股・戯れ言


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俺のネットワークはグングン広くなる 沖縄2日目

私が12月の沖縄に行ったのは、これを見るためでした。

12月 9日(金)
沖縄・那覇:ムジカ
「不滅の男 エンケン対日本武道館」公開記念 遠藤賢司ライブ2005」

沖縄でエンケンを見たかったんだ、どうしても。
そもそも「観覧車」にこんなに通うになったのも、壁に貼ってあったエンケンのフライヤーに驚いたからなのですよ。もちろん電気菩薩のおかげではあるのだけど。


というわけで沖縄2日目。午後からゆるゆる外出。
浮島通りを歩いていたら壷屋のほうに出た。アーケード街がある。そういえばこっちのほうは行ったことがなかったな。那覇の下町、という具合。
下町と呼ばれるようなところはどこに行っても落ち着くものだ。
修学旅行生じゃない高校生が多くて気分がいい。
歩いて県庁前へ。銀行に行ったらボーナスが支給されていた。ンマー。
大事に使わなければいけないのはわかっているんだが、昨日、化粧品一式を買った際にチークを買い忘れていた。チークのひとつくらい買ってもかまわんだろうと思って、新都心へ。
沖縄で初めてのDFS入店です。
思えば台湾に行った時も化粧品を買いまくったなあDFSで。心の友。
しかし過去3回はなんとなく縁遠かったのです。新都心行ってもおもしろくないし。
しかしDFSの化粧品コーナーは心躍るな。値段がキムラヤ価格なのも含めて。
わたくしも腐ってもOLということですよ。最近全然買ってなかったから余計に心躍ってしまう。ジバンシイのパッケージがいいな!コンパクトで持ち運びやすいぜ、という理由でジバンシイのチークを買う。そしてディオールの口紅も買ってしまった。何も言うまい。
さあ、早々と受け取って使ってやるぜえええ、と意気込んでお会計。

なにやらパンフレットのようなものを差し出される。

これは見たことがあるな。どこで見たんだっけか。
わかっているがわかりたくない。私の数少ない海外旅行で何度か見た・・・
が、今はわかりたくないのだ。お金払って、すんなりと商品を渡されて、1時間後にはチークを塗っている姿を想像したいんだ。

しかし現実は想像通りにはならず。
「お帰りの便の航空券をお持ちでしょうか?」
あああ。
やっぱり、この場では受け取れないのか。空港引渡しなのか。
「この場で欲しいんですけど」「どうしてもダメなんですか?」とねばったが、5分ほどであえなく陥落。
キャンセルと言う言葉も飛び出しそうになったが、普通の値段よりも遥かに安かったので買いました。でも受け取れないの。
寸止め生殺し、という言葉が脳裏に浮かぶ。

しかも予想通りに新都心がつまらなかったので踏んだり蹴ったりだ。
新都心は最近開発されたところ。マンションやマンション予定地が居並ぶ様子は、気分のいいものではない。この光景だけ見ると那覇は小さい東京のようだ。
小さい東京なんか作らなくていいのにな。しかしどの地方都市もだんだんと小さい東京になり始めているような気がする。
何百年もたったら今、「小京都」とか「小江戸」と呼ばれるような呼ばれ方をするようになるんだろうか。そう考えると、今「小京都」と呼ばれているところは侵略されて作り変えられた場所なんだな。元の光景なんぞはもう誰も思い出せやしない。
まあ、変化というものはそういうものだから仕方ないのかもしれんが。

時刻もほどよい時間だったので、気持ちを切り替えて「ぬえみち」へ。
おむすび作りの手伝いをする。といっても海苔貼り付けてラップをするのみでし
たが。しかしぬえみちのおむすびはいつ食べてもおいしいんだよなー。
それを携えて西町へ急ぐ。エンケンライブの始まりだ。




今回のエンケンライブは、映画「不滅の男」公開に合わせたもの。
「不滅の男」の那覇公開は10日。つまり、このライブは公開前夜祭にあたる。
久々のエンケンライブだ。こないだ映画を見たばかりだが、タイマンも張れず圧倒されているうちに終わってしまったのだった。惨敗。エンケンの鉄拳を受け止めることもできなかった。覚悟も修行も足りなかったのだ。
スクリーンの向こう側でダイナミックに動くエンケンを、私はぽけーっと見てしまった。なんたる失態。拳を握り締めて、上映時間の間、エンケンの情熱に負けないくらい生命を燃やしながら見なきゃならなかったのに。
しかし、今度はライブだ。直接対決の場。
私はこの勝負のために沖縄までやってきた。映画をぽけーっと見た時とは覚悟が違う。
それだけにこの会場がスタンディングでなかったのは残念な限り。

ステージ上に現われたエンケンは、いつもよりも大きく見えた。
しょっぱなの「夜汽車のブルース」からギターの弦が切れていた。何度も何度もギターの弦が切れて、そのたびにハーモニカを高らかに吹き、足をどんどん鳴らして曲を繋げながら、新しいギターを手にして歌い続ける。

細野氏のライブを見たとき、私は細野氏に心底憧れ、みっともないくらい嫉妬した。でもそれは、「私と同じ年くらいの時の細野氏」に対する憧れと嫉妬だった。
過去をゆるゆると歌う細野氏の余裕ぶりに。
しかし、エンケンは違う。エンケンはいつでも全力疾走だ。若い頃とか年取ったとか、そういう概念がまったくない。エンケンには「今」しかない。今、この一瞬一瞬を全速力で生命を燃やしている。それは文字通り燃え尽きるまで続くのだろう。悔しい、なんて思っている場合ではなかった。今、この瞬間、命を燃やさなければならないんだ。余裕なんて全然ない。あいまいな言葉なんていらない。
今、自分にしかできないことに賭けろ。自分がやりたいことを貫き通せ。
自分なんか曲げるな。そのまま行け。全力で闘え。
恥ずかしくなるくらい真正面な言葉が投げつけられているかのようだ。
実際に投げつけられているのは音や言葉じゃない。エンケンの生き様と気迫である。
「民主主義って言うのは自分が好きなことをやるべきなんだ。
自分の好きなことは長く続くもので、俺はこうして歌を続けている。
それが実現できるのが民主主義なんだから」
というMC。
そして「不滅の男」の歌詞の数々

