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堀井On-Line
| 4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2 |
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2013年08月21日(水)
「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 * TVが比較地獄をつくった まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが出来ず、マスコミに流されて いること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなどメーカーの比較戦略の術中に嵌ってしまう。 人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激をする。ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、 服装のセンスをチェックするお笑いコーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」に なれない比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆のひとりにされている。 ーその辺りを、抜粋するー 《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビへと移り変わり、映像が強大な 影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規したメディアです。そして、現代人は視覚を重要視し、視覚に振り まわされるようになった。もちろん、人は基本的に、朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある 何ものかを見て、さまざま判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。 視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)いい服を着ている、あの人は(自分よりも)容姿が整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのこと耐えられない人が多いはず。人間は平等だ、平等だ と教えられてきたにもかかわらず、現実を見ると、何から何まで違う。だからひとりになれない人間、結局は比較地獄に陥る。 たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。比鮫して、自分が劣っていても、現実はどうすることもでません。 すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より優れていると 判断した人を引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守るためにも、 ひとりの時間は大切だと思うのです。 》 ▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。商業界とか、ライオンズとか 銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。町内、お寺の檀家衆、商店会とかには「ひとり」になれない B層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。 実態は、あれは地獄の針のむしろに座っているようなもの。都会人が、思い抱いた地方の理想郷、妄想である。 地方経済は疲労困憊の結果、若者は都会に出ていくしかなくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。 その逆の弊害をTVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない! それがA層とB層の境目の目安である。それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なくて済む。TVも、 シネマも、ネットも日々、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」になれない人たちの嫉妬地獄の 修羅場が、ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、「同じて、和せず」になる。 アウトサイダーは、 「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、何処かの高校の校是に「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。 ・・・・・・ 4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策 2012年08月21日(火) * 今年の熱さ対策 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。ひと月前にミニサイズの 扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と併用して使っている。それにスーパーで売っていた 「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを冷凍庫で冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が 三時間のため複数必要になる。 ところで今年の電力不足騒ぎ、今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは 寝室の就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。夏場の電気料金が月に三万円、一日千円になる。 * 大手大橋にて 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、 後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身麻痺で自走式車椅子である。 私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、 背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりのスピードで走っているのを見たことがあった。 人それぞれの運命と人生がある。 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、屋根つきの休憩所で、 30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。 その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。ポタリングを始めて4年目になるが、続けていると色いろある。 そういえば、雀が少なくなった。去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。 ・・・・・・ 3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という 2011年08月21日(日) 「知的余生の方法」渡部昇一著 〜2 * 人間は世界内存在である 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、これまで見えてこなかった、 世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど悲劇と喜劇は裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。 学生時代あたりから、この辺のこと、「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。 だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、最期は、このザマ。 それでも、最悪の事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口で かけておくとか(退職金や、倒産時の失業保険はないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。 それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。 【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界ということになる。 縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の世界がどのようなものであるかは想像すらできない。 音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は限られている。それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在 しないようなものではないか。人間は五官の世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法はない。 この状況を 「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が五官の世界内に存在していることを 知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出することを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると 主張する人もいる。それがオカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。どの宗教の 神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とはいかないまでも、超能力があるという人もある。 ある宗教家には私の前世がわかるという。私の霊魂は在原業平とベンジャミン・フランクリンのそれだったという。 二人とも私が好きな人であり尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、それを信ずるわけでないが、有難く承っている。 こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は解剖学的制限の下にある。 これを哲学的に言えば、「世界内存在」の実体である。だから解剖学者はオカルトの世界を認めない人が多い。霊魂だとか 超能力などは、人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】 ▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が感知した範囲でしかないから、 人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度。それぞれの身分に世界があり、最下位にも、チャンとした目下がいる。 世界は、それぞれの視界内のことになる。 この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。 ・・・・・・・ 3435, 再び、死について考えてみる ー3 2010年08月21日(土) 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが 死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。 ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー 《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに後悔するのか。 本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり残したこと」を25に集約して紹介。 この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、 『この世に未練はない!』の境地になれそうである。》 =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。 ▲1 健康を大切にしなかったこと ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか ●健康のうちから健康を大切にする ○3 生前の意思を示さなかったこと ●大切なのは遠慮なく話し合うこと ●平素から意思疎通をしておく ◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと ●自分の気持ちに嘘をつかない ●自由に生きるか、忍耐に生きるか ○6 夢をかなえられなかったこと ●一つのことを続けると良いことがある ○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと ●小事に心を揺るがせないことが大事 ?9 他人に優しくなれなかったこと ●優しさを行う難しさ 心の優しい人は後悔が少ない ?11 遺産をどうするかを決めなかったこと ●遺産と介護の問題 ●遺産分与の話し合いは元気なうちに ?12 自分の葬儀を考えなかったこと ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性 ◎14 美味しいものを食べておかなかったこと ●好きなものを楽しく食べる ◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った ◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い ●最期の旅で人生を完結させた人たち ◎17 会いたい人に会っておかなかったこと ●人は終わりまで他者を求めるもの ●人との出会いは一期一会の精神で ?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする ●スローラブのすすめ ○19 結婚をしなかったこと ●結婚という「形」がもたらす安心感 ●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる ○20 子供を育てなかったこと ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い ●自由と孤独はいつも隣り合わせ ?21 子供を結婚させなかったこと ●子供が結婚していないという心残り ●まず子供を独り立ちさせるところから ◎22 自分の生きた証を残さなかったこと ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか●手紙に思いの託して ◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する ○24 神仏の教えをしらなかったこと ●世界で一番死を恐れる現代日本人 ●「来世」の持つ癒しの力●健康なうち宗教について考える ○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと ●家族愛が問われる時代 〜〜 ×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。 ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ! ・・・・・・ 3060,逆説思考 ー4 2009年08月21日(金) 逆説思考で思い出したことがある。 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。 その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。 現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると 《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど日本社会における 普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格(構成員に共通したもの、 例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)によるものと 場(一定の職業集団、所属機関、地域) によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されているかで、社会が特徴づけられている。 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は年功序列、が重要な縦社会である。 日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーはフルセット戦略をとりがち)、能力平等という非現実的な 事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの因果関係がわかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が原因であると、 分かりやすく説明されている。 また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、 それ以上に感情的な人間関係が重要視される社会である。》 ▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じている。 日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の障害になっている。 (字数の関係でカット11年8月21日) ・・・・・・・・・ 2695, 「レンタルの思想」−3 2008年08月21日(木) 「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。 ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー 《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、そして、更に一万年前に出来た人間圏である。 それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、爆発的な人口増加を可能にした。 そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への転換と、その結果としての人口の爆発的増加から始っている。 人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい5〜600万の人口が限度であった。それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、 人間圏を支えることが出来ない相転移点の水が氷、水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。現在の天変地異や、エイズ、 鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、その一現象である。我々は、人間圏からみた哲学的人間観、生物的人間観だけでなく、 宇宙から俯瞰した地球システムの中の人間圏の中の人間観を改めて作らなければならない。 ここで、一万年前から始った牧蓄・農業の もととなる所有という欲望を、見直さなければならない。 それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、 地球からの借り物=レンタルという視点である。地球システムは、このまま人間圏が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、 人間圏に対してマイナスのエネルギーを発することになる。いや、既に発している。 それがミャンマーのサイクロンであり、エイズであり、鳥インフルエンザであり、世界各地で起きている大地震である。 それを解決するヒントの一つが江戸時代にある。江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を認めなかった。 更に江戸時代の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。 それは、自然循環するもので、廃棄物そのものが、殆ど出ないもので賄われていた。》 〜〜 以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。著者は対談の中で、インターネット社会は、 地球外から俯瞰して考えてみると、危ないという。情報が均質化され、個々人が過剰に主体的になりすぎるからである。 それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、何が起きるか解らない事態になる。 これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因しているといってよい。 この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビューや、彼の著書の評論を読みながら、考えているが、深い大きな示唆が 提示されている。人生観や信条が根こそぎ揺らぎだしてさえいる。考え出して僅か一週間で、根っこが揺らぐのだから、私も知れたものだが、 それだけのインパクトがある。この百年の人口増加の比率が、今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が同じになるという。 それだけ20世紀は、人口が爆発的に増えてしまった。その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、その汚染で地球システムは 崩壊を始めたのである。僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきたシステムを根こそぎ破壊したのである。 この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、地球より重い」と、のたまっていたのである。隣の国では、狂った独裁者が今だ存在をして、 将軍様と名乗り国を乗っ取っている。しかし内向きという点では下手な資本主義より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。 オウム教を肯定するのではないが、視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、宇宙に出て、 再び現生を見直すことに関しては否定は出来ない。インターネットという、人類にとって一万年、いや十万年スパンの、 とてつもない手段を手に入れた人間は、時を同じくして地球システムの破壊という大失態をしてしまった。 以上だが、なるほどと、改めて納得する。図書館で借りた本だが、他の著書と同時にアマゾンで発注をした。 ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。 ・・・・・・・・・・・ 2007年08月21日(火) 2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2 (*'▽'*)/☆゜'Good☆Morning −読書日記 「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。 (字数の関係でカット08年8月21日)
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2013年08月20日(火)
