堀井On-Line



3796, 「役に立つ」とは?

2011年08月17日(水)

 * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間にか、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断してしまう。その是非は色いろあるが・・
しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果でしかないことに気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために
身につける人はいない。これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み上げること、そのことに意味(価値)がある。
哲学などは、目先、役に立たない。しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが人生である。 それを放棄し、
目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。
その辺のところを、今回の変動の中で、しっかりと見せてもらった。(実は、その最たるものが自分?)
 〜 哲学者?の池田昌子は、著書の中で、鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」ー学者さんー)〜
【 「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮になっている。「学問をするところ」であったはずの
 大学という場所が、レジャーランドか、就職予備校に変わってしまった世の流れに呼応しているのだろう。「学問」すなわち
「役に立たないこと」、「学者」すなわち「役に立たないことをする人」、そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりと
できあがっているようにみえる。 ・・・(中略)
 ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論に対する科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に
関係するもののことを人は「役に立つ」と言う。 相対性理論は役に立たないが、宇宙開発は役に立つ。 解剖学は役に立たないが、
医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あっての後者なのだから、この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。
文科、この無用の長物、経済学者が金持でないことが学者が無用であることの最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、
それなら中世の英文法に基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。 古代バビロニアの懊形文字の読解に
全生涯を賭けている学者の立場はどうなるのだ。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶことは就職を捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。
が、そういったことがどういったこととかを考えることこそ先決であるはずだ、という理屈は、私にとってあまりに自明なことだったので、
考えるために哲学科を選ぶことに迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚からずれてきてしまう
その核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係するという意味で、「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、
学問の府から追放せよという動きが文部省内にあると最近聞いた。こんな時代、実学以外に余計な金は出せないと。そういえば、
「総合人間学部」とか、よくわけのわからない学部の一分科として哲学科があるのを目にしてはいた。あれは、そういうことだったのか。】
▼ この随想日記の長期講読の皆様も、今回の倒産劇で、「偉そうに言っているが、何だい、この様は」と思ったに違いない。
 私自身が、「偉そうに書いてきたが、所詮は、こんなもの。自分の脳内を、そのまま公開した結果である。止めるなら今回がチャンス。」
 と少し、動揺をした。が、しかし、「目的は、自分の『弧』の中の内側をネット上で世界を公開することで、ネット世界を身近にすること、
 そして、現象世界を、冷静に見つめる直すことが出来ることである。役に立つ立たないは現象社会の波間の判断でしかないのは、今さら。」
 と、気持ちを持ち直し続けている。ある意味、断層で自分の支えでもある。役に立つ以前の問題。振り返ると、役に立たないと思っていた
 ことが逆に役立った方が多いのに気づかされる。目標地点が明確でないから、それが分からないのである。所詮、死んでしまえば同じだが。
 ・・・・・・・
3431, 我が家に新しいテレビが ー2
2010年08月17日(火)
 * 新しいTVについて ーとにかく画面が抜群に綺麗ー
 新しいTVを二日にわたり何時間か見たが、まだ地デジが映らないため、その真価は分からない。
恐らく一通り使いこなせるようになってから段々、分かってくるのだろう。まずは色いろのシーンを見て、その色合いや
音声の複合的良さが分かった。 家内が韓流映画のシリーズをみているので、その違いがよく分かるという。
  二日間の感想といえば、
・とにかく映像が抜群に鮮明で、綺麗である。歌謡ショーや、プロ野球、高校野球をみたがTVで、これだけ鮮明な映像を見るのは
 過去に一度もなかった。「映画館の映画とほぼ同じ迫力と鮮明さになった」という実感である。実物より遥かに映像の方が上とは!
・これまでのテレビとは違う「ネット・テレビ」というより、「映像専用の大容量の大型パソコンテレビ」である。
 ユーチューブを見ていて、10分前後としても世界中の数多ある映像から自分が選択した内容をTVで見ていることが不思議な感覚。
 ネットで、これまでなかったアクセスが出きるのも今までなかったこと。また色いろな写真もネットから引き出し見ることも可能。
・現在でもシャープの3Dの方が?という気持ちが残っているが、いざ画面をみると、その疑念がなくなる。
・未来のTVを目の前に突きつけられたというふうで、「東芝からの新しいTVの提案」という感。これではテレビ御宅になってしまう。
恐らく数年以内に、数分の一の値段になって、「東芝は、こういうテレビを提案します!」の、最初のモデルだろう。
ところで、実物より遥かに綺麗に見える映像とは何だろう?という、哲学的な問いが出てくる。そういえば二代前のソニーTVのハイビジョン
(ブラウン管)で、スイスの渓谷をみた時の驚きは強烈だった。TVの画面でも大自然に直感的に感動出来た、そのことに驚いた。 
それがキッカケでアルプス巡りをしてきたが。人間も自然も、光輝かせることが、可能になったということか。 ー 冬篭りか?
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3056,人生は旅である
 2009年08月17日(月)
 『人生は旅である』の喩えは昔から多く言われてきたことで今さらだが、
 沢木耕太郎著『旅する力』に含蓄の言葉があったので、その幾つかを紹介してみる。
・「旅する力」それは広く云えば「偶然に対して柔らかく対応できる力」
・「人生を過ごしていく人を旅人に喩えると、人生の目標は旅の目的地になる」
・人生で起こるトラブルは旅で起こる困難性。 その解決プロセスが人生も旅を豊かにする。
・人生の大きな区切りは、旅の日程や、立ち寄った街であり、泊まったところになる。 その街での偶然と奇遇などの
 出会いがあり、それにより次の展開が違ってくる。 そこは人生の交差点であり、人と人との交差が人生も旅を作りあげる。
・お金と知識は、人生でも旅でも大きな要素。 それは歩く旅ならバックの中の食料に喩えられる。
・旅に無性に出たくなる動機は、「感動」と「非日常」を求めること。人生でも、それが大きな要素になる。
・年齢を重ねると新しい出会いが面倒になるが、自分で乗り越えなければならない。
▼ 旅の方から人生を照射してみると、人は常に新しい出来事を求めて何事にもチャレンジする必要性が分かってくる。
そこで出会う感動と、未知との遭遇こそが人生を豊かにしてくれる。人類が数千年かけて創りあげてきた文化も文明も我われは
殆ど知らないが、旅の多くの経験を通して様々な邂逅が可能になる。地球に知的生物として生まれてきたからには、大自然も、文明も、
文化も可能な限り見聞し、感動することで世界を広めた分が自分の世界になる。旅に出る前の、あのワクワクした高まりが青春であり、
晩年に差し掛かった時の満足が人生の充実感である。そうこう考えると、まだまだ人生の旅路から多くのことを経験し続けるべきと、
書きながら内省をしている。まだ与えられた人生の有り難みが足りないような気がする。旅路の果て。パタゴニアの果ての街で夕日を見ながら
老齢の残り日とはこんなものか、アレが人生の全てを照らしたイメージか、と思ったが。そう新幹線からみえる弥彦山の日没にも。
あと12年で後期高齢者。一つの目安と考えると、一クルーをこなすに時間は充分にある。さて何をするか、何をしないかを真剣に考えないと。  
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2691, 強者同士相互扶助婚姻 
2008年08月17日(日)
  希望格差社会 −2    ー読書日記ー
「構造改革」とか「市場淘汰」という社会では、基礎的な能力が高く、かつプライヴェートな相互扶助組織を自己創造していく。 
「人脈、学閥、閨閥など」に支援されていて、かつ「戦略的に考えることのできる人間」は巧みにリスクヘッジすることができる。
彼らはリスクヘッジをさらに確実化するために、「強者同士の相互扶助組織」を強化する方向に向かう。
その端的な表れが、「強者同士の婚姻」である。 これまでの家族社会学の常識では「夫が高収入の場合は妻が専業主婦となり、
夫が低収入の場合は妻が就労して家計を補完する」。この常識はもう覆えされつつある。 話は逆になっているのである。
「夫が高収入の場合ほど、妻の就労率が高く、夫が低収入であるほど、妻の就労率が低い」という傾向が顕著になってきている。
高度専門職についている「強者」の男女が婚姻し、さらに豪奢な生活を享受する一方で、不安定就労者同士が結婚した生活能力のないカップルに
「できちゃった婚」で子どもが生まれて一層困窮化する。不安定就労者の若年男性は、事実上、自分と同程度に社会的弱者である
不安定就労者の女性の中からしか配偶者を選べない。(高度専門職に就いている女性強者が男性弱者を配偶者に選ぶ可能性はほとんどない)。
だが、弱者同士の結婚は、「共倒れ」のリスクをむしろ増大させるだけ。不安定就労の若年女性が、男性強者の配偶者に選ばれる(「玉の輿」)
確率はそれよりはずっと高い。しかし、リスク社会では、かりに女性が不安定就労者であっても、男性強者は配偶者に相当の学歴や教養や
人脈などの文化資本を要求する。言い換えれば、男性強者の専業主婦たりうる条件は「文化資本を備えた強者の家庭のご令嬢」である
というかたちで、予め限定されている。未婚率の急上昇、少子化の進行の背景には、この勢いづく「強者連合」によって蹴散らされた
「結婚したくてもできない弱者」の急増という事実がある。リスク社会は「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」という
フィードバックを繰り返し短期的に二極に分化。その結果はどうなるのか。強者はより強く、弱者は一度落ちたら二度と這い上がれない。
「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。 全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。
(以下、字数の関係でカット2011年08月17日)
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2007年08月17日(金)
 2327, ベナレス −2                 。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、本当のところホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、
良きにつけ、悪きにつけショックであった。ヒンズー教とカースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・マハールなどの霊廟や城、
ガンジス川とベナレス、そして古代から現代までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。
その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。そしてガンジス川からみた日の出。
ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。
この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。生も死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てが
リアルにそのまま露出されている。それが日本とは対照的なのである。人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた
老夫婦や、老齢になったことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる前に移り住む人もいる。
この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。
ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。この街が私を呼んだのだ」と答えて、平然としている。
彼らにとって、ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。  
死が喜びとは!素晴らしいではないか!      ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
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2006年08月17日(木)
1962, 「事業百訓」を読み直してみて
  おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・ ねむ!
  二十五年前から書いてきた社内報の事業百訓を、明日から十数回のシリーズで振り返ってみる。
  このHPのコーナーにあるものだが、書いた私自身、この数年殆んど読み返してない。
  丁度良い機会なので、纏めつつ回顧しながら読んでみる。必死に書いたのだろうが、まあ真面目なものだ。
  「そのわりには現在の貴様は何じゃい!」と赤面してしまう。読みかえしていると、大きな変化がわかる。
  特に50歳前後が大きな転換期のようだ。母を見送り、下の子供も大学に入学。事業も、目標の500室を新潟駅前で完成。
  さて、これから如何生きようか?と、深く考えていた時である。
  そして、出した結論は、『60歳過ぎの人生を全て(30数年)を、10年間の50代で生きてしまおう!』である。
  実際にそれが出来たかどうか疑問だが、その時に結論を出して、色濃く?生きてきたのは事実である。                             (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? 
  (字数制限のためカット 2010年8月17日)
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2005年08月17日(水)
 1597, ひらがな思考術 −2
ーまずは第一章のほどくの内容の概略をまとめてみた。この本は、読めば読むほど深い。
難しいことばを、簡単な優しいことばに置き換える以前に、ひらがなことばで考える習慣をつけてしまえということか。
 (以下、字数の関係でカット、2009年8月17日)
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2004年08月17日(火)
 1232, 「こころ」の出家 -読書日記
この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、等、
何らかの大きな転換期に直面してくる。情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。
 (以下、字数の関係でカット、2008年8月17日)
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2003年08月17日(日)
 865, 同級会−2
 昨夜は中学の同級会いや同期会があった。 小学校は一学年の同期が100人足らずのため、5年に一度の同期会になっている。 
中学校の同期会は今回が初めてであった。クラスで親しい男が卒業して以来初めて出席していた。名刺を見たら「日本レコード協会」
の専務理事の肩書。ということは、日本の歌の世界の隠れたドンだ。ビクターの取締役になり、その後関連会社の設立に参加。
その後今の仕事をしているという。かなり重い仕事と言っていた。早稲田を卒業後、ビクターに入社。初めの仕事が、桜田順子など
3人娘の教育係だったという。森進一など有名人は殆ど旧知の仲とか。「自分ほど面白い経験をした人間は少ないのではないか」とシミジミ。
 中学だけをみてみると、その時の成績順で人生が決まってしまっている。ちなみに一番だった男が慶応大学の教授(数年前死亡)、
二番がこの人、三番が自衛隊のえらいさんになっている。後は保険会社の支店長、学校の先生など。成績の悪い人はあまり恵まれた
人生ではないようだ。恐ろしいものだ。「何を持って恵まれた人生か?」という疑問があるが、あくまでも表面的なことだ。
あと二年で60歳、皆その歳を目安に生きてきたようで心境は複雑のようだ。しかし会えば、心は今だ中学生だ。
クラスでは50人中既に7人亡くなっている。そのうち男は5人で2割になる。 最近亡くなった人の殆どが癌だ。
地元に住んでいると、小学校、中学校、高校の同級会に出席する機会が多くなる。30歳すぎから仕事や子育てに余裕が出るためか、
それぞれ頻繁に開かれるようになってくる。私も30歳前後に地元に帰ってきてからは出席をするようにしている。
学生から社会人に脱皮の20代は、学生時代の人間関係から一度離れることが人間形成で必要である。
その為に30代辺りから自然に開かれるのだろう。同級会は40歳が社会的に最前線に立っているときであり、担任の先生の
定年時期も含めて一番良い時である。クラスによって全く開かれないか、頻繁に開いているかどちらかだ。
(以下、字数の関係でカット2008年08月17日)
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2002年08月17日(土)
 490, 随想テーマ日記の効用
毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。 
多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。 しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。
・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、その為に客観化が必要になるからだ。
・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、外部化をしていく作業が
 記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。
・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることになる。
 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分のパーツとしてつかえる。
・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。
・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、死んだあとも残る。
とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていること。
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2001年08月17日(金)
 [111] 数ヶ月ぶりの古町
数ヶ月ぶりに古町に出る。16日の為か店は半分ほど休んでいて、飲み客も少ない状態であった。昨年の暮れ行った店で‘安寿’という店で、
「人生楽しく!」が本人と店のコンセプトということをこの笑い顔を見て今思い出した。このように笑えるのは大きい財産であろう。
「楽しいから笑うのでなく、笑うから楽しい」ということを本人がよく知っているのだ。笑いは訓練でできる能力だ。古町は少し高いが
やはり面白い。私のミニノートにジョークと駄洒落の索引がかいてある。いつも鞄かポケットにいれてある。開くとα波が出てくる。


3795, 哲学人 ー②

2011年08月16日(火)

