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堀井On-Line
| 3304, 金の価格は談合で決まる!って本当 ? ー1 |
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2010年04月12日(月)
あるレポートに「金(ゴールド)の相場は談合で決まっている」という衝撃的な内容があった。 どうも金の相場を見ていると、不可解な動きに疑問を感じてはいた。しかし、こうしたレポートで、 「連銀が間接的にコントロールしている」とか、「大手貴金属会社の主要メンバーの談合で動かされている」 というと、話しは違ってくる。 そのレポートの内容とは ・ひとつは、世界の中心的な金相場のあるロンドンで、JPモルガン・チェースなどの米英機関が相場が上がりそうになる度、 大量の先物売りを浴びせていたという。 連銀が金融機関に相対取引で「地金を貸し出す仕組み」の中で金利を極端に下げ、 金の空売りを奨励しているというから、聞き捨てにはならない。これはある業者の告発から表ざたになった情報で、 レポートの主が「ネット上で見つけた内容」。 真偽は如何だろう? ・いまひとつは、金の価格は表向きの取引で決まるのではなく、ロンドン貴金属市場協会のメンバー60社の中の主要9社が 午前と、午後の二回、金額を持ち寄って、上の値の2社と下の2社の価格を取り除いた5社の価格平均で決めているいうもの。 米英が二社ずつ、独・仏・日、カナダ、スイスが一社ずつという。 ここで問題になるのは、その総量が実際に会員が 保有している総量より多いことである。 これはマグワイヤというトレーダーによって暴露されたという その本人は、その後に、あわや暗殺されそうになったとか。 金の先物で破産したとか大儲けしたとか、という話を聞くと、ラスベガスの八百長賭博並みの世界で 騙された結果でしかなかったことになる。「嘘だろう!」と狐につままれた内容だが相場の世界は、こんなものかもしれない。 相場の世界は情報の質量の絶対数が多い方が有利で大手ほど有利になるが、 「金相場が談合で決定!」というと、話は違ってくる。 ちなみに、このレポートはネット上のものだが、半年、3千円、 2〜3日に一度、書き込みがあるもの。 決して、怪しげな情報源ではない。 世界経済は、数人の男たちによって 動かされているというが、最近、それが信じられるようになってきた。 ロシアや、アメリカの政府の首脳とは別の!
・・・・・・・・ 2929,閑話小題 2009年04月12日(日) * 昨日は法事 去年早々、母方の叔父が亡くなり、両親の全ての兄弟・姉妹と連れ合いが亡くなった。 その叔父と連れ合い、そして長男の合同の法事が昨日あり、家を代表して参列してきた。 「自分たちの法事としては、最後ではないか」と言っていた。これから法事は少なくなる傾向のようだ。 「家」の意識が、ここで大きく変化している。親戚も最小にして、ごく内々で済ますようになった。 坊様の商売は不景気に大きく左右される上に、これだから上ったりだろう。 * 国債>税収 09年度の一般会計が、ついに税収を国債発行が超えてしまったと、あった。目を疑ったが、事実である。もちろん戦後60数年で 初めてで異常事態である。国債大量発行で国債価格が下落し、金利が上がれば、企業の資金調達が困難になる。恐ろしいことである。 世界規模の大恐慌を避けるために、15兆円の大ぶるまいだが、それは国債発行でまかなうしかない。しかし、 その結末は将来の大きな負担と禍根を残すことは間違いない事実。あらゆるところから、綻びが現れてきている。 * 宮城県が2011年にも財政破綻 これまた、目を疑ったが、宮城県が2011年にも財政破綻という。宮城県だけでなく多くの県が同じような窮状にあるという。 一般には隠しているだけで、数年以内に露呈するという。一日一日と何か恐ろしい事態が迫っている。 マイナスばかりが、目に付くが、それが現実なら仕方がない。 * 桜が満開に 新潟市は昨日一昨日と花見と年度変わりの歓迎会を兼ねた宴会が集中する。不景気になって今年は、 それが顕著に現れたようだ。近くの地元の大型居酒屋は、予約で満杯という。但し長岡は、どこもガラガラ。 地域によって違うようだ。桜は満開になり、渡り鳥の姿が見られるようになったが、心は・・・ ・・・・・・・ 2565, ドル覇権の崩壊 ー2 2008年04月12日(土) (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ この本で面白いと思ったところといえば、 ・第二次世界大戦後に、「金・ドル体制」が確立、 ・ニクソンが1971年に金ドル体制で崩壊、それに変わって「ドル・石油交換体制」が成立した。 ・そして、ここにきて「コモデティ・バスケット通貨体制」と移動しようとしている。 という点である。 現在の天然資源や穀物などの値上がりは、そういう要素もあったのだ。 イラクにアメリカが攻撃を仕掛けたのは、フセインが石油の決済をユーロにしようとしたことが、原因というのも解る。 その『コモデティ・バスケット通貨体制』とは、 「金を中心にして、その他の鉱物資源、石油、天然ガスなどのエネルギー、農産物等の実物資産をまとめてバスケットの中に入れて、 それを評価、信用の基礎とする通貨体制のこと。 コモデティとは基本物質という意味であり、貴金属と鉱物資源を中心とする 戦略的な物質の全てである。現在のドル決済、ユーロ決済、更には円決済は、それぞれ為替相場の変動が実物経済に及ぼす影響が 無視出来ない程、大きくなってきていることから研究されているものである。 現在の通貨体制をゴルフのハンディに例えると、お互いに相手国のハンディが多すぎる、自分(自国)の方に もっとハンディをくれないとゴルフ(国際貿易)に参加できないといっているようなものである。 そのため毎日日々刻とハンディ(外国為替相場)をお互いにそのつど替えてゴルフ(国際貿易)を行っている。 コモデティ・バスケット通貨体制は、 金本位制度、 為替の固定相場制、 為替の変動相場制 に続く 新しい第4の通貨・貿易の決済体制とされ、将来の通貨体制の混乱を防ぐには、これ以上の方策は今のところ 見当たらないといわれている。 ただ、あくまで理論上のものであり、更に研究しなければならない点も多く、 実際に導入されるにしても、相当の紆余曲するだろう」 ー以上だが、 米国は国家単位で贅沢な生活を続け、その結果として 巨額の貿易・財政赤字を垂れ流している。 ところが自国が基軸通貨なので、輪転機を動かしドルを刷れば自己決済が出来る。、 これではドルはいずれ暴落すること必定、早く他の通貨か物に避難すべし!ということになる。 サブプライムローン問題は、アメリカのドル・石油交換体制の崩壊を決定付けた。 その大混乱が、これから何年にわたって始まるのである。その一番の被害は資源のない日本であるのは 誰の目にも明らかである。 本当の本格的プアー社会は、これから本番になる! 格差社会というが、それは違う、中間層がプアーになっていくのである。 上層とかいうのも、激減していくだけ。 大変なのは団塊世代の後の人たちである。 プアーといっても、1950年?60年代の生活レベルに近づくだけ。 社会資源は残っているから、それよりましか? .:+:.::.:+:(,, ・∀・)ノ バイ ・・・・・・・・・ 2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 ?1 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてーの部分の中の一節に目が吸い寄せられた。 *カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。 ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、到着するのである。 私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を 上板していただくと、突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。 皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた私には、青天の霹靂である。 あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。 ーー (字数制限のためカット 2010年4月12日) ーーーーーーー 2006年04月12日(水) 1835, 善意について \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/ 善意については、色いろ考えさせれることが多い。最近になって、そのプラス面でなくマイナス面の指摘を目にする。 善意の善は、善悪の善である。 善悪なぞ、価値観の一側面でしかない。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、 一つとっても互いの善悪は全く違う。善をプラス、悪をマイナスみても、善も悪も何時までも持続はしない。 環境が変化するからだ。環境が変化をすると、善はマイナスー悪になる。現在の自民党の族議員、ゼネコン、 官僚の構造的汚職など典型的なものである。善意は、善意でよいが!善意だから何も許されるという甘えがマイナスになる。 日本の裁判の特徴に、善意による脇の甘さが起因しているトラブルがあまりにも多いという。 「友人の困窮に家を貸したが、相手が権利を主張をしてトラブルになった」とか、「連帯保証に、善意で判を押してしまった」 という話だ。その善意が狙われるのだ。善意を売りにしている人間で真っ当な人は多いが、何らかのペルソナの一部ぐらいに 割り切っていたほうがよい。ただ、善意ではなく、できることならギブ&ギブを心がけていた方がよい。 善意と優しさは、似て異なるものである。善意という動機にクールの視線を持てということだ。 (ウオーム?ハートにはクールヘッドがコインの裏表のように必要である。) ー以前書いた、善意の小悪党に関する文章である。これは、善意ー善人面を売りにして事例だから、少しづれるが・・。 ーー 2004/02/06 1038, 「わたしは悪い不動産屋」ー2 以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた私の目から見た不動産業に対する批判と知識。 この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。 真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。 その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が 含まれていると考えた方がよい。完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。(実際は5パーが、 95パーの悪さをするのだろうが)面白い善意の不動産屋がいる。自分は何も社会倫理に反する事をしていないが、 不動産屋の習性で、物件に対する瑕疵を見つけて冷静な判断をする。それが彼の仕事である。 ところが無意識で親しい人間の瑕疵を見つけ、他人に瑕疵を営業代わりに、内幕情報屋をしている。 しかし、そのことを自分で自覚してない。その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。 悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。不動産業の業というよりも、誰もが持っている人間の業であるが。 人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。人間論になってしまった。 まあ他人事でない。 違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。生きるということは、こういうことなのだろう。 純粋性の恐ろしさがある。不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。 その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。不動産取引は情報の売り買いである。 長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。 少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。そして無くてはならないビジネスである。 不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。 野球のバッターに例えると ・バント専門 ・ヒットバッター ・ホームランバッター ・代打専門と、それぞれの特性がある。 ・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする ・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋 ・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割?半額をもらうことを 裏契約をして共同作戦をする人、等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。 自分を、その世界に サラシテ生きてきたからよく解るのだ。トンビという仕事もある。事務所を持たないで、情報を売り買いしている ハイエナ的な仕事である。 饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。 ー つづく ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・・ 2005年04月12日(火) 1470, 書く(一人、語る)ということ ~2 このHPを開設をして一番の効果について何回か書いてきた。今までは、知識を得ても自分の内面に落とし込んで、 それでお終い。殆んどが記憶の底から出ることなく埋没するだけであった。知識・教養とはそれでもよいが、 やはり外部化をしておいたほうが良いに決まっている。いつでもコピーをしたりできるし、分類や再考が可能になる。 反面、このHPに落とし込んだ場合に第三者にも曝すことになり、自分のノートや備忘録に落とし込むのとは おのずから違ってくる。まず第三者にも理解するように書かなくてはならない。 自分の気持を書き込む時には、自分の中の第三者の目ー理性ーで、一度濾過をしなくてはならない。 それが自分をコントロールをしてくれる。1年、3年、10年経った時の自分や、子孫の目も意識しなくてはならない。 しかし、その加工は時間が経った時の自分にとってプラスに働くうえに、第三者の人とも共用が可能になる。 この共有感が、気持ちを安らげてくれることになる。いま一つ良かったことは何か感じたリ驚いたりした時に、 それを無意識に起承転結として文章化をするようになった。いつの間にか、書くように頭の中でまとめている習慣が ついてしまったことだ。また他人と話している時なども、書くように話しているのだ。これも結果として大きな収穫であった。 更に、他人の話を聞くときも、文章を読むように聞いてしまっている。相手の起承転結を整理しながら聞いてしまっている。 インプットも、アウトプットも、無意識に整理しながら聞いたり話したりする習慣(脈絡を掴むよう)になっていた。 つづく ・・・・・・・・ 2004年04月12日(月) 1105, 「ありがとう」戦略ー2 ・「幸せだから感謝をするのではない。感謝をするから幸せなのだ」 感謝はー大勢の人々のお陰、宇宙の森羅万象の お陰という気づきは、チャンスのときよりピンチのときに生じることが多い。 ー「ありがとう」と、心の底から周りに対して言える状態が幸福といえるのだろう。 ・「お客様は来てくださらないもの」「取引先は商品を卸してくださらないもの」 「金融機関はお金を貸してくれないもの」ヨーカ堂の伊藤名誉会長が母親から受けた教えだという。 この「ないないづくし」を前提に考えれば、『有り難い』という言葉が自然とでてくるものである。 ーこの気持ちを忘れてしまうのが人間である。他人のことは見えるがいざ自分のこととなると見えなくなる。 ・言葉の原則がある。 第一は「言葉はレストランのオーダーの如し」という原則がある。 注文どおりの料理が運ばれてくるものだ。 言葉のとおりになっていくのだ。 「疲れた」「(>_<)困った」「できない」と、消極的な言葉を発するとおり不幸な状態を発注をしているのだ。 第二は「言葉はエネルギー」という原則である。」言葉の強力な言霊エネルギがピンチをチャンスに変えてくれる。 第三は「言葉は表情」という原則である。言葉や表情を明るく変えるから人生も明るくなる。 ・言葉には「明元素言葉」と「暗病反言葉」がある。 ー「明元素言葉」は 「ありがとう」「簡単だ」「愉しい」「恵まれている」「面白い」「美しい」「楽しい」「嬉しい」「素敵だ」これらの言葉は、 積極的で、肯定的で、状況を陽転していくエネルギーを持っている。「現状打破言葉」とも言える。 ー「暗病反言葉」は 「忙しい」「疲れた」「嫌だ」「困難だ」「やってられない」「駄目だ」「不幸だ」「もう歳だ」「できない」「どうでもよい」 これらは「現状維持言葉」という。 この言葉を使っていると本当に「暗病反」になってしまう。 ーつづく ・・・・・・ 2003年04月12日(土) 738, NTTの現状から時代の変化をみる 先日、NTTの人が光ファイバーの件できたので、IP 電話の内容を聞いた。 NTTが現在、大きい分岐点にあるのは私でも解る。一般回線からの収入は数年後には、減っているなか更に激減するという。 今後の収入源が光ファイバーと、ADSLの収入しかなくなるという。それも他業種の参入で競争が厳しいという。 固定費が本来高いので競争に不利である。今の時代の象徴そのものだ。あの電信柱と電話回線という数兆の資産が、 たんなるゴミになってしまうのだ。他人事ではない!観光白書によると一昨年だけで、ビジネス客が一年間で6割も減っている。 昨年は更に減少傾向にあったから、三分の一になっている。ある日突然、ある価値が全くの無価値になるのが、今の時代である。 東京の中央部の中型・小型の貸しビルが、最近目立ち始めた超高層ビルに取って代っているという。 NHKスペシャルでやっていたが、出揃う4年後の2007年に大問題になるという。立地がよいという理由だけでは 存在価値が無くなるのだ。この情報化革命という奴は、想像をはるかに超えて世界を根底から変えている! ・・・・・・・ 2002年04月12日(金) 374, 主観と客観(喜劇と悲劇) 以前も書いた事があるが?「滑って転んだとする、その人は骨を折ったか、悲しいぐらいのいたみである。 たまたま横にいた人にそれが非常に可笑しく見えた。前者にとって悲劇、後者は喜劇である。」 後者は同じ出来事を傍観している。他人事として見ている、これが喜劇。前者はその滑った本人の目で書いている、 これが悲劇だ。後者は客観で、前者は主観である。あれだけ苦しんだ事も、あとで笑い飛ばした時に気持ちが癒される。 何事も笑い飛ばしてみれば、どうっとことはない。「早く忘れたい嫌な事は、笑い飛ばしてしまえ!」というのが肯ける。 「喜劇と悲劇は紙一重」とは、視点を主観から客観に少し変えてしまう事だ。「人を笑う前に自分を笑え」ともいえる。 特に日本人は「恥じの文化」ともいわれるように、他人に笑われる事を嫌う。それだけ自立していないのと多神教のせいもある。 逆に他人を笑っている自分は何だろう? 自嘲か軽蔑か、それとも同化か?あまり他人を笑わないほうがいい!そ の他人に対する同化になってる状態だ。考えてみたら、この二律背反だからこそ生きられるのだろう。
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2010年04月11日(日)
* 死の不安の克服は可能か ー まずは、その部分の抜粋 老いゆく日々はまた死の不安に対する対処の日々でもある。その圧力があまりに大きいため、われわれはそれと正面切って 対決するよりは、なにかで紛らせてしまおうとする。人生前半は若さや時間をもてあますあまり何かで紛らせようとするが、 人生後半になると若さや残された時間の急速な目減りを直視しないために何かで紛らせる必要が生じる。 不安や恐怖に対して、 そこから目を逸らせて別の関心事で紛らせることは必ずしも悪い料簡ではない。何かで紛らせるのが下手な人物のほとんどは 中高年期以後に精神障害に陥るように思われる。つまり、何かで紛らせそこねたとしても、自らの死や限界を直視したり 対決したりできるものではなく、ただノイローゼになるだけなのだとしたら、死の直前まで俗世間のことで紛らせ続けるほうが はるかにましな選択かもしれない。ある意味で病気というのが紛らせる工夫として最後の手段なのであろう。少なくとも、 病気はそこからの回復という一時の目的を用意してくれる。 ただ、ノイローゼになろうが、別の何かで紛らせ続けようが、 最後の時が近づいている事実を変ることはない。猛獣にねらわれた駝鳥が逃げあぐねて、砂の中に頭をもぐりこませたとしても、 猛獣そのものが消えてなくなるわけではないのだ。 俗世において最低限の衣食住を確保すること以上の関心や活動の全ては、 死や滅亡しないで済ませる工夫でもあり得る。 仕事も趣味も健康法も孫の世謡も老入クラブもゲートも、いやい老人向けのもの ばかりで無い。あらゆる交際、作業、訓練、試合、家事、育児、創作、旅行、遊興、その他、ありとあらゆる実務と余技と行楽が 空虚を埋めてくれるレパートリーなのである。 与えられた時間の中身を埋めていく営みを、交流分析の祖、E.バーンは 「時間の構造化」と名づけた。確かに、われわれは無構造な時間、中身のない時間を過ごすのに適した脳を進化させてはいない。 ・・(中略)恐らく人間は、ただ死を待っている例外的な状態か、それを忘れるために俗事に忙殺されている通常の状態かの いずれしか許されていない。・・われわれのできる最大限の抵抗は、せいぜい「生まれる前なることが、それほど恐れる べきことか」と自他に問いかけることぐらいだろう。・・・・(中略)それがしの不安を宥めるために思いつかれたか どうかはさだけではないが、祖先や供養や崇拝もわれわれにとって捨てがたいことである。・・もちろん、われわれは 多くの祖先に負っている。祖先がどこかで安らんでいると思えば心安んじることができるし、なによりも、わたしたちが、 そこで安んじることができる。しかし、ああ哀しいかな現代のわれわれは、草葉の陰も、煉獄も、もはや信じていないのである。 〜〜 あまりにも虚無的な内容だが、そんなものかもしれない、特に目を逸らしてきた人は。60代までは、後ろから迫ってくるが、 70歳代に入ると前方より迫ってくる感覚になるという。 病気でさえ、それから回復という目標としての気を紛らわせる 手段でしかないとは・・・ 死は本人にとっては、無だから、そんな存在しないことに恐れることはない!とはいえ、 そういかないのが、言葉を持ってしまった人間の宿命。 だから、天国のイメージを永年つくっておく必要があるから 宗教が最後のよりどころということか。 最後のレッスン=学習と思っても、身近な人の苦痛と苦悩の極みを見ているから、 一日一日を精一杯生きることしか、紛らわせることができないのだろう。 知ること、新しい経験をすること、愛すること、 楽しむこと、等々、時間の構造化(一週間の予定を立てて入れていく)をすること位しか無いのだろう。気を紛らわせるために。 ・・・・・・・・ 2928,中沢新一の『三位一体モデル』 −7 2009年04月11日(土) それでは、実際の演習をしてみる。 ー「会社役員」ー 子=会社役員 父=変化する社会変化、その変化に関わるニーズの変化、市場の変化そのもの。 会社の理念、そして「あるべき姿」を把握。精霊=会社の現状、そして父の姿を反映しているか? ということになるが、何か書きながら赤面してしまうから、・・・ ー設計事務所ー 子=設計事務所 親=会社の理念、創業者の積み重ねた信用、長年積み重ねてきたノウハウと実績。 社会の変化と、新しい技術、そして 精霊(自己増殖するもの)=設計で完成した建物。地域社会との繋がりと貢献。 ーソフトハウスー 子=ソフトハウス 親=ニーズとされる人材の確保と、 〜〜 ー保険事務所ー 子=保険事務所 親=万一の危険に対する対応のニーズ。 危険を金で分散をしておくノウハウ 精霊=得意先のニーズの充足。 顧客。 金融商品。 こんなものだが、自分の名前を「子」に入れてみようか?ドッキとするだろうが。 ・・・・・・・・・・ 2564, サルも朝日の美しさに感動する! −1 2008年04月11日(金) 以前、旅番組で猿が二匹で夕陽が沈むところを眺めている姿を後ろから映していたが、いやに、その画面が目に焼きついている。 猿も日没の美しさに心打たれるのだろうか。それは感動という心の働きではないだろうか?それを猿が持っている?等を考えた。 しかし、同じような姿を、ユングが見ていたのである。夕陽の入りと、朝日の昇るのを見るのは万国共通のようで、その不思議を 感じていたが、猿も、その美しさに見とれていたのである。 ユングの『自伝』の一節に以下のような印象的な言葉である。 まずは、その一節を書き写してみよう。 