに対する「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、 然るべき仕方で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方 であって、こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。怒ることは、必ずしも 悪いことではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。 もっと怒るべきなのに。(p3)》 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。 怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。 そして爆発し全てが破壊する。 怒らないって、本当は恐い。 ・・・・・・ 4110は、私が "日本の自殺"ー10完全な本を作った 2012年6月26日(火) 「極端な平等主義を自殺のイデオロギー」とするなら、情報化が正に平等意識 をもたらす働きをする。日本の民主主義は戦い勝ち取ったのでないため、公平と 平等の見境がつかないのが実情。社会主義は、理念として極端に求めた結果、 集団自殺の道をまっしぐらに歩む結果となった。社会主義圏の崩壊である。 競争による優勝劣敗のシステムは組み込まれていなけらば進歩は無くなって しまい、その結果として悪貨が良貨を駆逐することになる。 その辺の没落の歴史は、正直に歴史の中に現れ出ている。 * 自殺のイデオロギー ー次の部分は、現時点の惨状を予測した「自殺のイデオロギー」である。 【 諸文明の没落の歴史を辿っていくと、我々は没落の過程で必ずといってよい ほど不可避的に発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべき ものに遭遇する。それは文明の「種」により、また時代によってさまざまな形を とってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な平等主義のイデオロギー。 この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体、社会秩序を崩壊させ、大衆社会化 状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化していくのである。 まずわれわれは、戦後「民主教育」のなかにひそむ「自殺のイデオロギー」を 平等主義の観点から吟味することにしよう。日教組イデオロギーに代表される 戦後「民主教育」は、差別反対、人間平等の名の元に、実は画一主義と均質化を 教育の世界にもたらした。 生徒の成績表に「オール3」をつけたり、 「オール5」をつけたりする教師や、成績をつけるという行為自体が人間差別 につらなるとして学籍簿への記入を拒否した「民主的」教師たちの行動は、 ある意味、戦後「民主化教育」のイデオロギーを最も単純な形で表現したもの。 「オール3」教師や「オール5」教師は、臆面もなくこう言ってのけたものだ。 「人間は全て平等である。 出来の悪い生徒ができるのは社会に責任があり、 社会が悪いからで子供には何の責任もない。子供は皆同じように努力したのだ から、全部同じ点をつけるのが正義である」と。人間の能力は決して規格品の ロボットのように平等にできているものではない。人間はその顔形と同じ ようにまさしく千差万別の多様な才能、資質を持っており、それこそが、 人間社会の素晴らしい魅力と活力を生み出しているのである。最も人間的 な教育とは、このそれぞれの子供が持っている多様な個性を思う存分 伸ばしてやることを大前提としなければならないはずである。・・・ 】 ▼ アメリカによって与えられた日本憲法と、民主主義の矛盾が、現在の日本 の自滅の原因になっている。 フランス革命が掲げた自由、平等、友愛の近代 市民主義の諸原理で、自由を優先にすれば平等が無視されるし、平等を優先に すれば自由を制約せざるをえなくなる。「日本の自殺」は、潔癖といえるまでの 平等主義がもたらしたもの。エリート教育を差別として否定する。これでは優秀 な子供の才能の発育が抑えられてしまう。結果がどうであれ、自主独立で生きて きて良かった! 子供たちだけでなく、社会そのものが極端な平等主義、平凡 主義に毒されていた。その社会常識より己の主観を育て、 それで判断することが毒されない道だった。 ・・・・・・・ 3744, 閑話小題 2011年06月26日(日) ◆ 長寿の秘訣 ー� NHKが放送していた「長寿の秘訣について」を、以前書いた。 しかし、何か疑問が残ったのは、「飢餓状態の方が良いのなら、アフリカ や中東などの慢性?飢餓国家の平均年齢が高いはずでは?」である。 問題は少な目ということである。考えてみたら、充分に餌を与えられた 実験用の猿はメタボ気味で7分目の方は、溌剌としていたのは、その3割減 だったからである。本当の飢餓状態では、当然ながら早死にする。 以前、モロッコの片田舎で80歳位の老人に年齢を聞いたら、40歳という。 聞き違いかと聞き直したところ、「生活が貧しく、まともな食事が出来ないので、 この年齢で、老いた風貌になってしまった」と、泣き出しそうに話していた。 腹7分目ならよいが、栄養失調は良くないのである。 ◆ エアロビックス ー� 昨日は、スポーツジムで、エアロビの「ZUNBA」に初参加したみた。 40坪位のスタジオに100人以上が集まり、要は、「洋風の阿波踊り」。 中高年も含め、奇声を発してジュリアナ東京?のタコ踊りを、エアロビックス の場をかりてドンチャン騒ぎをするのである。変わった衣装を着た男の インストラクターに乗せられ、その「追いかけ」7〜8人の若い? 女性たちが先導する中、場は最高潮に盛り上がる。 カーテンで真っ暗な 中で電気が点滅する中、若い女性から主婦、そして中高年まで、狂ったように 踊って?いや、エアロビをしている。 隣の人とブツカリそうな密度の中で ストレスを晴らすように。・・これは健全な欲求不満解消のランチキ騒ぎ。 まあ、考えたもので、健全といえば健全。熱気に呆気にとられ 一番後ろで 壁フラワー・・・ 健全な共同発狂の場も、ニーズなのだろう。 新興宗教は、 そのへんのニーズを知り尽くしている。昔、踊る宗教というのがあった。 とにかく三回参加をしてから判断?と思ったが、これは無理だ。 今度、独りカラオケでも行ってくるか。 ・・・・・・・・ 3379, 改めて、現時点を考えてみると 2010年06月26日(土) 現在の恐慌的様相は、ただ事ではないのは今さらだが、歴史的にみて 如何いうことだろか、改めて整理してみる。これは百年に一度、いや 二百五十年、それとも五百年に一度の歴史的大転換期。 ・世界史的にみれば、五百年前にコロンブスがアメリカ大陸を発見し、 欧州がアメリカ大陸に進出をし、自分たちの文明を世界に押しつけた 時代からの延長の終焉とみるか、 ・二百五十年前に英国から始った近代資本主義が行き詰まりとみるか、 ・80年前にアメリカで発生した大恐慌以来の、第二次の大恐慌とみるか、 ・37年前にニクソンがドルの金兌換制度を止め、紙切れを無制限に 刷りまくった結果の行き詰まりとみるか、 ・20年前のソ連・東欧の崩壊の帰結と見るべきか、 ・9・11とリーマンショックの結果と見るべきか、等々の見方がある。 その6つの潮流が重なっているとみるべきだが、そう考えると、 この経済と社会の変調は簡単に収まる代物ではない。ここにきてネット社会 という情報化が世界中に波及、一部の特権階級が独占していた情報を誰もが 入手可能になった。アトムという原子の世界から、ビットの世界へ重心が移動 を始めた。 ビットはコピーが可能であり無料化を促す。それが進化を 止まらなくしている。 21世紀の視点からみれば、恐慌は今だ体制を占めて いる20世紀的体制の本格的破壊である。哲学的にみればポスト・モダン主義 が現象として姿を現してきたことになる。 日本にとっては、 ・65年前の第二次世界大戦の敗戦、・140年前の明治維新、 ・1467年の戦国・応仁の乱 以来の大変革期にあたる。 目に見えないが、日本炎上とみればよい。この年齢で大激動を目の当たり 出来たことが幸運か不運か? 結局、アメリカの属国で、完全骨抜きにされて しまった日本が「現時点の日本」である。その去勢された姿を象徴するのが、 社民党の主張であり、自民党の残存保守勢力の姿。北朝鮮の金一族がアメリカ、 支配層が自民党と高級官僚と自認している輩、とみれば分かりやすい。 一時期は、国民全体が恩恵にあずかったこともあったが、これからは・・・ ・・・・・・・・・ 3004,そう考えない人はどうかしている 2009年06月26日(金) 「世界は感情で動く」 ー5 読書日記 ー 行動経済学からみる脳のトラップー 21章 「そう考えない人はどうかしている−フォールス・コンセンサス効果」 まずはーフォールス・コンセンサス効果ーとは、 【 自分と他者の間に共有されている「合意性(コンセンサス)」を過度に 見積もる認知的バイアスをいう。