堀井On-Line



3054,渡辺淳一の不良講座

2009年08月15日(土)

 渡辺淳一著『反常識講座』 ー第六章 軽率になって恋をしよう

 渡辺淳一の恋愛感が面白い。この本の三分の一近くが、その内容である。
恋愛感とテクニックは、著名な作家は品位を疑われる?とかで正面きって書こうとしない。 
恐ろしい女評論家が「女性蔑視!」と攻撃されかねないこともある。
渡辺淳一は、それが売りだから攻撃する方も腰がひけるのだろう。
 ー彼の云わんとすることは
・ 男と女は体の構造が違う。 真面目くさらないで、どんどん女性に声をかけろ。
 そのためには、心など込めないで気楽に褒めまくれ。 それも一人の女性に的を絞らないで、二人、三人を
 同時に追いかけろ。一人を追いかけるより、その方が同時に上手くいく確率が遥かに高い。
・ たとえば、いきなりデートとかを誘ったり、「綺麗ですね」とかいうのでなく、
 着ている服とか、バックなどの持ち物、髪型の変化を褒めながら近づく方が、好感を持たれる。
・こと恋愛に関しては、「巧言令色」で良い。 まずは言葉で表現してやる方が効果がある。
・恋愛は、プライドを捨てること。特に男は精神的なカッコを付け過ぎに陥る。そのために男はやたら我慢をして逆をいう。
 これは女性に嫌われマイナスになる。 こういう人は、固い家庭の環境に育ったのに多い。
  *軽率に *プライドをすて *駄目もとでつきすすむ。 この三点を守れば、自分の正直の姿を見てもらえる。
 世の中は重厚長大は終わり、軽薄短小の時勢にならって、恋愛もこの三点を守るべし。
・男と女は体の具合がまったく違う、特に性欲は、女は男の5分の1位と思っていたほうが良い。
 そこに至る順序をとること。 そこで必要なのは小まめさ、それが女性の口説きの最大の武器。
  ー 
  こんなところだが、女性の職場に長くいたので、これが基本中の基本ということは理解できる。 
 職場の同僚と恋愛相手とは少しは違うが、扱いは同じである。 メス猿ぐらいに考えて、目線を同じにしないで
 一線を画することと、とにかく優しく親身になるところは同じ。 こと職場では、男女というより人間としての
 同一の部分を強調して接すればよい。 「相手は生身の人間、それも男女の仲であれば、小手先では無理。 
 自分の全力を集中しなけらばならない」 
 「幾つになっても人間の原点は恋愛にある」という主張は納得はする。
 アンチ・エイジングにはもってこいだが。 今さらバカくさい方が先にたつ。
 
  ・・・・・・・・
 2689, 他山の石のことながら
2008年08月15日(金)

ー大手ファミレス・チェーンが大きく揺れ動きだした

他山の石のことながら、「ファミレス」が石油高と不景気の直撃を受けているだろうと思っていたが、
 案の定「外食産業の不振」の記事が毎日新聞に載っていた。(8月13日経済蘭)
ファミレスのトップの「すかいらーく」の創業社長が97?の株式を握る投資会社二社による解任である。
 07年12月期に二年連続赤字で、130億の赤字というから大変なことだ。
投資会社は「すかいらーく」をMBOする際に融資を受けた銀行団に一定以上に赤字になった場合に、
株式を銀行団に渡す約束をしていることから、大損失を被るという焦りが社長解任にあったという。
すかいらーく、といえば総店舗数が4500店舗もある日本最大のファミレスで、すかいらーく、ガスト、夢庵、
バーミアン、を中心に、多くのグループを傘下に持つ。これを改革するには本体の「すかいらーく」の半数の
閉鎖が必要といわれ、数百億の目先の資金が必要となり、そう簡単にいかない。
横川四兄弟の成功物語は有名である。スーパーを始めたが、既に大手が先行しているので、
レストランのチェーン化を目指し、成功をした話しはダイエーの中内に匹敵するほど知られていた。
業績の悪化は、ロイヤルホストも08年12月期が前期に対して8割の減益の見込み。
ケンタッキーフライドチキンは、08年05月期中間期の連結決算が半減。
デニーズも今後二年間で店舗の2割に当たる130店舗を閉鎖の予定という。
さらに、ここにきてのガソリンの値上げと、物価の値上がりからくる家計の圧迫で、
大幅な悪化が見込まれる。 想像を絶するほどの環境の変化にある。。
これは、ファミレスだけでなく、居酒屋チェーンや、ガソリンスタンドなど他業種全てにいえることである。
首都圏のマンションがサブプライムの問題で外資の投資先が一斉に資金を引き上げたために売れ残りが多く出て瀕死の
状態で既に数社の倒産が出ている。その煽りで建設に関わった地元業者の数社が不渡り手形で瀕死の状態に陥っている。
ガソリン高は、バブルなので一年以内には100円を割るだろうが、元の値段には戻らない。
アメリカ大統領選挙と日本の衆院選挙の行われる11月から来年初頭辺りから、経済危機が表面化する可能性がある。
問題が世界規模で、かつ過って経験したことの無いほど大規模のため、だた見守るしかない。
感覚が麻痺しているが、大丸が松坂屋を、伊勢丹が三越を、ヨーカ堂が西武百貨店を吸収合併する時代である。
この3〜5年が、日本にとっても世界にとっても土壇場になる。第一弾がサブプライムと原油高・穀物高だった。
来年の今頃は、どうなっているのだろうか??  他人事ではない、この津波は!

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2007年08月15日(水)
2325, ベナレス −1                
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と文章を中心に構成されている。
実は数年前に、この番組をみていたのである。本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
ー著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
  <その内容の一部を抜粋してみる>
   −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。
全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために屋根から降ろされ、人びとの手によって
担がれ火葬場へと向かう。「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。
こうして冥福を祈られながら、やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。
聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートはガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。
その歴史は数千年におよぶと伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどであろうか。
焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで十数体の遺体がいちどきに焼かれる。
 ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へとつながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。
そして組み上げられた薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は火葬場に立ち入ることはできない。
(字数の関係で中間カット 09年08月15日)
ーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。
しかし、読んでいても暗さがない。いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                                   つづく
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2006年08月15日(火)
1960, 人生を物語るとは? −2
            (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ

「自分の人生の意味づけ」が、自分の物語の作成ということになる。
 意味づけで、必死に内面を支えようとする心の自浄作業である。
 意味とは価値のことである。自分の価値を明確にして、それに従って生きることが
 意味ある人生であり、価値実現のプロセスが物語になる。
 大人が子供に「大きくなったら何になる?」と、質問する光景はいまも昔も変わらないが、
 これは既に大人が子供に人生の物語を聞いていることになる。子供の方は、何を言えば目前の大人が喜ぶかを、
 瞬時判断して答える。従って、その質問自体が洗脳作業になっている。
 ブログで趣味などを自分の価値観で起承転結で、まとめ上げているのは、一人物語っていることになる。
 ところで、成功が何だというのだろうか? 挫折物語は成功物語に対する反対語か? 堕落物語は??
 幸運は果たして棚ぼた餅のことをいうのか? それもこれも、この世に生きているという輝かしい事実の前では、
 如何でもよいことである。地球に今・現にあるという輝かしい日々の前においては、それらのことは些細なこと!
 お盆で里帰りをしている祖先の霊が一番いいたいことは、そのことである。 『そうでしょう? ご先祖様!』
  ーご先祖様ー
  『全くそのとおりじゃ! 死ぬ直前になってやっと気づくのじゃ、娑婆の連中は!
  日々を輝いて生きるとは、平穏な日々の輝きに気づくことじゃ。
  しかし困難に直面をし、乗り越えようと必死になっている日々も大事である。
  その中に深い物語の意味ー価値がでてくるのじゃ!まあ、味がでてくると言ったほうが解りやすいか。
  生きているうち、 元気なうち、そして愛し愛されているうちじゃ、娑婆は!
  此方から見ていると、 そのことがよく解るのだよ!』
                                ホンジャ UvU/  バイバイ!  
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2005年08月15日(月)
1595, 自民郵政解散の攻防−5

今度の衆院選、旧守派と民主党の負け戦?の様相になってきた。この流れは余程のことがないと変わらないだろう。
自民党の郵政改革の是非を問う二者択一が国民の立場からみたら解りやすい。
これだけハッキリした選択を問うという選挙も珍しい。民主と旧守派の利権擁護は誰の目にもハッキリしている。
ゴマカソウと詭弁を弄していて姿がそのままTVの映像にそのまま映し出されている。
壊滅して当然という雰囲気ができてしまった。一昨日、民主党党首がモーニングショーに出てきて
持論を述べた直後に、携帯電話によるアンケートをしたところ、逆に郵政改革の支持が80?に跳ね上がった。
岡田の訴えに対し完全否定したことになる。ここまで、否定をされては如何にもならない。  
 (以下、字数の関係でカット08年8月15日)

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 2004年08月15日(日)
1230, 広松渉(4)−哲学についてー28

価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている
本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。
文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。
  ー大雑把にまとめてみると
・価値は、主観的感情でしかない! それに対して、いや客観的存在を認める立場がある
・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく
 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、どんな時代でも、変わらない絶対説がある。
・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。
 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー
第三章 実践するとはどういうことか
 第二節 実践と価値評価
 ー概略ー
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは「哲学とは即ち価値哲学である」
というほどであって、価値は哲学上の一大テーマなのです。
哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは行為についての正当・不当評価を論軸とする。
・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり、いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である
 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」等が「財」になる。
 価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、「価値判断」と「事実判断」を区別します。
 価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と反価値とが対になっているのが特徴である。
・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。 絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく
 価値は存立すると主張、相対説は歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する
解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも「美人」と評価される女性が存在をした。
しかし、ある時代に存在した美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、そうではない。
マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、楊貴妃は。
現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。実質的価値認定は相対的である。
ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー
人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育を受けてはじめて
生育できる未熟児とも言われる。 動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、
その仕方さえ、本能のままでなく、文化的様式化されます。
総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、
自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に賞罰効果をもつ行動の極々一部にすぎないといえましょう。
それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、
そのため、日常不断の行動を通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる行動の間主体的同調化、
ひいては、行動様態についての当為的価値評価の共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。
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偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で価値観について取り上げていた。
今年の価値観は哲学として取り上げた内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。

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2003年08月15日(金)
863, 「タイムクエスト」ー読書日記 (2)

ベンジャミン・フランクリンの13価値観を自分にどの程度
実施しているか,100点満点で主観で自己採点をしてみた。
1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。          ー40点   
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。     −50点
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。 ー75点
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。−80点
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。 −90点 
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。−85点
7、誠実  偽りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし−80点
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。    −75点
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。     −60点
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。                 −70点
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。    −90点
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、
  また自他の平安ないし信用を傷つけるが ごときことあるべからず。      −65点
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。          ー50点
 ー以上の平均は70点である。
「馬鹿め、傍目では全て50点以下!謙譲など零点かマイナスだ!」という声が聞こえてきそうだが、
これはあくまで自己評価だ。 平均点70点というのが自分でも 面白いが。
しかし3〜11はこんなものと思っているが、実際どうだろうか?
それにしてもアメリカ大統領になろうという人は、若いときから心構えを自分で創ってしまうのだから。
それも今でもそのまま使えるのがすごい。子供の時に伝記を読めというが理解できる。
いま「世界旅行記101」という古今東西の迫真の体験のダイジェスト集を読んでいるが、これがまた面白い。
一人一人の個性と奇伝・異聞が次次とでてくる。その中から色々な著者のミッション・ステーツメントが聞こえてくる。
二十歳の頃から、生きるということに対して設計図を書いていた為、
これに近い事を考えていたが、今から考えてみると文章化をすべきだった。 まあいいか!

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2002年08月15日(木)
488, 毎日が刺激的−2

先日のアメリカ第六位のUS航空が倒産した。ところが、アメリカン航空と並んで世界最大規模のユナイテッド航空が、
やはり倒産寸前という。自動車でいうGMかフォードクラスの会社だ。アメリカン航空と供に20?
近くの前年対比の落ち込みだという。アメリカ全体では−11?で大手ほど昨年の9.11の落ち込みは激しい。
パン・アメリカン航空など吸収したりしていた10数年前の姿は今や昔の話。
昨日のニュースで、この一年でアメリカン航空が20?の人員と、客席の9?の削減とかの内容の合理化案が出ていた。
特にアメリカン航空が狙われており、9・11以前にテロリストがアメリカン航空の株の空売りをしていたと噂されている。
その前からサウスウエスト航空などの安売りに体力を奪われていた。 ある日突然思いもよらない事がおきる時代である。
来年はイラク戦争があり、さらに客足は減るだろう。US航空だけで3万5千というからユナイテッドの場合はどうなることか。
組合が強すぎて賃下げなどの合理化が遅れたという。
たった20人のテロリストにより、とんでもない事が起きえる。これが21世紀ということか。

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2001年08月15日(水)
108] 夢について-7 2001/08/14 07:45

毎朝地蔵様に‘あの世で安らかにお眠りください’とお参りしているためか、
今年に入って母の夢を見る事が少なくなったが、昨日の朝久々に母の夢を見た。
いつもそうなのだが自宅での生々しい夢である。痴呆状態のしかし姿は幼児の母である。
今回は玄関の辺りで何かしている、よく見ると仏像にお参りをしている夢である。
盆にピッタシの夢である。母が自分の中に生きているとか言うが、私の場合夢の中で自由奔放生きている。
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今朝 見かけた鴨。一時200羽いた事があったが河川工事で少なくなった。丁度真ん中あたり。


3053,人を殺すということはどういうことか −2

2009年08月14日(金)

 「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和

 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の大部分が罪など悔いてないのである。
犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望のためなら他者の生命は全く価値も尊厳も感じないと暴露する。
照魔境で照らすと、多くの悪魔の姿が映っているに違いない人たち。 著者は、ここで罪の深さを知り、
カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる良心」の重要性を語る。 
「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような仲間をみて実感する。
 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の希望も全て破壊し尽すということなのです。
それ以外にも、さまざまな負の感情を植え付け、歳月の経過と共に風化させるどころか、増殖させてしまうことに
気がつき愕然としました。・・・・私は殺人には償う術はないと思っていますが、それではどのように生きればいいのか
について、懊悩してきました。 ・・・考え続けるほどに、人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。
・・・「獄」という字は、獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。
正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。
 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると思っていましたが、現実は違いました。
反省や更正とは無縁の世界に、初めは反省や償いの心を幾らかでも抱いていた人も、流され、
その世界に同化していったのです。真摯に己の罪に向き合うことが、変わった生物でも見るかのような空気があるのです。
「愛する者を奪われた人は、どこにも光はない。地獄のような人生が死ぬまで続く」何とも救いのない言葉です。
・・・加害者が死刑になることで、遺族の応報感情を和らげ、新しい人生を生きる区切りになるというのが
 被害者の遺族の書いた本に書いてあるのを目にしました。
 ーーーー
これらの文章から、とんでもない世界を一人の囚人を通して知らされた。結局は己の良心である。
人生は、何処かで一つ間違えると、こういう世界に迷い込んでしまうのかもしれない。
犯罪者の過去は、次々と周りの人を究極の不幸に落としこんでしまっている。 
著者は二件の殺人事件で終身刑になり、同獄の姿から自分を合わせ鏡として見ることで己を知る。
人を殺すということは、その下地があるということだ。 そして殺人の結果、多くの人まで不幸のどん底に
落とし込んでしまう。 しかし、当の本人には、それすら見えてないのである。 
 知能指数の低さからを起因とした無知と卑しさが、そうさせたのである。 

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2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   −読書日記−
ー遊びをせんと生まれけむー

亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」
  にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。 遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。 確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。
  この中でも、「遊び」が、人間にとって最も有用な行為になる。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び好きな動物であった。
猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。
おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で
発明された可能性が強い。 たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、
足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。
弓は武器となる以前は楽器であったといわれている。 人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも有用な行為は、遊びであった。
土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、
彫刻をし、像をつくったことを銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生よりも
はるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。 必要に迫られて働いている間は、
依然として人間は動物界の一員である。人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、
さらに生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を発揮する、
したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、余暇があり、遊び戯れる性向があった状況に
おいてであったと考えるべきである。 自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・・・ 私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、
魔法円の完成である。人間はエデンという遊びの庭で初めて人間になった。 そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。》
  〜〜〜〜
  遊びの重要性を上手く説明している。 良く遊び、良く学び、良く働く、をバランスよく豊富にすることが
  人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスはとってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。
  遊びが4、学びが3、働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
  まあ、学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを仕事にすれば良い。
  
