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堀井On-Line
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2014年11月24日(月)
* 早朝、独り思うこと 現在の毎日の課題は、「既に残された時間は少なくなった分、 生きる面白さを味い尽くさないと!」になる。 生きる面白さは充分に味わってきた。そして、あと何年、 生きるか分からないが、これからも、その余白に生きる面白さを 味わい付け加えることになる。生きる面白さには、味気ないことが 背後に膨大にあるが、それはそれで充分、価値があること。 暇もあってか、過去をジックリ思い出すことが多くなった。 その度に多くの現象を改めて多面的にみることができる。 面白かった!という記憶が、非常に多いが、知らぬ間に、 面白くない記憶を消し、目をそむけてきた。 とにかく、読書時間を持っていたことと、行動してきたのが 良かったのだろう。両親の影響も、あまりに大きい。
「何事も取り組んだことが面白く楽しくなるまで、集中し続ける」 が、両親から学んだこと。そのために、世の中の流れをつかみ、 無駄を見極め、そのエネルギーは最小にすること。 一般の価値観は、娑婆の価値観。自分の価値観を見据えること。 そのためには、俗にいう「C」さん達と、距離を置くこと。 要するに「世間」を見切ること。それを20代から実践したため、 『色即是空、空即是空』の心持ちに少しでも近づけた? 早朝の時間の活用が、それを手助けてくれた? そうでもないか。
ランチに週二回いっていたのが、今では週一である。 <昼飯は本来、ジャンクフードで、抜いても良いのでは!> と思い立ってからだ。スナックとバナナ一本で充分と思えば、 それでもよい。実際のところ、惣菜売り場のパックの『つけ麺』か、 インスタントのカレーライスで、腹持ちがする。年齢もあるが・・
・・・・・・ 4635, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー4 2013年11月24日(日) 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他) * パワーカップルの最たる医師同士と、法曹界の収入は? ー要所を抜粋するとー 《 現在、医師の女性の占める割合いは20%。50年前は10%。現在の医学部の女子学生は40%を 占めている。とすると近い将来、半分近くが女医になると読み取れる。今だ役所、企業での女性の位置が 低いが、医療現場では、さほど、その障害がないことが挙げられる。現在、一億以上の高所得者のうち、 7人に1人が医師である。特に、開業医の収入が多いことは、巷に知られている。男性医師の4人に1人、 女性医師の3分の2が、医師と結婚している。男子が少ないのは、収入が多いので、専業主婦の相方でも 困らないことがある。医師以外に、36・5%が薬剤師、看護婦、医療技能職の医療従事者がいる。 ちなみに、学生時代知り合った場合、に妻の方が子供育てを考え、負担の比較的軽い、精神科、眼科、 皮膚科を選ぶケースが多いという。開業医が2千5百万、勤務医が、その半分の1230万。 医師カップルは2千〜5千万。開業医で夫婦で運営すれば、一億超えることも珍しくない。 医師夫婦こそ、スーパーカップルといえる。》 ▼ 収入から見ると、医者は一種の特権階級の住人。 医師のパワーカップルに比べ、法曹界の収入は 心もとない。女性が司法試験に合格し弁護士になるプロセスが大変な割に収入が少ないこともあり適さない こともある。男性弁護士からみて、弁護士の妻は6・6%にとどまり、医師の比率から見て6分の1になる。 それだけ医師の収入条件が良い。難関の司法試験に合格し、司法修行を終えても、法曹職を得られない人が 2割もいる。しかし、米国社会の後追いをする日本も、訴訟社会になっていくので法曹職も、将来性がある。 情報化、グローバル化社会は、弱肉強食、一強多弱が更に進み、階級社会が固定化する。そこに生じてくる のは激しい階級間闘争。とすると、第三次世界大戦が東西冷戦とすると、 第四次世界大戦は、民族間と、 階級間の、果てしない戦争になる。それも、テロという手段が頻繁に使われる不安定な社会が現れ出る。 その反面、パワー階級は、今もだが・・ 特別区という別世界に住むようになる。まあ、あまり明るくない 殺伐とした近未来が待っている。TPPは、アメリカ社会に右ならいということ。厳しい階級社会が、 本格的に来るということ! 第二次大戦から20年余の社会主義化した、あれは、むしろ奇跡? 地元の病院の眼科の先生が夫妻と聞いたことがあった。 歯医者はドクターではないが・・収入は似たようなもの? ・・・・・・ 4270, 法則は思考のショートカット −2 2012年11月24日(土) 「知っているようで知らない 法則のトリセツ」水野 俊哉 (著) * ほめるこつ、「条件付け」「ウィンザー効果」「コミットメントと一貫性」 部下が功績をあげた時、ほめる際に食事に連れていくと、それが当り前になる。これを「連続強化」と いうが、何度かに一度は、何も褒美を与えない。これを「間欠強化」という。何時も与えられている褒美を 与えられないと、部下は褒めて欲しいために尽くしたくなる心理になる。これを「条件付け」の法則という。 これは、『新婚さん、いらっしゃい』というバラエティ番組で、新夫が相手を口説く時に、毎日のように 電話をしたが全く相手にしてもらえなかった。そこで当分、連絡しない間を入れたところ、女性の方が 不安になってデートに応じるようになった」という話題を思い出した。 また「ウィンザー効果」 というのもある。直接褒めるのではなく、間接的に褒めて相手に伝える方法。褒め育てる方法もあるが、 初めから徹底的にしごいて、育てる方法もある。「コミットメントと一貫性」である。新入社員を 入社前に徹底的に鍛えあげると、忠誠心が大いに高まるという。 いずれにしても、組織には必ず20%の 怠け者が存在するので、手抜きは避けることはできない。 * エメットの法則 「仕事を先延ばしは、その後片付け仕事の2倍の時間とエネルギーを要する」というリタ・エメットの 提示した法則がある。この法則があるとは知らなかったが、私は経験則で知っていた。私のごく身近に何事も 先送りする人がいる。とにかく、後回し。見ていると、数倍もかけて、その後始末に追われている。 若いときに社会(仕事)で鍛えられなかったためだ。 事前の準備は、時間厳守と同じく仕事の第一原則。 この不況で、新卒で正社員になれなかった人は、ビジネスの第一原則を徹底的に叩き込まれてない。 そのことを企業の人事担当は着目するため、まともな会社には、なかなか入社が難しい。同じことだが、 去年春の決断時に弁護士に、「少し早い決断は、打撃が二分の一で済む。少し遅れると二倍になる。 今回の決断は少し早目だが、一瞬の差で、差し引き4分の1になる。それなら、今決断します!」と、 最終結論を出した。そして一年後、弁護士に、「今回は見切り千両いや万両でした。半年でも遅れていたら 5物件は売れなかったでしょうね」と、言われた。実際に私も、そう実感している。 あの東北大震災の影響は、マスコミは大きく騒がないが、日本人の消費行動を根こそぎ変えている。 近未来に必ず起こる恐慌と、大地震をふまえ、消費マインドが更に冷え込んでしまった。 老後は太平洋側に住居を移したいという気持ちが少しあったが、今や全く消えうせている。札幌か、 函館なら考えてもよいが、それなら現在と大して変わらない。何事も「先手、必勝」、 「今日すべきことは今日中に」である。 ・・・・・・ 3895, 「現代型うつ」とは 2011年11月24日(木) 新しいタイプの鬱病が多く見られるようになっていると、NHK「クローズアップ現代」で取り上げていた。 これまでの鬱病は、自分を責め、劣等感に陥って不眠になったり、閉じこもりなったりした。しかし最近では 「現代型うつ」という新現象が以前ここで「エイズより怖い性病」として「何事も他人のせいにする若者」の 性癖を取り上げた。その結果が「現代型うつ」として社会問題になっている。20〜30代の若者を中心に 増え続け、抗うつ剤など従来の治療法が効きにくいため医療現場は混乱しているという。このタイプは幼い頃 から大事に育てられ怒れた経験がなく傷つきやすい。本人に被害者意識が強く、他人のせいにする傾向がある。 人依存の典型である。 ここでは取り上げたケースとは・・ ≪ 東京のIT企業・信興テクノミストでは、電車にカバンを置き忘れた入社2年目の社員に上司が注意 したところ、体の不調を理由にうつ病の診断書を提出、休職した。 ところが、社員寮を尋ねると本人は 不在で、同僚と頻繁に飲みに外出していることが判明。その後4人の社員が会社を休む事態が続き、総務部 部長は頭を抱えているという内容 ≫ ある病院院(福岡県)では、患者同士のグループミーティングを取り入れ、自分の心の弱さに気づいて もらい、7割の患者が復職を果たしたという。自分で事業を幾つか起こし、全てが直接跳ね返ってきたため、 他人のせいにする余裕など、あるわけがない。その反面、色いろの場面で人のせいにしたがる大の大人を多く 見てきた。一番の身近の夫婦間が、その典型。 その果てが三割の離婚率。また会社内の仕事の場では、 上下、横の関係の中で、色々の摩擦が起きてくる。ところが、内面は鍛えられてないので、落ち込んでしまう。 欝は、その落ち込んだ気分から立ち上がれないで社会生活に支障をきたす病。生きていくことはトラブルと 壁を解決をするプロセス。それを自分以外に原因を見つけようとする積み重ねが、欝への道程になる。 自己を見つめる事がないから、自分の歪みが見えない。「電信柱の高いのも、郵便ポストが赤いのも、 みんなアナタが悪いのよ」になってしまう。 その結果、心の底に鬱憤というヘドロが蓄積されていることに 気づいてない。 情報化が、内面の芯の部分を鍛えるチャンスを潰している結果もある。韓国は徴兵制度があり、 鍛えるべき時に徹底的に鍛え上げるシステムがある。 その上に最近では大学受験戦争が激しい。 その結果、 日本は韓国に明らかに遅れをとってしまった? 現代型うつが、現代の若者の一現象とすると、日本の将来に 悲観的になりざるを得ない。 ・・・・・・・ 3530, ハーバード白熱教室 ー2 2010年11月24日(水) 海難で生きるために三人が一人の人肉を食べてしまった事件で、多くの問題が出された。 海の遭難現場での異常事態で、どの答えが正しいとはいえないが、これをヒントに正義を論じ、考えることは 可能である。次にサンドル教授は、「イチロウの年俸は高いか?」を問題定義をしている。イチロウの年俸は 15億円。それに対し、日本の教師の年俸は400万、400倍。オバマは3600万だから、その40倍。 イチロウの年俸が高すぎるという意見と、妥当という意見を生徒から導き出して、議論を進めていく。 これも、美徳と貢献などの問題を提起し、議論を導き出していく。何でアメリカ大統領の40倍の報酬が妥当か、 逆に、それは不当すぎるほど高いと言えるのか等々を・・ この問題には自由と平等・公平の問題が含んでいる。 二時間目からは「戦争責任について」である。そこで生じた道徳的義務と責任は *個人的なものと、 *集合的なものと、分けて考えられる、としている。カントは「責任は自分自身の自由意志と、選択によって 生じる」という立場、要は純粋実践理性よって生じるという。 道徳の根本原理によって、普遍原理に達する ことが出来る、という。アリストテレスは、「責任は、よき生についての私たちの考えによって成立する」 という立場。 次に「義務」について、「殺人を犯した家族を警察に突き出すべきかどうか」を事例に議論を 進めていく。家族の立場をとるか、社会を優先させるべきか、当然に意見が分かれてくる。互いの議論の中から 問題を捉えていく。彼の授業は、古代哲学者や近代哲学者などの思想を現代の問題に結びつけるやり方で、 対話をしながら考え方そのものを教えていく。 先に書いた私の学生時代のゼミの授業の進め方、すなわち 「自分自身で考えること、それを進めることが、本当の教育」であるということだ。判断、決断する前に、 独りで考えを進められる能力が教養である。我われは、誰もが哲学をしている。そのレベル、効率化の向上は 可能である。パソコンから類推すると、解りやすい。哲学(考えることを考える)は、全ての人にとって 最も重要である。何故、生きるのか、何故死ぬのか?人生に意味があるか? ・・・・・・・・ 3155, 「 2012 」 2009年11月24日(火) * シネマ 「2012」 その迫力の凄さの予告をみて、初日の幕開けを観てきたが、期待以上の内容であった。 現在のCGの技術をフルに生かした映画であり、次から次へと想像を絶する破壊の画面が続く。 映画館の大画面と音響で観るから良いのである。 特に後半は次から次へと都市破壊の映像が映し出され、 思わず座席にしがみついてしまうほど。都市破壊の場面や大津波は圧巻!エベレスト山頂近くまで洪水が 押し寄せ、ワシントンのホワイトハウス、自由の女神、ハワイ、ローマのバチカン、エッフェル塔などが、 次々と破壊していく場面などは観るだけの価値はある。 これを映像で観ている自分が不思議に感じた。 「マイケル・ジャクソン」と同じく、上映中に、いま一度見たいと思えたから、お勧めである。 ーまずはHPの紹介文からー 2012に世界が終わる!マヤ文明の黙示録的予言を描いたSF映画である。 天文学や数学に長け、高度に発達しながらも謎に包まれたまま消滅した古代マヤ文明。マヤ人のカレンダー であるマヤ暦は極めて正確なものとして知られているが、その暦は西暦2012年12月21日で突如終わっている。 いつのころからか、その理由は「2012年には地球が滅亡する」というのが西洋世界では通説となり、 多くの書物が著され、数多くの人がこの説に現実的な恐怖を抱いている。 この2012年を舞台に、 その終末世界と人類が生き残れるかどうかを描いたデ超大作が『2012』である。『ID4』 『デイ・アフター・トゥモロー』など、過去幾度も“地球的危機”を描いてきたエメリッヒ監督が ついに地球の滅亡を描き出す! 〜 2009年。太陽の活動が活発化し、地球の核が熱せられた結果、3年後に世界は終わりを迎える。 この驚愕の事実をいち早く察知した地質学者エイドリアンは、すぐに米大統領 主席補佐官に報告。 (字数の関係でカット2011年11月24日) ・・・・・・・・ 2790, 閑話小題 2008年11月24日(月) *金融危機 あれこれ AIGが8兆円を使い切り、追加支援をいれて15兆円に拡大しているが、米国政府も見切りを つけなければなるまい。見切りをつけたと同時に本格的な恐慌になるので、手の打ちようがなく果てしなく ドル投入しなければならない事態。当方の保険は日本のアリコに入っている。 日本は大丈夫というが、 日本の保険会社の何処も買収に腰が引けている。 他にも、政府系のファニーメイが赤字2.9兆円。 更に家電チェーンのサーキットシティも倒産(負債2,300億円)。現在は、ビッグスリーのGM、 フォード、クライスラーも倒産の秒読み、全米の銀行ナンバー1のシティも重体という事態。その中で、 十一月になってからホテル宿泊も影響が出始めてきた。 やはりタダゴトではない状況になってきている。 日々、事態は深刻度を増しているのに日本政府の機能は混乱しているというから、どうもこうもない。 *定額給付金の愚挙 定額給付金について、全国世論調査では反対が、賛成の二倍。決定のニュースを見たときに思わず 咳き込んでしまったが、それは私だけではなかった。あの人の知能レベルが、定額給付金の愚挙になった ということ。怒りより日本の行末の方が心配。日本中は、この時期に、この程度の人物が首相と呆然状態である。 100年に一度の経済危機と言いながら、その対処が目先の選挙対策の苦し紛れの金ばら撒きをしている姿は 何だろ?。これで、自民党政権は全くのレイムダック。【医者は社会的常識に欠けている】は、 よく言ってくれたが・・・ *散歩の光景 一年ほど前から、朝のウォーキング途上(冬場を除いて)80歳位のオジイサンが土手に立って、 通りすがりの人に親しそうに話しかけている。 軽い痴呆が入っているようだが、それでも一人で来て、 帰っていく。(字数の関係でカット2011年11月24日) ・・・・・・・・・ 2007年11月24日(土) 2425, 自分を理解するための他者・コンピューター −1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] ーまずは、私の感想文からー
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2014年11月23日(日)
* つれづれに〜5001回 一昨日で、随想日記が5千回になったが、一日一テーマの作成の重圧は、ストレス になるが、これも慣れ。一線から離れると、これが丁度良いストレスとエネルギーの消耗 になる。 としても、5千日連続して書き続けたもの。この習慣は、頭を使いざるを 得ないことと、自分しか書けないことを書き残せるところが最大の魅力。 テーマを探し、決まったら、一気に書き上げ、書き直し書き換えに全力をかけるしかない。 これはストレスでストレス発散をしていることになる。 自分が何かを感じなければ、未来の 私に、それをを伝えることができない。 だから、心のアンテナが敏感になるのが良いようだ。 未来の自分が再読するため、嘘とか中途半端なことは書けないから、まず正直に書くしか ないが、読み直すと、それでも、偽善、偽悪も、露悪、露善が出ている。 そこを第三者が見ているのだろうが、その緊張感が面白く、反面、恐ろしい。 毎日、書き続けていると、日常に浸り流されている自分が鮮明に見えてくる。 それも、この年齢では平凡な日々を感謝しなくてはならない。 早朝、この文章を書き直しを したり、過去数年分の同月同日分を読み返すことは、一種の内観。そして「何をしてきたのか、 考えてきたのか、この男は!」と・・ それにしても、文筆家の言葉はアマチュアや、素人とは全く違う。それで、生計をたてて いるから当然だが。それにしてもである。それは、書き続けたからこそ分かったのだろうが。
・・・・・・ 4634, 閑話小題 〜また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書 2013年11月23日(土) * また一人、奥さんからの年賀欠礼の葉書 また一人、創業時からの営業担当の奥さんから年賀欠礼の葉書が届いた。 創業を始めて40年、地元に帰ってきて、38年も経てば、その時節ということか。 「東芝エレベーター」の営業担当の馬場さんで、この8月に亡くなっていた。 長岡の大手通四角の物件から始まって、都合、五台のエレベーターを入れていた。 その都度、本当かどうか、ギリギリの値段で入れていたため、会社から厳しい視線で 見られていたとか。サッパリした性格で、私とは相性が合ったようだ。毎年、会社の 忘年会に出席してもらった常連の一人。10年前に定年退職して、自宅近くの公用地・ 500坪を借りて、野菜つくりをしていた。 定年後も、前の会社の事務所に訪ねてきたり、 新潟駅前の町内の懇親会で酒を酌み交わしていた。 彼から酒飲みで学んだことは、「自棄酒など、美味くない酒は飲まないこと。 さらに落ち込む!」である。長岡の実家の商業ビル建設を建てかえていた時の修羅場の 姿を見ていた数少ない人である。それもこれも、過ぎてしまえば、夢幻である。 当初からの忙新年会の上席で残っている?人は、数人だけになってきた。 「ひとは先、我は後」。 享年、74歳。 ご冥福を! * 昨夜は、高校同級生の偲ぶ会 昨夜は、昨年の今頃に自死した高校の同級生の「K君を偲ぶ会」が長岡駅裏の居酒屋 で開かれた。出席者は16名。商売上の事由というから、他人ごとではない。 30年近く、 この同級会は毎年開かれているが、常連組17〜8人のうち、これで5人が亡くなった。 幼稚園から大学までの同級生で、自死は始めてである。自死には、それだけの事由がある。 明るく、サッパリした性格の反面、神経が繊細。 高校では山岳部に属し、趣味は落語を 聴くこと。 偲ぶ会の寄せ書きは、如何なことか、と思ったが、色紙に、それぞれが一言、 書き留めて仏前に添えてもらうことにした。 * 雪下ろしの雷 冬の雷を「雪下ろし」という。11月の雷は初雪の前兆で、轟音がすざましい。 その後の雷は、激しく降る合図になる。今年も、例年と同じ下旬。直ぐに降雪するか、 1〜2週間後に50センチ位の積雪になる。 一度、消えるか、降ったり止んだりし、1月半ばか、下旬に2M位の積雪になる。 それが消えるのが四月の初旬の頃。 ・・・・・・ 4269, 閑話小題 ー虚無より傷心が上 2012年11月23日(金) * 人生、虚無より傷心が上? W・フォークナーの言葉に、「人生は虚無より傷心が上」がある。 両親が大戦の長岡空襲で財産の全てを失い、第二の創業を幼児から少年期にわたり 目の当たりにしていた。 そして自分も創業人生を過ごしたいと20歳の頃に決心し、 去年まで挑戦と挫折を繰り返した45年間。その心血を注いだ事業も、3つ(9・11、 9・15、3・11)の歴史的震災?で、呆気なく消滅してしまった。 口ではカラ元気なことを いっても、やはり深く傷ついている。とはいえ「何も人生をかける機会がない、虚無の人生」や、 「上手く後継者の譲ったハッピーエンド」より、傷心している現在の方が良かったと思っている。 いや、自分にそう言い聞かせている。節目には挫折感がともない、深く傷つき、虚無が覆う。 何事もない虚無や順調な人生より、傷ついた後の虚無の方が、(ドーナツの穴のように) 傷口が取り囲んで虚無を浮きだたせる。何度か、そこ知らないほどの虚無感に陥ったことが あった。半年位だっただろうか。何事にも自信が無くなり、虚脱状態で、ただ独り、極小に 縮んで滅していくような妙な感覚。 現在も、ひとつ間違えると、陥る可能性があるのが解る ので、ブログを書き、スポーツジムに行き、読書をするなどで自分に隙を見せないようにしている。 ただ愚痴を言い、他人を標榜するしかない老人を多く見てきたので、その愚だけはしたくない。 しかし、知らぬ間に愚痴を独りで呟いている自分がいる。 先日も、近くの道路で大声で 愚痴を喚きながら歩いている老人を見た。家内がよくスーパーで買物をしているのを 見たというから、痴呆の独居老人らしい。心の傷口が化膿しているのだろう。 男ヤモメの痴呆症は近くの親族は苦労する。「人生、傷心、時どき虚無」か。 いや、「虚無、時どき傷心、のち躁鬱」か。毎日が、心の天気模様のよう。 台風もたまに来るが。 服装と、心と、身体の管理だけは十分に気をつけてないと・・ ・・・・・・ 3894, ギリシャの次は・・ ー2 2011年11月23日(水) 前回、取り上げたPIIGSの国債の数値化を、改めて考えてみる。 ・ ギリシャ 32.29% ・ ポルトガル 11.52% ・ アイルランド 8.22% ・ イタリア 7.28% ・ スペイン 6.43% ギリシャの32・29%からみる。EUが今回、国債の残高の半分を免責、「ギリシャが現在の 国家の支出を大幅にカットしても、 数年もしないうちに行き詰まるのは明らかな数字である。 あくまで延命である。それに、他のPIIGSの金利も、この数値からみて、重体である。 これらの国のトップは殆ど、ここで変わったが、それで問題は片付いた訳でなく、間違いなく 破綻が近づいている数値。もしもの話をしても仕方がないが、日本国債が今後どうなるかである。 現在の10年もの国債は1・47%であるが、何時、国際的 投機筋に狙われるかである。 現在の利払いだけでも千兆の一%としても10兆円になる。その上に返済をしているので、 既に国家予算の半分が、国債に向けられている。ある日、国債に対して不信感から売り 浴びせられたら、国債金利は高騰する。考えただけでも末恐ろしい。首相を一年ごとに 変わるので長期的政策を持てずに、無責任の垂れ流しの予算しか組めないのが現状。 その破滅的システムが、この数年、続いている。 アメリカにとって、それがベストのため変えられないこともある。5年、いや、もっと早く IMFの管理下に入って徹底的なリストラを行われるしか手立てはない。そのキッカケは ハイパーインフレ? それでも消費税が5%で、欧米の平均値の20%まで15%のノリシロ がある。 また、国民の預金が1千兆円以上ある。それも、アメリカ国債を買わされている・・ ギリシャか、イタリアが破綻すると、リーマンショックの比較にならないほどの大混乱に なるというが、その具体的な状況は誰も想像つかない。 一線をひいてみると、なる程、より鮮明に見えてくる。 ・・・・・・・ 3529, ハーバード白熱教室 ー1 2010年11月23日(火) 一昨日(日曜日)のNHK・TVで15時から2時間、東京大学での日本版アンコールの サンデル教授の授業をを見た。ハーバード大の彼の講義には、毎回1000人以上の 学生が出席しており、1636年に創立された同大の歴史上、最大の履修学生数を誇り、 あまりの人気ぶりに、大学側は非公開の原則を覆し、初めてメディアに講義を公開した。 その一つを以前に見たが、私でも理解できる内容であった。 日本でのアンコール版は、一般から応募した1千人の生徒との質疑応答を中心としたもの。 