          『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
  ー 第一章 子供のころの記憶  〜時間に始まりと、終わりはあったのだろうか?〜 鵯
  私が5歳、9歳の時など、ものごとを深く考えることはなかった。10歳頃に親戚の葬式で、故人が焼却場で骨になったのを
 目の当たりにしたときに「、何故、人は生きている間に好き放題に生きないのだろうか?」と思ったことがあった。死を目前にすると
 年齢に関係なく、人生を鳥瞰する視線が顔をだす。子供の頃から時間の始まりと終わりを突き詰め考えていたマギーの頭脳には驚かされる。
【 時間に始まりはあったのだろうか? 終わりはあるのだろうか? 9〜12歳くらいまでの2~3年の間、私は時間をめぐる謎の虜だった。
 夜の闇のなか、ペッドに横たわったまま、よくこんなことを思ったものだ。きのうという日に前の日があるし、その前日、そのまた前日と、
 覚えているかぎり日にちをさかのぼつていくことができる。でも私が覚えている最初の日にも、やっぱり前日はあったはず。
 自分の誕生日にも前日はあったにちがいない。そして、その前日の前の日も。・・・ どこまでも、どこまでも・・ いや、そうだろうか? 
 この、どこまでもどこまでも溯っていくということが、私にはうまく飲みこめなかった。そんなことは不可能に思えたのであった。 
 たぶん、きっとどこかに始まりはあったはずだ。でも、始まりがあったとすると、その前はどんな状態だったのだろう? もちろん、
 何もなかった(まったくの無だった)のは明らかなわけで、そうでなければ始まりなどありえない。けれども、もし何もなかったのだとすると、
 どうして何かがはじまることがでできたのか? その何かはどこから生じたというのか? 時間がひょっこりと( なんとも不思議なことに! )
 無から現れ、ひとりでに動きはじめたわけがない。無は無であって、何かではないのだから。とすると、始まりということ自体が思いも
 寄らないことであり、始まりがあるということもやはり不可能であるように思える。こうして結局、時間に始まりがあったとは考えられず、
 始まりがなかったとも考えられないということになってしまった。きっと何かを見落としているにちがいない、私はそう考えてみた。
 選択肢はこのふたつしかないのたから、どちらかが正しいはずだ。 ふたつとも不可能ということはありえない。そこで私は、まず一方を
 集中的に検討してから他方に移り、集中力が尽きたら、またもとに戻るという作業をつづけて、どこで間違ったのか突さ止めようとした。
 けれども、なんの手がかりもつかめなかった。私はこの問題に取りつかれベッドのなかだけでなく、しだいに日中も考えこむようになった。
 初めのうちはカになってくれそうな大人たちに相談もしてみたが、彼らの反応に私の混乱はかえって増すばかりだった。自分にはわからないと
 認めたかと言うと、そんな疑間を話題にしてもおもしろくないといわんばかりに別のことを話しだけでなく、あからさまに見下し、
「おやおや、そんなことに気をまわして時間を無駄にしないほうがいいよ」とせせら笑うかのどちらかだった、私にはわけがわからなかった。】
  ▼ 神様が、ここで早めに現役からの退去(倒産)を命じたのは何故だろうか?と考えると、
  「ここで、娑婆気から一たん大きく離れ、哲学書にしろ、トルストイなどの古典的小説を腹を据えて読みなさい。
  そして、自分の過去を振り返り、そして、現在の己を見つめなおし、人生の総括をすべし」という事だろう。
  そのために、やはり哲学書を?み締める必要がある! その点、「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を、その直後、選択をし、
  その時の事象を噛み締めながら読んだことは正解であった。そして次は、この書である。それと、この随想日記の過去分を再思考すること。
 ・・・・・・
3430, 我が家に新しいテレビが
2010年08月16日(月)
* 運送会社のサービス化とは
  ーまずは、商品搬入で垣間見た「運送会社のサービス」の話しからー
「運送会社でも、ただ運ぶだけでなくサービスを付加したところが、不況の中で検討している」という話しは度々聞いていた。
具体的には何かと考えてなかったが、一昨日の新しいTVの納品を見ていて、「これが運送会社のサービスではないか?」と、感じ、
「運送会社の設置サービスですか?」と聞くと、「そうです!」という。チームで幾つかの搬入現場を同時に動いているのが分かった。
少し分からないことがあると携帯電話で現場同士が頻繁に連絡しあっている。 設置終了まで、予測どおり2時間半を要した。
その間、延べ6人が出入りしていたが、激務のようで全員が目が釣りあがっていた。色いろなメーカーの電器商品を納入を家庭にするから、
大変な仕事である。 それに対する知識がないとやれないが、それらをチームで携帯電話のやりとりでフォローしていた。
8年前のテレビの購入時は、運送業者関係者ではなかったようだ?。そうすると家具店も同じようなものか。スーパーの宅配も始ったが、
これも運送業者の受け持ちか。 これらは運送サービスの典型的事例。運送といえば、宅配便と、引越しセンターが、運送のサービス化
としての市場を形成している。それが直接に消費者に対するサービスの付加なら、家電や家具店などの業者の配送部分の委託である。
物流の一場面だから、当然、納品サービス(家電の家庭内のセットなど)付配送も、当然あっておかしくない。しかし店サイドとの軋轢が、
電話のやり取りから手に取るように分かった。これからは農家や漁業関係の産直がネット販売の出てきている。 ヤマト運輸の宅配便は、
サービス化で先行しているので、潜在需要を作るに有利。特にネット社会では運送業者のキメ細かいサービスが求められる。
これまでの旧来の運送業務だけでは、生存競争が激しい時代には生き残れないのが現実。 時代の変化に合わせて企業も変化し続けて
いかなければならない事例。 それにしても、生々しい世界を垣間見てしまった。
・・・・・・・
3055, 功利主義者の読書術
2009年08月16日(日)
 「功利主義者の読書術 」佐藤 優 (著)  ー読書日記
 佐藤優の読書術本なら、買わないわけにはいかない。
ビジネス書、世界文学の名作、哲学書、宗教書まで「役に立てる」という観点から本を紹介しているが、この人の本は決して
期待を裏切らないからよい。 私にとって「如何いう本を読むべきか」という先生役が、立花隆から佐藤優に重心が移動したと
いってよい本でもある。 この本の中に私も過って読んだ本も何冊かある ー高橋和己著『邪宗門』 副島隆彦著『恐慌前夜』 
ソルジェニーツィン著『イワン・デニーソヴィッチの一日』池田晶子著『死と生きる』ーなど、
佐藤の解説を読むと己の浅さを思い知らされる。それが、ここでいう自分の立ち位置を知るということ。 
 ここで著者は、
「実用書やビジネス書は、初めから役に立つようにつくってある。そこで功利主義的な考えからいえば解説をしても、
読者にとって追加的利益は殆どない。そういう観点から『新約聖書』や『資本論』『カラマーゾフの兄弟』のような古典が、
21世紀の現下日本と世界を読み解くのに、いかに役立つかをを、あえて取り上げている。更に、実用主義は、
何か軽佻浮薄に見えるかもしれないが、そうではない。目に見えるものだけが現実と考える傾向が強いが。
しかし、その背後に、目に見えない真理がある。その真理をつかむことが出来る人が、目が見える世界で知識を生かして成功できる。
まず、読者の問題意識によって、良書のカテゴリーが異なってくる。また人間の偏見の力は、理性よりもはるかに強い。
例えば、虚心坦懐にマルクスの『資本論』を追っていけば、資本主義の内在的論理を解明する優れた本であることが解る。」
 等々、「はじめに」の文章から、どんどん読者を引きこんでいく。紹介している本を、あえて読まなくとも、彼の解説だけでも、
何か少しは分かったような気になる。それにしても、次から次へと佐藤優は書を出し続けているが、どれもこれも、その内容は
下手のプロより造詣が深いのに驚かされる。頭の構造がどのようになっているのか?私の底の浅さは見たとおりであるが、
佐藤優、立花隆、松岡正剛などの知識は私たちとは別次元の人物とさえ思えてくる。その段差から見えてくるのは、
自分の知っている範囲でしか、理解し得ないということだ。
だから、その段差を本を読むこと、そして実践することで埋めていくしかないのである。
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2690, 若者が危ない!
 2008年08月16日(土)
希望格差社会 −1
           ー希望格差社会ー山田昌弘著・筑摩書房
著者は「若者が危ない」という。そして「若者が社会的弱者になりつつある」
「やがてこの弱者たちが社会に危険をもたらすであろう」と。統計をみると、
・親と同居している未婚成人(その過半がいわゆる「パラサイト・シングル」)は1200万人。
・離婚数は年間29万組(結婚75万に対する数値だから結婚したカップルの40%が離婚)
・結婚75万のうち、「できちゃった婚」(婚姻届提出後10ヶ月以内に出産)は15万。
・フリーター(未婚若年アルバイト雇用者)は200万人。失業中、未婚派遣社員を入れると未婚若年不安定雇用者数は400万。
・「引きこもり」については正確な数値がないが、推定50万人。
・義務教育期の不登校は13万。
・児童虐待は児童相談所が把握しているだけで年間2万件。
・「将来、自分の生活がよくなる」と考えている若者(25−34歳)は15%。
・中学生の70%が「将来、日本は今以上豊かにならない」と考えている。
どうして、こうなったか? 著者は、その理由を「リスク社会」の出現という。
 ー「リスク社会」とは何か、
「リスクをとることを強制される社会」、「選択を強制される社会」のことである。「自分のことに対しては、自分が決定する。
  (字数制限のためカット 2010年8月16日)
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 2007年08月16日(木)
2326, 被災地・柏崎の現在の事情          才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
今日で「柏崎沖地震」から丁度一月になる。昨日、家内の実家の墓参りに柏崎に行ってきたが、中心地ほど倒壊している家が目立った。
ダウンタウンの本町辺りの商店街の通りを中心として倒壊した民家と商店が生々しく現れてきた。そして(住んではいけない)赤紙と、
(住居注意の)青紙が半数以上の家に張られていた。地方局のアナウンサーのTVのクルーが撮影している姿が更にリアルさを増していた。
家内の実家の近所は特に酷い状態であった。家内の両親(故人)の住んでいた住宅は傾き隣の倉庫の壁を突き破っていた。
特に内部は目茶目茶という。そこは無人だったので人災は無かったが。義弟の話によると「始めの揺れで立っていられず腰を落とした瞬間、
次の揺れで身体が横に吹っ飛んでしまった」という。車で商店街を通っていると、自衛隊とパトカーが次々とすれ違い、次々と倒壊の家を
みるにつけ、映画のロケ地にいるようで現実感がなかった。義弟に「この地震は、即死するかもしれない事態だった!」といっても、
キョトンとしていた。そんなことを考えている余裕が無いのだろう。「柏崎刈羽原発の再開は無い!と思いませんか?
そうなれば柏崎経済は壊滅的になるので、目先の復興景気を勘違いしないように!」と忠告したが、
私が感じた角栄への怒りなど、ほど遠い話のようだ。一月経ったためか、道路等思ったより傷んではいなかったが、
やはり東電の原発の爆発まで至らなかったことが救いであった。以上が私の柏崎市の現状レポートでした。
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2006年08月16日(水)
1961, 今日はお盆−3
  つれづれに、〜お盆〜                 才八∋ウ_〆(∀`●)
昨日は、終戦記念日!もう敗戦後、61年になる。
あれから米ソの冷戦などを経て現在に至っているが、最近は宗教戦争の様相になっている。それも無差別テロが世界中に日常化してきた。
大規模のイギリスでの無差別飛行機テロ、今回は未然に防げたが、死ぬ気の連中を阻止することは絶望的だ。無差別のテロは正当化できない。
終戦直前にアメリカが日本で原爆を二発投下、一般住民を殺戮した事実とイスラムのテロと、どこが違うというのだろうか?
それだけアメリカは日本に対して悪いことをしたのだ。 人類に対してといってよい。
アメリカが広島と長崎の原爆で一般人の大量殺戮をしたことを忘れてしまったのか? 日本人よ!スターリンと、
毛沢東が数千万の自国の国民を殺戮したことを考えれば、大したことがないと許されて良いのだろうか?
ーところで盆について調べてみたー
(以下、字数の関係でカット 2008年08月16日)   
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2005年08月16日(火)
1596, 概念とは
随想日記を(旅行以外は)必ず書き続けると決心して4年3ヶ月経つ。その日以来、一日単位の柱が
この随想日記を書き上げることになった。散歩をしていても、寝ていても、全てこの日記を書き上げることが中心である。
     (以下字数の関係上カット09年08月16日)
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2004年08月16日(月)
1231, エピクロスー哲学についてー29
エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。次に印象に残っているのは、
「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が無くなるのだから、本人にとっての死は存在しない」という言葉である。
ー父が死期を悟り、その恐怖のどん底の時に、この言葉を伝えた。父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。エピクロスは、人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。 
いや逆に、肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。すなわち、官能の享楽「自足」である。
(以下字数の関係上カット09年08月16日)
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2003年08月16日(土)
864, ミッション・ステートメント       ー改訂版
 死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、 
恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝していえる人生を生きる。
 ーイメージとしてー
 80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリを している。陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて
 家内と二人幸せな絶頂にいる。海外旅行も行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。
 =そのために以下の憲法を制定する=
  ー堀井八郎の憲法ー
     (字数制限のためカット 2011年8月16日)
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2002年08月16日(金)
 589,送り火ー母への追悼文
今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。机の中から偶然出てきた文を書いておく。
  −通夜挨拶ー         
  平成8年9月25日20時
本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき有難うございました。母も心より喜んでいると思います。
この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の12時51分に帰らぬ人となりました。当初は三週間の入院予定で
順調に回復しているように見えましたが、まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。88歳6ヶ月の命でした。
母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。 
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。私自身29歳の時から21年間、母と同居、母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。 七年前に脳梗塞がでて以来、
大木がゆっくり倒れていくように・・・。そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」のすざましさを身近で
見せてもらいました。私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていました。そして途中のベンチで缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。そして一回ごとにこれが最後かと、これが至福の時かと実感していました。
今夜は通夜参列いただきありがとうございました。明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。重ねて、参列有難うございました。
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2001年08月16日(木)
 [109] 偽坊主
 *今の仏教界ーいや仏教業界よりましな話!
10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、ふと哲学的になってしまった。 内容というと
「世話になったお寺の和尚が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、口からデマカセの法事で無事代役を終える役
(偽坊主)を、トラが演じていたー そのとき奇妙な感覚になった。 まず本人ーこれを 1・能作がまづあり 2・本人の苗字があり 
3・俳優の渥美清 4・寅さん 5・偽坊主ーと重なりがある。能作?が2345を演じていることにきずいたのだ。このような場面は
私も何回も経験をした事がある。仕事も役割もこの重なり合いといってよい。この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。
渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。
 [110] 正中心一点無
15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。あまりに奇抜で面白かったので、
その人の本を買い求めた。そこにこの正中心一点無という言葉があった。見る人が見たらこの意味はお解かりだろう。
問題解決の時などこの言葉を唱えていると、その答えが自然出てくる。その中心点を無心にになって見つめて
(もとめて)いると自然解決してくる。それが難解であればあるほど、この効果が出てくる。
この言葉で今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵の袋の穴と言ってよい.それにしても、酷いのが多い。
 


3794, 哲学人 ー①

2011年08月15日(月)

