堀井On-Line



3264, 哲学者は神について、どのように語ったか ー1

2010年03月03日(水)

 神について「一神教と多神教について」以外はは書いたことは殆どなかった。 書けるほどの知識も宗教体験もない。
そんな恐ろしいことがかける訳がないし、結果として無知を曝け出すことになる。今さらだが。
それなら、哲学者が神について、どのように書いてきたかなら調べることが出来る。
もし、あと半年しか命がないとしたら、永遠の命の存在としての神について、真剣に考え救いを求めるだろう。
「あの世は、あるのだろうか」「生まれ変わりは」「この私の人生とは何だったのだろうか」
「神が存在するとしたら、自分は、その大元に帰っていくのだろうか」等等・・・・
古代のプラトン、中世のトマス・アクィナス、近代のカントなどの哲学者が、神について書いている。
* まずはプラトンのイデア界(本物の世界)の考えが面白い。
【 我々が生きる、今ここは、人が真に生きる世界ではない。 前世のイデア界の世界で、完全な美や真実を目にしている。
  しかし、生まれてきた現世では、そのことを忘れていて、この「世」の美しいもの、真実、良いものをみると、それを思い出す。
  このイデア界の憧れは、この世ならぬ完全なものへの憧れで、この世の中での有限なものの恐怖と表裏一体としている。】
* 次にローマ帝国期のAC3頃のプロティノスは、
【 プラトンの哲学の流れをくんで、プラトンのイデアと同じく、この世に根拠を与えているものを想定し、
  それを一者(ト・ヘン)となずけた。それは絶対的な超越者であり、人間が把握することも、表現することも出来ない。
  それは一者でさえなく、存在に先立ち、すべてを含む完全なものという。一者は完全なるがゆえに、力が満ち溢れ、
  外に溢れ出る。世界は、一者からの流出物と位置づけている。この一者からヌース(精神)が生まれる。
  これが一者の思惟の世界。これがプラトンのイデア界にあたる。そして、プシュケー(霊魂)が生まれる。
  さらにこれが、ヌース(精神)からイデアを受け取り、物質と結びついて、我われが感じ取る感覚の世界をつくる。
  これが世界をつくられる。流出のプロセスである 】【 一者は、流出を行っても完全性を損なわない。太陽の光が
  どんなに照らしても、その力を失わないのと同じである。ただ、遠ざかると太陽のように光も熱も弱まるように、 
  そのレベルが低くなる。ヌース、プシュケ、物質の順に、一者から遠い存在になる。】
【 人間は、物質である肉体を持ち、そこに霊魂を持っている。その物質に逆行して、一者を目指すのが人間のあるべき姿である。
  それは忘我の境地でなされ、そこで人は知性の光に満ち溢れる。一者のことをプロティノスは「神」ともいう。
  忘我の境地になれば、人間は神と神秘的な合一が果たせる、という 】
  ー 以上だが、プラトンにしろ、プロティウスにしろ、説得力がある。 
 プロティウスの論理と、そのイメージは、キッチリと頭に叩き込んでいた方がよい。 いざという時の
 生から死へのイメージが沸いてくる。般若心教と同じような感覚として、安らかな気持ちになれる。考えぬかれたイメージである。
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2889,プーチンのリスト
 2009年03月03日(火)
 一昨日の三月一日のNKKスペシャルの「 揺れる大国 プーチンのロシア《プーチンのリストー強まる国家資本主義?》 」が、
今後の世界の方向を暗示する内容であった。アメリカもまたAIG、シティ、GMなどを政府管理下において建直しを図ろうとしている。
  ーまずは、NHKのHPより、その番組説明をコピーしてみるー
オイルマネーの流入で、いちやく経済大国となったロシア。 去年秋の金融危機以降、プーチン首相のもとで進む経済対策、
支配の強化によって、財界はかつてない大混乱に陥っている。ロシア経済の繁栄を支えてきた外国資本が一気に去り、
頼りは国家が貯めこんだ資金だけとなった。ソ連邦崩壊後、市場経済化の中で急成長してきた新興財閥は巨額の負債を抱え、
国の支援を受ける代わりに国から送り込まれた監視役を受け入れざるを得ない状況に陥った。
プーチン首相は、国家が蓄えた巨額の資金を振り分ける企業を選別する「プーチンのリスト」の作成を指示。
財閥たちはリスト入りをかけて熾烈な争いを繰り広げ、そのことがプーチンによる財界支配を強化していく。
取材班は、リーマン・ショックの前から財閥に密着。激動の瞬間をカメラに収めながら、ロシアの内部で起きている知られざる
闘争と変貌を見せていく。この20年、社会主義から資本主義へと転換し、国の財産を我がものとした財閥が跋扈した時代から
再び国家の統制する時代へと舵を切ったロシア。そして今、「プーチン流の国家資本主義」ともいわれる
異質な大国へ姿を変えようとする様を、経済の最前線の取材から明らかにしていく。
 ーーー
ロシアの富豪の昨年9月の金融恐慌の「前と後の段差」を時間の流れとともに追いながら、
ロシア経済のバブルの膨らみきった画面と、その後の生き残りの姿が生々しい。
1000億の個人の資産を持つ大男が個人の所有するジェット機内で、世界を駆け巡っている姿と、
金融危機を境にプーチンの国家管理の会社に自らを売り込まなければならない凋落の姿が、現在のロシアを象徴している。 
プーチンは財界支配を強化して国家資本主義をとって、この難局を乗り切ろうとしている。
オバマが現在、チェンジと叫んでいる行き先も「国家資本主義」ではないか?と思われる。
異常の事態には国家管理を強化して戦時体制的で乗り切らないと、他国に隙に乗じられるしかない。
現在のアメリカが日本の預金・年金を狙っていることから見ても理解できること。
窮したロシアが北方四島を売るふりをして、何か引き出そうと画策を始めてもいる。
「日本は世界に先駆けて恐慌に入った」が、世界は踏みとどまれるかどうかの土壇場である。
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2525, 国家を斬る
2008年03月03日(月)
「 佐藤優 国家を斬る 」 佐藤 優 (著), 宮崎 学,
                         ー読書日記ー
佐藤優のみならず、、イーホームズ・藤田東吾社長、そしてヤメ検の田中森一の本を読んで国家の腐敗、
特に官僚の腐敗の実態に、ただただ驚く。それが司法の検察まで及んでいるのだから救いがない。
元々、腐っているのが、露見しただけということも言えるが。
この本は著者自身の裁判経験を交えた公演とJR労組の活動や松崎氏への評価をJR労組主催の講演で語った内容をまとめたもの。 
宮崎学との対談を中心に著者の思想、言論展開もあり、国策捜査や外務省官僚の生態などを織り交ぜながら国家論を綴っている。
 思いもよらなかったことは、有償講演をしないとことだ。こういう捨て身だから、何でもいえるのである。
3桁の額の講演の誘いもあるが受け入れないのは、原稿を書かなくなってしまう恐れがあるから、という。
 この本の構成の内容といえば
・反権力自由主義者としての佐藤優/宮崎学   ・「国策捜査」と時代の「けじめ」/佐藤優
・現代日本の官僚階級/佐藤優         ・対談:官僚階級の相貌/佐藤優・宮崎学からなっている。
ー宮崎学の次の言葉が印象的である。
「佐藤は、国家権力による「国策捜査」の犠牲になり、それに抵抗することで反権力の立場に立つようになった。
といっても、かつての左翼にありがちだった<権力=悪>という先験的な反権力ではない。佐藤は国家主義者で、
国家が社会を正しく秩序づけることを考えているのであって、<権力=悪>とはとらえない。
しかし、<正しい権力>と<悪い権力>とがあって、国家は<正しい権力>にならなければならない、という国家主義者でもない。 
権力はつねに必要悪であって、悪い作用もするのだが、それも含めて必要なものだ、という立場なのだ」
ー著者の次の言葉も事実だろう。
「私が逮捕されたのは、私が鈴木宗男氏と親しかったからである。警察は私の逮捕を突破口に外務省と鈴木宗男氏を
結びつける事件を作りたかった」。そして、それならば、鈴木宗男はどういう政治家であったかについて、
「小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。内政的には、ケインズ型公平配分政策から
ハイエク型能力配分新自由主義の展開です。外交的には、ナショナリズムの強化。鈴木宗男氏は内政では地方の声を
自らの政治力をもって中央に反映させ、再分配をちゃんとする公平配分論者で、外交的にはアメリカ、ロシア、
中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本人が排外主義的ナショナリズムに陥ることはかえって国益を
穀損すると考える国際協調主義的な日本の愛国者ともいえる。」
 ーー
この本に影響されて、図書館から「国家の罠」「国家の自縛」を借りてきたが、
あらすじ読みをしてみて、とにかく辛らつで面白い。
それにしても、佐藤優のすごい能力には驚かされる。
・・・・・・・・・
2007年03月03日(土)
2160, 今日は息子の結婚式! 
              、おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ 
今日は花婿の父である。結婚式のその役割りの一つを演じるのも滅多にないこと。
その辺が面白そうだが! とにかく目出度いことである。 *⌒ヮ⌒*)ゞ        
 まずは、最後の来賓への挨拶のメモより
   ー新郎の父親の挨拶ー           m(_ _)m
新郎の父、堀井でございます。堀井家・高橋家、両家を代表し、お礼の挨拶をさせていただきます。
本日はお忙しい中、遠路はるばる 崇史、みな子両名の結婚披露宴に来ていただき誠にありがとうございます。
お忙しい中、ご出席いただきました皆様のおかげで、無事に結婚式を挙げることができましたことを、
心より感謝申し上げます。先ほどより、新郎新婦には、温かいお祝いの言葉、お褒めの言葉をいただき、
親としてましては大変ありがたく思っております。去年、崇史から結婚したいと話を聞いたとき、
子供だと思っていた息子が、やはり大人になっていたのだと感じた瞬間でございました。
嫁となるミナコさんを見て、私は人目で品性の良さと堅実な人柄を感じ、二人の結婚をすぐに快諾した所存でございます。
私自身は娘が欲しかったのですが、これでやっと「娘を持つ願い」が叶いました。「自分の家庭で平和を見出すものが、
もっとも幸福な人間である」といいますが、次男の崇史も、その点だけは大丈夫に育てたつもりです。
理想的な家庭人に必ずなることと思います。これから新しいスタートとなります二人に、どうか皆様のご指導、
ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。 本日は誠にありがとうございました。
 −−−
自分の息子が家庭を持つというのも不思議で複雑な気持ちである。孫ができるち、何か自分が老けこんでしまう感じがするが・・
花婿の父の役割をただ目立たないように果たすことだ。 こういう役割、実をいうと好きである。
それも明治記念館なら、なお面白そうだ!会社の社員の結婚式の挨拶で、一度もトチッタことがない。
しかし自分の息子の場合は、どうなることか? 少しトチッタほうが場がもりあがるのだろうが・・やってみるか?
13時半過ぎに家族紹介、そして14時半に挙式。 (*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*)
披露宴15時半、17時半?18時に終了。新幹線に19時半に乗車、21時半から長岡で二次会、23時半に帰宅!予定。
幸せな楽しい一日になりそうだ!  さてと、明治神宮に向け出発の用意だ! 
                  ヽ(゜∀A)ゞ イケー!
・・・・・・・・・
2006年03月03日(金)
1795, 心に効くクラシック?2
   っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)    ー 読書日記
ー音楽がもたらす効用ー
音楽がもたらす効用は多大なものがある。まずは感情伝達の効果をあげることができる。
私も音楽で何度か人生の危機を救われたことがあった。最後は目をつぶり静かにしているしかない時、
何げなくかけた音楽が心の底で魂を包み込んでくれた経験を何度かしてきた。
気分が滅入ったとき、励ましてくれる凛々とした曲を聴いているといつの間にか気持ちが立ち直っていることがある。
(字数制限のためカット 2010年3月3日)
・・・・・・
2005年03月03日(木)
1430.危ない格言 5
・死後の世界は、もっぱら、まだ生きている人間専用にある。
 ーmy感想ー
 死んだ人間のためにも、必要なのにね? 死後の世界を信じて死ぬのと、信じられないで死ぬのと、ドチラガよいかが,
 その人の信仰の突き詰めた原点では? 信じたほうが気楽なのに。
・釈迦は、水の上を歩いて見せるような奇術を弄さなかった。インドにはその手の奇術を見せる輩が沢山いたので。
 ーmy感想ー
 存在していたかどうかさえ定かでないのに・・・まあ、やめておこう! 宗教は必要です。
・信仰が確固として成り立っているなら、信仰の対象は実在する必要がない。
 信仰が人間の精神、関係、社会統制にもたらす効果は、その対象の実在がもたらす効果は、
 その対象の実在がもたらし得るかもしれないそれを遥かに凌駕する。たとえ、その対象が全能の神であろうと。
 ーmy感想ー
 「信じるものは救われる」ということか。
・霊魂は不滅であってもかまわない。さて不滅を信じ、主張するものたちにとって不幸なことは、それが何であるかを、
 彼等は全く説明できないということだ。 何だかわからないものは、勿論不滅であっても、なくてもかまわない。
 ーmy感想ー
 霊魂は言葉の中にもあるから、どう解釈してよいのか?
 ーー
・神というのは、信じる者たちの敬虔さと信仰を欠く者への強烈な敵意と
 憎悪による脅しが除かれてしまえば、むしろ滑稽な観念のつぎはぎ細工にしか見えない
ーmy感想ー
 イスラム教徒を、遠くから見ると全くその通りである。キリストも、ユダヤも同じか?
 アブラハムとかいう人の発明のXに対して、白・赤・土色が都合よく創りあげた宗教でしかないのに。
・・・・・・・
2004年3月3日 1064,つれづれに
つれづれにー今日はお笑いの日 
  ージョーク・ユーモア事典ー
<合い鍵>
小さい女の子が生まれて初めて母親とお風呂に入った。そして母親の下半身を見てきいた。
 ーあら、それってなに? ーこれはね、天国の入り口よ。
一週間後、娘は初めて父親とお風呂に入った。そして父親の下半身を指をさしてきいた。
 ーパパ、これなに?   ーこれは天国の鍵だよ。
ー天国のドアを開けられるのパパだけ? ーそうだよ、もちろん。
そうすると娘は不思議そうな顔をして、父親の耳元に口を寄せてささやいた。
 ーパパ・・・上の階のおじさんは合い鍵を持っているようよ。
<7歳の坊や>
 司祭館から出たとき司祭は小さな男の子がタバコをスパスパ吸っているのを目撃した。
ーおや坊や、タバコを吸うのはまだ早いよ。いくつだね?  −7歳だよ。吸いはじめてもうだいぶんになる。
ーエッ、なんだって?いつから吸いはじめたの? ー童貞を失った日さ。
ーいつのこと?   ーもう覚えてない。あの時はへべれけだったからな。
・・・・・・
2003年03月03日(月)
698, 「都都逸」の世界
・信州信濃のしん蕎麦よりも わたしゃあなたのそばがよい ・女房にいえない仏ができて 秋の彼岸のまわり道
・嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い     ・好きと嫌いとどれほど違う 命ただやるほど違う
若い頃に、このような都都逸を知りよく口ずさんでいた。今でも「その味わいに感激した」のが印象に残っている。
7~8年前まで、いまは亡くなったが、近くの不動産の社長と古町の料理屋で、芸者を上げて彼が都都逸を歌っていた。
なんともいえない雰囲気と味があった。十数年通ったか?インターネットで調べてみたらもっと味がある都都逸がでてきた。
何ともいえない味がする。そろそろ小唄か都都逸を年増のお師匠さんのところに習いにいく歳になってきたのか? 
芸者でも上げて座敷で歌ったらおつなものだろう。
都々逸は「七七七五」の二十六字詩。どどいつの起源は、寛政十二年(1800)
 名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、三十余年
 経て東漸したというのが定説である。名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地の石碑がある。
 その囃し詞 から、どどいつ節といわれる様になったという。
・お酒飲む人しんから可愛い 飲んでくだまきゃなお可愛い
・淋しがりや一本提げて 淋しがりやに逢いにくる
・私にはしらふで言わせてそのくせずるい あなたはお酒に言わせてる
・可愛い女の寝顔にただの 水がしみじみうまい夜
・弱虫がたった一言ちいちゃな声で 捨てちゃいやよいった晩
・9分と9分と互いに許した心と口に はっきりいえないあと一分
・朝から嬉しく立つ茶柱に 逢える布団を陽にあてる
・酒の相手に遊びの相手 苦労しとげて茶の相手
・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる
・諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた(伝:都々逸坊扇歌作)
・あついあついと言われた仲も 三月せぬ間にあきがくる
・色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる
・色が黒うて惚れ手がなけりゃ 山のカラスは後家ばかり
 (以下字数の関係でカット09年03月03日)
http://www.ne.jp/asahi/rokusekitei/kamigata/doditu.html

・・・・・
2002年03月03日(日)  
348,否定の否定の落とし穴
「マイナス言葉+ない」という言葉のトリック。「苦しくない」「悲しくない」・・・
これは意外な落とし穴がある。否定語を否定するとプラスにみえるが、それが常態になると、否定語が勝ってしまう。
私の嫌いな「子狐」を例にとる。否定を否定しているが、そのうち子狐が勝ってしまうのである。
悪貨は良貨を駆逐するのは真実だ。悪貨から離れるしかない。従ってどうしたらいいか。父が教えた
「近所の人と親しくなるな!」である。これ以上書くと差し障りがあるから、書いてはいけないが。
近所は否定語の最たるものだ?ー意味深長! 空間は早々変えることができない、真空にしておくべきだ。
一年に一度ぐらいが最高レベルの付き合い限度と、ある本に書いてあった。言葉は難しい、そのトリックに知らないうちに
落ちてしまうからだ。人間関係も然りだ。「いやよいやよも好きのうち」の最たるものだ。嫌いなら離れるべきだ。
人間にもプラスとマイナス要素をがある。プラス要素の多い人となるべく付き合うべきだ。マイナス要素(多い)の人は
長期的に付き合っていると、必ずマイナスの毒を飲まされる。今更いうことがないが。よどんでいる所、人にはガスが溜まる。
マイナスの要素の否定は、その否定よりマイナスが勝ってしまう。更に否定そのものが、マイナスの加勢する。


3263, つれづれに 

2010年03月02日(火)


* 冬季オリンピックは終わったが
 オリンピックの賑わいも、昨日まで。今日からは現実がまっている。
この商売は不景感がモロに伝わってくる。 実感は、「大津波が静かに荒れている!」というところか。 
狼少年ではないが、狼がいても今さら騒いでも仕方がないと、鍵をかけて家の中でジッとしている、という喩えか。
民主党、これで本当に大丈夫なのか? 革命ごっこはいいけど、社会と経済が壊れてしまえば、もともこうもない。

