|
堀井On-Line
|
2010年12月08日(水)
敷地内にある貸家(通称=裏の家)の住人から、天井裏から水が漏っている苦情があった。 まずメンテの業者にみてもらったところ、「獣の足跡があり水漏れは小便で、自分達の範疇でない」と引きあげていった。 で、駆逐業者を呼んだところ、「ハクビシンだろうが、夜になると外からくるので穴を塞ぐしかない」というので、 再びメンテの業者に頼み穴を塞いで貰い一件落着? 身近でハクビシンなど聞いたことがないので鳩が豆鉄砲を喰らったよう! ネットで調べてみたら隣町の川崎町で、去年だけで40数回のハクビシン騒ぎがあったことが分かった。ハクビシンというと 佐渡の朱鷺を襲った奴で、猫ぐらいの大きさがある。あれが天井裏で騒いでいたら、住人は夜半、気味が悪かっただろうに。 「ネズミが騒いでいるにしては音が大きい。しかしハクビシンとは思いもよらなかった」とか。それにしても山中なら分かるが、 こんな住宅街に現れるのだろう? もしかして、まだ、天井裏に隠れている可能性もある。 *「ハクビシン」をウィキペディアで調べてみると ーハクビシンは台湾名であり、本来は暖地系の獣であるが、日本では四国と本州の東半分に生息し、日本に生息する唯一の ジャコウネコ科の動物となっている。北海道の奥尻島に生息しているとの報告もある。日本の在来種なのか外来種なのかは はっきりしない。明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれた一部が野生化したとの説が有力であり、 それ以前の古文書における生息の記載や、化石記録が存在しないことから、外来種とされてきた。 各地で研究飼育された獣の一種で、個体が逃げ出したり放棄されたりして繁殖したともいわれている。 同様な目的で持ち込まれた獣としてはヌートリアがある。人家近くに生息して屋根裏でも繁殖する。 子どものうちはよく人に馴れて愛くるしい。リスやネズミに比べて、かなり大型の獣である。ー 二年ほど前に近くに熊が出たので、ハクビシンもありか! * 後記ー朱鷺が襲ったのは、「テン」で、「ハクビシン」ではありませんでした。 知人に教えてもらって、気づいたしだい。 −2010年12月16日 ・・・・・・・ 3169, 夫と妻 か〜 2009年12月08日(火) 熟年離婚が流行っているが、夫婦が長年連れ添うのも大変である。 私の姉・兄夫婦をみていると、相性の当たり外れは5分5分、どれが当たりで外れなど口が裂けてもいえないが・・・。 そういう自分のことは分かりません! だから生きていけるのでは? 悪妻といえば、ソクラテスの妻・クサンチッペと、徳川家康の妻・築山御前が頭に浮かぶ。 しかし、明治の首相までなった黒田清隆とか、野口英世、モーツアルト、リンカーンの悪妻は、あまり知られてない。 < 野口英世は、ニューヨークの酒場で知りあった`はすっぱ女’のメリー・ダージェスと結婚して、大失敗した。 野口はロックフェラー医学研究所の首席助手で、年俸3000ドルもかせぎ、メリーはそこに目をつけた。 メリーはめちゃくちゃな浪費家で、野口の金を使いつくしたあげく、ヒステリーをおこしてつかみかかり、 家のなかで野口をぶん投げた >という逸話がある。また、黒田清隆が上司の娘の高邁な妻を蹴りごろした史実がある。 これは大久保の助力で表ざにならなかった。 歴史上の悪妻とは ウィキペディアによると ・権力欲が強い・嫉妬深い・自己主張が強い・夫に従順でない、などが基準になっていると考えられる。 知人に何人か、離婚経験者がいるが、男の場合は何年たってからも未練があるようで、思わず耳を疑うことがある。 「自分には過ぎた女房だった」というのである。 女性も、次のパートナーが見つかるまでの苦労は、並大抵ではない。 スナックのママさんには離婚経験者が多いが、わかれた亭主の悪口になると我を忘れてしまう。 嫉妬、暴力、女癖と甲斐性無さ・・。 連れ合いは、元は赤の他人、中年も過ぎれば互いに顔を見るのも嫌になって当然。 付かず離れずで、互いに割り切るしかない。 それにしても、一番身近の赤の他人は、ある意味で自分の分身でもある。 だから、その取り扱いには互いに充分に注意しなければならない。 子供にとっての親の当たり外れは重大事。 それが両親の相性の当たり外れになる。 両者とも、それによって、人生が大きく左右される。 特に女性にとって連れ添いの当たり外れは大きい。 目に見えない紐を首に巻きつけ互いに溜息をついて締め付けている。 昨日、結婚記念日で36年たった。 ・・・・・・ 2804, イングランド・ツアー ? 2008年12月08日(月) 『ロゼッタ・ストーン』と、黄金の彫刻の次に印象に残った大英博物館の展示品の順に書いてみる。 まずはギリシャのコーナー ーパルテノン神殿の破風彫刻ー 古代ギリシアの代表的なポリス、アテネの繁栄を象徴するパルテノン神殿の東側の破風を飾っていた 彫刻群で、長さ8m以上に及ぶ。 著名な彫刻家フェイディアスの指揮で造られた。現在は失われてしまった 中央の女神アテナをはじめ、ギリシアの神々が配置されている。中央の裸の男性の像は、酒と豊穣の神である ディオニソス(ローマ神話ではバッカス)で、三角形の破風の形状に沿って横たわっている。(BC438〜432年ごろ) これもまた、大英博物館の誇る代表的な像である。その横にある馬の顔がまたリアルである。 次は古代エジプトのコーナー ージンジャー(ミイラ)ー 人だかりができていたのが、このミイラの展示ケース。エジプトでミイラ造りが開始される前の、BC3400年ごろの 成人男性と考えられている。極度に乾燥した熱砂に埋葬されたために、特別な処置を施されていないにもかかわらず、 完壁に保存された。一部残っている頭髪が赤いことから、ジンジャーの愛称で親しまれているという。 今にも立ち上がりそうな姿が5400年の時空を超えて、何かを訴えかけているようだ。 ーアメンボテプ3世の頭像ー 古代エジプト新王国時代 第18王朝の王であるフメンホテプ3世の頭像。高さ2.9mもある巨大像だ。 欠損している額の中央部には、王位を表すコブラの紋章の一部が残されており、 顎の部分には付け髭があったと考えられる。40年ほどの在位期間は最も文化的に 誇ったといわれ、多くの記念建造物や王像が残っている。BC1350年ごろ ーラムセス2世の胸像ー 新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世の胸像。高さ2.67m。 19世紀、テーベのナイル川西岸にあったラムセウムという葬祭殿から出土した。 右胸の穴は、ナポレオン軍が像を取り去ろうとして失敗した跡だといわれている。 ラムセス2世は約67年間という長期にわたってエジプトを治め、その間に多くの記念建築を造営したたため 「建築王」と呼ばれる一方で、ヒッタイトと戦い、現存する最古の国際条約を結んだ。 BC1250年ごろ ーー これだけの貴重なものが、剥き出しに展示されているのには驚いた。 イギリス人は、「国家の宝は国民のもの」 という考え方。だから無料でみる権利がある、という。 どこかの国とは違うようだ。 ・・・・・・・・・ 2007年12月08日(土) 2439, サブプライム問題 −3 *サブプライムローンの実態は消費者金融! 「サブプライムローン」について、週刊誌の特集を前に二回取り上げた。 ところが、それについてまだ認識してない部分があった。毎日新聞の「記者の目」にずばり「消費者金融のようなもの」と。 「消費者ローンを、住宅担保で貸していた上に、その債権を巧妙にミックスし、金融機関に売り払っていた。 銀行は新興国家からお金を集まっていて、その投資金を、その債権に変えていた」というから、大問題になるだろう。 ーこの要旨をまとめるとー サブプライム問題を日本の住宅ローンと同じように想像すると本質を見誤る。担保は確かに住宅だが、 ただの住宅ローンではない。借りた金の使いみちは広く自動車や洋服の購入にも充てられる。 それが米国の“住宅ローン”だ。ずばり「消費者金融のようなもの」と。 価格の上昇する不動産を担保にすれば、 借金可能な枠がどんどん広がる。「担保は住宅だが、むしろ消費者金融の融資に似ている」と私が理解した。 記者が9月に米国に赴任後、現地で米国人の消費行動を見て、彼の推論が正しかったと確信したという。 クレジットカードでも銀行口座でも、返済を後回しにして消費を優先できる仕組みが見事に整っている。 「まず使って後で払う」というシステムが、米国経済の成長の源泉、過剰消費体質の個人消費を支えてきた。 ところが今、住宅価格の下落とローンの焦げ付きでその仕組みが傷み始めている。 今回のバブルが「新興国」への資金集中から始まったことも、時代の変わり目を示す。 中国や中東の産油国は、経済成長や原油高騰で獲得した巨額の資金を一番安全な運用先に 預けた。それが米国の銀行だった。 銀行は集まり過ぎた金の運用先に困り、上昇を続けていた不動産につぎ込んだ。 米国では、大手銀行の関連会社が、次々にサブプライムローンを組み込んだ商品を買いあさった。 この典型的な不動産バブルが「証券化」で、さらに複雑になった。 証券化は、90年代からリスク分散の切り札として欧米で盛んに利用されてきた手法で、それ自体には問題はない。 例えば、高層ビルを建てる時、事業者は資金を銀行からの融資に頼るより、100人の投資家から集めたほうが 多額の借金を抱えずに済む。出資者も事業が成功すれば配当を受け取れるし、失敗しても出資金を あきらめるだけで傷は小さい。80年代の日本では、銀行が不動産融資にのめり込み多額の不良債権を抱え込んだ。 その反省に立てば、証券化商品は「夢のリスク分散商品」だったはずだ。 ところが、である。欧米金融機関の作る証券化商品は年々複雑になり、一度作った商品を別のものと束ねて、さらにそれを 別の商品に組み入れて−−などと形を変えていくうちに、もともとの貸し借りがどんな姿だったか分からなくなってしまった。 通常、金を貸す時には、借り手の信用情報を吟味してから貸すものだが、証券化したことで借り手の顔が見えなくなった。 焦げ付いた債権がどの商品に組み込まれているのか把握できなくなり、一部が焦げ付いただけでも商品全体の価値が下落。 中には優良債権もあったが、投資家は、危ないと思った証券化商品を早めに売ろうとしたため価格は急落、 市場全体が疑心暗鬼に陥った。 夏の金融危機はこうした構図で発生した。 経済協力開発機構(OECD)は、サブプライムローン問題の損失が最大3000億ドル(約33兆円) に達すると見通しを発表、「まだ我々は最悪期に至っていない」と警告した。 米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長も「最も悲観的な見通しを上回る損失になりそう」と話す。 日本はバブル崩壊後「失われた15年」を経験した。米国が同じ轍(てつ)を踏むとは限らないが、世界経済が 米国への依存度合いを低下させ、中国やインド、ロシアなど新興国の影響力が相対的に増すことは容易に想像できる。 そんな折、米金融大手シティグループがアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ投資庁からの出資を受け入れた。 その額は75億ドル。日本円で8000億円以上の巨額出資だ。 米国最大の金融機関がオイルマネーに救われる構図は、 米国の黄昏(たそがれ)と新興国の台頭を象徴している。 「20世紀初頭に経済の中心が英国から米国にシフトしたような、大きな経済の地殻変動が近づいている」。 米国赴任から2カ月、日に日にそんな思いを強めている。 ーー このサブプライム問題、底なしの様相である。決して、記者の表現はオーバーではないだろう。 ここまでアメリカは、大きな問題を抱えていたのである。アメリカが風邪をひくと、日本は肺炎になるというが、 肺炎で済めばまだよい。アメリカが重症の肺炎なら、日本はどうなるのだろう。 ・・・・・・・・ 2006年12月08日(金) 2075, 世界の「富」、人口の2%が半分以上所有 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ 先日の日経新聞によると、国連の研究機関が12月5日に発表した調査で ー世界の「富」、人口の2%が半分以上所有ーという記事があった。 ーこれを解りやすくまとめるとー ・世界の成人人口の2%が、家計全体の「富」の半分以上を所有。 ・逆に貧しい方からみると、人口の50?が所有する富は1パーセント。 ・最も豊かな層に属し、成人人口の1%に相当する人々が所有する富は、世界の4割に相当。 「上位1%」を居住している国別に分類すると、米国が最多の37%、日本は2番目に多い27%となった。 日米だけで上位1%の3分の2近くを占めた。 ・一人当たりの世界の富の平均が2600ドル。日本は18万1000ドル、アメリカは14万4000ドル、中国は2600ドル、インドは1100ドル。 ・富の分配の格差を示す「ジニ係数」も国別に算出。値が一に近づくほど格差が大きくなるが、世界の平均値が0・89に対し、 アメリカは0・8に対して、日本は5・5で格差は比較的小さい。 まだまだ、日本は健全にみえるが、 この数年で大きく変わってきた。 2000年の統計値を使ってまとめたもので、預貯金や不動産などの資産から 負債を引いたものを「富」と定義したという。 ーー 以上が大方の数字だが、「世界の富の80%は、世界の20%の富裕層が所有している」というがそれを裏づける数字になっている。 中国や旧ソ連や、イスラム圏などから学ぶことは、アッラーや、イデオロギーは富という面からみたら問題ありになる。 無知が貧しさの原因になる。それと幸せ感とは違うというが、やはり・・日本の長期低落傾向は、その豊かさと、 ジニ係数がふつうの国レベルまで修正されるプロセスにあるということだ。 やはり金に換えておくか、外国に資産を移動しておくべきだろう。 あればの話だが。 *^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・・・ 2005年12月08日(木) 1710, 結婚32年の風景 昨日で結婚32年になった。 ゜(゜ノ∀`゜)゜。アヒャヒャ ほとんど危機らしいことは無かった?が、そうそう甘いものではなかった。 ~~旦⊂(・∀・ ) マァ チャデモ! 且~ 相性が良いかどうかは、直には判断できない。相性という面では当たったのだろう。 以前にも書いたが、昔から好きなタイプは ・長女 ・丸顔のノッペラ A(´∀`人) ・A型 ・控えめ ・慎重 ・身長160? ・気が強い ( ;:゜皿゜:)_◇~~ アァァァ!! であったが、ほぼ範疇に入っていたのが良かったのだろう。ただ、「代々続いた婿取りの家系の娘の特性」には 本当のところ驚いてしまった。男子受験高校の中でのチヤホヤされた環境も加え、60年に一回の年回りの『剛の虎』 生まれと、A型という血液型が加味されると、だいたい想像がつくだろう。 ((=゜Д゜=))剛のドラ 全くの無知であったが、それは相手にも言えるだろう。「相互理解」という言葉の重みが身に沁みた32年間であった。 その為には、やはり会話(いや、対話か?)が必要だ。 会話が無くなるのが大きな亀裂になるようだ。 「我われ夫婦には『溝』などない、しかし、『浅くて広い河』がある」と、いつも知人に笑い話をしている。[河]`∀´)Ψ だから上手くいっているのだろう!!? それと、結婚して以来、国内外に旅行に供に出ていたのも良かったのだろう! 我われにとっては『旅がカスガイ』だった。 ジャ! (^_^)/~~ ・・・・・・・・ 2004年12月08日(水) 1345, ビデオ・DVDで観たい 名画200選 ー読書日記 この本、最近本屋の平台に積まれていて気にはなっていた。しかし定点観測で見ていると、いつの間にか売れている。 (字数制限のため、カット10年12月08日) ・・・・・・・・・ 2003年12月08日(月) 978, 全日本相撲選手権 (字数制限のため、カット09年12月08日) ・・・・・・・・・ 2002年12月08日(日) 604,ある時間の断片-18 ー10月9日ー 雲屯庵にて 7時半起床。どうしても6時半には起きれない。 まず初日からこれではどうしようもない。 もっと気合を入れなくてはならない。一人で自分を律するのは厳しい。土曜日まで頑張らなくては。 ー10月10日ー 今日も計画通りに起きることができない。午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。15時から卒論の下書き始める。 波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。19時に実家から電話がある。母と長姉の正子さんと話をする。 一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。 深井に電話をするが彼がいない。明日もう一度電話をする事にする。 ー10月11日ー 8時に起床。卒論の方は予定通り進んだ。 明日夕方帰ることになった。 姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。 今日は時間のたつのが早い。 ・・・・・・・ 2001年12月08日(土) 263,玉突き事故 半年位前に、市役所分室に印鑑証明をもらいに行った帰りのこと。長岡の大手通り四つ角で、車に追突してしまった。 その車がまたその前の車にぶつかる、玉突き事故になってしまった。 その玉突きされた車の中から、 恐持てのやくざ風の男が、怒鳴りながら飛び出してきた。雪駄を履き、金の首輪、角刈りの何とかスタイル。 「何さらすねん、この野郎!」と、やべえーなと思っても仕方ない。 「これは全て私が悪いこと、とりあえず100メートル先のところで!」という事になった。 直接ぶつかった車の人が真っ青の顔をしていた。どういう訳か、いつもこういう時は腹が据わってしまう。 そしてそこに行くと、直接ぶつかってしまった人がいない。 少し待ってみようということで、 待っても待っても直接ぶつかった人がこない。恐れて逃げてしまったのだ。恐れる必要は全く無いのに。 こちらも拍子抜け、相手も拍子抜けになってしまった。バンパーがかなり傷が入っていた。 「バンパーを変えなくては駄目だ!」ときた。しかし直接ぶつかった相手がいない。私も「保険が降りない。 手を打ちましょう!」というと「幾らだ?」と言うから「一万円!」と言った。4〜5万?取られるなら、 ハッタリで思い切って安く言ったのだ。相手の額に青筋が立った。すかさず「こちらも本来保険で下りるところ 相手がいないので一銭も出ない。警察を呼ぶと面倒です、手を打ちましょう!」と言うと急に「よし!」と言った。 警察がよほど嫌だったみたいだった。 拍子抜けであった。 その時財布に7〜8万の金がたまたま入っていた。いざ支払う時にそれを見た相手の顔が忘れられない。 「しまった、全部取れたのに!」と言う顔であった。 後は逃げるが勝ち、さっさとその場を離れた。 ・・・・ 12時8日(日曜日)1968年 12時に起床する。 昼飯後、何か落ち着かない。夕方独りで池袋に出てみる。 独り目的もなく池袋の街をブラブラするのもよい。皆がそれぞれ楽しんでいるのを見ると、自分まで楽しくなる。 田島がアルバイトをしているスナックに行ってみたが、日曜日でもやっていた。しかし彼はいない。今度は銀座にしてみよう。 本屋などは独りで立ち寄るが、何の当てもなく出かけるのは初めてだ。違った遊び方を一つおぼえた。 今度は銀座にしよう。 ところで朝寝ていると長岡の一番上の姉の正子さんから電話が来る。明日東京に遊びに来るから、よろしくとの内容であった。 ニューオータニだそうだ。高木・川崎・松村が案内の候補にあがった。高木は遊びすぎで謹慎の身だそうだ。 次に川崎に電話をするとOKであった。友人の車があるから、車つきである。明日は明日になってみなくては判らない。 それにしても、いろいろ毎日有り過ぎだ。一日一日がギリギリである。何せ、卒論と卒業を絶対に成し遂げないと。
|
|
|
|
2010年12月07日(火)
* 物忘れ 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。 先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。 その上に、同級会が終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで 失くすので、1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。会社も自宅でも、 パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。 * 大学の同級会 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。20,30,40周年の会には出席した。 (10周年の会は、会そのものが行われていなかった) その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。 4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は 首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。 迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と 割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。 あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。 小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は 駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマンの子供、 そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区になる。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。 そして、就職・・・ だから、同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。 ・・・・・・・ 3168,人生に関する閑話小題 ー2 2009年12月07日(月) * 孤独な老人 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を垣間見ることができる。 80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。 通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。 観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まるのである。2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。 それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 * ある人生 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの近くの市に在住だが、定期券を買って、 長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。 時々同じ時間の列車で見かけたので、 知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためという。 土・日曜日も休みなしで三年も通っているため、 車掌とも顔なじみになった。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして 帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から一歩でも毎日、外に出たいのだろう。 そういえば、この数年、家内が1〜2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットの売出時に一人で、東京の散策が趣味にしている。 ポイントは一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをすること。八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。 往復4時間かかっても、六時間を東京や銀座や六本木など、色いろ回れるという。 価値は充分ある。 その御父さんも、 長岡のスポットを回っているのだろうか。 来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が広まるだろう。 それも人生である。定期を買うことで、習慣つけるのも良いこと。 夜のスナックより良い。それぞれか! * 鬱病、欝症について 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。 境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。 多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの 話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。 ・・・・・・・・・ 2803, イングランド・ツアー ? 2008年12月07日(日) *集団スリに狙われて −2 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。 ブラジルのリオのカーニバルとイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには少年の集団万引きに 注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。 