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堀井On-Line
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2009年04月07日(火)
『三位一体モデル』中沢新一著 読書日記
* 煉獄の発明 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。 中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。 それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が 煉獄に地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、 こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き出したのである。 これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、 その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。 だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、死後に、煉獄の山を苦労して登り、 天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。
こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。 それから、16,17世紀を経て、19世紀にフル活動をするようになった。 もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。 発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。 キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では 資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。 1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。 さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、また、70?80年前に。 その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。 ーー 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。 地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・
・・・・・・・・・・ 2560, ホモ・ルーデンス ?2 2008年04月07日(月) (*´∀`)」" おはよう☆彡 子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。 人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。 ?? ー文化は遊びのなかにはじまるー 遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。 遊びの基本的な要素のすべてが、すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。 子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。 子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。 相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという規則も守っている。 まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。 もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。 このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から 遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。 *遊びを定義すると 遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、 自発的に受け容れられた、絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。 遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、 また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。 このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、 このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。 ?? 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのものということが出来る。 ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。 パソコンのインターネットも、携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。 ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。 もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。 。・∀・)ノ ホナ! ・・・・・・・・・ 2007年04月07日(土) 2195, ファンタジー文学の世界へ ?1 オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジー文学の世界へ 」 ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) ー読書日記 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。 ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。 *ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。 *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。 情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を 鳥瞰することも必要となる。この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。 初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。 この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。 ーー P-23 ■ファンタジーの構造 神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。 これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。 初期ファンタジーの多くは、明確なイニシエーションをかかえている。 それは、「分離」?>「周辺」?>「統合」という物語の構造で表現される。 依存対象から「分離」は、一人で「周辺」に向かうことを意味する。 それは、「依存対象に頼ることができない」こと、それが孤独なのである。 その孤独から自立への物語には、最後に何かを得て、元の場所に戻る精神がある。 元に戻ることが「統合」もしくは「全体性の回復」になる。・・・・中略 P-31 冒険(ゆきて帰りし)とは、無自覚な日常感覚に対する警鐘である。 そして、非日常ー冒険で培われたものが、日常に命をもたらすものであり、 人生の新たな価値を模索する道でもある。この道は困難そのものと言える。 この困難を越えようとする強烈な意志こそ、大人への道標足りうるのである。 作者は、人間の成長において、身内以外の父性的存在がある局面で必要であり、 この父性的存在こそが、「わたし」の深奥に導く一つの契機ともなる。・・・ 我われの周囲には様々な冒険(ゆきて帰りし)の扉が黙示されている。 その覚知なるものは、現実を積極的(主体的)に観ることの意識化を通して、 もう一つの世界(非日常、内的世界)へ向かうことである。狭き門の両側には二つの世界がある。 第一の世界ー第二世界、 日常ー非日常、 意識ー無意識、 平穏ー不穏。 この二つの世界を主役は往復するのである。この往復の困難性が人の心に「なにか」を生起させるのである。 「なにか」を主体化する作業が、現実の深い意味を客観化しうる認識の扉ともなる。つまり、困難を通して、 自らの潜在的力を引き出すこと。しかし、この地平は「英雄」にありがちな慇懃無礼の世界ではない。 自らが拠って立つ精神的基盤を自らが客観化した地平である。 ーーー これを書いていて気がついたが、15年間にわたり年二回平均の秘境ツアーが、ファンタジー小説に近い世界であった。 ー日常に対して、非日常。 意識的世界に対して、無意識の世界。 平穏?に対して、不穏。ーで、夢そのものの中の世界である。 ファンタジー作家のかわりに、旅行代理店が物語を企画してくれている。
・・・・・・・・ 2006年04月07日(金) 1830, あちら側の世界 ?8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っている ような感覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。 使ってみると、リアルな感覚になる。「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、 インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス(飛行機)まで紹介されていた。 数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、 これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。 北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。 大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、 クリックをすると見ることができる。検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、 誰でも無料で見ることができる。マウスでズームアップもダウンもできる。 手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。 この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、 マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の 詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。 アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、実際は顔の認識まで可能という。 スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。 「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。
ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー (字数の関係でカット2008年04月07日) (v^ー°)バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年04月07日(木) 1465, なんじゃい、こりゃ!
またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。 ?? たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。 「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」といって置いていった酒である。 その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。 そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。 新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。 早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。 自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、 この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。 地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。 そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。 「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。 「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。 このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。 そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。 朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。 酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。 そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。 数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。 ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。 ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー
・・・・・・・・ 2004年04月07日(水) 1100, 撃墜王の秘密
ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。
ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、ロスマンも80機以上も撃墜している。 その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。 普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと 悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。 彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。 一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、 どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。 彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。 理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。 ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、 自らの戦果で証明をした。ー ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。 普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。 過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。 人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。 といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。難しいところだ。 一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年04月07日(月) 733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。 父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、「村田仕立て屋」に、 父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。 私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。それも大体が半日だから、そういたむものではないが。 しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけ。まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。 ということは体形が30年変わってないということだ。 当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。 現在は60キロ、ウエストは79センチだ。ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。 話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたのではなかろうか?」 とこの文章を書いていて気づいた。何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。 嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。
・・・・・・・・・・ 2002年04月07日(日) 369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。 1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。 その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。 秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。 戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。 今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。 そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。 この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。 そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。 今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
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2009年04月06日(月)
『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記 *「霊」は何か? ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。 語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、 神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と構造的に分解している。 一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。 その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。 「父」たる普遍的なことを、現実の姿として「子」キリストなどの現象とし、 霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。 この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に 爆発的に布教していくことになる。それが西欧資本主義の出発点になるのである。 ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。 ーー * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは? イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である「霊」を 唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。 イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する存在など、あってはならない。 イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、 絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。 イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、 「増える」という原理を組み込んでしまった。 イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。 キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な 勢力拡大の基礎をつくっていったのである。 ーー 結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として 建前として使われてきたのは自明だったが、ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。 この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。
・・・・・・・・・・ 2559, 印度放浪 ー3 2008年04月06日(日)
ー語録ー2
人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。 水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで 底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、 不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、 それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や 五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。 水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。 日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、 三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。 それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。 こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。 ーー 犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。 クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。 広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。 それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。 僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。 人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。 眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。 川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、 それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。 そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。 で、犬の目から目を離さないようにしながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めて これをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま少しずつあとずきりをして 川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。 奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、 また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、 これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから何となく大丈夫だと思ったわけ。 これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。 ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。 ーー インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと 一回転して三十六枚押したら、一本フィトストーリーができてしまう。 だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、 全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか 自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、 撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。
・・・・・・・・・・ 2007年04月06日(金) 2194, 大人のファンタジー読本 おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー読書日記 ー未知なる扉をひらく180選ー 出版:マックガーデン この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。 その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。 わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えてファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。 この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、ネット上の語らいからつくり上げた本。 180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。 1P?2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」 と言われれば、間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。 初めは図書館で借りて読んだが、アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。 ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、「ナルニア物語」 そして「ゲド戦記」などが映画化されている。それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。 これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。 ・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が登場して 冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・ ・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして語り直したものをロー・ファンタジーという。 この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、「現実にはありえない何らかの法則に従う 世界に従う世界を舞台にした物語。あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を 主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。 この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、ロー・ファンタジーなども多く紹介されていて、 ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。 先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い! 小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。 列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。 (^o^)ノ バイ! ・・・・・・・ 2006年04月06日(木) 1829, あちら側の世界 ?7 「ウェブ進化論」読書日記 (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆ ー「アマゾン」とはー
=この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。 (このウエブ進化論ー3・ロングテールについてーに重なるが敢えて取り上げる。 ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を予感させる) IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、 インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。 今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本ーつまり「恐竜の首」で 収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。 2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えてしまったことである。 日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1を リアル書店が在庫を持たない本から上げていると発表した。 インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。 (字数の関係でカット2008年4月6日) ー 以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。 世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである! 間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。 ー (*"・∀・)ノバイバイ! ・・・・・・・ 2005年04月06日(水) 1464, 発想名人 ?読書日記
最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。 内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。 ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』 これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています? ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。 私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。 それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。 計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。 ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。 チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。 ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。特に女性に多い。亭主の否定をして、 稼ぎを当然のように取りあげれば済む。それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。 (字数制限のためカット 09年04月06日)
・・・・・・・ 2004年04月06日(火) 1099, 「80対20」革命 ?4
「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い! ー以下に書き写してみる。 △あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか? 一番熱心になれることは、どんなことか? △自分が有名になったと想像してみる。 どんなことなら有名になれるか? △自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。 人と一番変わっているところは何か? △何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか? △一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか? △どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか? △別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。 △もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう? 想像力をはたらかせて考えてみる ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、 如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、 この随想日記に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。
・・・・・・・・ 2003年04月06日(日) 732, 「こうすれば良くなる」
いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。 これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。 その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。 それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。 失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかない。 日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。 どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。 そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。 恐慌というやつにだ。 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も 縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。 「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。 思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。 それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。 このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか? ー以上になる。 人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。 なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。
・・・・・・・・・ 2002年04月06日(土) 368,リオのカーニバル
いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。 2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。 今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。 カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。 南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って 歌い踊ったという。普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。 1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。 彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。 それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。 上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、 厳格の審査のうえで順位が決まる。去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。 一年は全て、カーニバルを中心に回っている。 ーーーーーーー H0703ブラジル旅行記
“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。 カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、 四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。 リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、 Bランクが15?16チーム、Cランクは数十チームとなっている。 AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で 踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、 その年の優勝等順位があらそわれる。そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。 我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。 チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに細分化され、 統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。 音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。 その作曲も採点の大きなポイントになるという。一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで 延々と踊りの行進が続く。観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。 音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び 行進がおこなわれる。優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。 その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。 カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、 東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。 ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと “サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝” そして“汚職まみれの国”である。 さらに加えるなら“まずしさ”である。
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2009年04月05日(日)
『三位一体モデル』中沢新一著 −読書日記
図書館で何気なく借りて、目を通したところ面白い本である。 特に、キリスト教とイスラム教の違いと、その争いの元を解りやすく書いている。 三位一体とはキリスト教の考え方で、西欧の考え方でもあり『父』『子』『精霊』を指す。 それぞれの円が三つ重なりあっている図を想像すれば良い。 『父』は 物事の基本になる普遍的なこと。哲学や理念などが含まれる。 『子』は 『父』のベースを具体化する存在。 『精霊』は 子の働きにより、増殖するコントロール不能な物もの。 (販促、宣伝など資本主義の増殖を助ける役割を担ってきた) この3つがバランスよく配置されることで物事の意味や本質が捉えられ、 すべての問題はこのバランスをみると理解出来ると言う。 会社をみると『父』は理念や社会還元、『子』は会社そのもの、『精霊』は販促や生産活動。 『父』の不在が、会社を迷走させることになる。 社会問題の多くは、社会の父たる規範が無くなっていることから始まる。 『精霊』はキリスト教社会の中で不可欠なもの。 イスラム社会では『精霊』にあたるものがない。 偶像廃止も、この辺からきている。(お金でお金を生んでだめ<株>はいいらしい) そのためにイスラムの銀行は利子がつかない建前をとっている。 資本主義の『精霊』に頼る経済はイスラム世界にとっては『堕落』そのもの、 『9.11テロ』でニューヨークのWTC(経済のシンボル)に突っ込んだのも、その攻撃行動という。 この本は100ページも満たないが、多くの示唆が含まれている。 ーつづく
・・・・・・・・・ 2558, 爪もみ療法 2008年04月05日(土)
ある本を読んでいたら、「爪もみ療法」という聞きなれない健康法があった。 そこで早速ネットで調べてみたら、以下のようにあった。 ーーーーー 【爪もみのやり方】 ・爪の生えぎわの角を反対側の手の親指と人さし指で両側からつまんで揉みます。 ・一カ所を十秒ずつ、症状に対応する指は二十秒ずつ、揉みます。 ・以上を一日に二から三度行います。 ・少し痛いくらいの強さで刺激する。 ・薬指だけを揉むことは避ける。(薬指は交感神経を刺激する指のため。他の四本指の刺激と一緒に行なう) 以上は福田稔医師が考案した療法の簡単バージョン。 爪もみ療法が効果を発揮するのは、すべての病気で、効果があるようだ。 ーー 他のブログには、 { 親指・人差し指・小指の手指の爪の生え際と第一関節の間くらいにあるツボを、 順に反対の親指と人差し指の腹で20?30秒ほど「いた気持ちいい」くらいの強さで押しながら 指全体をねじるようにして刺激します。ツボだけを押す爪もみよりも、経絡全体に刺激を与えられるので、 肩こり解消の効果が高いそうです。薬指の肩を通る経絡(気の通る経路)の肺経・大腸経・心経・小腸経 それぞれに様々なツボがありますが、れらの中で比較的簡単に押せるのが爪の生え際と 第1関節の間くらいに位置するツボです。1日に爪もみをする時間を決めて毎日行うのがよいです。 個人差がありますので、爪もみ効果がでにくい場合は、爪もみの時間をながくすると良い。 足の指を通る経路の中に肩を通る経路もあるので、爪もみは手だけでなく足の指でも効果がある。 おすすめは小指です。 }とあった。 下記は福田稔医師が考案した本格的療法である。 ー { 爪もみは、注射針やレーザーを使って爪の生えぎわを含む全身の治療点を刺激していく、 「自律神経免疫療法(医師や歯科医師が行う)」を応用した家庭療法で、 自律神経を整える効果があるという。 自律神経のバランスを整えれば免疫力が高まり病気を遠ざけることになる 「白血球の自律神経支配の法則(福田-安保理論)」に基づく治療法。 爪の生えぎわは神経繊維が密集する非常に感受性の高い場所なのでここを押しもみして刺激すと 刺激が瞬時に自律神経に伝わり交感神経に傾いた自律神経の働きを副交感神経優位に導いて、 白血球の中のリンパ球を増やし免疫力を回復させることができる。 } ーーー 以上だが、簡単バージョンなら通勤途上で、気楽に出来るので実行するするつもりである。 最近亡くなった作家兼ロシア語通訳の米原万理が紹介していたものだが、 本人は本格的な、この療法を専門医に受けたがあまり効果がなかったようだ。 しかし簡単バージョンなら、病気予防でも健康法にでも、やり続ける価値がありそうである。 20年位前に、一時足もみ療法が流行った。理屈からみても万遍なく足をもみ続けて悪いわけがない。 それ以来、入浴時に5分間は足の指の間に反対側の手の指を挟んで、もみ続けている。 もんだ後には首筋と、目が楽になるのがわかる。
・・・・・・・・・ 2007年04月05日(木) 2193, やまあらしのジレンマ オッ(*^○^*)ハ?ヨウ!