* 「津波と高波と高潮の違い」とは
「高波、大波」は、一般的な波で大きな波。「高潮」は、台風などで水面が盛り上がる現象。
気圧がさがる事によって、水が上に持ち上がる現象をいう。 カトリーナの被害はこれである。
「津波」は、地震などによる海底の振動や隆起によって水が持ち上げられて起こる。持ち上がった水が周りに広がっていく現象。 
震源地の周囲が一様に一時的に水面が上昇、海岸線の海面が一気に上昇して、津などの内陸まで水が押し寄せる。
チリ地震のように地球の裏側まで到達することもある。「津波」と「高潮」は「水面が上昇する」という現象において同じ。
海底の隆起によって起こった水の盛り上がりは、当然元の水位に戻ろうとするので、津波による水位変化は一時的。
高潮は、気圧が上昇するまで続く。津波は地震だけでなく土砂崩れで湾が一気に埋まってしまったりする場合にも起こる。
「津波」が英語で「TSUNAMI」なのは、ハワイの日系人が「津波だ」と言ったことが語源とされている。
潮が一気に引いたのを見て、日系人が経験則から「津波がくる!」と避難を促したことが切っ掛けである。
チリ地震をきっかけに、数年前に起こったインド洋の津波の映像を幾つかiTuneでみた。
現在、100年に一度の恐慌という大津波が世界を襲っていることと重ねると、とんでもない事態がわかる。
まず日本に、そして欧州に、そして、中国に連鎖していくのだろうが。
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2888, 天地人と先祖
2009年03月02日(月)
 現在、「天地人」を日曜日の20時の連続ドラマで放送している。NHKの、このゴールデンタイムのドラマは
20年来見なかったが去年から観始めた。今年は地元越後の上杉家・家老の直江兼継が主人公で、先祖の縁があるので面白い。 
 堀井の家系は小父谷市近郊の片貝に、30代近く続いた総本家がある。4代前の祖先が江戸末期に長岡に出てきたと
子供の頃から聞いていた。その堀井家の総本家に父が亡くなる数年前に訪ねていったという。 
ご先祖様は上杉謙信が亡くなった後の起きた御家騒動【御館の乱】で負けた影虎の家来で、その火中に小父谷郊外の片貝の
池津の村に落ちてきたという。その屋号が実家の池津屋の屋号になった由来である。 
その争いの勃発の場面が、昨夜の「天地人」にあった。 何か先祖の霊の目で見ているようで、微妙な感覚であった。 
直江兼継は御館の乱の勝者の上杉影勝の家来。私の祖先は負けて小父谷の郊外に落ちた方。
 堀井を更にたどっていくと平家の落武者という。 堀井の姓を20数年前に図書館の電話帳を調べたら、
上越市と富山と岐阜県に堀井の姓が多かった。 それからみて、その元は平家の落人ということになる。
私が新潟で商売をしていることから、京都、岐阜の高山、富山、上越、小父谷、長岡、そして新潟と流れが続くことになる。
ちなみに合併前の旧長岡市の堀井の姓は7〜8軒しかなかった。新潟市内も数人しかいない。ドラマとしても影虎と影勝の
対立の場面は他人ごとではなかった。大筋以外は創作でしかないが、どちらサイドの感覚で観たらよいのかおかしな気持ち。  
次回が戦いの場面になる。
ー下書き後に分かったことだが、この随想日記で6年前の(3月01日)の、偶然に、先祖のルーツを取り上げていた。 
    面白いものだ。
・・・・・・・・・
2524, 酒は涙か溜息か 
2008年03月02日(日)
「酒は憂さ晴らしに逆効果 」ー東大がラットで実験ー という記事が先日の地元紙に載っていた。
ーまずは、その内容をー
憂さ晴らしに酒を飲んでもむしろ逆効果?嫌なことを思い出した直後にアルコールを摂取すると、
かえってその記憶が強められることを松木則夫東京大教授(薬理学)らがラットの実験で見つけ、
28日までに米専門誌の電子版に発表した。人の場合なら、嫌なことを忘れようと酒を飲んで一時的に楽しくなっても、
翌日には楽しいことを忘れ、嫌な記憶が強く残ることを示しているという。松木教授は「酒を飲まずに、嫌な記憶に
楽しい記憶を上書きしてしまうのが良いのでは」と“しらふの気分転換”を勧めている。 実験で、かごに入れたラットに
電気ショックを与え、恐怖を学習させると、かごに入れただけで身をすくめて固まるようになる。
チームはいったん固まった直後のラットに飲酒相当のアルコールを注射した。
 その結果、注射しないラットと比べると、かごの中で固まり続ける時間が長くなった。
その効果は2週間続き、記憶が強くなったと判断されたという。(共同通信社)
 ーー
以上だが、20年以上前になるが、ある取引先の営業の人に
「私は、不味い酒は飲まないことにしている。自棄酒とか、気分を紛らわせる酒は、ますます気分も体調も悪くする。
楽しい酒を選んで飲めば気分は更に良くなるが、その逆を金を出してすると逆効果になる。」と言われた。
そして、その日以来、忠実に守ってきた。
10年ほど前に、高校の同級生に「おい堀井、御前な?自室でな酒を飲んで、二日酔いをした経験をしたことがあるか?」
と言われ、そういう経験の記憶は殆どない。色々の挫折の末に独りで部屋に篭って飲みざるをえない酒の味を
言いたかったのだろう。そいうば私の好きな歌に古賀政男の「悲しい酒」がある。
1 酒は涙か 溜息か  心のうさの 捨てどころ   2 遠いえにしの かの人に  夜毎の夢の 切なさに
3 酒は涙か 溜息か  かなしい恋の 捨てどころ  4 忘れた筈の かの人に  のこる心を なんとしょう
 「かの人」を、「かの憂さ」、「恋」を「傷」と置き換えると、中小企業のオヤジや、サラリーマンの赤提の憂さ晴らしと
 同じになるか! これを歌っていると何とも面白く楽しくなるのは如何いうこと?  飲まなきゃ、やってられないことは
 よーく解るが!「しらふの気分転換」じゃ晴れないから飲むんじゃないか!ったく!! ってのが、おちか!
・・・・・・・・・
2007年03月02日(金)
 2159, 閑話小題  (o_△_)oゴロン (o_ _)o.。o○グー オハヨ?
* 都知事選が面白くなった!*
 ・都知事選に前宮城県知事の浅野氏が立候補の意向を表明した。これで見ている分には面白くなってきた。
  石原知事は批判があるにしても、名知事である。少し変節したが許容範囲である。しかし浅野に代わるのも
  タイミング的に良いのかもしれない。二期で充分と言えなくもない。これで三月・四月の面白いイベントが一つ加わった!
  石原都知事も浅野氏が出てくるとは思ってなかっただろう。 一番手ごわい相手である。 浅野の方が勝ちそうな気がするが、
  実績からみて五分五分だろう。 首都圏の為にどちらが有効なのだろう?まあ、楽しみが一つ増えた! 
   浅野氏勝ったらゼネコンは一大事だろう。談合が更に厳しくなるからだ。
* 中国発、世界同時株安*
  この言葉は何処かで聞いたことがある。同じような題名の本の題名が数年前から本屋の平台に積んであった。
  今回の下げは地震に例えるならば、前振れの余震だろう。それが数度つづいた後に、本格的な大地震がくる。
  現在の世界経済は、一度清算をしなければならないところにきている。
  以前は、世界大戦というカタチで清算してきたが、それができなくなってきた。
  今は株や債権の暴落から大恐慌が発生、それがキッカケで破壊がおこなわれる。
* 新潟駅周辺が変わり始めてきた*
  日本海側初の政令都市へ移行にともない、新潟駅周辺も変化を始めてきた。
  今日明日中に新幹線改札口近くの専門店街大改装と、その至近距離にあるやはり大型ビルの地下と
  1Fに大型書店など合計1万平米が開店。駅から6分ほどにある万代シティーのSCのダイエー跡も今日、開店。
  合計一万数千坪の商業施設が新たにオープンするのだから、雰囲気は一変するだろう。
  今までが、郊外のSCに押されて、駅周辺が寂れる一方だったが、これで駅再開発工事も始まりやっと明るさが見えてきた!
                 (o ・д・)ツ  バイ!        
・・・・・・・・・
2006年03月02日(木)
1794, 超アメリカ整理日記 ?1
       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ  ー読書日記
ースタンフォードから日米をみると・・・ー
野口悠紀雄氏がスタンフォード大学客員教授時代に週刊ダイヤモンド誌の2004年5月1・8日合併号?2005年4月16日に
連載したものをまとめたもの。米国生活からみる日本の政治経済システムの貧困を説いている。
政治経済学者の視点で、米国と日本のシステムの差異の分析が解りやすい。現在の日本の国際競争力の低下、高コスト構造、
年金制度、など、社会システムの非合理性を指摘している。イケア、マイクロソフト、トヨタ、米国デトロイトの盛衰なども登場。
経営、経済、経済システムや、荒涼とした大地に、都市と生活とクルマ社会のアメリカのシステム。
それに対する、日本という国土の狭い国の諸処にシステムとの比較、それによって、浮かび上がってくる
システムの矛盾の指摘がわかりやすい。         ~~旦_(^O^ ) コフィーどうぞ!
 ー印象に残ったところを幾つかあげてみるー
p.43 「能力に応じた役割分担」こそ、アメリカ社会の能率を支える基本的なメカニズムなのだ。
p.190 日本で所得を得て海外で生活すればよい
   →日本の高い物価を回避する手段。年金生活者にとっては、不可能ではない。
     ただし、現地のコミュニティに溶け込むことが、重要。
p.204 伸びる中国、追うのは日本ではなく韓国
→スタンフォード大学に留学生数では、中国人がトップ。
現在、2番手は日本ではなく、韓国。ここ10年で逆転されている。日本の資源は人材であると考えると、将来が不安と指摘。
米国のトップスクールで学んだ経験とそのときの人的ネットワークは、ビジネスをする上で非常に有利に働くと考えられる。
これらを考えると、10年後の日本はどうなっているのだろうか心配になる?
p.237 まともに生きる人間が正当に報われるアメリカ社会
p.245「人間の時間間隔は、<新しい経験をどれだけしたか>によって決まる」
最近の野口悠紀雄氏の本は、ほとんど目を通しているが、この本は実際のアメリカ滞在者の実感が正直に書かれていて
説得力があってよい。自己制御がきかなくなっている日本の現状は、一歩外からみると鮮明にみえるのだろう。
                [○´・ω・]ノ ヂャァネッ
・・・・・・・・
2005年03月02日(水)
1429, 中年クライシス(中年の危機)の悲劇
岐阜で57歳の父親が子供と孫と犬を道ずれに心中を図った事件があった。以前から、随想日記で書いてきた
「中年クライシス」の暴発である。母親の痴呆と、長男の問題、病気、職場の関係、犬の世話等々で、
自分の神経をやられてしまった典型的な事例である。そういえば、十数年前の私の環境に似た環境である。
海外旅行と、精神療法系の本を読んでいたので何とかのりこえた。40代後半から60代前半は、
こういう問題が誰にも押し寄せる。見せているか見せていないかだけである。その中で一人でする、スキップと鼻歌は、
背中に大きな荷物がある為か演歌調になるが。真面目な人ほど、ある日突然爆発する。その処理法の知識がない上に気弱だと、
尚のことである。この人の趣味は警察犬の調教とTVでいっていた。それでも苦しみを乗り越えることができなかったのだろう。
外的適応に疲れ果てた末路といえばそれまでだが、人生の転換期に、内側に対して目を向ける術を知らなかったのだろう。
深い洞察に裏づけされた内的適応が必要だったのだ。痴呆症の親族と同居は、苦しみの底に落とされてしまう。
直接原因はこれだろう。 以前、読書日記に ー『心』の出家ーの感想文を書いた。
後でコピーしておきますが、 その一節の言葉が印象的である。自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)
を取りさることである。神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で以下を語らせている。
 ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」「なにをさ」「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」「どうして」「とにかく、そうなんだ。40前には、 迷うことなんかないよ。 
 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。 あり合せの目標に突っ走る。一段らくしたときが一番恐い。
 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。え、そうじゃないか。
 迷いが出てきただろう」「そういえば、そうかな」「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、
 死ぬまで迷い続けるんだろうと思う」「迷わない奴だっているだろう」「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。
 しあわせという言い方もあるだろうがね」
ペルソナ(社会的仮面)は必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って行くために不可欠かもしれない。
しかし、その仮面を剥いで生きたいと、こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。
ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか理由から生まれてきた一種の
「機能コンプレックス」であるという。それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が存在している。
ーー
誰も、この一家心中の中年男の心を知ることが無かった。タマタマ犬の調教で、TVのニュースの映像が流されていた。
真面目な、気弱そうな、何処にでもいる善人面をしていた。
私の解釈では、・真面目な、・気弱そうな、・善人面ということが、問題全てを一人抱え込んでしまった。
誰に聞いても、優しい良い人だというところに問題があった。それ故に、母親と長男の問題と、職場の配転とか、
犬の調教の疲れなどの全てが、長年にかけて山積になった。良い人というペルソナを、脱ぎ捨てるとかができなかったのだ。
・・・・・・・
2004年03月02日(火)
 1063, 高級1DKマンション ー1
 高級というよりアッパープライスのマンションという表現が適当だが。
最近インターネットで、最新型の1DKマンションをネットサーフィンをしながら調査をしている。
そして面白そうなものは、資料を取り寄せている。特徴としては、多くのホテル並みのサービス機能がついているものが多い。
もちろん、高速インターネット付である。イメージとしては「スタジオ・マンション」という感じである。
ホームページを見ていると、何か別世界に入り込んでしまったような錯覚をしてしまう。情報化社会の時代の新しい空間とは、
こういうカタチと見せつけられたようだ。またソフトハウスとしても利用可能のようである。特に新橋や品川や山の手周辺に多く、
一室で月20万?70万もする。ホテルの1泊3万の部屋を月契約で2万円にしても、月60万になってしまう。
ならば少し高くとも、長期滞在専門の本格的な1DKが求められて当然である。大規模のものが近々、品川にオープンするが、
都心だから入居者があるのだろう。買って、そこに縛られるより、こういうところを渡り住んで楽しんだ方が良い。
面白い時代になったものだ。古ビルを買って、情報・サービス機能付き空間に大改築をするのも面白い。
時代の変化に合わせて、既存のものを変える事業も出てきているようだ。組み合わせを変えることによって、新しい価値の
創造をするデザインが現在求められている。ホテルプロジェクトを1DKに集中? 「高度化」がキーワードになる。
・・・・・・・
2003年03月02日(日)
 697, ルーツー2(縦人脈)
ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって富山から上越と逃れてきた。
そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信の時代に、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」
という出城の城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、小千谷の郊外の
片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をしていたようだ。ルーツというほどのものではないが、
平家・上杉という流れと、関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人という流れも時代によって
変わってきている。金沢にいた時(25歳)によくいった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。
その時入った食堂の電話帳で堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。
上越市も新井も小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。
20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた事を思い出した。
車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない気持ちになった。
何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ?という感覚で、何かオーラに包まれたような
気分である。この気分は柏崎の「極楽寺」に行った時に同じ気分になった事があった。
そこで亡くなったある僧の墓を訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。
家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の収穫だ。
それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
・・・・・・・・・
2002年03月02日(土)
347,心の陰
人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことを、
いっているのだ。「他者認識は不可知」という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識したらもう他者のそれでなく
自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が半分か三分の一に軽減する。
特に「嫌いな人間」に対しては「自己の嫌いな部分」をみているにすぎないからである。
自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌っているのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、自分のある一面であるからだ


3262, 久々のジョーク −8

2010年03月01日(月)