・・・・・・・・・
2007年08月14日(火)
2324, 嘘でしか語れない真実もある!
                 (。・・)ノぉはょぅ♪
芥川龍之介に「人生には嘘でしか語れない真実がある」という言葉がある。その典型的なものが旧訳・新訳聖書。
あのような奇跡などあるわけがないが、あの話を通して事実では語りえない真実を語っている。
末期がんの患者に、「あなたは助かりませんよ」と知らしめることが、いいのか?
死ぬ直前まで嘘で固めて、気づかないようにしてやる方がいいのか?これは誰も判断の出来ないことである。
日本には「嘘も方便」「嘘からでたマコト」という言葉があるが、時には嘘も大事なこともある。
女性の化粧など、嘘で固めた外形?ではないか。 いや、真実を引き出す行為か?
プロの物書きは、まずは真実を伝えるためなら平気で嘘を書きなさい!と教える。
読み手は些細なことが事実かどうかより、真実を伝えてくれることを望んでいる。
「正直に拘ると、人生あまりに窮屈で面白くなくなります」という言葉が浮かんできた。 
何処かの小説で誰かが言っていそうである。詐欺師など、嘘のプロが普通の人を如何みているのだろうか?
少なくとも、言葉の効用を知り尽くしている。 嘘にも色いろある。相手を陥れる嘘や自利のための嘘は結局は
自分に跳ね返ってくる。相手のためになる嘘は、それがプラスになり生きてくるものである。嘘でしか語れない真実?
といえば小説などが、その典型?背理法という言葉がある。数学の証明の方法の一つで、俗に「ユニコーン
(空想の動物〜 一角獣)証明」と呼ばれる。「ユニコーンが存在したとしたら〜」などとあり得ない仮定をし、
続けてその夢想から導き出される現実との矛盾を指摘し、最終的に「ユニコーンは初めから存在しなかった」
と結論付ける方法である。不合理な仮説を否定することで、真実を導き出す方法である。
ー以下は字数の関係上、カット。(09年08月14日)-
・・・・・・・・・
2006年08月14日(月)
1959, 人生を物語るとは? −1
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
人生を物語るとは?
 自分の人生を振り返り、現在への筋道をたどって、その意味を考えるという、人生の総括である。
悪く言えば自分の人生を絶対肯定化、正当化しようということだ。
自信が無いからか? はたまたドブ沼のドロさらい? いや宝探し? 自分の人生を物語ることが、
自分の人生の意味づけなら、「物語の意味は何か?」を、考えてみる必要がある。
哲学者のリクールは『時間と物語』の中で、「物語」の本質は「筋」の存在にあり、
「筋」とは不調和なものを調和の中に組み込み、そのことによって不調和なものを理解可能 なものとし、
感情の上でも受容できるようにするのだと論じている。成る程!そういえばそうだ。哲学者は上手く真理をつくものだ。
「物語」とは「筋」に 沿って配列された出来事の連鎖ということになる。 たどってきた過去を振り返り、
現在という到達点に至った道のりの要所ごとの出来事を再編成していく作業が、その人の物語になる。
ーある本に「物語」について解りやすく書いてあった。
 先ず、それを紹介してみようー
  自分の人生を回想的に語るとき、
・第一に、 私たちは人生において 経験したことのすべてを語ることはできなし、  語ろうとも思わない。
 「語るに値すること」「語ってもよいこと」「語るべきこと」といったフィルターを通過した出来事のみが語られる。
  回想とは模写ではなく、抽象である。
・第二に、 私たちは人生において経験したことを、たんに時間の順序に従って語るわけではない。
  一見、そう見えるかもしれないが、実は出来事間の因果関係、起承転結というものがそこでは意識されている。
  語り手は、「人生上の出来事を因果の連鎖によって結びつけることによって、自分がかくかくしかじかの人生を歩み、
  別の人生を 歩まなかったのはなぜか、ということを説明しようとしている」のである。
・第三に、私たちはそうした 因果関係の連鎖として語られる自分の人生に対して、「幸せな人生だった」とか
 「つらい人生だった」とか―実際の評価はもっと複雑であろうが、何らかの評価を下している。
  このように個人が自分の人生を回想的に語る(抽象し、説明し、評価する)
  とき、そこには「人生の物語」のパターンが 先行的に存在している。
  だからこそ私たちは、それほど苦労することなしに自分の人生を語ることができるのである。
   また「人生の物語」のパターンは、人生を回想的に語る場合だけではなく、
   これからの人生を どのように生きていこうかと考える場合にも役に立つ。
   子供は「人生の物語」と出会うことによって、「人生」に対して自覚的(目的論的)になる。
   日常生活を構成する諸々の活動が「人生」として 組織化されてゆくのだ。
「人生の物語」には四の類型に分けられる。 
 ・まずは努力と上昇を二大要素とする「成功の物語」 ・そして「幸運の物語」 
 ・「挫折の物語」 ・「堕落の物語」
    「幸運の物語」とは「努力せずに上昇する(棚からぼた餅)」 物語であり、
    「挫折の物語」とは「努力はしたが上昇できなかった」物語であり、
    「堕落の物語」 とは「努力せずに下降していく」物語である。
    「成功の物語」こそが近代社会における「人生の物語」の正本であり、
     他は正本の正統性を際立たせる ための異本である。
     とくに「堕落の物語」は反面教師として「成功の物語」とワンセットで取り上げられることが多い。
 ー以上である
  実際の人生の総括とは、混沌としたドブ沼からこれらの要素を探し出して、ドロ(成功・失敗・挫折・幸福)
  を抜き出していく作業である。成功とか、挫折とか、堕落とか、幸福とかは、二次的なものでしかない!
                                     ーつづく
 ・・・・・・・・・
 2005年08月14日(日)
1594, 犬の散歩

毎朝、ウォーキングをしていると、犬の散歩の人と行き会う。行き会う人の半数近い。
何時も思うのは、犬と飼い主が似ていることである。特に年配の人と犬は、長年の付き合いのせいか、そっくり。
顔つきや体型が似てしまうのは同じ環境にいるためだろう。以前も、散歩の犬に関して少し書いたことがあるが、
時代時代に犬の流行があるようだ。ハスキーが多い時期があったり、ラブラトール・リトリーバーや
ゴールデン・リトリーバーだったり、最近はポメラニアンやミニチュア・ダックスフンドなどの小型卓上犬が目立つ。
実家では、必ず犬を飼っていた。そして、それぞれの犬の思い出が多くある。
まぎれこんだり、拾ってきた犬で、雄雌関係なく「コロ」という名前であった。
しかし結婚をしてからは、家内が犬が大嫌いで「飼うこと相成らぬ」である。
もし人生に幾つか悔いが残るとしたら、その一つが「犬が飼えなかったこと」である? 
といって、いま現在では躊躇する。そういえば、最近「雑種」をあまり見かけなくなった。
どういうことだろう?恐らく放し飼いが全く無くなって、チャンス?が無いのだろう。
ところで、雑種を三匹連れているオジサンが、いつも口笛をふきながら歩いているが、
その口笛が聞きほれるほど上手い。その三匹の犬、飼い主に似てか?すれ違う犬に大きく吠え掛かる。
口笛と犬の吠え声で、その存在がわかる。ところであるベストエッセイ集に「犬に似る」というエッセイが微笑ましい。
   そしてプロの文章はすばらしい。
最後の文章を抜粋してみる。
  ー犬に似るー 
 ついでだが、犬と飼い主はたいていの場合、そっくりである。
ずんぐりした人はずんぐりした犬をつれているし、短足胴長の犬の飼い主は短足で腹が太い。
 それでは、いつの間にか名前が平仮名の「そら」に落ち着いたわが家の犬はどうか。
しばらく前まで、スマートで端正な犬だとうぬぼれていたが、このところ、
目の青色は薄くなり、鼻の頭は白く乾いている。猫やカラスを追いかけるとすぐに息を切らす。
息を切らすと、はあはあと長く舌を出し、腹を大きく波打たせる。どったと寝転がっていることも多い。
 そのそらのようすは私にそっくりらしい。いや、私がそらに近づいたのだろう。
先日、家の前を通っている二人連れの会話が聞こえた。「ここの犬、この家のご主人とそっくりよ。
毛の色も一緒だし、体格もうりふたつ」「へえ、じゃ、どっちが犬かわからないわね」 私は思わず吠えそうになった。
                                  (坪内稔典 俳人)
最後の一文がきまっている。

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2004年08月14日(土)
1229, 死亡欄

この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。
傾向として40歳台から死ぬ人がおおくなる。反面90歳後半や100歳という人も結構多い。
時々、子供や20歳そこそこの死亡も目に付く。やはり女性は80歳台、男性は70歳台が多い。
それぞれ一行の名前と年齢の中に、膨大の人生が詰まっていると思うと人生の深さを感じる。
中学や高校の同級生では、大よそ15?が亡くなっている。特に、50歳を過ぎてから多くなってきている。
そういう年齢になってきたのだ。同級生のある葬式で、「もう、死んでも何で死んだと言わなくなったものな〜」
というコトバが印象的であった。最近は会うごとに同級生が老けていくようだ。まさか自分が、
この連中と同じ歳と思いつつ、トイレでつくづく鏡を見て、そうかそういう歳と納得する。
ところで、ほんの30〜40年前まで人の寿命は50歳と相場が決まっていた。
それが一挙に80歳近くまで延びた。あと50年もしないうちに、なんと100歳になる。
100年もしないうちに2倍になる。それが良いかどうかは何ともいえないが、人生50年より80年の方が良いから
100歳の方が良い。確かに、人生が50年としたら短い。50歳の時に、こんなものかと思ったから、間違いはない。
ところが80年なら長いと思うだろう。シェークスピアは、人の一生を「束の間の灯火」と言った。
                                  今日は盆だ。
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2003年08月14日(木)
862、「財産を無くす人、財産を残せる人 」
 ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-  ー読書日記
               清水洋/著
ー私のマトメタ内容ですー
 ー以下は字数の関係上、カット。(03年08月14日)

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2002年08月14日(水)
487,アメリカンインデアン

以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで仰天した。
口伝で代々受け継がれてきた内容が3万年以前のものだたりする。その内容がどうも正確なのだ。
特に「一万年前にシベリアを通ってベーリング海峡を渡る」の内容もあるという。
一万年前は氷河期で海面の水位低くて、海峡は陸路渡れた。その時の具体的な内容が口伝で詳しく語り継がれている。
その時の渡った員数が55人だったということまで伝えられている。 イロコイ族という種族で、その決まりは
今のアメリカ憲法の原案に影響したいう。大地震に襲われ各地をさまっよった末に、未開の大地の話を聞いて
シベリアの大地からベーリング海峡を渡る話は、一万年前の話としてもリアルのものだ。インデアンというと、
未開の野蛮人というイメージがあるが、彼らの世界に、3万年以上の祖先の歴史が延々と語られてきた事実がある。
更にアメリカに渡った後の物語が延々と続いているという。 彼らの口伝ー物語の全体は「一族が学んできた
`知恵’の物語」として構成されている。「人は力をあわせれば、できない事も可能になる」とか「判断は迅速に」
とか現代でも、いや現代こそ学ぶべき事が多い。今一度彼らの教えをじっくり学ぶ時期に人類はきている。
奇麗事で言っているのではない、まさしくその時期である。

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2001年08月14日(火)
[107] 「私の死亡記事
 「私の死亡記事」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。 よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて
書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
−私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬、但し身内のみで。近じか真面目に書いてみよう。


3052,都会暮らしが良いか、それとも田舎が良い?

2009年08月13日(木)

 生きていくに都会が良いのか、地方が良いのか。 その人によって違うし、その判断は出来ない。
私自身は、成行きで人生の大部分を地方で過ごすことになった。 それに対して、良かったとも、
悪かったとも思っていない。 どっちにしても同じでしかないのは分かっている。
それぞれの性格もあるし、体質もある。 また歩んできた道もある。
ところで、地方で自然に囲まれた老荘的な生き方を自慢げにいう人はいるが、
逆に都会の方が良いと声高に主張する人は少ない。 が、あったのである。
渡辺淳一著『反常識講座』のー第三章 住むなら猥雑な都会ーの中に、堂々と書いてある。
 反常識の御題目だから、堂々と書けるのである。  
  その概要といえば
【 齢をとって田舎住まいというなら解らないでもないが、若いうちは都会の方が良い。
田舎は社会的制約が多すぎる。東京に多くの人が住み、離れたがらないのは、都会が周囲に対して
無関心で余計な干渉をしないからだ。それだけ自由になれるからである。具体的に言えば、未婚でも、ホモでも、
レズでも、どんなカタチでもそれなりに容認してくれる寛容さがある。もし地方なら白い目で見られ
逃げ出しざるを得ない雰囲気がある。それと圧倒的な刺激に満ちていて面白い。むろんその裏には悪が満ちている、
その分面白いのである。そのチョッとやばいのが若者にとって魅力なのである。若者にとって、緑や空気が
美味いなど二の次である。生臭いのが地方では露出できないのである。だから齢をとってからなら、地方は良い。
若者は、表の顔とは別に、我がまま勝手に利己的で、性的欲望を満たし暴力もある、それを誰も咎めようしない
緊迫した都会で刺激を受けた方が良いに決まっている。 また、都会の良いところは、人材の上限と下限の
幅が広いことだ。上も下も果てが無い。】   まったく、その通りである。
 私の場合は三十年近く、新潟と長岡を住と職が分かれていた。 だから地元で我慢?出来たと思っている。
どちらにも属しているようで実は、何処も属していないで済む環境が良かった。 その通勤で感じたことは、
地方の若者の緊張感の希薄性である。 希薄だから都会に出て行かなかったとも言えるが、都会のあの猥雑な
緊迫感が全く感じられない。 それはそれで、良い部分もあるが。 しかし・・・
 先日、大学の同級生と四十年ぶりに一期一会の対話をしたことを書いた。 彼は資生堂のキャリアとして、
大都市の転勤暮らしを34年間してきた。そして、奥さんが病で倒れ、最後の住まいを二度目の赴任の地の
仙台の郊外の河口の漁村に決めた。 そこは大好きな釣りの魚場。その彼に都会派?、田舎派?など問う方が野暮。 
この問いの対象は、何も分かってない若者向きの問いである。 才能と金があって、もっと若ければ、都会の
猥雑の雰囲気の新宿の近くに住んで、川口湖あたりにセカンドハウスを持った生活も良いだろう。
そう一度、【新幹線を新潟駅から飛行場まで延ばそう会】で、太鼓を叩かれて踊らされかかった松下さんは、
当にそれじゃないかい! と言って、取って代りたいとは全く思わないのは、どうしてか。
 それぞれ! ということを知っているから。

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2687, 閑話小題 
2008年08月13日(水)

 *お盆か〜
お盆は、早朝に因縁ある3つの墓参りをし、夕方に実家の墓を参りをして、坊様に顔出しをするぐらいである。
もちろん休むことなく、誰も居ない事務所で本とパソコンいじりをしている。これも普段と変わらないが。
盆・暮・ゴールデンウィークのような民族大移動の時期はジッとしているのが習慣になっている。
娑婆の隠れレジャーを同調することも無い。大多数は集団休暇しかまとめて休みを取れないのだから。
去年の13日は、スナックをワザワザ開けてもらって兄夫婦と、姉夫婦とドンチャン騒ぎをしたが、今年は?
これを書き上げ墓参りに出発である。 盆が終われば、アッという間に正月だ。一年は本当に早い。
 そうそう9月か10月の旅行先を決めないと!昨夜半に、不思議な夢をみた。何処かで小さな祠を見つけ中をみたら、
仏像があった。その後ろにダイヤが埋め込まれ、不思議な雰囲気を漂わせている。
誰か死者の霊を収めた像である。持ち帰るかどうか迷った上に持ち帰った。
この夢、タイミング的にみて何かを示唆しているのだろうか?
 〜〜
 *北京オリンピック
チベット騒乱や、四川省の大地震、ウィグル地区のテロなど、大荒れの中に北京オリンピックが開催された。
北朝鮮のマスゲーム的な開会式など華やかであったが、何か一人ひとりの個性が消しさられた内容で、
中国共産党のための開会式という印象が強すぎて、何かシコリがのこった開会式だった。
恐らく多くの金メダルを中国が取るだろう。で、それがどうした?というだけのことだが。
テロという面で、最後まで目が離せない日々が続きそうである。 日本は、今のところ成績は良くない。
金メダル候補の大部分が前のオリンピックの金メダル取得者というのは如何いうこと?
 〜〜
 *最近の車事情
Uターンをしてきた長男が通勤で使いたい車を買うということで、最終の助言を求めてきた。
「買い」に対して助言を求められれば、エネルギーが湧き出てくる。
「買い」は、情報量を広く、多く、そして質を高めること。それしかない。
そこで長岡だけでなく、新潟市の情報を取らなければと思ったが、デーラーは一斉に盆休みに入った。
「長男の車の買い」の視点で車を見ると、これまた面白いのである。予算の関係上、小型車になる。 
そういえば、走っている車は殆どが小型車と軽自動車である。少し前までは普通車が大部分だったが、
この十年で様かわりをしてしまったようだ。 それで、このガソリン高。
知り合いの自動車修理工場の人に助言を求めたら「新中古車」を探したら!という。

・・・・・・・・・
2007年08月13日(月)
2323, 面構え
                 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆
つらだましい『面魂』 ーとは、強くはげしい性格や精神が表れている顔つきをいう。
先日の葬式で同級生の何人かに会って、それぞれの顔をみると昔の面影をのこしているが、やはり人生の風雪に
鍛えられた経験が顔ににじみ出ていた。私が見るところ、その人の顔が出来てくるのは50代に入ってからである。
『面魂』に似た言葉に「面構え」がある。「面構え」とは、むしろ長い年月をかけて出来上がった顔のこと。
片岡球子という画家が「面構」をテーマとして、色んな人の肖像画を書き続けている大作シリーズがある。
その中の第1作「足利尊氏」など、あまりにも味のある漫画的顔で、頭に描いていたイメージとはまるで違う。
画伯が京都の等持院を訪れたとき,足利尊氏の像を見て,今までの感じてきた尊氏とはまったく異なるものに、
あるめぐり合わせを感じたという。尊氏の中に人間を愛する度量の深さを感じ取り、そこで、歴史上の人物を、
自分の印象を通して書いてみようと決心。
「面構」シリーズでは足利尊氏,足利義満,足利義政を始め戦国武将や,葛飾北斎,安藤広重,平賀源内,滝沢馬琴,雪舟,
一休などがある。人間的な味のある面魂が溢れている顔が何ともいえない!これは片岡球子のライフワークとなっている。
面構という視点で改めて現代の日本人をみると面白い。役者では三国連太郎、政治家では佐藤栄作、力士では双葉山の面構えがよい。
大女優では、往年の京マチ子がいい面魂をしていた。最近の歴代の首相で面魂のよい人は一人もいない。どういうことなのだろうか? 
そういえば、悪党面を見かけなくなった。あえていえば、共産党の宮本顕治か、ヤクザ上がりのハマコーこと浜田幸一か?
スターリンも、数千万人も虐殺しただけ、顔に面魂が溢れている。 善人には面構が無いのは、如何いうことなのか?
 羅漢の像には、なかなか味のある面構えのある顔が、揃っている。
その辺の百姓こそ、飢饉や水害など自然の風雪に鍛え抜かれるのだろう。
          (((o(´・з・`)グッ。・:*:☆w(´・з・`)バァイ
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2006年08月13日(日)
1958, 今日はお盆ー2
                \(^▽^*)おはよう
「今日はお盆」というテーマで書こうと思ったが、この日に、そのテーマで書いてないわけがないと振り返ってみたら、
4年前にチャンと書いてあった。(あとにコピーしてあります)気がついてないで書いていたら、80?は同じ内容だったろう。
4年も経って、大して成長していない?自分の脳が見えてくる。まあ、後退しないだけでも有難いと思わなくてはならないか?
    \(∀\)ココハドコ? 娑婆娑婆♭♯♪〜(/∀)/アタシハダアレ?  ユー レイ♪ノ(^-'o)♪☆(o^-^)\                   
レジャーの無かった時代の盆・暮れという里帰りのシステム、当時の長期?休暇だったのだろう。
考えてみれば良い文化である。一年に1~2度、田舎に帰り家族や幼馴染に会ったりするのも良い。
先日、学生時代のゼミの後輩と酒を飲んで聞いた話だが・・ 
ーM氏は東京の中野に住んでいるが、小学校の同級会を開こうと思い立って同級生と三人と名簿を調べたら、
63人の同級生が他に一人しか見つからなかったという。
都会は、それだから良い!と思うのか? いや寂しいと思うのか?やはり後者だろう。              
  オバケダョ〃∋(`∇´∋〃 〜(m ̄ ̄m) 〜〜(m´ρ`)m 〜(m~ー~)m
                  ヘ(^ヘ^)(^ノ^)ノ (/_ _ )/♪へ(-。-へ)♪(/_ _ )/
田舎は、スローライフという意味では住みやすいが、刺激が少ない。
そこでセカンドハウスを出身地に持とう!という運動が起きている。
生家をセカンドハウスにして、地方で働き時々都会生活をするパターンだ。
しかし、それだけの余裕が持てる人が何人いるのだろうか?
さっき、デジタル・カメラの写真を整理していたら、高校の同級生の個人の墓の写真が偶然出てきた。
今年になって三度、散歩の途中に立ち寄っていたが、今日の特別のコースで行って見るか? 
今年は、その故人の会社も潰れたし・・・
お盆の「懐かしのメロディー」を聴きながら下書きの、この文章を書いているが、まあお盆!に良い番組である。
これを見ていると、年々歳をとっている自分に気づかされる。 さてと、墓参りに行こうか!
                       ( −」)φ~~    バイ! ヾ( ̄ー ̄ヾ))))      
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2005年08月13日(土)
1593, ひらがな思考術 −1  −読書日記
        
