堀井On-Line



4180, 復讐するは我にあり

2012年09月05日(水)

 『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、”我”というのが神様(イエス)のこと。復讐はまた新たな
復讐を呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。
この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした作品
【復讐するは我にあり】。 1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった一人の男、
榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と
豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、
78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。≫ である。
 この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、怒り心頭になると、この言葉を呪文のように唱え、
気持ちを収めてきた。逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で傷ついてきた。その時も、
この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねるにつれ、この言葉の重みを感じている。 要は因果応報で、報いは一番、
当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。怒りの感情は、相手を毒する以上に自分を害する。
復讐となれば更に毒が自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な裏切りの怒りは癒しのしようがない。
この言葉を唱えるしかないことになる。 逆に祝福を積み続けた人に神は幸運を与える。「積善の家に福来る」である。
しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、
他力に頼ろうというしたら、国は滅びる。人を恨めば穴二つ、という格言があるが、復讐は長期的潮漬けにするしかない。
「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。
 ・・・・・・
3815, 哲学人 ー⑨
2011年09月05日(月)
                     ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  * ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー
 人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と現実があることを、垣間見てきたつもり。
 私たちは表側の一部だけの事象を見て判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は7千~8千年前。
 当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に近い星があることも分るはずがない。 
 現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。 その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。
  以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。
【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、そのときどきの経験の裏側には、常識ではまったく感知できない
 真理と現実が数多くある。 それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものであることが少なくなく、真実であると
 わかったところで、とうてい納得できない場合もある。  例を挙げると、
・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を構成する素粒子の一部は不規則に運動している。これらは
 すべてエネルギーに変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、こうしたことは常識的なものの見方とは全く相容れない。
・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ見えない波動に溢れており、
 そのほかにも数々の分析可能の属性を有している、という事実にしても同様である。 
・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百キロで自転していると同時に、空間を驀進しているといった、
 ごく基本的な事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に)直観に反しており、真理であるとわかっていても
 見たり触れたりすることはできない。この事実はあまりに常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、いまからほんの
 数百年前のことだというのに、ふざけた空想家か危険な嘘つきとして糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、
 あらゆる真の宗教と(それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。
このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか忠実に説明してくれそうもないということを、
私たちは事実として知っている。さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろのことや、量子物理学によって
明らかになったもろもろのことが示しているように、私たちがじかに触れている物理的環境は、近年まで人間には想像もつかなかったほど
奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。
このような状況のなかで常識的な世界観の擁護を試みても、やる前から結果はわかっている。この試みはきわめて想像力を欠いた
アナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめに述べるなら、
常識的な世界観は思慮の浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で
私が何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』(『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。
「……そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の本性について、五里霧中におちいりざるをえない。
そこで物理的対象を正当な理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそういう説を否定することは
正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、奇妙であらざるをえない」 】
 ▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。私の知る限り、教養を積んできた人ほど軽くなっていく。 
  生きてきた月日の出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを知っているからである。
 ・・・・・・・
3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7
2010年09月05日(日)
 * アフリカに魅せられて
 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、
その写真を見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。
それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。
そこには、バルーンから動物を撮った写真もあった。 なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか?
実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない活き活きした
野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に魅せられたばかり。
なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 
しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。
とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの平原にサファリカーで
乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが見えてきた。事前知識は全くないので、
期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、
信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。
現地のドライバーが、無線とか、行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。
そして、夕刻に像の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と隊列を組んで進む姿が
何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に添乗員が一人。我われ夫婦に、
40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になってしまう。 これほど、都合の良いサファリのツアーは
今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。
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075, 父は疲れてしまったのです!
 2009年09月05日(土)
 * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日
 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。
  ー概略とは
《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党が自民党から生まれた「子」
と考えとわかりやすい。 要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は、「夫」の自民党に何度も裏切られても、
なかなか別れることができない。 離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても
「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。
でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ威張っている。
そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 一種の自殺願望。
小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという自殺願望である。
半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。
国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。
彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。
「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。
自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」
という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。
「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。
自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。
恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 
一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》
 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。
このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。
森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。
社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 
一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。
 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。
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2710, 今東光の話題
 2008年09月05日(金)
 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた
「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに
驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。
今の時代が、この馬鹿な質問者よりもレベルが下になっているのか?。
彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう!
「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜!
ブチ殺すぞ、この野郎。 頭と尻尾から腐るというが、あのパンダのようなキャスター上がりのようなオナゴが
次の首相に立候補だと、何をぬかしあがるか。馬鹿野郎! 面を見な、面構えがなってないじゃねえかよ、わかんねえのか!
程度の低い二代目が続けて首相だと、あいつらに国家が任せるしかない、日本がよ哀れでしか思えね〜よ。たくも〜!
どれもこれも腑抜けた奴ばかりじゃねえかよ、あの中曽根も、まだ生きてやがる!それもしたり顔をしてよう。
今度は、吉田茂の孫かよ、そして何をするかとみたら、またバラマキかよ。なんなもの。
一度な〜、明治維新のことを考えてみなよ。 今の日本の危機は、あんなものじゃねえんだ。解ってんか!」
大体こんなものか。 今度、今東光を私の脳に呼び寄せて娑婆批判をしてみる。「今東光語る」とかいうシリーズで!
  ー「極道辻説法」etc よりー
(以下字数の関係で中間カット2009年9月05)
(相談者)「親友はどのようにしたら出来ますか?」
 (回答) 「そういうことを質問するテメエぐらいバカはいねえんだよ。
      なぜテメエがだよ、テメエ自身がいい友達になってやるっていう覚悟をしないんだよ。」
(相談者)「男の生きがいとはなんですか?」
 (回答) 「男の生きがいってもんはな、生きてて満足だっていうのが生きがいだよ。とぼけたこと言ってんだコノヤロウ」
(相談者)「人間はなぜ人を好きになるんですか?」
 (回答) 「じゃあ、なぜ嫌いになるんだい? オレなんかやっぱり人間好きだもんな。
      人間が好きだからこう文学も絵も書けるんで、嫌いだったら出来ないよ。しかし、人間には欠点がある。
      逆にこの欠点があるからこそ愛せるんだよ。欠点がなかったら神様や仏様みたいなもんで、これは彼岸の人だ」
(相談者)「人生とは何ですか?」
 (回答) 「いい言葉を教えてやろう。それは「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という言葉だ。
      遊んで遊んで遊び尽くせば何かに突き当たって掴むものがある。何もやらない戯無よりも、
      たとえ失敗しても傷心の方がはるかに貴いものなんだ。空々寂々たる人生なんて糞食らえと思うべし」
(相談者)「仕事が忙しくて友達ができない」という悩みを抱えた22歳の左官に
(回答) 「オレはおめえの言うこと聞いてて、もっとも情けなくなるのは、どうしてそんなに友達が欲しいのかっていうことだ。
      友達なんて要りゃあしないよ。自分が立派になりゃあ、向こうが友達になってくれと来るんで、友達なんてものは、
      いくらたくさん持っていたところで、いざとなって役に立つっていったら、一人もいないもんだ。
      友達なんてものはそんなもんでね。バカこくな!  (中略)
      何もつまらん女をひっかけたり、友達作ってストリップを見に行ったりせずとも、ひたすら壁を塗りまくれ!
      金を使うひまがないんならなお結構な話じゃないか。 塗りまくって金を貯めまくりゃあ、
      いくらでもいい嫁をもらえるじゃねえか。  何をぐだぐだ言いやがる。しっかりせえ!
(女に嫉妬する男に対して)
(回答)  その女、オレに紹介せい。なかなか面白そうな女じゃないか。
      結婚なんてさせちゃあいかん。てめえもヤキモチ焼くようじゃ、そんないい女とする資格なんかありゃあしねえ(中略)
      糞ったれ野郎!彼女が美しければ美しいほど、ボーイフレンドはいるだろうし、 てめえなんぞはもう脈ねえよ。
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2007年09月05日(水)
 2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2
この本を読むまでエーゲ海の周辺に無数の遺跡があることを全く知らなかった。
ギリシャ本土はもとより、エーゲ海に点在する島々に、そして対岸のトルコのアナトリア地方に数知れないほどの遺跡がある。
素晴らしい神殿があっても、その由来が全く解らないために、神殿A,B,C,Dなど記号で呼ばれているものもある。
序章の中で、シチリアのセリヌンテ神殿群を訪れた時のことを、以下のように書いている。「なぜそんなにまでして
遺跡を見て歩いたのかと問われると答えるのは簡単でない。ほんものの遺跡と自分自身で出会った事のない人に
その理由を説明するのは、ほとんど不可能に近い。」
「遺跡=滅びた跡。そこに必ず、繁栄と栄華ののち、その時代の大戦に敗北して破壊され滅亡した都市の歴史が刻まれてる」
「知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。
歴史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に遺されている歴史。
それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、
語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」
「いま自分の前にあるこれらの神殿。これだけの見事な神殿が、これだけ立派に保存されているのに、
この神殿がいかなる神殿であったか、誰も知らないのだ。記録された歴史などというものは、記録されなかった
現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。
宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。」
「時間は一つの方向に不可逆的に流れるものではない。円環をなしているのだ。
時が円環であるなら、初めもなければ終わりもない。過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。
現在は永遠に過ぎ去りゆく一瞬ではなく、永遠そのものである。
現在はすでに過去に無限回くり返されたことがあり、未来においても無限回くり返される。
人はまさにこの現在の一瞬において、過ぎ去りゆく時を生きているのではなく、永遠を生きている。」
人気(ひとけ)のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、
これが永遠なのだということが疑問の余地なく見えてくるような気がするという。
他にも、シチリアのセリアンテ神殿群、トルコのペルガモンの大劇場、ディディマのアポロン神殿、
エフェソスの大劇場・アルテミス像、聖山アトス、リキアのサルコファガス、ヒエラポリスのネクロポスなどがある。
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2006年09月05日(火)
 1981, 歩行とダンスー2

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4179, プライドと自尊心と虚栄心

2012年09月04日(火)

 * 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは?
言葉のイメージとしては良い順に ・自尊心がある ・誇り高い ・プライドが高い になる
 ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより)
≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の弱さをカバーするための防御する気持ちである。
自分がしていることを自覚できるのは、それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。
精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものはないと知る。なぜなら、精神としての自分にとって
何が大事かを考えることを知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、つまり精神を大事にすることである。
「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を愛するということの、本当の意味がこれだ。自尊心を持つことと、プライドがあるということは、
間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思っていれば、他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら、自分で
自分の価値を知っているなら、他人の評価は気にならないはず。もし腹が立つなら、自分の価値より他人評価を価値としているからだ。
それは自尊心でなく、虚栄心だということになる。≫
▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。人から否定的な事を言われたり、弱い自分がさらけ出されても
 自尊心が高ければ、心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う虚勢で弱い自分をカバーする。
 プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。自分を尊び、価値ある存在と信じる自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人ほど
 プライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。
 誇り高いというのはプライドと意味は似ているが、虚勢の高さはプライドほど高くはない。自尊心とは自分に自信があって生まれる。
 プライドは、自信がないための防御の柵をいう。無知蒙昧のカラ元気。 居るよ、こういう人!地頭が悪いというか、底がない? 
 何か、自分のこと?と思い知る。プライドも自尊心もズタズタ?が現在の私だが、ことの本質(世界恐慌)をみれば極当然のこと??
 と、プライドの心が囁き出す。そして、そのプライドの壁の上から、そこに来ている恐慌の大津波を眺めている日々というこか。 
 ・・・・・・
3814, リタイヤの生活は退屈か?
2011年09月04日(日)
 良かったのか悪かったのか、10代半ばから常に受験、就職、事業などで、常に追い立てられて生きてきた。 
しかし思いもよらずに? ここで追い立てられてきた人生から50数年ぶりに解放された! のが、現在である。 
その前のイメージは、本音でいえば味も素っ気もないのでは? と思っていた。
しかし、その立場になって分かったことは、「それはそれなりに充実している」ことである。
 10年かけてネットに重心を移動していたこともあって、気持ちに余裕がなければ、こうはいかないのだろう。
事業の結果がこうとしても、これだけ世界規模の経済震災や自然災害が次々と生じれば、諦めもつくもの。
現在の状態を抵抗なく受け入れている自分に驚いている。 逆に、何だったのか、この10年は?と、疑問も生じてくる。
止めようもない右下がりの落ち込みに、対処療法しか手の打ちようがない日々も辛いもの。6年前に大手銀行からの
会社売却の話があったが、これは「生きたまま銀行系列のホテルに、ただ同然に持っていかれるレベル」の案件。
あれから6年間も持続した分、実質な回収とも解釈ができる。 反面、倒産は避けられたかもしれない。
それに関しても後悔は全くない。 目先の資金繰りの綱渡りは、事業人生で一度も経験したことはなかった。 
半年後には給料、退職金の大部分も、取引先の支払いも、(資金繰り表から逆算して)不能になるのがハッキリしていた。
そのため目先資金の余裕のあるうちにと、会計事務所、弁護士、私と役員で相談の上に、少し早目の整理に入った。
それが打撃を最小限で終わらせたことになる。 そうはいっても会社の死は、そう生易しくはない。 
 当分はiPadに集中。 最適なアプリを画面上に配置することと、新しい何かにチャレンジすることである。 
10数年前に亡くなった母親の老後の様々なチャレンジを身近にみていた。その辺にヒントが隠されているようだ。 
「良い人生、悪い人生ではなく、充実している人生」がキーワードになる。
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3449 秘・異郷の旅、よもやま話 -6
2010年09月04日(土)
  *初めて経験した大自然の懐
 広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時である。トロントと、ナイアガラの滝をみた後に
ロッキーを巡るコースのため、その途上のバスの中で寝入ってしまった。そして目を開けると、何かこれまで見たことのない
山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。それにしても、リアルな夢じゃないか」と思っていた。しばらくして、
これが夢ではない現実に気づいた。これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。
(その後、これと同じような異次元の世界を数多く見ることになった) そして、次から次へと想像を遥かに超えた光景が、これでもか、
というほど現われてきたのである。 「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」という言葉が、
溢れ出てきた。これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。
 大自然には、
・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系
・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系
・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。
 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、そして祭りなど、分かれる。
 どれが一番というのは一概にはいえない。どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。
 ・・・・・・・
3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」
 2009年09月04日(金)
 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が面白そうなので買って読んでみた。
 特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」に興味があった。 
 副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党119議席の結果について書いている。 
  ーその概要といえばー
「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい政治文化の国になってしまったのか。
 ぶっ壊されたつつあるのは自民党だけでない。日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。 
小選挙区制度にしたことと、派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では
ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ政治家のスケールが小さくなってしまう。
小選挙区制度になってから出てくる国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、
国政を安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。 これまでの中選挙区制度では、派閥があり、
そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家として
の日常のふるまい方を学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多くいると自慢できた。
それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。
 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく総理大臣になったのに、その職責を
充分に果たせずに任期途中で政権を放り出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。
こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、
一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な
システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。 選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、
あとはTVを通じてプロパガンスを並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙が示した。
今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、
「日本のぶっこわれ過程」がはじまってしまったのではないか、ということだ。
民主党を含む日本の野党には、口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担ったことはない。
その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いでいかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。
 −−
 以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば、「何で、こんな党に政権を預けていた愚かさ」に国民は心底から
気づくことになった。そうこう考えると、政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。
民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、借金が増えるのではなかろうか!
・・・・・・・・・
2709, アメリカのコーヒー戦争
 2008年09月04日(木)
不景気が外食産業を直撃している。アメリカではスターバックスが苦戦している一方、マクドナルドが好調という。
数年前までは、マクドナルドのコーヒーは不味くて飲めたものではなかったが、最近は格段と美味しくなった。
スターバックスのコーヒーが4杯ドルに対して、マクドナルドが1ドルと4倍も違う。そのため不景気とガソリンの高騰で、
コーヒー好きのアメリカ人は低価格のMcにながれているようだ。二年前の株価を見ると両者とも35ドルと拮抗していたが、
現在ではスターバックスは、その半値、Mcは2倍になり、4倍の開きが出来てしまった。 
皮肉なことに、売価が逆の倍率になってしまった。4倍といえば、味が大して変わらなければ、Mcに流れるのは当然のこと。
そこでMcは低プライスのコーヒー専門店チェーンにも乗り出した。日本国内でも、不況の煽りで、スターバックスと
ドトールも売り上げが前年割れをしており、それに対しMcは売り上げを伸ばしている。通勤途中の長岡駅周辺にスターバックス、
Mc、Uccコーヒー、ドトールがあるが、 最近、Mcとドトールには客が多く、コーヒーの値段が400円以上のUccと、
スターバックスは客が少ない。 また新潟駅と長岡駅にパンとコーヒーに絞ったカフェテラスがあるが、両者とも好調。
この20年来、個人経営の喫茶店がほぼ消滅した。ところが新潟の事務所の真前にコーヒー専門店が二年前にできた。
それ以来、週に1〜2度はランチを食べに行くが、基本に忠実なコーヒーを出してくれる。
コーヒーは、良い豆を使って、基本に忠実に出し続けることが要求される。その維持がなかなか難しい。
この不景気の中、身近なランチや、コーヒーから節約をするもの、安いコーヒーに流れるのも仕方ない。
自動のコーヒー販売機のコーヒーがプロ並みに美味しいのに行き当たった。コインを入れてから、コーヒーを炒って出す?ので、
時間が4分ほどかかる。月に一度新潟駅の至近距離にある専門店ビルの地下のイオン内にあるカフェテラスの自動販売の
カプチーノが美味い。月に一度は行ってパンとコーヒーを飲んでいるが、目当てはカプチーノである。Sサイズで150円、
Lサイズで200円だが、充分満足できる昨夜のニュースで、昼飯に弁当持参が復活していると報じていた。
何か、身につまされる思いである。でも、暗い感じでないのが救いであるが・・・
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2007年09月04日 
「エーゲ 永遠回帰の海」 −1          −読書日記
  * 作者: 須田 慎太郎, 立花 隆 情報社
ポルトガルか、秋の紅葉のカナダか迷っていた時に、この本を読んで、今年の旅はギリシャ・エーゲ海の旅を思いたった。
(次男が「ギリシャに行って良かった」と言っていたのもあるが・・)面白いもので、いざ決定すると、写真も文章が
違ってみえてくる。 三日間のエーゲ海のグルージングとギリシャ本土の遺跡をまわると、また違って見えてくるが、
それもまた楽しみである。世界の遺跡の主だったところを見てきたが、遺跡の真只中に立つと何とも不思議な感覚になる。
数千年前に住んでいた人たちの気配を感じるのである。生活の跡に立っているのだから、当たり前といえば当たり前だが。
初めにハッとしたのはエジプトの遺跡群をまわった時である。行く先々、感動と驚きの連続であった。
遺跡を造った皇帝の意志と、当時の人達の息づかいが伝わってくる。生々しいのが2000年前に一瞬のうちに埋没した
イタリアのポンペイの遺跡。火山灰がパッケージになったため、殆ど完全に近い形で街と、店舗と、住宅がそのまま残っていた。
また死者の体を包んだ灰の中が空洞で残っていて、そこに石膏を入れた「人間の型」が気味が悪いほどリアルに並んでいた。
そこに立っていると、タイムマシーンでポイと瞬間移動してきたような気持ちになってしまうのである。
この本は立花隆と写真家の須田慎太郎が、1982年に40日かけて行ったギリシア、トルコ取材をもとに出来た本である。
(出版までに20年以上を要した理由については本書にその経緯が記載されている。)写真家の須田氏の美しい写真と、
立花氏の紀行文がなかなかよい。ゼウスと人間の女の混血児であるディオニュソスの不完全な不死性と、イエスの復活神話や
「一粒の麦もし死なば」という教えとの相似性。 アジアの地母神信仰がギリシアのアルテミス信仰に変容し、それが
さらにキリスト教のマリア信仰に姿を変えたこと。新約聖書「ヨハネ福音書」の「初めに言(ロゴス)があった。
言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。」
というくだりが、新プラトン主義哲学のロゴス論を下敷きに書かれたことなど・・。ギリシアの神々は、一神教である
キリスト教の成立や普及過程において、形を変えてしぶとく生き残っていったということが、この本を読むとよく分かる。
・・・・・
2006年09月04日(月)
1980, ある首斬り役人の日記 −2  \(^▽^*)おはよう         
               −読書日記
 HPで「首切り」と検索したら、イラクの首切りの生々しい映像が出てきたのには驚いた。
 さすがに首切りの場面は見なかったが・・ 更に、次の内容があった。 
  ー日本の首切り役人のことを書いた内容であろう。
罪を犯したある男が首切り役人に首を刎ねられる羽目になった。この男は最後の最後まで抵抗し、たとえ首を切り落とされても
執念でお前を末代まで恨んで、祟ってやると罵った。首切り役人は「そう思うのなら切り落とされた首で自分の草履をくわえてみよ。
それが出来たならお前の言葉を信じよう」と言った。 刎ねられた首はコロコロと転がり、男の言ったように草履をパクッとくわえた。
その形相の凄まじいこと、この世のものとも思えなかったという。周囲の人々はこの様を見て怖れおののき、これは祟りがあるに
違いないと感じた。事実その後、そんな噂が広まった。ところがこの役人はこれをせせら笑って「そんなことがあるわけがない」
と気にしなかった。 あまりの自信に何故怖くないのかと尋ねると、「あの男は最後の怨念を草履をくわえるということに使い切った。
だからもう私を恨むことは出来ないのだよ」日本では「首切り浅右衛門」が有名である。事実は、小説より奇なり!である。
 ▼ 298の項目からなる書の中から、印象的な項目を抜粋してみる。 
 38、1579年8月6日
  ハンス・ビューヒュナー、ーファレンバッハ出身。  ゲオルク・ガーブラー、ー シェーンフェルト出身。
  ミュッヘル・ディーテリヒ、 ーベルニッツウィン出身、別名・辺境伯。三名とも泥棒。 打ち首の上、車裂きにした。 
  哀れなのは辺境伯の妻。 哀れな引き回しの罪人を見ようとして、その中に自分の夫を見てとった。
  彼女は夫の首っ玉に抱きついて、口付けをした。自分の夫が捕らわれ、そのような一味であったのを知らなかったのだ。
  ーこれを読んでいると、数百年前の欧州の片田舎で起こった悲劇が目に浮かんでくる。大悪人の処刑を見ようとしたら、
  まさか自分の夫とは!立場が一瞬にして大逆転をしてしまった悲劇は、ドラマのようである。
 82、1584年7月7日  バイエルシュタインの妻アンナ、ニュルンベルク市出身、
  別名モーザー・アンネラ。彼女は夫ある身なのに、いかけ屋という名の父親や息子といかがわしい行為に耽った。
  そのほか同じように妻ある男や若い職人たち21人といかがわしい関係を持ち、彼女の夫がそれを助けた。
   その件で立ったまま打ち首の刑に処した。  その夫はムチ打ちの刑を受けた。
   彼は聖ペトロ教会の彼女の墓近くの石塀に、白墨で次の文句を書きつけた。
   相手の親父も息子も、女房と同じ目にあわせてくれ。とりもちの男にもそうしてやれ。
   あの世に皇帝と王様を呼び出して、いかなる処刑も行われないよう訴えてやる。
   私、哀れな夫は罪もないのにここに居合わせた。  さらば、お休み。
   ーこの夫の嘆き、無念の文ーこころを処刑人が書き取っていたのも、何かドラマ仕立てである。 
   女房は打ち首、自分はムチ打ちの刑。それに引き換え、相手の男達は何も罰せられない矛盾を嘆いている。
 87、11月17日
  フライの妻アンナ、ニュルンベルぐの織物縫い工の妻。彼女は以前、夫があったが、アムプロジウスと称する
  刀鍛冶職人との間に子供を生んだ。この子は二歳の男児であったが、彼女は修道院近くの泉に、
  この子を投げ込み、溺死させた。その後、彼女は穴牢獄に入れられたが、当地にて打ち首の刑に処された。
    ー次も、幾つかの日記を書き写してみる。         ー つづく (。・ω・)ノ☆゜+.バイ!