* レストランで財布を落とした男「千ポンド入りの財布を落とした。
  見つけた人に百ポンドはらうぞ!」というと、奥のほうから「俺は二百ポンド払う!」
* 教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声で母親に訪ねた。「ママ。あの女の人ドレスはどうして白いの?」
 「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。人生で一番幸せな日に着るのよ」
 「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」
*「ママ、新婚旅行って何?」 「結婚したばかりの男の人と女の人が一緒に旅行することよ」
 「ふうん、ママもパパと行ったの?」「行ったわよ、とても楽しかったわ」
 「その時ボクも一緒に行ったの?」 「もちろん行きましたとも。行きはパパと一緒に、帰りはママと一緒にね」
* A子が久しぶりに車を運転していた。 その時、母親が心配そうな声で彼女の携帯に電話を掛けてきた。
 「もしもし、A子?母さんよ。今どこ?」 「東名高速に入ったところ」 「東名高速!?気をつけて!
  今ニュースで言ってたんだけど、そこを逆走してる狂った女がいるんですって。あなた見なかった?」
 「見た見た!でも一台じゃないわよ」 「え?」 「さっきから何百台も逆走してるわ」
*「どうしたんだ?そんな暗い顔をして」 「ああ…。実は俺、もうすぐ父親になるんだ…」
 「本当か! おめでとう! でもなんで喜ばないんだよ?」 「妻にまだ話してないんだ…」
* 週刊誌の人生相談のコーナーに、男性読者から次のような手紙が送られてきた。
 「ボクは20歳の独身男性です。六ヶ月前から、誰が見ても魅力いっぱいの女性と同棲しています。
 彼女は美しくて、利口で、愛想がよく、かわいらしくて……。僕たちはお互いに声を張り上げたことなど
 一度もありませんし、口げんかで二人を包み込む青空にかげりがさすなどといったこともありませんし、
 そこでお伺いします。僕は彼女と結婚するべきでしょうか?」 回答者はただ一行、こう返信した。
       「そんな素晴らしい関係を台無しにするのは、おやめなさい」
* 妻 「ねえ、このあたしの作った肉じゃが、どうかしら」   夫 「愛してるよ」
  妻 「料理の味のことよ」  夫 「食べたから言ってるのさ。それでも愛してるよ」
* 朝食中、夫が広告を見て言った。 「見ろよこれ。タイヤの激安セールだって。ほしいな」
 「何のためにタイヤなんか買うのよ! 車なんてないのに、バッカみたい」
  夫はムッとした顔で、「お前がブラジャー買うのに俺が文句言ったことがあるか?」
・・・・・・・・・
887,日本は輸出立国か?
2009年03月01日(日)
野口悠紀雄は、その著書で、
「アメリカの金融立国に対応して、日本も円安に誘導して資金をアメリカに供給し、
かつ円安メリットを最大限利用して輸出立国をつくりあげた。 金融恐慌は日本も同罪である」と断じている。
しかし統計の数値からみて、果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。
他国のGDPの輸出比率をみてみると、意外なデーターがある。
・中国 37パーセント ・韓国 37パーセント ・ロシア 30パーセント
・欧州平均 50パーセントの数字。(中は大きなばらつきがあるが)
・原油輸出国のクエート 56パーセント。 他の産油国では90以上だろう。
  対して日本は 15パーセント なのである。間違いだろと思ってしまう数字である。
 これからみると、日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入も13〜4パーセントがあるので輸出は必要である。
特に資源輸入国なので、それを稼ぎ出さないければならない。他の先進国は、天然資源や食料があるが日本にはないので車や
電子製品などを輸出して、それを輸入でまかなうしかない。石油などのエネルギーを20兆円、食料6兆円の輸入は必要。
したがって、少なくともそれだけの輸出を確保しなければならない。食料自給率が40パーセントを割ったことも、
日本にとって不利である。食料輸入国と割り切って、それを他でまかなえばというが、戦略的輸入制限をされる可能性がある。
日本はバブル崩壊後に、自動車と電機製品を牽引車として日本経済を支えてきたことも事実。島国の日本は、やはり輸出産業を
中心にしなければならない。  それからすると輸出立国である。今まで通りのアメリカの属国として与えられてきた恩恵が
なくなりつつある日本の舵とり、日本の政治の質があまりに貧弱なのは現在の混乱をみれば分かるが・・・
・・・・・・・・・・
2008年03月01日(土)
 2523, 賢人の知恵 ?2
 面白そうなところを幾つか選んで、考えてみる!人間や、それを構成している社会などは数百年経っても、
 簡単に変わるものではない! 人間は全て、飯くって、?!して、寝て、死ぬのだからだ。    
    ーー
“知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことが最大の不運だ”
 ー解ー 知恵は知識が醸成され出てくるもの、そうでないのは浅知恵でしかない。
“言葉は飼いならされてない野獣と同じ、一度解き放つと戻ってこない。”
 ー解ー 全く、これでどれだけ無駄をしてしまったか!
“第三者の悪口を言うのは、下手な駆け引きでしかない。”
“運のいい人を見分け、ついていない人からは逃げるに限る。”
“大事なのは知識より知人である。”
“落ちぶれた人とはかかわりを持たないほうがいい。”
“友人に貸しがあるなら、つまらないことで返してもらわないこと”
“うそをついてはいけないが、すべてを明らかにする必要もない。 ” うそも方便だが、その方便がつけないから・・・?
“敬愛される立派な人と行動を共にしていれば、その威光のおかげで、こちらまで輝いて見えるのだ”と言う反面次の次のページで、
“「自分より光っている人は、・・相手の方が常に注目や栄光を集め、こちらはそのおこぼれにありつくだけだ。
 ・・自分より優れた人とではなく、平凡な人と肩を並べて歩くこと”
 “平凡な人と付き合おう。自分より優れた人と一緒にいると自分が目立たないから。”など、矛盾もしている。
 “みんなが王になれなくても、一人ひとりが王にふさわしい行動を目指すことが可能だ”
 ー解ーこれが少し分かりかけたのが、ごく最近になってからだ。神と言い換えてもよい。
“自分という作品を完成させようではないか”
 ー解ー この人は、牢につながれたのが完成か?でも、この方が素晴らしい!
”賢人は、何ごとも偶然はないことを知っている。ただし運命に身を任せるより、自ら運命を切り開いていく人になろう。
 よく考えればチャンスに敏感でいること以外に成功の道がないことがわかるはずである。”
 ー解ー 何がチャンスか、それを常に問いかけていないと敏感になれない。
“持てる資源を一度に使い切らないこと。今の境遇を保ちたいなら、後方に備え・蓄えを用意しておこう。
 失敗の恐れがあっても、利用できる援軍があれば力は倍になる。後方部隊は、前線より重要といえるだろう。
 彼らは信頼と不屈の精神で成り立っているからだ。常に大事をとることを考えよう。
 ー解)当時の彼に孫子を知るはずもないが、孫子の兵法と同じことを所々で述べている。
“人には七年ごとに転機があるという。これを精神向上のためのしよう。
 最初の七年は知性の誕生で、その後七年ごとに新しい美徳が輝いてあらわれるのだ。
 この間に起こる変化を意識して、うまく手助けしよう。 変化は新しい地位や仕事などの形で
 ごく普通にあらわれるかもしれないが、かなり大きくなるまで気がつかないときもある。
 人は、二十で孔雀のように気どって歩き、三十で獅子のように吠える。
 四十で酪駝のように節制家となり、五十で蛇のような陰険さを身につける。
 六十はくだらない犬、七十はする賢い猿、そして八十は……、何も言うまい。”
 ー解)ーくだらない犬のとしになったか? それにしても辛辣である!
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2007年03月01日(木)
2158, 幸福に驚く力 ?4
          (~Q~;)  おはよう?? キョウハ スゴク サム? 
ーまずは、要点の抜粋から
  *日常の幸福に驚く力*
 何かを買ってもらった喜びと、何処かに連れて行ってもらった喜びを除いた子供時代の一番幸福な思い出は
何だろうかと考えると、チョッとしたことの中に喜んだことを多く発見することができる。
つまり日常にあるそういう幸せをしっかり受け取る力が子どもにはあるのです。しかし、それを放っておくと、
イベントや買い物の方にいってしまう。そういうものに邪魔をされて見えなくなってしまう。
そして「凡庸で退屈なことは悪だ」という情報社会の空気の中で自分たちの日常なんてつまらないものと思い込まされていく。
そういう力が今、私たちに色いろなカタチでのしかかってきている。そんな中で子どもの文学は、日常の中にある幸福に
驚く力を培ってくれるのです。問題は、そういう物語を手繰りよせる力が弱まっていることですね。
とにかく、いつの時代でも、読み書きはちゃんとしておいて欲しいですね。読む力が衰えてきますと、
先人の残した素敵な日常の物語、幸福物語が、手元に手繰り寄せることができなくなります。
数々のそういう物語がすぐ傍らで手が伸ばされるのを待っているのに。そうなると、一人一人がただ孤立していきます。
 解)昔の日記を読んだり思い出など過去を振り返る時「そこにある日常に、むしろ面白い深い人生の意味が含まれている。」
という視点で見直すと、過去が違って見えてくるから不思議である。その時の淡々とした日々のちょっとしたことの積み重ねが
人生なのである。そのことに気がつけば、現在の日常のチョッとしたことや、何でもないことの中にある幸せに気づくことになる。 
何故そのことに気づかないのだろう?それは「自分が物語の中で生きていることに気づいていない」からである。
もし本人が不幸と思っているある日のことでも、冷静に振り返れば幸福が背後にあったことに気づくはずである。
  *凡庸や退屈が悪と思わせられる社会*
 ー字数の関係でカット(2009年0301)
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2006年03月01日(水)
1793, 心に効くクラシック
   ォ'`ォ'` 。+゚ヽ(。・c_,・。)ノ゙。+゚ォ'`ォ'`  ー読書日記
 ー深夜のクラシックー
              ー字数の関係でカット(2008年0301)
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2005年03月01日(火)
1428, ワインの話?1
 思索紀行ーぼくはこんな旅をしてきた  ー読書日記
飛行機の中や、ホテルで国ごとのワインを飲んできたが、ー美味い、不味い。辛口、甘口。酸味の濃厚さ。
口当たりが良い、悪い。香りの良し、悪し。白・赤・ローゼー位の語彙しかなかった。
勿論、一万円を一本飲むより、1千円を10本飲んだほうが良い。サエゼリアのグラスの一杯80円のハウスワインで
良しと思っているようでは、何おか言わんやだ。ハウスワインとして割り切っていれば、それで充分だが。
この本を読んで、一本数万、いや数百万のワインを飲む意味が少しは解ったような気がした。
ワインに対する知識は、昨年ウィーンに行って少し聞きかじった位だ。
「良いワインを飲む回数が重ねた分だけ、少しは味がわかってきた」と思っていた。
しかし立花隆のこの章を読んで「何も解ってないということが解った」。
映画で、金持ちが地下にワイン貯蔵庫を持っていて、それを一人密かに飲むのを楽しみにしている
場面を見たことが何回かある。欧米の大金持ちの道楽の一つになっている。
欧州の紹介番組みで、ワインの酒蔵の醸造オーナーが、数十年前の取って置きのワインをレポーターの飲ませる場面を見た。
レポーターは涙を溜めてその美味しさを話していたが。この本で知ったことだが世界のワインの有名産地に殆ど行っていたのだ。
南アフリカ、スペイン、ドイツ、チリ、イタリア、フランス、オーストリアなどなど。
この知識があったら、その楽しみも増えたのにと残念至極である。「人生は知らないということを知るプロセス」だが。
知らないということは多くの経験の機会を損失をしていることになる。それも一生を終える時に、つくづく実感をするのだろう。
これから書く内容は、この本の第三章「『ガルガンチュア風』暴飲暴食の旅」のワインについての記載をまとめたものである。
20年前に書かれていた文章に解りやすくワインの話が書かれていた。その内容を、知識として貯蔵するために簡略してまとめた。
ーーーー
ワインには、AOCワイン(原産地表示ワイン)と、ハウスワインに分けられる。
欧州の一般の人は、殆んど普段は安いハウスワインを飲む。フランス国内では、前者は一本千円単位、後者は百円単位である。
といって、日本で売られている不味いワインとは全く違う。毎日千円単位で飲めるほどフランスは豊かではない。
欧州では、ワインはがぶ飲みをしてはいけない。特に高級ワインほど、深く味わねばならないとか。
・単に味覚で味あうだけでなく、・目で見て色を味わい、
・香りを味わえという。    ・更に、プロや通になると言葉で味わいを表現しなくてはならない。
その表現法も様式化していて、そのための用語集もあるという。まずワイングラスに注いで、
それを光にかざしてみる。色を見る。色の表現だけで、数十種類もの表現がある。             
                 ーつづく
・・・・・・・
2004年03月01日(月)
1062, 「まず街灯の下を探せ」
野口悠紀雄の「超」整理日記「デフレとラブストーリーの原則」の「まず街灯の下を探せ」が面白!
?暗い夜道を歩いていて、鍵を落としたことに気づいたとする。どこを探せばよいか ?物理学者のアドバイスは、
「まず街灯の下を探せ」ということだ。数学の試験問題を解くには、この「街灯の下原則」に頼るしか方法はない。
(字数制限のためカット 2010年3月01日)
・・・・・・
2003年03月01日(土)
696, ルーツ ー1
ー我家の家系
自分のルーツを探って行けば、ビッグバンにいきあたる。そして宇宙の創造、地球の起源、生物の起源、動物の起源、
人間の起源、日本人の起源、そして家系、自分になる。  家系といえば最近「家」の崩壊が始まっている。
数年前に佐藤愛子の「家系」が数年前にベストセラーになった。10数年前にアメリカでも、ある黒人のルーツ探しの
TV映画が放映されて、ルーツ探しがブームになった。
私の家の家系の話をしてみる。30数年前に父のところに遠い親戚の変わった?おじいさんが訪ねてきた。
「自分ー堀井のルーツを調べたいのだが、小千谷に郷土研究家から詳しい事を調べたい。
そのためにはまとまったお金が必要だ。資金援助をしてくれ」とのことだった。
その場で断ったが、父は「自分が調べて解ったら教える」と約束した。そしてその小千谷の郷土研究家のところに
行って調べてもらった。そのコピーを子供たちや親戚に配った。勿論私も貰って手元に今もある。
実家の店の屋号が「池津屋」で、道具屋を戦前までしていた。
父は「山本五十六」や「ツガミ社長の津上退助」や「野本互尊」との付き合いがあった。
戦前戦後と長岡ではこの「屋号」は老舗として一目置かれていた。
母が実家に嫁いだ時の資産が八萬円だったというから、地方ではミニ資産家だったようだ。
小千谷の近郊に「池津」の村があり今でも30代続いている「大本の本家」がある。
その時に両親が訪ねて行ったと聞いた。幕末にある先祖が長岡に出てきて古道具屋を開いた。
その孫娘が婿をとって、分家の道具屋を開いたのが2代前の祖父祖母である。
本家筋はもう商売を7?80年前にやめた。両親は戦争中に道具屋から仏壇屋に転進、戦死が多く大繁盛したという。
                          ー続く
・・・・・・・
2002年03月01日(金)
346, 20歳の頃ーある教授との出会いー3
  武澤信一教授  人事管理ゼミ
私の人生で最大の師は大学の恩師武澤先生である。もう亡くなられて7年になる。
イメージはキザな気取り屋で、底知れぬ教養人です。話しているだけでコンプレックスの塊になる。
特に人事管理の世界的権威のレベルと聞いていた。先生との出会いがなければ、30数年間一日平均
2〜3時間の読書を続けられなかったと思う。 知的コンプレックスを脳の中心に叩き込まれたためだ。
非常に印象は冷たく、傍にいるだけで居たたまれなくなる人だったと思います。
親分肌の正反対のタイプだ。あだ名は「絹布団」自分でも気にっていたとか。
初めは冷たく感じるが、長く付き合ってもらえれば温みが感じられる。
目上の人で筆不精の私が何回も、手紙や葉書をやり取りしたのは先生が初めてであった。
                ? 遺稿文を載せてみるー
ーさようなら武澤先生ー  
       ー武澤先生ご遺稿・追悼文集ー「はげみ」より
武澤信一先生、そして懐かしい武澤ゼミ、八王子ゼミナール、はげみの会、最終のゼミナールとその晩のコンパ。
そして先生の退職時のはげみの会(最後のゼミナールと称して参加者の全員の自己紹介と経緯の説明)等々、
様々なことが思い出されます。私の学生時代、いや50年の人生で恩師武澤先生をのぞいて考えられない位、大きい存在でした。
‘ご遺稿・追悼文集’発行の手紙をいただいた時「よかった」と思わず言葉が出てしまいました。
先生に対する追悼の思いを表現する場が、もやもやした中途半端な気持ちにあったからです。
立大3年の終わり頃、親友だった石川譲冶さんより「今入っている武澤ゼミが素晴らしいから、面接に来ないか」と誘われまま、
気楽に試験に行ったのが武澤ゼミとの出会いでした。 そして入ってまもなく大学3年間の、いや人生の22年間の不勉強に、
呆然としてしまいました。そして2学期から卒論を書くにあたって、知的コンプレックスは極限に達してノイローゼの一歩手前の
状態になってしまいました。進路もこのまま果たしてこのまま進んでいいものか?直接その迷いを先生にぶつけてしまいました。
その時の武澤先生の一言が「迷いを数字で表現してみなさい!」でした。その時の自分の答えが忘れることができません。
「51対49」でした。すかさず先生は「それなら、51の方を選ぶべきです!」しかしその後、最終的に選んだのは
49の就職の方でした。「それなら初めから相談に行く必要がなかったのではないか」という矛盾でした。
その後就職をしたのですが、その後そこを辞め大学に編入しなおし、再び就職後事業を起こしました。
そして現在に至っています。そのプロセスの中でいつも先生の影が、自分を追い立てていたようです。
また「51対49」が私の人生観の一つになりました。何事も「51対49」と考えると、迷いも冷静に対処できるのです。
好き嫌い「51対49」差し引き2。正しい、間違い「51対49」差し引き2・・・・。
1989年の夏、先生が新潟大学で第19回の労務学会全国大会で議長をされました。
その時、私のホテル(シングルイン新潟)に泊まっていただきました。そして「卒業後の30年のつもる話」を、
させていただいた事を忘れる事ができません。そして新潟の夜をハシゴをして飲み歩いた事も。
ところで武澤先生と最後にお会いしたのは、1993年の「はげみの会」でした。
二次会で先生が異様に元気がないのが、気になっていました。そして、その会の帰りがけにエレベーターの前で、
私の手を握って「堀井君、遠くから有難う!身体にくれぐれも気をつけて、元気で!」と上下に激しくふった時、
「もしかしたらこれが最後のお別れになるかも?」と思ってしまいました。しかしまさか、こんなに早く現実になろうとは・・。
天国の武澤先生、本当に本当に有難うございました。ご冥福をいのります。
                                      1996年7月13日発行


3261, 日本の将来が暗いのは?

2010年02月28日(日)

現在の日本が目先に直面している問題は大よそ
 ・二番底は回避できるか ・財政破綻は防げるか ・米国と中国のどちらに頼るか
 ・企業経営は長期低迷を脱するか ・民主党に期待できるか ・政界再編成が、どうなるか
 ・当面の少子化をどうするか  ・消費税を早急にアップできるか
日本人の平均生存年齢が80歳以上で、世界で一番高いのは知っていたが、
年齢の中央値が44歳とは驚いた。
 各国の年齢の中央値は
  日本 43.9歳
  米  36.7歳
  中国 35.2歳
  ベトナム 27.5歳
  メキシコ 26.7歳
  ブラジル 28.8歳
  ロシア 38.5歳
日本だけが異常に高い数字となっている。 これは国民の年齢と捉えることができる。
これでは日本の将来に対して不安が生じるわけである。
この恐慌の中で、結婚適齢期の人たちの結婚時期が遅くなり、結婚しても、せいぜい一人っ子。
当分は平均値が上がるだろう。 それは、即、国家税収の減少につながる。 暗くなるのは当然である。
 ・・・・・・・・
009年02月28日(土)
2886, ハリウッド映画のような「アメリカ物語」
2009年02月28日(土)
 今回の金融危機は、歴史の残る大事件であることは言うまでもない。そして、この金融クラッシュは、
起こるべくして起こった出来事である。史上最低?のブッシュ大統領を8年間に渡って我われは毎日のように見せつけられた。
そして最後の置き土産として、これまで無かった世界恐慌を遺してくれた。何か安物のハリウッド映画を見せられているようだ。
その悪役ブッシュに替わり、善人を演出して颯爽とオバマという史上初の黒人大統領がデビューしてきた。出演のスターは
悪党のブッシュ元大統領、その補佐としてポールソン商務大臣、ラムス元国防大臣、黒人女の国務大臣のライス、
前大統領のクリントン、その奥様のヒラリー、ブッシュの親父の大ブッシュ元大統領。
更に、その前のレーガン大統領と役者が登場してくる。彼らにとっての悪役は、アルカイーダのオサマ・ビン、
イラクのフセイン大統領、北朝鮮の金日生に金正日、ロシアのプーチン。 脇役は日本の小泉、イギリスの歴代首相、
などなど、書けば限がない。30年をかけて完成したアメリカ金融帝国(大統領のブッシュ)に、アルカイーダのオサマ・ビンが
2001年9月11日、乗取った旅客機三機でニューヨークの金融ビルと国防省に突入。アラブ対ユダヤの対立項をつくる。
それに激怒したアメリカは、その本拠地のアフガンと、疑惑の深いイラクに戦争を仕掛ける。
イラクに関しては、その実、油田狙いと、原油決済のユーロへの転換を阻止することが後で判明。
その戦費捻出のためアメリカを牛耳ってきたユダヤ人を中心に、秘策を考え出す。
さらなるアメリカ需要拡大のために黒人や中南米から流入してきた貧しい人たちに住宅と自動車を売りつけ、
それを証券化して(格付け機関の偽ラベル張りをして)世界にばら撒く。その上に世界中から輸入をして、見返りに、
紙切れのドルをドンドン刷って交換する。 一度支払ったドルを、今度はアメリカ国債と交換させて回収すれば、
戦費を稼ぐことが出来ると・・・国家謀略である。そこで目をつけたのが、日本と中国である。まずは日本に円安を誘導して
日本の輸出産業にとって優遇を与えて、紙切れと交換する計略を練りあげ、間接誘導。そして中国には自由主義経済圏への
参加費として、外貨準備金としてのドルの備蓄を誘導。 ドルの替わりに中国製商品を輸入することに、まんまと成功。
しかし、それにも問題が発生してきた。 右上がりに上がりするはずの住宅価格が値下がりを始めたのである。 
そこをキッカケに、そのシステムが根こそぎから崩壊が始る。 そして、この金融危機である。
そこで対立党の民主党に黒人大統領を選出させて「チェンジ、ウィ・キャン」とか言わせて、
その影で国債を強引に、これまでのように押し付けようとする。 特に日本は丁度良い隷属国家...