面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。 腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。 これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 その男、ニヤリと笑ったので、わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。 ただ、それだけのことだが・・・・・ 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが 出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。 そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。 その場合、見るのは‘目’と気づいた。 30人位の人混みなら直ぐに分かる。 三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、その瞬間を待った。 しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。 −−− *旅行の全てを楽しまなければ 「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。 特に移動時間をいかに過ごすかである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。 特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。それを楽しむには、音楽かTV。 最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。 帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。 その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、 無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。 世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。 それなら情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。 ・・・・・・・・・ 2007年12月07日(金) 2438, 犬は鏡で自己を認識できるか? (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」 ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。 少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。 でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。 {考える日々? 池田晶子著 ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋 ーー ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。 最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。 おかげで大いにストレス解消の効果あり、ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、 あとオランウータンとゴリラだけだと番組では言っていたが、しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、 初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、 いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、 発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めている ことがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。鏡像認識は、霊長類に限らないようである。 で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると認識するというのは、どういうことなのか。 右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということになりそうだが、じつを言うと、私は、 鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、どうもうまく実感できない。 とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」 「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。 なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、 指されているのが「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。 「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち 自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。 確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと思うためには、その先に「自分」が 知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。 では「われわれ」とは? ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。 この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。 現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。 気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。 ((´_`○)ノ ノヾィ♪ ・・・・・・・・・ 2006年12月07日(木) 2074, 寝ずの番 才八∋ウ_〆(∀`●) 先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。 落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに 義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。 何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。 (字数制限のためカット 2010年12月7日) ・・・・・・・・・ 2005年12月07日(水) 1709, 耐震偽造問題について マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで「建設業界そのものが、 政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。 その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。~匸Pヽ(・ω・`) 今回の偽造が発端になった物件は、総研というビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が 偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日) ・・・・・・・ 2004年12月07日(火) 1344, 面白くない日は一日たりともつくらない (2008年12月07日 字数の関係でカット) ・・・・・・・・ 2003年12月07日(日) 977, 「開運!なんでも鑑定団」 この番組み、いつも楽しみにしてみている。代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。 (両親は戦後になって衣料量販店に転業)しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。 古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。 ・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、 ・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。 その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。 父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、 そうそうのメンバーだった。 一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。 事業が傾いた家が、道具屋と組んで蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に 乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて何回か見た。修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。 私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。 「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。 勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。 昨日、「開運!なんでも鑑定団」を十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。 「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。 この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。その本人がリベンジで出てきた。 10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。 新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。 ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。 ・・・・・・・ 2002年12月07日(土) 603,ある時間の断片-17 10月8日 1968年 10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。 6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、 30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。 卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。 ー追記ー 2002年12月06日記 この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。 ー卒論 「流通革命について」 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた 百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。 その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは 今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や 林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。今なら一月もしないうちに、いや二週間で 軽く書き上げることができるが、基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める! ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理でになってしまった。 ジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 面白いものである。 ・・・・・・・・ 2001年12月07日(金) 262,強請りーその手口 ーヤクザ対処法ー この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも 支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。 現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」 という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。 (字数制限のためカット 09年12月7日) ・・・・・・・ ある時間の断片 12月7日(土曜日)1968年 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。 先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。 11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。 夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として 尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。 また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ
|
|
|
|
2010年12月06日(月)
* そもそも「成功」とは何ぞや? ーここで、成功とは、そもそも何かという著者の論理が、言いえて妙である。まずは、その辺を・・・ 【 大金持ちになりたいかと訊かれれば、ほとんどの人間が手を挙げるだろうが、だからといって、なにがなんでも 絶対になりたいとか、人生の目標の一番に「成功」(大金持ちになること)を掲げて生きていきたいわけではないのである。 成功本を書く著者たちは、人生の最大価値を「成功」に置いているようである。つまり金を儲ける「仕組み」を作ったら、 あとは「こっちの水は甘いそ」とかいいながら、左うちわで遊んで暮らすというのが理想の生活だと考えている。 人間を金持ちとそれ以外に二分し、金持ちだけが「自由人」で、それ以外は「不自由人」だ、などと幼稚なことをいって 恥じるそぶりすらない。もしめでたく「成功」したとしても、それは全のなかの一つの要素に過ぎない。 ところがかれらはそれが人生のすべてで、それがなければ人生ではない、みたいに考えているらしい。 「成功」が人生の最上位に立っているのだ。かれらにとってすべての価値判断が金を持っているかいないか、だけのように見える。 頭のなかにはつねに、いかにして金を儲けるかというだけのようだ。「自由」であるほずなのに、「不自由」なのかもしれない。、 有り余るほど金があるのなら、本なんか書かないで隠遁していればいいのに、やほり「名」が欲しいのだろう。 けれどかれらには金はあるかもしれないが、どう転んでも「名誉」だけは手に入らない。「プライド」もない。・・・・・・ 人生で大事なことは「過程」そのもの。それが目標を「実現していく過程」であろうとなかろうと、目標が「実現」しようと しまいと「過程」がそれ自体が大事である。それらの「成功」という言葉が馴染みにくいと思っていたら、 全部アメリカ人の好きな、大げさかつ幼稚な言葉であるサクセスやグレートやドリームの受け入れだったからではないか。】 ーまずは、彼の批判している成功は、衰退し右肩下がりの時代背景からみた成功に対する目線でもある。 高度成長期では大方の人からは受け入れられない見方である。現在は、多くは成功は無理。 ならば、それぞれが自分の価値を見出し、追求していくプロセスを大事にするしかない。 情報化で価値の多様化が進んでいる現在、何をするにも、それぞれのスキルが必要である。 人生に今さら成功も失敗もない?いや、ある? 人生を旅に喩えると、やはり良った旅と、良くない旅がある。 旅の準備を充分してきたか、災難を無難に乗り越えられるか、その知識は必要。 成功とは良かったと思える旅のことになる。 良かった思えば、良い旅になる。でも、良くない? 修行が足りないのでは。 ・・・・・・・・ 3167, シュリーマンの話 ー4 2009年12月06日(日) ー抜粋のつづき 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、 当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。 彼のたどり着いた疑問は二つ。 《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。 シュリーマンの旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上 【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】 〜〜 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。 日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や 工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、 教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。 NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。 ・・・・・・・・ 2802, イングランド・ツアー 2008年12月06日(土) *集団スリに狙われて 観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。 南イングランド・コッツウォルズのブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、 添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、 誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。 (字数制限のためカット 2010年12月6日) ・・・・・・・・・ 2007年12月06日(木) 2437, ファッションを哲学する ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪ 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」 という彼の言葉は痛烈である。 更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか? 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。 −−− ー彼の論を簡潔にまとめるとー ・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。 ・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。 ・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。 ー印象に残った部分を抜粋してみるー そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》) と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。 −−−− 衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。 とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、 作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。 ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには関係なかった。 しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。 劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。 今だったら「馬子にもブランド」? ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、 6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・ ・・・・・・・・ 2006年12月06日(水) 2073, 金は人を幸せにするか? 才八∋ウ_〆(∀`●) お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。 毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。 (字数の関係でカット2009年12月06日)・・ ・・・・・・・ 2005年12月06日(火) 1708, 戦略ノート −1 −読書日記 また斉藤孝である。 ~~匸Pヽ(・ω・`) ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。 この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、 ー 成功を以下のように定義する。 φ(・ェ・o)~カキカキ 1、自分の人生の目的を知り 2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し 3、人のためになるような種をまくこと (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・ ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握 ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる 更に 次の5つのステップで夢を見つける ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー ・・・・・・・・ 2004年12月06日(月) 1343, 雪下ろしの雷 今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。 落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは 初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。 今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。 雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は 閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。 そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、 地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。 贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。 子供の頃は、3〜4メートルの雪など珍しくなかった。柏崎の原発が出来てから、さらに顕著になったようだ。 住んでいるほうは、少ない方が生活をしやすいが、自然のバランスからいえば降るべき時には多く降ったほうが良い。 雷といえば、学生時代に自衛隊に合宿した高崎の雷を思い出す。数十メートル先に何回も落雷があった。 二段ベッドの鉄の手摺りが、落雷の電気が走ったのをアリアリと憶えている。 ・・・・・・・・・ 2003年12月06日(土) 976, 新婚さんいらっしゃい ! −2 この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。 