〜〜 ウガンダのナイル河上を、ユングが旅をしていたとき 断崖の上にヒヒたちの群れが東の方にむいて並んで座っている。 その地帯の夜明けは信じがたいほど劇的った。朝日の光が、渓谷の深い闇の底から一切の物の形を浮かび上がらせる。 ヒヒたちはその朝日の最初の瞬間を、身じろぎもせず待っているのだ。そしてその光のドラマを見終ると、ぞろぞろと 台地の向こうに去ってゆく。「光への憧憬、意識に対する憧憬」「原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動」・・。 〜〜 この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきた ときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、 アカシアの木の下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、 谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。 まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。 それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。 谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、 諸々の事物は、まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。 すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。 ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。 このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。 私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。 (中略) そのとき私は、 人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、 理解した。(中略) 光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。 それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。 「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに合理化を意味している。 実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの 幾百万年もの昔から、今日と変わることはない光への憧憬、意識に対する憧憬なのである」『ユング自伝2−思い出・夢・思想』 解)これに劣らない?場面を アフリカで何度も見てきた、次回、それを書いてみる。 ユングとはいえ、よくぞ言葉にして描きだしてくれた。 〜〜〜〜〜〜〜 2007年04月11日(水) 2199, 歌舞伎町シノギの人々 オッ(*^○^*) ハ〜ヨウ ー読書日記ー 新幹線車内・読書用として図書館から借りてきて読み始めたが、これが面白い! 新潟駅前で宿泊業の仕事をしているから、尚のこと興味を引かれるのだろう。遊びの達人?から「歌舞伎町は悦楽桃源郷の魔界」 と聞いたことがある。なるほど、この本に出てくる人たちは異様な住人である。彼らの正体を知ってか知らないのか、普通の人と 同じ目線で扱っている。そこは刑務所と娑婆の塀の上の世界であり、舟板一枚下は地獄の人たちである。 ー背表紙の紹介文からー (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2006年04月11日(火) 1834, 壁際の名言−2 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) −読書日記ー 唐沢俊一著の「壁際の名言」が面白い!この本は、「まえがき」と「あとがき」を読むだけでも充分に価値がある。 老詐欺師の「内面なんで 見かけだけだもの」の一言が目に付いて図書館から借りてきた。内容は馬鹿馬鹿しい?が、シビアで 現実感がある。少し(15分)時間がかかったが「あとがき」を書き写してみた。自分の経験と照らして、この文章を味わうとよい。 ーあとがきーの文章がよい! 老詐欺師は私のおだてに乗って、自分の若いときの女性遍歴を話し始めた。今は詐欺師に身をおとしているが、 京都のしかるべき家の出であることを本当らしく、大正時代の上流家庭の子女を篭絡させていった手管や失敗談は、 一冊の本にしたいほど、スリリングで抱腹絶倒させた。 そして彼は私の周りをウロチョロして、一円の金もとれずに消えてしまった。 ・・・ それらの話も終盤にかかった時、私は彼に、「・・・結局女性の、どんなところがいいと思っているのですか?」 と聞いてみた。すると、彼はうつむいて考えていたが、やがて「・・・やっぱし、美しさだね」と言った。 「それは・・・顔の?それとも、内面の?」と私。「顔だよ。顔。それしかないよ」「内面とかはどうでもいいと?」 「・・君はね、まだ若いね。いいかい、内面の美しさなんて、見せかけにすぎないんだよ」 逆説なのか、それとも単なる言葉の言い違いかもしれないが、「内面なんてみせかけだもの」という言葉のインパクトは、 ずっと私の心に残った。それから十数年の間に、私もかなり、様ざまな女性と付き合った。(もちろん、仕事上である) そして、最も仕事上で酷い目にあったのが、心が純粋で、内面が美しく、それのみを自分の価値観として生きていて、 ビジネス的な話が理解できないところか私に内面の美しさを要求し、つまり金などという汚らしいことを云々するな、 と強要し、こちらはホトホト困窮した。一方、外面〜顔〜の美しい女性は、世間に対する見栄を大事にして、 此方がわ(芸能プロダクション)が要求しているのは顔の綺麗さだけだということを理解して、 プロの論理できちんと応えてくれた。その度に、あの老詐欺師の言葉が、フラッシュバックしたものである。 ー 以上であるが、これは美人論でもある。女の職場を渡り歩いてきて色いろな経験をしてきて、著者の言いたい一部分は 理解できる。美人は部下として使いやすい?という現実がある。子供の時から、それを意識をしているから、 その辺を認めてやればよい。(もちろん例外はあるが。)美人の泣き所があるし、寂しさである。 逆に、その他(8割)の女性の泣きどころもある。そんなことは、どうでもよいこと。 顔も心も、それにこだわることに問題がある!ということ。 ーーー ーこの本は古今東西の有無名人の言葉から‘キワドイ’56名言を集めたものだが、その中から幾つかの言葉を選んだ。 「おまえらせいぜいまずいものでも食って長生きしろ」 (尾崎紅葉) 「バレなきゃイカサマじゃないんだぜ」 (ジョジョの奇妙な冒険) 「貧乏人は安いものが好きだ。 金持ちは貧乏人よりさらに安いものが好きだ。だから金持ちになったんだ」(マツモトキヨシ) 「立派な芸人になりたかったら、まず人にたかれ。それから女に貢がせろ。それも出来なかったら・・ 泥棒しろ」(立川談志) 「談志師匠は、人格最低、芸最高」 ( 弟子たちによる談志の評価) 「生まれることは不幸であり、 生きることは苦痛である。死ぬことは厄介である」( 聖バーナード) 『楽観論者は失望しか味わえないが、悲観論者は「意外な幸運」を味わうことが出来る』(唐沢俊一) 「よいお世辞があれば、2ヶ月はそれで生きられる」 (マーク・トウェイン) 「新聞に載るオレのコメントな、一人称がオレって言うてんのに、なんでワシになってんねん」(清原和博) 『人に限らない。 国も企業も、世間は実体よりイメージを先行させる』(唐沢俊一) 「純粋なバカ番組はふつうのバカ番組を駆逐する」 (キットマン) 「詩。1人の心に灯をともす 別の一人に欠伸をさせる」 (堀口大學) 『人間の最も恥ずかしい瞬間は、若い頃書いた詩を、後年読み返すときである』 (唐沢俊一) ー唐沢俊一 「壁際の名言」 海拓舎 長岡中央図書館 ・・・・・・・ 2005年04月11日(月) 1469, 負い方ひとつで、重荷も軽い 徳川家康の言葉で「人生は重荷を背負いて坂道を往くがごとし」という言葉がある。人生には確かにそういえる部分がある。 特に年齢を重ねるほど、その意味がよく解るようになる。「負い方ひとつで、重荷も軽い」という言葉が人生の妙を 言いあらわしている。人生の荷物も、「人生のコツー技術」と、「心の持ち方」という面で何分の1にすることができる。 常に荷物を点検して減らすことを務めれば、重荷は軽くなる。過去を如何に忘れるか、そして未来の不安を軽減するかは、 努力と技術で可能になる。いつも書いていることだが、「早く好きなことを見つけ、ライフワークにすること」がポイント。 荷物は決して減りはしないが、一時でも荷物の重さを忘れることが出来る。荷物の背負い方を知っていると知らないとでは、 重圧が全く違ってくる。そういう私も大きな荷物の重圧があるが、しかし無いよりはズット良いと思っている。 海外旅行先で、2日に一度は旅行カバンの中身を全て外に出して整理をする。翌日必要なものを直ぐ取り出せるようにしておく。 慣れれば15分で可能だ。気持ちが、落ち着くのだ。 これは人生の荷物にもいえることである。 (字数制限のためカット 2010年4月11日) ・・・・・・・・ 2004年04月11日(日) 1104、「ありがとう」戦略ー読書日記−1 以前「幸せの宇宙構造」という本を読んで、人生観が一変してしまった。心の底の一番大事な芯として、「ありがとう」 の言葉が根付いてしまった。単純といえば単純だが。朝方、色いろ考えた後、後は自然の流れに従うしかないと思うと同時に、 「ありがとう」の言葉の繰り返しが、心を明るくしてくれる。 この本もジックリと読むと深い暗示を多く含んでいる。 「ありがとう」という言葉には、考えれば考えるほど深い意味が含まれている。 過去に出会った周辺の「人生や仕事の上手くいっていない人」は、100?が「感謝の念の少ない人」である。 私自身も上手くいってない時期の原因を考えると「感謝が足りない」ことによる。 (字数の関係でカット2008年04・11日) ・・・・・・・ 2003年04月11日(金) 737, 若い人の価値が下がってしまった 現在の新卒の就職が問題になってきている。大学を出ても、まともな就職先がないのだ。 周辺の知人の子供が丁度その時期に来ているが、まともに就職している人が殆どいない。 フリーターか、準社員の勤めとのこと。何かの雑誌に、若い人の価値そのものが下がってしまったとあった。 会社が若い人を育て上げるだけの余裕がなくなってきた為だ。ある程度育て上げると、訳のわからないことを いって辞めてしまう。余裕のあるうちはよいが、会社も人件費を考えると正社員の比率を下げざるを得なくなってきた。 いくらでも良質な準社員やパートを採用できるなら、敢えて正社員を入れる必要がなくなったのだ。 会社の寿命のサイクルもここにきて、極端に短くなっていることもその原因にある。 それと若い人の間でも、勝ち組と 負け組みの質の差がはっきりしてきた。あえて負け組みの劣化した人は準社員として割り切ってしまった方が得策になる。 「素養のない人にどんなに教育しても金をドブに捨てるようなものだ」ということが、過去会社経営してきて身に沁みて解った。 十数年前になるが、男子社員が「教育するなら金をくれ!」と嘯いていると聞いた。ただ呆然として聞いたが、こうなると 血筋のレベルの問題だ。他人事でないか?今ではアルバイトでさえも、就職が困難といわれる時代になった。時代は変わった! ・・・・・・・ 2002年04月11日(木) 373, 何故マイナス思考になるのか ーこれは面白い問いかけだ。 経験を積むにしたがい、必ず失敗の経験を重ねていく。 そしてその失敗の経験が、マイナス思考を生み出す。あれも駄目、これも駄目、全て駄目、一番悪いのはそういっている俺! ある???会に行くと、マイナス思考の愛好会そのもの!どうしたらあのような考え方が出来るかと不思議なくらいだ。 現実に溺れて(下と横だけを見て)??? 子狐がいるせいもあるが。この子狐不景気になってきたら急に元気になった。 周りが自分並に見えてきたためか。 ーマイナスに対するマイナスは拙いか? いま一つがマスコミの毎日流される、事件の報道である。事件はほとんどがマイナスの出来事である。 犬が人を噛んでも事件にならないが、人が犬を噛むと事件になる。それは別にマイナスの事でないが、幸福な家庭からは 事件は起きない。それはニュースにならない。めったに起きないマイナスを報道するのがニュースである。 それをまともに脳に流し込んでいるから、いつの間に頭はマイナスに侵されてしまう。それに気づかないから、 どんどんマイナス思考に落ちてしまう。「あまり人を恨むな、恨んでいると知らないうちに主語が消えてしまう。 主語が消えた後、他の人達に主語が転化してしまう。」という話を聞いた事がある。 「あまり恵まれてない状態の人や人生の人に近づくな!」というが、この年になると実感する。 といってマイナス思考も必要である。ただ冷静に見据えておかなくてはならない。 人は他人の不幸をどういうわけか好むという。江戸時代の盲人が、それを看破していた。 目が見えない分だけ、人の気持ちが良くわかるという。不幸の話をしている人の声が弾んであるという。 幸福の人の話をしている時は沈んでいるという。他人の不幸を悲しみ、幸福を喜ぶことは意識して訓練しなくては出来ない。 いやその前に自分が幸せと芯からえなくてはならない。まずは考え考え考え抜いて、自分が幸せと気づかなくては。 それがプラス思考の第一歩。以前にも書いたが、家内が「自分の友達の大部分が自分不幸と思っている。」と驚いていた。 「どうみても幸せの筈なのに、どうして?」これなど、典型的なマスコミとか、周囲のマイナス思考に対する浄化装置を 身に付けてない典型の例だ。
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2010年04月10日(土)
新聞で、ブログ用に特化したデジカメを二種類を比較対照した記事があった。 発売当初から両方とも興味があったので早速、近くの家電量販店に行ってみた。 たまたま、真剣に見ていたためだろう、女店員が来て詳しく説明をしてくれが、なるほど実物は思ったよりズット良かった。 衝動買いは必ず後悔することを経験上知っているので、パンフレットだけを貰ってきた。 ネットで調べて迷ったあげく、結局はアマゾンで買ってしまった。 ヨドバシカメラの値段より、25パーセントはやすい。 16GBのSDカードを別口に注文をして3万1千である。ちなみにヨドバシは、カード込みで4万弱だった。 一方のソニーのものと最後まで迷ったが、5千円高い方の、これにした。 シンプルだが、非常に使いかってがよい。 5年前なら軽く20万はしただろう。デジカメとして800万画素もあるので、デジカメにビデオが付いているという感覚である。 どうも、ビデオ・カメラは、自分の相性は良くない。 この20年近くで三機種を買って海外旅行に持っていったが、 家で改めて見ることは、殆んどなかった。 しかし、SDカードの記憶媒体で、去年の暮れに買ったブルーレイにはSDカードを 直接セットが可能である。 これなら、デジカメのように使える。 ビデオに使わないとしても、デジカメとしても、充分に使える。 私のデジカメは、新たに買ったものを家内に取りあげられて、5年前のもの。小さいので、使いかってが良いので、鞄に入れて 常に持ち歩いている。更にウォーキングもポケットに入れておく。 しかし、5年でデジカメも、ビデオカメラも様変わりを していた。 軽くて、使いかってよく、安くなっている。 デジカメの5年は、その機能と価格は様変わりするのは 当然であるが。私にとって iPod以来のヒットである。 ところで、私がメカ音痴のためか、iPhoneは、いまいち使いこなせないでいる。 外で使う必要がないからである。 それぞれのビジネス条件とかで、適応が違ってくる。もし、外回りが多ければ、iPhoneは 手放すことが出来ない重宝な道具のはずだ。 以前、東京や仙台に行った時の経験から言っている。 それと、画面が小さいので少しみていると眼が疲れる。 それぞれの相性がある。 で、ビデオの相性は良い。 ・・・・・・・・ 2927,中沢新一の『三位一体モデル』 −6 2009年04月10日(金) *「三位一体モデル」を使った演習 ー ① 「三位一体モデル」を実際の知人の仕事を当てはめて演習をしてみたが、考えさせられる。 実際に丸を重ね合わせて三つ書いて、その一つの「子」の円に、職業を書き込んで、次ぎに「父」、そして「子」の順に 書き込んでいく。 それが、なかなか面白いのである。 その前に、我われの生存ベースである幻想としての 「国家」、「国民」、そして「家族」から考えてみる。 * まずはー「国家」ーから 子= 国家 親= 国家成り立ちの神話 日本なら「天皇神話」から、これまでの歴史と、これからの方向を示す羅針盤。 精霊= 文化、文明(国家としての教養)。国民と、その民度。国家としての政治・経済・軍事力・警察力。 * 次に、ー「国民」ー 子= 国民 親= 国家憲法、法律、それを維持する暴力装置(対外的には軍隊、対内的に警察)。これに愛国心。 精霊= 公共施設(道路、河川、鉄道、公園、学校 etc)、都市、街、村、故郷、政治家、芸術家、経済力、など・・ * 国家のベースとしてのー「家庭」ーとは 子= 家族 親= 血統、家柄。家訓、家そのもの。 精霊= 子孫、盆暮れの集まり。家族の団欒。家族旅行。 国家は、共同幻想の典型と言われるが、長い歴史に裏付けられた蓄積がある。日本では天皇制度である。 人間の「なすべき基準、価値観のベース」は、国家のために何をすべきかに行き着く。 我われの安全を最後に守るのは国家である。それが軍隊であり、警察という暴力装置である。 現在の憲法は、明らかにアメリカ庇護を前提として作られている。庇護は建前で実態は隷属である。 この憲法である限り、日本は衰退するしかない。右翼みたいなことを言うが、グローバル化になればなるほど、 ベースとしての国家の強固の基盤が必要になる。 無理だろうが・・ つづ ・・・・・・・・・・ 2563, ディープ・スロート 2008年04月10日(木) 『ディープ・スロート 』ー大統領を葬った男 ボブ・ウッドワード著 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜ これも図書館で見つけた本である。これが出版されていたことは知っていたが、買うほどではないと、判断していた。 あまりに奇抜で、生々しいから目をそむけたのだろう。まずは、アマゾンの紹介文からして、面白い。 ー内容 ニクソン大統領を辞任に追い込んだ「ウォーターゲート事件」から33年。新米記者ボブ・ウッドワードに 地下駐車場で極秘情報をリークしていた人物が名乗りを上げた。当時のFBI副長官マーク・フェルトだった。 フェルトが死ぬまで秘密を守り抜く覚悟でいたウッドワードが、その告白を受けて初めて明かす、 フェルトとの出会い、情報源秘匿のエピソード、その後の二人の関係…。 ー 著者のボブは、大統領ニクソンを辞任に追い込んだいきさつを書いた『大統領の陰謀』の著者。 ワシントン・ポスト紙の新米記者だった彼は、同僚のカール・バーンスタインと共にスクープを連発した。 ボブに情報をもたらした匿名の政府高官は「ディープ・スロート」と呼ばれ正体が明かされなかった。 ーー はてな検索によると、 (字数制限のためカット 2010年4月10日) ・・・・・・・・ 2007年04月10日(火) 2198, リーダーシップの旅 才八∋ウ_〆(∀`●) ー読書日記ー 「リーダーシップの旅」 ー 見えないものを見る (新書) 野田 智義 (著), 野田氏の考えを主として金井氏が聞き手として対談し、まとめたもので、サブタイトルは 「見えないものを見る」である。二人の気持ちが、そのまま現れて解りやすい内容になっている。 *リーダーは、それに相応しい人がリーダーの仕事をするのではなくて初めは、あることをやろうと思い立ち、 自ら一歩踏み出すことがはじまりで、最初からリーダーだったわけではない。あることやり遂げることで 初めてリーダーになる。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するもの、生き様を問うことだ。 創業を何度か経験をしてきたので、野田氏の言わんとするところが、いやというほど解る気がする。 ツアーを使った秘境旅行でも、そのつど何処に行くかの選定の筋書きが始まる。 だいたい家内の大反対から始まり、 それでは私一人で行くとなり・・その後、家内が従う物語になる。この難関が一番大変である。 周囲の反対で中止というのは、それだけのことでしかない。 :面白そうな部分を抜粋してみると・・: ーー リーダーシップは「見えないもの」を見る旅だ。 ある人が、「見えないもの」、つまり現在、現実には存在せず、 多くの人がビジョンや理想と呼ぶようなものを見る、もしくは見ようとする。そして、その人は行動を起こす。 世の中ではよく、リーダーはついてくる人(フォロワー)を率いる、リーダーシップはフォロワーを前提とするなどと 言われるが、私はそうは思わない。旅はたった一人で始まる。 フォロワーは旅の途中で現れる。リーダーと出会い、 一緒に旅をする。しかも、この時点で、しばしばリーダーは自分のリーダーシップには気づかない。 見たいものを見、やりたいことをやり、自身が描く目標に向かって歩いているだけで、 自分がリーダーシップを発揮しているとは意識しない。リーダーとフォロワーが、実現したい何かに向かって、 ともに旅という時間と空間を過ごすプロセスで、お互いの共振関係が生じる。 決して、一方的な関係ではなく、相互の影響がそこにはある。その中で、リーダーが見る「見えないもの」が フォロワーにも共感され、いつしかフォロワーの目にも「見えないもの」が見え始める。 そんなリーダーの行動がフォロワーに向けて醸し出す「フェロモン」と、フォロワーがリーダーに感じる賞賛によって、 リーダーシップは結果として成立する。リーダーは、リーダーになろうと思ってなったわけではなく、 「結果として」リーダーに「なる」のだ。 (21〜22ページ) ーー 社長になろうと思って社長になった人はいても、リーダーになろうと思ってリーダーになった人はいない。 リーダーは自らの行動の中で、結果としてリーダーになる。はじめからフォロワーがいるわけではなく、 「結果としてリーダーになる」プロセスにおいて、フォロワーが現れる。リーダーシップは、本を読んで修得するものでも、 だれかから教わるものでもない。それは私たち一人一人が、自分の生き方の中に発見するものだ。 リーダーシップはだれの前にも広がっている。「すごいリーダー幻想」から脱却し、こぼれ落ちそうだったリーダーシップを 再び手の中に、自らを生きる選択肢として捉えること。すべてはそこから始まる。何かを見たいという気持ちがあれば、 可能性は無限に膨らむ。自らが選択し行動することで、人は結果としてリーダーと呼ばれるのだ。(P39ぺージ) ーー 中年がある時期、立ち止まり、自らの来し方を振り返ることには意味がある。 三十代半ばから四十代は、「人生の正午」に当たる。 学校を出て働き始めて二十年近くが過ぎ、定年を迎えるまで二十年少しを残している。 十分に経験を積み、現実もそんなに甘くないことは分かっている。 そのぐらいの年齢で、 自分は本当に何を実現したかったのかを考え直す意味は非常に大きいのではないだろうか。(中略) 今なぜ仕事をしているのか、その会社や組織で働くことにどういう意味があるのか、 自分のいる場所にとどまり、会社や組織、社会に対しても貢献できて、そして何より 自分が生きいきできる夢とは何なのかを、考えることもできるのではないか。 とどまって挑戦する。精一杯やって、どうしても駄目だったら、別の場所を考え始めればいいのではないだろうか。 そう私は、強く、とても強く信じている。中年の夢は、自分と真剣に向かい合い、よく生きるためのガイド役になりうる。 だだ、そうかといって、中年の夢が、神の啓示の如く、非連続に突如降りてくるというわけでもないだろう。 むしろ今まで生きてきた自分、自分が無意識にしても大切にしてきた自分との連続線上に、夢が浮かび上がって くるものだと考えられる。 (161?162ページ) (2008/04/09字数の関係でカット) ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ ・・・・・・・ 2006年04月10日(月) 1833, ずっとやりたかったことを、やりなさい?6 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ー読書日記ー この本の最後のページに書いてあった言葉である。言葉の効用を最も深くあらわしている。 言葉は人を生かしもすれば、殺しもする!じっくり考えると、般若心経が一番効用がある! 生まれる前も、死んだ後も、そこにあるのは「無」である。いや「空」である。全てが、そこに帰結するだけである。 最後は一人である、人間は身近な人の慰めをもとめても、深いところの慰めは得られることは少ない。先人の深い言葉は、 数百年数千年の時空を超えて我われを元気付けてくれる。先人の言葉を探し求めれば、必ず我われを勇気づける言葉はある。 