     『哲学人』 ブライアン・マギー著 ー読書日記
 この哲学書が私の前に大きく立ちはだかっている。10年前に読んだ、ブライアン・マギー著
「知の歴史ービジュアル版 哲学入門」は、マーカーで真っ赤になっている。一度読み終わった後にトイレに5年以上は置いて、
ことあるごとに読み返していた。大型本で半分は絵と図が書かれており、重要な部分は大文字で書かれていて、難しい内容に対し、
ページを開く抵抗感を最小にしてある本である。 数年前に、たまたま借りてきた本が、マギーの「哲学人」だった。
今度は、そう簡単に読み進むことが出来なかったが、一年ほど前に読みおえたが、実際は、あまり噛み砕いてなかった。
350ページの分厚い、上下の二巻である。しかし、哲学評論家という立場で自分の哲学遍歴方式で書かれているので、
何とか最後まで読み終えることができた。ここで、棒線をひいた部分を中心に書き写したり、コピーしたり、デジタル化して、
私の小さなデジタル・バンクに入れるため、まず上下24章のうち、6章の要所を挑戦したい。
著者のレベルの哲学書を読み解くに、以前に彼の「知の歴史」を何年かけて読んだため、何とか続けそうな気がする。
  ーまずは、この本の上巻表紙の背裏に書いてある抜粋の部分からー
《 眠りに落ちる瞬間がわからないのはなぜ? 少年時代の疑問に大人は答えてくれなかったが、それこそが哲学だった。
「オックスフォード哲学」全盛期の学生時代。言語の明晰化に終始し、哲学を「思考についての思考」とする潮流は、
 現実世界の理解を深めたいと考えていた著者に何も与えてくれなかった。 知覚論、経験論、論理学、科学哲学…
 多くの思想を吸収しながら、ついにカント哲学に出会ったとき、著者はみずからの方向性を確信する。
 学外での人生を選択し、政治哲学の実践である国会議員と、哲学番組の企画制作の仕事を両立、第一線の哲学者と
 交流を深めながら、自身の疑問に答えるため哲学を探究していく。》
▼ この本を読んでいて、自分の子供の頃とは次元の違う世界にいて、哲学的に考えていた著者に驚愕をした。
 知的風土の違いは子供に、そのまま現れ出てくる。ところで以前にも少し書いたことがあるが、私には眠る瞬間が分かったことがある。
 「スゥ〜」と意識が失われる瞬間が分かったのだ。だから、私には、どんな偉い哲学者が、それを意識出来る訳がない、と論じても、
 私には、それが間違いと断言できる。プッツ〜という感覚で、管が細くなっていく先に落ちていく、という感じである。
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3429, 電子書籍の衝撃
2010年08月15日(日)
   「電子書籍の衝撃」 佐々木 俊尚著
「iPad 対 キンドル」と、合わせて読むに丁度よい内容、その詳細というところ。書籍が電子化されていく世界が、「本を読む」
「本を買う」「本を書く」という行為に、どのような影響をもたらし、どのような新しい世界を作り出すのか? を、探り出す内容。
  まずー著者後書きよりー
【 私は年に数百冊も本を購入し、たぶん百冊以上はちゃんと読んでいる活字中毒者です。そして同時に、年に四~五冊も本を
出している書き手のひとりでもあります。その意味で、キンドルやiPadのような電子ブックリーダーが出てくることによって、
本の世界がどう変わっていくのかは自分にとっても切実な問題としてとらえています。本文中で何度も書いていますが、
間違えてはならないのは、「電子ブックの出現は、出版文化の破壊ではない」ということです。何千年も同じような活字形式で
人々に愛されてきた本は、そう簡単には崩壊はしません。そこがたかだか数百年の歴史しかない新聞や、あるいは登場してから
数十年しか経っていないテレビとは違うところです。でも活版印刷が十五世紀に発明されて本の流通と読まれ方が劇的に
変わったように、電子ブックも本の流通と読まれ方を大きく変えるでしょう 】
 電子書籍の拡大によりコンテンツ自体が著者や発行年にかかわりなく平準化し、よりセルフパブリッシングが拡大する。
音楽の世界がデジタル化で起こったことが、ほぼ同じように書籍の世界でも起こるのである。
その結果、既存の出版モデルは立ちいかなくなるということだ。
・キンドル、iPadというタブレット式パソコンが一躍脚光を浴びてきた
・そこには優れたプラットフォームがあり、
・電子書籍化でセルフパブリッシングが可能になり、フラット化する
・さらにツイッターなどのコミュニティなどでコンテクスト消費的な動きになる。
本屋もCD・レコード店、出版社、音楽出版社もiTunesやアマゾンの淘汰されていく運命にあるということ。
kindle・iPadが、iPhone・iPodと同じように、それぞれの世界を淘汰していくプロセスを踏んでいくのである。
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3054,渡辺淳一の不良講座
 2009年08月15日(土)
 渡辺淳一著『反常識講座』 
ー第六章 軽率になって恋をしよう
 渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。恋愛感とテクニックは、著名な作家は
品位を疑われる?とかで正面きって書こうとしない。恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。
渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることはー
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を
 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。
・ たとえば、いきなりデートとかを誘ったり、「綺麗ですね」とかいうのでなく、 着ている服とか、バックなどの持ち物、
 髪型の変化を褒めながら近づく方が、好感を持たれる。
・こと恋愛に関しては、「巧言令色」で良い。 まずは言葉で表現してやる方が効果がある。
・恋愛は、プライドを捨てること。特に男は精神的なカッコを付け過ぎに陥る。そのために男はやたら我慢をして逆をいう。
 これは女性に嫌われマイナスになる。 こういう人は、固い家庭の環境に育ったのに多い。
  *軽率に *プライドをすて *駄目もとでつきすすむ。 この三点を守れば、自分の正直の姿を見てもらえる。
 世の中は重厚長大は終わり、軽薄短小の時勢にならって、恋愛もこの三点を守るべし。
・男と女は体の具合がまったく違う、特に性欲は、女は男の5分の1位と思っていたほうが良い。
 そこに至る順序をとること。 そこで必要なのは小まめさ、それが女性の口説きの最大の武器。
▼ こんなところだが女性の職場に長くいたので、これが基本中の基本ということは理解できる。職場の同僚と恋愛相手とは
 少しは違うが、扱いは同じである。 メス猿ぐらいに考えて、目線を同じにしないで一線を画することと、とにかく優しく
 親身になるところは同じ。 こと職場では、男女というより人間としての同一の部分を強調して接すればよい。
 「相手は生身の人間、それも男女の仲であれば、小手先では無理。 自分の全力を集中しなけらばならない」 
 「幾つになっても人間の原点は恋愛にある」という主張は納得はする。
 アンチ・エイジングにはもってこいだが。 今さらバカくさい方が先にたつ。
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2689, 他山の石のことながら
 2008年08月15日(金)
 ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした
他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、
 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。
 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。
(字数制限のためカット 2010年8月15日)
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2007年08月15日(水)
 2325, ベナレス −1          ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。
実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。
全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。 こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つである
マニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと伝えられている。
河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどであろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時には
ここで十数体の遺体がいちどきに焼かれる。 ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
  (字数の関係で中間カット 09年08月15日)
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2006年08月15日(火)
 1960, 人生を物語るとは? −2  。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。
 意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。
 意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って生きることが 意味ある人生であり、
 価値実現のプロセスが物語になる。大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も変わらないが、
 これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。子供の方は何を言えば目前の大人が喜ぶかを、瞬時判断して答える。
 従って、その質問自体が洗脳作業になっている。 ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、
 一人物語っていることになる。ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する反対語か? 堕落物語は?
 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか? それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、
 如何でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、それらのことは些細なこと!
 お盆で里帰りをしている祖先の霊が一番いいたいことは、そのことである。 『そうでしょう? ご先祖様!』
  ーご先祖様ー
  『全くそのとおりじゃ! 死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は!
  日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。
  しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。
  その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。
  生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は!
  此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』    ホンジャ UvU/  バイバイ!  
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2005年08月15日(月)
 1595, 自民郵政解散の攻防−5
今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。 
 (以下、字数の関係でカット08年8月15日)
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2004年08月15日(日)
 1230, 広松渉(4)−哲学についてー28
価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている
本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。
文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。
  ー大雑把にまとめてみると
・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある
・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく
 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。
・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。
 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー
第三章 実践するとはどういうことか
 第二節 実践と価値評価
 ー概略ー
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、
価値は哲学上の一大テーマなのです。 哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。
・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である
 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。
 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。
 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。
・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張、相対説は
歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも
「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、
そうではない。マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。
現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。
 ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー
人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。 
動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。
総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に
賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる
賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる
行動の間主体的同調化、ひいては、行動様態についての当為的価値評価の共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。
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偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で価値観について取り上げていた。
今年の価値観は哲学として取り上げた内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。
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2003年08月15日(金)
 863, 「タイムクエスト」ー読書日記 (2)
ベンジャミン・フランクリンの13価値観を自分にどの程度
実施しているか,100点満点で主観で自己採点をしてみた。
1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。          ー40点   
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。     −50点
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 ー75点
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。−80点
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 −90点 
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。−85点
7、誠実  偽りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし−80点
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。    −75点
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。     −60点
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。                 −70点
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。    −90点
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、
  また自他の平安ないし信用を傷つけるが ごときことあるべからず。      −65点
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。          ー50点
 ー以上の平均は70点である。
   (字数制限のためカット 2011年8月15日)
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2002年08月15日(木)
 488, 毎日が刺激的−2
先日のアメリカ第六位のUS航空が倒産した。ところが、アメリカン航空と並んで世界最大規模のユナイテッド航空が、
やはり倒産寸前という。自動車でいうGMかフォードクラスの会社だ。アメリカン航空と供に20?
近くの前年対比の落ち込みだという。アメリカ全体では−11?で大手ほど昨年の9.11の落ち込みは激しい。
パン・アメリカン航空など吸収したりしていた10数年前の姿は今や昔の話。昨日のニュースで、この一年で
アメリカン航空が20?の人員と、客席の9?の削減とかの内容の合理化案が出ていた。特にアメリカン航空が狙われており、
9・11以前にテロリストがアメリカン航空の株の空売りをしていたと噂されている。その前からサウスウエスト航空などの安売りに
体力を奪われていた。 ある日突然思いもよらない事がおきる時代である。来年はイラク戦争があり、さらに客足は減るだろう。
US航空だけで3万5千というからユナイテッドの場合はどうなることか。組合が強すぎて賃下げなどの合理化が遅れたという。
たった20人のテロリストにより、とんでもない事が起きえる。これが21世紀ということか。
・・・・・・・・・
2001年08月15日(水)
 108] 夢について-7 2001/08/14 07:45
毎朝地蔵様に‘あの世で安らかにお眠りください’とお参りしているためか、
今年に入って母の夢を見る事が少なくなったが、昨日の朝久々に母の夢を見た。
いつもそうなのだが自宅での生々しい夢である。痴呆状態のしかし姿は幼児の母である。
今回は玄関の辺りで何かしている、よく見ると仏像にお参りをしている夢である。
盆にピッタシの夢である。母が自分の中に生きているとか言うが、私の場合夢の中で自由奔放生きている。
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今朝 見かけた鴨。一時200羽いた事があったが河川工事で少なくなった。丁度真ん中あたり。


3793, スポーツジムの景色 −3

2011年08月14日(日)

 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか? というと、体重は元もと早朝のウォーキングと、サイクリングの効果で、
適正体重を20年以上は保っていた。そのため、減増はないが、頬の弛みは無くなり体調は非常によい。
二年前に3〜4年に一度の重い腰痛になってから、色々の腰痛対策の工夫をしたプラス効果は出ていた。 しかし4月からの
午前中のサイクリングを含めた三時間の運動は、これまでの足腰の関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の関節が固まった
感じが、このジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後の年内には、さらに一絞りした身体が出来ているはず。
 ジムでは、常に各種エアロビックと、イージーライン(インストラクターの指導下、6つの器械とステップ台で運動を繰りかえし
一周する)などのプログラムが開かれている。 別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、筋トレマシーンで独自に過ごせる。 
時に昼をマタイダときは、外出も可能。 謹慎の身?にとって、昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。
喫茶店替わりである。 これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。 ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると
【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。フィットネスクラブとも呼ばれる。 定義は明確ではないが、
 たとえば日本の経済産業省の特定サービス産業実態調査におけるフィットネスクラブの定義は、「室内プール、トレーニングジム、
 スタジオなど室内の運動施設を有し、インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、体力向上などの
 トレーニング方法などを教授する事業所」とされ、室内プールの他に室内運動施設を有しない事業所は除外するとされている。】
▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルームが加わっている。またランニングマシーンはTVつきである。
 ポイントは施設に多くの種類の施設を備え会員数を集めること。今月から極端に会員数が減ったため?、値段を平均一割程度下げてきた。
 この施設も半年以上もかけて完成した。しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の難しさを他山の石として
 見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、iPadなどのタブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。
 ・・・・・・・
3428, 今日、我が家に新しいテレビが
2010年08月14日(土)
 八年近く使ったテレビを、地デジの切り替えとエコポイントもあり、ここで切り替えることにした。 そのため今年に入ってから
「どの機種を買おうか、何時買うか」をゲーム感覚で、家電店、そしてネットで、集中した。 昨年からはバックライトのLed方式のTVが
最近、家電売り場で目立っていて、買うならこれと決めていた。 ところが、この春のエコポイント制限期限が終了間じかになると、
3Dテレビが脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った後に、これ。 そうすると今度は3Dテレビに気持ちが移った。
パナソニック、ソニーと発売されたが、シャープの新商品を待つことにした。 薄型TVに関しては、現段階ではシャープが一番と
家電の担当者は、どこでも口を揃える。そして4原色を売りにした3Dを発表したが、これがベストの結論に達した。 
 ここで話が変わるが、昨年暮れに東芝がCELLREGZAを発表、さっそく店頭に並んだ。 さすが画面が圧倒的に綺麗である。
これまでのテレビを超越した、未来のテレビというふう。 この開発過程ををNHKのドキュメントで、この1月24日(日) に
「メイド・イン・ジャパンの命運」と題して放送した。 そこでみたTVは、これまでと異世界を覗き込んだ印象であった。
しかし値段が100万。 「これだけ進化が激しい技術革新の中で、100万のTVなど買うことはない」と興味が薄れた。
 で、2週間ほど前に近くの家電チェーンで、シャープの60インチの3Dの4原色の一番ホットのテレビを発注した。
48万円+音響9万=57万である。少し高いが、テレビには金を惜しまない方が良いのは、経験上知っている。
ところが、注文した帰りの足で近くの家電チェーンに帰りに立ち寄ったところ、何と今度買ったテレビと同じものと、その隣に
CELL REGZAが並んで展示してあった。 新規開店したばかりの家電チェーン店で、東芝のそれと、隣あわせで、
「さあ、どっちを選択するか」と迫っていたのである。 そこで買った意地で何度も両者を見比べたが、東芝の画面の方が綺麗。
更に直感的な画面や機能が圧倒的魅力がある。 で、パンフレットを貰ってきて、家で一晩考えた。価格ドットコムで値段を調べると、
68万まで下がっている。ということは、買った店で粘れば70万円まで下がる。 今度、買ったテレビ、プラス音響つきで
合計57万円。 CELLは音響は特別仕様で、これまでない高音質で、音響機器の必要がない。 そうすると13万円を
プラスすればCELLが買える。さあ、どうしようかである。 しかも、3TBの録画機能が付いている。それが13万として、
差し引きゼロ。 私の人生も酒の飲みすぎ等を考えると、長くて、あと10年?。そうすると最後のテレビになる。
それなら、これ! と結論。 これに決めると同時にパンフレットの説明書を見ると、この決定は間違ってなかったと確信できた。
 というわけで、今日の午前中に納品。  テレビを見ているとバカになるというが、見る番組によるだろうし・・・
「贅沢?」という内なる声に、「18年も車を乗り換えてないし、趣味の問題でしかない!」と、言い訳をしている。 可愛いもの。
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3053,人を殺すということはどういうことか −2
2009年08月14日(金)
 「人を殺すとはどういうことか ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の大部分が罪など悔いてないのである。
犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望のためなら他者の生命は全く価値も尊厳も感じないと暴露する。
照魔境で照らすと、多くの悪魔の姿が映っているに違いない人たち。 著者は、ここで罪の深さを知り、
カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる良心」の重要性を語る。 
「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような仲間をみて実感する。
 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の希望も全て破壊し尽すということなのです。
それ以外にも、さまざまな負の感情を植え付け、歳月の経過と共に風化させるどころか、増殖させてしまうことに
気がつき愕然としました。・・・・私は殺人には償う術はないと思っていますが、それではどのように生きればいいのか
について、懊悩してきました。 ・・・考え続けるほどに、人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。
・・・「獄」という字は、獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。
正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。
 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると思っていましたが、現実は違いました。
反省や更正とは無縁の世界に、初めは反省や償いの心を幾らかでも抱いていた人も、流され、
その世界に同化していったのです。真摯に己の罪に向き合うことが、変わった生物でも見るかのような空気があるのです。
「愛する者を奪われた人は、どこにも光はない。地獄のような人生が死ぬまで続く」何とも救いのない言葉です。
  (字数制限のためカット2010年8月14日) 
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2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)                  
  ー遊びをせんと生まれけむー    −読書日記−
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、絵画、音楽、映画、演劇などに
  感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」
  にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。
  この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。
猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。
おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で
発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、
足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。
  (字数制限のためカット2010年8月14日)
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2007年08月14日(火)
2324, 嘘でしか語れない真実もある!       (。・・)ノぉはょぅ♪
芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。
あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。末期がんの患者に、
「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか? 死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにしてやる方がいいのか?
これは誰も判断の出来ないことである。日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。
女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。 いや、真実を引き出す行為か? プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら
平気で嘘を書きなさい!と教える。読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。
「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 
何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか?
少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。 嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は
自分に跳ね返ってくる。相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。嘘でしか語れない真実?
ー以下は字数の関係上、カット。(09年08月14日)-
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2006年08月14日(月)
1959, 人生を物語るとは? −1   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
  * 人生を物語るとは?
 自分の人生を振り返り、現在への筋道をたどって、その意味を考えるという、人生の総括である。
悪く言えば自分の人生を絶対肯定化、正当化しようということになる。 自信が無いからか? はたまたドブ沼のドロさらい? 
いや宝探し? 自分の人生を物語ることが、自分の人生の意味づけなら、「物語の意味は何か?」を、考えてみる必要がある。
哲学者のリクールは『時間と物語』の中で、「物語」の本質は「筋」の存在にあり、「筋」とは不調和なものを調和の中に組み込み、
そのことによって不調和なものを理解可能 なものとし、感情の上でも受容できるようにするのだと論じている。成る程!そういえばそう。
哲学者は上手く真理をつくものだ。「物語」とは「筋」に 沿って配列された出来事の連鎖ということになる。たどってきた過去を振返り、
現在という到達点に至った道のりの要所ごとの出来事を再編成していく作業が、その人の物語になる。
ーある本に「物語」について解りやすく書いてあった。
   先ず、それを紹介してみようー
  自分の人生を回想的に語るとき、
・第一に、 私たちは人生において 経験したことのすべてを語ることはできなし、語ろうとも思わない。
 「語るに値すること」「語ってもよいこと」「語るべきこと」といったフィルターを通過した出来事のみが語られる。
  回想とは模写ではなく、抽象である。
・第二に、 私たちは人生において経験したことを、たんに時間の順序に従って語るわけではない。
  一見、そう見えるかもしれないが、実は出来事間の因果関係、起承転結というものがそこでは意識されている。
  語り手は、「人生上の出来事を因果の連鎖によって結びつけることによって、自分がかくかくしかじかの人生を歩み、
  別の人生を 歩まなかったのはなぜか、ということを説明しようとしている」のである。
・第三に、私たちはそうした 因果関係の連鎖として語られる自分の人生に対して、「幸せな人生だった」とか
 「つらい人生だった」とか―実際の評価はもっと複雑であろうが、何らかの評価を下している。
  このように個人が自分の人生を回想的に語る(抽象し、説明し、評価する)
  とき、そこには「人生の物語」のパターンが 先行的に存在している。
  だからこそ私たちは、それほど苦労することなしに自分の人生を語ることができるのである。
   また「人生の物語」のパターンは、人生を回想的に語る場合だけではなく、
   これからの人生を どのように生きていこうかと考える場合にも役に立つ。
   子供は「人生の物語」と出会うことによって、「人生」に対して自覚的(目的論的)になる。
   日常生活を構成する諸々の活動が「人生」として 組織化されてゆくのだ。
「人生の物語」には四の類型に分けられる。 
 ・まずは努力と上昇を二大要素とする「成功の物語」 ・そして「幸運の物語」 
 ・「挫折の物語」 ・「堕落の物語」
    「幸運の物語」とは「努力せずに上昇する(棚からぼた餅)」 物語であり、
    「挫折の物語」とは「努力はしたが上昇できなかった」物語であり、
    「堕落の物語」 とは「努力せずに下降していく」物語である。
    「成功の物語」こそが近代社会における「人生の物語」の正本であり、
     他は正本の正統性を際立たせる ための異本である。
     とくに「堕落の物語」は反面教師として「成功の物語」とワンセットで取り上げられることが多い。
 ー以上である
  実際の人生の総括とは、混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、ドロ(成功・失敗・挫折・幸福)
  を抜き出していく作業である。成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、二次的なものでしかない!  ーつづく
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2005年08月14日(日)
1594, 犬の散歩
毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。何時も思うのは、犬と飼い主が似ていること。
特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくり。顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。
以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、時代時代に犬の流行があるようだ。ハスキーが多い時期があったり、
ラブラトール・リトリーバーやゴールデン・リトリーバーだったり、最近はポメラニアンやミニチュア・ダックスフンドなどの
小型卓上犬が目立つ。実家では、必ず犬を飼っていた。そして、それぞれの犬の思い出が多くある。まぎれこんだり、拾ってきた犬で、
雄雌関係なく「コロ」という名前であった。しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。
もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが「犬が飼えなかったこと」である? といって、いま現在では躊躇する。
そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。どういうことだろう? 恐らく放し飼いが全く無くなって、
チャンス?が無いのだろう。ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、その口笛が
聞きほれるほど上手い。その三匹の犬、飼い主に似てか?すれ違う犬に大きく吠え掛かる。
口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。ところであるベストエッセイ集に「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。
   そしてプロの文章はすばらしい。
最後の文章を抜粋してみる。
  ー犬に似るー 
 ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、
短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。
しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。
猫やカラスを追いかけるとすぐに息を切らす。息を切らすと、はあはあと長く舌を出し、腹を大きく波打たせる。
どったと寝転がっていることも多い。 そのそらのようすは私にそっくりらしい。いや、私がそらに近づいたのだろう。
先日、家の前を通っている二人連れの会話が聞こえた。「ここの犬、この家のご主人とそっくりよ。毛の色も一緒だし、
体格もうりふたつ」「へえ、じゃ、どっちが犬かわからないわね」 私は思わず吠えそうになった。 (坪内稔典 俳人)
 最後の一文がきまっている。
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2004年08月14日(土)
 1229, 死亡欄
この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。
傾向として40歳台から死ぬ人がおおくなる。反面90歳後半や100歳という人も結構多い。時々、子供や20歳そこそこの死亡も目に付く。
やはり女性は80歳台、男性は70歳台が多い。それぞれ一行の名前と年齢の中に膨大の人生が詰まっていると思うと人生の深さを感じる。
(字数制限のためカット2011年8月14日) 
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2003年08月14日(木)
862、「財産を無くす人、財産を残せる人 」 ー読書日記
 ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-  清水洋/著
 ー以下は字数の関係上、カット。(03年08月14日)
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2002年08月14日(水)
 487,アメリカンインデアン
以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで仰天した。口伝で代々受け継がれてきた内容が
3万年以前のものだたりする。その内容がどうも正確なのだ。特に「一万年前にシベリアを通ってベーリング海峡を渡る」
の内容もあるという。
(字数制限のためカット2011年8月14日) 
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2001年08月14日(火)
[107] 「私の死亡記事
 「私の死亡記事」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて
書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
−私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬、但し身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。
 