・・・・・・・・・
2008年02月28日(木) 2521, つれづれに
 *新大学生の同棲率が6割だと!
先日、長岡の知人が事務所に訪ねてきたときの話
「来るときの車の(地元局の)BSNラジオで、新潟大学の150人の学生のアンケートの結果、友人を見ていて同棲率が、6割という。
筑波大学に続いて日本で二番目というから驚いた。自分は早稲田だが、殆どいなかった。それにしても地方大学とはいえ
一期校だった新大の学生がね〜。信じられない」と、憤っていた! 半分は羨ましいという気持ちが互いにあった?実際のところ、
そういう友人は学生時代に何人かはいたが、一番本を読まなければならない時期、心の底では誰もが軽蔑?をしていた。
気持ちが、そちらにいっているのを直感で感じ取っていた。しかし過半数以上が、同棲となると話は違う。
それの是非は別として「ゆとり教育」の弊害からくる質の低下か、価値観の相違なのか。そのうち何割が結婚するのだろうか?
地方で、刺激が少ないから、そちらにエネルギーがいってしまうのか?解るが!
  −−
 *新潟の景気が底抜けした?
昨日、地元で建材のブローカーをしている知人が久しぶりに訪ねてきた。
曰く「地元の経済がさらに落ち込んでいる。建材が軒並み20㌫ちかくアップ。
それに対応できないのが現状で、そのアンバランスからくる混乱が大きくなっている。
それに対して首都圏と関西にかけての東海ベルトラインは好調。
地元の業者は、そこに無理をしてでもいきざるを得ない。そこで、地元が干上がっている。
地元の公共事業で生きてきたゼネコンが体質変換に失敗して倒産寸前という。
その直後に、決算のため来ていた税理士と話したが、内容はホボ同じの内容。
スタグフレーションが具体的な現象で現れてきたということだ。
それと、勝者と敗者の姿が更に明確になってきているという。
勝者はより豊かに、敗者はさらに貧しく、これが極端だという。「勝者、総取り」という現象である。
  −−
 *新潟空港までのアクセスについて
以前、学生時代のゼミの一年後輩の一本の電話「新潟活性化のための秘策を大和総研に相談されたが、
何かありませんか」というのに「新潟駅から飛行場まで新幹線を通すべき」と答えたのを・・このテーマの内容は、
今度書くか・・・ 政治家の丁度いい餌食になるだけと手を引くまでの詳細も面白いが、軽く書いてよいことでもない。
・・・・・・・・・
2007年2月28日(水)
2157, ワンセグ携帯・二機!
   オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
夕飯後の団欒で 家内が買ったばかりのauと、私が買ったばかりのNTTドコモの携帯のワンセグなどの機能を
試しながら、互いに「凄い・凄い!」と連発。昨日はドコモの方がよい!ということだったが・・・
(字数制限のためカット 2010年2月28日)
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2006年02月28日(火)
1792, 冒険投資家ジム・ロジャーズ
           世界バイク紀行−2
                     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
一度きりの人生、極限に生きてこそ人生の面白みが出てくるのだろう。アメリカの現代的なエリートの人生の一つの
カタチを見せられたようだ。徹底的な自由主義者である。履歴からみて、間違いなくエリートコースを歩んでおり、
人生の設計図も緻密にたてている。 ー印象的な部分をランダムに抜粋した。  +。゚φ(ゝω・`○)+。゚
・「まず第一に殺されないようにすることです。二番目には人生を楽しむこと。三番目には世界を知ること」
 「人生は短い、遠くまで行け!そして深く考えよ!」 人生を勝手に難しくしているのは、我われ自身である。 
   解)深く考えつくした上でシンプルにすることだ。
 「殺されないようにする」は、旅だけを言っているのではない。生活レベルの生存の確保もある。
・「大きな変化」
 −これがキーワードである。大きな変化とは、100年に一度の変化である。
 それを読み取るには徹した研究と調査と分析が必要である。そのベースとして、「歴史」と「哲学」が大切である。
   解)その潮流は情報社会の到来である。
・歴史のひとつの教訓は、真に虐げられた人間は立ち上がらないが、抑圧された人間が期待を目覚めさせられたときほど
 恐ろしいものはないということだ。そして共産圏の人々は期待を裏切られ、憤怒はその標的を探さなくてはならなかった。
 それぞれの地域を悩ませた民族や国家や宗教の対抗意識は再び噴出するだろう。もともと国境は合理的なものでなかった。
・政府はゲームのルールを変えることなど何とも思っていない。政府のおこなったことを個人がおこなえば監獄いきだ。
 たとえば投資家たちと契約を結び、後でルールを変えれば、一般的には詐欺と呼ばれる。S&Lの危機は記憶に新しい。
 S&Lはせいふに泣きついて 「大問題を抱えている。利益は吹っ飛んで、深刻な資金不足になっている」といえば、
 政府は、「では、会計規則を変えよう。本当におきていることは口外しないこと」と言った。
 政府は会計報告を操作できるようにしたのである。もし、私人が同じようなことをしたら、監獄いきになる。
 政府は「詐欺行為をしたのは少数の貪欲な奴らが起こしたことだ」と言った。政府はその貪欲な奴らの一部である。 
                    ヾ(´_`○)ノ ノヾィ♪
・・・・・・・
2005年02月28日(月)
1427, 3つの部屋の物語ー2
迷ったときは運命を信じなさい−4( 創作ー未来の部屋 )
ー10年後の私との対話ー
10年後の私は、69歳である。光輝いているので、はっきり見ることができないが、確かに10年の年月を
感じることが出来る。10年後の私が話しかけてきた。「10年前に、考え行動した小さな積みあげた姿が現在の私です。
実は貴方は10年後の私と話しているのではないのです。今現在という永遠の世界の中にある自分と話しているのです。
毎日、この部屋に来て私と話している時間は、目先に囚われている自分から一歩外の永遠の中に来ているのです。
ここに来ることが貴方を癒し、その時々の自分を導いてくれます。気楽に毎日この部屋に来て他の二人とも話すことです。
そして「他の二つの部屋」にも立ち寄ってください。必ず貴方は変わるはずです。」10年後の自分と話をしていると、
深い光の空中を漂っているような感覚になる。そして、自分の羽織っていた薄い透明な布を私にかけてくれた。
その瞬間、10年後の私になっていた。目の前に私が座っていた。この私を連れ出して10年後の私の目で現在を見たくなった。
そこで、彼?と2005年に戻ってみることにした。ー「おい、お前!何をしているのだ」と、まずこの男に声をかけたい。
やるべきことは実行していると信じているが、その根本から疑ってみようしていない。
まず教えてやりたいのは「時代がどのように変化しているかを、もっと真剣に考えるべきである」ということである。
少し助言を与えよう。ー昨年から書き込み始めた「10年日記」の2014年の空間に、私の言葉を書き込みなさい。
十年後の私が書いていると想像しながら書くのです。書き連ねているうちに、私のいいたい事が自然に出てきます。
その重なりの中で、これからの行き方を指導するようになります。毎日、私たちの部屋に来て会話をしていると、
その日記がスラスラ書けるようになるのです。              つづく
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2004年02月28日(土)
1060, 職業性格形成論−4
   ー「営業屋性格形成論」−2
「職業性格形成論」から「営業屋性格形成論」へと続き、今度は「ゼネコン営業性格論」を書いてみる。
「ゼネコン営業論」になるが。
営業の世界で、私が知っている範囲で一番すざましいのがゼネコンと保険屋である。再開発を数十年にかけて
追いかける仕事もあるし、談合という公務員と組んだ国家犯罪をつるんでやる仕事まで様々である。
接待などで一つ間違えばアルコール中毒になってしまう。また癌になる確率も非常に高いという。
接待をしているつもりが、逆に丸め込まれることも多い。自分の仕事に疑問など持つこと自体許されない世界である。
情報渦巻く中で的確な判断も要求される仕事でもある。営業の付き合いで、飲み屋のツケで数千万円も背負って
家庭破壊をしたケースや、癌になってしまったとか、ゼネコン営業残酷物語は無残である。
最後は身も心もボロボロにされ放りだされてしまう。新潟県の談合の主は、「大成建設」になっているとか? 
どぶ沼の国家犯罪プロジェクトに組み込まれた中で仕事をするのだから、イタリアのマフィアの世界と酷似している。
縄張りがあり、そこには利権が張り付いている。さすがにマフィアのような殺人や暴力装置は持っていないようだ。
県や市町村の役人が収賄で逮捕されるが、氷山の一角でしかない。 この談合システムも、ソ連の共産党が崩壊した時の
様相になってきている。情報化などの大きな時代の流れの為、内部からも漏れはじめたのだ。また長野県の田中知事や
横浜市長などが、その壁を壊そうと熾烈な闘いを始めてきたからだ。実際、身体を張った命がけの仕事である。
ゼネコン営業形成性格論とは全くことなる、程度の低いゼネコン談合世界の話になってきた。
ゼネコンといえば、ビルや再開発や港湾や公共事業など大型物件を扱う仕事である。足で歩いて情報を探して時間をかけて、
とことん食い込んでいく高度な営業テクニックとセンスが要求される。接待とか付き合いの中で、営業チャンスを
模索しなくてはならない。1㌫の中から可能性を追求していく世界である。その為には、駄地獄と天国の境に常に身を
置かなくてはならない。人間的に大きく成長するか、半ヤクザみたいになってしまうかどちらかだ。
一棟のビルには、現場だけでなく営業の汗と涙と血が多く流されている。 ゼネコン営業とは少しそれるが、以前、
営業のトップセールスにホステスをしていた女性が活躍をしていたことがあった。ホステス経験があるならトップセールスは得意。
逆にホステスが、お客を相手に保険のセールスをしているケースもあるが。デパートの営業も詐欺ギリギリの世界である。
年寄りを集めて、飯を食べさせ、奇麗事をいって、一種の集団詐欺まがいのことをしていた。
いや今もしている。一昔前のことだが三越があまり辛辣の手口が大問題になった。今でも、その後遺症が残っている。
ゼネコンの営業は、成果が見えるカタチで残るのが最大の慰めになる。
・・・・・・・・
2003年02月28日(金)
 695, お金の哲学−1
「お金のたまる人たまらない人」と「金持ち父さん貧乏父さん」
  と「ホームレス失格」を読んで金銭哲学を考えてみた。
私の両親は教育といえば金銭哲学の話をメインといってよいほど繰り返し繰り返し話をしていた。
今から考えると、それは人生哲学であり、如何に生きるかということであった。
この本の90㌫は両親が繰り返し話している内容であった。
ー思いつくまま書いてみるー
・浪費をしないことー人生の楽しみを浪費に求めないこと       ・自分の趣味を持つ事ー人生を楽しむこと
・時代の変化を早く見つけ、その変化をチャンスに変えること
・常に蓄えを増やす事ーチャンスに即金を出せること−最悪に備える事
・借金は最小にー                         ・勤勉であること
・仕事を楽しむこと                        ・勉強をし続けることー教養を積むこと
・肩書きや仲間付き合いは最小の人と、しかし最高の人と   ・投資物件をつねに抱いていること-投資をし続けること
・生活レベルを上げないこと                ・「飲む、買う、打つ」は身を滅ぼす
・銀行の恐ろしさを十分知るべし              ・神仏に対しては真摯に、とくに墓は大事に
・保証人には絶対になるな                 ・死に資産は持たない
・質実剛健であることー贅沢や肩書きは敵と思え       ・情報はもっとも大事
・自宅は可能な限りよい家を造り、生活は質素に
長岡商人は大阪商人の流れをくむという。御朱印船の影響が残っているためだ。
考えてみれば面白いものだ。新潟は天領であった為、江戸の影響が今でも残っている。
・・・・・・・ 
2002年02月28日(木)
345,20歳の頃 -ある教授との出会い−2 
  野田一夫教授
経済・経営系の人なら、この人の名を知っているはずだ。ドラッガーの訳者だからだ。忘れられない授業がある。
確か3年の時の6月の初旬あたりである。講座は「経営学」である。その時の感激を今でも忘れられない。
学生時代の自分の中で色々な内面のビッグバンがあった。その中で「Aクラスのショック」であった。
ーその内容とはー
諸君、同じ人間として生まれたからに、せっかくこうして学んで人の上に立とうというなら、ロマンローランの
「ベートーベンの生涯」をぜひ読んでみなさい!ベートーベンは音楽家でありながら、耳が聞こえなくなってしまった。
音楽家にとっての難聴は致命的である。それを乗り越え、その心を作曲したのが「運命」である。
この本の中の彼の手紙に 「絶望を突き抜け歓喜に!」「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実に拠ってだけでも、
不幸に耐ええることができる!」という言葉がある。不幸のどん底の中の意志の言葉だから素晴らしいのだ。
この本を買って繰り返し読みたまえ! これから諸君は何らかの形で指導者になる人間だ。素晴らしい本を読みたまえ。
勉強をもっともっとしたまえ。何処でも席を座るならこそこそ隅に座るな!真ん中に座りなさい。
大体がこんな内容であった。この時から何かが変わったように思えた。野田一夫教授は当時、ドラッガーの訳者として
高度成長期の売れっ子教授で、今でいうタレント教授的なところがあった。自信と個性の塊のような人で、
人をある方向に駆り立てるカリスマがあった。その後立教を辞めた。多摩大学の創立総長として、何度かTVでお目にかかった。
更に宮城大学も同様に創立に関わり総長をされていた。ドラッガーが愛読書になったのも野田教授のお陰である。


3260, 日米「振り込め詐欺」大恐慌    ー2

2010年02月27日(土)

  ーこの本の論旨というと
「アメリカ発の世界恐慌」がこれから始まるが日本はアメリカに洗脳されたままなら、アメリカと一緒に崖から落ちて行くだけ。
オバマは2年で大統領を辞任し、ヒラリー大統領が登場する。 現在のままでは「日米振り込め詐欺構造」では日本が潰される。
既に「日米振り込め詐欺」で私たちの年金が吹き飛ばされたも同然で。日本の年金が国債などで吹き飛んで、近い将来には、
3分の1しかもらえない事態になる。しかし、これからはアメリカ処分案が実行される。アメリカが処理しなければならない
金額は4千兆円。 巨大バブル崩壊で失われた世界の富は総額6〜8京円。 その10分の1の処理が必要になる。 
その中で、日本はアメリカの洗脳から脱却しなくてはならない。ここで更に日本から60兆円を貢がせようと策動する。
これからアメリカは横柄な態度で次から次へと日本に政治謀略を仕掛ける。
 〜以上だが、
 隷属国家の日本は、民主党への政権移管でアメリカと日本の官僚たちからの呪縛から解放される時である。
日本が稼いできた金は、ドル本位制度とかいうシステムで殆んど絞りとられてきた。 この著書は一年前に書かれたが、
著者の言うとおり、鳩山の脱税、小沢の政治資金疑惑など、明らかに日本の官僚がアメリカに策動された動きになっている。
そして、今度はトヨタバッシングである。 現在が日本にとって大きな節目。思い切ってアメリカと間を置くチャンス。
アメリカは露骨に日本の貯蓄を狙っている。 この数年が経済危機に見舞われるが、大元のアメリカの傷は最小で済む。 
「振り込め詐欺」というより、「抱き込み詐欺」に戦術を変えようとしている。 ドルを大幅に刷って、
世界中のドルの価値を一方的に下げればよいだけ。 それがドル本位制の正体である。アメリカは軍事だけではない、
小麦、トウモロコシなど、食物の生産国である。軍事と食料で日本など簡単にコントロールできる。
だから、いざとなると日本は腰が引けるのである。 人口減少と、戦後教育、とりわけ「ゆとり教育」で日本人は、
確実に骨抜きになってしまった現実がある。 頭と尻尾に、その傾向が大きく現れている。 
 ここで、政界再編成を早く実施して、新しい時代に向けた体制をつくらなければならない節目にきている。
今さら鎖国もできないだろうし。 欧州、アメリカが駄目ときたら、紆余曲折はあっても、中国、インドの時代か!