元のハーバード大の授業内容は、米国のボストン公共放送局が制作し、昨年、全米ネットで 放送した放送権を買い取ったNHKが邦訳をつけ、今年4月から全12回での放送を始めたもの。 東大の大教室には一般から募った1000人以上の参加者が詰めかけた。 彼の講義の特徴は、 サンデル教授が提示した究極の事例研究を通して考えさせていく手法である。 始めのテーマは「正義とは何か」である。 まず正義を、彼は3つ上げてた。 * 幸福の最大化 (ベンサムの最大多数の最大幸福) * 人間の尊厳に価値を置く (カントの主張) * 美徳と共通善を育む (アリストテレス) 初めのテーマは、(18世紀に実際にあった事件=)難破した船乗りが救助を待つ間、 最も衰弱した1人を残りの3人が殺し、その肉を食べて飢えをしのいだという実話を挙げ、 「道徳的に許されるか」との問いを投げかける。まず初めの学生は、「3人が生き延びる ためには必要だった」「被害者の同意があれば許される」という立場、しかし他の学生 からは「どんな場合でも殺人は殺人」「食人は許されない」という否定論が出てくる。 色いろな議論の中から、初め上げたベンサム、カント、アリストテレスの立場の哲学を 導き出し、会場の生徒たちを巻き込んでいく。サンデル教授は、学生たちの意見を 踏まえた上で、「最大多数の最大幸福を求める行為が望ましい」と主張した18〜19世紀 の政治哲学者ベンサムの功利主義が、常に正しいとは限らないことを示唆したり、 カントの立場も示唆したりする。 この授業で奇妙な既視感が浮かんできた。そう、私が度々、ここで書いてきた、 学生時代の人事管理の武澤ゼミでの放課後の週二回のゼミである。人事上のトラブルを、 ある一管理職が書きつらねた難問の文章を渡され、次回に、それについて15〜6人が 議論する。 初めはランダムに背後にある問題を抉り出して、最善の解決策を考え出していく。 次々と、問題に対する意見を搾り出すが、そこには教授が難しそうな顔をして目たないように 座っている。したがって甘い指摘は許されない緊張感が張り詰めている。 もちろん甘い意見は、その後の誰かに指摘され潰される。2時間の議論を終えて 部屋から出たときには、太陽が黄色に見えるほどだった。そこで思い知らされたのは 絶対的知識不足である。 一年前の欧州一ヶ月の旅行で破壊された固い壁が、 さらに粉々になっていた。時間をかけ考え考え考えること!人生それしかない。 ・・・・・・ 3154,低反発マットと腰痛 2009年11月23日(月) 低反発マクラを使ってみて想像以上良かったので、居間用のクッションとしてマクラに バスタオルを巻いて使っているが、その後、ベッドに低反発マットを敷いて寝ている。 使い始めて2ヶ月ほど経過するが、マクラと共に非常に良い。腰痛も少なくなったようである。 寝返りが、これまでの半分以下になったようだ。それと横向きが少なくなった。人は平均、 左右、仰向けなど平均10回ほど寝返りをするが、それが4〜5回?ほどになった。 だいたい寝返りの時に目がさめるから、少なくなった分、良く寝れることになる。 それは腰や肩の部分が身体に合わせて包み込むような感じで、マクラと首も同じである。 実感として、寝心地が二倍は楽になったようだ。 これだけは実際に数ヶ月、寝てみないと 分からない。特に腰痛の人にはお勧め。 この特徴は身体との接点の部分だけが沈み 込むことにある。シートの方が身体に合わせてくれるのである。 誰もが寝入りの数時間は 熟睡するが、その後、身体と布団の接点部分の重圧で寝返りが多くなる。 ところで、ビックカメラには低反発のマクラ専門コーナーがある。私のはニトリで2千円だが、 そこは4千〜2万以上。どこが違うのか聞いてないが、低反発の沈み具合が違うのだろう。 他にマットの素材にゲルマニウムやセラミックが混入されているのもある。 (私は、枕の下にゲルマニウム石を置いている) 低反発マットもニトリで6980円の 値下がり品を買ったが、通販では1〜2万円が通り相場である。ベッドには、低反発枕と、 その下にゲルマニウムの鉱石、それに低反発マットをセット、目にはゲルマニウムの アイマスク、耳には、100円ショップで買った耳栓をしている。 その積み重ねの結果は 充分出ている。 良さでは、低反発マクラ、マット、耳栓、アイマスクの順である。 就寝は人生の三分の一を占める割に、人は無頓着である。この低反発マットを使って 気づいたが、ウォーターベッド、これ良いんじゃないか? もちろん、ハンモックも良いが。 ・・・・・・ 2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2 2008年11月23日(日) 人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を目安にすると解りやすい。 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。 人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。 この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして楽しんだかが 人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。鼻歌を歌いながらスキップするしかない 場面も人生には往々にある。人生には、ある程度の長生きも必要である。 人生を楽しむには、楽観的で、能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽し い明日をイメージして、その実現の準備を地道にすることだ。耳には、何時も心地良い 音楽を流すことは、誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器を みたり、本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。 鼻や口は、季節季節 の新鮮なものを食べればよい。誰でも、身の回りに楽しめることは幾らでも転がっている。 「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、高杉晋作の辞世の歌である。 彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼(福岡の女流歌人)が受けて、 「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけたというが、成るほど上手い歌である。 いずれにしても、ゲーム化した段階で、自分を客観視する冷静さを持つことになる。 何が起きても 「その時は、その時。 それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に 語りかける冷静さこそゲーム化で身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、 全く下手なゲーマーの自分が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」という ゲームがマスコミで話題になっている。 ・・・・・・ 2006年11月23日(木) 2060, あたりまえなことばかり −14 (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グーオハヨ〜 {人が死を見るのは「死体」であって、「死」そのものではない。 「存在しないこと」であるところの死が、目に見えるわけがない。 見えるのは物質としての「死体」なのである。しかし、多くの人は、この両者を混同する。 死体を見たことによって、死を見たと思うのである。見たことで、死を理解したと思い込む。 こうして、自分の死の観念を、他者の死体という現実で、現実のものと思い込む。} 恐らく人類の一番の思い込みが、死であろう。 無を言語化したのと、死を言語化して、 それに恐れおののいているのに酷似している。 尽きる間際の混乱を恐らく恐れているのだろうが。 「生など一瞬の稲妻でしかない」と、思いつつ恐怖のどん底のパニックなりつつ、 ヨタヨタと消えていくのだろう。 面白そうだが・・せめて極上のモルヒネで最高の気分で (字数制限のためカット 2014年11月23日)
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2014年11月22日(土)
* 随想日記も5千回に 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に再び、その時の自分と出会える。 5千回は、以前より大きな目安としていたので、やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・ この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、この30年の大きな 行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて問いなおせば、何もない。 ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。面白く、厳しい場面が多くあったが、 悔いは無い。いや、そう思うしかない。 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。5分遅れでアップできなかったことが 一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの!学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、 社内報に二月に一度、書く以外は、殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、 ダイアリーにメモ書きで残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことを してなかったことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に 公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室を見つけて 本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、手作りのHPだった。 それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」として続いている。 そして7年前に、二つのフォロー用に始めた、「はてな」のブログに、殆どが移動していった。 そのことに気づいたのが一月前。 13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、 400人の閲覧になっている。もっとも、最大のファンは同月・同日の自分と、未来の自分だが。 アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。 なるほど、言葉は言霊!「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」を、 読み返すと分かる。 ーまずは初回からー ―― ウオーキングについて 2001年05月04日(金) 7〜8年前より 1日平均 15000歩、歩ている。土日曜祭日は23000歩 は歩く。気功、 屈伸、地蔵様へのおまえリ、瞑想、太陽視、呼吸法、肯定思考訓練など全部取り入れてある。 趣味をとうりすぎてライフワークである。酒を多く飲みすぎた時など毒素が抜けるのがわかる。 日経新聞のコラムで1日7〜8万歩も歩いている人の文章を読んだ事があるが、上には上が あるもの。 10年前に書いた文章をコピーしてみる。−> 【最近、造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。(江藤淳の“夜の紅茶”をもじった) �早朝(4時半〜5時半)起床 �近くを一時間散歩 �テレビ体操 �瞑想 �家族全員のお祈り �食事�風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。 この散歩に全てが含まれても過言ではない。 これを実施して4年、副産物としてアフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。 健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。時々不節制が続くと散歩していると 身体がだるく重くなるのがはっきり判る。また朝の風呂も非常によい。当初は疲れが残ったが なれると気分爽快になる。早朝型のきっかけは松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き 感激して自ら挑戦してみた事だ。登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。 1時間半10km歩くという。そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。 夜のつきあいは一切断っている。これが逆に考える時間と、心の余裕をつくったのでないか。 山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントではないか。平成3年 5 月 】 ―― 4000, 4000回の随想日記 2012年03月08日(木) 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。 旅行中も「書きだめ」をしたのを 知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも11年近く四千も連続して 書いたと驚いている。 次は五千が目標になるが、四千回を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休むつもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、 一応自分で納得した内容を書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから 可能だった。「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、クマサン に自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識として残すのが 目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけにしている。 気楽に、 面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、それが、そのまま伝わっていたはず。 それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 自分の貯めた文章を毎朝、 同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた分を含めると11年分の同日の 自分に出会っている。書いたことも、その内容も、ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは 不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、 心が洗われる。 文章を起承転結でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、 当日分の書いた分だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。 しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除することに なるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、アップすると、 あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなってしまう。 時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、毎日、書き連ね、 別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。また分類ボックスの一番下に、 過去に書いた文章の検索が出来るようになっている。 時々、検索をすると、キーワードの 入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。 これは記憶の検索になる。 ―― 3000、3000回か〜 2009年06月22日(月) この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。 書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから 続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、 キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。 書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、 紺屋の白袴で・・・・? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と 同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。 ―― 2000, 継父 2006年09月24日(日) (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。 この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。 5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院まで オシメをすることがなかった。
痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。 始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。 マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、 抑えていた悪口・陰口が始まる。 心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。 亡くなって一月後になって、 「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。 戦争は全ての国民に深い傷と重石を担がせる。 第二次大戦直後に生まれたが、 あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、 母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。 この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、 「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、断ってしまった。 20年前で母が生存中なことと、それを多くのセレブの前で話すには 自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。 母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。 (奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。 3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった) 家が商売をしていたので残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか? この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。 3人の末であった母に、特に虐めがいったという。 それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく さて墓参りだ! ーー 書いた後に気がついたことだが、 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! ーー 1000, \(~o~)/千日の随想日記! 2003年12月30日(火) 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。 更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。 調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。 しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて 一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」 のつもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。 自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。 いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が 間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。 50人位の人に毎日読まれていると思うと、誰かに見守られているような 感覚になる。作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。
死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。 いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅してしまうか。 そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であることだ。 ・テーマ探しに46時中頭が1杯 ・そして構成に苦労して ・書き上げた後に、何回か書き直し ・誤字と矛盾をさがす そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。 といってこの程度の内容であるが。 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。 それでも何とか書くからよいのだ。 書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。 書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。 書き続けることは、書き重ねることになる。 書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。 深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。 その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。 来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿んだり、 土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている? このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。 千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。 来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に 切り替え集中しなくてはならない。 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか? どうなるか?自分でもわかりません。 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!