つまり、人はある状況における自分の判断や 行動は一般的なものであり、適切であるとみているので、他者も普通なら自分と 同じように判断し、行動すると考えるのである。そして、もし逸脱した他者に 出会うと、 その他者が特別なのか、あるいは変わった存在とみなしてしまう。】 このトラップも陥りやすい思い込みである。 自分の考えが周囲の皆の考えと 同じものであることは、ごく当たり前のことであると思い、そのことに疑いを 持つようなことはしない。 しかし一たびその前提が崩れ、「自分と違う」人が 現れると、その人に何か欠陥があるのではというレッテルをはり、自らの「常識」 に固執するようになる。その辺の町内に居るオバちゃん達の噂話が典型。 世間の目線で少しの差異を見つけ出して非難する「あれ」である。 これは世界一般のことだが。しかし「あれ」と同じ思考形態をしている自分を 見逃している。考えてみると我われの思考形態は、それに縛られていることに 気づかされる。思い込みの強すぎる私など、全くの偏見の塊と自認する。 おかしな新興宗教に教祖様が羊タイプの人を集めて洗脳するに、教義を 「そう考えない人はどうかしている」まで叩き込む。自分の偏見を定説と喚き たてていた変な教祖様が話題になったことがあった。これを自分に向けると、 良くいうと信念。 悪くいうと独断・偏狭になってしまう。松下教も、紙一重の 社内では似たようなようなもの。 共同幻想もハサミも使いようということ。 それもこれも、人間は何時の間にか偏見の塊になっている。で、その偏見で、 偏見を解釈しているのだから、ますます、歪んでいくのである。まあ、それが 自分という壁を作っているとすると、私は何?この随想日記も、「私の偏見日記」 ということになる。他人の偏見は鮮明に見えて、自分のそれは見えないから、 唯我独尊になる。まあ、それが人間か〜。 (後記 その視線で下の文章を 読んでみると、なるほど!「偏見日記」である。 下手に説得力があるから面白いのだろうが、偏見も自覚が必要ということ)
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2015年06月25日(木)
* 欧州旅行、一ヶ月 〜この馬鹿の出来かた! 大学の『海外旅行研究会』という愛好会が企画した40名参加のツアーで、 当時の参加費は30日間で、32万円。他を含めると40万円。現在換算で300万相当。 その前年に、海外旅行の規制が大幅に緩和され、非常に好評だった前年のツアー に続いての企画。当時、親しくしていた友人から、この企画に参加しないかと、 誘われていたが、「私とは別世界」と、決め込んでいた。ところが、たまたま、 軽井沢の山荘で、アルバイト仲間との仕事が終わった後の4人のティータイムで、 近々、海外旅行の予定が無いのが私だけだった。 その時、「自分も行こうと思えば可能のはず。そう、父親が幼稚園の頃から、 晦日にお年玉をもらったのを、積立預金してくれた10数万を、高校時代に選ばせ 買った『科研』の株式が値上がりをしていた。あれを売って残りを父親に借金を すれば可能なはず」と、その夜半に思い立ち、バイト終了後、実家にとって帰った。 まず母親を説得、そして父親を説得した。 その一ヶ月は、馬小屋のような寮生活 とは全く違った世界に浸った。20歳の年齢で、国内旅行の経験も、海外の情報、 知識も殆どない中での欧州を十数カ国の旅行。20年間の固定観念が根こそぎ 壊され、帰国後、数ヶ月は茫然自失。その頃、父が、突然、私の寮を訪ねてきて、 生活の実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。友人関係が、自ずと金持ちの 子弟に代わっていった。その友人達は、スカイラインGT、イタ車のカルマンギア などのスポーツカーを持っていた。彼らのお気に入りが、逆に私のボロ寮の部屋。 一度も、見たこともない底辺の漫画的世界に、逆に安らぎを感じた? 軽井沢の別荘地で見た富豪の邸宅群、そして、友人の私生活を見るにつけ、 「事業を興し勝組になる」という思いが強くなっていった。そして、学生時代 の最終の4年に、武澤ゼミに入会することになる。 事業の最後はクラッシュ? だったが、後悔はない。 高度成長時代の右上がりは熱気が溢れていた。 この温もり、時代が変わって抜けることはない。良い時代に奇跡的生きてきた。 逆目線でみれば、「この馬鹿が出来上がった原因は、この旅行と時代」になる。 ・・・・・・ 4850,閑話小題 ー自動車ウォッチングで見えてきたのは 2014年06月25日(水) * 閑話小題 ー自動車ウォッチから見えてきたことは 22年乗ったソアラの寿命も果て、中古の『マークXジオ』を入替えたが、 後悔をしないため、一週間、地元の中古車センターを10軒以上を見て回った。 そのため、私にとっては、一応ベストに近い選択であった。 これはホンダの多機能車の『オデッセイ』を意識したワゴン車。その差異は、 ターゲットを団塊の定年層にしたもの。座席が三列で、二列、三列目は座席を 倒すと荷台になる。展示場で、隣にあった『マークX』と、ギリギリ迷ったが、 昨秋に製造中止になり値崩れをした、Xジオの方にしたが、気持ちのどこかに 「セダンの方が良かったのではないか?」と、引っかかりが残っていた。 一週間、気持ちを集中して中古車を見て回った結果、あることが見えてきた。 車を選定するに、まず予算。次は何年乗るか? 年齢からみて、7〜8年。 それなら中古車で充分。次は、安全を考え、中型車のセダン、スポーツタイプ、 ワゴン。次は、ひと目で車種が分かりにくく、「屋敷」とのバランスがとれた 外形のものを基準にして、最終的に、これに決めた。ソアラに比べ少し重いが、 半月後の現在、殆ど後悔はない。毎日の信濃川へのポタリングで、信号待ちや、 大手大橋で引きチャリをしながら、通過する自動車ウォッチグが、最近、面白く なっている。その車の選定には、様々な要因が重なっている。それがボンヤリ 眺めていると、面白くて飽きないのである。 そこで気づいたのが、6割が 軽自動車と小型車。雪国もあるが、中型車以上のセダンが意外と少ないこと。 7割がワゴン、SUVか、それに類するもの。それも、ミニバンと、ワゴン車 が目立っている。セダンは、車種全体からみたら大よそ15%で7台に1台。 中型車以上で4台に1台の割合。ワゴン、ミニバン、ハッチバックなどの比率 も、3対1には驚いた。 何か「いい年をワゴンタイプは、いかがなものか」 という引っかかりがあったが、これはこれで?と、納得。 それにしても、 22年で、時代も車も、変わったもの。この程度のことさえ知らない。 人は、それぞれ違った色のサングラスをかけているが、その自覚がない! ・・・・・・ 4483, 電動アシスト自転車に乗って、はや4年 2013年06月25日(火) 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。まずは、その時の文章より ー3131,期待どおりの電動自転車ー 2009年10月31日(土) ≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分の 大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコには15分、 ユニ系のSCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前 近くまで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると、2500歩に なっていた。50分というと5500歩になるから半分近くになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに 乗るぐらい。一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることは なかった。そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシスト の自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、 その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。コースは線路の下 をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋までの登り坂 とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路でペダルをまわす時の 加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。