ー癒しの言葉ー 言葉を濡れた冷たい布切れのように折り畳み あなたの額に置いてあげたい。あなたの手首を包んであげたい。 ほら、ほらとその言葉は語りかけるだろう。あるいは、もっとましな言葉を語りかけてくるかも知れない。 私は言葉に、何もかも大丈夫よと囁いてくれるに頼むだろう。私は言葉に、あなたを一晩中抱いてくれるように頼むだろう。 熱で火ぶくれになり、やけどを負った箇所に 熱があなたを傷つけた箇所に言葉を塗り込め、冷やし、なだめてあげたい。 言葉でもって癒してあげたい。 ー 丁寧にキヅ口に当てればタチマチ、傷口から優しさが沁みこみ、そして深い経験に昇華する。 ε(´',_c')зβyё ・・・・・・・・ 2005年04月10日(日) 1468, 通販の時代の到来 先日、NHKのニュースで「韓国のホームショッピングが、デパートの売り上げと同額になった」と報じていた。 ・韓国では既にインターネットの普及率が70?を超えたこと ・光ファイバーが隅々まで配置されている などが理由にあげられるという。、 結婚式などの無形商品もTVでそのサービスを見て選定をしてから、2〜3の会場に行って決定するという。 日本もここにきて、本格的に光ファイバーが家庭に普及しだしてきた。 数年もしないうちに韓国と同じような状態になるだろう。このことは情報化の象徴的な現象とみることができる。 それにしても、TVショッピングがデパートの売り上げを超えようとは感慨深い。 私の場合は、電気製品を買う時は必ず価格ドットコムを見てから、量販店に、その事実と価格を告げて数?を上乗せをして買う。 万一故障の時、直接メーカーと交渉するのが面倒だからである。健康食品と書籍も、半分は直接ネット上で買っている。 生物は経験の重なりが知識・情報になり、その結果として進化してきた。ところが、その情報がインターネットで瞬時で 世界中に飛び交う時代になったのだ。これは人類にとって大革命である。 そして、このことが社会を根底から変えている。 新潟の駅周辺にも、隠れ居酒屋が彼方此方に出来始めて何処も結構繁盛している。リクルートなどが出している情報誌を見て、 予約をしてくるという。新幹線の中で、最近パソコンを使っている人が目立ち始めてきている。 また、事務所も自分のセクションのないフリーのものが増えてきたという。パソコンに事務所機能が入っているので セクションがないほうが合理的になる。日本も光ファイバーが、会社と事務所に本格的に入ってきた。さらに TV機能の付いたパソコンと携帯電話が一般的になってきた。これらが社会にもたらす影響はこれから色いろなカタチで 出てくるだろう。一昔(5~6年前)では考えられない面白い時代になった。経営する立場は大変である、 一強多弱しかないのだから。 ーーーーー 2004年04月10日(土) 1103, マスコミは戦争地域には・・ 今回イラクでこうそくされた邦人は何なんだろうという疑問がわく。NPOに名を借りた1発屋のフリージャーナリスト。 現地に行って、その体験記や写真を新聞社に提供するのである。リスクを売りにするのだから、殺されてもいたし方が 無いともいえるのだ。当然殺されるのも覚悟の上のイラク行きであったはずである。 以前「ヌーの河渡り」に行った時の添乗員兼インストラクターが「アフリカ専門何でも屋」であった。 TVでアフリカの事件が起きると何回かTVに出たことがあるが、殆どの人は名前も顔も知らない。 アフリカの紛争地に日本のマスコミと契約をして、記者が行くに危険すぎるところに乗り込んで行くのが仕事。 新聞社などの記者では、現地で死んだり、怪我をした時に、自社の社員には余りにもリスクと金がかかりすぎる。 フリージャーナリストの存在は互いに都合がよいという。生命の危機や虐殺の現場に何回も出くわしたが、慣れてくると、 その危険がたまらないという。日本に帰ると病院の精神科に通院しているとか。マスコミは奇麗事をいっているが、 実際に身体を張っているのは、そういう人なのだ。アフガンの戦争時も、そういう日本人ジャーナリストが一時現地で 行方不明になったことがあった。今井さんという18歳の青年は、両親や兄に必死に止められたようだ。 しかし退避勧告の中に行ったことは、まぎれもない事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年04月10日(木) 736, まずは「一日一図」から このホームページを開くきっかけをつくったのは久恒啓一著の「インターネット勉強法」である。 先日、彼の本を買った、三冊目である。『人生がうまくいく人は図で考える』である。 なるほど買って読んだら単純にみえたが、なかなかよい本である。 ・なかでも「一日一図」がよい。 ・それと「借図から創図へ」。 ・「文図両道」 ・また「図解は一日にしてならず」もよい。 サッソクこの本の勧めるとおり、3日前から大学ノートに「一日一図」専用ノートをつくった。 そこでまずは「借図」がポイントと気づいた。 気に入った図を、そのまま真似るのだ。 次に「図解は一日にしてならず」もなるほどと思った。「借図」を続けることで、自分の「創図」をつくっていくのも肯ずけた。 レオナルド・ダビンチなどの天才のノートは、空間をタップリとって文と図を解りやすく書いてある。まさに「文図両道」。 レオナルド・ダビンチのノートなどを借図にして、身につくまで真似ればよい。しかし、なかなか図解するのは身に付かない ものである。そこで「1日一図」を実行するのが第一歩だ。どこまで続くかだが、四行日記あたりをこれにしてもよいだろう。 ーまずは「随想日記の下書き」や「読書日記やその目次写し」から始めてみよう。 以下はインターネットのホームページからのコピーである。 (字数制限のためカット 2010年4月10日 「図解 人生がうまくいく人は図で考える 」 久恒啓一 販売元: 三笠書房 ・・・・・・・・ 2002/04/10 不安解消法 学生時代読んだ本だが、カーネギーの「道は開ける」に書いてあった方法である。 記憶なので何処まで内容が正確か定かでないが書いてみる。 ある不安があったとすると、 1、まずその不安な気持ちの対象を書き出す。 2、その不安のさらなる最悪の出来事を想定して書いてみる。 3、その解決方法を幾つか書き出してみる。 4、それが本当に起きるだろうかと、今一度自問してみる。 5、そのプロセスで不安感は消滅してしまう。 という内容だったように記憶している。これを実行していく中で、不安症の性格がかなり修正された。 「まあその時はその時さ!」「何とかなるさ」「考えても仕方ない事は、考えても仕方ないさ」が口癖になった。 不安を感じた時、それを直視すればそれは不安でなくなる。それに対する方策を考えれば、それが不安そのものを解消する。 不安そのものが、手順を考えるプラス要素に逆転する。実際にケニヤにはじめて行った時の不安は、想像以上であった。 添乗経験10年の女添乗員と家内がヒソヒソと不安そうにロンドンへの機内で話していた。 「ロンドンで降りようか」と。 実際タンザ二アやインドに行った時も「不安というプレッシャー」が襲ってきたが、 実際はその数百分の一でしかなかった。その時時に、その不安を具体的に考え、その対処を具体的に考えていくしかない。 事業も然りであった。具体的に具体的に考えるしかない。そして具体的に一つずつ解決していくしかない。 「それで済むな生易しい問題は、本当の不安でない」という言葉が聞こえそうだが。 「直視できない問題だから大変なんだ、不安なんだ」 それももっともだが。
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2010年04月09日(金)
先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、 それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。 その中で、野口悠紀雄が、 「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を「米国の金融危機」と 考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた日本の産業構造にある。 戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格のバブルによって、 結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。 当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、 日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。 数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。 09年の2月の輸出額は3兆5300億、これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの 購入を支援している。これは、今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。 これも、期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセント というが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。 彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとした述べているといってよい。 欧米の失業率が10パーセントに対して、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。 それが、一挙に二倍、三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。 まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、 これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、消費税のアップが必要である。 ただし、国民を納得する上にも国会議員、そして地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。 スマトラ沖地震の津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。 ・・・・・・・ 2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5 2009年04月09日(木) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。 =その事例から= ー広告代理店の勤務ー 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 ー中学校の教師ー 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。 ー音楽業界にいるものー 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。 ースポーツ業界にいるものー ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。 ー料理人ー レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。 ―― スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。 次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。 ・・・・・・・・・ 2562, ドル覇権の崩壊 -1 2008年04月09日(水) 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか? まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。 ーー 「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界 副島隆彦著 ー背表紙裏の説明文 ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった 2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、 ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジという考えに変わりつつある。 日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、 これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。 ー 目次 ー 第一章 2008年末からドルが大暴落しアメリカ帝国は衰退する 2008年末にかけての為替と株の動向を予言する 円キヤリートレードは金融博打である いまのうちに黙って人民元を買え! ジェイ.ロックフェラーはアメリカのバブルを延命させて最後には奈落に突き落とす 財政と金融の政策をごっちゃにしてきた日本 すでに金融統制経済は始まっている ドルは2008年末ごろ暴落を始め やがて一ドル80円台の超円高が出現する ユーロの台頭でドル離れがますます進む アメリカの国力衰退によって円安の日米秘密合意も壊れていく アメリカ住宅バブル崩壊が世界恐慌の引き金を引く バーナンキは米ドル紙幣を刷り散らして大不況突入を阻止する 原油価格がさらに高騰すると米国内では非常に危険な状況に 原油高騰は日本にとってはチャンスの到来 これからのエネルギーの鍵を握るのは何と原子刀発電 第二章 世界はこうしてドルに騙された (字数の関係でカット2009年04月09日) ・・・・・・・・・ 2007年04月09日(月) 2197, ファンタジー文学の世界へ ー3 ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス! 「ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?) ■目的と存在 ?「ある人生とする人生」について 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と ‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな 時間が持てなくなる。 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」 ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは人生の目的を意味する。 人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。 抜粋にあるとおり、若きゲドは「する人生」に飛びついたという。 目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。 目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだからである。 目的と行為の一体性には、何ら問題がないように無いように感じるかも知れない。 しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、 何もしないことや、何もできないことが自分にとって否定的に感じてしまう。 とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが鬱陶しくなってくる場合が 多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ「ある」という、 それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。 この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。 ・・・・・・・ ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、 本人はそれを喜ばない。そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、 そして、おそらく、いちばんつまらないものが、この大賢人というやつだ」と。 河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。 ユングがフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される) しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。 コスモロジーとは、この世に存在するすべてを、自分もそこに入れ込むことによって、ひとつの全体性へと 作り上げることである。世界を対象化するのではなく、自分という存在との濃密な関係付けの中で、 全体性を把握することである。本人のなんらかのパフォーマンスが要請される。」 ・前半の問題とは、平たくいうと「生きるためにすること/壊すこと」、 ・そして後半の問題とは「死ぬためにすること/創ること」である。 若い時は攻撃的だったのが、人生の後半になると大人しくなる。 前半は「する人生」、後半は「ある人生」に転換してしまう。 ーーー 解)人生を振り返って一番重要と思えるのは、無駄と思えた『浪人』の時期である。 一度、リセットをして一より考え、出直す時であった。 その時は、無駄で意味がなく惨めで、辛く悲しいとしか思えない。 しかし、その時ほど人生で一番大事なことをしていた時期であった。 水平から、縦に立っているから、水平線の人からみたら無駄飯食にしか見えないし、 当人も、仕方なく縦に立っているしかない。しかし、「する人生」を振り返り、 「ある人生」の転換期でもある。水平の彼方の地平線が果たして幻覚かどうか、眼を据えて見るときである。 「する」と「ある」という面では、ホテル業も似たところがある。 立ち上げ(創業の時)という晴れの時と、日々の日銭で借金を返す倹約時(ケの時)と明確に分かれる。 それをツマラナイとみるか、面白いとみるかは、性格によるだろう。 ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ・・・・・・・ 2006年04月09日(日) 1832, グーグル完全活用本 ?1 ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★ ー読書日記 この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった) この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。 (ウェブ進化論の影響があるが) もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。 別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。 30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。 もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。 これがキーポイントになる。 ~~旦_(^O^ ) この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。 ・「120×180= 」と計算式を検索の窓に入れるだけで答えが、 ・「新潟市 郵便番号」と入れれば、新潟市の郵便番号がすぐ調べられるHPが、 ・「和英 何々」と入れれば、和英辞書の検索のように英語が、 ・税金を調べたい時は「税金□(空間)源泉□控除」と入れれば、効率よく調べたい内容が、 ・ある企業の株価を調べたい時は「企業名と株価」を、そのまま入れればよい。 「ダイエー□株価」(□ー空間)と。 ・「イチロー」以外の「鈴木一郎」を検索する方法として、イチローの前にマイナス記号をつけて ( 鈴木一郎 -イチロー)とすれば、イチロウ以外の鈴木一郎の情報が出てくる。 ・キーワードを<" ">で囲むと、完全一致検索ができる ーその言葉の範囲内で検索する。 ・意味を知りたいときは「?とは?」といれればよい。 ・多く使えるのが「ビジネス□ ”文例集”」である。ビジネスの部分に色いろのキーワードを入れればよい。 「”文例集”」 ー 手紙、スピーチ・・・ 知人が私の「随想日記」を読んで、どうしてそんな細かなことを知っているのか 不思議そうな顔をしていた。 別に物知りなのではない。 本の引用と、この検索から引き出しているだけである。 グーグルのサイトは、普通の「検索サイト」と思っていたが、 実は「人工知能」という方が正しい。擬人化をするか、電子図書館と思えばよい。 ・・・・・・・ 2005年04月09日(土) 1467, おしっこ 雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。 「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。 やはり妙な気分であった。馬鹿みたいだが面白い。この詩の、おしっこの代わりにウンコを思い浮かぶと更に面白い。 何か臭いがしそうなので、やはりおしっこの方がよい。でも、その方が人間の露な姿を表現できるだろう。 シンプルな詩であるが、中味は濃い。
曲・ 小室等、 作詩・谷川俊太郎 ーお し っ こー 谷 川 俊 太 郎
大統領がおしっこしてる おしっこしながら考えている 戦争なんかしたくないんだ 石油がたっぷりありさえすれば
テロリストもおしっこしてる おしっこしながら考えている 自爆なんかしたくないんだ 恋人残して死にたくないもの
兵隊さんもおしっこしてる おしっこしながら考えている 殺すのっていやなもんだぜ 殺されるのはもっといやだが
男の子もおしっこしてる おしっこしながら考えている マシンガンを撃ってみたいな きっと気持ちがすっきりするから
武器商人がおしっこしてる おしっこしながら考えている 銃がなければ平和は守れぬ 金がなければ自由も買えぬ
道で野良犬おしっこしてる おしっこしながら考えている 敵もいなけりや味方もいない ただの命を生きているだけ
・・・・・・ 2002/06/05 おしっこをしながら、水を飲む (字数の関係でカット2008年04月09日) ・・・・・・・・・ 2004年04月09日(金) 1102, つもりちがい十ケ条
高いつもりで 低いのが教養 低いつもりで 高いのが気位 深いつもりで 浅いのが知識 浅いつもりで 深いのが欲望 厚いつもりで 薄いのが人情 薄いつもりで 厚いのが面皮 強いつもりで 弱いのが根情 弱いつもりで 強いのが自我 多いつもりで 少ないのが分別 少ないつもりで多いのが無駄 そのつもりでがんばりましょう 天台宗別格本山 両子寺 人間の浅はかさ、のぼせ上りをいっている。「般若心教を唱えていたので、高いも低いも、深いも浅いも、多いも少ないも、 『色即是空・諸法空想』としか思っていなかったつもりであった」が、果たして実際はそうであろうか。いや、そんなことはない。 この通りであった。この随想日記をその全てを露呈しているではないか。恥ずかしいことである。 それにしても、人間の心理の 一番奥の逆上せ上がりをそのままついている。これを読めば読むほど、本当に自分はバカで卑小とつくづく思ってしまう。 ・・・・・・・・・ 2003年04月09日(水) 735, ホームページを開いて二年 このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。 脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。 お笑いであったり、癒し系であったり、人間観察であったりだ。・何事も三年である、あと一年は今のペースは 続けるつもりである。随想テーマ日記の千項目がもう一つの目安だ。・毎日書き続けるとネタ不足になるが、それが外部の 情報収集の動機になる。公開をして第三者の目を意識をして書くことで、自己コントロールをするようになった。 書き続けること、改善し続けることで自己の外部化をしていることになっている。毎日文章を書き続けることは大変である。 「今日飯食って、会社に行って、テレビを見て寝た」という内容なら如何といことないが、テーマをみつけて筋の通った? (字数の関係でカット2008年04月09日) ・・・・・・・・ 2002年04月09日(火) 371,花見 いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。 「散る桜、残る桜も散る桜」 毎年このことをおもいしらされる。人間の人生の短さに例えて言っているのだ。 所詮自分の死もいずれ近くやってくる事を言っている。京都の桜も素晴らしい。それぞれの地区で素晴らしい桜の名所がある。 この時期の名物の一つである。7年前私の従兄弟が桜の散際に自死をした。桜が好きで毎年写真を撮っていたという。 なくなった後で、その時の写真を見せてもらった。なくなった通夜の納棺の時、突風が吹いた。納棺の桜吹雪である。 背筋がこうりつく思いであった。 こういう事が実際あるのだ。桜は人間の人生を見せてくれる。その年も桜の当たり年だった。