特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。 まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。 その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、月に2000円の小遣いである。 「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。 亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、かけそば、かけうどん」という。 凄いものだ。本人はやせ細っていた。旦那が小遣いの値上げを懇願していた。せめて5000円というなら解るが、 900円で喜んでいた。また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。 まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。 この時も月に2000円か3000円であった。会場からは怒声が聞こえてきた。 番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」感じないのがよい。 それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。 「高校三年生」の流行歌を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。 ・・・・ 783, 新婚さんいらっしゃい ! −1 2003年05月27日(火) (字数の関係でカット2008年12月06日) ・・・・・・・・・ 2002年12月06日(金) 602,ある時間の断片-16 1968年 10月6日 日曜日 (字数の関係でカット2009年12月06日) ・・・・・・・・・・ 2001年12月06日(木) 261,ブランド品 ブランド品の定義ー 1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型 2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。 3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。 −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか! 4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。 5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。 したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を 取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の旅行代理店がそれを熟知、 それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。 ・・・・・・ 12月6日 1968年 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。 タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。 新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。 雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理に ついて話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。 解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。彼が10月頃から大きく変わったと言った。 彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。 人間性が崩れているというのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。 何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。
|
|
|
|
2010年12月05日(日)
誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。 それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を患った時だったり。 若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の価値観が変貌していく。 節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。社会に出て10年スパンか、20年スパンで、 節目を自分で作っている人を時々見かける。人生設計をし、それに従って生きるのも道理。 起承転結という文章作法(あるいは四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、 結=60歳〜 を、区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、 40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期になる。しかし振り返ると、 それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、39歳までの20年全力投球、 59歳までは苦しみ、楽しむの味を味わい、60歳以降は、それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で 人生の仕上げに入る時期になる。「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、 自分の物語をつくっていくことになる。 そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、挫折などの経験が、 物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。それぞれの人生があるからである。 「上を見れば限がない。横を見れば情けない、下を見れば底がない」のが比較の世界。 所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として忘却の彼方に消えていく。 「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 それが出来るのは「いま、ここ」だけ。 「人生の意味など何も無い!で、いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。 ・・・・・・・・ 3166,シュリーマンの話 ー3 2009年12月05日(土) 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映がキッカケである。 その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、 「リーマンの見た日本」のテーマで(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。 ーその面白そうなところを抜粋したー ・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部をイギリス公使館として使わせていた。 1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが 幸いしてオールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。 シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、つまり明治維新の3年ほど前の6月である。 「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときにできた大きな血痕がまだ残っている」 と当時の生々しい情景を伝えている。 トロイやミュケナイの遺跡を発掘した天才児シュリーマンを知らぬ人はなかろう。 元々ドイツ人であるが、強運と天才的な商才にめぐまれ、ロシアで巨万の富を築いた。 少年の頃からの夢を果たすべく、41歳で全ての経済活動かを止め、世界漫遊の後、古代遺跡の発掘に取り組んだ。 ・ このシュリーマンが巡り会った清国と日本、それは全く違う国であった。 彼は横浜に入った時、 子供を背負った女などの乗った無数の小船に取り囲まれていないことに気づき、日本に到着したと実感した。 中国では、物売りの小船に囲まれる。 しかし陸まで運んでくれた艀の船頭の請求金額の余りにも控え目な額に 「これではぎりぎりではないか」と大いに驚き、褌と入れ墨で働く日本の労働者の律儀さを体感する。 更に、税関の役人である武士の清廉さに出会って、彼の日本人好きは決定的になる。 役人は彼の荷物の開披を求めた。 彼はこれを免れようと役人に金を渡そうとする。 役人は、「自分は日本男児であるから、心づけに吊られて義務を ないがしろするのは尊厳にもとる」とその受け取りを拒否した。 にもかかわらず、役人は最後まで礼儀正しく好意的で親切。 清国の税関での見聞に対比して、その違いにビックリしているのがよく分かる。以後、彼の日本びいきは最後まで一貫している。 ・日本の民家のたたずまいから、家具の簡潔さ、畳と正座と布団の関係、公衆浴場、髪結いから懐紙に至るまで子細に観察した上、 「日本人が世界で一番清潔な国民であることは異論の余地がない」と断じる。 何日も持ち歩くハンケチよりも鼻紙の方が 清潔であるヨーロッパ文化に対する異論まで持ち出し、「家々の奥の方には必ず花が咲いていて、低く刈り込まれた木で 縁取られた庭が見える。日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本である」と絶賛する。 =それにつけても、現在の日本は!と著者はいいたいのだろう。 つづく ・・・・・・・・・ 2801, イングランド・ツアー 2008年12月05日(金) 時系列でなく、まずはロンドンから書いてみる。ロンドンには学生時代に来たことがあるが、あまり良い印象は残ってない。 ロンドンブリッジと、バッキンガム宮殿と、ウエストミンスター大聖堂と、地下鉄に乗った記憶と、大英博物館に入って、 そこで日本人留学生二人が私と友人を丁寧に案内してくれたことがあったが、そのこと位しか憶えてなかった。 今度は、大英博物館とナショナル・ギャラリーとピカデリー・サーカスの繁華街を中心に絞って見てまわると決め、 走るように見てきた。初日に、大英博物館の主だったコレクションを現地添乗員がダイジェスト的に(一時間)説明してくれた。 翌日、午前中はオプションのウィンザー城の見学、 午後はナショナル・ギャラリーと(再び)大英博物館に行ってきた。 *まずはナショナル・ギャラリー。 ダビンチ、セザンヌ、ゴーギャンなどの絵画が展示されていた。 特にゴッホの『ヒマワリ』の絵に身が竦んでしまった。 周りに誰もいないところで、独り数分間対峙できたのは 至福の時間であった。絵からは作者の波動が出ているというが成るほど、こういうことなのかと思い知らされた。 絵から一対一で直接、このような作家のエネルギーを感じ取ったのは初めの経験である。 入館料は、大英博物館も、ナショナル・ギャラリーも無料。 世界のお宝が無造作に置いてあるのだから如何に底力があるかである。 *次に大英博物館。 エジプトやギリシャの遺跡を見てまわってみて、国宝級の多くが英国に奪略されて大英博物館にあるのを聞かされていた。 それが何気なく展示されているのは、世界三大博物館の貫禄である。ここは250年の輝ける歴史があり、多くの 資産家や外交官などの寄贈で、世界中のコレクションが集められている。その中でも、一番のコレクションといえば、 『ロゼッタ・ストーン』である。 ウキィペディアによると、 【ロゼッタ・ストーンは1799年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のブシャール大尉によって エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。 暗色の花崗閃緑岩からできていて、 岩には文字が刻まれており、エジプト語とギリシャ語(コイネー)の2種類の言語で書かれており、3種類の文字で記されていた。 その内容とは、ヘレニズム期のエジプトプトレマイオス王朝プトレマイオス5世エピファネス施政下の紀元前196年に開かれた メンフィスの宗教会議の布告を書き写したものである。 同一の内容が、エジプト語は神聖文字(ヒエログリフ)と衆文字 (デモティック)、ギリシア語はギリシア文字で刻まれている。】以上だが、ガイドによると、これは大英博物館での一番の コレクションという。また黄金のヨガのスタイルの彫刻が圧巻であった。ネットで調べた内容から・・・ 【世界に金融危機の暗雲が漂う中、英国のスーパーモデル、ケイト・モス(34)の黄金像が2日、ロンドンの大英博物館にお目見え。 4日から始まる現代彫刻展で一般公開される。来年1月25日まで。英芸術家、マーク・クインさんの作品で、50キロの金塊を 使用して作製した。時価にして150万ポンド(約2億7900万円)。古代エジプト以来、最大という黄金像は ギリシャ神話に出てくる半人半鳥の海の精「セイレン」と名付けられた。 クインさんは英BBC放送に 「ケイトさんは現代の美だが、それでも私の描く理想には及ばなかった」と話している。】 (今日のYahooの私のブログに、この記事を載せておきます。 つづく ・・・・・・・・・・ 2007年12月05日(水) 2436, 2008年平成大恐慌が日本を襲う! オハヨウ (∀`* ゴザイマス! 昨日の週刊現代の新聞見出しが、 2008年「不動産バブル崩壊」で、平成大恐慌が日本を襲う! が刺激的だったので買ってみたが、一月ほど前の特集の方が理路整然としていた。 それでも、なるほど納得できる内容であった。日本版のサブプライム問題が表面化して、日本も大恐慌に突入! というのが、骨組みであった。前回の特集はアメリカのサブプライム問題のレポートだったが、 今度は日本のサブプライムが表面化してきた!という論旨である。 (前回、今度は日本のサブプライム問題が表面化するだろうと、感想で書いたが、そのとおり特集を組んできた) 私の商売は景気の先駆けが現れるが、11月に入ってからおかしな風が吹き出した。 長期の団体を除くと、明らかに一割近くの客数が減りだした。元々、7月中旬の柏崎沖地震から一割落ち込んでいたが、 それでも10月になり持ち直したのが、ここにきて再び落ち込み始めたのである。 (今年はイベントが10月に特に多かっただけ、ともいえるが)もし、団体が入ってなかったら、顔面蒼白。 ということは、ほぼ全ての事業所が同じはず。野村證券の元社長の田淵節也のいうとおり、 「海の色は変わった」ということか?そして来年から本格的に?? ー見出しを週刊現代のHPからコピーしてみるー 疲弊する経済に新たな火種! “日本版サブプライム・ショック”はすでに始まっている!住宅着工件数半減、不動産ファンド続落、 新築マンション大量売れ残り…… あらゆる経済指標が示す不気味な「魔のシナリオ」 2008年「不動産バブル崩壊」で平成大恐慌が日本を襲う! ■倒産の連鎖が始まった! ■ノンリコースローンの問題点 ■「新築マンションの完売はウソ」 ■2割安く手に入れるマンション購入のウラ技 不動産価格高騰で荒稼ぎする投資ファンドに大量の資金を貸し込んできた銀行が、 地価暴落による焦げ付きで金融パニックに陥る。それはまさに住専問題を発端としたバブル崩壊と同じ構図。 あのときの“悪夢”が再び繰り返されるのか。すでにその予兆として、外資が不動産市場からの撤退を始めた――。 倒産の連鎖が始まった!「都心部の優良不動産の価格上昇が急激すぎて、転売するのも容易ではなくなってきました。 自分がいつ高値で“ババ”を掴まされるか戦々恐々・・」 −−−− 以上だが、原油は100ドル、それにともない日用品の値上がり、事実上の増税に、株価急落、地方経済の疲弊、政治の混乱など、 多くの不安要素が重なっている。 9月に入って、都銀と地元の担当が「マンションと住宅の割引が始まった」と言っていたが、 地元だけでなく全国的な傾向だったようだ。以前から言われている「2007年から始まる動乱」は起きているのか? 年を経るほど、大きく姿を現す。 ヾ(^ω^*) ・・・・・・・・ 2006年12月05日(火) 2072, 義母・故桑山正子さんへの弔辞 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハヨー! 先週の金曜日(12月1日)の昼に柏崎の義母の死亡の連絡が入った。 その一週間前に見舞いに行った帰り道に、「年内は持たないだろう、覚悟しておくように!」と、 家内に言ったが、そのまま帰らぬ人になってしまった。病室では風前の灯火という感が漂っていた。 2年以上の長期入院の末で、自然死に近い死に方であった。 享年82歳である。ご冥福を! ー追悼で義母のことを書くー 私が知る限り、これだけ幸せを絵に書いたような人に出会ったことがない。これは家内も誰も認めていることで、 こういう人生があるのか?と、思うほど静穏な恵まれた人生であった。「穏やかな品位のある穢れのない人」というのが、 義母の正確な人柄の描写になる。数代つづいた婿取り娘の家系で、幼児の時から無菌培養のように大切に育てられた。 母親が4歳の時に亡くなり、祖母に育てられた。そのため?義母は両親の愛情を知らないで育った。婿養子の義父は 10年前に78歳で癌で亡くなったが、模範的は品行方正の温厚な人物で亡くなるまで義母に尽くしきった人である。 柏崎のロータリー・クラブ会長などをしていて、誰にも好かれる人であった。 (字数制限のためカット 09年12月05日) ・・・・・・・・ 2005年12月05日(月) 1707, 家訓づくりのすすめ −2 第三章では 「わが家の家訓」の作り方、活用法が、詳しく説明されている。 それぞれの事例のなかに、それぞれの事情が生々しく本音で書いてある。 ー子育てに関する家訓の例として ・子は親を見て育つもの、親は子を育てて育つもの、子育ては親子の一大事業 ・家族は幸せになるためのチーム、みんなで協力し合おう ・小さい時のしつけは一生の宝物、子のしつけは親の努め ー他には ・お金や名声よりも大切なものを持て ・毎日心がけよう笑顔の挨拶、元気のいい挨拶 ・家族の問題からは決して逃げるな、心を合わせてみんなで解決しよう などがある。 家訓を通して家族関係を見直すきっかけにもなる。 離婚直前の夫婦が、家訓をつくることで危機を乗り切った真に迫った内容もあった。 )`ε´()`ε´( ーその家訓とはー 1、人生は思い通りにはいかないもの、満足と感謝が大切 2、誠実と謙虚と感謝の気持ちで人に接すれば世をおくれる 3、得意げに正義をふるまわすな、むやみに正論をいいたてない 4、あせるな、怒るな、くさるな、自分に負けるな 5、罵声はわが身を振り返る鏡、ありがたい激励と思い 怒らず、恨まず、悪口を言わず (o・_・)=○)*_*) 6、最後まで聞くのが聞き上手、自慢しないのが話し上手、聞き上手、話し上手になれ""(・・、) ヾ(^^ )"" (字数の関係でカット2008年12月5日) ・・・・・・・・ 2004年12月05日(日) 1342, カルフールが撤退 字数の関係でカット(2007年12月5日) ・・・・・・ 2003年12月05日(金) 975, 「それぞれの輝ける日々」 スペインの「パンプローナの牛追い祭り」の再放送を見ていたら、「それぞれの輝ける日々」という言葉が、 ナレーションで流れていた。 この言葉には「それぞれの人の、輝ける日々」とか、「それぞれの、人の輝ける日々」 と分けることができる。 その反面「それぞれのどん底の日々」もある。この話になってくると、いろいろあるので内容は 「・・輝ける日々」に絞る。人生には「それぞれの人にとっての輝ける日々」がある。 現在書いている「学生時代の日記」は、私にとっての「輝ける日々」の、ある時期の、記録である。 「輝き」という言葉の背後には暗黒がある。暗黒があるから、輝くのだ。偶然の賜物として倉庫の奥から出てきた 「22歳の日記」を読んでみると、私にとっての「輝ける日々」である。誰もが記憶の彼方に持っている青春の日々である。 そして現在進行中の人もいる。青春とは、決して素晴らしいとはいえない。むしろ見っともなくボロボロの状態である。 しかし、それが輝きになっている。「輝き」は、光っていることである。 人間が光っていることは、燃え狂っている状態である。 そして背後には暗黒が大きく口開いている。 そこで思い出したのが、「 一期は夢 ただ狂え 」である。 世の中はチロルにすぐる チロリチロリ 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ 何ともなやなう 何ともなやなう 人生70古代稀なリ ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や 夢幻や南無三宝 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ (閑吟抄) 470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が古今集をまねてつくった歌の一つである。 ‘人生など一瞬でしかない。 なら狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’という内容である。 「一度しかない人生だからこそ、ひかり輝いて生きるべきである」という人生観。 人生を顧みたときに「光輝いていた時」は、何かに狂っていた時である。 人は、それをパラノイヤー偏執狂という。 ・・・・・ 2002年12月05日(木) 601,ある時間の断片-15 1968年 10月5日 土曜日 昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。 集団デートお流れ。 小作の方にしておけばよかった。 その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について話し合う。 かなり哲学づいているようだ。 深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。新橋の深井の自宅に行く。 親父に紹介される。 40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。私に興味があるみたいであった。 そこで食事をした後、東名高速で横浜・板付へドライブ。あまり面白くなかった。帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。 小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。 その後食事に行く。TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。 寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。帰寮の後夜半の2時に寝る。明日からは本格的に卒論に集中しなくては。 ------- 「青雲寮」の過去に書いた内容をコピーしておきます。 2001/12/20 −青雲寮(わが青春) (字数制限のためカット 09年12月05日) ・・・・・・・・・・ 2001年12月05日(水) 260倒産ー2 新潟鉄工所の倒産の影響は私の想像以上になりそうだ。その重みを解かってなかったのが本当のところだ。 地元に生まれ育った人は、実際かなりショックのようだ。息子が新潟鉄工に勤めているだけで、自慢になるほどの 重みがあったという。下請け、孫請けの地元の影響は、これから益々大きくなるのは避けられない。 考えてみれば当然で、これからその波及が出てきそうである。地元では第四銀行が潰れた位ほどのショックらしい。 具体的にあそこがいくらとか、金額が出始めてきている。一昨夜のTVのニュースで,債権者に対する説明会が出ていた。 直接の影響がないと思っていたが、そうはいってられない状況だ。 国内のテロを用心していたが、 とんでもない処から火の手が上がった。「日本の経済の終わり」の始まりの景色とはこんなものか。 長岡でも‘七?商店’が一億?千万とか、‘何とか工?’がいくらとか。‘何とか銀行’が致命傷とか。 今まで貸し先がおかしくなると必ず噂の発生元としてて??銀行が流していたが、今度は自分の番になった。 それもペイオフに丁度いい塩梅で! 家内も「年内で全ての預金を引き上げる」という、当然の事だ! もし株で信用売りができるなら、全ての財産を賭けて売りにするだろう! これだけ確かな事はない。仕手株の価値もないか!巡る巡るものだ。全ての会社に言えることだが、「他人事でない!」 ・・・・・・・ ある時間の断片 1968年 12月5日 (字数の関係でカット2008年12月5日) ーつづく
|
|
|
|
2010年12月04日(土)