ところで、通販で注文して 送られてきた電動自転車を組み立ててくれた長男が、「すぐに、盗まれるよ!」 というのも分かる。小型のためボックスカーに、簡単に乗せる事が可能だから。 一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、「友達が買って 直ぐに盗まれてしまった。あと数年先がよいと思うよ」といわれ買うのを止めた 経緯もあった。スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫ ▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング (ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、 長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、 長岡大橋に戻り、同じコースを逆に帰ってくる。 冬期間(12〜3月)と雨天を 除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、一日、 14キロで1万キロ、地球を半周、チリ辺りまで走ったことになる。 スポーツチェーンのネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって 大当たり。現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って 買換えるつもりである。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを買う つもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。 来年の購入予定は ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。 最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。 ・・・・・・ 4109, 閑話小題 ーつれづれに 2012年6月25日(月) * タクシー運転手の「声」の投書内容 昨日の朝日新聞の『声』に、タクシー運転手の投書が気になった。 「連休明けから景気がおかしいとか、野田政権の改革なき増税とか、原発再稼動 への批判ばかり。実際にタクシーの売り上げも悪い」という内容。もともと5月 の連休明けに売り上げの一段落ちは恒例だった。としても、今年の落ちは厳しい。 実際に事業を無理をして続けていたら、今ごろには深手で力尽きていたはず。 一年先までの資金繰りが読めた事業だったので、早々に見切りをつけたが、本当に 決断をして良かったと実感している。ホテルの買い手が直ぐにつき、5つの新潟 駅前物件が処分出来たが、現時点では無理だろう。消費税が内税ということもあり、 経費の5パーの負担は限界を超える。その上に、値上げによる売上げダウンは 避けられない。とはいえ、増税以外に収入を増やす手立てがないのも事実。 民主党も自壊段階に入った上、小沢も完全に終わり。あの自民党の面々を見ると、 石原か橋下しかいないのだろう。現場の先端は震撼としているのだろう。 * 原監督の件で、マスコミはダンマリ 土日のワイドショーで原監督の下ネタで大騒ぎをするかどうかみていたが、 殆ど扱いは無かった。読売の渡辺恒夫が恐ろしいのか、影の話合いがあったのか? 一局を除いて、どのTV局も扱い無し。誰がみても後ろに暴力団が関係して いるのは分りきったこと。ということは早かれ遅かれ原監督はプロ野球から追放 になるのが自然の流れ。巨人のスター選手なら、下ネタの2〜3はあって当然だが、 警察に相談しなかったのが致命的。うやむやに闇の中に葬り去られるか、 恐喝犯が逮捕されるか、見もの。 恐喝の二人のうち一人が交通事故?数年前に 死亡しているという・・ 事件が事件だけに、それも事故かどうか? おまけに、リークしたのが元球団代表の清武なら、これ以上面白い筋立てはない。 やはり当分は、これが槍玉に上げられ、その間に、消費税が可決される。 現役の巨人監督のスキャンダルなど、これまで聞いたことがない。 それも輝かしい功績があり大スターである。 ・・・・・・・ 3743, 閑話小題 2011年06月25日(土) * エアロビックス スポーツジムで週二回は「エアロビ」に参加する。だいたい30〜50人が、 スタジオで色々なプログラムをこなしている。15〜20分の休憩をおいて何かが 30〜50分の間行われている。けっこうメニューがきつく、年代が高くなるほど 参加者が少ない。男の参加者は数名で、片隅で小さくなっている。いい歳をして 恥ずかしいが、それでも気を入れて何とかついていっている。 年代が高い人や メタボの人は、スタジオ外のランニングマシーンや、サイクリング・マシーンの 間の空間で、インストラクターの指導で、12人がステップ台とマシーンを 交互に使うイージーラインというプログラムをこなす。それをエアロビックの 参加者が冷たい?視線で、行列に並びながら見ている構図になっている。 このところイージーラインの25分のプログラムを5分の休憩をおいて続けて 参加してきたが、この梅雨の湿気で一回限りにしている。 ところで、一昨日は、スローヨガに初めて参加をしてみた。キツイと覚悟を して参加したが、意外と楽であった。 これまで「らくらくエアロ」 「バランスボール」「シェイプボクシング」「ステップ30」「スローヨガ」 など10回以上は参加した。 最後の、「スローヨガ」を除いて、他は、ついて いくのにやっとだが、3回をこなすと力の抜き方が分かる。それにしても、 あの熱気は凄い。時どき、それに参加している自分が可笑しくなって笑いを 堪えている。今日は、「ZUMBA」というプログラムに参加するつもりだが、 ドンチャン騒ぎをエアロビに取り入れたものと、説明書にあった。面白そう だが、65歳の男が昼間からドンチャン・エアロに参加してよいものだろうか? ここまで、くれば同じか! そういえば、6月に入ってから、どうも私のいる 時間帯では、2〜3割位は減った気がする。不景気が影響しているのだろうか。 ・・・・・・・ 3378, 生涯に直面する四つの不条理 −2 2010年06月25日(金) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 まずは、家柄などで絶対的な差がつき、就職時の時代背景が良し悪しが大きく 一生を左右し、男社会の中、男か女かでハンデがつき、老歴期までの準備の蓄積 の格差がつく不条理を著者は述べている。何度か書いたが、選りすぐり前の 最終の中学校の同級生を見ると、その時の成績順が、人生の生き方を決めている。 一番が慶応大教授、二番がレコード協会専務理事、三番が・・ そんなことは、 この齢になると、どうでもよい。冷静に考えてみると、元もと格差があったが、 街中の学校区ということで集まっていただけ。地元には新潟大学の付属の 小中学校もある。学校、医者、弁護士などの先生の子供や、大手企業勤務の 子供が行く学校。子供なりに、腑抜けたイメージと嫌悪感を持っていた。 最近になって知ったことだが、私の卒業した中学校にわざわざ越境していたと 数人から聞いた。それほどの学校ではないが、振り返ると、それなりの素材が いたようだ。 次に、社会人への転換期の時代背景も大きい。私の学生時代は 東京オリンピックが終わり、高度成長期の真っ只中であり、夢さえ持てば チャンスが幾らでも転がっていた時代だった。歴史的にみて黄金の時代。 もう、あのような急激な右上がりの時代はない。歌謡曲は時代を表すというが、 次から次へヒット曲が生まれた。 ところが現在は卒業の学生の四分の一が 就職できない時代の巡り合わせ。不条理である。そうこう考えると、両親の 質と良好の関係と、時代背景と、男女差で、大方が決まるという不条理がある。 その不条理を撥ね退けて成長するには並大抵の努力と幸運が必要。秋葉原と、 先日の広島のマツダの無差別殺人は、これらの不条理が本人に覆いかぶさった 結果である。 一つ間違えると、二度と日の目に会えないのが現実である。 結局、教育は自分が教師と生徒の役割をバランスを持って果たすことだが。 現在ネットという世界ができた。これが果たして、不条理を乗り越える役割 とチャンスを与えることになるだろうか? 運命と宿命が人生を決定する。 ・・・・・・・・ 3003、アルコール依存症 2009年06月25日(木) これまで何度か酒の失敗について書いてきた。飲む、打つ、買うのうち、 一つは癖の悪さがあるというが、私は酒。といって私から酒の癖の悪さを 取ったら、これほどツマラナイ人間はいない?と、一人うそぶき飲み続けている。 少なくとも10年は命を削っている。人間関係も10倍、いや100倍は広がって いただろう。 1年間に次の7項目のうちの3つ以上あれば、 アルコール依存症という。