そうさ やる時はやるだけだ
俺は負けないぜ

年をとったとかそう言うことじゃないぜ
俺が何を欲しいかそれだけだ
そう俺は本当に馬鹿野郎だ
だからわかるかい天才なんだ

揺るぎない信念。溢れる自負。
力強い言葉に背中を押し出される。
ここ最近の迷いやとまどいに対する答えが、ここにはすべてあった。
もう逃げている場合じゃない。

3時間は若干長すぎた感も否めないが、十分だ。
「ド素人はスッコンデロ」は映画でも凄まじい迫力だったが、実際のアクションは映画以上であった。衝動なんて止める必要は無い。溢れるものは止められやしないのだ。あとは突っ走るしかない。突っ走って突っ走って、俺のスピードをグングン速くしていくしかない。俺のネットワークはグングン広がっているのだから。(おおう、エンケンなのに何故かここだけ真心だ)




そのライブ後、あろうことか神本人を囲むお食事会に誘われたのだが、
本人と食事なんて恐れ多い!ヒィ!と食事は辞退。
観覧車に戻ってまったりと呑み。喜納昌吉さんが今日も来ていた。
社長さんが来てまきちゃんがきてすっかり(沖縄の)日常に戻る。途中、タマシイさんが来てくれたのは嬉しい限りでした。シャオロン・トゥ・スカイのアルバムが欲しかったが発売一週間前だったので手に入らず。残念。早く東京でも出て欲しいものであるよ。

そしてタバコを買いに行って戻ってみると、なんとまあ、神ご一行がいるではありませんか。ギャー!緊張!
緊張緩和のために大分呑んでおいたのだが(前日入れたボトルがすでに残り僅か)全然酔えねー。終始オドオド。あんなに感銘を受けたライブなのに、その感想すらも言えやしない。
昔、RさんとOさん(ウンコBOYS)が某女優さんと会ったのですが、会う直前まで「俺の××ちゃんがー!」だのと騒いでいたのに、会った途端に無言、飲みの席では隣に座っているにも関わらず手動携帯充電器を動かし続けていたのを思い出しました。あの時、私は彼らに「なんだよヘタレてんじゃねーよ」と言っていたが人のこと言えなかった。
RさんOさん、1年半越しのごめんなさい。

神とまともに話せたのは小川知子の「初恋の人」という曲について説明してくれたところくらいか。
あと、別の人と話しているときについつい、HG調で「オッケー」と言ってしまったら(私の声質は低音で響くのでつい巧く言えてしまう)神が
「HGは来年、『ワッショーイ』って言うよ!」
と言っておりました。
ちょっと2ちゃん用語っぽいな
言ってくれHG、「ワッショーイ」と。



次回に続く
2005年12月15日(木)

俺のネットワークはグングン広くなる 沖縄1日目

伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」を読みました。
舞台は仙台、5人の主人公が同じ町で、同じ知り合いや同じ出来事を通して繋がっているという秀作。最初の読んでる段階では「同じ舞台なんだな」くらいの印象しかないのだが、読み進めていくうちにだんだん魅了されていき、最後は見事としか言い様が無い。
象徴的に登場する「つなぐ」という絵や「人生はリレーのようなもの」という台詞には唸らされました。
人生は本当に繋がっていると思うのですよ。
私も今年はいろんな人や出来事やモノが繋がっているのだなと実感した一年でした。繋がる場所は仙台だったり北上だったり、山形だったり、大阪だったり様々だったけれど、もっともコアの部分は沖縄でした。
今年の私にとっての最大の幸運は沖縄と縁ができたことだな。

思えばすべてのきっかけは、2月の終わりに仕事でヘマをしたところから始まるんだった。
衝動的に会社を休んで山形に駆け込んで、戻ってきたところで言い渡された沖縄出張。
岩手の銘酒「電気菩薩」が那覇で唯一飲める店があるんで是非行ってみてくれ、と藤村さんに紹介されて辿り着いた「観覧車」。
観覧車で知り合った社長さんに連れられて行った店で仲良くなった海自ギャルズ。
ギャルズのはるみちゃんが異動になったのでまたまた大阪で再会したり、那覇で再会した台湾帰りのBONちゃん、そのBONちゃんと一緒に入った店でタマシイさんに出会って、その後東京で彼のライブを見に行ったり。
日本全国を股にかける繋がり。すごいことだ。

そんなわけで今年最後の沖縄渡航をしてきました。
そしてこれは、繋がりの集大成でもある。


っても10時35分の便に乗るのに起きたのが9時だったのですがね。
起きた途端に悲鳴を上げて、慌てて出発。
赤い電車に乗っかって羽田から飛び立ってやるぜええと意気込んでいたのだが、時間がないので乗れなかった。が、結局着いたら遅延していたのだった。
なんだよ、先に言えよ。

しかも私の乗る便は修学旅行生がうじゃうじゃいて、「うわーハズレ便引いちまったー!」と思いました。以前も秋田に行く際に乗った便がこれまた修学旅行生盛りだくさんで一気にテンションが下がったのだった。
ま、私が学生だった時も同じ新幹線の席に乗り合わせてしまった一般客の方々は「うわーなんで乗ってるんだよ」と思ったことであろう。
修学旅行生ハズレくじも連鎖する。

飛行機の中では慌てて購入した新潮の1月号を読んでいたのだけど、鹿島田真希の「ナンバーワン・コンストラクション」はここ最近読んだ小説の中で一番つまらなかった。
なけなしの忍耐力でなんとか最後まで読み切ったが、あからさまな時代錯誤感についていけん。一体何が言いたいのかもわからない。
数ある飲み物の中から「レモネード」を扱うという選択が鼻についてしょうが
ない。「契約」という言葉の使い方や「貴方の一番大事なものをいただく」なんて台詞、「〜して頂戴!」「すべての罪を引き受けて自殺するんだ!」だのの口調が非常に昼ドラっぽいと思った。内容は昼ドラ以下でしたが。
夏目漱石や谷崎のほうがよっぽどリアリズムであるよ。
純文学好きな人が書いた純文学っぽい小説。こういう小説が文学部教授に喜ばれて日本文学史に残っていくのかもしれないが、つまらないものはつまらない。

