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堀井On-Line
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2013年10月10日(木)
このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVのニュースで報道されている。 そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。 土下座は江戸時代の大名行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため武士がやらせた慣習。 謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。映画で、記者会見などの頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど 効果があると・・ さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より) 空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画 『謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気になってしまうのか。 専門家は、 2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、 相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。 (NHK説明より) 早速、プレビューを見てきました。 ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマとして今世紀最高を記録したこともあり、 多くの方がご覧になったと思います。その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。企業の不祥事などで、 社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目にするようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という 意味が加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 中には、土下座するまでもない場面で、 土下座を強要させられることもあるようです。私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。 土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たようなそんな居心地の悪い気分になることも事実。 番組を通して分かってくるのは、ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座することで、 それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに 向かうべきではないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんのこんな言葉です。 「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いはありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください! ▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の 被害者のように怒り、呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も変だが、見ている方も、 明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。 大場面なのに、 殆ど悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。 元もと罪の意識もないのだから救いようがない。選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い! ・・・・・・ 4215, 開国という強迫観念 ー2 2012年10月10日(水) ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か? 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。 一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と 教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、社会を、 人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。 ーその部分からー ≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、 まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは事実でしょう。 彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全く そんなことはありません。・・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は 「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。 知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、彼らは、彼らに都合のよい西洋の思想や学問を取り入れて、それを「科学」 といい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=「専門的」=「先進的」であり、これに対し、 「日本的思考」=「非科学的」=「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」「専門家」「先進的」 の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と同じ。 この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という 特権的立場を手に入れたのです。・・(中略) ・・ この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を開かないと、世界の 潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、 「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式 だったのではないか。この「世界」を「東京」に、そして「日本」を「田舎」に置きかえてみましょう。 ・・・ ≫ ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が果たしては特異で後進的か?を、問うている。 それまでの欧米は、自分たちは文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させるという建前で、 世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、 という刷り込みではないかと、著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。 真の支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! ・・・・・・・ 3850, ツレがうつになりまして −1 2011年10月10日(月) 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。 TVでも放映され話題になったストーリー。 ところで、 もう亡くなってしまったが、前の会社の取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に 暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。 ところが20数年前のバブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。 その症状のまま営業や知人先に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、 晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、 再発の報告と相談に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や精神科学の本の言葉で、何とか 危機を乗り越えてきた体験があるので、痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは ≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいことではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人は いないのと同じ。 上司に正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりにすれば、それ以上悪くなる ことはないし回復は最短になる。とにかく拗らせないで治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度ぐらいは来ていたが、その都度、初めに飛び込んでくるのは私のところ。 欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが山ほどある。 しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時入院をするようになっていた。 会社は管理職からヒラになったが、 最後まで病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、他人に危害を加えるかどうか。 その辺はギリギリでセーブをしていた。彼の場合、多くの友人がいて、その失敗を見守って許してくれる人間性があった。 営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。 その人も7年前に癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。 欝による失態も、決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に 感情移入をし、涙をしながら見入ってしまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、 何らかの成人病が出てくる。 欝になるな! という方が無理な話。 その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、 割り切りきった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた方が良いことになる。 私は子供の頃から仏壇前のお経だった。 次回は、映画の感想文・・ ・・・・・・・ 3485, エッセイ脳 ー2 2010年10月10日(日) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー ・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、 「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共) の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。 ・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。 ・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。 「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。 ・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。 ・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。 ・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」) を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。 ・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。 ・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。 ・・・・・・・・・ 3110,生きる幻想 死ぬ幻想 2009年10月10日(土) 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著) ー読書日記 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を 世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、 といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。 「大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。 現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。 ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。 本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、 そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、 人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。 自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう 世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、 現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を 形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。 この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略) ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、 多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると 言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな 形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。 ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。 一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、 差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、 信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。 (以下、字数の関係でカット2010年10月11日)
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2013年10月09日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ ・第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。 それは、冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたからである。 ・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって劇減できると考えたが、 9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、それは誤っていたことがわかった。 ・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争をしかけられるだけの力を持ってきている。 インターネットを基盤とする既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が持ち運びできる 新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。 ・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。 ・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期においては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は 管理され実際には起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。 ・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずのアラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に 頼らず、独自に核を持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリアなどが核を保有しようとする ・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく 専門家もいる。彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。 ・無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。 ・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算を回せなくなる。 ▼ そうこう考えると、40年の間、核戦争が起きない方が不思議で、必ず起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が 犠牲になったが、再び億単位の人たちの犠牲も有りうる。今のところ国家間の核攻撃の問題だが、他の科学兵器を含めた 個人の意思による攻撃も充分あり得る。 狂った猿の兵器が、ますます強大になった結果、人類そのものの存在さえ 危うくなる。細菌テロなどの科学兵器が、一国を滅亡させる可能性さえある。追い詰められた弱者の暴動を押さえ込む シリアの科学兵器攻撃でオバマが激怒したのではなく、それ自体が国家による反乱への弾圧の手段として使用したことに 対する歴史的行為であるからだ。その意味で、中国と、ロシアも、米国の攻撃を阻止した行為は、歴史に残る愚行として 間違いなく残る。そう、細菌などの化学兵器がテロで日常的に使用される時代が、近い将来の姿である。 ・・・・・・ 4214, 開国という強迫観念 ー1 2012年10月09日(火) ある雑誌にー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思 のレポートがあった。 TPPの反対論だろうと読んでみたが、なかなか面白い。 私自身、地域社会に埋没しないことと、両親などの刷り込みによる 思い込みなどからの脱却が人生のテーマにしてきた。自分を開き違った世界を受け入れ、同化することが人間の成長と信じ、生きてきた。 しかし、反面、知らない世界に常に怯え、同化を拒否していた。これは人間として当然でもある。 ここで著者は、 「開国は、突き詰めればアメリカに対する不利な条件をつけられた開城ではないか?」と、問題提起をしている。 その辺の論拠を何回かに分け取り上げてみる。 ーまずは、その抜粋からー ≪ 丸山真男は、戦国から安土時代へかけてが「第一の開国」、明治維新が「第二の開国」、そして終戦後が「第三の開国」といいました。 また松本健一は、明治維新が「第一の開国」、終戦後が「第二の開国」、そして1990年代のグローバリズムを「第三の開国」と呼んでいる。 両者を足し合わせれば、すでに日本は四回開国しており、今回は五回目の「開国」なのです。「開国」の大安売りで、「開国」、「続開国」、 「続々開国」…と、いったいどこまで開けばよいのでしょう。気になるのは、明らかにここにはあるバイアス、もしくは先入見があり、 それは国を閉ざすことは悪、開くことこそが善、という強力な思い込みがあるということです。閉所恐怖症ならぬ「閉国恐怖]と 「開国強迫観念」がある。「開国」すなわち「国を開く」ことは国際化を意味し、それは無条件に歓迎すべきだ、という思い込みです。 TPP賛成の「開国論」は、しばしば、「TPP反対派は外国に対していわれなき怯えと恐怖をもっている」といいます。 しかし逆にいえば、「TPP推進の開国論は、国を開かなければ世界からは取り残されるという強迫観念です。・・・(中略) ・・その一大典型が、先ほどの「開国論」を唱える丸山真男をはじめとする戦後進歩的文化人でした。彼らの主張は、何よりまず、 戦後日本を民主化し近代化する、ということでした。ではどうして彼らはそのような主張ができたのか。それは民主的な近代市民社会を 成立させた先進国の立場に自らを同一化したからです。その上で、民主主義が根付かない後進国である日本を批判したわけです。 日本人部族の大半は閉鎖的で西洋のような先進世界を知らない。知らないから、自己中心的で、世界には通用しない自分たちの流儀に 得々としている、というわけです。いわば「部族社会の原理」で生きている、というのです。このようにいってしまえば、彼らだけ主義が 根付き、個人の自由や人権が保障され、合理的精神が行窟収ったいわゆる市民社会だとことあるごとに強調しました。しかし、現実は 大きく違います。アメリカには今でも根深い差別意識があり、ヨーロッパには強烈なエリート主義や隠然たる階級意識があります。 古代ローマやギリシャへの敬意は未だに強く(だから、あの「だらしない」ギリシャをわざわざEUに入れたのです) ≫ ▼ 日本周辺の地勢から考えると、強迫観念を持つのは当然。アメリカとロシアと中国に囲まれた現実世界が存在している。 もし、開国してなかったら、アメリカか中国の一部になっている可能性もある。 戦国から安土の開国は、蒙古襲来があったため。 明治維新は、アメリカの開国要求に対して近代国家樹立が生きる道であった。終戦はアメリカに敗戦したため。 グローバリズムは 共産圏が消滅し、世界各国の壁が低くなったためである。しかし著者はここで、「開国という強迫観念」があった、と主張する。