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堀井On-Line
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2012年08月16日(木)
* 鍵はシリア! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照) 現在、シリアでの内戦が激化しており、アサド政権の崩壊も視野に入ってきた。もし早めにアサドが崩壊すれば、イランも これまでの強気な政策を変えざるを得ない。首都・ダマスカス中心部で一月ほど前に爆弾テロがあった。国防相や、国防副大臣を 務めるアサド大統領の義理の兄が死亡、他の閣僚もケガをした。 イスラエルを先頭に欧米各国は、まずはアサド政権の崩壊に 全力を向けているが、イランへの制裁効果をみて9〜11月辺りに核施設攻撃の判断をする可能性がある。しかしイランが裏交渉 で引き下がることも考えられる。もし、何事もなければイランが核開発の全面的撤退を飲んだとみてよい。その前に、少くとも シリアがイランに援助を与える余裕がなくなるまで内戦を激化させている。その前にアサド暗殺か軍部の寝返りが起きるのか。 しかし、イランはイスラエルに届く数百のミサイルを持っており、その他にレバノンのヒスボラが5万発のロケットと、 ガザ地区のハマスを使いイスラエル攻撃も可能で、世界同時テロもある。それを踏まえてもイスラエルは攻撃を仕掛けるしかない。 それほどイランの原爆保持は重大問題。イラン・イスラエル戦争ともなれば、世界情勢は一挙に緊迫する。イランも原油生産国の 資金で軍事力は豊富。ただならぬ戦争になるが、それでも世界相手では3ヶ月が限界とみられる。アメリカも積年の恨みがある。 もし戦争になり、ホルムズ海峡が閉鎖ともなれば世界恐慌の起爆の危険性もある。 いずれにしても、ユーロ圏の金融危機と、 中東は一段と緊迫した事態になる。国内政治も解散が目前に控えていて、政治的混迷が起きてくる。今度の起爆は乾いた藁が 世界中に積み上がっているため一瞬で燃え上がる可能性大である。シリア、トルコ、イラン、イスラエルの一連の動きから、 目が離せない領域に入ったと見るべきである。だから、国内では解散と総選挙を急いでいる。保守連立内閣の体制を早急に つくらなければならない。年内は何でもありの歴史的スペクタルショーが始まる。アメリカ大統領選、盛り上がりがないのも当然。 ・・・・・・・ 3795, 哲学人 ー② 2011年08月16日(火) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 ー 第一章 子供のころの記憶 〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 鵯 私が5歳、9歳の時など、ものごとを深く考えることはなかった。10歳頃に親戚の葬式で、故人が焼却場で骨になったのを 目の当たりにしたときに「、何故、人は生きている間に好き放題に生きないのだろうか?」と思ったことがあった。死を目前にすると 年齢に関係なく、人生を鳥瞰する視線が顔をだす。子供の頃から時間の始まりと終わりを突き詰め考えていたマギーの頭脳には驚かされる。 【 時間に始まりはあったのだろうか? 終わりはあるのだろうか? 9〜12歳くらいまでの2~3年の間、私は時間をめぐる謎の虜だった。 夜の闇のなか、ペッドに横たわったまま、よくこんなことを思ったものだ。きのうという日に前の日があるし、その前日、そのまた前日と、 覚えているかぎり日にちをさかのぼつていくことができる。でも私が覚えている最初の日にも、やっぱり前日はあったはず。 自分の誕生日にも前日はあったにちがいない。そして、その前日の前の日も。・・・ どこまでも、どこまでも・・ いや、そうだろうか? この、どこまでもどこまでも溯っていくということが、私にはうまく飲みこめなかった。そんなことは不可能に思えたのであった。 たぶん、きっとどこかに始まりはあったはずだ。でも、始まりがあったとすると、その前はどんな状態だったのだろう? もちろん、 何もなかった(まったくの無だった)のは明らかなわけで、そうでなければ始まりなどありえない。けれども、もし何もなかったのだとすると、 どうして何かがはじまることがでできたのか? その何かはどこから生じたというのか? 時間がひょっこりと( なんとも不思議なことに! ) 無から現れ、ひとりでに動きはじめたわけがない。無は無であって、何かではないのだから。とすると、始まりということ自体が思いも 寄らないことであり、始まりがあるということもやはり不可能であるように思える。こうして結局、時間に始まりがあったとは考えられず、 始まりがなかったとも考えられないということになってしまった。きっと何かを見落としているにちがいない、私はそう考えてみた。 選択肢はこのふたつしかないのたから、どちらかが正しいはずだ。 ふたつとも不可能ということはありえない。そこで私は、まず一方を 集中的に検討してから他方に移り、集中力が尽きたら、またもとに戻るという作業をつづけて、どこで間違ったのか突さ止めようとした。 けれども、なんの手がかりもつかめなかった。私はこの問題に取りつかれベッドのなかだけでなく、しだいに日中も考えこむようになった。 初めのうちはカになってくれそうな大人たちに相談もしてみたが、彼らの反応に私の混乱はかえって増すばかりだった。自分にはわからないと 認めたかと言うと、そんな疑間を話題にしてもおもしろくないといわんばかりに別のことを話しだけでなく、あからさまに見下し、 「おやおや、そんなことに気をまわして時間を無駄にしないほうがいいよ」とせせら笑うかのどちらかだった、私にはわけがわからなかった。】 ▼ 神様が、ここで早めに現役からの退去(倒産)を命じたのは何故だろうか?と考えると、 「ここで、娑婆気から一たん大きく離れ、哲学書にしろ、トルストイなどの古典的小説を腹を据えて読みなさい。 そして、自分の過去を振り返り、そして、現在の己を見つめなおし、人生の総括をすべし」という事だろう。 そのために、やはり哲学書を?み締める必要がある! その点、「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を、その直後、選択をし、 その時の事象を噛み締めながら読んだことは正解であった。そして次は、この書である。それと、この随想日記の過去分を再思考すること。 ・・・・・・ 3430, 我が家に新しいテレビが 2010年08月16日(月) * 運送会社のサービス化とは ーまずは、商品搬入で垣間見た「運送会社のサービス」の話しからー 「運送会社でも、ただ運ぶだけでなくサービスを付加したところが、不況の中で検討している」という話しは度々聞いていた。 具体的には何かと考えてなかったが、一昨日の新しいTVの納品を見ていて、「これが運送会社のサービスではないか?」と、感じ、 「運送会社の設置サービスですか?」と聞くと、「そうです!」という。チームで幾つかの搬入現場を同時に動いているのが分かった。 少し分からないことがあると携帯電話で現場同士が頻繁に連絡しあっている。 設置終了まで、予測どおり2時間半を要した。 その間、延べ6人が出入りしていたが、激務のようで全員が目が釣りあがっていた。色いろなメーカーの電器商品を納入を家庭にするから、 大変な仕事である。 それに対する知識がないとやれないが、それらをチームで携帯電話のやりとりでフォローしていた。 8年前のテレビの購入時は、運送業者関係者ではなかったようだ?。そうすると家具店も同じようなものか。スーパーの宅配も始ったが、 これも運送業者の受け持ちか。 これらは運送サービスの典型的事例。運送といえば、宅配便と、引越しセンターが、運送のサービス化 としての市場を形成している。それが直接に消費者に対するサービスの付加なら、家電や家具店などの業者の配送部分の委託である。 物流の一場面だから、当然、納品サービス(家電の家庭内のセットなど)付配送も、当然あっておかしくない。しかし店サイドとの軋轢が、 電話のやり取りから手に取るように分かった。これからは農家や漁業関係の産直がネット販売の出てきている。 ヤマト運輸の宅配便は、 サービス化で先行しているので、潜在需要を作るに有利。特にネット社会では運送業者のキメ細かいサービスが求められる。 これまでの旧来の運送業務だけでは、生存競争が激しい時代には生き残れないのが現実。 時代の変化に合わせて企業も変化し続けて いかなければならない事例。 それにしても、生々しい世界を垣間見てしまった。 ・・・・・・・ 3055, 功利主義者の読書術 2009年08月16日(日) 「功利主義者の読書術 」佐藤 優 (著) ー読書日記 佐藤優の読書術本なら、買わないわけにはいかない。 ビジネス書、世界文学の名作、哲学書、宗教書まで「役に立てる」という観点から本を紹介しているが、この人の本は決して 期待を裏切らないからよい。 私にとって「如何いう本を読むべきか」という先生役が、立花隆から佐藤優に重心が移動したと いってよい本でもある。 この本の中に私も過って読んだ本も何冊かある ー高橋和己著『邪宗門』 副島隆彦著『恐慌前夜』 ソルジェニーツィン著『イワン・デニーソヴィッチの一日』池田晶子著『死と生きる』ーなど、 佐藤の解説を読むと己の浅さを思い知らされる。それが、ここでいう自分の立ち位置を知るということ。 ここで著者は、 「実用書やビジネス書は、初めから役に立つようにつくってある。そこで功利主義的な考えからいえば解説をしても、 読者にとって追加的利益は殆どない。そういう観点から『新約聖書』や『資本論』『カラマーゾフの兄弟』のような古典が、 21世紀の現下日本と世界を読み解くのに、いかに役立つかをを、あえて取り上げている。更に、実用主義は、 何か軽佻浮薄に見えるかもしれないが、そうではない。目に見えるものだけが現実と考える傾向が強いが。 (字数制限のためカット 2012年8月16日) ・・・・・・・・ 2690, 若者が危ない! 2008年08月16日(土) 希望格差社会 −1 ー希望格差社会ー山田昌弘著・筑摩書房 著者は「若者が危ない」という。そして「若者が社会的弱者になりつつある」 「やがてこの弱者たちが社会に危険をもたらすであろう」と。統計をみると、 ・親と同居している未婚成人(その過半がいわゆる「パラサイト・シングル」)は1200万人。 ・離婚数は年間29万組(結婚75万に対する数値だから結婚したカップルの40%が離婚) ・結婚75万のうち、「できちゃった婚」(婚姻届提出後10ヶ月以内に出産)は15万。 ・フリーター(未婚若年アルバイト雇用者)は200万人。失業中、未婚派遣社員を入れると未婚若年不安定雇用者数は400万。 ・「引きこもり」については正確な数値がないが、推定50万人。 ・義務教育期の不登校は13万。 ・児童虐待は児童相談所が把握しているだけで年間2万件。 ・「将来、自分の生活がよくなる」と考えている若者(25−34歳)は15%。 ・中学生の70%が「将来、日本は今以上豊かにならない」と考えている。 どうして、こうなったか? 著者は、その理由を「リスク社会」の出現という。 ー「リスク社会」とは何か、 「リスクをとることを強制される社会」、「選択を強制される社会」のことである。「自分のことに対しては、自分が決定する。 (字数制限のためカット 2010年8月16日) ーーーーーーーー 2007年08月16日(木) 2326, 被災地・柏崎の現在の事情 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 今日で「柏崎沖地震」から丁度一月になる。昨日、家内の実家の墓参りに柏崎に行ってきたが、中心地ほど倒壊している家が目立った。 ダウンタウンの本町辺りの商店街の通りを中心として倒壊した民家と商店が生々しく現れてきた。そして(住んではいけない)赤紙と、 (住居注意の)青紙が半数以上の家に張られていた。地方局のアナウンサーのTVのクルーが撮影している姿が更にリアルさを増していた。 家内の実家の近所は特に酷い状態であった。家内の両親(故人)の住んでいた住宅は傾き隣の倉庫の壁を突き破っていた。 特に内部は目茶目茶という。そこは無人だったので人災は無かったが。義弟の話によると「始めの揺れで立っていられず腰を落とした瞬間、 次の揺れで身体が横に吹っ飛んでしまった」という。車で商店街を通っていると、自衛隊とパトカーが次々とすれ違い、次々と倒壊の家を みるにつけ、映画のロケ地にいるようで現実感がなかった。義弟に「この地震は、即死するかもしれない事態だった!」といっても、 キョトンとしていた。そんなことを考えている余裕が無いのだろう。「柏崎刈羽原発の再開は無い!と思いませんか? そうなれば柏崎経済は壊滅的になるので、目先の復興景気を勘違いしないように!」と忠告したが、 私が感じた角栄への怒りなど、ほど遠い話のようだ。一月経ったためか、道路等思ったより傷んではいなかったが、 やはり東電の原発の爆発まで至らなかったことが救いであった。以上が私の柏崎市の現状レポートでした。 ・・・・・・・・ 2006年08月16日(水) 1961, 今日はお盆−3 つれづれに、〜お盆〜 才八∋ウ_〆(∀`●) 昨日は、終戦記念日!もう敗戦後、61年になる。 あれから米ソの冷戦などを経て現在に至っているが、最近は宗教戦争の様相になっている。それも無差別テロが世界中に日常化してきた。 大規模のイギリスでの無差別飛行機テロ、今回は未然に防げたが、死ぬ気の連中を阻止することは絶望的だ。無差別のテロは正当化できない。 終戦直前にアメリカが日本で原爆を二発投下、一般住民を殺戮した事実とイスラムのテロと、どこが違うというのだろうか? それだけアメリカは日本に対して悪いことをしたのだ。 人類に対してといってよい。 アメリカが広島と長崎の原爆で一般人の大量殺戮をしたことを忘れてしまったのか? 日本人よ!スターリンと、 毛沢東が数千万の自国の国民を殺戮したことを考えれば、大したことがないと許されて良いのだろうか? ーところで盆について調べてみたー (以下、字数の関係でカット 2008年08月16日) ・・・・・・・ 2005年08月16日(火) 1596, 概念とは 随想日記を(旅行以外は)必ず書き続けると決心して4年3ヶ月経つ。その日以来、一日単位の柱が この随想日記を書き上げることになった。散歩をしていても、寝ていても、全てこの日記を書き上げることが中心である。 (以下字数の関係上カット09年08月16日) ・・・・・・・・ 2004年08月16日(月) 1231, エピクロスー哲学についてー29 エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。次に印象に残っているのは、 「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が無くなるのだから、本人にとっての死は存在しない」という言葉である。 ー父が死期を悟り、その恐怖のどん底の時に、この言葉を伝えた。父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。 言葉の力を思い知った出来事であった。エピクロスは、人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。 快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。 いや逆に、肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。 真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。すなわち、官能の享楽「自足」である。 (以下字数の関係上カット09年08月16日) ・・・・・・・・ 2003年08月16日(土) 864, ミッション・ステートメント ー改訂版 死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、 恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝していえる人生を生きる。 ーイメージとしてー 80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリを している。陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて 家内と二人幸せな絶頂にいる。海外旅行も行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。 =そのために以下の憲法を制定する= ー堀井八郎の憲法ー (字数制限のためカット 2011年8月16日) ・・・・・・・・・ 2002年08月16日(金) 589,送り火ー母への追悼文 今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。 もうあと一ヶ月で7回忌だ。机の中から偶然出てきた文を書いておく。 −通夜挨拶ー 平成8年9月25日20時 本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき有難うございました。母も心より喜んでいると思います。 この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の12時51分に帰らぬ人となりました。当初は三週間の入院予定で 順調に回復しているように見えましたが、まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。88歳6ヶ月の命でした。 母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。 また通夜は明るく華やかに!とのことでした。私自身29歳の時から21年間、母と同居、母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。 自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。 七年前に脳梗塞がでて以来、 大木がゆっくり倒れていくように・・・。そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」のすざましさを身近で 見せてもらいました。私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、 誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていました。そして途中のベンチで缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。 正に霊界を二人で宙遊しているようでした。そして一回ごとにこれが最後かと、これが至福の時かと実感していました。 今夜は通夜参列いただきありがとうございました。明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。重ねて、参列有難うございました。 ・・・・・・・・ 2001年08月16日(木) [109] 偽坊主 *今の仏教界ーいや仏教業界よりましな話! 10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、ふと哲学的になってしまった。 内容というと 「世話になったお寺の和尚が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、口からデマカセの法事で無事代役を終える役 (偽坊主)を、トラが演じていたー そのとき奇妙な感覚になった。 まず本人ーこれを 1・能作がまづあり 2・本人の苗字があり 3・俳優の渥美清 4・寅さん 5・偽坊主ーと重なりがある。能作?が2345を演じていることにきずいたのだ。このような場面は 私も何回も経験をした事がある。仕事も役割もこの重なり合いといってよい。この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。 渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。 [110] 正中心一点無 15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。あまりに奇抜で面白かったので、 その人の本を買い求めた。そこにこの正中心一点無という言葉があった。見る人が見たらこの意味はお解かりだろう。 問題解決の時などこの言葉を唱えていると、その答えが自然出てくる。その中心点を無心にになって見つめて (もとめて)いると自然解決してくる。それが難解であればあるほど、この効果が出てくる。 この言葉で今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵の袋の穴と言ってよい.それにしても、酷いのが多い。
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2012年08月15日(水)