島本理生の「大きな熊が来る前に、おやすみ。」は枚数も少なかったが、リアリティのある箇所が多く、すんなりと作家の世界観に解けこむことができた。最後は?とも思ったが、あの小説に登場する2人にはこの先にも未来があって、完全な結末ではなかったのがよい。あの女性主人公はその後同じようなことで苦労するだろう、と私は思っている。他人を変えることなんて出来ない、って冒頭に書いてあるからな。

という間に沖縄着。
いつでも生ぬるい空気で私を迎え入れてくれる沖縄だが、今回は生ぬるいなんてもんじゃない。
東京は10度前後だったのに
那覇は20度オーバーでした。
厚手のコートはすぐに脱ぐ。ガマン大会じゃないんだから。
今回は牧志のてんぶす横にある新築のホテル泊なのです。こじんまりとしたホテルなのにトイレと風呂がセパレート。最高だ。
最高すぎていったん荷物を置いて出るつもりが昼寝。

昼寝なんかしてダラダラしている場合ではありませんでした。
昼寝の後にいきなり風呂に入ってのんびりしている場合ではありませんでした。
風呂上り後、そろそろ出かけようとしたところで寝坊のボロに気づく。


化粧品一式忘れた・・・


一転してえー!えー!えー!と騒ぎまくる。何やってんだか。
かろうじてコートのポケットに眉墨が入っていたので、眉毛だけは死守できた。
私が化粧品で慌てたのは「最低、眉だけでも」ということである。
俺は眉毛うすうす人間なのだ。眉毛抜いたことはないのに。(眉毛抜くのは痛くて嫌)
まあ、眉毛だけは守ることができたので化粧品はダイエーあたりで適当に買えばいいやと思って出かけたら
ダイエー那覇店は閉店していたのだった。
前回来たのは9月で、宿がダイエーの近くだったのでいろいろ便利だったんだがな。
しょうがないので安化粧品は諦めて、りうぼうに行ってエスティローダーだ。何しろ眉墨以外すべてを揃えなければいけない罠。しかしエスティローダーのアイシャドウは初めて買ったが発色がいいのな。高くついたがまあいいや。

その後、「びいどろ」へ。
このびいどろは、仙台のバーのマスターに教えてもらった店だ。仙台から那覇というつながりですね。それもすげえな。
女主人のユキさん(東北人)と初孫を呑みながらいろいろ話していたら、途中からやってきたお客さん(吉幾三似)が酔っ払い。
長々と「うちに住んでいたゴキブリ、ジロー君の話」というものを語ってくれた。
酔っ払いがその場の勢いで作った話なんだが、ゴキブリの移動距離(ちなみに100M4分50秒だって。早いんだか遅いんだかわからねえ)波の上から始まり、那覇空港、ヨーロッパとなんだか壮大。陰謀を阻止するゴキブリってどんなんだ。
そして、そんな即席の話が3,40分以上続くので驚いた。酔っ払い妄想力は偉大だ。
ま、シラフの時は全然喋らない人みたいですがね。そういうところが酔っ払いうちなーんちゅらしいなー。ほほえましいなー。
沖縄に来たのに日本酒ばかり飲めるびいどろは本当にいい店。
ちなみに、以前沖縄滞在中に「びいどろは日本酒が飲めるいい店だ」とうちなー人のいけさんに薦めたら、その後よく来ているそうで。つながりは連鎖するのな。


そしてしに酔っ払った(しにって言葉を使ってねと言われたので使ってみることにする)のでそのまま観覧車へ。
「おかえりー」と迎えられる。どんだけ来てるんだ。
その後、これまた観覧車と馴染み深い、桜坂劇場(那覇の良心的映画館)で「イン・ザ・ディープスロートを上映して欲しい!そしたら見に行くから!」と話しておったのです。東京での上映は見事に見逃したからな。
映画のストーリーとみどころを話していたら、店にきていたおじさんが「女性がね、性に解放的になることはいいことだ」と話し出した。このおじさん、早口に「人間には要所要所にチャクラがあって〜」といろいろな話をしていたので物知りな人だなあ、ものすごくハイテンションだけど。と思って興味深く聞いていたのですが、
彼が帰った後に
「あの人は、『花』って曲を作った人でうちなーの人で知らない人はいないさー」
と説明される。
花?
それは、あれか、♪泣きなさ〜い〜笑いなさ〜い〜か?
喜納昌吉さんでございました。全然気づかなかったよ!
桑名正博みたいな髪型の人だなとしか思ってなくて申し訳ないくらいだ。
えー気づかなかった!と話していたら、喜納さん、また戻ってきたのであった。
何がすごいかって、全然飲んでないのにハイテンションなのな。ハイサイおじさんとは正反対だ。

そして翌日のとあるチケットを受け取って終了。
そのチケットというのは・・・




次回に続く
2005年12月14日(水)

アダルト・ディープ・インパクト

幼少の頃、どうしてもやりたいことがあるが今は叶わなくて、大人になったらいつか叶えてやる、と誓った経験がある方は多いかと思います。

先日、友人であり尊敬すべき洋ピンの生き字引こと夏やんに「ディープスロート」を見せてもらいました。


今公開中の「インサイド・ディープスロート」の元ネタのほうです。わたくしは映画ならばドキュメンタリーものが一番おもしろいと思っているので(NHKドキュメントもよく見るのです)、どうしてもこの映画が見たかったのだ。
しかし東京での上映は六本木ヒルズの中の映画館だけという事態。六本木は行きづらいんだよ。
六本木で大ハッスルといえば、3年半前のワールドカップの時期を思い出すなぁ。イングランド対アルゼンチン戦、今は無き同期の方々が「スポーツバーで見てるから!」というんで慌てて六本木に駆けつけたところ、
スポーツバーではなくなぜか沖縄料理屋
でっかいスクリーンではなく14インチテレビ(しかも画像がザーザー)
音を大きくすると「すいません店内のBGMが聞こえなくなるんで」と注意される
というわけのわからなさ。

