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堀井On-Line
| 3334, 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」 |
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2010年05月12日(水)
ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー7 * 「ウェブ2.0」時代の大前流「情報活用術」 ー まずは、その要点部分を抜粋し考えて見る ー (P 230) ≪ 今の若い世代から40代、50代の世代に至るまで、情報収集・管理・活用が下手になった。 これは「○×式教育」の弊害である。答えはあらかじめ用意されている、しかもそれは「○か」「×か」という世界で育つと、 そもそも答えを探すところからわからなくなっている。 手探りで失敗を繰り返しながら答えを導き出すという習慣がない。 そして、よしんば答えを得たとしても、それが正解であるか間違いであるか検証する方法もしらないのである。 だから、初めから「新聞やテレビの情報は正しいものだ」という前提で、そこにある情報を収集し、それを覚え込もうとする。 これが間違いである。 こんなことをすると、昨日の夕食に何を食べたか思い出せないように、情報は体外にそのままストンと 流れ出て終わりである。 なぜ、体内に残らないのかと言えば、それは、本当に自分の血となり肉となる情報でないばかりか、 せっかく取り入れた情報でも自分で加工しようとしないからだ。 情報といいうものは、加工しないことにはなんの価値も 生み出さない。 いくら収集しても放置してしまえば、そこから何も生まれない。 従って、手に入れた一時情報の意味を考え、 時に疑い、ストックした情報と照らし合わせて、栄誉のある情報だけを吸収して自分の中に取り込み、あとは捨てる・・・ こういったプロセスを経ないと意味がないのだ。 加工のプロセスを有効に働かせるには、まず、自分の頭の中に「棚」を つくることである。 ようするに、情報を整理しておく場所である。 私の頭の中には現在、50〜60の棚がある。 そして、新しい情報が入ってきたときに、棚に置いてあった情報を引っ張り出してきて、合成し、最後に必ずこう自問自答する。 「ようするに、これってどういうことなんだ?」 こうして初めて、「自分なりに加工した情報=新しい考え」が出てくるのだ。 しかも、「ようするにどういうことなんだ」と、いったん考えたことで、それが個別の「知識」としてでなく、 「文章」として頭の棚に入っていく。 こうすると情報は記憶され、よほどのことがない限り忘れなくなる。 なぜなら文章はそれ自身で「意味」があるからだ。 これが、私(大前)の情報整理術の基本である。 〜〜 このブログを私の情報倉庫として活用しているが、上記の活用術と重なる部分が多い。 それを生業としているプロは、 情報活用を前提としているので、棚を使いやすくしてある。 それと、キーワード、「ようするにどういうことなんだ」と、 一ひねりを最後に入れて意味にまで高めている。 私の場合それが甘いと気づかされた。 ネットを利用さえすれば、 いくらでも情報を得ることが可能である。 そのためには、自分の頭の棚を作るべし、とは正にとうを得たりである。 逆に情報活用だが、いま一つ知恵まで到達して得ないことをズバリ指摘されたようである。 まだ、真剣度が足りない?。 ・・・・・・・・ 2959,閑話小題 2009年05月12日(火) * 金メダルを取れる人 「金メダルを取る人は、トップレベルの才能のある人は逆に取れない」という。 トップレベルの人を目標に背中を追っていた「三番手、四番手の人」の方が、努力をするからである。 一番手の才能の人は、そのこと自体の有難さが分からないから努力をしなくなり、こぼれていく。 その重なりの中で、結果として金メダルの道を歩くことになる。必死に努力した方は、その努力に愛情を持っているから、 心の芯になってしまう。ここに金メダルと、途中で挫折する才能のある人の差が出る。何か亀とウサギの御伽話のようだが、 人生の深い示唆があるような話である。 二代目が大成しないのと同じか! * 物語をつくる 毎日、随想日記を書き続けて、あと40日ほどで3千回になる。随想日記も考てみれば「小さな物語」である。 物語とは、テーマの設定と筋書きつくり。文章作法の起承転結という筋書きの中で、味付けをしなければならない。 その上に魂を込めない限り読むものの魂に響いてはこない。そうそう毎日、魂を込めるのも並大抵ではない。 一年ごとに見つめる自分の目も怖い。しかし一度、物語にしてしまえば、記憶パッケージ化したことになり、 魂の記憶として長期間残ることになる。 * エーゲ海クルーズと吉田類の酒場放浪記 「オーシャンモナーク」というクルーズ船で一昨年にエーゲ海クルーズをしてきたが、まったく同じ船で、 同じコースをBS・TVで放送していた。 同じクルーズの再経験をしているようになる。 「一度いった旅行は、決して終わらない」というが、同じような経験を年中している。 同じ島に上陸しても違う場所や景色を見ることができる。追体験をしているようで、気持ちが豊かになる。 時間帯も違えば同じ景色としても風情が違う。 少し贅沢な趣味だが、それにしても価値は充分にある。 同じ時間帯に「酒場放浪記」を放映していたが、居酒屋にいるような気持ちになる。 以前は18時30分から放映していたので晩酌をしながら見ていた、居酒屋で飲んでいる気分だったが。 ・・・・・・・・・ 2595, 閑話小題 2008年05月12日(月) * シティーバンクが41兆円の資産売却の意味すること ニュースでシティーバンクが総資産の2割にあたる41兆円を売却すると報じていた。ということは、サブプライムローンで 同額位の損失をしたと考えてよいだろう。それが、世界全体の10~20%と見ても200~400兆円の損失と考えても 不思議ではない。シティだからこそ、それを売却して支える力があるから良いが、殆どの金融機関が無理だろう。 このことから考えられることは、世界経済が重大な局面に入っていることの裏づけになる。アメリカの株価が数年以内に 数分の一になるのは必定。それに伴い世界大恐慌とイメージするのは悲観的だろうか。このニュースは考えれば考えるほど、 恐ろしい先行きが迫っている意味を含んでいる。マスコミが、あまり深刻に報じていないのが気になる。 *大相撲が始る 大相撲が昨日より始った。 二人の横綱が体制になって面白みが少し出てきた。 上位の将来性のあるのは殆どが外人で、日本人は数人しか見当たらない。 ≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫ ・・・・・・・・・ 2007年05月12日(土) 2230, 人生張っています ?読書日記 それでは特に凄いウンコ話を抜粋してみた。オカマのマツコとの対談は、あまりにも凄いので掲載はひかえる。 「ニラを面倒なので、切らずに煮て食べた、そして・・・」 オカマでなければ言えない話である。 誰も長い人生で危機一髪か、近い経験をしているはず。 ただ言うか言わないかだが、 それを楽しんで話すところが異常? それを薄ら笑いを浮かべて読んでいるのも似たようなもの。 ある明治維新の立役者が、電車の開通の式典の後に乗った時に便意をもよおしシルクハットの中に急遽・・ の逸話がある。「あのバカ野郎!」は、アメリカでは「ファック、ユー!」だが、 日本は「クソたれ!」。それだけ日本人は、隠したがる恥になっている。 ******* サイバラ:ウンコ漏らした? うさぎ:私がね。自分ちの玄関で。玄関までは、何とか我慢したんだけど。 サイバラ:ああ、そういう時は玄関なんか見ると、括約筋が開きますよね。 うさぎ:開きますねェ~。全開してでしてねぇ。 サイバラ:全部出た? うさぎ:もぅ?、ボタボタと滝のように。しかも白のベルェサーチのワンピースを着てまして。 サイバラ:オオー、いい感じだ。 うさぎ:夏物で、初めて着たんですが、捨てました。夫はビックリしたみたいで、 猫と部屋に閉じこもっていました。 後始末は自分でしました。 サイバラ:私は片づけてあげたけどな。 うさぎ:そうなんだ、鴨ちゃんがウンコもらしたんだ。 サイバラ:コンビニで買い物をしている時に、急に変な歩き方になって。 満月の夜でさ。「フェー、かーちゃん、ウンコ漏らした」って泣きが入って。 「真夜中のカウボーイ」みたいになって。スェットはいててその下から、ボトボトって。これがまたぶっといの。 しょうがないから、コンビニの袋でウンコ拾ってあげて。泣いてる亭主の背中を撫ぜてやって、 「何時までこの坂は続くのやら」と自分で自分に言って。 ーーーー 斉藤綾子:そうだ、知り合いの知り合いなんだけど、すごいウンコ話があるの。 うさぎ:(身を乗り出して)はい! 綾子:首都高乗っていたら強烈な便意をもようして、どこかには入れるまで待てないって。窓開けてケツ出してやったって。 うさぎ:おおーっ!(拍手) 綾子:すごいでしょ?歴代ウンコ話では一番と思って。 うさぎ:男ですか? 綾子:女です。 うさぎ:ほほーう。 綾子:何人か乗っていて、「悪いけど、ちょっとウンコするって」と言って。 うさぎ:外から見ると、窓から尻が出ているわけですね。風にちぎれて水平に流れていくウンコですね。 綾子:後ろの車のフロントにパンッとかね。事故が起きたかどうかわからないけど! ーーー 解)そういえば数年前TVで、マグロ釣りをしていた梅宮辰夫が、もようして船尾で尻を海に突き出して???、 その直前まで写していたが・・・。先日のこと、ウォーキングの土手で便秘の犬が凄い格好で何をしていた。 その若い女性の飼い主が、その姿に真っ赤な顔をしていた。 ・・・・・・・・ 2006年05月12日(金) 1865, グーグル Google (。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ ー読書日記 この本の重要な要約部分がこの章に詰まっているので、さらに破壊戦略の意味を書き写してみる。 ーー 第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー4 さらに、驚くべきものが「グーグルブックサーチ」で、2004年にそのサービスをスタートさせている。 これは書籍の全文が検索でき、世の中の全ての書籍がグーグルから検索できるようにすることを目指している。 出版社がこのサービスに登録して、自社で刊行した書籍をグーグルに送ると、グーグルが全てをスキャンして電子化し、 グーグルのデーターベースに登録する。利用者が検索をすると、そのキーワードが含まれるページが表示され、 そこからオンライン書店の購買ページや出版社のHPにリンクする仕組みになっている。 ≪字数制限のためカット 2010年5月12日≫ ・・・・・・・・ 2005年05月12日(木) 1500, 人生の敗北者とはどんな人か??2 私の周辺でも、「人生の敗北者」の要素の強い人が何人かいる。「自分は純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽう、 自分以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちと信じて疑わない」という考え方の人である。「『無知』を起因としている」 と考えざるを得ないが、心のジャングルの中の暗い小道で、「知識」という光を持たないためである。 (字数の関係でカット09年05月12日) ・・・・・・・・・ 2004年05月12日(水) 1135、「ライフ・レッスン」?13 ー遊びのレッスン 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。何のために働くのかと問われれば、 遊ぶために働いてますと真から答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事をじゅうぶんできるために 遊ぶのです、と答えることが理想といえる。 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、 じっさいの時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊びである。 遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。 初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。 歩いて楽しいのだ。 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという記憶に残るのはやはり 無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代において、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。 ー抜粋 ・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」 と思い立つ。好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に 楽しむものである。 売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。 それは仕事である。 そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことに ゆがめていく人が少なくない。 ・面白くて、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、欲求を最大限おさえて生きていくなんて、 何ておぞましい人生だろう。遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。 しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に住んでいるのは何故かということだ。 ・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。 ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた必要なのだ。 ひとり取り残された時間でも、 気がついたらひとりになっていたでもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。 ーーー ー以前書いた文章ー ー遊びについてー 人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。 まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。 戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。 そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーニ。心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。 亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。 それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって亡くなった。 日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。 子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。 父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。 「遊び」を儒教的影響の為か、キリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。 子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。 ただただ無心に遊んでいた。 あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。 競争に打ち勝たなくてはならない。 その為に勉強もしなくてはならない。 しかしそれだけでは、それだけの人生だ。 それがクロなら、その対象の白が必要になる。 どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。 それを特に母の生き様から学んだ。 一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。 そして厄介な不安という心理がある。その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない「馬鹿な?生き物」である。 遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。そうすると、仕事も遊びになりうる?天才はその典型であろう。 あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。 何でも遊びの対象にした「遊び心」を。 純真の心を失っているからだ。 「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。 「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか? 私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。 純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。 その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。 それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。 パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。 「遊びになるまで集中する」という事か。 これから散歩だ! ーーーーーーーーー 2002/01/05 一人遊び 常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。 (字数の関係でカット二千八年五月十二日) ・・・・・・ 2003年05月12日(月) 768, 規制緩和 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。たまたまホテル業界は全くの規制がない世界。 その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく 装置産業といってよい性格がある。そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。 小売業をみてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。 一店舗を出店するのに多くの規制がある。そのために業界は出店が自由に出来なくなり競争が最小になってしまっていた。 既存小売店を守るためというより政治家と役人の?意味合いが強いものであった。ところが実際は既存の大手チェーン店の 利益を守るものになってしまった。それがダイエーやニチイや長崎屋の間接的な弱体化の要因になった。 現在西友の買収というカタチで、アメリカのウオルマートが進出をしてきたが、ジャスコとヨーカ堂が合併しても 太刀打ちできない事は自明である。規制ー許認可緩和が、いま日本が直面している典型的な基本の問題である。 その規制で権力と利益を得ている役人と政治家が、今だに権力に執着しているのが現状である。 それでも酒屋・タバコ・ガソリンスタンド・米屋などアメリカの圧力で規制緩和がなされている。 既存の業者は壊滅状態である。今でも多くが利権保持の圧力団体からの票と献金で規制緩和が維持されている。 それがこの不況の一つの原因になっている。経済を多くの規制でコントロールしようというのは社会主義的規制社会である。 大きな政府になりざるを得ないのである。しかし情報化社会はグローバル化を止める事はできない。 それは自由化、競争の激化をいみする。それに対応するには競争力をつけるしかない。規制社会はその力をそぎ落としてしまう。 その為には規制緩和をするしかない。いまの自民党を中心とした政府を潰さない限り不可能である。 野党を中心とした政府になっても大して変わらないだろう。しかしこの失われた10年を考えてみると、政 府が何回か交代をする必要であったのだ。他人事ではないが、新陳代謝が国も会社も個人も必要である。 ・・・・・・・・ 2002年05月12日(日) 404, 結婚と離婚ー3 ー夫婦というもの- 人生の永遠のテーマの為か、過去に多くのエピソードが多くのこっている。まずはソクラテスの妻は悪妻で知られている。 「哲学者になりたかったら、悪妻を持て」というジョークがある。徳川家康の築山御前は、愛人と謀反を企て殺された。 あと息子も殺してしまった。夫婦の間には、永年の間に底なしの泥沼になってしまう。 一時の熱で、一生後悔の人生を 過ごさなくてはならないのは、悲劇より喜劇といってよいのかもしれない。それが解ってたら誰も結婚をしないから、 「恋愛という高熱の麻痺」を神が創りあげたのだろう。誤解で結婚をして理解で離婚するのが、夫婦のある一面かもしれない。 といって一生の連れ添いは必要である。やはり生きていくうえでなくてはならない存在である。特に離婚した人や死に別れを した人を見ていると、そう感じる。やはり家庭ーそれも夫婦という基本形は大事にしなくてはならない。しみじみ感じる 年頃になってきたということか!「また生まれたらもらってね!」といって知人の奥さんが亡くなった。いい言葉だ。
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| 3333, 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民 |
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2010年05月11日(火)
ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著) ー6 * 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民 ここで小選挙区制度の欠陥を大前はシビアに指摘をしている ーそれをダイジェストに、まとめてみたー ≪ 2005年9月に「郵政選挙」で自民党は歴史的大勝を果たし、2007年7月では「年金選挙」で自民党は大敗し、 民主党が大勝した。そして去年の9月には衆院選挙でも、自民党は惨敗をきした。 2005年の郵政選挙は、 「郵政民営化に」賛成か、反対かの二者択一の選挙であった。年金選挙は、国民は民主党に勝たせたいという訳でなく、 年金の不祥事に自民党に「ノー」を突きつけた選挙。これも二者択一の選挙であった。 この二つの選挙で言えるのは、 争点が単純化できれば選挙は勝てることを証明した。さらに言えば、「国民は複雑なことは考えられない。 単純なことしか通用しない」ことが、二つの選挙で証明されてしまった。その時点で、郵政3事業はその歴史的役割を終え 廃止すべきであった。 道路公団も整理・廃止すべきものであった。小泉元首相は、歴史にも逆らったことをやり 国民のためのものでなかった。 改革と称し、その政策をほぼ官僚に丸投げし、つぶすべきである道路公団や郵政を 生きながらえさせたのだから、ほとんど詐欺。しかし国民詐欺行為を、国民は認識していない。 現在の日本国民は「〇」と「×」の標識の間を漂流しているに過ぎない。 標識の間を漂流しながら、 本当の答えは求めてもいないし、求める方法も知らない。 さらに、求めるための正しい質問もしていない。 これが日本国民の「知の衰退」の実態である。≫ 〜〜 現在の民主党政権の政策を国民が支持したのではない。 あくまで、自民党の長期政権にノーを突きつけただけ。 しかし連立の社民党や民主党内の隠れ元社会党の輩が、この時とばかりに時代遅れの社会主義政策を本気にやりだしたから、 とんでもない事態になっている。 これこそ、○×の標識の間を政策が国民と共に漂流している姿である。 それでは自民党に政権を戻せば、間違いなく土建屋的利権を復活してくることは目に見えている。 国家衰退は、全てがマイナスに働く。 どう立て直すのか、当分の間は迷走するしかないのか。 ・・・・・・・・ 2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4 2009年05月11日(月) * 時たま見かける恐ろしいオナゴ アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetc..見かけた「離れオバサン」。 「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。 群れから少し離れて一匹で居る「離れ水牛」で、 人間やジープを見ると見境なく襲ってくる凶暴な奴。 現地人が一番、恐れている水牛である。 一人参加か、時に二人参加だが、その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。 自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、他人の話は一切聞こうとしない。 もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。 その恐ろしいこと。 兎に角、その毒は強烈である。 独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・・ 独りの強さ、弱さを知り尽くしているから、どうもこうもならない。 「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、 何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。 親分肌の50代後半の独身オバサンは、毒の塊。10年は経つが、 今でも忘れることができない。老いた母親がいて、婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。 アフリカ専門ツアーの代理店に申し込みの電話をした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」 (えっ参加するの!)だった意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。面白い旅行には何かにマイナスがある。 旅行をしていると、その人の人生の一端をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。 人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 《貧すれば鈍する》ということ。 《鈍すれば貧する》も真実。 《鈍》は何とか努力で克服できるが?? どうも、そうでもなさそう? 結局、オヤジと同じで、 「我慢の人生を生きている」からである。「でも、多かれ少なかれ人は我慢の人生を過ごしているんじゃないか?」 もちろんお釈迦様が看破したとおり、四苦八苦の娑婆の中で過ごすのが人生である。 但し、その比率を努力や知識で 少なくすることが可能。それが教養ということ? 何か教養が足りない人生を過ごしてきたようだが?? オヤジ度と、オバサン度の高いのは、大嫌いなだけ。 「ちょっと! 離れオバサンなど、アフリカなど行かなくても何処にもいるよ!」 そうか・・・。 アフリカにぴったりなだけか! ・・・・・・・ 2594, 最高の人生の見つけかた 2008年05月11日(日) 昨日、「最高の人生の見つけ方」という映画を観てきた。期待した通りの内容で、「それ以上でも以下でもない」 というのが感想。死を宣告された末期がんの最後の死に様を軽妙に扱っているところが良い。 ーまずは、その内容を主観的にまとめるとー ーーガン末期の病室で知り合った70歳位の二人が、人生の最後の‘やりたいことリスト’を紙に書いているうちに、 意気投合して、それに基づき、残りの人生を生き生きと駆け抜けるストーリーである。 一人は ・哲学的、思索的でクイズ番組が大好き人間。 ・頭が良いが、妻が妊娠した為にやむなく学者志望を諦めて自動車整備工になった人。 ・妻一筋。浮気など無縁で、自分より家族を優先する。 いま一人は ・理論より行動の実践型で、仕事が趣味で一代で千億円という財産を作った。 ・プレイボーイ。結婚も3回したが、今はひとり。何より自分優先。 この対極にいる2人が同じ境遇で病院の同室に入ったことから物語は始る。 そして、その対極のある二人が、互い補完をしあって人生の最後を過ごす。 原題は「棺おけリスト」。 棺おけに入る前に、やりたいことを書き出す。 真面目な前者のリストの一部は「荘厳な景色を見る。 赤の他人に親切にする。 涙が出るほど笑う」 大金持ちのリストは「スカイダイビングをする。 ライオン狩りをする。世界一の美女にキスをする」などなど。 ーー 最近は、かなり際どいドキュメントがあるので、より軽いタッチの内容にホッとした。 「棺おけリスト」という言葉がよい。20歳前後に作っておいたほうが良いだろうが、差し迫らないと直視しないことである。 哲学は、その根本問題から問いを立てている。社会的な成功や達成など、「やりたいことリスト」の達成から見れば 些細なことでしかない、という事実を軽く表現しているところが良い。 それは人生の余白を埋めるリストでもある。 死は、この137憶光年の宇宙空間の外にでること。 本人にとっては消え去る、なぞというほど甘くはない。 生まれる前のことなどと気休めを考えても仕方が無い。同じようなことだが? 私の墓には 「死んでしまえば、それまでよ」 と書くつもりである?? 父親の口癖だった言葉だ。まあ、このHPも墓のようなものだが。 ・・・・・・・・・ 2007年05月11日(金) 2229, 人生張っています ー2 (σ・з・)σオハYO!! 『人生張ってます』 ー読書日記 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い! ーー さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。「私はそれなりに地雷を踏んできたなと 思っていたが、世の中には私の踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。 30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。 ≪以下字数制限のためカット2010年5月11日≫ ・・・・・・・・ 2006年05月11日(木) 1864, グーグル Google -4 ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ ー読書日記ー 第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー3 そんな中、グーグルがサン・マイクロシステムズと提携した。この提携が注目されたのは、サンが「オープンオフィス」 という無料のオフィスソフトを開発していたからだ。マイクロソフトと対抗し続けてきたサンは6年もかけて、 これを開発続けており、完成度もナカナカのものだったが、一般の普及には失敗していた。 マイクロソフトの牙城を突きくずすことはできなかったのである。マイクロソフトが3^5万したものが、 無料でも突き崩せないということは、いかにマイクロソフト社の市場制覇力が強いかだ。しかしサンがグーグルと 手を組むとなると話は違ってくる。その強力なAjaxをつかってオープンソフトを改造すれば、そしてネット上で 気楽に使えるようになれば良い・・と、人々は期待した。しかし実際の発表の場では、その話は出なかった。 ここにきてマイクロソフトも、危なくなってきたのである。 マイクロソフトはウィンドウズにオフィスソフト付けてを高値で売って、膨大の利益を上げてきた。 それに対してグーグルは、すべてのサービスを無料で提供し、マイクロを駆逐しようと躍起になっている。 ー「グーグルネット計画」ー グーグルは2005年10月に、米サンフランシスコ全域に無料の無線インターネット接続を提供する計画を発表をした。 家庭やオフィスで使われている無線ランのアンテナをくまなく張り巡らし、 市内だったら簡単にインターネットに接続できるようにしてしまう計画である。 日米どこでも、通常インターネットに接続しようと思ったら、接続業者と契約をして、 月づき数千円の利用料金を支払う必要がある。これが全て無料になり、しかも無線を使うことによって住宅に 回線を引き込む工事も要らなくなるのだから、この発表は驚きである。 さらに、このプランはサンフランシスコだけでなく、全米に張り巡らせる計画があるという。 こうなると、これまでの有料でインターネットを接続を提供してきたブロバイダや電話会社、ケーブルネットワーク会社などに、 誰も金を払わなくなるということだ。これはアメリカの通信業界を、根底から破壊してしまう可能性がある。 グーグルの狙っている広告ビジネスの戦略は、全国を張り巡らせる中継アンテナにある。 どの利用者がどの中継アンテナを使ってインターネットを使っているかは、グーグルからみれば把握可能である。 その対象に、絞った地域密着的な広告が可能なる。例えば、あなたが神楽坂に住んでいるとしよう。 あなたが仮にグーグルネットを利用して、新宿区神楽坂6丁目の電柱から半径数百メートルの範囲に住んでいることを グーグルは把握する。また接続サービスを契約する際に、さまざまな個人情報を登録するから、あなたが年収600万の ビジネスマンで、妻と小学生の子供が二人いることも知っている。趣味がドライブと映画鑑賞であることも知っている。 一方グーグルは、ありとあらゆる広告主を集めて、それらの広告主の広告を配信している。その中にもちろん 自動車メーカーや化粧品会社、果ては近くのスーパーマーケットや、個人の商店や信金なども広告主として契約している。 これらが普及していけば、折り込み広告が消滅していくだろう。 折り込み広告が将来的に駆逐されることになれば、新聞社の存在の基盤が揺るぎかねない。 ーつづく ヾ(^ω^*) バイ ・・・・・・・・・ 2005年05月11日(水) 1499, 人生の敗北者とはどんな人か ー1 「人生の敗北者とはどんな人か?」という項目が,ある本にあった。 読んでいてドキッとする内容で、誰かに?ピッタリ当てはまるから恐ろしい。 知人の?0?は当てはまる?(但し、このHPを見ている人にはいないが?)しかし他人事ではない、 自分の影の一部分でもある。 自分の中にも?0?か、存在している。 だから面白い内容なのだが。 ーその一部を抜粋してみるー 人生という戦いのなかで敗北をつづけている人たちは、とても容易に他人の誤った行いを攻撃します。 彼らは、周囲の人たちのずるい行いや裏切りがなかったら、自分は素晴らしい成功を収めていたはずだ、 大金持ちになっていたはずだ、大きな名声を収めていたはずだ、などと考えて、それを自分のみならず、 他人にも信じさせようとして、ヤッキになっています。彼らは、自分がどんなに騙されてきたか、利用されてきたか、 評判を落とされてきたかということを、いつも口にしています。彼らに言わせると、彼らは純粋無垢で、誠実で善良な 人間であるいっぽうで、彼ら以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちです。 彼らは言います。 「もし僕が、他の人たちと同じように身勝手であったならば、どんなに繁栄し、どんなに大きな名誉を手に入れたことか。 僕の人生が思い通りに行かないのは僕が善良すぎたからだ」 人生の敗北者とは、人間の本質を宇宙の善性に対する信頼を 完全に失っている人たちです。彼らは、他人を見るときは悪いものを見るための目しかもちません。 いっぽう、彼らが自分のなかに見るのは、苦悩する清らかさのみです。 彼らは、自分のなかで悪いものを見る意思は全くありません。彼らにとって、悪いのは常に他人なのです。 彼らの心の中で、卑劣な悪魔を人生の統治者の地位に祭りあげ、外側の世界でくり広げられている「身勝手な奪い合い」に ばかり目が奪われています。その世界では、善はつねに押しつぶされて、悪ばかりが勝利を収めているのです。 彼らは、彼ら自身のおろかな行為や無知、弱さなどには全く目を向けません。その運命を決定付けている不正義のみです。 このような、心の誤った性癖を、根こそぎ、捨て去ってしまうように努めなくてはなりません。 彼らこそ、不誠実さや、身勝手こそが、成功する為の最高の武器と信じているのです。 「悪のほうが善よりパワフルであり、悪人の方が、より素晴らしい人生を歩むことができる」 などと信じているのです。そういう人間こそ、悪の要素と関わり続けているのです。 多くの人たちが悪、無秩序、不正義を見ている場所で、善、秩序、正義を見ることができません。 つづく ・・・・・・・・ 2004年05月11日(火) 1134, 「空間歩行」 ・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、 本部に一年通った。創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。合気道でも柔道でも、基本は受身である。 転びかたや受身を徹底的に教えられる。「転びかたは、起きることを意味する」のだ。ボクシングも、殴り方よりまず 防御などの受け方を叩きこまれる。負け方ということを知らないと、恐れが先立ってしまう。戦前の日本の姿がそれであった。 負けは勝ちの背後になくてはならないのだ。武蔵は自分の弱さ限界をしっていた、勝つことより負けないことを考えて 戦略をたてて闘った。勝負師はそれを知っている。話は変わるが、柔道の三船十段の「空間歩行」というのが意味深である。 ー土や畳の上を歩くから倒される。ならば、土や畳の上を足で歩かず、腰で歩けばよい。重心が腰にあるから、 足で払われても倒れない。相手の足と自分の腰が同じところに意識があるから当然倒れないのである。つまり「空間歩行」である。 ー物理的な空間でなく意識的な空間をいっている。ここから更に、相手の倒し方に話になるが、内容が濃くなる。 「私は足で歩かないから、体を持ち上げられて足が地から離れても、どうされても、腰が体を支配しているから何ともない。 つまり倒れるということは頭が下がるということです。だから相手を倒すにも地面へ投げることばかり考えないで上へあげる。 その結果は落ちる・倒れるということになるのです」ー相手を倒そうとするのではなく、自分の腰と相手の足と 同位置まで相手の重心を上げておいて、その次に落とすと相手が倒れる。ここまで考えるのに、一日かかったが。 ・・・・・・・・ 2003年05月11日(日) 767, 不動産屋と喩え 不動産屋は情報産業そのものである。暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。 強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、このテーマとは関係ないが。 財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、 住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。この不動産業業者に特性がそれぞれある。 野球のバッターに喩えると解りやすい。ホームランバッタ?、ヒットバッター、 バンドバッター、ピンチヒッターとかそれぞれが専門化されている。 その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。 ・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4?5億の手数料が入る。 しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。 ・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。 一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万10年でも8千万でしかない。 それも色いろな苦情もアフターフォローで必要になってくる。 ・住宅の売買手数料は2塁打というところか。 街の不動産屋は奥さんがヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。 彼等は意識しようがしまいが、その情報で飯を食べている。彼らの中にはトンビという役割役もある。 自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。お客の中には餌だけをとって逃げる奴もいる。 しかし不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。 さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。 株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。 その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。 調子がよくって、ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。以前の保険屋の世界に似ている。 漁業にも喩える事ができる。近海漁業、遠海漁業。一本刷りに川釣り、海釣り男女の互いの獲得の方法論と同じ。 ・・・・・・・・・ 2002年05月11日(土 結婚と離婚ー2 ー夫婦というもの お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。 それを考えると結婚が上手くいく確立が50?というのも肯ける。 その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、どうにもならない状態に陥ってしまう。 夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。 これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。 そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、自分のない部分を相手に求めるからだ。 上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと逆に全く性格の不一致になってしまう。 家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。 そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。 40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。人類最大の課題である。 ・・・・・・・・・・ 2001年05月11日(金) 連休あけの顧客動向 連休あけの出だしはその期の売上ー景気動向を図る意味でおおきい目安になる。 悪い!先行き不安の出だしである。どうなっているのだろう?今期と来期は競馬と サッカーで一応目安はたつているが、それにしても今週は悪い。ここで各会社が益々 経費節減を徹底してきたのだろう。新幹線も今週はひっそりしていた。ここで大型 倒産が出るだろうと思っていたが出なかったのも無気味だ。
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2010年05月10日(月)
ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー 大前研一 (著) ー5 * 全然人種が違う「携帯世代」 この7〜8年で、ブログと携帯電話が、我われの生活を激変させたといってよい。 携帯電話とブログが、これだけの機能を持つとは驚異的といえば驚異的である。 さらに、ミニブログのツイッターと、iPadなどが爆発的普及を始めようとしている。 第二次大戦後の電話とTVの普及から始った情報革命がデジタル化などで、人類そのもののあり方を変え始めた。 情報端末によって、その世代の性格、能力まで既定をするほどになっている。で、次は携帯電話世代である。 ー まずは、その部分を抜粋してみる ー ゲーム・キッズに続く世代が、この章の冒頭で述べた、いわゆる「ケイタイ世代」である。この「ケータイ世代」は、 これまでの日本人とは、また全然人種が違う。 この世代の特徴をひとことで言えば、彼らは私たちの見えないもの、 私たちの見ていないようななものを空想できるカは持っているが、まったく無欲だということである。 たとえば彼らは「モバオク」や「モバゲータウン」を平気で信頼して、モノを売り買いしたコミニティを形成したりしている。 これは上の世代からすると、ある意味信じられないことだ。 ここまでサイバー空間を無条件に受け入れることは、おそらく、 私たちにはできない。 10年前に携帯電話が普及し始めたころ、誰が、ここまで携帯が進化し、私たちの日常生活に入り込むと 考えただろうか? それが、いまやメール、ネットアクセス、テレビ視聴、ゲーム、写真、動画の撮影や交換、スケジュール管理、 ショッピング、切符予約・購入、決済など、全てがケータイで済む時代になった。 前記した「モパオク」だが、 これは2004年にディー・エヌ・エーが立ち上げた携帯電話からのオークションサイトで、売りたいものをケータイで撮り、 DenAのサイトに送るシステムである。現在では1日1600万のべージビューがあると言い、その利用者の6割以上が女性という。 また、その後導入されたケータイゲームサイト「モバゲータウン」は1日2億ページビューがあるというから驚く。 忘れてはならないのは、この携帯文化は日本特有のものということである。外国は、せいぜいチケットやメールくらいである。 〜〜 さらに、これが進化してパソコン機能まで付いたモバイル携帯電話に変化を始めてきた。それと兄弟的機能を持った iPadが次の主役になるのは間違いない。現在の5〜10歳の子供たちは、ツイッター・iPad世代と、 後々になっていわれるだろう。 「情報機器からみる世代分類」というテーマを立つ。それは、後のテーマにする。 いずれにしても、別世界が出来てしまったのである。 ・・・・・・・・ 2957、世界はパンデミックに入ったのか! 2009年05月10日(日) 新型インフルエンザの拡大が、警戒「5」に入ったが、近々に最悪の「6」が宣言される可能性が出てきた。 今のところ鳥インフルエンザのような猛毒ではないが、世界中に拡大していく中で猛毒に進む可能性が大。 日本も初の感染者が出たが、新型インフルエンザの進入自体は避けることはできない。 数ヶ月は日本中でモグラ叩き騒ぎで持ちきりになる。 最悪のケースで4000万人が感染するが、 それより感染拡大の過程でインフルエンザの毒性が強くなることである。 もし日本に上陸すれば個人としても防禦体制に入るしかない。 通勤は車にして新幹線は乗らない。昼飯も当分は弁当か、カップヌードル。 スーパー、百貨店は避ける。 部屋から出たらマスク着用。 生死を賭けたサバイバルの様相を浴びてくる。 それより刺激的なのが、HISの広告である。 ・添乗員付きでイタリア5都市、8日間で、チャージ料込みで10万円。 オーストラリア、6日間で、 10万円。 ・ソウル、グアム、香港、台北、それぞれ3日間で、チャージ込み 1・5万円 ・バリ島5日間で、3・5万円 ・ハワイ 5日間で 4・5万円 目を疑うほどの安さだが、行く方も命を賭けたツアーで、見ている方もみが沁みる! 何処もかしこも、恐慌の最中で瀬戸際立っているところに、もし国内で数百万の死者が出るようなパンデミックが 出るような騒ぎになったら、大部分の企業は存続の危機になる。それが半年、一年後に生じる可能性があるというのだから、 世界中が、いや日本が震え上がるのも当然。この金融危機が発生した時、知人に「これは第二次世界大戦の 10倍規模の破壊が起こる」と直感的に言ってしまい、過激すぎるかと思っていたが、そうでもなさそうだ。 何か金融危機を、他の危機をつくることで、注意を向ける策謀という仮説を立てると、丁度良いタイミングというのが気になる。 それもアメリカ国境近くで発生するとは? ハリウッドの陰謀映画の見すぎか ・・・・・・・・・ 2593, 閑話小題 2008年05月10日(土) *地元スーパーの社長の死 地元長岡のスーパー原信の社長が亡くなったと、新聞で報じていた。40数年前に、セトモノ屋をしていたが、 先代と供にスーパーを立ち上げ、一部上場までもっていった。20年ほど前に胃癌になったと聞いていた。享年73歳。 チェーン理論を教える「ペガサスクラブ」のセミナーでよく、顔を見かけていた。 30年ほど前に会計事務所の所長の紹介で会ったことがあった。40過ぎの温和な人という印象が残っている。 スーパーを立ち上げた直後に私の父親のところに創業を供にした先代の父親と供に、衣料品の仕入れ先とか、 産地とかを聞きにきたと父から聞いたことがある。 ・・・私には関係ないことだが。 何時も人様が亡くなると思うことだが、仕事の質量より、どれだけ人生を楽しんだかを推し量る。 あまり楽しい人生ではなかったように思えたが、それは私の想像でしかない。 しかし、生きていることが90%、それをフルに利用して多くを学び、楽しむことを加えれば99%の価値がある。 他人様の死は、そのことを自戒させてくれる。 弟と供に途中まで会社を伸ばしていたが、子息が大学から卒業するあたりを狙って追い出したのは驚いた。 その前後に、弟と故人は二人とも癌で倒れた。 そして大よその20年後に鬼籍に入ったのである。 その弟の方が余程、人生を味わったと思われる。 所詮、他県に行けば聞いたことのないスーパーに全てを捧げるより、 弟が実践した(ハワイあたりで、読書三昧)方が良いに決まっている。それを2人が一番感じていただろう。 死ぬときは生きてきたとおり死ぬものである。 ストレスも溜まってきたことだし、そろそろ海外でも行くか! *人生とは自分の物語を生きること 振り返ってみると誰もが自分歩いてきた道が見えるものである。 そして、その足跡が自分の人生であり、それを語ることが自分の物語になる。 常に自分の心の中で内省をして、自分の生きてきた跡を見つめ、そして現時点の位置を確かめて、 何処に行こうとしているか考える必要がある。 最近になり、知人の死を見るにつけ、その人の物語を 想像しながら、自分のことを振り返ることが多くなった。それと哲学書を読んで、己の人生を付き合せてみると、 喜劇的物語に気づく。自分が経験し、乗り越えたことしか物語としての場面は無いのである。 そこにいる己は喜劇的な卑小な人物でしかない。自分の物語、それは平凡な至近の日常を見逃してしまいがちになる。 いや、平凡な日々の細部の素晴らしさの織り成す味わいに慣れてしまう。 自分の物語、そんなものと簡単に切り捨てることができないから厄介なのである。 ・・・・・・・・・ 2007年05月10日(木) 2228, 「多財布」家計 ヾ(?o?o)ノ 【ぉはょぅ?】 先日の日経新聞に、「総働き家族」“富山にはなぜか富がある!?”という記事があった。(日経新聞07.05.04朝刊1面) ーまず、その記事を要約すると、 *日本一豊かな家計の秘密は「総働き家族」の風土と環境・・ ▼「平均月収」71万円=日本一 ▼「消費支出」40万円=全国二位 ▼「こづかい月額」4万5千円=日本一 ▼「平均預貯金残高」569万円=全国七位 その秘密は一家の「多財布」という。 (*'-'*)ヾ(*'-'*)ヾ(*'-'*)ハ 女性の常用雇用率は全国一位の66%で、全世帯の6割近くが共働き。 日本では家計に占める世帯主収入の割合が82%だが、富山では62%。 配偶者や他の世帯員の収入が異常に大きい「多財布」家計になっている。 富山の女性は働くのが 当たり前で、家にいると『体が弱い』と思われる。 