* 既に水面下で戦争は始まっている! (第三次「油断!」イラン危機ー文芸春秋4月号ー参照) オリンピックが終わると、次は中東危機とEUのメルトダウン危機が始まる。EUのメルトダウンは前に取り上げたので、 ペルシャ湾危機について考えてみる。「ホルムズ海峡閉鎖はアメリカにとっては軍事問題だが、日本にとっては死活問題」と、 いわれる。アメリカなどは安全保障上の理由から中東原油を減らしてアフリカやロシアから輸入を増やしているし、欧州は 北海ブレンド原油があり、中国も国内産原油がある。しかし日本は中東から90%、ホルムズ海峡を通過する原油が85%もある。 もしイランによる閉鎖で原油を止められたら深刻な影響を受けるのは日本である。原油備蓄が半年分あるとしても、 閉鎖をされると原油価格が50%は軽く高騰するといわれる。現在、毎日のようにシリアの内乱のニュースが流れているが、 アサド政権が倒れると、イランにとっても大打撃になる。反政府勢力にはイスラエルの援助があるとみられ、イランとイスラエルの 代理戦争でもある。もしイランが核開発を進め、核爆弾を持てば、サウジなどの湾岸諸国も対抗上、核抑止力として核とミサイルを 購入するという。それらを考えるとイスラエルが、このまま見逃すことは考えにくい。イスラエルがイランの核開発を阻止するのは、 イランの神権政治がイデオロギー的にイスラエルの存在を否定しているため。最高指導者ハメニイや現大統領が頻繁にイスラエルを 崩壊させると言っているからだ。とにかくイスラエルの領土は小さい。そこに原発を一発、打ち込めば、それだけで大打撃になる。 世界的金融危機、中東危機の、いずれにしても、際どい状況が表立ってくると見たほうがよい。昨年11月、イラン革命防衛隊基地で 大爆発がおきて、基地は完全に消滅し、ミサイル開発責任者ら30人が暗殺された。また、この数年来、核科学者が暗殺されている。 これに対しイランも、今年一月にバンコクのイスラエル大使館爆破未遂事件があった。昨年10月にアメリカでサウジアラビア大使を 暗殺しようとした事件もあった。 ごく最近では、シリアで国防大臣などが会議で集まったところにテロがあり、国防大臣をはじめ 要人が暗殺された。一連の暗殺事件や未遂事件を見ると、水面下では戦争突入状態が分かる。 日本はあいも変わらない政治的混迷が 続いており、中国、韓国、ロシアなどに足元をみられ領土問題で攻勢にあっている。 国家的大危機にあるにかかわらず、いまだ 微温湯的体質が、そのまま残っている。しかし現実は、ますます混迷に向かっている。直近の年内だけ考えても、非常に危険である。 ・・・・・・・ 3794, 哲学人 ー① 2011年08月15日(月) 『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだブライアン・マギー著「知の歴史ービジュアル 哲学入門」は、 マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後にトイレに5年以上は置いて、ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は 絵と図が書かれており、重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。今度は、そう簡単に読み進むことが出来なかったが、一年ほど前に 読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。350ページの分厚い、上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で 自分の哲学遍歴方式で書かれているので、何とか最後まで読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、 コピーしたり、デジタル化して、私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。 著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、何とか続けそうな気がする。 ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー 《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが哲学だった。 「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」とする潮流は、 現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、科学哲学… 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》 ▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が分かったことがある。 「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、それを意識出来る訳がない、と論じても、 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。 ・・・・・・・ 3429, 電子書籍の衝撃 2010年08月15日(日) 「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著 「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」 「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。 まずー著者後書きよりー 【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に四~五冊も本を 出している書き手のひとりでもあります。その意味で、キンドルやiPadのような電子ブックリーダーが出てくることによって、 本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。本文中で何度も書いていますが、 間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」ということです。何千年も同じような活字形式で 人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから 数十年しか経っていないテレビとは違うところです。でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に 変わったように、電子ブックも本の流通と読まれ方を大きく変えるでしょう 】 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、よりセルフパブリッシングが拡大する。 音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように書籍の世界でも起こるのである。 その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。 ・キンドル、iPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた ・そこには優れたプラットフォームがあり、 ・電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する ・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。 本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社もiTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。 kindle・iPadが、iPhone・iPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。 ・・・・・・・・ 3054,渡辺淳一の不良講座 2009年08月15日(土) 渡辺淳一著『反常識講座』 ー第六章 軽率になって恋をしよう 渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は 品位を疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。 渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。 ー彼の云わんとすることはー ・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。 (字数制限のためカット 2012年8月15日) ・・・・・・・・ 2689, 他山の石のことながら 2008年08月15日(金) ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした 他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭) ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。 (字数制限のためカット 2010年8月15日) ・・・・・・・・・ 2007年08月15日(水) 2325, ベナレス −1 ー読書日記ー 図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。 写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。 この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。 実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。 早く読めたのも、その下地があったからである。 ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。 <その内容の一部を抜粋してみる> インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。 その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。 全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって 担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」 (神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 こうして冥福を祈られながら、 やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つである マニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと伝えられている。 (字数の関係で中間カット 09年08月15日) ・・・・・・ 2006年08月15日(火) 1960, 人生を物語るとは? −2 。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。 意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。 意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って生きることが 意味ある人生であり、 価値実現のプロセスが物語になる。大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も変わらないが、 これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。子供の方は何を言えば目前の大人が喜ぶかを、瞬時判断して答える。 従って、その質問自体が洗脳作業になっている。 ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、 一人物語っていることになる。ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する反対語か? 堕落物語は? 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか? それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、 如何でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、それらのことは些細なこと! お盆で里帰りをしている祖先の霊が一番いいたいことは、そのことである。 『そうでしょう? ご先祖様!』 ーご先祖様ー 『全くそのとおりじゃ! 死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は! 日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。 しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。 その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。 生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は! 此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』 ホンジャ UvU/ バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年08月15日(月) 1595, 自民郵政解散の攻防−5 今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。 (以下、字数の関係でカット08年8月15日) ・・・・・・・・・・・ 2004年08月15日(日) 1230, 広松渉(4)−哲学についてー28 価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている 本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。 文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。 ー大雑把にまとめてみると ・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある ・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。 ・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー 第三章 実践するとはどういうことか 第二節 実践と価値評価 ー概略ー 哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、 価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。 ・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、 「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。 「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。 ・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は 歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも 「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、 そうではない。マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。 現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。 ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー 人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。 動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。 総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に 賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる 賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる 行動の間主体的同調化、ひいては、行動様態についての当為的価値評価の共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。 -------- 偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で価値観について取り上げていた。 今年の価値観は哲学として取り上げた内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。 ・・・・・・・・ 2003年08月15日(金) 863, 「タイムクエスト」ー読書日記 (2) ベンジャミン・フランクリンの13価値観を自分にどの程度 実施しているか,100点満点で主観で自己採点をしてみた。 1、節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。 ー40点 2、沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。 −50点 3、規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 ー75点 4、決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。−80点 5、節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 −90点 6、勤勉 時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。−85点 7、誠実 偽りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし−80点 8、正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。 −75点 9、中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。 −60点 10、清潔 身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。 −70点 11、平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。 −90点 12、純潔 成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、 また自他の平安ないし信用を傷つけるが ごときことあるべからず。 −65点 13、謙譲 イエス及びソクラテスに見習うべし。 ー50点 ー以上の平均は70点である。 (字数制限のためカット 2011年8月15日) ・・・・・・・・・・ 2002年08月15日(木) 488, 毎日が刺激的−2 先日のアメリカ第六位のUS航空が倒産した。ところが、アメリカン航空と並んで世界最大規模のユナイテッド航空が、 やはり倒産寸前という。自動車でいうGMかフォードクラスの会社だ。アメリカン航空と供に20? 近くの前年対比の落ち込みだという。アメリカ全体では−11?で大手ほど昨年の9.11の落ち込みは激しい。 (字数制限のためカット 2012年8月15日) ・・・・・・・・・ 2001年08月15日(水) 108] 夢について-7 2001/08/14 07:45 毎朝地蔵様に‘あの世で安らかにお眠りください’とお参りしているためか、 今年に入って母の夢を見る事が少なくなったが、昨日の朝久々に母の夢を見た。 いつもそうなのだが自宅での生々しい夢である。痴呆状態のしかし姿は幼児の母である。 今回は玄関の辺りで何かしている、よく見ると仏像にお参りをしている夢である。 盆にピッタシの夢である。母が自分の中に生きているとか言うが、私の場合夢の中で自由奔放生きている。 ---- 今朝 見かけた鴨。一時200羽いた事があったが河川工事で少なくなった。丁度真ん中あたり。
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2012年08月14日(火)
* 今日は御盆二日目 先日から御盆のため民族大移動が国内外に向け始まった。13日は早朝、三つの寺、夜は菩提寺に二度目の墓参り。 盆暮れは日本特有の恒例の里帰りも良い風習である。不景気で世相が暗くなるほど、こういう行事は大事にされる。 しかし家族主義から個人主義へと考え方が変わる中で、こういう風習も廃れるのは避けられない。ところで墓とは何だろうか? 多宗教の日本人にとっての心の拠りどころ。最後は、あそこに入るという共同幻想があり、祖先の霊が眠っていてイメージがある。 私は自分のHPを墓場とみたて、死んだ後より生前供養に毎日来てもらうイメージがある。ところで百年、二百年先には、家の墓が 残っているかというと、旧家意外は、ほとんど残っていない。本家の墓があるが、一人息子は独身で、やはり百年?。 昨日も、両親に因縁があった無縁墓に花一輪をたてお参りをしてきたが、これも百年。 ところで御盆の13日の早朝、 オリンピックの閉会式のためか人も疎ら。こんなことは初めてである。閉会式の方が優先ということ。お寺も不況業種の典型である。 * アイスキャンディー 子供の頃、街中の「行楽」というラーメン屋のアイスキャンディが夏の名物で、アズキアイスとミルクアイスの二種類があった。 今は店も無くなり、私が知る限り一軒だけ昔のスタイルのキャンディ屋が残っている。10年位前になるたが、たまたま、熱暑の中、 雁木通りを歩いていて見つけた店で、さっそく10本買って帰ったことがあった。 ところで一昨日、近くのスポーツジムの帰りに スーパーに寄ったところ、オバサンが美味しそうにキャンディーを頬張りながら出てきた。 買い物を終え出口近くに行くと、 サービスカウンターでキャンディーを売っていた。オバサンを見なければ見逃していたが、5本買って家に帰って食べてみたが、 思ったより小ぶりで味は今イチだった。 それにしても、子供の頃に食べた行楽のアイスキャンディーは美味しかった!