−つづく ・・・・・・ 3849, あれから半年か −2 2011年10月09日(日) * 9・11、9・15、3・15 の直撃後、日本は、どうなるのか? 歴史的テロとリーマンショックで経済的に直撃を受けた日本は、今後どうなるのだろうか。 その三連発の直撃で私も儚くも破綻に至った。 商売上、ストレートの影響を受けてしまったが、では日本全体は大丈夫か? というと、そうではない。 これから始る欧米の混乱が日本の政治経済に更に大打撃を与える。 地震・原発事故の影響は、 大きく現実として我々に覆いかぶさる。 アメリカ経済会議前委員長のサマーズは、事故後の講演で 「残念だが、日本は貧しい国になる」と断言。 私も、その先端で直撃をうけたので、その指摘は痛いほど感じている。 国家収入の三倍近い予算を立てざるを得ない日本。それに対し、増税は反対という国民の愚鈍さ。ギリシャのダラシナサより、 日本人の方が劣っているとしか私には思えない。 この惨状を自覚できない恐ろしさ。 先日見たNHKスペシャルの東北大震災の録画を再びみた。 大震災に直面しても、正常性バイアス、同調バイアス、他愛行動で、 逃げ遅れる人の状況を。 「10年前の9・11、三年前の9・15以来、私も、この三つの判断と行動しかしてなかったのでは?」 という反省もあり、再び見て、その事実を確認した。ただし、装置産業のため、手の打ちようが無かったことも事実。 そこで3.11の大震災で、直ぐに決断した! というより、最後の迷いが無くなった。 この判断を、大部分の人たちが 冷ややかな視線で見ているのを、逆照射すると、逃げ送れた死者たちの顔が浮かんで見えてくる。 この大震災の中で、「危ない、逃げろ!」と喚いても、殆どの人が「変な人が訳も分からないことを言っている」としか、 受け止められないで亡くなった人たち。 それとほぼ同じことが、近未来のリーマンショックの大津波の襲来に対する認識である。 大震災でタバコをふかし車に寄りかかって、海を見ていた鈍い人たち(もちろん、その人の立ち居地によるが)。 轟音が聞こても分からないのである。 一年もしないうちに、それが身に染みて分かるはず。立ち居地が違い影響の少ない人もいるが、 国家そのものが破綻の瀬戸際だから、そうも言っていられない! この9月から、リーマンと東北大震災の大波の姿が見え始めてきた。 見ても見えず、今さら遅い! が、現実か・・ これは自分への警告でもある。 まだ逃げ方が甘いのか ・・・・・・・ 3484, エッセイ脳 ー1 2010年10月09日(土) 「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著) ー内容ー(アマゾン) 言葉の選び方、書き出しの心得、起承転結の「転」を利かし書き手の「ええーっ」を読み手の「へえーっ」に 換える極意とは?しなやかに感じて、したたかに描く、奥義を伝授。人気エッセイストが初めて明かす文章術。 第1章 テーマは連想の始動装置―「私」と「公共」の往復運動 (何を、どのように書くか―エッセイの基本要件;学習で高められるもの―他者が読みたくなる要件 ほか); 第2章 頭にはたらきかける文、感覚にはたらきかける文―無意識を意識する (文章のはたらきに着眼―三種類の役割;枠組の文でアウトラインを―「描写」を「枠組」で引き締める ほか); 第3章 リスク回避と情報開示―「自分は他者でない」宿命を超えて (読みにくさは個性か―読みやすさの必要性;自分≠他者の宿命を超えて―読み手はヤマ場が見えていない ほか); 第4章 文を制御するマインド―「筆に随う」はエッセイにあらず (言葉を選ぶ三つの側面―検討すべきこと/正確さ/主述、並列、呼応;クリエイティビティに先立つもの― (字数制限のためカット2012年10月9日) ・・・・・・・・ 3109,サエゼリア 2009年10月09日(金) * 村上龍のカンブリア宮殿 以前にサエゼリアについて書いたことがあるが、大不況の中で最近、再び注目を浴びている。 テレビ東京に「カンブリア宮殿」という村上龍がメインナビゲーターの番組がある。それぞれの会社のトップを インタビューをしながら、成功の秘密を探る番組である。先日、珍しく家内が自主的に録画をしてくれた番組を見た。 私たちは「サエゼリア」のファンである。 家から100mにあるのが最大の魅力だが、兎に角安い。 同じSC内にあるスーパー原信の惣菜よりやすい感がする。それと、高校生からファミリーや私たちの年代まで 気楽に入れる雰囲気が良い。 しかし、そのサエゼリアを褒めると、次男や会社の副支配人は顔をしかめてしまう。 「あんな女、子供の屯している煩い店。それに料理は美味くも不味くもない味。イタ飯なら個人店の少し高い店がよい」云々。 (字数制限のためカット2010年10月9日) ・・・・・・・・・ 2744, 劇的な毎日が刺激的だが、凄惨な日々が待つ? 2008年10月09日(木) *東証が1万円割れ、NY株も一万ドル割れ 株式がジワジワ下げてきたが、二日前に日米ともに一万割れになり、現在は9200円近くに下がり続けている。 次は前回の下げの7600円が目安になる。 状況からいえば4000円でも不思議でない。10月中は一万台は持つだろうと 思っていたので、驚きである。9月15日から始った金融恐慌の波は日ごと大きくなってきている。 東証株価は去年の同時期からみると45%の株価の下げになる。企業も、個人投資家にとっても大きな痛手になる。 ホテルは景気に直接影響を受ける商売。小団体が何組か入っているので現在のところは数字は出来ているが、 それを除くとマイナスである。駅前の飲食街も、このところ立て続けに長岡の飲み屋街に行っているが、 どこもホボ客は皆無。深刻をとおりこした状態である。 事業所のある新潟駅周辺の飲食街も殆ど歩いていない状態! なるほど、これが恐慌前夜の状況かと・・心の底ではアメリカの金融崩壊に拍手を送りたいが他人事でないのが米国属国の悲哀。 まずは欧州に飛び火をして大きな影響を出ているようだが本格的な危機は、これからである。 あのGMの倒産確率が95%、そして次の金融機関のターゲットはシティー・バンクだが、最近のニュースでは バンカメの株が26%暴落し$23になっており、一気に経営危機が表面化し、近々に$20を割り込み、$10をも 割り込む暴落状態の可能性があるという。もし、シティーとバンカメが消滅したら、世界は最大級のパニックになる。 ソ連の崩壊を目の当たりにして驚いたが、今度はアメリカの崩壊過程を連日目にしているのである。 色いろのブログの中の生々しいレポートによると、アメリカはパニックで金融恐慌の話題一色という。 一ヶ月も経ってないのに、連日飽きもせず金融危機のニュースが飛び込んでくる。 それが日ごと深刻な内容になる。十月から十一月にかけて、更に大荒れになるだろうが、金融危機は、我われの生活に 直接に影響してくるから深刻である。現在進行中の一連の出来事は、私が生を受けて最大の事件である。 家内がTVで誰かが『日本は破滅だ〜』と言っていたとか、NHKのニュースで急遽上場を延期した会社社長が、 「台風と、サイクロンと、大地震が一度に襲ってきたような状況の中で不安で延期するのが当然のこと」 と言っていたが・・・・ 恐ろしいことは、アメリカの大統領選挙でアメリカの頭脳が麻痺していることだ。 大統領の交代時期が来年の一月というから、一番重要な時期に手を打つべきことが最小になることだ。 現在の日本にも同じことがいえる。 それでも十数年間にわたり金融に関しては合理化をしてきたので 金融バブルは最小だったようだが? 恐慌は数年間で大小の会社の半分は消滅するというから、 せめて自分のところだけは生き延びないと! サバイバルの世界に入ったということだ。 イラクは早々にアメリカ軍は撤退だろうし、北朝鮮も金が回らなくなって政変間近になったし、中国も荒れるだろう。 恐慌は国際間の緊張を呼び込み世界戦争への道を作っていく作用がある。 恐ろしい状況である。
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2013年10月08日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ ・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。 ・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。 ・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブなどを使って反政府活動をする共通の キャッチフレーズになりうる。 ・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、 政治家との癒着腐敗、政府の巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。 ・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、 複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。 ・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずるさまざまな形のバイアスのかかり方である。 ・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、規制当局に圧力をかけるということだ。 ・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。ウェーブの力はそうは言っても限定的で、 マスコミはさまざまな形で情報操作を受けている。 ・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。 ・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。 ・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える「経済第一主義」と、 この「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を揺るがしていくことになる。 ▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も 必要になる。特に、この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で支配されているというが、 実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数に 存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。自由には制限があるが、各々違うため問題が 次々と派生し、世界を混乱に陥れる。しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると信じたい。 自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。。 その辺のバランスは、人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。 ・・・・・・ 4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は? 2012年10月08日(月) * 去年は凄い年だった! で、今年は? 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、 タイの大洪水、ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死などなど。私自身も30年間たずさわった 事業を整理をせざるを得なくなった。 しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し中国国内の 日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。 去年に発生した問題は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国の トップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。それと、スマートフォンの普及が、 世の中の変化を、より推し進める。これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまったということ。 これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、 再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? * 多人数兄姉の末っ子として 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の 一番上の長女なら親分肌になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。下から二番目の直ぐ上の兄は、 一番下の私の影になり、その虐めは陰湿そのもの。しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で 緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読んで、 必要のないことは見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。 大家族のためか、自分の 主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、 時代と、家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。 それ以上に面白かった。 これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。 ・・・・・・・ 3848, 料理はメディア 2011年10月08日(土) * 料理はメディア、コミュニケーションのツール ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫ 【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。 それはしかし、自分の中で考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは「よく味わう」こと。 それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。- 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物をメディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。 昔は、人を招いてご馳走することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。つまり、主人が つくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持っていないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、 その板前さんに委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。 つまり、なぜ、この店に招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味なんかそっちのけで、 つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーションのための手段、つまりメディアなんです。 プロの料理人は料理に命を賭けている人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長になっていく。 そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。 薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】 ▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。 美味しいものを食べつくしてきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す雰囲気を が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の 部下の女性に得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 家内も私も、美味しい料理の場合は、 小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構えの店で、 売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。 ・・・・・・・ 3483, フューチャリスト宣言 2010年10月08日(金) 「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著) ー内容(アマゾンより) インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺になり、ネットでの評判がパワーとなる。 過去に何を成したかではなく、いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬はないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・ネットの側に賭けよう。 未来創造の意志をもって疾走しよう。フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。 〜〜 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を 明るい視点で見つめる「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸とした社会の変化や 人間の存在のあり方の変化を語り合っている。「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。 1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目がアップル社のリンゴ、そして4つ目が 「フューチャリスト宣言」。肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、それを可能としたツールが日ごと進化し、 身近に新しい可能性が次々と出来ている。「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」 と茂木は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に 捉えなければ、生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や一匹狼たちにやさしいと 語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力である。 インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで 新しい何かを創りあげる可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは「学ぶ」という 最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、 ここで二人は、「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性をその特質としている」と語る。 「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが 機能する可能性がネットにはあることだ。 茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。 レポートや試験という システムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。 今更いうまでもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。 ・・・・・・・・ 3108,政府の借金など返済の必要なし? ー3 2009年10月08日(木) 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ!」 三橋貴明著 ー読書日記 四番目のキャッシュフローを始めたら要注意だが、これを数年前から日本が始めたのである。 国債の発行と、その日銀の引き受けである。このキャッシュフローは、あくまで国債が自国通貨建ての場合のみ、 利用可能な解決策。もし日本政府が借りている借金が「ドル建て」として考えてみると、日本の850兆円の国債は、 為替ルートで8兆ドルになる。これがある日、日本円が対ドルで大暴落したケースをみると、円が180円に暴落した場合、 1700兆円に倍増することになる。それほどでないとしても、ロシアやアルゼンチンは、このプロセスで財政が破綻した。 しかし日本の現状は、このリスクにはない。 政府が外国から「外貨建て」で借りて、自国通貨が大暴落をしない限りは 大丈夫ということになる。 少なくとも、家の中の借り貸しは、返済をする必要はないという理屈になる。 ところが家の預金が底をついてきたのである。それも半分はアメリカ国債に化けているから、これ以上の国債の発行は 無理な領域に入ったのである。 ところでアメリカが狙ったのが郵政の預金。 郵政自由化を日本に迫り、強引に 小泉、竹中を使って、推し進めたのである。 しかし日米とも民主党へと保革逆転したことは、日本にとって幸い。 現在の借金残高までは著者の論法は成り立つが、これ以上は無理である。更に続けるならば、子供たちが 親の預金通帳から金を下ろして、金(キン)や外国債権に移動を始める。ネットで誰もが可能の時代の恐ろしさがある。 《 ところで、この本に日本国家のバランスシートが示されている 》 2008年12月末の数字で、日本銀行のHPに公開してある「資金循環統計」から、作成したもの。 *資産の部で、 政府の資産=467兆、金融機関の資産=2743兆、非金融法人企業の資産=819兆、 家計=1433兆、民間非営利団体の資産=52兆円 資産合計 5515兆 *負債の部で、 政府の負債=974兆、金融機関の負債=2762兆、非金融法人企業の資産=1142兆、 家計=375兆、民間非営利団体=17兆円 負債合計 5272兆 *純資産の部で、政府の純資産=▲507兆、金融機関の純資産=▲20兆、非金融企業の資産=323兆、 家計の純資産=1058兆、民間非=35兆 純資産合計243兆 政府保有の不動産などの有形固定資産や、無形の資産を入れれば、この倍にはなるのだろう。 それにしても日本の資産が5000兆以上とは、知らなかった。 そうこう考えると1000兆円の負債も驚くほどでもないが、 これを人口の1億2500万で割ると、一人あたり4000万円になる。 しかし純資産は200万しかない。 世界の一時期の株価の総額に近いとみると、少し多いように感じる。 そうこう考えると、日本は、核を持つべきであるし、 アメリカの属国という事態から脱却しなければならない時期に来ている。 これをもって、日本は豊かで国家の力量が あるとは言えない。 中国は膨大の土地と、日本の十倍の人口がある。 アメリカは機軸通貨という絶対的な信用力と、軍事力、英語という世界共通言語がある。永久国債しかないのか?