* 石井一男という画家 「ビジネス書 大バカ事典」勢古浩爾・著の中で、数多のいい加減なビジネス書をなで斬りをしている反面、 こういう画家には優しい眼差しを向ける。さっそく、ネットで絵をみたが息を飲むほど素晴らしい。 一種の自閉症?なのだろうが、画家の魂が対象の画中の女性や花から迸り出ている。何か自分の世界の中で作り上げた 女性像が彼の魂から溢れ出て迫ってくる。何が成功か、そんなものと、勢古がいうのも理解できる。 ーまず、勢古の文章からー 【 石井一男という画家である。TBSの「情熱大陸」という番組で知った。人付き合いが苦手で、四九歳までアルバイトだけで 生計を立ててきた。それも、人とあまり関わらなくてもいい仕事ばかりを選んだ。神戸在住で長屋の二階にひとりで住んでいる。 母親が購入したものだから部屋代は必要ないが、生活費は月七、八万円。酒も煙草もパチンコも一切やらない。喫茶店にも 滅多にいかない。 夕食は近所の惣菜屋で100円に値下がりした惣菜二種類と100円のパック入りごはんを買って済ます。 しかしそれらをきちんと器に移して盛る。可愛いことにみかん一個のデギトもつける。それをひとりで正座して食べる。 絵を描いてきた。だれにも師事せず、どの団体にも属さず、途中休止した年月もあるが、たったひとりで描いてきた。 ときおり行く画廊の主人が書いた文章を読んだことがきっかけだっ。この人なら自分の絵を見てもらえるかもしれないと思い、 手紙を書いた。この気持ちはじつによくわかる。ちょっとだけ大きい世界に開くこと。そして、ひとりの承認者がいてくれたら、 と願うこと。主人は石井の絵を見て「こんな人がいたのか」と驚き、個展を開いた。石井一男の絵は49歳ではじめて陽の目を見た。 人々の目を惹きつけたのは、ルオーの画風に似た純粋な「女神」シリーズである。目を瞑った慈母か天使のような顔が描かれている。 その絵を見た人のなかには、涙を流す人がいた。わたしが好きなのは、後藤正治『奇蹟の画家』の冒頭に載せられた黒一色の「女神」 (二〇〇八年)である。表情がいい。石井その人もまた、絵に似て、いい。長身で痩身。照れ屋で寡黙である。無愛想ではない。 温厚である。恥ずかしそうな笑顔である。1943年、神戸生まれ。父親はフィリピンのルソン島で戦死。祖母と母の三人で 暮らしてきた。その祖母も亡くなり、現在、母は九〇代になり老人保健施設で暮らしている。この個展で100万円の収入があった。 しかし石井はそれを貰うことを拒み、ある団体に寄附しようとしたのである。 画廊の主人はそれを思いとどまらせた。 絵を見てもらえるだけで満足だったのかもしれない。それ以上の反応は、おそらく過分なものだったのだろう。 その後、個展は大阪や東京でも開催されるようになり、作品もほとんど完売するという。 固定ファンもついた。 小さくて静かなブームになっているといっていい。だが、石井一男の生活は以前とまったく変わらない。マンションなどに 移るつもりはまったくないという。長屋の二畳と六畳一間の部屋。母親を見舞う。生活費は相変わらず月7.8万。・・・】 ー 勢古の本を読むのは数年ぶりだが、なかなか味わいが出てきた。 ところで朝のNHKのドラマ、今年になってから、 「ゲゲゲの女房」以来である。時間帯を7時半からBSで放送したこともある。現在は、「てっぱん」である。 下宿屋の人間模様を藤純子を主役?としている内容だが、そこに自閉症の初老の画家がいる。石井一男をモデルにしたのだろうかと 思ったが・・・・ ネットでみた石井一男の絵に、一瞬で虜になってしまった。パソコンにファイルしたが・・・ ・・・・・・・・ 3165,金本位制が復活? −2 2009年12月04日(金) * ーそれでは、「アメリカ金本位制復活論」の高橋靖夫が文藝春秋に記載した一部を抜粋するー 1971年8月15日、ニクソン大統領は突然、金とドルの交換を停止した。世界を仰天させたこの「ニクソン・ショック」によって、 金は「通貨としての役割」を否定され、たんなる「商品としての地位」に追いやられた。 当時の通説は、「モノづくり」で 競争力を失った米国が、ドルを守り切れなくなったために「ブレストンウッズ体制を自ら放棄した。 ところがその後の米国といえば、崩壊どころかドル覇権を拡大し、冷戦終結後にはユニテラリズムを振りかざす 唯一超大国として「独り勝ち」を達成した。では、「崩壊」したかに見えたニクソン・ショックの狙いはなんだったのか。 ブレストンウッズ体制下では、アメリカは1オンス35ドルで各国政府の保有する金の交換を保証していたため、 赤字の増加は金の流出につながる。そこで米国は”負けたふり”をして「失った金の再備蓄」を密かに狙ったのだ。 米国は金とドルの交換という「責任」を放棄しながら、基軸通貨特権を享受しつつ、固定相場制から変動相場制への制度変更を 仕掛けたのだ。と同時に、金の通貨としての魅力を否定することで金相場を下落させ、失った金を安く買い戻せるように仕掛けた。 つまり金本位制を停止した時からすでに、再び金本位制に戻す機会を狙っていたのである。 むろん、そんなことは、経済白書で発表されることも、ウォールストリート・ジャーナルに書かれることもない。 しかし、米国が金を「捨てた」かのように見せつつ、決して金の価値を忘れていなかったことを記す状況証拠なら、幾らでもある。 たとえばニクソン・ショックからわずか3年後の74年12月、米国は奇妙なふたつの政策を実行した。 ▲40年ぶりの「国民の金所有の自由化」 金先物市場の狙いは「ロンドンから金の価格決定権を奪う」こと、そして金所有の自由化は「民間による金の備蓄を進める」こと。 共に戦略的な「米国による金の囲い込み」である。 米国の金相場の操作は極めて巧妙だった。ヨーロッパの投機家たちを 抑え込むために、74年12月31日、国家備蓄のなかから200万オンス(約62t)の金を放出すると発表し、相場の「冷やし玉」にした。 同時に有力金融機関には「不買キャンペーン」を行わせた。その結果、金価格は74年12月31日の「国民への自由化」の197.5ドルを ピークに、75年6月の130ドル近くまで下落を続けた。こうして米国国民は安い価格帯で金を買うことができるようになったのである。 (字数制限のためカット 2010年12月4日) ・・・・・・・・・ 2800,イングランド・ツアー 2008年12月04日(木) 昨日、イングランドのツアーから帰ってきた。この世界恐慌前夜に行くべきかどうか迷ったが、少なくとも年一の海外に出る 習慣は守るということで、決断した。29名のツアーで、イングランドの北の湖水地区と、古い町並みのコッツウォルズ地区、 ロンドンをバスで回るツアー。英国は秘境ツアー御宅にとって、毛色の変わった場所だが、たまたま現在の中では一番、 価値があると判断をした。私の評価基準からして、80点以上は無いだろうと思っていたが、その通りであった。 しかし、今回の旅行は75点の評価だから、まあ良かったということになる。湖水地区の自然を散策するイメージに引き付けられたが、 奥深く行く探索する内容ではなかった。二日じゃ無理だが。 それよりコッツウォルズ地区のの古い村の景色の美しさには感動をした。 一箇所が二泊ずつ三箇所に泊まるため、非常に楽な日程だった。格式の高いところや公共に対する意識が高いところは日本に似ていた。 いや日本が、イギリスに感化されたということだ。 ー印象を思いまま書いてみると ・島国で、立憲君主制?で、緑に覆われているところが、日本に似ているので、違和感が少ないのが印象的である。 ・面積は日本の本州とホボ同じ大きさで、 ・人口が6000万人、 ・平地面積が80%で、日本の16%とは違う。そのため、日本人は非常に大きく感じるという。 ・小さい国土のわりに食料自給率は80%もあるという。 ・大英帝国を築き上げた歴史があるため、豊かさが国土に深く沁みこんでいるのがバスの中からでも分かる。 ・村には、中央広場とメーン通り、教会、パブの三点セットが必ずあるというが、最近の不況でパブが多くの村で 消滅をしているという。「階級制度がハッキリしていて、特に労働者階級は反発を感じないのか」と、現地の日本人ガイドに 質問をしたら、「日本人からみたら個人主義が強くて、『人は人』という意識が、その反発を消している」との答えだった。 弱肉強食のシステムは、国の活性化のために必要で、没落と成り上がりのシステムはあるという。 なるほど、外は広く、内は広い、世界は! それを忘れないためにも海外に出る価値がある。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2007年12月04日(火) 2435, 絞首刑 −2 ((´_`○)ノ ノヾィ♪☆ぉきた?♪ 死刑は荘厳にさえみえる。 処刑に引き出されたものと、他のものとの段差。 それは我われの二人称の人の死と、変わらないではないか。ただ露出された人間の心情は、表現は違っても普遍的である。 もう、20年前の夢を鮮明に憶えている。 中東の何処かで、自分が絞首刑になる夢である。 もしかしたら、彷徨ってた霊が夢に出てきたのか?さえ思えた内容である。何か、この死刑囚の場面に似ていた。 ーまずは昨日の続きである。 (字数制限のためカット 09年12月4日) ・・・・・・・・ 2006年12月04日(月) 2071, ゆっくり急げ! −2 b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪ 以前も「ゆっくり急げ!」のテーマで書いたことがあったが、最近、この意味の深さを痛感する。 ラテン語で「フェスタ・レンテ」という。 この言葉を暗記して繰り返していれば、少しは短気が直るだろう。 還暦をむかえると、人生に焦りが出る。私の場合、60歳までにそれ以降の全てを50代にやり遂げようと、 10年間に詰め込んで生きよう心がけて過ごした。 そのため焦りすぎて多くのミスも多かったが、ほっとしたような 心の余裕ができている。 あとは、おまけ!という気楽さというか・・・団塊の世代の人達が定年を向かえようとして急に、 「明日から会社には来なくても結構です。ご苦労様!」と言われても、産業粗大ゴミが空地に捨てられたように呆然とする。 そして、‘60歳後の生き方’のような本にある「ゆっくり生きましょう。群れてないで、一人で自分の世界を確立しなさい。 してなかった?それは貴方の責任です。これから一つずつ趣味をつくって生きましょう」と・・・ しかし焦っても、焦っても、 どうすることはできない。 焦らず、ゆっくりと死に?急ぎをするにはどうすべきか?いや死は実際には本人に存在しないのだから、 寿命の尽きるまで輝いて生きるには「ゆっくり急げ!」を座右の銘にすべきであろう。 「ゆっくり急げ!」という言葉に似た格言としては、 ー字数の関係でカット(2010年12月04日) ・・・・・ 2003/05/15 ゆっくり急げ! 字数の関係でカット(2008年12月4日) ・・・・・・・・ 2005年12月04日(日) 1706, [我が家の家訓] をつくってみた ところで、この本『家訓の作り方』を参考にして、「わが家の家訓」をつくってみた。(作成時間3〜4時間) 【【 堀井家の家訓 】】 =人生について ヽ('A`)ノェェェ マンドクセ ・群れるな! 一人どっしりした生き方をすること そのために、教養の蓄積と余裕ある蓄財をしておく ・一度だけの人生、思い残すことなく生きよ ・何ごとも楽しめ!嫌なこと苦しいことほど楽しみのネタはある! ・自分の強みを見つけ、それを生かした人生を歩め ・自然体で生きよ 無理しない、あわてない、気にしない ・何ごとに対しても誠意を持ってあたれ ・笑いと、喜びを持って日々励め (´m`) ムフッ♪ ・はやい時期に自分の楽しみを見つけ、一生をかけて追求すること ・継続すべきプラスの習慣を一つずつ身に付けていくこと ・何ごとも一期一会、「いま現在」を大事にして生きよ 明日は常にないものと心がけよ! ・頭が固いとは、『脳硬化』と心得よ つねに変化に備えて、変身の用意を怠らないこと ・言葉に気をつけること 特に(心の中の自己対話)内語に気をつけること (;^_^A " kuso! baka! teinou! kogitune! ore dameda! ・行動、行動、また行動。常に積極的に行動すること、その周辺に情報と、さらなる行動がついてくる ・勉強、勉強、また勉強 知れば知るほど、知った周辺の知らないことが増えてくる *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:* =お金に対して= ・保証人になるな ー請け判は人生を滅ぼす ・借金は能力範囲ですること ・商品取引、先物取引は厳禁のこと 大きな博打はしないこと ・個人的な金の貸し借りは親兄弟でも絶対にしないこと −友人の出資とかいう手合いの話に絶対乗らないこと ・お金は楽しんで使え ・支出は収入の8割までにすること =家庭について= ・生活は質素倹約に徹すること (=_=;) ・親しき仲にも礼儀あり、特に挨拶は必ずすること *おはようございます ∩(´∀`)∩ オハヨ〜♪ *おやすみなさい |寝室Юヾ(●´∀)ノ" おやすみ〜♪ *いただきます (^人^) *ごちそうさま ( ̄ω ̄;)!! *いってきます (^-^)ゞ *ただいま (* ̄0 ̄*) *ありがとうございます Σd(ゝ∀・)アリガトォ♪ ♪〜♪〜 ♯♭ ・自分のテリトリーは整理整頓に心がけること *自分の部屋の掃除 *靴の並び *割り当てられた掃除 ~ヽ( ̄Д ̄*)ちっ ・親子、夫婦といえども自分のトラブルは家庭内に持ち込まないこと mou sima senn! (^┰^;)ゞ ・笑いと感謝を持ってお互い敬うこと uyamaimasum(_ _)m ヾ(o;▽;)ノ"ギャハハ kannsya kannsya(^人^;)ヾ(。ゝ∀・)ノ┌┛☆ドンドン!! ・゚・(ノ∀`)σ・゚・ ・常に話し合う習慣を日常よりつけておくこと ヽ(ヽ゚ロ゚) ギャギア!! ヽ(゚Д゚○)ノ アアデモナイ、コウデモナイ =社会に対して= ・常に笑顔を持って他人に接すること ー近所の人とは、表面的な親しさに止めること ・ライオンズクラブ、ロータリークラブなどの社会的ステータスを求めている場所には近寄らないこと −但し、商売上止むを得ない場合は例外とするが、それを必然とする仕事は可能な限りさけること ・マイナス語を日常に使う人種とは一線をおくこと butubutu(; ゚ ロ゚*)! ・社会は本来『不平等』と知ること、間違っても、平等が基本などと誤解をしないこと 平等と信じている人を信用しないこと konoyoha byoudouja ナンテコトヲ!(;^_^a ;゚;Д;゚;; )ギャァァァ!! ・他人に対して、心にやましいと思うことはしないこと (=_=;) ・人は人、我は我、されど仲良くを基本とする マタ~~■P o(´・∀・` ) coffee time☆ *:;;;:*゚。+☆+。゚+*:;;;:* =家訓としての戦略= つねに長期的視点に立ち、求めることを一つに絞りこみ、全精力を集中して、競争相手を定めて、先手を打つこと 夢を持ち、 明るく、質素に、ものごとの本質をみつめ、他人に良かれと思い、 日々を一歩一歩踏みしめて 生きること! 「変化・挑戦・戦い」の絶え間ない繰り返しこそ、活きることである。つねに新鮮な気持ちを持って 日々生きること。 一流の人物を見つけ、その習慣を学ぶこと ーーー こんなものだが、自戒の言葉でもある。 (^┰^;)ゞ ・・・・・・・ 2004年12月04日(土) 1341, 岩にスジをみつけよ 20代に、読んだ本の中に、「どんな岩でも、必ずスジがある。そのスジさえ見つけノミを入れれば簡単に割れる。 岩は中味が均等には詰まってはない。地球の力によって貼りあわされた合成物にすぎない。その接着の後が残って スジになっている。それさえ見つけ、そこにミノさえ入れれば簡単に割れる。」たしか、松永安左衛門の言葉だった。 最近は、この人のことは話題にはならなくなったが。それを読んでから、常にこの言葉が座右の言葉になった。 それでは、それを実行してきたかというと何もいえない。どういう訳かハンマーで岩を割ろうとして、スジさがしはしない。 ハンマーで割ることが素晴らしいと思い込んでいるのだ。その為か、割れやすい部分さえ探そうとしない。 他人事ではない、自分のことである。プロは、そのスジを経験から直ぐ見つけ出す人である。 これも長年の経験が必要である。ふとこの文章を書いていて、「自分の中にスジを見つけよ」という言葉が浮かんだ。 自分の中のスジとは何だろう?習慣化、マイ・ゴッド、それとも口癖の言葉? そういえば、習い事で「貴方はスジがよい」というが。才能ということか。 スジの意味が違うか。 -------- 2003年12月04日(木) 974, 「黒い十人の女 」ー映画日記 ー字数の関係でカット(2007年12月04日) ーーーーーーーー 2002年12月04日(水) 600, カットスロープ ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。 立地やプライスラインで おこなわれる。立地で解りやすいのが、 先日新潟駅前にオープンした東横インだ。税込み6500円ラインを駅直通の再開発ビルのテナントでぶつけてきた。 咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインのワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。 ー字数の関係でカット(2010年12月04日) ・・・・・・・・ 忘れられない言葉 「2001/12/04 08:21 」 ー青年期の言葉 1、ベートーベンの 「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐ええることを証明したいと思う」ーロマン・ローラン これが学生時代の私の一番好きだった言葉である。これにこだわりすぎた部分もあった為、行動を制限されたが。 「苦境を突き抜けて歓喜に」ーこれもおなじべトーベンの言葉だ。 2、ソルジェニーツィン 「人生小説でないと思います。弱者は悪、強者が善です、強くあってください。 いや強くあらねばなりません。良くあるためにも強くなくてはならないのです!」 ーこれは25歳の頃やはり社会で強さが求められたためか。 3、「そうだ。人生に期待するには間違っているのだ。人生の方が、私たちに期待しているのだ!」 人生の問いのコペルニクス的転換。 未来には貴方に生み出される何かが待っている。 人生が貴方に見出される事を期待しているのだ。 フランクルは、人生に何も見出せなくので自殺するつもりだった 二人の囚人を説得し、生きる意志を起こさせている。事実一人の男性には、深い愛情をよせている一人の息子がおり、 外国で彼の帰還を待っていた。もう一人は、科学者として本のシリーズを書いていたが、まだ途中で完結が待たれていた。 ーこれは15年前に「夜と霧」に出てきた内容。自分が死んで葬式の額の写真の目から視点を全く変えてみたのと類似している。 ・・・・・・ 12月4日ー1968年 ・11時に起床。 中間試験の勉強だ。 ところで昨日の件で、今になって怒りが押し寄せる。「何なんだ!」という感情がくる。 ー字数の関係でカット(2010年12月04日)
|
|
|
|
2010年12月03日(金)
* 人生の転機 なかなか面白い人生に出会った。「価値観の中心の書き換え」の話である。こういうことに人生の早い段階で気づいて、 転進する人もいるのである。凡人には出来ないこと。父親の存在もあるのだろう。多くの矛盾した気持ちもあったろうに・・・ 【 ジョン・ウッドは大学院を出て九一年から七年間、マイクロソフト社で猛烈に働いた。人が羨むような多額の報酬を得ていた。 広くて快適な部屋、運転手つきの車、制限なしの出張旅費。そんな男が初めての長い休暇をとりネパールにトレッキングにやってきた。 偶然、ある村の小学校を訪ね、図書館はあるものの本がまったくない現実を知った。ネパールの非識字率は七〇%である。 子どもたちは勉強したくても教材がない。ウッドは自由に本を読めた少年時代の自分を振り返って身につまされ、先生と子どもたちに 今度来るときは本を持ってきますね、と約束した。それが始まりだった。 仕事に見合う報酬はもらっていたが、つねにプレッシャーとストレスがあふれていた。「墓に入ったら好ぎなだけ眠れるから」と、 自分に言い聞かせていた気もする。でも七年間ずっと、ある疑問を感じてもいた。これが人生のすべてなのだろうかー働けぽ働くほど 稼げるということだけが。僕は企業戦士の特殊部隊として生ぎる道を選んだ。休暇はとりたいやつがとればいい。 本物の戦士は週末も働き、航空会社のマイレージを何万マイルも貯めて、拡大しつづけるマイクロソフト大国で自分のミニ王国を築く。 忙しいと文句を言うのは、会社の将来を考えていない証拠。『マイクロソフトでは出会えなかった天職』ジョン・ウッド・ランダム八ウス ウッドは友人たちに本集めに協力してもらい山のようなメールを送った。徐々に本気になっていった。やりがいを覚えるようにもなった。 一年後、四四〇キロの重量の本を持って、ウッドは父とともにネパールに帰ってきた。学校では歓迎式典が準備され、感謝の言葉と 笑顔に迎えられた。 カトマンズの僧院で自問する。鐘が鳴り、数秒間の沈黙が流れた。そして三〇人の修道僧が、のどを低く鳴らして お経を唱えはじめた。 暗がりのなかで数百本のろうそくが揺れている。僕の心のなかは、平穏どころか大混乱していた。 二つの強い力が正反対の方向に引っぱり合っていた。マイクロソフトは僕を昇進させ、二日後にはいつもの生活に戻らなけれぽならない。 でも反対側では、僕にとっての優先順位が急激に変わりつつあった。数百万人の子供が本を読めずにいるというのに、台湾で来月 ウィンドウズが何本売れるかということが、本当に重要なのだろうか。ネパールの子供一10人中7人は生涯読み書きができないというのに、 香港の電子商取引ビジネスで先手をとろうとか、中国の海賊版対策に力を入れようとか、そこでウヅドはマイクロソフトを辞めて、 この仕事に従事する決意をする。 ふつうではちょえられない決断である。・・・これは価値観の中心に置かれたものの書き換えである。 人によって価値観の中心に置かれたものはさまざまである。その周縁にもいろいろな欲望が分散している。しかしウッドの価値観の中心が 「成功」から「奉仕」へ入れ替わったのだ。かつて不動の神として中心に鎮座していたものは周縁に吹き飛ぽされたのである。 ウッズはまったく新しい価値観、人生観、使命感のなかで生きはじめたのである。人にはこういうことが起こりうるのだ。 何百年前の欲望と基本的には大差ないという気がする。現在の「成功者」たちの到達点は、死ぬまで金の心配をすることなく、 遊んで暮らすことである。現在でも事情は変わらない。小さい家を大きく広くし、車1台を10台にしてだけである。 2泊3日の小旅行を三〇泊三一日や半年間の海外旅行にしただけである。その差が大きいのだ、といおうというまいと、大差ない。 満足度にも楽しさにも、大差はない。】 ービジネス書大バカ辞典ーより ー以上だが、人生の転機を自ら見出しえた男の物語である。決して恰好が良いことではないが、本当に喜んでくれる人達のため、 捨て身で人生を投げ打つ覚悟は、並大抵ではない。逆にいえば、それだけ仕事のプレッシャーも大きかったのだろう。 それと、価値観の中心が、[成功」」から「奉仕」に変わったのである。 それにつけても己の卑小さ!を教えられる。 ・・・・・・・ 3164,「物語」と「小説」 2009年12月03日(木) 「物語」と「小説」の違いは?をネットで調べたら、 ・「小説」は“文字によって記述された「物語」”と定義。「物語」は―古老が話す口伝や、御伽噺などのなさまざまな形式などの “おはなし”。その違いは“その<おはなし>を伝達する手法が、文字表現に限定されているか、されてないかにある。 ・ 基本的には、物語は「出来事の連鎖」によって成り立つものを指す。 聞き手の「それからどうした、それからどうした」という欲求をみたしていく性質を持っている。 一方、小説の概念は近代以降のもので、単に出来事の連鎖に止まらず、出来事と出来事の間に 相関的な意味のつながり(因果関係)が存在するように書かれたもの、といわれる。 ーー 以上だが、脚本家の山田太一は、その違いを ≪「誰かから聞いた課は忘れたが、『小説には人生があり、物語にはない』という定義が頭に残っている」とある。 「シンデレラ」や「白雪姫」が人生を語ってない、とはいえない。しかし、物語は人生の細部の現実を語ってはいない。 その代わり、ありそうもない話の楽しさがあるし、だからこそ込められている寓意も、端的な人生の要約もある。 一方、小説は「ありそうもない話」も、人生の細かな本当を積み上げて「ありそうな話」にしてしまう装置である≫と述べている。 我われは何らかのカタチで自分の物語を持っている。それを文章にすると私小説になるが、とすると、山田太一の 言うことは微妙に違ってくる。 誰にもそれぞれの人生があるからだ。そして、そのストーリーは、聞く人を惹きつける。 10年前のことだが、80半ばの叔母が亡くなる少し前の法事の席で、《 私が一番悲しかったことは、戦時中に一歳の赤ちゃんを 死なせたこと。医院から死んだばかりの背負ったいる赤ちゃんの身体の温みが無くなっていくのが分かるの。辛かったわ! 》 彼女の一番辛かったことを最後に物語りかったのだ。 その悲しみが、そのまま伝わってくるようだった。 小説家は、そういう事実を重ねて小説を構成していくから、虚構の世界に引き込まれるのである。 ・・・・・・・・・ 2799.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・8 2008年12月03日(水) 【第7の法則】 何もしないことこそ、最大のリスクなのだ。 「みんな自分より賢いんだ。みんな自分より才能がある。みんな自分より背が高い。みんな私より髪の毛の色が綺麗だわ。 みんな私より可愛いわ。 みんな自分より運がいい。 みんなコネをもっているけど自分にはない… 一番大切なことだが、自分の中でそんなささやきが聞こえてきても、聞いてはいけない。恐怖から生まれる 弱よわしいささやきにすぎないのだから。'それよりも、愛情、他人に対する思いやり、そして他人と助けあう気持ち。 そういうことを忘れずに、本当に自分が興味ある道を進んでいくのだ。自助努力という強い信念をいだいて。 ただし、成功と失敗を人生の尺度にはしないこと。そうすれば、本当の意味で誇りをもつつことができるようになるはずだ。 