  =字数制限のためカット、以下はヤフーのブログにこぴーしておきます=2012年9月4日=


4178, 事実と真実と真理について

2012年09月03日(月)

  * 「真実」と「事実」の違い
 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 以前、自宅に電話の苦情があった。
「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、
電話をした」と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、「何かの間違いではないですか?」というと、「御宅の
前のアパートに住人で、駐車場から突然、飛びつかれた」という。そこで「電話番号を間違えたのでは?」というと、
「間違いない」と、押し問答。後で分かったことだが、自宅奧の貸家の住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。それなら、
勘違いをするのは分かる。アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど知るよしがない。事実は、我家の駐車場から
飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、
C層レベルの創作話が多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。
 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー
≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」
 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」について言うのが事実です。
  表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが真実を見つけるということ。 真実を追求するというのは、事件や問題の
  背後にある何故そうなのか、を見つけること。
 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと
   事実・・・現実に起きたこと  本来なら、「真実」=「事実」にならなければならないが、そうはならないことが多く、
 「多くの人間は見たい現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい現実をみているもの」、 事実は一つだが真実は
 人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、
 「真実」は人間の内部にあるもの。「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。
 問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」として認識できるのか?という問題が生じる。
 そうなると、「真実」というのは本当にあるのか?という疑問も生じてくる。≫
▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、事実の中にある、それぞれの解釈でしかない場合が
 多いからである。世間では「事実の最大の敵はウワサである」になる。それがウワサがB級層では事実になってしまう。
 教養とは、そのへんを見分ける知識の蓄積をいうが、とにもかくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、
 学生時代のゼミで、ケーススタディを一年間、してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を10人ずつ二グループに
 分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで再び議論する。提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。
 半年も月4回もしているうち、その誤差が無くなっている。事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だったことになる。
 ・・・・・・
3813, 無知の涙
2011年09月03日(土)
 * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀
  ー「ハンロンの剃刀」とはー
「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できることを悪意のせいにすな。)」
  頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上に悪意を想定するな!ということ。
この定理を知ると、不満やトラブルに遭遇した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、を
間をもって判断できる。 そうすれば、その大部分が無知からきていることを知る。 しかし現実に厄介なのは、悪意より
無知からくる方で、無知の自覚がないから始末が悪い。 「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、あまりに多く見てきた。
いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を解決するプロセス。 
大体のことが、この法則で(少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減する。 
「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、他人のことなど分かるわけがない。
その他者に悪意を見出しても何にもならない、という道理は納得できる。 一番怖いのは、無知の善意。あとで、悪意がついてくる。
 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー
【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品なので、切れ味はそれなりである。 
しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気があった訳ではない。
もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか 「素材に良質な鋼を用いないのは
商業倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでもバッサリと切り捨てないのが優しさと言うもの。
要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という体のいい言い訳。「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】
 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、腹を立てるだけロスということ。出来たら、孤高でありたいが・・無理。
  ・・・・・・・
3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5
2010年09月03日(金)
 * ツアーあれこれ ー4
・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の目的をいい、行程を組んでホテルや飛行機の手配をしてもらうか。
・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。・それらをネット上で、全て予約を組むか。
・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、 ホテルとか行き先を決めるとか、旅行にも色いろな方法がある。 
 人見知りをする私にとって、パック旅行は最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。 
全国から同じ目的を持った者がチームを組んで旅の目的を達成する。 その最適パッケージを代理店が企画販売するのがパックツアー。 
激しい競争の中で、パッケージの商品は年々、改良されていく。 その進化したシステムを如何に合理的に使うかである。 
インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に出くわすが、彼等はそのシステムの合理性を知らない。
これがなければ、「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティーの草原で、チーターの狩りなど見れる訳がない。
それを可能にするには、10倍近い金額と期間が必要になる。 それ以前に、そんな気持ちになれない。
南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導するボートに乗って奥地にいき、キャンプをし、飛行機で上空を旋回し、
エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から
100mの高さからのバンジージャンプなど出きようがない。代理店は普通のパック商品では生き残れないから、各種のパッケージを開発する。
特に中小は、自社の強みが何かを探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、イスラエルだったり、アマゾンだったり。
それをパッケージにして、可能な限り格安に売りに出してくる。面白いところでは、ツアーのベテランを狙って、秘境・異郷のツアーに、
かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた一ランク値段の高いパッケージを売っている代理店もある。
それも、ランクがあって特Aの客層狙いだったり、A狙いだったりする。特Aの団体を時どき見かけるが、人相からして違う? 
一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、成程である。
 ・・・・・・・・・
3073,飲み屋横丁考
 2009年09月03日(木)
 このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・
飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。飲食街そのものは50年〜60年の長年の歴史の上に成り立つ。
その飲食街も、この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。東京は銀座、新橋、六本木、新宿など地区で、客層が分けられるが、
一般的には、年齢、客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに分かれている。 この数年は地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある
3メートル通路両側に8軒が並んでいる横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに入ってみた。
 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。
・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。
(そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で分かれているのに気づいた)
・私が通っている店は、50代後半から60代後半のカラオケを売りにしていた名物店。
・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 
・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。知らない人が入ったら驚く。
・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。
・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。
自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は行かないので少し離れた横丁である。
そこだけで店を替えていれば十年間は持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、店の中より、最寄駅から
周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。大きな飲食店ビルは、オーナーが意識的にテンポ構成をするのだろう。
そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。
・・・・・・・・・
2708, 政局の話
 2008年09月03日(水)
福田首相の辞任表明で、政局が動き出した。私は政治に対しては関心が薄く、なるようにしかならないというスタンス。
どれもこれも、大した人物はいない。 ただし、ここまで国が行き詰まると、無関心ではいられない。
これまでの日本人は、どういう訳か自民党の仕掛けに弱い。麻生を目先立て、何とか政権を維持しようとするが、負けるだろう。
もしそう判断すれば、小池百合子を首班に立て、小泉を行政改革大臣担当副首相として、捨て身の作戦の可能性がある。
しかし参院との捩れを解消するためにも、一度は野党に政権を譲って国民の声を聞くのが筋。民主党も、直ぐにボロが出て、
政界の再編成になること必定。本来はアメリカ大統領選挙の結果を待って、アメリカが民主党なら日本も民主党、共和党なら自民党にすべき。 
現状は自民党政権が政権を持ち続けること自体に問題。見ている分には面白いが、日本の置かれた現状があまりに厳しい状態。
民主党が政権をとって、日本を一度解体して日本合衆国を作り変える位の改革が必要である。日本に巣くっている官僚を解体して、権限を
8州に委譲することだ。*北海道、*東北6県、*新潟、群馬、長野、石川、富山、福井の中部州、*東京、埼玉、千葉、神奈川の関東州
*静岡、愛知、山梨、紀州の何県かに飛騨と、岐阜県など名古屋州、*大阪、京都、兵庫の関西州、四国と広島、岡山などの中国・四国州、
そして*九州・沖縄州である。そして政治形態はアメリカをソックリに真似ればよい。 現在の日本には無理だろうが・・
しかし、待ったなしのところまで来ているのに、日本人そのものがアメリカの実質統治の戦略で、骨抜き。
日本の政治家で気骨のある男がいないものか。小泉は批判はあるとしても世界のグローバル化に対応する方向づけをした。
現在は「アメリカ一極から、中国・インド・ロシアと多極化する世界に対応する方向付け」をしなければならない。
その意味では日本は歴史的に見ても大きな転換期にある。その点で麻生は選挙管理内閣レベルの繋ぎ役。阿部、福田と、
麻生と、二代目。 それも、一人として選挙で洗礼されてない。麻生は衆院解散後に否認されるのは当然の成り行きである。
「御前に何が出来るのか?前任者と比べてみればドングリか、それ以下!」の、一言で終わり。
「御前様、直ぐにバラマキを始めただろう! 哀れなものだ。」は追加。
 政治談議を、このように書いてみると面白いものだ。   それにしても危ない!
・・・・・・・・・・
2007年09月03日(月)
 2344, 糖尿病について    オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァ踊♪
昨日の朝日新聞の朝刊のトップページに「糖尿病は万病のもとーアルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍」が出ていた。
アルツハイマー発症4・6倍、ガン死亡3・1倍、脳梗塞と心筋梗塞が約二倍というから、本当に恐ろしい病である。
年一度の検査の際で、インシュリンの点滴を受けている部屋を覗くことがあったが、いつも多くの人がいるのに驚かされる。
そこで、どの位の人がなっているのか早速、検索ー キーワード「糖尿病患者の人口比」で調べてみた。
 日本の人口比では6%(ちなみに肥満の多いアメリカでも6・6%)。
5年前の調査になるが、糖尿病が強く疑われる人の数は740万人、その可能性がある(糖尿病予備軍の数は880万人といわれている。
40歳から74歳の中高年男性の32.2%、女性の31.5%が糖尿病有病者か予備群と推定される。その割りに、周辺ではあまり持病の人は少ないが、
敢えて自分から名乗らないからか。糖尿は親からの遺伝が多いと聞いていたが、今回の検索で「両親が糖尿病だと子供は50?が遺伝し、
片方が糖尿だと25パーが遺伝する」という。私も家内も、両親とも糖尿の系ではない。 また親戚が糖尿病という話は聞いたことはない。
酒好きなため糖尿に関しては気にかけている。殆ど砂糖とか、甘い菓子は口にしないし、酒のツマミは肉類はさけて、魚類や酢のものを
注文するようにしている。それと、ウォーキングも欠かさない。「糖尿になりかけたが、通勤の片道30分を徒歩通勤に切りかえたら直った」
という話を聞いたことがあるが、糖尿病になると直ることは絶望的ともいう。糖尿になってしまうと10年以上は寿命が短くなるということか。
死亡原因の間接的な病であるため目立たないが、しかし恐ろしい病である。 糖尿病治療は食事療法・運動療法・薬物療法の三本柱という。
その大きな要因である生活習慣の改善には食事療法と運動療法が特に重要という。そのために、医師の診療・指導を受け、正しい食事と
運動を生活に定着させることだ。その糖尿病予防には一にもニにも肥満解消が大きな比重を占める。 最近、ストレスのためか?
急に太ったあの人、大丈夫か? 私も実はってなことはないのか?? これだけ酒を飲んできたんじゃ・・ ホナナァ☆|∀・`@)気をつけて!
・・・・・・・・・
2006年09月03日(日)
1979, 冷蔵庫を20年ぶりに買い換える       (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
昨日は、20年使った冷蔵庫が寿命に近づいたので新しい冷蔵庫を買いに行く。あと10~20年使うと思うと慎重になる。
確か20年前に買ったときの値段が13万円。そして今回買ったのが同じ値段の13万円であった。
買ってきて見比べると比べようもないほど良くなった。色いろあって、三回も(往復30分以上かかる)家電に通う。
買うのも楽しみのうちの一つだが・・ 100台近くある冷蔵庫の展示品の売れ筋ナンバー3に気持ちを集中し、一番高い商品群と比べると、
自ずとヒントが見えてくる。当然のことだが、機能や外見に手が加ったぶんだけ値段が高い。要は値段に比例しているだけだ・・・
家電の白物(冷蔵庫・洗濯機・レンジ)は頻繁に使うので、メーカーも神経をつかっているのが解る。結局買ったのは、
その店の売れ筋?・2 のものだった。 二十年前に冷蔵庫を買い換えた時に感じたことは
・それまでと段違いに大型になったことと、・ドアが両開きになったこと、・冷凍庫が大きくなったことである。
今回は、
・一番上にあった冷凍庫が一番下に移動していたこと、・ドアの半開きの防止の機能がついたこと、
・独立の多くの引き出し増えて分類コーナーが増えたこと、・冷蔵庫が出すノイズがホボなくなったこと、
・電気消費量が段違いに少なくなったこと、
・ステンレスなど、カラフルになりデザインが良くなったこと、
・ドアがワンタッチで開くものもあった。 等である。
20年前の、ほぼ同じ機能の冷蔵庫が半額でしかないが、電気消費量と、ノイズが少なくなったこと等をみると
4分の1のダウン?まあ、どうでもよいか? 帰ってきて、他の家電のチラシと、パソコンで価格ドットコムで
値段をチェックした。価格ドットコムは約5~7パーセント安いが、説明料と配送料金を加味すると、それも納得できる。
余談になるが、ついでにパソコン売り場に行ってみたが、パソコンが更に進化?していた。
液晶TVにパソコンが付いているという感覚になった。 更に、驚いたのが、ソニーのVAIOの前に立ったら、
勝手にカメラ機能が自分の顔を写して、大きなテロップで流れ出した。
一瞬なにが起きたのか、目を疑ってしまった。恐らくインターネット上でも可能なのだろう。
稼ぎさえあれば、結婚など別にすることもないという、若い人たちの気持ちが解らないでもない!
こと家電売り場を歩いていると。   家電売リ場は夢があって好きなのだが・・・
 まあ、モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~