一昨夜のNHKスペシャルで、日本やアメリカなど新富裕層が節税のため税率の低い国への移住する人々を取り上げていた。 株式の利益に対しては税金ゼロ。所得税も、日本の4割未満とか。日本はシンガポール、アメリカはプエルトリコ。 ーNHK・HPの番組内容の説明によるとー 《 世界中で巨額の資産をもつ新富裕層が増えている。経済のグローバル化や金融の高度化により、短期間で富を築くことが できるようになったためだ。こうした新富裕層を自国に移住させて経済を活性化させようという国も増えている。 所得や 金融取引にかかる税金を安くすることで、やり手の起業家を呼び込んでいる。日本人新富裕層が向かうのが、シンガポール。 新富裕層の実態や各国の思惑を取材し、世界経済に与える影響を探っていく。》とある。 そこでネット検索で調べると、 《 調査会社キャップジェミニとロイヤル・バンク・オブ・カナダが共同で調査した。 富裕層は、居住用不動産を除く金融資産を100万ドル(約9700万円)以上持つ人と定義した。 国別では米国が前年比12%増の343万人と圧倒的な首位をキープした。米国のS&P500種 株価指数は昨年、13%上昇。 米住宅市場の回復もあり、富裕層の持つ資産がかさ上げされた。 米国では富裕層の金融資産のうち4割弱を株式が占める。 リスク資産への投資比率が高い ことが伸びに寄与した。2位は同4%増の190万人となった日本。3位のドイツ(101万人) を含め、上位3カ国で 世界の5割強を占めている。アジアでは中国(64万人)と韓国(16万人)がそれぞれ14%、11%伸びた。 一方で、低迷 したのが中南米。景気の鈍化が深刻なブラジルは16万人と前年のほぼ横ばいにとどまった。 富裕層人口は世界に1090万人存在し、その保有資産も約42兆7000億米ドル(同9.7%増)と増加中。・・・ 》とあった。 ▼ NHKのレポートで、シンガポールで「フェラーリを持っているのが参加資格のクラブ」の一人の日本人を取り上げていた。 殆どが真っ赤なフェラーリでスポーツシャツも同色で10数人が集っていた。可愛いものだが、そこには金の情報が集まる。 国籍をシンガポールなど税金の安い国に移すのは、財政危機の日本では、更に自然の流れ。 「富裕層=ミリオネア」(金融資産1億以上)の中に、金融資産10億円を超す「超富裕層=ビリオネア」が存在しており、 ビリオネアは日本に2万6千人存在している。 現在のところ表立った株式や国債の暴落は無いが、ある日、 何かの切っ掛けで爆発するのは時間の問題。私が審査基準の5億?以上の金融資産があれば、シンガポール辺りに移住する。 ・・・・・・・・ 4164, 老年行動学 ー2 2012年08月20日(月) * 自伝的記憶 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が 満ち、自由で未来への旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。多くの自伝的記憶は、 この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は過酷だが懐かしさが残る。 ー次の部分は、理解しやすいー ≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、 10歳後半から30代前半までの青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも今に近い、30代後半以降のことは、 青春時代ほどには思い出しません。この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。 レミニッセンス・バンプは、老人に限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 では、いったいなぜ、 青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? その理由の一つには、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」 という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を 育んだり、けんかをしたり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。そのため、それらのできごとが、 ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、 養うべき家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から 解放され、社会からの抑圧はまだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた時代に、人はノスタルジア という感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫ ▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春時代は、老いれば老いるほど懐かしいものとなる。 俗世の縛りから解放され、そこはかとなく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。 人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す傾向にあるためである。人生のピークは、青春の 真っ只中にあるため、その辺の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正している。過去の日々を 思い出し、「日々是好日」というより、過去の「日々是口実」を都合良くすることになる。 自伝的記憶の再構成である。 ・・・・・・・ 3799, タブレット式パソコン 2011年08月20日(土) そろそろタブレット式パソコンを、と思っていた矢先に、この一連の騒動。 ここで、少し落ち着いたので、 家電メーカーのタブレットPCのコーナーに行ってみて驚いた。それより隣のモバイル携帯電話コーナーに驚いてしまった。 その内容は今度にして、タブレット、ここで買うと二年間は縛られてしまうので慎重になる。 売り場で感じたことは ・ソニーかアマゾンの読書用専用の機種か、 ・ドコモの多機能のものか、 ・MacのiPadか、 ・家のパソコンに無線ランをつけ、電波を飛ばして、家庭内の第二の携帯パソコンとして割り切ったものに、大方分類される。 その中で、どれを選ぶかである。 私の知人のように、両方選ぶというのもあるが・・ 年金生活者として 殆ど家にいる身として別に買わない選択もある。 電話機能が付いているかどうかは機種によるが、モバイル携帯が大きくなっただけ。 各メーカーが数年後の主力商品を目指し機能の競争が始ったため、少しでも後の方が良いものが出てくるはず。 しかしデジタリアンとして、ここで我慢するのも辛い。外的世界から、内的世界に気持ちの重心を移動したので焦る必要もない。 ところで最近、モバイル携帯電話やタブレット式PC用の直感的なブログが出始めてきた。写真と、映像が直感的に表現でき、 かつ見やすく、面白い。数年後には、これにデジタルTVかパソコンに連動するのだろう。 最近、目にする丸めることが可能な シート式モニターにモバイル携帯を連動するものが出てくるはず。こと、デジタル機器に関しては、想像を遥かにこえたものが 次々と出てくることになる。手段=道具の方が、人間の進化を超えてきている現実は、プラスにもマイナスにもなる。 ますます、面白、怖い時代になっていく。 とにかく、モバイル売り場へ遊びにいってみたら、今と未来の一部が垣間見れるはず。 ランニングコストは、モバイル携帯が6千円、タブレットが7千円。その中間的大きさの商品が初期投資 0円になっていた。 その境目の基準が、大きさだけだと! 今日、明日、他の家電メーカーの店頭で、説明を聞きにいくつもりだが、今のところ、 あと数ヶ月は待つ方になるのでは? ところで一年前に買いかえた多機能TV、面白過ぎてバカが増している。 今さらか・・・ ・・・・・・・ 3434, 再び、死について考えてみる ー2 2010年08月20日(金) * 死に際の恐ろしさ 家内が、近所に住む友人の通夜で聞いてきた話。 肺が溶けていく病気で(肺結核)、息の出来ない苦しさと痛みの果てに、 最後には「オトウサン、助けて!」と叫んでいたという。 断末魔の苦しみは、近親者にとって一番辛いもの。 同級生の葬式で、衰弱しきった遺体を見て驚いたばかり。 死に際の苦痛は避けることが出来ないのだろうか。 最後は独りで苦悩と苦痛の中で死を向かえると思うと、何ともやりきれない。 といって考えても考えなくとも結果は同じ。 なら考えない方がよい。年寄りは、そういう事例を多く見聞きしているから「ぴんぴん・ころり」と死にたいと、願うのである。 死を悲劇と考えるか、生の成就と考えるかは難しい。最近、亡くなった友人の大部分は、苦痛と苦悩の果てに亡くなっていった? 最期は、リンゲル(麻薬)の濃度を高め、苦痛を緩和し、その果てに死を早めるしかない。 そこではリンゲルによる極楽と、肉体の苦痛の地獄が混濁する。 父親も、手術後の数日間は苦痛の極みにあり、 「あんなに苦しむなら、手術などしなければ良かった!」と死ぬ数ヶ月前に言っていた。 手術の一年後に亡くなったが、 最期は病室で独りで頭を掻き毟っている姿をみた。「死んでいいから、どんどんリンゲルを打ってくれ」と、延命より、 安楽死を望んだ。 また、私の4番目の姉の旦那が亡くなった時の、断末魔の苦しみの状況も、姉からリアルに聞いた。 最期は苦痛で暴れるのを、何人かで抑えて・・・・ 亡くなった。 数年に一度は、訳のわからない新聞記者とか、検察が、断末魔の苦しみの末に、強いリンゲルとか何かで死期を早めたのを 聞き込んで、逮捕や刑事告発をするケースがある。ガンだけではないが死に際には苦しむ患者の息を止めてやるのが、医師の役割。 誰が苦痛の際で生きているより、早く解放された方が良いのは当たり前のこと。死は誰にも平等に、思わぬ苦痛を伴い、やってくる。 人生は生きているうち!美味い酒を飲んで、好きなことをして、後悔の残さないように生き、そして最期は、のたうちまわって 死ぬしかない。上手く死ぬのも芸のうち、など言っていられない。ホテルのバスにナミナミと水を張り、睡眠薬をタップリ飲み、 美味い日本酒を一升も飲めば楽に逝けそうだが。 まだまだあるが、こういうジョークは止めておこう。 ・・・・・・・・ 3059,逆説思考 −3 2009年08月20日(木) * 「逆説思考」を逆説で思考してみよう。 まずは逆説思考の典型的事例は、フランクルの心理学である。フランクルが「夜と霧」で、死と隣り合わせの日々で、 コペルニクス的転換の心理転換が起こる。「人生に何かを求めるのではなく、人生が私に何を求めているか。 そう、生き抜いて愛する人と再会をし、自分の残してある仕事をやり遂げること」である。人生が何を人に求めているか? ・創造価値(何かを創造することによって実現される価値) ・態度価値(人生でどうしようもならない究極の場面で態度を変えることで実現される価値) ・体験価値(何かを体験することで実現される価値。美しい夕日や景観を見て実現される価値) これらを知るために、「本当にしたいことは何か」「夢は何か」「人生の目標は何か」をまず追求すべきである。 しかし、自分の人生は無意味という観念にとらわれた人にとって、その価値を受け容れることが難しい。 それでは、どうするか! 「闘う」ことしか、自分の価値を創りあげることができないのである。 人生に押しつぶされいる人は、「生きるのが辛くなっている」のである。その「つらさ」については仏の哲学者ドゥルーズが原因を 追究している。彼は「器官なき身体」という生きることの実相を明らかにしている。我われは「欲望」と「欲求」によって動いている。 喉が渇けば水を飲むことによって欲求を満たそうとする。性欲も、食欲も、睡眠欲も、排泄欲もである。 しかし、それだけで人間は行動するわけではない。自動車がガソリンの補給と、ラジエーターの水の交換だけで動くものではない。 それは自動車が人間の目的のための道具であるのと同じく、人間も、身体の生理的欲求だけでなく、 「器官の欲求」を超えたところに存在する何かのありさまを「器官なき身体」とドゥルーズはいう。 ー彼は以下のようにいう。 (*参考 「現代思想の使い方ー生きるのがつらいと感じた時ードゥルーズ」P176) 「闘いとは、反対に、力と力で補完し、自からの捕らえるものを豊かにするあの『器官なき身体』の生命力のことである。 赤ん坊が呈示しているこの生命力、すなわち、執拗で頑で飼い馴らしがたく、あらゆる器官組織的な生とは異なる、 そんな生きるー意志である。」それは、私たちの「存在そのもの」に由来する力であり、「存在そのもの」が指し示し、 進んでいこうとする方向性である。「存在そのもの」とは「生そのもの」と置き換えることが出来ます。 辛いというのは、その「生そのもの」の発露が何かで阻止された状態である。 この辛さを克服するには、「器官なき身体」の目指す方向を見据え、その方向に努力することである。 それは、別の存在と衝突し、その価値観を取り込んでいくことにより次第に達成されるのである。 その闘いを、ドゥルーズは『あいだにおけるー闘い』と呼ぶのである。「あいだにおける闘い」によって、私たちは、 「存在そのもの」へと近づいていくことが出来ます。たとえば自然と闘うとき、「対抗する闘い」ではなく、 「あいだにおけるー闘い」を行うことによって、「自然」と融合し、新たな何かなることができます。 「裁きによって、人は成長しない」と彼はいう。「裁き」は既存の枠組みによる準拠して何らかの価値判断を行うことであり、 それでは、それから一歩も抜け出せない。 我われが、その裁きから抜け出て闘いを選択しなければならない。 その闘いが我われの生命を輝かせるのである。 ーーー 以上だが、 生きていくうえで、3C(チャレンジ、チェンジ、コンペティテーション)が必要である。 世界は常に変化しているなら、己も変化しない限り、不自然状態になり、「つらさ」という圧力が押しかかってくるからだ。 フランクルの人生の意味を見出していける人なら、価値を求めることも出来ようが、意味や価値をどのようにして 見出していくかという、更なる根源的な問いが必要になる。そこにあるのは、闘いしかないのである。 先ほど書いたように「つらさ」は、その闘いの回避に原因があるのである。 常に自問自答している「正中心一点無」の気持ちで問題から目を背けないで立ち向かうしかないということになる。 最後の最後は「見方を変えるのではなく、宇宙の中で自分は独りと自覚し、己の価値を闘い取るべし」ということだ。 アウシュビッツ収容所内では無理だろうが! 部屋の中からなら良い、ということ? ・・・・・・・・ 2694, 「レンタルの思想」−2 2008年08月20日(水) 二十年ほど前か、「人生は神様からの借り物、何を焦っているのか! 借金も資産のうち、その資産も借りでしかない。 自分自身も大自然からの借り物でしかない。借りの世界と言う人生では、何事も真正面から目を離さなければ、 それだけでよい!」と、視点を見据えたら気持ちの重みが半減した。 所詮、娑婆は生きているうちの幻想でしかない。 「色即是空、空即是色」ということだが、それもこれもレンタルと思えば、それでよい。 宇宙からの俯瞰からみる宇宙的人間論も必要な時代に差し掛かったのである。 ーネットにあった「レンタルの思想」の松井教授の‘インタビュー’の部分をコピーしたー ・夜半球の地球を宇宙から眺めると煌々と輝く光の海が見えます。 この光の海を "地球システムを構成する人間圏という構成要素"としている。 ・大気が見えるとか、海が見えるとか、大陸地殻が見えるとか、森林が見えるとかと同様に森林は生物圏です。 ・我々が一万年前か農耕牧畜という生き方をしている。狩猟採集"と"農耕牧畜"という生き方を宇宙から 見るということと同じですが、地球システムという見方で比較すると、この二つはまったく違う。 "狩猟採集"というのは、"生物圏"という地球システムのサブシステムに閉じて生きる生き方です。 動物がやってる生き方なんです。我々人類が700万年ぐらい前に類人猿から分かれたといっても、 狩猟採集をしているうちは基本的にほかの動物と変わらない ー人間は、生き物の一種にすぎなかったー ・人間は生物圏の中の種のひとつとして生きているということなんです。 食物連鎖に連なって、生物圏の中の物やエネルギーの流れを利用して生きる生き方。 いろんな人類が生まれては消えたという歴史の中で、現生人類も1万年前まではそういう生き方をしていた。 その"農耕牧畜"という生き方を地球システム論的に考えてみる。例えば、森林を伐採して畑に変えると、 太陽から入ってくるエネルギーが地表で反射される割合が変わるわけです。 これは、太陽のエネルギーの流れを変えてるわけ ・雨が降ったときに大地が侵食される割合も、森林に覆われているときと農地とでは全然違うわけです。 それが土砂として海に流れていく。これは、地球における物質循環を変えるということでしょ」 これはすなわち、地球全体のエネルギーや物質の流れに関わって生きるということです。 それを地球システム論的に分析すると、"人間圏"という新しい構成要素をつくって生きる生き方ということになる。 その結果、地球全体の物やエネルギーの流れが変わったということです」 ー"人間圏"というのは、我々が生物圏の中から飛び出して作った新たな構成要素ー ・1万年ぐらい前に生まれて、どんどん大きくなって今に至ると。その発展段階での違いも分析することができます。 すると今の人間圏の問題点も浮き彫りになってくるわけですよね。 そのシステムが何であれ、システムを記述するときにはその構成要素が何なのか、構成要素間の関係性が何なのか、 これを特定するとそのシステムの特徴が分かるわけです。関係性とは駆動力が何なのか、によっています」 地球システムの場合で言えば、構成要素とは先程述べたようなさまざまな物質圏です。その関係性とは例えば、 海から蒸発した水が大気中で雲を作り、雨となって落ちて大陸を侵食して……といった循環ですね ・人間圏の場合だと、産業革命のころまではその誕生以来、基本的な変化はありません。 駆動力という意味では、 地球システム固有の自然のエネルギーを使っていたということです。すなわち、地球という星全体の物やエネルギーの 流れを人間圏にバイパスさせていたということです。日本だと江戸時代まで、ずっとそうなんです」 ・体にしたって、皆さん自分の体だと思ってるでしょ。でも自分の体じゃないよね。生きている間、地球から借りてるだけだよね。 ・元々地球を構成している元素の一部をたまたま体として利用している。我々が生きるときに身体という物が 重要なんじゃなくて、それぞれの臓器が重要なんです。人体というシステムを構成する構成要素ですが、 その臓器がそれぞれの機能を発揮して、人体というシステムを作ってる。重要なのは、その臓器の機能なんですよね ・これはどういうことかっていうと、実は身体という物を所有するんじゃなくて、レンタルしてるということです。 (字数の関係でカット2013年08月20日) ・・・・・・・・・ 2007年08月20日(月) 2330, 「ぼくの血となり肉となった500冊」 ー読書日記 (`・ω・。)っノXXXXXXX>C 才ノヽ∋― (字数の関係でカット2008年08月20日) ・・・・・・・・・ 2006年08月20日(日) 1965.事業百訓・・・?
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| 4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある |
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2013年08月19日(月)
「ひとり達人のススメ」山折哲雄著 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手にとった時に、「ひとりとは思考すること」と、 「考えるとは心を震わすこと」を目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」でいる時間が 圧倒的に多くなった。しかし、さほど誰かに会いたいとか、話をしたいとかの渇望は少ない。家内以外と私的会話を一月も しないことも度々。これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に決心した第一歩が 「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、人生のテーマである。それ以来、早朝の読書を 中心にした独学が芯になった。振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、独(ひとり)になること。 スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的 なテリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。 まずはアマゾンのー内容紹介ーより 《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと 実に奥深いものが感じられます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」が込められているからです。 2011年3月11日。そこから意識され始めたのが「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」があって 初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて 「ひとり達人」になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や「孤独死」の問題を解決するためにも、 果ては充実した死を迎えるためにも、いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。 どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか……すべての答えが「ひとり」の中にあります。 どうやったら「ひとり達人」になれるのか? 》 ▼ 《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」のである。 アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。 感激、感動で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること自体で、既に考えていたことになる。 驚きは自分の世界から外側に一歩出たことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していることになる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ! ・・・・・・ 4163, 老年行動学 ー1 2012年08月19日(日) 「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著) 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを 目前に突きつけられた感がする。 思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に閉じ込めていた 遠い記憶がフラッシュバックしてくる。 図書館で借りてきた本だが、なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて 老人学を調べると、面白い本がある。要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。 ーアマゾンの内容紹介ーより 【 =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!= あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、 気にもかけず、毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに頑なに車の運転をやめない人。 些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒っている人....。ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような行動には、 実はそれなりの理由があります。 その理由を探り、高齢者の行動と心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】 ▼ 冒頭の、「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」の問い、が面白い。 「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」の問いを立て、次のように答えている。 ≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりも ポジ寄りなのです。なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているからです。いつか必ず死ぬとわかっていながら 生き続けるには、「自分には生きている意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という自尊感情が必要で、 それがないと人は生きていけないのです。そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、無意識のうちに 集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人はポジティブな事の方により向き やすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る時間が長いという 実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。 人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人はどのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、 どのように苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられている。それに対して老人は、散々ネガティブなことを 経験してきていますから、もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢になって残された時間が短いことを 認識するようになると、気分をポジティブに保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブなことに目を 向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’を、ポジティブなことに当てるようになるのです。 ≫ ー 老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に 気持ちが追ていけないこと。実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。 