・・・・・・・・
2885,「思い出婚」というが!
2009年02月27日(金)
芸能関係の話も、たまには良いだろう。
 ーまずは昨日の芸能界でのサプライズニュースの内容から
《 歌手玉置浩二(50)と女優石原真理子(45)が復縁し、東京近郊で同居生活を始めていることが24日、分かった。
 2人は85年に不倫愛が発覚したが、紆余(うよ)曲折があり翌86年には破局。 06年は石原が自伝で玉置の暴力癖
 などを暴露し絶縁したと思われていたが、2人は自伝の出版後も連絡を取り合っており、再び恋に発展したという。
 今月に入って同居を始め、玉置の自宅周辺では、買い物に出掛ける姿も数多く目撃されていた。
 80年代後半には泥沼の不倫騒動を起こし、06年には石原が自伝「ふぞろいな秘密」の中で「(玉置の)暴力が原因で別れた」
 と衝撃の告白をした。2度と顔を合わせるはずもないと思われていたカップルが、20年以上の時を経て再び愛をはぐくんでいた。》  
「泥沼喧嘩友達の友情愛」ということか。 結婚のカタチの一つということだが、最近では「セックス格差社会」という本も出ており、
女性の求める男とのギャップがあまりに大きい。それが互いの妄想で結婚して泥沼に入って、家庭内離婚も含め過半数が破局する。
その前段階の晩婚、非婚は男性のせいと言われがちだが、女性の方にも問題があるようだ。
「責任感がない」「収入が少ない」「女を口説く甲斐性もない」「内省的過ぎる」などなど、次から次へと前提をつける。
(字数制限のためカット 2010年2月27日)
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2008年02月27日(水)
2520, ライバルはディズニーランド!
                ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゚・:*☆
*IKEAの日本進出
 欧州を旅行をすると、首都の郊外で「IKEA」の店を見かける。
 何度か入ったことがあるが、組み立て家具の店でゴチャゴチャと雑然としているが面白い店である。
 本社はスェーデンにあるが、とにかくセンスがよくて、その割りに(欧州としては)値段が安い。
 北欧は家に招待しあい家具のセンスを競い合うのが互いの楽しみという。
 そのインテリアはシンプル&スタイリッシュで洗練されて、手頃な価格になり、日本の消費者にも
 支持されるのではないか。それか店としてのエンターティ-メンか!100円ショップも似たようなことを言っていた!
 そのIKEAが数年前に船橋に開店したことは知っていた。その後のニュースは聞いてなかったが、
 数日前の産経新聞の生活欄に記事が出ていた。日本でも本格的に出展を始めるようだ。 
 ーーーー
 ーIKEAの日本進出ー
*ライバルはディズニーランド
  −−
 それはIKEA日本進出の記者発表会でのことでした。競合はどこですか、という質問に対して、
イケア・ジャパン代表取締役はきっぱりとひとこと。「ディズニーランドです」
新しいホームファニッシングストアの到来を感じる言葉でした。IKEAはスウェーデンで誕生し、
36カ国に約260店舗を展開する世界一のホームファニッシングストア・チェーン。
しかし、そのどこにディズニーランドに匹敵するエンターテインメント性があるのでしょう。
 IKEAに入ると、まず特製のメジャーと鉛筆が置いてあります。
それを手にしてIKEAの世界へ。何十にも及ぶリビング、キッチン、子供部屋などのルームセット・スペース。
しつこく商品を勧める店員がいないので、時間を気にせず、自分の家で採寸してきたデータをオリジナル・メジャーで
確認しつつ、じっくりとイメージを膨らませることができます。
 (字数の関係で中間カット2009年02月27日)
ーー
日本では、ニトリ、大塚家具、東京家具あたりが、当面の大きなライバルになる。
日本人に組み立て家具が受け入れられるかどうかだが、私は大丈夫と思うが・・・。
  まさか、日本でIKEAの店が見られるとはね!
                         (。´_`)ノホンジャ!
・・・・・・・・・
2007年02月27日(火)
2156, 幸福に驚く力 −3
            (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー オハヨ〜
*「物語」の持つ力*           ー読書日記ー
ーまずは、この本の中の「物語」の持つ力と不思議についての面白いところを抜粋してみようー
 −−
河合隼雄の「物語とふしぎ」の中で、「〇〇にとって納得のいく答えが物語になるのだ」
「正しい知識を供給しても人は納得できない場合がある」「人間の体験した不思議とか驚きを心に収めるために物語はある」
といっている。人は科学的、客観的にはおかしくても、それでも納得できる方を選ぶということを遠い昔からしてきたのである。
河合さんは、それを、「その人と世界との関わりを示すものとして物語はある」といっている。
「物語とは何か」を根源に立ち返って考えさせてくれる、あるエピソードがある。ある人が、南フランスに出かけていって、
一面のヒマワリ畑の中にたったそうです。ところが、彼はヒマワリに圧倒されて、ほとんど気が狂いそうになったといいます。
その時彼は何をしたか。ゴッホのヒマワリの絵を必死になって思い浮かべたというのです。
そしてその目の前のヒマワリと自分の間にゴッホのヒマワリおいて、そうすることで初めて精神の均衡を保つことだできた。
そう話してくれました。つまり、私たちは本当に対象となるものに直に触れているように見えるけれど、
いつもそこに何か借りてきて、それを通して対象と触れ合うことを無意識のうちにやっているんじゃないか。
自分と世界と直接結ぶということは物凄く大変なことですね。だから、こうだよという物語、それを借りてくるんじゃないか。
いま私がいう物語には絵も音楽も入っています。つまり自分は世界とどう関わったかに答え、それを一つの形にしたもの。
それを聞いた時に、物語とは何か、ふっとつかめたような気がします。ある波頭を見ていると、「あっ、北斎の波頭だ」と
思わずつぶやく。もし、北斎のあの版画を見ていなかったら、本当にあの波頭を捉えることができたか?  
ある人がこうつかんで、物語にした。その物語を借りてくることによって、対象と向き合う。
そういうことを、私たちはみなやっていると思います。ゴッホがなぜ狂ったのか、恐らく彼には、
借りてこられる物語がなかった。どうしても納得できる他人の物語がなかった。それで格闘したんですね。
してやっとつかんだ時には精神の均衡を失っていた。そう思います。
ーーー
私のライフワークの一つに、「秘境ツアー」がある。その楽しみの一つが、写真とミニ紀行文である。
ミニ紀行として物語化にして、写真と供に記憶として整理しておくためである。
物語化は写真よりも自分の心に刻印してくれる。河合隼雄の「人間の体験した不思議とか驚きを心に収めるために物語はある」
という言葉のとおり、不思議と驚きを心に収めるため必要欠くべからずことである。人生は物語である。
多くの物語を持つことは、それだけ生きたことになる。そして大きな豊かさを与えてくれる。
誰もが自分の物語の主人公である。人生を豊かに生きるためには、主人公の生きる世界のキャンパスを広く持つことだ。
そのためには広く深く経験をしなければければ。不思議と驚きに多く出会。
それは本を中の主人公と邂逅することでも充分に可能である。新しい分野の主人公と多く出会えばよい。
そのためにはゼロを基点とした孤独を意識しなくては、その主人公の気持ちになることはできない。そういうこと!
               ー つづく        ¥(*^_^*)\ バイバイ
・・・・・・・・・
2006年02月27日(月)
1791, 全日本ラグビー選手権が面白い!
      (☆-v-)。o○《Gооd Мояйiиg》○     
昨日の全日本選手権の「NEC]と「東芝府中」が面白い試合であった。
最後の瞬間まで攻防が続き、6対6の同点引き分けで両者の優勝になった。
後半は東芝が一方的な攻撃になったが、終了間際のワンプレーが届かず、NECが守りきり同点優勝になった。
目の前のボールを拾えばゴールで東芝の勝ちだったが、するりとボールが前に滑ってしまった。(p>□<q*))          
去年がNECの優勝の為、宦官びいきで東芝を応援していたが,近年まれなる好試合であった。
表彰式では、お互いに笑顔が多かったのは、持てる力を存分出したからだろう。 (^―^) (*^-^*)
ラグビーは延長戦は無く、両者の優勝になった。これでNECにとって昨年に続いて連続優勝ということになり、
東芝はマイクロソフトカップと、トップリーグの合せて三冠をとった。 観ていて両者が全力を出し合った
後味の良い試合であった。今年は学生の優勝チームの早稲田大学がトヨタに勝つハプニング?もあった。
ラグビーは集団格闘技(乱闘)といってよい。よく観ていると激しい殴り合いを審番の見えないとこでしているのがみる。
体力勝負のところが面白いが、闘っている選手は恐ろしいという。まあ、観るぶんにはよいが!                
                 ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ
・・・・・・・
2005年02月27日(日)
 1426, アメリカインディアンの教え−2
ー何処かの国の教育学者のように、
  私の「インディアンの教え」を`家庭の在り方という視点’で書いてみる。
・両親の仲が良い子供は、暖かい心の子供になります。
・卑しい両親の子供は卑しくなります。
・人の悪口を家庭内で言っている親の子供は、冷たい子供になります。
・期待過剰の両親の子供は、無気力の子供になります。
・厳しすぎる親の子供は、影で悪いことをします。
・家庭内離婚の子供は、社会に対して敵愾心を持つようになります。
・男女間にだらしない親の子供は、離婚をする確率が高くなります。
・親の愛情をタップリ受けた子供は、心の芯の強い人になります。
・子供を自分の所有物と信じて疑わない親の子は、親を憎むようになります。
・子供に一流の音楽や芸術をシャワーのように与えた子供は、一流の人物になる傾向が強くなります。
・常に夢を持っている両親の子供は、創造(想像)豊かな人になります。
・他人に思いやりのある親の子供は、幸せな一生を約束されます。
・子供を優しく見守れる親の子供は、自主性のある自由な人生を過ごせます。
ー作成時間30分で熟慮はしてない。
 −−
租借と熟慮をしていない分だけ、アメリカのドローシー・ロー・ノルトの「子供が育つ魔法の言葉」
の方がよいが、数時間かけて考えれば近いのは作れる?!インディアンの教えと、ノルトの言葉を
出しながら何回か読んで頭に何か浮かぶのを待てばよいのだが。 この位で止めておく。
・・・・・・・
2004年02月27日(金)
 1059, サバイバル
今の日本経済は「サバイバル・ゲーム」化していると言われる。そこでサバイバル(生き残り)を考えてみる。
(というより、ある雑誌の文章を土台に考えを書いているだけだが)
 アメリカの軍事「サバイバル・マニュアル」には・まず「生きる望みを失わないこと」とある。
 生きる望みを失わない為には、ハッキリした目的がなくてはならない。
 アメリカの軍事のサバイバルの第一の精神が、まずは生き残るという意志を
 挙げているところが意外である。究極のところに立てば、まずは気持が大事ということだろう。
・次には「今までの生き方では生きられなくなった場合をいう」
「現在置かれている現状、いわゆる状況を、正確に、早く掌握すること」とある。そして最適な方法を考え抜く。
 方法が決定されれば危険を乗り越えて行動することだ。まずは生き方を根こそぎ変更することである。
 とにかく、逡巡が一番悪い。何か自分のことのようだが、日本という国家もだ。
 以上のサバイバルの意味から、現在日本の企業の全てに要求されているのは、
 この情報化社会の大変革の中、生き抜くという意志と、今までのやり方を根本的に作り変えることだ。
 その為には、現在置かれている状況を正確に、早く掌握することである。どの経営者に会っても言っていることは
・時代は、我々の想像を超えて変化をしている。
・今までの延長のやり方ではもう生き延びることは不可能だ。
・生き残る為のスキルを徹底して磨き、一点突破していくしかない。
 最後の生き残りの5〜10㌫になる為のサバイバルに入った。 厳しいが面白い時代である?
 ほんと!弱肉強食の時代に本格的に入った! いつの世も「勝てば官軍、負ければ賊軍」である。
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2003年02月27日(木)
 694, ハウステンボスの倒産
20年前に、チェーン理論のペガサスクラブの渥美主幹の言葉が印象的に残っている。
「いま色々なリゾート開発とかテーマパークがブームになっているが、あれは後背人口が3000万以上でないと成り立たない。
日本では関東しかない。大阪でさえ難しい」であった。「なるほど全くそのとおりである!」と納得したのを憶えている。
「浦安のデズニーランドが上手くいっているのは、関東の3000万のある上に、日本全国とアジアの数億人の人口があるからだ」
と加えていた。その後バブルが発生して色々な計画が発表された時に「本当にバカでないか!」と冷笑していた。
別に私が考えてことでない、その情報を知っていただけだ。新潟では「ロシア村」「トルコ村」長岡ではゼネコンの
「スペースシャトル村」が計画され全て頓挫した。聞いていて無知もはなはなしいと思っていた。
再開発の90パーセントもこの類だ!今年オープンする「トキメッセ」はその最も最悪下劣の計画である!
このテーマではないから省く。現在になってこれらの計画のボロが露出しているが、この計画と遂行した犯罪者は
引退したか、あの世にいっている。日本という国はどういう国だろ??いつの間にか、ボタンを掛け違えてしまったのだ。
このツケの支払いが、今の若い人たちの10年〜50年後に回ってくるのだ。
5〜6年前にハウステンボスに行った時その計画の合理性に驚いて、こういう例外があるのかと目を見張った。
特にテーマパークにあわせたオランダ風のマンションや住宅を造って販売しているのに驚いたものだ。 
といって2回以上行きたいとも思わない。 デズニーランドなら別だろうが。
この「2回以上いってもよい」と思わせるには、高度のノウハウが必要のはずだ。
今は大型PDPTVが家庭内に入り、居間がテーマパークになってきている。映画館もしかりである。
私の場合、PDPTVが入ってから飲みに行く回数が半減した?テーマパークはバーチャルが最大の売りだが、
今の映画はデジタル技術でその過激さが飛躍している。 ハウステンボスの倒産は今の時代を象徴している。
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2002年02月27日(水)
 344,「神話の世界 」 -1
キャンベルとモイヤーズの対談集を読んだ。この本は私の愛読書の一冊でもある「シェーン」をはじめとする西部劇の大部分は、
[神話のストーリ]の転用であるという。主人公がある街に流れてくる。そこで悪に遭遇して正義感からその悪と対決し退治をする。
そして何も報酬を求めず黙って去っていく。「英雄の理想像」である。英雄の立場からすると大いなる旅に出て、
そこで色々な困難に遭遇をする。それと闘い勝利して「大きい精神的な何か」を得て故郷に帰っていく。
アメリカ西部劇の全てに共通しているストーリである。スターウオーズ」も、そのストーリーが背後に一本通っている。
現代の神話、西部劇である。今話題の「千とチヒロの神隠し」もその筋道だ。桃太郎、一寸法師などの昔話もそうだ。
挑戦、闘い、変化ー成長、の成長過程が全て含まれている。我々もそのプロセスを重ねて成長していく。
神話はそういう意味で「人間の一番の本質」といってよい。誰もが自分を一生を貫いている神話を持っている。
自分にとって誰もが主役、皆が大将である。「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺があるが、神話のない人生をいう。
西部劇をみていて、そこに懐かしいアイデンティテーを感じる。そこに内面の深奥の旅を経験する為だろう。
蛇と鷲の闘いを絵でみたり、TVのドキュメントを見て興奮を覚えるのは「地に縛られている蛇」と「飛躍の象徴のわし」
の戦いを、「自分の内面、過去の経験」で知っているからである。英雄は鷲である。飛躍とは地に縛られている自分からの
飛躍である。蛇は縛られている自分でもある。その自己葛藤がその闘いである。蛇は人間がまだサルの時、
森に縛られていた時の天敵である。本能的に嫌うのは、その時の記憶が遺伝子に残っているからだ。その合体が龍である。
羽の生えた蛇である。何処の世界にも龍という架空の動物がいるのは、人類共通の想像的産物である。 願望の結果である。
神話の中によく大きい鳥に乗り、はるかかなたに旅をする世界共通の物語もその形を変えたものである。
大鵬という大鳥もそうだ。 実は私の「秘境の旅」もこれに似ている!
一時の蛇から、森からの飛躍のバーチャル版といっていい。 鳥を飛行機と喩えることができる。


3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる

2010年02月26日(金)

  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 六兵衛さん曰く、
「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、そこの住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、
ある日、諸国の僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。当時は、問答をして負けた方が、寺を明け渡して出て
行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、その日は住職は留守だとして旅の僧を引き取らせますが、
また来る言われ、困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと言うので八五郎は代わってもらう。
次の日、早速旅の僧がやってくると、住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで問答をしようする。
 自分の胸の前に、指で小さな丸を作って前に突き出すと、住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、
両手を大きく動かして円を書く。 それを見た旅の僧は、住職の六兵衛さんに平伏してしまいます。
次に、その僧は、両手を開いて前に突き出すと、住職の六兵衛は片手で5本の指を立てて前に出す。
すると、又も旅の僧は、平伏してしまいます。 最後に旅の僧は、恐る恐る3本の指を立てて前に出すと、
住職の六兵衛は「あかんべー」をする。 旅の僧は、またも驚いて平伏すると、逃げるように寺を出て行く。
さっぱり意味が分からない八五郎は、彼を追いかけ、どんな問答をしたのか尋ねます。
旅の僧がいうには 「御住職は無言の業の最中であられるので、先ず胸の前に小さな輪を作り、御住職のお胸の内は?と
尋ねますと、大きな輪を作られ『大開法』、全く曇りなし、という。 次に十本の指を立てて『十方世界』はと尋ねますと、
御住職、五本の指を出され『五戒で保つ』と申されました。 最後に3本の指を出して『3尊の弥陀』は、と尋ねますと、
御住職、目の下を指され「目の下にあり」と申されました。愚僧の及ぶ所のない、御住職です」と言って寺を出った。
感心した八五郎が住職の六兵衛の所へ来て、何時の間にあんな問答なんかを覚えたかと尋ねると
六兵衛カンカンに怒って、「あいつは旅の僧じゃなくて、ただの乞食だ」と言う。 先ほどの問答の内容を八五郎が聞くと、
六兵衛曰く 「あいつは、俺が蒟蒻屋だと知ってやがって、先ず、小さい丸を作って、お前の所の蒟蒻は、こんなに小さいって
言いやがるから、こんなに大きいやい、って言ってやったんだ。 そしたら十丁で幾らだと聞きやがったから、
少し高いが5百文だって言うと、3百にまけろ、って言いやがるから、あかんべーをした」
 ・・・・・・・・
 これを読むと、かなり深い示唆がある。「世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる」いっけん頭でっかちの
若い僧侶を揶揄しているが、その人の知識の深さで、世界を如何読むかの話になってくる。知識とは、そういうものである。
知っている以外のことは知らないのである。知るには、長年の経験と読書でしか得ることが出来ない。
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2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
 「ことばの顔」ー鷲田清一    中公新社
 被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
     ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得した。
   ーその一部をまとめてみるー
 私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。
 関心がないわけではない。強く惹かれるけれど、それにふれて、ぶれてしまうことを恐れるのだ。 
 そう、火遊びをこわがるのだ。 とりかえしのきかない痕跡が残ることを怖がるのだ。
 TV、ビデオをまるでマジックミラーをのぞくかのように、まるで透明人間のように、他人のプライベートな空間に入って
 行きたいと思う。あるいは殺人事件の現場、他人のセックスを身近でみたいと思う。自分がその場に身体をもつことなく。
 ・ホラーや怪奇のビデオは今も人気がある。 バラエティ・ショーも、この場合は、自分も実は観たいし
  参加したいが、画像を通せば簡単に参加した気分になれる。
 ・TV、インターネット、携帯電話、など全てが被膜を通している。
 ・透明ラップ ー> スーパーの魚や肉も同じである。 調理済みにしてパックされている。
 私たちは、自分の皮膚をさらさない、避難所に立てこもったままで、しかし他者に、異物に関わりあいたいと願う。 
 いや、現代ではその被膜こそが、唯一の対象なのかもしれない。物ではなくて媒体そのものが最初の、異物と思われない
 異物なのかもしれない。そうすると、他人でも物でもなく、媒体という遮蔽膜が私の環境になっているかもしれない。
  セールは、(内部)を皮膚という表層の効果としてとらえた人だ。皮膚と皮膚とが接触するところに
〈魂〉が生まれると考えた。 唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、括約筋を締める、
 そうすると〈魂〉が生まれる、と。 そう〈魂〉をさらしたゲームの中で、ひとはじぶんの存在に触れる。
 そう、傷の中で、時間がなにかのきっかけで思い出したように疼かせるあの傷の中で、そう、負った傷だけ、
 たしかに〈わたし〉は存在する。少なくとも。
 「美には傷以外の起源はない」。そういったのはジャン・ジュネである。
  ーー
 以上だが、中高年になって人生を振り返ると、この言葉の深さが思い知らされる。
 最近になって、傷の痛みが深く疼く。忘れていた嫌な記憶がフラッシュのように蘇る。
 しかし、その痛みの分だけ〈わたし〉は存在してきたのである。〈魂〉をさらした分だけ、自分は生きてきた。
 そして、その痛みに疼くこと、それが生きていることになる。情報機器で私たちは何時の間にか囲まれてしまい、
 我が身を危険にさらすことが少なくなっている。それが、自分自身の真の危機であることをしらないで・・・
 そういう私も年齢を重ねるごとに(皮)膜が厚くなる。 それが老いるということなのだろうか? 
 この恐慌で世界中が情報機器の便利さも重なり、内籠り傾向になってきた。 それが実は恐ろしいことである。 
 充分に皮膚をさらした後なら、まだ良いが。 中年クライシスや、初老性鬱病は、その過剰や過小を起因とする。 
  充分すぎるぐらい曝してきたか? こんなものか? 傷の疼きに聞いてみよう!
 ・・・・・・・・・
2008年02月26日(火)
2519, ジム・ロジャーズの講演 −1
2年ほど前にジム・ロジャーズの本を二冊読んだが、なかなか面白い内容であった。
その彼が日経新聞の主催の講演会で述べた内容が、この日曜日に載っていた。
 大まかの内容をまとめてみた。
 世界の大きな流れとして、
*21世紀は中国の時代。
 中国で何か問題が起きたときは投資のチャンス。
 20世紀はアメリカの、21世紀は中国の世紀である。私の娘は完璧な中国語を話せる。
 2003年生まれの娘にとって一番身に付けさせたいスキルだったので覚えさせた。
*アメリカ離れ進む
 私の娘はアメリカドル預金を持っていないし、私も資産をドルから撤退させるつもり。
 株式もアメリカ及びアジアで現在株価は下がっている。
 配当利回りなどいかなる指標を使ってもアメリカの株式は割高。
 3〜4年周期で上がったり下がったりするだろう。短期売買で儲ける人々もいるだろうがすすめはしない。
*日本株
 アメリカ株に投資するよりは良いので多少持っているが、アメリカの影響を受けない会社に投資したほうがいい。
 アジアの 水・農業関連また中国人の観光に関する会社ならアメリカの影響を受けないので有力。
 私は日本では高齢化関連の会社、幼児関連の会社などをもっている。
 日本の商品のブローカーはこれからリターンが楽しみだ。
 日本は現在少子化対策をあまりしていないが、やがて少子化対策に動くと信じ幼児関連の会社に投資している。
*通貨
 私は10から20ぐらいの通貨をもっているが、最近は、人民元・日本円・スイスフランに投資している。
 人民元は交易量がどんどん上がってきている。人民元は非常に割安で安全な投資先
 日本円やスイスフランは何かがきっかけでキャリートレードの巻き戻しがおこり上昇するだろう。
 オーストラリアドルやニュージーランドドルに投資している人は日本の低い利率が変わるときに注意すべき。
 利率が変わると他の国の人が円を買い戻す動きが起こる可能性がある。
 利率だけにこだわってアメリカドルに投資するな。長期ではアメリカドルの価値は下がる。
 それをふまえたうえでならもっていてもよいだろう。 商品の時代に1999年からはじめった商品の上昇相場は
 おそらく2020年まで続くだろう。企業を分析して株式に投資するより商品は簡単な投資だ。需要と供給をみればいい。
 オイルをみると、 供給はここ25年間減っている。40年間、大きな油田の発見がなく、アラスカ・メキシコ・北海など
 既存の油田も産出量が減っている。 国別で見ればイギリス・マレーシアは10年以内に輸入国になる。
 中国・インドネシアはすでに輸出国から輸入国になってしまった。
 またどのオイル会社も埋蔵量が減っているというデータもある。一方需要は、世界全体が成長し続け増え続けている。
 一人当たりのオイルの使用量を国別で見ると中国は日本の約10分の1、インドは約20分の1。
 中国・インドの人達はいま日本のような暮らしがしたいと思い働き・投資をしている。
 特に現在30年〜50年来割安な農産物への投資がおすすめする。最高値より砂糖は85%・コーヒーは60%・小麦は50%安い。
 また小麦の耕作面積・生産に携わる人は減っており、在庫は1970年以降まれにみるレベルまで減ってる。
 同じくパネル討論をしたさわかみ投信の澤上篤人氏も、エネルギー、食糧、工業原料、水の価格は
 ジム・ロジャーズ氏と同じく中国・インドなどの発展が理由で上がり続けるだろうと述べている。
投資の初心者へ
 実際に自分が使っているものから始めるとよい。さまざまの商品を扱っているソニーや巨大な
 トヨタの実態はつかめなくとも、自分が使っている商品はわかりやすい。
 状況が良くない時に、人が目をつけねいないものに注目すべきだ。割安で人気のないものの
 情勢の変化に注意して買えば、例え思惑通りにならなくても多くは損をしない。
 うわさ・TV・酒飲み話などに惑わされないで、自分で勉強して一つのものに長期投資すべきだ。
ーーー
以上だが、またまた偶然の一致で、二年前の今日、ジム・ロジャーズの読書日記が書いてあった。
本当に不思議である。あまりに多いから驚いてしまう。何か、この中に大きなヒントがあるのだろうか?
                        つづく
・・・・・・・・・
2007年02月26日(月) 2155, 格差社会
             (~Q~;)  おはよう〜〜ファ〜
先日TVを見ていたら格差社会について報じていた。
事業者の立場の実感として、その拡大をヒシヒシと感じているが、さらに加速しているようだ。
自由競争が情報化やグローバル化により、激しさを増した結果である。「20対80」の法則が、
「5対95」の法則に変化したということだ。(20の要素に80が集中する法則が、5に95が集中)
ー以下の数値は「格差社会」で検索した結果であるー
就業者の33%が200万以下の収入で、30㌫が非正社員。
その雇用形態による所得格差は、リクルートワークス研究所の04年7月の調査によると、
正社員の平均年収は532万円、派遣社員は227万円、定職に就かないフリーターは167万円。
派遣社員やフリーターがこの三年で更に増えてきて、それが格差拡大につながっている。
 −−
先日の新聞によると、「生活保護世帯の補助金に満たない就業者が25%になった!」と報じていた。
その影響は結婚にも表れている。大学を卒業して1年後に正社員だった男性は10年後に71%が結婚しているが、
フリーターは35%しか結婚していない。背景にはフリーター期間の長期化による現在や将来の経済的不安がある。
他山の石の話ではない、5年間で当社の売り上げも3割も減り、その対策として正社員数も三分の一に減らし
役員の収入も35㌫のカットで何とか償却後利益を出している。今年に入って売り上げもストップ、
少し反転を始めているが。何とか新潟駅再開発工事が始まりつつある結果だが、一時は身も凍る思いであった。
不動産デフレと、宿泊費の低下で合理化が更に求められており、それが出来なければ退場せざるを得ないのは
どの世界も同じである。 それでも世界的にみて日本は、まだまだ豊かな生活レベルである。
 ーあるHPで世界の格差の対処比較を鋭くついていたー
世界をみると、大雑把に欧州型、アメリカ型、中国型の三つに分けられる。
・ヨーロッパ型は格差を維持するかわりに「下層」に余裕を与える、
・アメリカ型は「個人の平等な競争」によって格差の再生産を正当化する、
・中国型は格差を平等への「過渡期」と位置づけている、大雑把に世界は、これで「格差社会」に対応している。
(字数の関係で中間カット09年02月26日)
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これらから世界との競争に晒された競争激化の結果として国内で、その層の拡大は当然といえば当然である。
その意味で、更にこれから10年間は激しく国内を変えるだろう。 弱肉強食の競争社会が鮮明になる
本格的格差社会の到来である。特に地方経済の弱体化が更に激しくなる。
北朝鮮とはいわないが、アメリカ社会に近い状態に近づくということだ。
高度成長期に人生の良い時に生きてきた! 現状からみれば天国のようなもの。
これから若い人は本当、生きていくことが大変である。ただし、我われの世代と較べればの話であるが・・・          
                            (⌒▽⌒)/"”さいなら!    
・・・・・・・
2006年02月26日(日)
1790, 冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行
            ォ'`ォ'` 。+゚ヽ(。・c_,・。)ノ゙。+゚ォ'`ォ'`hayo
ウォール街の伝説の投資家がバイクで世界6大陸を旅するリアルで息をつかせない内容だ。
投資や経済の話を、中国、ロシアからアフリカ、中南米まで、世界各国を走りながら、それぞれの国を鋭い
視点と洞察力で分析する。一緒にバイクに乗りながら、それぞれの国の実情をみて、経済の実務教育を
受けているような気持ちになってしまう本である。世界を見れば、自国のことがわかるようになる。
 (字数の関係で中間カット09年02月26日)
 〜〜      ==)/C□~~ コーヒー
   −−
この二週間新幹線の往復の車中で読んでいるが、本を開いたと同時にロジャーズの世界に引きずり込まれてしまう。
さっそく続刊の「ジム・ロジャーズ 世界大発見」(日本経済社)をアマゾンで発注した。
彼の口癖の「人生は短い、遠くまで行って世界を見よう」が彼の心情をそのまま表している。
辺境を、身体を張って旅をしてきた一言一言がストレートに伝わってくる。
    次回は、この本の中で印象的な言葉を抜粋する。
ツアーでしか秘境・異郷に行けなかったが、そのツアーでさえギリギリだったのだから、
読んでいて著者の意志の強さと能力にはただ驚かされる! しかし観た風景は同じである。
苦労すればするほど、受け止め方が全く違うのも解るが!
    世界は広い、そして深い!                       ー つづく
・・・・・・・
2005年02月26日(土)
 1425, アメリカインディアンの教え
以前にも、この「アメリカインデアンの教え」について書いたことがあった。
 ーインデアンの言葉より
・唯一の正しい知恵は、人類から遥か遠く離れた大いなる孤独の中に住んでおり、人は苦しみを
 通じてのみそこに辿り着くことができる。  (カリブエスキモー、シャーマン)
・自分自身のことでも、自分の世代のことでもなく、来るべき世代の、私たちの孫や、まだ生まれても
 いない大地からやってくる新しい生命に思いを馳せる。 (アメリカ先住民の古老)
・おまえが大きな船に乗り、私が小さなカヌーに乗っていても、私たちは同じ生命の川を分かち合わねばならない。
                           (アメリカインディアンの古老、オーレン酋長)
・すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生をかけておまえの中に取り込むのだ
 おまえはやがて輝き始め いつの日か 月は思うだろう  おまえこそが月なのだと(クリーインディアンの詩)
・岩は偶然ここにあるのではない。 木は偶然ここに立っているのではない。
 そのすべてを造った者がいる。 私たちにあらゆることを教えてくれる者が。(クロウインディアン)
・大地は知っている。もしおまえが、間違いを犯せば大地は知っている。(コユコンインディアン)
・大地が横たわっている。大地の魂が横たわっている。その上はすべての生き物で装われている。
 聖なる言葉が横たわっている。                   (ナバホインディアンの歌)
・せせらぎや川を流れる輝かしい水は、ただの水ではなく、われわれ祖先の血だ。
 湖の水面に映るどんなぼんやりとした影も私の部族の出来事や思い出を語っているのだ。
 かすかな水の音は私の父の父の声なのだ。              (シアトルの酋長)
・祖先の人々に生命を与えたのは風。指先をかざして私たちは風の来た道を知る。(ナバホインディアン)
・大気はそれが育むあらゆる生命とその霊を共有していることを忘れないで欲しい。
 我々の祖父たちの最初の息を与えた風はまた彼の最期の息を受け取る。(シアトルの酋長)
・・・・・・・・・
2004年02月26日(木)
 1058, 赤ちゃんは左手で抱っこする
母親は右利き左利きに関わらず、赤ちゃんを左手で抱っこする。聖母マリアの絵も左手で抱っこしている。
(字数制限のためカット 2010年2月26日)
・・・・・・・・・
2003年02月26日(水)
 693, 「ホームレス作家」
新潟の駅にも40人ぐらいのホールレスがいる。段ボールを見かけるが、昼はさすがに寝ている人は見かけない。
(字数の関係でカット2008年02月26日)
・・・・・・・
2002年02月26日(火)
343、ある時間の断面-4
 1968年 9月10日
7時5分起床。 掃除に食事、9時半より11時半まで勉強!その後長岡の明治大学の1年の田村君と話す。2〜3日まえに
やはり勉強の為に来た男だ。夕食後7時半より、午前様と「神」について話す。午前様「一という数字はあるが、
一という実体はない。それを一といえば一であるが、一でないといえば一でない。一は万物であるともいえる」
「人間は実体だけでない、魂であり、永遠的なものである。全ては生き続けている。」
デカルトの「我思う、故に我あり」の言葉を引用された。「誰もが神の要素を持っている、磨くかどかだ」
「人間の見る聞くは5感6感の働きでしかない。それを超えた存在はいくらでも存在する。
それは修行によって初めて知る事ができる。」
「神が罰を与えるのは、困らせる為でなくそれにより、間違いを知らしめる為である。」
御前様と話していると自分の無知が露出されてくる。 明日は座禅を8時にくむ予定である。
 9月11日
御前様が座禅の指導をしてくれる。解ったような解らないような! 9時から夜9時まで座禅に挑戦!
計8時間休み休みだ。午前中は雑念だけだ。午後からは少し集中できる。
感想はただ疲れただけだ。当然ながら禅の事はさっぱり解らない。ここの2週間近くは、
充実したものだった。明日からは娑婆である、楽しみだ。これから高橋さんと根本君と送別会だ。