3792, つれづれに ー 今日は御盆

2011年08月13日(土)

  今年の御盆は格別の思いである。 姉、兄に続いて、私もこの三月末で会社を倒産させてしまった。
「亡き両親と兄たちに、どう報告すべきか?」という気持ちは、何処かにある。急激な悪化は、あと数年は大丈夫という見通しも、
数ヶ月もしないうちに、少し前倒しの決断をせざるを得なかった。この事態の中でも事業を継続発展させるのが私の務めだったはず。
経営は結果責任、言い訳は一切無用である。20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そしてトドメが三年前のリーマンショック、
その上に更に東北大震災。 この20年と、これから10年の異変は、明治維新と第二次世界大戦に匹敵するか上回る規模になる。
問題は、それが今だ進行中であること。 父親が、第二次世界大戦の敗戦時には42歳であった。私は現在、65歳で、年齢からみて
再チャレンジ出来る年齢ではない。 また情報化とグローバル化の時代背景がある。 特に、情報のネット化が数千年、
いや数十万年に一度の人類にとって想像を絶するツールで、人類のあり方そのものを根底から変え始めてきている。
 情報化、デジタル化は、多くのものを無料化させる力が働く。これはプラスにもマイナスにも働く。携帯電話にパソコン機能が入り、
個々人の間の情報が瞬時にやり取りが可能になった。 そのため世界中の既存体制が、そのコントロール不能になっている。
この中での事業経営は、非常に難しくなってしまった。 日本も世界も、この混沌とした中にあって、大きな岐路にたたされている。
この時期、リーマンショックで疲弊した日本に千年に一度の東北大震災が襲った。この布置は、世界規模では戦争か、災害が起こる
可能性がある。 それが我々の前にどのような事態で現れ出るのだろうか。 幸いといって良いのか、世界に先立って、日本は20年前に
バブル崩壊を経験し、国家も、会社も、個人もダウンサイズをしてきた。その点では、体質が既に変わってしまっている。
 第二次世界大戦の半年後に、日本で生を得て、そして、それに匹敵する変動を、ここで経験している自分が、そして日本がある。
その三分の二が右上がり、三分の一が右下がりであった。人生の丁度良い時節が、歴史的繁栄の右上がりだったことを感謝している。
日本の浮き沈みに自分の人生が、ほぼ同じように重ねっていた。 所詮は国家と盛衰のウネリの中で、浮き沈みをするしかない人生か!
 目出度し目出度し!より、この方が、よほど良い人生かもしれない。 そう思うしかないが! でも、やはり恵まれていたことになる。
 ・・・・・・・                        
3427, iPad 対 キンドル ー4
2010年08月13日(金)
『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
   * タブレット式パソコンのブレイクの意味することは
 日進月歩にパソコンが形を七変化をして便利な道具として提示されてきている。その一番ホットなのがモバイル携帯電話。
代表的なのがiPhone。それが今やiPadにとって代わろうとしている。早くいえば4倍の大きさのiPhoneである。
これをキッカケに多くが参入を始めてきた。 その競争が激しくなればなるほど、消費者は使い勝手が良くなる。
その結果、マスコミと出版業者の大部分が淘汰される。これにツイッターのようなミニ・ブログを個々人が持って、
情報の受発信を始める。 空間を越えて、それぞれがキーワードで繋がるのだから、これまでとは全く違った社会になっていく。
これからの社会の変容は誰も予測はつかないし、これまでとは違った価値観が出てくる。 
 考えてみればパソコンが卓上と、ノート型パソコンしかなかった方がオカシイ、ということになる。最近になって携帯に
パソコンが付いたばかり。 これが板状の平面のパソコンになった。 とすると、次の何かが出てくるはず。
ヘルメット式とか、メガネに画面が映し出されるものとか、投射式とか、想像を遥かに超えたものが、早晩に出てくる。
 デジタル化されたものは、無料化の方向を避けることができないというが、それからすると書籍も無料化の方向になる。
そうこう考えると、このiPadは、その起爆剤になる。 10年ほど前に、「現在の情報化の状態を、高速道路にたとえるなら、
数百本の車線の高速道路に、今だ、数本しか車が走ってない状態。それもノロノロした車ばかり。 そこに、今後、
どれだけの車が走れるかどうかが今後の問題」という解りやすい喩え話を聞いたことがある。
その車線の一つがタブレット式パソコン。 高速道路は、ますます拡張されているが、車はまだ少ないのが現実。 
しかし車は爆発的に増え続けていることは間違いない。 紙媒体は十年以内に激減し、大部分がデジタルに変わるのは、
音楽や、デジカメなどを見れば歴然としている。 ただ数百年の歴史を持つ印刷の情報手段が簡単には変わることはない。
 しかし、劇的にとって代わる潮流は激しいくなる。 気楽に文字を音声に換えて聴覚から脳に入れる方法も本格化する。
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3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い?
2009年08月13日(木)
 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。
私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも悪かったとも思っていない。 
どっちにしても同じでしかないのは分かっている。それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。
ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 
が、あったのである。 渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。
 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。  
  その概要といえば
【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。
田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して
無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、
レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ
逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、
その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が
美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。
若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない
緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の
幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】   まったく、その通りである。
 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。
どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、
地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な
緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・
 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、
大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の
仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 
この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の
猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。
そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、
当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。
 それぞれ! ということを知っているから。
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2687, 閑話小題 
2008年08月13日(水)
 *お盆か〜
お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。
もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。
盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。
娑婆の隠れレジャーを同調することも無い。大多数は集団休暇しかまとめて休みを取れないのだから。
去年の13日は、スナックをワザワザ開けてもらって兄夫婦と、姉夫婦とドンチャン騒ぎをしたが、今年は?
これを書き上げ墓参りに出発である。 盆が終われば、アッという間に正月だ。一年は本当に早い。
 そうそう9月か10月の旅行先を決めないと!昨夜半に、不思議な夢をみた。何処かで小さな祠を見つけ中をみたら、
仏像があった。その後ろにダイヤが埋め込まれ、不思議な雰囲気を漂わせている。誰か死者の霊を収めた像である。
持ち帰るかどうか迷った上に持ち帰った。この夢、タイミング的にみて何かを示唆しているのだろうか?
 *北京オリンピック
 *最近の車事情
(字数の関係でカット 2010年8月13日)
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2007年08月13日(月)
2323, 面構え       ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。
先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、やはり人生の風雪に
鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が出来てくるのは50代に入ってからである。
『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。
片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。
その中の第1作「足利尊氏」など、あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。
(字数の関係でカット 2011年8月13日)
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2006年08月13日(日)
1958, 今日はお盆ー2        \(^▽^*)おはよう
「今日はお盆」というテーマで書こうと思ったが、この日に、そのテーマで書いてないわけがないと振り返ってみたら、
4年前にチャンと書いてあった。(あとにコピーしてあります)気がついてないで書いていたら、80?は同じ内容だったろう。
4年も経って、大して成長していない?自分の脳が見えてくる。まあ、後退しないだけでも有難いと思わなくてはならないか?
    \(∀\)ココハドコ? 娑婆娑婆♭♯♪〜(/∀)/アタシハダアレ?  ユー レイ♪ノ(^-'o)♪☆(o^-^)\ 
レジャーの無かった時代の盆・暮れという里帰りのシステム、当時の長期?休暇だったのだろう。
考えてみれば良い文化である。一年に1~2度、田舎に帰り家族や幼馴染に会ったりするのも良い。
先日、学生時代のゼミの後輩と酒を飲んで聞いた話だが・・ ーM氏は東京の中野に住んでいるが、小学校の同級会を開こうと
思い立って同級生と三人と名簿を調べたら、63人の同級生が他に一人しか見つからなかったという。
都会は、それだから良い!と思うのか? いや寂しいと思うのか?やはり後者だろう。              
  オバケダョ〃∋(`∇´∋〃 〜(m ̄ ̄m) 〜〜(m´ρ`)m 〜(m~ー~)mヘ(^ヘ^)(^ノ^)ノ (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _
田舎はスローライフという意味では住みやすいが、刺激が少ない。そこでセカンドハウスを出身地に持とう!
という運動が起きている。生家をセカンドハウスにして、地方で働き時々都会生活をするパターンだ。
しかし、それだけの余裕が持てる人が何人いるのだろうか? さっき、デジタル・カメラの写真を整理していたら、
高校の同級生の個人の墓の写真が偶然出てきた。今年になって三度、散歩の途中に立ち寄っていたが、
今日の特別のコースで行って見るか? 今年は、その故人の会社も潰れたし・・・
お盆の「懐かしのメロディー」を聴きながら下書きの、この文章を書いているが、まあお盆!に良い番組である。
これを見ていると、年々歳をとっている自分に気づかされる。 さてと、墓参りに行こうか!
・・・・・・・・
2005年08月13日(土)
1593, ひらがな思考術 −1  −読書日記        
図書館から借りてきた本だが、目から鱗の本である。著者はコピーライター、シンクタンク社長、コミュニケーション学部教授、
という三つの経歴を持つから言葉に説得力がある。ひらがなでわざわざ文章を書いてみたら、なるほどドンドンかけるのだ。
いままで何をしていたのだろうと、驚いてしまった。 とくに ひらがな三語 日記は面白い。
 ー今日の三語日記というと
たかしかえる おぼん おおあめがたたきつけている これで今日の大方がわかる。
ーこの本の概要というとー
 (字数の関係でカット 09年08月13日))
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2004年08月13日(金)
 1228, 広松渉(3) 哲学についてー27
ー人生舞台の役・割について
「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))の概略を前回書いたが、行為の存立構造をなしている
「役・割」について、私の説を書いてみる。「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。
永遠の人生の課題といってよい。結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。
それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。離婚は互いの相性もあるが、
この複雑に入り組んだ関係もある。演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。
長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、コトは複雑である。
嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。
その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。 家という制度が強い時代ならまだしも、
今のように個人が主体という時代では、嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。
地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、行為の存立構造は露わになるケースが多い。
・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
   (字数の関係でカット 2010年8月13日)
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2003年08月13日(水)
 861, プライドー2
 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。その状態が逆にエネルギーになる場合もある。
その為には、常に本を読み続けなくてはならない。心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。
したがって子狐は本を読まない人ともいえる。「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、ある飲食チェーンの
創業オーナーが言っていた。「表面的な面子などのプライドを捨て、心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」
「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。
自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、捨てられるだけの実績と自信がないからだ。
 捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしての
それしかないからである。といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。
表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。それを一生続けて死ぬときに
「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。それが失敗の人生である。
 「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている
のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。「最後の拠りどころのプライドを持つのが
どこが悪いのか、それを否定したら人間は生きていけないのではないか?」という声が聞こえてくる。 
最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだからそれで仕方がないともいえるが!「夢」「志」を持てなかった人は、
それでもよいのだろう。 「おいプライド!  たかがプライド! されどプライド! あ~あプライド!」
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2002年08月13日(火)
 486, 今日はお盆
13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。祖先の霊が、仏壇から居間の
仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。
今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。
13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。両親の墓と母親の実家の墓だ。その中である墓参りの話しをしてみる。
幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、
父が生きている間に、自分たちの墓参りする約束をした」とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。どういう訳か解らないが、
いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。その時のご馳走が楽しみであった。 当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。
母が元気なうちは、母といつもお参りをしていた。母が言うに「永代経のお金を払ってあるから私が死んだらお参りをしなくてもよい」
とのことであった。しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。
やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、明治25年と
墓に書いてあった。 今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。
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 2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い! 各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて
書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対して意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
 −私も書き始めたが侘しくなってきた。
 死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの 遺言の為に音楽葬、ただし身内のみで。
  近じか真面目に書いてみよう。