アメリカでは、男が15〜6歳、女が22〜23歳もあるという。私は10歳近くは若い。というより、年齢に気持ちがついて行けない。 ・・・・・・・ 3798, まずは「自分の世界の自覚」から! 2011年08月19日(金) * 世界内と世界外 40歳の頃から20年間にわたり世界の秘境・異郷に熱中したのも、その世界の凄みに引き付けられたことがある。 それぞれの世界は、それぞれ他から隔絶され、それぞれの時間が流れているのを実感させられる。その世界を対比することで、いかに 自分の世界が小さく、脆い現象世界に存在していることに気づかされる。ここで世界を象に喩えているところが面白い。その皮膚の襞が、 それぞれの社会。そこの寄生虫が我われと見ると、わかりやすい。 問題は、それぞれの寄生虫は、そこが全世界と思っていること。 それを知るには、その世界外に出てみないと分からない。 人間は世界内存在とハイデッガーが述べたのは、そのことである。 ーまずは、渡辺昇一著 「知的余生の方法」の ≪自分の世界の自覚≫ よりー 【 ここでは人間の「世界内」と「世界外」について述べてみたい。 こんな句がある。<虫けらは やはり自分の 世と思い 阿部佳保蘭> 毛虫は、住む木の種類が決まっているという。Aという毛虫はKという木の葉しか食べない。その毛虫にとってはその木の傍に美しい花咲く 種の木があろうが、おいしい葉を持つσ種の木があろうが関係がない。Kという自分の木だけが全世界だと思っている。 この応用は いくらでも応用できる。「象の皮膚の襞につく寄生虫は、自分がくっついているその襞だけが自分の全世界で、象がどのような形をしている 動物かも知らない」というようなことを言ったのはフランスの哲学者ルコン・デュ・ニュイであったろうか。このように虫の立場から見る 世界とか、鳥の立場から見る世界とか、人間以外の動物の目から見る世界の「視点の転換」を教えたのはユクスキュウルというドイツの動物学者。 哲学史でどう取り扱われているかは詳しくは知らないが、人間の思考法を大転換させる業績だと思う。 木田元さんは近代西洋哲学の、特にドイツの哲学者ハイデガーの権威である。・・・木田さんはハイデガーの『存在と時間』の訳を 読んで発奮されて東北大学の哲学科に入学され、哲学者になられた。ハイデガーを本当に理解したいと思ったからだと言う。当時の私は 中学の教科書のほかには、佐々木邦の『珍太郎日記』とか、吉川英治の『三国志』を耽読していたのだから、暦日年齢的には三、四歳ぐらいの 違いなのに、精神年齢としては十歳以上も違っている。そう言えば、同じ中学の五年先輩の丸谷才一氏の読書歴を見ても、私とは確実に 十五歳以上の精神年齢差がある。その木田さんは比較的早い頃からハイデガーについての著述をなされていたが、ハイデガーを本当に 理解できるようになったのは、ずっと後年で、ハイデガーがユクスキュウルの動物学の影響を受けているのがわかったからであるという。 象の寄生虫の存在を「象の皮膚の皺という世界内存在」ということになる。」・・・ 】 ▼ この辺は、カントの論に似ている。カントは五感の能力内でしか世界を認識できないと初めて論じた人。寄生虫と、人間の違いは、 自分が象の皺の中にいることを実感しているかどうか。それを知るには、長年かけた教養を積むか、その地を遥か離れなければならない。 そういえば、力・愛・知の追求の他に、それらから一歩離れた価値の追求をしてきたのは、五感の外の(世界外)存在も念頭に入れていたため。 ・・・・・・・ 3433, 電子書籍の衝撃 ー2 2010年08月19日(木) 「電子書籍の衝撃」佐々木 俊尚 著 *iPadの有利な理由と、不利な理由 ◎ まず優れている点は、 ・汎用機としての魅力。パソコン、そして携帯電話に次ぐ三番目のデバイスとして生活の中の確固として存在になる。 大きな画面を近距離からリラックスした姿勢で見ることができる。書籍、ちょっとした動画の鑑賞、映像つき音楽などが 気楽にみれる。 マニアを除けば一人一台になると、キンドルのような専用機は不利で、本も動画も見れ、ウェブも 楽しめる汎用機を皆が見れるようになるか。 ・次に、iPadはiPhoneをベースにしているため、そのアプリ(ソフト)を、そのまま使える。既に数万点もある。 既に一年前で3000万台を持ったユーザーが、そのまま横滑りをしやすい。 ◎ 不利な部分は、 ・サイズと重量、バッテリーの持続時間などのスペック。キンドルに比べ面積も重量も、大きく重い。 持続時間は、バッテリーの10時間に対して、キンドルは7日から10日。 ・第二に、キンドルはバックライト付きの液晶画面で、見た目が紙に近く、液晶より文字が読みやすく、目が疲れにくい。 ・第三に、値段がキンドルの二倍もする。 それらから、結局何を選ぶかになる。 ▼ 以上から、決め手は、そのプラットフォームになってくる。プラットフォームとは、購入システムのことをいう。キンドルなら、 アマゾンという書籍専門のネット販売サイトがある。それに対しiPadは、iTunesストアがあり、そこから音楽や映像も購入できる。 その何を選択するかになる。流行している本は、なかなか入手しづらいが、ネットなら、そういうことはない。これにグーグルがソニーと組んで 参入してくるというから、その有利なプラットフォームを前面に打ち出してくる。それが何かまだ分からないが、二社に対して強烈なものに なるだろう。 他にもマイクロソフトも何かを出してくる。その激闘の中で、今までの紙の新聞・書籍が壊滅過程に入る。いや、既に入っている。 ・・・・・・・ 3058,逆説思考 −2 2009年08月19日(水) 逆説思考といえば、ここでも取り上げた京都大学工学部の新宮教授が、 古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。 《「幸福ということ」−エネルギー社会工学の視点からー新宮秀夫著 》 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。 2階:獲得した「快」を永続させる。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 この論に関しては釈然と出来ないので何度も考えてみた。それでも疑問が残ったが、考えるという面では良い問題提起である。 これを逆説思考と考えると違った見方になる。挫折、失恋、倒産、などで失意のどん底でもがいている、そこに幸福があるのだろうか? 金沢時代を振り返ると、そこには何ともいえない酒の味とか、友情とか、仲間の邂逅があった。節目となる失意の底ほど、無駄なようでいて、 一番大事なことをしているのである。「窮すれば変じる、変じれば通じる」である。竹の節目と同じ。哲学的にみれば横の時が平常とすれば、 窮した時は垂直の時ということになる。垂直で立ちっぱなしも問題だが、ここは志が試されている時である。 ーネットで逆説思考を調べてみたところ《逆説思考 ー自分の「頭」をどう疑うか 森下 伸也著》が、あった。 ーその概要とはー 逆説こそ「思考力」「洞察力」の根本とし、通常の価値観の一面性を暴露し、それを反転させてしまう思考のスタイルを、 「逆説思考」と定義している。 転倒思考(常識の命題を逆にする)、逆因果思考(常識の因果関係の結果を逆にする)、 因果反転思考(常識の因果関係を因果反対にする)という3つの類例を設定する。 ことわざや文豪の例でその3パターンを具体的に観察し、オイディプスの予言では逆説が与える心理的な効果を考察、 さらに逆説は欠陥動物である人間に本質的なものであり、それゆえ人類の文明は週末が来ると広げていく。 「ロミオとジュリエット効果、カリギュラ効果(禁止されるとやりたくなる)」 「ハンディキャップ進化論(人類は記憶力や体毛が退化したことで言語や火を発明した)」 「エラー進化論(人類は失敗を成功の元にして発展してきた)」 「エゴイズム的自殺(自由が空虚を生む)」 「アノミー的自殺(規範がなくなって不安になる)」など、逆説的なトピックを紹介している。 エジソンやアインシュタインそしてダ・ヴィンチ は、脳に障害があった。しかし、その傷害のおかげで、天才になった。 その人に とって負の面が、逆に、その人を形成している重要なファクターになっている。天才の殆どが梅毒という説もある。 ー 以上だが、通説とか常識を根こそぎ疑うことこそ、時代の大変動期には特に必要である。 次回は、この逆説思考を逆説してみる! ・・・・・・・・ 2693, 「レンタルの思想」−1 2008年08月19日(火) 松井孝典の対談集の ー人類を救う「レンタルの思想」ーが面白い。 あるブログに松井教授の「レンタルの思想」を簡略した内容があった。 ▽ まずは、その思想の概略から、 ・一万年の人間圏の歴史でみると、現代を人類の歴史上相対的な意味で、飢えから解放されて豊かになった時代。 この豊かさはなぜ実現できたのか。 未来はこのまま豊かになり続けるのか。 ・地球の歴史は、環境問題として考えれば汚染の歴史である。 ・地球システムの構成要素が変化すれば、地球システムのモノやエネルギーの流れが変化し、環境が変わることは 当たり前である。 問題は人間が、この時間変化を速めている事にある。 ・では我々はこの問題になぜ危機感を抱いているか? それは100年という非常に短い時間に環境が変化し、我々がそれに 適応できないからである。人間圏がここまで大きくなってくると、時間変化をこのままずっと速めていくという事はできない。 ・我々が右肩上がりという共同幻想を維持したいとしても、それは達成できなくなりつある。そのひとつが、インターネットによる サイバーワールド。 情報という仮想的な世界、地球というリアルワールドでなくて、情報社会というサイバーワールドをつくって、 その中の時間を速める事によってサイバーな豊かさを追求しようとしているのが、現代の人間圏のもう一つの特徴である。 サイバーワールドは飛躍的に拡大していけるが、リアルワールドはもう拡大できない。これまでの右肩上がりが継続し、時間変化も いくらでも速められるという幻想を、あたかも現実であるかの様に見せる世界だけが発達しているのが現在の人間圈である。 そのサイバーワールドに、右肩上がりという共同幻想を押しつけて、あたかも未来も豊かになっていくかの様な 幻想の中に生きているのが現在の我々である。 ・人間圏の未来を考えた時、この様な右肩上がりで均質化をめざす事で良いのだろうか。 又、人間圏の現状をどう認識する上で宇宙から見た視点が必要だと言う事である。 ・我々は20世紀を振り返って21世紀を考えるという発想をするが、もっと長いタイムスパンで現在を認識しないと、 人間圏をつくって生きるという、我々が地球の上で行なっている生き方の是非は論じられないことを指摘しておきたい。 ・長い歴史に基づいて未来を考えるとどうなるか。 その様な歴史においては、歴史とは「分化」だとすれば、 人間圏が「分化」するというのが「未来」という事になる。 「人間圏の分化」とは、人間圏を構成する要素、ユニットをどう考えるのかという問題である。 ・単なる造具にすぎないインターネット社会という人間圏に、今後どんな共同体が新たにつくられていくのか。 あるいは国家という共同体、EUの様な地域的な国家の共同体が、人間圏のユニットとして、今後どういう意味を持つのか という事を考え直さなければいけないのである。 人間圏の新しいユニットとしてどういう共同体をつくっていくのか、 そこに未来がかかっている。その為には新しい思想が必要である。 それを「レンタルの思想」と呼んでおきたい。 ・人間圏をつくって生きるという生き方で、これまで追求されてきた事は、個人が豊かになっていく事である。 豊かさとは具体的には物を所有する事である。人開圏をつくって生きはじめた結果、我々は初めて欲望を解放しても 生きられる様になった。 しかしそれは、人間圏への物やエネルギーの流入を増加させる事ができるからである。 ・人間の欲望は際限なく、右肩上がりにどんどん増大するから、それを満たす様に人間圏を拡大させてきたのが人開園の歴史である。 人間園が拡大できなければ、これまでの様な豊かさの追求はできない。従って今、豊かさの意味が問われているのである。 ・我々の存在そのものも実はレンタルである。 我々は自分のからだを自分の所有物だと思っているが、これは物としては地球から 借りているにすぎないのである。 地球から材料をレンタルして我々は自分のからだをつくり、その機能を使って生きている だけの事。「所有」に対するアンチテーゼは「借り物」、即ち「レンタル」という事でレンタルの思想と命名したのである。 (字数制限のためカット 2013年8月19日)
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2013年08月18日(日)
* 33年前の新潟駅前シリーズの種銭は、ニ億 私の創業の野心をみた父親が亡くなる前に、陰に陽に相続に不利にならないように条件づくりをしていてくれた。 末っ子という不利な立場でも何とか自分の相続分を確保できたのは、99%父のお陰。亡くなる数年前に、殆どの事業資産を兄と、 私と、姉と、母親の4分割の均等贈与をしていた。これが我家の御家騒動の元。強引に我田引水をしようとした姉夫婦が 自爆してしまったのは生前贈与のためである。こっそり父に「お前のためにしたことだ、憶えておけ」と言われた。 で、軋轢の結果、姉夫婦が『主だった従業員全て私についた、会社をそのまま引き渡すか、渡さなければ、手持分の株式は 悪質業者に売り渡す!』と迫ってきた。耳を疑ったが、母と兄は激怒、『即刻、千葉の事業を引き払い、帰って来い』という。 大学を出て6年以上、極限状況の中で過ごしてきたこともあり、「この程度の案件など朝飯前!」という思いがあった。 そして建直しに5年近く注ぎ込んだ後に、34歳から新潟駅前のホテル事業を始めることになった。 結果として、当時の物件の時価評価と現金で、兄、私、姉夫婦、母が、ほぼ均等の持分になった。 新潟駅前シリーズの当時の持金が1億、更地が時価で1億、合計2億。 しかし最期はこれ、悪銭?身に付かずである。 しかし、後悔は一切ない! 長岡の大手通シリーズも、新潟駅前シリーズも面白かった手応えが残っているためである。 ホテルは完成した段階で、立ち上げの面白さで気持ちの上で償却済み。決して詭弁ではない。それが言えるほど面白い。 父の、「長い事業の中では、何が起きるか分からない。万一の備えは充分にすべし」という教えで、手掛けたビルは、 壁面側の鉄骨を太くして、内側の柱は無しか、最小が基本。売りに出したとき、買い手にとって潰しが効く(スケルトンが可能) 構造になるためだ。 そのため、どれも売りに出すと同時に即売。 それは事業設計も同じ。 ・支払いは実質現金払い(20日閉めの月末払い) ・親戚家族は事業経営に資本も含めて一切入れない(資本は一切私名義) ・借入は地銀最大手と、都銀と政府系銀行で9割 ・妻子の連帯保証はなし。 ・家内の銀行口座は別。 等々がセフィテーネットになり、何とか今まで通りの生活は出来ている。 年齢を重ねるたびに、事業と、お金の恐ろしさを 感じ入っている。上手く乗りこなしている内は良いが、一つ間違うと食い殺される獰猛な虎は、長年かけ飼い慣らすしかない。 「リーマンショック以来、既に世界は深刻な恐慌に入っている」この現実を認めるか、認めないかである。大恐慌前提で言動を してきたので、読む人にとっては大きな違和感があるはず。2億で30数億の投資をして、最後に残ったのが虎の革?いや、尻尾! ・・・・・・ 4162, 節目時に何をしていたか ー2 2012年08月18日(土) ・30年前=36歳。新潟のホテルの立ち上げ二年目で営業は順調で、一息ついた時。 二つ目のホテルの土地を近くに見つけ、 買収交渉に入りつつあった。時代は右上がり。ホテルの1Fで学生ショップを兼業しており、ホテル名も学生服メーカーの 名前をつけていた。月〜金曜日はビジネスホテルが満室で、土日は学生服の売上を稼ぎと当初の思惑が当たり、ピークの時。 この頃、東北・上越新幹線が開通し、新しい波が東北と裏日本といわれた日本海側にも打ち寄せてきた。 ・25年前=41歳。1987年といえば、プラザ合意から三年目。バブルで日本中が湧き上がっていた。ホテルも280室になり、 利益体質が完成していた時期。この時、郊外型ホテルを考えていたが、結局は新潟駅前で500室を目指すことにした。これも、 バブルの影響である。こうして振り返ると、戦後の日本経済と命運が全く同じだったことが見て取れる。 ・20年前=46歳。それまでの無理もあって病気で打ちのめされていた。日本経済もバブル崩壊からくる大不況に突入。 それでも、バブルの予熱が日本を覆っていた。客室数は280室、さらに500室に舵を切る決断をしてしまった。 この時期、まさか20の都銀が近い将来、次々に倒産や、吸収合併されていくとは、夢にだに思ってなかった。 ・15年前=51歳。母親が亡くなった翌年。 人生を俯瞰して、「やり残したことを還暦まで圧縮して生きる。30年分を 9年間に押し込む」と考え、決断。今から考えてみて、これは正解で。 バブル崩壊で金融機関の再編成、真っ只中。 ・10年前=56歳。「人生の良いところ還暦まで!」と、年数回の秘・異郷旅行など無我夢中。 個人のHPも立ち上げ、 生活の中心をネットに移動して二年目。 意味・人生を謳歌していた時期。しかし、売上はジワジワと下降曲線に入っていた。 ・5年前=61歳。リストラ効果も出始めて、新潟駅前再開発事業も進み、何とか目安がたちホッとしていた。二つのホテルが 道路拡張工事で買収が近い将来あるまでと・・ まさか、翌年、リーマンショックが起こるとは、夢にだに思ってなかった。 ・そして現在である。 やはり、この10年も激動期。 二つの中越地区の大地震、そしてリーマンショック、東北大震災で、 近い領来には間違いなくリーマン・ショックによる大津波が襲ってくる。そうこう考え自分の人を振り返ってみると、 日本経済の光と陰が、ほぼ重ねっていた。 経済大震災と東北大震災からして、やはり去年三月が引き時。 ▼ 5〜10年スパンの節目で振り返ってみて、目先の日常にとらわれ、長期的視野で決断できない姿が見えてくる。 振り返るってみて、私の人生の折り返しの時節は34歳。 独立の一歩を踏み出した時である。とにもかくにも無我夢中。 そして、人生の後半に入った。 11年前の9・11テロの翌月から、売上減がジワジワと三年続き、その後に中越地震である。 この時は震災復興関連景気で何とか持ったが、何とか目安がたってきた2008年9月のリーマン・ショック。この日を境に、 毎年20%半ばの売上減が続き、三年目に入っても同じ下降曲線。10年前の売上減を加えると、売上が三分の一まで激減。 そして、決断。「年内に、大津波の本体の一波が押し寄せる」という仮説を立て現実を見ると、末恐ろしいが・・ ・・・・・・ 3797, 知的余生の方法 2011年08月18日(木) 4月から、これまでの30年の新潟の事業の終焉で、新しい生活に変わった。サンデー毎日(毎日が日曜日)の生活も思いの他、 抵抗なく馴染んでいる。 定時に家を出て、新幹線で新潟に行き、事務所で時間を過ごし、帰ってくる生活を「外的時間」とすると、 家を中心に気ままに過ごす時間を「内的時間」というのか?。 早朝に、この随想日記を書き上げたり、独り自転車で信濃川の川辺を サイクリングをしたり、スポーツジムで運動をする時間が私にとっての「内的時間」。 社会に出てからは、ひたすら未来へ進むことに関心が向いていた。それは世界の動向と変化を察知することであった。 そこに気持ちが集中している時は、「外的時間」を過ごしている時である。その中で、ふとした瞬間、過去の思い出や経験が フラッシュバックし、過去から呼び出される事がある。良いことだけでなく悪いこともである。過去は自分を形作った日々であり、 これからの人生のベースでもある。 これからは、外的時間から内的時間の絶対量が逆転する。 渡辺昇一著「知的余生の方法」に次のような一節がある。≪「内なる時間」を使う≫ 【 カレルは、時間には2つあるという。1つは物理的な時間。例えば、地球の自転を24時間と決めたりするといったようなことだ。 もう1つは「内なる時間」。これを彼は、抜群の比喩で説明している。物理的な時間は世界中同じだが、彼はこの時間を川の流れに 例えるとどうなるかと問う。そして、同じ速さで流れる川に沿って歩く人間を考える。 朝早く起きて元気に満ちて川沿いを歩くと、 川の流れが遅いのに気づく。ところが、どんどん歩いていって夕方になって疲れてくると、川の流れが速くなっていると感ずる、というのだ。 川の流れは同じ速さなのに、人間が元気な時は遅く見え、疲れてくると速く感じる。どうしてなのか。「内なる時間」のせいと、カレルは言う。 若い頃の時間はゆっくり流れる。しかし、年を重ねるとだんだん速く流れるようになる。だから老化というのは、実は、時間の流れを速く 感じるようになることなのだ。年とともに時間の質が変わってくる、そして、シニアはこの質の変化に戸惑う。 比喩でいえば、20歳の時は時速20キロで流れ、60歳の時は時速60キロ流れると考えればよい。あまりの速さについて行けず、 結局は無為に時間を過ごしてしまうことにもなりかねない。】 ▼ ここで、これまでの人生の価値観を大転換し、未来中心に向けていた目を、過去にも向け、過去を修正する作業が人生の仕上げになる。 人生を逆照射し、前向きで時どき見ていた過去を、しっかりと後ろに向き直し、見つめ直す時間も「内なる時間」ということ。 これまで読んだ本や、読みかけの本に再チャレンジしたり、やり残したことなど幾らでもある。それを坦々とこなすことも内なる時間と いえる。そうこう考えると「人生が自分に余白を埋めて欲しいことは何かを聞き出すこと」が必要である。私の場合、この随想日記がある。 毎朝、これを書き上げた後に、字数制限のため、書いた分だけ過去分の一部をカットする作業がある。これは、過去のエネルギーの カットのように思えて辛いが、しかし、その時にしっかりと読み返し、再考することになる。これこそ私の内なる時間になる。 ・・・・・・・ 3432, 再び、死について考えてみる ー1 2010年08月18日(水) 数日前に近所の家内の友人が急逝した。 最近、「60歳過ぎれば今日明日亡くなっても不思議でない。 今年しか人生が残されていないと一日一生の思いで生きなければ。だからチャンスがあれば、何ごとも可能な限りやらなくては。」 と話したばかり。 哲学でも、死について多く考えられている。 以下は、「現代哲学の冒険シリーズ」の中の【「死」 細川亮一「恐れと驚きー死と生の問いー」】を参考にして書き上げた。 ≪ そこで「死の人称性」は、死を語る上で分かりやすい説明になる。 ・まず三人称の死は、「彼らが死んだという過去形」か、「彼は死ぬだろうという未来形」で語られる。 ・一人称の死(私の死)は、過去でも現在ではない。将来自分は死ぬだろう、死ぬ運命にある未来形である。 ・二人称の死は、「あなたが死んだ」と過去形ではいえない。「あなたは死ぬかもしれない」とはいいえるが、あまり馴染まない。 弔辞でいう「あなたは死んだ」というのは過ぎ去った過去のことでなく、葬儀の現在のことである。したがって、あくまで現在の範疇。 人の死の人称性の、一人称、二人称、三人称が、 過去・現在・未来の時間性を有しているのである。≫ ー以上だが、今回のような亡くなる前日に電話をしたが不在といわれた友人が、翌日、そ連れ添いから 「実は死に病で最近になり入院していたが、朝方亡くなった」と電話があり、家内がショックを受けた、という死に話は、 間接にしか知らない二人称の死であり、もっとも死について考えさせるケースである。そこから逆に、死から生への逆照射をすると、 【生きるとは何か】のヒントが、みえてくる。【私は生まれた】と、逆に私の誕生を過去形でしかいい得ない。未来の死と、過去の誕生、 「現在、生きている私こそ、この世の存在」ということになる。だから、現在、四苦八苦としても、それを生きる証として受け止めるのが自然。 私の死と誕生の、死の時点は、私にとって特異点。 この2つの特異点の間が「私が生きている」現在形として語ってよい。 自分の過去も、現在、そして未来を思い浮かべている現在も含め、全てが現在と言いうるのではないか。 そこにベルクソンの時間論の意味が、ある。時間など人間の主観?の捉え方でしかないと。 で、二人称の死から考えられるのが、自分の死と生のイメージの絵の書き加え、修正作用となる。 ・・・・・・・・ 3057,逆説思考 2009年08月18日(火) 「逆説思考」というのがある。哲学は、常識をまずは疑ってかかる。 「逆ではないかい?」と、まずは逆説をたてることから始める。私が学生時代に学んだことは、これだった。 まずは、否定してみる、そして、次に立ち戻って肯定してみる。その間に、第三の案が出るのを待つ。それが考える第一歩となった。 その繰り返しの中から自己の客観化すなわち「自己距離化」が生じる。 もし自分が大きなミスをして追い詰められた時に、 「この大きな問題を解決する能力を神によって与えられた試練である。問題の中心に向けて集中していると自ずから解決の糸口が現われる。」 と考える。 これも逆説思考でプラスへの切り替えである。 看取り学のキュープラ・ロスも人生は問題の連続と看破。 その解決のプロセスを学びと捉え、最終のレッスンが死であるとした。これもまた逆説思考である。オーストリアの心理学者のフランクルは ナチスの死の収容所の生死の淵で、数年後の自分の姿を思い浮かべ辛さを乗り越えることが出来た。「その時に私は、あるトリックに すがりました。1945年のそんな中で想像してみたのです。 私は、講演用の見台の前に立って、講演をしているんだ。 たとえば、『一心理学者の強制収容所体験』というような題で講演しているだ、大きく、綺麗で、明るい照明の、なによりも 暖房の効いたホールで」というように。これも逆説思考である。金沢で落ち込んでいた時に、夜半に同じような気持ちの切替えの経験があった。 いや、ずっとこの連続が人生であった。『自分は事業を立ち上げる修行にきているのである。最悪の状態こそ最良なのに何が苦しいというのか。 この現実を受け入れること、そして経験を味わうことだ』と。そう考えてから、気持ちが楽になって冷笑していた自分と環境が違う視点で 見ることができた。 人生、還暦を過ぎた今こそ、逆説思考が必要なのだろう。 生老病死が現実として目の前に突きつけられる。 今さらジタバタしても遅いが、生老病死のレッスンもまた面白いと思えるかどうかだが・・・ 山田風太郎の世界? 果たして、人生の完成などあるのだろうか? あるわけない、迷ったままで充分! これも逆転思考。 ・・・・・・・・ 2692、「誠実であるということ」とは、どういうことか? 2008年08月18日(月) 私の好きな哲学者の中島義道が『哲学者というならず者がいる』の中のカント哲学「実践理性批判」で、誠実性について次のように 述べている。「誠実性が実現されてない限り、いかに外形的な善が実現されても厳密な意味で『善』は実現されていない。」 誠実性とは何か?とは、「善い行為」を実現するさいに、僅かでも自己利益が混入してはならないということ。 (取引を求めない、という仮言命法、ということか) 中島はカントが実際言ってないとしても、言いそうなこととして次の4つをあげている。 ・自分をわずかでも実際より善く見せようとしないこと。 ・自分が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。 ・他人が不利益を蒙るとわかっていても、それが真実だから「そうだ」と語ること。 ・いかに優位に立っていようと、たとえそれがいかに理由のあるものであろうと、 いささかも放漫であってはならない。-誠実な人は決して放漫ではない。いささかも誠実を誇ることはない、ということである。 以上のことを実際に実行すると社会は成立しないだろうから、ある程度は不誠実でなければ生きていけない。 そういえば以前に、 誠実であるとは如何いうことか? 考えたことがある。「誠心誠意、無心に対象にエネルギーを注ぎ込むこと」が、結論であった。 それと、「自分を騙さない。それが人を騙さないことになる。」「約束を守る」ことである。 「あの人は誠実な人」というと、それからどんなイメージが連想されるだろうか? ・自分の言った言葉に対して責任を持てる人。 ・自分を信じてくれる人である。 ・「良心」を大切にして、人を利用しない人である。(心の綺麗な人) 誠実そうな人はいても、誠実な人は、ナカナカいないものだ。「論語の会」にでも入って、鼻声で斉唱しようか? 私の姉の名前は、正子、恭子、優子、そして礼子。正しく、恭しく、やさしく、礼儀か〜 誠実そのもなじゃないかい! 父親の名前は誠作だから、潜在意識が、そうさせたのか?それとも、親しくしてもらっていた野本互尊翁から命名して貰ったか? ・・・・・・・・・ 2007年08月18日(土) 2328, 近視矯正手術 'Good☆Morning 。っω-)..。 私の周辺で最近「近視矯正手術」をする人が目だってきた。先日の葬式時に、幼馴染みの同級生が眼鏡を外していたので 「コンタクト?」と聞いてみた。しかし彼の答えは「白内障の手術時に眼球の中に近視レンズを入れた」であった。 さらに彼の三人の娘も手術をしたという。(三人のうち二人が片眼だけの手術)本人の話だと「とにかく楽になった、 眼の重さがかなり軽減した。それで娘も決意した」という。ところで私も、この春に手術をしようと決意をしたところ、 ある知人が「15年前に白内障の手術と一緒にレンズを入れた経験からみて、やらない方がよい。それでもどうしてもしたいなら、 片眼をやってから様子をみたほうがよい。白内障など已むを得ない場合を除いたら、やるべきでない!」と強く諭された。 その瞬間、あれだけ強い決意も、一年間時間を置いてから判断することにした。 「出来ることなら眼球にメスを入れるのは避けるべき」というのも道理であるし、15年間の経験の言葉は貴重である。 それにしても、ここにきて急激に手術をする人が増えているようだ。眼球にメスをいれる矯正も、 日が経ってないのに大丈夫なのだろうか?今から十年前にアメリカで近視矯正手術が爆発的に普及した時は、 毎年2〜3倍の確率で伸びたとインターネットに出あった。今の日本と同じだったのだろう。近視矯正手術にはレンズを眼球に 入れるケースと、角膜を削るケースがあるようだが。眼は最も重要な器官であるから、慎重に慎重を重ねないと! でも、あれだけ楽になった爽やかな顔をみるにつけ、少し迷いが出てきた。 ヾ(・д・。)バイバイ ・・・・・・・ 2006年08月18日(金) 1963.事業百訓・・・? 事業百訓ー1981年・1982年ー (1) S5606創刊に際し! 堀井八郎 (字数制限のためカット 2012年8月18日)
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2013年08月17日(土)
* 山種証券の創業者の種銭 自分が汗水たらし働いた金を種銭にしてこそ強い資金になる。 山種証券の創始者山崎種三の逸話がある。 《 米屋の小僧をしていて思いつく、米屋だからネズミが多くいる。それを保健所に持っていくと、一匹あたり僅かな報奨金が 貰えることを知り、ネズミを捕まえてコツコツと小銭を貯めて、親方の許可を得てヒヨコを飼って雑米を与え育て、卵を産ませて、 それを売って投資資金の種銭をつくり投資を始めた。》 これからして株式投資も、その延長で手堅かったのだろう。 そういえば、父が子供達に似たような実践的な金銭哲学の教育をしていた。幼児の頃から、年末にお年玉を子供達全員が貰う。 それが楽しみで嬉しいが、正月が明けると、父が他からも貰った、お年玉袋を全て回収、それぞれの預金通帳に入金する。 そして、それぞれを金庫の中に保管しておく。年に一回だが、その通帳の残高を見せてもらう。それが十数年すると、それなりの 金額になる。子供の頃から自分の通帳を持たせることと、使わないで預金する生活習慣を持たせることが父の狙いであった。 目先の欲望を抑えて種銭をコツコツ積み上げる重要さを時間をかけ教えていた。家風は一見派手だが、生活は質実剛健。 地方都市の商家なら、何処も似たようなもの。そして高校の入学時に、10数万円の預金の通帳を渡されて、売買の手続きを するから何か値上がりしそうな株を選べという。それから、毎日、日経新聞の経済欄を真剣に見るようになってしまった。 数ヶ月かけて、ある医薬品メーカーを見つけた。 当時、鼻風邪から慢性鼻炎になっていたが、特効薬が売り出すという ニュースを見ていたためだ。それを5年ほど持ったが、期待ほどの値上がりはなかったが、それでも数割の値上がりがあった。 しかし、その種銭が人生を変えることになった。 二十歳の頃、軽井沢のアルバイト先の山荘で、学生仲間4人と話していて、 外国に行く予定が無いのが私だけだった。他の三人は、さほど豊かそうで無かったが、要は行きたいという気持ちがあった。 当時は、まだ年間20万人しか渡航してない時代だったが、私も決心をすれば行けるかもしれないとの思いが出てきた。 その時、思ったのが、自分の種銭である。 丁度、その頃、ある友人に「大学のサークルで、海外旅行研究会が一ヶ月の 欧州旅行の企画で参加者を募集しているが、一緒に行かないか」と誘われていた。しかし、当時の私にとって、まさか自分がと、 取り合わなかった。当時で40万、現在なら300万〜350万である。 しかし軽井沢で、「そうだ、私には20万円があった! あと25〜30万、都合をつければ私でも行ける!」と、思い立った。アルバイト時期が終わって向かったのは、東京の寮ではなく、 実家のある長岡にした。 そこで列車の中で「頭の固い父に、そのまま頼めば断られる、なら母親に相談すれば良い」と。 で、母に相談すると、「私が反対すると必ず逆を言うから、夕飯の時、話を切り出しなさい」と、賛同を得て、作戦を実行した。 父親は知ってか、知らずか、母との共同作戦に乗ってしまった。その数日後に気づいたようだが、後悔した様子はなかった。 その欧州旅行が、私の人生を変えてしまった。あの一ヶ月間の経験のカルチャーショックで半年間は、ただ呆然自失状態。 頭が変になる一歩手前。当時は現在ほど、情報も手軽に得ることが出来ない。それも決心して僅か一ヶ月で、予備知識はゼロ。 それがわたしには良かった。見るもの触れるもの全てが新鮮で、驚きの連続。エッフェル塔や、凱旋門、ローマのコロセウム、 スイスアルプス・・ その中で、遊び慣れた今まで知らなかった人種との接触。 何よりも小さな固定観念が 粉々になったことが、タイミングとしてベストだった。 まとまった種銭は、まずお金を資金に変えるという意味で、それ自身が 準備になってしまう。問題は用途のTPOSである。「夢を持つことと、長年の準備こそが、人生を決める」と、両親と、 学生時代の様々な経験から骨の髄から学んだことである。今回の最悪の事態でも、長年かけた万一に備えていたシェルターが、 我身を救ってくれた。 ・・・・・・ 4161, 節目時に何をしていたか ー1 2012年08月17日(金) ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。 何度も書くが両親と時代に恵まれていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期はないという。 その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも代え難い財産である。 ー まずは前半から ー ・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。20歳後半のヒステリックの先生で、 優しい反面、厳しい先生だった。当時の住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。 ・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素もあったが級長にされていた。街中もあり、生徒の質は 決して悪くはなかったが、異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まってしまうという。 ・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だったが、追試は受けたことがなかった。 勉強をすれど、どうしたら成績が上がるかの術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分されていた。 ・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。 見るもの触るもの全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、日本も山頂に近づいていた。 ・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。 父は末期ガンで東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。父は、医者の宣言通りに手術の一年後に亡くなった。 死期が分かっている父と事業経験の伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、死に直面した 父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。 ・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃のできた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。 引き継いだ店も順調に推移、商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。一種の躁状態で、怖いものなし、目は血走り、 何かに取り付かれているようだった。衣料は一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、これが面白い。 30年前からは次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。 ・・・・・・・ 3796, 「役に立つ」とは? 2011年08月17日(水) * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか? 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。その是非は色いろあるが・・ しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために 身につける人はいない。これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。 哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが人生である。 それを放棄し、 目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。 その辺のところを、今回の変動の中で、しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?) 〜 哲学者?の池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」ー学者さんー)〜 【 「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。「学問をするところ」であったはずの 大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わってしまった世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち 「役に立たないこと」、「学者」すなわち「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりと できあがっているようにみえる。 ・・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に 関係するもののことを人は「役に立つ」と言う。 相対性理論は役に立たないが、宇宙開発は役に立つ。 解剖学は役に立たないが、 医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あっての後者なのだから、この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。 文科、この無用の長物、経済学者が金持でないことが学者が無用であることの最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、 それなら中世の英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。 古代バビロニアの懊形文字の読解に 全生涯を賭けている学者の立場はどうなるのだ。 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶことは就職を捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。 が、そういったことがどういったこととかを考えることこそ先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに自明なことだったので、 考えるために哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚からずれてきてしまう その核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係するという意味で、「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、 学問の府から追放せよという動きが文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、実学以外に余計な金は出せないと。そういえば、 「総合人間学部」とか、よくわけのわからない学部の一分科として哲学科があるのを目にしてはいた。あれは、そういうことだったのか。】 ▼ この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で、「偉そうに言っているが、何だい、この様は」と思ったに違いない。 私自身が、「偉そうに書いてきたが、所詮は、こんなもの。自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら今回がチャンス。」 と少し、動揺をした。が、しかし、「目的は、自分の『弧』の中の内側をネット上で世界を公開することで、ネット世界を身近にすること、 そして、現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」 と、気持ちを持ち直し続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ以前の問題。振り返ると、役に立たないと思っていた ことが逆に役立った方が多いのに気づかされる。目標地点が明確でないから、それが分からないのである。所詮、死んでしまえば同じだが。 ・・・・・・・ 3431, 我が家に新しいテレビが ー2 2010年08月17日(火) * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー (以下、字数の関係でカット2012年08月17日) Yahooのバードウォッチのコピーしておきます。 ・・・・・・・・ 3056,人生は旅である 2009年08月17日(月) 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。 ・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」 ・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」 ・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。 ・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。 その街での偶然と奇遇などの 出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。 そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作りあげる。 ・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。 ・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。 ・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。 ▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。 そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も我われは 殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、 文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、 晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、 書きながら内省をしている。まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。旅路の果て。パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら 老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。 あと12年で後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。 ・・・・・・・・・ 2691, 強者同士相互扶助婚姻 2008年08月17日(日) 希望格差社会 −2 ー読書日記ー 「構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を自己創造していく。 「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は巧みにリスクヘッジすることができる。 彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。 その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、 夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。 「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。 高度専門職についている「強者」の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに 「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に社会的弱者である 不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。(高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。 だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」) 確率はそれよりはずっと高い。しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や 人脈などの文化資本を要求する。言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」である というかたちで、予め限定されている。未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた 「結婚したくてもできない弱者」の急増という事実がある。リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」という フィードバックを繰り返し短期的に二極に分化。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。 「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。 (以下、字数の関係でカット2011年08月17日) ・・・・・・・・・・ 2007年08月17日(金) 2327, ベナレス −2 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。) インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、 良きにつけ、悪きにつけショックであった。ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、 ガンジス川とベナレス、そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。その中でもべナレスの街と ガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。そしてガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。 そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。この本ではベナレスの「死を待つ館」の家族がありのままを 映しだしている。生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。それが日本とは対照的なのである。 人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、老齢になったことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、 死期を間近に感じる前に移り住む人もいる。この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、深さを増している。 インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。 なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。ここは死者の為の街であり、その準備の為の街。ここの「死を待つ館」の人に、 「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。この街が私を呼んだのだ」 と答えて、平然としている。彼らにとって、ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、その家族にとっては、 連れてくることが喜びなのである。 死が喜びとは!素晴らしいではないか! ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ ・・・・・・・ 2006年08月17日(木) 1962, 「事業百訓」を読み直してみて おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ ねむ! 二十五年前から書いてきた社内報の事業百訓を、明日から十数回のシリーズで振り返ってみる。 (字数制限のためカット 2010年8月17日) ・・・・・・・ 2005年08月17日(水) 1597, ひらがな思考術 −2 ーまずは第一章のほどくの内容の概略をまとめてみた。この本は、読めば読むほど深い。 (以下、字数の関係でカット、2009年8月17日) ・・・・・・・・・ 2004年08月17日(火) 1232, 「こころ」の出家 -読書日記 この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、 何らかの大きな転換期に直面してくる。 (以下、字数の関係でカット、2008年8月17日) ・・・・・・・・・・ 2003年08月17日(日) 865, 同級会−2 昨夜は中学の同級会いや同期会があった。 小学校は一学年の同期が100人足らずのため、5年に一度の同期会になっている。 (以下、字数の関係でカット2008年08月17日) ・・・・・・・・・ 2002年08月17日(土) 490, 随想テーマ日記の効用 毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。 ・・・・・・・・・ 2001年08月17日(金) [111] 数ヶ月ぶりの古町
