堀井On-Line



4066, つれづれに ースポーツジム、その後

2012年05月13日(日)

   * スローヨガ
 このところ、スポーツジムのスローヨガに参加している。連続参加が勘違いで14回で途切れたが、これまで18回参加した。
ヨガのポーズは腰と背骨の矯正に絶好である。大よそ30〜40人が参加しており、火・木曜日の午後の週二日である。
平日の午後、これだけの人数が一同、暗闇の教室でヨガをするのも奇妙な感覚である。慣れるのに7〜8回はかかったが、
慣れてしまえばしめたもの。60×120センチのマットの上で色々のポーズをとるが、ヨガの先生曰く、「ヨガでは、
このシートが全宇宙と思って、自分独りと思って下さい!」  一回、50分だが、あっという間に、時間が過ぎてしまう。
始まると周囲の人が意識から消えてしまうのがよい。 シートの中の自分と先生の世界が、それぞれ出来てしまう。 ところで、
専門のヨガ教室だったら幾ら?と値踏みをしてみたが、一回、千円の価値は充分ある。 週二日、月に6回(二回、休む?)として
6千円になる。 これだけでSJの会費の元が取れることになる。時間帯もあるが、9割が中年女性である。
   * 昨夜は、新潟で飲み会
 何?から一年以上経ち、そろそろ蟄居閉門も明けつつある。とはいえ新潟駅前で事業をしていた手前、会場は敷居が高い地区。
一般債権が無いが、気分的には近寄り難いことは確か。「あの野郎、沼垂で赤ら顔をして飲んでいた」と、言われそうだが・・・
27〜8年前に、月刊雑誌「到知」に惚れ込み、新潟市周辺の愛読者の同好会「木鶏クラブ・新潟支部」を立ち上げた。
私自身は12年ほど前から、会から遠ざかっていたが、現在でも続いているが、有難いことである。最後に行ったのが
一昨年の忘年会、去年は時が時だけに一年の喪?が明けた今回、参加した。その前に、新潟駅構内にある家電のジョーシンと、
ビックカメラに行寄ったが、土曜日もあって客で溢れていた。 長岡と新潟の勢いの差は駅に出るが、あまりに大きい。
泊まろうと思ったが、22時半の最終新幹線で帰ってきた。 昔の仲間との邂逅は良いものだ。
   * 自転車専門大店
 昨日、新潟駅近くのイオン直営の自転車大店に行ってみた。100坪位の店舗にビッシリ自転車が並んでいたが、やはり
電動アシスト自転車が主流。 開店直後で、まだ軌道に乗ってないようだが、時代から見て時間をかければ良くなるはず。
まだ価格帯が10万円あたりだが、4〜5万円が爆発的に売れる分岐点だろう。 店長曰く、「電気代が月に20〜30円」。
一回分なら分かるが、こんなに安いとは知らなかった。電動アシスト自転車に乗って二年半になるが、本当に良いと実感している。
道具一つで、自分の生活圏の広さが全く変わってしまう一事例である。ヨガもそうだが、ポタリングを習慣にしてしまえばよい。
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3700, ジャズについて −1
2011年05月13日(金)
 ジャズ1000曲がパソコンに入ったため、常にBGMとしてジャズを聴こえてくる。これに慣れると、もう無しには
 いられないから不思議。そこで、ジャズとは、そもそも何?と知りたくなって本棚をみると、三枝成彰著「音楽の本」があった。
 そこに丁度、私が知りたいことが、そのまま書いてあった。 面白いものである。
【 「黒人の民族音楽と白人のヨーロッパ音楽とが融合し、その結果、黒人を中心としたブラスバンドから生まれたポピュラーミュージック」
  「遅れて拍子を打つ黒人独特のバック・ビート(四拍子の一拍目、三拍目におくアクセントを二拍目・四拍子目にずらして演奏する)を
 リズムに持ち、即興演奏を生命とする音楽」 ジャズという音楽を簡単に説明すれば、こういうことになるであろう。
 さて、そのジャズは二十世紀の初頭、アメリカ南部の港町ニューオリンズで生まれるのだが、ここは十九世紀はじめにアメリカが
 購入するまで、スペインとフランスが交互に統治していた地域だ。そこには、フランスやスペインの白人と、西アフリカをルーツとする
 奴隷として連れてこられた黒人、そして、その混血である「クレオール」が生活していた。 
 クレオールはおしなべて教育水準が高く、ヨーロッパに留学をしたり、ビジネスで成功するなど、ニューオリンズではエリート層に
 入っていた。ところが南北戦争を受けて奴隷を解放せざるを得なくなった南部白人層の不満は、黒人ばかりかクレオ一ルへも向けられ、
 クレオールも人種差別の対象となる。
  一方、ニューオリンズの黒人たちは、奴隷解放後、主に音楽に仕事を求めた。南北戦争に敗れた南軍軍楽隊の楽器を古道具屋で
 安く手に入れた彼らは、祝祭パレードや葬儀の行進などで演奏するブラスバンドとして活躍。とりわけ、葬儀の際のブラスバンド行進は、
 ニューオリンズ名物として伝説化されている。埋葬へ向かうときには悲しげな曲を、墓地から戻るときには死者の魂が天国に
 迎えられるように明るい曲を。ジャズ史上最も有名な曲の一つである「聖者の行進」は、そんな時代に生まれた曲だ。
  こうしたブラスバンドには、どのグループにも何人かのクレオールがいた。白人社会から締め出された彼らは、同じ被差別層である
 黒人たちと一緒に仕事を始めたのである。音楽の素養があるクレオールは、楽譜の読めない黒人に西洋音楽の技法の手ほどきをする。 
 黒人はアフリカの祖先から脈々と受け継がれている生来のリズム感覚を持っていた。それが融合し、ジャズの生まれる下地が
 できあがったのである。「ニューオリンズ(ディキシーランド)−>スウィングー>ビパップー>クールー>ハード・バップー>フリー」
 これがクラシックの歴史を振り返ると「バロックー>古典ー>ロマンー>近・現代」といった流れで見るように、誕生から
 百年を経過したジャズのスタイルの変遷も、こうした流れで見るのは一般だ。 】
  ▼「ニューオリオンズ」という地域と「黒人」、そして「クレオール」という人種に行き着くのである。
  20世紀の初めの頃、怪しげな下町の酒場で、即興として、古道具屋から安く手にいれた黒人たちがバック・ビートのリズムで始った。  
  あのアルカポネの時代に全米に、それが瞬く間に広がっていった。やはり、その背景を知っているといないとでは・・
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3335, 閑話小題 ーつれづれなるままに
 2010年05月13日(木)
  * ゴールデンウィークの異変と、連休明けの異変
 このゴールデンウィーク、道路も街も賑っていたが、この5〜6年で様変わりをした。10年前までは車の旅行客が夕方になると
殺到していたのが、ピーク3日間でギリギリ満室か9割がやっと。それも高校の剣道大会とバスケットの大会がベースで
一棟埋まっていた上で、これである。不景気もあり消費者が合理的になったのである。 その行動パターンのケースとして
・連休の間に日帰りを二回するとか、一泊で四国まで行って来たとか、高速道路の料金千円をフルに利用するもの。
・東京まで早朝のバス代2500円×往復で5000円で行って来たとか、周辺ではいかに安く済ましたかが話題の中心。
 それがブログやツイッターで話題になれば、直ぐに伝わる。 これも恐慌と情報化の影響である。
ところで毎年の恒例で、連休明けに一時的だが宿泊が減る。さらに6月に入ると二段目の落ち込みになる。
覚悟をしていたが、今回も予測どおりの落ち込みである。 数年前の、このブログにも落ち込みの現象を書いているが、
それが、ますます大きくなっている。 年末年始明けと同じような数字だから恐ろしい限りである。
  * 民主党のおぞましさ
 思わず現政権の官僚の言葉に耳を疑った。一国のトップが外国と約束をした「5月末までの決着」を、
ここにきて「延期」と言い出したからだ。 国際間で、それが通ると思っている無知・幼稚さに、ただただ呆れる。 
これからみても政権末期である。これまた、一年も政権維持が出来ないことになる。これで4人連続である。
鳩山首相も、血筋も知性?も一級だが、やはり政治は阿修羅の世界で一寸先は闇の世界である。 長年かけた
アメリカの実質日本占領下で出来てしまった体質の中では、思い切ったことが出来ない事情もあるが。
  * 「Youtubeが面白い」のに気づく
 息子に「Youtubeが面白いよ」と言われてから一年以上経つが、殆んどみることがなかった。
ところがデジタルビデオカメラを購入しアップをキッカケにして時々見るようになったが、これが面白い。
それより、自分が現実にアップして初めて注目をするのだから、頭が固くなってしまったということ。
特にペットとか、動物の世界の思わぬ出来事の遭遇の映像には驚いてしまう。
これまではTVで、月に一度位でみた衝撃映像が、ここでは幾らでも出てくる。 情報格差も大きくなるわけだ。
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2960,藤を見るかい
 2009年05月13日(水)
 「藤を見るかい」の招待を受けて、昨日の17時過ぎに長岡郊外の友人の別荘に行ってきた。
 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
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2596, 金融鎖国
2008年05月13日(火)
            ー読書日記ー   (朝´∀`){♪Good Morning♪}
「連鎖するドル大暴落」「ドル覇権の崩壊」の二冊を立て続けに読んでショックを受け、
それでは、その著者が以前に書いた本が、何処まで当たっているか見てみようと、
「金融閉鎖」と「日本壊死」を図書館から借りてきた。そして、その7?8割は当たっていた。数年前に本屋で手を取ってみたが、
気になってはいた本であった。読めば読むほど、先行きに対して不安になってくる。やはり、その2008年になったのである。
石油が120ドルという、とてつもない暴騰をし、世界経済が根本からおかしくなり始めたのである。
穀物や油が高騰を続ければ、世界経済は大混乱をするのは時間の問題である。物は売れない、原価は止めの無い高騰。 
企業は成りゆかなくなり、倒産、そして失業者が溢れかえる。資源を狙って隣国同士が戦争とマイナスの連鎖が続くだろう。 
現時点では、金融閉鎖は無いにしても、アメリカのドルの暴落、債権の暴落等で金融鎖国的の事態もありうるというのも肯ける。
悲しいことに日本は、その直撃を受けるのである。
 ー概略をまとめてみたー
「金融鎖国」ー日本経済防衛論 副島 隆彦 (著)
     (字数の関係でカット 09年05月13日)
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2007年05月13日(日)
2231, 男は女のどこを見るべきか      (ヾ(´・ω・`)ノオハヨウ(o´_ _)o)ペコッ
  ー岩月 謙司 (著)  ちくま書房
 「女性は男性のどこを見ているのか」の著者・岩月謙司の女性論である。こういう女性論は探せば幾らでも在りそうだが、
 比較的少ない本である。彼の論によると「男は女をあまり理解していないが、女の方は逆に男と較べると段違いに
 理解していて、理解できないのは、男の強い性衝動位のもの」という。男と女の違いより、共通していることのほうが多いが、
 極限状態のときに本質的な違いが浮かび出るという。雄と雌でしかないのを、割り切ってしまえばよいが、
 割り切れないから面白いドラマがあるのだろう。
ー概略をまとめてみるとー
女性の思考法の特徴を
1、自分の快・不快でものごとの善悪を決める
          ー女性が感じる快は、自然の法則に合っていることが多いが・・。
2、社会的配慮が苦手ー自分を守り、自分を愛してくれる人が一人いれば社会を敵にしてもよい
3、二分法的な発想 ーゼロか100かという二分法の発想
4、数の論理    ー「みんながしている」という数の論理で動いている、それで安心してしまう
このような発想で生きていると、多くの人から愛される人間になり、結果として、
愛を多くため込むことになります。女性は「愛の貯金箱」にたとえる事が出来る。
人を愛するということは、
「人の悦びが我がことのように悦び、悲しみも我がことのように悲しむことです。
人の幸福を願い、不幸を悲しむことです。」
慈悲深い人になるのです。その愛情の大きさは、男の数十倍?数百倍もあるのです。
男とは桁が違うのです。それ故に、素敵な女性は女神であり、慈悲深い天使です。
・男性は理論から感情を構築し、女性は感情から理論を構築する傾向にある。その感情も小さくできており、
 大きな感情を理解できない。大きな感情を持っている人は、小さな感情は理解でたとしても、
 小さな感情の人は大きな感情の人を理解できない。だから始末の悪いことがある。
・気まぐれ(個人的感情)による約束反故は(彼女らにとって)正当な理由になる。
 (字数制限のためカット 2010年5月13日)
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2006年05月13日(土)
1866, 売春合法 ドイツ         おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
一昨日の産経新聞の国際欄の「鼓動2006」で、「売春合法ドイツの実情」の記事が載っていた。
売春業界?のシステムが面白いので取り上げてみる。自慢ではないが、売春婦を買ったことは一度もない! 
当たり前か? 良かったのか悪かったのか? 外食の味も良いのだろうが!
ー記事の概略というと・・   
(字数の関係でカット2008年5月13日)        (* ̄(エ) ̄)ノ  バイ
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2005年05月13日(金)
 151, 人生の敗北者とはどんな人か ー3
人生の敗北者が本当にいるのか? という疑問が生ずる。敗北とは、自分が決めるもので他者の表層を見ての判断ではない。
しかし、「‘プライドと、それに対応した被害妄想’のために、自分の壁になる対象を否定。 それ故に一生を棒に
ふるってしまっている人」を見ると、敗北者と観るのも当然である。 もちろん誰の中にも多くの要素が存在している。
ー彼ら(自分)の心の呟きとは「そうでも思わなくては自分の精神を保つことが出来ない。それと実際のところ、そう思って
ストーリーの構築をしないと自分の正義は成立しない!」「敗北者には、お互いに傷を舐めあう共通精神が必要だ。 
その敗北者の共通根性こそ安らぎになる。我われには共通の敵がいるのだ。その共通の敵は、絶対数が少ないので攻撃をしやすいし、
攻撃することで我われのプライドは満たされている。敗者の惨めさは敗者しか味わったことがなく、この苦しみ、この惨めさは、
勝者には解ろうはずがない」「敗北というが、何を持って敗北と言うのか?決して敗北ではない! 立場が違うのだ!
大体が人が嫌いなのである、アクセクしているより面白おかしく人生を生きた方がよいではないか。
何を一生懸命生きる必要があるのか? 何を学ぶ必要があるのか?悪い奴らを疑い、憎悪するのは当然のこと、
叩かれれば叩き返せばよい。目には目をというではないか。何を奇麗事をいう必要など何処にあるというのか?」
等々と、それぞれの言い訳がある。(はっきり言うと、これは私の内面の声である。だから、スラスラ書けるのだ)
言い訳を先ず考えてから、ものごとに対処しようとするのが共通点にある。対象によって勝者と敗者に分かれる部分がある。
心の中は、この二人の会話の部分がある。だから複雑になってしまう。 でも敗者の方がいつも勝ってしまう。
心は否定の方が勝つ構造になっている。だから知識が必要なのだ。この年齢になって教養の必要性が今更のように解ってくる。
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2004年05月13日(木)
 1136, 「世界がもし100人の村だったらー(2)」
以前この本の(1)を買ったが、この続刊のー(2)が図書館にあった。
目を通すと、?(1)の解説書という内容であったが、さらに考えさせられるものであった。
これは世界の象徴であると同時に、グローバル社会の我々にとって、大きくかかわってくる。
ユダヤ民族が牛耳っているアメリカがいかに世界の富を独占しているか、そして貧富の差が世界を覆っているかが
一目瞭然と解る本ともいえる。イラクのアメリカの侵攻の意味も、この数字を見ながら考えると不気味な感がする。
 ー「世界がもし100人の村だったら」ー(1)の概要を、ず抜粋してみると 
<世界には63億人の人がいますが、もしもそれを 100人の村に縮めるとどうなるのでしょう。>
  ー100人のうち
  52人が女性です  48人が男性です  30人が子どもで 70人が大人です そのうち7人がお年寄りです
  90人が異性愛者で  10人が同性愛者です  70人が有色人種で  30人が白人です
  61人がアジア人です 13人がアフリカ人 13人が南北アメリカ人 12人がヨーロッパ人 あとは南太平洋地域の人です
  33人がキリスト教  19人がイスラム教 13人がヒンドゥー教 6人が仏教を信じています
  5人は、木や石など、すべての自然に霊魂があると信じています
  24人は、ほかのさまざまな宗教を信じているか あるいはなにも信じていません
  17人は中国語をしゃべり 9人は英語 8人はヒンディー語とウルドゥー語を 6人はスペイン語を
  6人はロシア語を 4人はアラビア語をしゃべります これでようやく、村人の半分です
  あとの半分はベンガル語、ポルトガル語 インドネシア語、日本語ドイツ語、フランス語などをしゃべります
     (字数制限のためカット 2010年5月13日)
 『世界がもし100人の村だったら』池田香代子 
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2003年05月13日(火) 
 769,「私が20歳の頃」ー読書日記
 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、
試行錯誤しながら生きていた。このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。こんど「私が20歳の頃」を、
このコーナーで書いてみようと思う。 以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーまえがきと目次と書評ー                新潮文庫
「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
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2002年05月13日(月)
 405, 新潟駅前界隈     ー 駅前の変遷
駅前の変遷をいうと、10年前まではビジネス旅館とミニビジネスホテル、そしてファッションメーカーミニ工場が目に付いた。
 (字数制限のためカット 2012年5月13日)
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2001年05月13日(日)
 図書館通い
毎週土日に1〜2回は必ず図書館にかよっている。大体好きなコーナーの好みの本は読んでしまった。
 (字数制限のためカット 2011年5月13日)


4065, お金と神 ー1

2012年05月12日(土)