子供は姑が見て、働けば旅行など楽しみも増えるという考え方。富山は三世代同居が世帯の2割もいる。 日本型家族制度という昔ながらの伝統が、逆に女性の社会進出を支えている。 化学や金属加工など産業が盛んなことも女性が働く風土を育てている。 富山市は昨年「運転免許証を返上すれば2万円給付」という制度を始めた。 対象は65歳以上だが、市が高齢者と若者の住まいの交換を仲介する。 高齢者は車が必要な郊外の一軒家を出て中心市街地に引っ越し、空いた家は子育て世帯に貸す。 所得に応じ月1万円の補助も出す。 ーー 以上のことからみて、県民性が堅実な働き者家族で、これからの日本の家庭のモデルともいえよう。 私の知人に夫婦で都合、年収1600万の人がいる。長男で家を継いでいるので家賃やローンもないので、 非常に豊かそうだ。 下手をすると、本社の重役より豊かな生活を送っているようだ。 以前、ある知人から「サラリーマンの三ランク」を聞いたことがある。 ・家持ちの人(親から家を受け継いでいる人)で、妻がキャリアの収入の多い人か資産家娘で、二つの条件が揃っている人。 ・二番目は、そのどちらかの一つの条件の人。 ・最後は、いずれもない人という。その知人は三番目だが、「奥さんが少し稼いでいて良い方だ」と言っていた。 一番目でも、その分、奥さんが威張っていて家では頭が上がらないし、 三番目でも奥さんがシッカリしていれば、それなりの生活もできる。 二つが揃っていても、旦那に問題があれば、全てを失うケースもある。 兄姉が7人もいて、従兄弟も40人もいるので、色いろなケース見ている。 金が全てではないが、一朝一夕で収入源の確保や資産形成は出来ない。 外国並みに日本もなっていくしかないのだろう。子供の頃、『共働き』という言葉があったが、 今はそれが当たり前になったためか、死語になったようだ。 ホナナァ☆ |∀・`@)ノ|Ю ・・・・・・・・ 2006年05月10日(水) 1863, グーグル Google -3 +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ ー 読書日記 第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」?2 ーグーグルニュースの凄い意味ー 以下、字数の関係でカット2,008年05月10日) バイ♪(ノ´∀`*)ノ ・・・・・・・・ 2005年05月10日(火) 1498, 男と女ー4 携帯電話とかパソコンで気楽に?意思交換ができるようになると、以前のようなワクワクするようなイメージが お互いに湧かなくなる時代である。それでも性の違いによる違いに驚く。 大本教の出口王仁三郎の書に面白い話が載っていた。もう35年前になるが鮮明に憶えている。 ーまず初めに女性を自分好みに美しく創られた。神様は非常に女性に優しかった。 女性は、毎日幸せに暮らしていた。 鳥は女性の美しさを称え鳴いていた。 蛇は女性の身体を快楽に満たしていた。たくましい生き物が自分を守っていてくれた。 猿は果物を木から取って持ってきてくれていた。ある日、その女は何か満たされないものを感じた。 そしてあることを思いついた。「この動物たちの全てを一つにした自分のような生き物を創ってください」 と、神に頼んだ。 そして、神は男を創ったのである。 ーー 以上である。だから本質的に女性は威張っているのだ。我侭で、かつ神様に男より愛されている生き物である。 そうとも思わないと、彼女らとは上手くはやってはいけない。 ある本に偉大な女たちの一言が載っていた。女こその言葉を、多く見ることができた。 ーー ー偉大な女達の一言ー 人を導くことはできる。しかしそれは、彼らが望むところまでであって、あなたが望むところまでではない。 ージャネット・ランキン(アメリカ下院議員・1880?1973年) ≪字数制限のためカット 2010年5月10日≫ ・・・・・・・・・ 2004年05月10日(月) 1133, 中坊公平氏の「後輩に与える言葉」 正義感から強引に詐欺的な債権を取り立てて、逮捕直前までなって消えていった、 弁護士の中坊公平氏は誰がみても真っ当な正義の人であった。 その彼の「後輩に与える言葉」が素晴らしい。 一、正面の理 二、側面の情 三、背後の恐怖 人生で前向きで生きていこうとした時に直面する正直な気持ちである。 考え抜いた彼の言葉であろうが、背後の恐怖という正直な表現がよい。 これが正面の理も、側面の情も、強くしてくれるのだ。過去のどの場面をとっても、結局はこの三つの バランスの上で成り立っていたように思える。現在でもまったくおなじ状況といってよいのだ。 人生は突きつめれば、背後の恐怖の死が待っている。そこに哲学としての正面の理が出てくるし、 側面の情念が色濃く囲むのだろう。私なりに、これを人間的弱さに言い換えると 一、正面の利 二、側面の状(況) 三、背後の恐怖、 になるし、これが一般の人間の姿であろう。経営も、そのものずばりである。 ーーーーー 2004年05月03日(月) 1126, 「ライフ・レッスン」?9 ー恐れのレッスン 秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。 その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、恐れを乗り越えることができた。 初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と 脅されたきたという。インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。しかし一度飛行機に 乗ってしまえば腹が据わる。そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。 いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。 恐れのプラス面は、万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。 未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ! 人間ができることはそれしかない。積極とは、極みを積むことである。極みは、自分の限界のラインにたつことである。 積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。恐れは自分の壁に対する 自分自身のレッスンになる。すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、こころを上からみる魂の視点になる。 ー抜粋ー ・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやってくる。 恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。 大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは恐れとその波及効果への対処に費やされている。 恐れはすべてをさえぎる影である。愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。 私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか? ほとんどはおこらないのだ。それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。 (--以下は字数の関係でカットしてます。) ・・・・・・・・・ 2003年05月10日(土) 766, いまスナックでおきていること いま人気の店は、とにかく安い店である。 ・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。 ・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。 ・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、きめ細かく回している。大体基本が、このパターンである。 以前も書いたが銀座ママのホームページをみたら、銀座クラブの価格破壊を売りにしていた。 値段が銀座相場の三分の一であった。商品価値を落とさずに如何にコストを下げるかを考えぬかなくては不可能な事。 以前よく通っていたスナックが潰れそうだという噂が入ってきた。 その店はバブル期に小さな店から表どうりの家賃の高い?ビルに高級店?を開いた。それ以来ほとんどいかなくなった。 やはり高くなったので、それまでの常連客に逃げられてしまったと他の店のママが言っていた。 5?6年前に古町のよく通っていた店から、閉店の挨拶の葉書が来た。 半年後に店の前を通ったところ、店がそのままあった。てっきり代替わりをしたと思っていた。 私の知人で飲食コンサルタントに聞いたら「実をいうと最終日にその店に行った。 そこで何故止めるのか聞いたところ、赤字になってきたのでやめるという。 経費を聞いたら家賃が半額なら何とかやれそう?。そこで「駄目もとでオーナーに交渉してみたら!」と進言したという。 ところがオーナーがその条件をのんだので、そのまま営業を続けているとのこと。 エレベーターが無いビルの3階にあり、半額でもテナントが入りそうもない場所で、条件をのみざるを得なかったのだろう。 初期投資をいかに少なくして、ランニングー営業コストを下げて、値段を安くした店にお客が行く。 スーパーでも家電チェーンも全く同じである。私が見ていてこうすれば良いのにと思うのはー90分で男2500円、女2000円。 その後30分単位で500円をプラスする。それを何気なく値段を表示しておく。 そして一人でやれる範囲にしておく。 もちろん居抜きの安い物件を焦らずさがすことだ。これは業種より業態への転換である。 そのために如何したらよいか商品ー酒・ツマミを組み立てる。これがなかなかできないが、実際やっている店がある。 スナック談議の一節! ・・・・・・・・・ 2002年05月10日(金) 402,結婚と離婚 現在離婚は4組に一組という。家庭内離婚も半分?はその状態という。 そうすると上手くいく結婚の確立は(相性)は、五分五分ということになる。厳しいことだ。 やはりこの世は不幸で満ちているのか? そうとも思えないが。私達はまあ上手くいっているうちだ。 そうでなくては海外旅行を一緒に24回もできない。旅はカスガイの部分があるが。 旅行は8日から15日間にわたり24時間一緒だから厳しい。お互い同行者と割り切り、一線を引いておく事だ。 私の場合の結婚生活で守っている事は ・お互いある一線を越えないこと。(浅くて広い川があるー溝ができようがない) ・外部のごたごたは絶対に持ち込まない事。 ・会話を絶やさない事ーお互いの話しを聞く事。 ・長女と末っ子の組み合わせが良かったが、その特性を生かす。 結果として、長女的視点で(一段上の視点)見守ってもらう。 ・美点凝視。 スナックのママなどは、離婚経験者が多い。みていると一人で生きていくことは本当に大変だ。 知人でも何人かその経験者がいるが、そう甘くはない。特に長期連休など、何の取っ掛りがなくなり、 孤独地獄に落ちてしまうらしい。あとは女1人、男社会で生きていくのはそう甘くはない。 考えてみれば、人生の一番の難題かもしれない。でも乗り越えなければならない難題である。 ある姉が言っていた「結婚は一生の大事業だ」 相性の悪いのもどうしようもない事だが。 ・・・・・・・ 2001年05月10日(木) お勧めホームページサイト 字数の関係上カットしてます。
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| 3331, 「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがあるが・・ |
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2010年05月09日(日)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー4 *「ゲーム・キッズ世代」は、まだ見込みがある ーまずは、「ゲーム・キッズ世代」の部分からー Pー262 「少年ジャンプ世代」に続くのが「ゲーム・キッズ世代」である。「任天堂キッズ」「プレステキッズ」と言ってもいい。… ただし、このゲーム・キッズというのは、その世代の主流ではない。「少年ジャンプ」に熱中するよりはゲームに 熱中した世代ということでこう命名しただけだ。 この世代の先端は、すでに三十代半ばになろうとしている。 この「ゲーム・キッズ世代」は私が見たところ、「少年ジャンプ世代」よりはマシである。 ゲーム・キッズ世代は子供のころから、ロールプレイングゲームをやってきた世代だけに、とにかく、 何かをしてやろうという挑戦するメンタリティをもっている。 ロールプレイングモデルのいいところは、 少なくとも勇気を持って「新しいドアを開ける」「未知の世界に通じる洞窟に入る」などの選択をしなければ、 物語が進まないことである。 とはいえ、この世代は粘りがない。ゲームの展開が思わしくなくなるとすぐに、 ‘ゲームオーバー’させたくなる、つまり「オールクリアーしたい」と思ってしまうのだ。・・・・ この世代で活躍している人間を見ると、たとえばアメリカやインドに負けないIT人材が輩出されている。 彼らは日本のゲーム産業をつくった世代であり、「ウェブ2・0」の適応力はこの世代が一番高い。 彼らはネットの世界を通じて世界観を確立、これを本格的に利用した初めての世代である。 したがって、現在のサイバー社会に対する感覚は、世界でもトップクラスである。これは自明のことで、たとえば、 ここで30歳と45歳を比べてみれば一目瞭然である。30歳の多くは、12歳ごろからパソコンを始めているから、 パソコン歴は15年以上になる。 つまり、人生の半分以上を、パソコンといっしょに暮らしてきた。 一方の45歳は、30歳ぐらいでようやくパソコンを始め、メールを使い始めたのがここ7、8年。 ワードでの文書作成や ネット検索などを経て、最近4、5年でようやくエクセルやパワーポイントを使えるようになったレベルだ。 この両者のどちらが、いまのビジネス社会に対応できるだろうか? こう考えてみると、いまや若い人間が年上の人間の「先輩」 になる下克上の時代であることがわかる。 IT化によって古いスキルは廃れ、どんどん新しいスキルが必要とされている。 〜〜 それぞれの年代別の特徴が入りこんでいるから複雑だが、漫画からゲーム・キッド、そしてパソコン、携帯と、 IT化が、それぞれの世代の性格を微妙に変えている。この次の世代が携帯である。それは次回になるが、 ここでは、まだ書いてないが、ブログ、ツイッター世代、そしてiPad世代という括りも出てくるはずだ。 ・・・・・・・・ 2956,マッピングする視点 2009年05月09日(土) ある本に「マップする視点」という言葉があった。グーグル・アースが出来てから 《誰もが何時でも、宇宙からの写真を気楽に見ることが可能になった。》気楽にマッピング出来るのである。 「秘境ツアーにはまって世界中を憑かれたように何ゆえに行ったのか」というと、ストレスの発散であった。 軽い痴呆症の母と同居して、ストレス発散をしないと家庭が壊れるという危機感を持ち、家内と年に2〜3度、 秘境旅行に行くことで何とか乗り越えることが出来た。 自分の存在を異質空間に移動して実感として マッピングすることで、その時点の「今、ここ、自分」を括弧にいれ、旅行のストレスと相殺することだった。 遠くから「極限に近いストレス」の生活を眺めることによって乗り越えようとしていたのだ。 アフリカや南米の遠くからマッピングする視点を、自分たちの支えにしていたのである。 これが空間的なマッピング体験である。 ーーーーー―――――― 次に哲学に凝ったのである。初めは「ソフィー世界」など軽い哲学史から始めた。同時に哲学書入門。 学生時代には体験が少ないため、さっぱり解らなかったことも、経験の積み重ねで解ることが多いのが哲学である。 ギリシャ哲学から近代哲学、そして現代哲学を入門書を中心に読み漁ったのである。 その気になれば、ビジュアル哲学書などが、難しい話を砕いて誘導してくれる。 現在考えている自分は、ギリシャ時代から現在に至るまで、どういう経過をもって、このような思想の中にいるのか? 現在の自分は、時代の、思想の編み目にいて、どのような機能を果たしているのか。 そして、60年あまりの時間の中で、どの様な学びをして、結果としての現在の自分があるのか?・・・等々。 これが時間的なマッピングである。 ――――――ーーー そうこういっても、死んでしまえば数年もしないうちに忘れ去られてしまう小さな存在。 でも、人間は考えるがゆえに動物とは違うのである。 この十数年間は「時間、空間をマッピングすること」に費やしてきたといえる。 「グーグルアース」は地球だけでなく宇宙の星星に対するマッピングが可能な代物である。 この随想日記を8年の間、書き続けてきた。そして毎日、「8年間の同月同日の文章」を読み返すことは、 時間のマッピングであり、それぞれの日々のマッピングといえる。 これが主観マッピングである。 ・・・・・・・ 2592, 日本の国民皆保険は世界に誇るシステム! 2008年05月09日(金) 文芸春秋の4月号に、「日本の国民皆保険は世界に誇るシステム!」とあった。 当り前と思っていた日本の健康保険が進んでいる事実を初めて知った。 年間33兆円に上る国民医療費は、対GDP比でみるとOPEC30ヶ国中21位と高くない。 しかし、その質的レベルからみると世界に誇れるシステム。 それぞれの国によって、多くの規制があり、日本のように彼方此方の医者に気楽に行けないという。 ーまずは、その部分を書き写してみたー ーーー 医療技術、たとえばがん治療は世界でも最高の水準を誇っている。しかし一方で、納得できる治療を受けられずに 複数の病院を渡り歩く「がん難民」もあふれている。06年に近藤正晃ジェームス東京大学特任准教授らが、 がん患者1168人に対して行ったアンケート調査の結果、「治療説明時に不満、または治療方針決定時に 不納得を感じたがん患者」が53?を占めた。これを日本のがん患者128万人にあてはめれば、68万人が 「納得できる治療を受けていない」ということになる。保険証一枚あれば、いつでも、どこでも、誰もが平等に 医療を受けられる「フリーアクセス」を、日本の患者は当たり前に享受しているが、これはどこの国にでもあるものではない。 1961年に始まったこの目本の「国民皆保険」は、じつは世界に冠たる医療制度なのである。 たとえば、イギリスでは地域の家庭医に患者が登録され、その医師の紹介なしには勝手に病院や専門医に 行くことはできない。いっぽう病院は、手術患者の待機期間が長く、手術まで半年以上待たさることもある。 アメリカには日本の健康保険のような公的制度がない。あるのは民間の保険会社が販売している医療保険だけ。 かけ金や契約内容によって、受けられる医療の範囲が決まってくる。 専門医にかかりたくても、保険会社の指定する病院にしか行けないケースもある。 民間の保険だから加入する義務はなく、事実アメリカでは4700万人が無保険で生活している。 加入したくてもできない低所得層救済のためにメディケイ下という医療保険制度があるが、これは実質上、 生活保護に近いものだ。いま、日本で行われている医療制度改革は、超高齢社会の到来をにらんで、 医療費の抑制を図ろうとするものである。患者の窓口負担は数年ごとに引き上げられてきた。 従来出来高払いだった診療報酬に、疾患ごとの包括払いが導入され、医師は高度の医療がやりにくくなった。 ーー 海外旅行に出かけるときの必須の知識は、保険に入ることである。国によっては膨大な金がかかる。 日本にも良いところが幾らでもある。最近になって物騒になってはきたが、それでも治安も日本は最高水準にある。 治安と医療体制は、生きていく上で根幹の問題である。我々は、悪くなってきたとはいえ素晴らしい国に住んでいる。 ・・・・・・・・・ 2007年05月09日(水) 2227, 人生張っています ー1 (*´・ω・)ノおはよー ー 読書日記 「中村うさぎ」については、もういい加減にしろ!と思いながら、図書館で見つけると、つい借りてしまう。 エゲツナイ!の一言である。「人生張っています」は露悪という言葉など、はるかに超えている。 「無頼の女たち」5人と語った対談は、互いの最悪を引き出したエログロものである。 こういう話は、世間様の枠から遥かに出ていて中途半端なお笑いより面白い! 花井愛子、岩井志麻子、マツコ・デラックス、西原理恵子とくれば「たしなみ」など、ありえるわけがない。 「はみだし者」の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女が普通人の「常識」と違う「異世界」 の話を展開している。 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫ ・・・・・・・・・ 2006年05月09日(火) 1862, グーグル Google -2 ε(´',_c')オハヨウ! ー読書日記 8年前に設立した小さなベンチャーが、彼らが持っていた新しい検索エンジンのテクノロジーが卓越していたため、 瞬く間に15兆6千億の株式時価総額になってしまった。2004年の株式公開時には、500億円が一年足らずで300倍になった というから驚異というしかない。しかし、その実体を知れば何も不思議でないことではないことが解る。 この検索エンジンのお陰で、地方の零細企業が再生し、彼らに新たな顧客と以前の数倍の売り上げを与えようとしている。 この本は、その実体を解りやすく書いてある。グーグルによって、地方と中央はかき混ぜられ、 全く新しい産業構造が生まれようとしている。 ーー そこで先ずは、第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」の概略をまとめてみる。 (以下、字数の関係でカット2,008年05月09日) ー つづく バイ♪(ノ´∀`*)ノ ・・・・・・・・ 2005年05月09日(月) 1497, いま・現在についてー5 ー「私の」生成ー [どうせ死んでしまう] の読書日記に戻る。 この著書の中のー[私の]の生成ーという内容の意味と、[いま]を重ねて考えると、面白い。 ーその一部を抜粋してみるー 「この」身体や[この]心の状態を[私の]身体や[私の]心の状態に変形させるのはいったい何であろうか。 [いま]周辺を見回してもらいたい。そこには[私]は登場はしていない。そこに認められるのは[この]身体の状態であり、 [この]心の状態である。それは[私]の身体の状態・心の状態ではない。だが、一時間前の光景を思い出してもらいたい。 それを見ていたのは誰か。それは、いまこの光景を見ているものである。この光景を見ている者がさっきあの光景を 見ていたものである。現在と過去という互いに否定的な関係がここに登場する。世界は過去と現在に炸裂する。 そして、同時にそこに[私]がこの炸裂を繋ぐものとして登場してくるのである。 「私」は知覚においては登場してこず(川を眺めているあいだは「私」は登場してこない) 川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。痛みですら、現在と過去との炸裂で了解される。 ≪字数制限のためカット 2010年5月9日≫ ・・・・・・・・・ 2004年05月09日(日) 1132, 「ライフレッスン」ー 12 ー 幸福のレッスン 不幸論なら書けるが、幸福論となると何か書きつらいものだ。幸せ感なんて一時の気分でしかないと思ってしまうからだ。 といって幸せを意識して求めてないと、その時間を知らないうちに過ごしてしまう。また、せっかくの幸せを得る機会を 失ってしまうことも事実である。ハッピーはハプニングが語源という。偶然におきた中に幸福を見出すセンスをいうのだ。 良い偶然を得たことを喜ぶ気持ちと感謝である。考えてみたら、生まれてきたことも、いまあることも偶然? 後にある抜粋の一番初めの「幸せを私たちは、不自然と感じ、それに値しないと思い込むように子供の頃から洗脳されている」 のかもしれない。しかし幸せ感を得ようとするなら、少しの訓練があれば、誰でも可能である。 心の底から「ありがとう」と言えているときが幸せなのである。 幸せの格言の中にも多くの幸せに対する示唆がある。 「幸福人とは過去の自分の生涯から満足だけを記憶している人々であり、不幸人とはそれの反対を記憶している人々である。」 という萩原朔太郎の言葉が真髄をついている。それは、訓練でも可能になるのだ。いま私が実行していることは、 マイナスの気持ちや言葉が出てきたとき、自動スイッチとして「ありがとう」という言葉を繰りかえしていうことにしている。 お陰で「ありがとう」という言葉を繰り返しいうことになってしまった。知人に万年欝の人がいるが、 過去の生涯の嫌なことだけを記憶している人である。よく記憶していると感心するくらい憶えているのだ。 むしろ不幸にいることが、自分の存在意義であるようにさえ思える。やはり基礎的な知識を持ってないからであろう。 それだけ深い心の傷をためこんでいるいるのだろう。 「愚人は終夜睡眠し、昼間は交際を楽しむ。いったい、苦悩を消滅するのは何時のことか」という言葉もあるが。 ー抜粋ー「ライフ・レッスン」 ・幸福は人間の自然の状態なのだが、わたしたちは不幸な状態に安住するように訓練されている。 わたしたちは幸福になれてないのだ。せっかく幸福の状態にあるのに、それを不自然と感じ、それに値しない 人間とおもってしまう。だからこそ、幸福の状態をいいことだと感じる訓練や幸福になる為の訓練が必要になる。 ・幸福になるか不幸になるかは周囲におこることによって左右されるのでなく、おこることにどう対処するかによって左右される。 おこっていることをどう解釈し,どう了解し、こころにどう対処するかがその人の幸福を決定するのだ。 そして、ものごとをどう了解するかは、その人がものごとのかかわり方によって決まる。ものごとからレッスンを学び、 ものごとと自己との真実を想起するバランス点はそこにある。ものごとのや相手の状況の最悪の側面をみる傾向にあるか、 最良の側面をみる傾向があるかによって、事態は大きく変わる。最良、最悪、いずれの側面をみるかの傾向も、 その人のなかで育ち大きくなる。 ・不幸への最短経路は、ものごとを比較することにある。比較というこの自己破壊な行為には、しかも比較する他者さえ必要でない。 過去または未来の自分と比較するだけで,おなじ惨めさが味わえる。ところが幸福は、だれと比較することもなくて、いまここで、 ありのままの自分を「これでよし」と感じるところからやってくるのだ。 ・人は矛盾のかたまりである。つねに『もっと』を望みながら、一方では、あるがままの自分をうけ入れ愛そうとしている。 自分が霊的な存在でもあることを知っていながら、世俗的な経験が織りなす現実を受け入れようとしている。苦しみながら、 一方で苦しみを乗りこえようとしている。わたしたちは多いものと少ないものの、優れたものと劣ったもの、足りないものと 豊かなもの、大きいものと小さいものに満ちた世界に住んでいる。その両極に気づいたとき、わたしたちは以前より豊かになる。 宇宙の中のわたしたちという部分はつねに、みごとにバランスを保っている。 ・・・・・・・・ ー幸福の格言 ・コロンブスが幸福であったのは、彼がアメリカを発見した時ではなく、それを発見しつつあった時である。 幸福とは生活の絶え間なき永遠の探求にあるのであって、断じて発見にあるのではない ーF.M.ドストエフスキー ・人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、 自己を幸福にするために、それらを敢えて考えないように工夫した。 ーパスカル「パンセ」 ・自分の仕事を愛し、その日の仕事を完全に成し遂げて満足した。 ーこんな軽い気持ちで晩餐の卓に帰れる人が、世の中で最も幸福な人である。 ーワナメーカー ・幸福の秘訣は、自分がやりたいことをするのではなく、自分がやるべきことを好きになることだ。ージェームズ・バリー ・幸福は対抗の意識のうちにはなく、協調の意識のうちにある。 ?ジイド「文学と倫理」 ・私達は踏みなれた生活の軌道から放り出されると、もうダメだ、と思います。 しかし、実際はそこに、ようやく新しい良いものが始まるのです。生命のある間は幸福があります。ートルストイ ・人は幸福を探し始めると、たちまち幸福を見つけられない運命に陥る。 しかしこれには不思議はない。幸福とは、あのショーウィンドウの中の品物のように、 好きなものを選んで金を払えば持って帰れるというものではない。 ーアラン ・・・・・・・ 2003年05月09日(金) 765, 流砂の民 いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。 なるほど、そうなる可能性が大である。孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。 つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。今までの共産党は、むしろ中国の発展にプラスに働いた。 ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道をたどるのではないかという指摘は的をえている。 いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。 あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。恐ろしいことである。 昨日のニュースでWHOが死亡率が7?から14?5?に修正した。65歳以上だと50?という。 子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。 ホテルなど誰が泊まっているか解らない。もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死?倒産である。 スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。本当に恐ろしい時代になった。 ・・・・・・・・ 2002年05月09日(木) 401, 腰痛 昭和38年の三八豪雪の時、長岡高校の屋根の雪落としをしていて、腰痛になってしまった。 母が腰痛もちで、よく腰が左右に曲がっていたのを見たが、それがそのまま遺伝したようだ。 腰の骨が本当に左右にずれるのである。 その時の痛みは言葉に言いがたく、脂汗がにじみ出る。 大体が季節の変わり目に出る。その対策として15年前から散歩を始めたが、今は腰痛対策というより、 精神的肉体的両面の健康のすべての対策になっている。散歩も一日30000歩を超えると、逆に腰痛になる。 人間の今の身体の構造は、歩く前提で出来ているという。何かあったら歩くのが一番自然だ。 腰痛は猿が人間に進化する過程で、腰に不自然な力がかかるようになった。 その結果、人類共通の持病になってしまった。歩行がその対策によいことは、15年続けての実績で解る。 しかし完治はしない。腰痛が出はじめたら、ホッカイロをその部分に当てるのが一番効果がある。 (母の対策を見て知ったことだが)それで4~5日で直るからだ。 医者には一度もかかったことはない。あとは腰痛と仲良くしていくしかない。
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| 3330, スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」 |
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2010年05月08日(土)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −3 * スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」 いまの日本を語る上で、以下のように著者独自の観点で世代を分けている。 ≪ 偏差値の次に指摘するのが「少年ジャンプ世代」である。この世代は「偏差値世代」より、さらに考えることが出来ない世代。 彼らが育った1980年代後半は、「少年ジャンプ」が部数的に大飛躍した時代で、1990年に入ると、実に600万冊以上も売れた。 その「少年ジャンプ」で描かれるのは、編集方針である「努力・友情・勝利」という、3つの要素の入った物語。 この3つの要素で1つの物語が完結をする。 しかし、その物語というのは、‘近くのラーメン屋の娘と仲良くなれたらラッキー’ というふうな世界である。 勝利は社会的な勝利ではなく、極めて身近な勝利である。小さな夢と身近な友だち、そして幸せ。 それもいいが、言い換えれば、「非常な内向き」ということになる。 このような、外向きでない人間たちがいまの日本の 働き盛りの中核を占めている。 これは憂うべきことで、日本だけの閉じられた世界ではグローバルは立ち行かなくなる。 少年ジャンプの世界は、最後は勝利である。 そこには、ものを考える余地がなくなっている。 2000年代に入ると、その少年ジャンプが部数低落に歯止がきかなくなってしまった。主人公が努力している姿を見ても 面白くなくなったなど、色いろ分析されている。 この世代に続くのが、「ゲーム・キッズ世代」である。 ≫ ー以上が要旨だが、国が衰退するときは、頭と尻尾から腐ってくる。 それにしても幼稚である。草食系は、アメリカと、 その手下の自民党、社会党、そして官僚の長期政策の結果だったのである。 ここで思い切った政策の変更を根底から変えなければ ならない時期に来ているが、果たして可能かどうか。
・・・・・・・・・ 2955, マネーはなぜ暴走したのか? 2009年05月08日(金) * アタリの経済危機を考える NHKの連休の二日間のジャック・アタリのインタビューの内容が考えさせられた。 二時間近い内容を、頭に残っているまま思い切って要約すると、 《 この経済危機の大きな要素は、ベルリンの壁の崩壊である。これは人類3千年かけて望んできた (自由)と(個人)を最終的に獲得した画期的な大事件。その結果として、まずは経済のグローバル化が始った。 それが市場原理主義と情報化がマッチして世界の流れになってしまった。 しかし、それには絶対的なルールが必要であったが、アメリカの金融関係の連中が自分の利益を追求するあまり、 ルールのできる前に金融工学とかいう美名を楯に世界中に得体の知れない金融債権をばら撒いてしまい、 再起不能なほどの金融危機を起こしてしまった。 その結果、今後10年、20年、30年と、大きな津波が押し寄せることとなった。 第一の波は、アメリカ一極支配体制の崩壊(アメリカは、一極支配は捨てても、決して弱体化はしない。内向きになるだけ) 第ニの波は、多極支配体制への移行 第三の波は、グローバルな超帝国の波 ー市場そのものが帝国化して、国単位では規制不可能になる 第四の波は、超紛争の波 ーあらゆる武器が開発され、誰もコントロール不能になる 第五の波は、超民主主義の波 ー人々は利他主義に気づいて、その力が加速して結果として、プラスの流れが出る。 アイデアは他人に与えても減るものではなく、むしろプラスの相乗効果が出てくる。 世界の人は、自家用のヘリコプターを持っていても誰も賞賛しないが、持っている者を惜しみなく人に与える人を 賞賛するようになる。それこそ、人類が求めていたもので、合理的利他主義という。 紛争や、移動の簡易さで、 ノマドといわれる遊牧の民が増えていく。 ノマドにも三種類あって、?超ノマド=世界中を気楽に何処にでもいける人、 ー下層ノマド ーバーチャルノマド=誰もがなれるが存在してくる。 第一から第四の波は、多くの痛みが出てくるが、 その結果として、第五の超民主主義が出てくるというのが、 楽観的といえば楽観的だが、それはインターネットが 大きな役割を果たすことになるだろう。 こうして要約すると、この流れは当然起こって然るべきことと納得できる。 流れの背景は、やはり世界の人は「自由」と「個人」という言葉を獲得したのである。 その最も有効に働いたのが、インターネット、携帯電話である。これは、どんな権力者も阻止できない流れとなってしまった。 ・・・・・・・・・ 2591, 日本壊死 2008年05月08日(木) 三年前なら、読み過ごしたが、サブプライムローン問題が大きく露出した現在では、この本の内容は決して 絵空ごとには思えない内容である。特に、ここにきて日本がアメリカの属国とう著者の論は、的を得ている。 彼の主張していることは、彼からすれば当たり前のことで、誰も現実を直視しようとしないだけなのか。 安部前首相、福田首相の姿を見ると、数年後の修羅場が目に見えるようである。 ーー 「日本壊死」ー新しき人目覚めよ 船井 幸雄, 副島 隆彦 (著) ー 表紙裏の説明文 アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、1ドル60円時代の到来、ユーロの台頭、借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、 財務省の重罪、預金封鎖と老人税の導入、行革が進まないワケ、脱米入亜の可能性、次世代国家を作る新しい人たちの登場 …日本が歩むべき道を徹底討論。 ーー *面白そうな部分を抜粋してみた。 ー副島隆彦 ・「米国債400兆円を買わされ、さらに毎年30兆円分買おうとしている日本」 ・「金融緊急処置令」というのは日本の敗戦時の1946年2月17日に発令された 「新円切り替え」と「預貯金の引き出し制限」のことです。この二つを合わせて「預金閉鎖」といいます。 緊急の統制令を出して、預貯金に支払い制限を設ける、一人につき一月500万円として、新札の切り替えが一段落をしたら 「旧円は使えません」という統制手段に出るわけです。この預金閉鎖は2005年から数年以内に起きます。 ・「息子だけは、絶対に会社に入れては駄目です。銀行の融資と信用だけはつないであげる。 それ以外は自力でやれ。そして、それで成功してこい、と。他人の飯を十年食わせた、とかも駄目です。 ー船井幸雄 ・「いまの世界は、アメリカのロックフェラー一族によって大半が支配され、唯一の対抗勢力が 欧州のロスチャイルド家という構図になっている。これは公然の秘密で、下手にいうと抹殺されかねない。 たとえば、いまの日本で起きている銀行再編にしても、UFJを吸収する東京三菱がロックフェラー系であり、 それに対抗する三井住友系がロスチャイルド系というと解りやすいと思います。 その他の政・官・財、そしてマスコミまですべて、いくら偉そうなことを言っても、所詮は逆らえない。」 ・「戦争も政治の一種なのだという考えが、いまでは当たり前の発想になりつつありますが、戦争は経済活動でもある(P.181)」・・・ ・「日本にも、勤勉の精神が日本を豊かにしたという山本七平氏や、私の先生の小室直樹説がある。 しかし、もう信じられない。勤勉と才覚で金持ちになったのは初代の創業者までの話で、二代目、三代目の資産家には そんなものはありません。やはり、近代資本主義をつくったのはユダヤ商人たちだったのだと、私は断言します(P.183)」・・・ ・「彼(副島氏)と話していると、60%くらいは同じように考えていることが分かります。30%くらいは新鮮なこと、 しかも肯定できることが教えられます。10%くらいは「本当かな?」と思うことですが、それらは調べていくと肯定したくなる ことばかりです。 私(船井氏)にとってこのような人は、日本人でいま活躍中の男性では神田昌典さん、本田健さん、 森田健さん、五日市剛さん、坂本政道さん、北原照久さんなど何人かいますが、 彼らとともに私を元気づけてくれ教えてくれるのが副島さんです(P.236)」・・・ ーー この本は三年前の刊行だが 8割?は当たっている。 この十年間については、悲観論を主張していれば、そのスポットが来るのは当然だが。 ・・・・・・・・・・ 2007年05月08日(火) 2226, いい男とは? ー2 (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァヨウ♪ この本「女は男のどこを見ているのか」で一番面白く印象に残ったのが、次の一節である。 〜「先ほど、猫との約束でも守らなくてはダメと申し上げたが、一回くらいの約束を破っても許されるだろうと考えるのは、 浅はかです。これもダメです。釣り銭をごまかすのも、小額だからとか、誰にもばれないのだから一回くらいは許される だろうというのもダメです。今月はお金がないから釣り銭を余計にもらっても許されるのではないか、 という言い訳もダメで、たった一回のの言い訳や裏切り行為が、あなたの心をダークにしてしまうからです。 一回の悪い行いは、100回の良い行いに相当します。やると決めたら徹底して清く生きないと効果ありません。 たった一回の不誠実な行為が、心を汚し、気持ちの悪いサインとして、貴方の体から発信されてしまうのです。 自分に対する信頼というものは、100?でなくてはならないのです。もし、ここにスリル満点のジェットコースターがあって、 100回に1回は脱線してしまうとしたら、貴方は乗るでしょうか。約束を守る、とはそういうことです。」 (p154) 解)「一回の悪い行為が百回のよい行為に相当する」は、多くの示唆がある。経営がそうである。どんなに巧く運営していても、 少しのミスで全てを失ってしまう。チョッとした運転ミスが致命傷になる自動車の運転ミスと同じである。〜 ーー ー今ひとつ面白い部分を紹介してみよう。 「『スターウォーズ』の二作目の[帝国の逆襲]のなかで、ルークがヨーダという900歳のジュダイの指導者と修行する場面で、 ≪字数制限のため、カット2010年5月8日≫ ・・・・・・・ 2006年05月08日(月) 1861, グーグル Google おっ w(゚Д゚)w ハァョ? ー読書日記 「グーグル Google」 文藝春秋 著者 佐々木俊尚 (字数の関係でカット09年05月08日) ・・・・・・・ 2005年05月08日(日) 1496, いま・現在について?4 「記憶のない男」ーDVDレンタル レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。 ー知らない街に仕事を捜しに来て、暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。過去が記憶喪失で失われた場合、 その人の「いま」は無いに等しい。ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。 しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって埋めようとする主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。 過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。動物に[私]はない。それは想起ができないからである。 もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。青年時代の日記を偶然倉庫で発見。 それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、現在の「いま」との 重なりが見えてくる。そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。 それは現在が過去より成立しているからだ。 過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。 {「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。 手はあくまで身体の一部でしかない。記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。 身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。そこ(いま)には、「私」はないに等しい。 [いま]に集中するということは、過去と未来にそして「楔」を打つことである。楔を打つことは最も重要な行為である。 しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか? それとも、来世のために今生を生きるか?やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?「どうせ死んでしまう」のだから。 ・・・・・・・・・ 2004年05月08日(土) 1131, 「藤沢周平」ワールド この一年以上、藤沢周平にはまっている。新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。 庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。小説の多くは似たような内容であるが、 それでいてストーリーが面白い。生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。 彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、 ひたむきさを感じる。彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。彼の作品に出てくる女性が すべてよい。慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。 平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。 彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。 忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、小説の中から滲み出ている。 人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて自嘲を繰り返したすえに、 昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。自分に厳しい日本人の原点がそこにある。苦悩のすえに掴んだ優しさがある。 以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。 (以下、字数の関係でカット2,008年05・08) ・・・・・・・・・・ 2003年05月08日(木) 764, 「カリスマへの階段」 いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、 かくも幼稚な教祖様の御教えを信じてしまうのだろ?」と首をひねる。マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。 7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、 あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。 9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。 彼らは決まって終末思想がある。そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。 オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説く。 この白装束の主張は ・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する ・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。 このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか? その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。 その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。 ーーー 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えていた。 ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。 この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人。 今はスルミナに住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗ってエルサレムに入城する 手筈なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。 ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、 キリスト教徒も心配を始めてた。・・・ 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。 ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、まずは商業が機能停止になった。 ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・ だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。イスラムにサバタンが改宗したという。 サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と 二者択一を迫られた。これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を 吐きかけ、これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。 そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・ ーーー こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。 神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。 宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を始めていくのである。 オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。 理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。95?の従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、 その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。そして全財産を剥ぎ取られてしまう。 世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。 自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!! それしかないのに!? 「カリスマへの階段」コリン ウィルソン (著) ・・・・・・・・・・・ 2002年05月08日(水) 400, 末っ子はつらいよー2 姉が見たら、なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。 確かにそれもそうだ。特に両親にとって、いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。 死ぬ時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。 また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。チヤホヤされてきたことも事実だ。 末っ子の特権を充分享受した。 それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。 今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。ーできればノイローゼにはならないが。 花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。 幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、非常に刺激的な環境であった。 そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と 両親の年齢などによって、微妙に決まってくる。長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。 すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格だ。「積み木崩し」というあるタレント手記があった。 長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねてしまい非行に走るケースが多いという。 ・・・・・・・・ 2001年05月08日(火) BSTVについて BSハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、 今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。 白黒TVとカラーTVが1000万台普及するのに10年かっかたがBSTVがそれを超えるのに4〜5年といわれている。 それとBS放送の局がそれぞれ特化しており、選びやすいのも良い。それとBSラジオもよい!それぞれのキーワードで 放送がなされている。音楽がまた素晴らしく、それにあわせて映像が流される。茶の間生活が一変した。 これにCSハイビジョンが流され、光ファイバー通じると今の情報量の1000?3000倍が家庭に流れてくるという。 それも4〜5年以内に。今からわくわくしている。
