股・戯れ言


BBS

サイレント泥酔アラーム

連続更新ですわよ
今、2006年ベストを決めるべくいろいろ聞き返しているのですが、やっぱりブロックパーティは外せないな。
最近までニューウェーブ的な音として他のバンドと一線を画しているな、くらいの印象だったのだけれど、それにしてはあまりにもケリーさんのボーカルはあまりにも悲壮感や危機感を帯びていて、警告を発しているのようだなと感じていた。
で、歌詞を読んでみたのですが(今更かよ!)、本当に警告でした。この人たぶん同い年くらいなんだな。無意味なアッパーになることを求められ、同時に何事にも無関心になることを求められるのは全世界的なものなんでしょうか。
いや、そうだな。世界は今まで、「そうなるように」やってきたことをすべて否定しようとしている。ニートだって働かない若者だって出生率の低下だって離婚率増加だって下流社会だって、今までやってきたことの結果であって当然なんだ。ロンドンの問題は詳しくはわからないが、きっと同じようなことなんだろう。
世の中のそんな空気に対して違和感を覚え、じゃあこれからどうすればいいのか、どこに向かっていこうか、と迷い、俺たちが一番最低じゃねぇぜ、俺は負けねぇと叫んでいるのがブロックパーティである。
そういえばタイトルも「サイレント・アラーム」だった。これも今更気づいた。


さて、沖縄から帰ったその日、池袋で「電動のメリークリスマス」というイベントがあったのです。
知り合いのライターさん・安田理央さんが主催しているイベントで、去年に引き続き2回目。去年行った時は先ちゃんこと江口寿史先生からサインをもらったのだった。今でも宝物であります。
私はそのために沖縄の土曜の誘惑から東京に戻ったのでした。着陸寸前の東京が窓から見えたが、無数の光が目映かった。この光景だけでも東京はやはりどの都市よりも魅惑的だ。他所から来た人にはたまらんだろう。
でもやっぱり、この光景に対して感じる印象は「帰ってきたんだなー」だけにしてしまいたいな、もう。
深夜の満員電車に乗って池袋へ。

会場に着くとすでに知っている顔ばかり。沖縄で泡盛を飲んでたからそれなりに私も酔っているのだが、会場で会う人は誰も彼もすでに酔っ払っていた。テンションが高い。喜久盛のブースがあって、そこで「エヴィサン」管理人がメイド服コスプレをしながら酒を売っていた。もちろん藤村さんもいる。れこすけさんやショウさんも岩手から来ていた。
喜久盛の新作は、北上市が生んだ大プロレスラー、藤原組長とコラボレーションの「藤原酒」
漫画家、カルト映画、ロックバンドの次はプロレスときた。すごいなあ。
サブカル方面全包囲網だ。日本酒業界の常識を完全に覆している。
あとはゲームの酒を作ったらほぼ完璧なんだろうけど、ゲーマーは酒飲まなそうだからな。
藤原酒はプロレスラーらしい力強い酒。これは強いな。ぐてんぐてんに酔っ払ってしまいそう。
ってごめんなさい。酔っ払って藤原酒とタクシードライバーを交互に飲んでいたから味がうまく言えないや。今度ちゃんと味わいます。
見知った顔の方々が次々に飲んでいたのでつられて同じペースでグビグビ。ステージではとりみきとおおひなたごうが歌ったりしていたが、全然見てませんでした。喜久盛のブース前だけ酔っ払いが陣取って異常な感じになっておりました。沖縄でもいろんな人と飲んで楽しかったが、東京でも酔っ払うのは楽しいな。土産で買ってきた(直前にコンビニで慌てて買った)亀の子せんべいやちんすこうショコラをつまみにどんどん飲む。どんどん酔っ払う。
誰も酔っ払うことに歯止めがかけない状態が心地よい。某所でれこすけさんが「酔っ払ってもいいんだな、と思える空間」と書いていましたがほんとにその通り。今日は朝まで乾杯だ!



と思ってました。



電メリ開始時から凄いペースで日本酒を飲み続けていたMさん(あえて仮名)。電メリガールズの売るシャンパンまで飲んで、「チチ揉ましてくれるからチップ上げてきた!」などと言い始めたり、りえ坊ファンのショウさんに「頼むからりえ坊をもらってやってください」と頼みだしたり、お金をばらまき出したりしておりました。(その金は受け取ってすぐ遠藤さんに「隠しておいて」と頼み、遠藤さんが彼女のの財布に戻すという悪循環)
彼女は 「あたしは、ヒドイ酔っぱらいの面倒ばかり見る役だから泥酔できないのよ!」と声高に叫んでおったのですが

そのMさんが泥酔して倒れてしまったのだった。

急になんの前触れもなく椅子に座って固まりだしたので、ウーロン茶を与えたのだが途中からウーロン茶拒否。
具合が悪そうなんで椅子をくっつけて横たえようとすると
横 た わ ら ね ぇ
ビクとも動きやしない。
ものすごい力で抵抗される。
私の力が足りないのか、と思って藤村さんに横にして貰おうとしたけどそれでも動かんのだ。
そして具合悪そうだからトイレに連れて行こうとしたら、
立 ち 上 が ら ね ぇ
なぜすべてを全力で拒否するのだこの女は!

最後の手段!
藤村さんとショウさんが頑なに動かないMさんが 座ったままの椅子を持ち上げてトイレまで移動!
ザッツ御輿!