図書館から借りてきた本だが、目から鱗の本である。著者はコピーライター、シンクタンク社長、
コミュニケーション学部教授、という三つの経歴を持つから言葉に説得力がある。
ひらがなでわざわざ文章を書いてみたら、なるほどドンドンかけるのだ。
いままで何をしていたのだろうと、驚いてしまった。 とくに ひらがな三語 日記は面白い。
 ー今日の三語日記というと
たかしかえる おぼん おおあめがたたきつけている これで今日の大方がわかる。
ーこの本の概要というとー
「ひらがなで考えてみないか」それが、この本のメッセージで、
「ひらがなで表す言葉が、骨太で人の心を掴むのに適している」というのが大筋である。
漢字や英語が多用される専門語に寄りかからないで、手持ちのことばをかみしめ、ゆっくりと味わっていくと、
いま抱えている問題を考える方向性がうっすらと見えてくる。そうすれば受身ではなく、こちらから打ってでることができる。
ひらがなで考えることは、「現状打破」 「情報収集」「創造的発想」「効果的表現」「自己変革」に役立つ。
 (字数の関係でカット 09年08月13日))
・・・・・・・・・
2004年08月13日(金)
1228, 広松渉(3) 哲学についてー27

ー人生舞台の役・割について

「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))の概略を前回書いたが、
行為の存立構造をなしている「役・割」について、私の説を書いてみる。
「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。永遠の人生の課題といってよい。
結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。
それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。離婚は互いの相性もあるが、
この複雑に入り組んだ関係もある。演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。
長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、コトは複雑である。
嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。
その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。 家という制度が強い時代ならまだしも、
今のように個人が主体という時代では、嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。
地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、行為の存立構造は露わになるケースが多い。
・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
・必死になって小さな世界で肩肘を張って自己宣伝に終始している「チンドン屋」役と、
 それについて回っている「茶坊主」や「芸者」役
・ドブの中に発生する「ぼうふら」の群れー噂世界に浮く幼虫?役
人生舞台も、このようにしてみると面白いものである。といって突き詰めれば、どの役も大同小異の存在でしかない。
石が個性個性といったところで、所詮は砂利でしかないが。 石ころそれぞれが、自分の正義を持ち、それに従って
価値観を持って自分の舞台で役・割を演じることが、人生を生きること。
ところで、いま書いてきた役は、私の勝手に創りあげた主観の世界?「あまりにも偏見でしかないだろうか?」と
疑問を自分で投げかけてみる。社会、世間としても、それぞれの汗と涙で出来上がっている。 面白おかしく創りあげた
私の心象風景でしかないのではないか。蛇には蛇(その地に縛られている象徴)の生き方、存在理由があるはずだ。
そんなものは対比の問題でしかないのでは、と。その通りである。それぞれの役を、面白おかしく演じていればよいのである。
イタリアのベニスのカーニバルで、仮面を被って練り歩く。自分とは違った仮面の人を演じていると、面白い心理状況になる。
また逆に、イスラム教徒の女性がベールを被ると、自分という存在が消えてしまった空気のような、
透明人間になったような妙な気分になるという。面白いものだ。

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2003年08月13日(水)
861, プライドー2

 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。
その状態が逆にエネルギーになる場合もある。その為には、常に本を読み続けなくてはならない。
心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。したがって子狐は本を読まない人ともいえる。
「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、ある飲食チェーンの創業オーナーが言っていた。
「表面的な面子などのプライドを捨て、心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」
「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。
自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、捨てられるだけの実績と自信がないからだ。
 捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。
何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしてのそれしかないからである。
といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。
表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。
それを一生続けて死ぬときに「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。それが失敗の人生である。
 「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている
のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。
「最後の拠りどころのプライドを持つのがどこが悪いのか、それを否定したら人間は生きていけないのではないか?」
という声が聞こえてくる。 最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだから、それで仕方がないともいえるが!
「夢」「志」を持てなかった人は、それでもよいのだろう。
 「おいプライド!  たかがプライド! されどプライド! あ~あプライド!」
 
・・・・・・・・ 
2002年08月13日(火)
486, 今日はお盆

13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。
祖先の霊が、仏壇から居間の仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。
毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。
今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。
13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。両親の墓と母親の実家の墓だ。
その中である墓参りの話しをしてみる。幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。
父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、父が生きている間に、自分たちの墓参りする約束をした」
とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。どういう訳か解らないが、いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。
その時のご馳走が楽しみであった。 当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。母が元気なうちは、
母といつもお参りをしていた。母が言うに「永代経のお金を払ってあるから、私が死んだらお参りをしなくてもよい」
とのことであった。しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。
この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。
長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、明治25年と墓に書いてあった。
 今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。

・・・・・・・・・
 2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事

図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い! 各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて
書いているのがいい。まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対して意外と自己正当化しているのが可笑しい。 
 −私も書き始めたが侘しくなってきた。
 死亡時期‐父と同じ71歳(そうすると後16年の時間)
・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの 遺言の為に音楽葬、ただし身内のみで。
  近じか真面目に書いてみよう。


3051,人を殺すとはどういうことか

2009年08月12日(水)

「人を殺すとはどういうことか
   ―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」  [著]美達大和

 図書館で何気なく題名に引き寄せられて立ち読みをしたが、その生々しさに立ちすくんでしまい、
借りてきた本である。LB級刑務所は長期の重犯罪者達の檻、その大部分は良心のカケラもない人たち。
 これは獄中でつづった特異な半生記・観察記で、今年になって出版されたもの。
著者自身が2件の殺人を犯し、無期懲役刑に服しながら獄中でつづった手記で、前半が自分の半生。
後半が刑務所の他の受刑囚たちの観察記である。 本人は今も無期懲役に服している。
高い知能と冷徹さを生かして社会的な成功を収めた後、自らの価値観に従ってふたりの人間の命を奪う。 
逮捕後や公判中も罪の意識はまったく感じなかったが、検察の論告を聞いているときに突然、
情動のスイッチが入り、後悔や反省の念がわき起こる体験をする。
 最初の殺人は26歳のとき、金融業で成功を収め、ヤクザの組織に在籍していたときに起こした。
用意周到な犯行ですぐに発覚することはなかった。 2件目の殺人はその数年後。
その動機について「私から見て誠実と感じられなかった被害者の言動などが主因になりました」という。
2件目の犯行で逮捕され、1件目の犯行が発覚。 

 その後、償いの日々を送りながら他の受刑囚を観察し、犯罪の動機や今の感情についてインタビューを試みる。
そこでみえてくるのは、フィクションでは描ききれない矛盾に満ちた人間の生々しい姿。
強盗殺人を犯したある男は、被害者に「全くざまあみろだ」と言い放つほど冷酷な人間が、TVのご対面番組には涙を流す。
ヤクザ同士の抗争で殺害した被害者の強さを畏敬し「ヤクザとしての自分の生き方がしっかり決まった」と出所していった男。
また受刑者に共通する「異常な執着心」「利己心の強烈さ」など18点もの負の特徴を上げる。
長期刑務所は“反省や更生とは、ほとんど無縁の”“悪党ランド”というほど人間に対する希望を失う。
そこが犯罪や裁判のテクニックを学習する場所になっていることを憂慮している。
受刑者が「向かってくるから刺しちゃったよ」「黙って言う通りにしてりゃ殺されなくてすんだのに」
「あんな所に居やがって、お陰でこっちはこんな所だ、チクショーめ!」といった具体的な言葉も紹介する。
 著者に対して性格鑑定が行われているのだが、その報告書において鑑定人は
「当職は、30年の職歴の中でこのような奇跡的な知能レベルに遭遇するのは初めて、他の症例を調査しても前例がないこと。」
と記するほど、比類ない知性の持ち主。 彼は自伝の中で「粗野な在日韓国人の父と品のある美しい母、経済的絶頂と零落、
商才と稼業、典型的なヤクザ者の生い立ち」を告白する。
 第二章以降は12人の同囚受刑者へのインタビュー。獄中でその罪と心象風景を聞きとったうえで、最後の一人を除き、
淡々と記述する。相手はすべて殺人犯である。 そこで彼は「罪と罰は均衡しているのか、矯正と刑罰は両立しうるのか」
という問いを司法と法執行に投げかける。 現役の囚人が書いた生々しい仲間の姿が生々しく痛ましい。
  阿部譲二とその御仲間達とは、少し違うようだ。

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2686, 人生のハレとケ
2008年08月12日(火)

以前に何度か取り上げたことがあるが、再びハレとケについて考えてみる。人生にはハレのときもあれば、ケのときもある。
ハレは、田舎の祭りや、稲刈りのとき、(晴れ晴れの時)ケはそれ以外の地道な日々の生活である(ケチケチ、倹約の時)。
 我々は、この二つのリズムの中で生きている。過去を振り返った時を考えれば、華やかの出来事に目が行くが、
しかし何気ない出来事の方が深い味わいがある。書いたことすらも忘れていた学生時代の日記が半年分、倉庫の奥にあった。
そして、その日々を此処で連日書いた。それを読み返すと何気ない日々が、何と面白いかがわかる。
ハレもケも書いてあったことで面白かった。私のハレを振り返ってみると、それが秘境・異境ツアーであり、
事業のの立ち上げの時であった。写真にも、旅行記も残っているし、立ち上げは辛い反面、華やかだった。 
そして記憶が鮮明に残っている。そのために背景のケの日々が、その光によってかき消されてしまいがちになる。
家内が(というより女性は)、そのケの楽しみ方を知っている。 とにかく日々の平凡を楽しんでいる。
これは天性なのだろう。 私も日々の生活を楽しむ術を知っている方だが、女性には敵わない。
生活を楽しむ!ということだろう。 隣に人がいてもいなくとも、ただ目先のことを楽しむ!ということを。
坂本龍馬ではないが、『面白きなき世を、面白く』である。だから、面白くないことを我慢するなど勿体ない、
とつくづく教えられる。白(ハレ)と黒(ケ)があるから互いが成り立つのであって白だけだったら白色の白が理解できない。
現在の我々を見渡すと、ハレだけを追いかけている。 しかしケ=普段の平凡な日々を、如何に充実させることこそ人生の価値。
話しは変わるが、ユニクロが狙っているのは、普段着を如何に充実させるか、ハレ(外着)の他メーカーの商品を
引き立たせる裏方に割り切っている。「隠れユニクロ」と言われようとも、普段着を如何に良くし楽しむことに徹していれば、
大多数の人が支持をしてくれる。ケの文化こそ今一度見直す必要な時のような気がする。
『日々、是好日』これこそ、知恵さえ使えばできること。 現実の日本は正にケの時である。
   さて、今日の昼飯何にするかな! 鼻歌を歌ってスキップか〜

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2007年08月12日(日)
2322, 政治家の家族とは・・ −3
        (o´・ェ・`o)♪。o.+゜。*ぉはょぅ☆♪
*銀座のママと政治家の共通点*

彼女自身気づいているかどうか解らないが、銀座のママという職業にとって、
政治家の家庭で育った環境が大きくプラスになっている。夜の水商売は虚飾の世界である。
前に書いたが、政治家も「あるべき理想的政治家」という仮面を被る世界。
社会を選挙民という票田と捉え、人の集まりには可能な限り顔を出し、理想像を飾り票に結びつけていく。 
そこには、本人個人の顔は無い。議員として相応しい人物としての演出された顔である。
夜の虚飾も高級?な社交場の演出と提供である。愛?と社交を求めて集まってくる「社用族ータカリ族」や、
「成り上がり族」を相手にホステスと自分との愛のゲーム(仮の自由恋愛の駆け引きの遊び)を夜ごと提供する。
お世辞と奇麗事と作り笑いに一晩の遊びと癒しを求めてくる男達を遊ばせ、笑わせ、満足させてナンボの仕事である。
遊ぶ方も、遊ばせる方も、全て解っていながら気違い水(アルコール)で酔い、歌い、憂さをはらす。
サカリのついた狸と、それを遊ばせる狐の化かし愛?の世界というと、チョッといいすぎか?
政治家も、やりもしない、できもしない公約を掲げ有権者に夢を売る。
選挙が終われば、選挙民は公約など忘れてしまうことなど、お見通し。
政治の政は、祭りごとである。(政治ー政を治める)祭りごとなど、年に数度の祝い事を難なくこなすことでしかない。
その祭りには酒と女は欠かせない。だから酒を飲むことも、男にとっては一つの祭りごとである。
古代ギリシャの政に出てくる巫女は売春を兼ねていた。それも社会的身分が高いというから・・・
クラブのママは冷徹に名刺というカードを集める。 それが個人の財産であり、カードの蓄積を持っていれば、
どの店でも渡り歩ける。ところでママの髪型が店の格をあらわすという。
髪の高さが値段を現し、前への出っ張りが店の格を現すという。笑ってばかりはいられないか!
売春もしないのに女性が横につき接待するクラブのシステムは、世界で日本だけ。
ホステスという職業はお金を稼ぐために割り切っている女性が多い。
ママとかグランドボーイが、こっそりと、その落としどころを教えてくれる?
酒飲みの男には、だいたい二種類の酒のみのタイプがいる。
酒とカラオケなど、その雰囲気が好きな部類と、酒場で女を求める部類と。
後者はフィリピン・パブなど、別コースの中間地帯が用意してある。
蛇の道は蛇ということか? 暴力団が後ろについて、すんなりとコースがあるとか。
政治家も何でも、プロの道は厳しいものである。どこかで醒めた眼が必要である。そのためには、逆に熱中してないと・・
          o(*′з`)o"グッ☆o(*′▽`)〇))"バァァイ☆
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2006年08月12日(土)
1957, 片づけられない女ー2
             \(^▽^*)おは!

検索に「片づけられない女」と入れたところ、「片づけられない女」サリ ソルデン著 という本が出てきた。
現代病の典型的な病で、これまでにもTVで多く扱われていた。ダラシない性格の女というわけではなかった。

ーまずは、その本の説明文ーから自分の部屋を片づけることができず、ゴミの中に埋もれるようにして暮らす女性について、 
 多くのマスコミは半ばおもしろがって取り上げる。本書はその原因が本人のだらしない性格にあるのではなく、
 神経系の障害である可能性を唱え、全米でベストセラーとなった。
 この神経系の障害は、ADD(注意欠陥障害)と呼ばれる。幼いころから兆候が現れていても、
 見落とされることが多く、大人になるまで本人が気づかないことも少なくないという。
 さらに、散らかす、なくす、忘れるといった特有の症状は、社会が女性に期待する女性像とのギャップが大きく、
 「片づけられない女」というレッテルを貼ることで、解決されてしまいがちだ。
 カウンセラーであり、自らADDである著者は、本書でADD女性が直面する困難に触れながら、ADDを持ちながら
 充実した人生を送るための意識改革の必要性を説き、同じ悩みを持つ女性たちにエールを送っている。
ー内容ー
持ちものが片づけられず、部屋が片づけられず、頭の中の考えさえも片づけられず、
毎日の生活に苦労をしている女たちがたくさんいる。彼女たちは、雑用の山に圧倒され、すっかり落ちこみ、不安と戦っている。
人間関係がうまくいかない人、潜在能力はあるのに、学業や仕事で力が発揮できない人も少なくない。
プロのセラピストが、新たな心の病として日本でも注目されているADHD(注意欠陥多動性障害)、ADD(注意欠陥障害)を
現代に生きる女性をベースにわかりやすく解説した初の書。
 ーーーーー
以上だが、この説明書きを読むまでは、「片づけられない女は、分別ゴミなどの分類や、
それぞれのゴミだしの日のチェックまで、神経が回らなくなってしまったのだろう。」
と思っていた。これはレキッとした病気なのである。
時々、TVで自分の庭にゴミの山をつくってしまい、近所からの苦情で、強制執行の撤去の様子が出ることがある。
これも一種のADHDの変形なのだろう。まだゴミの部屋は誰に迷惑をかけるわけでない。 ○=(≧Σ≦)へっくし!        
ー次も、あるHPから拾ったチェックリストである。これによると片づけ方を知らない人には2つのタイプがある。
10問のチェックリストで、どちらのタイプか分類出来るという。
 −片付けられないタイプチェックリストー
1,賞味期限切れの食品がたくさんある         2,カタログショッピングが好きで、つい買ってしまう
3,年賀状を整理しようと思いながら、1年経過した    4,洗剤やティッシュなど買い置きしていないと落ち着かない
5,キレイな包装紙や紙袋はとっておく(o_o ;)    6,片づけや掃除は定期的にやらず、時々、一気にやる
7,毎日使う食器は、水切りかごに入りっぱなし     8,写真のネガや郵便物がテーブルの上に放置さている
9,ソファやイスには、いつも脱いだ服がかかっている  10,「つめ切りはどこ?」と聞かれても即答できない
(以下、字数の関係でカット 09年08月12日)
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 2005年08月12日(金)
1592, 幇間ー太鼓もち

幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの宴会をしていた。
そのため年末が子供ながら楽しみであった。芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。
といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。
通称「八木漬物屋のオヤジ」である。彼がいないと場がしらけるほど存在感があった。
映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸をしていた。それをキッカケに、他の人の芸が出てくる。
家族や従業員・取引先など50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。幼稚園の頃から日本酒を判らないように
コッソリと飲んだ記憶がある。幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。
座敷に呼ばれて、芸者と同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出している技を持っている
男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる魅力がなければならない。
そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。人間は誰でも、褒められ威張りたいものである。
太鼓もちは、その辺を熟知しており徹底的に自分を蔑みながらお客を持ち上げる。
これは余程の持って生まれた天性が無ければ勤まらない仕事である。もう亡くなったが俳優の三木のり平
の太鼓もちは絶品であった。一度でよいから、この太鼓もちをやってみたいが、無理である。
営業のベテランは、その要素を経験から充分持っている人が多い。話のキッカケは何か褒めることから始る。
それも自然に、いつの間にか持ち上げられてしまう。現在、プロの太鼓もちは、ほぼ絶滅?
下町の旦那が余興で踊りなどを演じている位という。

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2004年08月12日(木)
1227, 新潟駅前ランチ事情

新潟駅前のランチ事情も変わってきた。 この1〜2年で、横浜軒、松屋、ロイヤルホスト、すき家、などの
ナショナル・チェーン店が進出してきた。それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を出していた。
売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。7000円が相場であったが、最近は300〜500円の店が増えてきた。
私も、そのプライスの店に行くようになった。朝食はウォーキングの後ということもあって、しっかりと食べる為か、
昼飯はジャンクション食と割り切っているので、手軽で済ませたいし、安い方がよい。500円以下の店は混んでおり、
700円以上のプライスの店はお客は少ない。先日、事務所の近くに「定食の専門店」が出た。 チェーン店ではないが、
とにかく安くて、自分で好きな惣菜をチョイスできるのがよい。 大体400円〜500円で済む。
私の場合、週一単位で店を使い分けている。回転寿司、蕎麦専門店、居酒屋、牛丼(豚丼)専門店、定食屋、
うどん専門店など10軒の店を、その日の気分で決めている。駅前のサラリーマンにとって、昼飯を食べるのは大変である。
12時直後に、どこも満席になってしまうからである。最近は、昼飯を抜くか、牛乳ですますケースが多いという。
 小遣いが節約ができるからである。ランチの世界も、デフレの影響がモロに出ている。