3791, スポーツジムの景色 −2

2011年08月12日(金)

 このところジムが何か変である。4月初旬に入会したが、当時は平日の午前中に関わらず会員で満タンで、
「ここは不景気とは別世界、私の知らないうちに社会は変わってしまった」と、思い知らされた。 まずは値段の安さである。 
昼間の空いている時間帯(主婦と定年後の団塊世代を狙いをつけた時間帯=金曜ー定休、日祭日を除く10時から17時)のコースが、
月に5980円である。 私は、ほぼ皆勤で10〜12時の二時間は通っている。20日で割ると一日300円でしかない。
 しかし私が入会後、一月もしない5月のゴールデン・ウィーク後から、ジム内の会員数が激減をしている。
まずは三割、そして五割、最近では三分の一ほどになってしまった。嘘のようだが、本当である。僅か4ヶ月のうちである。
平日昼の時間帯からみて、景気に敏感な主婦層が多いこともあるが、東北大震災の影響が直撃したようだ。
会費が二月分前払いのため、連休明けから激減したようだ。また場所柄、農家関係も多いこともある。考えてみれば新潟は福島の隣県。
イメージからして、農作物は中長期的にみて大打撃は避けられない。農業関係者なら敏感なはず。 連休後から御友達紹介キャンペインを
始めたが、新規の見学者が、このところ少なくなった。 スポーツジムはレジャーの範疇に入る施設である。 10年前の9.11テロと、
3年前の9.15−リーマンショックは、数百年に一度の文明と政治経済の大激震。その影響が、まずは日本に直撃。 それで今回、
私の事業も倒産に至った。 その上に、1000年に一度の地震・津波の自然大災害と福島原発事故である。 そして先週末からの
世界同時株安が襲ってきている。 ジムが劇的に会員が激減していくのも当然といえば当然。
 家内は10年前から信濃川の川辺のイオン内のスポーツジムに通っている。 そこで家内に、会員数が減っているかどうか聞いたところ、
「元もと少ないので、減った感じはない」という。 とすると、ジム愛好者が居酒屋が新規開店に殺到するように、新しいジムに
様子見に来たのが一巡し、前のジムに舞い戻った要素もあるのだろうか?と考えてみたが、新しく大きい方が、より多くの種類の設備が
付加されているので、大方が元に戻るというのも考えにくい。 やはり大震災の影響である。それと私自身の見方が、時が時だけに、
悲観的にみてしまうことも考慮してもである。休日は、市営の公共施設のサンライフにいくが、そこで一通りジム設備が揃っていて、
我慢すれば出来ないことはない。公共のジムを二つ兼ねれば、それなりの満足感を得ることも可能である。スポーツジムからみる、
景気も、そう甘いものではない。 それにしてもジムは、ゴルフをしない者にとっては健康にとって、非常によい。 
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3426, iPad 対 キンドル ー3
2010年08月12日(木)
   『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 * iPadは「eBook」ではない?!
 初めの発表会でiPadが画面に出たとき、会場は単に大型のiPhoneに、がっかりしたようだった。
しかし途中から、会場の雰囲気は変わっていった。「10インチ」の意味が、デモを通して来場者に分かってきた。
アップルの狙いは「eBook」ではなく「リビング」ということが、ジョブスの紹介からみえてきた。
モバイルデバイス、要は「屋外に毎日持ち出して使う機器」だけでなく、リビングにシーンを移動したのである。
この数年、小型モバイルパソコンが爆発的なブームだったが、これは、台湾などでつくられた低価格の
モバイル小型ノートパソコンが、その原点にあった。 使用者は、そこに本や書類を入れて、リビングやカフェなどで
見ていたのである。そこに目をつけ考えられたのが、このタブレット式パソコン。そのためiPadやキンドルとは似て非なる
ものとなったのである。大型のiPhoneというだけでなく、大きさをソファーやチェアやベッドで寝そべって見れるところが、
ポイントとなっている。 我家の居間のテレビ前の座り机の横にパソコンを置いている。その台は回転が効いて、
私が使ってないときは、家内が向きを反転させ使っている。だから、iPadをデモで見たときに驚いてしまった。
居間で時間を遊ぶ面白さがよく分かるからである。 次にiPadの価値はiPhoneに使われている「アプリ」にある。
既に多くのものがiPhone用に開発され、世界中に普及している。それが、使えるとなると、その顧客を取り込める。
そのためkindleがeBookの「単機能」に対して、iPadは「汎用」に特徴になる。 またeBookに関していうと、
手軽な「文庫本」的なキンドル、それに対して「雑誌」的なiPadといえる。現在iPadが月に100万台の大ブレークの販売に、
一挙にタブレット式パソコンに火がついてしまった。これは、これまでの出版業界だけでなく、マスコミそのものの根本からの
崩壊に繋がる。紙の出版物は10年後には半減どころか、10分の一になる可能性すらある。傍目には面白が、恐ろしい時代である。
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3051,人を殺すとはどういうことか
2009年08月12日(水)
「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和
 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、借りてきた本である。
LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、
今年になって出版されたもの。著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。
後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。
高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 
逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、情動のスイッチが入り、
後悔や反省の念がわき起こる体験をする。最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに
起こした。用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。その動機について
「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 
 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。
そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。
強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。
ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2686, 人生のハレとケ
 2008年08月12日(火)
以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。
ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。
 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、
しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。
そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。ハレもケも書いてあったことで
面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、事業のの立ち上げの時であった。
写真にも旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、
その光によってかき消されてしまいがちになる。家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 
とにかく日々の平凡を楽しんでいる。これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。
生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。
だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって
白だけだったら白色の白が理解できない。現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、
如何に充実させることこそ人生の価値。話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他
メーカーの商品を引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに
徹していれば、大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。
『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜
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2007年08月12日(日)
2322, 政治家の家族とは・・ −3    (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪
 *銀座のママと政治家の共通点*
彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。
夜の水商売は虚飾の世界である。前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。社会を選挙民という
票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 そこには、本人個人の顔は無い。
議員として相応しい人物としての演出された顔である。夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる
「社用族ータカリ族」や、「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。
お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。
遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解っていながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。 サカリのついた狸と、
それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?政治家も、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。
選挙が終われば、選挙民は公約など忘れてしまうことなどお見通し。政治の政は、祭りごとである。(政治ー政を治める)祭りごとなど、
年に数度の祝い事を難なくこなすことでしかない。その祭りには酒と女は欠かせない。だから酒を飲むことも、男にとっては一つの祭りごと。
古代ギリシャに出てくる巫女は売春を兼ねていた。それも社会的身分が高いというから・・クラブのママは冷徹に名刺というカードを集める。
それが個人の財産であり、カードの蓄積を持っていれば、どの店でも渡り歩ける。ところでママの髪型が店の格をあらわすという。
髪の高さが値段を現し、前への出っ張りが店の格を現すという。笑ってばかりはいられないか!売春もしないのに女性が横につき接待する
クラブのシステムは、世界で日本だけ。ホステスという職業はお金を稼ぐために割り切っている女性が多い。
ママとかグランドボーイが、こっそりと、その落としどころを教えてくれる?酒飲みの男には、だいたい二種類の酒のみのタイプがいる。
酒とカラオケなど、その雰囲気が好きな部類と、酒場で女を求める部類と。後者はフィリピン・パブなど、別コースの中間地帯が用意してある。
蛇の道は蛇ということか? 暴力団が後ろについて、すんなりとコースがあるとか。
政治家も何でも、プロの道は厳しいものである。どこかで醒めた眼が必要である。そのためには、逆に熱中してないと・・
          o(*′з`)o"グッ☆o(*′▽`)〇))"バァァイ☆
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2006年08月12日(土)
1957, 片づけられない女ー2            \(^▽^*)おは!
検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。
現代病の典型的な病で、これまでにもTVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。
ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、 
 多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にあるのではなく、
 神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。 この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。
 幼いころから兆候が現れていても、 見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかないことも少なくないという。
 さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、
 「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。
 カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に触れながら、ADDを持ちながら
 充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。
  ー内容ー
持ちものが片づけられず、部屋が片づけられず、頭の中の考えさえも片づけられず、
毎日の生活に苦労をしている女たちがたくさんいる。彼女たちは、雑用の山に圧倒され、すっかり落ちこみ、不安と戦っている。
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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2005年08月12日(金)
 1592, 幇間ー太鼓もち
幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。
芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。通称「八木漬物屋のオヤジ」である。彼がいないと場がしらけるほど
存在感があった。映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸をしていた。それをキッカケに他の人の芸が出てくる。
家族や従業員・取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。幼稚園の頃から日本酒をコッソリ飲んだ記憶がある。
幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している技を持っている男芸者である。愛嬌があって、
人から何か好かれる魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。人間は誰でも褒められ威張りたいもの。
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2004年08月12日(木)
 1227, 新潟駅前ランチ事情
新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1〜2年で、横浜軒、松屋、ロイヤルホスト、すき家、などの
ナショナル・チェーン店が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を出していた。
売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。7000円が相場であったが、最近は300〜500円の店が増えてきた。
私も、そのプライスの店に行くようになった。朝食はウォーキングの後ということもあって、しっかりと食べる為か、
昼飯はジャンクション食と割り切っているので、手軽で済ませたいし、安い方がよい。500円以下の店は混んでおり、
700円以上のプライスの店はお客は少ない。先日、事務所の近くに「定食の専門店」が出た。 チェーン店ではないが、
とにかく安くて、自分で好きな惣菜をチョイスできるのがよい。 大体400円〜500円で済む。
私の場合、週一単位で店を使い分けている。回転寿司、蕎麦専門店、居酒屋、牛丼(豚丼)専門店、定食屋、
うどん専門店など10軒の店を、その日の気分で決めている。駅前のサラリーマンにとって、昼飯を食べるのは大変である。
12時直後に、どこも満席になってしまうからである。最近は、昼飯を抜くか、牛乳ですますケースが多いという。
 小遣いが節約ができるからである。ランチの世界も、デフレの影響がモロに出ている。
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2003年08月12日(火)
 860, プライド -1
プライドについて考えてみる。
プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。
新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。
常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。
 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れてくるのか考えてみる。
「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。
それは誰かとか、何かに対しての満足感を表す言葉である。 その背後には、他と比べて、
・自分の収入は誰より多い ・誰よりも名声がある ・学歴は誰誰よりも高い
等々、常に比較の世界に生きている人の言葉である。自分の価値観をしっかり把握していれば、そんなことは如何でもよいこと。
私が嫌っている「子狐」世界は、その比較の世界に生きているからである。その小さい世界しか知らない無知の住人だからだ。
そういう人ほど表面的利害を求めて彷徨っている。それも隠しプライドー子狐の尻尾ーをたれ下げながら。彼らには本当の深い喜び、
満足感、充足感はない。 比較の世界に生きている人間に、自分の心の奥の芯の歓喜があろうはずがない。 
(以下、字数の関係でカット 11年08月12日)
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2002年08月12日(月)
 485, 「我思う故に我あり」-1
デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている
ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。
「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。
どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。
前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。
そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」「我 行動す 故に我あり」「我 祈る  故に我あり」「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」「我 夢みる 故に我あり」「我 美食する 故に我あり」「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」「我 前進する 故に我あり」「我 遊ぶ 故に我あり」「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」   幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。それが自分ともi云える。
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2001年08月12日(日)
 [106] 坂之上小学校ー同級会
昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2〜3年で。
そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。


3790, この世界株安、リーマンショック激震の津波!

2011年08月11日(木)