ニール・サイモン (字数制限のためカット 2010年12月3日) ・・・・・・・・ 2007年12月03日(月) 2434, 絞首刑 −1 〔命の書〕「ビルマの日々」の中の一遍 『絞首刑』(G.オーウェル著)より (*´з`*)<ォハョウサω♪ 死刑執行をリアルに書いてある本である。 そして執行する側の神経の麻痺、残酷さが恐ろしい。 行間から執行する側の微妙な心理が生々しい。何らかのカタチで「事実は永遠に残る」というのは肯かされる。 こういう瞬間こそ、「いま、ここ」の永遠性というのか。 オーウェルの、こういう切口は鋭く哲学的である。 どんな哲学者の「死についての考察」より余程、考えさせられる。 次々回は中島義道著「哲学の教科書」 の中の死刑直前の手紙を書き写してみる。 死の直前は、生の凝縮された時間になる。 ーまずは、その部分を抜粋ー われわれは五ヤードはなれて待機していた。衛兵たちは円を作るようにして絞首台のまわりに立っている。 やがて縄を首に巻かれた囚人は、自分の神に向かって大声で叫びはじめた。 「ラーム、ラーム、ラーム、ラーム!」 甲高くくりかえされるその声には、祈りとか助けを求める叫びのような切迫したおびえはなく、むしろ葬式の鐘の音 のように落ちついてリズミカルだった。この声を聞くと犬はクーンと鼻を鳴らした。 まだ絞首台の上に立っていた首吊り役が粉袋のような綿の小さな袋を取り出すと、囚人の顔に上からグイとかぶせた。 だがあの声は布袋をかぶされても、まだくりかえしくりかえししつこくつづいていた。「ラーム、ラーム、 ラーム、ラーム!」 首吊り役が下に降りて来てレパーを握り、待機した。何分もたったような気がした。 「ラーム、ラーム、ラーム!」という囚人のこもったような声は、一瞬もやむことなくしつこくつづいている。 所長はうつむいたまま、杖の先でゆっくり地面を突ついていた。囚人がきまった回数だけ数えるまで、 待ってやるつもりかも知れないー五十回か、百回か。全員が顔色を変えていた。インド人たちはひどいコーヒーのような 灰色の顔をしているし、銃剣にも一、二本震えているのがあった。われわれは絞首台の上の、縛りつけられ袋をかぶせられた 男を見ながら、じっとその叫びを聞いていた。一声でまた一秒、命が延びるのだ。誰もが同じことを考えていたー えい、早く殺しちまえ、すませろ、あの忌まわしい声を止めるんだ! とうぜん、所長は意を決した。 彼はぐいと顔を上げて杖を一振りした。「チャーロー!」その叫びには獰猛な響きさえあった。 ガタンと音がして、しんとなった。囚人の姿は消え、ローブが勝手に捩れ続けていた。わたしが手を放すと、犬はまっすぐ 絞首台の裏側へ駆けて行ったが、それきりそこに立ち止まって吠え、こんどは庭の隙までさがって雑草の中にひそんだまま、 おそるおそる首をのばしてわれわれの方を眺めた。われわれは囚人の死体を確認するために絞首台のうしろにまわった。 彼は爪先をまっすぐ下に向けて石のように息絶えたまま、ひどくゆっくりと回転していた。・・・・・ (字数制限のためカット 2010年12月3日) ・・・・・・・・・ 2006年12月03日(日) 2070, 書画骨董の話 −2 才八∋ウ_〆(∀`●) 「画の六法」は絵画だけでなく、仏像や、壺、茶碗などにも当てはめることができる。 気韻生動の一番わかりやすいのが、人物画や鳥獣画である。特に 「目」 である。 爛々と輝いている眼に出会うことがある。獲物を狙っている鷹の眼光を発するような眼や、虎の眼である。 仏像の優しい慈愛に満ちた眼もよい。幽霊の眼も背筋が凍り付く深い眼差しもある。 眼に焦点を合わせてから全体をみるのも良いし、全体をみてから、眼をみるのもよいだろう。 活きた眼はなかなか画けるものではない。眼は唯一露出された内臓である。 「眼は口ほどにモノを言い」という諺がある。「人の心はみえる」とは、眼のことをいうのだろう。 他に、中国画独特の遠近解釈「三遠」があり、中国画の画風の基盤になっている。 高遠(カユゥエン) ‐ 空高く見上げろ (上空空間) 深遠(サンデュエン) ‐ 空間を奥深く見通せ(物体空間) 平遠(ピンデュエン) ‐ 地の下面から、地平線まで見通せ(床面) である。 書画を見るとき、このような見方をすればよい。 茶碗の世界も奥深い!茶道に興味がないと、あまり縁がないだろうが、 一流品の茶器全体が醸しだす雰囲気は、人を虜にする。 素人でも自分で焼くところまでいってしまう人もいる。 書画骨董品には、その背景の深さ広さー宇宙を直感させる魅力がある。そして現実社会を忘れさせてくれる。 一つの物体のなかに、過去の因縁が、エネルギーが凝縮されているからだ。その中味を解る人は解る。 解らない人には、 ただゴミでしかない。その人に、その作品を理解できるだけの素養がなければならない。 ゴミにしか見えないのは、あなたが(自分が)ゴミ程度の知識しかない! ということである。 対象はみる人に話しかけているのである。わからない人は、その波動がわからないのである。(:゜д゜:)ハア? ところで両親の残した書画骨董は、兄が全て兄が引き継いだが、ぜんぜん興味が無いのは如何いうことだろう? 美術館で世界の超一流品を見て感動していれば良いだけなのに、何で持たなければならないの?というのが実感である。 そういえば、1週間ほど前に、新潟駅前の敦井美術館の「良寛展」で、「良寛」の書画をみてきたが、すばらしい。 あの教養どうして身につけたのだろうか? あの書の力強さ!そして品格!しばし見ながら立ちすくんでしまった。 来春なったら、五合庵にでも行ってこようか! ・良寛の歌・ ◆「焚くほどは 風がもて来る落ち葉かな」 ◆「騰々として天真に任す」 ◆「霞立つ長き春日を子供らと 手毬つきつつ今日もくらしつ」 ◆「裏を見せ 表も見せて散る紅葉」 ◆「淡雪の中にたちたる 三千大千世界(みちあふち)またその中に 沫雪(あわゆき)ぞ降る」 \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・・ 2005年12月03日(土) 1705, 国際結婚が東京で 10パーセント! 一昨日の読売新聞一面の『家族』−国際化時代のきずな・1ーの見出しに ー国際結婚が20組に1組ー と出ていた。 (字数制限のためカット 2010年12月3日) ................ 2004年12月03日(金) 1340, 「酒乱になる人、ならない人」 −読書日記−2 酒乱の一現象としてのブラックアウトのエピソードの記述の部分を抜粋してしてみる。 まさに「事実は小説より奇なり」を地にいくものである。 ー抜粋ー 「狐憑き」になったアルコール性幻覚症の話があります。伊豆の旅館の番頭をしていた人ですが、もともと大酒飲みで仕事を しながらチョコチョコ酒を飲んでいたそうです。年も押し迫った大晦日の前日のことです。突然部屋の中にキツネが見えたそうです。 それも一匹でなく数匹もいて自分のまわりを飛ぶ跳ねていて、部屋の外に出て行った。その番頭さんは何故かこのキツネに 自分を呼んでいるように感じ、雪の中に出て行った。その後について追かけていくと、天城山の中腹の神社にいたそうだ。 その灯篭の後ろから隠れて、おいでおいでをしているように見えたそうだ。二つある灯篭の一つに行くと、今度はもう一方の 灯篭からおいでおいでをしている。ふと気がつくと、キツネは道路の向こうからおいでおいでをしている。 番頭さんはどこまでもついていき、電車に乗ったらしいのですが、その一週間後に川崎で見つかり、不審人物として警察に 連れて行かれたそうだ。本人によればそのときもキツネを追かけていたそうだ。このようにアルコール性幻覚症もひどいものになると 一週間を超え期間、幻覚が続くことがある。酒乱はやはり一種の病気と考えてよい。酒や麻薬は人工的に快感を人間に与える。 何の苦労なしで快感を得るということは、必ずその代償がくる。この快感が「依存症」という恐ろしい病気と裏腹になる。 ー以上であるが、考えてみたら、酒は一種の軽い麻薬である。それが体や脳に良くないわけがない。 (字数制限の関係でカット09年12月3日) ・・・・・・・・・ 2003年12月03日(水) 973, 「永平寺」 ー以下、字数の関係でカット(2007年12月03日) ーーーー 2002年12月03日(火) 599, 忘年会 開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。昨夜がその忘年会であった。 社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。 とにかく盛り上がる。 大体50人前後が出席する。若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。 そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。そこで最高潮になる。今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。 お客さんがだいたい7割を占める、ほとんど人が営業か営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。 昨夜も最高潮に盛り上がった。毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。 とにかく若い人のエネルギーがよい。時代時代により色々な忘年会の思い出がある。急性アルコールで入院した人もいる。 この忘年会で初めて年末の到来を実感する。過去に書いた文章をコピーしておきます。 ーー 0905 宴会好き! (字数制限の関係でカット09年12月3日) ーーーーーーーー [255] 税務捜査 2001/12/03 07:51 二年まえの9月の初め頃突然税務署に踏み込まれた。基本として脱税はしない方針できた。 たまたまその年、広告塔の150万を看板として、20万以下にして分散し経費にして落としたのが指摘された。 200万近くもっていかれたが。皮肉なもので、たまたまその年、その一件だけ小手先を使ってしまった。 ある朝自宅に二人、事務所に二人、そして各ホテルに一人づつ合計8人が10時に踏み込んできた。 その瞬間私は刑事事件の‘被疑者’と同じ扱いである。 机の引き出しを全て開けられ、手帳もすべて押えられ その内容を聞かれる。三日間会社に監禁状態!(夜はもちろん開放されるが)昼飯に食べに出ても何気なくつけられる。 その位しないと脱税は指摘できないだろうが、それなら「脱税をしなくては損だ」と思うくらい、疑ってかかる。 自宅も刑事と同じように、調べあげる。もし脱税をしていたら、絶対にごまかしは無理。 それより腹が立った。 そこまでやる!というまで非人間扱いである。別に悪い事をしているわけでないのに、 何故そこまでと思う。感情が許さない。その日は酒を飲んで荒れ放題であった。それがなければ広告塔の件は、 指摘されないで済んだ。たった一件のそれをフォローしていたと思うからだ。銀行の貸金庫はもちろん、取り引き銀行 全て行って調べ上げる。最後は間接的に褒められた。一つ指摘されたにかかわらず、他は全く潔癖だったからだ。 初めてついた会計士の言葉が納得のいく言葉であった。「節税はいい!但し脱税はやらないように。 結果として同じ事だ。脱税の方がむしろエネルギー使う。それならやらない方がいい」 それを信じてそのとうりの方針できたが、ここまでやるなら基本から考えてしまう。ところがその数ヶ月後に、 学生時代の九州の友人が遊びに来た。飲食店を数店経営をしていて、税金を払った事がないという。こと税務署の話になると 目の色が変わるのだ。、逃亡者のような生活をしているという。恐れかつ怯えているのだ。それなら払うものを払えばと思った。 それにしても8人の税務署員に踏み込まれるくらいに見られたのか。信じられない。何事も経験だ!私の家内の叔父さんが 国税の査察をしており、以前面白おかしくその話を聞いていたが、自分がね!というところだ。 ーーー ある時間の断片ー1968年 12月3日 11時起床。 食事後、13時から2時間勉強をする。夕方風呂に行く。その後、同級の井上のところに電話をする。 パーティーが8日から15日に延期。清田さんに電話を約束どおりにする。「行く予定だった、15日は行けない」とか。 (字数制限のためカット 2010年12月3日)
|
|
|
|
2010年12月02日(木)
* 他人とは何か 池田晶子の「自分の内側と、その対比としての他人」についての考察がよい。 「14歳からの哲学」の『他人とは何か』で、以下のように述べている。 【「自分が存在しない」ということは「ない」、ということも、先に気がついたことだったね。 だから、やっぱりすべては存在するんだ。存在しないということはなくて、世界も他人も存在するんだ。 すべてが自分として存在するんだ。なぜなら、自分でないものが存在するということはないからだ。 「他人」なんてものは存在しないと最初に言ったのは、この意味だ。 他人の存在を認めないとか、世界には自分しか 存在しないとか、そんな子供じみたこと話をしているんじゃない。これは本当に深くて、本当に難しい話なんだ。 これも、ここだけの話だけど、このレベルの議論についてこれるのは、世の大人でも本当に少数だから、 君は、そういう大人を目指せばよい。 ・・・・ 大きい自分に小さい他人同士がつながっているからだ。 大きい自分のう〜んと深いとろまで到達しているような人、たとえばお釈迦様とかキリストとか、そういう人なら、 他入の痛みも他人の心も、自分の痛み自分の心として、きっと一瞬でわかってしまうに違いない。 「メビウスの輪」を知ってるね。内側を辿って行ったら、そこは外側だったというあれだ。 君は、「自分の内側」と言った時、体や心の内側のことを思うね。でも、その内側が、外側の自然法則によって 動いているのなら、その内側って、じつは外側のことじゃないだろうか。内って、外なんじゃないだろうか。 「自分の内」「自分の外」なんて、よく考えれば、決して言うことはできないことなんだ。なぜなら、すべてである自分には、 内も外もないからだ。じゃあ「自分の外に存在する他人」という言い方で、人は何を言っていることになるのだろうか。】 〜〜 「心の内側を辿ると、そこは外だった」は言いえて妙である。すべてが自分として存在すということを、メビウスの輪から 考えると、分かりやすい。世界の秘境や異郷に行った先は、自分の内になり、そして外にもなる。行けばこそである。 そして、それぞれの延長が、それぞれ続いている。記憶がメビウスの輪になり、それが大きくなリ続けている。 帰ってきてからでも、そこの旅番組やネットを見たりしながら、その旅行の延長線上に加わるからだ。家内が度々言うが、 「行かなければ、他の番組を見ている」のである。自分が存在してなければ、地球など知りえない。 死んでしまえば、 地球が消滅したと同じことになる。その己の存在にとって、他者も自分もないのである。
・・・・・・・ 3163, 金本位制度が復活? 2009年12月02日(水) 昨日、日経新聞を何気なくみていたら、以下のような記事があった。 * 中国政府高官「金保有、10年以内に1万トン」ドル安で買い増し論 30日付の中国紙、中国青年報によると、国務院(政府)国有重点大型企業監事会の季暁南主席は2兆ドルを超す 外貨準備の運用について「金の保有量を3〜5年以内に6000トン、8〜10年以内に1万トンまで増やすべきだ」と指摘した。 現在の保有量は約1000トンで、1万トンへの買い増しは実現可能か微妙だが、ドル安が続くなかで政府内で金の買い増し論が 勢いを増しつつあるもようだ。 中国の外貨準備高は9月末時点で2兆2726億ドル。うち約7割をドル資産で運用し、 金の比率は2%弱にとどまる。最近のドル安を受け、政府内では外貨準備の運用をドル以外に振り向けるべきだとの議論が 再燃しており、なかでも金は「安全資産」として評価が高まっているとみられる。 ワールド・ゴールド・カウンシルによると、金の保有量(今年9月時点)は米国が8134トンで世界一。 ドイツの3408トン、イタリアの2452トンが続く。季主席は外貨準備運用の直接の担当ではないが、 今回の発言は政府内の多数意見を反映しているとの見方が多い。(北京=高橋哲史) (11月30日 19:45) ―― 以上だが、最近になって、米国の金本位論が再燃し始めているようだ。元もとあった論だが、こういう情勢で改めて 見直されているとも受け取れる。「ニクソンが金本位を止めたが、それは一時凌ぎで、こういうドルの乱発後には、 金本位制度に逆に戻し、新ドルと兌換にすれば、下げきった金は暴騰する。 紙切れのドルを無制限に刷って、 ドルの価値が下がったと同時に、金本位制度に逆戻りにすればよい」というアメリカにとっての秘策。 「逆ニクソンショック」で、再び世界の金融の主導権を握ろうというもの。 戦後一貫して、日本の金保有に直接・間接的に 介入してきた。そして、とどのつまりは、アフガン・イラク戦争の戦費捻出でドルを無制限に発行、そのツケが回ろうとしたときに、 金本位制度にして新ドルに替えてしまうという魂胆である。そこで急遽、中国は、金を3〜5年で5倍、10年で10倍にしようと意図で、 上記のような方針になったと受けとめられる。 その意味で、今年と来年は日本経済の混乱をアメリカは画策してくるはず。 ドル安も、その一つなのか。日本は今もそうだが、金融恐慌の戦災の跡地に、さらに止めの爆弾を落とされている。 それも理解できないのが日本国民。この暮れから、不況の波は更に大きく日本を襲う。 悲観的になって当然である。 ・・・・・・・・ 2798.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・7 2008年12月02日(火) ー失敗を恐れるな! 「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 という言葉、今度の恐慌で、 心配の極みで読んでみて、ホッとした道理である。 まあ、仕方ないことは仕方がない。 【第6の法則】 失敗を恐れるな。 しようともせずに 逃してしまうチャンスことこそ恐れるに値するのだ。 〜〜〜 「人間ができる 唯一の独創的な行為こそ、間違えることなのである」 ービリー・ジ。エル 「人には正しいことだけでなく、間違ったことをする権利もあることに気づいたとき.、子供は大人になる」ートマス・ザス 「意味のある努力は、やってみる前には 簡単には見えない。だが、実際にやってみて結果が良ければ、 その時点から振り返ってみると、簡単であったように 思い返せるものである」ーエドワード・テラー 「自分のカでは どうにも ならないことは、心配するな」 ユダヤ人の友人のコトバ 「金をなくしても、何も失わない。 誇りをなくせば、多くを失う。勇気をなくせば、すべてを失う」ーユダヤ人の友人の言葉 「自分を破壊する 一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる」 ーニーチェ 「過去というものには、 常に馬鹿馬鹿しさが つきまとう」 ーマックス・ビアボーム 「人生では、時には愚か者を 演じなければならない 時がある」 東欧ユダヤ社会の諺 「夢も悪夢もみたけれどへ 夢があったからこそ、 悪夢を乗り越えられたのた」 ージョナス・ソーク 「そもそも人間という存在は、ものごとを完壁には理解することができない生き物である。 このことに気づくと、間違えることは恥ずかしくなくなる。 恥じるべきは、過ちの修正を怠ったときである」 ージョージ・ソロス 「悲観主義は、ユダヤ人が決して 手にすることができない 高級品なのです」 ーゴルダ・メイヤー 「たくさんの失敗を 重ねてみて、 はじめて真実の全体像に 出会えるのだ」 ージークムント・フロイト 「経験は、素晴らしい学校だ。 ただ、授業料が高いのが タマに傷だが」 ーヘンリッヒ・ハイネ ・・・・・・・・ 2007年12月02日(日) 2433, お茶ひき (●っー3。○)・・・ハッ!(●`・v・´)オハヨサン♪ 最近、長岡・殿町の小さな居酒屋とかスナックに行くと、不景気な話ばかりである。 先週は二度も「お茶をひいた」という話など決して珍しくない。歳のせいもあるが、最近はスナックで飲んでも 前ほど面白くなくなってきた。酒のツマミでも買って、家でTVを見ていた方がよほど刺激的である。 (字数制限のためカット 09年12月2日) ・・・・・・・・・・ 2006年12月02日(土) 2069, 書画骨董の話 −1 才八∋ウ_〆(∀`●) 戦後になって転業するまで、実家が何代か続いた骨董屋であった。そのため転業後も父は書画骨董を趣味にしていて、 常に居間には書画骨董があった。私が父の40歳を過ぎてからの子供のため、暇をみつけては散歩代わりに、 骨董店に何度も連れられていった記憶がある。門前の小僧の何とかで、真贋を見分ける眼がついたようだ。 さらに、海外旅行で有名な美術館に行く度に世界の名画を数知れず見てきた。そのためだろう、書画骨董の真贋の鑑識眼が ついてしまったようだ。贋物に騙され、それを糧に眼を肥したプロには足元に及ばないが・・ TVの「お宝鑑定にでてくる真贋は、ある程度はわかる。(誰も解るか?) 書画骨董を自分で買ってまで欲しいと思わないのは、どういう理由か? 逆に人は何で自分の手元においておかなくては ならないのか不思議でさえある。そんなもの、自分の倉庫や居間に置いておく必要はない、美術館に置いて公開すべきである。 死にかけて初めて、そのことに気づく耄碌が大部分だが。それが趣味なら、他者の言うことではないが。 名の残っている人の書画は、波動というか何ともいえない雰囲気が漂っている。それと品格というか気品である。 絶妙のバランスである。これは自然の中に多くみられるから自然の中にこそバランスが存在している。 そのバランスを表現するには、それなりの技法があるはず。それを知りたいと思っていたら、ある本で偶然見つけた。 中国の山水画の六技法である。波動を出している本体の構造をつくりあげる技法とは・・・ ーーー 以下はインターネットで調べた「画の六法」である。 1、気韻生動 ‐ 初期においては気と韻律、動勢と生命感ある絵画か。物質が保有する詳細から来る気韻を正確に掴み取って、 その特色を描けるに到るか。実在物との正誤を欠かずに。かつ、自身の気韻もそこに同調するかどうかも重要になる。 自身の気韻と、描画対象の気韻。 2、骨法用筆 ‐ 物の正確な形(骨法)は正確に取れている、技巧ある筆運びか。己が骨子が如くして大事に扱い、 己が骨知る生活が如く、筆を良く知る。己が筆が如く用いる事で、筆や自身を大切に生活出来る。 3、応物象形 ‐ 媒質の形状個性を、いかんなく象徴化し、応用できるか。媒質に応じた象徴を塑写す。 物質の詳細にまでいかんなく応え描にて象を描き成す。媒材詳細に正確に適応し、 かつ緻密で正確な状態に更に実在性を加えた状態での象徴たらしめる。 4、髄類賦彩‐ 精髄究めるべくした具体性とかね合わせる。 5、経営位置 ‐ 構図は正確で、意味のある位置取りか。描くにおいては描画対象に対して意義を成し、 自らの位置掴み取るにおいては描画に最も適した媒材や自身の位置取りであるか。 6、伝模移写 ‐ 模写力はある。 以上は南斎の「謝赫」が、その著作『古画品録』の序において説いたもの。 その第1、の「気韻生動 きいんせいどう」を「謝赫」が絵画の最高理想とした。 ーまあ、そのままでは難しいから解りやすくいうと、 1、「気韻生動」とは、直感的に感じとらせる、名伏しがたい迫ってくる躍動である。 自分の気合いと韻律を、エネルギーを込めて対象物への投入すること。 2、その絵には、しっかりした基礎となるデザインがある、それが「骨法用筆」。 3、その対象を的確に描写しなくてはならない、それが「応用象形」。 4、それに色づけをするのが、「髄類賦彩」である。 5、さらに構図をきちんとまとめる「経営位置」。 6、こうした技術を身につけるため、古人の名画に数多く接して、 その作品に忠実に模写する修行をするのが「伝摸移写」である。 骨法用筆以下の5法は,努力して会得することができるが,「気韻生動」は天与の才能と 人格をそなえた人物のみが実現できるとして、その後の文人画の根本的思想となったという。 −−− こういうのが、解るようになってきたのは、やはり熟年になったからか〜 つづく ・・・・・・・・ 2005年12月02日(金) 1704, 家訓づくりのすすめ −1 「今さら家訓でもないだろう」と思いつつ、図書館から借りてきて読んでみたら、これが面白い。 個人の心得としても、そのまま通じる。近年、世間を騒がせているモラルの低下や犯罪の増加、 ニートやフリーターの大量出現も、家族のあり方と無縁でない。目の前で説教をしても、 今どきの子供は聞かないが、家訓として書いて貼っておけば必ずみるものだ? (;`・ω・)ノ ---===≡≡≡【えぇ?!マジ?】 著者は、この時代の家庭の危機を救う方策として「家訓づくり」を提唱している。 350の家訓サンプル付で、家訓を作る時の注意事項も具体的でよい。 家訓とは、その家の中心人物が、一族や家臣のために自分の体験に基づいた教訓である。 しかし、その言葉の多くは、現在の個人に対しての戒めにもなる。 へ(~Д~*へ))))... ...(((( 第二章「家訓の歴史」と「名家の家訓」がよい。 有名なものとして、徳川家康・伊達政宗・岩崎家の家訓・遺訓は何度か目にした事があるが、 記録として今後目を通したいので写してみた。 φ(。。*) −徳川家康の家訓ー 一、人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し、必ず急ぐべからず。 一、不自由を常と思えば不足なし 一、心望み起こらば、困窮したる時を思ひ出すべし 一、堪忍は無事長久の基 一、怒りは敵と思え 一、物好きは末に歎くことありと知れ 一、勝つことばかり知りて負くることを知らねば、害その身に至る 一、唯だ己を責めて人を責むるな 一、何事も及ばざるは過ぎたるに勝れり 〆(´m`) ムフッ ーーー 何度かわが家の家訓を書いたことがある。家訓というより、常々両親が言っていたことをまとめたものだ。 ・保証人になるな ・金の貸し借りは絶対にするな ・お金を決して粗末に扱わないこと お金を前にすると、人間は変身をす ¬_¬)ちらっ ・借金は極力しないこと (`´ゞ ・親しき仲にも礼儀あり、誰とも同じ距離を保つべし ・私生活は、奇麗にしておくべし 特に男女間に関しては、家庭内に持ち込まないこと ・生活は質素倹約を基本とすべし ・政治には最小限の接点にすること まあ、明治時代の人は大体こんな考え方が8~9割であっただろう。 これを土台に『わが家の家訓』を制作中だ。これをやりだしたら、面白くて面白くて! φ(._. )カキカキ 3(-ω-。)クシャクシャ (。-ω-)ノ⌒゜□ ポイ 〆(。。) 夫婦で共同作業をしておけば離婚の確率は低くなるだろうに? (^_^)/~~ ・・・・・・・・・ 2004年12月02日(木) 1339, 「酒乱になる人、ならない人」 ー 読書日記 −1 男なら一生のうちに何度か酒で失敗したことがあるはずだ。私も酒大好き人間として、何度失敗したことか。 大失敗をしても、数年もしないうちにまた酒の失敗を繰り返す。一番の敵を、平気で口から脳に送りこむのであるから 人間は馬鹿の生きものだ。酒で家庭を壊し、職場を追われ、最愛の人にも愛想をつかれる。 過去に多くの酒乱の人や、アルコール依存症の人を見てきた。そして、私も一過性の酒乱になったこともある。 それでも、間違って朝起きたら女性と?ということは一度も無かったし、暴力沙汰で留置場ということも無かった。 しかし、危ないことは数知れずである。アルコール依存症の手記を月刊誌で何度か読んだことがある。 TVに本人が出てきて、生々しいアルコール依存症の話を淡々としていた。三連休、4連休の休みに、大量の酒を買い込んで 三日間続けて、意識を失っている以外のみ続けるという。信じられないような精神状態になるようだ。 身も心もボロボロになる。 私も色いろ試した結果、酒の自制のルールをつくった。 ・一人酒を飲まない(一人で外にのみに行かない) ・外での2日続けての酒はさける ・週2日以上はさける ・23時以降には帰る ・一軒目では、酢の物、野菜サラダか漬物を初めのつまみにする ・飲んだ後の、食事ーラーメンなどーはさける ・不愉快な酒は絶対に飲まないー気の合わない人の屯する店には行かない ・飲み会の場合は必ず酔い止めのドリンクを飲む ・家では 日本酒は飲まない(在庫をおかない) ノンアルコールビール(350ml)を一本と、紹興酒(300ml)を一日の基準にする ・女性とは一々にならない ーブラックアウトー 飲んでいて、あるところから記憶が全く無くなることを「ブラックアウト」という。 (字数制限のためカット 09年12月2日) ・・・・・・・・ 2003年12月02日(火) 972, ナレッジマネジメントー3 ー「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」 ナレッジマネジメントといえば、その手法として「ベンチマーキング」と「ベストプラクティス」が頭に浮かぶ。 ・ベストプラクティスとはー自社に比べて、優れた業務方法のことをいう。 他業種のよりすぐれた業務手法に多くのヒントがある。 ・ベンチマーキングとは,ーベストプラクティスに学ぶ経営変革手法のことをいう。 ‘解りやすく’いえば、「他業種のベストのモデルを見つけて、徹底的に真似ることである。」 ‘難しく’いえば「系統的且つ継続的な測定プロセス。ある組織が業績を改善する為に役立つ情報を得るために、 組織のビジネスプロセスを継続的に測定し、世界のビジネスリーダーと比較するプロセス」 業界の内外を問わずベストなものとの比較を行うことによってギャップを埋め、現状を改善する有効な方法である。 前向きなプラス志向の経営手法といってよい。 ー以下は字数の関係でカット (2007年12月02日) ・・・・・・・・・ 598,八ちゃんの時代ー2 2002年12月02日(月) 少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶がある。 もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。子宮の中の記憶のある人もいるとか。お手伝いの背中におぶさっていたのも 這い這いも憶えている。歩かされた時に面倒くさいと思った事も。商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。 スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは三つ子の魂百までだ。競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。 家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。もう50年以上も昔のこと。今考えると当時は金色に輝いていた。 生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。素晴らしい時を両親と共有できたのだ。 兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた! 2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。その記憶が生々しい。ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、 近くの公会堂の前の広場まで移動した。 完成するまでそこで店を開いていた。 建物の完成した引越しの日々が生々しい。コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。 あの時代は皆が必死であった。 1階は店, 2階が倉庫兼事務所、 3階が自宅兼店の食堂と風呂、 4階が従業員の宿舎兼後方であった。 毎日が戦争のような日々であった。
|
|
|
|
2010年12月01日(水)
図書館で【上質な人生へようこそ】ー『セオリー』2007年vol.12 ーという特集の雑誌をみつけた。 まず人生に上質などあるのか?という平凡な反発があったが、テーマからして面白そうで読んでみた。 期待に反して? なかなか奥行きの深い言葉が次々と出てきた。 下質な人生なら、周辺にいくらでも転がっている。誰もが、自分を少しは上質と思っているから生きられるのである。 私に、「貴方にとって上質な人生とは、どのような人生か?」と問われれば、「自分のやりたいことを早く見つけ、 生涯を通して楽しむことが出来て、最後に面白くて、良かったいえる人生」と、迷わずにいう。 それぞれの人生があるから、他人が比較するものでない。そのためには努力と忍耐と勇気が必要である。 □ この特集の中で印象に残った言葉を抜粋してみる *「お金の使い方で分かります」イタリア人は貯蓄をゼロにして、この世をさる。 「家と車について考え方を変えるー家と車に日本人は金をかけすぎ。小さな家でもいいじゃないか! 家と車のローンで一生を終えてしまう人生に疑問。 お金の準備、遊びの準備が必要」大前研一 *「他人の基準にふりまわされ、ゆたかな人生を追い求めるほど、『上質』とはかけ離れていく。 物が溢れる今の時代だからこそ、自分の基準で(ほどほど)を知ることが必要」 「仕事も人生も、型を極めながらも肩の力が抜けた、ある種の軽やかさを持つところに、真の上質が宿るのです」 「女性の品格」著者・坂東真理子 *「『将来なんてものは、どこにも存在してない。現在幸福である以外に、幸福であることはあり得ない。」池田晶子 *「『また会いたい』そう思わせる人が、上質なんだと思う」 〜〜 中学校にしろ、高校にしろ、やはり上質というか、品の良いのはいた。残念?なことに、それがそのまま成績にも、 その後の人生にも大きく影響をしていた。品性が良いだけでなく、バランス感覚が違っていた。この年齢になってから、 若いときに出会ってきた人などを改めて照射してみると、全く違った基準でみることになる。品性だけは、隠しようがないもの。 やはり、家柄や、生まれ持った本人の性質があるようだ。 なるほどカントがいう、『良心』が親から受け継がれてきた人と、 その逆の人とでは、長い人生で大きな差が出るもの。 それが端的に出るのが、酒癖、女癖である。 私など、・・・・・
・・・・・・・・ 3162,人生に関する小題 2009年12月01日(火) * 人生は玩具箱 「人生とは畢竟、運命の玩具箱だ。人間とはその玩具箱に投げ込まれた人形だ。」(有島武郎) 言いえて妙である。 そこには、これまで乗った車、住んだ家、他の人形もある。 「玩具の喩えを他人に喩えるのは問題である」と、いうのは別の機会にする。そこで「人生は宝箱」という言葉が思い立つ。 (恐らく誰かが比喩をしているはず)行蔵の一つ一つが宝とすると、幾らでも宝はある。 それでは「人生はゴミ箱」というと、 それほど無いのは、無意識で自分の心をコントロールしているためか? そうでもないか?お宝は、心の底から感動したこと、 全身全霊で何かに打ち込んでいた時と事をいう。反対に、ゴミ箱は中途半端な時間を過ごしていた時? 無駄も必要だから、それは違うか。 〜〜 * わたしは地上でたった一人になってしまった 「孤独な散歩者の夢想」は、64歳のときに書き始め2年後の死ぬ直前に終わった文章、ルソーの絶筆である。 「第一の散歩」から「第七の散歩」まであり、その後は「八、九、十」がメモのような文章が続く。 冒頭で、「こうしてわたしは地上でたった一人になってしまった。 人なつっこい人間でありながら、万人一致の申合せで 人間仲間から追い出されてしまったのだ・・ わたしは、かれらから離れ、すべてのものから離れたこのわたしは、いったい何者か」 と問う。「自分に残されたことは、すべての世間から放逐された自分はいったい何者なのかを探求することだけなのだ」と自覚する。 私の周辺で倒産時の男たちの気持ちは、まさに、このようだろう。多くの取引先、そして部下を路頭に迷わせ、自分の存在の 卑小さと、嫌らしさに自己嫌悪を一人する。 自分は何者なのか?ただ、歩くこともままならぬ、折れてしまった、これ!である。 〜〜 *「人生は軍務のようなもの」と考えれば楽 エピクテートスの「人生談義」の中に、以下のような言葉がある。 《 人生は軍務のようなものであるのを諸君は知らないか。 或る者は歩哨をやらねばならないし、 また或るものは戦うために出て行かなければならない。 皆が同一の処にいることもできなければ、 また善いことでもない。だが、君に何かもっと辛いことが課せられるとき、君が将軍から課せられた 任務を果たすことを怠って不平をいい・・・ それは軍隊がそういうものということを理解していない。 というのはもし皆が君のまねをするならば、人は豪を掘りもしないだろうし、また保塁をめぐらすことも、 危険を冒すこともしないだろう。 むしろ戦争に役に立たぬように思われるだろうからだ。(中略》・・・・ 各人の生活は戦役、しかも長い複雑な戦役のようなものである。君は軍人の本分を守らねばならない。》 = 最近、つくづく実感することである。「人生は不条理!と割り切るしかない」ということか? ・・・・・・・・・ 2797.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・6 2008年12月01日(月) ー「学ぶ」ことは「知る」こと。「知る」ことは「変わる」こと。 ダーウィンの次の言葉が好きだ。「もっとも強いものが生き残るのではなく、最も賢いものが生き残るわけでもなく、 唯一生き残れるのは、変化できるものである。」だから「学び」、「知り」その結果、「変わる」ことしか 生き延びることが出来ないのだ。それにしては、あまり代りばえしないのは、如何いうことか・ ーーー 「第5の法則】 「学ぶ」ことは「知る」こと。 「知る」ことは「変わる」こと。「その瞬間に、わたしは自分が本当に やりたいことを確信した。誰かのためではなく、打算的でもなく、自分の中のにある純粋な興味から、ただただ、 それを学びたいという 気持ちが芽生えたのだった」 エドワード・テーラー 「学ぶということは、これまで理解していると ずっと思い込んでいたことに対して、 突如として まったく違った見方をすることです」 ドレス・レシング 「教育とは、学校で習ったすべてのことを 忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。 そして、そのカを社会・が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、 みずから考え行動できる人間をつくること。 それが教育の目的といえよう」 アルバート・アインシュタイン 「学べば学ぶほど、 自分がどれだけ無知であるかを思い知らされる。 自分の無知に 気づけば気づくほど、よりいっそう学びたくなる」 アルバートアインシュタイン 「どんな教育もつきつめていけば、独学につながる。 その意味で、独学が唯一の教育であると、私は確信している」 アイザック・アシモフ 「知恵を獲得する過程で、 忍耐があれば、すでにその半分は 手に入れたようなものである」 ユダヤの諺 ・・・・・・・ 2007年12月01日(土) 2432, 田淵節也 −「私の履歴書」最終日 オッ ヽ(゜∀゜)ノ ハー 11月の「私の履歴書」は野村證券の元会長の田淵節也であった。週に2日位は読んでいたが、昨日が最終日であった。 アメリカの衰退と、その隷属国家の日本の動乱?を予測。バブルが弾ける直前に、彼が「株は長期に低落する。 「時代は変わった」と言ったのを憶えている。その時、「株屋のオヤジがこんなことを言ってよいのか?」と驚いたが、 再び、ここで同じことを予言している。「また、海の色が変わる!」という。 ーーー ー日経新聞「私の履歴書」2007年11月30日ー =アメッポンの行く末は 世の中変わる、不変の真理= *再度・海の色* バブルが弾ける直前に、僕は株式相場の潮の変り目を直感して「海の色が変わった」と発言したことを書いた。 今、その時感じたのと同じような胸騒ぎを覚える。 「アメッポン」(アメリッポンと言う人が多いが、 僕はアメッポンを使う) と言われる日本は米国に振り回されてきた国だ。 その米国が今また大きく変わる節目にあるような気がしてならない。 来年の大統領選挙で優勢が伝えられている民主党候補が勝てば、イラク戦争への厭世気分が一段と高まり、 中東情勢は混沌とするのではないか。中東情勢が混沌とすれば、ペーパーマネーのドルの信認が低下し、 米国は金や原油、穀物などの実物資産を裏付けとする新しい通貨制度を考え出すのではないかと思う。 そうなれば、金本位制が「ドル本位制」に変わって以来の大変化だ。世界中が混乱、 アメッポンの日本は一番大きな影響を受ける。 既に、世界はざわついてきた。 僕は安倍晋三前首相のお父さん(安倍晋太郎元外相)と親しかったが、安倍さんが総理になった時、 「蒸留水しか飲んだことがない人は持たないのではないか」と思った。 小沢一郎さんが天下を取るのか 小泉さんが再登場するかは分らないが、いずれにしても、日本は大揺れするのではないか。 高度成長期以来、ぬるま湯につかってきた日本は、久しぶりに大激動の時代を迎える ことになるように思う。 僕は日本の将来を悲観も楽観もしていない。 日本は世界屈指の豊かな国だ。 「職人国家」としてそれなりのステレータスを保っていけると思うから心配していない。 最近、円高を歓迎するようになったのは進歩だと思う。もっとも、軍事力も持たずに「金融立国」 の幻想を抱いている人は幻滅するかもしれないが……。「履歴書」を書く機会を与えられ人生を振り返っても、 僕の人生なんて波欄万丈には程遠く大したことはない。改めて人生観を自問すれば、「人間は太古の昔から 同じことを繰り返している動物」ということだ。 人生は思った通りにならない。それは残念なことだが、 だから人生は面白いのであり、結果的にハッピーなのではないか。 「人間三代でチャラ」とはよく言ったもので、いい事ばかりは続かないし、悪い事ばかりも続かない。 人間、何が幸せで何が不幸か、本当のところは分からない。それもまた人生の面白いところだ。人間は変わらないが、 世の中は変わる。これが実感であり、不変の真理なのだと思う。・・・・ −−−− 解)今年から5〜10年にかけて、歴史的にみて動乱期に入った!ということだ。 それと日本を「職人国家」という見方も面白い。今後のアメリカの没落は誰の目にも明らかなこと。 とすれば、アメリカの国債を半強制的に持たされた日本は、アルゼンチン並みへのプロセスに入るのは当然である。 (σ’д゜)バイ! ・・・・・・ 2006年12月01日(金) 2068, あたりまえなことばかり −19 (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! 哲学的にみると、トラウマ「心的外傷」に対して、心は物理的に存在していないのだから、外傷と言えないという。 しかし深い悩みを持った人は、心を肉体に喩えると大きな傷を負っている。大きな傷として仮定して、その傷口を消毒し、 外科的な手当てが必要である。それが精神科であり、セラピーの役割となる。それぞれの立場・見方も必要である。 以前は、癒しなどの言葉は無かった。精神科があってもセラピーなどあったのだろか。手相などの占いが、昔流の セラピーの役割をしていたのだろう。私の場合の心の危機の場合、読書、音楽、ウォーキング、酒を飲んだり、 このHPなど、癒しそのものである。最近は、これに早朝の曼荼羅モーニング・ページである。 それに毎朝の仏壇の前の祈りもある。ストレスなど溜まるわけがないが、それでも少しは溜まる。 自分の連れ添いが自殺したり、子供が自分のミスで死んだりした時に、癒しなどという言葉は、 あまりにも甘く聞こえてくる。自分で自分を救う以外ないだろうが、自分で自分を癒すなどできはしない。 そう考えると、癒しとは「目先の心の傷を応急処理すること」ということになる。 それも大事なことである。それをしなかった為、精神病になる糸口になるからである。 まあ、この本の抜粋もなかなか面白いが・・・ ーーーーーーーーーーー どうすれば癒されるのか ーーーーーーーーーーー 癒しは「ストレス発散」「コンプレックス解消」に比べると、具体性に欠ける。ストレス解消のためカラオケに行く。 コンプレックス解消のために化粧をするという具体性は無い。 何となくふわふわと浮わついた「雰囲気気」、 それが当の癒しであるとするならば何となく納得する。 だとしたら、癒されるべき傷などどこにも無かったか、 その程度のものである。具体的なものが見えないから、漠然とした物欲しげなそこへ、各種のグッズやセラピーが 商品として流通するという構図である。しかし、受動態「癒される」の主語あくまでも「自分」なのだから、 主語を支点にこれを能動態に変換すれば、「自分が自分を癒す」になる。「癒し」とは、各種グッズやセラピーによって、 自分で自分を癒す能動的行為であると言うこともできる。自分で自分を癒すとは、どういうことであろうか。 癒すためには癒されるべき傷がなくてはならない。傷とは何であろうか。傷ついているのは自分である。 そう思っているのは誰だろうか。「自己治癒」という、いっけん明瞭なようなこの概念は、日常レベルの予測を はるかに超えた、広がりと奥行きと複雑さを持っている。それは、一般的な問いのある種の逆転によって垣間見られる。 「私とは何か」 −>「何が私であるのか」 「心とは何であるか」−>「何が心であるか」 「心はどこにあるか」ではない。「何が心であるか」である。「どこに」は、既に三次元空間内にそれがある存在している ことを前提としている。脳も心もこの三次元空間内の物体である。しかし、心の痛みは、その痛みはそのものは、物理的な 存在ではない。本来、物理的な存在でないものを、物理的な存在であるように表象する、もしくは表象させるそのような 命名が、多くの誤解を生じさせている。トラウマ「心的外傷」、その視覚的イメージが、何がしかの塊り状のものが、 傷口を空けているという光景である。 心的外傷、すなわち心が外から受ける傷である。 物理的でないものの、「外」、その「内」とは、どのような区分であろうか。「心の外」とは、どこを指すのであろうか。 「心」に外と内があるというのは、これも長い我われの錯誤は、「私」が身体であるという一方の強力な錯誤と手を組んで、 「私の心は体の内側に存在する」、その主観である。そしてそれは客観としての世界もしくは他者とは関係しないか対立する、 という錯誤の世界像として定着する。したがって、「私の心に傷を与えるのは、世界もしくは他者である」。 トラウマ理論とは、あるいは主客二元の世界観に典型的な、短絡的解釈ではないだろうか。 幼少期に虐めを受けたから性格はこうなった、という遠い原因から、あなたにそういわれたから私は傷ついた、 (字数制限のためカット、10年12月01日) ・・・・・・・ 2005年12月01日(木) 1703, 政府系金融機関の統合 (~O~)ふぁ 政府系金融機関が三年後に統合されることになった。郵政民営化にともなう郵貯の出口の縮小処置である。 悪く言えば、中小金融機関への貢ぎもの(中小企業の債権)である。 ヽ(ヽ゜)ヒイィィィ!!! 思いきった人員整理も断行されるから、政府系金融機関の職員は仕事にはならない。統合は地方の切捨てでもある。(@_@;) 戦後60年、地方への過剰投資が目にあまったことも事実。 四国への三本の大橋の建設は、この象徴である。 (=_=;) 糖尿体質の現在の地方には過激な手術になるが、グローバルの時代に中途半端な体質変換では日本そのものが衰弱死をしてしまう。 (字数制限のためカット、09年12月01日) ・・・・・・・ 2004年12月01日(水) 1338, 「自分を活かす極意」ー 読書日記−2 ー自分のクセを技に変えるー 三色ペンの技法に次いで、この言葉が印象的である。 その文章を抜粋して考えてみる。 ーでは、ふつうに日常生活を営み、ある程度の年齢に達成した私たちには何を技にすればよいのだろうか。 私は究極的には「クセの技化」だと考えている。 武道や芸道ではクセを直して技を身につける。 しかし、年齢を重ねると、クセはほとんど直らないものである。 それを直そうとするよりも、それを芸にする、 (字数制限のためカット、10年12月01日) ・・・・・・・・ 2003年12月01日(月) 971, ナレッジマネジメントー2 「マルコムボルドリッヂ国家品質賞」について 字数の関係でカット(2007年12月01日) ーーーーーーー 2002年12月01日(日) 597, スーパー床屋 −2 そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。 TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機の ようなもので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。 特に土曜と休日に集中するという。それなら美容院もあってもよいのではと思ったら新潟にも全国チェーンで 「クイーン&キング」という名で青山にあるという。 これなら家族でいける。知人が最近スーパー床屋に 切り替えたと言っていた。月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。それでも安いという。 「将来殆どがスーパー床屋にきりかわるだろう」と言っていた。自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店するが、 その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。 500円の銭湯に1500円の床屋で2000円である。 それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。 今の回転寿司と寿司屋の使い分けの状態ににてくる。 寿司屋も数年前に80?は回転寿司に取って代わると食堂専門誌に書いてあった。現在その流れが加速している。 年に1〜2度寿司屋に行って、月に1〜2度回転寿司に行くパターンになってきている。 学生時代の事を思いだした。池袋駅の地下に半額に近い床屋があった。多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。 いつも満杯であった。ただ一回で二度と行かなかった。若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを着せて色気を 売っていた店がある時期流行ったという。 クラシックを流している床屋もあった。 何か床屋談義になってきた
|
|
|
|
2010年11月30日(火)
「語りえぬものからの問いかけ」という東大駒場〔哲学・宗教・芸術〕連続講座ー 《 「言い表せないもの」の詩学 −チュッチェフ『沈黙』の逆説ー沼野充義 》の「沈黙」という詩に、 思わず息を飲んでしまった。 何か、毎日、自分が書き続けていることを根底から否定されたようである。 否定されるほどのものも無いことを私が一番知っているから書いているだけだが。 ーまずは、以下の文と詩からー 【 チュッチェフには「沈黙」と題された詩がある。この詩人は、ドイツ・ロマン主義の影響の色濃い哲学的・ 思弁的な作風で知られ、バラティンスキーと並んでロシアにおける思想詩の系譜の一人とみなされている。 「沈黙」も、そういった傾向を代表する彼の初期の代表するチュッチェフ初期の代表作の一つで、ロシア人なら 誰もが知っているほど有名なものです。文豪のトルストイはこの詩に感激し、「なんという驚くべき作品だろう! これ以上の優れた詩を私は知らない」とまで言ったと伝えられていす。それほど有名で優れた詩であれば、 これまで多くの専門家によって数多くの研究や解釈がなされてきたのも、また当然のこと。 ・・・・・ 翻訳で読み、解釈するという作業にはどうしても限界がありますが、そのことを肝に銘じたうえで、 しかしそれでも何かを読み取ることができるかどうか、読解を試みてみましょう。 ー 沈黙! ー 沈黙せよ、隠れよ、そして隠せ 自分の気持ちも夢も― 魂の深みでそれらは 夜の星のように黙々と 昇っては沈むことを繰り返しているがよい それに見惚れ、沈黙せよ!