・・・・・・ 3793, スポーツジムの景色 −3 2011年08月14日(日) 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか? というと、体重は元もと早朝のウォーキングと、サイクリングの効果で、 適正体重を20年以上は保っていた。そのため、減増はないが、頬の弛みは無くなり体調は非常によい。 二年前に3〜4年に一度の重い腰痛になってから、色々の腰痛対策の工夫をしたプラス効果は出ていた。 しかし4月からの 午前中のサイクリングを含めた三時間の運動は、これまでの足腰の関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の関節が固まった 感じが、このジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後の年内には、さらに一絞りした身体が出来ているはず。 ジムでは、常に各種エアロビックと、イージーライン(インストラクターの指導下、6つの器械とステップ台で運動を繰りかえし 一周する)などのプログラムが開かれている。 別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、筋トレマシーンで独自に過ごせる。 時に昼をマタイダときは、外出も可能。 謹慎の身?にとって、昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。 喫茶店替わりである。 これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。 ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると 【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。フィットネスクラブとも呼ばれる。 定義は明確ではないが、 たとえば日本の経済産業省の特定サービス産業実態調査におけるフィットネスクラブの定義は、「室内プール、トレーニングジム、 スタジオなど室内の運動施設を有し、インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、体力向上などの トレーニング方法などを教授する事業所」とされ、室内プールの他に室内運動施設を有しない事業所は除外するとされている。】 ▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルームが加わっている。またランニングマシーンはTVつきである。 ポイントは施設に多くの種類の施設を備え会員数を集めること。今月から極端に会員数が減ったため?、値段を平均一割程度下げてきた。 この施設も半年以上もかけて完成した。しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の難しさを他山の石として 見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、iPadなどのタブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。 ・・・・・・・ 3428, 今日、我が家に新しいテレビが 2010年08月14日(土) 八年近く使ったテレビを、地デジの切り替えとエコポイントもあり、ここで切り替えることにした。 そのため今年に入ってから 「どの機種を買おうか、何時買うか」をゲーム感覚で、家電店、そしてネットで、集中した。 昨年からはバックライトのLed方式のTVが 最近、家電売り場で目立っていて、買うならこれと決めていた。 ところが、この春のエコポイント制限期限が終了間じかになると、 3Dテレビが脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これ。 そうすると今度は3Dテレビに気持ちが移った。 (字数制限のためカット2012年8月14日) ・・・・・・・・ 3053,人を殺すということはどういうことか −2 2009年08月14日(金) 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」 [著]美達大和 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の大部分が罪など悔いてないのである。 犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望のためなら他者の生命は全く価値も尊厳も感じないと暴露する。 照魔境で照らすと、多くの悪魔の姿が映っているに違いない人たち。 著者は、ここで罪の深さを知り、 カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる良心」の重要性を語る。 「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような仲間をみて実感する。 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の希望も全て破壊し尽すということなのです。 それ以外にも、さまざまな負の感情を植え付け、歳月の経過と共に風化させるどころか、増殖させてしまうことに 気がつき愕然としました。・・・・私は殺人には償う術はないと思っていますが、それではどのように生きればいいのか について、懊悩してきました。 ・・・考え続けるほどに、人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。 ・・・「獄」という字は、獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。 正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると思っていましたが、現実は違いました。 (字数制限のためカット2010年8月14日) ・・・・・・・・ 2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」 2008年08月14日(木) ー遊びをせんと生まれけむー −読書日記− 亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、 口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。 ・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。 ・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、絵画、音楽、映画、演劇などに 感動することが人生を豊かにしてくれる。 ・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」 にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。 ・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。 この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて次のように述べている。 《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。 最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。 猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。 おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で 発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、 足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。 (字数制限のためカット2010年8月14日) ・・・・・・・・・ 2007年08月14日(火) 2324, 嘘でしか語れない真実もある! (。・・)ノぉはょぅ♪ 芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。 あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。末期がんの患者に、 「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか? 死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにしてやる方がいいのか? これは誰も判断の出来ないことである。日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。 女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。 いや、真実を引き出す行為か? プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら 平気で嘘を書きなさい!と教える。読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。 「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか? 少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。 嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は 自分に跳ね返ってくる。相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。嘘でしか語れない真実? ー以下は字数の関係上、カット。(09年08月14日)- ・・・・・・・・・ 2006年08月14日(月) 1959, 人生を物語るとは? −1 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 * 人生を物語るとは? 自分の人生を振り返り、現在への筋道をたどって、その意味を考えるという、人生の総括である。 悪く言えば自分の人生を絶対肯定化、正当化しようということになる。 自信が無いからか? はたまたドブ沼のドロさらい? いや宝探し? 自分の人生を物語ることが、自分の人生の意味づけなら、「物語の意味は何か?」を、考えてみる必要がある。 哲学者のリクールは『時間と物語』の中で、「物語」の本質は「筋」の存在にあり、「筋」とは不調和なものを調和の中に組み込み、 そのことによって不調和なものを理解可能 なものとし、感情の上でも受容できるようにするのだと論じている。成る程!そういえばそう。 哲学者は上手く真理をつくものだ。「物語」とは「筋」に 沿って配列された出来事の連鎖ということになる。たどってきた過去を振返り、 現在という到達点に至った道のりの要所ごとの出来事を再編成していく作業が、その人の物語になる。 ーある本に「物語」について解りやすく書いてあった。 先ず、それを紹介してみようー 自分の人生を回想的に語るとき、 ・第一に、 私たちは人生において 経験したことのすべてを語ることはできなし、語ろうとも思わない。 「語るに値すること」「語ってもよいこと」「語るべきこと」といったフィルターを通過した出来事のみが語られる。 回想とは模写ではなく、抽象である。 ・第二に、 私たちは人生において経験したことを、たんに時間の順序に従って語るわけではない。 一見、そう見えるかもしれないが、実は出来事間の因果関係、起承転結というものがそこでは意識されている。 語り手は、「人生上の出来事を因果の連鎖によって結びつけることによって、自分がかくかくしかじかの人生を歩み、 別の人生を 歩まなかったのはなぜか、ということを説明しようとしている」のである。 ・第三に、私たちはそうした 因果関係の連鎖として語られる自分の人生に対して、「幸せな人生だった」とか 「つらい人生だった」とか―実際の評価はもっと複雑であろうが、何らかの評価を下している。 このように個人が自分の人生を回想的に語る(抽象し、説明し、評価する) とき、そこには「人生の物語」のパターンが 先行的に存在している。 だからこそ私たちは、それほど苦労することなしに自分の人生を語ることができるのである。 また「人生の物語」のパターンは、人生を回想的に語る場合だけではなく、 これからの人生を どのように生きていこうかと考える場合にも役に立つ。 子供は「人生の物語」と出会うことによって、「人生」に対して自覚的(目的論的)になる。 日常生活を構成する諸々の活動が「人生」として 組織化されてゆくのだ。 「人生の物語」には四の類型に分けられる。 ・まずは努力と上昇を二大要素とする「成功の物語」 ・そして「幸運の物語」 ・「挫折の物語」 ・「堕落の物語」 「幸運の物語」とは「努力せずに上昇する(棚からぼた餅)」 物語であり、 「挫折の物語」とは「努力はしたが上昇できなかった」物語であり、 「堕落の物語」 とは「努力せずに下降していく」物語である。 「成功の物語」こそが近代社会における「人生の物語」の正本であり、 他は正本の正統性を際立たせる ための異本である。 とくに「堕落の物語」は反面教師として「成功の物語」とワンセットで取り上げられることが多い。 ー以上である 実際の人生の総括とは、混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、ドロ(成功・失敗・挫折・幸福) を抜き出していく作業である。成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、二次的なものでしかない! ーつづく ・・・・・・・・・ 2005年08月14日(日) 1594, 犬の散歩 毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。何時も思うのは、犬と飼い主が似ていること。 特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくり。顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。 以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、時代時代に犬の流行があるようだ。ハスキーが多い時期があったり、 ラブラトール・リトリーバーやゴールデン・リトリーバーだったり、最近はポメラニアンやミニチュア・ダックスフンドなどの 小型卓上犬が目立つ。実家では、必ず犬を飼っていた。そして、それぞれの犬の思い出が多くある。まぎれこんだり、拾ってきた犬で、 雄雌関係なく「コロ」という名前であった。しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。 もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが「犬が飼えなかったこと」である? といって、いま現在では躊躇する。 そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。どういうことだろう? 恐らく放し飼いが全く無くなって、 チャンス?が無いのだろう。ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、その口笛が 聞きほれるほど上手い。その三匹の犬、飼い主に似てか?すれ違う犬に大きく吠え掛かる。 口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。ところであるベストエッセイ集に「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。 そしてプロの文章はすばらしい。 最後の文章を抜粋してみる。 ー犬に似るー ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、 短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。 しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。 猫やカラスを追いかけるとすぐに息を切らす。息を切らすと、はあはあと長く舌を出し、腹を大きく波打たせる。 どったと寝転がっていることも多い。 そのそらのようすは私にそっくりらしい。いや、私がそらに近づいたのだろう。 先日、家の前を通っている二人連れの会話が聞こえた。「ここの犬、この家のご主人とそっくりよ。毛の色も一緒だし、 体格もうりふたつ」「へえ、じゃ、どっちが犬かわからないわね」 私は思わず吠えそうになった。 (坪内稔典 俳人) 最後の一文がきまっている。 ・・・・・・・・・・ 2004年08月14日(土) 1229, 死亡欄 この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。 傾向として40歳台から死ぬ人がおおくなる。反面90歳後半や100歳という人も結構多い。時々、子供や20歳そこそこの死亡も目に付く。 やはり女性は80歳台、男性は70歳台が多い。それぞれ一行の名前と年齢の中に膨大の人生が詰まっていると思うと人生の深さを感じる。 (字数制限のためカット2011年8月14日) ・・・・・・・・・ 2003年08月14日(木) 862、「財産を無くす人、財産を残せる人 」 ー読書日記 ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術- 清水洋/著 ー以下は字数の関係上、カット。(03年08月14日) ・・・・・・・・・・ 2002年08月14日(水) 487,アメリカンインデアン 以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで仰天した。口伝で代々受け継がれてきた内容が 3万年以前のものだたりする。その内容がどうも正確なのだ。特に「一万年前にシベリアを通ってベーリング海峡を渡る」 の内容もあるという。 (字数制限のためカット2011年8月14日) ・・・・・・・・・ 2001年08月14日(火) [107] 「私の死亡記事 「私の死亡記事」‐文芸春秋 図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」 そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて 書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。 どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては意外と自己正当化しているのが可笑しい。 −私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間) ・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。 ・生前の業績ー書くに値せず。 ・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬、但し身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
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2012年08月13日(月)
「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著 ーまずは、内容紹介よりー すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を縦軸に、 今、団塊世代が直面する「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。 ーー 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、 マサカの坂に出会ったりするが、老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、のようなもの。 とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。 しかし稼ぎを無くして年金暮らしで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと 溝は深まるばかり。 ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に出演した時の、鈴木清順の ー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。 著者は草野球をしていたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との交流の嬉しさ、そして、 試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること・・・」と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。 ≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、どなると 大声が出て肺に良い。毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から鱗が落ちた。私の草野球健康法は 海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと大声で喧嘩もしていられない。家内とも大喧嘩は 日常茶飯事だが、どうもこうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、家に入ってからは、互いの壁のぼりが 言いえて妙である。 「神様は連れ添いに世界一相性の悪い人を選ぶ!」という格言がある。若いときは、自分にない部分を 持っている人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人である。それが長年かけて鬱積として蓄積されている。 それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、年金暮らしで昼も夜も一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、 縦社会に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に慣れてないため、どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。 小さな家の中での啀み合いが、「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ? ・・・・・・・・ 3792, つれづれに ー 今日は御盆 2011年08月13日(土) 今年の御盆は格別の思いである。 姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を倒産させてしまった。 「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、 数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。 経営は結果責任、言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そしてトドメが三年前のリーマンショック、 その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新と第二次世界大戦に匹敵するか上回る規模になる。 問題は、それが今だ進行中であること。 父親が、第二次世界大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて 再チャレンジ出来る年齢ではない。 また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、 いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶するツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにもマイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、 個々人の間の情報が瞬時にやり取りが可能になった。 そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能になっている。 この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。 この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。この布置は、世界規模では戦争か、災害が起こる 可能性がある。 それが我々の前にどのような事態で現れ出るのだろうか。 幸いといって良いのか、世界に先立って、日本は20年前に バブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズをしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。 第二次世界大戦の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験している自分が、そして日本がある。 その三分の二が右上がり、三分の一が右下がりであった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。 日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か! 目出度し目出度し!より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。 ・・・・・・・ 3427, iPad 対 キンドル ー4 2010年08月13日(金) 『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。その一番ホットなのがモバイル携帯電話。 代表的なのがiPhone。それが今やiPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。 これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、消費者は使い勝手が良くなる。 