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2013年10月07日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ ・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって大きな負担になる。 ・社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる分野の予算を圧迫してきている。 ・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大にともなう国家財政の悪化の懸念がある。 ・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるものである。 ・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に支払わないなどの措置がすでにとられつつある。 ・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が援助をし、そうではない部分で、 民間の医療保険に市場を開放するなどして、費用削減の効果をすでにあげている。 ・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。 しかし、それによって、一回きりの費用増大のショックをやわらげることができる。 ・開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課方式から積立方式への転換が比較的容易に 行なわれるだろうし、そうした措置をした国家は、将来に備えることができる。 ・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の確保の必要性がある。未来の国庫は、 例えば気候変動に伴う極端な気象現象による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。 ▼ 高齢化と少子化が景気を冷やし国家財政を悪化させる。この問題が日本の将来の最大のネック。いや既になっている。 富裕層と、有能な若者は、日本を見限り移住を始めている。日本を含めた世界は一部の富裕層が富を独占する歪な 構造が、社会を不安定にする。5〜10年内に国家財政の破綻と非常事態宣言が出される可能性が非常に高い。 その時どきの政権は問題を先送りするしかない分、深刻度を増していく。20世紀は、冷戦を含めた三つの世界大戦で、 そのガス抜きをしてきたが、今では暴力装置を使う戦いは局地戦以外は不可能。 それでは、どうしてガス抜きをするか? その答えは必ずあるはず。その一つにG20がある。年に一度、世界の主要国のトップが集まり直接話合う。 国連があるが、現在の状況は緊急事態。一同に集まり、その場で決定するしかない。高齢化の問題というより、 高齢者に資産が集中して若者に金がまわらないこと。それが世界に先駆けて日本で起こっている。 ・・・・・・ 4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り 2012年10月07日(日) * 旅行仲間から便り 先日、7年前に北イタリアのツアーでご一緒した神戸の夫妻からアイスランドのビデオ(DVD)が送られてきた。 ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに 行った直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に添えてあった。その直後に手紙で、 イングランド南部のツアーに誘われたが、既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせてもらった いきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない 歴史の深さの趣きがあり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が元プロでカメラ視線が決まっており、 奥さんがナレーターをした本格的な内容で、「撮影と編集を旅行代理店に依頼されているのでは?」と思われるほどの出来栄え。 羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。 自慢するでなく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。イスラエル、パタゴニアも、新羅ウィグル地区 からカラコルム・ハイウェーを抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたからこそ行けたもの。 財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」 の方を選択してきたが、それで良かったと思っている。 秘境ツアーなど贅沢の極みだが、本気になり探すと信じられないほど格安で、 内容のあるツアーは、幾らでもある。また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅番組を見ているが、 それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。 先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが? ・・・・・ 3847, 創造的破壊 2011年10月07日(金) 「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、古いものの破壊が、そこにある。 新しく創造されたものも、時間と共に古くなり破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、 創造のベースとして捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれかわるための破壊になる。 但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。 竹の節は、これがあるから大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。 予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、 人生の前半に、多くの節目があったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。 創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、 【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な 新しいものによって駆逐されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスをそう呼んだ。 不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げるものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いものを打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。 「脱皮できない蛇 は死ぬ」も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、そこまでいくと、 退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなしているといってよい。・・・ 】 ▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、 創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが生き残るシステムも決して否定できない。 現在の世界の政治、経済の大混乱も、ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている創造的破壊。 この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ? ・・・・・・・ 3482, ライフログのすすめ −2 2010年10月07日(木) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。デジタル機器の進歩と、値段の劇的な 安さの実現と、その記録も無限大に可能になり、その分析も可能になってきた背景がある。 モバイル携帯など、 それらを可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集しネットに記録保存をすればよい。 それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。 これに近いのがモバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、ついている。それが記録される サイトに自動送信すればよい。 モバイル携帯の一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、 これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、 誰と会ったとか、何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、どんな写真を撮ったとか、自動的に 記録保存して、牽引をつけ整理し、パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャルネット ワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、 バラバラだ。共通のツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられていない。 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、著者は公開を否定している。 公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。自分の全てを電子記憶にして、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。 公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。 「僕たちはいつか、自分の目にしたものや耳にしたもの すべてを記録できるようになる」と。その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているからだ。 その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという理由はないという考えに夢中になったのである。 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。 この本を読んで自分のWeb上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」 になってしまった。 したがって、私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタルに記録する! 」であり、 私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。 著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、 毎日の読書や日常をデジタル化してファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、「ライフログ」のシステム化 されたものが、あるはず。これを読んでいてデジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 二度とない人生の記録か!
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| 4586, 閑話小題 ー謝るとき、人は誰でも主人公 |
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2013年10月06日(日)
* 謝るとき、人は誰でも主人公 先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。 このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。 今夏、ドラマ「半沢直樹」ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。それは平成ドラマでトップ。 ここで、何度か土下座をする姿があった。謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、 土下座を互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役なのである。 人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとをしたことも数回ある。 泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。 恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。 会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、深々と頭を下げ 「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、気持ちは通じたようだった。 4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・ 謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。 人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、割り切って、土下座をしてでも 詫びることが必要である。 大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という店内放送で、 何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、何かの切っ掛けで、 乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、 スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、合気道で、気をのむコツを知っていた効用である。 それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、 それを果敢に実行するという。「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。 そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、今度しておこうか。 それもカミさん相手に!? 昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、深夜、寝ている後ろ姿に、 両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。 まあ、いろいろある。いや、あった。 ・・・・・・ 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力 2012年10月06日(土) * ライオンの魂 「異郷日記」西江雅之著 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく惹きつけられるものばかり。 アフリカでは、今でも魔術が信じられているところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つであるー ≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで生活をしていた頃のことだった。村人の話によると、 雄のライオンのなかには、死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の姿勢を保っている状態では、 ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。 ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間にライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは 弾丸並みであった。そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。まことしやかに話すというのではない。 本気で語っているのである。東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。それを家に置いておいたり、携帯して いたりすれば、戦争に行っても弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・などなど、如何なる 災害からも身を護ってくれると信じられている。ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。 直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それはどうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで 結石のようになったもののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって近所の人にそのことを話したら、 なんということか、その後の何日か、わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを手に入れた途端に、 それまでは一度もなかった害の恐しさを経験することになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める人心を 惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫ ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、購入して所有したことがあったが、何故か不幸が 続いて気持ちが悪くなり、売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に残っている。私の高校の 知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。 それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、信じないかだけである。現在、「神は妄想である」 という遺伝学者の本を読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、信じる者は救われるか! 逆か? ・・・・・・ 3846,‘よい写真を撮る’コツは ? 2011年10月06日(木) 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。 私もスナップ写真を中心に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになったのが、デジカメで 写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。 写すというより、その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」と、指示された目線で撮るとよい。 その為には対象の景色に、まず感動し、その感動をカメラに収める気持ちが必要である。 また小さな花をアップにし、その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると、 比較的良いのが撮れる。それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の女性などの撮影現場をTVでみたが、 徹底的に相手をリラックスさせ、その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること自体を忘れさせてしまう。 動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。 人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。 今まで、デジカメは少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、構えて良い写真を撮ろうと、 構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想である。 その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。 ・・・・・・・・ 3481, ライフログのすすめ 2010年10月06日(水) ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! ゴードン ベル , ジム ゲメル (著) ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー 人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、そして普段は気にかけない自分の位置情報や 生体情報まで、人生の「すべて」をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。 仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャルな分身に人生を語らせることも可能だ。 いいことずくめの「ライフログ」の時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター科学の重鎮が、 その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。(ビル・ゲイツ) ▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている 70歳を超えたゴードン・ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として利用することの可能性や 実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」を ほぼ保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。 10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、 書きっぱなしだった読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ休むことなく続けてきた。 ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで 生きようと考え実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば 私にとって黄金の習慣になる、と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」と思い知った。 10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも 深さも違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」という コンセプトのブログや商品も出てくるはず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 私も10年のキャリアがあるから、 経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、 それもライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。 ・・・・・・・ 3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4 2009年10月06日(火) 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、以下は、それをメールで教えたくれた 林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、 自民党から民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。 * 堀井 様 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、テレビにもよく出てくる 山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足を債務者に」と題して書いていました。 ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」 と手のひらを返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられていた10月3日の読者の声欄の投稿です (これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは 「日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。 実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」 としていた点です。「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」でした。 (これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も確かめずに書くのか、につながってきます。) この「記者の視点」はこちらの指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。 このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁明、先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」 と言ってくること、「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところでしょう。) そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に対しての私の一番の批判点です (朝日新聞お前もか、というところ)。それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえなってきます。 最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に 入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林 * To: 林様 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、 マスコミのマイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が早いですね。と同時に、やはり良識が残って いるということで、林さんの電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、何かいずこも避けていたようです。 ますます面白くなってきましたね。再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと思っています。 手前味噌になったら、ご勘弁を! 堀井 ―― 朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」 と常日頃から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、少しタイミングが遅い? 「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目か?