4177, 哲学で自分をつくる ー6 (デカルトー②)

2012年09月02日(日)

            
  第二章 まだ自分をさがしているのか?(ーデカルト― ②) 「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」瀧本往人 (著)  
   * まずは、「感覚」「現実」「数学」を疑うことから
 確かに間違いなくある五感と、現実。 デカルトは、まず、それを疑った。現実と思っているのが実は夢でないかと。
確かに感覚で捉えても、錯覚ということもある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは近代哲学の祖である。
ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。 膨大の情報化の真っただ中で、このへんの事を、よく分かってないと、その洪水に
流されしまう。いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、それも良いが。哲学で自分をつくろうとしているのだから、
現実も、感覚も、まず疑うことから出発しないと・・ あの人たち?のようになる   ー その辺の記述を抜粋してみる
【◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの感じとったものは絶対に正しいと考えたくなるが、デカルトは
 これに依存してはならないとした。 なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば「錯覚」を起こすからである。
 ・・・要するに自分からの確信は世界を正確にとらえているとはかぎらない、ということである。逆に、この錯覚にさえ気をつければ
 自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、どんな場合も間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、
 感覚には依拠できないとする。
◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」とこの「現実」とは重複した部分がある。
 実際に見ているものは、「感覚」でもあり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり感覚も含めて
 把握していることが「リアル」だ、というイメージならば、「現実」を疑うデカルトの意図は少し明確になるだろ。
 この「現実」に対してデカルトは、もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢なのではないか、と疑ってみた。 
 夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、自分が夢を見ていないということが証明されれば
 問題はなくなるのだが、むしろデカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。
◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は確かに、その
 体系においては真理が成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで信じてきたものもあっけなく
 崩れることがある。デカルトはここで、数学を特権視せず世の中に多々ある約束事と同様のものとして、不確かなものとみなす。
 このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう「感覚」「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。
 つまり、特に確からしいと思われているものさえ不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなものなのだ」ど判断するのだ。】
▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。それらの全てが、即、空であり、あてにならないと
 デカルトは看破したのである。まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を疑ってかかることこそ必要である。
 緑の原野からサバンナに出てみて、「あの原野での出来事は何だったのだろう?」と、振り返ると、何も疑問を持たないで同じ行動
 パターンを繰り返していた自分が見えてくる。そして、現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定すべきことが出来ない。
 それをするには常に死を意識しなくてはならない。しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。
 ・・・・・・
3812, 世の中、すべからく代理・代行  −2
2011年09月02日(金)
  国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業になる。
・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買ってから10分以内に消費するニーズを満たす代行の店。
 土地持ちのオーナーに全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。
・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に成績を伸ばしていった。 家電なら、TVやDVD、
 冷蔵庫、洗濯機などの配達先の取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。
 運送業者が電器の取り扱い経験者を運転手として雇えばよいのである。
・スーパーの流通センターから各店の配達も、最終店出し直前まで請負う。
・先日、寿司の宅配専門で伸びている業者が、東京の山の手の有名店の宅配だけを専門に請負う会社運営をTVで放映していた。
 売り上げの4割を店から分けぶんとして貰う。 それでも有名店の店舗運営の経費からみても、採算がとれるという。
・代理出産もあるが、ここではやめておこう。
・その中で面白いのが結婚相談所である。これは昔からあったが、最近はネット時代。一番、微妙な部分を考慮に入れた仕組みづくりが
 ポイントのようだ。 料亭などが、最近では料理教室をつくり、そこに男女を集めて出会いの機会を提供する。
 中高年や、エリートだけに絞り込んだコースとか、外国人との結婚を求めている男女とか・・・
・面白いのでは、ゴーストライターがある。有名人や成功した社長に代わり一代記や、人生訓などを書く。
 ケネディ、オバマ大統領にも名ライターがいたが、あくまで影の身である。
・戦国時代、江戸時代の大名にも名筆の書き手がいた。 それは、それで専門職は必要である。 
激しく時代が変わる中で、一人で何もかもは不可能、その中で、いち早く、変化のニーズを察知して、その代理・代行のシステムを
提供する必要性がある。 デジタル化とネットによる情報化が別世界を新たに出来つつある中で、代理・代行がキーワードになる。

 ・・・・・・・
3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4
 2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。
カルチャーショックである。今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が
根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たことである。
これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。
その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、深い一端をみた。
 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖と
スイスの渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない光景を、これでもか、
これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。
現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。 私のように、
中高校の白黒の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。
 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、
当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、
それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。
 ・・・・・・・・・
3072,コカコーラのビン
 2009年09月02日(水)
最近、歴代のコカコーラのコマーシャルをまとめたDVDが発売され話題をよんでいる。
それぞれのCMに出演しているタレントと、その時代背景が織成すミニ物語が、そこにある。
目隠しをして、ファンタとコークの飲み比べをすると、ファンタのほうが美味しいと答える人が多い
という実験結果がある。 CMと、ビンのカタチのイメージの洗脳が、そうさせているのだ。
「コークのビンはグラマー女性の全身を模ったもので、理想的なスタイル」という。
 ーその創製の逸話を偶然ネットで見つけた
【 1923年、アメリカのある町にケップマン・J・ルートという青年がガラスビンを作っていた。 かっこよく、しかも中身が
多く入っているように見えるビンはないものかと考えていたある日、恋人がふらり、仕事場へ入ってきた。 いつもより色気がある。
タイトスカートをはいていた。 このスカートは膝のところが細くなって歩きにくいのが欠点だが、ヒップの線が美しく出る。
彼は、それを元にしてコカコーラ用のビンを作って、社長のところに出かけていった。
「スタイルがよく、握り心地も良い。すべらないビンのプランができました。」 社長は気に入ったが素知らぬ顔をした。
3日目、ルートはビンとコップをもってまた出かけていった。「社長、このコップとこのビンでは、どっちが容量が多いと思いますか」
「そりゃ、ビンに決まっているさ」 青年はコップの水をビンに注ぎはじめた。コップの水が入りきらないうちにビンは、一杯になった。
(う〜ん) 契約は即座に成立した。 ケップマン青年の得た金は300万ドルから600万ドルだといわれている。】
 以上だが、米国でグラマー女性がコーラと供に看板に書かれた絵を見たことがある。
「何でグラマーな女性にセクシーさを感じるか?」というと、「騎馬で攻めた男が片手で女を持ち上げやすいのが、腰が括れていた女」
だから、という。 本当のような嘘のような話だが。 コーラも、括れていて持ちやすい。
ところでコーラの原料のコークは麻薬のコークじゃないのか? 薄けりゃ害にならない?
 何か飲みたくなるのは、そのせいか? それに刷り込みでもされれば・・・水に麻薬を混ぜて数十倍の利益をだしているのだから、
ドエリャイ儲けになる。 あの地元の超大物(故人)がコーラの日本の販売許可の見返りに数パーセントの利権を得ていた、とかいう
噂があったが、本当かウソか? 「ありゃ、コークを原料とするから駄目」と言われりゃ、出すしかないのは分かる。
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2707, うつ病について
 2008年09月02日(火)
 精神病や精神症について、何度か書いてきた。 誰もが、何らかの精神症は持っているし、その一歩手前の経験をしているはずだ。
(まともであればだが)言うか言わないかの差だろうが、家系や、性格もあるから極々軽い人もいるのだろう。青年期と、
老年期は誰もが躁鬱気質を持っており、乗り越え方は、それぞれある。私も神経症など多くありすぎて説明するのも大変だが、
それを気にしなくなったのは、50歳過ぎた頃だろうか。私を知っている人は想像すらできない神経症を一人静かに?乗り越えてきた。
青年期のうつ病的な体質も、神経過敏症も、視線恐怖症も、現在では殆ど消滅をした。
誰もが、何らかの深刻な神経症を持っているのを実感したのは、40歳を過ぎてからである。
60歳ー還暦頃から、少し鬱っぽい日々が多くなっている。もしかしたら、この時期になる初老性鬱病の触りかもしれない。
しかし、私の場合は、絶対に?重症にはならない確信がある。 まあ、明日のことは分からないが。
北欧には白夜の反対の黒夜があり、一日の日照時間が数時間しかない。その冬の時期に起こるうつ病が深刻と旅先で聞いた。
「季節性感情障害」といい、大半は女性がなり、家系もあるという。
治療には、特殊の明るい光線を一日三十分当てると症状がかるくなる場合が多いとか。
元々、エデンの園はアフリカと古人類学者の説があるが、その反対の冬の黒夜は病気を誘発するのだろう。
日本で最も自殺の多いのは秋田県。北欧と同じく冬の時期が長いのが自殺を誘発するというのも肯ける。
ハワイやフロリダで波の音を聞き、パイナップルやオレンジでも食べ、踊って歌っていれば鬱などなりようもない。
私は一月生まれもあり、冬の時期が嫌いではない。むしろ好きであるが、美味い餅を食べ、熱燗で鍋をつつき、
コタツでDVDの面白い映画を見て、熱い風呂にユックリ入っていればマイナスな気分になろう筈がない。
しかし鬱病の恐ろしさを周辺で見聞きしている。無線のチューニングのように、周囲のマイナス、
過去のマイナスを拾い上げ自分の中に蓄積していく。人生の様さまな後悔のネタが次々と思い浮かんできて、
その海に溺れ、もがくようになる。そして深い深い鬱の闇に己が沈没してしまう。 それが鬱病である。
その数歩手前の精神状況が殆どの老齢者の心のうちというから恐ろしい。そういう連中が寄り沿うと、人間は後退をしていくのが
リアルに見えてくる。他人事ではない、まったく。とにもかくも、腹から笑える場所を幾つか持てるかである。
私が鬱にならないという自信があるのは、毎朝の散歩があるからだ。これを始めて25年ほどになるが、朝の陽光と、新鮮な空気と、
鳥と虫の鳴き声と、川のセセラギが身体にも精神に良いからである。さらに土日の笑いの時間の設定である。 
それと毎日一度の仏前の祈りと、般若心経である。それを実行していても、どうも少し欝っぽいのは、そういう時期のためだろうか?
過去のマイナーの記憶がフラッシュのように飛び出してくる。 それが、歳をとったということか?
 欝的気分も日常の塩味として、必要であるが。           -ω-)..。oо○(゜+。鬱々゜+。)
・・・・・・・・・・
2007年09月02日(日)
 2343, ポスト・モダン主義とは          (o゜▽゜)o オハョ〜 ゴザマス!
最近は、あまり以前のような大物?が、居なくなった。 これは時代の変遷のためである。 
高度成長期の、田中角栄とか、小佐野賢二とか、堤義明とかいうのは、存在しえなくなったのである。 
存在したところで、「それが何じゃい!」と誰も仰ぎ見たりはしない時代になったのである。
解りやすい事例として、イチローが大リーグで超一流の選手として認められたところで、
「ああ、そういう人がいる、凄いな~」で、それはそれはご立派なことで!と、頭に過ぎってお終い。
それより、それぞれが自分の好きなことを見つけ、それぞれの楽しみを求める時代になったのである。
それは考えてみれば当たり前。それだけ、社会が成熟したということだ。第二次大戦後、マッカーサーが
日本を占領したとき言ったのが、「日本人は10歳の子供」である。欧州から見れば、そんなものかも知れない。
といって、西欧が未開の原始人より文化が進んでいるということではない。
モダン=大きな成功とやらを求めた時代は終わったのである。これを解りやすく書いたある本があった。
『世界をよくする現代思想入門』高田明典著である。 情報化社会は、ポスト・モダン主義をますます加速させる。
日本は、いや世界は、9・11が現象として大転換期と日となる。その意味で、あの男ービンラディンは歴史に残る。
アメリカ現大統領は、「アメリカの凡庸・親子大統領の息子」として歴史に留める。
私が生きた戦後のアメリカ大統領では、その意味ではカーターと肩を並べる??の人物。 その程度ということだ。
  この本の一部を抜粋してみるー  P-158
   ーーーーーーー
20世紀を特徴づける概念として「大きな物語」があります。
私だちの社会は、二十世紀前半(モダン)の社会において、「大きな物語」を信じて突き進んできました。
その大きな物語とは
・「理性・知性によって社会は必ず理想郷へと近づいていく」、
・「科学は、私たちを幸福にしてくれる」というものであり、
・「勉強すれば社会的に成功して幸福になれる」であり、
・「お金持ちになることが、人間の幸せである」などなどの「物語」であった。
 二十世紀前半においては、多くの人たちがそれを「信じて」いたが、
一九七〇年代以降、そのような「大きな物語」を信じられなくなるような出来事が多く発生し、私たちの心の中に
「不信」が発生しました。科学は私たちの社会を「幸福にする」どころか、むしろ「不幸にする」ものでもある。
知性や理性によっては「理想郷の実現」はできそうもない、ということです。
そのような状態を「ポスト・モダニティ(ポストモダン状況)」と呼ぴます。
そのような「大きな物語への不信」の中で、芸術表現はいったい「何ができるのか」ということを考えたのが、
ポスト・モダニズムのそもそもの端緒でした。 なぜなら、それまでの「表現制作物」の多くは、
「その社会や文化が信じている価値の表現を行う」ということを、その駆動原理としててきたという側面があるからです。
「大きな物語」が崩壊した今、「何を表現すればいいというのでしょう。


4176, グローバル化の真実

2012年09月01日(土)