ショーペンハウエルの「やまあらしのジレンマ」の話が面白い。 まずは、その内容から ーー あるところに二匹のやまあらしがいた。 冬の朝、寒いので二匹のやまあらしは互いに暖めあおうとして身を寄せあった。 しかしあまりに近く身を寄せあった二匹のやまあらしは自分の体に生えているハリで互いに傷つけてしまった。 そのため二匹のやまあらしは相手から離れたが、また寒くなった。 そこでふたたび二匹のやまあらしは身を寄せあったが、また互いに相手を傷つけてしまう。 このように二匹のやまあらしは離れたり近づいたりを繰り返し、ようやく「最適の距離」を見いだした。 ーー この寓話は、我々の心は「寒さ」と「痛み」のジレンマの中でしか「最適の距離」を見いだすことが できないことを提示している。やまあらしのトゲとは、人間の自我(欲望や、社会的立場、感情)をいう。 青年期は自我の一番強い時期、だから青春期の恋愛は、トゲとトゲの刺しあいになり、愛しあうほど 傷つけあうことになる。その繰り返しの中から、お互いの最適な距離感を身につけることになる。 青年期は、傷つきやすい時期でもある。その傷の癒しを他の対象に求め、そこで更に深く傷つくのがあたり相場。 癒しを他に求めること自体が次の傷をつくる準備をしていることになる。そのこと気づかないのが若さからくる無知。 孤独は人間の本質的なことであり、それをしっかりと自覚していないと、傷口がどんどん広がり、化膿していく。 夫婦関係にも言えることである。トゲとトゲの差し合いを今だしているが、互いの皮膚が30数年の結果、 痛みを殆ど感じなくなってしまった。適当の距離感とは、=あまり親密にならないこと!である。 青年期に女性も友人も、ある距離に近づくとトゲが全身から出るのを感じとった。 あれが、自我だったのだ。 今もそうだが! トゲは必要である! 自己を守るためにも。 しかしトゲの先は丸くしておかなければならない! ホンジャ、バアアイ ♪♪((((*`・´))ノ ♪♪ ---------------- 2006年04月05日(水) 1828, ずっとやりたかったことを、やりなさい?5 ゜+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆ -読書日記 ーアーティスト・デートー 「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、今までの経験や年齢等に関係なく アーティストとしての創造性を秘めている。そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが) その才能にアクセスする方法がある」という。 ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家 といった俗にいう「アーティスト」だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」 の開花をいう。その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。 特にクリエイターの方々(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。 机上の空論ではな、才能開花のための実践的なトレーニング法が 12週間という具体的なプランに落としこまれたトレーニングプログラムである。 本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、作業を進めていけばよい。 そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と「アーティスト・デート」。 先々回はモーニング・ページを紹介した。今回は「アーティスト・デート」である。 ーその一部を本文より抜粋してみると… アーティスト・デートとは具体的に何なのか?それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、 あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」の育成に専念することだ。 もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、 あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。 「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。 行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、つまりあなたの「想像する子供」だけだ。 恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ ーどんな肩書きの人もお断りだ… ーー 以上だが、要約すると 「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」 ということ。私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に「アーティスト・デート」と気づいた。 ーそれ以外にこの本で印象的なことを抜粋してみる。 《怒りは耳を傾けてもらいたがってる。怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているか教えてくれる。 また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。・・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。怒りは友達である。 素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。 それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、かならず知らせてくれる。 そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。 怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》 《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、「みえるでしょう?」と語りかける。 あるものを見たくないと思っている人たちは、それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》 《真摯な表現はクロゼットを開け、地下室や屋根裏に新しい風を送り込み癒しをもたらす。》 ーー ずっとやりたかったことを見つけ、それを時間をかけてやりなさい ということか。 ΒΥΕ.._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・ 2005年04月05日(火) 1463, 「虚構の王国」?NHKスペシャル
一月前ほど前、このHPで堤義明のことを書いた。ところが、その内容についてTBSの記者から電話が入った。 「自民党の歴代の派閥の長が首相になると3億の祝儀を彼が云々・・」と書いたが、 そのニュースソースを知りたいとの問い合わせで、「翌日の、報道番組に取り上げたい」。 キーワードで検索をして、知ったようだ。「ヤバイことを書いてしまった!」と、少しパニック状態になってしまった。 しかし、10年程前には誰も知っていた話である。年代が変わったのだろうと、知人に何人か聞いてみたところ、 「現在はどうかわからないが、当時は流布していた」と聞いてホッとした。 ところで先日、NHKスペシャルで「虚構の王国」 ー西武鉄道・土地神話の五輪計画とサミット・闇の株式取引ー というテーマのドキュメントを放送していた。その最後のナレーターの言葉が印象的であった。 「虚構の王国の向こうに見えたのは、戦後日本の実像である」 この言葉は、現在の日本のバブルの崩壊の姿そのものである。インフレ時代の勝ち組が、現在負け組に変わっている。 最後のバブル崩壊の象徴として西武が浮かび上がってきた。 担保に入れていた西武鉄道の株が上場廃止になってしまい、実質債務超過になってしまった。 それをキッカケに、隠れていた事業のボロが露出してしまった。 その具体的な内容のドキュメントであったから、見ごたえがあった。 多かれ少なかれ、時代の流れの中で誰もが出会った現象である。 不景気の直撃がレジャー産業に直撃。更に、海外にレジャーの鉾先が向かってしまった。 レジャーもグローバル化が生じたのである。そのため西武ー国土の思惑が全く崩れ去ってしまった。 日本中の観光産業は、その直撃で生死の境を彷徨っているのが現状である。 ここにきて、あらゆる分野で根底から変化の現象が現われてきている。 全ての国民にとって、他人事の話でないのが深刻である。 ーー 以下は、先月書いた西武鉄道の内容である。あぶないところは、かなり書き換えてあるが。
ーーーー 2004/04/15 1108, 西武鉄道・堤会長の辞任 (以下、字数の関係上カット2008年04月05日)
・・・・・・・ 2004年04月05日(月) 1098, 拾い物
拾い物は殆ど無いが、それでも幾つか記憶が残っている。 10年ほど前になるが、池袋のサンシャイン・ビルで何かの研修で行った時のこと。 腹の具合が悪くなりトイレに駆け込んだところ、カードと現金が数万も入った財布が忘れてあった。 現金だけを抜くという手もあるのかなと頭によぎったが、過去に一回も そういう経験をしたこともないし、良心に対してマイナスになる。 早速、案内嬢のところに持っていくと、係わり合いになりたくないというのがアリアリ。 警備の受付のところに直接持っていけという。電話をして呼べばよいのに、本人はタダ面倒でイヤという態度。 (西武系は流通・鉄道系両方ともお客に対して不遜のところがある)言われたところに行っても、 その事務所がない。乗りかかった舟、聞き歩いてやっとのことで警備事務所に届けた。 本人からは礼の葉書が一枚届いただけだが、なるほどと思った。 30分以上も歩き回り、その上書類にこと細かく内容を書かされた相手の好意がわかる由はない。 数年前の、通勤の新幹線で高崎と小田原の回数券を10枚近く拾った。 これも新潟の駅前の交番に届け出たが、彼等は直ぐに権利放棄書にサインしろと いわれ、何か釈然としない嫌な感じを持った。 そう考えると拾い物は殆どないということだ。そういえば新幹線で皆が降りるのを待っている人がいる。 そしてキョロキョロ見て回っている。週刊誌の面白そうなものを漁っているのだろうが。 もし悪意があるなら、忘れ物を2両でも探したら一年に一度は何かに行き当たるだろう。 考えること自体が卑しいことだ。
・・・・・・・・・ 2003年04月05日(土) 731, 前提を疑ってかかるという事 「縦社会の人間関係」
「縦社会の人間関係」という中根千枝の本を学生時代のゼミで読まされ、それに対する議論をした事を思い出した。 ー要旨は 「日本社会は蛸壺のように縦社会になっている。これは島国特有の社会であると同時に、 江戸時代の藩体制がそれぞれの縦社会をつくった。西欧社会はそれに対して資格社会であり、横社会である」 であった。日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の根づいた欧米とは、大きな相違をみせている。 「場」を強調し「ウチ」「ソト」を強く意識する日本的社会構造にはどのような条件が考えられるか。 「単一社会の理論」によりその本質をとらえている。日本社会の人間関係は、個人主義・契約精神の 根づいた欧米とは、大きな相違をみせているー等々である。 なるほどそのとおりであると納得したが、そこで問題にしていたのが その縦社会という視点そのものが、はたして正しいのだろうかという提示であった。 「何々それってどういうことなんだ??」私が考えていたのは、それぞれの部分の成否でしかなかったのだ。 根底ー前提から、それがはたして正しいかどうかを疑う姿勢こそ科学の第一歩である。 日本社会こそ「横社会ではないだろうか?」という仮説である。 逆に資格社会ー横社会であるという仮説をたてると、縦社会と同じように説得力があるのだ。 「士農工商」という身分社会が大きく社会に残っている日本こそ、縦社会でなく横社会とも いえるのではないだろうか。その中でも殿様,家老、老中などそれぞれの階級があった。 そしてその資格は日本のどこでも通用するものであった。 インドのカースト制度は5百数十種類の身分が細かく決められている。 横社会そのものだが、個々の立場に立てば縦社会といえる。 この時に、なるほど前提を盲信してしまう自分の無知の限界を初めて知った。 常に前提を疑ってみる必要性をこの時より身につけた時だった。
・・・・・・・・・ 2002年04月05日(金) 367,「携帯TV電話」は究極の情報機器。
5年前、マスコミで聞いた内容である。それが今年から始まったのである。 「携帯電話」が我々の生活を劇的に変えた。いや社会を変えてしまった。空間の溝を取り払ってしまった。 それ以上に「携帯TV電話」が社会のありようを変えてしまうだろう。これにそれぞれの場所に カメラが設置して、それにリンクすれば、一瞬にして世界中の何処でも見ることが可能になる。 現在でもそのサイトが多くある。これにデジタルTVをリンクさせれば、想像を超えた使い方が可能になる。 インターネットを使っていて、こんな時代が来るとは思ってもいなかった。 それが更に劇的な「携帯TV電話」が普及する時代とは驚きだ。 昨日もソニーの出井会長がNHKノインタビュウで、情報機器の進歩により、この10年後は世界が劇的に 変わっていると言っていた。これに期待しすぎて、先行投資で電気メーカが苦境に陥っていることも事実だが。
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2009年04月04日(土)
* 上野動物園が入園300万人を切る 一昨日のニュースで、上野動物園の入園者が60年ぶりに300万人を割ったと報じていた。 前年より妬く60万人減というから20パーセント減になる。 パンダが死んで居なくなったことと、この不況が直撃という。 9月半ばから4〜5割減ということになる。 家計面で節約対象になったようだ。 また、オーケストラの公演が個人や一般企業の寄付の激減で大赤字に転じていると報じていた。 恐慌状況の中、なかなかオーケストラを聴こうという気になれないのも分かる。 ーー * 金融サミットで 金融サミット「20G」が開催され、首脳宣言が採択されたが、何か首を傾げてしまった。 公式とは違う決定もなされたのだろうが・・・ ー金融サミットで合意した主な項目ーは、以下の通りで。 ▽2010年末までに計5兆ドル(約500兆円)の財政出動により経済成長率を4%押し上げる ▽各国中央銀行は、非伝統的手段を含むあらゆる金融政策手段を活用 ▽為替の切り下げ競争は行わない。2010年末まで新しい保護主義的な措置は取らない ▽ヘッジファンドを金融規制・監督の対象とする。タックスヘイブン(租税回避地)の規制強化 ▽IMFの資金基盤を7500億ドルまで増強する ー 世界のGDPは5000兆円というから、その一割を緊急に財政投資をしたところで、 何処まで効果があるか、非常に疑問を感じる。 世界恐慌は3〜4割のGDPが失われるから、 年間1500〜2000兆円が失われる。そこに3分の1位を投入しても焼け石に水。 しかし20Gで世界のGDPの8割を占めるというから、半年に一度、一堂に会して即断することは 世界的経済の大惨事を避けることが可能という面では、非常に有効がある。 ーー * 4月に入って、更に悪化 去年の11月後半から、金融危機の影響が経済の現場に深刻に現われてきた。今回の経済危機の第二波である。 そして第三波が、この4月に入って襲い始めてきた。 予測はしてが、やはり現象として直面すると凍りつく。 ただし政府が、三月決算を乗り切るため思い切った緊急融資を上から押し込んだために、とにもかく平穏を保っている。 しかし、決算の結果が表面化する5月になると一挙に現象に現れてくることになる。。
・・・・・・・・・ 2557, 印度放浪 ー2 2008年04月04日(金)
この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。 40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、元々持っていた素養なのか。 読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている 自分が浮かび上がってくる。比べること自体がおかしいが。 その一部を抜粋してみる。 ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー 二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。 家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、そうしてみると、 案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 さっぱりしたよ。 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。 情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。 十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。 今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。 実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。 解)初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。 当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。 現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなってしまう。 ーー 物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという大きなサイクルがあるでしょう。 それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。そういう環境を目の前に持てなければやはり彼岸とかあの世、 この世といった感性は生まれにくいんですね。 解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。 ーー インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。 悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、 インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、 それほど人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで自分の格が見えるんだね。 類は類を呼ぶって言うでしょ。旅はまさにこれだね。くだらない旅をしてる時は、くだらない奴とつきあってる。 ふっきれたいい旅をしてる時は、百の中の八十とか九十あたりの高い人間ととつきあっている。 しかし、高い人格の人間と出会う旅=いい旅、ということでもない。どうにもならない奴から、次元の高い奴まで、 どれだけバリエーションが旅の中に展開されたかだね。それが旅の豊かさだと思う。 解)インドは、人間博覧会が露出されているから、面白い。建前も本音もない。そのまま。 それが日本と対照的である。島国と大陸という環境の差もある。 ーー インドでのカーストというのは肌の色でもあるわけです。 (字数制限の関係でカット2009年04月4日) ・・・・・・・・・ 2007年04月04日(水) 2192, 人生とナメクジの線 オッ(*^○^*)ハ?ヨウ! 「キャリア」の語源は、ナメクジが這った後に残る線という。思わず噴出してしまったが、 人生もナメクジの這った跡の線と思えば、何も深刻ぶることはない。這っていく前には線は見えないが、 後ろにはまるで道のように跡が残り、その跡が進むべき方向を示しているようでもある。 我われが、明日を考える時に、やはりナメクジの跡の線と同じように歩んできた自分だけの線を振り返る必要がある。 ナメクジの優劣や跡の線など、それが如何したとみれば、悩みの殆どは消える。 そういう喩えをみると、さらに展開をしたくなる。そこで思いつくのが、家付きのナメクジ?、そうカタツムリである。 家が無いカタツムリをナメクジとみれば、我われの持ち家など持つことはない。 これでは話が面白くないので、「塩という世間を這いまわり自分の身体を溶かしながら生きるのが人生」 と考えると尤もらしい言葉になる。 ひろ さちや著のー「狂い」のすすめーの中にあった一節を思い出した。 *そこを抜粋すると* 「カタツムリが旅に出て、ナメクジになって帰ってくる」 私たちは常識や既成概念、世間の物差しを持っています。 そういう殻を背負ったカタツムリが旅をするのは、そうした殻を捨てるためです。 殻を捨ててナメクジになって帰ってくる。そうした気持ちの旅こそ、最高の旅である。 たとえば、インドの貧困だって、貧困を悪いものだとみるカタツムリでなく、 貧困もよいものじゃないかというナメクジの目でみることができれば、素晴らしい旅になるはずです。 インドの子供の裸足を見て「かわいそうに・・」と思うかもしれませんが、 「裸足のどこが悪いんだ、上等の靴を履かされて、重い鞄を持って塾通いと、 裸足でのびのびと遊んでいるインドの子供と、どちらが幸福なんだ・・・?」とね。 ーー 土手を歩いていると、よくカタツムリが道を横断している。しっかりと、その跡がついているのだが彼らとて大変である。 雀とカラスの丁度良い餌になったり歩行者に踏むつぶされ、線が横断途中で途切れているのを見かける。 お悩みの諸君!悩んでいる自分をナメクジと鳥瞰した喩えで笑えるなら、もう半分は悩みは解決しています。 (⌒▽⌒)/"”さいなら! ・・・・・・・・・ 2006年04月04日(火) 1827, 日本一短い手紙「私へ」 才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*) ?読書日記 「私へ」の手紙}といえば哲学的にいえば、{即自から対自への手紙}ということになる。 だから万人に共通する言葉であり、一言一言が響いてくる! あの歳の、あの場所で、あのケースで、呟いていた自問自答の言葉がある。 これほど奇麗事の言葉ではなかった。ふて寝をしながら、涙を溢しながら、時間の過ぎるのを待つしかなかった。 こんな言葉が心の奥から聞こえてきたら、あれだけ傷はつかなかっただろう。 この本の中で「私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。」という言葉がある。 この言葉には、希望と明るさがある。 絶望の海に溺れてしまった息苦しさの上の言葉には聞こえない。 「私へ」という自分が、そこにある! それだけで、明るさがある! それでよいが。私の自分への言葉を、いま思いついたまま書いてみる。 ーー まあ、いいじゃないか! それで、いいじゃないか! これしか、なかったじゃないか! それも、これも、 どうでも、いいじゃないか! ほんとうに、これでよかったのか? ほんとうに、あれでよかったというのか? まあ、いいじゃないか! これで! 他に、しかたなかったじゃないか! ー 歳を重ねると、こういう自問自答が多くなるのだろう。 それが老いるということである。 気持ちは青年のままでいたいものだ! せめて年寄り臭い奴の傍には近寄らないことである。そのためには常に感動、感激を求めることだ。 お茶どうぞ 且_(゚◇゚ )ノ゙ ーー 日本一短い手紙「私へ」 一筆啓上賞