あ、話が脱線した。
とにかく六本木ヒルズは行きづらいし、なんだかんだでヒマがなくて見にいけなかったのです。これはビデオ発売を待つしかねーなと思っていた矢先に見せてもらった本家ディープスロート。
洋ピンなのでストーリーはないんだろうと踏んでいたのだが(私の初めてのエロビデオ体験は、父親がアメリカから持ち帰った洋ピンでした。それが気持ちいいくらいストーリーがなかった)、とんでもない!
簡潔ながらストーリーがありますのよ。
「オーガニズムを経験したことのなかった女性が、病院で受診してもらったら喉の奥にクリトリスがあることが判明。
デカマラを咥えることでオーガニズムに達し、そこから性に解放的になっていく」
というもの。
たったそれだけのストーリーなので1時間足らずで終わってしまうんだが、これが荒唐無稽で滅茶苦茶おもしろい。
特にデカマラの男性(ハリー・リームス)がドッピュン昇天してしまう時の描写は、「毎度おさわがせします」のチロチロリンやとんねるずのコントの源流なのでした。
鳴り響く鐘!打ち上げられる花火!発射するロケット!
ゲラゲラ笑ってしもうた。
あとマンコにグラスを入れてワインだかコーラだかを注ぎ、すんげえ長いチューブでそれを飲むというのもくだらなすぎ。味全然わからんのではないのか。

そんな笑いの部分もさることながら、この映画は全編を通して音楽がかっくいーのです。ファックシーンは大音量のサイケロック。ファズギターが冴え渡る。
クンニされながら絶頂に達する夫人の顔にギター音が巻きつくようだ。
唸るような「ディーープスローーートォォォ」という歌声。あれは完全オリジナルの曲なんだろうか。
ま、アヘ声は聞こえないのですがね。そんなことはNO問題だ。

前ににっかつロマンポルノを何本か見に行ったことがある。その時も見に行くまでは昭和のじめじめした、苦痛と快楽だらけのザーメンがどろどろしたような映画ばかりなのだろうと思っていて、いい方向に期待を裏切られたんだった。
コミカルな芝居や矢野顕子の曲が多様に使われる演出など。
昔のピンク映画は洋邦問わずおもしろいな。エロじゃない部分にばかり目が行くからなのか。ま、エロにすべての重心を置けなかった時代背景なんてのもあるのかもしれないが。

って、私が見せてもらった「ディープスロート」は夏やんが宅配ビデオ(!)で注文したものだったので、無修正でしたけどね。
ついでに字幕もナシ。しかしエロは海も言葉も越える。


で、冒頭の「大人になったら」というのは、夏やんが
「中学生の時、ディープスロートを知ったんだけど見られなくて。
大人になったら見てやろうと思ってたの」
と言っていたのを受けて、なのです。
「見たら大したこと無かったんだけどね」とも。
大人になるって、そういうことなんだよなー
すべてがたやすくなってしまうのだよなー


私にとっての「大人になったら」のひとつに、
「他人に注意することに躊躇しなくなるんではないか」
というものがあった。小学生の頃の私は妙に恥ずかしいなどを気にしていて、人に注意したり教えてあげたりすることにためらいを持ちがちでした。その羞恥心をどこで忘れてきたのか、今となってはさっぱり思い出せないんだが。

で、先日、深夜作業を行っていた時のこと。
わたしらの仕事ってのは床に這いつくばってPCを叩くことが多いのですが、そうすると自然と目線が低い位置になるのです。
その日も低い目線で機器を見上げたりモニターと睨めっこしたりを繰り返しておりました。
すると、ふとお客さんが立ち上がってこちらに近づいてきたのです。
何やらトラブルがあって穏やかじゃないという事情を話してきたのです。

しかし私は、耳に入ってくる話よりも
目の前にある「注意しなければならない事項」について気を取られてしまいました。



社会の窓が全開だったんだな。



小学生の頃、「社会の窓開いてるよ」指摘というのがひそかに流行った頃がありました。私も指摘されたことがあったが、私はなぜか指摘ができなかったのです。
股間ばかりを注目している→エロ
という図式に当てはめられてしまうのが恥ずかしかったのだ。
大人になったらこんなことはためらいもなく言えるようになるんだろうと思っていた。実際、エロと思われることに対して「恥ずかしい!」なんて気持ちはもう、ない。残念ながら。
しかーし。

大人になった今でも、「社会の窓開いてますよ」って注意というか指摘は恥ずかしいものなんだなぁ

こんなものはサラっと言えるものだとばかり思っていたのに!
結局指摘はできませんでした。
むしろ気づいているのがその場に4人いたのに私だけ、ということに押し潰されそうになりました。
名誉のために言わせて貰うが、股間ばかり見ていたわけではない。


大人になってからわかる重大さというのもあるのだな。



明日から沖縄行ってきます
週末は電メリなんで戻ってきますがね
2005年12月07日(水)

女にとっての「最強伝説・黒沢」



ついに朔ユキ蔵・作「ハクバノ王子サマ」2巻が発売になりましたね。
朔ユキ蔵の「少女、ギターを弾く」には10代の体中にみなぎる、わけのわからない衝動を「全裸で町で堂々とオナニー」に置き換えて描いていた時に、10代のときに患っていた青春もやもや病を書き切ってるゥゥゥ!スゲーェェェ!と思わされたものだ。
そして時を経て、朔ユキ蔵、またもやズギャンとくる作品発表ですよ。
ハクバノ王子サマは今年最大の衝撃作だな。
いや、正確にいうと今年最大の女へこませ作。

簡単なあらすじ
サービス残業ばかりのサラリーマンを辞めて、教師に転職した小津(25歳)。
赴任先は女子高。小津は全校挨拶で「年下には一切興味がありません」と宣言する。生徒たちに同僚の女教師原多香子(通称・タカコサマ)はどうですかーとからかわれて「そのうちメシでも」などと答えるのだが、タカコサマは気にもかけない様子で受け流す。
が、内心ではタカコサマ、「ゴハンに誘われちゃった(はぁと」と舞い上がってしまい・・・

このタカコサマってのが「32歳独身・プライド高し」なんだが「相手がいないことを焦っている」というのが肝。
呪文のように「ビール」を頭の中で唱えながら仕事をこなし、電車の中でカップルを見かければ「私は誰にも選ばれなかったからひとりなんだ」と凹み、酔っ払って帰って全裸で寝て「私、またヤッちゃったのかしら」と後悔する。
なんだこのリアリズムは!
ついつい男に期待してしまって裏切られたり(「あーあ」という呟きが沁みる沁みる)
簡単に相手してくれる既婚の男に手を伸ばしてしまって、「私はダメだ」と自覚したり(ありゃホント自己嫌悪に陥るんだよな)
凹むとわかっていながら平然を保つためにいらん質問したり(私は全然興味ありませんよアピールってむなしいね)
グサグサくるね。
りえ坊曰く「竹串で心臓の脂肪がついてる部分を何度も刺される感じ」
同感です。

一番「うわぁぁ」だったのは、タカコサマが同僚の女教師4人で仕事の後にカラオケに行く場面。その時の情景はデジャヴかと思いました。
「男の勲章」を女の勲章に替え歌!
次々に頼まれるビールピッチャー!
「エンレンだったら取っちゃえばいいじゃん」「でもそういう女って大抵捨てられるんだけどねーキャハハ」という会話内容!