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| 4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜② |
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2014年11月21日(金)
ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン 般若心経を暗記をしてから30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。 当時、息子二人も、毎朝の仏前の読経をきいて面白がって暗記をした。何万回、 唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。 今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味があることを実感する。 ポイントは、ゆっくりと、一言一言を区切ること。創造工学の中山正和の講演で、 「運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい」という勧めを受けて、必死で憶えた。 これを一度憶えてしまえば、ふと汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時など、 唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー ≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を変えれば 係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにもなる。それほどの 大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの意識に持っていくという作業が すごく大事になる。そのため何をすればよいかといえば、一番簡単な方法の一つが毎日、 「般若心経」を唱えることなんです。訳はわからなくていい。とにかく唱える。 そこで大事なことは、へたに解釈してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが 大事なんです。 また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。 あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。まともに考えたら 馬鹿臭くなるのではないでしょうか。 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。 そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて全部暗記してました。 ーある種の呪文なんですね。. そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。 いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して何でも 意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体がすごいストレスを 生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、それをわかろうとするのではなくて、 単に唱えることに意義、つまり心を癒す作用がある、ということですね。 ただ、それで 完全にわかったと思ったら、もう駄目だと思います。理解するより唱えることに意味がある。 「般若心経」は。‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178) ≫ ▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。《現象は、五感は 夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。《南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》 《南無観世音》も一心に唱えている時は、心が魂の世界とつながっている。 魂とは一心不乱に対象に没入している時の心の状態をいう。ひたすら、念仏や、 般若心経を唱えている時こそ、自分が自分になる。 南無..(-人-) Д│ ―― H0605 般若心経のすすめ 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、般若心経の すばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。 当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か 丸暗記をしてしまった。十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると �自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた �心臓音に波長があっている(リズム) �α波がくみこまれている �“念”がこの中に入っている �お寺・神社等で唱えるとTPOとして、 その場のイメージが鮮明に残る �情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、 結果として“運=無意識の判断”を左右する �これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、 自己の中にその中空がつくられる �夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で 「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、 キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」 のではないかと言っている。 それは般若心経をくりかえしの中で、 少しでも近づける様な気がする。 ―― 2001年06月11日(月) [49] 一期は夢 ただ狂え
世の中はチロルにすぐる チロリチロリ 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ 何ともなやなう 何ともなやなう 人生70古代稀なリ ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や 夢幻や南無三宝 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ 閑吟抄 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男 が古今集をまねてつくった歌の一つ。 ‘人生など一瞬でしかない。なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’ と言う内容である。今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった 内容だ。500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか? 今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか! ・・・・・・ 4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3 2013年11月21日(木) 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) * 早慶・東大卒のお相手の学歴は? 《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。ところが女性を基準にすると、 別の結果が見えてくる。 まず、同じグループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。 具体的大学名までは分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。 「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの男性の比率が 約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述のMARCHに学習院を加える) や「関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)ほか」という比較的入試の難易度が高い 大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した 女性は、同グループを卒業した男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、 パワーカップルの代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ 少ないので、彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と 結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの理由である。・・ 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の国立を 含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒女性は少ないが、短大4名、大卒13名と 高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》 ▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生と結婚。 男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、まず家柄、大学の ブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ気にしなければ、それぞれの勤め先 には、地場の美しい魅力的女性がいる。20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱える となると?その人を知ろうとしたら奥さん(旦那)を見ろ!という。 その人、相応の相手とすると? 深く考えるのは止めておく。 若い女性は、自己評価が 思いのほか高い。その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。 秘境ツアーで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、傷つきやすく・・ 2〜3回に一度はいる。自分も同じか? 話を戻す。パワーカップルといえば、20数年前、 東京のパレスホテルの経営セミナーの夕食の時、隣席の人と名刺交換をした。 グリーハウスという全国有数の企業の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、 飲食業界では有名人。駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも 展開している。 セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。 異種業種からの情報が入るためである。私の名刺を見て、「私の家内は、実は柏崎出身 なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、仲人がいるのでよく知ってます。 どちらの娘さんですか?」と聞くと、「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が 幼馴染で、非常に親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、 「母が慶大のOB女子会の役員をしていて親しくなったのが家内の母親。 その関係で・・」 大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。 で、衰退系の会社?まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと! ・・・・・・ 4267, つれづれに ー衆院選・政治談議 2012年11月21日(水) * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か 消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。 その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。そうすると日本維新の会しかない。中心人物 二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。その実績をもって 二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 おそらく、自民が180〜200票で、維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、石原が 副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の可能性が出てきた。 こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との間に摩擦が生じる。 また、国内的にみても荒療治が行われることになる。 公明党も、時の権力に擦り寄るのは 自明。ここで強大な救国内閣という名の下に思い切った荒治療をすべき時期でもある。 一歩退いて改めて日本を、世界をみると、実相が鮮明に見えてくる。 日本は既にEUのPIIGS並みに陥っている。ここで本気に改革しなくては周辺各国から 狙い撃ち状態になる。いや、既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を 持って腐った病巣を切り捨てるべき時節。 野田首相は、それでも真ともだったが民主党の 3年あまりは酷かった! しかし、このところ安部が、政権をとったら国債の日銀の 引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡と前からいわれていた。個人国債も同じだ。 自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がというと、石原と安部しか見あたらない。 どちらにしても先行き真っ暗である。 安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。 国民には自民党へのトラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? この選挙で、日本の将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で劇場型政治と 割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・ ・・・・・・ 3892, 顔を哲学する 2011年11月21日(月) 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティーは化粧と ァッションを取り扱った番組が多い。それほど顔が大事にしては、「何故、これほどまでして 人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり聞かない。顔について哲学した学者といえば、 レビィナスである。 顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの釣り合い (美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、そのまま顔に 集約されて出てくるからだろう。口は女性の性器に鼻は乳房?を表現しているという。 顔面の評価認識は時代と、国により変化している。また脳の中にそれ専用の部位がある ことから、生物的に有意な機能があると考えられる。美醜の存在は、それが単に コミュニケーションのためだけでなく、身体機能や脳機能の優劣選択のシンボルとなっている。 そのことは目は脳、鼻は肺、口は胃と同じ細胞から分裂して形成される事から推察される (だから胃が荒れると唇も荒れる)。美人を優れた男が獲得する事が続けば、結果的に 身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。その意味で顔は、 その人の家系の表出と見てよい。韓国では、女性の整形はごく普通のように行われている。 整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、 内臓が露出している。目は脳の細胞と同じで、人の心が、そのまま現れ出てしまう。 だから女性は目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、 欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば万人、それぞれ 違っている。その人の認証のサインである。 そうこう考えると、顔・形に、特に女性が 集中するのは至極当然である。 それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。 ・・・・・・ 3527, 円高より深刻な国力低下 2010年11月21日(日) 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、 東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー ≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、30〜40パーの円高 に過ぎない。しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 それを考えると、15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、 周辺国の競争力が上ったのである。これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を 嘆かなければならない。≫と言うのだ。 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて、 新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から出てくるエネルギーが目だって 落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、 数年もしないうち、再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つに なったり、証券会社が淘汰された時期。そこに、2001年のリーマンショックである。 そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、金融と輸出で大きく 潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマンショックで、 関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の 更なる衰弱になっていった。悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、 更に国力が削ぎ落とされてしまった。これで、まだ大底についてないのが実情で、 この数年で大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。それを前提に現在を、 そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化政策が見えてくる。 それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。 大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、10年、20年前に誰が予測しただろう。 この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、現在の暗い世相の段差が 分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若人たちは、こんなものと思って いるのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。 ・・・・・・・・ 3152, ラ行の受身形 2009年11月21日(土) 「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。 ーその概要を短く纏めてみるとー 10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で 受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を 込めて書いている。 ラ行の受身形とは・・・ ・叱られた ・文句を言われた ・虐められた ・騙された ・裏切られた ・嫌われた これらは私達が日常でよく使う受身形。 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、 「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換を すればよい。その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる 力になる。奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を 灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が 読み取れた。 そして、ある日、「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかった のは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。ガンは自らがつくり出したもの。 ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった 彼女は感謝の心に変わっていったのだ。そして余命半年といわれていた奥さんは三年生きた。 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、 未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく揺れるようでは、 人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になった ように思うという。文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。 そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。そうすると、文句を言った人に、怒りでは なく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 今の私には嫌な人物は 一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、やってみる価値は 十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。 使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に 現われてくると、無邪気に信じてくるようになる。 ー 味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた 「要は、受止めかた次第」の具体例と考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会った のが不思議である。書いていて思い出したのが「もとは、こちら、そのままけっこう」である。 実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、直ぐに「そんな問題じゃ ないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、 何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。 色いろな悟り方があるもの。 ・・・・・・・・・ 2787, 不況景色 2008年11月21日(金) (字数の関係でカット 2014年11月21日)