     『 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか 』水野 和夫 (著)
 なかなか面白い本である。  ーアマゾンの書評の中で解りやすいのをコピーしてみたー
≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国である時代はもう終わった。
 しかるにアメリカはグローバリゼイションという名の〈米による世界経済征服計画)方策でその命を永らえさえようとしている。
(そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする近代資本主義は限界に来ている。
 今行われようとしている景気回復は誰のための景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主
〈言い換えれば上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。このままでは景気は回復しても
 労働者の賃金は下落する。(一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない)
 アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまくいかないことはもう証明されている。≫
≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義の構造を前提に反復された景気循環の一齣ではなく、
 こうした構造自体の終焉を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の根源的危機として
 水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済への過渡期に当たる16世紀である。
 16世紀と21世紀は、氏によれば、数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は
1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、
2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、後者においては「海から陸へ」という世界軸の大転換が生じたこと、
3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては仮想的空間の拡張とそれに伴う超法規的収奪が、
 それぞれスペイン/アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、
4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に新世界が現出されること等々に確認されるという。
 21世紀における'1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型経済モデルの失速とそれに代わる
 情報・金融革命に基づく仮想空間への資本主義の突出により可能となるが、帝国を支えるかかる空間上の高収益は人件費の流動化
 即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という
 神話のおわりを明らかにする。「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に基づく
 新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」を通じ実現する手段に過ぎなくなった。
「労働は、資本にすり寄った国家に裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた同質の変化と
 対比させることによって明らかにしようとする。≫
 ▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを中心と、その周辺を結びつけるイディオロギー」
  と、看破している。グローバリゼーションの事実とは、「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」である。
  そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、「搾取」をする、これが実態であると。
  その手始めが1985年のプラザ合意である。日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、アメリカに搾取された。
・・・・・・
3811, 閑話小題 ー老いと病について −1
2011年09月01日(木)
   ▼ 血圧について
 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の入り口にある。
出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、「毎日の運動を意識的にして続けているので大丈夫」と、判断していた。
最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてあるので自然に、毎日のように検査をしている。
だいたい145〜155である。そこでネットで調べてみたところ140からが高血圧の三段階の初段階とあった。
医者にいわれ続けてきた通り。 両親とも高血圧体質で数値をいつも気にしていたので、年齢プラス80〜90が高血圧の境目、
という記憶がある。 65歳として、やはり145〜155が境目になる。 ということは年齢からして、少しは考えなければならない。
晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、ほぼ口にしない。
また塩分も最小にと心がけてきた。 運動も30年近く、早朝に散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように
運動ジムに通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコールの缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。
死ぬならガンと思っていたので、血圧に対して少し認識が甘かったようだ。
 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ血圧対策を
しなくてはならない時期にきたようだ。 今さら遅いか? まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、
健康で長生きをしたい欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。
やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。
 「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。
 「 チョットチョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」というのも、ある。 血圧と何の脈絡がある? 
かというと、血圧など気にする時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」からからだ。チロリ・チロリ・チンチロリか〜
 ・・・・・・・
 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
 2010年09月01日(水)
*初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。
それより、自分が食べたいだけ皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、超ミニスカートで、街を闊歩している。
その美しさが街並みにマッチしているのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのないバッキンガム宮殿、そしてロンドン市内には、
シルクハットをかぶって歩く風格ある紳士。 パブに入って飲んだビールの美味さ。 重厚なパブの雰囲気も異次元の世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。 そこで仲間数人酔ってしまい、子供時代以来、腹の底から笑った経験をした。
こんな楽しく高揚をしたことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。これが人生を楽しさという面で非常に豊かにしてくれた。
元もと実家で商売をしていて、年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやのドンチャン騒ぎをしていた
回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、
独りで歩いたことが今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。
・・・・・・・・・
3071,衆院選挙の各新聞の論評から
2009年09月01日(火)
  各新聞の衆院選挙の結果の論評をみたが、なるほど要点を突いている。
 ーまずは印象に残った箇所から
・麻生首相は保守本流を強調し過去の実績を訴えたが、戦後の日本を作ってきた自民党は「腐ってもタイ」でなく、
「腐ったタイ」としか見られなくなった。(毎日新聞)
・麻生が任期満了まで解散できなかったのは、郵政民営化などの構造改革の総括ができない自民党が
 国民に顔向けができないという方が正確だ。(毎日新聞)
・小泉を引き継いだ浮世ばなれした三代目が三人が「売り家と唐様で書く三代目」の巻き添えに
 されるのではという危機感を国民が感じ取ったのでは。(日経新聞)
・タダ、今回の結果も、ローマ帝国時代の「パンとサーカス」を庶民に与えて手なずけたのと、
 似ている。パンは子供の手当ての支給とか年金の値上げや、高速道路の原則無料化。
 サーカスは、政権交代という危機のスリル。 (産経新聞)
  以上だが、今回の選挙は、あくまで自民党の自壊の要素が大きい。
    (次数制限のためカット 2011年9月1日)
 ・・・・・・・・
2706, 現代とはいかなる時代か
2008年09月01日(月)
人類の現時点を俯瞰してみると、人間圏が限界に達してしまったことと、
インターネットという人類文明史にとって大きな情報手段を手に入れた、という大きな分岐点に立っている。
著者はアポロの月面着陸が地球史・生命史という時間スケールでも、特記すべきことと見ている。
4億年前に、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するという。現代は宇宙から地球をみなければ
ならない時代になってしまったのである。グーグルアースも地球だけでなく天体飛行のできる機能がついている。
我々は何時の間にか、その立ち位置に置かれてしまったのである。
 ー以下、要点を抜粋したー
「地球システムの崩壊」 松井孝典著         −読書日記   −2
  *現代とはいかなるじだいか
1969年、人類は地球上の生命としては初めて、地球の重力圏を突破し、月面にその足跡を印した。
人類としての記念すぺき最初の一歩を印したアームストロング船長は、 その歴史的瞬間に立ち会った気持ちを、
次のように述べている。「これは一人の人間としてはほんの小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」。
この言葉ほど、現代という時代の特徴を、簡潔にして明瞭に伝えるものはない。
 アメリカの文豪ノーマン・メイラーもまた、この高揚した時代の気分を次のように残している。
「二〇世紀はアポロー1号の打上げをもって終った」。それは地球史、生命史という時間スケールでも、特記すべき事件。
今から四億年前、生命が初めて海から陸に進出した事件に匹敵するからだ。 地球の重力圏を突破することの哲学的意味は、
宇宙から地球を見る視点を獲得することにある。それは地球が、他の太陽系天体と同じくひとつの天体にすぎないことを、一般の人にも、
画像としてはっきりと確認させてくれるが、しかし一方で、地球が他の太陽系天体と、異なる天体であることも認識させてくれる。
 その雲の変化や、季節による大陸の地表変化は、大気と海との複雑な相互作胆あるいは生物圏の存在を示唆し、
地表が、その領域を構成するいくつかの構成要素間の、相互作用による動的な平衡状態にあることを語っている。
専門的な言い方をすれば、それは地球がひとつのシステムであるということだ。
 また、夜になると地表を覆う光の海は、この天体に、高度に発達した知的生命体、あるいは文明が存在することを、
灯台からのシグナルのように宇宙に向かって発信している。従って、「現代とはいかなる時代か」と問われれば、
「我々の存在が宇宙から見える時代、あるいは我々が宇宙を認識しはじめた時代」といっていいだろう。
それはまた、我々が大脳皮質に外界を投影し、内部モデルを構築するーそれが認識ということだが、
その認識の時空を拡大することで、ギリシャ以来の学問のゴールである普遍性について、具体的に語りはじめた
時代といってもよい。宇宙からの視点を得るとは、俯瞰的、相対的、普遍的視点をもつということと同じである。 
その結果、「我々は初めて、我々とは何か、どこから来てどこへ行くのか」という根源的な問いに真正面から
向き合うことができる。その詳細を議論するには、宇宙や地球や文明について、いくつか基本的な認識を
確認しておかなくてはならない。
〜〜
何度も書くが、これはコペルニクス的な人間観の転換でもある。また、その視点が最重要になる。
月面着陸が地球史的にみて、これほど大きな出来事だったとは知らなかった。そして宇宙の彼方から地球を改めて
みた時に地球システムの中に、自然の中に人間という知的生物がいて、生物を支配しているのである。
それだけでなく、自らを創りあげた地球システムを破壊始めたのである。それが自滅とわかっていても自分自身どうすることも
出来ない事態に入ってしまっている。この知的生物とやらは、知を得たがゆえに消滅していくのである。
正しく「アダムとイブが禁断のりんご食べたこと」が、これに当たるのだろう。
・・・・・・・・・
2007年09月01日(土)
2342, 「ある」ことと「あった」こと          お|* ̄O ̄|は
 『狂人三歩手前』 ー中島義道著
ー「ある」ことと「あった」ことー
理屈っぽくなるが、「ある」とは「あった」があるから「ある」のである。「あった」があるから、その想起で現在が「ある」。
「私」も現在から過去を振り返ったとき、「私」が発生するのと似ている。現在は過去にかこまれているのである。
かって旅先で暴漢に襲われて記憶を無くしてホームレスになって、そして立ち直っていく男の物語の映画をみたことがある。
これこそ自己喪失である。そこに記憶も生活基盤を無くすことの恐ろしさを見た。それは「あった」があるから「ある」という説明に、
解りやすい物語であった。その映画を見て、人生は「ある」ということと、「あった」ということで成り立っており、
その両者を大事にしなくてはならない!と実感をした。過去は消せないのである。
   ー以下は『狂人三歩手前』から・・・
世界についてでも、私自身についてでもいい、物体についてでも、心についてでもいい、われわれは
現在の知覚を基準にして、何らかの客観的対象が「ある」とみなしがちである。
(以下、字数の関係でカット09年9月1日)
ーー
非常に解りやすい、深い内容である。これを歴史に当てはめてみても、成り立つことである。
遡れば、ビッグバンがあったから、現在があるのである。
(その説が正しければだが)ありえない事が起こったのである。そして、現在、私が世界を生きている!
これは偶然か、必然か?そしてビッグバン以前は何だったのか? これを考えるのが哲学の一歩である。
            バ━━ヾ(′ω`●)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年09月01日(金)
1977, 三回目のケニア旅行ー2 (≧∇≦)オハヨウ~ゴザイマス!
 10年前には日本人観光客が一万人だったが、現在では十万になってしまった。以前はケニア旅行といえば珍しい存在であった・・
また首都のナイロビからマサイマラへの道路では以前はあまり車が走ってなかった。しかし現在では対向車が絶えることなく走っていた。
 話は変わる。 マサイマラでの出来事。サファリカーが5~6台終結しているところに若い雄ライオンが二匹寝ていた。
ところが何分経っても寝たままなので、その場を去ろうとすると、突然隣の車が二台が交互に、そのライオンの鼻先に
車を突進、寝ているライオンを飛び跳ねてしまった。若い現地の運転手が笑いながらからかっているのだ。
初めてみるシーンである。自然動物に対して絶対してはならない行為と、ただ驚いてしまった。後ろの席にいた若いツアー仲間の女性が、
それをみて突然泣き出してしまった。 彼女の気持ちが痛いほど理解できるが・・考えてみれば、現地人にしてみればライオンなど
野良猫のようなもの。もし抗議したとしたら「観光客こそサファリーカーで勝手に排気ガスを撒き散らして、奇麗事を言うんじゃない!」
というのが本音だろう。ただ、長い年月を通して、動物とサファリカーはお互いに危害を加えない暗黙の了解を作ってきた。
その意味でやはり問題だろう。今回の旅行でアフリカが遠い存在から、ごく近い存在に感じ取ることができた!
それにしても7年前のヌーの河渡りの印象が、あまりにも強烈過ぎた。
野生のライオンや、豹を見ても感激しなくなった!もうサファリは最後か!いやタンザニアがある。
まだまだ、深いアフリカは!添乗員から、マリが面白い!と聞いた。
地方経済がもっと回復してくれば大手を振ってもっと出かけるのだが・・絶望的か!もう年一で充分だが・・    
                  (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?        バイバイ!
・・・・・・・・・
2005年09月01日(木)
1612, ハワード・ヒューズ
 ー字数の関係でカット(08年9月01日)
・・・・・・・・・
2004年09月01日(水)
1247, さよなら!五十嵐恭一さん
 −五十嵐恭一さんへの弔文
友人の五十嵐恭一さんが8月21日の夜半の11時過ぎ、長岡西病院で亡くなった。 享年57歳であった。
その日はオーストリアの旅行の為、日暮里に前泊していたので、旅行から帰ってきた翌日の30日になって初めて、
その事実を知った。朝日新聞系の「朝日広告」の営業で、高校の後輩ということもあって、公私の付き合いがあり、
私の弟分であった。かなり激しい躁鬱症で、間接的だが私がカウンセラーとコントロール役をしていた。支局長までなったが、
その病のため平社員に降格された。それでも過去の経験を買われて、そのまま同じ職場で仕事を続けていた。
盆暮れを含めて年数回、20年以上飲み続けていた。 アポ無しで事務所で直接来ても、
抵抗感を持たせないキャラクターがあった。気持ちが純粋で、面白いミニ情報を多く持ってきてくれていた。
三年前から、唇に腫瘍ができ、それが原因で転移して末期癌になっていた。 この5月に自宅に見舞いに行ったところ、
苦痛に呻いていたのをみて、末期医療の長岡西病院のビハーラ病棟への入院を勧めた。
(躁鬱病の重症の時も、私が入院を勧めると、直ぐに従った。)自宅への見舞いの三日後に、即入院をした。
そして最後に見舞いに行ったのが、亡くなる10日前であった。一緒に見舞った人が、五十嵐さんの知人で、
先に亡くなった人の名をあげて「私も直ぐに行くから、彼らと待っていてくれ!」と慰めた。
ところが、「まだ、早い!」と絶叫をしたのをみると、マダマダ生に未練があったようだ。
死ほど、自分と他人の差が大きいものはない。苦痛は想像を超えていたようで「24時間の拷問にあっているようだ」
といっていた。奥さんに苦痛の為[殺してくれ!]と、懇願したそうだ。 私の身辺で多くの末期癌の壮絶な死を見てきたが、
彼のそれは悲惨で見るに耐えないほど激しく厳しいものであった。本人しか知らない想像を超える辛さがあったのだろう。
オーストリアの旅行先で、行く先々の観光地で、バスを降りると雨が降ってきた。
そして、バスに乗ると雨が止む。 それが三度目に、虹が出たとき、「ああ、五十嵐恭一は亡くなった?!」と、
思ったのが事実と知った時、なるほど、彼らしく自分でお知らせをしてきたのだと思ってしまった。
知人縁者の死は、自分の死でもある。しかし自分の中では、より身近になって何時までも生き続けることを実感する。
さようなら、五十嵐恭一!そして、ありがとうございました!  ご冥福を!

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4175, 閑話小題 ー恐ろしい近未来がまっている

2012年08月31日(金)

  * 恐ろしい近未来
 南海トラフ地震の最悪の死者予測が32万人と政府が発表、マスコミが騒ぎ出したが、もう一年以上も前から週刊誌で騒がれた
記事と同じ内容。しかし、政府発表となれば違ってくる。大手ゼネコンの含み笑いが聞こえてきそうだ。これは太平洋沿岸沿いには
住めないということになる。その地区の住宅地や商業地が暴落というより、ほぼゼロになってしまったことになる。 当事者は、
まだピンとこないはず。 千年前の大地震の後に二回、17年内周期で大地震と大津波が起こっている痕跡があるという。
活断層が不自然に捩れていて、何らか次の大地震が起きる可能性が大きい。決して非現実的予測ではない。 
これに関東直下型地震の可能性がある。更に世界恐慌も遅かれ早かれ起こる。いや、すでに起きている?
 これでは、夢も希望も持てやしない。この数年来、大卒の正規社員就職率が63パーセントで、三分の二も就職ができてない。
これが恐慌が吹き荒れる前で、この有様。数年先は、こんなものでないはず。 40数年前の私の卒業の時とはえらく違う。
金の卵で、会社は選び放題。私の同期の男たちは、殆どが一部上場の有名企業で、ハッピーリタイアをした。時代は大きく変わった。
  