心はどうしたら自分を言い表すことができるのか 他人にお前のことがどうして理解できようか お前の生きがいが他人にわかるだろうか 心に思うことも口に出せば嘘になる 泉を掘り返しても、水をかき乱すだけだろう ただ泉の水を飲み、沈黙せよ!
自分自身の中で生きることだけができればよい お前の魂の中にはまるまる一つの 神秘的で魔法のような思念の世界がある その思念を外の騒音がかき消し 昼の光が追い散らしてしまう それら思念の歌に耳を傾け、沈黙せよ! …… 〜〜 「 ・・・・・・・・・・ 」この詩について、何かを語れといっても・・ 「HP読みながら、いつも思っていた!」って言わない。 思念公開も面白いもの。 土いじりや、趣味の世界、神への思念に没頭すると、沈黙せざるを得なくなる。 ーつづく ・・・・・・・ 2009年11月30日(月) 3161,つれづれに ー閑話小題 * 円高 85円 為替が円高・ドル安に動き出してきた。 それにつれて金の価格もジワリと上がってきている。 年末に向かって周辺も冷え冷えとし、殺伐としてきている。 年末年始は大荒れになるのか、それとも何とか 中小企業特別救済で乗り切れるのか? 公共事業の大幅カット、そしてボーナスの減額、デフレスパイラルによる 不況の深化などで、一日一日と厳しさを感じる。 この上に円高というから、救いようがない。 社会はますます内向きに成りざるを得ない。 * 「坂の上の雲」がNHKドラマの初回が放送されたが 「坂之上の雲」が日曜日夜のNHKで数回シリーズのドラマとして放送が始った。 私たちの年代の多くが、 この小説に大きく感化された。 筋立ては、秋山兄弟と正岡子規の生きかたを通して、明治時代の人間像と 時代背景を書いている。 ある意味で、戦後日本人に一番影響を及ぼした歴史小説で、「大きな物語」の典型。 20歳代の青春時代を思い出しながら、このドラマを見るつもりである。 ただ、小さな物語(個々人の物語) の時代の現在、大きな違和感も出てくるだろう。 司馬遼太郎が晩年、日本のバブルの狂態をみて、 「自分が、こんな連中の時代のために、小説を書いてきたのではない」と怒っていたのも印象的である。 * 同じ映画を二度みたのは始めて! 土曜日にシネマ「2012」を再び観てくる。映画を二回つづけて観るのは初めてである。 二回目にみた方がズシリとくるから凄い。 初回は、世界崩壊のリアルさと、物語の筋たての両方に気持ちがいったが、 二回目は地球崩壊の画面をリアルに観ることに絞って、気持ちを入れて観た。そのため前回には観えなかった画面をシビアに 感じることができた。何で、これだけ引きつけられるのか?といえば、地球規模の破壊スケール。 南極と北極が入れ替わるというから。 金融恐慌から恐慌への過程の中で、タイミング的にピッタリの内容である。 ・・・・・・・・・ 2008年11月30日(日) 2796.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・5 ー 金を追うな、金に追われるような人間になれ ー 【第4の法則】 金を追うな、金に追われるような人間になれ 「空気人間になれ」 (ゲットーに住むユダヤ人は隙間で生きていかなればならなかった。自分に対する誇り、自尊心が確立されているから、 仕事の体裁などにこだわることはない。チャンスとみれば偏見に囚われずに何でもやる。元手が少なくても、 わずかなチャンスを確実にっかみ、成功に近づいていく。空気のように軽く、どこにでも入っていく。それでいて、 空気のように誰もが必要とする資質を兼ね備えた人間。苦難を空気化した人間、それがルフトメンシュである。) ユダヤの知人の言葉 *「この仕事で 豊かな気分になることはない ただあるのは、どれだけ稼いでも、新しいレベルの 相対的貧困感に 苛まれること」 ユダヤ人の知人のコトバ *「神がお金について どう考えているのかを 知りたいのでしたら、 どんな人に神が お金を与えたのか を観察してみるといいでしょう」 ドロシー・パーカー *お金は手段にすぎません。自分が行きたいところには 連れていってくれますが、 *11ポ・ドの金塊よりも、 1オンスのツキのほうが 価値がある」 東欧ユダヤ社会の諺 *「人生は、賢者にとっては 夢であり、 愚か者にとっては ゲームである。 金持ちにとっては 喜劇であり、 貧乏人にとっては 悲劇である」 ショーレム・アレイヘム ・・・・・・・・・ 2007年11月30日(金) 2431, ネット君臨 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。 「ネット君臨」−毎日新聞取材班ー(出版・毎日新聞社) −読書日記 この本を図書館で見つけ、読んで驚いてしまった。この春先に毎日新聞が連載したものを本にしたものだが、 この連載は大きな社会問題を提起、幾つかの規制の法案ができるキッカケになった。 私も政治や、ゼネコンなどの談合に批判を書いているが? 言い方には気をつけなければと自戒させられた。 マイナーの人?いや色いろな考えの人が見ているのである。それにしても、ネットによる虐めの陰湿さには驚いてしまう。 特に「2ちゃんねる」上における、匿名による誹謗・中傷の内容は、人を死に至らしめるほどの内容に満ちている。 毎日新聞の連載をまとめた本だが、ネットのマイナス面に絞っているのも、ネット社会の規制を考える面で、良いこと。 *まずはアマゾンの、この本の紹介文から ー内容紹介ー 匿名社会の恐怖、拡大するネット犯罪…。ネット社会の急速な進展は、我々の生活 に便利さや効率をもたらす一方、 さまざまな負の部分を生み出している。ネットは我々をどう変えるのだろうか。また我々はネット社会をどう築けばいいのか。 ネット社会に警鐘を鳴らした毎日新聞取材班の大反響連載「ネット君臨」の書籍化。本書では、国内最大のネット掲示板 「2ちゃんねる」に代表される匿名による誹謗・中傷が人々の暮らしに深刻な影響を与えている実態を現場から報告。 「2ちゃんねる」の管理人ひろゆき(西村博之)氏にインタビューしている。さらに国の政策がインフラ整備に偏り、 企業や個人のマネーゲームを生んでいる実態や米国、韓国、中国のネット犯罪の現場をルポ。 ー概要ー マスコミがこれまで殆ど触れてこなかったネットの問題点に真正面から切り込んでいる。 難病(拘束型心筋症)の上田さくらちゃん(四歳)がアメリカでの心臓移植をうける費用(約一億三六〇〇万円) を賄うために「さくらちゃんを救う会」が結成され、ボランティアによる募金活動が開始された。 (字数制限のためカット、09年11月30日) ・・・・・・・・・ 2006年11月30日(木) 2067, あたりまえなことばかり −18 (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん! 人生には、それぞれに相応しい時期がある。その年齢ごとに新しい経験を織り込んでいくのが人生である。 私の中学校のクラスは卒業後も非常に仲がよくて、節目ごとにクラス会を開いていた。地元にボス的な女性がいて、 その都度声を掛け合って20人は集まっていた。卒業後15年ほどしてからは1〜2年ごとにクラス会を開いていた。 担任の先生の停年の年には(18年ほど前)、湯沢に一泊した翌日、長岡に帰ってきて、延々と夜半まで 三〇数時間も一緒に飲み続けた。最近までは毎年のように理由をつけては会を開いていた。 そこで見えてくるのは、「歳をとるから老いる」ということではないことである。 経験を自分の人生の中で織り込んでしまえば、生きるということ、老いることも、むしろ面白く、味わいが深くなる。 人生など大したことがないものである。深刻に考えるだけ馬鹿馬鹿しい。気楽に考えて、その時々を真正面から 生きていさえすれば、それでいいんじゃないか! ということである。 ( ^3)〜♪よ〜よ〜それが一番、難しいんじゃないかい! ーーーーーーーーーー 老いは個人の生を超え −? ーーーーーーーーーー 老いるほど人生は面白くなるという言い方は、確かに可能である。その歳まで、いったい何をしてきたのかと 訝りたくなるような老人が多い。おそらく、何もしてこなかった。摂食、生殖、快楽の追及以外何もしてこなかった。 刺激に反応して、反応したら忘れるといった動物的生存の日々、そういう人々は、したがって老いることを拒む。 動物的生存に価値がある限り、肉体の衰えは価値の喪失以外ではないからだ。老いた自分に価値が認められない。 「老醜」とは正確には自虐的に使われる。逆に、内省を知っている人は美しい。 鏡を内側に持っているからだ。 外に映る鏡の姿が崩れているにしても、ともに崩れる必要がない。若年からの内省の習慣、老いるほどにその姿は違って見える。 内省すること、心の姿を整えること、それが魂の世話をする意味である。歳を重ねると、内省と回顧が判然としなくなるが、 面白いのは、このとき回顧されているのが自分の人生ではなくなっているということだ。自分の人生を振り返ってその視野に、 自分の人生としての人類の人生、すなわち「歴史」が、当たり前のように入ってくるようになる。 内に鏡を所有して生きることの面白さは、その現在の鏡に過去が映っているからだ。 過去とは現在以外ではなく、歴史とは自分以外のものでなかった、と気づかされるのだ。 それが鏡が鏡であることの秘密である。「歴史は鑑である」とは、本来その意味であった。 ーー 母親が80歳の時に、「私の生きた5〜6倍前に家康や秀吉が生きていたと思うと、大して昔じゃなかったのね!」 いった言葉は、歴史が鑑であるという意味ではないが、ハッとする言葉であった。 自分の生きた時間と家康の 生きていた時代を対比して感じ取った言葉だからだ。 田中角栄がどうした!と、今では確信を持っていえる自分がいる。 それは自分の人生とは比べようもない実力を持った人も、過ぎ去ってしまえば、ただの悪名高き犯罪者でしかなかった政治家。 その男が活躍していた時、私は学生で、雲の上の人とみていた。いまは、「何じゃい!戦後バブルの波に浮かんだ泡以上でも 以下でもない男。 そしてまだ、その娘が馬鹿丸出しで恥をさらしているだけ」としか思えないのも、自分が生きてきた 時間の中で、自虐の自分を鑑にしてみるからだろう。 (-"-;) これも長年生きた歪みが、この言葉であるということだ。 あと十年経てば70歳、20年経てば80歳である。これは生きていればの話で、もしそこまで生きていて加齢した自分を 自虐していたとしたら、全く何もしていなかった人生を嘆いているだけになる。それは現時点でも言えることである。 (ノ≧ロ)ノ< いまさら何をいってんだ、ばかやろぉ〜〜〜!!! (*^ワ^*)i バイバイ ・・・・・・・・ 2005年11月30日(水) 1702, 中学校還暦同期会 −2 nemu(ρ_-) 先日「中学校の還暦同期会とはこんなものだった」という概略を書いた。 今回は還暦から人生を振り返って、感じたことを書く。人生の60代に入り、 40数年ぶりの幼馴染に会い感じたことは「人生の成功とか、失敗は大して変わりはしない」ということだ。(いや、あるか?) *上手くいったという人はそれでよし、 *上手くいかなかったが、それも自分の責任、悔いはなし、というのもそれでよし。 要は、自分の人生の受けとめかたである。人生の成功・失敗とは何だろうか?改めて考えてみる必要がある。 どういう人生であっても、明るくニコニコしていればそれで良いのではないだろうか。(≧▽≦) 本当か? 誰にでも悔いがあるのが人生である。それに対し、でも生まれてきてよかった!と、心から思えれば良いのではないか? そうすると、笑いと感謝さえ失わなけれ、「『ありがとう』を一日、千回いって、その結果として自然の笑いが出てくればよい」 ということになる。♪〜(=^ε^= ) 出席している人は、比較的に恵まれている人?のためか、全体として、明るい人が多かった。 めでたい席で暗い顔もしていられないのだろうが。私が、彼らの気持ちを代弁していうと、 「ここまで、人生の良いところを生きてこられて良かった!」というのが、偽らざる気持ちだったろう。 年齢に気持ちがついてきてないのが本当のところだろう。 人生は短い! 成人式ということだ! (^_^)/~~baybay ・・・・・・ 2004年11月30日(火) 1337, 「自分を活かす極意] 」 ー読書日記 −1 齋藤スタイル―自分を活かす極意 齋藤 孝 (著) 書店のエンドでよく斎藤孝の本を見かけたが手にとるだけで買わなかった。いや一度、この著者の本を図書館から借りてきたが、 読まずに返したことがあった。先日、図書館でこの本を見かけ借りてきて速読をしたところ、内容が濃厚である。 斉藤孝の多角的世界を集大成してある。日本語、身体、能力、読書、教育、子ども…。 多彩なテーマを独自のスタイルで語たりかけていて、斎藤ワールドのダイジェストといえる。 対談という形を通して著名な人の意見と議論がより深みを持っている。特に「三色ボールペンで読む日本語」 のダイジェストの章がよい。赤ペンチェックの言葉が多い。「図化と文章化」 「具体的かつ本質的」 「エネルギーを出し続けているが故に、技も必然的に磨かれていく」などもよい。著者は、「勉強でもスポーツ仕事でも、 自分が体験し学んだことは、自分のスタイルとして練り上げ、技化しなければならない」といっている。 齋藤氏の「スタイル」と、ノウハウの集約書である。ー今回は、まずは三色ペンについて書いてみる。数年前に、 「三色ボールペンで読む日本語」を図書館から借りてきて目を通したが、ほとんど読まないで返してしまった。 おそらく他に面白い本があったのだろう。しかし先週の土曜日に、この本を借りてきて再度「三色ペン」の効用を読んで、 4色ペンを買ってきた。 ー著者の勧めの青、緑、赤だけの三色ペンが無く、これに黒の入った4色ペンしかなかったー まずは買うことによって、実際の効果を確かめたかったのである。 この本では、三色ペンで読書をしながら ・重要な部分を「赤」の線、 ・少し重要な部分は「青」の線、 ・面白いところを「緑」の線、 で色分けをすることを勧めている。これは取りも直さず20対80法則の、20の区分けをしていることになる。 ( 以下、字数の関係でカット 2010年11月30日 ) ・・・・・・・・ 2003年11月30日(日) 970, 「遺言川柳」 UFJ信託銀行が11月25日に単行本「遺言川柳」を発売をした、と新聞やTVで話題になった。 当銀行が「遺言川柳」を募集したところ、約1万2000人から5万通以上の作品が寄せられたという。 せいぜい2000〜3000作品」と見込んでいたUFJ信託銀行にとってうれしい誤算だった。 そこで急きょ、出版社からの申し出で「敬老の日」を狙った作品集の発行が決まるなど、「遺言川柳」がちょっとした ブームになっているという。遺言といえば、両親とも、私にとって「有利な遺言」を書いて亡くなった。 遺言は残された子供にとって、その後の人生を左右するほど大きい要素になる。母が亡くなったときは、 さすがに4人の姉に「恨み辛み」をいわれた。それだけ、両親は「家」というものを重んじていたのだ。 両親が亡くなるとき、同居をしていたため情が移っている部分と、末っ子という特殊要因もあった。 相続は、それぞれの子供に連れ合いがいるから複雑になる。日常でおこる争いの一番の原因になる。そして生々しい。 ー以下の遺言川柳は一つ一つの意味の深さを十二分に実感できる。 −−−−−−− ー特選ー 1作品 ・遺書書いて 腕立て伏せを 二十回 (64歳・男性) ーー ー入選ー 5作品 ・遺言も 開けてみるまで 宝くじ (25歳・女性) ・情よりも 法が出しゃばる 遺産分け (63歳・女性) ・書き替える たびに痩せゆく 遺産額 (70歳・男性) ・通夜の席 銀行マンが 勢揃い (55歳・不明) ・遺言を 地球が書いて いるらしい (46歳・男性) ーーーー 以下は、字数の関係でカット 2007年11月30日 ・・・・・・・・・・ 2002年11月30日(土) (2) 596, スーパー床屋は席貸業 - 最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の実体が面白い。日経流通新聞の広告でフランチャイジーの 募集の内容に興味を持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」どうして?と思うのは当然である。 若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を強いられていた職人の世界である。 そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに会うと聞いていた。 誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。 場所貸し業と捉えたのである。スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。 この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。最適な立地の不動産のオーナーと 理髪のフランチャイザーが組む。フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、タダそれだけでしかない。 席を借りた人は働いただけお金になるのだ。札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が今でも忘れられない。 深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。 タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを丸投げで貸したほうが良いという。 その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。 若い人で4〜50万稼ぐ人がいるとか。都会の既存の床屋はここにきて大きな落ち込みが始まり、また新規開店が 激減したとか。床屋の世界おまえもか!である。そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。 (以下は、字数の関係でカット 2010年11月30日 )
|
|
|
|
2010年11月29日(月)