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2010年05月07日(金)
昨夜のNHKのゴールデンタイムに、「草食系で何が悪い」というテーマで激論を交わしていた。 現代の若者と、社会の一線にたっている人たちの議論。 見ていて食い違いがあまりに大きい。 我が家も含めて、何処の家庭の親子の食い違いも、こんなものだろう。 現実世界の将来を見出せない若者、 現代の若者にはネットという別世界があり、自己実現がネットの中に存在しているのである。 なぜ現実世界の中の価値観に縛られなければならないのか? そこでは、明るい未来が抱けない、という彼らの立場もある。 とはいえ、彼らの相手は外国の同じ世代である。 それが現実世界の中で闘っている人たちには見えている。 アメリカの間接占領による「日本の植民地化政策による無能化の完成が、彼らの姿」である。 その自覚があるのかないのか。 アメリカの補佐が実は日教組であり、更にいえば自民党であり、官僚。 偏差値による選別教育の結果である。 ーまずは、NHKのHPから、この番組の紹介をコピーしてみるー * 日本の、これから「草食系で何が悪い 若者と語るニッポンの未来」 ー内容ー 車やブランド品、酒、海外旅行離れが進み、大人しくなった、内向きになったと言われる最近の若者たち。 彼らの本音は? 日本の進むべき未来について語り合う市民討論番組。 ー詳細ー かつての若者のあこがれ、車・ブランド品・海外旅行に、興味を示さない20代の若者たち。 「おとなしくなった」「内向き」「草食化した」などといわれ、欲がないように見えることから「悟り世代」といわれる。 一方でブランドものに頼らない、環境や社会問題に関心が深い、地元に愛着を持って昔からの友人と長くつきあうなど、 日本が「成熟」した証という見方もある。若者たちの本音は? 日本の未来について語り合う討論番組。 ―― 長年かかって完成した現代の草食系若者、そう簡単に動物系には変えることは不可能である。 韓国、中国、ベトナム、インドなどの若者の目の輝きと、日本の若者の目の輝きの差は、あまりに大きい。 彼らは、日本が一番豊かな絶頂期に生まれたが、大人に育つ過程が失われた20年といわれる時代背景の中で、 希望を持てと言われても、無理なのは分かる。 この数日、大前研一著の <「知の衰退」からいかに脱出するか?>の 読書日記を書いているが、まさに、大前研一と若者、の図式が、この番組に出ていた。10年、20年後の日本は暗い! ・・・・・・・・ 2954、ハゲタカ 2009年05月07日(木) 連休の5月4,5,6日の3日にわたり、NHKで朝9時から二本ずつ「ハゲタカ」というドラマを6本放送していた。 日本のバブルの崩壊後にアメリカのハゲタカファンドに荒らされが、去年の9月15日のリーマンの倒産で、そのファンド そのものが崩壊してしまった。しかし、それまでは世界を荒らしまくった彼らの実態の一部をドラマを通し垣間見るようであった。 まずは、ー番組紹介ーから ニューヨークの投資ファンド運営会社社長・鷲津政彦は、バブル崩壊後、不景気に苦しむ日本に戻り、 瀕死状態の企業を次々と買収する。敵対するファンドによる妨害や、買収先の社員からの反発を受けながらも、 鷲津は斬新な再プランを披露し、業績を上げていく。 企業買収、再生の真実を克明に描いた問題作。 ―― 三日間、このドラマと、その後のNHKスペシャルの「マネーはなぜ暴走したのか?」のセットに釘付けになって見たが、 多くの示唆が含まれていた。資本の論理からみてハゲタカが処理した企業が結果として、贅肉を削ぎ落として再生した方が むしろ良かった?という視点もある。小泉、竹中の金融改革の功罪をドラマ化をして考えさせられたということ。 外資の投資ファンドがハゲタカなら、日本の大手の勝ち残った大手銀行は互いの死肉を食い合うハイエナと例えることもできよう。 金融自由化の中で弱肉強食の仁義なき戦いが繰りひろがれてきた。私の親戚の一人が、東大を出て長銀に勤めていたが、 法事であった時に元気が無かったが・・・。大手銀行が20行から3行に絞られていく過程で凄惨な戦いがあったのだろう。 そして勝ち組になった、三行と証券会社も、この世界的金融バブルの崩壊で、瀕死の状態。 (字数制限のためカット 2010年5月7日) ・・・・・・・・・ 2590, イスラエルの話 2008年05月07日(水) 長男が、イスラエルから帰ってきたので、その感想を書いてみる。 ー今回のツアーからの概略(私のインタビューからの情報) ・ツアーの会社は、新日本トラベル(現在は合併でエヌイーオーに改名) ・総員23名。半分が一人参加。 本人を除くと全員が40歳以上。70歳代の夫婦が三組。男女の割合が半々。平均年齢50歳位。 ・4月23日?5月02日までの10日間コース。 ・添乗員は40代のベテラン女性。 現地ガイドは日本系のイスラエル人。 ・旅行の最中に日本人には一人も会ってないが、韓国人らしきグループを一組みた。 ・現時点で、年間のイスラエルの訪問客は8000人。 ・危機感を持つ場面は、ゼロ。しかし、ウズベスタン航空のサービスは最低。 帰りのテルアビブからウズベスタンへの飛行中に、かなり厳しい乱気流にあって死ぬ思いの経験。 ・一人参加のアップの加算を含めて、38万円。総額43万円。 ・満足度は100点。 ・テルアビブの飛行場と、エルサレムの街の緊迫感は、私から聞いていたほどではなかった。 ーー 以上だが、9年前の私の実感とほぼ同じである。 私の9年前の場合は、これにアブラハムが十戒をつくった エジプトのシナイ山があった。これは強烈な印象が残っている。 イスラエルはインパクトがあまりに強い。 わずか四国の大きさの国土で、700万人の国が、存在としては大きく位置を占めている。日本の大よそ二十分の一の国がである。 契約の概念はユダヤから出ている。神様との契約が、いつの間にか人間同士の契約にすり替わったのである。 ユダヤ人とイスラエル人は同一ではない。一般的には、イスラエル人=イスラエル国籍を持っている人。 ユダヤ人=ユダヤ民族。 と思われているが、ユダヤ人はユダヤ教を信じていて、両親のうち両方が何じゃらとか 難しい決まりがある。「ユダヤ人は選民である」という教えが、他の民族から忌み嫌われるのである。 多くの決まりがあり、ユダヤ教徒は、それを厳格に守るのである。旧約、新約聖書のような物語と、その舞台が、 そのまま一致しているのはイスラエルしかないというが、異教徒?の目から見ると、尚のこと、その特異性が、 何とも新鮮で驚きをもってみることが出来るところである。 以下は私の旅行記である。 ーー ーH1105イスラエル聖なる旅 この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどの ドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。 その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。 関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。 人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、 読んでみれば何もむずかしくない、ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。 また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。 ー印象の強い順に列記してみると、 まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。四千年の昔から神の名と 民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と 出会い同行することかもしれない。イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロローサ。磔刑に処せられた ゴルゴダの丘。最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって 最も貴い嘆きの壁と広場、そしてダビデの塔。旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。 次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。 そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。そして帰路にたちよったベトウィンの部落。 そして、そこで飲んだ紅茶。“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、 ローマ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。 陥落の前日、 そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。 その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。 =「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」 =自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。イエスの生まれたベツレヘムの岩の ほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。 一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。 壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。 今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。 ーイエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。 “イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問がでてきたのである。 そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で 一大転機の経験となるのではないだろうか。旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。 【別記】 この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが続いている。 六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない 緊張感・危機感が全土にあった。男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。 一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は一切ないという。 その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。 今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。[1999.4.14〜4.24 -ryokou ] ・・・・・・・・・ 2007年05月07日(月) 2225, いい男とは? (*´∀`)」" ヾ(@⌒ー⌒@)ノおはよ?♪ 著者・岩月謙司に、ある日、とある女性から『岩月先生の本に従って一生懸命素敵な男性を探してみましたが、 今だに「いい男」とは出会えません。 ・・是非、男性向けにいい男になるためのハウツー本を出してください!』という投書をもらい、 この著書「女は男のどこを見ているのか」を書く決意をしたという。なるほど、著者の魂の入った内容であるが、 この本が出た後の2004年12月に女性患者への準ワイセツで逮捕されてしまった。 (字数の関係でカット2008/05.07) ・・・・・・・・・ 2006年05月07日(日) 1860, ローマから日本が見える?11 おはよ?!(*^ワ^*)i ー読書日記ー 《スキピオ登場》 (字数の関係でカット、2009年05・07) ・・・・・・・・ 2005年05月07日(土) 1495, いま・現在についてー3 「どうせ死んでしまう」? ?読書日記 「どうせ死んでしまう」ーいまの生成ーというコーナーに、「いま」について深く掘り下げてあった。 「一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方」という言葉が解りやすい。 ー面白そうなところを抜粋してみるー Pー39 ー「いま」の生成 すべての科学(大脳生理学・心理学・物理学等々)は現在と過去との差異性を塗りつぶすことによってかろうじて成立している。 ・・「いま」は△T1というような一定の時間を指す概念ではない。「いま」は一つ前の「いま」という相関ではじめて意味を獲得。 この「いま」をえぐり出すことは、とりもなおさずその外に一つ前の「いま」をえぐり出すことである。 今日を「いま」としてとらえることは、昨日を一つ前の「いま」としてとらえることである。 今年を「いま」としてとらえることは、昨年を一つ前の「いま」としてとらえることである。 「いま」とは、自然現象ではなく、一つの連続的自然現象を多様な関心に従って多様に区切る仕方なのです。 「いま」の出現は、互いに否定的な二つ(いまに対応した未来と過去)の 「いま」の出現にほかならず、そこにはお互い否定的なものを繋ぐ作用が必要である。 それが想起であり、その想起の主体こそが「私」なのだ。つまり、「私」は知覚においては登場してこず (川を眺めているあいだは「私」は登場してこない)川を眺め終わって帰る時に想起したときに初めて登場してくる。 正確な知覚能力を具えているが(エピソード記憶に対応する)想起能力の完全に欠如した生物を考えてみよう。 彼は次々と知覚しその内容を記録する。しかし、次々と忘れていく。彼は自分が記録した内容を過去の事象として 理解することができない。そこに日付があったとしても、それが過去の日付であることを理解できない。 つまり、彼は連続的な自然現象を正確にとらえることができても、そこに「いま」と「いま」の楔を 打つことができないのである。そういう彼は「私」という意識をもたない。 ーーー 以上が、「いま」を哲学的に書いてあるところである。「いま」は過去の上によって初めて成り立つ、と解りやすく説明している。 (字数制限のためカット2010年5月7日 ・・・・・・・・・・ 2004年05月07日(金) 1130, 「ライフレッスン」?11 ー 許しのレッスン 誰も人生には、八つ裂きにしても許せない人間は何人かいる。そして自分も、他の人間にとって、そのうちの一人になっている。 相手を許すということは、けっきょくは自分を許すことである。許すということは自分の内面の魂の問題のかかわってくる問題。 「ならぬ堪忍、するが堪忍」であり、それは自分を如何に納得させるかの折り合いの問題でもある。 許すというのは、ある意味で奇麗事なのかもしれない。しかし、その奇麗事は最も大事ではなかろうか。 許しは、主体的なことである。許そうと努力していれば、そのうちに忘却の彼方に消えていくものである。 残ったとしても、自分の記憶には「許し」という言葉が包んである。 ー以下は抜粋であるー ・人生まっとうにしようとするなら許すことを学ばなければならない。許しは苦痛や傷を癒す方法であると同時に、 ふたたび他者と自己を結びつける方法である。わたしたち全員が、他人を傷つけたことがあったはずだ。 わたし達は傷をためこみながら生きているが、その傷を手放す方法はだれからも教わっていない。許しを必要とされる理由は そこにある。許す人生を選ぶか許さない人生を選ぶかは、その人が決める問題である。許しは自愛的な行為といえる。 ー以下は字数の関係でカットしますー ・・・・・・・・ 2003年05月07日(水) 763, 地方差別 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。 解らないでもないが都会生活での初めてのカルチャーショックであった。今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。 それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。 都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましいひと達だった。具体的には書きたくないが、 その傷口の血は濃厚だ!もう二度と、その血を浴びたくはない! 洗っても数年は落ちないほどだた!自分のプライドを守る為に 弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。 話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。 こんなものである。学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。「最近帝国ホテルも地方のお上りが 多くって質が落ちていますわ!」その一言で最後まで嫌われて総スカンをくらってしまった。「父親は同行の女性の会社の 子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」とすぐに陰口が入ってきた。結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」 が人間の本質なのだろう。「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。地方差別を書くこと自体がタブーでもある。 公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが! 毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟でさえも あまりに違いすぎるのは事実である。「都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は地方に住むということは アジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。 民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。 まあどうでもよい田舎者の話だが。 ・・・・・・・・ 2002年05月07日(火) 399, 末っ子はつらいよ 8人兄弟の末っ子である立場を書いてみる。少年期まで、末っ子は上からの虐めがきつい。 特にすぐ上の2人のそれがきつい。常に気を張っていなくてはならないのがその宿命だ。 食事も気を抜くと自分の食べ分がなくなる為、早食いが癖になってしまう。 常に周囲の情勢を把握していなくてはならない。誰かに聞いたが、多くの兄弟で育った末っ子は社長に向いているそうだ。 他人の気持ちを常に読んでいなくてはならない事が、それに向くのだろう。それと結婚の相手は長女がいいと最近聞いた。 たまたま家内がそうだった。そういえば知人のW氏も長姉もその組み合わせだ。上手くいっているようだ。 そういえば過去に惹かれた女性は長女で、A 型で、160cm、おっとりしたタイプが多かった ー今もそうだ。末っ子は口が堅くなくてはならない。それぞれの兄姉の秘密を知ってしまうからだ。 万一告げ口をしたら、袋たたきにあってしまう。家族はまず出会う初めての社会だ。 ・・・・・・・ 2001年05月07日(月) ユニクロが面白い 半年前に自宅の一^二分のところできたユニクロがますます面白い。とにかく体形にフィットするー着心地がよい。 それと安い。土日曜は開店から閉店まで客のとぎれることはない。’服は服装のパーツである’という考えのもとの 品揃えがはっきりしているのだ。あそこまで客に支持されるのは、普段着と重ね着のサブに徹している為もある。 今まで腰まわりだけのサイズのズボンしかなっかた。 今は股下のサイズもヨウイしてある。 ウエスト79のサイズの股下80と70とでは当然形が当然形が違ってくる。今まではそれだけ種類が増え在庫が 増えてしまうという川上の論法ででつくられなっかったが、売れ筋を 絞り込む事と在庫管理の徹底で用意すれば 安いコストでそれぞれの人が着やすい品を提供できる事が彼らに解ったのだ。本当の意味での顧客サイドの商品つくりが おこなわれていなっかたのだ。その意味で当分ユニクロの一人勝ちは当分つつくだろう。 ー以前書いた私の文をコピーしておきます。 H1211 事業百訓?ユニクロ現象について? ー字数の関係でカットしてますー
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2010年05月06日(木)