   * 「お金=信用」と「神=信仰」は似ている 〜①      ー「お金の執着」が経済を狂わせるー小野善康 より
 お金とは何だろう?と長年考え続けてきたが、お金と神との同定の視点が面白い。両者ともバーチャルの信頼で成り立っている。
 一部の支配者が神の信託に、紙幣の信託の類似性をみて発明したのが金で、両者とも共同幻想の最たるもの。 ーまずは、抜粋から。
≪ お金と神は似ている。一般に、お金とは汚いもの、神とは聖なるものと言われる。いずれも実体のないバーチャルなものなのに、
人びとの行動に大きな影響を与える。適度に使えぱ人々に安心と幸せをもたらすが、行きすぎれば人生を狂わせる。宗教が狂信者を生んで
世界を恐怖に陥れるように、現代におけるお金への強い執着は、人々に購入を控えさせ、不況を生み自分たち自身を失業に追い込んでいる。
 ◎ 宗教とは、リアルな物欲が生む煩悩から逃れるために、人間が頭の中に作ったバーチャルな世界である。
 それはときとしてリアルな物より人間行動に強い影響を与える。純粋にバーチャルな神という概念をそこまで高めるのに、人間は多くの
過程を経てきた。はじめ神は嵐や雷、山や川など、自然物や自然現象と結びつき、それらのリアルな脅威や恵みが、直接の畏敬の対象だった。
その後、徐々に抽象化されていく過程では、多くの装置を必要とした。装置とは、大伽藍であり、宗教画や彫刻であり、神話や経典である。
それらを使って人びとに極楽浄土や天国を信じさせ、信仰に導いた。この段階ではまだ、宝石や黄金、美しい花や天女など、極めて世俗的な
妄想を抱かせている。しかし、宗教の抽象化はこれに留まらい。禅宗に至っては、脳内での世俗的な快楽や美しさへの想像さえ否定する。
すべては無であるという禅宗の経典、般若心経では、直接的な物欲だけでなく物への妄想さえ捨て去ることにより、心の平安を得ようとする。
これによって宗教は完全にリアルから切り離され、バーチャルな観念へと昇華きれる。
 ◎一方、お金はどうか。     ーつづく  ≫
 ▼ お金の亡者は、金を神のように崇める人をいう。 世の中の9割方の問題が金で解決出来る代物なら神様より頼れる紙切れである。
  神が共同幻想なら、それを信じている世界では通用するが、通用しない世界では、紙切れの存在でしかない。信じばこそ、
  そこに価値が出るもの。その価値を生み出すための装置の重積で、妄想から信仰に昇華させていく。資本主義における神こそ、
  お金である。アメリカのドルと国債こそ、神に近い存在であった。それも今や、そのカラクリ(欧米の資本主義)が崩壊しつつある。
 ・・・・・・・
3699, 自己を見つめる −20
2011年05月12日(木)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 * 死について ー①       ーP・283
【 死の壁に突き当たって打ち砕かれ、この世での自己の赤裸々な実存の現実へと跳ね返されて、そこで、みずからの過去を背負い、
あるべき将来を目指し、現在の状況のなかに立って、熟慮し、行為し、人生の道を切り開いていって、自己と他者と世界と存在の
すべての意味ある本質充実を達成すべく格闘して生きるよりほかにないが、それが人間が生きるということである。 それはまた、
人間が生きつつ死ぬということであり、さらには死につつ生きるということである。したがって、この世で生きる自己の存在の根底には、
こうした死の存在論的概念が深く食い入っている。死を抜きにして、自己はなく、人生はなく、この世の生存はない。 
無にさらされたものとしてのこうした人間的自己というその必然的運命の自覚の上に初めて、具体的な医学的現象としての死の諸相も、
位置づけられうる。 自分が、癌で死ぬのか、事故で死ぬのか、成人病の悪化で死ぬのか、老衰によって天寿を全うするのか、
それは誰にも分からない。しかし誰もが、この世に生まれてきた以上は、医学的な具体化を伴って出現する死に早晩さらされることを自覚し、
自己の無化を心得つつ、終わりある自己の人生を深く銘記し、心の奥底でその覚悟を整え、その孤独な最期を密かに見つめながら、
いままさにこの世のさまざまな営為に携わって生存の努力を重ねているのである。 こうした意味で、明るい現実の根底には、穴が穿たれ、
虚無の風が吹き上げていると言ってよい。 そこには、暗い無の深淵が、底なしの無気味さを湛えながら広がっている。
自己の存在の根底には、無が潜んでいる。考えてみれば、自己がこの世に存在する以前に、元来、自己は、どこにもなく、無であった。 
いま、自己は現世のなかの活動に浸って、一見確固たる実在感を覚えている。しかし、無常のこの世は、うたかたのように過ぎてゆき、
再び自己は、存在の無のなかに沈み込む。 無としての存在の大海のなかに、ひととき浮かび上がって、浮き草のように漂い、
必死にもがいて、確固たる存在を築きえたかに思った自己存在は、やがてまた、無の大海に呑み込まれてゆく。 
ハイデッガーが言ったように、死は、無の枢である。そこには、人間には窺い知れない存在の秘密が隠されているとも言える。
誰もその奥を覗き込んだ者はいない。 さりながら、かつて、エジプトのザイスの神殿に、帳で隠された女神が祀られていたが、
その帳を取り除けることに成功したある人物がそこに見たものは、不思議なことに、当の自分自身だったという。
へーゲルやノヴァーリスが語るこの意味深い言い伝えに従えば、存在の深淵を覗き込んで見出されるものは、実は、当の自分自身である。
・・・その意味でも、死を含んだ、無としての存在が、人間の真実であり、それ以外にどこにも存在の真理はないと言わねばならない。】
 ▼ 最後の章は死である。死は、ドーナツの穴と類推すると、面白い。穴はあって、ない。ドーナツの形状が穴を形づくっている。
 永六輔が「色即是空の色がドーナツで、真ん中の穴が、空」といみじくも言っていたが、人間存在を色とすると、自己の存在の根底に
 潜みこんでいる死は、その穴のようなもの。ドーナツを食べてしまえば、その穴も無くなってしまう。
 また、ハイデッガーの「死は、無の柩」も考えさせられる。無など元もとないのに、それを敢えて柩という著者のセンスが面白い。
 ・・・・・・・
3334, 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」
 2010年05月12日(水)
  ー「知の衰退」からいかに脱出するか?    ー 大前研一 (著) ー7
   * 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」
 ー まずは、その要点部分を抜粋し考えて見る ー (P 230)
≪ 今の若い世代から40代、50代の世代に至るまで、情報収集・管理・活用が下手になった。
これは「○×式教育」の弊害である。答えはあらかじめ用意されている、しかもそれは「○か」「×か」という世界で育つと、
そもそも答えを探すところからわからなくなっている。 手探りで失敗を繰り返しながら答えを導き出すという習慣がない。
そして、よしんば答えを得たとしても、それが正解であるか間違いであるか検証する方法もしらないのである。
 だから、初めから「新聞やテレビの情報は正しいものだ」という前提で、そこにある情報を収集し、それを覚え込もうとする。
これが間違いである。 こんなことをすると、昨日の夕食に何を食べたか思い出せないように、情報は体外にそのままストンと
流れ出て終わりである。 なぜ、体内に残らないのかと言えば、それは、本当に自分の血となり肉となる情報でないばかりか、
せっかく取り入れた情報でも自分で加工しようとしないからだ。 情報といいうものは、加工しないことにはなんの価値も
生み出さない。 いくら収集しても放置してしまえば、そこから何も生まれない。 従って、手に入れた一時情報の意味を考え、
時に疑い、ストックした情報と照らし合わせて、栄誉のある情報だけを吸収して自分の中に取り込み、あとは捨てる・・・
  ≪字数制限のためカット 2012年5月12日≫
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2959,閑話小題
2009年05月12日(火)
 * 金メダルを取れる人
「金メダルを取る人は、トップレベルの才能のある人は逆に取れない」という。トップレベルの人を目標に背中を追っていた
「三番手、四番手の人」の方が、努力をするからである。一番手の才能の人は、そのこと自体の有難さが分からないから努力を
しなくなり、こぼれていく。その重なりの中で、結果として金メダルの道を歩くことになる。必死に努力した方は、その努力に
愛情を持っているから、心の芯になってしまう。ここに金メダルと、途中で挫折する才能のある人の差が出る。
何か亀とウサギの御伽話のようだが、人生の深い示唆があるような話である。 二代目が大成しないのと同じか!
 * 物語をつくる
毎日、随想日記を書き続けて、あと40日ほどで3千回になる。随想日記も考てみれば「小さな物語」である。 
物語とは、テーマの設定と筋書きつくり。文章作法の起承転結という筋書きの中で、味付けをしなければならない。
その上に魂を込めない限り読むものの魂に響いてはこない。そうそう毎日、魂を込めるのも並大抵ではない。
一年ごとに見つめる自分の目も怖い。しかし一度、物語にしてしまえば、記憶パッケージ化したことになり、
魂の記憶として長期間残ることになる。
 * エーゲ海クルーズと吉田類の酒場放浪記
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫
・・・・・・・・・
2595, 閑話小題
 2008年05月12日(月)
 * シティーバンクが41兆円の資産売却の意味すること
ニュースでシティーバンクが総資産の2割にあたる41兆円を売却すると報じていた。ということは、サブプライムローンで
同額位の損失をしたと考えてよいだろう。それが、世界全体の10~20%と見ても200~400兆円の損失と考えても
不思議ではない。シティだからこそ、それを売却して支える力があるから良いが、殆どの金融機関が無理だろう。
  ≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫
・・・・・・・・・
2007年05月12日(土)
2230, 人生張っています                ー読書日記
  それでは特に凄いウンコ話を抜粋してみた。オカマのマツコとの対談は、あまりにも凄いので掲載はひかえる。
  「ニラを面倒なので、切らずに煮て食べた、そして・・・」 オカマでなければ言えない話である。
  誰も長い人生で危機一髪か、近い経験をしているはず。 ただ言うか言わないかだが、
  それを楽しんで話すところが異常? それを薄ら笑いを浮かべて読んでいるのも似たようなもの。
  ある明治維新の立役者が、電車の開通の式典の後に乗った時に便意をもよおしシルクハットの中に急遽・・
  の逸話がある。「あのバカ野郎!」は、アメリカでは「ファック、ユー!」だが、
  日本は「クソたれ!」。それだけ日本人は、隠したがる恥になっている。
   *******
サイバラ:ウンコ漏らした?
 うさぎ:私がね。自分ちの玄関で。玄関までは、何とか我慢したんだけど。
サイバラ:ああ、そういう時は玄関なんか見ると、括約筋が開きますよね。
 うさぎ:開きますねェ~。全開してでしてねぇ。
サイバラ:全部出た?
 うさぎ:もぅ?、ボタボタと滝のように。しかも白のベルェサーチのワンピースを着てまして。
サイバラ:オオー、いい感じだ。
 うさぎ:夏物で、初めて着たんですが、捨てました。夫はビックリしたみたいで、
     猫と部屋に閉じこもっていました。 後始末は自分でしました。
サイバラ:私は片づけてあげたけどな。
 うさぎ:そうなんだ、鴨ちゃんがウンコもらしたんだ。
サイバラ:コンビニで買い物をしている時に、急に変な歩き方になって。
    満月の夜でさ。「フェー、かーちゃん、ウンコ漏らした」って泣きが入って。
   「真夜中のカウボーイ」みたいになって。スェットはいててその下から、ボトボトって。これがまたぶっといの。
    しょうがないから、コンビニの袋でウンコ拾ってあげて。泣いてる亭主の背中を撫ぜてやって、
   「何時までこの坂は続くのやら」と自分で自分に言って。
    ーーーー
  斉藤綾子:そうだ、知り合いの知り合いなんだけど、すごいウンコ話があるの。
うさぎ:(身を乗り出して)はい!
  綾子:首都高乗っていたら強烈な便意をもようして、どこかには入れるまで待てないって。窓開けてケツ出してやったって。
うさぎ:おおーっ!(拍手)
  綾子:すごいでしょ?歴代ウンコ話では一番と思って。
うさぎ:男ですか?
  綾子:女です。
うさぎ:ほほーう。
  綾子:何人か乗っていて、「悪いけど、ちょっとウンコするって」と言って。
うさぎ:外から見ると、窓から尻が出ているわけですね。風にちぎれて水平に流れていくウンコですね。
  綾子:後ろの車のフロントにパンッとかね。事故が起きたかどうかわからないけど!
    ーーー
解)そういえば数年前TVで、マグロ釣りをしていた梅宮辰夫が、もようして船尾で尻を海に突き出して???、
その直前まで写していたが・・・。先日のこと、ウォーキングの土手で便秘の犬が凄い格好で何をしていた。
   その若い女性の飼い主が、その姿に真っ赤な顔をしていた。
 ・・・・・・・・
 2006年05月12日(金)
1865, グーグル Google   (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ
            ー読書日記
この本の重要な要約部分がこの章に詰まっているので、さらに破壊戦略の意味を書き写してみる。
ーー
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー4
さらに、驚くべきものが「グーグルブックサーチ」で、2004年にそのサービスをスタートさせている。
これは書籍の全文が検索でき、世の中の全ての書籍がグーグルから検索できるようにすることを目指している。
≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫
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2005年05月12日(木)
 1500, 人生の敗北者とはどんな人か?-2
私の周辺でも、「人生の敗北者」の要素の強い人が何人かいる。「自分は純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽう、
自分以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちと信じて疑わない」という考え方の人である。「『無知』を起因としている」
と考えざるを得ないが、心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。
(字数の関係でカット09年05月12日)
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2004年05月12日(水)
1135、「ライフ・レッスン」?13
 ー遊びのレッスン
 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。何のために働くのかと問われれば、
遊ぶために働いてますと真から答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事をじゅうぶんできるために
遊ぶのです、と答えることが理想といえる。 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。遊びでなくては絶対に千回も書くことは無理。 
散歩も私にとって、最大の遊びである。初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。歩いて楽しいのだ。
 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり無心で遊んでいた時であろう。
それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」
と思い立つ。好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に
楽しむものである。 売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。
・面白くて、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、
何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。 ひとり取り残された時間でも、
気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。
 ー以前書いた文章ー 
ー遊びについてー
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。まずその達人を事例で考えてみる。
一番身近では母がそのプロ?であった。戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。
亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。 それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを
遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって亡くなった。日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。
父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。子供のころ誰もが、
毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。競争に打ち勝たなくてはならない。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫
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2003年05月12日(月)
 768, 規制緩和
 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。たまたまホテル業界は全くの規制がない世界。
その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく
装置産業といってよい性格がある。そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。小売業をみてみると、
過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月12日≫
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2002年05月12日(日)
 404, 結婚と離婚ー3
 ー夫婦というもの-
人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。
「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。
あと息子も殺してしまった。夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。 一時の熱で、一生後悔の人生を
過ごさなくてはならないのは、悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。それが解ってたら誰も結婚をしないから、
「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。
といって一生の連れ添いは必要である。やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。特に離婚した人や死に別れを
した人を見ていると、そう感じる。やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。しみじみ感じる
年頃になってきたということか!「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。いい言葉だ。


4064, 思想とは

2012年05月11日(金)