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2014年11月20日(木)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著) * 世間とは、差別社会の日本的用語! 日本の世間にも、欧米社会にも歴然とした格差があるが、高度経済成長と、 バブルと、崩壊を経て、中流階級が、総下流になりつつある中、世間様では窒息感が 強くなって、世間様のイギリス化が始まっている。 この傾向は、今後ますます強く なっていくことになる。 ーその辺りからー ≪ 八○年代までは相対的に景気がよかったため、人びと余裕というものがあった。 「世間」の贈与・互酬関係」や異通の時間意識」は、「お互い様」という相互扶助」や 「やさしい関係」という「共生感情」を生みだす。これが「世間」のウチでセーフ ティネットとして機能していた。ところが、九〇年代以降の不況の時代に入ると、 人びとにこうした余裕が失われ、セーフティネットとしての「世間」の機能が だんだんと後退し、「世間」の「権力性」「抑圧性」といったネガティブ面だけが 目立つようになった。「世間」の「息苦しさ」や「閉塞感」が、前面にせりだした。 この変化を、私は資本主義の「中世」化とよんだことがある。 九〇年は、 オングのいう「第二次的な声の文化」が始まる時代と符合する。 オングは九〇年代以降、電子メディアの普及によって、文化の伝承という点で、 ちょうど「中世」のような状況があらわれたという。「中世」の特徴は身分社会に あるが、「世間」もまた「目上・目下の関係」としての身分関係を重視する人的 関係である。この資本主義の「中世」化によって、世間」がせりあがってきた。 ・・(中略)例えば英国の階級社会とは、何なのか。イギリス生活が長い ジャーナリスト林信吾によれば、英国の階級制度は、上流、中産、労働者 階級に明快に分けられる (『しのびよるネオ階級社会』林信吾)。 ☆ まず上流階級と中産階級を分ける基準は身分。これは古い貴族制度が のこっているためで、上流階級には王室をはじめとする貴族や代々の大地主 などが入る。これはまあ、わかりやすい区別である。 ☆ つぎに中産階級と労働者階級を分ける基準は、収入や資産もあるが基本的 には職業であるという。 これはみた目で区別するのは少しむずかしい。 中産階級に属するものとして、医師や弁護士などの専門職のアッパーミドルクラス、 高学歴のエリートサラリーマンなどのミドルクラス、一般的なホワイトカラーや 下級公務員、零細自営業者などのロウアー・ミドルクラスがある。 ☆ 後に労働者階級に属するのは、特別の資格やスキルを必要としていない 仕事に従事している者。 ロンドンでは、二階建てバスの運転手は労働者階級 だが、むずかしい試験に受からなければならないロンドン・キャブの運転手は、 ロウアー・ミドルクラスだという。 ・・英国でおなじみのパブでも、1軒のお店のなかで、中産階級向けの ソファやスツールに座って飲む「サルーン」と、労働者階級向けの墓本的には 立ち飲みの「バー」が分かれていて、入口まで別。≫ ▼ 欧州は人種の坩堝のため、飲食店は長年かけて以上のようなシステムに なっている。日本も、ますます、この傾向が強くなっていくのだろうが・・ 実際、日本も表立ってないが、客単価で、えり分けをしている。 世間とは、それぞれ階層の「目上・目下」の人的関係に過ぎないが、当人たちに とっては大問題である。大学、高校、中学、小学校の同級会に毎年のように 出ているが、そこには、階層差が歴然としている。その上、それぞれにも 明確に存在する。それを見てきたため、創業時の事業設計から万一の備えを 組み込んでいた。 娑婆は面白い! それも所詮は、共同幻想でしかないが。 ・・・・・・ 4631, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー2 2013年11月20日(水) 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著) * 学歴の組み合わせは? 《 1000人にアンケート調査を行い、結婚相手の学歴、とくに大学名を挙げ、 どのラインを理想とするか、あるいは、ぎりぎり妥協できるかを問うている。 この調査から、日本の学校間格差、男女差、心理的な葛藤など、様々がわかる。 ・まず中卒、高卒の男女で相手に大卒を望む人は非常に少ない。高卒女性では 大卒男性を望む人もいるが、そのなかで大学名にまでこだわらない人が大多数。 ・男女差に注目すると、男性よりも女性のほうが相手の大学名にこだわる。 大卒男性は女性の大学は無名でよいという人がかなりいるのに対して、女性の 場合は自分の大学よりも名門度が高いか、同程度の大学の男性を望んでいる。 ・「国立大・早慶上智クラス」卒業の女性の64%が同クラス卒の男性を理想と しているし「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)クラス」卒、および 「成蹊・成城・明治学院クラス」卒の女性の過半数が「MARCHクラス」卒以上の 男性を理想としている。なぜ入学の困難な名門大学で学ぶ女性は、 相手男性も同クラスの大学卒であることを希望するのか幾つか考えられる。 難関校に入学する女性は少数派なので、自分に自信がある。自信があれば、 男性にも同等ないしそれ以上の大学を希望するのは自然である。 一方で、 男性は劣等感を抱く可能性があるため、自分より格上の女性を避ける傾向が あるとされる。》 ▼「東大」「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大グループ)」「関関同立(関西、 関西学院、同志社、立命館)」「MARCH(明治、青山、立教、中央、法政)」の 色分けは、私の学生時代から、あまり変わらない。有り余る自由の中で、何を していたかが大きい。としても大学は、それぞれの人生に大きな影響を与える。 血筋、大学、結婚相手のレベルで、人生が決まるか?というと、そうでもないから 面白い。しかし8割は大きく左右する。 毎年、中学、高校、大学の同級会に 出て感じる事は、進学するにつれ、世界が広まる奇妙な感覚。 中学は駅周辺、高校は中越地区、大学は首都圏周辺と全国区へと広がる。 義兄に東大、一橋卒、中央・法科と、長岡商業卒がいる。姉は、大手高校、 ドレメ、実践女子短卒が二人。なるほど、その組み合わせが、そのままが、 その人となり?結婚相手の当たり外れかは、棺桶の蓋を閉めるまで分からない? 結婚相手と両親、学校、生活の質(読んだ本と趣味の質・量)で多方が決まる? 諸条件は、原因? 運もある?(★>Д<★) ・・・・・・ 4266, 法則は思考のショートカット −1 2012年11月20日(火) 「知っているようで知らない 法則のトリセツ」 水野 俊哉 (著) 今さら法則もないが、しかし面白い本である。ーまずアマゾンの内容紹介からー 【 内容紹介: 巷にはさまざまな成功法則や戦略書がある。いったいどの法則が 実際に使えるのか、そしてどのような場面でどんな法則を使うべきなのか、迷って しまうことも多い。そこで本書ではどれが有効か、ケース別、TPO別に解説する。 ナポレオンヒルから行動経済学までを完全網羅! △ 世の中はこんな「法則」で回っている! 組織には必ず20%の怠け者が存在する 会議では自分の意見に反対する人は正面に座る傾向がある 一度Yesと答えてしまうと後でNOとは言いづらくなる 先延ばしした仕事は、処理に通常の2倍の労力を要する等 不安定な時代に知っておくべき法則」 がある。 人生の「ショートカット」となる「法則」の数々が、この一冊に! 】 ▼ ざっと概要は、こんなものだが、取り扱い方というより多くの知らない法則が 各分野に多くあるのに驚いた。それらの法則を知っているか知らないかは大きい。 「法則の取り扱い方」の説明書より法則の紹介書。「法則」を多く知り、用いる ことが出来れば、人生、数倍、いや数百倍も豊かに人生を生きることが出来る。 しないで済む苦労も事前に避けることが可能。長い歴史の中で科学も人生も、 ほとんど先人が既に経験済み。法則は、それらを経験則として凝縮されている。 それを知るほど、世界を広げることが出来る。三年前に出版された本だが、 過去に、このような本は数多あったはず。多くの「法則」、知っていても本当に 理解していたか?というと疑問である。ここで法則を、職場関係と仕事の法則、 ビジネス一般、心の法則、勉強の法則、そして成功本の成功法則など分けている。 半分近くは、これまで読んだりして少しは知っていたが、全く知らない法則も 多く紹介されている。何気なく目次を見た中で「好意の互恵性」の法則があった。 「好きになると、好かれる。好かれると好きになる」とかいう法則である。 これも一方的に思い過ぎたり、思われ過ぎると逆効果になるが、ほどよく 人間関係に適用すれば、職場などの人間関係で有効になる。 次回から、今まで知らなかった面白そうな法則を選んで紹介する。 ・・・・・・ 3891, 腰痛は、脳内システムの不全が原因 2011年11月20日(日) 先日のNHKTV番組「ためしてガッテン」で、腰痛を取り上げていた。 腰痛について、ここで何度も取り上げてきたが、内容は、思わない展開であった。 大雑把にまとめてみると、<腰痛の痛みは、椎間板ヘルニアと思われていたが、 その痛みはストレスなどで脳内にある痛みを抑える脳機能の働きが弱ったためで、 犬や他のことに気を散らせると大きく改善する・・云々>という内容。今でも半信 半疑である。 ーまず「ためしてガッテン」のHPの内容紹介を、箇条書にしてみるー ◎ 日本人の8割が一度は経験するといわれている腰痛が、実は 「国民的大誤解」があることがわかった。まず、「腰痛の85%が原因不明」という。 ◎ さらに、主犯と考えられていた椎間板ヘルニアさえ犯人じゃない? 町の人に尋ねると、半分の人たちがこの椎間板に原因で、ひどければ手術! と信じていました。 ところが、これが国民的大誤解。 ヘルニアを切除して、 神経の圧迫が無くなったのに、痛みが消えない人。さらに、ヘルニアがあるのに 痛みがない人が続々とみつかりました。「ヘルニア手術」をした場合と 「手術以外の治療」をした場合を比較しても、2〜10年で患者の回復満足度に 差がないことも明らかになってきた。 ◎ そんなナゾ多き痛みに、50年に1度という大発見がありました。 それはなんと「脳」と「腰痛」の意外な関係。「犬」を飼ったら大幅に直った! という事例がある。神経が、痛みに集中していたのが、犬に気持ち分散した ためである。研究者が注目しているのが「脳」と「腰痛」の意外な関係。 様々な論文で、ストレスが高まると「腰痛」が増えることが指摘されて いましたが、その理由は解明されていませんでした。福島県立医科大学が、 原因不明の腰痛患者の脳血流量を調べたところ、7割の腰痛患者が、健康な 人に比べて血流量、つまり脳の働きが低下していたのです。 アメリカの ノースウエスタン大学がさらに詳しく調べると、活動が特に低下しているのは 「側坐核(そくざかく)」という部分であることがかってきました。「側坐核」は、 痛み信号が脳に届くと、鎮痛物質を働かせる命令を出すと考えられています。 これによって、脳は大きな痛みを自動的におさえていたのです。ところが、 慢性的なストレスを受けると、側坐核の働きが低下。鎮痛物質に命令が いかないので、痛みがおさえられず、激痛を感じてしまうのです。 ストレスが痛みの原因を作るのではなく小さい痛みを強めて激痛を 生み出すことが分かってきた。脳の鎮痛システムが働かなくなるので、 痛みが増加しているというのです。 ▼ 腰痛を47年も抱えてきた私にとって、まだ信じられない結果である。 腰痛解消のため、30年前から早朝のウィーキングを続けており、二年前からは 低反発クッションと枕を取り入れたこともあり、重い腰痛は起こらなくなった。 そして、半年前からはスポーツジム通いで、更に改善をしている。 それが、 ストレスによる脳の働きの低下により重くなっていると、いう。そんなものではない! というのが、私の現在の心境。 しかしストレスは万病の元である。 ストレス無いのが一番のストレスというが。 ・・・・・・ 3526, 死に至る地球経済 ー2 2010年11月20日(土) 「死に至る地球経済」 浜矩子 著 ー今だ一番底に落ちてない世界経済ー 今だ、底に落ちてないのに二番底というのは矛盾がある。 来年から再来年に、一番底が来るのは流れからみて当然。そして、その後に 数年して二番底が来る。プライムローンなどの不良債権は、まだ表ざたになされ ないまま、銀行、企業、そして自治体などに塩漬けにされている。 しかし、そのままにしてはおけない。 ■ランダムに印象に残った部分を書き出してみた■ *「二番底」と言うが、問題がある。ここまでの地球経済は、しっかり一番底に 足がつかないまま、無理して舞い上がることを強要された恰好で推移してきた。 このリーマン・ショックをもたらした諸々の歪みを是正され修正されるプロセスを 貫徹されないまま、当座凌ぎの緊急対策で経済活動を離陸させた。 二番底というのは、失速し、谷に落ちた経済活動が、一度は活力を取り戻して 谷底から這い上がったのに、再び力尽きて谷に落ちた場合である。 今回のは、谷に落ちていく途中で、つかの間の踊り場が人為的に繰り出されて 一息ついた感じである。大底に向かっての小休止に過ぎない。 そんな小休止の踊り場はぐらついている。G20の「成長に優しい財政再建」 の苦肉の言い回しが、この厳しさを実によく言い表している。 * PIGS(ポルトガル、アイルランド、ギリシャ、スペイン)の国々は「豚箱入り」 * アメリカとPIIGSはキリギリスで、ドイツはアリ。 日本は「アリの民間」と 「キリギリスの政府」と喩えられ、「アリギリス」だ。 アメリカは、これから アリギリスを目指そうと言うが・・・ * 日本のお家芸は「量的緩和」と「金利引き下げ」である。 *「自国さえ良ければいい」的な通貨安競争は一時的には自国の利益を 増やすが、各国が密接に関連している世界経済では、巡り巡って自国への 強烈なカウンターパンチとなりかねない * ガルブレイスの言葉、「政治は可能性追求の技にあらず。 それは選択の技である。 選択肢は、悲惨なるものと耐え難きもの。 二つに一つだ」(61-2頁) (字数制限のためカット 11年11月20日) ・・・・・・・・ 3151、災害で助かる人、助からない人 2009年11月20日(金) 韓国の釜山の火災で日本の観光客が亡くなったり、浜松のマージャン店火災で 7人が死傷したが、色いろの現場で助かる人と助からない人が出る。 一般的に 地震や火災などに遭遇したとき、人はどのような心理状態で行動するのか? まず、どちらが正しいか?という質問。 1 地震や火事に巻きこまれると、多くの人々はパニックになる 2 地震や火事に巻きこまれても、多くの人々はパニックにならない 答えは2という。 日本や欧米の研究でも、避難の指示や命令があっても、大部分の人間は 速やかな避難行動を取らないという。指示する側が人々に安心感を与える ために状況の深刻さを軽めに伝え、その結果、手遅れとなることもある。 一般的には、実際の災害現場では幾つもの要因が偶然に重ならない限り パニックなど起きないという。過去の大災害時に助かった人で一番死亡 しやすいのは年齢の高い「男性単身者」。逆に一番助かりやすいのは「家族」で、 行動を共にする人がいること。 また若い人ほど生存確率は高い。 家族による信頼感と無償の援助、心理的な安心感が生存確率を二倍にも 高めるということ。マスメディアや近所つきあいの接触の多い人間は、早めの 避難行動を取る傾向があり、助かりやすく、また金持ちほど助かりやすい データもある。大金を残して死ねるかという執念があるからか。 状況判断が的確に出来るか、そして前もって災害の恐ろしさの情報があるか どうかが分かれ目になる。 少し話は逸れるが、地震や大火災は、都市の時間的流れを強制的に進める 効果がある。神戸の震災は復興はしたが、経済的な後退感は否めない。 それは神戸が経済的には下降期にあったからだ。逆に関東大震災の東京は、 それを機に都市計画を整備し、震災以前よりも首都として成長することが できたのである。都市が成長期の災害は一層の成長をし、衰退期の災害は 一層の衰退につながる。 人生も事業も同じようなものか。 飛行機事故で 数人助かった人の顔は、何か共通の異相をしているのにお気づきですか。 :天声人語に以下のような文章があった; 警察によると、幅約1.4メートルの落石が駐車場フェンスを突き破り、 駐車場に停まっていたキャンピングカーを貫通した (字数制限のためカット 11年11月20日) ・・・・・ 2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! 2008年11月20日(木) ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー 【 私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、干葉 拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、「自分は何故生まれ、 何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問であった。 ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。 その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。 〈すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。 そのプランは生命の進化。個別的生命は全体の部分である。個別的生命が 部分をなしている全体がある。すべては一体である。 この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉 彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。 朝から二度倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。 年ゆくや天につながるいのちの緒 春樹 この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つで あることを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で 体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房で、 自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の 疑問があっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために 地球に生まれて来た、ということだった。】 ▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と 違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中で、 絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点を決め、 その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’である。 人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に楽しみ、 味わうかにある。 それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなるのである。 【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】 という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の 人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難や 悲しみ、というのが少しは分かるが。 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。 何か際どい話になってきたが。