なんかねえ、こんなカラオケよくやってる気がするんすよ。
カラオケじゃなくても飲み屋でこんな話ばかりしてるような気がするんすよ。
「女4人」で「ビール、ピッチャーで」ってのが諸悪の根源だよな。私の場合はビールはあまり飲めなくなってしまったが、それでも別の酒バンバンだから。周りはビール党ばかりだし。
女4人で大酒って「あけすけ」なんだよな、いろんな意味で。
「あけすけ」ってのはとても下劣なものだからなー。ホンネとかあけすけとかおっぴろげの同義語は「下劣」。「お」すらもつかないほどの。
なんつっても男性視線を気にするこころ皆無ですから。前に女4人でカシスオレンジをぐるぐるかき混ぜながらキャピキャピ話しているグループを見たことがあるけれど、ああいうのはいつ何時でも男性からの視線を意識しているから違うのだろう。そんなのかけらもおもしろくないんだが。
あと女4人は「仲間」ではなく「同志でありライバル」だ。誰もが一抜けを狙っているあたりとか。少なくとも助け合いはしないし。
そういうあけすけな女4人って外側から見ると「おまえら絶対男できねぇ」ってのがわかるから哀しい。
私らはいつもそういう風に見られている。

カラオケ行くところだけでなく、女教師4人組の仕事上がりの呑みはディテール細かいわ。鳥のから揚げをすぐ注文するあたり。
すべてにおいてディテール細かいマンガなのですけどね。イタリアンレストランに入って「ここでビール頼むのは場違いかも」ととまどい、消極的にワインを頼んでしまうあたりとか。女子高の女教師は妙齢で独身が多いとか。


そんな1巻の内容もさることながら、2巻はもっと竹串でズブズブですよ。
もはや竹串ではなく竹槍かもしれん。

「明日の自分は想像できる
 あさっての自分も想像できる
 一週間後の自分も想像できる
 一ヵ月後の自分も想像できる
 半年後、一年後、数年後の自分はかろうじて想像できる

でも10年後の自分は


怖くて想像できない」


電車の中で読んでいて、このページを開いた瞬間、声を上げそうになってしまった。なんだなんだなんだこれ。
誰もが目を伏せ、耳を閉じ、想像を禁止しようとすることが、ここには堂々と書かれているな。
「あんた、鏡見たことないの?」と言う場合に使われる鏡みたいなもんだ。
多くの男性が「最強伝説 黒沢」を読むとべっこり凹むのと同じ。

負け犬話とかシンデレラ症候群なんて言葉じゃ括れないな。
それが生身の女ってやつですよ。
2005年12月02日(金)

赤い電車は乗り換えが不便だけど

携帯の調子が芳しくないので、昼休みに門前仲町までチャリンコでピューッと一走り。
11月だというのに空気が生ぬるい。
枯葉が路面を覆っていて、タイヤで踏みつけるたびにザクザクと音がする。小学生の頃はそのザクザクという音が「雪を踏みつけている音みたいだ」と思ってわざと枯葉の上を歩いたりしたものだった。
残念ながらもう何十年も時を経てしまっているので、感慨に浸って踏みつけている時間はない。急いでショップに駆け込んだが生憎順番待ち。昼を食べる時間がなくなるのは嫌なのですぐに店を出る。
どこかで弁当でも買って会社に戻ろうかとしたら、永代通り沿いの商店街はじじばばとテキ屋の屋台で大渋滞。
ああ、今日は28日なので縁日なのだった。
お不動さんとこの道は輪をかけた大渋滞なので、チャリンコを押している(スローペースなので乗れやしない)私に通ることは困難。しょうがねえんで会社の近くで弁当買うかーなどと思いながら渋滞に任せて道を進む。
富岡八幡前まで行けば道が空いているのだ。
八幡の前についたら、そのままチャリに跨って行っちまおうとしたんだが、境内でフリーマーケットをやっていた。鳥居の前には餡餅(シャーピン/中国風おやき)の屋台が。うまそうな匂いに惹かれて一枚購入。フリマをひやかしながら歩き食い。行儀わりー。
が、これがべらぼうに熱い。舌やけどしてしまった。でもうめーのなんの。
境内にあふれる出店は着物や骨董品や古いお札など。中には股引、ズロースなどをずらーっと並べ3枚500円で叩き売りをしている店も。私は老人向け肌着売り場で働いていたりしたのでこれらの需要の高さがよくわかる。場内は50代以上率90%でしたから。
骨董品やガラクタを売っているじいさんの出店で、台の下にひっそりと村西とおるのビデオが置いてあった。性欲∞。
隣の公園に抜けると幼稚園児が走り回っている。
ちょっと頭のおかしいじじいが団子を食っているじじいに話しかけてよくわからない事態になっていた。公園は昔からごった煮な場所なのだ。
やっとの思いでおやきを食べ終わったので八幡でお参り。神様よう、今年は幸運年じゃなかったのかよう、と問う。
銀杏が見事な金色で、朱色の本殿とのコントラストが素晴らしい。
境内の隅にある喫煙所で一服。はじっこにも関わらずじじいやばばあがタバコをぷかぷか吹かしていた。禁煙ヒステリー運動と無関係で頼もしい。
砂利の上で頭に布を巻いたイスラム教徒の女性が連れている子供がわーっと遊んでいる。そういえば出店の中にはアジア衣料の店もあった。おばさんに人気だからな。
いいなあ、このゆるいごった煮感。
こんな昼休みも悪かねぇな。おやきが脂っこすぎて胃がもたれたけど。