3258、日米「振り込め詐欺」大恐慌 −1

2010年02月25日(木)

 日米「振り込め詐欺」大恐慌 ー 私たちの年金・保険は3分の1に削られる
                      副島隆彦/著
[要旨]オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)に突入する。
  日経平均は4500円を割り込んで最安値を更新。金(ゴールド)も買えなくなるから、今のうちに金にしがみつけ。
  これから2012年までに何が起きるのか?「9.15のリーマン(破綻)ショック」を事前に言い当てた著者の提言。
 年金などもらえると思ってはいけない。ドルは大暴落し、日本もアメリカと一緒に沈む。暗黒の世界に突入して以後の3年を予測。
 ーカバー裏
・ 米国債とドルの大暴落でこれから「アメリカ発の世界恐慌」が始まる
・ オバマ大統領は2010年にドルを半値まで切り下げて辞任する(後はヒラリー)
・ FRBと米国務省は今から2000兆円のドルを刷り散らす
・ アメリカの「振り込め詐欺」(ネズミ講)で日本の700兆円が奪われた
・ 日本の年金資金の半分が吹き飛んで、もう年金は3分の1になる
・ NYダウ平均は3000ドル台へ、日経平均は4500円を割り込む    
・ 大銀行、大証券といえども潰れないという保証はなくなる
・ 日本も緊急の金融統制体制(「預金封鎖」)に追い込まれる   ・ 金(ゴールド)もいずれ買えなくなる
  〜〜
 この本は、去年の4月30日に発刊されている。いま時分に書いたのだろう。そして一年経ったが、アメリカの執拗な
日本に対する謀略は、著者が言うとおりになっている。鳩山の脱税容疑、小沢の政治資金問題で、元秘書の逮捕など、
あまりに露骨な日本攻撃である。ここで、さらにトヨタの狙い打ちである。そして、裏ではアメリカ国債の押し付けが
行われている。そのアメリカは、何処も買う余力がないので、日本にアメリカ国債を買うように執拗に迫っている。
それが、アメリカ「振り込め詐欺」と副島は言っているのである。実際のところ、何処が違うのか? 同じである。

・・・・・・・・
2883, 現在のクラッシュは全面事故そのもの
2009年02月25日(水)
「現代思想」ー金融恐慌特集ー の中で、
都市学の研究家が、スリーマイル島や、チェルノブイユ原発事故などを取り上げている
仏国のジャーナリストが、今回の金融危機を一連の原発事故と同じ視線で捉えているところが新鮮である。
「歴史」の加速現象が、これらの重大事故の主要な原動力として捉える。 これらは偶然ではない。
「歴史の加速」より、現実的なものへの加速への移行ではないかと。 このことを「進歩」という。
我われは、「現実主義」の時代を生きているが、一歩ふみこんで「瞬間の時代」に入ってしまった。
このような「できごと」を、切断という特異《唯一無二》の出来事の分析をすることを勧めたい。
《事故》は一つの発明であり、創出された作品である。「金融活動」は一つの仮想世界を創出した。しかし、これも現実の一部。
この仮想世界は、植民地に喩えることが出来る異邦性の一形態である。 移住可能な遊星の神話である。
今回の金融クラッシュの被害者は、サブプライム・ローンをかけた人々である。彼らは住拠を失いつつある人々である。
金融クラッシュは、国家そのものを不安定にしつつあり、株価や土地などの価値を落としていく。
我われは未来の生きられなくなってきている。 そこで、現在しか生きられないが、現在にさえも生きられなくなっている。
それが我われが現在経験していることである。 これは、原発事故が現に起こったときと同じこと。
人は「起きていること」を見抜かなければならない。無理解は恐れを大きくする。
私たちには恐れている暇など与えられていない。最も恐れるべきは、生活の全領域まで及ぶ、
個人的で内密的やる気無さです。あれやこれや、個人として行うことに及び腰になることである。
ーーー
解)解ったような解らないような内容だが、要は地球全体に大きな影響を及ぼす大災害と捉え、
 割り切って手を打つべきということ! とにかく次の爆発を最小限にし、多くの教訓を吸収すべきである。
 従って、チュルノブイユ原発事故と同じく二度と起きないように原因を展覧すべきである。
  ところで、昨日の昼飯で寄った喫茶店にあった「週刊ポスト」の中で‘たけし’が
 「今回の大不況は災害だから、派遣切りにあったホームレスに仮設住宅を与えろ、っちゅうの!」と、
 のたまっていた。もしかしたら、誰かが知恵を与えたのでは?と思ってしまった。
 世界を覆った大惨事と捉えれば、 日本中に一人当たり1万2千円をばら撒くより、緊急宿泊施設こそ優先すべきことである。
 そこで、麻生のズレタ感覚を面白おかしく茶化していた。
 職安で、仕事を探しに来た若者を相手に「自分の目的を持って仕事を探しなさい」と言った世間知らずは、
 あまりに御坊ちゃまと! 今さらだが、
 シェルターぐらいは作った方がよい。アメリカは教会が、その役割を果たしているというが。
・・・・・・・・・・
2008年02月25日(月) 2518, 閑話小題 
 *アース*
一昨日、最近出来たばかりの長岡の映画館で「アース」を観てきた。一人で映画を観るなど数年ぶりである。
新潟では、よく観たが・・・画面が小さいのがきになったが、それぞれ大きさが違うようだ。
この映画の中のカジキマグロが魚の群れを襲っているところと、鯨の親子の南極への数千キロの
長い旅路が印象的であった。二時間近い上映が半分近くに感じたのだから、内容があったのだろう。
還暦を過ぎると1000円というのがよい。1〜2ヶ月に一度はいくか?
 *何で今になって三浦?*
27年ぶりに。「ロス疑惑」の三浦和義がアメリカで逮捕された。誰の目にも彼が犯人というのは明らかだったが。
あれから27年とは! 今の若い人なら「誰?」ということだろう。米国の連続ものTVドラマに「コールド、ケース」
が面白いので見ている。 この紹介文に日本とアメリカとの司法制度の違いが紹介されている。
 −−“コールドケース”とは未解決凶悪犯罪のこと。
アメリカでは原則的に殺人罪に時効がなく、未解決事件がいきなり再捜査されることもある。
何十年も前の事件も、当時まだ無かったDNA鑑定など、現在の最新テクノロジーを駆使すれば、
解決の糸口が見つかる可能性は大きい。また当時の関係者が重い口を開き、意外な真相を語り出すことも……!
「コールドケース」が「CSI」シリーズと異なるのは、回想場面で事件発生当時の時代背景を
細かなディテールに至るまで再現する点。 よって普通の犯罪ミステリーを超えた、
濃密なヒューマン・ドラマがそこに浮かび上がるのだ。 −− とあった。
 本人(三浦)も「青天の霹靂」であろう。三浦の殺人の無罪判決は検察とマスコミの敗北だった。
今回もアメリカが何時、無罪放免するかもしれない。
その結果、三浦が告訴による生活費確保の餌食を恐れて、報道の腰が引けているのが面白い。
この時期の逮捕は沖縄の暴行事件に対するアメリカの政治的な思惑と考えるとタイミングとして辻褄があう。 
また三浦騒動の始まりである。それより日本の司法の問題点が大きくクローズアップするだろう。
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2007年02月25日(日)
2154, 立川談志
               (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜
先日のハイビジョン特集 「立川談志 71歳の反逆児 」( 2月20日(火)後8:00〜)が面白い。
  まずはNHKのHPにあった ー内容ーから、
立川談志といえば早くから「天才」と賛辞を浴び、鼻っ柱の強さで落語界、落語だけでなく政界でも大暴れ。
落語協会に公然と反旗を翻し、脱退して立川流を立ち上げ、まさに「破天荒」を絵に描いたような人生を送ってきた。
そのかれも、古希を迎えた。 世間的には“老境”の71歳。だが、執念を賭けた古典落語100席の掘り起こし、
若者のお笑いブームに真っ向勝負を挑む「独演会」の開催、ジャンルの違う後輩芸人との「果たし合い」ライブ・・・と、
なおアクセルを踏むかのような挑戦を続ける。
 もっとも、その心中は、ありがちな「元気な老人」のそれとも違う。飄々と斜に構えた枯れた反骨。
あくまでも談志流なのである。自分をおいて「本物の落語家」は無い、という強烈な自負心を背負った、
一代の個性派名人・立川談志。 その日常に密着し、落語への執念を描く。
 ーー                    ささ、お茶でも ((( ^_^)且~~ 
二時間近い番組だったが、時間がアッという間に過ぎてしまった。密着したカメラの前で赤裸々な
自分の姿を見せながら、自分の世界にいつの間にか引き込んでしまっている。何ともいえない迫力のある内容である。
ガンになり、何時お迎えが来るかわからない日々の中で、芸道を求めている姿。
年齢による体力の衰退と、うつ病との闘いで発狂寸前という際どい境界で、独り七転八倒している姿は、見ていて感動さえおぼえた。
5年前にNHKの{心のたび・ベネゼイラ}で、テーブル・マウンテゥンの麓の村に滞在した番組があった。(*◎ω◎*)~狂う 〜♪
たまたま、その一週間前の再放送を見ていた(三度目)。何度見ても味のある内容だった。ガンになって、
今後どう生きようかを考える旅でもあった。あの僻地で、暇な時間を持て余して、結局は落語の練習を始めてしまう
姿は、何か気の毒のように思えた。暇を持て余して現地人に「暇じゃないかい?」と弟子に聞きにいかせる場面があった。
その返事が何とも味があった。  「暇って何?」である。  ヒマ〜(′O`)〜3
もう一人の返事が、「ここには、ここの時間が流れている。暇というのは、
ここの時間の流れに合わない感覚ではないか」という哲学的な答えであった。
彼の言葉を幾つか紹介していたが、その中で「落語は人間の業を肯定するものだ」という言葉がよい。
人間の業と性(さが)を笑いの中で認めるということか?
特に自分の滑稽さを笑えるのは、それで自分を客観視していることになる。笑いと泣きは紙一重である。 
泣き笑いもあるが・・・ (^_^:
本当にきつい時は、笑いも泣きも出て来ないが!ごくごく身近に笑い顔の人がいるが、まあ幸せなことで! 
           (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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2006年02月25日(土)
1789, おやじ、ありがとう ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o
               ー 読書日記
母親は家を象徴しているが、父親は社会の象徴になる。母親に対する思いの本は数多あるが父親に対する思いの本は数少ない。
男にとって父親は煙たく、恐い存在であリ、人生の乗り越えなくてはならない大きな壁でもある。
私にとって父親は最大の恩人であり、教師であった。
この世で私を誰よりも愛してくれたのは、間違いなく父親であリ、次に母親である。
故人も含めて一人だけお礼の言葉を残すとしたら、「おやじ、ありがとう」である。´Д`*)ありがとぉ☆            
母親の夢は見ても、父親の夢はその数十分の一しかみない。でも、この世に生まれて一番恵まれたのは
「父親」であると確信をもっていえるのが幸せある。男が父親を語るとは、自分自身を語ることにもなる。
父親を否定するほど惨めなことはない。 自己否定になるからだ。
親元を離れて初めて両親の愛情を感じるものである。私の父親に関しての思いは、この随想日記で何回か書いてきた。
「商売が好きで好きでたまらない」が、父の姿であった。仕事が好きかどうかがプロとして一流化どうかの分岐点だろう。
父は、戦前、戦中、戦後と時代の変化に従って事業を変えていった。父親の姿を見ていて仕事の厳しさと人生を学んだ。
特にお金の哲学は家訓的に叩き込まれた。それにしては  ??
・仕事を楽しむべし!       ・人間を選んで付き合え!
・質実剛健の生活を忘れるな    ・小金をつかうな!大金を使え
・肩書きを求めるな、実利でいけ  ・変化をみて、思い切った変身をすべし その為に情報に敏感であれ!
・人間は、まず疑ってかかれ!
 以下は、検索で調べた内容の紹介である。
  −−−
週刊現代の人気連載が1冊に! 有名人80人が登場(写真・インタビュー構成)
有名人が、父親との思い出を1ページの文章と昔の家族写真で綴ってある。息子・娘に対する関わり方、自分の人生との
向き合い方、奥さん(ときにはそれ以外の女性)との接し方、息子・娘はそれらにどう反応したか
(あるいは影響されなかったか)など、家庭によって、また時代によって異なる千差万別のドラマが描かれています。
それほど道徳的でもなく、また恨み辛みがむき出しにもなっていない、どちらかというと平坦な文章が多いが、
それ故に一つの家庭を四苦八苦しつつ運営している身にとって共感することを随所に見出せる。
一人でも、みんなが集まるリビングでも、少し時間ができたときに何ページかめくってみたくなる暖かい本である。
執筆者に同年代の人が多いせいもあり、同窓会で久々にあった友人と「おまえのオヤジ、どうしてる?」
と話しているかのような気持ちにもさせてくれる。
                        ー さようなら ε(´',_c')зβyё
・・・・・
2005年02月25日(金)
1424, DVD レコーダー
レンタルビデオ店の中の、DVDの棚が過半数を超えてきた。映像ソフトも、主としてDVDで提供されるようになった。
ハードディスクで録画して観たり、その映像をDVDで記録して保存する「ハードディスク・DVDレコーダー」が
売れ筋になっている。現在のDVDは、テレビ番組を録画する場合、1枚あたり6時間の記録が可能だが、大画面で通常の
テレビ放送並みの映像を期待すると2時間程度が限度だ。最近は直接ハードディスクに長時間入力できる機種が多くなっている。
「ハイビジョン」は、現行のDVDでは映像は十数分程度しか記録できない
   (以下、字数の関係でカット 2009年02月25日)
・・・・・・・
2004年02月25日(水)
1057, あかさたな はまやらわ
以前から不思議と思っていたが、笑い声は、何故か「あ行」と「は行」に並んでいる。
  あはは   ははは
  いひひ   ひひひ
  うふふ   ふふふ
  えへへ   へへへ
  おほほ   ほほほ
 ある本を読んでいたら、「言葉の不思議」という内容でそれぞれの行ごとの類似性を紹介していた。
  (少しこじ付けかと思いつつ、それなりに説得力があった)
ー以下のとおりである。 
・「カ行」は、自分の主張や激しい感情を外に出すものが多い。 「かんかんがくがく」
「カッとする」「きりきりする」「苦労する」「悔しい」「喧嘩」「喧々ごうごう」「高圧的」
・「サ行」は、静かな感じが多い 「細心」「神経」「住む」「繊細」「楚々としている」
・「タ行」は戦い系が揃っている。「戦う」「血」「力」「強い」「強い」「抵抗」「徹底」「闘争」
・「や行」は優しい系の気の軟さの言葉が多い。「優しい」「ゆかしい」「よよと泣く」
偶然ともいえないのが不思議である。私の名前は八郎である。ハチというと何か闘争的である。兄は三郎である。
サブは大人しい感じがするが、兄の性格は大人しい。名前にも霊力がこもってしまうのだろうか。
少し話はそれるが、一番最初の「あ」と、最後の「ん」には深い意味があるという。
「あ、しまった!」の時につかう「あ!」は仏教語で「許し」という意味があるという。
その中に深い意味を感じる。 私の場合は「あ〜あ」が口癖だが。
・・・・・・・・・
2003年02月25日(火)
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記
<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。
自分の無意識の言動の大部分が、いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかがわかるにちがいない。
ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、いかに若いか、いかに頭がよいか 
 ーこれからはーいかにーを省く。勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、
いかに凄い体験をしたか、気がきくか、仕事ができるか、正しいか、ものがわかっているか、忙しいか、金持ちか、
ケンカガ強いか、酒が強いか、ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、性技巧に優れているか、
自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。ご寛容を。)・・・・
 ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。   わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。         わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。       わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに費やされる。この、わたしを見よ、と。
 ・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
(字数制限のためカット 2,010年2月25日)
  ーーー
私の母の口癖は「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。
両親の呪縛があったとしたら、「両親の期待を失望させてはならない!」。両親の期待にこたえることであった。
・・・・・・・・
2002年02月25日(月)
 342、20歳の頃ーある教授との出会い-1
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、
それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを休暇に与えられ真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった返事を
書くものかと感激をした。それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか?
鈴木教授という名前と、その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。
いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。
そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐことを選んだ)しかし自分は両親の生き方を求めていこう。
今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、等々。
もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」とも書いたかもしれない。心のこもった返事とは
「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 というな内容であった。この時点で自分の行き方が変わった
ように思える。 いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」