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2014年11月19日(水)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著) * 「格差」拡大による「そねみ・ねたみ」の肥大化 建前が平等の社会にあって、格差が拡大すると、自分より上に対する「そねみ・ねたみ」 が拡大する。 逆に下に対して、陰湿な苛めなど差別をするのが人間の性である。それが 世間様というもの。その互いに発する毒の共同幻想で実は本人たちの脳がやられる。 問題は自覚できないこと。 ーその辺りからー ≪ つまり自分と同じ」だと思っていたお隣さんが、ある日突然ベンツを買ったとすれば、 それは自分と「同じ」 ではなくなる。ビミョーな「格差」が生まれたときに、他人にジト−ッと 嫉妬する独特の心理が生まれる。 この日本人特有の嫉妬について、正高信男さんは 以下のようにいう。 【 いかに時代が変わろうと、日本人は基本的に非常に嫉妬深い。いじめも、モンスーン 気候の風土と正比例するように、ジメジメしている。だから、分よりも注目されている人間に 対しては、いくら口先で褒めても、内心はムカツク要素を秘めている。昔でいえぽ、胸くそ悪い とでもいうのか。単に不愉快ではすまない。 いつまでも梅雨が上がらないようなしつこい 陰湿さがある。嫉妬心も消えない。(『他人を許せないサル』)】 ・・(略)自分は自分、他人は他人という個人主義ではないから、自分が他人に比べて 損をしていないか、得をしているかがいつも気になって仕方がない。横並び一直線で 暮らしていた時代は成功した者とそうでない者のデコボコの差がほとんどないから、嫉妬の 質も深刻ではなかったかもしれない。が、現代のように勝ち組、負け組の区別がはっぎりして、 所得格差も以前よりひどくなり、社会システムがより欧米化されると反応は過敏になってくる。】 ▼ 地方では勝組は少ないが、大都会は中国などの勝組の観光客も相まって、歴然とした 格差が現前している。それが面白い!と言えるのは、余裕のある立場の人たち。そこは一度 沈んだら、二度と立上がれない世界。他人事ではないが・・ 日本は国家として明らかに負組に なってきた。その結果、国内には、ジメジメした空気が漂い、今まで無かったような殺人事件が 多発する。そして、それを揶揄して楽しむ歪な空気が漂う。 そこに欧米のような個人主義 でないが故に生じる共同幻想で集団で脳をやられる。 江戸末期の「ええじゃないか!」 の馬鹿踊りが形を変えて出てきたのが、『東京オリンピック』である。 この共同幻想を楽しみながら、最期の宴を国家とともに終るのもオツナモノか。 ・・・・・・ 4630, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ ー2 2013年11月19日(火) * 相棒 ー愛人と共謀の夫殺し 昨日の『相棒』は、二回完結型の後半もの。概略は 《 有名女優が、内縁の夫の作家を愛人のマネジャーと共謀して撃ち殺す。 強盗の仕業にするが、右京が追い詰める。ところが調べているうちに、内縁の夫は 女優の実の父であることが判明。子供の頃に両親が離婚。 亡くなった母親が残した アルバムから、半年前に知るが、父は、そのことを知った上に、女優と内縁の関係になって いた。そのことに同情したマネジャーと共謀し・・ しかし、そこには二人の純愛があった。 逮捕をされる時、マネジャーが相棒二人に、結婚届けを託すラストシーンが、涙を誘う。》 話は、これからである。 ああ終わったか、とチャネルを回そうとすると、TV局も、視聴者 心理をしってか、冒頭から、ニュースの触りを持ってきて、引きとめようとする。 ところが、冒頭のニュースが、これに似ている裁判の内容。「裁判で、被告が突然、 自分は主犯でなく、殺害した被害者の奥さんと共謀してやった」と主張、その奥さんは、 証言で「ストーカーの被告が勝手につくった物語」と、両者の言い分が対立、と報じていた。 被告の証言で、「以前、奥さんから、本人がつけている香水をもらった」と、それを提出した のに対し、奥さんは、・・まあ、テレビドラマそのもの。偶然としてもTV局は、してやったりの タイミング。奥さんらしき人の写真が流されていたが、被告も、奥さんも普通の感じ。 今週のマスコミは、この問題で大騒ぎだろう。『相棒』の話題、軽いので、テーマとして 迷ったが、こうなると、良かったことになる! それにしても、視聴者の多くは、主犯は? 二人共言い張れば、通る? * 何もする必要が無いのが、御隠居生活 思いのほか、御隠居生活に馴染んでいるが、準備期間を含めた事業人生から 解放された気楽さがある。大きな成功を必死に求めていた自分が、可愛らしく思えるのが 御隠居の視線である。以前も書いたが、家内が不思議そうに、「毎日、単調な生活で刺激も 無いようだし、つまらなくない?」と聞いてきた。 その答えは、「実際に、事業をしていると、 寝ても覚めても極度の緊張状態。それは良いこともあるし、嫌なこともある。 現在も、同じこと。これはこれで、淡々として良いし、逆に詰らないこともある。 どっちも同じこと」が、偽わざる気持ち。滑り台に例えると、早朝が一番上で、就寝が一番下。 寝起きに、この随想日記の添削をして、アップ。30分の瞑想、ポタリングへと続く。 そして朝食とり、八時またぎでTVを見て、風呂に入り、九時半からパソコンと読書に二時間、 費やす。そして、・・と、淡々と何時ものとおりの習慣を繰り返す。重要度からすると、徐々に、 下がっていくから、楽といえば楽。午後からは、スポージム、読書、ドラマの視聴といった 流しになる。面倒なら飛ばせば良い。どれもこれも誰に頼まれた 訳でない。 森の生活では、少し不安だったサバンナも、慣れてしまえば、これはこれ。 50年近い、読書習慣が支えである。 ・・・・・・ 4265, この非常事態に、万一の備えがあるの? −2 2012年11月19日(月) 私の場合、記憶が1歳の頃からある。そして両親の商売の一喜一憂が、そのまま普段の 生活に直に伝わっていた。終戦直後で、新しい事業を両親が模索していた時期のため、 今から振り返ると、何ともいえない張り詰めた緊張感があった。「どこどこが倒産した」 「店を出したが、少し良くなると天狗になり夜逃げをした」などが、日常会話。それもあってか、 自分が瀬戸際に直面した時に、不謹慎だが、デジャブというか、その自分を冷笑し楽しんで いる視線があった。現在も一部それがある。それらの幼児体験もあり、万一の備えを 無意識に次々と重ねていた。悪化と同時に、自動的に手順をつのが自然の道理。 30年間(事前の準備期間を入れたら45年間になるが)、創業から整理までの起承転結の 一サイクルの経験をしてみて、手じまいも、事業の最大のイベント。 最悪に見えた経験も、 奇妙な感情が支配していた。あと講釈だから、言えるのだろうが。15年以上かけ準備をし 立ち上げた事業を、その衰退を見届け、自分の手で潰すのも事業経営の一環であり、 後悔も無念の感情も残らないのも道理。 で、この本体の経済崩壊の大津波、地方では 既に到来している感がする。大方は茹で蛙状態で、知ってか知らぬふり? 年末の選挙前後辺りにクラッシュの可能性の仮説はたてておくべきだ。年越しの 可能性もあるが、遅かれ早かれ恐慌は起きる。 日本で、この2千年の間に4回の 東日本で震度8クラスの大地震があった後、10年以内に、いずれも首都圏で直下型地震が 連動して起こっていた。 西日本では18年以内にM8クラス以上の巨大地震が起きている。 経済の7割が集中している太平洋ベルト地帯が破壊されてしまうのである。恐ろしいが 日本には失われた20年で経済が壊滅的状態。そこに少子化もあり、分かっていても、 資金が追いつかないのが、現実である。それと世界的恐慌と、デフレの問題がある。 ある日突然、何かの切っ掛けで、世界は機能不全に陥ってしまう危険がある。 そうすると、弱い国に矛先が向かう。その弱い国が、日本となる危険が非常に強いのである。 バフェットが、一度売り抜けた金を再び大量購入をした。 イスラエルが、先手をうって ガザ地域で戦争を仕掛けている。イランへの攻撃が始まるか? ・・・・・・ 3890, ギリシャ/イタリアの次は・・ 2011年11月19日(土) ギリシャが何とか目先の命を繋いだが、これも解決したわけでなく問題の先送り。 その直後に、待ってましたとイタリアがマナ板に上がり、IMFの管理下に置かれて徹底的な 国家の合理化が図られる。 イタリアには一度就職をすると簡単に人員整理が出来ない 法律がある。イタリア人は、それを逆用して働かないで給与を貰う体質が染み付いている。 グローバル化の世界では競争力がなくなり破綻するのは当然。IMFの厳しい合理化にイ タリア人気質が耐えられるか?というと、非常に難しい。ギリシャ、イタリア、スペイン、 ポルトガルという一時代を築き上げた国が次々と国家破綻の瀬戸際になっている。 リーマンショックがキッカケで、世界の多くの国が積年の矛盾が噴出し、一挙に激変の 様相になっている。それに対して指導者は、その対策が全く立たない事態で、その場限りの 対処しか考えられないのが現状。あとは何時何処で火を吹き出すか。1999年からG7に ロシアを加えた蔵相会議が開催されてきたが、リーマンショックを契機に世界の主な国の 12ヶ国を加えたG20が年に1〜2度のペースで開催され、その対策が検討されている。 そこで何とか恐慌を食い止めているが、それも秒読みになってきた。イタリアに続いて スペインの国債利回りが7パーになろうとしている。ここもIMFの管理国になるのだろうか。 ギリシャ危機の9月のギリシャ国債のりまわりが136パーセントというから驚き。 現在の32パーも、危機ラインを遥かに超えている。日本だったら1千兆の利回りだから、 329兆円の利回りになる。国家収入の10倍になる。そのギリシャと程度が同じで、 数年後には、似た状態になるとしたら、ここで叫び続けていることは、まだ楽観的範疇。 例の国の国債の利回を見て、呆然。近未来が見えている。 <10年もの国債の利回> ぷかぷか煙草を吸いながら川辺で車に寄って 引き潮を見ていた東北大震災の被害者の姿が目に浮かぶ。 ・ ギリシャ 32.29% ・ ポルトガル 11.52% ・ アイルランド 8.22% ・ イタリア 7.28% ・ スペイン 6.43% たまたま、この数年来の同月同日に予告編?を書いていた。 ・・・・・・・ 3525, 死に至る地球経済 2010年11月19日(金) [死に至る地球経済」浜矩子 著 ー内容紹介ー ギリシャ危機に端を発するソブリンリスクを抱えたEUや、人民元の動向が注目される 中国など混迷が続く世界経済。長期低迷を続ける日本経済も、デフレ、資源価格の高騰、 財政危機というトリプルショックを迎えている。今、進むべき道はどこにあるのか。 グローバル経済の新しいあり方を視野に入れ、現状を分析し未来を模索する。 (第1章)では、G20サミットの苦悩にみる政策主導型成長の限界を論じ、 「成長に優しい財政再建を目指すこと」の困難さについて述べている。 (第2章)ソブリン・ショック=国家破綻の脅威についてで、グローバル時代の恐慌は、 いったん始れば国家財政で押さえ込むスケールを遥かに越え広がり、セスキュー 隊員を遭難させ、その隊員の遭難が更に恐慌を深める (第3章)終焉近い基軸通貨体制 ートリフィンのいわゆる「流動性ジレンマ」論を 踏まえての基軸通貨システムへの代替論の提示)、どうしても「地域通貨」に 一つの解答を見出したくなるという (第4章)ポスト・リーマンのグローバル金融の模索、ー再暴走か、大縮減かの 瀬戸際に立つ緊迫状態 (第5章)中国は果たして救世主になれるか? 世界経済における中国の存在意義と それが生み出す諸問題、経済活動は、成長と競争と分配を三辺とする三角形。 中国は、はなはだ歪で成長だけの一輪車。 (第6章)そしてわが日本はどうすべきか。総中流に向けて忙しく働き、皆が豊かに なっていく時代の状況は変わってしまった。「下流社会」という言葉も出ている中、 誰もやらないことをやるのが政策の仕事。 ▼ 著者は、辛口の経済学者として著書、雑誌で度々みかけ、その論調も痛快である。 エピローグで、ここで再び世界を不安感が覆いはじめていると警告。その不安を呼び 覚ましている言葉を二つあげている。その一つが「財政破綻」。二つめが「二番底」という。 財政破綻は、国家破綻を意味している。その二の「二番底」は「死に至る危機」が襲う 恐ろしいこと。これは当初からあったが、目先の緊急措置で当面の間、乗り切ったに過ぎず、 根本問題の先送りをしただけ。その先送りの問題が、再び立ち上がっている。 「国家財政破綻」これが、恐ろしいのである。欧州では、理想的なEUが発足されたが、 さっそく、この金融恐慌で、その脆さが出てしまった。先行き、真っ暗で、世界恐慌への 引き金を引きそうな事態に。 ・・・・・・・・ 3150,「要は如何受け止めるか」である! 2009年11月19日(木) 「いやな気分の整理学」―論理療法のすすめ 岡野 守也 (著) 最近、どうもこうも不機嫌なことが続く。年齢的からみて通らなければならない 60歳前半の欝症だろうか。それまでは、いやな事があっても次の事象が起これば直ぐに 切り替えが効いたのが、年齢的な衰えからから、以前のように切り替えに時間がかかり 何時までも引きずってしまう。 いやな出来事A(失敗・陰口・争い)→ 結果C(落ち込み・腹立ち)が生じると、それは 失敗や陰口と思いこむ。しかし論理療法のABC理論は、AとCの間にB(Belief)を入れる。 出来事・A → 考え・ビリーフ・B → 結果としての感情・Cとする。 「いやな出来事と感情の間に、それに対する受け止め方・考え方があり、それが感情的な 反応を決める」要は「どう受け止めるか」である。Bで肯定的思考に変えることで、暗い性格 から、明るい性格に換えてしまう。 論理療法の創始者エリスは「ねばならない」 「であるべきだ」「であってあならない」「はずがない」という非合理な思い込みが、不健康な 否定的感情につながると指摘。「絶対にうまくやらねばならない」「私の人生は完璧で あるべきだ」「こんな不公平があってはならない」という思い込みが、いやな出来事Aを いやな気分に変換してしまうとする。そこで、論理的な対話型セラピーによって、非 合理的考え方、イラショナル・ビリーフを解消するのが論理療法。 *「私はまったく無力です」という人には「歩いてここまで来られたのですから、歩行能力が あるんですよね?」と話を持っていき、ご飯を食べたのだから咀嚼力も消化力もあるし、 目が見えているから視力もあるじゃないですかという風に誘導。人間の心はおもしろいもので、 「自分は無力だ」と考えると、無力感が襲ってくる。「微力としても、力はある」と考えると、 少し力が涌いてくる。 思い込みの内容を意識して言葉として表出させて、論理的な説得を 繰り返すことで、感情の自己コントロールが可能な性格に変えようと持っていく。 肯定的思考法に似ているが、マイナス思考を無視するのではない。 *「落ち込み癖」を治すには ・「ダメな私」=自己非難 ・「かわいそうな私」=自己憐憫 ・「かわいそうなあなた」=他者憐憫を、まず止めること。 夫婦で慰めあっているのがいるが、 「可哀想な貴方たち」ということだ。 そのうち、互いにダメな貴方になるが。そのためには ミッション・ステートメントなど、自分の信念を箇条書きにして、それをビリーフにすればよい。 「出来事のうけとめ方」とは「自分で自分を説得すること」で、気分を合理的に整理する 方向に持っていくことになる。他にも気分を整理する働きとして、般若心教に、ウォーキング・ セラピー(こんな言葉はないが)に、日記に、カラオケに、秘境ツアーに、あげれば限がない。 私の場合は、嫌な気分の原因を集中して考え続けていると、ある時点で、消えていく。 その時間査定も、その中でしてしまう。初老性欝症状は軽く終わりそうだが、あと半年? その後は、慢性老人欝症かいな? ・・・・・・・・・ 2785, 恐怖指数 2008年11月19日(水) 11月17日付の読売新聞・一面の「編集手帳」が面白い。 【 アメリカで4年に1度、注目を集める経済指数がある。大統領選の行方を占う 指標とされる「ミザリーインデックス」である ◆日本語訳は「悲惨指数」「窮乏指数」と悲壮感が漂うが、要は物価上昇率と失業率を 足した数字のこと。これが10を超えると、米国民は経済失政に怒り、政権交代を望むという。 8年ぶりに民主党のオバマ氏が大統領選を制した今年、指数は6月から10を超えている。 歴代大統領では、指数が高かったフォード、カーター両政権は短命だ ◆ 政権交代との因果関係は定かでないが、指数が上がると政府の無策を嘆く人が 増えるのは間違いない。 実は日本も6を超え、1980年代前半以来の高さになっている。 経済政策への不信感は、相当に強いに違いない (以下、字数の関係上、カットー2008年11月19日)
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2014年11月18日(火)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著) * 公共性と「世間」とは、同じでない! 往復一時間の新幹線通勤を30年続けてきたが、そこは全国レベルの公共の場。 時どき、台風などで在来線が不通になると、一般客で満席になることがある。 そこが、公共性のある新幹線車内の「社会」と、通学、通勤の客の「世間」のミスマッチの クロスになる。都会と田舎の違いは、両者がクロスしているか、いないかの差でもある。 それは、ネット社会でも同じことがいえる。 ーその辺りからー ≪「世間」は私たちを支配しているが、具体的にみえるモノではない。しかも「世間」は、 「広い世間」のウチに「狭い世間」が存在し、その「狭い世間」のウチにもまた「より狭い世間」 があるというように、一種の入れ子のような複雑な構造をもっている。 問題なのは、「世間」は「共通の時間意識」をもつために、「世間」のウチの人間にたいしては 相互に「配慮」しあい「優しい関係」をつくるが、「世間」のソトの人間は、人間だとは思わない という本質をもっていることだ。つまり「世間」は「世間」のウチにいる者を「身内」とよび大切に するが、ソトにいる者を「赤の他人」と排除する。公共性という概念が「世間」に似ているのは、 ある種の社会的強制力をもつからである。しかし「世間」が公共性と異なるのは、「世間」が つねにウチとソトという区別をおこない、「世間」の内部の原理がソトまで及ばないこと。 さきほどの例でいえば、「世間」のウチとみなされる町の駅はキレイに保たれるが、「世間」の 目のとどかない「世間」のソトとみなされる富士山の頂上では、この「キレイにする」「ゴミを 捨てない」という倫理・道徳は通用しない。日本は「旅の恥はか捨て」というとんでもない 格言があるが、これこそ、自分の「世間」のソトでは、「世間」がみていないので、タガが はずれて「なにをしてもいい」ということを意味する。 居酒屋で盛り上がっている人間は 「世間」をつくっているから、他の人間は「赤の他人」であり、人間だと思ってない。 「世間体」とか「世間の目」という言葉は、その内部だけで通用するのであって、その外では まったく機能しないのである。 花見でも同じで、世間はグループ内だけの話で、他の グループには通用しない。最近若い女性が電車の中で他人の目を気にしないで 化粧するのも、自分の「世間」を離れたところの行為。≫ ▼ ワールドカップで、日本人観客席が、帰り際に綺麗にゴミを持ち帰る姿が話題になったが、 これも「世間」の特質の現れである。その世間が、神様かわりをしているとしたら、三年前の 節目から突然、私の前に現れ出てきた神様気分の、あの連中をコミック的に思えたのは 当然至極。これは、実際に経験してみないと味わえない経験でもある。世間様世界は、 面白い動物で満ちている。とすると私は、珍獣? ・・・・・・ 4629, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか 2013年11月18日(月) 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他) * 結婚相手に何を望むのか ー ∵ 「なぜ一夫一婦制なのか?」に、 第一に、子供を養育する義務があるのは、男女の関係を結んだ一組を明確にするためである。 大昔は、生まれてくる子供の親が特定できないことが多々あったため、養育に支障をきたした。 一夫一婦制で子育てを義務化することができる。第二に、キリスト教などの倫理観から生まれた。 性の乱れを防ぐ目的もある。第三に、弱者保護の目的である。権力、資産、容姿、体格、知能 などを有する以上、弱者と強者が出てくる。強者が多くの異性を抱え込んで、弱者が異性から 排除される事態を防ぐための人類の知恵としての制度という学説がある。 ∵ 「何故、男女が結婚をするのか?」に、「相補説」と「類似説」がある。 相補説は、互いに違った点をもち、補完できるような組み合わせの方が結婚生活は、 うまくいくと考える説。類似説は、素質の似た者同士の方がうまくいくという説。補完説 でいえば、経済力がない人は、経済力のある人を、精神的に弱い人は、心の強い人を、 背の高い人は、低い人を求める、ということになる。自分のない部分を相手に求める。 一方、類似説では、背の高い人は、背の高い人を、低い人は、低い人を、美男は美女を 求めるなど、同じ素養、素質を共有する方が、相手の欠点を気にしないで済む。 人と好み、育ってきた環境で異なる。人それぞれの優先順位で変わる。 ∵ 「未婚者は相手に何を望んでいるか?」に、 第一に、男女とも相手の人柄で、具体的に会話が弾み、結婚生活をスムースに進む相手、 第二に、「家事能力」である。第三は、男女とも大きく異なるのが、職業と、学歴。女性の 9割は経済力、男性は4割でしかない。まだ男女の役割分担の意識が高いが、学歴に関して、 男女とも同類婚を望んでいる。 ∵ 「見合いか、恋愛か、どこで出会うか?」に、 大まかに分けると、職場と、友人・兄弟姉妹を通じてが、それぞれ30%。 学校が10%。サークル、街中、アルバイト、見合いが、それぞれ5%と9割を越す。 見合いが低いが、結婚紹介所の出会いが、それを補完。 ▼ 世界のおお方が一夫一婦制のわけや、何故結婚をするのか、何を相手に望んでいるのか、 が解りやすい。殆どの人は、学歴も、家柄も、容姿のうち、二つが揃っていれば良しとして 結婚するしかない。誤解で結婚をし、理解し合って、離婚するのが、今では3〜4組に一組。 世の中、すべからく妄想でなりたっている。その最たるのが結婚の妄想。青年期を振返ると、 女性の方がシビアで、見るところを見ていたようだ。それで、決まってしまうからだ。 ・・・・・・ 4264, しまった! ー12 2012年11月18日(日) ー しまった! 「失敗の心理」を科学する ー ジョゼフ・T・ハリナン (著) * 人生の財産 ーこの著書を総括するー 瞑想は、静かに独り座し、心を沈め、バイアスのかかった自分を見つめ、かえりみること。 