                   ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
   * その人の思想とは一つの行為である
 ≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
    心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
    ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
    今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
    他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
    掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
    子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
    それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たものでなければ、
    けっして心に達するものではない。       (ゲーテ「ファウスト」)
  そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。
  この人物には思想がある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、そのように生きる、その生き方の
  言葉や行動にあらわれたもの、ということになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値するのだ。
  そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
 ≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
  口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、
  そんなふうに言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、というのである。なぜなら、ひとは自分が
  しんから正しいと考えたこと(それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの全存在を賭けてそれを言うのであり、
  それが周囲に認められ、あるいは否認されることで、己というものを知るのだから。≫
 ▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、
  その場で文章化して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッターチャンスを待つが、その間、頭の中で、
  その場の光景の実感を文章化しているという。写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。 思想とは、真実、
  良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。
  読書日記より、書くネタがなく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと言われるゆえんである。
   ・・・・・・・
3698, 自己を見つめる −19
2011年05月11日(水)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  人生は、難しい。老いの時期に、それまで生きてきた過程で問題処理を誤って置き去りにしてきた過去が吹き出てくる。
 これは万人に言えることだが、肉体の衰弱と、精神の衰弱が、それに加速させていく。特に、現在、これまでの家制度が崩壊、
 老後は、親子が支えあうシステムは消えようとしている。その中にあって、自分(の世界)を長年かけて作っておくしかない。
 しかし、「こんなはずではなかった、まさか!」が、人生である。 誰の身にも形を変えて、突然現れ出る。 
  * 老いについて ー③    ーP272
【 こうして不動の英知を得た、落ち着いた老年は、死を覚悟しながら、自分なりの人生のまとめを試み、知恵を磨いて、認識を深め、
 哲学的知性を研ぎ澄ます恰好の時期となる。 キケロが言ったように、無分別は青春につきものであり、反対に、分別こそは、老熟に
伴ってようやく熟成する。 およそ、知性を錬磨して、労作や仕事に励む老年には、老化は寄りつかないのである。老年になって恵まれた
晴耕雨読の田園生活こそは、人間に幸福をもたらす。自然のなかで草木を慈しみ、書籍を読んで知性を鍛える田園生活は、人間に精神の
安らぎを叶えさせる。あらかじめ美徳善行の想い出を蓄えることに努力を傾注して、精神的に満ち足りた円熟した老年にとっては、こうして、
時きたってこの世を去るのは望ましいことである。自然の摂理に従い、生命に定められた限界に従って、従容と死に赴くのは、
人の使命だからである。 セネカの説いたように自然の定めに従い、それに即して自己を形成することが、何よりも大切であろう。
心身を健全に保ち、見識を蓄え、運命の贈り物は活用しながら、しかしその奴隷にはならずに、乱されない自由な心と剛毅な精神において、
不屈の力をもって、公正に生き、道義を守り、克己心強く、高潔に、そして調和をもって優美に、善行に励むことのうちに、人生態度の
基本が据え置かれねばならないと、セネカは捉えた。 人間は、老境においてこそ、いよいよ、こうした人間のあり方に熟慮を傾けて、
人生の実りを念頭に置きながら、自己自身に相応しい生き方の拡充努め、最期の時に、備えなければならないであろう。】
 ▼ 長生きはしたいが、老醜は曝したくない。この溝が老年の大問題になる。他人のドブ沼は垣間見ることはできても、自分になると! 
 「生まれ活き、老い、その結果、長く生きている分、多くの病を経験して、最期は死んでいく。これが人生。」
 そう、綺麗には人生を終わることはできようがない。事業も同じ。綺麗に引きたいは妄想。これからが、本番、長い日々が待っている。
 清く、正しく、美しい人生もあるのだろうが?? これほど詰まらない人生もないだろう。 それは私の偏見か?
 ・・・・・・・
3333, 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
2010年05月11日(火)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著)  ー6
* 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
 ここで小選挙区制度の欠陥を大前はシビアに指摘をしている ーそれをダイジェストに、まとめてみたー
≪ 2005年9月に「郵政選挙」で自民党は歴史的大勝を果たし、2007年7月では「年金選挙」で自民党は大敗し、
民主党が大勝した。そして去年の9月には衆院選挙でも、自民党は惨敗をきした。 2005年の郵政選挙は、
「郵政民営化に」賛成か、反対かの二者択一の選挙であった。年金選挙は、国民は民主党に勝たせたいという訳でなく、
年金の不祥事に自民党に「ノー」を突きつけた選挙。これも二者択一の選挙であった。 この二つの選挙で言えるのは、
争点が単純化できれば選挙は勝てることを証明した。さらに言えば、「国民は複雑なことは考えられない。
単純なことしか通用しない」ことが、二つの選挙で証明されてしまった。その時点で、郵政3事業はその歴史的役割を終え
廃止すべきであった。 道路公団も整理・廃止すべきものであった。小泉元首相は、歴史にも逆らったことをやり国民のための
ものでなかった。 改革と称し、その政策をほぼ官僚に丸投げし、つぶすべきである道路公団や郵政を生きながらえさせたのだから、
ほとんど詐欺。しかし国民詐欺行為を国民は認識していない。現在の日本国民は「〇」と「×」の標識の間を漂流しているに過ぎない。 
標識の間を漂流しながら、本当の答えは求めてもいないし、求める方法も知らない。 さらに、求めるための正しい質問もしていない。
これが日本国民の「知の衰退」の実態である。≫
▼ 現在の民主党政権の政策を国民が支持したのではない。 あくまで、自民党の長期政権にノーを突きつけただけ。
 しかし連立の社民党や民主党内の隠れ元社会党の輩が、この時とばかりに時代遅れの社会主義政策を本気にやりだしたから、
 とんでもない事態になっている。 これこそ、○×の標識の間を政策が国民と共に漂流している姿である。
 それでは自民党に政権を戻せば、間違いなく土建屋的利権を復活してくることは目に見えている。
 国家衰退は、全てがマイナスに働く。 どう立て直すのか、当分の間は迷走するしかないのか。
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2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4
2009年05月11日(月)  
 * 時たま見かける恐ろしいオナゴ
 アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetc..見かけた「離れオバサン」。
「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。 群れから少し離れて一匹で居る「離れ水牛」で、
人間やジープを見ると見境なく襲ってくる凶暴な奴。 現地人が一番、恐れている水牛である。 一人参加か、時に二人参加だが、
その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、
他人の話は一切聞こうとしない。もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。 その恐ろしいこと。兎に角、その毒は強烈である。
独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・・
 独りの強さ、弱さを知り尽くしているから、どうもこうもならない。 「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、
何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。 親分肌の50代後半の独身オバサンは、毒の塊。10年は経つが、
今でも忘れることができない。老いた母親がいて婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。
アフリカ専門ツアーの代理店に申し込みの電話をした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」
(えっ参加するの!)の意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。 面白い旅行には何かにマイナスがある。
旅行をしていると、その人の人生の一端をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。
人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 《貧すれば鈍する》ということ。
《鈍すれば貧する》も真実。 《鈍》は何とか努力で克服できるが? どうも、そうでもなさそう? 結局、オヤジと同じで、
「我慢の人生を生きている」からである。「でも、多かれ少なかれ人は我慢の人生を過ごしているんじゃないか?」 
もちろんお釈迦様が看破したとおり、四苦八苦の娑婆の中で過ごすのが人生である。但し、努力や知識で少なくすることが可能。
それが教養ということ? 何か教養が足りない人生を過ごしてきたようだが?? オヤジ度と、オバサン度の高いのは、大嫌いなだけ。
「ちょっと!離れオバサンなど、アフリカなど行かなくても何処にもいるよ!」 そうか・・。アフリカにぴったりなだけ!
・・・・・・・
2594, 最高の人生の見つけかた
2008年05月11日(日)
 昨日、「最高の人生の見つけ方」という映画を観てきた。期待した通りの内容で、「それ以上でも以下でもない」
というのが感想。死を宣告された末期がんの最後の死に様を軽妙に扱っているところが良い。
   ーまずは、その内容を主観的にまとめるとー
 ーーガン末期の病室で知り合った70歳位の二人が、人生の最後の‘やりたいことリスト’を紙に書いているうちに、
   意気投合して、それに基づき、残りの人生を生き生きと駆け抜けるストーリーである。
一人は
 ・哲学的、思索的でクイズ番組が大好き人間。
 ・頭が良いが、妻が妊娠した為にやむなく学者志望を諦めて自動車整備工になった人。
 ・妻一筋。浮気など無縁で、自分より家族を優先する。
いま一人は
 ・理論より行動の実践型で、仕事が趣味で一代で千億円という財産を作った。
 ・プレイボーイ。結婚も3回したが、今はひとり。何より自分優先。
この対極にいる2人が同じ境遇で病院の同室に入ったことから物語は始る。そして、その対極のある二人が、互い補完をしあって
人生の最後を過ごす。原題は「棺おけリスト」。 棺おけに入る前に、やりたいことを書き出す。
真面目な前者のリストの一部は「荘厳な景色を見る。 赤の他人に親切にする。 涙が出るほど笑う」
大金持ちのリストは「スカイダイビングをする。 ライオン狩りをする。世界一の美女にキスをする」などなど。
最近は、かなり際どいドキュメントがあるので、より軽いタッチの内容にホッとした。
▼ 「棺おけリスト」という言葉がよい。20歳前後に作っておいたほうが良いだろうが、差し迫らないと直視しないことである。 
哲学は、その根本問題から問いを立てている。社会的な成功や達成など、「やりたいことリスト」の達成から見れば
些細なことでしかない、という事実を軽く表現しているところが良い。 それは人生の余白を埋めるリストでもある。
死は、この137憶光年の宇宙空間の外にでること。 本人にとっては消え去る、なぞというほど甘くはない。
生まれる前のことなどと気休めを考えても仕方が無い。同じようなことだが? 私の墓には 「死んでしまえば、それまでよ」
と書くつもりである??  父親の口癖だった言葉だ。まあ、このHPも墓のようなものだが。
・・・・・・・・・
2007年05月11日(金)
2229, 人生張っています ー2
 (σ・з・)σオハYO!!
   『人生張ってます』  ー読書日記
 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
≪以下字数制限のためカット2010年5月11日≫
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2006年05月11日(木)
1864, グーグル Google -4    ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
                       ー読書日記ー
 第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー3
そんな中、グーグルがサン・マイクロシステムズと提携した。この提携が注目されたのは、サンが「オープンオフィス」
という無料のオフィスソフトを開発していたからだ。マイクロソフトと対抗し続けてきたサンは6年もかけて、これを開発続けており、
完成度もナカナカのものだったが、一般の普及には失敗していた。マイクロソフトの牙城を突きくずすことはできなかったのである。
マイクロソフトが3^5万したものが、無料でも突き崩せないということは、いかにマイクロソフト社の市場制覇力が強いかだ。
しかしサンがグーグルと手を組むとなると話は違ってくる。その強力なAjaxをつかってオープンソフトを改造すれば、
そしてネット上で気楽に使えるようになれば良い・・と、人々は期待した。しかし実際の発表の場では、その話は出なかった。
ここにきてマイクロソフトも、危なくなってきたのである。
マイクロソフトはウィンドウズにオフィスソフト付けてを高値で売って、膨大の利益を上げてきた。
それに対してグーグルは、すべてのサービスを無料で提供し、マイクロを駆逐しようと躍起になっている。
 ー「グーグルネット計画」ー
グーグルは2005年10月に、米サンフランシスコ全域に無料の無線インターネット接続を提供する計画を発表をした。
   ≪以下字数制限のためカット2012年5月11日≫
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2005年05月11日(水)
 1499, 人生の敗北者とはどんな人か ー1
「人生の敗北者とはどんな人か?」という項目が、ある本にあった。読んでいてドキッとする内容で、誰かに?
ピッタリ当てはまるから恐ろしい。知人の?0?は当てはまる?(但し、このHPを見ている人にはいないが?)
しかし他人事ではない、自分の影の一部分でもある。 自分の中にも?0?か、存在している。だから面白い内容なのだが。
 ーその一部を抜粋してみるー
人生という戦いのなかで敗北をつづけている人たちは、とても容易に他人の誤った行いを攻撃します。
彼らは、周囲の人たちのずるい行いや裏切りがなかったら、自分は素晴らしい成功を収めていたはずだ、大金持ちになっていたはずだ、
大きな名声を収めていたはずだ、などと考えて、それを自分のみならず、他人にも信じさせようとして、ヤッキになっています。
彼らは、自分がどんなに騙されてきたか、利用されてきたか、評判を落とされてきたかということを、いつも口にしています。
彼らに言わせると、彼らは純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽうで、彼ら以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちです。 
彼らは言います。「もし僕が、他の人たちと同じように身勝手であったならば、どんなに繁栄し、どんなに大きな名誉を手に入れたことか。
僕の人生が思い通りに行かないのは僕が善良すぎたからだ」 人生の敗北者とは、人間の本質を宇宙の善性に対する信頼を完全に
失っている人たち。彼らは、他人を見るときは悪いものを見るための目しかもちません。いっぽう、彼らが自分のなかに見るのは、
苦悩する清らかさのみです。彼らは、自分のなかで悪いものを見る意思は全くありません。彼らにとって、悪いのは常に他人なのです。
彼らの心の中で、卑劣な悪魔を人生の統治者の地位に祭りあげ、外側の世界でくり広げられている「身勝手な奪い合い」にばかり
目が奪われています。その世界では、善はつねに押しつぶされて、悪ばかりが勝利を収めているのです。
彼らは、彼ら自身のおろかな行為や無知、弱さなどには全く目を向けません。
          ≪以下字数制限のためカット2011年5月11日≫
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2004年05月11日(火)
 1134, 「空間歩行」
・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、
本部に一年通った。創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。合気道でも柔道でも、基本は受身である。
≪以下字数制限のためカット2011年5月11日≫
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2003年05月11日(日)
 767, 不動産屋と喩え
 不動産屋は情報産業そのものである。暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。
強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、このテーマとは関係ないが。
財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、
住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。この不動産業業者に特性がそれぞれある。
 野球のバッターに喩えると解りやすい。ホームランバッタ?、ヒットバッター、
バンドバッター、ピンチヒッターとかそれぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4~5億の手数料が入る。
 しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
≪以下字数制限のためカット2012年5月11日≫
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2002年05月11日(土
結婚と離婚ー2  ー夫婦というもの
 お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。
それを考えると結婚が上手くいく確立が50?というのも肯ける。 その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、
どうにもならない状態に陥ってしまう。夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。
これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、自分のない部分を相手に求めるからだ。
上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと逆に全く性格の不一致になってしまう。
家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。
そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。
40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。人類最大の課題である。
・・・・・・・・・・
2001年05月11日(金)
 連休あけの顧客動向
≪以下字数制限のためカット2010年5月11日≫


4063, 本当は怖い抗うつ剤 ー2

2012年05月10日(木)

   * うつ病になったら、どうしたらいいのか。      { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
  倒産の惨劇を身近で見ていたので、二年間は落ち込むのは避けられないと判断。 最小にするためスポーツジム通いと、
 打ち込める対象を加えることを考えた。一つ間違えると欝に伴う暴発か、破滅になっていく。それがiPadとシネマと
 蔵書の再読と、世界の潮流の鳥瞰などを、逆に徹底的に楽しむことであった。それと、中村天風の「積極一貫」の思想書を、
 身近に置いて何度も何度も読み返した。二年にまだ一年あるが、一息ついた後半の方が危ないのかもしれない。
 その私が予防策でとった方法がそのまま、治療法として研究されていた。運動と、考え方、受け止め方をプラスにすることだ。
≪ うつ病の治療法として確立しているのが「運動」である。体を動かすことが精神によい影響を与えることは様々な研究で示されている。
 第二は「ものの考え方」である。私たちは競争社会に生きている。競争とは相手に勝つことを目的とする。もし負ければ落伍者になる。
 一度敗北すると、将来がないように思うのだ。さらに大事なことは、どのような分野にあっても自分より勝れた人がいるという事実である。
 例えば野球にイチローがいて、ゴルフには石川遼がいるのと同じようなものだ。努力は大事だが、自分が及ぼないからといって
 自分を責めていたら人は決して心の幸せは得られない。・・・堀口大學は自身の『座右の銘』という詩で「暮らしは分が大事です。
 気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外のものは傷つけぬ」と詠んでいる。自分以外とは社会的ランクのことである。
 今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならないのだ。禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さない
 ことをもって最も尊いとする。といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、必ずその思いは消えると、
 禅では教えている。 実際に、どのような思いも5秒で消える。・・・ ≫
 ▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方がないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。
  全ては二年で落ち着くし、目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない布団の中での苦悩の嵐は、
  訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPodを枕元に置いている。 最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。
・・・・・・・
3697, 自己を見つめる −18
2011年05月10日(火)
         「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  * 老いについて ー②    〜P270
【 ショーペンハウアーが言ったように、そうした老年の実りが熟するためには、まず何よりも、人は、健康と生計の維持に、早くから
留意して、みずからの人生設計を築き上げる努力を怠ってはならない。生計もままならない病気がちの老年は悲惨の一語に尽きるからである。 
そうではなしに、比較的健康に恵まれ、また、なにほどかの金銭を蓄えた老年は、少なくとも社会生活全体の安寧が保たれた条件下では、
むしろ静かで、平穏な人生の実りの時期になるであろうと、ショーペンハゥアーとともに人は言うことができるかもしれない。 
生の本能の激しい渇望も静まり、社会的責務もいちおう果たし終えた、比較的自由な老年は、自己を振り返り、世界を見つめ、
知性の働きを純化させて、洞察と実りを結びうる最良の時期だと、たしかに言えるであろう。
 しかし、そのためには、人生に対する過剰な期待や野心に惑乱された、思い込みの激しい混乱した想念から解き放たれて、
冷静にこの世の営為をその真相において見つめる知恵の魂が熟成してこねぽならない。ショーペンハウアーが言ったように、
人生の表側だけでなく、裏側もすっかりよく眼のなかに入った老境においてこそ、初めて、人生の虚妄と空しさが会得され、
所詮はいかなる人生も五十歩百歩であるという事態が得心されてくる。 そうした人生の有限性への徹底した悟りが、老境の
平静さを築く基底とならねぼならない。実際、誰しも、老年とともに、そうした悲愁にみちた諦念を学び取るものであろう。
 老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと気づかないうちに自分に忍び寄ってきて、
自分を支配するに至ったことを理解する。 自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
老年になってからである。 老境に至って、ようやく、自分の歩いてきた人生が、その意味と射程において、誇張も、卑下もなく、
ありのままに見つめられ、自己の人生の限界と特性、その意味と無意味とが、過不足なく凝視される萌芽が生い育ってくる。
この世の中の名誉や名声や栄誉などが当てにならず、他者の身勝手な憶測に依存した評価に過ぎないことも、すべて見抜かれている。】
 ▼ 新潟で事業を事業を立ち上げた時、近隣の土地のオーナーの老人に建築確認の判を貰うため交渉をしたときに、心底、驚いた。
 自分の優位の立場を利用して、自分の人生の鬱憤を晴らしている姿が老醜そのものに思えた。これは沼垂界隈の特性と当時は思ったが、
最近分かったのは、実は老人全般が持っている性癖ということである。内面を見つめる力のない人は、その鬱憤を外に向けるしかない。
それを長年かけて培ってきたため、心の底には、怒りと憤りが底なしの泥沼のように深く蓄積され毒ガスのように湧き出ている。
そのガスの対象を次々と探し出し、他虐、そして自虐として爆発を始める。それが老醜である。 老年は、その道を一歩ずつ
歩いていると割り切った方が良い。そうすると、長生きは、ほどほどということになる。 それにしても老醜という奴は、である。
 ・・・・・・
3332, 全然人種が違う「携帯世代」
2010年05月10日(月)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー 大前研一 (著)  ー5
 * 全然人種が違う「携帯世代」
 この7〜8年で、ブログと携帯電話が、我われの生活を激変させたといってよい。携帯電話とブログが、これだけの機能を持つとは
驚異的といえば驚異的である。さらに、ミニブログのツイッターと、iPadなどが爆発的普及を始めようとしている。
第二次大戦後の電話とTVの普及から始った情報革命がデジタル化などで、人類そのもののあり方を変え始めた。
情報端末によって、その世代の性格、能力まで既定をするほどになっている。で、次は携帯電話世代である。
 ー まずは、その部分を抜粋してみる ー
 ゲーム・キッズに続く世代が、この章の冒頭で述べた、いわゆる「ケイタイ世代」である。この「ケータイ世代」は、
これまでの日本人とは、また全然人種が違う。 この世代の特徴をひとことで言えば、彼らは私たちの見えないもの、
私たちの見ていないようななものを空想できるカは持っているが、まったく無欲だということである。 
たとえば彼らは「モバオク」や「モバゲータウン」を平気で信頼して、モノを売り買いしたコミニティを形成したりしている。 
これは上の世代からすると、ある意味信じられないことだ。 ここまでサイバー空間を無条件に受け入れることは、おそらく、
私たちにはできない。 10年前に携帯電話が普及し始めたころ、誰が、ここまで携帯が進化し、私たちの日常生活に入り込むと
考えただろうか? それが、いまやメール、ネットアクセス、テレビ視聴、ゲーム、写真、動画の撮影や交換、スケジュール管理、
ショッピング、切符予約・購入、決済など、全てがケータイで済む時代になった。 前記した「モパオク」だが、
これは2004年にディー・エヌ・エーが立ち上げた携帯電話からのオークションサイトで、売りたいものをケータイで撮り、
DenAのサイトに送るシステムである。現在では1日1600万のべージビューがあると言い、その利用者の6割以上が女性という。
また、その後導入されたケータイゲームサイト「モバゲータウン」は1日2億ページビューがあるというから驚く。 
忘れてはならないのは、この携帯文化は日本特有のものということである。外国は、せいぜいチケットやメールくらいである。
 〜〜
 さらに、これが進化してパソコン機能まで付いたモバイル携帯電話に変化を始めてきた。それと兄弟的機能を持った
iPadが次の主役になるのは間違いない。現在の5〜10歳の子供たちは、ツイッター・iPad世代と、
後々になっていわれるだろう。 「情報機器からみる世代分類」というテーマを立つ。それは、後のテーマにする。
  いずれにしても、別世界が出来てしまったのである。
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2957、世界はパンデミックに入ったのか!
 2009年05月10日(日)
新型インフルエンザの拡大が、警戒「5」に入ったが、近々に最悪の「6」が宣言される可能性が出てきた。
今のところ鳥インフルエンザのような猛毒ではないが、世界中に拡大していく中で猛毒に進む可能性が大。
 ≪字数制限のためカット 2011年5月10日≫
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2593, 閑話小題
2008年05月10日(土)
*地元スーパーの社長の死
地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと新聞で報じていた。40数年前にセトモノ屋をしていたが、先代と供にスーパーを立ち上げ、
一部上場までもっていった。20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。享年73歳。チェーン理論を教える「ペガサスクラブ」のセミナーで
よく、顔を見かけていた。30年ほど前に会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が残っている。
スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした先代の父親と、衣料品の仕入れ先とか、産地とかを聞きにきたと
父から聞いたことがある。 ・・・私には関係ないことだが。 何時も人様が亡くなると思うことだが、仕事の質量より、どれだけ
人生を楽しんだかを推し量る。 あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。 
しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して多くを学び、楽しむことを加えれば99%の価値がある。他人様の死は、
そのことを自戒させてくれる。弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業する辺りを狙って追い出したのは驚いた。
その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。
その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 
≪字数制限のためカット 2011年5月10日≫
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2007年05月10日(木)
2228, 「多財布」家計
     ヾ(?o?o)ノ 【ぉはょぅ?】
 先日の日経新聞に、「総働き家族」“富山にはなぜか富がある!?”という記事があった。(日経新聞07.05.04朝刊1面)
ーまず、その記事を要約すると、
 *日本一豊かな家計の秘密は「総働き家族」の風土と環境・・
   ▼「平均月収」71万円=日本一      ▼「消費支出」40万円=全国二位
   ▼「こづかい月額」4万5千円=日本一   ▼「平均預貯金残高」569万円=全国七位
  その秘密は一家の「多財布」という。 (*'-'*)ヾ(*'-'*)ヾ(*'-'*)ハ
女性の常用雇用率は全国一位の66%で、全世帯の6割近くが共働き。 日本では家計に占める世帯主収入の割合が82%だが、
富山では62%。配偶者や他の世帯員の収入が異常に大きい「多財布」家計になっている。富山の女性は働くのが 当たり前で、
家にいると『体が弱い』と思われる。子供は姑が見て、働けば旅行など楽しみも増えるという考え方。
富山は三世代同居が世帯の2割もいる。日本型家族制度という昔ながらの伝統が、逆に女性の社会進出を支えている。
化学や金属加工など産業が盛んなことも女性が働く風土を育てている。富山市は昨年「運転免許証を返上すれば2万円給付」
という制度を始めた。対象は65歳以上だが、市が高齢者と若者の住まいの交換を仲介する。
高齢者は車が必要な郊外の一軒家を出て中心市街地に引っ越し、空いた家は子育て世帯に貸す。所得に応じ月1万円の補助も出す。
 ▼ 以上のことからみて、県民性が堅実な働き者家族で、これからの日本の家庭のモデルともいえよう。
私の知人に夫婦で都合、年収1600万の人がいる。長男で家を継いでいるので家賃やローンもないので、
非常に豊かそうだ。 下手をすると、本社の重役より豊かな生活を送っているようだ。
以前、ある知人から「サラリーマンの三ランク」を聞いたことがある。
・家持ちの人(親から家を受け継いでいる人)で、妻がキャリアの収入の多い人か資産家娘で、二つの条件が揃っている人。
・二番目は、そのどちらかの一つの条件の人。
・最後は、いずれもない人という。その知人は三番目だが、「奥さんが少し稼いでいて良い方だ」と言っていた。
    一番目でも、その分、奥さんが威張っていて家では頭が上がらないし、
    三番目でも奥さんがシッカリしていれば、それなりの生活もできる。
    二つが揃っていても、旦那に問題があれば、全てを失うケースもある。
    兄姉が7人もいて、従兄弟も40人もいるので、色いろなケース見ている。
    金が全てではないが、一朝一夕で収入源の確保や資産形成は出来ない。
    外国並みに日本もなっていくしかないのだろう。子供の頃、『共働き』という言葉があったが、
    今はそれが当たり前になったためか、死語になったようだ。    ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю
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2006年05月10日(水)
1863, グーグル Google -3    +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ 
              