おいおい そんなに落ち込むなって 人生少しわかりかけてきたじゃないか。 浅原昭子 青森県黒石市 40歳
お前の大きな財産の一つは、いじめの痛みを知ってることだ。 荒平翔太 熊本県菊池郡合志町 17歳
コノセカイニ アタシハヒトリダケ ソレハアタシヲ ツヨクスル 道志寿佳 福井県坂井郡丸岡町 18歳
ずっと“いい子”の私。やめたいのに本当の私を忘れてしまった。私は何がしたいの? 金島道子 広島県庄原市 17歳
私にしかできないことがある。きっとある。今は分からない。でもある。きっとある。黒木かつよ 宮崎県児湯郡都農町19歳
あなたの心の悲鳴。聞きとれるのは私だけ。私とあなたの寂しい関係。 竹田飛鳥 東京都江東区 15歳
お願い、黙って、私が努力している綺麗な夢の孵化を、手伝って… 陳許玉蘭 台湾 72歳 主婦
一人で来たブラジルだけど、今は五人。俺が我家のル?ツとはくすぐったくなるな。 堤剛太 ブラジル 52歳 会社員
アホでいるこっちゃ。オサキにやるこっちゃ。エライこといわんこっちゃ。 根市政志 青森県三戸郡福地村 65歳 無職
過去の僕よ、犬を飼わないほうがいい、別れる時が、辛いから。 野村朋史 神奈川県藤沢市 14歳 中学3年生 ------- 他にも、多くの印象的な言葉があった! その一つが以下の言葉である。自分に壁を作るのはやめよう。 見えるものも見えなくなるから。自分の可能性は限りないから。 ー自分の現在の壁に気がついているのだろうか?タダ、その気持ちはだいじだが。 次は、これ以外の響いた幾つかを抜粋してみる。 ε(´',_c')зβyё☆βyёε('c_,'`)з゛ ・・・・・・・・・ 2005年04月04日(月) 1462, 永遠に生きるように学べ
学生時代に、「永遠に生きるように学べ、そして明日死ぬかのように生きろ」という言葉に出あった。 最近、再びある本で出会ったが、年齢を重ねたためか、この言葉の重さ・深さを改めて実感する。 母親が向学心が強い人で、その後姿を見ていたので死ぬまで勉強の必要性は感じていた。 その都度、自分も社会も変化していくのだから、基盤も変えていかなくてはならないのは至極当然のことである。 年齢を重ねるほど、経験の裏づけが多くあるので吸収度が高くなる。せっかく地球に生まれてきて、 80年の時間を貰ったのだから、地球のこと、宇宙のこと、そして人間が長年かけて積み上げてきた知識・文化を 可能な限り見て・知って・経験するのが、人間の生きる最大の目的になる。 自分で意識をしてこの言葉を自問していないと、虚脱感の強い・虚無的な人になってしまう。 「もう歳だから何で勉強をする必要があろうか」 「まあ世間様と同じように何事なく生きていれば良い」と何もしない生き方になってしまう。 それならまだしも、真っ当に生きている人に対して批判をするのが趣味になってしまうから、 自分に対して更に害を及ぼすのを自覚できない。90?以上?が、私の見る限りそうである。 いや、もっと多いか。 その辺で老人同士が、いい歳をして人の悪口を言っているのをみると、思わず顔をそむけてしまう。 それまで生きてきたようにしか歳をとれないのはわかるが。「永遠に生きるように学べ」は「死ぬまで勉強」と 同義語であるが、響きが明るいのが良い。「明日死ぬかのように生きろ」は人生のコツである。 明日死ぬかもしれないのが人生である。だから「いま、ここ」を大事に生きなくてはならない。 一期一会である。 いま、ここの一瞬は永遠である。生きているとつくづく、このことを実感する。 この随想日記も、そう思って気持ちを集中している。何十年後に子供が読んでも、 この今の一瞬の集中の閃きは、そのまま言葉の中に永遠に篭っているはずである。 若き老人達よ,この言葉を自分の手帳に書いて、繰り返し読むことを勧める。 最低千回は口ばんでみるべし。「15歳で自分の人生を投げ出してしまった貴方のこと!」 「自分のこと!?」 「そう!」 ・・・・・・・ 2004年04月04日(日) 1097, 落し物
散歩をしていたら熱くなってきたので、ベストジャケットを脱いだ。 持っていた折りたたみ傘をそのジャケットに入れたところ、いつの間にか無くなっていた。 傘はどういうわけか愛着がある。散歩道で15分前にジャケットを脱いだのでその時落としたのだろうと、 その道を取って返した。ほとんど誰も歩いてなかったので、そのまま落ちているだろうと下を向いて 道を探したが見当たらない。いま時、傘を拾う人もいないだろうにと思い拾った人は如何するだろうかと考えた。 「おそらく目立つところに置くのでは?」と思い浮かんだ。橋の欄干ではないか。 今度は下でなく、目立つところ見て歩いたら、やはり橋の欄干に置いてあった。 拾った人が分かるようにそうしたのだろう。いまの日本人にはそういうところが残っている。 傘は平均2年に一度は無くすが、後味の悪さがどうしても残る。 新幹線通勤で降りた瞬間、気がついて何度か引き返したことがある。 15年前、生の現金を封筒に入れたまま、数万円を落としたことがある。 泥酔をしての事だ。長岡駅の交番にいったところ、うけあってもらえなかった。 「奥さんに言えない金を使ってしまって、狂言ではないか」と言われた。 怒りさえでなかった。「なるほど、そういう見方もあるんだ!」と驚いてしまった。 じつをいうと、数万入った財布をいま一度落としたことがある。この時も出てこなかった。 学生時代に5000円の入った財布を落としたことがあった。それは警察に届いていた。 500円のお菓子を持ってお礼に行ったことがあった。明日は、拾い物について書いてみる。 拾い物は以外と少ないものだ。落し物は数知れずだが、記憶に残るものはこんなものだろう。 ・・・・・・・ 2003年04月04日(金) 730, 「ほめ芸王」ー読書日記
ー褒め上手は芸のうち 営業を何年もやっているうちに身につける芸である。口先だけの営業手段として、ただで一番効果のある手段だ。 十年以上営業をしていれば、営業術から営業芸にランクアップしてしまっている。 キーマンに会ったときの枕詞として、「さて今日は何の褒めネタでいくか?」 と考える。それが営業の第一歩であり、まずは切り口となる。 今日の芸はどの程度であったかを日記に克明につけたらプロであろうが。 「どっこいしょ」と持ちあげて、次に相手を落とすのだ。 「どっこいしょ日記」に、おだて上げと落としの日記を克明に書けば いかに人間は幼いものと解ってくるだろう。 人間は誰も褒めて欲しいのだ!
ー「ほめ芸王」の内容の一部を抜粋する ・わたしはほめない、ほめちぎるのだ。ほめるのでは足りない、ほめちぎらなと、ほめたうちにならない。 ・「ほめ下手の人は、ほめているものの、相手を見下げている。ほめるということは、見上げる事である」 これは言いえて妙である。「このことに関しては全然あなたの方が上ですね」という言い方にすれば、相手も受け入れる。 ・「ほめることは簡単だ。しかしほめ続けることはむずかしい」という。 ・「感嘆」に勝るほめ言葉はない。 ・ほめるとは相手を語ることではない、自分を語ることである。自分のほめ方は自分にしかできない。 ・相手をほめることで、自分自身の存在を確認する事ができるのだ。神様の心にならなくては、ほめることができない。 ほめることで神様の心になれるのだ。 怒った顔で、ほめる人はいない。 ほめる時、人は誰でも、神様になれるのだ。 ほめるとは、感動である。 ほめるとは、感謝である。 ほめるとは、感激である。 ほめることで、二人の人が幸せになる。 一人は相手。そしてもう一人は、あなた自身なのだ。 感想ーどうもほめる事は難しい。自信がないのだろか。やはり営業でそうせざるを得ない立場の人は身についている。 私がほめると効果てき面だが、軽々しくほめたくはない。まずは顔色からほめるのもよいが。 家内を実験台に少し始めてみるか! 少なくとも貶すのはやめよう!
・・・・・・・ 2002年04月04日(木) 366, 速読法
先回も書いたが、速読法という本を読んでいて吃驚した。 一つ一つの語句に目を合わせるのでなくて、一度にページ全体を眺め、フォトフォカス状態で 文書を眺める。意識下でなく、無意識下でその文書を取り入れてしまうものだ。 初め読んだ時、本当かと疑ったが、実際やってみて驚いた。見開きの2ペジの中央に目を合わせ、 それを4つかどの隅に全体の視野を広げていき、ジッと10秒ぐらい見続ける。 そして再び、一ページ単位で中央に目を持っていき、それをまた意識をそのページの隅に持っていき10秒ぐらい見続ける。 そして文章を読むと、通常の数倍の感覚で文章がスラスラ読めるのだ。 目そのものがスキャンの能力をもっているのだ。もし疑うなら実際やってみればいい。 人間の脳力の凄さの一端をみたおもいだ。一回めくる度に4秒をかければ、 250ページなら20分かかるが、かなりの情報が脳に記憶されるという。
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2009年04月03日(金)
ー養老孟司が、対談で次のようなことを述べていていた。 《 数年前に亡くなったユングなどの研究者の河合隼雄が真面目な話をする時に「私は嘘しか言いません」 と言っていたそうです。これは考えてみたらシミジミと効いてくるセリフです。 つまり、「私は嘘しか言いません」というのが本当だと既に嘘をついている。 河合さんは、この言葉に「言葉など当てになりませんよ」という意味を込めていられるのだと思いますよ。》 なるほど、面白い。 哲学に似た問題提起があった。 「クレタ人の嘘」である。 ー『クレタ人は嘘つきだ』が真ならば,クレタ人が発した『クレタ人は嘘つきだ』自体が嘘で, クレタ人は嘘をつかないことになり,『クレタ人は嘘つきだ』が真という仮定と矛盾する。 もし、『クレタ人は嘘つきだ』が偽ならば、クレタ人は嘘をつかないことになる。 つまり、『クレタ人は嘘つきだ』が真となってしまい,『クレタ人は嘘つきだ』が偽という仮定と矛盾する。 『クレタ人は嘘つきだ』の真偽がいずれであると仮定しても、矛盾が起こる。ー 言葉の何とも妙なところだが・・・
「私は嘘をいいません、信じてください!」 の口癖の人がいた。 これほど好い加減な言葉はないが、言うほうも言うほうだが、騙される方も騙されるほうだ。 騙している方も騙されている方も、ボケ漫才のように気づかないから始末が悪い。 それなら「私は嘘しか言いません」の方が良い。 それも、哲学的ときているから面白い。 しかし、それでは世界が回らない。詐欺師は「嘘しか言わない」からこそ、その奥にある言葉の意味を知っている。 言葉は共同幻想、そして仮想を創りあげる。それに己が気づかないから問題は拗れるのである。 「私は嘘を言いません」と真面目に言う人がいるが、「私は嘘しか言いません」を悪用するとどうなるか? 「私は嘘を言わないように心がけている。嘘を言った分、何倍も自分に跳ね返ってくるし、自分の中に残る」 これは、私の基本だが、一般も同じだろうか? 嘘も方便だが・・・冗談のつもりの嘘で何度も大失敗をしたが。 ところで本当(真実)って何だろう?
・・・・・・・・・ 2556, 印度放浪 ー1 2008年04月03日(木) 『印度放浪』 藤原新也著 朝日文庫
写真家の文章は何故もこのように対象を、そして対象に映った気持ちを上手く表現出来るのだろうか。 言葉の一言一言が詩のようでもある。以前、買って目を通したが、長男がインドへ行ったのを機会に読んでみた。 文庫本になっているが、半分以上がカラー写真で、40年以上前に書かれたものとは思えない。 表紙を開くと、すぐ次のページに、この一行だけが書いてあった。 ー 歩むことに、ぼく自身と、ぼく自身の習ってきた世界が虚偽に見えてきた。ー そして、その二ページ後に、 ーぼくは歩んだ。 出会う人々は、悲しいまでに愚劣であった。 出会う人々は、悲惨であった。 出会う人々は、滑稽であった。 出会う人々は、軽快であった。 出会う人々は、はなやかであった。 出会う人々は、高貴であった。 出会う人々は、荒々しかった。 世界は良かった。 《旅》は無言のバイブルであった。《自然》は道徳であった。《沈黙》はぼくをとらえた。 そして、沈黙から出た言葉はぼくをとらえた。 良くも悪くも、すべては良かった。 ぼくは全てを観察をした。 そして、わが身にそれを《写実》してみた。 ーー 40歳になって15年ぶりにこの旅をふりかえった著者が「なぜインドに行ったのか」の質問に言葉がつまり、 その若者の後の影に、過去の自分を投影する。 (若いときの自分について) 青年は何かに負けているようだった。たぶん青年は太陽に負けていた。 そして、青年は大地に負けていた。青年は人に負け、熱に負けていた。 青年は牛に負け、羊に負け、犬や虫に負けていた。青年は汚物に負け、花に負けていた。 青年はパンに負け、水に負けていた。青年は乞食に負け、女に負け、神に負けていた。 青年は臭いに負け、音に負け、そして時間に負けていた。 青年は、自分を包みこむありとあらゆるものに負けていた。 疲れたその青年の目は表情を失っているかに見えたが、太陽にいられて眩く白熱する、 目の前の地面を、ただぼんやりと見つめ返すだけの意思をわずかに残していた。・・・・ ・・・なんか知らんけど目茶目茶に何でもかんでも、負けにいったんじゃないかなぁ。最初の頃は。 ーー インドは何々とは、この本を読むと何もいえなくなる。 ただ、行ってよかったと、つくづく感じるところである。 ーつづく ・・・・・・・・・・ 2007年04月03日(火) 「定年以降の生き方」を考える 才八∋ウ_〆(∀`●) 今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。 その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。 「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。 「孤独」「孤立」した時に、自分と如何に付き合っていくかが真に問われるのが、これからの人生である。 それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。 宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。 勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。 鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、誰も相手にしない。 その時ただ一人茫然とするしかない。そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、 「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。 そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。 「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。 そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を 問おうとしているのである。 面白いので、つい話がそれてしまった。 還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。今さら言っても仕方がないが・・ まあ、面白いから話を続けよう。そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。 その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない? じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。もういる。もし犬を飼っているなら、 さらに小鳥を飼えばよい。もし持ち家があるなら家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。 その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。 定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。
もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、「やっと、人からの束縛から抜け出て、 孤独、いや孤立したのだから、あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。 せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、その死への恐怖と危機を借りて、 他人からの目や、プライド、見栄など、一度無視することである。死の前では、そんなものは霞でしかない。 限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。 死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。 だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。それに気づくには独りになりきることしかできない。誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。定年の時期なので、ついつい!ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから? ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ 別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。 ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。 何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、 ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。 人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!