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2010年04月08日(木)
先日、何気なくTVをまわすと平山郁夫の絵と、彼の原爆体験などの逸話などを取上げていた。 原爆後遺症で一時は死も覚悟したなかで玄奘三蔵をテーマとした『仏教伝来』を描きあげ院展に入選した平山郁夫の作品には 仏教をテーマとしたものが多く、それがインドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の 西と東を結んだシルクロードへとつながっていった。 彼は東京芸大教授、そして学長になるが、 何ともいえない風貌に教養の深さを感じ取ることができる。 この番組で、彼の逸話が印象に残った。 「ある先生に、人の真似をしないこと、と教わった。そのためには独自の世界を創り、それを表現すること。 独自の世界を創るには、はば広い教養が必要である」と教えられ、痛感。 それから宗教、哲学、歴史など幅広い分野にわたり猛勉強をした。その裏づけがあるから、あのような絵が描けるのである。 この齢になって幅広い教養のベースが、その人なりであると、つくづくと感じ入っているため、尚のこと納得をした。 先日、TVを通して400年前の画家・長谷川等伯の絵を見たが、その中にある幽玄な世界に、等伯の魂を 数百年の時空を超えて感じとれた。 絵の中に彼の独自の精神世界が全て込められている。 独自の世界をつくり、その世界を表現することが最も重要なこと。 そのために幅広い知性と教養が必要といわれると納得できる。その結果、真・善・美という価値が自然に現れ出ることになる。 経験、そして知性を裏づけとした教養を考えると、何か心寂しい己に寒気がする此の頃である。 良い学校に行き、良い師に出会い、良い友人と語らう中で、教養のベースができるということか。
・・・・・・・・ 2925, 中沢新一の『三位一体モデル』 −4 2009年04月08日(水) *「三位一体モデル」と「カ・タ・チ・モデル」の相似と違い三位一体のモデルを肯きながら読んでいて、 似ている思考モデルを思い出した。創造工学の故中山正和の創造思考法である。 ・カ= 神の閃き(神のカ)・タ= 田んぼのタで、カタチ取りをする・チ= 道のチ、血のチ、力のチで、エネルギーを注ぐ カタ=カ+タで、型をつくることになる。 カタ+チ=カタにエネルギーを入れて、カタチ(創造)にすること。 何かそっくりだが、彼がこの三位一体モデルから、このヒントを得たかどうかは分からない。 「三位一体モデル」は、父、子、精霊のうち、まずは子の設定をした後に父たる普遍と、増殖する精霊を考えるのが自然である。 しかし、それに対して「カ・タ・チ・モデル」は、カの閃きから、カタ、カタチ、へ発展していく考え方である。 そうすると三位一体の父たる「閃き」を纏めるに、「カ・タ・チ・モデルを使えば良い。 二つの思考法の合体である。いや、ややこしくなるので類似した思考法があるというだけで良い。 カ=頭、タ=身体、チ=血液(循環器)・エネルギーということか? 思考法として、『起承転結』『カ・タ・チ・モデル』『正反合モデル』『曼荼羅思考法』『雑記ノート書き散らし法』などを メインにしているが、『三位一体モデル』が一つ加わった。次回は、この本の最後にあった、各職業の『三位一体モデル』 の実例を書き出してみる。 その一つだけを、まずは紹介してみる。 ー書籍の出版社ー 私たちの場合は、一冊の本ごとに「三位一体」があるといえます。 作家、作者が「子」であることは分かります。その作家に本を書かせた「動機」が、これが「神」なんです。 書いた人がいて、彼が書いたものがある。それを書かせたものがあるとしたら、それは「父」です。 何しろ、初めに「子」ありきで、一冊ずつ、みんなそうだとしたら、出版社は八百万の神々の集会所のようなもの。 ・・・・・・・ 2561, ウォルト・ディズニーがくれた夢と勇気の言葉 ー2 2008年04月08日(火) 創業のノウハウの全てが、ディズニーの全てに入っている。それが遊びという世界で万人が解りやすいから、 尚のこと心を打つのである。感動、そして共感が一つずつのイベントに入っている。その原点が、チャップリンの凝縮された ミッキーマウスから出発している。ディズニーのの世界は参加型バーチャルであり、夢の世界で幻想を楽しませる。 明るく、光にみちた世界に一時を過ごすのである。 ーーー ひとつ踏み出す、つまり、新しいことをやってみるということは勇気がいるけど、自分を信じて、思いきってやってみよう。 ひとつ踏み出さなくちゃ、何にもはじまらない。解)その一歩の勇気、それが大きく人生を左右する。 その一歩も裏づけを十二分に持ってないと、逆の結果になってしまう。 ーー 「人生の素晴らしい瞬間というのは、自分ひとりのためよりも、愛する者たちのために行ったことに結びついている。」 解)押し付けにならない程度のことだが。 ーー 実は人々はお互い相違する点よりも共通する点が多いということを、伝えていく。 解)自分の中に、その共通点を見出していくのが教養? ーー ただ、絶対に忘れてならない。すべてのはじまりが一匹のネズミだったということを。 解)ミッキーマウスが、チャップリンの漫画化ということも? ーー 我々は何か人をひきつけるものが欲しくて、チャップリンのような切なげな様子を持つ小さなネズミを思いついた。 とにかく精1杯生きているちっちゃなやつ、というような、どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれる ことだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。 ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。 ーー どこにいても人々がミッキーを見て笑い、共に笑い続けてくれることだけを求めた。 特に社会的象徴のような重荷を課したりしなかったし、社会の欲求不満を代弁したり、 痛烈な皮肉をしゃべらせたりしなかった。ミッキーは人を笑わせる使命を与えられた小さな人格なのだ。 解)笑わす使命を与えられた人格=チャップリン か? 気の毒じゃないか、そういうのは? いや、人に微笑を浮かばせることこそ、人間としての使命ではないだろうか。 ・・・・・・・・ 2007年04月08日(日) 2196, ファンタジー文学の世界へ ?2 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「 ファンタジー文学の世界へ」 ー読書日記 ーP57〜58 「シーズ・リーヴィング・ホーム」はビートルズの画期的アルバム 『サージャント・ペーパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド』の挿入歌である。イギリスの教育界では粋なことに、 この詩について二年にわたる論争があったという。一方は「この詩は家出を推奨しているので青少年に与えるべきではない」 もう一方は「この詩こそ、現代家庭内の人間関係の疎外感を象徴している」という肯定的なものである。 教育界でこのような論争が起こるということは大変好ましいことである。ここには誰も悪人はいない。 ただ、人間の持つ自立願望(依存対象からの脱皮)に伴う絆(家族以外への愛情転換)にかけようとする一種の成長願望があり、 そこに向かおうとするパッションが、世代間における微妙な心の差異、そこから生じる疎外感の蓄積となっていく。 以下は、その挿入歌の詩を訳したものである。 ーー 「彼女は家を出て行く」(シーズ・リーヴィング・ホーム)ービートルズ
水曜日の午前5時 夜が白み始める頃 そっと寝室のドアを閉める書き切れない思いの残る手紙を残して 階段を下りてキッチンへ向う手にはハンカチを握りしめながら 裏口のドアの鍵を静かに回してみる 外へ出る とうとう自由だ
彼女は (あの子のために何でもやってきたのに) 出て行く(夫婦の生活などは犠牲にしてきたのに) 家を (欲しがるものは何でも買ってあげたのに) 彼女は家を出て行く 一人ぼっちで寂しかった 何年も何年も (さようなら)
父はいびきをかいている 母はガウンに袖を通す そこにあった置手紙を見つけて拾い上げる 階段の上で呆然と立ちつくし 泣き崩れて夫のもとへ駆け込む お父さん、あの子が家を出て行ってしまったのよ なぜ私たちがこんな目に会わなくてはならないの あの子は一体どうしたっていうの
彼女は (私たち夫婦のことなんかどうでも良かったのに) 出て行く (自分たちのことなんか二の次でやってきたのに) 家を (頑張って頑張りぬいて何とかここまできたのに) 彼女は家を出て行く 一人ぼっちで寂しかった 何年も何年も (さようなら)
金曜日の午前9時 遠く離れた場所にいた きちんと約束の時間に待ち合わせ 自動車の仕事をしている彼氏がやってく
彼女は (私たちは間違っていたのだろうか) 楽しい時を (間違いだとは思いもよらなかった) 過ごしている (楽しみをお金で買うことは出来ない) 彼女の心の中の何かが否定され続けてきた 何年も何年も (さようなら)
彼女は家を出て行く (さようなら) ーーー 解) これも、親離れへの情操の心理であり、誰もが通過しなくてはならない通過儀礼でもある。 もし何らかのカタチで、このアップ・スケール(自立)をしないと、親という山姥に一生をとって食われてしまうことになる。 しかし、親の愛ほど純粋なものはない。特にお腹を痛めた母親は、「子供は分身」という思いは強いだろう。 親離れ、子離れの問題は、嫁・姑の問題と同じく、人類の永遠の問題である。私の場合、八人兄姉の末っ子で、両親の (特に父親の)深い愛情の元で育った。試行錯誤の後のため、いや大家族のため束縛は殆んど感じなかった。 しかし両親が死ぬまで、盆と正月は、就職をした年を除けば、全て両親と過ごした。そういうものと信じて疑わなかった。 少子化の時代。両親と子供の関係は強くなり、親離れの問題は大きくなる。 気の毒といえば、気の毒である。 ー続く ・・・・・・・・ 2006年04月08日(土) 1831, ブログの話 は(* ̄(エ) ̄)ノろぉ(* ̄(エ) ̄)ノ 世界に80億のサイトが存在しており、日本のブログは、500万。アメリカでは2000万もあるという。 この中で、いかに面白い自分にあったブログを探し出すのがポイントになる。先日NHK・BSで、「ブログおもしろ大賞」 を特集していた。おもしろいブログを紹介する番組。エントリーされた中から2つのブログが大賞に選ばれた。 それぞれの個性がはっきりしていた。いろんな要素を加え、角度を変えることで特徴が出ていた。 大賞は、「世にも奇妙なグルメリポート」と「夢を追う男」面白そうなので、メモをして幾つか見てみたが、 ナカナカ味がある。「しまふく寮日記」「クリックブログ」「サブ・カルチャーの達人」「ガラクタイチ」 「うちの三姉妹」「月刊男心」「ゆめおう男」「私がみた事実」「ニコニコルソン」「東京テッシュ」「元プロ野球選手の セカンドキャリア奮闘記」その中で一番面白かったのが、これである。このブログの一部をコピーしてみた。 〜〜 (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが? 「夫の不倫観察日記?阿修羅のごとく?」 夫がまた不倫をしている。 ・・・また・・・そう、これが初犯ではない。この際、もうネタにするしかないか。 夫の浮気の一度や二度や三度・・・見て見ぬフリをしてきた。しかしながら、今回はとうとう寛大な妻の『地雷』を踏んだぞ! 夫の不倫、観察します。 妻の皆さん、一緒に笑ってください。夫の皆さん、妻の恐ろしさに震えてください。 =これだけで、もう引き込まれてしまう= ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・ 2005年04月08日(金) 1466, 閑話小題 ーロシア人の大立ち回りのその後ー 拘留されて三週間、あと一週間で国外退去になるという。領事館が中に入って、警察の提案で告訴を取り下げることになった。 本人は日本の留置場に入るために来たようなものであった。頭がおかしいとか、薬中とは警察も言わなかったが、国外退去が 妥当というところであろう。損害は20万弱でほぼ保険が下りることで実損は無かった。「何で?」という疑問が残ったが。 ー不景気風ー このところ、4月になるとピタッと客が遠のく。毎年のことだが、連休までは気持ちが悪いほど街そのものも閑古鳥が鳴く。 ー音楽の世界ー 私にとって高価なコンポを買った為に、知らなかった音楽の世界を飛躍的に知ることになった。 これが10万以下ならそうはいかなかっただろう。そろそろボーズのコンポの熱が冷めてよいころだが、 それでも最低2?3時間は聴いている。元々CDのソフトが揃っていたこともあるが。 読書日記で書くつもりだが、「知りたいことがなんでもわかる・音楽の本」がクラシックから、 ジャズ、ロックから、日本のポピュラーや伝統音楽まで、地図のような案内書になっている。 何回か読んでいるうちに、それまで断片的にしか知らなかった音楽の世界を少しは鳥瞰できるようになった。 他にも楽器の成り立ちや、種類や、音響マニアの存在、そしてCDよりすぐれた SACD(スーパーオーディオCD)が5?6年前より市販され、最近になってドンドンソフトが 出されているということも知った。あの会場で聴い音が良かったのは、コンポそのものの性能だけでなく、 録音技術も、CDそのものも飛躍的に進化していたためだ。本屋で立ち読みをした音楽雑誌の音響広告に、 サッカーボールのようなものに、多くのスピーカが何面(8?12面?)も付いていたものがあった。 其々にアンプがついていて、室内の空間の壁に向かって反響させるためだ。 ・・・・・・・ 2004年04月08日(木) 1101, 春がきた 新学期が始まった。春は誰にとっても心躍る時期だ。幼稚園生、小学生、中学生、高校生、専門学校生、大学生と街に 初々しい姿が見え始めた。そして春といえば桜、その桜の花も咲き始めた。自然と春の歌が自然と口に出てくる。 「春がきた、春がきた、何処にきた、山にきた・・・」「春のうららの隅田川・・・」何か魂の故郷に里帰りをしている ような気持ちになってしまう。近くの川には鴨が浮かび、雀がさえずり、小さな花があちこちに見える。 春は皆にとって、心がときめく。全ての始りのような気持ちにさせてくれる。新鮮な希望の時なのだ。長い冬は、春に とっての母でもある。そこで大きな愛を充分与えられるのだ。春は長い冬の眠りの中で過去を蓄積をして未来を膨らます。 ・・・・・・・・・ 2003年04月08日(火) 734, またまたお金の話ー銀座のママの・・ 「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」の題名につれてて図書館で借りてきた本だ。 日本のトップの財界人や政治家や役者などのお客の色いろな人生の浮き沈みを見てきているはずである。 軽く読むにはなるほど面白い内容だ。 私は高級クラブなど、殆ど行かない主義。バカバカしいと思うのだが、 といって数回行った銀座の店の気分の好さは今でもはっきり憶えている。5万10万出しても、価値を感じさせる何かを 常に店に演出しているのだろう。なるほどというのが所々納得できる。 このママの店のホームページをみてキーワードは、 「明朗会計」と「銀座としての安さ」である。以下はある書評からのコピーである。 ーーーー 数々のベストセラーを生み出した作家「ますいさくら」の双子の姉、ふたご屋のオーナーママ、「ますい志保」が「銀座」 から学んだ成功法則を元に、お金をつかむコツを知ったいわゆる出来る男と出来ない男の違いを語ってくれます。 不況こそチャンスと考える「出来る男」の成功法則やノウハウもぎっしり! やはり彼女は男を見る眼が違います! 「ふたご屋」のWebサイトはこちら http://www009.upp.so-net.ne.jp/futagoya/ 人の世の摂理、富、名声、愛、信頼と裏切り。 人生の「旬」、成功と挫折、欲にまみれた人間模様。濃密な時間が流れる街、「銀座」。巷には、不況や不景気を 言い訳にする人は多く、夜ごと、愚痴や不満を口にしていませんか?語った「夢」に今でも責任を持っていますか? 能力だけではつかめない「お金と成功」。では、成功者たちは日頃からどんなことを実践しているのでしょうか? 「どなたも特別なことをされているわけではありません。誰にでもできる、ちょっとした工夫で成功と大金をつかんだのです。」 ーますい志保? その「ちょっとした違い」の一部をご紹介しましょう。 【目次から】 ー感想ー この本から感じたことは、著者に上手くいく人の典型をそのままに観たことだ。学ぶ姿勢、不景気の時代の合わせた廉価の追及、 好きのことの追及などなどである。一番印象的だったのは、たたき上げの居酒屋チェーンの社長が言ったという 「銀座ママが明かすーお金に好かれる人 嫌われる人のちょっとした違い 」 ◇著者:ますい志保 (字数の関係で中略2008年4月8日) ・・・・・・・・・ 2002年04月08日(月) 370,なりきる 散歩のときはウオーカーに、旅行の時はツーリストに、会社に行けば会社の立場に、家に帰れば父親になりきる。 そしてなりきった立場で色々な自分を見てみる。散歩の時、会社のことを考えたりして景色が見えなかったりする。 海外旅行でのケース。今まで会社の役員をしていた人が、その役員の状態で来ていた。奥さんがその人を、社会への リハビリでこの旅行にきたといっていた。かたっぱなしに同行者を皮肉っていた。上から見下ろしている視線を 引きずってきていたのである。考えてみたら、なりきってない方が多いのではないだろか。 学生時代に学生になりきっていなかった自分。必至で働いていたあの時期、その時はなりきっていた。 実際なりきれないで、失敗を重ねていくのが人生かもしれない。同級会などで久々に会うと、時間を超え昔の自分に いつの間になっている。花が「今花やってんねん」と主張していると、考え見ている自分。 その時は見ている人になりきっている?いやなりきってないか?名優は端役をやっても光ると云うが、名優の名優たる 所以はなりきることだ。 ところで自分は今、書き手になりきっているだろうか?
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2010年04月07日(水)
* 軍事戦争から金融戦争へ(兵器から債権へ)
経済評論家の田中宇が「金融世界大戦」という造語で、現在の金融恐慌の本質を説明している。 さらに「金融兵器」という恐ろしい言葉が加わったのである。これをアメリカ国内だけでなく、世界中に時限爆弾入り兵器 という危ないやつである。 何処かで爆発をすると、それは繋がっていて連鎖爆発をする危険なシロモノ。 「世界的な軍事戦争が出来なくなった代わりに、金融による世界覇権をめざした米英が、破壊兵器=金融債権を武器に世界制覇を 狙ったが、それが敢え無く破綻し、世界を恐慌に導いてしまった。 一時、世界経済を米英を親とした「ねずみ講」をつくり上げ、 世界中のものを紙切れで買い漁っていた実態が崩壊した。 これで世界中の貨幣制度の根底に大きなヒビが入ってしまった、しかし 大元のアメリカは破壊した金融機関やGMなどを国有化し、何とか体裁を保っているドルを注入し、立ち直りを図っている。 詐欺師は元もとの金(キン)や資源を温存しているから、ドルや債権の価値を徹底的に下げてしまえば、傷は最小で済む。 しかし被害者は 輪転機を持っているわけでない、その負債を負わされ国家破綻、すなわちハイパーインフレで国民の金融財産の大部分が消滅する。 世界の国々はアメリカの、こうしたネズミ講の危なさを知らずにアメリカ国債や、アメリカの銀行が発行するCDOやCDSを 見境なく買ってしまったのである。 現在、各国が何とか金融破壊兵器を爆発させないように必死に持ちこたえているが、 これも時間の問題。 ユーロ圏か、アメリカか、中国から、その爆発が始るのは防ぐことは不可能である。 破壊兵器(債権)は、 世界中にばら撒かれ、連鎖して世界中を破壊する。 それはデフレスパイラルから、ハイパーインフレへの転換期に始る。 日本はアメリカの金融占領国の悲哀を株価暴落か、(一時的な円高の後?に)円安という形で日本を襲ってくる。 「気がつきゃホームでゴロ寝」で、IMFの管理国家として裸同然の国に落ちぶれることになる。 アメリカは第二次大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、そしてソ連の崩壊後は、アフガン、イラク戦争と戦い続けている。 ところがソ連が弱体化を始めた1980年頃から、米英は軍事から金融戦争に軸を変え始めたのである。その一つがプラザ合意 から始る日本のバブルと、破綻である。 そして、破綻した日本の金融株や土地を買い叩き、大きな利益を得たのである。 そして、次はイスラムのテロである。軍事産業にとって、これほどの都合の良いことはない。2001年の9・11テロをキッカケとした アフガン、イラク戦争への突入である。 そこで軍事費を捻出するに何かないかと考えて、米国内の下層への融資を思いつく。 そして、その債権を束ねたバンドル債権をつくり、もっともらしい「格付け機関」をつくり、格付けを高くして金融商品として 世界中に売りつけたのである。 一握りの連中は、それが金融破壊兵器になることを充分に知ってである。 そして、ある時期が来ると丁度良いターゲット(リーマン)を見つけ破綻させたのである。 世界中の資産家と金融機関は サブプライムローンだけんでなく、不動産担保債権や、その損失を保険にした債権などを優良債権と信じて買ってしまった。 実は、これは最も危険な金融武器である。 アメリカ国内にも売りつけているが、その数倍は世界中に販売済みである。 その被害者は、国家管理にして、自分の輪転機で刷った金を投入すればよい。しかし、世界の国々は、それができないのである。