 先週末からニューヨークで始った世界株安、アメリカ、欧州で数日で一割近く下げたが、昨日は日米の株式市場で、
反発をして終わった。 ただ今週、いや今月一杯がどうなるかだ。 あのリーマンショックから、あと一ヶ月で三年になる。
そろそろ津波の本体が到来時期になる。この世界同時株安が、それである。 この津波は今後数年間は次次と押し寄せることになる。
リーマンショックから三年で、日・米・欧の政府は、その対策の投入などで破綻寸前、国債もデフォルト寸前の事態に陥っている。
その結果として世界同時株安に本格的突入とみてよい。 そして、その次に来る大津波がハイパーインフレである。 
これが世界を覆うのは二年後から三年後。 これで世界は大恐慌の真っ只中に入る。 
 三年前のリーマンショックは、数百年に一度の歴史的経済的大変動の事象であるのは、今さら言うまでもない。
それを何とか世界各国が緊急対策で抑え込んでいたが、対策を出し切り限界にきてしまったのが、この世界株安。
ドルとユーロは瀕死の状態で、その崩壊も世界株安と同時に崩壊の危機になっている。80円代前半で推移していた円も、
ここで76円代に入ってきており、年内に60円代もある。この事態は体力を使い果たした日本にとって
大打撃。そうこう考えると世界恐慌が現実の脅威として姿を現してきた。
日本の地方経済は20年前のバブル崩壊、10年前の9・11テロ、そして3年前の9・15のリーマンショックで致命的打撃をうけた。
そして、この東北大震災である。この直撃をうけた一現象が、当方の倒産だった。 ビジネスホテルは景気の変動に敏感に左右する。 
だいたい30年の経験則からみて当方の売り上げ減は、その半年後から他の事業にも現れ出てくる。直線的に右下がりになるのではなく、
波状に上下を繰り返しながら、右下がり続いてくる。 東北大震災は布置(最悪の時に不思議と、最悪の事象が重なって起こる)である。
そして元社会党左派が、この時期に権力を握ってしまったのも布置。
 今回の恐慌は、1930年代の恐慌とは規模が遥かに大きくなるのはいうまでもない。結果からすれば、中国が破壊と再生を繰り返し、
世界のエネルギーの中心になっていく。これから起こる大恐慌も、その布置のひとつである。
世界的にみても、前半は東北大震災。後半は、世界的経済混乱(世界的株安、ドル:ユーロ安、穀物などの高騰)、その序曲がこれ!
 ・・・・・・・
3425, iPad 対 キンドル ー2
2010年08月11日(水)
『iPad 対 キンドル ー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
  * ソニーは、ハードの強みを狙う 【 以下は、要約である 】
 2008年、2009年に、eBookリーダー市場で売れたのはキンドルだけではない。二番手として活況を呈したのはソニーである。
アマゾンが、これまでの電子書店のネット窓口から直接、端末のキンドルに送信するシステムを強みにしたのに対し、
ソニーは、版権を持っている出版社に目をつけ、契約することした。 契約社会のアメリカでは、著者と出版時に契約を交わす。
契約に際しては、「出版だけに限らずオールライトを取りにいくのが基本」だから、デジタル化に関しても、許諾を出すのは
出版会社だけでいい。 出版会社との交渉だけで、一気に大量の書籍のデジタル版について、販売権を確保できる。 この原理は、
出版だけではなく、音楽、映画に関しても同じことがいえる。そのためアメリカでは、音楽・映画配信が、日本より格段に進んでいる。
ソニーの強みは「ハード開発」である。キンドルとの最大の違いは、通信機能を使って、新聞や雑誌を講読できる点である。
更にアマゾンと敵対関係にある大手小売店チェーンと組んで、一番売れそうなコーナーなどで売ることも強みになる。
アマゾンのキンドルは大手流通の店頭では売られてない。 何故ならアマゾンのネットで販売されるからである。
その盲点をソニーがついたのである。 キンドルがブームになり、その商品を見たくなり店頭に行っても、そこにはない。
そこにあるのはブランド力のあるソニーの商品とあれば、それを手に取ることになる。さらに他のコンテンツが利用できるとあれば、
顧客は、それに惹かれるのは当然のこと。アマゾンが「オンライン」で攻め、ソニーは「店舗」で攻める戦略である。
2009年までに累計100万台以上を売ったという。去年までに、キンドルは200〜300万台を売ったと推測されるという。 
そこにマックがiPadで割り込んできた。何と一ヶ月で100万台を売ったというから、その凄さには驚かされる!それは次回になるが・・・
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3050,4時間半熟睡法
 2009年08月11日(火)
 新聞で最近『4時間半熟睡法』という本の広告を見かける。買うほどでもないので、ネットで書評を読んでみた。
 ・一番良いのが6時間半〜7時間半である。
 ・就眠の三時間前に食事、一時間前に風呂かシャワーを浴び、熟睡タイムは0〜6時におく。
 ・布団に入ったら、とにかく早く寝入るように工夫すること。等々、今さらのことばかりで書いてある大方は実行済みである。
「3時間では短すぎる。が、習慣化すれば4時間半でよい。一番良いのは7時間前後で、床についたら早く寝入る工夫をしなさい」 
ということ。私は、「ベッドに7時間横になる。 寝れないときは気にしないでiPodを聴くなど工夫する」が基本。
寝れないことを気にしないように務める。だから寝不足気味ということはない。工夫として耳栓をするのが熟睡の効果となっている。
100円ショップに売っているが、寝入ってから4時間は爆睡できる。 これで8割の音が遮断される。更にゲルマニュウム入りアイマスク。
これは眼の周辺を暖めてくれる。(耳栓の半分位の効果がある) 睡眠は、それぞれの人の体質もあるから自分にあったを工夫するしかない。
昼寝が10分位は出来る環境にある人は、5時間を目安に訓練するのも良いのでは? 熟睡時間は無に近い状態だから、
要はそれ以外の中途半端な睡眠状態の時間帯を如何に工夫するかである。熟睡時間を4時間半とすれば、「残りの二時間をカットしてもよい」
と言うことになる。「習慣化すれば、4時間半の熟睡が深くなる」というのも道理である。睡眠は、食事と同じく人間にとって大きい要素。
だから軍隊や研究機関で研究される重要事項になる。その最低熟睡時間が4時間半というなら、その前提で自分の習慣つくりを
すればよいことになる。 組織のキャリア(エリート)が睡眠時間が口を揃えて4〜5時間というのにも一致する。
 私は、敢えて現在の7時間を5〜6時間に短縮する気は今のところ無い・・・  
   時間が無いとかいうのを言い訳にしている人は、是非チャレンジすべきである。
   こういう人に限って8〜9時間寝ている?か、 4時間睡眠で頑張っている?? 小○カ!
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2685, iPhoneは、超小型パソコンだった! −4
 2008年08月11日(月)
朝日新聞の経済欄『補助線』ーiPHONEを読み解くー が面白い!   
ーまずは、その内容からー
 *使いやすさ競う時代に*
最近、中国に出張したソフトバンクの孫正義社長は一度もノートパソコンを開かなかったという。
米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」でメールをチェック。孫氏の感想である。
 7月11日にソフトバンクモバイルが国内で発売。初日は店頭に長い列ができた。 従来の携帯電謡のようなキー(ボタン)はない。
すべての操作はタッチパネルをさわる。 画面をつまむようにさわると画像が小さくなり、指を広げると拡大する。確かに面白い。
iPhone効果がでたのか、7月の契約増加数はソフトパンクモバイルが15カ月連続でトップに立った。だが、発売からーカ月がたち、
ライバルの通信会社や日本メーカーからはiPhone脅威論はあまり聞かれない。店頭には在庫があり、当初の混乱はなくなった。
供給台数が絞られたためか、発売後3週聞の販売台数は10万台程度だった。初日の長蛇の列が印象的だったが、その後は過去の
ヒット商品ほどの売れ行きではないという受け止めが業界にはある。iPhoneは孫社長のようにパソコンを代替する端末として
使う人には使い勝手はよく、面白い機械である。孫氏は3年後にはiPhOneのような端末が従来型の携帯電話のシェアを上回ると予測。
だが、ケータイ文化になじんだ日本の消費者の心をつかみ、日本に開国を迫った黒船のような存在になるのかどうかは、
まだ見通せない。脅威論がやや薄らぐ日本勢だが、冨士通の佐相秀幸モバイルフォン事業本部長は「無駄な機能を削り、
シンプルにし、使い勝手を高めるという設計思想は学ぶべきだ」と書う。別のメーカー幹部も「次々とハードを付加し、
消費者を刺激してきたが、iPhoneのようにソフトを付加して消費者の満足度を高める方向も探らなくてはならない」。
   (字数の関係でカット2011年8月11日)
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2007年08月11日(土)
2321, デジカメを使った文字スキャナー
              o(*'▽'*)/☆゜’おはよう〜♪
毎日、随想日記を書くのは、かなりのエネルギーを要する。 ネタぎれになるので、どうしても「読書日記」が多くなる。
そこで、面白そうな箇所の紹介や、引用するのが一番手っ取りはやいが、本を書き写すエネルギーが膨大になる。
中途半端なブラインドタッチしかできないこともあるが・・・
5年ほど前にハンド式のスキャナーを買ったが、読み取るのが難しく何度か使ったが、途中で諦めてしまった。
しかし、このハイテクの時代に、よいスキャナーが必ずあるはず。そこで本気になって検索で調べてみた。
(字数の関係でカット2009年8月11日)
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2006年08月11日(金)
1956, 人生と学問        おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
昨日の日経新聞のスポーツ欄の連続のコラム
 ーチェンジアップーで、往年の大打者で野球解説者の豊田泰光が「学歴についてのコンプレックスの心情」
 について書いていた。大打者だったプライドもあろうに、思い切った心の奥の吐露をしていた。
ー先ずは、その内容を書き写してみるー
 引退したとき、まだ35歳だった私は「やり残していることがある」と妻に相談した。「大学に行きたいんだ」。
妻は理解してくれたが、私は幼い子供と実家の母らを面倒をみなくてはならなかった。
無収入の学生生活というわけにはいかず、断念をした。 学の無いことは寂しいことだ。解説者として記事を書き始めたが、
漢字がわからなかった。家で書き取りの練習。おやじになってからの漢字練習はつらい。悔しい思いをしたのは引退後に限らない。
プロ野球界の学歴信仰にも閉口をした。高校出の監督・コーチもいるけれど、同程度の野球の成績なら大卒が有利だった。
大卒の球団経営者は現場の大卒組と組んで事を運ぶ傾向があった。球界の‘大卒’はチャンと単位を取った人
ばかりでなく、しょせんは勉強しない者同士で作る学歴社会である。それだけに余計タチが悪いといえた。
(字数の関係でカット2010年8月11日)
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2005年08月11日(木)
 1591, 外務省・ラスプーチンの記憶術
何気なく月刊誌をみていたら、鈴木宗男とともに逮捕され起訴された元外務省の佐藤優の手記が載っていた。内容は、
彼のソ連時代の外交官としての活動の詳細であった。その内容も面白いが、それより彼の記憶術とその引き出し方に興味を覚えた。
非常に深い示唆に富む内容である。 やはり映像と結びつけるのだ。   
  ー その一部を書き写してみるー
拘置所の減灯は午後9時、起床は午前7時なので、睡眠時間は10時間もある。私はもともと睡眠時間が短く、3~4時間で済む。
この長時間睡眠制が拘置所規則では何よりも苦痛であった。筆記道具は自殺に使われる「凶器」に使われるのであつけられない。
そこで、この時期に私は記憶力の強化を図った。私の記憶術は映像方式で、特定の映像と出来事を結びつける。
誰かに教わったのではなく、モスクワでメモをとれない状況でロシア人から話を聞き、それを大使館で暗号電報にして送る
作業を続けているうちに自ずから身につけた癖だ。ある時この記憶術を陸軍の中野学校出身の某氏に話したことがある。
「佐藤君。それは甲賀の忍者の記憶術じゃ。中野学校では甲賀忍法を応用した記憶術があった。
文字や地図、写真は比較的正確に再現できるが、表の数字は出てこない。」このやり方は、数字にはあまり適さない。
イスラエル政府に記憶力の抜群の友人がいた。「数字をどう記憶に定着させたらよいか」と尋ねたら、
この友人は「僕の場合も基本は映像記憶だ。数字は見ただけでは記憶は難しいが、一回、口に出して唱えると、
映像の中にいる自分がその数字を唱えている映像が音とともに甦ってくるので、試してみるとよい」と言われた。
実践してみたが、確かに効果がある。獄中のノートやメモは検閲されることがあるので、取調べについて重要なことは書けない。
従って記憶に頼る比率が高くなる。稗田阿礼は文字を知らなかったが、古事記を暗唱をしていたわけだから、日本人の潜在的な
記億は大きいはずだと思い巡らしながら、取調べ状況を正確に努力をした。そうすると取り調べ以外に多くの記憶が甦ってくる。
その中でよく思い出したのがソ連崩壊の前後の出来事だ。特に人間の生き死にに関わる映像がとても正確に浮かんでくる。
6・6平米の空間が時空を超えて無限に広がっていくような感じがする。
 ▼ 以上だが、なかなか深い内容である。私が最近色いろな事を思索するのに使うのは、夜寝入る時に、
 理想的な数ランク上の自分に入り込んだイメージを持つ。そして翌朝に夢か新しい何かヒントが浮かぶのを待つ。
 大したヒントは浮かばないが、それでも私の限界を超えた新しい視点をえることが可能になる。
 脳は言葉とイメージが大きな機能である。その二つと、潜在的な能力を呼び起こすのが脳を生かすコツになる。
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2004年08月11日(水)
 1226, ダイエー 最終局面へ
ダイエーの再建??に向けてのUFJ、みずほ、三井住友銀行が最終調整に入ったと新聞が一斉に報じ始めた。

(以下字数の関係でカット2008年8月11日)
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2003年08月11日(月)
859, 「タイムクエスト」           ー読書日記−1
 ーベンジャミン・フランクリンの13価値観ー
この本は一年位前に読んだ本である。「7つの習慣ー最重要事項」のさらに具体的内容を掘り下げている本である。
『ミッション・ステートメント』に焦点を合わせてある内容である。先日本棚を見ていて、読んだことに気がついた。
中途半端に読みぱっなしということか。この本と『7つの習慣』を二年前に読んでいて、「ミッション・ステートメント」
を創ってなかったのだからいい加減なものだ。何かの「良」がこの「最良」を阻んでいたのだろう。
この本の中のベンジャミン・フランクリンの13価値観が面白い。これを元に著者のハイラム・W・スミス が
自分の憲法を創っているが、それは次回に書く。それと13の価値に対する自己評価もチェックしてみる。
ーそのフランクリンの13価値のところを書き写してみるー
 ベンジャミン・フランクリンが22歳のときに自問自答した。
「私の人生で大事なことは何だろうか?」この時から、彼は12の価値観と考えを進めていく。
そしてその一つ一つに説明を加えていく。その結果次のようなものが出来上がった。
初めは謙遜がなかったが、あるクエーカー教徒の友人に見せたところ、その友人は最後に謙遜がないことを告げた。
 フランクリンに対して彼は親切にも彼が、高慢な人間だと一般に思われていることを教えてくれた。
いくつかの例を彼はいちいち例を挙げて説明してくれ納得した。そして最後に英語でわずかに4語の説明文を加えている。
「イエスおよびソクラテスに見習うべし」(ImitateJesus and Socrates)彼は自分の生活を13週に分けて、
一週ごとに13ある価値観の一つずつ焦点をあてて、自分の行動が価値観にあったものになるよう努力したという。
 78歳のとき、彼は回顧録にこう書いている。
全体的に言えば、かねてから願っていた完璧さには到達できず、それよりはるか下にとどまってしまったが、
どの努力をしない私と比べれば、より善良な人物になることができた」「謙遜」については、率直にこう言っている、
「私はこれを体得したと自信を持って言えはしないが、その見かけがそれなりにできたと思う」
 ーベンジャミン・フランクリン13価値観
1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。
7、誠実  いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、
      身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。
(字数の関係でカット2008年8月11日)
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2002年08月11日(日)
 484, 思い出のメロデー
お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。 34回というから、私が20歳代前半からになる。
初めからチャンスがあれば必ず見ていた。幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。
その為その歌ごとに思い出が深い。生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと今という共時性がある。
この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。
丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。40年代はポップス全盛時代で、これだけの名曲が出ることはないといわれている。
時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。歌を聴きながら、本当によい時代に生きることが出来たと感謝している。
自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。
今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。時代の変化なのだろう。
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2001年08月11日(土)
 [105] 写真コーナーが移転
不調だった今までのコーナーを廃止、あたらしいソフトで再出発することになりました。
デジタルは便利の反面、今までの苦労が一瞬で消えうせるという恐さがある。
あれだけデジタルカメラを持ち歩きうつした写真が、全て跡形なく消え去ってしまった。
まだ出始めで総数が少なかったが、一年も経った後だったら大変な事だった。
写真コーナーが壊れてからアクセスが半減してしまった。
二時間散歩、夜半大雨のためか花が綺麗だ。これも土手で誰かが趣味で育てた花だ。
二時間の間にそのような場所が10カ所以上ある。あと一月経つとコスモスのトンネルで花が咲く。


3789, 天才だもの

2011年08月10日(水)