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2013年08月16日(金)
* つまらん男とは、どういう人か哲学してみようか! そこで、その「つまらん男」とは、どういう人か、少し考えみる。 頭に浮かんだ‘あの人たち’(我が内なる)の顔を思い出して羅列すると・・・ ・親など身近な人や地域社会から与えられた価値観を疑いもせず、ただひたすら追求している人。 ・挫折をした経験が少なく、小さな社会のお山の大将で、その世界の価値観に合わないヨソ者を目の敵にする人。 ・夢や目標を持つことなく、ただ現実に溺れ、埋没した人生しか生きてない人。 ・傷つくことを極端に恐れ、それ故に何事も決心できず、その憂さを他人の批難で晴らすしかない人。 ・烏合の衆で、群れることしかしらず、孤独、孤立を恐れ、仲間の顔色をうかがうしかない人。 群れた思考ゼロの老人・中年・青年、サラリーマン・・ で、群れは何人以上か? の答えに5人以上があるが、 「一匹狼以外、すべて群れだよ」というのもある。これからフット思いついたのが「自分以外、すべて、つまらない男よ!」 これ、言い得て妙。 あの皆の衆の心の底に、これがある。 ・それでは、「つまらなくない人はいるのか?」というと、幾らでもいる。自分が、つまらない男と少しでも思ったら、 少しは「つまらなくない男」。 何回か書いたが、先年に亡くなった中学校の担任の先生が定年退職時の同級会の二次会での対話。 《 「堀井よ、俺の悩みを聞いてくれ! 俺には俺の人生が無かった。両親とも教師で、当たり前のように教員になった。 現在、両親とも90歳近くでカクシャクとしているが、定年をむかえた今でも監視されているようで自立できない。 私自身の人生は無かったのでは? あるのは二人への憎しみだけ。この苦しみは並大抵でない・・》 初老性鬱症の典型事例である。赤ら顔をして、一人合点で自分の成功物語を信じて疑わない「あの方たち」こそ、 「つまらない人」。自分の姿が見えてないためだ。欝になるには、それなりの多くの原因がある。 先生にとって両親は、哲学でいう「影」。人生には、それぞれの現象、節目がある。それは、多面体であり、光の当て方で、 白にも黒にも、黄金にも変わりうる。中学の担任は、その光のあて方で初老性鬱症もあって、影(両親)の価値の刷り込み された自分に気づいたのである。二人の牢獄から逃れるためには、自分で作り上げたライフワークを持つべきであった。 そのことに気づく教養が足りなかった? それでも、気づいただけでも、良かったことになる。少くとも「あれらより」。 先生の両親への憎しみは、ポンティーと、その師のフッサールがいう <考えないでしまったこと>が問題になる。 自分の人生の節目での選択、それも極限での選択が無かったが故の苦しみである。避けて通っていたのである。 ある意味で、万人が抱えている深刻な、根源的悩みになる。 それすら分からず紋付袴の紋章を競っている、あの方々こそが、 「つまらない人」。その意味で、老舗を潰した男は、それに気づいて感謝をしたのである。「つまらなくない男」に 脱皮したから、人生の完成になった。 もう一人の男というより、私は、これで半人前?になれたのである。 あれらって自分のこと? 大丈夫、9割以上が、つまらない人だから! しかし自分を真当と思っていたら、間違いなく 「あれら」。 誰かのように、「つまらない男」で何処が悪い!と開き直るのも、一つの手。 いや、それしかないか! ・・・・・・ 4160, ペルシャ湾危機 ー2 2012年08月16日(木) * 鍵はシリア! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照) 現在、シリアでの内戦が激化しており、アサド政権の崩壊も視野に入ってきた。もし早めにアサドが崩壊すれば、イランも これまでの強気な政策を変えざるを得ない。首都・ダマスカス中心部で一月ほど前に爆弾テロがあった。国防相や、国防副大臣を 務めるアサド大統領の義理の兄が死亡、他の閣僚もケガをした。 イスラエルを先頭に欧米各国は、まずはアサド政権の崩壊に 全力を向けているが、イランへの制裁効果をみて9〜11月辺りに核施設攻撃の判断をする可能性がある。しかしイランが裏交渉 で引き下がることも考えられる。もし、何事もなければイランが核開発の全面的撤退を飲んだとみてよい。その前に、少くとも シリアがイランに援助を与える余裕がなくなるまで内戦を激化させている。その前にアサド暗殺か軍部の寝返りが起きるのか。 しかし、イランはイスラエルに届く数百のミサイルを持っており、その他にレバノンのヒスボラが5万発のロケットと、 ガザ地区のハマスを使いイスラエル攻撃も可能で、世界同時テロもある。それを踏まえてもイスラエルは攻撃を仕掛けるしかない。 それほどイランの原爆保持は重大問題。イラン・イスラエル戦争ともなれば、世界情勢は一挙に緊迫する。イランも原油生産国の 資金で軍事力は豊富。ただならぬ戦争になるが、それでも世界相手では3ヶ月が限界とみられる。アメリカも積年の恨みがある。 もし戦争になり、ホルムズ海峡が閉鎖ともなれば世界恐慌の起爆の危険性もある。 いずれにしても、ユーロ圏の金融危機と、 中東は一段と緊迫した事態になる。国内政治も解散が目前に控えていて、政治的混迷が起きてくる。今度の起爆は乾いた藁が 世界中に積み上がっているため一瞬で燃え上がる可能性大である。シリア、トルコ、イラン、イスラエルの一連の動きから、 目が離せない領域に入ったと見るべきである。だから、国内では解散と総選挙を急いでいる。保守連立内閣の体制を早急に つくらなければならない。年内は何でもありの歴史的スペクタルショーが始まる。アメリカ大統領選、盛り上がりがないのも当然。 ・・・・・・・ 3795, 哲学人 ー� 2011年08月16日(火) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 ー 第一章 子供のころの記憶 〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 � 私が5歳、9歳の時など、ものごとを深く考えることはなかった。10歳頃に親戚の葬式で、故人が焼却場で骨になったのを 目の当たりにしたときに「、何故、人は生きている間に好き放題に生きないのだろうか?」と思ったことがあった。死を目前にすると 年齢に関係なく、人生を鳥瞰する視線が顔をだす。子供の頃から時間の始まりと終わりを突き詰め考えていたマギーの頭脳には驚かされる。 【 時間に始まりはあったのだろうか? 終わりはあるのだろうか? 9〜12歳くらいまでの2~3年の間、私は時間をめぐる謎の虜だった。 夜の闇のなか、ペッドに横たわったまま、よくこんなことを思ったものだ。きのうという日に前の日があるし、その前日、そのまた前日と、 覚えているかぎり日にちをさかのぼつていくことができる。でも私が覚えている最初の日にも、やっぱり前日はあったはず。 自分の誕生日にも前日はあったにちがいない。そして、その前日の前の日も。・・・ どこまでも、どこまでも・・ いや、そうだろうか? この、どこまでもどこまでも溯っていくということが、私にはうまく飲みこめなかった。そんなことは不可能に思えたのであった。 たぶん、きっとどこかに始まりはあったはずだ。でも、始まりがあったとすると、その前はどんな状態だったのだろう? もちろん、 何もなかった(まったくの無だった)のは明らかなわけで、そうでなければ始まりなどありえない。けれども、もし何もなかったのだとすると、 どうして何かがはじまることがでできたのか? その何かはどこから生じたというのか? 時間がひょっこりと( なんとも不思議なことに! ) 無から現れ、ひとりでに動きはじめたわけがない。無は無であって、何かではないのだから。とすると、始まりということ自体が思いも 寄らないことであり、始まりがあるということもやはり不可能であるように思える。こうして結局、時間に始まりがあったとは考えられず、 始まりがなかったとも考えられないということになってしまった。きっと何かを見落としているにちがいない、私はそう考えてみた。 選択肢はこのふたつしかないのたから、どちらかが正しいはずだ。 ふたつとも不可能ということはありえない。そこで私は、まず一方を 集中的に検討してから他方に移り、集中力が尽きたら、またもとに戻るという作業をつづけて、どこで間違ったのか突さ止めようとした。 けれども、なんの手がかりもつかめなかった。私はこの問題に取りつかれベッドのなかだけでなく、しだいに日中も考えこむようになった。 初めのうちはカになってくれそうな大人たちに相談もしてみたが、彼らの反応に私の混乱はかえって増すばかりだった。自分にはわからないと 認めたかと言うと、そんな疑間を話題にしてもおもしろくないといわんばかりに別のことを話しだけでなく、あからさまに見下し、 「おやおや、そんなことに気をまわして時間を無駄にしないほうがいいよ」とせせら笑うかのどちらかだった、私にはわけがわからなかった。】 ▼ 神様が、ここで早めに現役からの退去(倒産)を命じたのは何故だろうか?と考えると、 「ここで、娑婆気から一たん大きく離れ、哲学書にしろ、トルストイなどの古典的小説を腹を据えて読みなさい。 そして、自分の過去を振り返り、そして、現在の己を見つめなおし、人生の総括をすべし」という事だろう。 そのために、やはり哲学書を?み締める必要がある! その点、「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を、その直後、選択をし、 その時の事象を噛み締めながら読んだことは正解であった。そして次は、この書である。それと、この随想日記の過去分を再思考すること。 ・・・・・・ 3430, 我が家に新しいテレビが 2010年08月16日(月) * 運送会社のサービス化とは ーまずは、商品搬入で垣間見た「運送会社のサービス」の話しからー 「運送会社でも、ただ運ぶだけでなくサービスを付加したところが、不況の中で検討している」という話しは度々聞いていた。 具体的には何かと考えてなかったが、一昨日の新しいTVの納品を見ていて、「これが運送会社のサービスではないか?」と、感じ、 「運送会社の設置サービスですか?」と聞くと、「そうです!」という。チームで幾つかの搬入現場を同時に動いているのが分かった。 少し分からないことがあると携帯電話で現場同士が頻繁に連絡しあっている。 設置終了まで、予測どおり2時間半を要した。 その間、延べ6人が出入りしていたが、激務のようで全員が目が釣りあがっていた。色いろなメーカーの電器商品を納入を家庭にするから、 大変な仕事である。 それに対する知識がないとやれないが、それらをチームで携帯電話のやりとりでフォローしていた。 8年前のテレビの購入時は、運送業者関係者ではなかったようだ?。そうすると家具店も同じようなものか。スーパーの宅配も始ったが、 これも運送業者の受け持ちか。 これらは運送サービスの典型的事例。運送といえば、宅配便と、引越しセンターが、運送のサービス化 としての市場を形成している。それが直接に消費者に対するサービスの付加なら、家電や家具店などの業者の配送部分の委託である。 物流の一場面だから、当然、納品サービス(家電の家庭内のセットなど)付配送も、当然あっておかしくない。しかし店サイドとの軋轢が、 電話のやり取りから手に取るように分かった。これからは農家や漁業関係の産直がネット販売の出てきている。 ヤマト運輸の宅配便は、 サービス化で先行しているので、潜在需要を作るに有利。特にネット社会では運送業者のキメ細かいサービスが求められる。 これまでの旧来の運送業務だけでは、生存競争が激しい時代には生き残れないのが現実。 時代の変化に合わせて企業も変化し続けて いかなければならない事例。 それにしても、生々しい世界を垣間見てしまった。 ・・・・・・・ 3055, 功利主義者の読書術 2009年08月16日(日) 「功利主義者の読書術 」佐藤 優 (著) ー読書日記 佐藤優の読書術本なら、買わないわけにはいかない。 ビジネス書、世界文学の名作、哲学書、宗教書まで「役に立てる」という観点から本を紹介しているが、この人の本は決して 期待を裏切らないからよい。 私にとって「如何いう本を読むべきか」という先生役が、立花隆から佐藤優に重心が移動したと いってよい本でもある。 この本の中に私も過って読んだ本も何冊かある ー高橋和己著『邪宗門』 副島隆彦著『恐慌前夜』 ソルジェニーツィン著『イワン・デニーソヴィッチの一日』池田晶子著『死と生きる』ーなど、 佐藤の解説を読むと己の浅さを思い知らされる。それが、ここでいう自分の立ち位置を知るということ。 ここで著者は、 「実用書やビジネス書は、初めから役に立つようにつくってある。そこで功利主義的な考えからいえば解説をしても、 読者にとって追加的利益は殆どない。そういう観点から『新約聖書』や『資本論』『カラマーゾフの兄弟』のような古典が、 21世紀の現下日本と世界を読み解くのに、いかに役立つかをを、あえて取り上げている。更に、実用主義は、 何か軽佻浮薄に見えるかもしれないが、そうではない。目に見えるものだけが現実と考える傾向が強いが。 (字数制限のためカット 2012年8月16日) ・・・・・・・・ 2690, 若者が危ない! 2008年08月16日(土) 希望格差社会 −1 ー希望格差社会ー山田昌弘著・筑摩書房 著者は「若者が危ない」という。そして「若者が社会的弱者になりつつある」 「やがてこの弱者たちが社会に危険をもたらすであろう」と。統計をみると、 ・親と同居している未婚成人(その過半がいわゆる「パラサイト・シングル」)は1200万人。 ・離婚数は年間29万組(結婚75万に対する数値だから結婚したカップルの40%が離婚) ・結婚75万のうち、「できちゃった婚」(婚姻届提出後10ヶ月以内に出産)は15万。 ・フリーター(未婚若年アルバイト雇用者)は200万人。失業中、未婚派遣社員を入れると未婚若年不安定雇用者数は400万。 ・「引きこもり」については正確な数値がないが、推定50万人。 ・義務教育期の不登校は13万。 ・児童虐待は児童相談所が把握しているだけで年間2万件。 ・「将来、自分の生活がよくなる」と考えている若者(25−34歳)は15%。 ・中学生の70%が「将来、日本は今以上豊かにならない」と考えている。 どうして、こうなったか? 著者は、その理由を「リスク社会」の出現という。 ー「リスク社会」とは何か、 「リスクをとることを強制される社会」、「選択を強制される社会」のことである。「自分のことに対しては、自分が決定する。 (字数制限のためカット 2010年8月16日) ーーーーーーーー 2007年08月16日(木) 2326, 被災地・柏崎の現在の事情 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 今日で「柏崎沖地震」から丁度一月になる。昨日、家内の実家の墓参りに柏崎に行ってきたが、中心地ほど倒壊している家が目立った。 ダウンタウンの本町辺りの商店街の通りを中心として倒壊した民家と商店が生々しく現れてきた。そして(住んではいけない)赤紙と、 (住居注意の)青紙が半数以上の家に張られていた。地方局のアナウンサーのTVのクルーが撮影している姿が更にリアルさを増していた。 家内の実家の近所は特に酷い状態であった。家内の両親(故人)の住んでいた住宅は傾き隣の倉庫の壁を突き破っていた。 特に内部は目茶目茶という。そこは無人だったので人災は無かったが。義弟の話によると「始めの揺れで立っていられず腰を落とした瞬間、 次の揺れで身体が横に吹っ飛んでしまった」という。車で商店街を通っていると、自衛隊とパトカーが次々とすれ違い、次々と倒壊の家を みるにつけ、映画のロケ地にいるようで現実感がなかった。義弟に「この地震は、即死するかもしれない事態だった!」といっても、 キョトンとしていた。そんなことを考えている余裕が無いのだろう。「柏崎刈羽原発の再開は無い!と思いませんか? そうなれば柏崎経済は壊滅的になるので、目先の復興景気を勘違いしないように!」と忠告したが、 私が感じた角栄への怒りなど、ほど遠い話のようだ。一月経ったためか、道路等思ったより傷んではいなかったが、 やはり東電の原発の爆発まで至らなかったことが救いであった。以上が私の柏崎市の現状レポートでした。 ・・・・・・・・ 2006年08月16日(水) 1961, 今日はお盆−3 つれづれに、〜お盆〜 才八∋ウ_〆(∀`●) 昨日は、終戦記念日!もう敗戦後、61年になる。 あれから米ソの冷戦などを経て現在に至っているが、最近は宗教戦争の様相になっている。それも無差別テロが世界中に日常化してきた。 大規模のイギリスでの無差別飛行機テロ、今回は未然に防げたが、死ぬ気の連中を阻止することは絶望的だ。無差別のテロは正当化できない。 終戦直前にアメリカが日本で原爆を二発投下、一般住民を殺戮した事実とイスラムのテロと、どこが違うというのだろうか? それだけアメリカは日本に対して悪いことをしたのだ。 人類に対してといってよい。 アメリカが広島と長崎の原爆で一般人の大量殺戮をしたことを忘れてしまったのか? 日本人よ!スターリンと、 毛沢東が数千万の自国の国民を殺戮したことを考えれば、大したことがないと許されて良いのだろうか? ーところで盆について調べてみたー (以下、字数の関係でカット 2008年08月16日) ・・・・・・・ 2005年08月16日(火) 1596, 概念とは 随想日記を(旅行以外は)必ず書き続けると決心して4年3ヶ月経つ。その日以来、一日単位の柱が この随想日記を書き上げることになった。散歩をしていても、寝ていても、全てこの日記を書き上げることが中心である。 (以下字数の関係上カット09年08月16日) ・・・・・・・・ 2004年08月16日(月) 1231, エピクロスー哲学についてー29 エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。次に印象に残っているのは、 「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が無くなるのだから、本人にとっての死は存在しない」という言葉である。 ー父が死期を悟り、その恐怖のどん底の時に、この言葉を伝えた。父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。 言葉の力を思い知った出来事であった。エピクロスは、人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。 快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。 いや逆に、肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。 真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。すなわち、官能の享楽「自足」である。 (以下字数の関係上カット09年08月16日) ・・・・・・・・ 2003年08月16日(土) 864, ミッション・ステートメント ー改訂版
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2013年08月15日(木)
現在のスマートTVの先がけの東芝の多機能TVについて、三年前の14日にテーマとして取り上げていた。 あれから居間はこれを、寝室で普通の薄型TVを見ているため、その差が歴然と見えてくる。三年使った実感として、 ドラマとか野球をジックリ見る場合、寝室の方がTV環境に良い。しかし寝室の液晶TVには録画機能が無いことと、W0WOWが 見れないこともあり、やはり不満が残る。19〜24時までの地上波全局=5時間×6日分の中には必ず面白い内容がある。 当初は、この機能は不必要と思っていたが、使い出すと、これが一番有効な機能。 ゴールデンタイムの一週間分が自動的に 録画され、一週間後には当初分が自動的に消されていく。その中から番組表から選んでみることが出来る価値に気づくのに、 一ヶ月もかからなかった。 ツールが、生活の面白さを決めてしまう一例である。 電動駆動の自転車、iPad、シネマ館、 スポーツジムと同じ。 この2〜4年で、この5つのシステム導入などで生活パターンが全く変わって、段違いに面白い日々。 まず、三年前の ー3428, 今日、我が家に新しいテレビがー2010年08月14日(土)ー の一部をコピーする。 《 八年近く使ったテレビを、「地デジの切り替え時期」と「エコポイント」もあって、思い切って買い替えた。 そのため今年に入って、どれを買おうか、何時買うか、をゲーム感覚で、家電店とネットサイトで集中して探していた。 昨年からバックライトのLed方式のTVが、家電売り場で目立っており、買うならこれと決めていた。ところが、この春の エコポイントの終了間近か辺りから3Dテレビが急に脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これである(略)》 ▼ 現在、慣れてしまうと、これが当たり前になっている。 パソコンでYoutubeをみているが、家内は居間に パソコンがあるが、それをTV映像で見ると格段と面白いとか。 TVもバカ製造の側面が大きいが、割り切ってしまえば、 これほど面白く、便利なシステムはない。パソコンとネット機能が、タブレットとスマートフォンに繰り込まれた現在、 次は居間のTV。まあ、暇人?には、特に面白い時代になっている。居間、書斎、寝室の小さな内周世界と、スポーツジム、 信濃川一周、図書館、シネマと、週3度のランチ、平均して月一度の飲み会と、年一度?の旅行が、外周世界。 これが残された私の人生の世界。 こうして己を冷笑してみると、これまた面白い。あとは人と比較しないこと。好きなことをしてきた強みが、これ。 ・・・・・・ 4159, ペルシャ湾危機 2012年08月15日(水) * 既に水面下で戦争は始まっている! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照) オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。EUのメルトダウンは前に取り上げたので、 ペルシャ湾危機について考えてみる。「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては軍事問題だが、日本にとっては死活問題」と、 いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から中東原油を減らしてアフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は 北海ブレンド原油があり、中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズ海峡を通過する原油が85%もある。 もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響を受けるのは日本である。原油備蓄が半年分あるとしても、 閉鎖をされると原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。現在、毎日のようにシリアの内乱のニュースが流れているが、 アサド政権が倒れると、イランにとっても大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランとイスラエルの 代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、サウジなどの湾岸諸国も対抗上、核抑止力として核とミサイルを 購入するという。それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃すことは考えにくい。イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、 イランの神権政治がイデオロギー的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が頻繁にイスラエルを 崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの領土は小さい。そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 世界的金融危機、中東危機の、いずれにしても、際どい状況が表立ってくると見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛隊基地で 大爆発がおきて、基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。また、この数年来、核科学者が暗殺されている。 これに対しイランも、今年一月にバンコクのイスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカでサウジアラビア大使を 暗殺しようとした事件もあった。 ごく最近では、シリアで国防大臣などが会議で集まったところにテロがあり、国防大臣をはじめ 要人が暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、水面下では戦争突入状態が分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が 続いており、中国、韓国、ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機にあるにかかわらず、いまだ 微温湯的体質が、そのまま残っている。しかし現実は、ますます混迷に向かっている。