・・・・・・・・ 2924,中沢新一の『三位一体モデル』 −3 2009年04月07日(火) 『三位一体モデル』中沢新一著 読書日記 * 煉獄の発明 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。 それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が煉獄に地獄から這い上がれば、 上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、 資本主義が動き出したのである。これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、 その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、 死後に、煉獄の山を苦労して登り、天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。こうした経緯を経て、 西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。それから、16,17世紀を経て、 19世紀にフル活動をするようになった。もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。発達を可能にしたのは、それに加え、 増殖の原理を飲み込んでいたからである。キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では 資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。1990年代まで続いた東西対立の、 いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、 また、70?80年前に。その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。 ーー 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。 地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・ ・・・・・・・・ 2560, ホモ・ルーデンス ー2 2008年04月07日(月) (*´∀`)」" おはよう☆彡 子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。 人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。 ー文化は遊びのなかにはじまるー 遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。遊びの基本的な要素のすべてが、 すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。 子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという 規則も守っている。まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。 もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。 このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から 遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。 *遊びを定義すると 遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、自発的に受け容れられた、 絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、 また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。 このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、 このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。 ーー 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのものということが 出来る。ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。パソコンのインターネットも、 携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、 仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。 もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。 。・∀・)ノ ホナ! ・・・・・・・・・ 2007年04月07日(土) 2195, ファンタジー文学の世界へ ー1 オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジー文学の世界へ 」ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) ー読書日記 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。 ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。*ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が 詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。 *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。 情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を鳥瞰することも必要となる。 この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を 特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。 この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。 ーー P-23 ■ファンタジーの構造 神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。 これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。 (字数制限のためカット 2010年4月7日) ・・・・・・・・ 2006年04月07日(金) 1830, あちら側の世界 ー8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ? 「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っているような感覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。使ってみると、リアルな感覚になる。 「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス (飛行機)まで紹介されていた。数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、 これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。 北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。大都市圏以外は地形認識までしか できないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、クリックをすると見ることができる。 検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、誰でも無料で見ることができる。 マウスでズームアップもダウンもできる。手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。 この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、マップで日本中の都市圏の場所に 矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、 近い将来は写真になるのだろう。アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが実際は顔の認識まで 可能という。スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。 「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。 ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー (字数の関係でカット2008年04月07日) (v^ー°)バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年04月07日(木) 1465, なんじゃい、こりゃ! またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。 ーー たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」 といって置いていった酒である。その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。 そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、 これが特別なのである。早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は 飲んできたのに。自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、 この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。地元の人がみている前提で書いているが、 美味しいものは美味しい。そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。 「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。 「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。 このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。 そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し 薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。 そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。 数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。 ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー ・・・・・・・・ 2004年04月07日(水) 1100, 撃墜王の秘密 ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」 二人のパイロットは、ハルトマン少佐とその師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、 ロスマンも80機以上も撃墜している。その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、 完治不能の傷を負った。普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい 生き残れないと悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。 彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。 敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を 費やしたのである。彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。 理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。 ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、自らの戦果で証明をした。 ー ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。 普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。 過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。 人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは 一瞬で消え去る。難しいところだ。一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年04月07日(月) 733, 30年間着ている礼服 現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に 母にいわれて、「村田仕立て屋」に、父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、 全く古い感じがしない。私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。それも大体が半日だから、そういたむものではないが。 しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけ。まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。 ということは体形が30年変わってないということだ。 当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。 現在は60キロ、ウエストは79センチだ。ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。 話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたのではなかろうか?」 とこの文章を書いていて気づいた。何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。 嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。 ・・・・・・・・・・ 2002年04月07日(日) 369,植民地経営 西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。 1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治 大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。その前にキリスト教の宣教者を派遣して、 内側から攻めていくのが常套手段だ。秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。 戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。今の日本は王族を飾り物に、 戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。 この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは 周知の事実だ。今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
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2010年04月06日(火)
図書館で久々に小林正観の「人生を楽しむための30法則」を、見つけ借りてきた。 例の「ありがとう」教の本を書いた人である。 それで一番ありがたかったのは、彼だろう。 それはいいとして、何げなく目を通していると、以下のような面白い内容があった。 一理ある。 私の場合というより世界中がインターネットのお陰で情報が手軽に入手できるようになった。 10年前にパソコンとネットに集中したお陰で、良いにしろ悪いにしろ情報の質と量が飛躍的にアップ、 恩恵を充分に享受している。 20年以上の秘境旅行の積み重ねが相乗効果になりベースが大きく変わってしまった。 一年という時間を以下のような1年の重みの捉え方はしたことがない。 まずは、その部分を抜粋してみる。 ≪ 48歳と32歳の間の16年は、単純な年数ではありません。もし今、40歳とすると、40歳までの情報量、 経験量と、41歳までの1年とは、同じ重さを持っています。 その一年は膨大な内容と密度と充実感を持っています。 その41歳までの経験量や知識量、情報量と同じだけの密度と情報量が、今度は42歳までの1年に入ってきます。 つまり今までの人生の総量に相当する情報量や楽しさ、面白さが、これから1年に待っているということです。 今、十代、二十代の方たちにはわからないかもしれませんが、30歳代を過ぎると、加速度的に情報が入ってきて、 人生がますます面白く展開されるでしょう。 そういうわけで、16年の差というのは16年分だから大したことはない、 とうことではなくて、32歳の人と48歳の人は、情報量が二の一六乗違うのです。≫ 〜〜 それは闘い続けていたり、学び続けている人に言えること、何も変わらない人には当てはまらない?と思うが・・。 私自身の実感は正観に近い。 表面的には誰も分からないだろうが10年前の自分と現在の自分は別人と思うほど変っている。 振動針の幅がプラスマイナスが大きく振れるようになっただけで、成長の変化ではない。逆に、経験量、知識量、情報量が 逆に自分をマイナーな気持ちをもたらしたり、これまでの人生の失敗の傷口を広げることにもなる。 そこで、それは他者も同じような経験をしていることを知らなければならない。 それを知る基盤が教養である。
・・・・・・・・ 2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2 2009年04月06日(月) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「霊」は何か? ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。 語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と 構造的に分解している。一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。 その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。「父」たる普遍的なことを、現実の姿として 「子」キリストなどの現象とし、霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。 この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に爆発的に布教していくことになる。 それが西欧資本主義の出発点になるのである。ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。 ーー * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である 「霊」を唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する 存在など、あってはならない。イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、 絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。 イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、「増える」という原理を 組み込んでしまった。イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。 キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な勢力拡大の基礎をつくっていったのである。 ーー 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として建前として使われてきたのは自明だったが、 ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。 ・・・・・・・・・・ 2559, 印度放浪 ー3 2008年04月06日(日) ー語録ー2 人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。 水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで 底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、 不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、 それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や 五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。 水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。 日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、 三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。 それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。 こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。 ーー 犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。 クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。 広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。 それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。僕がエサを取ってしまうとおもったのか、 全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。 眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。 川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、 それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。 そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。で、犬の目から目を離さないように しながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めてこれをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま 少しずつあとずきりをして川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。 奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。 こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから 何となく大丈夫だと思ったわけ。これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。 ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。 ーー インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと一回転して三十六枚押したら、 一本フィトストーリーができてしまう。だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、 全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。 ・・・・・・・・・・ 2007年04月06日(金) 2194, 大人のファンタジー読本 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー読書日記 ー未知なる扉をひらく180選ー 出版:マックガーデン この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。 その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えて ファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、 ネット上の語らいからつくり上げた本。180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。 1P~2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」と言われれば、 間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。初めは図書館で借りて読んだが、 アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。 ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、「ナルニア物語」 そして「ゲド戦記」などが映画化されている。それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。 これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。 ・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が登場して 冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・ ・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして語り直したものをロー・ファンタジーという。 