ある人は、「飛行機のビジネスクラスで世界を移動することを仕事の核にしている」という。 10時間以上の、まとまった時間、ただひたすら、黙想する。その時、深い何かに触れるという。 前回の旅行でエコノミーの席だったが、耳栓をし、同じように、ただひたすら黙想をしてみた。 「一万メートル上空で、時速千キロ以上のスピードの空間の半睡のような黙想体験は、言葉で 表現し得ない悟りというか、マドロミに包まれた夢のよう。 考えるでなし、何かの思いが 浮かんでくれば思うまま、半睡状態にいる。それが飽きることなく(トイレと食事以外)、 その状態。宇宙と一体になっているような、何かから解放されているような永遠な何かと 一体になっているような。疲れ果てたとき、決断したいとき、頭を整理したいとき、ただ、 あの空間で、飲食のサービスを気ままに受け、自然体で黙想するには理想的空間である。 高速の移動空間は、脳内活動を活発にすることは新幹線内での読書で経験していた。 学生時代の友人の娘が日航のスチュワーデスをしていて、小泉元首相が外国への飛行での 機内専用サービスの担当になった時の経験談を聞いたことがある。 「10数時間、お茶を一口飲んだだけで、ただ眠り続けていた」という。あれは疲れで 寝ていたと同時に、黙想?もあったのだろう。 過去に機内で同じ状態でいた時間はあったが、 ひたすら10数時間を黙想状態にしたのは初めての経験だった。 時間とお金に余裕があれば、 充分価値のある時間になると、納得。この経験から、ひとつの習慣が出来た。休日などで、 ふと何もすることが無いとき、独り寝室で半睡をする。大体30分〜1時間。ただ目を瞑り、休む。 この春から始めたヨガで、最後の5分、マントラを聞きながら大の字で弛緩する。 これも機内と同じ状態。好きなことに熱中している時も、これと似ている。この時間こそ、 人生の財産である。私には時間という財産だけは充分にあった。装置産業を選び、それゆえに 固定化されたマイナス面があったが、反面、自由になる時間が充分にあった。これこそ財産。 秘境ツアーに、読書に、パソコンに・・ 日本人には、何もしないと価値のない時間と思い込む 妙な習性がある。定年をむかえ、それまでの延長に生きている人が、あまりに多い。 私も似たようなものだが、改めて、じっくり時間の過ごし方を考えなければ! ・・・・・・ 3889, 積極的逸脱 ー2 2011年11月18日(金) 積極的逸脱は、その視点で捉えると多くの分野で見て取れる。 ベターに妥協せずベストを求めた結果の現象が逸脱になる。天才と秀才の差は逸脱を しているかである。秀才は決して逸脱はしないで、その世界の価値観の中で頭角する。 野茂がメジャーに行き、その後にイチロウ、松井秀喜が続いた。初めてのチャレンジは 逸脱と捉えられがちになる。彼らは天才、それとも秀才だろうか? 日本のレベルを超えているので、日本では天才、アメリカでは秀才? いやイチロウは アメリカでも天才だろう。そう考えると天才、秀才は比較の問題。とすると、自分で地元で、 積極的逸脱をしていたと思っていたのは、自己詭弁でしかなかったことになる。 単なるアウトサイダー、ハグレモノ。天才は、対象に没頭するあまり誤解のベールに包まれ 逸脱者として扱わた。ところで、酒や薬でトリップするのを積極的逸脱というのか?というと、 それは違う。前回、書いたが、40・50歳代に多くの問題が重なり、そのストレス解消の ため秘境旅行に数多く行ったが、これは日常からの積極的逸脱であった。 その総量のエネルギーと感動は、その他の人生の総量と同じぐらいはあった。 人生の積極的逸脱で見られるのは、40歳半ばから50歳で一線を引退し、早々に自分の 趣味の世界に入る人がいる。江戸や明治時代には多く見られたが、現代では経済的事情が あり、そんな優雅がことは難しい。 いや、それより、早々に産業廃棄物扱いをされてしまう 恐怖感が壁になっている。 私も結果からして、10年前に会社を売却して、第二の人生に 入った方が得策だった?と考えたが、それは後講釈。どちらにしても結局は同じ。 事業に「たら、れば」はない。積極的逸脱もあるなら消極的逸脱もあってよい。 一般にいう落伍者である。落伍による失意の果てに待っているのが自死。 これも、あの世への積極的逸脱と考えられなくもないが、好き好んで自死をする人は 皆無に近いから、消極的逸脱の果てになる。 鎌倉時代中期の僧侶一遍は時宗の開祖。 「捨聖(すてひじり)」と尊称された。捨てて捨てて捨て去った人。 ・・・・・・ 3524, 「人・ひと」と、「人間」の違い 2010年11月18日(木) 私たちは「人」と「人間」の違いを意識せず何気なく使っている。しかし、そこにはハッキリ した違いがあるようだ。 この違いについて膨大なエネルギーで和辻哲郎が研究している。 【 和辻哲郎は「人・ひと」と、「人間」の違いにこだわり、これがどのように混同されて 使われてきたかを、英語、フランス語、ドイツ語などと比較対照しながら、考察を進めてきた。 日本語に「われひとともに」という言葉があるように、「ひと」「人」はわれの人としての自覚から 始めて、他人を意味している。そのうち「ひと」は「人は言う」や「人聞きが悪い」などのように 世人・世間の意味に用いられるようになった。 では、「人間」という言葉はどうか。 これは、人に間の字を添加している。間を加えるとすると、すでに「ひと」「人」は、自、他、 世人を意味しているのだから、そういう人の間を意味し、そういう人の間の関係を示すという ことになる。人間とは世間であり、世界でもある。和辻は「法華経」や、その原典に関わる 古いインドの神話まで渉猟して、人間とはあくまで人間社会のことであって、天上や自然界に 関わるものでないことを実証している。】 ( 哲学者の言葉100 −稲垣真美著 p‐37 ) 〜「人間は、人の間の関係を示す」とすると納得する。人は人との関わりあいの中で、 人間になっていく。また、それは人だけでなく、我われを産み出してきた根源といわれるものと 発展していくが、それは、人間の意味に、あくまでも含まないとする。根源を含め人間というと、 それぞれの自己絶対化が生じてくる。人は人間関係、社会を通して人間になっていく。 書物を通した色いろな人物もである。「出会い」こそ、人を人間に変えていく。 ・・・・・・・・ 3149,つれづれに ー閑話小題 2009年11月18日(水) * 論理的思考とは 毎日、二〜三時間かけてレポート1〜2枚分の文章を書き続けて8年半経つ。 自分のメルクマールのため続けているが、この習慣で得たことは「インプットした知識もあるが、 各種の題材を探し出し、その要点をまとめ上げる過程で身に付いた本質を見抜く視点と、それを 起承転結にシンプルにまとめる論理力がついたこと」理構成力こそが、自分の核である。 その核?はウネウネとトグロを巻いているようで、ブラックホールのようなトンネルの先の別世界 に繋がっているようにも思える。大した論理構成力でないが、その蓄積と、その発酵は、 トンネルの先で起こっているようだ。純真の視点ということか。何かのイベントに参加すると、 その事象をスラスラと文章化できるようになったのが一番の収穫である。 それは記憶のパッケージ化をしていることになる。その蓄積は人生経験を豊かにしてくれる。 デジカメで日常の写真を撮り、そこに言葉を添えて毎日の日記帳にすれば、それだけで 豊かな気持ちになれる。 その人によるが。 * ブルーレイ録画機 7年間使ってきた、DVD録画機が故障を始めたのでブルーレイをネットで買った。 量販店の7〜8掛けである。 (字数制限のためカット2011年11月18日) * オモシロ、オカシク (字数制限のためカット2011年11月18日) ・・・・・・・・・ 2784, こんな経験したことありますか? 2008年11月18日(火) 下記に近いことを、私は何度も経験している。人間の五感が受けるのは、普段動いている 五感の範囲のことでしかない。犬は数万キロの彼方の子供の泣き声を感じ取れるというし、 象は遠くの仲間の音波信号を感じ取れる。以下の内容は不思議でもなんでもない。 普段は動かなかった感覚が動いただけのこと。絵に残った痕跡が著者の心の奥の何かに 反応し、墓に感応しただけ。でも、何ともいえない著者の心の内が顕れている。 *うぶだしや* (うぶだしや=遺品買取屋) 「大正の末か昭和初年でしょうか?職業画家のものにはみえない」それらは令嬢の死を いたむものだった。ほかにもたくさんの政界の名士が弔辞をよせていた。令嬢は長く病床に あッたという。肺を病んでいたのだろう、と私は思った。友達が学校に通い、結婚していく なかで、令嬢は、ずっと病床にあって、死病に向きあっていたにちがいない。 思えぱ、日本画に描かれているものは、彼女が送ることのできなかった女の幸せな日常 ばかりであった。彼女は、死にゆくなかで、絵筆をとり、現実には、自分が送る二との できない憧れの生活を描きつづけていた。そのせいか彼女の残した日本面はどこか畏様な 気配がただよっていた。日本画は通信添削で習っていたのか、絵の裏に、師匠の画評が 書き込まれていた。 彼女の遺品のなかに「磨かずぱ玉も鏡もなにかせむ学びの道も かくこそありけれ」と書かれた額があった。昭和皇太后の肉歌であった。 私が、それをながめていると、うぶだし屋が、そっといった。「これ!もう売ったんですか? 一枚だけでいいですから、ぼくに売ってください!」「ようござんす。まだ商売になっちゃいない。 一番、いいのをひとつ選んでおくんなさい」うぶだし屋は、大きくうなずいた。うれしそうであった。 私は、髪をたばねた少女が着物にエプロン姿で立ち、カフェで給仕をしている絵を一枚えらんだ。 お代は二千円。このうぶだし屋は、ただ同然で品物をゆずるときは二千円ときめていて、 だまって指を二本たてる癖がある。私はその絵を大切にした。箱にいれて、しまっておき、 ときどき取り出しては、うっとりとながめた。画中の女は、美しいというより、どこか寂しげ。 だが、あるとき、ほかの骨董屋に、こんなことがあったと、右のいきさつを話したら、その骨董屋の 顔色が変わった。「先生、そういう品はいけません。それ死人の念のこもった御品です。 悪いことは申しません。御縁が遠くなりますから、ご供養のうえご処分なさい」たしかに、 それからというもの、私はいくら結婚したいと思っても、まったく、縁がなかった。 (やはり、あの女の絵のせいではなかろうか…と思ったが、どうにも絵を捨てられない。 捨てられないと、こだわるほど、悪いことが起きそうな予感がした。 ところが、しばらくして、 信じられないことが起きた。ある妙齢の女性から花見の誘いをうけた。 顔は知っていたが、 それほど親しいわけではない。なのに突然、電話がかかってきて、「青山墓地の桜が縞麗だから 二人で見にいきませんか?」という。こういうことはまるでなかったから、素直に、誘いにのって、 いくこことにした。桜は美しかった。墓地に眠る人の命を吸っているから、美しいのだろうと。 私は、はずかしいから地面をみて、女性のうしろを、とぼとぼついて歩いた。 私は女性の顔をちらりとみた。青白い気品のある横顔であった。体が弱いのか、のどくびを 覆い隠す洋服を着ている。しばらく墓地をみてまわったところで、女性がいった。 「桜、きれいね」そのと教私は背後になにか気配のようなものを感じた。目をあげると、 そこには、信じられないないものがあった。あの日本画をかいた乃木坂の令嬢の墓石であった。 「享年二十七歳、昭和九年没」と刻まれていた。地の底から女が、じっと、こちらをみている ような気がした。 気味が悪くなって、それっきり、その花見の女性とは会わなくなった。 二十七歳で死んだ女の絵は、いまも私のもとにある。 ▼ 私なら、花見の女性と深い因縁があると考え、一歩踏み込む。 そして、その墓の若い女性を自分の守り本尊にし、毎年、花見に来て、墓に祈るだろう。 いや、感謝をする。何で気持ちが悪いのだろうか? まあ、いいか! これも解釈の一つで しかないが。 桜には霊気が満ちているというが! ・・・・・・・・ 2007年11月18日(日) 2419, 『楽天主義』 *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ! 『楽天主義』ーヘレン・ケラー著 ー読書日記 この本を図書館で見つけ、数ページ読んで、その行間から溢れ出てくる光のような メッセージに驚いた。
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| 4995,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜① |
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2014年11月17日(月)
ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー * 「三年寝姫」ばななが過ごした‘さなぎ’の時期 次の一節に考えさせられた。人生に無駄なし!である。 ≪ 先日、テレビの番組で、作家のよしもとばななさんと対談をしました。 ずいぶんと面白い話を聞かせてもらったのですが、その中で、「三年寝太郎」 ならぬ、「三年寝姫」という話がありました。「高校時代の三年間、私は寝て 通しました。教室の中でも、両手の上に頭をのせて寝てばかりでした」と、 よしもとさんが言われるのです。以前から私は、「思春期さなぎ説」を唱えています。 毛虫が蝶になる前にさなぎの時期が必要なように、人間も、子どもから大人に なる前には、さなぎのように閉じこもり、内面的な変化を乗り切っでいくというもの。 この変化がさなぎの殻によって守られず外に向かって出ていくと、思春期の 破壊性を持った行動になるが、よしもとさんは、三年間、さなぎの時期を寝て 過ごしたわけです。そのことが、後の作家としての大きな成長に役だったことは 言うまでもないでしょう。それにしても、この間、よしもとさんが‘寝ることを 許していた’高校の先生方も、大したものです。もしそうでなかったら、 よしもとさんはきっと不登校生になっていたでしょう。ちなみに、よしもとさんの お父さんは哲学者の吉本隆明さんですが、奥様ともども、ばななさんの意思 を尊重して、その三年間を黙って見守っていたそうです。 間違ってもらっては 困るのですが、思春期の子どもは放っておけばよいと言いたいのではありません。 それは一番困ることです。その子の成長に関心は持っているけど、ある時期は 見守るだけにしておく、こういうことも大切だと言いたいのです。よしもとさんの 御両親にしても、高校の先生方にしても、その点が大したものだ思ったのです。 そもそも、見守るということは、その子に対して何かをするよりもはるかに エネルギーがいることです。≫ ▼ ここには多くの示唆がある。私にとって受験のための高校生活は思い出したくも ない時代。悪いことに鼻炎に悩まされ、机に向かうと頭が重くなるが、山ほど記憶 しなければならない教科がある。何とか卒業は出来たが、更に一年の浪人生活を 加えた『空白の4年間』。それもあって記憶から切り捨てていた。 もし希望校に入っていれば別だったのだろう・・ しかし実は、この期間を 「さなぎの時期」として見直すと、多の側面が思い当たる。 私にとって一番 面白く恵まれていた時節は、学生時代を加えた20,30歳代。 その中で特に20代。 その背景には、この4年間があったという見方もできる。 読書習慣で培われたベースがあるわけでなし、何か夢中になったこともなし、 ただ、お受験の重圧の中、ただボ〜ッとしていた暗い日々! これが実は「思春期さなぎ説」の切り口で捉えると・・ 成るほど! この年齢で気づくことが、あまりに多い。 振り返ると、「してしまった後悔より、 しなかった後悔」の方が、遥かに悔いが残っている。 しかし、「さなぎ」の時節を 改め肯定すると、新鮮な切口になる。そのまま一生ボ〜と過ごす人もいるが、 どうだろう? それは、蝶か蛾によるのか。フランスでは、蝶と蛾は同じというが・・ 以前、ここで取上げた『ぼんやりの時間』辰濃 和男 (著)に、「ぼんやり」と 響き合う5つの「一文字」がある。 1、「闇」―蛍と星とダークマター 2、「独」―独りでいること 3、「閑」―逆茂木に囲まれて 4、「怠」―「1日4時間労働」の夢 5、「懶」―心の余白 ー彼女は、この世界に浸かっていたのである。 ・・・・・・ 4628, 閑話小題 ー相棒 〜国民的刑事ものシリーズ 2013年11月17日(日) * 相棒 〜国民的刑事ものシリーズ 一昨年の春以来、見始めたTV番組のが「相棒」で、平日の16時前からの 一時間のスケジュールに込んでいる。10年以上続いた刑事ものドラマの再放送である。 ー概要をウィキペディアでみるとー { 優秀なキャリアでありながら、ある事件の影響で出世コースから外れ、警視庁内の窓際部署 「特命係」に追いやられた警部・杉下右京(水谷豊)を中心にした刑事ドラマ。いわゆるバディ ものであるが、相棒は3度変わっている。1話ごとの基本的なプロットは、超人的推理力・ 洞察力を持つ右京が犯罪者を理詰めで追い詰めていくというミステリ的なものだが、その一方、 全体的なストーリーとしては『踊る大捜査線』が打ち出した警察組織内部のいざこざを描く 警察ドラマ路線を更に推し進めたものであり、警察組織のみならず、官僚・政治家の権謀術数を 描いている。 2000年6月にテレビ朝日系・土曜日で、単発ドラマとして放送され、 2002年10月より連続ドラマとしてシリーズ放送されている} ▼ 団塊世代以上のリタイアー組を対象としての時間帯の再放送。その対象の一端に 私も入ってしまった。 一年ほどして、家内に「これって、現代版の水戸黄門でないか。 トップ直通のルートを持った東大卒の歪んだ元エリートが、最後は国家権力を振りかざし悪と 対峙する勧善懲悪ものじゃないか」というと、「今まで気づかなかったの?そんなのは、 当初から言われていたこと」という。12年も続いているので、過去分は、まだ2割も見てないが。 馬鹿馬鹿しいと思いつつ、見ているが、内容は凝ったものが多い。刑事コロンボの逆の、 キザの東大卒の刑事が、相棒と様々な事件を解決する。その一つに、研なお子が、 明らかに美川憲一を思わせる役柄のタレントの犯人を演じたのが傑作。再放送直後、 家内が知人に、「あれ見た? 凄く面白かったわよ!」と、いう。オバサマたちの多くが、 見ているという。もう一つ、面白かったのは、岸恵子がフランス帰りの「岸恵子」そのものの キャラを演じた犯人役のドラマも、なかなかのもの。
・・・・・ 4263, しまった! ー11 2012年11月17日(土) * 人生の財産 ー総括するとー1 〜ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著) 人の幸せについて研究してきた学者が同僚とともに、結論に達した。 《人生の資産はお金でなく時間である》と。人生の大きな転機に起こる大きなまちがいに 「時間の過ごしかたを変えない」ことがある。やろうと考えていた新しいことでなく、人は、 これまでと同じことをするのに時間を費やしてしまう。人生を精巧に作り変えるには、 決意と自制が求められるが、難しいのである。人の幸せは、どこに住むかでなく、自由になる 金があるなしでなく、時間をどのように過ごすかにある。それを忘れて、思い切った割り切りを しないことが人生の最大の「まちがい」になる。 この「失敗の心理」から自分の思いあがりや、 固定観念の殻に気づき、苦笑の連続であった。人間は、間違いを犯す動物であり、それを 前提にして、いかに間違いを減らすかである。 それぞれに人間はバイアス(体系的偏見) がかかっている。それを知り、自覚することは可能である。多くの知識の蓄積が教養だが、 バイアスの自覚も、その効用のひとつになる。 それぞれの人間のバイアスは面白いほど ケッタイである。気がつかないから、本人にとって悲劇、他からみたら喜劇にみえる。 間違いを少なくするには「小さく考えること」。間違えは意外と身近な些細なことから生じている ことに気づくこと。私たちの重大な決断も、考え抜いた末に、印象で勝手に決めつを避けている つもりだが、しかし結果は、大きく影響されている。考えることを嫌い、こうなるはず、という 直感に従ってしまう。私たちは見ていて見えてないのである。知っていても理解してない。 そのことを、まずは自覚することから間違いを減らすしかない。それでも、頑強なバイアスが 脳の奥底に強固にこびりついて思考、行動を規制している。節目に、それが現れ出てきて、 大きな壁となる。ところで現在の状態に、あまり不満はない。毎日の生活が自然のままだから。 知りたいこと、楽しみが絶えないこともある。失敗も成功も人生の内である。それも考えて みれば裏表、一過性の現象でしかない。死んで三日もすれば、永遠の彼方に過ぎ去る。 ・・・・・・ 3888, 第二の人生は、「自由の刑罰?」 2011年11月17日(木) サルトルが「人間は自由の刑に処せられている」と述べた。自由は人間の求めるところだが、 突然の倒産や、会社に不満を持って辞め、いざ自由の身になると何も出来ない自分に直面して 戸惑うのが人間の常。私も初めて会社勤めで、その過酷の仕事に疲れはて、再び大学に 入り直したが、もう社会的には傷物。その後、事業を始めるには、まだ能力不足で、再度、 金沢にある会社に入り直し鍛え直した時の苦しさは筆舌に出来ないほど。 何とか踏みとどまっていたが、逆に、その立場の視線で社会を見ると、多くが見えてくるもの。 結果からみて、それは予定挫折であった。自由は厳しいものである。「なるほどサルトルのいう、 自由は不自由!とは、このことか」と骨の髄まで思い知った。結局は自分の思いは、 思いでしかない。その経験を人生の前半に何度か味わってきたので、今回の事態では、こんな ものかと冷静にいることが出来ている。それよりも65歳の現在、人生を振り返ると、40年近く 自分で事業を起こし、独立独歩であったことが、如何に恵まれていたか。 自由を自分のものにして、判断をし、その結果をプラスもマイナスも直接感受出来たことは、 最大の人生の収穫。自由の不自由を克服し、不自由の苦悶の褒美として、自由の使いこなしが 出来たことほど、幸せなことはない。サルトルは実存主義者だが、人間の本質は 「投企=取捨選択しながら未来に向けて自己を投げ入れ人生を切り開く」存在であるとし、 実存が存在に先立つとしている。しかし老年になると、その未来が少なく感じ、人生を切り開く 前に絶望が先立つから困ったもの。自由と平等と博愛の社会は理想だが、こと個々人になると 非常に難しい課題。「自由の刑罰」の獄死か、獄内で、うち拉がれている人の山? それが世間という世界である。 ・・・・・・ 3523, 都市型狩猟採集生活 2010年11月17日(水) 「ゼロから始める都市型狩猟採集生活 」 坂口 恭平 (著) 先日、「新潮45・9月号」を図書館から借りてきたが、そこに養老孟と設計士兼作家の 坂口恭平の対談があった。「都市型狩猟採集生活ー対談」がテーマで、上記の著書の内容に ついての対談。彼は巨大建築物を設計することに違和感を持ち、これ以上、新しい建物を 作っても仕方ない、それより現在あるものを転用したり、人が見捨てた場所を転用したりすれば いいと考え、路上生活者の家に興味を持った。都市から溢れ出た「ゴミ」によって作られた 工費0円の家。