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2003年08月12日(火)
860, プライド -1

プライドについて考えてみる。
プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。
新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」と評している。
常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。
 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に現れてくるのか考えてみる。
「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。
それは誰かとか、何かに対しての満足感を表す言葉である。 その背後には、他と比べて、
・自分の収入は誰より多い ・誰よりも名声がある ・学歴は誰誰よりも高い
等々、常に比較の世界に生きている人の言葉である。
 自分の価値観をしっかり把握していれば、そんなことは如何でもよいことだ。
私が嫌っている「子狐」世界は、その比較の世界に生きているからである。
その小さい世界しか知らない無知の住人だからだ。そういう人ほど表面的利害を求めて彷徨っている。
それも隠しプライドー子狐の尻尾ーをたれ下げながら。彼らには本当の深い喜び、満足感、充足感はない。
 比較の世界に生きている人間に、自分の心の奥の芯の歓喜があろうはずがない。
彼らは、そのプライド故に嫉妬、羨望、憎しみが異常発生してくるのだ。
比較の世界では、上から見下ろすだけでなく、下からの歪んだプライドも出て来る。
ある会など、見ても無残な歪んだプライドの世界である。常に誰かの悪口、中傷の歪んだ暗い比較の世界である。
真の価値観を持ち得ない人が、他者に対して持つ歪みが変形した世界になっている。
自己宣伝に精を出しているチンドンヤ、噂を餌に営業をしている
??、太鼓持ちなど多士済々で面白いといえば面白いが。それも如何でもよいことだが。
                                             
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2002年08月12日(月)
485, 「我思う故に我あり」-1

デカルトの「我思う故に我あり」という言葉はあまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている
ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。
「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。
どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、あまり面白い本ではなかった。
前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」たったこれだけを殆どの人がしてない。
そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」「我 行動す 故に我あり」「我 祈る  故に我あり」「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」「我 夢みる 故に我あり」「我 美食する 故に我あり」「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」「我 前進する 故に我あり」「我 遊ぶ 故に我あり」「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」
幾らでも出てくる。「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。それが自分ともi云える。

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2001年08月12日(日)
[106] 坂之上小学校ー同級会

昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。 25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。 楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2〜3年で。
そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。 出席してよかった。


3050,4時間半熟睡法

2009年08月11日(火)


 新聞で最近『4時間半熟睡法』という本の広告を見かける。
  買うほどでもないので、ネットで書評を読んでみた。
 ・一番良いのが6時間半〜7時間半である。
 ・就眠の三時間前に食事、一時間前に風呂かシャワーを浴び、熟睡タイムは0〜6時におく。
 ・布団に入ったら、とにかく早く寝入るように工夫すること。 
  等々、今さらのことばかりで、書いてある大方は実行済みである。
「3時間では短すぎる。が、習慣化すれば4時間半でよい。一番良いのは7時間前後で、
  床についたら早く寝入る工夫をしなさい」 ということ。
私は、「ベッドに7時間横になる。 寝れないときは気にしないでiPodを聴くなど工夫する」が基本。
寝れないことを気にしないように務める。 だから寝不足気味ということはない。 
 工夫として、耳栓をするのが熟睡の最大の効果となっている。100円ショップに売っているが、
寝入ってから4時間は爆睡できる。これで8割の音が遮断される。 更にゲルマニュウム入りアイマスクをする。
これは眼の周辺を暖めてくれる。(耳栓の半分位の効果がある)
 睡眠は、それぞれの人の体質もあるから、自分にあったを工夫するしかない。
昼寝が10分位は出来る環境にある人は、5時間を目安に訓練するのも良いのでは?
 熟睡時間は無に近い状態だから、要はそれ以外の中途半端な睡眠状態の時間帯を如何に工夫するかである。
熟睡時間を4時間半とすれば、「残りの二時間をカットしてもよい」と言うことになる。
「習慣化すれば、4時間半の熟睡が深くなる」というのも道理である。
睡眠は、食事と同じく人間にとって大きい要素である。だから軍隊や研究機関で研究される重要事項になる。
その最低熟睡時間が4時間半というなら、その前提で自分の習慣つくりをすればよいことになる。 
組織のキャリア(エリート)が睡眠時間が口を揃えて4〜5時間というのにも一致する。
 私は、敢えて現在の7時間を5〜6時間に短縮する気は今のところ無いが・・・  
   時間が無いとかいうのを言い訳にしている人は、是非チャレンジすべきである。
   こういう人に限って8〜9時間寝ている?か、 4時間睡眠で頑張っている?? 小○カ!

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2685, iPhoneは、超小型パソコンだった! −4
2008年08月11日(月)

朝日新聞の経済欄『補助線』ーiPHONEを読み解くー が面白い!   
ーまずは、その内容からー
 
 *使いやすさ競う時代に*
最近、中国に出張したソフトバンクの孫正義社長は一度もノートパソコンを開かなかったという。
米アップルの携帯電話「iPhone(アイフォーン)」でメールをチェック。孫氏の感想である。
 7月11日にソフトバンクモバイルが国内で発売。初日は店頭に長い列ができた。
従来の携帯電謡のようなキー(ボタン)はない。 すべての操作はタッチパネルをさわる。 
画面をつまむようにさわると画像が小さくなり、指を広げると拡大する。確かに面白い。
iPhone効果がでたのか、7月の契約増加数はソフトパンクモバイルが15カ月連続でトップに立った。
だが、発売からーカ月がたち、ライバルの通信会社や日本メーカーからはiPhone脅威論はあまり聞かれない。
店頭には在庫があり、当初の混乱はなくなった。 供給台数が絞られたためか、発売後3週聞の販売台数は10万台程度だった。
初日の長蛇の列が印象的だったが、その後は過去のヒット商品ほどの売れ行きではないという受け止めが業界にはある。
iPhoneは孫社長のようにパソコンを代替する端末として使う人には使い勝手はよく、面白い機械である。
孫氏は3年後にはiPhOneのような端末が従来型の携帯電話のシェアを上回ると予測する。
だが、ケータイ文化になじんだ日本の消費者の心をつかみ、日本に開国を迫った黒船のような存在になるのかどうかは、
まだ見通せない。脅威論がやや薄らぐ日本勢だが、冨士通の佐相秀幸モバイルフォン事業本部長は「無駄な機能を削り、
シンプルにし、使い勝手を高めるという設計思想は学ぶべきだ」と書う。別のメーカー幹部も「次々とハードを付加し、
消費者を刺激してきたが、iPhoneのようにソフトを付加して消費者の満足度を高める方向も探らなくてはならない」。
日本の携帯市場は「ガラゴス」といわれる。特殊な化の過程を経ているためだ。
パソコンとは異なるアドレの携帯メールが普及し、人、家族、同僚とのコミュニケーシ日ンに使われている。
親指一本で素早くメールを打ったり、絵文宇を使ったりする「ケータイ又化」もある。
それに対し、iPhoneのメールはパソコンメールが基本。従来の携帯メールは使えない。
タッチパネルで文字を打つのも「慣れれは速くなる」(アップル)というが、タッチパネルの反応度には限界があり、
従来型の携帯の入力速度には負けるというのが技術者の見方だ。iPhoneの登場でメーカーが使い勝手を競うようになるなら、
消費者にとっては歓迎すべきことである。
  ーーー
(後記)
  カメラが1000万ガソだったら、既存のデジカメを根こそぎ否定しただろう。
  携帯電話のメーカーは冷静を装っているだけで、背すじが冷えあがっているはず。
  iMac,iPod,そして特にiPhoneに出あったのが、今年の私の最大の出来事になるだろう。
  ミャンマーのサイクロンより、中国・四川の大地震よりも、アメリカのサブプライムの崩壊による
  恐慌の兆しよりも、アメリカ大統領の交代より、私にとって意味は大きいような気がする。
 (まだ5ヶ月あるが・・・・・) この一台に未来が凝縮して提示されている。何度でも言う、凄い。
   予約販売を始めたというから、携帯電話機能を5?しか使ってない方に特にお勧めをする。

・・・・・・・・・
2007年08月11日(土)
2321, デジカメを使った文字スキャナー
              o(*'▽'*)/☆゜’おはよう〜♪
 
毎日、随想日記を書くのは、かなりのエネルギーを要する。 ネタぎれになるので、どうしても「読書日記」が多くなる。
そこで、面白そうな箇所の紹介や、引用するのが一番手っ取りはやいが、本を書き写すエネルギーが膨大になる。
中途半端なブラインドタッチしかできないこともあるが・・・
5年ほど前にハンド式のスキャナーを買ったが、読み取るのが難しく何度か使ったが、途中で諦めてしまった。
しかし、このハイテクの時代に、よいスキャナーが必ずあるはず。そこで本気になって検索で調べてみた。
(字数の関係でカット2009年8月11日)

・・・・・・・
2006年08月11日(金)
1956, 人生と学問              
        おはよ〜!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・

昨日の日経新聞のスポーツ欄の連続のコラム
 ーチェンジアップーで、往年の大打者で野球解説者の豊田泰光が「学歴についてのコンプレックスの心情」
 について書いていた。大打者だったプライドもあろうに、思い切った心の奥の吐露をしていた。
ー先ずは、その内容を書き写してみるー
 引退したとき、まだ35歳だった私は「やり残していることがある」と妻に相談した。「大学に行きたいんだ」。
妻は理解してくれたが、私は幼い子供と実家の母らを面倒をみなくてはならなかった。
無収入の学生生活というわけにはいかず、断念をした。 学の無いことは寂しいことだ。 
解説者として記事を書き始めたが、漢字がわからなかった。家で書き取りの練習。おやじになってからの漢字練習はつらい。
悔しい思いをしたのは引退後に限らない。プロ野球界の学歴信仰にも閉口をした。
高校出の監督・コーチもいるけれど、同程度の野球の成績なら大卒が有利だった。
大卒の球団経営者は現場の大卒組と組んで事を運ぶ傾向があった。球界の‘大卒’はチャンと単位を取った人
ばかりでなく、しょせんは勉強しない者同士で作る学歴社会である。それだけに余計タチが悪いといえた。
 サンケイ(現ヤクルト)のとき、東京六大學から入団した同僚から「単位が足りないままプロに入った。
もう少しで大學から除籍になるがどうしよう」と相談を受けたことがある。すかさず「そりゃ、絶対に単位をとるべきだよ」
と言った。彼は単位をとり、卒業をした。 何よりもけじめをつけたことが、その後のためになったと思う。
先ごろのスポーツ新聞の記事によれば巨人の桑田が引退後、大學で勉強をしたいという意向を示したという。
いいことだ。桑田は「順序が逆になるけれど」といったそうだが、勉強をしたいと思ったときが学業の適齢期だ。
広島のホプキンスという選手が練習の合間に肩にタオルをかけて医学書を読んでいるのをみかけた。
そのときはご苦労なことだと思うばかりであった。しかし帰国後彼が外科医になったと聞いた時、
と思った。家計を支えねばならないから勉強ができない、というのは私の甘えでかもしれない、と。
あれこれ経験を積んだ今だからこそ「人生に順序なし」と実感できるが、その真実に気づいたときには残り時間はわずか。 
皮肉なものだ。
 ーー
 何も飾りのない赤裸々な真実の声である。 そういえば同じような話を姉から聞いた。
一番上の姉が癌になり、一年足らずで亡くなった。手術の数ヶ月後、家に来て最後に多く語っていった。
その中で、「私は高卒が一番のコンプレックスだった。基礎教養を若いとき培ってなかったのが一生のハンデだった」
と、ポツリといったのが印象的。 長岡城下街の価値観に一生振り回された人生を後悔しているようだった・・
私の周辺で、高卒にかかわらずサラリーマン社会で勝ち抜いてきた人や、教養にみちている人が数多くいる。
共通点として、人知れず本を多く読みつづけて基礎教養という土台があり、また、ライフワークを持っている。
一流大学?を出たにもかかわらず、全くの無知蒙昧の人も多く知っている。  要は社会に出てから、
どれだけ学んだかが、問題なのだ。  御前はどうか?他人にいえるザマか?と、すぐに声が飛んできそうだが。
また反面、高校しか出てないからと諦めてしまい、全く本を読もうとしないで、「世間」とやらを、
全世界と思い込んでいる人ー子狐ーもいる。そういう人ほど、捩れて歪んでいる内面が露出してしまっている。
人間多かれ少なかれ、誰もそうだが・・ 心の底から学びたいと思った時が、学業適齢期という言葉はよい。
「べき時に、べく事を、べくすべし」というが、 「一生学び通すことこそ教養」ではないだろうか?

・・・・・・・・
2005年08月11日(木)
1591, 外務省・ラスプーチンの記憶術

何気なく月刊誌をみていたら、鈴木宗男とともに逮捕され起訴された
元外務省の佐藤優の手記が載っていた。内容は、彼のソ連時代の外交官としての活動の詳細であった。
その内容も面白いが、それより彼の記憶術とその引き出し方に興味を覚えた。
非常に深い示唆に富む内容である。 やはり映像と結びつけるのだ。
 その一部を書き写してみる。
ーー
拘置所の減灯は午後9時、起床は午前7時なので、睡眠時間は10時間もある。
私はもともと睡眠時間が短く、3~4時間で済む。この長時間睡眠制が拘置所規則では何よりも苦痛であった。
筆記道具は自殺に使われる「凶器」に使われるのであつけられない。
そこで、この時期に私は記憶力の強化を図った。私の記憶術は映像方式で、特定の映像と出来事を結びつける。
誰かに教わったのではなく、モスクワでメモをとれない状況でロシア人から
話を聞き、それを大使館で暗号電報にして送る作業を続けているうちに自ずから身につけた癖だ。
ある時この記憶術を陸軍の中野学校出身の某氏に話したことがある。
「佐藤君。それは甲賀の忍者の記憶術じゃ。中野学校では甲賀忍法を応用した記憶術があった。
文字や地図、写真は比較的正確に再現できるが、表の数字は出てこない。」このやり方は、数字にはあまり適さない。
イスラエル政府に記憶力の抜群の友人がいた。「数字をどう記憶に定着させたらよいか」と尋ねたら、
この友人は「僕の場合も基本は映像記憶だ。数字は見ただけでは記憶は難しいが、一回、口に出して唱えると、
映像の中にいる自分がその数字を唱えている映像が音とともに甦ってくるので、試してみるとよい」と言われた。
実践してみたが、確かに効果がある。獄中のノートやメモは検閲されることがあるので、取調べについて
重要なことは書けない。従って記憶に頼る比率が高くなる。稗田阿礼は文字を知らなかったが、
古事記を暗唱をしていたわけだから、日本人の潜在的な記億は大きいはずだと思い
巡らしながら、取調べ状況を正確に努力をした。そうすると取り調べ以外に多くの記憶が甦ってくる。
その中でよく思い出したのがソ連崩壊の前後の出来事だ。特に人間の生き死にに関わる映像がとても正確に浮かんでくる。
6・6平米の空間が時空を超えて無限に広がっていくような感じがする。
 ーーー
以上だが、なかなか深い内容である。私が最近色いろな事を思索するのに使うのは、夜寝入る時に、
理想的な数ランク上の自分に入り込んだイメージを持つ。そして翌朝に夢か新しい何かヒントが浮かぶのを待つ。
大したヒントは浮かばないが、それでも私の限界を超えた新しい視点をえることが可能になる。
脳は言葉とイメージが大きな機能である。その二つと、潜在的な能力を呼び起こすのが脳を生かすコツになる。

・・・・・・・
2004年08月11日(水)
1226, ダイエー 最終局面へ

ダイエーの再建??に向けてのUFJ、みずほ、三井住友銀行が最終調整に入ったと新聞が一斉に報じ始めた。
・不振の衣料・住居用品から撤退して食品スーパーに特化
・3〜4千億で金融支援を実施して店舗の土地建物の含み損を処理ー再生機構が新設する不動産会社に移し
・一兆円の銀行借入を3〜4千億にへらし、
・大手流通業の支援で早期再建を目指す
 ジャスコか丸紅が受け皿になるようだが、恐らくジャスコだろう。ジャスコは、八百半、マイカルに続いて、
 再建で大きな収益を上げることになる。三年前に始まった、オーナー中内功の追放、そしてグループの解体の
 最終の局面を向かえることになった。 解体過程も、シビアにおこなわれきた。
・コンビニの「ローソン」の売却
(以下字数の関係でカット2008年8月11日)

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2003年08月11日(月)
859, 「タイムクエスト」
           ー読書日記−1
ーベンジャミン・フランクリンの13価値観ー
 
この本は一年位前に読んだ本である。「7つの習慣ー最重要事項」のさらに具体的内容を掘り下げている本である。
『ミッション・ステートメント』に焦点を合わせてある内容である。先日本棚を見ていて、読んだことに気がついた。
中途半端に読みぱっなしということか。この本と『7つの習慣』を二年前に読んでいて、「ミッション・ステートメント」
を創ってなかったのだからいい加減なものだ。何かの「良」がこの「最良」を阻んでいたのだろう。
この本の中のベンジャミン・フランクリンの13価値観が面白い。これを元に著者のハイラム・W・スミス が
自分の憲法を創っているが、それは次回に書く。それと13の価値に対する自己評価もチェックしてみる。
ーそのフランクリンの13価値のところを書き写してみるー
 ベンジャミン・フランクリンが22歳のときに自問自答した。
「私の人生で大事なことは何だろうか?」この時から、彼は12の価値観と考えを進めていく。
そしてその一つ一つに説明を加えていく。その結果次のようなものが出来上がった。
初めは謙遜がなかったが、あるクエーカー教徒の友人に見せたところ、その友人は最後に謙遜がないことを告げた。
 フランクリンに対して彼は親切にも彼が、高慢な人間だと一般に思われていることを教えてくれた。
いくつかの例を彼はいちいち例を挙げて説明してくれ納得した。そして最後に英語でわずかに4語の説明文を加えている。
「イエスおよびソクラテスに見習うべし」(ImitateJesus and Socrates)彼は自分の生活を13週に分けて、
一週ごとに13ある価値観の一つずつ焦点をあてて、自分の行動が価値観にあったものになるよう努力したという。
 78歳のとき、彼は回顧録にこう書いている。
全体的に言えば、かねてから願っていた完璧さには到達できず、それよりはるか下にとどまってしまったが、
どの努力をしない私と比べれば、より善良な人物になることができた」「謙遜」については、率直にこう言っている、
「私はこれを体得したと自信を持って言えはしないが、その見かけがそれなりにできたと思う」
ーベンジャミン・フランクリン13価値観
1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。無用の行いはすべて断つべし。
7、誠実  いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまたしかるべし
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、
      身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。

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「TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究」
ハイラム・W. スミス (著), Hyrum W. Smith (原著),
 ーレビュー
(字数の関係でカット2008年8月11日)
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2002年08月11日(日)
484, 思い出のメロデー

お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。
34回というから、私が20歳代前半からになる。初めからチャンスがあれば必ず見ていた。
幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。その為その歌ごとに思い出が深い。
生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと今という共時性がある。
この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。
昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。
40年代はポップスの全盛時代で、もうこれだけの名曲が出ることはないといわれている。
時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。歌を聴きながら、本当によい時代に
生きることが出来たと感謝している。自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。
特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。
今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。時代の変化なのだろう。

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2001年08月11日(土)
[105] 写真コーナーが移転

不調だった今までのコーナーを廃止、あたらしいソフトで再出発することになりました。
デジタルは便利の反面、今までの苦労が一瞬で消えうせるという恐さがある。
あれだけデジタルカメラを持ち歩きうつした写真が、全て跡形なく消え去ってしまった。
まだ出始めで総数が少なかったが、一年も経った後だったら大変な事だった。
写真コーナーが壊れてからアクセスが半減してしまった。
二時間散歩、夜半大雨のためか花が綺麗だ。これも土手で誰かが趣味で育てた花だ。
二時間の間にそのような場所が10カ所以上ある。あと一月経つとコスモスのトンネルで花が咲く。


3049,ハリネズミのジレンマ

2009年08月10日(月)

 
   哲学者、ショーペンハウエルの逸話に「ハリネズミのジレンマ」がある。
 (哲学書では度々取りあげられる逸話である・・・) 少し取りあげたような、無いような?