          ワッショイ!!
       \\ ワッショイ!! //
   +   + \\  ワッショイ!!/+
                              +
.     +   /■\  /■\  /■\  +
        ( ´∀`∩(´∀`∩)( ´∀`)
   +  (( (つ   ノ(つ  丿(つ  つ ))  +
         ヽ  ( ノ ( ヽノ  ) ) )
         (_)し' し(_)  (_)_)


その後、横になって貰おうとがんばったが やっぱり倒れないの。頑ななの。全力で拒否なの。
うわごとのように「家に帰りたい」っつーんで うおう、家に送っていくか!私が戻るまで終わらないでくれよ電メリ!と外に連れ出すとまたロサの入り口で動かなくなる。
ダンゴムシのよう!
なんとかタクシーに乗せて家に送ろうとしたら 「家には帰らない」と今度は主張するではないか!
どっちだよ!
じゃあどこに行くのよ?
「ふぁる姐んち・・・」
タクシーの運転手に行き先変更を告げてGO
家について寝かせるのにも一苦労でした。3人がかりで介抱。


その後わたくしは池袋にトンボ帰り。
まだ電メリは終わらないでいてくれました。ありがたかった。
その後は藤村さんと話したり、小野島さんと話したり。
東京の夜はいつのまにか朝となり、兵どもが夢の後。沖縄も楽しいが東京もまだまだ捨てたもんじゃないな。
電メリはいいイベントだ。安田さん、来年も是非やってください。


去年最大の酔っぱらいイベントはフジロックならず「リエロック」でした。去年の酔っぱらいMVPはりえ坊です。
大自然の中で泥酔!通路の真ん中に大の字で寝る!トイレから戻ってこなくてわしらの見たかったザゼンボーイズが見られなかった!苗場下山時の所持金が2000円!なのにビールとスペアリブを買っちゃう無計画ぶり!などの行動が素晴らしかったです。

で、今年の最大級酔っぱらいイベントは電メリならぬ「宮メリ」となりました。
あんたが酔っ払いMVPだ、Mさん。
これは予想不可能だった。万馬券だった。
こんなすごい酔っ払い方を見てしまったらおいそれと酔っ払えませんわ。



それで、今私はですね、北国に向かっているのですよ。
まさかこの年の瀬にあいつを返上することになるとは思わなかった!
ちなみに今、新幹線の窓の外は雪がこんもり積もっております。線路も雪が積もっているので新幹線なのに揺れる揺れる。
先週は最高気温23度のところにいたんだが、今週は最高気温マイナス1度くらいのところだ。日本は広い。
2005年12月17日(土)

俺のネットワークはグングン広がる 沖縄最終日

今年も残すところあと15日。
今日も忘年会だが来週はさらにいろいろあるな。肝臓をつぶさない程度に頑張りたいものであるよ。そんなことよりも泥酔しないようにがんばらなければならないんだが。去年は忘年会で泥酔した挙句にF姐さんの家にタクシーで4時過ぎに乗りつけ、寝ている人々に大変迷惑をかけた気がするので。
ついでに言うとわたくしが幹事の忘年会もあるな、来週。
でも今年は泥酔しないだろうな。なぜならば。

答えはこれから書く沖縄最終日+αにあるのです。
というわけで沖縄最終日


荷物がやたら重いのでいったん空港に持っていって、そこから気ままに
バスに揺られながら泊へ。
「ぬえみち」にお邪魔しました。おむすび屋さんです。
ぬえみちの女主人いけさんには今回の滞在で大変お世話になりました。
前回の日記にもちらりと書いたが、いろいろと迷うことを背負って沖縄にやってきた私は、エンケンはもちろんのこと、沖縄の人々と話して本当に良かったと思いました。何を難しく考えていたのだろう、悶々としていても始まらないじゃないか。「見る前に跳べ」だ。
いや、悶々としていたからこそ彼女ら彼らと会って話してよかったのかもしれない。
なんというか、進みたい方向にもう向いているのに、ラインを踏み越えられないでいたところを背中をぽんと押されたかのようだ。実際押してくれたのだけど。

私はこの町が好きだ。もう愛着すらも感じていた。帰りたくない、という気持ちよりも東京を帰るところにしてしまいたい、という気持ちでいっぱいになった。

そういえば滞在中、那覇タワレコでCDを何枚か購入したのだけれど、古謝美佐子さんのソロアルバムは繰り返し聴いたものだ。何度も泣けた。今まで沖縄に来ても、島唄っぽいものはほとんど聴いていなかったんだが、なんで聴かなかったのかよくわからない。こんなに生命をいとおしく歌っているのに。そう、エンケンは私の生命を奮い立たせたが、沖縄の唄および沖縄の人は優しく送り出してくれる。覚悟や肝の据わり方は並々ならないのに、いや、並々ならないからこそ余裕があるのかもしれない。
タワレコ那覇はなぜかこのアルバムをあたかも新譜のように置いていたので新譜のつもりで聞いていたが、5年前の作品だった。しかしそんなことはどうでもいい。新しいとか古いとか、若いとか年を取っているとか、そういう時間の感覚はどうでもいいのである。
沖縄で会う人は、実に様々で年齢なんか関係ないしね。ついでにいうと時間もどうでもいい(=ルーズ)人たちだがね。

もう一枚買ったCinema Dub Monks。
これは東京に帰ってきてから聴いたのだけれど、唸るウッドベースの音や木琴の音には生命の残像を感じるのだ。歌らしい歌など入っていない。でも人と人の意識と、そこに居たという緊張感と生々しさがありありと伝わってくる。本当はこれ、一緒についいていたDVDも見なければいけないんだがまだ見てない。だめだ、早く見なきゃ。見たらもう一度書こう。


夕方から小禄に移動。ま、私も感覚がすっかりうちなー時間となっていたので遅れましたがね。(東京でも変わらないが)
以前「うりずん」で知り合いになったりえちゃんと落ち合う。
そういえば小禄に来たのも初めてだ。まだまだ行った事のないところが沢山ある。
それだけで私がまた沖縄に来る理由が増える。
泡盛飲んでソーキそばをつつきながら歓談。実はりえちゃんとは先月、横浜で会っているのだ。那覇で出会った女の子と、横浜で会った2週間後に那覇で再び会うとは、これまたいい縁だな。楽しいね。特に、長距離移動をこなしている女の子を私は愛してやまないのだ。なぜならば精神的にタフだから。私も長距離移動女なのでタフになれるのもわかるし、その反面脆さも分かち合えるのがいい。
しかしたった2週間の間にいろんなことがあったようで。最初に会った時からは考えられないような展開だなこりゃ。本人も「こんな風になるとは思わなかった!」と驚いていた。でもそれはきっと、転機なのですよ。
転機に臆することなく進んでいく彼女を見て、励まされた。半年前、彼女たちに会えた偶然は今後も大事にしていきたいものだ。