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2013年10月05日(土)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、 ・四十年前、新興国市場は存在していなかった。鄧 小平はまだ追放の身。インドの首相インディラ・ガンジーは、 銀行を国有化し、大企業を押さえ込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領はコンピューターで 計画経済ができると信じていた。 先進国にとって開発途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、 途上国にとって投資は、海外資本による纂奪を意味していた。 ・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、インフラをとりいれ、世界の資本市場で、 安い労働力をつかって製造工場の役割を果たすようになったからだ。 ・ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に世界の目を向けさせたのは 二〇〇三年のことだが、実際はその予測を二倍くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。 ・これは、経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用してさらに増えるからで、現在の先進国のうち、 二〇五〇年までに、経済の世界規模で上位七ヶ国に残るのはアメリカのみ。 あとは、中国、インド、ブラジル、 マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。 ・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。しかし、その速度は、他の要因にも左右される。 そのなかでもっとも大きなファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、教育程度の高い 労働人口を持つ国で速く広まる。 ・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシア、バングラデシュ、パキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、 教育年数が二〇五〇年までに著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長をあと押しする。 ・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため込んだ海外純資産をとりくずし始める。 そして中国は労働力不足 におちいる。 ・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。 二〇五〇年には、わずか二・二人になる。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支えている。 ▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島の日本が、その地政学的な有利さの中で、 教育に熱心だったことも含めて世界第二位の経済立国に上り詰めたが、これまで。 これからはネットが世界を覆う時代、インドの貧民窟街の少女にもネット上では大きくチャンスがある。 そういうハンデを背負った人たちと競って太刀打ちするには、余程のことがないと難しい。 やはり、ネット社会が新興市場を劇的に変化させる大きな要因になる。先進国は、それに従い豊かさが減り、 新興国家は、底上げされる流れはとどまる事はない。どう考えても、日本の将来に明るさは見えてこない! ・・・・・・ 4210, 異郷日記 ーサンジバル 2012年10月05日(金) 「異郷日記」西江雅之著 * サンジバルの逸話 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い続けないと人生の自殺者になってしまう。 硬い殻に閉じこもり、しがみつくしかない人生こそ避けなければならない。 ーその辺を抜粋してみるー ≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、 多くの村が散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物のすべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは 史実虚構が入り交じる物語に埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、アジビア数字が消えかけている 大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、奴隷、征服者、 イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、 高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、 道行く人の内部にすべり込んでくる。 (・・・中略) わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。 ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻ったばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。 「アッ・サラーム・アライクム(汝の身に安らぎあれ!)」。若者は老人に言った。 「アッ・サラーム.アライクム」。老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? お前のおじいさんは、 海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」 若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、 よくまあ恐ろしがらずに平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしはザンジバルで、何人もの知人に スワヒリ語で何度も同じ話をした。「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が恐ろしいことなんだ」と、 わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫ ▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。 何処の道理も同じである。著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、すべて異郷と感じている。」 と述べている。そうでなくては、流れ者のように世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の外側を、 異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。 それ以外は職場は新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。 と同時に、しがみつき、安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている感がする。それでも、まだまだ 楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。 ・・・・・・・ 3845, 地獄への道は善意で舗装されている 2011年10月05日(水) 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。 『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだ ことを記憶している。 特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、それを知らない人が多い。 善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。 営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る手段。 善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 この格言は昔から言われいる基本である。 ー ウィキペディアによると ー ≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」 (地獄への道は善意で舗装されている について) ー ユリウス・カエサル *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」(地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争と 俺の濃い髭で舗装されている」などと語ったと言う。 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。 その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、犯罪と知らずに 窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた 全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。 しかし、ウィキペディアでも コミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築と その円滑な運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは言うまでも無い。 哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、 保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫ ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、恨まない範囲で示すと割り切ることだ。 善意も捨石として、直接の見返りを求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。 ・・・・・・・ 3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13 2010年10月05日(火) * 旅行代理店の選定は? 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安いパッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。。 ・まずは趣味の問題になるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれるので、それが目的なら問題がない。 同じような目的の人が来ているから、同レベルの人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士のなれあい客 しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。 ・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んでいたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」 という人は、全国区の灘の酒辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行の人は異質の全国区がよい。 ・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門のワンランク上の客を狙っている「ユーラシア」とか、 「旅のデザインルーム」などが良い。JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。 アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員の質のムラが非常に大きい。これも外れると、 場所が場所だけに、客にとっては大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉して送られ厳しく 審査されるので、外れは少ない。 旅行は添乗員の質で半分近くは決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった 経験がある。しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的手段しかない。 ブランドなどで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。 これは経験からして外れの方が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思ったが、他にないので 仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 行っている人達の人品が良いと心が洗われる。 南アフリカ、南米のマケドニア、北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の御かげで、 厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それにあった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。 旅行先で、良かった旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定するのがベスト。 何ごとも同じ。
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2013年10月04日(金)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) * 第十二章 グローバリゼーションとアジアの世紀 ーのまとめ ・『エコノミスト』誌グループのシンクタンクであるエコノミスト・インテリジェンス。ユニットは、今後の世界経済を おおまかにいって三つのシナリオに分けており、そのうちのひとつ、コントロールされたグローバリゼーションの状態で 進むと考えている。リーマンショックや欧州危機などによって、市場主義に対する警戒から政府は一定の規制を グローバル化に対して課してくるが、市場は開かれている状態だ。 ・"後戻りするグローバリゼーション"というシナリオでは、不穏な空気の中で保護主義の気運が高まると見ている。 先進世界の大半で、経済の弱体化と高失業率が不安を生み、保護主義をあおる。これにより、"コントロールされた グローバリゼーション"という基本予想と比べると、2010年から2030年の世界の年間成長率は数パーセント削られ、 この期間全体では世界の生産高が大きく落ち込むことになる。 ・シナリオの三つ目、"凋落したグローバリゼーション"は、1914年から1945年の縮小の時代に似ている (グローバリゼーションに背を向ける)。もしこれがふたたび起こると、成長に悲惨な結果をもたらすだろう。 世界の成長率は年率約1%にまで低下し、ひいては世界全体のひとりあたりの所得も減少する。 最も大きな打撃を被るのは新興市場、なかでも最貧国だろう。 ・一番蓋然性の高い最初のシナリオで考えると、最も重要な地位を世界経済で占めでくるようになるのはアジアの経済で、 2050年には、世界の半分がアジア経済となる。 ・しかし、その中で日本は相対的に、急速にプレゼンスを失っていく。2010年には、世界経済の5・8パーセントを 占めていた日本のGDPは、2030年には、3・4パーセントになり、2050年には、1・9パーセントになる。 経済成長のスピードも西ヨーロッパを下回り、今後40年を通して、1・1から1・2パーセントで推移する。 その結果、2010年には、アメリカの七割あった日本のGDPは、2050年には相対的に58・3パーセントまで低下する。 ・今後40年間にひとりあたり実質GDPが最も大きく成長するのはアジアの発展途上国(4・7パーセント)で、サハラ以南の アフリカ諸国(4・4パーセント)、中東と北アフリカ(3・9パーセント)がこれに続く。ラテンアメリカ(3・3パーセント)と 東ヨーロッパ(3・2パーセント)は、新興市場地域の中で最も速く成長する国々に後れをとる。 ▼ 「アジアの人口は現在6割を占めているので、半分というと、平均に近づくだけ」である。それにしても、日本の 見通しは悪い。2010年には、世界経済の5・8パーセントの日本のGDPが、2030年、3・4パーセント、2050年には、 1・9パーセントというから、惨憺たるもの。若者が将来に夢がもてないのも理解できる。「今までが良すぎた」と 割り切れない問題である。 アジア開発銀行のアジア経済を展望する報告では、中国やインドが順調に成長を続けた場合、 GDPに占めるアジアの割合は現在の27%から52%へ。中国は20%、インドは16%。日本は現在の約9%から3%程度に 低下するが、アジアの需要を取り込み、1人あたりGDPは3万ドルから8万ドルに増えると予測するが、あくまで予測。 3万ドルの半分の想定は悲観的すぎない!阿部と麻生は敗残日本の止めの張本人として名が残る!東京オリンピック音頭か〜 ・・・・・・ 4209, アラン 幸福論 2012年10月04日(木) 『アラン 幸福論』 合田正人著 アランといえば幸福論で、まず思いつく人。幸福論と言えば、スイスのヒルティ、イギリスのラッセル、アランの幸福論など 「世界三大幸福論」があげられる。アランのそれは93の断章からなっていて、かみくだいた、「幸福小咄」「幸福のコラム」 といった軽いもの。とはいえ、ちゃんとした哲学に関するもの。かれの幸福論は、観念論というより、あくまで日常生活に立脚して 幸福への指標を導き出した文学的にも優れたものとして読まれてきた。アランは、「人は誰にでも幸福になれる」そして 「人生の主役になれ」、そのために「ダンスのように人と付き合え」、最後に「幸福になることは義務である」と断言している。 ーここで紹介されている断章の一部よりー 〔 解)は、私の主観 〕 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。という言葉のとおり、「哲学は、生についての省察である」 という立場から、幸福は誰かに与えられるものではなく、「自らの意志と行動によってつくりだすもの」であると説いた。 ・不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていればいいのだ。 人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。」 