直近の年内だけ考えても、非常に危険である。 ・・・・・・・ 3794, 哲学人 ー� 2011年08月15日(月) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだブライアン・マギー著「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、 マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後にトイレに5年以上は置いて、ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は 絵と図が書かれており、重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが出来なかったが、一年ほど前に 読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。350ページの分厚い、上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で 自分の哲学遍歴方式で書かれているので、何とか最後まで読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、 コピーしたり、デジタル化して、私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。 著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、何とか続けそうな気がする。 ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー 《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが哲学だった。 「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」とする潮流は、 現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》 ▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が分かったことがある。 「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。 ・・・・・・・ 3429, 電子書籍の衝撃 2010年08月15日(日) 「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著 「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」 「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。 まずー著者後書きよりー 【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に四~五冊も本を 出している書き手のひとりでもあります。その意味で、キンドルやiPadのような電子ブックリーダーが出てくることによって、 本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。本文中で何度も書いていますが、 間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」ということです。何千年も同じような活字形式で 人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから 数十年しか経っていないテレビとは違うところです。でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に 変わったように、電子ブックも本の流通と読まれ方を大きく変えるでしょう 】 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、よりセルフパブリッシングが拡大する。 音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように書籍の世界でも起こるのである。 その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。 ・キンドル、iPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた ・そこには優れたプラットフォームがあり、 ・電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する ・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。 本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社もiTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。 kindle・iPadが、iPhone・iPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。 ・・・・・・・・ 3054,渡辺淳一の不良講座 2009年08月15日(土) 渡辺淳一著『反常識講座』 ー第六章 軽率になって恋をしよう 渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は 品位を疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。 渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。 ー彼の云わんとすることはー ・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。 (字数制限のためカット 2012年8月15日) ・・・・・・・・ 2689, 他山の石のことながら 2008年08月15日(金) ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした 他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭) ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。 (字数制限のためカット 2010年8月15日) ・・・・・・・・・ 2007年08月15日(水) 2325, ベナレス −1 ー読書日記ー 図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。 写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。 この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。 実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。 早く読めたのも、その下地があったからである。 ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。 <その内容の一部を抜粋してみる> インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。 その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。 全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって 担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」 (神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 こうして冥福を祈られながら、 やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つである マニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと伝えられている。 (字数の関係で中間カット 09年08月15日) ・・・・・・ 2006年08月15日(火) 1960, 人生を物語るとは? −2 。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。 意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。 意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って生きることが 意味ある人生であり、 価値実現のプロセスが物語になる。大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も変わらないが、 これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。子供の方は何を言えば目前の大人が喜ぶかを、瞬時判断して答える。 従って、その質問自体が洗脳作業になっている。 ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、 一人物語っていることになる。ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する反対語か? 堕落物語は? 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか? それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、 如何でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、それらのことは些細なこと! お盆で里帰りをしている祖先の霊が一番いいたいことは、そのことである。 『そうでしょう? ご先祖様!』 ーご先祖様ー 『全くそのとおりじゃ! 死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は! 日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。 しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。 その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。 生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は! 此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』 ホンジャ UvU/ バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年08月15日(月) 1595, 自民郵政解散の攻防−5 今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。 (以下、字数の関係でカット08年8月15日) ・・・・・・・・・・・ 2004年08月15日(日) 1230, 広松渉(4)−哲学についてー28 価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている 本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。 文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。 ー大雑把にまとめてみると ・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある ・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。 ・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー 第三章 実践するとはどういうことか 第二節 実践と価値評価 ー概略ー 哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、 価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。 ・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、 「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。 「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。 ・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は 歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも 「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、 そうではない。マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。 現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。 ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー 人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。 動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。 総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に 賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる 賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる 行動の間主体的同調化、ひいては、行動様態についての当為的価値評価の共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。 -------- 偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で価値観について取り上げていた。 今年の価値観は哲学として取り上げた内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。
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| 4533, 閑話小題 ー花火が途中で中止、残った花火はどうなる? |
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2013年08月14日(水)
* 花火が途中で中止、残った花火はどうなる? 「隅田川花火大会」が7月27日にあり、2020年の東京五輪招致を祈願してオリンピックをイメージした花火などが 打ち上げられたが、雷雨のため開始から約30分後に中止になった。同大会が中止となったのは初めてのこと。 三分の一も 上げないうちに中止ということで、貧乏人の私たちは気になるところ。 その疑問を朝日新聞で取り上げていた。 隅田川の花火の場合、保険が80万円がかけてあり、実損はない。筒に花火を入れて置くため雨で湿気てしまい再利用は不可能。 化学薬品で処理した後に水で流すという。隅田川の場合、6千数百万の実損は保険屋が受ける。花火師も当日は冷ひやだろう。 * お盆か〜 お盆については毎年のように書いているが、早朝の三つのお寺の墓参りと、夕方の改めて家内との菩提寺への墓参り。 盆・暮の実家帰りの大移動も日本の風物になっている。 中国も旧正月前後の40日間で延べ31億人が鉄道、バス、飛行機などの 交通機関を利用するそうだ。 日本も時代は変わって、墓参りも以前ほど重きをおかなくなってきている。 私など、仏間の 一角にパソコンデスクを置いて、一日4時間以上もいるので、今さら墓参りの必要もない。 墓参りを何故するか? の哲学的質問に、「故人を偲ぶとき、他に行くところが無いため」というのがある。 実家に仏壇があり、盆暮は昔からの 長期休暇で帰省も東洋的である。 寺への挨拶も、家族形態が家から個人に重心が移っており、以前ほどの重さがなくなった。 時間的には一年の3分の2だが、気持ちの上では折り返しになる。我家は、正月には一家が集まるが、盆は兄夫婦がくるだけ。 年寄のレジャーの趣むきということか。その中で、寺院経営も年々、厳しさを増しているだろう。私自身、このHPが墓とみなし、 死後の墓参りより生存中の墓参りをしてもらっているので、今さらお盆という気持ちが強い。しかし、先祖供養も必要である。 ・・・・・・ 4158, 閑話小題 ーアイスキャンディー 2012年08月14日(火) * 今日は御盆二日目 先日から御盆のため民族大移動が国内外に向け始まった。13日は早朝、三つの寺、夜は菩提寺に二度目の墓参り。 盆暮れは日本特有の恒例の里帰りも良い風習である。不景気で世相が暗くなるほど、こういう行事は大事にされる。 しかし家族主義から個人主義へと考え方が変わる中で、こういう風習も廃れるのは避けられない。ところで墓とは何だろうか? 多宗教の日本人にとっての心の拠りどころ。最後は、あそこに入るという共同幻想があり、祖先の霊が眠っていてイメージがある。 私は自分のHPを墓場とみたて、死んだ後より生前供養に毎日来てもらうイメージがある。ところで百年、二百年先には、家の墓が 残っているかというと、旧家意外は、ほとんど残っていない。本家の墓があるが、一人息子は独身で、やはり百年?。 昨日も、両親に因縁があった無縁墓に花一輪をたてお参りをしてきたが、これも百年。 ところで御盆の13日の早朝、 オリンピックの閉会式のためか人も疎ら。こんなことは初めてである。閉会式の方が優先ということ。お寺も不況業種の典型である。 * アイスキャンディー 子供の頃、街中の「行楽」というラーメン屋のアイスキャンディが夏の名物で、アズキアイスとミルクアイスの二種類があった。 今は店も無くなり、私が知る限り一軒だけ昔のスタイルのキャンディ屋が残っている。10年位前になるたが、たまたま、熱暑の中、 雁木通りを歩いていて見つけた店で、さっそく10本買って帰ったことがあった。 ところで一昨日、近くのスポーツジムの帰りに スーパーに寄ったところ、オバサンが美味しそうにキャンディーを頬張りながら出てきた。 買い物を終え出口近くに行くと、 サービスカウンターでキャンディーを売っていた。オバサンを見なければ見逃していたが、5本買って家に帰って食べてみたが、 思ったより小ぶりで味は今イチだった。 それにしても、子供の頃に食べた行楽のアイスキャンディーは美味しかった! ・・・・・・ 3793, スポーツジムの景色 −3 2011年08月14日(日) 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか? というと、体重は元もと早朝のウォーキングと、サイクリングの効果で、 適正体重を20年以上は保っていた。そのため、減増はないが、頬の弛みは無くなり体調は非常によい。 二年前に3〜4年に一度の重い腰痛になってから、色々の腰痛対策の工夫をしたプラス効果は出ていた。 しかし4月からの 午前中のサイクリングを含めた三時間の運動は、これまでの足腰の関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の関節が固まった 感じが、このジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後の年内には、さらに一絞りした身体が出来ているはず。 ジムでは、常に各種エアロビックと、イージーライン(インストラクターの指導下、6つの器械とステップ台で運動を繰りかえし 一周する)などのプログラムが開かれている。 別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、筋トレマシーンで独自に過ごせる。 時に昼をマタイダときは、外出も可能。 謹慎の身?にとって、昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。 喫茶店替わりである。 これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。 ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると 【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。フィットネスクラブとも呼ばれる。 定義は明確ではないが、 たとえば日本の経済産業省の特定サービス産業実態調査におけるフィットネスクラブの定義は、「室内プール、トレーニングジム、 スタジオなど室内の運動施設を有し、インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、体力向上などの トレーニング方法などを教授する事業所」とされ、室内プールの他に室内運動施設を有しない事業所は除外するとされている。】 ▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルームが加わっている。またランニングマシーンはTVつきである。 ポイントは施設に多くの種類の施設を備え会員数を集めること。今月から極端に会員数が減ったため?、値段を平均一割程度下げてきた。 この施設も半年以上もかけて完成した。しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の難しさを他山の石として 見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、iPadなどのタブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。 ・・・・・・・ 3428, 今日、我が家に新しいテレビが 2010年08月14日(土) 八年近く使ったテレビを、地デジの切り替えとエコポイントもあり、ここで切り替えることにした。 そのため今年に入ってから 「どの機種を買おうか、何時買うか」をゲーム感覚で、家電店、そしてネットで、集中した。 昨年からはバックライトのLed方式のTVが 最近、家電売り場で目立っていて、買うならこれと決めていた。 ところが、この春のエコポイント制限期限が終了間じかになると、 3Dテレビが脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これ。 そうすると今度は3Dテレビに気持ちが移った。 (字数制限のためカット2012年8月14日) ・・・・・・・・ 3053,人を殺すということはどういうことか −2 2009年08月14日(金) 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」 [著]美達大和 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の大部分が罪など悔いてないのである。 犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望のためなら他者の生命は全く価値も尊厳も感じないと暴露する。 照魔境で照らすと、多くの悪魔の姿が映っているに違いない人たち。 著者は、ここで罪の深さを知り、 カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる良心」の重要性を語る。 「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような仲間をみて実感する。 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の希望も全て破壊し尽すということなのです。 それ以外にも、さまざまな負の感情を植え付け、歳月の経過と共に風化させるどころか、増殖させてしまうことに 気がつき愕然としました。・・・・私は殺人には償う術はないと思っていますが、それではどのように生きればいいのか について、懊悩してきました。 ・・・考え続けるほどに、人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。 ・・・「獄」という字は、獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。 正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると思っていましたが、現実は違いました。 (字数制限のためカット2010年8月14日) ・・・・・・・・ 2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」 2008年08月14日(木) ー遊びをせんと生まれけむー −読書日記− 亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、 口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。 ・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。 ・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、絵画、音楽、映画、演劇などに 感動することが人生を豊かにしてくれる。 ・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」 にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。 ・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。 この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて次のように述べている。 《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。 最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。 猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。 おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で 発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、 足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。 (字数制限のためカット2010年8月14日) ・・・・・・・・・ 2007年08月14日(火) 2324, 嘘でしか語れない真実もある! (。・・)ノぉはょぅ♪ 芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。 あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。末期がんの患者に、 「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか? 死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにしてやる方がいいのか? これは誰も判断の出来ないことである。日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。 女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。 いや、真実を引き出す行為か? プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら 平気で嘘を書きなさい!と教える。読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。 「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか? 少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。 嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は 自分に跳ね返ってくる。相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。嘘でしか語れない真実? ー以下は字数の関係上、カット。(09年08月14日)- ・・・・・・・・・ 2006年08月14日(月) 1959, 人生を物語るとは? −1 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 * 人生を物語るとは? 自分の人生を振り返り、現在への筋道をたどって、その意味を考えるという、人生の総括である。 悪く言えば自分の人生を絶対肯定化、正当化しようということになる。 自信が無いからか? はたまたドブ沼のドロさらい? いや宝探し? 自分の人生を物語ることが、自分の人生の意味づけなら、「物語の意味は何か?」を、考えてみる必要がある。 哲学者のリクールは『時間と物語』の中で、「物語」の本質は「筋」の存在にあり、「筋」とは不調和なものを調和の中に組み込み、 そのことによって不調和なものを理解可能 なものとし、感情の上でも受容できるようにするのだと論じている。成る程!そういえばそう。 哲学者は上手く真理をつくものだ。「物語」とは「筋」に 沿って配列された出来事の連鎖ということになる。たどってきた過去を振返り、 現在という到達点に至った道のりの要所ごとの出来事を再編成していく作業が、その人の物語になる。 ーある本に「物語」について解りやすく書いてあった。 先ず、それを紹介してみようー 自分の人生を回想的に語るとき、 ・第一に、 私たちは人生において 経験したことのすべてを語ることはできなし、語ろうとも思わない。 「語るに値すること」「語ってもよいこと」「語るべきこと」といったフィルターを通過した出来事のみが語られる。 回想とは模写ではなく、抽象である。 ・第二に、 私たちは人生において経験したことを、たんに時間の順序に従って語るわけではない。 一見、そう見えるかもしれないが、実は出来事間の因果関係、起承転結というものがそこでは意識されている。 語り手は、「人生上の出来事を因果の連鎖によって結びつけることによって、自分がかくかくしかじかの人生を歩み、 別の人生を 歩まなかったのはなぜか、ということを説明しようとしている」のである。 ・第三に、私たちはそうした 因果関係の連鎖として語られる自分の人生に対して、「幸せな人生だった」とか 「つらい人生だった」とか―実際の評価はもっと複雑であろうが、何らかの評価を下している。 このように個人が自分の人生を回想的に語る(抽象し、説明し、評価する) とき、そこには「人生の物語」のパターンが 先行的に存在している。 だからこそ私たちは、それほど苦労することなしに自分の人生を語ることができるのである。 また「人生の物語」のパターンは、人生を回想的に語る場合だけではなく、 これからの人生を どのように生きていこうかと考える場合にも役に立つ。 子供は「人生の物語」と出会うことによって、「人生」に対して自覚的(目的論的)になる。 日常生活を構成する諸々の活動が「人生」として 組織化されてゆくのだ。 「人生の物語」には四の類型に分けられる。 ・まずは努力と上昇を二大要素とする「成功の物語」 ・そして「幸運の物語」 ・「挫折の物語」 ・「堕落の物語」 「幸運の物語」とは「努力せずに上昇する(棚からぼた餅)」 物語であり、 「挫折の物語」とは「努力はしたが上昇できなかった」物語であり、 「堕落の物語」 とは「努力せずに下降していく」物語である。 「成功の物語」こそが近代社会における「人生の物語」の正本であり、 他は正本の正統性を際立たせる ための異本である。 とくに「堕落の物語」は反面教師として「成功の物語」とワンセットで取り上げられることが多い。 ー以上である 実際の人生の総括とは、混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、ドロ(成功・失敗・挫折・幸福) を抜き出していく作業である。成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、二次的なものでしかない! ーつづく ・・・・・・・・・ 2005年08月14日(日) 1594, 犬の散歩 毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。何時も思うのは、犬と飼い主が似ていること。 (字数制限のためカット2013年8月14日) ・・・・・・・・・・ 2004年08月14日(土) 1229, 死亡欄 この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。 (字数制限のためカット2011年8月14日) ・・・・・・・・・ 2003年08月14日(木) 862、「財産を無くす人、財産を残せる人 」 ー読書日記 ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術- 清水洋/著 ー以下は字数の関係上、カット。(03年08月14日) ・・・・・・・・・・ 2002年08月14日(水) 487,アメリカンインデアン 以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで仰天した。口伝で代々受け継がれてきた内容が 3万年以前のものだたりする。 (字数制限のためカット2011年8月14日) ・・・・・・・・・ 2001年08月14日(火) [107] 「私の死亡記事 「私の死亡記事」‐文芸春秋 図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」 (字数制限のためカット2013年8月14日)
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2013年08月13日(火)
* つまらん男は私じゃないか 今さらだが、最近、人生を振り返って、つくづく自分が「つまらない男」「嫌な奴」と自覚するようになった。 色いろの経緯もあって、自己否定と、それを打ち消そうとする自己肯定が、せめぎ合う日々。 老年は誰も似たかよったり? 相手を指摘するときの人差し指の下の3本は自分の方を向いている。親指は上を指しているが、親指が天の道理で、 人先指は相手の指摘、他の三本の指が自分のこと、になる。相手の指摘は、自分に三倍も身に覚えのあること。 前回の同級会で、社長まで上り詰め、順調に定年をむかえようとしていた矢先、不条理の返り矢に当たった実直な人物に、 励まそうと思って使った枕詞で、大失言をしてしまった。「つまらない男と思っていたが、良かったじゃないか。 この試練でアンタも半人前になれたんだから!」と。これ、自分に対する自問自答の末、出した、その時点の自分への結論。 「つまらない男」は自分のこと。しかし発した言葉は帰らない。恐ろしいことである。 その直前に横の席に実家の老舗を 倒産させてしまった人物が、「倒産した現状を考えれば考えるほど、心から感謝させられる!」と、語りかけていた。 この心の経緯が、私の自問自答の中でも多くあった。「事業が順調で、息子の一人を継がせるのが、果たしてベストだったか。 もう一人の息子に恨まれるし、継いだ方は上手くいって当たり前で、頓挫すれば恨まれるだけ。この三羽の震災クラスの黒鳥の 到来で、思い切った事業撤収の決断こそ、ベストではないか。下手な未練はないし、オセロじゃないが、それまでの白コマを 逆に黒コマとして考える機会にもなる。しかし、これは、口外してはならないし、第三者からみれば自己詭弁でしかない。 このクラスの震災と経済震災の出あいは必ず意味がある。」と思っていたので、それが手に取るように理解できたのである。 で、その返事が偉そうに、「以前の不幸を加えると、あんたも、これで一人前! 人生の完成じゃないか。」である。 哲学で言う、「承認」の言葉。 それに対し、もう一人には、あまりに無神経な言葉である。でも、その結果は当人にとって 大きな意味(価値)があるはず。そのぐらいのことは葛藤の中で十二分に自覚はしているはずだが・・・ それにしても、常日頃、自覚し始めた「嫌な奴」「上から目線のヤワな奴」の、自己「承認」になった。老いは恐ろしい! 【 *哲学でいう承認とは? =ホネットの研究テーマは、相互主体間関係の倫理的な再構成(ハーバーマスと同様、 個々人の関係における道徳性の再構築)にある。つまり、倫理的(道徳的)発展は、相互主体的関係を前提とし、その中心は、 承認関係に置かれている。】ー究極状態の主体たる相手を認めなさい!これ人間関係の基礎ー ご先祖様、歪んだ私を助けて! ・・・・・・・ 4157, 老後は夫婦の壁のぼり 2012年08月13日(月) 「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著 ーまずは、内容紹介よりー すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を 縦軸に、今、団塊世代が直面する「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。 ーー 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、 マサカの坂に出会ったりするが、老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、のようなもの。 とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。 しかし稼ぎを無くして年金暮らしで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと 溝は深まるばかり。 ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。 NHKの健康に関するTV番組に出演した時の、鈴木清順の ー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。 著者は草野球をしていたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との交流の嬉しさ、そして、 試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること・・・」と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。 ≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、どなると 大声が出て肺に良い。毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から鱗が落ちた。私の草野球健康法は 海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと大声で喧嘩もしていられない。家内とも大喧嘩は 日常茶飯事だが、どうもこうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、家に入ってからは、互いの壁のぼりが 言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の悪い人を選ぶ!」という格言がある。若いときは、自分にない部分を 持っている人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人である。それが長年かけて鬱積として蓄積されている。 それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、年金暮らしで昼も夜も一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、 縦社会に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に慣れてないため、どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。 小さな家の中での啀み合いが、「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ? ・・・・・・・・ 3792, つれづれに ー 今日は御盆 2011年08月13日(土) 今年の御盆は格別の思いである。 姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を倒産させてしまった。 「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、 数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。 経営は結果責任、言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そしてトドメが三年前のリーマンショック、 その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新と第二次世界大戦に匹敵するか上回る規模になる。 問題は、それが今だ進行中であること。 父親が、第二次世界大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて 再チャレンジ出来る年齢ではない。 また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、 いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶するツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにもマイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、 個々人の間の情報が瞬時にやり取りが可能になった。 そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能になっている。 この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。 この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。この布置は、世界規模では戦争か、災害が起こる 可能性がある。 それが我々の前にどのような事態で現れ出るのだろうか。 幸いといって良いのか、世界に先立って、日本は20年前に バブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズをしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。 第二次世界大戦の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験している自分が、そして日本がある。 その三分の二が右上がり、三分の一が右下がりであった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。 日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か! 目出度し目出度し!より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。 ・・・・・・・ 3427, iPad 対 キンドル ー4 2010年08月13日(金) 『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。その一番ホットなのがモバイル携帯電話。 代表的なのがiPhone。それが今やiPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。 これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、消費者は使い勝手が良くなる。 その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、 情報の受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、これまでとは全く違った社会になっていく。 これからの社会の変容は誰も予測はつかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 考えてみればパソコンが卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。最近になって携帯に パソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコンになった。 とすると、次の何かが出てくるはず。 ヘルメット式とか、メガネに画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、早晩に出てくる。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) ・・・・・・・・ 3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い? 2009年08月13日(木) 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。 私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも悪かったとも思っていない。 どっちにしても同じでしかないのは分かっている。それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。 ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 が、あったのである。 渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。 その概要といえば 【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。 田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して 無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、 レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ 逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、 その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が 美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。 若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない 緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の 幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】 まったく、その通りである。 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。 どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、 地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な 緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・ 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、 大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の 仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の 猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。 そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、 当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。 それぞれ! ということを知っているから。 ・・・・・・・・ 2687, 閑話小題 2008年08月13日(水) *お盆か〜 お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。 もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。 盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) *北京オリンピック *最近の車事情 (字数の関係でカット 2010年8月13日) ・・・・・・・・・ 2007年08月13日(月) 2323, 面構え ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆ つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。 先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、やはり人生の風雪に 鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が出来てくるのは50代に入ってからである。 『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。 片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。 その中の第1作「足利尊氏」など、あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。 (字数の関係でカット 2011年8月13日) ・・・・・・・・・ 2006年08月13日(日) 1958, 今日はお盆ー2 \(^▽^*)おはよう 「今日はお盆」というテーマで書こうと思ったが、この日に、そのテーマで書いてないわけがないと振り返ってみたら、 4年前にチャンと書いてあった。(あとにコピーしてあります)気がついてないで書いていたら、80?は同じ内容だったろう。 4年も経って、大して成長していない?自分の脳が見えてくる。まあ、後退しないだけでも有難いと思わなくてはならないか? \(∀\)ココハドコ? 