第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー2      ー 読書日記
 ーグーグルニュースの凄い意味ー
以下、字数の関係でカット2,008年05月10日)    バイ♪(ノ´∀`*)ノ
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2005年05月10日(火)
1498, 男と女ー4
携帯電話とかパソコンで気楽に?意思交換ができるようになると、以前のようなワクワクするようなイメージが
お互いに湧かなくなる時代である。それでも性の違いによる違いに驚く。大本教の出口王仁三郎の書に面白い話が載っていた。
もう35年前になるが鮮明に憶えている。ーまず初めに女性を自分好みに美しく創られた。神様は非常に女性に優しかった。 
女性は、毎日幸せに暮らしていた。鳥は女性の美しさを称え鳴いていた。 蛇は女性の身体を快楽に満たしていた。
たくましい生き物が自分を守っていてくれた。猿は果物を木から取って持ってきてくれていた。ある日、その女は何か
満たされないものを感じた。そしてあることを思いついた。「この動物たちの全てを一つにした自分のような生き物を創ってください」
と、神に頼んだ。 そして、神は男を創ったのである。
▼ 以上である。だから本質的に女性は威張っているのだ。我侭で、かつ神様に男より愛されている生き物である。そうとも思わないと、
彼女らとは上手くはやってはいけない。ある本に偉大な女たちの一言が載っていた。女こその言葉を、多く見ることができた。
  ー偉大な女達の一言ー
 人を導くことはできる。しかしそれは、彼らが望むところまでであって、あなたが望むところまでではない。
                    ージャネット・ランキン(アメリカ下院議員・1880?1973年)
    ≪字数制限のためカット 2010年5月10日≫
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2004年05月10日(月)
1133, 中坊公平氏の「後輩に与える言葉」
正義感から強引に詐欺的な債権を取り立てて、逮捕直前までなって消えていった、
弁護士の中坊公平氏は誰がみても真っ当な正義の人であった。
 その彼の「後輩に与える言葉」が素晴らしい。
一、正面の理  二、側面の情  三、背後の恐怖
 ≪字数制限のためカット 2011年5月10日≫
ーーーーー
2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」ー9
ー恐れのレッスン
秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、
すばらしさが直感できたからこそ、恐れを乗り越えることができた。 初めてアフリカに行った時、10年のベテラン
女性ツアーコンダクターも不安で、震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。インドの時も、タンザニアの時も、
南米の時も、恐怖感の山であった。しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは
無知からの妄想でしかないことが判る。今では、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。恐れのプラス面は、万一に備えて、
こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。 未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。
いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ! 人間ができることはそれしかない。積極とは、極みを積むことである。
極みは、自分の限界のラインにたつことである。積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、
こころを上からみる魂の視点になる。
  (--以下は字数の関係でカット)
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2003年05月10日(土)
766, いまスナックでおきていること
 いま人気の店は、とにかく安い店である。
・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。
・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。
・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、きめ細かく回している。大体基本が、このパターンである。
  ≪字数制限のためカット 2012年5月10日≫
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2002年05月10日(金)
402,結婚と離婚
現在離婚は4組に一組という。家庭内離婚も半分?はその状態という。そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、
五分五分ということになる。厳しいことだ。やはりこの世は不幸で満ちているのか? そうとも思えないが。
私達はまあ上手くいっているうちだ?。そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。旅はカスガイの部分があるが。
旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。
私の場合の結婚生活で守っている事は
・お互いある一線を越えないこと。(浅くて広い川があるー溝ができようがない)
・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。
・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。
・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。
・美点凝視。
スナックのママなどは、離婚経験者が多い。みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。
知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、
孤独地獄に落ちてしまうらしい。あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。
考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。でも乗り越えなければならない難題である。
ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」 相性の悪いのもどうしようもない事だが。
・・・・・・・
2001年05月10日(木)
お勧めホームページサイト
 字数の関係上カットしてます。


4062, 本当は怖い抗うつ剤 ー1

2012年05月09日(水)

 数ヶ月前に抗うつ剤(ハッピードラッグ)の恐ろしさについて書いたが、ある雑誌に浜松医科大元教授の抗うつ剤からの脱却の
レポートがあった。 親戚・縁者にも鬱病に苦しんでいる人を多くいる。青年期に何度か挫折体験をしたが、宗教系や精神論の本で、
独りで克服してきた。 去年の挫折?は、早朝のミニ・サイクリングとスポーツジム通いで運動量を増やし、毒が溜まらないようして
乗り越えた。iPadにエネルギーを集中したことと、シネマ通いも効果があった。 また身近な縁者の倒産劇を手助けしたことで、
情報を得ていたこともある。 節目は可能な限り綺麗に?を、心がけたことも毒を最小にしたようだ。 私の知人に気楽に精神科の
通院を勧めたが、大丈夫だろうか。 抗うつ剤が多く使われ出した頃から、自殺者が激増し始めた統計がある。 要はドラッグ患者に
仕立てられているのでは? という疑問が出ていた矢先の、医学者の実体験の内容である。 恐ろしい限りである。
  ー 大まかにまとめると ー          { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
≪ 厚生労省は2013年から、今まで4大疾病として扱われてきた、脳卒中、急性心筋梗塞、がん、糖尿病に精神疾患を加えることを決定した。
 厚労省が08年に実施した調査によると、精神疾患の患者は323万人と糖尿病の患者数237万人を上回っている。 自殺者の数は13年運続で
3万人を越えている。 私たち家族は米国における9年の生活を切り上げて、1975年に浜松に帰ってきた。子どもたちは日本語を話せず、
家族ともども激しいカルチャーショックを経験した。それは強度のうつ状態を引き起こした。 その時の体験は、『本当に「うつ」が治った
マニュアル』に書いた。 薬は便わなかったが1年後に、私が言霊療法と呼んでいる言葉を使い考えを変える方法と、坐禅で劇的に
うつから脱却できた。その後30年くらい何の問題もなかったが、70歳のころ、何度か海外出張後に時差ボケが治らず、医師に相談すると、
睡眠薬と抗うつ剤パキルスを処方された。 最初は眠れたが次第に寝付が悪くなり、これは睡眠薬の依存かと思って中断したところ、
ひどい不安と不眠を体験した。パキシルで不安が解消されたので、自分がうつ病になり、パキシルが効いたのかなと不安になった。 
しばらくしてパキシルを中断すると、再度不安と不眠に襲われた。そのころ、欧米でパキシルの離脱症状(車酔いのような気持ち悪さ、
顔の発汗、血の気を引いたような症状)が問題になっていたので、抗うつ剤から逃れようと、二週間薬なしで済ませた。
自分は病気でないと繰り返して、何とか頑張った。 抗鬱剤は効果より副作用の方が大きいのではないかと、疑問が生じたのである。 
実際には抗うつ剤の効果はブラシポ効果(暗示)が多いこと、抗うつ剤を一度服用してしまったら、止めるのが至難である。・・≫ 
 ▼ 抗うつ剤の恐ろしさは、それは麻薬そのものであること。 一度、依存をしてしまうと、切れると禁断症状が起こることだ。
  そして服用をしているうちに段々、強い抗うつ剤でないと効果がなくなる麻薬の禁断症状と同じである。 初めは、気楽に
  医者の処方薬を飲んでいるうちに麻薬中毒になってしまうことだ。 薬のため、精神のバランスを崩した男をみたことがある。
  狂ったような怒り方は、狂人そのもの。長年積み重なった鬱憤が麻薬で爆発するから、知らない人は、呆然となる!  ーつづく
  ・・・・・・・
3696, 閑話小題 
2011年05月09日(月)
   * ジャズ、1000曲
 私の知人がジャズマニアのSE。 先日、パソコンの不具合をみてもらった折、「自分の持っているジャズが1万曲あるが、
そのうち1000曲をあげるよ」と言われた。そして先日、その記憶媒体を通して私のパソコンに入力をしてもらった。
その結果、私の書斎コーナーのパソコンと、それに伴ないiPodには、一挙にジャズが1千曲が加わった。
先日、事務所から引き上げてきたステレオをパソコンと繋いでiTunesで聴けるようにしたため、部屋はジャズ喫茶のようにBGMが
常に流れる空間になっている。 ジャズなど知らない私でも、自分の好みのリズムのジャズを選んで聴いている。それが、読書や、
この随想日記の下書きをするBGMに非常によい。 自分の居場所を昔から作るのが好きだったが・・ 
本人は、ネットラジオと図書館の貸し出しのCDからコピーした曲というが、フリーの時代は、こういうことである。
  * 問題は高速道路と新幹線が引っかかるため?・・
 政府が、汚染地域を拡大出来ないのは、広げると高速道路、次に新幹線の福島駅に引っかかるためではないか?と言われている。
もしアメリカの基準の80キロにしたら、新幹線と高速道路が不通になり、東北六県が大打撃になりかねない。
この原発事故の今後を考えると暗澹たる気持ちになる。海水汚染と、それに伴なう雨などで関東圏も、やられる可能性も充分にある。
それほど、この事故の根は浅くない。既に関東圏の不動産の暴落の噂が週刊誌などで騒がれ初めてきた。もちろん、地元の新潟県も
影響してくるだろうに。放射能測定器が6万から8万円で売られていて、飛ぶように売れているというが・・・
 ・・・・・・・
2010年05月09日(日)
3331、「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがあるが・・
 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー4
   *「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがある
 ーまずは、「ゲーム・キッズ世代」の部分からー   Pー262
「少年ジャンプ世代」に続くのが「ゲーム・キッズ世代」である。「任天堂キッズ」「プレステキッズ」と言ってもいい。…
ただし、このゲーム・キッズというのは、その世代の主流ではない。「少年ジャンプ」に熱中するよりはゲームに熱中した世代
ということでこう命名しただけだ。 この世代の先端は、すでに三十代半ばになろうとしている。この「ゲーム・キッズ世代」は
私が見たところ、「少年ジャンプ世代」よりはマシである。ゲーム・キッズ世代は子供のころから、ロールプレイングゲームを
やってきた世代だけに、とにかく、何かをしてやろうという挑戦するメンタリティをもっている。ロールプレイングモデルの
いいところは、少なくとも勇気を持って「新しいドアを開ける」「未知の世界に通じる洞窟に入る」などの選択をしなければ、
物語が進まないことである。とはいえ、この世代は粘りがない。ゲームの展開が思わしくなくなるとすぐに、‘ゲームオーバー’
させたくなる、つまり「オールクリアーしたい」と思ってしまうのだ。・・・・ この世代で活躍している人間を見ると、たとえば
アメリカやインドに負けないIT人材が輩出されている。彼らは日本のゲーム産業をつくった世代であり、「ウェブ2・0」の適応力は
この世代が一番高い。彼らはネットの世界を通じて世界観を確立、これを本格的に利用した初めての世代である。
したがって、現在のサイバー社会に対する感覚は、世界でもトップクラスである。これは自明のことで、たとえば、ここで30歳と
45歳を比べてみれば一目瞭然である。30歳の多くは、12歳ごろからパソコンを始めているから、パソコン歴は15年以上になる。 
つまり、人生の半分以上を、パソコンといっしょに暮らしてきた。一方の45歳は、30歳ぐらいでようやくパソコンを始め、メールを
使い始めたのがここ7、8年。 ワードでの文書作成やネット検索などを経て、最近4、5年でようやくエクセルやパワーポイントを
使えるようになったレベルだ。この両者のどちらが、いまのビジネス社会に対応できるだろうか? こう考えてみると、いまや若い
人間が年上の人間の「先輩」になる下克上の時代であることがわかる。 IT化によって古いスキルは廃れ、どんどん新しい
スキルが必要とされている。
▼ それぞれの年代別の特徴が入りこんでいるから複雑だが、漫画からゲーム・キッド、そしてパソコン、携帯と、IT化が、
それぞれの世代の性格を微妙に変えている。この次の世代が携帯である。それは次回になるが、ここでは、まだ書いてないが、
ブログ、ツイッター世代、そしてiPad世代という括りも出てくるはずだ。
 ・・・・・・・・
2956,マッピングする視点
 2009年05月09日(土)
ある本に「マップする視点」という言葉があった。グーグル・アースが出来てから
《誰もが何時でも、宇宙からの写真を気楽に見ることが可能になった。》気楽にマッピング出来るのである。
「秘境ツアーにはまって世界中を憑かれたように何ゆえに行ったのか」というと、ストレスの発散であった。
軽い痴呆症の母と同居して、ストレス発散をしないと家庭が壊れるという危機感を持ち、家内と年に2〜3度、
秘境旅行に行くことで何とか乗り越えることが出来た。 自分の存在を異質空間に移動して実感として
マッピングすることで、その時点の「今、ここ、自分」を括弧にいれ、旅行のストレスと相殺することだった。
遠くから「極限に近いストレス」の生活を眺めることによって乗り越えようとしていたのだ。
アフリカや南米の遠くからマッピングする視点を、自分たちの支えにしていたのである。
 これが空間的なマッピング体験である。
▼ 次に哲学に凝ったのである。初めは「ソフィー世界」など軽い哲学史から始めた。同時に哲学書入門。
学生時代には体験が少ないため、さっぱり解らなかったことも、経験の積み重ねで解ることが多いのが哲学である。
  ≪字数制限のためカット 2012年5月9日≫
・・・・・・・
2592, 日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!
2008年05月09日(金)
 文芸春秋の4月号に、「日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!」とあった。当り前と思っていた日本の健康保険が進んでいる
事実を初めて知った。年間33兆円に上る国民医療費は、対GDP比でみるとOPEC30ヶ国中21位と高くない。
しかし、その質的レベルからみると世界に誇れるシステム。
それぞれの国によって、多くの規制があり、日本のように彼方此方の医者に気楽に行けないという。
 ーまずは、その部分を書き写してみたー
 医療技術、たとえばがん治療は世界でも最高の水準を誇っている。しかし一方で、納得できる治療を受けられずに
複数の病院を渡り歩く「がん難民」もあふれている。06年に近藤正晃ジェームス東京大学特任准教授らが、
がん患者1168人に対して行ったアンケート調査の結果、「治療説明時に不満、または治療方針決定時に
不納得を感じたがん患者」が53?を占めた。これを日本のがん患者128万人にあてはめれば、68万人が
「納得できる治療を受けていない」ということになる。保険証一枚あれば、いつでも、どこでも、誰もが平等に
医療を受けられる「フリーアクセス」を、日本の患者は当たり前に享受しているが、これはどこの国にでもあるものではない。
1961年に始まったこの目本の「国民皆保険」は、じつは世界に冠たる医療制度なのである。
  ≪字数制限のためカット 2011年5月9日≫
・・・・・・・・・
2007年05月09日(水)
2227, 人生張っています ー1 
      (*´・ω・)ノおはよー         ー 読書日記                   
「中村うさぎ」については、もういい加減にしろ!と思いながら、図書館で見つけると、つい借りてしまう。
エゲツナイ!の一言である。「人生張っています」は露悪という言葉など、はるかに超えている。
「無頼の女たち」5人と語った対談は、互いの最悪を引き出したエログロものである。
こういう話は、世間様の枠から遥かに出ていて中途半端なお笑いより面白い!
花井愛子、岩井志麻子、マツコ・デラックス、西原理恵子とくれば「たしなみ」など、ありえるわけがない。
「はみだし者」の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女が普通人の「常識」と違う「異世界」
の話を展開している。 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫
・・・・・・・・・
2006年05月09日(火)
1862, グーグル Google -2  ε(´',_c')オハヨウ!       ー読書日記
8年前に設立した小さなベンチャーが、彼らが持っていた新しい検索エンジンのテクノロジーが卓越していたため、瞬く間に
15兆6千億の株式時価総額になってしまった。2004年の株式公開時には、500億円が一年足らずで300倍になったというから
驚異というしかない。しかし、その実体を知れば何も不思議でないことではないことが解る。この検索エンジンのお陰で、
地方の零細企業が再生し、彼らに新たな顧客と以前の数倍の売り上げを与えようとしている。この本は、その実体を
解りやすく書いてある。グーグルによって、地方と中央はかき混ぜられ、全く新しい産業構造が生まれようとしている。
 ーそこで先ずは、第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」の概略をまとめてみる。
   (以下、字数の関係でカット2,008年05月09日)       ー  つづく  バイ♪(ノ´∀`*)ノ     
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 2005年05月09日(月)
1497, いま・現在についてー5
  ー「私の」生成ー
[どうせ死んでしまう] の読書日記に戻る。
この著書の中のー[私の]の生成ーという内容の意味と、[いま]を重ねて考えると、面白い。
  ーその一部を抜粋してみるー
「この」身体や[この]心の状態を[私の]身体や[私の]心の状態に変形させるのはいったい何であろうか。[いま]周辺を見回してもらいたい。
そこには[私]は登場はしていない。そこに認められるのは[この]身体の状態であり、[この]心の状態である。
それは[私]の身体の状態・心の状態ではない。だが、一時間前の光景を思い出してもらいたい。それを見ていたのは誰か。
それは、いまこの光景を見ているものである。この光景を見ている者がさっきあの光景を見ていたものである。現在と過去という互いに
否定的な関係がここに登場する。世界は過去と現在に炸裂する。そして、同時にそこに[私]がこの炸裂を繋ぐものとして登場してくるのである。
「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない) 川を眺め終わって帰る時に想起したときに
初めて登場してくる。痛みですら、現在と過去との炸裂で了解される。
 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫
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2004年05月09日(日)
1132, 「ライフレッスン」ー 12
  ー 幸福のレッスン
 不幸論なら書けるが、幸福論となると何か書きつらいものだ。幸せ感なんて一時の気分でしかないと思ってしまうからだ。
といって幸せを意識して求めてないと、その時間を知らないうちに過ごしてしまう。また、せっかくの幸せを得る機会を
失ってしまうことも事実である。ハッピーはハプニングが語源という。偶然におきた中に幸福を見出すセンスをいうのだ。
良い偶然を得たことを喜ぶ気持ちと感謝である。考えてみたら、生まれてきたことも、いまあることも偶然?
後にある抜粋の一番初めの「幸せを私たちは、不自然と感じ、それに値しないと思い込むように子供の頃から洗脳されている」
のかもしれない。しかし幸せ感を得ようとするなら、少しの訓練があれば、誰でも可能である。
心の底から「ありがとう」と言えているときが幸せなのである。 幸せの格言の中にも多くの幸せに対する示唆がある。
「幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。」
という萩原朔太郎の言葉が真髄をついている。それは、訓練でも可能になるのだ。いま私が実行していることは、
マイナスの気持ちや言葉が出てきたとき、自動スイッチとして「ありがとう」という言葉を繰りかえしていうことにしている。
お陰で「ありがとう」という言葉を繰り返しいうことになってしまった。知人に万年欝の人がいるが、過去の生涯の嫌なことだけを
記憶している人である。よく記憶していると感心するくらい憶えているのだ。むしろ不幸にいることが、自分の存在意義で
あるようにさえ思える。やはり基礎的な知識を持ってないからであろう。それだけ深い心の傷をためこんでいるいるのだろう。
「愚人は終夜睡眠し、昼間は交際を楽しむ。いったい、苦悩を消滅するのは何時のことか」という言葉もあるが。
  ー抜粋ー「ライフ・レッスン」
・幸福は人間の自然の状態なのだが、わたしたちは不幸な状態に安住するように訓練されている。わたしたちは幸福になれてないのだ。
せっかく幸福の状態にあるのに、それを不自然と感じ、それに値しない人間とおもってしまう。だからこそ、幸福の状態をいいことだと
感じる訓練や幸福になる為の訓練が必要になる。
  ≪字数制限のためカット 2011年5月9日≫
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2003年05月09日(金)
765, 流砂の民
いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。
なるほど、そうなる可能性が大である。孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。
つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。今までの共産党は、むしろ中国の発展にプラスに働いた。
ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道をたどるのではないかという指摘は的をえている。
いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。
あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。恐ろしいことである。
昨日のニュースでWHOが死亡率が7?から14?5?に修正した。65歳以上だと50?という。
子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。
ホテルなど誰が泊まっているか解らない。もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死?倒産である。
スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。本当に恐ろしい時代になった。
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2002年05月09日(木)
 401, 腰痛
昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、腰痛になってしまった。 母が腰痛もちで、
よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。腰の骨が本当に左右にずれるのである。 
その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。大体が季節の変わり目に出る。その対策として15年前から散歩を始めたが、
今は腰痛対策というより、精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。
人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。何かあったら歩くのが一番自然だ。 腰痛は猿が人間に進化する過程で、
腰に不自然な力がかかるようになった。その結果、人類共通の持病になってしまった。歩行がその対策によいことは15年続けての実績で解る。
しかし完治はしない。腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。(母の対策を見て知ったことだが)
それで4~5日で直るからだ。医者には一度もかかったことはない。あとは腰痛と仲良くしていくしかない。