解)王子のようにただ待っているだけの人が何と多いことか。 待つだけでなく、不平不満を言い、人のせいにする大多数のように。 ・自分で自分を不幸にし、その不幸を伝染、増大させていく人々こそが本物の不幸をもっと不幸にしていく」 解)正反対もいえる。 ・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。 解)だから人生は意思の格闘技である。 ・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから快楽を抑制することができる。 解)金持ち、喧嘩せず。 ・喜びは行動とともにやってくる。 解)行動の行は決心、判断の意味がある。自分の勘を信じて行動をし続けよ、ということ。 ・幸福は、自分の手作りである。 解)時間をかけ、ライフワークを続けることか。 ・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。 解)自嘲も笑いか? ・未来に幸福が見えているなら、すでに幸福である。 解)おもしろそう!楽しそう!と思うことから何事も始まる。 ・悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。 解)意志が濁ると意地になる。楽観6の悲観4の割合が丁度よい? ▼ アレンではないが、「幸福になる五ヶ条」が目前のパソコンに貼ってある。 「一、今日一日、親切にしようと思う」「一、今日一日、明るく朗らかにいようと思う」 「一、今日一日、謙虚にしようと思う」「一、今日一日、素直になろうと思う」 「一、今日一日、感謝をしよと思う」である。 これがいざ実行となると難しい。 ・・・・・・ 3844, 正常性バイアスと同調バイアス 2011年10月04日(火) この日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。 その内容は、≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。 ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまったケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると 【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。 当然、日常性を保護するために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて収まるだろう」とか 「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、 緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で 被害が甚大化している。】とある。また同調バイアスは、【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】 ▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにしている。 そこで気づいたことは、この千年に一度の 大地震と津波を察知して直ぐに逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。 この大津波から連想されるのが、リーマンショック。 これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的大津波=大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。 その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。 日本の大多数の中小企業と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波(ハイパーインフレ)が目先の 来ているのに現実として受けとめることが出来ない。 何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。 その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動に唖然とすることしばしば。 「御前のところは低地だが、自分のところは上にある(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」 という単純な視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫のようだが・・人は人の智慧がある? 轟音をたてて、そこに来ている事実を、「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わしている。 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 株式の暴落も始まっている。 本格的が始まるのは、今月中か、遅くとも来年三月。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 この費用は増税で賄うしかない。 その各家庭の預金は、回りまわって、アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 ギリシャ国民の、 あの鈍感さは察知しても、自国になると! 偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。 韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、隣はカルト国家がある。 ・・・・・・・・ 3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2 2010年10月04日(月) 昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。 日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」の中で 国家リストラが断行されていた。 日本も小泉・竹中コンビが金融再編成で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が見えてこない。 ―まずは、昨日の続きの要点であるー ・IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカナイズされたことで、韓国は大きく変わった。 それまであった終身雇用が崩壊し、年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと株主にクビにされる。 現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも経済破綻が起点となっている。ベンチャービジネスも盛んになり、 三十代、四十代の社長が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。 ・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった 住宅ローン金利が、いきなり二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が次々と破棄され、 新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が 急激に増えた。当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、金利が二倍になった途端に払えなくなり、 延滞者も急増。この延滞利息が、なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。 ・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。 ▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に 変身しているが、その間、日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状は覚悟すべきである。 日本の地方は既に恐慌の様相を示している。残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。 金利が暴騰したら日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうものである。 ・・・・・・・・ 3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3 2009年10月04日(日) 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。 亀井節で、この評論家を根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。 都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、 されて当然。 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしかコメンテーターはいないのか、この局は」と 適切な御言葉で切り捨てていた。まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 生の現実に接してないからである。 参考のために、そのコメンテーターは、岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター) 高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(拓殖大学 海外事情研究所所長)である。 (字数制限のためカット10年10月4日) ・・・・・・・・ 2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか? 2008年10月04日(土) 「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1 竹森 俊平 (著) この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って読んだが、成るほど面白い! 世界恐慌の様相を示してきている米国発の金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。 ーまずは、その部分からー なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。 その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が 働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して 高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「自動制御装置」 は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、 かえってシステムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、「自動制御装置」が「高い経済成長率」という 一つの要因にあまりに重点を置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、今後は「自動制御装置」も 根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。 その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが結論。 −−−− 解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。 (字数制限のためカット09年10月4日) ・・・・・・・・・ 2007年10月04日(木) 2375, コシヒカリが売れない! (* ̄0 ̄)ノ[才八∃一] 先日のニュースで{最近になって「コシヒカリ」が売れない}と、ミニ特集をしていた。 去年だけでも、県内で3万トンの余剰米が出たという。事態はかなり深刻のようである。 ーーーーーーー 2006年10月04日(水) 2010, 「私」のための現代思想 −7 おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・ ねむ・・さむ ここのー「私」とは何かーという文は非常に難解であるが、一番の触りでもある。 「独我論」-唯我独尊の独りよがりの論法ーで生きている人は何処の世界にもいる。 究極的には全ての人にいえるだろうが(<特に私は強い!>・・と、思ったほうがよい) しかし、それ(独我論)では、長い時間の中で自然と淘汰されていく。 言葉は「言語という制度」に従わなければならないが、その「言語という制度」に従って使用することが思考である。 そして思考する主体が「私」である。 言葉の意味とは、その使用であり、「言語制度に従って言葉を使用すること」が 「言葉に命を与えている原因」であるならば、思考の「主体」は「言語制度」ということになる。 つまり私たちは「自我」「私個人」で思考しているのではなく、言語制度に従って言葉を使用している状態を 「私の思考」と呼んでいるだけ、ということになってしまいます。 しかし、それだけでないと誰でも考えます。 それでは・・・それが以下に述べられている。 話すにしても、文章を書くにしても、まず「私」がある。 その私とは何かが明確になっていない。ここで、その私の正体が解剖されている。 随想日記を2,000書いてきたが、それは独我論の「私」に気づくプロセスだった。 《私》という「私」の芯は、歪んだ過去の残物でしかなかったということ??・・ 過去の感動・感激・感謝の倉庫? 夢で溢れた夢倉庫? その総体ということ?? −−−−− 第三章 「私」とは何か −? ーウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」− 私たちの脳裏に発生している思考は、言語によって表現されます。言語以外の方法で表現された自分の思考を、 認識することはできません。原稿を書いている私は、キーボードの打ちすぎで右手が少ししびれてきたが、 それもしびれてきた」と言葉にしてみるまでは気づかなかったことです。 「眠いかも知れない」と感じたことも、言葉にするまで気づかなかったことです。 脳裏で言葉になった瞬間に「感じた」であり、それまでは「思っても見なかった」ことだと言えます。 そういう私は、本当に主体者なのだろうか?「私」の営みは、純粋な意味で全て「私」に帰属しているといえるだろうか。 (字数の関係でカット2008年10月04日) \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2005年10月04日(火) 1645.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・4 4、超一流の人 宗親 どうしてもこういう商売をしているとね、人間の悪い面だけが見えてしまってね。 でもいいことも多いよ。絶対にこういう仕事でないと会えない人と直接話ができる事だね。 芸術家で日本国宝の人とか、超一流の奴。やはり普通じゃないよ。一流になる人は違うね。そう信念ね、持っているね。 「酒をの飲むなら男とのみゃれ、10年かけたる読書に勝る」あれだね。一生を一つの事にかけている奴は違うよ。 ひと言ひと言が、にじみ出てくるんだよな。教わる事は、「真剣に」ということさ。その人の周囲はピーンと 張り詰め空気が漂ってるんだよな。 あの空気というか雰囲気は、実際会ってみなくては解らないよ。 自分の仕事と何も違うところはないよ。ただ真剣、純粋そして高貴というか後光が漂っているね。人間こういう人は、 1000人に一人いるんだよ。まず50人に1人、別格のがいるんだ。その50人のなかから20分の一選ばれるんだよな〜。 そのへんの人は、自分で考える能力があるんだ。物真似を超えて自分の何かを作り上げたやつさ。 50人に1人は物真似レベル。そのなかで20人に1人自分のものを作れるやつが出てくるんだ。 これ私の客商売で人を見た中で感じたことさ。