東京ってのはこういう風景もあるところなんである。
むしろこういう街のほうが多いところなんである、というのが私の持論。六本木や渋谷やお台場が特殊なんだから。
味気ねえだのメシまずいだのなんだののたまう奴らが多いが、だったら引っ越せバーカと思ってしまう。エンケンばりに「イヤなら出てけよ」だ。
実際んとこは、私が東京から出て行きたいのだ。地方に行くとその土地の空気、ゆるやかな時間の流れ、メシのうまさなどに惹かれてその土地に住みたくなること山の如し。地方都市に住みてえよ心底。
でも東京を離れるのがなんとなく惜しいんだよな。
いいとこいっぱいあるからなー
そして知らないとこも沢山ある。
先日仕事で板橋区に行ってきたけど、板橋のことはなんにも知らなかったんだよ
な。三田線がこんなに長いとも思わなんだ。途中から地上に出るというのも知らなんだ。団地も山ほどあったが、川沿いの風景は工場地帯。
工場の窓から漏れる光が夜の川を照らす。いい光景。
うちのあたりにも川が多い。川沿いには町工場が並んでいたりする。その光景と似ていたのでいいな、と思えたのだ。
その写メール画像を別んとこでアップしたら、「小樽みたい」なんて意見も。
小樽は言い過ぎだろうよ。そんなたいそうなもんじゃねえさ、板橋だもの。
そもそもわたくしは工場や工業地帯が好きなのです。騒音や公害や自然の衰えを憂う意見も多いが、何言ってんだ、工業こそが今の生活を支えてるんじゃネエか。
おめーらの「豊かな生活」の基盤だろコノヤロー、と思う。
町のモンだろうが工業地帯のモンだろうが、工場労働者こそ近代日本最大の功労者だ。今、上流階級だのなんだのほざいてる奴らなんぞちっとも偉くない。働かない奴らはもっとダメだけど。

これまた先日仕事で京浜工業地帯に足を踏み入れたのだが、ここの光景はすごいぞ。日本の中心も世界の中心もどこだか知らないが、日本の重心を支えているのは間違いなくここだ。銀色の要塞がババンと広がる。何本も突き出る煙突に巻きつく膨大な数のパイプ群。絶え間なく吐き出される煙、そしてすぐそばに乗り入れている巨大船。長距離トラックすら小さく見える。壮観。
人間が豆粒にしか見えない。思えない。人間なんぞ大したもんではないのだ。
で、中はもっとすごい。が、中のことを書き出すと止まらなくなるので省略。

東京ってのはこういう光景もあるところなんだよな。
先述のゆるいごった煮人文化と工業化発展文化(文化じゃねえか)が両立しているのが東京のいいところ。しかもそういうものが、全然遠くなくて両隣でも成立してるからね。辺境のあたりばかりだけど。東京も立派にアジアってわけだ。

そのアジアな、愛してやまない東京をもっとも堪能できるのは、京急線沿線なのだと思うのです。
くやしいけれど(うちんとこではないから)座はてめえのもんだ、京急。
空港もあるしな。どの駅から降りても商店街あるし。
そして蒲田あたりには風俗店もあるしな。このバランスの良さ!完璧だなーくやしいけどよー。
本当にいい路線だと思うのですよ。快特のすっ飛ばしぶりは爽快だし(ただし各停はどんだけ待つのか、つうくらい待つが)三浦半島の先っぽは海べりで風景全然違うしな。一番すげえのは京成とのタッグですよ、間に都営線入っているけど。
私鉄タッグの中では最強なんじゃないのか。羽田と成田を擁しているんだものなー日比谷線で繋がってる東急線と東武線のタッグなんて仲悪そうだ。連携プレイは絶対できやしない。


そんな京急の素晴らしさを歌ったのが!
今年の私の心のベストテン第一位!
くるりの「赤い電車」なのですよ!


これ以上の名曲はないね、今年は。
京急のあの歌声もしっかり収録だ。にくいぜ。
私はくるりの熱心なファンではないので、9月に沖縄から帰ってきた際に羽田空港でこの広告を見かけて知ったのだった。
京急および京急沿線に対する愛をビンビン感じる曲だ。
赤い電車はどこかに行くための手段としてばかり取り上げられるかもしれないが、違うんだ、赤い電車が連れてってくれるのは素顔の東京部分なんだ。
岸田氏も「でっかい東京/こんな街もあるんだ/見たことのない景色見せてよ」と言っているからね。
この歌詞を打っただけで心の奥が苦く捩れて、涙腺が緩んでくる。なんでだ。

ああ、この歌って京急沿線以外の東京に対する愛も感じさせるからだ。


飛行機で東京に来た人が最初に見る光景って、この沿線のような海や川に囲まれた労働者階級で庶民的な町並みのはずなのに、なんで皆山手を目指すんだろうな。
そんなのもったいねえよ。
赤い電車や銀色の電車や青い電車に乗って見たことのない東京見にいっておくれ。決して悪いもんじゃないから。


(くるりのアルバムについても褒めちぎりたかったが長くなったので終了)
2005年11月28日(月)

奥田英朗も濡れる港町角

今朝は久々に労働のために満員電車に乗ったんです。

で、私がどうして新幹線や地方のローカル線が好きなのかわかってしまった。
わたしは混んでない電車が好きなんだね。
混んでいる電車が嫌いなんだな。新幹線は混んでいるかいないかがあらかじめわかるシステムだから好きなんだな。今まで新幹線は「酒やタバコ、お弁当などが自由だから」好きなのだと思ってたんですが、それじゃ地方ローカル線愛に対しては説明がつかなくて、人知れず悩んでおったのです。
説明はいらなかったのか。人ごみでーきれーなだけだった。
満員電車に乗るのは本当にアホらしい、と再確認する。
「会社勤めなんてすなわち満員電車に乗ることじゃない!何ほざいてんだよ!」
という声がどこからともなく飛んでくるような気もするが、私は電車を使わない通勤を実現しているのでそういう負け惜しみは聞きません。
何が哀しくて、臭いジジイたちの中に混じらなければならんのか。汚い髪を垂れ流した女の背後に立たなければならんのか。(ほんとウゼーよな長い髪の女)
特にじじいは本当に殺意を覚える。
頼むから屁をこくな。括約筋緩ませている場合じゃねえぞ。
電車に乗っていると、ウンコを漏らす人間というのは自分が思っているよりも多いんだなということがわかる。ちょっと電車に乗っただけで公衆便所みたいな臭いが漂ってくるからな。
以前電車通勤していた頃はそこまで過敏にはなっていなかったんだが、今や立派なうんこ臭ハンターだ。私の推測偏見統計によると、30〜40代のサラリーマンにうんこ臭漂わせるのが多い。会社ではちょっとお偉い立場なのかもしれないが、てんでなってねぇよ。そしてあれって、「漏らしている」ではなく「ちびっている」or「ケツをちゃんと拭いていない」なんだよな。
ケツくらい拭け。ケツを拭かない以上おまえらはウンコなんだよ。