その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、 情報の受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、これまでとは全く違った社会になっていく。 これからの社会の変容は誰も予測はつかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 考えてみればパソコンが卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。最近になって携帯に パソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコンになった。 とすると、次の何かが出てくるはず。 ヘルメット式とか、メガネに画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、早晩に出てくる。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) ・・・・・・・・ 3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い? 2009年08月13日(木) 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。 私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも悪かったとも思っていない。 どっちにしても同じでしかないのは分かっている。それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。 ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 が、あったのである。 渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。 その概要といえば 【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。 田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して 無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、 レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ 逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、 その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が 美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。 若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない 緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の 幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】 まったく、その通りである。 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。 どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、 地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な 緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・ 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、 大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の 仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の 猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。 そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、 当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。 それぞれ! ということを知っているから。 ・・・・・・・・ 2687, 閑話小題 2008年08月13日(水) *お盆か〜 お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。 もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。 盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) *北京オリンピック *最近の車事情 (字数の関係でカット 2010年8月13日) ・・・・・・・・・ 2007年08月13日(月) 2323, 面構え ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆ つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。 先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、やはり人生の風雪に 鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が出来てくるのは50代に入ってからである。 『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。 片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。 その中の第1作「足利尊氏」など、あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。 (字数の関係でカット 2011年8月13日) ・・・・・・・・・ 2006年08月13日(日) 1958, 今日はお盆ー2 \(^▽^*)おはよう 「今日はお盆」というテーマで書こうと思ったが、この日に、そのテーマで書いてないわけがないと振り返ってみたら、 4年前にチャンと書いてあった。(あとにコピーしてあります)気がついてないで書いていたら、80?は同じ内容だったろう。 4年も経って、大して成長していない?自分の脳が見えてくる。まあ、後退しないだけでも有難いと思わなくてはならないか? \(∀\)ココハドコ? 娑婆娑婆♭♯♪〜(/∀)/アタシハダアレ? ユー レイ♪ノ(^-'o)♪☆(o^-^)\ レジャーの無かった時代の盆・暮れという里帰りのシステム、当時の長期?休暇だったのだろう。 考えてみれば良い文化である。一年に1~2度、田舎に帰り家族や幼馴染に会ったりするのも良い。 先日、学生時代のゼミの後輩と酒を飲んで聞いた話だが・・ ーM氏は東京の中野に住んでいるが、小学校の同級会を開こうと 思い立って同級生と三人と名簿を調べたら、63人の同級生が他に一人しか見つからなかったという。 都会は、それだから良い!と思うのか? いや寂しいと思うのか?やはり後者だろう。 (字数の関係でカット 12年08月13日)) ・・・・・・・・ 2005年08月13日(土) 1593, ひらがな思考術 −1 −読書日記 図書館から借りてきた本だが、目から鱗の本である。著者はコピーライター、シンクタンク社長、コミュニケーション学部教授、 という三つの経歴を持つから言葉に説得力がある。ひらがなでわざわざ文章を書いてみたら、なるほどドンドンかけるのだ。 (字数の関係でカット 09年08月13日)) ・・・・・・・・・ 2004年08月13日(金) 1228, 広松渉(3) 哲学についてー27 ー人生舞台の役・割について 「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))の概略を前回書いたが、行為の存立構造をなしている 「役・割」について、私の説を書いてみる。「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。 永遠の人生の課題といってよい。結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。 それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。離婚は互いの相性もあるが、 この複雑に入り組んだ関係もある。演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。 長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、コトは複雑である。 嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。 その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。 家という制度が強い時代ならまだしも、 今のように個人が主体という時代では、嫁姑の関係はこじれるケースが多い。 正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。 地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、行為の存立構造は露わになるケースが多い。 ・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの因習の世界で因果関係の芝居が演じられる ・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役 (字数の関係でカット 2010年8月13日) ・・・・・・・・ 2003年08月13日(水) 861, プライドー2 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。その状態が逆にエネルギーになる場合もある。 その為には、常に本を読み続けなくてはならない。心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。 したがって子狐は本を読まない人ともいえる。「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、ある飲食チェーンの 創業オーナーが言っていた。「表面的な面子などのプライドを捨て、心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」 「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。 自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、捨てられるだけの実績と自信がないからだ。 捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしての それしかないからである。といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。 表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。それを一生続けて死ぬときに 「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。それが失敗の人生である。 「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。「最後の拠りどころのプライドを持つのが どこが悪いのか、それを否定したら人間は生きていけないのではないか?」という声が聞こえてくる。 最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだからそれで仕方がないともいえるが!「夢」「志」を持てなかった人は、 それでもよいのだろう。 「おいプライド! たかがプライド! されどプライド! あ~あプライド!」 ・・・・・・・・ 2002年08月13日(火) 486, 今日はお盆 13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。祖先の霊が、仏壇から居間の 仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。 今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。 13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。両親の墓と母親の実家の墓だ。その中である墓参りの話しをしてみる。 幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、 父が生きている間に、自分たちの墓参りする約束をした」とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。どういう訳か解らないが、 いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。その時のご馳走が楽しみであった。 当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。 母が元気なうちは、母といつもお参りをしていた。母が言うに「永代経のお金を払ってあるから私が死んだらお参りをしなくてもよい」 とのことであった。しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。 やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、明治25年と 墓に書いてあった。 今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。 ・・・・・・・・・ 2001年08月13日(月) [107] 「私の死亡記事 図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い! 各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」 そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて 書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。 どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対して意外と自己正当化しているのが可笑しい。 −私も書き始めたが侘しくなってきた。 死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間) ・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。 ・生前の業績ー書くに値せず。 ・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの 遺言の為に音楽葬、ただし身内のみで。 近じか真面目に書いてみよう。
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2012年08月12日(日)
「EUメルトダウン 欧州発 世界がなくなる日」 浜 矩子 (著) オリンピックも終わろうとしているが、これから年末までの4ヶ月半の日々が、緊迫した日々になる。 この本の題材のとおり、「EUメルトダウン」と、イスラエルによるイラン核施設への可能性である。ズバリ8割だろう。 この書籍は書店では目にして立ち読みをしていたが、数日前に図書館で見つけた。去年暮れに出版された本で、その後の推移は、 ほぼ当たっている。しかし、その都度EUは何とか緊急融資を決定して、乗り切ってきた。しかし、どれもこれもギリギリの決断。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー ≪ ギリシャに端を発した、欧州の財政危機問題はポルトガル、イタリア、スペインといったいわゆるPIIGS諸国″に連鎖し、 遂にEUの屋台骨の一つであるフランスまでにも飛び火して、金融危機が勃発しようとしている。さらに、もう一つの屋台骨である ドイツも改革疲弊・限界支援で今後の動きが読めない。EUは、まさにメルトダウン寸前の状態にある。 ギリシャの破たんが、 すぐそこまで来ている今、ユーロは暴落し、諸外国の株価も急落している。EU発の世界経済大崩壊″第二のリーマン・ショック″は 日に日に現実味を帯びてきているのである。果たして世界最大の国家″EUは生き延びられるのかー。そして、この欧州危機は世界に 伝播し、大恐慌に陥ってしまうのか―? ‘ユーロという通貨の統合の果実が毒’に変わりつつある今、世界経済は大変革の ターニング・ポイントを迎えている。欧州危機を乗り越えるにはどんな方策があるのか? そして、日本は今後EU諸国とどの様に 関わっていくべきなのか?エコノミスト・浜矩子氏が、EUの経済危機を、EMS(欧州通貨制度)の崩壊、マーストリヒト条約締結から 現在に到るまでの歴史的事実から、EU、そして欧州各国がとるべき政策を考察、解説する。≫ ▼ 1979年に発足した欧州通貨制度は、その縛りを各国が守ることから始まったが、その足並みが揃わず、大きな壁に突き当たったが、 最後に妙案が出てきた。事実上のドイツ・マルク本位制に見立てて、各国が、ドイツの経済実態に自国経済のパフォーマンスに 摺り寄せることだった。インフレ率も、成長率も、失業率も、金利も、目指すはドイツだった。要するに「ベスト・プラクティス」を 各国がすることだった。ところが、1990年代に入って、安定するはずのドイツが、東ドイツを吸収したため、西ドイツ・マルクが消滅、 統一ドイツ・マルクになって、価値の定まらない通貨になってしまった。西ドイツの人々は、東ドイツの人々のために「連帯税」を 取られ、その力を失っていった。そして、問題であった、南欧の人たちの仕事に対する甘さが、そのまま、ドイツに重く圧し掛かって、 その将来に暗い影を落としてきているのが現状。ドイツ国民も、どこまで、この重圧に耐えられるか、もし、反対政党が、離脱でも 言い出し、勝利を収めれば、このEUのメルトダウンが大爆発を起こし消滅することにもなりかねない。その前にPIIGSの一つが デフォルトの可能性が大である。時の権力者は自分の代での爆発は避けたいもの。それが積もり積もって、限界点に到達したか? ・・・・・・・ 3791, スポーツジムの景色 −2 2011年08月12日(金) このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、 「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは値段の安さである。 昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、日祭日を除く10時から17時)のコースが、 月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。20日で割ると一日300円でしかない。 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、ジム内の会員数が激減をしている。 まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。嘘のようだが、本当である。僅か4ヶ月のうちである。 平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多いこともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。 会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。 イメージからして、農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介キャンペインを 始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 10年前の9.11テロと、 3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の文明と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、 私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の地震・津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの 世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が減っているかどうか聞いたところ、 「元もと少ないので、減った感じはない」という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに 様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が 付加されているので、大方が元に戻るというのも考えにくい。 やはり大震災の影響である。それと私自身の見方が、時が時だけに、 悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設のサンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、 我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、 景気も、そう甘いものではない。 それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 ・・・・・・・・ 3426, iPad 対 キンドル ー3 2010年08月12日(木) 『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 * iPadは「eBook」ではない?! 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。 しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かってきた。 アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。 モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動したのである。 この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格の モバイル小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングやカフェなどで 見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのためiPadやキンドルとは似て非なる ものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさをソファーやチェアやベッドで寝そべって見れるところが、 ポイントとなっている。 我家の居間のテレビ前の座り机の横にパソコンを置いている。その台は回転が効いて、 私が使ってないときは、家内が向きを反転させ使っている。だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。 居間で時間を遊ぶ面白さがよく分かるからである。 次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。 既に多くのものがiPhone用に開発され、世界中に普及している。それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。 そのためkindleがeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」に特徴になる。 またeBookに関していうと、 手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対して「雑誌」的なiPadといえる。現在iPadが月に100万台の大ブレークの販売に、 一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。これは、これまでの出版業界だけでなく、マスコミそのものの根本からの 崩壊に繋がる。紙の出版物は10年後には半減どころか、10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。 ・・・・・・・・ 3051,人を殺すとはどういうことか 2009年08月12日(水) 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」 [著]美達大和 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、借りてきた本である。 LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、 今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。 後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。 高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、 後悔や反省の念がわき起こる体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに 起こした。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について 「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。 そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。 強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。 ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・・・ 2686, 人生のハレとケ 2008年08月12日(火) 以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。 ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、 しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。 そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで 面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。 写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、 その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。 生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。 だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって 白だけだったら白色の白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、 如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他 メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに 徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。 『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。 さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜 ・・・・・・・・・・ 2007年08月12日(日) 2322, 政治家の家族とは・・ −3 (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪ *銀座のママと政治家の共通点* 彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。 夜の水商売は虚飾の世界である。前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。社会を選挙民という 票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。 議員として相応しい人物としての演出された顔である。夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる 「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。 お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。 遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解っていながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。 サカリのついた狸と、 それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?政治家も、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。 (以下、字数の関係でカット 09年08月12日) ・・・・・・・・ 2006年08月12日(土) 1957, 片づけられない女ー2 \(^▽^*)おは! 検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。 現代病の典型的な病で、これまでにもTVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。 ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、 多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にあるのではなく、 神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。 この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。 幼いころから兆候が現れていても、 見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかないことも少なくないという。 さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、 「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。 カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に触れながら、ADDを持ちながら 充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。 ー内容ー (以下、字数の関係でカット 09年08月12日) ・・・・・・・・・ 2005年08月12日(金) 1592, 幇間ー太鼓もち 幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。 芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。 近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。通称「八木漬物屋のオヤジ」である。彼がいないと場がしらけるほど 存在感があった。映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸をしていた。それをキッカケに他の人の芸が出てくる。 家族や従業員・取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。幼稚園の頃から日本酒をコッソリ飲んだ記憶がある。 幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。 落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している技を持っている男芸者である。愛嬌があって、 人から何か好かれる魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。人間は誰でも褒められ威張りたいもの。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・ 2004年08月12日(木) 1227, 新潟駅前ランチ事情 新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1〜2年で、横浜軒、松屋、ロイヤルホスト、すき家、などの ナショナル・チェーン店が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を出していた。 売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。7000円が相場であったが、最近は300〜500円の店が増えてきた。 (以下、字数の関係でカット 12年08月12日) ・・・・・・・・ 2003年08月12日(火) 860, プライド -1 プライドについて考えてみる。 プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。 プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。 新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。 常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れてくるのか考えてみる。 「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。 (以下、字数の関係でカット 11年08月12日) ・・・・・・・ 2002年08月12日(月) 485, 「我思う故に我あり」-1 デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。 「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。 どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。 前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」 と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。 そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。 「我 実践す 故に我あり」「我 行動す 故に我あり」「我 祈る 故に我あり」「我 感動す 故に我あり」 「我 愛する 故に我あり」「我 夢みる 故に我あり」「我 美食する 故に我あり」「我 セックスする 故に我あり」 「我 読書する 故に我あり」「我 前進する 故に我あり」「我 遊ぶ 故に我あり」「我 闘う 故に我あり」 「我 歌う 故に我あり」 幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」 自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。それが自分ともi云える。 ・・・・・・・・ 2001年08月12日(日) [106] 坂之上小学校ー同級会 昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。 かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。 3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。 5^6人が亡くなったようだ、それもこの2〜3年で。 そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。 どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。
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2012年08月11日(土)
* オリンピックも終盤に入った ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本としてはメダル数が多い。外国にならいメダルが 取れそうな種目に集中してきた効果が、ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。国が衰えるとオリンピックや サッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、 浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、 ユーロ圏の経済危機で焦臭い動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、無事終了して欲しいもの。 テロリストも国を背負っているので躊躇するのが道理だが、それが通らないのが彼ら。 * 地平線の距離は? 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。 一番身近では海原と空の境目がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニアのセレンゲッテーの 草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。 * つれづれに この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは 60年、70年先も生きているのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。一線を退いたことも あるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が 取り壊され更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で楽しそうに佇んでいた。 恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住むのを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。 ・・・・・・・ 3790, この世界株安、リーマンショック激震の津波! 2011年08月11日(木) 先週末からニューヨークで始った世界株安、アメリカ、欧州で数日で一割近く下げたが、昨日は日米の株式市場で、 反発をして終わった。 ただ今週、いや今月一杯がどうなるかだ。 あのリーマンショックから、あと一ヶ月で三年になる。 そろそろ津波の本体が到来時期になる。この世界同時株安が、それである。 この津波は今後数年間は次次と押し寄せることになる。 リーマンショックから三年で、日・米・欧の政府は、その対策の投入などで破綻寸前、国債もデフォルト寸前の事態に陥っている。 その結果として世界同時株安に本格的突入とみてよい。 そして、その次に来る大津波がハイパーインフレである。 これが世界を覆うのは二年後から三年後。 これで世界は大恐慌の真っ只中に入る。 三年前のリーマンショックは、数百年に 一度の歴史的経済的大変動の事象であるのは、今さら言うまでもない。それを何とか世界各国が緊急対策で抑え込んでいたが、 対策を出し切り限界にきてしまったのが、この世界株安。ドルとユーロは瀕死の状態で、その崩壊も世界株安と同時に崩壊の危機。 80円代前半で推移していた円も、ここで76円代に入ってきており、年内に60円代もある。この事態は体力を使い果たした 日本にとって大打撃。そうこう考えると世界恐慌が現実の脅威として姿を現してきた。 日本の地方経済は20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そして3年前の9・15のリーマンショックで致命的打撃をうけた。 そして、この東北大震災である。この直撃をうけた一現象が、当方の倒産だった。 ビジネスホテルは景気の変動に敏感に左右する。 だいたい30年の経験則からみて当方の売り上げ減は、その半年後から他の事業にも現れ出てくる。直線的に右下がりになるのではなく、 波状に上下を繰り返しながら、右下がり続いてくる。 東北大震災は布置(最悪の時に不思議と、最悪の事象が重なって起こる)である。 そして元社会党左派が、この時期に権力を握ってしまったのも布置。 今回の恐慌は、1930年代の恐慌とは規模が遥かに大きくなるのはいうまでもない。結果からすれば、中国が破壊と再生を繰り返し、 世界のエネルギーの中心になっていく。これから起こる大恐慌も、その布置のひとつである。 世界的にみても、前半は東北大震災。後半は、世界的経済混乱(世界的株安、ドル:ユーロ安、穀物などの高騰)、その序曲がこれ! ・・・・・・・ 3425, iPad 対 キンドル ー2 2010年08月11日(水) 『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 * ソニーは、ハードの強みを狙う 【 以下は、要約である 】 2008年、2009年に、eBookリーダー市場で売れたのはキンドルだけではない。二番手として活況を呈したのはソニーである。 アマゾンが、これまでの電子書店のネット窓口から直接、端末のキンドルに送信するシステムを強みにしたのに対し、 ソニーは、版権を持っている出版社に目をつけ、契約することした。 契約社会のアメリカでは、著者と出版時に契約を交わす。 契約に際しては、「出版だけに限らずオールライトを取りにいくのが基本」だから、デジタル化に関しても、許諾を出すのは 出版会社だけでいい。 出版会社との交渉だけで、一気に大量の書籍のデジタル版について、販売権を確保できる。 この原理は、 出版だけではなく、音楽、映画に関しても同じことがいえる。そのためアメリカでは、音楽・映画配信が、日本より格段に進んでいる。 ソニーの強みは「ハード開発」である。キンドルとの最大の違いは、通信機能を使って、新聞や雑誌を講読できる点である。 更にアマゾンと敵対関係にある大手小売店チェーンと組んで、一番売れそうなコーナーなどで売ることも強みになる。 アマゾンのキンドルは大手流通の店頭では売られてない。 何故ならアマゾンのネットで販売されるからである。 その盲点をソニーがついたのである。 キンドルがブームになり、その商品を見たくなり店頭に行っても、そこにはない。 そこにあるのはブランド力のあるソニーの商品とあれば、それを手に取ることになる。さらに他のコンテンツが利用できるとあれば、 顧客は、それに惹かれるのは当然のこと。アマゾンが「オンライン」で攻め、ソニーは「店舗」で攻める戦略である。 2009年までに累計100万台以上を売ったという。去年までに、キンドルは200〜300万台を売ったと推測されるという。 そこにマックがiPadで割り込んできた。何と一ヶ月で100万台を売ったというから、その凄さには驚かされる!それは次回になるが・・・ ・・・・・・・・ 3050,4時間半熟睡法 2009年08月11日(火) 新聞で最近『4時間半熟睡法』という本の広告を見かける。買うほどでもないので、ネットで書評を読んでみた。 ・一番良いのが6時間半〜7時間半である。 ・就眠の三時間前に食事、一時間前に風呂かシャワーを浴び、熟睡タイムは0〜6時におく。 ・布団に入ったら、とにかく早く寝入るように工夫すること。等々、今さらのことばかりで書いてある大方は実行済みである。 「3時間では短すぎる。が、習慣化すれば4時間半でよい。一番良いのは7時間前後で、床についたら早く寝入る工夫をしなさい」 ということ。私は、「ベッドに7時間横になる。 寝れないときは気にしないでiPodを聴くなど工夫する」が基本。 寝れないことを気にしないように務める。だから寝不足気味ということはない。工夫として耳栓をするのが熟睡の効果となっている。 100円ショップに売っているが、寝入ってから4時間は爆睡できる。 これで8割の音が遮断される。更にゲルマニュウム入りアイマスク。 これは眼の周辺を暖めてくれる。(耳栓の半分位の効果がある) 睡眠は、それぞれの人の体質もあるから自分にあったを工夫するしかない。 昼寝が10分位は出来る環境にある人は、5時間を目安に訓練するのも良いのでは? 熟睡時間は無に近い状態だから、 要はそれ以外の中途半端な睡眠状態の時間帯を如何に工夫するかである。熟睡時間を4時間半とすれば、「残りの二時間をカットしてもよい」 と言うことになる。「習慣化すれば、4時間半の熟睡が深くなる」というのも道理である。睡眠は、食事と同じく人間にとって大きい要素。 だから軍隊や研究機関で研究される重要事項になる。その最低熟睡時間が4時間半というなら、その前提で自分の習慣つくりを すればよいことになる。 組織のキャリア(エリート)が睡眠時間が口を揃えて4〜5時間というのにも一致する。 私は、敢えて現在の7時間を5〜6時間に短縮する気は今のところ無い・・・ 時間が無いとかいうのを言い訳にしている人は、是非チャレンジすべきである。 こういう人に限って8〜9時間寝ている?か、 4時間睡眠で頑張っている?? 小○カ! ・・・・・・・・・ 2685, iPhoneは、超小型パソコンだった! −4 2008年08月11日(月) 朝日新聞の経済欄『補助線』ーiPHONEを読み解くー が面白い! ーまずは、その内容からー *使いやすさ競う時代に* 最近、中国に出張したソフトバンクの孫正義社長は一度もノートパソコンを開かなかったという。 米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」でメールをチェック。孫氏の感想である。 7月11日にソフトバンクモバイルが国内で発売。初日は店頭に長い列ができた。 従来の携帯電謡のようなキー(ボタン)はない。 すべての操作はタッチパネルをさわる。 画面をつまむようにさわると画像が小さくなり、指を広げると拡大する。確かに面白い。 iPhone効果がでたのか、7月の契約増加数はソフトパンクモバイルが15カ月連続でトップに立った。だが、発売からーカ月がたち、 ライバルの通信会社や日本メーカーからはiPhone脅威論はあまり聞かれない。店頭には在庫があり、当初の混乱はなくなった。 (字数の関係でカット2011年8月11日) ・・・・・・・・・ 2007年08月11日(土) 2321, デジカメを使った文字スキャナー o(*'▽'*)/☆゜’おはよう〜♪ 毎日、随想日記を書くのは、かなりのエネルギーを要する。 ネタぎれになるので、どうしても「読書日記」が多くなる。 そこで、面白そうな箇所の紹介や、引用するのが一番手っ取りはやいが、本を書き写すエネルギーが膨大になる。 中途半端なブラインドタッチしかできないこともあるが・・・ 5年ほど前にハンド式のスキャナーを買ったが、読み取るのが難しく何度か使ったが、途中で諦めてしまった。 しかし、このハイテクの時代に、よいスキャナーが必ずあるはず。そこで本気になって検索で調べてみた。 (字数の関係でカット2009年8月11日) ・・・・・・・ 2006年08月11日(金) 1956, 人生と学問 おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ 昨日の日経新聞のスポーツ欄の連続のコラム ーチェンジアップーで、往年の大打者で野球解説者の豊田泰光が「学歴についてのコンプレックスの心情」 について書いていた。大打者だったプライドもあろうに、思い切った心の奥の吐露をしていた。 ー先ずは、その内容を書き写してみるー 引退したとき、まだ35歳だった私は「やり残していることがある」と妻に相談した。「大学に行きたいんだ」。 妻は理解してくれたが、私は幼い子供と実家の母らを面倒をみなくてはならなかった。 無収入の学生生活というわけにはいかず、断念をした。 学の無いことは寂しいことだ。解説者として記事を書き始めたが、 漢字がわからなかった。家で書き取りの練習。おやじになってからの漢字練習はつらい。悔しい思いをしたのは引退後に限らない。 (字数の関係でカット2010年8月11日) ・・・・・・・・ 2005年08月11日(木) 1591, 外務省・ラスプーチンの記憶術 何気なく月刊誌をみていたら、鈴木宗男とともに逮捕され起訴された元外務省の佐藤優の手記が載っていた。内容は、 彼のソ連時代の外交官としての活動の詳細であった。その内容も面白いが、それより彼の記憶術とその引き出し方に興味を覚えた。 非常に深い示唆に富む内容である。 やはり映像と結びつけるのだ。 ー その一部を書き写してみるー 拘置所の減灯は午後9時、起床は午前7時なので、睡眠時間は10時間もある。私はもともと睡眠時間が短く、3~4時間で済む。 この長時間睡眠制が拘置所規則では何よりも苦痛であった。筆記道具は自殺に使われる「凶器」に使われるのであつけられない。 そこで、この時期に私は記憶力の強化を図った。私の記憶術は映像方式で、特定の映像と出来事を結びつける。 誰かに教わったのではなく、モスクワでメモをとれない状況でロシア人から話を聞き、それを大使館で暗号電報にして送る 作業を続けているうちに自ずから身につけた癖だ。ある時この記憶術を陸軍の中野学校出身の某氏に話したことがある。 「佐藤君。それは甲賀の忍者の記憶術じゃ。中野学校では甲賀忍法を応用した記憶術があった。 文字や地図、写真は比較的正確に再現できるが、表の数字は出てこない。」このやり方は、数字にはあまり適さない。 イスラエル政府に記憶力の抜群の友人がいた。「数字をどう記憶に定着させたらよいか」と尋ねたら、 この友人は「僕の場合も基本は映像記憶だ。数字は見ただけでは記憶は難しいが、一回、口に出して唱えると、 映像の中にいる自分がその数字を唱えている映像が音とともに甦ってくるので、試してみるとよい」と言われた。 実践してみたが、確かに効果がある。獄中のノートやメモは検閲されることがあるので、取調べについて重要なことは書けない。 (以下字数の関係でカット2012年8月11日) ・・・・・・・ 2004年08月11日(水) 1226, ダイエー 最終局面へ ダイエーの再建??に向けてのUFJ、みずほ、三井住友銀行が最終調整に入ったと新聞が一斉に報じ始めた。