  * 田中真紀子が民主党党首に立候補 ?
 久々に面白い話に驚いた。途中で立ち消えになるかどうか?だが、真紀子様が民主党党首の候補の可能性が出てきたという。。
思わず失笑したが、それほど民主党は困っているということになる。 あの外相時の相応しくない姿を忘れてしまったのか。 
あの人物から誠意の何も感じられない。一国を束ねる力量があるとは到底思えない。何が今さらだが立場が野党なら、最適の逸材か。 
あの辛辣な口撃は溜まったガス抜きになる。 まあ国が衰えると、こうなる。 政治は、何でもありである。床屋レベルの政治談義
からみると、この世界的危機の中での、日本、米国、韓国、中国のトップ交代による政治変動は非常に興味をそそられる。
なるほど2012年問題は、危ない要素に満ちている。安倍自民党総裁、田中真紀子民主党党首、それに安倍に担がれた橋元首相。
面白いが、どうだろう? それと何時起こるかしれない南海トラフ地震と、関東直下型地震。それと世界恐慌の可能性がある。
20世紀前半に世界恐慌を挟んで二つの世界大戦があった。このドサクサで一億以上の人たちが犠牲になった。
それより大きな変動が、始まってしまった。 これから壮大なシネマのような世界が展開される。
・・・・・・
3810, 世の中の商売、すべからく代理・代行 
2011年08月31日(水)
  旅行代理店、保険代理店、会計事務所などのサービス業があるが、すべからく世の多くは代理サービスの変形である。
家電商品も、その多くの製品は代理システム品である。洗濯機、電気炊飯器、扇風機、暖房機も、人間の労働の代理品である。
20年前に、「一世代前の人が、現在の生活をするには200人の従者を必要とする」と聞いたことがあった。現在では、
数万人でも無理だろう。 車は馬車の代行であり、カメラは専属カメラマンの代行。 夕食の宅配は、主婦の仕事の一部代行である。
 旅行代理店のパック・ツアー。その大ファンにとって、その恩恵は大きい。アフリカのタンザニアや、ケニアのヌーの河渡りなど、
素人では絶対に無理だが、ツアーに参加すれば誰にでも気楽にいける。スナックや、居酒屋も家庭内で満たされない料理や、お愛想、
色気などの代行である。 この事業整理の一連も、弁護士事務所が会社が300万プラス個人が50万、合計350万で、一括業務?委託。
一連の委託契約をすると、全ては弁護士の管理下に入り、良くいえば債権者から守られる。 逆に、一切の社会的信用はゼロ、
前科者に近い後ろ指、陰口の絶好の対象になる。 また、最近通いだしたスポーツジムも、各種のエアロビがあり、運動の指導を
パッケージにしてある。それに従っていれば体質改善が合理的に出来る。 その指導を多くの会員を集めることで、パックにして、
場の提供をしている。 これも各自で行っていた個別運動のパッケージ化になる。
 ところで、これまでの蔵書、ベストの100〜200冊をデジタル化して、iPadに気楽に入れられたら、よいだろうにと思っていたら、
一万冊を入力してiPadに入れて持ち歩いているという人の本があった。それは面倒と思っていたら、一冊100円で入力をしてくれる
サービスがあった。とりあえず、100冊を?と考えているが・・。 また、アマゾンに注文した本を、そのまま業者に本が直送し、
スキャンしてくれるサービス業者もあるという。デジタル本が、まだまだ普及してない中、これは良い代行システムになる。
情報化とデジタル化の時代、代理・代行システムは重要なキーワードになる。 それにしても、面白い時代になったもの。
各種代理システムをiPadを端末として、如何に使いこなせるかが、これからのポイントのようだ。
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2010年08月31日(火)
 3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
  *初めての21歳の欧州旅行 ー1
 どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二以上が、それに当たるからである。
ショックの段差が大きかったのは、初体験の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。
当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど目にしたことはなかった。
モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。
それが突然、目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、牛肉に細い糸が巻き付いていた。
生まれてこのかたヒレステーキなど、食べたことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。
次に初めての海外に降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と緑の中に街がある御伽の
国に思えた世界があった。人種が違うのである。金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、
違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、
北欧人を目の当たりにするのだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。自分の精神を
正常に保つだけで精一杯であった。 当時、海外旅行に出る人は、まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。
 だから、出発前から気持ちが高揚していた。
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3070, 衆院選挙の結果をみる
 2009年08月31日(月)
 終わってみれば、マスコミが発表をした最終の予測調査の通り。週刊誌では週間朝日の最終予測の307が一票差で、
完璧に近い予測。森元総理が落選するかどうかに注目をしていたが、残念ながら?当選、その反面、太田公明党首が落選した。
今回の特徴は元総理など多くの実力者が落選したことだが、これは歴史的転換への時代の要請である。
色いろな意味で歴史に残る選挙になった。 自民が国民から大きく離反した結果のオウンゴール(自滅点)。
民主党は私の事前の予測の325には及ばなかった。 私の周辺では殆ど自民党を支持する人はいなかった。
 あと講釈で言えば、自民の三代の首相が解散のタイミングを何回も逸し、自民党を粉々に崩壊させたことになる。
もう二度と元の自民党に戻ることはない。 海部元首相や派閥の領袖などの大物が消えたことは最大の収穫。 
権力も失ってしまえば、磐石に見えた彼らも虚構でしかなかったということ。アメリカの政治体制の変革に続いて日本も大きく
舵を切ることになった。当然といえば当然の流れである。自民党も振りかえると決してマイナスだけではない。
プラスの面も多かったが一度、旧態依然の官僚支配の体質の根本的な改革をしろ、という天の声である。
それにしても自公の大物等がよくも雁首を揃えて落選したもの。 これで経済に続いて政治も動乱に入った。 
面白くなったと他人事のように言っていられないのが、現在の日本の危機状態である。
幸福党の教祖様は、この結果を予測もできなかったのか? 元もとは布教活動の宣伝活動だったのか?
我が区の真紀子様、大恥の結果だったが、これが地元感情である。それにしても素朴な人が多く残っているもの。
次は、新政権の組閣の顔ぶれに興味が移る。 法務大臣が誰になるか面白い。検察のゴミ掃除をどうするかだ。
 これで日本も良きにつけ悪きにつけ大きく変わる。 あまり期待はしてないが、期待できない自民よりは良い。
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2008年08月31日(日)
 2705, 酒の話
ここでも、何度か酒の失敗について書いてきた。しかし楽しい酒はこれまた格別よい。致命的な大失敗をしても仕方が無いと割り切れるほど、
酒は日常の制約や退屈さから解放をしてくれる。「酒はモラルの休暇」とは、よく言ったもの。世界の人たちは酒の少々の失敗は認めてくれる。
歴史を振り返っても、どの社会でも飲めや歌えの大騒ぎを許容する祭りや行事があり、その日のことは、大目にみられてきた。
ただ酒で抑制が解放されてしまい、殺人や、思ってもいない浮気や、失態も起こる。
「しらふの人間が心の中で思っていることを、酔っ払いはベラベラと話してしまう」ことが、酒の一番の欠点だろう。
そういう不節制にも教育的?価値もあるという。 少し無理はあるが、直接跳ね返ってくる身近な事件?になるからだ。
あまりに真面目くさった人生も、これまた面白くも可笑しくもない。 下戸の人は、酒を飲んで大騒ぎをしている高揚した楽しさ、
至福を知らないまま生涯を終えるのである。 普段の生活の中に自分を解放する夕時の一時の時間として一般的には、どの世界もアルコールは
日常の生活に入りこんでいる。どの街にも飲み屋街が繁華街にあり、多くの人が頻繁に出入りする。スペインにはバールが何処にいってもある。 
値段の安い西欧居酒屋である。 そこには、誰もかしこも入り浸っている。
長い歴史の中で、出来上がった庶民の娯楽施設だが、そこで家族や友人同士が夜遅くまで話し合っている。
カフェテラスのように店の前にも席があって、多くの人が親しそうに話しをしているのを見ると、奇異な感じがする。
バイロンは「理性があるからこそ、人は酔わねばならない。人生で最高のものは、けだし酩酊なり」と、いっている。  
  酒に十の徳あり(酒には十種の長所がある)という。
 百薬の長、 寿命を延ばす、 旅行に食あり、 寒気に衣あり、 推参に便あり、
 憂いを払う玉ぼうき、 位なくして貴人に交わる、 労を助く、万人和合す、 独居の友となる。
酒は、つらい日々ほど、その時間だけは美味い酒で楽しい最高の気分になれる。 辛い日々の酒こそ、美味い味わいが残る。
一時的に天下を取ったような気分に慣れるのである。 達成感など実際の喜びを感じるには長い年月と、汗と涙が必要となる。
しかし、酒は酔いという作用で、その喜びを与えてくれるのである。 だから、恐ろしいのである。
 まあ、よくぞ、これだけ、酒で失態をしたものだ。 しかし、その時々に本当に美味い酒を飲んできた。
これが、もしかしたら、人生で一番の価値あることだったかもしれない。 たまには大騒ぎをするのも良いじゃないですか、
ということだが、「御前の場合は、それさえなければ、な〜」と何度言われたことか。 そして自戒しとことか! 
でも、私から、それを取ったら毒の無い河豚みたいなもの。  棘の無いバラ、それともノンアルコールのビール?
(以下、字数の関係でカット11年8月31日)
                 
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2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」−中島 義道 (著)       −読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
成る程と合点がいったが・・・ 常に考える時、「私」は何々・・・と一日、数百回も自問自答しているのに、
その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それをキチッと知っていると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、さっきの橋を歩いていた主観が
「私」として飛び出してくる。云々}と。成る程と思いつつ、解ったようでもう一つ理解できないモヤモヤが残っていた。
過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある「いま・ここ」の主観は、
まだ私になってないということ? ところが彼は、この本の中で、その「私」を噛み砕いて解りやすく説明をしている。
  −p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた
独特の身体が広がっているが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか?そこに独特の感じがするから?だが、なぜその独特の感じが
「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の
独特の作用によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見いだせない。「私」とは知覚しているときに、
同時にそこに感じられるものではないか?いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。
そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか?多くの哲学者はそう考えた。
そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な
発光点のようなものであるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。
ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における同一なものと了解されている。
「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」者である。しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、
現在の側から一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。「私」は、過去と現在との関係において登場してくる
のだから、現在の世界を隈なく探しても見いだせないのは当然である。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによってはじめて「私」は身を現わすのである。
ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。
夢の場合で考えてみよう。夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。
「私」は、夢から覚め「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。
まさにその時、あれが「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を見ていたことになるのである。
夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、
ぼんやりもの思いに耽っている時など、いわば消えている。しかし、あとから「私は〜していた」と語れる限り、
その時「私」は存在していたことになるのだ。夢中で小説を読んでいた。
ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう三時間も経っている。
私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
ーーー
夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。じゃあ、夢の中で私は何々、云々と
いっているのは何だろうか?ただ夢の中で過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない
純粋何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何かを考えていた!
 ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、また夜半にリアルな夢をみた  グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ
・・・・・・・・・
2006年08月31日(木)
 1976, 充実した人生
  おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・  時差ぼけだ〜
先日の新聞広告の「男の品格」という紹介文で「自分の一生が幸福だったかどうかは、男にとっては大した問題ではない。
だが充実していたかどうかは大きな問題だ」という内容があった。ところで私の場合はどうか、考えてしまった。
幸福度は70~80点? 充実度は、どうだろう? どうしても知人との比較対象になってしまう。その充実度は外的なものになってしまう。 
それでも、やはり80点か? 幸福度は気持ちの問題だから、その本人次第だが充実度は? やはり過去の人生の密度に関係してくる・・・
密度は濃かった?、それとも淡白だった?のだろうか・・・ところで「充実したか」と、「幸福」を置き換えて、
「人生は充実していたかどうかは大して問題ではない、だが、幸福と思えるかどうかは大きな問題だ」という理屈も、成り立つのでは?
充実をした人生を送ってない人も多いから、その見方も大事じゃないかと??     ( ̄ω ̄;)!!
全て解釈ー受け止め方、そう言葉・言葉でしかない。 どう考えても充実した人生を送ってない人が、自分は充実した人生を送ったと
勝手に思い込んでいる人もいるし、充実した人生を送ってきた人が、自分は充実した人生を送ってこなかったと思い込んでいる人もいる。
だからよいのだろう!人生は。  充実した人生か〜 やはり大事なのだろう! ところで充実した人生とは?
・感動・感激・感謝の詰まった人生
・自分の夢を追い求め、そのプロセスで自分の力を出し切った人生
・自分の好きなことをやり遂げた人生
・燃焼しきった人生
・よく遊び、よく学び、よく働いた人生  というところか!!    ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
 美味い酒を飲んで、美味い飯食べて、上さんで満足して、ニコニコしていて、
充実した人生のことなど我関せずで人生を終えるのも良いのだが・・・
ところで充実している時って充実感など意識してないものである。食べている時満腹感がないのと同じこと。 
感動・感激、そして達成感などが、溜まった状態をいうからだ。不幸のときに充実感はない!
しかし充電をしているのだから、空の状態。下手に充実感など持たないほうがよほどよいのでは?とも考えられる。
まあ、いいか! この旅行の直後のためかイヤニ充実感がある! 気功をすれば、 早朝の散歩も、 
気の充実はできる。 それで充分といえば、それまでだが・・・     ホンジャ(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!

  ・・・・
字数制限のため、以下の年度分は、ヤフーの「バードウォッチ」にコピーしておきます。


4174, 閑話小題 ー電機メーカーの苦境

2012年08月30日(木)

   * 電機メーカーの苦境
 日本の電機各社が苦境に陥っていると、マスコミを騒ぎ出している。この原因が、あのエコポイント。電機メーカーにとって、
神風になり大きな利益を確保したが、その間に韓国などのメーカーが主力商品に力をつけ日本が太刀打ち出来なくなっていた。 
数年前まで、薄型TVで勝ち組だったシャープが死に体で倒産の危機になり、同じく恩恵を受けたソニーとパナソニック、東芝、
日立の各社が数千億の赤字というから尋常ではない。世界に名立たる日本のブランドが、今や苦境に立っている。 耳を疑うが、
これが現実である。 現在、同じことが自動車で行われている。 どうしたというのだろうか。 中小企業救済法も今となれば、
良かったのか悪かったのか? しかし、産業の不振は日本に限ったことでない世界的な流れ。 スマートフォンとタブレットPC、
この中に、電話、テレビ、パソコン、デジカメ、ビデオ、全ての機能が入って同じ位の値段なら電子機器が売れなくなるのは当然。
日本のメーカーが、専用機種に目を奪われている間に、マックや韓国メーカーが、ここに集中していたのである。日本のメーカーは
決定的なミスを犯してしまった。10年前、5年前なら考えられない事態が、目の前に起こっている。 グローバル化は恐ろしい。
   