と、またもやうんこ理論を展開しても埒があかないのでヤメ。
奥田英朗の新刊「港町食堂」が出ていたので、読みました。
実は奥田英朗の旅エッセイを読むのは初のこと。「泳いで帰れ」や「野球の国」の存在は知っていた。知っていながら手に取る事に長いこと躊躇していた。

紀行文を読むのは好きだ。
しかし、ほとんどの紀行文は「あ、××行ったんだ、あそこはいいとこだよねえ」くらいの気持ちで通りすぎていくのみ。
なぜならば、自分で言わせて貰うが、漁村だの山奥だの田んぼのど真ん中だのに行く旅を繰り返している私はクオリティの高い旅をしておるのだ。
そうは思わない人が多いかもしれないが、確実に「こんな旅は他の人間は滅多にしてねえんだ!ガッハッハ」というメンタリティに支えられている。
だから観光地三昧も癒しの旅も心底どうでもよいのである。そんな旅全然うらやましくないのである。
しかし、ごく一部の紀行文は私を通り過ぎさせてはくれない。
ヤンキー高校に転校してきた生徒のように足止めをされて転ばされる。
「ひゃー!こんなイイ旅しやがって!俺もこんなところにいる場合じゃねえよ!」
と、私の心という心を掻き乱していくのですよ奴らは。
今更言うのもなんなんだが、私は非常に劣等感の強い人間でございまして。
この場合は劣等感という言葉は当てはまらないかもしれんな。要するに
「キー!うらやましー!」
「チクショー!クヤシー!」
「くそー!俺も負けてらんねえ!」
と思ってしまうんだな、その旅およびその紀行文を書いた主に対して。

なぜならば彼らの旅というのは

・何故その目的のためにわざわざそんなところに行くのか?と思わされる動機
・何故わざわざそんな経路でそこへ向かうのか?という旅路
・食ってばかり飲んでばかりで健康とかネイチャーとか騒がない
・思いもよらないアクシデントに出会う
・思いもよらない出会いに恵まれる
・恥ずかしい経験が必ず盛り込まれている

からなのです。
で、比重として大きいのは「普通じゃ考えられない経路で旅する」と「思いもよらないアクシデント/出会いに恵まれる」だな。
そういう旅をしている人の文章はとても生き生きしていて、なんというか、旅先から帰ってきたその足で新宿だとか有楽町だとかの飲み屋に入って生々しくいろんな話を聞かされているような気分になる。ようするに鮮度がいいのだ。ぴちぴち。癒しの旅やヤラセ満載日曜日の昼下がり芸能人接待旅は永遠に辿り着かない境地であるね。
お土産にキーホルダーだとかかわいい小物入れなんかを渡されるんではなく、絶対日持ちしない特大大福や生魚をどーんと渡されるような気分。それって人によって違う気分でたいていの人は「貰っても困る」なんだろうが、私は「うわー!やられた!」と思ってしまうのである。

で、奥田英朗の旅エッセイは確実に、そういう「ギガウラヤマシス」心を直撃する部類のものであることがあらかじめわかっていたのです。
「野球の国」なんての紹介文なんかこうだからな

>大薮賞作家・奥田英朗が、文化としての野球をキャンプ地から地方遠征を通して描く。
>映画、マッサージ、うどん…。必要な「何か」を求め放浪の旅に出た悩める小説家の行く末は?

もう、闘う前から完敗。うらやましすぎるんだよおおおおおおおお。
嫉妬させんなよおおおおおおお。
しかしわしも紀貫之になりたひ、とのたまう旅人。(うわ、椎名りん子”みたいな仮名遣いしてしまって自己嫌悪)
闘わないで回避ばかりしていてはいかん。やっとのことで手に取って読みました。


言うまでもないことでしょうが、感想

「うわー!やられた!」
「キー!うらやましー!」
「チクショー!クヤシー!」
「くそー!俺も負けてらんねえ!」
「ひゃー!こんなイイ旅しやがって!俺もこんなところにいる場合じゃねえよ!」

(すべて×275ずつ)


だってさあ、旅の条件が
「船旅」
なんだよ。
ひゃー!うーみー!私がもっともしたことのない船旅かよ!
最近地図を見ていてもフェリー航路ばかり目で追っていたから余計に悔しい。
作業員は休みが長く取れねえからな。くーそー。
私の今までの数少ない船旅は佐渡島に渡った時だけですから。ま、この本の中でも佐渡島渡ってらしたが。
大シケにあったり船が欠航したり、たらい船に乗らされたり地元のスナックで知らない人と知り合ってわいわいとしたり・・・なんてネタに恵まれているんだ!
なんて印象に残る旅をできているんだ!