* 自分の初めの感じたことを信じなさい! 夏の終わりごろにニューカレドニアに行った時の話。 ホテル内の土産店で若い女性二人が土産物に迷っているところ、 60歳代半ばの日本人男性が話しかけていた。「自分の初めの感覚を信じなさい!」と。「私に、そんなことを言ったら 『アフォか、御前は!』と思うが、若い女性になら良いか?」と独り言を頭の中で呟いていた。 その言葉は、正しくもあり、間違ってもいる。これは経験からいえること。経験の浅い人になら、自分の感覚を信じて、 まず決断をし、その結果をフィードバックする方が、躊躇して何もしないより良い、ということになる。 それを信じて軽い気持ちで判断をして大失敗を数限り経験してきた私にとって、そんなことは若い女性にしか言えないこと。 その人に何か怪しげなバナナ的雰囲気を漂わせていたが。同じ言葉でも、受止め方は年齢、知識・経験の質量で変化する。 * 尖閣ビデオでYoutubeが注目される もう古い話?になったが、海保のビデオ流出事件でYoutubeが更に注目を浴びてきた。 Youtubeは10分間の制限があるが、個々人が撮影したビデオを自由に投稿できるもの。僅か5年前に若い二人の米国人によって つくらたサイトで、一年後にGoogleに2000億円で売却された。日本にも、その翌年2007年に上陸、瞬く間に普及した。 一日20億回のアクセスがあり、このサイトから世界的に有名になる人が続出。 数ヶ月前から面白そうなものを私のブログに 貼り付けている。過って見たことがない面白い映像が次々と見つかる。TV番組でも、世界の面白映像として毎週紹介する番組が 既に出来ているが、その多くは見たもの。 面白いビデオの右側に関連したビデオの写真が貼り付けられ、アクセス数が 書かれているので、関連したビデオにネットサーフィンできる。 そこで、思いもよらない世界を垣間見るケースが多くなる。 コスプレ、ラップ、ペットなど、知らなかった世界を知ることが可能である。ところで、あのビデオについて石原慎太郎が、 「売国奴の治世者が、英雄的行為をした人を国辱罪で訴えるという奇妙な現象が起きている」と発言。言い得てるが、 それが東京都知事ときている。訴えると脅され、「チャンと受けてたって証言をする」といったら、何も言わなくなったとか。 面白いと笑ってられないのが、この国の現状。 ・・・・・・・・ 3160, ドバイが債務不履行! 2009年11月29日(日) アラブ首長国連邦のドバイの資金繰り悪化が表面化した。数年前にドバイの発展する様子をNHKスペシャルで放送したが、 石油で得た資金で競って超高層ビルを中心とした新都市の様相には驚いた。 世界のクレーンの3割が、そこで動いているという 信じがたいことも報じていた。大金持ちの若い御婦人が高級ショップで「もう、買うのに飽きてしまった、ツマラナイ!」と云々。 しかし今年に入り一転、金融危機と石油の値崩れで、歴史に残るバブル崩壊を映し出していた。 数年前の活況時のドキュメントの映像と比較した内容だから、その段差は極端。さながら映画のようである。 そのドバイの債務不履行は5兆円というが、数十兆円になる可能性がある。欧米の金融機関、特に欧州の金融機関が直撃という。 また日本のゼネコンの大林や、清水建設も大きな請負をしているというから大打撃になる。鹿島、大林がどうか分からないが・・ 大手ゼネコン総倒れの可能性さえある。さらに日本の大手銀行もドバイワールド向けの債権を多く抱えている。 さらなる本格的な金融崩壊の引き金が、この辺になるかもしれない。 この金融恐慌の底は深い。それに関係して、 ドルとユーロが値下がりの圧力がます。80円割れでなく、70・60・50円割れもありうる。その時、日本はどうなるのか、 考えただけで身の毛がたつ。 師走と新年は大荒れになるのは覚悟をいていたが、なるほど、次はドバイが発火点ということか。 銀行閉鎖や、国家非常事態宣言!も、というとマサカと思うが、そのマサカが次々と起こる。 何が何処かで、戦争をしかけるか? ありそうな事だ! 大きなテロをキッカケに、イスラエル?北朝鮮? ロシア・東欧?で、G20が抑止力になるか、どうかだ。 ・・・・・・・・ 2795.ユダヤ人成功者たちに秘かに伝わる魔法の言葉・・4 2008年11月29日(土) 【第三の法則】 口はひとつ 耳はふたつ 「神が人間に二つの耳と一つの舌を与えたのは、話すよりも聞くことを重視したからである」 ユダヤの諺 「口を閉じれば閉じるほど、自分の話を聞いてもらえる」 「噂はかならず三人の人を殺す。 噂をばらまく人、疑問を抱かずに噂話を聞く人、そして噂の対称になっている人だ」 「美徳と称するものは、 他人の嫉妬を刺激するものだが、控えめであることだけは例外だ」 ユダヤの諺 「捕まえた鳥を逃しても、また捕らえることが出来るかもしれないが、 一度発した言葉を 取り返すことはできない」 ユダヤの言葉 「知恵に近づくには、まず沈黙し、次に相手の話に耳を傾け、第三にそれを自分の中に吸収し、最後は人に教えてみることだ」 ソロモン・カビロール (字数制限のためカット09年11月29日) ・・・・・・・・ 2007年11月29日(木) 2430, <おばあちゃん> 『いのちの書』ーより 「ちくま哲学の森」シリーズの第2巻の『いのちの書』という生死の関する22人の内容が驚く内容の連続である。 死刑の立ち会いの詳細、実際に拷問にあった本人の手記、臨終のこととか。死に関しては、日常の中では、誰もが 見てみないふりをする。しかし書き手が言葉として書き連ねると、それ自体が物語になるだけの深みを持つ。 この本の冒頭の金子光晴の詩がよい。 ーーー <おばあちゃん> 金子光晴 『若葉』のおばあちゃんは もう二十年近くもねてゐる。 すべり台のやうな傾斜のベッドに 首にギプスをして上むいたまま。 はじめはふしぎそうだったが いまでは、おばあちゃんときくと すぐ<ねんね>とこたえる『若葉』。 なんにもできないおばあちゃんを どうやら赤ん坊と思ってゐるらしく サブレや飴玉を口にさしこみにゆく。 むかしは、蝶々のやふにへんぺんと 香水の匂ふそらをとびまはった おばあちゃんの追憶は涯なく、ひろがる そしておばあちゃんは考える。 おもひのこりのない花の人生を 『若葉』の手をとって教へてやりたいと。 ダンディズムのおばあちゃんは 若い日身につけた宝石や毛皮を みんな、『若葉』にのこしたいと。 できるならば、老いの醜さや、病みほけたみじめなおばあちゃんを 『若葉』のおもいでにのこすまいと。 おばあちゃんのねむっている眼頭に じんわりと涙がわき 枕にころがる。願ひがみなむりとわかってゐるからだ。 ーー ある伯母が晩年に「歳をとることは、無念なこと」と言っていたとを、聞いたことがある。偶然に去年、老いを取上げていた! ・・・・・・・・・ 2006年11月29日(水) 2066, あたりまえなことばかり −17 おふぁ ファ〜 そろそろ、死に支度モードに入らなくては、と思っていたが。チョッと待てよ!死なないのだから、 そんな準備などする必要はない。が、しかし歳相応にギアを変える必要はある。還暦を過ぎたのだから・・ 両親の死に際に、二人とも同居していた。そして「老いる」姿と、肉体的終末を看取って、 決して歳をとるのも悪くはないと実感した経験がある。さらに老いた色いろな人と人生を多く語り合った。 だからこそ、老いることはまんざらでもないことを知っている。一つだけ「死は存在しない」ことを、 彼らが知らなかったのを除けば。「死は観念でしかない」ことが、解るはずはないのは当然である。 母親が、痴呆になっても学ぼうとする姿勢が見えた。これである、魂は永遠の学びをしていく。 ただし、それなりの人生を活きてこそ、だが・・ ーーーーーーーーーー 老いは個人の生を超え ーーーーーーーーーー 人は、老いるという存在の現象を、なかなか素直に認めることができない。それを否定的に感じてしまうのは、 若さという経験を先にしてしまうからだ。やがて人は、例外なく順番に40,50歳と年齢を重ね、老いるという現実を 肉体の事実として知ることになる。老いることは死と違って逃れようもない現実である。生きられてしまった事柄とは、 端的にかこである。それは動かせない事実である。過去は動かせないと知るということは、自分の人生がそのようであったと、 それ以外ではあり得なかった、このとき、人は人生の一回性の秘密に触れているのだが、多くの場合それは、それぞれの 感情や感傷によって覆い隠されてしまう。記憶に苦痛の伴わない人は幸福である。過去は動かせない、しかし動かせる未来もない。 なぜ自分の人生はこのようでしかあり得なかったという、存在への問いが、溜息に等しいような老いの時間は哀しい。 生きるということを、物理的肉体の生存と定義するなら、老いていく過程として生きていくのは肉体を失っていく過程である。 しかし、我われの直感は、決してそんなふうに感じてない。老いていくことによって、得ているものはたしかにある。 何かが確実に増えていくと感じるもの、それは何か。精神というより、むしろ魂である。成熟するのは魂である。 魂は成熟する。「ソウル・メイキング」と呼ばれるもの。現代風の言い回しも、ソクラテスふうには「魂の世話」となる。 経験と時間を織り込みながら、魂であるところの人生を織り上げていくと、いった意味合いらしい。 縦糸に時間を、横糸に経験を、織り込みことで織り込まれつつ、魂が自身を織り上げていく行程は、 刻々老いてゆく肉体の老いとは反比例して豊かである。いや、肉体の老いとは、それ自体が新たな経験の 他ならないのだから。それすらも、織り込みつつ色はその深さを増すのではなかろうか。 人生とは、生死の間に存在する時間である。なるほど論理的には、人生には生と死、すなわち一とゼロしか存在しない。 したがって、時間もまた存在しない。しかし、現実には、人生は一とゼロの間に存在するもの、すなわち無限である。 有と無の間で生成する質である。質は論理でない。論理が指示する、論理自身の影である。 論理的には存在しない死を、しかし現実には存在するとして生きているという、このこと自体が人生の不思議である。 その存在しない死が近づいてくる老いの時間とは、いよいよ玄妙なものになっていくはずである。 かって老いたことのないわれわれにとって、それは未だ知らない質である。老いるという未知の経験、未知の質を、 味あうことなく拒むのは、死ぬのを待たずに既に生きることを拒んでいるようなものである。 ーー 死か〜 まあ、麻薬をタップリ楽しんで、消えていくのも悪くないが・・ やはり、朝いつの間にか死んでいるほうがよい。魂の成熟か〜 無限の宇宙に浮かぶ 未知の質か〜 人生は! (+>∀<+)ノ バイバイ ・・・・・・・・・ 2005年11月29日(火) 1701, ほめ芸王 ー2 以前、一度借りてきた「ほめ芸王」を、再び借りてきた。前に読んで、チャンスがあったら可能な限り褒める ように勤めようと思っていたが、これが難しい。家内を対象に褒めるように勤めているが、馬鹿馬鹿しい。 というわけで、いま一度借りてきてジックリ読んでみた。 funn~(。_。)q 以前借りてきた時に印象的だったのは、 ・褒めるのは芸・技であるから、自分流のノウハウを確立すべし、 ・褒めれば、神の心になれるだった。褒められれば、舞い上がってしまうのに、 人に対しては気楽に褒めようとはしない。ー必然性が無かったからだろうが。 だいたい酒席で、酒を注ぐときは自分が注いで欲しい時だ。自分が褒めて欲しい時に、人を褒める。 -字数の関係でカット(2007年11月29日) ・・・・・・・・ 2004年11月29日(月) 1336, 2000年前のポンペイー5 一昨日のNHKスペシャルで「ポンペイ」を特集していた。落書きを切り口に番組みを構成していたのが、新鮮であった。 たまたまポンペイについて書いていたので、その偶然の一致が奇妙な気分である。2000年前の生々しい人間の心が、 落書きの中に出ていた。話は少し逸れるが、エジプトのルクソール神殿の遺跡の壁にあったレリーフに兵隊の絵があった。 同じ絵が多く描かれていたが、現地の日本人の女ガイドの説明が面白い。 その兵隊うちの一人だけが、ところどころ 逆向きに向いているのだ。当時の多くの職人の一人が、命をかけて?わざっと逆向きに彫ったという。いつの時代でも、 そのような遊びがあった。それよりも、数千年の時空を超えた男の生身の人間的なジョークを伝えているのがよい。 ーその番組みで紹介していためポンペイのメモには ・〔私と貴方が一緒に踊ったことを憶えていて、訪ねてきてくれてラブレターを 置いていってくれた〕返事が壁に書かれていた。 ・隣近所のお知らせー人々は回覧板かわりに壁を使ってコミュニケーションをしていた。 ・現在の通りの商店看板と殆ど同じものが、当時のポンペイの街にもあった。 ・ポンペイの街には400軒の店があった。 24時間営業の居酒屋があった。 その居酒屋の奥の部屋でゲームと会話をしている絵が残されていた。 ・食料品店の壁には、掛け売りのメモが書きこまれていた。家計簿的なメモもあった。 ・果物屋には桃が売られていたメモがあった。 等々である。 メモから、当時の変化がうかがい知ることが出来るという。 当時のローマ帝国の政策の大きなものとして、パンと、サーカス(街には必ず円形劇場がつくられていた)を庶民に 与えることであった。AD・54に17歳で皇帝になったネロが、その政策を更にエスカレートさせていった。 そのためか、贅沢の限りをつくす考えが一般にまで浸透を始めていた。 その頃のメモに〔今を楽しめ〕というのがあった。それがエスカレートしたのかタブーのメモもあった。 ・下品の言葉を慎むように ・他人の妻には手を出さないこと ・食事をしていて、着物を汚さないように宴会場の壁には、酔っ払いの落書きに〔とことん飲むぞ!〕 というものもあった。富める者と貧しいものとの格差が鮮明になり始めてきていた。 そして、貧しい者の荒んだ心がそのまま落書きになっていた。「あの男に災いあれ!」 当時の円形闘技場の落書きの中に「闘技場の外で多くの人同士が剣をもって争う姿」があった。 試合を見ていた同士が喧嘩になって殺しあう事件が起こったのだ。 普段の生活が、火山で時がそのまま密封され生々しい世界が奇跡的に今に多くを語りかけている。 −このポンペイのシリーズはまだまだ続くー ・・・・・・・ 2003年11月29日(土) 969, 幽霊店舗 昨日、初めて聞いた言葉である。 それが「幽霊店舗」である。一瞬何のことか解らなかったが、 次の瞬間に直ぐに理解した。 「経営者が夜逃げか破産をした店で、店舗のオーナーか銀行が、 既存の従業員にそのまま営業をさせて、間接管理をしている店」でないかと。次の店が決まるまでの 店舗の劣化を防ぐ為である。実際のところ聞いてないので真偽は解らないが、間違いがないだろう。 興味があったので、その幽霊店舗に行ってみたら、何事もないように営業をしていた。 (字数制限のためカット10年11月29日) ・・・・・・・・ [242] ゼネコンー2 - 2001年11月29日(木) 同じ見積もりでも、3〜4割の値段が違ってくる。平気で目の前で2000万・3000万、いや数億の値引きをする。 普通の感覚の世界とはかなり違った世界である。今の不況の原因をつくったのは、ゼネコンの存在が大きいといってよい。 日本的特質がそのまま現代的に残っている。この30年近くはゼネコンの付合いを欠かせたことがなかった。 社会勉強をその世界を知る事で,たっぷりさせてもらった。悲劇、喜劇の渦巻く世界でもある。しかし男の世界でもある。 新しい創造に携わるからだ。よしやるか!という決断から、彼等との付合いが始まる。彼らのシステムに現場主任(現場代人) と言う責任者が、殆どの権限を与えられる。その能力次第で完成のレベルが違ってくる。 (字数制限のため、カット 09年11月29日) ・・・・・・・・・・ ある時間の断片 11月29日 ー1968年 10時前に起床。 12時に学校に向け出発。川崎の約束を破ってしまった。昼飯後、ゼミに出席。一回も口を開かなかった。 どうしても自信がもてなかった。それか、傷をつきたくない為か。 17時に終了。 帰寮後、食事をする。 21時から一時間、本を読む。 その後佐藤のところで酒を飲む。一年後輩の間中のブーちゃんと議論伯仲する。 かなりいい加減なことをいっていたようだ。 明方の3時過ぎに就寝。 ー「今日のゼミについて」で考えたことー ゼミで、個人主義と集団主義について、各自の意見を出し合って議論をした。ホワイトのいう集団主義は「個人」 を決して働かせない。それは個人の創造性と個性と本質を見失う可能性が高い。グループ活動は個人の水準を引き下げる効果が大。 大勢順応を強要し、個人を否定し、創造的活動を破滅させる。一般的にいえば人間活動を妨げる制約を持っている、という意見がある。 個人主義においても、集団という環境に合わせて目標に向かっていく条件は必ずある。反面、集団主義は集団であるがゆえに 不可能を可能にする側面を持っている。言葉の捉え方のニュアンスの差があった。集団で鍛えられたものと、そうでないものとの差は 大きいのは事実である。それは個人の能力の差もあるし、個人の分析能力や統合能力によるだろう。私も人間関係主義?によって 流されて、自分の本質を見失っていた部分が大だ。しかし今やその段階はすぎたようだ? 利己主義ー>集団主義ー>個人主義とである。個人主義とは、帰属を決して集団に置かないことではないか。 個人に帰属を置くことである。自己の中に生きることである。その時おきる集団との格闘により自己を獲得していくことだ。 そして集団に対しては協調をすることだ。「友人に対しても、相対する相手」に対してもだ。 それは寂しく、辛いものである。その葛藤の中でこそ個人は生長するものだ。人間関係に捉われて自己の創造性や 個性を否定することだけは、やってはダメだ。 その葛藤の中に本当の知識が現れてくるのだ。 ーーーーーー −2003年11月28日記ー ーこの35年前の日記を読んでー あくまでも「今の自分」と「過去の自分」の話しだが、いま読んでいても、真っ当なことを考えていたこと? に驚いている。いまの自分よりよほど筋が通っている。ゼミと武澤先生の影響があったためだろうか。 多くの友人と口泡を飛ばして議論を毎晩していたせいだろうか。それとも一生の分岐点に立っていたためであろうか。 この日記がなければ全ては忘却の彼方である。「忘却の彼方にいる自分の姿」に驚いている。 現在の方が、体験と知識量が数十倍いや数百倍も多いはずなのに。決して現在の自分に劣っていない 当時の自分がそこにいるのに驚きである。当時は、経験量に対してのコンプレックスは全くなかった。 それだけの自信を全員持っていた。 裏付けもあったのだ。その後も挫折を数多く繰り返す中で、自己喪失感の強い体験を 何度もした。全くの無能感、それも痴呆症的な感覚の呆然感である。その中で、遙か彼方の自分が、 これだけの文章を書いていたことに驚いている。他人からみれば馬鹿みたいかもしれないが。
|
|
|
|