   * 地元経済は、ますます悪化
 先日、3ヶ月ぶりに自宅に送付されてきた一連の書類を持って弁護事務所に行き弁護士と30分位、世情話になった。
中越地区の景気状況は、来春の「中小企業特別救済立法」の打ち切りに向けての動きが顕著になっており、その上に刈羽原発の
休止にともない関連の5千人の従業者のうち3千人が、この秋に整理される。更に小千谷にある大手の工場も雲行きが怪しい。
それらから景気は一段と悪化しているという。一線から退くと生の情報は殆んど入ってこなくなる。必要がないからもあるが。
この9月から12月にかけて、リーマンショック並みの一大イベントが発生する可能性が大と見ているが、その前兆の波か、
それとも思い過しなのか? 景気は一段と悪化の道をたどっているようだ。
 ・・・・・・
3809, つれづれに
2011年08月30日(火)
  ▼ 収まる所に収まった民主党党首
 最後の最後まで、誰が民主党党首に選出されるのか分からないギリギリの選挙だった。しかし、海江田と野田の二人の決戦となれば、
どちらが相応しいかはTV画面が正直に語っている。 しかし小沢一郎と鳩山が後盾の海江田が勝つのではと予測されたが、党員も、
その歴然とした差に、野田に雪崩をうっていったようだ(立候補者の一人が最後の最後に野田支持に回ったのが勝因ともいうが)。 
たまたま投票直前にTVを入れたら、野田が演説をしていた。朴訥とした中に人を惹きつける感情のこもった内容に引き込まれてしまった。 
その前にも、彼の立候補の政策を聞いたが、至極自然なもので、他が悪すぎたこともあり、一人光っていた。 
【 二年前に政権についたが、国民からみて期待はずれの結果しか出せなかった。次の選挙まで残された期間は二年。それまでに捨て身で、
 この国難とマニフェストを達成しなくてはならない。大震災の国難を乗り切るためには、野党との大連合を考え、かつ党内融和も必要。
 また赤字の国家財政と、大震災を乗り切るためには増税もやむをえない。】 
  この当たり前のことを当たり前に述べているに過ぎないが、現在の与野党も含めて、これをいうと世論受けしないとか何とかの
 ジレンマに陥っていた。 小泉も含めて、この数代の首相の中で、一番真っ当であってほしいものである。菅首相の直後では、
 やりやすいだろうが、この日本の政治と経済の惨状下では、それもどうか?。 まさか、海江田とか、あれ、ではね。 これで当分は、
 少しは政治不信は小さくなるだろうが(いつも最初は期待感でそうだが)・・ この国の体質は、この20年で、あまりに劣化した。
  ▼ あれから5ヶ月
 あれから5ヶ月になる。 事業期間三十年のうち、初めの10年が登り。 次の10年間はバブル崩壊の日本経済の混乱の最中、
逆に積極策に出て客室を増やした(これが、今回の倒産の間接原因になる)。 最後の10年の始まりが9・11で、二度の中越大地震、
三年前のリーマンショックの直撃、とどめが半年前の東北大地震。 その中で一番の打撃が、リーマンショックであった。
この影響は、まだまだ序盤で本格的津波=大恐慌は、この秋口からアメリカから世界、そして日本に吹き荒れること必定。
 この二十年、日本の政治は混乱を極め国家の態をなさないほど疲弊してしまった。それと比例して、この今回の倒産である。 
事業がビジネスホテル。ネットなどの情報化と、長期不況による新幹線日帰り二時間圏と、客室在庫の過剰もあり、その対応不能に陥り、
この結果である。 逆に、ここまで次々の大波で悪化すると諦めがつくもの。後悔とか未練は少なくなる。
事業として荒波に飲み込まれたと同時に、業態の老衰ということもある。 しかし全体として、面白い経験をさせて貰ったと感謝している。 
 それにしても、日本経済、どうなるのだろう。 この三年間は大暴風雨になる。 特に地方経済は、来るところまで来ているから、なお。
・・・・・・・・
3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)
  * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを思いのまま書いてみる。
その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験をリアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。
そのために、行き先の選定、日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。 また日本の遥か彼方から、逆照射してみた
自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。
まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。 
旅先で、絶対に行きたかったが行けなかったところはない。 ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど行きたいと思わない。
秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 自然そのものが何か波動を発している。
その波動に、飲み込まれにいくのである。 この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 
 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、
あの時の下地と、21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここまでノメリ込んだのだろう。
その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かのチャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長のようになる。
「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。
 ・・・・・・・
3069,新インフルエンザの恐怖
2009年08月30日(日)
 新インフルエンザが全国的に流行期入りをし、拡大はもう止まらないという。
どうせ感染するなら、早くなって直った方がよいと割り切った方が良いようだ。
先日のTVのモーニングショーで、新インフルエンザ(=A)と、これまでのインフルエンザ(=B)との
違いを説明をしていた。その内容とは、
 ・Aの方が、症状として重い。 身体がだるく、下痢や、発熱になり、気管支がやられ呼吸などが困難になる。
 ・Bに比べて感染力が圧倒的に強く、かかる比率は比較にならないほど。
 ・5〜19歳までが患者の7割で、青少年が罹りやすい。
 ・予防でタミフルを飲んでも、48時間しか持たない。
 ・外出後の手洗いと、ウガイ以外に、これといった予防方法はない。
 ・感染者の接触した箇所の菌は48時間は死滅しない。だから、人の集まるところは何処もかしこも菌だらけ。
 こんなところだが、ようは殆どの人が罹ると理解した方がよい。
一昨日の新聞報道では、まず10月半ばに一波のピークが来た後に、一度沈静化をして第二波がくるという。
(次数制限のためカット 2011年8月30日)
 ・・・・・・・・・
2704、共同幻想を抱いていただけ?
 2008年08月30日(土)
 松井孝典の「レンタルの思想」の中のキーワードの一つが「共同幻想」である。
一万年前に農耕牧畜を始めて、「人間圏」を作り上げてきた。 そして右肩上がり人間圏の拡大が共同幻想だったことを、
人類は宇宙に出て地球を俯瞰して初めて知った。資源が有限であり、農耕以来、環境破壊を続けてきたことも、
これ以上の人間の欲望を拡大できないことも知った。
 ー著者の松井孝典は、次のように人間圏の危機を述べている。
 ≪欲望のカタチは所有であり、人間は地球という大地を「所有」すると、錯覚していたのである。
 これが人類の「共同幻想」というのである。共同幻想は、これだけでなく、貨幣は未来永劫に交換可能とか、神様の存在とか、
 人間の命は地球より重いとか、民主主義とか、市場主義経済とか、自由平等とか、人間を規定する概念すべてといってよい。
 21世紀の人間圏にとって、その崩壊の引き金になる最も高いシナリオは、これらの共同幻想が多くの人に幻想と
 認識されたときである。 その一つがインターネットとという。インターネット社会は、個々人を主体化し、
 情報が個人に拡散する。 情報が拡散するということは、社会が均質化していくことになるが、共同幻想という面では
 理想的かもしれないが、宇宙からの視点から見れば、人間圏のビッグバンになる。
 それは秩序も構造も、情報もあってない、混沌とした社会になる。》
  そこで、共同幻想とは何かを知るためにネットで調べてみた。
 ー以下は共同幻想についてのウィキペディアのコピーであるー
共同幻想(きょうどうげんそう)とは、複数の人間で共有される幻想である。日本の思想家である吉本隆明が用い、有名になった言葉。
吉本は、自分の共同幻想とは、マルクスの用語である上部構造と同じ意味であり、ただ手垢がついているから使いたくなかったと述べている。
 吉本隆明は、著書「共同幻想論」で人間関係は、3種類に分類されると提唱した。
▼ 自己幻想 = 個人と個人の関係。 ー芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
▼ 対幻想  = 個人と他者とのプライベートな関係。 ?家族・友人・恋人がこれに当たる。
▼ 共同幻想 = 個人と他者との公的な関係。 ?国家・法律・企業・組合がこれに当たる。
 宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。
この分類は効果的であり、世界を正しく見るうえでこの3つの幻想領域を混乱、混同させないことが大事であると吉本は主張する。
これらはそれぞれ独自の法則で動いているのである。  例えば、吉本は心理学者のフロイトはリビドーと言う対幻想性を、社会領域まで
無条件に拡大して採用しようとしたところに誤りがあると批判する。また、1人の人間もこの3つの領域でそれぞれ違う顔を持っている。
 *職場にいる顔と、*家庭にいる顔、*1人でいるときの顔や行動は、それぞれ違うのである。外弁慶、内弁慶という言葉があるように、
冷酷な独裁者や軍人が家庭内では優しいよき父親であったり、逆に職場では物静かな男が家庭内では暴力的な暴君として振舞うなど
ということは、充分ありえる。吉本隆明は、共同幻想の世界では、個人が幽霊としてしか存在できないと主張する。
 例えば、「今は企業の危機だから、粉骨砕身働け」との企業幹部の檄は、
 労働力を売りに来ているに過ぎない個人としての労働者の立場と矛盾する。 
 〜〜〜 以上だが、
 松井孝典の二冊の本は、大きな衝撃であった。
地球学という視点で、自分を振り返ると、大いなる共同幻想の中で蠢いていた小さな生命でしかないことだ。 太陽の惑星の一つの地球、
その大気圏の中の、物質圏の、生物圏の、人間圏の、極東圏?の中の小さな島国の、北陸圏の、新潟圏の中の、何でしかない私。
地球の外から俯瞰すれば、そういうことである。そして共同幻想を何の疑問を持たないで抱いていた存在である自分を振り返り、
「何?何だったのか?」と根こそぎ、人生観がぐらついている。恐らく身近に死を感じ取った時に、直感的に感じる恐怖心の向こうに
見える宇宙的な俯瞰の視線は、織田信長が舞ったという敦盛の「人生50年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」を彷彿させる。
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2007年08月30日(木)
 2340, さっきみた幻想的、かつリアルな夢
  -v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○o。(-v-★)
 これだけ、ハッキリと憶えている夢は珍しい。毎朝書いているモーニング・ページに夜半にみた夢を書いているが、殆ど忘れている。
それでも、五日に一度位は大筋は書いているだろうか。夢から醒めた直後は忘れないように反駁をしているが、しかし殆どは反駁した
ことだけしか憶えていない。ところが、どういうわけかリアルに殆ど憶えているのである。夢見た直後に、リアルに、詳細に書けば、
読んでいても面白いだろうから、あえて書き出してみる。 まずは、私の夢の世界を、ご覧あれ。 私の潜在意識の公開である!
▼ 近所を散歩していると、面白そうな家が目に付いた。家の向かって右の方に、子供のための遊び場がつくってある。
 そこで主人らしき人が手作りで何かを作っている。 声をかけると、中に入ってもよいという。
そこに入っていくと右が廊下のようになっていて、手作りの小さな部屋が5つ位ある。 その中に子山羊がいたり、子供の遊び場があり、
遊び道具が入っている。その廊下の奥に少し広い空間があり、カヤックやカヌーなどが置いてある。
家の右全体が自分たちの遊び場として、その主人・松尾という人が自分で手作りで作ったという。 
そういえば去年、大学の学生時代の友人がカヤックを持ってきて新潟の阿賀野川の河口で大水の中、二時間ぐらい遊んだことがある、
と言うと、急に打ち解けてくる。そして、居間に案内をする。そこには、彼の友人が4〜5人遊びに来ていた。
毎週のように週末は仲間が集まるという。そこで奥の方の部屋に行き、そこで松尾さんと話をする。薄っすらとした髭をはやした
五十歳位の人で、自由業のようだ。名刺をだそうとしたが、出さない方がよいと判断、自分の姓だけをいう。
急に睡魔が押し寄せてきたが、そこに10歳位の彼の息子が来て、正座をして挨拶をする。私も挨拶をしようとしたが、眠くてできない。
その松尾さんに、「あなたは自由業でしょう。弁護士か、医者か、会計事務所の先生とか」というと、その通りだと答える。
そうじゃなければ、このような好きなことを好きなまま、できないはず。ところが、この夢には次の場面がある。翌日、何と家内を連れて、
その松尾さんの家に行ったのだ。そして家内は松尾さんの奥さんと話をしている。半分お互いに知っていたようだ。二人で世間話を始める。
まあ、せっかくのところに何で家内か、と思っているうちに帰ることになった。ところが、何か騒がしいので行ってみると、
この家の老いたお手伝いさんが前日亡くなり、そのお参りに近所の人が来ていたのだ。 そこで私も、仏壇の前でお参りをする。
身寄りではないが、お手伝いとして面倒を見ていた人という。 聞いていて涙が出てくる。その後、一人で自宅の前に帰ってくると、
宅配の人が玄関口にいる。その前に宅配の人がきていたようで、不在の紙がある。そして、家に入ろうとすると、何か人の気配がする。
二人の息子と、二匹の犬が一Fの部屋にいる。庭から部屋の中を見るとまだ高校生の彼らである。 その辺りで眼が覚める。
何か不思議な、リアルな夢である。心象風景ということか? 他人の夢を垣間見るのも面白い?
というより、珍しいか!私も直後にこれだけ、鮮明に文章化したのは初めてである ネムイ!
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2006年08月30日(水)
1975, 写真家はインドをめざす       \(^▽^*)おは!
              ー読書日記
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。 読めば読むほどに何とも魅力のある本である。
いや本が魅力があるというより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。
カルカッタのマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、
せめて屋根のある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。
インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。白黒の写真が、むしろピッタリである。
一人当たり7〜8頁の文章と、10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、ここまで優しく鋭
く人の心を捉えるのだろうか?恐らく、一瞬の被写体の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。
(字数の関係でカット09年08月30日)
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2005年08月30日(火)
1610, 閑話小題
ーダイエー長岡店閉鎖ー
  (次数制限のためカット 2011年8月30日)。
ー今度の選挙は自民大勝かー
 (字数の関係でカット08年8月30日)
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2004年08月30日(月)
1245, オリンピックが終了
オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。期間は8月12日から29日までの17日間であった。
結局は金メダルが16個。前回の三倍、東京オリンピックと同数、であるから大成功だった。
復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。 私の印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと(丁度ツアーで、ウィーンのホテルでチェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、
 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった選手が優勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明したことと、これで、一リーグ制に加速がつくだろう
以上、誰もが同じ印象であろう。ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮が
冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。そしていつの間にか彼らの得意競技になっていた。
それを一部とりかえしたといってよい。いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって
金メダルを狙いにいった結果だった。 まあ素晴らしいことだ!
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2003年08月30日(土)
 878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」
  (次数制限のためカット 2011年8月30日)


4173, 木を見る西洋人 森を見る東洋人 ー2

2012年08月29日(水)

     * 二つの違った未来観 !        「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
  ー 西洋と東洋の認知の違いはなくなるか ー
 フクヤマとハンチントンの二人の政治学者の未来観こそ、西洋と東洋の違いである。20世紀に入ってから、哲学が、
決して西洋が文明的に優れているのではないという構造主義の考え方が主流になってきている。しかし時代は木も森も、そして、
地球環境も同時に見ていかなければならない時代になってきている。3・11震災がもたらした原発事故が、それを我々に突きつけた。
この対立は、避けることは出来ないが、何とか、それを抱えて未来に向うしかない。  ー まずは、その部分から
≪ 今、二つの非常に異なった未来観が、多くの領域の社会科学者たちの間で戦わされている。
 ひとつは政治学者のフランシス・フクヤマが唱えた未来観で、世界の政治経済システムが一極に収束し、それに伴って
価値も一極化していくことを予測するもの。もうひとつは今後とも多極化が続くことを予測するものである。
フクヤマは著書『歴史の終わり』のなかで、資本主義と民主主義が勝利をおさめた今、面白い出来事を生み出すような
切迫した力はもはや存在しないと述べている。片や政治学者のサミュエル・ハンチントンは、世の中が今度とも多極化を
続けると予測している。社会が収束に向かうというフクヤマの視点とは大きく異なり、ハンチントンは世界がまさに『文明の衝突』を
迎えようとしていると断言する。東アジア、イスラム、西洋といった主要な文化集団における価値観や世界観の違いは調整不可能であり、
したがって対立は避けられない。「民族の対立と文明の衝突が生じつつある中にあって、西洋文化の普遍性を信じる西洋人たちの
信念には、3つの問題点がある。その信念が誤りだということ、道徳に反するということ、そして危険だということである」
 言うまでもなく、経済や政府のかたちがどこでもみな同じならば、人の心の中はどこへ行っても同じだろう。
逆に、文明の衝突が避けられないならば、思考の習慣は多極化を続けるだろう。 ・・・・
 フクヤマの未来観は、多くの西洋人、特にアメリカ人の視点を代弁している。アメリカ人は、誰もが根はアメリカ人か、
そうでなければ、これからアメリカ人になると思っている。・・・今やどの国の人たちも、ジーンズとTシャツを着て、
ナイキの靴を履き、コーラを飲み、アメリカ音楽を聴いて、アメリカ映画とTVを見ている。
 逆にハンチントンによれば、世界の文化が西洋の文化に同化しつつあるという考えは、近視眼的かつ自民族中心主義な発想に
もとずく幻想である。社会は互いに違っており、今後の国際紛争は、過去に見られた経済的あるいは政治的な対立よりむしろ、
文化的対立を発端にしていると考えられる。・・・≫
 ▼ 「東洋と西洋の混血が現時点の日本」と仮説を立てると、日本の混乱が見えてくる。和魂洋才という言葉が、それを
  あらわしている。情報化の進展で世界がグローバル化された現在、決して否定出来ないこと。要は和魂を常に意識すべきである。
  これは日本だけでない。トルコがイスラム教国に関わらず欧州よりの国家体制を作っている。矛盾があっても乗り越えてである。
  いずれにしても、あらゆる人種をかかた世界がネットで情報が共有された現実がある。それゆえの混乱は激しくなるのは当然。
・・・・・・
3808, 哲学人 ー⑧
2011年08月29日(月)
  ● 社会主義〜 妄想的理想社会への逃避       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
 残念ながら、学生時代から社会主義・共産主義に対して本能的に、その虚偽を見抜いていたつもりだった。経済も社会も、国家単位の
計画で成立するはずがない。「経済は個々の競争原理の弱肉強食の戦いの中から優勝劣敗で進化する。その歪を国家がコントロールすべきで、
役人がたてた計画経済で、ことが上手く進むなどありえない」という単純な考えから抜け出れなかったのが本当だったが。
 ここで、マギーは、学生時代に「資本論」に大きな影響をうけたと述べている。 人生で夢中になった一ダースに満たない本の一冊に
「資本論」を上げている。 しかし、社会主義国家が本当に成立するかどうか、疑問を持ったとも、述べている。
【  * ー 資本論を、二週間ひたすら読む ー
  二学年めの復活祭の休暇中、私はオックスフォードに見つけた下宿屋にこもり、二週間は朝も昼も晩もひたすら『資本論』を読みつづけた。
 じっくりと読み進め、書いてある内容について考えたくなったら、いつでも本を置いて好きなだけ黙想し、散歩をしながら重要な一節について
 思索したり、夜にはべッドのなかでもこの書物について思いをめぐらせたりする。そんなふうに夢中になった本はそれが初めてだったし、
 生涯を通じてもその数は一ダースに満たない。プラトンの『対話編』、『新約聖書』、ヒュームの『人性論』、カントの『純粋理性批判』、
 ショーペンハウワーの『意志と表象としての世界』、『ウパニシャッド』、力ール・ポパーの『開かれた社会とその敵』、アインシュタインの
『一般相対性理論』ぐらいだろう。こういった本が私を変えてくれた。これはつまり、こうした書物に感化された考え方をするほど夢中になった
 ということであり、もし読んでいなかったとしたら、いまのような人間になっていたとは思えないということである。誰であれ、そんなふうに
 言える本はめったにあるものではない。 私の場合、戯曲家、で同じことがあてはまるのは、少なめに見積もるとシェイクスピアひとり、
 作曲家は七、八人といったところだろう。もちろん、読書や観劇や音楽鑑賞の蓄積が、その人の考え方や人格にじわじわと影響を及ぽし、
 自覚できる変化を自我に生じさせた張本人と特定できる作家は、少数である。 ここに挙げた書物の半分はドイツ語圏の作家によるものだが、
 この事実(作曲家の大半もその地域の出身であり、時代も同じであるという事実を加えてもいいのは、私の精神生活がどんなものであるかを
 示唆している。 『資本論』の大半を占めているのは、英国の産業革命の歴史である。しかしそれは、ある主張を展開するために詳しく
 論じられた歴史である。私はこの本を読んでもマルクス主義者にはならなかった。マルクスは労働価値説を自説の基礎としているが、それが
 実体のない形而上学上の概念であることはすぐにわかったし、歴史の変化は科学的に予測しうるとする彼の信念は初めから受けつけなかった。
 にもかかわらず、私の考え方はマルクスに多大な影響を受けている。その影響は、彼の著作を吟味するにつれて薄れていったけれども、
 けっして消えはしない。私はそうなることを望まないし、マルクスの提示する洞察には不変の価値があると思っている。
 彼は偉大な作家であり、大人物でもある。その怒りと裁断は厳しすぎ、エホバめいたところがあるとしても、である。
 『資本論』は退屈でわかりにくい大冊だなどという考えがどうして出てくるのか。私には、その厚さにうんざりした人たちがこしらえた、
 読まないための口実としか思えない。『資本論』は名著である。 世界史上、指折りの影響力をもつ書物であるのは確かである。 】
  ▼ ソ連の崩壊と、中国の実質、社会主義的計画経済の放棄は、それは理想であって、現実にはそぐわないことを立証した結果になった。
   そこに起こったのは、役人の特権化と汚職の氾濫であり、狂った独裁者の誕生であり、国家経済の疲弊である。
   熾烈な競争経済の中でしか経済は発展しないことが、数千万の餓死などの犠牲者を出し証明された。まだ残存は残っているが。
  ・・・・・・・
 3443, 最近の昼飯事情
2010年08月29日(日)
  * まさか昼飯がパン食になるとは!
 最近の昼飯は外食から事務所内で駅のベーカリーで買ってくるパン食に切かえた。 時どき弁当もあるが、どうも冷えた弁当は部屋で
食べるにはそぐわない。レンジでもあれば別なのだろうが。それもインドのナンのようなものでパセリと海老か、唐揚げを包んだものがラップに
巻かれている。若い女性が好みそうなやつで、それだけのコーナーがある。 以前は、他にカレーパンなど二個だったが現在では一個にバナナ。 
この歳になると、味は美味しく、サッパリして、腹に持たないものを求める。とすると女性向きにつくられたものが丁度良い。
30年近くのランチャーも卒業で、お部屋でヒッソリとパン食。 なれると外食が馬鹿馬鹿しくなる。 駅内にあるミニ・スーパーの
弁当コーナーを見ると、300円弱から400円辺りが中心プライス。月に3〜4回は買うが、何かイマイチ。 駅のベーカリーに
イートインのコーナーがあり、コーヒー付きで400円位である。近くのマクドナルドなどと競合しているが、殆どが女性客。 
早い時間から客席は半数以上は埋まっている。最近、長岡駅内にも出展したが山崎パンの直営店という。 最近、ほぼ同じものが
地元のスーパーに見かけられるようになった。スーパー原信が、地元のベーカリーチェーンを買収して、自社店舗内に出店している。
土日のどちらか一日の早朝7時に毎週行って、焼き上がりのパンとコーヒーを飲むのが楽しみの一つになっている。
昼にパン食に切り替えてから体重が1〜2キロほど痩せたが、これで20歳半ばの体重に戻った。歳相応になったということか。
 それより、ランチを食べに行くのが面倒になったということ。
・・・・・・・・
3068,衆院選後のマスコミ社説を先取りすると!
 2009年08月29日(土)
 衆院選挙の自民党の壊滅は、ほぼ決定的である。バナナを使って捕獲されたサルと自民党の姿そのものが重なって見える。
サルを捕獲するに、箱にバナナを入れておき、サルの手が入る穴からバナナを掴むと手が抜けない。そこを捕獲するという逸話がある
(本当かどうかは確かではない)。それと、自民党の300議席からくる権力の執着に似ている。 誰かがこの喩えを使うかどうか。
  翌日のマスコミの解説の内容は以下の通りだろう。
  * 民主党の大勝に意味すること 
《 民主党が歴史的大勝をしたが、これは自民党の4年間の政策に対する国民の失意の結果。  
  (字数制限のためカット 2011年8月29日)
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2703, 「レンタルの思想」−7
 2008年08月29日(金)
 地球は太陽の周りの隕石が何度も何度も衝突を繰り返しながら拡大し、生成されたもの。
 聖地が石で出来ているというのも、その辺に秘密があるのだろう。 趣味の究極は石になるというが、
 それもまた同じ理由なのかもしれない。いま気が付いたが、植嶋啓司の本を取り上げたことがあった。
  全く忘れていたが、聖地の共通点を取り上げた内容だった。
 〜〜
「宗教の隕石学」への挑戦   松井孝典×植島啓司
 *聖地の岩石学
松井: 植島さんの本を読んで、なるほどと思ったのが「聖地というのは、みんな石切り場だ」ということです。
植島: 石を切り出したところ、あるいは特殊の石組みですね。
松井: 自然が宇宙の歴史を記した古文書なら、石切り場も古文書です。
植島: 20年間、世界中の40数箇所の宗教の聖地をおとずれたが、共通して出会ったものは「石」であった。
    エルサレムの黄金のドームは「岩のドーム」と言われているとおり巨大な一枚岩が置いてあるだけ。
    聖墳墓教会のあるゴルゴダの丘もかっては巨大な石切り場だった。 ストーンサークル(環状列石)、 
    岩石刻文の宝庫であり、 パルテノン神殿が建てられたアテネの小高い丘は巨大な石の塊、エジプトの
    ピラミッドは元々は石灰岩の山で、崩して平らにして組みなおしたもの。これらは偶然だけではないだろう。
植島: 聖地の条件として、ある樹木があるとか、洞窟があるとかではなく、なぜ石なのか、石には何か特殊の
    力があったのか。・・・ 古文書として石を読む上で、分析は非常に大事だと思います。
    ただ石の成分を読むのではなく、石が置かれた文化的環境を読む。
    石ということでは、隕石や地球のマグマとの関係も重要です。・・・
松井: 実は1980年以前はそういう認識はなかった。というのも地質学では、巨大隕石の衝突と地球史・生命史を
    結びつける考え方は、科学では退けられていた。 しかし天から降る石があって、それが人間の存在や
    考え方に影響を及ぼすという認識は、自然科学の登場前からあったかもしれない。
松井: 今こそ地球上に多くの人が住むようになって、絶えず隕石の落下が報告されているが、これが人間が少ない時に
    大空から大音響とともに火の玉が降ってくるというのは、すごいインパクトがありますよね。
▼ 解) 聖地は、どれもこれも、石切り場の跡にあるという。 私も多くの聖地を見てきたが、全てが石組みであった。
  古代は大創造物は石しかないのだから、何も不思議ではないじゃないか、という見方も出来るが。 隕石に不思議な成分が
  含んでいたのかもしれないし、宇宙の暗号があったのかもしれない。現代の人類が、その暗号に気づかないだけかも。
  隕石に不思議な波長を、特殊能力のある人は、感じ取っていたのだろう。空から轟音とともに石が降ってくれば、神からの贈物と
  思うのも不思議ではないが。「聖地の隕石学」も面白いだろう。親父が晩年、石に興味を持ち、庭には大きな石と石灯篭がゴロゴロある。
  一昨日も、兄の庭にあった石灯籠を一つ引き取った。一年ほど前から、庭の花を写真に撮りだしてから、この庭に惹かれるようになった。
  石と木と花と緑のバランスが良いが、実は特徴は背景の石だったということだ。
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2007年08月29日(水)
 2339, 意志について  ・ω・)ノはよー
 「狂人三歩手前」 ー中島義道著
  −哲学などしないようにー
哲学は、全て根こそぎ疑い、そして疑いの中から真実を見つけようとする。
哲学は曖昧な言葉をミキサーのように砕いてしまう。 意志についても哲学者は、その言葉に含まれている前提を見逃さない。
  (字数の関係でカット08年8月29日)
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2006年08月29日(火)
1974, 東京駅の一瞬の出来事!
  Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning (~O~)ふぁ・時差ぼけ!
ケニア旅行の帰路、最終の新幹線に間に合わないので日暮里に泊まった。翌朝、東京駅の新幹線改札口の近くに行ったところ、
突如顔色を変えた黒服の背広の10人位が走ってきて通行をストップした。一瞬、テロ爆弾の予告電話が入り閉鎖を始めたのかと思った。
しかし、その直後冷静にみると何か違う。黒服の男達は改札口の両側にロープを張って、その中に人を入れないようにしている。
「はは~、超ビップの新幹線の乗り込みのための警戒のための何か?」と直感。 逃げかけた家内を呼び止め「超ビッグのための警戒。
  (字数制限のためカット 2011年8月29日)
・・・・・・・
2005年08月29日(月)
1609, 愛とは何か −1
この歳になって、いまさら「愛とは何か」でもないが、この年齢でなればこそ、愛が人間の心の背骨と実感する。
ある愛の定義が納得のいくものである。「愛は、自分自身や他者に対して共感的にあるがままに受け入れることと 
尊重することである」これから考えてみると愛することとは、自分を自分として、他人を他人として受け入れることになる。
まずは自分と他人を尊重することである。他人を愛するということは、よかれと思い、その道を一緒に探し求めることである。
判断や批判なしに受け入れることが、愛の第一歩である。飯田史彦著「愛の論理」の「愛」の定義が面白い。
その一部を抜粋してみると、
 ー愛の定義 p.334
愛とは、自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれていることへの感謝ゆえに決断し、
永続的な意志と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
p.374
私たちは、愛の実行力からみた人間としての成熟度に応じて現在の自分に可能な範囲で精一杯の愛を実行すればよい。
なぜなら、成熟度を大きく超える愛の実行を試みても、そこには必ず無理が生じて、自分自身を痛めつけたらり、
相手をも巻きぞえにして傷つけてしまう結果になるからである。ただし、私たちは、自分の成熟度を高めるための努力を、
つねに怠ってはならない。なぜなら、私たちは、愛の実行のみによってゆるされるのではなく、
より高度な愛を実行しようと挑戦することによって、ゆるされるからである。したがって、私たちは、はるか彼方にそびえる
「愛の山頂」にあこがれながらも、いま目の前で踏みおろすべき「次なる愛の一歩」を、見きわめなければならない。
そして、まだ山のふもとや中腹を歩んでいることを自覚しながらも、
着実に山頂を目指して登ろうと努力する時、その勇気と成長によって、私たちはゆるされるのである。
ーまた谷川俊太郎の詩がよい
   あい           谷川俊太郎
あい 口で言うのはかんたんだ
 愛  文字で書くのもむずかしくない
あい 気持ちはだれでも知っている
 愛  悲しいくらい好きになること
あい いつでもそばにいたいこと
愛  いつまでも生きてほしいと願うこと
 あい それは愛ということばじゃない
愛  それは気持ちだけでもない
 あい はるかな過去を忘れないこと
愛  見えない未来を信じること
 あい くりかえしくりかえし考えること
愛  いのちをかけて生きること
 −−
 宗教の愛についての教えも深い。 愛について聖書にはこう書かれています。
「愛は寛容で、情け深く、ねたむことをしない。高ぶらず、誇らず、無作法をしない。自分の利益を求めない。
いらだたない。恨まない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。すべてを忍び、信じ、望み、耐える。」
また仏教では、「無縁の慈悲」を究極の愛の姿としています。
つまり、私が誰かに何かをしてやるということを全く意識しないで、他者を幸せにすることです。