あ、ここまで書いてふと思ったけど、彼の旅で私はクヤシー!ウラヤマシー!と感じることよりも
「おおお、それ、絶対楽しいんだよなあ」とか
「うひゃー!それはしんどそう!まだ経験したことねーや」とか
「遅刻寸前てのは俺もやったなー」とか
共感していることのほうが多かった。
事実、この本に収録されている牡鹿半島の旅はこないだ行ってきたばかりだしな。おしか食堂に奥田英朗も行ったのか!などと興奮したり。
そうか、私はこういう紀行文を読むと小説よりもはるかに感情移入してしまうのだ。むしろ実体験のようにすら思えてくる。
そらそうだ、俺も旅人だからな。
小説家だって工事屋だって変わりやしねえ。旅ってのはそういうもんだから。



でもやっぱり羨ましくてたまらないのです。
わしもこうしちゃおられん。早く旅に出なければな。
直木賞作家なのに二等船室扱いという扱いはいいよなあ。
羨ましいのは旅なのかネタなのか、いやたぶんきっと両方。
2005年11月24日(木)

電波の神様、独りゴッチ

「だめんず・うぉ〜か〜」が映画化されるというニュースを見た。
どんな風に映画化するんだよ!
梅宮アンナ主演か!
今日のヤフーニュースにもアンナと立浪の話が載っていたけれど、アンナすげえな。借金誠意大将軍に無職自称青年実業家、で今度は不倫ですよ。
しかも立浪だ。むしろ勃浪と表記したいくらいだ。

今知ったけど「だめんず・うぉ〜か〜」ってドラマ化されてるんだね。
飯島愛で。しかし内容はただのラブコメだったようでそりゃイカン。



先日、仙台に行った際に秋保温泉に行ったのです。
1200円払ったので元を取らねば、と温泉に3回浸かったり、サウナに長時間入ってガマン大会を行ったりしたので帰り道はフラフラでした。バスの中は寝て寝て寝倒して、気がつけば仙台・・・
ではない。
のどかな秋の午後、乗客はすべて日帰り温泉に入ったり紅葉を楽しんで疲れた人々ではなかったのだ。
私の横の横の座席に座っていた40か50くらいの男性が、ひたすらブツブツと独り言を呟いていたのでした。
停留所の名前はとにかく復唱。それは聞き取れたんだが、あとは全然聞き取れない。聞き取りたくもないんだが。「ああ!×××なんだった!ああ!」みたいなことを言い続け、かばんの中から本を取り出し、「やっぱそうだ!そうなんだよ!」というような調子。
バスに乗っていたすべての乗客が気味悪がって彼のほうは見向きもしませんでした。
しかし、あまりにもうるさいのでチラリと見たのですが、読んでいた本が
「呼吸のしくみ」
という本だったので、おそろしくなってそれ以降見るのをやめました。

これはまあ、特別な光景でもなく、最近独り言を平気で発している人って多いと思うのですよ。
ゲーセンなんか行くといい年こいたオヤジがゲームに向かって「よっしゃよっしゃ〜」「ブッ殺してやる!」などと叫んでいて、世界はおまえのモノではないんだよ、と忠告したくなる。
うちの職場にもひたすら独り言を呟いている同僚がおります。
以前にも書いたメールの署名に著作権がどうこうという旨を加えちゃう人です。
自分の興味のある分野の単語などを次々に羅列し、「ああ、こういうことかあ、これはかっこいいよなー」などと呟く。
そういう人を見ていると「何故独り言を音声化せずにはいられないのか」と思ってしまう。
たぶん
「独り言言ってる、と認識される」→「あの人独り言言ってる、アブネー奴だなと思われる」→「そう思われるのは恥だ」→「独り言、カコワルイ」→「自粛」
という思考回路がないのだろうと思われる。
あるいは「周りが見えない」。他人にどう見られるか、に依っていない。ある意味では潔い生き方だ。けどもやっぱり、独り言はあまり言って欲しくないものだ。
ビックリするから。気味が悪いから。周りに人いるから。
もうちょっと「社会の中のわたし」「周りから見られてる」って部分を意識し
て欲しいものだ。もうちょっと「あ、これは別に音声化しなくてもいいかな」という基準を作って欲しい。逆に「これはどうしても主張したい」というのがあったら学校の屋上からでも世界の中心からでも叫んでいいから。
いつも心に「音声化判断機能」を。

などと思ってしまうんだけど、「独り言を呟いている人について」書くことってタブーなんでしょうか。人権擁護なのかね。今、webで検索したけど「××の独り言」なんていう日記やblogしか出てこなかった。
まあ、webで考えを垂れ流したりするのも立派な独り言なわけですが、やっぱり実社会で実際に音声を垂れ流しているのは違うな。音声化するってのは「対話」「コミュニケーション」すなわち「相手に伝える」手段ですから。
うちの職場の独り言マシーンは、「対話」「コミュニケーション」というのが恐ろしくヘタ。
何がヘタなのかつうと自分の興味のある分野の話は話しっぱなしなのにそれ以外の分野の話はしない。そして相手が話している時は大して聞いていない、聞こうとしない、という具合。
何も「今時の若者は話が聞けない」ということを嘆こうとしているのではない。話を聞かないじじいもばばあも沢山いるからな。
独り言はコミュニケーションではないのだから(発している本人にコミュニケーションをする意思がない)、そういうのが「聞こえる」状態をこっちから断つしかないんだろうか。聞こえない耳を持つ。言葉として捕らえないように努力する。
なんでも聞こうとするから「怖い」とか「アブナイ」と思ってしまうのかもしれない。

でも、独り言って独創性や危機感に帯びているものが多いから、聞こえないようにするのは無理だよなー
聞こえることで予防できる事件もある(はず)。
私が今まで聞いた独り言の中で一番すごかったのは電車の中で
「(ドアが閉まってしまって乗れなかった女子高生に対して)このブタめ!」
「こんなに人がたくさんいるんだから、こいつらを食っちまえばいいんだよ」
「おまえらを喰らってやる・・・ククク」
「まさか、怖いって言うんじゃないよな?このブタどもめ!」
とずっと呟き続けていたビジュアル系のように顔面蒼白でガリガリの表情に乏しい大学生でした。
明らかに病人。
お薬やってたかもしれないな。

独り言を言いたくてたまらない人は、音声にしてしまう前にwebで垂れ流す、というような代理行為をすればいいのに。
それこそ本当の意味での「××の独り言」。数ある日記やblogよりもリアルでいいんではないのか。
でもそういう人に限って、webでも独り言を自分の日記やblogでは垂れ流さずに他人の掲示板やコメント欄で垂れ流して騒動を起こすんだよね。
本当はコミュニケーションしたいんだか、したくないんだかもはや不明。
どちらが相手の言うことを聞かないで独り言垂れ流し続けるか争う、「独り言甲子園」とかやってみてはいかがか。
2005年11月21日(月)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


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