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2013年10月03日(木)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十三章 貧富の差は収斂していく ーのまとめーより ・格差は二つの格差を考える必要がある。すなわち、各国間の格差と、それぞれの国の中での格差だ。 ・各国間の格差は、一九九〇年代まで開く一方だった。一九世紀の最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の 六倍にすぎなかったが、二〇世紀の最後になると、最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の四〇倍を 超えるようになった。これは、北米と欧州の経済成長がこの間急激で、他の地域が停滞していたからである。 ・一九七八年の中国、そして一九九〇年代初期のインドの経済改革の開始が、各国間の所得格差解消への転機となった。 一九九〇年以降、新興経済国の大多数がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。 ・そして今後も、欧米や日本などの国々が高齢化による財政の悪化に苦しみ、低成長を余儀なくされることを考えれば、 出生率が高く人口の配当が大きいアフリカを含む新興経済国との差はますます縮小し、世界的な規模での貧富の差は縮小する。 ・しかし、一九九〇年代から先進国を中心に起こったのが、国内における格差の拡大。アメリカのジ二係数は一九七〇年代 中期の○・三一から、現在○・三八まで上昇している。ドイツやスウェーデンでも国内の格差は広がっている。 その理由に共通しているのは富裕層がかってない規模の収入を得るようになってきていることだ。 ・富裕層の所得が爆発的に増大した理由に、トップ層の職業の収入がグローバル化による市場の拡大で増えたこと、 そして金融業の異常ともいえる肥大化があげられる。 ・ただし、こうした国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の途上国の経済拡大が起こり、それらの国々に住む人々の 所得が増大するので、全体としては、世界的な規模で貧富の格差が縮小する。 ・全世界の中流階級集団は、現在の五億人未満(世界人口の七%)から、二〇三〇年には一一億人超(世界人口の一七%)に膨らみ、 二〇五〇年の時点でさらに増えているだろう。 ▼ 欧米に、それ以外の地域の人々が近づくのはグローバル化のプラス面である。 現在の先進国のような 「上層・3%、中流・30%、その他」に世界の階層は、変化していく。しかし、問題は、その他の67%の人たちが、 三分の一の生活実態が情報化で見えること。3%の上層は、それを和らげる政策を取りざるを得なって、下流から中流への 移動を計るしかないので、世界は徐々に良くなっていく? それは楽観的見方だが、どうだろう。移住が比較的簡単になり、 豊かな地域に貧しい人たちが移住するため、国家内格差は大きくなっていく。 国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、 世界の途上国の経済拡大が激しくなっていく。それは40年後ではなく、現在、起きている問題である。ドバイの都市建設の 労働者がインド、バングラデシュからの臨時雇用で、現地人との差は大きい。また、北朝鮮の政治体制が、その典型。 弱肉強食が社会の発展の原動力なら、貧富の差の収斂は、人類の永遠の課題になる。 ・・・・・・ 4208, 異郷日記 ー三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈 2012年10月03日(水) * 三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈 「異郷日記」西江雅之著 何処にでもありそうな話だが、フィールドワークの言語学者が書くと、これほど面白い物語になる。私の去年春の見切りに対する 尾ひれ羽ひれの話も大方、想像できる。だから城下町の地元に帰って来てからは徹底的なアウトサイダーを決め込んだのは、 そのためだ。 片田舎の城下町‘蝦蟇屋敷’界隈の話の縮小版が、そのまま以下である。 ーその辺からー ≪ その後、わたしは"なごみ"の常連のようになった。掘っ立て小屋といってもよいような雑な造りの店内には、粗末な木製の椅子が わずか七つ、いつも下駄ばきの大塩さんがカウンターの内で、ガス台の傍に置いた小さな椅子に俯き加減の姿勢で座っているだけで 満杯といった極く小さな店である。客層は平均年齢五〇歳。なかには口の悪い強烈な酔っ払いも多かったが、誰もが一国一城の主を 自負しているような人物で、政治や文学、演劇などについて、相手構わず勝手なことを話していた。 ・・・(中略) その"なごみ"の大塩さんが店からブイと姿を消したのは、わたしが蝦墓屋敷に住みついてから数年経ってのこと。 常連の一人から聞いた話では、ある夏の日の夕方、一杯飲みに行こうと思い立って店に行くと、入り口が閉まったままになっている。 しばらく時間をおいて再び店に行っても、入り口は閉まったままである。休業の張り紙もなく妙だと思ったという。 その数日後、 大塩さんは幾駅か離れた町の病院で発見された。彼はそこで亡くなったのである。身元が分からないまま亡くなったので警察沙汰になり、 やっと身元が判明したということだ。この出来事を巡って、近隣の飲み屋では当然のことながら盛りだくさんの噂が出た。 真相を知っている者、真相を知りたいと思う者。好奇心に駆られた連中が、一時的に増えた。それだけで売上げがあがったと言われた 店もあるらしい。自殺説も多い。不治の病に悩んでいたという説、発作的な行為だったという説、皆が知らない所で何者かに脅かされて いたという説、陰で巨額の借金があって悩んでいたという説、およそ皆が思いつく説が出揃ったころ、話題は自然に消えた。 わたしは彼の死の原因はまったく知らない。しかし、巷の隅で彼の死が話題となったころ、引越しの初日に。なごみを紹介してくれた "稲穂"の女主人に路上でバヅタリ出会った。「あら!」と言うなり、「あなたも大変だったでしょう。数十万円の借金が、一瞬のうちに パーになってったんですものね」と切り出した。 わたしには話の脈絡がまるで掴めない。だが、話を聞いていると、‘なごみ’の 主人は人知れずかなり多額の借金を何人もの常連からしていたらしかった。そして、わたしもその被害者の一人とされたのだった。 「借金のことなど、あの店で聞いたことは一度もありませんが」と、わたしは言った。「そうですか、あの方、やはりお金を借りられ そうな人を選んでいたんですね」と、"稲穂"の女主人は、なんだか私が金のない人物であることを確認したかのように言った。 それは事実だが、とにかく大塩さんからは借金の話など聞いたことがないのも確かだ。しかし、もし噂が本当だとしたならば、 いつ見ても同じような質素な服を身につけ、今にも壊れそうな粗末な丸椅子に腰を下ろし、無口に客に応対していただけの人物が、 何百万円という金を如何なる目的で、誰のために手にしていたのかは不思議である。その後、ほどなくして、同じ路上で出会った 飲み仲間から「知ってますか?"稲穂"のママが亡くなったんです」と、話しかけられた。わたしは彼女の死因も知らない。 どうやら持病が元で、病で亡くなったらしい。 ≫ ▼ 地元から車で一時間半に高田城下町や、新発田城下町がある。そこでは昔からの生活があり、土着の人間関係が長い町の歴史とし 脈々と続いている。そして私の住む町の長岡城下町も同じである。 新発田出身者がUターンで帰り地元に住み、新潟で仕事を するとしたら、当然、地元の人間関係に深入しないのが生活の知恵。それと同じパターンを私も新潟で仕事、住むのは長岡にと、 当然とってきた。しかし、仕事を終え、長岡だけの住処になると、そこは、江戸時代からの血筋とか何とかの暇人の小さな人間関係が 続いている、がんじがらめの蝦蟇屋敷界隈。 上記のような魔女狩りの噂話の丼池。そこは地元民の全世界、象の皮膚のヒダ世界の中。 ・・・・・・・ 3843, 閑話小題 2011年10月03日(月) * つれづれに ー老後とは 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年から老年への移行期の姿を見てきた。 家は商売をしていたので、まず生存をしていくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。 生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。 サラリーマン家庭からみたら異状の生活環境である。 ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した日々から開放された日々になった。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、 独立独歩で生きてきたため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」は全くないのも事実。 家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。 元もと、商売上の付き合いも最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったこともないし、 その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分であるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。 それが多くの人たちに誤解を与えてきたが、自分が自分であることの方が良いのは、長年の読書で分かっていた。 そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 元もと老後というだけか! * ゴッドファザー ゴッドファーザー を一昨日、WoWoWで日本見た。 30数年前の封切りを映画館で見てから、TVで何度か見ているが、 その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。 内容はギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに沸きかえった。 人生経験を積んだ後にみる、 二代に続くマフィアのボスの物語は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、あの緊迫感は 事業とて同じこと。 現在では家具とか、装飾にも目がいくが、ファミリーの人間模様が面白い。 映画そのものは、やはり名作中の名作。7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、その都度、新鮮に感じる。 ・・・・・・・ 3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1 2010年10月03日(日) ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートを読んで愕然とした。 「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図とみるべきだろうか。まずは、その一部から・・・ ・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、 98年には一ドル700ウォンだった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000ウォンを突破し、 98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一である。 ・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる財閥が次々と破綻。 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。 ・企業も、約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが行われたので、たちまち失業者は150万人を超えた。 ・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、 IMFから金を貸じてもらい、その代わりに緊縮財政を迫られた。IMFが財政赤字を減らして為替を安定させるため金利を上昇させたので、 韓薗経済は大不況に突入した。健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多くあったため、収入が激減し 家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。病院は患者が激減し、背に腹は代えられないと24時間診療する病院も出てきた。 ・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、車に乗らない人が増えて道路は閑散とした。 寒い中、灯油価格も高騰したので、人々は寒さに震えた。 ・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリアアッアする学生が急増したために、 それまでガラガラだった大学院の入学競争率が二倍に跳ね上がった。 ・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染めるサラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。 混乱と不安が増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だという投書がテレビ局に殺到したからだ。 破綻から一年間は、先が見えない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。 ▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた信じられない数になる。 日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、 これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれノンビリ構えている日本と、あまりに違う。 ーつづく ・・・・・・・ 3103, 終わりなき旅 2009年10月03日(土)
「心に残るとっておきの話ー第九集」 ー終わりなき旅ーより これを読んで、深い何かに覆い包まれたような気になった。頭に残ったまま私の言葉で、その内容を書いてみる。 ≪ ツアーに参加しようと飛行場に向かったが交通渋滞でギリギリに飛行機に乗ることになった。殆どの同行の人の顔も知らないまま 飛行機の席に座ったところ、近かくの席の60代の初老の夫婦が赤ちゃんの世話をしていた。孫にしては両親がいないのでオカシイ とは気になりだした。スチュワーデスが声を掛けたが、赤ちゃんを見て変な顔をして行ってしまう。周りの人も何か変な雰囲気。 そして飛行機を降りたところで、その赤ちゃんをみたら、何と人形だった。そのツアーの人たちは気持ちが悪かったのだろう、 誰も近くに寄らない。ところが食事のおりに同席したところ、その初老の人が「変だと思うんでしょうね」と、事情を話し始めた。 「二人とも教師だったが、なかなか出来なかった赤ちゃんが、やっとのことで授かった。ところが直ぐに亡くなってしまい、 そのショックで妻は自殺を図ったりした上に、精神を病んでしまった。 その精神治療のために医師と相談した上に、せめての 慰みにと人形を身代わりにして10年、衣服を替えたり、食事をしているふりをしたり、生きているように扱ってきました。 何で、 こういう話をするかというと、あなたが初めて食事で同じ席についてくれたからです」という。それを聞き返す言葉がなかった。≫ ▼ 大筋は、こういう内容である。何か、その二人の姿が目に浮かぶようである。 今でも何処かに三人で旅行しているのだろうか。 ツアー、それも秘境ツアーには、色いろな人と出会う。 人生の甘いも辛いも味わいつくし、さて、あの世に行く前に チョッコラ世界の果てでも行ってみるか、みたいな人とか、博識の人とか、色いろな人生を背負ってくる人が多い。 この二人の背負った運命と、ツアー舞台の組み合わせが、何とも悲しみが直に伝わってくる話である。 ・・・・・・・ 2738, フォードが4ドル、GMが9ドル! 2008年10月03日(金) アメリカ株式市場で史上最大の暴落で金融恐慌の様相を示してきた。この影響で世界中の株価が暴落を始めている。 それにしても、火の手のまわりが早いのに驚かされる。 今回のサブプライム問題は1〜2年で収束するほど生易しくない。 火の手が早まれば銀行閉鎖など何が起こるか分からなくなる。アメリカは、この火消しにドルの輪転機をフル回転すしかない。 その結果、金融破綻というハイパーインフレが待っている。欧州では、次から次へと銀行の国有化が始ったというし、 取り付けが静かに進んでいる。金融システムの崩壊は、まず弱者に皺寄せがくる。 一波として大量の倒産が数ヶ月後に始る。 身一つで山の上に逃げなくてはならない具体的な行動とは、金を買うぐらいのことしか思いつかない。 情報化社会は以前のような情報コントロールが不可能になる。今年に入って、悲観的な本を何冊か読み、資産防衛セミナーで 知ったことは、あまりに危ない世界経済の実態。この半月だけでも、劇的な世界の銀行の破綻と、再編成が生じている。 これは既に金融恐慌である。世界恐慌に入ってしまったと仮説をたてて、現在の動きをみると、一連の動 (字数制限のためカット2010年10月3日) ・・・・・・・・ 2007年10月03日(水) 2374, 人は60歳で何をしたか −3 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記 著者・藤原が60歳の時に「人は60歳で何をしたか」の本の準備をしてことになり、それ自体がユーモアに聞こえてくるし、 本人が一番勉強になったはずである。それにしても、選りすぐった人たちとはいえ、そのエネルギーは強い。 (字数制限のためカット2012年10月3日) ブログーバードウォッチの転載 ・・・・・・・ 2006年10月03日(火) 2009, ドイツ病に学べ (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 「毎日新聞」の日曜日(10月01日)の、ー本と出会う=批評と評論ー の「ドイツ病に学べ 」の評論がよい。 「日本に次いでGDP世界第三位を誇ったドイツが、EUのお荷物となっている」 というニュースは何度か目にしてきた。その詳細が現地に住んでいた著者の眼で書かかれている。 *その惨状といえば、19パーの消費税、実質16パーという高失業率、リストラ、旧東独の苦闘、 高い給料と強すぎる労働組合、 旧東欧諸国に逃げ出す企業、年金制度、等々 問題が山積みである。「まだまだ日本は、ドイツに比べたら恵まれている?」とさえ思える。 しかし、現在の日本に酷似しているから驚きである。それにしても、東西冷戦時代の優等生だったドイツと日本の凋落は激しい! (以下は字数の関係でカット08年10月3日)
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2013年10月02日(水)