(以下字数の関係でカット2008年8月11日) ・・・・・・・ 2003年08月11日(月) 859, 「タイムクエスト」 ー読書日記−1 ーベンジャミン・フランクリンの13価値観ー この本は一年位前に読んだ本である。「7つの習慣ー最重要事項」のさらに具体的内容を掘り下げている本である。 『ミッション・ステートメント』に焦点を合わせてある内容である。先日本棚を見ていて、読んだことに気がついた。 中途半端に読みぱっなしということか。この本と『7つの習慣』を二年前に読んでいて、「ミッション・ステートメント」 を創ってなかったのだからいい加減なものだ。何かの「良」がこの「最良」を阻んでいたのだろう。 この本の中のベンジャミン・フランクリンの13価値観が面白い。これを元に著者のハイラム・W・スミス が 自分の憲法を創っているが、それは次回に書く。それと13の価値に対する自己評価もチェックしてみる。 ーそのフランクリンの13価値のところを書き写してみるー ベンジャミン・フランクリンが22歳のときに自問自答した。 「私の人生で大事なことは何だろうか?」この時から、彼は12の価値観と考えを進めていく。 そしてその一つ一つに説明を加えていく。その結果次のようなものが出来上がった。 初めは謙遜がなかったが、あるクエーカー教徒の友人に見せたところ、その友人は最後に謙遜がないことを告げた。 フランクリンに対して彼は親切にも彼が、高慢な人間だと一般に思われていることを教えてくれた。 いくつかの例を彼はいちいち例を挙げて説明してくれ納得した。そして最後に英語でわずかに4語の説明文を加えている。 「イエスおよびソクラテスに見習うべし」(ImitateJesus and Socrates)彼は自分の生活を13週に分けて、 一週ごとに13ある価値観の一つずつ焦点をあてて、自分の行動が価値観にあったものになるよう努力したという。 78歳のとき、彼は回顧録にこう書いている。 全体的に言えば、かねてから願っていた完璧さには到達できず、それよりはるか下にとどまってしまったが、 どの努力をしない私と比べれば、より善良な人物になることができた」「謙遜」については、率直にこう言っている、 「私はこれを体得したと自信を持って言えはしないが、その見かけがそれなりにできたと思う」 ーベンジャミン・フランクリン13価値観 1、節制 飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。 2、沈黙 自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。 3、規律 物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 4、決断 なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。 5、節約 自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 6、勤勉 時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。 7、誠実 いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし 8、正義 他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。 9、中庸 極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。 10、清潔 身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。 11、平静 小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。 12、純潔 成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、 身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。 13、謙譲 イエス及びソクラテスに見習うべし。 (字数の関係でカット2008年8月11日) ・・・・・・・・・ 2002年08月11日(日) 484, 思い出のメロデー お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。 34回というから、私が20歳代前半からになる。 初めからチャンスがあれば必ず見ていた。幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。 その為その歌ごとに思い出が深い。生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと今という共時性がある。 この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。 丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。40年代はポップス全盛時代で、これだけの名曲が出ることはないといわれている。 時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。歌を聴きながら、本当によい時代に生きることが出来たと感謝している。 自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。 今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。時代の変化なのだろう。 ・・・・・・・・ 2001年08月11日(土) [105] 写真コーナーが移転 不調だった今までのコーナーを廃止、あたらしいソフトで再出発することになりました。 デジタルは便利の反面、今までの苦労が一瞬で消えうせるという恐さがある。 あれだけデジタルカメラを持ち歩きうつした写真が、全て跡形なく消え去ってしまった。 まだ出始めで総数が少なかったが、一年も経った後だったら大変な事だった。 写真コーナーが壊れてからアクセスが半減してしまった。 二時間散歩、夜半大雨のためか花が綺麗だ。これも土手で誰かが趣味で育てた花だ。 二時間の間にそのような場所が10カ所以上ある。あと一月経つとコスモスのトンネルで花が咲く。
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2012年08月10日(金)
* 金融円滑化法、来春廃止(返済猶予後の倒産が増加) 昨日の朝日新聞の経済欄のトップに、「中小企業延命策、すでに限界」の見出しで、この活用後も経営難が悪化し、 倒産が増えている実情をレポートしていた。 ーまずは、その概要をまとめるとー ≪ 金融危機で資金ぐりが苦しくなった中小企業の借金返済を先延ばしの金融円滑化法が、来年3月末で期限切れになる。 一時的延命も、経営立て直しも出来ず、倒産する企業が増えてきた。大方の会社は、その延命期間も市場環境が悪化して、 借金が増え続けてしている。 地銀の支店長によると、正常な貸出先に戻れるのは全体の15%。計画通りにいかないのが 85%を占める」。金融庁によると、返済猶予をした中小企業は全国で30〜40万社の前途。この通りだと、25〜35万社が この秋以降、かなり厳しい事態になり、倒産が大幅に増える。≫ 私の事業も金融法で延命したが、売上減が止まらず先行きの見通しはゼロもあり見切りざるを得なかった。 恐らく無理をし続けていたら今は地獄。 おまけに、この秋口に欧州発世界的株式の暴落か、中東戦争が起きそうな状況で、 多くの倒産が続出することになる可能性が強い。これに再来年の消費税の増税を考えると経済パニックは避けられない。 この9月以降は日本も世界も非常に厳しい緊迫した状態になる。何らかの延命策も取られても、このままでは済まない。 実際に私自身が、その渦中にあったから、近未来が手に取るように分かる。 平成を装っているのか、この静けさは何だろう。 大手家電メーカー各社が軒並みに大赤字でリストラが行われている。東北大震災から一般の消費動向が一変、ショッピングに 楽しみを見出さなくなってきているという。震災の経済に与える影響は、これからという上に、リーマンショックと欧州発の 金融危機とくれば、誰もが財布を締めて当然。 どうも話はマイナスばかりだが、ことが動乱?なら仕方がない。 ・・・・・・・ 3789, 天才だもの 2011年08月10日(水) { 「天才だもの。」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー 春日武彦著 } 天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の切り口が違っているところが面白い。 天才と気違いは紙一重というが、気違いの部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から違った視線で、 逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。 気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 凡人も一度は狂い逆照射すべきだ!そうでないと? ーまずは、序文の中からー 【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、 私たちがどのような人物を「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。・・・ さて天才の定義である。 あたかも天から授かったかのような傑出した才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、天才には いくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・ 。 またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかったのではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は 若干十九歳であり、ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である天才伝説には必要なのかもしれない。 ・・・天才は日常生活においては無能ないし常識外れであることも、世間は期待する。グレン・グールドは夏でも手袋をしていたとか、 三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは立った ままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、 ごく当たり前のことが余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心の外へ追いやられてしまっている のだと理解することによって、やっと我々は彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。 そして天才は幸福であってはならない。 少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、 金銭にまったく無頓着とか、食事のメニューが一年三六五日同じとか、そういった非現実的なところがないと困る。 あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。 妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に 脳まされているうちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】 ▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は別の本で読んで、これは我われが日常感じている レベルで読者と共に楽しめる内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまうため、逆に天才が 見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィール に正直に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常を きたし格闘をしている人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった人たちの血と汗が、直接伝わってくる。 ・・・・・・・ 3424, iPad 対 キンドル ー1 2010年08月10日(火) 『iPad 対 キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著 *「ウィスパーネット」が、kindleの秘密 アマゾンが発売した電子ペーパー本といったようなキンドル。「ウィスパーネット」といわれる通信機能が特徴。 ユーザーは通信をなにも意識しなくてもよい、何故なら通信料は書籍の代金にふくまれているので、別に支払う必要がない。 現在ではアメリカ?だけで41万冊の種類が用意されており、電子書籍の価格はハードカバーが25〜30ドルくらいに対して9・99ドル。 新刊も同時に発売されるものが多く、その場合、紙の6割ぐらいで売られている。この威力は使った人にしか分からないという。 まだ日本では馴染みが少ないが、要は「アマゾンのネットで本を注文すると紙の本の替わりに電子ペーパーがキンドルに直接、着信する」 のが特徴。 決済は、これまでのようにネット上でおこなわれる。iPod に似ているが、違うところは、直接端末に着信するところ。 一番のポイントは端末から直接、発注も可能であること。 【ネットに比べ、見にくいというが】 これまでのアマゾンの顧客を、そのまま取り込めるのがミソ。 更に新聞や雑誌も普及始めているという。アマゾンは、kindleそのもので 儲けることでなく、あくまで電子ブックを売ることが目的。ライバルは現在のところ、ソニーとアップル。 アメリカ国内では、 キンドル200万台に対してソニーは100万台を売っている。 ソニーは、日本よりも出版が自由な米国で先行。 一方、iPadは、電子書籍端末専用ではないノートPCと携帯の中間の、他の機能を多くそろえた汎用機を目指しており、 リビングでつかわれるシーンを想定している。またiPhonむけの専用OSをつかえることで、その顧客の取り込みが有利。 それにしても、端末にパソコンで注文した書籍が、直接、振り込まれるのには驚いた。 iPodは、一度音楽をパソコンに振り込むのに対し、端末の先の通信代を考えないで済む「ウィスパーネット」には、驚いてしまった。 音楽も、近い将来、機能としてつく可能性すらある。 他にも、それぞれの特徴を生かした端末が多く出てきている。 次回は、ソニーの戦略 ・・・・・・・ 3049,ハリネズミのジレンマ 2009年08月10日(月) 哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような? 《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。外は吹雪で巣穴の中は寒い。 そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、互いの針で相手を傷つけあうことになる。痛さで体を離すが 今度は寒くてたまらない。一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く相手のぬくもりを 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》 ▼ 若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。8人きょうだいの末っ子で、 家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。私の家庭では付かず離れず、 自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、自然態なのである。 大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。 だから人混みの中の孤独には慣れている。他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係)自我が露出してしまい、 一人よがりになりがちになる。 成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。 ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。 独居老人のジレンマでもある。 ・・・・・・・・・・ 2684, 己の地平の地を耕す 2008年08月10日(日) 知人が二人、最近になって(10年前から)素人菜園に凝っている。たまたま事務所で二人が出会ったとき、嬉々として話が弾んだ。 何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。『心身にとって、これほど良いことは無い』と 二人は口をそろえて言う。それを聞いていて畑での一連作業が何か自分の心を耕しているに感じた。人生は畑を耕すのに似ている。 長い人生の道のりも計画通りに楽しみ生きるより、苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。 たどたどしく泥まみれが人生である。 イソップの寓話に、面白いのがある。 《 葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。 「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。 私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。 しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。 畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》 父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。 イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。 今度借りて読んでみようか)「ところで御前さん、人生の畑を耕したの?それも真剣に?」と問われれば「う〜ん、耕してきました!これでも」 そして、「上を見れば限がない、横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。 このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。 テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・ 畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。 「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」 ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。国土に土が殆ど無いのである。 岩石の上に辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。藻は菌で出来ているので土は必要としない。 しかし、それは堆積はしない。その時になって、成るほど我々は生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。 人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。 ・・・・・・・・・・ 2007年08月10日(金) 2320, 「朝青龍」問題について −2 ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 これほど、単純だが困った問題はないだろう! 朝青龍は大相撲の世界で5年間も君臨してきた。 一人横綱を張っていたこともあり、その実績から少々の我侭も見逃されてきた。 ところが、情報化には彼も勝てなかった。仮病疑惑のサッカーの映像が放送されたからには言い逃れができない。 (字数の関係でカット11年08月10日) ・・・・・・・・・ 2006年08月10日(木) 1955, 片づけられない女−1 \(^▽^*)おはよう 昨日、昼休み何げなくTVをつけると、「TV史上一番の片づけられない女」というタイトルが出てきた。 ある30代の女性の部屋をレポートするもの。チャンネルを切り替えようとしたが、どれほど酷いものか見ることにした。 1DKのドアを開けて一歩踏み込んで見て、驚いたなんでものじゃない。部屋が足の踏み場の無いゴミ箱である。 玄関のすぐ右に台所があるが、流台の高さまでゴミが積みあがっている。かろうじて、冷蔵庫を掻き分けるようにして開けると、 4年前の食品が、そのままある。冷蔵庫の上の生卵は、一年前のもの。奥の8畳位の洋間に行く通路はゴミで、うず高く埋まっていて、 1mごとに足の踏み場の空間があり、そこをジャンプしながら部屋まで行く。部屋は中央に布団があり、布団の半分はゴミで隠れている。 (字数の関係でカット09年08月10日) ・・・・・・・・ 2005年08月10日(水) 1590, 自民郵政解散の攻防−4 昨日の全ての大新聞の一面で、各社政治部長が郵政解散の論評をしていた。なるほど、それぞれ一理ある。思ったより小泉首相に 厳しい内容が多かった。賛成反対の両者を配慮しなければならないためか、思い切って書けなかったこともあったようだ。 ((字数の関係でカット10年08月10日) ・・・・・・・・・・ 2004年08月10日(火) 1225, つれづれなるままに ・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。 フッと思いついて、近くの図書館のHPを検索にかけたところ、 その本が有った。 図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。その時「インターネットで調べることが可能なはずだが」 と思ったのだろう。 お金は少し注意すれば使わないで済む。情報化は、無駄を省いてくれる一例である。不景気になるはずだ。 ・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。 インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。 ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、お客はそれを知っている。 (字数の関係でカット12年08月10日) ・・・・・・・・ 2003年08月10日(日) 858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が二件たて続きに起きた。 そういうものだ。 あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。ホテルの立ち上げを創めると、 必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に身辺におきる。本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。 「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、その波乗りを楽しむ位でないと神経をやらる。創めたからには突き抜けなくてはならない。 その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、こういうものだと腹が据わる。 縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。こんなもんだろうと、直視しながら 一つずつこなしていくしかない。それも一つ一つが極限の出来事である。そしてピークの出来事が重ねてやってくる。 それは経験を重ねると見極めがつく。それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。同時に「ああ今回はこの程度か!」 と心の奥の声がする。遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。 これは仕事だけでなく人生一般にもいえる事である。一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。 神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。 ・・・・・・・・ 2002年08月10日(土) 483, 経営セミナーにて −2 30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。 しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。2000万?はつかった。 しかし土地を二回転がし、すぐ元はとった。そういう事だけはクールだ。 (字数の関係でカット12年08月10日) ・・・・・・・・・ 2001年08月10日(金) [104] 自己不認識 いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。 ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。 その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。ブラックジョークである。 こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、得意満面で女性遍歴を話し出す。 女性にもてるとは、解りやすい事例でいうと、女性環境に恵まれないからスナックに行って、 ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる。それを表面だけ見ていた人が誤解すること? 知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。 男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。 ある往年の大女優が随想で「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」 と書いていた。女性の場合自覚するが?男の場合,気がつかないから恐い。まあ、どうでもよい話だが。
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2012年08月09日(木)