《 針のような鋭い毛を全身に生やしたハリネズミが二匹,巣穴の底で震えている。
 外は吹雪で巣穴の中は寒い。そこでハリネズミは,寄り添い暖めあおうとするが、
 互いの針で相手を傷つけあうことになる。 痛さで体を離すが、今度は寒くてたまらない.
 一晩中くっついたり離れたりを繰り返した結果、そこまで痛くも無く、相手のぬくもりを
 感じられるような距離を見つけて夜の寒さをしのいだ。》
  〜〜
  若い時に、ある距離を越えて友人が近づいてくると、全身から針が出て相手を拒否する自分に驚いたことがある。 
 それでいて、逆に孤独感から知らない間に相手に近づき過ぎて相手の針を感じたこともある。 
 8人きょうだいの末っ子で、家が商売をしていたこともあり、それぞれの独立性は幼稚園時代ら訓練されていた。 
 私の家庭では付かず離れず、自分のプライバシーは披瀝しないことが、まず要求された。
 だからハリネズミの逸話が痛いというほど分かる。 大人数の家族では、むしろハリネズミであることが、
 自然態なのである。 大家族は、それだけで空気が暖かくなっている。だから人混みの中の孤独には慣れている。
 他者と関わる時に(友人関係、親子、夫婦、会社などの人間関係などで)自我が露出してしまい、
 一人よがりになりがちになる。  成田離婚は、ハリネズミのジレンマの典型事由である。 
 また孤独の大切さを実感しながら、それぞれが寄り添う都会の群衆の群れの生き方がハリネズミのジレンマになる。
   ハリネズミ同士ならよいが、一方がネズミなら、ただ傷をつけるだけになる。

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2684, 己の地平の地を耕す
2008年08月10日(日)

知人が二人、最近になって(とはいえ10年前から)素人菜園に凝っている。
たまたま事務所で二人が出会ったとき、嬉々として話が弾んだ。
何か奥深く面白いらしいが、私には向いていないようだ。 下地に10年はかかるらしい。
『心身にとって、これほど良いことは無い』と二人は口をそろえて言う。
それを聞いていて畑での一連作業が、何か自分の心を耕しているに感じた。
人生は考えてみれば畑を耕すのに似ている。長い人生の道のりも、計画通りに楽しみ生きるより、
苦しみ努力をして歩むことが多いもの。スキップだけでは面白く可笑しくもない。たどたどしく泥まみれが人生である。。
 イソップの寓話に、面白いのがある。
《葡萄畑を持っている家族がありました。あるとき父が病に倒れた。病床の中で父はニ人の息子に言いました。
「実はおまえたちに財産を遺してある。金貨を壷の中に入れて、葡萄畑に埋めておいたのだ。
私が死んだら、その壷を掘り起こして二人で分けなさい」。父が死んだ後、二人の息子は葡萄畑を一坐懸命に掘り起こした。
しかし壷はとうとう出てこなかった。 二人は落胆しました。ところがその翌年、何と葡萄がこれまでになく見事に実った。
畑の土を掘り起こしたことで葡萄がたくさん採れるようになり、こ人の息子はとても裕福になりました。》
 父の遺言は、息子に努力を教えるためのウソ。自分に与えられた人生の畑を懸命に耕してみること。 
そこには必ず金貨以上の幸福があるはず。イソップの、こういう寓話を幾つか遺しているが、下手な人生論より良い。
(そういえば本屋で、そんな題名の本があった。今度借りて読んでみようか)
「ところで御前さん、人生の畑を耕したの? それも真剣に?」と問われれば、「う〜ん、耕してきました! これでも 」 
そして、「上を見れば限がない、横を見れば情けない、下を見れば底がない!」と言うところか。
このように毎日、随想日記を書き続けるのも、ある意味で、畑を耕しているようなもの。
テーマ一つずつが、畑の一部分を掘り返しているようである。しかしね〜、それで、この様だから・・・・
畑の土は、雑草や動物が腐って積み重なって出来ている。 「人生を耕せなど、何をぬかす、御前さん! 
土が既に決まっているのだろうが。」という心の奥の声が聞こえてくる。
「いや、違う。その土を見分けて肥料を自分で探して、時間をかけて自分の野菜を作るのが耕すことだろうが・・」
ということがを、畑から学ぶのだろう。土といえば、アイスランドに行った時に、驚いたことがある。
国土に土が殆ど無いのである。岩石の上に、辛うじて藻が覆ってあるだけ。植物が元々生えないので土が出来ないのである。
藻は菌で出来ているので、土は必要としない。しかし、それは堆積はしない。
その時になって、成るほど我々は生物の屍の累積の上に生かされていることを実感した。
人生を耕す前に、畑を耕して、植物を育てると、その意味が実感できるのだろう。

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2007年08月10日(金)
2320, 「朝青龍」問題について −2
               ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
これほど、単純だが困った問題はないだろう! 朝青龍は大相撲の世界で5年間も君臨してきた。
一人横綱を張っていたこともあり、その実績から少々の我侭も見逃されてきた。
ところが、情報化には彼も勝てなかった。仮病疑惑のサッカーの映像が放送されたからには言い逃れができない。
また相撲協会も彼を庇うことはできない事態になってしまった。 相手は世論である。実質の引退勧告をしてしまった。
これで本人は土俵に立つことも、他の力士に合わせる顔がない。このまま大相撲に残ったとしても、全ての力士から
「引退勧告されて無様にも出てきたモンゴル野郎」でしかない存在に凋落したのだから、ノイローゼになって当然である。
辞めてしまった力士など日本では誰も相手にしない。 辞めるに辞められないが、残っても
「無様な恥さらし野郎というレッテル」は、もう取ることはできない。悩むだろうし、死にたくなるだろう。
モンゴルの英雄も日本で大横綱と言われいればこそ成り立つので、これで辞めれば英雄も、単なる国辱ものでしかない。
ー彼の心の内といえばー
「一人横綱を利用して今まで何度も仮病で同じことをしたのに、今回は何で?
 あの映像が、拙かった!あれさえなければ!畜生め、あれさえ出なければ・・」
「俺のやってきた結果は、こんなことで全てフイになってしまったのか?
 それにしても俺も好き放題してきた!強ければ全てが許されると信じてきたが、
 どうも今回は、それまでのツケが一挙にきた、それも取り返しがつかない事態だ」
「辞めればいいだろう!と思っていたが。いざ窮地になると、辞めてしまえば
 自分には何もない。妻さえ呆れかえって国に帰ってしまった。どうにもならない!」
「いろいろと回転木馬のように頭の中を走っている。 解決などない、あるのは時間である。
 ならば、この状態を続けるしかない。モンゴルに帰るには引退しかない。 ただジッとしているしかない!」
 というところだろう。 実際のところ、どうしたらよいのか? 誰かが、この男に、こう忠言すればよいか?
「『悟るとは、平気で死ぬことではない、実は平気で生きることである』と、恥を恥として割り切って、
嘲笑の中で勇気を奮って、相撲を取れるだけ取るしかない。それが大横綱への試練である。
人生の中で多かれ少なかれ誰でも経験すること。それが早く来たと割り切ること。
ここで辞めれば、ここまでの男でしかない!時間が全てを解決する」 高度過ぎて、無理か!この程度の男には。
 ある精神科医が『心の全身骨折』と言っていたが、本当に言いえて妙である! 
下手をすると、立ち直れないかもしれない危険もある。
                              バ━━ヾ(●′ω`)ノ━━イ
・・・・・・・・・
2006年08月10日(木)
1955, 片づけられない女−1
             \(^▽^*)おはよう

昨日、昼休み何げなくTVをつけると、「TV史上一番の片づけられない女」というタイトルが出てきた。
ある30代の女性の部屋をレポートするもの。チャンネルを切り替えようとしたが、どれほど酷いものか見ることにした。
1DKのドアを開けて一歩踏み込んで見て、驚いたなんでものじゃない。部屋が足の踏み場の無いゴミ箱である。
玄関のすぐ右に台所があるが、流台の高さまでゴミが積みあがっている。かろうじて、冷蔵庫を掻き分けるようにして開けると、
4年前の食品が、そのままある。冷蔵庫の上の生卵は、一年前のもの。
奥の8畳位の洋間に行く通路はゴミで、うず高く埋まっていて、1mごとに足の踏み場の空間があり、
そこをジャンプしながら部屋まで行く。部屋は、中央に布団が敷いてあり、布団の半分はゴミで隠れている。
部屋はゴミの山で埋もれている。その殆どが、食べた後のゴミを丸めたスーパーの袋で埋まっている。
4年間、一度も掃除をしてないという。臭い感知器で測ったところ、その部屋は425の臭さ(普通の部屋で25)。
ラッキョウは125で、腐った豆腐が500である。ほぼ腐った豆腐の臭さで、本人は慣れてしまい平気である。
部屋の窓は2年間、一度も開けたことが無いという。本人は「仕事のストレスなどで全く片付ける意欲がわかない」という。
精神科の医師がインタビューで、「最近の20・30歳代のキャリア・ウーマンに多い」と言っていた。
ストレスが原因で、ゴミが更にストレスを加速させているが、これが病気だから手の打ちようがない・・
そこで、TV局が呼んだ‘片づけのプロのオバサン’がやってきた。しかし、そのあまりの酷さに唖然とした。
先ずはゴミの搬出、その量が何と二トントラック一杯。お手伝いオバサンが4人加わって、掃除と後片づけをするのに
10時間もかかった。以前、行きつけの店のママの紹介で、ある女性が店を出したいと相談を受けたことがある。
ところが、偶然にその人を知っている人がいて、「あの女が店を出す!冗談でない。
自分の行きつけの店のママが部屋に行って、その部屋の汚さに開いた口が閉まらなかった。
そんな人間が店を出して上手くいくわけがない!」と吐き捨てるように言った。
「絶対に出すべきでない。一軒の店を出すのに、最低で10年をかけなくては駄目!
そう甘いものではない!」と、忠告をした。 しかし、本人その気になり開店準備を始めたが、
開店前に頓挫をして・・、その後は行方不明と聞いている。それにしても、昨日のあれは ひ・ど・い! 
他人のことを、いってられないか? 多かれ少なかれ、潔癖症の人以外は、何らか似ているところがあるだろうが。
(字数の関係でカット09年08月10日)
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2005年08月10日(水)
1590, 自民郵政解散の攻防−4

昨日の全ての大新聞の一面で、各社政治部長が郵政解散の論評をしていた。
なるほど、それぞれ一理ある。思ったより小泉首相に厳しい内容が多かった。
賛成反対の両者を配慮しなければならないためか、思い切って書けなかったこともあったようだ。
小泉の前の談合的な政治手法では思い切った改革は不可能に近い。
独裁的な政治手法しか改革を断行できないのも事実としてある。
また小泉首相のアメリカ大統領型の選挙で直接国民に問う手法は時代に合っている。
自民党をぶっ潰すだけでも、この解散はよいが、果たしてどうなることか。
あと一ヵ月後に歴史的場面?に立ち会うことができる。それにしても、民主党が政権とるつもりでいるらしい。
反自民党という意味で本来は民主党支持なのだが、今回のように敵失を待って自らの郵政改革案も出さないのは実におかしい。
消去法からいっても民主党は論外とすると、やはり小泉自民党は有利になる。
「新党」構想も早くも失速?始めたという。 自民党の郵政民営化造反組の間でささやかれていた
「新党」構想が、早くも失速。解散前までは「同憂の士で新しい流れを作る」(平沼赳夫)などと威勢が良かったが、
ふたを開けると、「公認されないなら無所属で」の声ばかり。 小泉政権の終息も見越して、
いつでも復帰できるように身軽にしておきたい、という情けない有様である。
衆院本会議で反対票を投じた衆院議員37人と参院採決で反対した参院議員22人を加え新党を作れば、
60人近い勢力になる。新党結成で、新政権作りのキャスチングボートを握る戦略をとればよい。
ところが解散・総選挙が決まると、
・綿貫が「あくまでも自民党を愛している。このまま自民党で頑張っていきたい」
・野田聖子元郵政相も「『自民党の野田聖子』を自負している。
 公認してもらう努力はしたいが、(だめなら)無所属で出る」
・「自民党が嫌で別の道を歩もうというのではない」(亀井久興元国土庁長官)
・亀井静香元政調会長まで「新党にすぐ飛びつくことはしない。自民党公認で選挙をやりたい」という様だ。
 それだけのタマはいないと改革派にバカにされていたが、その言葉通りである。
選挙結果次第では小泉が退陣に追い込まれる可能性もあり、簡単に新党はつくれない事情もある。
来年9月には小泉首相の党総裁としての任期が切れるため、「小泉が降りれば、また一緒にやれる。
政党にしてしまうとやっかいになる」というから、哀れを越えて惨めに見えてくる。
無所属で隠れて上手くいけば当選しようという魂胆である。 実質、負け戦を自ら認めた結果である。
昨日の昼のワイドショーで、藤井と小林とかいう反対派の(元)代議士が猪瀬氏に質問攻めにあい、
必死に弁明をしていたのが哀れであった。 TVは真実をそのまま映像に映し出す。
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昨日の産経新聞の「産経抄」がよい。
 ー産経抄ー
今回の解散をなんと名づければよいのか。 参議院での「郵政民営化法案」の否決が引き金となったのだから
常識的には「郵政解散」だろう。反小泉陣営からは「腹いせ解散」「自爆解散」といった呼び名も聞こえてくる。
▼確かに、法案に反対した議員を公認しない姿勢を崩さなければ、自民党は分裂選挙を迫られる。
それでなくても、平成十五年の総選挙の比例代表、昨年の参院選では民主党に敗れている。
怒りにかられて、討ち死にを選んだ「狂気の沙汰(さた)」と見えなくもない。
 (以下字数の関係でカット2008年08月10日)
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2004年08月10日(火)
1225, つれづれなるままに

・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。
 フッと思いついて、近くの図書館のHPを検索にかけたところ、その本が有った。
 図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。
 その時、「インターネットで調べることが可能なはずだが」と思ったのだろう。
 お金は少し注意すれば使わないで済む。情報化は、無駄を省いてくれる一例である。不景気になるはずだ。
・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。
 インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。
 ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、お客はそれを知っている。
 インターネットを使いこなせるかどうかの情報ギャップがますます大きくなっている。
 もう数年で、携帯電話やモバイル・パソコンで生中継の野球を見る時代が来る。
・心の帆
 「得手に帆を上げよ!」という言葉がある。人間の運命を決めるのは 心に張られた帆である。
 それも得意の帆を立てることだ。 しかし、我々を動かすのは、決して帆だけではない。
 「時代の風」である。風はその時代ごとに、向きも場所も変わる。
 今は情報化と、デフレと、グローバル化いう風が吹いている。

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2003年08月10日(日)
858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ

 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が二件たて続きに起きた。
そういうものだ。 あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。
ホテルの立ち上げを創めると、必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に身辺におきる。
本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、
その波乗りを楽しむ位でないと神経をやられてしまう。創めたからには突き抜けなくてはならない。 
その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、こういうものだと腹が据わる。
縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。
こんなもんだろうと、直視しながら一つずつこなしていくしかない。それも一つ一つが極限の出来事である。
そしてピークの出来事が重ねてやってくる。それは経験を重ねると見極めがつく。
それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。同時に「ああ今回はこの程度か!」と心の奥の声がする。
遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。これは仕事だけでなく人生一般にもいえる事である。
  一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。
  神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。

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2002年08月10日(土)
483, 経営セミナーにて  −2 

30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。
しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。2000万?はつかった。
しかし土地を二回転がし、すぐ元はとった。そういう事だけはクールだ。
ある時解った、これはレジャーだと。 レジャーと割り切っていたほうが逆に情報を受け取る事ができる。
副産物として井の中の蛙の自分を確認できることだ。 地方にいるとどうしても王様蛙になってしまう。
結構面白い人に多く会えるのも収穫だった。全国各地では、その地方では名士様がくる、それがよい。
地方にいると、そういう人を仰ぎ見るが、別にどおって事ががない。自分のテリトリーの狭さがよく判る。
常に意識をメジャー(全国区)において置かないと、経営判断が鈍ってしまう。
トノサマガエルはマイナー世界を自覚できない人の喩えだ。
情報の宝庫だが、それを噛み砕き自分の知恵に変えなくては全く価値はない。
どうしても噛み砕けず頭でっかちになってしまう。それでここ3年は行ってないが。

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2001年08月10日(金)
[104] 自己不認識

いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。
ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。
その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。ブラックジョークである。
こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、得意満面で女性遍歴を話し出す。
女性にもてるとは、解りやすい事例でいうと、女性環境に恵まれないからスナックに行って、
ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる。それを表面だけ見ていた人が誤解すること?
知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。
男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。
ある往年の大女優が随想で「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」
と書いていた。女性の場合自覚するが?男の場合,気がつかないから恐い。まあ、どうでもよい話だが。


3048,閑話小題 

2009年08月09日(日)

  * 印税は定価の一割
作家の一冊あたりの手取りは大まかにいうと、定価の一割という。
といって、一万冊売れると思って出版はしたが、半分も売れなければ、その一割が入るかどうかだ。
本を出版して一万冊売れるかどうかが目安というから(現在は7〜8000冊ともいうが)
1500円の本が、まあ売れたとして150万円でしかない。だから作家にしても、ノンフィクションのライターが
物書きで生活するには並大抵のことではない。 現在は、出版不況で総合月刊誌の休刊が相次いでいる。
  〜〜
  * モノを知らないから困るのではない
「我われは、モノを知らないから困るのではない。知っていると勝手に思い込んでいるから困るのである。」
 という名言がある。その上に、知っていることが、実は間違っていることもある。
 「人は、それぞれが知っている範囲の中でしか、理解しえない」ということも最近つくづくと思うことだ。
 結局は何にも知らないも同然だったということだ。特に他人に対して、それがいえるのでは。
 知っていたつもりの人が、全く知らない一面というより、多面を持っているのを知り度肝を抜かれることがある。
 我われがインドのカースト制度の差別社会を見るとき、それは実は気づかないだけで、日本でも歴然としてあること。
 自由、平等、そして思いやりのある博愛、等々は全部ウソ。 それを知っているつもりで、実態は不自由で、
 身分社会が厳然としてあり、大方が金で左右される取引社会の真っ只中にある事実が見えてないだけ??。
  〜〜
  * 昨夜は高校の同級会
 昨夜は、高校の同級会。 幹事だったので気を使ったが例年通り盛況に終わった。
 出席が15名。 ドタキャンが一人と、連絡なしの欠席が一人。 二次会は6人出席。
 ドタキャンもあろうと会費を千円を上乗せをしていたので何とか凌いだが、 問題の二人は、
 これまで一度も出席をしたことのない男。 亡くなった山田君の奥さんに三回忌という名目で出席して貰ったが、
 故人も喜んでいただろう。 それより故人の奥さんが、その場に馴染んでいたので安心をした。
 驚いたのは、奥さんも含めて無職が一人だけのことだった。 自営業が半分以上ということもある。