4061, 我事に於て後悔せず

2012年05月08日(火)

   * 我事に於て後悔せず。  宮本武蔵「五輪書』より    ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
 この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。
 後悔するのは腐った?のような人物がするもの。 ー 以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。
≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。小林秀雄は「わが事に於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、
「その日その日が自己批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。別な道が吃度あるのだ、
自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。 後悔などといふお目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を
武蔵は語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。 自分の過去の行動についてあとから、あれは間違っていた、
などとそのたびに後悔するようでは、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことはできぬ、というのだ。 
小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いたかったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる・・・
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロだと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」
 これぞ言葉の中の言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくはほかに知らない。 武蔵の箴言は
 いささか道学者くさいが、ここには自己であることの純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたっている言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。公爵夫人の性格には二つの特徴があった。
 彼女は一度欲したことはあくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。
 あとで冷静に返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己にたいする忠誠とはかくのごときものであるかと
 若い日に讃嘆させられて以来、これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、ぼくを導いてきた小説の
 主人公ではないか、とバカにしてはいけない。    ≫ 
▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人と思いがちだが、実は無私の人である。
 彼は無私に徹しなければ物事は成就しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。 そこで自分を押し殺し、
 己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているからだ。  後悔は、実践の中では後々、害になることもである。
・・・・・・・
3695, 自己を見つめる −17
2011年05月08日(日)            「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 還暦もとうに過ぎ、更に65歳になったとたん、事業は、これ。 それは本格的な老いへの第一歩を踏み込んだ現象だろう。
歳には勝てない現実が誰にも待っている。それに対し抵抗を諦め、従うしかない。それが老いと著者はいう。
そして、それが恵まれた状態で向えようが、悲惨な状態であろうが、直ぐにやってくる死を前にすれば、誰も彼も大して
変わらないことは、今更言うまでもない。それぞれの年齢の老いの景色は変わっていくが、殺風景になっていく経験も
辛いものがある。 しかし、それでも、生きているだけでも有り難いと思えるうちは良いが。
  * 老いについて ー①    −P262
【 老いは、端的に言って、心身の変化や不調、障害や不全、病気や悩、生計の面での困難や窮迫、人間関係における亀裂や別離、
忘恩や裏切り、さらには長年の人生遍歴における事故や災害、対立や紛争などの側面の出現といった、ありとあらゆる不幸な事態の
顕在化という姿を取って、人生の暗い側面を表す顛末の様相を帯びながら迫ってくる傾向が強い。もちろん、明るく幸せな老年という
ものも存在するであろう。 けれども、老いは、もともと死の予感とも結びついて、悲惨な様相の影を本質的に内在させている。
老いは、総じて、誰もがそこから眼を背けたがる暗黒の象徴を含むものとして受け取られる面を含んだ現象であることは否定する
ことができない。 実際、ショーペンハウアーも指摘したように、年を取って、生計に困り、病気がちとなったら、その人の晩年が
暗いものとなるのは必定である。したがって、誰もが、早くから、その点に留意して、自分を守る必要がある。 しかし、いくら
用意周到を心掛けても、予測しえない出来事の起きるのが人生である。 老いと高齢化の行く手は、誰にも予測することができない。
むろん、老いとともに円熟する人生というものも考えられる。しかし、人間は、受肉した自分自身を、自分自身の思いどおりに、
させたり、若返らせたり、あるいは好きな姿で老化させたり、終わらせたりすることはできない。 自己の自然的かつ社会的な
存在のうちには、自分の思いどおりにならないもの、いわば自己の根源的受動性が潜んでいる。自己は、自己を越えた宿命の定め
委ねられた側面を、その根底に抱えている。 いかに自発性に富み、能動的で、いわゆる勝ち気で、理性的な人といえども、
自分の老化と死を、自分の思いのままに支配することはできない。 人は、老化と死の歩みを停止させることはできない。
それどころか、老化し、瀕死の身となった自分自身を自己は、自分で処置することもできず、そこでは自己の能力の限界に突き当たる。】
▼ 定年などを切欠に職を終える時期に、人は、老いの段階に入ったと認識させられる。特に定年制は、まだ活力のある逸材を含めて、
一律に世の中から排除する一種の姥捨てとして、世代交代の作用にもなる。姥捨ても見方の一つだが、現実には山中で悲観にくれる
のも辛い。 二人称である親族、知人などの最期を傍でみていても、壮絶である。そこに向かって一日一日が歩みだした自覚を
持ったとき、本当の老いが始るのである。 起承転結でなく、起承転々というが、これが難しいはず。老いと向き合う時期に入ったか。
 ・・・・・・
3330, スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
2010年05月08日(土)
 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −3
   * スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
 いまの日本を語る上で、以下のように著者独自の観点で世代を分けている。
≪ 偏差値の次に指摘するのが「少年ジャンプ世代」である。この世代は「偏差値世代」より、さらに考えることが出来ない世代。
 彼らが育った1980年代後半は、「少年ジャンプ」が部数的に大飛躍した時代で、1990年に入ると、実に600万冊以上も売れた。
 その「少年ジャンプ」で描かれるのは、編集方針である「努力・友情・勝利」という、3つの要素の入った物語。
 この3つの要素で1つの物語が完結をする。 しかし、その物語というのは、‘近くのラーメン屋の娘と仲良くなれたらラッキー’
 というふうな世界である。 勝利は社会的な勝利ではなく、極めて身近な勝利である。小さな夢と身近な友だち、そして幸せ。 
 それもいいが、言い換えれば、「非常な内向き」ということになる。 このような、外向きでない人間たちがいまの日本の
 働き盛りの中核を占めている。 これは憂うべきことで、日本だけの閉じられた世界ではグローバルは立ち行かなくなる。
 少年ジャンプの世界は、最後は勝利である。 そこには、ものを考える余地がなくなっている。 2000年代に入ると、
 その少年ジャンプが部数低落に歯止がきかなくなってしまった。主人公が努力している姿を見ても面白くなくなったなど、
 色いろ分析されている。 この世代に続くのが、「ゲーム・キッズ世代」である。 ≫ 
▼ 以上が要旨だが、国が衰退するときは、頭と尻尾から腐ってくる。 それにしても幼稚である。草食系は、アメリカと、
 その手下の自民党、社会党、そして官僚の長期政策の結果だったのである。
 ここで思い切った政策の変更を根底から変えなければならない時期に来ているが、果たして可能かどうか。
 ・・・・・・・・・
2955, マネーはなぜ暴走したのか?
2009年05月08日(金)
 * アタリの経済危機を考える 
NHKの連休の二日間のジャック・アタリのインタビューの内容が考えさせられた。
 二時間近い内容を、頭に残っているまま思い切って要約すると、
《 この経済危機の大きな要素は、ベルリンの壁の崩壊である。これは人類3千年かけて望んできた
(自由)と(個人)を最終的に獲得した画期的な大事件。その結果として、まずは経済のグローバル化が始った。
 それが市場原理主義と情報化がマッチして世界の流れになってしまった。
 しかし、それには絶対的なルールが必要であったが、アメリカの金融関係の連中が自分の利益を追求するあまり、
 ルールのできる前に金融工学とかいう美名を楯に世界中に得体の知れない金融債権をばら撒いてしまい、
 再起不能なほどの金融危機を起こしてしまった。
 その結果、今後10年、20年、30年と、大きな津波が押し寄せることとなった。
 第一の波は、アメリカ一極支配体制の崩壊(アメリカは、一極支配は捨てても、決して弱体化はしない。内向きになるだけ)
 第ニの波は、多極支配体制への移行
 第三の波は、グローバルな超帝国の波 ー市場そのものが帝国化して、国単位では規制不可能になる
 第四の波は、超紛争の波 ーあらゆる武器が開発され、誰もコントロール不能になる
 第五の波は、超民主主義の波 ー人々は利他主義に気づいて、その力が加速して結果として、プラスの流れが出る。
       アイデアは他人に与えても減るものではなく、むしろプラスの相乗効果が出てくる。
 世界の人は、自家用のヘリコプターを持っていても誰も賞賛しないが、持っている者を惜しみなく人に与える人を
 賞賛するようになる。それこそ、人類が求めていたもので、合理的利他主義という。 紛争や、移動の簡易さで、
 ノマドといわれる遊牧の民が増えていく。 ノマドにも三種類あって、?超ノマド=世界中を気楽に何処にでもいける人、
 ー下層ノマド ーバーチャルノマド=誰もがなれるが存在してくる。 第一から第四の波は、多くの痛みが出てくるが、
 その結果として、第五の超民主主義が出てくるというのが、 楽観的といえば楽観的だが、それはインターネットが
 大きな役割を果たすことになるだろう。 こうして要約すると、この流れは当然起こって然るべきことと納得できる。
 流れの背景は、やはり世界の人は「自由」と「個人」という言葉を獲得したのである。
 その最も有効に働いたのが、インターネット、携帯電話である。これは、どんな権力者も阻止できない流れとなってしまった。
・・・・・・・・・
2591, 日本壊死
 2008年05月08日(木)
三年前なら、読み過ごしたが、サブプライムローン問題が大きく露出した現在では、この本の内容は決して
絵空ごとには思えない内容である。特に、ここにきて日本がアメリカの属国とう著者の論は、的を得ている。
彼の主張していることは、彼からすれば当たり前のことで、誰も現実を直視しようとしないだけなのか。
安部前首相、福田首相の姿を見ると、数年後の修羅場が目に見えるようである。
「日本壊死」ー新しき人目覚めよ   船井 幸雄, 副島 隆彦 (著)
ー 表紙裏の説明文
アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、1ドル60円時代の到来、ユーロの台頭、借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、
財務省の重罪、預金封鎖と老人税の導入、行革が進まないワケ、脱米入亜の可能性、次世代国家を作る新しい人たちの登場
 …日本が歩むべき道を徹底討論。
 *面白そうな部分を抜粋してみた。
ー副島隆彦
・「米国債400兆円を買わされ、さらに毎年30兆円分買おうとしている日本」
  (字数の関係でカット11年05月08日)
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2007年05月08日(火)
 2226, いい男とは? ー2             (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァヨウ♪
この本「女は男のどこを見ているのか」で一番面白く印象に残ったのが、次の一節である。
 ≪字数制限のため、カット2010年5月8日≫
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2006年05月08日(月)
1861, グーグル Google            おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
「グーグル Google」 文藝春秋  著者 佐々木俊尚   ー読書日記
  (字数の関係でカット09年05月08日)
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2005年05月08日(日)
1496, いま・現在について?4
 「記憶のない男」ーDVDレンタル
レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。
 ー知らない街に仕事を捜しに来て、暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー
それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。過去が記憶喪失で失われた場合、その人の「いま」は無いに等しい。
ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって
埋めようとする主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。動物に[私]はない。
それは想起ができないからである。もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。
青年時代の日記を偶然倉庫で発見。それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、
現在の「いま」との重なりが見えてくる。そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。それは現在が過去より成立しているからだ。
過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。
   (字数の関係でカット11年05月08日)
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2004年05月08日(土)
1131, 「藤沢周平」ワールド
この一年以上、藤沢周平にはまっている。新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。
庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。小説の多くは似たような内容であるが、
それでいてストーリーが面白い。生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。
  (以下、字数の関係でカット2,008年05・08) 
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2003年05月08日(木)
764, 「カリスマへの階段」
いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、
かくも幼稚な教祖様の御教えを信じてしまうのだろ?」と首をひねる。マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。
7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、
あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。
オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説く。
 この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
≪ 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えていた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。 
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人。今はスルミナに住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、
龍に乗ってエルサレムに入城する手筈なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、 キリスト教徒も心配を始めてた。・・・
 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・ }
▼ こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が
繰りひらかれるのだ。宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95パーの従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!! それしかないのに!?
 「カリスマへの階段」コリン ウィルソン (著)
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2002年05月08日(水)
400, 末っ子はつらいよー2
姉が見たら、なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。
確かにそれもそうだ。特に両親にとって、いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。
死ぬ時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。
また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。チヤホヤされてきたことも事実だ。 末っ子の特権を充分享受した。
それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。
  (字数の関係でカット11年05月08日)
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2001年05月08日(火)
 BSTVについて
ハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、
今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。
(字数の関係でカット12年05月08日)


4060, 要は、受け止め方である!