3257, 閑話小題

2010年02月24日(水)

* つれづれに
 半年に一度ぐらい、この随想日記、書くネタも何も尽きて呆然とすることがある。
 この数日が、それだろう。 そういう直後に多くのネタが湧き出てくることも経験的に知っている。
 書き続けることの効果を実感しているから維持できているが、書く気力が萎えるのは如何しようもない。
* 消費税のアップ
 今年度の国家の税収が、予算より2割のダウン。90兆の支出に対して37兆の収入しかないという異常事態。 
 こうなれば、消費税のアップしかない。 ということで、緊急に「来月から議論に入る」という。
 それしか目先の増収の手立てはない。それにしても、あれだけの綺麗ごとで支出をしておいて、何おかいわんである。
 5パーセントのアップは、我われの収入が5パーセントダウンと同じことである。これでは、ますます消費意欲が減る。
 消費税分を値上げはできないところが大部分だろうから、恐慌にますます拍車をかけることになる。
 5年先は、いや3年先の景気を考えると背筋が寒くなる思いである。
*政界の再編成が動き出した
 民主、国民新党の自民党切り崩しで、二人が移動し、参院の過半数を確保した。 
 これで社民党の連立からの離反が時間の問題になってきた。次の仕掛けは、公明党との連立か、
 自民党の若手をゴッソリと狙うかである。
*保険業界の現状
 昨日、取引先の保険会社の社長が来社、少し早いが長岡まで車でおくってもらう。
 保険業も3〜4社の大手の寡占化が始り、弱肉強食が鮮明になりつつあり、
 保険のオバサンや、中小の保険会社の淘汰が激しくなるという。
 5年で200万人が40万人に激減し、保険屋難民が彼方此方で溢れるとか。 何処も同じである。 
・・・・・・・
2009年02月24日(火)
納棺師ーおくりびと
米ロサンゼルスで行われていた「第81回米アカデミー賞」の外国語映画賞部門にノミネートされた「おくりびと」が
外国部門賞に決定した。 この映画の概要といえば、ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、
仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた作品である。
 10年ほど前に長岡市内の叔母が亡くなった。分家でもあるので葬式の主催者として準備を手伝うことになった。 
たまたま喪主の弟の知り合いが葬儀場の担当者で納棺師であった。 納棺師という職業に興味をもって、
色いろたずねたところ、転職の経緯から、納棺師からみた色いろの人生模様を詳しく聞くことができた。 
以前に火葬場の火夫の手記を読んだことがあるが、納棺師の話は初めてである。
 印象に残ったまま書いてみると
・小さな子どもが亡くなった葬儀は、正視できないほどの哀しみが満ちている。
・葬式は、人生模様の凝縮された姿が垣間見られるところ。
・親族が故人を嫌って誰も葬儀をしようとしないケース。門前で「あんな奴は父でも何でもない!」と怒鳴られた。
 「親子で何があったかわからないが、何か深い怨念があったのだろう」と・・・葬儀代は、本人の通帳から
 貰っていたので、丁寧に葬儀社を出した。
・職業として割り切っているので、慣れてしまえば傍で見るほど大変ではない。
ーところで納棺師とは、どんな仕事なのか「検索」で調べてみた。
 実際には納棺師になるための特別な資格はない。そして意外や20代の女性が多い。
  故人への主な仕事は
(1)シリコーン注射などによるやすらかな死に顔づくり (2)消臭効果のある薬品を口の中に入れる防臭処置
(3)口、鼻、お尻の穴に綿花を入れる詰め物      (4)白装束などを着せる着衣
(5)納棺      (6)遺体の髪や体を洗う湯灌  湯灌を行わない場合、納棺師1人で切り盛りしてる。
以上だが、「おくりびと」がアカデミー賞を貰ったことで、この仕事に多くの人が目を向けることになるが・・・
・・・・・・・・・・
2008年02月24日(日)
2517, カキクケコの精神
何気なく本棚に塩月弥栄子の「冠婚葬祭入門」を手に取ったら
「カキクケコの精神」があったが、それが面白い。  「カ」は 感謝することに照れない。
  「キ」は 緊張感を楽しむ。          「ク」は くつろぐ。
  「ケ」は 決断力。              「コ」は 好奇心を持ち続けること。
美空ひばりも、この言葉気にいっていたというが、他にもカキクケコの精神として
 「カ」感動、感激。神の心 。           「キ」聞く、気配り、協力。
 「ク」クエスチョン(疑問をもつ)。クリエーティブ 「ケ」健康。ケセラセラ(なるようになる)
 「コ」行動。向上心。
  が考えられるが、どうだろうか?「あいうえお」でも「かきくけこ」でも辞書を片手にこねれば
  何でもつくれるということ。「あ=愛情を大切に。い=命をいとおしみ。う=運動を。え=笑顔で。お=お互い様。」
  というと、年寄りの養生か?  「さしすせそ」というと、止めとこう!
  最近、30〜40年前に読んだ本を読み返しているが、また違った読み方ができ、また読んだ当時の自分に出会っている
  ようで面白い。 読んだ言葉は何らかの形で残っているのに驚いてしまう。本は精神の滋養になっているのである。
  この年齢になると、その蓄積こそ己の足元を照らす灯りになってくれていることに気づかされる。 
  老醜の狂乱こそ、みっもない。それを避けるために本を読むか、趣味を追求するしかないが?? 
・・・・・・・・・・
2007年02月24日(土)
2153, 幸福に驚く力 −2
     オッ(*^○^*)ハ〜ヨウ!         ー 読書日記
幸福に驚く力とは、日常の中にある見落としている幸せに気づくことです。
それは大自然の中で己の小ささを自覚すること、その小さな自分の中の、小さな幸せに気づくことが第一歩である。
まずは、その抜粋から ー自分の小ささを知るということー
 ーー
 *世界の広さと深さを感じとる
子どもって小学校も高学年になれば、大人たちを冷徹な目でみますよね。
卑しいなとか、えげつないとか・・・・。でも本の中にはもっと卑しい、えげつない人がいっぱい登場してきますし、
周りに素敵な人だなと思う人がいても、物語の中にはもっと素敵な大人がいっぱい出てくる。イメージできる
人間の幅がぐっと広がってくるわけです。これは今にして思えば本当によかった思います。何故そう思えるかというと、
今の学生は人間を殆ど知らないと思うからです。生の人間に会っていないのではないかと思う位です。
すべてあるのに、何もないって感じ。学生たちは「どうせ大人なんて」とか、「どうせ社会なんて」とよく言うんですね。
「そんなことはない。大人の中には凄い人はいる。人間ってそう簡単にタカをくくれるものではないぞ」と知らせたいのです。
人間の素晴らしさを知り、世界の広さを知ることで、自分が限りなく小さい存在だということがわかってくる。
でも、小ささを知ることが、喜びにもなる。そういう体験を、無意識だったかも知れないが、私は子どもの頃より
ずいぶんしてきたような気がします。学生たちに、「自分がうんと小さいことが、喜びになるような体験をしたいね」
というと、「そんなことをしたら、生きられなくなる」と言いますが、それは、言いかえると、人間というものは
こんなに素敵なんだ、世界はこんなに奥行きあって広いんだと知っていくことなんですね。
苦しみや悲しみは生きているかぎりあって当たり前。それらと闘うことは、その時は苦しいが、でも面白い体験なんだ
ということを、本を読めば徐々に知ってくることができる。自分と周りのわずかな世界しか知らないと分らないんですね。
学生たちは情報が大切というが、でもいくら情報を集めても生きたことにはならない。
しかし物語は読み方によっては疑似体験ができるし、体験を積み重ねることができる。
  ーーー
解)ライフワークの秘境旅行に惹かれる理由の一つは大自然との一体感の感動の中で「自分の小ささを思い知らされる」
  ことである。その実感が歓喜に変わる瞬間、この一ポイントが永遠への窓である。
  求めなければ何度でも永遠を感じとることが可能なのが、人生の面白いところである。人間はアナザー・ワンで
  あると同時に、オンリー・ワンであることを知らされるということです。
 *「傷つく権利」と「怪我する自由」
若い人たちは、愛することを知らないで、愛されることばかり願っている。
悩む力、悲しむ力、あるいは苦しむ力が最近非常に弱っているように感じられます。
現実的に難しいなら、せめて文学を読んでこういう力を少しでも養わなければ。
人には傷つく権利もあるのです。「傷つく」という言葉と「権利」という言葉を結びつけることもできるのです。
いま、学校は子どもたちの安全を考えるあまり、過剰な管理をしています。
でも、事故が起こるたびに「あってはならないことが起こりました」と学校が謝るのを見ていると、
事故はあってはならないのだろうか、と思ったりもする。
人間が本当に自由を求めて生きようとしたら、死をつねに想定しておかなければ、
無理じゃないかと。常に死を含めて考えない限り自由には生きられないのです。
  −−−
解)日本の教育現場が崩壊している幾つかに、先生、校長が過剰に己のミスに神経質になっていることである。
 訓練の入っていない猿以下のジャリ?に、人権とか個性の尊重とかの建前を盾に教育の責任放棄をしている。
 どの世界でも虐めはあるし、弱肉強食は世の倣いである。何が平等である、何が自由の尊重である。
 それは社会的な訓練を受けた人間がいうことである。「傷つく権利」も「怪我する自由」もあって当然である。
 著者の指摘は、そのまま現在の教育の混乱の原因を言い当てている。  ~~~ヽ(^▽^)))さいなら!
・・・・・・・・
2006年02月24日(金)
1788, 愛のアフォリズム−3
    ≪( \(・ω・)/ )≫オハヨゥ☆       −読書日記
ー情熱
情熱はさめると氷より冷たくなります。 (ジャ・シャガール)
                (ノ゜ロ゜)ノ<呪呪氷呪呪
情熱を癒すことができるのは分別ではない。 別の情熱だけである。(ルートヴィッヒ・ベルネ)
                    ー多情女か?・・・
私たちが情熱から解放されるのは、その情熱をとことん味わいつくした場合だけである。(マルセル・ブルースト)
                    ーそりゃそうだ!でも、そうでもない場合もあるが!
火が欲しかったら、煙ぐらい我慢しなくては。 (ドイツの格言)−その煙がむせぶからね〜? (〃 ̄ω ̄〃ゞ                    
カップルが幸せになるケースはごく少ない。情熱が荒々しい炎が燃えつきる前に、愛着というおだやかな火を
なんとか焚きつけることが出来た場合だけだ。(ジェローム・ジェローム) −そうか・・  性格もあるけど!
愛は生理的欲求であり、不可避の身体機能である。 (エルベシェス)  ― 一升瓶?
愛とは、心に感じられるものとなった空間・時間だ。 (マルセル・ブルスト)
      −牢獄にもなり、宇宙空間にもなるということ?(●ゝω・)ノ【 love = 時・ 空間 ☆】
頭は真理によって輝き、心は愛情によって輝く。    (ロシアの格言)
愛情によってのみ、人間は自分自身から解放される。(フィリードリヒ・ベッヘル) ー相手からも解放される
恋人を棄てるのは、空想力が衰えたことを証明する。(ホーフマンスタール) ーその反対もあるからね〜たくもう〜!
       (*・ω・)(・ω・*)ずっと一緒にいようね!な〜んてのは一年まで!ー
 ・・・・・・・・ 
 2005年02月24日(木)
1423, 名画200選 −読書日記
購入して数ヶ月、時々読んでいるが味わい深く飽きない。その半分は観たことがあった。
思ったより多く観ていたのには自分でも驚いた。そのうちTVで観たのが、半分だろうか。
この本を読んで初めて「成る程!」と、今になって感心をしているものが多い。
ラブストーリーとか、ウエスタンとか、サスペンスなどのジャンルに分かれているので読みやすい。
映画は日々つくられ、無数の映画のなかで見れる映画は限られる。その中で、よほど良い映画でないと残らない。
そのため、名画200選の一つ一つの内容の説明・解説に説得力がある。
名画は古典の書と同じで、良いものは何時まで経っても残る。黒澤明の「7人の侍」など何回観ても感慨が残る。
私が時々に感動したと、いま現在いえるのは ベンハー、アラビアのロレンス、駅馬車、荒野の7人、
ウエストサイド物語、モダン・タイムス、ゴッドファザー、ダンス・ウィズ・ウルブス、
そして、太陽がいっぱい、などなどである。しかし、最近の映画があまりにも面白く心に残るものが多い。
 ーー
ビデオで観たい 名画200選
 淀川 長治 (著),佐藤 有一 (著) 知恵の森文庫
生涯を映画にささげた「映画の伝道師」淀川長治は、1998年11月11日この世を去った。
本書の原稿を書き終えたのは同年の春。それを弟子であり、共著者である佐藤有一が丹念にまとめ上げ、
淀川の死後から2年の歳月を経て完成させた。本書は「もっと映画を観なさい」と言い続けた淀川長治の
遺言書であり人生の集大成といえよう。
本書のつくりは、「ラヴ・ストーリー」「サスペンス&アクション」「SF&スペクタクル」「ウエスタン」
「ミュージカル」「ヒューマンドラマ・アメリカ編」「ヒューマンドラマ・ヨーロッパ編」
という7つのジャンルに分かれており、見やすい見開き1ページで1作品を紹介するかたちをとっている
・・・・・・・・・・
2004年02月24日(火)
1056, 千回の力
「何事も千回続けると、何かが見てくるか、何かを感じるようになる」という。散歩時に「ありがとう」を
言い続けて、千回を越えたあたりから何かが変わる。心から「ありがとう」の言葉が出てくるのだ。
そういえば、この随想日記も千回を去年の暮れに達成をした。千回を達成した安堵感の為か、その後何も考えた
ことがなかった。そこで改めて「何か変わった事や感じることがあっただろうか」を内省をしてみることにする。
・ものを見る眼が全く変わった。 ー記者の目、書き手の目で現象を見る習慣がついた。
・テーマ探しを無意識にするようになった。       ・そして、そのテーマに対し内省をするようになった。
・脳内サテライトの面白さを実感できるようになった。  ・自分が知らない読者や、子孫を意識をして書くようになった
「何かが見えたか」と問われれば、別に何も見えないし、「何か感じたか」と問われても、何も感じない。
しかし、書き始めた以前と、それ以降という感がする。脳内を公開することが想像する以上のインパクトを
自分に与えていることになっている。書いている内容に対してコンプレックスも自信も、全くない。
ただ考え、感じた全てを、書き込んでいるだけだ。その集積が、基地としてのネット上にあることは異様な感じである。
「石の上にも三年」も大よそ千日である。一つの言葉を気持ちを込めて千回いえば、大よそのことが達成可能になるという。
「駄目だ駄目だ!」と自然に流されれば、繰りかえしてしまうものだ。言葉は、意識して使わなくてはならないと解っているが・・
・・・・・・・・  
2003年02月24日(月)
691, 「わたしを認めよ!」  −2「読書日記」        
 ー 気になったところを書きうつしてしてみた。
「ふつう」の意味とは・・ 普通の生き方というのがどういうものかは教えてくれない。当然である。
 だれも知らないからだ。 わたしが考えるふつうとはこういうものである(普通」と区別する)。
 奴隷みたいな退屈な生き方が上と下の中間(中流)に落ち込んだ普通だとするなら、
 目指されるべきふつうとは、みずから選びとった〈中間〉のことだ。 普通が惰性なら、ふつうは意思である。
 
(字数制限のためカット 2010年2月24日)
 ・・・・・・・・・
 2002年02月24日(日)
 341,遊びについて−1
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が
生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーになった。
心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。約40年近く遊びきって
亡くなった日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。
子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。遊びの重要さもそのため学んだ。
重点としてだが父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。
ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、
罪悪と教えられてなかったか。子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。
ただただ無心に遊んでいた。あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、「馬鹿な?生き物」である。
遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。そうすると、仕事も遊びになりうる。天才はその典型であろう。
あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。何でも遊びの対象にした「遊び心」を。純真の心を失っているからだ。
「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」
と暗示をかけられてないか? 私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。
今は大事な趣味ー遊びになっている。純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。
そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。「遊びになるまで集中する」という事か。これから散歩だ!