そんな名残惜しさも残る中、空港に向かうと外は大雨。
南国の天気は相変わらずだな。雨がちっとも冷たくない。

空港に着くとちかちゃんもいて、またまた歓談。みんな前進しているなー
土曜の夜の空港は閑散としていた。私たちの笑い声だけが響く。本当ならばこの日も那覇で笑って飲んでいたかったけれど、今回はしょうがない。
次に那覇に来たときは、またいろんな人に会って、またいろいろ話せるといいな。
次の渡航が今からすでに待ち遠しい。
俺のスピード、その時までにもっと速くなってないかな。スピードが速くなれば時間なんてあっという間だ。



そして早く帰った理由は、次の日記に続く
泥酔しないと誓った理由も次の日記に持ち越し
2005年12月16日(金)

俺のネットワークはグングン広くなる 沖縄2日目

私が12月の沖縄に行ったのは、これを見るためでした。

12月 9日(金)
沖縄・那覇:ムジカ
「不滅の男 エンケン対日本武道館」公開記念 遠藤賢司ライブ2005」

沖縄でエンケンを見たかったんだ、どうしても。
そもそも「観覧車」にこんなに通うになったのも、壁に貼ってあったエンケンのフライヤーに驚いたからなのですよ。もちろん電気菩薩のおかげではあるのだけど。


というわけで沖縄2日目。午後からゆるゆる外出。
浮島通りを歩いていたら壷屋のほうに出た。アーケード街がある。そういえばこっちのほうは行ったことがなかったな。那覇の下町、という具合。
下町と呼ばれるようなところはどこに行っても落ち着くものだ。
修学旅行生じゃない高校生が多くて気分がいい。
歩いて県庁前へ。銀行に行ったらボーナスが支給されていた。ンマー。
大事に使わなければいけないのはわかっているんだが、昨日、化粧品一式を買った際にチークを買い忘れていた。チークのひとつくらい買ってもかまわんだろうと思って、新都心へ。
沖縄で初めてのDFS入店です。
思えば台湾に行った時も化粧品を買いまくったなあDFSで。心の友。
しかし過去3回はなんとなく縁遠かったのです。新都心行ってもおもしろくないし。
しかしDFSの化粧品コーナーは心躍るな。値段がキムラヤ価格なのも含めて。
わたくしも腐ってもOLということですよ。最近全然買ってなかったから余計に心躍ってしまう。ジバンシイのパッケージがいいな!コンパクトで持ち運びやすいぜ、という理由でジバンシイのチークを買う。そしてディオールの口紅も買ってしまった。何も言うまい。
さあ、早々と受け取って使ってやるぜえええ、と意気込んでお会計。

なにやらパンフレットのようなものを差し出される。

これは見たことがあるな。どこで見たんだっけか。
わかっているがわかりたくない。私の数少ない海外旅行で何度か見た・・・
が、今はわかりたくないのだ。お金払って、すんなりと商品を渡されて、1時間後にはチークを塗っている姿を想像したいんだ。

しかし現実は想像通りにはならず。
「お帰りの便の航空券をお持ちでしょうか?」
あああ。
やっぱり、この場では受け取れないのか。空港引渡しなのか。
「この場で欲しいんですけど」「どうしてもダメなんですか?」とねばったが、5分ほどであえなく陥落。
キャンセルと言う言葉も飛び出しそうになったが、普通の値段よりも遥かに安かったので買いました。でも受け取れないの。
寸止め生殺し、という言葉が脳裏に浮かぶ。

しかも予想通りに新都心がつまらなかったので踏んだり蹴ったりだ。
新都心は最近開発されたところ。マンションやマンション予定地が居並ぶ様子は、気分のいいものではない。この光景だけ見ると那覇は小さい東京のようだ。
小さい東京なんか作らなくていいのにな。しかしどの地方都市もだんだんと小さい東京になり始めているような気がする。
何百年もたったら今、「小京都」とか「小江戸」と呼ばれるような呼ばれ方をするようになるんだろうか。そう考えると、今「小京都」と呼ばれているところは侵略されて作り変えられた場所なんだな。元の光景なんぞはもう誰も思い出せやしない。
まあ、変化というものはそういうものだから仕方ないのかもしれんが。

時刻もほどよい時間だったので、気持ちを切り替えて「ぬえみち」へ。
おむすび作りの手伝いをする。といっても海苔貼り付けてラップをするのみでし
たが。しかしぬえみちのおむすびはいつ食べてもおいしいんだよなー。
それを携えて西町へ急ぐ。エンケンライブの始まりだ。




今回のエンケンライブは、映画「不滅の男」公開に合わせたもの。
「不滅の男」の那覇公開は10日。つまり、このライブは公開前夜祭にあたる。
久々のエンケンライブだ。こないだ映画を見たばかりだが、タイマンも張れず圧倒されているうちに終わってしまったのだった。惨敗。エンケンの鉄拳を受け止めることもできなかった。覚悟も修行も足りなかったのだ。
スクリーンの向こう側でダイナミックに動くエンケンを、私はぽけーっと見てしまった。なんたる失態。拳を握り締めて、上映時間の間、エンケンの情熱に負けないくらい生命を燃やしながら見なきゃならなかったのに。
しかし、今度はライブだ。直接対決の場。
私はこの勝負のために沖縄までやってきた。映画をぽけーっと見た時とは覚悟が違う。
それだけにこの会場がスタンディングでなかったのは残念な限り。

ステージ上に現われたエンケンは、いつもよりも大きく見えた。
しょっぱなの「夜汽車のブルース」からギターの弦が切れていた。何度も何度もギターの弦が切れて、そのたびにハーモニカを高らかに吹き、足をどんどん鳴らして曲を繋げながら、新しいギターを手にして歌い続ける。