・・・・・・・・・ 2006年04月03日(月) 1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい?4 ー 3月22日 12:00記 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始) 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや 気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。 それをカバーするのが、モーニング・ページである。何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。 書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に 「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、許す、よかった」 などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も 面白いが、ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。 ーー ー 3月30日 pm12:30記 「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。 自然の、その時点の自分の言葉が読み取れるのがよい。良いのは、ただ筆に向くまま書いてあるのがよい。 話題はソウソウないから、昨日の些細なことや、昨夜見た夢のことや、昨日観たTVなど話題になってしまう。 それが記録として残るのがよいのだろう。人は、一日6?8万のことを考えているという。 私は、それほど考えてはないが、それでもその時点時点考えている。 それを起きざまに30分間筆に任せて書くのだから、後で読めば面白いのは当然だ。 そうでもなくても、随想日記を一年後、二年後、三年後の同日読み返すと面白いのに。 最近は、昼休みの20分を使って書きたしもする。 後で読みかえして共感するのだろう。外国にいった時に、このような文章を書いていたら、 後で読み返したとき一番の思い出になるだろう。それと同じことである。 人生でも同じである。日常の何げないことこそ、大事なことなのだ。 そして、それを自然体で記録をとして書き述べればよいのだ。 その意味で、朝起きたばかりの時に30分間筆の向くまま文章を書くことが一番大事だとわかるはずだ。 ー4月2日記 am9:30 これを実施してから、20日になるが、続けるほど効果の深さに気づかされる。 先日から中央に日付をかいて○で囲んで、そこから放射線で外に大きな○を書いて、その中に書き込む方法に切り替えた。 マッピングである。この切り替えがよかった。さらに昼に違う色のペンで書き足している。 実際には頭には無数の雑念が浮いては消えている。そこには多くの砂や石に混じって金もある。 その混合をとにかく書き出しておくことは、良い思いでだけでなく、それをベースに次の発展になる。 要は、頭に浮かんだことを、そのまま書く習慣が良いのだ。何か自分が自分の中を散歩しているような気持になる。 これを過去の旅行中にしておけばよかった。書いた分だけ、その時の気持ちが後で読んだ時に残るからだ。 文章の中には、気持ちがそのまま残る要素がある。 それが良いのだ。 とにかく30分、3Pのノートに習慣として、自然体に書いておけば続ければ続けるほど 内容が良くなる。小説家の日記は、これを克明にしているのだろう。
・・・・・・・ 2005年04月03日(日) 1461, 「どう思いますか格差社会」
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、 好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。 社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。 一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。 それに対して、シビアな議論がつづいた。議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。 「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。 もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。 格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。 島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。 国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。 アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、 問題がすりかわってしまうが。面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と 下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。 いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。 「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。 「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。 中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。 豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。 先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。 格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。 行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。 また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。 潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。 この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて議論させたことである。 勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。 日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。 「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への移行過程の一現象でしかない!」 と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。
・・・・・・・・ 2004年04月03日(土) 1096, 人生と時間
1日=24時間、 1年=8,760時間、 80年=700,800時間
人生80年間を時間換算すると、確かに700,800時間になる。 人間には睡眠や食事、排泄など、生理的に欠かせない時間がある。 そうした時間を1日10時間とすると、70万?292000(10時間×80年)=約41万時間となる。 <人生は41万時間の配分ゲーム>といえる。 ・ 1日=労働時間+生理的必要時間(睡眠、食事、排泄etc.)+自由時間 ・ 他律的時間と自律的時間 ・ ライフサイクル?=幼少期→少年期→青年期→壮年期→老年期 ・ ライフサイクル?=被扶養者→生徒・学生→労働→結婚→家族→引退
1日を、一生を、どのような時間で構成するかは生涯設計(ライフ・プラン)、人生設計そのものになる。 自分をライフ・デザイナーと意識している人と、していない人では、異なった結果になることは確かである。 自分が実はデザイナーであることを知らない人から、優れたデザインが生まれるはずが ない。時間認識の有無は優れたライフ・デザイナーにするための前提条件です。 それは豊かな充実した人生を送れるか否かを決定する最も重要な前提条件でもある。 話は少しずれるが、「自分の時間が持てない」とかいう人が見かけられる。 自分の時間を持つコツを知っている人というのは、自分の「場所」を幾つか持っている。 自分の時間を持つことは、自分の場所を持つことと同じことになる。 行きつけの居酒屋やスナックはその典型である。 といって、読書の好きな人で居場所など何処でもよい場合も考えられるが。 それでも自分の好きな場所で読むことが最上である。 ある哲学書に何げなく書いてあった「心身の問題は、時間の問題である」 という一文も考えさせられる。内容を読もうとしたが、難しので深くは読んでない。 ただ経験から、どんな深い心の傷も三年も経てば殆ど消えている。 連れ添いを亡くした人を、年配のヤモメが慰めていたのを聞いたことがる。 『何事も三年よ!』と。倒産や身近な人の不幸や失恋などの心の傷も、完治大体三年である。 学生時代の日記を読んで見ると、次から次へと心の傷を負っている。 といって、次の問題が起きると殆ど忘れてしまう。 そう考え見ると、心身の問題も時間の問題と割り切って考えればよいことになる。 「時間が全てを解決する」ということだ。それでは時間とは何ぞやという難しい問題が出てくる。 「人生二度無し」が『自分に与えられた時間』の重要性をズバリ言い当てている。
・・・・・・・ 2003年04月03日(木) 729, 「イヌが教えるお金持ちになるための知恵」 ー読書日記 (字数の関係でカット2008年4月03日)
・・・・・・・・ 2002年04月03日(水) 365,ミカン集中法
「ミカンを頭の上15センチ上に置くイメージを抱き、本を読んだり、書き物をすると集中力が数倍増す」という。 読書や文章を書くとき「頭の上に意識を集中するといい」とは昔からいわれていた。 それを「具体的にイメージとしてやると効果が上がる」という事だろう。 今朝、ウオーキングでやってみて効果抜群であった。集中が数倍ついたようだ。この文章はほぼ散歩で頭で書いた。 中国で「魔術師がかぶる三角帽」「思考帽」と実際あったという。落ち着きのない子に罰でかぶせる「ダンスキャップ」もあった。 ミカンもいいが、鳥もいい。 他に気がいったら、飛び去る鳥だ。それを意識していれば、他の思考や情報が遮断されるからだ。 授業でも、読書でも、この随想日記を書くときに早速利用できる。石のアーチの頂点に置くカナメ石に似ているという。 カナメ石は他の石が所定の場所に固定させる役割になる。 注意の一つを一点に集中する事により、残りの集中力を読書などの対象に集中させる事が出来る。 仕事でも、考え事でも、授業でもなんでも使える。
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| 2919,寝入る瞬間を経験したことがあるか? ー3 |
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2009年04月02日(木)
マギーの「哲学人」の中に、次ぎのような文章を見つけた。 ー私は寝入る瞬間について大いに頭を悩ませていたが、ウィトゲンシュタインは死に関して、 それと同じような瞬間を扱っていた。その瞬間を経験しようとしても無理であると彼は述べていた。 なぜなら、明らかにその瞬間に意識がなくなるため、それを意識できないからなのだと。ー これによると、その瞬間は意識がないのだから、ない意識が、それを経験できないというのだ。 「もし哲学者が考えるとしたら?」と私が考えた内容と酷似はしている。 しかし私の実体験とは違っている。 「あっ!」という数百分の一秒の感覚を、寝入る瞬間に直感したのである。 実際にスット意識を失う刹那(瞬間)を感じたのである。 「その瞬間の感覚は、寝入る瞬間の直前であり、寝入る瞬間ではない」と反論されそうだ。 しかし、「それが寝入る瞬間だろう」と、反論も可能である。 それに対して、 「意識が無意識の世界への移行の瞬間を如何して感じ取るというのか、論理からみて疑問である。 その直前の刹那が果たして経験できると言うのか?」と言うだろう。 しかし私は、その刹那を感じたのだから、何を言おうが事実は事実である。 「それでは証明しろ」と言われれば、証明のしようがない。 この書で寝入る瞬間を経験することは、ほぼ不可能で私は特異経験をしたことが分かった。 寝入ったアチラの物語の夢について、ここでも多く書いてきたが、 気楽に内容を言葉としてノートに書き出すと面白い。このテーマとは関係ないか! ところで寝入る瞬間の体験って、そんなに大事なこと? って。 ある哲学の本を読んでから、ほぼ皆無というなら、私にとって大事なことです! 毎晩、何度も目がさめる者にとって、一度は経験してみたいもの。それを経験したのだから。 ・・・・・・・・ 2555, ホモ・ルーデンス ?1 2008年04月02日(水)
『ホモ・ルーデンス』 ー読書日記 ヨハン・ホイジンガ(オランダの歴史家) 1938年著。 「文化は遊びとして、もしくは遊びから始まったのではない。 言うならば、遊びの中で始まったのだ」 ーすべては遊なりー ー文化は遊びの中にはじまるー ホイジンガーの言いたいことは、この二つに尽きる。 まずは ーすべては遊びなりー(遊びの考察と定義とは) について考察してみよう。
ホイジンガの遊びに対する考察は、プラトンの言葉から始まる。 「真面目にすべきことは真面目にやり、真面目でなくてもよいことはそうしないでもよいのです。 最高の真面目さを以て、事を行うだけの価値があるのは、ただ神に関する事柄だけなのです。 これに対して、人間は、ただ神の遊戯の玩具になるように、というので創られた。 これこそが、人間の部分です。だから人はみな、男も女もそういうあり方に従って、 最も美しい遊戯を遊戯しながら、今ちょうど心に抱いているのとは正反対の考えで 生きてゆかなければならない。(プラトン対話集『法律』)」
著者は、この真面目と遊びの対立において、 「真面目は遊びを閉め出そうと努めるが、遊びは喜んで真面目さを自己の中に抱き込むことが出来る」 と、遊びの優位性を説いている。 そして、遊びの定義として、 「遊びは自発的な行為もしくは業務であって、それはあるきちんと決まった時間と場所の限界の中で、 自ら進んで受け入れ、かつ絶対的に義務づけられた規則に従って遂行され、そのこと自体に目的をもち、 緊張と歓喜の感情に満たされ、しかも『ありきたりの生活』とは『違うものである』という意識を伴っている」 「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、 最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである」
遊びの定義から、世俗に対して離れているという点で、「聖なるもの」と「遊なるもの」は同一であると。 最後の文章に 「人間的思考が精神のあらゆる価値を見渡し、自らの能力の輝かしさをためしてみると、必ずや常に、 真面目な判断の底になお問題が残されているのを見出す。 どんなに決定的判断を述べても、自分の意識の底では完全に結論づけられはしないことがわかっている。 この判断の揺らぎ出す限界点において、絶対的真面目さの信念は破れ去る。 古くからの『すべては空なり』に代わって、おそらく少し積極的な響きを持つ『すべては遊なり』が のし上がろうと構えている。これは安っぽい比喩で、ただ精神の無力を思わせるかのようだ。 しかし、これこそプラトンが人間は神の玩具であると名付けた時に達した知恵なのだ」 ?? 一流は、その芸を遊びの領域まで到達している。遊びは自由への飛躍ということだ。 次回はー文化は遊びのなかにはじまるーを考えてみる。梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 に以下のような歌がある。 「 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」 子供達が純真に遊ぶ心を忘れずに、健やかに育って欲しいと願う気持ちが、 そして、自らもまた、子供の頃の気持ちを持ち続けていたいと願う心がこもっている歌だが。
・・・・・・・・・・ 2007年04月02日(月) 2190, 飲料水について オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン!
何処かの国の大臣様が、不正申告の事務所代の言い訳に「6000円のミネラル・ウォーター」を経費にしている、 と言い訳をして失笑をかった。しかし、それだけ水の健康に対する影響も大きいということだ。 そこで、水の健康に対する効果と、飲み方を調べてみた。
*まずは水と人間との関係は ・人間の体内の水の割合は、成人男子が60?、女子が55%。(新生児で80?、幼児では70?がある) 年齢と供に水分の比率が減り60歳になると、50%に減少する。 ・人間の脳には水分濃度を感知して補給の信号を発するセンサーがあるが、 歳を重ねると同時に感度が狂ってくる。体内の水分不足に対し喉の渇きが自覚しにくくなる。 ・体から1%減っただけで喉の渇きを感じ、2%不足すると脱水症状を起こし、 6%減では呼吸困難や精神錯乱を招き、20%に達すると、臓器の機能不全で死にいたることもある。 ・人の水分の排出は2.5Lで、それだけの水分補給が必要になる。
一般的には硬水は動脈硬化の予防やダイエットに、アルカリイオン水がガンの予防に、 疲労回復には炭酸水が良い、といわれる。 ・硬水はミネラルであるカルシウムやマグネシウムが血栓を防ぎ、動脈硬化予防に役立つ。 ・アルカリイオン水は活性酸素を抑制し、免疫細胞を活性化をすることでガンを予防する。 ・炭酸水は地層のなかに含まれている天然ガスが水に溶け込んだもので、飲みやすい。 疲労時に生じる乳酸を、炭酸ガスに含まれている重炭酸イオンが中和して体を中性に保つため、疲労回復効果が高い。 水は「6番めの栄養素」と名づけられ、糖質、たんぱく質、脂肪の三大栄養素に 続くビタミン、ミネラル、の次に位置づけられている。 ミネラル・ウォーターは4,5,6の栄養素が結びついているので、効果的な水といえる。 ペットボトルのラベルにミネラル・ウォーターには、様々なミネラル成分が表示してある。 中でもカルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウムの4つが主要ミネラルと呼ばれ、 水の味は、この4つの配分で決まってくる。 カルシウムが多いと甘く、重みのある味となり、マグネシウムが多いと苦く渋みを感じる。
水には、すべての人を健康にするものは存在しない。年齢や体質、改善すべき症状によって使い分けるしかない。 朝起きたときに、浄化器の水か一度沸かした水を飲み、三食の食事前にアルカリイオン水を飲むのが、理想的である。 お茶を細かく飲むのも良い。運動時にはスポーツドリンク、外で酒を飲む時は、アルコールで体が酸性になるので、 軟水のアルコールイオン水を脇に置いて飲むのが効果的である。 寝る前にやはり湯冷めの水か、浄化水を飲むことを心がければ良い。 ーー 以上であるが、調べていて水の健康への影響は大きいのが解った。 そういえば、20年前に5年ぐらいアルカリイオン水浄化器を使っていた。 壊れたのをキッカケに使わなくなったが・・・・ 少なくとも、生水と、缶もの(ジュースやコーラ)はさけて、特売の100円のペットボトルか、 麦茶のつくり置きの習慣は必要だろう。 水まで格差?の時代か。 ホンジャ(o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・・ 2006年04月02日(日) 1825, あちら側の世界 ?6 b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー ーGoogleという会社とは?ー
グーグルのミッションは 「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」と定義している。 「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを全部グーグルで作ろう」ということだ。 そのために「世界中の情報を整理しつくす」というが、そう簡単にはできることでない。
グーグルに関して ー第2章 グーグル?知の世界を再編成するー の概要から考えてみよう。 (これは、あるHPからコピーしたものだが、簡潔にまとめてある)