3256、挫折を考えてみようか −4

2010年02月23日(火)

誰もが、人生の中で大きな挫折を経験する。 挫折といえば若いときほど、その経験はプラスになるケースが多い。
そのまま、潰れてしまう危険も含まれているから額面どおりにはいかない。しかし、それを乗り越える過程でついた
力は、大きい成長のためのバネになる。  映画監督の新藤兼人の挫折についての言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしょ。生き延びてきたということは・挫折を乗り
越えてきたからなんです。そうすると、私の財産は挫折です。 乗り越えるためには、試行錯誤
があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。これからするわけなんだから。だから、
若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、私が挫折という財産を持っているからなんです」
 〜〜ネットで出てきた挫折の格言である〜〜   一言一言が身に沁みる!
『転んだ時にはいつでも何かを拾え』  オズワルド・アベリー
『最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく倒れるたびに起き上がることである』  ゴールドスミス
『失敗したところでやめてしまうから失敗になる』  松下幸之助
『過失を怖れては何事も為し得ないだらう』     小熊秀雄
『日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである』  本田宗一郎
『失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ』  本田宗一郎
『失敗には、許される失敗と許されない失敗がある』    畑村洋太郎
『失敗は人生の免疫である。味わい尽くし分析せよ』     中島義道
『何か始めてうまくいかなかったら、またやりなおせばよい』 大前研一
『努力をあきらめないかぎり、失敗なんてこの世にはないのだ』  ハバード
『我 事において 後悔せず』  宮本武蔵
『失敗のうちで最大のものは、失敗を何一つ自覚しないこと』  カーライル
『受身が身につけば達人 まけることの尊さがわかるから』    相田みつを
『勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る』  徳川家康
『最大の名誉は・・・倒れるたびに起き上がることである』   孔子
『過って改めざる、これを過ちという』          孔子
『おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ』   坂本竜馬
『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』   相田みつを
『他人のように上手くやろうと思わないで、自分らしく失敗しなさい』  大林宣彦
『エジソンは失敗を楽しんでいたんとちゃいますか』          ジミー大西
『生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だ』  松井秀喜
『失敗は問題だ。成功しようとしないのは、もっと問題』  ルーズベルト
『恋をして恋を失ったほうが、一度も恋をしなかったよりましである』  テニソン
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2009/09/18
3088,挫折を考えてみようか −3
 ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。
そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。
創業を目指して彷徨いながら準備をしていたという明確な絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」
という指摘も正しいことになる。 先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。
そうこう考えると、挫折などと軽々しく言わない方がよい!ということか。 
 ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」とあった。
挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、竹の節目に譬えることが出来る。 
そこに大きな鍵が隠されている。 超越者の声に敏感になることもある。 それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。
「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 
物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の「転」の時になる。
挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。
「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。。 
そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。
「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。
実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は勘違い? しかし深傷だったが。
最近になって「自分は中学浪人だった」と、何人かの知人から聞いて驚いたが、一番傷つきやすい時期の、
それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でもなんでもない。
また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。 
最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。
 幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・
「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
・・・・・・・
哲学について
3087,挫折を考えてみようか −2
2009/09/17
  哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。
ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じ
スイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」という考えが、色濃く反映している。
『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、悩み、歴史による規定などをいう。 
それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。
 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)
の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる
という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを
知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。
それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、
大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 
 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史
などの暗号を解いて、包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。
 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。
養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、人間にとって(特に若いときの)
挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・    〜つづき  
・・・・・・・
2009/09/14
3084,挫折を考えてみようか
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。
人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることにはならない。
なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。
ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。 
それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 
色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、身近な死が我われに教えてくれる。
しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える
「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。 それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて
絶対なる超越を指し示すのである。 芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、
それを包括者へと超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。 》と、挫折=限界状況の先の
アップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。 人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。
そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。
だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者に開示すべきとヤスパーはいう。
他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。
 人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。 その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。
超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。
私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。 
「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ超越状態である


3255, 「都市主義」の限界  −1

2010年02月22日(月)

     「都市主義」の限界 養老 孟司 著    〜読書日記
 ーまずは、概要となるポイントの文章を書き出してみたー
*仮想社会とは、ネットやTVなどのバーチャルなものではなく、我々の脳内に作られた社会(=都市)であり、
 脳による判断のみで社会を構築していくことへの恐怖が伝わってくる。
「戦後社会の変革を、私は『都市化』と定義してきた。・・・ 戦後の日本がいかに都市化されたか、それがいかに行き過ぎたか、
 それはもはや歴然としている」『都市化』を脳化ともいう。 都市の全ての物は脳が作り出した意識の産物であり、
 それと対局にあるのが都市生活者が全く意識の及ばなくなった自然である。 日本もヨーロッパもアメリカもその状態にあり、
 現代社会に起きるありとあらゆる問題はそのことに帰結するという。 少子化に決定的な解決がないのは、子供は「自然」である、
 と著者は主張。 自然は都会で排除されるものである(子供も然り)という。
 また、都市で起こる(悪い)ことはすべて「他人の所為」という視点があるからだ。
*文化大革命では「批林批孔」を行っていた。このとき、中国の二大思潮は儒教と老荘思想であり、「文化大革命=老荘思想」
「中国旧体制=儒教」なのだとおぼろげに感じた。「都市主義」対「田舎主義」として、儒教対老荘思想、文化大革命も説明している。
*日本で学園紛争がおきたが、同時に中国では文化大革命が、フランスでも「ラテン区」の騒動がおきている。
 これらの学生の動きが世界で同時におきたのはなぜか? それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定する。
 都会化するためにはエネルギー供給が不可欠である。そのころ石油が安価に供給できる体制が整ったことにより、
 世界中で都市化が急速に進展した。
*急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だったという。
 当時の運動は、反体制を標榜した。 「体制」とは、「人間が意識的に作り出したもの」である。
 しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずっており、大学は「封建的」で「田舎」的であった。当時の若者は「都会」的である
 ことを志向して「田舎」的である大学に反発、同時に彼らは「都会」主義に反発もして、文化大革命の「田舎」主義にも共鳴した。
  〜〜
 なかなか、面白い切り口である。多くの国ではの人口の三分の二が大都会の周辺に住んでおり、その半分〜三分の一が首都圏に住む。
東京都民の増加が止まらないで、何時の間にか1300万人を超えてしまった。首都圏には大よそ三分の一が住んでいる。
彼等は、異常な位にそれ以外に住む人を「田舎もの」と差別をする。 自分たちは文明の最先端で文化的な生活をしている。
彼方此方で催事があり、それに触れる機会が多いのは事実だが、不自然な生活環境である。「都会人が優位という感情が、
目くそ鼻くそを笑う、レベルのことは学生時代から認識をしていた。そこで産まれ育った人の固定観念は想像を絶したことを知った。
機能を優先させて不自然な環境に住んでいることが自覚できない。
偶然に、下記の同月同日の上海のターミナルの文章が間接的だが、同じ問題を提起している。    ー つづく
  ・・・・・・・
2880, 上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)
19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、中国の出稼ぎ労働者の現状を生々しく追ったもの。
  ーまずは、その部分NHKのHPの番組紹介からコピーしてみた。
 《 再訪・上海バスターミナル 〜不況下の帰省ラッシュ〜 》
中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。NHKが2年前に取材した、
好景気に沸く上海の長距離バスターミナルは、春節の直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。
人々は貧しいながらも明日への期待を膨らませていた。しかし今年のバスターミナルは、打って変わり閑散としていた。
世界経済危機の荒波を被り、出稼ぎ者の多くが仕事や生活の基盤を根こそぎ奪われ、すでに帰郷していたのだ。
それでも大晦日のバスターミナルには、追いつめられながらも故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の姿があった。
バス代を工面するのがせいいっぱいで、土産も買えず身一つで帰省する農民工。給料が支払われず、妻子だけを帰省させて
一人上海に残る工員。故郷に残した我が子に会いたくて、リストラされた夫の反対を振り切って来た母親。
その一方で、大晦日に地方から上海にやってくる人々もいた。地方では暮らして行けず、新天地を求めてやってきた
大家族の農民。出稼ぎから戻らない母親を捜しに来たものの連絡がとれず金も尽きて途方に暮れる父と子…。
金融危機に揺れる中国、春節前の上海バスターミナルで繰り広げられる庶民の悲喜こもごもの人生のドラマを見つめる。
 −−
 どのケースをみても、追い詰められた人たちの姿が痛々しい。特に、出稼ぎから戻らない母親を捜しに来たが連絡がとれず
金も尽きて途方に暮れる父子の姿が哀れ。バスターミナルで二人が途方にくれている姿を映し出し理由を尋ねる所から始る。
地方から出てきたが金を使い果たし、ターミナルの閉門で寒空に追い出される。そして二人は当てもなく歩き出すが、
見かねた若いターミナル職員が後を追って、近くの安宿に自費で二人を泊めてやる。極限の人間の姿は、それだけでドラマになる。 
その時に上海で連絡を絶った母親から携帯に電話が入る。「私を捜さないで!」 究極の悲しみの場面である。 
翌日、若い職員にいわれたとおりにバスターミナルの所長を訪ねる。 そして女所長が、帰りのバスに無料で乗せてやる。
思いやってカップヌードルを持たせてやるところは圧巻である。 他のどのケースをみても深刻な問題が浮き上がっている。
この番組は彼等の姿を通して、大不況の一般庶民の苦しみを訴えたいのだろう。二年前の春節の上海ターミナルの職員の
仕事収めを追った映像と、閑散とした今年を比べて現在の中国の現状を浮き上がらせていた。 
冷え冷えとした10年を予感させたドキュメントであった。
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2008年02月22日(金)
2515,  iMacの感想! −2
                      オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、事務所に二台、自宅も含めて9台を導入した。 
とにかく画面が綺麗なことと大きいことでパソコン環境が一変した。そのキッカケが年に数回事務所に訪ねてくる知人が
三年前のパソコンを見て、「そんな古いパソコンなぞ使っているのは如何なものですか?」といわれたことである。
何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシカメラ」に、パソコンを見に行ったところ、最新のオール・インワンの
「iMac」を見て気に入り、即座に事務所に一台入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較をしてみて驚いてしまった。
(字数の関係でカット2010年02月22日) 
・・・・・・・・・・
2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える −2
              オッ(*^○^*) ハ〜ヨウサン
溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、怪しげな女占い師を切り捨てている。
(字数の関係でカット2010年02月22日)             
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2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記
図書館で借りてきたが内容が深いので、中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。
それぞれが味わい深い内容で満ちている。ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ずといってよいほど、
ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。その度に生活の豊かさを感じ取っていた。
ウォーキングの本は数多あるが、これだけ詳しく書いてあるのは珍しい。
ーこの本の概要をまとめてみた。   _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代にフットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、現在では20万キロも整備されていて
生活の一部となっているという。イングランドとウェールズ地方だけでも、なんと16万キロメートルの歩くための道が、
公道だけでなく、私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、そこで人々は自由に通行ができる権利を有している。
国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し、何処かへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。
        だぁ(=Д= )るぅ(=д= )いぃ(=д=   ブスッ!☆ ―⊂|コ-ω- ) ニンニク注射いきますっ!
「フットパス(footpaths)」とは、「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、人だけが通れる道のこと。 
他には「ブライドルウェイ(bridleway)」があり、これは手綱(bridle)のとおり 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。
この本では、英国のランブリング(逍遥)と、日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容である。
人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、精神を様々な様式で駆け合せてきた。
その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング 歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど思索を深めるために歩く
(2)宗教的ウォーキング 悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング 静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース、国木田独歩などロマンチックな歩行の原点
(4)達成へのウォーキング  アルピニズム、長距離を踏破する
(5)訓練のウォーキング 歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
   ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など「やらせる側の意図」による歩き
(6)余暇活動としてのウォーキング 暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
(7)コミュニケイションのためのウォーキング 友人、恋人、家族がコミュニケイションのために歩く
(8)教育のためのウォーキング   自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング  フィットネスウォーキング
 −−
 20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、散歩をしている人が少ないのが不思議である。
生活に取り入れている人は5㌫にも満たないようだ。 初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、現在では
「歩くために歩く」に、目的が変化してしまった。この本を読むかぎり、英国は生活天国の国のようだ。 -,_っ-)ゥンゥン
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】      =☆(((((((((・ω・。)バイバイ!
・・・・・・・              
 2005年02月22日(火)
1421, 西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜
  何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
・プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
(字数の関係でカット09年02月22日)
・・・・・・・
2004年02月22日(日)
1054, 職業性格形成論−3
 ー「営業屋性格論」が解りやすく、面白いから取り上げてみる。
仕事柄、営業の人と接することが多い。営業にも色いろな種類があるので一括りには出来ないが、彼等には大きな特徴を見える。
「褒めること」と「世間情報の内幕情報屋」を武器にする。遵って、その人の人柄が出てしまうのだ。一つ間違えば信頼を失い
「汚い子狐」として軽蔑の対象になる。その為には、自分の良い部分を相手に示し、信頼させるがポイントになる。
営業といえば、外商や代理店や飲食業や店のママなど挙げればキリがない。姉から聞いた話だが、欧州旅行のツアー仲間の
リタイアをしたばかりの人の成功話が印象に残っている。「営業活動で、キーマンが名古屋コーチンの鶏肉が大好物
という話を聞いて、雛を買ってきて、最良の餌と水を与えて育て上げ、潰して、その肉をお歳暮として持っていき続けた」という。
ここまですれば誰でも心が動くだろう。逆に、その位しなくてはプロとしての営業にはなれない。
昔は金持ちや偉い人には「太鼓もち」や「芸者」が、お世辞や芸のサービスを売っていた。
現代では、クラブのママやホステスやバーテンなどが代わって、その役割をするようになった。
現代芸者・太鼓持ちというところか。営業活動で、職務としてキーマンに「どっこいしょ」と持ち上げ、心の隙を見つけて
営業をスムースにするスキルを求められる。人好きの人でないと勤まらないだろう。必死になれば人好きになるだろうが。
営業は自社の商品を売るのが目的であり、その良さをアピールするのが仕事になる。そのために、相手の気持を開かなくては
ならない。その際たるものは保険屋の営業であろう。第一保険の日本ナンバーワンの手記を読んだことがある。
トップセールスに相手を絞って、徹底的にお客のサイドに立った保険のシステムを組んでやるという。
そのために顧客大部分が、顧客の知人の紹介でのネットされたものだという。セールスの機能を保険会社の代行ではなく、
顧客の代行と切り替えたのである。昔から営業のやり手は仕事が終わった後のアフターファイブから仕事をする。
また自分の休みの土曜日を遊びを兼ねた営業をかける。仕掛けを自分の知恵をつかってフリーの時間外につくっているケースが多い。
へドロといわれる人がいる。時間内しか仕事をできない人である。公務員系の子息を一般の会社に入れると、本人だけでなく
周囲に??をもたらす。別に本人責任でないから問題は深くなる。父から聞いた話だが、戦前に骨董屋をしていた時、
地元の大手の社長へのトップセールスを思いついたという。女好きという話を聞いて母に電話をさせたところ直接出てくれたという。
そして骨董商をしているが会ってくれと言ったところすんなり会ってくれたという。もちろん父がいったそうだが。
やはり知恵をつかっての営業ということだろう。その後、その人のキッカケで多くの大手のトップを
紹介してもらったという。何事も必死になれば道が開かれるということか。そこから性格が磨かれるのだろう。
セールスは品性が基本になくてはならない。品性は普段の生活の中から築くものだ。 家系もあるが?
                                        耳が痛い?!
・・・・・・
2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
 ーいやなことはやらない!
51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。
事業では新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー人生の分岐点の年であった。
その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。哲学者の中島義道氏の文章で 
 ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
 きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、いやなことはなるべくしない
・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
 −5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。
・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
 −感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は「おめでとう」と言わない。
・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな〜。
 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな〜」とか考えている。
・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。しかし、自分の人生のカタチと諦めている。
先日亡くなった同級生が正反対の世界で、必死に自分を演じていた。彼の立場は、それが不可能の立場であった。
6年前に考えたのは、「本当に好きな事は何か?」「いやなことは何か?」であった。

・好きな事は秘境旅行、ウォーキング、事業、読書、居酒屋通い、映画、随想を書くことであった。
 それと世界をもっと広く深く知ることだ。
・今までの付合いの見直しである。「世間体に生きている度合いの高い人」は可能な限り寄せ付けない。
 勿論、それすら解らない人もだ。
・プレッシャーのかかるセミナーや会合には可能な限り出ない。それを割り切って一づつ確実に実行する。
そんなことをいったって、不可能だろうし、高慢でないか!と聞こえるかもしれない。
そのとおりかも知れないし、バカなたわごとと解っている。でも、中島義道氏のようには徹する事は難しいが、
少なからず実行している事は事実である。このHPを開いてから誰かとどこかで繋がっている実感が強くなった為に、
更にこの傾向が強くなってしまった。中島氏のように多くの読者を持っていれば、その姿そのものを共感する見えない
仲間の存在があるから可能になるのだろう。自分の人生のカタチは自分で創っていくものだ!
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2002年02月22日(金)
339,笑う人 
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。旅行の最中、ほとんど笑いっぱなしであった。
あるいは人を笑わせていた。お笑いの芸人も2種類いるという。普段の生活の中で「全く笑わない人と、笑いっぱなしの人」と。
その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。「母親が何時も笑っている人で、その影響だ」という。
職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかったのだろう。ハワイに初めて行った時のバスのドライバーが
ポパイにそっくりな顔」をしていた。そして初めから最後まで運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。
こんな陽気な笑いは、かって見たことが無くハワイにピッタリであった。あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。
土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。子供は何らかの形で両親の分身なのだ。
会社に毎年新人が何名か入ってくる。研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。
若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。ちょうどこんな感じである。 ー(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)

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