その写真集「0円ハウス」まで出版。たまたま図書館で、その写真をみたことが あるが合理的だ。 路上生活者は都市に落ちている余剰物を「自然素材」と捉え、それらから 家を建てている。彼らにとって、都市は鬱屈したコンクリートジャングルでなく、資源ゆたかな 世界に見える。 坂口は、廃棄されるゴミを山や海の幸のように〈都市の幸〉と名づけた。 彼らは“都市の幸”で暮らせば、政治、経済、労働、あらゆるものから解放され、自分自身に しかできない生活を獲得している。 ー以下の文章はアマゾンの書評にあったものをコピーしたものだが、なかなか考えさせられるー *「アルミ缶拾いは他人よりも先に拾わないといけない生業なのに、達人たちの話を聞くと、 みんなあまりガツガツしていないことに驚かされる。ようするに焦ってはダメなのだ。採集した あとは周囲を掃除する位の心の余裕が必要だ。そんな姿を見ている人がいる。 それが 次の顧客との出会いにつながるのである。」 (p.68) *「高い解像度で都市を見ることができるようになったきみは、社会のルールを何一つ 変えることなく文句一つ言うことなく、独自の生活をつくり出すことに成功する。・・・ 社会システムは、いくら変化させてもまた同じ循環を繰り返し、人間を苦しめつづけるだろう。 それよりも まず、きみの精神、視点、創造性を変革させるのだ。 ・・<都市の幸>で暮らすことは、きみが起こすことのできる唯一の革命なのだ」 (本書P148) *「路上生活者支援に積極的なのはキリスト教会であり、それに比べて仏教寺院の多くが 冷淡なのはどうしてか?」 ーこの対談の最後に坂口と養老の言葉がよい。 坂口:意外だったのは、「都市型狩猟採集生活の民」たちが、激増する自殺に危惧の念をもって いたこと。彼らは、 「自殺する前に、なぜうちのバラックのドアを叩きに来てくれないのか?」 という。うちの手伝いに来て、 アルミ缶を一緒に拾ってくれれば、金なんかなくても生きていける のが分かるのに、なぜ相談してくれないのか、と。 人生を失敗し、すべてを失ったと思っても、 絶望して死を選ぶ必要がない。「どん底に落ちたら、とりあえず周辺を歩け。歩けば何でも 見つかる」と、住民の酋長といわれる男が言っていた。養老:身体を使うことは大事。 私が好きなイタリアの箴言に「どん底に落ちたと思ったらそこを掘れ」って。 ▼ 日本にトレーラー・ハウスの住人が少ないのは、公営住宅などが揃っていたり、 生活保護などの支給があるからか。それにしても、ホームレスの仮設住宅?に合理性を 見出すとは、感心させられる。カラスも雪国でチャンと冬を越せる。何か無駄なものを人間は 持たされてしまったのではないか!立って半畳、寝て一畳というが、老後の心配で節約など・・ ・・・・・ 3148,殺人事件の半分は家族内殺人 2009年11月17日(火) 先日、図書館で「新潮45・2009・7月号」{殺人事件の半分は家族内殺人}ー橘由歩 のレポートが目に入った。子供の頃から両親に、「それぞれの家には必ず問題がある。 だから、あまり深入りをしないこと」と言われてきた。しかし、このレポートの題目をみるまで 『殺人の半分が身内』とは知らなかった。さらに知人の殺人が9割を占めるというから驚き。 これまでは、家族内殺人はイメージとして1〜2割である。いや、もっと低い。 それだけ家族内では問題が発生していることになる。彼女の著書で取り上げている 10人の家族内殺人者の共通点がDV被害者というのも印象的である。 ーまずは、一番印象的な部分を書き出してみるー ≪ 本書に登場する10人の殺人者に共通するのが、虐待家庭で育ったということだった。 子どもとは本来、親の愛を求め、親からありのままの存在として認められ尊重されたいと希う。 それをどこかで歪めなければならなかった子どもたちだった。 自分の心を育てる時間を持てなかったということだ。 その空っぽな心が、他者への依存を生む。 前述の母親たちは、子どもによって自らの空虚感を埋めてもらおうと子どもを使った。 だからこそ、子供に依存し、子どもを自分の為に使ってはいけないということだ。 子どもが心を育てる場所と時間を、大人は決して奪ってはならないと。≫ ーー 多くの若い人を採用し、教育過程でみえてくるのは、両親の子どもに対する影響である。 特に母親の甘やかしと将来への依存が、子どもに大きなマイナスを与えている。 子どもに とって厳父と優しい母のバランスが必要不可欠。 夫にとって、妻が一番危険であり、妻に とっても夫が危険である。 親子も同じことがいえる。 家族に殺される確率は1千人に1人 というから、ありそうなことである。 自分で自分を殺す自殺は、身内とはいえないが他殺の 20倍になるという。一番恐ろしいのは自分ということ? ーー 「身内の犯行」 橘由歩著 ーネットよりー (字数制限のためカット 2010年11月17日) ・・・・・・・ 2783, 外は広く、内は深い 2008年11月17日(月) 日本総研会長の寺島実郎が文芸春秋の中で『新編 東洋的見方』(鈴木大拙著)に ついての文章の一節である。 【・・・大拙の語り続けたことを集約すると、「外は広く、内は深い」という言葉に行き着く。 「独りよがりではいけない」そして「自らを失ってはいけない」ということで、 「眼と心を星空に向け、その眼と心をもって世界を見直すこと」という言葉は心に沁みる。 西洋的な見方は分別的知性であり、「分けて制する」、つまり主客を分別することで知の 成立を図る思考であり、そこから一般化、概念化、抽象化という体系が生まれ工業化 産業化が成功裡に展開される土壌になったと大拙はみる。他方、東洋的な見方は対置 概念を退け、主客未分化のまま「無分別の、分別」によって円融自在に全体を捉えようと する知性である。西洋に真摯に向き合いつつ、論理万能の分断的知性の限界を大拙は 見抜いていた。ある時、弟子が「禅の話などアメリカ人に分りますか」と尋ねたという。 大拙は「君たちには分るのかね」と答えた。 大拙の本質に迫る話だと思う。】 〜己の人生を振り返りと、「狭い世界の中で、浅い知識」を振り回して生きてきただけの 輪郭が見えてくる。 (字数制限のためカット 11年11月17日) ・・・・・・・・・ 2007年11月17日(土) 2418, よく生きる −3 才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪ 宗教の問題も、それぞれの人間にとって大きな問題である。日本人が平気で外人に 「私は無宗教」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚くとか。多神教の風土が無宗教と言わしめる のだろうが。しかし著者の次の内容は、宗教の必要性を解りやすく説いている。 私達は大いなる根源から送り出され、そして根源に帰って行くのだ。 その道筋は、それぞれ違っても行きつくところは同じであろう。その違った宗教観を持った 人の集まりが社会である。宗教観と社会観を理解してないと、よく生きることは出来ない。 ー その部分を、「まえがき」の部分から抜粋してみる ー (3)さて、人は自己を実現して自分の存在を確保し、他者との交わりによって愛の喜びを 味わっも、挫折、病気、老化、それが第三の論点、すなわち宗教の問題です。この問題は 一言でいえば、私たちと私たちの存在の根源、言い換えれば、宇宙のすべての存在者の 根源との関わりの問題です。この根源は、人類の中で、存在、神、絶対者、道、天、空、 ヤーヴェ、仏、アラー、ブラフマンなどなど、いろいろな名前で呼ばれてきました。要するに、 私たち個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通しての根源へと帰るのです。 このとき、この根源を善意に満ちた親と考え、優しい親元へと帰るのだと信じることができれば、 安らぎが生れるでしょう。それはすべての存在者を生み出した根源ですから、そこでは 自分と他老の区別が意味をなさなくなる。それが自他不二の世界であり、絶対者の懐に 抱かれて万人が肯定される世界です。ところで宗教的人間は、一般に特定の宗教に献身 していますが、人類の歴史を血まみれにした宗教戦争の惨禍を乗り越えるためには、各人が 自己絶対化を捨てなければならないでしょう。多者共存が人類共生の不可避の前提となった 現代においては、それゆえ、すべての偉大な宗教がそれぞれ異なる道を通って共通の根源 へと向かっていると考えるべきでしょう。普遍的な霊性が肝要なのです。 (4)そして最後に、第四点目として社会の問題があります。人間は本性的に社会の中で 生きる存在者ですから、どのような社会を作るかは人間の幸福にとって死活の問題です。 人類は、おしなべて初めは王制から社会を作り始め、やがて貴族制へと移行し、それらの 劣化した形態である独裁制、寡頭制を経て、現在ではデモクラシ喜最良の社会形態として 是認しつつあります。 (字数制限のためカット 11年11月17日)
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2014年11月16日(日)
* 一昨日はシネマ鑑賞の日 一昨日みたシネマ「イフ・アイ・ステイ」が面白い。前週の予告で、女子高校生の臨死体験に 惹かれてみることにしたが、テーマは思春期の恋愛と苦悩があら筋。ストレス解消のドンパチ ものの中で、たまには、これも良いのではと・・ 一家4人が交通事故で両親と弟が死んだ中、集中治療室で危篤の女子高生が病院の中を 彷徨っている。そして、その直前までの日々の世界が、彼女の意識下で映し出されている。 みていて私の人生69年近くの生涯が、主人公の17年の記憶と、病院の中の彷徨いが、 この3年半と重なっていた。 毎晩、夜半の1〜3時辺りに目が覚めると、この映画の臨死体験と 同じような意識下で過去の世界を夢遊をし彷徨っている。意識を白い塊のイメージをして、 思い当たった記憶に集中する。余命半年、3ヶ月と宣告されると、この濃度が強くなり、 それまでの人生と同じぐらい生きるらしいが。 ーその内容といえばー ≪ ミア17 歳、高校3 年生。親友と呼び合える友達がいて、つきあい始めて1 年の大好きな 彼氏がいる。将来の夢はチェロ奏者。今はジュリアード音楽院への入学をめざして猛練習中。 そんなミアを、ある雪の朝、突然の悲劇が襲った。一家が乗った車に対向車が突っ込み、ミアは 一瞬にして家族を失ったのだ。病院のベッドの上、昏睡状態のままのミアの目に映ったものは、 ベッドに横たわる自分の姿と幸せだったこれまでの人生、そして、彼女を死の淵から呼び 戻そうとする人々の姿。 いつもと変わりなく話しかけてくれるおばあちゃんの声。 「辛いなら頑張らなくてもいい」と言って泣いたおじいちゃんの涙。親友のキムと、看護師の 制止を振りきって来てくれた最愛のアダム。彼らはミアに何を語り、ミアはそこに何を見るのか。 事故から決断までの24 時間が描かれる。≫ ▼ シネマも、少し見方を変えると、内容が全く違って見える。最期は、このような意識の 混濁の中で、「あ〜面白かった!」の言葉と同時に『プチッ』とシャットダウンするのだろう。 その時{もっと知っておけば、働いておけば!より、もっと楽しんでおけばよかった!}と思うはず。 そうすると、まだまだ楽しみが足りてないことが、よく分かる。でも、人生、面白かった! そして、いま今日此の頃も。それでも、まだまだ楽しみが足りてないようだ。 さてと・・ 何して遊ぼうか? ・・・・・・ 4627, 夫婦格差社会 ー2 2013年11月16日(土) 『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔 (著), (その他) * 夫と妻の所得の関係 ー不平等の鍵はどちらに 奥さんがリッチか、有業かどうかで大きく違ってくる。一人の収入で二人口より、二人の 収入の二人口の方が長い年月で大きな差が出てくる。ローマの道は一日にしてならずである。 とはいえ、残しても、不安の残痕の通帳の残高でしかない。〔妻の勤労による所得が、夫婦 合算所得の平等化に寄与していた時代は終了し、むしろ格差拡大・不平等化に寄与する 時代になっている〕の指摘が、一番の要所。結婚相手で、人生は決まってくる。 ー概略といえばー ・「ダグラス・有沢の第2法則(夫の所得が高いと妻は働かない)」の観点で見ると、夫の年収が 増えても以前ほど妻の有業率は減少しない傾向が出てきている(夫の収入が1000〜1500万 の場合でも妻の有業率は50%)。夫の収入に関係なく、妻が働くかどうか、決めている。 この10年で25-34歳の既婚者の労働力率が10%増加 (結婚しても仕事をやめなくなった)。 ・国際比較では、日本の場合、大卒・大学院卒の女性の労働力率の低さは際立っている。 まだ女性の社会進出が遅れている。 ・1960年代後半に生まれた女性はそれ以前より離婚確率が高い、男性にとって 未就学児がいることは離婚抑制に繋がるが女性は繋がらない、(日本では)低学歴の 人ほど離婚確率が高い。 ・生涯未婚率(50歳で一度も結婚の経験のない人の割合)のデータ分析(p113)。 1985 年までは男女ともに5%以下だったのが爆発的に上昇に転じ、2010年には、 男20.1%、女10.6%であるが、2030年には、男は30%、女は20%と予測される。 ・長時間フルタイムで働く30代男性の割合は、東京、大阪、神奈川などの大都市で高く、 島根、秋田、高知などの地方で低い。ところが30代既婚女性の就業率は、大都会では 地方より20%も低い。つまり、キャリアウーマンが多い東京などの都会は専業主婦が 少ないように錯覚されるが、高所得男性も多いので専業主婦率は地方よりも遥かに高い。 ・同じ階層で結婚することが多く、高収入夫婦が増える一方で、その逆も増えている。 (女性にとって、結婚は階層を上げる役割を果していたが、今では薄れている) ・職場での出会いが減ったため、婚姻率も下がっている。 ・女性の約半数が「自分は異性に対して魅力がないのではないか」 「そもそも異性との出会いの場所がわからない」と不安。年収300万円未満の20代男子の 4割は女性と交際した経験がない・・ 男性にとって年収300万円が結婚の壁になっている。 ▼ 家庭間格差は妻が働くかどうかと、離婚、そして婚姻率の低下などが、直接、間接的に 影響してくる。知人をみると、奥さんが働いているかどうか、親からの資産があるかで大きく違う。 短い人生、可能な限り稼いで使いきることだ。百億稼いで残した人生より、それを使い切った 人生の方が理屈から考えても、面白いに決まっている。 どの道、夢幻! ・・・・・・ 4262, しまった! ー10 2012年11月16日(金) ー しまった! 「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン (著) * どう思うかは、そのときまでわからない 今回、思ってもみなかった事態に陥ってみて大変ではあったが、一度、受け入れると、 諦きらめがつき、後悔とかは皆無。この一年八ヶ月の生活は、この10年間の気苦労の生活 より、少し近所の視線が気になる以外、はるかに気楽な平穏な日々に自分でも驚いている。 これまで何かにチャレンジをして不安になると、その結果に対して「なるようになる、その時は、 その時!」という言葉が常に繰り返していた。 何事も、その場に立たないと分からないから 面白いのだ。 ーその辺りよりー ≪ 大方の人は、自分が将来どう感じるかの予測は得意のはず。だが人生は、遠くから 眺めるのと近くとでは違ってみえるもの。人はとかくその瞬間がくるまで、自分がどう感じるか などわからない。たとえば、自分が若いときは、老いて、特別な延命治療を受けるかの質問に、 殆どが「受ける」と答えない。ガンの専門医で「受ける」と回答したのは6%、化学療法士で ゼロ、健康の人で10%だった。しかし、死にかけている人に同じ質問をすると、重病患者の 58%の人が、たとえ一週間しか命が延びなくても、治療を望むだろうと答えている。・・ ≫と。 ▼「こと(実践)」に擦り寄って、体感してみないと、実際のところ分からない。 一流のエキスパートには二つの共通点があるという。一つは、「幼少期からはじめている」ことと、 二つ目は、「肉体面でも、頭脳面でも、生まれもった能力は人が思うほど大した要因でなく、 重要なのは練習量、特に10年間の持続的な努力を要している点」。 研究者によると、バイオリニストの調査で、同年代で、世界の最高レベルの人たちの グループは、20歳までに一万時間の練習量を超えており、それほど成功してないレベルの 人たちの平均は、2500〜5000時間だった。当然ただ練習をすればよいのではなく、練習の 繰り返しの中で、パフォーマンスの記憶を改善する方向を目指すことが必要。 ところで秘境 旅行は実際に当地に行き直接、その大自然に接し感動してこそ醍醐味が実感できる。 どんな大自然に出会うか、そのときまでわからない。それが良いのである。それは事業でも 人生でも同じこと。未知への不安に対しては、自分で乗り越えるしかない。私の友人の哲学 (信念)は、「迷ったら、とにかくやる!」見ていて面白い人生である。節目ごとに私のところに 相談にくるが、見事なぐらいに転進していく。どうなるのか、現に実践してみないと分からない のを本人は知っている。本題から逸れたが、ある程度を考えたら、後は出たとこ勝負である。 ・・・・・・ 3887, 積極的逸脱 2011年11月16日(水) 異端をマイナスに捉えるのでなくポジティブにみる「ポジティブ・デビアンス」という言葉がある。 日本語にすると積極的逸脱になる。世界を巡ってみると、それぞれの地域の閉鎖性が垣間見え、 それが異端に見える。当然、自分の住んでいる異端が合せ鏡で見えてくる。そういう私の方が 地域社会では異端になる。それもあり、地元の人の付き合いは一部の人と因縁のある学校の 同級生を除いて最小にしてきた。私にとって、これが積極的逸脱である。職場が新潟、住居が 長岡だったこともあり比較的上手くいったと思っていた。 しかし、私という存在は他者がいて こそ成り立っている。その他者が限られた閉鎖社会としたら、その兼ね合いは難しい。 「ポジティブ・デビアンス」は、もともと社会問題の解決法に使われていたが、現在では ビジネスに使われているようになっている。後進国の農村で死亡率が高い中で、ある村が 何かのきっかけで、手を洗い、動物性タンパク質を取る習慣があって、たまたま近くに医者が いる部落があったとする。その地域からすれば、その習慣は他の地域社会の常識から逸脱 していることになる。しかし、それを知った外部の人が、それを他の部落の人に広めることで、 全体の死亡率が減っていったとういう事例がみられる。コンピューターの世界に「暴走熱」がある。 一定期間継続して作動するコンピューターが、熱を出して不具合が生じるトラブルで、これは エンジニアの世界共通の常識であった。これをアメリカの大手コンピューター・メーカーの一人の エンジニアが立ち上がり、世界中のポジティブ・デビアンスを探し出し解決をして、会社への 競争優位をもたらした。大体が改革とは、そういうもの。従来のやり方を根底から変えることは、 どうしても摩擦が生じるもの。 秘境ツアーそのものも、極的逸脱と見ることが出来る。 世界の在り来たりの観光地から、秘境・異郷に興味が向いたのは積極的逸脱であった。 そうしなくてはストレスが解消出来なかった。逸脱する対象が、どんどん奥地になるほど、 比例して満足度が高くなっていた。あと二週間しか生きられないとしたら、何をしますか?」 という質問がある。死に直面したら、当然、日常生活からの積極的逸脱が残された人生を 生きる術になる。ベターの時間より、ベストの時間を過ごす何かを求めるはず。 そこで、それを本気になって探すと、自分の生きている世界中に、それが無限に転がって いることに気づくことになる。 第二の人生でのキーワードは、積極的逸脱である。 緑の原野から、視界の広がったサバンナへの逸脱へ・・ ・・・・・・・ 3522, 「尖閣ビデオ流出問題」を哲学してみると! 2010年11月16日(火) 今回の尖閣列島の衝突問題と、そのビデオを海保の保安官が流出させた問題を考えてみる。 まず、この問題は、G20が韓国で開催される時期と、APECの日本で開催される直前に 明らかに政治的思惑で中国側から仕掛けられた難題である。それに、やすやすと乗って、 中国の強圧的態度に尻尾を下げ、その間隙をつかれロシア大統領に北方四島の一つに 上陸をさせてしまった。これはアメリカに対する圧力の駒であり、中途半端な外交姿勢の 管首相の足元をみられた結果である。ところが、中国・ロシアの計算外の海保の保安官の 秘密漏洩が起こってしまった。これは、タイミングからみて周到に計算された国家戦略から 幾重ものクッションを通して行われた可能性を含んでいる。それが出来るほどのタマは 現在の日本にいない?しかし中国のトップの顔に泥を塗るにタイミング的に良かった。 その映像がアジアでも日本でも繰り返し放送されたからである。 これは政治的にみて タイミングがよすぎるたのではないか。保安官が、自分の身分に捜査の手が及びそうになる 直前にマスコミに接触したことも、一介の海保の保安官のなせる技だろうか? 差出人の名前に「sengoku38」というネーミングも、上手く作りすぎである。 「仙石さんはパー」とか、「仙石は左翼」との解釈で揶揄されている。 それより、中国の居丈高の姿が逆効果にするに、あまりに効果があった。だから、あの男は、 日本に来てからアカラサマに不愉快の顔をしていた。いずれにしても保安官が逮捕でも されれば管・仙石ラインは、そうそうレイム・ダックになってしまう。 まずあ支持率も 20パーセント辺りまで急落することになる。その隙をアメリカも、中国も、ロシアも狙っている。 日本を更に追い込むにはTPPに日本を参加させ、農業の自由化を迫ること。これが完成すれば アメリカの属国の縛りが一段ときつくなる。ここで、民主党小沢派と、自民党の隠れ主流派が 大同連合を組み、国家非常事態宣言をし、銀行閉鎖も、デノミも、核武装もすればよい。 それが100年、250年に一度の地球規模の危機に対する対処になる。 海保の保安官の 逮捕は海保のクーデターと認めることになるのを自覚も出来ないのか? ・・・・・・・・ 3147, 地方経済惨状の一現象 2009年11月16日(月) このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に帝国 バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3千室も供給された。 しかし売れたのは700〜800室。いずれダンピングが始る。団塊の世代の定年退職者の 退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・云々」 マンション業界では 100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。 それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が 倒産し、新潟の信濃川の川沿いの大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の 行きつけの居酒屋店主に話したところ、「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを 1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは半額のものもある」と、 息子が言っていたという。それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。大型マンションは、土地の 仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に変わって しまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。その間に、 時代は激変をする。その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまった ことが今になって分かってきた。新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収される から何とか帳尻が合いそうだが。 (以下、字数の関係でカット2011年11月16日) ・・・・・・・・・ 2782, 浅井さん 2008年11月16日(日) 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。 −−− ー浅井さんー 諏訪崎はるえ 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、 子雀達はどうなるのだろうと、で、ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は 壊われた。 日暮れ近くになって、庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行って しゃがみ込むのを見た。「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。 掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。 何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が雲雀の子を育てて 巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さる という。 折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった。 その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時 我が家へ帰って来た。我が家には猫がいる。 (以下、字数の関係でカット2010年11月16日) ・・・・・・・・・ 2007年11月16日(金) 2417, よく生きる −2 ・ω・)ノはよー −読書日記ー この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に 「よく生きてきたのか?」という自問自答である。やはり根本的なところが欠けていたようである。 「万人が、そのはず?気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。 無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか? 生きてきた過程で現在、こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならな かったのでは?という自問自答。真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・ まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。 ーはじめにー 旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、 語られた言葉です。ソクラテスが言うには、 (字数制限のためカット 09年11月16日)
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2014年11月15日(土)
「暴走する「世間」―世間のオキテを解析する」佐藤 直樹 (著) * ケイタイ、スマホが子供、若者を駄目にするわけ 以前、繁華街でTVレポーターが若者に何か質問をしたところ、やおらケイタイを取り出し、 友人に連絡をして、その友人の言葉を鸚鵡返しに答えていたのには驚いた。考えようとせず、 反射的に誰かに聞いて、その場を繕っている現代の若者の姿が、そのまま現れ出ていた。 それが今ではスマホで検索すれば答えが瞬時に出てくる時代、便利さが、考える能力と 自立心をそぎ落としている。 ー以下の指摘が、まさに、言当てている! ≪ アメリカでは、子どもにケータイをもたせることは、子どもの自立を妨げるのではないか という議論がある。アメリカの社会学者タークルが、つぎのような興味深いことをいっている。 <かつては、たとえばニューヨークの繁華街に初めて自分だけで行くとか、地下鉄に一人で 乗るとか、ボストンの街をどこまでも歩いていいという許しをもらうとか、都会の子どもが そういう経験をするとき、その子にとっては「自分だけが頼り」だったわけ。自分がただ一人で すべての責任を負うわけですから、何か危険なことや恐ろしいことが起こっても、自分で 身の振り方を決めなければなりません。 人は、どこかでそういう経験をし、そこで湧き起こる 感情と闘う術を学んでいかなければならない。どんなことが起こったとしても、状況を打開 できるかどうかは自分次第だったのです。 しかし携帯電話の登場以来、子どもがこういう経験をして理屈上は一人であっても、親が ずっとそばにいるという不思議な状況が生まれています。また子ども自身も、自分が一人では ないと感じているのです。また、携帯電話は、このような状況を作り出しているわけです。 子ども一人では心もとないだろうと思われる場面で親が見守っているという経験をさせることは 可能になりましたが、自立の時を遅らせているだけだともいえます。 (タークル「技術を本来の役割に」より)> ケイタイによって、親が子どもとずっと一緒にいるという状況が生じ、子どもひとりやらなければ ならないことが阻害されるというのだ。「ひとりでいてもひとりじゃない」状況は、自立を妨げる ということ。 ≫ ▼ 重大な岐路に立たされると、直ぐに電話がかけてくる男がいる。重大な岐路であるほど、 担当と議論を重ねて自分独りで熟考すべき時に、身近な人に判断をあおごうとする。 関西で、子どもが誘拐され殺害されたとして、何で北陸の学校が送り迎えを集団でしなくては ならないのか?変なのは分かっていても、それを声高々に言えない。戦勝国のアメリカから 与えられた自由民主主義の弊害である。そして、次がネットである。これにプチ世間が結び ついた弊害が、青少年だけでなく、成年まで変にしている。情報化社会になるほど、個人の 教養のベースが必要になる。その基盤がないため「IT世間」が、個人の内面を縛り付ける。 恐ろしいかなである。 私も、その犠牲者? でも、面白い時代である。 ・・・・・・ 4626、閑話小題 ー今度は絶食系男子! 2013年11月15日(金) * 今度は絶食系男子だと! 草食系男子、肉食系女子が話題になっているが、今度は「絶食系男子」を、NHK番組で 紹介していた。彼らは女子に興味がなく、将来も結婚するイメージが出てこないという。 別にホモ系でもない。女性と付き合ったことがない若者が45%いて、男の2割と女1割が 生涯独身。2030年には男の3人に1人、女4人に1人が生涯独身になるという。 アラフォーや、アラフィーの独身男性が「現在の収入や、独り身の気楽さを考えると、 結婚に躊躇」とインタビューに答えていた。それにしても絶食系男子のネーミングにビックリ。 本来、男は「絶倫系男子」だが! ある小話に「月は雲間に隠れたし、貧乏人の俺等には 何の楽しみも無いし、(女房)おや、お前さん今夜もかい!」がある。 情報化の時代、 面白いことが山のようにある。お金もないし、敢えて束縛されることもないし、面倒! というのも分かる。しかし、妻子のない老後の独り暮らしは非常に厳しいという。 べき時に、べくことを、べくすべし、でないと・・ 絶倫系も、絶食系も、割り切ってしまえば、 これほど面白いことはない。 ある漫画に、夫婦が互いの首輪の紐を持って、ソッポを向いて いるのがあった。何人かの紐を持って、困っているのもいる。人生、ままならぬ、ということか。 * ソリスト 自転車入門書によると、ソロでツーリングをしている人をソリストという。ソリストの本来の意味は、 「(1)独唱者。独奏者。(2)バレエのソロを踊る踊り手。第一舞踏手」 冬期を除いて4年以上、 毎朝、1日時間、自宅から15分かけて信濃川の土手周辺をポタリングをしている。 私の一日のスケジュールをみると、殆どがソロ。スポーツセンターでも誰と話すわけでなし、 一人で行って、幾つかのエアロに参加して、帰ってくる。ヨガとか青竹エアロで、誰かと仲間に なり楽しそうにしている人と、私のように誰にも挨拶するでなし、数人に軽く会釈するだけの ソロ組に分かれる。ヨガでは、50人中、男は10人前後。スタジオの右前方に5〜6人が 陣取り、左最後方に4〜5名のソロと、夫婦連れが横一列に並ぶ。あとは中高年の女性たち。 SJには同級生やスナックのママなど顔見知りがいるが、挨拶程度で、会話はない。 早朝のポタリングや、ウォーキングも、ソロと二人連れに分かれる。それと犬連れ。 で、独身主義が、人生のソリスト? それが自分から求めたかどうかもある。 ポタリングは当然、ソロである。単独か、群れるかは、人であることを優先するか、 人間であることを優先するか、である。 ・・・・・・ 4261, この非常事態に、万一の備えがあるの ? 2012年11月15日(木) * 本当は危ない、夜逃げ予備軍の事業主に! 第一線から退いたため、より冷静に事態をみることが出来ているが、余裕資金のない 大方の中小企業のトップは、どこかで株式の暴落か、イスラエルによるイランへの攻撃でも 始まれば、一発でダウン。 私の事業継続断念時には、運転資金とは別の僅かだが 予備資金の積立てがあり、それが命綱になった。あれから1年8ヶ月、大方の企業は 更に体力を落としている。 リーマンショックの次なる津波は、ただならぬ大きさ。 私が前倒しの整理が可能だったのは、30〜40年前の事業設計にシェルター機能を 組み入れていたため。それで思い切った事業整理が可能だった。「あと講釈」だが、 ー中長期のリスク対策ー をまとめてみた。 【来年にでも実情を書こうと思っていたが、前倒しする】 ・全ての建物は万一を考え、用途変更可能の設計(壁以外の柱を入れない等、好立地もあり、 不動産の6物件は完売。) ・借入金は県の保障協会を含め3分2が政府系金融機関。他は都銀と第四銀行で、 ほぼ大部分。ー元金融関係の先生のコンサルティングを5年前から3ヶ月に一度の割で 受けていた。その御蔭で常に先手の対策を打ち続けることが出来た。 ・職場を新潟、住居は長岡と分け、住居地域では学校以外の人間関係は最小にする (名誉職的団体に一切に入らないなど・・) ・20年前に短期借入全てを長期借入金に組みかえ終了・・(悪化の場合、短期の借換え 時点で追加担保の要求が出るため) ・10年前からは、万一の場合に備えた予備資金の積立てを続け、運転資金に一部でも 転用した段階で事業閉鎖(隠れ目標値)を予め決めておく。そして到達と同時に廃業を決断。 ー見切り時期の設定ー(償却前赤字の転落時点も、目安にする)この時期に、個人名義の 事業物件を会社に転売して、個人の金融負債をゼロにする。 ・ 二人の幹部社員には役員就任時に一度退職金を支払済み(平均・三分の一)。 そのため結果として、会社の退職金規定の8割近くの支給が可能になる。 (国の退職補助金一千万近くを含めて) ・ 事業停止時には、「取引先への20日締めの月末支払いを全て決済」を予め決めていた。 一般債権は、ホボゼロ。 ・* 個人的には、当初より事業に親戚縁者は一切組み込まず、家族経営を排除。 * 創業時に、高値の事業転売を前提(売り時を逃がし、結果的に出来なかったが)。 * 事業の創業を目指すと決意した時から、連れ添いは、「商売とは何かを体感している 事業経営者の子女」を前提。 *「家訓の、借入金の保証人を妻子など家族を入れない、保証人にはならない」を厳守。 * 家内には結婚来、毎月給与を支払い、健康保険と厚生年金をかけ、残りは家内名義の 別立て預金。 一般的には事業停止時に、自宅も銀行に収容され、個人破産?は必定だが・・ 自宅は家内が買い取ることで確保。 【長期の装置事業に長期のリスクヘッジをしていた】だけだが。しかし結果は、ご覧のとおり。 ▼ ーあとバイアス(偏見。あと講釈)の要素はあるが、大筋は以上の通りー 長期の装置産業には時代断絶の大きなリスクが伴うが、それに中長期のリスクヘッジを かけておくのは、経営の正道。経済震災は既に起こってしまったのである。現在、中小・零細 企業の三割は‘今日明日の資金繰り’に追われ極限状態。あとの三割以上も、その一歩手前 といわれる。そこで、まずは、「弁護士費用は別口に用意して、家族の保証は避けるべき。」 現在は想像を絶する国家的非常事態。正常時とは全く違った舵取りが必要・・ 金融機関に 小手先の手法など土台、無理。まして計画倒産など、この時節に出来ようはずがない。 それほど金融機関も一般債権者も甘くはない。そのためには、「事業は舟板一枚下は地獄」 を前提に《戦略的防御の構築》を中長期的に作っておくしかない。私の見立てでは7〜8割が、 「本当は危ない、夜逃げ予備軍」。しかし、それに気付いてないため、ことは深刻。私の場合、 決断をする3ヶ月前まで、まだまだ大丈夫と思っていたが、気付いたときには雪崩が間近。 直感的に即断したため、命拾いはしたが・・ ・・・・・ 2011年11月15日(火) 閑話小題 * 江戸時代の幸福とは 江戸時代の幸せを並べた俗うたがある。 <世の中は、年中三月、常(じょう)月夜、嬶(かかあ)十七、俺三十、負わず借らずに子三人> 17歳の嬶に、子が三人もいるわけでない、月日も止まるわけでもない。借金も、何時の世 にもついてまわる。最後は、子供の顔でも見て幸せを感じるしかない、ということになる。 これを現在に置き換えると? <世の中は、年中連休、常外食、嬶働き、俺は主夫、負わず借らずに子一人>というところ? ざれ歌を、まっとうに考えることもないが、いかに幸福感が妄想で不平の上に成り立っている かである。 * 人生に意味(価値)があるのだろうか 40年近い事業人生を終え、毎日が日曜日の日々で、「自分の人生は何だったのか? 意味=価値があったのか?」等を、考えざるをえない?日々。 人生の価値とは何か?は、 人生の根本問題。その時点時点で、価値を見出し、それに従って生きているのが人間だが、 実際には考えているフリをしているだけで、漫然と生きているだけ。ニーチェが、そのいい 加減な万人の生き方を取り上げ、人生に意味などない、世の中に価値など無いと知るべきと、 指摘している。 キリスト教の教えを、弱者の救済の思想とし、その教えの価値も全く無いと 切り捨てている。 価値無きものを求めるから、人間は間違えるものと。そうこう考えると、 せっかく哲学書を読み続けていながら、今さら、自分の人生に価値=意味があったか? などという思いは妄想そのもの? あるのは充実していたかどうかの一点である。 その辺のオバサンかオバアサンが、したり顔で人の悪口、陰口を言っている醜さは、 結局は自分のことを言っているに過ぎないことを自覚してないためでる。 まして大の男が 腐った女?のような価値論を述べているなど・・・ エッ 私のこと? いえ、貴方のこと! 全ての人である。 ・・・・・・・ 3521, 我が家に新しいTVが −4 2010年11月15日(月) 「新しいTVが入って2〜3ヶ月経ったら、居間の世界が変わるぞ」と、家内に言ってから 三ヶ月近くが経つ。そして、予測とおりテレビの見方が全く変わってしまった。 これまでの テレビとは別物のマシーン。ニュースかスポーツの生番組以外は録画に軸が変わった。 そのためか居間での時間が二倍以上面白く、充実をした。 * 画面と音響が格段に良くなった他に、地デジを全てを自動的に25時間録画するか、 19時~23時の四時間×6日間(変更可)を自動録画する機能がよい。これが一番の売り だったが、実際に利用する前は何で地デジの全番組を録画するのか?不思議だったが、 実際に使ってみると、これがよい。ゴールデンには必ずといってよいほど面白い番組がある。 しかし当日の地デジは殆ど見ることはない。 見るのはBSか録画。 録画のものは面白く なければ、その場で消す。平日の18時半〜21時は、せいぜい二番組しか見る時間がない。 当日のベストは後にして、これまで録画をしたものでベストのものか、ゴールデンタイムの 過去6日分の中から、面白そうなものを選び、面白くなければ、他を見る。 改めて過去のゴールデンタイムの番組を見て面白いものが冷静に選ぶことができる。 そのため面白い番組の選択枠が5倍以上になった。トピックスなどはそれを早送りで見る。 * マシーンが変われば品変わるで、歌謡ショー、映画、次にボクシングなどの格闘技、 プロ野球が格段に臨場感が出たため、内容が数段良くなって見える。 家内は三日に 一度は「凄い!」という。 要は一画面の情報量が格段に増えた分、臨場感がアップした。 それが感受性を更に高めている。 * 先日、松田聖子のスタジオの(観客無しの)ワンマンショーの録画を観たが、二時間 テレビに釘付けになった。ハイビジョンを意識して構成されていて、音響とステージの 色彩が幻想的。 それほど好きでもない歌手のショーに引きこまれてってしまった。 次々と光と色彩が音楽に合わせて変化をし、全く飽きさせないショー。 これほど幻想的画面を見るのは実のところ初めてといえるほど。映画館で最近観た マイケル・ジャクソン(ケニー・オルテガ監督) 最後のコンサート「THIS IS IT」の リハーサル映像があるが・・・。 また「生」で世界のショーを幾つか観てきたが、いずれも ステージは臨場感。それが音響を含め数倍になったということ。所詮は、人生を振り 返れば夢のまた夢。虚構は虚構で! (この下の方に、8年前にパイオニアのPDPのTVを入れた時の感想が書いてある。) ・・・・・・・・ 3146, 変である、日経の論調 2009年11月15日(日) 一昨日の日経新聞のー経済教室ーで「中小企業金融円滑化法案」を全面的に批判をしていた。 慶応大の桜川昌哉教授と、カルフォルニア大の星岳雄教授である。日経に請われて書いた 提灯論理としか思えない内容で、日経新聞の上から目線を自己証明している。 ポイントとして:貸し渋り対策で、過度の政府介入するな :問題は貸し渋りではなく収益の低迷 :政府支援の照準は・新規参入・産業再生に すべきという。 5〜6年前に、金融監督庁が執拗に銀行に入り込んで、弱体化している会社を潰すように 指導し、強引に整理をさせた時に日経新聞は当然のことと冷笑していた。何を、この新聞社を 載せるのだろうか。そのころ日経新聞自体のスキャンダルで、内部が滅茶苦茶だったが・・ これで新規融資が一段と萎縮するというが、上から目線の論法でしかない。 地方の現場から 逆照射をしてみると、「上からお金を流すのは構わないが、下の目線で資金コントロール するのは相成らぬ」と解釈できる。「銀行サイドの床柱の姿勢を改めるか、改善しろ」という、 どこが悪いと言うのだろう?二番目のポイントしてあげた「問題は、貸し渋りではなく収益性の 低迷」というが、リーマンショックで、大打撃を直撃して低収益になっている弱者を、この法案で 救済する、どこが悪いというのか。日本中の中小企業の経営者の99パーセントは、 私の意見と思うが。この学者「本筋は企業収益向上」と言うから驚き。 地方の企業は、 そうじて売り上げが大よそ半減している現状が分かって、こういう空理屈を言っている・・・ 去年のリーマンショックからの金融危機は大災害、いや震災であって、企業収益の向上 などと言っているケースではない。大手銀行にあれだけの資金を投入したのは赦されて いるのに、この法案が日本の金融システム全体に対する不信感を生み出しかねないと、 一方的に言うのはオカシイ思わないのだろうか。 日経新聞の質の低下も甚だしい。 床柱、上から目線が、自分ではわからないのだろう。 もう一度いう、「これは、大震災、 それも100年に一度の大震災」。都会の真ん中で理屈を捏ねている茹で蛙には実感 できないのである。それと日経新聞もである。 ・・・・・・・・・ 2781, 世界同時不況 ー日本は甦えるか −2 2008年11月15日(土) 文藝春秋の12月号の特集「世界同時不況 日本は甦えるか」−2 ーまずは前回の対談の、続きの要所を抜粋する。 ・なぜパーナンキFRB議長やポールソン財務長官がリーマンを破綻させたのか。 思いつく最も説得力のある答は、金融機関の不良債権を買い取らせるとう ポールソン・プランを認めさせようとするショック療法だった。(竹森) ・三菱UFJ銀行から1兆円の融資を受けたモルガンスタンレーが、冬のボーナスに六千億を 用意しているという。 ・そう簡単に次の機軸通貨は現われない。現に円を除けば、他のどの通貨に対しても ドルの価格は上がっている。 但し、円だけはありあえない。 ・アメリカの国債を買うしかないのは日本だけしかない。オイルマネーは非常にケチ。 中国には、その力はない。 ・現在、アメリカは基本的に弱くなっている。しかし、日本はきわめて世界から見たら 特殊な国である。端的にいえば、日本は千五百年間、一度も外国に侵略されてない。 こんな国は他にはない。その意味で、これからは第二の維新・開国の時代を迎えている。 ・グローバル化によって、新興国は1960年代の日本の3,4倍の速度で近代化している。 これからは、新興国の人から預金を集めて、中小企業にきちんと貸すリテール中心の 銀行であり、彼らに買ってもらう安価なカラーテレビや自動車である。 ・新興国が消費の中心となると、従来の多機能、高品質、高付加価値の商品戦略は成立 しない。日本が過って1950年〜60年代に手がけた安価な商品をつくって競争しかない。 生産技術の水準を落とすのではなく、多機能を止めて、価格帯を下げればよい。 ・国内では、これまで手がけてこなかったセクターに支援を行うべき、例えば地方であり、 中小企業であり、農業を初めとする第一次産業である。 農業といっても、農業土木では なく、農業自給率を60%にするような本当の農業再生である。 −−− 以上から考えられることは、一度徹底的に、近代資本主義を破壊して、 ゼロからやり直すチャンスと説いている。 (字数の関係でカット 11年11月16日) ・・・・・・・・・ 2007年11月15日(木) 2416, よく生きる −1 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:* (以下、字数制限のためカット2014年11月15日)
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