・グーグルのミッションは「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」 ・ネットの「こちら側」であるフィジカルな世界から、インターネット空間に 浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界である「あちら側」へのパワーシフトが確実に起きる ・情報をインターネットの「こちら側」と「あちら側」のどちらに置くべきか、情報を処理する機能を「こちら側」と 「あちら側」のどちらに持つべきなのか、というトレードオフが、これからのIT産業の構造を決定する本質となる ・グーグルの情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムは、チープ革命を徹底追求した全く新しい 作り方で自製し、 圧倒的な低コストを実現したという意味において、三大潮流のすべてを体現した存在である ・グーグルのビジネスモデルは新しいバーチャル経済圏を形作ろうとしており、 「知の世界の秩序の再編成」に新しい富の分配メカニズムをもたらしている ・「情報自身の淘汰」に委ねるという思想のもとに、すべての情報を共有することこそが、組織と情報」 におけるコペルニクス的転回であり、グーグルの組織マネジメントにおけるスピードとパワーの源泉になる ・サービスにおける「人間の介在」の思想の違いから、ヤフーはメディア、グーグルはテクノロジーという本質的な違いがある
ー以上だが、 「世界中の情報を組織化し、それを誰からでもアクセスできるようにすること」 「世界政府があるとしたら、そこで開発しなければならないはずのシステムを 全部グーグルで作ろう」というミッションの恐ろしさの一端を、多くの人が 実感できたのが、2005年6月に「グーグル・アース」というサービスを始めた時だ。 無料でダウンロードできるグーグル提供のソフトウェアとサービスを使うと、 世界中の衛星写真、起伏に富んだ地形の立体画像、さらに大都会の場合、 建物の意味を含めた詳細の三次元画像を、私たちはパソコン上ですべてみることができるようになった。 東京の詳細の画像も全部見ることができる。適度の高度からズームアップをしたり、高度を上げて、東京全体を鳥瞰できる。 これに仰天するが、これは「挨拶代わりにどうぞ」という感覚で、グーグルが世に出したに過ぎない。
これ一つとっても恐ろしいが、彼らはリアルタイム性や解析度もさらに高め、全地球上の何が起きているかを 全部閲覧できるシステムをゴールとしているに違いない。チープ革命とは、そういうことを可能にする潮流なのである。 ーー (*・_・)y-~~~ ひといき ーさらに他のHPにも解りやすい内容があった。 (以下、字数の関係でカット2008年4月02日) ーー 先日さっそく「グーグル完全活用本」?創芸者を買ってきたが・・・ 次回は「アマゾン」について書く。 ゝ(-_- ) バイ! ・・・・・・・ 2005年04月02日(土) 1460, 頭脳の果て ?読書日記
この本は数年前に買ったが、目を通しただけで本棚に並んでいた。何げなく手に取ってみたところ、面白い。 前に読書日記で書いた「迷ったときは運命を信じなさい」に似ている。 ネット書店の「アマゾン」で、この本の基本情報を取ろうとしたら、この中古本が何と10倍近くの値段で出ていた。 絶版のため、値段が競りあがっているという。書き込みと、ページの折込をしてあるので売り出せないが、 そうでなかったら、売りに出したのだが。(売り手の戦略の可能性もあるが) それにしても、面白い本である。特に天才のイメージを借りるテクニックが面白い。 天才の感覚を借りるテクニック(Genius Code)、イメージワークである。 天才をイメージで呼び出して、その人になりきり、その人の疑似体験をする。 イメージトレーニングを発展させたと言えばわかりやすい。使いようによっては、かなりパワフルにはたらく。
大まかにいえば、 1.リラックスする 2.モデルとなる師を具体的にイメージの中で描写する 3.着ぐるみの中に入るようにして師匠の背中から中に入り、師の焦点と、言葉と、体の使い方を体験する。 終わった後では、その着ぐるみを脱ぐというような感じになる。 実際、随想日記を書いて読み直すとき、物書きのイメージで批判的に自分の文章を読み返すと、 いつの間に全く違った添削をしている。他にもイメージ・ストリーミングが色いろ書いてある。 その一つを紹介すると、 1・エレベータのようなものに乗る。 2・ボタンを押すと、他の星に移動する。 3・そこには、他の星の自分がいて、自分よりはるかに能力がある。 4・その自分と一体になって、ものごとを考える。そして何かヒントがでてくるはず。 5・そして元の自分に戻って、そのマシーンにのって帰ってくる。 まあ、大雑把にいえばこうだ。 私が考えた、「三つの部屋の物語」も、 これがヒントかも知れないが。 更に、いま一つを紹介しておこう。 夜寝る前に目を閉じて、最も偉大な9人を透明な顧問にして、 彼らと一緒にいると想像する。 彼らは私を楽しい冒険の旅に導いてくれる。 おかげで真実の偉大さに再び深く感謝することができ、創造的な試みに向けて努力する気持ちと 正直な考えを表現する勇気を持つことができる。自分の好きな9人を選ぶのもよいだろう。 「迷ったときは運命を信じなさい」の、ギリシャ神話の神様と似通っているが。 これらは、私達が持つ大脳の素晴らしい潜在意識のメッセージに 耳をそばだてることである。また違う視点を得ることが可能になる。 大脳皮質とそれが持つアイデアを吸収したイメージを形作ることになる。 そうすることによって、より優れた能力を発達させることが可能になる。 スター・ウォーズに出てくる、フォースをイメージするのも面白い。 フォースは基本的な訓練やテクニカル・スキルをマスターしてみて初めて得られる威厳ある自由な力 フォースとは、右脳と左脳が完璧に調和したときに同時に作用したときに得られる解放された力である。 (フォースー潜在能力から湧き出してくる力) これらのテクニックは幼稚に思えるが、実際は右脳をフルに使うことになる。
・・・・・・・・ 2004年04月02日(金) 1095, わからないという「方法」
この本を本屋で見たとき、てっきりーわからないという「方法」で、自分の 枠の世界からでない方法のことを言っているのかーと思ってしまった。 それはできませんと勝手に思い込んで、小さな世界に閉じこもってしまうのも同じ。 立ち読みをして、インターネットで調べてみると、わからないと、 一度0に立ち戻って1つずつ理解しようとする努力方法をいっている。 ナルホドと肯いたが、わかるとは何かを一度考えるチャンスにもなった。 わかるとは理解することである。といって何処まで理解するとわかったことになるか、あいまいである。 むしろ「わからないという方法で」対象に入り込んでいくとよい。 私はあのひとを、わかっているといって全くわかっていないのが実態である。 あれはこう、これはこういうものという勝手な思い込みを捨て去ることをいっているのだ。 異業種参入が新しい業態を作ってしまうケースが多いのは、むしろわからない「方法」を利用している為である。
・・・・・・・・ 2003年04月02日(水) 728, 天国と地獄
人生を長く生きてきて「天国と地獄」は死後にあるのではなく、生きている人間の心ー思いの中にあることが解った。 その意味で一生かかって、天国のイメージをつくるのが宗教のはたす役割といってよい。 事業は経営が順調だと天国、上手くいかないと地獄である。 これほどのハッキリしたものはない。上手くいっている時はこの世の天国である。 しかし経営悪化で、資金繰りが行き詰まり自転車操業になった時は生き地獄そのものである。 その意味では「日本中は現在は地獄のふたが開いている状態」と経済評論家の高橋乗宣がいっているが、 実感としてよく解る。自民党という鬼が今も利権のため地獄の世界に国民を巻き込んでいる! 何ともいえない日本を覆っている暗い雰囲気は、それを物語っている。 サラリーマンはよい職場か、悪い職場でそれが決まってくる。 ある時期に倒産直前状態で大手の資本下にあった会社にいたことがある。 この世の地獄である。お互いの足の引っ張り合い、傷のつっつきあいになる。 また上司の相性も、その分かれ目になる。大の男がトイレで号泣!になってしまう。 家庭もそうだ、基本の夫婦関係が「あたり」か「はずれ」で、天国か地獄かの 分かれ目になる。五分五分でまずは、試される事になるのだ。 いかにいい加減に相手を決めてしまうのが人間の弱点だ。 誤解をして結婚してしまい、理解して離婚というケースになってしまう。 重いうつ病もこの世の地獄である。その人が理想としてつくった家は、その人にとっての天国のカタチという。 なるほど解るような気がする。いま住んでいる自宅は両親が「自分の人生の最後を飾るため」に造った家だ。 そうすると、私は両親の天国世界にいることになる。 なるほど! 私の天国は家内と秘境旅行をしている時だ。 それぞれのカタチがある。
・・・・・・・ 2002年04月02日(火) 364,新入社員歓迎会
毎年この時期におこなわれる。 かなり毎年盛り上がる。 当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、歓迎会がさらに盛り上がる。 2?3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。 まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。 その辺を調整しながら、盛り上げる。 しかし面白いことこの上ない。 若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいことだ。とにかく明るい! 花が咲いたという例えがピッタシである。それと時代に左右されている。 彼等はとにかく携帯電話世代だ。意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。 新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。反面、孤独という一番大切な世界を知らない。 宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると以前事実に近い事があったのではとイメージが湧く。
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2009年04月01日(水)
新聞広告のー「無趣味のすすめ」村上龍著ーの説明文である。 ーわたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画製作も、キューバ音楽のプロデュースも、 メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生する「仕事」だ。 趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。 心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。 真の達成感や充実感は、 多大なコストと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。ー 思い切った問題提起である。 「人生は仕事だけではない」ことは今さらだが、中途半端な仕事をしながら、趣味の世界に生きる人間に対する一撃。 しかし仕事一筋できた男が挫折した時に、趣味の世界を持っていたために救われることがある。 仕事のできる男ほど、それと同じぐらいの趣味の世界を持っていて それが仕事をプラスへ導く。 しかし、仕事を達成するには多大なコストと危険を伴い、常に失意や絶望という底知れない荒海が舟板一枚下にある。 趣味だ娯楽など、余所見をしている暇などないのも事実。 読書を趣味としてきたものにとって、いや酒が好きで居酒屋通いをしてきたものとして、 秘境・異郷ツアーが好きで世界中を巡ったものとして、そこには失望も歓喜も興奮が満ちていた。 そこは熱帯雨林のように豊穣な世界が存在をしていた。 しかし、言われてみれば過去の事業を振り返れば、その数倍の豊穣な世界があったことも事実である。 要は、「力、愛、知」の「力」の部分に力点を置くべし、ということだろう。 少し、趣味に力を入れすぎたか? そうでもないか? 新聞広告に列挙していた内容を次回に書き出してみる。その一つが ー効率化とゆとりー 「農耕と国家が生まれてから、ゆとりを持って生きることができた人は全体の一%もいない。」 が、面白いが、そうでもないんじゃないかとも思われるが、如何だろうか? 身近では、一人も存在していないが、いや、ごく身近に一人居る? いや、そう見えているだけ?
・・・・・・・・・ 2554, 閑話小題 2008年04月01日(火)
*予習と復習 人生の終盤に入ってくると、色いろとそれまで気がつかなかったことが、実感としてわかることが多くなってくる。 特に学習に対しての予習と復習の大切さを、あの時、気がつかなかったか悔やまれる。 そういえば、先生が予習復習を口すっぱく言っていたが・・こと、学業に関しては予習30、復習70?と目安だろう。 ここにエネルギーの20?を入れると、効果として200?300?の効果になったのである。 ところで中高学校、そして大学の学業は人生の予習であり、熟年期から、その復習期といえる。 その意味では、熟年期こそ人生の一番大事な時期と言えるのである。 先日、知人と「若いときの節目の旅行こそ大事ではないか」と話した。 その後の人生で長い時間をかけ、その経験に知識を加えていくこと(復習)こそが、 人生をより豊かに彩ってくれるからである。 一度行った旅行は何時までも続くのである。 ーー * 客引き・スカウト行為が今日より禁止 4月1日から、「新潟県迷惑行為等防止条例」改正により、客引き・スカウト行為などが禁止され、 50万円以下の罰金が科されるなど規制が強化される。 以前は古町界隈にイカガワシイ男たちが 立って、客引きをしていたが、数年前から新潟駅前も悪質な客引きが目立つようになった。 来年の国体の開催もあり、迷惑行為防止法が実施されることになったが、これが実施されると ほぼ客引は他の都道府県の実施例からみて、ほぼ姿を消すことになる。 三月になってから、 自警団も駅前にも出来て見回りが実施されているようで、四月からは、少しの客引きでも取り締まられる。 先週末には、警官が二名立って、客引きに警告をしていたようだ。 ピンクなどの客引きも、仕事はできなくなり、少なくとも新潟駅前と古町では仕事はなくなる。 新潟駅構内にも、カラスといわれる「ホステスのスカウト」が目に付いていたが、これで一掃される。 良いことである。 ーー *ガソリン値下げ 道路関連税制を無くすことは非常に結構なことだ。恐らく、自民党は4月に再議決をして成立を図るつもりだろうが、 そのプロセスで数十年間にわたり国民をだまし続けてきた構図が浮き出るだろうから、これだけでも充分である。 これこそ、道路族を含めた建設マフィアとの金つるである。叩き壊すのは当然のことである。 これで地方が更に不況になってもである。
....... 2007年04月01日(日) 2189, 「考える」とはどういうことか? おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ ー 読書日記 「近代哲学再考」 竹田青嗣著 ー「ほんとう」とは何か 自由論ー 池田晶子の本の中で、「考える」を多く取り上げ、考察している。また読書日記でも取り上げた。 「思う」から「考える」へ、どのように変化するかというと、その対象をまず把握することから始まる。 我われが「悩む」というと、悩んでいる対象を把握していないことにある。 その把握ー情報収集が考える第一歩が始まる。把握のプロセスから、すでに考えることになる。 「考える」をー検索すると、「問題の解決や,目標の実現や達成のために,いろいろな経験や知識を 組みあわせながら,新たな構想をさぐっていく精神活動。 すなわち,思いをめぐらし(連想,想像,推理),考え(思考,工夫), そして決断する(判断)ということである」と定義している。ひとことで言えば、「本質の洞察をするための精神活動」 ということである。難しいことを解りやすく整理するのが、私の考える切り口でもある。 池田晶子が子供向きに哲学用語を一切使わない文章などは、一瞬で深い真理に導く。 ーこの著の以下の部分は「考えるとは何か?」を考える上で、なかなか解りやすい! ーー 「プラトン入門」という本で、わたしは哲学の方法原理をつぎのように整理しました。 *「物語」を使わずに抽象概念を使用する。 *「原理」を提示する。 *つねに「一から」(根底)から再始発する。
ーについて、宗教では世界説明をするのに「物語」を使います。 そしてこの簡潔な「物語」を通して、世界はなぜ、どのようにして存在したか、 人間はどういう理由で存在するか、なぜ生きて苦しみ、またその生の意味は何か、 といった自己と世界の存在それ自身についての「問い=謎」に対する答えが、明快に与えられる。 これに対して「哲学」は、「万物」「原理」「水」といった抽象概念を用いて世界説明をおこないます。 ここで抽象概念とは、「一」「他」「同」「静」「変化」「不変」「多」「完全」「不完全」「永遠」・・等々の言葉。 「物語」を排し、「抽象概念」を使うことによって、哲学の世界説明が、特定の文化や民族や共同体の限界を越えて、 誰もがその思考に参加できるいわば開かれた言語ゲームとなった。
??について、哲学は「概念」を論理的に使用しつつ「原理」を提出する、 というルールで行われる世界説明(人間とは何かを含む)の言語ゲームだ、 といえます。そして、ここでの「原理」という言葉は、本来、 根本的で究極的な「真理」という考え方とは違ったものである。 自然科学の、仮説と実験とを繰り返しつつ理論体系を徐々に整備していく、 という基本方法は、一見、哲学の思弁的方法と異質なものと思える。 しかし、少し注意すれば、科学もまた、「物語」を禁じ手にし、 「抽象概念」を論理的に使用し、「原理」を提出し、さらにすでに 成立した世界説明を神聖化したり、固守したりせず、常に時代の要請に合わせた、 できるだけ深い前提に立ち戻ってもういちど理論を組み立て直す、 という根本原理によって成立していることがわかる。 哲学は、ある多様な現象を、どのような「キーワード」(=原理)で呼べば、 またそれをどう構成すれば、より普遍的な(=広い共通了解を生むような) 説明方式になるか、これが哲学どいう思索方法のもっとも革新的な方法であり、 自然科学はまさしくこの方法を「自然科学」の領域に当てはめ成立したものである。
??について、哲学の重要な点がある。 それは哲学において、先人の説を聖化しないで常により根源的な仕方で、「一から」考え直そうとすることです。 新しい哲学者は、必ず一度、先人の思考をもっとより深く根底的なものへ、つまり普遍的な説明方式へ 推し進められないか、と考える。そして先人の提出した「原理」から現れる矛盾をよく考え抜き、 その難問をクリアしうる新しい「原理」(キーワード)を提出しようと努力する。 ともあれ、哲学の方法の本質は、自然科学の方法の本質と同じであり、それは世界説明をより`普遍化’ していくことであって、「客観」」や「真理」へ届くための絶対的方法ではないのです。 ーーー ー以上であるが、「哲学=考えること」と、単純化すれば、「考える」ということは、 ー物語を使わないで「抽象概念」で、問題設定をして、これを展開する為のキーワードを提出して、対象の核心に受けとった上で、 常に初めの一歩より再出発すること。 これが基本といえる。これを「人生」ということに当てはめると、 より良い人生を生きる為には、子供の時の夢を具体的な言葉として持ち、常に自分の生きていく中で繰り返し、 そのイメージを大切にして生きること!である。そのために、「よく学び、よく遊び、よく働く」ことである。 ポイントの「よく」は、キーワード(原理)を明確にすることである。 ヾ(*'-'*)バイバイ!! ・・・・・・・・・ 2006年04月01日(土) 1824, あちら側の世界 ?5 オハ (´・ω・`)(ω・`)(・`) ウェブ進化論ー5 ーオープンソース現象ー(2) ー「ウィキペディア」について
この本で知ったのが百科事典の「ウィキペディア」である。 まずは、この百科事典から調べてみた。 ー ウィキペディア (Wikipedia) はインターネット上で作成、公開されている オープンコンテント方式の多言語百科事典。ウィキペディアはウィキメディア財団の展開する 最初の多言語プロジェクトである。 執筆、編集は主に参加者の共同作業によっておこなわれており、 自由参加型である点にも特徴がある。 (字数の関係でカット2008年4月1日)
・・・・・・・・ 2005年04月01日(金) 1459, 遠くにありて日本人 ?2