娑婆娑婆♭♯♪〜(/∀)/アタシハダアレ? ユー レイ♪ノ(^-'o)♪☆(o^-^)\ レジャーの無かった時代の盆・暮れという里帰りのシステム、当時の長期?休暇だったのだろう。 考えてみれば良い文化である。一年に1~2度、田舎に帰り家族や幼馴染に会ったりするのも良い。 先日、学生時代のゼミの後輩と酒を飲んで聞いた話だが・・ ーM氏は東京の中野に住んでいるが、小学校の同級会を開こうと 思い立って同級生と三人と名簿を調べたら、63人の同級生が他に一人しか見つからなかったという。 都会は、それだから良い!と思うのか? いや寂しいと思うのか?やはり後者だろう。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) ・・・・・・・・ 2005年08月13日(土) 1593, ひらがな思考術 −1 −読書日記 図書館から借りてきた本だが、目から鱗の本である。著者はコピーライター、シンクタンク社長、コミュニケーション学部教授、 という三つの経歴を持つから言葉に説得力がある。ひらがなでわざわざ文章を書いてみたら、なるほどドンドンかけるのだ。 (字数の関係でカット 09年08月13日)) ・・・・・・・・・ 2004年08月13日(金) 1228, 広松渉(3) 哲学についてー27 ー人生舞台の役・割について 「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))の概略を前回書いたが、行為の存立構造をなしている 「役・割」について、私の説を書いてみる。「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。 永遠の人生の課題といってよい。結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。 それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。離婚は互いの相性もあるが、 この複雑に入り組んだ関係もある。演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。 長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、コトは複雑である。 嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。 その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。 家という制度が強い時代ならまだしも、 今のように個人が主体という時代では、嫁姑の関係はこじれるケースが多い。 正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。 地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、行為の存立構造は露わになるケースが多い。 ・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの因習の世界で因果関係の芝居が演じられる ・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役 (字数の関係でカット 2010年8月13日) ・・・・・・・・ 2003年08月13日(水) 861, プライドー2 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。その状態が逆にエネルギーになる場合もある。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) ・・・・・・・・ 2002年08月13日(火) 486, 今日はお盆 13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。 (字数の関係でカット 13年08月13日)) ・・・・・・・・・ 2001年08月13日(月) [107] 「私の死亡記事 図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い! 各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」 (字数の関係でカット 13年08月13日))
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2013年08月12日(月)
「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著) * 最近、涙もろくて困るんです・・・。 A: 「男は人前で涙を見せてはいけない」と教えられて育った昭和の男です。ところが、不惑を過ぎた頃から、どうも涙腺が 弱くなってきました。いや、近しい人のお葬式とか娘の結婚式とかで泣くのならいいんですが、本当にちょっとしたことで 泣いてしまうんです。特にヤバイのが映画。昔だったら絶対泣かないどころか、半分バカにして笑ってたようなべタベタな 泣かせ映画で泣いてしまって、周りに気づかれないようにするのが大変です。「おっぱいバレー」や「ルーキーズ」で涙が あふれてきたときには、我ながら呆れました。一人のときならいいですが、人前ではみっともなくて困ります。 どうすれば、つまらちいことで泣かずに済むようになるでしょうか。(51歳・男・自営) B: 昭和の男だって、泣いていいんですよ。星飛雄馬だって父ちゃんだって、よく泣いてたじゃないですか。 「少年兵は簡単に人を殺す」って(戦場カメラマンだった)鴨ちゃんに聞いた括だけど、それは子供は生きていくうえでの いろんなことを知らないから。子供はすぐ虫を殺すけど、大人は「かわいそうだから、やめておこう」ってなるのと一緒。 大人の涙は、色んなことを経験したから出る涙なんだよね。「いろんな人生にお疲れ様」という涙。私の周りの大人もよく泣く。 もう泣きまくり。男の人も女の人も。この年になるとみんなもう背負っているものが一杯になって。ちょっとしたことで 「ああ……」って溢れてくる。私もホントに、世界中いろんなとこに旅行に行っても、本を読んでいても、子供のチョッとした こととか、猫が寝てるのとかを見ても、過去の何かとすり合わせようとするみたいで、自分の中でこみあげてくるものがある。 ヘミングウェイの「何を見ても何かを思いだす」じゃないけど、もう走馬燈が回り始めてるのかも。「人前でみっともない」 って、そんなことない。もし「泣いてる父さんが嫌だ」なんて言う人が周りにいたら、そんな人とはつき合わないね。 やっばり今まで我慢してきたことかたくさんあるわけで、そろそろ体の中の我慢のツボがいっぱいなんですよ。 だから溢れてるわけで、それを無理に止めるとホントに心の病気になってしまう。だから、よく泣き、よく笑い、よく飲んで、 よく食べて、外に出て、体を動かして日の光にあたること。その年で精神を壊すと大変ですから、我慢することなどしないで。 遠慮せず、泣いてください。だって、あと少ししたらもうチンコも立たなくなって病気になって死ぬだけですから。 歌にもあるでしょう、「泣きなさい、笑いなさい」って。すべて自然のままに垂れ流しでいきましょう。 結論、 自然のままに垂れ流せぱよし。 ▼ 20歳代によく布団の中で泣いたものである(但し人前では泣かなかった)。それが30歳過ぎた頃から泣かなくなった。 泣いていられるほど置かれた立ち位置が崖っぷちだっただけだが。布団でも人前でも、涙を流すと何か踏ん切りができる。 さめざめ泣くことと、腹から笑うことの中に、心の深い傷に対して人類の長年かけ作りあげた自浄作用があるようだ。 自浄作用といえば、先日、信濃川の長岡大橋をポタリングをしている時のこと。初老の男が、川に向かい背中を反らした後、 前を屈むようにしながら数度、「ワォーッ」と喚いていた。何かがあったのだろう。今度、誰もいないとき、やってみようと 思ったが、これ、気持ちがいいはず。今度、シネマで、対象のストーリーに感情移譲をして、泣く練習をしてみようか。 ・・・・・・・ 4156, EUメルトダウン 2012年08月12日(日) 「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著) オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、緊迫した日々になる。 この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、イスラエルによるイラン核施設への可能性である。ズバリ8割だろう。 この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。去年暮れに出版された本で、その後の推移は、 ほぼ当たっている。しかし、その都度EUは何とか緊急融資を決定して、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー ≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、スペインといったいわゆるPIIGS諸国″に連鎖し、 遂にEUの屋台骨の一つであるフランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しようとしている。さらに、もう一つの屋台骨である ドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。EUは、まさにメルトダウン寸前の状態にある。 ギリシャの破たんが、 すぐそこまで来ている今、ユーロは暴落し、諸外国の株価も急落している。EU発の世界経済大崩壊″第二のリーマン・ショック″は 日に日に現実味を帯びてきているのである。果たして世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。そして、この欧州危機は世界に 伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? ‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わりつつある今、世界経済は大変革の ターニング・ポイントを迎えている。欧州危機を乗り越えるにはどんな方策があるのか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に 関わっていくべきなのか?エコノミスト・浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、マーストリヒト条約締結から 現在に到るまでの歴史的事実から、EU、そして欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫ ▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから始まったが、その足並みが揃わず、大きな壁に突き当たったが、 最後に妙案が出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、ドイツの経済実態に自国経済のパフォーマンスに 摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、失業率も、金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」を 各国がすることだった。ところが、1990年代に入って、安定するはずのドイツが、東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、 統一ドイツ・マルクになって、価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々のために「連帯税」を 取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、南欧の人たちの仕事に対する甘さが、そのまま、ドイツに重く圧し掛かって、 その将来に暗い影を落としてきているのが現状。ドイツ国民も、どこまで、この重圧に耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも 言い出し、勝利を収めれば、このEUのメルトダウンが大爆発を起こし消滅することにもなりかねない。その前にPIIGSの一つが デフォルトの可能性が大である。時の権力者は自分の代での爆発は避けたいもの。それが積もり積もって、限界点に到達したか? ・・・・・・・ 3791, スポーツジムの景色 −2 2011年08月12日(金) このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、 「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは値段の安さである。 昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、日祭日を除く10時から17時)のコースが、 月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。20日で割ると一日300円でしかない。 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、ジム内の会員数が激減をしている。 まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。嘘のようだが、本当である。僅か4ヶ月のうちである。 平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多いこともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。 会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。 イメージからして、農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介キャンペインを 始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 10年前の9.11テロと、 3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の文明と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、 私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の地震・津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの 世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が減っているかどうか聞いたところ、 「元もと少ないので、減った感じはない」という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに 様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が 付加されているので、大方が元に戻るというのも考えにくい。 やはり大震災の影響である。それと私自身の見方が、時が時だけに、 悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設のサンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、 我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、 景気も、そう甘いものではない。 それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 ・・・・・・・・ 3426, iPad 対 キンドル ー3 2010年08月12日(木) 『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 * iPadは「eBook」ではない?! 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。 しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かってきた。 アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。 モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動したのである。 この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格の モバイル小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングやカフェなどで 見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのためiPadやキンドルとは似て非なる ものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさをソファーやチェアやベッドで寝そべって見れるところが、 ポイントとなっている。 我家の居間のテレビ前の座り机の横にパソコンを置いている。その台は回転が効いて、 私が使ってないときは、家内が向きを反転させ使っている。だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。 居間で時間を遊ぶ面白さがよく分かるからである。 次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。 既に多くのものがiPhone用に開発され、世界中に普及している。それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。 そのためkindleがeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」に特徴になる。 またeBookに関していうと、 手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対して「雑誌」的なiPadといえる。現在iPadが月に100万台の大ブレークの販売に、 一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。これは、これまでの出版業界だけでなく、マスコミそのものの根本からの 崩壊に繋がる。紙の出版物は10年後には半減どころか、10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。 ・・・・・・・・ 3051,人を殺すとはどういうことか 2009年08月12日(水) 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」 [著]美達大和 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、借りてきた本である。 LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、 今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。 後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。 高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、 後悔や反省の念がわき起こる体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに 起こした。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について 「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。 そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。 強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。 ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・・・ 2686, 人生のハレとケ 2008年08月12日(火) 以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。 ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、 しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。 そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで 面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。 写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、 その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。 生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。 だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって 白だけだったら白色の白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、 如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他 メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに 徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。 『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。 さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜 ・・・・・・・・・・ 2007年08月12日(日) 2322, 政治家の家族とは・・ −3 (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪ *銀座のママと政治家の共通点* 彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。 夜の水商売は虚飾の世界である。前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。社会を選挙民という 票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。 議員として相応しい人物としての演出された顔である。夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる 「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。 お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。 遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解っていながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。 サカリのついた狸と、 それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?政治家も、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。 (以下、字数の関係でカット 09年08月12日) ・・・・・・・・ 2006年08月12日(土) 1957, 片づけられない女ー2 \(^▽^*)おは! 検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。 (以下、字数の関係でカット 09年08月12日) ・・・・・・・・・ 2005年08月12日(金) 1592, 幇間ー太鼓もち 幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・ 2004年08月12日(木) 1227, 新潟駅前ランチ事情 新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1〜2年で、横浜軒、松屋、ロイヤルホスト、すき家、などの ナショナル・チェーン店が進出してきた。 (以下、字数の関係でカット 12年08月12日) ・・・・・・・・ 2003年08月12日(火) 860, プライド -1 プライドについて考えてみる。 プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・ 2002年08月12日(月) 485, 「我思う故に我あり」-1 デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。 (以下、字数の関係でカット 13年08月12日) ・・・・・・・・ 2001年08月12日(日) [106] 坂之上小学校ー同級会 昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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