4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人

2012年08月28日(火)

   * 認知科学者は間違っていた?           「木を見る西洋人 森を見る東洋人」 ニスベッド著
 最近になり、「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解してくれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。
人間は知りうる範囲で理解しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 「自分が真実と思っていることと、
真実は違う」のである。 真実と思っていても、思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観が
変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。「ものごとを知覚したり、推論するために用いている
道具は同じである。論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに変わりはない。だが、もし、それら全てが
間違っていたとしたら、認知科学の大前提を覆ることになる。」と、いう。緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
 ≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、人間であれ) 単純な規則によって理解可能である」との
前提の上に成り立っている。西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。 なぜなら、分類することによって、
今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいかがわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を
適用することが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなかで捉える。 アジア人にとって、世界は
西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる人間は未熟だとみなされることもある。
私は心理学者として、これらの主張が革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は間違っていたことになる。
つまり、「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」のだ。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれとは言わなかったが、実は思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。 
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有していること。
 第二に、それぞれの人々に特徴的な思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したものであること。言い換えれば、人は自らの世界観に
 合致した方法で世界を認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常に
よく合致しているように思われる。アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。こうした特質は、
アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることや、「出来事は極めて複雑なもので、その生起には
多くの要因が関係している」と信じていることと合致している。これに対して西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる
傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
 ▼ 「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっていることに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの
  独立性を重んじる傾向があるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。」ことより、
 「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
  また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然である。それと、好き嫌いという感情で違ってくる。
 「世界についての考え方は根本的にひとつである」大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。争いは永遠に続くことになる。
 ・・・・・・
3807, iPadを買った ー2
2011年08月28日(日)
 iPadを買って六日になる。これはブログ、電子書籍、ネット新聞、メールなど「閲覧用と割り切って使う」のと「ゲーム」に適している。
ゲームやアプリを取り入れ「自分の面白空間を創造する手みじかで持ち運び可能な電子基地」になる。これまでのPCを固定電話に喩えると、
これは携帯電話、それもモバイル携帯に一挙に進化したもの。もし迷っているようだったら、買うことを勧めます。
モバイル携帯のiPhoneは私には合わなった。これは、それが大型化しただけ?と躊躇したが、実際に手にして私にも使えるシロモノ。 
まずよいのは画面を横にスクロールすると、ページが次々と切り替わる。 これがアイコンの分類に非常によい。 
一ページ目に、元もとiPadについていたアイコン。二ページ目には、気に入ったブログ。三ページ目には、ダウンロードしたソフト。
4ページ目は、ゲーム等々に分けることができる。これが使う立場からすると扱い易い。そしてゲームやアプリなどを、それぞれのページに
溜め込むことができる。 現在のパソコンのセカンドとして、閲覧とゲーム専用に割り切るとネットに繋がる時間が圧倒的に増える。
ノートと同じ薄型で、無線のため、持ち運びが手軽で、これまでと格段にネット世界が広がる。 パソコンのある机に縛られていたのが、
そこから開放されるのは大きい。先ほど述べた携帯電話が固定電話から人々を解放したと同じで、一度開放されたものは元に戻ることはない。 
その意味で、これは革命的進化といえる。モバイルPCはあったが、キーボードで操作であった。しかし、これは直感的に画面上の
タッチ操作になっている。iPhoneと、どこが違うかのか? というと、まず画面の大きさである。手帳とノートの差といえば、
分かりやすいだろう。講習会や授業で手帳に書き込む人はいない。誰もがノートである。電子ノートと思えばよい。
iPhoneは携帯電話にパソコン機能をいれたもの。これは電子ノートパソコンであり、画面の大きいわりに移動時に嵩張らない。
 週刊誌や新聞も、あと数年もしないうちに大部分が、これを通してみることになる。もうひとつ、Youtubeがワンタッチで直にみれる。
こうなると、文字情報の伝達から画像、映像に手段が移動していくことになる。ということは、情報が、圧倒的に個人間で増加していく。
年内は、私に最適なアプリ探しがテーマになるのだろうが、それにしても面白いものが出てきた。これにツイッターの映像公開となり、
これにネットTVときたからには、政治も、経済も、企業も、一般消費者の変化に対応出来なって当然だろう。ネット世界が我われを覆ってきた。
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3442, 我が家に新しいTVが  −3
 2010年08月28日(土)
 新しいTVに切り替えて二週間になる。 画面の鮮明さは説明するのが難しいほど。時間が経過しても驚きは消えない。
ボクシング、プロ野球、歌謡番組、演奏会、大自然などの旅番組などの現場の臨場感がこれまでと違う。
剥き出しのエネルギーが、これらから直に伝わってくるからである。
その結果、それ以外のワイドショー、バラエティー、中途半端なドラマなどを、ほぼ見なくなった。
マシーンが逆に視聴者の選択を変えてしまう現象である。それと対象をリアルに変えてしまうのである。
米国の本格的な映画も、これまでと違った迫力が画面に出るので面白みが倍増してきた。そうこう考えると、やはり大したしろもの。 
現場で人間が見える対象より、デジタル加工した方が、より鮮明になるという領域に入ってしまった。
これに3Dの立体化された映像が加わったり、スーパーハイビジョンが本格的に放送されたとしたら、世界各地に
実際に行ってみるよりTVで見た方が良く見えるということになる。(現に、ある領域では達しているが)
その一端を垣間見ているのである。 実際には現地でみる360度の視界で、五感で体感するものにかなうはずはないが、
視覚・聴覚の世界で数倍鮮明に映し出される世界は違う。 まだ地デジがアンテナの関係でまだ映らないが、
これが入ると本来の多くの機能が加わる。それが凄いようだ。(8画面を同画面で見たり、地デジ8チャンネルを26時間録画したり・・) 
高機能TVというより、未来の先取りのTVという感である。 テレビなどバカが見るもの!は間違いない事実。 
しかし自分が行った旅先の映像が、より鮮明に画面に映し出され、そこに深く浸かることが可能になった。
面白い機能のひとつが、テレビのセンサーが室内の照明や室外からの陽光を読んで、画面を修正する「おまかせ」がある。
 テレビは、それぞれの家庭の居間で毎日、顔を突き合わせるもの。そのため、メーカーは、そのシェアが即、会社の力を
あらわす。そのため、いずれも総力をあげ商品作りをしてくる。 一歩出遅れた東芝がプライドをかけたエネルギーが伝わってくる。
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3067,私の世界からみえた衆院選の予測
 2009年08月28日(金)
 私の世界から垣間見た、この衆院選挙の直感的予測は、民主ー325 自民ー95である。飲み会、同級会、会社、取引先などで
自民党に同情的な人は皆無という事実からみても、自民党の惨敗は間違いし、80議席以下の可能性もある。
 輸出産業関連の大手企業の支配下にあった自民党政権の一番の被害者の地方の中小・零細企業や農水産関連の人たちの怨念は深い。
小泉劇場での郵政民営化の争点だけに国民の目を向けて、旧守派潰しの芝居をつくりあげて大勝をした。 そして、自分も含めた
4人の元総理などの二代目、三代目に政権のタライマワシをして自分たちの権益を守ってきた。日本国家の戦略の布石を試みたが、
実力不足で出来なかった。 最後は麻生の質の悪さの露呈である。
これでは、国民は怒りを通りこし侮蔑の感を持つのは当然のこと。 小泉が薄ら笑いを浮かべて、《私の手法のワンフレーズの
「郵政民営化・自民党を叩き壊す」を、今度は民主党が「政権交代・官僚支配の打破」の切り替えに成功している 》とのたまっていた。 
当の本人だから、その辺のことが鮮明に見えるのである。冷静に考えれば、民主党が270議席辺りが政治的に妥当だが、
自民党の4年の醜態を見れば、壊滅的破壊を求めるのは国民感情である。 民主党の鳩山も所詮は鳩山一郎の孫で、同じ穴の狢。
政治家業の老舗の一員でしかない。 手垢のついてない日本のオバマが出る懐の深さがないのが現在の日本の現状。 
民主大勝で、日本も遅ばせながら大きく政治が変わる。 あの元首相などの顔が消えるだけで、非常に喜ばしい。 
あれこれ考えると、やはり民主ー325でよい。 創価学会などの政治介入を断ち切るためにもである。
その隙をついて怪しげな宗教家業屋が政界進出?だと、ったく!
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2702, 閑話小題
 2008年08月28日(木)
  *首都圏の不動産の本格的倒産が始った
アメリカのサブプライムローンの影響で、外資が一斉に引きはじめた影響が出始めた。
一昨日も「旭ホームズ」が780億の負債を抱えて倒産。先日はアーバンコーポレーションが2500億円、
旧興和不動産が1700億、ゼファーが1000億弱、セボンが700億、スルガコーポレーションが600億と、
たて続きに倒産してきた。周辺をみると長岡市内も、新潟市内も、過剰なマンション建設がおこなわれている。 
誰が見ても不況の中にあって無謀に見える。 土地の仕入れから完成まで3?5年は最低かかるので、急な景気停滞に
対処できないのが、彼らの宿命である。完成時には、時代が様変わり、というのが現在の経済状態である。
数日前のTVで、売れ残ったマンションを買い叩いて再販する業者の特集をしていた。だいたい仕入れ値が、当初の6割。 
2割が経費と利益として、8割の売値が相場。新潟市内も売り出す前から、既に値くずれが生じているという。
これが今後5〜10年間つづく大変動の始まりか。 あくまでも始まりであるところが、恐ろしい。
  *星野野球のバッシングが手厳しい
  (字数制限のためカット 2010年8月28日)
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2007年08月28日(火)
2338, ホッファー −4   (*'▽'*)/☆゜  ほっふぁー ようさん〜〜〜〜♪ (;-""-);'↑
 ー更にHPにあったホファー「波止場日記」の中から言葉を拾ってみるー 『ー 〜〜 ー は感想』
<たびたび感銘を受けるのだが、すぐれた人々、性格がやさしく内面的にも
 優雅さをもった人々が、波止場にたくさんいる。この前の仕事でアーニーとマックとしばらく一緒になったが、
 ふと気付くと、この二人はなんと立派な、寛大で、有能で、聡明な人間だろうと考えていた。 
 じっと見ていると、彼らは賢明なばかりではなく 驚くほど独創的なやり方で仕事にとりくんでいた。
 しかも、いつもまるで遊んでいるように仕事をするのである>
  ー人間の価値とは何か?最近、解らなくなってきた。誠実であるということ、そして努力をし続けること、
   他人と比較しないこと、知恵を出す術を知っていること、他人ことを気遣いすること、
   他人に笑顔を浮かべること、迷惑をかけないこと。その基準で図れば解るはずだがー
 <労働者としても、また人間としても比類ないニグロが幾人か波止場にいるのを知っている。
 この人たちは柔和で、誠実で、非常に有能である>
  ー結局は、アメリカこそヒンズー教のような差別・階級社会である。これだけは、仕方がないと割りきるしかない。
   おうおうにして下の人の中に、柔和で、誠実で、有能な人がいるのも解る。ただミス・フィットなだけだー
 <知識人は自己の有用性と価値とに自信がもてないために、とてもプライドなしには
 立っていけないのであり、普通は国家とか教会とか党とかいった
 ‘ある緊密なグループと自己を一体化してプライドの根拠としている’のである>
  ーロータリー、青年会議所、銀行の主催した会とか、色いろあって名刺にベタベタ書いている立派な方がいる。
   誰も面と向かってアフォと言わないのが日本的で良いが、それにしてもね〜。
<自分自身の幸福とか、将来にとって不可欠なものとかが全く念頭にないことに気付くと、
 うれしくなる。いつも感じているのだが、自己にとらわれるのは不健全である>
  ー不健全の何処が悪い?という声が聞こえそうだが。でも、健全に越したことはないー
  全般的に見て、教育のある人間より大衆の方が、人類についてよい見解をもっている。
  ・・教育はやさしい心を育みはしない>
  ーその人の性格によるが、概してそうみてもよいか?−
<人は、充実した2,3分の間に、数ケ月にわたる努力以上のことを なしとげられるものだ>
  ーそれじゃ、努力した数ヶ月はどうなるの? そういうこともある!というのが本当じゃないか!ー
<私は欠点や欠陥にみちた社会に生きている。
 しかし、この社会は全ての人に好きなことをさせる十分のゆとりをもった社会である。
 ・・・干渉されることなく自己の能力と才能を発揮したい人にとっては、
 この国(アメリカ)は理想的な国である> −そう思うから、良いんじゃないのですか? 違う?ー
   (以下、字数の関係でカット 09年8月28日)       ○´・ω・]ノ ヂャァネッ !
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 2006年08月28日(月)
1973, 三回目のケニヤ旅行 −1
ケニアに行ってきた。 家に着いてまだ二時間だが、現実に帰る前に書いている。
これでタンザニアに行った時に通過したことも含めて4回目になる。旅行をしていて気づいたことは、三回で充分。
タンザニアのセレンゲッテーか、南アフリカのオカバンゴにすべきであった。
といってもケニアの大地は、そこにいるだけでも精気を充電でき、バカンスとしては十分に満足できた。
 今回のハイライトを印象度から書いてみると
①まず初日のサンブルのサファリでみた、豹のペアリングである。これは、プロのカメラマンでも、ほぼ見ることが出来ないもの。 
 これだけでも、今回の元をとってしまったといってよい。(しかし、初日に何枚か撮った写真を間違えて全て消去してしまった。)
 仲間内のSDカードをコピーしてもらったので、何とか・・・
②マサイ・マラの夕景も良かった。あとで写真を掲載するが、マサイの夕陽は何ともいえない哀愁がある。
 そういえば以前のヌーの河渡りのウォッチングの帰り道の夕景の小高い丘の光景を思い出した。
 一匹取り残された足の折れたヌーが怯えて、神経質に周りを見渡していた姿。 夕景は死の間近を暗示、 足の折れた姿は病気を、
 一匹取り残された姿は孤独を、人間の死期を悟った時の心象風景そのものである。夕陽の赤に近いオレンジ色は、朝日の色に似ている。
 死と生は酷似しているのだろう! 今回の夕景は 2~3日うちに掲載予定。
③いつも感動するのが、ナイロビからマサイマラに向かう道路からみる大地講帯の広大な風景である。
 それも、どんどん変わっていく風景が素晴らしい。 これも見ているだけでも心が洗われる。
④アバーディアのサファリで見た、小さな川での二匹の象の水場での争いも印象的であった。一匹の象が水を飲んでいるのを
 後できた象が待機していた。やおら飲み終えて帰ろうとしたのを見はらかって、待機をしていた象が歩き出した姿を見て、
 帰るのを止めて後ずさりをしてその象を頭で押し返してしまった。さらにその河水飲み場に糞をして嫌がらせをした。
 何か人間の浅ましい姿に似ていた。
⑤サンブルでの、変わった動物が次から次へと見れたことだ。
 特に印象的であったのは、網目キリンと、オリックス、ディクディク、ゲレヌクなどが印象的であった。
 前回の、ヌーの河渡りの時も、そうだったがアフリカに来る人は癒しを求めてやってくる。
 あの大地は、そこにいるだけで心が洗われる思いになる。 今回も、充分過ぎるぐらいの精気をいただいた思いである。