この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、「現実にはありえない何らかの法則に従う 世界に従う世界を舞台にした物語。あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を 主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。 この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、 ロー・ファンタジーなども多く紹介されていて、 ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。 先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い! 小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。 列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。 (^o^)ノ バイ! ・・・・・・・ 2006年04月06日(木) 1829, あちら側の世界 ?7 「ウェブ進化論」読書日記 (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆ ー「アマゾン」とはー =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールに ついてーに重なるが敢えて取り上げる。ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を 予感させる)IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、インターネットが登場するまでは、 出版社と流通業者と書店であった。今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本 ーつまり「恐竜の首」で収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、 事業モデルであった。2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えて しまったことである。日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1をリアル書店が 在庫を持たない本から上げていると発表した。インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。 (字数の関係でカット2008年4月6日) 以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。 世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである! 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。 ー (*"・∀・)ノバイバイ! ・・・・・・・ 2005年04月06日(水) 1464, 発想名人 ?読書日記 最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。 内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。 ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』これが私の最近のスローガンである。 すべての現実の困難は、具体的なアイディアによって乗りこえるものだと私は考えています? ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。 私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。 それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。計画を練ることは、正反合を 繰り返し繰り返ししていくことである。ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。 チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。 ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。特に女性に多い。亭主の否定をして、 稼ぎを当然のように取りあげれば済む。それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。 (字数制限のためカット 09年04月06日) ・・・・・・・ 2004年04月06日(火) 1099, 「80対20」革命 ー4 「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い! ー以下に書き写してみる。 △あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか? 一番熱心になれることは、どんなことか? △自分が有名になったと想像してみる。 どんなことなら有名になれるか? △自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。 人と一番変わっているところは何か? △何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか? △一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか? △どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか? △別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。 △もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、 如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、この随想日記に殆ど 書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまっているからだ。もう見せているから今更だが。 全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。 ・・・・・・・・ 2003年04月06日(日) 732, 「こうすれば良くなる」 いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。 その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。 それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。 それで西欧並みでしかない。日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。 そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。恐慌というやつにだ。いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、 政府の予算規模も縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。 「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきと宣言すればよい。 それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。 このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか? ー以上になる。 人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。 なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。 ・・・・・・・・・ 2002年04月06日(土) 368,リオのカーニバル いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。 2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。 今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。 カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。 南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って歌い踊ったという。 普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。1888年に奴隷制度が廃止された時、 彼らはリオに仕事を求めていった。彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に 会場で競う。それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。 上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、厳格の審査のうえで順位が決まる。 去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。一年は全て、カーニバルを中心に回っている。 ーーーーーーー H0703ブラジル旅行記 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。カーニバルはリオディジャネロだけでなく全国津々浦々の 都市で行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。 リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、Bランクが15?16チーム、 Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で 踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。 (字数の関係でカット2010年4月6日)
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2010年04月05日(月)
* 手品師 ユリゲラーの超能力 ユリゲラーも、当時からマスコミに、その正体が暴露されていた。 それは後として、私より一歳齢下のイスラエルのユリの経歴に興味をそそられた。1946年12月30日、テルアビブに生まれた。 少年期に両親が離婚、キブツに入れられ、色いろあって、15歳でスパイ組織に加わり、2年間の訓練を受ける。 そして21歳の1967年にイスラエル兵として第三次中東戦争に従軍し、戦場で負傷してリハビリのキャンプに送られて 療養生活に入るが、そこで、シュトラング(通称シュト)と知り合い、本格的なマジックの練習を取り組み、初めは 友人の誕生パーティーなどで演じていたが、後には、クラブのショーなどに出るようになる。 得意な演目は「ツゥー・パースン・テレパシー」と呼ばれるもので、目隠しをしたユリ・ゲラーに悟られぬように 一人の観客が黒板に数字を書き、全員が確認したところで跡形もなく消してしまう。 すると、ユリ・ゲラーが おもむろに目隠しを外して、観客に数字のイメージを念じるように要請する。つまり、観客が念波をユリ・ゲラーが とらえて当てようというわけ。 そこで、お客に念じ方が足りないとか、色いろけしかける。 やがて、おもむろに 「5でしょう」などと、当てる。 何とことはない、観客席に居るシピが「はなを触ったらといった暗号に基づいて 信号を送っていただけの話。 あまりに単純のため劇場の支配人にまで見破られたが、それでも止めようとしないので、 裁判沙汰までなっている。 有罪の判決で、営業停止になったが、今度はアメリカからプハーリクなる超心理学者がきて、 ユリのショーを見て「超能力」と信じ込んでしまった。 さあ、これが大変な切っ掛けとなった。 彼はユリをアメリカに連れ帰って、スタンフォード研究所でテストを受けたが、これが、いかに杜撰だったようである。 相棒のシュトが、明らかに巧妙に信号を送ったかが、その結果からして窺える。 その実験は中途半端で中止された。 しばらくはスプーン曲げなどで世間を、アッといわせたが、アメリカのTV局も考え始めた。 プロのマジシャンと相談してカメラ・ワークを緻密に設定し、ユリ・ゲラーの側にマジシャンを監視役に立てたところ、 彼の売り物の超能力は全く起きなかった。 これは英国と同じ結果となった。 ユリは成功すると、サスガ超能力者、 失敗すると、体調次第で念の集中が上手くいかないこともある、とされるようになった。 アバタもエクボである。 ユリが1974年に日本に上陸、TVに出演した。(私も、その番組を見ていたが・・)まずはスプーン曲げで仰天させた。 当時のマジックにはスプーン曲げなどの演目がなかったので、日本人もすっかり騙された。 その後、日本の少年Sも、 その超能力があると、一世を風靡したが、後に週刊誌のストロボ撮影を通じて、トリックが暴かれた。 何とことはない、投げる瞬間にスプーンを絨毯に押し当てて曲げてから投げていたのである。 ー つづく ・・・・・・・・ 2922,中沢新一の『三位一体モデル』 −1 2009年04月05日(日) 『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を 解りやすく書いている。三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。 それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。 『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。 『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。(販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた) この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。 『父』の不在が、会社を迷走させることになる。社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。 『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。偶像廃止も、 この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては 『堕落』そのもの、『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく ・・・・・・・・・ 2558, 爪もみ療法 2008年04月05日(土) ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。 そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。 ーーーーー 【爪もみのやり方】 ・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。 ・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。 ・以上を一日に二から三度行います。 ・少し痛いくらいの強さで刺激する。 ・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう) 以上は福田稔医師が考案した療法の簡単バージョン。爪もみ療法が効果を発揮するのは、すべての病気で、効果があるようだ。 ーー 他のブログには、 { 親指・人差し指・小指の手指の爪の生え際と第一関節の間くらいにあるツボを、 順に反対の親指と人差し指の腹で20?30秒ほど「いた気持ちいい」くらいの強さで押しながら 指全体をねじるようにして刺激します。ツボだけを押す爪もみよりも、経絡全体に刺激を与えられるので、 肩こり解消の効果が高いそうです。薬指の肩を通る経絡(気の通る経路)の肺経・大腸経・心経・小腸経 それぞれに様々なツボがありますが、れらの中で比較的簡単に押せるのが爪の生え際と第1関節の間くらいに位置するツボです。 1日に爪もみをする時間を決めて毎日行うのがよいです。個人差がありますので、爪もみ効果がでにくい場合は爪もみの時間を ながくすると良い。足の指を通る経路の中に肩を通る経路もあるので、爪もみは手だけでなく足の指でも効果がある。 おすすめは小指です。 }とあった。 下記は福田稔医師が考案した本格的療法である。 (字数制限のためカット 2010年04月5日) ・・・・・・・・・ 2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。 ーまずは、その内容からー あるところに二匹のやまあらしがいた。冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。 しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。 そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。 そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、また互いに相手を傷つけてしまう。 このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、ようやく「最適の距離」を見いだした。 ーー この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことが できないことを提示している。やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。 青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど 傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。 青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。 癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。 孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。 夫婦関係にも言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、 痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。 あれが、自我だったのだ。 今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。 しかしトゲの先は丸くしておかなければならない! ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ---------------- 2006年04月05日(水) 1828, ずっとやりたかったことを、やりなさいー5゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ -読書日記 ーアーティスト・デートー 「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を 秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)その才能にアクセスする方法がある」という。 ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家 といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいう。 その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター) には参考になる方法である。机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が12週間という 具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。本を読みすすめていきながら書かれている通りに、 一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と 「アーティスト・デート」。先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。 ーその一部を本文より抜粋してみると… アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、 あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。 もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、あらかじめ日時を指定しておくデートであり、 他人の進入を禁じた時間だ。「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。 行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。 恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ… ーー 以上だが、要約すると「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」 ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。 ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。 《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。 怒りは私たちの限界がどこにあり、 私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、 きわめて誠実な友達だ。 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。 怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》 《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》 《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み癒しをもたらす。》 ーー ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい ということか。 ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・ 2005年04月05日(火) 1463, 「虚構の王国」?NHKスペシャル 一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。 「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、 そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、「翌日の、報道番組に取り上げたい」。 キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。 しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、 「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。 ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー というテーマのドキュメントを放送していた。 その最後のナレーターの言葉が印象的であった。 