細野氏のライブを見たとき、私は細野氏に心底憧れ、みっともないくらい嫉妬した。でもそれは、「私と同じ年くらいの時の細野氏」に対する憧れと嫉妬だった。
過去をゆるゆると歌う細野氏の余裕ぶりに。
しかし、エンケンは違う。エンケンはいつでも全力疾走だ。若い頃とか年取ったとか、そういう概念がまったくない。エンケンには「今」しかない。今、この一瞬一瞬を全速力で生命を燃やしている。それは文字通り燃え尽きるまで続くのだろう。悔しい、なんて思っている場合ではなかった。今、この瞬間、命を燃やさなければならないんだ。余裕なんて全然ない。あいまいな言葉なんていらない。
今、自分にしかできないことに賭けろ。自分がやりたいことを貫き通せ。
自分なんか曲げるな。そのまま行け。全力で闘え。
恥ずかしくなるくらい真正面な言葉が投げつけられているかのようだ。
実際に投げつけられているのは音や言葉じゃない。エンケンの生き様と気迫である。
「民主主義って言うのは自分が好きなことをやるべきなんだ。
自分の好きなことは長く続くもので、俺はこうして歌を続けている。
それが実現できるのが民主主義なんだから」
というMC。
そして「不滅の男」の歌詞の数々

そうさ やる時はやるだけだ
俺は負けないぜ

年をとったとかそう言うことじゃないぜ
俺が何を欲しいかそれだけだ
そう俺は本当に馬鹿野郎だ
だからわかるかい天才なんだ

揺るぎない信念。溢れる自負。
力強い言葉に背中を押し出される。
ここ最近の迷いやとまどいに対する答えが、ここにはすべてあった。
もう逃げている場合じゃない。

3時間は若干長すぎた感も否めないが、十分だ。
「ド素人はスッコンデロ」は映画でも凄まじい迫力だったが、実際のアクションは映画以上であった。衝動なんて止める必要は無い。溢れるものは止められやしないのだ。あとは突っ走るしかない。突っ走って突っ走って、俺のスピードをグングン速くしていくしかない。俺のネットワークはグングン広がっているのだから。(おおう、エンケンなのに何故かここだけ真心だ)




そのライブ後、あろうことか神本人を囲むお食事会に誘われたのだが、
本人と食事なんて恐れ多い!ヒィ!と食事は辞退。
観覧車に戻ってまったりと呑み。喜納昌吉さんが今日も来ていた。
社長さんが来てまきちゃんがきてすっかり(沖縄の)日常に戻る。途中、タマシイさんが来てくれたのは嬉しい限りでした。シャオロン・トゥ・スカイのアルバムが欲しかったが発売一週間前だったので手に入らず。残念。早く東京でも出て欲しいものであるよ。

そしてタバコを買いに行って戻ってみると、なんとまあ、神ご一行がいるではありませんか。ギャー!緊張!
緊張緩和のために大分呑んでおいたのだが(前日入れたボトルがすでに残り僅か)全然酔えねー。終始オドオド。あんなに感銘を受けたライブなのに、その感想すらも言えやしない。
昔、RさんとOさん(ウンコBOYS)が某女優さんと会ったのですが、会う直前まで「俺の××ちゃんがー!」だのと騒いでいたのに、会った途端に無言、飲みの席では隣に座っているにも関わらず手動携帯充電器を動かし続けていたのを思い出しました。あの時、私は彼らに「なんだよヘタレてんじゃねーよ」と言っていたが人のこと言えなかった。
RさんOさん、1年半越しのごめんなさい。

神とまともに話せたのは小川知子の「初恋の人」という曲について説明してくれたところくらいか。
あと、別の人と話しているときについつい、HG調で「オッケー」と言ってしまったら(私の声質は低音で響くのでつい巧く言えてしまう)神が
「HGは来年、『ワッショーイ』って言うよ!」
と言っておりました。
ちょっと2ちゃん用語っぽいな
言ってくれHG、「ワッショーイ」と。



次回に続く
2005年12月15日(木)

俺のネットワークはグングン広くなる 沖縄1日目

伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」を読みました。
舞台は仙台、5人の主人公が同じ町で、同じ知り合いや同じ出来事を通して繋がっているという秀作。最初の読んでる段階では「同じ舞台なんだな」くらいの印象しかないのだが、読み進めていくうちにだんだん魅了されていき、最後は見事としか言い様が無い。
象徴的に登場する「つなぐ」という絵や「人生はリレーのようなもの」という台詞には唸らされました。
人生は本当に繋がっていると思うのですよ。
私も今年はいろんな人や出来事やモノが繋がっているのだなと実感した一年でした。繋がる場所は仙台だったり北上だったり、山形だったり、大阪だったり様々だったけれど、もっともコアの部分は沖縄でした。
今年の私にとっての最大の幸運は沖縄と縁ができたことだな。

思えばすべてのきっかけは、2月の終わりに仕事でヘマをしたところから始まるんだった。
衝動的に会社を休んで山形に駆け込んで、戻ってきたところで言い渡された沖縄出張。
岩手の銘酒「電気菩薩」が那覇で唯一飲める店があるんで是非行ってみてくれ、と藤村さんに紹介されて辿り着いた「観覧車」。
観覧車で知り合った社長さんに連れられて行った店で仲良くなった海自ギャルズ。
ギャルズのはるみちゃんが異動になったのでまたまた大阪で再会したり、那覇で再会した台湾帰りのBONちゃん、そのBONちゃんと一緒に入った店でタマシイさんに出会って、その後東京で彼のライブを見に行ったり。
日本全国を股にかける繋がり。すごいことだ。

そんなわけで今年最後の沖縄渡航をしてきました。
そしてこれは、繋がりの集大成でもある。


っても10時35分の便に乗るのに起きたのが9時だったのですがね。
起きた途端に悲鳴を上げて、慌てて出発。
赤い電車に乗っかって羽田から飛び立ってやるぜええと意気込んでいたのだが、時間がないので乗れなかった。が、結局着いたら遅延していたのだった。
なんだよ、先に言えよ。

しかも私の乗る便は修学旅行生がうじゃうじゃいて、「うわーハズレ便引いちまったー!」と思いました。以前も秋田に行く際に乗った便がこれまた修学旅行生盛りだくさんで一気にテンションが下がったのだった。
ま、私が学生だった時も同じ新幹線の席に乗り合わせてしまった一般客の方々は「うわーなんで乗ってるんだよ」と思ったことであろう。
修学旅行生ハズレくじも連鎖する。