この番組が面白いので見ていたら、先日で最終回になっていた。 スペイン在住の日本人画家であったが、その中で印象的な場面があった。 大きなキャンパス全体に、斑模様の微妙な茶色を背景として塗りこんで、あとは数日間、 その画面を睨み続けて、何か閃きが来るのを待つ。そしてヨギッタ一瞬に、それをすくい取るという。 そのキャンパスを睨み続けて数日、やおら絵を書き込み始めた。 元々頭には、何の構想もないという。その構想は、絵を睨んでいるうちに自然に湧いてくるという。 自分の潜在意識から湧き出るイメージを絵にするのだ。ただただ、驚いてしまった。 それを見ながら、レオナルド・ダビンチのヒントの掴み方を思い出した。 天井の節目とか、何かの模様を見て、それからの発想・展開をしていったという。 これも、自分の脳(潜在能力)の中のメッセージを得るキッカケにしていたのだ。 その絵の作成行程を最後まで映し出していたが、最終には素晴らしい絵が完成していた。 何ごともそうだが、プロセスは似ているものである。ただし、自分の中に十分の経験と知識があっての話だが。 ーーー 2004/12/13 1350, 遠くにありて日本人 ?1
この番組み、度々見ているが、昨日のアメリカのロス近郊のバイク・ビルダー(手づくりバイク) の日本人がなかなか面白い。ライダーからの特注のバイクをつくるミニメーカーの日本人の紹介なのだが、 ライダーの世界と、そのバイクの製造過程が垣間見れた。 この「遠くにありて日本人」は世界のそれぞれで自分の生き方を貫いている日本人を紹介しながら、その地域や、 人間の生き方を覗き見る内容である。自分の好きなことを見つけ、それを貫いていることが人間としての理想的な生き方。 グローバルの時代に、本場に行って理想的な生き方をしている人を紹介している。 アルゼンチンに行って、「アルゼンチンタンゴ」の踊り手になっている中年に差し掛かった女性も印象であった。 この番組みを見ているとき、時たま街で出会う高校の同級生から電話が入った。 「佐藤というあの無口の同級生が、中越地震で被害にあった山古志村の診療所の医師をしている。いま仮設の住宅地で やはり仮設の診療所を開いて苦労しているからクラスの同士で来年早々、慰安会を開いてやらないか」とのこと。 時々TVや新聞に出ているという。それを聞いた家内がいうには、「近くにありて日本人。ね」なるほど上手いことを言うものだ。 色いろな人生があるものだ。
ーーーーーーー 2004年04月01日(木) 1094, 『携帯電話不安症』症候群
先日、ニュースで携帯電話不安症について特集をしていた。メールが来ないと、不安になってしまい 精神のバランスを失ってしまい、不安と疎外感で一晩中泣いてしまうという。 手軽に自分の気持を携帯電話で誰にも伝えることができる反面、 孤独になる機会が少ない為に、チョッとしたことで精神のバランスを崩してしまうという。 常に誰かと繋がってないと息もできない感覚になるという。 いま一つの特徴としては、'周囲の人と同じような自分'でなければ不安でしかたがなくなる。 それは、今までにない異常な大ヒット現象を生み出す一方、いじめなどの社会不安の増加をもたらしている。 さらに彼らの、「カリスマを求めてしまう心」は、社会をファシズムに走らせる危険性もはらんでいる。 会社員の場合、会社の携帯電話を待たされていると、 ・いつも誰かに追われているような気がしてストレスを感じる。 ・携帯電話の電源をオフにする勇気がない。 ・呼び出し音がする度にドキッっとする。(心拍数の上昇) ・冷や汗が出る。 ・呼吸が苦しくなる。(過呼吸症候群) ・動悸・息切れがする。 ・お腹が痛くなる。(過敏性腸症候群) これは「仕事上のストレス、会社に束縛されるストレスの二重のストレスの状態が原因」 という。いずれにしても、携帯電話が今の社会を大きく変えたことは間違いはない。 これからは、使い放題の定額制になると、若者のマスマス携帯の利用頻度は増すだろう。 携帯電話の使い過ぎは、自分の放棄といってよいほど、人間を無能にすることは間違いない事実である。 ある中年の男の人で、友人のたった一人の電話呼び出しを待っている姿をみた事がある。 別にヘンな関係ではないが、友人がいない人なのだ。たび重なる不祥事の為、奥さんや子供にも相手にされず、 たった一人の携帯電話を見つめている姿は鬼気迫るものだった。 中年にとって、携帯電話なんぞは、そのレベルの使い方なのだろう。 もし学生時代に携帯電話があったら、数倍愉しい時間を過ごせただろう。 身近で見ている限り、(仕事や家庭への連絡を除いて)携帯を多用している人間に ロクの奴はいない。 自分を持てない付和雷同になっているからだ。
・・・・・・・・・・ 2003年04月01日(火) 727, 「結婚スピーチ 」-読書日記 ー死ぬまで忘れられない話 ー この本がタイトルとは違って、斉藤茂太の人柄の為か面白いのだ。 おそらく我々のスピーチの数十倍の機会が多いから、色いろの逸話を集めたのだろう。 考えてみれば、夫婦の何ともいえない機微を取り上げるのは結婚式が一番多い。 夫婦の関係ほど微妙で複雑で赤裸々で面白いものはない。 ー以下を抜粋してみたー私の感想を入れた。 ・ある人がアインシュタイン夫人に、 「あなたは相対性理論をおわかりになるの?」と訊いた。 それに答えて「いいえ。でも,わたしはアインシュタインをよく理解していますよ」といった。 (感想)フォード1世に、ある記者が学歴がないことを知っていて、難しい質問をした。 フォードいわく「それは解りませんが、それが解る人間はすぐ呼べますよ」の逸話を思い出した。 ・結婚をしなかったわたしは、なんてバカだったんでしょう。 これまで見たものの中でいちばん美しかったのは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした。ーグレタ・ガルボ (感想)朝のモーニングショーで、離婚をしてよかったといっている中年女タレント数人に小沢昭一が、 「歳をとってね、ばあさんと一緒に飲むお茶の味はいいものだよ」といった。 元気のよかったバカタレント何もいえなくなった。
・作家の吉川英治は、亡くなる前に奥さんの手を取って、こういった。 「7たび生まれかわっても,7たびきみと結婚するよ」(感想)わたしの知人の奥さんが亡くなるとき 「またわたしを貰ってね!」といったそうだ。家内には「今度生まれてきたらあなたとは結婚はしないわ!」 といわれてしまった。結婚生活のコツは「また生まれ変わったら、この人と結婚したいと思うように 互い努力することと聞いたことがある。 ・人間にとって昔から大事なことは、夜、家に帰ってこないとき、どこにいるのかと心配してくれる人がいるということだ。 ーマーガレット・ミード (感想)アメリカの地質学者の言葉だ。 やはり港があるから楽々遊べるのだ。 ・結婚は鳥篭のようなものだ。外にいる鳥は、入りたがり、なかの鳥はいたずらに出ようともがく。 ーモンテーニュ (感想)理想は開けっ放しの餌の充分ある篭がよい。 そうもいかないか?! 夫婦生活は最後は 明るく、暖かいことと、最後はお互いの品性である。
「結婚スピーチ 」ー死ぬまで忘れられない話 斉藤茂太著 文化創作出版 1996年出版
・・・・・・・・・・ 2002年04月01日(月) 363,人に好かれる方法 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。 その中にあったデールの6原則があった。 1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる 4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める ーと記憶している。 学生時代まだ田舎を出たばかりで、人間関係の都会的感覚が身についてなかった。 どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。 即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した? もちろん男だが、友人が私の周りに オオバーに云えば屯したのである。そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。 特に聞き役は大変だ。そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。 と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。 あの頃は頭でっかちである。誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。 誰か聞いて欲しいのである。また孤独で自分を知って欲しいのだ。 そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」「今度は逆をやってみよう!」 ヒステリック的に自分でハッタリをかましてみようと。その時読んだ本が「教祖の話術」?赤塚行雄ーであった。 聞き役の寡黙の男が、急にわめきだしたのだから周りは吃驚した。そしてその話にそのバックあるから、その効果があった。
行動科学のシュミレーションをしていたことになる。
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2009年03月31日(火)
現在日本人の8人に1人が鬱病という。 女性と男性の割合は、女性2に対し男性1、の割合で女性の方が倍になる。 イタリヤ人は4人に1人の割合というから、陽気なイタリア人のイメージとは、かけ離れている。 私自身は20歳代半ばまで少しは欝的だったが、本質的には陽気。 欝は青年期は誰でも通る道。 精神的な落ち込みは独りで乗り越えてきたが、落ち込む余裕さえ無かったのが実情。
20年ほど前になるが、取引先の営業の人が重い躁鬱になってしまった。 病院の塀の上から内側に落ちるかどうかの際どい場面が何度かあったが、何時の間にか、 その病気の聞き役になっているうち、コントロール役になってしまっていた。 その人も数年前に亡くなったが、「原因」は、プライバシーに関わるから書けないが・・。 本人の口から欝の状態をこと細かく聞いたが、壮絶の一言である。 家中の家財をバットで叩き壊すなど・・・。 自分では、コントロール不能とか云々。 亡くなる数年前から、自分で危なくなると、医者に行って入院を10日ほど願い出て、 落ちつくと退院をしてきた。 そうなると、精神病ではなく、精神症というらしい。 病と症の境は、周囲に迷惑をかけるかどうか。 精神も肉体も同じで、病である。医者と相談をして、発症したときは薬を飲んだり 入院をして俗世界から一歩引けばよい。そのことを本人が相談にくるといい続けていた。 欝になる前には必ず異常な躁状態になる。 そうすると周辺から電話がかかってきて、 「欝の発生の予告」が来る。 そして、何時ものパターンが始るのである。
今回の調査の結果の「8人に1人が鬱病」には驚いたが、周りをみると、そういえば・・。 2〜3家族に一人になるから、深刻である。 生真面目で、常に誰かに頼っていて、周りに気づかいをしすぎ、自然の笑いの無い人。 私は自分の弱さを知っているので、予防の知識を充分に積んだが、それでも最近の不況は心を暗くする。 毎朝ウォーキングをし、仏壇前で5〜6分瞑想的な祈りをし、美味い酒でも飲んで憂さを晴らせば欝に なりようがないと思いきや、そうでもない。歳をとると何らかのカタチで欝的状態がついてまわる。 そりゃそうだろう。一つずつ病が加算され、身体は老いていき、友達・親兄弟は亡くなっていけば、 欝状態になるのが自然である。 この世界恐慌は「グローバル欝」を誘発する。 それを利用して戦争を起こし、チャラにしたのが、これまでの方法。 これからは、無いとは言えないのが世界である。 突き詰めると、やはり戦争??
・・・・・・・・・ 2008年03月31日(月) 2553, ヒルティの幸福論 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] アランの幸福論といえば、次にヒルティの幸福論を取り上げなければなるまい。 幸福論といえば、この数年来、哲学に熱くなっているので、浅いというイメージがわいてしまう。 格言や、哲学書の中で、軽く考えるレベルと信じていた。しかし、突き詰めれば幸福感を求めているのかもしれない。 幸せな人より、不幸せな生き方の人の姿?から、その不幸論がシビアに見えるからである。 まあ、それはそれで・・・・ いや、無知が全ての原因ということが、あまりに哀れで! 自分の姿を合せ鏡で見えたのだろう。 所詮、人間は結末は不幸なのだから。 カール・ヒルティは1833年生まれの法律家。アランの「幸福論」はストア哲学的であるのに対して ヒルティの「幸福論」はキリスト教的で、お堅い。 アランの幸福論ともに、幸福を、自分の内部だけで完結するものでなく、自分を離れた、 外的な環境や社会に対しての関心や、献身的行動にこそ幸福があるとしている。 ヒルティの幸福術のポイントといえば、仕事こそ最高の幸福 ?良い習慣を身につけることだ第一 自分の意志で幸せになれる 人間を知ることになる。 それぞれの印象的な部分を抜粋してみた。 ーーー 「我を忘れて自分の仕事に完全に没頭することのできる働きびとは最も幸福である。」 「本当に大切なのは、なによりも習慣の問題である。 第一の主要な規則は、すなわち、われわれは消極的に悪い習慣を捨てようと努力するよりも、 むしろ常に良い習慣を養うように心掛けねばならぬということである。」 「喜びはある程度まで努力してつくり出すことができる、しかもごく簡単な方法によって。 まず第一に、自分の持っている良きものに目を向け、その価値を認めて感謝することである。 感謝は喜びにきわめて近い感情である。次ぎには、他人に喜びを与えることである。これは誰でも、 病人でさえも、できることであり、ひとに親切にする機会は、つねに、どこにでも十分にある。」 「世にはわれわれの力の及ぶものと、及ばないものとがある。 われわれの力の及ぶものは、判断、努力、欲望、嫌悪など、ひと言でいえば、われわれの所産の一切である。 われわれの力の及ばないものは、肉体、財産、名誉、官職など、われわれの所為でない一切のものである。 われわれの力の及ぶものは、その性質上、自由であり、禁止されることもなく、妨害されることもない。が、 われわれの力の及ばないものは、無力で、隷属的で、妨害されやすく、他人の力の中にあるものである。」 「それゆえ、きみが本来隷属的なものを自由なものと思い、他人のものを自分のものと見るならば、 きみは障害に会い、悲哀と不安におちいり、神を恨み、人をかこつことになるであろうことを忘れるな。 これに反して、きみが真に自分の所有するものを自分のものと思い、他人のものを他人のものと認めるならば、 だれもきみを強制したり、妨害したりはしないであろう。 きみはだれをも恨まず、非難せず、 またどんな些細なことも自分の意志に反してなす必要はないであろう。 だれもきみを害せず、 きみは一人の敵をも持たないだろう。そして、きみの不利となることは一切、起きないだろう。」 「苦しみは人間を強くするか、それともうち砕くかである。その人が自分のうちに持っている素質に応じてどちらかになる。 苦しみに出会ったら、まず感謝するがよい。それから、その苦しみが何のために役立つかをたずね給え。 あなたがそれをただ避けようとせず、その苦しみの意味を理解しようと真剣に願うならば、必ずそれを発見するだろう」 「幸福に生活しようとする人は、何よりもまず自分の「気分」から完全に解放されることが必要である。」 「人間を知り、人間を正しく判断することが われわれの実生活にとって極めて大切だということを、 仮りにも本気で疑ってみた者など、まだ一人もいないであろう。人間知を得る第一歩は、自分を知ることと、 自分を善くすることである。第二は、人間をば、自分のためでなく、彼らのために知ろうという決心である。 そして第三に、人間についての完全無欠な知識を期待してはならないことである。 「人間を知ることは、人を観察する者がまず確かな自主性を持ち、またなんらの欲望もいだかぬとき、 つまり観察する者の側で一切の利己心をできるだけ完全に捨て去るときのみに可能である。」 ーーー アランに比べると、少しお堅いが、じっくりと人生論として読むとよい。 少しキリスト教倫理っぽいが。 ゚+.(ノ*・ω・)ノ* ホンジャ ・・・・・・・ 2007年03月31日(土) 2188, 宮城まり子 ?3
(~Q~;) おはよう?? 今日で日経新聞の「私の履歴書・宮城まり子」が終わった。深い世界を垣間見た思いである。 純粋な動機こそ、一番強いのだろうか?彼女にとって、この生き方しかできなかったのだろう。 障害者の一生を受けとめることは、生易しいものでない。 人生の全てをかけて受けとめているのだから、これこそ人生の格闘である。 数日前の、この場面が彼女の性格と強さが出ている。 「私がやらなければならない!」という自負が、捨て身でコトに当たれるのだろう。 ーーー ねむの木学園が始まったばかりで高校に進学する子はまだいませんでした。 「なぜ」「制度がないんだよ」私は躊躇いもなく東京に帰って、首相官邸に行きました。 1972年の9月16日。どんどん入っていって、「首相にお会いしたいんです」と言うと、 2~3分もしないうちに、大きなしわがれ声がして田中角栄さんが出てきました。 「今日は、総理大臣にお知らせしたいことがあって参りました。 両親のない子、貧しい子、よくできるのにお金がない子が日本中の擁護施設にいます。 大學にいくらなら自分で働いたらよいでしょう。けれども働いても定時高校にいけない子もいます。 その子が優秀なら高校にいけるようにしてください。面倒を見る職員のことも少し考えてください。」 「高校へ?」「はい」。総理はしばらく黙って私を見ておられましたが「やあ、ありがとう。勉強になりました。 すぐ返事ができなくて残念だが、待っていて下さい」と言われました。翌年1月17日に二階堂進官房長官から 連絡施設が入り、養護入所児童等で高校に進学できる能力を認めたものには国からの費用を交付する。 直接処遇職員については基本給に12~16?を加算するという制度に変わったことを教えていただきました。 吉行淳之介さん、亡くなって13年たちますが、ねむの木学園で格闘しているうちに、 愛する淳之介さんの病気が、慢性の肝硬炎から肝硬変に進み、その原因がC型肝炎であることをこっそり 知らされました。入退院を繰り返す中の彼の一挙手一投足を素知らぬふりをしながら眺めて 「まり子、淳之介とねむの木学園の子供達とどっちが大切なの」と思うときがあります。 「淳ちゃんを一番愛している。そしてもう一つの、一番愛しているのはねむの木の子ども」 私は、愛ってマシュマロみたいに柔らくて、二つに分けたらふわって大きくなると 思っています。すこし色彩が違うだけ。愛って、二つも三つにも増えても大丈夫、 愛して、愛して、愛しちゃって、もういっぱい愛しちゃったの。 こんな歌を歌ったことがありました。ミュージカル「イルマ・ラ・ドゥース」の中で。 そして私の淳のことをドクターの野郎は「ガンが見つかりました」と教えてくれました。 豊かな心の持ち主とは、こういう人をいうのだろう! このように人知れず 人生を恵まれない人に捧げている人 が数知れず存在している。豊かさとは何か考えさせられた一月であった。 ホンジャ~~ヾ(´ω`)バイバイ ・・・・・・・ 2006年03月31日(金) 1823, 日暮里界隈 ー3 才八∋ウ_〆(∀`●) 飲み屋の話になると話は、止まらない! 日暮里の・谷中銀座の商店街が、何ともレトロの味がある。数十軒の商店が両側に並ぶが、 空き店舗が一軒も見当たらない。 昼間は観光客で溢れかえっているのだろう。 魚屋、衣料品店、肉屋などパパ・ママストアには商品が満ちていた。 夕方の閉店まぎわの店の雰囲気が何ともいえない情緒がある。こういう風景に惹かれるのは地方の商店街では、 もう失われてしまったからだ。その通りから一歩はいった処に、情緒ある居酒屋が目に入った。 前までいくと料金が書いてあったが、普通の居酒屋の倍近い。 次男も一緒なので、たまには良いだろうと入った。25坪ほどの店だが居酒屋にしては高級つくりである。 変わっているのは、店の中央に奥の料理場から人ひとりが商品を出せる空間のある10席位のカウンターがある。 (吉野家のカウンターのような・・) サラリーマン風の中年男性が4人飲んでいた。その入れ替わりに60歳代後半の品の良い旦那様風の人が入ってきた。 何かのキッカケで話を始めたが、上野周辺で『三河屋』という老舗の葬儀関係の商品を扱う旦那という。 ( ・・)つ?{}@{}@{}- やきとりどーぞー♪ 「新潟から来て、東京在住の息子と飲んでいる」というと、 自分の生活圏の文化ー趣味(常磐津・・)とか、町内の話などを面白おかしく話してくれた。 下町文化の話は聞いていても飽きない。二軒目に入った店なので、あまり注文しなかったためか高くは なかった上に谷中ならではの雰囲気を充分味わえた。 旦_(。-_-。)いい仕事してますな? ところでJRの日暮里駅駅周辺の居酒屋は、店構えは良いが殆んど外れである。 下町の為か、朝鮮系の店が多い。宿泊しているホテルに紹介された駅近くの居酒屋に行ったら、 かん酒(前の客が残してアルコールの抜けた酒)を出されたり、どう計算しても何割か高く 後味の悪い思いをしたこともあった。日暮里界隈というイメージとおりの危ないところもある。 その危なそうなところが面白いのだが! バイ ._〆('Д'*⊂⌒`つ ・・・・・・・・・・・・・・ 2005年03月31日(木) 1458, はだしの学者ー西江雅之