(但し国際基準) ・1番目は、アルコールに対する「耐性」。 切り上げのタイミングの意志が 弱くなってきて、1杯や2杯で十分満足していたのが満足できない。 つまり、耐性が形成されたということです。 ー適応 ・2番目は、酒を飲むのを急にやめたり量を減らしたりすると、離脱症状 (禁断症状)が出るかどうかです。 ー不適応 手が震える、幻聴がある、幻視がある、発熱をする、落ち着かない、 イライラする、不安感が出てくるなど、幅が広い。 ・3番目は、「8時でやめるつもり」「3杯でやめるつもり」 「ビールだけにしとくつもり」 ー適応 「帰る前に家族に電話をするつもり」などさまざまな「つもり」 で飲みはじめるが、結果的にこのつもりが守れない。 ・4番目は、何度か酒をやめよう減らそうと試みるがうまくいかない。ー半適応 ・5番目に、酒を手に入れるための努力や、酔いから覚めるためにかかる時間が 長くなってきた。 ー不適応 ・6番目が、飲酒のために遊びや仕事など、他のことをやらなくなった。ー不適応 ・7番目が、酒に酔っていろいろ不利なことが起きているにもかかわらず、 まだ飲んでいる。 ー適応 これからすると私は、軽いアルコール依存症ということになる。 特に三番目が、問題である。少し厳しい?ようだが、半分の3・5が適応 するから、軽いアルコール依存症というところか。また国際基準というから。 少し話は変わるが、日本の自殺数は先進国でトップで、44歳までの男性の 死因でも自殺がトップ。年間3万3000人の自殺者が出ているが、その 15%がアルコール依存だから、5千人が死んでいる。過度の酒は緩慢な自殺 の一つである。 多くの失敗もしたが、面白かったことは、その100倍だから 止められない。しかし軽度とはいえ、アルコール依存症とは自覚して いなかった?が、身に覚えはある。 私の場合は切り上げの意志である。 財布の金を二軒分にすれば良いだけ。 酒が不味そうだが、慣れれば同じか!。 解ってか、父の日の息子二人のプレゼントは紹興酒二本と、ワインであった。 ・・・・・・ 2639, 世界の原子力発電の実情はどうか? 2008年06月25日(水) このところの原油高で、世界の原子力発電所の建設計画は活発になっている。 更に、石油が環境に与える影響の大きさから、原子炉エネルギーが見直されている。 地震のリスクを大きく抱えている日本も、綺麗ごとをいってはいられない事態 今後、アメリカ、中国が大量に原子力発電所の建設に入るようだ。 一時、知識人の原発反対が一つのコンセンサスだったが、今では影を潜めている。 そこで、世界の原子力発電はどうなっているか?を調べてみた。 ーー 世界の原子力発電所の数は、2006年12月末の時点で、運転中が429基 (約3億8705万kW)、建設中が35基(約2940万kW)、計画中が47基(約5217万kW)と される(日本原子力産業協会の発表資料による)。国別の設備容量ではアメリカが 最大で、06年12月末では約1億476万kW、103基となっており、フランス(約6602万kW、 59基)、 日本(約4958万kW、55基)、 ロシア連邦(約2319万kW、27基)、ドイツ (約2137万kW、17基)、 韓国(約1772万kW、20基)の順につづく。 ーーー 情勢とは面白いものである、世界の大きな流れであった原発反対の気運が 一挙に消えた。それでも、この石油高の中で比較的冷静であるのは、代替 エネルギーの比率を大きくしてきたから。それでも、日本は危機状態といって よいから、必要悪としてもなくてはならない。 ・・・・・・ 2007/08/06 2316, 日本の原発依存度って、どうなっている? (字数制限のためカット2010年6月25日)
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2015年06月24日(水)
* ゴールデンタイム 30数年前から就寝を20時半、起床を4時(冬場は4時半)にした。 就寝して4〜5時間、爆睡後、起床するまでの4時間、半睡状態が続く。 その間、脳が活性化をして、様々のプラスとマイナスの思いが起こってくる。 このコントロールが難しいが、これも慣れると、思いの大波の上のサーフィン をしているような感覚になる。で、時どき、睡魔に沈むが、これは自然に 任せておけばよい。そして起床をして、前日書き上げた随想日記の下書きの 当日分を、推敲し完成する。と同時に、翌日分のテーマと内容も書き始める。 その時、0〜4時までの半睡状態で考えたことが、材料になることもある。 そして、ブログにアップした後に、一時間の自転車散歩に出発する。 帰ってきて7時半にコーヒーを飲み、軽い食事後、風呂に入る。それまでの 0時〜9までが、私のゴールデンタイムになる。 9時過ぎから12時近くの読書 タイムも、ゴールデンタイムに加えてもよいが、9時から17時までは、シルバー タイムに区分した方が生活実感に近い。すると、17時から20時のTVを見ながらの 晩酌やiPadタイムの時間帯はプラチナタイムになる。20時から0時は、そのまま 爆睡タイムか。 現在、週に三日間、スポーツジムで45分間の、「ヨガ」に 参加しているが、毎回、終了直前の5分間に、ヨガマットの上で「大の字」に なって、全身を弛緩してマントラを聞きながら、「死者のポーズ」をとる。 その時のイメージを0〜4時に思い浮べて、瞑想の要素を入れたところ、 その時間帯のマイナス思考の割合が少なくなった。その時間帯のフラッシュ バックや半睡を冷静に見つめる視線を持つことが出来る。老いは、どうしても 弱気になり、動揺が起こり沈みがちになるが、バウンドをつけるのは自分だけ! 生きてきた、そのまま、老いて死んでいくというが、なるほど。 娑婆! ・・・・・・ 4849,閑話小題 ー最後は、金目でしょ! 2014年06月24日(火) * つい本音が出てしまう! 時と場合によるが、やはり拙い発言である。 実際ところ、そうだが・・ 普通の子女史が売春する値段が世界共通で、その地区の平均給与の一週間分とか。 それなりの事情で「最後は、お金でしょ!」が、この値。リーマンショック直前 の2007年暮れから6年余りで、ドルの発行量が三倍になったが、為替値が 112円。一割しかドル安になってない。常識的にみれば、三分の一の40円 以下になって然るべきなのに。その差額は? アメリカが刷った分、何もしない で手にいれたことになる。これ某国の偽ドル札と、どこが違うのだろうか? 当時の650〜700ドル金価格が、現在は2倍。これも3倍になっておらず、 不自然。 大元が、コントロールしているため。最後は、お金だが、その価値も 当てにはならないことが、これから垣間見れる。 金の本質は所詮幻想! としても生活には必需品である。 歴史的に見ると、意図的に戦争を起こし、 ドサクサでハイパーインフレにし、一度、国家の借金を清算するのが常だったが、 世界大戦は無理。そこで、国債と株式の暴落で清算するしかなくなった。元々、 貧乏な中国、ロシアが、元に戻り、欧米と日本の大半が、負組みの貧乏になる 図式が近未来の姿。で「最後は、金目でしょ!」が、更なる本音になっていく。 当地の住民のインタビューが的を得ている。 『最後は金だろうが、それを 担当大臣の口からは言われたくない!』が、よい。 本当のことは言わないことだが、本当のことは、つい口に出てしまう。 * 都議会の女性差別?発言 この程度の野次は、都議会、国会では当り前だが、偶然、マイクに拾われ、 大騒ぎになってしまった。当然、バッシングで政治生命が完全に絶たれるが。 少子問題を取り上げる当人が独身で、『それなら、自分から、結婚して、子づくり をして、その範を示せ!』というのも一理はあるが、あの場では、絶対に禁句。 阿部首相が、「この難局には、更なる女性の社会進出が必要」と政策を掲げて いる中での、身内からの、この発言はいただけない。世界的に、女性蔑視発言と、 嘘をつき逃れようとするプチ権力者の哀れな姿が蔑まれて報道される? 当人は、これが世界的に注目をされて時の人になるとは、思ってなかった だろうに、言葉は恐ろしい。 ・・・・・ 4482, 静かなる大恐慌 ー2 2013年06月24日(月) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) グローバル化は多くの問題を世界中に撒き散らすが、情報化社会では今さら 止めることは出来ない。それは弱肉強食を推し進める。 痛みを伴なっても、 乗り越えなければならない現実がある。 ー グローバル化についての部分を更に抜粋すると ◎「過去の行きすぎたグローバル化は、最終的には二度の戦争によって終わり を迎えた。それを繰り返さないために何が必要かを考えることこそ、この危機 の時代における思想と行動の、真の指針となるべき課題です。」(219頁) ◎「グローバル化と国家主権と民主政治の組み合わせを比較し、行き過ぎた グローバリゼーションへのバックラッシュのなかで、いかにグローバル化路線 を各国レベルで修正していくか、そこが問われる局面が始まろうとしている。 