   { 「天才だもの。」ーわたしたちは異常な存在をどう見てきたかー 春日武彦著 }
 天才に関する本に何故我われは引き付けられるのだろう? それぞれの専門の切り口が違っているところが面白い。 
天才と気違いは紙一重というが、気違いの部分が重なっているだけ。 天才と気違いは凡人の世界から遥か彼方から違った視線で、
逆照射している部分は同じである。何処が違うかというと、目指した対象の創造されたものが卓越した結果を出しているかどうか。
気違い?は、そこまで完成させる執念がない。そのへんが凡人と重なっている。 凡人も一度は狂い逆照射すべきだ! そうでないと?
ーまずは、序文の中からー
【 P/16 ー天才について語る時、多くは凡庸な語り口になってしまう。ここで語られるのは、「天才」そのものよりも、
 私たちがどのような人物を「天才」と見なしてきたかについて語られている、といってよい。・・・ さて天才の定義である。
あたかも天から授かったかのような傑出した才能に恵まれた「選ぼれし人」といったところだが、世間のイメージとしては、
天才にはいくつかの条件が求められる。早熟といった点はどうであろうか。天才は彗星のごとく登場する、しかも少年や青年のうちに・・。 
またランボーが不細工で貧相な中年男なら、あれほどの評価は得られなかったのではないか。画家のビュッフェも画壇への登場は
若干十九歳であり、ローティーンにして大学の数学科を総代で卒業したとか、天才以前に紳童である天才伝説には必要なのかもしれない。
・・・天才は日常生活においては無能ないし常識外れであることも、世間は期待する。グレン・グールドは夏でも手袋をしていたとか、
三島由紀夫は寿司屋でトロしか頼まなかったとか、ディケンズは青い紙に青インクで原稿を書いたとか、ペン・ジョンソンは
立ったままの姿で埋葬してほしいと言い残したとか、その類の逸話を求められる。大いなる才能へ脳が機能の大部分を捧げてしまったため、
ごく当たり前のことが余力を割り当てられなくなってしまった、さもなければ形而下の出来事など関心の外へ追いやられてしまっている
のだと理解することによって、やっと我々は彼らを怪物と見なさずに済ませられるわけである。 そして天才は幸福であってはならない。
少なくとも世間一般で言うところの幸福に甘んじては困る。いい歳をして電車の切符集めが趣味とか、五〇を過ぎても童貞で平気とか、
金銭にまったく無頓着とか、食事のメニューが一年三六五日同じとか、そういった非現実的なところがないと困る。
あまりにも卑俗な欲望を刹き出しにされると、我ら凡人たちのライバルとなりかねない。それは承服しかねるということになる。
妄想の持ち主、つまり精神を病んだ人たちは、ときに自らを天才と称す。つまり誇大妄想である。 統合失調症では、当初は被害妄想に
脳まされているうちに、狙われる自分ー>自分は狙われる価値ある存在ー>自分は天才だから狙われる、という具合に変化を遂げるに至る。】
 ▼ 軽いタッチの天才に関する随想といった内容である。別に、御堅い天才論は別の本で読んで、これは我われが日常感じている
  レベルで読者と共に楽しめる内容である。この情報化の時代に、あまりに多くの天才の才能が花開いてしまうため、逆に天才が
  見逃されるのではないだろうか。時どきブログで、「私は現在、精神を病んで、一歩学術の世界から身を引いて・・云々」のプロフィールに
  正直に書いてあるのに出会うことがある。むしろ、その方が、我われを引き付ける。特に、哲学とか論理学で行き詰まり精神に異常を
  きたし格闘をしている人の文章こそ真実にみちている。以前なら絶対に目にすることのできなかった人たちの血と汗が、直接伝わってくる。 
 ・・・・・・・
3424, iPad 対 キンドル ー1
2010年08月10日(火)
『iPad 対 キンドルー日本を巻き込む電子書籍戦争の舞台裏』 西田宗千佳著
 *「ウィスパーネット」が、kindleの秘密
アマゾンが発売した電子ペーパー本といったようなキンドル。「ウィスパーネット」といわれる通信機能が特徴。
ユーザーは通信をなにも意識しなくてもよい、何故なら通信料は書籍の代金にふくまれているので、別に支払う必要がない。
現在ではアメリカ?だけで41万冊の種類が用意されており、電子書籍の価格はハードカバーが25〜30ドルくらいに対して9・99ドル。
新刊も同時に発売されるものが多く、その場合、紙の6割ぐらいで売られている。この威力は使った人にしか分からないという。
まだ日本では馴染みが少ないが、要は「アマゾンのネットで本を注文すると紙の本の替わりに電子ペーパーがキンドルに直接、着信する」
のが特徴。 決済は、これまでのようにネット上でおこなわれる。iPod に似ているが、違うところは、直接端末に着信するところ。
一番のポイントは端末から直接、発注も可能であること。 【ネットに比べ、見にくいというが】
これまでのアマゾンの顧客を、そのまま取り込めるのがミソ。 更に新聞や雑誌も普及始めているという。アマゾンは、kindleそのもので
儲けることでなく、あくまで電子ブックを売ることが目的。ライバルは現在のところ、ソニーとアップル。 アメリカ国内では、
キンドル200万台に対してソニーは100万台を売っている。 ソニーは、日本よりも出版が自由な米国で先行。 
一方、iPadは、電子書籍端末専用ではないノートPCと携帯の中間の、他の機能を多くそろえた汎用機を目指しており、
リビングでつかわれるシーンを想定している。またiPhonむけの専用OSをつかえることで、その顧客の取り込みが有利。
それにしても、端末にパソコンで注文した書籍が、直接、振り込まれるのには驚いた。
 iPodは、一度音楽をパソコンに振り込むのに対し、端末の先の通信代を考えないで済む「ウィスパーネット」には、驚いてしまった。 
音楽も、近い将来、機能としてつく可能性すらある。 他にも、それぞれの特徴を生かした端末が多く出てきている。 次回は、ソニーの戦略 
 ・・・・・・・
3049,ハリネズミのジレンマ
2009年08月10日(月)
哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。
 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような?
《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。外は吹雪で巣穴の中は寒い。
 そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、互いの針で相手を傷つけあうことになる。痛さで体を離すが
 今度は寒くてたまらない。一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く相手のぬくもりを
 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》
▼ 若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 
 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。8人きょうだいの末っ子で、
 家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。私の家庭では付かず離れず、
 自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。
 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、自然態なのである。 大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。
 だから人混みの中の孤独には慣れている。他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係)自我が露出してしまい、
 一人よがりになりがちになる。  成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 
 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。
  ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。 独居老人のジレンマでもある。
 ・・・・・・・・・・
2684, 己の地平の地を耕す
 2008年08月10日(日)
知人が二人、最近になって(10年前から)素人菜園に凝っている。たまたま事務所で二人が出会ったとき、嬉々として話が弾んだ。
何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。『心身にとって、これほど良いことは無い』と
二人は口をそろえて言う。それを聞いていて畑での一連作業が何か自分の心を耕しているに感じた。人生は畑を耕すのに似ている。
長い人生の道のりも計画通りに楽しみ生きるより、苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。
たどたどしく泥まみれが人生である。 イソップの寓話に、面白いのがある。
 《 葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。
 「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。
  私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。
  しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。
  畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》
 父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。
イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。
今度借りて読んでみようか)「ところで御前さん、人生の畑を耕したの?それも真剣に?」と問われれば「う〜ん、耕してきました!これでも」 
そして、「上を見れば限がない、横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。
このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。
テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・
畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 
土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。
「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」
ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。国土に土が殆ど無いのである。
岩石の上に辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。藻は菌で出来ているので土は必要としない。
しかし、それは堆積はしない。その時になって、成るほど我々は生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。
人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。
・・・・・・・・・・
2007年08月10日(金)
2320, 「朝青龍」問題について −2               ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
これほど、単純だが困った問題はないだろう! 朝青龍は大相撲の世界で5年間も君臨してきた。
一人横綱を張っていたこともあり、その実績から少々の我侭も見逃されてきた。
ところが、情報化には彼も勝てなかった。仮病疑惑のサッカーの映像が放送されたからには言い逃れができない。
(字数の関係でカット11年08月10日)
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2006年08月10日(木)
1955, 片づけられない女−1             \(^▽^*)おはよう
昨日、昼休み何げなくTVをつけると、「TV史上一番の片づけられない女」というタイトルが出てきた。
ある30代の女性の部屋をレポートするもの。チャンネルを切り替えようとしたが、どれほど酷いものか見ることにした。
1DKのドアを開けて一歩踏み込んで見て、驚いたなんでものじゃない。部屋が足の踏み場の無いゴミ箱である。
玄関のすぐ右に台所があるが、流台の高さまでゴミが積みあがっている。かろうじて、冷蔵庫を掻き分けるようにして開けると、
4年前の食品が、そのままある。冷蔵庫の上の生卵は、一年前のもの。奥の8畳位の洋間に行く通路はゴミで、うず高く埋まっていて、
1mごとに足の踏み場の空間があり、そこをジャンプしながら部屋まで行く。部屋は中央に布団があり、布団の半分はゴミで隠れている。
部屋はゴミの山で埋もれている。その殆どが、食べた後のゴミを丸めたスーパーの袋で埋まっている。4年間、一度も掃除をしてない。
臭い感知器で測ったところ、その部屋は425の臭さ(普通の部屋で25)。ラッキョウは125で、腐った豆腐が500である。
ほぼ腐った豆腐の臭さで、本人は慣れてしまい平気である。部屋の窓は2年間、一度も開けたことが無いという。
本人は「仕事のストレスなどで全く片付ける意欲がわかない」という。精神科の医師がインタビューで、
「最近の20・30歳代のキャリア・ウーマンに多い」と言っていた。ストレスが原因で、ゴミが更にストレスを加速させているが、
これが病気だから手の打ちようがない・・そこで、TV局が呼んだ‘片づけのプロのオバサン’がやってきた。
しかし、そのあまりの酷さに唖然とした。先ずはゴミの搬出、その量が何と二トントラック一杯。お手伝いオバサンが4人加わって、
掃除と後片づけをするのに10時間もかかった。以前、行きつけの店のママの紹介で、ある女性が店を出したいと相談を受けたことがある。
      (字数の関係でカット09年08月10日)
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2005年08月10日(水)
 1590, 自民郵政解散の攻防−4
昨日の全ての大新聞の一面で、各社政治部長が郵政解散の論評をしていた。なるほど、それぞれ一理ある。思ったより小泉首相に
厳しい内容が多かった。賛成反対の両者を配慮しなければならないためか、思い切って書けなかったこともあったようだ。
 ((字数の関係でカット10年08月10日)
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2004年08月10日(火)
 1225, つれづれなるままに
・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。 フッと思いついて、近くの図書館のHPを検索にかけたところ、
 その本が有った。 図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。その時「インターネットで調べることが可能なはずだが」
 と思ったのだろう。 お金は少し注意すれば使わないで済む。情報化は、無駄を省いてくれる一例である。不景気になるはずだ。
・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。
 インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。
 ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、お客はそれを知っている。
 インターネットを使いこなせるかどうかの情報ギャップがますます大きくなっている。
 もう数年で、携帯電話やモバイル・パソコンで生中継の野球を見る時代が来る。
・心の帆
 「得手に帆を上げよ!」という言葉がある。人間の運命を決めるのは 心に張られた帆である。それも得意の帆を立てることだ。 
 しかし、我々を動かすのは、決して帆だけではない。「時代の風」である。風はその時代ごとに、向きも場所も変わる。
 今は情報化と、デフレと、グローバル化いう風が吹いている。
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2003年08月10日(日)
 858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ
 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が二件たて続きに起きた。
そういうものだ。 あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。ホテルの立ち上げを創めると、
必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に身辺におきる。本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。
「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、その波乗りを楽しむ位でないと神経をやらる。創めたからには突き抜けなくてはならない。 
その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、こういうものだと腹が据わる。
縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。こんなもんだろうと、直視しながら
一つずつこなしていくしかない。それも一つ一つが極限の出来事である。そしてピークの出来事が重ねてやってくる。
それは経験を重ねると見極めがつく。それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。同時に「ああ今回はこの程度か!」
と心の奥の声がする。遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。
これは仕事だけでなく人生一般にもいえる事である。一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。
  神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。
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2002年08月10日(土)
 483, 経営セミナーにて  −2 
30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。
しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。2000万?はつかった。
しかし土地を二回転がし、すぐ元はとった。そういう事だけはクールだ。
ある時解った、これはレジャーだと。 レジャーと割り切っていたほうが逆に情報を受け取る事ができる。
副産物として井の中の蛙の自分を確認できることだ。 地方にいるとどうしても王様蛙になってしまう。
結構面白い人に多く会えるのも収穫だった。全国各地では、その地方では名士様がくる、それがよい。
地方にいると、そういう人を仰ぎ見るが、別にどおって事ががない。自分のテリトリーの狭さがよく判る。
常に意識をメジャー(全国区)において置かないと、経営判断が鈍ってしまう。
トノサマガエルはマイナー世界を自覚できない人の喩えだ。
情報の宝庫だが、それを噛み砕き自分の知恵に変えなくては全く価値はない。
どうしても噛み砕けず頭でっかちになってしまう。それでここ3年は行ってないが。
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2001年08月10日(金)
 [104] 自己不認識
いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。
ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。
その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。ブラックジョークである。
こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、得意満面で女性遍歴を話し出す。
女性にもてるとは、解りやすい事例でいうと、女性環境に恵まれないからスナックに行って、
ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる。それを表面だけ見ていた人が誤解すること?
知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。
男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。
ある往年の大女優が随想で「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」
と書いていた。女性の場合自覚するが?男の場合,気がつかないから恐い。まあ、どうでもよい話だが。


3788, 閑話小題

2011年08月09日(火)