飛行機の中では慌てて購入した新潮の1月号を読んでいたのだけど、鹿島田真希の「ナンバーワン・コンストラクション」はここ最近読んだ小説の中で一番つまらなかった。
なけなしの忍耐力でなんとか最後まで読み切ったが、あからさまな時代錯誤感についていけん。一体何が言いたいのかもわからない。
数ある飲み物の中から「レモネード」を扱うという選択が鼻についてしょうが
ない。「契約」という言葉の使い方や「貴方の一番大事なものをいただく」なんて台詞、「〜して頂戴!」「すべての罪を引き受けて自殺するんだ!」だのの口調が非常に昼ドラっぽいと思った。内容は昼ドラ以下でしたが。
夏目漱石や谷崎のほうがよっぽどリアリズムであるよ。
純文学好きな人が書いた純文学っぽい小説。こういう小説が文学部教授に喜ばれて日本文学史に残っていくのかもしれないが、つまらないものはつまらない。

島本理生の「大きな熊が来る前に、おやすみ。」は枚数も少なかったが、リアリティのある箇所が多く、すんなりと作家の世界観に解けこむことができた。最後は?とも思ったが、あの小説に登場する2人にはこの先にも未来があって、完全な結末ではなかったのがよい。あの女性主人公はその後同じようなことで苦労するだろう、と私は思っている。他人を変えることなんて出来ない、って冒頭に書いてあるからな。

という間に沖縄着。
いつでも生ぬるい空気で私を迎え入れてくれる沖縄だが、今回は生ぬるいなんてもんじゃない。
東京は10度前後だったのに
那覇は20度オーバーでした。
厚手のコートはすぐに脱ぐ。ガマン大会じゃないんだから。
今回は牧志のてんぶす横にある新築のホテル泊なのです。こじんまりとしたホテルなのにトイレと風呂がセパレート。最高だ。
最高すぎていったん荷物を置いて出るつもりが昼寝。

昼寝なんかしてダラダラしている場合ではありませんでした。
昼寝の後にいきなり風呂に入ってのんびりしている場合ではありませんでした。
風呂上り後、そろそろ出かけようとしたところで寝坊のボロに気づく。


化粧品一式忘れた・・・


一転してえー!えー!えー!と騒ぎまくる。何やってんだか。
かろうじてコートのポケットに眉墨が入っていたので、眉毛だけは死守できた。
私が化粧品で慌てたのは「最低、眉だけでも」ということである。
俺は眉毛うすうす人間なのだ。眉毛抜いたことはないのに。(眉毛抜くのは痛くて嫌)
まあ、眉毛だけは守ることができたので化粧品はダイエーあたりで適当に買えばいいやと思って出かけたら
ダイエー那覇店は閉店していたのだった。
前回来たのは9月で、宿がダイエーの近くだったのでいろいろ便利だったんだがな。
しょうがないので安化粧品は諦めて、りうぼうに行ってエスティローダーだ。何しろ眉墨以外すべてを揃えなければいけない罠。しかしエスティローダーのアイシャドウは初めて買ったが発色がいいのな。高くついたがまあいいや。

その後、「びいどろ」へ。
このびいどろは、仙台のバーのマスターに教えてもらった店だ。仙台から那覇というつながりですね。それもすげえな。
女主人のユキさん(東北人)と初孫を呑みながらいろいろ話していたら、途中からやってきたお客さん(吉幾三似)が酔っ払い。
長々と「うちに住んでいたゴキブリ、ジロー君の話」というものを語ってくれた。
酔っ払いがその場の勢いで作った話なんだが、ゴキブリの移動距離(ちなみに100M4分50秒だって。早いんだか遅いんだかわからねえ)波の上から始まり、那覇空港、ヨーロッパとなんだか壮大。陰謀を阻止するゴキブリってどんなんだ。
そして、そんな即席の話が3,40分以上続くので驚いた。酔っ払い妄想力は偉大だ。
ま、シラフの時は全然喋らない人みたいですがね。そういうところが酔っ払いうちなーんちゅらしいなー。ほほえましいなー。
沖縄に来たのに日本酒ばかり飲めるびいどろは本当にいい店。
ちなみに、以前沖縄滞在中に「びいどろは日本酒が飲めるいい店だ」とうちなー人のいけさんに薦めたら、その後よく来ているそうで。つながりは連鎖するのな。


そしてしに酔っ払った(しにって言葉を使ってねと言われたので使ってみることにする)のでそのまま観覧車へ。
「おかえりー」と迎えられる。どんだけ来てるんだ。
その後、これまた観覧車と馴染み深い、桜坂劇場(那覇の良心的映画館)で「イン・ザ・ディープスロートを上映して欲しい!そしたら見に行くから!」と話しておったのです。東京での上映は見事に見逃したからな。
映画のストーリーとみどころを話していたら、店にきていたおじさんが「女性がね、性に解放的になることはいいことだ」と話し出した。このおじさん、早口に「人間には要所要所にチャクラがあって〜」といろいろな話をしていたので物知りな人だなあ、ものすごくハイテンションだけど。と思って興味深く聞いていたのですが、
彼が帰った後に
「あの人は、『花』って曲を作った人でうちなーの人で知らない人はいないさー」
と説明される。
花?
それは、あれか、♪泣きなさ〜い〜笑いなさ〜い〜か?
喜納昌吉さんでございました。全然気づかなかったよ!
桑名正博みたいな髪型の人だなとしか思ってなくて申し訳ないくらいだ。
えー気づかなかった!と話していたら、喜納さん、また戻ってきたのであった。
何がすごいかって、全然飲んでないのにハイテンションなのな。ハイサイおじさんとは正反対だ。

そして翌日のとあるチケットを受け取って終了。
そのチケットというのは・・・




次回に続く
2005年12月14日(水)

アダルト・ディープ・インパクト

幼少の頃、どうしてもやりたいことがあるが今は叶わなくて、大人になったらいつか叶えてやる、と誓った経験がある方は多いかと思います。

先日、友人であり尊敬すべき洋ピンの生き字引こと夏やんに「ディープスロート」を見せてもらいました。


今公開中の「インサイド・ディープスロート」の元ネタのほうです。わたくしは映画ならばドキュメンタリーものが一番おもしろいと思っているので(NHKドキュメントもよく見るのです)、どうしてもこの映画が見たかったのだ。
しかし東京での上映は六本木ヒルズの中の映画館だけという事態。六本木は行きづらいんだよ。
六本木で大ハッスルといえば、3年半前のワールドカップの時期を思い出すなぁ。イングランド対アルゼンチン戦、今は無き同期の方々が「スポーツバーで見てるから!」というんで慌てて六本木に駆けつけたところ、
スポーツバーではなくなぜか沖縄料理屋
でっかいスクリーンではなく14インチテレビ(しかも画像がザーザー)
音を大きくすると「すいません店内のBGMが聞こえなくなるんで」と注意される
というわけのわからなさ。