4171, 閑話小題 ーつれづれに

2012年08月27日(月)

   * つれづれに
 このところ尖閣諸島、竹島や、北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に仕掛けてきている。 
現在の首相がレイムダック状態で、組みやすいタイミングとみてだ。 しかし日本にとっても、沖縄米軍基地問題の中、
その存在を考えるに丁度良い問題でもある。関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけてくれる。
もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための目先の意図的な小競り合いの要素がある。 中国は権力の移行期における
軋轢が起こっている上に、景気は減速。 韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、失職後に
恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。 極東も不安定状況になってきた。
 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 深刻なら経済が一挙に際どくなる。 一昨晩のBS/TVで、
欧州の経済不況の現場を特集していた。 スペインの移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブルとか、
アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。 5年、10年後の日本の状況である。
   * iPad導入、一年
 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。
居間と書斎に卓上型のiMacを置いているが、居間のPCは家内が専ら使っており、そこで私はiPadを使っている。
TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ読みが専らである。
気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。
それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが!
・・・・・・
3806, 哲学人 ー⑦
2011年08月27日(土)
  * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産を
いくつか残してくれた。一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の歴史に関する概略的な知識が残った。
こうした知識は習得に数年間の研究を要するので、当然たいていの人は、いや、かなり高学歴の人でさえもっていない。
 物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、
ともかく決まって歴史的な側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった観点から眺める傾向がある。
また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の状況、
その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなどを認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづける
ことを踏まえ、‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。いま起きていることには特別な重要性がある、
そう思いこんでいる人が大勢いるようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、かつてのどのいまとも
同じように現在は一時的なものであり、ときに総体としての過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を
問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは
絶えず変化し、各個人の死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、ほかより多少なりとも
絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染みこみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】
 ▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という
  理由だけで・・ しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。従って、日本史や、世界史を何度でも
  読み返し、自分の置かれた時代を冷静に見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。グーグルアースとは別に。
 ・・・・・・・
3441, 政治談議
2010年08月27日(金)
  * 小沢一郎が、民主党党首に立候補
 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。
この恐慌を乗り越えるには、自民党、民主党という枠を超えた大連合しかない。その断行は待ったなし。
管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来るなど考えられない。
面白いもので、小沢が立候補のニュースをみた直後、近くあった月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」
を手に取ると、週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱が小沢一郎批判をしている文に行き当たった。 
田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。 
 ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に立花隆が朝日新聞に痛烈な批判の文章を取上げていた。
(字数の関係でカット09年8月27)
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3066,ウワサを考えてみる −2
2009年08月27日(木)
「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と「和服美人局のうわさ」を対比してみる。
似ているところは、バックにある犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」への虐め。
違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の酔い客である。前者は根も葉もないデマだったと後で判明したが、
後者はファジーのままで終焉したこと。「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 
人は「事実より、信じたいことを信じる」傾向があり、心の闇に符号することには更に強くなる。
 「悟りとは、平気で死ぬことでなく平気で生きること」というが、うわさなど一々気にしていたら自分の世界を小さくするだけである。
特に地方では小さい世界を更に小さくしてしまうことになり、生き辛くなる。 女性週刊誌は芸能人の「うわさ」(とくに下ネタ)
を商売のネタにしている。逆に芸能人も売名のため、自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」というが、
うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。
 中世の頃にあった「魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが真実と信じられ殺害にまで至る。 
今では「2チャンネル」のサイトが、その機能を果たしている。人間の心の弱点には「自分の心の不安を言葉に言い換えた物語を
信じてしまう傾向」がある。それをついたのが新興宗教であり、占い師である。 週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにし、
あらゆる手法を使う。 それを額面どおりに受け止めるのも問題だが。 この選挙のキャンペーンにも、その不安を煽って物語をつくり、
自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然のこと、
といえば、その通りだが。
・・・・・・・・・
2701, 地球史における革命的事件
2008年08月27日(水)
  6500万年前に巨大な隕石が衝突し、恐竜が絶滅したというドキュメントをTVでみた記憶はある。
  この本で知ったことだ、米ソの核の爆発のエネルギーの1万倍の規模とは驚いた。
  当時、「もし核戦争で起こって核が全て使われたら人類を数万回は殺戮できる」と聞いていた。
  その一万倍の破壊が6500万年前に実際あったのである。 それが現代に来たとした物語の映画が幾つかみたが...
  その御陰で、恐竜が絶滅して人類の祖先が生まれる環境が出来たのである。
  1000万年遅れれば、我々人類の祖先さえ、まだ地球上に存在してないのである。
 以下は「レンタルの思想」を読んで、さっそく取り寄せた本にあった地球にとっての革命的事件の内容を抜粋した。
               「地球システムの崩壊」松井孝典著  −読書日記
 *地球史における革命的事件
K/T境界層と略称される地層がある。絶対年代では、6500万年前の地質のことである。この年代を境に、生物の絶滅が起こっている。
それぞれの地層にふくまれる化石に基づいてその年代が決められる地質年代では、その前後の年代を、白亜紀、第三紀と命名して区分。
それぞれの年代の、外国語表記の頭文字がKとTなので、その境界の地層は、K/T境界層と呼ばれる。
この地層は世界中至る所に分布する。もちろんわが国にもある。・・・・ カリフォルニア大学の、アルパレスという地質学者を中心とする
チームが、そのK/丁境界層で、イリジウムという元素が濃集している事を発見し、それが巨大な隕石の衡突によってもたらされた、とする
学説をサイエンス誌に発表したのである。 それが地球史観においてなぜ革命的なのかといえぱ、従来、地質学の根本原理といわれていた
(字数の関係でカット08年8月27日)
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2007年08月27日(月)
2337, 郵便配達夫シュバルの理想宮  −1
   (字数の関係でカット08年8月27日)
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2006年08月27日(日)
1972、事業百訓ー1996年(10) 
  (字数の関係でカット08年8月27日)
   ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。まず最初に訪ねたのがカルナック神殿。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。これが三千数百年に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。 歴史が私という小さな存在を見下ろしている。 日本ではまだ縄文の時代、
これを造りあげた高度の技術があったのだ。壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な説明も手伝い
古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。 空に天を指すオペリスクとラムセス鵺世などの王や神の像の数々、
今まで何度か海外旅行をしていながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、 かくれるように数々掘られている集団墓地だ。
この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と、そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス二世等の巨大な立像も実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感。
またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、
一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。
 旅の後半になってカイロに入ったが、ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”という、
まさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)
という事もあり、異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが対比する事ができた。
 早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に汚い詐欺師、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。 カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を
積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス?をはじめとする数々のミイラも数千年をこえ、不死への激しい希求を魂に語りかけてくるようであった。
   ーH0805 エジプト、トルコ感激の旅  −トルコ編 ー
 トルコといえばキノコ岩等の奇岩の群れカッパドキアが有名である。トルコ中央に位置しているアンカラの南東に広がる高原地帯にある。
中世にイスラム教徒の圧迫により逃れ逃れたキリスト教がたどりつき、奇岩をくり抜き洞窟教会や住居をつくりあげた聖地。
まさにSF映画やアニメ漫画に出てくるような現実ばなれした奇景そのもの。“本当にここは地球上?”と息をのんでしまうほど。
 その近くにあった地下都市・カイマルクも異教徒からの目から逃れる為の秘密地下都市群。あちこちに蟻の巣穴のように縦横に掘られており、
地下のマンションと形容できた。一万人以上が何世紀にわたり隠れ住んでいたという、信仰の深淵さをみた思いであった。
そして、その帰りのバスの中より夕景の“大きな 丸い真赤の月光”も生まれて始めてみる生涯忘れられない光景であった。
 イスタンブールの地下宮殿と呼ばれている地下水道の貯水池“イエレバタン・サライ”も非常に印象的なものであった。
十二列×八mの列柱が336本整然と並んでおり、その一本の柱の下に神話に出てくる女神、メンドーサの石首が土台になっているのが神秘的。
バック・グランド・ミュージックにベートーヴェンの第九が厳かに流されていたが、その場の雰囲気にぴったりであった。
 トプカプ宮殿では、かのオスマントルコ帝国が、何世紀にわたって世界中より集めた秘宝がところ狭しく展示してあった。
リンゴ大の四十数カラットのダイヤモンドや純金の椅子には驚いた。宮殿もその絢爛たる宮廷生活をしのばせ、四〇〇年間のスルタン(皇帝)の
日々が目に浮かぶようだ。 また、イスラム寺院のブルーモスクやアヤソフィアも、その荘厳な内部も圧倒された。
私自身、気功をやっている為か、右手がいたくなるほど、しびれがきたのには驚いた。 これだけの深い歴史の国に四日間だけで、
ほんの一部しか触れる事はできなかったが、この国の“光”の一部はしっかり見たつもりである。 最後に行った巨大市場、スークも面白かった。
五千の貴金属、みやげ物を売っているが、ほとんど偽物の金銀の貴金属商品という。そういう目でみると逆に面白いものばかりであった。
殺人的なスケジュールの十日間の旅であったが、中味の濃い感動・感動そして感激の日々であった。   (H 8年.1月30日〜2月8日)
   ーH0807  インカ帝国<夢の旅> ーマチュピチュの遺跡編  ー
 ペルーはインカ帝国がスペインに滅ぼされるまで文字が一切ないという不思議な文明の国であった。
その為かプレインカ(インカ帝国以前の文明)と、インカ帝国がより神秘的にナゾめいて来る。
その圧巻がマチュピチュの遺跡である。高度三千三百mのインカの首都であったクスコよりバス、登山列車、
登山バスを乗り継いで四時間あまりの行程。 四千〜五千mの山々の谷間に、突然小さな(といっても二千三百m)
山が見えてきた。
 そこに空中都市といわれるマチュピチュの遺跡が、霊界のように造られていた。まさに地上世界ではなく「あの世」を思わせる神秘的、
霊的、宇宙的な別世界である。エジプトのカルナック神殿をみた時の驚き!と同じか、それ以上の驚嘆に一瞬につつまれてしまった。
あれだけTVドキュメントと写真でみていたのに、“現実にみると全く違う!” 神秘的あまりにも神秘的、いや霊的神性という言葉が、
ぴったりとする! 本当に地球は広いそして深い!とあらためて実感した。 この空中都市は、インカの人々がスペイン人より逃れる為と
復習の為の作戦都市といわれている。そして突然、この都市を焼き払い奥地へと消えていき、 まだ発見されてない地に伝説のそして
幻のビルカバンバの都市を建設したという。マチュピチュを去る決意をした人々は老人と“太陽の処女”たちを殺し、その一角の墓地に葬った。
この遺体がこの遺跡が発見された時に一緒に発見されたという。私もこれだけの異界文明の“すごみ”を経験するのは生涯で初めてであった。
 まさにSF小説の地を夢で浮遊しているようであった。
  ーH0807インカ帝国<夢の旅>  −ナスカの地上絵編ー 
 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に一つの文化が栄えていた。
謎の地上絵で知られるナスカ文化である。彼等は何を思ってか九百k?にわたる広大な大平原に直接、
三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが当時の土器に描かれているので、彼等の時代に描いたのが判明できたという。)
 その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。それが何を意味しているのか、
宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわすカレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。そしてその多くがナスカに集中している。
 セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは?と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる縦横に描かれた直線は、
誰に見せる為のものであろうか不思議そのものである。
 編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖にすむ原住民の素朴な生活。
そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏に
やきついてはなれない。高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
 (次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、テーブル・マウンテン)ーH08年6月6日〜
ーH0809 大地の果て南アフリカー
 はじめに南アフリカに注目した時、何と遠い国かと思ったが、
 英国・ジンバブエ・ボツナワと飛行機を乗り継いで本当に“遠くへ来たものだ!”と実感した。
 わずか十一日の間にこれだけ多くの見聞と感激と驚きを経験できるとは…。
 ツアーの同行者十名が二十〜五十回以上のリピーターが大部分で、トラベルにつきもののトラブルを
 全員で逆に楽しむ強者ばかり。そのためかストレスが最小に済んだ事もあって、非常に楽しく味わい深い旅行であった。
・ 一番の圧巻はジンバブエにある世界三大瀑布の一つのビクトリア滝であった。
 リビングストンの発見したこの滝は幅千七百m、落差百五mあり、
 まさにあのイグアスの滝に匹敵する壮大かつ豪快な男性的な景観であった。
  (字数の関係でカット12年8月27日)
  ーH0809 愛と憎しみと価値判断ー
(字数の関係でカット09年8月27日)
  ーH0811  人生の楽しみ方ー
  (字数の関係でカット09年8月27日)

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