2012年05月07日(月)

  人生、色いろ経験を積み重ねた後に過去を俯瞰すると、その行蔵はどうにでも解釈できる。 ついてなかった人生としても、
視点を変えれば、ついていた人生と脚色出来る。受止め方次第で過去も現在も、そして未来も変わってくる。 中村天風は
「全ての受け止め方を『積極一貫』にし、肯定的であれ!」と説いている。 人生は問題の山、その中心点が何か考えつくし
無心に立ち向かうしかない。 これからは、自分の人生を、どのように受け止めるかが人生の問題になってくる。
受け止め方を変えることは、行蔵の中の要素を仕分け直すことになる。それで、これからの人生の方向を変えることになる。 
 そのために記憶さえ変えるのが人間の業。 それは行蔵の要素をどのように解釈するかになる。そこでも知識の絶対量が必要になる。
分別ない人間の身勝手な解釈では、ますます歪になろうというもの。「運」があるか、ないかは、「運は自ら運ぶこと」と解釈すれば、
運そのものが意志の問題になる。運がない人は意志が弱いと解釈出来るというもの。 「人生に起こったことは無駄のものなし」と、
信じていれば、最悪のことも結果としてプラス材料になる。 そうこう考えると無知は、それだけで罪の原因になる。 
知らなかっただけで、どれほど多くの失敗を重ねてきたことか。人類も私もである。初めから自分のミッションを明文化しておけば、
それが信念になり、途中経過の失敗も成功も、受け止め方がハッキリしているので、ブレが小さく済む。 おい方一つで、荷物も
軽くなると、同じ。これからの日本は坂を転げ落ちるように衰退する。そこで何が必要か? 教育制度の再構築と、憲法改正。 無理?
 ・・・・・・・
3694, 自己を見つめる −16
2011年05月07日(土)
  * 幸福について (不幸について) ー3     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 加えて、そうした無事安全な生活の場の確保に立脚して、更に誰もが、この世に生まれた以上、自分の生きがいがある。
・・・ 略 しかし、そのためには、人は、その自己拡充を念頭において、たえず日夜、精励しなければならないであろう。
というのも生き甲斐の達成は、いろいろな面で課題や試練や困難や障碍に出会って、これを克服する努力の連続に置き換えられてゆくから。 
格闘することなしに、人生の実りは結ばないというのが、この世の鉄則である。 実際、存分に生き抜いたという生き甲斐にみちた幸福感は、
それなりの自己集中や犠牲や断念や労苦の代償のもとでのみ、初めて獲得されるのである。 けれども、いかに精進したとしても、
非力で有限な人間には、完全な意味での幸福感はけっして与えられえないであろう。考えてみれば、生きているということは、
まだなすべきことを残しているということと同義である。なすべきことがなくなった人生は、死と同義である。生きるということは、
欠如の意識にもとづき、それを充足させるという運動と情熱において成立する。 その情熱は、充実に向けられている点では、たしかに、
憧れにみち、その実現状態を夢見ていて、幸福感に浸っているであろう。けれども、その意識が、目下は自分にその充実がいまだ
与えられておらず、また、あらゆる意味での完全な充実が人間には不可能であるという自覚に伴なわれたとき、それは、そのまま、
不幸な意識に転じるであろう。したがって、人間には、生きているかぎり、終息した絶対的安寧としての幸福感は、
与えられず、叶えられず、許されず、その意味で、人間は、終生、不幸であろう。・・・ 】
 ▼ 不幸論という本もあるほど、人間の本質は不幸である。最後は死ぬことを、二人称の死の経験をして、洗脳されているためである。
  その人によって大かれ少なかれ、不平不満や、神経質になり、我執をし、理屈を言い張る部分を持っている。それが膨張すると、
 周辺に諍いをぶつけていくことになる。それが不幸の大きな要因になる。 そうこう考えると、不幸は体質もある。
 それは血筋、家系にも関係してくる。どっちみち、一生の間には谷あり、嵐が襲ってくる。 それを乗り越えるのが、人生。
 そのプロセスこそ人生である。 そう割り切ってしまわないと、冷静に立ち向かうことができなり、破滅が待っている。  
 ・・・・・・・
3329, 草食系で何が悪い!
 2010年05月07日(金)
 昨夜のNHKのゴールデンタイムに、「草食系で何が悪い」というテーマで激論を交わしていた。
現代の若者と、社会の一線にたっている人たちの議論。 見ていて食い違いがあまりに大きい。
我が家も含めて、何処の家庭の親子の食い違いも、こんなものだろう。 現実世界の将来を見出せない若者、
現代の若者にはネットという別世界があり、自己実現がネットの中に存在しているのである。
なぜ現実世界の中の価値観に縛られなければならないのか? そこでは、明るい未来が抱けない、という彼らの立場もある。
とはいえ、彼らの相手は外国の同じ世代である。 それが現実世界の中で闘っている人たちには見えている。 
 アメリカの間接占領による「日本の植民地化政策による無能化の完成が、彼らの姿」である。 その自覚があるのかないのか。 
アメリカの補佐が実は日教組であり、更にいえば自民党であり、官僚。 偏差値による選別教育の結果である。 
 ーまずは、NHKのHPから、この番組の紹介をコピーしてみるー
 * 日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」
ー内容ー 車やブランド品、酒、海外旅行離れが進み、大人しくなった、内向きになったと言われる最近の若者たち。
  彼らの本音は? 日本の進むべき未来について語り合う市民討論番組。
ー詳細ー かつての若者のあこがれ、車・ブランド品・海外旅行に、興味を示さない20代の若者たち。
  「おとなしくなった」「内向き」「草食化した」などといわれ、欲がないように見えることから「悟り世代」といわれる。 
  一方でブランドものに頼らない、環境や社会問題に関心が深い、地元に愛着を持って昔からの友人と長くつきあうなど、
  日本が「成熟」した証という見方もある。若者たちの本音は? 日本の未来について語り合う討論番組。
  ――
 長年かかって完成した現代の草食系若者、そう簡単に動物系には変えることは不可能である。
韓国、中国、ベトナム、インドなどの若者の目の輝きと、日本の若者の目の輝きの差は、あまりに大きい。
彼らは、日本が一番豊かな絶頂期に生まれたが、大人に育つ過程が失われた20年といわれる時代背景の中で、
希望を持てと言われても、無理なのは分かる。 この数日、大前研一著の <「知の衰退」からいかに脱出するか?>の
読書日記を書いているが、まさに、大前研一と若者、の図式が、この番組に出ていた。10年、20年後の日本は暗い!
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2954、ハゲタカ
2009年05月07日(木)
 連休の5月4,5,6日の3日にわたり、NHKで朝9時から二本ずつ「ハゲタカ」というドラマを6本放送していた。
日本のバブルの崩壊後にアメリカのハゲタカファンドに荒らされが、去年の9月15日のリーマンの倒産で、そのファンド
そのものが崩壊してしまった。しかし、それまでは世界を荒らしまくった彼らの実態の一部をドラマを通し垣間見るようであった。
 まずは、ー番組紹介ーから
ニューヨークの投資ファンド運営会社社長・鷲津政彦は、バブル崩壊後、不景気に苦しむ日本に戻り、
瀕死状態の企業を次々と買収する。敵対するファンドによる妨害や、買収先の社員からの反発を受けながらも、
鷲津は斬新な再プランを披露し、業績を上げていく。 企業買収、再生の真実を克明に描いた問題作。
▼ 三日間、このドラマと、その後のNHKスペシャルの「マネーはなぜ暴走したのか?」のセットに釘付けになって見たが、
 多くの示唆が含まれていた。資本の論理からみてハゲタカが処理した企業が結果として、贅肉を削ぎ落として再生した方が
むしろ良かった?という視点もある。小泉、竹中の金融改革の功罪をドラマ化をして考えさせられたということ。
外資の投資ファンドがハゲタカなら、日本の大手の勝ち残った大手銀行は互いの死肉を食い合うハイエナと例えることもできよう。
(字数制限のためカット 2010年5月7日)
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2590, イスラエルの話
2008年05月07日(水)
 長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。
ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報)
・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名)
・総員23名。半分が一人参加。本人を除くと全員が40歳以上。70歳代の夫婦が三組。男女の割合が半々。平均年齢50歳位。
・4月23日〜5月02日までの10日間コース。
・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。
・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループを一組みた。
・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。
・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。
 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流にあって死ぬ思いの経験。
・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。
・満足度は100点。
・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、私から聞いていたほどではなかった。
 ーー
 以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。9年前の場合は、これにアブラハムが十戒をつくったエジプトのシナイ山があった。
これは強烈な印象が残っている。 イスラエルはインパクトがあまりに強い。わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、
存在としては大きく位置を占めている。日本の大よそ二十分の一の国がである。 契約の概念はユダヤから出ている。
神様との契約が、いつの間にか人間同士の契約にすり替わったのである。ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。
一般的には、イスラエル人=イスラエル国籍を持っている人。ユダヤ人=ユダヤ民族。と思われているが、ユダヤ人は
ユダヤ教を信じていて、両親のうち両方が何じゃらとか難しい決まりがある。「ユダヤ人は選民である」という教えが、
他の民族から忌み嫌われるのである。多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。
旧約、新約聖書のような物語と、その舞台が、そのまま一致しているのはイスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、
尚のこと、その特異性が、何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。 ー以下は私の旅行記である。
 ーー
ーH1105イスラエル聖なる旅 
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどの
ドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、
読んでみれば何もむずかしくない、ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみると、
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、
数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロローサ。磔刑に処せられたゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。そして、その麓にあるカタリナ修道院と、神の声をきいたという
“燃える柴”。そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。“マサダの要塞”この旅行まで全く知らなかったが、
キリストが死んだ四十年余り後に、ローマ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。 陥落の前日、
そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
 =「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
 =自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。イエスの生まれたベツレヘムの岩の
ほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
ーイエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問がでてきたのである。
そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが続いている。
(字数制限のためカット 2011年5月7日)
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2007年05月07日(月)
2225, いい男とは?   (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪           
 著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、
 今だに「いい男」とは出会えません。
 ・・是非、男性向けにいい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、
 この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。なるほど、著者の魂の入った内容であるが、
 この本が出た後の2004年12月に女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。
    (字数の関係でカット2008/05.07) 


4059, つれづれに ーネット社会の現在

2012年05月06日(日)