以前、図書館から借りた西江雅之の旅行記「花のある遠景」を読んで、常識をはるかに超えた生き方に驚いてしまった。 世界を乞食のように放浪して、その土地・土地の言語と文化の研究に従事、50ヵ国の言語を話す。 ハダシの学者といわれるように、目線が現地人になっている。 そのためか、どこの地に行っても誰とでも友人になってしまう。深い教養があってこそである。 「砂漠で出会った人と、二人で手を取って歩きながら、どちらかが失敗したら死ぬであろうというギリギリの状況で 二月、三月と一緒に過ごしたというような経験がたくさんある。別れたらもうその人と生涯会えない。 住所を聞こうにも、手紙を書こうにもその人は字が読めないし、書けない。 居所もわからない。 そういう経験を何十回も重ねて・・・ そのときの思いは言葉では表現できない。 いやしたくない」と、時には言葉を重ねないことの大切さを述べている。 無理に言葉に置き換えるという作業が、驚きを別のものにしてしまいがちになる。 「外国の何とか村を紹介した本があって、読むと面白かったりするでしょう。 だけど本当は、その村が面白いんじゃなくて、書いた人が面白いんです。 その人は何とか村を面白がれる力があるんです。面白がる力があれば、世界中どこでもおもしろい。 実力のない人は、変わったものでないとよく見えないんです。」以上の言葉から見ても、 その言葉の奥行きの深さを充分に知ることができる。以前読んだ本の概要を紹介してみよう。 ーーーー 「花のある遠景」 西江雅之著 (旺文社文庫) 副題は「東アフリカの裏町から」である。
アフリカであっても、普段多くの人間は街に住んでいる。 働いてもいるし、食事もするし、酒も飲むが、しかしほぼ働いてない。 この旅行記で出てくる女たちは娼婦である。彼女らは著者にとっては、性の相手対象ではなく、 キクユ語の先生であり友達である(著者は、言語学者で文化人類学の研究をしている)。 彼女らは娼婦だからといって、娼婦的な陰鬱さが全く無い。さわやかさまで感ぜられるほど、さばさばいている。 この本の内容は日本では考えられないことがほとんどだ。彼らにとって、それがなんでもない日常でしかないのだ。 旅行をしているというと、じゃあ俺も一緒にいこうという。荷物持ちでも何でもいいから雇ってくれ、と。 西江は中古車を買って、運転手を雇って旅行しようと思い立つ。雇った運転手に車を修理してもらい、 出発する段になって雇った運転手の男が、じゃあ荷物をとってくるから待てという。 もってきたのは帽子とズボンだけ。しかもそのズボンを、この部屋で帰るまで預かってくれという。 バッグも金もなんにも無い。面白そうだからただその話に乗ろうというのだ。 そういう動機の方が自然で面白い。本当に着の身着のまま。他に何が必要か。 恐らく真剣には考えていない。考えたところで仕方が無いのだ。 お前が行こうとしているところに俺の婚約者がいる。久しぶりに会えるというので大変にはしゃいでいる。 ところが着いたとたん、そこで偶然知り合った女と仲良くなってどこか消えてしまう。 彼女と会うのはまた今度でいいや。出発する時には何にも悪びれる様子もない。 ーーー まあ、こんな感じでアフリカの原住民の生活が、そのまま正直にリアルに書いてある。 そのため読んでいて、引き込まれてしまうのだ。 読んでいると、現地にタイムスリップしたような気分になってしまうから不思議である。 その運転手と、突きつめた自分と何処が違うというのだろう。 何も違わないのだ。 ーーーー ー以前書いた著者の本の感想文である。 2003/11/14 954、「意味」の意味を考える (以下字数の関係でカット2008年3月31日)
・・・・・・・・ 2003年03月31日(月) 726, 結婚式で思う
私は結婚式と葬式に参列するのが好きだ。 その中に色いろな人生の圧縮がみえるからだ。 一般には「人生で集まって褒めてくれる」のは、「生まれた時と結婚式と葬式の三回」だけだ。 そのうち結婚式だけが、祝福されるているのが自覚できる。「人生は結婚式で道半ば」ともいう。 それで人生の大半が決定してしまうからだ。当たりか外れは神のみぞ知るである。 今はジミ婚になってきて「社会の体面や家どうしの対面」というより 「本人同士のお祝い、かつメルクマール」という面が強くなってきている。 以前よりは結婚式に対しては、気楽な式になったようだ。 若い二人が夢を持っての門出を祝うのは気持ちのよいものだ。 次は葬式である。本来葬式はお祝いであるべきだ。その人が人生を終えて、無に帰っていくのを送る儀式である。 人生の卒業式である。悲しみであると同時に、その人にとって大きい意味を持つ。 参列して思うのは、その人の生き様がそのまま現れていることだ。その厳粛な雰囲気がなんともよい。 その人の「魂と社会と世間がそのまま圧縮されている」といってよい。 人が一人亡くなるのは、その人の積み重ねた人生が無に帰ることである。 ごくわずかな身内の人達の心のこもった葬式が好きである。 それぞれの社会的なものもあろうが、今は生き残った人の体面の場になっている。 葬式もそれぞれの残されたものの価値観があるから、とやかくいう問題ではないが。 最近は葬式に出席すると、いつも遺影を常に自分の顔に当てはめて考えてしまう。 その目で会場の人達を見ると、何ともいえない気持ちになる。「死んでしまえばお終いよ!」と。
・・・・・・・・・・ 2002年03月31日(日) 362,ある思い出-慈善
中学の頃の話である。 隣にMという一家がいた。そこに一歳年上のカッチャンという遊び友達がいた。 その家の裏に倉庫があった。そこに乞食のような生活をしている親娘が住んでいた。 母親が肺病で、私のある姉にあの家の近くに近寄らないように言われていた。 カチャンの母親が気の毒がって面倒を見ているという。カッチャンの父親は数年前亡くなり、 母親とカッチャンとその姉と3人の家族。今考えるとカッチャン一家は、その生活を維持するのに精一杯の筈だ。 その苦しい中、その親子を面倒見ていたのだから大変だったろう。 ところが彼女(母親)が癌で、なくなってしまった。神も仏もあるものかである。 残されたカッチャンと姉さんは、おじさんと同居する事になった。 その肺病の母親もまた二年後亡くなった。そして娘は施設に引き取られていった。 その事を今から20年前に、何かの拍子に思い出した。そのMという人の心に気がついた。 どういう気持ちでその苦しい生活の中、その人を面倒を見ていたのか。 そしてその中で死を迎えた時の本人の気持ちは、いかなるものだったのか? 人間の一番大事なことは何であるのか? それとは関係なく、現実は非情に動く。 「愛は世界の中心である」という言葉がわかるが、反面本当かとも疑問が湧く。 人生で最後残るのは、そういう愛の行為か。 少なくともカッチャンと姉さんには、 深く残っているのではなかろうか? それとその娘の心に!
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2009年03月30日(月)
先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。 隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。 食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。 ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。 出してくれた女性に思わず「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」 と言ってしまった。 それより何で、水に近いコーヒーを出してしまったのか、その方が興味を持った。 コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。 フロアーの女性が近くのカウンターで入れていたが。 コーヒーは本当に難しい。 一杯ずつ丁寧に出せば時間とコストがかかるし、つくり置きは直ぐに劣化する。 当方もUCCから自動マシーンを入れてから、客の苦情の心配が無くなった。
私の知人がコーヒーの専門店を開いた時のこと。 広告代理店の営業担当で20年以上の付き合いがあった人である。 会社の副支配人が同行したが、彼は元コックなど料理関係のプロ。 帰りの車で彼いわく、 「あの人は素人の域を出てない。コーヒー専門店にかかわらず、他の客が来た時に 駐車場の案内のために場を外した。それも一番、微妙なタイミングに。 あの時は、コーヒーを出した後に自分が車を持っていくべきだ」という。 なるほど、奥行きが深い世界である。 事務所の前のコーヒー専門店にランチを週一ぐらい行くが、 2〜3回、ぬるめのコーヒーを出したことがあった。客は、普段の美味しいコーヒーより、それを憶えているもの。 私が新潟で、この事業をしようと思い立った時に、オークラホテルに人材派遣をしている会社の二代目専務を紹介された。 オークラに訪ねて会って話していると、のっけからド素人がと小ばかにした態度。 それはそれで、仕方がないが、一つだけ驚いたことがあった。 2Fのレストランでコーヒーを飲んだが、少しヌルイコーヒーだった。 ところが、コーヒーを出した担当を呼び出して大声で叱咤したのには驚いた。 「こんなコーヒーを出しているのか」と。 今から考えると、素人がホテルを立ち上げることなど無謀と間接的に教えてくれたのである。 当初は、宿泊より飲食部門に全エネルギーが入ってしまった。 当時は、飲食部門をホテルの「村の鎮守様」に位置づけていた。 守り本尊である。 レストランでは、コーヒーが命である。だから思わず「とんでもないことだよ」と言ってしまったのである。
・・・・・・・・・ 2552, アランの幸福論 2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。 この3つは世界の三大幸福論と言われている。
アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、 このコラムは「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する 1914年までにこうしたプロポを3078編、さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運やつまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。 ーーーーー 「幸福であることは他人に対する義務である」 「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、自分が幸福になることである」 「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければならないのだ」 「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、 筋肉をのばししなやかにし、食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」 「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、上機嫌を第一位におくだろう」 「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。 これこそ、 交換によって増大する宝物である。あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」 「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、新しい世界が生まれているのだ」 「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」 「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」 「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」 「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」 「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」 「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」「うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」 「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫) 「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」 ーーーー この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。 そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと受け止め方が違ってくる。 幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。 何をしても駄目な人、結果として周囲を利用してマイナスを振りまいている人と、 その正反対の人がハッキリ分かれている。その分岐は「求めよ、さらば与えられる」と、 「上機嫌であること」と「基礎教養」と「節度」である。 アレンは、そのことを一貫して述べているし、 周囲を見ると、その実行の継続がポイントと教えてくれる。知ること、経験すること、今ここを上機嫌にすること。 同じ人生、面白おかしく、節度を守って、求めていかないと! 二度とないのだから!
・・・・・・・・・ 2007年03月30日(金) 2187, 土地デフレが終焉? オッ ¥(*^○^*)ノ ハ?ヨウ! 土地デフレが終焉に向かっているようだ。先日の国土庁の発表で全国の平均地価が十六年ぶりに前年を上回った。 日経新聞の「終焉・土地デフレ」の三回のシリーズの概要を、以下の通りまとめてみた ーー ・銀行・企業が負の遺産処理にメドをつけた一方、 ・東京などは都市再開発で土地の収益性が向上。 グローバル化の加速に伴う海外マネーの流入と相まって土地デフレは終焉。 ・東京の山手線南部地域は10年後にはマンハッタンの様相になる。 ・賃料収入など利用価値に着目した収益性が地価の基準としてほぼ定着。 利回りを狙う新しい投資環境が出来上がった。 ・さらに規制緩和も見逃せない。敷地面積に対する延べ床面積を示す容積率の上限を3割あげ、土地の収益性を高めた。 この規制緩和を生かせる認定申請の期限を今年三月末からさらに五年延ばす。 ・さらに企業が復活してきたことも大きい。過剰債務を脱した企業は社屋建て替えや拠点拡充に動きはじめ、 都心のオフィス需要が高まり、空室率が低下、平均賃料は昨年から上がり始めた。 これは実需に基づく収益性向上を意味するので、地価を押し上げる要素になる。 ・一部には過熱感もある。 福岡の博多駅前で商業地が四〇%上がり、地価上昇が収益性を上回っているという。 しかし、現在の日本の土地資産総額は千二百兆円程度で、ピークの半分以下。 全国の商業地の地価は七〇年代後半とほぼ同水準で、デフレを脱した段階。 ・日本の名目国内総生産(GDP)はこの二十年で5割増えたが、東京都の商業地の地価は まだ20年前の6割の水準。地価反転を確かな経済成長につなげるには、不動産を選別・開拓する ミクロ的調整と、慎重なマクロ政策がポイントとなる。
新潟市も政令都市の目玉としての新潟駅再開発工事で、1400億円の投資が予定されており、 関連の投資を含めて2000?3000億円の投資で、新潟駅周辺への一極化は日ごと進んでいく。 土地も一強多弱の様相をみせてきた。自社にとっては明るい陽がやっと差し込んできた。 ホンジャ \(^▽^*)バイ! ・・・・・・・・ 2006年03月30日(木) 1822, あちら側の世界 ?4 (@°▽°@)ノオッハヨー ウェブ進化論ー4 ーオープンソース現象ー 「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、 これが大きな変革をもたらす要素になる。私の、このHPも小さなオープンソースである。 これを多くの大組織がすることで、いや個人も含めてすることで 核爆発的に情報が満ち溢れる事態になってきている。 ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある) (字数の関係でカット2008年3月30日) ホンジャ o(▽^*)ノ~~ ・・・・・・・・ 2005年03月30日(水) 1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。 私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、あの恐怖感は言語で言いあらわせない。 (どうなるかは神のみぞ知る異常事態である)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、 体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。 もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。 飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが 出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。 二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」 をニュースで見て、そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。 確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。 実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、 意識をした時にそのことに気がつく。9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに 突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。 自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。 そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。 その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。 大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。 普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
・・・・・・・・ 2004年03月30日(火) 1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。 一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。 幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関・横綱になる素質は大体わかるが、 それでも多くは外れてしまう。怪我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。 幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。 若手で大関横綱級としては、他には朝赤龍・白鵬・黒海・琴欧州あたりだろう。 萩原以外が外人というところが面白いが。モンゴル人だけで37人もいるのだから、 何処の国で開催しているのか錯覚してしまうほどだ。 モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは仕方がない。 元々はモンゴル相撲がルーツである。数日前も、総合格闘技のK?1が放映、興奮をしてみていたが、 別に日本人かどうかは全く関係はない。格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。 異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。 さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。 野球に、スケートに、K?1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて面白いスポーツが増えた。 その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない? いや、ストレスの解消になる?