『そして、人生はつづく』 川本三郎著 ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 《 「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」を中心に、この間のエッセイを編んでいる。 書名はイラン映画、アッバス・キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を襲った大地震の後、 監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメンタリー風作品。 どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、 昨日と同じように今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられている。 家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。 なんとかいままでどおりに暮してゆくと。3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹さんは、「やむにやまれ思い」で、 俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。 「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」。 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである私にとっては、一人で暮らすことに平安を 見出していくことになろうか。頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を心がけること。 そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。 いまのところ健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。 3・11後、「生存罪責感」という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に申し訳ないという気持が 強くなることをさしている。生き残ったからにはなんとか生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に 負い目を感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。 もともと旅が好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空けるわけにはゆかないのでせいぜい 一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。 列車の窓から流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが 感じられる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。 食堂やそば屋があれば有難い。 夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる元気を与える。 旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。好きな町に 出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、 町を歩きながら、このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》 ▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探しになってきている」というのも良い。 私も、この大きな住宅に何時までも住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。 それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が 次々と出てくる時節に、「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは致し方ない。 その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ 惰性と安逸の中で、過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、行った先の旅行先を放送している。 ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、 知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。 ・・・・・・ 4207, 親子年表 2012年10月02日(火) * 自分目線の100年世界 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねてみている。更に最近では、「二人の息子の年齢に 自分は何をしていたか」も重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として存在していることを知った。 考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。 父が亡くなった71歳時に27歳。 1973年であった。 父の享年まで私は、あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして 亡くなっていった。それが私の人生を大きく支えてくれた。両親の愛情を物心とも直接、間接的に受けたことが最大の財産である。 その意味で家内も私と同じように恵まれた両親だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大のツキの 善し悪しになる。それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで 何人も出会ってきた。 「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も無かった。死に病になり、 何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。その何かが世界の果てにくれば少しで分かると思い立ち、参加した! 帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせになった60過ぎの一人参加の女性から打ち明けられた。 死に直面した時に大きく動揺するのは、「やりたいことを、してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、心が安定しているのは、 60歳までに、前倒しにして遣り尽くした感があるためだが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定するしか ない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば見て取れる。団塊世代と、その子供の世代の特徴を親子年表にし、 時代背景から見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに大きい。逆に団塊世代の親の世代をみると、 太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な時代である。 それからして終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた時代に 生きたことになる。自分の親と子供を重ねると、100年、150年の視界が鳥瞰できる。 ・・・・・・・ 3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3 2011年10月02日(日) どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道しないことである。恐らくマスコミがタブレットPCに 脅威を感じているため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。先日も中学校の同期会に持って 行こうか迷った位である。 同年代の彼らなら、このアプリを見たら腰を抜かさんばかり驚くはずだが、嫌味とも受けとめられる 可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては大きなインパクトになっている。モバイル携帯が出回っているので、 それほどでもないかも知れない?。 しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。 ・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に進出すると報道された。現在、他のメーカーで iPadに対抗できるところはないが、対抗できるとしたらアマゾンしかないと言われてきた。対抗馬としての本命のお出ましである。 ・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、売れているふうではない。 ・先日、大型家電のタブレットPCコーナーに行ったところ、各メーカーの、それぞれ特性のあるタブレットが並んでいた。 その一つにソニーが、近くに売り出し予定のメガネケースにソックリな二つ折りで、見開きのものがあった。 モバイル携帯二個分が折りたたみになったようなもの。 これなら落としても壊れにくいし、持ち物として小物の範疇になる。 ・富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。 これも便利で抵抗なくタブレットに移行できる。 ー話しをiPadに戻す。 これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。 それとブログとツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。 パソコンとの接点が飛躍的に増えるからだ。 忙しい人ほど、タブレットは有効になる。特にビジネスには間違いなく効果的になる。 暇な私など、机上PCと並べて交互に使っている。 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。 IPAdバカか! ・・・・・・・ 3477, ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 2010年10月02日(土) 「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」 鬼塚 英昭 著 ー内容紹介ー 読者よ、知るべし。この八百長恐慌は、第一にアメリカの解体を目標として遂行されたものであることを。そして金融マフィアの 世界支配の第一歩がほぼ達成されたことを。私たちは微力である。しかし、このまま、この八百長恐慌をただ黙殺していても よいものなのか。ヨーロッパもアメリカ同様に解体される。恐慌の津波は太平洋を越えて日本に襲いかかろうとしているのだ。 ▼ この本によると「ロスチャイルド」が世界を牛耳っており、ロックフェラーさえ配下にしているという。 東南アジアを、日本を、そしてアメリカを破壊し、今度は「中国」に目を向け、新しい世界マネーの覇権を共有しようと図っており、 その鎧が出るのが2012年という。 そのため中国は金(ゴールド)を買い増し、世界中の資源を買い漁っている。 ロスチャイルドを軸に、2012年に中国と仕掛ける新世界秩序を明確にしている。(中国に仕掛けた上で、結果として主導権を握る) この世界恐慌も、仕組まれた八百長恐慌であり、アメリカ解体を目指し遂行されたものと知るべしという。 (字数制限のためカット 2011年10月2日) ・・・・・・・・・ 3102, かなしみの詩 2009年10月02日(金) かなしみの詩 ー「10歳の放浪記」その後ー 上條さなえ著 たまたま図書館で、ある本を必死に探していたら偶然、あの「10歳の放浪記」の続編が目に入った。 今年の1月の発刊だから、最近に図書館に入ったばかりだろう。 図書館の天使が導いたのだ。「10歳の放浪記」では、 その後、養護学園に入るところで終わった。その「おわり」に、その後の「非情な虐めがあった」と書かれていた。 学園の中では、一人ひとりの幼い子供たちの哀しみがあり、本人の哀しみの傷があまりに哀れ。 11歳といえば自分を考えても、厳しい人間関係の基礎が出来る時期。 不幸な子供たちほど仲間への虐めも辛らつになる。 その中で彼女の逃げ場がトイレと誰も居ない図書館。 そこで、自然と本を手に取るようになる。 そして、そこで先生に手渡された石川啄木の詩集「一握の砂」。いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ いのちなき砂のかなしさよ という言葉が、さなえの心を捕らえたのだ。「かなしさ」を表現してもいいのだという驚き。 かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し この歌に出合った瞬間、さなえの胸に吹き矢が当たったような気がしたという。 そして歌集の啄木の写真をみつめ、もしかしたら11歳の初恋だっかかもしれない、と。 山本先生に「啄木の歌をいくつ覚えた?」と聞かれ首をかしげた。「うーん、80ぐらい・・かな」 「一番好きなのは?」 「みんな好きなんですけど・・・」少し考えてから言った かなしみといはばいふべき 物の味 我の嘗めしはあまりに早し 山本先生は、黙ってきいていた。 そして、「早苗ちゃん、早苗ちゃんは食べることが好きだね。食べ物にはね、 うま味、塩味、あま味、から味、さんみがあるというけど、僕はもう一つあると思っているんだ」 「かなし味、かなしみという味を知る人は琢木もそうだけど、人にやさしくなれるんだ。とっても大切な味なんだ。 早苗ちゃんは、かなしみの味を知っているから、いい子なんだね」私は俯いたまま涙をこぼした。 わたしは、やっぱり山本先生のような先生になりたい。 〜以下は、この本の紹介文〜 昭和36年、10歳のホームレス生活を経てたどりついた学園で、11歳の著者を待っていたのは…。 愛情あふれる先生と、それぞれに事情を抱えた生徒たちとの出会い、将来の夢、友情、勉強する楽しみ、 そして、文学への目覚め…。「10歳の放浪記」の著者が描く、再生の物語。児童文学作家・上條さなえ、渾身の自伝第2弾。 養護学校に暮らす子どもたちの中でもひときわ貧しい風体の主人公・早苗は、意地の悪い男子生徒などからいじめに遭う。 それでも、思いやり深いよい先生に恵まれ、たくましく生き抜いていく。また、石川啄木の短歌との出合いから 読書の楽しさに目覚め、そのことが、のちに児童文学作家として立つ原点となる。 《竹田養護学園での日々は、ホームレスだったわたしの再生の日々でもありました。(中略)わたしは山下先生との出会い により、「教師」になろうという夢をもちました。その夢が、どれほどわたしの励みになったことでしょう。 友だちのいじめに耐えられたのも、夢のおかげだったと思います。また、わたしはホームレスの日々を経て、 強い少女になっていたのでしょう(「おわりに」)》 後記) アウシュビッツで殺されたユダヤの子供たちに、それぞれのドラマがあったのだろうに! ーーーーー 2283, 10歳の放浪記 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。 ーその大筋を書いてみるー (字数制限のためカット 2010年10月2日) ・・・・・・・・・・ 2737, 1929年の世界恐慌とは? 2008年10月02日(木) 昨日の毎日新聞の「なるほどドリ」質問、というコーナーの記事が1929年の大恐慌と、今回の金融危機を対比して説明している。 これによると全米の銀行の半分が倒産、それにともない企業も倒産ラッシュで、三年で失業者が4人に1人の割合になり、 これが世界第二次大戦につながっていった。この「世界恐慌」に酷似している、というから恐ろしい。ともにバブル崩壊が引き金! という。29年の世界恐慌に詳しいアメリアの学者がインタビューで「今回の方が遥かに規模が大きく性質が悪い」とコメント。 〜〜〜〜 なるほどドリ 株価が大変なことになっているね。 記者 先月29日の米ニューヨーク市場のダウ工業株30種平均は前週末比777泌下落し、 史上最大の下げ幅でした。 グリーンスパン前米連邦準備制度理事会(FRB)議長は 「100年に1度の危機」と言い、1929年の「世界恐慌」に状況が似てきたとの懸念も出ています。 Q 世界恐慌って歴史の教科書で読んだことはあるけれど。 A 世界全体の経済が破綻してパニックに陥ることです。1929年10月のニューヨーク市場にした世界の金融危機と、 その後の長期的な不況を指しています。 Q 今と似てるの? A バブルの崩壊がきっかけという点が共通しています。世界恐慌の時には、第一次世界大戦後の特需や工業化による空前の好景気で ダウ平均は直前の5年間で3倍に急伸しました。今回もダウ平均は過去3年で2割以上、住宅価格は5年で倍に上昇しています。 「株と住宅は上がり続ける」と過剰な投資を膨らませた金融機関が、急落によって巨額の損失を抱えたのです。 Q 恐慌でどうなったの? A 不安に駆られた預金者の取り付け騒ぎに発展して銀行が相次いで破綻し、米国内の銀行の数は約半分に減りました。 融資が受けられなくなった企業の倒産も粗次ざ、3年後には米国の全労働者の4分のーが失業しました。 影響は世界に及び、失業者の増加による社会不安はドイツ、イタリア、日本でファシズムの台頭も招きました。 Q 怖いね。世界経済はこれからどうなっちゃうの? A まずは金融危機を止めることです。日米欧の中央銀行は銀行の資金繰りを支えるため、29日に35兆円の追加資金供給をしました。 金本位制で金融政策の自由度が低く、国際協調の枠組みも不十分だった29年当時とは違い危機を未然に防ぐ仕組みは整っています。 「暗黒の月曜日(プラックマンデー)」と言われた87年10月の大暴落は大量の資金供給で危機を抑え込みました。 Q 安心していいのかな。 A 米国は大統領選挙中で、日本も総選挙が予想されています。 「政治的空白」で有効な手が打てなければ、 さらに混乱する可能性があります。 〜〜〜 現在進行中の金融危機は、歴史的事件として記録される出来事の序盤が始っただけ。朝起きると、欧米発のニュースで「マサカ」 の事件が待っている。出来ることなら、楽観的なレベルで終わって欲しいが、そうはいかないだろう。 まずは、弱いところから大きな影響が出る。 ・・・・・・・・ 2007年10月02日(火) 2373, 人は60歳で何をしたか −2 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 ー読書日記 (字数制限のためカット2012年10月02日) ヤフーのブログ「バードウォッチに転載! ・・・・・・・・ 2006年10月02日(月) 2008, 「私」のための現代思想 ー 先に概要を説明しておくと、 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。 ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」 という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。 現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、 それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。 各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。 ーーー 第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2 (以下、字数の関係上中間カット08年10月2日) ・・・・・・・・・・ 2005年10月02日(日) 1643.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・2 (字数制限のためカット2009年10月02日) ・・・・・・・・ 2004年10月02日(土) 1278, 人生(時間)のセイムスケール−2 (以下、字数の関係上カット08年10月2日) ・・・・・・・ 2003年10月02日(木) 911, 恥ずかしい話 ・・・・・・・ 537, 緩慢なる自殺 - 2002年10月02日(水) 十数年前の東京の経営セミナーで、漢方の薬局を経営している人から聞いた話で、今でもその忠告を守っている。 ーその内容は ・白砂糖は毒そのもの、絶対に口にしないこと! ーコヒーに入れて飲むのが一番悪い。 (以下、字数の関係上カット13年10月2日) ・・・・・・・ [168] 忘れられないあのお店−1 2001/10/02 このキーワードを聞いただけでも、ある年齢を超えた人なら深い思いに駆られる。初めてのデ-トで入った店とか、初めて一人で入った店。 (以下、字数の関係上カット13年10月2日)