人間、それぞれの能力があるが、それには当然ながら限界がある。その一つに自分で勝手に決め込んでしまう心理的限界がある。 30歳・40歳までは、その限界を壊し続け、アップスケールする成長期である。自己能力の限界の設定と、その達成。 そして破壊になり、限界の挑戦の繰り返しになる。機会を見出し、挑戦、変身していく、これが成長である。これは仕事だけでなく、 趣味の分野でも同じ。40歳代に入ってからは、秘境・異郷旅行を趣味にし、カナダのロッキーから、アフリカのケニア、タンザニア、 南アフリカ、北アフリカ・中東、そして南米、シルクロードへと、行き先を広げていった。 未知の世界に初めて行くときは、 まず心理的限界を乗り越えなければならない。直前に大きな心の揺れが出て、計画断念まで考える。しかし一歩、家から出れば、 あとは成り行きに任せる。限界は誰にもある、要は、その先に踏み出すかどうか。 口では軽く言えるが、いざ実行となると、 そう甘くはない。挫折は、その限界に跳ね返された時に生じるが、自分の再構築する機会になる。 諦念とは、限界を知り、そのまま 素直に受け入れることをいうが、実に辛い。 世界的カーレーサーの言葉に、「限界は誰もいける、問題は、それから先に、 どれだけいけるかである」という名言がある。世界的レーサーだからいえる言葉。野球の野村元監督の講演で印象に残った言葉がある。 《 自分は二流の能力しかなかった。その事実を認め、戦い勝つためには「考えること」しかない。一流選手の中で勝ち残るために、 その間にプラスの要素を加える工夫しかない。それが考えること、データー野球である・・・云々》 凡人は、一に準備、二に準備、 それを常に楽しみ工夫してやるしかない。あまりに、考えない人が多い。そう思ってきたが、一番考えないのは、この私。 これは全ての人に当てはまるが。 実際に、あと10年間は考える時間が欲しいが・・。 ところで、モバイル携帯端末が普及して ネットで世界が繋がってしまった現在、能力の限界も今までとは違ってきている。脳がネットで世界中に繋がったのである。 面白く、かつ恐ろしいことで、ここに時代の大きな断層が出来てきた。20年、30年前だったら、数百億もするコンピューターが、 ただ同然に世界中の人々が持てるようになり、現実世界をネット世界が覆いだしたのである。これが断層となって既存のシステムを 根底から破壊はじめてきている。 ところで人間を不幸にしている要素に、その限界を認知できないことがある。そこに不幸の種が 出来てくる。として、限界を遥かに超えたところで、砂利の大きさと形の差異でしかない。面白可笑しく楽しむしかないか、最後は! ・・・・・・・ 3788, 閑話小題 2011年08月09日(火) * 水戸黄門が放送終了という 水戸黄門が、今年の12月で放送を終えるという。放映開始が私が社会に出た年1969年で、42年になる。 1979年には視聴率は43.7パーセントというから、信じられない人気だった。それも現在10パーセント前後まで落ちていた。 勧善懲悪がハッキリしていて、印籠を出す時間が分単位で分かるという。 初代が東野英治郎で現在の黄門様は5代目。 最後は黄門様のお上の力を披瀝することで、各藩の下々や家老などの悪事を暴く筋書き、40年以上も経てば飽きられて当然。 当初の頃、年に数度みた記憶があるが、最近は全くみてなかった。 由美かおるの入浴シーンも売りだっが、数年前に彼女も 還暦を向かえとこともあり、なくなってしまった。 当初のころ、芥川龍之介の逆視線の「桃太郎」の物語と、水戸黄門の 勧善懲悪が重なりを感じてつまらなくなった。 桃太郎が勝手に鬼が島に鬼を征伐に行って、宝物を奪略してきたという筋書き。 立場変われば善悪は逆転するという捻れた物語。鬼にとって桃太郎こそ、勝手な侵略者。 そういえば姉の一人が大好きで、脳の構造までが、印籠を出すタイミングを常に計っているようだったが・・・ 地方都市の世界は家紋か〜 城下町小唄は今も続いている。 全ての世界も同じようなもの、 そこしか知らないものにとっては * 無言の圧力 「毎日のように、貴方の随想日記を読んでいると、無言の圧力を感じる」と、ある人にいわれた。成る程、そうかもしれない。 ここでは思いの一部分も書ききれてないが・・ それを毎日続けることで、書いた言葉の背後にある無言のエネルギーを感じるのか。 理路整然と筋道を書き上げることは、それなりにエネルギーを要する。とはいえ、書き、修正を加え完成させると、それを第三者として、 それを見つめている自分がいる。それも毎日10年分の同月同日の文章もコピーし読み返していると奇妙な感覚になる。同化しているような。 一文章 2時間×10年=20時間の集中したエネルギーもある。(テーマ探しは別) 書いた瞬間に全て忘れているためか、 書いた本人が一番、エネルギーの痕跡を感じる。書いてしまった文章は過去のエネルギーであり、時間がたってしまい再度読んでいる時、 現在の自分のエネルギーと混同する。それが読み続けることで「無言の圧力」のように感じるのか。 それを感じさせるだけ稚拙ということ。 ・・・・・・ 3423, 5つの「あ」 2010年08月09日(月) 中国奥地で国際援助の植林活動をしている日本人が、「5つの‘あ’」で現地で頑張っているといっていた。 「 あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」である。 「中国人の反感の視線の中で、こういう地味の国際活動は、この5つの精神でないと持続できない」という言葉が重い。 人生訓でもある。 そこで、≪5つの「あ」≫と検索で調べてみると、他にもあった。 * 『あせらず』 不安、焦燥があってもゆとりを持つことが必要です。 『あわてず』 現時点で急な展開を求めるべきでなく、少し時間的猶予を… 『あきらめず』まだ自分には使っていないものがあるから、それを使えば安全・自由です。 『あるがまま』現実をありのままに見つめて、目の前のことを、感謝・喜びとして感じると、あるがままに行動できますよ! 『ありがとう』今日、一日の無事に感謝し喜びをこめて“ありがとう”と表現しよう * あんしん. あんぜん. あたたかさ. あいじょう. あかるさ * 挨拶、ありがとう、謝る、頭を下げる、新しいこと などがあった。 しかし、中国での植林事業では「「あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」が良い。 自然体の具体的な心の持ち方ということ。逆に「焦り、慌て、直ぐに諦め、誰か・何かを当てにして、あなどる」が、日々の自分たち? それにしても、中国でボランティアで長年、植林にたずさわっている姿に頭が下がる。 ・・・・・・・・ 3048,閑話小題 2009年08月09日(日) * 印税は定価の一割 作家の一冊あたりの手取りは大まかにいうと、定価の一割という。 といって、一万冊売れると思って出版はしたが、 半分も売れなければ、その一割が入るかどうかだ。本を出版して一万冊売れるかどうかが目安(現在は7〜8000冊ともいうが) 1500円の本が、まあ売れたとして150万円でしかない。だから作家にしても、ノンフィクションのライターが 物書きで生活するには並大抵のことではない。 現在は、出版不況で総合月刊誌の休刊が相次いでいる。 * モノを知らないから困るのではない 「我われは、モノを知らないから困るのではない。知っていると勝手に思い込んでいるから困るのである。」という名言がある。 その上に、知っていることが、実は間違っていることもある。 「人は、それぞれが知っている範囲の中でしか、理解しえない」ということも最近つくづくと思うこと。 結局は何にも知らないも同然だったということだ。特に他人に対して、それがいえるのでは。 知っていたつもりの人が、全く知らない一面というより、多面を持っているのを知り度肝を抜かれることがある。 我われがインドのカースト制度の差別社会を見るとき、それは実は気づかないだけで、日本でも歴然としてあること。 自由、平等、そして思いやりのある博愛、等々は全部ウソ。 それを知っているつもりで、実態は不自由で、 身分社会が厳然としてあり、大方が金で左右される取引社会の真っ只中にある事実が見えてないだけ??。 * 昨夜は高校の同級会 昨夜は、高校の同級会。 幹事だったので気を使ったが例年通り盛況に終わった。出席が15名。 ドタキャンが一人と、 連絡なしの欠席が一人。 二次会は6人出席。 ドタキャンもあろうと会費を千円を上乗せをしていたので何とか凌いだが、 問題の二人は、これまで一度も出席をしたことのない男。 亡くなった山田君の奥さんに三回忌という名目で出席して貰ったが、 故人も喜んでいただろう。 それより故人の奥さんが、その場に馴染んでいたので安心をした。 驚いたのは、奥さんも含めて無職が一人だけのことだった。 自営業が半分以上ということもある ・・・・・・・・・ 2683, iPhoneは、超小型パソコンだった! −3 2008年08月09日(土) −Phnoe の経過報告 これが気に入っているのは携帯電話に馴染めなかったことが大きい。ボタン入力が苦手なこともあり、気楽に弄りまわせないでいた。 それより気楽に電話をかけたりメールを出す相手がいないこともある。家内が昨年の春に初めて自分の携帯電話を持ったとき、 嬉々として使い出した。妹とメールの遣り取りを遊び感覚でしはじめた。土日の暇なときに、「いま、暇。何してる?」 とかをメールで入れたり、私がTvを見ている前で、ワンセグで他のTvを見たりしている。 (字数制限のためカット 2010年8月9日) ・・・・・・・ 2007年08月09日(木) 2319, 5次元世界が存在する? ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ 何かSF的な話か、新興宗教の本に出てくる異次元の話が、たまたま見ていたNHK・TVで放送していた。 「エッ、何?」と注目してみた。あと数年もしないうちに「『5次元の世界』が発見される可能性がある」という。 来日中の理論物理学者のリサ・ランドールがNHKのアナウンサーと、朝から異次元を語っていれば、私でなくても誰でも驚くであろう。 彼女は、いま全米が注目する物理学会のニューヒロインで、5次元世界の提唱者。加速器を使った粒子の衝突の実験で、消えてなくなる 素粒子が存在することから、その理由を探しているうちに5番目の次元に移動するのでは?と、思い至ったという。 5次元の世界は私達が触ったり、感じたりはできないが、物理的には必ず存在するという。3次元空間の中にスライスされた 2次元の平面(膜)が無数にあって、その膜のひとつに私達や銀河が張り付いているようなイメージという。 これは「超弦理論」の 「M理論」に非常に似ている。 M理論とは「プレーンとプレーンの間は唯一重力が伝播されていて、あるときプレーンとプレーンが 何かの要因で接触すると莫大なエネルギーが解放されてビッグバンが起こり、新たな宇宙が発生するメカニズムを理論化したもの」 M理論は11次元の超重力理論であり、ランドール博士の5次元宇宙と何処が違うか私の知識内では理解できない・・ ランドールは子供向けに数式を使わずに「ワープトパッセージ」という本を書いていて、全米の科学分野でベストセラーに なっているという。20年位前に、NHKがシリーズで壮大な「宇宙」についての番組を放送していた。 その中で、「ブラック・ホールが周囲の星など何もかも吸い込んでしまうが、その宇宙の歪みからできた穴の行き先は、 この宇宙とは違う宇宙に通じている。」という説を紹介していたが、それにも通じるのかも知れない。 その時、その別宇宙への目に見えない管が我々周辺にも満ちている、と。それにしても、数年以内に5次元世界の存在が証明される? 現実的には信じがたいことである。発見されれば、科学にとって、いや人類にとって衝撃的ニュースになる! 別宇宙の空間が我々の周辺に満ちている?そんなバカな! (≧∇≦)ノ~~~マタネー ・・・・・・・・・ 2006年08月09日(水) 1954, ある首斬り役人の日記 −1 「ある首切り役人の日記」 フランツ・シュミット/ 訳・藤代幸一 白水社 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー 何気なく図書館で借りてきた本。少し気味悪いが、人間の極限における生々しい姿が書かれている・・・ 初めは事務的に時系列の処刑の記述が、時間が経つにつれて具体的にリアルになっていくのがわかる。 しかし汚職とか、 政治闘争の結果の死刑は見当たらない。16世紀に実在した、死刑執行人の日記で、自分の仕事内容を記録したもの。 16世紀末から17世紀初頭にかけて、ドイツで刑の執行を行った親の代からの首切り役人フランツ親方の日記で、剣と綱で 生涯に361人の処刑をした。他にも鞭打ち・指切りなど死刑以外に彼の手にかかった処刑者は345名である。 (字数の関係でカット2011年08月09日) ・・・・・・・・・ 2005年08月09日(火) 1589,自民郵政解散の攻防−3
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2012年08月08日(水)
【 ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒 】ー適菜収著 より 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば(何度か取り上げたが)、小泉元総理が 「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として 国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類し、B層を選挙のターゲットとしたことに由来する。 これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。この層について、著者は以下のように分析している。 ≪ 「B層」とは何かというと、 ◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。 無制限に拡大した権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、再び民主党のマニフェスト詐欺に 騙され失望し、将来にわたり「騙された!」と喚き続ける存在がB層です。〉とある。 ◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかがおかしいと感じている人。今の世の中を深く軽蔑している人。 そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けてみるべきでしょう〉という ◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」 「誰それ?」などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 ◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生したキリスト教カルトです。〉 (わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。 バカなんでしょうか? 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫ ▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいということである。これまで、マスコミは、大衆として、 彼らを捉えて、その操作を駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=モバイル携帯が 普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が 体勢を占めてしまう。これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、社会は保たれるのに、 B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、 あのざまで、C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響はモンスターのように、世界を 混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。 ・・・・・・・ 3787, 閑話小題 2011年08月08日(月) * アメリカ国債の格下げ ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うくデフォルト(債務不履行)になりかけた。 このため70年維持してきた格付けがトリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付けと同じである。 3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。 それが限界にきた結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続くことを意味する。その結果として 世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の事態になる。 まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。 それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、 その歪が何時爆発してもおかしくない異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。 * 原発事故、これから始る影響 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の 新米が全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 特に子供がいる世帯は他人事ではない。 汚染が、どの程度で収まるのか今のところ誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態では失せてしまう。 放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の 現地民の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。 あそこまで酷くはないとしても、日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、 畜産物から体内汚染とくれば、壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、それが現れ出てきているのか。 * 私は特別の人間! だもの 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが 特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、特別の存在という 思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。 その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は大事なのかもしれない。 ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも仕方がないのか? たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。 ・・・・・・・・ 3422, 哲学者の言葉 100 ー2 2010年08月08日(日) * 第一章、哲学と人間 ≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫ これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。 そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、学歴差、 などあるが、まずは、同一性が問題になる。 まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。 【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。 「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。 さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることの できない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」 ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち 思考する生物であり、行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事をし、 経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。 人間の本質は運動の中にあるという。 人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。 人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で 「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを 知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、 それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。 人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければ ならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、 「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】 《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、 その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理である。 そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまう から、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。 ・・・・・・・ 3047,自信過剰な人 2009年08月08日(土) 異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、それが自分の実力を超えた 思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。 世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、人生はその交互作用でもある。この不況の中では「私」は少々自信喪失 気味だが、そのぐらいの方が良いのだろう。 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。 失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。 大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・ ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー 《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し (「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に 高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、 自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。 たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは数%と判断しても、 実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》 こういう実験がある。 質問=あなたは幾ら賭けますか? Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか? Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか? この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。 それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。 新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。 何もしない人間の壁を見ているからだ。 しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。 許されるのは若いうちだけだが。 ・・・・・・・・・ 2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2 2008年08月08日(金) この本は、特に目次が面白い。 結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、断層の時である。 自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。 この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。 アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。 それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。 ー目次ー (字数の関係でカット 09年08日) ・・・・・・・・ 2007年08月08日(水) 2318, 岸洋子の世界 おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん! 一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。彼女は十数年前(1992年)に亡くなったが、 今でも強い印象が残っている歌手である。番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に見ごたえのある内容であった。 早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、 その時々の歌の録画を構成していた。そのエピソードを聞きながら岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。 その歌の合間の石井好子と菅原洋一のコメントが好い。菅原洋一をして「全ての面で彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」 と言わせている。 菅原は私の大好きな心の歌を多く歌っている。最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。 菅原洋一のコメントを聞いて彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。 彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた歌であった。 石井好子の彼女への言葉「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声がかすれようが、その心は相手に伝わるものです。 彼女の歌は、それを感じます!」が好い。好きな人と別れ、その人がパリに行く。その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、 彼と会わずに帰ってきた。パリのタクシーの中で聞こえてきた歌を、日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。 たしか「恋心」だったが・・一人の誰かを思い浮かべ感情を込めて囁きかけていたようだ。その囁きは全ての人にも通じ、奥深く振動する。 そのナレーターの話を聞いた後に、彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは 「日常の牡蠣の貝殻」が、コビリツイテいるから。 たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間 (魂の入った、感動した時間・・)がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっている。 この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。