それは、グローバル化の進展による国内対立の激化とそのための 「大きな政府」の必要性になる。 ◎「大きな政府」が主導する経済を「国家資本主義」という言葉で言い表せば、 「自由資本主義」とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなり もったものになる。それは一握りの勝者に力が集中することを意味する。 ネットで世界が繋がった、これまでなかった情報社会でのグローバル化を 今さら変えることも否定も出来ない。この事態は何事も事前に対策をとる ことが不可能である。リーマンショック後にアメリカが行った財政出動で、 何とか世界は巨大な崩壊を避けたが、実体経済が正常化したとは 到底思えない。 これらから、以下の問題点が見えてくる。 ・グローバル化は大きな政府をつれてくる。 (格差や失業は福祉でカバーしなければならない) ・グローバル化は単なる新自由主義者の自己救済でしかない。 ・グローバル化した資本主義は戦争に行き着かざるを得ない。 ・グローバル化は新興国の足かせになる。 ・グローバル化は地方を疲弊させる。 ▼ 今度の、グローバル化は、以前より遥かに大きな断層になっている。 パソコン、携帯電話が地球の隅々まで行渡りネット社会が現実社会の上を 覆いかぶさった。これをコントロールするのは至難の業である。否が応でも 民が主になってしまったのである。これに対する新しい政治経済の新システムが 全く確立出来てない。その経済的側面が恐慌であり、独裁国家が次々と崩壊して いる「アラブの春」といわれる現象である。したがって、政治経済の混乱は、 あと20年、30年は続くとみてよい。だから、現在起こって問題は数百年、 数千年に一度の大変動のウネリということになり、変化を拒否するのでは なく、可能な限り静かに順応していくしかない。 ・・・・・・・ 4108、パニック! 2012年6月24日(日) * 大恐慌、実体験談! 「大恐慌! 」スタッズ・ターケ著 日本人の近い未来を予測させられる本である。80年前の大恐慌の経験を、 30年後の1960年後半にシカゴを中心に金持ちから貧乏人、白人、黒人、日本人 などが大恐慌時代の生々しい現実をインタビュー形式で答えている。実体験なので、 これからの暗い現実を垣間見ているようだ。直撃を受けて生活に困った人、運良く、 乗り越えた人などいろいろある。ここでは生きのびることが、その世界の掟。 世間知らずだった人々に、突然世界が押し寄せてきた当時のアメリカの生々しい 現実がリアルである。大恐慌は、バスタブの栓が抜けるように始まったとある。 それが年内に始まる可能性が大という。他人事でない、私の場合、現実に一年前に 先駆けて起こってしまった。そのため、それが始まった時の混乱がリアルに見える。 鼻声で他人事で嘲笑している顔が、海岸線にいた津波の犠牲者に二重写しに見える。 ーアマゾンの内容紹介ー 80年前、人びとはあの“つらい時代”をいかに生き抜いたのか? そして今、われわれはどう生き抜けばいいのか!『仕事!』『「よい戦争」』 等でインタビューの名手と謳われたスタッズ・ターケルが、ローズヴェルト 政権の中枢部から失業者、役者、犯罪者にいたるまでさまざまな階層・職業の 人びと132人にも及ぶ声を赤裸に再現、あの“つらい時代=大恐慌時代”を なまなましく蘇らせる。 * 「恐慌(デプレッション)」って言葉は聞いたことがないよ。 つらい時代(ハード.タイムズ)だって、みんなは言ってた。今も。 ーロジャー、十四歳アパラチア地方の少年、シカゴ在住 * 大恐慌っての、今なら面白いかも。ホント、すごいことじゃないかな。 路上生活をしたって、「ほら、家に帰って学校に行ってくれさえすれぽ一万$ あげるから」なんて誰にも言われないんだもの。今のぼくらには選択の余地 がある。もし選ぶことができなかったら、どんな感じかな? ートム、二十歳 * このことをおたしは記憶にとどめています。人によっては頭のなかから 追い払ってしまうことですが。わたしは忘れたくない。自分の最高の思い出を それで汚したいわけではなくて、それはそこに存在していてほしいんだ、なに しろ実際に起こったことだから。これが真実、歴史でしょ。ーシーザー.チャペス * 彼らが愛したのは、死んでしまったわたしたち。 彼らはわたしたちの誤りをすべて忘れた。わたしたちの名前はごたまぜにされた。 物語は長かった。若者たちは踊った。焚き火にくべる新たな大枝を切ってきた。 そして言った、さあ話の続きを聞かせてよ。それからどうなったの? わたしたちには沈黙があった… ージェネヴィーヴ・タガード、婦九四〇年 ▼ 黒人のインタビューで、「貧しい俺たちにとって、大して変わりはないね」 という言葉が印象的だった。誰かがアフリカの難民を呼びよせて福島の惨状を みせたが、何も言わないで帰った。彼らにとって、それが日常でしかなかった。 ・・・・・・ 3742, 世界でひとつだけの幸せ 2011年06月24日(金) * 「世界でひとつだけの幸せ」 マーティン・セリグマン著 学生時代にポジティブ心理を知り、多くを実践し、矛盾を感じ、最近では 考え方の一つとして割り切ってみている。その最たるものが、中村天風の「 積極的ものの考え方」である。 少しスランプ気味になると、トイレに二冊、 置く習性になっている。現在も数ヶ月前から、しっかりと置いてある。 その辺のタイミングは心得ている。あまりポジティブ思考に固執すると、 嫌なこと、マイナーなことから目を背けてしまい、重大なミスに気づかなくなる。 ポジティブ的思考には、かならず逆照射のマイナー思考を重ねる必要がある。 当然、両者の要素が濃くなるほど混乱、葛藤が大きくなる。しかし、 そのプロセスを踏まないと落とし穴に落ちるリスクが増す。ところで、この本、 読み始めたが面白い。 ここで著者は、ネガティブ志向の人が、自らの短所や 悩みを解消するのではなく、それぞれにもともと備わっている「強み」を さらに伸ばすことで今よりもっと幸せになると説いている。 人間も動物も、細胞から進化して現在に至ってきた。現在まで生き抜いてきた 生物は、それぞれの場面で必ず、それぞれが持つ強みを発揮したから、ここまで 到達してきたのである。「自分の中にある強みの遺伝子は己の中で出番を待って いる」という考え方は説得力がある。そこで私の強みとは何か?を、人生を振り 返って考えてみた。そこで気づいたことは、どの場面でも、「学び続けていたこと」 であった。初めは実利的なことだったが、途中で変化していった。当然といえば 当然のことだが。「僅かな地球の滞在期間を、せっかく与えられた人生、 可能な限り多くを知り、経験をし、楽しまないと」そのための学びになっていった。 その一つが、10年前にHPをネットで公開し、因縁のある人に学んだことを 晒すことを思いついた。 そして、その習慣が現在のエネルギーになっている。 で、このザマ? それでもかまわない。その通りである。この習慣そのものが、 自分を支え、現象に振り回されながらも冷静でいられる。 それと、良いと決めつけたことを習慣化してしまうこと、これを重ねていく ことも強みである。反面、悪い習慣を、そのままにしてあるが、治そうとしない、 だらしなさがある。人間の強みの最大の一つは、形而下(現象など)を、 形而上に変換し、考えることだが・・・ ・・・・・・・ 3377, 人は風呂に何を求めるのか 2010年06月24日(木) 我われは、毎日、熱い風呂につかり、汗をながし、疲れをとる。そして疲れて いればいるほど「極楽、極楽!」という気分になる。世界中で、汗をかくほどの 湯につかる「熱湯浴」に入るのは、ごくごく一部。ホテルの浴槽に湯を溜め浸かる のも日本人だけ。だいたいが、シャワーで済ませる。北・中米のインディアンの シャーマンが「トランス状態に入る手段としての装置として半地下の小屋で火を 焚き、裸になって汗をかく「熱気浴」がある。これが、焼き石を持ち込むことに 替わり、焼き石に水をかけて蒸気を発生する「蒸気浴」が生まれた。古代ローマも、 各地から多くの資源を持ち込み、娯楽施設としての温泉施設をつくった。 ローマ劇場、温泉は、町をつくるにあたって、大きな設備になっていた。 日本の風呂は、むしろ古代ローマのものに近い。日本の風呂は仏教寺院の蒸気浴 から始り、これが風呂を開放する「施浴」などで、一般に広がり、公衆風呂に なっていく。「風呂に入って、フアーっという浮揚感が、極楽のようだ」となり、 現在でも極楽極楽という。世界中の人は、働き、遊び、汗をかいた後に、汗や 垢を流すことで、爽快感を感じてきた。その一瞬が、しあわせ!という、一瞬の 気持ちになっていた。刹那の風呂の幸福感は強烈なものである。だから、日本人は 昔から温泉浴を楽しんだのである。湯治といい、病になると温泉に長時間の療養を してきたのである。 国によっては、風呂に入る習慣もないところもあるようだ。 中学校の同級会で「当時風呂に、月に3〜4度位しか入らなかった」という話題に なったことがある。