  * 飲食店の漫画の棚 ーデジタル本の世界
 喫茶店や中華料理店のランチの楽しみの一つに、本棚の週刊誌か月刊誌を読むことがある。 最近、店内に入ると、
iPhoneかiPadで、その店が契約したネット上の本棚にアクセスして色いろの雑誌を読むことが出来るという。
店は一月7000円を業者に支払えば店内のネットで雑誌が見放題になるとか。よく考えるものである。 
前回、70冊の蔵書をデジタル化にするため業者に依頼したが、先日、久々に、そのHPを見たところ、デジタル化した本を
月980円で見放題のサービスを始めていた。 漫画が中心とあったので、契約はしなかったが、これも面白い企画である。
現在、私が契約しているのは、朝日新聞のデジタル版と、朝日、毎日の週刊誌など数十冊が読めるビューンである。
朝日のデジタル版は月1000円の加算。ビューンは月480円。 もちろん有料でアクセス出来るブログがあるが、
写真集のデジタル本に有料でアクセス出来るのがある。幾つか買ってあるが、次々に更新されているのが良い。
  * スマートフォンと、タブレット
 現在、スマートフォンが爆発的に売れているという。iPhoneが初めて売り出された時に買ったが、画面が小さすぎて、
インプットに戸惑って使いこなすことが出来なかった。そこで学んだことは、二代目以降の機種変更になってから購入すること。
それもあってiPadは、二代目のiPad2になってから買うことにした。スマートフォンが爆発的普及は、携帯電話が
世の中を変えたように、世の中を更に大きく変えるだろう。 それはゲームや、ブログ、ツイッターなど書き込みや閲覧の
端末にも使える。小ささが逆に便利な場面で有効になる。電車や、車の移動とか、昼休みに何処にでも持ち歩けるからだ。
何ども書いているが、現在、普通の携帯電話とiPadを使い分けている。 PCは居間のTVの前と、仏間の書斎コーナーに
iMac一台ずつ、とiPad、合計三台を使っているが、その使い分けのバランスは非常によい。 これに読書とTVと、
ペットのインコとくれば、お宅そのもの。図書館と、スポーツジムと、早朝のポタリングと、週二日の近くの店のランチで
息抜きをしているのが日課。 これまでのスリルとサスペンスのストレスが少ないのが、逆にストレスである。 
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3693, 自己を見つめる −15
2011年05月06日(金)
  * 幸福について (不幸について) ー2      「 自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
【 不幸は、その出来事の客観的説明の当否のいかんを越え、また、その人の主観的資質の鋭敏さの度合いのいかんを越えて、
その人に、いやおうなく襲いかかる絶対的事実である。 不幸は、その人の時間的歴史的な人生遍歴の過程のなかに突如、
痛苦を与える刑罰として立ち現れる、不可抗的な不倶戴天の敵である。不幸とは、その人を根底から震憾させる苦悩の化身である。
そうした不幸は、この世の中のいたるところで、不運、事故、災難、災害、病気、心痛、貧困、労苦、不遇、虐待、軋礫、失敗、
挫折、対立、不和、紛争、戦争などの種々様々な姿において、たえず出現の隙を窺っている悪夢である。したがって、不幸は、
ものの見方を変えることによって、消去したり、転換したりすることのできるような、たんに主観的な事柄では断じてない。
それは、深刻な苦難として、この世の中に、乗り越えがたい障壁の姿で、厳然と存在する。それゆえに、こうした不幸においては、
何よりも、その出来事が、その人にとって、この上なく不当で、許し難いものとして感受されるという点が大切である。
なぜ、自分は、このように、辛く、苦しい、耐えがたい悲惨や屈辱や困難を課せられねばならないのか、どうして、自分は、
このように、見捨てられ、罵倒され、除け者にされ、迫害される憂めに会ねばならないのか、と、いくら自問しても、
その理由が分からず、ただひたすら、苦悶し、絶望するところに、不幸と苦悩の本質があるのである。
そのことは、旧約聖書のヨブ記のなかに典型的に示されているとおりである。善人のヨブは、あるとき、理由もなく、
身の毛もよだつような苦難と不幸のすべてに襲われ、ついに、ヨブは、神を呪うほどの絶望と絶叫のなかに陥ってしまう。
こうしたヨブの心境こそは、この世の不幸と苦難に逢着したすべての人間が抱く感懐であり、苦悶であろう。・・・】
 ▼ 人の間で生きている人間は、他者と自分とを比較し、色々憶測する傾向を持つ。 従って、大小種種の、不平不満、卑下慢心、
 確執や争いが、あらゆるところに、絶え間なく起こる。 それは絶えず、出現を窺っている悪夢であるが、一度、檻から出たら、
 本人とて抑えることが出来ない猛獣として暴れまわる。それが他虐になり、次に自虐として、深手を負うことになる。
 ニーチェが度々引用したように「難破しながらも、よく航海したものだ」と授戒することが出来た人なら、直ぐに次の新たな
 取り組みをすることができる。 しかし、意志薄弱者は、ただ恨む対象を探し、そこに執着し前進が出来なくなる。
 その辺のことが理解できないのは、それまで生きてきた中で経験を消化してこなかったことに由来する。不幸は自分で招くこともある。
 ・・・・・・・
3328, HPを開設、10年目!
2010年05月06日(木)
 一昨日で、このHPを開設して10年目に入った。旅行中も出発前に書きだめをして、会社の人に頼んで書き込んできたので、
ほぼ休んだことはない。 時どきスランプになるが何とか続けてきたが、書きあげる重要性が日ごと分かってくる。
一つのことを続けると、その習慣が自分自身になる。  ここまでくると、私の精神というより、魂の中核になる。 
HPではレポート用紙で15枚分までの字数の制限があるので、数年前から毎日カットせざるをえないが、身を削るようで辛い。 
それだけエネルギーが入っている。 第三者の目を意識しながら、自分の思いの倉庫(墓場?)として、その時どきの、
浮かんだ思い、習得した知識、面白そうな情報、潮流を書き出してきた。 あと一年で10年になるが、書きたいことは
書き出したつもり。 その時どきの時節のメルクマールとして、情報タンクとして非常に有効になっている。 
 また毎日、過去分の同月同日に書いた内容を読み返すことができるのが一番のメリット。
「書きだめをして何になるのか?」といわれても、返す言葉はないが、これが魂の中核なのだから、
中心点に向かって一日2〜3時間、気持ちを集中し続けている、それが全てである。絵、俳句など、それぞれ人によって違うが。
 まず文章のテーマを考え、情報を集めて、書いて、何度か修正するプロセスが考えるということ。
いま書いている文章の読者は、未来の自分であり、過去から現在にいたる因縁ある人であり、新たな因縁のある人。
文章を書き、それを公開するのは恐ろしいところがある。 自分を曝け出してしまうからである。 今さら、仕方ないだろう!
と、何度呟いたことか。 書き上げて、アップロードした瞬間に、見事なぐらいに内容を忘れてしまう。気持ちが入るほど、
そうなってくる。 したがて一年ごとに、その内容と出会うと、驚くことしばしば。 数年前の今日こんなことを考えていたのか、
こんな本を読んでいたのか、こんなことに出会っていたのか、等々に驚かされる。それは既に過ぎ去った過去の自分である。
(字数制限のためカット 2012年5月6日)
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2953,人はどうしてオヤジになるか? −3
2009年05月06日(水)
 * オバサン前段階のアラサーとアラフォー
   ―女の最後の輝く時ー
 最近、アラサーとアラフォーという言葉がマスコミ上で目に付くようになった。40歳前後の女性を指して
around 40を略してアラフォーという。日本的風土では働く女性は「仕事と結婚」の両立が大きな問題になっていた。
しかしこの世代は、男女雇用機会均等法のもとで社会進出を果たし、自由に選択できるようになった。
しかし、これが人生の転機を遅くさせ、大きな問題になっている。アラフォーはアラサーから派生した言葉。
アラサーとはaround 30を略した言葉で「30歳前後の女性」を指す。2005年の女性誌が使ったことから広まった。 
彼女らは90年代中頃にコギャル文化を体験しており、団塊ジュニアに続く世代区分としてアラサーを用いるようになった。
それに次いで登場したアラフォーの概念で、1964年から1973年に産まれた人となる。40歳前後は、オバサン化するか
どうかの瀬戸際である。もう一度女として花を咲かせるかどうかの?20年ほど前になるが、
ある大手の保険代理店の支店長が言った言葉が印象的だった。「女性の一番美しいのは40歳前後。
その年頃の女性は人生の分かれ道、何ともいえない色気が沸きあがっており、危ない時期でもある。 
彼女らとは塀の上で仕事をしているので、一つ間違えると塀の向こう側に落ちてしまう」そういえば、スナックなどの
アルバイト女性に、その頃の女性が目に付くが、なるほど色気が満ちている。しかし45歳を過ぎると同時に、
坂道を転げ落ちるのように変化するのも事実。 それにしてもアラサー、アラフォーとは、上手く命名したものである。
《そこのお嬢さん! 鏡ばかり見てないで(外装だけでなく)内装も手入れしておきなさい!》最近は、兄さんにも言えるが!
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2589, 日本の真実
2008年05月06日(火)
 「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」の警告が、あまりに当たっているので、副島隆彦の「日本の真実」を、
アマゾンで買って読んでみた。「日本はアメリカの属国、日本の支配者層は、その傀儡の売国奴でしかない!」と、
辛らつに切り捨てている。 また、そう直視すると見えない真実が見えてくる。角栄や栄作など、隷属国家の悲哀を
一番良く知っているのだろう。角栄と、福田赳夫がアメリカに呼びつけられて、ある人物に大声で怒鳴れれている
現場の生々しい話を聞いたことがある。二人が震えていた姿が痛ましかったとか・・・
しかし、その御陰で、アメリカ型消費社会を享受することが出来たのである。
その毒饅頭のおかげで、脳までやられてしまったのが現在の日本の有様である。
 ーまずは、その概要からー
「最高支配層だけが知っている日本の真実」  ー副島 隆彦 (著)
ー表紙裏の「著者からのコメント」が面白い!ー
 本書が提供するのは「日本の最高支配層の人間たちだけ」が知識と情報として占有し、隠し通し、一般国民には
絶対近づくことをさせなかった諸事実である。なぜ一般国民には大きな事実が知らされないのか?
その理由は、現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の属国群のひとつであり、しかも属国の優等生として卑屈極まり
ない現状にある私たち日本国の支配層の人間たちが、帝国からもたらせれる高度の情報と知識を独占することによって、
それら最高情報が生み出す価値を自分たちだけで享受し、そのことから来る圧倒的な優位性によって国内権力者層として
存在しているからである。だから、これらの秘密を公然と暴き立て、一般国民に知らせ、広めることが、私たちの日本国に
どうしても必要なことである。そうすることで、一方で帝国から常に脅され、脅かされている現在の惨めな彼ら指導者たちと
一般国民の間に壁が消えて、日本人が一致団結して、国難に立ち向かうことができるのである。 「編著者のことば」より
  ー目次   (字数制限のためカット 2011年5月6日)
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2007年05月06日(日)
2224, 自分の居場所ヽ         (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ    
 昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。 八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、
大所帯の中で独りで自分の居場所を何時もつくっていたため。その条件が誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けていた。
人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。
両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、
バランスが崩れてしまい、自己嫌悪になるケースが多い。その根本が、親への愛情に対する不平不満である。
愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、何処かに母の存在を求めて居場所の確保追われることになる。
(これは当人は気づいてない)その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。
その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と自分の心の奥で悟るしかない。
その心の在りかたが、解決になる。それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。
自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」
と同じ心理状態となる。たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。反対に親に自分をからみ取られて、
母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺のマザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、
自分の人生は無かった?という虚無感である。私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。
そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、後悔はないが・・・。
▼ ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に? 居場所づくりとして何をしてきたかというと、
・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、人によりそれぞれ違う。)
・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころなる
 愛読書を置く。現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に4冊以上の本を携える。座った席がそれだけで自分の居場所になってしまう。
・そしてコーヒーのセット。
・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。
私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。
地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 
面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・          ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪
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2006年05月06日(土)
1859, 体罰は教育?                 才八∋ウ_〆(∀`●) 
 昨日のモーニングショーで、最近釈放されたばかりの戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏とタレント系?のヤンキー先生の
討論をしていた。ミスマッチといえるほど戸塚氏の方が一方的な内容で、老教授が若い学生を教えているようであった。
(ヤンキー先生=ヤンキー上りが売りで生徒をみちびく教育をしている)「目的は、体罰そのものではない!
 (以下、字数の関係でカットしました。2008/05/06)       ヾ(^ω^*) バイ
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2005年05月06日(金)
1494, いま・現在についてー2
「どうせ死んでしまう」ー1  ー読書日記ー         
 ー私は哲学病ー
究極の、刹那的な言葉といえば[どうせ死んでしまう]である。「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。
しかし、尽きるところ、それである。「いま」を考える時、キーワードとして「永遠」がある。
しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。生は限られている。
所詮はどうせ死んでしまうのである。それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。
個々人にとって、自分の死が基点になる。自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。
目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。
 (以下、字数の関係でカットしました。2009/)
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2004年05月06日(木)
1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー2
 谷沢永一 2000/10/19『PHP研究所』 
二年前に書いた文章の続編である。図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。 先日おなじ本を借りてきて、
以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、二年前に書いてあった。 『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より
知っておくべきことと、前の文章を読み返して、つくづく思った。知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。
こういう知識に対して無知の人があまりに多い。他人事でないが。『すべきこと』も、まったくそのとおりである。
  ー以下は 「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。
ーすべきこと(抜粋)
 ・真の友をもつ ・人生設計を立てる ・生きるためのお金を得る ・本を読む ・夢をもつ ・感動
 ・人生のブレーンをもつ ・結婚 ・趣味を持つ ・前向きに生きる ・一人旅 ・音楽を聴く ・失敗を経験する .
ーしなくていいこと(抜粋)
 ・分相応 ・世間体をつくろう ・他人と比べる ・出世競争 ・嫉妬 ・功績を誇る ・不正をただす
 ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc.
ーしてはいけないこと(全項目)
 ・言行不一致 ・頼み事 ・金を借りる ・子供を私物化する ・自分がされたくないことを人にする ・運のない人とつきあう 
 ・卑屈な生き方 ・自分の欠点をかなしむ ・マイナス条件を数え上げる ・知識を誇る ・嘘をつく
ー後記
 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、以外と平気で借りにくる人がいる。
(字数制限のためカット 2012年5月6日)
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2003年05月06日(火)
762, あるホームページ
 (字数の関係でカット2,008年5月6日)
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2002年05月06日(月)
 398,新潟駅前界隈ー2
ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。止めるに止められない状態といってよい。以前から私は個人で飲むときは、
一軒目は3500円が最高限度である。二軒目も4000円か5000円止まりである。
   (字数制限のためカット 2011年5月6日)
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2001年05月06日(日)
 ホームページの可能性
ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。貧しい?内面と過去の公開といってよい。
特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。もしHP?ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後に
コピーした久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。
これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。どうなっていくか楽しみだ。
?>?>?> ホームページとは        (久垣啓一)
ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。
ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。
ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。
ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。
ホームページは、出会いと感動の宝庫である。
ホームページは、巨大なデータベースである。
ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。
ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。
ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。
ホームページは、家族の関係を豊かにする。


4058, B層の暴走と価値の錯乱

2012年05月05日(土)

 二年前の5月2日に ー3324, 「B層」という「IQ]が低い人々ー という文章を書いていた。(3日前の、ここにある)
ところが昨日の産経新聞の一面の【賢者に学ぶ】「素人の暴走と価値の錯乱」で、このB層の人たちを取り上げていた。
選挙対策として、この層を的にして狙い打つには問題がない。しかし、彼らB層の価値観を押し付けようとする機運が、
全体を導き始めたため、社会が混乱を始めてきている。その危険な状況を理路整然と論じた問題提起が以下である。
   【賢者に学ぶ】ー素人の暴走と価値の錯乱ー(哲学者・適菜収)  産経新聞 5月4日
 ≪ ・・・19世紀ドイツの哲学者ニーチェは「神は死んだ」と言った。その意味は、西欧において 価値の根拠とされてきた
《神の視点=普遍的真理》を設定することが理論上不可能になったということだ。にもかかわらず、《神》は平等主義や民主主義といった
近代イデオロギーに姿を変えて私たちを支配している。その根底にあるのは「神との距離において人間は等価である」という信仰だ。 
近代大衆社会はこうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。 また、《本当に価値があるもの》
《偉大なもの》《美しいもの》は貶められ、《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。
その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力をもつようになってしまった。
テレビの音楽番組では、芸術の対極にあるジャリタレが「アーティスト」と呼ばれ、ワイドショーでは有象無象の評論家が
専門外のトピックについて無責任なコメントを垂れ流している。 こうした価値の錯乱の上に成立するのが《B層文化》だ。
前回も述べたように《B層》とは平成17年の郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに
踊らされやすい知的弱者、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す。 この《B層》が現在消費者の主流になっている。
そこでは大企業のエリートがマーケティングを駆使し、大量の資本を投入することで《B層》の琴線に触れるコンテンツを量産している。
 ・・・ ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や超人がいだくのとは異なった事物のところで美の価値感情をいだくであろう」  
畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を
社会に押し付けようとする。そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。ありとあらゆるプロの領域、
職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を導こうと決心する。これこそがニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的な姿だ。 
与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全保障の素人」と誇らしげに語り、続いて防衛相になった
田中直紀は素人以前の「ド素人」だった。 閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に進んだ背景には、
《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という問題が潜んでいる。
 ▼ 恐ろしい末期現象に日本は置かれている。その一つにマスコミが流す世論調査がある。世論の大方を占めているのが
 B層の人たち。彼らは質問の内容で、どのようにも誘導可能。 政治のトップ判断の重要事案に、それを使い権力を駆使する。
 その背後に、アメリカの巧妙な誘導が見え隠れする。B層が「近代的諸価値を妄信する層」なら、過っての?私も当然、その層。
この10年、哲学に目覚め少しは盲信から抜けてはきた・・ しかし森林は面白かったが・・で、サバンナでは?この蓄群が屯している。
 ・・・・・・・
3692, 自己を見つめる −14
2011年05月05日(木)
               「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
   * 幸福について ー1
【 私たちは、幸福であるとき、その幸福をあまり感じない。不幸になったとき、私たちは、初めて、自分に幸福が失われていることを
痛感し、深く傷つく。 幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる失われた桃源郷である。
幸福は、不幸という現実のなかで、初めて見つめられる幻影、そして追い求められる夢、切なく慕われる理想である。
ダンテが歌ったように、「幸なくて 幸ありし日をしのぶより なほ大いなる 苦患なし」(山川丙三郎訳)である。
否定的な状況のなかで、肯定的な状況に憧れ、それでいてその達せられない悩みをかこつというのが、人間における幸福と
不幸の相貌である。 幸福と不幸は、離れ難く結びついている。 人間は、不幸の現実を直視しながら、嘆きと悲しみのなかで、
幸福を思うのである。 望みをもたない人間というものは、存在しない。 人間であるということは、何らかの願いを胸に抱き、
その実現を希求し、その願望の達成を欣求し、そのために励むということである。何らかの目的を定め、それに向けた自己拡充において、
その可能性から現実性への転換と具現を冀い、そのために熱い胸を躍らせるというのが、人間であることの根底を形作っている。
してみれば、現在の欠如状態から、いつの日にか将来の充実状態へと、恋いこがれる熱情は、人間にとって本質的である。
そうだとすれば、欠如状態としての不幸と、充実状態としての幸福の二つは、人間を構成する基本要因だということになる。】
 ー「幸福は、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる桃源郷」は、言いえてる。
「幸福は不幸という現実を通して見つめられる幻影」である。 時代背景があるが、若い時には「自分は間違いなく幸福になるだろう」
という変な確信があった。 大かたの青春時代は決して幸せとは言えない四苦八苦を過ごしている時期である。
その頃の幸せの願望は祈りに近い感がした。 ところが人生の終盤に差し掛かってくると、幸せの願望も失せてしまい、死の不安が
立ち現れてくる。 精一杯生きてきたのに、あの桃源郷の正体も見え隠れする。 先に逝った人たちの最期は、不幸に見えてしまう。
 老いが進み、死が現実問題として迫ってきて、漠然とした不安が心を覆ってくる。その時に、過去の充実していた時の思い出に
逃避するしかなくなる。 その時、人生を生きてきた通りの老いと死が、自分を覆いつつむ。 これが自分の人生だったのかと!
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3327, 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
2010年05月05日(水)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー3
  * 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
 大前健一は、改憲論者であると同時に新自由主義者である。また「安保闘争以降の偏差値による選別教育が日本人の愚民を
押しすすめる結果になった」と主張。 偏差値による選別教育の年代とは 現在の40歳代前半から20歳後半である。
   ーまずは、その部分を抜粋してみるー
 日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始ったのは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。
今から考えると、あそこが分岐点であった。 あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。
ここで、国民教育を民化政策に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。・・・・
 本来、人間の能力は自分で判断すべきである。自分のやりたいことは、その判断に基づいて自分で決めること。
ところが、日本の子供たちは、自分の能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、
自分で自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めることになってしまったのである。
こうなると本人も偏差値による数字を先生に言われることで‘予定調和’して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。
学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ]と、繰り返し言われれば、目標を上にあげることなぞ無理になる。 
これが、偏差値教育の持つ最大の弊害である。
 これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。それぞれが、能力に見合った位置で仲良く
協力しあってやっていくことが必要とされるからだ。 こういう飼いならされたロボット人間が、大量に必要なのが、
工業化社会であって、そのために、偏差値による選別有効に働いた。これは、個人個人から意欲というもの、
アンビションを奪ってしまったのである。現在の40代前後の偏差値世代の人たちは、非常に従順なのが多い。
彼らは共通の思い込み「偏差値が高い=頭がよい」と子供の頃から植えつけられていて、そこから抜け出さないのである。
クラスメート、同級生といった狭い範囲で考えてみると、自分たちより数値の高い人が、マスコミに行ったり、
役所に行っているのを見て、彼らは偏差値が高いから頭がよい。だから、彼らの言うことは正しいと、勝手に思い込んでいる。
 ▼ この年代が社会の中心になってきたのが、この日本の不況の隠れた真実である。 この年代の人たちと、この十年来、
 ツアーなどで一緒になる機会が多かったが、前頭葉がゼロというほど思いざるを得ないと感じていた。 
 勝手に自分たちの階級を決め付け、それ以外には一切を無視をする。 無視なら、まだマシだが、否定をしてくる。
 その後の年代を大前は、「少年ジャンプ世代」、「ゲームキッズ世代」と分けているが、それは次回。
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2952,スリルな瀬戸際だった日々 ―2
 2009年05月05日(火)
前回の凍りついた二日間で思い出したことがある。 《まずは、以前書いた文章を御覧あれ!》
  (字数制限のためカット2011年5月5日)
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2588, 閑話小題
2008年05月05日(月)
   * パペット
パペットとは、手や指を入れて遊ぶことができるぬいぐるみのことをいう。
他には影の人物や国に操られる人間や国を指す。日本などは、ある意味でアメリカのパペットとである。
以前に「新潟県を活性化する会」を何度かやらされたことがあった。いい様に操られる猿回しのエテと気づいて、
さっさと役割を降りたが・・。3?4回まで!と始める前に約束をしたが、それを了解をしておいても、
「縛り付けをして役割から抜けられなくなるのが世の常」チャンと、そういう役割の英語「パペット」という
専門単語があったのである。それが仕事ならパペットとして納得するが。
地元のために発展を考える中小企業の社長という役の振り付けで、ボランティアだとか。
それを知っていて巧妙に役割に収めようというのも、その人の仕事なのだろうが、私は何の価値もない。
乗りかかる私も甘いが、いや三回ぐらいなら面白いと割り切っていたから、甘くはないか?
それ以上は絶対にやらないこと位見抜けなかったのか? いや、見抜けないか?
 (字数制限のためカット2012年5月5日)
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2007年05月05日(土)
2223, HP開設、6周年         [○´・ω・]ノオハヨウ!
毎年のように、開設記念日に感想を書いていた。今年も二日遅れになるが書くことにした。
実のところ、全エネルギーを入れて書き続ていて複雑な気持ちがある。ネタ(テーマ)を選ぶだけで神経を
集中せざるを得ない。それと、ネタ切れになるので、何処かからネタを探してこなけかればならない。
しかし良寛の発句「焚くほどは風が持てくる落葉かな」の、落ち葉と同じように何時の間にか湧いてくる。
その感覚とスリルを楽しまないと続かない。考えつく全てを吐き出して何も書くことが無くなれば、
その境界の外に出ざるをえない。それが、この随想日記を書き続ける一番のプラスニなる。
書くために読む、書くために考える、書くために本を買う、そして借りる、そしてウソも吐き出す。 
 (字数制限の関係でカット2,010年05・05)
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2006年05月05日(金)
1858, ローマから日本が見える ー10        ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
この本を読んでいると史実を読んでいるというより、壮大な歴史小説を読んでいるようだ。
一人一人がそれぞれの立場をわきまえて役割をこなしている。当然、ローマに敵対する英雄もいる。
カルタゴの英雄ハンニバルである。まずは第5章のハンニバルの挑戦 の概略を抜粋する。
 ー第5章 ハンニバルの挑戦 ー1
  (字数の関係でカット2,008年0505)
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2005年05月05日(木)
1493, いま・現在についてー1
 「人生の贈り物」ー読書日記
「ゾクゾクするような生き方ができないのはなぜだろう。」「一日一日が何かが足りない。」「なんだか面白くない。」
多くの人が、そう思っているようだ。そのような人に、大きな「ヒント」をあたえてくれる本である。
 ー大筋を書いてみるとー
少年がいました。ある日、老人から不思議なプレゼントの事を聞きました。「かけがえのないプレゼントだよ」
「それは、贈り物なんだ」と老人はおだやかに言いました。少年は若者となりかけがえのない贈り物を捜しつづけて、かけがえのない
プレゼントとは、プレゼント=現在のことだとわかったのです。過去でもなく、未来でもなく、かけがえのない現在ということです。
現在の瞬間というのは、常にかけがえのないものです。それがまったく完全なものだからではありません。
完全に思えないことの方が多いくらいです。現在がかけがえのないのは、その時点では、それがすべてだからです。
あるのままの状態が。現在とは、ありのままということで、それがかけがいのないことなのだ。なぜそうなのかわからなくても。
現在は、そうなるべくしてなったものなのだ。その現在を知り、現在を受け入れ、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。
苦しみとは、ありのままのことと、望むことがくいちがっているということだ。思いどおりにいかなかった過去を悔やみどうなるか
わからない未来を おもいわずらうのは、現在を生きてないということだ。それは、みじめで、不幸なことだ。
過去もその時は現在であった。そして、未来も現在になる。現在の瞬間こそが、経験できる唯一の現実なのだ。
現在にとどまっているかぎり、永遠に幸せでいられる。永遠も、常に現在なのだから。 私がさがしていた、かけがえのない
プレゼントとは、ただ、いま現在あるがままの自分のことだ。それはかけがえのないものだ。
かけがえのないプレゼントは、自分から、自分に与える、かけがえのない贈り物なのだ。
自分というのはかけがえのないものだから。自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ。
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以上が、大筋で結論である。
(字数制限のためカット 2010年5月5日)
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2004年05月05日(水)
 1128, 「ライフ・レッスン」ー10
ー忍耐のレッスン
「耐えることは信じることー信仰をもつことーに似ている」という著者キュープラ・ロスの言葉がよい。
耐えることによって、その信仰は深く強く根を地中深く入っていく。『石の上にも三年』も、
耐えることの重要性をいっている。耐えることによって、はじめてレッスンにまで高めることができる。
『耐えがたきを耐える』のが忍耐になる、いずれは、うまくはいくのだからという信念をもって。
忍耐にも、じっとしているべき時にじっとしている忍耐と、積極的に立ち向かいながら耐える忍耐がある。
また絶望に中で、その絶望を受けいれる忍耐がある。それぞれの忍耐を経験するのも人生では必要なことだ。
 ー以下は抜粋である
・忍耐の要諦は、すべてはいずれはうまくいくものだと悟るところにある。宇宙の計画を信じる力を養うことだと
いってもよい。でも、その悟りはすぐに忘れられる。だからこそ自分が思うとおりのタイミングで進行させるべく、
状況をコントロールしようとする人が多いのだ。
・忍耐はある意味で、筋肉のようなものである。普段からつかってないと、いざという時に役に立たないものだ。
日常の生活の中でささやかな忍耐の筋肉を使ってなくては。・「結果でなくてプロセスを大事にすること、
自分の感情とつきあうこと、起こっている事態が送ってくるメッセージに耳を傾けることを学んだみたい。
宇宙の力と自分自身の力を信じることもね。自分の中にこんなにつよい力があり、必要なときにそれを使うことが
できるなんて、考えてもなかったもの。何を変え、何を受け入れるかも学ぶことができたみたい。」
・人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分がわからなくても、すべての経験には理由がある。
何らかのメッセージがある。だが、いらいらして「これはまずいぞ!この事態を変えなくては!」
と思っているうちは、そこからレッスンを学ぶことはできない。現におこっている事態を否定したり、
泣言をいったり、変えようとしたりするのでなく、黙然とそれを経験すればよい。
・時間は楽しむためにあるって思えるようになったんだ。そう考えれば、楽しいことはいくらでもある。
この世界には力がある。みえなくても、気づかなくても、すべてのものごとは善の方向に向かっている
ことを信じてほしい。それが信仰というものである。耐えることは信仰を持つことと同じことなのだ。
いかなる状況、いかなるときにあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、あなたがそうなることに
なっているような人になるために必要な経験である。 真実の鍵は信じること・・・耐えることにある。
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  【 忍耐について 】
・忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である。 ?エドマンド・バーク
・天才とは強烈な忍耐者である。          ?トルストイ
・艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。  ?「新約聖書-ロマ書5章」
 (字数制限のためカット2012年5月5日)
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2003年05月05日(月)
 761, 歌は過去に向かって歌うもの
「歌は過去に向かって歌うもの !」先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。
なるほど言いえて妙である。すべての歌は思い出のメロデーになるのか?心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップ
をして歌うことである。それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。それぞれの歌にはその時代の背景と、
それぞれ人の人生がある。また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、
過去が地の底から浮き上がってくる。特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。
その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き上がってくる。
  (字数制限のためカット 2010年5月5日)
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2002年05月05日(日)
397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ?
 以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。犬のたとえがシビアである。
犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。(人間に絶対服従の性格に)
社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。イスラム教のアラーの神はその発明の典型
といってよい。砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。宗教は一番権力者に利用される。
キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。論語もしかり孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。
 (字数制限のためカット2011年5月5日)
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2001年05月05日(土)
 連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧
(字数制限のためカット2011年5月5日)