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2013年10月01日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著) 第十四章 経済とビジネス ーのまとめ ・一九五〇年代の統制資本主義の時代にはマイナーな理論とみられたシュンペータの理論は、その後の現実の歴史によって、 最も影響力のある経済理論に押し上げらた。 ・一九五六〜八一年までは、『フォーチュン』誌が選ぶ五〇〇社のリストのうち、年平均で二四社が脱落していた。 一九八二〜二〇〇六年には脱落組が四〇社に増えいる。 ・ことにインターネットの発明・普及によるグローバリゼーションはシュンペータの言う創造的破壊のスピードを高めている。 想像もできない技術革新により、これまでのビジネスのやり方が陳腐化し、固執していた企業は淘汰され、新企業が生まれる。 ・製造業では、大量生産の方法が開発された一九二〇年代以来の、大きな技術革新よってその現場は変貌をとげるであろう。 可能性があるひとつの技術として 3D印刷技術があげられる。 ・他にも、あらゆる物がネットと常時接続するようになり、、そのネットワークがわたしたちの生活を変える。 ロボットの技術革新によってこれまで人間にできなかった作業ができるようになる。あるいは電子秘書の機能を持つ 自律型のソフトウェアができることで、仕事の効率化が起きるなど、様々な技術革新による経済の変化が予想される。 ・先進国にいちはやく追いつきたいという新興国経済の要求も様々な技術革新を生むだろう。一気に九〇パーセントもの コストを削減するような工程の開発によって、先進国の商品市場もがらりと変わる。 ・契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、会社の形態もより複雑化することになる。 ・様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が偏在するようになり、労働者の勤務は グローバル化によってより過酷化する。 ・しかし総じて言えば、「資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下を供給することではなく、それを女子工員たちの 手が届く場所に持ち込んだことにある」とのシュンベーターの言葉どおりに、人々は創造的破壊の荒波のなか恩恵を受ける。 ▼ 工程といえば、隣家のプレハブ住宅工事。まず3〜4Mの杭打ち工事。ビルや工場建設などの基礎工事を住宅に応用。 ミニ杭の打ち込みから三週間、一切の工事がなく、その後、床底の部分を小さな重機で二日間で掘り込み、そこに プレハブの床と杭を結び始めた。ビル工事の小型版である。 パソコンを手の平に押し込んだスマートフォンの普及で、 世界は創造的破壊で大きく変化を始めた。「まさか、一番かたいビジネスと思っていた事業が、この結果になるとは!」が、 全てのビジネスで生じてくる。情報化は創造と破壊のサイクルを短くするが、消費者にとってはプラスになる。 ・・・・・・ 4206, 閑話小題 ーキモカワキャラ 2012年10月01日(月) * キモカワキャラ TVで石破幹事長を評して「キモカワキャラ」と言っていた。的確な一言フレーズを作るもの。顔はコワモテだが、 一度話し始めると、ソフトで、そのギャップが可愛らしく見える辺りを凝縮した言葉。本人が聞いたら傷つくだろう。 考えてみれば中年から熟年の何割かのベビーフェイス顔は、この言葉に当てはまる。この言葉から連想できるのは、「キモバカキャラ」 「イモカワキャラ」「キモカマキャラ」「キモマジキャラ」「キモギャルキャラ」などある。 角栄は、ギタギタしていて汚職の 利権漁りのイメージが強いので「キモギタキャラ」。 ネット社会のB層には、的確な「一言フレーズ」で如何に発信するかだが、 虐めに使われるから問題になる。 この一言フレーズで切り捨てられ、切り捨てるのが現代である。 * ギリシャ、イタリアは近未来の日本? ギリシャ、スペイン、そしてイタリアで起こっている恐慌に近い事態は、近将来の日本? 5〜6年先の日本の事態。南欧の近未来には、 何かのキッカケで凄惨な国家破綻になる可能性がある。それでも、国民は国家に頼るしかなく、急激な締めつけに反発、事態は悪化を辿る。 それは日本も同じ。スペインの25歳までの若年労働者の失業率が過半数を超えているというが、現に日本の高卒、大卒の三分の一が 正規社員の就職が出来ず、就職したとしても三年もしないうちに三分の一は辞めてしまうため、若者の半分はフリーター状態。 将来の日本が思いやられる。60才以上が預金総額の6割を持ち、40才以下が、その10分の1の6%しか預金がないため、消費は減る一方。 適齢期の女性の結婚相手の収入希望が6百万。そんな相手は少ないため未婚が増加している。厳しい時代になったもの。互いに自己限界の 設定をシビアにすればよいものを、と思っても「たった一度の人生に誰かが何処かで待っている」という洗脳がなされて抜け出せない。 隣国に中国、韓国があり、競争相手は韓国男性、中国女性になりつつある。2ランク上なら、私なら考える。 * つれづれに 血圧が、毎日通っているスポーツジムにあるため計る習慣がついている。毎日、大きくブレルため、高血圧かどうか戸惑っている。 また運動する前と後と、食事の直後では20は違ってくる。120〜160前半、平均すると135で、高血圧かどうか微妙である。 中高年の八割が高血圧というから、一般からすれば平均だろう。 冬時期を除けば一日三時間も運動をして、この数値。 晩酌を減らせば、直ぐに下がるのは分かっているが・・ これも以前に書いたことだが、今、自然に頭に浮かぶことは、こんなこと。 ・・・・・・・ 3841, 閑話小題 2011年10月01日(土) * まず、50冊の本を業者に送付 iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化をする動きが出てきている。本の裁断機と 自動スキャン機を買って、手持ちの本を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」という本をネットで購入し、読んだが、 その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミで、「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」 という報道を知り調べたら、業者は溢れるほどあった。裁断機とスキャンを準備し、ネットで誘導すれば誰でも何時でも参入できるからだ。 半月前に思い切って、まず50冊を選定し、いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。 ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。一週間後には完成するが、送ってしまった本は、二度と戻らない。 それが正しい判断かどうかは、一年後にならないと分からないこと。とはいえ本棚に並んでいても、それが図書館にある本と、 何処が違うのかというと、あまり違わないことも事実。金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。本棚に置いておくのは、 それと時を共にした愛着と、再読するため。それがパソコンに入っただけと、割り切ってしまえば良いだけだが・・・ 考えあぐねて、とにもかくにも送付することにした。 * つれづれに 一昨日は、中学校の同期会 中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。 春から私の生活圏が小さくなった分、それはそれで有難い。 あいも変わらず女性は元気が良い。 帰ってみれば午前様。 店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出るほど。 男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、 天使のように気持ちが軽くなった。 そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負けを感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。 一線で働くということは、それ自体が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。 それが個性でもある。 ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とM君が幹事で、恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して 持ちまわるシステムになっているが、任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。娑婆はシャバシャバか! ・・・・・・・ 3476, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー12 2010年10月01日(金) * 次のツアーの選定の仕方 ツアーの選定を、どのようにして決めるのか? その都度に選定のプロセスがある。 多いのが直近に行ったツアー仲間の情報と、自分が、その時点で行きたいところを数ヶ所あげて、 その資料を集め情報を得るところから始る。 まず直近に行って良かった周辺を探すことが多い。 エジプト・トルコが良かった直後にイスラエルが面白い!と聞いて資料を集めて決断。 そして、次はシリア・ヨルダン・レバノンのコースを決めるとか。 インドに行って、ネパールに行き、その後、中国のウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを通ってパキスタンに抜け、 アフガンの国境の麻薬通りに行くコースの順に行ったりとか。一ヶ所から周辺の二ヶ所を選ぶケースが多い。 それを結んで行くと、それが世界一周コースになったりする。スペインも中央、南、北スペインの三ヶ所だったり、 オーストリア、スイス、北イタリアも、そうだ。 南米も、同じ理由で行き先を決めていった。 情報は、その都度行ったツアー仲間と添乗員が、その最大の情報源になる。他の人も同じこと。従って聞くほうも 聞かれる方もオープンになる。 国内では単に自慢話になるが、旅行先では情報交換クラブ仲間になる。 インド派、アフリカ派、欧州派、南米派、遺跡派、シルクロード派など、その人により違ってくる。 万遍なく行っている人は、「旅行道派」ということになる。 私の経験からすると、一度行って良かった処に 通い詰めるのも良いが、やはり万遍なく色いろな世界を見ておいたほうが良い。TPOSが良いこともある。 ある人が、これから世界中を10回行くとしたら、どのような場所を選ぶとしたら、 《 南米三ヶ所、アフリカ三ヶ所、カナダ、ウィグル・カラコルム、北スペイン、スイス》と答える。 それか、船旅で100日間世界一周のコースがあるが、あれでも良い。そこに行ってから付け足しをするのも 合理的である。 一人150万が高いか、安いかを如何に判断するかだが。集中の妙である。 ・・・・・・・ 3101,返済猶予法案の成立から見えてくること! −2 2009年10月01日(木) 返済猶予法案の成立が現実味を帯びてきた。無理だろうという一般的な見方だったが、面白くなってきた。 実際のところ、こうでもしないと中小企業はもたない、と前回書いたとおりである。 新聞やマスコミの論説などからして実態の厳しさが分かってない。「昭和初期の恐慌ほどではない」とか、 藤井財務大臣が言っているが、その数倍の津波が来ているのが理解できない?のである。 (字数制限のためカット2011年10月1日) ・・・・・・・・・ 2736, 正直こそ、最大の正当防衛 2008年10月01日(水) 議論に絶対負けない法 −4 読書日記 学生時代に、「青雲寮」(25人)という名の寮に4年間いた。 三日前にも40年ぶりに訪ねた夢をみた。 夢の中の寮は部屋も40年前のままだったが、古くて瓦解する寸前の汚い風景。そこで初めて知ったのが、自分の見たことのない世界。 今回は夢がテーマではないので詳細は書かないが、北は秋田から南は福岡までの人種を知った。こでまず驚いたのがウソを平気で言う 何人かの人である。8人兄姉の末っ子のため、ウソなど必ず見抜かれることを体験上知っていた。しかし、それは私だけの話し大体、 15%の割りでいた。(もちろん、ウソを付く程度のレベルで言っている。人を陥れるために付くウソを平然と言うと人種のことである) 正直であること、それが一番の自然体ということは、特に母から常日頃いい聞かされてきた。 だから、それが当たり前ということは、 圧縮された異種の人間の集合体ではベースではないことを、そこで知った。しかし長い人生を歩いて、正直こそ一番の力になることを知った。 反面、正直とウソさえ知らない人種がいる。 それは無知の人間である。 ただ親の価値観を引き継いで、その価値観の中で生きていて、 その価値を疑ったこともない人たちが大部分だろう。 自分もそうなのだろう。 その価値観に従うことが正直なのだろうから何がなんだか分からなくなる。 −次の箇所が、そのあたりの人間の歪みを、言い表している。 p−93 私たちは子供のころから本当のことを言いなさいと諭され、人生のさまざまな場面において「正直は最良の策」だと 確信するようになった。 だが、一生のあいだに、真実を語る事に、ほとんど上達しない。 おかしなことに、私たちの社会は正直であることを奨励しない。 大学に「真実を語る法」と題する講座はない。 「うそつき自主治療協会」など、というものもない。 真実を語る人だと自称する人には一度もお目にかかったことはないし、 もし自分の言うことは全部本当のことだという人がいたら、私はくるりと向きを変えて逃げ出すだろう。 私たちは幼いころの経験から本当のことを言うとたいていは罰を受けると学んだ。 本当のこと書うと、負けるか、拒否されるか、追い出されるかだ。 悪いことをして、それを正直に告白すると、 たとえ悪気がなく些細なことでも、たいがいは罰を受ける。自分が怖いと思ってることを正直に言うと、馬鹿にされる。 (字数制限のためカット2010年10月1日) ・・・・・・・・・・ 2007年10月01日(月) 2372, 人は60歳で何をしたか ー読書日記 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著 文芸春秋 何度もここで書いたことだが、50歳になった時、はたと今後如何に生きようか? 一年考えた末に、「この十年で、60歳以降も含めた全ての人生を生きよう」という結論に達した。そして、そのつもりで生きてきた。 現在に至って、このコンセプトは正解だったと自己満足をしている。これは他人が評価する問題ではない、自分自身のことである。 昨年の一月に還暦を迎えた時に「この10年間の生き方は満足できたが、次の10年をどのように生きようか? そのコンセプトを一年間考えよう」と決めた。 正直にいうと、その満足できる結論は出ていない。 しかし大よそ考えたのは 「この十年生きてきた中で、やり残したことが幾らでもあったはず、それを追求だけで幾らでもあるはず、それを探せばよいだけ」である。 「やり残しを探し、一つずつ潰していく」しかし50代のコンセプトからみると、何か攻撃的ではない。50代のそれは好きな 世界秘境ツアーを可能な限り行けばよいし、嫌なこと、嫌な人間のいるところに、一切顔を出さなければよかった。 秘境・異郷旅行を徹した?上に、このHPの文章を遺言と思いを書き足せば良かった。他に身体に害にならない程度に美味い酒を 楽しめばよかった。これまで読みたかった本は幾らでもあったが、それを読めばよかった。その結果、60歳になった現在、 何か張りが無くなってしまった。この10年の間、少し無理してきたこともあり、唯我独尊の生き方でもあった。 50歳で人生の元は取った実感があったし、60歳で人生の余白も埋めた実感を持てた。そこで、他の同じような年代の人は如何なのか、 気になりだした??(いや、それより60歳代のコンセプトを満足してなかった!からだ)ところが面白いもので、丁度良い本を 図書館で見つけたのが、これである。それを読むと、60歳の地点で色いろな人生の立ち向かい方があるのに驚かされた。 意外に老成している内容が多いのには驚いたが、えり抜かれた人は当然ながら、それぞれの人生に最大限の努力をしている。 この本を読んでみて、小さな世界に満足していた自分の卑小さが合わせ鏡のように見えてくる。 生きてきたようにしか、その後も生きられない。それでも真摯に生きてきた人は、その後の人生でも枯れるのではなく、 むしろ成長しているのが解る。次回からは、その印象的なところを抜粋しながら考えてみる。、 同じ歳とはいえ、比べようもない相手ではあるが、自分が情けないような、悲しいような気がする。これは生まれた天分だから、 仕方ないとしてもである。二度とない人生、一日一生の思いを更に深くすれば良いのだが! ーーーーーーー 2006年10月01日(日) 2007、「私」のための現代思想 −5 おはよ〜!(*^ワ^*)i 第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか (字数の関係でカット12」年10月01日) ー バードウォッチに転載! ・・・・・・・ 2005年10月01日(土) 1642.マグロ屋福助ー亭主・宗親の独り言・・1 1, 人生を見せてもらいました! 宗親 居酒屋を二十数年も経営をしていると、社会の裏表が見える。 人生を人の数十倍、いや数百倍も見たように思える。 ・数年前まで羽振りの良かった人が、今は乞食をしているとか。 ・あのお客が会社の金を使い込んでいたとか。 ・がんで亡くなったとか。 ・かけ落ちをしたとか。 ・実の娘に手を出し、子供ができたとか。 ・遠くの親戚から、思わず数億の遺産が転がり込んだとか。 ここで書けないような犯罪の話の内容を聞いた。それらを中心にボチボチ書いていくつもりだ。 まあ人間は酒が入ると、人間性が丸出しになるし、幼稚になるからね! ・・・・・・・ 2004年10月01日(金) 1277, [人生の目的]ー五木寛之著ー読書録 数年前に話題になった本だが、当時あまり興味を示さなかった。先日、たまたま図書館にあったので借りてきて読んでみた。 幼児期のころから、かなり厳しい生活体験をしている為、書いてあることは暗いが、しかし重い。 彼のーあとがきにかえてーの一文が、全てこの本を伝えている。 ーー「人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。寂しいだけでなくて、むなしい。 むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は、「自分の人生の目的」をさがすことである。 自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。変な言いかたになるが、 「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってよい。そのためには、生きなくてはならない。 生きつづけてこそ、目的も明らかになるのである。「我あり、ゆえにわれ求む」というのがわたしの立場だ。 (字数の関係でカット08年10月01日) ・・・・・・・・・ 2003年10月01日(水) 910, 人生の縮図 先日、ある世界を垣間見た。といって書くには、あまりにシビアな世界であった。しかし、それを書くのが随想日記の真骨頂である。 (字数の関係でカット08年10月01日) ・・・・・・・ デフレと対策 2002/10/01 現在上手くいっている店を見ていると、やはりデスカウントの業態の店である。 それも思い切って、20年前か25年前のプライスを打ち出しながら、現在の嗜好を取り入れた店や会社だ。 衣料品は20年前の半値以下の商品が多くなってきた。自転車も、半値か四分の一だ。 電気商品もしかりだ。
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