あ、話が脱線した。
とにかく六本木ヒルズは行きづらいし、なんだかんだでヒマがなくて見にいけなかったのです。これはビデオ発売を待つしかねーなと思っていた矢先に見せてもらった本家ディープスロート。
洋ピンなのでストーリーはないんだろうと踏んでいたのだが(私の初めてのエロビデオ体験は、父親がアメリカから持ち帰った洋ピンでした。それが気持ちいいくらいストーリーがなかった)、とんでもない!
簡潔ながらストーリーがありますのよ。
「オーガニズムを経験したことのなかった女性が、病院で受診してもらったら喉の奥にクリトリスがあることが判明。
デカマラを咥えることでオーガニズムに達し、そこから性に解放的になっていく」
というもの。
たったそれだけのストーリーなので1時間足らずで終わってしまうんだが、これが荒唐無稽で滅茶苦茶おもしろい。
特にデカマラの男性(ハリー・リームス)がドッピュン昇天してしまう時の描写は、「毎度おさわがせします」のチロチロリンやとんねるずのコントの源流なのでした。
鳴り響く鐘!打ち上げられる花火!発射するロケット!
ゲラゲラ笑ってしもうた。
あとマンコにグラスを入れてワインだかコーラだかを注ぎ、すんげえ長いチューブでそれを飲むというのもくだらなすぎ。味全然わからんのではないのか。

そんな笑いの部分もさることながら、この映画は全編を通して音楽がかっくいーのです。ファックシーンは大音量のサイケロック。ファズギターが冴え渡る。
クンニされながら絶頂に達する夫人の顔にギター音が巻きつくようだ。
唸るような「ディーープスローーートォォォ」という歌声。あれは完全オリジナルの曲なんだろうか。
ま、アヘ声は聞こえないのですがね。そんなことはNO問題だ。

前ににっかつロマンポルノを何本か見に行ったことがある。その時も見に行くまでは昭和のじめじめした、苦痛と快楽だらけのザーメンがどろどろしたような映画ばかりなのだろうと思っていて、いい方向に期待を裏切られたんだった。
コミカルな芝居や矢野顕子の曲が多様に使われる演出など。
昔のピンク映画は洋邦問わずおもしろいな。エロじゃない部分にばかり目が行くからなのか。ま、エロにすべての重心を置けなかった時代背景なんてのもあるのかもしれないが。

って、私が見せてもらった「ディープスロート」は夏やんが宅配ビデオ(!)で注文したものだったので、無修正でしたけどね。
ついでに字幕もナシ。しかしエロは海も言葉も越える。


で、冒頭の「大人になったら」というのは、夏やんが
「中学生の時、ディープスロートを知ったんだけど見られなくて。
大人になったら見てやろうと思ってたの」
と言っていたのを受けて、なのです。
「見たら大したこと無かったんだけどね」とも。
大人になるって、そういうことなんだよなー
すべてがたやすくなってしまうのだよなー


私にとっての「大人になったら」のひとつに、
「他人に注意することに躊躇しなくなるんではないか」
というものがあった。小学生の頃の私は妙に恥ずかしいなどを気にしていて、人に注意したり教えてあげたりすることにためらいを持ちがちでした。その羞恥心をどこで忘れてきたのか、今となってはさっぱり思い出せないんだが。

で、先日、深夜作業を行っていた時のこと。
わたしらの仕事ってのは床に這いつくばってPCを叩くことが多いのですが、そうすると自然と目線が低い位置になるのです。
その日も低い目線で機器を見上げたりモニターと睨めっこしたりを繰り返しておりました。
すると、ふとお客さんが立ち上がってこちらに近づいてきたのです。
何やらトラブルがあって穏やかじゃないという事情を話してきたのです。

しかし私は、耳に入ってくる話よりも
目の前にある「注意しなければならない事項」について気を取られてしまいました。



社会の窓が全開だったんだな。



小学生の頃、「社会の窓開いてるよ」指摘というのがひそかに流行った頃がありました。私も指摘されたことがあったが、私はなぜか指摘ができなかったのです。
股間ばかりを注目している→エロ
という図式に当てはめられてしまうのが恥ずかしかったのだ。
大人になったらこんなことはためらいもなく言えるようになるんだろうと思っていた。実際、エロと思われることに対して「恥ずかしい!」なんて気持ちはもう、ない。残念ながら。
しかーし。

大人になった今でも、「社会の窓開いてますよ」って注意というか指摘は恥ずかしいものなんだなぁ

こんなものはサラっと言えるものだとばかり思っていたのに!
結局指摘はできませんでした。
むしろ気づいているのがその場に4人いたのに私だけ、ということに押し潰されそうになりました。
名誉のために言わせて貰うが、股間ばかり見ていたわけではない。


大人になってからわかる重大さというのもあるのだな。



明日から沖縄行ってきます
週末は電メリなんで戻ってきますがね
2005年12月07日(水)

女にとっての「最強伝説・黒沢」



ついに朔ユキ蔵・作「ハクバノ王子サマ」2巻が発売になりましたね。
朔ユキ蔵の「少女、ギターを弾く」には10代の体中にみなぎる、わけのわからない衝動を「全裸で町で堂々とオナニー」に置き換えて描いていた時に、10代のときに患っていた青春もやもや病を書き切ってるゥゥゥ!スゲーェェェ!と思わされたものだ。
そして時を経て、朔ユキ蔵、またもやズギャンとくる作品発表ですよ。
ハクバノ王子サマは今年最大の衝撃作だな。
いや、正確にいうと今年最大の女へこませ作。