一昨日で、このHPを開設して10年目に入った。旅行中も出発前に書きだめをして、会社の人に頼んで書き込んできたので、 ほぼ休んだことはない。 時どきスランプになるが何とか続けてきたが、書きあげる重要性が日ごと分かってくる。 一つのことを続けると、その習慣が自分自身になる。 ここまでくると、私の精神というより、魂の中核になる。 HPではレポート用紙で15枚分までの字数の制限があるので、数年前から毎日カットせざるをえないが、身を削るようで辛い。 それだけエネルギーが入っている。 第三者の目を意識しながら、自分の思いの倉庫(墓場?)として、その時どきの、 浮かんだ思い、習得した知識、面白そうな情報、潮流を書き出してきた。 あと一年で10年になるが、書きたいことは 書き出したつもり。 その時どきの時節のメルクマールとして、情報タンクとして非常に有効になっている。 また毎日、過去分の同月同日に書いた内容を読み返すことができるのが一番のメリット。 「書きだめをして何になるのか?」といわれても、返す言葉はないが、これが魂の中核なのだから、 中心点に向かって一日2〜3時間、気持ちを集中し続けている、それが全てである。絵、俳句など、それぞれ人によって違うが。 まず文章のテーマを考え、情報を集めて、書いて、何度か修正するプロセスが考えるということ。 いま書いている文章の読者は、未来の自分であり、過去から現在にいたる因縁ある人であり、新たな因縁のある人。 文章を書き、それを公開するのは恐ろしいところがある。 自分を曝け出してしまうからである。 今さら、仕方ないだろう! と、何度呟いたことか。 書き上げて、アップロードした瞬間に、見事なぐらいに内容を忘れてしまう。気持ちが入るほど、 そうなってくる。 したがて一年ごとに、その内容と出会うと、驚くことしばしば。 数年前の今日こんなことを考えていたのか、 こんな本を読んでいたのか、こんなことに出会っていたのか、等々に驚かされる。それは既に過ぎ去った過去の自分である。 過去の自分は現在からみたら、見知らぬ誰か?なのである。 まして、20年、30年、40年前の自分は、尚のこと言える。 その反面、現在と全く変わってない自分を、過去の言動で知ることになる。 書き続けることは、考え続けることでもある。 その積み重ねは、間違いなく考えを熟成させてくれる。 それと書物の中で著者との邂逅がスムースになる。 と同時に、相手の能力も直感できる。 それは、生の人間でもいえる。ネット世界が、この10年で広がった。 「現実世界とは別に、ネット世界が地球上に出来てしまった」のである。 これがむしろ主になってきたのである。 何ごとも10年! あと一年で、大きな節目ということか。 一応、21世紀を垣間見れたようだ、特にHPのお陰で! ・・・・・・・ 2953,人はどうしてオヤジになるか? −3 2009年05月06日(水) * オバサン前段階のアラサーとアラフォー ―女の最後の輝く時ー 最近、アラサーとアラフォーという言葉がマスコミ上で目に付くようになった。40歳前後の女性を指して around 40を略してアラフォーという。日本的風土では働く女性は「仕事と結婚」の両立が大きな問題になっていた。 しかしこの世代は、男女雇用機会均等法のもとで社会進出を果たし、自由に選択できるようになった。 しかし、これが人生の転機を遅くさせ、大きな問題になっている。アラフォーはアラサーから派生した言葉。 アラサーとはaround 30を略した言葉で「30歳前後の女性」を指す。2005年の女性誌が使ったことから広まった。 彼女らは90年代中頃にコギャル文化を体験しており、団塊ジュニアに続く世代区分としてアラサーを用いるようになった。 それに次いで登場したアラフォーの概念で、1964年から1973年に産まれた人となる。40歳前後は、オバサン化するか どうかの瀬戸際である。もう一度女として花を咲かせるかどうかの?20年ほど前になるが、 ある大手の保険代理店の支店長が言った言葉が印象的だった。「女性の一番美しいのは40歳前後。 その年頃の女性は人生の分かれ道、何ともいえない色気が沸きあがっており、危ない時期でもある。 彼女らとは塀の上で仕事をしているので、一つ間違えると塀の向こう側に落ちてしまう」そういえば、スナックなどの アルバイト女性に、その頃の女性が目に付くが、なるほど色気が満ちている。しかし45歳を過ぎると同時に、 坂道を転げ落ちるのように変化するのも事実。 それにしてもアラサー、アラフォーとは、上手く命名したものである。 《そこのお嬢さん! 鏡ばかり見てないで(外装だけでなく)内装も手入れしておきなさい!》最近は、兄さんにも言えるが! ・・・・・・・・・ 2589, 日本の真実 2008年05月06日(火) 「ドル覇権の崩壊」と「連鎖する大暴落」の警告が、あまりに当たっているので、副島隆彦の「日本の真実」を、 アマゾンで買って読んでみた。「日本はアメリカの属国、日本の支配者層は、その傀儡の売国奴でしかない!」と、 辛らつに切り捨てている。 また、そう直視すると見えない真実が見えてくる。角栄や栄作など、隷属国家の悲哀を 一番良く知っているのだろう。角栄と、福田赳夫がアメリカに呼びつけられて、ある人物に大声で怒鳴れれている 現場の生々しい話を聞いたことがある。二人が震えていた姿が痛ましかったとか・・・ しかし、その御陰で、アメリカ型消費社会を享受することが出来たのである。 その毒饅頭のおかげで、脳までやられてしまったのが現在の日本の有様である。 ーまずは、その概要からー 「最高支配層だけが知っている日本の真実」 ー副島 隆彦 (著) ー表紙裏の「著者からのコメント」が面白い!ー 本書が提供するのは「日本の最高支配層の人間たちだけ」が知識と情報として占有し、隠し通し、一般国民には 絶対近づくことをさせなかった諸事実である。なぜ一般国民には大きな事実が知らされないのか? その理由は、現在の世界覇権国であるアメリカ合衆国の属国群のひとつであり、しかも属国の優等生として卑屈極まり ない現状にある私たち日本国の支配層の人間たちが、帝国からもたらせれる高度の情報と知識を独占することによって、 それら最高情報が生み出す価値を自分たちだけで享受し、そのことから来る圧倒的な優位性によって国内権力者層として 存在しているからである。だから、これらの秘密を公然と暴き立て、一般国民に知らせ、広めることが、私たちの日本国に どうしても必要なことである。そうすることで、一方で帝国から常に脅され、脅かされている現在の惨めな彼ら指導者たちと 一般国民の間に壁が消えて、日本人が一致団結して、国難に立ち向かうことができるのである。 「編著者のことば」より ー目次 1 安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」 2 大衆世論を操縦せよ!?「郵政洗脳選挙」と「広告プロパガンダ代理店」 3 遅れて来た「拝金主義」?外国勢力に踊らされ続ける日本人 4 日本銀行はロスチャイルドがつくった?明治日本のドンは、仏ロスチャイルド家の承認を受けて日銀を設立した松方正義である 5 世界の歴史をカネで動かす男たち?国際エスタブリッシュメントの金融支配 6 秀吉の金、信長の金?イエズス会の黄金輸入利権と「銀の島」日本から流出する銀 7 女王陛下の明治維新 8 日本海海戦はイギリス海軍の観戦武官が指揮していた 9 ロックフェラーが仕掛けたウォーターゲート事件 10 「ロッキード事件」におけるザワザワとひろがる真実 11 「愛の思想」で新自由主義から身を守れ ーーー ー要点の何箇所か書き写してみるー ・「第二次大戦以前はイギリス、後にはアメリカという覇権国家を実質的に牛耳る世界の金融を支配している人たちが、 自分達の利害計算に基づいて、中央銀行(つまり通貨発行権という絶大な権力)を手中にし、マスコミを操り、政府中枢にも 直接的・間接的に自分達の意に沿う人材を送り込み、その覇権国家を意のままに動かして、戦争と、謀略や外交その他 戦争以外の手段を用いさせ、彼らの政治目的(利益の永続的獲得)を達成するために行動して来たのが、この世界の近現代史」 (字数制限のためカット 2010年5月6日) ・・・・・・・・・ 2007年05月06日(日) 2224, 自分の居場所ヽ (★>з<)o○[ォハヨ]○o(>ε<☆)ノ 昔から、どの世界に行っても「自分の居場所のつくり方」は上手い方であった。 八人兄弟の末っ子と、商家の生活環境もあって、大所帯の中で独りで自分の居場所を何時もつくっていたためである。 その条件が、誰とも就かず離れずの間隔を幼児時期から身に着けさせていた。 人間は、両親との人間関係の相性が人間性のベースとなる。両親の愛情をたっぷり受ければ愛情に満たされた人間性になる。 両親の不仲の中で愛情が空回りになった子供は愛情不足になる。その不足を友人や恋愛相手に求めてしまい、 バランスが崩れてしまい、自己嫌悪になるケースが多い。その根本が、親への愛情に対する不平不満である。 愛情不足の人は、何時も自分の居場所に不安を感じとり、何処かに母の存在を求めて居場所の確保追われることになる。 (これは当人は気づいてない)その確保を探し求めても、所詮は虚構を求めているだけでしかない。 その解決は自分でしか出来ないが、「まあ、しょうがない!居場所は居直る心の状態しかない!」と自分の心の奥で悟るしかない。 その心の在りかたが、解決になる。それは「あるがままの自分を受け入れるしかない」開き直りである。 自分がつくり上げてきた自分の過去の決断・行動を全て受容することになる。その気持ちが、「自分の居場所にいる心のあり方」 と同じ心理状態となる。たったこれだけのことが解るのに、何十年の人生の旅が必要であった。 反対に親に自分をからみ取られて、母親というウバンマに一生を犠牲になるケースは、その辺の マザコン息子や娘がザラにいるだろう。60歳過ぎたら、自分の人生は無かった?という虚無感である。 私の4人の姉は、両親の強烈な影響の下から抜け出ることが出来なかった。 そういう私も似たようなものだが、私の場合積極的にその影響を受容した?から、 後悔はないが・・・。 ---------- ところで、上記は深い意味の自分の居場所について論じたが、いままで具体的に? 居場所づくりとして何をしてきたかというと、 ・まずは飲み屋か、酒飲み友達を探す。(見るところ、それが異性であったり、喫茶店だったり、人によりそれぞれ違う。) ・次に座り机と座布団と、本棚と愛読書、蛍光電灯である。その時どきによって違うが、宗教書などの心のよりどころなる 愛読書を置く。現在でも通勤の往き帰りの鞄の中に4冊以上の本を携える。座った席がそれだけで自分の居場所になってしまう。 ・そしてコーヒーのセット。 ・次に探すのが、昼飯の行きつけの店と本屋の確保である。意識しようがしまいが、誰もが多かれ少なかれ同じようなことをする。 私は群れるが嫌いなので「会」は極力出ない。その反面、一対一か、3人まで会には出るようにしている。 地方で、特に新潟で一対一で話せる価値観を共有できる人との出会いは少ない。 面白いものが出来たものである。これは、また違う機会に・・・・ ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪ ・・・・・・・・・ 2006年05月06日(土) 1859, 体罰は教育? 才八∋ウ_〆(∀`●) 昨日のモーニングショーで、最近釈放されたばかりの戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏とタレント系?のヤンキー先生の 討論をしていた。ミスマッチといえるほど戸塚氏の方が一方的な内容で、老教授が若い学生を教えているようであった。 (ヤンキー先生=ヤンキー上りが売りで生徒をみちびく教育をしている)「目的は、体罰そのものではない! 体罰は本人の行動を導く為の一つの手段でしかない。親がとことん力を尽くして、それでも無理な子供を作り直している」等々、 聞いていて一言一言が深い経験を通して得た理論だけに、説得力のあるものだ。ヤンキー先生の彼なりの手法もあるのだろうが、 二人の経験の量と質の差は致し方ない。戸塚氏の「自分のところに入れて鍛え直して、親を超えさせて家に帰すことだ」 という言葉もよい。親そのものに問題があるのだから親を超えさせないと、一時しのぎになってしまうからだ。 最近の若い人は、親から怒鳴られたことがないのが多い。研修期間で少し厳しいことを言うと荷物を持って帰りかける。 社会教育は本来家庭で親がするものだが、最近では会社がせざるを得ない。『日本よ』で掲載されたものである。 同感である! ーー 2006年4月3日発売の産経新聞より転載 産経新聞社HP http://www.sankei.co.jp/ まあ茶でも!~~旦_(。-_-。) ー 日本よ ー 石原慎太郎 「失われようとしている子供たちのために」 生徒の死亡事故の責任を問われ服役していた戸塚宏氏がこの四月に刑期を終えて出所してくる。 (以下、字数の関係でカットしました。2008/05/06) ヾ(^ω^*) バイ ・・・・・・・ 2005年05月06日(金) 1494, いま・現在についてー2 「どうせ死んでしまう」ー1 ー読書日記ー ー私は哲学病ー 究極の、刹那的な言葉といえば[どうせ死んでしまう]である。「これを言っちゃーお終いよ」という言葉である。 しかし、尽きるところ、それである。「いま」を考える時、キーワードとして「永遠」がある。 しかし、「どうせ死んでしまう」という言葉を考えると「永遠」と「いま」という言葉に行当たる。生は限られている。 所詮はどうせ死んでしまうのである。それがハッキリしているから、いろいろな問題が発生するのだ。 個々人にとって、自分の死が基点になる。自分にとって自分の死が大ごとで、全てといってよい。 目前に死を覚悟した時、「いま」という瞬間に気持ちが集中する。そして、その一瞬一瞬に永遠を感じる。 最後と覚悟した花火や花見の中に永遠を見るのである。その死にたいして誰もが根本的に不安がある。 その不安はどこまでも付きまとうものである。その不安に対して、宗教が昔から死の向こうに来世を設定をして 人々の心に秩序を与えようとしてきた。しかし、来世だけでは理屈に合わない。 (以下、字数の関係でカットしました。2009/) ・・・・・・・ 2004年05月06日(木) 1129, 「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」ー2 谷沢永一 2000/10/19『PHP研究所』 二年前に書いた文章の続編である。図書館で借りてきて、返してしまったために中断をしていた。 先日おなじ本を借りてきて、以前書いたことを思い出し、検索をかけたところ、二年前に書いてあった。 『しなくてよいこと』は、『すべきこと』より知っておくべきことと、前の文章(あとでコピー)を読み返して、 つくづく思った。知っていれば、しないでよい苦労を避けることができる。こういう知識に対して無知の人があまりに多い。 他人事でないが。『すべきこと』も、まったくそのとおりである。 ー以下は 「すべきこと、しなくてよいこと、してはいけないこと」の抜粋である。 ーすべきこと(抜粋) ・真の友をもつ ・人生設計を立てる ・生きるためのお金を得る ・本を読む ・夢をもつ ・感動 ・人生のブレーンをもつ ・結婚 ・趣味を持つ ・前向きに生きる ・一人旅 ・音楽を聴く ・失敗を経験する . ーしなくていいこと(抜粋) ・分相応 ・世間体をつくろう ・他人と比べる ・出世競争 ・嫉妬 ・功績を誇る ・不正をただす ・自分の過去をクヨクヨ思う and etc. ーしてはいけないこと(全項目) ・言行不一致 ・頼み事 ・金を借りる・子供を私物化する ・自分がされたくないことを人にする・運のない人とつきあう ・卑屈な生き方 ・自分の欠点をかなしむ ・マイナス条件を数え上げる ・知識を誇る ・嘘をつく ー後記 ・お金を、知人から借りることは私の常識外なのだが、以外と平気で借りにくる人がいる。 そこに甘さが、ありありと出ているのが本人には判らないのだろう。 ・「運のない人とつきあう」これも然りである。 冷たいようだが、絶対に近づけてならない。 必ず酷い目にあう。周辺の人を巻き込んでしまうのだ。自分が不遇の時は、逆に人に近づかないことだ。 ・「知識を誇る」も、ひとつ間違えばしてしまうことだ。この随想日記も、それに近い行為なのかもしれない。 自分の知識蔵庫として貯めこんでいるのだが、知らないうちに『誇って』 いるのかもしれない。 「随想なんて、けっきょくは自慢話でしかない」と誰かが看破していたが。 ・・・・・・・・ 2003年05月06日(火) 762, あるホームページ (字数の関係でカット2,008年5月6日) ・・・・・・・・・ 2002年05月06日(月) 398,新潟駅前界隈ー2 ほとんどの店(飲食店)が瀕死の状態である。止めるに止められない状態といってよい。 以前から私は個人で飲むときは、一軒目は3500円が最高限度である。 二軒目も4000円か5000円止まりである。彼らに馬鹿にされたものだ「3500円までの男」とか言われて。 でも今は一般に3000円で9時までどう過ごすかが、一般の飲む基準になっているという、それも週一度。 店主の役割は「客の視線で店を見なくてはならない」が、彼らは自分の都合でお客を見ている。殆どの店が死に瀕しても、 その視線を捨てる事が出来ない。さっさと潰れろといいたい、まさか目の前で言うわけにいかないが。 彼らに聞いた事だが、自分に生命保険をかけて失敗したら死んで借金を返す世界があるという。 飲食の世界はまだそういう信じられない世界が残っているという? ママつきの店の売り物ー金ずるのオーナーが倒産ー そうすると、そういうオーナー探しをする世界があるという。 一回だが何処かのママに言われたことがある「あのこオーナー探しているんだって、あんたどう?」 それが金があれば考えてもいいような絶世の美女! 違う世界の話しでしかない。 やり手のママは・実際の彼氏に・オナーに・お客数名の男を持ち、それを鵜のように使い分けるというが? しかし意外と半数以上は真面目な実直の人が多い。永くやるにはそうでなくては続ける事が出来ないのだろう。 以前新潟駅前を書いた文章をコピーしておきます。 ーーーーーーーーーーーー H0603ゴネ社会のカラス達 (字数制限のためカット 2010年5月6日) ・・・・・・・・ 2001年05月06日(日) ホームページの可能性 ホームページを開設して感じた事は自身の大きな変化の予感である。貧しい?内面と過去の公開といってよい。 特に日記の公開のこのコーナーは恐くおもしろそうだ。もしHP?ホームページの改良を重ねていくと、数年後はおそらく最後に コピーした久垣啓一氏の実感に近ずくのではなかろうか。個人の発信というのがこれからのキーワードなってくるだろう。 これに映像が加われば今の常識で考えられない世界が広がってくるだろう。どうなっていくか楽しみだ。 ?>?>?> ホームページとは (久垣啓一) ホームページは、重層的な関係の中に浮かぶ開かれた自分そのものである。 ホームページは、情報への感度を飛躍的に高める。 ホームページは、豊かな時間を演出してくれる。 ホームページは、コミュニケーション能力を高めてくれる。 ホームページは、出会いと感動の宝庫である。 ホームページは、巨大なデータベースである。 ホームページは、巨大な渦巻きの中心である。 ホームページは、どらえもんの「どこでもドア」である。 ホームページは、生きる喜びを与えてくれる。 ホームページは、家族の関係を豊かにする。
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2010年05月05日(水)
「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー3 * 偏差値導入が日本人を劇的に変えた 大前健一は、改憲論者であると同時に新自由主義者である。また「安保闘争以降の偏差値による選別教育が日本人の愚民を 押しすすめる結果になった」と主張。 偏差値による選別教育の年代とは 現在の40歳代前半から20歳後半である。 ーまずは、その部分を抜粋してみるー 日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始ったのは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。 今から考えると、あそこが分岐点であった。 あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。 ここで、国民教育を民化政策に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。・・・・ 本来、人間の能力は自分で判断すべきである。自分のやりたいことは、その判断に基づいて自分で決めること。 ところが、日本の子供たちは、自分の能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、 自分で自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めることになってしまったのである。 こうなると本人も偏差値による数字を先生に言われることで‘予定調和’して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。 学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ]と、繰り返し言われれば、目標を上にあげることなぞ無理になる。 これが、偏差値教育の持つ最大の弊害である。 これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。それぞれが、能力に見合った位置で仲良く 協力しあってやっていくことが必要とされるからだ。 こういう飼いならされたロボット人間が、大量に必要なのが、 工業化社会であって、そのために、偏差値による選別有効に働いた。これは、個人個人から意欲というもの、 アンビションを奪ってしまったのである。現在の40代前後の偏差値世代の人たちは、非常に従順なのが多い。 彼らは共通の思い込み「偏差値が高い=頭がよい」と子供の頃から植えつけられていて、そこから抜け出さないのである。 クラスメート、同級生といった狭い範囲で考えてみると、自分たちより数値の高い人が、マスコミに行ったり、 役所に行っているのを見て、彼らは偏差値が高いから頭がよい。だから、彼らの言うことは正しいと、勝手に思い込んでいる。 〜〜 この年代が社会の中心になってきたのが、この日本の不況の隠れた真実である。 この年代の人たちと、この十年来、 ツアーなどで一緒になる機会が多かったが、前頭葉がゼロというほど思いざるを得ないと感じていた。 勝手に自分たちの階級を決め付け、それ以外には一切を無視をする。 無視なら、まだマシだが、否定をしてくる。 その後の年代を大前は、「少年ジャンプ世代」、「ゲームキッズ世代」と分けているが、それは次回。
・・・・・・・・ 2952,スリルな瀬戸際だった日々 ―2 2009年05月05日(火) 前回の凍りついた二日間で思い出したことがある。 《まずは、以前書いた文章を御覧あれ!》 ーH0905 魂が万代橋の上を彷った話 ー 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには“今回の検査はパスしない!...” 一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。 “それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...‘パニック状態’である。 それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。 そして、その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。恐らく長椅子が不安定という事と、頭がパニック状態という事と 酔いを含めて妙な夢になった。魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋までを、目線が5mの高さでプカプカ 浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。 それも魂が”という感覚であった。 そして目が覚めて!「魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である! それも夢であってほしい!」と念じた事を今でもはっきり覚えている。(2001/07/04 ) ―― これも担当設計士の思い違いだったが、この時の恐怖は・・・ 魂が身体から抜け出し浮遊するのも当然であり、 夢とは言えない現実味のある経験であった。 もっと凄い経験を、それまでも経験をしたが・・・・。 その都度、必死になっていたので、危ない場面も危ないと思わなかっただけ。これは「役所の手続き上の問題の一つの範疇」 として書いただけ。 自分で事業を起こし、続けることは一見面白そうだが、極めて危険に晒されることになる。 人は忘れるから生きていけるのだろうが! 20歳の時に、父親のような生き方=起業を思い立ったのだから、 危険は当然のことである。それでも準備に準備を重ねて万全を確認?をしても、振り返ってみると冷や汗ものである。 生きていれば誰もが際どい経験しているのだろうが! ・・・・・・・・・ 2588, 閑話小題 2008年05月05日(月) *パペット パペットとは、手や指を入れて遊ぶことができるぬいぐるみのことをいう。 他には影の人物や国に操られる人間や国を指す。日本などは、ある意味でアメリカのパペットとである。 以前に「新潟県を活性化する会」を何度かやらされたことがあった。いい様に操られる猿回しのエテと気づいて、 さっさと役割を降りたが・・。3?4回まで!と始める前に約束をしたが、それを了解をしておいても、 「縛り付けをして役割から抜けられなくなるのが世の常」チャンと、そういう役割の英語「パペット」という 専門単語があったのである。それが仕事ならパペットとして納得するが。 地元のために発展を考える中小企業の社長という役の振り付けで、ボランティアだとか。 それを知っていて巧妙に役割に収めようというのも、その人の仕事なのだろうが、私は何の価値もない。 乗りかかる私も甘いが、いや三回ぐらいなら面白いと割り切っていたから、甘くはないか? それ以上は絶対にやらないこと位見抜けなかったのか? いや、見抜けないか? パーペットのサル。 そういえば、周りに多い。パーのペットということだ。地方大名に多いが。 実際には利権が絡んでいるのだろうが。ということは、私に利権が無かったということだ。 無いから出来ることもある。 政治がらみのことはお断りであるが、普段は垣間見ることの出来ない面白い 世界の一端が何とも愉快であった。でも東京駅からの直接の日本海乗り入れの新幹線、造っておくべきだったことは 間違いないことである。 歴代の政治家の怠慢である。そして現在の政治家も。 ーー *HP開設、まる7年! 昨日で、このHPが開設して、まる7年になる。これを作った直後から「ブログ」なるものがアメリカ発で、 ブームになった。個人用HPで、キーワードで互いにネット上でリンクするもの。 5年もしないうちに世界中の数千万、いや数億?のブログが出来上がってしまった。 これに「Web2.0」という情報公開の流れが出来て、あらゆる情報がキーワードで 簡単に得ることが出来るようになった。そして、これが世界を根底から変え始めた。 ウェブの世界は、時間とエネルギーをかけることしかない。それと奥行きが深い。 「自分をグーグル化せよ」といっても、そのグールの世界は私のレベルから見たら魔界といってよいほど、 深く迷路のように感じるのである。 実際に情報革命の先に何が起きているかも訳が解らないほどである。 IT格差という言葉を目にするが、間違いなく情報量の質と量が、圧倒的に変わった。 ・・・・・・・・・ 2007年05月05日(土) 2223, HP開設、6周年 [○´・ω・]ノオハヨウ! 毎年のように、開設記念日に感想を書いていた。今年も二日遅れになるが書くことにした。 実のところ、全エネルギーを入れて書き続ていて複雑な気持ちがある。ネタ(テーマ)を選ぶだけで神経を 集中せざるを得ない。それと、ネタ切れになるので、何処かからネタを探してこなけかればならない。 しかし良寛の発句「焚くほどは風が持てくる落葉かな」の、落ち葉と同じように何時の間にか湧いてくる。 その感覚とスリルを楽しまないと続かない。考えつく全てを吐き出して何も書くことが無くなれば、 その境界の外に出ざるをえない。それが、この随想日記を書き続ける一番のプラスニなる。 書くために読む、書くために考える、書くために本を買う、そして借りる、そしてウソも吐き出す。 それが限界という塀の上にいるから見えてくる。 こういう日常を六年間続けていると、 他人の脳が合せ鏡で見える瞬間がある。「考えること」を殆んどしていない?と・・・ 自分が経験したこと、そして知りえたことの範囲が、そのままバカの壁になっている。 書くという行為は、そのバカの壁を自覚させてくれ、脳の底ー本質を刺激する。 (字数制限の関係でカット2,010年05・05) ・・・・・・・・ 2006年05月05日(金) 1858, ローマから日本が見える?10 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ この本を読んでいると史実を読んでいるというより、壮大な歴史小説を読んでいるようだ。 一人一人がそれぞれの立場をわきまえて役割をこなしている。