・・・・・・・ 2003年03月30日(日) 725, 今日の結婚スピーチ
今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。 何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。 気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから流す事もできない。 こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。 初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。 「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。 さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、やはり自分の話しをする事にした。 今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。 ーーーーー ・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、彼女が陽気であることを紹介します。 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。 ・結婚は決してよいことことばかりではありません。「二つ良いことさてないものよ」という言葉が ありますが、この言葉を一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。 家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。 ・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。 これも仕方がありません。それでは如何したらよいか? 「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。 ・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。 いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。 まあこの程度にしておきます。ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。 良い家庭を築いてください。それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。 以上です。お幸せになってください。 斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
・・・・・・・・・ 2002年03月30日(土) 361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。 ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、 ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。 考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。 イスラエルに行った時に危ない感じがした。まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。 また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 私用の時も身から離さないようだ。 あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。 その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。これが日常のようであった。 アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。4000年の対立は致し方ないのだろう。 3年前の文章をコピーしておきます。 ーーーー ーH1105 ーイスラエル聖なる旅ー この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。 四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。 現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。 その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。 関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。 考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。 人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。旧約は先入観で固く難しそうであったが、 読んでみれば何もむずかしくない、ただただ面白い!内容であった。 旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。 ー印象の強い順に列記してみるとー まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。 四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。 そして現在も続いている。この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。 イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ?サ。 磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。 ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。 旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。 次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。 深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。 そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。 そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。 “マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、 ロ?マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。 陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。 (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日) 【別記】 この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。 四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。 六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。 現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。 男子は三年、女子は二年の兵役があった。国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。 一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。といってその手の事件は一切ないという。 その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。 今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。 1999.4.14?4.24
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| 2915,昔、地方と東京に6種類の金持ちが居たそうな |
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2009年03月29日(日)
日本には戦後、地方に6種類の金持ちがいたという。 そして、現在彼等の多くが消え去ろうとしている。 ・山林家 ー>輸入材、人件費の高騰で資産価値の激減 ・酒造業者 ー>清酒離れで、戦後4000から1700に ・商店街の老舗旦那 ー>郊外化で、ほぼ消滅 ・地場の建設業者 ー>公共事業が激減、談合の締め付け ・医師 ー> ?? ・地場産業のオーナー経営者 ー>中国、東南アジアからの格安な輸入品の流入
高校の同級生の親の何割かが、この中に入る。 そして現在も似たようことを続けている。 この数年で、その多くが死ぬか没落を始めた。 私は商店街の老舗?商店主の??息子。 (自覚しているので御勘弁を!) 誰も彼も、彼らの息子なら、同じ?? いや、御立派なのもいる?(ほぼ自分だけはマトモと思っているようだ) これに大農家で再開発などで買収された家も入るが、これだけは安泰?。 この30年、地方は没落の流れであったが、首都圏と東海産業ベルトラインは 世界に向けての輸出を基盤として、日本を引っ張ってきた。
ところがである、そこが壊始めたというから絶望的と言わざるを得ない。 「昔、東京には6種類の金持ちが居たそうな」と言われる日が来つつある。 ・政治ゴロ、・官僚ゴロ、・土地成金ゴロ、・情報屋ゴロ・?・?
・・・・・・・・ 2008年03月29日(土)
ー読書日記ー
一言一言が胸に響く言葉ばかりである。原点を大事にしている創業者の理念が、ディズニーランドに、 そのままあふれている。一匹のネズミ(ミッキーマウス)がチャップリンが原型と始めて知った。 あの大きな靴、そして上着はチャップリンの姿である。なるほど、それならわかる! 本当に自分の好きなことを人生を通して追求してきたディズニーの言葉だから、言葉の中に魂が入っている。 ーーー なかでも一番大切なのが“自信”、自分を信じるということだ。 ひとたび、こうと思ったら、盲目的に一片の疑いもなく、それにのめり込んでいくことだ。 -- 幸福とは心の状態を言う。 物事をどう見るかだ。 幸福とは満足することだと思っているが、これは金持ちであることを意味してはいない。 -- 男は仕事のために家族を犠牲にしてはならない。 -- 本を適切なタイミングで読む、ということはとても大切である。 ?? 好奇心はいつだって新しい道を教えてくれる。 -- ディズニーの成功を支えている最も重要な要素は 遊び心と 好奇心だ。 遊び心とは、笑うことを愛する、というアピールをする気持ち。 好奇心とは、常に人間の心にあって想像力によって刺激されて生まれたものだ。 -- 夢を実現させる秘訣を知っている人にでも、越せない壁があるなどとは、どうにもしんじられない。 私が思うに、その秘中の秘は 4つの“C”で要約される。 好奇心(Curiosity)、自信(Confidence)、勇気(Courage)、不変性(Constancy)だ。 -- すべての芸術家は何よりも先にまず喜びを与える人である。 他人を楽しませることが好きな人は、やはり同じように自分自身の喜びと満足を得ているのである。
・・・・・・・・・ 2007年03月29日(木) 2186, 「勝負脳」の鍛え方 才八∋ウ_〆(∀`●)サン
図書館から月刊現代の新年号を借りてきたら、第四の知能「勝負脳」の鍛え方ーというレポートがあった。 数日前にフィギア・スケートで安藤美姫が逆転で優勝をしたばかりであった。 トリノのオリンピックで惨敗、他の試合でも、ここ一番の大勝負に勝てなかった。 勝負を決めるのは鍛錬だけでなく、色いろな運や脳力が必要ではないかと、実感していた。
ーまず、このレポートの概要をまとめてみるー 「頭が良い」とは、どんな脳を指して言うのかというと、 ・記憶する能力 ・イメージをつくる能力 ・覚えたことをパフォーマンスする能力(多重能力)という。 要約すると、「ものを覚え、それでも脳が忘れてしまうために、覚えた情報を一度脳内で再編集し、 その内容を表現するという流れを鍛えることで、頭をよくすることが大事である」ということになる。 この3つの能力を活用できる人が、勝負事で勝てるかというと、必ずしもそうはいかない。 スポーツの試合や受験、ビジネスといった実戦で勝つには「頭が良い」だけではダメ。 レポーターの提唱する脳の第四番目の知能は独創性や創造力を生み出す能力が勝負の鍵を握っている。 この能力を勝負脳となずけている。端的に言えば、勝負に勝つための独創性のある戦略を練る知能である。 アメリカのマックスウェル・マルツがサイバネティックスという成功の理論を提唱した。 それは、目的を明確にし、それを目的が達成するまで忘れない、というものです。 そんなことは、当たり前と思うかもしれないが、それがナカナカできない。
勝負脳を鍛える第一のポイントは、「目的と目標を区別すること」が挙げられる。 ・目的は勝つことであり、目標はどのように勝利するかです。 ・そして勝負脳を使って勝つには、目的よりも目標に集中することが大切なのです。 目標も目的も同じようなものだと思うが、それが違うのである。
両者の違いを説明するのに、フィギアスケートの荒川静香選手の例で考えてみると・・ 06年のトリノでオリンピックの金を取ったあと、こんなコメントを挙げていた。 「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点方法に対応するために、 演技ごとに自分の欠点を明らかにして、一つ一つをいかに完璧にこなすかに 集中していました。一位になれたことにビックリしました。」 彼女はトリノから採点方法が変わったことを理解していた。 その意義を理解し、一つ一つの技をいかに素晴らしく見せるかに集中したのです。
スポーツだけでなく、ビジネスでも簡単に成功する人と努力をしても成功しない人がいます。 それは目的と目標を分けているかどうかで決まります。目的と目標を分けて、自分の劣っている部分を明らかにし、 相手の長所に打ち勝つ、どんな状況でも手を抜かないという勝負脳を使うか使わないかである。 出世したい、勝負に勝ちたいという結果を目的にして、それを追い求めるだけでは、科学的とはいえません。 大リーグのイチロウは、初球を打ってのヒット、つまり初球の打率が非常に高く、誰よりも早く球場に入って モチベーションを高めると言います。相手のピッチャーが十分に力を出し切らない第一球も見逃さない 勝負脳を働かせていると言えます。 ーーー 以上が、このレポートの概要だが、 目的と目標を明確に分けて、使いわける必要性を述べている。そこで「目的と目標の違い」を調べたら、 目的: 達成すべき事項 (上記を参考にすれば「到達しようとして目指す事柄」の意味に近い) 目標: 目的達成を可視化するために数字で表現できる到達地点、とあった。 大學生活の目的と目標を例にとると、目的は、広く知識を学び、多くの人を知り、自分の適性とは何かを知ることで、 目標は、優を幾つ取るか数値を決め、部活動やアルバイトなどを通し多くの人を知り、 広い範囲の本を数を読み、無事卒業することである。 この二つをはっきり分離しておかないと、やはり学生時代を最有効に活用できない。 目標を明確にしておけば、それが結果として目的達成になるのである。 しかし、目的意識も重要である。多くの挫折の中で、耐え抜くのは目的意識である。 この二つを明確にして、割り切って楽しむことが勝負脳を育てるのである。 (o ・д・)ツ バイ! ・・・・・・・・ 2006年03月29日(水) 1821, あちら側の世界 ?3 ゚+.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨ ウェブ進化論ー3 ?ロングテールとはー この本で印象的だったのが、ロングテールというキーワードである。 ロングテールが最大限生かせるようになったのは、情報化のなせる業である。 最近買う本の半分近くが、アマゾンからの中古本である。 一度消費者が買って読み終わったというより、出版社か中間流通業者が個人名を 使って販売しているのではとしか思えない。 ただ同然で買い入れて、それをアマゾンに貼り付けておいて、直接送ってきているのでは? また、一度買った本ー中古本はロングテールの部類ともいえる。 しかし、それもロングテールの大きさと長さを知らないのだろうか? 世の中、音をたてて変化している! ーー ーネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何かロングテール(Long Tail:長い尾)とは? この言葉は最近少しずつ米国で使われるようになった。ロングテールとは何なのか、本という商品を例にとって考えてみる。 一年間にどんな本がどれだけ売れたのかを示す棒グラフを作ってみる。 縦軸に売れた部数を取り、横軸には左から第一位『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』、第二位『世界の中心で、愛をさけぶ』、 第三位『バカの壁』……と売れた順に一冊ごとに棒グラフを連ねていく。 横軸には「一冊あたり五ミリ」、縦軸には「千部あたり五ミリ」でグラフを書くと、本の売れ方の全体像はどんな形状になるか? (字数の関係でカット2008年03月29日)
・・・・・・・ 2005年03月29日(火) 1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿
私は生命保険には入らない主義である。「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?それ位なら、 その保険金を相手に直接やるか貯金すれば良い。保険屋は確率の問題で、 奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」というのが私の理屈である。 もう一つは、 「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。 最悪の事態になったとして、それがどうした?!」という考え方が基本にある。 保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。 「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。 それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、私の場合の話と断っておくが。
平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。 それ以上生きた場合、生命保険金は支払われないものが多い。 この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。 (母もそうだったが、この事実を知らないで80歳まで保険に加入していた) 80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。 しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。 その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。 したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。
壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして必要だろうが。 といって博打であることも確かである。保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。 無知な大衆から利益を得るのが目的である。 相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、不安解消ビジネスであることも同じである。 箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。 お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。不安感に対して、「それがどうした!」「で、どうした!」 「何とかなるわい!」「大丈夫大丈夫!」と自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが 良いのがわかるはずなのだが。 無知の一番気の毒なカタチである。 最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、死んでしまえば一円もかからない。 自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。 「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。 金の本質を考えれば、哀れな生き方ということは自明である。 使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えないが。
・・・・・・・ 2004年03月29日(月) 1091, 公示価格は時代反映の象徴
少し日が経ったが先日、全国の公示地価が発表された。 都心の一部が下げ止まり感とあったが、地方は下落率が拡大していた。 1991年に比べて平均して、商業地で67.6?、住宅地で43.2?下がった。 土地と株価は連動するというから、あと10?20?は下がってよいことになる。 この一年で地方の6大都市などの中核都市以外は、商業地は10パーセント以上の 落ち込みである。新潟もその落ち込みになっている。地方経済が悪いというが、そのまま地価に比例している。 家内が長岡の自宅の町内の役員会に出て聞いてきた話だが、近くにある長岡にある唯一の高層貸しビルのテナントが ドンドン撤退。町内費が減って困っているという。東京まで新幹線で一時間半の長岡なら、それが当然であろう。 事務所を撤退して、そこの出身者の自宅を営業所代わりにして、月数回出社して報告する会社が、 激増しているという話を聞いている。自然と駅周辺の地価は下がって当然であろう。 デフレの一番象徴的な部分である。下げ止まり感が無いのが不気味であり、デフレスパイラルもよいところだ。 合理化のため拠点や社宅の売却が一巡しない限り、下げ止まりは無いだろう。 東京一極化、それも東京・品川周辺を中心にした集中化は益々進む。その反面、地方の衰退は激しくなっている。 80対20の法則ではないが、20の首都圏対80の地方にたいして、80のエネルギーが首都圏に集中しだしたのだ。 中国などの海外に対する拠点などの情報基地としてである。これが公示価格の大きく反映している。
・・・・・・・・・・・ 2003年03月29日(土) 724, プロ野球開幕
昨夜からプロ野球が開幕した。 他に面白いプロスポーツやアメリカの大リーグ中継をNHKが衛星TVで開始した ために,以前ほどの興味がなくなったが、それでも始まれば別である。 ON時代に育った為に、どうしても巨人中心になるが、それでもよい。 NHKも衛星TVで民放の巨人戦にぶつけて、録画をゴールデンタイムにぶつけてきている。 見るほうも同時に2画面で見るから、その差がシビアに見えてくる。 今の巨人のトレードはやりすぎという感がする。 その豊富な戦力の巨人を長嶋の支離滅裂の采配で壊していくのが何とも面白かった。 しかし去年それが無くなった原監督巨人は、当然優勝をした。 今年も原監督に気の緩みがない限り優勝するだろう。昨夜は上原の開幕投手の巨人と、松坂の西武が敗れてしまった。 これだからおもしろい。私の好きのタイプは目立たない自力ではい上がってきた選手である。 巨人の清水、斉藤あたりである。嫌いなタイプは清原のような常に日に当たってないと枯れてしまう優等生である。 毎日新聞がこの時期に「スポーツ記者による優勝予測」を毎年おこなっている。 セリーグでは中日、パリーグではダイエーが一番多かった。私の予測は巨人と、ダイエーだが。 大リーグでは、今年が松井が話題の中心になるだろうが、イチローと比較されるのは酷である。 イチロウとはレベルが違う。イチロウは自分で自分をつくってきた男。松井は巨人につくられた男でしかない。 大リーグに対する日本の興味はますます大きくなることは間違いない。ますますカウチポテト族になっていく。
・・・・・・・・・ 2002年03月29日(金) 360,末っ子相続
世界の何処の社会でも長男相続である。それが当然と思っていたら、末っ子相続の社会があった。 世界は広いそしていろいろあるものだ。北欧のバイキング社会がそうだった。 成人をすると、男は船に乗り外の社会に出て行く。最後に残った男か娘が両親の面倒を見るという。 その代わり、家督を相続するシキタリという。彼等にとっての海は夢を実現する世界。 長男から成人になると、さっさと出て行くのが慣わしという。それが永年の試行錯誤の中で、 ベストのシステムになったのだろう。広い自然資源があるから、そういうシステムになったのだろう。 力が付いたら広い世界へ旅立つ、大きい自然環境があった為。バイキングといえば、海賊だ。 40?50人乗りの海賊船を数十隻を連ねて、村や街を襲ったという。 日本などの農業社会では、すぐにでも男手が必要であり、外にはそれほどの資源が無かった。 昔から長男以外は都会などに丁稚奉公や女中に出された。 継ぐべき田畑があったが、一家が生活出来るぎりぎりだった。 北欧の場合、せいぜい家と舟ぐらいだったから、長男などは魅力も引き継ぐ仕事も無かったのだろう。 しかし海や海の向こうに、無限の自然のめぐみと夢があった。 バイキング社会は10世紀から200年ほどしか続かなかった。
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