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2683, iPhoneは、超小型パソコンだった! −3
2008年08月09日(土)
  −Phnoe の経過報告

これが気に入っているのは、携帯電話に馴染めなかったことが大きい。
ボタン入力が苦手なこともあり、気楽に弄りまわせないでいた。
それより気楽に電話をかけたりメールを出す相手がいないこともある。
家内が昨年の春に初めて自分の携帯電話を持ったとき、嬉々として使い出した。
妹とメールの遣り取りを遊び感覚でしはじめた。土日の暇なときに、「いま、暇。何してる?」
とかをメールで入れたり、私がTvを見ている前で、ワンセグで他のTvを見たりしている。
それに比べ私など二日に一度あるかないかの電話機能しか使ってないし、金・土曜日のホテルの
宿泊数の報告をショートメールを週末にもらう位。 
実のところ、「外出時に持っていると安心できるのが唯一の所有理由」というと、言い過ぎか??。
しかし、iPHONEは面白い。 使えそうである。 いや、遊べそうだ。GPSナビゲーションを使ったことがないため、
これが意外と面白い。直感的に気楽にタッチすれば、どの機能にも飛んでいけるのもよい。
このマシーンは、アップルのジョブスが、さあ使ってみたら?と、語りかけているようだ。
電話機能、iphone機能、情報端末機能、の3つが柱。 電話機能も抵抗無く使える。 
(しかし、ショートメールがドコモの携帯などに送れないのが弱点。)文字入力のタッチパネルは、
これまでの中ではベスト。まだ慣れてはいないが、量をこなせば使いやすくなるだろう。少なくともボタン入力よりは。
ところで今年に入ってMacファンになってしまった。会社の机の前にも、自宅の居間の机の前にも、
オールイン型のiMacを設置。同時に携帯ステレオiPodを購入、完全にMacの世界に取り付かれてしまった。
そして、このiPhoeである。 当分は手に入らないだろうと思っていたが奇しくも入手。
二週間経つが、やはり何かが違う。 未来が、凝縮して、ここにある!という感覚である。
パソコンのデスクの画面が、そのまま手の平のマシーンに表示されるのが奇妙である。
私のブログを幾つか表示してあり、外出先でみている自分が不思議な気分である。パソコンのデスクがそのまま
凝縮して胸ポケットサイズになり、携帯電話とナビとカメラが入ったマシーンになったのである。
触っているだけでSFの世界に入っているような一番ショックだったのは、日本の携帯電話メーカーだろう。
特に、ソニーは。 やはり、創業者のジョブスでなければ、これは創れなかった。
ワイヤレス式のタッチ超小型パソコンのため、問題が無いわけがない。
しかしパソコンの問題処理のストレスから見たら、数十分の一でしかない。
使い込んで、一つずつ問題解決をすればするほど、親しみを覚える。
それにしても、初歩的な登録の入力などに大きなエネルギーを要している。
とにかく携帯電話やゲーム機を使い込んでないため、それすら大きな壁になる。
昨日、知人に手伝ってもらい登録や、不都合の部分を解決してもらった。
これで、今月中に8割?がたは使えそうだ。  最後に一言、凄いマシーンである。

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2007年08月09日(木)
2319, 5次元世界が存在する?
   ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ
        
何かSF的な話か、新興宗教の本に出てくる異次元の話が、たまたま見ていたNHK・TVで放送していた。
「エッ、何?」と注目してみた。あと数年もしないうちに「『5次元の世界』が発見される可能性がある」という。
来日中の理論物理学者のリサ・ランドールがNHKのアナウンサーと、朝から異次元を語っていれば、私でなくても
誰でも驚くであろう。彼女は、いま全米が注目する物理学会のニューヒロインで、5次元世界の提唱者。
加速器を使った粒子の衝突の実験で、消えてなくなる素粒子が存在することから、
その理由を探しているうちに5番目の次元に移動するのでは?と、思い至ったという。
5次元の世界は私達が触ったり、感じたりはできないが、物理的には必ず存在するという。
3次元空間の中にスライスされた2次元の平面(膜)が無数にあって、その膜のひとつに私達や銀河が
張り付いているようなイメージという。 これは「超弦理論」の「M理論」に非常に似ている。 M理論とは、
「プレーンとプレーンの間は唯一重力が伝播されていて、あるときプレーンとプレーンが何かの要因で
接触すると莫大なエネルギーが解放されてビッグバンが起こり、新たな宇宙(プレーン)が発生する
メカニズムを理論化したもの」 M理論は11次元の超重力理論であり、ランドール博士の5次元宇宙と何処が違うか 
私の知識内では理解できない・・ ランドールは子供向けに数式を使わずに「ワープトパッセージ」
という本を書いていて、全米の科学分野でベストセラーになっているという。
20年位前に、NHKがシリーズで壮大な「宇宙」についての番組を放送していた。
その中で、「ブラック・ホールが周囲の星など何もかも吸い込んでしまうが、その宇宙の歪みからできた穴の行き先は、
この宇宙とは違う宇宙に通じている。」という説を紹介していたが、それにも通じるのかも知れない。
その時、その別宇宙への目に見えない管が我々周辺にも満ちている、と。
それにしても、数年以内に5次元世界の存在が証明される?現実的には信じがたいことである。
発見されれば、科学にとって、いや人類にとって衝撃的ニュースになる!
別宇宙の空間が我々の周辺に満ちている?そんなバカな!
                          (≧∇≦)ノ~~~マタネー
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2006年08月09日(水)
1954, ある首斬り役人の日記 −1
           (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ!         
                     −読書日記
 「ある首切り役人の日記」 フランツ・シュミット/ 訳・藤代幸一  白水社
 −そろそろ、お盆! 少し背筋が凍りつく内容もよいだろう!ー

何気なく図書館で借りてきた本。少し気味悪いが、人間の極限における生々しい姿が書かれている・・・
初めは事務的に時系列の処刑の記述が、時間が経つにつれて具体的に
リアルになっていくのがわかる。 しかし汚職とか、政治闘争の結果の死刑は見当たらない。
16世紀に実在した、死刑執行人の日記で、自分の仕事内容を記録したもの。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、ドイツで刑の執行を行った親の代からの首切り役人フランツ親方の日記で、
剣と綱で生涯に361人の処刑をした。他にも鞭打ち・指切りなど死刑以外に彼の手にかかった処刑者は345名である。
彼は日記を書くにあたり、極力個人的感情を入れないようにしている。
だから真に迫ってくる。1~298まで、それぞれの犯罪と死刑の方法を書いている。
そして年末に、その年に処刑した合計数が書いてある。日記と言うよりは記録の書といってよい。
・犯罪の種類として、追い剥ぎ、泥棒、殺人、嬰児殺人、同性愛、近親相姦、詐欺、教会からの窃盗(罪が重い)・・・ 。
・刑は、打ち首、絞首刑、車刑、火刑から、追放刑、むち打ち、腕の切断、指の切断、耳の切断等々、
 現代からみれば残酷のものが多い。当時はこれは当たり前の処刑であった。権力者の見せしめの意味が大きかった。    
 死刑の中で、首切りは苦しまないで瞬時に絶命するので一番望ましいものだった。
 お慈悲により首切りの刑に処したと、ところどころにある。犯罪も、どこの町や村に住む人が、
 いったん暗転をしたとき、こうなるに違いないドラマを、そこにみることが出来る。
 この原書は、首切り役人・フランツ親方の日記である。散逸してしまったものを掘り出して公にしたのが、
 同じニュルンベルクに生まれた法学者のフリードリヒ・フォン・エンターである。
 かれは1764年生まれ、1789年に法学博士となり、弁護士を開業している。この書により、当時の社会の庶民の姿が
 垣間見れる。 グリム兄弟などの当時の作家が、この本を見て幾つかの作品のヒントにしている。
話は変わるが、吉田松陰の処刑の逸話がある。それまで悟り済ましていた松陰が、いざ首切りの時に、
恐怖で転げまわったりして抵抗したあげく押さえつけられ、やっとのこと首を落とされたという。
人間的でよいが・・・
 ーー        
‘何故、わざわざ気味の悪い本を読むのか?’ですかって。
400年前の、ドイツの生々しい人間の叫びと、庶民の哀しみの姿が垣間見ることが出来るからだ。
またフランツ親分の首切り人生を通して、一人の男の背後に控える膨大な闇が見えてくる。   
次回は、その日記の幾つかを抜粋してみる。                ーつづく
                       ヾ('c_'ヽ,,)*.:      
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2005年08月09日(火)
1589,自民郵政解散の攻防−3
(字数の関係でカット2008年08月09日)

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2004年08月09日(月)
1224, 広松渉ー哲学について −26

広松渉の「新哲学入門」を私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。簡単に加工可能な
デジタル社会の現在、存在・認識・実践そのものを根底から考えなければならない時代になっている。
荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から醒めた男が「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。
「蝶が人間になった夢が現実」とすると、見えている事実は脳内の作用でしかない?
TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう可能もある時代である。
この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、最後の章の
「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
  −−−−−−−−
 第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると構図が見えやすくなる。
社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
                           *ー私の感想である
 ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて幕場的状況がまずある。
−−神といった超越的「劇作家」の存在を考える立場もありますが、
これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。
人生劇では[舞台]が大変に広く、観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。
*人生を徹底的に、舞台劇場として自分を醒めた目で書き出してみると、全く違った見方ができるだろう。
長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」の存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果といえる。
何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。
 〜〜
ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。
いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の代数和のように扱われがちです。
確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの介在によって初めて成り立ちます。・・・
今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。畑は彼自身が拓いたものではなく、農具も彼自身が作ったものでなく、
農耕動作も彼自身が案出したものでありません。いずれ他人が作ったものです。
行為は、本質的には、協演的存立構造にあるものと看じます。行為の協演性とは、行為が役割分担ということです。
・・たとえば、[ハムレット]という劇は、先王役、新王役、ハムレット役、といったまさに「役・割」
によって成り立っています。・・・人々は幕場的情況に相応しい仕方で、余程の場合以外は、期待された行動以外は
「ナチュラル」に遂行する態勢を形成しており、共演者どうしはおたがいに相手を
「当方の期待する所作を当然体現する筈のもの」と覚識する。*劇である限り、何らかの形で行為の協演性がある。
行為が役割分担になっている。それはそれぞれのお互いに期待された役を演じるということだ。
その中でも、それぞれの個性ー主体がある。
 〜〜
ー役割行動と「内自的主体」
(字数の関係でカット2009年08月09日)
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2003年08月09日(土)
857, 閑吟集-チロリチロリチンチロリ

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)
 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や(52)
 夢幻や 南無三宝 (53)
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
   ー 大意ー
世の中は、ちらっと、瞬く間に過ぎる ちろり、ちろりと。
浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。古希まで生きられる人間が「古来まれ」でもかまわない。
「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、
すべてを肯定して「狂へ」ばいい。ー数年前にこの「閑吟集」の一節を読んで、この歌の中に流れている諦念と
反面、強烈なエネルギーにショックを受けた。その翌年の年賀葉書に書いて出したりもした。
またコピーをして、知人に配ったり、手帳にはさんで、この一節を暗記をした。、
そして数ヶ月間近くいつも口ずさんでいた。たまたまモロッコ旅行の飛行機やバス移動の中で一人口ずさんでいた。
その時の自分の気持ちをそのまま歌にまとめてあるようだった。 一種の無常観を歌っているし、
「ちろりちろり」には茶化したユーモラスな感じが漂っているのがよい。「ちろりちろり」と人生は
あっという間に過ぎていくものよと、諦念混じりに笑っているのが心の琴線に触れてくる。
 反面、強烈な現世肯定の歌にもとれた。 「狂う」とは常軌をいっした行動ととれるし、、
ある物事に集中する意味にもとれる。 びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るより、
ただひたすらに「狂う」ように集中して生きろと。この世の儚さをそのままに受け止め、
一期の夢と見切る覚悟があればこそ、人は「狂う」ことが出来るのだ。
読み人知らずの作者が5百年近くの時間を越えて語りかけているようだ。
「世間」を「男女の仲」の意味もあり、そう解釈するとまた意味が違って来る。
「ちろり」は、昔、酒を暖めるのに使った、「銚釐(ちろり)」という道具を連想すると、
男女の交わりを暗示していることになる。

=あるホームページの感想文をコーピーした=
 ー宇羅道彦の「春風録」
断言命題/現代状況構造分析*「閑吟集」より
(以下、字数の関係上カット2008年9日)
 
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2002年08月09日(金)
482, 毎日が刺激的

下の息子に一昨日、電話をしたら自分の会社が買収されてIBMになるという。
Pwc−プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社でナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。
まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。
アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが消滅寸前。
会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。
全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。二分割して吸収される。
入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。外資系は劇的なことを平気でする。初めからIBMに入社したと思えばよい。
しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。またゼロから再教育は最低必要条件である。
本人は長い目でみたら、よい勉強になる。外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。今回IBMのホームページを見て、初めて知ったが
100?出資が子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。

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2001年08月09日(木)
[103] センチュリーベーカリー
  −昭和50年3月〜8月31日ー

ほとんど他人に話した事がないが、焼きたてのベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいかみた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’に目をつけた。
冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの子会社の蝶理という会社が、
このフランチャイズをやるという新聞記事をみて早速やることにした。
東十条にある関連のパン屋に朝4時に起きて、二カ月オープン!
何時ものように、パニックそしてーー。素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出てくる。
その時期、長岡の実家で問題が生じ帰ることになった。第三者の経営委託に切り換え急遽長岡へ。
恐らくあのままやっていたら3〜4年で行き詰まったのではないかと思われる。
しかし若さか今考えてみると良くやったと思う。苦し紛れで‘開発型委託経営ビル’を造った事になった。
考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと12年近く、全く未経験の体験の自己配転していたことになる 。


3047,自信過剰な人

2009年08月08日(土)

 
  異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、
 それが自分の実力を超えた思い込みでは、自滅する確率は高くなる。
 やはり身近で自信喪失の人もいるから、その両者の断層から多くのことが見えてくる。
 世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立っているし、人生はその交互作用でもある。
  この不況の中では「私」は、少々自信喪失気味だが、そのぐらいの方が良いのだろう。
 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しである。
 失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。
 大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・
   ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を過小評価し
 (「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、成功の確率を主観的に
 高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、いくつもの可能性を残しているにも
 かかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 そこへ追加的な情報が与えられても、
 自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲がそれほど広がらない。
 たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう(予測が外れるのは数%と判断しても、
 実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的解釈の原因でもある。 》
  こういう実験がある。
 質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
 この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果が出てしまう。 
 それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリックが潜んでいる。
  新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。
  何もしない人間の壁を見ているからだ。しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。
 この心理トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。 許されるのは若いうちだけだが。

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2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −2
2008年08月08日(金)

 この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は、断層の時である。
自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らしているのである。
この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊が始った。
アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
 ー目次ー
 第一章  動き出した「悪夢のシナリオ」   
   神の怒りに触れた人々   25
   バブルの顔はどれもよく似ている  27
   底なしの住宅価格  30
   売れない車と凍りつく個人消費  33
   急上昇する「原油価格」と「失業率」 35
   始まった自治体の連鎖財政破綻  38
   密かに進行する恐慌化一〇のプロセス  41
   「悪夢のシナリオ」は止まらない  51
   賞味期限切れの欧米中心型金融システム  55
   ドルの未来  58
   アメリカは滅び、ドルは強くなる  61
   「M」が示すマネーの暗号  63
 第二章  UBSとベアー・スターンズの転落 
   「証券化」という錬金術  69
   UBSオスペル会長の末路  73
   「ローカル銀行」の栄光と挫折  76
   サブプライム誕生の秘密  79
   「証券化」を前提にしたビジネスモデル  82
   バブルは、すべてを失って初めて気づく  85
   「死に体」ベアー・スターンズの異例すぎる救済  88
   どこかで聞いたセリフ  91
   エリートを待ち受ける訴訟の嵐  94
   120兆円に向かって積み上がる損失  97
   「質は日本のバブル崩壊によく似ている」  100
   パプル処理コストは十五年 二〇〇亮円」  104
   「有事のドル」から「有事の金」へ  107
 第三章 宴の最中に始まった「中国バッシング」
   中国の急減速  113
   アメリカに依存しすぎた中国経済面  116
   失敗だらけの中国の巨額投資   119
   中国パッシングが始まった   121
   「脱中国」の動きは止まらない  123
   中国の外堀を埋める東南アジア   127
   毒鮫子事件とチャイナリスク   129
   中国政府が隠す「不都合な真実」  132
   資源を盗掘し続ける無法国家   136
   四川大地震は人災か?   138
   地下資源を狙ったチペット弾圧   141
   中国投資熱はとっくの昔に冷めている   145
 第四章 絶望のドバイ
   原油価格はドル相場と逆相関に動く   149
   利下げ、ドル安、原油高のドミノ倒し   152
   原油価格高騰の真犯人   154
   産油国政府系投資ファンドの正体   156
   中東の出資は「追証」!?   160
   世界最大の国富ファンドは日本にある  162
   アブダビ投資庁の九割が外国人職員   165
   原油価格高騰が招く食料インフレ   168
   次世代エネルギー開発のチャンス   171
   日本企業から続々生まれる代替エネルギー   173
   石油がほとんどいらないエコ住宅   176
   公開実験に成功した夢の「個体隔融合」  178
 第五章 恐慌の錬金術ー二〇二五年までは金と金鉱株の独歩高
   (字数の関係でカット 09年08日)
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2007年08月08日(水)
2318, 岸洋子の世界        
      おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん!
            