簡単なあらすじ
サービス残業ばかりのサラリーマンを辞めて、教師に転職した小津(25歳)。
赴任先は女子高。小津は全校挨拶で「年下には一切興味がありません」と宣言する。生徒たちに同僚の女教師原多香子(通称・タカコサマ)はどうですかーとからかわれて「そのうちメシでも」などと答えるのだが、タカコサマは気にもかけない様子で受け流す。
が、内心ではタカコサマ、「ゴハンに誘われちゃった(はぁと」と舞い上がってしまい・・・

このタカコサマってのが「32歳独身・プライド高し」なんだが「相手がいないことを焦っている」というのが肝。
呪文のように「ビール」を頭の中で唱えながら仕事をこなし、電車の中でカップルを見かければ「私は誰にも選ばれなかったからひとりなんだ」と凹み、酔っ払って帰って全裸で寝て「私、またヤッちゃったのかしら」と後悔する。
なんだこのリアリズムは!
ついつい男に期待してしまって裏切られたり(「あーあ」という呟きが沁みる沁みる)
簡単に相手してくれる既婚の男に手を伸ばしてしまって、「私はダメだ」と自覚したり(ありゃホント自己嫌悪に陥るんだよな)
凹むとわかっていながら平然を保つためにいらん質問したり(私は全然興味ありませんよアピールってむなしいね)
グサグサくるね。
りえ坊曰く「竹串で心臓の脂肪がついてる部分を何度も刺される感じ」
同感です。

一番「うわぁぁ」だったのは、タカコサマが同僚の女教師4人で仕事の後にカラオケに行く場面。その時の情景はデジャヴかと思いました。
「男の勲章」を女の勲章に替え歌!
次々に頼まれるビールピッチャー!
「エンレンだったら取っちゃえばいいじゃん」「でもそういう女って大抵捨てられるんだけどねーキャハハ」という会話内容!




なんかねえ、こんなカラオケよくやってる気がするんすよ。
カラオケじゃなくても飲み屋でこんな話ばかりしてるような気がするんすよ。
「女4人」で「ビール、ピッチャーで」ってのが諸悪の根源だよな。私の場合はビールはあまり飲めなくなってしまったが、それでも別の酒バンバンだから。周りはビール党ばかりだし。
女4人で大酒って「あけすけ」なんだよな、いろんな意味で。
「あけすけ」ってのはとても下劣なものだからなー。ホンネとかあけすけとかおっぴろげの同義語は「下劣」。「お」すらもつかないほどの。
なんつっても男性視線を気にするこころ皆無ですから。前に女4人でカシスオレンジをぐるぐるかき混ぜながらキャピキャピ話しているグループを見たことがあるけれど、ああいうのはいつ何時でも男性からの視線を意識しているから違うのだろう。そんなのかけらもおもしろくないんだが。
あと女4人は「仲間」ではなく「同志でありライバル」だ。誰もが一抜けを狙っているあたりとか。少なくとも助け合いはしないし。
そういうあけすけな女4人って外側から見ると「おまえら絶対男できねぇ」ってのがわかるから哀しい。
私らはいつもそういう風に見られている。

カラオケ行くところだけでなく、女教師4人組の仕事上がりの呑みはディテール細かいわ。鳥のから揚げをすぐ注文するあたり。
すべてにおいてディテール細かいマンガなのですけどね。イタリアンレストランに入って「ここでビール頼むのは場違いかも」ととまどい、消極的にワインを頼んでしまうあたりとか。女子高の女教師は妙齢で独身が多いとか。


そんな1巻の内容もさることながら、2巻はもっと竹串でズブズブですよ。
もはや竹串ではなく竹槍かもしれん。

「明日の自分は想像できる
 あさっての自分も想像できる
 一週間後の自分も想像できる
 一ヵ月後の自分も想像できる
 半年後、一年後、数年後の自分はかろうじて想像できる

でも10年後の自分は


怖くて想像できない」


電車の中で読んでいて、このページを開いた瞬間、声を上げそうになってしまった。なんだなんだなんだこれ。
誰もが目を伏せ、耳を閉じ、想像を禁止しようとすることが、ここには堂々と書かれているな。
「あんた、鏡見たことないの?」と言う場合に使われる鏡みたいなもんだ。
多くの男性が「最強伝説 黒沢」を読むとべっこり凹むのと同じ。

負け犬話とかシンデレラ症候群なんて言葉じゃ括れないな。
それが生身の女ってやつですよ。
2005年12月02日(金)

赤い電車は乗り換えが不便だけど

携帯の調子が芳しくないので、昼休みに門前仲町までチャリンコでピューッと一走り。
11月だというのに空気が生ぬるい。
枯葉が路面を覆っていて、タイヤで踏みつけるたびにザクザクと音がする。小学生の頃はそのザクザクという音が「雪を踏みつけている音みたいだ」と思ってわざと枯葉の上を歩いたりしたものだった。
残念ながらもう何十年も時を経てしまっているので、感慨に浸って踏みつけている時間はない。急いでショップに駆け込んだが生憎順番待ち。昼を食べる時間がなくなるのは嫌なのですぐに店を出る。
どこかで弁当でも買って会社に戻ろうかとしたら、永代通り沿いの商店街はじじばばとテキ屋の屋台で大渋滞。
ああ、今日は28日なので縁日なのだった。
お不動さんとこの道は輪をかけた大渋滞なので、チャリンコを押している(スローペースなので乗れやしない)私に通ることは困難。しょうがねえんで会社の近くで弁当買うかーなどと思いながら渋滞に任せて道を進む。
富岡八幡前まで行けば道が空いているのだ。
八幡の前についたら、そのままチャリに跨って行っちまおうとしたんだが、境内でフリーマーケットをやっていた。鳥居の前には餡餅(シャーピン/中国風おやき)の屋台が。うまそうな匂いに惹かれて一枚購入。フリマをひやかしながら歩き食い。行儀わりー。
が、これがべらぼうに熱い。舌やけどしてしまった。でもうめーのなんの。
境内にあふれる出店は着物や骨董品や古いお札など。中には股引、ズロースなどをずらーっと並べ3枚500円で叩き売りをしている店も。私は老人向け肌着売り場で働いていたりしたのでこれらの需要の高さがよくわかる。場内は50代以上率90%でしたから。
骨董品やガラクタを売っているじいさんの出店で、台の下にひっそりと村西とおるのビデオが置いてあった。性欲∞。
隣の公園に抜けると幼稚園児が走り回っている。
ちょっと頭のおかしいじじいが団子を食っているじじいに話しかけてよくわからない事態になっていた。公園は昔からごった煮な場所なのだ。
やっとの思いでおやきを食べ終わったので八幡でお参り。神様よう、今年は幸運年じゃなかったのかよう、と問う。
銀杏が見事な金色で、朱色の本殿とのコントラストが素晴らしい。
境内の隅にある喫煙所で一服。はじっこにも関わらずじじいやばばあがタバコをぷかぷか吹かしていた。禁煙ヒステリー運動と無関係で頼もしい。
砂利の上で頭に布を巻いたイスラム教徒の女性が連れている子供がわーっと遊んでいる。そういえば出店の中にはアジア衣料の店もあった。おばさんに人気だからな。
いいなあ、このゆるいごった煮感。
こんな昼休みも悪かねぇな。おやきが脂っこすぎて胃がもたれたけど。