  * 水戸黄門が放送終了という
 水戸黄門が、今年の12月で放送を終えるという。放映開始が私が社会に出た年1969年で、42年になる。 
1979年には視聴率は43.7パーセントというから、信じられない人気だった。それも現在10パーセント前後まで落ちていた。 
勧善懲悪がハッキリしていて、印籠を出す時間が分単位で分かるという。 初代が東野英治郎で現在の黄門様は5代目。
最後は黄門様のお上の力を披瀝することで、各藩の下々や家老などの悪事を暴く筋書き、40年以上も経てば飽きられて当然。
当初の頃、年に数度みた記憶があるが、最近は全くみてなかった。 由美かおるの入浴シーンも売りだっが、数年前に彼女も
還暦を向かえとこともあり、なくなってしまった。 当初のころ、芥川龍之介の逆視線の「桃太郎」の物語と、水戸黄門の勧善懲悪が
重なりを感じてつまらなくなった。 桃太郎が勝手に鬼が島に鬼を征伐に行って、宝物を奪略してきたという筋書き。
立場変われば善悪は逆転するという捻れた物語。鬼にとって桃太郎こそ、勝手な侵略者。 
そういえば姉の一人が大好きで、脳の構造までが、印籠を出すタイミングを常に計っているようだったが・・・
 地方都市の世界は家紋か〜 城下町小唄は今も続いている。 全ての世界も同じようなもの、 そこしか知らないものにとっては
  * 無言の圧力
「毎日のように、貴方の随想日記を読んでいると、無言の圧力を感じる」と、ある人にいわれた。成る程、そうかもしれない。
ここでは思いの一部分も書ききれてないが・・ それを毎日続けることで、書いた言葉の背後にある無言のエネルギーを感じるのか。
理路整然と筋道を書き上げることは、それなりにエネルギーを要する。とはいえ、書き、修正を加え完成させると、それを第三者として、
それを見つめている自分がいる。それも毎日10年分の同月同日の文章もコピーし読み返していると奇妙な感覚になる。同化しているような。
一文章 2時間×10年=20時間の集中したエネルギーもある。(テーマ探しは別) 書いた瞬間に全て忘れているためか、
書いた本人が一番、エネルギーの痕跡を感じる。書いてしまった文章は過去のエネルギーであり、時間がたってしまい再度読んでいる時、
現在の自分のエネルギーと混同する。それが読み続けることで「無言の圧力」のように感じるのか。 それを感じさせるだけ稚拙ということ。    
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3423, 5つの「あ」
2010年08月09日(月)
中国奥地で国際援助の植林活動をしている日本人が、「5つの‘あ’」で現地で頑張っているといっていた。
「 あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」である。
「中国人の反感の視線の中で、こういう地味の国際活動は、この5つの精神でないと持続できない」という言葉が重い。 
人生訓でもある。 そこで、≪5つの「あ」≫と検索で調べてみると、他にもあった。
* 『あせらず』 不安、焦燥があってもゆとりを持つことが必要です。
  『あわてず』 現時点で急な展開を求めるべきでなく、少し時間的猶予を…
  『あきらめず』まだ自分には使っていないものがあるから、それを使えば安全・自由です。
  『あるがまま』現実をありのままに見つめて、目の前のことを、感謝・喜びとして感じると、あるがままに行動できますよ!
  『ありがとう』今日、一日の無事に感謝し喜びをこめて“ありがとう”と表現しよう
* あんしん. あんぜん. あたたかさ. あいじょう. あかるさ
* 挨拶、ありがとう、謝る、頭を下げる、新しいこと  などがあった。
 しかし、中国での植林事業では「「あせらず、あわてず、あきらめず、あてにせず、あなどらず 」が良い。
 自然体の具体的な心の持ち方ということ。逆に「焦り、慌て、直ぐに諦め、誰か・何かを当てにして、あなどる」が、日々の自分たち?
  それにしても、中国でボランティアで長年、植林にたずさわっている姿に頭が下がる。
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3048,閑話小題 
2009年08月09日(日)
   * 印税は定価の一割
  作家の一冊あたりの手取りは大まかにいうと、定価の一割という。 といって、一万冊売れると思って出版はしたが、
 半分も売れなければ、その一割が入るかどうかだ。本を出版して一万冊売れるかどうかが目安(現在は7〜8000冊ともいうが)
 1500円の本が、まあ売れたとして150万円でしかない。だから作家にしても、ノンフィクションのライターが
 物書きで生活するには並大抵のことではない。 現在は、出版不況で総合月刊誌の休刊が相次いでいる。
   * モノを知らないから困るのではない
 「我われは、モノを知らないから困るのではない。知っていると勝手に思い込んでいるから困るのである。」
という名言がある。その上に、知っていることが、実は間違っていることもある。
 「人は、それぞれが知っている範囲の中でしか、理解しえない」ということも最近つくづくと思うこと。
 結局は何にも知らないも同然だったということだ。特に他人に対して、それがいえるのでは。
 知っていたつもりの人が、全く知らない一面というより、多面を持っているのを知り度肝を抜かれることがある。
 我われがインドのカースト制度の差別社会を見るとき、それは実は気づかないだけで、日本でも歴然としてあること。
 自由、平等、そして思いやりのある博愛、等々は全部ウソ。 それを知っているつもりで、実態は不自由で、
 身分社会が厳然としてあり、大方が金で左右される取引社会の真っ只中にある事実が見えてないだけ??。
   * 昨夜は高校の同級会
  昨夜は、高校の同級会。 幹事だったので気を使ったが例年通り盛況に終わった。出席が15名。 ドタキャンが一人と、
 連絡なしの欠席が一人。 二次会は6人出席。 ドタキャンもあろうと会費を千円を上乗せをしていたので何とか凌いだが、
 問題の二人は、これまで一度も出席をしたことのない男。 亡くなった山田君の奥さんに三回忌という名目で出席して貰ったが、
 故人も喜んでいただろう。 それより故人の奥さんが、その場に馴染んでいたので安心をした。
 驚いたのは、奥さんも含めて無職が一人だけのことだった。 自営業が半分以上ということもある
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2683, iPhoneは、超小型パソコンだった! −3
2008年08月09日(土)
  −Phnoe の経過報告
これが気に入っているのは携帯電話に馴染めなかったことが大きい。ボタン入力が苦手なこともあり、気楽に弄りまわせないでいた。
それより気楽に電話をかけたりメールを出す相手がいないこともある。家内が昨年の春に初めて自分の携帯電話を持ったとき、
嬉々として使い出した。妹とメールの遣り取りを遊び感覚でしはじめた。土日の暇なときに、「いま、暇。何してる?」
とかをメールで入れたり、私がTvを見ている前で、ワンセグで他のTvを見たりしている。
それに比べ私など二日に一度あるかないかの電話機能しか使ってないし、金・土曜日のホテルの宿泊数の報告をショートメールを
週末にもらう位。実のところ、「外出時に持っていると安心できるのが唯一の所有理由」というと、言い過ぎか??。
(字数制限のためカット 2010年8月9日)
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2007年08月09日(木)
 2319, 5次元世界が存在する?   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
何かSF的な話か、新興宗教の本に出てくる異次元の話が、たまたま見ていたNHK・TVで放送していた。
「エッ、何?」と注目してみた。あと数年もしないうちに「『5次元の世界』が発見される可能性がある」という。
来日中の理論物理学者のリサ・ランドールがNHKのアナウンサーと、朝から異次元を語っていれば、私でなくても誰でも驚くであろう。
彼女は、いま全米が注目する物理学会のニューヒロインで、5次元世界の提唱者。加速器を使った粒子の衝突の実験で、消えてなくなる
素粒子が存在することから、その理由を探しているうちに5番目の次元に移動するのでは?と、思い至ったという。
5次元の世界は私達が触ったり、感じたりはできないが、物理的には必ず存在するという。3次元空間の中にスライスされた
2次元の平面(膜)が無数にあって、その膜のひとつに私達や銀河が張り付いているようなイメージという。 これは「超弦理論」の
「M理論」に非常に似ている。 M理論とは「プレーンとプレーンの間は唯一重力が伝播されていて、あるときプレーンとプレーンが
何かの要因で接触すると莫大なエネルギーが解放されてビッグバンが起こり、新たな宇宙が発生するメカニズムを理論化したもの」 
M理論は11次元の超重力理論であり、ランドール博士の5次元宇宙と何処が違うか私の知識内では理解できない・・ 
ランドールは子供向けに数式を使わずに「ワープトパッセージ」という本を書いていて、全米の科学分野でベストセラーに
なっているという。20年位前に、NHKがシリーズで壮大な「宇宙」についての番組を放送していた。
その中で、「ブラック・ホールが周囲の星など何もかも吸い込んでしまうが、その宇宙の歪みからできた穴の行き先は、
この宇宙とは違う宇宙に通じている。」という説を紹介していたが、それにも通じるのかも知れない。
その時、その別宇宙への目に見えない管が我々周辺にも満ちている、と。それにしても、数年以内に5次元世界の存在が証明される?
現実的には信じがたいことである。発見されれば、科学にとって、いや人類にとって衝撃的ニュースになる!
別宇宙の空間が我々の周辺に満ちている?そんなバカな!        (≧∇≦)ノ~~~マタネー
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2006年08月09日(水)
1954, ある首斬り役人の日記 −1
    (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ!   −読書日記
 「ある首切り役人の日記」 フランツ・シュミット/ 訳・藤代幸一  白水社
 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー
何気なく図書館で借りてきた本。少し気味悪いが、人間の極限における生々しい姿が書かれている・・・
初めは事務的に時系列の処刑の記述が、時間が経つにつれて具体的にリアルになっていくのがわかる。 しかし汚職とか、
政治闘争の結果の死刑は見当たらない。16世紀に実在した、死刑執行人の日記で、自分の仕事内容を記録したもの。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、ドイツで刑の執行を行った親の代からの首切り役人フランツ親方の日記で、剣と綱で
生涯に361人の処刑をした。他にも鞭打ち・指切りなど死刑以外に彼の手にかかった処刑者は345名である。
彼は日記を書くにあたり、極力個人的感情を入れないようにしている。だから真に迫ってくる。1~298まで、それぞれの犯罪と
死刑の方法を書いている。そして年末に、その年に処刑した合計数が書いてある。日記と言うよりは記録の書といってよい。
・犯罪の種類として、追い剥ぎ、泥棒、殺人、嬰児殺人、同性愛、近親相姦、詐欺、教会からの窃盗(罪が重い)・・・ 。
・刑は、打ち首、絞首刑、車刑、火刑から、追放刑、むち打ち、腕の切断、指の切断、耳の切断等々、
 現代からみれば残酷のものが多い。当時はこれは当たり前の処刑であった。権力者の見せしめの意味が大きかった。    
 死刑の中で、首切りは苦しまないで瞬時に絶命するので一番望ましいものだった。 
    (字数の関係でカット2011年08月09日)   
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2005年08月09日(火)
1589,自民郵政解散の攻防−3
   (字数の関係でカット2008年08月09日)
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2004年08月09日(月)
 1224, 広松渉ー哲学について −26
広松渉の「新哲学入門」を私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。簡単に加工可能なデジタル社会の現在、
存在・認識・実践そのものを根底から考えなければならない時代になっている。荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から
醒めた男が「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。「蝶が人間になった夢が現実」とすると、
見えている事実は脳内の作用でしかない?TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう
可能もある時代である。この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、最後の章の
「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
  −−−−−−−−
 第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると構図が見えやすくなる。
社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
   ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて幕場的状況がまずある。−−神といった超越的「劇作家」の
存在を考える立場もありますが、これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。
人生劇では[舞台]が大変に広く、観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。*人生を徹底的に、舞台劇場として
自分を醒めた目で書き出してみると、全く違った見方ができるだろう。長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」
の存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果といえる。何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。
   ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の
代数和のように扱われがちです。確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの介在によって
初めて成り立ちます。・・・今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。畑は彼自身が拓いたものではなく、
農具も彼自身が作ったものでなく、農耕動作も彼自身が案出したものでありません。いずれ他人が作ったものです。
行為は、本質的には、協演的存立構造にあるものと看じます。行為の協演性とは、行為が役割分担ということです。
・・たとえば、[ハムレット]という劇は、先王役、新王役、ハムレット役、といったまさに「役・割」によって成り立っています。
・・・人々は幕場的情況に相応しい仕方で、余程の場合以外は、期待された行動以外は「ナチュラル」に遂行する態勢を形成しており、
共演者どうしはおたがいに相手を「当方の期待する所作を当然体現する筈のもの」と覚識する。*劇である限り、何らかの形で
行為の協演性がある。行為が役割分担になっている。それはそれぞれのお互いに期待された役を演じるということだ。
その中でも、それぞれの個性ー主体がある。 (字数の関係でカット2009年08月09日)
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2003年08月09日(土)
 857, 閑吟集-チロリチロリチンチロリ
 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
   ー 大意ー
世の中は、ちらっと、瞬く間に過ぎる ちろり、ちろりと。 浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。
古希まで生きられる人間が「古来まれ」でもかまわない。「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。
「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、すべてを肯定して「狂へ」ばいい。ー数年前にこの「閑吟集」の一節を読んで、
この歌の中に流れている諦念と反面、強烈なエネルギーにショックを受けた。その翌年の年賀葉書に書いて出したりもした。
またコピーをして、知人に配ったり、手帳にはさんで、この一節を暗記をした。そして数ヶ月間近くいつも口ずさんでいた。
たまたまモロッコ旅行の飛行機やバス移動の中で一人口ずさんでいた。その時の自分の気持ちをそのまま歌にまとめてあるようだった。
一種の無常観を歌っているし、「ちろりちろり」には茶化したユーモラスな感じが漂っているのがよい。「ちろりちろり」と
人生はあっという間に過ぎていくものよと、諦念混じりに笑っているのが心の琴線に触れてくる。反面、強烈な現世肯定の歌にもとれた。
「狂う」とは常軌をいっした行動ととれるし、ある物事に集中する意味にもとれる。びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るより、
ただひたすらに「狂う」ように集中して生きろと。この世の儚さをそのままに受け止め、一期の夢と見切る覚悟があればこそ、
人は「狂う」ことが出来るのだ。読み人知らずの作者が5百年近くの時間を越えて語りかけているようだ。「世間」を「男女の仲」
の意味もあり、そう解釈するとまた意味が違って来る。「ちろり」は、昔、酒を暖めるのに使った、
「銚釐(ちろり)」という道具を連想すると、男女の交わりを暗示していることになる。
(以下、字数の関係上カット2008年9日)
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2002年08月09日(金)
 482, 毎日が刺激的
下の息子に一昨日、電話をしたら自分の会社が買収されてIBMになるという。Pwc−プライスウオーターハウスという、
世界最大のコンサルタント会社でナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。まさかと思って知人に聞いたら、
日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが消滅寸前。
会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と
見ていたのに。二分割して吸収される。入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。外資系は劇的なことを平気でする。
初めからIBMに入社したと思えばよい。しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。またゼロから再教育は
最低必要条件である。本人は長い目でみたら、よい勉強になる。外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。今回IBMのホームページを見て、初めて知ったが
100?出資が子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。
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2001年08月09日(木)
[103] センチュリーベーカリー
  −昭和50年3月〜8月31日ー
あまり他人に話した事がないが、焼きたてのベーカリを立ち上げた事がある。千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、
空きビルを埋めるべく何がいいかみた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの子会社の蝶理という会社が、このフランチャイズをやるという
新聞記事をみて早速やることにした。東十条にある関連のパン屋に朝4時に起きて、二カ月オープン!
何時ものように、パニックそしてーー。素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出てくる。
その時期、長岡の実家で問題が生じ帰ることになった。第三者の経営委託に切り換え急遽長岡へ。
恐らくあのままやっていたら3〜4年で行き詰まったのではないかと思われる。
しかし若さか今考えてみると良くやったと思う。苦し紛れで‘開発型委託経営ビル’を造った事になった。
考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと12年近く、全く未経験の体験の自己配転していたことになる 。


3787, 閑話小題

2011年08月08日(月)

  * アメリカ国債の格下げ
 ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うくデフォルト(債務不履行)になりかけた。
このため70年維持してきた格付けがトリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付けと同じである。 
3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。
それが限界にきた結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続くことを意味する。その結果として
世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の事態になる。 まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。
それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、
その歪が何時爆発してもおかしくない異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
  * 原発事故、これから始る影響
 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の
新米が全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 特に子供がいる世帯は他人事ではない。
汚染が、どの程度で収まるのか今のところ誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態では失せてしまう。
放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の
現地民の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。 あそこまで酷くはないとしても、日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、
畜産物から体内汚染とくれば、壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、それが現れ出てきているのか。
  * 私は特別の人間! だもの
 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが
特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、特別の存在という
思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。
その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は大事なのかもしれない。
ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも仕方がないのか?
 たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
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3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
 * 第一章、哲学と人間
  ≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。
そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、学歴差、
などあるが、まずは、同一性が問題になる。  まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。
さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることの
できない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、死によってもたらされる」  ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち
思考する生物であり、行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事をし、
経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。 人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。
人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で
「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを
知ったときに、人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、
それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパースは考えた。
人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければ
ならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、
「すべての人は、われわれのようなものである」というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間であるのは、
 その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、究極の真理である。
 そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまう
 から、ことが拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。
 ・・・・・・・
3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
  異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、それが自分の実力を超えた
 思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。
 世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、人生はその交互作用でもある。この不況の中では「私」は少々自信喪失気味だが、
 そのぐらいの方が良いのだろう。 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。
 失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。
 大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・
   ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し
 (「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に
 高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも
 かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、
 自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。
 たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは数%と判断しても、
 実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》
  こういう実験がある。
 質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
  この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。 
 それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。
 新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。 何もしない人間の壁を見ているからだ。
 しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。 
 許されるのは若いうちだけだが。
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2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2
2008年08月08日(金)
 この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、断層の時である。
自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。
この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。
アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
 ー目次ー
   (字数の関係でカット 09年08日)
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2007年08月08日(水)
2318, 岸洋子の世界        
      おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん!
一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。彼女は十数年前(1992年)に亡くなったが、
今でも強い印象が残っている歌手である。番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に見ごたえのある内容であった。
早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、
その時々の歌の録画を構成していた。そのエピソードを聞きながら岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。
その歌の合間の石井好子と菅原洋一のコメントが好い。菅原洋一をして「全ての面で彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」
と言わせている。 菅原は私の大好きな心の歌を多く歌っている。最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。
菅原洋一のコメントを聞いて彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。
彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた歌であった。
石井好子の彼女への言葉「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声がかすれようが、その心は相手に伝わるものです。
彼女の歌は、それを感じます!」が好い。好きな人と別れ、その人がパリに行く。その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、
彼と会わずに帰ってきた。パリのタクシーの中で聞こえてきた歌を、日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。
たしか「恋心」だったが・・一人の誰かを思い浮かべ感情を込めて囁きかけていたようだ。その囁きは全ての人にも通じ、奥深く振動する。
そのナレーターの話を聞いた後に、彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは
「日常の牡蠣の貝殻」が、コビリツイテいるから。 たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間
(魂の入った、感動した時間・・)がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっている。
この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。「感動を子供にシャワーのように浴びせてあげなさい!それが親の一番の努め」
という。大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・それが自分への一番の勤めです。  
{BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 − 8月6日(月)BS2 午後7:45〜9:15}
(字数の関係でカット 09年08日)
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2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える−22
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −2
 ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー
アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に
東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスがカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は
行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は無理と見た土地である。
長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征プランを立てて実行に移してしまった。
そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。
アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 
  (字数の関係でカット 11年08日)
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2005年08月08日(月)
 1588, 自民郵政解散の攻防−2
郵政改革法案で、今日一日は大きなドラマになるだろう。昨日の日曜日の生のサンデープロジェクトなどのモーニングショーは、
今後の流れに大きく左右する。 各局は、ほぼ郵政改革を支持していた。やはり予測していたとおり、旧守派への弾劾になっていた。
今までの大きな政府か、小さな政府か、の選択である。民間が血の出る思いでリストラをしているのに、政府はそのままなど
許されるわけがない。いくら国民の民度が低い?といっても、この程度の判断を国民ができないと思っているのだろうか。
日経新聞をはじめ、大新聞も郵政改革賛成である。もし否決されたら、小泉首相は選挙で直接国民の真意を
問うべきである。政治空白が問題などいっていられない。利権を守ろうとしている旧守派の哀れな姿は滑稽でさえある。
衆院の反対派が、逆に必死になって参院の反対票を潰している?可能性がある。彼らには、そこの浅い利権の
政治屋のエゴしかみえてこない。政治の世界に対して興味は持たないほうだが、今回だけは違う。
もう改革は待ったなし、否決されたら衆院は即刻解散しかない。それにしても、緊迫した面白い一日になる。
戦後体制の総決算の選挙といってよい。旧守派の整理の丁度よいタイミングになる。
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2004年08月08日(日)
 1223, 思い出のメロデー
お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、生の番組みの迫力がよい。
今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。
「歌は世につれ」というが、その時代を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。
歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。思い出の歌は魂の故郷である、
お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、
当時流れていた歌が特に懐かしい。そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。
本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、いつもラジオから流行歌が流れていた。
当時の歌を聞くと、感無量になる。それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。
時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。
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2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本
 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、
日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
そしてあまりの悲観主義ゆえか三菱総研の理事からおろされてしまった。しかし大筋として彼の言ったとおりでる。
「数年前は地獄の釜の蓋が開いた!」と言っていたが、今は「地獄の釜の熱湯が溢れ出てきた!」といいたいだろう。
「日本経済の破断界」によれば今頃は恐慌でパニックに陥っているはずだが。
  (以下、字数の関係でカット 2008年08月08日)
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2002年08月08日(木)
 481, ある信条 -経営セミナーにて
30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。700人の席の一番前の真ん中に
いつも座って聞いていた。この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。
見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。
これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話。
その信条がよかった。「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」を自分に言い聞かせているという。
なるほどな!と思った事を憶えている。ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、
いつもブッスとしている。 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。考えてみれば、自分でもある。
ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。もちろんいるが80パーが合致している、いや90パーか。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。しかし、誰もが持っている要素である。だからあれは自分の事ー影と言っている。
先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、フットワークの社長、
100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。
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2001年08月08日(水)
 [102] 夢について−6
これまで夢について書いてきたが‘天女二人とセックスをした夢’の事を書こう。 20年近くなるが私の元部下の大森という人が
亡くなって、暫くして大森さんしのぶ会が開かれた。彼の人柄もあって4〜50人が集まりスナックで盛大におこなわれた。
非常に気持ちの良い会でもあり、かなり酒も入った。その夜天女二人とセックスをした夢を見たみたのだ。翌朝目を覚ました時、
これは彼なりの方法でのお礼なのだと確信をした。(今から考えると勝手な解釈かもしれないが)この話をすると年配の男の人にうける、
思い当たるふしがあるのだろう。夢としても感覚にしても、これ以上ないことは誰もわかることだが。夢は面白い!
学生時代の寮の友人に、夢コントロールのできるという男がいた。夢の中で寮の中を歩く事ができるという。
吉永小百合とも寝る事が出来るとも言っていた。少し内容が露わか?

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