当然、ローマに敵対する英雄もいる。 カルタゴの英雄ハンニバルである。まずは第5章のハンニバルの挑戦 の概略を抜粋する。 ー第5章 ハンニバルの挑戦 ー1 (字数の関係でカット2,008年0505) ・・・・・・・・・・ 2005年05月05日(木) 1493, いま・現在についてー1 「人生の贈り物」ー読書日記 「ゾクゾクするような生き方ができないのはなぜだろう。」「一日一日が何かが足りない。」「なんだか面白くない。」 多くの人が、そう思っているようだ。そのような人に、大きな「ヒント」をあたえてくれる本である。 ー大筋を書いてみるとー 少年がいました。ある日、老人から不思議なプレゼントの事を聞きました。 「かけがえのないプレゼントだよ」「それは、贈り物なんだ」と老人はおだやかに言いました。 少年は若者となりかけがえのない贈り物を捜しつづけて、かけがえのないプレゼントとは、 プレゼント=現在のことだとわかったのです。過去でもなく、未来でもなく、かけがえのない現在ということです。 現在の瞬間というのは、常にかけがえのないものです。 それがまったく完全なものだからではありません。完全に思えないことの方が多いくらいです。 現在がかけがえのないのは、その時点では、それがすべてだからです。あるのままの状態が。 現在とは、ありのままということで、それがかけがいのないことなのだ。 なぜそうなのかわからなくても。現在は、そうなるべくしてなったものなのだ。 その現在を知り、現在を受け入れ、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。 苦しみとは、ありのままのことと、望むことがくいちがっているということだ。 思いどおりにいかなかった過去を悔やみどうなるかわからない未来を おもいわずらうのは、 現在を生きてないということだ。 それは、みじめで、不幸なことだ。 過去もその時は現在であった。そして、未来も現在になる。現在の瞬間こそが、経験できる唯一の現実なのだ。 現在にとどまっているかぎり、永遠に幸せでいられる。永遠も、常に現在なのだから。 私がさがしていた、かけがえのないプレゼントとは、ただ、いま現在あるがままの自分のことだ。 それはかけがえのないものだ。かけがえのないプレゼントは、自分から、自分に与える、かけがえのない贈り物なのだ。 自分というのはかけがえのないものだから。自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ。 ーーーーーーー 以上が、大筋で結論である。 (字数制限のためカット 2010年5月5日) ・・・・・・・・・ 2004年05月05日(水) 1128, 「ライフ・レッスン」ー10 ー忍耐のレッスン 「耐えることは信じることー信仰をもつことーに似ている」という著者キュープラ・ロスの言葉がよい。 耐えることによって、その信仰は深く強く根を地中深く入っていく。『石の上にも三年』も、 耐えることの重要性をいっている。耐えることによって、はじめてレッスンにまで高めることができる。 『耐えがたきを耐える』のが忍耐になる、いずれは、うまくはいくのだからという信念をもって。 忍耐にも、じっとしているべき時にじっとしている忍耐と、積極的に立ち向かいながら耐える忍耐がある。 また絶望に中で、その絶望を受けいれる忍耐がある。それぞれの忍耐を経験するのも人生では必要なことだ。 ー以下は抜粋である ・忍耐の要諦は、すべてはいずれはうまくいくものだと悟るところにある。 宇宙の計画を信じる力を養うことだといってもよい。でも、その悟りはすぐに忘れられる。 だからこそ自分が思うとおりのタイミングで進行させるべく、状況をコントロールしようとする人が多いのだ。 ・忍耐はある意味で、筋肉のようなものである。普段からつかってないと、いざという時に役に立たないものだ。 日常の生活の中でささやかな忍耐の筋肉を使ってなくては。・「結果でなくてプロセスを大事にすること、 自分の感情とつきあうこと、起こっている事態が送ってくるメッセージに耳を傾けることを学んだみたい。 宇宙の力と自分自身の力を信じることもね。自分の中にこんなにつよい力があり、必要なときにそれを使うことが できるなんて、考えてもなかったもの。何を変え、何を受け入れるかも学ぶことができたみたい。」 ・人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分がわからなくても、すべての経験には理由がある。 何らかのメッセージがある。だが、いらいらして「これはまずいぞ!この事態を変えなくては!」 と思っているうちは、そこからレッスンを学ぶことはできない。現におこっている事態を否定したり、 泣言をいったり、変えようとしたりするのでなく、黙然とそれを経験すればよい。 ・時間は楽しむためにあるって思えるようになったんだ。そう考えれば、楽しいことはいくらでもある。 この世界には力がある。みえなくても、気づかなくても、すべてのものごとは善の方向に向かっている ことを信じてほしい。それが信仰というものである。耐えることは信仰を持つことと同じことなのだ。 いかなる状況、いかなるときにあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、あなたがそうなることに なっているような人になるために必要な経験である。 真実の鍵は信じること・・・耐えることにある。 ----- 【-忍耐について-】 ・忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である。 ?エドマンド・バーク ・天才とは強烈な忍耐者である。 ?トルストイ ・艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。 ?「新約聖書-ロマ書5章」 ・忍耐??肉体的な小心と道徳的勇気の混じり合い。 ーハーディー ・堅忍という美徳は、しばしば頑固と混同される。 ーコッツェブー ・君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。?オースティン ・我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。 ?アラン ・重要な事はなにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ。 ?セネカ ・世の中の事はなんでも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。 ーゲーテ ・忍耐??それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。 ?A・ビアス ・大いなる精神は静かに忍耐する。 ーシラー ・現在我々は悪い時期を通過している。 事態は良くなるまでに、恐らく現在より悪くなるだろう。 しかし我々が忍耐し、我慢しさえすば、やがて良くなる事を私は決して疑わない。 ?チャーチル ・立派にやり遂げたことに対する最大の報酬は、それをやり遂げたことそのものにある。 ?ボルテール ・・・・・・・・・・ 2003年05月05日(月) 761, 歌は過去に向かって歌うもの 「歌は過去に向かって歌うもの !」先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。 なるほど言いえて妙である。すべての歌は思い出のメロデーになるのか?心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップ をして歌うことである。それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。それぞれの歌にはその時代の背景と、 それぞれ人の人生がある。また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、 過去が地の底から浮き上がってくる。特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。 その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き上がってくる。 美空ひばりは歌っているときは、過去のその時の世界に入りきっている!また、青春時代の失恋など、 それぞれ生きてきた時代ごとにの歌があった。人生のバックグランドミュージックといってよい。 笑いと歌には、心というよりもっと深い魂の世界で、行蔵のラベルでもある。それでは「こんにちは赤ちゃん」は 過去に向かって歌うのか?というが、むしろ母親が、あとの思い出としての歌うのほうが、心いや魂の歌になる。 (字数制限のためカット 2010年5月5日) ・・・・・ 2002年05月05日(日) 397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ? 以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。犬のたとえがシビアである。 犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。(人間に絶対服従の性格に) 社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。イスラム教のアラーの神はその発明の典型 といってよい。砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。宗教は一番権力者に利用される。 キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。論語もしかり孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。 鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。 人間の95?は従属を望んでいるという。したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。 「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬、狂犬・・」あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。 ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人、牧羊犬、しかしそれが自然の推理なら、それに従うのが人間の姿。 それに気づいているかどうかである。話が変わるが、ハワイでの事、現地のガイドが日系?の事をバナナと言っていた。 外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。いまの日本人は正しくそうだ。 日本人のキリスト教信者もそういえる。白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。 ・・・・・・・・ 2001年05月05日(土) 連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧 連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧 である。 もっとも連休でなくても、そうであるのが可笑しいが!大型連休はほとんどそうだ。 以前は会社の自分の部屋までわざわざ行っていたが今は自宅で過ごす。 特にパソコンとBSーTVが暇を充分満たしてくれるためだ。1ヶ月後に秘境ツアーに出かける為、極力節約する。 1日1回居酒屋かファミリーレストランからーめん屋に出かけける事と、図書館に行く事がリズムをつくるみそである。 ここでインターネットとホームぺージが特に面白くなったのも、さらに連休の過ごし方を快適にしてくれる。
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2010年05月04日(火)
この著書は、蓮如上人の「白骨の御文章」と「般若心教」の視点から、当たり前と信じている日常の思い込みを 一つずつ取上げ、その根拠を潰している。 何かにとらわれり、行きづまった時に、この書は、それが如何に 取るに足らないことかを諭してくれる。 葬式や法事で参列者全員がこの「白骨の御文章」を読経することがある。 死を第三者でなく、自分に当てはめて考えさせるためである。 そこで改めてネットで検索して、コピーしてみた。 ー蓮如上人の「白骨の御文章」ー ≪ それ、人間の浮生なる相(すがた)をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。 されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。 一生過ぎ易し。今に至りて、誰か百年の形体を保つべきや。 我や先、人や先、今日をも知らず、明日とも知らず、おくれ先だつ人は、本の雫・末の露よりも繁しといえり。 されば、朝(あした)には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。 既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて 李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。 さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。 あわれというも中々おろかなり。 されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、 はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり。≫
ー以上だが、父の生前の口ぐせ、「死んでしまえば(生きている方からすれば)それまでよ!」である。 あるのは、いま、ここ、だけである。過去の、あの時も、現在も、「いま、ここ」しかない。 一期一会である。 それぞれが、いま、ここ、で生きている。そして、それも、確かに存在していると感じるが、実は幻想。 自分の感覚という器官が能作しているだけである。 夢・幻でしかないのである。 で、確認で酒を飲む、のか!
・・・・・・・・ 2951,人はどうしてオヤジになるか? −2 2009年05月04日(月) * 女はどうしてオバサンになるか? 「人はどうしてオヤジになるか?」というなら「女はどうしてオバサンになるか?」を考えてみたくなる。 ーそれではオバサンとは、どういう人なのだろか?ー 《30代後半から40歳前後の大きな境目として、女を捨てると同時に恥じらいを捨て「怖いものがなくなった」 存在で、特に徒党を組むと非社会性が露出する。 お婆ちゃんといわれる前に、それまで内に圧縮されていた エネルギーが非社会的行為として露出する歪んだ「突然変異の一時的生きもの」である。 彼女?を見ようと思ったら、デパ地下とか、ホテルのランチバイキングに行くと徒党を組んだ姿が見られる》 ところで、秘境旅行に行くと、必ずといってよいほど「離れオバサン」が参加している。 これが恐ろしい存在である。具体的に書くのを憚るほど唯我独善。 今回は、そこまでは書かないでおく。 逆に40歳前後までに、女としても人間としても自分を見つめ、「個」としての自分を確立し、責任を持って生き、 自信に満ちた態度を持てる女性を「マダム」という。 それに対しオバサンは自己管理ができないで、 集団化した第三の性化した存在をいう。そうこう見ると、オジサンとオバサンは似ている部分がある。 自分が確立できない哀れな存在で、孤独に耐え切れず、周囲の顔色だけを窺っているところが同じ。 そうもこうも、教養を積んできたかどうかに行き当たるが。その教養とやらも、どうみるかにある。 「で、どうしてオバサン化してしまうのか?」というと、長年の教養の積み重ねをしてない結果の品性の無さが 具現化した姿を言うのだから、ただ現象に流されていれば自然とオバサン化していくのである。 早く、好きなことを見つけて教養として身につけるしかない。 幻想論からみると、品性のあるマダムという 自己幻想を常に意識をして、知識と外見を整えることである。「女を捨てるなというけどね〜、私の魅力を認めてくれる 男が何処に居るっていうのよ」って声が聞こえてきそう。「捨ててしまっているから、魅力が無いの!」水掛け論になるか! ・・・・・・・・・ 2587, 幸福大国ブータンから、幸せとは何かを考える 2008年05月04日(日) 国民の97%が幸福と実感し、自殺者ゼロの国、40年前には国土の5割以下だった森林面積が、現在は7割以上に回復し、 経済成長ではなく「国民総幸福」を国の指標とし、独自の「豊かさ」を目指すブータンという国がある。 数年前にTVのドキュメントで見て気になっていたが、図書館で、この国の第四代国王王妃が、その国の素顔と ブータン人の死生観などを書いていた本を見つけ早速読んでみたが、何とも心の豊かさが滲み出ている内容であった。 ブータンの幸せ指数世界一だが、物資や食料の欠乏は、心の貧困には繋がらない証明になる。 物質社会・競争社会に溺れる日本人は特に、学ぶ必要がある。 ブータンの国語・ゾンカには「幸せ」を意味する言葉はないという。 それでも国民の97%が、「幸せかどうかと言われると、決して不幸ではない」と答える。 経済的な豊かさを手に入れるためには、いろいろなものを手放さなければならない。 その手放してしまったものが何か充分に考えてみる必要がある。 ブータンの存在そのものが、物質社会、競争社会へのアンチテーゼになる。 ーー インターネットで検索をしたら、次の紹介があった。 ーー ブータンは、ヒマラヤ山脈のほぼ東端の南斜面に位置する小王国。 人口約55万、面積は九州をひとまわり大きくしたくらい(4万6000平方キロメートル)で、 (字数制限のため、中間カット 2010年5月4日) ーー ブータンも決してユートピアではないが、純朴な社会に生きる国民性が 「よりよく生きる、とは?」「より人間的である、とは?」を考える意味で大きなヒントになるだろう。 自然環境が一種の鎖国状態をつくりあげ、現代の奇跡的な国民性をつくり上げたといえる。 あまりにも、アメリカナイズされて一種の薬物づけされた日本人にとっての反省材料を 多く含んでいるだろう。 97?が幸せと実感している国があるとは驚きである。 まったく勝ち組、負け組とか、何じゃい、それ!だろう。 世界の幸福度を国連が調査した資料も検索で調べたら出てきた。 主観的な幸福度では中南米の人たち、それも小国ほど、高い結果になっていた。 ちなみに日本は中位であった。 物理的なものを加味すると、デンマーク、スイス、オーストリア、スウェーデンであった。 ・・・・・・・・・ 2007年05月04日(金) 2222, 平凡って幸せなの? ー2 ♪ヾ(*'ー')*'ー')*'ー')/" オッハヨウ! 平凡って幸せなの?という、何気ない家内の質問に、「そういえば、平凡など考えたことがないし、 平凡の日々を過ごしていながら、平凡を嫌って生きてきた自分に気がついた。」というのが本音である。 しかし過去を振り返ると、平凡な日々のなかにこそ人生の真実があったように思える。 しかし、これも縦に立ち上がっている、問題の陰に隠れてしまって記憶には残らない。 記憶に残らないということは、無に等しいと思いがちになってしまう。ただ合せ鏡で平凡の生き方をしている人を見ると、 やはり?とも、思ってしまうが。「平凡とは?」と検索をしたら、面白い質問に行き当たった。 まずは、その部分を・・・ <平凡な生活に対する疑問> 「毎日を平凡に生きている人間って、どうして生きているんでしょうか? はっきり言って僕は、そういう人間は死んでしまってもいいと思います。毎日何も変化のない 暮らしというのは最も最低な人間の生き方と思うのですが・・みなさんはどう思いますか? 」 ーー この答えが、面白いので後にコピーしたが、平凡は一番身近の問題であり、過去には多くの人が名言を残している。 ところで平凡って何だろうか?非凡とは何だろうか?考えてみたら非常に難しい問題である。 「死んでしまえばよい」でなく「死んだも同然」と言えば良いのだ。 「死んでしまえばよい」でなくては「釣り質問」にはならないか? ところで、若い時に「こんな生活を送っていて良いのだろか? もっと良い生き方が在るのじゃないか」と何時も思っていた。 今でも、「二度とない人生、悔いのない一日を過ごすよう心がける」が、 私の信条の一つである。これも「平凡の人生を否定する言葉」ではないか。 平凡に対する、テーゼ・アンチテーゼとして、自分で何時も問答をしなければならない問題である。 ==== *投票でベストアンサーに選ばれた回答 ==== 「あなたのいう「平凡」=「変化がない」ですか?まずは平凡に生きてみてください。 こんなに難しいことはないでしょうから。平凡に生きていたいです。 」 ==== *ベストアンサー以外の回答 ==== 「平凡こそ幸せです。どのような人生が、素晴らしく最高なんですか? 非凡に生きるってどういうこと? 忙しくで自分の時間も持てないくらいに仕事してるってこと? 平凡の中でも、充実した人生があります。もう少し年取ったらわかります。」 ーー 「平凡な人間は死ねですか。まるでどこぞの独裁者ですね。 ご自分がどれだけすばらしい人生を送っていらしゃるんですか。 人間一番不幸なことは自分の愚かさに気付かないことです。」 ーー (字数制限のため、中間カット 2010年5月4日) ーー 以上だが、なかなか含蓄がある答えが多い。平凡、非凡を何を持っていうのかという問題にもなるが、 王陽明に影響を受けた我が長岡藩の河井継之助は「天下になくては成らぬ人になるか、 有ってはならぬ人となれ、沈香もたけ屁もこけ。牛羊となって人の血や肉に化してしまうか、 豺狼となって人間の血や肉をくらいつくすかどちらかとなれ。」と凡庸の行きかたを諌めている。 まあ、平凡と凡庸は違うだろうが、平凡と「前に進めなくなる」ことは違う。その辺も、比較の問題でしかないが・・・ あらためて、平凡とは何だろう?何も考えないで、流されている人を質問者は問題にしたのだろう。 元々死んだも同然だから、責めること自体がナンセンスであると、 言いたいのだろうが、前に進むとは何?それが、どうした!という自問自答が出てくるが・・・ うまい飯喰って、笑って、クソたれて、寝る日々のどこが悪いのか?と言ってしまえば、それまでか! ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ ・・・・・・・・ 2006年05月04日(木) 1857, HP開設、5周年 ?2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) 自分の日々の読んだ本や新聞のポイントを書き出し公表し続けた結果、インプットの吸収力が数倍強くなった。 アウトプットの加工の過程で、知的生産を自動的に促すことになる。 その積み重ねは信じられないぐらい自分を成長させてくれる。思いをそのまま書いていれば誰かが読んでいるはず。 そして「どこか深いところで自分が自分を納得すればよい」と割り切ることが出来る。 もう一つ良いのは、何年間の同月同日の文章を読み返すことが出来ることだ。 一つの文章を書き上げるのに、テーマ選定を含めると2~3時間がかかる。 5年分を読み返すということは、過去の10~15時間分の自分のエネルギーに毎日ふれることになる。 これが自分を大きく後押しをしてくれる上に、あとでみる自分の姿も面白い! 過去の自分との対話をすることにもなる上に、忘れてしまった自分の姿に驚く。 また自分の脳を公開していると、他のHPを深く理解できるようになった。 ーー ´ー`)y─┛~~ ふと去年の同日の随想日記を読むと、同じテーマで書いてあった。さらに一昨年も同じテーマである。 去年、一昨年の方が、よほど良い内容である。だから内容が落とせなくなるのである。 過去5年分の同月同日の日記を読むことは、同時に内省をしていることになる。毎日、自分でもよく続いたものと 感心する!が、これらに縛られてしまうのも不安である。今さらだが! ところでグーグルが高性能な検索エンジンを提供したことで、ブログは企業やマスコミの大手HPと、同じ力を持つようになった。 それまでは、大手のHPをみていた一般の人が、検索エンジンを道案内にして、あらゆるHPに直接アクセスするようになった。 検索で大手企業も個人のブログも、同じレベルに扱われるようになった。これは、大革命といってよい。 個人の情報の質も公開数が増えるにつれて、飛躍的にアップしてきている。 あらゆる人が、オープン・ソース化を始めたのだ。オープン・ソース化することによって外の情報とリンクして 世界と結びついた方が有効であることに気がついたのである。今までは、何処かのカフェとかの仲間同士が 情報をやり取りする場と同じことが、検索エンジンのお陰で、ネット上で可能になってきた。 ブログ上のキーワードをクリックすることで一瞬に他のHPのキーワードにとんでいくようになった。 こうなると、深く情報を追求するのに数秒・数分もあれば、事足りるのだ。 私のHPも根本的に改造しなくてはならない時期にきているようだが・・ ヾ(^ω^*) バイ! ・・・・・・・ 2005年05月04日(水) 1492, HPを開設して、まる4年 今日5月4日はHPを開設日で、丁度まる4年になる。海外旅行をしている間を除けば、随想日記をほぼ毎日書いてきた? 一日一つのテーマを取り上げて考えることを、自分に課してきたことになる。まさか4年も続けられるとは、 思ってもいなかった。久垣啓一の図解WEBというHPに刺激され、糸井重里が「HPを開いて毎日文章を書き続けている」と知り、 自分も挑戦してみようと決心をした。初めは1000の文章を書き上げることを目標をした。 書くテーマが全く思い浮かばないことが何度かあった。ある本に、その時は「全く思い浮かばないことをテーマにしたらよい」 と書いてあった。そして、それをテーマにしたこともあった。しかし、1000を超えた辺りから苦痛度が少なくなった。 「自分が楽しくなければ気持ちが伝わらない」ということも解った。書き続けていると自分を掘り下ている実感が出てくる。 一度書いた文章は、自分から離れてしまうことも知った。書き上げてしまえばコピーができるし、パート2,3と 掘り下げることも可能になる。