一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。
彼女は十数年前(1992年)に亡くなったが、今でも強い印象が残っている歌手である。
番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に見ごたえのある内容であった。
早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。
波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、その時々の歌の録画を構成していた。
そのエピソードを聞きながら岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。
その歌の合間の石井好子と菅原洋一のコメントが好い。
菅原洋一をして「全ての面で、彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」
と言わせている。 菅原は私の大好きな心の歌を多く歌っている。
最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。菅原洋一のコメントを聞いて、
彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。
彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた歌であった。
石井好子の彼女への言葉、「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声がかすれようが、
その心は相手に伝わるものです。彼女の歌は、それを感じます!」が好い。
好きな人と別れ、その人がパリに行く。その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、彼と会わずに帰ってきた。
パリのタクシーの中で聞こえてきた歌を、日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。
たしか「恋心」だったが・・・一人の誰かを思い浮かべ感情を込めて囁きかけていたようだ。
その囁きは全ての人にも通じ、奥深く振動する。そのナレーターの話を聞いた後に、彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。
世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは「日常の牡蠣の貝殻」が、コビリツイテいるから。
 たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間(魂の入った、感動した時間・・)
がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっているのである。
この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。
「感動を、子供にシャワーのように浴びせてあげなさい!それが親の一番の努めです」という。
大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・それが自分への一番の勤めです。                     
                 ~~~ヾ(*'▽'*)o マタネー♪
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{BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 − 8月6日(月)BS2 午後7:45〜9:15}
日本の歌謡界に大きな足跡を刻んだ歌手の魅力に迫る歌伝説シリーズ第6弾。
(字数の関係でカット 09年08日)
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2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える−22
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning
                    ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える −2
    ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー

アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に
東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスがカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニアの遠征は
行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は無理と見た土地である。
長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征プランを立てて実行に移してしまった。
そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなっていたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。
アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウスによってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 
前任者の方針を破棄するのは難しい、それが創業者であれば尚のこと。ところがティベリウスは、思い切って転換してしまう。
 ーなぜローマ人は法を求めたのかー
ローマ人の「システムとは絶えず補修、改定していくものである」という思想の表れているのが、
法律に対する彼らの態度である。著者は「ローマ人の物語ー? 」で、次のように書いている。
「人間の行動原理の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシャ人。
法律に求めたローマ人。この一事だけでも、これらの三民族の特質が浮かび上がってくるくらいである。」
「行動原理の正し手」とは、わかりやすく言えば、何をもって善悪の判断基準にするか、ということ。
ユダヤ人は昔からの唯一絶対神を信じるコミュニティを出ようとしなかった。
ギリシャ人はその哲学の象徴的思考を理解し問題意識を共有できる都市国家の枠を出ようとしなかった。
ローマ人が宗教でも哲学でもなく、法によってみずからの行動を律しようとしたのは、ローマ人特有のメンタリティで
ある敗者も同化するという特質に大いに関係ある。ユダヤやギリシャ人に対して、法は違う。
同じ信仰を持っていなくても、同じ知的レルでなくても、法といういう同じルールを守っていれば
一緒に暮らしていける。王政の時代から、ローマ人は様々の民族や部族をローマの町に招き入れた。
 ーー
私見になるが、現在のアメリカの強さは、移民をどんどん受け入れて法律で束ねているところにあるのではないか?
日本も、島国の特性を活かすために、このまま移民を極力入れないでいくか、それとも、法律の下、
どんどん入れていくのか、決断の時である。このインターネットの時代、前者を選ぶことは国家の破滅になるだろう。
ローマ帝国の歩んだ道を選ぶしかないが、あまりにも体質にあわない!
日本の未来は厳しい! 私たちの生きた時代が、日本にとって一番良い時代だったのだろうか?                                 ( ^-^)_且~~~

・・・・・・・
2005年08月08日(月)
1588, 自民郵政解散の攻防−2

郵政改革法案で、今日一日は大きなドラマになるだろう。
昨日の日曜日の生のサンデープロジェクトなどのモーニングショーは、
今後の流れに大きく左右する。 各局は、ほぼ郵政改革を支持していた。
やはり予測していたとおり、旧守派への弾劾になっていた。今までの大きな政府か、小さな政府か、の選択である。
民間が血の出る思いでリストラをしているのに、政府はそのままなど許されるわけがない。
いくら国民の民度が低い?といっても、この程度の判断を国民ができないと思っているのだろうか。
日経新聞をはじめ、大新聞も郵政改革賛成である。もし否決されたら、小泉首相は選挙で直接国民の真意を
問うべきである。政治空白が問題などいっていられない。利権を守ろうとしている旧守派の哀れな姿は滑稽でさえある。
衆院の反対派が、逆に必死になって参院の反対票を潰している?可能性がある。彼らには、そこの浅い利権の
政治屋のエゴしかみえてこない。政治の世界に対して興味は持たないほうだが、今回だけは違う。
もう改革は待ったなし、否決されたら衆院は即刻解散しかない。それにしても、緊迫した面白い一日になる。
戦後体制の総決算の選挙といってよい。旧守派の整理の丁度よいタイミングになる。

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2004年08月08日(日)
1223, 思い出のメロデー

お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、
生の番組みの迫力がよい。今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。
どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。「歌は世につれ」というが、
その時代を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。
歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。
思い出の歌は魂の故郷である、お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。
終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、当時流れていた歌が特に懐かしい。
そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。
本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、
いつもラジオから流行歌が流れていた。当時の歌を聞くと、感無量になる。
それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。
時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。

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2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本

 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、
日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
そしてあまりの悲観主義ゆえか三菱総研の理事からおろされてしまった。しかし大筋として彼の言ったとおりでる。
「数年前は地獄の釜の蓋が開いた!」と言っていたが、今は「地獄の釜の熱湯が溢れ出てきた!」といいたいだろう。
「日本経済の破断界」によれば今頃は恐慌でパニックに陥っているはずだが。
彼はむしろ早くパニックになるか、一時銀行を国家管理をすべきと言っている。
地方の私の事業の立場からみても、明らかにデフレスパイラルに入ってしまった
と実感する。総事業費の3分の2近く返済をしているのに、借入金は借入当時より重くなった感じがする。
デフレスパイラルの直撃を受けているためだ。なす術がないとも言っていられないのが事業である。
銀行の露骨な貸し剥がしなど水面下でおこなわれている。このお盆は、経済の先行きをじっくり考えようと思う。
以前書いたものと、検索で調べたものを以下にコピーしておきます。
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『日本経済、価値革命のうねり』
―恐慌の地響きと収縮する国の姿  高橋 乗宣 (著)
ーレビュー
この国が、完全に収縮を始めるまでにあと3年、時間がない!
未曾有の恐慌を受けて立つ、あなたの備えは万全か。日本経済が直面している
まやかしの改革を抉り出し、新しい経済のパラダイムの導出を試みる。
  (以下、字数の関係でカット 2008年08月08日)

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2002年08月08日(木)
481, ある信条 -経営セミナーにて

30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。
700人の席の一番前の真ん中にいつも座って聞いていた。
この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。
見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。
テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。
香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話であった。その信条がよかった。
「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」
を常に自分に言い聞かせているとのこと。なるほどな!と思った事を憶えている。
ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、いつもブッスとしている。
 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。考えてみれば、自分でもある。
ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。もちろんいるが80?が合致している、いや90?か。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。しかし、誰もが持っている要素である。
だからあれは自分の事ー影と言っている。先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。
その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!だった。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、
フットワークの社長、100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。

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2001年08月08日(水)
[102] 夢について−6

これまで夢について書いてきたが‘天女二人とセックスをした夢’の事を書こう。
20年近くなるが私の元部下の大森という人が亡くなって、暫くして大森さんしのぶ会が開かれた。
彼の人柄もあって4〜50人が集まりスナックで盛大におこなわれた。非常に気持ちの良い会でもあり、かなり酒も入った。
その夜天女二人とセックスをした夢を見たみたのだ。翌朝目を覚ました時、これは彼なりの方法でのお礼なのだと
確信をした。(今から考えると勝手な解釈かもしれないが)この話をすると年配の男の人にうける、
思い当たるふしがあるのだろう。夢としても感覚にしても、これ以上ないことは誰もわかることだが。夢は面白い!
学生時代の寮の友人に、夢コントロールのできるという男がいた。
夢の中で寮の中を歩く事ができるという。吉永小百合とも寝る事が出来るとも言っていた。
少し内容が露わか?


3046,卒業40年周年か〜 −5

2009年08月07日(金)

 
 40年前に奥野君と何を話したのかを知りたくなって、「分類のコーナー」の中の検索で『奥野君』を入れたら、
その当時の文章が出てきた。 これは一度書き込んでしまえば、直ぐに出てくるから便利である。
この3000の随想日記は私の人工頭脳?のストックの役割を果たしている。
当然、みすぼらしいのは自覚している。 いや、自覚せざるをえない、というのが本当のところ。
ところで4時間も何を話したのだろうか? 当時の日記を読んでみて、書き残しておく重要性をつくづく思う。
言葉として残しておくと、それを糸口として40年の時空を超えて、当時の光景が昨日のように蘇ってくる。 
現在、日記を「10年日記」など何種類か書いているが、このような心情を、そのまま書くものはない。
いや、もう書けなくなったのかもしれない。 20歳半ばからも日記を書き続けておけばと後悔をしている。
 この随想日記は良いメルクマールになっているが、心情ではない。                  
 
ー11月19日ー 1968年      2003/11/22
・11時起床。 13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然に訪ねてくる。
 1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかった人だが、専門課程になってから疎遠になっていた。 
 話をしたかったのだろう。 人生について、倫理観について、その後読んだ本で感銘したことを
 必死に話をしていった。 特にケネディの自伝に感銘を受けた、というのが印象的であった。
 見違えるように自信を持ったように見えた。 男っぽくなったという言葉がピッタシだ。
 4時間ばかりして帰っていった。 もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。
 アパートから一時間以上かけてきたというから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
・それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。 聞き役に徹していることもある。
 それと大学最後の時が来ているからだろう。
・武沢先生にいわれて急こしらえに親しい女性をつくろうとしても無理。
 といってチャンスは幾らでもあるが。理想と現実の乖離か大きすぎるのだ。妥協はしたくない。
 ーー
 最近になって知ったことだが、女性は同じレベルの学校ではなく、一〜二ランク上の男を狙う。
だから当時は妥協できなかったのである。 それと姉達のレベルより下げることができない
シスターコンプレックスもあった。 四人の姉は、地方では、それなりのレベル?だったので、その眼もある。
一つの判断が人生を大きく左右する時期で、ふりかえってみると非常に緊迫した日々だった。
この齢になったためか、一年前も二十年前も、四十年前も大して変わらない感覚になってきている。 
過去という一つの袋の中味が一年前も五十年前も大して問題ではなくなったというイメージである。 
死期を悟った時に、これがもっと強くなるのだろう。 
この時期の日記を読み返すと、当時は人生の使用前。 今は使用後。 という感? 使用後というには早いか?
 学生時代は、社会に出る前の予備訓練期というのが、みてとれる。

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2681, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 −1
2008年08月07日(木)

  「マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術」 松藤民輔著
                        -読書日記
この数ヶ月以来、この人の本は三冊目になる。「無法バブルマネー終わりの始まり」「世界バブル経済の始まり」
を読んで、世界と日本の先ゆきに唖然としたが、更にこの本はショッキングな内容である。
金山を買って、大もうけして、更に金のブームを起こしたいのだから、力が入っている。
 世界経済の危うさは誰の目にもハッキリしている。金鉱山の投資家の切口から社会の潮流を見ると違ってくる。
まずはーはじめにー の以下の部分から
   〜〜
さて、いまが本当に金融恐慌の入り口なのであれば、身をすくめてこの「嵐」が通りすぎるのを待つしかないのか?
けっしてそんなことはない。ものは考えようである。いつの時代も、運の女神は前向きに創意工夫する人間をサポートしてくれる。
恐慌とは、あらゆる「プロ」が負ける時代を意味する。従来の投資法が通用しない時代を意味するのだ。恐慌が本格化する前に、
この恐慌を逆手にとってひと財産築いてしまえばいい。 そのためのポジションを早急に準備すればいいではないか。
金融恐慌を前に、わたしたちがとるべきポジションは「金」と「金鉱山株」しかないと思うが、どうだろう。
これは、過去の大恐慌の歴史のレッスンでもある。 投資で勝つ鉄則は、「真似る」「学ぶ」「待つ」という3Mにこそある。
十五年間、わたしはこの恐慌を待っていた。 それは、いまかいまかと「恋人」の登場を待っている気分に似ている。
いま、金は、一九八○年の最高値一トロイオンス1875ドルをあっさり超えて、1000ドルを挟んで上下しているけれども、
金融恐慌が本格的に始まれば、あっという間に二〇〇〇ドルの壁を超えていくにちがいない。
わたしは一九九三年、ソロモン・ブラザーズ証券で当時得ていた二億円の年収を捨て、ペーパーマネーの世界から
実物経済(金鉱山事業)の世界へと身を投じた。いまや北米をはじめ、世界のあちこちで鉱山を経営している。
普段はヘルメットをかぶって、地下二〇〇〇メートルの鉱山で金を採掘している。
つまり、パソコンの前で金や金鉱株の動きに一喜一憂している「投資家」ではない。
自らリスクを負った経営者として、現在のこの金融恐慌に向き合っている。
いずれにせよ、もしもこの恐慌が最大級のものならば、リターンも最大級のものになる。
そのとき、恐慌は、わたしたちにとって「恋人」から「恩人」に変わっていることだろう。
 〜以上だが、更になぜ、私たちが恐慌のトバ口に立っているかを次ぎの5つをあげている。
  ーサブプライム問題は、まだ片付いてない。
  ー金融機関の倒産は、これからが本番
  ードルの転落
  ー原油高、資源高、食料高の三重苦が始る
  ー「有事のドル」の伝説崩壊
〜次回は、この本の目次を俯瞰しながら考えてみる。

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2007年08月07日(火)
2317, 「朝青龍」問題について
         オッ☆ o(≧▽≦)o ハァ〜

ここで扱う問題ではないが「戦後最強?の横綱」が「ノイローゼ」一歩手前がテーマとして面白そうなので取りあげてみる。
幼少のときから父親に大相撲が地方巡業で来ると何度も連れて行って貰ったこともあり、ラジオの大相撲放送を聞いたり
新聞記事をみていた。私がみてきた50数年間の力士の中で「朝青龍は戦後最強の力士」として認めている。
他に強いのがいなかったこともあるが、それだけでない、あれは強い!
外国人に大相撲を開放した時に、協会は文化の違いによる騒動は覚悟をしていたはず。
それも一人横綱ということで、朝青龍を協会の親方衆は極限まで我慢をしてきた。
しかし白鵬という二人目の横綱が出来たことで状況は変わった。それまでの彼への我慢が爆発をしたのである。
いや正論を言えるようになったのである。あの気力と、瞬発力と、抜群の筋肉は日本人とは違う体質である。
その上に、ハングリー精神は現在の日本の環境では出来るわけがない。強いのは強いのである。 
それはさておき、入門時に相撲道の精神を徹底的に教えなかった協会に問題がある。
「大相撲は神事」が前提であり、その前提を守らなければ追放すればよい!
今回は追放が当然である。 迷っている方がおかしい。
個人的には、戦後最強の横綱には悪役としてでも残って欲しいし、若手力士の前に立ちはだかって欲しいが、
ここまでの好き放題は「神事としての相撲道にとって百害があって一利なし」である。
北の湖理事長の人間としての未熟さが、そのまま協会としての態度を甘くした。
さらに元朝潮の高砂親方が輪をかけて甘い。いずれにしても、引退は避けられない事態である。
何事もなかったように処理することこそが問題だが・・・日本の部数トップ誌の読売新聞の一面トップ記事で
「引退勧告」と書かれて、誰が土俵に上がることができようか?外国人なら過去の因縁が無いからありうるか?
横綱審議会とかいう「(大)変な集まり」が、この場面の出番じゃない?のか。
保身で生きてきた各界トップの教養人達は、こういう時は沈黙を保つものだ。
何度も「辞めさせるべき行い」があった時に、殆ど口出しをしなかった。
今回は即刻「理事長と高砂親方の辞任と、朝青龍の追放を進言した上で、彼ら全員が辞任すべきである。」
それが、当たり前。 何のために存在しているか、それすらも考えられないレベル? どうなの??
しかし現在彼が辞めたら、つまらなくなる!
あの相撲にかける気合は、人間離れした稀有な存在であり、相撲にかける情熱は尋常ではない。
辞めるに辞められない、辞めさせるに辞めさせられない、ってのは何処かの首相と同じじゃない?
これも文化・文明の違いによる相克か! おふたりの心の葛藤が直に伝わってくる・・・
一番好いときこそ魔がさすが・・・ 二人の共通点は進言する人物がいないことだ!
帝王学など有ろうはずは無いが、あるなら孤独にならないと!モンゴルに帰りたい??
帰ったら、辞めてから。 いや辞めれば、全てスッキリする。                   
                              ばいばい☆ヾ(=・ω・=)o
・・・・・・・
2006年08月07日(月)
1952, ローマから日本が見える−21
            ー読書日記ー
  第九章 ローマから日本が見える −1

さて、最終項である。この読書日記を書いていて、自民党を中心としてきた戦前からの官僚システムが、
共和制に酷似していることに唖然とした。それも二代目・三代目が恰も共和制度の破壊者という顔をして、
そのじつ国民を欺いている現状を鳥瞰できる。
小沢一郎も同じ穴のムジナだが、しかし本気で壊そうとしているだけマトモということか?
 ー「リストラの」名人たち ー
BC753年の建国から始まっておよそ8Cにわたるローマの歴史がこの本の主旨であったが、ローマ人は「リストラ」
に長けていた民族であった。事業縮小や、撤退、人員の削減といった消極的な改良ではなく、
本当の意味でのリストラクチャリング、すなわち再編成なり再構築に何度も成功したからこそ、
ローマは千年の歴史を持つことができた。本書の中で取り上げた中でも大きなものだけで、数えて三回あった。
・最初は、王政から共和制への移行です。
 BC509年、ルキウス・ユニウス・ブルータスによって第七代王「尊大な王タルクィニウス」が追放され、
 以降は一人の王に代わって、執行官が毎年二人ずつ選出された、この二人が国の政治の最高責任者になった。
・二度目の改革は、BC390年に起こった、「ケルト・ショック」を機に行われた共和制体部の改革である。
 貴族と平民との階級闘争も終わり、ローマの再興を果たすため政府の要職を平民に開放する決断もこの時に行われた。
・そして三度目の改革は、帝政の移行であった。
 カイサルがその設計図を引いて、アウグストゥスが、そのとおりに石を積み上げていくことであった。
  ローマの改革は、もちろんここで取り上げた三つだけではない。
・BC494年から始まった護民官制度、ポエニ戦役ごの「混迷の時代」にグラックス兄弟やマリウスやスッラが行った
 諸改革は、数えればきりがない。
 ローマ人にとっての政治システムは、ローマ軍の補修と同じく「メンテナンスすべきもの」であったということ。  
・哲学的思考によって真理を追い求めようとするギリシャ人とも、
・一神教の絶対神を信じるユダヤ教やキリスト教の信者とも違って、
 ローマ人はこの種の「絶対」は馴染まない。どれだけ優れたシステムであっても、人間が作るいじょう、
 かならず欠陥を隠し持つという現実的な感覚を、彼らは持ち続けた。
ある意味で、ローマ帝国史における経験は、人類にとっての大きな遺産の宝庫である。多民族が入り乱れる欧州で
1000年以上も帝国を存続させたシステムは、現代でも、いや現代こそ、経験則として学ぶべきである。   −つづく             
                     (*^▽^)/ ホンジャ!
・・・・・・・
2005年08月07日(日)
1587, NHK 受信料不払い問題

NHKの不払いが、その後どうなっているのかと思っていたら、毎日新聞の社説に丁度良いタイミングで、
不払いの深刻な事態についての解説があった。 現時点で900万件の未契約があるというから、
今年の契約数3660万からみると2割が受信料を払ってないことになる。
不払いの理由は、一連の不祥事に対する怒りや抗議から始まったが、最近それが変質して、
払わなくて済むものならという層が増えた。この流れは、不景気も含めて当分終わることがないだろうから、
NHKにとって、大問題である。以前『NHK不払い』について、この日記に書いたことがあったが、
そのキーワードの検索で、NHK関係の人が?、このHPを覗いていた。大相撲を除いて殆んどNHKは観てないので、
不払いをしたいのだが。30?を越えたら真剣に考えるつもりである。不払いに対する罰則が無い限り、
歯止めは難しいだろう。有料制度にしたら、半分以下になるのは私でも判断できる。いや3分の一か。
罰則が無いのに、今まで殆んどの人が払ってきたのは日本人の真面目さだろうが、これからはそうはいかない!
深刻な存続の危機である。時代は、民営化の時代である。早めに思い切った民営化への方向転換が必要だろう。
情報は、携帯電話やパソコンやTVから無尽蔵に入ってくる。NHKも、この情報化の大波で漂流を始めた。
恐ろしい時代になった。この問題と郵政を重ね合わせると、NHKの問題は郵政民営化に対して酷似している立場になる。
国営放送の時代ではない、完全民営化の変身しかない。 公務員?は現在の十分の一でよい!!