現在は入らない日は数ヶ月に一度あるかないか。 ある女優が、「風呂に二時間も入っていることがある」と言っていた。 ぬるま湯にして、半分寝た状態が貯まった疲れをとり美容によいという。 一種のサウナとしてホテルなどバスタブを使うことが多いという。 私は平日、寝る直前に熱い風呂に15分ほど入る。 また土日は朝の9時位に 30分ほどつかる。その辺りが、私の週単位の一番リラックスする時間帯である。 5時前に起床。この随想日記を書き上げた後に、信濃川岸のサイクリングか ウォーキング、そしてSC内のベーカリーで焼きたてのパンとコーヒーを飲んで、 帰って新聞を読んで、風呂に入るのが9時になる。 前夜に酒を飲んで、 気分が高揚していれば尚のこと爽快。 金のかからないプチ・ブル気分。 ・・・・・・・・ 3002、新潟駅前・闇金女子事務員殺害事件 2009年06月24日(水) 昨日の昼前に事務所に訪ねてきた知人が興奮した面持ちで、「闇金の事務所の 至近距離にあるホテルの美容室に勤務している娘が昨夜帰ってきて泣きながら、 殺された女性が二年前から担当になり、二日前の土曜日に美容室でセットした」 という。 特異な事件だけに思わず身を乗り出して聞き入ってしまった。 新聞では金は置いてなかったとあったが、昨日のTVのニュースでは100万円 以上が盗まれたと報じていた。闇金なので金は無かったとしか言えなかった のだろう。 それにしても、事務所内は血の海で、血の足跡が外まで続いていた というから、凄惨な殺し方のようだ。月曜日の朝一の9時前に危なそうな闇金から みて、極道系の人間と推察される。 監視カメラの無い逃走道路を前もって 決めておいて逃げたのだろう。犯人逮捕は簡単ではないだろうが、リピーターの 可能性もあるから、どうだろう。女子事務員は、両親と三人住まいで48歳の独身、 黒崎の寿司屋の夜は勤めていたというから、大した給料ではなかったようだ。 (字数制限のためカット 2012年6月24日)
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2015年06月23日(火)
* 私の高度成長時代 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、 それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、 今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、 テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピックが 開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、 絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。 10歳までは駅前の繁華街に、11歳〜18歳までは長岡駅裏に住んでいた。 高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、 当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、 何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の 平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の 学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、 入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、 人間を知るにはプラスにもマイナスにも働いた。そこで教えられたのは、 まず文学など基礎教養の絶対量の必要性を実感する反面、剥き出しのエゴと 品位が、まる見えになること。各自の素性を聞くことも、話すこともタブーで、 一学生という身分で、分け隔てのないのが学生時代の特徴である。地方出身者 と、東京在住では、生活の質は大違い。炊事洗濯のエネルギーは思いのほか、 大変である。時代は高度成長時代の真只中、学生時代を満喫していた。 学生時代を大雑把に分けると、 ・1〜2年が、クラブの合気道と合宿。 寮生活。 ・2年の半ばから、軽井沢の山荘の手伝いと、夏休みの『人生設計』の構想。 ・3年は欧州の一ヶ月の旅行と、そこで親しくなった友人たちのと交友。 ・4年が武澤ゼミの入会と、そこでの卒論。 六日町の禅寺「雲頓庵」通い。 3〜4年を通して、合コンが7〜8回はあった。 現在から振り返ってみて、やはり、2年の夏休みの『キリスト教倫理』の教授 に出された宿題、『将来の人生設計案』の提出。この時に、人生で初めて、 自分の将来を真剣に考え、提出した。時は、日本経済の高度成長、真只中。
・・・・・・ 4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20 2014年06月23日(月) * 衣料品の季節物は投機商品 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。 新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、何もかも初めて。 セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、 その混毛もある。その裏を見ると、生産メーカーや、素材などが表示してある ことすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。 ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、 毎日が、高速配転という名の現場教育で、連日が未知との出合いは経験済み。 キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような 創業者を目指す」と決意したとき、それは、新規事業を立上げるキャリアを身に つけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を 自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、 この結果に終わったのは、10年目か、少なくとも15年目で、その事業から身を 引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を 繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、 茹で蛙になってしまい、バブル崩壊とネット社会の到来がもたらす激変を読め なかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。 最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、 「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。話は戻る。現場に飛び込んでみて、 季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に 分け、それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、 季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。それが商品毎に違うため、 年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら 「切った(殺傷)、張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、 はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」になる。これには、 経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がない と確信するのも分かる。しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てを すると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。 これに、 エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の 生活環境と、創業を決意しての10年間の自己配転の全てが、極限の中で、 プラスに働いていた。 ・・・・・・ 4481, 静かなる大恐慌 ー1 2013年06月23日(日) 「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著) リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も 述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが? 地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、 私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね 合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。 ー まずは、プロローグより ー 《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と 同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済 の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が 激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府」 の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。 グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》 ーその幾つかを抜粋してみたー ☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、 それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると (『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは 機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本 主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95) ☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。 資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という 自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争。 現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。 20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌。 そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。 ☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、 このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立 すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、 日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた 国家主権と民主化を重点とした政策が必要。 ▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。 そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の 普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その 先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に 重点を置くべきというが、国家主義とグローバル化しか選択の余地はないのでは と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。 恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が 消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌と 太平洋戦争のような。 −つづく ・・・・・・ 4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト) 2012年6月23日(土) 第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト― * 我狂う、ゆえに我なし! 「哲学で自分をつくるー19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著) デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。 ≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、 としている。「Aという定理は間違っている」ということを新たな「Bという定理」 から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」 が言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っている のであって、狂っていないことになる。私は先ほど狂っていたが、今は正常です、 と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるものと してデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、 「私が考えるということは、狂ってない人間」の特権と化すのである。 ・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」 場合は「我狂う」という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言って いるに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって最初から排除されて いるわけである。≫ ≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、 考え尽くした上で、疑えないものなぞない、という結論に至った。この世に 何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いを さらに突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、 「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、ということである。つまリ、 疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」である ということ。懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かな ものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や「本当の自分」を探ると いうことは、至極当然のことで、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。 ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」 を見つけることができると思っている。だが、それは本当に可能なのだろうか。 もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、 今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。 だが、ソクラテスが目指したのは【魂の鍛錬】で、「私らしさ」ではなかった。 彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。「ソクラテス」はいたが 「私」ではなかった。この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば 江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」 の元祖なのだろうか。