ネット上の発信基地であり、備蓄基地にもなる。表現できる場を持っているという実感が 自分の心を楽にしてくれる。このHPの開設と維持で、パソコンとインターネットの世界を身近に引き寄せた。 HPの開設を通して、パソコンをマスターするのが本来の動機であった。 「パソコンは、奈良時代に最新のヘリコプターを持ち込んだようなもの」というが、{全くその通り!}ということも解った。 これに携帯電話とBS/TVなどが連携して時代を変えていることも実感している。 話は変わるが、3日前に図書館で8冊の本を借りてきた。そして、一昨日DVDを三枚レンタル店で借りてきた。 8冊の本の2冊とDVDの1枚に共通点のテーマがあった。その内容は明日から、この随想日記で取り上げるが「いま」についてである。 なぜ、あえてHPの5年目のテーマに「いま」について書くのかというと、「毎日の、いま」にしか、永遠の入り口・切口が ないことが解ったことだ。その時々の「いま」をパッケージにしている充実感がよい。「いま」の重要性を実感するようになった。 「いま」は永遠なのである。 いや、「いま」が永遠になっていくのである。とにかく4年も経った。 やはり1000というのが大きい目安であった。そして、その辺りから大きな変化が出てきた。次はあと三年の七年が目標である。 ーーーー たしか去年も同じテーマで、同じような内容を書いたようだが、内容は全く憶えていない。そして、書き上げた後に 去年の文章を読み返してみて、ほぼ同じことを、一年前にも書いていたことに驚いている。 人間なんぞ同じことを繰り返し考えているに過ぎないことが、読んでいてよくわかる。こんなものか少しは掘り下げているのか。 一度読んでから、書けばよかったのだろうが。前の同月同日の文章を貼り付けるのは、いつも書き終わってからだ。 ・・・・・・・ 2004年05月04日(火) 1127, ホームページを開いて3年 今日で、ホームページを開設し、随想日記を書き始めてマル3年になる。だいたい二年が続けるかどうかの分岐点になるという。 まる3年も、分岐点であることも間違いはない。毎日書き続けるのは本当に!シンドイが、あとで振り返った時に続けていた方が 良かったと後悔するのが解っているので、止めるに止めれないのも事実である。といって、そのつかうエネルギーは膨大である! 常に、何かに急きたてられているような気分である。もっとも、その位のほうが良いのかもしれないし、10年?20年後に 振り返った時に残っているのは入れたエネルギーの文章だけかもしれない。いやそれすら、残っていないかもしれない。 三年で、書きたいと思うことは殆んど書いたという実感がある。遺言書といってもよい。自分自身にプラスになるのは、 手に取るようにわかる。特に毎日の随想日記は、自分の背骨が一本、日々の生活に入った感じだ。 毎日、思ったことや、考えたことを文章化することは、まったく違う領域に自分が入ってしまう。 それを、さらに公開するとなると、自分のノートに書き出しているのとでは全く違ってくる。 同月同日の一年前・二年前書いた文章を毎日コピーしながら読み返すと、何か不思議な感覚になる。 今日からは三年前の文章も毎日読むことになるが、まったく忘れているから何か変な感覚になる。知らない自分を 見ているような、内省をしているような感覚である。話は変わるが、ホーム・ページを開くキッカケを書いてみる。 パソコンを手元に置いても、どう使ったらよいか迷っていた矢先に久恒啓一氏の「インターネット勉強法」の中の 「ホームページ」の勧めを読んで、パソコン教室に通ってHPつくりに入った。その本には、HPつくりは「自分の墓場つくり」 と書いてあったのが印象的であった。なるほど三年経ってみて、書きたいことを全部書き出してしまった実感がある。 その意味が分りすぎるほどわかった。はじめは1000回、次に3年と目標をたててきた。1100回目から、 あまり気張らずにリラックスをして楽しもうと割り切った。逆にそれが良かったようで、 それからは肩の力が抜けたようだ。これからは、趣味として、お遊びのHPとして変身するつもりである。 それまでは、かたく考えすぎていたようだ。あまり他人から理解しがたいタイプなので、 丁度よい手段なのだろう。それにしても、クソ真面目に、毎日書いているものだ。 ・・・・・・・・ 2003年05月04日(日) 760, いかに生きたか いかに生きるか 去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。 文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくるすばらしい文章である。 小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。 (以下、字数の関係でカット2,008年05月04日) ・・・・・・・・・ 2002年05月04日(土) 396, 光の旅人 三条で昨日見た映画「光の旅人」がなかなか面白い!当たりであった。 昨年の9・11に最も救いを求めていたアメリカで、10月にNO.1にヒットに記録された映画という。 ー内容は 以下は字数の関係でカットした、HPのこの日をクリックすると出てきます。 ・・・・・・・・・・ 2001年05月04日(金) ウオーキングについて (以下は字数の関係でカット。)
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| 3325, やりたいことは三千五百万もあれば・・・ |
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2010年05月03日(月)
ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −2 * やりたいことは三千五百万もあれば・・・ ・「死ぬ時に、楽しい人生だった」と言えるには、したいことは全部やったと思えること。 ・ そのための金額は普通の人なら三千五百万もあれば殆んど実現できる。 葬式代は350万もあれば充分。自分で葬式の手立てをしておけば三分の一で可能。 ( 120万を前提に葬儀屋を何社か呼んで手はずを組んでおくこと) ・ 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」 これが日本の大部分のバカな老後の姿である。 要は、考えてないからである。 〜〜 以上のことは、大前研一でなくとも私でも思うことである。 身近な親戚の人が100歳近くで亡くなったが、 薄給の中で1000万ほどの家と、3000万近くの預金が残っていた。 老後の怯えで長年かけた節制?の結果だったが、 あまり面白くない人生のように思えた。 何で使わないのだろうか?と、思えたが歳をとると使うに使えないのである。 日本人の大部分のメンタリティの典型である。 要は考えないからである。 私が40歳になったときに良い悪いは別にして「年間1000万は使い切る」と決心した。 しかし当時、10歳前後の子供がいて、大学を卒業するまで10数年は、それほど贅沢を出来る金額ではなかったが、 それでも年二回は家内と海外ツアーに行き続けることが出来た。総額3千万前後だろう。一点豪華主義?である。 月にすると10万になるが、普段の生活で節約をしていたので、使いすぎたという感はなかった。その御蔭か 満足した後半生を過ごしてきたと思っている。 これまで46回のツアーに行ったが、これを、これから始めることは 時代背景と年齢を考えると無理。 「べき時に、べき事を、べくすべき」を実行していて良かったと満足をしている。 したがって老後の心配は殆んどない?。 三千五百万といえば大金である。 しかし100万ずつなら何とか可能? 家を売却して、貸家に入っても「やりたいことを、すべき」と、思うが、いざとなると、これが出来ないのも分かる。 それぞれの事情があるから、これ以上は言えないか。 もし何とか可能なら40歳から100万×35年間で、不可能でもない?。 無理?なら、50万は? それも無理? 月に4万の積み立ても無理? その前に、まず「自分は本当に何をしたいのか」考えなくてはならない! で、ないと 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」ことになる。 そういう思いで、歳をとってから秘境に来ていた人と出会ってきた。それを実感したので、迷いなく実行できたのである。 ーそれがどうした?って、どうもしないが・・・くだらない自画自賛か! これから3500万か〜面白そうだが、老後資金を考えると?となる。 でも、その金が! 宝籤を買うか! ・・・・・・・・ 2950,人はどうしてオヤジになるか? 2009年05月03日(日) 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹著の《人はどうしてオヤジになるか》の問いかけが面白い。 この文章を読みながら( 私は「オヤジ」かどうか?)を内省してみた。 オヤジといえば、オバサンである。 現象に大きく左右され、考えることをしない両性化した生き物。オヤジも長年かけて自分でつくりあげる生き物である。 常に自分の中で肥大化しようとしている化け物として、監視しておかないと・・・ ー まずは、その部分から ー P・20 人の誤解のうちに最も危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」を人間的能力の一つと思い込むことです。 その耐性はむしろ有害であり、命を縮めることの方向にしか作用しません。「耐える」人の場合は、「耐えること」が 自己の中心にあります。それ以外のことは「耐えること」のために総動員されます。「不愉快な人間関係に耐える」というのは、 人間が受ける精神的ダメージの中で最も破壊的なものの一つです。世の言う「中年オヤジ」というのは、この耐えることが 劇的に人格化されたものといってよい。会社で上司の罵声に耐え、部下の暴言に耐え、クライアントのわがままに耐え、 満員電車に耐え、妻の仏頂面に耐え、セックレスに耐え、子供の軽蔑に耐え、巨額のローンに耐え、背広の綻びに耐え、 全身これ「忍耐」からできているのが「中年のオヤジ」という存在です。 人生のある段階で、(たぶん、かなり早い段階で)不愉快な人間関係に耐えている自分を「許す」か、 あるいは「誇る」か、とにかく「認めて」しまったのです。そして、その後、「不快に耐えている」ということを 自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟の証しとか、そういうふうに合理化してしまっている。 蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、人間は、自分でつくってしまったパターンに合わせて不幸を呼び込みます。 「不幸に耐えている自分」を「器量の大きい人間」と勘違いをしたら、もうその後の「オヤジへの道」は一直線である。 そういう人は不愉快な人間関係だけを選択し続けることになります。本当にそうなんです。 ーー 以上だが、八割の人は、この「耐え人」の人生を過ごしている?自分の人生を振り返って、一番良かったことは何か?と、 考えた時に、「事業を立ち上げ、一度も営業赤を出さないで何とかやってこれたこと」(今年度からは??) (字数制限のためカット2010年5月3日) ・・・・・・・・・ 2586, 日本の貧困率 ワースト2 2008年05月03日(土) ヾ(´∀`o)+。才ノヽ… 先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。ウィル・スミス演じる主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を 上っていく内容だが、その大部分が「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。 リアルで他人事に思えない内容である。 地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと引き込まれてしまった。 実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。 黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を 置いて出て行く過程など現実的である。そして、最後はホームレスになる。這い上がるのは無理という状況から主人公が 成功を掴んだ要因は、【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。何か身につまされる内容であった。 人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。一つの判断が致命傷になる、それが創業ということ。 たまたま昨日から朝日新聞で「ルポにっぽん」が始まった。 初日は一面トップ扱いで「39歳 全財産100円」?細切れ雇用食いつなぐ生活ーで、深刻なワーキング・プアを二人取り上げていた。 この中でNPO法人「自立サポートセンター・もやい」の事務局長が、いまは、「すべり台社会」で、少し踏み外しただけでも直ぐに貧困の どん底まで滑り落ち、なかなか這い上がれない」と語っていた。また日本の貧困率がアメリカについで世界でワースト2になっている。 (貧困率とは生産年齢人口の所得分布の中央値の半分に満たない人の割合) アメリカが13・7、日本が13・5、アイルランドが11.9、イタリア11.9、カナダ10.3、ポルトガルなどがつづく。 元々貧しい国=中国、ロシアなどは、その中央値が低いから、ここには出てこないようだが。 年収が200万円以下の人が1000万人を超えたというから、世の中も様変わりをした。 (字数制限のためカット2010年5月3日) ・・・・・・・・・ 2007年05月03日(木) 2221, 静岡で感じたとこ ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!! 去年、学生時代の友人が私のところに訪ねて来て、今年は私が静岡を案内してもらった(4月30日、5月1日)。 学生時代に30日間欧州旅行をした友人である。静岡は住みやすいと聞いていたが僅か2日間だけでも、その豊かさを感じ取った。 静岡市内を案内してもらった後に、車で一時間近くにある浜松市に行き、その後に焼津に行って、友人の地元の知り合いの 経営しているホテルに泊まった。その間に車の中から垣間見た世界は、東海ベルト地帯の豊かさである。 「日本は東京から名古屋までの地帯に富が一極化に集約されるのではないか」とさえ思えるような景気の良さと豊かさを感じとった。 車から見える家と車は新しく、街並みは奇麗に整備されており、静岡駅や浜松駅周辺は再開発など大きなビルラッシュで、 カナダの都市?のような活況と清潔感があり、「これが地域格差」「これが21世紀」を具体的に見せつけられた思いであった。 「新潟駅立体交差再開発の完成の姿を思い浮かべることができた」ということか。 静岡県は「ヤマハ」「本田」「鈴木自動車」それにトヨタの関連企業が数多揃っていて互いシノギを削っている。 友人の実家が、トヨタ自動車のラジエーターを主につくっている会社で、友人は、その子会社の社長で、かなり鼻息の荒い状態だった。 東海道ベルト地帯は永年かけた工場地帯の集積がある上に、お茶の生産地があり、焼津などの漁港もあり、山梨などの後背地域もあって、 それぞれが有効に連鎖している。名古屋駅周辺を含めて、隔世の感があるほど活況があり、不景気はどこ吹く風という。 なるほど他とは格差がつくにはつく、理由がある。それに引き換え、それ以外の日本は?・・・・ ーー そうそう、今日でHP開設、6周年になる、2200も毎日、この文章を書いたことになる。それと、もう一日に書ける限度のレポート用紙 20枚分をオーバーする。6年前の文章をカットしなければならない。毎日、過去の書いた文章を眺めて自己満足をしていたが、 オーバーのサインが出てきて、カットするのが非常に心が痛む。過去の自分(のエネルギー)を切り捨てるような気持になり、 どれも捨てがたいのである。 (○´ω`○)ノ **SeeYou *(○´ω`○)ノ ・・・・・・・・・ 2006年05月03日(水) 1856, HP開設、5周年 ?1 \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 明日で、このHPを開設して、まる5年になる。旅行以外は、ほぼ?一日も欠かさず随想テーマ日記を書いてきた。 我ながら続いたことに驚いている。5年前のこの日を境に一変し、全て、このHPを中心に生活がまわるようになった。 一日、何らかのカタチで5時間以上?はパソコンに向かうようになった。5年前にパソコンの先生に事務所にきてもらい、 このHPを立ち上げた。さらに自宅近くのパソコン教室に三年以上通った! ・パソコンを自分の道具として使いこなせるようになりたい! ・HPを自分のネット上の部屋にしたい ・ネット・サーフィンでネット空間を飛び回りたい という思いがあった。 随想日記に書き続けたお陰で以上のことが身についた。インターネットの世界は日進月歩である。 現在はインターネットが出来る人と、それ以外の人に分類できるのではないか?今どきパソコンが出来ない人がいるのか?というが、 私の年代の半分以上はできない。数年前に、「パソコンは奈良時代におりたった最新のヘリコプターのようなもの。 (字数制限のためカット2010年5月3日) ・・・・・・・・ 2005年05月03日(火) 1491, 男と女ー3 my感想を書いていて、面白い。 これが考えるという事でもあろうか、それとも批評か。 夫婦生活で、お互いに飽きないのも全く 違う生きものだからだろう。相手にもよるが、男も女も品性があればこその話である。一番身近にいて、そしてお互いに訳けのわからない 生き物が異性である。だから多くの喜劇も悲劇も生まれる。親しい異性の友人?というのが一番良いが? それにしても面白い格言が多い。 ーーーー ・分別のある男は女を軽く扱い、一緒に冗談を言い、歌うだけである。 重大な事については女に相談する事も任せることも決してしない。ーチェスターフィールド ・四十歳をすぎると、男は自分の習慣と結婚してしまう。 ーメレディス ーmy感想ーこれだけは一夫多妻がよい ・男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。ーバルザック ・これが男というものです。計画だけはみんな悪者ですが、 そのくせ実行となると、弱気になって、それを誠実だというのです。ーランクロ ーmy感想ーだから丁度良いんじゃない? ・もう一日くらい待ったなら、自分の婚約者よりももっと好みに合った理想的な女性が 見つかるかもしれないという気持ち。どんな男でもこうした気持ちを抱いているものだ。ーサーバー ーmy感想ー女のほうがもっと強いのでは?と、つくづく感じます 結婚間じかの女性を多く見てきて、つくづく感じます ・この地上には、男性だけがその費用をひきうけるにしては、あまりに美人が多すぎる。ーリガリエン ーmy感想ー????!!!!!!? ・人生にはいやなことがいっぱいある。中でも一番いやなものは、男同士の晩餐だ。ーディスレーリ ーmy感想ー最後の晩餐の絵、暗いものね ・男にとっては今日一日だけの浮気心にすぎないものに、女はその一生を賭ける。ーモーリアック ーmy感想ーそういう人も、たまにはいるのかも?その日、出会った男と できちゃった婚をする女も見るものね、最近は。結婚するだけましか! ・男というものは自分の愛している女を憎み、どうでもよい女を愛するものだ。ーシュラッツラー ・勇敢な男は自分自身のことは最後に考えるものである。 ーシラー ーmy感想ーその時だけはね! ・一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが 死ぬときはもっとも孤独な死にかたをする。ーへミングウェイ ーmy感想ーうんだ、うんだ、うんだ、うんだ・・多くを愛した男はもっと孤独?解らない? ・私が女より男を好きなのは、彼らが男であるからではない。 彼らが女でないからである。 ークリスティーナ ーmy感想ー家内に女の子が欲しいといったら同じようなことを言っていた! ・芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。 ー本田宗一郎 ーmy感想ー女がわかれば天下が取れるというけど ・愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。 ー島崎藤村 ーmy感想ー馬鹿の方がズット面白いからじゃ! いい訳、9割だけどね! ・男にふさわしいのは権威であり、女にふさわしいのは威厳である。 ーシュワルツ ーmy感想ー今は反対だもんね ・男は法律をつくり、女は風俗をつくる。 ーセギュール夫人 ・君の人生に女が入ってくる。素晴らしいことだ。出ていってくれたらもっと幸福なのに。 ーポール・モラン ーmy感想ー相手次第じゃない ・ライオンの雄にはたてがみがあり、孔雀には豪勢な羽があるが、 人間の男には三つボタンの背広しかない。 ーJ・G・サーバー ーmy感想ー女性には、いま一つのチャーミング・ポケットがありますもの (以下、字数の関係でカット2008年5月3日) ・・・・・・・・・・・ 2004年05月03日(月) 1126, 「ライフ・レッスン」?9 ー恐れのレッスン 秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、 すばらしさが直感できたからこそ、恐れを乗り越えることができた。初めてアフリカに行った時、 10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。 インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。 そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。いまでは、そのプレッシャーも料理の味付け とわりきっている。恐れのプラス面は 万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。 未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ! ー抜粋ー (以下、字数の関係でカット2008年5月3日) ・・・・・・・ 2003年05月03日(土) 759, 陽気と陰気 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。 陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。 どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の人の人がよい。陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。 陰気は家康だろう。信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違うことになる。我々は、生きていくために 陽気が求められる。外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に 前面に出して無理をしなくてはならない。しかし陰気が悪いのだろうか。プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。 我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいって なかったことに唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。そして内側の充実に取り掛かるようになる。 そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、 この随想日記に度々書いている。その意味で、決して陰気は否定してはならない。何故なら陰のエネルギーも人生のバランスを 考えると必要であるからだ。ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。家には居間も必要だし、書斎も必要である。 陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。 書斎に閉じこもることも必要だ。といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。 このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?いや中庸でよい!ほんと。 ・・・・・・・・・ 2002年05月03日(金) 395, 文章作法ー1 (文章作法は人生作法?) この種の本を数冊借りて、もっている本を数冊計7冊並べて見た。共通点と相違点を考えてみた。 共通点は全てそれぞれの人の人生論であること。 相違点はその職業の立場の視点であった。 ー詩人、作家、記者上がりの作家 面白い発見であった。 そして文章を書くことの大事さを再確認した。 その2つの更にベースの共通点がある。聞く人によっては非常にきつい事が羅列してある。 ・好きな事を書け(好きな事をやれ)愛情をもてること以外書くな(するな)ー対象に愛情を込めること ・自分の選らんだテーマに集中する ー結論を先に ・自分の地頭で考えた事を書け(やれ) 自分で考えた事をそのまま書くー自己責任の行為 ・失敗を大事に書け(大事にしろ) ・わかった振りするな ・まず書け(行動しろ)ー ・とりあえず量を書き、推敲をどんどんするしかないーとりあえず多くの経験を積んでフィードバックするしかない(行動を噛み砕け) ・いかにして「書くプレッシャー」を乗り越えるか ・自然体でー背伸びや虚勢を張らない ・自分を直視するー自己責任 ・基本的の技術を身につける ・自分の持ち味を生かした文を書くー個性を発揮する ・文章の脈絡をキチントとうすー筋をとうす 起承転結を常に忘れずに ・他人の文と比較しないー生き方と比較しない ・常に現象のの底を見つめる (字数制限のためカット2010年5月3日)
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