「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。 インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。 担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。それをキッカケに、 隠れていた事業のボロが露出してしまった。その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。 多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。不景気の直撃がレジャー産業に直撃。 更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。レジャーもグローバル化が生じたのである。 そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状。 ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。 ーー 以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。あぶないところは、かなり書き換えてあるが。 ーーーー 2004/04/15 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任 (以下、字数の関係上カット2008年04月05日) ・・・・・・・ 2004年04月05日(月) 1098, 拾い物 拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で 行った時のこと。腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。 現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回もそういう経験をしたこともないし、 良心に対してマイナスになる。早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。 警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダ面倒でイヤという態度。 (西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)言われたところに行っても、その事務所がない。 乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。 30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。 数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。これも新潟の駅前の交番に届け出たが、 彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろといわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。 そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。 そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。 もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。 考えること自体が卑しいことだ。 ・・・・・・・・・ 2003年04月05日(土) 731, 前提を疑ってかかるという事 「縦社会の人間関係」 「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。 ー要旨はー 「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、江戸時代の藩体制がそれぞれの 縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」であった。日本社会の人間関係は、 個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する 日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。 日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのがその縦社会という視点そのものが、 はたして正しいのだろうかという提示であった。「何々それってどういうことなんだ??」私が考えていたのは、 それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。 日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、 縦社会と同じように説得力があるのだ。「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく 横社会ともいえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。 そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。 横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を 初めて知った。 常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。 ・・・・・・・・・ 2002年04月05日(金) 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。 5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。 「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。空間の溝を取り払ってしまった。 それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。これにそれぞれの場所に カメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。 現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。 インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。 それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。 昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に 変わっていると言っていた。これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。
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2010年04月04日(日)
「不思議現象の正体を見破る」 安斎 育郎 (著) ―超能力や心霊現象に、人はなぜ騙されるのかー ー内容ー (アマゾンより・・・) 現在までに報道されたり紹介されてきた不思議現象(超能力、超常現象、予言など)のトリックと、 それを鵜呑みにしてしまう心理状態を解説した書。同氏の他の著作と重複する事例・内容も多いが、本書では、 不思議現象が存在するという根拠にたいし、そのトリックを説明することで、それらすべてがいかに信憑性がないか (あるという証明になっていないか)を示している。 世界的に有名な事例を紹介しており、それらがすべて単純な トリックであることに改めて驚く。 圧巻は、漠然とした詩が、大事件と簡単に符合し、いかにも予言であるかのように 曲解して読み取ることが可能かを示した点である。例として、枕草子の記述を深読みすると、一文一語が普賢岳噴火に ぴったりと符合する!このことからも、ノストラダムスの詩が後世の歴史的事実と多少符合しても、 それが偶然以外の何ものでもないことを暗示している。 現に、世紀末には何も起こっていない。 〜〜 ユリゲラー、イギリスのミステリーサークル、コックリサン、念写など、その嘘を一つずつ解明している。 そういえば、ユリゲラーも、ミステリーサークルも、念写などをTVで取上げなくなった。 これはブログなどの情報化のためである。もし、信じていると言えば誰かが知っているカラクリを教えてくれる。 それだけでない、TV局そのものが問題視され、ディレクターは外される。 この本で知ったが、イギリスのミステリーサークルも真実が明らかになっていた。 < 二人の老いた絵描きが、「夜中に麦畑のキャンパスに描いた作品」だったと白状していた。 二人はL字型の棒を持って、実際にデモンストレーションもやってみせた。 いやにイギリスの麦畑ばかり、という理由が、これである。この現象をプラズマ物理学の立場から研究した ミーデンは真面目に、この現象は世界各国に出現したと主張、彼だけでなく色いろな人が多くの原因を唱えた。> 彼らは、二人の老人に騙されたのである。こんな調子に、過去の不思議現象の正体を暴いているから、読んでいて飽きない。 次回は、あのマジシャンのユリゲラーを、今さらだが、オサライをしてみよう。 彼はマジックを超常現象としてショーアップしていただけだが、注目されればされるほど、その稚拙な手法がコミック的。
・・・・・・・・ 2921,不況景色 ー10 2009年04月04日(土) * 上野動物園が入園300万人を切る 一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。 前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。 パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。 9月半ばから4〜5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。 また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。 恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。 * 金融サミットで 金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げてしまった。 公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・ ー金融サミットで合意した主な項目ーは、以下の通りで。 ▽2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動により経済成長率を4%押し上げる ▽各国中央銀行は、非伝統的手段を含むあらゆる金融政策手段を活用 ▽為替の切り下げ競争は行わない。2010年末まで新しい保護主義的な措置は取らない ▽ヘッジファンドを金融規制・監督の対象とする。タックスヘイブン(租税回避地)の規制強化 ▽IMFの資金基盤を7500億ドルまで増強する ー 世界のGDPは5000兆円というから、その一割を緊急に財政投資をしたところで、 何処まで効果があるか、非常に疑問を感じる。 世界恐慌は3〜4割のGDPが失われるから、 年間1500〜2000兆円が失われる。そこに3分の1位を投入しても焼け石に水。 しかし20Gで世界のGDPの8割を占めるというから、半年に一度、一堂に会して即断することは 世界的経済の大惨事を避けることが可能という面では、非常に有効がある。 * 4月に入って、更に悪化 去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。 そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。 ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。 しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。。 ・・・・・・・・・ 2557, 印度放浪 ー2 2008年04月04日(金) この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。 40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。 読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている 自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしいが。 その一部を抜粋してみる。 ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー 二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。 家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、 案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。 情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。 十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。 今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。 実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。 解)初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。 当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなっている。 ーー 物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという大きなサイクルがあるでしょう。 それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。そういう環境を目の前に持てなければやはり彼岸とかあの世、 この世といった感性は生まれにくいんですね。 解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。 ーー インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。 日本はその幅が平均的だけど、インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、 それほど人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで自分の格が見えるんだね。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・・・ 2007年04月04日(水) 2192, 人生とナメクジの線 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、 人生もナメクジの這った跡の線と思えば、何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、 後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示しているようでもある。 我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。 ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。 そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。 家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など持つことはない。 これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」 と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。 *そこを抜粋すると* 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」 私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。 殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。 たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、 「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、重い鞄を持って塾通いと、 裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 ーー 土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。 雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。 お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。 (⌒▽⌒)/"”さいなら! ・・・・・・・・・ 2006年04月04日(火) 1827, 日本一短い手紙「私へ」 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ?読書日記 「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。だから万人に共通する言葉であり、 一言一言が響いてくる!あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。 これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。 こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。 この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。 「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある! それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。 ーー まあ、いいじゃないか! それで、いいじゃないか! これしか、なかったじゃないか! それも、これも、 どうでも、いいじゃないか! ほんとうに、これでよかったのか? ほんとうに、あれでよかったというのか? まあ、いいじゃないか! これで! 他に、しかたなかったじゃないか! ー 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。 そのためには常に感動、感激を求めることだ。 お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙ ーー 日本一短い手紙「私へ」 一筆啓上賞 おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳 お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。 荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳 コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル 道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳 ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳 私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳 あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。 竹田飛鳥 東京都江東区 15歳 お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦 一人で来たブラジルだけど、今は五人。俺が我家のル?ツとはくすぐったくなるな。 堤剛太 ブラジル 52歳 会社員 アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。エライこといわんこっちゃ。 根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職 過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。 野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生 ------- 他にも、多くの印象的な言葉があった! その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。 見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、 その気持ちはだいじだが。次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。 ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛ ・・・・・・・・・ 2005年04月04日(月) 1462, 永遠に生きるように学べ 学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。 最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。 母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。 その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。 年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。せっかく地球に生まれてきて、 80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を 可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、 虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」 「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。 それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが趣味になってしまうから、 自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。 その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。 それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と 同義語であるが、響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。 明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。 一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。 この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、この今の一瞬の集中の閃きは、 そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。 最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」 「自分のこと!?」 「そう!」 ・・・・・・・ 2004年04月04日(日) 1097, 落し物 散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに 入れたところ、いつの間にか無くなっていた。傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだので その時落としたのだろうと、その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと 下を向いて道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い拾った人は如何するだろうかと考えた。 「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、 やはり橋の欄干に置いてあった。拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・ 2003年04月04日(金) 730, 「ほめ芸王」ー読書日記 ー褒め上手は芸のうち 営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。 十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。 キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」と考える。それが営業の第一歩であり、 まずは切り口となる。今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。 「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を 克明に書けばいかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ! ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する ・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。 ・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。 ・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。 ・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。 ・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。 ・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。神様の心にならなくては、ほめることができない。 ほめることで神様の心になれるのだ。怒った顔で、ほめる人はいない。 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。 ほめるとは、感動である。 ほめるとは、感謝である。 ほめるとは、感激である。 ほめることで、二人の人が幸せになる。 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。 感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。 私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。 家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう! ・・・・・・・ 2002年04月04日(木) 366, 速読法 先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度に ページ全体を眺め、フォトフォカス状態で文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。 初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。見開きの2ペジの中央に目を合わせ、それを4つかどの隅に 全体の視野を広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、 それをまた意識をそのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章が スラスラ読めるのだ。目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。もし疑うなら実際やってみればいい。 人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。一回めくる度に4秒をかければ、 250ページなら20分かかるが、かなりの情報が脳に記憶されるという。
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2010年04月03日(土)
昨日の朝日新聞の ーキーパーソンーのみずほ証券の高田創氏への 「先進国最悪の借金、財政危機は起きますか?」のインタビュー形式の内容が、時が時だけに注目して読んでみた。 ーその内容を私の主観でマトメテみたー 日本の国債残高が2010年度で637兆円に達する見通しだが、「先進国で最悪の借金体質」といわれる中で、 国債発行余力を探った。 どこを危険水域とするか? の問いに・・・ ・日本政府は、300兆円の債務超過。しかし、経常収支は長期にわたり安定的な黒字が出ている。 しかも個人金融資産のレベルが高く、95パーセントが国内で消化されている。父さんが母さんから借金をして まかなっている。家全体としては借金は少ない。しかし、母さんが父さんに不信を持ち、家を出て行くと大変な事態になる。 長期金利が落ちついていることからみて、母さんが家出の兆しはない。 ・日本の租税負担率は23パーセント、試算によると欧米並みの35パーセントに上げると886兆円の資産価値が上がる。 債務超過分を相殺しても、まだ569兆円の国債発行余力がある。年換算にすると14兆円である。 ・消費税率を上げて財源を確保すべきかというと、いきなり上げると元も子もない。ただ、税率を上げずに封印すれば、 先があるかどうか、心配するものが出てくる。求められるのは将来の展望である。変化に対するガバナンスである。 〜〜 これから考えると、アメリカが狙っている日本の個人の金融資産だが、その多くがアメリカ国債を買っている現実、 それも、何時暴落するかの瀬戸際にあり、その価値も不安定である。ただ、日本の強みは、個人の金融資産があるので、 ギリシャやスペイン、ポルトガルとは違う。しかし、危ないと日本人が思い、金や、現物に換金しようとすると 危険になる。ここで高田氏は、国家の経常収益が長期わたり黒字という部分をみている。その経常収益とは。 民間貯蓄+財政黒字をいい、これが安定している日本は、まだ国債発行が可能と見ているが・・・どうだろう?
・・・・・・・・ 2920,私は嘘しか言いません 2009年04月03日(金) ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。 《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」 と言っていたそうです。これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。 つまり、「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。 河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》 なるほど、面白い。 哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。 ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で, クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。 もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。 つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。 『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー 言葉の何とも妙なところだが・・・ 「私は嘘をいいません、信じてください!」 の口癖の人がいた。これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、 騙される方も騙されるほうだ。騙している方も騙されている方も、ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。 それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。 それも、哲学的ときているから面白い。 しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。 言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。 「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」 これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう? ・・・・・・・・・ 2556, 印度放浪 ー1 2008年04月03日(木) 『印度放浪』 藤原新也著 朝日文庫 写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。 言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。 文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。 ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー そして、その二ページ後に、 ーぼくは歩んだ。 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。 出会う人々は、悲惨であった。 出会う人々は、滑稽であった。 出会う人々は、軽快であった。 出会う人々は、はなやかであった。 出会う人々は、高貴であった。 出会う人々は、荒々しかった。 世界は良かった。 《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。 そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。 良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。 ーー 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について) 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・ ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。 ーー インドは何々とは、この本を読むと何もいえなくなる。 ただ、行ってよかったと、つくづく感じるところである。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2007年04月03日(火) 「定年以降の生き方」を考える 才八∋ウ_〆(∀`●) 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。 その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。 「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。 「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、これからの人生である。 それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。 宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。 勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。 鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。 その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、 「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。 「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。 そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を 問おうとしているのである。 面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。今さら言っても仕方がないが・・ まあ、面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。 その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない? じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、 さらに小鳥を飼えばよい。もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。 その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。 定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。 もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、 あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、 その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、 そんなものは霞でしかない。限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。 死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。 だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついつい!ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから? ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ 別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。 ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。 何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、 ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。 人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの! ・・・・・・・・・ 2006年04月03日(月) 1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4 ー 3月22日 12:00記 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始) 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、 許す、よかった」などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。 ーー ー 3月30日 pm12:30記 「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。 (字数の関係でカット2010年4月03日) ・・・・・・・ 2005年04月03日(日) 1461, 「どう思いますか格差社会」 昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。 社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会と グローバル化のために分かれてきた。それに対して、シビアな議論がつづいた。議論内容はレベルの高いもので、 自由闊達で好感が持てた内容であった。「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。 もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。格差はどの時代にも元々あったもので今更でもあるが。 格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。 国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。 アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、問題がすりかわってしまうが。 面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。 前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。 「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。 「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。 中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。 豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、 といわれている。格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。 行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。 また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため 崩れるのも仕方がないことだ。この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて議論させたことである。 勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。 日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。 「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への移行過程の一現象でしかない!」 と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。 ・・・・・・・・ 2004年04月03日(土) 1096, 人生と時間 1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間 人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。 人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。 そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。 <人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。 ・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間 ・ 他律的時間と自律的時間 ・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期 ・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退 1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。 自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。 自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずがない。時間認識の有無は優れた ライフ・デザイナーにするための前提条件です。それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件である。 話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。自分の時間を持つコツを知っている人というのは、 自分の「場所」を幾つか持っている。自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。 行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。 それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」 という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も 経てば殆ど消えている。連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。 『何事も三年よ!』と。倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。 学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。 そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。 「時間が全てを解決する」ということだ。それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。 「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性をズバリ言い当てている。 ・・・・・・・ 2003年04月03日(木) 729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」 ー読書日記 (字数の関係でカット2008年4月03日) ・・・・・・・・ 2002年04月03日(水) 365,ミカン集中法 「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。 読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。 それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。 今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。 中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と実際あったという。落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。 ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。 授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。 カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。 注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。
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