実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中 に確実なことがあるのかを見極めることであった。探していたのは確実性であり、 「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。確実なもの として「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかった。≫ ▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない> は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が 「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも 嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も 嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか? という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、 ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、 狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 これは私だけではなく万人にいえるが・・・ ・・・・・・・ 3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ? 2011年06月23日(木) 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を 誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で 「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著) を知り、アマゾンで 概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。 ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれに なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き 去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を 取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての 店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて 新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている 識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日) ・・・・・・・ 3376, 生涯に直面する四つの不条理 2010年06月23日(水) 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著 * 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容。 ー 以下はネットで調べた概要 ー 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。 一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。 これは厳然たる事実である。市場主義者は機会の均等を前提として社会の あり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいとは 教育に力を注いだもの。世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の出産率は2.13で、 夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実は じわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて 高い者たちが直面する不条理である。 二、次は、若者たちが直面する不条理。社会に出るときの背景に恵まれたか どうかである。青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から 職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。 そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者に なれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、時に一生その人につきまとう ことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。 三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。高度経済成長の時代 には生活の場を女性が一手に引き受けて、生産の場を稼ぎ主の男性が担うという 役割分担論でやってきた。不況時代でも性的役割分担は本質的に変わっていない。 女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働参加曲線が特徴的である。 男女の働き方が欧米に較べ大きく異なっているのは、労働市場が男女で分断され、 女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ社会的支援 が不十分である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産と はっきりした差異があることである。医師は男性、看護師は女性が多いという 風に断絶している。 四、最後に高齢者たちの不平等である。高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄え がものをいう人生の終盤期であり、蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。 「お一人様の老後」で述べられているように、ひとりで生活する高齢者は同居する 家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わなければならない。そのためには 周到な老後設計が求められる。高齢者の所得格差が大きいのは、他の国に較べて 高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、日本の 高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌 するが、日本では年金だけで生活できないので老後の心配から、いつまでも 働くのである。 過去30年の高齢者がいる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が 60%から20%へと急速に減少し、反面高齢者のみの世帯数が15%から45%へ増加。 単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。大世帯という集団が 解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。 ▼ 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、老後の不安は最小にしてあるが、 この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。 つくづく思うのは、 恵まれた両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。 成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。老後は、それほど為残した こともないし・・・。しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。 その段差が世代間格差か。
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