ー以前書いた文章をコピーしておきます。
2005/01/31 1399, NHKと朝日新聞

昨日の朝日新聞の天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。
(後でコピー)
  (字数の関係でカット 09年08月7日)
・・・・・・・・・
1222, 今まで見たことがないほどのバス
2004年8月7日

長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。この数年川向こうにも観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、
近畿ツーリストのシールが貼ってあった」とか。この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって
8月2日は満室だった。それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。
バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。
その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。
京都の花見のパック旅行のようなもの。前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、花見をして夕方に京都を出発。
やはり、22時に新潟に到着。車中は睡眠に丁度よい。それで一万円なのだから、価値は充分にある。その花火版ということだ。
サッカーも、最近バス・パックができた。会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、
秘境?の地(アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも出始めてきた。
                                            時代は、サービス化である。
・・・・・・・・
2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記

 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。
中小の経営者の知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。
潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。
webのアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。
読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。
ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが、もっとも大事であると思えた。
新幹線で読んでいたら、隣席の人の冷たい視線を感じた。 公衆の面前で読む本ではないのだ。
 20~30年の長期の投資物件を事業としている為、計画段階で最悪を想定して資金調達をする。
余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして、資金余裕を十分すぎるくらい持つ。
それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。時代がどんどん変化していくためだ。
この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘している。
 連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で判を押してしまう。
連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、これほど冷酷な制度はない。
先進国では日本だけだという。 江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用しているためだ。
その連帯保証の断り方まで書いてある。私は子供の時から両親に数百回も「保証人の請け判だけはするな!」「手形は切るな」
と言われてきた。この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を口実に使え!と書いてあったのに驚いた。
「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。「父か親戚が請け判をして倒産したのでこれだけはしないことにしている」
でもよい。実際に身近の人が何人か頼ってきた事があった。上手いもので、まずは断れないような状況をつくる。
次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・?
あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し
間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。 いつも姑息の手を使うので有名な人だが。
その支店長もぐるかと疑ってしまった。 金に切羽詰った人間は何でもするものだ。
 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。『借りた金は忘れろ』という続編の本も出ている。
いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を出すような愚行を避ける為にも読んでおく必要がある。

・・・・・・・・・
2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2

人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。「人を指差すときあとの指は自身を指している。」
という戒めの言葉もそういえばあった。「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。
「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足をしていた。
ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」こういう人間の本当に多いこと。
これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。
親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、2〜3年後に実行するつもり」
といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、自身の影におわれているのだ。
もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。
こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。


3045,会津八一の 学規

2009年08月06日(木)

  会津八一は「学規」を作成し、 自ら及び教え子達の範とした。   
    ふかくこの生を愛すへし
    かへりみて己を知るへし
    学芸を以て性を養うへし 
    日々新面目あるへし
  ー 十四ヶ条 ー
1 感情を以ってうたふこと。
2 真に内心から湧き上がる感情無きときは、漫然として歌を作らんと思わざるべきこと。
3 世才・文才・常識、そんなものでは、自分も感動してをるにあらず。それを以て他人を動かし得ざること当然なり。
4 感情を単純化してうたふべし。
5 表現も単純にして直裁なるを尚ぶ。徒に曲折せるは、真情の流露をさまたぐ。
6 詞句の曲折は初学の能くなし得るところにあらざるも、老熟してこれを自在になし得るとも、
   真情の枯渇し居らば、かへりて厭うべきなり。
7 用語は常人の耳に遠からざるものをよしとす。ろくろく学問を精しからぬ者が専門家振りて、
  古語歌謡といふようなるものを襲用するは、最も厭うべきことなり。
  古語を用ふるは、やむを得ざる時にのみ限りて許さるべし。
8 散文にていふに如かざることを歌として歌ふは、根本的に心得ちがいなり。
9 和歌は我国のみにあれども、詩歌は如何なる民族にもあり。和歌はその一種なりと知るべし。
  我国の歌人なかまにあらざれば解しがたき如きことを、詩歌の本道とも本質とも認めがたし。
  外国語に翻訳しても、その国の人々によりてたやすく解せらるるやうにてありたし。
10 従って、その辺の歌集をのみひもどき居りて、それで勉強したりとおもふは不心得なり。
  ひろく世界古今の詩歌を味ひみるべし。
11 いやしくも歌を作るは容易にあらず。うかうかと濫作して、よき歌の出来んことを希ふは無理なり。
  一方心境を練り詩歌を弘むるとともに、真に感興の内に催すをまちて、精細を傾けて歌ひ出すべし。
12 要するに作歌は、天才と人力とをまちて、しかも精進して初めて為し得るのみ、漫然たる態度にてたづさはるべきにあらず。
14 書外は工夫をつみて悟得せらるべし。
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 八一は新潟の人で名前は以前より知っていたが、 これだけ含蓄のある学規があったことを知らなかった。
これまでの生き方で、甘さを痛烈に批判された気分である。
 特に、「・ふかくこの生を愛すへし ・かへりみて己を知るへし ・学芸を以て性を養うへし ・日々新面目あるへし」は、
 この年齢になったからこそ分かるところがある。更に十四ヶ条も、これは作歌の道だけでなく、人生の生き方に通じる。

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2680, 漠たる不安
2008年08月06日(水)

アメリカのサブプライム問題や、中国の動乱の予感や、イラン・イラク問題など
世界は漠たる不安に覆われている。 それに対して二つの取り得る態度がある。
・それから目をそらさずに色いろ対策を練って対処をするか、
・将来に対してあまり深く考えずに、ただ目の前のことだけに対処をして
 将来に対しては自己逃避をするかだ。そのためには、全て目先の状況の責任を押し付け、
 問題解決から背を向けるだけに徹する。
現在の日本の企業も、個人も、この後者の姿勢が大勢のように思える。
ただ、大津波を前に逃げることも出来ず、呆然としているのが現状。
将来が明るく、前向きになれればよいが、この現状では致し方がないのも解るが。
将来に明るさが見込めないと、目先の直感に頼り、論理的思考を無くしてしまう。
思考停止の状態が、現在の日本の政治や経済において顕わに出ているといってよい。
こういうときほど、何が問題なのかジックリと冷静に論理的にならねばならない。
漠たる不安の隠れた?原因として世界が大きな激動期に入ったことにある。
その大きな要因は、情報化による、グローバル化である。
特に、共産圏が解体して、資本主義社会との垣根がなくなり競争が激化したことが大きな要因だ。
また情報機器の進歩で、今まで隔離していた影の部分が、露出され出した。
アフリカで虐殺があれば、それが映像で露骨に流される。
内外に対する暴力装置で君臨していた独裁者も世界の目に晒されてしまう。
日本では、これまでの教育の大失態で、差をつけられてしまった若者の不安の蓄積と鬱憤は、
最近の秋葉原の無差別殺人などから見られるように、マグマになってある日、爆発をするのである。
こういう時代であればあるほど、教養の積み重ねが大事になってくる。
こういう時代は、戦争という破壊で一度、清算をして、ゼロから再び出発することも出来ない。
だから、手段としてテロになるのだろうが、それが更に社会を重苦しくしていくのである。
  ところで不安といえばキルケゴールである
一方で、人間の実存感を支える「主体性」を取り上げ、他方では、その実存感にたえずつきまとう「不安」を取り上げた。
「不安」は人間精神の最大の課題であり、彼が生きた1時代以上に、20世紀は「不安の世紀」となった。
ハイデッガーが、キルケゴールの影響を受けて、人間の不安を自分の哲学のベースにした。
現代人はあらゆる事柄に不安を感じ、「不安」は人間の行動原理の内で最も大きな要因になっている。
人間の欲求や行動は、その社会的な営みや文化的な営みも含めて、すべて「不安」に起因し、「不安」に結実していく。
人間は、この世に誕生したことの不安の叫びである産声から始まり、死の不安に包まれていく。
そして、不安の解消のための気晴らしで、人生の多くの時間が費やされる。
情報化、そしてグローバル化で、この不安は解消・縮小されるのではなく、拡大されている。
不安の度合いがより深く浸透しているのが現在時点のようだ。だから不安とは何かをキルケゴールや
ハイデッカーなどの書を通じて学ばなければならない。 哲学がより要求されるということだ。

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2007年08月06日(月)
2316, 日本の原発依存度って、どうなっている?
      ファァ(*つ●-*)*.;'Good☆Morning

今回の地震による柏崎刈羽原発の火災などで、殆ど意識してなかった原発に対する依存度に関心が向いた。
そこでインターネットで早速しらべてみた。
 それによると・・・
世界の電力の16%は原子力で、日本国内の原子力依存度は、約3分の1強の37?。
世界全体として原子力の依存度が高まる傾向にある。
現在の日本では、石油危機当時と比べ、エネルギー消費に占める石油依存度が大幅に低下。
日本と同様に石油資源を持たないスウェーデンでは、70年の77%から95年の43%へと着実に石油依存度を削減 、
スウェーデンのエネルギーシステムの中で原子力発電は重要な位置を占めている。
石油危機当時の73年度には77.4%だったエネルギー消費に占める石油依存度は、2001年度に50%になった。
(エネルギー消費と発電の石油依存度は違う)現在の日本には、53基の原発があり、発電量で37%を占め、
これを50?まで戦略上持っていきたいというが政府の意向。 電力10社では原発31%、石炭火力26%、
LNG・LPG火力24%と構成が異なるものの、いずれも原発依存度は30%台と高い。日本の原子力発電所は17カ所、
53基が稼動中。 その数は米国、フランスについで3番目になっている。国内総発電量の37%の日本に対し、
アメリカは20?でしかない。ここまで原発への依存度が高くなると撤去するわけにもいかない。
地球温暖化対策として化石燃料を増やせない現在、日本では原発でカバーせざるを得ないのが実情。
刈羽原発を筆頭として、日本列島はどこでも地震が起こり得る。今度の地震も新たな活断層が動いたというが、
日本で活断層を避けることは難しい。今回のように地震が起こって初めて分かるのが現状である。
資源の乏しい日本では、エネルギーを確保、維持していくことは国の盛衰に関わる。
といって、数年来の原発事故や安全性隠しで原発に対する不信感は非常に強い。
敦賀周辺や東海周辺の原発の地下には活断層がある可能性があり、一つ間違えば、大都市が近くに多くあるため、
数十万、数百万単位で死者が出る可能性がある。この問題は日本にとって今後ますます大きく問われることになる。
                    byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
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 2006年08月06日(日)
  1951, ローマから日本が見えるー20
                         \(^▽^*)おはよう
        ー読書日記ー
第八章 「パクス・ロマーナ」への道 −3
    ーローマ軍団のリストラ

皇帝アウグストゥスは税制を整理・再構成をすることによって、以後のローマ帝国の財政面の基盤を確立した。
彼は限られた財源をもとに、あるゆる知恵を使い「パクス・ロマーナ」を実現していった。
アントニウスとの内戦が終結した時点のローマは、50万人の膨大な兵力を抱えていた。
オクタヴィアヌスとアントニウス双方がそれぞれに軍団を抱えていたから、これだけに達していた。
これをアントニウスは何と三分の一に削減する。
下手に削減すると人気に影を投げかける。彼は私財を投げ出して、退職金をあてることにした。
その軍団を常備軍へと改組する。広大なローマ帝国を限られた兵力で守るために如何したらよいか?
彼が考えついたのは、属州民の活用であった。彼は属州民からの志願者による「補助兵」からなる部隊を編成する。
その数は軍団兵と同数の15万人。軍団兵と属州軍の合計30万人があればローマ帝国の防衛線は守りきることが可能と読んだ。
属州軍の待遇は、さすがに軍団兵と同じにはできない。そこで、属州軍には補助兵としての25年の満期除隊を迎えると、
自動的にローマ市民権が与えられることになった。
ローマ市民権を得れば、属収税は払わなくてよい。この場合の市民権は世襲の権利ですから、子々孫々まで
恩恵にあずかることができる。それを考えると、多少兵役期間が長かろうが、給与が低くとも、
属州民にとって「旨み」があったのだ。

    ーローマ防衛体制の構築ー
   30万人を長い国境に沿って薄く均等に貼り付けていたのでは、意味が無い。
   外敵が侵入してきたとき、そこに兵力を集中してこそ撃退できるというもの。
   そこでアウグストゥスは軍団兵を主戦力として活用できるようにして、補助兵はその補助や警戒任務につけることにした。
   ・国境に沿って配置された見張り用の要塞では、地元で採用された補助兵が警戒に当たり、
   ・敵の襲来が発見されれば、ただちに狼煙を上げるか、馬を飛ばして近くの補助部隊基地に知らせます。
   ・補助部隊基地はただちに援軍を派遣すると同時に、軍団基地にその情報をもたさせて、主力である
    軍団兵の派遣を要請するというのが手順である。
   つまり、敵襲はとりあえず補助兵で何とか食い止めて、本格的撃退は軍団でというわけである。
   ここでカギとなるのが、スピードである。そこで役に立ったのが、ローマ人が共和制度の頃から営々と築きあげてきた街道網。
   これが古代の高速道路としてカバーしていたおかげで、ローマ騎兵は一日で百キロ近く、歩兵で時速5キロで移動できた。
    このローマ防衛体制のアイデアは、現代の国々の軍にもそのまま受け継がれている。
    最前線の基地には最小限の兵を配置するだけにとどめ、有事の際には機動部隊が海や空を移動して
    援軍に当たるというやりかたが、二千年昔にローマ人が考え出していた。
                   (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?
                      バイバイ!
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2005年08月06日(土)
1586, 日本経済恐ろしい未来      
 
「日本経済 恐ろしい未来」ー 読書日記

この本を図書館から、何回か借りてきた。そして読み返しながら、日本経済の行方の参考にしている。
全ての問題を先送りにしようとする日本の将来に大きく警鐘をしている。冷戦が終了し米国の特待生であった日本が、
米国などに政治的に利用するだけされても、まだ体質を変えることができない事態。
この本が書かれて3年経っているが、その後に何ら改善されていない。いやマスマス悪化しているのが実情である。
目先、中国のバブルによって、日本からの輸出が増えて一見景気が良さそうだが。
さらに改革の大元の郵政法案が揺らいでいる。 あるHPから、この本の概略をコピーしておきます。
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 (字数の関係上、あとの文章は「引き出し」の読書日記のコーナーに貼り付けてあります。)2008年08月06日
 
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2004年08月06日(金)
1221, 運について−2

何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、再び書いてみる。
運にも二種類ある。 受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。
・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」
 性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、宗教的な環境の中で
 育っていて良い結果をもたらす運である。ー性格の明るく良い人。良家の子女(躾がゆきとどいている人)。
・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力をする。
 意志こそ運の原動力、原因」という運である。
 ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。両方が揃って初めて開ける運である。
私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、そのわりには状況が不幸せの人が何人もいる。
やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底に落ちてしまう。
よく見ていると、両親が不仲だったり等、色いろの理由がハッキリみえる。
「ある程度耐える」という家系からくる知識・体質を持ってない。
「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、耐えることの呪文である。
運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。
いま一つ、言葉の重要性を知らない。「自分は、ついている(運がある)」と、毎日こころの底から思っていれば、
そして、「ついている」と現に言葉に出していれば、ツキが回ってくるに。
「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、
あけてもさめても唱えていれば、不運しかこないのは当然である。もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。
世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれないが。チョッとしたことなのに、せっかくの人生、あまりにも勿体ない。
運は因縁と似ている。因は直接の原因、縁は間接原因をいう。これが重なって結果がきまってくる。
多くの因縁の中で、良いものを選択するのも本人である。
やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
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265, 運について -1
2001年12月10日(月)
(字数の関係でカット09年08月06日)
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2003年08月06日(水)
854, 閑話休題

 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。まあほとんど毎日だが。そこが面白い面もあるが。
それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議なものだ。 そうこう考えていたら、あるホームページに
「閑話休題」というテーマがあった。これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書くことにした。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。
 野口悠起雄の「超文章法」の中で、テーマの探し方に「窓から飛び降りそうなくらい大変なものである、
考え尽くしてひねり出すしかない」と書いてあったが、それを読んで学者でもそうかとほっとした。
それと「文章上達は量をこなして、校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。
結局は努力努力努力しかない。一見なにげなく書いてある文章に、それだけのエネルギーと時間が入っている。
逆にいえば、プロほど想像を絶するほどの絶対量と、その校正と推敲を重ねているのだ。
これはすべての分野にいえることで、プロの世界はそうそう甘くはない。気楽な「閑話休題」を時たま挟み込むのも
本音がでて面白いだろう。いまもテーマを意識しないためか次々とキーが動いてくる。
 話は変わるが、昨日隣家で建前があった。100坪の敷地に二階建てで延べ50坪位の結構大きい家だ。
夕方帰宅したら、屋根の下地も含めて建前が終わっていた。家内が言うには「20~30人が蟻のように取り付いていた」
とか。夕方には子供たちを集めて、上棟の祝いで何かをばら撒いていたという。
大きいクレーン車が次々と加工された材木を吊り上げ、鳶が組み立てていく。
いま流行の何とか工法という奴で遠くの工場で加工して持ってくるのだろう。
 新しい家は、その人たちにとって仮の天国の世界の創造である。本人達はいまが一番嬉しい時期だ。
いままでは隣家に広い庭の空間があったが、これからは光が少なくなる。
仕方がないが。

・・・・・・・・・
2002年08月06日(火)
479, 楽観と意志

「楽観は意志、悲観は感情」 この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が大きな口を開けて足元にあった。
若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで
解ってなかった。それだけ強烈な言葉であった。悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。
そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。
鬱の自分はそう感情の世界にドップリつかっている意志喪失の自己の世界である。
常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。また非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。
動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。行動的ということは楽観が勝っている状態と云える。
私の周辺の80?の人は悲観的な感情に支配されている人だ。また非行動的の人が多い。
行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠されている。
楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。 それが楽観であり、意志である。

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2001年08月06日(月)
[100] あら!たのし

難しいことをやさしく! やさしいことを深く! 深いことを愉快に!     (井上やすし)
井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて机の電気スタンドに張ってある。
彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を彼なりに変えた言葉だが。 コツとか要領を旨くついている。
天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか絵画化とかして。
楽しみまで高めるのはそう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。
「四S主義 = シンプリフィケーション  スタンダーディゼーション 
スペシャリゼーション  セグメンテーション 」というチェーン理論のベースになる教えも、これに近い。

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