4057, 随想日記も12周年

2012年05月04日(金)

 11年前の5月4日にHPを開設してから連日、ほぼ休まずに掲載してきた。旅行時は知人に頼んで書きだめしたのを当日ごとに
アップしていた。12周年を期に気楽に休むつもりである。休み癖をつけると続かなくなる心配が逆に、ここまで続けることが出来た。
内容はともかく、「自分に納得できる文章にすること」を心掛けてきた。毎日、同月同日分の10年分を読み返しているが、手を抜いた
文は少ない。 大相撲、全日本柔道選手権、新年とか殆んど欠かさず同日に、同テーマの感想を読むと不思議な奇妙な感覚になる。
読んでいると、変わらない自分と、変わってしまった自分に気づくことがある。 ここまで書きためると自分自身の墓場そのもの。 
飾ろうにも飾ろうとしている自分が現れ出る。従って正直に書くことになるが、それが人を大きく傷を付けてしまう。言葉の力は大きい。 
 大まかに、「読書日記」「過去の思い出」「現在の社会現象と分析」「つれづれに」「箴言」「新たに知った言葉」などに分けられる。
「書くということは、書き続ける自分を維持するための行為」ということに気づいている。思いを、印象を、書き出すということは一度、
脳から文として出し、吟味することになる。書く行為そのものが考えることになる。毎日、読み返し11年分の自分に出会っているが、
そこに自分の小さな歴史をみている。 もし書いてなく、完全忘却をしたら、元々、何も無かったのと同じでは?と思うことさえある。
 実家の事業を5年足らず携わった時、気持ちの余裕が無かったこともあり、写真も、日記も殆んど残っていない。書き残していたら
面白い断片が数限りなくあった。大変だったが自分の力が十二分に発揮できた時期だった。このシリーズは心底では自分に120点。
だから逆に書き残さなかったのが良かったとも言える。 おいおい、その時のことを書くつもりだが・・・また人を傷をつけるのか?
 毎日、書き出す習慣も慣れてくるとゲーム感覚になる。 ネタ切れの際(きわ)に常に立っているスリルと苦痛が逆に面白味を増す。
 ・・・・・・・
3691, 自己を見つめる −13
2011年05月04日(水)
   * 運命について  ーp226   「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 【 ハイデッガーの言い方に従えば、私たちは存在の真理の「呼び求める促し」の中に立たされていることになる。
 私たち人間は、そうした運命的なものの呼びかけに聴従せざるをえない、あり方を、根底に宿し、
 それに聴従することによって初めて、真に生きることを果たしうるものというように捉えていった。
  ・・・自己と歴史の由来を、その根源から聴き取って、それをその将来と結びつけることによって初めて、人間は、
 自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当てることができるようになると説かれたわけである。ここに、現代における
 優れた運命思想の一つがあると言っても過言ではない。 ハイデッガーによれば、私たちは、この世の中に生きるときに、
 予期しえない形で「降りかかってくる」、さまざまな「偶然」の出来事にさらされているのである。ということは、
 人間は、出来事の出現をすべて見通し、それを支配することのできる神ではないということである。
 人間は、非力で、無力なのである。しかし、それでいて、人間は、自分なりの情熱と威力において、
 自己の本来的存在の証を立て、それを刻み残そうとする。 そうした覚悟のうちで初めて、立ちはだかる宿命的な
 困難と格闘しながら、人間は、真の存在の呼びかけを、運命の声として聞き取りつつ、それに聴従して
 本来的に実存しようとするのである。 ここに、優れた運命思想があることはたしかである。 】
 ▼「運命」について、考えさせられる内容である。( 存在の真理の「呼び求める促し」に立たされ、運命的なものの
 呼びかけに聴従せざるを得ない、あり方を、根底に宿し、それに聴従することによって、真にいきることを果たしえる)
 これが運命に従って生きるということである。これが本来的に実存しようとすることである。それぞれ天命、宿命、運命がある。
 その中で、運命は自分で切り開いていくもの。 自分で真の存在の呼びかけを聞き取り、聴従し、実存しようとすることである。
 そうこう考えると、運命に対する見方が変わってくる。 自己の根底を見定め、生き方の根拠を探り当て、前に進むことが
 運命に従うことになる。 それとて下記のような虚無的見方からすれば、些細なことでしかないが。
  ・・・・・・・
3326, 人みな骨になるならば ー12
2010年05月04日(火)
 この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、当たり前と信じている日常の思い込みを一つずつ取上げ、
その根拠を潰している。 何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に取るに足らないことかを諭してくれる。 
葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を読経することがある。死を第三者でなく自分に当てはめて考えさせるためである。 
 そこで改めてネットで検索して、コピーしてみた。 
   ー蓮如上人の「白骨の御文章」ー
≪ それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。 一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。
 我や先、人や先、今日をも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。
 されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。
 既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて
 李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。
 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。
 あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、
 はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。≫
ー以上だが、父の生前の口ぐせ、「死んでしまえば(生きている方からすれば)それまでよ!」である。
あるのは、いま、ここ、だけである。過去の、あの時も、現在も、「いま、ここ」しかない。 一期一会である。
それぞれが、いま、ここ、で生きている。そして、それも、確かに存在していると感じるが、実は幻想。
自分の感覚という器官が能作しているだけである。 夢・幻でしかないのである。 で、確認で酒を飲む、のか! 
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2951,人はどうしてオヤジになるか? −2
2009年05月04日(月)
 * 女はどうしてオバサンになるか?
「人はどうしてオヤジになるか?」というなら「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。
  ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー
《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に恥じらいを捨て「怖いものがなくなった」存在で、
特に徒党を組むと非社会性が露出する。 お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていたエネルギーが非社会的行為として
露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。彼女?を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行くと
徒党を組んだ姿が見られる》 ところで、秘境旅行に行くと、必ずといってよいほど「離れオバサン」が参加している。
これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを憚るほど唯我独善。 今回は、そこまでは書かないでおく。
逆に40歳前後までに、女としても人間としても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って生き、
自信に満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。それに対しオバサンは自己管理ができないで、集団化した第三の性化した存在。
 (以下は字数の関係でカット。2012年05月04日)
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2587, 幸福大国ブータンから、幸せとは何かを考える
 2008年05月04日(日)
 国民の97%が幸福と実感し、自殺者ゼロの国、40年前には国土の5割以下だった森林面積が、現在は7割以上に回復し、
経済成長ではなく「国民総幸福」を国の指標とし、独自の「豊かさ」を目指すブータンという国がある。
数年前にTVのドキュメントで見て気になっていたが、図書館で、この国の第四代国王王妃が、その国の素顔と
ブータン人の死生観などを書いていた本を見つけ早速読んでみたが、何とも心の豊かさが滲み出ている内容であった。
 ブータンの幸せ指数世界一だが、物資や食料の欠乏は、心の貧困には繋がらない証明になる。
  (以下は字数の関係でカット。2011年05月04日)
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2007年05月04日(金)
2222, 平凡って幸せなの?  ー2       ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ!
 平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、「そういえば、平凡など考えたことがないし、
平凡の日々を過ごしていながら、平凡を嫌って生きてきた自分に気がついた。」というのが本音である。
しかし過去を振り返ると、平凡な日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。
しかし、これも縦に立ち上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。
記憶に残らないということは、無に等しいと思いがちになってしまう。ただ合せ鏡で平凡の生き方をしている人を見ると、
やはり?とも、思ってしまうが。「平凡とは?」と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。
 まずは、その部分を・・・
<平凡な生活に対する疑問>
「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか?
はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。毎日何も変化のない
暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・みなさんはどう思いますか? 」
▼ この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、過去には多くの人が名言を残している。
 ところで平凡って何だろうか? 非凡とは何だろうか? 考えてみたら非常に難しい問題である。
「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」
にはならないか? ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか?
もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。
今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、
私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。
平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、自分で何時も問答をしなければならない問題である。
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*投票でベストアンサーに選ばれた回答
(字数制限のため、中間カット 2010年5月4日)
ーー
以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持っていうのかという問題にもなるが、王陽明に影響を受けた
我が長岡藩の河井継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。
(字数制限のため、中間カット 2012年5月4日)
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2006年05月04日(木)
1857, HP開設、5周年  ー2            才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、インプットの吸収力が数倍強くなった。 
アウトプットの加工の過程で、知的生産を自動的に促すことになる。
その積み重ねは信じられないぐらい自分を成長させてくれる。思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。
そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割り切ることが出来る。
もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。
一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。
5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに毎日ふれることになる。
これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとでみる自分の姿も面白い!過去の自分との対話をすることにもなる上に、
忘れてしまった自分の姿に驚く。 随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。さらに一昨年も同じテーマである。
去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。だから内容が落とせなくなるのである。過去5年分の同月同日の日記を読むことは、
同時に内省をしていることになる。 毎日、自分でもよく続いたものと感心する!が、これらに縛られてしまうのも不安である。
今さらだが!ところでグーグルが高性能な検索エンジンを提供したことでブログは企業やマスコミの大手HPと同じ力を持つようになった。
 (以下は字数の関係でカット。2001年05月04日)
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2005年05月04日(水)
 1492, HPを開設して、まる4年
今日5月4日はHPを開設日で、丁度まる4年になる。海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた?
一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。まさか4年も続けられるとは、
思ってもいなかった。久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」と知り、
自分も挑戦してみようと決心をした。初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。
書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」
と書いてあった。そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。
「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。書き続けていると自分を掘り下ている実感が出てくる。
一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と
掘り下げることも可能になる。ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。表現できる場を持っているという実感が
自分の心を楽にしてくれる。このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。
HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。
「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」というが、{全くその通り!}ということも解った。
これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。
話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。
8冊の本の2冊とDVDの1枚に共通点のテーマがあった。その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが「いま」についてである。
なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口が
ないことが解ったことだ。その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。「いま」の重要性を実感するようになった。
「いま」は永遠なのである。 いや、「いま」が永遠になっていくのである。とにかく4年も経った。
やはり1000というのが大きい目安であった。そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。 
 ▼ たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、内容は全く憶えていない。そして、書き上げた後に
去年の文章を読み返してみて、ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。
人間なんぞ同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、読んでいてよくわかる。こんなものか少しは掘り下げているのか。
一度読んでから、書けばよかったのだろうが。前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。
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2004年05月04日(火)
1127, ホームページを開いて3年
 今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。
まる3年も、分岐点であることも間違いはない。毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が
良かったと後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実である。といって、そのつかうエネルギーは膨大である!
常に、何かに急きたてられているような気分である。その位のほうが良いのかもしれないし、10年20年後に振り返った時に
残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。いやそれすら、残っていないかもしれない。
三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。自分自身にプラスになるのは、
手に取るようにわかる。特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。毎日、思ったことや、
考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。それを、さらに公開するとなると、
自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、
何か不思議な感覚になる。今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから何か変な感覚になる。
知らない自分を見ているような、内省をしているような感覚である。話は変わるが、HPを開くキッカケを書いてみる。
パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の
「ホームページ」の勧めを読んで、パソコン教室に通ってHPつくりに入った。その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」
と書いてあったのが印象的であった。なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。
その意味が分りすぎるほどわかった。はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。1100回目から、あまり気張らずに
リラックスをして楽しもうと割り切った。逆にそれが良かったようで、それからは肩の力が抜けたようだ。これからは、趣味として、
お遊びのHPとして変身するつもりである。それまでは、かたく考えすぎていたようだ。あまり他人から理解しがたいタイプなので、
丁度よい手段なのだろう。それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。
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2003年05月04日(日)
 760, いかに生きたか いかに生きるか
去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
 シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
  文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。
  小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。
  (以下、字数の関係でカット2,008年05月04日)
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2002年05月04日(土)
 396, 光の旅人
三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。
昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。
ー内容は
以下は字数の関係でカットした、HPのこの日をクリックすると出てきます。
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2001年05月04日(金)
 ウオーキングについて
(以下は字数の関係でカット。

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