「感動を子供にシャワーのように浴びせてあげなさい!それが親の一番の努め」 という。大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・それが自分への一番の勤めです。 {BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 − 8月6日(月)BS2 午後7:45〜9:15} (字数の関係でカット 09年08日) ーーーーーーー 2006年08月08日(火) 1953, ローマから日本が見える−22 Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ー読書日記ー 第九章 ローマから日本が見える −2 ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。 カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に 東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスがカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、 生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は 行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は無理と見た土地である。 長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征プランを立てて実行に移してしまった。 そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。 アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 (字数の関係でカット 11年08日) ・・・・・・・ 2005年08月08日(月) 1588, 自民郵政解散の攻防−2 (字数の関係でカット 12年08日) ・・・・・・・・・・ 2004年08月08日(日) 1223, 思い出のメロデー お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、生の番組みの迫力がよい。 今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。 「歌は世につれ」というが、その時代を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。 歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。思い出の歌は魂の故郷である、 お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、 当時流れていた歌が特に懐かしい。そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。 本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、いつもラジオから流行歌が流れていた。 当時の歌を聞くと、感無量になる。それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。 時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。 ・・・・・・・・・ 2003年08月08日(金) 856, 経済評論家ー高橋乗宣の本 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、 日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。 (以下、字数の関係でカット 2008年08月08日) ・・・・・・・・・ 2002年08月08日(木) 481, ある信条 -経営セミナーにて 30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。700人の席の一番前の真ん中に いつも座って聞いていた。この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。 見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。 これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話。 その信条がよかった。「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」を自分に言い聞かせているという。 なるほどな!と思った事を憶えている。ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、 いつもブッスとしている。 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。考えてみれば、自分でもある。 ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。もちろんいるが80パーが合致している、いや90パーか。 実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。しかし、誰もが持っている要素である。だからあれは自分の事ー影と言っている。 先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!。 それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、フットワークの社長、 100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。 ・・・・・・・・ 2001年08月08日(水) [102] 夢について−6 (字数の関係でカット 12年08日)
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2012年08月07日(火)
以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という衣料チェーンにいた時の話。 同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」 の立場上、抜き差しのならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答である。そして自から、その会を潰すことになった。 去年の倒産劇の時も、この問答を思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで頑張るべきかの決断の際に、 この問答を何度も類推し、考えてみた。 ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー ≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。 これはひとりの人間が虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。 王仁三郎が、「裁判長、あなたはどうお考えに なりますか」というと、裁判長は自分は法律家だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法がはじまった。 人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。刃むかっていっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへって くると殺しにくる。どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは食われてはだめだ。 こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 王仁三郎はこの問答で大本事件を語ったのである。裁判長はさすがにうたれるものがあったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。 また、粛然とした空気が法廷に流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答はもうひとつ深い意味を もっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に 死地に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫ ▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。 その過程の裁判での、この虎穴問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と例えることが できる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短の道になる、と考えることができる。事業断念も決意も、 虎を3つの断層=9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災とみなし、その重なりから、 虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。 当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを読んだが、これが面白い。 ・・・・・・・ 3786, ユング −17 2011年08月07日(日) * ユングについての総括 ・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、身についておたこともあり、ユングの理論には 非常に興味をひかれた。ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、そのまま発達すればよかった。 大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、そのセンスが強力だったようだ。 また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいた という記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。 現に幽体離脱のような(夢?)体験をしたのだから、これは信じるしかない。 ユングがフロイトと対立・離別をしてまで、 この方面の研究を続けた内容は侮れない。 ・ ユングが取り上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 奇妙な偶然の一致の不思議さである。 これは多くの人が経験しているはずだが、それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他愛無い話をしている」と心底で感じていた。 しかし人生経験を積み重ねるうちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかったことを知った。 幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ることである。共時性、布置とは少しズレルが・・ ・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。これも個人が持っている、ある能力が何かに 感応した働きだろう。そうこう考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる不思議からみれば、 オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の 親の鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めているからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。 ・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がりである。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に 覗き見ることが可能になったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽はじめると、逆に人間の持つ不思議さが 一つずつ解明されることになる。ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。ネット世界の出現こそカルト? ・・・・・・・ 3421, 日本の幸せ度 2010年08月07日(土) 昨日、ランチを食べていた店の週刊誌に「日本人の幸せ」について、特集をしていた。 といっても、ある本の内容を、そのまま要約した内容、許可を得ているのだろうが・・・ メモを持ってなかったので、頭のメモに書き付けてきた。如何いうわけか、全部スラスラ?と、出てきた。 日本人の幸せー9 * 流動資産一人あたり700万、一世帯1500万、金融・土地など資産2千万が、幸福の飽和点。【これ以上あっても、同じ】 * 幸福度は、学歴に正比例する。 【 中学校、高校、大学の同級・同期会を見ると、歴然としている】 * 女性より男性の方が不幸の割合が高い。 【 家内と私を比較すれば分かること。男は社会の消耗品 】 * 都会は、そうじて幸福である。 【これも残念ながら、本当。新潟市、長岡市は都会かどうか?】 * 幸福の80パーセントが、遺伝する。 【 選択前の最終学歴の同級生の、その後をみると、正比例している】 * 経験・体験は、幸せには左右されない。 【 これは、難しい問題だが? 】 * 世界的にみて、税金の高さは幸せに関係しない。 【高いところほど、豊かだからか?】 * 幸福度は加齢とともに下がっていく。 【 そう、一番幸せだったのは、0〜9歳、20〜29、30〜39、50〜59歳の順】 * 失業の不安は、幸福度に関係してくる。【 】 以上だが、間違いがない。 ▽ その他に、* タバコを吸う人は不幸になる。* 月一度以上、ギャンブルする人は不幸になる。 * 気短、心配性、は不幸な人が多い。 * 社民党は不幸な人が多く、内閣支持者に幸福な人が多い。 この辺が、私の記憶である。よくぞ憶えていたものだが・・・ 幸福論が好きだからだ。 ラッセルは、「幸福な人を特徴づけるのは、まずは人生への熱意であると言う。人や物に敵意をもつようなことをせず、 熱意をもって生きれば、外界への興味も湧き、人生も楽しくなる。 男性も女性もほんものの愛情をもち得る。 家族、家庭での生活も楽しくなりプラスに転じる。」といっている。 前向きの熱意が、この恐慌の中では、どうもこうもである。 ・・・・・・・・ 3046,卒業40年周年か〜 −5 2009年08月07日(金) 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、 その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。 この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。当然、みすぼらしいのは自覚している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、 書き残しておく重要性をつくづく思う。言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が 昨日のように蘇ってくる。現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。 いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をしている。 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。 ー11月19日ー 1968年 2003/11/22 ・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。4時間ばかりして帰っていった。もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。 ・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。 それと大学最後の時が来ているからだろう。 ・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。 ▼ 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。 だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、その眼もある。 一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。 この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。 過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。 死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。今は使用後。という感? 使用後というには早いか? 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。 ・・・・・・・・・ 2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1 2008年08月07日(木) 「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著 -読書日記 この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」 を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。 金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。 まずはーはじめにー の以下の部分から 〜〜 さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか? けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。 恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、 この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。 金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、どうだろう。 これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。 十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。 いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、金融恐慌が 本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で 当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの世界から実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。 いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。普段はヘルメットをかぶって地下二千の鉱山で金を採掘している。 つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。自らリスクを負った経営者として、 現在のこの金融恐慌に向き合っている。いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。 そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。 〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。 ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。 ー金融機関の倒産は、これからが本番 ードルの転落 ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る ー「有事のドル」の伝説崩壊 〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。 ・・・・・・・・ 2007年08月07日(火) 2317, 「朝青龍」問題について オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ〜 ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。 (字数制限のためカット 2010年8月7日) ・・・・・・・ 2006年08月07日(月) 1952, ローマから日本が見える−21 ー読書日記ー 第九章 ローマから日本が見える −1 さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、 共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、 そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。 小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか? ー「リストラの」名人たち ー BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」 に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、 本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、 ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。 ・最初は、王政から共和制への移行です。 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、 以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。 ・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の改革である。 貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。 ・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。 カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。 ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。 ・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った 諸改革は、数えればきりがない。 ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。 ・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、 ・一神教の絶対神を信じるユダヤ教やキリスト教の信者とも違って、ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。 どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を彼らは持ち続けた。 ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で 1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。 −つづく ・・・・・・・ 2005年08月07日(日) 1587, NHK 受信料不払い問題 (字数の関係でカット 09年08月7日) ・・・・・・・・・ 1222, 今まで見たことがないほどのバス 2004年8月7日 長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも観覧席が出来はじめたときいていた。 (字数制限のためカット 2012年8月7日) ・・・・・・・・ 2003年08月07日(木) 855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。中小の経営者の知人が、この本を読んで 目が洗われる思いだったといっていた。潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。 その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。wアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。 中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく 読む価値があると思った。ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが大事であると思えた。 (字数制限のためカット 2011年8月7日) ・・・・・・・・・ 2001年08月07日(火) [101] 倒影ー2 人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」という理屈は子供のときから 分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。 「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け 一人満足をしていた。 (字数制限のためカット 2012年8月7日)
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