東京ってのはこういう風景もあるところなんである。
むしろこういう街のほうが多いところなんである、というのが私の持論。六本木や渋谷やお台場が特殊なんだから。
味気ねえだのメシまずいだのなんだののたまう奴らが多いが、だったら引っ越せバーカと思ってしまう。エンケンばりに「イヤなら出てけよ」だ。
実際んとこは、私が東京から出て行きたいのだ。地方に行くとその土地の空気、ゆるやかな時間の流れ、メシのうまさなどに惹かれてその土地に住みたくなること山の如し。地方都市に住みてえよ心底。
でも東京を離れるのがなんとなく惜しいんだよな。
いいとこいっぱいあるからなー
そして知らないとこも沢山ある。
先日仕事で板橋区に行ってきたけど、板橋のことはなんにも知らなかったんだよ
な。三田線がこんなに長いとも思わなんだ。途中から地上に出るというのも知らなんだ。団地も山ほどあったが、川沿いの風景は工場地帯。
工場の窓から漏れる光が夜の川を照らす。いい光景。
うちのあたりにも川が多い。川沿いには町工場が並んでいたりする。その光景と似ていたのでいいな、と思えたのだ。
その写メール画像を別んとこでアップしたら、「小樽みたい」なんて意見も。
小樽は言い過ぎだろうよ。そんなたいそうなもんじゃねえさ、板橋だもの。
そもそもわたくしは工場や工業地帯が好きなのです。騒音や公害や自然の衰えを憂う意見も多いが、何言ってんだ、工業こそが今の生活を支えてるんじゃネエか。
おめーらの「豊かな生活」の基盤だろコノヤロー、と思う。
町のモンだろうが工業地帯のモンだろうが、工場労働者こそ近代日本最大の功労者だ。今、上流階級だのなんだのほざいてる奴らなんぞちっとも偉くない。働かない奴らはもっとダメだけど。

これまた先日仕事で京浜工業地帯に足を踏み入れたのだが、ここの光景はすごいぞ。日本の中心も世界の中心もどこだか知らないが、日本の重心を支えているのは間違いなくここだ。銀色の要塞がババンと広がる。何本も突き出る煙突に巻きつく膨大な数のパイプ群。絶え間なく吐き出される煙、そしてすぐそばに乗り入れている巨大船。長距離トラックすら小さく見える。壮観。
人間が豆粒にしか見えない。思えない。人間なんぞ大したもんではないのだ。
で、中はもっとすごい。が、中のことを書き出すと止まらなくなるので省略。

東京ってのはこういう光景もあるところなんだよな。
先述のゆるいごった煮人文化と工業化発展文化(文化じゃねえか)が両立しているのが東京のいいところ。しかもそういうものが、全然遠くなくて両隣でも成立してるからね。辺境のあたりばかりだけど。東京も立派にアジアってわけだ。

そのアジアな、愛してやまない東京をもっとも堪能できるのは、京急線沿線なのだと思うのです。
くやしいけれど(うちんとこではないから)座はてめえのもんだ、京急。
空港もあるしな。どの駅から降りても商店街あるし。
そして蒲田あたりには風俗店もあるしな。このバランスの良さ!完璧だなーくやしいけどよー。
本当にいい路線だと思うのですよ。快特のすっ飛ばしぶりは爽快だし(ただし各停はどんだけ待つのか、つうくらい待つが)三浦半島の先っぽは海べりで風景全然違うしな。一番すげえのは京成とのタッグですよ、間に都営線入っているけど。
私鉄タッグの中では最強なんじゃないのか。羽田と成田を擁しているんだものなー日比谷線で繋がってる東急線と東武線のタッグなんて仲悪そうだ。連携プレイは絶対できやしない。


そんな京急の素晴らしさを歌ったのが!
今年の私の心のベストテン第一位!
くるりの「赤い電車」なのですよ!


これ以上の名曲はないね、今年は。
京急のあの歌声もしっかり収録だ。にくいぜ。
私はくるりの熱心なファンではないので、9月に沖縄から帰ってきた際に羽田空港でこの広告を見かけて知ったのだった。
京急および京急沿線に対する愛をビンビン感じる曲だ。
赤い電車はどこかに行くための手段としてばかり取り上げられるかもしれないが、違うんだ、赤い電車が連れてってくれるのは素顔の東京部分なんだ。
岸田氏も「でっかい東京/こんな街もあるんだ/見たことのない景色見せてよ」と言っているからね。
この歌詞を打っただけで心の奥が苦く捩れて、涙腺が緩んでくる。なんでだ。

ああ、この歌って京急沿線以外の東京に対する愛も感じさせるからだ。


飛行機で東京に来た人が最初に見る光景って、この沿線のような海や川に囲まれた労働者階級で庶民的な町並みのはずなのに、なんで皆山手を目指すんだろうな。
そんなのもったいねえよ。
赤い電車や銀色の電車や青い電車に乗って見たことのない東京見にいっておくれ。決して悪いもんじゃないから。


(くるりのアルバムについても褒めちぎりたかったが長くなったので終了)
2005年11月28日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


股・戯れ言 / ヤツザキホームページ

My追加

人気サイト